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AC30 第3部オーシャンフロント ブログトップ
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3‐1海上の道程 [AC30 第3部オーシャンフロント]

地表はすでに50℃近くの熱波に覆われ始めていた。最後のチェンバーまで、ガウラは見送りに来ていた。
「では、行ってきます。母たちをお願いします。」
「ええ、大丈夫。エリックもいるし、ジオフロントも回復しつつあるから。気を付けてね。」
ガウラは、キラの手を握りしめた。

「さあ、行こう。」
キラがチェンバーの扉を開くと、熱波が入り込んできた。
PCXが先に地表に出る。キラは、PCXが新たに見つけた大型のアラミーラに乗る。ふわりと浮きあがると扉をすうっと通過し、地表に出る。
「ガウラ、すぐに扉を閉めて!」
閉める間、扉の隙間から、ガウラの顔がしばらく見えていた。
「さあ、行きましょう。熱波の勢いに負けないよう、急上昇します。」
PCXはそういうとすさまじいスピードで上昇した。キラも遅れないよう、一気に上昇する。以前に使っていたアラミーラに比べて、安定していて、スピードも出るようだった。何より、大きいことでアラミーラの上に身を横たえることもできる。
一気に1000メートルほど上昇すると、耐えられるほどの暑さになった。
「これ以上上昇すると気流が強くなりますから、しばらくはこの行動を保ちます。オーシャンフロントは北東の方角にあるはずです。」
足元には、青い海が広がっている。陸地のほうにはかなり高いところまで大きな積乱雲がいくつも広がり、熱波の強さを示している。
陸地を離れてすぐは、海上のところどころに小さな島のような黒いものが見えていた。島といっても、植物は生えておらず、岩の塊に過ぎないものだった。
「オーシャンフロントは、熱波を逃れて北へ向かっているはずです。おそらく、北緯60度くらいまでに達しているはずです。そこまでいけば、熱波も届きにくいのです。」

しばらくすると、転々としていた島も見えなくなり、深く青い海が見えるだけとなった。いったい、どれほど進んだのかわからない。PCXが把握する位置情報がすべてだった。
太陽が水平線に沈みはじめた。
「夜に飛ぶのは危険ですから、そろそろ休みましょう。」
「だが、降りれるような陸地はないようだが・・。」
「大丈夫です。」
PCXは、そういうと徐々にスピードを落とし始めた。キラもPCXに合わせてスピードを落とす。
「海面近くまで降りましょう。」
下降するにつれ、気温は上昇する。
穏やかな海だった。
海面が近づくと、PCXが変形をはじめ、大きな半球形になった。
「さあ、私の中へ降りてください。」
キラはアラミーラから、半球形に変形したPCXへ乗り移る。
すると、一気に半球形のPCXは、キラを包みこんで球状になり、波に揺られた。
「日が昇るまで、この状態でいます。お休みください。」
キラは、海岸で白い卵を発見した日のことを思い出していた。
「ライブカプセルか・・・。」
「はい。そうです。これなら、外気がどれほど高温でも大丈夫です。ただ、全く動けませんから、夜の間に海流で流されてしまいます。このあたりの海流は北向きに流れていますから大丈夫でしょう。さあ、体を休めてください。」
キラは、ライブカプセルに身を横たえた。

3‐2 PCXの願い [AC30 第3部オーシャンフロント]

波は穏やかで、ライブカプセルの揺れは心地良かった。それと、一日中、高度1000メートルを飛び続けたことで、体の負担も大きかった。キラはすぐに深い眠りに落ちていた。
翌日は夜明けとともに、飛び始めた。熱波はそれほど強くなく、高度も昨日よりも低い。ただ、目に入るものは海と空ばかりで、時々、意識が虚ろになる。
PCXはそんなキラの様子に気づき、こまめに、休憩を取る提案をした。しかし、先を急ぎたいキラはなかなか受け入れようとしなかった。
「オーシャンフロントの移動速度よりも我々のほうがはるかに速いのです。すぐに追いつきます。」
PCXがそういったことで、キラもようやく受け入れ、休憩を取ることにした。

ライブカプセルの中で、しばし休憩した。
「キラ様、食事はどうされていますか?」
「ドラコの干し肉がある。飛びながらも摂れるから大丈夫だよ。君はどうだい?」
「私には必要ありません。」
「いや・・何か、影響は受けていないかと思って・・。」
「今のところ異常はありません。おそらく、電波エリアはそれほど大きくないのでしょう。」
「まだ遠いということか・・・。」
キラは少しがっかりした様子だった。
「そろそろ、オーシャンフロントは移動をやめるころでしょう。あと数日中には見えるはずです。」
キラを元気づけるようにPCXが言う。
「そうか・・・。」
キラは袋から、フィリスクの実のフレークを一つまみして口に入れる。
「キラ様、一つ、お願いがあります。私に名前を付けていただけませんか?」
「名前?・・そうか・・そうだな。」
「はい。PCXというのはアンドロイドの機種名ですから・・。」
「そうか・・・・どんな名前がいいんだろうなあ?」
キラは、ライブカプセルの中でごろんと横になり、ぼんやりと呟いた。そして、ジオフロントで初めてPCXの姿を見たときのことを思い出していた。
「そうだ!」
急に起き上がると、キラが言った。
「フォルティア。・・どうだい?」
「フォルティア?」
「ああ、そうだ。君の姿を見たとき、誰かが叫んだんだ。フォルティア・ミーラって。」
「フォルティア・ミーラ?」
「先人類の古い言葉みたいなんだけど・・神秘の力・・魔法みたいな意味だったと思う。まさに君の能力は魔法みたいだからね。どうだい?」
「フォルティア・・いいですね。ぜひ、そうしてください。」
「何だか・・慣れないけどね。」
旅の途中のささやかな憩いの時間が過ぎていた。

その日は、夕暮れまで北東を目指し飛んだ。
翌日になると、北緯60度を超えていた。すでに気温は30℃以下に下がり、海面近くを飛べるほどになっていた。
「PCX・・・いや、フォ・・フォルティア、あとどれくらいかな?」
まだ慣れない呼び方をして、キラが訊く。
「もう、近くまで来ているはずです。ただ、この辺りは潮流が激しいようなので、どこか、穏やかな湾や島々の間に入り込んでいるかも知れません。」
キラは、PCXの言葉に、オーシャンフロントの姿が見えないかと周囲を注意深く見てみた。しかし、周囲に島影はなかった。


3‐3 危険な生物 [AC30 第3部オーシャンフロント]

翌日も朝から北東を目指して進んだ。昼ごろに、小さな島影が目に入ってきた。
「この先に、大きな陸地があります。いくつも湾もあるようですから、きっとこのあたりにいるはずです。」
PCXはレーダーを使ってオーシャンフロントを探しているようだった。キラも目を見開いて探した。
「少し上空から様子を探ってみましょう。キラ様は、この先の湾の中を探してみてください。」
PCXはそう言うと急上昇していった。

キラは、PCXの示した、目の前に見える湾の中に入っていった。
切り立った崖がぐるりと壁のように取り囲む深い湾、中には大小の島がいくつも並んでいる。海流は穏やかに見えた。崖の上や島々には、大きな針葉樹が立っている。
ジオフロントを出て、初めて、森が広がる大地を目にしていた。
森は広がっているが、生物はいないように、静まり返っていた。ジオフロントの地表には、数多くの危険な虫たちがいて、羽音や歩く音、戦う時の激しくぶつかり合う音、様々な音が響いていて、キラはその音を聞き分ける能力も高かった。
しかし、ここでは、そういう音が全く聞こえなかった。
おそらく、長い厳冬の季節には、深い雪と氷に閉ざされるからだろう。
地上の生物は、長い冬を生き抜くことができないのだろうと、キラは考えていた。

アラミーラで、島々の間を縫うように飛び、オーシャンフロントが隠れていないか探して回った。

油断をしていた。一つの島をぐるりと回った時だった。
海面から、急に黒い影が飛び出してきた。目の前が真っ白になる。キラは、アラミーラごと吹き飛ばされ、高くそびえる針葉樹に打ち付けられた。激しい衝撃にキラは気を失い、針葉樹の枝に体を打ち付けながら落下した。

上空でオーシャンフロントを探していたPCXは、海面に浮かんでいるアラミーラを発見して、キラの異変に気付いた。すぐに、生命体センサーを使って、島の中腹に倒れているキラを発見した。

キラは、PCXのライブカプセルの中で目を覚ました。ライブカプセルの中には高濃度の酸素が充満され、キラの回復を助けた。
「気づきましたか?」
キラは体を起こそうとしたが、全身に痛みが走って動けなかった。
「かなり強い衝撃を受けたようですね。幸い骨折はしていませんが、痛みはしばらく残るでしょう。」
キラは、針葉樹に衝突し、そのあと、枝に全身を打ち付けたものの、落下したところが、深い苔の絨毯の上だったことが幸いして、骨折を免れていた。
「一体、何があったのですか?」
キラは少しずつ思い出していた。
「海面近くを飛んでいて、いきなり、水柱が立ったんだ。その勢いで跳ね飛ばされてしまったようだ。」
「きっと、それはグル―でしょう。」
「グル―?」
「オーシャンフロントでは、最も危険な生物と恐れていました。体長10メートルほどで、物凄いスピードで水中を泳ぎます。深く鋭い棘をもった足が10本ほどあり、あらゆる生物を餌にします。水中の魚や貝だけでなく、空を飛ぶ虫さえ餌にします。水中から目にもとまらぬ速さで棘のある足を突出し捕えるのです。直撃していたらひとたまりもなかったでしょう。」
「運が良かったということか・・・」
「いえ、アラミーラのおかげです。新型のアラミーラには、近づく危険を察知してとっさに避けることができる機能がついています。避けるために、急上昇し、キラ様がバランスを崩してしまい振り落とされたのでしょう。」
キラはPCXの話を聞いているうちに、全身から痛みが引いて、ずいぶんと楽になった。
「高濃度酸素の中に、鎮痛剤を少し混ぜています。楽になられたのなら、早めにここを出ましょう。グル―が現れたのなら、この周囲にオーシャンフロントはいないでしょう。別の湾に隠れているはずです。」
二人はすぐに、島を離れた。

3‐4 悪天候 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「上空から調べたところ、もう少し西方にも同じような湾がありました。日暮れまでは、そこへ着けるように急ぎましょう。」
PCXはそう言うと少しスピードを上げた。

前方に別の陸地が見えた。同時に、陸地を覆うような黒い雲が広がっているのが目に入ってきた。
「天候が心配です。」
PCXがそういうと同時に、ぽつぽつと雨が降り始める。
目の前の黒い雲があっという間に二人のところまで到達した。叩きつけるような激しい雨、渦を巻くような強風、さらに、激しい稲光が轟音と共に打ち始めた。
もう安定的に、飛んでいける状態ではなかった。目を開けていることもままならない。それに、いつ、稲妻に打たれるかもわからない状態になってしまった。

しかし、目指す陸地までは、まだ距離があった。
「もうこれ以上は無理です。ライブカプセルで海面に降りましょう。」
PCXはキラを包みこみ、海面に降りた。海面は強風に激しく波打っている。
カプセルは激しく波に翻弄されるが、なす術もない。PCXは、ライブカプセルの中のキラの体を完全に包みこみ、空間をなくし、可能な限り小さく縮小し波の影響を避けた。
外は昼間にもかかわらず、薄暗く、ただじっと黒雲が去るのを待つ他なかった。
夕暮れの時間を迎えても、一向に嵐は過ぎなかった。
夜になっても、激しい風雨は続く。
「キラ様、大丈夫ですか?」
時折、PCXはキラの様子を伺う。キラはじっと耐えていたが、昼間の衝撃で意識を失うように深い眠りについた。

朝を迎える時間だった。だが、朝日は射してこない。
黒雲は去っていなかった。雷や強風は収まったようだが、強い雨は降り続いている。波は収まった。
目を覚ましたキラは、「フォルティア、外の様子は?」と訊いた。
「お目覚めですか?・・外は強い雨が降り続いています。」
PCXの声の向こうから、地響きのような、振動のような音を感じた。
「あの音は?」
「近くの火山が噴火しているようです。昨日の黒雲も、噴火によるもののようです。」
「外の様子を見たいんだが・・」
PCXはライブカプセルの横の部分を少し開いて、外が見えるようにした。その隙間から、キラは外を見た。確かに雨が降っている。だが、普通の雨ではなさそうだった。
ちょうど隙間の部分に雨水が入ってきた。それは、真っ黒で少し熱を感じる。
「これは・・・。」
「火山の噴煙が雨に混ざり、真っ黒な水滴になって降り注いでいます。少し酸性の強い雨です。」
「君は大丈夫なのか?」
「何の影響もありません。高温の熱水にも、強酸性の水でもライブファイバーは耐えられます。ですが、キラ様は耐えられないでしょう。目に入れば失明する恐れがあります。今しばらく、このまま耐えるほかありません。」
「オーシャンフロントはどうだろう?」
「直接降り注げば、かなり被害が出るでしょう。しかし、火山噴火は予見されているはずです。避けられる場所まで移動したと思います。」
「また・・離れてしまったのか・・。」
「いえ、大丈夫です。今朝方から、オーシャンフロントの信号をキャッチし始めました。それほど遠くありません。おそらく、噴火した火山の反対側へ逃れたのでしょう。この湾の奥深くに隠れているはずです。」
「そうか・・・。」
そこまで聞いて、キラは不安を感じ始めていた。PCXが信号をキャッチしたということは、今後、オーシャンフロントからの影響を受けやすくなるということになるからだった。

3‐5 島影 [AC30 第3部オーシャンフロント]

海流が湾の奥に流れ込んでいるようで、PCXのライブカプセルは、海流に乗って湾の奥へ移動を始めた。
奥に向かうにつれて、火山の噴火音は一層大きく、ライブカプセルの中でもびりびりと感じるほどだった。しかし、大きく流れが変わったあたりから、雨も止み、日差しを感じるほどになっていた。

「フォルティア、外が見たい。」
「判りました。」
PCXがライブカプセルを解除した。

はるか後方に、噴煙を上げている火山が見えた。青空も見えた。
「このまま、流れに乗っていけば、湾の一番奥につきます。おそらく、その手前あたりにオーシャンフロントが見えると思います。」
フィヨルドのように深く切り込んだ湾、両側に切り立った山、いずれも火山のようだった。いくつかは小さな噴煙を上げている。

「見えました。前方の三角形の尖った山、あれがオーシャンフロントです。」

周囲の山々は、岩が剥き出しの荒々しい形状だが、一つだけ、まっすぐに天に伸び、緑に覆われた、ピラミッド状の山がある。
それは、キラの想像をはるかに超える大きさだった。
人工物とは思えないほどの大きさの島、まさか、これが大洋を自由に動き回るとは思えないほどだった。
以前に、PCXから、ユービックを介して、3D映像を見たことがあった。PCXは、周囲30km、最も高いところは500mと説明し、最大50万人が生活していたと聞いたが、その時はとても想像はつかなかった。
だが、今、目の当たりにして、それが現実のものであることに驚くばかりだった。
そして、それはとてつもなく高い科学技術力で作り上げられたものであること、そして、それを支配する者の力の大きさを想像し、気後れする自分に気づいていた。

「フォルティア、君がいたころと比べて何か変わったところはないか?」
「外観上の変化はありません。」
「そうか・・・。」
徐々に、オーシャンフロントに近づいている。
「フォルティア、影響を受け始めているのか?」
「今のところ、何も変化はありません。」
しかし、キラは気づいていた。
PCXの反応が徐々に機械的になってきているのだ。

「もう、オーシャンフロントでは、気づいているかな?」
「わかりません。」
「武器を用意したほうがいいかな?」
「不要です。」
「だが・・・」
キラがそういって、デイパックの中から小さなスクロペラム(銃)を取り出そうとすると、PCXは変形し、キラの体を細い紐状のライブファイバーで拘束した。
同時に、半球形から円筒状に変形し、一気の速度を上げて、オーシャンフロントへ向かい始めた。

PCXが、オーシャンフロントの支配下に入ったことは明白だった。
キラはこうなることを予期していたが、抗うすべはなかった。


3‐6 PCXの集団 [AC30 第3部オーシャンフロント]

島までわずかの距離になった時、上空に、多数の球形が現れ、一見して、それが、ガーディアン・アンドロイドPCXの集団であることが分かった。
PCXの集団は、キラを乗せたPCXを取り囲むように上空に静止した。
しばらくすると、相互に通信を行っているのか、キラには理解できないような信号音と点滅する光を発すると、集団の中から2体がゆっくりと近づき、挟み込むようにぴったりと接合すると、上昇した。その前後をPCXの集団が編隊を組み、静かに、オーシャンフロントに入っていった。

オーシャンフロントの海岸部分は、人工島らしく、白く高い防波堤が周囲をぐるりと囲むように作られていた。そして、その防波堤の上部から海面までは優に20メートルはあるように思えた。

キラを取り囲んだPCXの集団は、いったん、オーシャンフロントの領域に入ったものの、地上には降りず、その場に待機しているようだった。
「どうなっているんだ?」
キラがPCXに問いかけても、何の返答もなかった。もはや、完全にオーシャンフロントに支配されているただとアンドロイドになっていた。
キラはどうにか、下の様子を見ようと身を捩ってみた。しかし、ライブファイバーの締め付けは強く、全く身動きが取れない。

しばらくすると、PCXの集団はゆっくりと地表に降りた。キラを乗せたPCX以外は、いったん人型アンドロイドに変形し整列した。特に武器は持っておらず、無表情に立っている。次に、キラを拘束していたPCXが、拘束をほどき、他のPCXと同様に人型アンドロイドになり、列に入った。
その段階で、フォルティアがどれだったか、見分けはつかなくなってしまった。

拘束を解かれたキラは、ゆっくりと周囲を見渡した。
そこは、オーシャンフロントの最も外側で、防波堤の内側だった。海の様子は見えないが、島にぶつかる波の音と潮の香りで判った。そして、周囲には何の建物も見えなかった。ただ広い空間だった。地面は硬質のガラスのような物体で作られている。小さな振動を感じるところから、内部は空洞のように思えた。島を支えるフローターなのだとキラは考えた。
「これから、どうするつもりだ?」
キラは目の前のPCXの集団に問いかけるが、何の返答もない。ならば、逃げてしまおうと足を動かすと、PCXの列がキラを制止するように動く。
ここに留めておくという指示だけが出ているのだろうか?
キラは、その場に座り込んだ。動けないならば、動かないまでのこと。ここに連れてきた以上、何かのアクションはあるだろう。目の前のPCXたちに聞いたところで無駄なことだ。相手の出方を待つ他なかった。
膠着状態が1時間ほど経った時、目の前のPCXの色が真っ白からブルーへ変化し、時折、黄色やピンク色に変化し始めた。支配者から何かの指示が届いたに違いない。
「立ちなさい。」
どのPCXかは判らないが、強い音声が響いた。続いて、列の後ろにいたPCXが次々に球体に変形し、宙に浮いた。半数ほどは、すぐにどこかへ飛び去り、キラの周囲には4体が残った。
「ついてきなさい。」
4体のPCXは同時にそう告げると、キラの前後を取り囲むようにして歩き始めた。
「どこかに連れて行こうということか・・・。」
キラはPCXに従った。
フローター部分と思える場所から、遠くに見える山の方角に進み始めると、目の前に壁が見えた。高さは3メートル程度だろうか、外の世界との隔離壁のように見えた。しかし、門や扉のようなものは見えない。
PCXはその壁に近づき、人型アンドロイドの腕を壁に近づけると、その場所が3メートル幅でゆっくりと開いていく。不思議な構造物だった。

3‐7 奇妙な風景 [AC30 第3部オーシャンフロント]

開口部から中に入ると、眼前に、長閑な田園風景が広がっていた。
そこから、まっすぐに、あのピラミッドの形をした山に向かって舗装道路が伸びている。しんと静まり返り、動くものは何もない。
「乗りなさい。」
傍に立つPCXが椅子状に変形した。それを2体のPCXが翼の様な形に変形し、合体する。ちょうど、飛行機のような形状になった。もちろん、キラはそのようなものは見たことがなかった。
椅子に座るとふわりと浮き上がり、先ほどの直線道路上をゆっくり、山の方へ向って行く。
脇には人型のままのPCXが周囲を見張るように目線を動かしながらついてくる。
このPCXは、キラを見張るというより、周囲の異常を発見する役割を担っているようだった。
左右には広い田園が広がり、美しく整えられた畑には、見たこともない植物が植えられ、赤や黄色の実をつけている。田園のあちこちに、球形のPCXが浮かび、監視をしているように見えた。
10万人ほどが生活できるほど広大なオーシャンフロントと聞いていたが、上陸して、まだ一人の人間にもあっていなかった。
田園地帯を過ぎると、森林が広がっている。直線道路は、その森の地下を抜ける大きなトンネルに繋がっている。
トンネルの中は、明るすぎるほどの照明が施され、一定の間隔で、横穴の様にトンネルが作られているのが見える。その奥も、また明るい照明で照らされていた。
しばらく、トンネルを進むと、ようやく出口が見えた。
「もうすぐ、カルディアタワーに到着する。」
傍に居た人型のPCXが告げる。
出口を抜けると、草原が広がり、その先の山の頂上を見上げると、白く輝く円柱の構造物が見えた。目を凝らすと、草原の中にも背の低い構造物がいくつも建っていた。
「人間は住んでいないのか?」
キラが呟く。
「その質問には答えられない。」
人型のPCXが機械的に答えた。
直線道路の終点には、見上げるほどの噴水がある広場があった。PCXたちは、そこで停まった。
「降りなさい。」
キラが椅子を立つと、PCXたちは全て、球形に変形してキラの頭の上で静止した。まるで何かを待っているようだった。
しばらくすると、噴水の前の床が開いた。そこから、真っ白の布を体に巻き付けたような着衣姿で、長い髪の女性が10人ほど現れた。
女性たちは、綺麗に列を作り、まっすぐにキラのところへ歩いてくる。人間には間違いないようだが、その動きは、まるでアンドロイドのようだった。
そして、キラの前に立つと、先頭の女性が、静かに言った。
「主の許へご案内いたします。」
鈴の様な美しい声だった。だが、そこには何の感情も感じられない。表情も変わらなかった。歓迎しているともそうで無いとも思えない。やはり、アンドロイドなのではとキラは考えた。
「主とは?」
キラがその女性に尋ねた。
「その質問にはお答えできません。」
さきほどのPCXと同様の答えが返ってきた。

「ご案内いたします。」
女性の一人が言うと、白い衣服に裳を包んだ女性たちが、キラを取り囲んだ。キラは今まで嗅いだことの無い甘美な香りを感じ、少し頭がぼんやりとした。
「参ります。」
そう言うと、白い服の女性たちが静々と、噴水前の扉に入っていく。開口部から中に入る。目の前には、田園風景が広がっていた。

3‐8 白い人々 [AC30 第3部オーシャンフロント]

扉の奥には地下への通路があった。全員が扉の中に入ると、ゆっくりと扉が閉じる。すると、立っていた床が静かに前進を始めた。
キラは、予期せぬ事に、つい、よろけてしまい、隣にいた女性の腕を掴んでしまった。
女性の腕は温かかった。
「すみません」
キラは腕を強く掴んだことを詫びた。
だが、当の女性は全く意に介さないのか、表情一つ変えず立っている。体温を感じ、確かに人間であるはずだった。だが、人間とは思えないほど無表情であり、感情を見せなかった。
床は音もなく進んでいく。遥か視線の先まで、白い通路が続き、終着が判らない。進んでいるのかどうかさえ判らないほどであった。
キラは、先ほどの女性の顔を今一度見直した。どことなく、フローラと顔立ちが似ている。
ゆっくりと反対側の女性を見ると、やはり良く似た顔立ちであった。
それに、前後左右の女性たちすべてが、背格好もよく似ている。何か、余りにも、似過ぎていることに、キラは違和感を覚えていた。

「お尋ねしたいことがあるんですが・・。」
キラが言葉を発した。静寂の通路の中にキラの声だけが響く。女性たちは微動だにしない。
しばらくの沈黙のあと、声が聞こえた。
「あなたのご質問にはお答えできません。」
誰が言ったのか判らないが、取りつく島もない返答が返ってきた。
それでも、キラは続ける。
「皆さんは姉妹なのですか?」
返答はない。
「ここには男性はいないのですか?」
「どれほどの人が暮らしているのですか?」
「主とはどんな人なのですか?」
矢継ぎ早に質問を投げてみた。
何かに反応してくることを期待した。だが、何の反応もない。
キラは、我慢できず、隣にいた女性の腕を強く掴んで、「何か答えろ!」と叫んだ。
腕を掴まれた女性は、特に驚く事もなく、ゆっくりと、キラの方へ顔を向けた。先ほどと同様に、無表情のままだった。
「さあ、何とか言ってみろ!」
その女性の目を覗き込むように再びキラが迫る。
すると、取り囲んでいた女性たちが一斉にキラの方へ体を向けた。
取り囲んだ女性たちの顔は、すべて、無表情であった。そして、全てフローラに似た顔立ちで、全て同じではないかと思えるほどだった。
「人間じゃないのか?アンドロイドか?」
キラはうろたえながら、取り囲む10人の女性の腕を次々に掴んでみた。すべて、体温を感じる。それに、脈もあり、呼吸もしている。
「何か言ってくれ!」
キラは懇願するように言った。
「ご質問にはお答えできません。」
先ほどと同じ答えが返ってきた。だが、女性たちの口は開いていない。どうやら、先ほどの答えも、この通路のどこからか聞こえてきたものと判った。
落胆し、キラは跪いた。
先ほど嗅いだ、甘美な香りを再び感じた。そして、その香りは先ほどよりも一層強くなり、キラは意識を失った。

3‐9 白い部屋 [AC30 第3部オーシャンフロント]

キラは、白い部屋の大型のソファーで目を覚ました。
目の前は、大きなガラス窓ごしに、青空が見えた。
キラは立ち上がり、天井まで広がるガラスの前に立った。眼下には、同心円上に整備された、田園風景が広がり、中央部に直線道路が見える。足元まで視線を落とすと、大きな噴水も見える。そして、その周囲に、円柱形の低い構造物が左右に際限なく広がっていた。
キラは外の風景を眺めながら、自分がこの島の中央部にあったタワーの中にいる事を確認した。
部屋は、円形をしていて、中央にソファーが一脚置かれているだけだった。白い壁がぐるりと取り囲み、どこにもドアがない作りだった。照明器具はなく、壁自体が白く光を放っているようだった。
「さて、どうしたものか・・。」
そう呟いて、キラは再びソファーに座った。
すると、後方の壁がゆっくりと変形し、開口部を作り、そこから白い服を纏った女性が現れた。
その顔だちと体格などから、先ほどの白い衣服を纏った女性の一人ではないかと思った。

「お目覚めですか?」
今度は女性から口を開いた。
それも、上品な笑顔をたたえ、抑揚のある感情を感じられる言葉であった。
「長旅でお疲れだったのでしょう。途中で倒れられたので、このお部屋でお休みいただくことにしました。」
優しい表情で、ゆっくりとキラへ近づいてくる。

「何かお飲物でもご用意しましょうか?」
キラはそう問われても、どう応えてよいか判らなかった。ジオフロントで飲料といえば、水かフィリクスの果汁、それに野草のスープ程度しかない。ガウラだけは特別な飲み物を自分で調合していたが、詳しくは知らない。
「この季節は、果物のジュースがとても美味しいですから、いくつかご用意しましょう。」
女性がそう言うと、ソファーの床が開いて、箱上のものが出てきた。上部が開くと、中に、緑や黄色、紫の色をした飲み物が入った小さめのグラスが並んでいる。

「お好みのものをどうぞ。」
女性は笑顔で勧める。
「オーシャンフロントの畑で収穫した果物を絞ったジュースです。先人類から受け継ぎ、守ってきました。メロン、オレンジ、グレープ、アップル、地球上から絶滅した植物ばかりです。どうぞ。」
キラは、フィリクスの果汁に近い、緑色のグラスを取り、一息に飲みほした。口の中に感じたことの無い爽やかな甘みと香りが広がる。
「それはメロンジュースです。今が旬の果物です。いかがですか?」
「美味い・・・。」
「宜しければ他のものもどうぞ。」
キラは勧められるまま、他のグラスにも口をつけた。どれも今まで味わったことの無い甘美なものだった。
「食事はいかがですか?」
キラは、ここまでの数日、わずかなドラコの干し肉とフィリスクの実のフレークを口にしただけで、空腹だった。だが、素直に返事ができず、「ああ・・」と曖昧に返事をした。

「すぐにご用意します。」
ほんの数秒だった。先ほどと同様にソファーの前の床が開き、下から箱が現れる。上部が開くと、そこには、スープやパン、それに見たこともない肉の塊、みずみずしい野菜などが盛られた大皿が置かれている。
その美味しそうな匂いに、キラは、我慢しきれず、がつがつと食べ始めた。
女性は、キラの姿を笑みをたたえた表情で見守っていた。
目の前の大皿の食事を、綺麗に平らげたキラは、ようやく、落ち着いた。
そして、先ほどから、ずっとキラを見守っている女性の微笑みが、警戒心を解いてくれたようだった。


3‐10 ステラ [AC30 第3部オーシャンフロント]

「ありがとう。」
キラが心から感謝の言葉を発した。すると、その女性は少し戸惑いの表情を見せた。
「なぜ、礼を言うのです?」
「いや・・これほどのものを用意してもらったから・・・。」
「主のご指示に従っただけです。それに、先ほどの飲み物や食事は、すべてこのカルディア・タワーが用意したものです。」
少し妙な言い回しだった。
「ここはカルディア・タワーというんですか?」
「そうです。このオーシャンフロントの全てをコントロールしています。」
女性は、キラの近くに直立したまま、表情は絶えず笑みを浮かべ、淡々と答えた。
「あの・・あなたのお名前は?」
キラは尋ねてみた。
「名は、ステラです。主にいただいた名前です。夜空の星という意味だそうです。」
「ステラ・・・そう。・・ステラさんは、フローラという名を聞いたことはありますか?」
「いえ、ありません。」
「では、似たような名の女性を知りませんか?」
キラは少し強引に訊いた。
「私は、主、以外の方をお話ししたことがありません。他人とお話するのは、キラ様が初めてです。」
キラは驚いた。
少なくとも、自分より年上に違いない。これまで、他の人間と話したことがないなど想像もできなかった。そして、自分の名をこの女性が知っている事にも驚いてしまった。
「ステラさんは、どうして僕の名を?」
「主より、全て伺っております。お名前は、キラ・アクア。南方のジオフロントからここまで来られたことも知っています。」
「では、僕が何の目的でここに来たかも?」
「はい。ジオフロントの皆さまにお会いになるためでしょう。」
「では、フローラという女性に会いに来たことも?」
「それは知りませんでした。」
「フローラは、ここで生まれ、不慮の事故で海に投げ出され、長い時間をかけてジオフロントの近くの海に流れ着いたんです。そうだ、10年ほど前だと聞いています。大きな火事が起きたのだと・・。」
「ここでそのような事故は起きていませんし、海に投げ出されるような場所もありません。きっと何かの間違いでしょう。」
確かに、ステラの言う通り、オーシャンフロント全体が高い塀に囲まれていて、誤って海に落ちるなど考えられないことは、到着した時に確認していた。
「でも、ここで生まれたのは間違いない。彼女を守っていたPCXが話していました。」
「存じません。」
ステラは、本当に知らないようだった。
「じゃあ、僕の仲間たちはどこにいるんです?会いに来たのです。会わせてください。」
ステラは少し間をおいて答えた。
「それは、主のお決めになる事です。私には判りません。まだ、こちらに来られて、まだ数時間しかたっていません。そんなに急ぐこともないでしょう?まずは、ここの満ち足りた暮らしを満喫されてはいかがですか?」
「それも、主の意思なのですか?」
キラは厳しい声で訊きかえした。
ステラは、顔色一つ変えず、答える。
「そうです。すべては主の御意思に従う事です。ここへ来た以上、主に従う事。そうすれば、あなたの望みも叶うでしょう。」
ステラは、柔らかな微笑を見せて、何の疑いもなく、そう言った。

3‐11 創造主の力 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「そろそろお休みください。もうお休みになる時間です。」
彗星衝突で地軸の傾きが大きくなり、夏の季節には、北緯60度を超える地域では白夜となる。
もっとも、地中にあるジオフロントでは、「太陽が沈むことで夜になる」という観念はないのだが、キラは長く旅をしたこともあり、日暮れを知っていた。
「まだ、外は明るい。もう夜なのですか?」とキラが訊いた。
「日が沈んでいる時間はわずかです。」
すると、目の前の床が開き、下から大きな水槽のようなものが現れた。
「初めてご覧になるのでしょうね。ウォーターベッドです。この中に体を浮かべて眠るのです。さあどうぞ。」
ジオフロントでは、水は貴重品だった。水の中に体を浮かべることなど考えられなかった。キラは恐る恐る足を入れる。体温と同じほどの温かさだ。少しねっとりした感じがする。そのまま、ゆっくりと下半身を浸けていくとふわりと体が浮かび、顔だけが水面から出る。ほのかに甘い香りがする。白い通路を通った時、傍に居た女性たちと同じ香りだった。
ステラは、キラがベッドに入ったのを見届けると、静かに部屋を出て行った。
不思議な感覚に包まれたキラを、次第に眠気が襲い、一気に深い眠りに落ちた。
ウォーターベッドには、体の清浄機能もあり、眠っている間に体じゅう綺麗になっていた。
キラは清々しい気持ちで目を覚ました。目覚めるとステラがすでにソファーに座っていて、朝食の支度も出来ていた。昨日と同様に見たこともない料理が並んでいる。
キラは落ち着いて食事を摂ったあと、ガラスの向こうに広がる風景を眺めながら言った。
「ステラさんは、ずっと一人でここに居て、何をしているのですか?」
「主の御意思に沿って、種の偉大なる功績を学んでおります。」
「偉大なる功績?」
「主は、彗星衝突をいち早く察知し、人類を救う・・いえ、地球上の命を救うために偉大なる力を発揮され、オーシャンフロントを作られました。先人類は、主に倣って、ジオフロントなるものを地中に作りましたが、ほとんどが破壊され命が失われました。浅はかな先人類には、主のような偉大なる力などなかったのです。」
キラはカルディアストーンを求め大陸を旅し手、いくつかの無残に破壊されたジオフロントを見ていた。自分たちの住んでいたジオフロントも瀕死の状態だった。確かに、このオーシャンフロントは特別なものであった。だが、ジオフロントでユービックを通じて知った事実とは少し違っていた。
彗星衝突が発見された後、先人類は総力を挙げ、彗星の衝突回避に取り組み、破壊は成功したものの、一部の衝突は避けられない状況となった。そのために、世界中にジオフロントやオーシャンフロントが建設されたはずだ。ここだけが特別なわけではないはずだった。
「主はほかにどのような力をお持ちなのですか?」
キラの質問にステラの目が輝いた。
「主は永遠の命を産み出されたのです。」
「永遠の命?」
「それこそが主の最も偉大なる力なのです。」
「アンドロイドの事ですか?」
キラの質問にステラは厳しい表情を見せた。
「何をおっしゃるの?あれは、先人類の産み出したロボットという技術に、ほんの少し改良を加えられたに過ぎません。あのようなものは主にとっては何の役にも立たないものです。」
「では・・永遠の命とはなんですか?」
ステラは少し困った表情を浮かべた。そして、すっと自らの手をキラの前に突き出した。
「この体は、命の入れ物に過ぎません。そして、体は時とともに滅びます。それは、生きとし生けるものの定めです。しかし、その体が滅びなければ命は永遠の時を得ることができます。決して滅ぶことのない体を主は作り出されたのです。」
「そんな・・決して滅びることのない体など・・・。」
「主に謁見することです。主のお姿をご覧になれば、あなたにもわかります。」

3‐12 謁見 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「ステラよ、キラを案内せよ。」
突然、部屋の中に声が響いた。
ステラは立ち上がると、キラを連れて、白い部屋を出た。
ぐるりと円形の通路がつながっている。通路の内側は空洞になっていて、清々しい風の流れを感じられた。ちらりと空洞部分に目を遣ると、かなり深くまで繋がっている。底は暗く、どうなっているかは見えなかった。
「こちらです。」
ステラに言われるまま、通路を歩いていくと、1か所だけ、円形に床の色が黄色く塗られた部分があった。
「そこへお立ち下さい。」
キラがその上に立つと、黄色い床がゆっくりと浮かび上がった。アラミーラのように浮遊するものだった。
黄色い円盤は、タワーの中心部の空洞に移動すると、ゆっくりと上昇していく。ステラは通路に留まっている。
キラが上を見上げると、タワーの最上部と思える天井が近づいてくる。あと数メートルにまで近づくと、天井が静かに開き、キラはその中へ入っていく。
そこは、360度透明のガラス状のドームに覆われた空間だった。そして、その中心は1段高くなっていて、白い半透明の膜に覆われた、舞台のような場所があった。
その舞台が、やわらかな光を発すると、膜の中に人影が見えた。
「キラよ、よく来た。」
主の声だろうか、厳かでゆったりとした口調、男性のものとも女性のものとも判別できないものだった。
「我は、オーシャンフロントの創造主である。」
その声とともに、薄い膜が開き、女性らしき人物が顔を見せた。
スリムな体型で長身、長い髪と白い素肌、美しい顔立ちであった。
年齢は不詳だが、うら若い乙女というほどではない。ステラよりも少し年齢が上のように見えた。
白い衣服を纏っているが、他の女性たちと違うのは、その衣服にはキラキラと光りを反射するような素材を使っている事だった。
きらびやかで全身を飾り付けたような人物が現れるだろうと想像していたが、裏切られた。
キラを見おろす視線には異常なほどの威圧感があった。
「ここは、ジオフロントは比べ物にならぬほど満ち足りているであろう。」
キラは何か答えなければと感じていたが、余りの威圧感で言葉が出なかった。
「先人類が終焉の時、技術の粋を集めて世界中にジオフロントやオーシャンフロントを作った、だが、それらはほとんど役に立たず、ほとんどに人類は死滅した。だが、ここは違う。我が、全てを設計し作り上げたユートピアである。未来永劫、何不自由なく生きて行けるのだ。」
彗星衝突からすでに700年の時が流れている。目の前にいる女性が、本当にこのオーシャンフロントを作り上げたとすれば700歳を超えている事になる。キラは、ジオフロントのクライブント導師の事を思い出していた。目の前にいるのは、PCXが変形したものか、コンピューターに操られた女性に過ぎないのではないかと思った。
「あなたは本当に創造主なのですか?」
キラがようやく口を開いた。
「疑うのも無理はない。700年の時を超え、生き続けるなどできないと考えておるのだろう?だが、時を超えて生きる技術があるとすればどうか?」
創造主は、予期した質問であると当然の顔をして答えた。
キラは、強い口調で言った。
「そんな技術などあるはずはない。アンドロイドだろう!」
創造主を名乗る女性は、笑みを湛えて応えた。
「まことに浅はかな考えである。命には限度はない。肉体を保ち続ける技術があれば、命は永遠なのだ。証拠を見せてやろう。」
女性はそう言うと、目の前に小さな剣を取り出し、自らの腕に刺した。
どくどくと真っ赤な血が流れ出し、きらきらと光る白い衣服が、見る間に真っ赤に染まった。
「さあ、わかったであろう。・・さがりなさい。」
すると、キラの立っていた床がぱっと開き、黄色い円盤が沈んでいく。こうして、創造主との対面が終わった。


3‐13 タワーの秘密 [AC30 第3部オーシャンフロント]

キラは再び、あの「白い部屋」に連れ戻された。
創造主の部屋から出た時、黄色い円盤状のものから飛び降りようと試みたが、どうにも身動きが取れなかった。見えない糸で体を縛り付けられているようだった。そして、そのまま、部屋に連れ戻されたのだった。
部屋に戻った時、ステラの姿はなかった。
「何としても、プリムたちの居場所を突き止めないと・・・だが、どうすれば良い?」
ソファーに座り、外の景色を眺めながら考えていると、ステラが現れた。
「主との対面はいかがでしたか?」
ステラの声は少し高揚している。主と対面する事はステラにとっては特別な事に違いない。
「このオーシャンフロントの創造主だと・・・700年の時を超えて生き続けているとも・・・。」
ステラは驚かなかった。
「命は永遠です。特別な力をお持ちなのです。あなたにもお分かりになったでしょう?」
「君も、何百年も生きているのか?」
「いいえ。今年で20歳だと聞いています。主以外に永遠の命を持つ者はいません。」
キラは質問を変えた。
「さっき、部屋を出たところに大きな中空がありました。あれは、ずっと下まで続いているのか?」
外に出たこともないだろうから、判るはずもないと思いつつ質問してみた。
「では、タワーの全体図をお見せしましょう。」
ステラから意外な答えが返ってきた。
そして、ソファーの前の床が開き、ユービックのような小さな機械が現れ、キラの目の前に、タワーの3D映像が映し出された。
「最上部が創造主のお部屋です。そこから10層までは、パトリ・エリアです。私たちのような者が暮らしています。その下は、プレブ・フロア、ノビレス・フロアと続きます。中空部分を通じて、清浄な空気が注ぎ込まれ、タワー全体が快適に保たれています。オーシャンフロントをコントロールするために必要なものが地中深くまで設えられているのです。このすべてを主がお作りになられたのです。」
目の前の3D映像はノビレスフロアまでは鮮明に映し出しているが、それより下は黒く塗られていて、シークレットになっているようだった。
プリムたちがいるとすれば、おそらく最下部のエリアだろうと想像がついた。
「オーシャンフロント全体がどうなっているかは判りませんか?」
キラが尋ねると同時に、目の前にオーシャンフロントの全体像が映し出された。
オーシャンフロントは、大きなピラミッド状の山、そしてその中腹にタワー、南側にいくつかの円柱状の建物、更に平地部分は田園が広がっている。到着した時に見た風景そのままだった。水面より下の部分は、黒く塗りつぶされ構造は判らなかった。
「タワーの下にある、あの円柱状の建物はなんですか?」
「あれは、ドロスたちの住居です。」
「ドロス?」
「タワーに住めるものは、主から選ばれ、パトリ、プレブ、ノビレスに分けられ、住む場所が与えられます。選ばれなかった者は、ドロスとして、あの住居で生きる事になります。」
「どういう基準で選ばれるのですか?」
「主の御考えは判りません。命を得た時にすでに分けられているのです。」
「では・・・母と暮らすことは?」
「母?・・・それは何でしょう?ここにはそう言う言葉はありません。」
「あなたを産んだ人です。」
「ここに生きるすべての人間、いえ、植物も動物も全て、創造主から命をいただきました。私を産んだのは創造主です。」
キラは、創造主を名乗るあの女性の、途轍もなく大きな力を恐れた。そして、命を作り指すとはどういう事か、永遠の命の関係があるのか、その秘密を知りたくなった。


3‐14 豊かな森 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「タワーの北側の山はどうなっているのですか?何か生き物が住んでいるのですか?」
キラが訊くと、「では、ご覧いただきましょう。」とステラが言う。
部屋の前の風景が変わり始める。「白い部屋」が北側に向かって動き始めたのだった。
間近なところに山が見えた。
「彗星衝突前の原始の森です。主がかつて大陸にあった樹木や草木をここへ移し、種を保存したのです。700年の時を経て、素晴らしい森となりました。この森には、かつて地球上にいた生物も生きています。」
ジオフロントの地表は、強大な虫たちに席巻されていて、樹木や草木もまるで違っている。目の前には太い幹を持った針葉樹や広葉樹が育ち、木々の間を飛ぶ生き物も見える。
「あれは、鳥という生き物です。美しい声で鳴きます。人間に危害を加える事はないそうです。他にも、人間と変わらないくらいの大きさの動物も多数いるそうです。中には、人間を襲うような危険な生き物もいて、ドロス達が時々襲われるのだと主から聞いております。しかし、そういう彼らが森で暮らすことで、それぞれの数が抑制され、森は循環し、再生して行くのだそうです。古代の地球は豊かだったのですよ。」
ステラは、この原始の森に魅了されているように、うっとりとした表情で、森の様子を語った。
「雨の降る季節はとても美しいのです。白い霧に覆われた森、山肌を流れ落ちる水、水は集まり、川となり、このタワーの近くまで流れてきます。何か、神秘的な美しさを感じる事が出来ます。」
キラは、はっと気づいた。オーシャンフロントは、最も快適な環境を求めて、広い大洋を移動するはずである。ジオフロントのように、酷暑や極寒の季節はない。雨季さえも避けることはできるはずだった。雨季があるという事は、この森を維持する事がどれほど難しい事かを示している事になる完全な世界を作れているわけではないことか、ならば、オーシャンフロントにはまだ他にも弱点があるはずだと考えた。
「雨が降る期間はどれくらいなのですか?」
「1ヶ月ほどです。毎日、毎日、たくさんの雨が降ります。」
ステラはそう言いながら、窓の外を見る。まるで、今も雨が降っているような、そんな表情だった。
「雨に触れたことはあるのですか?」
キラが尋ねると、ステラは淋しそうな顔になった。
「タワーから外へ出る事は許されていません。私のようなパトリは外気に触れる事は許されないのです。」
「どうしてですか?あれほど豊かな森があり、田園も広がり、空気も美味しいのに・・・。」
「外の空気に触れると、病に罹るのです。」
「私は外から入りました。大丈夫なのですか?」
ステラは少し考えて応えた。
「清浄の道をお通りになったでしょう?」
「清浄の道?」
「タワーに入る前、白く長い通路があったはずです。あれは、外気に含まれる有害なものを除去し、清浄にする場所なのです。ノビレスの女性たちがあなたをご案内したはずです。彼女たちは、あなたが持ち込んだ有害なものがどれほどのものかを試すために付き添いました。」
キラは、通路が動いたとき、隣にいた女性の腕を掴んだことを思いだした。
「あの時、隣の女性の腕を掴みました。」
「そうですか・・・。」
ステラは少し悲しい表情を見せた。
「まさか・・。」
「彼女はおそらくもう処分されているでしょう。あなたが掴んだ腕は切り落とされたはずです。」
「そんな・・。」
「オーシャンフロントには、陸地からの虫が飛んでくることがあるそうです。PCXがすぐに虫は焼き殺しますが、中にはドロスの住居近くに達する事もあります。そういう場合は、一帯をすべて焼き払うのです。」
「ドロスの人たちも全て?」
「もちろんです。オーシャンフロントのためです。虫が入り込めば、豊かな森も失われかねません。」
ならば、なぜ、ジオフロントを襲ったのか、完全なる世界に、ジオフロントは不要なもののはずだった。陸地に近づく事は虫の害にあるリスクが高くなる。敢えて、リスクを冒してまでどうしてジオフロントを襲ったのか、キラは大きな疑問を抱えたのだった。

3‐15 脱出の試み [AC30 第3部オーシャンフロント]

「少しお話しをし過ぎました。お休みください。」
キラの座るソファーの前の床が開き、大きなウォーターベッドが現れた。
ステラはいつの間にか姿を消していた。
キラは、ウォーターベッドに揺られながら、ここからの脱出方法を考えていた。
部屋から出るのは、創造主への謁見の時しかない。そして、あの黄色い円盤に乗ってしまうと身動きが取れない。唯一、ステラの案内で部屋を出て、円盤に乗るまでの時間しかチャンスはないと思い至った。その後は・・と考えながら、キラは眠りに落ちた。

翌朝、目が覚めるとすでにステラは部屋にいて、ソファーに座り、キラの目覚めを待っていた。
すぐに朝食が用意された。キラは腹いっぱい食事をした。
「主は、今日は会ってくれないだろうか?」
食べ終わるとすぐにキラはステラに訊いた。
「判りません。」
「君からお願いしてもらえないか?」
「無理です。私から主へ願いを伝えるなどできません。私は主のご指示に従うだけです。」
「どうしても、確かめたいことがあるんだ。何とかならないだろうか?」
キラは、目の前の食事の皿を見た。食事用の小さなフォークとナイフがある。これを武器にして、ステラを脅して部屋を出ることはできないかと閃いた。
「無理というなら、・・」
キラは、そう言いかけて、目の前のフォークとナイフを掴んだ。
その時、部屋に、声が響いた。
「ステラよ。キラを案内せよ。」
創造主の声だった。
「はい。」
ステラが立ち上がる。
「そうか・・この部屋の会話は全て、創造主に聞こえているのか!」
ステラに連れられ、昨日と同じように、壁の開口部から、外の通路へ出た。
20メートルほど前方に、あの「黄色い円盤」があった。
キラは、昨日より少し早足に歩いた。ステラの歩みは昨日と同様にゆったりしていたので、二人の間が少し離れた。キラは「これに乗れば良いんだね。」と、わざとステラを油断させるように言った。
ステラがふっと視線を動かした時だった。キラは、2メートルほどの高さの、通路の柵へよじ登った。
「キラ様!」
ステラの叫び声とともに、キラは、その柵からタワーの中空部分へダイブした。その瞬間に、強い衝撃を感じて気を失った。

目覚めたのは、あの『白い部屋』のソファーだった。
「これは・・。」
キラが目覚めたことに気付き、すぐにステラが傍に来た。
「どうされましたか?少し、お疲れになっていたようですね。主がお待ちです。参りましょう。」
ステラは、何事もなかったかのように、再び、キラを誘導する。
あれは夢だったのか?いや、確かに、タワーの中空部分を落下したはず。しかし、ステラは平然として、前を歩いている。
「あの・・・先ほど、ここから逃げ出しましたよね・・・。」
変な質問をした。
「いえ・・主が案内せよと申された時、キラ様は少し眠そうにされていましたから、お目覚めされて案内することになりました。キラ様はあの部屋からは一歩も出ていらっしゃいません。」
「そんな・・」
キラはキツネにつままれたようだった。

3‐16 二度目の謁見 [AC30 第3部オーシャンフロント]

ステラは、部屋を出るとまっすぐにキラの前を歩く。
しかし、確かにこの光景は見たことがある。そして、あれが、夢だったとしても、もう一度やれば良い事だ。
「さあ、どうぞ。」
そう言って、ステラは、あの黄色い円盤の前に立った。
「それに乗ればいいんですよね。」
キラは、一歩足を踏み出したところで、身を翻して、柵の上に上り、中空部分へダイブした。落下し始めたところで、強い衝撃を感じ、再び、気を失ってしまった。

目覚めると、あの『白い部屋』のソファーにいた。
今度は、体が妙に怠かった。身を起こすのも億劫なほどだった。
「どうなっているんだ・・・。」
「お目覚めですか?少しお疲れになったようですね。主がお待ちです。参りましょう。」
ステラは先程と全く同じ表情で、キラの傍に来て、再びキラを誘導した。
夢ではない。間違いなく、中空部分へダイブした。確かに記憶していた。だが、確実に捕まり、そして何事もなかったように、最初から始まる。繰り返しだった。
ここに居る以上、創造主に逆らえないのだと洗脳する方法なのかもしれない。抗うより、しばらく、掌に乗ってみることに決めた。
ステラに案内されるまま、あの『黄色い円盤』に乗り、創造主のドームへ向かった。

創造主は、前回と同様、半透明の幕の中に居た。
キラが近づくと、幕が開いて、創造主が現れた。
「ここの暮らしはどうだ?欲したものは、全て手に入る。恐れるものなど何もない。これほど快適な暮らしは想像できぬものだったろう。」
前回よりも少し声が強い。
「はい・・確かに、ここには、何不自由のない暮らしがあります。」
キラの答えに、満足そうな表情を浮かべた。
「そうであろう。・・キラよ、このまま、ここで永遠の命を持ち、暮らしていこうではないか。」
思わぬ言葉に、キラは驚いて言った。
「いえ・・・、お断りします。ここは私の居場所ではありません。」
「また、あの薄暗い地下のような場所へ戻ろうというのか?」
「ジオフロントは復活しました。カルディアストーンを手に入れたのです。」
「何を馬鹿なことを。・・・復活するなどありえぬことだ。」
「いえ、ここへ来る前、すでにほとんどの機能が戻っていました。ジオフロントで生きていけるのです。さあ、ここへ連れてきた者たちをお返しください。ともにジオフロントに戻ります。」
「あの者たちは、われに忠誠を誓い、ここで生きる事を選んだ。もうジオフロントに戻ることなどない。」
「そんなはずはない!ハンクたちに、何をした!」
キラは怒りを込めた声で叫ぶ。
しかし、創造主は、落ち着いた声で答えた。
「永遠の命を授けた。・・さあ、キラよ。お前にも永遠の命を授けよう。」
「そんなものはいらない!ハンクたちを返せ!」
キラは、創造主のいる場所へ駆け上がろうとした。
だが、『黄色い円盤』の中で身動きが取れなかった。
「お前は、ここから出られると思っているのか?」
「必ず戻ると約束した。何としても、戻る!」
「愚かな・・・。」
創造主はそういうと膜の中へ消えた。


3‐17 逃走 [AC30 第3部オーシャンフロント]

床が開き、『黄色い円盤』がゆっくりと下がっていく。
下には、ステラが待っていた。
このまま、あの『白い部屋』へ連れ戻されれば、逃げ出すことは無理だ。とにかく、ここから抜け出さなければならない。この『黄色い円盤』から飛び降りようとしても無理なことは前回試していた。ほかに何か方法はないか。必死に考えた。
静かに、ステラの待つフロアに着く。キラはゆっくりと『黄色い円盤』から降りると、ステラのほうへ歩いた。
「さあ、部屋に戻りましょう。」
ステラがそう言って、くるりと向きを変えた瞬間、キラは、ステラを後ろから羽交い絞めにした。
「ここから出る!出口を教えろ!」
ステラは震えている。
「さあ、どうやって外に出る?」
キラはステラの腕をさらに強く締め付ける。ステラは、声が出ず、首を横に振るばかりだった。
「どこかに出口への通路があるはずだ!」
キラは、ステラを羽交い絞めにしたまま、フロアを歩き回る。白い壁が続くばかりで、通路や扉さえもない。
天井の「創造主のドーム」の床が開き、球形のPCXが2体姿を見せた。ステラを救いに来たのだろう。
だが、キラがステラを羽交い絞めにしている状態で、PCXは近づくだけで何もしない。
「そうか・・・攻撃できないんだ!」
キラはそのままの状態で、さらにフロアの中を移動する。PCXは一定の距離を保ったまま、ついてくる。
一か所、フロアと中空部分を仕切っている壁が切れているところがあった。その前に、『黄色い円盤』があった。
「そうか、フロアの移動にはあれを使うのか・・・だが・・。」
それに乗れば、拘束されるだろう。
キラは『黄色い円盤』を避けて、壁の切れているところへ行く。中空部分の中を覗き込む。
真っ暗で底の様子は判らないが、強い上昇気流を感じる。
「どうするの?」
ステラが弱弱しい声で訊いた。
PCXが少し間合いを詰めてきた。
「ここから逃げ出す。さあ、行くぞ!」
キラはそう言うと、ステラを羽交い絞めにしたまま、中空部分にダイブした。
「いやあーー!」
ステラの叫び声とともに、キラは、落下していく。
キラが羽交い絞めにした手を緩めると、ステラは身を捩ってキラのほうへ向き、キラの体にしがみついた。ステラの着ている白い服が、風に煽られひらひらと舞う。

中空部分の底は真っ暗で、どうなっているのか見えない。
キラは落下しながら、周囲の様子を見た。
しばらくは、パトリのエリアなのだろう。白い壁が幾層も続いていた。
そこを抜けると、青い壁が同じように幾層も見えた。ここはプレブのエリアか、何人かの女性が通路に立っているのが見えた。皆、同じような顔をしていた。
そして、その下は緑色の壁が見えた。少し薄暗くなった。ノビレスのエリアだ。通路に多くの女性が座っている。部屋に入れないのか、蹲っているという方が良いかもしれなかった。

中空の部分の上昇気流は、落ちていくに従ってその勢いが強くなる。
キラは、ステラの服を手足で伸ばすと、全身で風を受け、落下速度をおさえる事が出来た。
ノビレスのエリアを通過すると、目の前が真っ暗になった。それでもまだ地面には到達しない。
前方、いや落ちていく地面の方角に、赤い光が見えた。距離は判らない。何だろうと考えていると、強い衝撃を感じて気を失った。

3‐18 ドロスの住居 [AC30 第3部オーシャンフロント]

目を覚ますと、丸い天井が見えた。
ぐっと身を起こすと、周囲には、ぼろ布を纏った人間が多数座っている。
背を丸め、わずかに開いた布の隙間から、キラの様子をじっと睨みつけているようだった。
「ここは?」
キラが言うと、ざわざわと声がする。何かくぐもった声で話している。
「言葉が通じないか?・・誰か、話の分かる者はいないか!」
キラは叫んだ。すると、少し上背のある者が前へ進み出た。薄汚れたぼろ布で前進を隠しているため、性別はおろか、表情も判らない。
「ここは、ドロスの住居。私の名は、エルピスです。」
声は女性の様だった。
「あなたは、以前に、外からやってきた人たちの仲間ですか?」
目の前の女性が訊いた。
「外から?」プリムたちの事だろうとキラは思った。
「ええ、PCXが何人もの人間を連れて戻ってきました。」
「ああ・・そうだ。僕の名はキラ。彼らを連れ戻しに来た。」
それを聞いて、周囲にいたドロス達が騒ぎ始めた。
「静かに。」
静まると、エルピスは呆れた顔で言った。
「・・・仲間を連れ戻すとは・・・あなたはまだ、主の偉大なる力を判っていないのですね。」
「ああ・・創造主とやらにあったが、言っていることが理解できなかった。永遠の命だとか、そんなの馬鹿げてる。ステラからも話を聞いたが、主の御意志に従うだけだとか、母も父も居ないという。馬鹿げている。おかしいだろう。」
キラは言い放った。
「だが、真実です。私たちは、創造主が命を与えてくださったのです。」
エルピスは悲しげな表情で言った
「命を与える?・・そんな馬鹿な。それなら、どうして、そんなぼろ布を纏い、こんなところに押し込められている。なぜ、幾つもに振り分けられなければならない。あのタワーの上部では、何不自由なく暮らしているのに・・どうしてこんなふうに・・・」
キラの憤りにも似た言葉を聞きながら、エルピスは落ち着いた表情に戻った。
「すべては創造主の御意志なのです。」
エルピスはそう言うと、くるっと向きを変えた。
「この男を外へ。ここへ置いておくと禍になります。さあ、早く、外へ出しなさい。」
エルピスがそう言うと、周囲の者たちが一斉に、キラの寝ていたベッドを担ぎ上げ、ドロスの住居の出入口まで運んだ。
「待ってくれ!・・そうだ、ステラはどうした?」
それを聞いて、エルピスは再び向き直る。
「ステラ?」
「ああ、そうだ。タワーの最上部、パトリのステラだ。一緒に落ちてきたはずだ。」
「パトリの者が・・」
エルピスは驚いた表情を浮かべ、周囲に居る者たちを見た。周囲の者たちも一様に驚いた表情を浮かべている。
「誰か、見た者はいませんか?」
エルピスが訊く。だが、皆、首を横に振った。その様子を見て、エルピスが言った。
「あなたは、私たちの仕事場に転がっていました。でも、そこには、パトリの者などいなかったようです。いや、居たとしても、もはや生きてはいないかもしれません。」
「どういうことだ?」
エルピスはキラの問いに、少し苦々しい表情を浮かべている。


3‐19 言い伝え [AC30 第3部オーシャンフロント]

「ドロスの中には、古い言い伝えがあります。私は信じていませんが・・中には信じている者もいます。」
「どういう言い伝えだ?」
「私たち、ドロスは、不完全な者なのです。あなたの言うとおり、創造主に命を与えられたにもかかわらず、タワーで暮らすことは許されず、ぼろ布を纏い、狭い住居で、日々食い繋ぐことさえままならないのです。・・これを見てください。」
エルピスはそう言うと腰の辺りに巻かれていたぼろ布を剥いだ。太ももから下が無い。
「ここにいる者は、皆、体のどこかが欠けた者達なのです。創造主は、完全なるものをパトリとし、我らのように不完全なものは不要なのです。」
キラは、エルピスの体を見て衝撃を受けた。
そして、周囲の者も皆、どこか欠損していることに気付いた。

「何百年もこうして暮らしているうちに、ある言い伝えが生まれました。」
エルピスは一層悲しげな表情に変わった。
「パトリの血を飲めば、完全な者に近づけるという言い伝えです。・・厳しいドロスの暮らしから抜け出したいという強い思いが、そうした馬鹿げた言い伝えを生んだのです。でも、これまで、パトリはおろか、ノビレスさえも、ドロスの住む場所に現れたことはありませんでした。真偽などどうでも良いのです。そう信じることで辛い暮らしに耐えていけるという思いは理解できます。」
話し終わったエルピスの目には涙が浮かんでいる。
「そんなバカな事が・・・じゃあ、ステラは・・・。」
「言い伝えを信じている者は数多くいます。もし、そうした者が見つけていれば、今頃・・・。」
ステラの置かれた状況は容易に想像できた。
「そんな・・・すぐに止めなければ・・・。」
キラが言う。
「ドロスの住居は数多くあります。地下トンネルでつながっていますが、そのすべてを知る者などいません。探し出すのは無理です。それに、パトリが居なくなったと判れば、すぐにPCXたちが探しに来ます。PCXが早く見つけていれば、もうパトリのエリアに戻っているかもしれません。」
そこまで話した時、一人のドロスが慌てて住居にやってきた。
「PCXたちが赤く光ってこちらに向かってきます。」
エルピスの顔色が変わった。赤い光は攻撃色である。キラを捕まえに来たのだろう。

「さあ、あなたはここから出て行ってください。」
エルピスは、そういうとくるりと向きを変えた。
それと同時に、周囲に居たドロスたちが、キラの乗っているベッドを担いだ。そして、出口へ向かう。
「もうひとつ教えてくれ、僕の仲間たちはどこにいる?」
キラは叫んだが、とても聞き入れられるような状態ではなかった。
出入口まで進むと、ベッドから振り落とされた。
出入口が開かれ、ドロス達がキラを外へ押し出そうとする。
キラは、必死に抵抗した。
その勢いで、一人のドロスのぼろ布をはぎとってしまった。
顔が現れた。その顔は、創造主と似ていた。いや、ステラともフローリアとも似ていると感じた。
「どうして・・・。」
キラは、ドロスの住居から外へ放り出されてしまった。
顔を上げると、タワーが遠くに見えた。

3‐20 森へ [AC30 第3部オーシャンフロント]

ドロスの住居を放り出されたキラは、すぐに身を隠さなければと考えた。
すでにPCXが追ってきているに違いない。オーシャンフロントのすべてを掌握している創造主にしてみれば、キラの所在など、すでに突き止めているに違いなかった。
ドロスの住居の周囲には、樹木が立っていた。そしてそれは、北側に広がる山まで深い森になって繋がっている。キラは、森の中にまずは身を潜める事が賢明だろうと考えた。幸い、まだ、近くにPCXの姿はない。迷っている時間はない。樹木の影を使って、ひたすら、深い森を目指した。
森の中を走るのは、ジオフロントでも慣れていた。虫たちの気配を察知しながら、それを縫うように、ジオフロントと地表とを行き来した事と比べれば、オーシャンフロントの森は走りやすい。
夕暮れまで走り続け、キラは深い森に入る事が出来た。

キラは、本能的に、高い樹木の上に登った。虫たちから逃れるには、高い木の上が最も安全だったからだ。
枝の隙間から、カルディア・タワーが見えた。
目を凝らすと、タワーの周りを飛び交う光が見える。
赤い色で点滅しているところを見ると、PCXの集団だろうと思われた。だが、不思議なことに、PCXたちは、決して森の方には向かって来なかった。
完全に日が落ちる。
高い木の枝に身を横たえ、体を休める。
静まり返った森、暗闇が広がる。
「ガサ…ガサガサ・・。」
どこからか音が響く。しばらくすると、梢が揺れる音も響いた。
「ゴンゴン・・ゴンゴン・・」
何かが木にぶつかるような音も響く。
ステラが話していた「人間と変わらないくらいの動物」なのだろうかと考えていた。注意深く聞いていると,音は徐々に増えているように感じた。そして、次第に、キラの潜む樹木の周囲を取り囲むように感じられた。危険が迫っている、本能的に感じた。だが、今のキラには戦う武器がない。そうしているうちに、取り囲んだ気配は徐々に狭まってきている。
キラは暗闇で目を凝らす。飛び移れそうな高い樹木が近くにあった。木々の上を飛び移り、何としてもこの場から逃れなければならない。
パッとキラは隣の樹木に飛び移る。そして、また隣へ、力を振り絞って梢を移動する。取り囲んでいる動物の気配もそれにしたがって移動してくる。キラは取り囲む気配が最も少なく感じられるほうへ向かって梢を飛び移り続ける。徐々に、北側の高い山のほうへ移動していく。取り巻く気配は決して襲ってくることはなく、ただ、キラを取り囲んでいる。
高い山へ近づくにつれて、深い森が途切れる場所に出た。いくつかの大きな岩が転がり、低い草が生えているような場所だ。キラはそこまで来て、誘導されてきたように感じ始めていた。
最後の大きな木の梢に取りついた時、あたりが白み始めた。
ふと足元を見ると、木々の間や岩陰に隠れるように、茶色い毛に覆われた大小の塊がいるのを見つけた。大きいものは人間の2倍くらいの大きさだった。だが、それは、キラの知っている虫たちのような手足がないようだった。ずんぐりとした形で、目も鼻もどこにあるのかわからない。高く飛び上がったり、鋭い牙や鎌を使って襲うとは思えない。だが、油断はできない。ジオフロント地表に居た虫たちの中には、ずんぐりとした丸い形状の虫がいる。カタピラと呼ぶその虫は、目も手も足もないが、体から紫色の毒液を吹き出し獲物を仕留める。同じような動物なのかもしれない。キラは梢でじっと「茶色い塊」の動きを探った。
「茶色い塊」はキラが動きをやめるとその場でじっと動かなかった。キラの出方を伺っているようでもあった。キラはその「茶色い塊」が岩の上にはいないのを見て、高い岩の上なら安全ではないかと考え、梢から最も近い大岩の上に降りた。案の定、「茶色い塊」は大岩の周りに集まったものの、上がってくることはなかった。キラはこの先、どのように脱出するかを考えた。周りには、いくつも大岩はある。飛び移れないこともない。だが、どこまで逃げればよいのだろう。そう考えていた時、急に足元の「茶色い塊」が動き始めた。大きな「茶色い塊」が台になり、その上に少し小さいものが乗り、さらにその上に、小さいものがという形で徐々に「茶色い塊」が大きく岩の上に上がり始める。周囲を見るとかなりの数がいる。

3‐21 ダモス [AC30 第3部オーシャンフロント]

せり上がってくるように、「茶色い塊」はキラの足元に迫ってきた。すると、岩を取り囲んでいた「茶色い塊」から、黒い糸のようなものが飛び出し、キラの体に巻きついた。四方から、同じように黒い糸が飛んでくる。次第に、キラの体は黒い糸に巻かれ、黒い塊になった。ちょうど、雲が獲物を糸に絡めてしまうような、そんな格好になった。身動きできず、キラは岩の上に倒れ、その勢いで、「茶色い塊」の中で転がり落ちた。
「茶色い塊」の集団は、は糸でぐるぐる巻きになったキラの体を乗せて、深い森の中へ消えた。

「茶色い塊」の背に乗せられ、移動を始めたキラは、何が起きているのか判らない。このまま、食べられてしまうのだろうか。そもそも、こいつらは何なのか?虫の要ではなさそうだった。運ばれる振動が、何か人の背に乗せられているように感じられた。
陽射しが時々顔に当たることで、森の中を移動していることは判った。しばらくすると、急に、振動や小さくなった。そして、薄暗い状態が続く。周囲から響く音で、何か狭い通路のようなところを通っているのではないかと感じた。
急に動きが止まった。そして、キラの体が床に卸されたように感じた。

「手荒な真似をして済まなかった。」
人の声がした。そして、体に巻きついていた糸がするすると解かれていく。ようやく、キラの視界が開けた。
目の前に、多数の人間が立っていた。そして、その真ん中に、キラたちと同じ、ライブスーツをきた大柄な男性が立っている。
「私は、ニコラ。ここに居るものたちの長です。」
聡明で穏やかな表情で自己紹介をした。
「私はキラ・アクア。ジオフロントから来ました。・・」
「ああ、数日前、PCXたちに連れてこられたようだね。」
「あの・・ここに居る人たちは・・?」
「我らは、ダモスと呼ばれている。森深く息を殺して生きてきた。先人類の子孫なのだ。」
「先人類の子孫?それが、どうして、森の中で・・。」
周囲を見ると、皆、ライブスーツを着ているものの、随分とやせ細っているように見えた。
「カルディアの亡霊に追われたのだ。」
「カルディア?」
「ああ、そうだ。オーシャンフロントを作り、700年にわたり、支配している亡霊だ。」
「創造主と呼んでいる、あの女性の事ですか?」
「見たのか?」
ニコラは驚いた表情で訊いた。
「はい、白い衣服を着た女性たちにタワーの中へ連れて行かれ、上部にある部屋で数日を過ごしました。その時に、短い時間でしたが・・・話しました。」
「話した・・のか・・・。」
ニコラはさらに驚いた表情を見せる。
「最上階のドーム状の小さな部屋で、彼女は白く輝く衣服を纏い、美しい女性の顔立ちをしていました。そして、オーシャンフロントすべての創造主であり、すべてを掌握していると。そして、それを成しえたのは、永遠の命を得たからだと。初めは、アンドロイドではないかと疑いました。ですが、目の前で、自ら腕に剣を立て、赤い血が噴き出すのを見せられました。確かに人間でした。」
「そうか・・・。」
キラの話に、ニコラだけでなく周囲にいた者たちも一様に驚いたようだった。
「本当にそんなことがあると思うか?」
「700年も生き続けるということですか?・・いえ、そんなはずは・・でも、彼女は確かに人間でした。」
「そうか・・。」

3‐22 地中深く [AC30 第3部オーシャンフロント]

「ニコラ様、ここに長くとどまっていては危険です。」
上空から声がした。そこには球形のPCXが浮かんでいる。キラは驚いた。PCXは創造主のしもべである。
「なぜ、PCXがここに?」
「キラ、すまないが、話はあとだ。我らの住居へ戻るぞ。」
ニコラはそう言うと、通路を走り出した。周囲にいた者たちも、ニコラの後に続いた。細い通路を一気に駆け抜け、通路の壁にいくつも開けられた洞窟のようなところに、次々に飛び込んでいく。真っ暗な中を這うようにしばらく進むと、ぽっかりと開いた大きな空間に出た。
そこには、ニコラたちのような屈強な人間や、白い衣服を着た女性、それに数体のPCXやエリックのような大きいロボットもいた。ジオフロントほどではないが、ある程度の住環境が揃っているようだった。
「ここが居住区だ。山の最深部から、それにつながるフローターの中にある。先人類がカルディアの迫害を逃れるため、緊急用のシェルターに隠れ、それから長い時間をかけて、人々が暮らせるように作り変えたのだ。」
「ここなら安全なのですか?」
「いや・・カルディアたちは我らがここに居ることは知っている。襲うことも考えているだろう。だが、それができない理由もあるのだ。・・まあ、詳しい話は私のセルで話そう。君のジオフロントのことも知りたい。」
ニコラはそういうと、自分のセルへキラをお案内した。小さな四角い箱状のものが、ニコラのセルだった。人間2人ほどが横たわるのが精いっぱいの大きさだ。
「カルディアは、先人類の滅亡を避けるために、世界中から集められた科学者の一人だった。彼女は、地磁気エナジー変換システムを開発した。特殊な技術で作り出されるカルディアストーンこそが、人類の生き残りの命綱だったようだ。」
「カルディアストーンは知っています。ジオフロントエナジーシステムはストーンの崩壊で停止し、長い間、緊急用のエナジーに頼ってきました。私は、友と一緒に、大陸を旅して、ストーンを発見し持ち帰ったのです。」
「そうか・・だが、君らのジオフロントは幸運なほうだ。多くのジオフロントは、エナジーシステムの停止で死滅した。中には、ジオフロント自体が崩壊してしまったところもあったようだ。」
「カルディアストーンに欠陥があったのですか?」
「いや、そうじゃない。世界各地にジオフロントやオーシャンフロントが建設された。それとともにカルディアストーンも大量に必要となった。カルディアストーンの製造は彼女にしかできなかった特殊な技術だったために、ジオフロント建設見合った数ができなかったんだ。それで。先人類の為政者たちは、彼女を拘束し、卑劣な方法で製造技術を奪い取った。だが、それから作られたカルディアストーンは粗悪なものだったようだ。」
「オーシャンフロントのエナジーシステムは大丈夫なのですか?」
「ここは、オーシャンフロントの第1号。すべてカルディアが手がけた。カルディアストーンも最大級のものを使い、完璧なシステムなのさ。我らがいる場所の下、ここに、カルディアストーンのエナジーシステムがある。」
「カルディアが攻撃をためらうのは、エナジーシステムを守るためですか?」
キラが訪ねる。
ニコラは、にやりとして言った。
「我らの祖先は、エナジーシステムへの進入路を発見し、破壊する装置を作り、取り付けた。外そうとするだけでシステムは破壊されるようになっている。それに、もっと大事なことがある。ここに居る誰かが体の中に起爆スイッチを持っている。だれかはわからない。どういう装置なのかもわからない。PCXを送り込んで、我らを殺せば、爆発が起こる。だから、彼女は我らを恐れているのだ。その状態が長く続いてきた。」
ニコラのセルに、白い衣服を着た女性が二人、小さな入れ物の飲み物を運んできた。
「彼女たちは、もともと、ドロスの集落に居た。だが、一人は視力を完全に失い、ドロスからも追放された。もう一人はノビレスだったが、何らかの理由で両腕を切り落とされ、追放された。カルディアは不完全なものを許さない。・・・森の中を彷徨っていたところを保護したのだ。・・・ありがとう、下がっていいよ。」
そう言うと、女性たちは静かに下がった。
「ほかにも多数いるはずだ。ここは、カルディアから迫害を受けたものは誰でも受け入れる。君もその一人だ。」
ニコラは寂しげな表情で外を見ていた。

3‐23 見捨てられた人達 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「あの、PCXは?」
「あれもやはり同じ運命さ。何かの原因で故障したのだろう。オーシャンフロントの廃棄物排出口で見つけ、ここへ持ち帰り、修理した。おかげで、タワーの動きがよく判るようになった。PCXの監視隊の動きが判れば、畑の作物を奪うことも容易い。キラが、タワーから逃げ出したことも、ここにいるPCXが察知した。だから、君の身を確保することは容易だった。」
ニコラはコップの飲み物をぐっと飲み干した。
「ニコラさん、私がここへ来る前に、ジオフロント仲間が連れてこられたはずなのですが・・・。」
キラが訊くと、ニコラが答える。
「ああ、確かに、かなりの人間が連れてこられた。外の世界から人間が現れるのは、数百年ぶりの事だろう。」
「どこにいるのか判りませんか?」
「少なくとも、タワーの外へは出されていない。タワーの中のどこかだろう。それを調べるのは難しいぞ。」
「どうしても、連れて戻らなければならないんです。僕たちのジオフロントは復活しました。だが、そこにはわずかな女性しか残っていない。これでは何にもならないんです。」
「判るが・・・タワーの中へ入るのは容易いことではない。いや、無理だ。」
脱出したからこそ、タワーの中へ入ることの難しさはキラにはよく判っていた。だが、何としてもプリムたちに合わなければならない。
「そもそも、不完全なものを嫌い、ここに住む人間を迫害してきたカルディアが、どうして、ジオフロントの者たちをさらっていったのでしょう?永遠の命があるなら、そんな必要などどこにもない。タワーの中は何不自由ない暮らしが保証されている。・・そこがどうしても判らない。」
キラは憤慨しながら、目の前のコップの飲み物を一気に飲み干した。青臭く苦い飲み物だった。
「やはり・・時が来たのかもしれない。」
ニコラが呟く。
「時が来た?」
「いいか、キラ。これから話すことは憶測も多く、すべてが正しいとは限らない。だが、君の話を聞いて、憶測ではなく、確証もいくつか出てきた。だから、君に話しておこうと思う。」
ニコラは少し迷いながら、話を続けた。
「まず、カルディアの言う永遠の命の事だ。君は、タワーの中の女性の顔を見ただろう。どうだった?」
「皆、一様に美しく・・誰もがなんだかよく似た顔立ちだと感じました。」
「それと、男性の姿を見たか?」
「いえ、一人もみませんでした。」
「そうだろう・・・。」
ニコラはそう言うと、一旦立ち上がり、外にいる者に何かを告げた。
しばらくすると、居住区に居る、白い衣服の女性たちが集められた。背丈や手足は違うものの、やはり、どこかステラやフローラに似ているのが判る。
「掌を見せてくれ。」
ニコラが言うと、女性たちは掌を広げて差し出した。
「キラ、よく見てほしい。」
並んだ掌、大小の違いはある。指のないものもいる。キラは一つ一つ見ながら「あっ」と声を出した。
「気づいたかい?そうだ、女性たちの掌にある皺の形が全く一緒なのだ。より詳しく調べると、指紋も全く一緒なのだ。」
「それは・・・。」
キラは混乱している。
「それともう一つ。彼女たちは、父や母を知らない。いや、そういう概念がない。すべて、創造主カルディアにより作り出されていると教えられている。いや、事実、そうなのではないだろうか?」
「命を作り出しているということですか?」
「難しいことではない。先人類の時代、すでにクローン技術は確立していた。おそらく、その技術をさらに進化させた技術をカルディアが持っているのではないかと思う。」

3‐24 二つの血を受け継ぐもの [AC30 第3部オーシャンフロント]

「700年もの間、自分のクローンを次々に作りだしている・・ということですか?」
キラは驚いて訊いた。
「おそらく、そうだろう。君が会ったという創造主もクローンに違いない。だから、永遠の命を持った者なのだと言っているんだろう。」
そう聞いて、キラはふとフローラのことを思い出した。
彼女もカルディアのクローンだったのだ。海岸で見つけた時、幼子だったが見る間に成長したことからも明らかだった。では、彼女も寿命が近いというのか。
「PCXのライブカプセルでジオフロント近くの海岸に流れ着いた女性を見つけました。彼女は一切の記憶をなくしていて、フローラと名付けてやりました。あれも、カルディアのクローン・・・」
悲しげな表情で言うキラを見て、ニコラは慰めるように言った。
「ああ・・残念ながら・・そうだろう。カルディアは、100年近く前から、女性をライブカプセルに乗せ、海に流している。ここに居るPCXのデータから、それは、プレブの中から選抜されるようだ。これまでに戻ってきた者はいなかった。だが、奇跡が起こった。君たちが彼女を見つけたのだ。」
ジオフロントでも、彼女の発見を大いに恐れた。ジオフロント以外に人類は生存していないと考えていたからだった。だが、目の前に現れたフローラに奇跡を感じ、未来を感じた。そして、同時に、恐怖も感じていた。

「地球上のジオフロントやオーシャンフロントの生存者を探すためだったのだろう。」
「どうして、そんな必要があるのです。タワーの満ち足りた環境があり、永遠に続く命を得ているなら、そんなことをする必要はないでしょう。」
ニコラはキラの言葉にうなづいた。
そしてこう答えた。
「異常な事態が起きたのだ。」
「それは何でしょう?」
キラが再び訊くとニコラが目の前に居並ぶ女性たちを見た。
そして、小さな声で言った。
「ここに居る女性たちは、あと数年も生きられない。」
キラは耳を疑った。
皆、まだ若く見える。確かに、タワーで出会ったステラに比べればやせ細った者もいる。栄養状態の違いは避けられない。
「寿命なのだ。彼女たちの成長速度は異常なほど早い。そして同じように老化も進む。数年もすれば、老婆のごとき姿となり、急激に衰えてしまい絶命する。」
「クローンの限界とでもいうことでしょうか?」
「判らない。ただ、成長速度が速く、短命なのは事実だ。」
「それと、ジオフロントの人間と何か関係が?」
キラの質問に、ニコラは意を決するように答えた。
「ここには、ダモスの男とドロスの女性の血を継ぐ者もいる。その者は、他のものと比べ成長が早く、屈強な肉体を手に入れる。そして、寿命が長い。・・実は、私もその一人だ。」
「カルディアのクローンとダモスの血を受け継ぐ者・・・。」
キラは驚いて言葉を失った。
「二つの血を受け継ぐ者は、その屈強な肉体でダモスを守る役割を担うことになっている。PCXは、カルディアを守るためのプログラムがされている。私には半分、カルディアと同じ血が流れている。だから、PCXは攻撃しようとして混乱する。だから、両方の血を受け継ぐ者は、森や田園に出て、食料を調達する。時には、ドロスの住居に侵入し、生活に必要なものも手に入れる。そうして、我々ダモスの勢力は次第に強くなってきている。カルディアは、危機感を感じ、それに対抗するための道をジオフロントの人間に求めたのかもしれない。」


3‐25 消去 [AC30 第3部オーシャンフロント]

キラは目を閉じ、天を仰いだ。
あの日、海岸でライブカプセルを見つけなければと後悔した。同時に、フローラの運命を嘆いた。今頃、フローラはどこでどうしているのだろう。おそらく、彼女は自分が何者か知らないに違いない。ジオフロントでの日々をどう受け止めているのだろう。
二人のいるセルにPCXが来た。
「ニコラ様、ドロスの住居で消去が始まりました。」
ニコラは顔色を変えた。そして、セルを飛び出して、中央の広間に走った。キラも後を追った。
中央の広間には、大型のモニターがあり、外の風景が映し出されている。
「これは?」
「外にいるPCXからの画像だ。さっきのPCX同様、廃棄されていたのを修理した。」
目の前に、ドロスの住居が見えた。
「何のための消去なんだ?」
ニコラが訊く。
外にいるPCXから返答があった。
「キラ様がいたドロスの住居のようです。」
「君が来たという記憶を消すためか・・・惨いことを・・。」
よく見ると、四方からPCXが囲み、何かを照射している。出口から女性が出てきたが、PCXの照射を受けて一瞬で消えてしまった。
「PCXは、人を傷つけないようプログラムされているんじゃないのか?」
キラが声を荒げる。
「確かにそうだが・・・いよいよ、カルディアが次の段階に入るのかもしれない。」
「次の段階?」
「古いクローンは次々に消去するよう命令されたのかもしれない。」
「それは、新しいタイプのクローンが生まれたという事でしょうか?」
「おそらく、そうだろう。君たち、ジオフロントの人間の遺伝子を手に入れ、新たなクローンを作りだす事が出来たのだろう。」
「では。プリムたちは・・。」
「わからない。だが、新しいクローンを作りだすために必要なはずだ。・・。」
「早く、彼らを探して連れ戻さねば・・。」
キラは、目の前の無残な光景を見ながら、いずれ、不要になれば同じように消去されるだろうと想像していた。
「何とか、タワーの中に入れれば・・・。」

一通り消去が終わったところで、ドロスの住居を取り囲んでいたPCXたちが引き揚げ始めた。
「あの住居は遠いんでしょうか?」
キラが尋ねる。
「いや・・・フロート内の通路を使えば、すぐだが・・。どうするつもりだ?」
今度はニコラが尋ねる。
「私は、タワーの中で最上部に招かれ、カルディアにも会いました。私の目的を知っていながら、最深部まで入れたのです。きっと、プリムたちと同様に、私の遺伝子も欲しいと思っているのではないでしょうか?」
「確かに、そうだろう。」
「では、もう一度、タワーの中に入る事はできるでしょう。おそらく、迎え入れてくれるはずです。とにかく、中に入らなければ、どうしようもありません。」
「だが、君一人、入ったとしても何が出来る?タワーの中はカルディアに支配されているんだぞ。部屋の中に閉じ込められれば終わりだ。」
ニコラは反対した。
「抜け出す道は判っています。タワーの中空部分を落下すればいいんです。今度は、途中のフロアに入り込みます。ここに居るだけでは、何も変わらない。」
キラの強い意志をニコラも認めざるを得なかった。

3‐26 侵入 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「わかった。では、PCXに案内させよう。それと、丸腰ではどうにもならない。小さいが役に立つ武器を持って行くと良い。我らも、何とか、君の力になれるよう、考えてみよう。」
ニコラは、1センチほどの「小さな箱」のようなものを幾つかキラに渡した。
「PCXの部品から作り出したんだ。『イグニス』と呼んでいる。ライブスーツの中に隠しておけばいい。一つでかなりの破壊力のある爆薬だ。投げつけるだけで良い。強く握りしめると強力な磁力エナジーを発して、しばらくの間、PCXの動きを止めることができる。」
そう言うと、PCXを呼び、ドロスの住居のあるエリアまで案内させた。

地中の通路はフローターの上に作られている。しばらく進むと上部へ繋がる狭い穴があった。
「私に乗って下さい。」
PCXに乗ると、まっすぐに上昇していく。出口が見える。深い草が植えられていて、穴とは気づかれないようになっていた。
「ご無事で。」
PCXはそう言うと、すぐに引き返して行った。
草叢を抜けて、ドロスの住居まではすぐだった。中の様子を見る。ベッドや椅子はそのままだったが、ドロスの女性たちは居なかった。PCXによって、綺麗に消去されたのだろう。円柱状の建物の周りには、深い草木が生い茂り、とても他の場所へ行けるような道はなさそうだった。
キラは住居内を探ってみた。予想通り、床に扉があり、開けると地下通路が続いていた。中に入ると、照明が点く。これで、カルディアにもキラの居場所が判っただろう。とにかく、タワーへ急いだ。通路は、幾つもの分岐があったが、分岐場所に使づくと、次の通路の明かりが点く。カルディアが誘導しているようだった。キラは構わず、そのまま進んだ。徐々に通路が大きく、広くなる。
最後の分岐を通過すると、目の前に大きな壁が現れた。白い壁だ。キラが壁に近づくと、大きく開口部が出来た。もはや、カルディアの手の中に居るのと同じだった。壁を抜けると、そこはぼんやりと薄暗い。見上げると、はるか上部まで空洞が広がっている。タワーの中空部分の一番底にいるのだと考えた。カルディアの部屋ははるか上空だ。この辺りは、ノビレスのエリアだろうか。だが、女性たちの姿は見えない。キラが入ってくることを察知して、女性たちを全て部屋の中に移動させたに違いなかった。
落下した時、中空部分には強い気流があった。しかし、今は静まり返っている。
キラは、壁に沿って歩いてみた。脱出した時、落下の途中に見たノビレスエリアは、上層階の部屋と違い、ドアらしきものが見えたからだった。薄暗い中をゆっくりと進む。少し前方に、ほんのりと明るく見える場所がある。静かに近づく。ほんの少し壁に隙間がある。そこから灯りが漏れているのだ。どうにかして開かないかと手を差し込んでみるがとても入るような隙間ではない。辺りの壁を手あたり次第に弄っていくと、偶然、何かに触れ、ドアがゆっくりと内側に開いた。
「ヒイ!」
小さな悲鳴のような声が上がる。そこには白い衣服の女性が固まるように床に座っている。キラが一歩足を踏み入れると、女性たちがさらにひしめくように身を寄せた。明らかに、キラに対して強い恐怖心を抱いている。カルディアのクローンという話を聞いてしまったためか、そこにいる女性は皆同じ顔をしているように見えた。
会話が出来る雰囲気ではなさそうだった。
一人の女性に近づき、手を伸ばそうとすると、その女性がパニックを起こし、周囲の女性に掴みかかる。それは部屋中の女性たちに連鎖し、半狂乱になった女性たちは、開いたドアから次々に走り出した。
薄暗い、地階エリアの中を女性たちが逃げ惑う。その騒ぎに気付いたのか、他の部屋からも女性たちが飛び出してくる。叫び声と走り回る足音、ノビレスのエリアが大混乱を起こしている。
そのうち、一人の女性が、上階へ続く通路を駆け上る。すると、逃げ惑う女性たちは、虫の集団のようにそれに続く。そうして、騒ぎが徐々に上の階へ広がる。キラはその混乱に乗じて、上の階へ進んでいく。
ノビレスのエリアの上は、プレブのエリアだった。そこは明らかな区別があり、通路は途切れている。そして、仮想の混乱とは無縁のように、静まり返っていた。
「あそこに、フローラは居るかもしれない。」
プレブの女性が海に流されるという話を思い出していた。

3‐27 ノビレスエリア [AC30 第3部オーシャンフロント]

ノビレスエリアの最上部に達したキラは、何としてももう一つ上部のプレブのエリアに行きたかった。
だが、通路は無い。その時、急に、中空部分を強い気流が流れ始めた。
吹き出しは強く、ノビレスエリアで走り回っていた女性の一人が、気流に飲み込まれ一気の上昇していくのが見えた。全身を覆う白い衣服が帆の役割となって、上方へ持ち上げられたのだった。
キラはそれを見て、自分のライブスーツの脇の部分を大きく引き伸ばし、気流の中へ飛び込む。予想通り、気流の力で一気に上方へ持ち上げられた。そして、難なく、プレブエリアに達することができた。

プレブエリアは静まり返っている。
中空部分を一周する広い通路、下層よりも明るい。壁がほんのりとブルーの光を発しているのだ。キラは注意深く、通路を巡る。どこかにドアがないか探したが、見当たらない。あの『白い部屋』の様に。壁が自在に開閉するようになっているのだろう。
偶然、前方の壁に開口部が出来、白い衣服の女性が出てきた。キラに気付いていないようだった。キラは咄嗟に女性の背後に走り寄り、後ろから羽交い絞めにした。
突然の事に、女性は、小さく悲鳴を上げた。すぐにキラが口を塞ぐ。
「静かに!手荒な真似はしたくない。」
女性は恐怖で震え、眼には涙を溜めている。
「女性を探している。最近、外の世界から戻ってきた女性を知らないか?」
女性は震えながら、首を横に振った。
「本当か?」
女性は本当に知らないようだった。
「いったい、どこに居るんだ!」
そう言って、プレブエリアを見渡した。
中空部分の上空から、赤い光が点滅しながら落ちてくるのが見えた。
目を凝らすと、球体に変形しているPCXの集団だった。キラが女性を拘束している事に反応したのか、上昇気流を掻き分けるように、降りてくる。キラは女性を解放し、何処か、隠れるところはないか、フロアの中を走る。しかし、明るいブルーの光を発する壁がぐるりと取り囲んでいるだけで実を隠せるところはない。すぐに、PCXはキラを包囲した。
「おとなしくしてください。」
集団で取り囲んだ中の1機のPCXが言う。キラは、二コラに渡された小さな箱-『イグニス』を思い出した。ライブスーツの腰のポケットに入っている。効果のほどは判らなかったが、これ以外に方法はない。
キラはポケットに手を忍ばせて、『イグニス』を強く握りしめ、PCXの前に突き出した。
一瞬、PCXの動きが停まったように感じた。
握りしめた指の隙間から、オレンジ色の光が漏れている。さらに強く握りしめると、光は、キラの手を透過するほど強くなり、周囲に拡散した。
するお、取り囲んでいたPCXは、白い光や青い光を激しく点滅させ始め、互いにぶつかり合い、ボトボトと床に転がった。
さらに、青白い光を発していたプレブエリアの壁が波打ち、薄くなったり厚くなったしながら、あちらこちら綻びが出来るように、穴が開き始めた。
壁に仕切られていた部屋の中にいた女性たちが、驚き、互いに手を取り、抱き合い、座り込んでいる。
キラの周囲のあらゆるものが狂い始めたようだった。その範囲は、かなり大きい。下層のノビレスエリアでも同じように壁が変形している。
キラは、この間に、通路を昇り、さらに上層を目指した。
まだ、『イグニス』は光を発し続けている。
いくつかのフロアを昇ったところで、「キラ!」と呼ぶ声が聞こえた。

3‐28 フローラとの再会 [AC30 第3部オーシャンフロント]

プレブエリアをぐるりと巡る通路の先に、白い衣服を着た女性が立っている。
「フローラか?」
カルディアのクローンである女性たちは、皆、同じような顔つきをしていて、すぐには判らなかった。
「キラ!キラ!」
そう叫びながら、その女性は駆け寄ってくる。そして、手を伸ばし、キラの胸に飛び込んだ。
「来てくれたのね。」
キラはまだ確信がなく、強く抱きしめることができない。探していたはずなのに目の当たりにすると本物かどうかわからない。
フローラを最後に見たのは、カルディアストーンを探す旅に出る時だった。あれから1年以上を経過している。記憶の中のフローラは幼子の面影を残していたが、時の流れとともに、すでに大人の女性になっているはず。
ニコラの話では、クローンは驚異的なスピードで成長する、ならば、フローラもすでに落ち着いた大人の女性になっているはず。だが、それが、どれほどのものか、判然としない。
「キラ、ここに居てはだめ!早く抜け出さないと!」
キラの胸にしがみついていた『フローラ』がキラの目を見つめ言う。確かに、そろそろPCXたちが機能を買う服して再び捕えに来るに違いない。
『フローラ』は、キラの手を引き、目の前の青白い壁にできた開口部から、部屋の中へキラを誘導する。
そして、部屋を小さく仕切っている壁を次々に抜けていく。
「どこに行くんだ?」
「この先に、外に抜ける通路があるのよ。」
最後の壁に大きな開口部ができた。その先は薄暗い。
「さあ。」
キラは『フローラ』の言葉に警戒しながら、薄暗い部屋の中へ足を踏み入れた。
がらんとした空間だった。
「ここは?」
キラは空間の中を見渡しながら訊いた。
「ここは、プレブエリアの最下層の、旅立ちの間と呼ばれているわ。」
「旅立ちの間?」
「プレブの幼い子が集められ、選ばれるの。」
「選ばれる?」
「そう・・・カルディアが幼な子の中から、旅立つ者を選ぶのよ。」
「旅立つって・・・。」
「海へ放出されるの・・・・私みたいに・・・。」
「何のために?」
「命を繋ぐためよ。カルディアは、オーシャンフロント以外に人類が居ないか、調べているの。」
「今も?」
「いいえ、私が、ジオフロントに到達したから、必要なくなったわ。」
部屋の中央部分の床が、円形に黄色く塗られている。
「そこが開くと、海へつながる通路があるの。ここで、PCXのライフカプセルに乗せられ、海へ向かうの。」
『フローラ』は悲しげな表情で言った。
そして、厳しい表情に変わって言った。
「さあ、キラ、ここから逃げて。カルディアに捕まればもうジオフロントへは戻れなくなる。」
『フローラ』は、創造主を何度も「カルディア」と呼んだ。そこには、カルディアへの憤りさえも感じられた。
ようやく、キラは目の前の女性が本物のフローラだと確信できた。
「フローラ・・本当に、フローラ・・なんだね。・・・無事で良かった。・・」
なんだか急に安心したキラは、その場に座り込んでしまった。
「ハンクやプリムたちはどこにいるんだろう?ガウラと約束したんだ。彼らを連れて戻ると・・。」
そう言って、フローラを見た。フローラが涙をこぼしている。


3‐29 クローンの葛藤 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「彼らを・・連れ戻す・・なんて・・無理よ・・・。」
涙を零しながらフローラは何とか言葉を発した。
「どうして・・このタワーのどこかにいるんだろ?それとも、もう・・」
キラはその先の言葉を口にできない。
「命は奪われてはいないはず。でも・・。」
「生きているのなら・・・。」
フローラが首を横に振る。
「どこにいるんだ、知ってるんだろ!」
「はっきりとは、わからない。ただ、タワーの地下にある『命の泉』の近くにいるはず・・・。」
フローラが戸惑いながら答える。
「命の泉?」
「ええ・・私たちはみな、そこで生まれるの。そして、すぐに、ドロス、ノビレス、プレブ、パトリに分けられるわ。プレブに分けられた者は、しばらくすると、この部屋に連れてこらえるのよ。」
「そこが、カルディアのクローンを作り出しているところなんだね・・。」
キラの言葉に、フローラは一層悲しい表情を浮かべた。
「そう・・私たちはみなクローン・・・人間ではない・・のよ。」
事実だった。キラは言葉がなかった。
「長くクローンを作り続ける中で、遺伝子に傷がついてしまうことがあるようなの。生まれてくるクローンは、次第に個体差ができ、完全なクローンはごく一部、それがパトリなの。知性も精神もすべてカルディアから受け継いだ完全体。でも短命で、20年ほども生きられない。私たち、プレブは完全体でありながら精神を受け継がなかった者。ノビレスは、正常な身体を持つけれど、精神的に不安定で知性異常もあるの。ドロスは、体の欠損がある異常体。でも知力も高く生命力が高くて長寿なの。」
「男性のクローンはいないのか・・。」
「居ないわ。カルディアの細胞から作り出されているから。」
フローラの説明で、永遠の命はクローンによる継承に過ぎない事を改めて確信した。そして、それだけの事を知っているフローラにふと疑問がわいた。あの「白い部屋」にいたステラは、創造主を絶対視し、神格化し、精神的にもすべて支配されていた。おそらく、ここに居るクローンは、創造主に従順であり、こうした事実を知ることもないはずだった。
「フローラ・・そこまでの事をどうやって知ったんだ?」
「ここへ戻った時・・すべての記憶が消されたの。ジオフロントの事はすべて・・・。でも・・。」
フローラはそう言うと、左の腕を差し出した。そこには、小さな痣のようなものがあった。
「ある日、これを見たの。」
その痣はタトゥのようだった。よく見ると、ぼんやりと文字のように見えた。キラは、その痣をじっと見る。
「・・キ・・ラ・・、キラと書いてあるのか?」
「そう、それを見た時、パッと記憶が蘇ったの。ジオフロントの記憶が・・。あそこで過ごした日々は、今とは全く違っていた。皆、必死で助け合い、生きていた。喜んだり、悲しんだり、喧嘩もあった。私はクローンだとは知らなかった。本当に幸せな日々だった。」
フローラはそう話しながら、また、大粒の涙を零した。
「あの日、たくさんのPCXがやってきて、ここへ連れ戻された。そして、すぐに、洗浄された。すべての記憶を奪われたわ。カルディアにとって、所詮、私はPCXと同じ道具にすぎなかったのよ。でも、ある日、このタトゥを見て、思い出したの。私は何者なのか?・・一体、何をしたのか・・そして、カルディアは何をするためにジオフロントを探していたのか・・・そしたら・・」
そう言いながら、フローラは震えている。
「辛かったね。・・・真実を知ることは・・ほんとに・・」
キラは、ここへ戻ってからのフローラの葛藤を思うとそれ以上言葉にできなかった。
「私・・人間になりたい・・・クローンじゃなく、人間に・・・。」
フローラは吐き出すように言った。
あの地中で出会ったダモスの中にいた女性たちも同じ思いを抱えていたのだろう。そして、彼らダモスは、女性たちを受け入れ、新たな命を育んだのだと、ニコラの姿を思い出していた。

3‐30 命の泉 [AC30 第3部オーシャンフロント]

「フローラ、ハンクやプリムのところへ案内してくれ。たとえ連れ戻すことが無理でも、彼らがどうしているか知りたいんだ。」
フローラの思いを叶えるためにも、とにかく、ここから脱出しなければならない。
「『命の泉』に行く方法は判らないわ・・おそらく、この部屋のずっと下のほうだと思うけど・・・。」
その時、部屋の壁が開いた。そして、機能が回復したPCXが物凄い勢いで入ってきた。真っ赤に点滅している。
ここに留まっているわけにはいかなかった。だが、逃げ道はない。
「フローラ!行こう!」
キラはそういうとフローラの手を強く握り、部屋の中央にある黄色い床の場所、海への通路の上へ立った。そして、ニコラにもらった『イグニス』を力いっぱい握りしめた。
強い光が部屋の中に広がり、PCXの動きが止まる。すると、黄色く塗られた床が割れ、キラとフローラは海への通路へ落ちた。二人は、暗い通路を真っ逆さまに落ちていく。
途中で、ドンと、何かに強くバウンドし、体が横に飛んだ。比較的やわらかいものにぶつかったようだった。キラはフローラの体を抱きしめたまま、床の上のゴロゴロと転がった。
薄暗い空間だった。
「怪我はないか?」
キラはフローラを抱き起しながら言った。
顔を上げると、四方に大きな卵のようなものが浮かんでいる。それはぼんやりと光を放っていて、近づいてみると、中に黒い塊のようなものがある。
「これは・・・。」
キラは、似たような光景を見たことがあった。
ジオフロントの近くにある沼地にいるグロケンたちの卵だった。全体がゼリー状のもので覆われ、黒い塊が白い膜で包まれている。中で黒い塊は時々動いていた。
目の前にあるのは、まさにその卵と同じだった。黒い塊に見えたものの中には、人間の赤ちゃんのようなものもあり、時折、ぶるっと震える。
フローラも初めて見る光景なのだろう。しばらく、その卵を見つめたまま動かなかった。
「ここは・・・。」
フローラが口を開いた。
「きっと、ここが、命の泉なんだろう・・・。」
キラが言う。
「ここで・・生まれたのね。・・・」
フローラは、目の前の『卵』に寄り添うように立ち、そっと触れる。温かい。もうはっきりした顔立ちが見て取れる。小さな手足が時折ぴくっと動くのも見える。そして、涙を流した。
キラは、周囲の様子を探った。
足元は柔らかく、掌の上を歩いているようだった。いくつも『卵』は浮かんでいる。よく見ると、浮かんでいるのではなく、壁や床と、太く赤黒い血管のようなものでつながっている。『卵』は人間頬の大きさのものもあれば、まだ掌ほどの大きさのものもあった。
「フローラ、こっちだ。」
空間の奥、小さな『卵』がいくつか並んでいるところから、キラが呼んだ。
そこには、小さな穴が開いていて、明かりが漏れている。手を突っ込んでみる。柔らかく温かく、押し広げれば通り抜けられそうだった。
「さあ、行こう。」
キラは、両手で押し広げ、先にフローラを入れた。頭が抜けたところでフローラは自分の力で通路を抜けた。続いてキラが通り抜ける。予想以上に楽に通り抜けることができた。
隣の部屋は先ほどの部屋より明るかった。
だが、その部屋の光景に二人とも言葉を失い、立ちすくんだ。

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