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file-1-1 -探して- [同調(シンクロ)]

ここは人口30万人ほどの地方都市、橋川市。
大手自動車メーカーの工場やその関連企業の誘致が成功して、地方にありながらも、比較的景気が良く、近年は外国からの労働者の流入も多かった。
もともとは、農業が盛んで、現在でも郊外に行けば、広い丘陵地帯には、見渡す限りの圃場が広がっていた。

****空に、一筋の青白い閃光が上がる。******
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「すみません。・・あの・・・事件が起きてるんです。」
まだ二十歳そこそこの娘が、警察署の玄関で、受付の女性署員に訴えるように迫っていた。

突拍子もない言葉に、女性署員は面食らって、返事が出来ずにいた。
「早く、・・急がないと・・殺されるかも知れません。ねえ、早く!」
「落ち着いてください。いきなりそう言われれても・・あの、何か目撃したんですか?」
そう問いかけられて、娘は天井を見上げて黙り込んだ。
少し間を置いてから、女性署員を睨み付けて、
「目撃したんじゃありません。でも、誘拐されてるんです!」
「はあ?誘拐?一体・・誰が誘拐されたんですか?どこで?」
「いえ・・それは・・判りません。でも誘拐事件が起きてるんです。」

娘が言っている事は、誰が聞いてもつじつまが合わない内容だった。
受付の女性署員は、単なる嫌がらせではなさそうだと思いつつも、まともに相手する中身ではないと感じていた。そして、半ば、拒否するかのように切り出した。
「判りました。それなら、この紙に、住所と氏名、連絡先を記入してください。それから、誘拐事件が起きていると言うのなら、その事実、証拠等も一緒にご記入ください。」
娘が渡された紙は、「困りごと申請書」という表題があった。
明らかに、女性署員は「娘が単に騒ぎを起こしたいのだろう」というふうにしか受けとめていないことがわかった。

「何なの!人の命が懸かってるのよ?誘拐事件が起きてるの!もう・・・。」
娘は悔しさ一杯に女性署員を睨み付けた。そして、急に何かひらめいたようだった。
「ねえ!じゃあ、矢沢さんていう刑事さんを呼んで来て!その人ならわかってくれるから!」
刑事の名を出した事で、女性署員も少し態度を変えた。

「お知り合いですか?」
「・・・いいから!呼んで来てよ。・・もういいわ。どこにいるの?教えて!会いに行くから。ねえ!」
娘が、受付の脇から強引に署内へ入ろうとしたので、女性署員は制止した。

「困ります。ここからは部外者は入れません。それに・・矢沢さんは刑事課じゃありません。」
「じゃあ、どこにいるの?ねえ、教えてよ!」
「やめてください。ちゃんと事の次第を説明していただければ・・」

警察署の玄関で、若い娘と女性署員がもみ合いになったものだから、出入りする人も驚いて、周りを取り囲んだ。その騒ぎを、ちょうど帰宅しようとしていた、紀藤亜美が見つけた。

file1-2  亜美と・・ [同調(シンクロ)]

「ちょっと、どうしたのよ?」
「ああ、紀藤さん。いえ、この娘さんが、事件起きてると・・言われて・・矢沢さんに会わせろって・」
女性署員は娘の腕を掴んで制止したままで答えた。
「え?どうして、一樹に?」
亜美は、その娘の顔を見た。<こんな娘が会いにくるなんて、一樹は一体何してるのかしら>
内心、不快感を覚えながら、亜美は言った。
「ちょっと。落ち着きなさいって。今、呼んで来て上げるから。・・ああ、私は紀藤・・紀藤亜美。ここの署員よ。あなた、名前は?」
「レイです。ねえ、早く、呼んできて!」
「判ったから。・・ああ、そこに休憩所があるから、そこで待っていて。」
そう促して、休憩所の椅子にレイを座らせると、亜美は一樹を呼びに行った。

矢沢一樹は、埃っぽい資料室の机に足を乗せ、ふんぞり返って椅子に座っていた。
もともと、刑事課に配属されていたのだが、半年ほど前、窃盗事件のミスで、配置転換されたのだ。
元来、理屈より先に体が動く体育会系の彼にとって、この部署での日々は、眠っているのと変わらない、退屈極まりないものだった。
資料室のドアがいきなり開き、亜美が部屋に入ってきた。一樹は、その勢いに慌てて椅子から落ちそうになった。
「おいおい、なんだい。ノックぐらいしろよな。」
「ちょっと、来なさいよ。可愛い女の子があなたに逢いたいって玄関に来てるのよ!」
「あ?ああ?なんだい、それ?そんな可愛い女の子なんて知らないぜ?」
「良いから、早く。事と次第によっては、これっきりだからね。」
亜美が何故機嫌が悪いのか、それに可愛い女の子なんて言われてもまったく思いつかない、豆鉄砲食らったような表情のまま、一樹は亜美に腕を掴まれ、部屋を出て行った。

玄関脇にある待合室の隅、カップ売りのコーヒーの自動販売機の明かりを見つめるように、レイは居た。
資料室から出て廊下を曲がったところで、一樹はレイの姿を見つけて立ち止まった。
亜美は、犯人の取調べのような鋭い目つきで、一樹の顔をじっと見つめていた。
「おい、亜美。俺、あんな娘、知らないぞ。初めて見る顔だ。・・・それにしても可愛い顔してるじゃないか・・。ひょっとして、誰か、俺の名前を使っていたずらでもしたんじゃないか?」
どうやら一樹は本当に知らない様子らしかった。亜美は、少しほっとして言った。
「それならそれで、逢えば判るでしょ。」
「ヤダヨ。・・なあ、居なかったって行って追い返しちゃえよ。」
「何?やっぱり、何か隠してるんじゃないの?」
「何も無いよ。」
「じゃあ、自分で逢ってそう言えば?」
「判ったよ。・・お前、ここにいろ。ちょっと様子を見てみるから。」
一樹は、ぶつぶつと言いながら、レイの居るところへ向かった。

一樹は素知らぬ顔で、自動販売機に近づいて、小銭を放り込むとコーヒーを買った。機械が音を立てながら抽出する間に、横目に麗の顔をちらちらと見た。
<やっぱり、知らない顔だな。それに、俺のこと、知ってるなら、すぐに声をかけてくるはずだし>
そう思いながら、カップに注がれたコーヒーを取り出そうとしゃがみこんだ時、
「矢沢一樹さんですね。」
麗は、一樹の腕をおもむろに掴んだ。一樹は驚いて、コーヒーをぶちまけてしまった。
「あちー。何だよ急に。びっくりするじゃねえかい。」
「ごめんなさい。でも、思ったとおりの人。良かった。」
そう言うと、麗は飛び切りの笑顔で一樹を見つめた。
そのやり取りを少し離れてみていた亜美は、何だか腹が立っていた。可愛い娘のあんな笑顔、それだけで許せない気持ちになっていた。明らかに、嫉妬しているようであった。
「ねえ、一樹!どういう事?やっぱり、その娘と何かあるんでしょ?」
「ち、ちょっと待てよ。誤解だってば。俺はこんな娘知らないぜ。」
「レイさんだったかしら?一樹とはどういう関係なの?」
「・・はい、初対面です。」
きっぱりと言った言葉に、一樹も亜美も、呆気に取られ、顔を見合わせた。
「そんな事より、大変なんです。誘拐事件が起きてるんです。助けてください。」
二人は呆気に取られ、どうしたものかと目を合わせた。

file1-3 レイの話 [同調(シンクロ)]

「まあ、いいさ・・とりあえず、話を聞こうか。」
一樹は、改めて、コーヒーを買ってから、長いすに腰を下ろした。
亜美もレイを促すようにして、向かいの椅子に腰掛けた。

「小さい女の子が、どこかの・・倉庫みたいなところに監禁されるんです。」
「あなた、それを目撃したわけ?」
「いえ・・なんていうか・・感じたんです。その女の子の恐怖を、感じたんです。」
「感じた?なんだい、それ?まるでオカルトか、じゃなきゃ、あんたはエスパーかい?」
一樹は、うんざりした表情で天を仰ぎ、手にしたコーヒーを一口飲んだ。
「あの・・私の話、信じてもらえないんですか?」
「・・・なあ・・・常識的に考えても、それを信じろっていうのは無理があるだろう。」
レイは、その言葉を聴いて、そっと目を閉じた。そして、両手で頭を包み込み、まるで何かを思い出しているような表情をした。真っ直ぐな長い髪の色が、その瞬間、少し青みがかったように見えた。そして、ゆっくりと目を開いてからこう言った。
「でも、今も・・その子が居るのは、廃工場の倉庫です。・・男が一人、近くに居ます。・・椅子に縛られているみたいです。」
「おいおい・・なんだい、それ、作り話もいい加減に・・」
と一樹が言いかけた時、急に、廊下にブザーが響いて、甲高いアナウンスが流れた。
『入電!入電!誘拐事件発生。関係署員は、3階会議室へ!』
一樹は、咄嗟に階段へ向かった。刑事課に居た時の習慣のようで、体が勝手に動いていた。

階段の上り口で、刑事課の佐伯と鉢合わせになった。
「やい!お前は、関係署員じゃないだろ!じゃまなんだよ!」
そういうと、一樹の肩をどんと衝いて、足早に階段を駆け上っていった。
その様子を見ながら、同じ刑事課で後輩だった佐藤が、
「済みません、矢澤さん。通ります。・・・会議の後、情報、流しますから。」
小声でそっと言って通り過ぎて行った。

一樹は、頭を掻きながら、すごすごと亜美たちのいる休憩室へ戻ってきた。
一樹はレイを見てから、
「偶然かもしれないが・・いや・・きっと、偶然だとは思うが・・その・・話を・・」
と言いかけたところで、亜美が横から口を挟んだ。
「ねえ、最初からちゃんと話を聞かせてくれる?」
レイは、二人の顔を見てこくりと頷いた。

「夕方、学校帰りに車で連れてこられたみたいです。近くに、ランドセルがあるようですから。それと、窓の外に、大きな風車・・風力発電の・・があるのが見えました。」
「見えましたって?あなた、その子が見ているものが同じように見えるの?」
亜美は興味深く尋ねた。
「ええ、その子の心と同調すると、五感が同じになるんです。ただ・・ぼんやりとした部分もたくさんあるんですけど・・。」
「心が読めるってわけ?」
「いえ・・・強い波長のような・・私は勝手に『思念波』っていってるんですけど。・・恐怖みたいなものを感じると、周波数が合うような感覚で、思念波にシンクロできるんです。・・夕方、女の子が誘拐された時の恐怖を偶然キャッチしたので、今、感じる事ができるんです。」
「そんなことって、あるのかい?」
一樹はまだ信じていないようだった。
「じゃあ、それが事実かどうか、調べてみましょうよ。どうせ、資料室に居てもやる事ないんでしょ?私ももう帰るところだし。」
「そう言ったって、どこに行くんだよ?風車が見える廃工場なんて、たくさん・・・いや?待てよ?・・なあ、仮にだが、その思念波とやらは、遠い距離だと感じないこともあるのか?」
「ええ・・私にはわからないんですけど、やっぱり遠くは感じないみたいです。」
「じゃあ、そんなにとおくじゃない。仮に、市内と考えてみれば・・・風車が見えるところなんて、そんなに多くない。・・その工場の周りに他には何か目印みたいなものはないか?」
レイはまた両手で頭を包み込み、目を閉じた。
「大きなクレーン・・赤と白に塗られたクレーンみたいなものも見えます。」
「そうか・・・じゃあ、場所の見当はついた。きっと、石崎町の工場団地の中だろう。」
一樹の目は昔の刑事だった頃の鋭さを戻していた。その様子を亜美は嬉しそうに見つめた。そして、
「じゃあ、これから行きましょう。どうせ、上じゃ、今頃、誘拐事件対応マニュアルに沿って、準備を始めてる頃よ。まあ、明日の朝くらいまで掛かるでしょ。その前に、助け出せば、きっとまた、刑事課へ戻れるかもね。」
「馬鹿なこと言うな!まだ、この娘・・レイさんだったっけ?まだ、信じたわけじゃないからな。」
「あら?そうなの。まあ、いいわ。行きましょう。」
3人が休憩室から出たところで、先ほどの佐藤刑事に出くわした。佐藤は、刑事課に配属され、最初に一樹から指導を受けたので、今でも兄のように慕っていたのだった。
佐藤は、何も言わず、小さなメモを一樹に手渡した。

file1-4 誘拐現場 [同調(シンクロ)]

F1-4
3人は、急いで、警察署の裏口から駐車場に向かった。パトカーを使うわけにはいかない。
「私の車で行きましょう。ねえ、一樹、運転して。」
亜美は、通勤で使っている軽自動車のキーを投げた。
「お前、俺は運転手か?それに、俺はお前より年上なんだぞ。呼び捨てにするのはやめてくれよな。」
そう文句を言いながらも、運転席に乗り込んで運転を始めた。
亜美は助手席、レイは後部座席に座った。

石崎町は署から20分ほどのところだ。産業道路を真っ直ぐ走ればじきに着く。

「ねえ、さっきのメモ、見せてよ。」
一樹は、ズボンのポケットから取り出して渡した。メモは、佐藤が会議中に走り書きしたものだった。
『権田さき(小1)、祖父権田健一、魁トレーディング会長。』

「きっと誘拐された女の子が権田さきちゃんね。そして、祖父の権田健一が通報してきたんだわ。」
「権田って言えば、相当有名人だ。10年くらいで大きな会社にしてきたやり手だな。」
「じゃあ、身代金誘拐かしら。・・・成功なんてしないのに。」
「いや、金目的じゃないだろう。金が欲しいなら、会長本人を誘拐したほうが成功する。」
「え?」
「亜美は知らないだろうが、警察に通報されてくる誘拐事件は大抵の場合、怨恨が根底にあるんだよ。金目的なら、金を持ってる本人を誘拐して、直談判したほうが手っ取り早いからな。しかし、これだけの情報じゃなあ。」
「そうね。」
「石崎町も広いし、工場だらけだしなあ。」
後部座席のレイは、また、両手で頭を包み、目を閉じてじっと何かを掴もうとした。
バックミラーでその様子に気づいた一樹が声を掛けた。
「どうだい?なにか”感じた”かい?」
レイは何も答えなかった。

遠くに風車とクレーンが見えてきた。
「その子の話が本当ならこのあたりなんだけどなあ?」
一樹はゆっくり車を走らせる。何しろ、埋立地に工場誘致をしたエリアで、大小の工場があちこちにある。最初の頃にできた工場や事務所は廃墟のようになっているものもあって、怪しいところばかりだった。
日もすっかり暮れ、夜の闇が広がり始めた。24時間操業の工場の明かりや、港湾のライトもあるのだが、やはり、工場地帯で人影など無い。一樹は、目を凝らしてあたりを探っているが、なにしろ情報が足りない。何を探すべきなのかも判らなかった。

急に、レイが声を出した。
「そこです!女の子の思念波が出てるところ。ほら、そこです。」
レイが指差した先には、『武田フーズ』という看板が掛かった工場が見えた。廃工場と言うよりも、少し休業している程度で、確かに、出入り口は草が伸び放題になっていて、人の出入りはほとんど無いようだった。工場の脇に小さな2階建ての事務所があった。2階の窓のカーテンの隙間から、ほんのりと灯りが漏れていた。事務所の横には白いバンが停まっている。

一樹は車を停めた。
「確かに状況としては充分だ。だけど、何も確証が無い。休業中の工場、消し忘れの電気、あるいは、偶然、社員が事務所に立ち寄ったということだってあるだろ。・・とにかく、そこに女の子が監禁されてる確証がまったく無いんだ。これじゃあ、踏み込む事もできないだろ。」
「じゃあ、このまま何もできないってこと?」
「とにかく、あそこにさきちゃんがいることの確証が・・・。」
「絶対に、あそこなんです。早く助けないと・・」
じりじりした時間だけが過ぎていく。
「もう私が様子を見てくる!」
亜美がそう言って助手席のドアを開きかけた時だった。1台の黒い乗用車が後方からやってきて、工場の中に入って停まった。
運転席から、30代くらいの痩せた男が降りてきて、外階段を上って事務所に入っていった。

「なあ、亜美!車の番号から持ち主を照会してもらえないか?」
亜美はすぐに携帯で署に連絡した。交通課の同僚がまだ残っていて、すぐに持ち主がわかった。
「加藤祐一、・・元、魁トレーディング部長・・ああ、権田の娘婿よ。離婚したらしいけど。」
「ということは、この事件、我が子を誘拐して、義父を脅してるってことになるな。」
「なんて親なの?・・我が子を怖い目にあわせて・・」
「これで、あそこにサキちゃんが監禁されているのはほぼ間違いないな。」
「じゃあ、すぐに助けに行きましょうよ。」

「待って!」
後部座席からレイが叫んだ。
「今、あそこには男が二人いるみたい。何か揉めてる様子よ。サキちゃんがとっても怖がってる。」
「何だって?加藤以外にも誰かいるのか?・・・一人じゃ、ちょっと無理だな。かといって、亜美を危険な目に会わせると署長がなあ・・・。」
「ねえ、出てくるわ。」

加藤が、何か言いながら、事務所から出て車に乗り込んだ。そして、すごい勢いで出て行った。
「よし、これで一人だな。踏み込むか!」
「待って!・サキちゃんの前に、何か・・・あ、男がナイフのようなものを持って立ってるみたい。」
「くそ!ナイフか!たいした武器じゃないけど、さきちゃんを人質にされたんじゃなあ・・。」

刑事ドラマでは、こういうシーンでは颯爽と踏み込んであっという間に解決なんてあるが、実際はそうはうまくいかない。逆上した犯人を取り押さえるなんて、そんな簡単じゃないのだ。

file1-5 救出 [同調(シンクロ)]

F1-5
「何とか、男を事務所から引っ張り出せれば・・・」
一樹はじっと考えた。
「よし!これから、俺が工場へ忍び込む。そして、機械や灯りか点ける。きっと不審に思って男が出てくるだろう。その隙に、亜美が事務所に入ってサキちゃんを連れ出せ!」
「いいわ、判ったわ。」
「私は?」
レイが訊いた。
「これは警察の仕事だ。一般人に何かあったら、懲戒処分くらいじゃ済まないんだ。じっとしていてくれ。いいな!」

そういうと、一樹は静かに車を出て、事務所の下をそっと抜けて、工場の中に入っていった。

「いや、参った。真っ暗で何もみえない。・・スイッチはどこだ?」
手探り状態で少しずつ前進すると、何かに躓いて転倒した。その拍子に、向う脛を思い切りぶつけて転がった。その勢いで、摘んであったプラスチックコンテナがガタガタと大きな音を立てて崩れた。
ベルトコンベアが動き始めた。その音は、事務所にも聞こえた。

「何だ?また、不良どもがいたずらに来たのか?今度こそとっちめてやる!」
事務所にいたのは、この会社の社長、武田だった。
「大人しくしてるんだよ、サキちゃん。何も怖くないからね。すぐにお父さんが来るからね。」
監禁しているにもかかわらず、武田はサキに対して優しかった。
武田はそういうと事務所を出て行った。

「出てきたわ。・・じゃあ、私の出番ね。」
亜美はそういうと静かにドアを開けて、工場の門の脇に身を潜めた。
武田が階段を下りて、工場に入っていったのを確認して、静かに階段を上がり、事務所の中に入った。
事務所のドアを開けると、椅子に座った状態のサキちゃんを見つけた。
「サキちゃん?権田サキちゃんね?警察よ。あなたを助けに来たの。もう大丈夫だからね。」
サキは、後ろ手に縛られ、さらにロープで体を椅子に縛り付けられていた。
サキは声も出さず、じっと亜美を見ていた。ロープを解くのに予想以上に手間が掛かった。

一方、一樹はまだ工場の床に転がったままだった。工場の入り口のドアが開いて、男が入ってくるのが判ると、そっと機械の下に身を潜めた。
「またいたずらしに来たのか!今度こそ、とっちめてやる。出て来い!」
男は声を荒げた。しかし、物音ひとつ聞こえてこない。男は懐中電灯を手にして、一樹の隠れている機械の傍にやって来た。
「おかしいな、コンテナは崩れてるし、誰かいるはずだが・・・。おい、誰かいるだろ!出て来い。」
男はそういいながら、機械を一回りしている。一樹は機械の足元に落ちていたパイプを握った。そして、男が機械のちょうど反対側に来た時だった。思い切り、男の足をめがけてパイプを振った。さっき、一樹がしこたま痛めたと同じ向う脛に命中。男はもんどりうって倒れた。機械の下から一樹は這い出ると、男に飛び掛かり、馬乗りになった。
「警察だ!サキちゃん誘拐容疑で逮捕する!」
その言葉に男は観念したように大人しくなった。
一樹はズボンの後ろのポケットに手をやってから、
「しまった、手錠もってねえや。」
辺りを見回し、落ちていたガムテープで男を後ろ手に縛り上げ、足にもガムテープを巻きつけて転がした。
「逃げるんじゃないぞ!!」
そういい残して、事務所に向かった。

事務所では、サキちゃんのロープを解こうと、亜美は必死になっていた。思っていた以上にロープは何重にも結ばれていてなかなか解けなかった。そうしているうちに、工場の前に車が停まった。先ほど出かけていった加藤が戻ってきたのだった。おそらく、権田宅へ身代金の催促の電話でもしに行ったのだろう。

事務所に煌々と灯りが点いている様子に、加藤も異常を感じた。
「あれほど灯りは点けるなと言っておいたのに。何やってんだよ!」
そう言いながら、加藤は階段を駆け上がる。
「おい!何やってんだ!」
そう言いながら、事務所に入ってきた加藤は、若い女が人質のロープを解いているのを見て、逆上した。そして、亜美に掴みかかろうとした。
その瞬間、加藤の後ろ頭に花瓶がぶつけられ、加藤は倒れてしまった。

車の中で大人しく待っていたレイが、加藤が戻ってきた様子に気づいて、階段の下の暗闇に身を潜め、そっと加藤の後に続いて事務所に来ていたのだった。
「よかった!間に合って。」

一樹が工場から出ると、加藤の車が戻ってきているのに気づいた。『まさか、亜美も人質になったか』と嫌な予感がして、階段を駆け上がった。事務所のドアが開いていた。

「無事か!」
「ええ、レイさんに助けられたわ。」
見ると、加藤は割れた花瓶と水浸しになった状態でのびていた。
「良かった、無事で。無茶すんじゃないよ。」



file1-6 置手紙 [同調(シンクロ)]

F1-6
ほどなく、刑事課の面々がサイレンを鳴らして現場に現れた。
「いやに早いな。亜美、連絡したのか?」
「いいえ、まだ。」

刑事課の佐伯と佐藤が入ってきた。
「お前ら、何してる?」
「いや・・」
「まあ、良い。権田サキちゃんだね。もう大丈夫だ。家に帰ろう。・・佐藤!加藤と武田、確保しろ!」
佐伯は調子よく、犯人を逮捕した。
「どうしてここが?」
一樹は不審に思って佐藤に尋ねた。
「さっき、権田宅へ身代金の催促の電話があって、逆探知で、岩崎町と特定できました。犯人は、加藤祐一だと、権田さんの話でほぼ特定できていましたから、魁トレーディングの関係者から、岩崎町の武田フーズにだいたい辺りをつけていたんです。・・素人の犯行ですし、すぐに特定できたんです。それより、矢澤さんこそ、どうしてここに?」
「いや、・・偶然・・かな。まあ、刑事の勘とでも思ってくれ・・まあ、またゆっくり説明するよ。」
そんな会話をしていると、佐伯が割り込んできて、
「困るなあ、部外者がこんなことしちゃ。人質が無事だったから良いようなもんだが、何かあったらどうしてくれるんだ。また、とんでもないミスでもされちゃ困るんだよ。さあ、現場を荒らさないようお引き取り願おうか。」
亜美がその会話を聞いて、佐伯に食って掛かりそうな表情を見せたのを一樹が気づき、ゆっくり制止した。
「へいへい、後は刑事さんたち宜しくね。・・ああ、武田は工場の中に転がってるよ。」
一樹はそう言って、レイと亜美の背を押しながら、階段を下りていった。
後ろから、佐伯が、
「悪いが、明日、事情聴取だ。一応、経過を聞かせてもらうから。」
一樹は振り向きもせず、亜美の車に乗り込んだ。

「まったく何よ!まるで自分たちが解決したような口ぶりで!一樹も何とか言ってやれば良いじゃない!」
亜美はまだ怒りが収まらない様子だった。
「レイちゃんが居なかったら・・」
そう言ってレイのほうを向いた、亜美が表情を変えた。
「ねえ、レイちゃん、レイちゃん、大丈夫?」
レイは、意識が朦朧とした表情だった。長い黒髪がところどころ白くなっていて、肩で息をしている。
「一樹、どうしよう。」
「大・・丈・・夫・・です・・・すこ・・し・・休・・め・ば・・」
レイが絶え絶えに小さな声で返事をし、憔悴したように意識を失った。

「私の家に行って!」
一樹は車を走らせた。亜美の家は、山手の住宅街にあるマンションだった。実家は署からほどない距離にあったが、一人暮らしがしたくて、父の反対を押し切って形で、住んでいた。しかし、マンションの資金は全て父親が出してくれていた。一樹も何度か玄関までは来た事があったが、部屋に入った事は無かった。
駐車場に車を停め、一樹がレイを負ぶって、部屋まで運んだ。

「意外に、レイって重いぜ。それに、まだ子どもかと思っていたけど・・」
その言葉に亜美が反応した。
「どこが子どもじゃないのかしら?」

レイをベッドに下ろすと、
「さあ、用事は済んだわ、さっさと帰って。私も疲れたわ。・・そうそう、明日、私非番だから、署へは行かないから、事情聴取は一樹一人でお願いね。まあ、そんなに佐伯さんも尋問めいた事はしないでしょうけど。それと、レイちゃんのことは、口外しないほうが良さそうね。言っても信じては暮れないでしょうけど。じゃあ、そういうことで。」
そういうと、亜美は一樹を厳寒に追いたて、靴を玄関の前に放り投げ、一樹を追い出すようにして、ドアを閉めた。
「なんだい、あの態度!だから、いつまでも彼氏ができないだろ!」
ぶつぶつ言いながら、マンションのエレベータのボタンを押した。
マンションの玄関を出たところで気づいた。ここに来るのに、亜美の車で来ていたのだ。一樹は、戻る足がなった。おまけに、カバンも署に置きっぱなしで、携帯電話も財布も何も持っていなかった。
「ここから、歩いて戻るわけ?なんて一日なんだ!」
そう言いながら、一樹は一人夜道を歩いた。

明け方近く、亜美のマンションの前に、黒塗りの高級車が停まった。
しばらくすると、マンションからレイが姿を見せ、その車に乗り込んで何処かに消えた。

翌朝、亜美が目を覚ますと、レイの姿は部屋になく、テーブルの上には、小さなメモが置かれていた。
『ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。
お世話になりました。
信じていただけてありがとうございました。
また、連絡します。 レイ』


file2-1 署長からの呼び出し [同調(シンクロ)]

F2-1
 翌日も翌々日も、亜美は署に顔を見せなかった。一樹は、レイのことが気がかりで、亜美が来れば、その後の様子も聞きだしたかったが適わなかった。

誘拐事件から3日後、一樹は夕方署長室に呼ばれた。
誘拐事件の際、捜査本部には報告もせず、勝手に現場に突入した事で、何らかの処罰をされるのだろうと思いつつ、署長室に向かった。
犯人を捕まえる事ができたとはいえ、警察官としてはやはり規則違反、いや、見込み捜査であり、何の確証も無く、勘だけで動いた事はやはり一樹も反省していた。だからこそ、レイの能力や信憑性についても確かめたかったのだが、今日まで叶わなかった。
一樹は所長室のドアの前で一息ついてから、
「矢沢です。入ります。」
そう言ってドアを開けて驚いた。
署長室には、署長以外にも、県警本部長や刑事課長、佐伯や佐藤の顔もあったのだった。
「オウ、来たか。それじゃあ、そこに立て!」
署長席の前に立たされた一樹は、何が起こるのか予想がつかず、どぎまぎしていた。
「署長賞!貴殿の活躍は他の模範となるものであり、表彰するとともに金一封を与える」
署長はそういうと、表彰状と金一封を手渡した。居並ぶ面々が、拍手をした。
一樹は面食らったが、とりあえず、表彰状を受け取った。
その様子を見ていた佐伯が、ぼそっと「運が良いだけさ、なあ佐藤!」とつぶやいた。

刑事課長の鳥山が、
「署長、そろそろ、こいつを刑事課に戻しても良い頃じゃないでしょうか?」
とせっついた。署長はにやりとしながらも、
「いや、まだだな。今回は、娘・・いや紀籐署員の協力・・いや、他の署員を巻き込んで危険な目にも遭わせたらしいから、まだ、もうしばらくは今のところで鋭意努力してもらいたいなあ。」
と少し意地悪そうに返答した。

表彰が終わり、皆が退室し始めたとき、署長が、
「一樹、この後、何か予定あるか?・・あるわけ無いな。付き合え!良いな!」

署長の名は、紀籐勇蔵。亜美の父親である。
矢沢一樹は、小さい頃、警官だった父を亡くし、母も追うように他界してから、児童用養護施設で育ったあと、高校生の時、紀籐と知り合い、何かと面倒を見てもらっていたのである。警官になったのも、父と紀籐の影響によるものだった。

二人は、署の階段を下りながら話した。
「一樹、まあ、もう例の事件のことは、気にするな。お前の良さは俺が一番知ってる。刑事課にはいつでも戻してやれる。・・ただ・・これから、お前にやってもらいたい事があるんだよ。」
例の事件とは、1年ほど前の窃盗犯の事件の事だった。外国人の窃盗団が、橋川市に入ってきて、署を挙げて検挙に躍起になっていた。一樹は、同僚の葉山一郎と二人で深夜パトロールに就いていた。鷹丘町の住宅街で、黒塗りのバンが公園前に駐車しており、向かいの家の窓が割れる音が聞こえた。二人はすぐに現場に駆けつけた。体格の良い男3人が住宅の中庭に居た。すぐに、一樹が現場に飛び込んだ。
「警察だ!」
そう叫ぶと、3人は停めてあったバンに乗り込もうとした。一樹は、一人の腕を掴んで押し倒した。男は抵抗し揉み合いになった。男が洋服の下に忍ばせたピストルを取り出し、1発発射した。弾丸は、一樹の太ももを貫通した。すぐに、一樹は男の手首を掴んでピストルをもぎ取ろうとした。しかし、その弾みで、暴発した。運悪く、その弾丸が葉山の頭を貫通した。
葉山は一命は取り留めたものの、意識不明のまま緊急入院し、現在も意識が回復しないままだった。
犯人にも逃げられてしまった。
事件の状況は一樹の証言以外に無いため、事件・事故の両面で県警本部でも審議されたが、決着はつかず、一樹の責任は問えないものの、そのまま刑事課勤務にしておくことはできないと判断され、署長が今の部署へ配置転換をして、決着をつけたのだった。
「わかってます。それに、葉山はまだ病院にいます。奥さんにも申し訳ないですから・・。」
署長は、一樹の背中をぽんと叩いて、
「よし!署長賞の祝いをしよう。行きつけの店で騒ぐとするか!」

file2-2 レイの能力(チカラ) [同調(シンクロ)]

F2-2
「また、ここですか?」
「何だ、文句あるか?」
紀籐の行きつけの店は、署から歩いてすぐのところにあるカラオケ店である。
まったく下戸の紀籐は、しばしばここに一樹を誘ってきていた。店長とも顔なじみで、ドアを開けて入ると店長はそっと指差して、入り口近くの部屋を案内した。
部屋のドアの飾りガラスから部屋を覗くと、そこには、亜美とレイの姿があり、二人でマイクを持って楽しげに熱唱していた。

「おう、早いな。」
「パパ、遅いんだから。呼び出したのはそっちでしょ!もっと早く来てよね。まあ、レイちゃんと楽しくやってたけど。」
「すまん、すまん。・・・一樹、まあ、座れ。今日は一樹の署長賞の祝いだから、好きなものを注文しなさい。今日はおごりだ。」
一樹の祝いだといいつつ、亜美やレイが来ていることで、一樹は署長が誘拐事件のいきさつについて興味を持っている事はわかった。ただ、実際、一通り説明したところでどこまで信じてもらえるかは疑問に思いつつ、席に着いた。

「パパ、こちらがレイさん。誘拐事件の通報者。」
「初めまして、神林レイです。」
「やあ、初めまして。亜美が助けてもらったようで、ありがとう。・・・君、神林と言ったね。」
「パパ?神林さんって何か?」
「いや、ちょっと昔の知り合いでよく似た・・いや・・なんでもない。・・大体の話は、亜美から聞いたんだが・・どうにも信じられなくてね。・・それで、直接会って話を聞きたいと思ってね。」
「署長!・・俺も最初信じてなかったんですよ。・・今でもまだ半分くらいは・・」
「まあ、一樹!レイさんのおかげで署長賞ももらえたのに、まだそんな事言ってるの?」
「だって、そうだろ。・・おれもあれからいろいろ考えたんだ。ひょっとして、レイさんが偶然、サキちゃんが連れ去られるところを見て・・」
「まったく疑い深いんだから・・じゃあ、工場の場所や監禁されてる様子なんか、どうしてわかるのよ!」
「いや、私も、亜美から聞いた時、何を言ってるのか判らなかったくらいだ。もし、そういう能力があるのなら、刑事が汗水たらして動き回る事は無駄になる、その内、警察は要らなくなるんじゃないかな。」
「もう!本当に男どもはどうしようもない生き物なんだから。」
「まあ、そう言うな。少し、レイさんの事も知りたいんだが・・」

レイは自己紹介をした。
「神林レイです。年は、亜美さんより1歳年上で26歳です。大学を卒業して、今は家の手伝いみたいな事をしています。」
「え!亜美より年上なのか?まだ、二十歳前くらいかと・・亜美はやっぱり老けて・・」
「何なの!?一樹、どういうこと?」
「まあ、良いじゃないか。で、大学では何を?」
「医学部で・・」
「え?お医者さんなの?知らなかった。だって、家事手伝いって言ってなかった?」
「じゃあ、ご実家は病院を?」
「と言う事は、港町にある神林病院と言う事かい?」
「はい。」
そう聞いて、紀籐はじっと腕組みをし目を閉じて黙り込んでしまった。

「ふたりとも、何なのよ!取調べでもしてるつもり?」
「・・すまん、すまん。いや・・その・・君の能力について教えてもらいたいんだが・・」

レイは、誘拐事件の経過を追いながら、強い恐怖心から発せされる『思念波』をキャッチできる事、相手と同調する事で五感を共有できる事、能力を使うと体力を使い一時的に動けないくらい憔悴してしまう事などを話した。

「いつからそんなチカラが使えるようになったんだい?」
一通り話を聞いた紀籐が質問した。レイは少し困った顔をした。
「それが・・・よくわからないんです・・・小さい頃から勘が良いとは言われてましたけど・・はっきり意識したのは、6年ほど前です。」
「6年前と言えば、管内で連続暴行事件が起きた頃だ・・・未解決のままだが・・・」
「ええ、その頃、夜になると底知れぬ恐怖が襲ってくるようになって、最初、精神的な病気にでもなったのかと思ったんですが・・ある日、新聞で事件を知って・・ちょうど、事件の起きた日時と一致するので・・もしかしてと思っていたんです。」
「偶然じゃ・・なかった?」
「確か、最後の事件の被害者は、殺害されたんですよね。」
「ああ、18歳の女の子だった・・・部活の帰りに襲われたらしいんだが・・・。」
「異常に強い思念波を感じて、屋上に出たんです。ちょうど事件の起きた方向に、青い閃光のようなものが見えて・・その直後に・・」
そう言いながら、その時の状況を思い出したのか、レイは急にガタガタと震えだした。
「レイちゃん、大丈夫?良いのよ、無理しなくて・・」
亜美がレイを労るようにして、テーブルの上のアイスコーヒーを差し出して飲ませた。

file2-3 女の子の叫び [同調(シンクロ)]

一樹はそれまでのやり取りをじっと聞いていたが、レイの様子を見て、
「わかった。レイさんに能力があることは信じるよ。でも、その能力は使わないほうが良い。この間も、助け出したあと、すっかり意識も無くすほどになったじゃないか。・・凶悪事件はいくらでも起きるんだ。そういうのは俺たちの仕事だし・・なあ、そのチカラを封印する事はできないのかい?」
一樹の意外な言葉に、亜美が驚いて、皮肉めいた声でこう言った。
「なんだか、妙にレイちゃんには優しいのね。」
「いや・・そうだろう。被害者の感じるもの、見えるものがわかるって事は、苦しさとか痛みとか全て共有する事になる。レイさんが、直接、酷い目に遭うのとおなじだろう。そんなの耐えられるわけがない。俺なんか、殺害現場で遺体を見るだけでも耐えられないんだ、ましてや、その状況の中に居たとしたらどうだ?」
一樹がいつになく真面目に言ったことで、亜美は、自分自身が恥ずかしくなったと同時に、少し一樹を見直していた。

「そうだな。」
紀籐も、一樹の言葉に同調した。しかし、当人のレイは、
「いえ、そうじゃないんです。確かに一樹さんの言われるように苦痛は伴います。でも、この能力は自分ではどうしようもないんです。・・勝手に、思念波が飛び込んでくるんです。」
「使わないという事ができないのか。」
「ええ、だからこそ、最初の思念波を感じた時に、一刻も早く助けてもらいたいんです。より強い恐怖や苦しみにならないように・・・それで・・私の・・いえ、私も救われるんです。」

「ねえ、パパ、何とかならない?」
レイの必至の言葉に、亜美も何かできることはないのかを考えつつ、紀籐に尋ねた。
「レイさんの思いはわかった。だが・・・」
「ダメだって。結局、この前も危ない状況にレイさん自身も巻き込んでしまっただろう。」
「でも、このままじゃ、レイさんはずっと辛いまま。私たち警察は、事件が起きてから犯人を追いかけることには必至でも、事件を未然に防ぐ事ができないんだし・・レイさんの力を借りて、事件が速く解決できるなら、被害も小さく済むわけだし・・・そうよ、レイさんの能力で事件を解決するのが一番なんだってば。」

「あ・・・また・・・」
レイが急に頭を抱えるようにして蹲った。
「どうしたの?レイちゃん!」

「いや・・・怖い・・真っ暗な部屋の中・・・隠れてる・・・怖くて・・・」
その形相は尋常ではなかった。まるで自分が囚われているかのように、手足を縮めガタガタと震えている。
3人は顔を見合わせた。

「レイちゃん、何?何が起きてるの?」
顔を覗き込むように亜美が問いかける。
レイは目を開き、我に返ったような表情で
「どこかに小さな女の子が閉じ込められて・・いや・・隠れてる・・見つからないように・・クローゼットの中みたい。」
「他に様子はわからない?」
「怖くて目を閉じてるみたい・・じっとしてる。」
「名前とか・・住所とか・・何か手がかりになるようなものはないか?」
一樹が問う。先ほどまで否定的だったものの、この状況では動かざるを得なかった。
レイは首を振るだけだった。
「何でも良いんだ・・そうだ!何か、音は聞こえないか?」
レイはじっと精神統一するように目を閉じた。
「信号・・横断歩道の音・・そう、音声案内の音が聞こえてる。でも余り近くじゃないみたい。」
「他には?」
「・・・隣の部屋から音がする。・・・何か言い争っているような男の怒鳴り声。」
「夫婦喧嘩?」
「いや違うだろう。それほどの恐怖、隠れてじっとしている事、何かの事件に巻き込まれてるはずだ。」
「あ・・今、何か落ちて割れた音・・女の人の声もする。・・・きっと大人二人が隣の部屋に居るんだわ。・・」
「やはり強盗か何か・・場所がわかれば・・」
「女の子が、『ママ』って小さくつぶやいたわ。きっと女性が脅されてるみたい。」
「よし!署に戻ろう。戻って、音声信号のある場所をまず洗い出して、絞り込んでいこう。」
4人は店を出て警察署に戻った。

file2-4 場所の特定 [同調(シンクロ)]

F2-4
署に戻った4人は、一樹の勤務している資料室に入った。
早速、亜美がパソコンを使って、市内の音声信号のある地点を検索し始める。
「ダメだわ。市内に20箇所以上あるわ。一つ一つ当たってたんじゃきりがない・・」
亜美はパソコンの画面を睨みつけ、市内の地図画面から、何かヒントになるようなものはないか、考え込んでいた。

一樹は、レイを資料室の机の脇にあるソファ・・いつも一樹が昼寝をしている廃物同様の代物だが・・に座らせた。
紀籐は、一旦、署長室に戻り、専用のパソコンを使って、何かを調べ始めた。

「ねえ、他に何か手がかりになるものはないかしら。」
レイは再びシンクロを始めた。
「・・・何も見えない。・・・あ・・何?・・救急車のサイレンの音。すぐ近くだわ。」
「じゃあ、消防署で絞り込んでみましょう。・・ええと・・4箇所。全て音声信号の近くだわ。」

一樹は、そこまで聞いて、
「俺、とりあえず、その4箇所を回ってみるよ。何か、手がかりが見つかるかもしれない。何か判ったら、携帯で知らせてくれ!」
そういうと部屋を飛び出していった。

内線が鳴った。
「おお、亜美か?一樹は出て行ったな?」
「今、飛び出して行ったわ。とりあえず、市内の消防署4箇所の周辺を見てくるからって。」
「そうか・・今、消防署に問い合わせしたんだが、ちょうど2箇所で救急車が出動したらしい。どちらかだと思うんだが・・」
「ねえ、何で消防署に?」
「すまん、すまん。署長室にはモニターがあって、各部屋の音声を聞けるようになってるんだよ。署員は皆知らないんだが・・まあ、署長の悪口もたくさん聞くことになるけどなあ。」
「んもう!・・で、その2箇所って?」
「上田町と磐田町だ。」
「レイちゃん、どちらだと思う?」
レイはしばらく考えてから
「私の力はそんなに遠くは届かないんです。だから、おそらく、磐田町だと・・」
「よし、一樹に連絡して、磐田町の消防署周辺を調べるように伝えてくれ。」
「わかったわ。」

亜美は、すぐに携帯で一樹に連絡した。
「ちょうど今、磐田町に向かったところだ。1,2分で到着する。だが、ここからどうやって絞り込む?」
「もう少し、レイちゃんにシンクロしてもらうから・・」
「余り無理をさせるなよ。」
「やっぱり・・レイちゃんには優しいのね?」
「馬鹿言ってんじゃないよ!」

亜美に言われるまでもなく、レイはそのままシンクロを続けていた。レイは、まるで、隠れている女の子のような姿勢で足を抱え込み、背を丸め、じっと目を閉じている。時折、びくっと体を緊張させ、更に頭を縮めるようなしぐさもしている。

「声が・・声が聞こえる。・・今度はすぐ近く。きっと女の子の部屋に入ってきたみたい。」
「何て言ってる?」
「男の声・・『もっと金になるものがあるだろう。病院をやってるんだから』って言ってるみたい。」
「病院?・・そうか、きっとその家、病院の経営者ね。・・でも、磐田町には大きな病院はないわ。・・美容院かしら?・・でもね・・」

また、内線電話が鳴り、紀籐の声がした。
「亜美!それはきっと、加藤美容クリニックの院長宅だ。・・確か、磐田町にあるはずだ。」
「え?・・あ、そうか。病院長の家ね。ええと・・あ・・あったわ。」
「すぐに一樹に連絡だ。それと私たちも向かおう。」

亜美は、立ち上がり、レイのほうを見た。すると、レイはソファの上に座ったまま、体を強張らせ動かない様子だった。
「どうしよう。レイちゃんが、動けなくなってる。」

署長室から紀籐がやってきた。
「そうか、こんなに辛い事になるのか・・・でも、この娘が居ないと、これ以上は厳しいな。・・仕方ない、惨いようだが、一緒に行ってもらうしかない。」
そういうと、紀籐は、レイの丸まったままの体を包み込むように抱えると、署を出ていった。
レイの体を抱えた紀籐は、特別な感覚を憶えていた。懐かしいような、悲しいような、これと同じような感覚を、はるか昔感じていたのである。まだ、若かった20代の頃、遠く記憶から消し去っていた感覚だった。
レイの名前を聞いた時、まさかとは思っていたのだが、レイを抱きかかえてみて、自分の予想がおそらく確実なものだろうと考えていた。
レイは、抱きかかえられながら、徐々に体の強張りが緩んでいき、安らかな気持ちになっていくのを感じていた。

「パパ!もう良いわよ。ほら、レイちゃん、もう大丈夫よね?」
亜美の声で我に返った。亜美が車のドアを開けて、立っていた。

file2-5 電話 [同調(シンクロ)]

F2-5
一樹は、[加藤]という表札のある大きな邸宅の前に居た。
門柱や玄関の明かりは点いていたが、ほとんどの窓にはシャッターが下りていて、中の様子はわからなかった。
何とか中の様子を探ろうと、家の周りを歩いてみたが、邸宅は、すっぽりと2メートルほどの高さのブロック塀に囲まれていて、更に、防犯用の鉄条網が塀の上に張り巡らされていた。これほど用心深い家なのに、何故、強盗に押し入られたのかは疑問だった。一回りしてみたが、やはり、一旦、中に入って庭のほうから探るしかない状態だった。とはいえ、自分ひとりでは、心許ない。署長や亜美の到着を待つ事にして、一旦、車に戻った。

しばらくして、署長や亜美も到着した。一樹は家の様子を説明した。

「レイちゃん、何か変化はない?」
レイはすぐにシンクロを始めた。しかし、首を横に振り、
「女の子は疲れて寝てしまったみたい。・・何も感じられないわ。シンクロする相手が眠ってしまったり、気を失ったりするとダメなの。」
「そうか・・せっかく、ここに来てもらったのだが・・」
紀籐は、連れてきたことを後悔した。

「ここに間違いないんだよな。」
一樹が何か考え付いたように言った。そして、
「なあ、冷静になって考えればいいんだよ。俺たち、レイさんに頼りすぎてないか?あそこに、強盗がいる事がわかっているのなら、通常の事件と同様に対応すれば良いんだよ。」
一樹の言葉に、亜美が反応した。
「そうね。中には、加藤院長とその子どもが居て、強盗に脅されているのよね。何とか中に入ってその強盗を取り押さえればいいわけだから・・。刑事課や防犯課の応援を頼むのはどうかしら。ねえ、パパ。」
「おいおい、まだ、事件の通報があったわけじゃないし、応援を得るには、状況を確実にして、その対策を取る事が前提だ。・・この状況をどうやって説明する?」
「そこは、パパの一言で!」
「ダメだ。私もそうしたいところだが、レイさんの能力を説明するのはどうだ?不思議な力を持つ女性なんていうのは、そう理解されるものじゃない。それに、今から応援を頼むとしても、かえって大騒ぎになって、犯人を立て篭もらせてしまって、人質として危害を生む危険性だってあるだろう。」

皆、考え込んだ。
「とにかく、中の様子をもっと知る事が先決だ。」
紀籐が口を開く。
「判ったわ、私が電話をしてみる。まさか、警察からとは思わないだろうから・・中の様子が少しでもわかればいいんだし・・」
網は携帯を取り出して電話をかけた。署を出る時、加藤院長の個人データは確認しておいたのだ。
「ええと・・加藤由紀 40歳 独身・・娘が一人・・麻綾ちゃん・・電話番号は・・」

電話の呼び出し音が鳴った。
加藤宅では、犯人が一瞬たじろいだ。由紀は犯人の顔を見た。強盗犯は、鳴り続ける電話に苛立ち、由紀の背をつつき、出るように指示した。

「ハイ・・加藤です。」
怯えるような声でようやく返事をした。
「もしもし、加藤由紀さんですね。私は紀籐亜美と言います。橋川署のものです。今、強盗に押し入られていますね。」
由紀は返事をためらったが、短く「ハイ」とだけ答えた。
「怪しまれないよう、病院からの電話だと言ってごまかしてください。」
「ハイ。」
加藤由紀は、犯人に向かって、「病院からの電話です。」
犯人は、睨みつけ、「おかしなことを話すんじゃないぞ!」と言った。
「要件は?」
加藤由紀は、病院からの事務的な要件を受けるような冷静な声を出して聞き返した。
「今、外に待機しています。犯人は一人ですね?」
「ハイ。」
「何か武器のようなものを持っていますか?・・いや、犯人は凶器を持っていますか?」
「ハイ。・・あ・そうだ・大きなサイズのメスが何本か必要だから、用意しておいて。」
この返答に、亜美は少し戸惑ったが、すぐに犯人がナイフを見せて脅しているのだと判った。
「すぐに、・・私が迎えのための看護士になって伺います。いいですね。」
「判ったわ・・でも、少し時間をちょうだい。支度をするから・・それと、必ず、裏口からね。」
「すぐに助けに行きます。安心してください。」
「ハイ。」

このやり取りに、強盗犯が痺れを切らして、「おい・・もう切るんだ!」と怒鳴った。
「おい!いい加減にしろ!」
そう怒鳴ると、加藤由紀から受話器を取り上げて、床に叩きつけた。
「病院から迎えが来るわ。緊急に手術が必要な患者が居るの。」
「そんな事、知った事じゃねえ。・・あれだけ、あくどい事やってるんだから、たいそう、宝石とか時計とか、金目のものを持ってるんだろう。素直に出せば、俺もさっさと引き上げる。」
「こんな事をしてただで済むと思ってるの!」
「どうせ、警察には通報できゃしないだろ・・まあ、その辺は、これからの楽しみで・・これで済むとは思うなよ。」
「あなたこそ、こんな事をして、報復が怖くないの?」
「何が報復だよ。そんな事をすればもっと酷い事になるぜ。」

強盗犯は引き続き、由紀を脅して、部屋の中を物色した。

亜美の携帯からは無機質な音がツーツーと流れた。
「犯人は一人みたいね。・・残念だわ・・多分、電話機は壊されたみたい。でも、糸口は掴めたわ。」
「一人か・・それなら、何とかなるかもな。」
「でも、どうやって中に?」
一樹は、あまり可能性というものを考えず動くタイプで、少し思いつきのようなことを言った。
「待って。・・さっき、裏口からって言ってたわ。おそらく、裏口のほうが何か可能性があるんじゃ。」
「そうか。裏口から中には入れるんだろう。」
一樹はそういうともう裏口へ走っていた。
その様子を見ながら、亜美は、先ほどの電話の会話を思い出していた。
強盗犯に脅されている割りに、加藤の返答はしっかりしていた。自分に危害があるとは感じていないような不思議な感じがしていた。

file2-6 裏口 [同調(シンクロ)]

F2-6 裏口
「あ、女の子が目を覚ましたみたい。」
レイが突然口を開いた。
「シンクロ出来そう?」
亜美が心配げな顔で問いかける。レイは、より神経を集中するように、両手で頭を覆い、少し猫背になる、いつもの姿勢になった。黒髪が少し青みがかって光っているように、亜美には見えた。紀籐はじっと外の様子を探っていた。

「今、隠れていたクローゼットから顔を出してる。・・女の子の部屋みたい。ランドセルが転がってる。・・窓のほうに・・今、窓のロックを開けたわ。・・多分、逃げようと思ってる・・ダメ・・また、階段を上る足音で・・クローゼットに隠れたわ。」

一樹が一旦車に戻ってきた。
「無理だな。裏口からは入れそうだが、庭に回るのはちょっと難しい。他に方法はないかな。」
「一樹、今、レイちゃんがシンクロして・・女の子の様子がわかったわ。・・2階の窓、開けたみたい。」
「じゃあ、ベランダに出てるのか?」
「いいえ、またクローゼットに隠れたみたい。」
「そうか・・2階の窓はロックされていないんだな!」
一樹は、さっきの思いつきを今一度試そうと考えた。
「俺が、何とか、2階のベランダに入り込む。その間、亜美が犯人を1階に引き付けてくれ。」

そういうと一樹はまた裏口に回った。裏口には小さな門扉があったが、鍵は掛かっていなかった。
強盗犯に気付かれないよう、そっと中に入り込むと、すぐにガレージに取り付いた。都合よく、ガレージの脇には、自転車があり、それを足場にして、ガレージの屋根に上がった。おそらく犯人はいま物色中であり、外の様子など注意を向けてはいないと確信して、ガレージの屋根伝いに、屋根まで登っていった。
ゆっくりと気付かれないように、ようやく2階のベランダ近くまでたどり着いていた。

その様子を見て、亜美と紀籐は、裏口に回った。
紀籐はスタンガンを取り出し、亜美に渡した。
「拳銃を使うわけにはいかないから、これでも役に立つだろう。」

裏口には、インターホンはなく、古いタイプのチャイムがついているだけだった。
玄関からだとカメラ付インターホンで、犯人にも外の様子が見えてしまう。だから、裏口へ回るように行ったのだろうと考えた。

亜美はチャイムを3回も押した。家中に響くほどの音量でチャイムが鳴り響き、3度も押したせいで、しばらく室内に響いていた。

鳴り響くチャイムに一番驚いたのは強盗犯のようだった。あわてて、加藤由紀を羽交い絞めにし、キッチンに隠れた。そして、どう対処しようか考えているようだった。

「顔を・・出さないと・・かえって・・不審に・・思われるんじゃ。」
やっとの思いで吐き出した由紀の言葉に、
「よし。だが、おかしなマネはするなよ。適当に言って追い返すんだ!いいな!」
そういうと腕を緩めた。そして、ゆっくりと、強盗犯は由紀を連れて裏口へ向かった。

2階では、先ほどのチャイムを合図に、一樹がベランダから窓を開けて部屋の中に入っていた。
真っ暗な部屋の中。外から差し込む街明かりで何とか様子がわかる程度だった。子供部屋には、広すぎるほどだが、強盗犯が物色したのか、机の上もベッド周りもいろんなものが散乱している。
一樹は、クローゼットを見つけると、ゆっくりと開けた。中には小学生の女の子が震えながら座っていた。

一樹はささやくように少女に言った。
「声を出さないように!もう大丈夫だ。僕は、矢沢一樹。警察官だ。君を助けに来た。」
少女はこくりとうなずき、一樹に抱きついた。少女は恐怖でかガタガタと震え、一樹の体を締め付けるほどの力で抱きついていた。
「もう大丈夫だ。怪我ないかい?」
また少女はこくりとうなずいた。

file2-7 スタンガン [同調(シンクロ)]

F2-7 スタンガン
強盗犯は静かに裏口に立ち、覗き穴から外の様子を見た。裏口には街灯はなく、ぼんやりとしか外の様子がわからない。人影は見えるのだが、人相までは判らず、苛つきながら、由紀に返事をするように指で示した。
「ハイ。ご苦労様。・・」
「先生!さあ、お急ぎ下さい。もう準備はできています。」
「ええ・・でも・・」
由紀はそういうと強盗犯を見た。強盗犯は由紀の耳元でささやいた。
「よし、ドアを開けて中に入れろ。お前の代わりに、人質にしてやる。ゆっくりと開けろ。」
強盗犯に言われるまま、ドアをゆっくりと開けた。

外では、亜美がドアが開くのを待っていた。由紀がドアを開ける。
「先生!」
その声と同時に、強盗犯が脇から手を伸ばし、亜美の腕を掴んで中に引き入れようとする。入れ替わりに、由紀がドアの外に飛び出した。ドアの脇に隠れていた紀籐が、由紀を受け止めた。
「もう大丈夫です。」
その声と同時くらいに、強盗犯が「ううっ」という呻き声を出して倒れた。

亜美が、強盗犯に首筋にスタンガンを押し当て、スイッチを押したのだった。その様子は、大きな物音になって、2階に居た一樹と少女にもわかった。
一樹は少女を抱き上げ、ゆっくりと階段を下りた。

キッチン脇にある裏口の板の間に、強盗犯は気絶していた。

紀籐はすぐに署に連絡をした。当直の刑事が電話口で状況を聞き、飛び出してきた。
しばらくすると、けたたましいサイレンを鳴らしながらパトカーが到着し、すぐに立ち入り禁止のテープが加藤邸の周囲に張られた。近所の住民も住宅街での突然のサイレンに集まってきて、「何があったのかしら」「強盗らしいわよ」と口々に話していた。

「署長!」
「おう、早かったな!」
やってきたのは、佐伯と佐藤だった。
「一体、どういう事ですか?強盗の通報なんてなかったし・・それに、何で、矢沢やお嬢さんまで?」
「まあ、いいじゃないか。現行犯逮捕だ!すぐに連れて行ってくれ。・・俺たちもすぐに署に戻る。状況はその時に・・」
佐伯は犯人の体を揺さぶり、起こした。
「さあ、立て。・・お前、強盗に入るにしては覆面もせず・・凶器はこのナイフか?あとで、人質は殺すつもりだったのか知らないが、これじゃあ、人は殺せないぜ。・・間抜けなのか、大胆なのか、まあ、良い。署でみっちり取り調べてやる。」
そういうと、さっさと手錠をかけ、引っ張っていった。
「矢澤先輩、またお手柄ですね。これで、刑事課へ戻れるんじゃないですか?」
後輩の佐藤が小さな声で一樹に言った。一樹は、佐藤の肩をポンポンと叩いてから、首を振った。

リビングの隅には、由紀と少女がいた。
少女は恐怖の中で精神的に疲れてしまったのか母親の脇で静かによこになっていた。由紀は、娘の様子をあまり心配しているようではなく、むしろ、他の事を考えているようなしぐさをしていた。
「加藤さん、お怪我はありませんか?」
紀籐が声をかけた。
「ええ、大丈夫です。」
すぐに救急車も到着し、加藤由紀と女の子を乗せて病院へ向かった。

現場検証も始まり、紀籐は事件の状況を鑑識官に説明していた。
亜美と一樹は、レイの様子が心配になり、待機しているはずの亜美の車に戻ってみた。しかし、助手席には、レイの姿はなく、前回のときのような置手紙が1通置かれているだけだった。

『ありがとうございました。用事ができたので帰ります。また連絡します。 レイ』

その手紙を取り上げて、亜美が、
「また、これなの?・・でも、あの喧騒の中で・・疲れているでしょうに、どうやって帰ったのかしら。」


file3-1 最上階の特別室 [同調(シンクロ)]

 レイは、神林病院の最上階14階にある特別病室に居た。
 ドアの前には、入院患者名を示す名札は出ていない。
夜遅くから降り始めた雨で、窓ガラスには雫が行く筋も流れ落ちていた。レイは雨に滲む街明かりをじっと見つめていた。
 病室の中には、人工心肺や点滴、心電計等最先端の医療機器が整然と置かれていて、正確なリズムを刻む音だけが響いていた。
白いベッドには、美しく長い黒髪、白く透き通るような肌の女性が横たわっていた。そのさまは、「眠れる森の美女」であった。
 レイは、ベッドに向き直り、呟く様に言った。
「これで良いのよね。」
そして、その女性の手を強く握り、大粒の涙を零した。

しばらくして、病室のドアをノックする音がした。
「レイ、いるのかい?」
「ええ。」
病室に入ってきたのは、祖父で病院長の神林章一郎だった。白衣に聴診器のいでたちで、頭髪はすっかり白髪ではあるが、現役の医師としての風格をもった人物である。専門は脳外科である。今も、手術を一つ終えたところであった。
章一郎は、病室に入ると、医療機器の数値やモニターを一通り見て、横たわる患者の顔を覗き込んだ。そしてため息を一つついた。そして、レイに向かってそっと病室の外へ出るように指差した。

章一郎とレイは、エレベーターの中にいた。
「おじいさま、お疲れじゃあ・・」
「ああ、さっき、一つ手術を終えたばかりだ。いや、そんなに難しい手術じゃなかった。」
「そう・・」
章一郎もレイも本題の話は別にあるのだが、なかなか切り出せなかった。

エレベーターは1階に着いた。
病院から自宅は、通路でつながっていた。二人が歩く足音だけが響いていた。

「あまり無理をさせないほうがいい。」
章一郎の低い声が響く。レイも様子をみてわかっていた。
「ええ・・でも・・私のほうからは・・」
「それは、判っているよ。だが、かなり疲れが出ているようだ。今日も、何度か、発作を起こしていた。」
「あとどれくらい・・」
「今は、何とか機械に頼っているというところだ。・・しかし、末梢部分はもうかなり機能低下している。限界かもしれない。」
「そう・・」
「きっと本人が一番判っていると思うが・・」
「もう少し時間が欲しいわ。」
「ああ・・しかし・・・」
それ以上のことは口にしなかった。
口にしたところで何も変わるわけではないのは判っていた。今はできる事を精一杯やるだけだと、二人ともわかっていたのである。

自宅の前に着いた。病院と同じく無機質なスクエアな建物に明かりはついていなかった。
玄関を開けると自動で室内照明がつく。広々した玄関から廊下、2階に続く螺旋階段。所々に飾られた油絵。隅々まで掃除が行き届いていた。レイは2階にある自分の部屋に向かおうとした。

「レイ、お前は大丈夫なのか?」
「ええ・・でも、意識をつないでおく事はかなり大変・・だんだん混沌としてくる時間が長くなって・・」
「無理するんじゃないよ。お前だって、いつ・・」
「判っています。いつか私も・・」
「大丈夫だ。自分をコントロールすれば大丈夫さ。今回の件が終われば、その力は封印してあげるから。」
レイは章一郎の言葉を聞きながら、自分の運命を想像し、涙を零した。そして、ゆっくりと階段を上がっていった。

file3-2 署長室にて [同調(シンクロ)]

F3-2 ふたたび署長室にて
強盗事件の翌日、事件の検証や取調べで、橋川署はバタバタとしていた。署長や亜美・一樹も、事件の状況説明や検証への立会い等で動き回っていた。被害者からも聞き取りをする予定だったが、体調が優れないと言い、自分の病院に入ったまま面会できなかった為、後日となった。
夕刻には、何とか一通りの裏づけ捜査は終了し、一樹や亜美は解放された。

いつもの資料室で一樹は古びたソファーに横になっていた。そして、ぼんやりと、レイの能力を思い返していた。
「これでいいのかなあ。」
ぼそっと呟いて、天井を見上げた。夕日が窓から差し込んで、部屋の中がオレンジ色になってきた時、内線電話が鳴った。署長からの呼び出しだった。

署長室に入ると、署長と刑事課の鳥山課長、そして亜美が、立派なソファーに腰掛けて一樹を待っていた。
「よし、来たな。まあ、座りなさい。」
どういう状況か読めないまま一樹は亜美の隣に座った。
紀籐は、二人の顔をしげしげと見ながらこう言った。
「本日付で、矢沢一樹と紀籐亜美を刑事課配属とする。」
突然の辞令で二人とも顔を見合わせた。
「ちょっと、パパ!・・いえ、署長。どういうことなのか御説明下さい。」
「いや、そのまんまなんだがな・・・・二人のこれまでの活躍を評価して、刑事課で頑張ってもらおうと、鳥山君とも相談して決めた事なんだが・・」
紀籐署長は、にやにやしながら、まだ何か含んでいるものがあるような答え方をした。

「ですが、署長!・・これまでの活躍って言われても・・あれは・・レイさん・・いや・・偶然の・・」
一樹がこう言ったところで、刑事課長の鳥山が口を開いた。
「一連の事件の経緯は署長から全てお聞きした。私もまだ半信半疑なんだが、まあ、実績にはなっているわけだし・・もともと、君は刑事課に戻してもらいたいと私からお願いしていたんだから。」
「ですが・・じゃあ、・・いや・・亜美さんはどうなんですか?庶務課で捜査のイロハさえ知らないし、第一危険な仕事です。署長のお嬢さんでもあるわけですし・・」
そう聞いて、紀籐署長が応えた。
「判った。全て説明する。・・二人は刑事課配属だが、刑事課とは別に動いてもらう。そう・・レイさんのチカラを活かせる、いや、レイさんを守る為に、二人で特秘チームとして働いてもらいたい。レイさんが捉えた事件を被害が出る前に処理するんだ。」
「そうなると・・」
一樹が聞きたいことは判っていた。

「そう、表向きは今と変わらない。ただ、亜美は資料室に移ってもらう。いつ、レイさんから連絡が入るかわからないからな。それと、資料室には新しいパソコンを入れる。市内と言わずより多くの情報が掴める様に、私のIDで情報が取れるようにしておく。・・まあ、他に必要なものがあれば言ってくれ。」
「わかりました。今よりももっとレイさんを守れるし、犯罪も防げるようになるのなら・・ありがとう、パパ・・イエ、署長。」
亜美は署長の説明にいたって乗り気になっていた。
一樹はレイの憔悴した状況を知っているだけに、すんなりとは受け入れられない。

「良いんでしょうか?・・レイさんを本格的に事件に巻き込むことになるようで・・負担も大きいんじゃ。」
「うむ。それは私も気掛かりだが・・一度、御両親にも御挨拶と了解をいただかないといけないな。」
「じゃあ、これから、私たちで先にレイさんに会いに行きましょう。いきなり、署長が訪問するのもね。」
亜美はそういうと立ち上がり、一樹の腕を掴んで出て行った。一樹は不承知の様子ながらも亜美にしたがうことにした。

「おい!亜美!待てってば。・・会いにいくって、レイさんの自宅、知ってるのか?」
亜美は、鞄から車のキーを取り出しながら、
「ええ、わかってるわ。彼女、神林レイって言ったでしょ。だから、神林病院に行けば会えるでしょ。さあ、車、運転してちょうだい。」
そう言って一樹に車のキーを投げた。


file3-3 密談 [同調(シンクロ)]

F3-3 密談
二人が出て行った署長室で、
「あとは、鳥山君にバックアップを頼む。あの二人は暴走しかねない。一樹が言ったように、亜美にもレイさんにも決して危害が及ぶような事があっては困る。・・なかなか、刑事課のメンバーの理解を得るのは難しいとは思うが、いざとなったら署を挙げてバックアップする事も必要だろう。」
「はい。了解しました。」
「それと、レイさんの能力については、絶対秘密にしておかねばならない。」
「ええ、心得ています。」

「それと、あの行方不明事件の捜査はどうなっている?」
「ええ、引き続き情報収集を進めています。まだ遺体とか被害者も見つかっていない状況ですので、捜査本部を立てる事もできず、内々に動いているんですが・・ああ、県警の五十嵐本部長からも、協力支援の返答もいただいています。」
「そうか。県警も動いてると言う事か。」
「どうも、似たような若い女性の不明事件が他でも発生しているようで、それぞれが関連していると言う見方で捜査を進めているようです。」
「そうか・・それなら、綿密に連絡を取って、一国も早く解決したいものだ。被害者を一人でも減らせるよう警戒も強化すべきだな・・」
「ただ・・今のところは具体的な捜査対象は浮かんでいないので、とりあえず、被害者の周辺情報の聞き込みを進めていきます。・・署長がおっしゃったところも一応調べていますが、なかなか有力な情報は浮かんできていません。・・・私一人ではなかなか、できれば矢澤を現場に復帰させたかったのですが・・」
「ああ、君の希望は知っている。・・そのこともあって、今回の配属をしたんだよ。」
「と、おっしゃると?」
「ああ、話したように、レイさんの能力が、ひょっとしたら行方不明・・いや拉致される女性をキャッチできないと思ってな。そこから糸口が見えれば一気に進むんじゃないかと期待しているんだ。」
「なるほど・・わかりました。私も、矢澤とできるだけ情報交換しておくようにします。」
「ああ・そうしてくれ。」

紀籐署長は、署の窓から通りを眺め、行きかう人をじっと見ていた。

「あ、それから、一つ報告があります。先日の魁トレーディング会長孫娘誘拐事件の件ですが。」
「何か進展が?」
「捕まえた二人のうち、主犯格はやはり、元娘婿の加藤祐一のようで、ほとんど計画や連絡等は行なっていたようです。随分、やり手の営業マンで、会長にも認められて、出世して娘とも結婚して・・見た目にはエリートコースにいたようですが、娘と結婚してすぐに離婚しているんです。どうも、家族内のごたごたらしいんですが・・そのへんはまだこれから裏付けしていきます。ただ、もう一人は、監禁場所の提供の範囲だったようで、あまり詳細な中身を知らない様子ですね。」
「そうか・・やはり、身内の恨みによる犯行ということか。・・まあ、通常通りの裏づけをすすめてくれ。」
「あ、報告しておきたいのはそのことではなく、逮捕した誘拐犯の一人、武田フーズの社長のことなんです。実は、一人娘が2年ほど前に行方不明になっているようで、捜索願も出されていました。」
「何だって?」
「ええ、私もびっくりしたんですが、ただ、何の手がかりはなくて、進展していません。」
「だが、誘拐事件とその件はつながらないな。」
「ええ、武田フーズはその後も、商売は順調のようで、半年前に、魁トレーディングから一方的に取引契約の解除をされたのが倒産のきっかけになったようです。ですから、それが今回の誘拐事件につながったようなんですが。」
「ふむ・・・」
「ただ、今捜査を進めている件を考えると、行方不明というのがどうにも引っかかって・・勘みたいなものですが・・どこかで、つながっているような気がしてるんです。」
「・・・魁トレーディングか・・やはりしっかり調べたほうがよさそうだな。」
「ええ。」
「何かあったらまた報告してくれ。」
鳥山は頭を下げて署長室から出て行った。

紀籐署長は、机に座ると、決裁箱の中を覗き込んで何か探していた。
「そうだ、先日、こんなものが来ていた。行く気はなかったが、この際、どんな人物か見てくるか。」
手にしていたのは、魁トレーディング新社屋完成披露パーティの案内状だった。
「少し前に、誘拐事件にあったというのに、・・まあ、いい機会だからな。」


file3-4 病院窓口 [同調(シンクロ)]

F3-4 
署から神林病院までは、ほんの10分ほどのところだった。

14階建ての大きな病院だった。元々は駅前にあった小さな医院だが、今の院長が脳外科の専門医として名を上げ、全国的にも有名になり、総合病院化を進めて移転したのだった。
衛生的で広いロビー。総合案内には二人の若い女性が座っていた。

一樹は、いきなり案内窓口に行くと、警察バッジを見せて
「橋川署の矢澤です。神林レイさんは?」
と、つい、聞き込みのような態度で問いかけてしまった。
受付の女性は顔を見合わせ、周囲にいた来院者も皆静まってしまった。
「ちょっと!一樹、何してんのよ。聞き込みじゃないんだから・・」
そう言って亜美が案内窓口に行き、一樹を押しのけ、
「すみません。・・神林先生にお会いしたくて・・こちらのお医者さまですよね。」
「あの・・何か、事件なんでしょうか?」
受付の女性が、不安な面持ちで、こわごわ問いかけた。
「いえ、ちがうんです。・・ほら、一樹、いきなりそんなもの見せるから・・いえ、実は神林先生には昨日、少し御協力いただいたことがあって、御礼も含めてお会いしたくて・・」
「・・神林先生?・・院長は神林章一郎先生ですが・・神林レイさんてどなたでしょうか?」
受付の二人は顔を見合わせ、思い当たる様子が無いようだった。
「え?神林レイという名の先生はいらっしゃらないの?」
「ええ・・神林先生は院長だけですが・・」
「あの、神林章一郎先生は、脳外科の御専門の・・有名な方ですよね。・・じゃあ、娘さんとか・・」
「いえ、確か、先生のお嬢様はお亡くなりになったと聞いています。」
「・・それなら・・お孫さんは?」
「いえ、お嬢様が若くして亡くなったのでいらっしゃらないと思いますが・・。」
亜美は、天を仰いだ。そして、一樹に、
「どうしよう。・・」
「ほらな?お前の考えは浅はかなんだよ。・・置手紙ひとつで居なくなるんだ。そんなにすぐにわかるところには居ないさ。」

受付の女性の一人が、もう一人に向かって、隠し事でも伝えるような小さな声で
「ねえ・・ひょっとして、レイさんって新道先生の事じゃ・・」
「馬鹿ね。新道先生が神林を名乗るわけないじゃない・・」
その会話を聞いて、亜美が反応した。
「新道レイという先生ならいらっしゃるのね?」
「ええ・・」
少し曖昧な返事の仕方をした。
「ほら・・今、あそこに・・エレベーターの前です。」
白衣を着て、カルテのようなものを抱えているのが見えた。なぜか、昨日会ったレイとは別人のように一樹は感じていた。声を掛けようとしたが、エレベーターが到着し、そのまま乗り込んでしまった。
亜美は、案内のほうへ向き直ってから、
「ねえ、新道先生にお会いしたいの。取り次いでいただけませんか?」
「すみません。ここから、新道先生には連絡が出来ないことになっています。」
「それじゃあ、どちらにいらっしゃるの?お会いしに行くから・・」
「新道先生は、14階の特別病棟の担当医です。ですが、14階へは一般に人は立ち入り禁止になっているんです。」
「患者の見舞いも?」
「ええ、重度の治療が必要な方専用になっているので、先生のIDがないと入れないよう、セキュリティも厳しくなっています。」
「じゃあ、どうやって連絡とか・・」
「院長先生を通じて連絡しています。ああ、時々、新道先生から連絡をいただくことはありますが。」
「じゃあ、院長先生にお会いできないかしら。」
「すみません。今、手術中になっています。・・おそらく明日朝までは出てこられないと思います。」

「おい、亜美。俺たちも突然やってきたんだ。会えなくても仕方ないだろう。出直そう。・・ああ、矢澤と紀籐という刑事が伺ったという伝言だけは頼むよ。」
「はい、承りました。」


file3-5 葉山夫人 [同調(シンクロ)]

F3-5 
亜美と一樹は、病院の玄関を出た。
「なんだか、びっくりね。・・セキュリティが必要以上に厳しいと思わない?それに、どうして名前を偽ったのかなあ・・」
「ああ・・チラッと見えた姿も、白衣のせいか、まったく別人みたいだったしな。」
何か狐につままれたような感覚を憶えながら、二人は駐車場に戻っていった。
「なあ、亜美。レイさんと連絡を取る方法って・・携帯の番号知らないのか?」
「ええ、一度、レイさんから電話をもらった事はあるんだけど・・その番号へ返信できないのよ。」

車に乗り込もうとした時、二人の後ろから、声を掛ける女性が居た。
「矢澤さん、亜美さん!」
振り返るとそこには、葉山刑事の奥さんが紙袋を両手に提げて立っていた。
1年ほど前の窃盗事件のときの不幸な事故。コンビを組んでいた葉山刑事は、それ以来、意識が回復せずにいて、市民病院に入院していたのだった。

「あ、奥さん、お久しぶりです。」
一樹は頭を下げた。亜美も従った。
「こんなところ、お二人で・・何かあったの?」
「いえ・・ちょっと人に会いに・・すみません・・なかなか見舞いに行けなくて。」
忙しいわけではなかった。寝たきりになった同僚の姿を見るのが辛い事と、まだ犯人の手がかりさえつかめていない事への負い目もあり、なかなか病院へ足が向かなかったのだった。
「いいんですよ。」
「あれ? 葉山は、確か市民病院に入院してるんじゃありませんでしたか?ここへは?」
「あ・・連絡していませんでしたね。実は、急に、こちらの病院で、新しい治療を受ける事になって、先日入院したんです。」
「え?・・」
一樹には意外だった。市民病院で葉山の治療に当たっていた担当医は、葉山夫人の兄だったはずだ。そのために、事故の後、救急病院から無理やり転院していたし、特別室に入っていたはずだった。
「ええ、私もびっくりしたんです。・・こちらの病院長が直接お見えになって・・新しい治療法を試したいとおっしゃって・・迷ったんですけど・・全て病院側で面倒を見るからって・・」
「でも・・確か担当医は・・。」
「ええ。でも兄も、神林先生ならきっと治療成果があるに違いないからとすすめてくれたんです。」
確かに、入院後、葉山の意識の回復はまったく進展を見せていなかったし、限界を感じていてもおかしくなかった。
「私もびっくりしたんですけど、早速、昨日、少し反応があったみたいで・・気長に治療すれば意識が戻るかもしれないとおっしゃるんです。」
葉山夫人が、いつにもまして、明るい理由がここでようやく理解できた。
「そうなんですか。早くまた一緒に仕事が出来ると・・必ず回復すると信じてますから。また、見舞いに行きます。」

その話を聞いていた亜美が割り込んだ。
「入院されているって・・何階ですか?」
「おい、亜美。」
「ええ、最上階14階です。眺めも良くて快適なんですよ。ただ、完全看護で、付き添いは必要ないので、今から家に戻るところなんです。」
「それじゃあ・・レイさん・・いや、新道先生に治療を?」
「いいえ、院長先生よ。それに、新道先生ってどなた?」
「14階の特別病棟の担当医だと・・」
「うちは、14階だけど。・・ああ、そういえば、14階の隅に何か特別な部屋があるみたいよ。・・時々、出入している若い女の人がいるけど・・きっとあの人が新道先生というのね。」
「そんな・・まだ中にセキュリティがあるなんて・・やはり何か・・怪しい感じね・・」
亜美は、先ほどの案内での情報と葉山夫人の話を聞いて、レイに対して不審感を強めていた。

「あ。そうそう、昨日の夕方、変なことありませんでしたか?突風とか落雷とか・・」
「いえ、昨日は良い天気だったと・・何かあったんですか?」
「ちょうど、主人の治療中に、一時停電が起きたんです。短い時間ですけど・・真っ暗になったんです。」
「え?でも病院はそういう事態に備えた電気システムがあるはずですけど・・」
「ええ、市民病院ではそんな事はなかったんですけどね。・・院長先生は大丈夫だからとおっしゃって治療を続けて、そう、そのすぐあとに、主人の反応が会ったらしいんです。」
「へえ・・そんな事もあるんですね。」
「・・あっ・・すみません、もうこんな時間。そろそろ帰らないと・・昨日の事を主人の御両親にお伝えしたら、一度様子を見に行くからと・・もうすぐ駅にお着きになるのでが・・それじゃあ。」
一樹と亜美は、葉山夫人を見送った。

file3-6 レストラン ヴェルデ [同調(シンクロ)]

F3-6 レストラン 
「署に戻るか!」
一樹はそう言って車のエンジンをかけた。
助手席に座りながら、亜美が
「あら、もう終業時間よ。・・ねえ、お腹すいちゃった。どこかでおいしいもの食べましょう。」
「報告は?」
「いいのよ。家に帰ってからパパに話せばいいんだから・・どうせ内密の仕事なんだし・・ねえ、どこかおいしいお店知らない?・・知ってるわけないか・・とにかく、ほら、湾岸産業道路で海を目指してよ。なんだか気分転換したいの!」

神林病院の駐車場を出ると、新しく整備された湾岸道路に乗った。ほとんど海上を走る形で整備された道路は夕方になって車両も増えていた。しばらく走ると工場群を抜けた。終点には、海浜公園があって、真夏ともなれば海水浴客も増える。平日とあってそれほどに人出はなく、静かな公園だった。その先には、半島に沿うように国道が岬の先端まで続く。夕日を右手に見ながら車を走らせる。

「そうだ。義彦のレストランへ行くか。」
義彦は、一樹の同級生で、オーナーシェフの父の後を継ぐつもりで働いているレストランが、この先にあるのを思い出した。
国道が大きく山手に迂回する交差点の角に「レストラン ヴェルデ」の看板があった。
そこから、海岸に降りるような道路が続いていて、目指すレストランは、ほとんど急斜面に張り付くように建っていた。赤レンガの装飾が施された壁には、ところどころに蔦が絡んでいて、意外に高級に見える。地元では恋人たちのデートコースにもなっているのだった。

ドアにはお決まりのカウベルがついていて、カランと音を立てた。
入り口には、レジカウンターがあり、義彦が立っていた。
「おやおや、珍しい人が・・なんだい、今日は非番か?いや、今、暇な部署にいるんだよな。」
義彦は、ちょっとからかう様に声を掛けた。
「お前こそ、まだ、厨房に入れてもらってないんだろ。そろそろ見切りをつける時期じゃないのか?」
「うるさいよ。これも修行の一つだからな。」

「こんにちは。」
亜美が後ろから顔を出して挨拶した。義彦と亜美は初対面だった。
「おや、なんだい。俺に内緒で彼女ができたのか。」
予想通りの反応をした。
「よせよ。そんなじゃないんだよ。」
「えー?私たち付き合ってるんじゃないの?」
亜美がおどけて、一樹の腕に手を回してじゃれるように言った。
「よせよ。亜美。勘違いされるだろ!こいつは亜美。紀籐亜美。署長のお嬢さんさ。」
一樹は、亜美の手を振り解いてから、半ば怒りながら紹介した。
「へー、じゃあ、お前、逆玉じゃねえか。・・将来は署長候補と・・警察はそんなわけにはいかないか。」
「だから・・そんなんじゃないんだって・・まあ、いいよ。・・何かうまいもの食わせてくれよ。」
「うちはみんな美味いんだよ。まあ、安月給の一樹を考えて、ディナーセットでいいだろ。」
義彦は、そう言いながら、階段下にある客席に案内した。
斜面に立っているせいで、客席は入り口から1階降りたところ似合った。全ての席が窓際に設えてあり、海を見ることができた。一樹と亜美は一番奥の席に座った。

「まあ、いい景色。デートにはぴったりね。一樹も案外いい店知ってるんだ。もう誰かと来た事あるの?」
亜美はからかうように聞いた。一樹は、ふと真剣な顔をして、
「実はな・・昔・・」
と言い出したのを見て、
「止めて!良いの。ほんの冗談よ。」
亜美は一樹の口から他の女性の話が出てくるなんて思いもしていなかったので少しうろたえた。
「ばーか!・・俺にそんな出会いがあったと思うのか?・・ここは昔、学生の頃バイトしてたんだよ。」

料理が運ばれてきたので、早速食べ始めた。二人とも食べながらほとんど口を利かなかった。
食べ終わり、コーヒーを飲み始めた時、ふと、亜美が口を開いた。

「私、ずっと考えていたんだけど・・レイちゃんの力と病院での秘密めいた状況、普通じゃないわよね。なんだか、謎だらけで少し不安よね。」
亜美はコーヒースポーンをカップの中でくるくると回しながら言った。
「ああ、チラッと見た姿も、同じレイさんとは思えなかったし・・良く考えると、何も知らないんだよな。」
「そもそも、最初の事件で、レイちゃんは、あなたを名指ししてきたの。どこであなたと接点があるのかもわからないままだし。」
「ああ、まったく出会った事もないしな。」
「それに、事件が終わるとすぐにどこかに姿を消しちゃうし・・」
「そうだな。それもおかしな話だ。迎えが来るとしても早すぎるし、何より、置手紙で消える必要はないはずだからな。」
「私たちの仕事は、レイちゃんのこれ以上辛い目に逢わさないように守る事よね。だったら、もっと彼女の事を知るべきだわ。でないと守りきれない。」
「ああ。」
「ねえ、明日からレイさんのこと、少し調べてみましょう。」

二人はレストランを後にした。
「ねえ、これからどうする?」
亜美が少し甘えるような声で一樹に訊いた。
「これからって・・もう帰って寝るだけだろ。」
「詰まんないー。一樹にその気があるんなら、私は構わないわよ?」
「何言ってるんだか・・大体、何しようっていうんだよ?」
「何って・・ほら・・そこに綺麗なネオンサインで休憩OKってあるじゃない。」
一樹はどぎまぎした。いつもの亜美らしくない目をして一樹を見ているようだったからだ。
「ば・・馬鹿言ってんじゃないぞ!」
一樹はそういうと真っ赤になっていた。
「俺はお前をそういう目で見たことはないんだ。・・この際はっきり言っとく。お前はどう思ってるか知らないがな・・お前は、その・・・」
「あら?一樹って見た目以上に、純情なのね。安心したわ。」

一樹は無言で車を署に走らせた。一樹は署に着くと、亜美を残して、さっさと車を降りて、アパートに戻っていった。


file3-7  スナック 「リング」 [同調(シンクロ)]

F3-7 
一旦アパートに戻った一樹は、着替えて外出した。
もうすでに夜10時を回っていた。アパートの前にある城跡公園を抜けて、市電通りに出るとタクシーを拾って、郊外にあるスナックバーへ向かったのだ。
葉山が撃たれた事件のあと、しばらくは捜査本部が動いていたが手がかりのないまま、縮小して今は実質的に捜査は進んでいなかった。刑事課から資料室へ移った一樹は、そのあとも一人で事件につながる情報を求めて、勤務時間の後、夜の街を彷徨った。事件現場で接触した犯人のうち一人は確実に外国人だったと今でも確信しており、手がかりを求めて、繁華街や外国人の集まる店、スナック等も虱潰しに歩いてきたのだ。そして、この1ヶ月ほどは、これから向かうスナックに足を運んでいたのだった。

重いドアを開く。カウンターの隅に座っていた女性が立ち上がって、
「いらっしゃい。」
と迎えた。
派手なドレスを着て、長い髪は束ねてあり、スレンダーな、見るからにスナックのママとわかる女性が一樹に近寄ってきた。他に客はいなかった。
「今日は、遅いのね。」
そういうと、流しのほうへ回り、冷蔵庫からビールを1本取り出し、一番奥の席に置いた。

ママの名前は、ソフィアといった。もちろん本名ではない。日系の外国人であった。
一樹は、いつもビール1本注文し、ほとんど呑む事もなく、店が終わるまでカウンターの隅に座っていた。その様子をソフィアは随分訝しく感じたので、事情をしつこく訊き、根負けした一樹が、一通りの事情を話していた。ソフィアは事情を聞いて、情報提供の協力をする事にした。・・もちろん、一樹の話には、外国人が皆犯罪者のように言われているようで憤慨したが、実際、知り合いの日系人にも確かに窃盗や暴力事件を起こす人間もいて・・それは日本人も同様のはずなのだが・・猜疑心の塊のような一樹に協力する事で、そういう輩を減らせるならばと考えての結果だった。

一樹が席に着くと、ソフィアはビールを注いだ。
一樹がいつもより疲れた顔に見えたのか、ソフィアが
「何かあったの?」
と訊いた。
「いや・・まあ・・特にはな・・・それより、今日はなんだかいつもと違うな。」
「そう?」
一樹はソフィアを改めて見た。
「そうか・・なんだか今日はやけに・・ドレスのせいか。いつもはもっと地味な感じなのにな。何だか、綺麗だな。」
ソフィアは少し嬉しそうにしたが、その後悲しい表情になった。
「どうしたんだ?」
「・・・私、国へ帰らないといけなくなりそうで・・。」
「一体何があったんだ?」
「・・不景気で、知り合いや親戚も仕事を首になってね。・・友達も随分帰っちゃったし・・」
「でも、ソフィアは日本で生まれて、確か両親も・・」
「うん。でも、その両親が帰ろうかって言い出してね。」
「そうか・・淋しくなるなあ。」
「そう思ってくれる?じゃあ、私と結婚して!夫婦になってれば、日本に残れるから。」
ソフィアは唐突に言い出した。半分本気のような口ぶりだった。
「馬鹿いってんじゃないよ。・・俺は警察官だよ。そんな不法滞在に手を貸すわけには行かないよ。」
「不法滞在なんて・・本当に一樹のお嫁さんにしてくれればいいじゃない。私、一樹のこと好きよ。」
また、本気なのか冗談なのかわからないような口ぶりで言った。

そんなやり取りをしていると、店のドアが開いて、数人の客が入ってきた。もうどこかで飲んできたのだろう。出来上がっている様子だった。
ボックス席にどかどかと座ると、
「おい!・・なんだい、ママ一人か?・・若い子は居ないのか?」
真ん中に座った少し大柄で太った中年の客が大きな声を出した。後の二人も、同じような事を口走った。
ソフィアは、一樹に「ゴメンネ」というように強く手を握ってから、カウンター下のドアを抜けて客席に回り、コースターやコップを運んだ。
「すぐに女の子呼ぶから、待っててね。」

ソフィアは、どこかへ電話をした。ほんの1分ほどで、2人の女の子が裏口からやってきた。ソフィアとその女の子達は、流しの奥で小声で何か話していたが、すぐに客席に入ってきて、ボックス客の相手を始めた。ソフィアはすぐにボックス席から離れて、一樹のところに戻ってきた。

「最近、時々来るのよ。」
ソフィアは、あまり来て欲しくない客だと言わんばかりの顔つきでそう言った。
「あの子達、いつもは居ないよな。」
「ええ、先月までは、近くの工場で働いていたんだけど・・首になったのよ。来月には国に戻るって言うから、それまで、この店を手伝ってもらう事にしたの。」
「そうなのか。」
「でもね・・帰ったってね・・あの子達も私同様、日本で生まれて育ってるから・・まるで日本から追い出されるようで・・・」
ソフィアの目には涙が滲んでいた。一樹はどう応えて良いかわからず目の前のビールをごくりと飲んだ。

「きゃあ!やめて!・・やめて!」
女の子の一人が突然叫んで立ち上がった。そして、一樹のいるカウンターの奥へ逃げてきた。もう一人の子も同じように叫んで、客の顔を平手で叩いてしまった。



file3-8 怪情報 [同調(シンクロ)]

「何だよ!この店は!」
平手打ちされた客が、怒りをあらわにしてグラスを床に投げつけて立ち上がった。
その音に驚き、二人の女の子はその場に座り込んで泣き出してしまった。
一樹は思わず立ち上がり、客と女の子の間に割って入った。
「どうしたんだよ!」
女の子達は、泣いてばかりで要領を得なかった。ソフィアが女の子達をなだめた。

「ふん!ちょっと触っただけじゃねえかい!」
捨て台詞のように平手打ちされた客が言う。その言葉に、一緒に来て傷もう一人の客が続けた。
「日系人だって言うからさ。・・最近、美容整形っていうやつで、オッパイを膨らませるってなあ。」
他のもう一人も、
「ああ、何でも相当流行ってるんじゃねえのか?それで、お前のもそうだろって・・へへ。」
一樹は呆れてものが言えなかった。
「いい加減にしなよ。そういう楽しみが欲しいなら、駅裏の店にでも行けば良いだろ。」
そう言いながら、一樹が、ポケットから警察バッジを取り出して、ちらっと見せた。
「なんなら、格子の入った店にでも入るか?」
そういうと、男たちはそそくさと帰り支度を始めた。
「ちゃんと金払ってけよ。」
そう言いながら、一樹は席に戻った。ソフィアと女の子達は、床に散らばったグラス等を片付けた。
一通り片づけが終わり、女の子達は、流しのほうに入って洗物や片付けを手伝った。ソフィアは、女の子達に任せて、一樹の脇の席に座った。

「ゴメンネ。何だか嫌な思いさせちゃって。」
ソフィアはそう言いながら、ビールをコップに注いだ。一樹は一口飲むと、
「美容整形なんて高額なんだろ?いい加減な話をしやがって・・」
何の気なしに一言言ったのだが、ソフィアは、
「イイエ。そうでもないのよ。・・私の知り合いでも、少し前に手術を受けたらしいの。」
「何の為に?・・そんなに景気は良くないだろ。」
「そうなの。変だと思ったんだけどね。」
「ふーん・・」
一樹は何だか怪しい事件のにおいを感じたらしく、女の子達に質問をした。
「知ってる事があったら、教えてくれないか?」
女の子二人は顔を見合わせたまま、返事をしなかった。
「大丈夫。この人、刑事さんだから、ちゃんと守ってくれるから。それに、そんな怪しい手術受けないほうが良いわ。ひょっとしたら、実験に使われてるかもしれないじゃない。」

ソフィアの言葉に安心したのか、女の子の一人が、
「うん。私も・・誘われたわ。無料(ただ)でやってくれて、仕事もお世話してくれるって。でも、その代わり、手術のことは、誰にも言わないって約束らしいわ。」
もう一人の女の子は、
「私・・・しつこく誘われて・・断りきれなくて・・」
「え?受けたの?」
「イイエ、本当なら、昨日、受ける予定だったけど、・・何だか、急に先生の都合が悪くなったって・・」
「どこの病院なの?」
ソフィアが女の子に訊いた。
「知らない。・・夕方、迎えにきてくれるっていってただけで何も聞いてないし・・」
「なあ、それは誰が勧誘してるんだ?」
「誰って・・・・・勤めてた工場の前で声を掛けられたの。・・ちょうど工場を辞めさせられた所で・・・仕事があるけどどうだって・・・名前は・・ジョージって言ってたと思う。」
「日本人かい?」
「良くわからない・・。でも、多分、そう。」
「連絡先とかは?」
「何もわからないわ。・・電話で連絡があるだけで・・・それに、他人にしゃべるなって言ってた。」
「電話番号は?」
ソフィアが携帯を見せるしぐさをして訊いた。
「番号は非通知だから・・」
「やっぱり怪しいな。ソフィアが言うように、ただ綺麗に整形してくれるだけじゃなさそうだな。・・すこし調べてみたほうが良さそうだな。」
一樹はそう呟くと、ビールを飲んだ。
「仕事を失くして困ってるところに、仕事の世話をする・・それも工場の前で・・余りにも都合よく動いてる。・・なあ、首になった工場ってどこだい?」
女の子が口にした工場は、橋川市から西の県境にある工場だった。

「工場も何か関係してるかもしれないなあ。」
一樹の目つきはいつしか刑事の鋭さを放っていた。ソフィアは隣の席に座って、一樹の横顔をじっと見詰めていた。


file3-9 不機嫌な亜美 [同調(シンクロ)]

F3-9 
翌朝、一樹はいつもより早くに出勤して、資料室に新しく入ったパソコンを起動して、何かを調べていた。
9時を少し回ったところで、亜美が部屋に入ってきた。
「あら・・一樹、何?真面目に何を調べてるの?」
亜美が、パソコンを除くと、画面には、あられもない女性のバストの画像が並んでいた。
「信じられない!何やってんの?ここは署内よ。そんなの家で見てれば!」
「ち・・違うんだ・・そんなんじゃなくて・・ちょっと調べてるんだよ!」
亜美は一樹を軽蔑するような視線を送っていた。
「何言ってんのよ。見え透いた言い訳は、一樹らしくないわよ!」
亜美は、古いソファーに座って、さらに一樹を非難した。
一樹は、亜美の機嫌を取るのは用意ではない事は知っていて、これ以上誤解を解く事は無駄だとあきらめて、またパソコンにかじりついた。亜美は一樹が機嫌を取ってくれる気配も見せないことに一層苛立った。

「ねえ!一樹!いい加減に・・」
と言いかけた時、一樹が向き直って、真顔で訊いた。
「なあ、豊胸手術ってどんなものなんだい?ほら・・オッパイを大きくする手術さ。」
頓珍漢な質問をいきなり投げつけられて、亜美は絶句した。
それに、亜美自身、細身で小さいバストにコンプレックスを持っていたので、多少は興味はあったのだが、それを一樹に見透かされてるように感じて、何だか、無性に頭にきたのだった。
「もう、知らない!」
そう言って亜美はソファーから立ち上がって、ドアをばたんと閉めて外へ出て行ってしまった。

部屋を出た亜美は、廊下で鳥山課長とすれ違った。鳥山が、「矢澤は?」とのんきな顔で尋ねたのがまた癪に障って、「知りません!」と答えて、階段を登っていった。

「おい!矢澤!いるんだろ。入るぞ。」
そう言って鳥山は部屋に入った。
「どうしたんだ?紀籐のやつ、えらい剣幕で出て行ったが、喧嘩でもしたか?」
「あ、課長、おはようございます。・・いや、特に。何だか、いきなり怒って出て行ったんです。」
一樹は、自分がデリカシーのない言葉と態度を取った事に全く気がついていなかった。
鳥山は、一樹の開いているパソコンの画面を見た。
「なんだい、これは?」
「ああ・・実は昨日、飲みに行った店で怪しい情報を聞い単で、少し調べてたんです。」
画面は、美容整形外科の紹介サイトだった。
「どんな情報だい。」
鳥山が尋ねたので、昨夜の一部始終を話した。

「ほう、確かに怪しいな。何か、悪さをしてるようだな。・・だが・・」
「ええ、確かに、誰かが何かしてるんですが、具体的な中身が見えなくて。」
「だが、きっと、まともな手術じゃないだろう。それに、仕事って言っても、危ない仕事かもな。」
「ええ、ですが、大体、美容整形なんて世界、全く無縁ですから。まずは、それを知らないとと思いまして、朝からいろいろとインターネットで勉強してたんです。」
「ふむ・・それで・・紀籐に何か言ったのか?」
「え?・・・ああ、豊胸手術って知ってるかって、訊きました。」
鳥山は額に手を当てて、納得したような表情をした。

「それだ。・・お前、何てやつだ。女性に、豊胸手術って・・特に、紀籐にしてみたら・・まあ、食事でもおごって機嫌を取るんだな。・・お前ってやつは、本当に女心がわからない堅物だな。」
「え?そんなに悪い事訊いちゃったんですか?」
「まあ、良く考えてみるんだな・・それはそうと、その情報、しばらく追ってみな。ひょっとすると、大きな事件につながるかもしれん。」
「はい。また、何かわかったら報告します。」

鳥山は一樹の返事を聞きながら、ドアのほうへ向かった。
ドアに手をかけて開けかけた時、思い出したように鳥山が一樹に言った。
「そうだ・・そう言えば、例の強盗事件。被害者は、加藤美容整形外科の院長だったな。・・事件のあとの様子見も含めて、一度、話でもしてみたらどうだ?もっとよくわかるかもしれない。それに、そういう怪しい情報も案外知ってるかもな。」


file3-10 招待状 [同調(シンクロ)]

F3-10 招待状
亜美は、署の屋上にいた。普段は滅多に屋上に出たことはないが、さすがに今日の一樹の態度には腹を立てていた。いや、一樹の態度だけではなく、レイが現れて以来、事件が続いていて疲れているのもあったようだった。署の屋上からは、市役所や学校、駅前のビル群が見える。通勤や通学の時間を過ぎた街は静かに動き始めたようだった。

「おや・・めずらしいな。」
「何?パパ、居たの。・・・あ・・また、タバコ吸ってる。・・この前、禁煙するって言ってたのに。」
紀籐は罰の悪い顔をしながら、
「どうした。こんなところに来て。」
「・・ううん・・ちょっと一樹がね・・でも・・そんなことはいいの。ねえ、レイさんのことなんだけど。」
「ああ、昨日、行ったんだろ。」
「ええ、でも会えなくて。それに、ちょっとおかしいのよ。」
亜美は、昨日病院の受付で聞いた話をかいつまんで紀籐に話した。

「ふうん・・そうか。」
「ね、おかしいでしょ。偽名と言い、病院のセキュリティも異常よ。何かとんでもない秘密があるみたい。」
「そうだな・・・何か事情はありそうだな。・・」
「でしょう。」
亜美は、警察官として真相を知りたいという気持ちだけでなく、秘密めいたレイの存在と一樹の名前を言い出したことに何か不安を感じているようでもあった。

「しかし、神林を名乗ったのは、それなりに院長と関係のあるということなんじゃないか。」
「ええ、私もそう思って、お孫さんか何かかと受付で訊いてみたんだけど。」
「ああ、・・・そうだ、確か、院長には娘さんがいたはずだが・・」
「ええ、でも若い頃に亡くなったって言ってたわ。」
「そうか・・・亡くなったのか。」
紀籐は少し悲しげな表情を見せていた。
「・・でもパパ?・・何で、娘さんがいたこと、知ってるの?」
「ああ・・いや・・ちょっと・・」
「何?何か事件か何かなの?」
「いや・・昔の話だ・・昔の・・友達から聞いた事があったんだが・・」
紀籐は少し言葉を濁してあいまいに答えた。そして
「まあ、不審な気持ちを抱えてるのは、これからに影響するだろう。早めに、レイさんから真相を聞きだすほうがいいだろう。・・きっと、今は言えない事情もあるのかもしれんがな。」
「そうね・・ただ・・連絡がないのよ。」
亜美は携帯を取り出して、掛かってくるはずのない事を改めて確認した。

「ああ、そうだ。明後日なんだが、一緒にパーティに行かないか?」
「え?・パーティ?」
紀籐の口からパーティなどという言葉が出てきて、亜美は可笑しくなった。
「パパ?パーティってどういうこと?今までそんな所、嫌がって行かなかったじゃない。」
「ああ、だが、ちょっと今回は出てみようかと・・」
「どこのパーティ?」
「ああ、ほら例の・・・魁トレーディングが新社屋落成のパーティを開くようなんだ。招待状が届いてなあ。乗り気ではなかったんだが、まあ、誘拐事件のあと、どんな様子か好奇心もあってね。行かないか?」
「・・ふーん・・まあ、いいわ。パパ一人行くのもきっと辛そうだから・・だってお酒飲めないでしょ。」
「ああ、一緒に行ってくれると助かる。」
「わかったわ。・・何か面白そう。会長さんって結構恨まれてること多そうだし、どんな人が来てるのかも面白そうね。」
「じゃあ、時間は夜7時からだ・・出かける前にしたくもあるだろうから、その日は休みにしていいぞ。」
紀籐はそう言うと、灰皿にタバコを消して、階段を下りていった。

亜美は、父の姿を見送りながら、一樹の不愉快な態度の事などすっかり忘れてしまっていたようだった。
「さあ、私も仕事に戻らないと・・」
そう言って階段に向かおうとしたとき、携帯電話が鳴った。

file3-11 レイからの電話 [同調(シンクロ)]

一樹は鳥山との会話の後、思案していた。一息入れようと、休憩所の自動販売機に向かった。そこには、ジーンズにTシャツ、よれよれの皮ジャケットを着て、背を丸めた男が座っていた。その男は、一樹を見つけると、オーバーアクション気味に、声を掛けた。
「オウ!一樹、元気そうだな。急に、活躍しているそうだね。」
その男は一樹に近寄ると馴れ馴れしく肩を叩いた。
「何の用だ!まだ、怪しい記事でも書いてるのか?」
一樹は、苦々しい表情でそう言った。
「まあ、そう連れなくするなよ。さっき、刑事課でさ、お前の活躍を耳にしたんだよ。続けざまに2件、犯人を捕まえたってなあ。・・だが、お前、刑事課じゃないんだろ?」
「そういう話はしないからな。さあ、帰れ!俺は忙しいんだよ。」
一樹の言葉を気にする事もなく、続けた。
「誘拐犯に強盗犯、それも発生直後っていうからさ。偶然にしては出来すぎてないかい?なあ、どういうことか教えてくれよ。」
「お前に話す事は何もない!どうせ、インチキな記事に仕立ててしまうんだからな。」
一樹は、その男を振り払うように部屋に戻ろうとした時、階段を亜美が駆け下りてきた。

「一樹!連絡があったの!・・それで・・」
亜美が言い終わる前に、一樹が、
「亜美!黙れ!」
そう言いながら、亜美を捕まえて部屋に引っ張って行った。
その光景を男は訝しげな表情に見ていた。そして
「やっぱり、何かありそうだな。ちょっと食いついてみるか。」
そう言いながら、手帳を取り出してメモをし始めた。

「お前なあ、不用意すぎるんだよ。誰が聞いてるかわからないんだ。」
「ごめんなさい。でも、誰?」
「ああ、中学・高校の同級生で林って言うんだ。今、フリーライターって言ってたなあ。怪しい記事ばかり、ゴシップ専門のライターさ。いい加減な奴だから、相手にしないほうが良い。・・おい、それより、レイさんから連絡って?」
「そうなの。さっき、電話があって、今からここへ来るって。」
「事件なのか?」
「いいえ、そうじゃないみたい。ほら、昨日病院に訪ねた時の事を聞いたみたいで、何だか、説明に来るって・・・」
「ふーん。」
そんな会話をしていたら、ドアがノックされた。
白いワンピース姿のレイが立っていた。何か、事件の時とは様子が違っていた。
レイは深々と頭を下げると、部屋の中に入ってきた。ゆっくりとした足取り、部屋の中を見回して、座る場所を探しているようだった。まるで初めてこの部屋に入るような雰囲気だった。
その様子に一樹が、おずおずと尋ねた。
「レ・・レイさんですよね。」
その声に反応するように、レイは
「はい。・・昨日は申し訳ありませんでした。せっかく訪ねていらしたのに、お会いできずに。後で、受付から伝言をいただいて・・きっと、お二人が私に不信感をお持ちではないかと思ってこうやって伺ったのです。」
レイの口調は明らかに別人のようだった。亜美も少し戸惑っていた。確かに、顔はレイに違いないのだが、ここに居るのは別人だと感じていた。
「お、おれ、コーヒー買ってくるよ。亜美もレイさんも飲むだろ。」
そういうと一樹は部屋を出て行った。
そしてすぐに戻ってきて、紙コップ入りのコーヒーを差し出して座った。
亜美はコーヒーを一口飲んでから、レイに質問をした。
「まず、あなたの本当の名前を教えてちょうだい。神林レイではなくて、新道レイなの?」
「・・はい。新道レイです。・・本当は・・レイ・新道・スミスです。」
「え?日本人じゃないの?」
「いえ、日本人です。・・ただ、アメリカ国籍です。18歳まで居ました。日本に帰ってきたのはその後です。」
亜美は意外な答えに次に何を質問していいかわからず、黙ってしまった。一樹が一つ質問をした。
「神林病院との関係は?」
レイは少し返答をためらってから
「少し、順序だててお話しましょうか。」
「うん、そのほうが良さそうだ。」


file3-12 告白 [同調(シンクロ)]

F3-12 告白
レイはテーブルの上のコーヒーを一口飲んで話し始めた。
「私は、父も母も小さい頃に亡くしました。その後、養母に育てられました。」
「え・・一樹と一緒じゃない・・」
「しかし、その養母も私が15歳のとき病気になり、ずっとお世話をしていました。そして、18歳の時に、ママの病気治療で日本に来ました。ママはとても重い病気で、神林先生がアメリカにいらした時に診察を受け、そのまま神林先生のお世話になることになったんです。」
「それで、神林病院にいるのね。その人が特別室にいらっしゃるのね。でも、医者になったのは?」
「・・・医者になったのは、神林先生に勧めていただいて・・・お世話をする為だけにいるのはもったいない、若いんだからと自分自身のことを考えないととおっしゃって・・それで、医学部へ進学するをことにしたんです。2年ほど前から、特別病棟のドクターとしてあの病院にいるんです。」
「名前を神林と名乗ったのは?」
「・・名前を偽ったのは、本名を言うと、かえって不審に思われるんじゃないかと・・それで、つい、神林先生の名前をお借りしたんです。」
「確かに初対面で、新道・スミスなんて言われると、大丈夫かってなるなあ。」
亜美が更に質問した。
「病院のセキュリティが異常に高いように思ったけど?」
「ええ、私もそう感じています。でも、特別病棟には、かなりハイレベルな医療機器もありますし、・・治療の為に外部との接触をできるだけしないほうがいいんです。」
「でも、なかなか連絡が取れなくては・・私たち、あなたを守るのが仕事なの。」
「そう思って、これを持ってきました。」
レイは、見慣れない携帯電話を差し出した。それは、普及しているものよりも薄く小さく、余計な機能などないものだった。ボタンが一つだけついていた。
「携帯なら持ってるけど・・」
「ええ、でもこれは携帯電話ではありません。・・トランシーバーみたいなものです。私との通話しか出来ないようになっています。どこに居ても連絡が取れるようにと、院長がくださいました。これなら、特別病棟の中に居ても大丈夫ですから・・」
亜美はそれを受け取った。
二人が持っていた疑念はほとんど晴れていた。

「もう一つわからないことがあるんだけど・・」
亜美が思い出したように訪ねる。一樹には見当がつかなかった。
「初めてここに来た時の事なんだけど・・あなた、一樹を名指ししてたでしょ?・・どこで一樹のこと知ったのかしら?一樹は面識はないって言ってたけど・・そうよね、一樹。」
亜美の質問は、刑事としての質問というよりも一人の女性としての感覚で尋ねている様だった。一樹は、その質問に同意したというより、亜美の目つきに同意した。

「ああ、そのことは・・・もう御存知だと思いますが、私のいる特別病棟の隣の部屋に、葉山さんて方が入院されています。その奥様から、矢澤さんのお名前をお聞きしたものですから・・とっさに矢澤さんの名前をだしたんです。・・私も初対面でした。」
「ふーん。それだけ・・なら納得したわ。」

レイはちらっと時計を見て、
「私、そろそろ戻らないと。・・また、連絡差し上げますので」
そう言って立ち上がった。
「病院まで送っていこうか?」
一樹が何気なしにそう言ったが、
「いえ、結構です。駅前で待ち合わせをしていますので、歩いて行きます。では。」
レイはそういうとすっとドアを出て行った。一樹も亜美も、見送るまでもない状況だった。

「なんだか、疑問は晴れたんだけど・・気持ちは晴れないって感じね。」
亜美が、冷めてしまったコーヒーを飲みながら、ため息混じりにそう言った。
「ああ、ただつじつまが合ってるというか・・いや、容疑者の取調べじゃないんだから、良いんだけどな。」
「そうね・・でも、今日のレイちゃん、全く別人みたいだった。物静かというか・・初対面の人みたいだったわ。」
「ああ、病院で見かけた白衣の時もそんな感じだったが、今日はまたどこかのお嬢さんという感じで、清楚でおしとやかという感じだったな・・」
一樹のその言葉に少し亜美はムッとした。そして、朝方の一樹の失礼な態度と発言を思い出して、また機嫌を悪くしていた。

レイは、警察署の玄関を出てきた。署の前には、例のフリーライター“林”が待ち構えていた。
一樹と亜美の会話とレイの存在に何か秘密めいたものを直感して、先ほどからずっと待っていたのだった。署の前を通る国道の信号を渡り、レイは駅前のアーケード街に向かった。20mほど後方を、林は尾行していた。
「何者だろうな?見たことない顔だよな、結構可愛い娘だし、面白そうだ。」
そう呟きながら、レイの動きを追いながら、ジャケットのポケットから小さなデジタルカメラを取り出して、レイを写真に収めていた。

平日の午前中は、アーケード街には人影もまばらで、余り近づくと気付かれるのではと考え、離れ気味に歩いていた。レイは、洋服店や雑貨店等を見ながら、アーケードの端まで来たところで、角にあるタバコ店に入った。
林もゆっくりと店の前まで来ると、タバコ屋の中にはレイの姿が見当たらなかった。・というより、タバコ屋の看板はあるものの、中は空き家で、裏口のドアが開いていて、そこから裏道へ抜けたのは確実だった。
林はあわてて、裏口へ走り抜けた。静かな裏通りの先に、ちょうど、黒塗りの高級車が角を曲がっていくところが見えた。ナンバープレートまでは確認できなかった。
「気付かれたか。・・・それにしても、こんな狭い道であの車が待っていたなんて・・やっぱり何かあるな。」
林はポケットからデジタルカメラを取り出して、画像を確認してみた。しかし、カメラにはレイの顔がまともにわかるようなものはなかった。
「おかしいなあ、ちゃんと撮れてるはずだが・・ブレてるものばっかりだなあ・・ちっ。しかし、収穫だな。警察内部に秘密にしておきたいことがあるようだ。あの高級車も気になるし・・まあ、この町であんな車を持ってる人間なんて、そう多くない。ちょっと調べてみるか。」
そう呟くと、街の中へ消えていった。

file4-1 継続捜査 [同調(シンクロ)]

F4-1 継続捜査
3日後の夕刻、紀籐署長が刑事課の部屋に入って行った。刑事課は皆出払っているのか、静かだった。
「鳥山君、いるかい?」
鳥山課長は、ひとり、刑事課の部屋の一番奥の机で、捜査資料を食い入るように見ていた。
「あ、署長。・・実は今報告に行こうかと・・。」
「まあ、いいさ。これから出かけるところなんで・・」
「じゃあ、取り急ぎ、報告だけ。」
「ああ、頼む。」
二人は、壁際にあるソファーに腰掛けた。
「あ、それと、引き続き、行方不明事件を追ってるんですが、こっちは、なかなか進展はありません。」
「そうか・・まあ、気長にやっていくしかないだろう。」
「誘拐事件と強盗事件のほうは、現場逮捕ですし、自供も取れましたので、検察へ書類を送ります。事件自体は、住んでのところで殺人事件にはならずに済みましたから、特に問題なく受理されるでしょう。」
「そうか。じゃあ書類を回しておいてくれ。」
「その誘拐事件がらみなんですが・・・武田フーズの社長の周辺捜査で、面白い事が出てきました。」
「なんだい?」
「行方不明になった娘なんですが、随分悪かったようです。武田は、まだ娘が小さい頃離婚してまして、ほとんど男手一つで育てたようなもんなんですが・・どう間違ったか、中学生の頃から悪い連中と付き合い始めて、ほとんど学校に行っていなかったようです。高校も行かず、・・そうそう、補導暦もたくさんあります。万引きや恐喝、暴力事件も起こしてます。売春の斡旋でも一度。それと、捜索願が出る直前には、薬物所持でも補導されていました。その時の記録です。」
そう言って鳥山は紀籐に書類を渡した。
「ほう、名古屋の繁華街で見知らぬ男からもらったと供述してるのか。」
「ええ、おそらく嘘でしょう。所持していたのは、合成麻薬の一種で、まだ、ほとんど流通していないものでしたから。」
「暴力団がらみは?」
「いいえ、その線はほとんど浮かんできません。どこから入手したか結局特定できず、未成年者でもありますから釈放されたんです。・・でその直後に行方不明になってるようなんです。武田もそうとう手を焼いていたようです。・・それと、娘なんですが、どうも武田の本当の子供じゃないようなんです。」
「どういうことだ?」
「武田の女房ってのが、水商売にいたらしく、・・妊娠したので結婚してくれと迫られたようで、ですが、どうも、他の男の子供みたいで・・ええ、武田の実家の周囲で聞いてきた情報ですから確かではないんですが・・」
「それじゃあ、余り、娘に愛情は持てなかったということか。」
「ええ、むしろ、居なくなってせいせいしたというほうが本音かもしれません。ですが、捜索願がちゃんと出されてる。それも、家出というのではなく、拉致されたんじゃないかという訴えになってるんです。」
「何だか、矛盾してるなあ。もう一度、その辺りを調べてみてくれ。それと、娘の周辺にいた人間もな。ひょっとすると、薬物がらみの大きな事件になるかもしれない。慎重に頼むよ。」
「はい、わかりました。」
「強盗事件からは何も?」
「ええ・・動機もありますし・・凶器のナイフもその日の夕方購入していて、衝動的にやったのだという事で進んでいますが・・」
「そうか。・・いや、ちょっと気になることがあって。君も現場を見ているからわかるだろうが・・加藤宅はかなり厳重な警備システムが入っていただろ。そんなに簡単に侵入できるものじゃない。」
「ええ、その点は私も疑問があるんです。ただ、供述では、加藤医師が帰宅した時に待ち伏せしていて、脅して家の中に入ったということでした。これは、被害者の供述とも一致しました。」
「そうか。・・いや、もし、金目当ての犯行なら、もっと楽な方法もあるだろう。わざわざ警備の厳しい家を狙わなくてもいいんじゃないかと。顔も見られてるし、例え、強盗で成功してもすぐに容疑者として指名手配されるだろう。それに、あの凶器では、人を殺すことなど出来ない。・・被害者も医師ならそれくらいわかるはずだ。少し、不自然なところがあるように思うんだが・・。」
「ええ、おっしゃるとおりです。・・ただ、取調べではとにかく衝動的に犯行に至ったのだという供述があるので、その線で裏づけを進めてきました。・・傷害も殺人も起きていませんから、これ以上の時間を掛けてもと現場の刑事たちの意見で・・」
「わかった。その事件は、一応その方向で起訴することにしよう。ただ、犯人と加藤医師とに過去に何か接点はないか、少し調べてみて欲しい。」
「はい、わかりました。」
ちょうどその時、同時に、佐伯と佐藤が外回りから戻ってきた。
「お嬢さんが玄関でお待ちでしたよ。」
佐伯が署長に告げた。
「いけない、少し遅れた。じゃあ、鳥山君頼む。」

鳥山は署長を見送ると、佐伯と佐藤を呼んだ。
「誘拐事件と強盗事件、一応、送検することで了解いただいたが、もう少し、周辺捜査をすすめてくれ。」
「・・もういいんじゃないでしょうか?いずれも、現行犯ですし・・」
佐伯が少し不満顔をしながら答えた。
「まあ、そういうな。佐伯は、強盗事件のほうを担当して欲しい。・・あの犯人と被害者加藤医師の接点がないか調べてくれ。・・あの厳重な警備システムの家で強盗を働くのは、衝動的なものだけじゃないように思うからな。それから、佐藤は、武田フーズのほうだ。娘が行方不明になってる。武田フーズの経営や取引先、娘の行方不明時期の状況・・とにかく何でもいいから、怪しげなことが見つかったら報告してくれ。」
「あ・・あの・・一つ。」
佐藤がおずおずと質問した。
「誘拐事件の裏に何かあるんじゃないかと、課長はお考えなのですか?」
鳥山は少し考えてから、
「・・怨恨と金・・が絡んでの犯行じゃ、あまりに稚拙な感じがするんだ。大胆すぎるというか、武田にしても娘婿の加藤にしても、警察に通報されるなんて思っていなかったような感じだからな。他に脅迫できるようなネタを持ってたんじゃないかとな。署長も同意見だ。」
「わかりました。早速、調べてみます。」
佐藤は随分張り切って返答した。佐伯は、あまり乗り気ではなさそうだった。


file4-2 パーティ会場 [同調(シンクロ)]

F4-2 パーティ会場
亜美と紀籐署長は、魁トレーディングの新社屋落成パーティの会場に居た。
5階建ての新社屋。1階には広いロビーに受付案内、そして、パーティ会場になっている大ホール。2階以上は、オフィスになっているようで、IDゲートで警備されていた。
紀籐と亜美は出かけるのが少し遅れたせいで、すでにセレモニーは始まっていて、一連の挨拶や祝辞等は終わっていた。
「ねえ、パパ。いつも出不精なのに、このパーティって何かあるの?」
「いや・・誘拐事件があったばかりだろ。ちょっと興味があってね。どんな顔ぶれが集まるのか、見ておくだけでも、この街の人のつながりがわかるだろう。お前も少し面識を持っておくのもいいんじゃないか?」
紀籐はそう言いながら、テーブルに並べられた料理をつまみ始めていた。
魁トレーディング会長の周りには、役員何人かが金魚の糞のようについて、参加者へのあいさつ回りに入っていた。
「ほう、市長と・・湯川議員も・・二人とも土建業上がりで・・きっとここの工事も親族がらみだろうな。」
「へえー。あれ、これ美味しいわ。」
亜美はほとんど紀籐の話に興味はもてず、並べられた料理をすべて食べてしまうような勢いでいた。

「これはこれは、紀籐署長。先日はありがとうございました。孫娘もすっかり元気を取り戻しました。」
会長が近づき握手を求めてきた。紀籐は軽くお辞儀をした。
「私どもが警察へ連絡して、ほんの数時間で解決いただけるなんて・・あなたは優秀な部下をお持ちだ。」
ちょうど、そばに市長もいて、
「ええ、わが市の警察は優秀です。市民生活の安全のために、この紀籐君が粉骨砕身で頑張ってくれている賜物ですよ。紀籐君、引き続き頑張ってくれたまえ。」
何だか、わが手柄のような笑顔で市長が答えた。何だか、魁会長の太鼓もちのような様子で、可笑しかった。
「会長・・こちらへ・・」
近くにいた秘書らしき男が会長を誘導した。

「なんだか可笑しいわね。市長より会長のほうが実力があるって感じで」
そばで会話を聞いていた亜美が料理を口にしながら言った。
「お前の見方は正しい。会長が市長の後援会長でもあるのだからな。会長の支援がなければ市長にはなれなかったはずだ。政治家なんてそんなものさ。・・それより、ほら。」
紀籐がそっと指差した先には、加藤医師の姿があった。
見事なドレスで着飾り、髪も結い上げ、持ち前の派手さが一層アップしていて、周囲とは違って見えた。
「へえ、あの人も魁トレーディングと関係があるってこと?」
「ああ・・」
紀籐と亜美はじっとその様子を見ていると、会長が近づいていった。二言三言、言葉を交わしたように見え、会長が周囲の人間を遠ざけ、すっと二人が、パーティ会場から出て行った。

「あれ?二人して消えたわね。・・なんだかただならぬ仲って感じ。」
「ああ・・会長とは10年以上前から。男と女の関係らしい。ただ、会長には当時奥さんもいたんで、まあ、お妾さんということになるから、公の場では見なかったんだが・・数年前に奥さんを亡くしてからは、ほとんど正妻気取りらしい。」
「へえ、知らなかった。・・じゃあ、その二人が、連続して事件の被害者になったってこと?」
「だから、ちょっと気になってね。偶然と考えるよりも何か関連があると考えたほうが面白いだろ。」
「面白がってる場合じゃないわ。不謹慎ね。」
紀籐は、亜美の言葉を聞いていなかった。それよりも出席者を一人一人確認するように見入っていた。
「それにしても、表の世界の人間ばかりだな・・まあ、脛にキズという奴もいるにはいるが・・まあ、まともなほうだ。これだけのパーティに、裏の世界の人間は現れないか・・おい、亜美、そろそろ帰るぞ。」

振り向くと、亜美は数人の若い男・・みなどこかの御曹司なのか・・に囲まれていた。亜美もそこそこ可愛い顔をしている。それに、会場内には年配者が多く、亜美のような若い娘の姿はほとんどなかった。そのために、若い男の的になってしまっていた。

「失礼!」
紀籐はそう言って、男達の中に割って入った。男たちが一斉に紀籐の顔を見た。
「おい、帰るぞ。・・・君たち、この娘に用事があるなら、橋川署へ来なさい。署長の私がお相手するから。」
「パパ、何言ってるのよ!」
その言葉に、男たちは一斉に引いていった。

パーティ会場になっている大ホールを出ると、静かなロビーだった。
「少し、社屋の様子を見てみるか?」
紀籐はそういうと、受付に近づき、警察バッジを見せた。
「橋川署の紀籐です。せっかく来たので、ここの警備システムを見せていただきたいのだが・・」
「申し訳ありません。本日は、パーティだけの使用ですので、2階以上はまだ入れません。・・御案内のパンフレットはございます。ご覧になりますか?」
「そうかい。じゃあいただきましょう。・・それと、このビルは地下はあるのかい?」
「あ、はい。社員用の駐車場がございます。本日は立ち入りは・・」
「いや、いいんだ。そうか、ありがとう。」
紀籐はそういうと魁トレーディングの案内パンフレットを受け取って、玄関へ向かった。

玄関に隣接した来客用駐車場に向かうのかと思うと、立ち止まり、パンフレットを広げた。
「どうしたの?パパ。」
「いや、お前は車で待ってるか?ちょっと見ておきたいんだが・・」
そういうと、来客用駐車場の反対側にある狭い通路を指差した。
「一緒に行くわ。」

二人は、その通路を通って、ビルの裏側へ回った。そこは地下駐車場の出入口になっていた。
中から黒塗りのベンツが数台出て行くところだった。後部座席はスモークが貼られていてわからなかったが、運転手はとても堅気とは思えない風体だった。

「やはりな・・」
「やはりって?」
「裏の世界の人間はやはり裏から出入するんだよ。きっとあの中に、会長と加藤医師もいるはずだ。署に帰って、車両ナンバーの照会をしてくれ。」


file4-3 由紀ビューティクリニック [同調(シンクロ)]

パーティの翌日、亜美は、昨夜のベンツの照会をしていた。
「社用車みたいね。・・ええと、KTC?何だろう。でも、パパの言うような会社ではなさそうだけど・・。」

一樹は、朝出て行ったきりだった。もう昼前になる時間だった。
「・・うーん・・」
何かうなりながら一樹が部屋に戻ってきた。
「一樹、どこ行ってたの?」
「いや、ちょっと調べ物でさ・・・ああ、昼、買ってきたからどうだ?」
一樹はコンビニで買ってきたような袋を差し出した。サンドイッチや飲み物が入っていた。二人がこうして昼食を一緒にとるようになったのは、随分昔からだった。特に理由があるわけではなかったが、亜美が勤務し始めた頃は、亜美が弁当を二人分作ってきたのがきっかけで、自然に一緒にとるようになっていた。最初は、同僚たちから冷やかされていたが、どうも「恋人」という関係ではなく、「兄妹」という関係なのだと皆思うようになっていた。一樹にとっては、本当に「妹のように」思っている。一樹は早くに両親を亡くしていて、署長の紀籐に何かと面倒を見てもらっていて、一時は紀籐の家に住んでいたこともあったからだ。

「なあ、亜美。午後からちょっと一緒に行ってもらいたいところがあるんだよ。」
サンドイッチを頬張りながら一樹が切り出した。
「良いわよ。で、どこに行くの?」
缶コーヒーのプルタブを開けながら亜美が答えた。
「由紀ビューティクリニックなんだ。」
「ビューティクリニックって・・美容外科?そんなとこ、何調べているの?」
「いや、前の事件の事もあるし、ちょっと知りたい事があって・・」

一樹は、スナックで耳にしたことを亜美にも話した。
「ふーん・・それで、この前、パソコンで変な画面見てたんだ。でも、どうして一緒に?」
「さっき、行ったんだよ。でもな、『男性の立ち入り禁止』って玄関の横に貼り紙が出ていたし、・・その何だが恥ずかしいというか・・女医って苦手なんだよ。なあ、頼むよ。」
「いいけど・・それで、その『無料の手術』の噂を聞いてみるのね。」
「ああ」

二人は、昼食を済ませて、すぐに、『由紀ビューティクリニック』へ向かった。

「ここだ。」
大きくて高い塀に囲まれ、5階建ての病院。白亜の殿堂といってもおかしくない造りで、とても病院とは思えないものだった。大きな門から入ると、また大きな来客駐車場があった。確かに、玄関の前には「男性立ち入り禁止」の貼り紙があった。
二人は、自動ドアの前に立ったが開かなかった。代わりに、ドアの脇にあるスピーカーから声がした。
「御予約のお客様でしょうか?」
二人は周囲を見回した。玄関の上にカメラがついていた。
「いえ・・私、橋川署の紀籐といいます。隣は、矢澤。少し院長にお話が聞きたくて・・」
そう答えて、カメラに向かって警察バッジを提示した。
「しばらくお待ち下さい。」
そう返事が返ってきた。しばらく待っていると、自動ドアが開いて、中から加藤院長が現れた。
白衣は着ていなかった。高価そうなワンピースとハイヒール、昨夜のパーティの時とはまた違った洋装で現れた。少し苛立っているのか、眉間にしわを寄せて
「何の御用でしょうか?事件の事は全てお話しました。用件があるなら事前に連絡して下さい。」
「すみません。」
二人とも頭を下げる。なんだか妙な気分だった。
「とりあえず、こちらへ。」
加藤院長は二人を玄関脇の庭のほうへ案内した。そこは、一段高く、イングリッシュガーデン風の造りになっていて、中央辺りに、椅子が置かれていた。
「で、何の御用かしら。・・もうすぐ御予約のお客様がいらっしゃるので手短にお願いします。」
そう言いながら、椅子に腰掛けた。二人も脇の椅子に腰掛けてから、一樹が質問に入った。
「すみません。・・ああ、事件のほうは別の刑事が担当で・・確か、送検準備に入ったと聞いていますので、これ以上はないと思います。」
「じゃあ、何の御用なの?」
「・・ちょっとおかしな事を耳にしまして、もし院長が御存知ならと・・実は、若い娘に無料で美容手術をして仕事まで世話してくれるっていう病院があるらしんです。単なる噂かもしれないんですが・・いかがでしょう。」
「ふ・・馬鹿げてるわ。そんなおいしい話あるわけないじゃない!」
「いや、僕も最初はそう思ったんですが・・どうも、事実らしいんです。その勧誘を受けて実際に手術を受ける直前だったって娘に会いましたから・・」
「ねえ、貴方、美容手術ってどれくらい掛かるのか御存知なの?」
「ええ・・ネットでいろいろ調べました。保険が利かない手術が多くて、法外な値段だと・・儲かるんだなって・・」
「貴方ねえ、医者を前に・・いいわ。教えてあげる。・・ちょっと貴女、立ってみて!」
亜美は院長から言われて思わずその場で直立した。
「いい?例えば、この娘の美容整形なら・・そうね、スタイルはまあ良いほうだから、・・そうね、顔。鼻をもう少し高くすっきりして、目も少しパッチリさせて、この口元もちょっとだらしないから口角を上げて可愛くする・・そういう手術だけでも100万円以上するのよ。もちろん、それだけじゃダメ。術後のメンテナンス、化粧の仕方とかスキンエステなんかも必要ね。・・美白手術っていうのも必要かも・・」
一樹はそれを聞きながら、亜美の顔がどんどん鬼のような形相に変わっていくのを感じていた。
「ちょっとした手術でも、慎重な準備や技術が求められるの。だから、無料でなんてありえないわ。」
「そうですか・・ちなみに、豊胸手術ってのはどうですか?」
院長は、ちょっと顔色が変わったように見えた。
「豊胸手術?・・・そうね・・この娘の場合だと・・あら、案外、良い形してるじゃない。もうちょっとボリュームが欲しいところね。」
院長は容赦なく亜美のバストを触った。
「もう!やめてください!私は絶対受けませんから!」
亜美がついに爆発した。そして椅子に座り込んだ。
「まあ、もったいない・・ちょっとボリュームを増やすだけでもっとチャーミングになれるのに。」
「で、その手術ってどういうものなんですか?」
一樹は、亜美の爆発振りには可笑しかったが、こらえて話を訊いた。
「いろんな方法があるわ。昔は、バストの下を切り開いて中にパットのようなものを入れ込んでかさ上げする方法が多かったけれど・・負担も大きくなるから・・うちでは、注射による方法と、脇に小さな切れ目をつけて・・これは、企業秘密だからこれ以上はダメ・・でもすぐに手術も終わるし負担も少ないからかなり高価になってるわ。」
「そうなんですか・・」
「だから、無料で手術が受けられるなんてありえないわ。」

そこまで訊いた時、院長の持っている携帯が鳴った。院長は立ち上がって、二人から少し離れて電話に出た。
「今、警察が来てるから、後で連絡する。・・」
二人には聞こえないような小声でいうとすぐに電話を切った。

院長が電話を終えたとき、
「ありがとうございました。勉強になりました。失礼します。」
一樹はそういうとさっさと引き上げて行った。亜美も、さっと頭を下げて一樹の後を追った。

院長は、二人が車に乗り、門を出て行くまでじっと見送っていた。


file4-4 KTC工場 [同調(シンクロ)]

F4-4 工場「KTC」
「全く、失礼しちゃうわ!」
亜美は、相当お冠だった。あれほど痛烈に指摘されるとは思っていなかったし、自分では普通よりも少し美人の部類に入るのではと自負していた部分があったので、なんだかプライドをずたずたにされたような感覚だった。指摘された事は実は常々気になっていたところで、加藤医師のプロの力にはある程度感服していた。
「さあ、次だ。」
一樹は亜美の怒りは判っていながらも、そこを触れると一層大変な事になるのがわかっていたので、あえて無機質にそう言って、車を出した。

しばらく走ったところで、亜美が、
「次はどこ?今度はどんな楽しい事が待ってるの?」
少し嫌味をこめて尋ねた。
「情報の出所の工場に行ってみよう。まあ、勧誘した男がいるわけじゃないが、何かヒントはあるかもしれない。」
程なく、目指す工場に着いた。
工場は市の東部の丘陵地帯にあり、いくつか大きな金属加工の工場や自動車の部品工場等がある地域だった。目的の工場の前には、大型トレーラーが製品の搬出をする為に必要な広い直線道路とそれに続くロータリーがあった。正門には、警備員の詰め所があり、従業員は脇にある小さな通路を通るようだった。
一樹は、通路が見えるように、その道路の端の方に車を停めた。

「あれ?ここ、前は・・なんとか工業っていうところだったわよね。いつ名前が変わったのかしら。」
「ああ、確か、小島工業っていう工場だったが、2年位前に買収されて、今はKTCっていう会社名になっているみたいだ。ただ、やってる事はそのままらしいんだが・・」
一樹が事前に調べておいたのか、手帳を取り出して話した。

「え?KTC・・それってどういう会社なの?」
「ほら・・魁トレーディングって、例の誘拐事件があったろう。あの権田健一が会長の魁トレーディングが買収したんだ。」
「しらなかったわ・・。先日、パパと一緒にいったパーティ会場でみた黒いベンツは、やっぱり魁トレーディングの車だったのね。」
「なんだい、署長って魁トレーディングを調べてるのか?」
「ううん?どうかな。とりあえずパーティには行ったけど・・特に調べてるってことじゃないみたい。ただ、胡散臭い会社だとは思ってるみたいだけど・・」
「ふーん」

一通りの情報交換の後、一樹と亜美は正門の様子を見ていた。
「まさか、勧誘した男が現れるわけはないな。・・他を当たってみるか・・」
そう呟いた時、正門の前に一人の女性が現れた。辺りをキョロキョロ見回している。誰かを探している様でもあった。正門の警備室に行き、何か問い合わせているようだが、応じてもらえず、苛立ってでてきた。相当にうろたえた様子にも見えた。

「あ?・・あれは・・」
一樹はそういうと、いきなり、車のドアを開けて走って出て行った。亜美はその様子をじっと見ていた。

「おい!ソフィア!こんなところで何してるんだよ?」
その声に、女性が振り返った。
「あ、一樹!ねえ、助けて!」
そういうと、一樹の腕にすがりついた。そして、一樹の胸に顔を埋めて泣き始めた。

亜美は、車の助手席からその様子を見ていた。会話は聞こえない。ただ、女性が一樹に取りすがって、泣いている様にも見えた。ただならぬ様子・・いやただならぬ仲に見え、少し嫉妬心が沸いていた。

「一体どうしたんだ。」
「あの子・・店に・・いた・・あの子が・・・いなくなっちゃったの。」
「ちょっと、落ち着け。話を聞かせてくれ。」
一樹はそう言って、ソフィアを車につれてきた。そして、亜美を後部座席に移らせ、助手席にソフィアを座らせた。

file4-5 ユウキの失踪 [同調(シンクロ)]

F4-5 ソフィアの話
「いなくなったって、どういうことだい?」
一樹はソフィアをなだめながら話を訊きだした。
「昨日の夜、店の手伝いの約束だったの。でも時間に来なくて・・携帯で連絡したんだけど出なくて。それで、朝、アパートに行ったけど、鍵は閉まったままで、誰もいないの。」
「急に予定が変わって、帰国したんじゃないのか?」
「ううん。あの子は、帰らなくても良くなったって。次の仕事を決めたからって。それで、昨日は店の手伝いをしてもらうのも最後だし、お祝いをしようかって待ってたのよ。でも、何の連絡もなくて来ないから、心配で・・」
「友達とか・・同じアパートの人とかは?」
「ええ・・昨日の夜は部屋には戻ってきたみたいだけど、その後の事はわからないの。」
「心当たりは?」
「全くないの。・・それで、ほら、この前言ってた、手術の話。あの子、一応OKしたらしいから、あれから連絡があったんじゃないかと思ってね。」
「でも、店でやめておく様に言ったじゃないか、怪しい話だぞって。」
「ええ、あの子も、やめるって言ってたし・・でも、居なくなるなんて、それしか思い当たらなくて・・」

一連の会話を後部座席で聞いていた亜美が口を挟んだ。
「ねえ・一樹、この人は?」
一樹は、亜美の存在をほとんど忘れてしまっていて、声を聞いて驚いた様でもあった。
「あ・・すまん。彼女は、ソフィア。俺が行きつけにしている店のママなんだ。・・ほら、今調べてる怪しい情報を聞いた店さ。」
「そうなの・・で、居なくなった子は?」
「店の手伝いをしていたんだ。・・名前は・・ええと・・」
「ユウキって言います。まだ二十歳になったばかり。この工場を解雇された日に門の前で勧誘を受けてて・・」

亜美はようやく会話の中身を理解した。
「ねえ、その・・ユウキさんのアパートへ行ってみましょう。」

3人はユウキのアパートに着いた。2階建ての小さなアパートで、ユウキの部屋は2階の角だった。大家は同じアパートの1階に住んでいた。亜美が警察バッジを見せ、事情を話すと、大家の老婆は怪訝な顔をしながら鍵を手渡してくれた。3人はぎしぎしと音を立てる外階段を上がっていき、通路の一番奥にあるユウキの部屋へ向かった。通路には、子供の三輪車やバット等が散乱していた。帰っているかもしれないと思い、ノックした。しかし、返答はなかった。
大家から受け取った鍵で、錠を開け中に入った。狭い玄関には赤いスニーカーやサンダルが綺麗に並べられていた。アパートの隣には大きなビルが建っていて、昼間でも薄暗かった。壁のスイッチをつけると天井のペンダントライトが点灯し、部屋の中を照らした。部屋の中は綺麗に片付いていた。

「特別、変な様子はなさそうだな。」
一樹が一通り部屋の中を見回してから言った。亜美は、カバンやテーブルの引き出し等を開けていた。何かメモのようなものが残っていないか調べていたのだ。
「いえ、変よ。ほら、カバンの中に財布がある。どこかに出かけるのなら、財布くらいは持っていくでしょう。」
ソフィアも、玄関の靴を見て、
「あの子が好きでよく履いているスニーカーもあるし・・何だか、部屋の中から出ていないって感じ。」
風呂やトイレの中も見てみたが、特に変わった様子はなく、突然、この部屋から消えてしまったようだった。
一旦、部屋から出て、周辺に昨夜の様子を聞いてみることにした。

隣室には家族が住んでいた。・・ソフィアと同じように、日系人の家族のようだった。ソフィアは、ある程度面識があったので、もう一度、昨夜の様子を聞いてみることにした。
ノックをすると、声がして、大柄な御主人らしき男が、通路にある小窓からちょっと顔を出した。
「昨日の夜の事なんだけど、何か変わった事はなかったかしら?」
ソフィアが尋ねると、
「何もない。静かだった。」
男は、そう答えるとピシッと小窓を閉めてしまった。一樹たちが居た事で警戒したようにも見えた。
4部屋ほどある2階のほかの部屋は不在のようだった。

大家に鍵を返そうと訪ねると、どこかへ出かける様子だった。
「ああ、鍵は持っといて良いよ。警察の人なんだろ。また、返してくれれば良いから。」
「昨晩、何かありませんでしたか?」
「いや、気が付かなかったねえ。ここはほら、外人ばかりだから、時々うるさくするんでいちいち気にしてられないよ。・・毎日、大きな車がやってきては大きな音楽で騒ぐしさあ、そうそう昨日も黒い大きな車が来てたねえ。2階の誰かの知り合いだろ。それより・・わたしゃ忙しいんだ、もう出かけるからね。」
そう言うと、忙しそうにどこかへ出かけていった。

「何もなかったわけじゃなさそうだな。・・誰かが来てユウキを連れて行ったのかもしれないなあ。」
一樹はそう呟いた。その言葉を聞いて、ソフィアはその場に座り込んで泣き出してしまった。
「とにかく、一度、署に戻ってからどうするか考えよう。」
一樹は、ソフィアの肩を抱き、慰めた。


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