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1-3 それぞれの思い [アスカケ外伝 第1部]

カケルは、話し終えると大広間を出た。
「良いか、皆、よく思案しなさい。その上で、明日朝、望む者は申し出なさい。」
モリヒコは、戸惑う子どもたちの顔を見ながら告げた。
「それでは、鍛錬や勉学に入るが良い。」
モリヒコの号令で大広間に居た子どもたちは、それぞれ自らが選んだ修練へ向かった。
春日の杜の東側には深い森が広がっている。その中を拓いて、剣や弓の鍛錬場や書物が保管されている倉庫や広間を持つ館がいくつも作られていた。
今も一つの館を、年長の子どもらが力を合わせて建てていた。タケルはその中に居た。
切り出した木材を削り柱や床板にしたり、木の皮を剥ぎ屋根を葺いたり、家づくりには幾つもの仕事がある。初めは舎人たちの作業を見て覚え、自ら技を習得する、時には舎人たちの手も借りながら、これまでもいくつもの館を作ってきた。ここで習得する技は郷に戻った時、大いに役に立つ。
作業場に置かれた丸太に跨り、削り出しの作業をしながらタケルは考えていた。此度の難波津への旅に自分も従者として選んでもらえるものかどうか、これまで皇子として同行した事はあったが、そういう扱いをしてもらえるのかと考えていたのだった。
「なあ、タケル、どうする?」
そういって声を掛けてきたのは、トキオだった。
トキオは広瀬の郷の生まれで、タケルと同い年だった。春日の杜に来たのも同じ年だったため、皇子の身分とは知りながらも、名前で呼び合う仲だった。弓の鍛錬では、タケルと負けないほどの腕になっていた。
「タケルは従者としては行かないさ。きっと、皇子として帯同を許されるはずだ。」
そう言ったのは、同じ作業場で丸太を運んできたヤスキだった。
ヤスキは、当麻の郷の長カシトの子で、タケルやトキオより1年早く春日の杜に来ていた。体も大きく乱暴者だったため、当麻の長カシトは手を焼いていた。それを見かねて、葛城の大連シシトが、「心を鍛えて来い」との命を下し、春日の杜に送り出したのだった。
「そうだよな・・・でも、難波津は諸国の人が集まる賑やかな場所と聞いている。此度の従者になれるものなら・・なあ・・。」とトキオが言った。
「俺は明日名乗りを上げるぞ!俺はここでは一番力がある。荷を運ぶ仕事なら俺をおいてほかないだろう。必ず選んでいただく。」とヤスキは自信満々に言いのけた。
それを聞いて、反応したのは、ヨシトだった。
「私も行きたい。舎人のサスケ様からも幾度と難波津の話を聞いた。サスケ様もヤマト平定の後、カケル様と共に難波津へ行かれたそうだ。そこで聞いた伊予の国の話が忘れられない。今一度、伊予の国がどのようなどころか直接聞いてみたい。」
それを聞いて、ヤスキが訊いた。
「ヨシトには何ができる?」
ヨシトは少し考えてから言った。
「私は誰より美しい文字が書ける。多くの文字を知っている。きっと役に立つはずだ。・・それに、トキオは弓ができる。その腕なら途中、獣が出ても防ぐことができる。護衛としての役割を果たせるだろう。」
「よし、では、われら三人、明日、内舎人様に名乗りを上げよう。」
その会話を聞きながら、タケルは、自分にとって皇子としてともに行くことが意味がある事なのかと、思案していた。
夕方になり、子どもらはそれぞれの持ち場から、大屋根の館に戻ってきた。夕餉の支度をするためだった。
大屋根の館の裏には畑が作られていて幾つも野菜が作られている。その仕事も子どもらが決め分担していた。そのまとめ役に、チハヤとヤチヨがいた。
チハヤは磯城の郷の生まれで、争乱の際に父を亡くしていた。母は、伊勢国生まれで王の従者としてヤマトに来た際、契りを結び、ヤマトの残ったのだった。だが、チハヤが七つの歳に、病で亡くなり、磯城の連イヅチの勧めで、春日の杜に来た。女の子の中では一番長く春日の杜に居るため、皆から「姉さま」と慕われていた。ヤチヨより一つほど歳下だった。
ヤチヨは、難波津で生まれたが、ヤマト平定の後、両親が故郷である葛城の郷へ戻ったため、葛城の郷の子どもとなった。十歳の時、ヤチヨ自身が大連シシトに願い出て、春日の杜にきた。すでに十五歳を迎えていた。
二人は常にともに居て、春日の杜の幼子たちの姉役として、世話をしていた。
「さあ、これを御厨(みくりや)へ運びましょう。」
収穫した野菜を籠に盛り、チハヤが幼子たちを導いて畑から引き揚げようとした。
「では、後始末は私たちがやっておきましょう。」
畑で使った道具を畑の脇にある水路で洗い、綺麗に拭いて、器具庫へ運ぶのはヤチヨと数人の子どもたち。御厨では夕餉の支度に舎人や子どもたちが分担して作業している。出来上がると、それぞれが膳を作り運ぶ。ようやく、子どもたちは大屋根にある食堂(じきどう)に座り、夕餉が始まった。
チハヤとヤチヨは隣り合わせて座り夕餉にした。
「ねえ・・どうする?」
切り出したのはチハヤだった。その問いは、難波津の旅の事だとヤチヨにもすぐわかった。
「女人にも許されるのかしら?」とヤチヨが言う。
「カケル様は、役を果たせる者とは仰ったけれど、女人はダメとは言われなかったわ。」
それを聞いてヤチヨが言う。
「私ね、実は難波津で生まれたの。赤子だったから、全く覚えていないけれど、生まれた郷に一度行きたいと思っていたの。」
「私も・・・他の国にはもっといろんな食菜があると聞いて、難波津には様々なものが集まると聞いたし、きっと自分の知らないものやもっと皆が喜ぶものが見つかると思うの。行ってみたいなあ・・。」
二人は見つめ合い、互いの意思を確認したようだった。
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