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3-4 十里木の館 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

マリアは、顔に当たる朝の光の眩さで目を覚ました。綺麗なパジャマに着替え、ふかふかのベッドにいることに気付いた。そして、ここが須藤夫妻の新しい家なのだと判った。
マリアはベッドを降り、ドアを開ける。階段の下から、美味しそうなにおいがする。階段を下りていくと、栄子がキッチンに立って朝食の準備をしていた。
「あら、目が覚めたの?もっと寝ていてもいいのよ。」
栄子は、マリアをちらりと見てそう言うと、手元のフライパンに視線を移す。
「英治パパは?」
マリアが訊くと、キッチンの出窓を指さして、
「庭にいるわ。小さな畑を作っているの。朝食用のトマトとレタスを取っているはずよ。」
と、栄子が言う。マリアは、キッチンの勝手口を開くと、そこには麦わら帽子をかぶった英治の姿があった。
「おはよう。よく眠れたかい?」
英治が、籠に摘んだレタスとトマトを抱えて、笑顔で言った。
その様子をじっと見ているマリアを見て、
「どうだ?真理亜も収獲してみるか?こっちへおいで。」
そう言って手招きする。勝手口にある大きめのサンダルを履き、マリアは庭に出た。
家の周囲には、大きな木々が立ち並んでいる。屋敷の南側は広い芝生広場になっていて、屋敷の建物に近い、南の一角が畑になっていた。
「さあ、これを。」
英治は、収獲用のはさみをマリアに渡す。
「やってごらん。」
英治が、レタスの株元を指さして「ここを切って」と言う。言われるままにマリアは鋏を使うと、まだ、朝露に濡れたレタスの葉を収穫した。
「トマトもやってみな。」
頑丈な支柱にツルが伸び、真っ赤に売れたトマトが幾つもついている。
「ここを切るんだ。」
英治はそう言うと、トマトのへたの付け根を指差す。先ほどと同様に、マリアがハサミを動かす。大きなトマトがマリアの手に乗った。
「じゃあ、これを栄子のところへ持って行っておくれ。」
竹籠にいっぱいのトマトとレタス、ほかにも名も知らぬ葉物が入っていた。キッチンに戻ると、栄子が籠を受け取り、さっと水洗いして、皿に盛る。
「トマトは、スライスした方が良いかしら?それとも、このままかじってみる?」
栄子が、悪戯っぽくマリアに訊く。
ようやく朝食の支度が整い、光が差し込む窓辺の席で朝食を摂った。マリアの脳裏には、アメリカの施設に連れて行かれる前の、穏やかな日々の想い出が蘇っていた。父と母を亡くしたことは、まだ三歳だったマリアにはほとんど記憶がない。須藤夫妻と過ごした日々からの記憶しかなく、とても穏やかで幸せだったことだけが残っていた。五歳から十歳の五年間の空白はあるものの、今、マリアはあの日々と今が確かにつながっているように思えていた。
朝食のパンを手に取りながら、須藤英治は、マリアを見てしみじみと言った。
「あんなに幼くて弱々しかったマリアが、僅か五年でこんなにも大きくなるなんて・・・。」
少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「このまま、ここに居てもらっても構わないからね。」
英治はそう言うと、窓の外を見た。何故か、それを聞いた栄子の顔が曇っていた。
朝食のあと、マリアは少し庭に出てみた。屋敷の周囲には、数軒の別荘があるようだが、人影はなく、静かだった。
北の方角には、木立の間から富士山が見えた。以前に居た家から見えた富士山よりも大きく感じた。
「部屋にお戻り!」
ふいに栄子の声が響く。朝に比べて少し厳しい声だった。
「近頃、不審者が出るってニュースがあったばかりなのよ。ここは別荘地でしょ?普段から人影は少なくて、留守を狙った泥棒も出るのよ。万一、真理亜の姿を見て、どこかへ連れて行こうなんて考える悪人がいるかもしれないでしょ?」
あの特別な力があれば、誘拐犯など造作もない。内心、マリアはそう思ったが、栄子の心配は充分に理解できた。
二階からは、クラシックの交響曲が聞こえている。英治が聞いているようだった。
「真理亜も、英治さんのところに行って、音楽でもどう?」
栄子に言われて、二階へ上がる。階段を上がると左右に幾つもドアが並んでいる。マリアは、そっと音を頼りに部屋に向かう。ノックをすると、「どうぞ」と英治の声が響いた。
ドアを開ける。壁一面にはレコードが並んでいて、部屋の中央にある大きめのソファーに英治は座っていた。富士山が見える北側の窓の下に、古めかしいオーディオ機器が置かれ、大きなスピーカーが四隅にあった。
「真理亜も一緒に聞くかい?」
マリアが頷くと、英治がソファーに座るように手招きした。
マリアは、英治の横に座る。四方に置かれたスピーカーから、まるでコンサートホールのような音が響いている。全身が音に包まれているような感覚だった。
バイオリンの音色がひときわ美しい。
アメリカの施設でも、初めの頃は、大部屋で朝夕、粗末なスピーカーからクラシック音楽が流されていた。情緒の安定に効果的な音楽だそうで、強制的に聞かされていたために、終いには、その音を聞くとかえって情緒不安定になるようだった。だが、今、ここで訊く音楽はとても心地よい。隣に英治が居て、温もりを感じながら聴く音楽は格別なものなのだと知った。マリアは、英治の体に寄り添うように座ってじっと聞いているうちに、うとうととしてしまった。

「お昼に時間よ。」
そう言って、栄子が部屋に入るまでマリアは眠っていた。目を覚ますと、英治もマリアと同じように眠っていた。
「まあ、二人とも、寝てたの?」
栄子はそう言って笑った。
「昼食だから降りてきて。」
そう言って、栄子が部屋を出ると、マリアと英治も続いてダイニングルームに向かう。
昼食はオムライスだった。
「好物だったわよね?」
栄子が訊く。そう言えば、栄子が作るオムライスが好きだった。施設に移ってから、こんな食事をしたことがなかった。貪るように食べた。
「午後から、買い物に行くけど、何か欲しいものはない?」
栄子が、マリアと英治に訊く。
英治は「特にないな。」と答えた。
マリアが答えないでいると、
「遠慮はいらないわよ・・そうそう、着替えの洋服を買ってきましょう。ええっと・・サイズは・・そうね、判ったわ。二人は留守番をしていてね。余り、外に出歩かないようにね。」
栄子はそう言うと、例の古いセダンで出かけて行った。
午後は、英治の書斎にある本を見せてもらったり、英治が長年かけて集めたレコードを見たりして過ごした。
夕方には、栄子がたくさんの食料品や日用品を抱えて買い物から戻って来た。
「これ、真理亜ちゃんに・・どうかしら?」
大きな紙袋の中には、衣服が幾つも入っていた。
「下着類は、前の施設で使っていた物を少し残してあるから使えば良いけど、洋服はやっぱり、流行りの物を着なくちゃね。」
栄子は満面の笑みを浮かべて、マリアにその包みを渡した。マリアはその日、自分の部屋で栄子からもらった洋服をベッドに並べた。アメリカの施設では、白い洋服だけしかなかった。この世には、白い服しかないのかと思うほど、洋服に関して感覚が麻痺していた様に思う。
目のまえに広がる洋服は、マリアをこの上なく幸福感で満たしてくれるのだった。

そんなふうにして、数日、穏やかに過ごした。

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