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11日目⑦鵜川 [琵琶湖てくてく物語]

先ほどの「洞門」を歩き抜けると、大津市から高島市へ入る。
最初の集落は「鵜川」。
ここは、比良山系の麓の傾斜地に広がる「棚田」が有名である。それほど広くはないが、眼前に琵琶湖を見下ろすことができ、棚田と琵琶湖の風景は他にはないところだ。
161号線沿いにある「うかわファーム」もなかなか良い。
最近の農産物直売所は、道の駅やJA店舗併設といった形で大型化し、中には、他の産地からの農産物も混じって売られていて、ただの野菜売り場になっているところもある。
ここは、小さな建物で、鵜川地区で採れた野菜や花き類を販売している。初めて高島に来た時、行きがけにこのファームを見つけ、帰りに寄ろうと思っていたら、夕方早い時間で閉店になっていて残念な思いをした記憶がある。
小さい直売所だけに、産物がなくなれば閉店するのは当たり前。なんだか、売上目標とか来店者数などといった下世話な数値とは無縁な感じが良い。
こうした長閑さを残してほしいと思う。実際、私たちがここに到達した時点ですでに閉店していた。
そういえば、この「うかわファーム」の向かいの空き地に、ホットドッグ屋(古いタイプのキッチンカー)が、雄実に出ているのを見かけた。あれで商売になるのかと思うほどなのだが、どうだろう。
夏近くになると、同じ場所に「スイカ売り」が出ていることがある。かなり安く売っているのだが、どこで仕入れてくるのか・・ちょっと怪しい感じがするのは私だけか。
「岩除地蔵尊」と「白髭神社」に挟まれた、ちょっとした隔離に近い地域だ。
私の山口の実家も似たところがある。
室町時代くらいまでは、町から切り離された島だったが、干拓によって地続きになった。里に入るには、北側にある峠を越えるか、西側の海岸伝いの道路を行くほかなく、里の中央を流れる川沿いの道と東西の山沿いの道の3本の道路だけ。その道路沿いに家が立ち並ぶ。里には小さなよろずやが1軒あるだけ。峠道と海岸沿いの道が封鎖されれば隔離される。
こういう里では、ほとんどすべての人が顔見知りであり、いくつかの一族集団で統治されているのが常である。私の里は、海岸に近い、漁業中心の人たちを束ねる一族と、東と西に分かれて統治する一族、そして山中に小さな集落を作る一族の4つの集団があった。
令和の時代に、なんだか、とてつもなく時代劇のような設定に思えるだろうが、少なくとも私が生まれ育ち18歳で里を出るまではそんな環境だった。私の家は、この4つの一族を束ね、集落全体をまとめる本家の長男だった。
里の中では、私を知らない者はいない。どこかの家に遊びに行くと、その家では最大級のもてなしをしてくれた。それは当たり前だとも思っていた。当然、この家を継ぐ者だと定められていて、祖母や父母はことあるごとにそういう話をしていた。
なんだが、横溝正史の推理小説に出てきそうな状況だが、確かにそういう場所だった。
もちろん、今は、私のように里を出ていくものばかりになり、高齢過疎の里となっていて、子供は数人しかいない状態だから、こんな古臭い設定など受け継がれてなどいない。
ただ、この「鵜川」という集落を見ていると、なんだかまだそういう風習・統治力みたいなものが残っているのではないかと思えてしまう。
高島に移住したてのころ、私の住む町内の私の組は、大半が移住者なのだが、町の自治会単位になると、いまだに、古い風習をかたくなに守ろうとする地元の住民が牛耳ることになっている。そういう古い風習から脱却したくて、新天地を求めてきたのだが、難しい。ちょっとでも異論を口にすると、これほどに非難を浴びるのかと思うほど、痛い目にあった。不満や異論は口にしない、そのためには自治会に参加しない、そういう構図が広がっている。おそらく、あと数年で、ここの自治会は崩壊するに違いない。
もはや、令和の時代、新しい住民自治の仕組みを考えたほうが良いと思うのだが・・。

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11日目⑧白髭神社 [琵琶湖てくてく物語]

鵜川を超えると、ついに、白髭神社だ。
琵琶湖を紹介するサイトやパンフレットには、必ずと言ってよいほど、湖中に建つ鳥居が写っているので知っている人も多いに違いない。
白髭神社の創建は、垂仁天皇25年(およそ2000年前)とされ、近江最古の神社らしい。
こうした縁起を見る時、不思議なのは、まだ、日本に大和政権が成立していなかった、文字すらなかったのではないかと思える時代に創建されたという神社がかなりあることだ。
全くのでたらめだとは思っていないが、大体、神武天皇から8代までは存在すら危ういとされていて、そもそも、我が国の始まりというのがどうなのかは大いに謎なのだ。
先日、奈良県橿原市にある「考古学研究所付属博物館」へ行ってきた。
縄文時代から近世までの歴史展示がされている素敵なところだった。遺跡から発掘された様々な遺物からその時代の暮らしを想像して描かれたイラストの類も優れたものだった。なにより、わずかな遺物を基に、その時代の人々の衣服や髪形など、考古学の先生方の想像力は素晴らしいものだと感服した。もう少し若ければ、そういう勉強をしてみたかった。
話を戻すが、そういう想像力というのは、おそらく、神社の創建(縁起)にも生きているのではないかと思う。
社を守る住民たちが、その価値を高めるため、故事にのっとり、縁起を作り上げたのは容易に想像できる。ただ、そこにはごまかしとかいうのではなく、敬いだけが存在しているからこそ、皆、納得し非難するようなことはなかったのだと思う。
あるいは、大和政権が生まれる以前、もしかしたら、大和を凌ぐほどの高い文化をもった倭国があり、全国の社はそういう時代に大いに栄えていたのではないか。民を治めるため、始まりを「天孫降臨」と描き、神が治める国として民を従えたとも考えられる。とすれば、大和の始まりは、大陸から現れた異民族集団だったのかもしれない。邪馬台国こそが日本の起源であり、いまだにその存在が謎に包まれているのは、大和政権が異民族国家であったことを隠すためなのかもしれない。倭国には、八百万の神を崇める民の国があり、その象徴が邪馬台国・卑弥呼なのではないか。どんどん想像が膨らんでいく。まあ、こんな話をしたところで面白くもなんともないので、また別の機会にしよう。
いずれにしても、もはや、白髭神社に到着している。
国道161号線沿い、多くの車両が行き交い、騒音がすごい。サイトやパンフレットの写真を見てやってきた観光客は、その交通量と騒音に驚くに違いない。
自宅まであと少しとなって琵琶湖1周が完了する。
大きな事故もなく歩けたことに感謝して、白髭神社にお参りすることにした。
入口すぐに社殿があり、そこでお賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。
そこから、階段を上がるといくつかの小さな社があるので、順番にお参りする。
ふと見下ろすと、琵琶湖が美しい。対岸が意外と近くに見え、沖に浮かぶ船もよく見える。本社殿の上を歩いていると、周囲に頑強な石垣があるのが見えた。
山の斜面に建つ神社であり、周囲とは隔絶された場所。これほど頑強な石垣が必要だとは思えない場所だった。ただ、この石垣はそれほど新しくない。だいたい、石垣が築かれるようになったのは、安土時代のはず。そう考えると、この石垣は単に神社のためとは思えない。白髭神社の北には、大溝城があり、一時は織田信長の甥が入城していたころがある。そう考えると、ここは、安土時代には、出城になっていた場所なのではないか。ちょうど、対岸には長浜城や彦根城、安土城などがあり、航行する船もよく見える。西岸の守りの要であった時期もあったのではないか。戦国時代と言わず、明治維新のころにも、寺社仏閣は軍事的要塞として使われてきている。おそらく、白髭神社もそういう使われ方をした時代があったに違いない。
そういう想像力を膨らませつつ、白髭神社を出る。

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11日目⑨48体石仏 [琵琶湖てくてく物語]

白髭神社を出てちょっと不思議に思ったことがあったので調べてみた。神社の周辺に、国道161号線とは別に、細い道があり、小さな集落になっていた。
ちょうど神社を取り巻く形になっていて、もしかしたらこれが古い街道ではないか。調べてみると案の定。大正時代までは、湖岸を走るような道はなく、幅1間程度(2m)の細い「西近江路」があっただけで、神社を鈎型で取り囲む路がそれである。さらに、神社前は、すぐに湖岸になっていて、ここまでの道のりで幾度も見てきた堰(石垣)があったようだ。今よりもずいぶん水位が高かったようだった。
そこから再び、161号線を歩いていくと、「いにしえ西近江路」の石碑があった。山へ上がっていく道だ。看板に「四十八体石仏群」とある。(ここはこれまでにも幾度も来たことがある)
緩い登り坂を歩き、木々の合間から琵琶湖を眺め、鬱蒼と茂る森になったあたりで「四十八体石仏群」が姿を見せる。周囲には墓地が広がっている。説明文を読むと、「室町時代後期、観音寺城城主の佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うために、対岸にあたるこの地へ是器物を建立した」とあった。ただ、この記録は、のちの調査で、さらに100年以上さかのぼった時代の記録にもあったとのことで、建立の本当のところは不明になっているようだ。
いずれにしても長い年月の間に、48体あった石仏は、2体が行方知れずになっていて、13体は大津坂本の慈眼堂に安置され、この地に残っているのは33体。風雨にさらされ、損傷が進んでいるものが少なくないが、石仏にしては顔かたちが変わっている。笑顔ばかりではなく、神妙な顔、口を尖らせているもの、ユーモラスなものが多い。皆さんも一度足を運んでみられると良い。何か癒されるものがある。
石仏と言えば、西近江七福神巡りをした時に、安曇川町田中にある「玉泉寺」でも同様のものを見た。こちらは「五智如来石仏」で、「四十八体石仏」と同じ石仏石工集団が作ったものとされている。確かに作りは似ていた。表情も豊かだった。その奥には、六観音菩薩と六地蔵菩薩の石像もあった。こちらは小ぶりで造形も細かかった。この「玉泉寺」は聖武天皇の時、行基が開いた古刹だそうだ。ただ、火災にあって一時は廃寺となるほど荒廃したものを、田中城城主が再興したと伝わっていた。そのためか、寺の外観は、石垣が組まれていてちょっと城のようにも見える。
「四十八体石仏群」では、春になると蕨が一面に芽吹く。ここ数年、時期を見てはここを訪れて、新芽の蕨摘みをしているのだが、先般、サルの軍団に遭遇してしまった。墓地の一番高いところに、ボス猿が座っていて、墓地を取り巻く椿の花をサルたちが無心に食べていた。私たちが近づいても、一向に動く気配はなく、気づくと、周囲にかなりのサルがいたので早々に立ち去った。特に危害を加えることはないだろうが、それでも野生動物である。何かの拍子に襲い掛かってくるかもしれないという恐怖を感じた。
「四十八体石仏群」を過ぎると下り坂になり、再び、161号線に合流する。そこから先、勝野に入る道に分岐しているので、そちらへ向かう。近江路である。
しばらく、古くからの町並みを歩く。道路沿いに、大きな石組があるので、かつてはここまでが琵琶湖岸だったことが分かる。すぐに、左手に「乙女が池」が広がっている。乙女池は、もともと内湖の一つである。
万葉集でもこの地は謳われていて、そのころは「香取の海」と呼ばれていたそうだ。さきほどの「四十八体石仏群」があったあたりは「三尾が崎」と呼ばれ琵琶湖に突き出していて、その北側に「香取の海(湾)」があり、その外れに「勝野津(港)」があったそうだ。やはり、万葉の時代には、船が重用されていたようで、おそらくこの辺りは大いに賑わっていたのだろう。
今、乙女池は静寂の中にある。そして、その北側には「大溝城跡」がわずかに残っている。

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11日目⑩到着・・琵琶湖1周完歩 [琵琶湖てくてく物語]

乙女が池を越え、勝野交番の前に出る。
ここから、大通りを進むと駅前の三差路に出て、さらに北へ向かうのが、近江路で、福井酒造を中心に「高島ビレッジ」と呼ばれるちょっとした観光地である。
自宅へ向かうには、ここでいったん港に出る。ここらはかつての大溝城下町にあたる。陣屋惣門、武家屋敷、水路などが残っている。なにより、町内の地名に、長刀町・江戸屋町・伊勢町・船入町・紺屋町・蝋燭町などが残っている。ただ、そういう面影はありながらも、それを探すのは難しく、観光地としては十分ではないように思う。もう少し大切にすべきものがあるように思う。
自宅へ戻るのは、大通りではなく、裏道を通る。小さな角に「萩の浜水泳場」の古い看板があり、これが目印になっている。そこを抜けて、郵便局に突き当たり、浜を目指し、自宅に到着した。
今回は、30,228歩、20㎞の距離を歩いた。
ついに、2年越しで琵琶湖1周てくてく旅も完結となった。
合計歩数は393,721歩、距離は266km。
歩き始めたころは、ただその日のゴールを目指してひたすら歩いていた。
何しろ、1日歩き通すことなどなかったから、本当に設定したゴールにたどり着けるかさえ不安だった。琵琶湖1周を達成できるかどうかもわからず、とにかく前へという気持ちだったのを思い出す。
だが、3日目くらいからペースが分かり、余裕ができると、ようやく、周囲の観光にもチャレンジできるようになり、後半になると、予定外のルートも容易に選べるようになった。
車では何度も通ったことのある道路も、歩くことでわかることも多かった。自転車とも違う歩く楽しみを見つけた。
何より、妻には感謝している。二人で歩くことで、いろんな発見があったし、他愛のない話もしながら、疲れていても何とか歩き通すことができた。それに、彼女の体力には驚いた。40kgほどしかない華奢な体つきをしているが、持久力は大したものだ。きっと私より長生きするだろう。
そんなことを思いながら、これを書いている。
自宅に着いた時の彼女の言葉が忘れられない。
「次は、どこを歩く?」
何とも、彼女は逞しい。

後日談
琵琶湖1周をした後、私たちは、何かと歩くことが趣味のようになってしまった。休みになると、高島市内の6つの町をまず歩いた。今津町は駅周辺や山間の別荘地の中、マキノ町は海津や小荒路、メタセコイヤのある辺り。安曇川や新旭も駅周辺を何の目的も持たずに、ぶらぶら歩きながら、ちょっとした発見をして楽しんでいる。
高島市内を一通り歩いた後、大津も、坂本周辺や三井寺周辺、石山寺周辺、膳所駅周辺など、主だった界隈を歩いてみた。大津市内はそこかしこに、大津京のあった時代から比叡山の焼き討ち、江戸期など、歴史的な遺物がたくさん残っていて面白い。
それから、小浜や敦賀、舞鶴といった街も歩いてみた。
今、歩いてみたいと思うのは、奈良の町である。奈良にはたくさんの古道があり、きっと面白いと思う。
また、機会があればこのブログでご報告させていただくことにする。
とりあえず、琵琶湖てくてく物語はこれで完とさせていただきたい。長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

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次は、また、 [苦楽賢人のつぶやき]

琵琶湖てくてく物語をお読みいただきありがとうございました。
予想以上に完了まで時間が掛かってしまいました。
振り返ってみると、よくまあ、歩いたものだと感じます。ただ、あれ以来、休みの日には、知らない街を歩き回ることが増えました。
滋賀県内では、大津や長浜、彦根などを歩き回り、福井県の敦賀、小浜、坂井、三国。京都の福知山や綾部、宮津(天橋立)。京都市内は、京都駅から北野天満宮までとか、京都駅から伏見稲荷、南禅寺から銀閣寺など、奈良も、奈良市内はもちろんのこと、橿原市の界隈、明日香にも行きました。
とにかく歩くことで観光名所だけでなく、街中のちょっとした裏通りとかガイドブックではなかなか教えてくれないような場所にであうこともできました。
晩秋から冬にかけては、私たち夫婦にはベストシーズンですね。
次は、どこに行こうか、休日前には、いろいろと考えるのが楽しくなっています。

さて、ブログは、また、お話の世界に戻ろうと思います。
「夢」を題材にして、これまでのお話も絡めつつとなっています。
また、ぜひ、お読みいただけると幸いです。
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1-1 夢の始まり [アストラルコントロール]

深夜12時、ようやく帰宅してベッドに転がり込んだ。
フリーライターの射場零士は、芸能人のスクープを追いかける毎日だった。最近は、不倫程度のゴシップネタでは、買ってくれる週刊誌もなくなった。犯罪の匂いがするものでないと、編集者は簡単に触手を伸ばさない。
「そろそろ限界かな。」
ベッドに横たわってぼそりと呟く。
あと少しで厄年だ。最近は、深夜や早朝の突撃取材など、気力が追いつかなくなっていた。かといって、ほかに何で稼ぐか、見当もつかない。
人生に行き詰っているのは、他人に指摘されるまでもなく、自分が一番理解している。
ぼんやりとしているうちに睡魔が襲ってきた。零士は、そのまま、眠りに落ちていった。
しばらくして、夢を見た。
住宅街を女性が二人歩いている。古い街灯はついているのだが、二人のシルエットくらいしかわからない。自分はなぜか、その二人をやや上空から見ている感じだった。
ここはどこなんだろう・・と考えると、急に目の前に電柱が近づいてきて、そこに貼られている地名盤が見えた。「桂木町2丁目」と読めた。おや、自分のアパートからほど近いところじゃないかと思った途端、今度は、歩く二人の女性を後方から見る位置に変わった。なんだか、尾行しているような感じだった。
「変な夢だな」
夢を見ながらそんな感想を抱くなんて、さらに異常だ。疲れているのかな・・。そんなことを考えながらも、依然として女性二人の後ろにいて、様子をうかがっている自分がいた。
街灯が少しまばらな場所に差し掛かった時、並んで歩いていた右側の女性が、ハンカチを手に巻き付けて、カバンからアイスピックを取り出した。そして、隣を歩く女性の肩を掴んで、首筋にアイスピックを突き立てた。一瞬だった。左側の女性は、首筋から真っ赤な血が噴き出して崩れるように倒れた。
「おいおい、夢でもこんな惨い光景は見たくないなあ・・。」
そんなことを思っていると、アイスピックを持った女性は、倒れこんだ女性の様子を伺い、息絶えたことを確認すると、スマホの緊急通報ボタンを押して、持っていたアイスピックを自分の胸に突き立てた。
零士はその女性に近づくと、二人の様子を見た。首筋を刺された女性は、完全に息絶えている。水色のワンピースが自分の血で真っ赤に染まっていく。まだ30歳そこそこ、色白で品がある表情、持っているバッグから、ある程度金銭的に余裕があるのは明白だった。
「おや、確か彼女は・・。」
女性の顔を見て、零士ははっと思いだした。
「女優の片岡優香じゃないか?」
半年ほど前に、企業の取締役だった男との不倫騒ぎの記事を書いた。だが、同じころ、男性俳優の自殺騒ぎがあり、その原稿はお蔵入りとなった。知名度や人気を考えれば、ニュースの価値は明らかだったし、片岡優香という女性は何かとお騒がせなところがあって、不倫程度ではインパクトも弱かった。
「あの時の記憶が夢になったのかな?」
そんなことを考えながら、もう一方の、刺したほうの女性を見る。
グレーのスーツを着ていて、おしゃれとはいいがたい眼鏡、化粧っ気もない感じに見えた。胸に刺さったアイスピックからわずかに出血はしているものの、致命傷ではなさそうだったが、刺さった場所が悪かったのか、呼吸が厳しい状態で、時間がたてばやはり絶命するかもしれないとも思えた。
「なんだ、この夢?リアルすぎるだろ・・。」
そう思ったとたん、夢は終わった。
アパートの近くで救急車のサイレンが響いている。
零士は、その音で目覚めた。時計を見ると、まだ午前4時だった。体中がだるい。睡眠の途中で起こされたような、いや、睡眠自体していなかったような感覚だった。
アパートの窓を開けると、白み始めた空が広がっていた。
サイレンは数百メートル先のようだった。

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1-2 事件現場 [アストラルコントロール]

「まさか・・確か・・あの辺りは、桂木町・・いや、何かの偶然だろう・・。」
心に引っかかるものはあったが、すぐには動く気にはなれなかった。
再び、ベッドに横たわり眠りについた。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、ベッドに横たわる零士の顔にあたった。さすがに、起きるしかないと決断し身を起こす。時計は7時を指している。
ベッドの脇にあったリモコンを取り、テレビをつける。ニュースの時間だった。
『本日未明、横浜市桂木町の路上で女性二人がアイスピックで刺されて死傷する事件が起きました。』
テレビ画面には、規制線が張られた事件現場の映像が映っていた。
「ここは・・。」
昨夜の夢とそっくりの場所だった。
零士はしばらく瞬きもせずじっと画面に見入ってしまった。
規制線の向こうで、たくさんの警察官があわただしく動き回っていて、中には刑事らしき人物も映っていた。
零士は画面をじっと見つめながら、ソファーに乱雑に置かれていた洋服を何とか手に取り、着替えてから、いつもの習慣で、一眼レフカメラを抱えて部屋を出た。
あの夢と同じことが現実に起きていることが信じられなくて、現場に行けば、その疑問が解けるという思いで部屋を飛び出した。
現場までは歩いてわずかな距離だった。
現場周辺には、予想通り、テレビ局や新聞社などの報道陣が集まっていた。何とか現場の映像を抑えようと高い脚立が何本もたてられていた。テレビ局のカメラの前でアナウンサーが出番待ちをしていた。そして、事件のことを聞きつけて、周辺の住民も集まっていた。規制線の手前に警察官が直立不動して、見物している住民や報道陣を睨みつけていた。
零士は何とかその後ろに着いた。
住民たちの合間から、規制線の向こうが時々見える。
やはり、あの夢と同じ場所だ。だが、そんなことがあるだろうか?思わず夢遊病というワードが頭を過る。いや、そんなはずはない。夢遊病なら意識がないはず。だが、あの時、確かに殺人現場の光景を見た。あまりにリアルで目が覚めた。しかし、あれは確かに夢だった。目覚めたとき、確かにベッドに横たわっていたのだ。
零士は、大きな疑問が晴れないまま、見物の住民たちの中にいた。そして、手にしていた一眼レフで規制線の向こう側の光景を何枚か撮影した。
「あの電柱を確かに見た。いや、だが・・。」
小さなモニター画面で撮影した写真を見ながら呟く。
スマホを取り出して、事件の続報を探した。
『先ほどの事件の続報が入りました。』
ニュース画面からアナウンサーの声が響く。
『被害にあったのは、女優の片岡優香さんとマネージャーの本田幸子さんだと判明しました。救急車が到着したとき、片岡さんはすでに心肺停止状態、本田さんも意識不明だったようです。残念ながら、片岡さんは救急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。本田さんは一命はとりとめたものの、意識は回復していない模様です。』
「まちがいないな・・。」
「山崎さん!やっぱり駄目でした。」
事件現場に仁王立ちしている年配の刑事に駆け寄った林田刑事が申し訳なさそうに言った。林田は今年刑事課に配属されたばかりの新人刑事だった。細身で高身長、一見するとどこかの営業マンのような風貌をしていた。少しばかり頼りない。
「この辺りには防犯カメラはありませんでした。住宅街の真ん中、コンビニもありませんし・・目撃者も・・。」
「そうか・・。」
山崎刑事は、規制線の向こうに集まっている野次馬や報道陣に視線を送る。
「武藤!」
そう呼ばれて、別の刑事が「はい!」と返事をする。30代半ばの刑事。場慣れはしているが、積極的に動く方ではなく、何かと面倒くさい感じで、のそのそと動くタイプだった。
「集まったやつらを撮っておけ。犯人が紛れているかもしれないから。」
山崎に言われて、武藤刑事は、慌ててポケットからスマホを取り出して、周囲を写し始めた。
「犯人は現場に戻るって・・根拠が分からないんだけどね・・。」
武藤は独り言を口走りながら撮り続けていた。

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1-3 厳しい視線 [アストラルコントロール]

「山崎さん!もう一人の被害者は、命に別状はないようです。まだ、意識は戻らないようですが、医師の話では2,3日すれば意識が戻るはずだと・・。」
規制線をくぐってきて報告したのは、五十嵐という女性刑事だった。
長い髪を一つに束ね、黒いパンツスーツに身を包み、快活な女性だった。刑事になって5年。刑事課のなかでも優秀だと目されていた。
「そうか・・それなら犯人を見ている可能性があるな・・五十嵐、お前は病院に張り付いておけ。意識が戻ったらすぐに聴取しろ。」
「はい!」と五十嵐は返事をすると、写真を撮っている武藤のほうを見て、小さなガッツポーズを見せた。
「ちぇっ。なんであいつなんだよ!」
と武藤は舌打ちをして五十嵐を見送った。
五十嵐は足取りも軽く、規制線をくぐって、病院へ向かった。
「案外、事件解決は早そうですね。」と野次馬たちの写真を撮っていた武藤刑事が山崎に言った。
「ならいいがな・・。」
山崎は集まった野次馬のほうへ視線を送っている。
「犯人が目撃されていれば、決定的でしょう。」
山崎の意外な回答に、武藤は少し驚いて訊いた。
「まあ、いいだろう。とにかく、周辺に集まったやつらをしっかり撮っておくんだ。」
山崎はそういうと、現場になった通りを何度も歩いて周囲を確認した。それから、集まっている野次馬たちをにらみつけるように観察した。
「おや・・あいつは・・確か・・。」
山崎はそう呟いて、射場のほうへ視線を送る。
現場を見ていた零士も、山崎の視線に気づいて、小さく会釈をした。
零士は、数年前に繁華街で起きた傷害事件の際、取材で近くにいて、山崎刑事から尋問を受けたことがあった。
もちろん、事件には無関係だったが、特ダネの取材で終日、事件のあった繁華街をうろうろしていたため、被疑者ではないかと疑いをかけられたのだった。
アリバイを問われても、とにかく、事件現場近くをうろついていたのは事実だったし、その傷害事件の被害者は、特ダネで追いかけていた当人だったため、山崎からしつこく尋問されたのだ。
犯人が捕まり疑念が解けた後も、山崎からの謝罪はなく、それっきりになっていた。互いにあまりいい印象を持っていなかった。
山崎は、周囲にいた警官や刑事に号令した。
「とにかく、目撃者捜しだ。聞き込みの範囲をもう一回り広げる。事件の時間の前後にこの辺りにいた人物を洗い出す。」
山崎はそういうと、パトカーへ戻っていった。
「現場検証はそろそろ終わりだな。」
現場の様子をじっと観察していた零士は、くるりと向きを変えて、アパートへ戻った。
帰りの道すがら、同じ思いが何度も脳裏を巡っていた。
「あの夢はいったい何だったんだろう。やはり、現場にいたのか?」
しかし、時間が経つにつれて、夢の光景が徐々に薄れていき、先ほど現場を見たことで、現実と夢の境界があいまいになりかかっていた。
早朝だったせいで、まだ、体は目覚めていない感じだった。零士はアパートへ戻ると、ベッドに横になった。
また、睡魔が襲ってきた。
気が付くと、白い壁の建物の中にいた。白衣を着た人物が何人も行き来している。
そこは病院だった。
廊下には制服を着た警官が二人、門番のように立っている。患者名の欄は空白になっていた。しばらくすると、女性が一人現れ、ポケットから警察バッジを取り出して見せると、病室の前に立つ警官が敬礼をしてドアを開けた。
「あの女性・・確か、事件現場にいたな・・。」
五十嵐刑事はすぐに病室に入っていく。
零士も壁をすり抜けるように病室に入った。心電図モニターや酸素マスクをつけた患者が横たわっていて、看護師が様子を看ている。

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1-4 二度目の夢 [アストラルコントロール]

「意識は?」
五十嵐が看護師に訊くが、看護師は「担当医にお聞きください。」と答えるだけだった。
そこに、担当医が入ってきた。かなりの年配の医師だった。その医師は、五十嵐を見て、あからさまに嫌な顔を見せた。
「容体は?」
五十嵐が医師に訊く。
その医師は、心電計と見ながら、一呼吸おいて答えた。
「見ての通りです。」
少し挑戦的な返答を医師が口にした。
その言葉に、五十嵐がやや苛立つ表情を見せた。医師はそれを見て、わずかに笑みを浮かべる。
どうせ、事情聴取ができるかどうかを確認したいというのだろう。患者の命が助かるかどうかより、事件解決の情報が得られるかどうかが大事なんだろう。そういう輩は嫌いなんだよ!
医師の心の中が透けてみえるようだった。
その医師は、もう一呼吸おいてから話始めた。
「命に関わるほどではありません。刺さった場所は、急所は外れていましたし、大きな血管も傷ついていませんでした。ただ、肺が少し損傷を受けて、一時的に低酸素状態になったようです。意識が戻るには多少時間が掛かるでしょうが、まあ、数日中には話せるようになるはずです。」
医師はそう言って、アイスピックが突き立てられていた場所のガーゼを外し、少しだけ処置をした。
「しかし、こんな幸運なことはめったにないでしょうなあ。」
医師の言葉とは思えないようなものだったので、五十嵐は、「どういうことでしょう?」と訊き返した。
「ここは救急センターですから、こうした患者をこれまでにも何人か診たことがあります。アイスピックとかナイフとかこれほど深く刺さった状態は初めてでしたが、なんとも、・・。この場所の数センチ横には心臓と繋がる動脈があり、そこが傷つけばこんなに軽傷では済まなかったはず。それに、深さもこれ以上深ければ、完全に肺が死んでしまっていて回復の見込みはなかった。殺さないためにピンポイントで刺したといえるほどのことだったんですよ。」
医師の説明を聞き、五十嵐は違和感を感じ、もう一つ質問した。
「あの・・すみません・・もう一人の女性は診られましたか?」
「ええ、同時に運ばれてきましたから・・。」
「彼女のほうはどうだったんでしょう?」
「ああ・・彼女のほうは、ほぼ即死だったはずです。アイスピックはほぼ付け根の位置まで刺さっていたようで、頸動脈は完全に貫通していましたし、その先端は頸椎に達していました。たったひと突きでそこまでできるのはよほど手慣れたものとしか思えませんでしたな。」
医師の答えに、五十嵐は再び違和感を感じた。
「すみません。捜査を混乱させるつもりはないんです。ただ、これは、衝動的な殺人とは違うように感じたので・・私の話は忘れてください。」
医師はそういうと、そそくさと病室を出て行った。
「なんだ?またおかしな夢を見た・・。」
そこで、零士は目を覚ました。
自分の身に起きている事態が理解不能になっていた。
とにかく、気持ちを落ち着かせたかった。部屋を出て、歩いてすぐのところにある「Dream」という喫茶店へ向かった。
昭和の時代から変わらない風情の店。白髪の年配のマスターが、サイフォンを使って丁寧にコーヒーを淹れてくれる貴重な店だった。それほどなじみというわけではなかったが、一仕事終えた後、ここの一番奥の席でぼんやりすることで、精神的平静を保っていたといってもおかしくなかった。
熱いコーヒーを注文して、いつもの席へ座る。そして、先ほど見た夢を思い出していた。
「おそらく、あれは、桂木記念病院だ。現場から一番近い病院だから、そこへ搬送されたんだな。」
そう呟きながら、スマホを取り出し、MAPを開いてタイムラインを確認した。
『やっぱり・・あの場所に行ったのはさっきが初めてだ。やっぱり夢だよな。』
コーヒーが運ばれてきた。零士は、コーヒーを啜る。
『この事件を記事にすればいいネタになるかもしれないが・・事件のすべてを証明できないんじゃ、意味がないな。”夢で見た真実”なんて誰が読むんだよ。』
それ以上、考えても何も出てこないこともわかっていた。コーヒーを飲み干すと、アパートへ戻った。

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1-5 事情聴取 [アストラルコントロール]

それから数日、特に、事件に関連する夢も見なかった。
テレビの報道もすでに忘れられたようにほとんど報道されていなかった。だが、零士の心にはどうにもあの事件が引っかかって仕方なかった。
零士は桂木記念病院へ行ってみることにした。
面会など出来るはずもないが、何か、自分の見た夢の理由が判るかもしれないと考え、病院の玄関前に立った。
「確か、3階だったはずだが・・。」
とりあえず、正面突破をしてみることにした。玄関を入り、外来受付の前を抜け、入院病棟へ上がるエレベーターに向かった。警官の姿はない。
点滴をしている患者に紛れて、エレベーターに乗り込むと、3階で降りた。ちらりと周囲を確認する。一番奥に警官の姿があった。
「あの部屋か・・。」
病室とは反対側へ歩く。
いきなり近づけば警戒される。見舞い客だと思われるように病室の名前を一つ一つ確認する格好をしながら、様子を探っていると、病室から、例の女性刑事が飛び出してきた。
彼女の表情から、被害者の女性が意識を回復したのは明らかだった。その刑事は、エレベーターホールまで来ると、スマホを取り出した。
「山崎さん、被害者が意識を取り戻しました。」
電話の向こうから、声が聞こえる。
「ええ、大丈夫です。・・担当医からも許可をいただきました。どうしたらいいですか?・・はい、わかりました。お待ちしています。」
五十嵐刑事はスマホを切ると、小さく拳を握った。これで有力な情報が入手できる。
零士は五十嵐の様子を見て確信した。
『だが、犯人はいないじゃないか。意識を取り戻して何を話すのか。正直に、私が殺したっていうはずもない。あいまいな供述をして混乱させるに違いない。』
零士は、当然のようにそう思い、これ以上、ここにいても意味はないと考え、エレベーターの前に立った。
エレベーターが上がってくる。ドアが開くと、山崎刑事が姿を見せた。零士は無意識に、顔を下げ、山崎に顔を見られないようにしてさっとエレベーターに乗り込んでドアを閉めた。
「おや・・確か、あいつ・・。」
山崎はすれ違った零士に気づいて、小さくつぶやいた。
「山崎さん、こちらです。」
病室の前で、五十嵐が妙に張り切って手を振っている。
「おいおい、参観日じゃないんだぞ!」
山崎はそう呟くと、つかつかと廊下を歩いて病室へ入った。
ベッドの上には、まだ苦しそうな表情を浮かべている本田幸子の姿があった。
「短時間でお願いします。」
連敗の担当医はそういうと病室を出て行った。
山崎は、ベッドわきにある丸椅子を引いてきて、ベッドの足元辺りに座った。
「五十嵐、聴取だ。」
「はい。」
五十嵐は少しうわづった声で返事をして、手帳を取り出してから、本田幸子を見た。
まだ、うつろな表情をしている。
何から聞けばよいのか、五十嵐は少し戸惑った。先ほどの元気さがここにきて急に萎えてしまったようだった。
「ええっと・・まず、あなたは、本田幸子さんで間違いないですか?」
小さく頷く。
「事件のことはどこまで覚えていますか?」
幸子は少し記憶をたどるような表情を見せたあと、「ぼんやりと覚えているくらいです。」と答えた。
「片岡優香さんは亡くなりました。」
五十嵐が言うと、幸子の表情が強張り、大粒の涙をこぼし始めた。

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1-6 本田幸子 [アストラルコントロール]

「大丈夫ですか・・。」
五十嵐が言うと、幸子は涙をぬぐいながら頷いた。
「あなた方を襲った犯人を見ましたか?」
「犯人?」と幸子が答えた。
「片岡さんを刺し殺し、あなたも胸を刺された。犯人に心当たりはありませんか?」
五十嵐が繰り返すように訊く。
少し間をおいて、幸子が答える。
「あの日は、雑誌の取材が1本ありました。取材は、フランという喫茶店でした。ファッション雑誌のインタビューでした。そのあとは、優香さんのショッピングに付き添い、桂木町にあるブティックで洋服を何点か買うつもりでしたが、気に入ったものが見つかりませんでした。そのあとは、自宅へ戻ることになっていました。彼女が少し歩きたいというので、人通りの少ない住宅地を散歩するような感じで自宅へ向かっていました。」
「普段、あの場所に行くことは?」
「いえ、初めて通った場所でした。坂を下りた辺りでタクシーを拾うつもりでした。」
確かに事件現場の住宅地を抜けると、大通りになり、そこまでいけばタクシーを捕まえることは容易だと判断できた。
「誰かにつけられていたとか、歩いているとき不審な人物は見ませんでしたか?」
五十嵐は、通り魔の犯行の可能性も思い浮かべていた。
「今から思い出すと、あの住宅地に入ったあたりで、人影を見ました。少し離れていましたが、どこかで会ったことのあるような・・いえ、思い違いかもしれません。後をつけてきている感じだったかもあいまいですが、その人くらいしかいなかったように思います。」
「どんな人物ですか?」
「いえはっきりとは覚えていないんです。ただ、どこかで会ったことがあるんじゃないかって思う程度で・・」
「具体的な服装とか持ち物とか年齢とか・・何か特定できそうな特徴は?」
五十嵐は、幸子が目撃した不審者が犯人かもしれないと思い込み、焦って訊いた。
「特徴?・・それほど注意深く見ていたわけじゃありませんから・・ただ、その人は、昔どこかで・・もしかしたら、週刊誌の記者かもしれません。彼らはいろんなところで彼女を追いかけてきたので・・そういう人だったかもしれません。」
本田幸子の話はあいまいだった。具体的な特徴は口にしないが、週刊誌の記者だとほぼ断定的に話した。山崎の顔が少し曇る。
「片岡さんは首筋を刺されていましたし、あなたも胸を刺されている。誰かが近づいてくる気配とか感じませんでしたか?」
五十嵐は、少し話を変えた。
「それが・・思ったより、通りは暗くて・・足音が聞こえたと思ったら、優香さんが突然倒れて、私も胸に激痛が走って・・何が起きたのかわからず、とにかく、このままでは死んでしまうと思って、スマホの緊急通報をすることが精一杯でした。すぐに意識が遠のいたので、犯人の顔までは・・。」
「先ほどの不審者ということはありませんか?」
「判りません。」
本田幸子は顔を伏せて答えた。
「では、最近、誰かから、脅迫されたり、トラブルが起きたりはしていませんか?」
五十嵐は、片岡優香がゴシップの多い女優だということは知っていた。
「いえ、最近は、そういうことはありません。優香さんは過去にはいろいろありましたが、最近はトラブルもありませんでした。」
「週刊誌の記者に追われるようなことは?」
五十嵐の質問に、本田幸子は顔を上げて、少しいらだった表情を見せ、少し息遣いが荒くなった。
「もういいだろう。」
ベッドの足元にいた山崎はそう言うと、すっと立ち上がり、病室を出て行った。
「すみません。」といって五十嵐も病室を出た。
「住宅地にいた男が犯人でしょうか?」
病室のドアの前に立っていた山崎に、五十嵐が訊く。
「まあ、今の話からは、その男が重要参考人ということになるな。」


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1-7 証言 [アストラルコントロール]

「どこかで会ったことがあるという言葉もありましたから、関係者でしょうか?」
「さあ、どうかな。とりあえず、彼女の言う不審者については、事件の目撃者を探している武藤たちにあたらせる。お前は、もう少し、彼女から話を訊いて、あの日の行動の裏どりをしろ。もし、犯人が顔見知りなら、もっと前から彼女たちの近くにいたかもしれない。」
山崎は、そういうと病院を出て行った。
五十嵐が、もう一度、病室に入ろうとしたとき、看護師がやってきた。
「今日はこれくらいにしていただけませんか?会話は彼女の体に障ります。」
厳しい顔つきで五十嵐に言った。
山崎と五十嵐が病室を出て行ったあと、本田幸子はナースコールをしたようだった。
五十嵐は仕方なく、本田幸子から訊いた事件の日の行動をもとに、雑誌の取材場所やショッピングで立ち寄った店などで裏どりをした。
彼女の供述通り、その日は、取材とショッピングをしていた。その周辺では不審者の目撃情報は取れなかった。
翌日、捜査本部に集まって、会議が開かれた。
武藤たちの捜査からは、不審者や事件の目撃情報は取れなかった。また、周辺の防犯カメラにもそれらしき人物も見つからなかった。
「通り魔の犯行だとすると、あの住宅地に住んでいる人物ということでしょうか?」
五十嵐がぶしつけに質問した。
「まあ、その線もあるだろう。もう少し、住宅地での聞き込みを続けてみよう。」
山崎が武藤たちに指示した。
「彼女たちの周囲では、不審者らしき人物は見つかりませんでした。所属事務所にも確認しましたが、最近はゴシップもなくなったそうです。ただ、仕事もほとんど入らなくなっていて、契約解除の話も進んでいたようです。」
武藤が口を開く。
「本田幸子が現場近くに見かけた不審者ですが・・彼女からもう少し具体的な情報は引き出せないんですか?」
目撃者や不審者探しをしていて、進展がないためか、少し苛立ち気味に五十嵐に訊いた。
五十嵐が首を横に振る。
その後、何度か、本田幸子の病室に足を運んでいたが、「覚えていない」という反応が返ってくるばかりで、詳細に聴取しようとすると、体調に障るという理由で、追い出された。
山崎は机の上に広げた書類に目を通していた。そして、不意に見物人が多数映り込んでいる写真を取り上げた。
「この写真を本田幸子に見せて、反応を見てみよう。」
すぐに五十嵐は、病院に向かった。
「5分でいいので、面会を」
とナースステーションに申し入れ、看護師同席で面会することになった。
「今日は見てもらいたい写真があるんです。」
五十嵐が取り出した写真は、事件後の集まった野次馬や報道関係者を映したものの1枚で、中央に、射場零士が映っているものだった。
「この中に、住宅地で見た不審者に近い人物はいないかしら?」
五十嵐が訊くと、いやな表情を見せながらも本田幸子は写真に目を落とした。
しばらく、写真を眺めていたが、本田幸子は不意に顔を上げた。
「この人、この人だったように思います。」
彼女ははっきりとそういって、写真の中央に移っている射場零士を指さした。
「もう一度しっかり見て。事件の時の記憶はあいまいだったはずでしょう?間違いでは済まされないのよ。」
被害者の目撃証言は決定的だ。冤罪を生む可能性も高い。だからこそ、五十嵐は再度確認してみた。
「いえ・・きっとこの人です。・・昔、会ったことがあると思ったのは、不倫報道の時の記者だったからです。しつこくマンション前で取材を受けたので、よく覚えています。きっと、この人です。」
本田幸子の言葉は確かだった。だが、五十嵐は何か違和感を感じていた。その理由は、証言する彼女の顔に笑みのようなものを見つけたからだった。
「わかりました。ありがとうございます。」
五十嵐はそういうと病室を出て、山崎に電話した。

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1-8 聴取 [アストラルコントロール]

「本田幸子は、目撃した不審者は彼だと証言しました。」
「わかった。すぐに任意同行を求める。」
そのころ、射場零士はアパートにいた。不思議な夢を見てから、何をしていても、あの光景が浮かんできて、さらに、そのあとの病院の風景も、明らかにその場にいたようなリアルさがあって、途轍もなく、気持ちが悪い感覚に取り巻かれてしまって何もする気になれなかった。
ドンドンドンと、ドアが強くノックされた。
アパートの部屋を訪ねてくるのは、大家くらいだった。まだ、家賃の支払いは滞ってはいないはずだ。
ドアを開けると、男が数人立っていた。
「神奈川県警です。先日、近くで発生した殺傷事件について伺いたい。同行願えますか?」
言葉は丁寧だが、有無をも言わせぬ威圧感があった。
零士は、リアルな夢で、事件の一部始終を見ている。全く関係ないのだが、なんだか、深く関与しているような感覚になり、抵抗することなく、同行した。
アパートの下には赤色灯を回しているパトカーが止まっていて、いかつい男たちが何人もいる。周辺の住民も、パトカーを見て集まってきていた。
手錠こそされなかったが、まるで犯人扱いだ。
零士は、自分は想定以上に厳しい状況に陥っていることを認識した。
警察署に入った射場零士は、取調室に連れて行かれた。
机を挟んで山崎警部が座り、入口近くの机には、五十嵐が座り、記録を取っている。
始めに通り一遍の質問で、本人確認と事件当夜のアリバイを聞かれた。
「その日の夜は疲れていて、部屋に戻るとすぐに横になりました。一人暮らしなので、それを証明しろと言われても無理です。」
これ以上にこたえられなかった。
緊迫した場面はこれまで記者としての取材経験の中で幾度も経験している。取り調べもこれが初めてではない。ゴシップネタを追っていた時、幾度か、取材対象から警察へ通報され、不審者として連行されたことがある。警察としても通報を受けた以上動かざるを得ないし、逮捕されても、具体的な罪状は問えない状況なのは明白で、形式的な取り調べのあと、解放されるのだ。中には、かなりこっぴどくやられたこともあるが、最近では、コンプライアンスとかで、陰湿だったり暴力的な取り調べは厳禁とされ、おかしいくらいに丁寧な物腰で取り調べが進むこともある。そういう経験を幾度かしているので、今回もさほど恐怖は感じていなかった。実際に、自分はあの事件には一切関与していない。
「被害者の一人、本田幸子さんが犯人を目撃していてね。写真を見せたら、君だと証言したんだよ。」
山崎警部が抑え気味の声でそう言った。
これには、零士は驚くしかなかった。全くの冤罪だ。
「目撃証言はかなり重要なのは君にもわかるだろう?」
零士が驚く様子を見て、山崎はさらに落ち着いた口調で言った。
このままだと犯人にされてしまう。零士が直感した。
「人違いです。」
零士はそういうしかなかった。幸子が片岡優香を殺害し、自分の胸にもアイスピックを突き立てた。その一部始終を見たといっても、夢の中だ。奇跡的に自分が見た夢が現実に起きた事件と一致しただけで、その場にいたわけではない。
「だが、君にはアリバイがない。それに、君のアパートから現場までは遠くない。可能性は高い。・・それに、君は以前、片岡優香さんを追いかけていたらしいじゃないか。ゴシップ記事のネタにでもしようとしたのだろうが、その時、行き過ぎた取材で訴えられていたようだな。それを恨んで殺害した。そういう筋書になるんだが。」
確かに数年前、片岡優香の不倫疑惑を取材した。そして、その時、事務所から訴えられたのも事実だった。だが、そんなことで恨んで殺害するなどありえない。そんなことは日常茶飯事だったし、対して自分に実害があったわけでもない。恨むことなどありえない。だが、目撃証言と過去のいきさつで、警察は一気に犯人に仕立て上げてしまうこともやりかねない。
「そんな・・僕じゃありません。やっていません。」
否定するしかない。黙秘するという方法もあるが、それは心証を悪くするだけ。とにかく、否定し続けるしかないと心に決めた。

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1-9 釈放 [アストラルコントロール]

「否定するというんだな。」
山崎警部は、当然だろうなという表情を浮かべて、ちらりと五十嵐のほうを見た。五十嵐もわかっていた。
「では、本当のことを話してくれるまで、被疑者として勾留させてもらうことになりますが、良いですか?」
山崎警部は、なんの感情も見せず淡々と言った。
拘留の期限はおそらく3日ほどだろう。とにかく、その間は、とにかく耐えるしかない。
「目撃証言はかなり有力な証拠だから、拘留期間はかなり長くなりますよ。それまで耐えられますかね?」
山崎警部は、零士の心の中を見透かすように言ってから、取調室を出て行った。入れ替わりに警官が入ってきて、零士を留置場へ連れて行った。
次の日も次の日も、同じ尋問が繰り返された。
「彼女の証言以外に、何の証拠も出ていないんでしょう。」
零士は、冷静に言った。尋問する山崎警部のほうが疲弊していた。
結局1週間拘留されたものの、本田幸子の証言以外に何も物的証拠が出て来ず、周辺の聞き込みが繰り返し行われたが、何も出ず、大量に集められたコンビニなどの防犯カメラ映像からも、零士の姿は見つからなかった。
「さすがに、被害者の証言だけで彼を犯人にするには無理があります。」
聞き込み班に回っていた武藤が、山崎警部に進言した。
「確かな動機もありませんし、凶器も彼に結びつける根拠もありません。確か、片岡優香は一撃で殺されています。素人とは思えないと解剖医からの意見書もあります。釈放するしかないでしょう。」
五十嵐も、山崎警部に進言し、結果的に、零士は釈放された。
警察署の玄関まで、五十嵐が付き添ってきていた。
誤認逮捕という事実だけが残る結果に、五十嵐も戸惑いを隠しきれない。
「あの、一つ伺ってもいいですか?」
と、玄関を出たところで、零士は五十嵐に尋ねた。
「なにか?」
五十嵐は明らかに戸惑っていた。
「いえ、今回の事件、通り魔の犯行なんでしょうか?」
「どういうことですか?」
零士の口から出る言葉とは思えず、五十嵐は驚いて訊きなおした。
「いえ、犯人を見たと証言した本田幸子さんは、なぜ、私を見たと言ったんでしょう?冤罪だと分かるのは明らかなのに。本当に誰かに刺されたんでしょうか?」
五十嵐には、零士の話が全く理解できなかった。
「彼女と片岡優香さんの関係を調べてみたんでしょうか?
「どうしてそんなことを?」
「いえ、ゴシップ記事で食ってきた身にすれば、真実は途轍もなく意外なところにあるなんて日常茶飯事でしたから。見方をひっくり返してみると、意外に真実ってシンプルだったりするんですよ。」
警察署の玄関前にあるバス停の椅子に座り、零士は続けた。
「警察は、こういう事件が起こると、無差別に殺人をする凶悪な犯人がいると仮定して捜査を始めるところがあるでしょう?まるで、新聞報道の見出しに引っ張られるように、社会にアピールできそうな犯人像を作り上げてしまう。被害者は善人で、無慈悲に命を奪われた、なんて格好がつくから。」
五十嵐には、零士が言う通り、事件発生直後から、「女性二人が深夜に襲われた」という言葉が呪文のように捜査を縛っていたように思えた。
「でも、これが心中事件だったらどうですか?本田幸子が片岡優香を殺して自分も死ぬつもりだったなんてこともあるでしょう。あるいは、被害者である本田幸子自身が、片岡優香へ強い殺意を抱いていて、計画的に準備を進めてきたんだと見たら、捜査の方向は全く見当はずれということになりませんか?」
あまりにも唐突な展開に五十嵐は戸惑って、反応すらできないでいた。
「アイスピックで首筋を一突きで殺すなんて、何度も何度もシミュレーションしていたかもしれませんよ。そして、自分の胸に突き立てたアイスピックも、致命傷にならない場所を選んでいたとも考えられませんか?彼女の周辺を洗いなおしてみたらどうですか。きっと真実が見えてくると思いますよ。」
零士はそういうと、やってきたバスに乗り込んだ。

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1-10 気づき [アストラルコントロール]

「どういうこと?死にかけた彼女が犯人だっていうの?そんな・・。」
五十嵐はそう呟いたものの、確かに、病院での彼女の供述は不自然なところが多かったのを思い出した。始めは記憶があいまいだと言いながらも、途中から急に、射場零士を目撃したと確信をもって証言した。それに、その間、犯人に対しての怒りや、亡くなった片岡優香への悲しみといった感情はどこか欠落していたように思える。
射場零士が言うように、彼女が計画的に片岡優香を殺害したのだとすると、妙に納得できる。ただ、それを山崎警部に進言する勇気はなかった。
捜査本部に戻ってからも、五十嵐は、射場の言葉が気になって仕方なかった。
「ちょっと待って。射場はどうして片岡優香の殺害方法を知っていたの?それに、本田幸子が致命傷でなかったことも・・それって、やはり犯人しか知らないことよね。」
そこに気づくと、五十嵐は慌てて立ち上がり、捜査本部を出た。
署の玄関前で、武藤刑事に出くわした。
「おい!どこ行くんだ?新しい情報でも出たのか?」
武藤は五十嵐をそう言って呼び止めようとしたが、五十嵐は振り向くこともなく、署を走り出て、まっすぐに、射場のアパートへ向かった。
アパートの玄関で、五十嵐は急に迷った。
先ほど釈放されたばかりの相手を再び取り調べることなど常識的には考えられない。しかし、どうしてもはっきりさせたかった。
ノックをしようと手を伸ばした時、階段の下から声がした。
「どうしたんです?・ええっと・・五十嵐さん・・でしたよね?」
コンビニで買い物をしていたのか、怪訝そうな顔をした射場零士が階段の下にいた。
「どうしても訊きたいことがあって。いいかしら?」
五十嵐は少し強めの口調で零士に言った。
「まだ、容疑者扱いなんですか?もう勘弁してくださいよ。それでなくても、ここには居づらいんですから。」
零士は近くのコンビニで買い物をしてきたのだが、その店の店員は、零士の顔を異常者を見るような目で睨みつけた。周囲にいた客も距離を置いて、何か小声で話している。当然、あの事件の容疑者だと噂しているのは明白だった。
二人の話声を聞きつけたのか、階下の住人がドアを開けて出てきた。
「どうしても教えてもらいたいことがあるんです。」
五十嵐の口調は、取り調べた山崎とは正反対に、やさしく思えたと同時に、どこか必死さを感じた。
「わかりました。ただ、ここではどうも・・」
零士はそういうと、ちらりと住人のほうを見た。五十嵐もその様子に気づいた。
「部屋に入りますか?」
射場の言葉に、一瞬、五十嵐は躊躇した。
もし、彼が殺人鬼だとしたら自分もここで命を落とすことになるかもしれないという考えが頭を過ったのだ。
射場はそういう彼女の表情を気にも留めず、彼女の前を通り、部屋のドアを開けて中に入った。
話を訊くには入るしかない。五十嵐は決意して部屋に入る。
玄関を開けると3畳ほどのキッチンとダイニング。その奥に10畳ほどの部屋がある。窓際にはベッドが置かれていて、壁の両側には書棚とワードローブ。男の部屋とは思えないほどきれいに片付いている。ガラスの入っている書棚には、高そうなカメラがいくつも置かれている。中央の小さなテーブルの上にはPCとノート類が積みあがっているが、きちんと整理されていた。
「意外ですか?」
射場は、キッチンの脇にあるコーヒーメーカーのスイッチを入れた。部屋の中にコーヒーの香りが広がる。
五十嵐は、射場の取り調べの時に、だらしなく伸びた髪や、あまりきれいそうでない衣服を見ていたために、暮らしも荒んでいるのだろうと勝手に思い込んでいた。
「取材の時は、みすぼらしい恰好のほうが、それっぽいでしょう。なんだか下世話なネタに群がるハエみたいに思われるほうが都合がいいんですよ。」
射場は、五十嵐が感じたことを見透かしたように答えた。
それを聞いて、五十嵐は急に自分が恥ずかしくなった。
刑事は確かに人を疑う仕事ではあるが、だからと言って外見で判断するのは間違っていると何度も教え込まれたはずなのだが、まだまだ未熟だと痛感していた。

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1-11 夢の話 [アストラルコントロール]

「さて、ええと・・。」
「ああ、五十嵐です。」と警察バッジを見せて、改めて名乗った。
「聞きたいこととはいったい何でしょう?」
射場は、コーヒーカップを取り出しメーカーからサーバーを外してコーヒーを注ぎながら言った。
五十嵐は、どこから聞けばよいのか少し困った。
真正面からの質問にきちんと答えてくれるのか、いや、答えることで自分が犯人だと認めることにもなりかねない。それでも、五十嵐は疑問を解きたい。そう決意して口を開いた。
「聞きたいのは、どうして、詳しく知っていたのかということなんです。その場にいなければわからないようなことも・・やはり・・。」
五十嵐がそこまで言ったとき、零士は遮るように言った。
「それは犯人しか知らないこと。やっぱり犯人ではないかと・・。」
零士は少し不満げな顔をして、コーヒーを飲む。
「ええ・・。」
五十嵐は、小さくうなずく。
「ああ、コーヒー、どうぞ。」
五十嵐は小さく頭を下げてからコーヒーカップに手を伸ばして一口飲んだ。美味しかった。
「信じてもらえないとは思うのですが、あの事件を目撃・・いや、正確に言わなければ信じてもらえないかな・・。だが・・。」
零士はそう言って、もう一口コーヒーを飲み、考え込んだ。
「教えてください。」
五十嵐が真剣な表情で言った。もはや、捜査とは次元が違う言い方だった。
「では・・信じられないでしょうが・・あの夜、僕は仕事から戻り疲れてそこのベッドで横になりました。嘘じゃない。それからすぐに、夢を見たんです。いや・・夢だったかどうかよく判らないような、リアルな夢でした。」
零士は、そう切り出してから夢で見た光景を思い出せる限り細かく話して聞かせた。五十嵐ははじめのうちは疑念を抱いていたが、極めてリアルに続けられる話の内容にある確信を得ていた。
「やはり、犯人だと思うでしょうね。」
「いえ、そうじゃなくて、犯人なら、そこまで周囲の様子を細かくは覚えていないんじゃないかと思います。目的を達するため、女性の姿くらいは覚えているでしょうが、そんなに周囲の様子を覚えてはいないはずなんです。そして、目的を達したら一目散に逃げ去るはず。だが、あなたは、本田幸子が緊急通報し、胸を刺すところまで詳細に話してくれました。そんなことは犯人にはできるはずがないんです。」
「じゃあ、信じてもらえるんですか?」
「いえ、全面的にとは言えません。共犯者という可能性は残っていますから・・。ですが、あなたの話の裏付けがあれば・・そう、なぜ、本田幸子は、片岡優香を殺したのか・・動機です。あの殺し方は尋常じゃない。時間をかけて計画を立て、完全犯罪に仕立てようとしている。それほどのことはよほどの強い恨みがなければできないはずなんです。」
五十嵐は、そう零士に話しながら、自分がやるべきことを整理しているようだった。
「片岡優香と本田幸子の関係について何か知っていることはありませんか?」
五十嵐が唐突に零士に訊く。
零士はカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、すっと立ち上がって、きれいに積みあがっていた取材ノートをいくつか拾い上げて広げた。
「以前、片岡優香の不倫問題を取材したときの記録です。もう数年前になりますが、そのころから、本田幸子はマネージャーをやっていました。おそらく10年くらいです。問題を起こすたびに、マネージャーが処理してきた。そう言う点では、恨みを持っていてもおかしくはない。しかし、それなら、世の中のタレントのマネージャーは、みんな、殺人者になる可能性がある。もっと別の強い動機があるはずです。」
「そうですか・・。」
五十嵐も、カップのコーヒーを飲み干した。
「本田幸子を調べてみます。」
五十嵐は、そう言うとすっと立ち上がって、零士の部屋を出て行った。


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1-12 見立て [アストラルコントロール]

署に戻ると、刑事課の部屋には、山崎警部と武藤が、浮かぬ顔をして椅子に座っていた。現場周辺の聞き込みからは新たな情報は取れていないのは歴然だった。
零士の話を聞いた五十嵐は、思い切って、山崎に進言した。
「この事件の見立てなんですが、通り魔による殺人ではないとは考えられないでしょうか?」
山崎警部は怪訝そうな顔をして五十嵐を見た。
「通り魔ではないとすると、どういう見立てになるんだ?」
「本田幸子による犯行という可能性はないかということなんです。」
それを聞いて、武藤が立ち上がって強い口調で言った。
「まさか!彼女も瀕死の重傷だったんだぞ!」
「だから・・・可能性の話をしているんです。これだけ調べても確実な目撃情報は掴めていない。あの場所に、ほかの人間はいなかったと証明しているようなものでしょう?」
「だからってそんな・・。」
「だから、そう考えられるんじゃないかと言ってるのよ!」
二人がやりあう様子を見ていた山崎警部が口を開く。
「いや、その線も調べておく必要がありそうだ。」
「山崎さん!」と武藤が憮然とした表情を浮かべて言った。
「確かに、殺害方法が妙なんだ。片岡優香さんは首筋の一突きで命を落としているが、本田幸子さんは、胸元。なぜ、二人とも首筋を刺さなかったかは気になるところだ。」
「しかし、本田幸子さんも瀕死だったんですよ。どうしてそんなことをする必要が?」
まだ、武藤は納得していない。
「まあ、聞け。胸元を刺された本田幸子さんも、犯人を正面から見ているはずだが、あいまいなところが多い。本田幸子が片岡優香を殺害したという見立てもあながち外れていないかもしれない。」
山崎の言葉に武藤はようやく納得したようだった。
「二人の関係、最近の行動を、徹底的に調べてみろ。」
山崎の決断で、次の日から、手分けして、二人の交友関係や最近の状況について捜査が始まった。
三日ほどたったころ、再び、刑事課の部屋に、山崎警部や武藤、五十嵐が集まった。
「片岡優香は、ここ1年ほどほとんど仕事が入っていなかったようですね。過去のスキャンダルで、CMとかドラマとかからのオファーはなかったようで、所属している事務所も、近いうちに契約解除の予定だったようです。」
と武藤が報告した。
「他には?」と山崎。
「仕事がなかった割に、暮らしは派手だったようです。アイドル時代の習慣からか、毎週エステに行き、洋服も高級店で買いあさっていました。男性の噂も健在でした。ただ、以前のような大物タレントとかスポーツ選手とかじゃなく、ホストの類ですから、そうとう貢いでいたかもしれませんね。」
「仕事もしていなくてそれだけの浪費となると借金か?」と山崎。
「いえ、そんなこともなさそうで、どうも、お金は本田幸子が用立てていたようですね。」
武藤が答える。
「本田幸子のほうはどうだ?」と山崎。
「アイドル時代に片岡と本田は同じグループだったんですが、本田は早々に引退して、今の事務所で片岡のマネージャーになったようです。10年ほどになります。本田がマネジャーになった年、片岡に映画会社からのオファーが入って、数年はそれなりに活動できていたようですね。なんどか、タレントやスポーツ選手との交際の噂が出て週刊誌にも取り上げられていて、それなりに話題の人だったようですが・・3年ほど前にスポーツ選手との不倫疑惑でイメージダウンしてしまってからは、かなり苦労していたようです。」
五十嵐が報告する。
「わがままなタレントに振り回されたマネジャーが思い余って殺害か?それが動機なら、世の中のマネージャーはほとんど殺人を犯してもおかしくないな。もっと強い動機があるように思うが・。」
山崎が言うと、武藤も五十嵐も頷いた。
「もう少し調べてみる必要がありそうだな・・。」
山崎はそういうと、部屋を出て行った。
武藤と五十嵐は、互いに情報をすり合わせて、もう一度、二人の関係を調べることにした。

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1-13 三度目の夢 [アストラルコントロール]

零士は、その日の夜、何だか体が怠くて仕方がなかった。
昼間、五十嵐に夢の話をした後から、何かに抑え込まれるような妙な感覚が全身に広がっていて食欲もなくて、10時過ぎにはベッドに入った。
眼を閉じると、急に睡魔に襲われた。
気づくと、見知らぬ部屋の前に立っていた。
これは夢なのだと今回は冷静に判断できた。古びたアパート、表札も出ていない。零士はすーっとドアをすり抜けて室内に入った。部屋の主は留守のようだった。あまり物がない、シンプルな暮らしをしているようだ。クローゼットの中に顔を突っ込むと、女性もののスーツが何着か吊られていた。女性の部屋だとわかる。
「確か、このスーツ・・。」
見覚えのあるスーツだった。振り向いて、机の上に置かれたものを見る。『片岡優香』が表紙になっている古い写真週刊誌や映画のパンフレットなどがあった。
「ここは、本田幸子の部屋だな。」
零士は不意に、彼女がどういう人物なのか知りたくなった。
自分を犯人に仕立てる証言をしたことがどうにも納得できなかったからだ。引き出しに手をかけた。だが、びくともしない。ドアをすり抜けたり、クローゼットを開けずに中を覗いたりできるのだが、逆に、触ることはできないことに気づいた。
「出ているものを見るほかないのか。」
零士は、部屋の壁や机の上、冷蔵庫の中などとにかく見ることができるものはすべて見ようと考えた。何かを探しているわけではないので、行きつくものさえわからない。
「おや?これは・・。」
ソファの脇に、青い縞模様のネクタイが落ちていた。男性のものに間違いない。ちらりと見えるタグに高級そうなロゴが見える。
「男が出入りしていたのか。いったい誰なんだ。」
考え込んで目を閉じると、急に目が覚めた。
自分の部屋のベッドにいた。
「彼女には男がいた。どういう関係かは判らないが、きっと事件と関連があるはずだ。」
翌朝、零士は五十嵐に電話をして署の近くの公園に呼び出した。
「本田幸子のことはどこまで調べた?」
と零士が唐突に五十嵐に訊いた。
「捜査情報は話せないわ。」
「だろうな。」
と零士は予定通りの返答をした五十嵐を冷ややかな目で見て行った。
「まあいいか・・一つだけ知りたいことがある。彼女の男性関係は分かったか?」
「その情報はないわ。地味だし、マネジャーだったんで、自分のことは後回しだったんじゃない?」と五十嵐が少し憐れむようなニュアンスで言った。
「それって先入観で見ていないか?我儘なタレントに苦労しているマネジャーっていうバイアスがかかっていないか?女性の刑事っていうのも、おっかなくて、男性が寄り付きそうにない、もてない女性だって思われているみたいに。」
これには五十嵐はカチンときた。
正直、今まで男性とまともに付き合ったことはなかった。だが、それは女性刑事だからということではなく、あえて、そういうことに興味を持たなかった、いわば、主義のようなものだと思ってきた。だが、あからさまに言われるとなんだか気分が悪い。返答するのもムカついていた。
「昨夜、彼女の家にいる夢を見た。質素な部屋だった。およそ、女性の部屋とは思えないほどだったが、そこに男物のネクタイが落ちていた。もちろん、彼女の交際相手とは限らない。もしかしたら、片岡優香から渡されたものかもしれない。だが、ソファの脇にくしゃくしゃになって落ちていたところを見ると、そこで外したと考えたほうが妥当だろう。ネクタイの持ち主がこの事件に絡んでいるとは言えないか?」
零士が五十嵐に言った。
まだ、むかついてはいたが、零士の話は十分興味深い内容だった。
「調べてみる価値はありそうね。」
五十嵐はそう言うと、署に戻っていった。

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1-14 再捜査の結果 [アストラルコントロール]

二日ほどして、五十嵐から零士へ連絡があり、先日待ち合わせた公園に行った。
五十嵐はすでに来ていた。
「確証はないけど、どうやら、彼女、不倫をしているみたいよ。」
「おいおい、捜査情報をそんなにあっさり話して大丈夫なのか?」
零士の言葉にちょっと五十嵐は躊躇した。確かに捜査情報を漏らしていることになる。だが、五十嵐はどうしても確かめたかった。
「あなたが見たネクタイのことを知りたくて。もしかしたら、本田幸子の不倫相手が判るかもしれなくて。」
五十嵐はそういいながら、写真の束を取り出して零士に見せた。
「不倫の噂は、片岡優香や本田幸子が所属している事務所で聞いたのよ。もちろん、社員じゃなくて、出入りしていたフォトグラファーからね。」
そう言うと取り出した写真を零士の前に広げる。
「これは、そのフォトグラファーから預かった写真。事務所の創立10周年パーティで撮ったものなんだけど。」
モデルのような人物が笑顔で写っているものばかりだったが、零士は、そこに紛れていた集合写真を手に取った。
「ああ・・このネクタイ・・おそらく、本田幸子の部屋にあったネクタイはこれだ。」
零士の答えを予測していたかのように「そう・・。」と五十嵐が言う。
「誰なんだ?」と零士が訊くと「事務所の社長、山路修。」と五十嵐が答える。
もちろん、部屋にネクタイが落ちていたというだけで、不倫の証拠とは言えないだろう。
「本田幸子や片岡優香がいたアイドルグループは、社長の肝いりで作られ、人気が出たころ、突然、本田幸子は引退。同じころ、片岡もグループから脱退して、ソロ活動に入った。グループ内のトラブルが原因じゃないかと騒がれて、グループは解散、そんな騒動もすぐに忘れ去られていったの。ただ、今回の捜査で、この騒ぎの発端は社長のセクハラじゃないかという話も出てきたわけ。」
「まるで、三流週刊誌のゴシップネタそのものだな。」と零士。
「だから、射場さんの見解を聞きたいのよ。」
と五十嵐は真面目な顔で言った。
射場は特にゴシップネタ専門のフリーライターではないと自負していた。五十嵐の「だから」という言葉にはちょっとむっとしていた。
「今回の事件とこの話、関連があるんじゃないかと思うの、どう?」
五十嵐は零士の反応などどうでも良いといった風で質問を続けた。
零士は、五十嵐の中にすでに何らかのストーリーがあって、それが正しいということに共感してもらいたいと思っているのだと見抜いた。
「ああ、おそらく。」と零士は答える。
「例えば、どんなつながりがあると思う?」と五十嵐が試すような言い方をした。
零士は困った。彼女がくみ上げたストーリーが全く思いつかない。ここで、全く違うストーリーを提示すると、彼女としては納得できないに違いない。それ以前に、この事件にこれ以上関わることに何か不安を感じていたくらいだった。それでも、真剣な顔をして零士を見つめる五十嵐に「わからない」と答えるほど冷徹にはなれなかった。
「まあ、そうだな・・社長と・・本田幸子が共謀して・・。」
零士は言葉を選びながら、ゆっくりと言うと、
「そうよね、社長と本田の共謀ということは有力よね。」
ここまでの会話は何とか彼女の仕立てたストーリー上にあるようだ。
「ただ、動機だな。なぜ、共謀して片岡優香を殺さなければならなかったか・・。」
零士が言うと「やっぱり、そこなのよね。動機が分からない。」と五十嵐が落胆した表情で言ってから、「で?どう思う?」と続けた。
五十嵐は意外にしつこい性格だった。「そこは警察が調べるべきことじゃないのか?」と言い返したくなったが、止めた。
「金銭トラブルはなかったのかな?」と零士はあえて質問で返した。
「捜査中。だけど、事務所の経営は悪かったようね。銀行からの借入金の返済は厳しかったらしいわ。今回、片岡優香の死亡で保険金が入る予定だとも聞いたから・・。」
五十嵐の口調がだんだんため口になっていくのを零士は少し気にした。

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