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伊勢への道 1-1 都にて [アスカケ外伝 第2部]

タケルたち一行が、都に戻ると、都大路にはひとだかりができていた。難波津や紀の国の出来事を、口伝えに聞いた人々は、タケルたちに称賛の言葉をかけ、大いに祝った。
宮殿では、皇アスカや摂政カケル、そして、郷の長達が出迎えた。
「ただいま戻りました。」
タケルたちが、難波津や紀の国の事を一通り報告すると、皆、口々に褒め称えた。その後、タケルたち一行は、大和の郷を一回りし、それぞれに報告をして回ることになった。
ヤスキの生まれた当麻の郷では、年老いた葛城の大連シシトが出迎えてくれた。ヤスキを春日の杜へ行かせてくれるよう摂政タケルに頼んだのが、シシトだった。
「・・お前が・・ヤスキか?・・ここを出る時まだ、幼子のようであったが・・。」
シシトの眼からは大粒の涙が零れている。
「よく頑張ったな。」
シシトのその言葉は、ヤスキにとって最高の賞賛だった。
「ヤチヨでございます。シシト様。」
ヤチヨがシシトの足元に傅いて挨拶をする。ヤチヨは、葛城の郷の生まれだった。
「おお・・其方も立派な女人となられた。これほどの喜びはない。良き日じゃ。」
それ以上の会話は必要なかった。一行は、一晩、当麻の郷で過ごしたあと、次の郷へ向かった。
チハヤの郷は、磯城だった。父も母もすでに他界し、七歳の時、春日の杜へ預けられていたため、知る人はほとんどいなかった。だが、一行が磯城の郷へ入ると、盛大な出迎えを受けた。そして、皆が、チハヤを探していた。
郷の館へ通されたチハヤ達の前に、磯城の大連、イズチの妻ヨシが進み出た。
「これは・・ヨシ様。」
チハヤは、思わず駆け寄り足元に傅いた。
「チハヤ様は覚えておられぬでしょうが、郷の者は皆、チハヤ様を知っておりますよ。伊勢よりいらしたヒシノ様・・あなたの母様は、幼きあなたを抱え苦労されておりました。我らも精いっぱいお支えしておりましたが、争乱の後はしばらく、皆、厳しい暮らしで・・ヒシノ様の病は進み、必要な薬草もなく・・終には・・。そんなあなた様が、薬事所の指南役・・これはきっと、母様の御導きでしょうね。」
そうした日々がひと月ほど続き、ようやく落ち着いた暮らしとなったのは、夏を迎えようという頃だった。
春日の杜に戻ったタケルたちは、もはや、そこで学ぶ子どもではなく、舎人の一員として、子どもらを導く役を果たすことになる。
春日の杜の大屋根の広間には、多くの子どもが集められていた。
「本日より、舎人様が増えることになる。良いか、しっかり学ぶのだ。」
春日の杜のモリヒコが子どもらを前に言った。広間に集まった子供らの眼はキラキラと輝いている。子どもたちは、ここ春日の杜で自分たちと同じように学んだタケルたちが、難波津や紀の国で活躍した話を何度も聞いていて、次は自分の番だと思うようになっていた。子どもらにとって、タケルたちは英雄である。そして、その英雄が舎人となり自分たちを導いてくれるのは心の底から嬉しかったのだった。
「タケル殿には、国作りや里づくりを教えていただく。皆も知っているだろうが、タケル殿は皇子である。だが、ここでは舎人の一人に過ぎぬ。何事もものおじすることなく、聞くことだ。」
モリヒコは、笑顔で子どもらに言う。
「そして、ヤスキ殿には、多くの国々と如何に取引するか、どうやって荷を運ぶかを教えてもらう。ヤスキ殿は、春日の杜では力だけが自慢だったが、難波津では、韓の商人や港主から教えを受けている。これから役に立つ知恵をたくさん持っておられる。」
モリヒコの紹介に、子どもらが笑った。
「チハヤ様には、薬草の知識を教えていただく。杜にある薬草園も、しっかり見てもらう事にする。ただ、チハヤ様は、都の薬事所の指南役もやっていただくため、お忙しい。よいか、まずは、自らの頭で考え、調べ、それでも判らない時、教えを乞うのだ。良いな。」
チハヤは少し戸惑っていた。ここにいた頃、薬草の知識など全くと言って持っていなかったはずだった。だが、戻ってみると、杜の中に大きな薬草園ができていて、子どもらがその管理をしていると聞いて驚いていた。
「それから、ヤチヨ様は、難波津から運び込まれる様々な食糧、野菜、果物を使った料理を教えていただく。ヤチヨ様は、ここにいた頃も畑仕事が大好きだった。そして、食べる事もな。・・好きな事ならだれもが一生懸命になれる。食いしん坊なら、是非、ヤチヨ様に教えを乞うが良かろう。きっと、春日の杜の朝餉や夕餉は、今まで以上に美味になるはずだ。」
モリヒコの紹介は、ヤチヨが食いしん坊だと言わんばかりで、少し恥ずかしくなった。
「では、これより学びの時間とする。」
モリヒコの号令で、子どもらはそれぞれに、タケルたちの周りに集まり、話を聞くことになる。時には、大広間で、時には、畑や薬草園、森の中、様々な場所で、タケルたちは子どもらを導いた。
そうして、都に戻ってから二年近くの時が流れた。その間、幾度か、それぞれのアスカケに出る話は持ちあがってはいたが、まずは、自分たちが学んだことを少しでも多くの者に伝える事が自らの役割と定め励んだ。
ムロヤと共に、山城国へ向かったトキオからは、それ以降、何の音沙汰も無かったが、どうやら、但馬、伯耆を経て、出雲国へ入っているらしいと風の便りで知った。
アナト国のタマソと共に、船で西国へ向かったヨシトは、タマソから船を一隻貰い受けて、西国でできた友と共に、九重へ向かっていた。一回りした後、四国を巡り、難波津へ戻るのはまだ先のようだった。
そうして、それぞれが道を定め歩き始めていた。


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1-2 伊勢からの使者 [アスカケ外伝 第2部]

タケルたちが都に戻って二年ほど過ぎたある日、宮殿から呼び出しがあった。
宮殿の大広間には、すでに大和じゅうの、大連や長が集まっていた。タケルたちは大広間の一番末席に控えている。広間の上座には御簾に囲まれた部屋があり、ゆっくりと皇アスカが入ってきた。そして、脇から摂政カケルが出て来て、御簾の外に着座した。
「皆に集まってもらったのは、ヤマト国にとって忌々しき事態が起きたからなのです。」
摂政カケルは立ち上がり、皆に向かって言った。
「忌々しき事態とは?」
大連イズチが尋ねる。
「昨日、伊勢国から使者が参られました。・・お通ししてください。」
カケルが言うと、脇の戸が開き、一人の男が深々と頭を下げて大広間に現れた。衣服から立派な兵士であることが判る。
「伊勢国のミムラと申します。此度、ヤマト国の援軍のお願いに参りました。」
「援軍とは・・物騒な・・。如何したのだ。」とイヅチ。
「はい・・今、我ら伊勢国は東国との戦の最中なのです。隣国、志摩国、尾張国、美濃国とともに、東国と闘っております。」
「東国とは?・・尾張の先は、三河、遠江、駿河と聞いておるが・・何故、戦となっておるのだ?」とイヅチ。
「駿河国に、登呂という郷がございます。そこは、豊かな田畑を持ち穏やかな気候故、多くの人が集まり、大和国を凌ぐほど賑わっていると聞きます。そこの長が周辺の郷を従え、大和へ迫ろうとしているようなのです。すでに、遠江や三河国は駿河国の支配下となっております。このままでは、ヤマトの安寧が危うくなりましょう。・・ですが、我らの兵力だけでは、おそらく早晩敗戦となります。どうか、大和国からの大援軍をもって、東国を追い払っていただきたくお願いに参った次第です。」
集まっていた大連や長たちは困惑した表情を浮かべた。大和平定以来、西国も安定し、もはや戦というものは起きるはずはないと思い込んでいた。居並ぶ者達は、大和争乱の際には、厳しい戦を経験したものが大半ではあったが、あれから長い歳月が流れている。忌まわしき戦へ臨む心構えなど棟に忘れてしまっていた。
「伊勢のホムラさまは如何しておられる?」
摂政カケルが訊く。
「ホムラは我が兄。志摩国や尾張、美濃と手を組み、今頃は、桑名沖の、長島か、津島あたりで陣を張っているはずです。ここが破られれば、桑名から伊賀を抜け、ここ大和までは一気に攻め入られることになると申しておりました。」
伊勢の長、ホムラは自国のためではなく、大和のために命を賭けていることが判った。
「しかし・・援軍と言っても、我らは暫く戦をしておらぬゆえ・・どこまで戦えるか・。」
そう言ったのは、シシトであった。
大連の任は務めている者の、かなりの高齢になっている。イヅチも頷く。
「確かに、シシト様の言われる通り、大和の力は期待されるほどのものではありません。大和争乱の時とは時間が経ち過ぎました。・・しかし、このままでは、なす術もなく東国に攻め入られるのは間違いありません。何か策を立てねばなりません。」
摂政カケルはそう言って、居並ぶ者の顔を見る。
タケルたちは、末席で、じっと皆のやり取りを聞いていた。戦と言えば、難波津で弁韓の軍船との闘いがあった。じっと話を聞きながら、タケルはその時の事を思い出していた。難波津でも、皆、戦の経験はなかった。だが、皆で知恵を出し合い、何とか勝つことができた。それも、殆んど剣を交える事はなかった。
タケルがすっと立ち上がった。皆、タケルへ視線を注ぐ。
「私に行かせてください。」
タケルはまっすぐに摂政カケルを見てきっぱりと言った。迷いはなかった。
「其方が行ってなんとする?」
摂政カケルが訊く。
「私も戦の経験はほとんどありません。ですが、難波津で弁韓の軍船とは戦いました。あの時は、皆の力を出し切ることで凌ぎました。仮に大和から大軍を出せたとしても、そうなれば多くの命を失うことになるでしょう。また、勝てるとも限りません。」
「ならば、なんとする。」とシシトが訊く。
「まず、東国の兵、登呂の長を知ることが肝要かと・・・判らぬ者と闘うのは無理でしょう。そのために、我らが東国へ向かい、敵の本性を見定めて参ります。そして、大きな戦をせずに済む道を探りたいと思います。」
タケルは前を向き堂々と言った。
「しかしながら・・タケル様は皇子。次の皇である御方が、そのような危険な事をされては・・・ヤマトの行く末も危うくなりましょう。」
とシシトが諫めるように言った。
「私も行きます。」
そう言って立ち上がったのはヤスキだった。
そして、チハヤも立ち上がる。
「伊勢は我が母の郷です。すでに戦で傷ついた方も多いでしょう。私が参り、そうした方々をお救いしたいと思います。」
これを見て、摂政カケルは腕を組んで考え込んでしまった。息子タケルの考えは理解できる。だが、シシトの言う通り、大和の行く末に関わる身であることも事実だった。
ふいに、御簾が動いた。皇アスカが御簾を押し上げ、ゆっくりと歩み出てきたのだ。
「カケル様、行かせてあげましょう。私たちも、九重から大和まで幾度も危うい目を潜り抜けて参りました。そして、その度に多くの方に助けられ、今日を迎えております。タケルの言うように、戦を収めることが何より。おそらく、東国の民も戦で傷つき、苦しい暮らしを強いられているに違いありません。ヤマト国だけでなく、東国を安寧に導くことこそ、今は大切なはず。」
皇アスカの言葉は、摂政カケルだけでなく、居並ぶ者達の心にも響いた。

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1-3 道案内人 [アスカケ外伝 第2部]

タケルたちの東国行きが決まった。
タケルとヤスキ、チハヤの三名と、チハヤの護衛としてシルベが名乗りを上げた。チハヤとの約束を果たすためだった。
そして、タケルの護衛役として、平群一族の長ヒビキの息子サスケが選ばれた。サスケは、大和争乱の折、幼い身でありながら、カケルを案内し、磯城宮で囚われていた父ヒビキを救出し、その後も、カケルの許で働いていた。大和国の中でも、弓や剣の腕は抜群で、さらに、誰よりも足が速く、大和国内を一日で駆け抜けるほどであった。
道案内には、伊勢国のミムラが務めることとなり、すぐに、出発することとなった。
「道中、充分に気を付けて。」
ヤチヨが見送りに来た。
ヤチヨは、東国には行かず、難波津へ行くことに決めていた。ヤチヨは、難波津で見た諸国の産物をもう一度しっかりと学び、もっと多くに国々で取引ができるようにしたいと考えていたのだった。それと、トキオやヨシトの事が気になっていて、難波津へ行けば、二人の消息も分かるかもしれない、そう考えていたからだった。
都から東への幹線道路は、大和から木津川を遡り、伊賀国を経て加太の峠を越え伊勢に入る道筋であった。
ミムラは、伊勢から大和へ来るにあたり十名程の兵士を連れてきており、一行の出発より、一足先に、街道沿いの安全を確かめるために出発させていた。そこには、サスケも、大和の衛士十名程も同行させた。何かあれば、すぐに大和へも使いが出せるように、一行の周囲には多くの供がいた。
一行は、二日ほど掛かって、伊賀・上野の郷へ到達した。
伊賀・上野の郷は、大和争乱の際、伊勢の大臣と名乗る、ホムラの叔父を攻略するため、ホムラたちが長く留まっていた郷だった。伊勢と大和を繋ぐ要衝にあり、周囲の山々が防御の役割を果たし、一つの国と言っても良いほどだった。
伊賀・上野の郷には、集落ごとの長たちが合議で国を治める仕組みを持っていた。山中の厳しい暮らしゆえに、皆が助け合う事が何より大事で、どこかの村で困りごとがあれば周囲が助けることを掟としていた。
「今宵はここで休みましょう。」
ミムラはそう言って、一軒の館へ案内する。そこは、上野の郷の入り口に当たり、幹線路を使って行き来する者が休む宿になっていた。郷の者が交代で管理をし、薪や食料が置かれていて、旅の者は自由に使える。このような場所を作ることで、郷の中に怪しげな者を入れない工夫でもあった。
「東国との戦が始まってから、都と伊勢を行き来する者は随分と少なくなりました。」
ミムラはそう言いながら、囲炉裏に火を入れ、夕餉の支度を始めるよう指示すると、随行する手下たちが手際よく支度を始める。
「彼らは、私の護衛役でもあるのです。兄ホムラは、今、戦の真っ最中。いつ命を落とすか判らぬため、万一の時、私が跡を継ぐことになっています。・・私は、兄ほどの器量はありませんが、民の役に立てるならと考えております。・・実は、伊勢にも、都に習い、学びの杜を作りました。ここにいる者達は、そこで修行をした者ばかり。これから、伊勢国のために尽くしてくれるはずです。」
ミムラはそう言いながら、機敏に動く彼らを、目を細めてみていた。タケルは、そんなミムラを見て、ふと、モリヒコを思い出していた。
一行は、そこで一泊した後、半数の護衛の者と、都からの衛士が南へ別れ、尼ケ岳を超える厳しい道を使って、伊勢国への近道を進むことにした。タケルたちが到着する前に、伊勢での支度を整えるためだった。
タケルたち一行は、伊賀から加太の峠を越えて、亀山、関の郷から安濃津へ出る道を進んだ。加太の峠に達したのは夕刻近くだった。山道が続き、予想以上に時間が掛かった。
加太の峠には、あばら家が建っていた。ここも、旅人が夜露を凌ぐために作られたものだった。そして、翌朝早くに出発し、山を下り、関の郷に着いた時、桑名からの知らせが届いていた。
「兄は、長島で東国の水軍を討ち果たし、帰途についているとの事です。東国の水軍は、対岸の大高辺りまで退いたようです。おそらく、安濃津に入るはず。急ぎましょう。」
ミムラは、当初、関の郷から、鈴鹿川を船で下り、桑名から伊勢へ向かう予定でいたが、知らせを受けて、関の郷から東の追分筋で南へ向かい、安濃川を船で下ることにした。川の先に、安濃津の港がある。安濃川は大きな川ではないが、穏やかで、小舟に乗り込むと、一行は体を休めることができた。
安濃津の港は大きな郷だった。難波津には及ばないものの、熱田や三河、美濃からの産物が集まる水運の要であった。安濃津の港では、すぐに、ミムラが、兄ホムラの居場所を確認したが、まだ到着していないようだった。
「風の具合が良くないのでしょう。ですが、明日には着くはずです。」
ミムラはそう言うと、一行を港近くにある館へ案内した。その館は、ミムラの館だった。
「御館さま、お帰りなさいませ。ご無事で何よりでした。」
 館に入ると、多くの人夫や侍女たちが出迎えた。そして、一行を大広間へと案内した。
「我ら伊勢一族の本拠は、ここよりさらに南にあります。そこは、海峡を挟んで、渥美や知多との行き来ができ、さらに南の志摩一族ともつながりがある所です。・・ですが、大和争乱の最中、我らの叔父が大和で悪行を行ったため、兄ホムラが大和へ向かいました。摂政タケル様の温情で、兄は正義を貫くことができました。それ以来、ヤマトを支える臣下として努めて参りました。」
ミムラは、当時まだ幼かったが、兄から大和の争乱の話を何度も聞かされていた。そして、カケルとアスカへの信頼と尊敬を摺りこまれているようだった。
「兄は、都と東国を繋ぐ要衝として、安濃津に港を開きました。いずれ、ヤマトと東国とが行き来する時代が来る。そのために、大きな港が必要だと考えたようです。そして、私は、それを引き継ぎました。」

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1-4 安濃津の港 [アスカケ外伝 第2部]

翌日には、ホムラが率いる水軍が、安濃津の港へ到着した。
軍船が数隻連なり、ゆっくりと港に入ってくる。
よく見ると、軍船の船体には、多数の矢が突き刺さり,血の跡もあちこちに付着していて、戦の凄まじさが窺えた。
軍船の中には多数のけが人がいるようだった。
桟橋に着いた軍船から、ホムラが降りて来た。足を怪我したのか、引き摺っている。それを見たミムラが駆け寄り支える。
チハヤは、軍船の中には多くのけが人が乗っているに違いないと考え、兵が降りて来るのを待たず、船に飛び込んでいった。タケルやシルベたちもチハヤに続いた。
軍船の甲板や船倉のあちこちに、怪我人が横たわっていた。辛うじて、何らかの手当はされているものの、どれも不十分で、皆苦しんでいた。
チハヤは背負っていた大きな袋を広げる。すぐ隣で、シルベも袋を広げ、中から薬草を取り出す。チハヤは、都を出る時、争乱となればけが人も多く出ているに違いないと考え、血止め薬などの薬草を集め、シルベと二人で背負える限りの量を持ってきていた。
「けがをしている方々を、どこか、横になれるところへ!」
チハヤが軍船の外に向かって叫ぶと、港にいた人々や怪我をしていない兵たちが手分けして、港にある小屋を開き、船から怪我人を運び出し、順番に横たえた。その数は、思った以上に多かった。
「たくさんの湯を沸かしてください!」
「あるかぎりの布を持ってきてください!」
チハヤの指示は的確だった。タケルやヤスキも、手伝う。
チハヤは横たわる怪我人を一人一人見て回り、傷口を湯で洗い、血止め薬を塗り、白い布で包む。その様子を見ていた港の人々も、手伝い始めた。
一通り、皆の様子を確認したホムラは、ミムラの館に入り、体を横たえた。暫くして、チハヤが館に来て治療した。
「兄者、大和から、タケル皇子様の一行においでいただきました。」
ミムラは、タケルたちと共に館に入り、横になっていたホムラにそう告げた。
「これは・タケル皇子、良くおいでくださいました。・・それにしても、立派になられましたね。あなたは覚えておられぬとは思いますが・・都にて一度お会いしております。・・・此度はかたじけない・・。」
ホムラは、大和争乱の後、伊勢に戻り、一族を纏め、国作りを励んでいたが、皇アスカの皇位継承の際、一度都に来ていて、幼いタケルに会っていた。
「随分と、凄まじい戦いだったようですね。」とタケルが言う。
「ええ、此度は、知多水軍と渥美水軍が長島まで迫っておりました。彼らは、伊勢の海を介して、行き来しあう同士であったのですが・・・・事もあろうに、東国の手先になろうとは・・・。」
ホムラは悔しさをにじませた。
「東国が、ヤマトを攻めようとしているのはまことですか?」とタケルが訊く。
「ええ、そう聞いております。」
「東国の軍の将は・・いや、本陣はどこなのでしょう?」
「いや、それは判りません。今は、この伊勢の海を守るのが必死。知多や渥美の水軍を蹴散らし、遠江へ向い、東国との戦に勝利する事しかありません。」
タケルはホムラの話を聞き、今、起きている戦にやはり何か違和感を覚えていた。都で話を聞いた時も、同様であった。
「大和からの援軍は、いつ到着しますか?」とホムラが訊く。
「残念ですが、都からの援軍は来ません。」とタケルが答える。
「なにゆえに?」
「東国との戦の事を、ミムラ様からお聞きし、都の大連や長達が集まり、話し合いました。すぐに送るべきだという者もおりましたが、大和から援軍を送れば、さらに大きな戦になってしまう。そうなれば、命を失うものが増え、民が厳しい暮らしをすることになる。それは、皇様も望まれておりません。」
「だが・・目の前まで敵は迫っているのです。伊勢から都まで攻め込まれればひとたまりもありません。何とか、ここで食い止めるため、我らは必死に戦っているのです。なぜ、判ってもらえぬのでしょう。」
援軍を頼みにしていたホムラにとって、都の答えは非情に聞こえた。
「私は此度、伊勢に遣わされたのは、この戦を収めるためなのです。」
「戦を収める?・・その様な事ができましょうか?」
ホムラは、もともと血の気の多い人物である。大和争乱の際にも、叔父との戦にも戸惑いなく突き進むほどであった。年月は経っているが本性は変わらない。タケルの言葉にホムラは呆れた顔をした。
「何か策はあるはずです。」
タケルの答えに、ホムラは大きく溜息をついた。
「済みません・・少し休ませてもらいたい・・。」
落胆した様子のホムラは、そう言うと、体を横たえ眠った。
タケルたちは、館を後にした。
一部始終を聞いていたヤスキは、館の外に出てタケルに言った。
「やはり、戦を収めるのは難しいのではないか?・・すでに痛手を受けている・・伊勢の者達には、報復したいという気持ちも強いに違いない。・・どうする?」
館の前には、多くの怪我人が粗末な小屋に横たわり、チハヤ達の治療を受けている。皆、必死に働いている。
「このような光景を繰り返すのが良い事か?皆、そんなことを望んではいない。・・今は、策はないが、一日も早く戦さを終わらせなければ・・。」

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1-5 長島の戦 [アスカケ外伝 第2部]

護衛役として同行していたサスケは、安濃津に着いてから、別行動をしていた。そして、数人の衛士と共に、サスケがタケルとヤスキの前に現れた。
「タケル様、お話があります。」
サスケは、周囲に注意を払いながら、低い声で言った。
他の者には聞かせたくない内容のようだった。館に行くのもどうかと考え、安濃津のはずれの海岸に行くことにした。
一同は、岩陰に隠れるようにして、車座になった。
「サスケ様、お話とは?」とタケルが切り出す。
「我々は、津の港に着いてから、郷の者から、此度の戦について話を聞いて回りました。」
サスケは、話の内容を確認するように、伴の衛士たちの顔を見てから、話を続けた。
「郷の誰もが、この戦について何か違和感を持っているのです。敵が誰なのか、定かでないというのです。」
「東国との戦であるというのは間違っているかもしれないという事ですか?」
タケルが訊くと、サスケは少し迷いながら答える。
「東国ではないのではと・・これまで、熱田や枇杷島、萱津、津島の沖合で、幾度か戦となったようですが、いずれも、大高や知多、渥美の水軍との戦なのです。東国と言えば、やはり、遠江や駿河の軍勢がいてもおかしくない。しかし、その姿が全く見えないのです。なぜ、戦うのかさえ判らぬまま、戦をしているように思えて・・何かおかしな力が働いているように感じます。」

この時代、伊勢湾を取り巻く地は、現在のように広大な濃尾平野はなく、岐阜・稲葉山近くまで海が来ていた。 そして、木曽や長良、揖斐の大川が流れ込み、一帯は広い湿地帯になっていた。 川が運ぶ土砂によって、広い中洲が作られていて、田畑には十分な土地であったが、大川の増水の度に、水に浸かる為、小さな集落が幾つかできている程度だった。 その中でも、もっとも広い中島と呼ばれる中州には、大きな集落ができていて、湿地帯全体を治める頭領の館もあった。現在の一宮辺りと推定される。 他にもいくつか、高みを持った中洲ができていて、清州、枇杷島、萱津、沖ノ島、津島、長島などと呼ばれていた。伊勢から安濃津を経て、桑名から、こうした中州を使いながら、東の熱田や大高へ向かうことができた。 広い湿地帯の東には、丘陵地が広がっていて、その先が、小牧、豊場、守山、山崎、星崎、岩崎などと呼ばれていた。それぞれに小さな集落があった。その中でも、熱田の郷は、古来より、伊勢とのつながりが強く、丘陵地の多くの郷を従える頭領とされていて、知多の衆や渥美の衆とも親交があり、勢力を強くしつつあった。 東南には、大高の丘陵地があり、それを超えると三河国となっていた。ここには、西の一族と東の一族があり、度々諍いを起こしていた。東の一族は、木曽や伊那などの国々とも親交があり、自らの領地を「穂の国」と呼んでいた。 大高からさらに南には、知多の山が広がっている。そして、さらに南側には渥美の大島があった。知多の先端と渥美の先端、そしてその先は、伊勢の玄関口、鳥羽まではそれほど遠くなかった。水運によって、伊勢の国は、美濃や尾張、三河と繋がっていたのだった。

サスケの話を聞いていた衛士の一人が口を開く。
「私はけがをした兵から話を聞きましたが、相手は、知多や渥美の者なのは確かなのですが・・船縁から見る兵たちは、こちらの船を見て、恐れおののくような表情を浮かべていたと言うのです。」
「それは不思議だな。」とヤスキが相槌を入れた。
「ヤマトを侵そうと考えるような敵ならば、伊勢の軍船を見て、恐れおののくというのはあり得ないでしょう。」
とサスケも言った。
「それは私も感じていました。あの、戦の跡を見ると、敵は必死に抵抗した様子でした。死に物狂いで戦っている。それは、まるで、自らの国を守るためではないかと・・・。この戦の背後には、何か正体の知れぬ者がいる様な気がします。」
カケルも応える。
「まだ、確証はありませんが・・誰かに操られていると考えた方が良いかもしれません。」
サスケは慎重に答える。
「そうならば、戦の裏で蠢いている者を見つけ、退治すれば、この戦は収まるかもしれません。」
とタケルが言う。
「判りました。では、我らは、一足先に、熱田や三河の国へ向かい、この戦の実情を探ります。」
とサスケが言った。
「では、我らは、一旦、伊勢へ行き、その後、熱田へ向かいましょう。」
タケルたちは相談の末、サスケ達とここで別れる事にした。十名程のサスケ達の一行は、すぐに、船を手配して、熱田へ向かった。
タケルとヤスキは、一旦、ミムラの館に戻ることにした。
館では、チハヤとシルベが引き続き怪我人の手当てに奔走していた。
サスケ達との話をホムラやミムラにすべきかどうか、タケルは悩んでいた。ホムラはすんなりとは受け入れないに違いない。兄を慕うミムラはどうか。これまで、東国による侵略と決めつけてきた事を覆すだけの証拠はまだない。タケルは、今は、このまま、伊勢へ向かう事に決めた。
「おお、戻られましたね。」
館の玄関で、ミムラが待っていた。
「三日後には、兄たちは、伊勢の宮に戻るとの事です。」


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1-6 伊勢の宮 [アスカケ外伝 第2部]

三日後、ホムラの軍船は、伊勢に向かい、一日のうちに、伊勢の宮へ到着した。
伊勢の宮は、港からわずかの海辺にあった。大きな館とその周囲に多くの家屋が並び、伊勢国の本拠地であることはすぐに判った。
「ホムラ様、私とヤスキは少し、伊勢の宮や周囲の郷を見てみたいのですが・・」
タケルが申し出ると、ホムラは、快く承諾し、案内役にとタスクという若者をつけてくれた。二人は、タスクの案内で、宮周辺の郷や、鳥羽の郷を回った。
チハヤはともに戻ってきた怪我人の事が気掛かりでならなかった。
「ホムラ様、何処か、広い場所はございませんか?怪我をされた皆さまが少しでも安らげるような場所を作って下さいませんか?」
チハヤは館に着くなり、ホムラに進言した。ホムラは快諾し、すぐに、館の大広間を使えるように手配した。怪我をした者達は、ここへ集められ、チハヤ達によって手当てが進められた。
数日が経った頃、ホムラが様子を見に現れた。
「何か、足りぬものはありませんか?」
ホムラは連日のチハヤの働きを侍女たちから聞き、たいそう感心していた。自らも戦で足を怪我していて、一日一度は怪我の状態を診てもらい、随分と楽になっていたのだった。
「今のところは・・ただ、薬草が少し不安です。都から持ってきたものはあとわずかです。できれば、明日にでも薬草摘みに出かけたいのですが・・どこか、良い場所はありませんか?」
チハヤがホムラに訊いた。
「薬草の事は判らぬが、この辺りは、ここ数年で拓いた土地ゆえ、薬草となるものは少なかろう。・・おそらく、奥の宮の杜には、古からの森がある。そこへ行けば、何か見つかるのではないだろうか?」
と、ホムラが答える。
「奥の宮の杜?」
チハヤが尋ねる。
「ああ、我ら伊勢一族の祖が住まわれていたところです。」
ホムラはそう言って、チハヤを外へ連れて行き、遥か西方の山を指さした。
「わが一族の言い伝えですから、真偽のほどは聞く者に任せますが・・・」
ホムラはそう前置きしてから話し始めた。
「わが一族は、もともと女人の長が一族を束ねておりました。私の曽祖母のさらにその曽祖母の時代・・遥か古の事ですが・・海を越えてここへ参った男が降りました。その者は熱田の杜から来たと申し、この地へ逗留しました。総祖母の曾祖母は、その男を見初め、夫婦の契りを交わしたそうです。その地が、あの奥の宮の杜なのです。その後、生まれた皇子は、大和へ向かい、今のヤマトの祖となったと言い伝えられております。いわば、かの地は、ヤマトの初めの地ともいえる場所なのです。」
ホムラはおそらく、父母や祖父母から、何度も何度も同じ話を聞かされてきたに違いなかった。そして、それを子どもながら、昔話として、現実のものとは違うのではとも感じていたのだろう。ただ、そこには、伊勢一族の長としての誇りを感じる事もできた。
「あの場所は、神聖な場所ゆえ、むやみに立ち入る事は出来ぬ。それゆえ、貴重な薬草もあるのではないか?」
ホムラは、そう話してくれた。
翌日、チハヤとシルベは薬草探しのため、奥の宮の杜へ行くことにした。案内役には、トキという娘が着いた。
三人は、館を出て西へ向かう。宮川の畔に着くと、トキが言った。
「ここより先は神聖なる場所です。この館にて、御着替えください。」
川のほとりにある小さな館に入ると、木箱の上に、白い衣が置かれていた。着替えて外に出ると、数人の女人が同じように白い衣に身を包み、一列に並んで待っていた。
「顔にはこれをお付けください。」
手渡されたのは、白い四角い布に細い紐がついていた。目だけを出した状態で、静かに宮川の渡し船に乗り込む。静かに川を渡り、奥の宮の大戸に着く。そこから、石段を上ると、開けた場所に出る。そこには、幾つもの館が並んでいる。その中の最も小さな館に案内された。中に入ると、白装束に身を固めた男が数人座っていた。皆、チハヤ達同様に、顔に白い布を当てている。
「ここは倭国の生まれし場所。神聖なる心をもって臨まれよ。」
居並ぶ男の中から、最も上位に座った男が立ち上がり、重々しい声でそう言った。男たちは、その声を聞き深々と頭を下げ、静かに、部屋を出て行った。
残されたチハヤ達の許へは、先ほどの女人が現れた。その中の、白髪の女性がか細い声で口を開く。
「先程のミコト様たちは、奥の宮を守っておられる、宮司様たちです。宮司様達は、神々の言葉を聞きながら、日々過ごされております。此度の東国の戦も、神々からの教えとお聞きしております。」
女人の言葉に、シルベは違和感を覚えた。神々が戦の事を告げるなど聞いた事もなかったからだった。
その女人は続けた。
「頭領様から、宮の杜を案内せよとお聞きしております。」
「お願いします。薬草を探しております。」
「判りました。では、お支度を整えましょう。こちらへ。」
再び、別の部屋に案内され、今度は青い野良着に着替えた。
「こちらでございます。」
女人たちは、チハヤ達を連れて静かに館を出て、館の裏手の山道を案内した。ところどころ、石段が設えてはあるが、余り人が立ち入る事はない様子で、木々や草が瑞々しく伸びている。チハヤは、ゆっくりと周囲の木々や草を観察し、薬草になるものを探しながら、森の中を歩き回った。案内役の女人たちは、静かにチハヤを見守っている。

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1-7 ふるさと [アスカケ外伝 第2部]

陽が高くなると、森の中は蒸し暑くなってきた。
「チハヤ様、随分と薬草が見つかりました。少し休みましょう。」
シルベが気遣いそう言った。チハヤは玉の汗をかいている。
「どこか、休める場所はありませんか?」
シルベが女人に問うと、少し下った場所を案内された。
森の中には、いくつか泉が湧いている場所があった。その畔で休むことにした。顔を覆う白い布は、暑さを一層強くする。
「この布はとっても宜しいでしょうか。息苦しいのです。」
チハヤが女人に訊く。
「はい。この泉は、杜の休息の地。神々もお許し下さるでしょう。」
白い布を取る。少し冷たい風を感じた。シルベが泉から水を掬い取り運んできた。女人たちも喉を潤した。鳥が鳴き、穏やかな時間が過ぎる。
突然、女人の一人、先ほどの白髪の女性が、か細い声で言った。
「チハヤ様、お母上の名は何と申されます?」
「母・・ですか?」
「ええ・・お母上の名は?」
「母は、ヒシノです。」
チハヤの答えに、その老女はいきなり涙を流し始めた。また、伴をしてきた女人たちもざわついている。
「どうされました?」
「それは・・何という巡り合わせ・・・有難い事じゃ・・。」
老女は涙を流しながら、チハヤの手を取る。別の女人が、傍により老女の肩を抱くようにして支え、静かに話し始めた。
「宮から案内してきた者が、チハヤ様を見て、もしやと申しておりました。この方は、チユキ様と申されまして、ヒシノ様の母御様なのです。・・そう、チハヤ様の御婆様。ヒシノ様は、若き頃、伊勢の頭領に付き従い、大和へ向かわれ、そのまま戻らず、行く末を案じておられました。」
「しかし・・どうして・・・・」
いきなり、御婆様と言われても、まだ、しっくりこないチハヤが訊いた。
「面影が・・いや、チハヤ様の顔立ちが、ヒシノに瓜二つなのじゃ・・。覆いを取った時、私は息が止まる思いがした。ヒシノとはもう会えぬものと諦めておった故・・こうして会えると・・。」
老女、いやチユキは再び喜びの涙を流した。
「我らは、奥の宮に務める巫女。チユキ様は巫女頭であり、この杜の守り主でもあるのです。実のところ、奥の宮は、巫女頭の許に、宮司が置かれております。そして、ヒシノ様は次の巫女頭になるはずの御方だったのです。」
チハヤは、ここへ来たのは母の導きだったのかもしれないと思った。
父を戦で失い、母を幼い頃、病で亡くした。その時の辛さが、今、チハヤが薬草を学ぶ力になっている。そして、その事で、この伊勢まで来ることにもなったからだった。
傍で、ひとしきり話を聞いていた、シルベはすっと立ち上がり、「もう少し、薬草を摘んでまいります。」と言って立ち去った。
シルベは、森へ戻り、周囲の草を観察しながら、ずっと考えていた。チハヤと夫婦にと思っていたが、チハヤの身の上を聞き、迷い始めていた。巫女頭の一族と判れば、この地で生きる事を望まれるに違いない。そして、その身分にふさわしい夫を持つ事を求められるだろう。自分が傍にいる事が障りになるかもしれない。シルベは考えが纏まらぬまま、先ほどの泉に戻った。
チハヤと巫女たちは、談笑している。
「そろそろ、戻りましょう。これだけの薬草があれば、しばらくは大丈夫でしょう。」
シルベは、チハヤにどんな話をしていたのかは聞かなかった。
チハヤ達は、そう促されて、森を出て、奥の宮へ戻った。摘み取った薬草は、ホムラの館へ運び、選別して干し、加工する。ホムラはその場所を提供してくれた。
チハヤは、しばらく、怪我人の様子を見ながら、薬草加工の作業に取り組んだ。シルベも共に作業をしたが、時折、考え込むようになっていた。
「シルベ様、どうされたのですか?近頃、何かぼんやりしておられるようですが・・。」
チハヤは、薬草の加工作業の合間に、ふいに訊いた。シルベの変化に気付いていた。
「いや・・。」
シルベは、仕事の手を止めることなく、下を向いたまま、小さく答えた。
「正直にお話し下さい。何か心配事でもあるのですか?」
チハヤはまっすぐにシルベを見て訊いた。
シルベは観念した。
「私は、あの森で、チハヤ様の身の上をお聞きしました。巫女頭の血筋であると・・。いずれは、あの古宮を守る大切な役割を担うべき御方でしょう。」
「そうかもしれません。でも。」
とチハヤが言い掛けた時、遮るようにシルベが言った。
「そのためには、私がお傍にいる事は障りになるのではないでしょうか?私は、皇に弓を引いた、いわば罪人。今の皇様から、お赦しはいただけましたが、やはり、チハヤ様の傍にいるべき者ではない・・・・そう思うのです。」
シルベの言葉を聞き、チハヤは大粒の涙を浮かべている。
「私が何者であろうと、心は既に定まっております。」
その意味は、シルベも十分に判っていた。
「しかし・・・・。」
「この先、私の傍でお守りくださるという約束は嘘だったのですか?」
チハヤは、シルベの胸に飛び込み、幼子のように泣きじゃくった。
シルベは何も言えず、強くチハヤを抱き締めた。


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1-8 伊勢の沖 [アスカケ外伝 第2部]

タケルとヤスキは鳥羽の郷まで足を延ばしていた。入江と小さな島々が浮かぶ湾には、小さな漁村が幾つもあった。ここらの漁師たちは戦のたびに兵として駆り出されていた。戦の様子を聞くには好都合だった。そして、皆、口々に「戦の敵が判らない」と言った。
賭場に入って数日が経った時、沖へ出ていた漁師たちが血相を変えて戻ってきた。
「沖に、渥美の軍船がいる。」
猟師が言うには、渥美水軍の旗を掲げた軍船が、沖の島近くにいるのが見えたというのだった。ただ、軍船は、潮に流されているようだとも言った。
この知らせは、すぐにホムラの館へ伝えられ、伊勢の軍船が出港した。タケルとヤスキも、鳥羽の漁師に頼み、船を出してもらった。
答志島と菅島の間を、海峡に入ると、波が高くなる。その先には神島が見える。目を凝らし、先を見ると、渥美の軍船の姿があった。東へ向えば渥美の郷なのだが、その船は西へ向かっているように見えた。
「伊勢を攻めるつもりなのか?」
波に揺られながら、軍船を見つめて、ヤスキが言う。
「いや・・あれは、潮に流されているだけだ。見ろ、帆が張られていない。攻め入るつもりなら、風を使って一気に北へ向かい、宮川に入り込むはずだ。」
船を出した漁師が答える。そして、
「あのまま流されれば、築見島の岩礁に乗り上げるぞ。」
しばらく様子を見ていると、西から伊勢の軍船が現れた。向かい風のため、思うようには進まない。
「渥美の船に近づけませんか?」
と、タケルが漁師に訊ねる。
「船縁まで行くことはできるが・・どうするつもりだ?」
「乗り込んで様子を見てきます。」
「だが・・兵がいるのだぞ?」
「大丈夫です。まずは、あの船が岩礁に乗り上げないようにしなければ・・。」
タケルが言うと、ヤスキも続ける。
「大丈夫だ。あのくらいの船は操ったことがある。動ける者がいるなら何とかなる。」
漁師は、渋々、小舟を進めて、軍船に近づいて行った。近づいてみると、人影が見えない。船体には、数多くの矢羽根が刺さり、血糊も見える。長島の戦で相まみえた船の一つに違いなかった。
小舟が軍船に貼り付くと、タケルとヤスキはするすると船体を上って甲板に出た。
「これは・・・。」
タケルもヤスキも言葉を失った。
甲板には多くの兵の遺体が転がっている。操舵室へ行くと、兵が一人、舵に持たれるようにして蹲っている。命はあるようだった。タケルとヤスキは、船内をくまなく回り、動ける者を探した。十人程が船倉で身を隠していた。皆、タケルたちよりも若い、まだ少年のような面立ちをしていて、一様に、恐怖で震えていた。
「しっかりしろ!ここままでは死んでしまうぞ!」
「さあ、手伝え!急げ!」
タケルもヤスキも少年たちに声を掛け励ます。一人また一人と立ち上がり、動き始めた。
「帆を張るぞ!」
少年たちが縄を引く。だが、重すぎて持ち上がりそうもない。ヤスキは舵をいっぱいに回し、何とか、潮の流れから抜け出そうとしているが、上手くいかない。岩礁が徐々に近づいてくる。
不意に、タケルの腰の剣が光り始めた。体が熱くなる。グルルル・・低い唸り声をあげ、見る見るうちにタケルの体が大きくなり、獣人へと変わっていく。
タケルは、帆を引く縄を掴むと、勢いよく弾く。十人程が掛かっても動かなかった帆がするすると上がって行く。そこに、強い南風が吹きつけた。帆は大きく膨らみ、船を引く。ヤスキは舵にしがみつく。岩礁の僅か手前で、船は大きく右に頭を振り、かろうじて避けることができた。安全だと判ると、タケルは急に力が抜け、その場に倒れてしまった。
一部始終を見ていた若者たちがタケルを取り巻く。タケルの姿は、獣人ではなく、ただの人に戻っている。
「死んだのか?」と誰かが言った。
「いや・・息はしているようだ。」とまた別の誰かが言う。
「いったい、誰なんだろう?」とまた誰かが言う。
そのうち、船は、築見島の北側の静かな入り江の前に来て、静かに止まった。ここらは潮の流れが弱かった。ヤスキは舵を縛り、カケルの許へ来た。
「大丈夫だ・・あのような力を使うとしばらくは目を覚まさない。・・それより、お前たちは、渥美の衆か?」
ヤスキの問いに、タケルを取り巻いていた若者が互いの顔を見て、小さく頷いた。
「長嶋の戦に出ていたのか?」
更にヤスキが訊くと、その中の一人、一番年上と思われる男が口を開いた。
「俺はイラコ。渥美の漁師だ。男手が少なく、年端も行かぬ者も駆り出された。俺たちは、漕ぎ手だったから、助かったが・・兵たちは皆、命を落としたようだ。」
「将はいずこか?」
「将など居らぬ。この船には、渥美の衆が乗せられ、とにかく、長島へ向えと命令されただけだ。戦などした事もないものばかりだった。・・」
「なぜ、戦をしている?」
「悪しき国ヤマトが、我らの国を侵そうとしているからに他ならない。皆、我が郷を、父や母を守るため、戦に出た。」
「何とした事か・・。」
イラコの話に、ヤスキは落胆した。どこでどう間違えばこのような話になるのか。伊勢の者達は、東国がヤマトを侵そうとしていると信じている。渥美の衆は、ヤマトが郷を侵そうと考えている。

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1-9 渥美の若者 [アスカケ外伝 第2部]

しばらくすると、タケルが目を覚ました。力を使い過ぎたのか、目が覚めてもしばらくは動けなかった。そうしているうちに、伊勢から出たホムラの軍船が近づいてきた。
渥美の若者たちは、近づく船を見て、船倉に隠れようとした。
「大丈夫だ・・何もしない。この戦は、ヤマトが仕掛けたものでも、東国が仕掛けたものでもない。」
ヤスキはそう言って若者たちを甲板に留めた。
軍船は、横付けすると、板を渡し、ホムラを先頭に、次々に男達が乗り込んできた。その中に、チハヤとシルベの姿もあった。チハヤは横になっているタケルを見つけ、すぐにやってきて、気付け薬を飲ませた。
「船内にはまだ息のある者がいるかもしれません。」
タケルがそう言うと、シルベは、男たちと手分けして、息のある者を探した。
多くは既にこと切れていたが、半数ほどは、辛うじて息があった。チハヤは、すぐに怪我の具合を診て、怪我の個所には布を巻き、血止めの薬草を調合し飲ませて回った。
「ホムラ様、一度、この者達を伊勢の宮へお連れ下さい。」
タケルはホムラに頼み、渥美の軍船を引いて、伊勢の港へ戻った。怪我人はすぐに館の大広間に運ばれ、養生させた。
先ほどの十人程の若者は、ホムラの館の大広間に連れて行かれ、まずは、食事を摂らせた。初めは、拒絶していたが空腹には勝てず、奪い合うように口に入れた。そして、落ち着いた頃合いを見て、ホムラやタケル、ヤスキたちが話を聞いた。
「そうか・・其方たちは、ヤマト国を悪しき国と思っておるのか・・。」
ホムラは若者たちに向かって、溜息をつくように言った。
「きっと、誰かにそう教えられたのでしょう。」
タケルが言う。
「良く聞け。ヤマトは他国を侵すような国ではない。我ら、伊勢とて同様。民の安寧こそ第一と日々腐心しておる。誰に吹き込まれたか知らぬが、大きな見当違いじゃ。」
ホムラがそう言うと、イラコが返す。
「いや・・ヤマトには、怪しき妖術を操る皇と、獣のような摂政がいて、幼き子どもたちを集め、太らせ、食っておると聞いた。そして、臣下にならなければ、奴隷として、鎖でつなぎ働かせるのだと・・その様な国なのだ・・。」
イラコは、真剣な面持ちで言う。
「そうか・・そう教えられたか・・・ならば言おう。こちらに居られるのは、ヤマトの皇子タケル様だ。其方たちを救ったのは、この御方であったろう。」
そう聞いて皆驚いた。そして、気づいた。
「あの獣人・・やはり、ヤマトは獣が人を・・。」
イラコがそう言ったのを聞いて、ヤスキが強い口調で言った。
「そう・・獣人は紛れもなく、皇子タケル様。だが、其方たちを救ったのも確かだ。あのままでは岩礁に乗り上げ、沈没していたはず。タケル様は、人とは違う特別な力を持っておられるに過ぎぬ。大事なものを守る時、命を削るようにして、化身されるのだ。お前たち、あの後の様子も見ていただろう。動けぬほどになられた・・・。みな、其方たちを大事と思うが故の事。」
イラコたちは、まだ、どう受け止めてよいか悩んでいるようだった。その様子を察して、タケルが口を開く。
「申しわけありません。あのような姿・・やはり不気味でしょうね。・・しかし、これは私に課せられた宿命。父カケルと母アスカの特別な力を譲り受けただけのこと。そして、それは悪しきことには使うことができません。ヤスキ殿が申す通り、大事なものを守るためにだけ使えるのです。」
穏やかな口調のタケルの言葉を聞き、若者の数人が泣き始めた。気が緩んだのか。故郷が恋しくなったのか、一人が泣き始めると、皆、つられて涙を溢した。
「しかし、ヤマトが東国を侵すとは・・一体誰がそのような事を・・。」
ホムラは憤慨するように言った。
「戦が始まったのはいつ頃ですか?」とタケルが訊く。
「定かではないが・・・二年ほど前の冬頃だったと思うが‥。」とホムラ。
「その頃、渥美では何かありませんでしたか?」とタケルが若者たちに訊く。問われた若者たちは互いに顔を見て、少し考えていた。
「その年は、秋に大きな台風が来て・・」
「そうだ・・船が幾つも流された・・」
思い出すように口にした。
「食べ物が少なくて、確か、穂の国へ頼ったはず・・。」
「だが・・穂の国も大変だったと聞いたが・・」
どうやら、戦の発端はそこらあたりにあるようだった。
「そうだった。美濃や中島、熱田あたりも、水害に苦しんだ。融通する米も不足し、皆、苦しんでいた。・・確かに、戦はあの後から始まった。」
ホムラが思い出すように言った。
「しかし・・その様なときに戦を始めるというのも少し不思議ですね。」
カケルが言う。
「やはり、東国の差し金か?」とヤスキ。
「渥美へ行ってみましょう。この戦の引き金になった事をもっと知らねばなりません。」
タケルが言うと、ホムラは驚いた顔をした。
「戦の最中ですぞ・・。渥美の衆が我らを受け入れてくれる事などはあり得ない。命を奪われても仕方のない事。別の方法を考えましょう。」
「いえ、彼らと共に参ればきっと解ってもらえます。」
タケルはそう言うと、イラコたちの顔を見た。イラコはタケルの顔をじっと見つめた。
「一つ、お願いがあります。もし、戻るのなら、米を分けてもらえませんか?そうすれば、きっと、受け入れてもらえるはずです。」

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1-10 渥美の郷へ [アスカケ外伝 第2部]

渥美の軍船に乗っていた者達が養生している間に、安濃津から大量の米を摘んだ船でミムラが伊勢の宮にやってきた。それを、渥美の軍船にも分けて積んだ。そして、タケルとヤスキ、チハヤとシルベ、そして、ミムラが、怪我の治った兵やあの若者たちを乗せて、渥美へ向かった。安濃津からの船も後に続いた。
答志島、築見島、神島を経て、渥美の先端の岬に着く。僅か一日の距離だった。そこから、三河湾内に入り、渥美一族の本拠地の一つ、福江の港に入る。軍船が二隻、寄り添うように港に入る。一つは、渥美の軍船。だが、もう一隻は伊勢国の旗印を掲げている。軍船を見つけた渥美の男達は、戦支度をして、港に集まってきた。
伊勢の軍船は、少し沖合で停泊した。渥美の軍船がゆっくりと桟橋に近づいてくる。
船縁から、イラコが叫ぶ。
「米を・・米を運んできた!・・頭領に知らせてくれ!」
弓を構えていた男たちが、船縁に立つイラコの姿を見てどよめいた。
「無事だったか!」
港に並んでいた兵たちが、徐々に、桟橋に集まってくる。イラコは男達に、米を運び出すように告げ、兵たちは武器を投げ捨て、船倉に入っていき、大きな米袋を幾つも肩に担いで降りて来る。その様子を見て、港近くの女たちも集まり始め、倉庫に運び込むのを手伝った。しばらくすると、福江の港から、館から福江の郷の長が港に姿を見せた。
「イラコ!・・イラコではないか!・・・よくぞ無事に戻った!」
福江の郷の長はかなりの高齢のようだった。両腕に杖を持ち、ゆっくりと桟橋近くまで歩いてくると、伴の者がすぐに椅子を置き、何とか座った。
「ただいま戻りました。」
「良く戻った。皆、心配しておったぞ。」
「実は、・・・・伊勢国からたくさんの米を貰い受けて参りました。」
それを聞き、長が周囲を見ると、すでに大量の米が、港近くの倉庫に運ばれていた。
「なんと言うことじゃ。・・伊勢から米を?・・どういう事じゃ。敵国から米などとは・・伊勢は、我ら弱みに付け込み、悪しきヤマトの属国になれとでも申したか!」
かなりの高齢乍ら、活舌はしっかりしている。そして、気骨ある物言いでもあった。
「長様・・そうではありません。我らは思い違いをしていたのです。ヤマトは他国を侵す事など考えては居りません。」
イラコは長を説得するように言った。
「馬鹿な!何を証拠に、そのような戯言を!伊勢で何を吹き込まれた!」
長は聞く耳を持たない。
その様子を、人陰に隠れてみていたミムラが、長の前に進み出た。
「伊勢国、安濃津のミムラと申します。」
長は、また、驚きを隠せない様子だった。そして、取り巻いていた男たちが、剣を抜き、ミムラに向けて構える。
「止めてください!」
イラコが、男たちの間に割って入り、必死に止めようとする。
「私は、戦をしに来たわけでも、あなた方を取り込もうとも思っては居りません。話を聞いて貰いたい。そう思い、ここへ来たのです。」
ミムラは落ち着いて答える。長はミムラの様子を見定めると、取り巻く男達を止めた。
「話とは?」
ミムラは、長の前に傅いてから、ゆっくり話した。
「我ら伊勢の者は、東国がヤマトを侵しに戦を仕掛けていると考えておりました。」
「東国が?」
「はい。我ら伊勢の国はヤマト国の安寧と繁栄のため日々精進しております。此度、東国が戦を仕掛け、我らが破れれば、都は危うい。それゆえ、必死に戦ってまいりました。」
「それは異な事を。其方ら、ヤマトが、我らの郷を侵すと知った故、知多一族と我ら渥美一族は、ともに戦って居る。戦を先に仕掛けたのは、其方らの方であろう。」
長は憮然とした表情で言った。
「先に仕掛けた?・・いつの事でございましょう。我らは、熱田の衆が大高の衆に戦を仕掛けられたため、援軍として参ったのが始め。その後は、津島や沖ノ島辺りでの戦に赴いたはずです。」
「いや・・知多、師崎で、確かに、大きな軍船が我らに戦いを挑んできた。あれは、ヤマトの者に違いない。儂はこの目で見たのだ。」
おそらく、どちらの話も真実だろうと思われ、話は平行線だった。
「ヤマトは、軍船は持っておりません。」
そう言って、二人の会話にタケルが割って入った。
「この者は?」と長が訊く。
ミムラは、タケルを見て、どうするという表情を見せる。
「私は、タケルと申します。ヤマトの都より参りました。」
タケルはそう言うと、長の前に傅いた。
「・・・ほれ見ろ!やはり、ヤマトの者が紛れ来んでおるではないか!これが、動かぬ証拠。伊勢は米と引き換えに、我らに降伏せよと迫っているのであろうが!」
長の怒りは頂点に達したようだった。
「お前たち、この者を捕らえよ!」
長が号令すると、男たちが一気にタケルとミムラに飛び掛かる。その時、タケルの腰の剣が光り始めた。閃光のような強い光に、飛び掛かろうとする男たちが怯んだ。
「お主は何者じゃ!・・おかしな妖術を使い・・そうか・・ヤマトの王か!」
長が叫ぶ。
タケルは、光を放つ剣を抜かず、柄に手を置いたままじっと立っている。
「この御方は、ヤマトの皇アスカ様の御子、タケル皇子です。」
ミムラが叫ぶと、皆、その場に座り込んでしまった。剣の光に諫められたように、いきり立つ心がすっかり消えてしまって、ただ、茫然としている。

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1-11 光の力 [アスカケ外伝 第2部]

「長様、私の話をお聞きください。」
タケルは、椅子に腰を下ろしたまま呆然とする長に向かって言った。
「私は、ヤマトの皇様より、この戦を収めるよう命を受けて参りました。ヤマトは、いずれの国をも侵す事などありません。それより、戦によって傷つく民を少しでも早く救い、安寧を守る事こそ、国の礎と考えております。おそらく、この戦は、東国でもヤマトでもない、もっと良からぬ者が企んだに違いありません。私は何としても、その者を見つけ成敗せねばなりません。」
タケルは、じっと長の眼を見て語った。
長は大きく溜息をつく。そして、
「我らとて、戦など望まぬ。戦をすれば、傷つき命を落とす者がいる。そして、それを悲しみ、生きる力を失う者がいる。恨みも生まれる。・・戦など・・何の意味もない。・・だが、我が郷は、誰かが守らねばならぬ。皆、そういう辛い思いをして過ごしてきた。戦をやめられるなら・・何よりだが・・。」
長はそう言うと、ゆっくり立ち上がる。
随分と疲れているように見えた。周囲の者がそっと寄り添う。そして、二、三歩ほど歩いて、急に胸を押さえ倒れ込んだ。
「長様!」
イラコが駆け寄る。長は、胸を押さえ、小刻みに小さな息をしている。見る見るうちに顔色が青ざめていく。
船で共に来たチハヤが、取り巻く男たちを掻き分けるようにして長の傍に行き、手を取り、脈を取る。発作を起こしたに違いない。
「タケル様・・。」
そう言って、チハヤが悲しい顔をして、タケルを見た。チハヤの言わんとする事はすぐに判った。
タケルは、胸元から、勾玉の首飾りを引き出すと、強く握り締め「母上、お力をお貸しください。」と念じた。
すると、首飾りが少しずつ光を発し始めた。
黄色い光は、徐々に大きくなり、タケルを包み込む。
タケルはそっと、長の胸に手を当てる。そして、再び、強く念じた。さらに光は強くなり、長を包み込み、さらに、傍にいたチハヤも光の中へ入った。
チハヤは不思議な気持ちだった。何か大きな力に守られているような、母の胸の中にいる様なそんな気持ちになっていた。光はさらに大きくなり、周囲にいた男達、港にいる者達をも包み込むほどになっていく。皆、目を閉じ、その場に座り込む。
ミムラもその中にいた。兄ホムラから、皇様の特別な御力の事は聞いていたが、実のところ、信じていなかった。だが、自らその光の中にいる。そして、そこは優しき母の懐のような何とも安堵した気持ちになっていた。おそらく、これがヤマトの礎に違いない。皆の安寧を願う皇アスカと摂政タケルの姿が目の前に浮かぶようだった。
暫くすると、徐々に光が小さくなっていく。横たわる長の胸に、チハヤは耳を当てた。心臓の鼓動が聞こえる。長も大きく呼吸を始めた。
「もう・・大丈夫・・。」
チハヤはそう言って、顔を上げると、タケルは蒼白な顔で意識を失ったまま、座っていた。
「いけない。誰か、タケル様が・・。」
チハヤの悲痛な声に、即座に、シルベが反応し、駆け寄り、タケルを抱え上げる。
「どこか・・休めるところはないか!」
近くの小屋にタケルは運び込まれた。チハヤが気付け薬を煎じて、タケルに飲ませた。隣には、長も横になっている。港にいた渥美の衆は、心配そうな顔で小屋を取り巻いていた。
「長様は大丈夫だ。タケル様の特別な力で良くなられる。」
ヤスキが言うと、ミムラやイラコは、タケルを心配した。
「タケルも大丈夫だ。力を使った後は動けなくなる。すぐに目を覚ます。さあ、米を運んで、皆に配ろう。」
ヤスキの言葉で、皆、安堵した様子で、作業を始めた。
不思議なことにあの光を受けた者は、誰しも、普段より元気になり、力が湧いてくるように感じて、活き活きと動き回った。皆、口には出さなかったが、タケルの発したあの光は命の光だと思っていた。
ひとしきり、作業が終わったころ、長が目を覚まし、起き上がった。
「大丈夫ですか?」
作業を終えたイラコが小屋に入り、様子を伺った。
「ああ・・儂はどうしたのだ?・・何か・・気を失ったように思うが・・。」
長の問いに、イラコは、タケルが起こした奇跡を丁寧に話した。
「そうであったか・・・。」
長は、そういうと隣に横たわるタケルを見た。
「ヤマトの怪しげな力とは・・こういうものか・・。」
長はそう言うと、すっと立ち上がる。港に出てきた時は両手に杖を持っていたが、今は、若い頃のように何の不安もなく立つことができた。そして、体が軽い。常にどこか痛みを感じていたはずだった。
その様子を見ていたチハヤが言う。
「タケル様は、皇様より特別な御力を譲り受けられたのです。命を守る尊き力。ですが、それは、自らの命を削る事なのです。」
「そうなのか・・・。」
長は、じっとタケルを見つめ、そして、そっと手を取った。
「我らの考えは・・きっと・・間違って居ったのだろうな・・・。済まぬ。」
長は、タケルに深く頭を下げる。
「イラコよ、タケル様が目を覚まされたら、頭領の御館へご案内せよ。そして、これまでの経緯を全てお話しし、伊勢・・いや、ヤマトとの戦を一刻も早くやめるよう進言するのだ。」

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1-12 吉胡の郷 [アスカケ外伝 第2部]

タケルが目を覚ましたのは翌日だった。
渥美一族の頭領が住む、吉胡の郷へ向かう支度は既に終わっていた。ヤスキから一通りの事を聞き、イラコと共に大船ですぐに吉胡へ向かうことにした。
伊勢から運んできた米は、福江の長の指示で、たくさんの小舟に分けて乗せられ、渥美の小さな郷へ隈なく配られた。そして、タケルの起こした奇跡は、「神にも通じる力」と誰かが言い始め、渥美の衆の中では「タケル様の神力」と呼ばれるようになり、多くの郷に伝わっていた。それとともに、ヤマトとの戦が無意味なものだという事も伝わった。
服江の港から穏やかな内海を進み、高い山を回り込むと、吉胡の港がある。ミムラは、服江の港を出る時、長から聞いた事が気掛かりだった。
『先ごろ、我が頭領が病で亡くなり、まだ若い息子が跡を継いだ。その時、穂の国より、国を治める手助けにと、イソキなる男がやってきた。今、奴が、渥美の兵を率いて戦をしておる。奴を説き伏せねば、戦は終わらぬ。』
長の口調は、イソキという男を嫌っているようであり、一筋縄ではいかぬ者だという事が感じられた。
「タケル様、我が伊勢の軍船はこのまま吉胡の港に入るのは危ういかもしれません。」
ミムラが、タケルに相談すると、タケルも同様に考えていた。
「私も、何か不穏なものを感じます。伊勢の軍船が入れば、戦になるかも知れません。」
結局、伊勢の軍船を吉胡の港には入れずに、山を隔てた裏側の白谷の港へ着けることにした。そして、そこから、ヤスキとシルベは、山を越えて、吉胡の郷へ行くことにし、白谷の港で、イラコの漁師仲間が道案内をすることになった。
チハヤは、軍船に残ることにした。
タケルやイラコたちを乗せた大船が、吉胡の港に入る。対岸には、穂の国がある。「神の力」の話を聞いた郷の民は、皇子タケルを一目見ようと集まっている。
大船が桟橋に着くと、周囲から歓声が上がる。
船からイラコが先に降り、そして、ミムラ、タケルが順に降りて来る。見る間に、人が桟橋に押し寄せてくる。桟橋がぎしぎしと音を立てる。
「どいてくれ!頭領のところへ行かせてくれ!」
イラコは人波を掻き分けるようにして前へ進む。急に、民たちが引いていく。前方から、剣を構えた衛士の集団がやってきたのだ。衛士たちは、剣を構え、民に向ける。港の一角に大きな空間ができ、そこに、イラコやタケルたちが立つ格好になった。衛士の一人がタケルたちの前に傅いて言う。
「良くおいでくださいました。将軍がお待ちです。」
言葉は歓迎しているようだが、その声には、有無をも言わせぬような威圧感があった。衛士たちは剣を構えたまま、タケルたちを取り巻き、館へ案内する。
館は、吉胡の郷から少し離れた丘の上の、港を見下ろせる場所にあった。近頃になって建てられたと判るほど新しく荘厳な構えをしている。そして、館の周囲には獣除けの策や堀は作られており、館というより、戦のための砦のようにも見えた。
大門をくぐると、大屋根の館の玄関に、黒い衣に身を包んだ大男が立っていた。タケルたちを取り巻いていた衛士が左右に分かれる。剣は構えたままだった。
「ヤマトの皇子、よう参られた。私が渥美国の大将イソキでございます。」
丁寧な口調と笑顔を見せているが、目は笑っていない。そして、玄関の高い所から、タケルたちを見下ろし、自分の方が偉いのだと見せつける様な態度であった。
イラコが口を開く。
「頭領様に、面会を願います。」
それを聞いて、イソキが苦々しい顔をして答える。
「頭領様は、先日から病で臥せっておいでだ。私が代わりに聞こう。」
「いえ、頭領様にお話しせよと我が長に言われております。」
「フン・・だいたい見当はついている。ヤマトとの戦をやめよと申すのであろう。」
「はい。」
イラコが答える。
「・・福江の衆は、皇子の怪しげな術に騙されたのであろう。・・奇跡とか神の力とか申しておるようだが・・・。」
「いえ。怪しげな術などではございません。目の前で、タケル様の御力で、長様は命を救われました。あれは、神の御力に間違いございません。」
イラコが真剣な表情で答える。
「困ったものだな・・・純粋な我が民を誑かすとは・・・。」
イソキは、怒りをあらわにしてタケルを睨み付けた。
それを見て、ミムラが一歩前に出て、言った。
「私は、伊勢国、安濃津のミムラと申します。」
「ほう・・敵国の長の弟ではないか!良くもここまで来れたものだ。即刻殺してやっても良いのだが・・。」
「無意味な戦さは止めましょう。互いに誤解しております。我らは東国から攻められていると思い、渥美の方々はヤマトが攻めてきているのだと・・いずれも根拠のない事。きっと、我らが戦うことで利を得る者の陰謀に他なりません。」
ミムラはじっとイソキの眼を見て進言した。すると、イソキは顔面を紅潮させ、怒鳴るように言った。
「誤解?・・嘘を申すな!・・我らは、ヤマトの旗を掲げた軍船に幾度も襲われた。・・妖術を使い、民を誑かすだけでなく、虚言を並べて、儂までも騙そうとするとは・・許しがたい!おい、この者達を捕らえ、牢に入れておけ!」
イソキがそう言うと剣を構えた衛士たちが迫る。ミムラが腰の剣を抜こうとした時、「抵抗するな」とタケルが止めた。
「ほう・・意外に利口なようだな・・。」
イソキはそう言うと奥へ入って行った。タケルたちは、縄で縛られ、館の奥の牢へ閉じ込められてしまった。

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1-13 イソキの所業 [アスカケ外伝 第2部]

その頃、シルベとヤスキは、白谷の漁師に案内され、山を越えたところだった。人も通らぬ獣道を何とか抜けると、眼下に吉胡の郷が見えた。小高い丘の上に立つ館も見える。
「おそらく、あの館にいるだろう。」
シルベは館へ向かうことを提案した。だが、道案内をしてきた漁師が言う。
「あの館は簡単には入れない。イソキという、穂の国からきた者が、頭領の傍にいてこの国を治めている。以前、兵に召集されて拒んだ者が殺されたとも聞いた。イラコも無事では済むまい。」
それを聞いて、ヤスキはふと、子どもの頃聞いた「大和争乱」の話を思い出していた。
「少し、郷の様子を見ていこう。館にいるとしたら、おそらく囚われているに違いない。」
ヤスキはそう言うと、道案内の漁師と別れ、シルベと共に吉胡の郷へ入って行った。
吉胡の郷の港では、船で運んできた米が次々に降ろされていた。そしてそれらは、真っすぐ、館へ運ばれていた。シルベとヤスキは、米を肩に担ぎ、人夫達に紛れて館へ向かった。大門を通り抜けると、米は館の隣りにある蔵の中へ納められた。その様子を、館の窓から眺めている男が見えた。
「あれが、イソキという者か。」
ヤスキが小さく呟くと、隣にいた若い人夫が、「ああ、そうだ。」と呟く。その言葉が苦々しく聞こえたので、大門を出て、男を引き留め詳しい話を聞くことにした。
その人夫は、郷の若者で、ヨウジと言った。
「あいつのせいで、母は死んだ。兄は戦で取られ、漁にも出られず、食いものが手に入らず、体の弱かった母は死んだ。弟や妹も弱っている・・・。」
ヨウジは、歯を食いしばり、涙をこらえようとしている。
「あの米は、民に分けられるのではないのか?」
とシルベが訊く。
「我らもそう思っていた。他の郷では、皆で分けていると聞いて、我らも喜んだが、伊勢からの米は食ってはならぬとの命が出て、イソキが全てを取り上げた。運んできたイラコたちも囚われたと聞いた。」
「やはり、そうか。」とヤスキ。
「どうしますか?」とシルベが、ヤスキに訊く。
「まず、タケルたちがどこにいるか、探らねば・・・。」
ヤスキはそう言うと、港からは米を運んできた人夫から、米を引き継ぎ、再び館の中へ向かった。シルベも同様にして館へ入る。ヨウジも続いた。三人は、米を蔵に入れ、大門を出て行くふりをして、大門の横の茂みに身を潜めた。
「陽が落ちたら動こう。」
三人は暫くその場にとどまった。
館の中から米が運び込まれる様子をみていたイソキは、側近数人とともに、居室にいた。
「さて、ヤマトの皇子や伊勢の者はどうする?」
イソキが呟くと、奥の部屋から女性の声が響いた。
「まずは、穂の国の王へ事の次第を伝えましょう。王からの指示を仰ぐのが一番。」
「良かろう。すぐに使者を向かわせるのだ。」
「はい。」
側近はすぐに人を呼び使者を行かせた。
「民たちは、如何すれば良かろう。すでに、伊勢国との戦の真実を知った以上、これまで同様とはいかぬであろう。」
また、奥の部屋から声がした。
「また、例の策を取りましょう。」
「例の策?・・おお、あの軍船に、今一度、戦を仕掛けてもらうという事か。」
「此度は、福江あたりの郷を襲わせましょう。神の力の話の発端になっておるゆえ、郷の者を皆殺しにして、周囲の郷にも知らしめたほうが良いでしょう。」
「伊勢と通じた報いを受けたという事か・・。」
「ええ。」
「しかし・・それは余りに酷くはないか?」
「いいえ、惨い仕打ちをするのは、”ヤマトの軍船”。誼を通じたにもかかわらず、それを皆殺しにする、恐ろしき国、それがヤマトだと知らしめるのです。」
女性の言葉を聞いて、イソキはため息をついた。
「頭領にはどう説明する?」
「あれは、もうしばらくで、亡くなります。何も心配する事などありません。」
女性の言葉は冷徹であった。そして、頭領亡き後を望んでいるかのようであった。
イソキは、背筋が凍り付くような気持で、女性の言葉を聞いていた。
夕刻を迎え、辺りが薄暗くなり始めた。茂みに潜んでいた三人がようやく動き始める。
「おそらく、牢にでも入れられているはずです。昔、兄が入れられたことがあり、だいたいの場所は判ります。」
ヨウジは、二人を案内する。館の床下に入り込み、音をたてないようにして進む。暗闇ではあるが、床の隙間から灯りが差し込み、意外に進めた。
館の奥、北面まで来た時、前方に、灯りが見えた。
「あそこか?」とヤスキ。
「はい。」
入口には、監視のための衛士が一人座っているだけだった。シルベがそっと背後から近づき、衛士の口を押え、腹を強く殴りつける。たちまち、衛士は気を失った。
三人は、階段を下りる。そこには、たくさんの灯りが灯された大きな牢があった。だが、タケルたちの姿はない。代わりに、牢の中には、横たわる男と侍女らしき者が数人いて、見知らぬ男たちの侵入に、声も出ない様子だった。
「静かに!われらは怪しいものではない。助けに来た。」
ヤスキが言うと、侍女たちは小さく頷いた。

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1-14 脱獄 [アスカケ外伝 第2部]

一方、別の牢に入れられたタケルたちは、脱獄の機会を窺っていた。
「イソキという者はやはり長殿が話されていた通りであったな。」
ミムラは、壁の小さな明り取りの窓から、外の様子を見ながら言った。
「ええ・・この戦は、あのイソキの企てなのでしょうか?」
カケルは、見張りの衛士の様子を伺いながら呟く。牢の柱の隙間から手を伸ばせば届きそうなところに、剣が置かれていた。衛士がじっとこちらを見ているため、手を伸ばすことはできない。
「渥美の大将のようだが・・それほどの知恵者とは思えないが・・。」
ミムラは、小窓の縁を丹念に調べながら、応える。
同じ牢に入れられたイラコは、床や天井を隈なく調べながら、言った。
「イソキは穂の国から遣わされた者ですが・・実は、その前に、穂の国から来た者がおります。・・亡くなった頭領は、渥美の郷の娘を娶り、子をもうけましたが、産後の肥立ちが悪く、すぐに亡くなり、後妻にと、穂の国の王の妹君であるイカナヒメが参られました。そして、頭領が亡くなると、すぐに、イソキノミコトが参り、後見人として国を治めるようになったのです。」
「では、渥美国は、穂の国の者が治めているのとかわらぬではないか。」
と、ミムラが言う。
「もともと、穂の国を頼らねば食い物にも困るわけですから、やむを得ない事です。戦が起きるまでは、静かな国でしたし・・。」
イラコは呑み込むように答える。
「ありました!」
不意にイラコが言う。
「ここの板を外せば・・」
イラコはそう言いながら、壁の板を外そうとするが、動かない。どうやら、館を設えた時、牢を後から作ったため、板壁になっている箇所があったようだった。
「何をしている!」
物音に気付いた衛士が、剣を構え、血相を変えてやってくる。
タケルは牢の柱の隙間から腕を伸ばす。淡い光が指先と剣を繋ぐ。すると、タケルの剣がキラキラと光り始めた。その光に、たじろぐ衛士の隙をついて、タケルは剣を掴むと引き抜く。眩い光が一面を照らすと、タケルの体が一回り大きくなり、獣人へ変化した。
タケルは、力任せに牢の柱をへし折ると、牢から出た。ミムラもイラコも後に続く。大きな衝撃音が館に響き、異変に気付いた衛士たちが集まってくる。
集まってきた衛士たちは、見た事もない異様な人影に、恐れおののき、中には腰を抜かして座り込む者さえいた。
タケルは、衛士たちを睨み付け、剣を一振りする。空気を切り裂く音が響き、廊下の灯りが消え、真っ暗になる。そこで、タケルが吼えた。不気味な声が館に響く。衛士たちはすっかり戦意を無くし、座り込んだままだった。
「ここで騒ぎになると不味い。逃げましょう。」
ミムラが言うと、タケルが壁に拳をぶつける。大きな音とともに穴が開いた。衛士たちが集まってくる前に、タケルたちは牢を出て、裏山へ逃れた。
別の牢にいたヤスキとシルベにも、大きな音が聞こえた。ヤスキはすぐにタケルがやったことだと気付く。
「さあ、ここから逃げましょう。」
ヤスキは、侍女たちに促す。
だが、床に伏せっている男を置いて逃げる事は出来ないと拒んだ。
「仕方がない。」
シルベは、そう言うと、男を背負い、牢を出る。シルベは。背負った男が、まだ、少年と思うほど小さく、軽い。手足はか細く、生きているのが不思議なほどと、感じていた。
そこからは、ヨウジが先導し、床下を通って、裏山へ逃れる道を案内する。幸い、衛士たちは、タケルたちの牢へ向かっていて、手薄だった。館の床下から顔を出す。辺りは真っ暗だったが、ぼんやりと月明りがあり、なんとか足元は判る。ヨウジは、裏山深く、皆を案内する。追っ手は来ていない。
館から裏山へ上ったところに、小さな沢があった。ヤスキたちは、とりあえずそこで休むことにした。シルベは背負っていた男をゆっくりと降ろす。すぐに数人の侍女が取り囲み、様子を見る。他の侍女が、沢から水を汲み運んできた。
「この方はどなたですか?」
侍女たちが落ち着いたところで、ヤスキが訊く。
「この方は、ハルキ様と申され、我らの頭領様でございます。」
少し年配の侍女が悲しげに答える。
「頭領様が・・何故?それに、まだ頭領と呼ぶほどのお歳ではないようだが・・。」
とシルベが訊く。
年配の侍女が答える。
「すべては、イカナ様の悪行なのです。先の頭領の後妻として、穂の国より参り、ハルキ様を、牢へ入れ、満足に食事も与えず、病気と言っては怪しげな薬を飲ませられ・・・」
侍女はそこまで言って涙ぐみ、言葉を詰まらせた。
沢の周囲で、ガサガサという音が聞こえた。
「隠れよ!」
ヤスキが言う。皆、岩や草の影に身を潜めると、沢の向こうから男たちが草を分けながら現れた。タケルたちだった。イラコの案内で、牢から抜け出し、やはり、この沢を目指してきたのだった。
「タケル様!」
ヤスキが呼ぶ。
「ヤスキ殿、無事だったか。」
沢の周りで、車座に座り、それぞれに聞いた事、見た事を話した。

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1-15 命を削る [アスカケ外伝 第2部]

「ならば、その・・イカナヒメが元凶ということか?」とミムラが訊く。
「いや、もっと裏で糸を引いているものがいるに違いない。」と、言ったのはヤスキだった。春日の杜で何度も大和争乱の話を聞いた。そして、目の前に見える悪よりも、見えぬ悪の方が恐ろしい事のだと教わった事を思い出していた。
「知多の一族も戦に加わっているのだから、そこにも何かある。イカナヒメだけのたくらみではないはずです。」
そう言ったのはタケルだった。
「しかし、まず、頭領ハルキ様をお助けせねば。軍船に戻れば、チハヤ様がいます。」
そう言ったのは、シルベだった。
皆、昼間に越えて来た道を探りながら、白谷を目指した。
館の異変に気付いたのは、タケルたちが逃げ延びて、かなり時間が経ってからだった。衛士から、イソキへ、見た事もない獣が牢獄の囚人たちを逃したと報告された。
「獣が囚人を逃しただと!・・何をふざけて居る!・・守衛の役をしくじったからと言って、そんな戯言で誤魔化そうなどとは・・・。」
イソキは報告に来た衛士をその場で切り殺した。さらに、他の衛士が来て、頭領と侍女たちも脱獄したことが知らされた。
「いったい、どういう事だ!」
イソキは怒りに任せ、その場に居合わせた衛士たちを切りつけた。皆、恐れて、館から逃げ出していく。
「落ち着きなさい。・・ここを抜け出したとしてもあの体ではそう長くは持ちますまい。」
イカナヒメが、イソキを宥めるように言う。
「吉胡の郷や周辺を隈なく調べさせるのです。匿った者は罪人であると触れ回れば良い。すぐに居場所は判るでしょう。」
イカナヒメが言うと、側近がすぐに動き始めた。
早朝、吉胡の郷では、衛士たちが、家を一軒ずつ回って、中を調べ始めた。一日調べたが、どこにもタケルたちや頭領たちの姿はなかった。
「なぜだ!なぜ見つからぬ!・・・もはや、容赦できぬ。すぐに、福江に軍船を向かわせろ!逆らうものは全て殺せ!」
イソキは、焦っていた。
もし、頭領ハルキが生き延びたなら、自分の悪行がすべて露見してしまう。民が暴動を起こさぬとも限らない。イソキは、予想外に肝の小さな男だった。
その頃、山を越えて伊勢の軍船に辿り着けた一行は、すぐに港から出航した。そして、一度、福江の郷へ戻ることにした。
船中で、チハヤは、侍女から大よその事情を聴いた後、ハルキの容態を診た。食事も満足にとれておらず、栄養失調に陥っているばかりでなく、何か毒のようなものを飲まされているようであった。
チハヤは、解毒のための薬草を煎じ、ハルキに飲ませる。だが、思った以上に深刻な状態だった。このままでは、命が費えるのは時間の問題だった。タケルの特別な力を使えば、回復できるだろう。だが、それはタケルの命を削る様なもの。
チハヤは迷っていた。
「どうだ?ハルキ様は良くなるのか?」
船縁で佇むチハヤに、ヤスキが訊く。チハヤは返答に困っている。
シルベは、船に戻ってから、チハヤの傍にいて、チハヤが抱えている悩みが判っていた。
「チハヤ様!頭領様が・・。」
侍女が血相を変えてやってきた。
チハヤは慌てて、戻る。そこには、もう息をする事さえ厳しくなっているハルキの姿があった。
すっと、タケルが部屋に入ってきた。首飾りがキラキラと輝いている。
「チハヤ、母上が、ハルキ様をお助けせよと申されているようだ。」
「でも・・」
「大丈夫だ。チハヤが傍にいれば、私はまた元気になれる。」
タケルはそう言うと、ハルキの横に座り、右手をハルキの胸辺りに置き、左手で首飾りを強く握りしめた。
キラキラと輝く首飾りから、さらに強い光が発し始める。狭い船室の中が黄色い光で満たされていく。チハヤは、そっとタケルの背に手を当てた。なぜかは判らなかった。ただ、そうすべきだと感じた。チハヤの手がタケルの背に触れると、光の色が変わっていく。黄色い光は徐々に赤くなり、まるで朝焼けの中にいるようだった。
チハヤの体にも異変が起きていた。長い黒髪が徐々に色を失い、金色に輝き始めた。そして、赤い光はさらに強さを増し、閃光となって消えた。
光が収まり、すぐにチハヤはハルキの手を取り、脈を診た。ドクンドクンと力強い。呼吸もしっかりしていた。そして、なにより、痩せ細っていた顔に張りが出て、一見して元気ないなったことが判るほどだった。
「もう大丈夫・・。」
チハヤはそう言うと、その場に倒れてしまった。タケルも同様に気を失っている。
ヤスキとシルベは、二人を別の部屋で横にした。ほどなくして、チハヤが目を覚ます。
「タケルは?」
起き上がったチハヤは、自分の横で静かに眠っているタケルを見て、ほっとした。
そして、あの光の中にいた時間の不思議な感覚を思い出していた。体という殻から解放され、魂だけがタケルと一つになっていたような・・そして、そこには、皇アスカの温もりも感じた。
すぐに、タケルも目を覚まし、いつもの事と、チハヤが煎じた薬を飲んだ。
「チハヤ、その髪は・・。」
タケルが気付く。チハヤの髪は、黒髪に戻ってはいたが、右の耳の上辺りの一カ所だけ、金髪のままになっていたのだった。

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1-16 ヤマトの船 [アスカケ外伝 第2部]

福江の郷に着くと、すぐに、長の館へ一同は迎えられた。
長は、頭領ハルキの前で深々と頭を下げ、「ご無事で何よりでした。」と述べた。
イラコが、吉胡の郷での事を長に話す。タケルの力で、すっかり元気を取り戻した頭領ハルキは、取り巻く人々を前に、深々と頭を下げる。
「私の力が足りないばかりに・・皆に苦難を強いてしまいました。申し訳ない。」
その言葉に、長達、福江の衆は、涙を溢した。
「タケル様には、何と言ってお礼をすれば良いか判らぬが・・渥美国の全ての民に代わり、深く礼を申します。」
長は深々と頭を下げる。
「礼など不要です。それより、気掛かりがあります。・・我らが牢獄から抜け出したことで、きっと、イカナヒメやイソキ達は次の手を打ってくるに違いありません。」
タケルが言うと、長が答える。
「おそらく、兵を率いて、頭領やカケル様の行方を捜しているに違いないでしょう。自らの悪行が露見する前に、口封じするつもりでしょう。」
「ええ・・福江にも害が及ぶかもしれません・・。」
それを聞いて、頭領ハルキが答える。
「これは、渥美国の中での事。この始末は、頭領である私の仕事です。」
これを聞いて、長が笑顔を浮かべて答えた。
「渥美国の民として、悪しき者に抗い、正しき国を作るため、頭領を助けるのは民の役目。如何なることになろうとも、覚悟はしております。」
長の言葉は正しかった。他国との戦ではない、自国の内乱である。悪しき為政者を倒すのは、民の力でしか叶わぬ事だった。
「沖に、軍船です!」
港から突然知らせが届いた。すぐに、港へ向かう。
沖に漁に出ていた漁師が、沖合で軍船を見たと言ってきたのだった。
ミムラはすぐに伊勢の軍船に出航させる。ヤスキとシルベも、伊勢の軍船に乗り込んだ。タケルは、港に残り、頭領と共に、郷の民に被害が出ないよう、皆を集め、長の案内で高台に設えられていた砦へ向かった。
砦に上ると、遥か沖合まで見渡せた。まだ、かなり距離があるようだが、福江から北の方角に軍船の姿があった。さらに、東方へ目を遣ると別の軍船が数隻見えた。二方向から、軍船がこちらに向かっていることになる。これらが通じているとすれば、伊勢の軍船は挟み撃ちに会い、勝ち目はない。
タケルは、皆が砦に入ったことを確認すると、再び港へ戻った。頭領ハルキも共に戦うと言ったが、まだ、体調は万全ではない中、無理はできない。
「頭領様は、民をお守りくださるようお願いいたします。皆、不安な心持のはず。ここからしっかり戦況を見ておいてください。万一の時は・・。」
と、タケルが言うと、頭領ハルキは強く頷いた。
タケルは港に走る。イラコが港にいた。
「タケル様、お乗りください。」
イラコには、タケルの考えが判っているようだった。数人の若者が中型の船に乗り込み、港を漕ぎだした。
軍船がどんどん近づいてくる。やはり、伊勢の船は挟まれる格好になる。タケルは、船の舳先でじっと敵の軍船を見つめる。
北からの軍船には、大きな旗印が掲げてあった。どこかで見た事のある文様だった。
イラコが叫ぶ。
「あれは・・ヤマトの軍船です!」
「いや、ヤマトの都は山に囲まれて、軍船など持っていません。」とタケル。
「ですが・・あれこそ、戦の発端となった船。あの文様はヤマトのものだと・・」
そう言われて、タケルはハッと思い出した。
確か、あれは、モリヒコの畝傍の館の蔵の中で見た文様だった。畝傍の館は、大和争乱の前は、物部氏の館だったはず。あの蔵の中には、物部氏が残していった物が保管されたままだった。幼い頃、父に連れられ訪れた、畝傍の館で、父とモリヒコが話していた記憶があった。とすれば、あの軍船の旗印は、物部氏にゆかりのある者が掲げているという事になる。どのような経緯でそうなったのか、悪しき者に使われているとすれば、忌々しき事だとタケルは考えた。
「イラコ様、我らは、あちらの軍船に向かいましょう。」
タケルの乗った船は、東に向きを変えた。僅かでも、イソキの軍船を足止めできれば、勝機も見えてくる。タケルたちの船には、大した武器はない。沖合を進む軍船にできるだけ気づかれないよう、海岸に沿って進む。途中、岩陰に隠れながら、軍船の後ろに回り込むことにした。
イソキは軍船の甲板から、”ヤマトの軍船”が福江の港の沖にいるのを見つけた。
「ほう、意外と早く動いてくれたようだな・・。少し、様子を見るとするか・・。」
伊勢の軍船との戦の成り行きによっては、途中で参戦し、”ヤマトの軍船”を退ける形を取り、福江の民を救う体裁を取れば、とも考えていた。
福江の沖に、”ヤマトの軍船”は、徐々に近づいてくる。東からの軍船は、イソキが率いる兵たちが乗っていた。甲板には、兵たちが弓を構えているのが見える。
「挟まれれば勝ち目はない。風を使い、一気にあの軍船の背後に回るぞ!」
ミムラが号令する。
帆が大きく張られ、伊勢の軍船が西へ舳先を向ける。それに釣られるように”ヤマトの軍船”が主舵を切る。イソキの軍船からは少し距離を取った。
伊勢の軍船と、”ヤマトの軍船”の距離が、徐々に縮まっていく。
敵船の甲板の兵の顔が判るほどになると、敵船が矢を放ち始めた。すぐには届かなかったが、徐々に船体に当たるようになる。応戦して矢を放つ。だが、敵の方が圧倒的に、数が多く、このままでは、こちらが不利なのは明白だった。

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1-17 海上の戦い [アスカケ外伝 第2部]

「よし、反転する。皆、何かに掴まれ!」
ミムラの号令で、伊勢の軍船は、大きく主舵を切る。船体がきしむ音がする。舳先にはヤスキがいた。
「ヤスキ殿、弩(大弓)を使ったことはあるか!」
「はい。一度、難波津で。」
「ならば、頼む。舳先の木戸を開けば、弩があるはず。敵船に打ち込め!」
ミムラは戦になれているように感じた。
言われるまま、ヤスキは木戸を開く。見事な弩がある。それを舳先に引き出す。男数人でギリギリと弓を引く。飛ばす矢は人の腕より太い。難波津で、弁韓の船を射抜いた時の事を思い出しながら、ヤスキは軍船の帆柱を狙う。”ヤマトの軍船”の真後ろについた。
難波津では陸から弩を発した。しかし、揺れる船の上では、なかなか的が定まらない。それでも、後ろについた伊勢の軍船の舳先から、”ヤマトの軍船”の兵の顔が判るほどになれば、何とか、当てる事がかなうほどになった。
「今だ!」
ヤスキは一気に弓を引く縄を切る。轟音と共に、鉄の矢が飛んでいく。
追い風の中、矢は勢いを増すように飛び、ドーンという轟音と共に、”ヤマトの軍船”に当たった。帆柱を狙ったが、少しそれて、船体を貫いた。弓を構えていた兵たちは、その衝撃で甲板に転がった。船の中では、将らしき男が転がった兵たちを殴りつけ、態勢を立て直そうとするのが見えた。
「弓を放て!」
ミムラが号令する。伊勢の軍船から無数の矢が飛んでいく。何人かの兵が矢に当たり倒れる。反撃する様子はない。
”ヤマトの軍船”の船縁にいた、将らしき男は、その様子を見て何か叫んだ。すると、”ヤマトの軍船”は、急に、取り舵で大きく向きを変える。そして、帆を張って、速度を上げる。敗走する様子だった。
その様子を見て、ヤスキがミムラに叫ぶ。
「逃げられるぞ!」
ミムラはそれを聞き、答えた。
「良いのです。このまま戦えば、こちらも怪我人が出る。深追いせぬ方が良い。」
”ヤマトの軍船”はどんどん遠ざかる。
「しかし・・また、仕掛けて来るかもしれぬ。ここで叩いておけば・・」
と、シルベも言う。
「いえ、根源はあの船ではない。まずは、イソキを倒し、渥美を正しき国に戻す事です。真の敵は、あの船です。」
ミムラが、東の方角に視線を遣る。数隻の軍船が距離を置いて止まっている。
戦況を眺めていたイソキは、あっけなく”ヤマトの軍船”が敗走していくのを見てたいそう悔しがった。そして、兵に命じた。
「我が渥美を侵そうとする、悪しき国伊勢の軍船を攻撃せよ!」
兵たちは体勢を立て直した。そして、船を進める。イソキの軍船の他、伴船二隻も続く。
「イソキの船が来るぞ。気を抜くな!」
ミムラが号令する。
ヤスキはすぐに弩の支度にかかる。シルベは兵たちとともに、弓を構える。
徐々に、距離が縮まっていく。三隻と一隻、数で勝ち目はない。真正面からイソキの軍船が来る。この状態では、弩は使えない。何としても背後につきたかった。徐々に近づく。舳先の兵の顔がはっきりと判別できるほどになった時、双方の船が主舵を切り、船体がぶつかるほどの近くを通過する。
「矢を放て!」
双方から、雨のように矢が放たれる。それぞれ数人は当たり倒れる。通過した後、さらに舵を切り反転する。だが、そこには、敵の伴船がいた。やや小ぶりは軍船から矢が放たれる。伊勢の軍船は、応戦する。何とか、離れると、今度は、イソキの軍船が襲ってくる。圧倒的に不利な状況だった。
「いかん。このままでは駄目だ。・・あの伴船だけでも止められれば・・。」
ミムラが言う。その時だった。もう一隻の伴船が、なぜか、同じ伴船を攻撃し始めた。
「どうしたんだ?」
ヤスキが船縁から様子を探る。伴船にはタケルの姿があった。甲板からタケルが叫ぶ。
「この船は我らが落とした!」
タケルとイラコは、岩陰から近づき、停泊していた伴船に気付かれぬように乗り込み、伴船の長を縛り上げ、味方にしていたのだった。
見る間に、タケルの乗った伴船は、もう一つの伴船に横づけする。タケルは、一気に乗り移り、迫る兵を剣で払いながら、長を探している。あまりの勢いに、兵たちは怖気づき、抵抗をやめる。中には、海に飛び込む者さえいる。瞬く間に、その船も手中にしたのだった。これで、一気に形勢が逆転した。
イソキはまだ気づいていなかった。反転し、再び、伊勢国の軍船に近づいた時、味方の伴船が、伊勢の軍船に並んでいるのに気付いた。
「伊勢の船を捕らえたか?でかした。」
イソキは勝ったものだと思い込み、ゆっくりと船を進める。
伊勢の軍船では、ヤスキが弩の構えをしていた。
「まだまだ・・。」
徐々に近づくイソキの軍船。イソキが操舵室の上で、ふんぞり返っているのが見える。
「よし、今だ!」
ドーンという轟音が響く。鉄の矢はまっすぐに飛んでいき、見事に帆柱に命中した。メリメリという音と共に、柱が傾く。射貫いた鉄の矢は、そのまま、甲板を貫き、大きな穴をあけた。イソキは、腰を抜かしその場に座り込んだ。何が起きたのか判らぬ様子で、兵たちも逃げ惑っている。

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1-18 イソキ敗れる [アスカケ外伝 第2部]

ミムラとタケルは、すぐに、イソキの軍船に乗り込み、イソキや兵たちを縛り上げて、福江の港へ戻った。
「怪我人はこちらに!」
港にはチハヤがいた。船が着くと、すぐに、敵、味方関係なく怪我の治療を始めた。郷の者も手伝った。
戦況を見守っていた頭領ハルキも、長達と共に港に来ていた。イソキや側近は、荒縄で縛られ、頭領の前に突き出された。
「イソキよ、如何すればよい?」
頭領ハルキは、穏やかな口調で訊く。それは、イソキに自らの罪を認め、自らの処遇を考えさせるものだった。
「私は、渥美国のため、頭領様のために今日まで奮闘して参りました。すべては、悪しき国ヤマトから、我が国を守るための事。このような仕打ちを受ける謂れはありません。」
イソキはあくまで自らの罪を認めようとはしない様子だった。
「ならばなぜ、我を地下に幽閉した?」
「幽閉などと・・体調が思わしくないとお聞きし、安らかなる場所でと申しつけておりましただけ。おそらく、それは侍女たちの陰謀に違いありません。」
言い逃れだけは長けている。
「私が死ねば、頭領の跡を継ぐ者がおらぬ。そうなれば、穂の国がこの渥美を手中にすることができる、そう企んだのであろう。」
「滅相もない。我が渥美は、穂の国の支えがなくては成り立ちません。懇意にしておくことが肝要。イカナヒメ様の輿入れも、先の頭領が考えられた故のこと。見誤ってはなりません。」
「さすがに、イソキ殿は口が立つ。」
とミムラが言うと、イソキはきっとミムラを睨み付ける。しして、悲しげな顔をして、ハルキに向かって言った。
「ハルキ様、ヤマトの陰謀に乗せられてはなりません。怪しげな術を使い、人心を惑わす皇子こそ、悪の張本人。あやつを捕らえねばなりません。ハルキ様も、きっと、あやつの術に操られておいでのはず。早く、正気にお戻りください。」
イソキのあまりの言い訳に、頭領も居並ぶ者達も呆れ果てた。
「悔い改めるつもりはなさそうだな。」
頭領ハルキが言う。
「首を刎ねましょう。」
福江の長が容赦なく言うと、イソキは震えあがった。元来、肝の小さい男である。
「どうか、命だけは・・・」
と、イソキが懇願する。
「お待ちください。」
そう言ったのは、タケルだった。
「我らは、この戦を一刻も早く終わらせたいと大和から参りました。渥美との戦はこれで決着がつきましたが、知多ではまだ続いております。それに、あの怪しげな軍船がいつ現れるか判りません。この者の首を刎ねたところで何も変わりません。」
タケルの言葉に、頭領が訊く。
「ではどうするのが良いでしょうか。」
「しばらく、吉胡の館の牢に入れておきましょう。いずれ、この戦を仕掛けた張本人が動き出し、この者と連絡を取るでしょう。敵を炙り出さねば、この戦は終わりません。」
タケルの提案に、頭領の長も賛同し、頭領はタケルたちを伴って、吉胡の郷へ戻ることにした。吉胡へ戻ると、館は、すでに、もぬけの殻になっていた。
イカナヒメは、イソキが敗れた事を知ると、闇夜の中、僅かな者達と吉胡の港から穂の国へ逃れたのだった。
「穂の国がこの戦の張本人だろう。」
ヤスキは、館で夕餉を食べながら呟いた。タケルも頷く。
「だが・・確証がない。」
「これだけのこと、穂の国以外には考えられぬ。すぐに穂の国を攻めるべきだろう。」
と、ヤスキが続けると、ミムラが応じて言う。
「いや、こちらから仕掛ければ、結局、ヤマトが、穂の国を侵すことになる。それでは、きっと敵の思う壺だ。」
ミムラが言うと、他の者も頷く。
「あの軍船の事だが・・」
と、タケルが切り出す。
「あの旗印は、古の大和のものだった。おそらく、物部氏の残したもの。きっと、この辺りに、物部氏とゆかりのある者が潜んでいるに違いない。」
「物部氏?」とヤスキが驚いたように言った。
それを聞いて、シルベが口を開く。
「はるか昔の事で、確証はございませんが・・・難波津を攻め惨敗した時、多くの兵は命を落としましたが、将の中には逃げ延びた者がおりました。もしかしたら、その残党がこの地まで辿り着いたとも考えられます。」
「いや・・それにしても、遥か昔の事・・」とヤスキ。
「確かに遥か昔かもしれませんが、こうして私は生きております。若き将であれば、まだ、充分に・・」とシルベが言う。
「では、その者がヤマトへの復讐をするため、戦を企てたのだと・・」とミムラが言う。
皆の会話を聞きながら、タケルは、父カケルから聞いた「難波津の戦」の事を思い出していた。それは、大和争乱の中でも、最も酷い戦いで、シルベのように、戦の意味も分からず兵として招集され、劫火に巻かれて多くの者が命を落とした。父カケルも、あの戦は悔いているようだった。負けた将の悔しさはもっと深いに違いない。その者が物部氏の旗を持ち、穂の国や渥美、知多へ戦を仕掛けたという事は間違いのない事だろう。だが、その者はどこにいるのか、それを知りたいと考えていた。

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1-19 イカナヒメとイソキ [アスカケ外伝 第2部]

「もしや、イソキがその物部氏のかたわれという事はありませんか?」
ミムラが訊く。
「いや・・あの者はただ、イカナヒメの意のままに動いていただけでしょう。弁は立ちますが、それほどの度胸はない。イカナヒメが見捨てたわけですから・・」
と、頭領が答える。
「確か、イカナヒメは穂の国から輿入れされたと・・どういう御方なのでしょう?」
「私が幼き頃の事ゆえ、詳しくは・・。」
と頭領が言うと、料理を運んできた侍女が口を開いた。
「僭越ながら申し上げます。・・イカナヒメ様は、穂の国の王、アリトノミコト様の妹君です。御輿入れの際には、たくさんの米や金銀、宝石等が穂の国から運ばれました。若きゆえ、我がままではありましたが、本来、お優しい御方で、幼きハルキ様を可愛がっておられました。」
頭領はふっと幼い頃の記憶がよみがえってきた。侍女の言う通り、古い館で幾度か遊んでもらった記憶があった。
「その頃、穂の国と我が渥美は、互いに行き来し、親交を深め、支え合う様な関係だったと思います。」
その侍女は、随分と詳しく知っているようだった。
「其方、名を何と申す?」
ミムラが気になって訊いた。
「恐れ多い事でございます・・侍女の一人に過ぎません・・。」
その侍女はそう言ってその場を立ち去ろうとした。
「待ちなさい。確か、その方・・そうだ、我が母の侍女であった・・いや、そうではない・・母に代わり私を育ててくれた、ユメであろう。」
頭領ハルキの言葉に、侍女は立ちどまり、その場にしゃがみこんだ。そして、静かに涙を溢していた。その侍女は、ハルキの乳母ユメであった。
「どこに居ったのだ?」
ハルキが問う。ユメは、ゆっくり立ち上がり、涙を拭い、ハルキの顔を見て言った。
「イカナヒメ様から、お役を解かれ、白谷の郷に戻っておりました。イカナヒメ様がおられぬようになり、ハルキ様が戻られたと聞き、居ても立ってもいられず、何とか、館に入れてもらいました。」
「息災で何よりだった。心配かけたな。」
ハルキは労わるように言った。ユメは再び涙を溢す。
「ユメ殿、もう少し話を聞かせてもらえませんか?」
カケルが訊く。
ユメの話では、輿入れして暫くは、イカナヒメは、後妻として懸命に努力していたようだった。ハルキも可愛がっていた。だが、なかなか自分に子が出来ず、そのうち、先の頭領が体を壊してしまい亡くなると、急に様子が変わったという。そんな頃に、イソキが穂の国から宰相として送り込まれた。幼いハルキでは一国の頭領はできず、イカナヒメの相談役としてやってきたのだという。
「イカナヒメ様は、何か事があるたびに、イソキ様と相談されておりました。」
「国を治めるなど、イカナヒメにはできる事ではない。・・そのために、イソキが送り込まれたのだろうな・・。」
と、ミムラが言う。
「ただ、その仲は、姫と臣下ではないように感じておりました。朝な夕なに部屋に入り、時には深夜まで・・侍女の間でも、二人の親密さにあらぬ噂を立てる者もおりました。ですから、私はその事をイカナヒメ様に御注進申し上げましたところ、お役を解かれてしまいました。」
「つまり、イカナヒメとイソキは男女の仲となり、二人で渥美国をわが物にしようと考え、ハルキ様を幽閉したということか・・。」
とヤスキが言う。
「だが・・それなら、イカナヒメは何故、闇夜にここを抜け出したのだ。男女の仲であれば、まず、イソキを心配するのが筋ではないか?」
と言ったのはシルベだった。
それを聞いた皆が不思議な顔をした。
とうてい、男女の仲とは縁遠いような風体であり、年齢も皆よりずっと上である。熱く語る姿が不似合いだったからだ。
「まあ・・それほど深い仲ではなかったという事だろう・・イソキの方は判らぬが、イカナヒメはそれほど深く思っていなかったという事だろう。・・イカナヒメは王の妹、言ってみれば高貴な身分。イソキがどれほどの者かは知らぬが、どちらにしても、分不相応ともいえる仲ではないか?きっと、イカナヒメにはそれほどの執着はなかったのだろう。」
ヤスキが言う。シルベには、「分不相応」という言葉が突き刺さり、口を噤んでしまった。
「そんな…分不相応なんてこと・・」
今度は、チハヤが強い口調で言った。
「おい、チハヤ、どうした?何でそんな・・おい、何で泣いているんだ?」
ヤスキはチハヤの表情を見て驚いた。顔を真っ赤にして、怒っている様な、悲しんでいるような複雑な顔をしていた。
タケルは、実のところ、よく判らなかった。男女の仲と言われても、父と母の仲睦まじい姿しか思い浮かばない。それと戦とが繋がらないでいた。
「いずれにせよ、穂の国の関与は確実でしょう。だが、こちらから仕掛けるわけにはいかない。相手の出方を待つほかありません。・・その間に、渥美国の立て直しをしましょう。ハルキ様を頭領に、渥美国の安寧のため。どのような形で国を治めるのが良いか、皆で知恵を出し合いましょう。」
タケルが、そう提案すると、頭領ハルキは、一同を見て、「是非ともお力をお貸しください」と頭を下げた。

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1-20 国作りの始まり [アスカケ外伝 第2部]

次の日から、渥美国の再建に向けての話し合いが始まった。
頭領ハルキの願いもあり、ヤマトの仕組みを基本にすることになった。
「ヤマトでは、年儀の会というものがあります。諸国の王や頭領、長などが集まり、自国の事や隣国、周辺の様々な事を話しあい、困っていることがあれば我が事として解決のために力を合わせます。」
タケルは、初めに年儀の会について話した。
「なるほど・・渥美ならば、郷の長達を集め、話を聞き、助け合う方法を見つける場を持てばよいのか・・。」
「それだけではなく、できれば、伊勢国や知多、熱田などの諸国からも使者を招き、自国では解決できない事はもっと多くの力をもって取り組むことができれば・・。」
「ならば、ヤマトからも使者をお呼びできると良いな。そうだ、私も、その年儀の会に出させていただきたい。・・タケル様、是非、摂政様にお願いしていただけぬか・・。」
「判りました。きっと喜ばれるはずです。倭国全体の様子も判りますし、渥美にない知恵や技術も見つかりましょう。」
ヤスキは、難波津の町で諸国が取引をしている様子や港の仕組み、紀の国が災害からどうやって復興していったかの話をした。
「我が渥美の悩みは、水不足だ。高い山もなく、川も少ない。日照りが続くと、たちまち干上がり、作物は育たない。それゆえ、穂の国に縋るしかなかった。」
頭領ハルキが言う。ヤスキは、年儀の会で聞いた、讃の国の事を思い出した。
「西国でも、水不足で困っていたと聞きました。讃の国には、コボウという者が池作りを広げて、水不足を克服したとか・・・。ヤマトからも学びに行きました。その知恵を使えば、渥美でも水不足に困らなくなるかも知れません。」
「それは心強い。是非とも、その知恵を我らにも授けていただきたい。」
頭領ハルキは目を輝かせて聞いた。
チハヤは、薬草作りや、春日の杜について話した。
「こどもは国の宝です。多くを学び、さらに新しい考えを生み出す力を持っております。大人も、子を教える事でさらに知恵を持ちたいと思います。そうした場を、この渥美でもお作り下さい。」
「学びの場か・・・。」と、頭領ハルキは答える。
余り浮かない答え方だったので、ミムラが言った。
「伊勢の国でも、ヤマトに倣い、学びの場を作っております。何も難しい事を教えるわけではありません。学びたい事は子らが見つけます。漁の技を学びたい者、館作りを身につけたい者、作物作りや薬草作り・・様々なことに子らは興味を持ち、熱心に学びます。少しずつで良いのです。そういう者を育て、また、その者が舎人となり子らを教える。そうして、国は強くなります。」
熱心に語るミムラを見て、タケルはサスケを思い出していた。
話し合いの合間には、館の外に出て、ハルキから吉胡の郷周辺の様子も聞いた。北には、穂の国が見える。東に目を遣ると、低い山並みがずっと遠くまで続いていた。
「ハルキ様、あの山の向こうは?」
タケルが訊くと、ハルキはまっすぐ指さしながら答えた。
「あの山並みの向こうには、遠江の国です。浜名の海をぐるりと回り、遠く、駿河へと繋がっているのです。私もまだ行った事はありませんが、穏やかな国だと聞いております。」
やはり東国がヤマトを攻め入るというのは間違いなのだと確信した。
ミムラとヤスキは、館の庭に居た。
「ミムラ様は、戦に長けていらっしゃるのですね。」
ヤスキが唐突に訊いた。ミムラは庭を流れる川面を眺めていた。
「いえ・・そんなことは・・。」
ミムラは立ち上がりながら答える。
「私も難波津で船を操る術を学んできました。あの海戦では、見た事もないような船の操りでした。それに、弩の設え。韓の船に投石機があるのは見ましたが、弩が設えてあるのは初めてでした。」
ミムラは、ヤスキの言葉を聞き、少し躊躇いがちに答えた。
「私は、伊勢国の頭領の第二子。頭領を継ぐのは、兄ホムラと定まっておりました。ですから、私は十五の時、自分の居場所を求めて、国を出て、諸国を回りました。」
十五と言えば、アスカケに出る歳。
「鳥羽での郷で小舟を調達し、南へ、志摩や勝浦、ぐるりと回り、紀州にも行きました。もちろん、難波津にも行ったことがあります。その先の西国にも。船の操縦はその時覚えたものです。弩の仕掛けは、アナト国で見ました。それらの知恵を持ち帰り、あの船を作りました。・・まさか、本当に戦に出ることになろうとは思いもしませんでしたが・・。」
「確か、長島の戦はホムラ様が行かれていたはずですが・・。」とヤスキ。
「元来、兄は、陸の戦が得意でした。船はあまり好まない。初めのころは私が戦に出ておりました。ですが、幾度戦っても、戦は止まない。・・怪我人や死人が増えるばかり・・何とか戦を止めたくて、ヤマトに縋ったのです。」
ミムラは遠くを見つめて言った。
「しかし、ミムラ様は、都では大軍をと申されておりましたが・・、」とヤスキ。
「私は、西国を回った時、あちこちで摂政カケル様と皇アスカ様の偉業をお聞きしました。対立があっても、力でねじ伏せるのではなく、真摯に向き合い、判りあい、対立を避けて手を取り合う事を第一に考えておられる。そういう御方なら、私の本意を判って下さると信じておりました。」
「では、結果的に、私たちが遣わされた事は・・」
「はい。私の望み通りでした。いえ、それ以上です。タケル様の特別な御力を知り、ますます、お近くにいてしっかり見定めたくなりました。ヤスキ様もそうでしょう。」
ミムラに問われてヤスキも頷き、言った。

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1-21 熱田からの知らせ [アスカケ外伝 第2部]

そんな話をしている時、郷からイラコがやってきた。
「熱田から、タケル様に使者が参っております。」
すぐに使者は、館に招かれた。
「私の名は、サトルと申します。」
サトルは、タケルたちと同じく春日の杜で学んでいた、年はタケルたちより二つほど下であった。タケルに対面したサトルの衣服はボロボロだった。戦を潜り抜けてきたのはすぐに判った。随分疲れている様子だった。
「渥美国に神の力を使う者がいるという話が、熱田辺りまで伝わっており、きっと、タケル様の事だから渥美に居られるはずだ、とサスケ様が言われ、まかり越しました。お会いできて良かったです。」
サトルは安堵した表情を浮かべて言うと、その場に座り込んでしまった。
「小さな船で何とか福江に辿り着いたようです。港で少し休まれるよう進言したのですが、一刻も早くタケル様に会いたいと申されましたので、お連れしました。」
イラコが、サトルを支えながら言った。
「少し、休ませてあげましょう。」
タケルが言うと、館に戻ってきたチハヤが駆け寄り、すぐに手当てを始めた。サトルは、座り込んだまま気を失っていた。館の一室に移され、侍女が手当をした。
夕刻近くになってから、ようやく、サトルは目を覚ました。サトルは、はっと起き上がり、再びタケルの前に傅いて頭を下げた。
「もう良いのですか?」
タケルが訊くと、深く頭を下げた。
「ご苦労様でした。・・それで、熱田の郷はどうでしたか?」とタケルが問う。
「熱田の郷は・・、」
サトルは、そこまで口にして、悔しそうな表情を浮かべて、涙を溢した。
「酷い戦があったようですね。」
と、タケルが言うと、サトルは涙を拭い、キッとタケルを見て言った。
「熱田は、知多の水軍に敗れました。」
それを聞いて、ミムラが、無念そうな顔で、ゆっくりと口を開いた。
「やはり、そうか・・・・。」
「ミムラ様には予見されていたという事ですか?」
と、ヤスキが問うと、ミムラは話し始めた。
「もともと、熱田の郷辺りは小国の集まり、水軍を持つような大国ではありません。知多や渥美、伊勢との親交の中で、山奥の郷へ産物を送る役割を担う事で成り立っておりました。戦が始まり、その役は果たせず、熱田から、美濃までの郷も産物が届かぬようになり、苦労しておりました。・・知多の水軍が本気でかかれば打ち破る事など容易だったでしょう。我ら伊勢は、そうならぬよう、彼らと共に戦って居ったのです。」
「では、ホムラ様が長島から戻られた時の様子から、こうなると・・。」
と、ヤスキが訊く。
「これほど早くにとは思っておりませんでしたが・・おそらく、我らが渥美で、イソキを倒したことで、戦いを急いだのかもしれません。」
ミムラは答える。
「それで、今、熱田は?」
と、タケルが訊く。
「知多水軍の大将が、熱田に乗り込み、頭領たちを捕らえました。そして、戦に勝った証にと、頭領の姫を人質にし、大高の郷にいるようです。」
「人質を取り、服従させたという事か・・。」
と、話を聞いていたシルベが言った。
「それで、サスケ様達はどうされていますか?」
と、タケルが訊く。
「サスケ様達は、熱田の軍に居られましたが、敗戦が決まると、すぐに、東へ向かわれました。鳴海の郷を抜け、知多へ向かうと言われました。それと、本当の敵は穂の国ではないかとも言われました。仲間が数人、穂の国へも向かっております。」
サスケの話を一通り聞くと、ヤスキが言った。
「タケル様、この先、いかがしますか?」
タケルは迷っていた。
戦はさらに深刻な事態に向かっている。この戦の張本人を突き止め、一刻も早く、成敗しなければならない。おそらく、穂の国こそが戦の元凶に違いない。だが、知多一族を止めなければ、ようやく落ち着いた渥美も危うい。戦火はさらに広がる。
考え抜いた挙句、タケルはミムラに言った。
「ミムラ様、まずは、一度、伊勢国へお戻りください。この先、伊勢にも火の粉が降りかかるかもしれません。まずは守りをしっかりしていただきたい。」
タケルが言うと、
「承知しました。」とミムラは頷いた。
「ハルキ様、きっと知多の水軍は、次に渥美に攻め入るに違いありません。すぐに、備えねばなりません。・・穂の国の事は気掛かりですが、万一、渥美国まで熱田のようになってしまえば、ようやく訪れた安寧が危うい。」
ハルキは頷き、答えた。
「知多の水軍が攻めてくるとすれば、師崎から、篠島伝いに、まずは、福江に向かうはず。手元にある軍船を、明日にも福江に向かわせましょう。」
翌朝、タケル、ヤスキ、チハヤ、シルベは、渥美の軍船に乗り込み、福江に向かった。
ミムラは、タケルの言葉通り、伊勢の宮に向けて戻って行った。

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1-22 師崎沖 [アスカケ外伝 第2部]

福江に向かう軍船の船縁で、タケルは遠くを見つめ、この先の事を考えていた。
戦を収める事が皇アスカから託された使命だった。だが、思うようにいかない。戦火は広がるばかり。この先、知多一族との戦で勝利する道以外ないのか。戦をせずに済む道はないのか。答えは出ない。
「タケル様。」
船縁にたたずむタケルに、サトルが跪いて呼びかける。
「どうしました?」とタケル。
「熱田にいた時、知多の水軍から逃げて来た兵士と逢いました。」
「逃げて来た兵?」
「はい。その者が言うには、知多水軍の大将は知多一族の者ではないというのです。どうやら、隣国、三河の国から参った者らしいのです。」
タケルはじっとサトルの話を聞いた。
「知多国は、熱田の郷と同様、半島全体にある、小さな郷の集まりに過ぎず、頭領一族も、大高から師崎までの西側の郷を治める程度の力しかないようです。それに、いずれの郷も、山地ばかりで、僅かな田畑しかない様子でした。大高は、比較的田畑も多く、周囲の郷も豊かだったこともあり、その力で、貧しい郷を配下にしたようです。」
サトルは、僅かの間に、知多の事情を丹念に調べたようだった。
サトルはさらに続けた。
「それに、知多の一族は水軍など持っていなかったというのです。隣国から来た男が、水軍を作り、東側の郷も従わせたようなのです。」
「三河の国から来た者が、水軍を率いているのですか。・・では、知多の頭領様はいかがされているのでしょう。」
「そこまでは判りませんでした。ただ、こちらに向かう時、河和や野間、寺本、山田の荘など、水軍に抵抗し続けているところもあると聞きました。」
「サトル殿は、良く調べられましたね・・。」
タケルが言うと、サトルは少し躊躇いがちに答える。
「実は・・私は、耳が良く、遠くの小さな話し声も聞きとれるのです。・・幼い頃は、ひそひそ話を聞き、それを口にして、何度も怒られました。大人たちは、人のうわさ話が好きですから、小さな声で話す言葉に、その人の本心が見えるようで・・・。こんな力などない方が良いのです。」
サトルは自分の特別な力が嫌いだと言う。
「しかし、此度は、その力が役に立っています。きっと、多くの人を救うことができるはずです。これからも力を貸してください。」
サトルは皇子タケルに褒められ、嬉しくてたまらない様子を見せる。
タケルは、サトルの話を聞き、この先どうすべきかを考えていたが、サトルならどうするのか知りたくなり、率直に聞いてみた。
「サトル殿なら、この先、どうしますか?」
突然の質問にサトルは戸惑った。だが、一つだけ思いついたことがあった。
「知多の郷を、水軍の大将から解放する事が第一だと思います。」
「そのためには、何をすればいいでしょうか?」
サトルには、その先の答えが見つからなかった。
「例えば、大軍をもって水軍と闘い、知多の大将を倒す事は?」
タケルが問う。
「いえ、それでは・・やはり、ヤマトが他国を侵すことになりましょう。多くの兵が傷つき、敵の大将と同じ穴のムジナということになります。」
「では、水軍に抵抗している郷の者達に奮起を促し、戦いを進めていくのは?」
「それでは・・多くの民が傷つきます。それに、あの、水軍に勝てる保証もありません。」
サトルの答えを聞きながら、タケルは決断した。
「ならば、水軍の大将に、直接会い、熱田の姫や、知多の郷を解放するよう、迫るほかに手立てはないようですね。」
タケルの答えは余りに無謀だった。
だが、戦を収める道はそれしかないとサトルも思った。
「サトル殿、私を案内してください。大高へ参りましょう。」
船は福江の港に着いた。
「皆さんは、守りを固めてください。私はこれから大高へ向かいます。この戦を止めるには、知多の大将を説得するほかありません。シルベ殿とチハヤ殿は、ここに残り、皆を助けてください。ヤスキ殿は私と共に来てください。」
船を降りると、すぐに、タケルは皆に言った。
「いや・・私もお供いたします。」
チハヤが言う。
「いえ・・この先、どうなるか判りません。これ以上、危うい目に遭わせることは、伊勢国ホムラ様やミムラ様に申し訳が立ちません。チハヤ殿は、伊勢国にとって大事な人だと聞きました。どうか、シルベ様、チハヤ殿をお守りください。」
タケルは、チハヤの身の上を、既に承知していた。
「でも・・。」
チハヤは納得できない。だが、シルベが跪いて答える。
「承知しました。皇子のご命令、命に代えても、チハヤ様をお守りいたします。」
イラコが小舟を用意してきた。
「途中まで私が案内しましょう。」
イラコの漕ぐ船で、タケルとヤスキ、サトルは服江の港を離れた。港を出て、篠島まで渡り、さらにその先の日間賀島に着いた。
「ここからさらに、北へ向かい、亀崎あたりから、山道を抜けて大高の郷へ入るのがいいでしょう。ただ、この先は私もあまり行ったことがなく、不案内なのです。」
イラコは申し訳なさそうに言った。

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1-23 大高を目指す [アスカケ外伝 第2部]

タケルとヤスキ、サトルの三人は、日間賀島の港でイラコと別れた。別れ際に、イラコは、日間賀島の漁師を一人、紹介してくれた。
「ここの漁師のほとんどは、師崎に住処を持っていて、ほとんどが、仮の家で暮らしています。まあ、むさくるしいところですが、どうぞ。」
イラコの紹介した漁師、名はカツジといい、イラコよりもやや年上のようだった。案内された家は、カツジが言う通り、細い木を寄せ集めて作った掘立小屋という程度のものだった。だが、中に入ると、囲炉裏が中央にあり、隅には藁が敷き詰められた寝床もあり、寝泊まりするには十分だった。
カツジは、イラコから凡その事は聞いていた。
「大高の郷へ行くには、やはり、亀崎辺りから入った方が良いでしょう。ただ、昼間は避けた方が良いでしょう。あの辺りは、大高の水軍に抵抗している者が多く、他所から来た者を容赦なく捕まえているようです。例え、ヤマトの皇子であると名乗ったとしても、それを素直に信じる者はないでしょう。」
カツジは囲炉裏に火を入れ、鍋に僅かな米を入れ、魚と共に煮始めた。
「都人(みやこびと)の御口に合うか、自信はありませんが・・ここらの漁師は毎日、こんな飯を食っています。どうぞ。」
カツジは、椀に鍋から魚と米を掬い、差し出す。
タケルは、両手でしっかり受け取り、口をつける。
「旨い。・・・魚が良いのでしょうか・・これほど旨いものは都では口にできません。」
そう言って、お代わりを求める。ヤスキもサトルも、タケルに続いた。カツジは上機嫌で振舞う。三人が満足そうに食べるのを見ながら、カツジは思案していた。
「ああ・・そうだ。この島に、タツルという者が居ります。あやつなら何とかなるかもしれません。」
カツジはそう言うと、小屋を出て行くと、すぐに戻ってきた。
「こいつが、タツルです。」
連れてきた男は、随分と体格が良い。だが、まだ幼い容貌を残していた。
「こいつは、途轍もなく、夜目が利くんです。昼間は、一切、外に出られませんが、僅かな月の光があれば、自由自在に動き回れる。それを、島の長が見出して、夜に漁をするように教えたのです。夜、魚もほとんど眠っています。暗い海を潜り、眠っている魚を捕まえるのですから、凄いもんです。我らには真似ができません。こいつなら、亀崎まで夜のうちに連れていけるかもしれません。」
夜目が利く者の話は、タケルもヤスキも、アスカケの話の中で、九重を回っていた時の事を聞いたことがあった。そんな人間がいるのかと半信半疑で話を聞いていたが、実際に居るのだと知り、驚いた。
タツルは小さく頭を下げる。どこかぎこちない仕草だった。
「すみません・・。こいつは、そういう事情で小さい時から家の奥深くで、隠れるように暮らしていたんで、人と話をするのが苦手なんです。」
カツジは笑顔を浮かべながら、さらっと言った。
タツルは、俯きながら小さな声で言った。
「船を用意してあります。すぐに出発しましょう。」
タツルに誘われて、三人は港へ向かう。
「お気をつけて。」
カツジの見送りを受け、三人は、タツルの案内で亀崎へ向かった。
タツルは無口だった。タケルやヤスキは、船の行く先を、目を凝らして見てみるが、暗闇の海が広がり、さっぱりわからない。左手に僅かに小さな光が見えるだけだった。
サトルは、船に乗ってから、じっと耳を澄ましている。波の音、タツルの櫓を漕ぐ音が静かな海に響いている。暫くすると、サトルが口を開く。
「港が近いようです。」
暗闇の中、何も見えない。
「ああ・・もうすぐ、亀崎です。左手を見てください。松明を持った男達がいる。」
タケルとヤスキは言われるまま、視線を送るが、僅かに灯りのようなものは見えるが、人影までは判らない。
「ええ・・男が二人、話しているようです。・・どうやら、見張り番のようですね。」
サトルの言葉に、タツルは少し驚いた表情を見せ訊いた。
「お前も見えるのか?」
「いや・・音が聞こえる。話し声だ・・・。まだ、こちらには気づいていない。」
サトルは答えた。
「このまま、港に入ると物騒なので、手前の岩陰に着けます。そこから、崖を上り、山中に潜んでください。この先は、夜が明けてから動いた方が良い。そこの山には、獣がたくさんいる。夜は獣たちの世界だ。・・それと、ただ、くれぐれも郷には下りないように。・・大高の戦が始まってから、皆、疑心暗鬼になっています。」
タツルはそう言いながら、岩陰の深い所に船を入れる。
そこで、船を降り、言われた通り、崖を上る。暗闇の中、這いずるようにしながら、何とか登り切ると、木の陰に身を潜めて朝を待った。
三人は交代で、眠った。周囲からは、時折、怪しげな音が聞こえている。
朝日が昇り始めると、三人は立ち上がり、崖の上から見下ろした。足元に、亀崎の郷が見えた。港には、甲冑を身につけた男たちが歩いている。軍船の姿は見えない。
「さあ、大高へ向かおう。」
タケルが言うと、ヤスキが先頭になって、山を進んだ。行く手には、大木はない代わり、低い木々と草叢で、道などない。ヤスキは、剣を抜き、木々や蔦等を払いながら、道を作りながら進む。真ん中を、サトルが行く。サトルは、行く先に聞き耳を立て注意深く進む。そして最後尾に、タケルが続く。思うようには進めず、目指す大高の郷は全く見えなかった。


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1-24 山中の出逢い [アスカケ外伝 第2部]

夕暮れ近くなった頃、ふいに、サトルがヤスキの背に手を当てて、しゃがみ込むように合図した。三人は、草叢に身を隠す。
「この先に誰か居ます。」
囁くような声でサトルが言う。さらに耳を澄まして、その声を探る。
「若い娘のようです・・・一人でしょうか・・・。」
サトルの言葉にヤスキは、ゆっくりと草の隙間から先の様子を探る。
「館・・のようなものが・・見えるな・・。どうする?」
ヤスキも囁くような声で言う。
「見つからない方が良いでしょう。少し、回り道をしていきましょう。」
タケルはそう言うと、今来た道を少し戻ってから、周囲の様子を見ながら、右手に進む。できるだけ音を立てないよう、慎重に進む。木々の間を進んでいくと、ふいに、目の前が開けた。山の中にぽっかりと拓かれた土地があり、よく見ると、畑になっている。周囲に身を隠せるようなところはない。タケルは畑の縁に沿って、できるだけ身を低くしながら進む。ヤスキとサトルもタケルの後に続く。
半分ほど来た時だった。畑の周囲の藪の中から、大男が姿を現した。その男は、白髪で白い髭を伸ばし、右手に剣、左手に杖を突いている。三人の前に立ちはだかる。
「何者!」
凛とした声が響く。ヤスキが剣を構えようとした時、タケルが止めた。
「怪しいものではありません。」
タケルが言うと、その大男は、眉をひそめて答える。
「自らを怪しい者だと名乗る者など居らぬぞ!名を名乗れ!」
その声は、まるで熊の雄叫びのようにも聞こえた。
「私はタケル、そして、ヤスキとサトル。皆、大和から参りました。」
それを聞いて、その大男が急に態度を変えた。
「大和から・・なら、あなたはヤマトの皇子タケル様ですか?」
「はい・・そうです、しかし、なぜ私の事を?」
タケルは不思議だった。
「先日、師崎の郷の者から、神の力を持つ大和の皇子タケル様が、渥美の悪しき者を退け、安寧をもたらしたという話をしておりました。・・まさか、かようなところでお会いできようとは・・。」
大男は歓喜の表情を浮かべ、タケルの前に傅いた。そして、
「どうか、知多にも安寧をもたらして下さりませ。」
と言った。
三人は、大男の案内で、先ほどの館に招かれた。館に入ると、中に、若い娘がいた。
「もう日が暮れます。今宵は、ここでお過ごしください。」
男はそう言うと、囲炉裏に火を入れ、夕餉に支度を始めた。娘は、一段高い座敷に座ったまま動こうとはしない。表情も少しぼんやりとしていた。
「私の名は、イカヅチと申します。知多国の頭領キリト様を長くお支えしておりました。」
夕餉を差し出しながら、イカヅチが言った。
「その様な御方がなぜこんな山奥へ住まわれているのですか?」
タケルは率直に訊いてみた。
「それは・・」
イカヅチはそう言うと、娘の方へ一瞬視線を送り、少し声を落として話し始めた。
イカヅチの話では、知多国の頭領キリトはもともと大高の郷の長であり、欲のない人物だった。そこへ、三河から、イソカという男が現れ、言葉巧みに取り入り、知多国を領地にすべしと動き始めたという。
「キリト様をお支えしていた者は、多くが先代の長にもお仕えしておりました。キリト様にとっては、心を開いて話せる者がいなかった。そこへ、イソカが現れた。年も近く、話しも合い、次第に、キリト様はイソカを重宝がられるようになりました。」
イカヅチは、自らの責任であるような口ぶりで話した。
「大高の郷は小さきところ、このままでは、いずれ熱田や伊勢に取り込まれてしまうに違いない。今こそ、知多の郷をまとめ上げ、強き国、知多国を作るべし・・というイソカの言葉は、無欲だったキリト様を変えてしまった。我ら側近は反対しました。もともと、大高の郷は、近隣の郷と親しくし、手を携える事で、かろうじて、民の暮らしを守れるところです。他の郷を従えるなど、無謀極まりない。幾度もお諫めしたのですが・・その度に、我らを遠ざけるようになられました。」
「皆さまは今どうされているのでしょうか?」と、タケルが訊く。
「あれは・・確か、知多の多くの郷の長を集め、知多国建国を相談した日の事でした。半分ほどの郷の長は、知多国に賛同し、大高へ従うと申しました。ですが、半分ほどは従わないと表明したのです。・・これに、立腹したキリト様が、反対する長たちを捕らえようとされました。我らは、必死に止めました。結局、館周辺で小さな戦のような状態になってしまった。・・側近の半分ほどは、その時、命を落としました。半分ほどは、大高を去りました。」
「何とした事か・・・内乱ではないか!」
ヤスキが怒りを込めて言った。
「酷い事です・・・安寧な日々があの日を境に大きく変わってしまいました。・・その後、イソカは水軍を作りました。そして・・ヤマトと戦を構える事となったわけです。」
イカヅチは残念そうに言う。
「しかし・・ヤマトは兵を動かしてはいません。・・ヤマトとの戦というのは、イソカの虚言でしょう?」とタケル。
「いえ・・そうではありません。私も、沖合に迫るヤマトの水軍を見ました。イソカも、慌てて応戦し、何とか退けることができましたが・・間違いなく、ヤマトの軍船でした。」
イカヅチも真剣な顔で話した。
タケルは、あの古い旗印を掲げた軍船によるものだと確信した。そして、裏でそれを操り、渥美や知多、熱田、伊勢を混乱させ、無用な戦を指せている者がいる。戦の張本人を探し出さねば、戦は収まらない。そう確信していた。

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1-25 ヒナ姫 [アスカケ外伝 第2部]

ヤスキは、イカヅチの話を聞き、憤慨しながらも、どうしてもそばに座っている、娘の事が気になって仕方なかった。粗末な麻衣を身に着けてはいるが、長い黒髪に、透き通るような白い肌、大きな瞳、ただの娘とは思えなかった。ヤスキの心の中がざわざわしていた。
「イカヅチ様・・一つ、お伺いしたいのですが・・。あの・・娘御はどなたでしょう?」
ヤスキは思い切って、イカヅチに訊いた。イカヅチは、そう聞かれ、一度その娘の方へ視線を遣ってから溜息をついた。そして、少し辛そうな顔を浮かべて言った。
「頭領の娘御・・ヒナ姫様です。・・今年で十九になられます。・・」
歳を聞いて、ヤスキは驚いた。一段高い座敷に座っている娘は、ぼんやりとしていて、まるで夢でも見ているかのような顔つきで、幼子のように見えたからだった。
「どこか・・お悪いのでしょうか?」
と、ヤスキがヒナ姫の様子を見ながら言う。
「酷い事です・・。」
イカヅチは、うっすらと涙を浮かべている。
「先ほどお話したように、キリト様の奥方も我らと共に、イソカの言葉に乗せられているキリト様をお諫めいたしました。しかし、聞き入れてもらえぬどころか、怒りにふれ、館の中でキリト様の手で切り殺されてしまわれたのです。」
「奥方を自らの手で?」
サトルは驚いて訊いた。
「はい。キリト様はもはや正気を失っておられるようでした。・・そして、その場に、ヒナ姫も居られた。ヒナ姫は、血に塗れて横たわる、母の遺骸に縋りつき、泣きじゃくっておられました。私はその場から、姫を救い出し、ここへ匿ったのですが・・。」
「何と・・。」と、ヤスキは言葉を失った。
イカヅチは、また、ヒナ姫の顔を見る。
あどけない幼子のような表情が痛ましい。
「姫は、あの日以来、あのように心を失くされたようになられました。何を聞いても答えられず、私の声も聞こえていないのではないかと思うほどなのです。」
「心に途轍もない、大きな傷を負われて、無理もない事でしょう・・。酷い事です。」
タケルはそう言ってヒナを見る。
ヒナの視線が一瞬だが、タケルの方に向いているのに気付き、タケルは、すっと立ち上がり、ヒナ姫の座る座敷へ行った。そして、ヒナ姫の傍に座ると、左手をそっと握る。
ヒナ姫は、一瞬びくっとして、手を引っ込めようとしたが、タケルが強く握ると、じっとタケルを見た。その視線は、タケルの首飾りにむいていた。そして、ヒナ姫は、右手をゆっくりと伸ばすと、首飾りに触れた。
首飾りから、小さく光が漏れた。すると、急にヒナ姫は、タケルの腕にしがみつき、声を上げて泣き始めた。まるで、赤子が泣く様にわんわんと泣いた。
「なんとしたことか・・あの日以来、笑う事も泣くこともなく、只々ぼんやりとされていたのだが・・。これこそ奇跡・・。」
イカヅチは、目の前の光景に驚きを隠せなかった。そのうち、ヒナ姫は泣き疲れて、そのまま眠ってしまった。イカヅチは、タケルの腕からヒナ姫をそっと離して、座敷の寝床に横たえた。イカヅチに顔に安堵の表情が少し見えた。
「さあ、皆様もお休みください。これからの事は明日にでもお話いたしましょう。」
イカヅチに勧められるまま、その日の夜、三人はイカヅチの館で休んだ。
静かな夜だった。
郷からは遠く離れ、隠れ住むには都合の良い丘陵地が広がっている。
前夜は、草叢に潜んでいて、疲れていたのか、三人とも朝までぐっすりと眠った。
翌朝、三人が目を覚ますと、イカヅチはすでに起きていて、朝餉の支度をしていた。
「これからの事ですが・・。」
翌朝、朝餉を食べている時、イカヅチが切り出した。それに応えて、タケルが言う。
「私たちは、ヤマトからこの戦を収める事を命じられて参りました。そのためには、まず、イソカを征伐せねばならぬと考えております。」
「しかし、相手は大軍の将、たった数人では何ともならぬでしょう。・・それに、イソカを倒すのは、われら知多の郷の者の使命。これまでも、亀崎や師崎、河和や野間などと共に、水軍に抵抗している者が居ります。こうした者達を纏め、イソカを討ち果たす事が、私の本望です。・・ヤマトの皇子の御力があれば、皆も、勢いづきます。我らの旗頭となっていただきたい。」
イカヅチは頭を下げる。
「それでは・・知多の郷一帯が、戦となり、多くの民が傷つき、命を落としかねない。それだけは避けたいのです。」と、タケルが言う。
「すでに、イソカに多くの命を奪われております。恨みを抱く者も多い。・・いや、ヤマトの皇子が知多に来られていると知れば、そういう者達がきっと無謀に動き出します。それならば、しっかりまとめ統制の取れた軍として、対抗すべきではないですか?」
イカヅチの言葉にも理はあった。
タケルはすぐに決断できなかった。
朝上げを終え、少し周辺の様子を見る事にした。タケルとサトルは、館から少し山を下ることにした。イカヅチによると、二つほど尾根を越えると、大高の郷が見えるという。サトルの案内で、すぐに出かけた。
ヤスキは、イカヅチを手伝い、食料の調達のため、猟に出かけることにしていたが、ヒナ姫を一人にはできないと思い、留守番をする事にした。
ヤスキは、座敷に座っているヒナ姫の様子を見ながら、剣や弓の手入れをする事にした。土間に座り、剣を抜くと、急にヒナ姫が震え出した。おそらく、剣を見て、母が切り殺された光景を思い出したのだろう。ヤスキは慌てて、剣を収め、弓を取り出し手入れを始めた。しばらく、静かな時間が過ぎた。相変わらず、ヒナ姫はぼんやりとした顔つきで、座敷に座っている。

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1-26 砦 [アスカケ外伝 第2部]

不意に、外で何か物音がした。イカヅチが戻ってくるにはまだ早い。ヤスキは、そっと戸板を持ち上げ様子を伺う。遥か先の、前の森から、男が四人、姿を現した。甲冑を身につけ、剣も持っている。イソカの兵なのか。男達は、周囲の様子を確認するようにきょろきょろしながら、静かに館に近づいてくる。
「さっき、あの爺さんは猟に出かけた。今、館には娘一人だ。」
「本当に、綺麗な娘なのか?」
「ああ、間違いない。色白で長い髪、あれなら、イソカ様も満足されるに違いない。」
「イソカ様にではなく、三河の方へ連れて行った方が、良いんじゃないか?」
「まあ、とりあえず、捕まえて帰るとしよう。」
男達は、周囲をはばかることなく、悪巧みな話をしながら近づいてくる。男たちの目的は明確だった。
ヤスキは、静かに弓を手にした。
男四人と真正面からやり合えば、腕に覚えのあるヤスキでも叶わぬことは判っている。ヤスキは、そっと、戸板を上げて、僅かな隙間から矢を放った。
ビュンという音と共に、矢は真っ直ぐに一人の男を射抜いた。「うぐっ」小さな声を立てて、男がその場に崩れ落ちる。他の三人は、それを見て、地面に伏せた。
「おい、爺さんはいないはずじゃなかったのか!」
一人の男が、震えながら言う。
「間違いない、さっき、森の中を歩いているのを見た。・・まだ、誰かいるようだ。」
暫く、男たちはその場に伏せて、館の様子を探っている。ヤスキも、男たちの動きを探っている。地面に伏せた相手を射抜くのは容易い事ではない。かといって、撃って出ても、勝ち目はない。何とか、タケルたちやイカヅチに知らせねばならない。ヤスキは考えた。
そして、昔、アスカケで聞いた「矢笛」の事を思い出した。そしてすぐに、矢に細工をし始めた。その様子を、ヒナ姫は不思議そうな顔で見ている。
「よし、出来た。・・姫、ここから動かぬように。じっと身を潜めておいてください。」
ヤスキはそう言うと、戸を開けて外に出た。そして、力いっぱい弓を絞り、空高く、矢を放つ。
「ヒュウーン」甲高い音を立てて、矢が飛んでいく。
伏せていた男たちも、矢の行方を目で追った。
「なんだ?こけおどしか?」
男達は、立ち上がり、土を払いながら、ヤスキを睨み付ける。
「なんだ、まだ若いようだな・・。体は大きいが、戦は知らぬように見えるぞ。」
男が言うと、他の男も、剣を構えて、にやにやしながらヤスキを取り囲む。
矢笛の音は、遠くまで響き、猟の最中だったイカヅチの耳にも届いた。初めて聞く音に、イカヅチは館での異変にすぐに気付いた。採った獲物はそこいらに投げ捨て、急いで館へ戻った。
タケルたちは、大高の郷を見下ろせる高台に着き、一通り様子を伺って、帰路に着いていた頃、矢笛の音を耳にした。いや、音が聞こえたのはサトルだった。
「タケル様、館の方で甲高い笛のような音が聞こえました。」
サトルの言葉を聞き、タケルも、アスカケの話で聞いた矢笛の事を思い出していた。
「館で何か起きたに違いありません。急いで戻りましょう。」
タケルはそう言うと、山道を走りだす。サトルも必死についていこうとするが、タケルの足はとてつもなく早く、すぐに見失ってしまった。
ヤスキと男たちのにらみ合いは続いている。ヤスキは剣を構える。じりじりと距離が詰まっていく。いきなり、右側の男が切りかかってきた。ガキンという音とともに火花が飛ぶ。ヤスキは、春日の杜で幾度も剣の修行をしてきた。だが、切り合いをするのは初めてだった。剣と剣がぶつかる音と衝撃に、一瞬たじろぐ。
次に、左側の男が、剣を天に構えて襲い掛かってくる。ヤスキは、左に大きく剣を振り、払いのけようとする。切っ先が、男の腕を切りつけた。ヤスキは、鋭く固い剣の手入れを、欠かさなかった、だから、切れ味は鋭く、ヤスキの剣は男の腕をバッサリと切り取ってしまうことになった。血飛沫が上がり、男はもんどりうって倒れる。それを見て、正面の男が、正気を失ったのか、意味の分からない大声を出しながら、剣を振り回して、ヤスキに向かってくる。後ろに下がるヤスキ。足がふらつき、倒れ込む。そこへ、正気を失った男の振り回す剣が振り下ろされた。身を翻して避けようとした。だが、避けきれず、男の剣先は、ヤスキの背中を切りつけ、背中から血飛沫が吹いた。それでも、ヤスキは向き直ると、剣を振る。男の首が宙を舞った。
残りは一人。ヤスキは、何とか立ち上がり、剣を構える。しかし、体が定まらない。
「そんな体で戦えるのか?」
男がにやりとした表情で言う。わざと時間をかけ、ヤスキが弱まるのを待っている。ヤスキは徐々に力を失い、立っている事もできないほどだった。剣を杖のように地面に突き刺し、それを支えに何とか倒れずにいた。
「手に架けるほどではなさそうだな・・。」
男はそう言うと、ヤスキの横を通り、館へ入ろうとする。
「待・・て・・。」
か細い声しか出せない。男が館の戸に手を掛けた時、ビュンと音がしたと同時に、男がその場に倒れた。森の向こうに、イカヅチらしき男の姿が見える。ヤスキはそれを確認すると、その場に倒れた。
「ひな様!ヤスキ様!」
イカヅチは声のかぎりに叫び、足を引きずりながら急いで館へ戻る。館の前に着くと、男が三人、その場に倒れている。そして、戸口の前で、ヤスキも倒れていた。ヤスキの体の周りは真っ赤に染まっている。
すっと、戸口が開く。中から、ヒナが出てきた。外の様子が気になったのだろう。何が起きたのかは知らないまま、外に出た。目の前には、血に塗れたヤスキの姿があった。
「いやあー!!」
ヒナは、目の前の光景に悲鳴を上げた。

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1-27 神の力 [アスカケ外伝 第2部]

それから間もなく、タケルが館に戻ってきた。
立ち尽くすイカヅチ、血に塗れて横たわるヤスキ、ヤスキに縋り泣きわめくヒナ。そして、その近くに横たわる三人の男。タケルは何が起きたのか見当がついた。急いで、ヤスキの傍に駆け寄る。もう、ヤスキは虫の息だった。
「しっかりしろ!ヤスキ!」
タケルはヤスキの手を取り、声を掛ける。だが、ヤスキは、時々目を開けるものの、視線は定まらず、顔色もどんどん白くなっていく。息も小さく、時々、止まる。
「いかん・・このままでは・・。」
タケルは、首飾りを握り締め、「母上、どうかお力を!」と祈るように言った。すると、首飾りから光が発し始めた。最初は白く、徐々に黄色くなっていく。そのうち、茜色に光り始め、その光がヤスキの体を包む。縋り付いたままのヒナの体も、赤い光が包み込む。
そこへ、少し遅れてサトルが戻ってきた。サトルは、イカヅチの横に立ち、その光景を見ていた。春日の杜で、摂政カケルから聞いたことはあるが、見るのは初めてだった。
「あれは・・。」
と、イカヅチが小さな声で訊く。
「あれがヤマトの奇跡。皇アスカ様と、タケル様にしか起こせない奇跡の力です。」
「奇跡の力・・神の力か・・。」
そう言って、イカヅチは瞬きもせずじっと見守っている。
徐々に光が小さくなってきた。
「タケル様・・。」
その声は、ヤスキだった。息も絶え絶えだったヤスキは、目を見開いて、タケルの手を強く握り返した。背中の傷もすっかり閉じている。まだ、起き上がるほどの力はないが、命の危険は通り過ぎたようだった。
「ヤスキ・・もう・・大丈夫だ・・。」
タケルはそう言って微笑むと、その場に倒れてしまった。
「タケル様!」
慌てて、サトルが駆け寄る。
イカヅチとサトルは、ヤスキとタケルを館に運び入れ、座敷に横にした。二人とも、座敷で静かに眠っている。その間に、イカヅチとサトルは、館の前の男達の亡骸を土に埋めた。そして、庭先にある血の跡を丹念に消した。
先に目を覚ましたのは、ヤスキだった。ヤスキは起き上がると、サトルに言った。
「タケル様の懐に、薬袋があるはず。それは、チハヤ様が処方したタケル様の気付け薬だ。目が覚めたら、煎じて飲ませてください。」
サトルは言われるまま、タケルの懐を探ると、小さな袋があった。それを取り出し、中身を見る。特別な匂いがする。これを煎じれば、途轍もなく苦いだろうと想像できた。
そこへ、ヒナが近づき、サトルから袋を取り上げた。
「ヒナ様、それは、タケル様のお薬です。御返し下さい。」
サトルが言うと、ヒナが正気に戻ったような表情で言った。
「わかっています。私が支度をします。」
その言葉に、イカヅチもヤスキもサトルも、驚き、ポカンとした表情を浮かべた。
「ヒナ姫様?・・」
イカヅチは、聞き間違えたのではないかと呼んでみた。
「私は大丈夫です。昔の記憶は、まだ、ぼんやりしていますが、正気です。」
ヒナ姫は間違いなく正気に戻っている。
「あの光の中で・・私は亡き母を見ました。母は笑顔でした。そして、しっかりしなさいと仰いました。私は、その時、はっと我に返りました。何か心の中にあった黒い塊が一気に消え去ったような‥そんな気持ちです。」
イカヅチは、驚きを隠せなかった。もはや正気には戻らぬものと決めていた。だが、目の前の姫は、まさに館に居た時とかわらぬ利発さを見せている。
「奇跡だ・・・これがヤマトの神の力か・・・。」
イカヅチは、座敷に横たわるタケルを見て呟いた。
日も暮れはじめた頃、ようやくタケルが目を覚ました。すぐに、ヒナ姫が薬を用意して飲ませた。タケルは、表情一つ変えず薬を飲み干した。
「ありがとうございました・・何と、礼を述べればよいか・・。」
イカヅチが言う。
「私はヤスキを救いたい一心でやったことです。ヒナ姫様が正気に戻られたのは、これまでのイカヅチ様の努力が報われたという事でしょう。」
タケルはゆっくりと立ち上がり、ヤスキを見た。
一命を取り留め、意識が戻ったとはいえ、背中の傷は深く、すぐに動くのは無理だった。
「イカヅチ様、ヤスキ殿には養生が必要です。暫く、ここへ置いてもらえませんか?」
「その様な事、言うまでもありません。・・タケル様もお疲れの様子、今しばらく、ゆっくりされた方がよろしいでしょう。」
イカヅチの言う通り、タケルはまだ全力を使えるほどには回復できていなかった。だが、大高の将、イソカの動きがどうにも気になっていた。船を進めて、渥美や伊勢へ戦を仕掛けられはしまいかと考えていた。
「ヤスキ様の事は私がしっかりと看病いたします。私の命の恩人です。御安心下さい。」
ヒナ姫が、ヤスキの隣に居て、笑顔を浮かべ、タケルに言う。
「まあ、いずれにしてもすでに夜も更けております。動くとしても、明日朝になりましょう。今宵はゆっくり休まれるが宜しいかと存じます。」
しっかりとした言葉で、ヒナ姫が言う。タケルも安心してゆっくり休むことにした。

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1-28 男たちの密談 [アスカケ外伝 第2部]

明け方近く、空が白み始めた頃、外で物音がした。ぐっすりと眠っていたタケルだったが、物音に気付き、枕元に置いていた剣をそっと手にした。同時に、サトルも起きていた。サトルは、タケルの方を向き、静かにというようなしぐさを見せた。そして、静かに起き上がると、土間に降り、そっと外の様子を見る。
森と館の境界あたりに、イカヅチが居た。
そして、数人の男がイカヅチを取り巻き座っている。サトルはそっと聞き耳を立てる。
「イカヅチ様、御用でしょうか?」
男の一人が頭を下げ、囁くように言った。
「ヤマトの皇子が、今、館に居られる。」
イカヅチの言葉に、取り巻く男たちが騒めく。
「よいか。これは、天の思し召しに違いない。我らの行く先は明るい。何としても、我らの味方につけるのだ。」
「これから、いかがされますか?」
音が指図を待つように訊く。
「じっくり考えようではないか。せっかくの好機。まあ、儂に任せろ。」
イカヅチは、男たちに向かってそう言うとにやりと笑った。
サトルは、聞き耳を立て、一部始終を聞いていた。だが、イカヅチの意図するところは判らなかった。
「タケル様・・どうやら、何か、裏がありそうです。真偽を確かめた方がよろしいかと思います。私は、あの者達を追って参ります。」
サトルの言葉を聞き、タケルも同様の事を想像していた。昨夜の話が真実なら、わざわざ隠れるようにして、男たちと話す事もないはずだった。
「判りました。急いで行って来てください。それと、イソカの軍の動きも調べてみてください。渥美や伊勢が危ういようなら、サトル殿は、それを伝えてください。」
「しかし・・それでは・・。」
サトルは戸惑っていた。
「大丈夫です。明日朝までに、サトル殿がここへ戻られぬ時は、イソカの軍が動き始めたのだと判断します。おそらく、イカヅチ様も何か動かれるはず。・・私は、イソカの軍を少しでも足止めできるようにします。」
「それなら、野間の長をお尋ねください。大高からの水軍が、渥美へ向かう前には、必ず立ち寄る港だと聞きました。野間の民は、まだ、イソカの軍を快くは思っていないようです。何か、力になってくれるかもしれません。」
「判りました。・・」
タケルはそう言うと、サトルを裏口から外へ出した。
暫くすると、イカヅチは戻ってきた。タケルは起き上がり、待っていた。
「おや・・お早いですね。」
イカヅチは、少し慌てた様子を見せた。
「イカヅチ様こそ、こんな朝早くどちらへ?」
「いや・・朝餉のために草を摘みに行っておりました。」
確かに、イカヅチの手には籠一杯の野草が摘まれている。
「さあ、朝餉に致しましょう。」
そのうち、ヤスキも目を覚ました。
傍には、ヒナ姫が居て、ヤスキの肩を支え、身を起こすのを手伝っている。
イカヅチは、そんなヒナの様子には、どこか関心がないかのように、朝餉の支度をし、皆に、膳を出した。ヒナ姫とは、特別な関係であるはずだが、妙によそよそしい感じがした。
「おや、サトル様はどうされましたか?」
イカヅチが訊く。
「朝早く、渥美へ行かせました。無事、大高近くまで来た事と、イカヅチ様たちにお助けいただいたことを、渥美へ知らせるように命じました。」
「ほう・・しかし、朝餉を済まされてからでも良かったのでは?」
「いえ、明日朝には、戻れるようにとサトルも申しておりましたゆえ、日の明けぬうちに行かせました。」
「そうですか・・。」
イカヅチは何か思うところがあるようだったが、それ以上は何も言わなかった。
「イカヅチ様、ヤスキが養生している間に、私は、やはり、大高へ向かおうと思います。せっかく安寧を取り戻した渥美が再び戦となるのは何としても止めたいのです。そのためには、イソカに遭わねばなりません。」
朝餉を終えて、タケルはイカヅチに切り出した。
「そうですか・・しかし、大高の館は、戦に備えた強き砦。イソカに会うのは容易い事ではありません。それより、民を集め、時を見て、一気に砦を攻めた方が容易いかと思いますが・・。」
イカヅチの言葉には、何か、戦を起こしたいという気持ちばかりが感じられた。
「いえ、それでは私がここへ来た事が無駄になります。なんとか、砦の中へ潜り込む手引きしてくれる者をさがしてもらえませんか?」
タケルの言葉にイカヅチは困ったような表情を浮かべながら答えた。
「判りました。探してみましょう。少し時間が掛かるかもしれませんが・・。」
イカヅチはそう言うと、朝餉の片づけをした。
ひと仕事を終え、イカヅチは「しばらく館を留守にする」と言って出て行った。
タケルは、留守の間に、館を抜け出す事も考えたが、ヤスキが動けない以上、無理はできない。暫くは、イカヅチの言葉に従うほかないと決めていた。

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1-29 フウマ [アスカケ外伝 第2部]

館を出たサトルは、密談していた男の後を追った。
山道にはよほど慣れているだろう。なかなか追いつけなかったが、足音を頼りに、ついて行った。男は山をまっすぐに下ると、郷の手前で一度立ち止まり、周囲を確認すると、山筋に沿って隠れるようにして、北へ向かう。サトルは、さらに、男の後を追う。ついに、男は大高の郷へ入った。郷に入ると、男は、何食わぬ顔で通りを歩き、行き交う人と軽く挨拶をしながら、真っすぐ館を目指している。
男は、館の門番に何か小声で言うと、そのまま、中へ入って行った。サトルの耳には、男が「いつもの寝坊だ。」と聞こえた。
あの男は、館で働いているのか。イカヅチとイソカは繋がっているのか。これだけの動きでは何も判らなかった。
サトルは、館の周囲を回ってみた。高い塀が築かれていて、中を見る事は出来ない。ようやく見つけた高い木に登り、中を覗いた。土塀の向こうには堀が掘られている。そして、また、土塀が築かれ、その中に館はあった。遠すぎて、中の様子を知ることはできなかった。
サトルは少し、郷の中を探ることにした。
こうした時、話が聞きやすいのは水場だった。路地を抜け、水場を探すと、小さな小屋が建ち並ぶ奥に、泉があり、洗い場があった。
朝餉を終えて、女たちが、洗い物を抱えて集まってきていた。サトルは、塀の影に身を潜め聞き耳を立てた。
「また、呼び出しがあったってさ。」
「うちもだよ・。」
「また、戦なのかね。」
「畑の仕事も終わらないうちに・・困ったもんだよ。」
女たちの不満が聞こえてくる。
「いつからだって?」
「いや、それがよく判らないんだ・・。ただ、今度は長く家を空けるとは言ってたよ。」
「じゃあ、伊勢辺りまで行くつもりかね?」
「いや、渥美だって聞いたよ。何でも、ヤマトの皇子が、渥美の兵を率いて、攻めて来るらしい。」
「渥美の兵って言ったって、こっちとおんなじだろ?」
「ヤマトは強いのかねえ?」
やはりここでも、ヤマトが侵略してくることが信じられているようだった。
「そうそう、確か、ヤマトの皇子は神の力を持っているらしいよ。」
「神の力?・・怪しい妖術じゃないのかい?」
そこへ、甲冑を付けた兵士が現れる。
「おい!今、ヤマトの話をしていたな!」
問い詰めるような口調で、兵士は女達の前に立ち、剣を突き出して言う。
女達は、震えあがって、その場に伏せる。
「下らぬ話をせず、真面目に働け!」
その兵はそう言い捨てて、立ち去っていった。
女たちは、周囲を伺いながら、ゆっくり顔を上げると、兵たちを睨み付けた。
「こんな時、フウマ様が居て下されば・・。」
女の一人が呟く。
他の女たちは、その言葉に驚き、周囲を見た。
「その名前を軽々しく口にするんじゃないよ!」
「判ってるさ。でもね・・あの御方が居られれば・・戦など・・。」
女達の口振りから、フウマという者は、大高の民にとって大きな存在だという事は判った。だが、サトルは初めて聞く名前だった。
「今、どちらにおいでなのだろうねえ。」
女の一人はそう言うと、洗い物を抱えて、家に戻って行った。
他の女たちも、三々五々、家に戻って行く。
水場には、娘が一人残っていた。先ほどの話には全く加わらず、じっと片隅で洗い物をしていた。サトルは周囲を伺い、塀の影からさっと出て、娘の背後に回った。
「済まぬ。怪しいものではない。そのままでいい。聞きたいことがある。」
サトルは低い声でその娘に話しかけた。
娘は、一瞬、びくっと身を縮めたが、サトルの口調から優しさを感じたようで、すぐに平静に戻った。
「先程、女たちが話していた、フウマとはどういう御人か、知りたい。」
サトルは訊く。
娘は、洗い物を続け乍ら、少し考えて答えた。
「フウマ様は、頭領の御子息です。いずれ、この大高を治めるはずの御方です。」
「ならば、ヒナ姫の兄という事か?」
その娘は、ヒナ姫の名を聞いて、驚き、思わず、洗い物を落としてしまった。
「なぜ、その名を?」
「詳しくは話せぬが、今、我らはヒナ姫様のもとに居る。」
その言葉を聞いて、娘は急に表情が厳しくなった。そして、周囲の様子を伺うと、
「私についてきてください。詳しい事はそこで。」
娘はそう言うと、すっと立ち上がり、洗い物を抱えて、坂道を上っていく。
サトルも少し離れて娘の後を追う。娘は、坂を上り切ると、林の中に入っていく。しばらくすると下り道になり、目の前が開けたところに、小さな小屋があった。その先に、港が見える。船着き場には軍船が着いているのが見える。兵士が行き交う姿も見えるほどだった。
娘は、ちらりと港の方を見る。


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1-30 シノ [アスカケ外伝 第2部]

「さあ、お入りください。」
娘に言われるまま、小屋の中に入る。僅かな家財しかない、質素な暮らしだった。囲炉裏端に座ると、娘は、身を正して座った。
「私は、シノと申します。隣の、阿久比の郷の生まれです。ここには、頭領様のご命令で来ております。」
「私は、サトルと申します。此度、ヤマトの皇子タケル様の御伴でこちらに参りました。」
サトルはこの娘には隠し事は無用だと直感で判断した。
「では、やはり、ヤマトの軍隊が渥美や知多を攻めようとされているのですか?」
シノは比較的落ち着いた様子で訊く。
「いや、我らは、此度の戦を収めるため参った。それに、ヤマトはいずれの国をも侵す事などない。手を携え、安寧な暮らしができる事、それのみがヤマト皇の願いなのです。」
シノはじっとサトルの言葉を聞いている。
「では、ヤマトが来るとの言うのは、嘘なのですね。」
「ああ・・誰かが、この辺りの国々に戦をさせるための口実に違いない。」
「しかし・・ヤマトの船が攻めてきたと・・見た者もおりました。」
「ヤマトの都は、山中にある。水軍など持っておらぬ。皇子のお話では、大和争乱の際、都から逃げた悪しき輩の残党ではないかとのことだ。」
シノは、サトルの言葉に嘘はないか、吟味するようにじっと聞き入っていた。
そして、訊いた。
「ヒナ姫様のもとに居られるというのは、どういうことですか?」
「大高へ向かう山中で、イカヅチという男に出会い、そこにヒナ姫様が居られた。」
シノの顔が引きつっている。
「イカヅチ・・今、イカヅチと申されましたか?」
「ああ、そうだ。イカヅチ様がヒナ姫をお守りしていると・・。」
それを聞いて、シノは顔を紅潮させ興奮気味に言う。
「ヒナ姫様は、イカヅチに囚われておられるのです。・・あの男が、全ての元凶。・・。」
「どういうことですか?」
サトルは訊く。
「イカヅチの裏切りによって、知多は乱れてしまったのです。あの男が、イソカを大高へ引き入れ、頭領を騙し、フウマ様を追放し、奥様を殺した。そして、頭領が逆らわぬよう、ヒナ姫を人質にしているのです。」
シノの言葉は、サトルが想像していた以上の事だった。そして、タケルやヤスキの身が危ない事もすぐに理解した。すぐに戻らなければならない。
シノは不意に、戸口を少し開けた。そして、外を見る。
「どうした?」とサトルが訊く。
「船が出る様子です。・・兵たちが集まってきています。」
シノに言われ、サトルも外を見る。確かに、多数の兵が集まり始めている。
「おそらく、戦へ向かうのでしょう。」
シノが言う。サトルは、いつごろ何処へ向かうのか、詳細を知りたかった。小屋を出ると、海岸の岩場に隠れながら、船に近づいてみた。シノも後をついてくる。
サトルは、兵たちの話が聞こえまいかと、耳を澄ます。しかし、皆、無言でやってくる。
そのうち、数人の兵士が桟橋から海岸に降りて、サトルたちの潜む岩陰に向かってくるのが見えた。気付かれたか・・サトルはそう思い、身を隠そうとした。だが、戻ろうとする岩場にも兵士がいる。挟まれてしまったようだった。
「サトル殿!」
向かってくる兵士の一人が声を掛ける。その声には聞き覚えがあった。
「サスケ様!」
近づいてくる兵士たちは、皆、ヤマトからともに来た者達だった。
「サトル殿を郷の中で見かけ、おそらく、軍船の様子を見ているのではと思っていたが・・やはり、そうだったか。」
サスケが低い声で話す。
「サスケ様、その恰好は?」とサトル。
「敵を知るには中に入らねばならぬ。これから軍船に乗り込むところだ。・・タケル様はいずこに居られる?」とサスケが尋ねる。
「今、山中に、イカヅチという者とともに居られます。」
「なんと・・お前はすぐにタケル様のもとへ戻れ。そして、急ぎ、野間の郷へタケル様をお連れするのだ。・・イソカの軍は、明後日には、渥美へ向け出港する。途中、野間の港へ立ち寄ると聞いた。渥美へ向かう前に、何とか、留めねばならぬ。タケル様なら、何か策を考えられるに違いない。」
サスケは手短に用件を伝える。
「サスケ様、そろそろ戻らぬと怪しまれます。」
供をしてきた者が言う。
「良いな。・・もし、野間に留める事が出来なければ、我らは、船内に火を放つつもりだ。そうなれば、他の者達の命も危うい。良いか、タケル様にお伝えせよ!」
サスケはそう言うと、伴の男たちとともに、軍船に戻って行った。
傍で聞いていたシノは心配そうな顔でサトルを見ている。
「シノ殿、野間の郷に知り合いは居らぬか?」
シノはすぐには浮かばなかった。
「阿久比の郷の頭領様なら、きっと野間の郷の御方をご存じのはず。」
「だが・・時がない。一刻も早く、私はタケル様のもとへ戻らねば・・。」
戸惑うサトルを見て、シノが言った。
「私が、阿久比へ戻り、きっと野間とのつなぎ役を見つけて参ります。・・・明後日には船が出るようですから、三日後には野間に着きましょう。それまでに、何とか・・・。」
シノはそう言うと、すぐに、小屋に戻り、阿久比の郷へ戻る支度をした。サトルは、浜でシノと別れ、タケルの許へ走った。

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