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3-12 山津波 [アスカケ外伝 第1部]

クニヒコは、小屋を出て、小さな川に沿って山へ向かう。緩やかな斜面、田畑が広がり、一段高い場所に集落があった。そこが園部の郷のようだった。郷の皆は、もくもくと仕事をしている。横目に見ながら、クニヒコはさらに山に分け入る。豊かな森が広がっている。幾つか、沢を渡り、大きな谷を越え、尾根に辿り着く。
「この先の森を抜けると、田屋の郷が見える場所に着きます。」
クニヒコがそう言って、小さな坂を上り、開けた場所に着いたとたん、声を上げた。
「これは・・・。」
タケルたちも、続いて開けた場所に出て、絶句した。
そこは、大きな岩があちこちに転がり、土が剥き出しになっていた。大木がへし折られ横倒しになっていたり、岩に挟まって逆さまに立っていたり・・尋常な風景ではなかった。時折、その削り取られたような場所の上から、ガラガラと岩が落ちて来る。遥か向こう側の尾根辺りまで、同様に風景が広がっている。
山裾に目を遣ると、削り取られた・・いや、崩れ落ちた山の土砂が、真っすぐ、大川に向かって流れているのが判る。
「確か・・あの辺りに田屋の郷があるはずだが・・・。」
クニヒコが呟く。明らかに、田屋の郷はその土砂に飲み込まれているようだった。ニトリは全身を震わせている。
「兄者!!」
そう声を発すると、郷に向かって、削り取られたような崖沿いを降りて行く。
タケルたちも後を追う。途中、何度も足を取られ、転びながらも、何とか森を抜けた。
山の上から見た時よりも、さらに惨い風景が広がっている。どこに郷があったのか判らぬほど、土砂が容赦なく押し寄せ呑み込んでしまっている。
「何者!」
泥に塗れた格好の二人の兵が、ニトリたちの前に立ちふさがる。疲れ果てた表情、構える剣も泥まみれで、ぶるぶると震えている。
「私は、ニトリ。頭領ハトリの弟である。」
ニトリは、力強く答える。それを聞いて、一人の翁が現れた。
「おお・・これは・・なんと・・ニトリ様ではないか・・。」
その翁は、足を傷めたのか、杖を突き、立っているのもおぼつかない様子だった。
「ヨシ爺・・ヨシ爺か・・生きて居ったか。」
久しぶりの再会なのだろう。ニトリはすぐに駆け寄り、その翁を抱えるように支える。
ニトリやタケルたちは、すぐに、ヨシ爺の案内で、郷から少し離れた高台の広場に連れて行かれた。そこには、多くの者の亡骸が並んでいる。
「あっという間だった・・。何やらゴオーという音がしたと思ったら、大きな黒い塊・いや・・土砂の波が郷を飲み込んだ。館も見る影もなく・・・。あれから、我らは、少しずつ土砂を取り除き・・・郷の者を探した。・・・恐ろしきことだ。」
ヨシ爺は思い出すのも苦しい表情でそう言った。
「兄者や、一族の者は?」
ニトリが訊く。
「まだ・・見つかりませぬ。館さえ、掘り出せぬほど・・・もしや、大川の方まで流されていまいかと探しましたが・・・何一つ見つからぬまま・・・もはや、田屋の郷は消えてしまいました。巨勢一族の皆さまも・・。」
「何という事だ・・・。」
ニトリはヨシ爺の話を聞き、大粒の涙を流し、その場に伏してしまった。
「もしやとは思いましたが・・まさか、本当に山津波が起きていたとは・・。」
何とか、難を逃れた者達も、その後、郷の者を探すために、苦労したのだろう、皆、疲れ切っている。
「皆さん、食事はどうされているのですか?」
タケルが訊く。
「しばらく・・何も口にしておりません・・。蓄えておいた米や稗、粟・・すべて、山津波に飲み込まれましたゆえ。」
山津波が起きて、1週間は経っている。このままでは、助かった者さえも、飢えて死んでしまうに違いなかった。
「私は、タケルと申します。」
そう挨拶すると、ヨシ爺は一瞬、怪訝そうな顔を見せた。
「此度、難波津の摂津比古様から、韓の水軍に襲われた紀の国をお助けせよと命を受けて、和歌の浦に参りました。」
「難波津から?・・では・・ヤマト国の遣いと申されるか・・。」
ヨシ爺は恐縮した表情で訊く。
「ヨシ爺・・遣いではありません。この方は・・」
と、ニトリが言い掛けた時、タケルが遮った。
「はい。和歌の浦では、ほぼ復興の目途が付きました。そんな時、大川の水害を知り、名草のヤシギ様にもお会いし、今、名草辺りの郷をお助けしております。もしやと思い、足を延ばしたところ、こんな山津波が起きていようとは・・・。今、多くの男達が、難波津から参っております。すぐに、こちらに向かわせましょう。それと、まず、食べ物を運びましょう。生き残られた皆さまがこれ以上命を落とさぬよう、我らがお助けいたします。」
それを聞いて、ヨシ爺は涙を流して喜び、タケルの手を取った。それを聞いていた周囲の者達も、タケルを崇めるように手を合わせた。
タケルは、このことをすぐに、園部のオノヒコや名草のユミヒコ、そして和歌の浦にいるヤシギに知らせてくれるよう、ヤスキに頼んだ。ヤスキはすぐに、クニヒコと共に戻って行った。
名草では、シルベが指揮を執って、和田の庄の修復に取り掛かっていた。難波津から、さらに多くの男達が来ており、和歌の浦の港には、大船が何隻も着いていた。ヤスキの知らせは、和歌の浦まで届き、大量の食糧を何隻もの小舟に積み、川を上り、田屋の郷近くまで運ばれた。
土石流.jpg
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