SSブログ

11日目⑦鵜川 [琵琶湖てくてく物語]

先ほどの「洞門」を歩き抜けると、大津市から高島市へ入る。
最初の集落は「鵜川」。
ここは、比良山系の麓の傾斜地に広がる「棚田」が有名である。それほど広くはないが、眼前に琵琶湖を見下ろすことができ、棚田と琵琶湖の風景は他にはないところだ。
161号線沿いにある「うかわファーム」もなかなか良い。
最近の農産物直売所は、道の駅やJA店舗併設といった形で大型化し、中には、他の産地からの農産物も混じって売られていて、ただの野菜売り場になっているところもある。
ここは、小さな建物で、鵜川地区で採れた野菜や花き類を販売している。初めて高島に来た時、行きがけにこのファームを見つけ、帰りに寄ろうと思っていたら、夕方早い時間で閉店になっていて残念な思いをした記憶がある。
小さい直売所だけに、産物がなくなれば閉店するのは当たり前。なんだか、売上目標とか来店者数などといった下世話な数値とは無縁な感じが良い。
こうした長閑さを残してほしいと思う。実際、私たちがここに到達した時点ですでに閉店していた。
そういえば、この「うかわファーム」の向かいの空き地に、ホットドッグ屋(古いタイプのキッチンカー)が、雄実に出ているのを見かけた。あれで商売になるのかと思うほどなのだが、どうだろう。
夏近くになると、同じ場所に「スイカ売り」が出ていることがある。かなり安く売っているのだが、どこで仕入れてくるのか・・ちょっと怪しい感じがするのは私だけか。
「岩除地蔵尊」と「白髭神社」に挟まれた、ちょっとした隔離に近い地域だ。
私の山口の実家も似たところがある。
室町時代くらいまでは、町から切り離された島だったが、干拓によって地続きになった。里に入るには、北側にある峠を越えるか、西側の海岸伝いの道路を行くほかなく、里の中央を流れる川沿いの道と東西の山沿いの道の3本の道路だけ。その道路沿いに家が立ち並ぶ。里には小さなよろずやが1軒あるだけ。峠道と海岸沿いの道が封鎖されれば隔離される。
こういう里では、ほとんどすべての人が顔見知りであり、いくつかの一族集団で統治されているのが常である。私の里は、海岸に近い、漁業中心の人たちを束ねる一族と、東と西に分かれて統治する一族、そして山中に小さな集落を作る一族の4つの集団があった。
令和の時代に、なんだか、とてつもなく時代劇のような設定に思えるだろうが、少なくとも私が生まれ育ち18歳で里を出るまではそんな環境だった。私の家は、この4つの一族を束ね、集落全体をまとめる本家の長男だった。
里の中では、私を知らない者はいない。どこかの家に遊びに行くと、その家では最大級のもてなしをしてくれた。それは当たり前だとも思っていた。当然、この家を継ぐ者だと定められていて、祖母や父母はことあるごとにそういう話をしていた。
なんだが、横溝正史の推理小説に出てきそうな状況だが、確かにそういう場所だった。
もちろん、今は、私のように里を出ていくものばかりになり、高齢過疎の里となっていて、子供は数人しかいない状態だから、こんな古臭い設定など受け継がれてなどいない。
ただ、この「鵜川」という集落を見ていると、なんだかまだそういう風習・統治力みたいなものが残っているのではないかと思えてしまう。
高島に移住したてのころ、私の住む町内の私の組は、大半が移住者なのだが、町の自治会単位になると、いまだに、古い風習をかたくなに守ろうとする地元の住民が牛耳ることになっている。そういう古い風習から脱却したくて、新天地を求めてきたのだが、難しい。ちょっとでも異論を口にすると、これほどに非難を浴びるのかと思うほど、痛い目にあった。不満や異論は口にしない、そのためには自治会に参加しない、そういう構図が広がっている。おそらく、あと数年で、ここの自治会は崩壊するに違いない。
もはや、令和の時代、新しい住民自治の仕組みを考えたほうが良いと思うのだが・・。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー