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アスカケ外伝 第1部 ブログトップ
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序 ヤマトの国 [アスカケ外伝 第1部]

ヤマトの国は穏やかで豊かな国となっていた。
カケルが、ヤマトの争乱を鎮め、終にはアスカが葛城王の後に皇位を継承したことで、ヤマトの国だけでなく、西国も東国も安定した。
西は、難波津を起点に大きく発展し、瀬戸内海の水運を力に、吉備国、アナト国、九州の邪馬台の諸国や、四国の伊予国まで広く交易も進んでいた。東は、伊勢国や濃の国、尾の国、穂の国までも交流が進んでいた。
いずれの国も、ヤマト国の皇を敬いつつ、その支配下にあるわけではなく、それぞれの国が小さな村ごとに自治を進め、緩やかでありながらもしっかりとしたつながりを持って、助け合う共同社会を作り上げていた。奪い合うことではなく、分け合うこと。力ではなく知恵を出すこと。当たり前の事が当たり前にできる。そうした社会が作られていた。
カケルは摂政として、必要があれば諸国を巡り、多くの人の話を聞き、為すべき事を見つけ、人々の力を集めることに腐心していた。ヤマトに居る時も、ヤマトの村々を回り、時にはともに農作業や土木作業を行い、人々と共に過ごしていた。その姿は、遠くナレの村を旅立った時と少しも変わらなかった。もう、剣を抜くことはなく、獣人になる事もなくなった。
アスカも皇となったものの、カケルとともに、村々を訪れ、田畑の作業を手伝い、自ら薬草を摘み、人々のその知識を惜しみなく与え、病をいやすためにできる限りの力を注いだ。
カケルとアスカには、3人の子どもができていた。
第1子は皇子タケル。ヤマトを平定する前に生まれ、難波津の葛城王のもとで、2歳になるまで育った。
第2子は、皇女ヒカル。平城の里でアスカが即位後に生まれ、タケルとは3つ違いだった。
第3子は、皇子マナブ。タケルとは10歳も離れていた。
みな、落ち着いた暮らしの中で伸び伸びと育っている。
カケルと共に、ヤマト平定に尽力した忍海部の男、モリヒコは、畝傍の砦に子らを集め、弓や剣の鍛錬、薬草や土木・治水・家づくりなど様々な事を教えていた。
アスカが即位からしばらくして、ハルカを嫁に貰い、すぐに子をなしていた。いつしか、畝傍のミコトと呼ばれるようになっていた。
ヤマト国が豊かになり、西国や東国との交流も増えるに従い、様々な国造(くにのみやつこ)や連(むらじ)から、推挙された子らが、この「畝傍の砦」に学びに来るようにもなった。その人数は次第に膨れ、かなり手狭になってしまった。
そこで、モリヒコは、カケルに相談し、平城の郷からやや東方にある、森を開いて、子らが学び暮らす場所を作った。ここを「春日の杜」と呼ぶこととした。
ヤマトの再興のために、カケルがそれぞれの里に置いた連(むらじ)たちは、力を合わせて懸命に働き、いずれも大きな里になり、連を助ける若者たちも大きく成長していた。もはや、ヤマト国は何の不安もない理想の国へと発展していたのだった。tobuhino2.jpg

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第1章1-1タケルの憂鬱 [アスカケ外伝 第1部]

タケルは七歳になった時から、春日の杜に預けられ、モリヒコから多くの事を学んでいた。
剣や弓の腕前は春日の杜でも随一の腕前になっていた。書物もよく読み、幅広い知識を得ていた。周囲の者たちは皆、次の皇として十分に認めるほどに成長していた。
十三歳になった在る月夜の日、タケルは、春日の杜の高楼に一人佇んでいた。
月明かりの中、遠く、平城の郷を眺めながら、大きく溜息をついた。
ちょうどそこへ、春日の杜を見回っていたモリヒコが来た。
「どうされた?」
モリヒコが声を掛ける。タケルは跪き頭を下げる。
ここでは、タケルもモリヒコに教えを乞う子どもの一人であり、いかに皇子と言え、礼を尽くすよう幼い頃から教え込まれている。咄嗟に取った姿勢だった。
「今は学びの時ではありません。普段のままで結構ですよ。」
とモリヒコが続けると、タケルはすっと立ち上がりモリヒコと対面した。
「月を眺めておりました。美しき母の様だと・・。」
「ほう・・アスカ様のようだと申されるか・・・」
モリヒコはそう言うと、高楼の欄干に手をつきながら、月を見上げると、
「私にはカケル様のように見えますが・・。」と返した。
「父ですか?」
意外と言わんばかりにタケルが返す。
「皇はアスカ様。この国の皇は、広く世を照らす太陽です。月は、我が身をもってその光をもって闇を照らし足元の不安を無くしてくれましょう。ですから、月はカケル様だと私は思います。」
タケルはモリヒコの話を聞き、再び溜息をついた。
モリヒコは、タケルの溜息の真意がようやく理解できたような気がした。二人は暫く黙ったまま、月を眺めた。
浮浪雲が月に掛かり、辺りが少しぼんやりとした時、タケルが口を開いた。
「私は、父や母の様になれるでしょうか?」
「父や母のようにとは?」とモリヒコが訊き返す。
「父から、アスカケの話を聞くたびに思うのです・・・。あれほどの事を成された故に、このヤマトは安寧な国となった。すべて、父や母のお力によるもの。」
「確かに、15の歳に故郷を離れ、九重を回り、恐ろしきものを退け、邪馬台国を見事に蘇らせ、その後、内海を鎮め、伊予や吉備とも縁を結び、ヤマトを争乱から救われた・・見事なお働きだったと思います。お傍にいたからこそ、カケル様の偉大さはよく解ります。また、ずっと寄り添い時には命をお救いになられたアスカ様も偉大なるお方です。」
モリヒコは想い出を辿りながら答えた。
タケルはモリヒコの話をじっと聞きながら、大粒の涙を溢した。そして、思い余ったように言葉を発した。
「私は・・私はどうなのでしょう・・次なる皇と言われるたびに恐ろしくなるのです。・・」
十三歳とは思えない深い悩みだった。
皇太子として自らの宿命を受け入れ、なおかつ、今の繁栄を維持するために求められる役割の重圧を既に自覚しているようだった。
ここ春日の杜には、多くの子女が学びに来ているが、ここまで深い悩みを持ったものがいるだろうか。
「弓も剣も、もはや父上以上に上達されています。書物の知識も、おそらく、春日の杜でタケル様は随一でしょう。何を恐れる事はありません。」
モリヒコは返した。
「いえ・・駄目なのです。父や母は、人智を超えた力をお持ちです。私にはそれがない。どれほど学び鍛錬してもその力にはかないません。」
タケルは一層憂鬱な表情を浮かべていた。
モリヒコは、自ら獣になる力を持っていた。そしてそれが時にカケルを助けてきた。「特別な力」と言われると返す言葉がなかった。
「まだ、皇位を継がれるには時があります。冷えてきました。今日はもうお休み為され。」
モリヒコはそう言うと、高楼を出て行った。

モリヒコは、自分の館に戻った。館には妻ハルヒが薬づくりをしながら待っていた。
モリヒコは、ハルヒにタケルの悩みを話した。
モリヒコとハルヒは子を早くに亡くしており、タケルを我が子の様に思っていた。
「あの幼子が・・それほどの悩みをお持ちとは・・大きくなられましたね。」
ハルヒが微笑を浮かべながら言った。
「いかに導いてやれば良いだろうか・・・。」とモリヒコ。
「答えは自ら見出すしかないでしょう。」
「だが・・」
「明日、カケル様がこちらにお越しのはず。ご相談されてみてはいかがですか?」
「そうか・・明日はアスカケの話をお聞きする日であったな・・そうするか。」
夜も更け、畝傍の館は静まり返っていた。
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1-2 大広間にて [アスカケ外伝 第1部]

次の日の早朝、馬に乗り、カケルが春日の杜を訪れた。モリヒコは、春日の杜の大門まで、カケルを迎えに出た。
「いかがされた、モリヒコ殿。このようなところまで迎えとは・・春日の杜で何か起きたのか?」
カケルはそう言いながら、馬を降りモリヒコに対面した。
モリヒコは、タケルとのやり取りをカケルに話した。
「そうか…思い悩んでいるのか・・・。」とカケルは言い、空を見上げた。
「申し訳ありません・・杜の内舎人(うとねり)でありながら、どのように導けばよいか判らず、カケル様にご相談をと考えました。」
「いや、それで良いのです。その答えは自ら見出すしかないでしょうから。」
カケルは、ハルヒと同じことを言った。
「自分は何者なのか、どのような役割を担うべきなのか・・・大いに悩むことが大事です。」
「しかし・・このまま、悶々と時を過ごすのもいかがかと・・」とモリヒコ。
「ここ、春日の杜では多くの事が学べる。おそらく、これより先は、われらより多くの知識を持ったミコトや女人がこの国を支えてくれるに違いないでしょう。皇とて、これまでとは違う役割を求められるに違いない。」
二人は、春日の杜の大門から、大屋根の館へ続く道を歩きながら話している。
カケルはふと立ち止まった。
「ここで学ぶ子らは、他国へは行ったことがありますか?」と訊く。
「いえ・・おそらく、ヤマトより他へ出たものは・・タケル様以外にはないはずです。」
皇子タケルは、父カケルが諸国へ出かける時、同伴されたことはあったが、まだ幼子であったため、多数の従者を連れていた。
「一度、旅をさせてみる必要がありそうですね。」とカケル。
「皇子が旅に出るという事ですか・・・」
「いや、それでは駄目でしょう。皇子となれば、国々では特別な扱いを受けるに違いない。美しきところ、良き所ばかりを案内してしまい、物見遊山の旅になる。それは、おそらくタケルも望んではいないでしょう。」
「では・・アスカケの旅にと言われますか?」とモリヒコ。
「それは、まだ少し早いでしょう。アスカケは自らの意思で決めるべき事です。手始めに、難波津へ行かせてみてはどうでしょうか?」とカケルが言った。
「難波津・・ですか・・。」とモリヒコ。
大屋根の館に、カケルとモリヒコが到着すると、すでに春日の杜の子どもたちが大広間に集まっていた。春日の杜には七歳から十五歳までの子どもが百人ほど暮らしている。そしてそれらの日々の暮らしと学びのために、モリヒコと筆頭に先生役である舎人は十人ほどいた。いずれも、郷から推挙された技術や知恵を持ったもので舎人と呼ばれていた。
モリヒコは、広間に座している子どもたちに向かって言った。
「本日は、摂政様から大事なお話がある。皆、しっかりお聞きするように。」
モリヒコがそう言うと、カケルがゆっくりと子どもらの前に出て椅子に座った。
カケルは子供らの顔を一人一人じっくり見ながら微笑んだ。
「皆、しっかり学んでいるようですね。本日は、アスカケの話の前に皆さんにお話ししたいことがあります。」
こどもらは、月に一度、カケルから「アスカケ」の話を聞くのを楽しみにしていて、皆、少し戸惑いが感じられた。居並ぶ舎人(先生)達からも戸惑いの表情が見えた。
その様子を見ながら、カケルが切り出した。
「ここヤマトの安寧は何によって守られていると思いますか?」
「皇様と摂政様のお導きによるものです。」
ひとりの幼子が答える。
「いえ・・そうではありません。」とカケル。
「お米がたくさん取れるからです。」とまた一人の幼子が答える。
「ほう・・米が取れるとは良い答えですね。ですが、その米は皆が懸命に働いた結果です。いうなれば、ヤマトの民が皆、懸命に働くためにヤマトの安寧が生まれているとも言えますね。・・他には?」とカケル。
「他国と仲良くできるからです。」とやや大きい子が答える。
「なぜ、他国と仲良く出来るのでしょう?」とカケルが問う。
「皇様と摂政様のお働きによるものでしょう。」と先ほどの子が答えた。
「いえ、違います。それぞれの国が他国の事を正しく知り、たすけあう事を何より大事にしているためです。ここにいる皆が己の欲のためでなく、友の事、父や母の事、郷やヤマトを大事にしているように、他の国々も大事にしようと思うからです。誰かが力を持ち従えるような考えを持てば、諍いや争いが起こります。そうならないために皆が力を尽くしているためです。」
カケルは、子どもらに諭すように話した。そして、
「年に一度、ヤマト国の安寧のため、摂津比古殿が首座となり、諸国の長や王が集まり相談する年儀の会が難波津で開かれます。これまでは、ヤマトから摂政である私と数名の内舎人様たちで行くこととしていましたが、此度は、春日の杜からも、数人、同行してもらう事にしました。」
難波津は、他国の人々が多数行き交い、ヤマト国のどの郷よりも賑やかであることは、幾度と話に聞いている。子らの憧れの場所の一つでもある。子どもらは色めきだった。
「ただし、条件があります。ただ、同行するのではなく、世話役や人夫、護衛の役を果たしてもらいたいのです。場合によっては、ヤマトと難波津の使者として一人で戻る事もあるかもしれません。あるいは、使者として諸国へも行ってもらう事もあるかもしれません。容易な旅とは言えないと考えてください。」
子どもらは、隣同士顔を見合わせる。
難波津には行ってみたいが、従者としての役割や使者としての務めを考えると、年端のゆかぬ者には務まらないに違いない。
「出発は5日後の早朝。明後日には従者を定めます。それまでに、内舎人様に申し出る様にしてください。」image5.jpg

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1-3 それぞれの思い [アスカケ外伝 第1部]

カケルは、話し終えると大広間を出た。
「良いか、皆、よく思案しなさい。その上で、明日朝、望む者は申し出なさい。」
モリヒコは、戸惑う子どもたちの顔を見ながら告げた。
「それでは、鍛錬や勉学に入るが良い。」
モリヒコの号令で大広間に居た子どもたちは、それぞれ自らが選んだ修練へ向かった。
春日の杜の東側には深い森が広がっている。その中を拓いて、剣や弓の鍛錬場や書物が保管されている倉庫や広間を持つ館がいくつも作られていた。
今も一つの館を、年長の子どもらが力を合わせて建てていた。タケルはその中に居た。
切り出した木材を削り柱や床板にしたり、木の皮を剥ぎ屋根を葺いたり、家づくりには幾つもの仕事がある。初めは舎人たちの作業を見て覚え、自ら技を習得する、時には舎人たちの手も借りながら、これまでもいくつもの館を作ってきた。ここで習得する技は郷に戻った時、大いに役に立つ。
作業場に置かれた丸太に跨り、削り出しの作業をしながらタケルは考えていた。此度の難波津への旅に自分も従者として選んでもらえるものかどうか、これまで皇子として同行した事はあったが、そういう扱いをしてもらえるのかと考えていたのだった。
「なあ、タケル、どうする?」
そういって声を掛けてきたのは、トキオだった。
トキオは広瀬の郷の生まれで、タケルと同い年だった。春日の杜に来たのも同じ年だったため、皇子の身分とは知りながらも、名前で呼び合う仲だった。弓の鍛錬では、タケルと負けないほどの腕になっていた。
「タケルは従者としては行かないさ。きっと、皇子として帯同を許されるはずだ。」
そう言ったのは、同じ作業場で丸太を運んできたヤスキだった。
ヤスキは、当麻の郷の長カシトの子で、タケルやトキオより1年早く春日の杜に来ていた。体も大きく乱暴者だったため、当麻の長カシトは手を焼いていた。それを見かねて、葛城の大連シシトが、「心を鍛えて来い」との命を下し、春日の杜に送り出したのだった。
「そうだよな・・・でも、難波津は諸国の人が集まる賑やかな場所と聞いている。此度の従者になれるものなら・・なあ・・。」とトキオが言った。
「俺は明日名乗りを上げるぞ!俺はここでは一番力がある。荷を運ぶ仕事なら俺をおいてほかないだろう。必ず選んでいただく。」とヤスキは自信満々に言いのけた。
それを聞いて、反応したのは、ヨシトだった。
「私も行きたい。舎人のサスケ様からも幾度と難波津の話を聞いた。サスケ様もヤマト平定の後、カケル様と共に難波津へ行かれたそうだ。そこで聞いた伊予の国の話が忘れられない。今一度、伊予の国がどのようなどころか直接聞いてみたい。」
それを聞いて、ヤスキが訊いた。
「ヨシトには何ができる?」
ヨシトは少し考えてから言った。
「私は誰より美しい文字が書ける。多くの文字を知っている。きっと役に立つはずだ。・・それに、トキオは弓ができる。その腕なら途中、獣が出ても防ぐことができる。護衛としての役割を果たせるだろう。」
「よし、では、われら三人、明日、内舎人様に名乗りを上げよう。」
その会話を聞きながら、タケルは、自分にとって皇子としてともに行くことが意味がある事なのかと、思案していた。
夕方になり、子どもらはそれぞれの持ち場から、大屋根の館に戻ってきた。夕餉の支度をするためだった。
大屋根の館の裏には畑が作られていて幾つも野菜が作られている。その仕事も子どもらが決め分担していた。そのまとめ役に、チハヤとヤチヨがいた。
チハヤは磯城の郷の生まれで、争乱の際に父を亡くしていた。母は、伊勢国生まれで王の従者としてヤマトに来た際、契りを結び、ヤマトの残ったのだった。だが、チハヤが七つの歳に、病で亡くなり、磯城の連イヅチの勧めで、春日の杜に来た。女の子の中では一番長く春日の杜に居るため、皆から「姉さま」と慕われていた。ヤチヨより一つほど歳下だった。
ヤチヨは、難波津で生まれたが、ヤマト平定の後、両親が故郷である葛城の郷へ戻ったため、葛城の郷の子どもとなった。十歳の時、ヤチヨ自身が大連シシトに願い出て、春日の杜にきた。すでに十五歳を迎えていた。
二人は常にともに居て、春日の杜の幼子たちの姉役として、世話をしていた。
「さあ、これを御厨(みくりや)へ運びましょう。」
収穫した野菜を籠に盛り、チハヤが幼子たちを導いて畑から引き揚げようとした。
「では、後始末は私たちがやっておきましょう。」
畑で使った道具を畑の脇にある水路で洗い、綺麗に拭いて、器具庫へ運ぶのはヤチヨと数人の子どもたち。御厨では夕餉の支度に舎人や子どもたちが分担して作業している。出来上がると、それぞれが膳を作り運ぶ。ようやく、子どもたちは大屋根にある食堂(じきどう)に座り、夕餉が始まった。
チハヤとヤチヨは隣り合わせて座り夕餉にした。
「ねえ・・どうする?」
切り出したのはチハヤだった。その問いは、難波津の旅の事だとヤチヨにもすぐわかった。
「女人にも許されるのかしら?」とヤチヨが言う。
「カケル様は、役を果たせる者とは仰ったけれど、女人はダメとは言われなかったわ。」
それを聞いてヤチヨが言う。
「私ね、実は難波津で生まれたの。赤子だったから、全く覚えていないけれど、生まれた郷に一度行きたいと思っていたの。」
「私も・・・他の国にはもっといろんな食菜があると聞いて、難波津には様々なものが集まると聞いたし、きっと自分の知らないものやもっと皆が喜ぶものが見つかると思うの。行ってみたいなあ・・。」
二人は見つめ合い、互いの意思を確認したようだった。
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1-4 従者選任 [アスカケ外伝 第1部]

翌日、朝餉を終えて、子どもらは皆、大広間に集まっていた。
「さて、昨日の摂政様のお話の通り、本日、難波津への従者を決める。行けば暫くは戻れぬ。此度は従者として役割をもってもらうこととなった。自らの身の回りの事だけでなく、使者の皆の世話や荷運び、護衛等、大人として扱うこととなる。さあ、望みのある者はその場に立ってみよ。」
モリヒコはいつもに増して厳しい声で皆に訊いた。
真っ先に立ちあがったのは、タケルであった。
タケルは、これまでにもカケルに連れられ幾度と訪れた場所でもある。ただ、これまでは、皇太子として守役に守られての訪問だった。
驚いたのは、居合わせた十人ほどの舎人だった。皇子に人夫役や護衛役をやらせるわけにはいかないと考えたからだった。
「いや・・それは・・」と舎人の誰かが声を発するより早くモリヒコが答えた。
「ほう、タケル殿が望まれるか!・・此度は、皇子としてではなく、随行者の一人となるが構いませんか?」
「もとより、承知しております。」ときっぱりとタケルは答えた。
タケルが立ったことに驚いたのは舎人だけではなかった。
子どもらは、タケルが皇子として帯同を許されると決めていたからだった。
「他にはないか?」とモリヒコ。
すると、二人ほどが立ち上がった。いずれも男児であった。
「トキオ、と・・ヨシトか・・良かろう。・・他にはおらぬか?」
と再びモリヒコが訊くと、もう一人ゆっくりと立ち上がった。
「ほう・・ヤスキか。良かろう。女人はどうか?」とモリヒコが訊く。
すると、ゆっくりと二人が同時に立ち上がった。何か、その二人は目くばせをしていたようだった。
「ほう・・チハヤと・・・ヤチヨか・・・良かろう。」
「舎人殿の中にはおられぬか?」とモリヒコ。
「私が参ります。」
舎人から一人立ち上がった。
舎人の中では最も年は若いが長くモリヒコと共に子らを教えてきたサスケだった。
サスケは、平群の長ヒビキの息子で、ヤマト争乱の中で、美濃や伊勢の大臣の陰謀から、父を救出した少年であった。
「それでは、その者たちはこの場に残り、他の者は鍛錬に出かけよ!」
モリヒコが号令した。
大広間には、タケル、トキオ、ヨシト、ヤスキ、チハヤ、ヤチヨとモリヒコ、サスケが残っていた。
「さて、此度の難波津行きは昨日摂政様から話されていたので概ねは承知しているだろう。行きはヤマト川を船で下る。早朝に出れば、夕刻には着ける。難波津にはしばらく滞在する予定だが、事と次第によっては当分戻れぬ者もあるかもしれぬ。」
「承知しました。」
皆がモリヒコの言葉に答えた。
「それぞれに役を担ってもらうことになるが・・・」
とモリヒコが言った時、ヨシトが口を開いた。
「モリヒコ様、一つお尋ねします。・・あの・・タケル様は本当に我らと同様に従者として行かれるのでしょうか?」
その疑問は、サスケも含めて全員が知りたい事だった。
「ふむ・・では、話しておこう。此度、難波津行きについてはもともと従者の話はなかったのだ。だが、お前たちも良き歳となり、あと数年で春日の杜を出てゆかねばならない。知識や技を習得し、それぞれの郷に戻り懸命に働くことを願っている。だが、ヤマトもこの先どうなるか判らない。今は穏やかでも難しい時も来るかもしれぬ。その時、ヤマトの中だけでは解決できない事もあるだろう。そのために、子どもらに倭国全体を知る力をつけてもらいたいと摂政様は考えられたのだ。それは、皇子であるタケル様とて同じ。だが、皇子という御身分では世の中の正しき姿が見えぬかもしれぬ。一人の従者として難波津に行き、真の世の中を知る機会になればと思われての事なのだ。」
これを聞いて、タケルが答えた。
「私もそれを望んでおります。以前、難波津に行った時は、守役が傍にいて美しきものばかりを見ていたように思います。従者として行くことで民の本当の姿が判るはずです。」
「良い心がけだ。では、この先、タケルと呼ぶことにします。宜しいな。」
皆、摂政カケルの考えが理解できたようだった。
「では、まず、護衛役はトキオに頼む。周囲に目を光らせ、獣から我らを守るのだ。次に荷役にはヤスキとタケルに頼む。記役はヨシトが良かろう。此度の難波津行きを事細かく記して残す役である。済まないが、チハヤとヤチヨには皆の世話役を頼む。それから、サスケ殿には、従者長となっていただきたい。」
皆、声を揃えて「承知しました」と答えた。
「それから、此度は、ウマジ殿とイヅチ殿にも出ていただくことになっておる。都合十人ほどの旅となる。出発までに支度を整えておくように。」
これで、難波津行きの一行は決まり、準備は進められた。
その日、平城の宮から、皇であるアスカと、摂政カケルは二十名程の従者とともに、一足早く難波津へ出発した。アスカとカケルを乗せた大船が、ゆっくりと岸を離れる。その後に従者と荷物を積んだ船が五艘ほど連なり進んでいく。民は皆、見送りに出ていた。
タケルたちも春日の杜の高楼に上り、行く船を見送った。
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1-5 難波津へ向けて [アスカケ外伝 第1部]

いよいよ出発の日を迎えた。
平城の宮にある船着き場には、すでに一行が支度を整えていた。子どもらが従者として行く事を聞き、それぞれ郷からも見送りに来ていた。
「しっかり勤めて参れよ!」「しっかり励めよ!!」
見送りの者が口々に叫んでいる。
船はゆっくりと岸を離れ、ヤマトの湖を漕ぎ出していった。
季節は晩秋を迎えている。晴れ渡る空のもと、湖上を渡る風は冷たくなっていた。
船の中央には、ウマジとイヅチ、モリヒコが座り、その前にサスケが座った。タケルとヤスキとトキオが櫂を持ち、ヨシトが舵を握る。船の先にはチハヤが座り前方を見ている。ヤチヨは船縁から周囲に目を光らせている。
モリヒコたちは、今年のヤマトの米の出来映えやそれぞれの郷の様子、伊勢国や美濃国などの東国の様子などを互いに知ることを出し合いながら、年儀の会で何を告げるべきかを相談していた。
ヨシトは舵を握りながら、モリヒコたちの話をじっと聞いていた。タケルたちも櫂を握りながら聞き耳を立てていた。
「今年は、磯城の郷はコメが不作でした。水が足りなかったようで・・」
「おそらく、湖の水が少なく田への水遣りに苦労したとも聞いている・・」
「雨が少なかった。湧水で何とか凌いだが、注ぐ川の水量が少なく苦労した・・」
「平城の郷より北は如何か?雨が少なければ、獣もエサが不足し郷を襲うかもしれぬ。」
「秋口には熊の姿を幾度も観た。山猟師も例年になく郷近くで見ると申しておったぞ。」
「ならば、伊賀あたりでも難儀をしておるかもしれぬな。」
「近江の国や山背あたりも同様かも知れぬ。」
「この冬に雪が降れば良いのだが・・・。」
自分たちが知る限り、ヤマトの国は豊かで何の問題もないと思っていた。しかし、それぞれの郷で、米の出来に違いがある事や、北国の動きが変わってきている事、湖の水位が低くなり水に困る所が出ている事など、微細な変化を大連としてウマジやイヅチが気にかけている事を知り、大いに驚いていた。
「シシト様は如何されておる?」とイヅチが尋ねた。
シシトは、当麻の郷の長で、葛城王を守り、カケルやモリヒコと共に豪族たちの争いを鎮めた立役者であった。平定の後、葛城の連としてヤマト南部一帯を守っていた。しかし、高齢のため体調が優れないという噂が広がっていた。
「なにぶん、あのお歳だ。昔のようには動けぬ。跡を継ぐものを望まれておる。」とモリヒコが答えた。
ヤマトの国は、小さな郷が繋がり庄という括りで五つに分かれていた。
中央に広がるヤマトの湖、その北の頂点に平城の郷(宮)があり、その周囲の郷は摂政カケル自身がまとめていた。湖東は、二つに分かれており、北東部は石上と呼ばれていて、ウマジがまとめていた。南東部は、磯城と呼ばれ、イヅチが治めていた。南部は畝傍や甘樫、橿原等、かつての豪族が治めていた郷があり、住む人も多く、力のある長が多い事もあり、モリヒコが束ねていた。南西部は葛城と呼ばれ、ヤマトから難波に出る要衝の地であり、かつての当麻の郷の長シシトが束ねていた。北西部は、広瀬と呼ばれ平群一族の長ヒビキが治めていた。
「シシト様の跡目となると・・。」とウマジが頭をひねる。
「そうなのだ・・シシト様には子は居らぬ・・もちろん、子が継ぐべきとは思わないが、なかなか難しい・・。」とモリヒコが答えた。
その会話を聞きながら、ヤスキは気が気ではなかった。
ヤスキは当麻の郷の生まれ、シシトには随分と可愛がってもらった。猟にもついて行ったことがあった。いずれは郷に戻りシシトを助けたいとも思っていた。
「今しばらくは、頑張ってもらわねばならぬようだな。」とイヅチが言った。
「ああ、そのうち、子らも大きくなる。葛城をまとめることのできる者も現れよう。」
モリヒコは、意図してかどうかは判らないが、少し大きな声で答えた。
「ヒビキ様は安心のご様子だな。・・サスケ殿がこれほど立派になられたのだから。」
ウマジが目線をサスケに向けて言った。
「いや・・サスケ殿は幼き時から立派であったぞ。僅か十歳で父を救い出すために、戦支度の磯城宮へ入り、しっかり役目を果たしたのだからな。」
とイヅチが言う。
イヅチは、磯城宮からヒビキの脱出を助けた時から、サスケを知っていた。
「あの時は無我夢中でした。ですが、カケル様が幼き私を信じて下さった事は何よりありがたいことでした。平群の隠れ郷で息を殺して生きていた頃、カケル様と出逢えたことは暗闇の中の一筋の光でした。」
サスケは答えた。

船は、湖の南西からヤマト川に入りゆっくりと難波津へ向けて進む。
ヤマト川には、何カ所か急流や浅瀬があり、舵を握るヨシトは神経を使った。舳先に座るチハヤが先の流れを見て、右、左と指示を出し、漕ぎ手とも息を合わせて船を進めた。モリヒコ達は、子どもらが見事に船を操る姿を見てたいそう喜んでいた。
日が傾く頃には、難波津が見えるところまで到達し、草香の江に入った。
「ここが草香の江だ。その先に見えるのは堀江の庄。カケル様が、ここに住む者たちと力を合わせ、水路を開き、見事な郷とされたのだ。」
モリヒコが話した。
草香の江は、かつて大雨が降るたびに増水し、難波津一体で水害が起きているところだった。だが、カケルが摂津比古に仕えていた時、海までの水路を作り排水できるようになったことで、草香の江の周辺には水田ができ、港も広がり、まちとなり、堀江の庄と呼ばれていた。
難波津の都は、葛城王が暮らした宮殿があり、そこから、堀江の庄まで、大路がつながっていた。大路には、太い柱を持った屋敷や倉が立ち並び、さらに外側に、民の家が広がっている。難波津には南と北に二つの港があり大いに栄えていた。
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1-6 堀江の庄 [アスカケ外伝 第1部]

一行が、船を堀江の庄の港に着け、陸に上がると、多くの人が出迎えた。
すでに日は落ちているが、堀江の庄には、沢山の松明が焚かれ、通りは明るかった。
「ヤマトからお越しになられたモリヒコ様の御一行ですね?」
そう言って現れたのは、派手に彩色された着物を着た、やや大柄な女人だった。周りに娘御を何人も従えていた。
「摂津比古様より使いが参られ、ヤマトより船が着くので接待せよとの命を戴いております。私は、堀江の庄で宿主をしておるスミレと申します。さあ、皆さま、こちらに・・。」
そういうと、人夫が集まり船から荷物を降ろし運び始める。慌てて、タケルたちは、船に向かい人夫たちとともに荷を運ぼうとした。
「あら・・宜しいのですよ・・長旅でお疲れでしょう。」
スミレはそう言って、従者としてきた子どもらを止めた。
「いえ・・これが我らの仕事です。やらせてください。」
真っ先に答えたのはタケルだった。
その声を聞いて、スミレは少し驚いた表情をした。そして、何か言おうとしたところをモリヒコに止められた。
「ああ。そうさせてください。彼らは役割を担って来ております。しっかり果たせない者はヤマトへは連れて戻らず、ここでしばらく修行させますゆえ。」
モリヒコはやや冗談めいた口調で言った。
「あらあら・・それは大変・・。」
スミレも、万事承知したように答えた。
一行は、宿に着くと、部屋に案内された。モリヒコ、イヅチ、ウマジ、サスケにはそれぞれ一部屋ずつが用意されていて、部屋ごとに侍女と使いが置かれた。タケルたち従者は、大部屋に案内され、やはり侍女と使いが付けられた。
すぐに夕餉の支度が整えられ、一同は食堂(じきどう)に案内された。モリヒコたちは食堂の奥の座で食事を摂った。並べられた膳には、海の幸、山の幸がふんだんに盛られ、酒も振舞われているようだった。そこには、宿主の姿も見えた。
タケルたちは、他の旅の者と同様に、食堂の大きな食台を囲むように座り、食事を摂った。おそらく、モリヒコ達よりは劣るだろうがそれでも見事な料理が盛られていた。
「さあ、大したものはありませんがご遠慮なくお召し上がりください。」
部屋付きの侍女が食事を勧める。ヤマトも近頃は難波津から海産物が運ばれるようになっていたが、そのほとんどは干物か塩漬けであった。目の前には、新鮮な魚や貝が並んでいる。
「いただきます。」
皆まだ、子どもである。目の前の旨そうな食材に我先にと手を付けた。
「思った以上だな!」
口いっぱいに料理を押し込んだヤスキが声を上げた。トキオも、目の前の皿から大きな貝を持ち上げて同調した。
部屋付きの侍女はその光景をけらけらと笑っている。
「あの・・・・あなたの名は?」とカケルが訊いた。
侍女は、声を出して笑った事を咎められたのかと驚き、顔を伏せた。侍女は、カケルたちとあまり歳は違わないように見える。
「咎めているわけではありません。お名前を教えていただきたいと思いまして・・。我らとあまり歳は違わぬように見えたので・・暫くこちらにお世話になるのですから、お名前でお呼びできればと思いまして・・」
改めて、カケルが訊いた。皆も答えを待っている。
「ヤスと申します。今年十三になります。吉備、鞆の浦の生まれです。昨年から、こちらで働いております。部屋使いについているものはカズ。私の弟です。一つ年下でございます。」
侍女は神妙な顔を見せて答える。
「郷からこちらにお二人で来られたのですか?」と聞いたのはヤチヨだった。
「母もこちらに・・父が病で亡くなり、困っていたところを、吉備の国主であるマヒト様から難波津で働くよう勧められ参りました。」とヤスは答えた。
「国主様直々に?」とチハヤが訊く。
「はい。国主様は常より、自ら、郷を回られ、困ったことはないかとお尋ねになります。そこでお話しいただけたのです。」とヤスは答える。
「ふうむ・・カケル様もいつも田畑に出て我らの話を聞いて下さるが・・吉備の国主様も素晴らしきお方なのだな・・。」
ヨシトが感心したように言った。
「摂政のカケル様ですか?」とヤスが驚いてみせた。
「ええ・・そうです。」とヨシト。
「摂政様のお話は、一族の長イノクマ様からもお聞きしました。自らも、摂政様を見習いたいと申されておりました。イノクマ様は、今、国主様をお支えするお役目をされております。国の安寧は、民の働き、民の暮らしを知ることが肝要と、イノクマ様はことあるごとに国主様に進言され、国主様もしっかり心得ておられるようです。」
ヤスの返答を聞いて、皆がタケルを見た。
タケルは皆が何を言おうとしているか察して、小さく首を横に振った。
「ヤマトでは、カケル様だけなくアスカ様・・いえ・・皇様も村々を回られます。そして、病を見つけるとすぐに薬草を下さり、癒えるまで看ていただけます。ありがたい事です。」
チハヤが答えた。すぐにヤチヨも続けるように言った。
「私たちは、ヤマトの春日の杜にて幼き頃から共に学んできたものです。ヤマトでは、子どもらは春日の杜で剣や弓、書物、様々な仕事を学ぶことができます。良きところです。」
「良きところなのでしょうね・・・いつか行ってみたい・・。」
ヤスはそう言うと、空いた皿を持ち、御厨へ入っていった。
カケルたちはヤスの話を聞き、自らがどれほど恵まれているのかを痛感していた。
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1-7 年儀の会 [アスカケ外伝 第1部]

次の日、難波津宮の大広間に一堂は集まっていた。
上座に、摂津比古が座り、右手には、東国の国主や代理の者たちが並ぶ。左手には、西国の国主や代理の者が座っている。モリヒコ達は最も下座で摂津比古に対面する位置に座していた。タケルたちはモリヒコ達の後ろに静かに控えていた。
居並ぶ者はじっと何かを待っているようだった。大広間の上座の戸が開くと、紫紺の衣装を纏ったカケルがゆっくりと現れ、摂津比古の後ろに座った。そして、しばらく沈黙した後、上座の後ろに設えられた御簾の部屋に人影が入ってくるのが見えた。
「それで、皆さま、年儀の会を始めまする。」
摂津比古が号令した。皆がゆっくりと首を垂れる。
「皆さま、遠路、ご苦労でした。我が国の有体を存分にお聞かせください。」
御簾の中から声が聞こえた。それは確かに、アスカの声だった。それに続いて、カケルが言葉を発した。
「皆さま、遠路はるばる、お集まりいただき、まことに有難き事です。年に一度、こうして皆様にお会いできる事は何よりの幸せです。これよりは皆、倭国の友として忌憚なきお話をいたしましょう。些細な事でもお聞かせください。大きな火種になる前に皆で力を合わせ良き種にいたしましょう。」
カケルはそう言うと、一同に向かって深々と頭を下げた。
錚々たる顔が並ぶ総勢五十名を超えるほどの集まりである。荘厳な雰囲気で開会したが、集まった者たちの表情は、皆、晴れやかで和らいでいる。
タケルは、皆の様子を見ながら、ここにこそヤマト、いや倭国の安寧があるのだと確信した。
初めて年儀の会に出る者もあり、一通り、名を名乗り、国の様子を話し始めた。居並ぶものの名を聞くたび、カケルが話して聞かせたアスカケの最中に登場する者ばかりで、まるでお伽噺の中に迷い込んだような気持で、子どもらは話を聞いていた。
「大きな憂いのある事は起きていないようだが・・・」
と一通り話を聞いた摂津比古が言うと
「あの、宜しいか。」と立ち上がったのは、かのイノヒコであった。
「我は、吉備の国主の代理、イノヒコでございます。お久しぶりにございます。」
カケルはイノヒコに視線を向けて笑顔で応える。
「吉備の国では、西方の村で、昨年、米の出来が悪く、酷いところでは半分ほどにもなっております。東方には蓄えがあり、黍や稗もある故、すぐには困りませんが、今年も同様であれば飢える者も出るやもしれません。」
「それはいかん。何が起きて居る?」と摂津比古が問う。
「雨が少なかったせいです。夏場に干からびた田もあちこちにありました。海に近い郷では特に酷く、国内で米を融通しておりますが、来年も同様となると間に合わないでしょう。」
とイノヒコが答えた。
「吉備だけではないようです。」
と声を出したのは、アナト国の王、タマソだった。
「我らは内海の船の案内をしておりますが、どうも、このところ、安芸の国の船が少なく、船長に訊くと、安芸の国では多くの郷で米が足らず苦労しているとの事。此度も、年儀の会にも、どうにも出れぬと安芸の国主から使いが参っております。」
「国主は奔走しておるようだな・・。他はどうか?」と摂津比古。
「九重の方は豊作だと聞きました。伊予国もやや不作ではありましたが、日向より米を少し融通いただきました。」と答えたのは、伊予国の王イクナヒコだった。
「どうであろう・・コメの不作は民を不安にさせる元。放置すれば障りになる。国々の米作の出来を調べ、融通しあう仕組みを作れまいか?」と摂津比古が訊く。
「それは良い」と一同が頷く。
「どなたか、取り纏め役をお願いできぬか?」と摂津比古。
「では、ここは、タマソ様に取りまとめていただくというのは如何であろう。いずれ船を使い米を運ぶことにもなる。水運を知るものが米を動かせれば好都合ではなかろうか?」
イクナヒコが提案すると、一同は賛同した。
タマソは少し考えてから答える。
「そのお役目、お受けいたしましょう。ただ、我ひとりでは手に余ります。できれば、吉備や伊予からも適任の方をご推挙いただけないものでしょうか?」
タマソの提案に、イノヒコもイクナヒコも賛同した。
「宜しいでしょうか?」と摂津比古の脇に控えていた摂政カケルが口を開いた。
「讃の国はもともと雨が少なく米作りに苦労されていたようですが、近ごろは、池を用いた方法で解決したとお聞きしました。もし、その技をお教えいただけるのであれば、吉備の国や安芸の国も安心できるのではないでしょうか?」
カケルが、この先の事を提案した。
「判りました。讃の国には、コボウという者が池作りを広げておりました。伊予国でもコボウ殿を招き、取り入れました。こののち、私が、讃の国へ行き、必ず約束を果たせるように致します。」
イクナヒコが答えた。
「それならば、年儀の会が終わったら、私も同行いたします。」
そう言ったのは、イノヒコであった。
「それならば、私も行きましょう。一度、讃の国とは誼を通じておきたいと考えておりました。船でお送りいたしましょう。」
とアナトのタマソが言った。
「それは良い事です。讃の国はまだまだ纏まっているとはいいがたい。できれば、阿波や土佐ともつながりができれば倭国の安寧はさらに強くなるに違いありません。大任ですがお願いいたします。」
カケルは笑みを浮かべながら言った。
「摂政様の勅命としてしっかり務めます。」
とイクナヒコが頭を下げた。
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1-8 国々の動き [アスカケ外伝 第1部]

「他はどうか?」と摂津比古が皆に訊く。
「米作りと関連する事かどうか定かではありませんが・・」
と前置きして話し始めたのは、山背の国からムロヤであった。
「わが山背の国は、出雲の神々を敬い、ヤマトとは別に古くから出雲国を支えて参りました。出雲国は、遥か西方の日御碕に都を置き、北国にある越の国辺りまで、外海(そとうみ)伝いに繋がった国でございます。近頃、都の意向に背くような動きが出て居る様なのです。」
「背くとは・・争いが起きているのですか?」
とカケルが訊く。
「いえ・・出雲の都から東方には湖が広がっております。その先に、伯耆の庄があります。そこは豊かなところで、いわば出雲の都を支えている所なのです。実は、それから南側の山中に鋼を用いた一族がおります。その頭領が、伯耆の庄を武力で治めようとしているようなのです。」
ムロヤの話を聞いていたモリヒコが少し驚いて言った。
「まさか・・我が一族では・・。」
「いや、忍海部の皆さまとは、今も盛んに往来をしておりますが、そのような邪な事はされることはありません。カケル様もご存じでしょう。昔、忍海部から神剣を盗もうとした不届きな者たちがおりました。もしかしたら、その者たちと関係があるかもしれません。」
そう言ったのは、イノヒコだった。
「出雲の力が弱まっているという事でしょうか?」
モリヒコが訊く。
「神々を敬う心が出雲を支えております。ですが、神をも恐れぬ者となれば、出雲の国を乱す事は何とも思わないに違いありません。やはり、いずれ、争乱につながると考えた方がよろしいかと・・。」
とムロヤは答える。
「倭国の安寧には出雲国の安寧は欠かせぬもの。不穏な動きがあれば何か手を打たねばならぬが・・・。」と摂津比古が少し困惑した顔で言う。
「ですが、出雲国の争乱を、我らが諫めるというのはどうでしょうか・・・ヤマトの皇の威光をもって、出雲国を犯すようなことになるのではないでしょうか・・。」
と言ったのは、伊勢国のホムラであった。
「わたくしもそれはどうかと思います。出雲の事は出雲で解決するが肝要。とはいっても、争乱が広がれば、吉備や播磨、安芸、アナトも巻き込まれるかもしれません。備えておくに越したことはない。」
そう言ったのは、明石の長、オオヒコであった。
その後も、様々な意見が飛び交った。
「東国も、安心してはおれぬかもしれません。」
少し大きめの声で発言したのは、尾張の国から来たヤシロだった。
「不躾に申し訳ありません。私は、尾張の国、熱田の郷より参ったヤシロと申します。ホムラ殿からお声がけいただき、この場に入らせていただきました。」
「よう参られた・・して、東国も安心しておれぬとはどういうことか?」
と摂津比古が尋ねる。
「我が、尾張の国は、伊勢の国から海を渡った東方にあります。度重なる水害で思うように田畑が出来ず、皆、小さな郷ばかりでございます。大海に浮かぶ、中島の宮を拠り所にしております。」
この頃、まだ、尾張一帯は美濃や木曽からの大河の河口にあたり、浅瀬の海が広がり、今の伊勢湾よりも広かった。幾つもの小島や丘陵には、郷ができていたが、湿地を開墾した農地に頼っており、水害に悩まされていた。
「我が国の東のはずれに、鳴海という郷があります。そこの者の話では、それより先、東国は力のある者がおらず、尾張よりもさらに郷ごとで厳しい暮らしをしておるとの事です。」
熱田のヤシロから、初めて聞く東国の話に、皆、興味深く聞き入っていた。
「ですが、近ごろ、登呂(とろ)という郷で、駿河の王を名乗るものが現れたとの事です。」
「駿河の王?」と摂津比古が訊きなおした。
「はい。今は、駿河、遠江一体を支配する事に奔走しているようですが、今後、我らの郷にも参るかもしれぬと考えております。いずれは、伊勢やヤマトにも攻め入るとも・・・。」
とヤシロは答えた。
「どのような人物なのでしょう?」とカケルが訊く。
「いえ・・そこは定かではありませんが、登呂の郷は豊富に米がとれ、民も多いと聞いており、その長となればかなりの力を持っているのではないでしょうか。」
とヤシロは答えた。
「ただ・・それはまだ先の事でしょう。駿河、遠江には平地は少なく、幾つもの大河が流れており、西に向かうにはかなり手間が掛かります。東の海は波も荒く、よほどの大船ではければ動けないはずです。」
そう言ったのは、伊勢のホムラだった。
「出雲、東国とも、安寧ではないという事か・・・。」
摂津比古は、腕組みしながら呟いた。
「いましばらく様子を見ましょう。ムロヤ様は、引き続き、出雲国の様子をお教えください。そして、ヤシロ様は東国の動きを。皆様には、いかようになろうとも争乱に加わる事の無いようにしていただきたい。」
最後に纏めたのは、カケルであった。
一部始終を、タケルたちはモリヒコの後ろで聞いていた。ヨシトは、記役であったため、全てを書き留めていた。
午後の早い時間に、年儀の会の初日は終わった。
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1-9 草香の江 [アスカケ外伝 第1部]

「お前たちは夜まで難波津を見て回れ。我らは少しカケル様と相談する。良いな、くれぐれも恥ずかしき事の無いようにするのだぞ。」
モリヒコはそう言い残し、他国の王や代理の者たちと大広間を出て行った。
残されたタケルたちは、暫くぼんやりしていた。
年儀の会に列席した者の名だけで圧倒されていたが、さらに、出雲や東国の話を聞き、今まで春日の杜で学んできた事は僅かな事であり、身の程を知らされた思いであった。
「さあ、モリヒコ様が仰せのように、難波津を見て回ろう。」
そう言ったのは、タケルだった。
子どもらは、一度、宿に帰る事にした。宿に戻るとすぐに、侍女ヤスの姿を探した。
「すみませんが、難波津を見て回りたいのです。案内いただけませんか?」
カケルがヤスを見つけてお願いした。
「宿主に聞いてまいります。」
ヤスはそう言うと、宿の中に入っていき、すぐに戻ってきた。
「宿主よりお許しをいただきました。それと、宮に行き薬草を貰ってくるよう言いつけもいただきました。では、参りましょうか?」
ヤスはそう言うと、弟のカズを連れてカケルたちを案内した。
「あの・・ヤス様、一度、港を見てみたいんだが・・。」
そう言ったのは、ヤスキだった。
「判りました。」とヤスは答え、港の方へ回った。
港には、大船小舟がひしめく様に並んでいた。そして、その船から筋骨隆々の男たちが荷物を運んでいる。
「おや、ヤス、珍しいな。」
と大男の一人が声を掛けた。
「あら、イノクマ様。こちらに来られていたのですね。」
イノクマは、鞆の浦、投間一族の長。カケルが、アスカケの途中、難波津へ向かう時、知り合った者だった。
「ほう、元気そうな子らがいるが、何処の者だ?」
「ヤマトより、従者として来られた皆さまです。」
「ヤマトからか・・・カケル様・・いや、摂政様はお元気か?」
イノクマは、タケルたちに訊く。
「はい、此度、年儀の会にてこちらにお越しです。皇様もご一緒です。」
答えたのは、ヤチヨだった。
「そうか、こちらにお越しなのか・・なら、ここにも来られるかもしれぬな。何か手土産を用意しなければならぬなあ。」
タケルは、イノクマの名を聞いたことがあった。カケルと共に、瀬戸の海峡で魔物を退治した男で、話で聞いた通り、豪快な男だと感じていた。
「どうだ、この港は。物が溢れているだろう?国々が互いに信頼し、産物を運び、暮らしを豊かにする。これもすべて、皇様と摂政様のお力あってこそなのだ。」
イノクマは自慢話のように話す。
「特に、この港が賑やかなのは、カケル様が開かれた水路のおかげだ。ここから、遥か中津海までつながっているのだぞ。」
イノクマはそう言うと、水路を指さした。
「どうだ?行ってみるか?」
とイノヒコが言い、すぐに小舟を用意した。
タケルたちは船に乗り、ゆっくりと港を離れる。穏やかな草香の江の港を進むと、わずかで、中津海につながる水門に着く。そこには数人の男が行きかう船を見守っているように見えた、イノクマが手を上げると、小柄で背の曲がった男が頭を下げる。
「あれが、ソラヒコ様だ。・・あそこにいる者たちは、昔、念じ者と呼ばれ、肉が腐る病に罹って苦しんでいたのだ。それをアスカ様・・いや、皇様が治療された。見違えるように元気になり、カケル様と共にこの水路を作り上げた。そして、今は、この水路を守役として立派に働いておる。すばらしきことだと思わぬか?」
イノクマは感慨深げに言った。
「肉が腐る病?」と思わず、チハヤが口にした。
「ああ、そうだ。放っておくと、動けなくなり命を落とす怖い病だ。皆、忌み嫌い近づかなかった。だが、アスカ様は腐った肉を水で洗い流し、薬を塗り介抱された。皆は、アスカ様を心配したが、先の皇も後押しされ、難波津宮に病を治すための館まで作られた。そして、様々な薬草が集められ、病を治すため多くの者が働いた。西国の民は病に罹ってもここへ来れば治せると判り、安心して暮らせておるのだ。今では、西国のあちこちから多くの者が、ここへ学びに来て、それを国へ持ち帰る。その礎を皇様は作られたのだ。」
イノクマは饒舌に話す。タケルたちは静かに話を聞いていた。
「あれが水路ですよ。」
ヤスが指差した。大河と見紛うほどの幅を持ち、まっすぐに延びる水路が見える。完成したばかりの頃、周囲は草原だったが、今では木々が育ち、岸部は豊かな森になっていた。
「これをあの方たちが作ったのですか?」
ヨシトが驚きを隠せない様子で訊いた。
「ああ・・だが、あの者たちだけではない。難波津の者や、播磨や吉備からも多くの者が集まった。・・ああ、そうだ。この水路のおかげで、ヤマトから攻め込んできた兵を退ける事もできたと聞いたぞ。」
タケルたちは、アスカケの話を思い出していた。夢物語ではなく、現実だったと知れば知るほど、カケルとアスカの為したことの偉大さを痛感する。タケルの心には再び憂鬱な気持ちが溢れてきていた。船は、水路を抜けた。目の前には中津海が広がっている。
「これが・・海か。」
トキオが呟いた。初めて目にする海。遠くに島々が見える。
「ここから西へ向かうと、播磨、明石、吉備へと続く。その先に、アナトの国、そして九重の邪馬台国へと行けるぞ。」
イノクマは得意そうに言った。子どもらは目を輝かせて、イノクマの話を聞いている。
それから、船を戻し、陸へ上がった。タケルたちはイノクマに礼を言い別れた。
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1-10 難波津の大路 [アスカケ外伝 第1部]

「ここから、大路を通って難波津宮へ行きましょう。」
ヤスが先導する。大路には幾つもの家が並んでいる。通りを行き交う人も多かった。皆、それぞれの国の衣服を纏い、首飾りやカンザシ、冠等を身につけていた。いずれも初めて目にするものばかりだった。
「ここでは、港から入ってきた、西国の様々な品を取引しているのです。」
この時代、まだ、貨幣は存在していない。すべてが物々交換である。直接のやり取りだけでなく、ここで品定めをして、大船を使ってそれぞれの国や郷が取引をする。物だけではない、仕事や技術もここで融通しあう。
ヤマトの国も豊かだが、ここ難波津は、それ以上に珍しいものや貴重なものが溢れている。タケルたちは、その一つ一つに心を奪われる思いがした。
「これをお食べよ。」
一軒の家の前で、老女に声を掛けられた。差し出されたのは、湯気の出ている饅頭だった。大皿に山盛りに並んでいる。皆、どうしたものかと顔を見合わせ、ヤスを見た。すると、一緒にいたカズが手を伸ばし、頬ばった。
「うん、旨い。」
それを見て、皆も同じように、手に取り、一斉に口にした。口の中が一気に甘くなる。これまで口にしたことのないような甘さがある。
「うーん、旨い!」
皆も同じように言った。
「そうだろ?これぞ、吉備の名物、蒸かし饅頭さ。」
甘いものを口にして、タケルたちは一気に幼子に戻っていた。出発してからずっと、従者として大人びた振る舞いをするよう、必要以上に緊張していたのだろう。何か胸のつかえがとれたようで、チハヤが急に泣き出してしまった。それにつられて、ヤチヨが泣き、ヨシトやヤスキ、トキオも涙ぐんでいる。
「おやおや、どうしたんだい?」
饅頭を進めてくれた老女が驚いた様子で訊いた。
「いえ・・我らはヤマトからの使者の従者として参りました。少し疲れているんです。すぐに収まりますから、ご心配なく。」
と落ち着いてタケルが答える。
「ヤマトからとは…まだ、子どもではないかい。摂政様は素晴らしき御方と聞いていたが、こんな子どもを従者にとは・・・厳しい事を成さるねえ。」
老女は同情するように言った。
「いえ、我らは春日の杜で学ぶ者。従者となったのも修行の一つなのです。我らを育てるための策。それに我らは自ら望んで参ったのです。」
タケルの言葉を聞いて、老女は感心したように言う。
「お前さんは、随分と落ち着いているんだねえ・・。同じくらいの歳だろうに・・。」
それを聞いて、ヤスキが思わず口走る。
「この方は、ヤマトの皇子、タケル様です。」
「ヤマトの皇子?」
「ええ、そうです。カケル様とアスカ様の御子、次なる皇になられるお方です。」
ヤスキは周囲の大人に聞こえるように大きな声を出して答えた。
それを聞いて驚いたのは、老女だけではなかった。ヤスやカズも驚いて、その場に伏してしまった。その様子を見ていた、周囲の大人たちも口々に、「皇子様だ・・」と呟き、その場に伏した。周囲は異様な光景になっていた。
「止めてください。今は、皇子ではなく従者として参ったのですから・・。」
タケルが言っても周囲は変わらなかった。
その騒ぎを聞いて難波宮の衛士たちがやってきた。
「何事だ!」
「皇子の名をかたるとは、ふとどきな奴、懲らしめてやる、何処だ!」
衛士は、剣を構え、凄い形相で走ってくるのが見える。
「いけない!みんな、逃げるぞ!!」
そう言ったのはヨシトだった。
タケルたちは、伏している大人たちの間を抜け、一目散に走りだした。
どこをどう通ったのか、判らなくなるほど、とにかく走った。大路から脇道に入り、家々の間を抜けて、街の裏へ出た。そこは、草香の江が遠くに見える葦の原が広がっていた。カケルたちは、葦の原に飛び込んで身を隠した。一緒にいるのは、タケルとヨシト、それにチハヤだった。すぐ後に衛士が一人、タケルたちの後を追ってやってきた。タケルたちは息を潜めている。衛士は暫く、周囲を見ていたが、諦めた様子で、街の方へ戻って行った。周囲に衛士が居ない事を確認して、三人が顔を出した。
「ヤスキやトキオ、ヤチヨはどうした?」
タケルがチハヤに訊いた。
「途中までは一緒だったと思うけど・・どこかで逸れたみたい。」
チハヤが答える。
「ヤスキの奴、何であんなことを!」
とヨシトが怒って言う。
「それより、早く見つけないと・・それに、ヤスさんやカズさんに迷惑が掛かる。」
タケルはそう言うと、帰り道を探すため、周囲の様子を見た。目の前には、粗末なつくりの小屋の様な建物が並んでいる。いずれも、何処から手に入れたか判らない様な廃材を寄せ集めたような作りで、戸口も歪み、中には外れている物もある。壁には幾つも穴が明いている。何より、葦の原の際に建っているため、湿気が強く、異臭も感じられた。大路とは別世界であった。こんなところに住んでいる人がいるのだろうか。そう思いながら、帰り道を探すため、そのボロ家の脇を通ると、壁の隙間から人影のようなものが見えた。タケルは立ち止まった。
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1-11 貧しき暮らし [アスカケ外伝 第1部]

「タケル?どうした?」
ヨシトは、立ち止まったタケルに訊いた。
「すまない。」
タケルはそう言うと、人影のようなものを見た家の前に立った。入口の戸が半分ほど開いている。ヨシトとチハヤもタケルについて家の前に立った。
「どうにも気になるんだ・・難波津は素晴らしいところのはずなのに・・これは・・。」
壁の隙間から差し込む光で、室内の様子もぼんやりと見える。室内は土間になっていて、そこに横たわる人影があった。
「どなたか、いらっしゃいますか?」
タケルは、家の中に声を掛けるが、返答はない。
「御免!」
タケルはそう言うと家の中に入った。薄暗い部屋、湿ったかび臭い空気、そこに薄い筵が敷かれ、横たわっている人の姿が確かにあった。
「死人か?」
ヨシトが小さな声で呟く。その声が聞こえたのか、横たわる人が少し頭を持ち上げたように見えた。チハヤが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
横たわっていた人は、チハヤの手を借りて身を起こした。男のようだった。
「何用でしょう・・」
男は弱々しい声で訊いた。
「我らは、ヤマトから来た者です。衛士に追われ、供の者と逸れ、道に迷い、困っておりました。失礼ながら、人影を見つけて、無作法ながら入って参りました。」
タケルは丁寧に男に告げた。
「何と・・ヤマトからとは・・・」
男はそこまで言って、咳き込んだ。
「随分、お体の具合が悪いようですが・・・。」
チハヤが訊く。
「いや・・御心配には呼びません・・生きている事が罪の身の上・・一日も早く死にたいと思っております。さあ、このようなところに居てはなりません。立ち去られよ。」
男は、そういうと介添えしていたチハヤの手を払おうとした。
「駄目です。・・・ヨシト様、どこかで水をお願いします。」
チハヤは強い口調で言った。
ヨシトはすぐに家を出て行った。
チハヤは、先ほど懐に入れていた吉備の蒸かし饅頭を取り出し、「さあ、これを。」と男の前に差し出した。男はじっとその饅頭を見つめる。ごくりと喉が鳴る。暫く、何も口にしていなかったのだろう。男は手に取り喰らいついた。
「ゆっくりお召し上がりください。」
タケルも懐から饅頭を取り出し、男の前に差しだした。
男は饅頭を二つぺろりと平らげた。そうしているうちに、ヨシトが甕を担いで戻ってきた。そして、脇に転がっていた椀に水を注いで渡した。水を飲み、男は精気を取り戻したようだった。
「生きている事が罪とはどういうことですか?教えてください。」
タケルが、男に訊いた。
男は視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「私は、昔、物部一族に仕えていました。そしてイロヤ殿が難波津を攻めた時、兵として参りました。あの戦では、多くの者は命を落としましたが、私は何とか逃げ出しました。」
タケルもヨシトも、物部との戦の話は何度か聞いたことはあった。
イロヤとの戦では、多くの者が命を落としたことは知っていた。だが、難波津の勝利で、悪を滅ぼしたという事ばかりに気を取られ、命を落とした者、行き場を無くした者について考えたことはなかった。
「その後は、どうされたのですか?」
タケルが訊いた。
「その後、一度は、故郷のヤマトへ戻りましたが、すでに物部一族は滅び、帰る場所はありませんでした。その後、しばらくは、生駒の山中に潜んでおりました。ですが、冬の寒さに耐えきれず、ヤマトの北、山背国にある巨椋池で漁師に拾われ、手伝いをしておりました。ですが、物部の者と判り、居られなくなって、再び、難波津へ戻り、人夫に紛れておりました。」
その男はゆっくりと思い出すように話した。
「ご苦労されたのですね。」
とチハヤが労わるように言う。
「いえ・・・当然の報いですから・・・。」
男はそう言いながら、足を摩っている。
「痛むのですか?」とチハヤ。
「ひと月ほど前、荷を運ぶ時に怪我をしました。痛みが続き、満足に働くことも出来なくなりました。そして、このありさま。もはや、死を待つのみ。」
「助けてくれる者は無かったのですか?」とチハヤ。
「皇に弓を引いた者として、当然の天罰が下ったのです。ここには、私のようなものが集まって、息を潜めて生きておるのです。」
タケルもヨシトも、目の前の男にどう声を掛けてよいものか考えあぐねていた。
「死を待つのみ・・などと口にしてはなりません。」
強い口調でチハヤが言う。チハヤはまだ赤子の時、父を戦で亡くしていた。チハヤの身の上は、タケルもヨシトも知っている。チハヤの思いは痛いほど判った。
「ヤマトでは、命は世のために使うものと教えられました。人には、必ず生きる役割がある。命は粗末にしてはならぬと・・。」
ヨシトが言う。
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1-12 罪と赦し [アスカケ外伝 第1部]

「ですが・・このような体で何が出来ましょう?」と男が問う。
「ここ難波津の賑わいは、どのようにできたのかご存じですか?」
とタケルが切り出した。男は少し困惑顔で聞いている。
「その昔、肉が腐る病で、皆から忌み嫌われていた”念じ者”と呼ばれた方々がありました。それを今の皇、アスカ様達が、薬草を使い、手厚く看護され、治療されました。そしてお元気なられた皆さまが摂政カケル様を手伝われ、見事な水路を作られました。その結果、堀江の庄ができ難波津の賑わいを生み出したのです。・・あなた様も、まずは怪我を治しお元気になられれば、またお働き戴けるはずです。」
タケルは続けた。
「しかし・・私は先の皇様へ弓を引いた身です。その罪は許されません。」
と男が返す。
「そんなことはありません。摂政カケル様は、戦で勝敗が決した後、敵となった者もヤマトの民として赦され、ヤマトのために働くことを求められました。そのお考えがあるからこそ、ヤマトや西国の国々は安寧に豊かになったのです。・・あなた様も、この国のために生きて働いていただきたいのです。」
今度はヨシトが男を説得する。
「しかし・・」
男はまだ納得していない様子だった。
「判りました。また、必ずここへ参ります。」
タケルたちはそう言うと、貧しい男の家を後にして、難波津宮に行くことにした。
男の家の周りには、同じようなあばら屋が建ち並んでいて、同じような境遇の者が、予想以上にいるのが判った。
「これは・・・何とかしなければ・・・。」
タケルは、裏町のあばら家の様子を心に焼き付けた。そして、何とか大路まで戻ると、蒸かし饅頭をくれた家を探し回り、ようやくその家を見つけた。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」
タケルが声を掛けると奥から返事がして、かの老女が現れた。
「おや・・先ほどの・・皇子様でした、でしょうかね?」
老女は、少しからかうように、半信半疑の返答でタケルたちを迎えた。
「先程はご迷惑をおかけしました。・・あの、一緒にいた者はどうしたでしょうか?」
と、タケルが訊くと、その老女はちょっと微笑んでから答えた。
「ああ、あの子たちなら、衛士に連れて行かれたよ。きっと、今頃は、宮殿の牢にでもいるんじゃないかねえ。」
「宮殿か・・・。」とヨシト。
「それを聞きに来たのかい?」と、老女はぶっきらぼうに訊いた。
「いえ、実は、厚かましいお願いなのは重々承知なのですが、ここの蒸かし饅頭を、ある所へ届けていただけないものかと。」
「饅頭を?どこへ届ければいいのかい?」
と、老女は訝し気に訊く
「あの路地から入ったところ。貧しき暮らしをしている人達が何人もおられます。何日も食べ物を口にしておらず、命に拘わる方もいるようです。何とか、お助け願えないでしょうか。」
後ろにいたチハヤが言った。
「ほう・・路地裏の貧しい者を助けてくれと言うのかい?」と老女が言う。
「ええ・・お願いします。」と今度はヨシトが頼んだ。
「私も、ここで吉備の産物と他国の産物と取引する仕事をしている身。何か対価がなく、饅頭を配るというのは、仕事にはならない。困るんだよ。」と、老女が答える。
「はい、今すぐに対価を得る事は出来ないでしょう。しかし、かの者たちは、元気になれば仕事ができます。荷を運ぶ仕事でも、船を出す仕事でも、きっと役に立つはずです。」
とタケルが返すと、老女はあきれ顔で言った。
「呆れたねえ。あいつらが元気になるまで、私に面倒見ろというのかい?病気の者もいるだろう。それは、摂津の長様の御役目なんじゃないかい?」
老女が言うのは正論だった。
「もちろん、これから難波津宮へ行き、貧しき者や病の者たちを救うような手立てを取れる様、我らの主に進言いたします。ですが、このままにはしておけません。今日明日にも命が尽きる者もあるかもしれません。ですから、できる事があるならすぐにでも手を打ちたいのです。」
タケルが強い口調で老女に言った。
「ふーん・・・」
老女は目を閉じ、少し考えていた。その様子を見て、タケルはさらに続けた。
「もちろん、こちらにだけお願いしようとは思っていません。大路にいる方々へお願いしてまわろうと思います。皆が、互いをたすけあう心が無ければ、いずれまた同じような方々ができてしまうでしょう。それでは駄目なのです。」
タケルの言葉を聞いて、ヨシトもチハヤも強く頷き、老女を見た。
得も損も関係なく、穢れのない、真っすぐな眼差し。ただ、助けてほしいというのは無く、助けあう心が大切だという強い思い。老女は感心していた。
「わかったよ。すぐに饅頭と水を届けよう。」
老女はそう言うと、家の奥へ声を掛けた。すぐに、数人の侍女たちが、木箱に入った饅頭と水甕をもって、出て行った。
「さあ、あんたたちは宮殿にお戻り。皆、心細い思いで待っているだろう?さあさあ!」
老女はそう言って、タケルたちを送り出した。タケルたちはその老女に深々と頭を下げ、宮殿に向かった。
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1-13 宮殿の小部屋 [アスカケ外伝 第1部]

「あの・・これで宜しかったでしょうか?」
老女は、家の中に声を掛けた。
「ああ・・上々です。手間をかけますが、よろしく願います。」
そう言って現れたのは、イノヒコだった。
「やはり、カケル様とアスカ様の御子。優しき心をお持ちのようだな。」
「驚きました。まさか皇子がここにいらっしゃるとは・・・ですが、一言、自ら皇子を名乗り、私どもに命じれば済む話かと思いますが、なぜそうされないのでしょうか?」
と老女がイノヒコに訊く。
「いや・・此度は従者で来られたそうだ。臣下・・いや、民の心で、世の中を見て回り、自らのすべきことを探しておられると聞いている。おそらく、そのためだろう。・・さて、私も貧しき暮らしをしている方達の様子を伺ってこよう。」
イノヒコはそう言うと、箱詰めされた蒸かし饅頭を抱えて出て行った。

タケルたちは、宮殿に向かいながらも、軒を並べる家々を訪ね、路地裏の様子を知らせながら、少しでも多くに人を救えるようお願いに回った。
先ほどの老女のようにすぐに応えてくるところもあるが、門前払いのところもあり、世間の厳しさを体感することになった。
タケルたちが宮殿の前に着いたのは、ほぼ日暮れの時間になっていた。宮殿の大門の前には、門番が立っている。
「ヤマト国の従者です。中に、伴が捕らえられているとお聞きし、伺いました。」
タケルが門番に告げる。
「何?ヤマト国の従者だと・・少しそこで待っておれ!」
門番は一度宮殿内に入るとすぐに、衛士数名を連れて戻ってきた。
「お前たちか、皇子を騙り、大路で騒ぎを起こしたのは!来い。」
衛士はそう言うと、タケルたちを取り巻き、宮殿内の離れにある小部屋に入れた。
部屋の中には、ヤスキやトキオ、ヤチヨ、ヤス、カズが神妙な顔をして座っていた。
「おお、タケル、無事だったか!」
トキオが立ち上がり、タケルたちを迎えた。
「皆も無事だったようですね・・。」
タケルはそう言うと、ヤスキが「済まない。」と詫びた。
「いや、良いんだ。こうして無事に会えたのだから。」」
とタケルは言った。
ふと見るとヤスとカズは、タケルが皇子だとヤチヨから知らされていて、恐れ多い事だと部屋の隅で小さくなっていた。
「ヤス様、カズ様、こんな騒ぎに巻き込んでしまって申し訳ありません。」
タケルが頭を下げる。その様子にヤスは驚き、タケルの前で傅いて言った。
「頭をお上げください。皇子様にそのようにされては困ります。」
ヤスの言葉にタケルは頭を上げ、さらに言った。
「私は、皇子ではなく従者としてここへ参りました。この後も、皇子ではなく、従者の一人として扱っていただきたい、お願いできますか?」
「しかし・・・」
戸惑うヤスに、チハヤが言う。
「そうしてください。私たちは皆、そういう事を承知で同行しています。特別な扱いをされると我らの役目が果たせなくなります。」
そう聞いて、ヤスもカズも一応納得したようだった。それから、タケルたちは、逃げている途中で見た裏町のあばら家の様子とその者たちを救うために何ができるかを相談した。
「やはり、ここは、モリヒコ様にお話しして、摂津比古様に進言いただくのが良いだろう。」
ヨシトが言う。
「しかし、大路の皆に摂津比古様がご命令を下されるというのは良い事なのだろうか?」
と、トキオが言う。
「まず、どれほどの人が暮らしに困っているのか、知ることが必要だろう。ほんの少しなら、皆が助け合うことで済むだろうが・・・多ければ、そういうわけにはいかない。病の人もどういう病か、治せるものかも知る必要がある。」とヤスキが言う。
「病の人の事ならば、薬事所も判っているのかもしれません。」と、ヤチヨが言う。
そこまで聞いて、ヤスが口を開いた。
「あの・・宜しいでしょうか・・・。実は、大路の裏に、病で苦しんでいる方や食うに困っている方がおられるのは、皆、承知しております。ただ、中には、難波津に害をなす輩もおり、皆、近づかぬようにしているのです。」
「害をなすとは?」とタケルが訊く。
「はい・・盗みや諍いを起こすのです。その上、病がうつるのではと心配して、皆、近づこうとしないのです。」とヤスが答えた。
「私があった方は、そのような事は出来ない御方でした。いや、起き上がる事さえままならぬ有様。盗みや諍いを起こす輩とは違うのではないでしょうか?」とカケル。
「そうかもしれません。しかし、あそこをねぐらにして悪さを働く者がいるのは確かなのです。私も一度、宿主の使いで宮殿に向かう時、風体の悪い男に路地裏に連れて行かれそうになりました。」とヤスが言うと、タケルは少し考えてから言った。
「そうですか・・・しかし、あのまま放置すれば、難波津や堀江の庄を乱すもとになるのは確かです。摂津比古様はこれまで手を打たれなかったのでしょうか?」とタケル。
「幾度か、路地裏に衛士を向かわせ、害を為す者を捕られ、追放されたことはありました。」
「しかし、それではまたここへ戻ってくるでしょうし、次々にそうした者が現れるだけでしょうね。」とチハヤが言う。
タケルたちは、貧しきものを救う方策は簡単なものではないのだと判り始めた。
小部屋の戸が開き、衛士が現れた。
「皆、付いて来られよ!」衛士はそう言うと、宮殿の大広間へ皆を連れて行った。
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1-14 進言 [アスカケ外伝 第1部]

大広間には、摂津比古とモリヒコが待っていた。御簾の向こうには人影はないようだった。
二人の前に、皆、首を垂れて座った。
「事の次第は、概ね、衛士から聞いた。私はくれぐれも恥ずかしくない行動をとるように命じたはずだが・・。」
モリヒコは少し憮然とした表情で言った。皆、ひれ伏して謝罪した。その様子を見て、摂津比古が助け舟を出した。
「まあ、それくらいで宜しいでしょう。騒ぎと言っても大したことはない。ここへ戻ってきたという事は充分に反省しているという事でしょう。さて、大路は如何であった?顔を上げて申してみなさい。」
優しい口調であった。
それに応えるように、タケルが顔を上げて、大路の賑わいとは裏腹に、路地裏の貧しき人達の様子を話した。
「ふむ・・私も大路の様子は知っているが、貧しき者がそれほどに暮らしていようとは・・」
と、摂津比古は少し憂鬱な表情を浮かべて言った。
「人が増えれば、そうした者も増えましょう。これほどの大きな街となれば行き届かぬところはあっても仕方ない事。ただ、このままにはしておけません。」
とモリヒコが言う。
「いかがすれば良いか?何か策はないものか?」と摂津比古が呟く。
「怖れながら、申し上げます。」と切り出したのはヨシトだった。
「我らヤマトの郷は、小さき郷が多く、人も少ないので、何をするにも皆が助け合い寄り添うことが大事になります。しかし、ここ難波津は人が多い。それぞれが役割を分担する事で良しとされ、たすけあう事、寄り添うことが少ないのではないかと思います。今一度、皆が助け合う事の大切さを知らせていくことが必要かと思います。」
「そうか‥だが、そのためにどうする?」とモリヒコが訊く。
「こちらに向かう船上で、モリヒコ様たちはずっとそれぞれの郷の様子を話され、我が事として考えておられました。年儀の会でも、国々の様子を聞き、困りごとを出し合い、互いに助け合う策を見つけられました。同じように、ここ難波津宮でもそうした場を作られてはいかがでしょうか。」とヨシトは答えた。
「皆の声を集めよという事か?」と摂津比古が訊く。
「大路の中には、路地裏に住む者へ誤った見方が広がり、不安の種にもなっております。それを悪用して、悪さをする者も生まれております。この後、さらに難波津が賑わい、人が集まればそういう輩も増えるでしょう。そういう者たちを入り込ませないためにも、皆が信用しあう事が必要でしょう。そのためにも、そういう場をお創りなる事が大事だと思います。」
タケルが言うと、摂津比古はしばらく考えてから答えた。
「良かろう。そなたらの言う通りであろう。難波津に住む者が集まり話し合う場を作ろうではないか。まだ、ここが小さき郷であったころは、事あるごとに、皆で集まり、話し合ったものだ。難波津の会として、より多くの者が集まれるようにしよう。」
「今一つ、お願いがございます。」とタケルが言う。
「先ほどお話した者は、昔、戦で宮へ弓を引いた罪を悔いて、息を潜めて生きておりました。罪は罪でしょうが、もはや戦は終わり、敵味方はありません。できれば、皇様、摂政様に御赦免の詔を戴けまいかと。ここ難波津だけでなく、皇様、摂政様の御意思を広く知らしめることで、諸国でもそうした者たちを救えるのではないかと思うのです。」
カケルの進言を聞き、応えたのはモリヒコだった。
「ほう・・御赦免の詔か・・それは考えが及ばなかった。確かに、カケル様は常に戦の後は、敵兵を赦して来られた。その場にいた者には伝わっておろうが、敗走した者たちは判っておらぬであろう。判った、その件は私からカケル様へ進言しておこう。」
「それと、もう一つお願いがございます。」といったのは、チハヤだった。
「そこには病に苦しむ者がおります。薬事所は病を治すためにアスカ様が開かれたと聞いております。すぐにでも、路地裏に住む者たちに手立てをお願いしたく思います。」
「わかった。薬事所に命じて、明日にでも調べる事にしよう。他には良いか?」
と摂津比古が言う。皆、首を垂れ頷いた。
「そなたらは、良き従者である。此度の騒動は不問とするゆえ、早々に宿へ戻られるが良かろう。」
摂津比古はそう言うと、モリヒコと共に奥へ入っていった。

奥の部屋に戻ると、アスカ、カケルが居た。それと、吉備のイノヒコも戻っていた。
「良き子どもたちですな。」
と摂津比古は上機嫌で座りながら言った。
「モリヒコ様の導きが良いのです。自ら考える事を常に求めておられる。」とカケル。
「いえ・・私はカケル様より教わったことを子らに伝える役目にて、それほどのものではございません。」とモリヒコ。
「それにしても、皇子は利発で真っすぐに物事を考えておられる。此度も、皇子であることは一切見せず、一人の人としてどうすれば良いか、我が家の者にもわきまえた態度でした。まるで、昔のカケル様を見るようでした。次の皇として充分な度量と知力をお持ちになられておると感心しました。」
と、言ったのはイノヒコだった。
それを聞いて、カケルが言った。
「いえ、まだまだでしょう。おそらく、それを一番わかっているのはタケル自身のはず。此度の事で、おそらく、ヤマトへ戻れば『アスカケ』に出たいと申し出てくるでしょう。もっと広く世の中を見たいと思うに違いない。」
「ほう・・もうそういうお歳ですか・・・それは良いことだ。此度ここへお連れになったのも、そう考えての事ですか?」と摂津比古。
「はい。アスカとも相談し、もうそろそろ良いのではと決めたのです。」
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1-15 かの者 [アスカケ外伝 第1部]

宿へ戻ると、宿主スミレが戸口の前で心配そうに待っていた。
ヤスは、通りからスミレの姿を見つけると一目散駆け出し、スミレの前にひれ伏した。カズも慌てて姉の後追い、同じようにひれ伏した。遠目には、スミレがヤスとカズを叱っているように見えた。だが、しばらくすると、二人を起こし強く抱きしめた。使用人とはいえ、まだ10歳を過ぎた子どもである。そのまま、ヤスとカズはスミレに抱きつき泣いている。
「ご心配をおかけしました。ヤス様もカズ様も何も悪くありません。我らが起こしたことです。責めないでください。」
カケルはスミレに言った。
「いえ・・責めるつもりなんてありませんよ・・。」
そういうスミレも泣いていた。
「夕餉の支度はとっくにできております。さあ、ヤス、カズ、皆様をご案内なさい。」
スミレに言われ、一行は食堂に行き、夕餉を摂った。その後、部屋に戻ると、一気に疲れが出て、すぐに皆眠りについた。
翌朝、朝餉を済ませると、モリヒコが「本日は年儀の会には出なくてよい。各々、やりたい事をせよ。」と命じて、早くに宿を出て行った。モリヒコは昨日の騒動の一部始終を聞き、カケルたちが路地裏の者たちを訪ねるのはないかと考え、自由にしたのだった。
モリヒコの予想通り、タケルたちは、ヤスとカズも含めて、あの路地裏に向かった。その後を、皆に気付かれないよう、サスケが見守りながらついていく。
しばらく行くと、大路の向こうから衛士が一軍になってやってきた。後方には薬事所の侍女たちが並んでついてくる。その先頭の衛士が大きな札を掲げ、通行人に大きな声で札に書かれた内容を叫んでいる。
「十日後の昼、宮殿にて難波津の会を開く!難波津にいる者は、皆、集まるように!」
「本日より、薬事所の御調が隅々まで参る。近隣に病の者があれば申し出よ!」
「皇様より、御赦免の詔が出て居る。ヤマト争乱にてヤマトに刃を向いた者、これより一切の罪を免ずるものである。」
「この御触れを聞いた者は、より多くの者に伝えよ!」
昨日、摂津比古に進言したことが、既に御触として広められていた。
「摂津比古様は凄いお方だ。」
ヨシトが感心しながら言う。
「良かった。私たちもあのお方に伝えに行きましょう。」
そう言って、チハヤが駆けだした。いち早く、路地を入っていった。
「お邪魔します。」
チハヤが、昨日訪れたボロ家の戸を開く。中には人影がなかった。
「まさか・・」とボロ家から飛び出したところに、一人の男が立っていた。
昨日は薄暗い部屋で、ぐったりした様子で、顔もはっきりとはわからなかった。
「おや・・本当に、また来てくれたのか・・。」
男はそう言って笑顔を見せた。確かに昨日の男だった。
昨日とは全く別人のように元気になっている。そこに、カケルたちも追いついた。
「おや、昨日より増えているじゃないか。」
「お加減は良いのですか?」
とカケルが訊く。
「ああ、あれから、吉備の方がたくさん参られ、世話をしてくれた。体も洗い、着物も替えてもらったのだ。何か生まれ変わったようだ。先ほど、御触の事も聞いた。御赦免との事、少し気が楽になった。其方たちのおかげだ。ありがとう。」
「この先、いかがされるのですか?」
とヨシトが訊く。
「吉備の家で、仕事ができる事になった。まだ、余り役には立たないだろうが、体が戻れば存分に働くつもりだ。」
と、笑顔で男は答えた。元気そうな姿に、チハヤは安堵したようだった。
「あの・・宜しければ、あなたの名前をお教えいただけませんか?」とチハヤ。
「ああ・そうだったな。私は、シルベ。ヤマトの奥、山辺の郷の生まれだ。昨日話したが、イロヤ軍の兵だった。して、お前は?」とシルベは訊いた。
「私は、チハヤと申します。磯城の郷の生まれです。皆と共に、ヤマトの従者として難波津へ参ったのです。」
チハヤは少し顔が赤らんでいる。
「そうか、ヤマトの者か・・みな、そうなのか?」
そう聞かれて、一人一人,順番に、名と生まれを話した。ヤスとカズも自己紹介した。そして、最後にタケルが名乗った。それを聞いて、シルベの顔色が変わった。シルベは、敗走後、各地を転々としている時、アスカの即位、カケルの摂政就任、皇子の誕生等を聞いていた。そして、皇子の名はタケルという事も知っていた。
「まさか・・」とシルベが口を開こうとした時、タケルが制止して言った。
「此度、摂政カケル様の命により、従者としてここへ来たのです。ご理解下さい。」
シルベは、その言葉の意味を理解し、黙った。
「シルベ様、一つ、お願いがあります。」とタケルは続けた。
「此度の、御触の内容はご承知とのこと。大路の表では、皆、口々に伝えるでしょうが、路地裏にまでは届かないかもしれません。できれば、貴方様にそのお役をお願いできませんか。そして、病の者があれば薬事所へ申し出ていただきたい。ここには悪さをする輩も潜んでいると言われ、大路の方々はなかなか足を踏み入れようとはしないのです。」
「・・そんな事、容易いことです。他にも、動ける者はいますから、ともに役を果たします。・・それに、我らとて、悪さをする輩を、ここから追い出したいのです。しっかり務めましょう。」
シルベは、タケルとしっかりと約束をした。皇子から命令されたからではない。子どもらの誠意に応えるためと心に誓った。
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1-16 それぞれの道 [アスカケ外伝 第1部]

それから2日ほど、タケルたちはモリヒコの従者として、年儀の会に出たり、難波津宮の中を見て回ったり、各々が興味のあるものを見つける時間を過ごした。
4日目の昼過ぎ、年儀の会が終わったところで、摂津比古が、モリヒコの後ろに控えていたタケルたちを、広間の中央に出させた。
「さて、この度、ヤマトから従者として参った彼らが素晴らしい働きをした。近頃、頭を悩ませていた事を良き方向に導く術を教えてくれた。改めて、礼を申す。」
摂津比古がそう言うと、年儀の会に集う一同から拍手が上がった。
「聞けば、其方たちはそろそろアスカケの歳になるそうだが・・・各々、おのれの道は見つかっておるのか?」
摂津比古の言葉に、年儀の会の何人かが、「アスカケとは・・懐かしい」と小さく呟く。
「昨日、モリヒコ殿とも話したのだが、せっかくこの難波津まで来たのだ。暫く、ここにとどまり、アスカケの道を探してみてはどうか?ここには様々な国の者が集まっておる。見聞を広げるには格好の場所だ。いかがか?」
摂津比古に唐突に切り出され、タケルたちは戸惑って返答ができなかった。
その様子を見てモリヒコが付け加えるように言った。
「大和へ戻れば、冬備えの仕事のため、皆、郷へ戻り、春を迎える。郷もお前たちの帰りを待っているだろう。だが、昔とは違い、今の大和には人手もある。助け合えば何とかなる。それより、せっかくの機会なのだ。ここでさらに学び、いずれヤマト国のために、いや、倭国のために存分に働ける力をつけてもらいたいのだ。それは、摂政様も皇様も望まれておることなのだ。」
そう聞いて、まず、タケルが立ち上がった。
「私は、ここで学びとうございます。より多くの国の様子も知り、おのれに何ができるのか見極めたいと思います。まずは、難波津の会がどうなるのか、路地裏の者たちがどうなるのか、しっかりと見てみたい。」
次いで、チハヤが立ちあがった。
「私も、暮らしに困り、病に苦しむ方を見ました。あの方たちの暮らしを助けるには何ができるのか、私に何ができるのか学びとうございます。」
続いて、ヤスキが立ち上がった。
「私は、港の賑わいに驚きました。そして、多くの人夫が働き、たくさんの荷を運んでいるのを見て何だか胸が躍る思いでした。それに、あの海まで続く水路。立派な水門。大船。ヤマトにはない光景ばかりでした。あそこで学びとうございます。」
続いて、ヤチヨが立ち上がる。
「私は、春日の杜で幼子たちとともに田畑を耕し、米や青菜を作り、御厨を担っております。ここには、見た事もないような食材がたくさんありました。ここに残り、多くの国の食材について学びとうございます。」
「そうか・・其方たちは、ここへ残りたいのだな・・。他の者はいかがする?」と摂津比古が訊く。
続いて、ヨシトが立ち上がる。
「私は、年儀の会で伺った、西国の米の融通や池作りの様子を知りとうございます。ヤマトでも、米の作不作があり融通しあいますが、それが大きな国同士でどのようになされるのか、見たいのです。できれば、アナト国にも行って、さらに九重の事も知りたいのです。」
「ほう・・其方は大きな夢を持っているようだな。では、其方は、アナト王タマソ様にお預けしよう。良いかな?」
摂津比古は、タマソに訊ねる。
「良いでしょう。ヨシト殿は、誰よりも書ができると聞いております。御承知のように、私はどうも不得意ゆえ、助けてもらえるとありがたい。だが・・アナトや九重となると、しばらく戻れないが、覚悟されよ。」
タマソは、そう言って、快く引き受けた。
最後にトキオが立ち上がる。何か迷いがあるようだった。
「怖れながら・・私は迷っております。」
「どうした?良いのだ。アスカケは自ら決める事。無理強いされるものではない。」
と、モリヒコが声を掛ける。
「いえ・・そうではなく・・年儀の会で、出雲の国や東国の話を聞きました。出雲や東国から攻めされたら、大きな争乱になります。もちろん、それに備え、私も弓も剣の腕も磨いてまいりました。ですが、これまで、先のヤマト争乱の話を何度も聞き、戦は起きてはならぬものだと考えております。ですから・・・私は、出雲の国へ行って、この目で何が起きているのか見てきたいのです。」
トキオの答えに、一同が驚いた。
「良いでしょう。」と返答したのは、山背の国のムロヤだった。
「私と共にまずは山背の国へ参りましょう。出雲の国は広い。北国からアナト国の境まで広がる大きな国です。どんな国なのか、何が起きようとしているのか、ヤマトの未来を担う若者が知ることは大事な事です。トキオ殿は私がお預かりいたします。」
「それでは、タケル殿、チハヤ殿、ヤスキ殿、ヤチヨ殿は、この摂津比古が預かりましょう。ヨシト殿はタマソ様に、トキオ殿はムロヤ様にお願いいたします。」
一通り、それぞれの道が決まったところで、御簾の奥に隠れるように座っていたカケルが顔を見せた。アスカも御簾の中にいた。
カケルは、タケルたちの座っている広間中央まで歩いて、皆の前に座った。そして、一人一人の顔をじっくりと見て、ゆっくりと口を開いた。
「あなたたちは、皆、ヤマトの大事な宝。そして、ヤマトの未来。私が、アスカケに出た時代は混沌とした世の中で、あちこちに争いがあり、貧しく苦しい暮らしの民ばかりでした。今、ヤマトの国々は平穏で豊かになり、多くの民は安心して暮らせるようになっています。しかし、この難波津の大路の裏で、あなたたちは苦しむ人を見つけ、何か力になれることはないかと努力した。おそらく、ヤマトの国々には、光の届かぬところで苦しむ人がもっといるはずです。あなたたちには、その一隅を照らせる光になってもらいたい。」
カケルは、立ち上がり、御簾の方を向いた。
御簾の中から、アスカ皇がゆっくりと立ちあがり、皆の前に進み出た。そして言った。
「これより、1年の時を使い、自らのアスカケを探してください。」
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第2章 難波津編 2-1 旅立ち [アスカケ外伝 第1部]

年儀の会は終わり、それぞれの国主たちは帰路に着く。
西国の人々は、アナト王タマソが操る大船に乗り込んだ。ヨシトもタマソの傍にいた。
「また会おう!」
その言葉が港のあちこちに響いている。タケルたちもヨシトを見送りに出ていた。
ヨシトを乗せた船は、風と潮を読み、ゆっくりと港を離れ、水路を通って内海へ出て行く。
次に、トキオが山背のムロヤと共に、山背の国を目指して出発した。
最後に、皇と摂政を乗せた船が大和川を上っていくのを見届けた後、モリヒト達は、生駒山越えの道で陸路を大和へ向けて帰って行った。
難波津に残ったタケル、ヤスキ、チハヤ、ヤチヨは、それぞれを見送った後、難波津宮に設えられた、離れの館に入った。
「今日から、ここがそなたらの家となる。」
摂津比古に案内された館はこじんまりとしたものだったが、一人に一つの小部屋が用意されていた。中央には、御厨と食堂もあった。
館には、侍女や使いが数人いて、その中に、ヤスとカズもいた。摂津比古が、宿主スミレに二人をタケルたちの世話役に着くよう依頼していたのだった。
大和を離れた時、こんなことになろうとは誰ひとり予想していなかった。だが、心の中ではいずれ大和を出てアスカケの旅をしたいという思いは秘めていた。それが、予想より早く来た。まだ、実感はないが、自分たちは大事な岐路に立っているのだと思い始めていた。
タケルたちはしばらくそのままそれぞれの部屋で過ごした。

ヨシトを乗せた大船は、明石、吉備、伊予を経由して、タマソの本拠地である佐波の港を目指すことになっていた。
「まずは、明石の港を目指す。」
冬間近だったが、中津海(瀬戸内海)は穏やかで、潮の流れに乗って順調に進んでいく。初めて見る中津海の風景、島々が点在し、光輝く海、空と海の青が目に染みる。ヨシトは、タマソの傍に立ち、これから向かう未知の国々に心が躍った。
「どうだ、中津海は?」
とタマソに訊かれたヨシトは、どう返答してよいか言葉が出て来ない。
「この中津海が、大和や難波津と、西国の国々をつなげているのだ。よく見ておけ。」
タマソはそう言い遠くを見た。
順調に船は進み、その日のうちに、明石に着いたヨシトたちは、一旦船を降り、オオヒコの館に入った。明石の港も、難波津に負けないほどの賑わいがあった。館には、船乗りや人夫が集まり、夕餉を摂っていた。
タマソは、オオヒコらと、これからの動きを相談した。
当面は、吉備や安芸の米の様子を調べ、不足をどこから調達するかを決めていくことにした。ヨシトは、佐波の港へ着くまで、タマソに随行して、風待ち港に着くたびに、周囲の郷を回り、米の出来を聞いた。それらを細かく記録し、港ごとの割り当てなど計算していく。年儀の会で、吉備や安芸の苦しい様子は想像していたが、郷ごとに想像を超えるほどのところもあった。
「タマソ様、これは想像以上に厳しいようですね。」
大船の船室で、吉備の様子をまとめながら、ヨシトはタマソに言った。
「ああ・・それほど猶予はなさそうだ。できれば、すぐにでも米を届けてやらねば・・。確か、伊予は余力があるはず。この先の、来島の衆に頼み、米を運んでもらおう。」
タマソの船は、来島海峡を越え、熱田津を目指した。

一方の、トキオは、ムロヤと共に、草香の江を船で渡り、山背川を上って、山崎津に向かう。その先には、山背の国の中心となる、乙訓の郷があった。
「出雲の事を知りたければ、しばらく、我が郷で暮らすと良いでしょう。」
ムロヤはそう言うと、息子であり、乙訓の郷の長をしているヒロヤを引き合わせた。ヒロヤはトキオより一回りほど年上で、数年前から、ムロヤに代わり、乙訓の郷を治めていた。
「父は、出雲国と大和国を繋げる重要なお役目に専念したいと申され、この郷は私が長をしております。この先、私がご案内いたします。」
まずは、ヒロヤに随行して、乙訓の郷を回った。
「我らは、出雲の大国主を敬うとともに、八百万の神を大事にしております。」
ヒロヤの言葉通り、乙訓の郷には、あちこちに祠が置かれている。山の神、水の神、火の神、土の神、木の神、米の神、ありとあらゆるものに神が宿る。家の中にも、幾つも棚があり神が祀られている。郷全体で、朝と夕にお祈りをしている。
ある日の夕餉の際、ヒロヤはトキオに言った。
「獣にも神は宿っておりますゆえ、むやみに殺生はしません。我らが必要な数だけとしております。ですから、大和の方には粗末と思われる食事かと思いますが、お許しください。」
「いえ・・大和でも同じでございます。春日の杜では、万物に命がありむやみな殺生は禁じられております。御心配には及びません。」とトキオは答えた。
しばらくして、ヒロヤは、トキオを連れて、山背の国を見て回った。
乙訓の郷から東には、大きな湖があった。皆、「巨椋池(巨椋池)」と呼んでいたが、池と呼ぶにははるかに大きかった。巨椋池へ注ぎ込む宇治川を上り、瀬田に入ると近江の国がある。山背の国は山に囲まれ、郷の多くは山間から流れ出る川沿いや谷あいに点在していて、米作りには向かず、麻や絹等の布作りが主な産物だった。
時折、南の山を越え、大和から、山背で作られる布を米と引き換えるための者がやってくる。また、近江の国からも、米を布と引き換えるための者が来ていた。山背の国は、大和や近江、難波と通じる重要な場所だと判った。
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2-2 草香の翁 [アスカケ外伝 第1部]

難波津宮で過ごす四人も、自分の為すべきことを探すため、学ぶ日々が始まった。
タケルは、摂津比古の付き人の一人となり、難波津の会に出ることになった。
宮殿前の広場には、沢山の机と椅子が並び、街の人々が座っている。
摂津比古が、ゆっくりと宮殿から広場前の石段に姿を見せた。
「ここに集いし皆さま、これより難波津の会を始める。ここ難波津は、中津海で繋がる西国や九重の方々が往来し、大いに繁栄しておるが、これは一重に、大和の皇であられるアスカ様、摂政カケル様の御導きによるもの。それは、皆も承知しているところであろう。」
摂津比古の言葉に、会に集まったものから歓声が上がる。
「日ごろより、皇様、摂政様は、この倭国の安寧を一番に考えられておられる。そして、倭国の安寧は、西国や九重の国々が穏やかで豊かで、民が安心して暮らせること。そのために、ここ難波津は、極めて重要な場所である。」
再び歓声が上がる。
「ゆえに、ここ難波津は誰にとっても安らかで住みよいところでなくてはならぬ。この会では、皆の日々の暮らしの様子を聞きつつ、困りごとがあれば手立てを相談したいと考えておる。どうか、忌憚ない声を聞かせてもらいたい。・・とは言え、これだけ多くのものが集まっておるのだ。まあ、宴でもしながらゆっくりと話をしようではないか。」
摂津比古がそう言うと、広場には、沢山の料理が盛り付けられた大皿や酒の入った大甕を侍女たちが運び、机の上に並べられた。
「さあさあ、遠慮はいらぬ。」
摂津比古がそう言うと、会に集う皆が料理や酒に手を伸ばし始めた。摂津比古は、自ら甕を抱えて、一人一人に酒を注いで回った。その度に、摂津比古を讃える声が返ってくる。タケルも摂津比古の傍について、話を聞いた。一通り回った後、摂津比古はようやく座に着いた。
すると、一人の翁が、片足を引き摺るようにして、盃をもって摂津比古のところへ来た。酒が回ったのか、少し顔が赤らんでいるようだった。
「お久しぶりでございます。摂津比古様。」
「おや、これは、草香の翁殿。よく参られた。」
そう言って摂津比古は、酒を勧めた。
「タケル、この御方は、今は、草香の翁と呼ばれておるが・・昔は、あの”念ず者”であったのだ。イロヤの軍が攻め入った時、草香の江に茂る葦に火をつけ、見事にこの難波津を守ってくれた。功労者なのだ。」
摂津比古はそう言って、タケルに草香の翁を紹介した。草香の翁はじっとタケルを見つめ、
「もしや、この御方は・・。」
と呟くと、摂津比古が草香の翁の耳元で囁いた。
「やはり、お主には判ったか。そうだ、カケル様とアスカ様の御子、タケル様だ。」
「そうでしたか・・どことなく、アスカ様に似ておいでだ。私は、アスカ様に命を救っていただいた者。御子がお生まれになられた時も、御側におりましたゆえ、どことなく、面影があるように思いました。大きくなられましたな。いや・・これは・・」
草香の翁は、そう言って涙ぐんでいる。
「此度の会は、実は、タケル様の発案なのだ。難波津の安寧のために必要だと。」
「そうでしたか・・・確かに、葛城王がおられたころは、この難波津は都でありながら、まだまだ小さく、事あるごとに集まって話されておられた。いま、この世に人も増え、諸国から人が行き交うと、見知らぬ者も増えましたゆえ、なかなか、互いを知ることは難しくなってきました。こうした会があれば、互いに理解し合えるというもの。良き事です。」
徳坂の翁は頷いた。
「あの、一つ伺っても宜しいでしょうか?」とカケルが切り出した。
「イロヤ軍は、火に巻かれて惨敗したと聞きました。多くの兵の命が奪われ、また、生き残った兵も大半が敗走したと。」
「はい、イロヤ自身は捕らえられましたがな。」と翁。
「その時、逃げた兵がどうしているかご存知ですか?」
「もともと、寄せ集めの兵ですから、それぞれ郷へ戻ったのではないかと・・。」
「実は、そうした兵の中には、皇に弓を引いたことを悔い、郷にも帰れず、この難波津に紛れ息を潜めて生きている者がおりました。」とタケル。
「ほう・・それで、あの詔が出されたという事ですか。これはまた、素晴らしき事。」と翁。
「ですが、そうした者たちは自ら申し出ることはないでしょう。いや、その気力さえ無くして、明日にも命を落としかねない者もいるでしょう。私は、そうした者たちを救いたいのです。何か、お知恵を戴けませんか?」
と、タケルが訊いた。
翁は、真剣な表示で訊くタケルを見て、若き頃のカケルを思い出していた。
「やはり、血は争えませんな・・・タケル様は父上以上に優しいお方のようだ。カケル様は戦の後、兵たちを赦し、命を奪う事はなさいませんでした。人には生きる役割が必ずあるのだとおっしゃっておいででした。我ら、念ず者と呼ばれた者も、カケル様とアスカ様に出会い、病を治してもらい、名までいただき、さらに、難波津のために役だつ仕事までいただいた。おそらく、息を潜めて生きて居る者たちにも、そうした手が差し伸べられる事が必要なのでしょう。」
と翁が言った。
「そうした者たちを探し、手厚く施しをするということか。だが、それでは上手くいかないであろうな。」と摂津比古。
「はい、施しは、一時的なもの。いずれ、その話を聞き、諸国から良からぬ輩も集まってくるに違いないでしょうなあ。」と翁。
「では、どうすれば良いか?」と摂津比古。
「こういう時こそ、この会で、皆の考えを聞いてみれば良いでしょう。」と翁が言った。
「そうか・・。」
そう言って、摂津比古は広場の前に設えた台に上がった。
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2-3 シルベ [アスカケ外伝 第1部]

「皆、済まぬが聞いて貰いたいことがある!」
摂津比古がひときわ大きな声で言うと、広場は静まった。そこで、摂津比古はタケルを台の上に上がらせた。
「ここにおるのは、大和から難波津へ学びに来ておる者。名は、タケルという。この者から話がある故、聞いて貰いたい。さあ、タケル殿。」
摂津比古はそう言うとタケルを中央に立たせた。
タケルは、皆の前に立ち、大路の裏で見た貧しき暮らしの者の話をした。
「確かに、かの者は罪人です。しかし、皇様が赦免なさいました。これから、この難波津の一人として働く事が肝要。そのためにいかにすればよいかお知恵をお貸しください。」
皆、押し黙ってしまった。路地裏には、悪しき者も潜む。だからこそ、皆、関わらぬようにしてきたのだ。
「路地裏には怪しき者、悪しき者が潜んでいるのだ。そいつらをどうする?」
誰かが口を開いた。
「ああ、そうだ!うちの館も、荷を盗まれた!」「俺のところもだ!」
「そんな奴らと関わりを持つのは御免だ!」
盗賊らしきものが潜んでいるのは明らかで、否定的な声がいくつも飛び出した。
このままでは、解決の糸口すら見つからない。皆、被害に遭った事や心配事を愚痴るようになっていて、摂津比古も皆の様子を見て、眉をひそめた。
「聞いてください!!」
そう叫んだのは、チハヤであった。その声に一同は静まった。
隣には、シルベと、吉備の館にいた老女が立っている。
老女が、シルベの背を押し「さあ、出番だよ。」と言った。
シルベは、チハヤと老女を見て、強く頷き、タケルのいる台に上がった。
「皆々様、私は、元イロヤ軍の兵、シルベと申します。」
第一斉に、広場にいた者たちがざわついた。
「これまで、自分の行いを悔い、息を潜めて生きておりました。終に、命が尽きると思っていた時、タケル様たちに出会いました。その後、吉備の皆さまに介抱いただき、どうにか生きております。私と同じ境遇で苦しんでいる者が、路地裏にはまだまだおります。どうか、お助け下さい。」
シルベはそう言って、土下座をした。その光景は痛々しかった。
それを見ていた、草香の翁が台の上に行き、シルベの手を取り、言った。
「止めなされ。もはや、罪は赦されましたぞ。」
「いえ・・御赦免いただいても罪は罪。ただ・・私の様な罪人ではなく、体を壊し、病となり動けなくなり、大路で仕事を無くした者が大勢居ります。かれらには何の罪もありません。ただ、死を待つのみの身の上になっております。しかし、そこに付け込んで、悪事を働く者が紛れ込んでおります。そうした輩だけでも、路地裏から追い出したいのです。」
路地裏は、悪事の巣窟のように思っていた大路の人々は、戸惑っている。
「衛士に取り締まりを強めさせたが、なかなか上手くゆかぬ。悪事を働く者は知恵も働く。貧しき者の中に紛れる術もしっておるようだ。何か良い知恵はないか?」
と摂津比古が訊いた。
「それなら・・」と声を上げたのは、ヤスキだった。
ヤスキは、港の人夫達とともに、会に出ていた。
「港にはたくさんの人夫がいます。誰がどこの仕事をしているかが判るよう、皆、目印を持っております。だから、荷も間違いなく運べる。これを持っていないものが紛れると大変なことになります。」
ヤスキはそう言うと、胸元から四角い札を取り出して見せた。何か記号の様なものが入っている。一緒に来た人夫達も、ヤスキと同様に胸元から木札を出して見せた。
「大路も、人が増え、知らぬ者ばかりになったから、悪人が見分けられないのではないでしょうか。ここに住む者が、皆、このような札を持てばよいのではないでしょうか。」
と提案した。
漠然とした考えのようだが、それを聞いて、はたと摂津比古は、アナト王タマソが言っていた事を思い出していた。
『・・・中津海を航行する船は、共通の印(しるし)を持っている。それは、紺色の布。カケルがアスカケの最中に来ていた衣服の切れはし。これを持つものはみな、大和国の絆を持つものとして信頼するのだ・・・』
だが、難波津に集うものに、全てそうしたものを持たせることは容易ではない。例え持てたとしてもそれを盗む者が出れば元も子もない。
「怖れながら・・」
と言って口を開いたのは、吉備の老女だった。
「先日、タケル様たちの願いで、シルベ様たちの住まわれている路地裏に饅頭と水を運びました。我ら、吉備の館の裏手でそれ程広くないところですので、すぐに皆さまに行き届くことになりました。」
「ほう・・それで?」と摂津比古。老女が続ける。
「同じように、大路に館を構える者が、自らの館の裏筋を知る事が出来ればよいのではないでしょうか?それなら、そこに悪事を働く者が紛れ込んでもすぐに判る。その者たちを追い出せばよいのです。」
「ほう・・大路を細かく分け、館ごとに治めるという事か・・」と摂津比古。
聞いていた皆が頷く。
「良かろう。では、大路に館を持つ者は、顔役となり、そこに住まう者の名をまとめよ。そうだ、その館の名を筋名としよう。吉備の筋、安芸の筋・・どうじゃ?併せて、薬事所とも手を取り、病人の事と併せて取り組んでもらいたい。・・では、タケルたちに取りまとめを任せるとする。皆、力を合わせてもらいたい。良いな。」
摂津比古が会の考えをまとめた。宴はその後、遅くまで続いた。
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2-4 弁韓の男 シンチュウ [アスカケ外伝 第1部]

タケルは、次の日から難波津の館を回った。
大路は難波津宮の大門から南へまっすぐ伸びていて、両側には港から運ばれた産物を納める蔵を持つ館が並んでいる。
タケルは、ヤスを案内役にして、館を一つずつ回り、館の裏の様子を確認し、筋割りを決めていった。ヤスは、宿主の使いで、方々の館に出向いていた事もあり、館主の人柄も心得ていて、たいていの館では、快く受け入れてくれた。
「タケル様、次の館は、少々、骨が折れるかもしれません。」
ヤスは心配げに言った。
「難しい御方なのですか?」
とタケルが訊くと、
ヤスは「海を越えて来られたのです。」とだけ答え、大路の一番はずれにある館へ案内した。
館の玄関を入ると、明らかに、大和では見た事もない装飾が施された棚に、巻物や書物や宝飾品が並んでいた。声を掛けるとすぐに奥から主人らしき人物が現れた。
その主人は、白い顎髭を伸ばし、髪の毛は長く一つに束ねられ、特別な形の帽子を被っている。紫に染め抜いた袖の長い衣服には、金や銀の装飾が付いている。
「おや、これは珍しい御方が参られた。・・ああ、そうか、難波津宮の使いでしたな。」
その主人は、そう言うと、背の高い大きな椅子にゆっくりと座り、二人にも座るように進めた。
すぐに、奥から侍女が器を運んでくる。小さな器と急須の様なものが並び、主人はそれを手にすると、湯を注ぎ、緑色の飲み物を器に入れて、二人に勧めた。まだ、この時代、お茶を飲む習慣はなく、二人は、初めて目にするものをおそるおそる口にした。
「これは、茶というもの。我らの国では、これを日に何度も飲む。体を癒し、病魔を退散させてくれる有難いものなのだ。」
主人はそう言うと、自分の器にも注ぎ飲んだ。
「わしは、シンチュウと申す。弁韓の国の者である。難波津には三年ほど前に参り、ここで商売をしておる。」
主人は、意外に丁寧に応対してくれているようだった。
「ご用件は判っておる。すでに、我が館の裏手は調べを済ませ、貧しき者や病の者などは居らぬ。全て、我が弁韓の国の者ばかりゆえ、御検分には及ばぬと思うが・・。」
それは、どこか、付け入る隙を与えないような言い方だった。
「難波津の会にはおられなかったようですが・・。」と、タケルが訊くと、
「あれは、倭国の集まり。我らの様な者が出るものではない。」
と、シンチュウは、少しほくそんだような表情を浮かべて答えた。
「いや、この難波津に住む者、皆に、出ていただくようお願いしておりましたが。」
と、タケルは言ったが、シンチュウは首を横に振るだけだった。
「なにゆえ、そのように思われるのかお聞かせいただきたい。」とタケルが重ねて問う。
「この倭国・・いや、難波津の政など、わが祖国と比べれば稚拙。皆が集まり相談するなど無駄な事。此度の事も、大王が号令をかければ済む事ではないか。」
タケルは、シンチュウの言葉から、弁韓の人間としての誇りと苛立ちを強く感じ取った。
「弁韓国とはどのようなところなのですか?」とタケルが訊く。
シンチュウはタケルの問いに少し考えてから言った。
「わが祖国は、海を越えた大陸の玄関口。小さな国が手を取り、国を作っていた。・・だが、・・いや、だからこそ、隣国、辰韓や百済から絶えず攻め込まれ、戦が絶えず、民は皆、強き王を求めておった。金海の長、キスル様が王位に就き、強き国となったのだ。」
「キスル様とはどのようなお方なのでしょう?」とタケル。
「聡明なお方だ。兵を率いて国境での戦に勝利し、百済や辰韓を退けた。民は、皆、安心して暮らせるようになった。すべての事はキスル大王がお決めになり、民へ号令をかけられる。我らは、キスル大王のために生き、働き、命を捧げる。わしが難波津へ来たのも、大王のご命令によるもの。」
「それで、弁韓の民は、豊かで穏やかな暮らしができるのですか?」とタケル。
「民は、王の僕(しもべ)。どれほど苦しい暮らしであっても、大王の望みを叶える事こそ我らの願い。」とシンチュウは言い切った。
タケルは、シンチュウの言葉に底知れぬ怖さを感じていた。父カケルも、アスカケの中で、幾度か戦で勝利したが、それは、弱き民を守るためであり、悪しき者を退ける戦であった。そして、国を纏める『摂政』となった今も、民を僕などとは考えていない。だからこそ、皆が、手を携え、助け合い、豊かで安心して暮らせる国が出来たのだと考えていた。
「今は、もう戦は無いのでしょうか?」とタケルが訊く。
「いや、あやつらは、隙あらば攻め入る悪しき者たちだ。だからこそ、キスル大王の命令で、国境には多くの兵を置き備えて居る。」とシンチュウは答える。
「百済や辰韓は、何故、弁韓に攻め入るのでしょう?」とタケルが訊く。
「それは・・」と言って、シンチュウは答えを探していた。
「百済や辰韓は、弁韓を攻めて、何の得があるのでしょう?」と再びタケルが訊く。
シンチュウはまだ答えを探しているようだった。
「私は。大和の国、春日の杜で学ぶ者です。大和争乱の話を舎人様から何度も聞きました。争乱の元は、国を治める者の誤り。己の欲を満たすため、民を虐げ、他国を犯すのだと。戦は民を苦しめるもの、二度と争乱にならぬよう力を尽くせとも教わりました。」
と、タケルが言う。
「百済や辰韓も弁韓国も、戦をすることで民は苦しんでいるのではないでしょうか?戦を避ける事を皆望んでいるのではないでしょうか?キスル大王はどのようにお考えなのでしょう?」と、タケルは問い続ける。
「いや、大王の命令は絶対なのだ。我らは大王あってのものなのだ。もう、お前の話など聞きたくない。帰れ!!」
シンチュウはタケルの問いに答えられず、タケルたちを追い出した。
「骨の折れる方でしたでしょう?」
シンチュウの館を出て、ヤスがタケルに声を掛けた。
「ああ・・だが、きっと、あの御方もきっと解ってもらえると思いたい。」
タケルはそう言うと、次の館を目指した。
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2-5 異人たちの思い [アスカケ外伝 第1部]

シンチュウの館を出て、数軒の館を回ったところで、ヤスが足を止めた。
目の前で、数人の男が激しく言い争いをしている。その装束から、大陸から来た異人のようだった。
この頃、難波津には、シンチュウのように、大陸から海を越えて韓や中国などからの異人が増えていた。彼らは、大陸で作られる珍しい焼き物や装飾品を携え、金や銀と交換していた。彼らはそれを「商売」と呼び、自らの蔵や家を「店」と呼んだ。そしてこれらの言葉が徐々に難波津でも使われるようになり、海を越えてやってくる装飾品や焼き物などを金や銀と交換する事が増え始めていた。次第に、金や銀が、米に代わって交換の軸になっていた。
タケルは、その男たちを取り巻いてみている者に近づき、成り行きを聞いた。
「よく判らないが・・約束した金と米の量が合わないってのが、揉め事の元のようだな。まあ、近ごろはよくある事なんだがな・・うちも、この間、大損したんだよ。」
その男は、ちょっと悔しげな顔をしてそう言うと、その場から立ち去った。暫くすると、衛士が十人程現れ、事の次第を聞き、すぐに帰っていった。
「ヤス様、ああいう事はしばしばあるのですか?」とタケルが訊く。
「ええ、異人様たちの間ではあるようです。でも、衛士の方は、異人の中の揉め事には、立ち入らない事にしておられるそうです。」
タケルは、このまま放置すれば、いずれ大きな諍いが起きるのではと懸念した。それから数軒回ったところで、ヤスが立ち止まる。
「今度は何が?」とタケル。
「いえ・・この先に、辰韓からいらした方の館があるのですが・・・。ほら、あそこです。」
と、ヤスはその屋敷を指さした。
辰韓国は、シンチュウの国、弁韓国への侵略を繰り返している国である。真実を確かめるには、直接聞くのが良い。タケルは館の玄関に入った。
玄関を入ると大きな広間になっていて、大きな食台と椅子が置かれているだけの、意外に質素なつくりだった。
「すみません。」と声を掛けると、奥から若い娘が出てきた。その娘はタケルの顔を見て不思議そうな顔をして「何の御用?」と言った。まだ、大和の言葉に慣れていないのがすぐに判った。
「摂津比古様の使いで参ったタケルと申します。こちらは、案内役のヤス様。」
そう言うと、その娘はにこりと笑って「そこに座って。」と言い、奥に戻って行った。
すぐに奥から、細身で小さな男が出てきた。
「御用向きは判っております。私は、辰韓の館の主、ウンファンと言います。先の会で、筋ごとの検分は承知しております。さあ、どうぞ。」
物腰は柔らかく、難波津の会にも出ていたようだった。タケルたちは館の主の案内で、館の奥から、屋敷の裏を検分した。奥には、小さな蔵が一つあり。数人の人夫と侍女らしきものが仕事をしていた。
「この館は、イノクマ様から譲り受けました。わが祖国は、小さき国にて、特段の産物もなく貧しい国です。しかし、弁韓国から幾度も戦を仕掛けられ、戦火を逃れ、多くの者がこの倭国へ参りました。我が館は、そうした者たちを助けております。・・難波津の会で、悪さをする輩の話が出て、心を痛めておりました。」
ウンファンは、悲しい表情でそう言った。
「まさか、倭国へ逃れてきた辰韓の方たちが悪さをしていると?」
と、タケルは訊いた。
「わが同胞だけではないでしょうが・・やはり、我らは、異国の言葉を話し、人目に触れる事を嫌い、夜の闇の中で動く事が多く、不審に思われても仕方ない事。それ故、この館に一人でも多くを匿い、倭国の者と共に暮らせるよう、助けているのです。」
ウンファンは正直に答える。タケルも正直に話すことにした。
「先程、弁韓国のシンチュウ様とお会いしました。弁韓国では、百済や辰韓が国を犯すからと兵を集め国境を守っているのだとお聞きしました。」
「それは何かの間違いです。辰韓は、弁韓国よりも小さく、力もありません。他国を犯すなどとは・・むしろ、我らの方がなす術もなく、祖国を追われる始末なのです。」
真剣な表情でウンファンは答える。
タケルは、その言葉に嘘はないと確信した。
「先程の娘も、ひと月ほど前にここへ着いた者の子で名はジウと言います。まだ、言葉が十分でありませんので、ここに置いているのです。父母は、イノクマ様の御世話になり、今、港で働いております。」
「弁韓のキスル王の事はご存知ですか?」とタケルが訊いてみた。
「さあ・・ただ、弁韓国は、長引く争乱を大王が平定したと聞きました。おそらく、それがキスル王なのではないでしょうか?それ以来、我が祖国への侵略も多くなりました。」
どうやら、戦を仕掛けているのは、弁韓のキスル大王なのではないか、そして、自らの欲のために他国へ侵略を進めているのではと思われた。
ひとしきり、話を聞いた後、ウンファンの案内で、タケルは屋敷の裏に出た。
そこから、海までは僅かの距離で、小舟が何艘か係留されていた。そして、その周りに、痩せこけた男と女が数人座り込んでいる。
ウンファンは、すぐに駆け寄り、祖国の言葉で何か話している。そして、すぐに先ほどの娘に、奥へ人を呼びに行くように言いつけた。すると、蔵に居た人夫が走り出て来て、館の中へ抱えて運んで行った。
「お見苦しい所を・・・先ほど到着したようです。暫くまともな食事をしていなかったために動けなかったようです。」
と、ウンファンは、また、悲し気に話した。
「また、伺います。」タケルはそう言うと、ウンファンの館を後にした。古代韓国2.jpg

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2-6 異国の壁 [アスカケ外伝 第1部]

古代韓国1.jpgタケルは、それからも数日、ヤスの案内で、大路の館を一回りし、当初の目的である「筋割りと顔役」を決めていく仕事をした。
その頃には、薬事所からの侍女たちが、あばら家の様子を確認し、病人は薬事所へ運び治療が始まっていた。その侍女たちの中に、チハヤがいた。
タケルが、伊予の館がある筋を検分している時、忙しそうに走り回るチハヤと、シルベに出会った。シルベは、チハヤと共に、あばら家を回り、病人や暮らしに困窮している者を見つける仕事を手伝っていたのだった。
「タケル様、いかがですか?」と、声を掛けてきたのはシルベだった。
「ほぼ、筋割りと検分が終わります。シルベ様は、今、薬事所を手伝っているのですか?」
と、タケルが訊くと、
「吉備の館の仕事もしております。ありがたいことに、仕事の無い時は、薬事所の手伝いを許され、こうしてチハヤ様を手伝っております。あばら家には、私の知る者もあるので、案内役です。」
と、シルベが答える。
「いかがですか?進んでいますか?」とタケルが訊くと
「薬事所の方たちが熱心に動いていただき、館の皆さんにも手伝っていただけたおかげで、かなり進みました。ですが・・・。」
と、シルベは顔を曇らせて言葉に詰まった様子を見せた。
そこに、チハヤが現れた。
「タケル様・・ちょうど良いところでお会いしました。一つ、ご相談があります。」
チハヤは、自分たちの館に居る時とは違って、妙に畏まった言い方をして続けた。
「あばら家の中に、異国からの方がいらっしゃいました。言葉が通じず、困っております。私たちが行くと、どこかに隠れてしまわれて・・・何かお知恵はありませんか?」
「やはりそうですか。先日、辰韓の館で、戦火を逃れてここへ逃げてきたという話を聞きました。・・・そうだ、辰韓の館のウンファン様に相談してみましょう。」
と、タケルは答えた。
「辰韓の館?・・異国の方の館があるのですか?」とチハヤ。
「こちらです。」と案内役のヤスが先導した。タケルは、すぐに、チハヤとシルベを連れ、大路を南へ向かい、ウンファンの館へ向かった。タケルが、館の玄関を入ると、すぐに、先日出迎えてくれた娘、ジウが出て来て、ウンファンを呼んだ。
「主は奥にいる。」
たどたどしい大和の言葉でジウは告げ、タケルたちを案内して屋敷裏に行った。
そこには、十人程が、前のように、薄汚れてボロボロになった服を着て、やせ細り疲れ切った様子で座り込んでいた。
ウンファンは、タケルたちが行くと、その者たちを隠すような素振りを見せた。すぐ後にいたチハヤが、その者たちの傍に走り寄り、顔や掌、腕や足の状態を診た。
「すぐに薬事所の方を呼んで下さい。」
その声に、シルベが反応して、慌てて通りに出て行った。
「この方たちは・・戦火から逃れて来られた方達なのですか?」
と、チハヤがウンファンに訊く。
ウンファンは哀しげな表情を浮かべ頷き、口を開く。
「我らはこうした者を匿っております。おそらく、大船の中に紛れるようにしてきたのでしょう。暫くはまともな食事もしていないはず。ですが、我らには財力がなく、薬も手に入らず、充分な手当てがしてやれません。中には、ここまで辿り着き、亡くなる者もあります。」
「私は今、薬事所で、困っておられる方や病気の方をお助けする仕事をしております。私たちにお申し出ください。」と、チハヤが答える。
「しかし、我らは異国の者。倭人ではない者がそのような施しを受ける等と・・」
と、ウンファンが言うと、
「命に関わる時、倭人であろうと異国の方だろうと関係ありません。」
チハヤは少し語気を強めて言った。
その言葉に、ウンファンは涙を浮かべている。
そこに、シルベが数人の薬事所の侍女と人夫を連れて戻ってきた。すぐに、侍女たちが一人一人の様子を診て、人夫達に指示して、順番に戸板に乗せ、薬事所に向かった。
「きっと、これで大丈夫でしょう。他にも心配な方が居ればお申し出くださいね。」
と、チハヤが安堵した様子で言った。ウンファンは、チハヤに深々と頭を下げた。
「実は、こちらに参ったのはお願いがありまして・・。」
タケルは、薬事所の一行を見送りながら、ウンファンに切り出した。
「今、通りの裏にいた人々を救うため、館の顔役様や薬事所の方達が動いております。」
「ええ・・存じております。」
「その中には、異国の方も紛れているようで、おそらく、韓の方達ではないかと思うのです。しかし、言葉が通じないために、不信に思われ、お助けできないのです。できれば、我らと御同行願って、説得いただけないかと。」
「辰韓の者であれば、むしろ、こちらから願い出たいほどでございます。ですが、私はこの館での務めがございます。・・それならば、ジウに行かせましょう。通訳とまではいかないでしょうが、私から事の次第を伝え、それらの者を説得させましょう。」
ウンファンはそう言うと、ジウを呼び、経緯を説明した。ジウは、タケルとチハヤをじっと見つめた後、強く頷いた。
カケルとチハヤは、ウンファンに礼を言い、ジウと共にすぐに通りの裏へ向かった。
途中、ジウに、チハヤが訊く。
「大和の言葉どれくらいわかる?」
「少し・・ゆっくり話して・・判る・・」
と、ジウは、少し恥ずかしそうにして、単語を並べるように答えた。
「大丈夫よ。」とチハヤが笑顔で返した。

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2-7 辰韓の娘 ジウ [アスカケ外伝 第1部]

タケルたちが大路通りの裏に入ると、薬事所の人夫と侍女が数人、一軒のあばら家の前で立ち尽くしていた。
「どうしたのですか?」とチハヤが駆け寄り尋ねると、
侍女の一人が困った表情を浮かべて言った。
「中に、病の人がいる様なのですが、戸を閉ざして入れてくれないのです。」
チハヤが、壁の隙間から、そっと中を覗いてみた。僅かに差し込む光で、数人が身を寄せ合うように座り込んでいて、筵に横たわる人の姿も見える。侍女の言う通り、病人がいる様だった。傍にいたジウもそっと中を覗いた。そして、チハヤにそっと言った。
「あれは・・辰韓の人・・・あの服・・間違いない。」
チハヤはそれを聞いて、ジウに「話してみて・・助けたいと・・」と告げる。
ジウはこくりと頷くと、戸口の前に立ち、辰韓の言葉で中の者に呼びかける。
暫くして、戸が開き、中から男が一人顔を見せた。再び、ジウはその男に辰韓の言葉で話をする。男は何度か首を横に振るが、ジウは熱心に話し続けた。
タケルとチハヤには、言葉の意味は解からなかったが、真剣な眼差しで、男に話し続けるジウの気持ちは充分に解った。ついに、男は納得し、戸口を開き、侍女と人夫を入れた。病人はすぐに戸板に乗せられ、薬事所へ運んだ。その家族らしい者たちがそれに同行した。
「やっぱり・・辰韓の者。・・昨日の夜、ここに来た。だけど・・主の館、判らなくて隠れていた。・・倭人は怖いと言った。・・・それと・・・弁韓の者がいた。・・だから、隠れていた。」
たどたどしい大和言葉で、ジウは説明する。
「残られている人をウンファン様の館にご案内しましょう。」
チハヤがジウに言うと、ジウは、にこりと微笑んで言った。
「もう、彼らに・・話した。・・館の場所、判る。自分たちで行く。大丈夫。私、チハヤ様を手伝う。もっと、大和の言葉・・おぼえたい・・。」
チハヤは、タケルの顔を見た。
「良いでしょう。ウンファン様からもお許しはいただいたのです。暫く、ともに動くと良い。ジウ様さえ良ければ、我らの館に来ればいいでしょう。」
と、タケルが言うと、ジウは、満面の笑みを浮かべた。
「ところで、ジウ、歳はいくつなの?」
とチハヤが訊く。
ジウは少し考えてから「じゅう・・し・・」と答えた。
「まあ・・それじゃあ。私と同じよ。タケル様より、お姉さんだわ。」とチハヤが驚いた。
チハヤに比べて、ジウは背が低く色白で細身だったし、たどたどしい言葉使いだったために、自分より随分と歳下だと思っていたのだった。
「二人は、薬事所へ行ってください。先ほどの人達はきっと言葉が通じず困っているでしょう。傍にいた方が良い。私はもう少し、館を回ります。」
タケルは、そう言って二人と別れ、ヤスと共に再び、大路へ戻って行った。
チハヤとジウは、侍女たちとともに薬事所に戻った。この頃、薬事所の中には、「治療所」が置かれていて、多くの病人が治療を受けていた。
タケルの予想通り、治療所の一角で、さきほどの辰韓の者達と侍女たちとが互いに困り顔でいた。
「ジウ、お願い。」とチハヤが言うと、ジウは頷く。
ジウは、辰韓の言葉で彼らに話しかけ、体の具合を丁寧に聞き、侍女たちに伝えた。
侍女たちは、手早く分担すると、まず病人の汚れた服を脱がし、体を洗い、清潔な服に着替えさせた。そして、薬事所の中の日当たりのよい部屋で、体を横たえ、水や粥を食べさせ、薬を煎じて飲ませた。一連の動きは見事だった。
手当てが始まると、ジウは付き添っている家族と思しき人達に、難波津の事や薬事所の事などを話し、皆、安堵したようだった。そして、ウンファンの館へ行くように促した。暫くすると、病人以外の者達は、連れ立ってウンファンの館へ向かった。
「ジウ、ありがとう。助かったわ。」とチハヤ。
「はい。」と、はにかむような表情で、ジウは答えてから、薬事所のあちこちを興味深く観察し、「素敵な・・ところ。」と呟いた。
そこに、薬事所の纏め役をしているナツが姿を見せた。ナツは、アスカが難波津に来た時から傍について『治療院』を立ち上げた。『治療院』は、『薬事所』の中の一つの機能となっていて、『薬事所』は、薬草や病の研究、治療の方法の習得等、総合的な役割を担うほどになっていて、大和諸国から多くの若者が学ぶ様になっていた。
「ここは、アスカ皇様が開かれたのです。難波津で“念じ者”と呼ばれていた、肉が腐る病に罹った人達を治すため、自らが病人の体を洗い、薬を見つけ、熱心に働かれました。私も、アスカ様の御側でともに学びました。今では、大和諸国から多くの者が学びに来るようになり、各地に治療院ができました。」
ナツが、薬事所の説明をした。それを聞いて、チハヤが言う。
「私もここで、病や薬草の事をしっかり身につけて、いつかお役に立てるようになりたいの。」
チハヤが言うと、ジウはちょっと難しい顔をして、
「ごめんなさい・・難しい話は・・判らない・・。でも・・・病気、治すのは大事。私も、知りたい。・・・みんなの、喜ぶ顔、・・見たい。」と言った。
「一緒に勉強しましょう。」とチハヤはジウの手を握った。
「ここの基礎は、唐や韓から我が国へ伝えられた知識なのです。聞けば、そなたは辰韓の者とのこと。それならば、きっと、我らがまだ読み解けない書物から新しきものを見つける事ができるかもしれません。力を貸してください。」
と、ナツが言う。
「韓の知識?・・・・役に立てる?」
ジウは、夏の言葉の半分ほども理解できなかったが、ナツの温かい眼差しを見て、嬉しさが込み上げてきた。
「頑張ろう。」とチハヤが再びジウの手を握った。
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2-8 度量衡 [アスカケ外伝 第1部]

それから数日後、タケルは、筋割りと顔役の報告を兼ねて、摂津比古とともに大路を回ることとなった。大路を歩きながら、摂津比古にタケルは進言した。
「摂津比古様、大路では、大陸から来た者たちが、金や銀の重さをものさしにした取引を広げております。大路の館を回って、そのものさしが店ごとでまちまちで困っているとの話がありました。中には、悪用している者もいるようです。手を打たねばなりません。」
「うむ、金や銀の取引での諍い事は承知している。同じ金の量で、取引する米の量が倍近く違ったとも聞いた。如何すれば良いであろう。」と摂津比古が尋ねる。
「大陸から来た者に聞きましたが、大陸の国には、度量衡という決まり事があるというのです。宮にあった書物にも同様の事が書かれておりました。この難波津でも、これを定めてはいかがでしょう。金や銀と米を交換する時の目安を定めるのです。」
と、タケルが答える。
「なるほど・・それで公平な取引になり諍いもなくなる・・良かろう。その定めをタケル殿に任せよう。次の難波津の会までにまとめ、皆に諮るとしよう。」
「承知しました。・・それと、もう一つ。難波津には、大陸からも多くの者が集まってきております。特に、韓ではまだ戦が絶えず、逃げ来る者もいるようです。また、敵対する国の館もあり、難波津の中で諍いが起きるかもしれません。」
「だが、大陸でのことを、我らは知る由もない。皆、我が国の諸国のごとく、信頼し助け合う事が出来ればよいのだが・・・。」と摂津比古。
「難波津の会に、参集しない者もいるようです。何か良い策はないかと思うのですが・」
と、タケルが言う。
「摂政様なら、どうされるであろうな?」と摂津比古が答えた。
タケルは、ふいに父の事を切り出されて戸惑った。確かに、父ならどうするか、アスカケの旅の話を思い出しながら、タケルは考えていた。
「まあ、それほど急がずとも好かろう。じっくり策を考えてみようではないか。」
と摂津比古は言った。
その日の夜、夕餉を終えて片づけをしている時、「相談があるんだが・・」と、タケルは皆に言った。チハヤ、ヤチヨ、ヤスキが食台の周りに集まった。ジウやヤスもそこにいた。
タケルは、難波津の取引で起きている諍いの事を皆に話し、目安を定めたいがどのようにすればよいかと訊いた。
「西国の国々では、確かに、米俵の大きさはだいたい一緒だな。船に積み込む時、同じ大きさでないと困るからな。」とヤスキが言う。
「お米を炊く時も、升(ます)を使って量るけれど、確か、1升の大きさは決まっているわよ。稗3杯で米1升とか、豆なら同量とか、目安を決めているから。それと同じようにするってことよね。」
と答えたのは、ヤチヨだった。
「しかし、金とか銀とかは、随分小さいものなんだろう?豆一粒ほどの大きさの金で、米1俵にもなるとも聞いたが、その金も大きさがまちまちで、中には紛い物もあるみたいだ。」とヤスキが言う。
「それじゃあ、揉め事になるのも当然ね。」とヤチヨが呆れた顔で言う。
「薬事所では、薬草を調合する仕事があるの。何種類かを混ぜて効き目を強めるそうなの。その仕事はかなり難しくて、鍛錬した人だけで行うのだけど、その時、異国から手に入れた『秤』というのを使っているわ。」
とチハヤが言った。
「その『秤』というのはどういうものなんでしょう。」とタケルが訊いた。
すると、チハヤが自分の部屋に戻り、1冊の書物を持ってきて、広げた。
「これが『秤』。」
示したところには、絵が書かれていた。いわゆる『天秤ばかり』だった。
「片方に錘を乗せて、片方に薬草を置くの。両方が同じ重さで釣り合うの。」とチハヤ。
「錘?」とヤスキが問うと、「これよ。」と指さす。
絵には、小さな四角い塊がいくつも並んでいる。タケルも覗き込むようにして、その構造や大きさ等を想像していた。
話を聞いていたジウが、「それ・・ウンファン様の館にある。」と言った。
「なんだって?・・そうか・・一度、話を聞きに行こう。」とタケル。
「それなら、こんなものもあるわ。」とヤチヨが部屋に戻って、何か長い棒を持ってきた。
「これは、大きなものの重さを計るのに使う、竿秤というの。こっちに重い石をひっかけて、片方の笊に計りたいものを乗せて、釣り合うところの印を見ると判る仕組み。これなら、いろんな館に置いてあるはず。」
「ああ・・それなら、俺も港で見たことがある。器用に使っていた。」とヤスキ。
「それらを使って重さや量を計ったとして、例えば、米と金、米と銀、米と布を、どの量で取引するかという目安がなければ、諍いになるという事なのだが・・・。」
と、タケルが呟く。
「一つ一つ決めるのは難儀なことだぞ!」とヤスキ。
「やはり、皆が持っているものを基準にするのが良いだろう。米なら大抵同じだし、升の大きさ、俵の大きさもほぼ決まっている。それと・・・」
タケルは考えた。
大和の国々であれば、稗や粟、豆、布等、多様な物の取引には米との割合だけで充分だろう。しかし、今、揉め事の原因は、金や銀などだ。ならば、やはり、金と米の取引の目安を定めればよいのではないかと。
「皆、ありがとう。正しく秤を使った取引を行うように定め、さらに、米と金の取引の目安を決める事にします。あとは、館を回って、皆が納得できる目安を聞いてみます。米と金の目安が決まればきっと、おのずと他も決まるはずだから。」
と、タケルは言った。
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2-9 取引の定め [アスカケ外伝 第1部]

タケルは、昨夜、聞いた通り、ジウの案内でウンファンの館へ行った。挨拶もそこそこに、タケルは用件を切り出す。
「ウンファン様、天秤というものはございますか?」
「ああ・・これですかな。」と言って、ウンファンは、古びた棚の中から、天秤を取り出した。タケルは、天秤の実物を初めて見る。
「このようにして使うのです。」
と、ウンファンは、木箱を取り出して、中から小さな錘を幾つか取り出し、皿の上に置いた。ゆっくりと左右の皿が揺れ、すぐに水平で止まった。
「一番小さな錘を、一銖(しゅ)といい、これを幾つ乗せると釣り合うかで、重さを定めます。二銖、四銖、八銖、十六銖等を組み合わせて使います。二十四銖で一両、十六両で一斤、三十斤で一鈞、四鈞で一石・・・これが辰韓国で定められている重さです。」
ウンファンは、木簡の束を広げて説明する。タケルは興味深く見ている。その様子を、なぜかウンファンは嬉しそうに見ている。
「この錘は、どのようにして作られているのでしょう?」
と、タケルが、ふいに顔を上げて訊く。
「実は、私は、辰韓に居た時、天秤細工の職人をしておりました。錘は、辰韓国ではなく、遠く、秦国から持ち込まれたものを原型にしております。ほとんどの場合、それは、郷の長が持っております。職人は、錘の木型を作り、溶かした青銅を流し込み作ります。出来上がった錘を、原型の錘と天秤で計り、正しいものだけが使われます。」
ウンファンは、饒舌に語る。
「金や銀もこうしたものを使って重さを計り、取引するのでしょうか?」とタケル。
「もちろんです。誤魔化しの無いよう、錘は必ず正確でないといけません。ただ・・。」
とウンファンの顔が曇る。
「どうしました?」とタケル。
「どうしても、誤魔化したい心を持ち、錘を勝手に作る者が出てきます。そうなると、天秤の信用は無くなり、諍いになります。」
「どうすればそれを防ぐ事が出来ましょう?」とタケル。
「例えば、難波津・・いや、大和全体で諍いが起きないようにするには、この錘を宮様がお造りになり、その証を錘に打つのです。間違いのないものだという証明をつける。そうすれば、これを使った取引は間違いないと信用されます。」
と、ウンファンが言う。
「ウンファン様、私は摂津比古様から、この難波津で取引の諍いごとを無くすため、目安を定めるよう命じられております。是非、私に力をお貸しください。」
タケルは真剣な眼差しでウンファンに話す。
「それは、宜しいのですが・・・何をすればいいのでしょうか?」とウンファン。
「天秤ばかりと錘を作ってもらいたいのです。それを難波津の全ての館に置くのです。材料や人手は何とかします。まずは、私と一緒に、宮殿へ行きましょう。」
「判りました。すぐに支度をします。」
ウンファンは奥の部屋に戻り、着替えを済まし、数人の用人と共に支度を整えた。
タケル、ウンファン、ジウと数人の用人は宮殿に向かう。摂津比古はちょうど、宮殿前の広場にいた。
「摂津比古様!」とタケルが駆け寄る。
そして、ウンファンを紹介すると、天秤ばかりを広げて、先ほどの話を摂津比古に聞かせた。
「なるほど・・・たしか、薬事所でもこれと同じものは見たことはあったが、重さの元となるものには考えも及ばなかった。・・で、これを何とする?」と摂津比古が訊く。
「まず、この難波津・・いや、ヤマトの重さの元を定めます。そして、それを基に、いくつかの単位を決めます。そして、御触書にて、難波津に館を構えるものに使わせるのです。原器になるもの、錘なども、ウンファン様に作っていただくのは如何でしょう。」
と、タケルは答えた。
「それで、取引の諍いは無くなると申すか?」と摂津比古。
「いえ・・おそらくそれでは諍いは無くなりません。私も初めは、米と金の取引の目安を定める事で諍いは無くなると考えておりましたが・・ウンファン様の御話を聞き、結局、自分だけ利を得たいと考える者は、策を練り誤魔化そうとします。それができない様な定めが必要だと気付いたのです。」とタケル。
「それが重さの元を作るという事か・・」と摂津比古。
「はい、まずは重さという基準を定めます。その上で、今、館ごとにどのような取引がなされているかを調べます。米一俵がいかほどの金と取引されているかを調べ上げれば、どれほどの違いがあるのかが明らかになります。そうなれば、より多くの金と取引できるところに米を持って行くでしょう。・・布や紙・・あらゆるものの重さが判れば、おのず公正な取引が導かれましょう。」とタケルが答える。
「良かろう・・で、その元になる重さはどうするのだ?」と摂津比古。
「怖れながら申し上げます。我が辰韓国では、国王から郷の長に原器が渡されます。それを持っている事こそ、長の証となっております。ごまかしが生まれないためにも、何か、宮殿にしかないものが良いのでは思いますが・・」とウンファンが答えた。
摂津比古は、宮殿の大屋根の方を振り返り思いを巡らせていた。そして、はたと思いついた。
「それならば、良いものがある。暫く待っておれ。」
摂津比古は、そういうと宮殿の本殿の石段を上っていき、奥へ入って行った。
「ウンファン様、ありがとうございます。」とタケル。
「いえ・・これで良かったのでしょうか?」とウンファンが答える。
「ええ・・大丈夫です。」とタケルが答えた。
暫くすると、摂津比古は嬉しそうな顔をして石段を下りてきた。
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2-10 黒水晶の玉 [アスカケ外伝 第1部]

「これはどうか」
と、摂津比古がタケルたちの前に掌を広げて見せる。小さな黒い玉(ギョク)がある。
「これはな・・先の皇葛城王が身につけておられた首飾りなのだ。摂政カケル様が、国造として、大和平定の任を負って出発された際、郷との絆を繋ぐために、証となるものを所望されて賜ったものなのだ。・・皇家に代々伝わる有難きもの。ヤマトの国々の王や長も持っておるはずだ。どうじゃ?」
と、摂津比古は、タケルに手渡した。小さな黒水晶の玉はきらりと光った。ウンファンにも手渡してみた。ウンファンは、目を閉じ、掌に載せてじっくり重さを感じているようだった。
「宜しいのではないでしょうか・・」とウンファン。
「では、これを基に・・辰韓のように決め事を考えねば・・」と摂津比古。
「辰韓では、銖、両、斤、鈞などと定めておるとお聞きしましたが・・」とタケル。
「いえ、それは止めた方が良いでしょう。・・ここには、辰韓だけでなく、弁韓や百済の者もいます。それぞれ同じような決め事があり、似ておりますが、少しずつ違っております。おそらく、同じ言葉を使うと、諍いの元になりましょう。」と、ウンファンが言う。
それを聞いて、摂津比古はハッと思いついたように言った。
「それならば、一番の元は、一玉(ぎょく)ではどうか。それが百で一連(れん)、それを百で一条(じょう)、百条で一石(こく)・・どうじゃ?」」
と、摂津比古が問う。
「宜しいでしょう・・では、それを定めとしましょう。そして、基になる錘と天秤は、ウンファン様にお造りいただきとうございます。必要な材料や人手は、摂津比古様にお願いしとうございます。」とタケルが言う。
「ウンファン殿、遠慮なく申されよ。工房が必要であれば。宮の中に置いて良いぞ。」
と摂津比古は笑顔で応えた。
「有難き事。・・我が館では手狭にて、是非とも、工房をお願いいたします。」
とウンファンは答える。
「良かろう。すぐに手配しよう。他にはどうか?」と摂津比古。
それには、タケルが答えた。
「天秤と錘が、出来次第、それぞれの館に、摂津比古様直々に命を下され、お渡しいただけないでしょうか?」
「それは良い。この天秤と錘を使い、公正で正直な取引を行うよう命じるということだな。」
摂津比古は満足そうだった。
「ところで、ウンファン殿、今、韓では争いが続き、辰韓の者が逃れて難波津にも来ておると聞いたが・・・。」
と摂津比古が尋ねる。ウンファンは驚いてタケルの顔を見た。タケルは頷く。
「恐れ多くも・・それもご存じとは・・確かに、辰韓国は隣国、弁韓国に度々攻められ、倭国に逃げてくるものが絶えません。我が館に辿り着けた者も、皆、疲れ切っております。中には、介抱の甲斐なく命を落とす者もある始末。悲しきことにございます。」
と、ウンファンは答える。
「韓の戦を諫める事は叶わぬが・・倭国へ逃れてきた者は手厚く保護できるよう図らうことにしようではないか。・・ヤマトの玄関口、アナト国のタマソ王にはすぐにも使いを出し、海を越えて来る、辰韓国の者を大事に迎える様、頼んでおこう。・・ところで、そなたの館はどこにあるのか?」
と摂津比古が尋ねる。
「大路のはずれにございます。イノクマ様から、譲り受けました。」とウンファン。
「ほう・・イノクマ殿からか・・それなら良かろう。だが、そのままでは、余りに忍びない。何とかしてやりたいものだが・・」と摂津比古はタケルを見た。
「ウンファン様の館は、しかとは見ておりませんが、逃げ延びて来られた方々が休むには十分とは思えません。また、大路のはずれにて、今後、天秤づくりが始まれば、工房に通うにも不便。できれば、宮近くに館があればと思いますが・・。」とタケル。
「そうか・・判った。すぐに手配しよう。民部(たみつかさ)を呼んで参れ。」と摂津比古が言うと、近くにいた侍従が、大路の館等を取り仕切る民司(たみつかさ)を呼びに行った。
すぐに、大慌ての様子で、巻物を一つ携えた役人らしき男が現れ、摂津比古の耳元で何か話している。巻物を広げ、何度かやり取りをした後、摂津比古が口を開いた。
「すぐに、新しき館をこの宮の西門に用意する。ひと月もあれば完成しよう。そこならば、港とも行き来しやすく、薬事所も近い故、便利であろう。」
「あの一つ、お願いがございます。」とウンファン。
「わが同胞がここへ辿り着いても、それと判らなければいけません。目印に、辰韓の大旗を立てても宜しいでしょうか?」
「ああ、構わぬ。事情は承知した。此度の功労の報酬として、万事、困りごとがあれば、儂に申し出よ。・・いや・・タケル殿に何でも相談されるが良かろう。タケル殿は、アスカ皇の御子息、次なる皇になるべき御方ゆえ、万事、大丈夫だ。」
摂津比古は、つい、気を許してしまい、タケルの身の上を話してしまった。
「摂津比古様、それは・・」
と、タケルが止めたが、ウンファンは、余りに驚き、その場にひれ伏してしまった。
「ウンファン様、お止めください。私はまだ、学びの途中の身。次なる皇と言われても、まだまだそれだけの器量はありません。今は、摂津比古様の付き人の一人に過ぎません。どうか、お察しください。そして、このことは口外なさらないようお願いいたします。」
タケルは、そう言うと、ウンファンの手を取り、頭を上げさせた。
「恐れ多い事でございます。」とウンファンは恐縮している。
「此度、ウンファン様にお会いでき、難題の一つを解決する事が出来そうです。今後も、ぜひとも私を助けてください。」
タケルは再び、ウンファンの手を強く握った。
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2-11 諍い [アスカケ外伝 第1部]

天秤と錘作りは、順調に始まり、工房には辰韓から逃れてきた者達が、順次働くようになり、予定通り、難波津の大路に館を構える者には摂津比古から直々に配られはじめた。
そんなある日、大路で取引を巡って、諍いが起きた。
民部(たみつかさ)のハトリと名乗る者が、タケルのいる館へ走り込んできた。
「タケル殿!タケル殿は居られぬか!」
「何事です。ハトリ様。」とタケルは部屋から飛び出してハトリに対面した。
「大路の・・シンチュウなる者の館で、揉め事が起きております。先に定めた秤の事で、ヤマトの者と揉めておるとの事。是非、御同行願いたい。」
ハトリはそう言うと、タケルの手を掴むと館を飛び出していく。その騒ぎに、部屋にいたヤスキも一緒に向かった。
シンチュウの館の周りには、衛士が何人も取り巻き、騒ぎを聞きつけた周囲の館からも人が集まっていた。タケルたちが、人垣を掻き分けて中に入ると、シンチュウが憮然とした表情で、椅子に座っている。それに対面するように、一人の男が睨み付けている。
「どうしたのです?」とタケルが、男に訊いた。
「昨日、ここで布束と金と取引した。その時は、難波津の決め事を知らずにいたが、先ほど、吉備の館で、難波津では布1斤について金5玉を決めごとにしていると聞き、正しく取引してもらうために参ったのだ。だが、こやつは、難波津の決め事は倭人が勝手に決めた事、弁韓の者には関わりの無いものだと言い返したのだ!」
山背国のヨウジは、声を荒げて言った。
「我らは、弁韓の者。倭国の決め事など知らぬ事。不満ならば、他所へ行け!」
シンチュウは全く悪びれる事もなく、突き放すように言った。
タケルは、シンチュウとは以前に一度対面している。弁韓国の王の使いとしての自尊心の塊のような人物で、ヤマトを見下すような物言いをしていたのを思い出していた。
「ならば、昨日、渡した布束を返せ!」とヨウジは言う。
「それは、もう取引を終えたもののはず。取り戻したいのならば、それ相応の金をもって来ればよかろう。」とシンチュウが言う。
「昨日の金はこれだ!さあ、返せ!」
ヨウジは、懐から金の袋を取り出し、シンチュウの前に広げた。僅かな金の塊だった。
「いやいや・・・これほどの金では・・・あの布を取り戻したければ、この倍は持ってきてもらわねばならぬなあ。」
シンチュウは、小馬鹿にするように言う。
「そんな馬鹿な話があるか!」
ヨウジは食って掛かる。
「昨日は昨日。あの布は上等でした故、もっと多くの金と取引できますからな。これが商売というもの。そうやって、富は作るものなのですよ。ヤマトの方々はそういう事を考えておられぬ故、皆、倹しい暮らしをされておるのでしょうなあ。さあ、お帰り下さい。」
シンチュウはそう言うと、椅子から立ち上がり奥へ入って行った。
「ヨウジ様、ここは一旦私に預からせてください。」
タケルはそう言うと、憤懣やるかたない形相のヨウジを連れて、シンチュウの館を出た。
「ハトリ様、これは由々しき事態です。民部の皆さまで、この事態を各館と港へお伝えいただき、決め事を守らない館が他にないかお調べ願えませんか?ヤマト諸国から事情を知らぬまま来て、このような理不尽な目に遭われる方が無いようにしなくてはいけません。」
タケルが言うと、ハトリは頷き、先に宮に戻った。
「さて、ヨウジ様。私は、摂津比古様の付き人、タケルと申します。シンチュウ様は以前から知っておりますが、一筋縄ではいかぬ御方なのです。此度、決めごとを作った事で、シンチュウ様も、実のところ、以前のように行かなくなっておられるのです。必ず、布を取り戻しますので、今しばらくお時間を戴けませんか?」
ヨウジはまだ十分には納得できていない様子だったが、摂津比古の付き人と聞き、タケルを信用することにし、山背国の館へ戻って行った。
一部始終を見ていたヤスキが、タケルに近づいて、小さな声で言った。
「港でも、弁韓国の振舞には、皆、困っている。港は、荷役の人夫は、船が着く度に、皆で力を合わせて荷を運ぶ。運んだ荷物の一部を荷役頭が船主から受け取り、皆で分ける決まり。だから、大船が着くと、皆、総出で喜んで働く。積む時も同じだ。そうやって、滞りなく作業ができるようにしている。だが、弁韓の船だけは、我ら荷役の手を借りない。」
「借りないとなると、人夫はどうしている?」とタケルが訊く。
「船から人夫が大勢降りて来る。・・だが、それが・・・。」とヤスキは言ってから、
「その目で見ると良い。昨日、弁韓の船が着いたから荷を積み込んでいるはずだ。」と、タケルを港に連れて行った。
「あれがそうだ。ほら・・」とヤスキが指差す。
そこには、男たちが、蔵から運んだ荷物を船に積み込む様子があった。荷物を運ぶ男たちは、皆、薄汚れた服を着て痩せ細っている。よく見ると、首回りと足には枷が付いていてふらふらとしている者もいた。荷物を担いだ拍子に転んだ者がいて、周囲にいる、甲冑を身につけた兵士らしき男が鞭を打っている。
「あれは・・・奴隷なのか?」とタケル。
「おそらく・・。噂では、戦で捕らえた他国の民を奴隷として使っているらしい。」
タケルは、一緒に来ていた侍従に、薬事所にいるジウを呼びに行ってもらった。暫くすると、ジウがやってきた。
「ジウ様、あれを見てください。もしや、あれは辰韓の民ではありませんか?」
と、タケルが指差すと、ジウは、荷物を運ぶ男たちをじっと観察した。
「あの服の模様・・先日、館に着かれた人と同じ・・辰韓の者です・・どうして?」
ジウは、痛ましい光景に涙を溢した。
「やはり、そうですか・・・。」

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2-12 決め事 [アスカケ外伝 第1部]

その日の夕餉を終えて、タケルは、自分の部屋でひとり悶々としていた。
弁韓のシンチュウの振舞い、船の奴隷、何とかしなければという思いがぐるぐると頭を巡るばかりで、出口が見つからない。父カケルはアスカケの最中、このような人物と出会ったことはなかったか、その時、父はどうしたか・・幼い頃から聞いてきた父の話を思い出しながら、答えを求めていた。
「タケル!ウンファン様が参られたぞ!」
小部屋の扉の向こうで、ヤスキが声を掛けた。
館の玄関には、ウンファンとジウが待っていた。タケルは、二人を食堂へ通すと、ヤスキやヤチヨ、チハヤ、ヤスも現れた。
「タケル様、同胞が捕らえられているというのはまことでしょうか?」
ウンファンが切り出した。港での光景をジウはウンファンに話していたのだ。
タケルは小さく頷くと、隣にいるヤスキを見た。
「ええ、きっとそうです。酷い扱いを受けて、あれでは、命を落とした者もいるに違いありません。何とかしなければ・・。」と、ヤスキが答えた。
「やはり、そうですか・・。先日、館に着いた者に訊いたのですが、ひと月ほど前に、弁韓の兵が村を襲い、逃げ遅れた者が多数いて、囚われてしまったとの事でした。おそらく、そうした者達に違いありません。」
ウンファンは、悔しそうに言った。
「女人や子どもたちはどうされているのでしょう?」とヤチヨが訊いた。
「おそらく、王宮に連れて行かれて、召使いや下働きをさせられているのではないかと思います。いずれにしても、人間として扱われてはいないはずです。」
ウンファンの言葉に、ジウが涙を溢し始めた。
「船を襲い、捕まっている人を救い出そう。港の人夫も、あの扱いには頭に来ている。手伝って貰って一気にやれば大丈夫だ!」
とヤスキが立ち上がって言った。
「それならば、わが同胞も加勢します。船にはおそらくわずかな兵、これまでの恨みもありますゆえ、皆、賛同するはずです。」とウンファンも言った。
「ついでに、あのシンチュウの館も襲えばいい!あんな不条理な取引を堂々とする輩は、この難波津から追い出すべきだ!」
ヤスキはいよいよ勢いがついたようだった。
「いや、ダメだ!」
タケルは、ヤスキとウンファンに向かって強く言った。
「摂津比古様は、遠く韓の事を我らヤマトの者が知る由もなく、今しばらく、時をかけて考えよと申された。・・シンチュウ殿は、王命でここへ来たと申された。ここでの諍いは、ヤマトと弁韓の諍いと同じ。そうなれば、ヤマト諸国を巻き込むことになる。」
タケルは話しを続けた。
「でも、一日も早く、船に囚われている方々をお救いせねば、御命に関わる事態にもなりかねないでしょう?薬事所でお会いした方も随分衰弱されている様子でした。何とか、お救いしたいのです。何か策はありませんか?」
と、チハヤがタケルに訊いた。タケルは答えに困って腕組みをしている。
「あの・・」とヤスが口を開いた。
「どうされたの?ヤス様」とヤチヨが訊く。
「実は・・以前、宿主の使いでシンチュウ様の館へ品物を受け取りに参りました。その時、奥の蔵に連れて行かれたのですが・・・その蔵の前に兵が数人立っておりました。もしかしたら、船だけでなく、館にも囚われた人がおられるのではないでしょうか?」
ヤスが言う。
「船に蔵・・それほどの人を囲い、ただ、奴隷として使うというのは・・少し変だな・・。」とヤスキが呟く。
「以前、辰韓に居た頃、弁韓では捕虜にした男たちを兵として使うと聞いたことがあります。そうやって、戦の先鋒には捕虜にしたものを使い、自国の兵は無傷で戦に勝つのだというのが、弁韓の戦法だとか。」
ウンファンが思い出したように言った。
「では、シンチュウはこの難波津で戦でも起こそうというのか?」とヤスキ。
「いや、シンチュウは商人です。戦を起こすとは考えにくにのですが・・」
とウンファンが返した。
「だが、あれだけの者を集めているのは何か事を起こすつもりなのかもしれませんね。」
と、タケルが言う。
「囚われている者のことは心配ですが、もう少し内実を調べた方が良いのでは・・」
ウンファンが、タケルに問うように言った。
「そうですね・・私も、摂津比古様に御相談したいと思っています。事を荒立て、難波津で大きな騒動になるのは得策ではありません。」
タケルはそう言うと、ヤスキを見た。
「そうか・・ならば、私はシンチュウの船の様子をもう少し調べてみよう。どれほどの人が囚われているのか・・できれば、その方達と連絡が取れないか・・そうだ、ジウ様、少しお手伝いいただけませんか?」
ヤスキはそう言って、ジウを見た。ジウはこくりと頷いた。
「では、私は、弟と一緒にシンチュウの館の様子を調べてみましょう。」
ヤスが答える。
「韓国の者として、シンチュウの所業は赦せません。何としても、懲らしめねば・・。我らも、シンチュウの動きに目を光らせましょう。」
ウンファンも応えた。

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2-13 怪しげな男 [アスカケ外伝 第1部]

次の日の朝、タケルは、宮殿に向かい、摂津比古に接見し、これまでの経緯を話した。
「そうか、シンチュウの所業は、衛士や民部からも幾度か聞いては居ったのだが・・。」
摂津比古は憂鬱な面持ちで口を開く。
「あやつは、倭国と弁韓の友好を深めたいという弁韓の王の書状を持参しておったので、こちらも丁重に応じ、館も与えたのだが・・。儂の判断に甘さがあったか・・。」
悔いる様な口調で摂津比古が言う。
「いえ・・摂津比古様、おそらく摂政様も同じことをされたはずです。倭国の安寧のためには、海を越えた国々とも友好であるべきです。それよりもこれからどうすべきかを考えねばなりません。」
タケルは、摂津比古の言葉を聞き、自分に言い聞かせるように強く言った。
「今、皆でシンチュウの動きを探っております。何か良からぬことが起きる前に手立てを打ちましょう。・・摂津比古様、一つお願いがあります。」
「なんだ?」と摂津比古。
「これまで、韓国の戦を逃れて多くの辰韓の人が海を渡って来られているようです。難波津に着く頃にはもう疲れ切って、命を落とされている方もいる様なのです。できれば、明石や吉備、安芸、アナトの国の皆さまへ、こうした方々をお助けするよう、使いを出していただけませんか?」
「それは容易い事。おそらく皆も心得ているはずだが・・すぐにも、使いを出しておこう。それと、韓の国の様子も知らせてもらう事としよう。」
摂津比古との接見を終えて、タケルは、自分たちの館に戻った。
それから、数日、皆で手分けして、シンチュウの動きを探っていた。ヤスキとジウは港の人夫達と共に、シンチュウの船の様子を探りながら、中に囚われている辰韓の者と連絡を取れないかと試みていた。
ヤスとカズは、宿主スミレに事情を話して、シンチュウの館への用事を作ってもらい、幾度と館を訪れては様子を探った。
ウンファンは、館にいる辰韓の者達に、裏通りや路地で何か不穏な動きがないかを探っていた。
タケルは、大路に館を構える国々の人間に、事情を話し、シンチュウの館との取引をやめるよう説得して回った。
そんなある日、ヤスの弟カズが、タケルたちの館に飛び込んできた。
「シンチュウの館に、怪しげな男たちが来ました!」
カズは、ヤスと共にシンチュウの館に行き、屋根伝いに、シンチュウの館の奥にある蔵の隅に隠れて、様子を探っていたのだった。
「館の裏の堀に、船が着き、男たちが3人程、館に入っていきました。赤い服を着た大きな男が椅子に座って、大声で何か言ってました。シンチュウは立ったまま、その男にペコペコ、頭を下げていたから、きっと叱られていたんだと思います。」
カズは息も継がず一気にまくし立てた。
館には、タケルとヤスキ、ジウが居て、驚いた表情でカズの話を聞いていた。
「それから?」とヤスキが訊く。
「その後、すぐに、また船に乗って出て行きました。」とカズ。
「船はどっちへ行った?」
と、ヤスキが訊くと、カズは急に悲し気な表情を浮かべて、おろおろしながら答えた。
「判りません・・姉やんが、すぐにタケル様に知らせておいでって言ったから・・。」
「それで、ヤス様は?」とヤスキが訊くが、カズは俯いたままだった。
「まさか・・その男の後を追うなんてことはないだろうが・・・・」
ヤスキは呟くように言った。
それを聞いて、タケルが言った。
「ヤスキ、すぐに港に行き、船を出してもらうんだ。」
「わかった!」
ヤスキは慌てて、館を駆けだしていった。ヤスキは船を出す理由をはっきりと判っていた。万一、ヤスが男の後を追っていったとすれば、男たちの船に紛れているに違いなかった。見つかれば殺されるかもしれない。一刻も早く、男たちの船を見つけなければならなかった。
「カズ様、よく知らせてくれました。でも、もう少し、詳しく訊かせてください。その男はどんな身なりでしたか?」
「赤い服を着ていました。それに、大きな高い尖った帽子を被って、黒い髭を胸まで伸ばしていて・・・それと、大きな剣を下げていました。」
カズの話を聞いていたジウが言う。
「たぶん、そのひと・・ショウグン・・そう・・将軍。一番偉い人。」
「将軍?・・まさか、兵を率いているというのか?」
と、タケルが確認するようにジウに訊く。
「ウンファン様から、聞いたことが・・ある。赤い服は偉い人が着る服。」
ジウの返答を聞いて、タケルは最も恐れていた事が近づいているだと直感した。
「私は、すぐに摂津比古様のところへ行きます。カズ様、すまないが、ジウ様と共に、ウンファン様のところへ行ってください。そして、カズ様が見たことをもう一度、ウンファン様に話してください。」
タケルはそう言うと、すぐに宮殿に向かった。

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