SSブログ
アスカケ外伝 第2部 ブログトップ
- | 次の30件

1-31 化身 [アスカケ外伝 第2部]

イカヅチとタケルのやり取りをじっと聞いていたヒナ姫は、イカヅチが館を出るのを確認すると、タケルに言った。
「一刻も早く、ここを出ましょう。あいつの言いなりになってはいけません。」
タケルもヤスキも、ヒナ姫の言葉に驚いた。
「しかし・・ヤスキの体はまだ満足に動けるまでにはなっていません。・・それより、イカヅチ様は、あなたをお守りされていたのではないのですか?」
タケルがヒナ姫に訊いた。
「私は、人質です。イカヅチは、大高の郷を我が物にしようと画策し、イソカを引き入れ、父を誑かし、それに気づいた母を殺しました。兄は、いち早く逃れましたが、私は人質となりました。」
「正気を失っておられたわけでは・・」とヤスキが訊く。
「いえ・・先日までの事は何も覚えておりません。目の前で母が切られた事は覚えておりますが・・それからの事は・・ぼんやりとしていて・・。タケル様のあの御力で我に返ることができました。」
ヒナ姫はしっかりとした口調で話す。
「我らも今朝がた、怪しい動きを知りました。・・それを確かめるために、サトル殿が大高の郷へ向かいました。・・夜には戻ってくるはずです。」
と、タケルが言う。
「それでは、逃げる機会を失います。一刻も早く、ここを出なければ・・。」
ヒナ姫は、思い詰めて表情を浮かべて言う。
タケルはどうすべきかを考えながら、戸板の隙間から外を見た。森の中に人影が見える。一人ではない。数人の男達が館を見張っている。
「ヒナ姫様・・館の周りには見張りが居ります。イカヅチの指図でしょう。」
怪我をして満足に動けないヤスキと、ヒナ姫を守りながら、あの男たちの手から逃れられるだろうか。・・いや、逃れなければならぬ。タケルはそう決意した。あの人狼の力を使えば、数人の男を蹴散らすことはできる。その後、山を下り、いずれかの郷へ身を隠せば・・と考えた。
「ヤスキ・・。」
タケルはそう言って、ヤスキを見る。ヤスキも、タケルの考えが判った。
「大丈夫だ・・歩くことはできる。」
身を起こし剣と弓を持ち、何とか立ち上がった。
「ヒナ姫様・・これから起こる事は、ヤスキとあなたの御命をお守りする為の事です。どうぞ、ご理解ください。」
タケルはそう言うと、剣に手を掛ける。そして、目を閉じ祈る。しばらくすると、剣が光を発し始めた。それと同時に、タケルの体に異変が起きる。腕や足の血管が浮立ち、一回りも二回りも太くなっていく。背中の筋肉が盛り上がり、顔つきが変わる。
「グルルル・・。」
獣のような唸り声が響くと、タケルは戸板を蹴破り、外へ飛び出した。森に潜んでいた男達も、何事かと驚き、剣を構える。
「ウオー!」
タケルが雄叫びを上げる。
見た事もない巨大な獣のような人、いや人のような獣が目の前に立っている。見張りの男たちは、皆、腰を抜かし、その場にへたり込む。獣人タケルは、剣を高く掲げ、もう一度雄叫びを上げた。へたり込んでいた男たちは、我先にと、茂みの中に身を隠す。獣人タケルは、掲げた剣を左から右に大きく振った。すると、剣が起こした疾風が茂みを切り払い、隠れていた男達が姿を見せる。その中で、ひと際体の大きな男が、立ち上がり、剣を構えた。
「止めとけ!敵いっこないぞ!」
周囲の男が止めようとする。しかし、覚悟を決めた男は、剣を振りかぶりタケルに切りかかった。タケルは、剣でその男の剣を受け止める。ガキンという音とともに、切りかかった男の体が宙を舞う。そして、崖の下まで転がり落ちた。それを見た男たちは、剣を投げ出し、飛ばされた男の後を追うように、崖の下に降りて行った。
周囲に他の者の姿はない。タケルは、獣人の姿のまま、館に入り、ヤスキを脇抱え、ヒナ姫を背負い、一気に、山道を駆けだした。いや、カケルというより高く飛び上がりながら、木々の間をすり抜けていく。あっという間に、館が見えなくなった。
暫くして、力が弱まっていくと、タケルは元の姿に戻り、二人を降ろした。全身が泥のように重く、動けなくなっていく。座り込んだところは、沢の陰だった。座り込んだタケルを見て、ヒナがすぐに沢で水を掬い、タケルに飲ませる。そして、ヤスキにも飲ませた。
ヒナ姫は、獣人に化身したタケルを見て、怖れを抱きながらも、背負われて山中を逃げている時に感じた温かさを思い出していた。幼い頃、父に背負われ遊んでもらった想い出と重なり、胸の中に温かいものが溢れてくるようだった。
「怖れることはない。あれが、皇子タケル様の御力。大事なものを守る時にしか使えない。タケル様は我らの事を守るために、あのような姿に化身されたのだ。」
岩を背にどうにか姿勢を保っているヤスキが、ヒナ姫に話す。
「ええ・・私も感じました。・・。」
ヒナは、疲れ果て動けなくなったタケルを見つめて言った。
「どこか、身を隠せるところを探さねば・・。」
ヤスキが言う。
「私が探してまいります。お二人は暫くここでお休みください。」
ヒナ姫はそう言うと、沢伝いに山を下った。
ほんの少し下ったところに大きな洞穴を見つけた。周囲に人家は無いようだった。日暮れが近づいている。このような山中で暗闇に取り巻かれれば、山の獣たちに襲われかねない。ヒナは、急いでに二人の許へ戻り、その洞穴まで二人を案内した。タケルは何とか自力で歩けるようになっていた。ヤスキはヒナに肩を借りて、どうにか洞穴まで辿り着いた。

nice!(1)  コメント(0) 

1-32 洞窟 [アスカケ外伝 第2部]

タケルたちが館を逃げ出して間もなく、イカヅチが兵を連れて戻ってきた。見張りの男を配置していたはずだが、誰ひとり、見当たらない。イカヅチは、慌てて館に入るが、もぬけの殻だった。一緒に来た兵の一人が、イカヅチに言う。
「崖の下に男が倒れております。」
すぐに男は引き上げられた。崖を転げ落ちた時、あちこちぶつかったようで、男の顔は晴れ上がり、足も折れているようだった。
「何があった?」
イカヅチは、怪我をした男を見下ろして訊く。
「獣が・・いや、獣のような・・化け物がいきなり現れて・・。」
男はその時の光景を思い出し、震えながら言う。
「化け物だと?・・言い訳するのなら、もっと、ましな話を考えろ!・・ヒナ姫たちはどうした?」
崖の下に転がった男は、「判りません」とだけ答えた。
「ウーム・・逃げられたか・・・」
その様子を、館の屋根の上から、サトルが聞き耳を立て、イカヅチと男の話を聞いていた。
「タケル様があの御力を使われたようだ・・。」
サトルは、そう言うと、今度はじっと山の方を見ながら聞き耳を立てる。近くに潜んでいるなら、息遣いなどが聞こえるはずだった。だが、何も聞こえない。
「随分遠くに行かれたか・・。」
サトルは一刻も早く、大高で聞いた話をタケルに伝え、野間へ向かっていただこうと考えていた。何とか、タケルたちの行方を探さなければならない。
館の前ではイカヅチが怒りをあらわにしていた。先ほど崖の下から引き揚げられた男は、見せしめにと、イカヅチに切り捨てられ息絶えた。共に来た、兵たちの顔が歪む。
「一人は深手を負っている。それほど遠くには行けまい。手分けして探し出せ。さもないと、お前たちも、やつのようになるぞ!」
イカヅチの形相はまるで鬼のようだった。兵たちは慌てて、方々に散らばり、タケルたちを逃げた後を探そうと走り回った。
サトルは、屋根の上から周囲の山を見渡してみた。自分ならどちらに逃げるか。サトルは、サスケから、獣人に化身した摂政カケルの話を聞いたことがある。人並み外れた跳躍力があり、怪力だという事を思い出した。そして、周囲の木々にじっと目を凝らした。いくつかの樹の枝が折れているのが判った。その後を丁寧に追ってみた。
「あっちへ行かれたようだ。」
サトルは、見つけた方向に向かって走りだした。兵たちに見つからぬよう、音を立てず、まるで鹿のように山の木々の間をすり抜けていく。しばらく行くと、立ち止まり、どこかで、タケルたちの足音がしないかと耳を澄ます。そしてまた、走り出し、同じ動作を、何度か繰り返した。しばらく行くと、沢に出た。周囲を見る。ところどころ、不自然に草が倒れている。タケルたちがここで休んだのは判った。そして、沢の周囲の様子を探った。
タケルたちは、ヒナ姫の案内で、沢を下り大きな洞穴に着いた。大きいと言っても入口はようやく人の丈程度だった。中は真っ暗だった。ヒナ姫がふとロコから火打石を取り出し、木を拾い松明を作る。松明の灯りが周囲を照らすと、洞穴は予想以上に大きく広がっていて、ずっと奥まで続いていた。
「ここで朝まで過ごしましょう。」
ヒナはそう言って、松明を置こうとして、はっと驚いた表情を浮かべる。
「どうした?」
ヤスキが岩に座りながら訊く。
「これを見てください。」
ヒナ姫が松明で照らした場所には、焚火の跡があった。そして、その周囲には薪が積まれている。奥の方を照らしてみる。甕や皿、椀なども片隅に置かれていて、明らかに誰かがここで暮らしていると判った。
「こんなところで暮らしているとは・・・。」
ヤスキが言うと、奥の方で物音がした。そして、松明の灯りが揺れながら近づいてくる。
タケルはようやく、元気を取り戻していて、近づく松明を見ながら、剣に手を置いた。危険が迫ってくるのなら、剣が光を放ち知らせてくれる。だが、剣は全く変化しない。
「何者!」
若い男の声が洞穴に響く。松明の灯りを反射して剣がきらりと光るのが見えた。その声を聞いて、ヒナ姫は、はっと声を出した。
「兄様?・・兄様ではありませんか?・・ヒナです。」
ヒナ姫は声を上げる。
「ヒナ?・・本当にヒナなのか?・・・」
松明の灯りを顔に近づける。照らし出された顔を見て、男はゆっくりと近づき、ヒナ姫の前まで来ると、自分の顔を照らす。髪も髭も長く伸び、衣服も薄汚れている。だが、瞳だけはキラキラと輝いて見えた。
「兄様・・どうして・・このようなところに?」とヒナ姫が訊く。
「イカヅチが追討の命を出したと聞き、身を隠すため、ここに。初めは、どこかの郷へとも考えたが、私が隠れる事で郷の民に災いが及ぶかもしれぬ。それなら、一人、見つからぬ場所でと・・。」
どうやら、強い覚悟でここに潜んでいたようだった。
「御無事でいらしたとは・・。」
もう会えぬものと諦めていたヒナ姫にとって、余りにも偶然の再会であり、驚きと嬉しさと、いまだに信じられない思いが交差している。
「ヒナ、そちらの御方は?」とフウマが訊く。
「ヤマトの皇子、タケル様です。」
「何?・・ヤマトの皇子?」
タケルは、フウマの前に立ち、深く頭を下げる。そして、これまでの経緯を説明した。

nice!(0)  コメント(0) 

1-33 鬼伝説 [アスカケ外伝 第2部]

「ヤマトとの戦というのはやはり嘘であったか。」
タケルの話を一通り聞いたフウマは、天を仰ぐようにして呟いた。
「兄様、私たちとともに参りましょう。タケル様の御力があれば、イカヅチやイソカを倒す事もできます。知多の民は皆兄様の御帰りを待っているに違いありません。」
ヒナは、フウマを説得する。
「いや・・侮れぬ相手だ。・・ヤマトの皇子がいかほどの御力をお持ちかは知らぬが、あいつらを倒すには、大軍が必要。それほどの兵を率いておられるようには見えないが・・。」
「戦をするために参ったのではありません。戦では何も生まれません。此度の混乱の張本人さえ取り除けば良いのです。」
タケルはフウマに言う。
「それはそうだが・・・それこそ、最も難しい事。何か策でも?」
とフウマが尋ねる。
「いえ・・今はまだ・・。」
タケルが答える。皆、黙り込んでしまった。洞穴の中に静寂が訪れる。
入口辺りで、音が聞こえた。皆、息を潜める。イカヅチの追手が来たのではないか。じっと入口に目を凝らす。がさがさと音が洞穴の中に響き、徐々に近づいてくる。
「タケル様、いらっしゃいますか?」
洞穴に聞き覚えのある声が響く。サトルだった。
「サトル殿か?こちらだ。」
タケルは松明を掲げる。暗闇の中、サトルは松明の灯りを目当てに走り込んできた。
「良く、ここを見つけたな。」
と、フウマが言うと、サトルが笑顔を浮かべて答える。
「皆さまの話声が聞こえました。私の耳は誰よりも遠くの音を聞くことができるのです。」
サトルは、タケルの前に傅いて、言う。
「イソカの軍が動きました。明後日には渥美へ向け進軍するようです。」
サトルはそう切り出して、サスケの策を話した。タケルは、腕を組み考えている。野間に向かい、どうやって進軍を止めるか。野間の民が協力してくれたとしても、戦となるのは確実。多くの怪我人が出るに違いない。しかし、やり過ごせば、サスケ達が自らの命と引き換えに、船に火を放つことになる。
横で話を聞いていた、フウマが口を開いた。
「私に策があります。明朝、出掛けましょう。」
確信のある口調だった。タケルたちは詳しくは訊かず、その日は、洞穴で過ごした。
明朝、陽が上るとすぐに、洞穴を出る支度を始めた。タケルは、ヤスキの体を心配しているようだった。
「タケル様、御心配は無用です。自分でも不思議なほど、身が軽く、何か体の中から力が湧いてくるようなのです。」
ヤスキはそう言うと、洞穴の外に出て陽を浴びた。ヤスキの言う通り、以前よりも一回りほど体が大きくなっているように見える。背中の傷跡は全くなくなっていた。ヤスキは、皆の前で弓を引いて見せた。もともと力自慢だったヤスキの弓は、普通の弓より太く強く作られていた。それを、軽々と引き矢を飛ばす。放たれた矢ははるか高く飛び、梢の太い枝を刎ねてさらに高く舞い上がって行った。
「おそらく、タケル様のあの御力をこの身に受けたおかげでしょう。」
ヤスキは笑顔を見せる。それをみて、タケルも安心した。
「さあ、出かけましょう。」
フウマが先導して、狭い沢を昇っていく。そして、一つ山を越えると、海が見えた。
「兄様、その先は・・確か、鬼崎ではありませんか?」
ヒナが不安げに訊いた。
「ああ、これから、鬼崎に行くのだ。大丈夫だ。私を信じてくれ。」
フウマはそう言うと、ずんずんと進んでいく。あとを追いながら、ヤスキはヒナに訊く。
「鬼崎とは、どのようなところなのだ?」
「・・鬼が住む場所と言われております。漁に出た者も、何度か、鬼の姿を見ております。全身真っ赤で、とても人とは違う・・恐ろしき者です。」
ヒナは、硬い表情で答える。
「私も、郷の中で聞きました。・・人を喰らう者と言われ、近寄らぬ方が良いとも・。」
しばらく行くと、断崖に出た。そぐ目の前には海が見え、岩礁があちこちに見える。
フウマは、そこから下を覗き、指笛を三度鳴らした。何か下の方で音がする。
「さあ、参りましょう。」
フウマは、崖の隙間にできた割れ目を器用に使い、下へ降りて行く。中ほどに来ると、少し広くなった場所があった。フウマはさらに指笛を鳴らす。すると、下から高梯子が上がってきた。フウマは、ひょいと跨ぐと下へ降りて行く。
次にタケルが続き、ヒナ、サトル、ヤスキが順に降りて行った。
下に着くと、鬼が並んで待っている。全身が赤く、長く伸びた髪を二つに束ね、頭には貝で作った飾り物を着けている。
ヒナは怖さでその場に座り込んでしまった。ヤスキがそっと支える。
「お帰りなさいませ。」
鬼の一人が、フウマに頭を下げる。声は人間である。タケルはじっと、その鬼たちを見つめ、小さく頷いた。
「大丈夫です。鬼なのではありません。」
タケルはそう言って、フウマを見た。フウマはニヤリとして、ヒナを見る。
「ヒナよ。良く、顔を見てやってください。さあ。」
ヒナは、恐るおそる顔を上げると、鬼の一人をじっと見つめた。
「えっ・・もしかして・・・カツヒコ?」
「はい、ヒナ姫様。お久しぶりでございます。」
鬼はヒナ姫の前に傅き、挨拶した。ヒナは他の鬼も見る。いずれも、昔、館に居た者達だった。

nice!(1)  コメント(0) 

1-34 決戦前 [アスカケ外伝 第2部]

「ここにいる者は皆、館に仕えていた者なのです。イカヅチの策に嵌り、私とともに館を逃れたものの、いずれの郷へ身を寄せたとしても、災いが及ぶと考え、この地に留まっておりました。この地には、鬼伝説は以前からありましたゆえ、自ら鬼となり、郷の者を近づけぬようにしておりました。あの洞穴も、我らのねぐら。」
フウマは、経緯を説明する。
「いずれ、イカヅチやイソカを討つため、ここで時を待っておられたのですね。」
タケルが言う。タケルは、断崖の奥まったところに着いている、二隻の船を見つけていた。そして、その船は小ぶりながら、船体には銅張が施され、矢を放つための小窓も作られていた。何より、少人数で動くにはちょうど良いものだった。昔、アスカケの話に出てきた、「赤い龍」「青い龍」の船の事を、ヤスキも思い出していた。そして、船を見る限り、ここにいる者達だけでできるような代物ではなく、フウマ達を支援する者が数多くいる事も、タケルは確信していた。
「さすが、ヤマトの皇子タケル様にはお見通しのようですね。」
と、フウマが答える。それを聞いて、カツヒコの他の「鬼たち」がどよめいた。
「ヤマトの皇子・・本当ですか?」
カツヒコが驚いた声で訊く。
「はい。ヤマトからこの戦を収めるよう、皇様の命を受け参りました。ヤマトは他国を侵略するなど考えておりません。」
「やはり、そうですか・・・。イソカやイカヅチは、ヤマトが攻め入ると言って、戦支度をしておりましたが、信用ならぬと思っておりました。昔、美濃の者から、ヤマトは何より民の暮らしを考え、安寧を求めていると聞いておりました。やはり、そうですか。」
カツヒコが納得したように答えた。
「明日にも、イソカの水軍が野間に来ます。おそらく、その後、渥美へ向かうはず。その前に、我らで行く手を阻むのです。」
フウマが皆に告げる。
「では、いよいよ、なのですね。」とカツヒコ。
それから、すぐに、支度が始まった。
「イソカの水軍は必ず、この先の水路を通ります。この辺りは、岩礁地帯で、前に見える小さな島の他にも、数多くの岩礁があります。大船で通るにはかなり気を遣います。外を回ることも考えられますが、潮の具合によっては戻されるほどの流れがあります。この水路なら、流れも穏やかで野間に向かうにはかなり近道になるからです。」
フウマは、皆が支度を始めたのを見て、タケルとヤスキを崖の先に案内して、目の前に広がる海原を見ながら説明する。
「我らの船は小さい。まともにぶつかっては勝てません。あの岩礁にも人を隠し、奇襲をかけるほかありません。それと、火矢を使います。運よく火が船に移れば勝機も見えます。」
フウマは、長い時間をかけて策を練ってきたのだろう。すでに彼の頭の中には、戦いの様子が浮かんでいるようだった。タケルたちは、難波津で弁韓の水軍と闘ったことをもい出していた。皆が力を合わせ、知恵を出し合い、多くの命が失われぬよう、慎重に戦いを進めた。そして、最小限の戦いで勝利を得た。タケルは、フウマの話を聞きながらも、大きな犠牲が出ぬことを祈るばかりだった。
一方、サトルは、一足先に野間の郷へ向かった。
シノが野間の長への取次の手はずを整えているはずだった。時がない、サトルは山道を掛け、郷の入り口に辿り着いた。そこには、シノが待っていた。
「サトル様!」
「シノ殿!」
「・・さあ、参りましょう。」
シノは、郷に入るとまっすぐに長の館にサトルを案内した。長の館では、近くの郷の長達も集まっていた。
「ヤマトの皇子が参られているというのは本当か?」
館に入るなり、長達に取り囲まれ、皆から問われた。
「今、フウマ様ともに居られます。」
「フウマ様と闘われるという事だな。」
長達はそれを聞きすぐに動き出す。
「我らは、憎きイカヅチやイソカを倒す時のため、フウマ様をお支えして参ったのだ。おそらく、今頃、鬼崎の海で支度をされているはずじゃ。」
「すぐに皆を集めよ!」
長が号令すると、郷じゅうに響くよう、銅鑼が鳴らされた。暫くすると、甲冑に身を固めた大勢の男たちが港に集まり、小舟に乗って漕ぎ出していく。
他の郷の長も急ぎ郷へ戻って行く。
「このまま、戦いが始まれば、多大な犠牲が出ます。」
サトルは、タケルの想いを汲み、長に進言する。
すると、野間の長は笑顔で答える。
「これは、我ら、知多の者の使命。この先、安寧な暮らしを手に入れるため、悪しき者は追い払わねばならぬ。ようやく、その時が来たのです。鬼崎には、我らだけでなく、師崎や冨具崎、美浜辺りからも、兵が集まるはずです。ヤマトの方々には、我らの覚悟をしっかり見届けていただきたい。」
もはや、戦いは止めようがない事をサトルも理解した。
「サトル様、さあ、私たちも参りましょう。」
シノがサトルに言う。サトルもやむなく、小舟に乗り、兵たちの後を追う。
「シノ様、この先、危ういことになりましょう。どこかで船を降りられた方が良いのではないですか?」
サトルが気遣い、そう切り出す。
「いえ、私は、幼き頃からフウマ様の御傍におりました。兄のように慕っております。その御方の戦う御姿をこの目で見たい。船は降りません。」
シノの視線の先は、じっと、鬼崎の方を見つめている。

nice!(3)  コメント(0) 

1-35 鬼崎沖 [アスカケ外伝 第2部]

 鬼崎の近くに、イソカたちの軍船は、なかなか現れなかった。フウマ達の二隻の船は、沖の大きな岩礁に隠すように控えている。野間から来た者達も、点在する岩礁に隠れている。
タケルとヤスキは、沖に浮かぶ小島に上陸して、木陰に身を潜めていた。シノとサトルもその近くにいた。
小島の高台に居た見張り役から「船が来たぞ!」と合図が飛ぶ。
大きな軍船の前を中型の船が二隻、ゆっくりとこちらに向かってくる。二隻の船が岩礁地帯に入り、ゆっくり、フウマ達の前を過ぎる。甲板に座り、暢気な顔をしている兵の姿が見えた。それほどの数ではない。
フウマは立ち上がり、「今だ!」と号令を発する。
岩礁に身を隠していた者達が、一斉に火矢を放つ。四方から飛んでくる矢に驚き、船の兵たちも慌てて反撃する。しかし、揺れる船の上から、岩礁のあちこちに身を隠している者を正確に射貫ける者などいない。火矢は、船に当たりはするものの、燃やすほどの火力はない。フウマ達の船も岩礁から姿を現し、敵船に近づき、矢を放つ。だが、これもなかなか効き目がなかった。
小島の木陰から戦況を見つめていた、ヤスキが弓を取り出す。そして、小島の高みに登り、力を込めて火矢を放った。他の者が放つ矢とは勢いが違う。空気を切り裂いて飛び、敵船の甲板に突き刺さる。そこには、荒縄が置かれており、火が燃え移る。兵たちは、岩礁から飛んでくる矢を払いながら、火を消そうと慌て始めた。しかし、思った以上に火の勢いは強く、多くの兵たちは諦め、海へ飛び込む。
その様子を船の中から見ていたカツヒコが、負けじと甲板に出て矢を放つ。もう一隻の船にも火が付いた。もはや、二隻は戦うことなどできないのは明白だった。
「逃れた兵は討つのではない。みな、知多の者なのだ。救い上げるのだ。良いな!」
フウマは、皆に、号令する。
フウマ達の船が、敵の船に横付けし、火を消し止める。そして、海へ飛び込んだ者達を引き上げる。岩礁に辿り着いた者達も、郷の者が助ける。
「まだ戦える者は、船に乗れ!」
フウマが叫ぶ。イソカの兵だった者も、もともとは大高の郷の民。頭領の後継者、フウマの声を聞き、すぐに味方に加わる。
それぞれの船に分かれて乗りこみ、都合四隻の船をフウマ達は手にした。タケルやヤスキたちも、それぞれ船に分かれて乗りこんだ。そして、少し沖合に留まっている、イソカの軍船に向かう。
少し後ろを走っていた軍船は、岩礁の手前に留まったまま、戦況を見ていた。
「ふむ・・やはり、ここで待っていたか。」
イソカが軍船の甲板の上から、鬼崎の岩礁での戦いを見ていた。
「さて、どうしたものか。」
イソカが呟くと、隣にいたイカヅチが答える。
「あのような小舟など大したことはない。一気に蹴散らし、野間へ向えばよい。あれだけの者達がここにいるのだ、きっと、野間はもぬけの殻。おそらく、その先の港も同様であろう。我らの勝利は確かじゃ。」
イカヅチの言葉を聞き、イソカも不敵な笑みを浮かべる。
「よし、そのまま、前進じゃ!」
イソカが号令を掛けると、軍船が動き始めた。軍船の兵たちも弓を構える。
フウマ達の船と軍船の距離が徐々に詰まり始めた。
近づくほどに軍船の大きさが際立っている。フウマ達の細工を施した船が、まずは火矢を射かける。小さな船から放った矢は、軍船の船体にあえなく弾き返される。すると、軍船の高い甲板の上から、兵たちが矢を放つ。銅板を施したフウマ達の船は、矢を跳ね返す。二隻の船が、軍船の横や前後に回り込み、火矢を放つ。だが、大した損害を与える事は出来ない。そのまま、軍船は鬼崎の岩礁地帯を悠々と通り過ぎていこうとしていた。
「駄目だ!このままでは、野間の港に入られてしまう。」
フウマは悔しそうに軍船を睨み付けた。
軍船が、岩礁地帯の中ほどまで入った時だった。突然、漕ぎ手のいる下層の窓から黒煙が噴き出してくる。
「サスケ様達に違いありません。」
サトルが言う。
軍船は動かなくなった。そして、燃え盛る炎から逃れようと、乗り組んでいた者達は我先にと海へ飛び込んでいる。そこに、サスケ達の姿が見えた。
フウマは軍船に横づけすると、するすると甲板に上っていく。火は船体を燃やし尽くすほどの勢いはなく、すでに燻ぶっている程度だった。タケルたちも、フウマの後を追って甲板に上がる。そこには、イソカとイカヅチの姿があった。
「兵たちは皆逃げ出した!もはや決着はついている。大人しくされよ!」
フウマが厳しい声で迫る。
「フン・・其方、生きていたか。・・ヤマトの皇子を味方に付けるとは・・」
イカヅチが怒りをあらわに答える。
「あやつがヤマトの皇子か!やはり、ヤマトは我らを侵しに参ったというわけだな。皆の者、よく見よ。儂の言ったとおりであろう。さア、ヤマトの皇子を捕らえよ!」
イソカは、誰もいない甲板で叫ぶ。まるで、錯乱しているようだった。
「諦めよ!もう、味方する兵など居りません。あなた方の負けです。」
フウマがさらに詰め寄る。
すると、イソカがいきなり船室へ戻って行き、一人の娘の手を掴み、引き摺るようにして連れて来た。
「これを見よ!熱田の姫である。姫の命は我が手にある。さあ、どうする?」
熱田の姫は、人質として囚われ、惨い扱いを受けていたに違いない。薄汚れた身なりで、虚ろな表情をしている。立っているのもやっとの状態に見えた。


nice!(2)  コメント(0) 

1-36 決着 [アスカケ外伝 第2部]

「姫が命を落とせば、熱田の者達は、黙ってはおらぬだろうな。」
イソカはそう言うと、短剣を抜き、姫の首元に当てる。イカヅチもそれを見て、イソカの隣りに立ち、フウマ達を見てほくそ笑んだ。
「卑怯な!」
フウマは、その場に立ち尽くす。
タケルは少し後ろに立ち、一部始終を見ていた。「何という醜態」と、ふっと小さく息を吐いて呟いた。そして、剣に手を掛ける。すると、剣から光が漏れ始める。
「タケル様、大丈夫ですか?」
ヤスキが、小さな声で訊く。タケルは小さく頷く。すると、人質になっている姫の胸元辺りからも光が漏れているのが見えた。剣の光は徐々に強くなり、皆、異変に気付く。イソカやイカヅチも、タケルを睨んだ。
「ウオー!」
甲板に、雄叫びが響く。タケルは体をぶるぶると震わせ、一度、蹲ると、次の瞬間、全身をのけぞらせ、さらに雄叫びを上げた。獣人の姿に変化している。以前にもまして、体は大きく、白い狼の様に鬣さえも伸びている。眼は青く光り、牙さえあった。一目見ただけで、身震いするほどの凄みを持っている。
獣人タケルは、その場で大きく跳ねると、イソカの前に、ドスンと音を立てて着地した。驚いたイソカはよろけて、姫の手を離した。その隙に、タケルが姫を手を掴み、さっと引き寄せ、包み込むように抱く。
それを見たイカヅチが剣を抜き、背後から、タケルに切りかかった。だが、その剣はタケルの背を叩くだけで、小さな傷さえつける事なく、見事に跳ね返され根元から折れた。
「グルル・・・。」
タケルはわざと獣のような声を立て、イカヅチを睨み付けた。イカヅチは腰が抜けてその場に座り込んでしまう。
姫を奪われたイソカは、剣を振り回し、誰彼なく切りかかろうとした。
「成敗!」
フウマは剣を抜き、イソカの肩口へ一気に振り下ろす。イソカの腕は、赤い血飛沫を吹き出し、体から離れ、勢いよく海まで飛び、その場で果てた。
イカヅチは、カツヒコたちの手で、すぐに荒縄で縛られた。
「やっと、決着がつきましたね。」
タケルは元の姿に戻っていた。そして、その胸には、まだ、熱田の姫が居た。
フウマは、船の舳先に立ち、皆に見えるように、剣を高く掲げた。
「勝ったぞ!!」
船の者も、岩礁にいる者も、イソカとイカヅチを討ち取った事が判り、歓声を上げる。敵兵だった者達も、すでに、郷の者とともに歓声を上げている。皆、イソカを恐れ従っただけの者ばかりだったのだ。

「タケル様!」
そう言って、現れたのはサスケ達だった。兵に紛れ、船に火を放ち、戦いに終止符を打った立役者である。何人かは火傷をしているようだった。
「ご苦労でした。命を賭けた、サスケ様達のお働きにより、大きな犠牲も出さず、戦を収めることができました。」
タケルが労いに言葉を掛ける。
「ありがとうございます。・・しかし、戦はまだ終わっておりません。・・イカヅチは、利用されたに過ぎません。本当の敵はまだ残っております。」
サスケが言う。
「そのようですね。」
タケルは、イカヅチの様子を見て気付いていた。
知多国の騒ぎは、渥美とよく似ている。いずれも、多くの郷を纏める力が弱いところに、怪しげな者を送り込み、内紛を起こさせている。こうする事で、もっとも利を得るのは誰なのか。ヤマトを敵とみなし、郷を守ろうとする民の思いを利用する悪しき者。これを除かなければ本当の安寧は訪れない。
「イソカとイソキは兄弟のようです。ともに、穂の国から参った者。どうやら、穂の国に元凶が潜んでいるのは間違いないようです。」
サスケは、皆が集めた話を纏め、タケルに話した。
「穂の国は強大な国です。東国や信濃に挟まれているため、昔から,戦が絶えないようです。ただ、怪しげな話も聞きました。国王は、蛇の化身だというのです。そして、その妖力を使って、あらゆるものを操れるのだとも・・」
「怪しき力を持つものですか・・。」とタケル。
少し考えた後でタケルがサスケに訊ねる。
「私は、あの、ヤマトの古き旗を掲げた軍船が気になっています。・・どこかの港に隠れているはずなのですが・・。」
「渥美、知多、穂の国、これらに囲まれた、内海には、大小幾つもの島があります。どこか、そこの一つにでも潜んでいるのではないでしょうか?・・特に、幡豆の郷の沖に浮かぶ、大島には怪しげな輩が集まっていると聞きました。」
「やはり、穂の国へ入らねば判りませんね。」
タケルは、すでに次の策を考え始めていた。
「皆さま、大高の郷に着くまで、しばらく体を休めてください。皆様の御力、まだまだ必要なのです。」
タケルはそう言って皆を労った。
軍船は、大高の郷へ戻る。小舟が先に行き、フウマの勝利を知らせると、郷の者は皆、息を吹き返したように賑わい始めた。

nice!(1)  コメント(0) 

1-37 凱旋 [アスカケ外伝 第2部]

「フウマ様、お久しゅうございます。」
軍船の上で、ようやく、シノはフウマに挨拶することができた。
「これは・・シノ殿・・シノ殿ではないか・・・。」
フウマは驚きを隠せなかった。館の騒ぎで、皆、散り散りとなり、フウマも再び会うことはないと思っていた。フウマはシノに駆け寄る。
「今まで、どこでどうしていた?」
「大高の郷で隠れるように暮らしておりました。きっといつかフウマ様が戻って来られるに違いないと信じておりました。・・・サトル様にお会いし、ヤマトの方々が味方となって下さることが判り、きっと、フウマ様が戻って来られると・・。」
シノはそこまで言って、大粒の涙を溢し始めた。
「心配かけた。済まぬ。」
フウマは、そっと、シノの肩を抱いた。その様子を見て、カツヒコが言う。
「シノ様は、フウマ様と夫婦になる約束をしておられたのです。シノ様は阿久比の郷の姫。二人が夫婦になれば、大高と阿久比の絆が強まり、知多の国も治まります。皆の願いでもありました。」
事情を知っている者は、皆、二人の様子を見て、泣いている。
船は大高の港に着いた。大勢の人が船を迎え、フウマが降り立つと、歓声が沸く。
「ここからだな・・シノ、手伝ってくれるな?」
「はい。」
大高の館へ着くと、港には大勢の民が集まり、喝采を浴びた。
「フウマ様がお戻りになられた!」
「これで、大高は安泰じゃ!」
皆、口々にそう言い、軍船から降りる者に歓声を上げる。
「ヤマトより、皇子タケル様が参られておる。」
フウマが叫ぶと、集まった者が、皆、しんと静まり返った。
「此度の勝利は、皇子の御力によるもの。神の御力を持ちなのだ。良いか、我らは、これよりヤマトの国と手を取り合うこととする!」
フウマは、港中に響くほどの声で、そう言った。まだ、皆、静まり返ったままだった。
その後ろから、ヒナ姫が姿を見せる。
「姫様・・御無事でしたか・・・。」
ひとりの老女が、熱田の姫の傍に駆け寄る。
「タケル様の御力で、イカヅチの許からお救いいただいたのです。」
ヒナ姫の言葉で、ようやく、皆納得したようだった。そして、再び、港は歓声に包まれていった。
館へ向かうと、すぐに、フウマは、捕らえたイカヅチを地下牢へ入れるよう、カツヒコに申し付けて、頭領である父の姿を探した。広間にも、居室にも姿はない。
「フウマ様!大変です。」
カツヒコが血相を変えてやってきた。
「どうした?」
「頭領様が・・・。」
カツヒコは無念そうな表情を浮かべている。
嫌な予感がした。フウマは、急いで、地下牢へ向かう。タケルたちも後を追った。
薄暗い地下牢の奥、まさにイカヅチを放り込もうとした時、カツヒコが、牢の奥に横たわる人影に気付いた。近づいてみると,全身、痩せ細り骨と皮ばかりになっている、頭領の姿があった。
「父上!」
フウマが体を抱え込むようにして耳元で叫ぶ。僅かに目を開くが言葉はない。まだ、息はあるようだった。隣には荒縄で縛られたイカヅチが転がっていて、その顔には、ふてぶてしい笑みを浮かんでいた。
「おのれ!父に何という仕打ちを・・」
フウマは怒りに任せ、剣を抜く。
「おやめください。その者の命を奪ったところで何にもなりません。」
タケルが止めた。
「頭領様は、奥方の命を奪ったと聞きましたが・・。」
ヤスキが、フウマに訊く。
「いや・・母は、イカヅチやイソカの陰謀を見抜き、父に進言しておりました。そして、私の命をも奪おうとしていることに気付き、私を逃がした後、イカヅチに切り殺されました。ヒナは、逃げることができず、イカヅチに囚われたのです。」
それを聞いて、タケルは、そっと頭領の傍に行き、跪く。
「私はヤマトの皇より遣わされたタケルと申します。」
タケルは、頭領の耳元で優しく囁き、そっと手を取る。そして、首飾りを強く握り締め「母上、御力をお貸しください」と念を込める。首飾りが少しずつ光を発し始める。徐々に光は強くなり、頭領やタケルだけでなく、地下牢に居た者たちすべてを包み込む。そこに、熱田の姫の姿もあった。不思議なことに、姫の懐の鏡も呼応するように光り始めた。そこにいる者皆不思議な温かさの中に身を置いたような感覚になった。暫くして、徐々に光が弱まると、皆、我に返った。
「何と有難い事か・・・。」
意識もはっきりしなかった頭領が口を開いた。
「父上!」と叫び、フウマが駆け寄る。
「もう大丈夫でしょう。」
タケルがフウマに笑顔を見せて言った。
「父を早く館へお連れせよ!」
フウマが叫ぶ。すぐに、侍女たちが現れて、頭領を上に運ぶ。皆、喜び、フウマ達は館の広間へ戻って行った。

nice!(0)  コメント(0) 

1-38 契りの鏡 [アスカケ外伝 第2部]

「タケル様、大丈夫ですか?」
ヤスキがタケルの体を心配して訊く。特別な力を使ったとは必ず、意識を失い倒れていたからだった。だが、今回はむしろ力が湧いてくるような清々しさをタケルは感じていた。
「ええ・・此度は、何ともありません。不思議です。」
タケルはそう言うと、ふっと、熱田の姫の姿を探した。
首飾りが光を発している時、意識の中にはいつも母の姿があった。だが、今回は、母の姿ではなく、なぜか、熱田の姫の姿が浮かんでいた。いや、浮かんでいたというより、姫と意識が繋がったような感覚だった。
熱田の姫は、鏡を握り締めて、タケルを見つめている。
その目を見た時、タケルははっと思い出した。もしや、あの姫は・・そう、まだ幼かった頃、春日の杜で・・。ぼんやりと記憶の奥底に眠っていた風景が浮かんできた。

宮殿にいたタケルの許に、父と立派な武将らしき人物が小さな女の子を連れてきた。その子は、武将の後ろに隠れるようにして立っていた。
「タケル、しばらく、この子の世話を頼みます。」
父カケルは笑顔でそう言うと、その子をタケルの許に置いて行った。
その日から、その子は、タケルと始終ともに居た。春日の杜で学ぶ時も傍にいて、タケルのすることを真似るようにして過ごした。野を駆ける時も、木に登る時も、片時も離れずにいた。それは、タケルにも、これまで感じた事の無い喜びでもあった。
ある日、馬に乗る訓練があった。
幼い子供にとって、見上げるほどの大きな馬は恐ろしい存在だった。だが、その子は怖がることなく、タケルの背につかまり馬に乗った。春日の山を駆け巡る時、その子はタケルの背に体を密着させ、一心同体となっていた。
タケルの脳裏に、あの頃の記憶が一気に蘇ってきた。
「ミヤ姫・・ミヤ姫なのか?」
タケルは心の中でそう思った。
すると、目の前にいる熱田の姫はにこりと笑い、「はい」と答える。その返事も声に出してはいない。互いに、心の中で会話をしているのである。
ミヤ姫はゆっくりとタケルの傍に来ると、握りしめていた鏡を見せる。
「覚えておいでですか?」
ミヤ姫に訊かれ、タケルは記憶を辿る。
その鏡は、タケルが皇アスカから十歳の祝いにと渡された物だった。それをミヤ姫が気に入り、欲しがったので、「いつか、嫁になるなら」と言って渡したものだった。
幼い頃の他愛無い約束だった。タケルはすっかり忘れていたが、ミヤ姫の問いは、鏡の記憶ではなく、その約束に他ならないとタケルは考えた。
タケルの返事を待たず、ミヤ姫は駆け寄り、タケルの胸に飛び込んだ。
「囚われた時、この鏡が、タケル様が必ず救いに来てくださると教えてくれました。」
ミヤ姫はそう言って、涙を溢した。
「こんなところで会えるとは・・。顔を良く見せてください。」
タケルは、ミヤ姫の肩に手を置き、顔をじっと見る。すっかり大人となっていたが、目元や口元にはあの頃の面影を感じた。
「なぜ、熱田に・・それに、姫とはどういうことですか?」
タケルは訊いた。
「我が父は、若い頃、葛城王のもとに居りました。ヤマト争乱の際にも、兵として働いたと聞きました。平定の後、父母ともに、宮殿でお仕えしておりました。生来、武術に長けた父と学問好きの母は、皇様や摂政様のお仕事をお手伝いしておりました。その後、父と母は、美濃国に招かれ、国作りの仕事をすることになりました。その間、まだ幼い私は、宮殿に残ることになりました。」
タケルは、父カケルとともに来た、武将らしき人物はミヤ姫の父だった。その時、父カケルは、その武将に「しっかり頼む」と話していたのを覚えている。
「その時、私とともに・・。」
「ええ、美濃国は山深いところ。幼子には危ういと考えたのでしょう。皇様の御計らいで、私は、タケル様の御傍に居ることになりました。」
父や母と離れ、一人宮殿に残される幼子がどれほど寂しく不安だったか、その頃のミヤ姫の様子からは微塵も感じられなかった。
「それで・・何故、熱田へ?」
「美濃国での父や母の働きを聞いた熱田の長が、是非にもと招請されたと聞いております。その頃、尾張国は小さな郷の集まりに過ぎず、国としてまとまっておりませんでした。そこで、熱田の長がカケル様に願い出て、父を尾張国の国造に任じていただき、熱田に移りました。私も、その時、都から熱田へ行きました。」
まだ幼かったタケルは、ミヤ姫がどういう素性でどのように生きてきたのかなど知る由もなく、また、楽しい日々の中で、そんなことはどうでも良かった。ただ、ミヤ姫がある日突然、タケルの前から姿を消したことに大いに悲しみ、それまでの楽しい思い出に封をしたのだった。
そんな二人の姿を見て、春日の杜で共に学んだヤスキも、ミヤ姫の事を思い出していた。そして、二人の傍に行くと、ミヤ姫をわざとじろじろ見るようなしぐさをしながら言った。
「ミヤなのか・・・へえ・・こんな美しき女人になるとはねえ・・。」
ミヤ姫はヤスキをキッと睨む。
「タケル様、あれは確かに、初恋・・でしたね。」
ヤスキは、今度は、タケルに絡む。ヤスキは、あの時、春日の杜での二人の様子を見て、子どもながらに恋というものを知ったのだった。
「そう言えば、タケル様は大きくなったら、ミヤ姫と夫婦になると言われてましたね。」
タケルが答えをはぐらかしたことをヤスキは言葉にした。
それを聞いて、タケルは顔を紅潮させる。ミヤ姫はにこりと笑った。

nice!(2)  コメント(0) 

1-39 国作り [アスカケ外伝 第2部]

翌日、フウマは知多の全ての郷へ使いを出し、イソカとイカヅチを倒した事を知らせ、新しき国作りの相談をする場を開く事にした。各地の郷の長達が続々と大高の館へ集まってくる。皆が待ち望んだ日でもあった。
「父から、頭領を引き継ぎ、全身全霊をかけて、知多国のため、尽くします。」
一同を前にフウマは宣言する。集まって皆が拍手をする。
「此度は、ヤマトの皇子タケル様のご尽力の賜物。これより、知多国はヤマトを支える国として進んでまいりたいと考えますが、いかがか?」
皆に異論はなかった。ヤマトの軍船に襲われた事は、全くの誤解であり、此度の陰謀を企てた者がいる事も皆承知していた。
「皇子タケル様より、御言葉を賜りたい。」
師崎の長が初めに口を開いた。タケルは立ち上がり、居並ぶ長にぐるりと視線を送った後、口を開いた。
「此度の事、私の力など取るに足らぬものです。心を一つにして、悪政に立ち向かった皆さまの御力。今後も、安寧な民の暮らしが続くようご尽力いただきたい。・・そこで、私から一つ提案があります。」
タケルはそう言うと、控えていたサスケから金糸に彩られた袋を受け取った。
「これは、皇アスカ様と摂政タケル様から預かったものです。これから、知多国とヤマトとの絆を確かなものにする証。」
タケルはそう言って、袋の中から黒水晶の玉を取り出した。
「おおー。」
広間にどよめきが広がった。
「これをフウマ様にお預けいたします。そして、フウマ様を、知多国の国造に任じます。良き国作りに励んでいただきたい。」
タケルはそう言って、フウマの手を取り、黒水晶の玉を手渡す。フウマは恭しく受け取ると、皆の前に掲げた。広間には歓声が響く。
「それと、私からもう一つお願いがあります。」
歓声が収まり、タケルは話を続ける。
「此度の争乱の原因を作り出した張本人をこれから探り当てたいと考えております。おそらく、穂の国に潜んでいるはず。此度、渥美国や知多国で企てが失敗となり、きっと、次なる手を打ってくるはずです。水軍が攻め込むかもしれません。あるいは、陸から大軍が来るかもしれません。いずれにしても、そうならぬよう、これから私は穂の国へ参ります。皆さまは、知多国の守りを強めていただきたい。そして、渥美国や伊勢国、尾張国とも手を携え、そうした輩が付け込む隙のないよう励んでいただきたいのです。」
タケルの言葉は、皆も充分に納得できたようだった。
「ひとつ、宜しいかな?」
長の一人が口を開く。
「私は、富貴の郷の長でございます。我が郷の者の話ですが、対岸の碧海の郷でも、争乱の中、暮らしに困っている者が多いと聞きました。三河国はまだまだ弱きところ、穂の国が悪しきものとするなら、隣国の三河国にも合力してやりたいと思うのですがいかがか?」
これには、河和の郷や、亀崎の長も同調した。
「ここ大高からは、鳴海を越え陸からも行けます。池鯉鮒の郷が要になります。そこから、南が碧海の郷へ、東へ行くと矢作川。これを越えて、額田の郷へと入ります。」
亀崎の長が言う。
「だが、矢作川を越えるのは難儀な事。毎年夏前には暴れ、郷は水に浸かります。あの川が治まれば良き地なのですが・・」
そう言ったのは、河和の郷の長だった。
この頃、三河の国を流れる矢作川は、奥深くの山に降った雨が一気に流れ、碧海台地と岩津山地の間に広がる、西尾平地を大きく蛇行し三河湾にそそいでいた。そのため、人々は、碧海台地の縁か、岩津山地の縁にある高台に集落を作っていた。そのため、稲作は難しく、大きな集落はできていなかった。
皆の話を聞きながら、タケルは、難波津の年儀の会を思い出していた。我が郷の事ばかりではなく、周囲の郷へも気を配り、助け合う心が強く感じられる。
「わかりました。ここに居られる皆様は、すでに国作りの大事な事を判っておられるようです。あとは、皆が、力を出し合うだけです。」
タケルはそう言うと、ヤスキの顔を見た。そういう視線なのか、ヤスキはすぐには理解できなかった。
「ここにいる、ヤスキ殿は、難波津や紀の国で、皆が合力するための手立てを身につけております。それに、渥美や伊勢にも行っており、知った者も多く居ります。ヤスキ殿をしばらくフウマ様の御傍におき、知多国・・いや、伊勢や渥美、三河の国作りのために働いてもらってはどうでしょう。」
タケルの提案は唐突だった。何より、ヤスキ本人の同意もない。
「それは願ってもない事・・私も頭領になったもの、何から手をつければよいか判らずにいた。ヤスキ殿が傍に居て下されば、心強い。」
フウマは呼応するように言った。
「いや・・しかし・・それでは、タケル様をお守りする役が果たせない・・」
ヤスキは躊躇する。タケルはヤスキの肩に手を置き、じっと目を見る。
「私の御守ではなく、ヤスキ殿自身の道を歩く時なのです。これまでの事を存分に生かして励んでください。」
まだ、ヤスキは決断できずにいた。
「ヤスキ殿、タケル様は、我らがお傍におります。春日の杜で鍛えられた若者です。しっかり働いてくれるはずです。」
そう言ったのは、サスケだった。サスケは、春日の杜の舎人であり、ヤスキにとっては師と言っても過言ではない。ヤスキは承諾した。そして、皆に向かって言った。
「時はそれほどないでしょう。今にも、何か仕掛けてくるかもしれません。できるところから支度を始めましょう。」

nice!(1)  コメント(0) 

1-40 再会の約束 [アスカケ外伝 第2部]

タケルは、穂の国へ向かう事を決めた。知多国や渥美国の事は、ヤスキが残ることで決着がついた。
「ミヤ姫を熱田へ送り届けてもらいたい。」
旅支度の最中に、タケルは、ヤスキに頼んだ。
「ああ、尾張国ともこれから親しくせねばならぬからな。」
ヤスキは快く引き受けた。それを聞いていたミヤ姫が、キッとタケルを睨んで、
「私はタケル様とともに参ります。熱田へは、そうお伝え願います。」
そう言って、タケルの腕を掴んだ。
「いや、遊びに行くわけではない。きっと、戦になる。そんな危ない場所に連れて行くわけにはいかない。きっと戻るから、熱田で待っていてくれないか。」
「いえ・・そんなところに向かわれるのなら、なおさら、ともに参ります。私も、剣や弓は使えます。」
タケルは、ミヤ姫の真意が判らなかった。
「いや・・だが・・。」
タケルは困り果てた。思い返してみると、幼い頃も、大人たちが止めるのも聞かず、乗馬訓練でタケルの後ろに乗ったり、山野を駆けまわるからと、衣服の丈を切り詰め、男のような恰好をしたり、言い出したらきかない性格だった。
困った顔をしているタケルを見て、ヤスキがふと思い出したように口にする。
「タケル様、アスカケの話を覚えていますか?確か、カケル様は九重の地からアスカ様とともに参られた。幾つもの苦難を、ともに越えて来られたと聞きました。」
「ああ・・何度も聞いている。だが、あの時とは違う。」とタケル。
「何が違うのです!」とミヤ姫が言う。
「カケル様は、アスカ様と御力を合わせる事で、自らの御力をさらに強いものとされ多とも聞きました。・・・先日、フウマ様の父上をお救いになった時、いつもなら意識を失うほどであるはずが、あの時はむしろ御力がみなぎっていたのではないですか?」
ヤスキに問われて、タケルは考えた。確かにあの時、母アスカではなく、ミヤ姫の意識を強く感じていた。そして、ミヤ姫の持っている鏡が力をより強くしているとも感じていた。
「この先、これまでとは違う、更に強大な敵に出会うに違いありません。お二人が共に居られることできっと乗り越える事が出来るはずです。」
ヤスキに確信があったわけではない。ただ、なぜか、言葉が口をついて出てくる。まるで、摂政カケルが乗り移ったような、そんな感じさえした。
「タケル様、伴にお連れ下さい。」
ミヤ姫は傅いて、タケルに懇願する。
「判りました。共に参りましょう。ただし、無理はしないでください。あなたを失うのは耐えられない。良いですか。」
タケルの許しを得て、ミヤ姫は喜びのあまり、タケルに抱きついた。

いよいよ、出発の日を迎えた。大勢の人々が、見送りに集まってきた。
「御無事で。敵が定まれば、我らもきっと加勢に参ります。」
フウマが、館の前でタケルに告げる。
タケルたちは、サスケ達に守られるようにして、大高の郷を出て、陸路で、一旦南へ下り、富貴の郷へ向かった。そこから、船に乗り、渥美国・吉胡の郷へ向かった。
吉胡の郷では、シルベとチハヤに会い、二人には、伊勢へ戻るように言った。そして、頭領ハルキに、知多国や伊勢国と親交を深め、決戦に備えるよう伝えた。
「穂の国へ向かうとなれば、陸路で入る道もあります。」
ハルキは、そう言い、館の窓から東を見て、
「この先、山続きに東へ向かうと、大岩という郷まで行けます。そこからさらに東は、遠江の国へ向かいます。そこから西、山沿いを進むと、吉田の郷まで行けます。穂の国の本拠は、その先、宝飯の郷辺りではないかと思います。」
ハルキの説明を聞きながら、視線を右から左へと進めていく。そのはるか先には山が聳えている。
「あの山は?」とタケル。
「あれは、本宮山です。あの麓には社があり、穂の国を守っております。」
高い山、麓に広がる森林と川、海岸に沿うように、集落のようなものも見える。豊かな地だとタケルは感じた。あのような穏やかで豊かな地に、此度の企てをするような悪しき者がいるのだろうか。自分の見立ては正しいのか、不安が過る。
「あの地は、渥美と違い、何もかもが豊かです。だが、それが過ちを生むのでしょう。」
「どういうことですか?」とタケル。
「遥か昔の事、真偽のほどは判りませんが、穂の国は、近隣の地へ作物を分けるほどの財力を持ちました。そして、剣や弓を大量に手に入れた。それをもって、奥地へと兵を進めたと聞きます。そして、山を越え、伊那谷までも領地としたと聞きました。その時、山の神々を犯し、あらゆる社を焼き払ったと・・それゆえ、穂の国の王族は、神の罰を受けたと。」
「神の罰とは?」とタケル。
「一族の男は、歳を取ると、皆、蛇に化身するのです。そして、蛇に化身したものは、石巻山の麓の蛇穴へ自ら身を投げるというのです。」
「それが事実なら、何という悲しき定め。」
「ええ・・ですが、身を投げて命を落とさなかった者がいるとも聞きました。此度の事は、そういう者が関与しているのかもしれません。」
余りに荒唐無稽な話だった。だが、タケルには自らが持つ特別な力の事を思うと、あながち、そうとも言えなかった。
「蛇・・ですか。」
タケルの胸中に、言い表せない様な不安が広がっていく。

nice!(2)  コメント(0) 

2-1 老津にて [アスカケ外伝 第2部]

タケルはミヤ姫と共に、吉胡の郷を出発した。サスケたちは一足先に出て、タケルたちの行く道の安全を確認する。吉胡から陸路で丘陵地帯を進み、まずは穂の国の入り口、老津の郷に着いた。老津の郷は、遠江や穂の国、渥美の国々を繋ぐ重要な場所であり、郷の長は、常に三国の様子に敏感で、渥美でイソキが倒された事は承知していた。もちろん、ヤマトの皇子タケルの神の力の話も承知しており、タケルたちは丁重に迎えられた。
 長に館に入ったタケルたちは、夕餉を終え、広間で長から穂の国の事情を聴いた。
 今から二十年ほど前までは、三河国の矢作一族が穂の国の辺りも治めていた。その頃は、八名、宝飯、吉田、石巻、老津辺りに郷があり、みな、それぞれが助けあう関係だった。
だが、或る年、八名を本拠にしていた一族の長が、自らを「穂の国の王」と名乗り、周囲の郷を従え、三河国から分離して、「穂の国」を建国したのだという。
 「穂の国の王?」とタケルが訊く。
 「ええ」
 と長が答え、話を続けた。
 「穂の国とは、かつて、この辺りを本拠とし、東は遠江、西は尾張、北は信濃までを治めていた強大な国だったと聞いております。しかし、大地震が襲い、海沿いの郷はことごとく失われ、力を失い、やがて、西の矢作一族がこの地を治めるようになり、消えてしまったとも聞きました。」
「どれくらい昔なのでしょう?」とタケル。
「おそらく、まだヤマトがなかった頃でしょう。」
「それがなぜ今になって・・それに、滅びた国の王など、信じるに値しないのでは?」
サスケも訊く。
「ええ、我らも初めは信じませんでした。しかし、砥鹿の神官チヤギ様が、社から穂の国の古い木簡を見つけられ、鉾と盾こそ王家の証と申されました。ほどなく、八名の郷のアリトノミコトは、自らの館から鉾と盾を見つけ、皆に示したのです。それをもって、チヤギ様がアリトノミコト様を穂の国の王と認め、皆、従いました。」
「砥鹿の神官とはいう者はたいそうな権威をもたれているのですね。」
ミヤ姫は感心して言った。
「はい・・この地の郷の多くは、古くから、砥鹿の神を守り神としております。遥か本宮山がご神体。いにしえより、神官の御言葉は絶対でした。我らは、御言葉を信じたのでございます。」
 老津の長は言葉を選びながら答えた。
「伊那国を攻め、神の社を焼き、蛇の呪いをかけられたという話はまことですか?」
 タケルが訊くと、長は一瞬困った表情を浮かべ、暫く沈黙した。そして、声を潜めて話し始めた。
「それは少し違います。アリトノミコト様がほぼ一帯を穂の国として治めることになったころ、妻を娶られました。すぐに御子ができましたが、産まれてまもなく、亡くなったのでございます。その御子の背には大きな痣があり、それは確かに蛇の紋様にも見えたのでございます。・・それを見た、神官チヤギ様は、蛇の呪いであると申されました。」
タケルたちは、長の話を神妙な顔で聞いている。
「蛇の呪いとは・・」
サスケが言うと、長はさらに続けた。
「チヤギ様は、さらに、その呪いは奥方様が背負っているとまで申されたのです。それを聞いた奥方様は、自らを責め、石巻山から身を投じて亡くなりました。」
「そんな酷い事があったとは・・。」
タケルが言う。長はさらに続ける。
「アリトノミコト様は、呪いをかけた蛇の所在をチヤギ様に問われました。そして、その蛇を祀る社が、穂の国の北、伊那国にあると言われ、アリトノミコト様は大軍を率いて、伊那国へ向かわれました。そして、伊那谷までの道中にある社をしらみつぶしに探しだし、焼き払われたのです。刃向かう民たちも、殺されました。」
「何という事を・・・。」
タケルがため息交じりに言うと、長は頷きながら話を続けた。
「自らの恨みを晴らすため、多くの恨みを買う結果となり、結局、途中で病に罹られ、伊那国を手中にする事は出来ず、兵を引かれました。」
「愚かとしか思えない・・。」
ミヤ姫が呟く。
「その頃から、アリトノミコト様は別人のごとくなられました。心を失くされたようで、笑う事も泣く事もなく、ただ一心に、強き国を作ることだけを考えておられるようでした。」
ひとしきり、長の話を聞いたタケルたちは、長が用意してくれた部屋に戻った。
「神官チヤギとはいかなる御仁なのだろうか?」
タケルは誰に問うでもなく呟いた。
「熱田にも、神官はおりますが、政には関わらず、国の安寧のために八百万の神に祈りを捧げ、身を清め務めております。」
ミヤ姫が答えると、サスケも同調した。
「神に使える者は、すべからく、そうしたもののはず。ただ、アスカケの話には、運命や予言を示す巫女もいました。神の力を深く信仰する者には、やはり、神に代わり言霊で、一族の行く末を示す神官は絶対的な存在になり得るということなのでしょう。」
そうしたことを否定することはない。皇の存在も、もはや神格化され、民もそれを受け入れ、そうした者が国を率いることで民も安寧を手に入れるのだろう。
いずれ、タケル自身も、皇アスカの後を継ぎ、ヤマトを率いていかねばならない。タケルは自らの将来を思うと何か途轍もない不安がよぎるのだった。

nice!(3)  コメント(0) 

2-2 御津の浜 [アスカケ外伝 第2部]

「神官チヤギとアリトノミコトがいかなる者かもっと知らねばなりませんね。」
部屋に戻るとすぐに、サスケが切り出した。
「此度の戦にどのように関わっているのか、目的は何か、そして、ヤマトと敵対するつもりなのか…」
サスケの言葉をそこまで聞いて、タケルが口を開く。
「私は、ヤマトの旗を掲げた、あの軍船がどうにも気がかりです。おそらく、この近くの港か島にいるはずです。弩で射貫かれ大破していたので、修復作業の最中でしょう。船を借りて探してみたいのですが。」
「判りました。明日にも手配致しましょう。私は郷に入り神官と穂の国の王について調べて参ります。七日の後、またここに戻りましょう。」
翌朝早く、サスケは数名の伴を連れ出掛けた。船は豊川の港に手配されていて、手下として三人の若者が控えていた。
その中には、知多国に居た際に活躍したサトルが居て、挨拶した。
「これよりお供をいたします。こちらの者は、キンジ。そして、クヌイでございます。皆、特技を持っており、御承知の通り私は遠くの音を聞き分けることができます。キンジは、誰より遠くのものを見る事ができます。そして、クヌイは、匂いを嗅ぎ分けることができます。」
タケルたちは、船を出す。吉田の郷は豊川の河口に当たり、堆積した砂でできた美しい海岸線が西へ向けて伸びている。海岸沿いには、小さな集落が点在している程度で、港はない。
船の舳先には、キンジが座り、行く先の様子を探っている。
「この先に船着き場が見えます。郷長の話では、阿礼崎辺りかと。」
タケルも目を凝らして見る。確かに、木々が生えていて、少し大きめの家屋も見える。だが、そこには軍船の姿は見えない。
その先に少し小高い山が連なって見えた。そして、その先端は海近くまで迫っていて、入り組んだ海岸になっているように見えた。
「その先はどうでしょう?」とタケル。
「手前は、三谷、そして、形原。その先には西浦、幡豆。そこを越えると、矢作一族の三河国へと繋がります。」
サトルは、長からもらった手書きの地図を広げ、指さしながら説明した。
船はようやく、阿礼崎まで来た。桟橋近くには、小舟が数隻ある程度で、人影はない。静かに桟橋に船をつける。陸に上がり、しばらく身を伏せて様子を探る。サトルが音を、キンジは目で、そしてクヌイは匂いで、近くの集落の様子を探る。
「郷の者がいるようです。様子を見て参ります。しばらくこちらで。」
サトルたちはそう言うと、郷へ向けて駆けて行った。
タケルとミヤ姫は、浜の草陰に身を隠すように座り、海を眺めていた。
南に開いた三河湾は穏やかで、太陽の光を反射して眩しかった。遠くに渥美を見ることができる。
「不安はないですか?」
タケルがミヤ姫に訊く。この先どうなるか判らぬ旅に同行させ、不安はないかというのも不思議な事なのだが、ミヤ姫の落ち着いた様子に改めて訊ねたくなった。
「いえ・・こうして、御傍に居られれば、少しも不安はありません。」
ミヤ姫は躊躇なく答え、笑顔を見せた。
暫くすると、少しの食べ物を携え、サトルたちが戻ってきた。
「静かな郷でした。暮らしは豊かで、落ち着いている様子です。兵のような者もおりませんでした。旅をしていると話すと、食べ物も分けてくれました。」
サトルが、郷の者からもらったのは、稗の団子だった。
「郷の長は、あの山の麓の館にいるようです。山を背にして海を見下ろす場所で、民の評判は上々でした。この郷は、稲作も漁も充分にできるようで、子どもらも郷の中を元気に走り回っておりました。」
キンジが山の方を見ながら報告した。
「この海には、島が幾つもあるようですが、島の話は聞きませんでしたか?」
タケルが訊く。
「この郷の者は、島の事は特に・・隣の三谷の郷か、その先の形原の郷に行けば判るかもしれません。」
サトルが答える。
「では、すぐに行きましょう。」
タケルはどうしても、軍船と島の関係が気になっていた。何か、拘りに近いものかもしれないと自嘲しながら何か気にかかる。
「タケル様、少し風が出てきました。雲行きも怪しいようです。今日は無理をせず、この郷で休みましょう。手頃な小屋も借りております故。」
サトルはタケルの逸る気持ちを理解しつつも、ミヤ姫の様子も気になっていた。船に乗っていたとき、時々苦しげな様子で、船酔いのように思えたからだった。
海には白波が見え始めている。
タケルはサトルの提案を受け入れて、休むことにした。徐々に風は強くなり大粒の雨も降り始める。浜辺の粗末な小屋だが、なんとか雨露を凌ぐことができた。
サトルやクヌイたちは、再び郷へ向かったまま、明け方になっても戻らなかった。
翌朝、郷の若い娘が小屋に来た。
「ヤマトのお方とお聞きし、御館様がお会いしたいと申されております。」
娘は、なんとか聞き取れるほどの声でそう言った。
タケルはそっと外の様子を見る。屈強な男たちが数人で小屋を取り囲んでいる。
「あの者たちは?」とタケルが訊く。
「私の衛士です。詳細は館でお話し致します。国王や神官の間者に知られては困ります故、お静かに我らと伴においで下さい。サトル様たちは既に館に居られます。」
不安は拭えなかったが、国王や神官に知られてはならぬと言う、娘の言葉を信じることにした。小屋を出ると男たちが先導して、郷の裏道のようなところを進み、山の裾野に立つ館の裏口から中に入った。
タケルとミヤ姫はそこからは侍女の案内で館の中に入り、大広間に通された。そこには、サトルたちの姿があった。
「タケル様、ご無事でしたか。」
サトルが頭を下げる。
「郷の中で衛士たちに捕まりここへ連れてこられました。大和から来たのだと申したところ、皇子はどこに居られると問われ、訳を訊くと、どうやら郷の長は大和と縁があるらしく、敵ではないと考え、居場所を教えました。」

nice!(1)  コメント(0) 

2-3 御津の長イサヒコ [アスカケ外伝 第2部]

暫く待っていると、広間に長が姿を見せた。年のころは三十半ばと見えた。
「このような形で、皇子をお迎えするとは申しわけない事でございますが、なにぶん、王や神官に知られては都合が悪い事ゆえ、お許しください。」
長はそう言うと、深々と頭を下げた。
「私は、イサヒコと申します。生まれは大和、甘樫の郷でございます。我が一族は、代々物部一族に従っておりましたが、皇君をないがしろにし大和を手に入れようとされる事に異を唱え、郷を追われました。その時、私はまだ十五でした。伊賀を抜け桑名まで逃れ、追っ手を恐れた父は、海を渡りこの地へ。」
「しかし・・その様な一族が長というのは・・。」
タケルが訊く。
「はい。我が一族はこれより奥の谷で静かに暮らしておりました。ですが・・数年した、ある時、突然、砥鹿の社の使いが来て、父と母を連れてゆかれ、そのまま戻ることはありませんでした。」
イサヒコはその時のことを思い出したのか、悔しげな顔をした。
「そんな理不尽な事が‥、」とミヤ姫が呟く。
「その時、私は長の館に居り、長が匿ってくださり、難を逃れました。・・今になって思えば、神官チヤギ様の秘密を知っていたからではないかと思うのです。」
イサヒコが答える。
「チヤギの秘密とは?」とタケル。
「甘樫の郷に居た頃、父はチヤギ様と共に居たと言っていたことがあります。」
「では、神官チヤギも、物部一族とゆかりが?」
「そのようです。ただ、父は、砥鹿の社の祭事で、チヤギ様を見た時、違う者の名を口にしたのです。」
「違う者の名?」と、タケル。
「そのために、父も母も捕らえられたのだと思います。以来、私も大和の者ということを秘密にしてきました。数年前に、先の長が亡くなり、子の無かった長の跡を継いで、長となったというわけです。」
あの娘が、国王や神官に知られてはならぬと言った理由がようやく判った。そして、ヤマトを敵とみなし、近隣の国々で戦を起こさせているのは、アリトノミコトと神官チヤギだという確信も出来てきた。そして、なぜ、そこまでヤマトにこだわるのか、神官チヤギの秘密と深く関わっているに違いないとも思った。
「私は此度、愚かな戦さを収めるためにここへ参りました。ヤマトは他国を侵す事はありません。誰かが作り出した事。渥美国や知多国ではすでに誤解も解け、新しき国作りを進めております。穂の国も正しき姿に戻す必要があります。」
タケルはイサヒコに言った。
「ヤマトとの戦という話は私も信じてはおりませんでした。しかし、時折、ヤマトの旗印を掲げた軍船が沖を走るのを見た郷の者はすっかり信じております。海辺の郷は、皆同様でしょう。」
「やはり・・あの軍船が・・。」
と、タケルが言うと、イサヒコが訊く。
「軍船を見られましたか?」
「ええ・・渥美・福江の沖で一度だけ。古い大和の旗印を掲げておりました。」
「やはり・・そうですか・・おそらく、あの旗印は・・」
「ええそうです。あれは物部一族が使っていたものに違いありません。・・イサヒコ様の話からも、物部一族の中に居たチヤギが、もちこんだものに違いありません。あの軍船は、チヤギが民を操るために作りだしたものでしょう。」
タケルが言うと、イサヒコが哀しい顔をした。
「いえ・・あの旗印は・・・わが父の物に違いありません。甘樫を去る時、父は大和の者の誇りを無くさぬようにと、旗印を持ち出しました。ここへ着いてからしばらく、我が家に掛けられておりました。父や母を捕らえた時、それも持ち去ったはずです。・・その様な使い方をされるとは・・・哀しい事です。」
遥か二十年以上前の、大和争乱がこのようなところに飛び火しているとは、タケルは思いもしなかった。今では、争乱など無かったかのように、静かな日々が続いている大和に居た時には考えられなかった事だった。おそらく、父カケルも母アスカも知らない事だろう。
難波津に居た時、年儀の会で集まる西国の多くは、争いもなく豊かで穏やかな国となり、互い助け合う美しきヤマトを支えていた。自分の視野が如何に狭かったか、ここに来て改めて知らされた思いだった。
「何としても、あの軍船を見つけ出し、ヤマトの旗印を取り戻さねばなりません。」
タケルがそう言うと、イサヒコは頷いたものの、少しためらいがあるようだった。
「とは言っても、この辺りでは、王や神官の言葉を鵜呑みにし、ヤマトを敵とみなしているものばかりです。皇子タケル様が動かれるのは・・。かといって、我らも表立って動くわけにもいきません。」
二人の会話を聞き、サトルが口を開いた。
「やはり、我らの味方を増やすしかないでしょう。王に反目する者達は、何処の国でもいるはずです。そうした者を我らの味方につけるのです。」
それを聞いて、イサヒコは少し考えてから口を開いた。
「それなら、隣の三谷の郷に行かれると良いでしょう。」
「三谷の郷?」とサトルが繰り返す。
「はい。漁師の郷です。三谷の郷の沖にある島周辺は大変良い漁場でした。ですが、チヤギ様が神官になって程なく、あの島を神域と定められ、民が近寄ることを禁じました。ですから、あそこの漁師たちは、チヤギ様を快く思って居らぬと聞いております。」
イサヒコが慎重に答える。
「島が神域に?以前から、社があったのですか?」と、タケル。
「はい。元は三谷の漁師が海の神を祀る社がありました。しかし、神域と定められた後、すぐに古い社は撤去され、新しく社が造られました。砥鹿の分社となり、年に一度ほど、神事はあります。その日以外は誰も居らぬはずでした。ですが、ある日から見張りが経つようになりました。三谷の漁師の話では、衛士の様な者は住み着いているようだと言っておりました。」
イサヒコの話を聞き、もしやとタケルは考え、イサヒコに訊ねた。
「その近くで軍船を見たものはおりませんか?」
「いや、そこまでは・・何しろ、神域となってからは近づくことは赦されず、様子も判らぬ有様です。」
タケルは、イサヒコの話にやや落胆しつつも、神域とされた事と、此度の企ては繋がっているはずと考えた。
「明日、三谷の郷へ米を届けに参ります。ともに行かれませんか?三谷の長に力になって貰うというのは如何でしょう。」
イサヒコの話を聞き、タケルとサトルは頷いた。
翌朝、たくさんの米を積んだ荷車が港へ向かった。タケルたちはその荷に紛れて港まで行き、乗ってきた小舟で海に出た。御津の郷の米は何隻もの小舟に移され、海岸沿いに宮へ向かった。タケルたちもその船のあとに続き、三谷の郷を目指した。

nice!(0)  コメント(0) 

2-4 石巻山 [アスカケ外伝 第2部]

一方のサスケは二人の供を連れて、吉田の郷から豊川左岸を上って行き、昼前には石巻の郷に着いた。東には、石巻山がある。アリトノミコトの妻が身を投げたと聞いた山である。サスケ達は、山頂まで登ってみることにした。この山は古くから人が住んでいたようで、あちこちに住居の跡があった。大きな岩が剥き出しになっていて、足を踏み外せば命の危険がある箇所が幾つもあった。
「ここで身を投げたのか・・。」
郷の者に大まかな場所を聞き、そこに立ってみた。確かにはるか下まで落ちればひとたまりもない。だが・・とサスケは考えた。ここに来る間にも、身投げする場所はいくつもあった。わざわざこんな頂上近くまで来る必要があるのか、疑問が深まる。それに、郷で聞いた話では、身投げした様子を誰も見ていなかった。それどころか、亡骸さえ見た者はいなかった。
「本当に身投げして亡くなったのだろうか?」
山を下りながら、サスケは繰り返し考えていた。
「サスケ様、こちらに何かございます。」
伴の一人、キサクが声を出した。その先を見ると大きな洞窟がある。中に入り暮らせるほどの大きな洞窟だった。松明で灯りを取り中を詳細に見る。つい最近まで人がいた形跡がある。隅の方に白い布が落ちていた。拾い上げてみると、一部が血に染まっている。
「アリトノミコトの妻は、ここで何者かに殺されたのではないだろうか・・。」
そんな考えを口にする。
「誰じゃ!」
洞窟の入り口で声がする。声の主はどうやら老人のようだった。サスケ達が洞窟を出ると、声の主が剣を構えて立っている。切っ先は震えていて、とても、サスケ達に危害を加えられそうもなかった。
「私はサスケと申す旅の者です。石巻山に登ると徳を積めると聞き、先ほど上って参りました。帰りがけ、思わぬ洞窟を見つけ、興味本位に入っておりました。」
サスケは丁重に答え、深々と頭を下げた。
「ここは余所者が来るところではない!」
老人の口調は厳しかった。
「これを中で見つけたのですが・・。」
サスケは老人に先ほど見つけた衣を差し出す。老人はじっとその衣を見ると、いきなりその場に座り込み、大粒の涙を溢した。
「どうされました?これはどなたか女人のものとお見受けいたしましたが・・。」
サスケが老人に尋ねる。
「それは、今は亡き、ヒサ姫様の羽衣。やはり、ここで・・。」
老人はそう言ったまま俯き、さらに涙を溢した。
「私は、ヤマトから皇子の供として参った者です。穂の国の王アリトノミコト様に拝謁できないものかと参った次第。吉田の郷の長から、アリトノミコト様の奥方が、この石巻の山で命を絶たれたとお聞きしております。宜しければ、お話をお聞かせ願えませんか?」
サスケがそう言うと、老人は立ち上がり、近くの自分の館へ案内した。質素なつくりの館には、その老人の他、数人の人夫と侍女がいた。
「ここは、ヒサ姫様の生家なのです。私は、石巻の長、エジツと申す。ヒサ姫は我が孫。八名の長との縁組が纏まり嫁いだ次第なのです。八名と我らは古来より姻戚関係にあり、亡き我妻も八名からもらい受けました。私には娘が居り、その娘がヒサ姫なのです。」
老人は囲炉裏に火を入れ乍ら話し始めた。
「ヒサ姫様は身投げされたとお聞きしましたが・・。」とサスケ。
「そう皆が行っておりますが・・・それは、穂の国の使いが参って、そう触れ回っただけの事。ヒサ姫は、子を亡くした後、気の病となりここへ戻っておりました。ある日、突然、姿を消し、しばらくして身投げして死んだと聞かされたのです。」
長エジツは、淋しそうに答えた。
「あの衣には、切り跡と血糊がありました。あれが、ヒサ姫様の者であるなら、あの場所で切り殺されたと思われますが・・。」
サスケが気を遣いながら話す。
「おそらく、そうでしょう。気の病と言って、宮殿から戻った時、ヒサ姫は何かを恐れている様子でした。私が訊いても何も話しませんでしたが、宮殿で何か恐ろしい目にあったのではないかと・・。」
長エジツが答える。
「ここへ戻られてからヒサ姫様の周りで何か妖しい動きはありませんでしたか?」
「どうであろう・・。幾度か、宮殿から、ヒサ姫の様子伺いに、使いの者は参りましたが、ヒサ姫は面会することなく、部屋に籠っておりました。」
「姿を消された日の事は?」
「あの日は、砥鹿の社の奉納之儀があり、我ら郷の者は総出でそちらに参っておりました。戻った時、ヒサ姫の姿はありませんでした。」
ヒサ姫の死には、どうやら宮殿と砥鹿の社が何かしら関連があるように思えた。
「ヒサ姫様は出産され、その御子は直ぐに亡くなったとお聞きしました。何やら背に蛇のような文様があり、呪いで亡くなったとも。」
サスケが訊く。
「はい。ですが、それも、八名の郷から広がった噂に過ぎません。産後、我らはヒサ姫に会うことはかなわず、産まれた御子にすら面会できませんでした。本当に、そのような蛇の紋様があったかどうかさえ定かではありません。」
「ヒサ姫様からは何もお聞きになっておられぬのですか?」
サスケが更に訊く。
「子を亡くした事は聞きました。生まれて間もなく、産声すら上げなかったとも。おそらく、死産であったのでしょう。我妻も、娘も、血筋なのか、身籠ると食が進まず、命すら危うくなるのです。妻も娘も子を産んだのち、すぐに命を落としております。」
「では、ヒサ姫様は、エジツ様がお育てになったのですね。」
「はい・・我が子のごとく育てました。それゆえ、亡骸さえ見れぬことは諦めきれぬ思いでございます。本日も、ヒサ姫の亡骸がどこかにあるのではと石巻山を探し歩いておりました。」
エジツの心中は、悲しみに塗りつぶされているに違いなかった。その心中を思うと、サスケは言葉がなかった。

nice!(1)  コメント(0) 

2-5 チヤギの秘密 [アスカケ外伝 第2部]

「明日、もう一度あの洞窟へ参りましょう。ヒサ姫様の最期の様子が判るかもしれません。」
翌朝、サスケたちはエジツと伴に洞窟へ入った。松明の明かりを増やして、昨日羽衣を見つけた場所をもう一度丁寧に見た。岩肌に黒い塊がある。おそらくヒサ姫の血であろうと思われた。洞窟は奥へ深くつながっている。一番奥に土が盛り上がっている箇所があった。
「サスケ様、これは。」と伴のひとりのキラが言う。
「ああ、おそらく。」とサスケが答えると、皆で掘り返した。土の中から、骸骨が現れた。着衣から、それがヒサ姫だとエジツは判った。
エジツは暫くその場から動けずにいた。じっと骸骨になったヒサ姫を見つめている。
掘り返した土を成らしている時、もう一人の伴のクラが、指先ほどの金属の欠片を見つけた。細かい細工が施されているが欠けていて何か判らない。
すぐに、ヒサ姫の亡骸は郷の者たちによって運び出され、一旦、生家へ戻った。生家には、多くの郷の者たちが集まり、驚きと哀しみにくれた。
「姫様は身投げされたと聞いていたが、何故?」
郷の者たちは皆同じ疑問を抱えていた。すぐに宮殿へ遣いを出すと、直ぐに王の使いがやってきた。
遣いは、亡骸を確認することなく、エジツや郷の者たちを前に強い口調で言った。
「姫は身投げされ亡骸は宮殿にて懇ろに供養した。洞窟で見つかったのは姫ではない。戯けたことを申して王の心を乱そうとするなどもってのほか。これ以上騒げば、厳罰に処するぞ。」
館の奥で聞いていたサスケには、宮殿は姫の死に関して都合の悪いことを隠していることは明らかだと感じた。
王の使いが去った後、サスケは、クラが見つけた金属の欠片をエジツに見せた。
エジツはそれを暫く見つめた後、
「確かなことは言えませんが、これは砥鹿の神職が身につけている飾りの一部のようです。これをどこで?」
と答えた。
「あの亡骸があった場所で見つけました。」
「まさか、砥鹿の神職がヒサ姫を殺めたと‥、」
「いや・・偶然かもしれませんし・・もしかしたら、ヒサ姫様の衣服に着いていたものかもしれません。確証とはなりません。神職が人を殺める事など・・」
サスケは無用な混乱をさせまいとそう言ったものの、砥鹿の者がヒサ姫の死に関わりがあるのは間違いないと思っていた。それと先ほどの王の遣いの言葉からも、王と神官が姫の死に深く関わっているのは間違いなさそうだった。
「砥鹿の神官チヤギとはいかなる人物でしょうか。」
サスケはエジツに問う。
エジツは、少し躊躇いがちに答えた。
「砥鹿の神官は、秦一族が代々受け継ぎ守ってきた職でございます。先代はチヤギ様の父、足の病に罹られ、神官の職が果たせなくなられたので、代譲りをされることになりました。神官の職は一子相伝。長兄タカハ様がお継ぎになるはずでした。ですが、タカハ様も、流行病で亡くなり、チヤギ様が継がれたのです。」
兄亡き後弟が跡目を継ぐのは至極当たり前のことだった。
「その頃、チヤギ様はここには居られませんでした。後を継ぐ必要がないならと、この地を離れ、大和へ行かれていたのです。」
「大和?いつ頃のことでしょう?」
「今から二十年ほど、いや、それよりも前だったかも知れません。」
チヤギが大和と縁があるということにサスケは驚きを隠せなかった。二十年以上前となると、大和はまだ豪族たちが郷を治め、皇位争いが始まろうとしていた頃だった。葛城王は争いを避け、難波津へ居られた頃だった。チヤギはその中でいずれかの豪族に仕えていたに違いない。
「神官職が途絶える事は砥鹿の社の存続にかかわる大事。すぐに大和へ使いを出し、チヤギ様に戻っていただきました。戻られるや否や、父様は亡くなられました。突然の事で我らは驚きましたが、チヤギ様は、早々に禊の儀礼を執り行われ、正式に砥鹿の社の神官となられました。」
「ここへ戻られた時の様子は如何でしたか?」
サスケが訊くと、エジツは答える。
「なにぶん、昔の事なので不確かですが・・・少し風貌が変わったようにお見受けしました。きっと大和でご苦労されたのでしょう。まるで別人のように、厳しい顔つきになられていたように思います。」
エジツの言葉には何か含みを感じたが、サスケは敢えて問わなかった。
「チヤギ様はお一人で大和から戻られたのでしょうか?」
サスケが訊くと、エジツはその頃の事を思い出すように話した。
「お戻りになるという返答をいただき、半年ほど待ちました。その時は多くの従者をお連れでした。神官になられてからは、古くからの神職を全て解任され、その時の従者のほとんどを、神職に取り立てられました。」
話を聞けば聞くほど、チヤギという人物が怪しく思えて仕方なかった。エジツの言葉からも、そういう思いが感じられた。
「郷の皆さまは、そんな強引な事を納得されたのでしょうか?」とサスケが訊く。
「中には異を唱える者もおりましたが・・・なにぶん、社の事は秦一族が決める事。我らは従うほかありません。それに・・・八名の先代の長が、チヤギ様を深く敬愛されておられ、異を唱える者の口を噤ませるよう働きかけられておりましたから・・八名の郷の先代の長は、多くの兵をもってここより山手の郷を従えて来られた方。きっと、チヤギ様と相通ずるところもあったのでしょう。」
「その様な所に、大事な孫娘を嫁がせられたのですか?」とサスケが訊く。
「いや・・先代の長は短命でした。すぐにアリトノミコトが跡を継ぎました。アリトノミコトは、先代と違い心根が優しいのが唯一の取り柄のような男でした。ヒサ姫も幾度か会う中で好いてしまったのでしょう。自ら嫁に参りたいと申したのでございます。・・古くから、石巻一族と八名一族は姻戚にあり、反対する理由もございませんでした。…しかし・・このようなことになるとは・・。」
エジツは不意にヒサ姫の最期を思い出したのだろう。急に言葉を詰まらせた。

nice!(3)  コメント(0) 

2-6 砥鹿の杜 [アスカケ外伝 第2部]

その日は、石巻の長の館に世話になることになった。次の日、長の計らいで、豊川を渡る船を都合してもらい、対岸の、砥鹿の地へ向かった。
本宮山の麓、森林が広がる広大な地の中に、砥鹿の社はあった。ただ、そこは、神を祀る社というよりも、戦砦のような作りになっていた。周囲には何重にも堀が掘られ、高い獣返しが張り廻られている。余所者が安易に近づくことを拒んでいるようだった。
穂の国の王、アリトノミコトの館も、その敷地の中にあり、こちらも堀と獣返しが施されている。そして、四方に高い物見櫓が作られていて、甲冑を着た兵が見張りに立っていた。この辺りだけ、戦をしているような雰囲気を感じた。
サスケ達は、森の中で夜を待ち、夜陰に紛れて、社の中へ入ることができた。社は、正門から参道が伸び、舞台と本社、脇社が建ち並び荘厳な造りだった。高床の下に身を隠し、人の気配を探る。
暫く潜んでいると、奥の社から人が出てくるのが見えた。小さな灯りを頼りに廊下を進み、脇の社から社務所へ向かう。豪華な服装を身につけているところから、神官であろうと思われた。社務所へ入るのを見届け、サスケ達も床下へ忍ぶ。
中ほどの部屋から声が聞こえる。サスケ達は息を潜めて聞き耳を立てる。
「ヤマトの皇子がこの地に入ったというのはまことか?」
神経質そうな声が響く。
「はい。吉田の郷で長が迎えたと、影の者から報告がありました。」
答える声は、少し若く張りのある声だった。
「今はどちらに?」
「判りません。船で西へ向かったところまでは判っておりますが・・・。」
「ヤマトの皇子が現れたなら、次の手を急がねばならぬが・・。」
「しかし、軍を率いているわけでもなく、本当にヤマトの皇子かどうかも・・。」
「愚か者が!渥美に送った、イソキはあっけなく囚われてしまったのだぞ。それに、イソカは大高のフウマに討たれた。いずれもヤマトの皇子が手助けしておるのはちがいない。ヤマトを侮ってはならぬ。」
「では、渥美へ水軍を送り、イソキを奪還して参りましょう。ヤマトの皇子はすでに渥美を離れております。今や好都合では?」
「アリトノミコトよ、そなたはやはり思慮が足らぬ。我らが渥美を攻めるということは、イソキの悪事は我ら穂の国の仕業ということになるではないか。攻めるには正当な理由が必要なのだ。」
「では、チヤギ様、いかに?」
二人の会話から、それが穂の国の王アリトノミコトと神官チヤギであることが判った。そして、これまでの全ての事が、神官チヤギが企てた事も判った。
「なんとしても、ヤマトの皇子を捕らえるのだ。我が穂の国を亡ぼすためにヤマトから現れた悪しき者だと民に知らせ、所在と突き止めるのだ。」
「それなら、郷の長を集めましょう。そして、私が号令いたします。そうすれば、皆も信じるでしょう。」
アリトノミコトの声は嬉々としている。
「それだけでは足りぬな。・・そうじゃ、あの船はどうしておる。郷の長が集まったところで、あの船が姿を見せ、近くの郷を襲うようにするのだ。ヤマトへの憎悪が高まり、確実に、ヤマトの皇子を捕らえる事が出来よう。」
サスケは全ての話を聞き、タケルたちに危険が迫ることを察知した。七日後に吉田の郷に戻ることを約束したが、それでは間に合わない。一刻も早く、タケルたちの許へ知らせなければならない。だが、タケルたちは今どこにいるのか。チヤギやアリトノミコトがタケルたちの居場所を突き止める前に、何としてもタケルの許へ行かねばならない。だが、今動くわけにはいかない。
チヤギとアリトノミコトは一通り話を終えると部屋を出て行った。サスケたちは音を立てないよう社務所の床下から出ると社を抜け出した。急がなければならない。逸る気持ちで、つい、音を立ててしまった。
「床下に誰か潜んでいるようじゃ。」
チヤギが気付いた。
「床下に賊が潜んでおる。捕らえよ!」
アリトノミコトが号令すると、社のはずれから、何人もの男たちが現れた。そして、社務所の床下へ飛びこみ、サスケ達を追う。
「お前たちは何としても、このことをタケル様達にお伝えせよ。」
サスケが言う。
「サスケ様は?」と伴の一人が言う。
「私が囮になり、男どもを引き付ける。良いな、何としても逃げ延びよ!」
サスケはそう言い残すと、床下深く更に潜り込んでいき、わざと物音を立てる。追手の男達は、暗闇の中、音のする方に向かう。
キラとクラは、男たちが通り過ぎるのを息を殺して待ち、何とか床から這いだして、社の森を走った。広い森をとにかくひたすらに走り、川岸を目指した。そして、そこから豊川に沿って海を目指した。
陽が上り、辺りがはっきりと見えるようになった頃、キラとクラは疲れ果て、浜に座り込んでしまった。キラとクラは双子だった。幼い頃から互いに競い合い、春日の杜では足の速さでは誰も敵う者はなかったほどだった。
「サスケ様は如何為されたかな・・・。ご無事だと良いが・・」とキラが呟く。
「サスケ様はきっと大丈夫だ。それよりタケル様に・・。」とクラが答える。
「クラ、お前はヤスキ様のところへ行け。万一の事を考え、渥美や知多に援軍を求めるのだ。いずれ、あいつらを倒さねばならぬ。味方は少しでも多い方が良い。」
と、キラが言う。
「だが、タケル様は戦にせぬようにと言われていたぞ。」とクラ。
「いや、これは戦ではない。征伐だ。悪しき者は排除せねばならぬ。この地の者にとっても、やつらがいる限り、平穏には過ごせぬ。それに、水軍なら民を巻き込むような戦にはならぬ。」と、キラはクラを説得した。
「わかった。すぐに渥美へ行く。そして、知多へ・・。」と、クラも決心したようだった。
「キラよ。なんとしてもタケル様にお知らせするのだ。良いな。」と、とクラが言う。
二人は背を向け、走り出した。

nice!(1)  コメント(0) 

2-7 三河の小島 [アスカケ外伝 第2部]

キラは海岸を西へ向け必死に走る。郷が見えた。
キラは郷の者に気付かれぬよう、身を隠しながら、郷の中を進む。どこかにタケルたちがいた痕跡があるはず。そう信じて御津浜の郷を行く。小さな郷はすぐに抜け、再び海岸に出た。気は焦るばかりだった。一刻も早くと思いながらも、タケルたちを見つける手立てさえ浮かばず、かといって郷の者に訊く事もできない。
「もう、次の郷へ向かわれたのだろう。」
再びキラは走り出す。御津から隣の三谷の郷までは、崖が続いていて、狭い海岸線を抜けるほかなかった。腰まで水に浸かるような場所もある。何とかそこを抜けると、斜面に広がる郷に出た。漁師の郷のようで、多数の小舟が港に着いていて、郷の者達が米を運びこんでいるようだった。
キラは目を凝らして様子を探る。しかし、ここにもそれらしき姿はない。
タケルたちは少し前に、三谷の郷に着いていて、長の館に居た。
三谷の郷は漁師ばかりの郷である。斜面に家屋が繋がるように並んでいる。平地が少ないため、米作りはほとんどできなかったため、御津から米を分けてもらう代わりに、海産物を渡している。御津から来た者の案内で、港を見下ろす場所に建つ長の館に着いていた。
タケル達は、イサヒコの案内を得て、三谷の長と対面することができた。
三谷の長は、「頭(かしら)」と呼ばれていた。郷の者のほとんどが漁師であり、その漁を纏める役目、頭目であったからだった。三谷の郷は、千賀一族が代々、頭を務めてきた。今の頭は、イサキと言い、背が低く小太り、目ばかりぎょろっとした男だった。荒っぽい漁師たちを束ねるような器量はなさそうに見えたが、実のところ、潮を見る力に長けていて、イサキが漁場を定めると必ず大量になるという伝説を持つほどの男であった。
タケルに対面して、頭は少し緊張した面持ちであった。これまでの事を詳細に話した。そして、海に出没する怪しい軍船の事を尋ねた。一通り、タケルの歯暗視を着たイサキは、おもむろに口を開いた。
「あの島は我らのもの。海の神は社を壊され怒っておられる。このままでは我らもただでは済まぬ。そのうち、天罰が下るはず。・・この機会に、あの島を我らの手に取り戻したい。」
イサキは積年の恨みを一気に吐き出すように言った。
「島にいる衛士の様な者達の数は僅か。一気に攻めれば奪還できるとは思うが・・いずれ、アリトノミコトの軍勢に攻められるのは確か。ただただ、じっと我慢してきたのだ。」
イサキの立場であれば賢明な判断だと、イサヒコは宥めるように言った。
「とにかく、あの島の秘密を掴みたいのです。もし、あの軍船は居れば、此度の戦の張本人が、チヤギであることは明白になります。そして、ヤマトが穂の国を侵すという話も全て嘘だと、郷に知らせる事もできます。」
タケルが言うと、イサキもイサヒコも頷いた。
夕暮れを待ち、タケルたちは、三谷の漁師、ジンの船で大島へ向かった。港からそう遠くはない。見張りがいても、夕暮れの薄明かりでは船影は判別できることはない。船を、島の北側の砂浜に着け、そこから、タケルたちは島へ入った。浜には小さな小屋があった。
「ここは、以前、我ら漁師が休むために使っていたものです。神域になってから使うことはなくなりました。そのうち朽ち果てるでしょう。」
ジンはそう言って、戸を開ける。中は随分荒らされていた。とりあえず、ジンと、タケルとミヤ姫、サトル、キンジ、クヌイはここで朝を迎える事にした。
夜明けとともに、島の中を探る。タケルたちが上陸した砂浜から、山へ向かって、社に向かう一本の道が伸びている。まず、そこへ向かった。新しい社が一つ建っていて、脇には社務所もある。年に一度の祭事以外使うことはないはずだが、社の前の篝火には、新しい炭灰がある。そして、社を一回りすると、裏手にも参道があることが判った。その道は、島の北側へ通じているようだった。
「その先は断崖のはず。なぜ、そんなところに道が?」
イサキは首を傾げつつ、その道を進んだ。少し下った辺りで、イサキが急に腰を屈める。皆も急いでしゃがみこんで身を隠した。
「その先に・・人影が見えます。」
イサキが囁くように言った。キンジが先頭に出て、目を凝らす。
「確かに、数人が居ります。それに・・・船が見えます。」
キンジがタケルに言う。
「どうしますか?」とサトルがタケルに訊く。その船が、ヤマトの古い旗印を掲げた軍船かどうか確かめたかった。
「誰か来ます。」とサトル。近づく足音を聞いたのだ。
「周囲を囲まれたようです。」とクヌイが言う。兵の匂いを感じたのだ。
タケルたち一行には、漁師のジンもいる。ここで戦えば、誰かが傷つく。
「そこで何をしている!」
大きな男が、銛を翳して、強い口調で言った。低い木々の間から、何人もの男の姿が見えた。着衣から、その男たちは兵ではない様に思えた。タケルが剣を構えれば男達を倒す事など容易い。タケルは抵抗せず、捕まることを選んだ。
男達は、タケルたちを荒縄で縛り、崖下の入り江に連れて行く。そこには、もっと多くの男達が居た。そして、その中の頭と一目でわかる様な大男に、タケルたちを縛り上げた男が何か話している。サトルは聞き耳を立てる。
「どうやら、頭目と呼んでいるようです。こいつらは漁師のようです。」
サトルは、タケルに囁いた。
「あの船も、我らが見た軍船とは違う。軍船はもっと大きかった。」
タケルも囁くように言った。
暫くすると、頭目と呼ばれる大男がタケルたちのところにやってきた。頭目は、縛り上げられたタケルたちをじろじろ見ながら、一回りした。
「お前ら、何者だ!その成りは、穂の国の者では無かろう。」
ガラガラ声で怒鳴るように頭目が訊く。
それに、ジンが思わず反応して口を開いた。
「この御方は、ヤマトの皇子タケル様です!」
それを聞いて、頭目は「ほう・・ヤマトの皇子とは・・。」とにやりとした顔で言った。

nice!(1)  コメント(0) 

2-8 幡豆の漁師 [アスカケ外伝 第2部]

「ヤマトの皇子がなぜここに居る?・・あの軍船はヤマトのものであろう。置いて行かれたというわけでもなかろうが・・。」
頭目の言葉に今度はタケルが反応した。
「あれはヤマトのものではない。ヤマトには海はない。軍船など持つことはない。見当違いも甚だしい。」
タケルはわざと頭目を煽るような物言いをした。
「なにい!?」
頭目は真っ赤な顔で怒りをあらわにする。それを見て、タケルは全身に力を入れた。荒縄で縛られた時、かなり雑な縛り方をされたのが判っていた。少し力を込めれば引き千切ることができる。同時に、剣が輝き始めた。
何が起きているか判らぬ様子で、頭目以下取り巻く男たちはあっけに取られている。その間に、タケルは荒縄を敢えて大袈裟に引き千切り、頭目の前に立ちあがった。そして、光輝く剣を目の前に突き出した。
「うわあ!」
頭目が尻もちをついて座り込む。
「さあ、名乗ってもらいましょう。」
タケルはそう言って頭目の目の前に剣を突きつける。
「・・幡豆の漁師の頭目・・イカヤ・・と申す。」
形勢は逆転する。タケルは、ミヤ姫たちの荒縄をほどく。取り巻いていた男たちも、手にした銛や鈎を置き、頭目の隣に並んで座った。
「我らもあの軍船を探しております。ヤマトの古い旗印を掲げ、この地を脅かしていると聞き、何としても正体を突き止めるため参りました。」
タケルは優しい声で頭目たちに話した。
「我ら、幡豆一族も同様。時折、我らの漁場に現れ、漁船を襲う事もあり難儀をしておりました。数日前、西浦の沖で軍船を見た者がおり、我らはその船を追っておりました。どうやら、この島に潜んでいると判り、昨日、ここへ参りました。ですが、軍船の姿はなく、どうしたものかと考えておりました。」
頭目イカヤは正直に話した。タケルは周囲を調べるよう、サトルたちに命じた。
「タケル様、これは・・。」
見つけたのはクヌイであった。持ってきたのは、弩で放った鉄の矢だった。根元に、伊勢の紋章があしらわれていた。
「ここにあの軍船がいたのは間違いないようですね。」とタケル。
「いったい、どこに行ったのでしょう?」と、サトルが訊く。
それを聞いて、頭目イカヤが口を開く。
「この辺りには幾つも島があります。ここは一時的な隠れ家でしょう。我らの住む幡豆の沖にも幾つか島がある。ただ、いずれも小島ばかり。もしかしたら、途中の西浦辺りではないかと・・。」
頭目が言うと、脇に座っていた漁師が口を開く。
「西浦の先っぽに深く入り込んだ港があるぞ。」
他の漁師も続けざまに話しだす。
「ああ、あそこなら、昔、俺も使ったが、岩場ばかりで潮の流れが難しく、危なくて、今は誰も使っちゃいない。だが、大きな船なら、そんなことお構いなしのはず。船を隠すにはちょうど良いかもしれねえ。」
その話に、他の男達も頷く。
「だが・・それなら、西浦の奴らが悪さをしてるってとかい?」
と他の男が口を出す。
「いやあ、そりゃないだろ?甲冑に身を包んだ奴らだったって聞いたからな。あんなもん、西浦の奴らは持っちゃいない。」
「でもよ、近ごろ、西浦の奴らの船は見たことがないぞ?昔は漁場の取り合いだったんだが・・めっきり姿を見なくなったぞ。」
「頭目、あんた、西浦の頭目と近頃あったかい?」
話は一回りして、ようやく頭目イカヤのところへ戻ってきた。
「西浦の頭目は重い病で寝込んでいると聞いた。もう数年会ってはおらん。」
そこまで聞いてタケルが訊いた。
「では、そこが軍船の本拠地かもしれないのですね?」
頭目イカヤは少し考えてから答える。
「だとすれば、西浦の郷の者達が・・・。しかし、昔からあの郷は、穂の国の王には従えぬと言っていたのだが・・・。」
意外な答えにタケルは、「何かあったのですか?」と訊いた。
「我らもそうだが、西浦も米が取れない。だから、近隣の郷に頼らざるを得なかった。三谷の郷は隣の御津浜と上手くやっている。形原の郷は、北の額田の郷と懇意だ。我ら、幡豆の者は、矢作の郷に頼ることになる。西浦の郷も、矢作や額田の郷に頼った。だから、八名や石巻、吉田の郷の者達とは余り親しくはしてこなかった。アリト王が治める穂の国は名ばかり。砥鹿の社の力がなければ、きっと、みな従わぬ。西浦の者にとっては、穂の国などどうでも良い存在なのだ。・・まあ、我らも同様だが・・」
頭目イカヤはようやく本音を話したような顔つきだった。
「そのような郷が、今になって、アリトノミコトに味方するとは、やはり考えにくい事ですね。」
タケルが答えた。
「頭目、・・さっき、西浦の頭目が病とか言ってたが・・跡目はどうなってる?」
漁師の一人が訊いた。
「跡目か・・・そのような者の名は聞いたことがない。」
「なら・・頭目を亡くし、その隙に、西浦の漁師たちの頭目になった奴がいるんじゃないか?」
漁師の頭目は、力のある者が継ぐというのが習わしである。そう云う者がいなければ、その集団は脆い。力づくで頭目となるというのは尋常ではないが、例えば、強力な後ろ盾があれば可能かもしれない。圧倒的な兵力をもって従わせるという事もあるかもしれない。渥美国のイソキや、知多国のイソカが、まさにそうだった。
「アリト王かチヤギが、意のままに動く、将を送り来んだという事も・・」
タケルが呟くと、頭目イカヤも、「おそらく・・。」と頷いた。

nice!(1)  コメント(0) 

2-9 鬼退治 [アスカケ外伝 第2部]

タケルたちは幡豆の漁師とともに、西浦へ向かった。
先端に近い場所に、山に深く切り込んだ崖に囲まれた入り江があり、船を隠すには好都合だった。ただ、その前の海は流れが複雑になっていて、小舟では簡単には近づけない場所でもあった。
タケル達は、その場所から少し離れた所から陸に上がり、山側から近づくことにした。
「大丈夫か?」
タケルは、ミヤ姫に気遣うように言う。
「平気です。」
ミヤ姫はそう言うと、着衣の裾を捲りあげる。足には紺色の麻布を包帯の様に巻き付けていて、タケルよりも身軽に林の中を駆けて行く。
低い木々の林を抜け、先端に辿り着く。沖合には幡豆の漁師たちの船が見えた。山から沖合に手を振ると、イカヤがそれを合図に、入江の前まで小舟を近づける。何度か続けているうちに、入り江の中にいた兵が気付き、バラバラと出てくる。皆、沖合に向いている隙をついて、タケルたちは崖を下り、すぐ傍の岩場に取りつく。
「やはり、あの軍船だな。」
タケルが囁く。船には、古い大和の旗印が掲げられている。甲板には、派手な服を着た将らしき男が、椅子に座っているのが見える。ずいぶんの大男のようで、背丈ほどの太い金棒を握っている。その周りにも数人、同様の格好をした男も見える。
そこに、軽装の兵らしき男がやってきて、何か言っている。将らしき男は立ち上がり、手を上げ何か叫んだ。すると、出航する準備が始まった。
「船が出る。」
タケルはそう言うと、岩場から船に近づき、見つからぬように入り込む。サトルたちも、タケルの後を同様に船に入り込んだ。
ゆっくりと軍船が入り江を出て、幡豆の漁師たちの船に向って行く。潮の流れが複雑で、入江の周りには岩礁地帯もあり、軍船は慎重に岩場を抜けていく。漁師たちはそれを見てさらに沖合に逃げていく。
将軍らしき男は立ち上がり、漁師たちの船の行方を見ながら言った。
「なんだ?ただの漁師ではないか。…まあ、良い。近頃、暇だったから・・あいつらを敵に見立てて、戦の真似事でもやってやるか!」
将軍らしき男はそう言うと、部下の男達に命じる。
「おい!リュウキ様のご命令だ。さっさとやれ!」
部下の男達は、軽装の兵たちに剣を向けて命令する。すると、軽装の兵たちが、緊張した様子で、甲板に出て、弓を構える。
「ひとりでも射抜いた奴がいたら、褒美をやるぞ!」
その様子を甲板の陰に潜んでタケルたちは見ている。
命じられ、弓を構えているのは、明らかに兵ではないようだった。衣服は、幡豆の漁師たち同様の麻布で、頭にも布を巻いていて、見るからに漁師と判る。弓を構えた格好もぎこちない。
「あれはきっと西浦の漁師たちでしょう。」
ミヤ姫がタケルの耳元で囁く。タケルも頷く。
「さあ、やれ!」
号令が響くが、兵たちが放つ矢は、沖合の幡豆の漁師たちの船には届かない。
「なんだ、その腕は!」
部下の男の一人が、傍に居た兵を嘲り、兵を蹴り上げる。そして、兵から弓を奪い取ると、沖の船を目掛けて矢を放った。
ぶんと音を立てて、幡豆の漁師の船に向かって矢が飛ぶ。だが、届くことはなく波に消える。
「おい!船をもっと近づけろ!」
将軍リュウキが号令すると、一気に軍船は速度を上げて、幡豆の漁師の船に近づいて行く。それを見て、幡豆の漁師も慌てて逃げようとするが、徐々に追いつかれてしまう。
「見ておれ、こうやるのだ!」
そう言って、将軍が立ち上がり、大きな弓を構える。そして、ゆっくりと狙いを定め、矢を放った。
さっきよりもさらに大きな音を立てて矢が飛ぶ。先ほどよりも距離が近く、放たれた矢は、ドンという音を上げ、イカヤの乗っている船の胴体に突き刺さった。
「どうだ!」
将軍は自慢げに言う。
「さあ、気合を入れて矢を放て!」
部下たちも調子に乗って号令し、自らも矢を放ち始めた。
イカヤ達は反撃するような武器は持っていない。とにかく、右へ左へ放たれた矢を避けるように船を動かすほかなかった。
「いかん、このままでは・・・。」
タケルは立ち上がる。サトルたちもタケルに続く。タケルは剣を抜くと、矢を放つ将軍と部下に向って行く。将軍たちは、背後からいきなりタケルたちが現れた事に狼狽え、甲板を転がる。
「私はヤマトのタケル。悪しき者を退治する!」
タケルはそう叫び、剣を構える。リュウキ将軍も傍にあった太い金棒をかかえ仁王立ちとなる。他の男達も、剣や鉾を構える。
「戦う意思の無いものは、武器を置け。さもないと命を落とすぞ!」
タケルはわざと強い口調で叫ぶ。
それを聞き、兵たちは、皆、弓を放り投げる。
結局、将軍と数人の部下だけがタケルたちに対峙する格好となった。
「何を生意気に、我が兵に号令するか!」
将軍はそう言うと、金棒を振り回し、タケルに襲い掛かる。
タケルはヒラリと身をかわす。力はあるようだが、武器の使い方は雑だった。他の部下は、サトルたちと闘う。剣と剣、剣と鉾がぶつかる音があちこちに響く。
将軍は、態勢を立て直し再び金棒を振った。ドーンという音とともに甲板に穴が開く。そこらにあった物が飛び散る。その勢いで、荷物の陰に隠れていたミヤ姫が、将軍の前に出てしまった。
「ほう・・女か・・。面白い。」
将軍リュウキは、太い腕でミヤ姫を捕まえ、首元を押さえつける。
「さあ、どうする?・・この女、お前たちの仲間であろう。さあ、どうする?」

nice!(1)  コメント(0) 

2-10 成敗 [アスカケ外伝 第2部]

サトルたちは、部下たちを既に倒していた。
ただ一人、将軍リュウキだけになっていたが、ミヤ姫を人質にされ、タケルたちは動けなくなってしまった。
「卑怯な・・」と、タケルが言うと、リュウキはニヤリと笑みを浮かべた。
「さあ、剣を置け。俺の勝ちだな。」
そう言って、じりじりとタケルの前に進んでくる。そして、落ちていた部下の剣を手に取ると、切っ先をタケルの顔に向ける。
「さあ・・どうした?」
リュウキはそう言うと、今度は、ミヤ姫の喉元に剣を当てる。
ミヤ姫は、懐に持っていた鏡を握り締めた。すると、光が漏れ始め、タケルの剣も呼応して光り始めた。見る間にタケルの体が獣人に変わっていく。将軍リュウキよりさらに大きく、腕も足もすでに獣のごとく剛毛に覆われ、鋭い眼光でリュウキを睨む。
「ば・・化け物・・・。」
リュウキは目の前のタケルの変化に驚き、腕の力が少し緩んだ。
その隙に、ミヤ姫が、短剣を取り出し、リュウキの利き腕に突き立てた。
「うわあ・・」
ミヤ姫は自ら腕を振りほどき、タケルの背に隠れる。
「さあ、どうする!」
今度はタケルがリュウキに向かって叫ぶ。
リュウキは、叫び声を上げながら、太い金棒を振り上げ、タケルに迫る。獣人タケルは大きく飛び上がり、帆柱の上に立つ。もはや、リュウキは正気を失っているようだった。辺りにいる者に金棒を振りまわし襲い掛かる。周囲に居た兵たちが逃げ惑う。
「成敗!」
タケルはそう叫ぶと、剣を上段に構えて、帆柱から飛び降り、リュウキに一撃を見舞った。リュウキはその場で打ちのめされ、甲板に転がった。すぐにサトルたちがリュウキの全身を荒縄で縛り上げた。
タケルは元の姿に戻っていた。いつもなら自分の意志で獣人に変化するのだが、今回は、ミヤ姫の意志によって獣人となった。それは、当の本人には余りにも不思議な感覚だった。
「タケル様、覚えていませんか?大和に居た頃、一度、山中で熊に出くわしたことがあったでしょう。その時、私は怖くて、タケル様から戴いた鏡を握り締め助けてと願いました。すると、傍に居たタケル様は獣人に変化し熊を追い払ってくださいました。此度も、きっとお助け下さると信じておりました。」
ミヤ姫は平然とそう言った。タケルもそう言われて、その時の事をぼんやりと思い出していた。夢中で熊を追い払ったことだけは思い出したが、獣人に変わっていたという記憶はなかった。
リュウキと部下たちは荒縄に縛られた格好で、タケルとミヤ姫の前に座らされた。サトルは、周囲に居た幡豆の漁師たちに合図を送ると、小舟が軍船の周りに集まってきた。どうやら、幡豆の漁師の中には、西浦の者達の顔見知りもいるようだった。互いに、無事を確認し安心した様子だった。皆が取り巻いて見ている中で、リュウキ達へ尋問が始まった。
「さあ、話してもらおう。この船は誰の物だ?」
サトルがリュウキに訊く。リュウキは、目を閉じ口を噤んでいる。
「命を賭けても話さぬつもりか?」
今度は、クヌイが剣を顔の前に突き出して訊く。だが、表情一つ変えない。
キンジは、他の二人よりも、少し気が短い。隣に座る部下の男の腕を捻じり上げ、「話さぬか?」と攻める。
それを見ていた兵だった漁師の一人が、山の方を指さして口を開く。
「あの・・狼煙が上がっております。」
「狼煙?」
とキンジが目を凝らす。西浦の郷の更に向こうの山手で、一筋の煙が見えた。
「あれが出ると、リュウキ様は船を大島へ向かわせます。」と漁師が答える。
「そして、翌朝には戦へ・・この間は、渥美、福江沖へ行きました。だが、弩でやられて・・慌てて逃げ帰りました。」と別の漁師が答える。
「あなた方は、兵ではなく、西浦の郷の御方なのでしょう?」
と、ミヤ姫が訊くと、皆、頷いた。
「郷は、こいつらに襲われ、頭目も殺され、挙句の果てに、妻や子供は、皆、人質にされ、止む無く兵になったんです。」とまだ若そうな漁師が泣き顔で言う。
「郷にもこういう輩がいるのですか?」とタケルが訊くと、「いえ・・何処の者かは知らない・・兵たちが居ります。こいつらと一緒にやってきて、郷を荒らしました。」と答えた。
タケルは軍船を使って、西浦の郷へ向かう。郷の桟橋には、漁師たちが言った通り、甲冑を着た兵が数人、見張りをしていた。
甲板に、荒縄で縛ったリュウキを立たせた。
それを見た兵士たちは何が起きたのかすぐに理解した様子で、抵抗せず、タケルたちを郷に入れた。人質となっていた人たちは解放され、漁師たちは無事に家族と対面した。タケルは、リュウキが率いていた兵たちを集める。
「さあ、これからどうしますか?」
タケルの言葉に、兵たちはあっけに取られている。大将が討ち取られた今、兵たちも同様に厳しい処罰を受けると決まっていた。もはや、命はないものと考えていたからだった。
「西国から逃れてきた者、北の伊那国や東の遠江から来た者、みな、故郷を追われた様な者ばかりです。穂の国で、食うに困りふらふらしているところをリュウキ様に声を掛けられ兵になっただけ。・・赦されるなら・・」
兵の一人は捲し立てるように言い始めたものの、結論が出ず押し黙ってしまった。例え罪を赦され解放されたとしても、もはや行くところなどない。また、喰うに困り、盗人になるか野垂れ死にか、いずれにしても、まともな生き方などできない。
「私はヤマトの皇子です。これから、穂の国に巣くう悪しき者を退治せねばなりません。手を貸してもらえませんか?」
そうやって、今後について、自らに決断させた。
タケルは、リュウキ達を軍船の一番底にある船倉に入れ、心を入れ替えた兵たちとともに、大島へ向かうことにした。西浦からは僅かな距離だった。

nice!(0)  コメント(0) 

2-11 兎足の神 [アスカケ外伝 第2部]

同じころ、穂の国の王アリトノミコトは、郷の長達を、兎足(うなたり)の郷にある館に集めていた。
兎足の郷は、昔、大陸から来た者がこの地を開き、その一族が郷を築き、たいそう栄えていたのだが、アリトノミコトが穂の国の王を名乗った際、神官チヤギが大陸から来た邪神を崇める一族は穂の国の災いとなると言ったため、その一族を滅ぼしてしまったのだった。その顛末を知る周囲の郷の者にとって、この地は心痛む場所であった。
アリトノミコトは、大広間に長達を集め、号令する。
「ヤマトの皇子が我が穂の国を侵そうとしておる。その証拠に、これを見よ!」
広間には、顔を腫らし血を流し、息絶え絶えになっている男が引き出された。
「こやつは、あろうことか、砥鹿の社に忍び込み、神官チヤギ様の御命を狙っておったのだ。我が臣下が、取り押さえた。・・折檻して問い詰めると、ヤマトの皇子の遣いと吐いた。すでに、ヤマトの皇子が我が国へ入り込んでおるぞ。」
吉田の郷の長は、周囲の長達の様子を見た。自分の郷に居た事が誰かの口から漏れたのではと不安に感じたからだった。
すぐ隣には、石巻の長が座っていた。
「気にすることはない。あれは替え玉じゃ。」
石巻の郷の長は、囁く。
そして、その隣には、御津浜の長も座っていて、小さく首を横に振る。
よく見ると、周囲の郷の長は誰ひとり、アリトノミコトの言葉をまともに聞いていない。皆、じっと頭を下げたままだった。
「ヤマトの皇子は、怪しげな術を使い、人を惑わせ、渥美国と知多国を攻略した。我が妹、イカナ姫が、先日、渥美から戻り、涙を流し、仇を取ってほしいと言ったのだ。悪しき者に穂の国を取られてはならぬ。良いか、ヤマトの皇子を何としても探し出し、捕らえるのだ。」
長達の反応は鈍い。静かに頭を下げたままだった。
「ええい、聞いておるのか!」
一同は、返答せずに深く頭を下げるだけだった。広間の隣りの部屋には、神官チヤギが控えていて、じっと聞き耳を立てていた。
「ふうむ・・何か変だぞ。・・・」
チヤギはそう言うと、傍に控えていた衛士に、何かを告げた。すると、衛士は立ち上がり、一旦外に出てから、広間に入ってきた。
「王様、沖に、ヤマトの軍船が現れました。」
アリト王は一瞬笑みを浮かべた。
「やはり、来たか!・・者ども、郷が危うい。すぐに郷へ戻り戦支度をせよ。そして、皇子を見つけ出すのだ。」
アリト王はそう言い放つと、広間を出て行った。
大広間に残された郷長たちは、アリト王が館を出て行くのを確認すると、車座になり、話し合った。
「あれはすべてチヤギとアリトノミコトの謀。皆さま、信じてはなりません。私は先日、ヤマトのタケル様と逢い、これまでの経緯をお聞きしました。ヤマトは他国を侵す事などありません。」
切り出したのは、御津浜の長だった。
「ああ・・間違いありません。」
そう答えたのは吉田の郷長だった。
「皇子の遣いと言っていたが、伴をされていたのはサスケ様。体格も衣服も違います。あれは、八名の民の誰かでしょう。・・可哀そうに・・。」
そう言ったのは、石巻の長だった。
「しかし・・軍船が現れたと・・。」
そう聞いたのは、日色野の郷長だった。以前にも水軍に荒らされた郷で、人一倍、軍船に神経質になっていた。
「ヤマトは水軍を持っておらぬのです。」
と御津浜の長が言うと、三谷の頭目も
「ああ、間違いない。タケル様は、軍船の正体を突き止めると言われ、大島へ向かわれた。そこには、幡豆の漁師たちがいた。・・軍船の隠し場所にもなっていた。あれは、チヤギとアリトノミコトが仕組んだものに違いない。」
と言った。
「だが・・これから、どうすれば良い?」
日色野の郷長が皆に訊く。
「探しているふりをすれば良かろう。軍船も襲ってくることはない。」
と三谷の頭目が言う。
「いや・・戦支度をしましょう。いずれは、あのチヤギとアリトノミコトを成敗せねばなりません。タケル様が戻られた時、我らもすぐに立ち上がり、この国を悪しき輩から守りましょう。」
御津浜の長が皆に言うと、長達は強く頷く。
郷の長一同は、館を出ると、館の裏に広がる森の中へ分け入っていく。そこには、かつてアリトノミコトに滅ぼされた兎足一族の御霊を祀る小さな祠があった。兎足の一族は、遠く大陸からこの地へ辿り着き、田畑の技術や知恵を周囲の郷へ広げ、互いに助け合うことの尊さを教えた。穂の国の者にとっては、砥鹿の神官やアリトノミコト王よりもずっと崇めるべき存在であった。無残に滅ぼされた時、周囲の郷の者は、助ける事もできず、ただじっと息を潜めていた。それは、ここに集まった郷長の胸に深い傷として刻まれていたのだった。
「兎足様・・我らの罪をお許しください。きっと無念を晴らして差し上げます。我らに力をお貸しくだされ。」
御津浜の長が皆を代表して、祠の前で誓う。そして、それぞれの郷へ向けて帰って行った。
チヤギとアリトノミコトは、鵜足の館を一足先に出て、砥鹿の社に戻っていた。
「郷長の奴ら、様子がおかしい。何か企んでおるぞ。」
チヤギがアリトノミコトに言う。
「郷の長たちが?・・あのような奴らに何が出来ましょう。逆らえば、また、あの兎足一族のごとく、皆殺しにすれば宜しかろう。・・ヤマトへ味方する謀反者とすれば何の問題もないでしょう。」
アリトノミコトは、自信ありげに言う。
それを聞き、チヤギは「この男もここまでか」と見限る思いを抱いた。

nice!(0)  コメント(0) 

2-12 アリトノミコト [アスカケ外伝 第2部]

郷長たちが、兎足の館へ集められていた頃、タケルたちが乗った軍船は大島に着いていた。島の隠し場所へ船を入れると、黒服に身を包んだ男が、崖の上から見下ろしているのが見えた。暫くすると、崖の上から、竹の筒が投げ落とされた。すぐに拾い、中を見る。そこには、細い木板に書が書かれている。
「御津浜を襲えと書かれています。」
木板に目を通したキンジが、タケルに告げる。
「ヤマトの軍が御津浜を襲う事で、我らを悪しき者に仕立てる企てか・・。」
と、サトルが言う。
「これではっきりしました。・・・このまま、我らは御津浜へ向かい、イサヒコ様に遭うのです。これは、穂の国の皆様自身が解決すべき事。我らは、イサヒコ様に従いましょう。」
タケルはそう言うと、船を出した。指示通り、軍船は御津浜へ向かう。先ほどの黒服を来た使いの男は、軍船の行方を確認するように、砂浜に立っていた。
大島から御津浜までは僅かな距離。兎足の館から戻る途中のイサヒコが、沖合を進む軍船を見つける。
「軍船が・・来たな・・。」
イサヒコは目を凝らし軍船の様子を探る。
「ヤマトの旗印が掲げられていないようだが・。そうか、タケル様に違いない。」
イサヒコは急いで、御津浜へ戻った。
浜では、多くの民が慌てた様子で、戦支度をしている。それをみて、イサヒコが皆を集め落ち着く様に言った。
暫くすると、軍船が船着き場に近づいてくる。浜の民は半信半疑、身を固くしながら軍船を見つめる。
甲板にタケルの姿が見えた。そして、隣にはミヤ姫の姿もあった。
「遅くなりました。幡豆の方々の御力をお借りして、ようやく軍船の正体を突き止めることができました。将軍リュウキは縛り上げ、船倉に閉じ込めております。兵たちは皆、罪を悔い、悪しき者の征伐のため、働くことを誓いました。」
浜に着いたタケルは取り急ぎイサヒコに経緯を伝えた。イサヒコも、兎足の館でアリトノミコトの指示があったことを話し、郷の長達が一致して、アリトノミコトとチヤギを倒し、穂の国を守るために備えている事を話した。
「此度の事は、穂の国の中の事。ヤマトの者が仕切るべきことではありません。我らは、イサヒコ様に従いましょう。」
タケルやミヤ姫、サトル、キンジ、クヌイは、イサヒコの前に跪いた。
「おやめくだされ。」
当のイサヒコは、ヤマトの皇子が自らの前に跪くなど赦されるべくもなく、驚いて、すぐにタケルの手を取り立たせる。
「アリトノミコトは穂の国を我が物とし、民の事など顧みず、さらに、渥美や知多さえも不安に陥れた張本人。郷の長達はもはや許せぬといきり立っております。例え、多少の犠牲が出たとしても、穂の国の安寧を得るための闘いは避けては通れません。これより、アリトノミコトが住まう砥鹿の館と、神官チヤギのいる社を攻めます。・・タケル様達にも、是非、御力を貸していただきたい。」
イサヒコは、タケルたちにそう誓い、すぐに使者を各郷へ送った。
知らせを受けた吉田や石巻、御油、三谷の郷長もすぐに号令し、武装した民が、砥鹿の館へ向けて進んでいった。
「アリト王、一大事でございます!」
砥鹿の館で寛いでいたアリトノミコトのもとへ、見張りが飛び込んできた。
「民が大挙してこちらへ向かっております。」
「どこの者達だ?」
「御津浜の者達のようでございます。」
「御津浜か・・・確か、あやつは元々余所者であったはず。・・やはり、ヤマトと繋がっておったか!」
そう言って、アリトノミコトが表に出た時、別の見張りが飛び込んできた。
「対岸に・・多くの民が・・あれは、石巻の者のようです。」
「なんと・・舅殿として、石巻には随分気を遣っておったのに‥恩を仇で返すというのか?」
また別の見張りが飛び込んできた。
「西から御油の者達が・・それに・・千両衆も加わっております。」
これで、南・東・西から軍勢が迫る構図となっていた。
「すぐに兵を集め、守りを固めよ!」
アリトノミコトはそう号令したものの、館に居る兵は百人にも満たない。川を挟んで東の石巻、南からは御津浜、西からは御油の者達が進み、その数は次第に膨れ上がっていた。唯一、出自の八名からは軍勢は来ないと踏んでいた。
館の周りは、棒っ切れや銛、剣などそこいらにある武器になりそうなものを携えた民が集まり、僅かな兵は手出しすらできないほどになっていた。
「社に参る!」
アリトノミコトは、館のすぐ北にある砥鹿の社へ逃れる道を選んだ。
十人程の兵に守られるようにして、社の大門に辿り着き、門番を見つけ「チヤギ様へ取次ぎを」と願った。
だが、門番は、大門を開けることなく、奥へ引きこもってしまった。
「穂の国の王、アリトノミコトである。早々に開門されよ!」
アリトノミコトは、大門を何度も何度も叩き、声を上げる。
「チヤギ様、宜しいのですか?」
神職の一人がチヤギに問う。
「あやつはもはや終わっておる。此度のことは全て、あやつが行った事。砥鹿の社には関わりのない事。放っておけば良い。」
チヤギはそう言うと、奥の部屋へ籠った。
「チヤギ様は、我を見捨てられたか!」
もはや猶予などない。アリトノミコトは僅かな兵を連れ、出自の八名の郷へ戻る道を選んだ。街道には軍勢があふれている。アリトノミコトは、砥鹿の森の獣道のようなところを転がるようにして逃れる。付き従う兵はもはや二人ほどになっていた。這う這うの体で、何とか森の抜け、豊川の畔に出た。そこを渡れば、八名の郷。郷に戻り、北の者達で兵の体制を整え、一気に押し返す策を考えながら、川の縁まで辿り着いた。

nice!(0)  コメント(0) 

2-13 八名の郷 [アスカケ外伝 第2部]

夕暮れが近づいていた。
アリトノミコトは、川に近づき、ひと掬いの水を口にした。見ると、手も足も泥に塗れている。衣服もあちこちが破れ、酷いありさまだった。アリトノミコトは落胆し、その場に座り込んだ。
「アリトノミコト様・・向こう岸に人影・・いや、松明の灯りが・・。」
何とかここまで付き添ってきた兵の一人が、座り込んでいるアリトノミコトに告げる。ふと、顔を上げてみると、確かに対岸に多くの人が松明を掲げて並んでいる。
「我が郷の者か・・おお、我を迎えに来てくれたか!」
アリトノミコトは、嬉々として立ち上がる。そして、対岸に向かって手を振った。
「サスケ様!あそこに人影が見えます。」
対岸に居たのは、サスケが率いてきた八名の軍勢だった。
サスケは、砥鹿の社で、追手を巻き、いくらかの傷は追ったものの、何とか逃れる事が出来た。サスケは川の畔まで逃れたものの、腕の傷が深くその場で動けなくなっていた。対岸には八名の郷があった。
サスケは、川岸で動けなくなったところを、八名の漁師の頭目クマジに救われた。
「その傷はどうされた?」
クマジは、尋常ではないサスケの姿に驚き、郷の家の連れて帰り、手当をした。落ち着いたところで、サスケは砥鹿の社で起きている事を、クマジに話した。
「その様な事が・・・。」
クマジは、サスケの話を聞き、苦い顔をしている。
そして、クマジは、八名の郷についてサスケに話した。
八名の郷は、川の漁が盛んだった。田畑を耕しながら、川の魚を取り、慎ましい暮らしをしていた。アリトノミコトの父が長となってからは、兵力を高め、周囲の郷へ戦を仕掛け、次々に従えていった。八名の民は、こうしたアリトノミコトの父の横暴にただただ耐えてきた。郷の民の不満が高まる中、アリトノミコトの父が急死する。再び平穏な郷に戻ると民は期待したが、跡を継いだアリトノミコトは、父の遺志を継ぎ、神官チヤギと画策し、穂の国の王の座に就いた。そして、今度は、さらに多くの兵を集め、伊那国攻めを行った。多くの男達は、伊那国との戦の中で命を落とし、周囲の郷から、八名の郷は恨みを買うことになっていたのだった。
「我が郷の長一族とは言え・・恥ずかしい限り・・我が郷の中で済むことであればまだしも・・周囲の郷の者を苦しめ・・更に此度は、渥美や知多まで・・いえ、ヤマトをも巻き込むような悪しき事を行うなど・・もはや、許すまじきこと・・。」
頭目クマジの目には、悔し涙が浮かんでいる。クマジは漁師を集め、サスケの話を伝える。それは、周囲の郷にも伝わっていく。そこへ、御津浜からの使いが来た。
アリトノミコトやチヤギを倒し、穂の国をもとの美しく穏やかな国に戻すためならと、北の郷のものも大きな軍勢となり、砥鹿の社へ向かっていったのだった。
軍勢の男達は、漁に使う小舟を出し、対岸へ向かう。
手を振る男は、全身、薄汚れていて、脇には二人ほど甲冑を身に纏った兵がついていた。
「あれは・・アリトノミコトだ。」
サスケが囁くように言う。小舟が岸辺に近づき、松明を掲げて、アリトノミコトを取り巻いていく。
「これは・・どうしたことか・・八名の衆は我を助けに参ったのであろう。」
アリトノミコトは異様な雰囲気に、置かれている状況が少しずつ判ってきた。
「覚悟せよ!」
アリトノミコトの前に、サスケが立ち、剣を構える。ついていた二人の兵は多勢に無勢、すでに観念して、跪いていた。
「我は・・穂の国の王であるぞ!」
アリトノミコトは、僅かに残った力で立ち上がり、剣を抜いた。
「往生際が悪いぞ。剣を捨てよ!」
サスケが叫ぶ。だが、アリトノミコトには通じない。周囲に居た者に向かって、無暗に剣を振りまわす。見かねたクマジが、漁で使う銛をアリトノミコト目掛けて投げた。銛はアリトノミコトの体を貫き、その場で果てた。

砥鹿の社の周囲には、驚く数の民が集まっていた。手には松明を掲げている。
だが、社は高い獣返しの柵や堀が巡っていて、容易には近づけない。大門を開こうとするが、びくともしない。そこへ、サスケ達の軍勢がやってきた。既に、アリトノミコトの亡骸は河原に埋められ、御首だけが運ばれてきた。
「タケル様・・御無事でしたか?・・アリトノミコトは討ち取りました。」
サスケは、軍勢の中にタケルの姿を見つけ、直ぐに傍に来た。
「サスケ様もご無事でしたか?・・おや、他の者はどうしました?」
タケルが訊く。サスケは、砥鹿の社でのことを具に話した。
「では、キラ殿たちは私を探しに・・しかし・・出会っておりません。どこにいるのでしょうか?」
そう話しているところに、キラがようやく顔を見せた。
「幡豆の郷まで行きました。そこで、此度の事を聞き、郷の者たちとともに参りました。・・クラは、すぐに、渥美へ行きました。おそらく、その後、知多へ向かったと思います。大戦になるなら援軍が必要ではないかと・・」と、キラが答える。
「それは・・ご苦労でした。ですが、もはや、戦などにはならないでしょう。」
砥鹿の社を取り巻く民は、どうにか、社への入口を開いた。そこから、一気に、社の中へなだれ込んでいく。止めようがない勢いとなって、全てを包囲している。
「チヤギ!チヤギはどこか!」
社を取り巻く民の声に、神職たちは逃げ惑い、社の廊下にへたり込んでいる。民衆は社の戸をことごとく開き、チヤギの行方を探す。ついに、最後の隠れ場所と見られる奥の社に迫る。
「チヤギ!」
イサヒコが戸を蹴破り中に入る。しかし、そこにチヤギの姿は無かった。室内は荒れていて、急ぎ必要なものだけを手にいずこかへ姿を消していた。
砥鹿の社に集まった民衆を前に、イサヒコが呼びかける。
「もはや、穂の国を誤った道に進めた悪しき者は退治された。この先、再び、安寧で豊かな国を取り戻そうではないか!」
集まった民衆は、大きな歓声を上げた。

nice!(0)  コメント(0) 

2-14 設楽の荘 [アスカケ外伝 第2部]

チヤギは、数人の伴を連れ、社を抜け出していた。砥鹿の森から本宮山の山裾まで進むと、北へ向った。
豊川(とよがわ)の右岸は、幾層もの河岸段丘になっていて、八名の郷の対岸に当たる場所には、幾つもの郷があった。その中心でもある、千秋の郷には、砥鹿の社の分社があり、この周辺の郷は、設楽の荘と呼ばれる、砥鹿の社の領地であった。三河湾からはかなり奥まった場所であり、神官チヤギが実質的な領主であった。
砥鹿の社を取り巻いた郷の民は、いずれも海に面した郷の者であり、この騒ぎは、千秋の郷には伝わっていなかった。
チヤギ一行は、夜のうちに、分社の隣にある館に入った。夜が明けると、周辺の郷へ使いを出し、郷長達を集めた。
「海沿いの郷の者達が、怪しげな術を操るヤマトの皇子に操られ、砥鹿の社を襲った。わしは、神の御力によって守られた故、ここへ戻ることができた。だが、きっと、ここへも攻め入るに違いない。皆、戦支度をするのだ。穂の国の守り神を蔑ろにする輩は殲滅せねばならぬ。」
チヤギは、居並ぶ郷の長を前にこう言った。
それを聞いた郷の長達は、恐ろしき事と震えあがるとともに、神をも蔑ろにする輩は赦せぬ、砥鹿の社を取り戻そうと立ち上がる。
こうして、数日のうちに、千秋の郷を中心に、多くの民が兵となり、砥鹿の社を目指し動き始めた。
タケルたちは、砥鹿の社を出て、アリトノミコトが住んでいた館へ移り、これからの国作りの相談をしていた。集まった多くの民はそれぞれの郷へ戻り、館には、主だった郷の長とタケルたちがいた。
そこに、八名の郷から使いが来た。
「北から大軍がこちらに向かっております。チヤギの軍勢のようです。」
それを聞いたイサヒコが言う。
「やはり北へ逃げていたか・・・」
「すぐにこちらも兵を集めねば・・。」と他の長が言うと、居並ぶ長達も同調する。だが、そうなると大きな戦となる。穂の国の民同士が戦うことになるだけで、何も得るものはない。
イサヒコは、タケルたちに、砥鹿の社の領地の話をする。
「それぞれが信じる者のために命を賭けるということですね。」
タケルは、空しかった。いつまで経っても戦の火が消えない。民を纏め、国を率いる者が、私利私欲に走る事が如何に重大な罪であるか、なぜ気付かないのか。戦う事で何が得られるというのか。
「皆さま、もう戦は止めましょう。ここへ向かう兵たちは、皆の同胞。悪の根源は、チヤギ一人。そのために、多くの命を失う事は無意味です。」
タケルが言う。
「しかし・・」と長達が言う。
「私たちは、すぐにここを離れ、それぞれの郷へ戻りましょう。砥鹿の社を明け渡せば、軍勢も引き上げるほかないはずです。」
「それでは、また、チヤギが砥鹿の社の神官となってしまいます。」
と、石巻の長エジツが問う。
「例え、神官の座に就いたとして、皆様はもはや神官の言葉に惑わされることはないでしょう。いえ、それ以上に、これまでのように砥鹿の社を崇める事もなくなるはず。そうなれば、チヤギなど何の力も持たぬ者になるはずです。」
「しかし・・設楽の荘の者達は、チヤギを領主と崇めております。我らの郷を従えるために、設楽の荘の者を使って、戦を仕掛けてくるのではないでしょうか?」
御津浜のイサヒコも訊く。
「やはり、チヤギを倒さねば戦は終わりませんか?」
タケルは、心を決めた。
「判りました。・・・しかし、皆様は手出しされぬ事です。私は、ヤマトの皇様から、この地の戦を収める命を受けてここまで参りました。チヤギを倒す事で全てが終わるのであれば、それは私の役目。」
タケルはそう言うと、サスケを見る。サスケは黙って頷いた。それをみて、サトルやキンジ、クヌイも頷く。
「私も共に参りたい。我が孫娘の命を奪ったのは、神職。きっとチヤギが命令したに違いない。郷の長としてではなく、孫娘のためにも、チヤギの末路を見届けたい。」
石巻の長エジツが申し出た。他の長達も同意した。
タケルたちはすぐに、砥鹿の社に入り、大門を開き、軍勢を向かい入れる準備をした。イサヒコ達、郷の長は、アリトノミコトの館で行方を見守ることになった。
しばらくすると、設楽の荘の軍勢の先頭が、松明を掲げて、社の森へ入ってきた。様子は、見張りによって逐一、館にも知らされていた。
終に、軍勢は社の大門に到達する。開け放たれた大門を訝しがりながらも、続々と兵たちが社に入ってくる。ついに、チヤギのいる本体も社に入った。
「チヤギ様、敵の姿がありません。」
軍を率いてきた将の一人が言う。
チヤギは、大社の祭壇を背に、軍勢を前に手を上げた。皆、静まり返る。
「敵は我らの力を恐れ、早々に逃げ出した。これは砥鹿の社のご加護によるもの。砥鹿の社は奪還した。再び、砥鹿の社を御力で、穂の国を強き国へしようぞ!」
社の敷地にひしめくように集まる兵たちは気勢を上げた。
チヤギは兵たちの反応に満足そうな笑みを浮かべた。
「此度の騒ぎを先導した、ヤマトの皇子を探し出し捕らえるのだ!そして、民を扇動した、郷長達も同罪である。この軍勢をもって、それぞれの郷へ戦を仕掛けるのだ。良いか、この砥鹿の社に刃向かう者は、すべて、穂の国の敵。そうした輩は、捕らえて、首を刎ねてしまえばよい。我らの前に皆、ひれ伏すであろう。」
チヤギは、砥鹿の社に戻り、目の前の軍勢に過信したのか、饒舌に語る。だが、軍勢の兵たちは皆、その言葉に違和感を感じ、答えるような歓声を上げない。
「どうした?我らは正義である。我に従わぬ者は悪しき輩である。さあ、皆の者、我に従うのだ!」
目の前の兵たちは、ひそひそ話を始めている。
「もうそれくらいで良いでしょう。」
大社の戸を開けて、タケルが姿を見せる。廊下にはサスケ達も出てきた。

nice!(2)  コメント(0) 

2-15 決着 [アスカケ外伝 第2部]

タケルが姿を見せると、チヤギの周りを手下が守るように固める。
「私は、ヤマトの皇子タケルです。このたび、この地の戦を収めるため、ヤマトから参りました。」
チヤギとは初対面である。
「おのれが・・ヤマトの皇子か!」
チヤギは少し狼狽えている。
「渥美や知多では、ヤマトが攻めて来るなどと言い、ありもしない戦騒ぎを起こし、互いの国を惑わせましたね。そのために、多くの民が傷つきました。」
タケルは敢えて穏やかな口調で問う。
「何を言うか!ヤマトの軍船が郷を襲ったのだ!ヤマトは悪しき国。穂の国を狙っておったではないか!」
「あの軍船は、チヤギ様。あなたが用意したものですね。放浪する者を集め、ヤマトの軍に仕立て、貴方の命令で郷を襲ったと、リュウキが白状しました。」
「ふん、リュウキなどと云う者、知らぬわ!」
「あの船に掲げられていた大和の旗印。あれは、イサヒコ様の父がヤマトを離れる時持たれていた物。貴方は、イサヒコ様の父や母を殺し、旗を奪った。それが証拠です。」
「イサヒコの父、母の事など知らぬ。アリトノミコトの仕業であろう。我には関係のない事。」
チヤギは知らぬ事と突っぱねる。
「では、ヒサ姫様の事は如何ですか?」
「ヒサ姫?・・アリトノミコトの妻か・・あれは自ら命を絶った。蛇の呪いを受けて居ったからな。」
「その話さえ、あなたの作り事でしょう。」
石巻の長エジツが一歩前に進み出て、懐から小さな金属の欠片を取り出した。
「これが・・ヒサ姫の亡骸の傍にあった。これは、神職の身につけている金具の欠片。お前が、神職を使ってヒサ姫を殺した証拠!」
「知らぬ!」
ヒサ姫の死は、設楽の荘の者達も知っていた。蛇の呪いを受け、自ら命を絶地、それを恨んだアリトノミコトが、兵を集め、蛇神を祀る伊那国攻めを行った時、多くの兵は、設楽の荘の男達だった。伊那国へ向かう最中、多くの社を焼き払い、郷を襲ったものの、病により敢え無く撤退した、無意味な戦であったという記憶が残っていた。ヒサ姫の死は自殺ではなく、チヤギが神職に命じて殺したとなれば、チヤギへの信頼も消えてしまう。アリトノミコトも騙されたということになる。
「まだ、しらを切るのですか?・・・ならば、貴方は一体何者ですか?」
タケルが訊く。余りにも漠然とした質問にチヤギは戸惑った。
「我は、砥鹿の社の神官チヤギである。・・全く・・意味が判らぬ事を聞くな!」
「そうですか。だが、本当は、甘樫の郷に居られた、イワヤノミコト様でしょう?」
タケルは、イサヒコの父が、チヤギを見た時に口にした名を思い出したと聞いていた。そして、それをサスケに確認していた。大和争乱の最中、甘樫の地を本拠としていた物部氏に仕えていた者の中に、同じ名の者がいた事は判っていた。
タケルの言葉を聞いていた兵たちはざわついた。
神官は代々一子相伝の職。大和の甘樫の者が神官を務めるなどあり得ない。もしそれが本当であるなら、チヤギは、砥鹿の社を、前の神官から奪い取ったということになる。
「もはや、誰もあなたの言葉など信じませんよ。」
タケルが言う。
「皆の者、騙されるではないぞ!・・これが、ヤマトの皇子の術なのだ。・・怪しげな使うのだ。騙されるではない!」
チヤギが声を荒げる。しかし、兵たちは冷ややかにチヤギを見ている。
「ええい!こやつらを退治せよ!」
ついに、チヤギが逃げ道を失ったかのように号令した。周囲を守っていた男達が一斉に剣を抜き、タケルに襲い掛かる。
タケルは、さっと飛び上がり、兵たちの中に下りた。
「皆様、手出しは無用です。怪我をしてはなりません。」
タケルは兵たちにそう言うと、再び、飛び上がり、手下の男一人を蹴り倒した。サスケ達も剣を構えている。気付くと、社に集まった兵たちの中に、チヤギの手下が紛れていて、周囲の兵たちを襲い、斬り掛かっている。兵と言っても、甲冑に身を固めただけで、剣を満足に使える者は少ない。手下たちは相当手慣れた者のようで、次々に、逃げ惑う兵を襲う。
「ミヤ姫!」
タケルが叫ぶ。それは、獣人への化身の合図であった。ミヤ姫は鏡を握り締め、祈る。光が漏れ始めると、タケルの剣も呼応して光を放つ。
「ぐるるるるー。」
タケルの体が一回り大きくなり、腕や足も太くなり、獣人に変わった。
獣人タケルは、剣を高くかざす。剣から出る強い光は、館にいた郷の長達にも判った。光は、兵たちの中で剣を振りまわす男達の眼を一瞬で焼き、その場で男たちは蹲る。
「物の怪になったか!」
チヤギは獣人タケルを見て叫ぶ。
タケルは光を放つ剣を大きく振る。強い光と風が起こり、チヤギを守っていた男達は跳ね飛ばされた。
「さあ、チヤギ、いや、イワヤノミコト、観念せよ!」
この声は、太く吠えるように聞こえた。
「何を言うか!」
チヤギはまだ諦めていない。そして、倒れた手下から剣を奪い、振りまわしながら逃げようとする。
「成敗!」
タケルは、剣を振り下ろす。チヤギの体は真っ二つに割れ、その場で果てた。
その後、社に居た兵たちは、館に居た郷長たちに促され、静かに引き上げていく。

こうして、伊勢国や尾張、知多、渥美、三河を巻き込んだ戦も無事収まり、それぞれに新しい国作りが始まった。

nice!(0)  コメント(0) 
- | 次の30件 アスカケ外伝 第2部 ブログトップ