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3-13 ヒョンシクの策略 [アスカケ外伝 第3部]

夜が明けた。川面には靄がかかっていた。
朝日が差し込むと徐々に靄が切れていく。そこには小舟がいくつも浮かんでいて、亡骸と思しき人が横たわっている。小舟はタケルたちのいる場所だけでなく、流れに乗り、隠し砦の前にも浮かんでいた。
その光景は余りに酷いものだった。亡骸は、皆、甲冑を着けておらず、弓も剣も持っていない。明らかに兵ではない者ばかりだった。
「私達は大きな過ちを犯してしまった。」
砦の誰もがそう感じていた。そして、誰とは無しに、小舟を岸に寄せて、亡骸を引き上げ、弔い始めた。皆、無言であった。
スミヒトも、皆に交じり、船から亡骸を引き上げていた。ふと、岸辺に甲冑が落ちているのを見つける。その先に、矢が突き刺さった盾板も浮かんでいる。周囲を見渡す。数名の男が、自軍の兵に抱きかかえられて運ばれていく。イカヤはじっとその行方を見ていた。
スミヒトは、タケルの許へ行った。
「タケル様、内密にお話がございます。」
そう言うと、タケルを陣から少し離れた場所へ連れて行き、今見た事を耳元で囁く。タケルは一瞬驚き、そして今度は、スミヒトの耳元で何かを告げた。二人は顔を見合わせ頷いた。
陣に戻ると、クジが駆け寄ってきて言った。
「タケル様、昨日の敵も、船で来た者達のように囮ではないでしょうか?あんなにあっさり、矢を浴び、反撃もしてきておりません。」
「ああ、恐らくそうでしょう。」
と、タケルが答えた。
「私に、考えがあります。お任せいただけませんか?」と、クジが言う。
「どうするのです?」
とタケルが訊くと、クジが耳元で小さく何かを言った。
「良いでしょう。しかし、これ以上命を奪わぬようお願いします。」
「承知しました。」
クジはそう言うと、スミヒトとともに数名の兵を連れて、出かけていった。
クジは、すぐに、ジュングンの軍が控えている陣近くに辿り着いた。
しばらく、森の木に隠れて様子を探っていると、「ううっ」と唸るような声が響いている。どうやら、足を射抜かれた将の声のようだった。
クジたちは、気づかれぬよう、さらに陣に近づく。そこには、昨日見た二人の将が座っていて、一人は苦しげな表情を浮かべていた。
「兄者、しっかりしろ。」
苦しむ兄に声を掛けている。
スミヒトは、苦しんでいる将を凝視する。
「あれは、ジュングンではない。替え玉だ。背格好は似ているが別人。甲冑もあんなに粗末なものではない。・・やはり、こちらも囮だったか・・。」
「やはりそうか。ならば・・。」
と、クジが言うと、スミヒトが頷く。
「よし、行くぞ!」
クジが号令すると、連れてきた兵たちが剣を抜き、森から飛び出す。陣に居た者たちは武器を取ろうと動く。だが、兵の周りにあるのは竹でできた槍や剣もどき、甲冑さえもなかった。あっという間に、陣にいた者達は、クジの兵に屈した。
クジとスミヒトは、替え玉になった者に迫る。
「お前は、ジュングンか?」
苦しげな表情を浮かべる男は首を横に振る。言葉が出ないくらいの傷みのようだった。隣にいた男が、哀れみを乞うように言う。
「我らは、命じられるまま、ここに来ただけ。どうかお助け下さい。」
なんとも情けない返答だった。
クジとスミヒトは、捕らえた者たちを連れて、自陣へ戻った。
「やはり、囮の者達でした。」
クジが報告する。
「すぐに砦へ戻りましょう。」
タケルたちは、捕らえた者や船から引き揚げた者を連れて砦へ戻った。
タケルは、砦へ戻ると、すぐに、スミヒトとクジを連れて、トキヒコノミコトのもとへ行き、四人は、皆に、気づかれぬよう、館の奥の部屋へ入って行った。
「助け上げた者達の中に、間者が紛れております。おそらく、我らの様子を探り、攻撃の時を計っているのでしょう。」
スミヒトが言う。
「ならば、どうする?」と、クジが訊く。
「間者を炙り出し、掴まえ、敵の様子を訊き出します。そのうえで、また、解放しましょう。」
「それでは、こちらの様子が判ってしまうではないか。」
「良いのです。間者には間違った情報を届けさせる。それでこちらが先手を打つのです。」
「いったいどのような・・。」と、今度は、タケルが訊く。
それから、四人は何度も話し合い、これからの策を決めた。

「どうだ、奴らは?」
日焼山の陣で、ヒョンシクはほくそ笑んでいた。隣には、ジュングンが座っている。更に、その横には、ジュンジンもいた。
「倭人同士で殺し合えば良いのだ。身代わりなどいくらでもいる。」
タケルたちがジュングンと思っていた将は身代わりであり、夜陰に紛れて近づいた船は、出雲から連れてきた民だった。
「兄者、これで奴らは戦う気力を失ったはず。攻めるなら今でしょう。」
「いや、まだまだ。餌食にする者はまだ居る。奴らがぼろぼろになるまで続けてもよかろう。」
ジュングンは、日焼山の物見櫓の上から、隠し砦の方を眺め笑っていた。

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3-14 間者 [アスカケ外伝 第3部]

「これより、我らは大蛇軍の背後に回り攻撃する!」
皆を集めてワカヒコが声高に叫ぶ。
すると、クニヒコが申し合わせたかのように叫ぶ。
「では、我らは山沿いに進軍し攻める。兄者とともに、敵を挟み撃ちにする。」
それを聞き、驚いた顔で、トキヒコノミコトが言う。
「僅かな兵では勝てません。思いとどまって下さい。」
「いや、ここで待っていても仕方ありません。行かせて下さい。」
ワカヒコもクニヒコも譲らない。
「トキヒコノミコト様の言われるとおりです。ここは思いとどまって下さい。」
タケルも思い留まるように説得する。
「タケル様もトキヒコノミコト様も、都の御方、出雲や伯耆の民が傷つく事を重く考えて居られぬのだ。これ以上民が傷つくのは我慢なりません。さあ、クニヒコ、行くぞ!」
ワカヒコはそう言い捨て、少数の兵を連れて出て行った。
クニヒコは少し戸惑いながらも、兵を連れて出て行った。
朝、酷い光景を目の当たりにした者たちは、まだ、戦う気持ちにはなれず、呆然とワカヒコとクニヒコを見送った。それぞれに付き従ったのは僅かの者たちだったが、もともと少数の兵しかいない。今、ここを攻められればひとたまりもない。
タケルとトキヒコノミコトは、出て行った者を見送りながら、落胆した様子で館の中へ引き上げて行った。
暫くすると、二人の男が、周囲の目を盗むようにして砦を抜けた。そして、河原の葦の中に身を隠した。
「好都合だ、すぐに大将にお伝えしよう。褒美がもらえるに違いない。」
腕に怪我をしている痩せた男がニヤリとしながら言う。
「俺は、もう少し留まる。大将が攻めて来られたら、砦の中で騒ぎを起こして、混乱させてやる。お前よりもっと多くの褒美がもらえるはずさ。」
もう一人の少し太った男が言う。
「良いだろう。いずれにしてもジュングン様の勝ち戦だ。じゃあ、行くぞ。」
痩せた男は、そう言うと、葦の中に隠れるようにして、ジュングンの陣に向かって帰っていった。
二人のやり取りは、後をつけてきたスミヒトがしっかりと聞いていた。スミヒトは、男が一人、離れたのを見届けると、先に砦に戻った。
「狼煙を上げてください。」
スミヒトが言うと、隠し砦の南の高台から、狼煙が上がる。
「おや?何だ、あの煙は?」
自陣から、対岸の隠し砦を眺めていたヒョンシクが呟く。それを聞いて、ジュングンが視線を遣る。
「ほう・・あそこに砦があるのか・・迂闊な奴らだ。・・まともに戦う気はないようだな。」
そう言って、座り込んで濁酒を口にする。
狼煙は、ワカヒコとクニヒコへの合図だった。
それぞれ、砦を離れた後、山筋を通って、隠し砦の裏山に身を潜めていた。狼煙を見る否や、すぐに砦へ戻ってきた。
「やはり間者が居ました。一人はすでに大蛇の陣へ戻って行きました。」
スミヒトが言うと、ワカヒコが訊く。
「何人も居たのか?」
「いえ、どうやら二人のようですが・・」とスミヒト。
「念には念を入れて調べた方が良かろう。」
クニヒコが言う。
「先ほど、葦の中に潜んでいた二人には、腕に入れ墨がありました。間者は、腕に蛇の入れ墨があるようです。」
「では、皆の腕を見て回ろう。」
ワカヒコとクニヒコは、手分けして砦の中の男達を見て回る。スミヒトは、先ほど葦の中に潜んでいた男をすぐに見つけ出し、捕まえた。すぐに、入れ墨のある男が三人程見つかり、荒縄で縛られ、砦の広場に引き出された。
「さて、いかがしましょう。」
ワカヒコが、トキヒコノミコトに訊く。
「大蛇の軍について、知っている事を話してもらおう。手荒なことはしたくないが、大蛇の一族に忠誠を誓って、何も話さぬというなら仕方ない。この砦に置いておくことは出来ぬ故、柱に縛り付けて、谷あいに放置するほかないでしょう。」
トキヒコノミコトは、わざと優しい口調で、三人に話して聞かせた。
縄で縛られた間者は互いに顔を見合わせている。
「さあ、誰から話すのか。最後の者は、すぐにも外へ放り出すぞ。」
ワカヒコが、わざと乱暴に言う。
間者は我先にとジュングンたちの軍の様子を話し始めた。
その日の夕刻、ジュングンの許に、件の間者が戻ってきた。
「ジュングン様、どうやら、伯耆の奴らは、二手に分かれてここを攻めるつもりだとか・・先ほど、間者が戻り報告しました。」
ジュングンについていた兵が、間者の話を伝える。
「どれほどの兵が来るというのだ?」
ジュングンが訊く。
「それが、僅かな手勢のようです。南からはクニヒコの兵、そして背後からはワカヒコの兵。・・それと、それぞれ、トキヒコノミコトの命令に逆らって出陣したようで、どうやら、敵はバラバラになっているようです。」
兵が続けて報告する。
「ふん・・そうか・・。」
ジュングンはそう言うと、何か考えているようだった。
「兄者、ここは一気に攻め込んではどうか。ワカヒコとクニヒコが居らぬのなら、好都合。正面から攻め入れば、あっという間に片が付く。」
そう言ったのは、ジュンジンだった。
「そう簡単にいくかな?」
話を聞いていたヒョンシクが少し冷ややかに言った。
「まあ良い。ワカヒコやクニヒコが来るとしても、明日や明後日。今しばらくは、同じように民を送りだして、甚振ってやろうではないか。」
ジュングンはそう言うと、手下の兵に命じて、前日と同じように、たくさんの民を小さな丸太船に乗せ、葦の原から対岸に向かわせた。
「また、民を殺せば、トキヒコノミコトの許から離れる者がもっと出るに違いない。・・こちらには、生贄になる民はまだまだいる。」

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3-15 人柱 [アスカケ外伝 第3部]

夕刻になると、前日同様、船に乗った”大蛇の兵”に見せかけた、民が乗った丸木船や筏が、隠し砦に向かって進んでくる。
トキヒコノミコトたちは、船から目印になるように、岸辺に松明を立てる。いよいよ近くなったところで、一斉に矢が放たれる。ひとしきり、矢の雨を降らせた後、徐々に松明を減らす。
対岸の陣から、ジュングンたちが眺めている。
「懲りもせず、射かけて居るぞ!傑作だな!」
満足そうな笑みを浮かべてジュングンたちは様子を見ていた。松明の灯りが消えるとすっかり闇に包まれる。
夜陰に紛れて、砦から兵が出て来て、先ほど攻めてきた”大蛇の兵”の所へ行く。
「おい、怪我はないか!」
皆、そう言いながら、丸木舟や筏に乗っている民に声を掛ける。そして、一人ずつ、砦の中へ連れて行った。
放った矢は、葦の茎を加工して矢に見せていた偽物で、もちろん鏃もついていない。当たったとしても怪我をするほどではなかった。攻めてきた”大蛇の兵”たちもあっけに取られていた。引き入れた民はざっと百名ほどだった。
少し遅れて、クジたちが戻ってきた。
クジたちは、川の中に作った隠れ場所に潜んで、前を通る丸木舟や筏を注意深く観察し、甲冑に身を包み、楯に身を隠している間者を見つけ出そうとしていたのだった。間者と判ると、背後から矢を射かけた。
「四名ほど見つけました。」
民を助け出した時、クジたちに射かけられて、怪我をした者を見つけ、捕らえた。
次の日も次の日も、夕刻になると同じように、丸木舟や筏がやってくる。徐々にその人数は減っていき、三日ほどで、”大蛇の兵”は来なくなった。
砦の中には、”大蛇の兵”として攻めて来た者で溢れていた。
トキヒコノミコトとタケルは、手分けして一人一人と話をし、兵として加わる者、隠し郷へ行き、民として仕事をする者に分けた。そして、兵となって加わる者には、クジたちが弓を教えた。
民として仕事をする事を選んだ者は、山手に作った郷へ移り、田畑の仕事をするように手配した。
兵として、トキヒコノミコトの軍に従う者はざっと二百人程となり、それまでの兵と合わせると五百を超える大軍となっていた。
捕らえた間者からは、ジュングンたちの軍の様子を聞きだしていた。まともに戦える兵の数は二百人程で、兵糧はあと数日で底をつく事、そして、武器はほとんどが剣であることも聞きだしていた。
トキヒコノミコトは、主だったものを館に集めてこれからの策を相談した。
「今なら、我らの方が圧倒的に有利。一気に攻めるのは如何か?」
ワカヒコが言う。
「南北から挟み討ちにするのが良策と思いますが、どうでしょうか?」
と、クニヒコが続ける。
「その間に正面から来られたら、厳しい戦いになるでしょう。相手の出方を見た方が良いのではないでしょうか?」
そう言ったのは、スミヒトだった。
「いや、むしろ、正面から攻めさせてみては如何でしょう。こちらには弓があります。川中の隠れ場所もあります。ギリギリまで寄せて、一気に射かけてしまえばよいのでは・・。」
クジは、前日までの事で、川を使った戦い方を模索していたようだった。
「だが、正面から攻めさせるきっかけはどうする?」
ワカヒコがクジに訊く。
「それは・・。」と、クジが、答えに詰まった。
タケルとトキヒコノミコトは皆の話しをじっと聞き、同じことを考えていた。
アスカケの話の中で、大軍を相手にした九重の戦いの話があった。川を挟んで戦ったはず。どのような話だったか、思い返していた。
「確か・・九重の戦で・・。」
と、タケルが呟いた。
「ああ、そうだ、九重の戦の話だ。長雨で溢れる川に流され、カケル様が大怪我をされた話だった。あの時は・・・・」
と、トキヒコノミコトが言う。
二人の会話に、他の者達は何の事だか判らずにいた。
二人は、話の流れをほぼ同時に思い出したように、目を合わせた。
「人柱・・か?」
と、トキヒコノミコトが呟く。
「ああ、確か、そうだった。川中に人柱を立て、敵軍の戦意を削ぐ策だった。だが、あれは、長雨の前だった。・・それと、その後は・・。」
タケルがそこまで口にして、トキヒコノミコトも思い出したように手を打った。
「よし、この、女山砦で摂政カケル様が、とられた策で行きましょう。ですが、タケル様、これには貴方の力がどうしても必要です。宜しいですか?」
トキヒコノミコトが言おうとしている事はタケルにも判った。
「それで、命を落とす者が少なければ・・それこそ私の為すべき事でしょう。」
と、タケルが答える。
「判りました。」
トキヒコノミコトは、広間に集まった者達に、これからの策を話した。
「捕らえた間者を、川中に柱に括りつけて晒す。できれば、敵陣からよく見える場所が良い。クジ殿、頼めるか?」
トキヒコノミコトの言葉に、クジは頷いた。
「それを見れば、大蛇軍は怒りに任せて攻めて来る。出来る限り、引き寄せ、弓を射かけるのです。当たらずとも良いのです。敵の足止めが出来れば上々。」
「それでは勝てませぬ。」
と、ワカヒコが言うと、トキヒコノミコトが応えるように言った。
「その隙に、タケル様と私が敵の大将に近付き、仕留めます。」
「それでは、タケル様やトキヒコ様の御命は・・」
と、クニヒコが心配して言った。
「案ずることはありません。幾度も乗り越えて参りました。大丈夫です。」
タケルは、笑顔で答えた。
「さあ、いよいよ決戦です。この策が漏れぬよう、皆様、くれぐれも油断なく。」
トキヒコノミコトの言葉に、一同は強く頷いた。

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3-16 決戦の時 [アスカケ外伝 第3部]

その頃、ジュングンの陣では、間者が戻らぬ事を不審に思うようになっていた。
陣中に居る兵の数も、盾の代わりに連れてきた民をほとんど出してしまったために、すっかり減ってしまい、広い陣場が空しく感じられるほどだった。
「兄者、如何する?」
ジュンジンが少し不安げに訊く。
「周囲の様子を探らせたが、どこにも、伯耆の兵の姿などなかった。きっと、あの間者は、まんまと騙されたに違いないぞ。」
ヒョンシクも、ジュングンに言う。
「我らを騙したか!思い知らせてやらねばならぬ!」
ジュングンは怒りをあらわにした。
「ジュングン様、川中で何か動きがあるようです。」
見張りの兵が知らせて来た。
ジュングン、ジュンジン、ヒョンシクは、見張台に上ると、川中で、人が動いているのが見えた。暫くすると、間者が縛り付けられている柱が立った。
「くそっ!見せしめのつもりか!」
「もう容赦ならぬ。全軍で攻め入る!」
ジュングンが決断し、号令が掛けられた。
陣中は慌ただしくなり、川岸に兵が出て、一気に川を渡り始めた。
「来ました!」
隠し砦の見張台から声が飛ぶ。
「よし、では参ろう。」
タケルとトキヒコノミコトは、川岸から対岸に向けて出て行き、隠れ場所に身を潜めた。
大蛇の軍は、もはや隠れることなく、葦の広がる湿原を、真っ直ぐに進んでくる。最後尾に、ヒョンシクが乗った丸木舟がいた。
「まだ早い。もっと引き付けるのだ!」
砦を出て川岸の葦の陰に隠れるようにして、たくさんの兵が弓を構えている。ワカヒコが指揮を取り、時を待っている。敵の数はおよそ二百、こちらは五百を超える兵がいる。そのまま、ぶつかっても勝算はある。だが、そうなると、出雲の兵の多くの命を奪うことになる。
大蛇の軍は、湿原の中ほどまで、進んできた。タケルたちが潜んでいる場所の周囲を多くの丸木舟が行き過ぎていく。タケルとトキヒコノミコトはじっと息を殺していた。まだ、将の船は来ていない。
大蛇軍の先頭が、岸から目視できるようになった。
「よし、射かけよ!」
ワカヒコが号令する。クジとスミヒトが大弓を引いて、敵の中ほどまで届く矢を放った。ヒュンという音とともに、飛んだ矢が中ほどの兵が乗っている丸木舟に突き刺さる。
わあという声が兵の中に広がる。同時に、岸から矢が雨のように降り注いでくる。どれも、船にまでは届かないが、矢羽根の細工で、ピューンという高温を発して飛んでくるため、見た目以上に脅威を感じる。先頭当たりの兵が驚いて、船から転がり落ちる。後ろを続く兵も混乱して、右左へ動き回り、船同士がぶつかり、混乱が広がっていく。
先頭で起きた異変が、ヒョンシクに判るまで、それほど時間は掛からなかった。
「ええい!落ち着け。落ち着くのじゃ!」
ヒョンシクが怒鳴る。
「あれが将か?」
と、隠れ場所に潜んでいたタケルが、囁くようにトキヒコノミコトに訊く。
「間違いありません。ヒョンシクです。ヤガミ姫をあのような目に遭わせた張本人です。あやつは私が仕留めます。」
トキヒコノミコトはそう言うと、隠れ場所から出て、弓を構える。
「ヒョンシク、覚悟!」
トキヒコノミコトはそう叫ぶと、弓を放つ。ビューンと音を立て矢が飛ぶ。
「ううっ。」
矢はヒョンシクの肩口を貫いた。
「敵襲だ。後ろに隠れているぞ!」
ヒョンシクに付き従っていた兵が叫ぶ。だが、混乱した兵は対応できない。
ヒョンシクは、肩に刺さった矢を引き抜くと、矢の飛んできた方向を見る。
「おのれ、トキヒコ!」
そう言って、船の向きを変え、剣を構えて向かってきた。
トキヒコノミコトは今一度、狙いを定めて弓を引いた。二本目の矢が飛んでいく。今度は、見事にヒョンシクの首に突き刺さり、絶命した。
将を失った軍は脆い。
兵たちは、もともと出雲から強制的に連れて来られた者ばかりで、忠誠心は低い。
「ヒョンシクを討ち取ったぞ!」
トキヒコノミコトが叫ぶ。そして、空に向けて高々と矢を放つ。矢羽根に細工をした矢は、ブオンという、特別な音を立てて飛んだ。
「将を討ち取ったようだ。勝鬨を上げよ」
合図の音を耳にしたワカヒコが兵たちに向かって叫ぶ。
岸に居並ぶ兵たちは立ち上がり、勝利の叫び声をあげる。将を失ったことを知り、兵たちは、皆、剣を投げ捨て、あっけなく降伏した。
「ジュングンとジュンジンの姿がありません。」
トキヒコノミコトが、兵の中を進みながら確認して回った。
そして、ヒョンシクに付き従っていた兵を捕らえ、ジュングンとジュンジンの行方を問いただす。
「二人は、戦に出ると見せかけながら、陣を出ていないようです。」
トキヒコノミコトがタケルに言う。
「陣へ行きましょう。」
タケルは、トキヒコノミコトとともに、日焼山の陣へ向かった。川を渡ると、日焼山から煙が立ち上っている。
「まだ残っているようです。」
近づくと、二十人程の兵が山の麓に構えている。
「どうするつもりでしょう?」
タケルが訊く。
「負け戦と知り逃げ延びるつもりか、あるいは援軍をまっているか。」
と、トキヒコノミコトが答える。
二人は、兵に見つからぬよう、回り込んで山に入る。木々の間に身を隠すように登り、陣場の裏手に着く。

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3-17 タケル見参 [アスカケ外伝 第3部]

「兄者、もはや負け戦。ここは一旦、出雲へ戻りましょう。」
「うむ、援軍を待ってはおれぬな。元々、この戦(いくさ)は、ヒョンシクが始めたもの。我らが負けたわけではないからな。よし、急ぎ、出雲へ戻ろう。」
勝手な言い草だった。
木の陰から聞き耳を立てていた二人に怒り心頭だった。
出雲から盾にするために民を引き連れ、全てを見捨て、自分だけ帰参するなど、将として赦せぬとトキヒコノミコトは怒っていた。
「待て!」
トキヒコノミコトは叫び、二人の前に飛び出した。
「お・・お前は、トキヒコ!よくぞ、ここまで来た。」
そう言って、ジュングンがいきなり剣を抜き、トキヒコノミコトに切りかかった。
トキヒコノミコトは、後ろへ飛び、辛うじて切先を躱した。すると、ジュンジンも剣を抜き、トキヒコノミコトを挟む。
騒ぎに気付き、陣に居た兵たちが十人程、集まってきて、さらにトキヒコノミコトを取り囲んだ。
「お前を討ち取れば、我らの勝ちとなる。迂闊であったな!」
ジュングンは、勝ち誇ったように、言った。
タケルの剣がぼんやりと光を放つ。
「ううっ」とタケルは呻いた後、剣を引き抜くと、周囲に青白い光が広がった。
「なんだ?!」
トキヒコノミコトを取り囲んでいた兵たちが、木の陰から発する異様な光に驚く。
「ぐるるっ」
低い野獣のような声が響く。
「熊か?狼か?」
兵たちが、徐々に後ずさりする。
ざっと音を立て、黒い影が空を飛ぶ。そして、トキヒコノミコトを取り巻く兵たちの目の前に、ドスンという音を立てて、仁王立ちとなった。
「わあ!」
ジュングンもジュンジンも、あまりに突然の事に驚き、その場に座り込んだ。兵たちは転がって逃げた。
目の前に立っているのは、獣人に変化したタケルだった。青白く怪しい光を発する剣をジュングンたちの前に突き出す。
「物の怪か?」
ジュングンは気を取り直して立ち上がる。そして、剣を構えた。少し遅れて、ジュンジンも立ち上がり、剣を構える。
「多くの民を苦しめ、八百万の神を敬う美しき国、出雲を穢した罪は重い。償いをしてもらわねばならぬ。」
タケルは低い声で言う。
「何を言うか!物の怪の分際で!」
そう叫ぶと、ジュンジンが先に斬りかかった。
獣人タケルは、真っ直ぐに伸ばした剣を僅かに動かし、ジュンジンの剣を刎ねた。ジュンジンは、もんどりうって転がった。起き上がって、再び、斬りかかる。同じように、ジュンジンは撥ね飛ばされ転がり、全身泥まみれとなった。
「ええい、ものども、一斉に掛かれ!」
ジュングンは、腰が引けて動けぬ兵の肩口を掴んで、獣人タケルに投げつけるように押し出す。兵たちは「わあ」と叫んで掛かろうとするが、獣人タケルは高く跳びはね、兵たちをやり過ごす。転がった兵は、恐ろしさのあまり、剣を捨て、次々と、逃げ出していく。
ついに、陣には、ジュングンとジュンジン、獣人タケルとトキヒコノミコトの四人だけとなった。互いに剣を構え対峙する。
「ここで命を捨てるか、このまま、倭国から出て行くか、選ぶが良い。」
タケルが二人に迫る。
「物の怪が、人間に恩情か?笑わせる。」
ジュングンはそう言うと、タケルに斬りかかる。剣がぶつかり、ガキンという音が響く。
「命を捨てるのを選ぶのか?」
タケルが再度訊く。
「うるさい。物の怪などに討ち取られはしない!」
ジュングンは、そう叫び、剣を高く振り上げて斬りかかる。
「愚かな・・・。」
タケルはそう言うと、ふわりと躱し、剣を振った。ジュングンの首が飛んだ。
「兄者!」
ジュンジンは、無残に斬り倒された兄を見て半狂乱で、タケルに斬りかかった。タケルは、同じように躱し、剣を振る。ジュンジンの首もあっさりと飛んだ。
タケルの剣から青白い光は消え、タケルは、元の姿に戻る。
「これで終わりとはなりませんね。」
タケルがトキヒコノミコトに言う。
「ええ、まだ、出雲に巣くう大蛇の首領がおります。三人の将を失った事を知れば、きっと、激怒し、すぐに報復に出るはずです。次こそ、心して掛からねばならぬでしょう。」
タケルとトキヒコノミコトは、勝利の狼煙を上げてから、二人の亡骸を懇ろに弔うと、砦へ戻った。砦でも、戦の後始末が始まっていた。
タケルとトキヒコノミコトが戻ると、皆が出迎えた。
トキヒコノミコトが皆を前にして言う。
「ジュングンとジュンジンは成敗しました。しばらくは安心でしょう。」
歓声が沸いた。
「ですが、大蛇一族の首領はまだ、出雲におり、我らを狙っておるはずです。くれぐれも油断せぬように。」
トキヒコノミコトの言葉に、皆は静まった。
「トキヒコノミコト様、一つ伺いたいことがございます。」
そう言ったのは、ワカヒコだった。
「日焼山から逃げて来た兵を捕らえましたが、おかしなことを申すのです。物の怪が襲ってきたと・・一体、どういう事でしょう。」
トキヒコノミコトは、タケルを見た。タケルは小さく首を横に振る。
「さあ・・我らが、山から突然現れたのを見間違えたのではないか。何しろ、体中に草木がまとわりついていたから、熊のようにでも見えたのではないか。」
トキヒコノミコトは、そう言って、誤魔化した。

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3-18 大蛇一族の長 [アスカケ外伝 第3部]

伯耆に攻め入った大蛇の軍があっさりと敗れたという話はすぐに、伯耆の国に知れ渡った。同じように、出雲国にも知らされた。
「父上・・いや、国王様、ジュングンたちが敗れたとのことです。」
完成途中の神殿の奥の間に、慌てて駆けこんできたのは、ヒョンギであった。ヒョンギは、アギムの長男、大蛇一族を継ぐ者であった。既に、弟ヒョンシクやヒョンデが討たれた事を知り、相当狼狽えていた。そこに、ジュングン、ジュンジンが討たれたという報せを受け、伯耆の軍の恐ろしさを必要以上に感じていた。
「何、ジュングンたちが敗れた?一体どういうことだ!」
奥の間にある玉座に座り、大蛇の首領アギムが嘆いた。
「物の怪が現れたとも・・。」
ヒョンギは、アギムの前に跪いたまま、話した。
「伯耆の軍は、物の怪を味方にしているというのか?馬鹿馬鹿しい。何かと見間違えたのであろう。」
「逃げ帰って来た兵の話ゆえ・・確かではないかと・・。」
ヒョンギは少し自信なさげに話す。
その様子を見て、アギムは落胆した表情を浮かべながら言った。
「お前は何故、そんなに気が小さいのだ?本当に儂の子か?・・まあ良い。だが、このままにはしておけぬぞ。伯耆の軍がさらに力をつけてしまえば、我らに従う国はなくなる。何としても、伯耆の軍を滅ぼさねばならぬ。」
「しかし、わが方には、私とジュンシュンしかおりません。」
「情けない。長男のお前がそんな弱腰だから、勝てるものも勝てなくなるのだ。一人でも勝てるという気概が何故持てぬ。」
アギムは、ヒョンギを蔑むように言う。
「伯耆の国のトキヒコが、物の怪を使って、出雲を侵略するようだと噂を広め、国中の郷長に命じて、追討軍を作らせよ!国王の宣下である。」
大蛇一族の首領アギムは、すでに国王を騙っていた。
「すでに追討軍の宣下は行っております。これ以上は・・・。」
ヒョンギが恐る恐る言うと、アギムが玉座から立ち上がり、階段を降りてヒョンギのもとへ来た。
そして、ヒョンギを睨み付け、肩口を強く掴んだ。掴まれた肩の痛みで、ヒョンギの顔が歪む。
「何度でも出せば良いのだ!勝ったあかつきには、伯耆の国を分け与えるという褒美をつけてやればよい。褒美目当てに集まってくる輩もおるはず。良いな。」
「しかし、それでは・・。」
と、ヒョンギが言い掛けると、さらに肩を強く握り、図太い声で言った。
「王の命令である。」
「判りました。」
顔を歪めながら、ヒョンギは答えた。
「判ったなら、すぐに行け!」
ヒョンギは奥の間を出て行った。
「長男ながら、何という腰抜けになったものか・・。ジュンシュンは居らぬか?」
すぐにジュンシュンが奥の間に現れた。
「おお、ジュンシュン、息災か?」
アギムは、玉座から立ち上がり、笑顔でジュンシュンの傍に行った。
「お前の兄達が討ち取られたようだが、お前は、どうする?」
ジュンシュンは、ジュングン、ジュンジンの末の弟であった。兄二人は戦好きで、これまでも様々な勝利を重ねていた。一時、伯耆の国を手中にし、隣国因幡の国にまで出て行ったくらいであった。
一番下のジュンシュンは、歳下乍らも、兄達以上に戦好きであった。いや、戦好きというよりも、残忍、冷徹であった。
「兄達は、所詮、能無しであったという事でしょう。」
「能無しとはよく言った。」
「兄たちは、昔から、油断して負け戦になる癖がありました。因幡の国でも同じような事がありました。おそらく、此度も、敵を侮っていたに違いない。墓穴を掘ったのでしょう。」
「ほう・・悲しむという事もなしか?」
「何が、悲しい事がありましょう。むしろ、兄弟であることを恥じております。できれば、あのような者達が一族であること自体、無い事にしていただきたいくらいです。」
「恥じておるか・・それは良い。で、お前なら、どうする?」
アギムは、試すように訊く。
「正規の軍でまともに戦うのも良いでしょうが、それでは先が読めません。戦を仕掛けるのは止めます。急所をつけばよいのです。」
「急所を突く?」
「はい。伯耆の軍を束ねているのはトキヒコノミコト。因幡の国での勝利を力に、伯耆の国の民の信用を得て、軍を率いております。言わば、トキヒコノミコトあっての伯耆の軍。これこそ急所です。奴らを束ねるトキヒコノミコトを亡き者にすればよい。刺客を送り殺してしまえば良いだけ。」
「刺客を送るとは・・なかなか・・。」
アギムは感心しながら、ジュンシュンの話を聞いている。
「その者に、多大なる褒美を出しましょう。伯耆の国をくれてやるとか・・」
「伯耆の国をくれてやるというのは如何か、後々面倒なことになりはせぬか?」
「良いのです。トキヒコノミコトが殺されたなら、その者も殺してしまえば宜しい。いずれにしても、都合の悪い人間を生かしておくことはありません。」
ジュンシュンの話を聞きながら、アギムは少し自らもこいつに命を取られるのではないかと心配になっていた。
「だが、そうやすやすと敵の中に入れるか?」
「私にお任せください。」
ジュンシュンはそう言うと、奥の間を出て行った。
「ヒョンギに、ジュンシュンほどの器量があれば・・。だが、恐ろしい奴だ。あまり信用せぬほうが身のためかもしれぬな。事が終われば、始末せねばなるまい。」
アギムはそう呟いて、再び、玉座に座った。

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3-19 トキヒコの迷い [アスカケ外伝 第3部]

トキヒコノミコトには気掛かりなことがあった。傍から離れないヤガミ姫の事である。身投げした後、正気を失い、まるで赤子同然である。この先、出雲国から大蛇一族を追い出すことができたとしても、ヤガミ姫が正気に戻るとは限らない。何としても、元に戻してやりたい、そう思わない日はなかった。
飯山砦へ戻ることになっても、ヤガミ姫を連れて行くほかなかった。皆、それは仕方ない事と受け入れてはいたが、やはり、戦場の近くに置いておくのは何かと不都合もあった。
「タケル様、ご相談があります。」
トキヒコが神妙な面持ちでタケルの許へ来た。タケルも飯山砦へ移り、出雲軍の侵攻に備えていた。
「ヤガミ姫様の事なのですが・・。」
トキヒコノミコトはそう切り出したが、どう言えばよいものか言葉に詰まった。
「正気に戻したいという事ですね。」
タケルも、すでに気付いていて、そのために、戦っているのだという事も承知していたのだ。
「以前にも話したように、ミヤには、皇アスカ様と同様、人を癒す力が宿っています。その力を使えば、あるいは、元に戻るかもしれないと私も考えておりました。だが、そのためには、ミヤをここへ連れて来るか、因幡に居るミヤに会いに行くほかありません。」
「今、ここを離れるというのは気が進まないのですが・・。」
と、トキヒコノミコトが答える。
「ミヤがここへ来れると良いのだが、身重な体ではやはり無理はさせられない。だが、この先、いつになるか・・。確かに難しい時かもしれませんが、今なら、すぐに大蛇の大軍がここへ来ることはないでしょう。行くなら、今しかないかもしれません。」
タケルの言葉に、トキヒコノミコトは決断した。
「タケル様、ミヤ姫様に是非、ヤガミ姫を・・。」
翌朝、飯山砦の館で、トキヒコノミコトはワカヒコとクニヒコを呼び、今の思いを話した。
「大丈夫です。我らがここをしっかり守ります。」
「タケル様も、久しぶりに皇女様とお会いになられて、少しお休みください。」
ワカヒコもクニヒコも快く送り出してくれた。
すぐに、船が仕立てられ、ヒョウゴが案内に立ち、因幡国福部の郷へ向かった。
一日で、船は福部に着く。
伯耆の国からの船と聞き、ミヤ姫は胸が高鳴った。もう二か月が経っている。
「ミヤ姫様、やはり、タケル様達のようです。」
報せに来たのはサガだった。
「お気を付けください。」
そう言って、ミヤ姫の手を取って、案内するのはトモとカズ。ミヤ姫のために建てられた館から港まではそう遠くない。体を労りながら、ミヤ姫は港に来た。
ちょうど、船からタケルが降りてきていた。
「タケル様!」
周囲の者が驚くほど大きな声で、ミヤ姫はタケルを呼ぶ。すぐに気付いて、タケルが駆けてきた。
「大事ないか?」
タケルはミヤ姫の手を取り気遣う。
「ええ・・皆様が良くしてくださるので・・。それよりもご無事のお帰り、嬉しゅうございます。」
ミヤ姫はそう言うのが精いっぱいで、目からぽろぽろと涙を溢す。
「サガ様、トモ様、カズ様、いろいろとありがとうございます。」
タケルが礼を言うと、三人は顔を赤らめる。
後ろから、トキヒコノミコトとヤガミ姫が降りて来た。トキヒコノミコトは、ミヤ姫を一目見て、笑顔を見せて言った。
「トキオです。覚えておられますか?」
始めミヤ姫はよく判らなかった。
「トキオ様?」
「覚えていないか?春日の杜で共に学んでいたトキオだ。・・弓の腕前は誰より上手だっただろう。」
タケルにそう言われて、ミヤ姫はハッと思い出した。
「えっ・・あの、一番小さかったトキオ・・トキオなの?」
急に、春日の杜へ引き戻されたような感覚だった。
「まさか、丹波や但馬で偉大な仕事を成し、伯耆の国を救ったのが、あのトキオだったなんて・・こんなに凛々しいミコト様になっているなんて・・信じられない・・。」
ミヤ姫は、口調もあの頃に戻っていた。トキヒコノミコトの後ろで、じっとトキヒコノミコトの腰辺りの布を握り締め、じっとミヤ姫を見ている娘に気付いた。
「その娘は?」
と、ミヤ姫が訊く。
「詳しい話は館で。さあ、暑くなってきた、体に障る。」
タケルがそう言って、ミヤ姫の手を取って、館へ入った。
館に入ると、郷の長イヨナガが待っていた。タケルはイヨナガに礼を言い、これまでの経緯を一通り話した後、ようやく、四人で館の広間で寛ぐことができた。
「余りゆっくりはしていられないのです。いつ、大蛇の軍が攻めて来るか判らないのです。」
タケルはそう言ってから、ミヤ姫に、ヤガミ姫をここへ連れて来た理由を話した。話を聞いたミヤ姫は、ヤガミ姫の手を取り、じっと目を見つめた。
「つらかったでしょうね。」
自分も、囚われの身で、心を病むほど追い詰められた事を思い出していた。
「どうして弱き者は、酷い仕打ちを受けねばならぬのでしょう。弱き者こそ、守られねばならぬはず。幼子に鞭を打つような理不尽のない世を作って下さい。」
身籠っているミヤ姫は、祈るような思いでタケルたちに言った。
「ミヤ、どうだろう。其方の力で、ヤガミ姫を正気に戻せるだろうか?」
タケルが訊く。
「判りません。でも、私のアスカケだと信じます。」
ミヤ姫は、そう言うと、ヤガミ姫の体をそっと包むようにして抱き、胸元から鏡を取り出した。そして、目を閉じ、一心に祈った。

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3-20 出雲の姫 [アスカケ外伝 第3部]

暫くすると、鏡から光が発し始めた。温かい光だった。そしてそれが部屋いっぱいに広がっていき、タケルの剣も呼応するように光り始める。暫くの間、四人は光に包まれていた。
隣室に居たサガ、トモ、カズの三姉妹も、部屋から漏れてくる光を浴びた。何か、心が洗われるような気持ちになる。
数日前に手仕事で怪我をしていたトモが、「はっ」と声を上げる。動かなかった指が治っているのだ。
光は、館だけでなくその周囲にも洩れていて、館の周辺に居た人々も、何かしらの怪我や痛みが消えていくのが判り、皆、驚いた表情をしていた。
光が収まった。
四人は、まどろみの中で目を開けた。
「トキヒコ様。」
最初に声を出したのは、ヤガミ姫だった。
これまで、泣き叫ぶ時の声しか聞いたことはなかった。トキヒコには、ヤガミ姫の声が、少女のような大人の女性のような不思議な響きをもっているように聞こえた。
「ヤガミ姫、お判りになりますか?トキヒコです。判りますか?」
確かめるようにトキヒコがヤガミ姫の手を握って訊く。
「はい。トキヒコ様。」
その様子を、タケルとミヤ姫は見つめていたが、ミヤ姫がふっと倒れかかってきた。
「ミヤ、大丈夫か?」
やはり力を使うと、体に響くようだった。身籠っている時に、体へ大きな負担をかける事を懸念していたが、思いのほか、辛かったようだった。
「すまない。」
「大丈夫です。少し休めば・・。」
「サガ!トモ!カズ!」
タケルの声に隣室に居た三姉妹が驚いて入ってきた。ぐったりしているミヤ姫を見て、三人は慌てて床の支度をして、ミヤ姫を休ませた。
ヤガミ姫は、すっかり正気に戻ったようだった。横になったミヤ姫の傍に行き、手を握り、涙を流す。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます。」
ミヤ姫は笑顔を見せ、静かに目を閉じ眠った。
トキヒコノミコトとヤガミ姫は、部屋を移った。
ヤガミ姫は、船から身を投げた後の記憶は曖昧だったが、トキヒコノミコトの傍にいて、絶えず優しく守られていた事ははっきりと覚えていた。そして、それは、いつしか恋心となっていた。
二人きりになり、改めて、トキヒコノミコトの顔を見て、急にヤガミ姫は恥ずかしくなった。正気を取り戻すまでの間、自分は、どの様な振る舞いをしていたのか、きっと、目を覆いたくなるような悪行もあったに違いない。記憶にない事が途轍もなく恐ろしく思えてきた。
トキヒコノミコトも、急に大人の女性になったようなヤガミ姫に、どの様に声を掛けてよいものか思案していた。自分の知っているヤガミ姫は、幼子のようであった。泣き喚き、時には物を投げ、何の躊躇いもなく夜になると身を寄せて眠る。我が子のように扱う事に慣れていて、目の前のヤガミ姫とは別人に思えていた。
互いに何を話せばよいのか判らず、ただ、外を眺めていた。
海が見える。初夏の風が部屋を吹き抜ける。
「出雲が恋しい・・。」
ヤガミ姫が不意に呟いた。
「帰りましょう。」
トキヒコノミコトも呟くように言った。
「トキヒコ様、私とともに出雲へ行ってくださいますか?」
「もちろんです。必ずお連れ致します。」
「その後も、共に生きてくださいますか?」
ヤガミ姫は、なぜかすんなりと言葉が出た。トキヒコノミコトとこの先もずっと生きていきたい、それは、心の一番深い所にある思いだった。
「はい。ともに素晴らしき国を作りましょう。」
トキヒコノミコトも、躊躇いもなく答えることができた。
互いの思いは通じていた。トキヒコノミコトは、ヤガミ姫の思いを受け止め、決意を新たにした。
次の日、ミヤ姫も回復し、朝餉の席にきた。タケルは、昨夜、ミヤ姫の傍にずっと付き添っていたようで、少し疲れた顔をしていた。
ヤガミ姫とトキヒコノミコトは、改めて、ミヤ姫に礼を言った。
「これからは、御二人、心を合わせ、幸せになって下さい。」
ミヤ姫が妙な言葉を口にしたので、タケルが驚いて言った。
「いや・・この二人はそういう仲ではない。・・なあ、そうだな。」
タケルが急に、幼い子どものような口調で言ったので、トキヒコノミコトもヤガミ姫も噴き出してしまった。
「あら、そうなの?・・でも、光の中で、ヤガミ姫様の御心の中に触れた時、そうなのだと感じたのですよ。」
タケルが二人を見ると、互いに赤い顔をしている。
「タケル様は、そういう事には疎いから・・。」
と、ミヤ姫も笑っている。
二日ほど、福部の郷で過ごした後、タケルとトキヒコノミコト、ヤガミ姫は、飯山砦へ戻ることにした。
ヤガミ姫の侍女としてともに来たスイとレンは、サガ、トモ、カズの三姉妹とすっかり意気投合したようで、船に乗り込む直前まで、楽し気に話をしている。
「そろそろ出航いたします。」
ヒョウゴが船から呼びかける。
「ミヤ、まだ暫く戻れそうにない。」
「私なら大丈夫です。皆様が支えてくださいます。それより、御命を大事になさってください。この子も、父の帰りを待ちわびております。」
ミヤ姫はそう言って、タケルの手を取り、お腹に手を当てさせた。少し膨らんだ程度だったが、タケルは、何か言葉にできない感情が沸々と湧いてきた。
「うむ。きっと戻る。」
タケルはそう言うと、船に乗り込んでいった。

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4-1 留守の出来事 [アスカケ外伝 第3部]

タケルとトキヒコノミコト、ヤガミ姫たちが飯山砦を離れてすぐの事だった。
砦では、ワカヒコとクニヒコの他、主だった者達が交代で兵を率いて、周囲の警戒を続けていた。出雲の軍が攻めてくるような気配はなかった。
「兄者、泡海の荘からの援軍が来て居ります。」
館に居たワカヒコのところへ、クニヒコが来て告げた。
「泡海の荘から援軍?聞いておらぬが・・」
ワカヒコは少し不審に感じた。
「ざっと十人程、騎馬の兵です。砦の下まで参っております。」
クニヒコが言うので、ワカヒコは、クジやスミヒト、ゴチョウたちとともに、砦の外へ出た。入口辺りに、騎馬兵が整列していた。皆、凛々しい顔つきであった。その中の一人が、ワカヒコの前に進み出て、挨拶をする。
「我ら、泡海の荘、馬場の郷から参りました。出雲との戦構えの最中とお聞きし、郷の長から命じられ参りました。我ら、兵とは名ばかり、戦の経験はなく、田畑の仕事に励んでおりました。ですが、此度、郷の長の御下知に従い、少しでもお力になれるよう奮闘いたします。どうか、戦列にお加えいただきたい。」
滔々と言葉を述べた。ワカヒコは、「それは心強い。」と、上機嫌で迎えた。
だが、スミヒトだけは、何か違和感を覚えていた。
その日の夜、美作からの援軍を迎えた事を喜び、館ではちょっとした宴が催されることになった。戦さ構えの最中であるため、濁酒はなかったが、郷から取り寄せた海の幸で、様々な料理が用意され、主だった者達が集まっていた。
「皆様が、あの出雲の軍を負かしたと聞き、なんと爽快であった事か。我らの郷は山奥ですが、そうした報せはすぐに届くものです。いや、愉快でした。」
騎馬兵の長らしき男は、豪快な物言いで、皆を讃えた。
「我が郷では、古来より馬を育てておりました。田畑の役に立つよう、鍛えております。これより、出雲攻めではきっと役に立ちましょう。」
何だか、調子が良すぎると、スミヒトは感じていた。ともに来た兵たちは、目の前の料理をぺろりと平らげると、ひとり、またひとりと席を立って、用意された部屋に戻って行った。ひとしきり、宴が終わり、皆が寝静まった。
スミヒトは、どうにも寝付くことができず、起きて、部屋の戸板を開け、月を眺めていた。ふいに、館の隅で、何か動くものがある。木の陰ではっきりとは見えないが、数人の男のようだった。
「間者か?」とスミヒトは思い、音を立てず、部屋を出て外に出た。木陰に居る男たちに気付かれぬように近付く。
「トキヒコノミコトは何処だ?」
木陰に居る男が、そんな言葉を口にしたように聞こえた。
「あやつは、トキヒコノミコトではないのか?」
もう一人の男の声だった。
「判らぬが、どうにも腑に落ちぬ事ばかりだ。」
「今しばらく様子を探ろう。」
二人はそう言うと、暗闇に姿を消した。
スミヒトは、その会話で、この者達はトキヒコノミコトを襲うためにきた刺客だと
直感した。あの騎馬兵たちに交じって、砦に入り込んだに違いない。トキヒコノミコトが不在であったため、どうするか迷っているようだった。
ここで始末できない事もない。だが、十人程の騎馬兵全てが刺客ならば、この二人を始末しても、残りの者が、砦の中で騒ぎを起こすか、火をつけるか、別の者の命を狙うかもしれない。
いずれにしても、トキヒコノミコトやタケルが不在の時、不測の事態は避けなければならない。
スミヒトはそっとその場を離れ、すぐにワカヒコのもとへ行き、相談した。
ワカヒコはクニヒコやクジ、ゴチョウらを部屋に呼び、スミヒトから、事の次第を話させた。
「どうも調子が良すぎると思っておりました。」
クニヒコが自嘲の念を込めて答える。他の者も同様だった。
「問題はこれからです。砦の中で闘うのは得策ではない。少数とはいえ、恐らく手練れでしょう。追い詰められると、火を放ち、砦を混乱させるかもしれません。何事もなく、奴らを砦から排除せねばなりません。」
と、スミヒトが言うと、クジが応えるように言った。
「だが、内情を知られてしまったのだ。放りだせば、出雲に知られて、すぐにも大軍が寄せてくるかもしれぬぞ。」
「数日でトキヒコノミコト様やタケル様は御戻りになるはず。それまでに決着をつけておきたい。」と、ワカヒコが言う。
「では、ジュングンたちが取った策ではいかがでしょう。」とスミヒト。
「トキヒコノミコト様の替え玉ということか?」とクジ。
「私にお任せください。」
スミヒトはそう言うと、策の手順を皆に話した。
翌日、朝餉の後、ワカヒコが、騎馬の兵たちを連れて、夕刻まで、砦周辺や軍船などを案内して回った。
そして、夕餉の席になって、ワカヒコが、騎馬の兵長の耳元で内緒話をするように小声で言う。
「実は、トキヒコノミコト様は先の戦で怪我をされたのだ。皆に会って貰いたいが、そうもいかぬ。奥の部屋で休まれておる。これは出雲に知られてはならぬ事。良いな、くれぐれも内密に。兵の皆にも、内緒にしてもらいたいのだ。」
それを聞いて、兵長は小さく笑みを浮かべた。そしてすぐに厳しい表情を浮かべて、囁くように答えた。
「それは忌々しき事。無事回復されることを願っております。もちろん、このことは内密にいたしましょう。」
夕餉を終え、それぞれに、部屋に戻った。騎馬兵たちも寝静まったようだった。深夜になり、騎馬兵たちが起き上がった。
「奥の部屋にトキヒコノミコトが居る。動けぬほどの怪我らしい。これから決行する。逃げ道を作っておけ。良いな。」
兵長と言っていた男ともう一人が、剣を持ち音もなく部屋を出る。他の者も手分けして、出口への順路を確認し配置に就いた。
男二人は、音もなく館の中を移動し、館の一番奥にある部屋の前に着く。脇の部屋にある武具を見て、ここがトキヒコノミコトの部屋だと確信した。
男二人がそっと戸を開け、中に忍び込む。床には男が横になっている。

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4-2 出雲の受難 [アスカケ外伝 第3部]

部屋は暗い。薄暗く顔は判らなかった。だが、戦で怪我をしていると聞き、男たちは眠っているものがトキヒコノミコトだと確信していた。
「いざ!」
男二人が剣を抜き、床に横たわる男に斬りつけた。いきなり、横たわる男が身をかわし飛び上がった。スミヒトだった。切り付けた男二人は、勢い余って転がる。隣室に控えていた、ワカヒコとスミヒトが飛び出し、男二人に斬りかかり、あっという間に切り殺された。同じころ、逃げ道を確保しようと出てきた他の男達も、クニヒコやゴチョウの手によって捕らえられていた。
「さて、どうしたものか。」
捕らえた男たちは縄で縛られ、館の広間に引き出されてきた。横には、二人の男の亡骸が筵の上に横たえられていた。
「出雲からの刺客だな。」
ワカヒコが、男達を前に脅すような口調で訊くが、男たちは、顔色一つ変えず、座っている。
「死を覚悟しているということか。・・それほどまで尽くすのは、大蛇一族からかなりの報酬を約束されたか、あるいは人質を取られているかだろう。」
ゴチョウは、男達の顔をじっくりと見て言った。
「人柱にして晒してはどうだ?刺客を送った者の見当はついている。おそらく、ジュンシュンであろう。冷徹で狡猾、自らは手を汚すことない男なのだ。どうだ、そうであろう。」
スミヒトがこれまでにない脅し口調で言う。縛られた男達は口を開かなかったが、表情は硬く、認めたに等しいものだった。
「命を拾う機会を逃したようだな。さあ、こいつらを牢へ連れていけ!」
ワカヒコが言うと、兵たちが集まってきて、男たちを砦の外にある岩牢へ連れて行き、亡骸とともに放り込んだ。岩牢は、崖下に自然にできた穴を使っていて、満潮になると背丈の半分ほど潮が満ちて来る造りだった。
「運が良ければ明日の朝日も拝めるかもな。」
男たちを連れて来た兵の一人が、吐き捨てるように言って去って行った。
砦の館に集まり、ワカヒコたちが相談をしていた。
「ジュンシュンは、卑劣極まりない男です。人の命など何とも思っていない。きっと、再び、刺客を送ってくるに違いありません。」と、スミヒトは憎し気に言う。
「この先も、砦の出入する者を警戒せねばならぬな。」と、ワカヒコが言う。
「うむ。・・それにしても、やつらが刺客だと良く気付いたな。」
クジが、スミヒトに言った。
「泡海の馬場の郷は確かに馬を育てております。ですが、今は出雲の軍が全て押えていたはず。それに、あやつらは、昨夜の料理をぺろりと平らげた。馬場の郷の者であれば、生の魚はほとんど口にすることはなく、不慣れなものを安易に口にする事はありません。あやつらは、杵築の都辺りの者に違いない。郷を偽っている事が何より怪しいと感じた理由です。」
スミヒトの答えに、一同は感心した。
「この先、どうなるのであろう・・。」と、クニヒコが、訊く。皆、押し黙った。
「我らは、大蛇の将を六人討ち取りました。残るは、首領アギムと嫡男ヒョンギ、そしてジュンシュン。ただ、出雲国から見れば、反逆者の追討に失敗したに過ぎず、我らが出雲へ攻め入れば、国を乗っ取る大罪人の誹りは免れません。出雲国の民は我らに従うことはないでしょう。」
スミヒトが冷静に言う。
「では、我らはこのまま、ここを守る他ないという事か?」
クジが不満げに言う。
「出雲の国王は、なぜ、それ程まで、大蛇一族を信用されておるのだろう?」
ワカヒコが言うと、スミヒトは少し考えてから言った。
「皆様は、出雲の国の事を、あまりご存じないようですね。・・・。」
一同は、スミヒトに注目した。
「出雲は八百万の神を敬う国。そして、八百万の神を束ねる大神、大国主命を祖をする一族が、国を纏めてまいりました。王は、神々を祀る神殿を司り、神の声を聞き、民を守る役割。したがって、巫女様が王であり、全て女性が習わし。」
スミヒトの話に、皆、驚き言葉が出ない。
「昔、王家に男子しかできず、止む無く、越の国の御力を頼り、オホド王の妹君に御輿入れいただくこととなりました。しかし、その年、出雲に大きな禍が起き、多くの民の命が失われました。ほどなく、妹君に御子ができ、女人であったために、神殿に仕える巫女となり、再び、国に安寧がもたらされたのです。この話は、出雲の民であれば、皆が知っているところ。」
「女王でなければ国が乱れるという事ですか。今の王も女人という事ですか?」
と、ワカヒコが訊く。
「実は、先の王には男子しかできず、国が乱れる事を、皆、予見しておりました。今の王が即位され、遷都されたのも、大神殿を造営されたのも、民の不信を打ち消すため。神々への畏敬の念を体現し、災いから逃れるためでした。しかし、国は乱れてしまった。」
スミヒトの心の中には、他の者には判らぬ、悲しみや絶望といったものが深く沈んで固まっているようだった。
「災いを呼び込んだと判っていて、なぜ、王は大蛇一族を重用されているのだ?」
と、クジが訊くと、スミヒトが答えた。
「王は囚われの身となられておられるに違いない。生きておられるかどうかも。」
「では・・ヤガミ姫様は・・。」と、クニヒコが唐突に口にした。
「はい。ヤガミ姫様は、我らの唯一の希望。ヤガミ姫様が王位に就かれれば、きっと国は安寧を取り戻す。皆、そう信じております。私は衛士として、命を賭けて姫様をお守りしておりました。しかし、ヒョンシクの横暴極まりない振る舞いで、御命を落としそうになられ、終に、あのように・・。」
スミヒトはそう言って、涙を流す。希望を絶たれた者の悔しさは計り知れないものに違いなかった。
「だが、ヤガミ姫様は生きておられる。きっと、正気になり、ここへ戻って来られる。そうなれば、出雲は蘇るのであろう?」
ワカヒコが、スミヒトを労わるように言った。
「数日すれば、トキヒコノミコト様が、ヤガミ姫とともに戻って来られる。」
クニヒコも言う。
「そのためにも、今は、ここで大蛇一族を迎え撃つほかあるまい。刺客だろうが、大軍だろうが、我らにこそ正義はあるのだ。敗けはせぬ。」と、クジが言う。
「おお!」
一同は、スミヒトを囲むように座り、心を一つにした。

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4-3 民の願い [アスカケ外伝 第3部]

それから数日、大きな動きはなかった。
皆で交代して、周辺の警戒に当たる。砦の下にある港には、ヒョウゴが詰めて、物資を運んでくる船や人を厳重に取り締まる。
中海にも船を出して、大蛇軍の進軍がないかを見張った。中海には、小さな島があった。そこは、出雲国になる。クジが船を出して、島陰に隠れながら、軍船が水路を通って来ないかを監視していた。
そうして、トキヒコノミコトたちの帰りを待った。
「トキヒコノミコト様たちの船が見えました!」
見張台から水路の様子を見ていたイカヤが、館に飛び込んできた。皆、喜び勇んで港で出迎えた。
船が港に近付く。
船縁に、トキヒコノミコトとヤガミ姫が立ち、手を振っている。ヤガミ姫は明らかに、それまでと様子が違う。
桟橋に船が着く。トキヒコノミコトに続き、ヤガミ姫が降りて来る。その足取りは堂々としていて、きりっとした表情の中に柔らかさを感じさせる笑みを浮かべている。
「ヤガミ姫様・・。」
スミヒトは、その場に座り込み、恥ずかしげもなく声を出して泣いた。そして、誰もが、ヤガミ姫が正気に戻ったことに安堵し、出雲再興のための一歩を踏み出す時が来た事を確信した。
館に入り、一堂に会した。
トキヒコノミコトとヤガミ姫が並んで座る。タケルは少し離れて着座した。
「ミヤ姫様は特別な御力をお持ちでした。それでヤガミ姫様は正気を取り戻す事が出来ました。」
トキヒコノミコトはそう切り出して、福部の郷での様子をつぶさに話した。皆、興味深く聞いていた。出発前に、タケルからミヤ姫の特別な力について訊いてはいたものの、これほどまでに回復されるとは思ってもいなかった。
ヤガミ姫が口を開く。
「私は、ミヤ姫様に新しい御命をいただいたのだと思っております。この先は、出雲のため、いえ、倭国のために、この命を捧げたいと思います。」
海から救い上げた後、我を失い、まるで赤子のようだったヤガミ姫を知っている者にとっては、この一言で充分だった。
出雲の神殿で、衛士として姫を守っていたスミヒトには、奇跡とも思える事だった。そして、姫の侍女としてともにいたスイとレンも、部屋の隅に居て、声を殺して涙している。
一通り、話が終わると、次は、留守中に起きた「刺客騒ぎ」のことを、ワカヒコが話した。
「捕らえた者は今どうしていますか?」
と、トキヒコノミコトが訊いた。
「牢からつれて参ります」
と、ワカヒコは答え、すぐに中庭に引き出されてきた。
数日間、岩牢に入れられていたが、生き延びていた。だが、皆、衰弱している。
「すぐに手当をして下さい。」
と、トキヒコノミコトが言う。
「命を狙った罪人です。手当など不要でしょう。」とワカヒコ。
「岩牢で充分苦しんだはずです。生き延びていたのなら、彼らにはまだなすべき事があるということです。」
タケルが言う。すぐに男たちは連れて行かれて手当がなされた。
「ヤガミ姫様が正気を取り戻されたのなら、出雲国再興を。」
スミヒトがトキヒコノミコトに進言する。
「どういうことですか?」
と、タケルが訊くと、スミヒトが出雲国の事情を一通り説明した。
そして最後に、言った。
「出雲の民は、新しき女王が姿を現され、また、穏やかで安らかな国に戻ることを強く願っておるのです。」
隣でじっとヤガミ姫も聞いていた。
「それが、私の使命なのですね。身を投げた私が救われ、今日まで生きながらえてきたのは、神々の思し召し。この先、民のために為すべきことを命の限り行いましょう。トキヒコノミコト様、タケル様、どうか御力をお貸しください。」
ヤガミ姫は覚悟を決めたようだった。
タケルとトキヒコノミコトは互いを見て強く頷く。
「姫様にはすぐにも出雲の都へ入っていただき、王位継承の詔を発していただき、大蛇一族を都から追い出していただこうではないか!」
クジが進言する。
クジは、越国の王が復活するのを経験しただけに、王の復活で大きく世が変わると信じていた。
「もちろん、一刻も早くそうすべきでしょうが、それほど上手くはいかないでしょう。大蛇一族の首領は、きっと今も兵を増やし、伯耆を攻める機会を窺っているはず。こちらも、周到に準備をすべきです。」
慎重な姿勢を見せたのは、スミヒトだった。
「では、どのようにすれば良いでしょう?」
トキヒコノミコトが訊く。
「まず、ヤガミ姫様が生きておられ、王位に就くために都へ戻られることを、出雲国中に知らせるのです。」
と、スミヒトが答えた。
「そんな事をすれば、やつらに知られ、姫の命を奪いに刺客を送り込んでくるのではないか?」
と、不満そうにクジが言う。
「女王復活は、全ての民の願いであり、神々の思し召し。女王を殺すという事は八百万の神を蔑ろにし、出雲の民を裏切る事。皆、恐れて動きはしません。ですから、一刻も早く、国中にヤガミ姫健在を知らせなければなりません。」
「とはいっても、・・」
と、クジが困惑している。
国中に知らせるというのはかなり労力と時間が掛かることだった。それに、他国の者が触れ回ったところでどこまで信用されるかもわからない。

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4-4 琥珀の勾玉 [アスカケ外伝 第3部]

「あの者達をここへ呼んで下さい。手当は済んだでしょう?」
トキヒコノミコトが、牢から引き出されてきた男たちを呼び戻し、座らせた。
皆、かなり回復しているようだった。
「岩牢の中は、辛かったでしょう。それほどの大罪を犯したのです。当然の罰です。ですが、命を取り留めたということは、まだ、為すべきことがあると神々がお考えになったはず。いかがですか?」
トキヒコノミコトが、男たちを一人一人じっくり見ながら言う。
男たちは、言われている事がよく判らず、じっと次の言葉を待っている。
「すぐに解放します。ですが一つだけ、償いとして、出雲の民のために働いてもらいたい。これから、出雲の国中を回り、ヤガミ姫が王位に就き、出雲国を善き方へ導くと知らせてもらいたいのです。どうですか?」
男たちは互いに顔を見合わせる。そんなことができるのか?
「我らのような者が触れ回ったところで、信じてもらえるのでしょうか。」
男たちの中でも一番大柄な男が初めて口を開いた。
「うむ。確かに、そうかもしれません。」
トキヒコノミコトは思案する。ふと、摂政カケルがやっていた事を思い出した。
そして、隣にいたヤガミ姫に耳打ちする。ヤガミ姫が小さく頷き、首飾りを外して、トキヒコノミコトに手渡した。
「これは、王家に伝わる勾玉の首飾り。」
そう言うと、首飾りを引きちぎり、ばらばらにした。床に勾玉が転がる。皆、慌ててそれを拾い集める。
そうしているうちに、ヤガミ姫が奥の部屋から、朱鷺色の着衣を持ってきて、引き裂き、細い紐を何本も作った。それから、拾い集めた勾玉を一つ取り上げ、細い紐を通す。そしてきつく結んだ。
朱鷺色の紐に、琥珀の勾玉。じっと見つめると不思議な光を感じた。
ヤガミ姫は、それをトキヒコノミコトに渡した。
「さあ、これを持って、ヤガミ姫が王位に就くことを国中に触れ回ってください。信じぬ者には、これはヤガミ姫自ら作られた物であると見せれば良いでしょう。王家に伝わる、この琥珀の勾玉を知らぬ者はおらぬはず。さあ、これを。」
トキヒコノミコトは、スミヒトに渡す。
スミヒトは恭しく受け取ると、一つ一つ、男たちの首にかける。
男たちは、自分たちの使命を心に刻むように、首に架けられた勾玉を握り締めた。
「命に代えて、この使命、やり遂げます。」
男たちは、トキヒコノミコトやヤガミ姫に深々と頭を下げ、立ち上がる。そして、スミヒトとともに、館を出て、馬に乗り出発した。
「そなたたちの働きが、出雲を救うのだ。しっかり働け!」
スミヒトは、走りゆく男たちに呼びかける。
八人の男達は、まず元の都が置かれていた、意宇の郡にある山代の郷に入った。通りに立ち、勾玉の首輪を掲げ、声を限りに叫ぶ。
「ヤガミ姫が王位に就かれる事となった!出雲は蘇る!」
「もうすぐ、ヤガミ姫が戻られる。皆、備えよ!」
初めは、誰も耳を貸そうとはしなかった。だが、声が枯れるほど叫び続ける姿に、徐々に耳を傾け始める。
「証拠は?」
そう問うものが現れた。
「この手にある勾玉こそ、証拠。飯山砦で、ヤガミ姫様から賜ったもの。」
そう言って、高く翳すと、日を浴びて煌めいた。
「おお、これは紛れもなく琥珀の勾玉!」
集まった民たちにどよめきが広がる。
「姫様は生きておられたのか!」
「ああ、飯山砦で、伯耆の国トキヒコノミコト様や、ヤマトの皇子タケル様たちとともにお元気に過ごしておられる。」
「いつ、出雲へお戻りになるのだ?」
「皆がこの言葉を信じ、姫様を迎える支度が整えばすぐにも。」
人びとは男たちの言葉を信じるようになってきた。
そして、それを聞いた者がまた他の者へ伝える。徐々に、女王復活の話が広がっていく。
これに確信を得て、一行はそこから、北と南、そして西へと分かれて進んだ。
西へ向かう者は、意宇の郡から、神殿までの海伝いに行く。拝志の郷、宍道の郷、健部の郷へと進み、出雲の郷へ着いた頃には、勾玉の使者が来るという噂が広がり、郷の入り口には、使者を待つものが現れるようになっていた。その後、神戸の海を越えて、さらに石見国を目指した。
石見の国は、出雲に祀られている神々の多くが住んでいるとされる国である。海岸沿いに幾つかの郷があり、一本道で繋がっている。
出雲の復活には、石見国にも朗報に違いなく、大蛇一族を抑えるためにも、石見国の協力が必要だった。使者は、石見の国の都がある、浜田の郡へ向かってひたすら進んだ。
一行は、途中から、大原の郡、玉造の郷で分かれて、飯石の郡へ向かい、さらに国境を越えて、安芸の国に入ることにした。
そのうちの一人が、大原の郡、斐伊の郷で別れて、仁多の郡に入り、山々の郷を巡ったあと、国境を越え、吉備国に入ることとなった。
残る一つは、水路を越え、北に連なる山を進み、嶋根の郡、秋鹿の郡、楯縫の郡と順に回ることにした。
楯縫まで行けば、神殿までは僅かの距離である。大蛇一族の将たちは、かつて、この辺りを拠点に、水軍を置いていた。民は虐げられ、今もなお、続いている。
この地では、通りに立って声高に知らせる事は出来ない。裏通りや通りのはずれで、出会う人々にこっそりと伝える事を続けた。そして、大蛇の兵に知られぬよう、夜な夜などこかの家に集まり、広めることにした。

こうして、徐々に、ヤガミ姫が王位に就くことが国中に知れ渡るようになっていく。
八人の男達は、琥珀勾玉の使者と呼ばれるようになり、半ばあたりからは、郷に着くと歓待を受けるまでになっていた。
飯山砦で時を待っているトキヒコノミコトたちにも、国中にヤガミ姫が王位に就くという話しが広がっている事が聞こえ始めてきた。

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4-5 ジュンシュン [アスカケ外伝 第3部]

ほとんど同じころ、出雲の神殿にいる大蛇の首領アギムの耳にも、女王復活のうわさが届いていた。
「ヒョンギは居らぬか?」
神殿の玉座で、苛立った声で、アギムが叫ぶ。すぐに、ヒョンギが神殿に現れた。
「いかがいたしましたか?」と、ヒョンギ。
「いかがした、では無かろう!女王が復活すると聞いた。どうなっているのだ!」
アギムは怒り心頭である。
「いや、それはただの噂。ヤガミ姫は、ヒョンシクが、中海で追い詰め、命を落としたはずでございます。」
「亡骸はあったのか?」とアギム。
「いえ・・」
「では、生きているかもしれぬではないか!現に、琥珀の勾玉をもった姫の使者が国中を回っておる。」
これには、ヒョンギは何も答えられなかった。
「兵は集まっておるのか?」とアギム。
「いえ・・それが・・王の宣下を出したのですが、芳しくありません。」
「お前は甘い!褒美を出しても集まらぬなら、力づくで集めるのだ!出雲の男達は全て兵にするのだ。逆らう者は、一族全ての命を奪ってしまえ。」
「しかし、それでは・・」
と、ヒョンギが抵抗する。
「できぬのか?」
アギムは凄みを持った声でヒョンギに迫る。
ヒョンギは、「いえ。すぐにかかります。」と返答するのがやっとだった。
「もう良い!誰か、ジュンシュンを呼べ!」
すぐに、ジュンシュンが現れる。
「おお、ジュンシュン。どうだ、その後、策は上手くいったのか?」
アギムが訊く。
「いえ、出した刺客は戻ってきておりません。失敗したようです。」
「何とした事か!・・次の刺客は送ったのか?」
「あれから、砦の守りが強固になり、付け入る隙がありません。」
「では、やはり、大軍をもって攻め入るか。」
アギムの言葉に、ジュンシュンはニヤリと笑みを浮かべる。
「アギム様、手は打ってあります。」
「ほう・・何か策があるのか?」
「韓より逃がれた者は我らだけではありません。ほかにもおります。」
「だが、どこに居るとも判らぬのでは?」
「隠岐に潜んでいることが判りました。先日、出雲に迎えてやると、報せを出しました。倭国の者には一方ならぬ恨みを持つ者もおります故、ぞんぶんな働きをするにちがいありません。」
「何と・・援軍ということか。それは良い。で、いつ来る?」
「明日にも、先陣が姿を見せましょう。三日もすれば全軍到着となるはず。」
「そうか、そうか・・」
アギムはジュンシュンが算段した事を一度飲み込み、自分なりの策を考えていた。幾度か、首をひねり顎に手を当て、思案している様子を見せる。
ふいに、アギムは立ち上がり、二人に向かって言った。
「七日ののち、ヒョンギは、兵を率いて、陸路で飯山砦へ向かえ。ジュンシュンは、隠岐からの援軍を東へ向かわせ、海より攻めよ。海と陸、両方から一気に攻め入る。皆殺しにするのだ。良いな!」
「はい。承知しました。」
二人は、そう返事をして、玉座の間を出た。二人は何の会話もせず、そのまま神殿を後にした。
ヒョンギは、神殿近くの自分の館に戻った。
アギムに命じられた通り、神殿の衛士たちを率いて、郷を回り、兵となる男たちを集めることができるだろうか。多くの郷では、女王復活の話が浸透しているとも聞いた。アギムが言うように、女、子どもを人質にして兵を集める事にはどうしても抵抗があった。
「ヒョンギ様、ひとつご提案があります。」
思案をしているヒョンギを見かねたのか、側近の一人が申し出た。
「あぶれ者を集めてはいかがでしょう。郷からはじき出され、放浪している者は少なからずおります。そういう者なら、女王復活など気にもしないでしょう。多少の褒美と住む場所を与えると誘えばきっと集まるはずです。」
ヒョンギの側近も、そうした輩であった。
「判った。其方に任せる。」
「承知いたしました。」
側近はすぐに館を出て行った。
数日が過ぎた頃、ヒョンギの館の前には、多くの男達が集まっていた。
「ヒョンギ様、ざっと三百ほど集まりました。」
かの側近は得意げな表情でヒョンギに報告する。すぐに武具が用意され、それなりの軍勢となった。
一方のジュンシュンは少し思惑とは違っていた。
「隠岐に隠れていた韓の者達はどうした?」
ジュンシュンは、側近たちに訊く。
「隠岐は出て、加勢に向かってはいるのですが、嶋根の郡、惣津の浜辺りに留まっておるようです。」
「何をしておるのだ!」
「どうやら、この機に、小さな郷を襲い、嶋根の郡あたりを我が物にせんと考えて居るようです。」
「なんと・・そういうことか・・。」
ジュンシュンはそう言って少し思案した後、側近に言った。
「まあ、良かろう。あの辺りで騒ぎを起こしてくれれば、容易くこちらに攻め入る事もなかろう。伯耆の軍勢も動けぬであろうからな。くれぐれも、こちらに攻め込まぬよう、見張りをつけておけ。」
「承知しました。」
「わが軍勢も船をしたくせよ。稲佐の浜から外海へ出る。我らも、かの者達に加わり、美保の郷辺りから、伯耆の軍を攻める。急げ!」
ジュンシュンはそう言うと、ニヤリと笑みを浮かべた。

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4-6 吉備からの遣い [アスカケ外伝 第3部]

「吉備の遣いという者が砦の前におりますが、いかがしましょう。」
ヒョウゴが、砦にいるトキヒコノミコトに知らせに来た。すぐに、タケルとトキヒコノミコトが、砦の表門に出て行く。
遣いは二人だった。いずれも、跪き首を垂れて待っている。
「吉備からの遣いと聞いたが。」
トキヒコノミコトが問うと、遣いは、すっと顔を上げ、強い視線を向ける。
「はい。先般、皇子タケル様に御子がお出来になられたとの話を、難波津で伺い、あわせて、出雲の騒動を収めるため、伯耆に入られたと聞き及びました。我が国主から、援軍を出すべしとの命が下り、先鋒として参りました。」
遣いの男の言葉は確かだった。
「それで、援軍は今どこに?」
と、トキヒコノミコトが訊く。
「国境あたりまで参っております。騎馬の兵が二百ほどの軍勢でございます。」
遣いの男が告げる。
「騎馬が二百とは、大層な軍勢ですね。」
遣いの男の言葉を聞き、タケルが言う。
「畏れ多い事でございます。もっと多くの兵をと国王はお考えのようでしたが、なにぶん、長く戦の無い時が過ぎたため、腕に覚えのある者も少なく、とりあえず、騎馬兵となれる者だけで参っております。どれほどの御力になれるか、申し訳なく思っております。」
遣いの二人は、顔を伏せ、事情を話した。
「いえ、良いのです。私は、大きな戦にしたくありません。出来れば、戦わずに済ませたいのです。しかし、敵はそう考えてはおらぬはず。皆様には、どうか、民を守る盾となっていただきたい。お願いいたします。」
タケルは、先鋒の二人に丁寧に返す。
「もったいない御言葉。承知いたしました。明後日には到着いたします。」
先鋒としてきた二人は砦に入った。
「時は来たようですね。」
トキヒコノミコトがタケルに訊く。
「そのようです。ヤガミ姫様には、出雲の民、倭国の民のため、出雲へ向かっていただきましょう。」
タケルが答える。
すぐに出立の支度が始まった。海路と陸路の両方から、出雲の都へ向かう事にした。ヤガミ姫は、トキヒコノミコトとともに、海路で都へ向かう。陸路は、ワカヒコ、クニヒコ兄弟が率いる軍勢が進む。タケルは、吉備の騎馬兵とともに進むことになった。
支度が整った頃、琥珀勾玉の使者として西へ向かった者が戻ってきた。
「至急、お知らせしたき事が・・。」
琥珀勾玉の使者は、馬から飛び降り、砦の表門で叫ぶ。ヒョウゴが慌てて門に向かい、話を聞く。
「安芸国から騎馬兵二百が我らの援軍として、国境を越えた頃でございます。さらに、石見からも軍船を出し、出雲へ向かうとの事。すでに、神戸の海辺りまで来ているようでございます。」
「その話、確かか?」とヒョウゴが念を押すように訊く。
「私は、大原の郡、玉造の郷で分かれて、飯石の郡へ向かい、さらに国境を越えて、安芸の国に向かいました。そこで、騎馬兵の軍勢と出逢いました。間違いありません。ヤマト国皇子への加勢であると申されておりました。」
「ふむ。だが、石見の軍船は?」
「それは、こちらに戻る途中、ともに参った者から言付けされた事。岩見の国の都に入った者から、国主と対面し、軍を送る約束を取り付けたと申しておりました。既に港を出たとのことです。」
「わかった。ご苦労であった。少し休め。よう働いた。もはや其方らは、出雲の救い主となったぞ。」
ヒョウゴは、琥珀勾玉の遣いとなった男を労った。
すぐに、ヒョウゴはその話をトキヒコノミコトに報告した。
「もはや、勝ったも同然でしょう。これほどの軍勢で取り囲めば、大蛇一族も降伏せざるを得ない。無益な戦いは避けられるに違いない。」
トキヒコノミコトは、タケルやヤガミ姫に向かって言った。
だが、タケルは少し胸騒ぎがしていた。
安芸の騎馬兵は、陸路で合流できるとしても、石見の水軍は、トキヒコノミコトたちより早く、出雲へ入るだろう。もしも、そこに大蛇一族がいれば、無益な戦いが始まるに違いない。
「先ほどの者はどこですか?」
タケルは、戻ってきた琥珀勾玉の使者が休んでいるところへ足を運ぶ。先ほどの男は、体を洗い横になっていた。皇子タケルが来たと聞き、飛び起きた。
「いや、そのままで構いません。」
タケルはそう言うと、起き上がった男の隣に座った。
「随分、苦労されたようですね。ゆっくり休んでいただきたいのですが・・。実は、先ほどの話を聞きどうにも心配でならないのです。石見の水軍が大蛇の軍の近くに姿を見せれば、いつ、戦いが始まるか判りません。石見の皆さんは、長く、戦をされたことはない。仕掛けられれば、大勢の犠牲者が出るに違いありません。私はそのようなことを望んでおりません。ヤガミ姫も同じだと思います。」
タケルはゆっくりとした口調で男に話した。男はタケルの話に頷きながら、聞き入っている。
「出来るだけ早く、石見の軍へ戦をせぬよう伝えたいのです。」
男は、すっと立ち上がり、胸から下げた琥珀勾玉の首飾りを握り締め、タケルに向かって言った。
「すぐにも、石見の軍へタケル様やヤガミ姫様の思いをお伝えいたします。二日もあれば、神戸の海辺りには着きます。きっと、石見の軍を探し出し、お伝えいたします。」
男は、そのまま館を出ていく。タケルは、男を見送る為、砦の門まで出て行く。男が走り出すのと入れ違いに、港から、クジが戻ってきた。
「大変です。タケル様、新たな敵が現れました。」
「新たな敵?」
「はい。粟島の沖に小舟がおりました。見ると、琥珀勾玉を持った男が息絶え絶えに乗っておりました。・・その者が言うには、山の向こう、美保の郷辺りを荒らしている韓の軍勢がいるようです。大蛇軍とのつながりは判りませんが、このままにはしておけません。」
クジは慌てて砦へ入り館へ向かった。
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4-7 隠岐からの敵 [アスカケ外伝 第3部]

「韓の軍勢か・・・。きっと、隠岐辺りに潜んでいた輩でしょう。」
クジから一通り話を聞いたトキヒコノミコトが言う。
「韓国は以前から戦乱が絶えず、大蛇一族も、韓の戦乱から逃れて来た者。以前、丹波の国で、隠岐の隣島に、多くの韓の者が潜んでいると聞いたことがあります。」
それを聞いて、タケルが言う。
「以前、難波津に居た時も、辰韓と弁韓の戦から逃れて多くの韓人が来ておりました。おそらく、そうした者の中には、軍を率いていたような将もいるでしょう。容易く退けられるような相手ではないかもしれません。」
「大蛇一族に通じているとなれば、油断できません。」
トキヒコノミコトがタケルに応えるように言った。
皆が沈黙した。
吉備や安芸の騎馬兵が加わり、さらに石見も水軍が加勢することになり、大蛇軍には敗けぬほどの勢力となっている。このまま一気に押していけば、大蛇軍を打ち破る事は出来る。だが、隠岐からの軍勢が、背後から迫ってくれば、挟み討ちに遭い、難しくなる。
「ここは、私にお任せください。水軍との闘いなら、越からの船が役に立ちます。」
そう言って、立ち上がったのはクジだった。越からの船は、越の王ヒシオが三国の港主に命じて隠していた鉄製の屋根を持った特別な船だった。
「連れて来た者達は、弓の名手が多い。それに、小さな弩も設えております。あの船で、韓の水軍を攪乱いたします。」
クジが勇ましく言うと、ヒョウゴが続ける。
「攪乱した後、中海へ誘い込み、能代の海へ通じる水路で一気に片付けましょう。それは私が差配いたします。」
「おお、それは良い考えじゃ。狭い水路を水軍の船が入ってきたところを攻めれば、きっと勝てるぞ。」
クジがヒョウゴを見て笑顔で答える。
「韓の水軍は我らで始末いたします。トキヒコノミコト様、ヤガミ姫とともに出雲へ。ワカヒコ様、クニヒコ様も、船で出雲へ向かわれるが良いでしょう。」
ヒョウゴが進言する。
「それでは、私は、吉備や安芸の騎馬兵の軍勢とともに、ヤマト国の軍として、陸路で出雲神殿へ向かいましょう。」
タケルが言う。
「それでは、皆さん、くれぐれも御無事で。」
トキヒコノミコトが、皆の決意を確かめ、号令した。
クジたちはすぐに、飯山の港から出航していった。水路を通り、外海へ出ると一気に美保関の郷を目指す。岬を回り込んだところからは、海岸近くを進む。暫くすると、前方に、韓船が数隻いるのが見えた。いずれも桟橋に着けられている。
「郷を荒らしているのか?」
岩陰に隠れながら、船を進める。
「クジ様、あそこに別の船がおります。」
手下の兵が、沖合を指さす。韓船とは明らかに違う造りの船だった。
「大蛇の船であろう。やはり、韓の水軍と大蛇は通じているようだ。」
クジが言うと、手下の兵が訊く。
「いかがしますか?」
「あの船が合流する前に、攻めるぞ。さあ、進め。」
クジの船が、岩礁から飛び出し、韓船が留まっている港へ進む。そして、留まっている船に向かって、火矢を放つ。郷を襲いに行っているためか、船に居る兵の数は少なく、殆んど反撃してこない。
クジは、幾度も、韓船に近づき、火矢を放つ。数隻の船から炎が上がった。それを見て、郷から韓の兵たちが続々と戻ってくるのが見えた。
「これくらいで良かろう。さあ、戻るぞ。」
クジの船は、一気に速度を上げて、中海を目指して行った。
沖合に居た船は、ジュンシュンの船だった。港にいた韓船から煙が立ち上るのを見て、慌てて、港へやって来た。その頃には、クジの船の姿はなかった。
「どうした事だ!」
ジュンシュンが、驚いている。韓の兵たちは火を消すのに必死だった。何とか消し止めた頃、ジュンシュンは隠岐から来た韓の水軍の将軍と対面できた。炎を上げた船はいずれも大した被害ではなかった。
韓の水軍の主船の部屋で、ジュンシュンは将軍と対面した。
「抜かったな!」と、ジュンシュンは、韓の水軍の将軍イムスクに言う。
「何を言う!これしきの事、大したことではない。」
イムスクは荒っぽい言葉で返す。
「それで、この先、どうする?」と、イムスクが訊く。
「伯耆の奴らを殲滅する。おそらく、やつらは、出雲へ向けて進軍するだろうから、背後から襲い殲滅する。」
「相手はどれほどなのだ?」
「間者からは三百もおらぬと聞いている。船も三隻ほどではないかと・・イムスク殿には、たわいもない相手ではないか?」
「まあ、恐るるに足りぬわ!だが、先ほどの船はなんだ?」
「いや、よく見えなかったが・・どういう船だった?」
「小さいくせに動きが早い。鉄の屋根を持っていた。兵が少なく反撃できなかっただけだがな。まあ、本気でやれば大したことはなかろう。」
「ふむ。では、すぐにも出発を!」
「いや、そのまえに、褒美の話をしようではないか。この先、伯耆の奴らを殲滅し勝利したら、我らにはどのような褒美があるのだ?」
「何が望みだ?」
「伯耆の国を我らのものにしたい。」
ジュンシュンの顔が強張る。伯耆の国一国を与える事は、いずれ大きな障りになると容易に想像できる。だが、ここで機嫌を損ね、援軍の約束を取り付けられなければ戦いは厳しくなる。
「良かろう。切り取り次第というのはどうだ。伯耆の軍を退けたのち、イムスク殿が伯耆を攻め勝ち取った所は全て所領とすれば良かろう。」
「承知した。ならば、この嶋根の郡も我らがいただく。既にここは我らが抑えておるのだ。構わぬであろう。」
イムスクはそういうと立ち上がり、他の船にもすぐに出航の支度をさせた。すぐにジュンシュンの船を先頭に、イムスクの軍船が後に続き、中海へ向けて出発した。

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4-8 中海の戦い [アスカケ外伝 第3部]

クジの船は、イムスクの船団を攻撃した後、急いで中海へ戻ってきた。そして、中海の中ほどにある、岩礁だらけの大根島に隠れ、イムスクの船団を待った。
その頃には、ヤガミ姫の乗った船団は、すでに水路を抜け、能代の海へ入っていた。ワカヒコやクニヒコなど主だった者達も七隻の船に分乗して、出雲の神殿を目指した。
日が傾き始めた頃、ようやく、ジュンシュンとイムスクの船団は、中海へ入ってきた。クジは監視を続け、ジュンシュン達が、美保関の港に入ったのを確認した。
美保関の港では、夜通し松明が焚かれ警戒が続いている。漁師の格好をして、小舟で様子を見て来た者が、クジの許へ戻ってきた。
「軍船は十一隻。かなりの大軍でした。隠岐から来た者の将は、イムスクと名乗っているようです。美保関の郷では、我が物顔で民を使っておりました。大蛇の将軍は、ジュンシュンのようです。」
「ジュンシュンか。気を抜けぬ相手だな。」
また日が明けきらぬうちに、クジは船を出した。
「騒ぎになれば良い。奴らが動きはじめたら引くぞ。」
クジはそう号令して、美保関の港にいるジュンシュンとイムスクの船団に向けて、再び、火矢を射る。
早朝からの攻撃で、美保関の港にいた、イムスクの兵たちは浮足立った。
「静まれ!敵はすぐそこだ。すぐに攻撃せよ!」
そう命じられたものの、すでにクジの船は遠くに逃げ去り、矢を射かけても届きはしない。
イムスクは、すぐにクジの船を追うように港を出た。クジは、一目散に能代の海へ通じる水路を目指した。
「おのれ、目障りな蝿め!」
イムスクの船団は、早朝の攻撃で冷静さを欠き、統制を失ったまま、クジの船を追い掛けて水路へ入ってくる。水路の中ほどに、塩楯島と呼ばれる小さな島がある。クジたちの船は小さく、小島の茂みの中に隠れることができた。
塩楯島のある辺りは、両岸からの山が迫っている。
ヒョウゴは、兵を連れて、飯山砦から一足先に朝酌の郷へ向かい、水路にせり出すような山に陣を張った。対岸の矢田の郷にも、同じように陣を張っていた。
少し遅れて、ヤガミ姫を乗せた船が通るとの知らせを聞いた、郷の者たちが、出迎えのため、水路の両岸に大勢が集まってきた。郷の者達は、ヒョウゴの話を聞き、そのまま兵に加わり、両岸には弓を構える者がずらりと並んでいた。
そこへ、イムスクの船団が入ってくる。水路の幅は広いが、大型の船が通れる深みのある場所は限られている。両岸が迫る場所は特に狭くなっている。軍船は速度を落とし、注意深く進んでくる。ほとんど、船尾と舳先がぶつかるほど近づいて、ゆっくりと進む。兵たちも、水路を行く船の底に気を取られている。
「よし、今だ!射かけよ!」
ヒョウゴが号令を発すると、両岸から雨のように火矢が降り注がれた。慌てて、軍船の兵たちも反撃する。弓を構えるが、高台に向けて矢を放つのは難しい。ましてや、雨のように降り注ぐ火矢が、次々に兵を襲う。甲板にも突き刺さり、いろんなものに燃え移る。三隻並んだ船は身動きが取れなくなり、格好の的となっている。火の手が上がり消し止める事が難しくなった船から兵たちが次々に飛び降りる。
「緩めるな!一気に攻める!」
ヒョウゴはさらに語気を強めて、号令をかける。
イムスクの船団は十隻ほどもいたが、大半が身動きが取れずにいる。そこへ、火矢が降り注ぐ。多くの船が燃え上がり、兵たちは船を捨てて海へ飛び込んでいく。
「逃げ出した者は捕らえよ!」
岸辺から小舟が出て、海に身を投げた者を捕らえていく。捕らえた兵の多くは、嶋根の郡から捕虜になって連れて来られた者達だった。
イムスクの乗る主船は、辛うじて反転し、逃げようとした。
そこには、クジの船が待ち構えていて、火矢を放ち攻撃をする。それでもイムスクの船は逃れようと必死だった。船からは矢が飛んでくるが、鉄製の覆いを持つクジの船はびくともしない。だが、イムスクの船も徐々に水路から中海へ向かっていく。このまま逃せば、再び、軍勢を連れて戻ってくるかもしれない。
「弩を使う。支度せよ!」
クジは、そう言って、舳先に取り付けられた弩の支度をさせた。
舳先の屋根を外す。前方に逃げていくイムスクの船が見えた。太い鉄の矢が狙う。
「船尾へ出来るだけ近づくのだ!」
徐々に速度を上げて、イムスクの船に近づいていく。イムスクの船から兵たちが矢を射かけてくるが、クジの兵たちも応戦する。
「よし!放て!」
鉄の矢がビュンと大きな音を立てて飛ぶ。
ほんのすぐ目の前にまで迫っていたイムスクの船尾、舵の付け根に命中する。ドーンという音とともに、船尾が壊れる。数人の兵がその勢いで海へ投げ出された。
海面には、壊れた船の破片が浮かぶ。イムスクの船を見ると、舵が根元から折れていて、鉄の矢は船の後方にある船室も破壊していた。
「イムスク様!イムスク様!」
兵たちが、慌ててイムスクの姿を探しているのが判る。イムスクの船は後ろ半分が大破している。
暫くすると、舵を失った船が水路の流れに押され、中海へ流れていく。
クジは、暫く、イムスクの船を追っていく。すると、海面に浮かぶ船の破片に交じり、人影を見つけた。身なりから将軍だと判った。
「イムスクは死んだようだ。後は、ジュンシュンのみ。」
クジはイムスクの亡骸を引き上げ、ジュンシュンを探した。
ジュンシュンは、美保関の港を出た後、少し離れて、戦況を見ていた。水路に入った船団が次々に火に包まれるのを見て、敗色を悟っていた。
「やはり、ここに隠れておったか。今朝の襲撃はやはり我らを呼び寄せるためのものであったな。しかし、イムスクも大した者ではなかったな。やはり、韓から逃げ出して隠れ住んでいるような者は当てにはならぬ。よし、戻るぞ。」
ジュンシュンは、イムスクを見限り逃げ出そうとしているのをクジが見つけた。
「きっとあれは、大蛇のジュンシュンの軍船に違いない。追うぞ!」
ジュンシュンの船は、潮の流れに乗り、一気に外海へ出て、そのまま沖へと離れていく。クジの船は、あと一歩のところで追いつけなかった。
「奴は、きっと、また戻ってくるにちがいない。その時こそ、決着をつける。」
遠ざかるジュンシュンの軍船を見ながら、クジは呟く。

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4-9 ヤマトの軍勢 [アスカケ外伝 第3部]

一方、タケルは、琥珀勾玉の使者達とともに街道を進み、かつての都であった山代の郷で吉備の騎馬兵団と合流し、更に西へ向かう。
更に玉作山の麓の拝戸の郷で、安芸の軍勢が合流し、五百ほどの騎馬兵の軍勢となった。街道筋の郷では、タケルたちの軍勢は歓迎され、郷から多くの男達が兵として同行してきた。
そして、その先の宍道の郷に入った時、タケルは目を疑う光景に出会った。
街道沿いにある集落には、人影が無い。そればかりか、家屋の多くが焼け落ちていて、あちこちに亡骸が転がっている。戦いがあったのとは違う、一方的な殺戮が成されたような光景だった。
「先日通った時は皆、穏やかに暮らしておったはず・・・・・いったい、何があったのだ。」
石見の軍勢にタケルからの言伝を伝えた琥珀勾玉の使者が、慌てて馬を降り、涙を浮かべて、亡骸を弔いながら呟く。
「これは、出雲の軍勢の仕業なのか?」
吉備や安芸の騎馬兵たちも馬を降り、亡骸を集め弔った。
「このような幼子まで・・」
騎馬兵の一人が、焼け落ちた家の中から、幼子の亡骸を抱えて出て来た。
余りにも痛ましい光景に、皆、言葉を失った。
そこから先は、同じような光景が続いた。
そして、古志の郷に着いた時、ようやく、郷の老婆と出会うことが出来た。
古志の郷は、神門の海の湿地帯を長年かけて拓いた地であった。ここには、かつては、「古志(こうし)」という国があった。
神門の海は、水運の要衝の港であり、大陸からの船も寄港し隆盛を極め、出雲の西から石見一帯まで治めるほどの力を得ていた。大陸から渡ってくる渡来人がもたらす優れた技術や知恵も、国の繁栄に繋がっていた。
神々への信仰も厚く、東出雲を治めていた国王とも親しく、得た財を神々へ献上するほどの関係であった。
だが、海の向こう、韓の戦乱が激しくなると、寄港する船も減り次第に力を失って、越国と縁を結び力を得た、出雲国に取り込まれてしまったのだった。
大蛇アギムが、出雲の王に取り入った時、渡来人の中には大蛇一族を悪しき者としていた者も多く、何かと出雲国に背くような出来事が起きていた。そのために、出雲国の王は、古志を敵対勢力と見なし、神門の海に面した郷は、幾度も大蛇一族が送り込む輩に荒らされていた。そのため、古志の郷長は、南にある久奈古の丘に隠れ里を作り、民はそこへ逃れるのが常となっていた。
「出雲の軍勢の仕業じゃ。奴らは、家々に押し入り、人々を連れて行った。抗う者者は殺され、家も焼かれた。非道極まりない者達じゃ。」
なんとか逃げ延びた翁は、怒りに震えながら話した。
「なんという事か・・」
タケルは、翁の話を聞き、これまで見て来た無残な郷も、同じように出雲の兵がやったことだと確信した。
「これまでもそうした事はあったが、此度は、女や子どもも全て捕まえて行った。我らの郷は、長様の御差配で、こうして逃れた者が居るが、周囲の郷では。」
「で、長様は今どちらに居られますか?」
その翁は、顔を伏せた。すると、隣に居た者が小さく答える。
「郷を守るために、郷の男たちとともに、出雲の兵たちと戦い、命を落とされました。あの丘の上に埋葬しております。」
久奈古の丘の一番高い所に、生き残った人々が登って、墳墓を作っていた。
「捕らえられた方々は何処へ連れていかれたのでしょう?」
タケルは翁に訊く。
「おそらく、神殿であろう。以前、神殿を作るために、男たちが人躯として連れていかれた。此度もそうであろう。」
「だが、女子供まで連れていくというのは・・。」
兵とするためなら、男達だけで良いはず。力のない女や子供を連れて行ったところで、兵には出来ない。
タケルは、最悪の事態を想像した。大蛇軍は、民を人質にして、ヤガミ姫の軍やヤマトの軍が攻め入る事が出来ぬようにするつもりではないか。民の命を盾にされては戦えない。
「とにかく、今は、ここに生き残った皆さんをお守りいたします。」
タケルは、古志の郷の民とともに、亡骸を弔い、荒らされた郷を修復し始めた。
そして、郷の周囲に強固な柵を巡らし、そこに陣を張ることにした。
出雲の神殿までは、神門の海を挟んで、対面する形となる。
「タケル様、これからどうされるおつもりですか?」
古志の陣に作られた見張台から、神殿の方角を眺めながら、吉備から来た騎馬兵の長セリヒコがタケルに訊いた。
タケルは、翁から聞いた話から、連れて行かれた者達が人質となり、大蛇軍の盾とされているのではという考えが頭から離れなかった。
すぐにでも救わねばと思いつつも、これだけの軍勢で攻め込めば、それだけ犠牲も増える事になるに違いない。大きな戦いにせず、民を救う事は出来ないか考えてみたが、なかなか良策は浮かばなかった。
「敵を知らねば、攻め手も定まらないでしょう。連れて行かれた方々の事も心配です。今、大蛇の兵たちはどこにいるのか、人質となった人達はどうしているのか、調べなくては・・。」
「ならば、我ら騎馬兵にお任せください。一日あれば、様子も判りましょう。」
セリヒコが申し出た。
「我らはヤマト国の者。我らが先陣を切って神殿に攻め入ることはあってはならないと考えています。そうなると、ヤマトが出雲を侵したこととなります。我らは、出雲を正しき形に戻すために手助けする役にならねばなりません。」
タケルは、神殿の方を眺めながら、セリヒコに言う。
「判りました。ほんの数騎で参ります。」
「それと、その様子は、ヤガミ姫のおられるところに伝えてください。兵を繰り出せば犠牲が大きくなるとお伝えください。」
「承知しました。」
セリヒコはそう言うと、数人の兵を連れて、馬で駆けだして行った。
タケルは、見張台の上から、その様子を見送った。
「トキオなら、むやみに兵を繰り出さぬはず。」
タケルは、呟いた。そこに、石見への使者に立った男が姿を見せた。

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4-10 長門からの使者 [アスカケ外伝 第3部]

琥珀勾玉の使者は、タケルの前に、傅いて言った。
「石見の軍勢は、神門の海に控えております。戦が始まればすぐ参ります。」
「ご苦労でした。大きな戦いにならぬようにしたいのですが・・おそらく、石見の方々の御力を借りねばならぬ時が来るはずです。」
「承知しました。・・実は、タケル様に拝謁したいと申す者が来ておるのですが、連れて来ても宜しいでしょうか?」
「どこの御方でしょうか?」
「それが・・長門国からの使者と申しておるのですが・・。」
「判りました。ここへご案内してください。」
しばらくすると、使者の男は、若い娘を連れて来た。娘とともに、屈強な男が二人、護衛役をしてきたのだろう。
その娘は、長い黒髪を一つに束ね、上品な衣服を身につけている。歳は二十歳くらい、しっかりとした眼差しでタケルを見て、足元に跪き、深く首を垂れた。護衛役の二人も同じように傅いた。
「タキと申します。初めてお目に掛かります。長門の国から参りました。」
長門の国は、昔、アナト国といい、カケルとアスカが九重・邪馬台国の復興を遂げた後、訪れた国であり、タケルは、アスカケの話で知った国だったと思いだした。
「長門の国は確か、石見のさらに西にあり、大陸から来る船を安全に内海を案内し、敵から倭国を守っている国だと聞いておりますが・・。」
タケルが訊く。
「はい。タケル様が出雲国の争乱をお鎮めになられると伺い、長門国からも援軍を出すと、王が宣下なさいました。私は、先遣として、こちらに参りました。」
「援軍ですか・・。」
タケルはやや気が重くなった。
「はい。五隻の軍船でこちらへ向かっております。あと数日で神門の海へ着くはずです。」
「そうですか・・。」
タケルは、吉備、安芸に加え、長門の兵まで集まってきた事を少し憂いていた。このまま、ぶつかれば、ヤマトが出雲を侵してしまう構図となり、正しき国作りとは言えない。これから向かう先には、人質になった出雲の民がいる。大きな戦になれば、多くの者が命を落とすことになり、この先、出雲では、ヤマトへの恨みを持つ人々が生まれ、不穏な世に向かうに違いない。
タケルの表情は暗い。タキはそれを察知した。
「タケル様は、やはり、戦をお望みではないようですね。」
タキはそういうと、小さく笑みを浮かべた。
「やはり・・とはどういうことですか?」
タケルは怪訝な顔でタキに訊ねた。
「申しわけございません。長門国を出る時、王様も、愚かな戦は望まぬが、民を守る為なら仕方ないと申されました。それに、水軍を率いておられる将も、タケル様はきっと我らが援軍として行くのを歓迎されぬだろうとおっしゃいましたので。」
タキの言葉には何か含みを感じた。
「王が戦を望まないと?」と、タケルが尋ねる。
「はい。長門の国は、昔、アナト国と称しておりました。タマソ王は、ヤマトの国を支える国作りをされるようになり、長門の国と名を改めたのです。」
「タマソ王。懐かしい名を思い出しました。」
アスカケの話の中で、前の王の失政から民を救うため、命を賭けて戦った勇猛な人だったと聞いていた。中津海の島を拠点に、行き交う船の安全のため、常に目を光らせていて、難波津では韓人の騒動の時にも、韓の様子を伝えていた。
「長門の国には、時折、大陸から海賊のような者達が姿を見せます。将は、むやみには戦われません。圧倒的な数の軍船を並べ、戦いは無意味だと知らせるのです。たいていのものは、降参し従います。命をむやみに奪うことは人のすべきことではないと常々申されています。」
圧倒的な数の軍勢を見せる事で敵が降参する、此度もそうであってほしかったとタケルは思った。
「なかなか肝の座った御方のようですね。」
タケルが言うと、タキは少しはにかむような笑顔を見せた後、言った。
「そのようです。おそらく、タケル様に負けぬようにと努力されたのでしょう。」
「私に負けぬように?」
「ええ、我が将は、ヨシト様といわれます。大和でタケル様たちとともに育ち、難波津からタマソ様とともに中津海へ参られた御方です。」
「ヨシト・・ヨシトが長門の水軍を率いているのですか?」
「はい。」
ヨシト、久しぶりに聞く名だった。もっと多くの事を学びたいと言い、アナト王タマソに付き従い、中津海へ向かってから、何年が過ぎたのだろう。長門国の水軍を率いる大将になるとは思いもしない事だった。
タケルは、今、出雲がどういう状況なのかをタキに話した。
「一刻も早く、皆様をお救いせねばなりませんね。」
タキは小さく呟き、護衛の者を見る。護衛の一人が、腰にしていた包みを広げて、巻物を取り出した。タキはそれを受け取ると、タケルの前に広げる。
「タケル様、これは、この辺りの絵図です。ヨシト様は、長門に来られてすぐに、中津海や西海、九重、北海などの絵図を作っておられました。水先案内人や水夫たちから丁寧に話を聞き、少しずつまとめて来られました。此度の援軍に際して、これをタケル様へ届けよというのが先遣の使命だったのです。」
それは、かなり正確に、稲佐の浜や神門の海、能代や中海が描かれていた。タケルは絵図と目の前の風景とを見比べる。
「おそらく、出雲大蛇の軍はこの辺りではないかと・・。」
タキはそういうと、絵図の上に小石を置く。
「そして、タケル様達がここ。ヤガミ姫様たちは・・」と、タキが言うと、
「おそらく、ここでしょう。そして、石見の軍船はこの辺り・・。」
と、タケルが小石を置いていく。
「そういう事か・・。」
タケルは絵図を見ながら呟く。
「はい。長門の水軍は、稲佐の浜へ向かうのが良いようですね。」
タキは、笑顔を浮かべて答えると、もう一人の護衛役の男に、すぐに長門の水軍へ知らせるように言った。男はすぐに、出て行った。
「これで、出雲大蛇の軍は完全に包囲できます。あとは、どうやって人質になっている方をお救いするかでしょう。」

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4-11 都我利の郷 [アスカケ外伝 第3部]

ヤガミ姫を乗せた船は能代の海を渡り、都我利の郷に着いていた。
都我利の郷は、斐伊川の河口にあり、そこから山沿いを行けば、神殿まではそれほど遠くない。
トキヒコノミコトは、皆に命じて、ここに砦を築くことにした。その話が、半島に広がり各地から民が集まってきた。
そうした頃に、吉備の騎馬兵セリヒコが、都我利の郷へ着いた。セリヒコは、トキヒコノミコトやヤガミ姫の前で、古志の郷の様子を伝えた。そして、敵陣の様子を探ってきた事も話した。
「捕らえられた人々は、やはり、人質となっておりました。そして、浜山の敵陣の周囲に張られた柵に繋がれております。男だけでなく、女や子どもも・・。このままでは、数日も耐えられず命を落とすに違いありません。」
「なんという酷い事を・。」
話を聞いたヤガミ姫は涙を流している。
「それで、タケル様はどうされると?」と、トキヒコノミコトが訊く。
「攻め入れば多くが命を落とすことになると言われ、策を練っておられますが。」
それを聞いたスミヒトが口を開く。
「浜山は、神殿から南の丘陵地。大蛇軍は、南に居るヤマトの軍への備えはしているでしょうが、東から神殿へ向かう山際の守りは弱いはずです。そこに、我らの軍が、攻め入れば、神殿と浜山を切り離すことができます。」
「だが、人質となった者の救出はどうする?むやみに戦は出来ぬ。」
と、ワカヒコが言う。
「浜山の軍は、民を楯にしているわけですから、そこから出て来る事はないでしょう。せいぜい、矢を放つ程度に違いない。それならば、真っ直ぐに神殿に向かえばよいのではないでしょうか?神殿を奪い返せば我らの勝利。」
とスミヒトが言う。
話はまとまり、トキヒコノミコトたちは全軍を上げて神殿へ向かい始めた。セリヒコは、急いでタケルたちのものへ走った。

その動きは、すぐに、神殿に居るアギムの耳に入った。
「ヒョンギを呼び戻せ!迎え討つ!兵を集めよ!」
玉座の間で、アギムが立ち上がり叫ぶ。
神殿に居た衛士たちが集められるが、わずか数十名である。その上、衛士たちの多くは、ヤガミ姫の軍と戦うつもりなど毛頭ない。神殿の前に集まった衛士たちの士気は低い。
「伯耆の軍勢が、偽物の姫を担ぎ出し、出雲を狙っておる。お前たちは衛士である。この神殿を命に代えて守れ!良いな!」
アギムは、強い口調で集まった衛士たちに号令する。衛士たちは隊列を成して、神殿の門の前に出る。
「なあ・・どうやら、攻めて来る伯耆の軍の先鋒は、スミヒト様が率いておられるようだぞ。」
衛士の一人が、どこから聞いたのか、囁くように言う。
「俺らは、スミヒト様と戦うのか?」
次々と話は伝わっていく。かつて、スミヒトは衛士長であった。アギムの悪政に抵抗し姫を連れて神殿を脱出した事は、衛士たちには周知の事であった。
「これで良いのか?」
神殿を出た衛士たちは、揺れている。軍勢が、阿式谷(あじきだに)に到着した時、先頭の衛士が突然、谷あいに入って行った。他の衛士たちは何も言わず、その者の後に続く様に、谷あいに入って行った。
「おい!どういうことだ!」
馬に乗って、衛士の後ろを付いてきたアギムの側近たちが慌てて叫ぶ。
衛士の一人が、側近に向かって言う。
「まもなく、敵の軍勢がここまでやってくるでしょう。まっすぐ進めば、平場で戦う事になり、数で敗ける我らには不利でございます。ここへ一旦隠れ、軍勢を横から攻めるのです。そうすれば、勝機も見えます。さあ、皆様もこちらへ。」
衛士はそう言って、側近たちを谷へ入れると、皆で一斉に側近に襲い掛かって殺してしまった。すぐに、衛士の一人が馬を使って、スミヒトの許へ走った。
「スミヒト様!」
前方から突然、衛士が現れたため、軍勢の先頭は身構える。だが、スミヒトがすぐに察知した。
衛士は馬から飛び降り、スミヒトの前に跪く。
「スミヒト様、お会いしとうございました。」
「ふむ、皆は達者か?」
「先ほど、アギムから出陣の命を受け、こちらへ向かいましたが、敵軍の先鋒がスミヒト様とお聞きし、ともに来たアギムの側近を始末しました。阿式谷辺りで皆様をお待ちしております。これより、我らも列にお加えください。」
「それは大いに嬉しき事。是非もない。」
こうして、スミヒトを先頭にした軍勢は、出雲の神殿の正面まで無事到達した。
一方、浜山に陣を張るヒョンギのもとへ、神殿から遣いが来た。
「伯耆の軍勢が神殿に迫っております。衛士を送りましたが、アギム様は、すぐに兵を戻せと仰せです。神殿に入られてしまえば、もはや我らの敗けとなります。」
神殿を奪われれば、帰る場所を失う。何としても、食い止めねばならない。
「神殿へ戻る!」
ヒョンギは、兵を神殿へ向かうようと号令するが、兵たちは動こうとしない。
「どうした、なぜ動かぬ!」と、ヒョンギは、側近に怒鳴る。
「ヒョンギ様、あれをご覧ください。」
側近は、南に見える神門の海を指さしている。その先を見てヒョンギは驚いた。
すでに、浜山の目の前に、石見国の軍船がずらりと並んでいる。そして、ゆっくりと船が岸へ着くと、次々に兵が降りて来る。
「ヒョンギ様、あちらも・・。」
側近は、さらに東の方を指さす。
そこには、五百を超える騎馬や兵が湿原を抜けて、浜山の砦へ近付いてきている。
南も東も、そして神殿へ向かう北にも、敵軍が迫ってきていると判り、兵たちは動けないのだった。
「この砦は、民の盾で守られております。敵軍は、安易に攻撃はできません。」
「だが、このままでは神殿が、父上が危ういのだ。」
「御心配には及びません。神殿にも、民の盾がございます。むやみに攻め入ることはできません。」

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4-12 ジュンシュン暗躍 [アスカケ外伝 第3部]

アギムは焦りの色を浮かべて玉座に座っていた。
送り出した衛士たちは寝返り、敵兵となったことはすぐに知らされ、徐々に、大軍が迫ってきている中、神殿の兵の数は僅かである。攻め込まれれば脆い。
「アギム様、まだ勝敗は決しておりません。」
そう言って、アギムの前に現れたのはジュンシュンだった。
「おお、ジュンシュン!戻っておったか!」
アギムは玉座から立ち上がり、ジュンシュンに縋り付いた。
ジュンシュンは、中海でクジたちが隠岐からの韓人の軍が敗けた後、すぐに逃げ帰ってきていた。
「わが側近たちに、民を人質にし楯とするよう命じております。ヒョンギの軍にも我が側近を遣わし、同様の手立てをしております。容易には攻め込んでは来れぬはず。相手は大軍。まともに戦うのは愚かな事。」
ヒョンギの側近も、ジュンシュンが送り込んだ者であり、無頼の輩を集め、郷を襲い、民を人質にする策は全てジュンシュンの考えた事であった。
「やはり、お前は頼もしき者。其方こそ、儂の後を継ぐにふさわしい。」
アギムはそう言って喜んでいる。
「だが、守りだけでは勝てぬぞ。」
と、アギムがジュンシュンに言う。
「そこは既に考えております。盾にした民もそれほど長くは持ちません、次々に命を落とすに違いない。奴らは、それを見過ごす事は出来ぬでしょうから、必ず、攻め入ろうとするはず。だが、矢は使えず、攻め手がない。我らは楯の後ろから矢を放てる。少数の兵でも、これなら敵を退ける事が出来ます。」
「なるほど・・では、すぐに掛るが良い。」
アギムは先ほどとはうって変わって、余裕を見せてジュンシュンに命じた。
ジュンシュンは深々と頭を下げ、玉座の間を出ていく。
「もはや、アギムの世は終わったな。」
ジュンシュンはそう言いながら、神殿を出て行った。

スミヒトの先陣が、神殿前に着いた。
「兵が出てくる気配はありませんね。」
少し遅れて、アキヒコノミコトたちも到着し、神殿を包囲するように並ぶ。
「私が中に入り様子を見て参ります。」
スミヒトは、先ほど合流した衛士たちを連れて神殿へ入ろうとした時だった。
神殿を取り巻く塀の上に、次々に出雲の民を縛り付けた柱が並んでいく。皆、精気を失った様子である。男だけでなく、女や子供、翁や老婆まで、同じように縛り付けられている。そして、その脇には兵たちが弓を構え、いきなり、放ち始めた。応戦しようとするが、矢が人質に当たるため、どうにもできない。
アキヒコノミコトたちは、一旦、矢の届かぬところまで引かざるを得なかった。

タケルたちの軍も、浜山の砦近くにまでは迫ったものの、人質の柵を前に、それ以上の手出しができずにいた。
人質の柵は、二重三重に張り巡らされている。矢を放てば、確実に人質に当たってしまう。一方、ヒョンギの兵たちは、人質の柵の後ろから矢を放つ。
「どうしたものか。」
タケルは、この場になってもまだ攻め手を見いだせずにいた。
目の前に見える人質となった民は、皆、精気を失っていて、急がねば命を落としかねない。民の命を楯にするという暴挙に怒りが湧き、体が震えた。
その時、腰の剣がキラキラと光り始めた。タケルが、剣に手を当てると、さらに光が強くなる。
「民を救うために力を使えというのか?」
タケルは心の中で呟いた。だが、これほどの数の民をどうやって救えるのか、迷っている。すると、剣がぶるぶると震え出した。
タケルは剣を柄から引き抜く。辺りに眩い光が広がっていく。全ての兵がその光に気付いて、タケルを見た。
タケルは剣を天高く掲げる。すると、光が空高く上っていく。
同じころ、福部に居るミヤ姫の手鏡が光り始めた。
「タケル様がお呼びのようですね。」
ミヤ姫はそういうと、身重の体で立ち上がり、遥か西方を見る。そして、懐から手鏡を取り出し、両手で握りしめ目を閉じる。
「タケル様、お手伝いいたします。」
ミヤ姫はそう言って祈ると、手鏡は眩い光を放ち始め、天高く光が立ち上る。サガ、トモ、カズの三人が、ミヤ姫の体を心配し、傍で支える。
遠く、都の宮殿でも皇アスカの首飾りが光を放ち始めていた。
「タケルが力を欲しています。」
皇アスカが立ち上がり、宮殿の高楼へ登り、西方を向いて祈る。慌てて、摂政カケルも高楼に来た。そして、剣を抜き天高くかざす。高楼から二つの光が天高く上っていく。
それぞれの光は天高く上り、やがて、タケルの許へ集まってきた。
タケルの立つ場所を中心にして、空に黒雲が渦巻き始めた。太陽の光が遮られ、辺りが薄暗くなっていく。
「グルルル・・。」
低い唸り声があたりに響く。タケルの体が徐々に獣に変わっていく。同時に、タケルの体はこれまで見た事もないほど大きくなっていく。人の丈の数倍とも思えるほど、まるで巨人のごとく、大きくなっていく。
「ウオー。」
獣人になったタケルが吼える。その声は、神殿近くにいた者にも聞こえた。
雷が響くような声。そして、目の前の巨大な獣人。獣人の周囲には、キラキラと光が舞っている。
「あれは?」
ヤガミ姫が驚き、トキヒコノミコトに訊く。
「あれは、タケル様です。特別な御力をお持ちなのです。大切なものを守るため、あのような悍ましき姿になられるのです。恐れる事はありません。」
トキヒコノミコトはそう言いながらも、あれほどの巨大な獣人になったタケルは初めてみた。
ヤガミ姫は、遠くに見える巨人の姿に見入っている。そして、ふと口を開く。
「八百万の神々が、あの巨人の周りを守っておられます。」
ヤガミ姫も巫女としての力を秘めている。巨人の周りに煌めく光の粒に、八百万の神々の姿をみたのである。

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4-13 大蛇一族の最期 [アスカケ外伝 第3部]

ドシンドシンという地鳴りのような足音が響く。獣人タケルは、浜山の砦に踏み込んだ。
「化け物だ!」
ヒョンギの兵たちが叫びながら、逃げ惑う。
獣人タケルは、逃げ惑う兵を両手で掬いあげるようにして投げ飛ばしていく。
気丈な兵が弓を引くが、矢はタケルの体に傷ひとつつける事も出来ず、撥ね飛ばされていく。
その様子を見ていたセリヒコ達騎馬兵もタケルの後に続いて、浜山砦へなだれ込む。そして、柵に縛られた民を次々に解放していく。続いて、石見の兵たちが民を抱えて浜へ向かう。あっという間に、大勢の民が解放されていく。
ヒョンギは、陣の中ほどで、迫ってくる獣人タケルの姿に身動きできずにいた。
ドシンドシンと足音が響く。
獣人タケルは、陣中のヒョンギの姿を見つけると、ヒョンギを掴み上げた。
「お前の罪、許すまじ。」
タケルはそういうと、掴んだ手を強く握りしめる。恐るべき握力で、ヒョンギの体は潰され、果てた。
そして、獣人タケルは、そのまま、まっすぐに神殿へ向かっていく。
神殿でも、獣人タケルが迫ってきている事を察知した。
「化け物までが、奴らの味方となるとは・・。」
神殿の広場にいたジュンシュンは、もはやこれまでと覚悟を決めた様子だった。そして、側近たちを連れて、神殿の奥に入って行った。
獣人タケルは、トキヒコノミコトたちの軍を一跨ぎすると、神殿を取り囲む塀に着いた。
塀の上で矢を構える兵たちは、獣人タケルの悍ましい姿に震え、弓を放り出して逃げようとする。タケルは、そうした兵には目もくれず、柱に縛り付けられた民を、トキヒコノミコトたちのところへ降ろしていく。
中の兵が反撃してくる様子がないのを確認して、スミヒトの軍が一気に大門を打ち破り、中に入り、同じように人質を縛り付けた柱を引き抜いていく。
ほとんどの民が解放されたのを見届けると、獣人タケルは徐々に元の姿に戻っていった。そして、その場に倒れ込んでしまった。
遅れて神殿に入ってきたトキヒコノミコトが倒れているタケルを見つけた。
「タケル様!」
タケルは力を全て使い尽くしてしまい、意識が朦朧としていたが、何とか手を上げ神殿を指して「アギムを」というと意識を失った。
トキヒコノミコトは、神殿の前に立つと、キッと神殿を睨み付け、長い階段を登っていく。ヤガミ姫やワカヒコたちも続く。
「アギム!アギム!」
トキヒコノミコトは、神殿に入り、アギムの姿を探す。
神殿の奥、玉座の間にアギムはいた。
側近たちの姿はなく、ただ一人、玉座に座っていた。
トキヒコノミコトに続いて、ヤガミ姫やワカヒコも玉座の間に入ってくる。
「おお、ヤガミ姫ではないか!」
アギムは、ヤガミ姫の姿を見つけると立ち上がった。
「さあ、さあ、隣に来い。ここが、そなたの席。そなたと二人で出雲国を強き国にしようぞ。臣下も集まっておる。さあ、さあ。」
アギムは、側近たちが離れ、一人になったことで、錯乱状態にあるようだった。
「父はどこですか?」と、ヤガミ姫が詰め寄る。
「父?父とは誰の事じゃ?そなたの父は私、出雲の国の王アギムである。」
もはや要領を得ない状態である。そこへ、スミヒトが側近の一人を捕まえ、縄で縛り上げて連れて来た。
「我らの王はどこだ!素直に言え!」
「地下牢に・・ですが、もはや生きてはおられぬでしょう。」
捕らえられた側近は、スミヒトに言われ、消え入るような声で言う。
すぐに、スミヒトは地下牢へ向かい、暫くして、剣を抱えて戻ってきた。
「既に息を引き取っておられました。これが亡骸の脇に・・・。」
顔を歪めながら、余りにも無残な状態に、それ以上の事は言えなかった。
「父上・・・。」
ヤガミ姫は、スミヒトから受け取った剣を抱きしめ、涙を流す。スミヒトは、そんなヤガミ姫の姿を見て、大蛇一族の長アギムへの憎しみが溢れて来た。
「赦せぬ!」
スミヒトは、剣を抜き、アギムに斬りかかった。一太刀だった。アギムは首を切り落とされ、果てた。
「もう一人、将がいるはずだが・・。」
スミヒトが、側近に迫る。捕らえられた側近は、アギムが首を切り落とされる光景を目の当たりにし、震えながら答える。
「ジュンシュン様は、早々にお逃げになられました。」
「どこへ行った?」
「神殿の裏から稲佐の浜へ向かわれたはずです。」
スミヒトの怒りは収まっていない。それを聞いて、すぐに浜へ向かう。トキヒコノミコトたちも後を追う。
稲佐の浜に着くと、沖合に軍船が見えた。
「おのれ、ジュンシュン。」
遠ざかるジュンシュンの軍船を見ながら、スミヒトは悔しがった。
沖合に出た軍船の上で、ジュンシュンは神殿の方を見ていた。
「あのような化け物を相手にはできぬわ!大蛇一族も、もう少し利口に立ち回れば良いものを。アギムも愚かな者だったということだな。・・さて、次はどこへ向かうか。隠岐か対馬か・・九重も良いかもしれぬな。」
ジュンシュンは、そう言って、船の行き先を思案している。すると、船の中が騒がしくなってきた。
「ジュンシュン様、前方に軍船がおります。」
兵の一人がジュンシュンに告げる。そう言われて、ジュンシュンが行く手に目をやると、大きな軍船が並んで待ち構えている。
「あれは、何処の船だ?」
じっと目を凝らす。次第に、軍船が近づいてきて、ジュンシュンの船をあっという間に取り囲んだ。余りの兵の多さに、ジュンシュンの兵たちが抵抗する間もなく、ジュンシュンは捕らえられた。

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