SSブログ

4-2.親子 [峠◇第1部]

にしきやに戻った和夫。女主人は、開店の準備のために、倉庫作業をしていた。
「ただいま。」
「おや、朝早くからどこにおったの?珍しい。」
「あ、いや、・・・ちょっとケンから呼び出しがあって・・・」
「ケンとまだつきあっとるの。昔、苛められてばかりで止めなさいって言ったろうに。」
「あ、あいつももう大人じゃから・・・。」
和夫は、みんなとの約束から、何か情報をと思うのだが、どう切り出してよいかわからなかった。

「何?いそがしいんじゃから、手伝ってくれんのなら、どいて、どいて。」
と缶ジュースの箱を4箱抱えて女主人は売り場へ向かった。
とっさに、和夫も近くの箱を抱えて、女主人の後をついて行った。
ジュースを冷蔵ケースに並べながら、和夫がそっと切り出した。
「なあ、お袋。20年位前の祭の事故のことなんじゃけど・・。」
「それがどうしたん?」
「いや、それが・・・昭や祐介の事故となんか関係あるんじゃないかって・・・あ、怜子がね・・」
「何?え?怜子ちゃんおったの?」
「いや、知らん。あ、それが、・・前にそんな事を言っとったから・・・」
「そうじゃねえ。この村で事故っちゅうたら、祭の時以来無かったから・・ああ、そういえば火事があったから・・」
「え?火事?どこの家が燃えたん?」
「あれは、あんたが生まれた年じゃったと思うけど、ほら、上の玉谷の・・・」
そこまで言うと、急に話を止め、
「そんなこと考えとらんで、店の仕事をしっかりやり!」
と言って、仕事を切り上げて、また、倉庫に行ってしまった。

振り返ると、剛一郎が店先に立っていた。女主人は倉庫に行ったきりなので、和夫がしかたなく出て行った。
「おはようございます。まだ、準備ができてないんですけど・・」
「おお、和夫!怜子が昨日からおらんのじゃ。」
「ええ、知ってます。まだ帰ってきてませんか?」知らん顔で聞いた。
「お前、なんか連絡ないか?ひょっとして、あの、福谷とかいう奴と一緒じゃなかろうな!」
「さあ・・もう帰ってくると思いますけど・・」
「お前、なんか知っとるんじゃなかろうな?隠しとると許さんぞ!」
凄い剣幕で、思わず、昨日の一件を口にしそうになったが、怜子との約束があり、留まった。
「お前ら、あの男と一緒にいると、昭や祐介みたいになるぞ。いい加減、アイツを追い出せ!わかったな!」
剛一郎はそういうと、そそくさと立ち去ってしまった。
和夫は何とかその場を切り抜け、また、女主人から何か聞き出さないとと考え、倉庫に入った。

「剛一郎は帰ったかい?」
「え?なんだ、知っとったの。なら、出ればええのに。」
「いやなんじゃって。この間から、機嫌が悪いんよ。顔を見るたびに怒鳴るから。分家の癖に本家を下に見て・・」
「え、なに、玉水水産って分家?うちが本家?」
「おや、知らんかったんね。もともと、うちはこの村の本家の筋なんよ。玉穂も玉城もみんな元はうちからの分家。今は、みんな本家の顔をしてるけどね。何代か前に、村を4つに分けたらしいんじゃけどね。」
「へえ、知らんかった。じゃあ、怜子と俺は親戚になるんかね。」
「昔の話。ほら、玉祖神社があるじゃろう。あそこに屋敷があったらしいんじゃけどね。」
「何だ。そんな昔の話か。」
和夫を本家の話を聞いたことで、祭の事故の話を聞きだすタイミングを無くして、自分の部屋にもどっていった。

上の地区で火事があったらしいということは知っていたが、母の口から訊いたのは初めてだった。
どんな火事だったのだろう。それに、家はこの村の本家というのも初めて知った。玉の付く苗字が多いのはおかしいとは思っていたが、どういういきさつなのか興味がわいた。

ふと、昔、祖父がそういうことに興味があって、郷土史家を名乗って、調べものをしていた事を思い出した。何か文献とか残っていないか、祖父が使っていた部屋に行ってみた。

祖父は随分前に亡くなったため、祖父が使っていた部屋は、和夫の部屋の隣で、今は物置になっている。和夫が集めたアイドルの雑誌や写真集等もあちこちに積み上げられていたが、祖父が使っていた机や本棚はそのままだった。
本棚を見たが、古い書物とか何とか全集とかがあるくらいでよくわからなかった。机の引き出しを開けてみた。使っていた万年筆とか硯とかに混ざって、黒い表紙の手帳が出てきた。
表紙を捲ると、「玉浦縁起」と祖父の文字があった。きっとこれに何かあるかもと直感した。
祖父の文字は大変読みづらかった。ところどころ間違ってもいる。それでもこの村の記録が書いてあるのは間違いなかった。
最初のページあたりは、玉浦の伝承のようだった。玉付岬の聖人伝説や悲恋伝承が文語体で記録されている。おそらく、玉祖神社の書物から書き写したものだろうとわかった。そして、数ページ進んだところに、家系図のようなメモがあった。
「玉元家」から四つの線が延び、「玉穂」「玉水」「玉谷」「玉城」4家がつながっている。いつの時代の事なのかまではわからなかったが、確かに、玉元家を本家の4つに分家したのがわかった。母もこの話を祖父から訊いたのだろう。
そして、その図の後に、分家の経緯が書かれていた。
長い文章だが要約すると、玉元家当主には4人の娘がいた。年頃になり、嫁に行く事を考えた。しかし当主は妻を早くに亡くしたこともあり、どうしても娘を近くにおいていたくて、一計を案じ、町から青年を呼び寄せ、所帯を持たせる事にした。村の長であった当主は、ある年、素潜りを競わせた。最も大きな石を海底から持ち上げた青年が、長女の夫となり、「玉水家」当主となり、下の地区を治めることになった。翌年には、畑を耕す力を競わせ、「玉穂家」を作り、西の地を分けた。3年目は、道を作る力を競わせ、「玉城家」を作り、東方を与えた。そして最後は、峠道を往復する足を競わせ、「玉谷家」を作り、上の地区を与え、峠を守る役割を持たせた。それぞれ村は4つに分かれたとあった。
そして、最後の行に、「玉元家は、当主が亡くなると、屋敷の所有をめぐって争いが起き、4つの分家はいがみ合う事になる。そこで、長年、玉元家で使用人をしていた男が、屋敷を取り壊し、村の守り神を祀る神社を建立する事を4家に提案し、初代の神社宮司におさまった。後代、その子孫があろうことか玉元家を名乗り、今に至る。」とあった。
この村に伝わる、玉付崎の聖人伝説や悲恋伝承は、神社を作る時に、玉元一族がでっち上げたものだとわかった。それ以上に、自分の先祖が、玉元家を勝手に名乗ったことを恥じた。

和夫はこの手帳を見てしまった事を後悔した。知らない方が良い事もあるんだと改めて思い、苦々しい思いを持ったまま、手帳を机にしまいこんだ。

nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0