SSブログ

2-3 御津の長イサヒコ [アスカケ外伝 第2部]

暫く待っていると、広間に長が姿を見せた。年のころは三十半ばと見えた。
「このような形で、皇子をお迎えするとは申しわけない事でございますが、なにぶん、王や神官に知られては都合が悪い事ゆえ、お許しください。」
長はそう言うと、深々と頭を下げた。
「私は、イサヒコと申します。生まれは大和、甘樫の郷でございます。我が一族は、代々物部一族に従っておりましたが、皇君をないがしろにし大和を手に入れようとされる事に異を唱え、郷を追われました。その時、私はまだ十五でした。伊賀を抜け桑名まで逃れ、追っ手を恐れた父は、海を渡りこの地へ。」
「しかし・・その様な一族が長というのは・・。」
タケルが訊く。
「はい。我が一族はこれより奥の谷で静かに暮らしておりました。ですが・・数年した、ある時、突然、砥鹿の社の使いが来て、父と母を連れてゆかれ、そのまま戻ることはありませんでした。」
イサヒコはその時のことを思い出したのか、悔しげな顔をした。
「そんな理不尽な事が‥、」とミヤ姫が呟く。
「その時、私は長の館に居り、長が匿ってくださり、難を逃れました。・・今になって思えば、神官チヤギ様の秘密を知っていたからではないかと思うのです。」
イサヒコが答える。
「チヤギの秘密とは?」とタケル。
「甘樫の郷に居た頃、父はチヤギ様と共に居たと言っていたことがあります。」
「では、神官チヤギも、物部一族とゆかりが?」
「そのようです。ただ、父は、砥鹿の社の祭事で、チヤギ様を見た時、違う者の名を口にしたのです。」
「違う者の名?」と、タケル。
「そのために、父も母も捕らえられたのだと思います。以来、私も大和の者ということを秘密にしてきました。数年前に、先の長が亡くなり、子の無かった長の跡を継いで、長となったというわけです。」
あの娘が、国王や神官に知られてはならぬと言った理由がようやく判った。そして、ヤマトを敵とみなし、近隣の国々で戦を起こさせているのは、アリトノミコトと神官チヤギだという確信も出来てきた。そして、なぜ、そこまでヤマトにこだわるのか、神官チヤギの秘密と深く関わっているに違いないとも思った。
「私は此度、愚かな戦さを収めるためにここへ参りました。ヤマトは他国を侵す事はありません。誰かが作り出した事。渥美国や知多国ではすでに誤解も解け、新しき国作りを進めております。穂の国も正しき姿に戻す必要があります。」
タケルはイサヒコに言った。
「ヤマトとの戦という話は私も信じてはおりませんでした。しかし、時折、ヤマトの旗印を掲げた軍船が沖を走るのを見た郷の者はすっかり信じております。海辺の郷は、皆同様でしょう。」
「やはり・・あの軍船が・・。」
と、タケルが言うと、イサヒコが訊く。
「軍船を見られましたか?」
「ええ・・渥美・福江の沖で一度だけ。古い大和の旗印を掲げておりました。」
「やはり・・そうですか・・おそらく、あの旗印は・・」
「ええそうです。あれは物部一族が使っていたものに違いありません。・・イサヒコ様の話からも、物部一族の中に居たチヤギが、もちこんだものに違いありません。あの軍船は、チヤギが民を操るために作りだしたものでしょう。」
タケルが言うと、イサヒコが哀しい顔をした。
「いえ・・あの旗印は・・・わが父の物に違いありません。甘樫を去る時、父は大和の者の誇りを無くさぬようにと、旗印を持ち出しました。ここへ着いてからしばらく、我が家に掛けられておりました。父や母を捕らえた時、それも持ち去ったはずです。・・その様な使い方をされるとは・・・哀しい事です。」
遥か二十年以上前の、大和争乱がこのようなところに飛び火しているとは、タケルは思いもしなかった。今では、争乱など無かったかのように、静かな日々が続いている大和に居た時には考えられなかった事だった。おそらく、父カケルも母アスカも知らない事だろう。
難波津に居た時、年儀の会で集まる西国の多くは、争いもなく豊かで穏やかな国となり、互い助け合う美しきヤマトを支えていた。自分の視野が如何に狭かったか、ここに来て改めて知らされた思いだった。
「何としても、あの軍船を見つけ出し、ヤマトの旗印を取り戻さねばなりません。」
タケルがそう言うと、イサヒコは頷いたものの、少しためらいがあるようだった。
「とは言っても、この辺りでは、王や神官の言葉を鵜呑みにし、ヤマトを敵とみなしているものばかりです。皇子タケル様が動かれるのは・・。かといって、我らも表立って動くわけにもいきません。」
二人の会話を聞き、サトルが口を開いた。
「やはり、我らの味方を増やすしかないでしょう。王に反目する者達は、何処の国でもいるはずです。そうした者を我らの味方につけるのです。」
それを聞いて、イサヒコは少し考えてから口を開いた。
「それなら、隣の三谷の郷に行かれると良いでしょう。」
「三谷の郷?」とサトルが繰り返す。
「はい。漁師の郷です。三谷の郷の沖にある島周辺は大変良い漁場でした。ですが、チヤギ様が神官になって程なく、あの島を神域と定められ、民が近寄ることを禁じました。ですから、あそこの漁師たちは、チヤギ様を快く思って居らぬと聞いております。」
イサヒコが慎重に答える。
「島が神域に?以前から、社があったのですか?」と、タケル。
「はい。元は三谷の漁師が海の神を祀る社がありました。しかし、神域と定められた後、すぐに古い社は撤去され、新しく社が造られました。砥鹿の分社となり、年に一度ほど、神事はあります。その日以外は誰も居らぬはずでした。ですが、ある日から見張りが経つようになりました。三谷の漁師の話では、衛士の様な者は住み着いているようだと言っておりました。」
イサヒコの話を聞き、もしやとタケルは考え、イサヒコに訊ねた。
「その近くで軍船を見たものはおりませんか?」
「いや、そこまでは・・何しろ、神域となってからは近づくことは赦されず、様子も判らぬ有様です。」
タケルは、イサヒコの話にやや落胆しつつも、神域とされた事と、此度の企ては繋がっているはずと考えた。
「明日、三谷の郷へ米を届けに参ります。ともに行かれませんか?三谷の長に力になって貰うというのは如何でしょう。」
イサヒコの話を聞き、タケルとサトルは頷いた。
翌朝、たくさんの米を積んだ荷車が港へ向かった。タケルたちはその荷に紛れて港まで行き、乗ってきた小舟で海に出た。御津の郷の米は何隻もの小舟に移され、海岸沿いに宮へ向かった。タケルたちもその船のあとに続き、三谷の郷を目指した。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント