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1-12 シズとケンシ [アスカケ(空白の世紀)第6部 望郷]

「シズさまはいつまでこちらに居られるつもりかな?」
イリが訊いた。
「イリ様の傷の具合次第でしょう。このまま見込み通りに治癒すれば七日ほどで難波津へ戻るつもりですが・・。」
シズの言葉に、ケンシは少し残念そうな表情を見せたのを、イリは見逃さなかった。
「戻らねばならぬ用事があるのでしょうか?」
「いえ、すぐに戻らねばならぬことはございませんが・・。」
「ここには、薬事に詳しい者がおらぬのです。怪我や病気の時、皆、難儀をしております。しばらく、この地へ留まり、せめて、薬事の指南をいただけぬかと思うのだが・・。」
イリはシズに訊いた。
シズは少し戸惑っている様子だった。
「難波津に、シズ様の帰りを待ちわびておられる御方がありますか?」
イリはさらに突っ込んで訊く。
「いえ、そのような御方はおりません。ただ、治療院のナツ様からのご指示でこちらに参った次第ゆえ、長く滞在するとなれば、ナツ様にお許しをいただかねばならないと思います。」
「なるほど・・判りました。シズさまを今しばらくこの地に居ていただけるよう、使いを出しましょう。まあ、いずれにしても、七日はこちらにおいでなのであれば、その間だけでもお願いいたします。」
「判りました。」とシズが答えた。
「おい、ケンシ、すぐに難波津へ使いを出せ。それと、シズ様のお部屋を用意せよ。こちらに逗留される間は、お前がお相手するのだ。良いな。」
イリの目論見は、ケンシにははっきりと判った。
同時に、シズにもそれとなく意味合いが理解できていた。
「よろしくお願いいたします。」
ケンシは顔を赤らめて、改めて挨拶した。シズも顔を赤らめていた。
「シズ様、こいつは、体格だけは人一倍良く力を持て余しているような男で、気が回らず無作法もあると思いますが、心根はやさしい。何でも言いつけてやってください。」
イリはにやにやした表情を浮かべて言う。
「父上!それはあまりに・・。」
とケンシが不満そうな表情を見せた。
それから、一息ついてから、シズの方を向いて言った。
「では、シズ様、こちらへ。すでに部屋は整えております。何かご入用なことがあればおっしゃってください。」
ケンシはシズを連れて、イリの部屋を出て行った。
一部始終を、アヤが見ていた。
まだ、十五歳になったばかりのアヤには、このやり取りの意味が今ひとつピンと来ていなかった。
シズとケンシが部屋を出た後、アヤもイリに小さく挨拶をして部屋を出て行った。
「これは良きことの知らせかもしれぬぞ。」
イリは笑顔で言った。
隣室から入ってきたユラがそれを見て言った。
「何か良いことでも?」
「いや、此度の怪我は、思わぬ福をもたらしてくれるかもしれぬ。ケンシ次第ではあるが・・。」
イリの答えに、さらに、ユラは不思議な顔を見せた。
シズを部屋に案内した後、一息ついてから、ケンシの案内で里の中を見て回った。
「川向うにも郷があるのですね。」
シズが訊いたので、ケンシが答えた。
「行ってみますか?」
ケンシはそう言って、シズを川湊まで連れて行き、船で川を渡り対岸の里へ行った。
「この郷は、父から私が治めるようにと言い使ったところです。」
船を降りながらそう言うと、郷から出迎えが来た。
「おや、驚いた!ケンシ様、奥方をお連れになったのですか?」
郷の者が不躾な物言いをした。
「いや、違う。この方はシズ様と言われ、父の傷を治しに来られたのだ。我妻になどなっていただけるような御方ではない!」
ケンシは顔を真っ赤にして怒った。
「おや、そうなのですか、よくお似合いですのに・・。」
郷の者は、そう言ってケンシをからかった。

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