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1-15 推理 [アストラルコントロール]

「まあ、タレント事務所がタレントに保険を掛けるのは通例だからな。万一の時、違約金とか補償で相当金がかかる。その時のために保険をかけておくのは変なことじゃない。」
零士が冷静に答えると、「そうなのよね・・。」と五十嵐も少し落胆気味に返答する。
保険金目的の殺害事件なら、筋が通るとでも考えていたようだった。
「社長と片岡優香、本田幸子の3人の関係のもつれっていうことも考えられるんだが。」
零士が助け舟を出すように言った。
「やっぱりそうなのよね。・・で、どうすればいいと思う?」
五十嵐はまるで、友人か何かに自分の人生相談をしているかのような態度になっている。それをすんなり受け入れられるほど、零士は人を信用していない。いや、そういう感覚を持つことで、過去に何度か痛い目にあってきたため、少し臆病になっていたのが正直なところだった。
「あの、さっきから気になっているんですが、貴方は僕に何を期待しているんですか?捜査方針は、警察内で話し合うことでしょう?素人の僕に何か相談するのは変じゃありませんか?」
零士は、あえて、「ですます調」で訊いた。
無論、零士も事件の経緯を知りたいのは正直なところなのだが、やはり、少しずれているのは間違いないと思っていた。
零士の言葉に五十嵐ははっと気づいて、ちょっと赤面した。
「そうよね・・いや、そうですよね。射場さんに相談することではありませんでした。」
五十嵐も自分の今までの態度を反省した。
「いや、そんな責めるつもりはありません。むしろ、貴方は僕が夢で見た話を信じてくれて、被疑者ではなく、むしろ目撃者として対応してくれたことには感謝しています。自分でもなぜあんな夢を見たのかわからなくて混乱していましたから・・。僕が協力できることはさせていただきます。」
零士は、五十嵐が予想外に深く反省している姿を見て、さらに続けて言った。
「本田幸子が引退したときの状況を調べてみたらどうでしょう。セクハラとか不倫とか、その手の話には、周囲の興味本位な噂が混ざって、増幅されている可能性がある。事実を並べてみないと本当のことは見つからないはずです。特に、男女の関係は本人たちにしかわからない、いや、本人たちもその時には冷静には見えていないものです。周囲の人間には、とても奇妙に見えて、さらに想像を広げてしまいがちですから。」
零士の言葉に、五十嵐は少し元気を取り戻したようだった。
「そうですね。射場さんのおっしゃる通り、直接事件につながるかどうかわかりませんが、一度経緯を調べてみます。」
五十嵐はそういうとぺこりとお辞儀をして、署へ戻って行った。
零士は、しばらく、その場に残っていた。
そして、五十嵐との会話を思い出していた。
内容ではない。彼女がタメグチであっけらかんと話す姿や表情の変化、彼女との距離感は、自分が考えていた以上に近かったことに少し「ときめき」のようなものを感じていたのだった。
彼女は、何歳なのだろう。
彼氏はいるのだろうか。
仕事が終わった後はどうしているのだろうか。
そんなことをぼんやり考えている自分がいた。
「いやいや、何を考えているんだ。」
零士はそう呟くと、ベンチから立ち上がり、公園を出た。目の前を、車が一台走り抜ける。運転しているのは、五十嵐だった。
零士は思わず、手を挙げたが、五十嵐は気づかず走り去っていった。
「目の前のことに集中していると、そんなもんかな。」
零士は上げた手をゆっくりとおろしながら、自嘲気味に言った。
その日から、数日、五十嵐から連絡はなかった。
こちらから連絡するのも変な話だと思い、あえて連絡はしなかった。だが、零士の中で、五十嵐の存在が徐々に大きくなっていて、悶々とした時間を過ごしていた。

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1-16 過去の事件 [アストラルコントロール]

ようやく、五十嵐から連絡があった。
零士は、いつもの公園のベンチに座って待っていた。悶々とした時間の中で、幾度も、心の中で何かが行ったり来たりしていた。今日、五十嵐と会った時、平静が保てるかという不安もあって、約束した時間よりもずいぶん早く着いていた。
通りの向こうに、警察署が見える。零士は玄関を睨みつけるような目線で見ていた。
「ごめんなさい。遅れてしまいました。」
不意に、後ろから声がした。振り返ると、五十嵐が立っている。いつものスーツ姿だった。予期せぬところから声を掛けられ、急に心臓がバクバクし始めた。
「あ・・いや・・ちょっと前に来たところ。」と零士が言い終わらぬうちに、
「少しでも早くお会いしたかったんですけど、ごめんなさい。連絡できなくて。」
五十嵐の言葉を、零士は、別の意味で受け止めそうになり、「僕も・・」と言いそうになり、すぐに口を閉ざした。
「あれから、本田幸子の過去を調べてみたんです。かなり興味深いことが判ってきたんですけど、ややこしくて、裏を取るまではと思っていたらずいぶん時間が過ぎてしまいました。上司にも報告して、本田幸子を殺害容疑で、社長の山路修を殺人教唆の罪で逮捕することになりそうです。」
五十嵐は、中抜きして、結論を先に述べた。
「じゃあ、事件解決ということですか・・良かったですね。」
「ええ。」
五十嵐の顔が晴れ晴れしている。
「あの、説明してもらっていいですか?一応、顛末を知りたいので。」
零士が言うと、五十嵐がはっとした顔をして、零士を見た。
「すみません。何も説明せず、自分ばかり満足してしまって・・あの日、射場さんに言われた通り、本田幸子が引退に至った経緯を調べてみたんです。」
五十嵐はそう前置きして、事件に至った経緯を説明した。
「本田幸子がいたアイドルグループは5人で構成されていました。全員、オーディションに合格したメンバーだったようです。はじめ、本田幸子はセンターだったようですが、なかなか人気が出ず、片岡優香に交代して人気上昇。1年くらいは順調だったようです。・・ああ、当時は、山路社長が彼女たちのマネジャーだったそうで、24時間と言っていいほど彼女たちと一緒にいたらしいです。」
まあ、そんなものだろうと、零士は五十嵐の話を聞いていた。
「センターを外れた本田幸子はすっかり自信を無くしてしまって、精神的に不安定になってしまい、体調がすぐれない日が多くなって引退する決意をしたそうです。ああ、これは、グループのメンバーから聞いた話で、みな同じように話していたので間違いないでしょう。」
これもありがちな話だった。
「引退を決めてから、山路は、何かと本田幸子を気遣うようになり、マネジャー職も他の人に代わったそうです。本田幸子も山路社長にすっかり依存するようになって、・・まあ、その・・男女の仲になったということです。これは、事務所の副社長・・山路修の妻が吐き出すように言った話です。ネクタイがあったのも、そういうことでしょう。ほとんど、本田幸子の部屋に入り浸っていたそうです。夫婦としては別居ということにもなっていて・・近々離婚するはずだったと・・。」
「離婚?それじゃあ、本田幸子が山路を略奪したということですか?」
「いや、そういうわけでもなさそうなんです。そこが今回の事件の動機なんですよ。」
五十嵐は、何か、勝ち誇ったような口調で言った。
「山路は片岡にも同じように関係を持っていたということですか?それを知った本田幸子が片岡を殺した。略奪したものをまた略奪されて、怒りに任せて殺してしまった・・。」
「やっぱり、そう考えますよね。」
「え、違うんですか?」
「ええ、全く違います。」
答えが分かっている出題者が、回答者をもてあそぶかのような口調で五十嵐が言う。
「射場さんが言ったんですよ?事実を積み上げなければいけないって。周りの人間は想像を膨らませて本当のことが見えなくなるって・・。」
五十嵐の言葉で、零士は考え込んだ。
そういえば、五十嵐の話の中には、事実とフェイクが混ざっていた。引退の経緯はほぼ事実だろう。では、山路修と本田幸子の男女の仲は?それは、山路の妻の話だ。ネクタイがあったので事実のように見えるが、違うのだろう。

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1-17 甘い見立て [アストラルコントロール]

「確か、さっき、山路修は殺人教唆の罪になるって言ってましたね。ということは、山路が本田幸子に片岡優香を殺すように指示したということですよね。・・じゃあ、山路は片岡を邪魔な存在と思っていた。面倒になって殺そうとして・・。」
「ええ・・そういう筋書きになります。片岡優香は、山路から遊ぶ金を貰っていた。ホスト遊びや洋服やカバンなどの買い物・・とにかく、浪費し続けていた。事務所の経営が厳しくなり、社長といえども金の工面には苦労するようになった。だから・・。」
と、五十嵐が説明したが、零士は納得できなかった。
「いや、それなら、山路が片岡との関係を清算すれば済む話でしょう。山路は片岡優香に弱みを握られて脅されていたんじゃないんですか?」
「弱み?」と五十嵐が唐突に言う。
「それと、副社長の奥さんの話も信じがたい。事務所のタレントやマネジャーと浮気していることを知りながら、なぜ、問い詰めたり、タレントを辞めさせたり、手段はいくらでもあったはず。それに、どうして離婚しなかったんでしょう?山路と本田幸子はそんなに深い仲なんでしょうか?彼女の部屋を見た限り、山路社長が入り浸っているにしては男の臭いはなかった。」
零士が続けて言うと、もはや五十嵐は反論しようのないところにいた。
「ちょっとずつ、何かが違うように感じます。このまま、二人を逮捕するのは止めたほうがいい。もっと真実をちゃんとつかまないと・・。」
零士は、自分の疑問を五十嵐に話した。
捜査本部での見立ての甘さが五十嵐にもはっきりと分かった。だが、どうやって疑問点を一つ一つ調べなおせるかが思いつかなかった。
「どうしよう・・・。」
五十嵐は思わず本音を吐き出した。
「当事者から話を聞くしかないでしょうね。」と零士が言う。
「本田幸子に話を?正直に言うとは思えない。彼女は、貴方に刺されたと証言しているんですよ。」
「でも、今の見立てでも、彼女が片岡優香を殺したと確信を持っているから逮捕するつもりなんでしょう?同じことじゃないですか?有力な物証でもあるんですか?」
零士の問いに、五十嵐が思い出したように言った。
「あの・・凶器になったアイスピックです。あれは、事件の数日前に、本田幸子の行きつけのバーから無くなったことが分かったんです。あのアイスピックは本田幸子が殺害目的で盗み出したということが根拠なんです。」
「本田幸子が盗んだという証拠は?」
「いえ、状況証拠の範囲です。」
「知らないと言われれば終わりじゃないですか。そんなあやふやな証拠で犯人になるなんてありえない。僕が犯人でも否定する。もっと、確実な証拠が重要でしょう?」
「じゃあ、どうすればいいの?彼女に話を聞くとして正直に話すはずないわ。零士さんならどうするの?」
五十嵐が切れた。
そして、射場零士を思わず「零士さん」と下の名前で呼び、以前のようなタメグチに戻っていた。
「彼女に会いに行こう。一度は僕を犯人だと証言した。僕が目の前に現れれば、彼女は取り乱すはず。自分のウソがばれたと観念するんじゃないかな?」
零士は自分から事件に深くかかわるのは止めておくべきだと考えていたのだが、五十嵐の様子を見て思わず口をついて出てしまった。
別に成功する確信があったわけではない。現状を打開するには、これまでとは全く違う発想が必要だと思っただけのことだった。
ただ、零士には別のシナリオが浮かんでいた。もしそのシナリオ通りなら、彼女を動揺させて真実を引き出す以外に方法はないだろうとも思っていた。
五十嵐は、一度、署に戻ることにした。
零士との会話で、今のままで逮捕状を請求してもおそらく却下されるのは明らかだと考えたからだった。何とか、山崎を背得できないかと考えながら署に戻ったが、捜査本部の雰囲気は、もはや犯人逮捕に向かっていて、とても口をはさむ余地はなかった。

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1-18 面会 [アストラルコントロール]

零士は、いったん、アパートへ戻った。
そして、机の上に積みあがっている取材ノートを広げた。過去に、片岡優香のゴシップを取材したとき、いろいろと集めてきた情報を今一度確認したかった。記憶の中にあることが果たして正解だったかを確かめた。
「やはりそうだ。間違いない。」
零士は自分の取材記録をじっくり読んで、改めて事件の本質を確認した。
そうしているうちに、アパートのドアがノックされた。
「さあ、行きましょう。」
ドアの前には五十嵐が立っていた。周囲にはほかの刑事はいない様子だった。
「君ひとりかい?」
「ええ、彼女にあなたを引き合わすなんて、上司には理解できない行為よ。承認するはずもないのは分かっていたから、あえて、何も言わず、とにかく面会の許可だけを取ってきたわ。」
二人はすぐに、本田幸子が入院している病院へ向かった。
本田幸子はずいぶん回復していて、ベッドを起こして座る形で外の景色を見ていた。
「失礼します。県警の五十嵐です。」
ドアを開く。本田幸子は五十嵐が入室しても姿勢を変えることなく外を眺めていた。射場零士も、五十嵐に続いて部屋に入った。
「五十嵐さん、事件のことでもう少しお話を聞きたいんですがよろしいでしょうか?」
五十嵐が切り出した。本田幸子はちらりと五十嵐のほうを見た。そして、その後ろに立っていた射場が視界に入った。その途端、急に、本田幸子の表情が強張った。
「あの・・その人は・・。」
少し声が震えている。
「ええ、あなたが犯人だと証言した射場零士さん、フリーライター。以前に、片岡優香さんの不倫騒動の取材で会ってますよね。」
「どうして・・。」
本田幸子は動揺を隠しきれない様子だった。
「犯人は彼ではありませんでした。その確認のために来ていただいたんです。」
もちろん、そんな必要などない。
「本田さん、あなたはなぜ彼を目撃したと証言したんですか?本当に彼を見たんですか?」
五十嵐が厳しい口調で問い質す。
「ごめんなさい!」
本田幸子は、そういうとベッドに突っ伏した。
「正直に話してください。あの日、何があったのか。そして、なぜそんなことをしたのか。洗いざらい話してください。」
五十嵐が、やさしい声で本田幸子に声をかける。
しかし、本田幸子は突っ伏したまま顔を上げようとはしない。
射場零士が口を開く。
「あの日、貴女は片岡優香と二人、取材を受け買い物を済ませてあの場所に来た。人通りのない暗い道路、貴方は前後を確認すると、手に白いハンカチを巻いて、カバンの中からアイスピックを取り出して、彼女の肩に手をやると、一気に彼女の首元にアイスピックを突き刺した。アイスピックは優香さんの首の奥深くまで達して、頸動脈と頸椎まで貫き、一瞬で彼女は絶命した。それを確認すると、貴方はスマホで緊急通報して、自分の胸にアスピックを突き立てた。」
零士は事件の様子を細かく描写し、まるで、その場にいたかのように話した。いや、確かにそこにいたのだ。
それを聞いて、本田幸子は、驚いた表情で顔を上げた。
「見ていたんですか?」
当然の質問だった。そして、それは、自白と同じことだった。
零士はそれには答えずさらに続けた。
「貴方は彼女と一緒に死のうとしたんですよね。でも死ねなかった。緊急通報したのは、助かるためではなく、すぐに救急隊が来れば、彼女の遺体を衆人に晒さずに済む。そう考えたんでしょう。」
本田幸子は、諦めたように、小さく頷いた。

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1-19 自白 [アストラルコントロール]

「心中しようとしたということ?」
五十嵐は、零士が考えていたことを聞き、驚いた。
「あの時、貴方はとても悲しい目をしていた。片岡優香を恨んだり、妬んだりしているような表情ではなかったし、優香さんが倒れたとき、貴方は彼女の体を支えてそっと地面に横たえた。そして、そのあとの行動も、自分が助かるためではないこともわかりました。」
「二人が心中するなんて、どういうことなの?」
五十嵐が訊く。
零士は五十嵐に説明するのではなく、本田幸子に向かって話をつづけた。
「二人は、アイドルグループに入る前からの友人、いや、恋人だったんですよね。貴女の部屋には、片岡優香さんが載っている雑誌や大きなポスター、小さな記事の切り抜き、アイドル時代だけじゃない、もっと古いものまでたくさんありました。単なるマネジャーの域を超えている。・・以前、野球選手との不倫記事の取材の時、貴女の態度は、私の取材への苛立ちではなく、彼女への苛立ちのほうが強かった。まあ、貴女が一方的に思いを寄せていたようですが・・。」
本田幸子は急に声を上げて泣き出した。
「アイドルグループのセンターを譲ったのも、そういう理由からですね。彼女が望んでいるからと。売れなかったからというのが対外的な理由になっているようですが、そうじゃない。事実、優香さんがセンターになってもさほど変わらなかったし、貴女が引退したのは別の理由があったからですよね。」
「どういうこと?」
五十嵐が、もはやついていけないという表情で零士に言う。
「貴女の想いを、社長に気づかれてしまった。秘密にする代わりに、体を要求されたんじゃないですか?・・・あの、山路という社長は、以前にも、事務所のタレントに手を出していたのは、業界では知られた話でした。タレントの秘密をネタに言いなりにする奴なんです。引退してマネジャーになったのも山路社長の差し金でしょう。」
本田幸子は、悔しそうな表情で頷いた。
「それを、片岡優香はあなたから告白され、山路社長を脅した。片岡優香が社長からお金をもらっていたのは、その口止め料なんでしょう。しかし、片岡優香は、その金でぜいたくな暮らしをし、さらに最近はホストに貢ぐようになった。どんどん、貴女から離れていく。それがどうにも我慢できず、ついに、無理心中ということになったんですか?」
零士の推察に、ようやく、本田幸子が口を開いた。
「いえ、ホストへ貢ぐのはたいしたことではありません。これまでも何度も同じようなことはありましたから・・。」
「ほう。じゃあ、どうして?」と零士が訊く。
「優香は・・・優香は社長の愛人に・・。」
絞り出すように、本田幸子は言った。
「優香さんから聞いたんですか?」
と零士が訊く。二人の関係は全く認識していなかった。
幸子は首を横に振った。
「ネクタイを持っていたんです。優香の部屋の片づけをしたとき見つけました。」
幸子の部屋を見たとき見つけたネクタイのことだった。
「優香さんには確認しなかったんですか?」
と零士がやや強い口調で訊いた。
「聞けませんでした。でも、行きつけのバーのバーテンダーが、二人が密会していると教えてくれました。副社長・・奥様もそれをご存知だと・・近々離婚する予定だとも・・それで、許せなくて・・。」
とぎれとぎれに呟くように言うと突っ伏して泣き出した。
「それで、無理心中しようとしたんですか・・。」
零士はそういって、五十嵐を見た。
この事件の顛末が明らかになってきていた。
「だからって、死ぬことはないでしょう?」
五十嵐は、そう聞くのが精いっぱいだった。
「彼女を・・優香を愛していました。報われないのは分かっていました。そばにいて、彼女が幸せに暮らしているのを見ているだけでよかった。なのに、どうして・・社長と・・どうしても許せなかったんです。」

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1-20 真意 [アストラルコントロール]

本田幸子は、アイドルになる以前から、片岡優香に恋していた。
だが、それは、決して口にすることができない思いだった。ただ、そばにいられればという願い。
それを、社長に知られてしまったのだ。それから、社長は、本田幸子に無理やり肉体関係を迫った。
それを、片岡優香が知り、社長を脅したのだった。それでも、本田幸子は社長の奴隷であった。
ただ、片岡優香の傍にいられる、それだけが彼女の救いだった。
「本田幸子さん、あなたを片岡優香さん殺害の罪で逮捕します。」
五十嵐が、本田幸子に手錠をかける。
すぐに、武藤と林田がやってきて、彼女を連行する。
手錠をかけられ部屋から出ようとしている本田幸子に五十嵐が声をかけた。
「ねえ、一つ教えて。無理心中しようとした貴女がどうして、致命傷を負わなかった・・いや、ぎりぎりのところで助かるようにしたの?」
本田幸子は驚いた顔で五十嵐を見た。
「・・違う・・死ぬはずだった。いや、確実に死ねると・・。でも・・」
そこまで言った時、武藤が「続きは署で聞かせてもらおう。」と遮るように言った
歯切れの悪い結末になったが、無事事件は解決した。
「これで事件解決ね。射場さん、すごい洞察力、いえ、探偵みたいだったわ。」
だが、零士は浮かぬ顔をしていた。
「どうしたの?」
五十嵐が訊く。
「本当にこれで終わったんだろうか?」
零士が答える。
まだ、自分がなぜ事件現場の夢を見たのか、全く解明できていなかった。そして、彼女、本田幸子が最後に言った言葉も気にかかっていた。
「どういうこと?」
五十嵐に問われたが、その場では、うまく説明できなかった。ただ、何か、まだやり残しているような感覚だけがあった。
次の日から、本田幸子への取り調べが始まった。現場検証や自宅の捜索などが続いていた。本田幸子は取り調べに素直に応じ、極めて短時間で事件の後始末が進んでいった。
そんなころ、零士へ五十嵐から連絡があった。いつもの公園で、零士は五十嵐を待っていた。
署の玄関から走り出てくる五十嵐が目に留まった。
五十嵐は、公園のいつもの場所に零士の姿を見つけると、まるで、恋人に会いに来たような笑顔を見せて、大きく手を振った。そんな五十嵐を見て、零士は胸の鼓動が高まるのを感じていた。
「いやいや・・何を感じてるんだ・・。」
零士は自嘲気味に呟いた。
「ごめんなさい、ちょっと手間取っちゃって・・。」
五十嵐の口調が少し違う。それに、以前よりも、丁寧に化粧しているように感じた。
「捜査は?」と零士が言うと「ええ、順調。彼女、態度はいいわ。まあ、殺人罪は免れないでしょうけどね。取り調べに素直に応じれば、量刑は少し減るかも・・。」と五十嵐が答えた。
「零士さん、今回は本当にありがとう。あなたがいなかったら、きっとまだ解決できなかったわ。それに・・」
五十嵐はそういった後、もう少し何か付け足そうとしたのだが、言葉が出なかった。
いきなり、下の名前で呼んだのはどういう意図なのか。
零士はそのことにとらわれてぼんやりしていた。
「零士さん?どうしたの?」
五十嵐の言葉ではっと我に返り、返答する。
「ああ・・まあ、お役に立てたのなら、よかった。」
「すんなり自供して、検察に送れば事件は終了。でも、なんだか、ちょっとね・・。」
五十嵐の顔が曇った。それは、本田幸子を逮捕した時に、零士の中にも残っていた感情だった。
「ああ・・そうだな。やっぱり、どこかすっきりしない。」
「ええ、そうなの。」
少し会話が途切れた。お互いにどこから切り出そうかと言葉を探しているのだった。

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1-21 後味 [アストラルコントロール]

五十嵐が先に口を開く。
「あの事務所、閉鎖したわ。タレントが皆辞めてしまったみたい。やっぱり、あんなことがあったんじゃ仕方ないとは思うけど・・。」
「社長夫婦は?」
「事務所を引き払ってしまったから、自宅にでもいるのかもね。」
「事件の経緯に彼らも責任があるんじゃないのか?」
「それはそうだけど、犯人が逮捕され一件落着ってところだから、彼らの刑事責任は問わないという結論。」
そこまで聞いて、零士がはっと思いついた。
「そうだ、そこなんだ。どうしてそこに気づかなかったんだろう。」
「どうしたの?」
「いや・・片岡優香を殺したのは本田幸子で間違いないんだが、どうして、彼女は殺人をした?」
「自分の思いが踏みにじられ、生きていても仕方ない。一緒に死のう・・ってとこかしら?」
「ああ、だが、本当にそうなのか?」
「本当にそうかって・・零士さんが彼女から自供を取ったんでしょ?」
「片岡優香は死んでいる。引き金になった、社長との愛人関係はほんとうだったのか?ネクタイと副社長の話、それを信じた本田幸子の自供。社長と片岡優香がそういう関係だったかどうか裏が取れていない。もし、本田幸子の思い込みとなると話は違ってくる。社長への聴取ではどうだったんだ?」
「その点は特に追及していないわ。」
「どうして?今回の事件に事務所の社長夫婦が関わっているのは間違いないはず。なのに、どうしてあの二人を追及しないんだ?」
「今回は、彼女の自供がすべて。無理心中ということで決着がついたのよ。その先は、検察ね。」
零士は、またかという表情を浮かべている。事件の大小に限らず、犯人さえ逮捕できればそれで終了という体質は依然として変わっていない。政治家の不正などはその典型だ。直接かかわった者だけが罪に問われる。
「事務所は閉めたといったけど、負債はなかったのか?」と、零士が五十嵐に訊く。
「確か、タレントがいないのが閉鎖の理由だったはず。負債があったとは聞いていないけど・・。」
五十嵐の答えに、零士は少し苛立っていた。
「芸能事務所はタレントが事故にあって違約金が発生するときに備えて、保険をかけているはず。売れてるタレントなら億単位の保険金が入るくらいだ。片岡優香にもきっと保険はかけていたはずだ。殺害されたとなれば、相当な金が下りたはずだが・・。」
「じゃあ、保険金目当てに、本田幸子を使って殺害させたっていうの?」
「いや、芸能ネタ、事件ネタなら、そういう疑念をもって取材をするだろう。まあ、それを立証するのも難しいだろうが・・。」
「社長夫婦を問い詰めて自白させるっていうのは?」
「自白させるには言い逃れできないだけの証拠がなければ無理だろうな。それともう一つ、おそらく、あの社長夫婦は直接的には本田幸子に殺人に向かわせるような言動はしていないだろう。」
これ以上この点を議論したところでもやもやは一層深まるばかりだった。
「それに、アイスピックはどうやって手に入れた?・・彼女の自供は正しいとは思うが、それがすべてじゃない。そう仕組まれていたとしたらどうだ?」
零士は、もう一つ別の視点で考えた。
「そういえば、彼女、どうして死ななかったのかと聞いた時、死ねるはずだったって・・きっと、あれは、誰かに教えてもらったということだわ。」
「そうさ。片岡礼子の首筋に一撃で致命傷を負わせることも、素人には難しい。無理心中しようなんて、精神状態でできることじゃない。誰かに教わったに違いない。徐々に彼女を殺人へ誘導した誰かがいたんじゃないか?第三者がきっと介在している。彼女が信頼しているか、あるいは、心の隙を見せるようなところにいる人物。」
「もしかしたら、行きつけのバーにいたバーテンダーかも・・。」
「まあ、そんなところだろう。だが、彼だって、そんなに簡単に口を割ることはないだろうな。本当の悪人は捕まらない。それは、警察の限界かもな。」
零士は立ち上がった。
これ以上、この事件について話していると互いに気分が悪くなる。ここらが潮時だと感じて、零士は立ち去った。

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1‐22 後悔 [アストラルコントロール]

一か月が過ぎたころ、五十嵐からまた、いつもの公園への呼び出しの電話が入った。
五十嵐の表情が暗い。いや、それだけではない。ずいぶん疲れた表情をしているのだ。
「どうしたんですか?」
零士は久しぶりに会ったので、少し、彼女との距離の取り方に戸惑い、丁寧な言葉遣いをした。事件を終えた後、あまりすっきりとした別れ方をしていない。いや、むしろ、警察を非難するような発言をしたのを覚えていて、あまり、親しく話すべきではないと思ったからだった。
彼女は公園のベンチに座るまで口を開かなかった。零士も仕方なく、黙って彼女の隣に座った。しばらく沈黙があった。
「あの事件、社長夫婦の事件への関与を調べるよう、進言したんです。」
その言葉には悔しさが感じられた。
「でも、取り合ってもらえなかった・・というところですか?」
零士が言うと、五十嵐はこくりとうなずいた。仕方ないことだと零士も諦めていた。
「でも、納得できず、一人で調べていたんです。」
「それで?」と零士。
「零士さんが言った通り、事務所を閉鎖する直前に3億円の保険金支払いがあったんです。保険金目当てという想像は間違いではありませんでした。でも、二人とも行方をくらましてしまって・・。過去を調べてみると、あの事務所は、10年ほど前にも、タレントが事故で亡くなっていた。その時も高額の保険金が支払われていたことがわかったんです。保険金目当ての計画的な犯行と推定するには十分な状況証拠はあるんです。」
「でも、取り合ってもらえない。社長夫婦の行方も分からない。為す術がないってとこですか。」
零士は、不用意に言ってしまった。
それを聞いて、五十嵐が急に泣き始めた。
刑事が泣いているという状況に初めて出くわし零士は戸惑った。
事件未解決のまま被疑者を逃してしまったことに、これほど悔いているとは思っていなかった。
「バーテンダーのほうは?」
泣いている五十嵐を慰める言葉のつもりで零士が言った。
さらに、五十嵐が突っ伏して、首を横に振り、泣いてしまった。
こんな時、どうすれば良い?零士は女性の扱いは不得手である。
泣いている女性を慰めるなど、想像もできない事態だった。やる統べなく、ただ、隣に座ったまま、泣き止むのを待った。
五十嵐が急に顔を上げ、零士を見た。そして、零士にすがって泣いた。
零士は戸惑いつつ、彼女の肩をやさしく抱き、しばらくそのままにしているしかなかった。
10分ほどそうしていた。公園には数人の人がいて、ベンチの前を通り過ぎる。
いい大人が昼間に抱き合っていて、女性がただ泣いている。こんな状態に興味を示さない人はいないだろう。零士の想像通り、前を通り過ぎる人は、じっと二人を見つめた。怪訝そうな顔をする人、ちょっと苛立ちを見せる人、それぞれだが、おおむねそれは零士が女性にひどい仕打ちをしたのだろうと想像しているのは間違いなかった。
「あの・・五十嵐さん、大丈夫ですか?」
零士が声をかけると、五十嵐は正気を取り戻し、ぱっと零士から離れた。
「ごめんなさい、私ったら・・みっともない姿をお見せしました。」
涙を拭いながら、五十嵐が言う。
「いえ、僕は構いませんが・・。でも悔しいですね。本当の悪人が判っていながら手が打てない。僕も、何度も同じような経験をしていますから・・あと一つ、証拠が揃えば、あと一つのピースが埋まれば・・何度悔しい思いをしたかわかりません。」
五十嵐は零士を見つめていた。
「もう良いじゃないですか。どうしようもないことを悔やんでも仕方ない。次の事件では確実に真相にたどり着けるよう努力するしかないでしょう。」
五十嵐は小さく頷いた。そして
「また、力を貸してくれる?」
その言葉は、刑事ではなく、一人の女性として零士に発せられたものだった。
「ええ、いつでも協力しますよ。」
「ありがとう。」

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2-1 赤い髪の女 [アストラルコントロール]

射場零士は、ライターの仕事を一度は辞めようと決意していたが、本田幸子の事件に関わった噂が広がり、大手出版社の週刊誌編集部から、声が掛かり、以前のようにゴシップネタや事件ネタを追う日々に戻っていた。
だが、「あの夢」の体験はいまだに頭の中を巡っていて、ふとした時に考えてしまっていた。それに、本田幸子の事件は後味の悪い終わり方をしたのも引っ掛かっていた。事件を仕組んだ人間の存在がどうにも気になって仕方がなかった。
あの事件から二か月ほどが経っていた。
五十嵐からは、時折、電話があり、何度か食事をした。だが、それ以上に進展することはなかった。
そんなある日の夜、いつもの喫茶店でコーヒーを飲んだ後、急に体が重く感じられ、早々家に戻ってベッドに入った。
日中、ある建設会社の収賄疑惑を追っていて、建築現場を歩き回ったせいだろうと思っていた。ベッドに横になると、深い睡魔に襲われた。
はっと気が付くと、見たことのない家の中にいた。
純和風の部屋、見事な床柱や透かし彫りの欄間等から、相当裕福な家だとわかった。
そこに、老年の男が入ってきた。今、収賄疑惑ネタで追っている『桧平建設』の会長、桧山平一郎だった。
少し酔っているのか顔が赤い。足取りも不安定な感じに見える。
そして、その後ろから、長身の女性が入ってきた。真っ赤に染めた髪、濃い化粧、着衣からどこかの店のホステスのように見えた。
桧山平一郎は急に振り返り、その女性の頬を平手打ちした。すると、赤い髪の女性は桧山平一郎を突き飛ばし、馬乗りになる。そして、両手で桧山の顔を強く抑える。酔っているせいなのか、それとも突き飛ばされた時の衝撃でなのか、桧山平一郎は、最初こそじたばたと抵抗したがすぐに静かになった。
赤い髪の女性はすっと立ち上がり、部屋を出て行った。そしてすぐに、戻ってきて、桧山の足を持ち、ずるずると引っ張っていく。零士はそのあとを追った。
桧山の家には、土間があり、高い棟木があった。見上げるとそこに太いロープが掛かっていた。零士はこれから起こることが分かった。だが、どうしようもない。
赤い髪の女性は、桧山の体を持ち上げ、棟木から下がったロープの輪に首をかけた。そして、そっと手を放す。全身の体重が首元にかかる。ギリギリという音とともに、絶命したのが分かった。
それを見て、赤い髪の女性は、足元の踏み台を蹴飛ばした。
それから、ゆっくりと土間を出ていった。
零士はスーッと桧山の傍に行き、桧山の顔を覗き込んだ。眼を見開いていて、息絶えているのが分かった。失禁してしまったのか、床が濡れていた。
零士は赤い髪の女性の行方が気になり、彼女が向かったほうへ行ってみた。玄関へ通じる廊下だった。人影はない。外に出て行ってしまったのだろうか。そう思って、零士は玄関をすり抜けて出てみたが、やはり、女性の姿はなかった。
そこで、夢から覚めた。
「また、殺人現場の夢か・・だが、今回は・・」
ベッドから起き上がり、小さくつぶやく。それでも、どうにも気になってしまい、カメラバッグを抱えてアパートを出た。
零士のアパートから桧山邸まではタクシーで20分ほどの距離だった。
桧山平一郎の自宅に、何日か前から、会長の動向を探るため、張り付いていた。
零士は、桧山邸に向かう道すがら、あの赤い髪の女に出会うかもしれないと思い、タクシーの窓から外を注意深く通りを歩いた。
もう、深夜になるため、通りを歩く人影はまばらだった。
コンビニの前には、何台も車が止まっていて、そこだけは賑わっているように見えた。店内をちらっと見たが、赤い髪の女性は見当たらない。
「夢・・だから・・真実とは言えないが・・。」
変な言葉をつぶやく。零士を乗せたタクシーは桧山邸に入る道路に繋がる交差点をでた。
「お客さん、この先はちょっと無理ですね。」
タクシー運転手がぼやくように言った。
桧山邸の前には、救急車が止まっていた。そして、タクシーの後ろからサイレンを鳴らしながら警察車両が来た。運転席には五十嵐の姿があった。

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2-2 現場検証 [アストラルコントロール]

「ここでいいよ。ありがとう。」
零士はそういうとタクシーを降りた。桧山邸の玄関口が見える向かいの家の植え込みの中で、そっとそこに身を潜めて中の様子を探る。
すぐに、救急隊員が抱えた白い布がかかった担架が出てくる。救急車に素早く乗せられ、けたたましいサイレンを響かせて走り去った。
「ここが現場です。」
鑑識官の一人が指差す。
土間の上にある太い棟木からロープが垂れ下がっている。つい先ほどまで、桧山の遺体がそこにあった。土間には踏み台が転がっている。周囲に物色された形跡はなく、争ったような痕跡もなかった。
「自殺か?」
五十嵐が小さくつぶやく。そこに、武藤が入ってきた。
「特に遺書らしきものはなさそうだ。状況から見る限り自殺と判断してもおかしくはないんだが、なんとも。」
武藤の後ろに、背の低い老女の姿があった。
女性警察官が二人、寄り添っている。
「奥様です。」と、女性警察官の一人が告げる。
「遺体を発見されたのは奥様です。」
もう一人の女性警察官が言うと、その老女が思い出したかのように急に蹲って泣き始めた。とても話を聞けそうになかった。
「友人と会食に出かけ、帰宅されたところで、ご主人の遺体を発見されたようです。」
女性警察官が、奥さんの代わりに答える。
「こんな遅い時間まで?」と五十嵐が訊いた。
「学生時代の同窓生の集まりだったそうです。」と、再び、女性警察官が答えた。
「ご主人には自殺をするような動機があったんでしょうか?」
五十嵐が訊く。
「先ほど同じ事を訊きましたが、思い当たる節はないようです。ただ、最近週刊誌の記者らしき人物が家の周囲にいるのを見かけて、ご主人に訊いたそうですが、お前は知らんでいいと一喝されたそうです。」
「週刊誌の記者?」
五十嵐が訊くと、もう一人の女性警察官が、五十嵐の耳元にきて小さな声で告げた。
「建設会社の収賄事件のようです。まだ噂の段階ですから、正式に事件として警察としては動いていないんですが、どうも、その贈賄側と目されているとのことです。自殺の動機はそのあたりかと。」
「ふーん、そうなの。事件が明るみに出る前に命を絶つ。決定的な状況ならそういうこともあるでしょうが、まだ、その段階じゃないように思うけど。」
五十嵐はそういいながら、屋敷の中を見て回った。
鑑識官が、室内に侵入者の痕跡がないか調べている。
「どう?」と五十嵐。
「今のところ、怪しい点はなさそうですが・・。」
鑑識官は、五十嵐のほうを見ることなく、短く答えた。
そこに、山崎警部が現れた。
「遅くなった。どうだ、何かわかったか?」
山崎は、それとなくみんなに訊いた。
「今のところ、外部から侵入した痕跡は見つかっていません。」
「現場の遺留品も特に・・。」
それを聞いて、武藤が山崎に言った。
「自殺ではないでしょうか?収賄事件の噂もありますし・・。」
「自殺か・・。家族はどう言っている?」
「自殺の動機は分からないと奥様が・・。」と五十嵐が言った。
「どうします?」と武藤が山崎に訊く。
「遺体の検分結果が出ていない段階だ。自殺と他殺の両面で情報収集だな。武藤は桧山氏の最近の行動を洗い出せ。自殺・他殺の両方の見立てで動け。五十嵐は・・。」
山崎がそこまで言ったところで、五十嵐が庭を見て、奥様に訊いた。
「あれは?」

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2-3 小屋 [アストラルコントロール]

指さした先には、広い庭の一角を占める小さな家屋があった。
奥さんは苦しそうな表情を浮かべて絞り出すように言った。
「離れです。」
指さした家屋には小さな窓があり、明かりが漏れていた。
「誰かいらっしゃるの?」と五十嵐。
奥さんは、さらに苦しそうに、唇をかみしめるような表情を見せた。
「御子息のようです。」と女性警官が代わりに答えた。
「息子さん?」
「ええ、もう20年近く引きこもった状態らしいですね。」
「引きこもり?」
そこまでの会話であきらめたのか、奥さんが口を開いた。
「息子は、大学時代に精神を病んでしまって・・あそこに、主人が閉じ込めたんです。」
「閉じ込めた?」と五十嵐。
「我が家の恥だと厳しく攻めた挙句、他人様に迷惑をかけるから出すなとか、とにかく、姿が見えないようにしろと言い出したんです。」
奥さんの言葉には、桧山への恨みとも思えるような印象があった。
「あそこは?」
再度、五十嵐が訊く。
「あそこは、もともと、使用人の家として使っていたところです。今は、そういう人もいないので、息子が暮らせるには十分でした。もちろん、食事はきちんと届けていました。必要なものがあれば私が・・。風呂もトイレもありますから不自由なことはなかったと思います。それに、主人がいない時は時々庭にも出てきていたんですが・・最近は、めっきりそういう姿も見なくなりました。」
五十嵐は話を聞きながら、その離れへ近づいていく。
ドアには大きな外鍵がついている。
「これは牢獄と一緒ね。時々庭に出ていたってどういうこと?」
「合図があると私が鍵を開けて、出られるようにしていました。鍵を開けてもすぐには出て来ないこともありましたが・・。」
「虐待よね。」
五十嵐は誰ともなく訊いた。
山崎が「ああ」とだけ答えた。
「じゃあ、ご主人が亡くなった時、彼はここにいたということかしら?」
「はい。でも、私は留守でしたから、外には出られないはずです。ですから、まだ、父親が死んだことは知らないでしょう。」
奥さんは悲しそうな表情でその離れを見た。
その離れは、窓らしきところには厚い板が打ち付けられ、小さな除き穴がついていた。そこから明かりが漏れている。中の様子は全くわからない。
「五十嵐、周辺捜査だ。他殺であれば、犯人が目撃されているかもしれない。」
山崎はそういうと、現場を離れた。
零士は、1時間ほど様子をうかがっていたが、鑑識官たちも、帰り支度を始めた。そろそろ撤収するのだろう。
しばらくすると、玄関から、武藤が飛びさしてきた。それから10分ほどして山崎が出てきたので、さっと身をかがめた。五十嵐はまだ中にいるのか、そう思って小巣をうかがっていると、五十嵐が出てきた。
その後ろを、初老の女性が出てくる。桧山の奥さんだった。二言三言会話をして、奥さんは警察車両に乗りこんだ。女性警官が運転してその場を離れた。
五十嵐は、どこか、納得できないという表情を浮かべたまま、走り去るパトカーを見送った。
五十嵐は、帰りの足がないことに気づいたが、通りまで出ればタクシーも捕まる。そう考えたのか、その場を離れ、通りへ向かった。
零士は、その一部始終を見た後、五十嵐の後を追った。
「さて、どう、声をかけたものかな・・。」
零士はそう呟きながら、徐々に、五十嵐と距離を縮めた。
五十嵐が急に、コンビニの前で立ち止まった。

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2-4 密着 [アストラルコントロール]

零士はまだ考えがまとまっていなかった。
コンビニのガラスに、零士の姿を見つけ、五十嵐が向きを変えた。
「やあ・・仕事かい?」
零士はそう声をかけることしかできなかった。
「零士さん?どうして?」
何度か食事もした仲で、いつしか、射場のことを零士と呼ぶようになっていた。零士も、五十嵐を佳乃と呼ぶようになっていた。だからと言って、恋人とか付き合っているという関係ではない。
「いや、サイレンを聞いて、事件かなと思ってきてみたんだ。」
零士が言うと、五十嵐は
「まさか・・夢を見たの?」
半ば驚いて訊いた。
「ああ・・今、ちょうど、週刊誌のネタで追っていた相手だったんで、そんな夢を見たのかと思ったんだが・・やはり、現実に起きてしまったんだな。」
「じゃあ、これは殺人事件なの?」
「ここじゃあ、ちょっと・・どこか、店に入ろう。」
もう深夜である。気の利いた店はなかったので、やむなく、ネットカフェに入った。
ネットカフェの部屋は狭い。周囲から遮断されるのはいいが、密着度も高くなる。
「ねえ、零士さん、あなたが見たものを話して。」
五十嵐の顔が、すぐ近くにある。左半身が五十嵐の右半身と密着した状態で、五十嵐が身をよじるようにして零士のほうを向いたため、胸元が大きく開いてしまっていた。
零士は、それほど節操のない人間ではない。いや、むしろ、女性には蛋白なほうだと言っていい。だが、この密着度はさすがに零士も気になってしまう。
「あの、佳乃さん・・場所を変えませんか。ここはちょっと狭い。それに、隣の声も聞こえてしまうくらい、壁が薄い。こんなところじゃ、捜査情報が誰かに聞かれてしまう。」
零士は、天井を見上げてそう言った。
五十嵐は、周囲を見て「そうね」と言って立ち上がった。
零士が立ち上がった拍子に五十嵐の胸辺りに、零士の肩が触れた。
「いやっ。」
五十嵐がかなり女の子っぽい声を出した。
零士は「ごめん」と言ったが、まともに五十嵐の顔を見れなくなって、慌てて外へ出た。
入ったばかりの男女がすぐに部屋を出てきたのを店員が見つけ、少し怪訝そうな顔をしている。
さっさと料金を支払って、二人はネットカフェを出た。
通りは、駅前から歓楽街へ続く通りで、あちこちに明かりもあり、人通りもあった。
「アパートへ行きましょうか。」
零士が、何の気なしに言った。
「零士さんのアパート?」
ちょっと意味深な言い方をする。
「いえ、まあ、適当なところがなさそうなので・・いやなら、別のところでもいいですよ。」
ちょっと五十嵐は考えた。
「じゃあ、私の部屋にしましょう。朝から働きづめで、汗もかいてしまって着替えたいの。いいかしら?」
零士は少しためらった。だが、ここで時間をかけて考え込むと、余計な想像をしているように思われてしまうかもと咄嗟に浮かんで、思わず答えた。
「良いですよ、佳乃さんが嫌じゃなければ。」
できるだけ平静に見られるように無表情で答えた。
すぐに、五十嵐のマンションへ向かった。もう深夜になっている。
先ほど五十嵐が、コンビニの前で立ち止まったのは、まだ、夕食を済ませていないことに気づいて、何か買おうと思ったからだった。
「ちょっといい?」
五十嵐はそういうと、マンション近くのコンビニへ立ち寄り、買い物を済ませてきた。
「さあ、行きましょうか。」
五十嵐が通りに出て手を挙げてタクシーをつかまえた。

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2-5 高級マンション [アストラルコントロール]

五十嵐のマンションは、待ちの北側の高台にある高層マンションだった。
零士は、マンションの玄関前に立ち、思わず見上げた。自分の安アパートとはずいぶん違う。これが、フリーライターと公務員の差なんだと思い知った。
「さあ、行きましょう。」
玄関のセキュリティは顔認証のようで、五十嵐が玄関ドアに立つとすぐに開いた。後ろについて、零士が通り抜けようとしたとき、オートロック装置から「警告!警告!」の声が響き渡った。
「いけない!」
五十嵐はそういって、すぐにオートロック装置の画面を開いて、「ゲストあり」というボタンを押した。
「ごめんなさい。ちょっとセキュリティが厳しすぎるのよ。こういう仕事だから、どうしてもこういう場所でないと困るのよ。」
そういうと、エレベーターホールへ向かう。
彼女の部屋は20階だった。
部屋のドアを開けて中に入ると、長い廊下の先に広いリビング、そして、大きなサッシ窓から夜景が見える。
零士は女性の部屋をじろじろ見るのは避けようとしてきたが、それ以上に、部屋の中に家具類がほとんどないことに驚いた。
広いリビングの中央に大きなソファが一つと小さなテーブル。キッチンもほとんど使っていないのがありありとわかるくらいに、生活臭のない部屋だった。
「これじゃ、彼もできないだろうな、と思ってるんでしょ?」
零士が思うと同時に五十嵐が言った。
「あ、いや・・そんな・・。」
零士は心を見透かされたように驚いて答えた。
「いいのよ。そういうことなの。仕事に明け暮れて、自分の暮らしさえまともにできない。ここは、ほとんど、眠るためだけにあるようなものだから。」
「それにしても・・。」
と零士は口を開きかけて、飲み込んだ。
彼女のプライベートに踏み込むことは本意ではない。彼女とは、事件に関連しただけの関係であり、それ以上ではないのだ。彼女がどう生きるかなんて関心を持つことではない。
「シャワーを浴びてきてもいい?冷蔵庫に飲み物ならあるからご自由に。」
五十嵐は、零士が承諾するでもなく、そのまま、バスルームへ向かった。
零士はとりあえず、冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出し、窓際に座った。
「ここから、町を監視している感じだな。」
零士はしばらくぼんやりと景色を眺めていた。
そのうちに、五十嵐がバスルームから出てきたようだった。
「すみません。またせしました。」
彼女は、青いジャージ姿だった。
「零士さんの夢の話を聞く前に、ちょっと、食事をしてもいい?」
零士の返事を待たず、彼女はコンビニで買ってきた袋から、弁当を取り出し食べ始めた。かなり空腹だったのか、零士の前で恥ずかしげもなく大きな口を開けて食べる。
「まるで、子どもだな。」と零士は心の中で呟いた。さっきまで、女性の家に入ることに葛藤があった自分がなんだか可笑しくなってきた。
「さあ、良いわ。腹が減っては戦にならぬっていうじゃない。」
空になった弁当を片付けながら、満足した様子で、五十嵐が言って、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持ってきてごくりと飲んだ。
「それで、零士さんが見た夢って?」
五十嵐はそういいながらソファに腰を下ろした。窓際に立っていた零士は「ああ」と言いながら、ソファの横の床に座り込む。
「そこじゃ話しにくいわ。こっちへ来て。」
零士はドキッとした。さっきまで子供のように見えていたのに、言葉一つで急に大人の女性になった。五十嵐佳乃という女性には、理解しがたいところがある。
「ああ。」と、零士は再びあいまいに返事をして、五十嵐の横に座った。
「あの、桧山邸のことなんだが・・。」
零士はそういって、自分が夢で見た光景を細かく漏らさず五十嵐に話した。

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2-7 捜査開始 [アストラルコントロール]

翌朝、五十嵐は署へ着くと、真っ先に、山崎の姿を探した。山崎は自分のデスクにいて、新聞を広げていた。
「あの、山崎さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
五十嵐は、神妙な顔をして山崎に言った。
「五十嵐、ちょうど良かった。昨夜の事件のことでちょっと思うところがあってな。」
山崎は立ち上がると、刑事部屋の隣にある小さな会議室に五十嵐とともに入った。
山崎は窓から外を見ながら、言った。
「五十嵐はどう思う、昨日の事件。自殺だと思うか?」
いきなりだった。山崎も不審に感じているようだった。
「いえ、他殺だと思います。」
五十嵐は短く答えた。
「そうか・・。根拠は?」
山崎に訊かれてどう答えようか迷った。零士から聞いた話をそのまま伝えたところで到底信じるはずもなく、むしろ、逆効果ではないかと思った。そこで咄嗟に答えた。
「自殺の動機がはっきりしません。」
「そうだな。他殺の証拠は出ていないが、自殺の動機も掴めていない。結論を出すには早すぎるな。」
「できれば、他殺の見立てで捜査をさせていただけませんか?」
五十嵐は思い切って提案した。
「どこから調べる?」
「昨夜の桧山氏の行動から調べてみます。自宅に戻る前、どこにいたか、誰かと会っていたのか、一人で自宅に戻ったのか。そのあたりから調べてみたいと考えます。」
「良いだろう。だが、他の者には気づかれるな。報告は私だけにするんだ。」
「どういうことですか?」
「いや、例の贈収賄の件で、2課が動こうとした矢先、被疑者が死亡した。今、2課は捜査の立て直しを迫られている。そんな時、他殺で捜査していると知れば、きっと便乗してくるだろう。贈収賄の関係者による暗殺説なんぞ振り回してくるかもしれない。ミスリードになりかねない。」
2課はそれほど今回の事件に力を入れていたのだった。
五十嵐は、山崎の言葉の意味がよく分かった。前の事件の時、思い込みと証言だけで危うく射場を殺人犯に仕掛けたことを山崎も悔いているようすだった。
「こっちは、自殺の線で証拠固めをすると2課には報告した。良いな。決して気づかれるなよ。」
妙な雲行きになってきた。
やはり贈収賄事件は存在した。政治がらみの事件で、捜査2課が動いていた。全く気付かれずに動いていたところを見ると、市議程度の関与している事件ではなさそうだった。もっそ、大物が絡んでいるに違いないこともわかった。
知らないうちに、その渦中に入ってしまったことになる。
「お前ひとりで動いてる程度なら、2課の連中も気にはしないだろうが、慎重にな。ああ、そうだ、お前からも話があったようだが、どうした?」
山崎が訊いた。
「いえ、特に。ただ、これから他殺の方向で捜査するとしても私一人では・・。」
「そうか・・だがな・・。」
「あの、フリーライターをしている友人がいるんですが・・。」
といったところで、山崎が言った。
「射場だろう?前の事件で、確か、本田幸子を自白に追い込む鋭い推理をしたらしいな。」
山崎は知っていた。
「ええ、彼に手伝ってもらってもよろしいでしょうか?」
「正式に訊かれれば、だめだというほかないだろう。捜査にしろうを巻き込むことなどあってはならないことだ。」
「しかし・・。」と五十嵐が反論しようとしたところで山崎が言った。
「事件の聞き込みで、偶然、射場の協力を得ることになったというなら話は別だ。好きにしろ。まあ、お前の情報屋として使えばいいだろう。さあ、行け。みんなには、別の事件を追っていることにしておく。」
山崎の言葉を受けて、五十嵐は、署を飛び出していった。

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2-6 夢の話 [アストラルコントロール]

「ふーん。・・じゃあ、あれは自殺じゃないってこと?」
「ああ、そうだ。赤い髪の女性が、桧山の後ろから部屋に入り、馬乗りになって意識を失わせてから、土間に運んで、ロープに首をかけ殺した。」
「そう。その、赤い髪の女って誰なの?」
「さあ、初めて見た・・というより、顔ははっきりとわからなかった。長い赤い髪ばかりに目を奪われてしまったようだ。」
「ふーん。」
五十嵐はそういってからしばらく考え込んだ。
零士は、五十嵐がそれほど驚いていないのが不思議な感じがした。二度目とはいえ、やはり、夢の話だ。偶然ということかもしれないし、何の証拠にもならないことは分かり切っている。いや、すでに警察は殺人事件としても考えているということなのかとも考えた。
五十嵐の反応に戸惑って、零士が口を開いた
「警察はどう考えているんだ?」
五十嵐は、零士のほうをちらりと見てから言った。
「まあ、今のところは自殺の線が濃いってところかしら。物的証拠、他人がそこにいたという証拠は今のところ見つかっていないのよ。遺体発見時の状況からも、他殺を疑うようなものがなかった。おそらく、このままだと、単なる自殺として処理されるでしょうね。」
五十嵐は少し悔しそうな表情を浮かべている。そして、五十嵐自身が自殺ではないと最初から感じていた様子もわかった。
「赤い髪の女性が間違いなく殺したんだってと言っても、夢の話じゃどうしようもないな。」
零士も現状では何もできないのは明らかで、諦め気分で言った。
「ねえ、桧山建設を巡る汚職、贈収賄の噂は本当なの?」
零士は五十嵐の言葉にちょっと戸惑った。
それを訊くのは本来自分のほうだ。
「警察では何も動いていないってところか・・。」
「ええ。もちろん、贈収賄事件は別の課の管轄だから、知らされていないだけかもしれないけど・・少なくとも、公式にはまだ動いていないようなの。」
「今回の噂が本当かどうか、ちょうど取材していたところだった。ライターの勘としては、間違いなく贈収賄はあったと思う。ただ、大物政治家がらみではなくて、市議が絡んでいる程度だ。」
「ふーん。だったら、自らの罪を隠すために自殺というのはちょっと早い感じね。」
「ああ、だから、自殺というには無理がある。」
「ええ、そうなの。自殺の動機があいまいなのよ。状況は自殺、でも、その経緯が全くわからない。発作的にやったとしても、縄を準備しているところを見ると不合理だし。零士さんが言う通り、殺人事件だとしても、だれが何の目的で殺害したのかも今の時点では判らない。ただそこに遺体があったというところが正直なところでしょうね。」
五十嵐はミネラルウォーターをごくりと飲んだ。
口元から少しこぼれて、顎を伝って首筋へ入った。零士はその水の動きを無意識に眼で追った。青いジャージの上着の胸元、ファスナーが少し下がっていて、開いていた。
水は首筋から胸元へ流れ込んでいく。そこには、顔に似つかわしくないほどの、豊満なバストの谷間があった。
零士は、驚いて視線を上げた。
五十嵐の顔を見ると、少しぼんやりしている。どうやら眠気が襲ってきたようだった。
考え事をしていると、つい眠気に襲われることはよくある話だ。昼間ずいぶん疲れていたんだろう。五十嵐は、手に持ったペットボトルを器用にテーブルに置くと、ソファで眠ってしまった。
「疲れているんだな。・・・」
零士は立ち上がり、ダイニングテーブルにかかっていた上着を五十嵐にそっとかけてから、部屋を出た。
零士がドアを開け外に出るのとほぼ同時に、五十嵐が目を開けた。
「もう・・、零士さんは素っ気ないんだから・・。」
そう言って、ベッドルームへ向かった。


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2-8 相棒 [アストラルコントロール]

署を飛び出した五十嵐は、すぐに零士を呼び出した。零士も昨夜、話が途中になってしまっているように感じて、五十嵐の呼び出しに応じて、いつもの公園に向かった。
「桧山邸の事件、単独捜査になったの。例の贈収賄事件との絡みで、大っぴらに捜査はできないけど、他殺の見立てで調べることになったから。」
五十嵐の話は、零士を驚かせた。予想とは真逆の展開だった。
「それと、零士さんには捜査協力してもらいます。上司も認めてることだから安心して。」
五十嵐はどういうふうに報告し、このような結論を得たのか見当もつかなかったが、一方で、秘密裏に捜査するということは、警察全体が殺人事件と考えているということではないこともわかった。
「それで、どこから調べる?」
零士も、山崎と同じ言葉を発した。
「家に戻るまでの足取りね。赤い髪の女がどこで桧山氏と合流したか、それが判れば、正体に近づけるでしょう。」
五十嵐はそういってから、立ち上がった。
「さあ、行きましょう。」
二人は桧山邸へ向かった。桧山邸の門には未だ規制線が貼られていて、警察官がひとり立っていた。
「ご苦労様です。」
警官はそういうと敬礼しながら、零士を睨みつける。
「ちょっと現場を見せてね。・・ああ、この人は関係者だから。」
五十嵐と零士は家の中に入った。
「ここに遺体が・。」と五十嵐が説明しかけたが、途中でやめた。
零士は夢の中ですでにこの場所を知っている。
「ここ、ここだ。ここで、女が馬乗りになっていた。」
「ここなの?」
一応屋敷内は鑑識班がくまなく調べているはずだった。だが、事件の詳細が分からない中では、調べ方にはどうしても穴も生まれる。
「これって・・。」
もみ合っていたという場所の壁際には古いタンスが置かれていた。そのタンスの隙間に、赤い髪があった。
「きっと、あの女のものだ。もみ合っているうちに抜け落ちたんだろう。」
零士が言うと、五十嵐が慎重に髪を摘まみ上げてハンカチにしまおうとした。
「えっ?これって。」
赤い髪は、人毛ではなさそうだった。五十嵐はテーブルの上において、軽くこする。人毛であれば、キューティクルで滑らない方向があるはずだが、その髪はつるっとしていた。人工の毛髪だとすぐに分かった。
「かつらか。」と零士が言うと、五十嵐が頷いた。
「じゃあ、ここから犯人にたどり着くのは難しいかな。」と零士。
「ええ、人物の特定は難しいでしょうね。ただ、これがかつらだとしたら、変装して近づいたということになる。プロの殺し屋という線もあるわ。」
「やはり口封じに殺されたという線が濃くなったか・・。」
「まあ、そんなところでしょうね。」
二人は、ここに赤い髪の女性がいて桧山氏を殺したという確証を得た。零士の夢は真実であることを証明したことになる。
「殺害方法は、零士さんが見た通りでしょう。あとは、赤い髪の女がどこで桧山氏と合流したか。」
五十嵐と零士は、桧山邸を出た。
「殺した後、どこに言ったかまでは見ていなかったんでしょ?」
通りを見渡しながら、五十嵐が訊く。
「ああ、後をすぐに追ってみたが、見つけられなかった。玄関を出て、すぐに車に乗って逃げたか・・いや、それにしても早すぎるように思うが・・。」
「まあ、逃走経路はわからなくてもいいでしょ。それより、どうやってここに来たか。」
五十嵐は、通りを見ていた。
「バス?・・いや、そんなことはなさそうね。やはり、タクシーかしら。」
「ここらを走るタクシーなら、おそらく2社のどちらかだろう。駅で乗ったのならYT交通。駅以外なら、令和タクシーだろうな。」

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2-9 タクシー会社 [アストラルコントロール]

「どちらの可能性が高い?」と五十嵐。
「確か、家に戻った時、桧山氏は赤い顔をしていた。きっとどこかで飲んでいたんじゃないか。そうなると、令和タクシーの可能性が高いな。」
すぐに二人は令和タクシーへ向かう。市内にいくつかタクシープールがあったが、繁華街近くのタクシープールへ行った。
配車センターに入ると、すぐに、五十嵐が警察バッジを見せる。奥から責任者らしき初老の紳士が対応に出てきた。
「飯田と申します。ここの責任者をしていますが・・何か事件ですか?」
「いえ、昨夜亡くなられた桧山さんの行動を調べていまして、こちらのタクシーを使われていないかと思って。」
五十嵐が言うと、責任者の飯田は、表情を変えずに行った。
「桧山様には、いつも私どものタクシーを利用いただいていました。亡くなったと聞いて本当に驚いております。桧山様には、一日、ハイヤーという形で利用されていたんです。以前は社用車だったんですが、ハイヤーのほうがコストがかからないとかで、かなり頻繁に利用いただきました。」
「昨日も?」
「ええ、そうですね。ちょっと待ってください。」
飯田は手元にあったパソコンの画面を開いて配車表を見る。
「ええ、そうですね。工藤君の車だな。・・おい、工藤君は、今、どこにいる?」
振り返ってオペレーターに訊いた。
暇そうにしているオペレーターは急に声をかけられ慌てて居場所を探した。
「最近は、スマホから直接タクシーへ配車予約をする方が増えたんでね。オペレーターの仕事が激減ですわ。そろそろ、彼女も止めてもらおうかと思っているんですよ。」
全く無関係な話を、嫌味を込めて飯田が言った。
『いや、お前のほうが先にリストラじゃないか?』と、零士は心の中で呟いた。
「工藤さんは、今日は、乗車非番の日ですね。」とオペレーターが言った。
「おお、そうか。それなら、車庫にいると思いますよ。車両も置いているはずですが・・。」
飯田は窓越しにタクシーを探した。
「ああ、あれですね。」
黒塗りのタクシーを指さしているようだが、みな同じ車種なのでどれだかわからない。
「車載カメラはついていますか?」
五十嵐が訊く。最近は防犯のために車載カメラで客席を記録しているところが多い。
「つけているのもあるんですが、工藤君の車は、たいてい、桧山さんのご利用だったので、後回しになっていました。」
「ドライブレコーダーは?」と五十嵐。
「ああ、それならありますよ。多分、映像はSDカードで、ここにあるはずです。ちょっと待ってください。」
飯田はそういうと、奥の部屋に入っていき、すぐに出てきた。
「これが昨日の分ですね。うちは毎日、勤務終了時にSDを提出することにしてるんです。」
飯田はSDカードを見せた。
「お借りできますか?」
「ええ、どうぞ。」
「あの、工藤さんは非番だそうですが、自宅でしょうか?」と五十嵐が訊くと、先ほどのオペレーターが「いえ、車庫にいるはずですよ。彼は車の整備が本業なんで。」と答えた。
五十嵐と零士は、礼を言って車庫へ向かう。先ほど飯田が指さしたあたりの車両の脇に、男が座っていた。手には、何かの部品をもって磨いているようだった。
「あの、工藤さんですか?」
そういって、五十嵐が警察バッジを見せる。
工藤は、怪訝そうな顔で五十嵐を見た。まだ、若かった。
「俺に何の用です?俺、・・何も・・してませんよ。」
工藤は少し怯えるような声で答えた。
「いえ、昨日のことでちょっと伺いたいことがあるだけです。」と五十嵐。
「昨日?昨日は一日、仕事でした。朝から、ハイヤー予約があったんで、ほぼ一日、その人と一緒だったんです。その人に聞いてもらえばわかります。何もしてませんから・・。」
工藤は、持っていた車の部品を放り投げ、立ち去ろうとした。

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2-10 コンビニ [アストラルコントロール]

「ちょっと待って!」
五十嵐が、彼の腕を掴む。袖口が捲れて、腕が見えた。TATOOが見え、工藤が慌てて隠した。
五十嵐と零士が、工藤を前後に挟む形で立った。
「君への嫌疑じゃない。桧山さんのことで訊きたいだけなんだ。」
零士が言うと、工藤は少し落ち着いたようだった。
車庫の横にある喫煙所の椅子に座って話すことにした。
「どうして逃げようとしたの?」と五十嵐が少し優しい声で尋ねた。
「いや・・その・・また、何か疑われているんじゃないかって・・。」
工藤はうつむいてくぐもった声で答える。
「前科があるのね。大丈夫、そんなんじゃないから。」
五十嵐の言葉に、工藤は少し近況したまま顔を上げた。
「昨日は一日、桧山さんのハイヤーをしていたんでしょ?」と五十嵐。
「ええ、そうです。」
「昨夜、自宅まで送った?」
「ええ・・、駅の裏口にある料亭から、自宅へ戻られるのでお送りしました。そういえば、昨日は、自宅の手前まででした。コンビニがあるんですが、その前を通り過ぎたあたりで、急に、桧山様が止めてくれとおっしゃって、そこで降ろしました。」
「そういうことはこれまでもあった?」
「いえ、いつもは玄関先で車を降りられるんです。昨日は、突然でした。変な感じでしたね」
工藤はちょっと首をかしげて答えた。
「買い物を思い出したのかしら?」と五十嵐。
「さあ、でも、コンビニには行かれませんでした。しばらく、そこに立っておられたようです。」
工藤が答えた。
「誰かと会っていたとかは?」と五十嵐。
「わかりません。少し早めに帰れそうだったんで、すぐにUターンして社へ戻りましたから。」
「そう。」五十嵐は少しがっかりした様子で答えた。
「赤い髪の女性は見なかったか?」
と零士が単刀直入に工藤に訊いた。
「赤い髪の女性・・ですか?・・さあ、どうだったか・・。」
工藤は昨日の記憶をたどっているようだった。
「いや、ちょっとわかりませんね。赤い髪・・赤い髪・・ああ、そうだ。昨日ではないんですが・・いつだったか・・ええっと・・あれは・・ああ、そうです。ちょうど1週間前だったと思います。桧山さんを自宅に送った時だったと思います。ご自宅のちょっと手前で、赤い髪の女性を見ました。ふらふらと歩いているという感じで、ちょっと危なっかしいと思ってクラクションを鳴らして注意しました。その女性は、クラクションに驚いて座り込んだんです。そのまま行き過ぎましたけど・・。酒に酔っている感じだったような・・・。」
「その時桧山さんは?」と零士。
「そうそう、桧山さんは通り過ぎるとき、その女性を睨みつけているようでした。急に機嫌が悪くなった感じを覚えています。」
「その女性の顔は覚えてる?」と五十嵐が訊いた。
「いえ、夜でしたし、座り込んで下を向いていましたから、見えませんでした。」
「他に何か覚えていないかい?」と零士。
「赤い髪だけじゃなく、派手な服だった。ドレスというんですかね。真っ赤なドレスでした。それに大きなつばの帽子をかぶっていました。あと、ずいぶん大柄な感じでした。・・あの、もういいですか?車の整備をしなくちゃいけないんで。」
工藤はそういうとちらりと事務所のほうを見た。
窓越しに先ほどの飯田の姿が見えた。
おそらく、こうやって話を聞いていることを飯田はあまり快く思っていないのだろう。前科のこともあり、何か問題を起こせばすぐにリストラしようと狙っているようにも感じられた。
「ごめんなさい。忙しいのに、手を止めさせてしまって、ありがとう。」
五十嵐がそう言って、工藤を解放した。
それから、事務所のほうに向かって頭を下げた。飯田がばつの悪そうな表情を浮かべて、奥へ消えた。タクシー会社を出て、五十嵐が口を開いた。
「赤い髪の女性は実在したわね。桧山との関係を調べなくちゃ。」

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2-11 バイト店員 [アストラルコントロール]

「昨日の夢では、赤い髪の女は青いドレスだった。彼が言う通り派手な服だった。水商売なのかと思ったが、店から連れてきたというわけではなさそうだな。桧山邸の辺りに出没しているということは、この周辺に住んでいるということも考えられるな。」
桧山邸がある町は高級住宅街である。派手な服装の赤い髪の女性が住んでいるなら、聞き込みをすればすぐに身元は割れるだろう。目撃者はきっといるはずだ。
五十嵐はそう考え、この事件は案外早く解決できるとひそかに喜んでいた。
五十嵐と零士は、桧山邸のある高級住宅街へ向かった。
はじめに、桧山がハイヤーを止めたコンビニへ行き、昨夜のことを尋ねた。だが、昨夜のバイトは不在で、話は聞けなかった。
それから、住宅街を回って、「赤い髪の女性」の目撃者探しをした。
「ああ、赤い髪の女性ね。時々見かけたわ。」
いきなり、1軒目で目撃証言が出た。
「時々?」と五十嵐。
「ごめんなさい。私は一度だけ。でも、ご近所の方も見たことがあるっておっしゃったから、この辺りの方じゃないかしら。」
「顔は?」
「いえ、大きなつばの帽子で、サングラスとマスクで、顔なんてわからないわ。それに、ほら、なんだか怪しい感じだったし、じろじろ見るのもねえ。」
次のお宅に行っても、ほぼ同様の話だった。
ただ、いずれも昼間に目撃されていて、どこの誰だか全く情報が得られなかった。
三軒目では「庭掃除をしていたら、前を通って行ったわ。綺麗な人だったわ。」という答え。
「顔を見たんですか?」と五十嵐。
「いえ、帽子と洋服、それにスタイルが良かったから。顔なんて見てないわよ。あんたたち、女は顔なの?ちょっと、それって女性差別よ。」
という具合に苦言を損ねてしまう始末。
5軒目の証言に至ってはかなり想像力が高いご婦人のようだった。
「あれは、きっと詐欺師よ。ほら、結婚詐欺、いや違うわね。あそうそう、後妻業の女に違いないわ。あんな格好して、この辺りをふらふらしてるんだもの。一人暮らしの老人に近づいて・・。」
話が止まらないようだったので、「ありがとうございます」と言ってその場を離れた。
「ずいぶん目撃されているのに、だれも正体を知らない。何とも不思議な感じだな。」
零士が呟く。
五十嵐は、自分の考えが甘かったことを痛感していた。
「何か、身元につながるようなものがあればいいのに・・。」
「いや、理由はわからないが、正体を知られたくない事情があるんだろう。」
「どんな事情?そんな派手な格好をして、見てくださいってアピールしてるようなもんでしょ?」
五十嵐は少しいらだって零士に言った。
「いや、可能性の問題を言っただけなんだが・・。」
零士が言い返そうとしたとき、五十嵐のスマホが鳴った。
「はい、わかりました。すぐに伺います。」
スマホを切って、五十嵐が足早に動き始める。
「どうした?」
「昨夜のコンビニのバイトさんが来たって。赤い髪の女性を見たらしいの。」
住宅街を抜けて、コンビニまですぐに着いた。
「すみません、昨夜のバイトの方は?」
点名に入るとすぐに五十嵐が言う。
「ああ、僕です。」
学生バイトのようだった。
「すみません。前のバイトが長くなってしまって遅れました。これからシフトに入るんで、手短にお願いします。」
「昨夜、ここに赤い髪の女性は居なかった?」
いきなりの質問にバイト店員はちょっと面食らった。
「昨夜ですか?それなら・・。」
バイトの店員は、そう言うと、二人を店の外に連れて出た。

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2-12 暗闇の女 [アストラルコントロール]

「夜10時頃だったと思います。次のバイトと交代する直前だったんで。最後の作業で、ごみを集めて外に出たんです。そしたら、ちょうど、ここに、赤い髪の女性が立っていました。」
三人が立ち話をしている場所だった。
「何をしていたんでしょう?」
と零士が訊く。
「わかりません。僕がごみ袋をもってここに…ああ、そこにごみの集積場があるんで、店内のごみを運んできたんです。コンビニの裏側になるんで、少し暗くなっているので、はっきりとは見えなかったんです。ごみを集積場に入れるときはそこのライトをつけるんですが、まだ、点いていなくて、薄暗い状態でした。ただ、赤い髪で青い服だとは分かったんです。ちょっと驚いて、声を出してしまったら、その女性は急いで走り去っていきました。」
「顔は?」と五十嵐。
「いえ、わかりません。一瞬だったんで。すみません。何かの事件ですか?」
と、バイト店員が訊く。
「いえ、ちょっと人を探してるんです。その赤い髪の女性はどっちへ行きました?」
と零士が取り繕うように訊いた。
「ええっと・・ああ、そうですね。住宅のほうへ行ったと思います。走り去ったと言いましたが、それほど早くなかった。そう、足元がおぼつかない感じでしたね。ふらふらしているといったほうがいいかも。」
店員が答えると、零士がさらに聞いた。
「酒でも飲んでいたんでしょうか?」
「いえ、アルコールの匂いはなかったと思います。・・時々、ここで、酒を飲んで座り込んでいる人はいるんですが、最近はなかったから・・。僕、お酒は飲めないので、そういう臭いは敏感ですから。間違いないと思います。」
バイトの店員は丁寧に答えてくれた。
「今まで、同じような赤い髪の女性を見たことは?」
と五十嵐。
「いえ、僕は初めてでした。でも、前に一緒に働いていたバイト仲間も、夜中に見たと言っていたと思います。ときどき現れるっていう感じかもしれません。」
「時々現れるって、買い物に?」と五十嵐が訊く。
「ええ、そうみたいです。たいていは深夜で、客がいない時間帯が多いようですが・・。」
「何を買っていたのか判る?」と五十嵐。
「聞いた話では、たいていたばこをひと箱だけ。現金で買っていくみたいです。銘柄は、マールボロだと聞いていますが・・。」
「ありがとう。バイトに戻って下さい。」と五十嵐が言った。
バイト店員を見送ってから、二人は、コンビニを離れた。
「赤い髪の女性は何がしたいのかな。昼間も夜も、出没しているのは確かなのに、誰も正体は知らないなんてことがあるかしら。」
五十嵐は不思議に感じて、独り言のように呟いた。
「そうだね。でも、何処の誰かなんて、わかる人のほうが少ないかもな。俺だって、取材の時、あちこちに出没する。服装も正体がばれないようにすることもあるし、はたから見れば怪しいのかもしれない。それを見た人に、彼は誰だ、なんて聞いても正体は知らないだろうな。」
零士が言うと、五十嵐は妙に納得したような顔をした。
「でも、それが誰かを突き止めるのが警察の仕事なのよ。」
と五十嵐が反論した。
「そうだな。大変な仕事だ。」
零士は正直に感じたことを口にした。すると、五十嵐の機嫌が急に悪くなった。
「なんだか、バカにされてる気分ね。」
「いや、そんな・・馬鹿にした覚えはないんだが。」と慌てて零士が取り繕う。
「冗談よ。判ってるのよ、そんなことは百も承知でこの仕事をしてるんだから。さあ、SDカードの中を確認しなくっちゃ。」

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