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1.事故 [時間の迷子]

1.事故
何時からだろう、自分に特別な力があるのを知ったのは・・・。
最初に気付いたのは、小学2年生の時だった。その日は、社会科見学で、隣町の飲料メーカーの工場見学のために、学年全体で観光バスに分乗して向かう日だった。
前日、夜半からの雨は朝にはあがっていた。僕らは、観光バスにクラスごとに分かれて乗った。学校を出発して、しばらくは、皆、先生の言う事を素直に聞き、大人しくしていた。だがものの30分もすれば、バスの中は大騒ぎ。喧嘩を始める奴もいれば、早々におやつを食べ出す奴、僕は何だかとても眠くて仕方なかった。
目的地に行くには、大峠と呼ぶ九十九折の山道を越える事になる。その頃はまだ、道幅も狭く、舗装はしてあるのだが、ガードレールなど無く、深い谷に貼りつくようにゆっくりとバスは進んだ。前日夜半から雨が降っていたのだが、朝にはすっかり上がっていて、高い山並や深い谷もしっかり見えた。深い谷底が窓から見えたとき、僕は眠気がすっかり消し飛んでしまった。
バスは何度かカーブを曲がりながら、山道を進んでいった。峠の中ほどに達した時だった、前方から、山から切り出した木材を満載にしたトラックが降りて来た。狭い道幅、路肩は雨で緩んでいる。バスの運転手は慎重にハンドルを切りながら、路肩にバスを寄せた。ようやくすれ違うほどの道幅しかない。木材を満載にしたトラックは、ゆっくりとバスの横を通過する。先ほどまで騒いでいた同級生達は、すっかり静まって、トラックがすれすれに通過するのをじっと見入っていた。
トラックの車体がバスの後部を通り抜けた時、何だか、二人の運転手の妙技を見せられたようで、思わず拍手が沸いた。だが、まだ終わっていなかった。
トラックには、切り出した木材が荷台の後方からはみ出すように積まれていて、すれ違ったトラックは次のカーブのためにハンドルを切った時、バスの後部と接触したのだ。ガツンという音と後ろの窓が割れる音、そして、同級生の悲鳴が車内に広がった。慌てたのは、バスの運転手だった。予想外の出来事に、運転手はアクセルを踏み、バスを先へ進めようとした。しかし、緩んだ路肩にタイヤが滑る。ハンドルの切り方が強かったせいか、ずるっという衝撃が走ると、バスが制御を失った。左の斜面に一度、車体をぶつけると、そのまま反対側へバスが揺られる。運転手が慌てて左へハンドルを切ると、今度は後ろが左へ流れた。そして、そのまま、バスは斜面にすべり落ちたのだ。
何が起きたのか、最初はわからなかった。だが、確実にバスが崖を落ちていく事だけは判った。そのうちに、車体は横倒しになる。崖に生えている木々をなぎ倒し、落ちる。バスの中は、持っていた荷物が飛び、同級生たちもすでに座席には座っていない。どういう姿勢なのか、無重力のような状態のまま、僕達はごろごろと転げまわるように車内に投げ出された。悲鳴のような怒号のような轟音の中に僕らは居た。バスは、おそらく2回ほど回転しただろう。もう座席が取れ、窓も割れている。
その様子を僕はスローモーションで見ていた。そう感じたのではない。確かに、自分だけ、ゆっくりとした時間の中に居たのだ。同級生達は、あちこちにぶつかり、挟まれ、恐ろしい形相だった。それを僕は宙に浮いたまま、ぼんやりと眺めていた。
そして、ついに、バスが谷底に達した時、ゆっくりとバスの車体は変形し、岩が窓を突き破り、同級生の何人かはそこに挟まれた。飛び散った荷物や外れた座席に挟まれる者も居た。真っ赤な血が飛び散るのも見えた。全てがスローモーションだった。
僕は、ゆっくりと足を着いて、その場に立った。途端に、時間が元に戻った。


2.救出 [時間の迷子]

2.救出
「きゃあ!」とか「痛い!」という声が聞こえると思ったのだが、意外に静かだった。いや、誰も声を出せるような状態ではなかったのだった。
バスの中には、僕だけが立っていた。何がおきたのかは判ったが、何故自分だけ無傷なのかはその時は判らなかった。ただ、すぐに、僕は、近くの同級生たちに声を掛け、座席や荷物をどかした。バスの中にいるのは危険だと感じたからだ。
とにかく必死でひとりでも多く、救い出さなければと思った。何とか動ける者も居た。一人ずつ、挟まれている物をどかしながら、バスの外へ出した。小学2年生が出来るようなことではなかった。しかし、火事場の馬鹿力なのか、とにかく全員をバスの外へ出した。
そのうちに、前後を走っていたバスが知らせたのか、消防隊や自衛隊がやってきて、川底から同級生を引上げ、病院へ運んだのだった。
僕も、みんなを助け出そうと必死に動いたせいか、腕や膝に切り傷があり、救急車に乗せられて病院へ行った。病院には、すでに何人かの同級生の両親が現れていて、あちこちで無事を確認して抱き合い涙を流している光景が見られた。
僕は、ひとり、腕と膝の切り傷の手当を受けただけで、病院の長椅子に座っていた。新聞記者みたいな男が、一人、腕章をつけて、病院の中をうろうろしている。同級生たちに何かを訊いてはメモをしている姿が見えた。きっと、バス転落事故の記事を書くのだろう。僕は、ぼんやりとその光景を眺めていた。

僕の両親は、すぐには迎えに来れない事は知っていた。
父は漁師で夕べから船に乗っていて明日まで戻らない。母は惣菜屋で早朝から働き、配達に出ているはずだった。祖父や祖母も居たが、自家用車が無いからここへは来ないだろう。
迎えが来ない者は、僕だけだった。大きな事故、死者こそ出なかったが、クラスの半分ほどが骨折などで入院となったし、入院しないまでの怪我も多かった。病院の中は、怪我の治療や診察でごった返していた。誰が何処にいるかも判らない。学校の先生たちも、ただうろうろしているようだった。何だか、その様子が滑稽に感じられた。

「君の家の人は迎えに来ないのかい?」
先ほどの新聞記者が声を掛けてきた。僕は、答える気にもなれず、ただ遠くを見ていた。
「バスの中から必死でみんなを助け出した子がいたらしいんだけど・・君かい?」
記者の質問に答えるつもりは無く、無表情に、ただ口を噤んでいた。その様子に記者もそれ以上質問する気にもならなかったのか、その場を離れていった。

大した怪我もしていないので、僕は、ここにいる必要もないと勝手に考え、病院を出た。家まではかなり遠かったが、バスに乗る気にはなれなかった。一人、歩いて家に帰ることにした。見慣れぬ町だったが、幸い、僕の家は町外れにある大煙突の近くで、かなり遠くからも大煙突は見えた。そこを目指して歩けば、いつかは着く。そう考えて歩き始めた。
歩きながら、僕は、バスの中で起きた事を思い出していた。目の前にゆっくりと動く光景、スローモーションというものを初めて体験した。あれは、何だったのだろう。どうして自分だけ、ゆっくりと動くように見えたのだろう。そう考えながら歩いていたが、小学2年生の子どもの思考回路では、「不思議な事が起きた」とした結論を得られなかった。

しばらくは、近所でも学校でも、バス転落事故の話題で煩かった。だが、進級する時分になるとすっかり忘れられていた。
その時の体験は、錯覚だろうという事に落ち着いて、しばらくは自分の記憶からも消えてしまっていた。だが、それが自分のもっている特別な力なのだと改めて知る機会が訪れてしまったのだ。

3.二度目 [時間の迷子]

3.二度目の体験
2度目の体験は、高校生になってからだった。
その日は、日曜日であるにも拘らず、全国模試があって、大学受験を望む者は、朝早くから登校しなければならなかった。
実は、我が屋では、大学へ行くということはまだ認められていなかった。漁師の父は、学校なぞ行かなくて良いという頑固な考えの持ち主で、漁師になれないひ弱な僕をほとんど全否定だった。いくら、テストでよい点を取ろうとも、決して認めない。いや、僕の存在すら無視しているようでもあった。だから、将来の夢とか、大学受験とか、友達は皆、結構必死で考えている時期なのに、僕自身も何だかとりあえず今を過ごせればいいかなと言う調子で生きていた。
こうした甘い考えの持ち主は、他聞にもれず、世のフォークソングブーム等に乗っかって、下手なギターを手にして、落ち零れを集めてバンドを作ったり、ボーリング場に入り浸り、インベーダーゲーム等で時間をつぶしていた。僕自身もほとんど絵に描いたような落ち零れの自堕落な生活を送っていたのだが、母だけは何とか僕を大学に行かせたいと願っていた。
父も母も、終戦の混乱でまともに学校を出ていない。文字だって、自分の名前は書けるが、新聞など読もうとはしない。小学校の頃から、学校の通信とか提出物とか、必要な事は全て僕が読んで聞かせて、とりあえず、保護者欄に名前を書いてもらうくらいだった。そうだ、父が家を建てると決めたときも、結局、建築会社の営業マンや設計士との話し合いには必ず同席させられ、書類にも目を通し、父に代わって署名した。
結局、自分達は、学が無いからと社会との関係を極力持たないように、社会の隅っこのほうで生きている有様なのだ。
母はそんな境遇を恥じていた。だから、僕を大学へ行かせようとしていた。毎朝、夜明け前から働いているのも、大学にいかせるにはたくさんのお金が必要だと考えていたからだった。
僕は、そんな母の期待に、何となく応えて生きてきたような感じだった。とりあえず、中学校では常に成績はトップクラスだったし、特に、英語と数学が得意だったせいで、地元の進学校へ推薦で入学できた。だが、高校へ入ってみれば、すぐに自分と同じくらいの成績の奴なんか吐いて捨てるほどいる事に気付くのは、至極当たり前。その後は、さっき話したとおりで、それでも大学に行く事は母の希望だと考えていたのだ。

余計な話が入ってしまったが、とにかく、僕は大学受験のための模試に行かなくては行けなかった。
だが、前の晩、つい夜更かしをしてしまって、目が覚めたらもはや絶望的な時間だった。母は早朝からすでに仕事に出かけ、父は朝方、漁から戻っていびきをかいて寝ていた。僕は慌てて制服に着替え、食パンを口にくわえ、自転車で学校へ向かった。

高校は、家から自転車で30分ほどの街中にある。
今から、急いでいけば何とか間に合うだろう。とにかくひたすらペダルを漕いで、学校に向かった。途中、いくつかの信号を無視したし、通行禁止の道路もちょっと走った。なにより、町を分断するように横たわる、何とか醗酵とかいう工場の敷地の中も横切った。工場の裏手の門から入って、壁沿いを進んで、学校の裏手辺りに行くと、10分ほどは短縮できる。そして、学校に向かう最後の坂の途中、新しいマンションの建設現場を通り抜けるところまできた。
このマンションは、うちの町では珍しい高層マンション第一号だった。田舎町で、住宅地にする場所など困らないはずなのに、何故か高層マンションをつくるんだそうだ。そして、ここには、しばらく前から高いクレーンが備え付けられ、盛んに資材を運んでいた。
僕がちょうどの現場に差し掛かったときだった。

4.倒壊 [時間の迷子]

4.倒壊事故
バリバリという轟音とともに、マンションの建設現場から、「危ない!逃げろ!」という怒号が響いてきた。見あげると、大きなクレーンが傾いて倒れ始めている。最初はゆっくり傾いたようだったが、バランスが崩れ始めると一気に、太い鉄の塊がギュウンとかギイーンとか、擬音にするにはどう表現すれば良いのか判らない音を立てて落ちてくる。
僕は落下地点より手前にいて、安全だとわかったが、視線の先、ちょうどクレーンが地面に叩きつけられるであろう場所には、こともあろうに、近くの保育園の子ども達が集団であるいている。日曜日なのに、仕事を持つ親が多いのか、休日保育をやっているのだ。付き添っている若い保母さん(保育士さん?)は、空を見上げて固まっている。落下するものの巨大さに自分が置かれた状況を認識できないのか、子ども達とともに空を見上げて動けないようだった。
僕は、わあっと声を出した。
とにかく、何とかしなくちゃという思いだけだった。するとどうだ。目の前の光景が一変した。全てのものが止まっている。時間が止まっているのだ。
小学生の時の体験は、スローモーションだったが、今度は完全にストップモーションなのだ。僕は冷静に状況を把握した。とにかく、目の前の子ども達を安全な場所に移動させる事を優先した。止まった時間がいつ流れ始めるか見当がつかない。
とにかく、自転車を放り出して、落下地点に居る子ども達をひとりづつ抱え、反対側の舗道に連れていった。時間が止まった状態の人体は、石のように固まっていて、幼い子どもは軽々と脇に抱えられた。一通り子どもを動かした後、保母さんを何とかしようとした。しかし、僕と同じ体格で、簡単には抱える事ができない、あらぬところに手が行くのも、さすがに思春期の僕には恥ずかしかった。とにかく少しでも遠くへと考え、えいと彼女のお腹辺りに腕を回して引っ張った。意外と見た目より軽くて、二人一緒になって、植え込みに転がった。その途端、時間が動きはじめた。あっという間に、クレーンは地面に落下し、ドカンという轟音と、隣家や駐車車両、看板、そこいらにあるものを全て破壊しつくすバリバリと言う音が響き、土埃が舞い上がった。

しばらく、誰も動けない状態だった。ようやく、辺りが静まった時、植え込みに転がった保母さんが気がついた。そして、僕が傍に倒れている事などお構いなしに、連れていた園児の姿を泣き喚きながら探し始めた。
園児達は、僕が反対側の舗道に横たえていたので、皆、無事だった。
「先生!」と叫んでいる子も居た。保母さんは園児達を見つけると、走り寄って行った。
僕は、とりあえず皆が無事なのを確認し、すぐに学校へ向かった。もう、模試が始まる時間だ。校門に着くと、担当の教師が、皆、外に出ていた。先ほどのクレーン倒壊事故の音は、学校にも聞こえ、パトカーや救急車のサイレンが響き渡る状態に驚いて飛び出してきたのだろう。僕は、教師の脇をすり抜けて、教室へ向かった。
「1時間ほど、開始時間遅れるんだってさ。」
隣の席の奴がそう言って、突っ伏して寝ている。そうか、そういうメリットもあったんだな。
その日の模試は、散々だった。まあ、勉強なんてして無いから当然なんだが、それよりも、不思議な力の存在を改めて確認した事で、模試の間中、その事ばかりが頭を過ったのも大きかった。家に戻ってから、テレビをつけると、朝の事故のニュースが流れていた。幸い怪我人が無かったのが奇跡だと報じている。僕がやった事等、何も報じられてはいなかった。

5.チカラ [時間の迷子]

5.特別な“チカラ”
「時間を止める力」そんなものがあるのだろうか。
二度とも、自分の錯覚なんじゃないか。本当は自分何にもしていない。勝手に、想像しているだけなんじゃないだろうか。自分の力じゃなく、神様がそういう状況を作っているだけかもしれない。ぐるぐると頭の中をいろんな考えが蠢く。
受験勉強には身が入らず、結局、第3志望の学費の一番安い大学にしか合格できず、18で家を出る事になってしまった。
まあ、特に夢や希望があるわけじゃない、何とか大学を出れば、適当な仕事に就けるだろう。そして、金を稼いで、いずれは結婚して家庭を持って・・・まあ、なるようになるだろう。誰かに迷惑さえ掛けなければいいんだから。相変わらず、漫然と生きている自分が居た。ただ、時々、二度の体験をふっと思い出しては、しばらく考え込む事はあったが、ごく平凡に大学生活は始まったのだった。

大学に入って、ごく普通に学生生活を送った。家からの仕送りは家賃程度だったから、ほとんど毎日アルバイトをした。最初はスーパーの店頭のアルバイト、1ヶ月ほどやったが,当のスーパーが倒産してアルバイト代さえ満足に貰えなかった。その後は、飲食店。昼間は、それなりに大学にも行かなくてはいけなかったから、ほぼ夜のお仕事。夕食が出るので随分助かった。怪しげな店ではない、アルコールの類はあるが、基本的に、学生たちが集まるような安い店だった。オーナーから、カクテルの作り方も手ほどきを受け、意外に筋がいいと言われ、夜遅くまで仕事をすることになった。同じアルバイトの女の子とも仲良くなり、それなりに楽しく過ごすこともできた。

しかし、何故か「特別な力」の事が頭のどこかにあって、心の底から夢中になるものも見つからずに時間が過ぎた。そんなある日、いつものようにバイト先からの帰り道、深夜の通りは人影もまばらだった。店を出て、アパートまでは、都市環状線を横切る大きな横断歩道を通るのだが、何だかその日は変な気分だった。空気が歪んで感じられた。
環状線の横断歩道には、コンパでもあったのか、大学生が数人ほど屯していた。女性もいるようだった。それと、サラリーマンと犬の散歩中の老人。それらの後方で、ぼんやりと信号が変わるのを待っていた。横断歩道の信号が青に変わり、先程の大学生たちやサラリーマンたちがわたり始めた。その時、右手の方で、鈍い音がした。ふと見ると、道路灯が映し出しているのは、大型ダンプが蛇行して走ってくる姿だった。運転席は暗くてよく見えないが、ハンドルの上に突っ伏しているように見えた。居眠りでもしているのか、ダンプはほぼ60kmほどの速さで、蛇行を繰り返し、中央分離帯にぶつかったり、路側帯のガードレールにぶつかったりしながら走ってくる。横断歩道を渡る人たちは何故か気づいていない様子だったが、散歩中の犬が異変に気づいて吠え始めた。皆、犬の様子を察知して、右手を見た。皆、慌てて、歩道をかけ始めた。すると、大学性の集団にいた女の子が転んだ。似つかわしくない赤いハイヒールで足を取られたのだろう。一緒にいた仲間は、我が身可愛さからか、放り出して駆け出す。そこへダンプは容赦なく突っ込んできたのだ。
僕は思わず両手を握り締めて、わあと声をだした。
すると、目の前の光景が、停止した。ダンプは女の子のわずか1メートル程度まで迫ったところで停っている。僕はすぐに、女の子に駆け寄り、抱きかかえて、舗道を戻った。ふうとため息をついたとたん、時間が動き始めて、ダンプは横断歩道を横切り、中央分離帯のコンクリートの塊に乗り上げ、横転した。勢いは止まらず、反対側のビルに突っ込んでいった。
横断歩道で転んだ女性は、気を失ったままだった。一緒にいた学生の集団は、彼女が確実にダンプに撥ねられたと思い、怖々と横断歩道の様子を見ていた。
僕は、その場に彼女を残して、路地の暗闇に身を隠した。誰が呼んだのか、すぐに救急車とパトカーのサイレンが聞こえていた。

6.確認 [時間の迷子]

6.確認
「やっぱり、特別な力があるんだ。」
僕は確信した。そして、あの時と同じように、両手を握りわあと声を出してみた。しかし、何も起きなかった。
「やっぱり目の前に何か起きないと無理なのかな?」
いや、そうじゃなかった。たった一人、アパートの部屋では時間が止まっているかどうかなんて分かりはしないだけだった。僕一人、周りには何もない。普段だって、時間は止まっているようなものだった。
止まっている時間に気づかず、水を飲もうと立ち上がってようやく気づいた。部屋の時計が止まっている。締りの悪い水道の蛇口から落ちる水滴も空中に停止している。僕は驚いた。やはり、「時間を止める力」があるんだ。ふうとため息を着くと、急に時間が動き始め、静寂が破られ、時計の秒針がコチコチと音を立てる。普段なら、ほとんど気にならないはずの音が大きく、部屋中に響いていた。

人間というものは・・いや、それから数日間は、自分の幼稚さを痛感することになる。
力が使えると知ってから、時々、面白半分に時間を止めるようになった。もちろん、変なことをしようというのではない。そこまで僕は愚かではなかった。
例えば、花屋の店先を通り過ぎたとき、花屋の店員が大きなランの鉢を抱えて出てきたところで、足元のホースに足を取られて転びそうになった。彼女は、鉢を放り出してしまった。そのままでは、おそらく高価な鉢は落下し、売り物にならなくなる。彼女は、バイト代から代金を差し引かれ辛い思いをすることになるだろう。その時、僕は時間を止めた。そして、彼女が放り出したランの鉢を、しっかり抱えて時間を戻す。当然、彼女は転んだが、鉢は無事だ。何が蒼きたのか分からぬまま、彼女は起き上がって、僕が抱えている鉢を受け取る。
「ありがとうございます、なんてお礼をしたらよいか・・」
この先、彼女が僕に好意をもって、恋が始まる・・なんて具合にはいかない。すぐに、奥から店主がかけてくる。
「すみません、大丈夫ですか?こいつ、しょっちゅうなんです。そそっかしいんだから、気を付けなさい。」
アルバイトの店員と思ったのは、店主の奥様だったのだ。僕は、その光景を羨ましく見ながら、「急いでるので・・」などと理由にもならない理由でその場を立ち去った。
そういう小さな人助けが、意外に面白かった。
アルバイト先の店でも、バイト仲間の女の子が、飲み物を運ぶ途中で転びそうになるのを止めたり、客がふざけて女の子を辛かったりするのを、時間を止めてあらぬ方向に向きを変えてやったりして驚かせた。
人助けとちょっと驚く姿が見たくて、力をちょいちょい使うようになった。

大学の卒業が近づいた。帰郷を考え、地元の企業の面接設けたが、不況のさなかで、無名の大学卒業ではさすがに簡単に内定などもらえそうになかった。大学の就職斡旋情報から、近くの中小企業になんとか採用してもらえた。卒業までの間は、ほぼアルバイトの毎日だった。就職すれば、そう簡単に休みも取れないだろう。学生時代の特権として、バイト代を貯めで、旅行に出ることにした。すぐに金も貯まった。旅行といっても特に行きたいところがあるわけではない。今の暮らしの中では、ほぼ毎日決まった場所にしかいかない。すると、力を使う場面も当然限られてくる。せっかくの“ちから”なのだ。もっと、違う場所、違う場面で有効に使っても良いのではないか。そう考えて、貯金をはたいて、オートバイを買い、大きなバッグに必要なものをまとめ、寝袋も括りつけて、旅に出ることにした。

7.旅の途中 [時間の迷子]

7.旅の途中で
とりあえず、国道1号線を西へ、そして大阪から国道2号線で山陽方面へ出た。
途中、何度か事故の場面に遭遇し、“ちから”を使って人命救助した。川に流される人も見つけて、助け上げた。危ない人たちに絡まれている人を見つけて、逃がしてあげたこともあった。
しかし、僕は満足できなかった。結局、場所は違っても、やってることは一緒だった。
福井の東尋坊を訪れた時だった。夕暮れ近くになって、観光客が減り始めた頃、ひとりの女性が、絶壁の先に立っている。「自殺願望でもあるのか?」などと、遠目に様子を伺っていると、案の定、その女性が柵を乗り越えた。咄嗟に“ちから”を使った。作の向こう側から女性を連れ戻し、ベンチに横たえた時だった。
「やめて」
誰かのささやくような声が聞こえた。まだ、時間は止まったままのはずだった。辺りを見回したが、すべてのものは停止している。聞き違いだろうと思い、時間を戻した。
女性は、確実に身を投げたと思っていたようで、ベンチに横たわる自分に驚いている。そして、自殺しようとしたことを悔いたのか、その場に泣き崩れた。しばらくすると、地元の自殺防止のためのボランティアらしき人が気づいて、その女性を慰め,連れていった。

僕は、バイクを走らせ、北陸をしばらく北へ進み、途中、長野へ入った。旅にでてから、ほとんど、駅か神社あたりで寝袋で夜を過ごしていたのだが、週に一度だけは、小さな宿に泊まった。洗濯や風呂の為だ。長野は温泉が多く、高級旅館も多いけれど、湯治のための安い民宿もある。その日は、鄙びた温泉の外れにある小さな民宿に泊まることにした。とりあえず、洗濯ができ風呂に入れて、静かに眠れれば良かった。
明け方、寒さで目覚めた。ふと、外を見ると、雨が降っている。もうひと寝入りしようと布団の中にもぐりこんだ時、あの声が聞こえた。
「やめなさい。」
今度は、確かに女性の声だとわかった。それも、若い女性だ。部屋の中には僕一人しか居ない。寝ぼけて、何かの音を聞き違えたのではない。上手く表現できないが、その声は、何か隙間のような処から漏れるように聞こえたのだ。
普通なら、幽霊とか心霊現象の類かと思うのだろうが、僕には特別な“チカラ”がある。おそらく、声はその“チカラ”と関係があるのだろうと考えた。
朝食を終え、気分転換のために、湯治場で朝風呂を楽しむ事にした。
季節はずれなのか、湯治客の姿はなく、露天風呂には僕一人だった。
湯船に浸かり、声の事を考えた。何かを忠告してくれているのは確かだ。止めておけというのは、きっと“チカラ”を使うなと言うことなのだろう。一体、誰なのか、そして何処から話しかけているのだろう。僕の“チカラ”をどうやって知ったのだろう。そんなことを考えながら、ぼんやりと景色を見ていると、向かいの山の中に、人がいるのが見えた。長く少しウェイブの掛かった黒髪、黒いワンピースを着ている。
雨が降る山中にふさわしくない格好で、じっとこっちを見ている。僕は、あれが声の主だと直感した。僕は、あわてて風呂を出て、着替えを済ませて、旅館を飛び出した。そして、女性を見た場所を目指して、歩いた。
渓流を渡り、斜面の小路を登った。雪に足を取られ思うように進めなかったが、女性がいた場所にどうにか辿りついた。しかし、そこに女性の姿は無かった。いや、姿だけじゃない、足跡すら残っていない。僕は女性を見たときの様子を思い出そうとしたが、何故だかぼんやりとしか思い出せない。何かの見間違いだったかと諦めかけた時、また声が聞こえた。今度は、今までよりもはっきり聞こえた。

8.忠告 [時間の迷子]

8.忠告
「もう戻れないみたいね。残念。」
女性の声は、近くで聞こえた。振り返ると、そこに彼女が居た。
遠目で見た彼女に間違いなかった。しかし、薄いワンピース1枚で山の中にぽつんと立っている。つい、足元を見てみた。彼女は裸足だった。そして、地面に足が着いていない。空中に浮いているのだ。オカルトの類としか思えなかった。自縛霊とか、自殺者の霊とか、物の怪とか、いろんな言葉が頭の中を過ぎった。
「私は貴方と同じ。もうすぐに判るわ。」
彼女はそう言うと、いきなり姿を消した。遠ざかったのではなく、突然、そう、テレビの画像がスイッチを切って消えるように、目の前から消えた。
辺りを見回してみたが、何も発見できず、仕方なく旅館に戻った。

明け方からの雨は、ほとんど止みかけていた。僕は荷物をまとめて、バイクを走らせる。目的の場所があるわけではなかったが、何となく、南へ走りたいと感じた。いくつかの峠を抜け、何度もカーブを切りながら、とにかく南へ向かった。日暮れごろに、目の前に静かな湖が見えてきた。浜名湖らしい。バイクを停めた場所に、何故か判らないが富士山の絵の看板があった。
浜名湖から富士山って随分あるだろう?そんな事を思いながら、一度富士山を見てみるのもいいなと考え、すぐに国道1号線を東へ出た。
右手に太平洋を見ながら、バイクを走らせる。今日は、富士川のほとりで野宿にしよう。そう考え、バイクを停めた。
広い川岸の中に公園があって、子どもの遊び場も作られた場所があった。ちょうど良い具合に、小高い山とその下にヒューム管を通したトンネル。今日はここで寝よう。意外に心地よく眠る事ができた。・・はずだった。
真夜中だった。遠くから、バイクの爆音が聞こえてきた。ああ、鬱陶しい「暴走族」だ。ここへ来なけりゃ良いなと思っていたが、意に反して、そいつらはこっちへやってきた。だが、少し様子が違う。バイクの集団は、どうやら国道に沿って走り去ったようだ。公園に来たのは、バイクが2,3台というところか。暴走族の一部でも分かれてきたのか?寝袋のチャックを開け、すぐにでも逃げられる準備をして、外の様子を伺っていると、どうやら男が3人ほど、女の子を一人連れているようだった。・・うん・・つれていると言うか、拉致してきたと言う表現が正しいのかもしれない。女の子はかなり怯えているようだった。紛れも無く、男たちは女の子に乱暴しようという感じがはっきりと判った。
「・・仕方ないか・・。」僕はそう呟くと、両手を握り、ハッと声を出した。
時間が止まった。僕は、トンネルから這い出ると、男たちに押さえ込まれている女の子を見てから、男たちを一人ずつ、川面まで運んだ。出来るだけ深いところまで運んで、一人ずつうつ伏せにしてやった。これで時間が動き始めると、流れに驚くだろう。それから、女の子を寝ていたトンネルの中に運んで寝かせた。しばらく気がつかなくても、まあ安全だろう。
「もう戻れないわね。」
また、あの声が聞こえた。宵闇の中、彼女が何処に居るのか見つける事は出来なかった。僕は探すのを諦めた。見つけてどうしようというのか。時間を止めるたびに現れては、何か悲しげに呟いて、消えていく。どうせ、良い知らせではないのだろう。自分自身も、彼女が言いたいことが、ぼんやりと判ってきていた。
深夜、僕はバイクを走らせた。何だか、明け方までに富士山が見えるところに行かなくてはいけないという切迫感を強く感じていたのだ。

9.迷子 [時間の迷子]

9、迷子
バイクを走らせながら「富士山の懐深くに入らねばいけない」何故だか、そう思い込んでいた。西富士道路を北へ登った。そして、脇道へ入り、樹海の入り口に立った時、ちょうど朝日が昇った。
「来たのね。」
やっぱり彼女の声が聞こえた。
「ああ、来たよ。ここへ来なくちゃいけないんだろう。」
そう応えたら、樹海の森の奥から、驚くほどのスピードで、彼女は現れた。走ってきたのではなく、ひゅうっと風が吹くごとく現れた。
すると、周囲の音が止まった。はっきりとは判らないが、時間が止まっているようだった。
「君は誰だい?」
「誰かしら?もう、名前なんて忘れたわ。でも貴方と同じよ。」
「何が同じなんだい?」
そう問いかけたが、彼女は何も言わず、目の前から消えた。
目の前の風景が、歪んだように見えた。そして、僕の体も歪んで、徐々に消えていった。

「自殺らしいよ・・・でも、遺体は見つかって無いんだって。」
葬儀場から出てきた女の子たちが、ひそひそ声で話した。

僕は死んだのか?いや、そうじゃない。ここに居る、ここに居るんだよ。僕は自分の葬儀を見ていた。

卒業を目前に、就職先の心配をした母が、大学近くのアパートに訪ねて来たが、部屋に居ない事で心配して、方々を探したらしい。3月の卒業まで姿を見せず、連絡も取れないことから、警察に届けて、捜索が始まって、富士の樹海近くに乗り捨てられていたバイクが見つかったのは、翌年の夏だったそうだ。状況から、樹海に入って自殺したのだろうという事になり、結局、3年行方不明という事で、死亡とされたのだった。葬儀といっても、空の棺があるだけ。寂しいものだった。

そう、富士の樹海で、彼女に出会った後、僕はこの世から姿を消した。死んだわけではない。時間の迷子になったのだ。

時間を止める力、それは、自分だけ、皆と違う時間軸に移るという事。二つの軸を行ったり来たりしていただけなのだ。だが、もう一つの軸は本来存在してはいけないもの。時間の歪みみたいなものなのだ。そこへ入り込むと、ゆっくりした時間の流れだったり、止まっていたり、時には逆に動いていたりする。僕は、偶然にも、止まっている時間の歪みだけに移っていた。だが、樹海で彼女を見つけた後、絡んだ時間軸に吸い込まれてしまったのだ。
今、僕は、途轍もなく早く過ぎる時間軸に居る。この時間軸に居る時は動いてはいけない。できるだけ、何も無い場所にいる事、でないと、いろんな物にぶつかってしまうのだ。少し前には、逆に進む時間軸にいて、目の前に恐竜が現れて肝を冷やした。だが、やっぱり一番居心地のいいのは、ゆっくりした時間軸だった。
この歪んだ時間軸には、僕独り居るわけじゃない。余り出逢う事は無いのだが、どうやら随分たくさんの人がいるようだった。武士の装束をした人や、子どもの時に教科書で見た毛皮を着た原始人みたいな人もいる。とにかく、遥か昔から、時間の迷子になっている人はたくさん居るようだった。そうそう、時々、そうした人が写真に撮られることがあるようだ。そう、夏のテレビの特番の定番「心霊写真シリーズ」で取り上げられる写真に写っているのは、そういう時間の迷子になってしまった人なのだ。

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