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同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色- ブログトップ
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1-0 序文 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

橋川市で起きた一連の行方不明事件を解決してから2年ほど、平穏な日々が続いていた。

矢沢一樹も紀藤亜美も揃って刑事課へ正式に配属されていた。
先の事件のきっかけとなった神林病院は、新道レイが院長となり、信頼回復に努めようやく経営も順調になってきていた。
そんな中で、新たな事件が発生した。こともあろうに、神林病院入院中の患者が投身自殺をはかったのだった。自殺か他殺か、事件か事故か、真相追及が始まる中、再び事件が・・・。深い恨みの色をレイの母ルイがシンクロする。


■ストーリーメインキャスト
○橋川署
矢澤一樹
  紀藤亜美
  鳥山課長
  紀藤所長(勇蔵)
 
 川越(鑑識)
 森田(刑事)
 松山(2班刑事)
 藤原女史(庶務課:PCに長けていた)
 葉山一郎(同僚)-事故から復帰(内勤)

○ヴェルデ(レストラン):田原義彦(矢澤の同級生)
○市民病院 君原医師(葉山夫人の兄)-前回の事件の真相究明に協力-現在、神林病院に勤務。
○神林病院
 神林レイ(新道レイ)
 秘書 山口(老紳士)
 神林ルイ(レイの母)




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1‐1 初動 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「神林病院屋上から、転落事故発生。警ら中の各車は、現場に急行されたし。」
遅い昼食を終えて、橋川市内を巡回に出たばかりだった矢澤一樹は、赤色灯のスイッチを入れ、ハンドルを切った。
「ねえ、神林病院だって・・」
助手席にいた紀藤亜美が少し複雑な表情で一樹に言った。
「ああ・・そうだな・・・。」
一樹も浮かぬ表情で車を走らせる。

矢澤一樹と紀藤亜美は、前回の事件の後に、刑事課へ配属されていた。鳥山課長は、一樹と亜美をパートナーに指名したが、一樹が拒んだため、森田刑事と亜美が組んでいたのだが、森田が、署長の娘である亜美に、気を使い過ぎて、捜査中に、何かとトラブルが起きたため、見かねて、一樹が亜美のパートナーに収まったという経緯があった。

病院に到着すると、パトカーが数台、すでに到着していた。落下場所と思しき場所には規制線のテープが張られていた。中では、鑑識の川越が、鑑識課員を指揮して、落下現場の周囲の遺留物などの採取を行っていて、矢沢たちの到着に気づいたようだった。
「どうですか?」
一樹が白い手袋を付けながら訊いた。
「現場はこの上です。」
川越はそう言って、病院の建物の屋上を見上げた。屋上にも、何人かの鑑識課員が動いている。一樹と亜美は、川越とともに、病院の玄関に向かった。玄関を入ると、鳥山課長と松山刑事が、新道レイに事情聴取をしていた。あの事件以来、亜美はレイと姉妹同然に付き合っていた。ただ、あの事件の事は、あれ以来、お互いに口にしないようにしていた。一樹も時々亜美に呼び出されて食事をする程度の付き合いはあった。
「レイさん!」
亜美が声を掛けた。レイは困惑した表情だった。レイは、神林病院の再建のために、病院長に就任していた。
「おお、紀藤、矢沢、早かったな。」
鳥山がそう言うとほぼ同時に、一樹が口を開いた。
「事故ですか?事件ですか?」
「いや・・まだ、特定はできない。自殺のようでもあるし・・・。」
鳥山の答えは歯切れが悪かった。
「レイさん、大丈夫?」
亜美はレイに駆け寄ると労わるように言った。
「ええ・・大丈夫です。ただ・・患者さんが自殺されたなんて・・・。」
あの事件からほぼ二年。神林病院はいったん閉鎖されていたが、一年前に新道レイが院長に就任し、医師や看護師等も新しく雇用し、再出発をしたのだった。世間からの信用もようやく回復しつつあるところでの、今回の事故は余りにも大きい痛手だった。レイの目にはうっすら涙さえ浮かんでいる。
「ちゃんと調べるから・・」
亜美はそう言って、レイの手を握りしめた。すぐに、一樹と亜美は屋上へ向かった。屋上には先に川越がついていて、現場の状況を再確認しているようだった。
「現場は、あそこです。二メートルほどの柵を乗り越えて落下したと推定されます。それと、柵の下にはこれがありました。」
そう言って、ビニール袋に包まれた紙片を差し出した。
『罪を清算するために、死を選びます。』
短い文章が印刷されていた。
「遺書・・ですか?」
「内容からみるとそうですが、何しろ、プリンターの印刷文ですから、本人のものかどうかは鑑定してみないと、なんとも言えませんね。」
一樹は、川越の話を聞きながら周囲を見回した。
「あそこに、監視カメラがついているな。」
屋上への出入口の上に、小さなカメラが設置してあった。出入り口付近からちょうど柵を乗り越えた現場辺りにフォーカスがあるように見えた。そう言っているところへ、鳥山課長と松山がレイとともに屋上に姿を見せた。
「落下したのは、三日前から入院していた佐原健一氏。市内にある人材派遣会社ビズハッピイの代表です。検査のための入院だったようです。二ヶ月ほど前に人間ドックを受けて、再検査が必要とのことで、入院したらしいんです。」
松山が手帳を見ながら、一樹と亜美に報告した。
「先ほど、屋上の監視カメラ映像を確認したが、本人以外の人物は写っていないようだ。出入口から真っ直ぐ、柵をよじ登り、落下していたよ。自殺で間違いなさそうだ。ただ、なあ・・。」
鳥山課長がそこまで言って、ちょっと言葉に困った表情を見せた。
「なんです?」
一樹が察して訊いた。
「いや・・自殺を考えている人間が、人間ドックを受けるかな?・・」
鳥山課長は頭をかきながら言った。
「レイさん、佐原氏の再検査というは、例えば、癌とかそういう類の検査なの?」
すぐに亜美がレイに訊ねた。
「いえ・・すぐに人間ドックの結果を確認しましたが、重大な病気の予見はありませんでした。再検査も、胃にポリープが見つかったので、念のためにポリープを切除して検査するものでした。まだ、結果は出ていませんが、悪性ではないだろうと担当医から聞いています。」
レイは冷静に答えた。
「じゃあ、病気が原因で自殺という線は無いな。やっぱり、別の理由ってことか。」
一樹が独り言のように言った。
「矢澤と紀藤は、奥さんに話しを聞いてきてくれ。この病院の地下にある、遺体安置所にいらっしゃるはずだ。ご遺体は一旦、司法解剖する事になるから、その事も話してくれ。我々は、新道院長に、もう少し患者に関する情報を聞いてから戻る。」

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1‐2 遺族 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

一樹と亜美は、地下の遺体安置室に向かった。
地下に入ったところで、すぐに、泣き声が聞こえてきた。ドアを開けると、三十半ばの細身の女性が、白い布に包まれた遺体に縋りつき、身を捩らせて泣いている。
佐原の妻、恵子がまるで子供の様に、わあわあと大きく響く泣き声を上げているのだった。立ち会っていた警官もあまりの様子に直視できず、じっと天井を見上げる始末だった。
「まだ、話を聞ける状態じゃないな・・。」
一樹は小さくつぶやき、亜美を連れて、遺体安置室を出た。
二人は一旦、玄関ロビーに戻った。
外来の診察時間はすでに終えていて、ロビーの人影はまばらだった。椅子に座り、しばらくぼんやりをしていると、不意に亜美が口を開いた。
「本当に、自殺なのかしら?」
「ああ・・これまでの状況で言えば、ほぼ、自殺だろうな。」
「でも・・何か変よね。」
「ああ・・変だな。でも殺しとは言えない。」
待っている間に、亜美はスマートホンで佐原の会社について検索した。

明るい笑顔の若い女性が二人、手を広げた写真がトップページを飾っている。『親身になってお仕事探します。』なんだかありきたりの文章が並んでいる。ただ、派遣先の会社の声の掲示板があり、そこを見ると、佐原社長が熱心に会社回りをして、必要な人材を発掘して派遣している事への感謝の言葉が数多く見られた。また、登録していた派遣社員も、「正社員になれました」と喜びの声を多数寄せている。業績も数年前までは厳しいようだったが、このところ改善しているのも判った。

「それほど、おかしな会社じゃなさそうね。」
亜美は、一応、納得した様子だった。
「会社関係というより、個人的な問題なのかしら?」
「だったら、なおさら、自殺なんて変だな。」
亜美の独り言を聞いていた一樹が口を挟んだ。
「あら、聞いてたの?そうね、個人的な悩みがあって、死のうなんて考えている人が検査に来るなんて・・。」
「だが、確かに、自殺せざるを得ない理由はあったんだろう。」
二人は、会話しながらも、あの奥さんにどう切り出せばよいか、考えていた。

三十分ほどして、再び、遺体安置室に行くと、憔悴し切った表情の奥さんが、ドアの外の長いすに座っていた。視線はまだ定まって無いようだった。
「あの・・橋川署の矢澤と申します。佐原健一さんの奥様、恵子さんですね?」
一樹が警察手帳を見せながらそう名乗ったが、奥さんは、死人のように青ざめた表情のまま、反応しなかった。
「奥様、この度は・・・。」
亜美がそう言いかけた時、急に奥さんがキッと目を開き、二人に強いまなざしを向けた。そして、吐き出すように、「殺されたんです。」と言った。
「殺されたなんて・・。」と亜美が驚いて言った。
「何か思いあたることがあるんですか?誰かに恨まれていたとか、脅されていたとか・・」
一樹が尋ねた。
「あの人が恨まれるなんて・・・そんな人じゃありません。すごく、・・すごく優しい人です。自分よりほかの人の事を真っ先に考えるような・・そんな人が恨まれるなんて・・」
佐原恵子はそう言うと、ふたたび、「わあ」と泣き始めた。
「何か悩みとか、会社が行き詰っているとか・・。」
亜美の問いに、恵子は泣きながら、首を横に振った。
「どんなことでもいいんです。最近、何か様子がおかしいことはなかったですか?」
再び亜美が質問したが、同じように、首を横に振るばかりだった。
「判りました。・・念のため、ご主人のご遺体を司法解剖させていただきますが、宜しいですね。きちんと事件を調べるためです。ご協力ください。」
一樹は、低い声でゆっくりと話した。
泣きながら、恵子はこくりと頷いた。
長椅子に座る恵子の脇に、亜美は座り、そっと背中を摩った。しばらくすると、警察官が数人現れて、遺体を運び出していった。
「ご自宅までお送りしましょう。」
一樹はそう言うと、亜美とともに、佐原氏の自宅へ向かった。車中では、佐原恵子はすっかり生気を失った表情で流れる景色をぼんやりとみていた。
「本当に・・優しい人なんです。・・子どもの事も可愛がっていて・・・二人目ができた事も、随分喜んでくれて・・・退院したら、しばらく、仕事を休んで、旅行にも行こうって・・・。」
呟くように、奥さんは話した。一樹も亜美も、じっと話を聞いていた。奥さんの話を聞くにつれ、なぜ自殺したのか、本当に自殺だったのかと考えるようになっていた。
自宅は、市街地から少し離れた新興住宅地で「泉ニュータウン」と呼ばれる中にあった。その中でも、佐原の家はもっとも高台にあり、周囲より一回り広い敷地で、大きな屋敷だった。
家に到着すると、佐原恵子はゆっくりと車を降り、深々とお辞儀をし、何も言わず、家の中に入って行った。家の中からは、子どもの声と大人数人の声が小さく聞こえた。
「署に戻ろうか。」
一樹はそう言うと車を走らせた。

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1-3 事件の概要 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

二人が署に戻ると、すでに、刑事課の会議室には、鳥山課長以下、いつものメンバーが集まっていて、ホワイトボードに写真やメモが貼られ、この転落事故の概要がまとめられていた。
「よし、みんな集まったな。じゃあ、会議を始めるぞ。・・概略を松山がまとめて、報告してくれ。」
鳥山課長が言うと、松山は、ホワイトボードの前に立ち、概要を説明し始めた。
「事故発生は、六月二十日、午後一時三十分ごろ。入院患者の転落事故です。死亡したのは、佐原健一氏四十六歳。人材派遣会社ビズハッピイの社長です。家族は、妻、佳子三十二歳、長女 里香 三歳。それと、奥さんは第二子を妊娠中とのことでした。現場は、神林病院。屋上設置の監視カメラ映像から、佐原氏本人が屋上の柵を乗り越え落下し死亡。第一発見者は、本日、外来受診にきた方で、目の前に人が落ちてきたとのことで、かなり精神的なショックを受けられた模様で、現在、神林病院に入院されています。屋上には、自殺を示すような文章の印刷された紙が置かれていました。状況から、自殺と断定してよいと思います。」
「ありがとう。鑑識課から報告は?」
鳥山の言葉で、鑑識課の川越がゆっくりと立ち上がった。
「死亡原因は落下による全身打撲によるショック死と判断されます。監視カメラ映像からは、周囲の不審人物は発見されませんでしたので、自ら落下した、いわゆる投身自殺と考えるのが一般的でしょう。」
「あの遺書もあったわけだし、自殺という事で良いのではないでしょうか?」
松山が言うと、川越が否定的な言い方をする。
「いえ、自殺と断定するのはどうでしょうか?」
「えっ?さっき、投身自殺と考えるのが一般的だと言ったじゃないですか?
松山が驚いた表情で川越に訊き返した。
「確かに、映像証拠と現場状況だけなら自殺と断定できると思います。しかし、一つだけ気にかかる事があります。あの・・現場で見つかった遺書が・・どうにも・・・」
川越は少し、悩みながら歯切れの悪い言い方をした。
「そう、遺書があったんですよね。だから、自殺なんでしょう?」
松山は再び川越に訊いた。
「どうしたんだ?川越、何が引っ掛かっているんだ?」
鳥山課長も訊いた。
「あの遺書ですが・・・・監視カメラには写っていないんです。遺書は、自殺の場所もしくは居室に残されている事が多いのですが、今回、遺書が見つかったのは屋上の投身現場から少し離れた場所だったんです。」
「そこに置いてから、身を投げたという事じゃないのか?」
鳥山が訊く。
「カメラの映像では、佐原氏は、屋上のドアを開け、まっすぐ柵まで進んで、迷いなくよじ登って身を投げているんです。遺書を置くような時間的な余裕がないんです。」
「指紋はどうだ?」
「本人の指紋はありました。」
「それなら、本人が残したという事なんじゃないか?」
「ええ・・でも、遺書のあった場所はカメラの死角になっていて、例えば、誰かがそこに置く事も可能なのです。」
「しかし、事件にするには、余りに甘い推察だな・・。」
鳥山は考え込んだ。
「課長、・・課長も現場で、自殺とは考えにくいとおっしゃっていましたよね。自殺する人が人間ドックを受けるのかって・・奥さんにも話を伺いましたが、全く原因が判らないようでした。・・それに、奥さん二人目を妊娠中なんでしょ?・・そんな人がいきなり自殺するでしょうか?」
亜美が少し強い口調で鳥山に言った。
「誰かに自殺を強要された、あるいは自殺をせざるを得ないような秘密を掴まれたとか、そういう見立てになるということか・・・。」
一樹が鳥山に代わって答えた。
「そう・・きっと誰かに脅されて・・自殺したのよ。」
亜美がそう言うと、居並ぶ面々が意気消沈したような表情を浮かべている。
「どうしたの?・・脅した相手を見つければいいんでしょ?どうしたの?」
しばらく、皆、口を開かなかった。
「ねえ、どうしたのよ!」
亜美が皆を見て訊く。一樹が鳥山課長を見て、何かを確認するような表情を見せた。そして、亜美に向いて口を開いた。
「ああ、お前の見立てが正しいんだろうな。自殺教唆罪、あるいは、自殺幇助罪、同意殺人罪に該当する事件の可能性はあるだろう。だがな、それを証明するのは並大抵の事じゃないんだよ。」
「どうして?」
亜美の質問に、鳥山が答える。
「自殺を迫った確固たる証拠を見つける必要があるんだ。何しろ、強要された本人はすでに死亡しているんだ。だから、まず、自殺強要の可能性のある人物を探し出すことから始めなくちゃいかん。そのためには、自殺した本人が自殺をせざるを得ないような疾しい過去を持っているかも調べる必要がある。ひょっとしたら、佐原さんを信じている奥さんにはとても辛い真実を知らせる事にもなりかねないんだ。・・奥さんやお子さんを守るために、自殺をしたとして、その真実を暴き出すことで、結果的に奥さんやお子さんを守れなくなるという事なんだよ。」
「真実を全て暴く事が警察の仕事かどうかという事ですね。」
鑑識の川越が付け加えるように言った。今度は、亜美も口を噤んだ。
「結果を考えて、このまま自殺で処理する方が良い・・・とはならないでしょう。」
一樹が口を開く。
「それじゃあ、佐原さんを死に追いやった犯人は無罪放免、何も傷づかず、目的を達成する事になる。犯人の御先棒を担ぐのは警察の仕事じゃない!調べましょう。出来る限り。」
一樹の言葉で、鳥山も覚悟を決めたようだった。
「よし、出来るだけ周辺の情報を丁寧に調べよう。奥さんへの報告は全てが判明してからにする。それまでは一言でも情報が漏れないよう、注意するんだ。」
今回の事件は、自殺教唆罪の疑いがあると署長にも報告された。紀藤からはくれぐれも慎重にとの指示が出され、捜査が始まったのだった。

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1-4 病院で聞き取り [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

翌朝、一樹と亜美は署の自分のデスクに居た。
「どこから手を付ければいいのかしら・・」
亜美が椅子に座り天井を見上げ、独り言のように呟いた。
「悩んだときは、現場百遍っていうんだよ。もう一度、病院へ行こう。」
一樹は立ち上がり、署を飛び出した。亜美も一樹の後を追った。病院に到着すると、すぐに屋上へ向かった。
「亜美、守衛室に行ってくれ。監視カメラを確認したいんだ。」
亜美は言われたとおり守衛室に行き、監視カメラの映像を確認できるようにした。そして、一樹は、屋上に出ると、監視カメラの真下に立ち、カメラのアングルでどう見えるかを検証した。
「亜美、良いか?」
一樹と亜美は、携帯電話で連絡を取りながら、監視カメラの死角を再度確認した。そして、一樹は守衛室に入ってきた。
「佐原氏は、カメラで写る範囲をはっきりわかっていたみたいだな。それに、カメラの左右の下は完全に死角だった。人ひとり、立っていられるスペースもある。佐原さんが自殺するのを見ていた人間がいてもおかしくない。」
守衛室にはいくつものモニター画面があり、数秒単位で映像が切り替わるタイプのものが設置されていた。
「ここの前の画像はどうなっていますか?」
慌てて若い守衛が手許の操作盤を使って、画像を探し出す。もう一人の年配の守衛が言い訳がましく応える。
「何しろ、病院内には百基以上のカメラがありますから・・我々は、院内の安全確保が最優先でして・・・出入口や階段の映像はしっかりチェックするんですが・・屋上への通路や屋上は滅多に人が入る事がないんであまり見ていません。それに、前院長の指示で十四階はモニターしないように指示されていましたから、さらに、その上の屋上は意識にないんです。」
真面目そうな若い守衛は、必死に、事故の時間帯の映像を検索した。
「あれ・・おかしいなあ・・・ああ、そうか。そうだった・・・。すみません。保存データの中には、屋上への通路画像はありません。膨大なデータになるんで、玄関など外からの人の出入りが多いところのデータは三ヶ月保存しているんですが、十一階以上のエリアのデータは六時間経過すると消去されるようになっているんです。屋上のデータは、事故が発生したのですぐに、消去処理を停止したんですが・・・」
若い守衛が、申し訳なさそうに答えた。
「目撃者を探すしかないということだな。」
一樹が呟く。
「レイさんに協力してもらった方が良いんじゃない?」
「いや、やめておこう。彼女はこの病院の責任者だ。彼女が部下に指示すれば、情報が一気に拡散して、正しい情報が見分けられなくなる。」
「そんな・・。」
「いや、仮に犯人が病院関係者なら、すぐに証拠を隠すだろう。もっと難しくなる。」
一樹はそう言うと席を立ち、亜美を連れて、廊下に出た。
「どうせ、手間のかかる事件なんだ。じっくりやるしかないだろう。」
一樹は覚悟を決めたように言い放つと、病院の案内受付に向かった。
「すみません。昨日、転落事故で亡くなった、佐原さんの病室はどこでしょうか?」
ふいに尋ねられた受付の女性は少し驚いた表情を見せたが、すぐに十四階だと答え、ナースステーションを教えてくれた。
佐原健一が入院していたのは十四階の特Cという部屋だった。十四階は、以前の名残で、引き続き、特別室として使用されていて、一つのフロアに四部屋しかない。
「こちらの部屋でした。」
案内してくれたのは、今年、入ったばかりの岩月という若いナースだった。
「両隣は空いていたんですか?」
一樹が尋ねると「はい」と小さく答える。やはり担当していた患者が亡くなったのはショックだったのだろう。何とか気持ちを保っているように見える。
「誰か、訪ねてきた人は見ませんでしたか?」
「いえ、このフロアは特別な方を受け入れる事になっていて、エレベーターを出て、すぐにナースステーションで受付されないと部屋には入れないようになっています。お見舞いの方があれば必ず判るはずですが、特に、そういう方はいらっしゃいませんでした。」
やや気持ちを持ち直したのか、岩月ナースがしっかりと答えた。
「じゃあ、入院患者の方同士で行き来はあったのかしら?」
亜美が尋ねる。
「下のエリアの方たちは、六階のコミュニティルームでお話されたりするのは見ますが、このエリアはそういうのはありませんね。大きな会社の方で、社員の方がお見えになる事はありますが、最近はそういうのも見かけませんでした。」
「そう・・。」
亜美は少しがっかりした表情を浮かべている。一樹は病室の中に入ってみた。
「佐原さんの私物は片付けさせていただき、奥様にお渡ししました。着替えと本くらいでしたが・・。」
「そう。」
一樹は、がらんとした部屋の中を一通り見た後で、「ありがとう。」と言って部屋を出た。
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1-5 コミュニティルーム [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

二人は、一旦、六階にあるコミュニティルームに行き、自動販売機のコーヒーを買ってから、椅子に座った。
「十一階以上の監視カメラの映像は残っていないって言っていたよな。」
コーヒーを啜りながら、一樹が言う。
「ええ、でも、訪問者はなかったって言ってたから、映像があっても仕方ないんじゃ・・。」
「ああ、そうだ。外からの人間が犯人ならな。もし、病院関係者ならどうだ?監視映像が残っていると、不都合もあるだろう。」
「あら、病院関係者ならどこにいたって問題ないんじゃ?」
「いや、ここは各階でナースステーションがあり、それぞれ決められた持ち場がある。もし、自分の持ち場以外に居れば不審に思われるはずだ。まして、殺そうという相手と何らかの接触するような映像があれば、決め手になる。だが、あそこの映像は六時間たてば無くなるだろ?証拠が残らないというのを知っているならどうだ?」
一樹はコーヒーカップに視線を落として、言う。
「じゃあ、ここのナースが犯人ってこと?」
「ナースだけとは限らないだろう。医師だってあり得る。」
「そんなことって・・・。」
一樹がにやりと笑って言った。
「まあ、そう早くに決めつけるなってことさ。今回は、じっくりと可能性を探るしかないんだ。それに、百パーセント犯人だって判っても、自殺に追い込んだことを立証するのは難しいんだからな。ただ、佐原氏は、余り交友関係が広かったわけじゃなさそうだし、過去を調べれば、何か出てくるだろ?・・・そっちは、松山たちが調べているから、一度、署に戻ってみるか。」
そう言って、立ちあがった時、背後から声を掛けられた。
「あの・・警察の方ですよね。」
そこには、点滴台を片手に、見るからに病人と判る風体の中年男性が立っていた。
「ええ・・。」
亜美が答える。
「あの・・飛び降り自殺された方、佐原さんですよね。」
青白い顔をした男性は、か細い声で訊いた。
「お知合いですか?」
一樹が訊く。
「いえ・・知りあいというほどじゃないんです。おととい、ここで少し話をしたくらいですが・・ああ、私、吉岡と言います。胃がんの手術をして、もうすぐ退院するんですが…それより、ちょっと気になることがあって、お話しておいた方が良いかと思いまして・・。」
すぐに席に座り、吉岡の話を聞いた。
「一昨日の午後、偶然ここでお会いして、実は、私、佐原さんとは同じ、修練館高校でして、1年後輩にはなるんです。」
「修練館って、進学校じゃないですか。」
亜美が変なところで感心した声を出した。
「まあ、進学校でも上位と下位では雲泥の差がありますからね。私は落ちこぼれでしたから・・・、佐原さんはかなり優秀だったと思います。結構、目立っていました。でも、高校時代はほとんどお付き合いもなかったんです。偶然、私が持っていたタオル・・ああ、これですけど、これを見て、佐原さんから声を掛けてもらったんです。少し、高校の頃の思い出話をしていたんですが、何だか、急に大きな溜息をつかれてね・・。」
「溜息ですか・・。」
「ええ、楽しげに話したあと、何だか、急に後悔したような、そんな感じでした。」
「高校の頃になんかあったんでしょうか?」と亜美が訊く。
「いえ、そうじゃなくて、良い高校生活だったって言ってましたよ。たぶん、その後の事じゃないかって思うんですが。」
「その後?大学に進学されたんでしょう?」
「たぶん、そう思います。・・・自殺されたって聞いて、何だか、あの時の溜息が妙に気になってしまって・・・もう少し、その・・・・佐原さんの話を聞いていれば、自殺なんてしなかったんじゃないかって思えて・・どうにも気になって・・。」
「それ以外に気になった事はありませんでしたか?」
一樹が訊く。
「初対面に近かったので、普段がどういうお方かも知りませんから・・。」
「そうですか。ありがとうございました。また、何か気になることを思いだされたら、署の方へご連絡ください。」
一樹はそう言うと、自分の名刺を渡し、席を立ち、出て行った。
亜美は、慌てて立ちあがり、吉岡に「あなたのせいじゃありませんよ。自殺の原因はきっと私たちが明らかにします。そんなに気に病まないでくださいね。」と言って、一樹の後を追った。
一樹は既に駐車場で車に乗り込むところだった。
「待ってよ、一樹。私を置いていく気?」
慌てて助手席に乗り込むと、同時に、車は発進した。
署に戻ると、鳥山たちも戻ってきたところだった。

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1-6 てっちゃんの店 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「昼飯でも食いながら、今日の午前中の成果を報告し合うことにするか。」
鳥山課長がそういうと、皆、一緒に、外に出て行く。行先は決まっていた。前の事件の時、ソフィアという女性がやっていたスナック、今は改装して、小さな喫茶店になっていた。
「てっちゃん、悪いが、貸し切りにしてくれ。」
鳥山は店に入るなりそう言った。
「そろそろかなって思ってたから・・どうぞ。」
そう言って迎えてくれたのは、通称てっちゃん。見た目はすっかりおじさんだが、心は乙女。昔、やくざに食い物にされかけたところを鳥山が救ったのだった。以来、何かと鳥山の近くに居るのだった。
てっちゃんはすぐに、表の看板に、貸し切りの札を出した。
「いつもので良いな?てっちゃん、頼むよ。」
「はい、はい。」
てっちゃんは明るく答えると、嬉しそうに鼻歌を歌いながら厨房に入った。
「さて、どうだ、収穫はあったか?」
鳥山が、カウンターの奥へ入って、棚からコップを出しながら、訊いた。
「病院では、やはり、内部のものの関わりじゃないかと感じました。カメラの監視状態や死角の事、外来者がほとんどない環境である事から、内部のものが関与している可能性は高いと思います。それと、吉岡という入院患者の話では、佐原氏は高校卒業後に何か後悔するような問題を抱えていたらしいという事でした。」
鳥山は話を聞きながら、器用にコップに飲み物を注ぎ、カウンターテーブルに並べる。
「やはり、何か人に言えない様な過去がありそうだな。松山の方はどうだ?」
「これと言って収穫はありませんでした。ただ、矢沢さんの話と繋がるんですが、佐原氏は修練館高校を卒業後、東京の私学へ進学しているんですが、卒業していません。経済的理由という事でした。」
「そうか・・大学時代に苦労したってことか。矢沢の話とも繋がるな。大学時代の事を少し調べてみる必要がありそうだな・・。」
そこまで話したところで、奥から、てっちゃんが、大皿のスパゲティとサンドイッチを運んできた。
「さあ、どうぞ。」
「おお、旨そうだ。」
そう言って、最初に手を付けたのは、鳥山だった。他の皆は、何度か同じ料理を口にしていて、たいしておいしくないことは判っていたので、少し遠慮がちだった。亜美は、初めての事で、おもむろに取り皿に大量にスパゲティを取った。一樹も松山も、ちょっと軽い笑みを浮かべて、亜美の表情を見ている。
「うわー・・!美味しい!サイコー!」
予想に反して、亜美が絶叫する。一樹や松山は、その様子を見て、いつもの味じゃないのかと、手を出し、やっぱりいつもの塩っ辛くて、ちょっと独特に臭いを持っていることを再確認して、取り皿を置く。そして、松山が一樹の耳元で囁いた。
「紀藤さんって、かなりの味音痴・・ですかね。」
そう言えば、一樹は亜美の料理を食べたことはなかった。確か、幼い頃に母を亡くし、料理は署長が専らやっていたと聞いたことがあった。署長の料理も相当にまずいのではないかと想像し、妙におかしくなった。

昼食ミーティングを終え、再びそれぞれに分かれて捜査を再開した。
東京での佐原氏の経緯調査は松山と森田が受け持つことになり、午後の新幹線ですぐに東京へ向かった。一樹と亜美は、引き続き、病院関係者の調査をすることになった。
一樹と亜美は、吉岡以外に、佐原と接触のあった人物はいないか調べる事にした。
午後のコミュニティルームには、患者や見舞い客が思い思いに過ごしていた。一人ずつ、佐原氏の写真を見せながら、接点はないか尋ねたが、特にこれといった収穫はなかった。夕方近くになり、徐々に人数は減り、面会時間が終わる頃には、誰も居なくなった。
これ以上は無駄と判断し、一樹と亜美は署に戻る事にして、玄関に向かう途中で、院長のレイと出くわした。レイは転落事故のその後の経過を知りたかったが、自分の立場を考え、迷い、言葉が出ず、軽く会釈をする程度しかできなかった。そんな様子を亜美が察知して、近づいた。
「今、しっかり捜査しているから・・自殺だと思うけど・・念のために・・」
そこまで言ってから、「亜美!」と強い口調で一樹が制止した。レイもそれがどういう事か大方の予想はできていた。レイは、「しっかりお願いします。」とだけ言って、再び会釈をして離れた。
車に乗り込むとすぐに一樹が亜美に言った。
「亜美、安易にああいう事を口にするんじゃない。自殺教唆の筋読みをしたのは、お前だろ?」
「でも、レイさんは犯人じゃないでしょ?」
「ああ、だが、病院関係者となれば、院長の責任も問われるだろう。いくら、親しいとしても・・いや・・親しいからこそ、今は距離を置くべきじゃないか?」
亜美は、一樹の言葉を聞きながら、割り切れない思いで外を眺めていると、目の前を紀藤署長の車が通過して行った。
「あれ?パパ・・いや・・署長じゃない?」
紀藤署長の車が、病院の駐車場を横切っていく。その先には、レイの家、神林元院長の家がある。

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1-7 ルイの話 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

紀藤署長は、レイの母親、新道ルイと逢っていた。新道ルイは、あの事件の後、一命を取り留め、一人で暮らせるほどには至っていなかったが、レイの助けも借りて、何とか日常を取り戻せるほどになっていた。
「ごめんなさいね、お忙しいのに。」
そう言って、車いすのルイが、リビングで紀藤を迎えた。
「最近はどうだい?」
「ええ・・もうずいぶん良いのよ。今日も病院でリハビリをしてきたの。なんとか自分の足で歩けるようになりたいから・・。」
「そう・・。」
ルイを見つめる紀藤の眼差しは優しかった。紀藤はソファに座ると、話を切り出した。
「僕に話しっていうと、昨日の事故の事だろう?」
「ええ・・そうなの。」
「まだ、捜査は始まったばかりだからね。それに、今回の事故は単純なものじゃないと考えている。それに、神林病院が現場だから、言わば、ルイも事件の関係者になるから、余り、話せる事もないんだけど・。」
「そうよね・・判ってるわ。だから、事件の事を教えてもらうために来てもらったわけじゃないのよ。ひとつ、聞いてもらいたいことがあるの。おそらく、事件に関係している事だと思うから・・。」
ルイははっきりと事件と言った。それは、まぎれもなく、自殺ではないという確信を持っているのが判った。
「どういうことかな?」
紀藤は出された紅茶に口をつけて、尋ねた。
「昨日、あの事故の時、病院のリハビリ室にいたのよ。だから、大体の様子はレイから聞いたわ。ただ・・あの時・・すごく強い思念波を感じたの。」
「思念波を?」
紀藤は驚いた。あの事件以降、そう言う能力は失われたと聞いていたからだった。
「ええ・・もう、あの能力はなくなっていると思っていたんだけど・・今日はすごく強く感じたの。」
「それは、あの亡くなった人の思念波だったと・・。」
「いえ・・そうじゃないの。確かに、昔は、恐怖や悲しい思念波を感じる事はあったし、それは、青い光のように見えるものだったわ。だから、もし、自殺した方のものなら、青い光で感じるはずだし・・亡くなった時に消えてしまうはず。でも、今日感じたのは違うの。」
「違うって?」
紀藤はもう一度紅茶を飲んで、自ら落ち着かせるようにした。
「黒く、怪しいもの・・怨念のような強い思念波だったの。それに、事件の後もそれは続いている。いえ、事故の前より、もっともっと強くなっていくように感じるの。」
「今でも・・か?」
「ええ・・何か深い悲しみと恨みといろんなものが混ざった思念波・・・とても怖いの。」
ルイは少し震えているようにも見えた。
「まだ、他にも自殺に追い込まれる人が現れるかもしれないと感じているんだね。」
紀藤は、ソファから立ち上がり、ルイの傍に行き、肩に手を置いて言った。
「ええ・・私の間違いなら良いんだけど・・・少し・・怖いわ・・。」
ルイは、紀藤の手を強く握った。
「今、一樹や亜美たちが、自殺教唆の疑いで捜査をしている。だが、なかなか手がかりがなくてね。君の話を伝えよう。きっと、捜査が前進するはずだ。そして、早く、終わりにするよ。」
紀藤はルイの肩を抱いた。

 紀藤署長が署に戻ったころには、すっかり日が暮れていて、刑事課には、鳥山と一樹と亜美だけが残っていた。
「三人だけか?」
紀藤署長は刑事課の部屋に入るなり訊いた。
「ええ、松山と森田は、東京での佐原氏の様子を調べに行きました。明日には戻ると思いますが・・。」
鳥山が答えると、紀藤署長は椅子に座り、三人に、ルイの話を聞かせた。
「恨みを持つ者がいる・・という事でしょうか?」
鳥山が紀藤に確認するように訊く。
「確証があるものじゃない。ルイさんの能力も絶対とも言い難い。ただ、これまでの状況から見ても、否定できるものじゃないだろう。そして、それはまだ残っている。再び、同じような被害者が出る可能性があるということだ。しっかり捜査を進めなくちゃならん。」
「やはり、病院関係者を疑ってみるしかなさそうですね。」
一樹が言う。
「じゃあ、病院関係者と佐原氏の関係を当ってみるということ?」
亜美が言う。
「ああ・・だが、医師、ナース、事務員だけとも言えないだろう。清掃や出入業者にまで広げてみる事になるかもな・・。かなりの人数だろう。・・どれくらい掛かるか・・。」
一樹が言うと、松山課長が言った。
「いや・・署長のお話から考えれば、昨日、あの病院にいた者ということになるだろう。医師やナース、事務員は勤務表から出勤者に絞ってみよう。もちろん、休みの者も可能性がないわけじゃないが、時間がない。それと、出入りの業者も昨日、あの時間帯にいた者に絞れば良い。」
すぐに、病院に連絡し、事故当日の時間帯の出勤者、出入り業者の記録を手に入れる事にした。
「この手の仕事は、藤原女史の手を借りるのが良いだろう。」と署長が判断し、翌日には、入手した名簿をもとに、それぞれの経歴を署のデータベースから引っ張り出して、佐原氏とつながりのある者の抽出作業が始まった。佐原氏は地元の小中高校の出身であり、会社も経営していた事から、何らかのつながりのある者はかなりの数になると見込まれ、慎重に作業が進められた。
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1-8 無責任な噂話 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

一樹と亜美は、翌朝から、再び、病院へ行き事故発生前後の病院の様子を聞き取る事にした。まずは、十四階にいた医師やナースの行動を確認する事にした。
「その時間帯は、午後勤務の有田主任と岩月が勤務していたはずです。午前勤務の寺本師長と梅村が申し送りを終え帰るところだったはずです。」
そう答えるのは、看護師のトップ、総看護師長の飯田幸子だった。飯田師長には、今回の事故を自殺と断定する為の状況確認の為とだけ説明し話を聞いていた。
「今日も、同じ体制で、午後の出勤になっています。」
飯田は、パソコン画面に開いた勤務表を見ながら答える。
「十四階のフロアには、他に入院患者はいらっしゃるんですか?」
亜美が訊く。
「ええっと・・今は、御一人ですね。」
「あの・・どういう方なんでしょう?」
亜美は、何となく口にした。
「プライバシーに関する事はお答えできません。ただ、入院中の方は、症状が重く、自分で動くことはできませんから、今回の事故には、関係ないでしょう。」
飯田は厳しい口調で答えた。
「ナースの方からお話を聞く事は出来るでしょうか?」
一樹はいつもより丁寧な口調で看護師長に訊ねる。
「では、午後、出勤しましたら、ここへ呼びましょう。」
飯田総師長と約束し、午後二時に出直すことにして、六階のコミュニティルームに寄ってみた。午前中は、人影もまばらで、外来患者や家族がちらほらというところだった。昨日話を聞いた吉岡の姿はない。
「入院患者の中にという事はないかしら?」
亜美は、自動販売機から炭酸飲料を買ってから呟くように言った。一樹も、亜美に続いて自動販売機から缶コーヒーを買ってから答える。
「ああ・・それも考えられなくもないが・・偶然、入院中に佐原に逢って、恨みを晴らしたという筋になる。それなら、自殺教唆などという不確実な方法を選ぶとは思えない。それに、人を殺すというのは相当なエネルギーが必要なんだ。それほど強い恨みを持っているなら、差し違えるくらいのことはするんじゃないかな。」
「差し違える?時代劇じゃあるまいし。」
「たとえ話さ・・・・だが、偶然にそんなことは起こりにくい・・そうか・・・偶然じゃない・・相当な綿密な計画をして、ゆっくりと佐原を追い詰めたんだよ。きっとそうだ。」
一樹は、缶コーヒーを開けると一口啜った。
「ここに来る前から、計画されていたということ?」
「ああ、きっと、佐原氏に、以前から接触していたはずだ。そして、じわじわと自殺に追い込んだ。」
「そうかしら?それなら、奥様だって、何か異変に気付くでしょ?脅しの類なら、逃げ延びる事だって、例えばお金で解決する事だって考えたんじゃないの?」
一樹は、亜美の素朴な質問に、すぐには答えが見つからなかった。
「やっぱりダメか・・。」
一樹は大きくため息をついた。
「もう少し、佐原氏について知らなきゃだめだな。・・一度、佐原氏の自宅へ行ってみるか。」
二人は、一旦病院を出て、佐原氏の自宅へ向かった。病院から車で二十分ほどの住宅街、泉ニュータウンの中に佐原氏の自宅はあった。同じような建売住宅が並んだ通りの一番高台になるところに、佐原氏の自宅はあり、周囲の家とは比べ物にならないほどの豪邸であった。広い庭があり、砂場や遊具が置かれている。しかし、全ての窓にはシャッターが下りていて、ひっそりと静まり返っていた。
立派な作りの門に設えられたインターホンを押してみた。僅かにチャイムの音が聞こえたが、返答はない。しばらく待ってみたが、出てくる気配はなかった。
「ああ・・佐原さんなら、留守ですよ。」
二人の背後から声がした。向かいの住人らしかった。かなりの年配の女性だった。
「どちらかへお出かけでしょうか?」
亜美が尋ねると、その女性は、周囲をちらちらと見ながら浸りに近づいてきて、小声で言った。
「いや・・あんたたち、知らないのかい?佐原さん、病院で自殺したんだってよ。解剖するとかって言って、まだ、戻って来ていないらしい。昨日、ちらりと奥さんの顔を見たんだが、何だか、死人みたいな顔をしてたねえ。大きなボストンバッグを持って、お子さんも連れていたから、きっと、実家にでも戻ってるんじゃないかねえ。会社の社長とか言ってたけど、どうなんだろうねえ。きっと、大きな借金でもあったんじゃないかね。人材・・何とかって・・ありゃあ、口入れ稼業だろ?相当、世間様からも恨みでもかってたんじゃないかい?嫌だねえ、悪いことして金稼いで、こんな豪邸・・」
かなり、日頃から僻みを持っているのか、悪口が止まらない。こうやって、世間は罵詈雑言で満たされ、真実は闇の中へ葬られていくのだろう。亡くなった人への贐の一つも出ないのは、聞いていて辛かった。
一樹が、厳しい表情で、いきなり警察手帳を取り出した。
「転落事故の件で、今、捜査中です。」
かのご婦人は、手帳を見て、急に押し黙った。
「佐原さんは、そんなに酷い人だったんでしょうか?町内でも問題を起こしたり、ご迷惑をかけたりするような御一家だったのでしょうか?あなたにも何か酷い事をされたのでしょうか?」
亜美も少しきつい言葉で捲し立てるように尋ねた。
「いえ・・私は・・」
先ほどの御婦人は少し悪びれた表情をしている。
「ご近所づきあいはなかったのでしょうか?ご存知の事があるならお話し下さいませんか?」
今度は一樹がやわらかな口調で訊いた。
「いえ・・そんなに・・付き合いというほどの事も・・奥さんは明るい方で、お庭でお子さんを遊ばせていて、町内会にもちゃんと出てきていらしたし・・ご主人は、ほとんどお顔を見たこともなくてね・・。」
「何でもいいんです。何か、最近、揉め事とか・・・見知らぬ人が訪ねてきたとか・・。」
今度は亜美が訊く。
「さあ・・そんなに始終、外の様子を見ているわけじゃないし・・・。」
どうやらこの夫人はほとんど佐原氏の事を知らない様子なのが判った。あれほどの悪口を滔々と話していたとは、うって変わって、もごもごと話す様子にこれ以上は時間の無駄だなと判断した。
「ご協力ありがとうございました。」
二人はすぐにその場を離れた。住宅街の中を一通り歩いてみたものの、これといった手がかりもなく、肝心の奥さんが不在ではこれ以上ここに居ても無駄足になると決め、軽く昼食をとり、病院へ戻る事にした。
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1-9 ナースへの聞き取り [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

病院に着いたのは約束の二時近くになっていた。
総師長室に入ると、すでに、当日に勤務していた、有田主任と岩月が待機していた。一樹と亜美が部屋に入ると二人が丁寧にお辞儀をして迎えた。
「お話を、一緒に訊いていても構わないかしら。」
飯田総師長は、自分の席に座ったまま、そう言った。
「ええ、構いません。むしろ、総師長にも知っておいていただいた方が良いでしょうから。」
一樹はそう言うと、師長席の前にあるソファに座った。
「さて、二人に伺いたいのは、あの事故の前後の様子です。」と一樹が切り出した。
有田主任看護師と岩月ナースは一旦顔を見合わせた後、落ち着いた口調で、有田主任が口を開いた。
「主任の有田です。確か、転落事故の時間は、午後一時三十分でしたよね。その時間は、午前の勤務者からの申し送りを受けているところです。」
「では、事故の日も申し送りを?」
「いえ、その日は、昼食後に食器回収で病室に行った梅村から、病室に佐原様の姿がないとの報告があり、四人で佐原様を探していたんです。」
「部屋に姿がないっていうのは良くある事ですか?」
一樹が尋ねる。
「患者様に寄ります。佐原様の場合、再検査の入院でしたし、特に部屋を出入されても問題はない状態でしたから、制限しておりませんでした。」
「では、何故、探そうと?」
「いえ、食事を摂られていなかったんです。ですから、食事を摂っていただくようにお願いする為に探していたという事です。」
淡々と、有田主任は答える。
横に座った岩月も、有田の言葉に頷きながら聞いていた。その様子から、有田主任の話に偽りはないだろうと一樹は感じた。
「姿が見えなくなったのは、いつごろでしょうか?」
亜美が訊く。
「先ほども申しあげたとおり、自由にしていただいて問題ありませんから、時間までは記録しておりません。」
有田主任は表情一つ変えずに答える。
「何か変わった様子はありませんでしたか?」
再び一樹が訊く。これには、岩月が答えた。
「午前中の勤務だった、寺本師長も梅村さんとも確認したんですが、朝食は普通に食されていましたし、普段通りに挨拶もしました。どうして、こんなことになったのか・・・もっとお話しをしていれば良かったのか・・。」
少し、感情が混じった答えだった。
「悩みを抱えているような・・いや、自殺するような様子は感じなかったという事ですね。」
「判っていれば・・もっとできる事が・・あったかも・・。」
岩月は、まだ若い。そこまで話したところで、涙ぐんだ。これ以上言葉を口にすると、泣き出してしまいそうだった。その様子を見て、有田主任がきっぱりと答えた。
「そこまでは判りません。入院されて数日でしたし、普段の御様子も良く知りませんから。」
そのやり取りを見ていた飯田総師長が口を挟んだ。
「もうそろそろ宜しいでしょうか?午後の巡回時間も近づいていますので・・。」
病棟の患者は一人のはずで、それほど時間が掛かるものでもない。まして二人掛かりで巡回する事もないのだが、受け持ち患者が自殺した事のショックを引きずらないよう、総師長として判断したのだという事は、一樹や亜美にも理解できた。
「ありがとうございました。」
二人は、総師長、有田主任、岩月に礼を言って、席を立ち、コミュニティルームへ行った。
「あの日は、昼食前から部屋にいなかったのは判った。誰かに呼び出されたのか、自分で動いたのか。朝食の時間には部屋にいたのだから、その後、部屋を抜け出したということか。3時間以上、どこに居たのか。」
一樹の手許には、病院の案内パンフレットがあった。
神林病院は、狭い敷地に建っていて、細身のビルで十四階建てだった。一階は外来診療、二階は検査室、三階は手術室、四階が事務室、五階は、先ほどいた看護師長室や研究室になっていた。
六階から十階が病棟で、リハビリ室や娯楽室、コミュニティルーム等もある。各階にナースステーションもあった。十一階は医師の研究室、十二階は、カンファレンススペース。十三階が院長室になっている。佐原氏は最上階の特別室にいた。
「姿が見えなくなったということは特別室階には居なかったということだな。エレベーターで移動したのは間違いないだろう。確か、カメラ映像は、十階以下のものは保存していると言ってたよな。」
一樹はひとり言のように呟く。
「守衛室へ行きましょう。」
亜美が先に動いた。すぐに守衛室で、当日に午前中の映像を確認した。だが、エレベーターには佐原氏の姿はなかった。十階以下の映像にも確認できなかった。
「すみませんが、当日の映像データをいただけませんか?署でもう少し詳しく見たいんです。」
亜美が守衛に頼み、映像データを受け取った。二人は、一旦、署に戻る事にした。

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1-10 名簿 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「佐原氏は、地元の小中高を出ていましたから、案外、多かったです。」
藤原女史がそう言って、何枚かの書類を持って刑事課の部屋に入ってきた。鳥山課長はそれを受け取り、ひとつひとつ読み込んでいる。
「小学校の同級生、中学、高校の同級生もいるのか。」
鳥山は藤原女史の書類を見ながら、頭を抱えた。
「進学校だったから、医師の中にも同級生がいました。佐原氏の人材派遣会社は看護師の派遣も手掛けていたようで、そことの繋がりでも、かなりの看護師が該当しました。ただ、恨みを買うような酷い派遣会社ではなかったようですね。ほとんど、派遣期間が終わると正規採用されるように佐原氏は働きかけていたようですから。」
「だが、この中に今回の事件の鍵になる人物はいるということだろ?」
「ええ、きっといます。関係が深いだろうと考えられる人には、色が付けてあります。まず、この人たちから優先的に当ってみてはどうでしょう。」
「そうか・・ありがとう。」
そこへ、一樹と亜美が戻ってきた。すぐに、書類を二人に渡した。
「どうだ?そっちの情報と繋がるような名前はあるか?」
鳥山が訊いた。
「いえ・・こっちは殆ど目新しい情報はありませんでしたから・・。」
一樹が悔しそうに答える。
「そうか・・・あとは、松山たちが東京でどんな情報を仕入れてくるか、だが。・・戻りは明後日になりそうだ。どうも、大学中退後の足取りを調べ始めたようで、少し時間が欲しいと連絡があった。東北の方まで足を延ばしたようだぞ。」
「東北?」
「ああ、何でも、中退後に、東北から北海道辺りを転々としながら、仕事をしていたようなんだ。」
「フリーター・・ってことですか?」
「そこらの事を調べているようだ。」
「そうですか・。」
一樹は、藤原女史の名簿を手にして、一つ一つ検証するように、見入った。
「あのう・・藤原さんへお願いがあるんですけど・・。」
書類に見入っている一樹の横で、亜美が言った。
藤原女史は、「何かしら?」という表情で亜美を見た。
「これ、あの日の病院内の監視カメラの映像データです。佐原氏が、朝食後の時間に、部屋からいなくなった事は判ったんですが、さっき確認した範囲では、どこにも写っていないんです。映像のどこかに移っているのか、もう少しじっくり見ていただきたいんです。」
「事故の直前の姿を探すという事ね?だれかと一緒だったとか・・」
藤原女史の目が輝いている。横で鳥山課長が少し不安そうな表情を浮かべている。
「ただ、十一階から十四階までの映像はないんです。ですから、写っていないかもしれないんですが・・。」
亜美が言うと、少し残念そうな表情を藤原女史は浮かべた。
「まあ、いいわ。本人が写っていなくても、何かおかしな動きをしている人がいるかもしれないわ。」
「ええ、そうなんです。何でもいいので、事件に繋がりそうな怪しい動きとか見ていただければ・・。」
「判ったわ。」
藤原女史はそう言うと、亜美の手から、手のひらほどの外部記憶機器を受け取ると、さっさと自分の部屋に戻って行った。
「朝食後から部屋に居なかったというのは?」
鳥山が訊いた。
「ええ、佐原氏の入院していた十四階の有田という主任看護師から聞きました。それで、全員で探していたのだと・・。結局、見つからず、事故は起きてしまったわけです。」
「その時間に、自殺教唆の犯人と接触していた可能があるというわけか・・。」
鳥山が頭を掻きながら言った。
「ざっと三時間以上という事になりますからね。十階以下のカメラに映っていないわけですから、十一階以上のどこかに居たはずなんですが・・。」
一樹の話を聞いて、ホワイトボードに貼り出されている病院案内図を鳥山は見た。
「十一階は医師の研究室、十二階は会議室、十三階は院長室か・・居たとすれば十二階の会議室が怪しいが・・」
「守衛室で確認したのですが、会議室は普段は電子錠が掛かっていて、使用申請があれば守衛室で開錠する事になるそうなんです。その日は開錠していない事を確認しました。」
「ならば、研究室か、院長室ということになるが・・・。」
鳥山が言う。
「医師ということか・・・。」
そう言って、一樹は先ほどの名簿を見た。
医師は、院長のレイを入れて六名いた。藤原女史の表では、下川という内科医に色付けされていた。高校の同級生ということだった。
「とりあえず、この下川という医師に話を聞いてきます。」
一樹が出ていったのを見て、慌てて亜美も出て行った。

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1-11 下川医師 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

十一階の研究室のフロアは、八つの部屋があった。
医師のうち、君原副院長、下川内科部長、平松外科部長の三人、それと遠藤検査部長がそれぞれ個室を持っていた。内科医や外科医、それに研修医が十人ほど居て、広い部屋にそれぞれの机を持ち、検査部の技師たちも一部屋を使っていた。二つの部屋は、仮眠室になっていた。

一樹と亜美は、下川の部屋の前に居た。金色のプレートに「内科部長・下川秀雄」の名前があった。ノックをするとすぐに下川は顔を出した。
「先日の自殺の件で少しお話を伺いたいのですが・・。」と亜美が挨拶しながら言うと、下川は快く二人を迎え、机の前のソファについた。
「やはり、お見えになりましたね。」
下川医師は察知していたように言った。
「佐原君とは高校の同級生だったので、おそらく、刑事さんがお見えになるだろうと思っていました。」
「お付き合いなどはあったんですか?」と亜美が訊く。
「いえ、入院患者の名前を見て、もしかしたらという程度で・・・しばらく会っていませんでした。」
下川医師は落ち着いた口調で答える。
「単刀直入にお聞きします。あの日、佐原氏とはお会いになりましたか?」
「いえ、あの日は、午前中は外来診療の日だったので、出勤してからすぐに外来へいましたから・・。」
「入院されてから数日の間には?」と一樹が訊く。
「ええ、入院した日の夕方だったかな・・特別室の回診で行きました。佐原君の担当医ではありませんが、ちょっと顔でも見ておこうと思い、部屋に行きました。久しぶりだなという程度の会話でした。」
知り合いが自殺したという状況にはほとんど動じていない様子で、淡々と答える。
「高校時代のお付き合いは?」
「私は、理系クラスでしたし、彼は文系でしたから、同じクラスにはなった事はないですね。部活もしていませんでしたから、彼との接点は余りありません。・・ただ、学園祭の時、場所の配置で、私のクラスと佐原君のクラスで揉めまして、ちょっとしたイザコザが起きてしまって、お互いにクラスの代表ということで話合いをすることになったんです。その時の思い出がある程度ですかね。・・・もう三十年も前の話ですよ。」
急に昔の思い出話をしたことに自分でも驚いたのか、先ほどまでの淡々とした表情よりも少し興奮しているのが判った。
「佐原さんは、こちらで人材派遣会社を経営されていて、地元では割と顔が広いようでしたが、地元のつながりで・・例えば、高校の同窓会とかで会う事はなかったんでしょうか?」
亜美が訊いた。
「ああ・・そうですよね。・・でも、私が橋川市に戻ったのは一年前なんです。それまでは、静岡の病院に勤務していたので、そういう付き合いはほとんどありませんでした。」
下川医師がそう答えた時、持っていたPHSが鳴った。
「すみません。そろそろ、宜しいでしょうか?救急患者の受け入れがあるようですので・・。」
そう言いながら、すぐに机の上の聴診器やペン等を手にし始めた。
「最後にひとつだけ。佐原さんはどうして自殺したのだと思いますか?」
下川医師は、一瞬手を止めたが、「判りません」とだけ答え、急ぎ足で、部屋を出て行った。

続いて、二人も部屋を出た。下川医師の話に、違和感を覚えるような内容はなかった。単なる偶然の範疇のように思えた。なにより、下川医師の側から見れば、地元の高校を出ていて、地元の病院へ勤務すれば、患者の中に知り合いや同級生がいるのはごく当たり前である。二人とも、全く別の土地に居て、この橋川市で再会したという条件のほうが、意図的な関係にあるのではと考えるべきである。下川医師からすれば、刑事が来るのは予見できたことなのだ。
「一応、裏どりしていくか。」
一樹はそう言って、エレベーターで十四階へ向かった。
ナースステーションには、昼間に会った有田と岩月がいた。
「昼間はお忙しいところありがとうございました。」
一樹が挨拶した。二人も小さくお辞儀をした。
「一つ、確認させていただきたいことがありまして・・・下川医師の事なのですが・・。」
一樹が切り出すと、有田が、一瞬、眉をひそめる表情を見せた。一樹はその変化を見逃さなかった。
「下川医師は、ここには良く来られるんですか?」
隣にいた岩月が何か言おうとしたが、制止するように、一歩前に出て、有田が答えた。
「下川先生は、内科部長ですから、特別室の回診もされています。週に三度はここへいらっしゃいます。」
「そうですか・・。先ほど、下川医師にお聞きしたんですが、佐原氏と同級生だったそうで、一度、挨拶にされたようなんですが・・。」
一樹は敢えて、ぼんやりと説明した。
「ええ、確か、佐原様が入院された日の夕方、下川先生が回診の後に、お部屋に入って行かれました。」
有田主任はきっぱりと答えた。
「よく覚えていらっしゃいますね。」
「下川先生から、同級生が入院しているから挨拶しておくとお話しされたので、それに、看護日誌にもそう記載されていますので、覚えています。ここで起きている事は細かく記録し、全員が知っておくことになっていますから。ここはそういう病棟ですので。」
有田主任の口調はやや強かった。
「それ以外には下川医師は、佐原氏とは逢っていないでしょうか?」
一樹がさらに訊く。
「お会いになっていらっしゃらないはずです。」
あっさりと、有田主任は答えた。そこには何の迷いもなかった。

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1-12 研究室 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

下川医師の供述に不審な点は無いようだった。二人は、また手がかりを失ったようで、やむなく、署に戻ろうと十四階からエレベーターに乗った。十一階でエレベーターが停まり、医師が乗り込んできた。
「おや、矢沢君と紀藤さんじゃないですか。事故の調べですか?」
乗り込んできたのは、君原副院長だった。
彼は、前の事件の時、レイの研究論文を読み解き、神林院長の真の姿を暴いてくれたのだった。その時は、市民病院に勤務していたのだが、レイが院長になり立て直しをすると聞き、自ら協力を申し出て、副院長となったのだった。
「はい。・・」
「その様子だと、やはり、単なる事故・・いや、自殺じゃないようですね。」
「いや・・未だ、何とも・・。」
一樹はどこまで話してよいものか考えあぐねて、曖昧な返答をした。
「入院患者が自殺を図るなんてありえないですよね。僕は、誰か、そう仕向けた張本人がいるんじゃないかと考えています。そして、それは、おそらく病院関係者・・高い確率で医者ではないかと思いますよ。」
「それって・・同僚を疑っているということですか?」
亜美は驚いて尋ねた。
「残念ながら、そう思います。何の証拠もありませんが・・・命を救うのが医師なら、奪うのも医師。我々はそう言う境界線の上を歩いているようなもんですから・・。」
エレベーターは一階に到着し、君原副院長は軽く会釈をして、出て行った。
「君原先生も同じ考えのようだな・・・さて・・どうする。」
一樹が亜美を見る。
「医師全員から話を聞いた方が良いって事よね。」
「ああ、そうだ。」
一樹は、エレベーターの十一階のボタンを押した。再び、十一階の研究室フロアに戻ったころには、夕刻を迎えていた。二人は、まず、大部屋を訪れた。そこには、内科医や外科医、研修医の机があったが、救急対応で出払っているのか、座っていたのは二人だけだった。
一樹と亜美は、一番手前の席に座っていた渡辺カンナという女医から話を聞く事にした。下川医師と同じ内科で、直接の部下という事になるだろう。
「あの日は、当直明けで、仮眠室で少し眠ってから家に帰るつもりでした。」
三十歳前後であろう女医は、ショートカットで化粧もしていない、仕事だけに集中しているといった雰囲気を醸し出していた。
「佐原氏とは面識はありますか?」と一樹が訊いた。
「いえ、まったく、私は外来と当直がほとんどですから、入院患者の方との面識はほとんどありません。」
「下川医師と佐原氏は地元の高校で同級生だったようなのですが、下川医師が佐原氏と話しているようなことは目撃されていませんか?」
「さあ、病棟を歩いていれば多くの患者さんとも顔を負わせますし、お話もします。担当医ならば、定期的に診察もしますから・・他の先生方がどんな方とお話しされているとか、気にしている余裕はありません。まして、十四階の患者さんなら、余程の方でなければ・・。」
さばさばと答えてくれるが、全く、参考になるような内容はない。
「あの・・下川医師はどんな方なんでしょう?」と亜美が訊いた。
「どんな方って・・・言われても・・・まだ一年ほどご一緒に仕事をしている範囲ですし・・よく判りませんが・・・下川先生の事なら、看護師の有田さんに訊いた方が良いんじゃないでしょうか?」
「それは・・どういうことですか?」と亜美が言う。
「有田さんは、下川先生が静岡の病院から連れてこられたんです。医師がナースを連れてくるのはあまり例がなくて・・赴任されたばかりのころには、何か特別な関係じゃないかと、看護師たちが噂していましたから。」
そんな話も様子もみじんも感じなかった。
「で・・それは?・・。」と亜美が訊く。
「そういうんじゃない、親戚の姪っ子のようなものだと下川先生がおっしゃっていました。有田さんは、病気でご主人を亡くされたばかりで、ちょうど、こちらの病院で看護師を募集していると聞かれた、下川先生が、声を掛けられたということでした。・・新道院長からもそう聞いています。変な関係じゃないんですよ。ただ、こちらで聞かれるより、有田さんの方が下川先生の事は良く判るんじゃないかと思っただけですから。」
その話を聞いていた別の医師が立ち上がって、一樹たちのところへ来た。
「下川先生は、良い先生です。真面目ですし、患者さんとも真摯に向け合っていらっしゃる。それよりも、平松先生の方が、とっても怪しいです。何をしてるんだか・・・」
その医師は、少し軽い口調で、吐き捨てるように言った。
「止めてください、斉藤先生。」と、渡辺医師が制止した。
「本当の事でしょう。手術の腕は多少良いのかもしれないけど、看護師にも何かと悪態をついてるし、研修医にだって酷い言葉を・・、ああいう人が部長なんて・・・。」
どうやら、斎藤医師の話は、日頃の不満をぶちまけたいだけの様だった。そういう斎藤医師も、余り研修医に慕われているとも思えなかった。数人いた研修医が、すぐに席をはずそうとしたのを見て、一樹は感じた。
一樹と亜美は一旦部屋を出た。
ちょうど、外科部長の平松が部屋に戻ってきたところだった。五十代らしく、かなりの白髪交じりの頭は、短く刈られ、一見してもあまり上品な感じはなかった。
「刑事さん、いい加減に、決着をつけてくれないか!自殺なんだろ?サッサと終わりにしてくれよ!」
斎藤医師が言った通り、平松医師は口調を荒げて言った。
「佐原氏と面識は?」と一樹が訊くと、「知らないよ。あそこの担当医は、副院長と決まっているんだ。あいつに聞いてくれよ。」と平松医師は答え、自分の部屋のドアを開け、さっさと中に入って行った。
君原副院長とは先ほどエレベーターであったばかりだった。だが、担当医など言う言葉は出なかった。
「あの、まだ・・。」と亜美がドアに向かって言いかけたが、一樹が止めた。
「もういいだろう。彼は関係なさそうだ。」
もう、夕日が空を赤く染めている。
「署に戻ろう。」
そう言って、玄関を出たところで、黒塗りの高級外車が駐車場に入ってきた。玄関前では止まらず、裏口の方へ回って行った。気になった二人が、気づかれないように裏口に回ると、数人の男に守られるように、男が一人、病院へ入っていく。
「どこかで見たことのある顔だな。」
一樹はそう言うと、玄関に戻り、エレベーターへ向かった。だが、そこには誰もいない。
「どこに行ったんだ?」

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1-13 意外な情報 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

病院の外に出ると、もう日が暮れてしまっていて、暗い空が広がっている。ふと見上げると、西の上空に、大きな灯りが浮かんでいる。目を凝らすと、それは飛行船だった。
「おい、亜美、あれ。」
「ああ、飛行船ね。時々、飛んでるのよ。・・でも夜は珍しいわね。夜景でも楽しむのかな?」
「夜景?」
「あら、一樹、知らないの?あれは観光飛行船よ。去年くらいから飛んでいるはず。予約すれば、乗れるみたいよ。専用の空港もできたみたいで、橋川市上空をぐるりと回って、半島の先まで行くって・・。ああ、そうそう、街の映像も写していて、ネットでも見られるって聞いたけど。」
飛行船はどんどん近づいてきて、神林病院の真上を通過した。
「おーい!」と亜美が子どものように手を振った。
真っ暗になった中でいくら手を振ったところで見えるわけもないのだがな、と一樹が心の中で呟く。
二人は署に戻ると、鳥山課長と紀藤署長が居た。
「松山たちは、明日には戻るそうだ。」
一樹は、病院の聞き込みの内容を一通り報告した。
「そうか、君原先生も、同じ考えのようだな。今度も、協力してもらえると助かるんだがな。」
紀藤署長はそう言った。
「ただ・・これと言って、進展はないというところか・・。」
鳥山課長が言うと、一樹と亜美が、悔しそうな表情を浮かべた。
「もう少し、当日の様子が判れば・・・。きっと、屋上に誰かが居たはずなんだが・・。」
そこへ、鑑識課の川越が入ってきた。
「大変なものが出てきました。」
川越はそう言うと、何か小さな紙片のようなものが入ったビニール袋を見せる。
「佐原氏の解剖結果は、特に薬物とか、病変など、変わったものは見つかりませんでしたが、胃の中からこれが出てきたんです。」
「何?それ。」
「拡大したものがこちらです。」
そう言って、川越は、その紙片を拡大した映像プリントをホワイトボードに貼り出した。
「遺書と同じ材質の紙で、小さく千切られていました。おそらく、佐原氏が自殺の前に飲み込んだものと思われます。胃の中で大半はバラバラになっていましたが、部分的に残っていました。辛うじて、秘、北、死、佐、置、の五文字だけは拾えました。」
「これって・・。」と亜美が言う。
「おそらく、犯人からの脅迫文でしょう。これを読んで、佐原氏は自殺したに違いありません。」
川越が誇らしげに言う。
「やはり、なにか途轍もない秘密を抱えていたという事なんでしょうか?」
一樹が言うと、鳥山が答えるように言った。
「これで、今回は、単なる投身自殺ではなく、自殺教唆の事件という事は確実だな。」
皆、頷いた。
「だが、この文字は・・」と鳥山は言ってから、思い出したように、「そう言えば、松山たちは、佐原氏の状況後の様子を調べていて、今は、東北まで足を延ばしていたな。この、北の文字は、東北と関係があるという事じゃないかな。」と推理した。
「では、東北に居た頃の秘密を知っている人間に、脅されていたという事か?」
紀藤署長が続ける。
「この、佐の文字は、佐原氏のことか・・・余りにも手がかりが少ないな・・・。」
一樹は言うと、皆、黙りこんだ。そこへ、藤原女史が「亜美ちゃん、映像の解析、終わったわよ。」と言って現れた。「それで、なにかわかった事は?」と亜美が尋ねる。
「やっぱり、佐原氏は写っていなかったわ。おかしな動きと感じるようなものも無かった。」
藤原女史は残念そうに話した。
「佐原氏の姿が見えなくなって、看護師が院内を探したそうですが・・。」と一樹が訊く。
「ええ、確かに、小走りに動き回る看護師の姿はあったわ。一階から十階の間に写っていたわ。ええっと・・」
藤原女史はそう言うと、タブレットパソコンを取り出し、写真を開いた。
「いつの間にそんなものを・・。」と鳥山課長が呆れた表情を浮かべて言った。
「この四人ね。」と藤原女史が示した写真には、寺本則子看護師長、有田優香看護師主任、梅村彩夏看護師、岩月美紀看護師の名前が入っていた。十四階のナースステーションで聞き取った事と一致する。
「ただね・・この・・有田看護師主任だけ、ちょっと動きがおかしいの。写っているのも十階のフロアで1回だけ。その後は全く写っていないようなの。まあ、十一階から十三階に居たのかもしれないけど。」
「先生たちの動きは?」と亜美が訊く。
「一階の外来では、下川医師、斎藤医師の二人が未だ、診療中だったわ。午前の診療時間はとっくに過ぎていたけどね。それから、君原副院長と新道院長の二人は、五階の看護師長室に写っていた。医師のほとんどは病棟で発見できたわ。検査技師の数人が、休憩室にいて・・・病院関係者の中で、特別に気になる場所にいる人は居なかったわ。」と藤原女史が説明した。
「そうなると、佐原氏と接点があり、現時点で一番怪しいのは、有田看護師主任ということになるか・・。」
鳥山課長が言った。すると、亜美が「でも、有田さんは真面目そうでそんな感じはなかったわ。」と言う。
「だが、最も接点を持ちやすいのは十四階の看護師だ。定期巡回のたびに、脅迫したとも考えられる。」
一樹が言う。
「だが、立証するのは無理だな。・・例えば、脅迫文と有田主任との関係が立証できれば・・。」
それを聞いて、川越が言った。
「すみません。先ほどの紙片のことですが、かなり古い紙のようです。今、特定を急いでいますが、最近の紙には含まれない光沢インクが検出されました。・・・そう、そう、あの、北の文字の周囲から強く検出されているので、何かのロゴタイプではないかと思います。」
「どういう事かな?」と一樹が呟く。皆、考え込んだ。
「とにかく、佐原氏は何者かに秘密を握られていて、それが原因で、自殺した事は確かだ。脅迫による自殺という見立てで、引き続き、情報収集を進めよう。」
鳥山の言葉に皆頷き、その日は解散することになった。
出口で、一樹が藤原女史を呼び止めた。
「藤原さん、頼みがあるんです。・・ちょっと厄介な事なんですが・・。」
そう言って、一樹が藤原女史に何かを告げると、藤原女史はかなり困った表情を浮かべたが、承諾したような表情を浮かべ、さっさと出て行った。

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1-14 松山刑事の情報 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

それから二日ほどは特に進展もなかった。
松山たちがようやく署に戻り、皆、新たな情報を期待した。
「遅くなってすみませんでした。佐原氏の大学時代の状況を調べているうちに、少し、気になる情報が手に入ったので、ちょっと手間取りました。」
そう言って、松山と森田がたくさんのメモを広げながら、ホワイトボードにキーワードを記していく。一通り、書き終えてから、松山が皆に説明する。
「佐原氏は、高校卒業後、有名私立大学へ進学していました。しかし、90年に、実家の繊維会社が多額の負債を抱えて倒産したため、止む無く、退学。その後、アルバイトしながら、東北地方を転々としていたようです。どうやら、負債の連帯保証人になっていたようで、逃げ回っていたという方が正解かもしれませんが・・。」
「よく、足取りがつかめたな。」と鳥山が言うと、松山が言う。
「大学での暮らしぶりを調べていた時に、偶然、大学事務局に、佐原氏の親しい方がおられて、大学を辞める時に何かと相談に乗り、最初のアルバイト先も紹介したということで、恩人とでもいうことになるのでしょうか、時折、佐原氏から、近況を知らせる手紙が来ていたそうなのです。最後の手紙には、札幌の消印があったので、私たちも札幌まで足を延ばしました。」
「何か、今回の自殺と繋がるような情報はあったか?」と鳥山が尋ねる。
「それが・・・先々での評判は上々でした。一心不乱に働いていたようです。栃木、福島、青森まで工事現場や清掃業務、中には、大学病院の遺体洗浄作業なんていう派遣の仕事もやっていたようです。金になるものを選んでいたようですね。最後の、札幌では、高速道路の工事現場にいたようです。相当過酷だったようですが、まじめに働いていたと建設会社で聞きました。恨みを買うような人物ではなかったようです。」
松山は同情するかの様な口ぶりで応える。
「ただ・・ちょっと引っかかるんです。最後の仕事は札幌辺りなんですが、いくら稼いだといっても、ほんの一年くらいですから、大した金額じゃありません。なのに、突然、そこで足取りが途絶えているんです。大学の恩人への手紙も途絶えています。」
と行ったのは、同行していた森田だった。
「借金取りに追われていたらしいから、そこで、居場所がばれてしまったとは考えられないか?」
一樹が訊く。
「ええ・・借金取りかどうかは判りませんが、確かに、佐原氏を訪ねてきた人物があったようですね。建設会社の人の話では、佐原氏と同年代の若者だったようです。仕事終わりを待って、逢いに来たようです。その翌日には、会社を辞めていました。その後、橋川市に戻ってくる十五年間はまったく足取りがつかめませんでした。」
「同年代の若者?」一樹が重ねて訊く。
「借金取りというよりも、友人のような関係じゃないかと・・・。」と森田は答える。
「大学時代の友人か・・。」と一樹が言うと「いえ、佐原氏は、大学時代には殆ど友人を作らなかったようですから、おそらく、高校時代の友人ではないかと思います。」と森田が答えた。
「では・・その人物が、自殺に追い込んだ人物の可能性もあると考えられるということか・・。」
鳥山がホワイトボードを眺めながら言った。
「佐原氏の居場所はどうしてわかったんだろうな?」と鳥山が言う。
「ええ、それも謎ですね。偶然、札幌で見つけたという事もあるでしょうが・・・。あるいは、その人物にも自分の居場所を知らせておく必要があったのかも・・・。」と森田が答えた。
「確か、佐原氏の実家は倒産したと言っていたが、今はどうなっている?」と鳥山が訊く。
「父親も母親も既に他界していました。財産と言えるものは全て処分されていました。・・代々の墓は、岩川町の量円寺にあるようですね。」
答えたのは、葉山刑事だった。葉山は、以前の事件で命も危ぶまれるほどの怪我をし、長く、意識不明の状態にあったが、神林病院の事件を後、意識を回復し、現在は、藤原女史とともに内勤の仕事に就いていた。まだ、体調は万全でないが、今回の事件を聞いて、何としても神林病院へ恩返しをするためにも捜査に加わりたいと一樹に頼んでいたのだった。その事を、昨日、一樹が藤原女史に頼み、鳥山課長とも相談し、本日から捜査に加わっていたのだった。
「佐原氏について可能な限り調べておきました。高校時代、学業は優秀で、クラスのまとめ役でもあったようです。実家の繊維会社は、いわゆる家内工業程度の零細企業で、時代に乗り遅れた事が倒産の原因でしょう。佐原氏はそれを立て直すために、大学へ進学したようです。当時の友人らしき人物は、ほとんどいないんですが、高校時代の付き合いがあった、上村栄治と下川秀雄は連絡を取っていたようです。」
葉山はそう言うと、二人の写真をホワイトボードに貼りつけた。
「下川秀雄って・・神林病院の内科部長じゃ・・。」と一樹が言うと、「ああ、そうだ。下川医師だ。」と葉山が答える。
「下川医師は、それほど深い仲とは言っていなかったが・・・。」
「何か、そう言う関係にある事を隠したかった理由があるのだろう。やはり、今回の事件に関係していると見た方が良さそうだな。」と鳥山課長が言う。
「もう一人の、上村栄治氏って?」と亜美が訊く。
「旧姓は、横井栄治、ほら、あの豊城市議の、上村栄治氏のことさ。豊城市の名家、上村家に婿入りして、義父の後押しで市会議員に立候補して、清廉潔白の若手市議で随分と支持を集めているようだが・・。彼の実家は、量円寺だった。」
葉山が説明する。
「量円寺?」と一樹が呟く。
「ああ、そうさ。佐原氏の菩提寺・・これで、佐原氏と上村栄治は繋がる。おそらく、代々の墓があるということで、何とか、残せるよう相談していたんじゃないだろうか。」と葉山が言う。
「札幌に訊ねて行ったのは、上村栄治と考えて間違いないだろう。・・よし、松山と森田は、上村氏に話を聞いてきてくれ。札幌での様子をできるだけ詳しくな。矢澤と紀藤は、下川医師だ。佐原氏との関係を隠したのにはきっと何かある。一気に、犯人にたどり着けるかもしれん。」
鳥山課長の指示が飛んだ。すぐに、皆、バタバタと会議室を出て行った。

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1-15 上村栄治 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

松山と森田は、豊城市の上村氏の自宅へ向かった。
高い塀に囲まれ、周囲にはいくつもの監視カメラが設置された豪邸であった。和風の大きな門には、上村と書かれた大きな表札が掲げられている。インターホンを押すと、すぐに家政婦らしき女性が門扉越しに挨拶をした。

「橋川署の松山です。上村栄治さんにお伺いしたいことがありまして・・。」と警察手帳を見せながら挨拶すると、「ご不在でございます。」と家政婦らしき女性が答えた。
「どちらに行かれていますか?お帰りは?」と今度は森田が訊くと、「お答えできません。」と素っ気なく、女性は答えた。
「事件の捜査なんですよ、どこに居るのか、答えなさい。」と森田は少し口調を荒げて言うが、当の女性は全く意に介さず、「お答えできません。」と答えるばかりだった。

松山と森田は、これ以上時間の無駄だと判断し、豊城市役所にある議会事務局へ向かった。
事務局では、議員の同行はある程度把握しておく必要があり、年配の事務局員が、記録簿を開きながら、「昨日から2週間はお休みとなっていますね。」と答えた。
「休み?で、どこに居るのかはわかりませんか?」と森田が訊いた。
事務局員は、少し戸惑った表情を浮かべ、「通常、どこに居るかまでは把握していませんね。秘書にでも確認されたらどうですか?」と言って、秘書の連絡先をメモして渡した。
すぐに連絡を取ったが、秘書の電話は留守電になっていた。しばらくすると、秘書から森田の携帯へ連絡が入った。
「秘書の安永と申します。」
秘書の口調は穏やかながら、どこか、冷ややかだった。
「ある事件の件で、上村さんにお話を聞きたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「お急ぎですか?できれば、1週間ほど待っていただきたいのですが。」
「お手間は取らせません。とにかく、お話を・・。」
森田が少し苛立って言った。
「内密に願いたいのですが、今、議員は入院されているのです。大した病気ではありませんが、念のため。それと、体調不安が世間に知れれば、次の選挙に影響します。くれぐれも内密に。」
「では、入院先でお話を伺いたいのですが・・。」
「判りました。」
秘書はしぶしぶ承諾したようだった。
入院先を訊くと、驚いた事に、神林病院だった。すぐに、松山が一樹に連絡をした。

「判りました。今、病院に居ますから、下川医師に話しを聞いた後で、行ってみます。松山さんたちは、上村氏の実家の方へ行ってください。」
松山と森田は、上村の実家である量円寺へ向かった。
「神林病院に、上村氏が入院しているようだ。」
一樹は、亜美に松山からの話を伝えた。

一樹と亜美は、一階ロビーで、下川医師が外来診療を終えるのを待っていたのだが、午前の診療はかなり混んでいて、終わる時間が判らない状態だったため、先に、上村氏の話を聞く事にした。
「十四階の特別室だろう。」
二人が、ロビーの奥にあるエレベーターに向かおうとしたところで、見覚えのある看護師がバタバタと院内を走る姿が見えた。岩月看護師だった。
「何かあったんですか?」
一樹が声をかけると、岩月看護師は「いえ・・」と小さく口走った後、内科診察室へ入った後、すぐに出て来て、表玄関まで走っていき、再びエレベーターホールのところへ戻ってきた。そして、誰かを探しているようにきょろきょろとしている。だが、目当ての人は見つからないようで、すぐにエレベーターのボタンを押し、上階へ上がって行った。
一樹たちも、岩月看護師の後を追うように、エレベーターで14階へ上がった。

エレベーターのドアが開くと、ナースステーションの前で、男が大きな声で怒鳴っていた。
「こんなところにいられるか!すぐに帰るぞ!さあ!」
「いえ・・せっかくですから、きちんと検査をお受けください。」
それをもう一人の男が引き留めているようだった。
「うるさい!安永!すぐに車を回せ!」
男の憤りはかなりのものだった。
その男は、引き留める手をほどいて、さっさとエレベーターに乗り込んで、ドアを閉めてしまった。ゆっくりとエレベーターが下がっていく。
慌てて、もう一人の男が後を追って降りて行った。
一樹と亜美は、いきなりの騒ぎに状況がつかめず、騒ぎの様子を静観せざるを得なかった。
ナースステーションの前には、有田主任看護師が居た。眉間に皺をよせ、エレベーターの方を睨み付けていた。
「どうしたんですか?」
一樹は改めて、有田に訊いた。
「いえ・・検査入院されていたのですが、急に気分を害されたようで、お帰りになったところです。」
有田は淡々と答えた。脇に居る岩月看護士はおろおろした様子だった。
「今の方は、上村議員ですよね。こちらに入院されたと聞いて話を伺う予定でしたが・・。」
一樹が言うと、「そうですか」とだけ有田は答える。
「気分を害されたとは・・?」
「判りません。特に、トラブルがあったわけではないんですが。」
有田は引き続き、淡々と答える。
脇に居た岩月が「どうしましょう。」とだけ言った。有田は何かその言葉を咎めるように、厳しい目で岩月を睨みつけ、「事実を記録しておいてください。総師長には私から報告しておきますから。」と言って、ナースステーションへ入っていった。何かこれ以上訊かれたくないという雰囲気がありありと伝わってきて、一樹たちはそれ以上追及することは止めた。

ふと窓の外を見ると、大型高級乗用車が1台、病院の出入口から大通りへ出て行くところだった。
「仕方ない、上村氏にはまた、あとで話を聞こう。まずは、下川医師からだ。」
亜美は、14階で起きた事が気がかりだったが、看護師の態度から、すぐに話を聞くのは無理だと判り一樹とともにエレベーターに乗った。
一樹は、亜美とともに1階ロビーへ向かった。
外来はまだ午前の診療が終わっていなかった。内科の待合室には10名ほどの患者が座っていた。
仕方なく、内科診察室前のソファに腰かけて待つことにした。

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1-16 ヴェルデにて [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

30分ほどが過ぎた頃だった。
「あの、橋川署の刑事さんですか?」
外来診療に居るナースの一人が声を掛けた。
「ええ・・そうですが。」
「下川先生からの伝言です。午後、東京で学会の予定があって早めに出かけられました。お話があるなら日を改めてとの事で、お帰りは3日後の予定とのことです。」
そのナースはそういうと、一樹たちの返答を待つわけでもなく、さっさと診察室へ入ってしまった。
「え?それってどういうこと?」
亜美は半ば呆れたように言った。
「そういう事だよ。」
一樹は予想していたかのような顔をして、立ちあがり、さっさと玄関へ向かって歩いて行った。
「もう、一樹、待ってよ。」

二人は、昼食のため、一樹の友人がやっているレストラン「ヴェルデ」に行くことにした。
神林病院からは少し離れていたが、一度考えを整理したかったため、敢えて、署に戻らないことにした。
「よう、一樹。久しぶり。忙しいか?」
店のドアを開けると、友人で店主の田原義彦が笑顔で出迎えた。
平日の昼時で、客はまばらだった。この店はディナーが主だったが、義彦が店を継いで、ランチタイムも営業するようになった。
「お前のところは相変わらず暇そうだな。」
一樹はそう言うと、窓の際の席に座り、外を見る。
眼下には海岸線が見える。
「ああ、これくらいでちょうどいいんだよ。亜美ちゃん、こんな奴と一緒じゃ大変だろ?」
水を運んできて、義彦が答えながら、亜美にウインクする。亜美は何となく笑顔で答えてみせた。
二人は、パスタを注文した。
一樹は、窓の外を見ながら、しきりに何かを考えているようだった。
亜美もしばらくは一樹と同じように、窓の外の海岸線を眺めていた。

「ねえ、これからどうするの?」
亜美がふいに口を開いた。
一樹は「ああ・・」とだけ返答をして、まだ、窓の外を見ている。
「上村議員に話を聞きに行く?きっと自宅に戻っているはずよね。」
一樹は返答もせず、まだ窓の外を見ていた。
「ねえ、どうするの?」
亜美が強い口調で訊いたところで、注文したパスタがテーブルに並べられた。
「とりあえず、腹ごしらえだな。」
一樹は亜美の質問には答えず、パスタを口に運ぶ。
亜美も仕方なく、パスタを食べ始めた。二人は沈黙のまま、パスタを食べ終わった。
ようやく、一樹が口を開いた。
「頭の中で、最初からもう一度整理していたんだよ。あの事故がどうにも不自然でね。」
「何が不自然なの?」
「状況的には自殺と断定されても不思議じゃない。でも、少しずつ違和感を感じるんだ。遺書だって意味深だし、映像記録だって完全じゃない。それに、ルイさんは思念波を感じたっていうし・・・。」
「だから、捜査を続けてるんでしょ?」
「ああ、そうなんだ。だがな、仮に強い恨みを持つ者が居て、復讐のために自殺を迫ったとして、俺だったら完全に自殺だって思われるようにもっと工夫するよ。遺書だって、もっともらしい理由を書くだろう。うまく言えないが・・自殺だが事件なんだっていう風に判る様な痕跡を残そうとしているみたいに感じないか?」
「よく判らないわ。・・犯人は、知恵が回らないだけじゃないの?」
亜美は少し苛立ち気味に言った。
「そうかな?知恵が回らない人間が、人を自殺に追い込むようなことができるかな?いっそ、一思いに殺してしまった方が良いじゃないか。」
「じゃあ、自殺に見える殺人をわざわざ演じているという事?でも、そんな事して何の意味があるの?」
「そこなんだ。わざわざそんなことをする必要はないはずなんだが・・・。」
一樹はそう言うと、行き詰ってしまったように、再び、窓の外を見る。
「ルイさんの話だと、まだ恨みは消えていないだろうって・・という事は、まだ復讐すべき相手がいるという事でしょ?だったら、もっと完全に自殺に見せた方が良いはず。二人目を狙うためにもね。」
亜美も頭を整理しながら言った。
「そうなんだ。・・だから、よく判らないんだ。」
「本当に単なる自殺だとしたら?」
「いや、それはないだろう。これまでの調べでは、自殺につながる直接的な原因は見つからなかったし、奥さんだって自殺するはずはないって言ってたろ?それに、胃の中から出てきた、あの紙片だって・・何か、途轍もないものが隠れているようなんだが、何処をどう調べれば良いのか・・・。」
亜美はそこまで聞いて、同じように考え込んでしまった。

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1-17 連れの男 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

ちょうど、義彦が、空いた皿を片付け、食後のコーヒーを運んできた。
「なんだか、珍しく、難しい顔してるな。」
「ああ・・」
一樹はそう答えると、コーヒーを啜った。
「なあ、お前ら、今、神林病院の事故を調べているんだろ?それなら、ちょっと気になることがあったんだが・・」
義彦が皿を厨房に運んだあと、再び、二人のテーブルまで来て言った。
「気になることって?」
亜美が訊く。
「確か、自殺したのは佐原さんだったよね。時々、うちにも来てくれていたからびっくりしたよ。」
義彦はそう言うと、店内を見回し、接客の必要はない事を確認して、椅子に座った。
「月に1回か2回くらい、仕事の都合か何かで、こっちに来た時に、ランチタイムで来るくらいだったんだが、・・ええっと・・あれはいつだったかな・・。」
義彦は、レジカウンターの奥にあるカレンダーを見ながら思い出すように言った。
「確か、ふた月ほど前だったなあ・・・珍しくディナーの時間、いやもっと遅かったな。そうそう、夜10時を過ぎた頃に来店したんだ。その時は一人じゃなかった。連れが居たんだ。」
「仕事関係で来るには遅い時間だな。」
一樹が訊く。
「ああ、そうだろ?男3人だった。一番奥の席で、何か聞かれたくない様な感じでぼそぼそと話してたんだ。」
「よく覚えていたな?」
一樹が言う。
「いや・・ぼそぼそ話していたんだが、急に言い争いになったみたいで、一人の男が立ちあがった拍子に、テーブルのグラスを落として割ったんだ。その音で俺もすぐにテーブルに行って片付けようとしたから。」
「一緒に居たのは誰だかわかるか?」
「一人は知ってる。ほら、豊城市の議員の・・ええっと・・」
「上村議員?」
亜美が言った。
「ああ、そうそう。そうだ。間違いない。駐車場に大きな黒塗りの外車が停まっていた。新聞で顔も見たことがあったから、間違いない。」
「もう一人は?」と一樹が訊く。
「初めて見る顔だったな。落ち着いた感じの、二人と同じくらいの年だろうな。」
「名前までは判らないか・・・。」
「ああ。すまないな。・・何しろ、ぼそぼそと話しているんでね。」
義彦はそういうと席を立ち、レジへ向かった。一組の客が帰る所だった。

「ねえ、佐原さんと上村議員、という事は、もう一人は下川医師じゃない?」
義彦が席を立ってすぐに、亜美が口を開く。
「ああ・・おそらくそうだろう。だが、決めつけてもいけない。ひょっとしたら、自殺に追い込んだ別の誰かという事も考えられる。」
一樹が亜美を落ち着かせるように言った。
「いずれにしても、この店で、佐原氏と上村氏ともう一人の男が、密談をしていた。内容は判らないが言い争いになるほどの中身だった事。そして、佐原氏が死んだ。上村議員ともう一人の男が佐原氏の死に何らかかかわっているのは間違い。」
再び義彦が戻ってきた。
「なあ、義彦、正確な日が覚えていないか?」
「いやあ・・そこまではなあ・・・何か、特別なことがあれば覚えているんだが・・・。」
「そうか・・また、何か思いだら連絡してくれ。」
一樹はそう言うと、席を立った。亜美も慌てて一樹の後を追うように店を出た。

「とにかく、佐原氏と上村氏は一緒に居たのは間違いない。ヴェルデで何を話したのか、そこに佐原氏の死の関係があるに違いない。すぐに、上村氏に話を聞きに行こう。」
一樹は車に乗り込むと、上村氏の自宅へ向かった。
亜美は助手席に座り、流れる風景を眺めながら、3人目の男の事を考えていた。
三人目の男が、下川医師であるとしたら、共通の秘密を持っていると考えられる。そして、それは死をもって償うほどの重大な罪ということであり、上村氏も下川医師も、佐原氏同様、自殺を思い悩むはずだった。上村氏にはまだほとんど面識がないため、様子は判らないが、下川医師とはすでに面識がある。聞き取りの時の様子も落ち着いていたし、佐原氏の自殺についても怯えるほどの様子も見えなかった。あの様子からは、やはり下川医師は無関係なのではないか。では、三人目の男は誰なのか?藤原女史の作成した名簿をもう一度検証する必要がある。亜美は、すぐに携帯電話で藤原女史に連絡を取った。
「藤原さん?ごめんなさいね、忙しい?」
『いえ・・大丈夫よ。』
亜美は、藤原女史にヴェルデで聞いた内容を伝えた。
『じゃあ。佐原氏と上村氏と関係の深い人間をもう一度ピックアップするのね?』
「ごめんなさいね。お願いします。」

一樹は運転席で亜美と藤原女史の会話を聞きながら、三人目の男が下川医師だとしたどうかと考えていた。
聞き取りをしたとき、全てを予見していたような対応だったし、敢えて秘密がない事をアピールする可能ような口ぶりだった。そして、今日、聞き取りをする予定だったことを承知で、姿を消したこと。上村氏が検査入院せず、帰ってしまった事と関係があるとしたら、佐原氏の死にも大いに関与している可能性が考えられた。直接的に手を下さなくても、誰かを使って自殺に追いやったという事も考えられる。
「とにかく、まず。上村氏に当たってみるしかないな。」
一樹はぼそっと呟いた。車は、橋川市から豊城市へ入ったところだった。

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1-18 豊城市の騒ぎ [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

豊城市は、山間の町だった。東西は山並みが走り、市の中央には豊城川が流れ、河岸段丘の上に街並みが連なっている。いわゆる宿場町の一つだった。一時過疎化が進んではいたが、高速道路が開通したおかげで、橋川市や近隣の工場への通勤の利便性が上がった事や、工場の誘致も進んで、人口減少から増加へ転じた。若い人口も増加し、山間の町としては活気づいていた。
上村氏は、そういう町の若きリーダーであった。清廉潔白、町の浄化の立役者等の評判も上々で、町のあちこちに講演会の看板も見られた。

一樹と亜美の乗った車が、豊城市へ入ってすぐ、続けざまにパトカーが追い抜いて行った。田舎町ではそんなに大きな事件は起きない。高速道路が通ったせいで、交通量は増えたものの、交通事故もさほど起きないほどのんびりした街なのだが、パトカーは尋常ではない走り方をしていた。すぐに、消防車も現れた。上空にはヘリコプターも飛んでいる。
「亜美、何かあったみたいだな・・ちょっと署に問い合わせてくれ。」
一樹は上村氏の自宅へ車を走らせながら言った。
「豊城市で、川に人が流されたって通報があって、捜索活動が始まったらしいわ。」
「こんな時期に珍しいな・・。」
「ええ・・真夏には川遊びで流されたって言う事故はあるけど・・。」

上村氏の自宅近くに来ると、パトカーが停まり、玄関前の道路には、数人の警官が立っていた。近所の人達と思しき人だかりも出来ている。
「いったい、何だ?」
一樹は一旦通り過ぎてから、少し離れた田んぼの畦道に車を停めた。
二人は車を降り、上村氏の自宅へ向かう。
一番手前に居た若い警官に、警察手帳を見せ、「何があった?」と訊く。
「上村氏が行方不明で・・どうやら、川に流されたのが上村氏のようで、今、捜索しているところです。」
それを聞いて、亜美が「え?」と言葉を詰まらせる。
「秘書の・・安永氏から話は訊けるかな?」
一樹が言うと、
「先程、行方不明になった経緯について、豊城署の署員が聞き取りを済ませました。外出先から戻ってすぐに姿が見えなくなったとの事で、周囲を探したところ、豊城公園の展望台に遺書が残されていて、そこから川へ飛び込んだのではないかとの話でした。今は、その展望台に行っているはずです。」
その若い警官は、知っている限りのことを一樹に話した。
「ありがとう。」
一樹はそう言うと、亜美とともにその場を離れ、車に戻った。
「今ごろ、署にも情報は届いているだろう。・・また・・自殺か・・・。」
一樹はそう言うと運転席のドアを開け、ドカッと座った。
亜美は、車の脇に立ったまま、空を行きかうヘリコプターの様子を見ている。まだ遺体は見つかっていないようだった。それから、助手席に座り、口を開いた。
「変よね・・病院で見かけた時、とても自殺するような感じはなかったわ。」
「ああ・・これは自殺なんかじゃない。」
そう言うと、豊城公園の展望台へ向かった。

豊城公園は、川沿いの河岸段丘の上に広がっていて、総合運動公園という名称だった。
遊具のある広場や陸上運動場、森林浴ができる森エリアなど、多目的に使用できる公園だった。入口にある駐車場には、黒塗りの外車が停まっていて、周囲には規制線が張られて数人の警官が立っている。おそらく、上村氏が乗り付けたものだろう。
そこから、森エリアを抜けると展望台があり、豊城川を見おろすことができた。展望台は、川の流れが硬い岩盤を削り、大きく湾曲する場所の先端に設えてあり、川面まで50メートルほどの高さがある。展望台には柵は設けられているが、大人なら容易く乗り越える程度のものだった。駐車場から、森エリアまでは一本道で、展望台の入り口には規制線が張られていた。

豊城署の刑事が数人、秘書の安永とともに展望台の先に立っている。おそらく、実況検分なのだろう。豊城署の刑事は一樹の姿を見つけるとすぐにやってきた。
「おや、橋川署の矢沢さんですね。」
そう言ったのは、かなり年配、いや定年間近と思しき刑事だった。一樹はすぐに名前が思い出せなかった。
「豊城署の八木ですよ。覚えていませんか?・・まあ、いいでしょう。・・で、いったい、橋川署の刑事さんが何の御用でしょうか?管轄外のはずですが・・。」
その刑事は、少しバカにしたような口ぶりだった。
「今から、上村氏に少し話を聞くことにしていたんですが・・。自殺・・ですか?」
一樹は少しとぼけて訊いた。
「まあ良いでしょう。・・遺書が残っていたんで、自殺とみて一応、事件性がないかを調べているところです。まだ、遺体が見つかっていないんで、何とも言えませんがね。あそこから、川へ身を投げたんでしょう。あの高さだからね・・おそらく亡くなっているでしょう。今は水量も多いんで、見つかるまでは時間が掛かるでしょう。」
それを聞いて、亜美が訊いた。
「すみません。橋川署の紀藤です。・・あの、遺書ってどんなものだったんですか?」
八木刑事は訝しげな表情で亜美を見た。
「紀藤さんというのは・・ああ、紀藤署長のお嬢さんでしたか。そう言えば、橋川署で刑事課に配属されたとは聞いていたんですが・・ほう・・そうですか・・。」
八木刑事は何か含みのあるような言い方をした。
「遺書を見せてもらえませんか?」
亜美が少し強い口調で言った。
「いやあ・・それはどうかなあ・・一応、こちらで調べているところですからね・・鑑識が持って行ったはずですから、ここにはありませんよ。」
「どんなものだったのでしょうか?」
「どんなものって言われてもねえ・・。まあ、調べがついたら、そちらにも情報を流しますから・・」
八木刑事の口調は、豊城署で起きた事なのだから口を出すなと言わんばかりだった。
「これは殺人事件・・。」
亜美が少し興奮気味にそこまで口にしたところで、一樹が止めた。
「止めろ、亜美。帰るぞ。」
そう言うと、一樹は亜美の手を引っ張って、展望台を後にした。

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1-19 上村氏の自殺 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「何なのよ、あの態度!バカにして!」
亜美は助手席に乗ってもすごい剣幕で当たり散らした。
「まあ、そんなに興奮するな。俺たちだって、管轄外の刑事が理由もなく現れて、目の前の事件を詮索されれば好い気はしないだろ?そんなもんさ。まあ、それ以上に、紀藤署長に対して何か不満でも持っているようにも感じたけどね。そういう小さい人間だって割り切るに限る。」
「でも・・・自殺じゃないでしょう。・・あの刑事、さっさと自殺として片付けてしまうに違いないわ。」
「それならそれで、こっちの事件をしっかり固めていけばいいじゃないか。仮に豊城署が自殺だと判断しても、こっちの事件との関連が明らかになれば、鼻を明かしてやることにもなるだろ。」
一樹は、そう言うと車のエンジンをかけた。
「どうするの?」
「しばらくは、秘書の安永から話を聞くことも難しいだろうから、一旦、署に戻って情報を整理しよう。ヴェルデでの3人の男の事も報告していないし、豊城署からの情報ももう少し入っているかもしれないから。」

もう日が傾いている。
上村氏の捜索は続いていたが、日没となると一層困難になるに違いなかった。

橋川署に戻った時には既に日没を過ぎていた。
鳥山課長、松山、森田、藤原女史と葉山は、刑事課の部屋に居た。
「おお。戻ったか・・・どうやら、上村氏は自殺したようだな・・。」
「ええ・・残念です。豊城署からは何か情報が入っていますか?」
一樹が鳥山に訊いた。
「ああ・・豊城署から怒りの電話が入ったよ。八木って奴に逢ったか?」
「ええ、自殺の現場で・・・。」
「ふん、そうか。あいつ、もともと、ここに居たんだが、駐在所の勤務態度が悪くてなあ。どうやら、刑事課を希望していたらしいんだが、ここじゃその芽がないからって転属を希望して豊城署に異動したんだ。それから、何だか、豊城署ではすぐに刑事課に配属になって、大きな顔をしているらしい。橋川署にコンプレックスを持っているんだろうな。・・あんな奴、相手にしなくていいからな。」
鳥山課長はそう言うと、1枚の書類を一樹たちに配った。
それには、上村氏の行方が判らなくなって、自殺現場を発見するまでの経緯や、遺書と思われる書き残しまで克明に記されていた。
「これは?」
亜美が尋ねる。
「ああ・・今の豊城署の署長は、もともと、ここの副署長だったんでね、紀藤署長がこっちの事件の事を連絡して、上村氏の自殺の件も併せて、合同捜査に当たる事になったんだ。それで、豊城署から詳細な情報が出たというわけだ。」
「じゃあ・・今頃、あの八木とかいう刑事、悔しがってるんじゃないかしらね。」
亜美が悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「おい、そんなこと、どうでもいいじゃないか。目の前の事件に集中しろ!」
一樹が窘めるように言った。

その書類によると、

上村氏は、随分と不機嫌な様子で、神林病院を出て、車中ではずっと押し黙ったままだった。安永秘書も、上村氏の機嫌が悪いのを見て、特に、会話もしなかった。
上村氏は帰宅すると、「しばらくひとりにしてくれ」と言ったきり、すぐに自室に入った。
ここまでは、安永秘書は確認していた。
その時、家人は誰もいなかったが、安永秘書も、私用があり、上村氏の自宅を1時間ほど離れていた。戻ってくると、上村氏の愛車が車庫にないことに気付き、すぐに携帯電話で連絡を取ろうとしたが、電源が入っておらず、行方はつかめない。
ちょうど、そこへ家政婦が戻ってきたため、二人で思い当たる所を手分けして探した。

安永秘書は、上村氏が立ち寄りそうなところを回ってみたが、発見できず、一旦、上村氏の自宅を戻ろうとして、豊城公園の前を通った時、上村氏の愛車が停まっているのを発見した。
周囲を探したところ、展望台の柵の近くで、上村氏の上着と遺書があるのを見つけ、すぐに豊城署へ通報したという事だった。
田舎町のため、昼間はほとんど人影がなく、これまでのところ、上村氏の目撃情報は全くなかった。そして、上村氏の遺体はまだ発見されていなかった。

「これは、ほとんど秘書の安永氏の供述のようですね。」
一樹が言う。
「ああ・・そうだ。だが、彼以外には、上村氏の行動を把握している者はいないようだ。神林病院に居た事さえ、家人も家政婦も知らなかったようだ。議員ともなれば、そういうものかもしれないが・・・。」
鳥山が答える。
「誰もいない隙に、家を出て自殺か・・目撃者もほぼ無し、状況だけが自殺を示している。」
一樹が言うと、それを聞いていた葉山が続ける。
「神林病院の自殺と似ていますね。それに、遺書ですが、この文面・・。」
その書類に記されていたのは、遺書の全文だった。

『罪を清算するために死を選びます。』

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1-20 再び思念波 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「まったく同じ文章なんて・・ありえないわ・・やはり、これは連続殺人ですね・・。」
そう言ったのは藤原女史だった。
そしてさらに続けた。
「紀藤さんに頼まれていた、佐原氏と上村氏に関係の深い人間をもう一度洗いだしてみたんですが、やはり、下川医師以外にこれといった人物は浮かんできませんでした。」
「やはり、下川医師がキーマンという事か・・・。」
鳥山課長が呟いた。
「昼に、ヴェルデに行ったんですが、2か月ほど前、佐原氏と上村氏、それともう一人、この男は・・誰かは判らないんですが、男3人で夜10時ごろに来店したようなのです。店主が証言しました。何か秘密めいた話をしていたらしいというんですが・・詳細までは判りませんでした。」
一樹が報告する。
「きっと、もう一人は下川医師ですよ。」
亜美が続ける。
「いや・・そう決めつけちゃだめだ。もちろん、下川医師の可能性は高いだろうが、仮に他の人物なら、今回の真犯人という事になる。店主には、下川医師の顔写真は見せたのか?」
鳥山が一樹に訊く。
「いえ・・義彦・・いや店主は、その男の顔をあまり覚えていないようでした。」
「そうか・・もう一度確認してくれ。それと、下川医師はどこにいる?」
「今日は午後から東京で学会があったようです。戻るのは三日後と伝言を受けました。」
一樹が答える。
「上村氏が自殺をした時間は、新幹線の中ということか?帰るのは三日後か・・・。」
鳥山が残念そうに言った。
「下川医師を任意で取り調べしましょう。絶対、二人の死に関係しているんですから」
亜美が言った。
「それは無理だ・・。」
一樹が言う。
「まだ、これは殺人事件と決まったわけじゃないんだ。単なる自殺なら、取り調べはやりすぎだ。戻るのを待つしかない。その間に、もう少し、三人の関係を調べておこう。」
鳥山が言った。
すると、松山が続けた。
「佐原氏を札幌まで訪ねて行った男が誰なのかも気になります。もし、上村氏か下川氏であれば、何か、その頃に重大な罪を犯したんじゃないか。その秘密を暴露されることを恐れて自殺したという筋もできます。」
「ああ・・そうだな・・・済まんが、松山と森田はもう一度札幌に飛んでくれ。随分前の事だから、それほど簡単ではないだろうが、何とか、札幌で何があったのかを調べてくれ。・・矢沢と紀藤は、下川医師だ。不在の間に、彼の周辺や経歴・・何でもいい。札幌との関係はなかったか、調べるんだ。」
「じゃあ、私たちは、佐原氏、上村氏、下川氏の3人と関係の深い人物はなかったか、もう一度チェックしてみます。葉山さん、良いですね?」
そう言ったのは藤原女史だった。

大筋話が纏まったところに、紀藤署長が入ってきた。

「みんな、いるな?・・・先ほど、新道ルイさんから電話があった。夕方、病院内で、強い思念波を感じたそうだ。佐原氏が自殺した時と同様、恨みの色のような思念波だったらしい。まだまだ、恨みを晴らしていない、そういう思いを持った人物が病院内に居るのは間違いなさそうだ。」
紀藤署長の話を聞いて、一樹が頭をかしげた。
「変ですね。・・・佐原氏の自殺の時の思念波と同じなのかな?・・佐原氏と上村氏が同じ人物に殺されたのなら、思念波はもっと早い時間に・・いや・・病院ではなく、豊城公園でないと矛盾する。仮に、下川医師が佐原氏や上村氏を自殺に追いやった人物とすると、やはり、病院ではないはず。・・別の誰かがいるという事でしょうか?」
「そこまでは・・ただ、恨みの思念波を感じたという事は、まだ、復讐は終わっていないという事になる。まだ、犠牲者が出るという事だ。何としても食い止めなければならん。」と紀藤署長が言う。
「しかし、誰が狙われているのか、誰が恨みを抱いているのか、全くわかっていないのよ。これじゃあ、手も足も出ないわ。もう少し、手掛かりはないのかしら・・・ルイさんはもっと具体的なものは判らないの?」
亜美が少しヒステリックに言った。
「おい、亜美。それは俺たちの仕事だろ?・・病院内に、強い恨みを持った人物がいるという事は確かだ。それが誰か、徹底的に聞き込みをして絞り込むんだ。下川医師が戻るまでの間、俺たちにできる事だろ。」

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1-21 新道レイ [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

翌朝、森田と松山は、再び札幌へ向かった。
鳥山課長は、豊城署の上村氏捜索本部へ向かい、二つの事故の合同捜査の段取りを始めた。
一樹と亜美は、神林病院へ向かうと、事務局へ行き、下川医師の出張先を確認した。東京で、内科医の学会が3日間の日程で開催されており、そこへ出席している事が判った。戻るのは、翌日の夕方になるだろうとの事だった。
「すみませんが、下川先生がその学会に出席されているのは間違いないでしょうか?一度、確認してもらえませんか?」
一樹は事務局の職員に頼んだ。
席に着いたままの初老の職員は、迷惑そうな顔をしながら「間違いないと思いますがねえ・・一度確認しておきましょう。」と答えて、席を立ちあがり、コーヒーを取りに行こうとした。
「捜査の一環なんです。必ず確認を取って下さい。」
亜美が、ややヒステリックに声を上げると、その職員は軽く手を挙げて答えた。
「何?あの態度!・・」
亜美は憤慨している。
「まあ、いいさ。さあ、他を当たろう。」
一樹は、医務事務局を出て、玄関ロビーに戻った。ちょうど、そこに院長のレイが姿を見せた。
「あの・・矢沢さん、亜美さん、少し、お話しできないかしら?」
レイは、懇願するような表情を見せていた。
亜美が一樹の顔を見る。以前、一樹が亜美に釘を刺した事を思い出していた。

「母が・・思念波を感じたって聞いて・・・実は、私も・・。」
レイは、少し涙を浮かべているように見えた。
「わかりました。こちらもそろそろお話を伺いたいと思っていたんです。」
一樹はレイの表情から、事件の核心に近い情報が得られる予感がしていた。

レイは二人を連れて、院長室へ向かった。
「さあ、すわりになって。」
レイが神林病院の院長になってから、忙しさを気遣って、少し疎遠になっていたせいで、院長室へ入るのは一樹も亜美も初めてだった。院長室は意外に質素で、院長のネームプレートが乗った机とパソコン、壁に設えられた書棚には数多くの書籍が並んでいるが、部屋の中央にあるソファは小さく質素なものだった。
「実は、私も思念波を受け取ったんです。母が話した通り、これまで感じた事のない独特な・・悲しい色をしたものでした。」
レイは、あの事件以降、思念波を感じることはなくなっていたはずだった。
「あの力は無くなったんじゃ?」
亜美が訊く。
「ええ・・・母の体が回復して、あの力は無くなったはずでした。・・それにあんな力は必要なかった。あの力のせいで、多くの人の命が奪われたんですから・・。母も同様のはずです。・・ですから、あの思念波を感じた時、何かの間違いだろうと思ったんです。でも、また・・感じたの・・だから、怖くなって・・。」
ルイは再び悲しげな表情になる。
「それは、ルイさんが感じたのと同じなのか?」
一樹が訊く。
「ええ・・きっとそう。佐原さんが亡くなった時と昨日。病院内に、恨みを抱え復讐を望んでいる人がいる。深い悲しみを抱えているの。」
レイは思い出すように言った。
「誰か・・までは・・判らないわね?」
亜美が遠慮がちに訊く。
「ええ・・そこまでは・・ただ、母の感じた思念波と同じはずなのに、私は、それが何か・・小さな女の子の様な・・そんなふうに感じて・・間違いかもしれないけれど・・・。」
「女の子?・・まさか・・。」
亜美は驚いた表情で確認した。
一樹は二人のやり取りを聞きながら、眉間に皺を寄せて、考えていた。
「女の子・・深い悲しみ・・・恨み・・・。」
そう呟きながら、何度か頭を横に振った。
「前に、誘拐事件が起きた時、被害者の思念波を感じただろ?今回、佐原さんの思念波は感じなかったのか?」
「ええ・・全く。おそらく、強い悲しみや恐怖を感じていなかったんじゃないでしょうか?」
「という事は、佐原氏はやっぱり自殺という事か。」
「自殺かどうかは判らないけれど、死の間際まで、恐怖や悲しみを感じない状態・・例えば、諦めとか・・納得とか・・そういう感情を抱いていれば、強い思念波は出ないのよ。だからといって、自殺とは言えないかもしれないけれど・・。」
レイは言葉を選ぶように言った。
「そうね。ほら、あの遺書。『死を選ぶ』というのは決意したという事でしょ?諦めの境地だったんじゃないかしら。」
亜美が続けた。
「自殺教唆・・自殺を強要されたという、お前の筋読みはどうなるんだ?」
一樹が慌てて訊く。
「そうね・・やっぱり変ね。」と亜美。
「ごめんなさい。何だか混乱させてしまったみたいね。」とレイ。
「いや・・・もう少し、思念波について気付いたことがあったら連絡してくれ。きっと、佐原さんの自殺は、単純なものじゃない。もっと何か重要なことが隠されているような気がする。」
一樹はそう言うと席を立ち、院長室を出た。
亜美も慌てて立ちあがり、「じゃあ・・また連絡してね」とレイに耳打ちして部屋を出た。

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1-22 佐原氏の書斎 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「もう少し、佐原氏について調べた方が良さそうだな。お前の筋読み通り、誰かに脅されていたのなら、きっと何か手掛かりがあるはずだ。佐原氏の奥さんに、もう一度、話を聞きに行こう」
「でも恨まれるようなことはないって・・。」
「だが、実際、誰かに恨まれていた。恨みを買うような事を学生時代にやったとしたら、奥さんは知らないはずだ。」
「じゃあ、話を聞きに行っても・・。」
「いや、恨みを買うような事じゃなく、ここ2か月くらいの間に、おかしなことはなかったを確認するんだ。」
「ああ・・ヴェルデの男三人の話ね。・・そうね、今まで会った事のないような人に会ったとか・・。」
院長室を出て、一樹と亜美は、佐原氏の奥さんに逢いに行った。

佐原氏の自宅は、雨戸シャッターが下りており、留守の様に見えたが、先日と比べて、車庫周りが片付いていて、玄関ドアの奥の方に、灯りがついているのを確認できた。
亜美がインターホンを押し、警察であることを説明すると、しばらくして玄関が少し開いて、奥さんが顔を見せた。ご主人を亡くしたショックからか、随分とやつれていた。
二人は家の中に入り、リビングのソファに座った。
「時々、興味本位に、覗きに来る方があるので、雨戸は閉めています。」
奥さんはそう言いながら、二人の前にお茶を並べた。
一樹は、決断したように切り出した。
「今回の件は、誰かに脅されて、やむなく自殺されたという見方をしています。ただ、まだ、糸口がつかめないのです。きっと、御主人は、昔、強く恨まれるような事をやっているようなんです。」
「いえ・・主人は、そんな人じゃ・・。」
奥さんは平静を装って対応していたが、一樹の話を聞くと少し興奮気味に反応した。
「ええ・・おそらく、奥様と出逢われてからはきっと恨みを買うようなことはなかったんでしょう。・・奥様、佐原さんの昔の事はどれくらいご存知でしょうか?」
亜美が宥めるように訊く。
「主人と出逢ったのは、会社を興してすぐの頃です。7年くらい前です。私は会社の事務アルバイトをしていました。朝早くから夜遅くまで、とにかく、派遣社員の契約や調整やらで、働きづめでした。一人一人の事を真剣に考え、派遣じゃなく正社員になれるよう、熱心に会社へも頼み込んで・・・感謝されることは多かったですが、恨みを買うような事など・・・。」
奥さんは、生前の佐原氏を思い出し、涙を浮かべている。
「それ以前の事は?」
一樹が訊く。
「若い頃、御実家が破産して苦労した。いろんな仕事をしてきたから、今がある。誰でも役に立てるところはあるはずだというのが口癖でしたから・・・。東京の大学に行っていたけど、学費は払えなくなって、あちこち転々として働いたとしか聞いていません。」
「どこにいたとかは?」
「いえ・・あまり、その頃のことは話したがりませんでした。苦労話なんか聞かせたくないとも・・。」
一樹と亜美は少し落胆した表情を浮かべていた。
「あの・・ここ2ヶ月くらいの間に、何か変わったことはありませんでしたか?」
一樹が訊く。
奥さんは少し考えてから、答えた。
「そう言えば、何だか、夜遅くに戻ってきて、深刻な顔をしていた事はありました。」
「いつごろでしょう?」
「・・確か・・2か月くらい前・・そうそう、『今日は早く帰れるから、家族で食事に行こうか。』と上機嫌で出がけに言っていたのに、結局、夕方、予定が変わったからと携帯にメールがあったんです。」
奥さんはそう言うと、携帯を取り出して、メールを開いて見せた。
「その予定というのは何かは・・。」
一樹が訊いたが、奥さんは頭を横に振った。
「理由を聞こうと待っていたんですが、何だか凄く深刻は表情で帰ってきて、何も言わず、書斎には居てちきました。理由など、とても聞ける雰囲気じゃありませんでした。」
「他には?」
「一度、上村さんという方から連絡がありました。休みの日で、主人が携帯を置いたままだったみたいで、私が代わりに出たんです。不在だと告げると、何も言わず切れました。ちょっと、怖い声でした。」
一樹と亜美は、上村の名が出た事で確信を得た。やはり、上村と佐原は同じ秘密を抱えている。
「あの・・この人は訪ねてきませんでしたか?」
一樹は、下川医師の写真を見せた。
「あら、この方は、下川先生でしょ?存じ上げていますよ。主人の入院も、先生から勧められたんです。」
「下川医師と佐原氏は懇意だったのでしょうか?」
一樹が訊く。
「懇意って言われても・・・会社の健康診断は神林病院でしたから、主人もその関係で知っているのだと思いますが・・それ以上の関係だったかどうかまでは・・・。」
これ以上の事は、訊き出せないような感じだった。
「あの・・御主人の書斎を見せていただけないでしょうか?何かのヒントがないかと思いまして・・・」
一樹が遠慮がちに言うと、奥さんは、快く了解した。
佐原氏の書斎は、2階の北側の3畳ほどの狭い部屋だった。会社関係の書類が整然と書棚に収まっている。
「古いものはどこかにしまわれているんでしょうか?」と亜美が尋ねる。
「いえ・・この家を新築した時、古いものは全て処分しました。持っていても仕方がないからと・・。」
奥さんの言葉を聞きながら、一樹は注意深く書棚周りを探っている。
確かに、書棚の中には、比較的新しい本が並んでいる。几帳面な性格だったのか、大きさも揃っていて、整然としている。よく見ると、書棚の下に小さな引き出しがあった。小物入れ程度の大きさで、開けてみると、デニム生地の古びた布袋が一つ入っていた。

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1-23 秘書 安永 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「奥さん、これは?」といって一樹が手に取った。
「あっ・・それは・・主人のお守りです。」
「お守り?」
一見、そんなものとは思えなかった。
「ええ、そう話してくれたことがありました。お守りというか、戒めのようなものだとも言っていました。」
「戒め?」
一樹はそう言うと、袋をゆっくり開け、中を覗いた。袋の中には、透明の小袋に入った黄色い飴玉があった。
「これは何でしょう?少し、お借りしていいでしょうか?」
奥さんは同意した。

「お守りが飴玉ってどういう事だろう?」
一樹は車に戻ると、預かったお守り袋を眺めながら、呟いた。
「良く見せて。」といって、亜美は一樹から『お守り袋』を取り上げると、丹念に調べる。
「かなり古いものみたいね。それに、こんな飴玉見たことないもの。」
そう言って一樹に返した。
「鑑識の川越に調べてもらおう。何かわかるかもしれない。」
一樹はそう言うと、車を急発進させた。
橋川署へ一旦戻った一樹は、鑑識の川越に、『お守り袋』を渡しながら言った。
「川越君、済まないが、これを調べてくれないか?佐原氏のお守り袋らしいんだが・・」
川越は袋を大事そうに受け取る。
「中に、飴玉が一つ入っている。・・見たところ、随分古い物のようなんだが・・何か引っかかるんだ。」
「わかりました。どこで作られたものか調べてみます。佐原氏の過去につながるヒントがあるかもしれませんね。」
「ああ・・頼む。」

そこへ、鳥山課長から、秘書への事情聴取をもう一度行うよう指示が出た。上村氏の遺体がなかなか発見されない状況から、鳥山課長は本当に自殺だったか疑問を抱いているようだった。
すぐに、一樹と亜美は豊城市の上村氏の自宅へ向かった。
上村氏の捜索は続いていた。現地には、鳥山課長は赴き、状況を逐一、橋川署へ知らせていた。
水量が多い時期のため、捜索範囲を広げ、豊城市から橋川市の境に当たる下流にまで及んでいる。
鳥山課長から事情聴取の要請は届いているようで、一樹と亜美は上村氏の自宅に着くとすぐに中に案内された。
広いリビングルームの真ん中には大きなソファが置かれていて、秘書の安永は、疲れ切った様子で座っていた。
「すみません。お疲れのところ。もう一度、お話を伺いに参りました。」
一樹は丁寧な口調で切り出した。
「もう何度もお話しています・・いい加減にしてもらえませんか。・・疲れているんですよ。先生が亡くなったと聞きつけた支持者からひっきりなしに問い合わせがあって大変なんです。ついさっきも後援会長からも今後の事を相談しようと・・ですが、まだ、先生のご遺体も見つかっていないんです。それどころじゃあない。皆、自分の事しか考えていない。」
安永は、一樹と亜美に話すというより、愚痴のように呟いている。
「本当に申し訳ありません。もう一度、朝からの行動をお願いします。」
安永は、豊城署でまとめた経過と寸分たがわぬ説明をした。
「病院から自宅までは、安永さんの運転ですね。」
「ええ・・運転手兼秘書のようなものですから。」
「ご自宅に戻られた時、奥様や家政婦の方はいらっしゃらなかったんでしょうか。」
「ええ・・奥様は確か、お花の教室だったと思います。家政婦は買い物に出ていたと聞きました。」
「その後、あなたは、私用で1時間ほどいらっしゃらなかったという事ですが・・どこに?」
「あの・・何か私は疑われるような立場なのでしょうか?」
安永は少し不満そうな表情だった。
「そういうわけではありません。一応、豊城署の調書の再確認のためです。気分を害されたのなら謝ります。」
「実は、以前から胃の具合が悪く、薬局へ薬を取りに行ったんです。ただ、ちょうど昼休みの時間らしく、待たされてしまったんです。すぐに戻る予定だったんですが。」
安永はそう言って、カバンの中から薬袋を取り出して見せた。
「戻ってくると上村氏が不在だったという事ですね。」
「ええ・・お車がなかったので・・ただ、先生は何の連絡もなく、外出されることは、これまで一度もありませんでしたから、少し心配になりまして・・・携帯に連絡してもお出になりませんし・・ちょうどそこへ、に家政婦が戻って来ましたので、一緒に、周辺を探すことにしたんです。」
「大の大人が外出くらい・・普通にあるんじゃないんですか?」
亜美が少し不思議に感じて尋ねた。
「ええ、散歩なら別に構わないんですが・・お車がなかったので。」
「立派な外車をお持ちなんですから、ドライブをされても不思議じゃないでしょう?」
今度は一樹が訊く。
「いえ、先生は、ほとんど運転なさいません。・・若い頃、交通事故に遭われたようで・・たいていは、私が運転手をしておりました。」
「事故?加害事故ですか?」
「詳しくは存じません。先生はその事故についてお話になりたくないようでしたから。」
「その事故が、自殺と関係があるという事は?」
「いえ、それはどうでしょう。少なくとも、私が秘書になってから、交通事故の事は、全く話題にもなっていませんでしたし、何かトラブルになるようなことはなかったと思います。」
「そうですか・・。では、あなたが、豊城公園で上村氏の車を発見したのは何か気になることがあったからでしょうか?自宅からは離れていますし、何か特別な理由でも・・・。」
一樹が訊いた。
「ああ・・それは・・・先生は、あの公園の展望台がお好きだったからです。豊城川の流れと眼下に広がる街並み、あの場所に立つと、議員としてもっと働かなければいけないと思わせてくれるとお話されたことがあって、議会の前や大事な仕事の前には立ち寄られていました。もしかしたら、何か、考え事でもされているのではないかと思ったんです。」
安永の説明は、ある程度、納得できるものだった。3/30

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1-24 遺体発見 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

「・・実のところ、橋川署では、今回の上村氏の自殺は、佐原氏の自殺と関連があると見て、豊城署は別に捜査を進めているんです。」
一樹は安永に佐原氏の事件との関係についてぶつけてみることにした。何らかの関係、ヒントが拾えるのではないかと考えていた。
「佐原氏?」
安永は、何の事だか訳が分からない様子で答えた。
「ご存じありませんか?上村さんが検査入院される予定だった、神林病院で自殺があったんです。新聞でも報道されていましたから、てっきり、ご存知かと・・、。」
亜美が疑いのまなざしで言った。
「ああ、あの事件の事ですか・・すみません。豊城市で起きた事なら押さえておくんですが・・・橋川市のことは余り・・。」
安永は少し曖昧な言い方をした。
「上村さんが遺した遺書と、佐原さんが遺した遺書の文面が全く同じだったのです。偶然というのは考えにくい。何かの関連があると考えています。何か、お心当たりの事はありませんか?」
亜美が再び尋ねる。安永は厳しい表情を浮かべて答える。
「先生は、クリーンな豊城市を作るため、身を粉にして奔走されていました。いまだに自殺されるなんて信じ難いのです。もっともっと市民のために働きたいと願っておられたんですから。」
「では、遺書に合った罪を清算するなどという事は・・。」
「罪など・・先生に限ってそのような事は・・まあ、悪を正して逆恨みということはあったでしょうが…。」
「では・・殺された可能性はあるという事でしょうか?」
一樹が訊く。
「いえ・・それは一つの例えです。この田舎町で、そこまでの事は・・・」
「では、なぜ自殺を?」
「わかりません。秘書の私でも先生の心の中まで・・・」
「プライベートで何かトラブルを抱えていたとか・・女性問題とか・・。」と亜美。
「いえ、先生はそういう方ではありません。・・・あの・・もういいでしょうか?」
安永はうんざりした表情を浮かべながら言う。
「最後に一つだけ。・・2か月ほど前、上村氏が、ヴェルデという店に行かれたのはご存知ですか?そこで、佐原氏と会っていたようなんですが、何かお聞きになっていらっしゃいませんか?」
一樹が訊くと、安永は、上着のポケットから手帳を取り出し、カレンダーを確認した。
「2か月ほど前ですか・・ああ、その頃、議会も休みで、私は、先生の指示で2週間ほど、東京へ。その間の先生の行動は判りません。戻ってきてからも、先生から佐原氏の名前をお聞きした覚えもありません。」
「そうですか。」
ちょうどそこへ、上村氏の遺体が発見されたとの連絡が入った。
上村氏の遺体は、投身自殺を図ったとされる場所から2kmほど下流にある、豊城川にかかる高速道路の高架橋の下で発見された。
新設された高速道路の太い橋脚が、豊城川の流れを変え、以前にはなかった場所に淵ができていて、上村氏の遺体はその水中深くで、見つかった。遺体はすぐ近くの河原へ引き上げられた。

「激しい流れのせいで、遺体の損傷が激しいようですね。」
合同捜査となったことで、橋川署の鑑識、川越もやってきていた。鳥山課長も立ち会っていた。
「詳しく司法解剖してみないと判らないでしょうが、今のところ、他殺と思えるような所見はありません。」
「やはり、自殺という事になるか・・。一応、身元を確認してもらおう。」
一樹と亜美は、秘書の安永を連れて現場に到着した。
本来、遺体の確認は身内が行うのだが、上村氏の夫人は、自殺と知ってから精神不安定で自室に閉じこもってしまっていて、医師からも見合わせる様にとの指示が出ていた。
「長い時間、水中にありましたから、人相は変っていますが、判りますか?」
鳥山が安永に尋ねる。
安永は、遺体を一目見て、表情も変えずに、上村氏本人だと認めた。
遺体はすぐに司法解剖に回された。

「何だか、あっさりしているな・・。」
引き揚げていく安永の背中を見ながら、一樹が言った。
「そうね・・長年、秘書として仕えてきたわけだから、涙の一つも流すべきじゃないかしらね。」
「ああ・・それに、あれだけ変わり果てた姿だ。万一にも他人という事だってあるかもしれない。自殺の原因が判らないと言っていた割にはすぐに認めるのも何か引っかかるな・・。」
「上村氏の死を既に分かっていたような感じだったわね。」
「そうだな・・まあ、発見まで時間が掛かったというのもあるだろうが・・・。」
二人は囁くように会話をしていると、鳥山課長が声を掛けた。
「おい、何か情報はつかめたか?」
「いえ・・特に目新しい事は・・・ただ、病院から帰宅して自殺現場の発見までの間、上村氏の動きを確認できているのは安永秘書だけというのは気になります。」
「安永秘書が上村氏を殺したことも考えられるということか?」
鳥山が訊く。
「いえ・・そこまでは・・ただ、結局、上村氏が自殺に至る原因や経緯、自宅からの足取り等は全くわかっていないわけですから・・例えば、誰かが上村氏を連れだしたとか、あの展望台へ呼びつけて殺害したという可能性が否定できない。自殺の証拠も、遺書だけというのも・・佐原氏の場合は、目撃者や監視カメラ映像があって、自分で屋上の柵を超えたのは確認できました。上村氏の場合、何も証明できていない。これでは、自殺と断定はできないでしょう。」
一樹が引っ掛かっている事は亜美も同様だった。
「それに自殺の動機が判らない。これは佐原氏とも共通しますが・・・二人の接点をもっと明確にしないと・・それと、下川医師の関係が気になります。」
一樹は続ける。
「佐原氏と上村氏の周辺から、二人の過去をもっと詳しく調べるしかないな・・。」
鳥山課長が言った。
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1-25 情報収集 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

橋川署では、佐原氏と上原氏の自殺は、遺書の文面から見て関連性が高いと判断し、情報収集を続けた。
佐原氏と上村氏、そして、下川氏は高校の同級生であり、大学時代にも東京にいて交流があったのは確実だった。そして、その頃、何か重大な秘密を抱えてしまったと見立て、とにかく、大学時代に絞って情報を集めることにした。
すでに、森田と松山は北海道に行き、佐原氏を訪ねてきた若い男を特定することに注力した。
一樹と亜美は、佐原氏と上村氏がヴェルデであっていたことが確実であり、それを裏付け、そこから自殺への動機を探ることにした。
鳥山課長は、豊城市との合同捜査本部に入り、豊城署の捜査員の情報を入手し、橋川署の情報と突き合わせがら、二つの事件の全体像を整理した。しかし、これといった進展はなかった。

「みんな、興味深い話が出てきたぞ。」
そう言って、合同捜査本部に入ってきたのは、鳥山課長だった。
「上村氏は学生時代に株投資会社を作ったことがあるそうだ。」
「株投資会社?」
一樹が訊く。
「ああ・・あの頃、バブル景気の中で、大学生が会社を作るのが流行っていた。上村氏も仲間たちと会社を作ったようだが、すぐに、バブル崩壊で大損して破綻、借金だけが残ったらしい。」
「その情報はどこで?」
「豊城署でな、上村氏自殺と知って、地元の建設会社の社長がいろいろと話してくれたようだ。どうも、議員だった頃は、変に上村氏を刺激すると、何かと面倒だとかで、皆、口を噤んでいたようだが・・居なくなったと知って手のひらを反すように、いろいろとスキャンダル話をしているんだ。・・いちおう、裏は取れてる。」
「借金はどれくらい?」
「1億円近くの大金だ。だが、卒業後に完済している。どこで金を作ったのかは判らない。実家は寺だそうだが・・それほどの大金を用立てることは無理だろう。何か、危ない仕事に手を出した可能性はある。」
「その借金をネタに誰かに強請られたという事でしょうか?」
一樹が訊く。
「いや・・それはないだろう。一応、完済しているわけだし、学生が会社を作って倒産するなんてのは、あの頃はそれほど珍しい話じゃない。僅かな元手で会社が作れた時代だったからな。それよりも、何処でその金を工面したか、その方が問題だろう。」
鳥山課長が答えると、矢継ぎ早に一樹が言った。
「それに、佐原氏が関係しているという事は?」
「いや、そのころ、佐原氏は大学を辞めていて、東京には居なかったはずだ。とても、関係しているとは思えないが・・」
鳥山は否定するように言った。
「確か、佐原氏も実家の倒産で借金があるにもかかわらず、墓の永代供養で、量円寺に大金を寄付しています。同じころじゃないでしょうか?そうなら、その金の出処は同じと考えても不思議じゃない。」
「そうか・・何かの方法で大金を稼いだ。そして、佐原氏も上村氏も借金を抱えていた。二人で何かの悪事を働いて、大金を稼いだという事か。そしてその恨みを抱いた人物が二人を脅したという事か。一応話は繋がるが・・。しかし、20年以上昔の事だ。それにそれほどの大金が絡んだ事件であれば、捜査もされているはずだからな・・・」
鳥山課長は推測の域を出ないことを悔しがるように言った。
「森田と松山が北海道で何か掴んでくれると良いんですが・・。」
一樹は一縷の望みを託すように言った。

そこに、タイミングよく、森田から電話連絡が入った。
『佐原氏を訪ねてきたのは、特定できませんでした。もう20年以上前のことで、当時の工事関係者もかなり高齢で、若い頃の上村氏の写真を見せたんですが、判らないようです。もう少し粘ってみます。』
「わかった。・・ああ、それと、大金が絡んだ事件が起きていないか、調べてみてくれ。」
電話口で鳥山が言った。
『大金が絡んだ事件ですか?』
「ああ、佐原氏を訪ねて行ったのが上村氏だとすると、借金返済のための金普請、あるいは、大金稼ぎの話を持ち掛けた可能性がある。90年ごろ、そっちで何か大金が絡んだ事件や事故が起きていないか、調べてみてくれ。」
『判りました。・・ああ、それと、言い忘れていました。・・佐原氏を訪ねてきたのは一人じゃなかったようです。会社に顔を出したのは一人なんですが、どうも、車の中にもう一人居たようです。』
「もう一人?」
『ええ、それは当時、作業員だった人物から聞きました。昼休みで事務所に戻った時、妙な車が出入り口に留まっていたんで覚えていたようです。シートを倒して、タオルを顔にかけて寝ていたそうです。」
「じゃあ、男二人が佐原氏を訪ねたということか・・上村、下川の二人の可能性が強いな。」
そう言いながら鳥山は一樹をちらっと見た。
話を聞きながら、一樹も頷いた。
『それと、車はどちらかの男の持ち物だったようです。ちょっと古い外車で・・真っ赤な車体で、ええっと・・そう、シボレーとかいう車らしいです。あの頃、あまり見かけない車で、珍しくて覚えていたようで、』
「赤いシボレーか・・判った。その線で、上村氏と繋がらないか、調べてみよう。引き続き、頼む。」
そう言って、電話を切ると、鳥山が一樹と亜美に向かって言った。
「やはり、北海道に尋ねて行ったのは上村氏と下川氏の可能性が高いな。・・・車の件は俺が調べてみよう。上村氏のものなら、例の建設会社の社長の線から何か出てくるかもしれない。お前たちは、一刻も下川氏に話を聞いてくるんだ。札幌に尋ねて行ったことが確認できれば、きっと話が繋がる。」
それを聞いて、亜美が鳥山に言った。
「あの・・課長・・もし、佐原氏、上村氏、下川氏の3人が一緒に大金を稼いだとしたら、下川氏も命の危険があるとは言えないでしょうか。」
「ああ、大いに考えられる。あるいは、下川氏が自殺教唆の実行犯とも考えられる。いずれにしても、重要人物に違いない。早く話を聞いてこい。」
鳥山の言葉に二人は部屋を飛び出していった。
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1-26 下川医師の行方 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

二人はまっすぐ、神林病院の医事課へ向かった。
先日、下川医師の件で問い合わせた医事課長がすぐに対応した。
「下川先生は、学会に出席されていましたよ。確か、昨日にはこちらへ戻っておられるはずですが・・。」
先日に比べて、医事課長はやや丁寧だった。
「今日は出勤でしょうか?」
亜美が訊く。
「ええ、それが、出勤の予定で、外来シフトに入っていたんですが、時間になってもお見えにならないんです。携帯も繋がらなくて・・。」
医事課長は少し戸惑った表示で答える。
「行方不明という事ですか?」と亜美。
「いえ・・まだ、半日ですので、ひょっとしたら、出張の疲れで体調が優れないのかと・・。」
「ご自宅はどちらでしょう?」
「ええ、それが、姿が見えないので一応、職員が自宅に言ったんですが、お留守でして・・それに、先生の車は院内の駐車場にありまして・・こちらに出勤されてはいる様なんです。その後、どちらにいらっしゃるかが判らないんです。」
話を聞けば聞くほど、危機管理ができていないのが露見してくる。
「病院内は探されたんですよね。」
亜美はやや強い口調で尋ねる。
「研究室や病棟などには、先生がいらっしゃったら、すぐに医事課へ連絡するよう伝言しております。」
「連絡待ち?信じられない!」
亜美はかなり怒っている。
「すみません。すぐに、手分けして院内を探します。」
医事課長は亜美の剣幕に驚いて、慌てて部下に指図し始めた。医事課の職員数名が慌てて席を立ち、部屋から出て行った。
一樹と亜美も、病院内を回り、下川医師を探した。
その様子は、新道レイの耳にも入った。

コミュニティルームのある階のエレベーターホールで、レイは一樹と亜美を見つけた。
「下川先生の行方が掴めないようですね。」
レイは、事態に対してどういう風に切り出してよいものか迷いつつ声を掛けた。下川医師は自らの病院の意思であり、院長として監督する責任がある。行方が判らない事は自らの責任なのだが、一人一人の意思の行動をすべて把握しているわけもなく、どこか主体であることに実感が伴わない。それではいけないはずだが、やはり、どうにもならない。そういう感情を亜美もすぐに察知した。
「レイさん・・。」
亜美もどこかぎこちなく返答するしかなかった。
「亜美、俺は下川氏を探してくる。レイさんに少しこれまでの経過を説明しておいてくれ。」
一樹はそう言うと、エレベーターに乗った。
一樹の声はレイにも聞こえた。
二人はコミュニティルームの一番奥の席に座った。
「上村氏が自殺されて遺体が見つかったの。佐原氏の同じ文面の遺書を残していたので、二つの自殺に関連があると見て調べているの。思念波の事もあるから、誰かが恨みを晴らすために二人を追い詰めたとみているわ。」
亜美の話に、レイは悲痛な表情を浮かべている。
「下川先生と佐原氏と上村氏は、高校時代からの友人で、大学進学後も交流はあったみたいなの。二人の自殺について、下川氏が何かご存じなんじゃないかと思って、もう一度、話を伺いたくて・・。」
レイはじっと亜美の話を聞いている。
「医事課長から先ほど連絡を受けました。下川先生の所在が判らないと。これまで、下川先生は無断で休まれること等ありませんでした。いや、むしろ、休みの日でも研究室にいらっしゃるような方でした。所在が分からないなんて信じられません。」
レイが口を開く。
「もしかしたら、下川氏も狙われているのではないかと考えているんです。」
「亜美の話にレイは驚いた。
「そんな・・命を狙われるような事が・・そんな・・。」
「あの、下川氏はどのような経緯でこちらの病院へ?」
亜美は刑事らしく質問する。
「詳しい経緯は判りませんが、医事課からの説明では、この病院を立て直すために、いろいろ手を尽くして意思を探していて、紹介があったのだと聞いています。この周囲の総合病院や大学病院へ意思紹介のお願いをしている中の事だったはずです。確か、静岡の大学病院から地元へ帰る希望があったと覚えています。経歴も問題はなく、静岡の大学病院からの紹介状もありました。内科医としての評価も高かったはずです。」
「そう・・・。」
「副院長の君原先生も、静岡の大学病院の知り合いの先生から、下川先生の事をお聞きになって、内科医として問題のない人物だと太鼓判を押していただいたはずです。ですから、すぐに来ていただきようにしたんです。」
「そう・・・では、佐原氏や上村氏との関係については?」
「いえ、特に聞いたことはありません。地元に戻ってきたから知り合いが多いのは当然だと思いますが、下川先生は余りそいういう事を持ち出されるような人ではありませんでした。」
「たしか、看護師も一人、同じ静岡の大学病院からいらしてますよね。」
「ええ・・それは、下川先生からの紹介でした。」
「二人が特別な関係だとかそういう事は?」
「いえ、確か、御主人を亡くされたとかで、環境を変えることで元気づけたいとは聞きましたが、特別な関係ではないはずです。そんな噂もありませんし、勤務態度もまじめですから。」
「何か、下川先生に関して気になる事はありませんでしたか?」
亜美の質問に、レイはどう答えてよいのか判らなかった。内科部長として勤務態度もまじめで、患者からの評価も悪くない、同僚の医師からも特に問題がある様な訴えもなく、むしろ、癖のある医師が多い中で、温厚で真面目で、裏表のあるような人間でもなかった。私生活までは知らないが、トラブルを抱えているという情報も聞いていない。
「判りません。内科部長としての職務もちゃんと果たしていただいていました。」
レイの答えは、亜美にも予想は付いていた。
自分も初めて事情聴取した時、研究室の他の医師に比べて、人当たりも良く、横柄な態度をとることもなく、むしろ信頼できると思える人物に感じていたからだった。
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1-27 三度目の思念波 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

ふと、亜美は思いついた。
佐原氏も、上村氏も、下川氏も、いずれも周囲からの評価は悪くない。むしろ、善人の部類に入ることが共通している。社長や議員や医師という社会的にも比較的高いポジションにも居る。問題を抱えているという情報もほとんど上がっていない。なにか、そのことが重要な共通項のように思えてきた。そして、それは、過去に犯した罪を悔い改めて、生き直そうと決意した結果なのではないかとも感じていた。
「では・・」と亜美が切り出そうとした時、目の前のレイが急に頭を抱えた。亜美は、昔、レイにあった時、同じような光景を見たことを思い出していた。
「うう・・・。」
レイは随分苦しそうな表情を浮かべている。
「レイさん、大丈夫?」
そっと肩に手を置き声を掛ける。
「感じる・・思念波を・・酷い苦しみの色・・・。」
レイが小さな声で答える。
そこへ、一樹が戻ってきた。
「一樹!レイさんが・・・。」
亜美は一樹を呼ぶ。
「レイ!」
レイは、そのまま、机にうつ伏して気を失ってしまった。一樹はレイを抱え上げ、「亜美、院長室へ連れて行こう」と言ってエレベーターホールへ向かった。

院長室に入ると、一樹はレイをソファに横たえさせた。
「酷い苦しみの色を感じるって・・・。」
亜美は横たわったレイの脇に座り、レイの手を握っていた。
「思念波はかなり強かったんだろうな・・・。また、辛い思いをするようになるのかな・・・。」
一樹は向かいのソファに座り、レイの顔を見ている。初めてレイに会った時、幼気な少女のように見えたのを思い出していた。突然、署に現れ、事件が起きていると訴えた時、意味が解らず、しばらくは信用できなかった。だが、いくつかの事件を経て、それは、決して彼女が望んで得た能力ではなく、むしろ、その能力のために苦しんできたこと、そして、そのために途轍もなく残酷な事件が起きた事。ほんの数年前の事だが遥か遠くに感じていた。そして、思念波を感じる能力は失われたと思っていた。
暫くすると、レイが目を覚ました。
「すみません。」
そう言って、レイが身を起こす。
「大丈夫か?」
一樹は、それしか、声が掛けられなかった。
「ええ・・もう大丈夫です。」
「恨みの思念波だったの?」
亜美が訊く。
「ええ・・きっとそう。前に感じたものと同じでした。ただ、気のせいかもしれないけど、何か少しずつ、強くなっている様な・・・うまく言えないけれど・・・悲しみから恨みのようなものに変わってきている様な気がするの。・・・そして、少女から大人の女性に・・・こんなことは初めて・・。」
レイは思い出すようにゆっくりと話す。
「自殺に追い込んで復讐を遂げたのなら、徐々に弱まってもおかしくないよな。」
一樹が訊く。
「判らない・・自殺と思念波が本当に関係しているのか・・何か違うような気がする・・」
レイが答える。
「でも、佐原氏の時は、ほぼ同時にそれを感じたわけよね。」
「ええ」
「でも、上村氏の時はズレてる。今回の思念波は、まだ、何も起きていない。・・そうか・・恨みを晴らすこととはつながっていないかもしれないか・・・。」
一樹と亜美はますます混乱してきた。
これまでの捜査でも、自殺との直接的な情報はほとんどなく、周辺情報ばかりで、調べても自殺から遠ざかるような情報ばかりだった。思念波も、まったく別のものを示しているように感じられた。
「いったい何が起きているんだろう・・。」
事件の捜査は進展しているというより、混乱の渦の中にどんどんはまり込んでいるような気がしてきた。

「でも、病院の中に、強い恨みを持つ人物がいるのは確かね。そして、それは佐原氏の自殺との関係ははっきりしている。上村氏や下川氏との関係も重要でしょうけど、もう一度、佐原氏の自殺の件に戻ってみた方が良いんじゃないかしら。」
亜美が切り出した。
「確かに、まずそれをはっきりさせた方が良さそうだ。」
一樹が立ちあがった時、レイが言った。
「あの、一つお願いがあるんです。佐原さんが自殺を図った場所へ一緒に行ってもらえませんか?もしかしたら、今感じた思念波の波長で、何かわかるかもしれません。」
「構わないが・・レイさんは大丈夫か?」
「ええ・・これは私の病院で起きた事件ですから・・責任があります。もし、院内の職員がかかわっているなら、当然責任を取らなければなりません。私にできることをしっかりやりたいんです。」
レイの決意は一樹も亜美も理解できた。
すぐに、亜美は、署長に連絡をした。電話口では、署長の戸惑う声が聞こえたが、亜美は半ば強引に説得した。
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1-28 屋上 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

下川医師の行方は依然つかめていなかった。診療時間が終わったところで看護師たちも加わって院内を細かく探し始めていた。
一樹を亜美はレイを伴って、病院の屋上へ行った。屋上の現場は、事故後、しばらくの間、規制線が張られていたが、現場検証も終わり、今はすっかり以前の状態に戻っていた。
「この扉から、まっすぐ、佐原氏は歩いて、自ら金網を乗り越え、落下した。屋上の監視カメラの映像はそうなっていた。」
一樹は、屋上の真ん中に立って、監視カメラと金網を指さしながら説明した。
レイは、扉の上にある監視カメラの真下に立って、一樹の説明を聞いた。
亜美は、レイの傍に立っていた。レイは、先ほど感じた思念波の波長を頭に浮かべながら、そっと目を閉じた。
ドクンと心臓が鳴った。そして、頭の中が、強い思念波で揺さぶられるような感覚になる。立っていられないほど、何かに押しつぶされそうな感覚だった。蹲る。亜美が駆け寄り、肩を抱く。
「大丈夫?」
そう声を掛けた亜美も、レイの体を通じて、強い思念波を受け取った。気持ち悪くなるような、頭の中がぐるぐると回る、途轍もない感覚だった。
「止めるんだ!」
一樹が二人の肩を揺さぶり、正気に戻そうとする。三人がばたりと倒れ込んだ。
暫くして、レイが目を開けた。ほぼ同時に、亜美も目を開けた。
「二人とも大丈夫か?」
レイも亜美も小さく頷いた。
「何・・あれは・・真っ赤な炎・・血飛沫・・怖い・・。」
亜美は言葉にならない。レイは深呼吸してから口を開いた。
「おそらく、あれは恨みの元の光景。」
「放火殺人・・という事か?」
一樹が訊く。
「そして、恨みを抱いているのは、女性。きっと子どもの頃、そんな目に遭ったのよ。」
レイが言う。
「子どもの頃、放火殺人に巻き込まれた。そしてその犯人が佐原氏だという事か?」
「直接的な犯人かどうかは判らないけど、何か関係している事は確かでしょう。」
レイの言葉に亜美がようやく正気を取り戻したようだった。
「ものすごく残酷な光景よ。子どもがあの中に居たのなら、正気を失うわ。酷い・・。」
亜美は涙を流している。
「そして、その女性は、あの場所に立っていた。佐原氏が自殺するのを見届けるように。」
レイは冷静に答える。
「誰かは判らないか?」
「いえ・・そこまでは・・ただ、おそらく、看護師でしょうね。」
レイは悲しげに答えた。

一樹と亜美は、レイとともに院内へ戻った。
院長室に戻ると、署長がレイの母ルイとともに待っていた。
「レイ、大丈夫?」
声を掛けたのはルイだった。ルイも同じ時刻に強い思念波を感じたため、紀藤に連絡をしていた。レイが屋上で思念波を使って現場を確認している事を知り、心配になって駆け付けたのだった。
「ええ・・もう大丈夫よ。お母さんも感じたんでしょう?」
「ええ、そうなの。また、悲しい事件が起きるんじゃないかと思って紀藤さんに連絡をしたの。」
レイが感じた思念波は間違いないものだった。
「それで、屋上ではどうだった?」
紀藤署長が訊く。
屋上での事を全て一樹が説明した。
「そうか・・やはり、佐原氏は自殺教唆で間違いなさそうだな。で、その女性は特定できそうか?」
「いえ・・そこまでは・・それに、思念波を感じたとしても、それは自殺教唆を立証できるものではありません。やはり、あの場所に確かに人がいたと立証しないことには・・」
「そうだな。」
紀藤は、そう言うと、腕組みして溜息をついた。
しばらく沈黙が続いてあと、レイが口を開いた。
「上村さんが自殺した場所へ連れて行ってもらえませんか?」
亜美が驚いて「あんなに苦しい思いをするのよ。止めた方が良いわ。」と反対した。
「気になることがあるんです。」
レイが言うと、ルイも頷いた。
「佐原さんの自殺の時も、その後の二度も、病院の中で思念波を感じたんです。恨みを抱いている人は、この病院の中にいるのは間違いありません。でも、上村さんは豊城川で自殺をされたんでしょう?もし、その人が佐原さんと同じように自殺を迫ったとしたら、病院の中で感じるなんておかしいんです。」
「では、上村さんの自殺は別の誰かが関与しているという事か?」
一樹が訊いた。
「判りません。だから、その場所に行けば、何かわかると思うんです。」
レイはきっぱりと言った。
「いや・・その恨みを持つ女性だけで、佐原氏を自殺に追い込んだと決めつけるのはどうだろう。誰かが協力しているという事もある。・そうだ、下川医師とこの病院の看護師の誰かが協力しているという事も考えられる。」
一樹が言うと、亜美が言った。
「でも、下川医師は学会で不在だった。上村氏の自殺には関係していないと考えるべきじゃないかしら。」
「そうだな・・・いまだに行方知れずというのも気がかりだしな。」
一樹はため息をつくように言った。
「判った。矢沢と亜美は、レイさんを豊城の現場へ案内してくれ。片時も傍を離れず注意するように。とにかく、無理だけはしないように、判ったな。」
そう言ったのは、紀藤署長だった。
「いいかな、ルイさん。辛い思いをするのは避けたいが、これ以上の犠牲を出さない事も大事だ。」
ルイは紀藤の言葉を受け入れた。
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1-29 牛洗いの滝 [同調(シンクロ)Ⅱ-恨みの色-]

翌日には、レイを伴って、一樹と亜美は豊城の現場へ向かった。遺体が発見されたことから、自殺を図った現場はすでに規制線は撤去され、普段通りに立ち入ることができた。
「ここから上村氏は豊城川へ身を投げたらしい。そこの足元に、上着と遺書が置かれていたようだ。いずれも秘書の安永氏の供述の範囲なんだが・・。」
一樹はそう説明しながら、レイを誘導する。
亜美はレイの腕を組み、ゆっくりと現場へ進んだ。
レイは、上村氏が身を投げたと推定される場所に立ち、思念波を感じるため、目を閉じる。
亜美はレイの様子を注意深く見守った。
レイは一心に、僅かに残っている思念波を捉えようとしている。一分ほどが過ぎた時、目を開けて言った。
「だめ。・・この場所には何も感じない・・本当にここなの?・・」
「時間が経っているからじゃないか?」
一樹が問うが、レイが首を横に振った。
「上村さんがここで身を投げたのなら、何かの痕跡は感じるはず。落ちていく恐怖とか、無念さとか、でも全く感じない。・・それに、病院で感じた思念波は全く感じられない。」
「ここが現場じゃないっていうことになると・・・。」
一樹が考える。
「レイさん、ここじゃないなら、この近くに何か感じないの?」
亜美が訊く。
レイは、亜美の言葉を聞き、豊城川の流れに視線を落とした。ゆったりとした流れ、レイは下流から上流へ支援を向ける。そして、僅かに残っているはずの思念波を再び捉えようとしていた。
「・・ああ・・あの先・・あのあたり・・・。」
レイは、そう言って上流を指さした。
そこには、牛洗いの滝と呼ばれる小さな滝があった。
「あのあたりに思念波を感じるわ。きっとあそこに何かあるわ。」

一樹たちはすぐにレイの指さす先へ向かう事にした。
牛洗いの滝は、幅が10メートルほどで落差は5メートル程度の小さな滝だった。県道脇に豊城川へ降りる小道があるが、舗道はなく、川岸をつたって辿り着く場所だった。
川岸に出ると、レイの様子が変わった。しきりに頭を抱えるようになり、次第に、目も開けていられない様になった。そして、ついにふらつき始める。
「これ以上は無理だ。」
一樹が足を止めると、レイはその場で蹲ってしまった。
「ここ・・この場所で・・何かあったみたい。・・強い恨みを感じるわ。・・」
レイは、地面に手を当て、思念波を感じ続けている。
「同じ女性なの?」と亜美が訊く。
「いえ・・違うわ。・・これは・・あの女性のものとは違う・・もっと邪悪な強い念を感じる・・。」
そう言うと、レイはそのまま気を失ってしまった。
一樹はレイを抱え、県道わきに止めた車に戻り、レイを助手席に乗せて休ませた。
「亜美、レイさんが目を覚ますまで傍に居てやれ。俺はもうもう一度現場を見てくる。」
一樹はそう言い残すと、再び、牛洗いの滝へ戻ってみた。

「この辺りだったな・・。」
一樹はそう言いながら、川岸を注意深く見て回った。滝までは比較的歩きやすい岩場は続いている。見上げると、豊城公園の展望台がわずかに見える。
「あの日は前日の雨で増水していたはずだ。この岩場は・・」と言いながら、下を流れる川面を覗き込んでみた。岩の僅か下あたりに増水した時に着いたと思われる跡が見える。
「増水していても、ここは渡れるようだな。・・レイが言った通り、ここで上村氏と誰かが諍い、上村氏を突き落としたとしたらどうだろう。」
そう言いながら、川面を眺めていると、上流から倒木が1本流れてきた。そのまま、見ていると、倒木は流れに乗り、展望台の真下あたりまで流れていく。
「やはり、ここから激しい流れに突き落とされたようだな。」
一樹はすぐに合同本部に居る鳥山課長に連絡した。
「レイさんが牛洗いの滝の岸辺で強い思念波を感じたんです。・・おそらく、上村氏は自殺じゃなく、他殺でしょう。この周辺で何か痕跡がないか、一通り見てみましたが、日数も経っていて、これと言った手掛かりはありません。もっと詳しく調べてもらえませんか。」
「わかった、すぐに、鑑識班を向かわせよう。お前たちは、周辺で目撃者はないか、聞き込みを頼む。」
既に署長から、レイが上村氏の自殺現場に行くことは伝わっていたようで、鳥山課長はすぐに承諾した。

一樹は県道に上がり、亜美たちの待つ車へ急いだ。
「まだ、目を覚まさないわ。」
レイの手を取りながら心配そうに見つめる亜美が言った。
「わずかな思念波も感じようとして、無理をしたんだろう。もうしばらく、そのままにしておいてやれ。俺は、この周辺の聞き込みをしてくる。」
一樹はそう言うと、車を離れた。
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