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峠◇第1部 ブログトップ
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1-1、訪問者 [峠◇第1部]

tao.JPG 夏の終わり、峠にあるバス停に男が一人、大きめの荷物を持って、立っていた。
 砂埃を立てて、峠を下っていったバスには、彼以外には乗客はいなかった。
 バス停の隅に置かれた今にも朽ち果てそうな長椅子に腰を下ろして、たばこに火をつけて、少し深く煙を吸い込んだ彼は、ため息を吐き出すように、
「ここが最後の場所だな・・・。」

 彼の職業は、フリーライター。と言っても、大した仕事をしているわけでもなく、ここ数年は、ある「言葉」を追って、全国を歩き回っていた。
 大きめの荷物には、大半がこれまで集めた資料が入っていて、他人が見れば、ゴミ同然の代物に違いなかった。

峠道の頂上に立つと、そこからは、瀬戸内の穏やかな海が見える。
そして、両脇に立つ山に貼り付くように集落があり、その間を流れる川を取り巻くように水田が広がっている。
晩夏となり、水田の稲もわずかに穂が伸びているらしく、西風にあおられて、やや重く揺れているようにも見える。
峠から少し下ったあたりに、東と西に広がる尾根伝いに小道があり、自動車がようやく入れるほどの道幅で、轍だけが木陰の中に続いていた。

 彼は使い古した黒い手帳を取り出して、これからの目的地を確認すると、荷物を持って立ち上がった。
 「この道でいいはずだよな。」
 独り言をつぶやき、西側の道を入っていった。
西側の道は、少し上り坂で、珍しく石畳が残っていた。
両脇の雑木が、ちょうどトンネルの様に茂っていて、汗ばんだ肌がひんやりするほどだった。行く手の100mほど向こうに、目的地の玉林寺が見えた。

玉林寺はこの村の墓守で、由緒や建立時期などは不明であるが、割と古い建物で鐘楼もしっかりしており、本堂には阿弥陀如来も鎮座していた。
山寺と言うにはやや大きく、本堂の裏には、墓地も広がっている。
漆喰の書蔵もあり、過去帳なども揃っているらしい。境内は、よく手入れされており、落ち着いた趣がある。
「ごめんください。ご住職はいらっしゃいませんか。」
 何度か呼びかけたが、本堂からは返事がなかった。横手にある住居に回ろうとしたところで、声がした。
「こちら、こちら。すぐにいきますから少しお待ちを。」
 納屋らしき建物から、住職が足早に出てきた。
「墓掃除をしていまして、道具を片づけていたところで転んでしまいまして。」
現れた住職は、右手をさすりながら、こう言って苦笑した。

住職と言っても、畑仕事の農夫と変わらず、麦藁帽をかぶり、腕抜きに地下足袋で、メリヤス肌着にナッパズボンを履いている。年齢は60才くらいだろうか、白髪が交ざった太い眉に、少ししゃくれた顎が印象的だった。
「あの、先日お電話させていただきました福谷幸一と申します。用件はお伝えしてあると思いますが・・・」
そこまで言うと、住職が遮るように
「存分にどうぞ。どうせ、暇にしていたところじゃし、庫裡の掃除にもなりそうじゃから、いいですよ。それと、本堂に寝泊まりしてもらって結構。儂もひとり暮らしで、気楽にやっとる身の上。食事の支度くらいは、お手のもの。なに、金なんかいらんから、ゆっくりしていけばええ。」
 こう言うと、妙な笑顔で、肩を叩いてさらに付け加えた。
「面白いものが見つかったら、教えとくれな。わはっはっは。」
 住職にしてみれば、彼が何をしに来たのか余り関心がない様子であったが、久しぶりの訪問者ということで、何とは無しに嬉しかったのだろう。彼にとっては、思ってもみない応対で、安堵した。


1-2.夕食にて [峠◇第1部]

 その夜は、夕飯に続き、住職の晩酌につきあうこととなった。
「この村は、その昔には島じゃったそうじゃ。干拓やら洪水なんぞで地続きになったが、ほとんどが船持ちの漁師でな。海辺にしか住んどらんかったが、峠道が開通して、町からよそ者が入ってきて住みだしてからというもの、上の衆だとか、下の者だとかというて、仲が悪くてなあ。それからな、山が東西にあって、東方・西の地と分かれてまた仲が悪い。今でも名残があるようじゃけど、まあ、最近は派手なもめ事はないわな。」
「というと、この村は、4つに分かれて喧嘩状態になった事もあるわけですね。」
「そうじゃ。村の真ん中の川に橋がかかっとるんじゃが、これを作る前にはみんなで助け合って人夫作業もやっておったんじゃ。いざ、出来たら名前をつける時にもめてのう。結局、四方の橋、「四方橋」という事で、まとまったんじゃが、決まるまでには、大変じゃったのう。」
「何か事件でもあったんですか?」
「いやいやいや、そんなことは・・・・。それより、あんたは何を調べておるのかのう。」
「いえ、他人から見ればゴミみたいな事です。自分の因縁みたいなものを見付けたくて・・・。」
「因縁とは難解じゃな。この村にその因縁があると言うことかの。」
「たぶん、あると信じてきました。ここには、玉という字の付くものが多いですね。さっきの川も「玉の川」だし、この寺も「玉林寺」。確か、山の中腹には「玉祖神社」というものありますよね。海岸の先には「玉付崎」というものある。何か言い伝えがあると思うのですが。」
「それは、昔の言い伝えでな。玉付崎に流れ着いた舟に、赤子が乗っていた。その子は、錦の着物に包まれていたことから、村人が、高貴な人の落とし子と思いこんで、大事に育てた。やがて、青年になり、村の長の娘と恋に落ちてのう。そのことを知った村の若者達は快く思わず、邪魔をし始めて、ついには、青年を殺してしもうたそうじゃ。そのことを知った娘も玉付岬から身を投げたそうじゃ。」
「そんな悲恋の物語があったんですか。」
「話には続きがあってなあ。その娘が身を投げた後、天変地異が起きたそうで、村人達は、青年と娘の恨みじゃと思い、娘が身を投げた岬にあった大岩をご神体として、玉祖神社を造り祀ったという事じゃ。」
「やはり青年は、高貴な方の落とし子だったのでしょうか。」
「それはわからんが、、、さて、夜も更けた。寝るとしよう。ゆっくり休むがいい。」
そういうと、住職はさっさと立ち上がり住居のほうへ引き上げていった。

1-3.視線 [峠◇第1部]

 翌日、彼は朝食を済ますと、集落のほうへ歩いて出かけることにした。
玉林寺から、西の山沿いに玉付崎まで「西の地」の集落を抜ける道が続いていた。町からバスで1時間の距離にも関わらず、この村は過疎となりつつあり、集落の中には随分と無人の家屋が目立つ。中には茅葺きだった様に思える古い家屋もあり、何十年も前から廃屋となっているようであった。

四方橋に出る道との三叉路に近づいたところで、1台の車が追い越してきた。この村には不似合いな外車には若い娘と老紳士らしき二人が乗っているようで、追い抜きざまに、運転している娘と目があった。見慣れぬ男がふらふらしているのが気に障ったのか、きっと睨み付けるような視線を投げつけてきたように、彼には見えた。

三叉路を左に曲がり、四方橋に出た彼は、橋の真ん中まで来ると、ぐるっと、村を見回してみた。
丁度、ここから見ると、北側が山、南側に海があり、橋は山と海をつなぐ川の真ん中にあるのが良くわかった。この村だけでこの世のすべてのものを凝縮し完結しているようで、確かに、よそ者は嫌われるようだと感じた。

四方橋を渡り、東方に入ったところに、小さなたばこ屋があった。
道に面した壁には、自動販売機が一台あり、横には昔ながらのたばこの陳列ケースが設えてある座敷が見えた。座敷には老婆が一人座っていた。たばこを買うついでに少し話しを訊きたくて彼は声を掛けた。
「おはようございます。ホープ一箱ください。」
「そこの自販機で買うてくれんかのう。ここにはたばこは置いとらんので。小銭がないんなら両替はしますから。」
 見知らぬ客に少し怪訝そうな声でうつむいたまま、老婆は応えた。
「あ、そうですか。」
なんだか、声を掛けた方が悪かったように思えて、そのままホープ一箱だけ買ってそこを離れようとした時、その老婆が問いかけた。
「あんた、この村に何しにきたのかね。」
「少し興味のある事がありまして。あ、僕は福谷と言います。職業は一応フリーライターということになっていますが、、、、」
「物書きさんかな。そうじゃ、もうじきこの村の祭りじゃからのう。全くけったいな祭りじゃからそれを書いたらええ。」
「どんな祭りなんですか。」
「いやあ、祭りはそう珍しくないんじゃが、終いの儀式と言うとる玉の川の騒ぎが面白いんじゃ。」
老婆はゆっくりと思い出すように話してくれた。

この村の祭りは9月の末。玉祖神社の奉納祭りで、朝から村の青年が玉を乗せた御輿と鐘と大笊を持って、上・東・下・西と回って賽銭を集めてから、神社に帰り神主の詔で幕を閉じる。
終いの儀式とは、その後、青年達が四方橋まで駆けてゆき、褌一丁で大声を出しながら川に飛び込むと言うものだった。一番に飛び込んだ青年の集落から村の総代を選ぶのが習慣となっている。褌姿が面白く、村人はもちろん町からも見物人がくるほどというものだった。

「まあ、近頃は若者も少なくなって褌姿になるのが嫌だとかで、ここ数年はさびしいもんじゃがのう。」
 ここまで訊くと返す言葉がなくて、
「どうもありがとうございました。少し村の中をぶらぶらしてみます。それじゃ。」
 そう言うと山手の方へ坂道を上ってみた。

1-4.怜子 [峠◇第1部]

 ここらには大きな家が目立ち、若者らしい車などもあって勤め人も多そうだった。たばこ屋の前から山に向かって坂道が続いていて、行き着いた先に薬師堂が立っていた。
薬師堂より山手が上、海側が東方となっている様だった。

その脇を抜け、角を曲がったところで急に視界が開け、その先に玉付岬が見えた。岬まではかなり距離はあったが、緩やかな下り坂なので、一息に歩いてみることにした。道の両側には、段々畑が広がっていて、殆どがミカンを作っているようだった。

 岬といっても、十メートルくらいの高さの断崖で、先端には船の航路案内の簡易灯台がある位だった。ただ、振り返ると集落が見え、思いを残しながら自殺するには打ってつけの場所でもあり、昨夜住職から訊いた話しが、妙に真実味を帯びて感じられた。
 断崖の下を覗くと、山から崩れ落ちた岩がごろごろしていた。ここから落ちるとどうなるだろうなどと考えていたところで、いきなり、後ろから声を掛けられた。
「落ちますよ。」
 振り返ったところに、一人の女性が立っていた。
 白いTシャツにスリムのジーンズ姿で、まっすぐに彼の方に向いていた。
「びっくりしたなあ。」
「あなたはさっき四方橋のところにいた方ね。」
「あ、はい。福谷と言います。この村には昨日から来ていまして。」
「何をしていらっしゃるの?。」
返事に困っていると、
「私は、怜子。私の家は、あそこよ。」
彼女が指さした先は漁港のはずれにある水産会社だった。
「というと、玉水水産のお嬢さんですか。」
「お嬢さんなんて変な感じ。確かに父は社長をやってるけれど、あれは会社なんてものじゃないわ。港の余りものを集めて少し手を加えては高く売りつける、詐欺師みたいなものよ。」
彼女は父の仕事を余り快く思っていないようだった。
「この村には観光なんて気の利いた名所もないし、どこかのご親戚の方と言う感じでもないし。何をしにいらっしゃったの?」
「僕はフリーのライターで、自分の興味に任せてあちこち旅しては記事にしているんです。実は今、神社に興味があって、この村にある玉祖神社の由来を書かこうかと思っているんです。」
「そんなもの書いて、だれか読んでくれるの。」
「そこそこ、売れるものにはなると思っているんだけどね。」
「へー」
「君は?。」
「父の運転手。今日は週1回の通院のタクシー代わり。高校を卒業してからずっと同じ調子。近頃は毎日のように運転手をさせられてもううんざり。おまけに、今日なんか行きも帰りもずっと縁談の話しばかり。どうしても会社を継がせさせたくて会社の連中や村の青年団の連中の名前を挙げては、あいつはどうだ、こいつはどうだなんて。それでむしゃくしゃしていたから、ここに来たというわけ。」

 彼女のうちからここまでは漁港を抜けて海岸づたいにまっすぐこれる場所で気分転換には丁度よいところらしかった。しばらく、海風を浴びながら光る海を眺めていた。岬から外洋に出ていく漁船が数隻見えた他は少しも変わらぬ景色に溶けていく感じを味わっていた。
「そろそろ帰らなくっちゃ。お昼の用意をしないとまたお説教だわ。」
「もうそんな時間か。ひとつ教えて欲しいんだけど、この村に食堂はあるかい。」
「そんなものないわよ。漁協の横ににしきやっていう食料品店があるからそこでなにか買ったら?。朝晩には市場の食堂はやってるけど、よそ者は無理ね。」
「ありがとう。」
「一つ忠告しておくわ。余り村の中をうろうろすると怪しい人と思われるわよ。この村の人は、よそ者をすごく嫌うから。」
「注意するよ。」
「あなた、どこに泊まっているの?」
「玉林寺だけど。」
「いつまでいるつもり。」
「しばらく、、かな。面白い祭りがあると訊いたから、それくらいまでの予定だけど。」
「そう・・・・・。」
彼女は何か考えてから、
「それじゃ。」
といって海岸沿いに帰っていった。

1-5.「にしきや」の女主人 [峠◇第1部]

 彼も少し遅れて海岸に降りて堤防道路に沿って歩いていった。
 さっき彼女から訊いた「にしきや」に行き、昼食になるものを買い求めるつもりだった。
 堤防沿いの道は漁港の作業場につながっていて、丁度、漁に出かける人が準備をしているようだった。
 見知らぬ男が入ってきたことなどあまり関係ないように忙しく動き回っていた。
 漁港を抜けると道は二手に分かれていて、右手には峠に続くバス道路で、左手が彼女の家-水産会社に向かう道であった。

 彼は右に曲がりバス道路のやや上り坂を進んだ。
 坂の途中に漁協の建物が見えた。昼食の時間らしく職員の姿は見えなかった。その隣に食料品店はあった。
 「にしきや」の看板よりも酒造メーカーやパンメーカーの看板の方が大きい外観で、店先の半分くらいが自動販売機で埋まっていた。この店の隣が定期バスの終点・回転場になっているせいか、店の売り上げよりも自動販売機の方が儲かるような感じだった。
 店の中に入るといきなり大きな声で「いらっしゃい。」と声を掛けられた。
 そこには、太った女店主がいた。見たところ、50代。時代遅れのパーマ髪に、濃い化粧、しっかり書かれた眉と赤いルージュ。酒屋の前掛けをつけ、レジ台の奥で椅子に座ってこちらを見ている。
 「お客さん、初めてみる顔だね。どこから来たの。」
 店主はぶしつけに訪ねた。
 「昨日、ここには来ました。福谷といいます。」
 「で、何しにきたのかね。たいして面白い村でもないはずだけど。」
 「先ほど、四方橋の近くのたばこ屋のおばあちゃんから、祭りの話を聞きました。何でも終いの儀式とかある様で、一度見てみたいと思っています。」
 「ああ、あの祭りの事かね。あんた、刑事さん?・・・でもなさそうね。」
 「刑事って、・・祭りの時に何か事件でもあったんですか?」
 「いや、最近はほとんど終いの儀式とやらは廃れているからね。あの事件の事でもまた調べに来たのかと思ったんだよ。」

 店主の話では、30年ほど前にその事件は起こったということだった。
 例年の様に、祭りが終わり、若者衆が神社から四方橋の袂まで駆けてきて、川に飛び込む「終いの儀式」が始まった。
 その年の祭りの前日は豪雨で、通常より水流も強く危ないからと飛び込むのを躊躇う者が多かったが、四人の若者は飛び込んだ。
 そのうち三人は無事に浮き上がってきたが、一人が流れに飲み込まれて行方不明となったのだった。
 二日後の夕方、漁港から出た船が、その男の遺体をはるか海上で発見したのだった。流れに巻かれて溺れ死んだのならば、体中が痣だらけで、見るに耐えない姿になっているはずだが、その男はほとんど水を飲んでいなかった。警察でも、現場検証や事情聴取など行ったが、結局、見物人の証言や状況、男が大量に酒を飲んでいたという点から「溺死事故」とされたという事だった。

 「すこししゃべり過ぎたようだね。お客さん、何買うのかい。忙しいんだから早く買ってってよ。」
 店主は急に追い払うような態度となった。
 出入り口付近に、初老の男が立っていて、彼の方を睨み付けていた。
 彼はパンと缶コーヒーを買うと早々に店をでた。

1-6.昭(あきら) [峠◇第1部]

 バスの回転場にはだれもおらず、彼はバスの回転場の脇にある長椅子に腰を下ろして、買ったパンをほおばりながら峠の方をみていた。
 ここから見ると、先ほど歩いてきた東方のミカン畑の中に、ひときわ大きな屋敷が建っているのがわかった。急斜面に張り付くように立っているその屋敷は、高い石垣を持っていて、周囲には白壁もあり、小さな城の様にも見える。
 「さっき通った時には気づかなかったなあ。ミカン御殿っていうとこかな。」
 そんなことをつぶやきながら、目を左手に移すと、西の地にも同様に大きな屋敷が見えた。こちらは水田を前にして低い生け垣に囲まれていて、奥の方に母屋と屋敷、そして倉を持っていて、いわゆる庄家だろうと思われた。

 しばらくすると回転場に、1台の乗用車がものすごい勢いで入ってきた。真っ赤な車体、底が衝きそうなほど車高が下げられ、ボディからはみ出した太いタイヤ、元の車名がわからないくらいに改造している。
 回転場で2、3回回ってタイヤを鳴らして止まった。ドアが開いて降りてきた青年は、おもむろにボンネットを開けて中を覗き込んだ。エンジンの調子でも悪いのだろうか、あちこちをいじっている様子だった。
 「あの、ちょっと訊きたいことがあるんだけど。」
 彼は声を掛けてみた。青年はちょっと振り向いたが、すぐにエンジンに眼をやって、面倒臭そうに応えた。
 「なんだよ。」
 「あそこの、城の様に見える家は誰のお屋敷ですか。」
 青年は彼の指さす方をちょっと見て応えた。
 「ああ、あれは、祐介んちだ。ミカン成金ってやつだな。」
 「じゃあ、あちらのお屋敷は?」
 青年は同じ様にちらっと見て
 「百姓の親玉、いわゆる庄屋ってとこかな。色気ばばあとバカ息子が住んでるよ。玉穂の屋敷。そして、そのバカ息子というのが俺ってわけ。他には?」
 「ああ、ありがとう。」
 彼は少し呆気にとられて青年の言葉を聞いた。
 一見暴走族のなれの果てかと思うような雰囲気だが、目つきや態度は比較的常識的であって、少し悪ぶっているだけの様な青年だった。

 「あんた、誰?初めて見る顔だけど。」
 「すいませんでした。僕は福谷。フリーのライターで、今回は、この村のことを記事にしようかと思って、昨日ここに来たんです。」
 「こんな村に何か面白いことでもあるのかね。」
 「祭りの事と神社の悲恋伝説を訊いたんですよ。」
 「ふーん。そんな話、誰が読むの?まあいいや。」
 青年は、また視線を車のボンネットに移した。
 幸一も、缶コーヒーを飲みながら、山手のほうへ視線を移した。

 
 青年は、急に何か思いついたように、振り向いて
 「なあ、あんた。フリーって事は、時間はあるんだよな。少し俺につきあわないか。さあ、乗れよ。」
 やや強引に彼を車に乗せると急発進した。
 「どこに行くんですか。」
 「あ、俺の名は昭。この村を記事にするんだろ。それならこの村のことを良く知っている人に会わなきゃだめだ。適任の人がいるから、今からそこに連れていってやるんだよ。」

 この村の中なら、歩いても行けそうな距離なのに、昭は狭い道をすごいスピードで走りぬけていく。改造しているせいで、乗り心地は最悪だった。

1-7.親父さん [峠◇第1部]

昭の車は回転場から左に出て、にしきやの前を通り漁港に出た。三叉路を右に折れて海岸通りを走った。左手前方に水産会社が見えてきた。どうやら、目的地はそこらしかった。
防波堤の切れ目に水産会社へ降りる道があった。
水産会社は午後の出荷のためらしく、倉庫の前には大型トラックが数台止まっていた。昭の車は水産会社の脇の小道を通り裏の空き地に止まった。

「さあ、着いたぞ。ここはこの村の元締め、玉水水産。ここの社長は、この村のことなら良く知ってるからいろいろ訊くといい。」
 そう言って昭は事務所の中に入っていった。

 事務所には、運転手風の男が一人、ソファに横になっていた。
「こんちは。親父いる?」
 昭は、男に訊いた。
「昭か。懲りもせず、良く来るなあ。・・社長は今、浜だよ。」
 昭は、男の返事などどうでもいいという感じで、きょろきょろしていた。
その様子を見て、男は、
「お嬢さんなら、2階の部屋。どうでもいいけど、いい加減諦めたほうがいいぞ。しつこいと返って嫌われるだけだぞ。」
「いや、俺は社長を・・」
 と言い掛けたとき、後ろから声がした。
「こら、昭。また来とるのか。」
 事務所の扉のところに、大柄でがっしりした体格の、一見して「親分」と読んだ方がいいような風体の男が立っていた。
「親父さん、今日はお客を連れて来たんだよ。ほれ。」
 昭は幸一に顎で合図した。
「あ、僕は福谷です。フリーライターで、今、この村のことを記事にしようかと思っていろいろお話を伺っていて・・」
「ほーお。それで。」
「バス停で玉穂さんとお会いして、それなら、村のことを良く知っている人にあわせてくれると言うことになって・・・」
「親父さんなら、いろいろ知ってるだろ。それにこの村の宣伝にもなるし、そうなれば、この会社だってさあ・・。」
 社長の風体がやや強面であったし、何しろ、急な展開で彼もどぎまぎして説明も要領を得なかった。
 そんなやりとりをしていると、2階から足音がして、「お嬢さん」が現れた。
 岬で出会った時とは違い、ピンク色のワンピース姿で、ややうつむいた表情で「お嬢様」という言葉がしっくりする感じだった。
「どうしたの。」
 そう小さな声で言ったところも、別人の様であった。
「おお、怜子。もう具合はいいのか。」
「ええ、楽になったわ。」
「どこか具合が悪かったのか?」
 昭がやや大げさに尋ねた。
「お前らみたいな馬鹿が多いから、頭が痛いんじゃと。」
 社長の言葉から、娘のことが眼の中に入れても痛くないほどかわいいという事が伝わってきた。
「あら。あなたは。」
「やあ、先ほどはどうも。」
「何じゃ、知っとるのか。」
「ええ、さっき岬に行ったときに見かけたんです。落ちそうなくらいに海を覗き込んでいらっしゃったから。」

 そこまで訊いて、急に社長が不機嫌になった。
「さあ、忙しいから帰れ、帰れ。お前達のくだらないことにつきあってる暇はない。おい、史郎、入荷はどうなっとる。」
 急に社長に言われて、ソファに横になっていた男はびっくりして、事務所から飛び出していった。
「それじゃ。」
 社長の急な変貌に驚き、こちらも挨拶もそこそこに事務所を出た。

 車に乗り込みながら、昭は、独り言のように、
「おかしいなあ、いつも暇にしていてさあ。俺が行くと1日中、どこで儲かっただとか、あそこの未亡人はどうのだとか、くだらない話しで時間をつぶしてるのが。やっぱり、よそ者が嫌いなのかな。」
と言った。
「君は、あの、怜子さんが好きなのかい。」
「いや、一時は嫁さんにやってもいいって親父、ああ、社長も言ってたし、車好きなんで時々ドライブなんかにも誘ったりしたんだけどな。最近はなんか避けられてるみたいでさ。」
「ふーん。」
「お前に一言だけ言っとくぞ。怜子には手を出すな。なんかあったらコロスぞ。なんてね・・・・。」
「大丈夫だよ。そんな事が目的でここに来た訳じゃないから。」

 さっき出会った回転場まで戻って、彼は車を降りた。昭は別れ際にこう教えてくれた。
「何にもない村だけどな。夜の十時過ぎに漁港の横にある市場に来てみなよ。酒くらい飲ませてやるからさ。」

 青年と分かれてから、彼は青年が妙に親しくしてくれたことがこれまでに無く嬉しくて、なんだか不思議な気分だった。そんな気分のまま、一旦、寺に戻ることにした。

1-8.玉林寺墓地 [峠◇第1部]

 寺に着いた幸一は、早速、住職の姿を探した。
 境内や本堂、庫裡、納屋、まで回ったが見あたらなかった。どこかの檀家周りでもしているに違いない。
 
 寺の裏手にある墓地に入ってみた。住職は、墓地をよく手入れしているらしい。雑草もなく、供えられた花もきれいに咲いている。
 墓地には、この村の殆どの家の墓があるらしく、寺の構えに比べてかなり広い。
 墓地は東西と南北に走る石畳で四方に分かれていて、それぞれの一番奥に当たるところにはひときわ大きな墓があった。まるで、この村を縮小したような造りだった。
 南の墓には「玉水家」、東の墓が「玉城家」、西の墓には「玉穂家」とあった。
 だが、北の墓だけは壇を残すのみで墓石はなかった。かなり以前に取り壊されたような感じだった。墓石はないが、周囲はきれいに手入れされている。よく見ると、壇の真ん中には、花が植えられている。住職が植えたものだろうか?それとも、この村の上の地区の住人が植えたものだろうか。きれいに咲いている。

 幸一はこの墓からも、さっきバスの回転場で見たそれぞれの屋敷が各集落の代々の顔役の様な存在であることがわかった。

 「上の地区の顔役はどうしたんだろう。にしきやで訊いた事故で溺死した青年が、上の衆の顔役だったのだろうか。それなら、跡継ぎを亡くしてしまったということになる。それでも、何故、墓を壊すような事になったんだろう。」
 しばらく考えていたが、なんだかこの村の集落毎の対立や伝説などと関係があるような気がして、やはり住職に尋ねることにした。

1-9.住職との2日目の夕食 [峠◇第1部]

 夕方まで住職は帰らなかった。
 それまでの間、彼は本堂で、訊いたことなどをまとめることにした。
 彼が持ってきた鞄の中は、これまで彼が調べて集めた資料が詰まっていた。ここ数年はほとんどが神社に関連するもので、それも「玉」と名の付く神社に限っていた。そして、それらの資料の最後のページにはいずれも「我が因縁との関わりなし」と記されていたのだった。
 
 夕日で東方の集落が照らされる頃、住職は帰ってきた。
 帰り着くなり、住職は本堂の彼に声を掛けた。
 「昼食はどうされた。」
 「はい、今日は村の様子見で一回りした途中で、にしきやでパンを買って済ませました。あ、しばらくはこの調子で過ごしますからご心配には及びません。」
 「それはすまなんだなあ。いや、今日は峠向こうの香林寺の住職に相談事があってな。ついつい長居をしてしもうて。すぐに夕飯をこしらえるからのう。」
 「お気遣いなく。お手伝いしましょうか。」
 「いやいやいつもの事じゃ。それより何か収穫はあったかの。」
 「まあ・・・」
 「この村の衆は、よそ者を嫌うからのう。」
 それだけ言うと、住職は夕飯の準備の為に住居のほうへ入っていった。

 月が顔を出す頃には支度も終わり、昨日同様に彼と住職は夕食についた。
 彼は、昼間の疑問を住職に尋ねるため、岬での怜子と出会ったことやにしきやで訊いた話、などをした。
 「そうか、にしきやの店主はそんな事を話したか。」
 「ご住職はそのときには?」
 「儂は、その事故の数年後にこの村に来たのじゃ。その事故の事は村のものもあまり話たがらんので詳しくはしらんがの。」
 「そうですか」
 「確か、事故のすぐ後に、亡くなった青年の後を追うように女が岬から身投げしたということじゃ。どうも、恋仲だったらしく、警察が事故として片づけた後もあれは事故じゃないと言うておったそうじゃ。まあ、訊いた話しじゃから本当のことはどうかしらんが。」
 「その事故のあとも終いの儀式はやっているんですか。」
 「ああ、翌年も、あれは事故じゃから気をつければ問題はないと言うて、剛一郎が続けたようじゃ。」
 「剛一郎というのは?」
 「水産会社の社長じゃ。漁師連中の親分みたいなもんじゃから、あいつがやると言うたら下の若いものはみんなやるからのう。下のものがやるなら、他の部落のものも黙っとらん。事故の前よりも盛んにやるようになったんじゃ。」
 「ひとつ教えていただけませんか。下の顔役が玉水家なら、東方は玉城家、西の地は玉穂家ですよね。裏の墓を見てそう思ったんですが。」
 「そうなるのう。それぞれ代々の顔役でな、村のまとめ役でもあり、いろんなもめ事の原因でもあるがの。」
 「上の衆の顔役はどこの家なんですか。」
 「そうじゃのう。儂がこの寺に来たときにはもう墓も無かったし、何より上の衆も峠の向こうの人間が増えたから、そういう事が廃れたのかもしれんがのう。」

 彼の疑問の肝心な部分は結局わからずじまいであった。

2-1.焼け跡 [峠◇第1部]

翌朝、彼は昨日の疑問を晴らすために上の方を訪ねてみることにした。
ついでに、玉置神社も見て見るつもりで、住職には夕食までは帰らない事を伝えて寺をでた。

 彼は、一旦、四方橋まで行き、たばこ屋の前を通って薬師堂まで行き、昨日とは反対に回ってみることにした。
上の地区は、真新しい建物や洋風の家などが立っていた。車庫や表札もあり、殆どの家はこの村の時代錯誤の雰囲気とは無縁な感じがした。確かに今更、村の顔役の存在など必要としない様であった。
 しばらく行くと、家並みが途切れ目の前に農業用のため池が見えた。すでに刈り入れ時期直前と言うこともあり、池には水も少なくなっていた。池の土手には、老人が座っていて釣りでもしている風であった。
ため池沿いに道は曲がり、峠の方へ上っていた。
 峠を超える道との分岐点まで来たとき、山手側にひときわ大きな屋敷跡があるのが見えた。一見すると森のように見える屋敷跡は、道から一段高いところにあり、周りは古い石垣で囲まれるような構造となっていた。
 
 彼は、昨日の疑問の答えがわかると直感し、この屋敷に足を踏み入れた。
 森の正体は、楠の木が生い茂ったものであった。既に建物は無く、雑草が伸び放題であった。
 「やはり、随分昔に廃れてしまったみたいだな。」
 そうつぶやきながら、深い草叢に分け入った。敷地のほぼ中央にある楠の木に近づくと、何かに躓いた。
 草を分けて見ると、そこには黒く焦げた柱が横たわっていた。柱の太さは1尺もあろうかと思えるほどで、屋敷の大黒柱であったものらしかった。周囲をよく見ると、他にも黒く焦げた柱や壁跡などがあった。
「ここは廃れたのじゃなく火事で消失したんだ。」
 しばらく考え込んでいた時、
「そこで何してるんだ。」
 咎めるような声がした。振り返ると、この村の駐在が立っていた。
「お前は何ものだ。昨日もタバコ屋の婆ちゃんも気味の悪い男が話しかけてきたと言っていたし、漁師連中も目つきの悪い男がうろうろしているとか言っていたが、貴様の事か。そんなところで何をしているんだ。」
 初めから悪人を見るような眼で、今にも捕まえてやろうかというくらいの勢いで尋問した。
「僕はフリーライターで福谷と言います。」
 彼は最低限の必要事項を伝えるかのように短く応えた。
 彼は、若い頃から警官にはあまりいい思い出はなかった。
 「勝手にこんなところに入り込んで何をしているんだ。」
 「すぐに出ていきますから。」
 彼は、草むらを引き返し警官の横を抜けて道にでた。
 「ちょっと待て。何をしにこの村に来たんだ?」
 警官が彼の肩を掴もうとした瞬間、大きなクラクションが鳴った。
 二人とも驚いて一瞬動きが止まった。
 「福谷さん、こんにちは。」
 昨日出会った怜子が車から声を掛けたのだった。
 「やあ、君は。」
 「どうも、お待たせしました。」
 彼には何のことだか良くわからないと言う表情をしていると、
 「ごめんなさいね。なかなか抜け出せなくて。30分も遅刻ね。」
 彼女は、待ち合わせの約束をしている事をわざと駐在に伝えて、
 「駐在さん。こちらは福谷さんといってフリーライター。この村を題材に本を書くんですって。昨日、昭さんが紹介してくれたの。」
 「昭の知り合いですか。」
 「さあ。行きましょう。時間があまりないの。急がなくっちゃ。」
 そう言うと彼女は車に乗り込んでエンジンを掛けた。
 「早く乗って。それじゃ、駐在さん。」
 彼女の車は、彼を乗せて峠を上っていった。

2-2.ケンの喫茶店 [峠◇第1部]

 「ありがとう。助かったよ。あの駐在、よそ者だからって悪人を見る目つきで、困っていたんだ。」
 彼女は何も言わず、運転を続けた。

 4度ほど急カーブを回ると、昨日住職が行ったという香林寺が見えてきた。
 幼稚園も経営しているらしく、寺の横にはピンク色に塗られた鉄筋の建物が立っていた。寺を過ぎたところあたりから、町並みらしくなっていて、団地やショッピングセンターも見えた。
 峠を越えてまだ10分そこそこだが、全く別世界に来たような錯覚に陥った。

 彼女はようやく口を開いた。
 「おなかが空いたわね。どこかで食事でもしましょう。」
 2車線の県道をしばらく走ると、自衛隊の基地があり、そのゲートの角に喫茶店があった。
 「ここにしましょう。」

 店の中に入ると、大きな木製のテーブルと椅子があり、壁にはコーラの大きなポスターが張り付けられていて、タバコの煙が漂っていた。

 「よう、怜子。久しぶりだな。」
 カウンター越しに、茶髪、いや、赤い髪をした男が声を掛けた。
 「この店にくるなんて珍しいじゃないか。」
 怜子は返事もせず、店の一番奥の席に座って、手招きをしてみせた。
 「こっち。気にしないでいいわ。」
 彼はどういうふうに聞けばいいか迷っていたら、彼女から話しだした。
 「この店は、戦後にアメリカ軍がいたころからあって、未だにそのままの風体なの。持ち主は、にしきやの主なんだけど、ほとんど儲かってないの。あいつが店の切り盛りをしているんだからしょうがないけどね。あいつは私の同級生で、中学校まで一緒。そうとう悪いことをやっていたらしいの。ケンって呼んでるわ。」

二人はランチを頼んだ。
 福谷はタバコに火を点け、ふと彼女の顔を見た。
 これで3回目の出会いとなるが、まじまじと彼女の顔を見たのは初めてだった。
 二重の眼にきりっとした眉、色白で細面、あの村には不似合いなほど美しい容姿である。
 
 「さっきはありがとう。今日はお父さんのお相手はいいのかい?」
 「父は今日、隣町の水産会社に漁協の組合長と一緒に出かけたわ。たぶん夜遅くまで帰っては来ないから、自由な身というわけ。」
 「どこかに出かける用事でも?」
 「いいえ、家にいても暇だから、ドライブでもと出てきたの。」
 「ふーん。」
 「ねえ、あなたは本当は何をしにあの村にきたの?」
 「いや、それは。昨日行ったように、本の取材で、立ち寄ったんだけど。」
 「それは嘘ね。第一、お寺や神社の本なんか、読む人なんかいないはずだし。それに、あなたは本を書くような感じの人ではないわ。ねえ、本当に何が目的?本当のことを言わないと、父に言ってあの村から追い出すわよ。」
 なんだか妙な雲行きになってきた。
 福谷も、邪魔されるのはごめんだし、この娘になら話してもいいかと決めた様子だった。

2-3.目的 [峠◇第1部]

「わかったよ。本当の事を話すよ。でも、君には関係のないつまらないことだよ。それに、今のところ、誰にも迷惑を掛けた訳じゃないんだし。」
「興味があるのよ、あなたに。なんだか、不思議な感じ。岬であった時にもそう思ったんだけど、何か普通の人が持っているべきものが一部分無いような。そう、幽霊みたいにふわふわした感じがするのよ。」
 怜子はいたずらっこの様な眼をして言った。

「幽霊なんてひどいな。でも、君の目は当たってるよ。」
 そう言ったところで、注文したランチが出てきた。
 ケンは、ランチをテーブルに運びながら、
「珍しいな。怜子が男に興味を持つなんて。プライドの塊みたいに、昼間は、俺らとは口も聞かない女でさ。だいたい、こんな店に来るのも変なくらいなのに。」
 ちょっとからかい気味にこう言った。
 怜子はケンの話はわざと聞こえないような態度で、窓の外に視線をやった。
「そうそう、そう言う態度がいつもの怜子だよな。」

 幼なじみがいる店で気楽に入れるから、福谷を連れていったのかと思ったが、そうでも無かったらしい。
 ケンがカウンターの向こうに消えると怜子は視線を戻して
 「じゃあ、本当の目的を教えてよ。」
 また、さっきのいたずらっ子の眼で、半ば身を乗り出すように言った。
 「実は、この村に来たのは、本当の自分を見つける為。いや、因縁みたいなものを解くためなんだ。」
 「本当の自分?因縁?」
 「僕は名古屋で育ったんだ。父は小さいときに亡くなって母が僕を育てた。その母も5年前に肝臓を煩って他界したんだ。」
 「それとこの村にどういう関係があるの?」
 「いや、まだわからないんだが、母は、なにかの事故で記憶を無くしていて、自分の名前以外の事をまったく覚えていなかったらしい。そんな母を助けたのが父で、名古屋で小さな酒場をやっていたんで、母もその恩に報いるために、一生懸命働いたらしいんだが、体をこわしてしまったんだ。」
 「そう。 でもそういうあなたのお母様の境遇とあの村が何の関係があるの。」
 「母は亡くなる直前に、記憶を少し取り戻したらしく、こんな事を言ったんだ。『玉は、村の守り神。そこがあなたのふるさと』。それまで、自分の境遇など、特にこだわっていなかったんだが、その言葉を聞いてから、母の過去・自分とは何者なんだとか考えるようになってね。」
 「それで、玉の名の付く神社を回って、自分探しをしている訳ね。」

 そこまで聞くと彼女は、
 「ねえ、私にも手伝わせて。」
 「でも、そんな・・・」
 「あの村の人は、よそ者には冷たいの。そんなにいろんな事を話してはくれないし、だいたい、何の宛も無いんでしょ。それなら、私が案内役になってあげるわ。私のことを知らない人はいないから。」
 「でも、お父さんのことは。昨日の印象でもきっと快くは思われていないし。」
 「大丈夫よ。昨日はちょっと虫の居所が悪かっただけだから。それに、本の取材の手伝いで、あの会社のことも大きく乗せてくれる約束だとか言っておくから。」
 「そんなわけにいくかなあ。それに、大体、君が手伝う理由は無いよ。」
 「さっき言ったでしょ。私はあなたに興味があるの。あなたの自分探しを手伝うと言うことは、私の興味と一致しているの。」
 強引でやや理屈の通らない話しだが、幸一にはそれ以上に反対する意味が無かった。むしろ、こんな娘が興味を持ってくれたことがやけに嬉しく思えた。

2-4.太平山 [峠◇第1部]

 食事を終え、コーヒーを飲んでいると、怜子が急に、
 「ねえ、このあと、予定は無いんでしょ。」
 「まあね。」
 「それなら、少しつきあってよ。久しぶりに父と離れて自由な時間なんだから、すこし遠出もしたかったの。」
 「それじゃ、おつき合いしますか。」
 「こんなきれいな女の子が誘っているんだから、断る理由はないはずでしょ。さあ、行きましょ。」
 レジで昼食代を払い、外に出ると、彼女は車のキーを彼に投げた。
 「運転して。たまにはいい男の横に乗ってみたいの。」
 冗談混じりに彼女は笑いながらそう言うと助手席にさっさと乗り込んだ。

 車は海沿いの産業道路をしばらく走った後、駅に抜ける大通りに出てきた。
 この町は昔の天満宮の門前町として栄えたところで、今でも秋には大祭が催される。アーケードを持つ商店街が今でも健在で、郊外のショッピングセンターと両立しているようだった。
 駅を通過すると、国道に入った。
 「ねえ、この町にはロープウェイがあるのを知ってた?。」
 「へー。この先に見える太平山にあるのかい。」
 「そう、そこにいきましょ。」
 
 町を抜けるとすぐに田園風景になる。国道の両脇には、長距離トラックを目当てにした大型のガソリンスタンドや食堂・ドライブインが点々とあるくらいだった。
 看板を目印に車は山に向かった。中腹くらいまであがったところに、ロープウェイ乗り場があった。ウィークデーでもあり、客はほとんどない様子だが、係員が切符切りから操作までしているところを見ると、今では大した観光スポットでもないようだった。
 駐車場に車を止め、乗り場に向かった。
 山頂まではほんの一〇分ほどで着く距離だった。
 「上はどうなっているんだい。」
 「そうね、展望台と花畑くらいかしら。」
 「ここには良く来るの?」
 「ううん。久しぶり。小さい頃には父に連れられて何度か来たけれど。」

 ゴンドラが頂上に到着した。
 町中ではまだ残暑が厳しかったが、さすがに頂上に上がると肌寒いくらいだった。
 彼女の言うとおり、花壇が申しわけ程度にある位で、そう何度も訪れるようなところでもなさそうだった。
 「展望台にいきましょう。」
 そう言うと、彼の手を引いて進もうとした。
 彼女の手はひんやりしていた。彼は妙に意識して動揺するのがわかった。
 しかし、そんな事を彼女は微塵も気にせず、さらに、身を寄り添うように腕を組んできた。
 「こうしてると暖かい。」
 喫茶店のケンの話では、プライドの高いお嬢様という事だったが、そんな雰囲気は全くなかった。むしろ、無邪気に甘える子どもの様であった。
 二人はそのままの姿勢で、展望台に上った。

2-5.怜子の秘密 [峠◇第1部]

「ここから見ると、私の世界はほんとに小さいなあって思うわ。峠を境に別の世界があるようで。」
「君はあの村が嫌いかい。」
 彼女はすぐには返事をしなかった。
 何かに躊躇い、言い放すように
「私は、あの村の人間じゃないわ。」

 幸一は面食らった。
「どういうことだい。」
「私は、養女なの。父は一度も結婚しなかったの。でも、子どもはどうしても欲しかったらしくて、私が養女に来たの。」
「それはいつのことだい。」
「私が生まれてすぐ。このことを知ったのは一二歳の時。小さい頃から母がいないのは病気で死んだからだと教えられてきたんだけど、母の写真が一枚もなくて、父に食い下がって尋ねたら、養女だと教えられたわけ。でも、それ以上はわからなくて。」
「どこで生まれたとも?」
「そう、養女にする条件で、生まれたところや本当の親を明かさない事、養女にしたことさえも秘密にすること何だそうで、それ以上を教えるわけにはいかんと突っぱねられたの。」
「随分、悲しかったんじゃないのかい。」
「そうね、でも、何となく自分はもらわれてきたんじゃないかって考えていたとこあったから、それほどでもなかったし、私自身、恵まれていると思ったから、父を恨むような事もなかったわ。いえ、むしろ感謝してるわ。」

「それで、僕に興味がある訳か。」
「そう、まるで自分探しをするのが、私の境遇に似ているから。」
 そこまで言うと、彼女はさらに身を寄せてきて、
「でもね、それだけじゃないみたい。一緒にいるとなんだか落ち着くの。父とは違った何かを感じるから。」
怜子の頬が少し赤らんでいるようだった。
幸一は困惑していたが、平然とした顔をして、展望台からの風景を眺めていた。

 二人はその後、村に着くまではほとんど無言であった。
何かを言葉にすることが、お互いの関係を一層深くする様で、何も言えなかった。

 彼は村の峠まで来ると車を止めた。
「ここで降りるよ。玉置神社にも寄りたいし、村に人に見られるのも・・・」
 
彼女は返事のかわりに、
「今夜、市場に来てね。」
 そういうと、運転席に移って、車を走らせていった。
 デートの約束の様な一言だったが、昨日、昭からも同じ言葉を聞いたことを思いだし、何か暗号の様に思えた。

2-6.市場の夜 [峠◇第1部]

 その日、夕食を終えたところで、住職がこう切り出した。
「今夜は、帰りが遅くなると思うから、先に休んで下され。」
「僕も、今夜は、市場に行くことにしていまして。」
「ほう、市場にね。」
「えーと、玉穂家の昭さんが、来てみればと誘ってくれていたので。」
「そうかそうか。それも良かろう。何もない村じゃが、夜の市場はきっとまた面白い話しも聞けよう。それなら、帰りは午前様になるのう。まあよかろうて。」

 午後9時を回ったくらいで、市場に出かけてみることにした。
夜道ではあるが、川のせせらぎも聞こえ、夜風に当たりながらのんびり歩いていくのもいいものだと思いながら出かけることにした。
 市場が見えるところまで来たところで、怜子に出くわした。家から走ってきたのだろうか、少し息が弾んでいる。
「さあ、行きましょう。あなたの姿が見えたので走って出てきたの。」
「大丈夫なのかい?」
「入ればわかるわよ。」

市場には、煌煌と灯りが点いていて、数人の若者が談笑しているようだった。二人が近づいたのに気づいたのか、中の一人が声をかけた。
「よう、怜子。今夜は同伴出勤か?」
市場には、テーブルと椅子があって、10人ほどが座れるようになっていた。
角の方には、小さな冷蔵庫と食器棚があった。怜子は、入るなり、冷蔵庫を開けてビールを取り出し、幸一にすすめた。
座っているメンバーを見て幸一は驚いた。この村に来てから出会ったほとんどの人がいたのである。庄屋の長男の昭、玉水水産でソファに寝っころがっていた営業部長の史郎、、駐在、ケン、他にも同い年くらいの数人がいたのである。どうやら、怜子はここのマドンナで、みんなの話を聞いたり、ふざけたりしながら酒を注いでいる。

「ライターさん。なんか面白いものは見つかったかい?」
祐介が少し意地悪そうに問い掛けた。返事に困っていたところを昭が畳み掛けるように、
「面白いことがあるのなら教えてくれよ。金になる話なら手伝うぜ。」
と茶化すように突っ込んだ。答えに困った様子を見かねて怜子が、
「あまり突っ込まないの。それより、みんなを紹介するわ。彼は福谷幸一さん。自称フリーライターと言ってるけど、素性不明。危険人物!近づかないほうが身のためかもね!」
「よろしく」幸一は頭を下げた。
「えーと、昭は知ってるわね。それから・・」
「駐在さんとケンさん?史郎さんとは会社で。あとは・・」
「こっちが祐介。色白だけどみかん農家の息子、真面目に畑仕事してないからね」
「ひどいなあ。祐介です。よろしく。」
白いポロシャツにスラックスを履いて、一人だけ余所行きと言う感じだが、好青年を絵に描いたような人物だった。

「それからこっちは、和夫。にしきやの息子。ほとんど閉じこもり状態。部屋に行くと笑えるわよ。」
「和夫です。」
背が低く黒縁メガネで大人しそうだった。何が笑えるのか、風体からも想像がついた。

「それから、こっちは啓二。半人前の漁師。男は黙っていた方がいいって1年くらい声を聞いたことがない。」
いすの上に胡坐をかいて、いかにもという風体で、ちらっと視線をよこしたが、何も言わずコップ酒を飲んでいる。
あと何人か紹介されたが覚え切れなかった。

「ねえ、今年の祭りはどうするの?」
と怜子の一言に一同沈黙した。
そのうち、「やるしかなかろ」と誰かが言ったが、その後が続かない。どうも嫌々ながらという感じだった。そのうち、駐在が、
「あ・あの・・・怜子さんから親父さんに言ってくれないかな?あ・あの・・褌姿だけはやめませんかって」
怜子はけらけら笑いながら
「どうして?褌姿じゃないならよした方がいいわ。・・・」
その後は、もう酒宴の盛り上がりの中、何を話したか何を聞いたのか分からない状態だった。
日付が変わる時刻に近づき、ぽつりぽつりと帰っていった。
幸一も席を立とうとしたとき、昭が送ってやるといって車を取りに立った。飲酒運転になるからと断ったが、夜道だし駐在も今帰ったばかりだからと、気に掛けない様子だった。夜道を歩いて帰るのも不安があり、怜子も送ってもらえと勧めるので甘えることにした。
車の中で、昭が、「今日、怜子と一緒にいたらしいな。」と問いつめるように聞いてきた。
「ああ、朝方、上の集落で駐在に詰問されていたところに偶然だよ。助けてもらったお礼にとつきあっただけさ。」
「あそこの親父には気をつけろ。何をされるかわからんからな。困ったことがあったら相談にのってやるから。この村の奴らの中でも、酒場に集まる連中だけは信用できる。駐在も悪気があったわけじゃない。」
「不思議な感じだな。出逢ったばかりなのに、やけに親切で。大体あの酒場によそ者は入れないんじゃないのか。」
「お前なら、なんか、きっかけを作ってくれるんじゃないかと思うんだよ。」
「どういう事だ?」
「まあ、いいさ。なあ、明日の昼に、にしきやの前に来てくれないか。みんなにも声を掛けているから。そのときに詳しい話をするよ。」
車は、寺の前に着いた。住職はまだ帰ってはいない様子だった。
幸一は、さっきの昭の話の中に、何か深刻な問題があるように感じ、同時に、そのためにこの村の若者が相談していることは理解できた。しかし、肝心の事は分かず、もやもやした気分で、寝床にはいった。

3-1.昭の事故 [峠◇第1部]

 翌朝、幸一はパトカーのサイレンで目が覚めた。
 この静かな村に、それもこんな早朝何が起きたのか、幸一は、寝床から這い出して、すぐにサイレンの後を追った。
 どうやら四方橋のあたりらしかった。
 駐在は真っ青な顔をして、現場にいた。祐介やケン、怜子の顔もあった。
 川底には、赤い車が1台、半分埋まるように沈んでいた。紛れもなく、昭の愛車だった。レッカー車が到着して、川から車を引き上げようとしたとき、ドアが開き、中に昭の姿が見えた。誰ともなく叫び声を上げた。

 検証の結果、「飲酒運転による運転操作ミスが原因で、橋の付け根に接触しその反動で川へ落下、そのまま溺死」したという事だった。
 前夜、最後に一緒にいた幸一も一部始終を訊かれた。だが、特に怪しいこともなく、昼近くに開放された。
 昼食をと、にしきやに寄ってみた。
 入り口を入るなり、女店主が
 「あんた、だいじょうぶかい?」
と声をかけ、手招きをした。
 不審に思いながら近づくと、彼女は周りを気にしながら小声で、
 「昭のお母さんには気をつけな。それと、早めにここから出て行ったほうがいいよ」
と、脅しめいた口調で告げた。
 そういえば、ここに来る間、誰かに見られているような気配は感じていたし、行き違う人も様子がおかしかった。
 昼食を買って店を出たところで、急に声をかけられた。
 「待ちなさい!この人殺し!」
 そこには、上品な婦人が立っていた。
 しかし、その眉間には深いしわがあり、はっきりと敵意を持って幸一を睨み付けていた。
 幸一にはすぐに、その婦人が昭の母親だとわかった。
 独り息子を亡くしたショックは相当なものらしく、飲酒による事故だと言われても、納得できるわけでもない。最後に一緒に居た幸一を恨むのも筋違いではあるが、恨み・悲しみをどこかにぶつけるしかやりようのないくらいショックなのだった。
 幸一は、なんと答えてよいかもわからず、立ちすくんでいた。
 「昭を殺したのはあなたでしょ。昭を返して!少しくらいのお酒で事故を起こすような子じゃないわ。あなたのせい。昭を帰して!」 そう叫ぶ婦人の声は、静かな村の中に響きわたった。

 「いいかげんにしろ!」
 そう怒鳴る声がした。振り向くと、水産会社の剛一郎が立っていた。
 「前々から、酒を飲んだら運転はするなといっとったのに。本当に馬鹿息子じゃ。五月さんも言いがかりは止しなさい。」
 
 昭の母親、玉穂五月はそれでも収まらないような形相で、幸一を睨み付けている。
 剛一郎は、幸一に向かって、
 「よそ者がうろうろするからこんなおかしなことが起こるんじゃ。早くこの村から出て行ってくれ!」

 そう言われて、幸一は、にしきやを出ていかざるを得なかった。

3-2,祐介との約束 [峠◇第1部]

昭の死は幸一にとっても、ショックだったが、最後に昭が言っていた「明日の昼過ぎににしきやで会おう」という言葉がどうにも引っかかっていた。
にしきやを出て、脇にあるバスの回転場でしばらく待つ事にしたが、午後3時を過ぎても誰も来なかった。
 
幸一は、一旦、玉林寺へ戻る事にした。

住職は、昭の通夜の準備で玉穂家へいるようだったので、勝手に夕食を済ませる事にした。
夕食を終えたとき、幸一は「やはり、もう一度、夜の市場に行って誰かに話を聴こう」と考え、寺を出た。

 途中、西の地にある玉穂家の前を通ってみたが、通夜の準備で、人の出入りはあるものの、皆、沈黙していた。
 昼間の婦人の「人殺し」の一言もあり、とても門を潜れる状況ではなく、素通りした。
 
 市場についたが、予想通り、灯りはついておらず誰もいなかった。
 仕方なく、寺へ戻ろうと引き返したが、また玉穂家の前を通るのは気が引けて、海岸沿いから東方を回って帰ることにした。

 東方は昼間とは随分様子が違っていて、塀が高いせいか、夜道は暗く、足元がおぼつかなく不安だった。
 それでも途中までくると、玉城家の前だけは明るかった。立派な門構えで、外灯も点いている。

 門の影からふいに声を掛けられた。
「福谷さんだよね。」
 声の主は祐介だった。
「さっき、玉穂家の前で、市場へ向かっているのを見たものだから、ひょっとしたらこの道を通るんじゃないかと思って。」
「ああ、やはり、玉穂家の前を通るのは気が引けてね。」
「人殺しはないよな。昭のおふくろさん、昭を溺愛していたからな。僕も、さっき顔を出したけど、酒を飲ませたお前たちのせいだって怒鳴り散らされたんだ。悲しいというよりヒステリックで、もう、何を言っても聞かない感じだったよ。まあ、気持ちはわかるけど。」
やはり、顔を出さなくて良かったと幸一は思った。
「なあ、昭のやつ、君に何か話してなかったかい?」
「・・・」
「相談があるような事、言ってなかった?」
「ああ、今日の昼にみんなに声を掛けているからにしきやに来てくれと言っていたが・・」
「そうか。やっぱりな。実は・・」
と言いかけた時、家の中から女性の声がした。
「お客さんがいらっしゃるのかい?そんなところじゃなく、入ってもらいなさい。」
どうやら、祐介の母のようだった。
「悪いが、今は、これ以上は無理だ。そう、明日にでも。そうだ、山の畑に来てくれないか。その時に詳しい話をするから必ず来てくれ。・・」
「一体、何をしようと言うんだ?」
「いや・・その時に話すから。それと、僕に会ったことは誰にも言わないでくれ。じゃあ。」
そう言い放して、祐介は門の中に消えていった。

3-3.3日目の夜 [峠◇第1部]

幸一が玉林寺へ戻ったのはもう真夜中の事だった。まだ住職は起きていた。
「まだ起きていらしたんですか?」
「おお、ほら、玉穂家の通夜の準備やらで行っておったからからのう。顔を出すかと思ったが・・」
「いえ。僕はよそ者ですし、昼間、ご夫人から人殺しと言われたので、やはり・・・」
「そうか。そんな事があったんか。」
「ええ、ですからちょっと・・・」
「昭の母親、ああ、玉穂五月というんじゃが。若い時に、連れ合いを無くしたうえに、溺愛していた一人息子に先立たれたんじゃから無理はないじゃろう。普段は、師範とやらで気丈じゃからこそ、余計になあ。何とも痛々しいのお。」
「そうですか。お気持ちはわかりますが、・・・あの、昨日は送ってもらってきましたが、昭さんはそれほど酔ってはいなかったから、事故を起こすなんて今でも信じられないんです。それにあれくらいの川なら、溺死する事もないでしょう。なんだか不自然な感じがするんですが・・」
そういうと住職は少し強い口調に変わり、
「まあ、警察でも事故だといっとるわけだしな。やはり、飲酒運転はいかん。そういう意味では、やはりお前さんが殺したと言われても仕方ないかな。ところで、何か収穫はあったかな」
住職が尋ねた。
「いえ、特には。あんな事故があったわけでなかなか話を伺うのもできなくて。」
「そうじゃろうのう。」
「ところで、祐介・・いえ、玉城家のみかん畑はどこにあるんですか?」
「みかん畑?ああ、薬師堂から東方へ向かう途中の分かれ道を山際へ登ったところじゃが・・」
「そんなところに道があったかな・・」
「何か約束かな?」
「いえ、そこからの眺めがいいって、怜子さんから聞いたので、ちょっと行ってみようかと・・」
「そうかそうか。たぶん、昼間は、祐介もいるじゃろう。あいつは根っからの真面目でなあ。ほとんど畑にいるからのう。あいつの親父さんはもっと真面目じゃよ。みかん成金とかみかん御殿とか言われておるが、この村にみかんを持ち込んだのも親父さんだし、今でも、誰よりも旨いみかんを作っておる。祐介は親父さんの背中を見て育ったからのう。」
「そうですね。市場でもそう思いました。優等生と言うか、まっすぐと言うか・・・祐介さんのお母さんは?」
「ああ、健在じゃよ。ほとんど家から出ないらしいのう。もともとあまり丈夫なほうではないようで、畑仕事はやらんようじゃ。」
「この村の人なんでしょうか?」
「いや、町から嫁に来たんじゃそうな。怜子が毎日のように出入りしておるから聞いてみればええ。」
「そういえば、怜子さんは養子だと聞いたんですが・・」
「ほお。そんな話をお前さんにしたのか。」
「知ってらしたんですか?」
「ああ、村のものは皆知っとるじゃろう。口にはせんがの。本人もあまり苦にはしておらんようじゃし、親子仲も良いし、何より剛一郎は本当の娘以上に大事に育てたんじゃろう。まっすぐに明るい娘になっておるからのう。それにしてもまだ出会ってすぐというのにそんな話をするとはのう・・」
幸一は住職の言葉から二人の仲をかんぐるような気配を感じたので、やむなく、
「実は、私自身も、本当の親を見つけたくてあちこち旅して調べていて、その話を怜子さんにしたんで、養子の話をしてくれたんですよ。」
「ほう、いや、ここに来た時から気にはなっていたんじゃが、お前さんの目的がそんな事とは。じゃが、この村にはそういう人間はおらんのじゃないかのう。狭い村じゃから、里子にでも出せばすぐにわかるはずじゃし。さあさあ、遅くなったからもう寝るとしよう。おやすみ。」そういうと住職は部屋に入っていってしまった。

3-4.みかん畑 [峠◇第1部]

翌朝、幸一は、祐介との約束があり、みかん畑に向かう事にした。
途中、タバコ屋の前を通った。タバコ屋のおばあちゃんは店先に座っていたが、先日のこともあり、声をかけても邪険にされるのはわかっていたので、自動販売機でホープを買い求め、軽くお辞儀をして通り過ぎた。
住職から聞いたとおり、薬師堂から東方へ向かう途中、山道の分岐があった。教えられなければ通る事もない道である。
道の途中、両脇はほとんどがみかん畑であった。
どこにいるのかわからないまま、10分ほど歩くと、大きな倉庫があった。農機具やみかんを入れるコンテナ等が置かれていた。倉庫の中に人の気配がしたので幸一は声を掛けてみた。
「祐介君ですか?福谷です。」
倉庫の暗闇から
「祐介なら3つ上の畑にいるんじゃないかのう」
声の主は、祐介の父であった。

「初めまして。福谷幸一です。祐介さんに畑にくるよう言われてまして・・」
「ああ。お前さんか。まだこの村におったのか。」
「ええ、すみません。」
「昭があんな事になって、よくここにいられるもんじゃ。警察じゃ、事故と言うとるようじゃが、昭は車の運転は間違わん。お前さんが何かしたんじゃろ。」強く咎めるような口ぶりだった。

「すみません。ですが、私も、警察に事故というのはおかしい、もっと調べてくれとお願いしたんです。私を送ってくれた時は確かに酒を飲んでいましたがしっかり運転していました。・・・あんなところで事故を起こして溺死するなんて、やはりオカシイと思います。でも、私は何もしていません。」
「そうかね。前々から飲酒運転はいかんと前々から言っておったんじゃが。ところでお前さんは何を調べとるんじゃ?」

この人はこの村の生まれだ、とすると、少し情報がもらえるかもしれないととっさに考え、幸一は目的を話した。

「自分探しか。贅沢な事だ。今の自分が一生懸命生きていればそれでいいじゃろうに。」
「母が、こんな事を言ったんです。『玉は村の守り神』この村は玉と付くものや人が多い。きっとここが私の故郷なんじゃないかと思うんですが・・」
「そんな村はたくさんあるじゃろうが・・」
「そうなんです。あちこち回って調べてきたんですがなかなか・・。母がせめて地名でも覚えておいてくれたら・・」
「母御の名前は?」
「はあ・・・・・昔、事故か何かで、一度記憶を無くしているんで、昔の本当の名前かどうかわからないんですが、和美と言います。」
この言葉を聴いて、祐介の父は顔色が変わった。そして、厳しい口調で
「そ、そんな名前は聞いたこともない!もう離す事はない。一刻も早くこの村を出て行ったほうがええ。」
そう言い放して、下の畑に足早に降りていった。

 幸一は、3つ上の畑に向かってみた。
 その畑は、ちょうど尾根の中ほどに開けていた。日当たりがよく海風が吹き抜けて気持ちよかった。よく手入れされており、立派に張った枝の先には、まだ青いながらも拳ほどのみかんがたくさん実をつけていた。あと1ヶ月もすれば収穫を迎えるだろう。
幸一は、祐介の姿を探してみた。みかんの木の陰で見通しはよくない。
「祐介君!」
何度か呼びかけてはみたものの返事はなかった。畑を間違ったのかと思い、隣の畑にも回ってみた。しかし姿は見えなかった。
「約束をすっぽかすような感じには思えないんだが・・・」
仕方なく、もときた道を戻りかけた時、畑の下のほうでキラリと光るものが目に入った。何だろうと目を凝らしてみると、谷の下に何かが横たわっているようだった。

3-5.祐介の事故 [峠◇第1部]

嫌な予感がした。
昭の事故があったばかりだが、胸騒ぎがして、谷の下へ続く細い道を降りていった。

谷へ続く道は、先ほどの倉庫からの道とは違っていた。
右手には、山からわずかに流れる沢水の音が聞こえる。ほとんど手入れがされていないと思われる鬱蒼とした森、みかん畑の土手も急勾配のためか、伸びきった夏草が覆うように茂っていて、全体が薄暗かった。
慌てて下ろうとしたが、とてもそうは行かない。それに、下るにしたがって、先ほどまで見えていたものさえどこなのかわからなくなる有様で、立ち止まり、草を分け、自分が向かう方向を確認しながら少しずつ降りていく難儀なものだった。

ようやく、近くまで来ると、みかんを運ぶ小さい荷台のついた運搬機が、伸びた萱むらの中で見事に横転していた。畑からこの崖を何度か回転しながら転げ落ちたと思われ、運搬機のいくつかの部品はひしゃげていたり、外れていたりしていた。祐介の姿が、運搬機の下敷きになっていた。

幸一は何度か呼びかけてはみたが、祐介はピクリとも動かなかった。
足元の悪い中で、運搬機を持ち上げようとしたが、自分ひとりではどうしようもなかった。
「祐介君、すぐに助けを呼び行くから、頑張れ!」と言い残し、幸一は、細い坂道を登り、さっきの倉庫に走って戻った。

息も切れ切れに、倉庫に戻ってみると、そこには、祐介の父と住職が立ち話をしているのが見えた。
祐介の事故の状況を話すと、祐介の父は血相を変えた。住職はすぐに救急に連絡をと、慌てて人家のほうへ走った。
祐介の父と幸一は現場に向かった。

祐介の父は、行く先をまっすぐ睨み付けながら、現場に着くまでの間、「馬鹿もんが。馬鹿もんが・・」と繰り返している。

二人は谷の下に着いた。
祐介の父は持っていた鎌で伸びた萱を刈りながら、足元をこしらえた。
よく見ると、草の中に伸びた古木の枝が支えになって、運搬機はかろうじて止まっている状態だった。
祐介の父は運搬機を少しだけ持ち上げ、祐介を引き出す隙間を作った。そこへ幸一が体を滑り込ませ、祐介の腕をつかんだ。祐介の腕はまだ温かい。がむしゃらに祐介を引き出した。

出血はないものの、何度呼びかけても返事はなかった。辛うじて呼吸はしているが、容態は悪かった。
「玉城さん、運び出すには、この谷沿いの道を降りていけばいいんですか?」
「いや、下に運んでも、結局倉庫のあたりまで戻ることになる。上に運び上げたほうがええ。」
「それじゃ、僕が背負いますから、急ぎましょう。」
狭い谷沿いの上り道を、二人がかりで、畑のあるところまで祐介を運んだ。
一刻を争う状態には違いなく、倉庫まで戻り、辺りにあった筵を引いて祐介を横たえた。依然として意識は戻らない。

住職はすぐに救急に連絡をしたらしいが、何しろ町からやってくる為、時間が掛かる。
祐介の父親は、じっと祐介の様子を見入ったまま、動こうとしなかった。
そのうち、祐介の母が怜子に伴われて、泣きながら倉庫にやってきた。
「祐介!祐介!」
何度呼びかけても反応はなかった。

20分ほどしてようやく救急車が到着した。担架に移され、母親とともに、町の病院へ向かった。
静かな村の中に、異様なほど大きく救急車のサイレンが響き渡った。

3-6.疑惑 [峠◇第1部]

 救急車が去ってから、ようやく皆、正気に戻ったようだった。

祐介の父がいきなり幸一の胸座をつかんで、
「お前がやったんだろ!お前が祐介を!」と詰め寄った。
怜子が間に入って何とか止めた。

「おじさん、馬鹿なこと言わないで!」
「いや、お前のせいだ!お前がこの村に現れなければ・・」
祐介の父はそこに座り込んだ。

そうしているうちに、例の駐在が現れた。
警察本署からも数人の刑事も同行していた。駐在は、同行の刑事を簡単に紹介したところで、一人の刑事が
「玉城さん、事故の様子を教えてください。」と切り出した。
玉城氏は、開口一番、「こいつがやったんだ!」と叫んだ。
刑事は、落ち着いた口調で改めてこう言った。
「これから現場検証をします。事故と事件の両面でしっかり調べますから。まずは状況を教えてください。」
怜子が口を挟んだ。
「第一発見者はこの人です。」と幸一を指差した。
「状況を話せるのは彼だけです。」
刑事は、怪訝そうな顔をしたが、駐在が、改めて、怜子や幸一を刑事に紹介した。
幸一は、この倉庫で玉城氏に会ってから、畑に向かった事。そして、谷の下に横転している運搬機を見つけて、祐介を発見した事等正直に話した。

「だいたい、何の目的で畑に行ったのかね?」刑事が聞きなおした。
「祐介さんと約束があって、畑に来てくれと言われたので。」
刑事は、なにやら手帳にメモしながら、これから現場に行くので案内するように言われた。

事故現場では、畑の上のほうや落下地点の距離を測ったり、運搬具の状況などを写真に撮ったりした。
幸一たちには聞こえないところで刑事が何か相談しているのがわかった。
そして、一人の刑事が
「これは、どうも事故のようだね。ほら、ここの畑の角にタイヤがスリップした跡がある。祐介くんは、運転を誤って転落したようだ。この村ではこれまでも同じような事故はあったからね。一応、持ち帰ってから正式に判断する事になると思うが・・。えーと、福谷さんでしたか、とりあえず、連絡の取れるところはありますか?今後もお聞きする事があるかもしれないので。」
幸一は、玉林寺に滞在している事を伝えた。もう一人の刑事が
「念のため、この件が正式に事故と判断されるまではこの村を出ないように。いいですね。」
やや強い口調で言った。

幸一は、何だか、犯人扱いされているようで気分が悪かった。

刑事と駐在が帰った後、玉城氏はひとり病院へ向かった。
残された、幸一と怜子はしばらく無言だった。

「怜子さんは、玉城家にいたのかい?」幸一が沈黙を破った。
「ええ、ちょっと奥様に用事があって。」また沈黙になった。

「どうしてこんな事故が続くの?あなたが来てから続けざまに。それにどうしてあなたは事故のそばにいるの?本当にあなたは何もしていないの?」
怜子は、二つの事故と幸一の存在で気が動転して、吐き出すように続けた。
そして、はっと我に帰ったように、幸一の顔を見た。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。混乱していて。私、もう帰ります。」
そういうと、足早に、去っていった。

3-7.怜子の家 [峠◇第1部]

 怜子は、家に着くなり、階段を上がって自分の部屋に飛び込んだ。そして、ベッドに突っ伏して泣いた。
 昭の死、祐介の事故。今まで何の悲しみも苦しみも抱え込まず生きてきたはずだった。
 こんな悲しい出来事が続くなんて信じられない事だった。そして、好意を抱いた幸一に対して、疑惑の心を持った自分が悲しかった。

 怜子は少し落ち着いてきたのは夕方近くになってだった。
 夕飯の準備をと思い直し、リビングに向かった。
 父 剛一郎が出かけようとしてた。
 「あら、お父さん、もう出かけるの?」
 「おお、怜子。さっき、玉城から連絡があったぞ。何でも、祐介は一命は取り留めたが、意識不明だそうだ。怜子に伝えてくれといっとった。葬式二つはかなわんぞ。」
 「病院はどこ?」
 「市民病院じゃないかのう?」
 「そう、お見舞いに行かなくちゃ。」
 「まだ意識が回復せんと何とも言えんそうじゃから、来ないでくれともいっとったぞ。それとな、家のこと、お願いしますと母親から。よくわからんが、お前は、まるで女中奉公しとるようじゃのう。」
 「そう。わかりました。」
 「少し早いが、昭の通夜じゃ。いろいろ手伝う事もあるじゃろう。お前はどうする?」
「ええ、後で顔を出します。」
「そうか。ちゃんと弔ってやらんとなあ」

怜子はひとつ確認しておきたい事があった。
「ねえ、お父さん、こんな事があったから、今年の祭りは中止よね?」
「はあ?お前が口出すことじゃない。皆で考えて決める事じゃ。行って来る。」
そういうと、そそくさと出かけていった。

父 剛一郎の祭りに対するこだわりは尋常ではなかった。
以前も、大きな台風が来て、漁船や漁港が大きな被害にあって、皆、意気消沈している中でも強行に祭りをやったことがあるし、死人が出た事故が起きた翌年にも、祭りをやったと聞いたこともある。
祭りの事となると、村をまとめる玉水家の大役だと言い張って、誰の意見も聞かなくなる。そのくせ、祭りの最中は酒も飲まず、ずっと沈んだ表情で楽しそうではない。何か、自分を罰するようなところを感じるくらい、怜子から見ても、不思議なこだわりだった。

少し遅れたが、怜子も昭の通夜に顔を出した。ケンや和夫、啓二、駐在の顔も見えた。
住職の読経が始まり、静かに通夜が営まれた。

通夜の式が終わり、皆、悲しみに打ちひしがれた表情だったが、怜子の顔を見ると、集まってきた。
そして、祐介の事故の顛末、今の容態の事等を口々に尋ねた。
案の定、皆、幸一への疑惑を持っていたが、怜子の説明に一応は納得した様子だった。

「例の件、どうする?」
和夫が不用意に口にした。
「しっ!今はダメ。」と怜子が小さく遮って、辺りを見回した。
ちょうど、通夜の席から離れの部屋に向かう、父 剛一郎と祐介の父の姿が目に入ってきた。
明日の葬儀の打ち合わせなのだろうか、他の列席者に、気づかれないようにそっと出て行くのが不自然にも思えた。
怜子は、しばらくして、父と祐介の父のいる部屋へ、お茶を持っていく事にした。
母屋の廊下から、離れの部屋へ、廊下を参間ほど来たところで、剛一郎と祐介の父との会話が聞こえてきた。
内緒話のような低い声で、ほとんど会話の中身はわからない。ただ、会話の最初の言葉だけが、聞こえてくる。
「復讐なんて・・・」とか「事故じゃ・・・」「次は誰が・・」とか、明らかに昭や祐介の事故とつながった話のように思われた。
廊下に怜子が居ることに気づいたのか、急に会話が止まり、
「誰かおるんか?」
と剛一郎の問いかける声がした。
「あ、私。お茶を持ってきたんだけど・・・」
「おお、そうか。」
剛一郎は何事もなかったかのように、障子を開けてお茶を受け取った。そして、
「用が済んだら、早よ帰れよ!」と言って、障子を閉めた。

3-8,怜子のメモ [峠◇第1部]

8、怜子のメモ

幸一は、自分の目的は当分置いておこうと考えた。
いまは、昭や祐介の事故で村人とまともに会話をするのが難しい事は明白であった。それに、昭や祐介がやろうとしていた事が気がかりで、事故と無縁とは思えなかったからである。幸一は、やはり、村の事を一番知っている玉水水産へ行ってみる事にした。

しかし、昨日の怜子の言葉は今も胸の中で響いていて、何か切ない、割り切れない気持ちがこみあげてくる。

村の道をゆっくり港に向かって歩いた。
道通りにある家の先で、何人かと顔をあわしたが、皆、挨拶もせず、じっと幸一を睨み付けている。二つの事故の話はすでに村中の周知となっているようで、幸一は、犯人と疑われているのが肌身でわかった。

港の前で啓二を見つけた。漁に出る準備なのか、綱を持って船を引っ張っている。
啓二も幸一に気づいた様子だった。何か言いたげだったが、船が岸に着くとさっと乗り込んでいった。

玉水水産が見える通りに出たところで、幸一は躊躇した。
いきなり怜子が出てきたらどう挨拶してよいものか悩んだ。怜子だって同じ思いに違いない。
しばらく、防波堤の上で思案していると、玉水水産の玄関が開いて、怜子が出てきた。
「じゃあ・・・・行って来るね・・・・には戻る・・・」
途切れ途切れに声が聞こえる。
「くれぐれも・・・つけてな」
中から剛一郎の声も途切れ途切れに聞こえた。

怜子は、1日目に出くわした高級車に乗り込んでいる。どこかに出かけるところのようだった。
幸一は、とっさに防波堤の下へ身を隠した。別に、悪い事をしているわけではないが、今、顔をあわすのは気まずいと直感し、怜子の乗用車が通り過ぎるのを待った。ほどなく、横を通過した。

改めて、玉水水産へ出向く事にした。
「おはようございます。福谷です。社長さん、ご在宅ですか?」声はちょっと遠慮がちだった。
「なんじゃ!」
剛一郎の強い声が返ってきた。
続けざまに、
「まだおったんか!疫病神が!」
そういうと、奥からどかどかと歩いて出てくる音が響いた。
「社長!社長!僕が追い払いますから!」
声の主は、営業部長の史郎だった。剛一郎を制して、玄関を開けた。

「悪い事は言わん。もうここへは来るな。社長を怒らせたら取り返しがつかん。」
史郎はそう言いながら、幸一の肩を付いた。そして、目配せをしながら、メモ用紙を幸一に手渡した。
メモ用紙には、怜子の字で「例の件は、にしきや・和夫ちゃんに聞いてください。」と書かれていた。
「ほらほら、もう帰れ!これ以上この辺りにいたら、俺だって容赦しないぞ!」と言って玄関を閉めた。

「どういうことだろう。例の件って、昭くんや祐介くんのやろうとしていた事だと思うが・・・」
史郎の言うとおり、ここに長居すると余計面倒な事が起こりそうで、さっさと引き上げる事にした。
怜子はここに幸一が来る事をわかっていた。それでこうしたメモを用意した。ただ、今は、顔をあわす事は避けておこうという思いは伝わってきた。しかし、怜子のメモを見て、昨日の怜子の言葉を、それほどまでに気に病む必要のない事もわかり、幸一は一応安堵した。

3-9.発覚 [峠◇第1部]

 怜子のメモを頼りに、幸一は、市場を抜けて「にしきや」へ向かった。
 市場は、朝の競りを終えて、片付けの数人が残っているだけで、閑散としていた。
 市場のはずれから港の方へ向かう波止場に、住職の姿が見えた。誰かを探しているようであった。
 幸一は、住職に声をかけた。
「ご住職!」
「おお、福谷さん。」
「こんなところにいらっしゃるなんて珍しいんじゃないですか?今日は昭さんの葬儀じゃないんですか?」
「ああ、いや、葬儀の事で、組合長に話があったんじゃが、留守じゃったので、港に行けば会えるかと思うてのう。お前さんはどうしたんじゃ。」
「ええ、剛一郎さんに少し話が聞ければと伺ったんですが・・」
「門前払いかの?」
「ええ、かなりご立腹で。」
「そうじゃろう。お前さんが来てから事故ばかり起きておるからのう。何にもなかったところに毎日毎日パトカーが走るようじゃ・・のう。これからどうする?」
「ええ、ちょっと、にしきやへ行ってみようかと思って。」
「おお、あそこの女主人はおしゃべりじゃから、何か聞けるかものう。・・じゃが、にしきやは、玉水家の身内みたいなもんじゃから、気をつけなされ。」
「え!身内って?」
「知らんかったか。まあそのうち聞くじゃろうから。わしは急ぐんで・・」
「はい。ありがとうございます。」

幸一は、住職と別れて、再びにしきやへ向かった。
店に入ると、女主人-和夫の母が、いつものようにレジ台の横に座っていた。
店に入るなり、
「また事故かね。あんたが来てから、騒がしくなったね。」
と嫌味を一言言ったが、他の人とは違い、犯人扱いではなかった。むしろ、かばってくれているようにさえ感じた。
「あの、和夫さんは?」
「2階におるじゃろう。寝とるかもしれんけど。もうじき、昭の葬式に行かんといけんから起こしてやって」と、顎で階段を示した。
「すみません。失礼します。」と挨拶して、幸一はぎしぎし音を立てる階段を上った。

2階の突き当たりにドアがあった。ノックをしたが返事がなかったので,声をかけながらそっとドアを開いた。
和夫はベッドでうつぶせになってぐっすり眠っていた。
幸一は、部屋を見てびっくりした。そして、市場で言った怜子の言葉の意味がわかった。

部屋の壁一面、アイドルのポスター。本棚にも写真集とかサイン色紙とか溢れていた。誰ということなく、最近のアイドルと思しきほとんどが集められているようだった。しかし、意外にも、きれいに整理されている。さらに驚いたのは、そういう中で、机の上に1つだけ額縁に入った小さな写真があることだった。
特別な存在になっているとすぐにわかった。写真は、少し前に撮られたらしい、怜子のものだった。和夫の頭の中がすべてわかるようだった。
幸一は机の上に小さなメモを見つけた。〔祭殺人事件〕と書いてあった。

幸一は、これが祐介や昭たちがやろうとしていた事だと直感した。そして、和夫を起こした。
「和夫君、和夫君!起きてくれ!」
眠気眼のまま、和夫はベッドに座った。
「和夫君、このメモの事、教えてくれませんか!」
「・・ふぁあ・・・何だよ!勝手に部屋に入ってきて。いままでこの部屋に他人を入れた事はないんだぞ!」
和夫は不機嫌だった。幸一は、そんな事には構いもせず、同じ質問を続けた。
「このメモの事です。祭殺人事件ってどういう事ですか。」
幸一の剣幕に押され、和夫は少しきょとんとした顔になった。
「いや・・・俺にも良くわからないんだよ。30年くらい前の祭の事故は殺人事件だった聞いて真相を調べようって言う話だよ。俺はそれ以上は知らないんだ。そう、怜子ちゃんがこのメモをくれたんだ。そう、昭の事故の前の日、市場から帰りにさ。明日になったら詳しく話すからって・・」
「じゃあ、怜子さんが知っているんですね。」
「ああ・・でもさ・・お前には関係ないだろ。」
「いや、昭さんも祐介さんもこのことで相談したいと言ってたんです。それに、あんな事になって、真相がわからないし、気になるんですよ。それに、今回の事故はどうも偶然にしては出来すぎてると思いませんか?」
「じゃあ、これは事故じゃなくて誰かが起こしてるって言う事かい?」
「いや、確信はありません。でも、村の人も、事故じゃなく事件だって感じているはずですよ。よそ者の僕が犯人じゃないかって言う感じで見られていますし。」
「そうだな。お前が来てから、おかしなことが続いているのは事実だもんな。」
「祭の事故と今回の事故はなんらかの関係があるんじゃないでしょうか。」

そこまで聞いて、和夫は少し思案しているようだった。
そして、
「怜子ちゃんに聞いてみるしかないだろうな。今から昭の葬式だから、一緒に行ってみよう。」と口にした。
幸一は、玉水水産の一件を和夫に話した。

「そうか、わかった。怜子ちゃんにあったら聞いておくよ。」
「何かわかったら教えてください。」
そう言って、幸一は、にしきやを後にした。

3-10.啓二 [峠◇第1部]

朝、港で啓二の姿を見かけた時の態度が気になって、幸一は再び、港に向かった。
港では、網の修理をしている漁師たちが数人いた。
幸一は、漁師たちに啓二の居場所を聞いてみた。
「あの、すみません。須藤啓二さんはどちらでしょう?」
漁師たちは、顔も上げず返事もせず、ただ、船のほうへ指差しをするばかり。

船が数隻着いている波止場に来たところで、老練の漁師がいた。
「あの、啓二さんはどちらでしょう?」
「あんた何者じゃ?」
「ああ、すみません。福谷と言います。ちょっと啓二さんと話がしたくて・・」
「名前を聞いとるんじゃない。何の目的でこの村に来たんかと聞いとるんじゃ。」
「いや、ちょっと調べたい事があるので・・」
「啓二に何を聞くのか知らんが、おかしな真似をしたらただじゃすまんぞ。」
「すみません。」
「啓二なら、3隻向こうのオンボロ舟にいるわい。」
「ありがとうございます。」
厳しい言葉だったが、まっすぐな言葉だった。

老練の漁師が言うとおり、港の中でも一際古い船に啓二はいた。
機関室の蓋を開けて、中を覗き込んだり、スパナを手に熱心に修理をしているように見えた。
「啓二さん、福谷です。」
声を掛けたが、啓二はこちらを見ようとはしなかった。
波止場の上から幸一は続けた。
「船の修理ですか?結構、年季の入った船みたいですが、君の船ですか?」
啓二はようやく顔を上げた。
「親父の船。俺がもらった。あちこち調子が悪い。」
「親父さんの船ですか。親父さんは今は?」
「親父は死んだ。だから俺が漁師を継いだ。」
「そう・・・それは・・・・。ところで、啓二さん、朝、港で顔を見た時、何か言いた気に見えたんですが・・」
「別に・・」
「そうですか・・・じゃあ、ひとつだけ、教えてください。祭殺人事件って言うメモを和夫さんの部屋で見たんですが。何か知りませんか?」
啓二はちょっと考えてから、ぼそっと一言。
「知らん。昭と祐介が何か考えとったんじゃろうが・・」
「そうか、知りませんか。やはり、怜子さんに聞くしかなさそうですね。」
と諦めて、帰ろうとした時、啓二が、
「なあ、そのことと関係があるかどうか知らんが、前に、市場で昭と祐介に親父の話をした事がある。そしたら二人とも何だか急に・・・」
「え?何ですか?」
「いや・・そうだな・・・」
躊躇うように啓二は、昭と祐介に話した事を、幸一に話した。

啓二の父は、大酒飲みで毎晩のように暴れていたらしい。母親も兄もそんな親父を愛想を尽かし、啓二が中学生になった頃、啓二を置いて家を出てしまった。そんな父だったが、毎年、夏の終わり、祭が近づく頃になると、泥酔すると決まって、「俺が殺したんじゃない!」「悪いのはあいつだ!」と繰り返すことがあったそうだ。

その話を聞いた昭と祐介が、20年近く前に起きた事故の事を調べてみようという話をしていたという。

「ありがとうございました。」
幸一は話を聴き終えて、昭たちがやろうとしていた事がわかってきたように思った。
「なあ、昭と祐介の事故、祭の事故と関係あるのか?」
「いや、わかりません。でも、怜子さんならもっと知ってるのかもしれない。和夫さんが聞いてくる事になっていますら、そのうち、また、話をしましょう。」
「そうか。」

そう言って、啓二は、船の機関室に体を入れて、エンジンの修理作業に戻った。

幸一は、今日はこれ以上は無理だろうと考え、寺に戻った。

寺に戻った幸一は、これまでの話を一度整理したうえで、和夫からの連絡を待つ事にした。
<祭の事故は、にしきやの女主人も話していた。あの時の話では、結局、事故と判断されたと聞いた。ただ、青年の後を追って自殺した娘の事が何か引っかかる。住職は訊いた話だと言っていたが、誰から訊いたのだろう・・・>
住職に、祭の事故の事でもう少し尋ねたいと思った。
幸一は、本堂や墓場・庫裏等を探したが、まだ留守のようだった。
住職は、普段は小さなスクーターを足代わりにしていた。峠を越える時や遅くなる時はだいたいスクーターで出かけるようだった。今日は、昭の葬儀だったので、歩いて行ったのだろうか、それにしても、もう葬儀は終わっているはず。スクーターは門の横にあった。どこか、近くに出かけているのだろうか。

日が暮れて、住職は帰ってきた。
「おかえりなさい。」幸一が声を掛けた。
住職はちょっと驚いたような表情だったが、
「おお、今日は寺に居ったのか。今すぐ、夕飯を作るからのう。」
そう言って、そそくさと台所のほうへ向かった。
幸一は、追いかけるように、
「ご住職!祭の事故の事でもう少しお伺いしたいんですが・・・」
「ほう。わしも人から訊いた話じゃから・・・」
「あの、どなたからお聞きになったのですか?」
「いや、誰じゃったかのう?よく覚えとらんなあ。にしきやじゃったか、玉穂家じゃったか・・」
なんだか曖昧な答えをしながら、台所へ入ってしまった。

夕飯が出来たと住職が幸一を呼んだ。しかし、住職は食事も取らず、今日は大変だったからと言って、さっさと寝床へ消えてしまった。

3-11.3つ目の事故 [峠◇第1部]

夏の夜明けは早く、5時前には空は白くなる。老練な漁師が波止場に一人、風を読むように遠くを眺めていた。
港から1隻の船が出て行く。調子の悪そうなディーゼルエンジンのポンポンという音が響いていた。

漁協の事務所に、緊急連絡が入ったのは7時を回っていた。漁に出た船からだった。
「第2玉啓丸、火災発生!第2玉啓丸、火災発生!」
組合長は、2階立ての組合の建物の屋上に登った。はるか海上に黒煙が昇っているのがわかった。
「啓二の船じゃ!」
漁協の事務長は無線を取って、呼びかけた。
「近くの友船は至急救助活動!友船、至急救助活動!」

最初の緊急連絡から、わずか10分。
友船が到着するのを待たず、啓二の船は沈没してしまっていた。
その後も、懸命な周辺捜索が行われたが、台風の接近で、次第に、強風・高波となり、午後2時には、一旦捜索活動は中止された。

漁協の事務所には、組合長と剛一郎がソファに座り、じっと腕を組み黙っている。他の漁師たちは、数本の長机を取り囲むように、いろいろと推測話をしている。

「昨日から、エンジンの調子が悪いと言っとったぞ。」
「火を噴いたのは、エンジンじゃろうが、あんなに早く沈没するかのう?」
「いや、プロペラ口から水が入るともいっとったから。」
「新しい船なら、船底に穴が開いても浮いとるが、古い船はダメじゃのう。」
「あんなくそ親父の古い船にこだわるから・・早く買い換えろと言うたのに・・・」
「それにしても、あんな早い時間に出漁していくのはおかしいと思ったんじゃが・・」
「そうじゃ、潮の具合は良かったが、昼には天気が悪くなるのは知っとったはずじゃ。」
「天気が悪うなる前に、網を巻き上げに行ったのかのう?」
「そういやあ、あいつの親父も同じように早く出漁して・・」
「おお、おお、そうじゃ。あいつの親父も普段はまともに漁にも行かんのに、あの日に限って妙に早い時間に・・」
「親子じゃのう。同じように、・・・」

こんな話になって、組合長と剛一郎がソファを蹴り上げるように立ち上がったところで、脇にいた老練な漁師が「こら!黙らんかあ!!」と絶妙なタイミングで制止した。

皆が静かになったところで、剛一郎が、
「啓二はまだ死んだわけじゃない。啓二の親父と一緒にするな。あいつは酒飲みで乱暴者でどうしようもなかったが、啓二は違う。真面目に漁師をやっとる。きっと無事じゃ。」と皆に言い聞かせるように言った。
組合長も、
「啓二は、あの船が好きじゃった。何度か新造船を勧めたが、啓二はこう言うて断ったんじゃ。確かに古い船じゃが、ここじゃあ一番早く走る。扱いにくいが力はある。大事に使えばまだまだ走る。何より、親父の船が好きじゃからと。」
そこまで言うと、組合長は、口をへの字に曲げ、天井を見つめた。

幸一が事故の事を聞いたのは、昼ごろだった。
いつものようににしきやへ昼食を買い求めに行った時、錦矢の女主人が伝えた。
そして、和夫や怜子も漁協に向かったと訊いた。自分もと思ったが、にしきやの女主人から止められた。
「あんたが行くとややこしくなる。漁師たちは血の気が多い。前の事故とあわせて、みんなあんたのせいだと言い出して怪我をするかも知れん。今日はもう捜索も出来ないらしいから、余計まずい。行かん方がええ。」
「しかし・・・」
「もうしばらくしたら和夫が帰ってくる。それまでここで待ってたらええ。」

3-12.呼び出し [峠◇第1部]

 幸一は、にしきやの奥にある座敷で待っていた。
 和夫が漁協から帰ってきたのは4時を少し回ったところだった。

「和夫君、一体どうなってるんだい?」

和夫は、簡潔に、啓二の船が炎上しすぐに沈没した事、すぐに救助と捜索活動をしたが見つからず、午後には天候の具合で一旦捜索が中止されたこと等を話した。
そして、漁協での、漁師と組合長や剛一郎のやりとりの話も伝えた。

「そうか、エンジンの調子が悪いと修理をしていたのは僕も知っている。でも、そんなに火災事故なんて起こるものかい?」
「俺も初めてだよ。あいにく、近くに船がいなくて、遠くの船が、火柱と黒煙を見たというので火災とわかった程度らしいんだ。」
「啓二さんの船は無線は積んでいないのかい?」
「いや、積んでいるさ。何かあったときだけじゃなく、漁の具合で、お互い助け合う事も多いから、常に連絡を取れるようにしておかなくちゃいけないんだ。」
「じゃあ、啓二さんからの連絡は?」
「実は、昔、あいつの親父さんが乱暴者で漁師仲間からも嫌われていた頃があって・・親父さんの事故の事もあったんで、漁師を始めた時から、ほとんど仲間の漁師とは連絡を取らなかったそうだ。」
「え?親父さんも事故で・・」
「そう。いつだったか覚えていないが、今回のように、台風が近づく日の早朝に出かけて、行方不明さ。船だけが沖の立て網につながっていて見つかったんだそうだ。船から落ちたんじゃないかと言われているがよくわからないんだ。連絡を取り合って助け合ってなんていいながら、親父は何もしてもらえなかったじゃないかってよく言ってたよ。」
「そんな事が・・・」
「それから、祭の事故の事だけど・・調べてみようと思ったんだけど、この騒ぎで無理だった。」
「そうか。仕方ない。まずは啓二さんが無事に見つかる事を祈るしかないだろう。祭の件はそのあとだね。」
「そうだね。怜子ちゃんともまともに話が出来なくて・・・。ああ、そうだ。怜子ちゃんが、幸一さんに話しがあるから、5時に、岬に来てくださいと伝えてと言ってたんだんだ。」
「え? 5時って、もうすぐじゃないか。」

幸一は慌ててにしきやを出た。台風が近づいていたが、まだ雨はそれほど落ちていない。


岬には、すでに怜子は到着していた。

幸一が現れてから次々に起こる事故、幸一と事故の関係がどうしても整理がつかない。
偶然にしてもおかしい。やはり、幸一が関係しているのか。まさか、事故を起こしたのは幸一なのか?
そんな疑問が頭の中をぐるぐると巡り、打ち消しても打ち消しても消せない疑問と不安が高まってくる。
一方で、幸一自身の事はほとんど知らないのに、どこか、一緒にいると落ち着く気持ちにあるのが自分でも不思議だった。父とは違う、自分を受け止めてくれるような温かい気持ちがわいてくるのが不思議だった。

戸惑いが心の中を支配していた。だからこそ、初めて出会ったこの場所でもう一度話しをしたいと思っていた。
じっと、遠く海を見つめ佇んでいると、不意に、背中をドンと押された。
折からの台風の強風でバランスを崩した。足元の岩がガラガラと音を立てる。
岬から、怜子の姿が消えた。

3-13.怜子の事故 [峠◇第1部]

13.怜子の事故
幸一が岬に着いた時には、怜子の姿が見当たらなかった。祐介の事故の時と同じ感覚を覚えた。
まさか、この岬から落ちてしまったのか、そう感じた幸一は岬の先端まで行ってみた。
先端の岩が少し削れている。鼓動が高鳴るのがわかった。
幸一は、腹ばいになり、身半分を先端から出して下を見た。

3メートルほど下の岩場に、白い布のようなものがちらりと見えた。
「怜子さん!怜子さん!・・怜子!」
強風で遮られそうな中、幸一は、声を限りに叫んだ。
「幸一さん?」
かすかな返事が返ってきた。
「大丈夫かい?今、助けるから・・」そういって、幸一は、崖を降り始めた。
わずかな突起部分に手と足をかけ、慎重に、慎重に崖を降りて行った。
何度か脆くなった岩が外れ、自らも落下する危険を感じつつ、とにかく懸命に怜子の下へ向かって行った。

怜子は、崖の中ほどにできた凹みに運よく落下していた。右足を痛めたようだったが、命に別状はないようだった。
何とか幸一がその凹みに着いた時、思わず、幸一と怜子は抱きしめあった。
お互いの存在を確かめるように、強く強く抱きしめあった。
そして、どちらともなく、求め、熱いくちづけを交わした。
すでに、日は暮れていた。

「すまない。僕がもう少し早く着いて入れば・・」
「いいえ、いいの。来てくれて助かったわ。」
気持ちも落ち着いた。
「日が暮れてしまった。この暗闇で動くのは危険だ。朝までなんとか凌げるといいんだが・・・」
狭い凹みだが、二人がぴったりと身を寄せれば、何とか風雨を凌ぐ事はできそうだった。

台風が近づき、風雨はどんどんひどくなっていく。
幸一は、怜子を後ろから抱きしめた。怜子もまるで子どもが抱きかかえられるようにゆったりと身を委ねた。二人はしっかり抱き合ったまま朝を迎える事にした。

「こうしていると落ち着くわ。」
怜子はため息を漏らすように言った。
「寒くないか?」
幸一は、怜子の耳元でささやくように言った。

「これではっきりしたわ。誰かが意図的に事故を起こしているんだわ。」
「うん。・・・しかし、昭さんも祐介さんも啓二さんも怜子さんも、なぜ僕と会う前後に都合よく事故にあうような事になったんだろう・・」
「そう、まるで貴方がやったように見せている。だれか貴方の動きを知っているみたいに。」
「いや、少しずつ違うところがあるんだよ。」
「え?どこが?」
「昭さんは僕と別れた後。祐介さんは僕に会う前。啓二さんは話した翌日。怜子さんの場合は、岬にいる事を知ったのは事故の直前だった。だから、僕が会う事は知っているが、いつなのかまではわからない。」
「特に、怜子さんの場合は・・」と言ったところで、怜子が口を挟んだ。
「もう、怜子・さ・ん・は止めて。“怜子”でいいの。」

幸一は、ちょっと変な気分だった。
こんな事故で危ない状況にありながら、今、二人の間が急速に深まっている。
しかし、それを自然に、不思議に、受け入れられる幸せな気分にあったからだった。

4-1.集合 [峠◇第1部]

朝日が昇った。台風一過の晴天であった。
二人は立ち上がると、身を乗り出して、ゆっくりと崖を上っていった。
まだ5時を少し回ったところであった。村人はまだ起き出していない。できるだけ誰にも会わないよう注意して、二人は東方地区から上地区を抜けて峠道に向かった。
村にいるとまた犯人に動きを知られてしまうかもしれない。そう考えて、峠道を降りて町へ向かった。

「ケンの喫茶店に行きましょう。あそこなら大丈夫。」
昨日、あれだけ危険な目に遭いながら、怜子は気丈だった。

峠を降りたところで、公衆電話からケンの喫茶店に電話を入れた。
早朝、ケンはまだ眠っているに違いなかった。

「もしもし、ケン?」
「あ・・・ああ。ナンダイ!こんな朝っぱらから・・・」
「ねえ、助けて欲しいの・・」

それだけの会話だったが、ケンはすぐに、峠の下まで迎えにきた。
喫茶店に向かう途中、昨日のいきさつやこれまでの事をケンに話した。

「そうか・・なら、みんなに声を掛けて相談した方がいい。」
ケンは真面目な顔で言った。そして
「おい!お前ら、大丈夫なのか?朝まで一緒にいたんだろ?」
と2人の仲を勘ぐりながら、にやりと幸一の顔を見たが、幸一は気づかぬ振りをして、すぐに目をそらした。

ケンは喫茶店に着くと、にしきやの和夫と駐在に連絡して、すぐに来る様に言った。
駐在は、理由を尋ねたが、とにかく来ればわかると言って呼びつけた。
玉水水産の史郎にも連絡しようと考えたが、剛一郎に知られるのは今は都合が悪いと怜子が言うので止めた。

1時間もしない内に、和夫と駐在はやって来た。
「怜子ちゃん!無事だった?どこにいたの?昨日の夜から姿が見えないからって社長が躍起になって探してたぞ。」
和夫は、玲子の身を案じての一言。和夫も昨夜は殆ど寝ていないような顔をしている。
怜子は昨日の出来事を話した。
「幸一君!全て君のせいだ!君が来てからろくな事がない!疫病神だよ!」
攻め立てるように和夫は言った。
「和夫君、すまない。」幸一は謝ったが和夫は治まらない様子だった。
「幸一さんが来てくれたおかげで無事だったのよ。それに、和夫ちゃんが、もっと早く幸一さんに岬の約束を伝えてくれていれば・・」
怜子が幸一をかばうような言い方をするので、和夫は拗ねてしまった。
駐在が、「とにかくいきさつを話してください。」とそこへ割り込んだ。

怜子は、これまでの事故は偶然ではなく誰かが意図的に起こしている事、それはきっと30年程前の祭の事故と何らかの関係がある事等を説明した。

「でも、警察ではいずれも事故という見方をしているんだし、だいたい、福谷さん以外に怪しい人物はいないわけだし、30年前の事故との関連だって、確証はないんでしょう?」と切り替えした。
「だから、ダメなんだよ。駐在は駐在だな。おまえは帰っていいぞ。」
ケンは嗜めるような口調で言った。
「だから・・僕は、今の状況では、警察としては動けないって言ってるんだ。確たる証拠がなければ、捜査なんかできないんだ。」
駐在は興奮気味にまくし立てた。
「私が崖から突き落とされたのは事実なのよ!」
「それだって、福谷さんの仕組んだ事かもしれない。とにかく、君が一番怪しい。」更に続けた。
「てめえ!いいかげんに・・・」とケンが駐在に殴りかかりそうになったのを幸一は止めた。

「いや、そうなんだ。全てが、僕がここに来てから起きているわけだし、僕と何らかの関係があるはず。いや、僕はやっていないよ。でも、そういう風に見せている事は事実。でも、やるならもっと露骨にできるはず。全てが事故を装っているのが不自然なんだ。」
「そうだよな。福谷さんに罪を着せるのなら、堂々と事件にしたほうが良い訳だし、わざと事故に見せる意味がない。」ケンはちょっと冷静になっていた。
「昭から何か聞いてなかった?」
怜子は、ケンや和夫に尋ねた。
「いや、ただ、祭の事故の真相をもう少し詳しく知りたいとは言っていた。」
和夫が機嫌を直して言った。
「ああ、それなら、僕も祐介君から頼まれた。あの祭の事故の記録を見れないかって。」駐在も続けた。
「それで?」ケンが改めて駐在に質問した。
駐在は口篭もった声で、
「いや、それは、・・・古い事故の記録を探すのは結構大変でね。それに、そんな興味本位の頼まれ事にはね。」
「だから、駐在は駐在だってんだよ。」ケンがまた苛めるように言った。

怜子が、みんなの気持ちをまとめるように
「ねえ、ここまで来たらやはりしっかり調べて犯人を突き止めましょう。昭や祐介、啓二がいなくなってるのよ。ひょっとしたら、もっとひどい事が起きるかもしれないでしょ。ねえ。」
と言ったあとで、幸一の目を見つめた。
幸一が怜子の気持ちに応えるように続けた。
「事故に見せかけているのは、ひょっとしたら、何か暗示かもしれない。祭の事故が殺人だと仮定すると、復讐のようなものかも・・・そう、玉穂・玉城・須藤・玉水家と祭の事故のつながりがあるのじゃないだろうか?」
「それか、祭の事故を調べようと計画して殺されたのなら、事故を暴かれると都合の悪い人がやってるとも考えられるな」ケンも続ける。
「それなら、祭の事故の事をしっかり調べなくちゃ。」和夫も乗ってきた。
「わかったよ。警察に残っている記録を調べてみよう。昭君たちの事故も見てみよう。警察内部の資料は僕にしか見れないからね。」と駐在も協力することになった。

怜子が、
「ケンは、喫茶店にくるお客さんから、村の外の人で祭の事を知っている人がいないか調べてみてよ。村の中ではなかなか話してくれないから。和夫ちゃんは、お母さんに。あなたのお母さん、とにかく村の情報源だから、無理にでも教えてもらって!知らなくても、誰に聞けばいいかとかもね。」
「ええ?お袋に?・・・」
「嫌なの?じゃあ、机に飾ってある私の写真、返して!」
「え?え??そんなことなんで知ってるの?・・幸一君か?しゃべったんだな!」
「幸一じゃないわ。前から知ってるわよ。まあね、きれいな写真だから許してあげるけど。」
「怜子ちゃんは?」和夫が話を切り替えた。
「私は、玉城家の奥様や玉穂家の奥様をそれとなく探ってみるわ。幸一さんはお寺のご住職にね。」
「なあ、怜子、岬の事故のことはどうするんだい?」
ケンが気になって尋ねた。
「そうね。お父さまが余計な心配をして変に動き出すと厄介だし、幸一さんに何をするかわからないから、当分は秘密にしておきましょう。」
集まった青年達が、本格的に、祭の事故と今回の事故の関連、犯人を突き止めることを誓った。

4-2.親子 [峠◇第1部]

にしきやに戻った和夫。女主人は、開店の準備のために、倉庫作業をしていた。
「ただいま。」
「おや、朝早くからどこにおったの?珍しい。」
「あ、いや、・・・ちょっとケンから呼び出しがあって・・・」
「ケンとまだつきあっとるの。昔、苛められてばかりで止めなさいって言ったろうに。」
「あ、あいつももう大人じゃから・・・。」
和夫は、みんなとの約束から、何か情報をと思うのだが、どう切り出してよいかわからなかった。

「何?いそがしいんじゃから、手伝ってくれんのなら、どいて、どいて。」
と缶ジュースの箱を4箱抱えて女主人は売り場へ向かった。
とっさに、和夫も近くの箱を抱えて、女主人の後をついて行った。
ジュースを冷蔵ケースに並べながら、和夫がそっと切り出した。
「なあ、お袋。20年位前の祭の事故のことなんじゃけど・・。」
「それがどうしたん?」
「いや、それが・・・昭や祐介の事故となんか関係あるんじゃないかって・・・あ、怜子がね・・」
「何?え?怜子ちゃんおったの?」
「いや、知らん。あ、それが、・・前にそんな事を言っとったから・・・」
「そうじゃねえ。この村で事故っちゅうたら、祭の時以来無かったから・・ああ、そういえば火事があったから・・」
「え?火事?どこの家が燃えたん?」
「あれは、あんたが生まれた年じゃったと思うけど、ほら、上の玉谷の・・・」
そこまで言うと、急に話を止め、
「そんなこと考えとらんで、店の仕事をしっかりやり!」
と言って、仕事を切り上げて、また、倉庫に行ってしまった。

振り返ると、剛一郎が店先に立っていた。女主人は倉庫に行ったきりなので、和夫がしかたなく出て行った。
「おはようございます。まだ、準備ができてないんですけど・・」
「おお、和夫!怜子が昨日からおらんのじゃ。」
「ええ、知ってます。まだ帰ってきてませんか?」知らん顔で聞いた。
「お前、なんか連絡ないか?ひょっとして、あの、福谷とかいう奴と一緒じゃなかろうな!」
「さあ・・もう帰ってくると思いますけど・・」
「お前、なんか知っとるんじゃなかろうな?隠しとると許さんぞ!」
凄い剣幕で、思わず、昨日の一件を口にしそうになったが、怜子との約束があり、留まった。
「お前ら、あの男と一緒にいると、昭や祐介みたいになるぞ。いい加減、アイツを追い出せ!わかったな!」
剛一郎はそういうと、そそくさと立ち去ってしまった。
和夫は何とかその場を切り抜け、また、女主人から何か聞き出さないとと考え、倉庫に入った。

「剛一郎は帰ったかい?」
「え?なんだ、知っとったの。なら、出ればええのに。」
「いやなんじゃって。この間から、機嫌が悪いんよ。顔を見るたびに怒鳴るから。分家の癖に本家を下に見て・・」
「え、なに、玉水水産って分家?うちが本家?」
「おや、知らんかったんね。もともと、うちはこの村の本家の筋なんよ。玉穂も玉城もみんな元はうちからの分家。今は、みんな本家の顔をしてるけどね。何代か前に、村を4つに分けたらしいんじゃけどね。」
「へえ、知らんかった。じゃあ、怜子と俺は親戚になるんかね。」
「昔の話。ほら、玉祖神社があるじゃろう。あそこに屋敷があったらしいんじゃけどね。」
「何だ。そんな昔の話か。」
和夫を本家の話を聞いたことで、祭の事故の話を聞きだすタイミングを無くして、自分の部屋にもどっていった。

上の地区で火事があったらしいということは知っていたが、母の口から訊いたのは初めてだった。
どんな火事だったのだろう。それに、家はこの村の本家というのも初めて知った。玉の付く苗字が多いのはおかしいとは思っていたが、どういういきさつなのか興味がわいた。

ふと、昔、祖父がそういうことに興味があって、郷土史家を名乗って、調べものをしていた事を思い出した。何か文献とか残っていないか、祖父が使っていた部屋に行ってみた。

祖父は随分前に亡くなったため、祖父が使っていた部屋は、和夫の部屋の隣で、今は物置になっている。和夫が集めたアイドルの雑誌や写真集等もあちこちに積み上げられていたが、祖父が使っていた机や本棚はそのままだった。
本棚を見たが、古い書物とか何とか全集とかがあるくらいでよくわからなかった。机の引き出しを開けてみた。使っていた万年筆とか硯とかに混ざって、黒い表紙の手帳が出てきた。
表紙を捲ると、「玉浦縁起」と祖父の文字があった。きっとこれに何かあるかもと直感した。
祖父の文字は大変読みづらかった。ところどころ間違ってもいる。それでもこの村の記録が書いてあるのは間違いなかった。
最初のページあたりは、玉浦の伝承のようだった。玉付岬の聖人伝説や悲恋伝承が文語体で記録されている。おそらく、玉祖神社の書物から書き写したものだろうとわかった。そして、数ページ進んだところに、家系図のようなメモがあった。
「玉元家」から四つの線が延び、「玉穂」「玉水」「玉谷」「玉城」4家がつながっている。いつの時代の事なのかまではわからなかったが、確かに、玉元家を本家の4つに分家したのがわかった。母もこの話を祖父から訊いたのだろう。
そして、その図の後に、分家の経緯が書かれていた。
長い文章だが要約すると、玉元家当主には4人の娘がいた。年頃になり、嫁に行く事を考えた。しかし当主は妻を早くに亡くしたこともあり、どうしても娘を近くにおいていたくて、一計を案じ、町から青年を呼び寄せ、所帯を持たせる事にした。村の長であった当主は、ある年、素潜りを競わせた。最も大きな石を海底から持ち上げた青年が、長女の夫となり、「玉水家」当主となり、下の地区を治めることになった。翌年には、畑を耕す力を競わせ、「玉穂家」を作り、西の地を分けた。3年目は、道を作る力を競わせ、「玉城家」を作り、東方を与えた。そして最後は、峠道を往復する足を競わせ、「玉谷家」を作り、上の地区を与え、峠を守る役割を持たせた。それぞれ村は4つに分かれたとあった。
そして、最後の行に、「玉元家は、当主が亡くなると、屋敷の所有をめぐって争いが起き、4つの分家はいがみ合う事になる。そこで、長年、玉元家で使用人をしていた男が、屋敷を取り壊し、村の守り神を祀る神社を建立する事を4家に提案し、初代の神社宮司におさまった。後代、その子孫があろうことか玉元家を名乗り、今に至る。」とあった。
この村に伝わる、玉付崎の聖人伝説や悲恋伝承は、神社を作る時に、玉元一族がでっち上げたものだとわかった。それ以上に、自分の先祖が、玉元家を勝手に名乗ったことを恥じた。

和夫はこの手帳を見てしまった事を後悔した。知らない方が良い事もあるんだと改めて思い、苦々しい思いを持ったまま、手帳を机にしまいこんだ。

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