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1-1 夢の始まり [アストラルコントロール]

深夜12時、ようやく帰宅してベッドに転がり込んだ。
フリーライターの射場零士は、芸能人のスクープを追いかける毎日だった。最近は、不倫程度のゴシップネタでは、買ってくれる週刊誌もなくなった。犯罪の匂いがするものでないと、編集者は簡単に触手を伸ばさない。
「そろそろ限界かな。」
ベッドに横たわってぼそりと呟く。
あと少しで厄年だ。最近は、深夜や早朝の突撃取材など、気力が追いつかなくなっていた。かといって、ほかに何で稼ぐか、見当もつかない。
人生に行き詰っているのは、他人に指摘されるまでもなく、自分が一番理解している。
ぼんやりとしているうちに睡魔が襲ってきた。零士は、そのまま、眠りに落ちていった。
しばらくして、夢を見た。
住宅街を女性が二人歩いている。古い街灯はついているのだが、二人のシルエットくらいしかわからない。自分はなぜか、その二人をやや上空から見ている感じだった。
ここはどこなんだろう・・と考えると、急に目の前に電柱が近づいてきて、そこに貼られている地名盤が見えた。「桂木町2丁目」と読めた。おや、自分のアパートからほど近いところじゃないかと思った途端、今度は、歩く二人の女性を後方から見る位置に変わった。なんだか、尾行しているような感じだった。
「変な夢だな」
夢を見ながらそんな感想を抱くなんて、さらに異常だ。疲れているのかな・・。そんなことを考えながらも、依然として女性二人の後ろにいて、様子をうかがっている自分がいた。
街灯が少しまばらな場所に差し掛かった時、並んで歩いていた右側の女性が、ハンカチを手に巻き付けて、カバンからアイスピックを取り出した。そして、隣を歩く女性の肩を掴んで、首筋にアイスピックを突き立てた。一瞬だった。左側の女性は、首筋から真っ赤な血が噴き出して崩れるように倒れた。
「おいおい、夢でもこんな惨い光景は見たくないなあ・・。」
そんなことを思っていると、アイスピックを持った女性は、倒れこんだ女性の様子を伺い、息絶えたことを確認すると、スマホの緊急通報ボタンを押して、持っていたアイスピックを自分の胸に突き立てた。
零士はその女性に近づくと、二人の様子を見た。首筋を刺された女性は、完全に息絶えている。水色のワンピースが自分の血で真っ赤に染まっていく。まだ30歳そこそこ、色白で品がある表情、持っているバッグから、ある程度金銭的に余裕があるのは明白だった。
「おや、確か彼女は・・。」
女性の顔を見て、零士ははっと思いだした。
「女優の片岡優香じゃないか?」
半年ほど前に、企業の取締役だった男との不倫騒ぎの記事を書いた。だが、同じころ、男性俳優の自殺騒ぎがあり、その原稿はお蔵入りとなった。知名度や人気を考えれば、ニュースの価値は明らかだったし、片岡優香という女性は何かとお騒がせなところがあって、不倫程度ではインパクトも弱かった。
「あの時の記憶が夢になったのかな?」
そんなことを考えながら、もう一方の、刺したほうの女性を見る。
グレーのスーツを着ていて、おしゃれとはいいがたい眼鏡、化粧っ気もない感じに見えた。胸に刺さったアイスピックからわずかに出血はしているものの、致命傷ではなさそうだったが、刺さった場所が悪かったのか、呼吸が厳しい状態で、時間がたてばやはり絶命するかもしれないとも思えた。
「なんだ、この夢?リアルすぎるだろ・・。」
そう思ったとたん、夢は終わった。
アパートの近くで救急車のサイレンが響いている。
零士は、その音で目覚めた。時計を見ると、まだ午前4時だった。体中がだるい。睡眠の途中で起こされたような、いや、睡眠自体していなかったような感覚だった。
アパートの窓を開けると、白み始めた空が広がっていた。
サイレンは数百メートル先のようだった。

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1-2 事件現場 [アストラルコントロール]

「まさか・・確か・・あの辺りは、桂木町・・いや、何かの偶然だろう・・。」
心に引っかかるものはあったが、すぐには動く気にはなれなかった。
再び、ベッドに横たわり眠りについた。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、ベッドに横たわる零士の顔にあたった。さすがに、起きるしかないと決断し身を起こす。時計は7時を指している。
ベッドの脇にあったリモコンを取り、テレビをつける。ニュースの時間だった。
『本日未明、横浜市桂木町の路上で女性二人がアイスピックで刺されて死傷する事件が起きました。』
テレビ画面には、規制線が張られた事件現場の映像が映っていた。
「ここは・・。」
昨夜の夢とそっくりの場所だった。
零士はしばらく瞬きもせずじっと画面に見入ってしまった。
規制線の向こうで、たくさんの警察官があわただしく動き回っていて、中には刑事らしき人物も映っていた。
零士は画面をじっと見つめながら、ソファーに乱雑に置かれていた洋服を何とか手に取り、着替えてから、いつもの習慣で、一眼レフカメラを抱えて部屋を出た。
あの夢と同じことが現実に起きていることが信じられなくて、現場に行けば、その疑問が解けるという思いで部屋を飛び出した。
現場までは歩いてわずかな距離だった。
現場周辺には、予想通り、テレビ局や新聞社などの報道陣が集まっていた。何とか現場の映像を抑えようと高い脚立が何本もたてられていた。テレビ局のカメラの前でアナウンサーが出番待ちをしていた。そして、事件のことを聞きつけて、周辺の住民も集まっていた。規制線の手前に警察官が直立不動して、見物している住民や報道陣を睨みつけていた。
零士は何とかその後ろに着いた。
住民たちの合間から、規制線の向こうが時々見える。
やはり、あの夢と同じ場所だ。だが、そんなことがあるだろうか?思わず夢遊病というワードが頭を過る。いや、そんなはずはない。夢遊病なら意識がないはず。だが、あの時、確かに殺人現場の光景を見た。あまりにリアルで目が覚めた。しかし、あれは確かに夢だった。目覚めたとき、確かにベッドに横たわっていたのだ。
零士は、大きな疑問が晴れないまま、見物の住民たちの中にいた。そして、手にしていた一眼レフで規制線の向こう側の光景を何枚か撮影した。
「あの電柱を確かに見た。いや、だが・・。」
小さなモニター画面で撮影した写真を見ながら呟く。
スマホを取り出して、事件の続報を探した。
『先ほどの事件の続報が入りました。』
ニュース画面からアナウンサーの声が響く。
『被害にあったのは、女優の片岡優香さんとマネージャーの本田幸子さんだと判明しました。救急車が到着したとき、片岡さんはすでに心肺停止状態、本田さんも意識不明だったようです。残念ながら、片岡さんは救急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。本田さんは一命はとりとめたものの、意識は回復していない模様です。』
「まちがいないな・・。」
「山崎さん!やっぱり駄目でした。」
事件現場に仁王立ちしている年配の刑事に駆け寄った林田刑事が申し訳なさそうに言った。林田は今年刑事課に配属されたばかりの新人刑事だった。細身で高身長、一見するとどこかの営業マンのような風貌をしていた。少しばかり頼りない。
「この辺りには防犯カメラはありませんでした。住宅街の真ん中、コンビニもありませんし・・目撃者も・・。」
「そうか・・。」
山崎刑事は、規制線の向こうに集まっている野次馬や報道陣に視線を送る。
「武藤!」
そう呼ばれて、別の刑事が「はい!」と返事をする。30代半ばの刑事。場慣れはしているが、積極的に動く方ではなく、何かと面倒くさい感じで、のそのそと動くタイプだった。
「集まったやつらを撮っておけ。犯人が紛れているかもしれないから。」
山崎に言われて、武藤刑事は、慌ててポケットからスマホを取り出して、周囲を写し始めた。
「犯人は現場に戻るって・・根拠が分からないんだけどね・・。」
武藤は独り言を口走りながら撮り続けていた。

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1-3 厳しい視線 [アストラルコントロール]

「山崎さん!もう一人の被害者は、命に別状はないようです。まだ、意識は戻らないようですが、医師の話では2,3日すれば意識が戻るはずだと・・。」
規制線をくぐってきて報告したのは、五十嵐という女性刑事だった。
長い髪を一つに束ね、黒いパンツスーツに身を包み、快活な女性だった。刑事になって5年。刑事課のなかでも優秀だと目されていた。
「そうか・・それなら犯人を見ている可能性があるな・・五十嵐、お前は病院に張り付いておけ。意識が戻ったらすぐに聴取しろ。」
「はい!」と五十嵐は返事をすると、写真を撮っている武藤のほうを見て、小さなガッツポーズを見せた。
「ちぇっ。なんであいつなんだよ!」
と武藤は舌打ちをして五十嵐を見送った。
五十嵐は足取りも軽く、規制線をくぐって、病院へ向かった。
「案外、事件解決は早そうですね。」と野次馬たちの写真を撮っていた武藤刑事が山崎に言った。
「ならいいがな・・。」
山崎は集まった野次馬のほうへ視線を送っている。
「犯人が目撃されていれば、決定的でしょう。」
山崎の意外な回答に、武藤は少し驚いて訊いた。
「まあ、いいだろう。とにかく、周辺に集まったやつらをしっかり撮っておくんだ。」
山崎はそういうと、現場になった通りを何度も歩いて周囲を確認した。それから、集まっている野次馬たちをにらみつけるように観察した。
「おや・・あいつは・・確か・・。」
山崎はそう呟いて、射場のほうへ視線を送る。
現場を見ていた零士も、山崎の視線に気づいて、小さく会釈をした。
零士は、数年前に繁華街で起きた傷害事件の際、取材で近くにいて、山崎刑事から尋問を受けたことがあった。
もちろん、事件には無関係だったが、特ダネの取材で終日、事件のあった繁華街をうろうろしていたため、被疑者ではないかと疑いをかけられたのだった。
アリバイを問われても、とにかく、事件現場近くをうろついていたのは事実だったし、その傷害事件の被害者は、特ダネで追いかけていた当人だったため、山崎からしつこく尋問されたのだ。
犯人が捕まり疑念が解けた後も、山崎からの謝罪はなく、それっきりになっていた。互いにあまりいい印象を持っていなかった。
山崎は、周囲にいた警官や刑事に号令した。
「とにかく、目撃者捜しだ。聞き込みの範囲をもう一回り広げる。事件の時間の前後にこの辺りにいた人物を洗い出す。」
山崎はそういうと、パトカーへ戻っていった。
「現場検証はそろそろ終わりだな。」
現場の様子をじっと観察していた零士は、くるりと向きを変えて、アパートへ戻った。
帰りの道すがら、同じ思いが何度も脳裏を巡っていた。
「あの夢はいったい何だったんだろう。やはり、現場にいたのか?」
しかし、時間が経つにつれて、夢の光景が徐々に薄れていき、先ほど現場を見たことで、現実と夢の境界があいまいになりかかっていた。
早朝だったせいで、まだ、体は目覚めていない感じだった。零士はアパートへ戻ると、ベッドに横になった。
また、睡魔が襲ってきた。
気が付くと、白い壁の建物の中にいた。白衣を着た人物が何人も行き来している。
そこは病院だった。
廊下には制服を着た警官が二人、門番のように立っている。患者名の欄は空白になっていた。しばらくすると、女性が一人現れ、ポケットから警察バッジを取り出して見せると、病室の前に立つ警官が敬礼をしてドアを開けた。
「あの女性・・確か、事件現場にいたな・・。」
五十嵐刑事はすぐに病室に入っていく。
零士も壁をすり抜けるように病室に入った。心電図モニターや酸素マスクをつけた患者が横たわっていて、看護師が様子を看ている。

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1-4 二度目の夢 [アストラルコントロール]

「意識は?」
五十嵐が看護師に訊くが、看護師は「担当医にお聞きください。」と答えるだけだった。
そこに、担当医が入ってきた。かなりの年配の医師だった。その医師は、五十嵐を見て、あからさまに嫌な顔を見せた。
「容体は?」
五十嵐が医師に訊く。
その医師は、心電計と見ながら、一呼吸おいて答えた。
「見ての通りです。」
少し挑戦的な返答を医師が口にした。
その言葉に、五十嵐がやや苛立つ表情を見せた。医師はそれを見て、わずかに笑みを浮かべる。
どうせ、事情聴取ができるかどうかを確認したいというのだろう。患者の命が助かるかどうかより、事件解決の情報が得られるかどうかが大事なんだろう。そういう輩は嫌いなんだよ!
医師の心の中が透けてみえるようだった。
その医師は、もう一呼吸おいてから話始めた。
「命に関わるほどではありません。刺さった場所は、急所は外れていましたし、大きな血管も傷ついていませんでした。ただ、肺が少し損傷を受けて、一時的に低酸素状態になったようです。意識が戻るには多少時間が掛かるでしょうが、まあ、数日中には話せるようになるはずです。」
医師はそう言って、アイスピックが突き立てられていた場所のガーゼを外し、少しだけ処置をした。
「しかし、こんな幸運なことはめったにないでしょうなあ。」
医師の言葉とは思えないようなものだったので、五十嵐は、「どういうことでしょう?」と訊き返した。
「ここは救急センターですから、こうした患者をこれまでにも何人か診たことがあります。アイスピックとかナイフとかこれほど深く刺さった状態は初めてでしたが、なんとも、・・。この場所の数センチ横には心臓と繋がる動脈があり、そこが傷つけばこんなに軽傷では済まなかったはず。それに、深さもこれ以上深ければ、完全に肺が死んでしまっていて回復の見込みはなかった。殺さないためにピンポイントで刺したといえるほどのことだったんですよ。」
医師の説明を聞き、五十嵐は違和感を感じ、もう一つ質問した。
「あの・・すみません・・もう一人の女性は診られましたか?」
「ええ、同時に運ばれてきましたから・・。」
「彼女のほうはどうだったんでしょう?」
「ああ・・彼女のほうは、ほぼ即死だったはずです。アイスピックはほぼ付け根の位置まで刺さっていたようで、頸動脈は完全に貫通していましたし、その先端は頸椎に達していました。たったひと突きでそこまでできるのはよほど手慣れたものとしか思えませんでしたな。」
医師の答えに、五十嵐は再び違和感を感じた。
「すみません。捜査を混乱させるつもりはないんです。ただ、これは、衝動的な殺人とは違うように感じたので・・私の話は忘れてください。」
医師はそういうと、そそくさと病室を出て行った。
「なんだ?またおかしな夢を見た・・。」
そこで、零士は目を覚ました。
自分の身に起きている事態が理解不能になっていた。
とにかく、気持ちを落ち着かせたかった。部屋を出て、歩いてすぐのところにある「Dream」という喫茶店へ向かった。
昭和の時代から変わらない風情の店。白髪の年配のマスターが、サイフォンを使って丁寧にコーヒーを淹れてくれる貴重な店だった。それほどなじみというわけではなかったが、一仕事終えた後、ここの一番奥の席でぼんやりすることで、精神的平静を保っていたといってもおかしくなかった。
熱いコーヒーを注文して、いつもの席へ座る。そして、先ほど見た夢を思い出していた。
「おそらく、あれは、桂木記念病院だ。現場から一番近い病院だから、そこへ搬送されたんだな。」
そう呟きながら、スマホを取り出し、MAPを開いてタイムラインを確認した。
『やっぱり・・あの場所に行ったのはさっきが初めてだ。やっぱり夢だよな。』
コーヒーが運ばれてきた。零士は、コーヒーを啜る。
『この事件を記事にすればいいネタになるかもしれないが・・事件のすべてを証明できないんじゃ、意味がないな。”夢で見た真実”なんて誰が読むんだよ。』
それ以上、考えても何も出てこないこともわかっていた。コーヒーを飲み干すと、アパートへ戻った。

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1-5 事情聴取 [アストラルコントロール]

それから数日、特に、事件に関連する夢も見なかった。
テレビの報道もすでに忘れられたようにほとんど報道されていなかった。だが、零士の心にはどうにもあの事件が引っかかって仕方なかった。
零士は桂木記念病院へ行ってみることにした。
面会など出来るはずもないが、何か、自分の見た夢の理由が判るかもしれないと考え、病院の玄関前に立った。
「確か、3階だったはずだが・・。」
とりあえず、正面突破をしてみることにした。玄関を入り、外来受付の前を抜け、入院病棟へ上がるエレベーターに向かった。警官の姿はない。
点滴をしている患者に紛れて、エレベーターに乗り込むと、3階で降りた。ちらりと周囲を確認する。一番奥に警官の姿があった。
「あの部屋か・・。」
病室とは反対側へ歩く。
いきなり近づけば警戒される。見舞い客だと思われるように病室の名前を一つ一つ確認する格好をしながら、様子を探っていると、病室から、例の女性刑事が飛び出してきた。
彼女の表情から、被害者の女性が意識を回復したのは明らかだった。その刑事は、エレベーターホールまで来ると、スマホを取り出した。
「山崎さん、被害者が意識を取り戻しました。」
電話の向こうから、声が聞こえる。
「ええ、大丈夫です。・・担当医からも許可をいただきました。どうしたらいいですか?・・はい、わかりました。お待ちしています。」
五十嵐刑事はスマホを切ると、小さく拳を握った。これで有力な情報が入手できる。
零士は五十嵐の様子を見て確信した。
『だが、犯人はいないじゃないか。意識を取り戻して何を話すのか。正直に、私が殺したっていうはずもない。あいまいな供述をして混乱させるに違いない。』
零士は、当然のようにそう思い、これ以上、ここにいても意味はないと考え、エレベーターの前に立った。
エレベーターが上がってくる。ドアが開くと、山崎刑事が姿を見せた。零士は無意識に、顔を下げ、山崎に顔を見られないようにしてさっとエレベーターに乗り込んでドアを閉めた。
「おや・・確か、あいつ・・。」
山崎はすれ違った零士に気づいて、小さくつぶやいた。
「山崎さん、こちらです。」
病室の前で、五十嵐が妙に張り切って手を振っている。
「おいおい、参観日じゃないんだぞ!」
山崎はそう呟くと、つかつかと廊下を歩いて病室へ入った。
ベッドの上には、まだ苦しそうな表情を浮かべている本田幸子の姿があった。
「短時間でお願いします。」
連敗の担当医はそういうと病室を出て行った。
山崎は、ベッドわきにある丸椅子を引いてきて、ベッドの足元辺りに座った。
「五十嵐、聴取だ。」
「はい。」
五十嵐は少しうわづった声で返事をして、手帳を取り出してから、本田幸子を見た。
まだ、うつろな表情をしている。
何から聞けばよいのか、五十嵐は少し戸惑った。先ほどの元気さがここにきて急に萎えてしまったようだった。
「ええっと・・まず、あなたは、本田幸子さんで間違いないですか?」
小さく頷く。
「事件のことはどこまで覚えていますか?」
幸子は少し記憶をたどるような表情を見せたあと、「ぼんやりと覚えているくらいです。」と答えた。
「片岡優香さんは亡くなりました。」
五十嵐が言うと、幸子の表情が強張り、大粒の涙をこぼし始めた。

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1-6 本田幸子 [アストラルコントロール]

「大丈夫ですか・・。」
五十嵐が言うと、幸子は涙をぬぐいながら頷いた。
「あなた方を襲った犯人を見ましたか?」
「犯人?」と幸子が答えた。
「片岡さんを刺し殺し、あなたも胸を刺された。犯人に心当たりはありませんか?」
五十嵐が繰り返すように訊く。
少し間をおいて、幸子が答える。
「あの日は、雑誌の取材が1本ありました。取材は、フランという喫茶店でした。ファッション雑誌のインタビューでした。そのあとは、優香さんのショッピングに付き添い、桂木町にあるブティックで洋服を何点か買うつもりでしたが、気に入ったものが見つかりませんでした。そのあとは、自宅へ戻ることになっていました。彼女が少し歩きたいというので、人通りの少ない住宅地を散歩するような感じで自宅へ向かっていました。」
「普段、あの場所に行くことは?」
「いえ、初めて通った場所でした。坂を下りた辺りでタクシーを拾うつもりでした。」
確かに事件現場の住宅地を抜けると、大通りになり、そこまでいけばタクシーを捕まえることは容易だと判断できた。
「誰かにつけられていたとか、歩いているとき不審な人物は見ませんでしたか?」
五十嵐は、通り魔の犯行の可能性も思い浮かべていた。
「今から思い出すと、あの住宅地に入ったあたりで、人影を見ました。少し離れていましたが、どこかで会ったことのあるような・・いえ、思い違いかもしれません。後をつけてきている感じだったかもあいまいですが、その人くらいしかいなかったように思います。」
「どんな人物ですか?」
「いえはっきりとは覚えていないんです。ただ、どこかで会ったことがあるんじゃないかって思う程度で・・」
「具体的な服装とか持ち物とか年齢とか・・何か特定できそうな特徴は?」
五十嵐は、幸子が目撃した不審者が犯人かもしれないと思い込み、焦って訊いた。
「特徴?・・それほど注意深く見ていたわけじゃありませんから・・ただ、その人は、昔どこかで・・もしかしたら、週刊誌の記者かもしれません。彼らはいろんなところで彼女を追いかけてきたので・・そういう人だったかもしれません。」
本田幸子の話はあいまいだった。具体的な特徴は口にしないが、週刊誌の記者だとほぼ断定的に話した。山崎の顔が少し曇る。
「片岡さんは首筋を刺されていましたし、あなたも胸を刺されている。誰かが近づいてくる気配とか感じませんでしたか?」
五十嵐は、少し話を変えた。
「それが・・思ったより、通りは暗くて・・足音が聞こえたと思ったら、優香さんが突然倒れて、私も胸に激痛が走って・・何が起きたのかわからず、とにかく、このままでは死んでしまうと思って、スマホの緊急通報をすることが精一杯でした。すぐに意識が遠のいたので、犯人の顔までは・・。」
「先ほどの不審者ということはありませんか?」
「判りません。」
本田幸子は顔を伏せて答えた。
「では、最近、誰かから、脅迫されたり、トラブルが起きたりはしていませんか?」
五十嵐は、片岡優香がゴシップの多い女優だということは知っていた。
「いえ、最近は、そういうことはありません。優香さんは過去にはいろいろありましたが、最近はトラブルもありませんでした。」
「週刊誌の記者に追われるようなことは?」
五十嵐の質問に、本田幸子は顔を上げて、少しいらだった表情を見せ、少し息遣いが荒くなった。
「もういいだろう。」
ベッドの足元にいた山崎はそう言うと、すっと立ち上がり、病室を出て行った。
「すみません。」といって五十嵐も病室を出た。
「住宅地にいた男が犯人でしょうか?」
病室のドアの前に立っていた山崎に、五十嵐が訊く。
「まあ、今の話からは、その男が重要参考人ということになるな。」


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1-7 証言 [アストラルコントロール]

「どこかで会ったことがあるという言葉もありましたから、関係者でしょうか?」
「さあ、どうかな。とりあえず、彼女の言う不審者については、事件の目撃者を探している武藤たちにあたらせる。お前は、もう少し、彼女から話を訊いて、あの日の行動の裏どりをしろ。もし、犯人が顔見知りなら、もっと前から彼女たちの近くにいたかもしれない。」
山崎は、そういうと病院を出て行った。
五十嵐が、もう一度、病室に入ろうとしたとき、看護師がやってきた。
「今日はこれくらいにしていただけませんか?会話は彼女の体に障ります。」
厳しい顔つきで五十嵐に言った。
山崎と五十嵐が病室を出て行ったあと、本田幸子はナースコールをしたようだった。
五十嵐は仕方なく、本田幸子から訊いた事件の日の行動をもとに、雑誌の取材場所やショッピングで立ち寄った店などで裏どりをした。
彼女の供述通り、その日は、取材とショッピングをしていた。その周辺では不審者の目撃情報は取れなかった。
翌日、捜査本部に集まって、会議が開かれた。
武藤たちの捜査からは、不審者や事件の目撃情報は取れなかった。また、周辺の防犯カメラにもそれらしき人物も見つからなかった。
「通り魔の犯行だとすると、あの住宅地に住んでいる人物ということでしょうか?」
五十嵐がぶしつけに質問した。
「まあ、その線もあるだろう。もう少し、住宅地での聞き込みを続けてみよう。」
山崎が武藤たちに指示した。
「彼女たちの周囲では、不審者らしき人物は見つかりませんでした。所属事務所にも確認しましたが、最近はゴシップもなくなったそうです。ただ、仕事もほとんど入らなくなっていて、契約解除の話も進んでいたようです。」
武藤が口を開く。
「本田幸子が現場近くに見かけた不審者ですが・・彼女からもう少し具体的な情報は引き出せないんですか?」
目撃者や不審者探しをしていて、進展がないためか、少し苛立ち気味に五十嵐に訊いた。
五十嵐が首を横に振る。
その後、何度か、本田幸子の病室に足を運んでいたが、「覚えていない」という反応が返ってくるばかりで、詳細に聴取しようとすると、体調に障るという理由で、追い出された。
山崎は机の上に広げた書類に目を通していた。そして、不意に見物人が多数映り込んでいる写真を取り上げた。
「この写真を本田幸子に見せて、反応を見てみよう。」
すぐに五十嵐は、病院に向かった。
「5分でいいので、面会を」
とナースステーションに申し入れ、看護師同席で面会することになった。
「今日は見てもらいたい写真があるんです。」
五十嵐が取り出した写真は、事件後の集まった野次馬や報道関係者を映したものの1枚で、中央に、射場零士が映っているものだった。
「この中に、住宅地で見た不審者に近い人物はいないかしら?」
五十嵐が訊くと、いやな表情を見せながらも本田幸子は写真に目を落とした。
しばらく、写真を眺めていたが、本田幸子は不意に顔を上げた。
「この人、この人だったように思います。」
彼女ははっきりとそういって、写真の中央に移っている射場零士を指さした。
「もう一度しっかり見て。事件の時の記憶はあいまいだったはずでしょう?間違いでは済まされないのよ。」
被害者の目撃証言は決定的だ。冤罪を生む可能性も高い。だからこそ、五十嵐は再度確認してみた。
「いえ・・きっとこの人です。・・昔、会ったことがあると思ったのは、不倫報道の時の記者だったからです。しつこくマンション前で取材を受けたので、よく覚えています。きっと、この人です。」
本田幸子の言葉は確かだった。だが、五十嵐は何か違和感を感じていた。その理由は、証言する彼女の顔に笑みのようなものを見つけたからだった。
「わかりました。ありがとうございます。」
五十嵐はそういうと病室を出て、山崎に電話した。

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1-8 聴取 [アストラルコントロール]

「本田幸子は、目撃した不審者は彼だと証言しました。」
「わかった。すぐに任意同行を求める。」
そのころ、射場零士はアパートにいた。不思議な夢を見てから、何をしていても、あの光景が浮かんできて、さらに、そのあとの病院の風景も、明らかにその場にいたようなリアルさがあって、途轍もなく、気持ちが悪い感覚に取り巻かれてしまって何もする気になれなかった。
ドンドンドンと、ドアが強くノックされた。
アパートの部屋を訪ねてくるのは、大家くらいだった。まだ、家賃の支払いは滞ってはいないはずだ。
ドアを開けると、男が数人立っていた。
「神奈川県警です。先日、近くで発生した殺傷事件について伺いたい。同行願えますか?」
言葉は丁寧だが、有無をも言わせぬ威圧感があった。
零士は、リアルな夢で、事件の一部始終を見ている。全く関係ないのだが、なんだか、深く関与しているような感覚になり、抵抗することなく、同行した。
アパートの下には赤色灯を回しているパトカーが止まっていて、いかつい男たちが何人もいる。周辺の住民も、パトカーを見て集まってきていた。
手錠こそされなかったが、まるで犯人扱いだ。
零士は、自分は想定以上に厳しい状況に陥っていることを認識した。
警察署に入った射場零士は、取調室に連れて行かれた。
机を挟んで山崎警部が座り、入口近くの机には、五十嵐が座り、記録を取っている。
始めに通り一遍の質問で、本人確認と事件当夜のアリバイを聞かれた。
「その日の夜は疲れていて、部屋に戻るとすぐに横になりました。一人暮らしなので、それを証明しろと言われても無理です。」
これ以上にこたえられなかった。
緊迫した場面はこれまで記者としての取材経験の中で幾度も経験している。取り調べもこれが初めてではない。ゴシップネタを追っていた時、幾度か、取材対象から警察へ通報され、不審者として連行されたことがある。警察としても通報を受けた以上動かざるを得ないし、逮捕されても、具体的な罪状は問えない状況なのは明白で、形式的な取り調べのあと、解放されるのだ。中には、かなりこっぴどくやられたこともあるが、最近では、コンプライアンスとかで、陰湿だったり暴力的な取り調べは厳禁とされ、おかしいくらいに丁寧な物腰で取り調べが進むこともある。そういう経験を幾度かしているので、今回もさほど恐怖は感じていなかった。実際に、自分はあの事件には一切関与していない。
「被害者の一人、本田幸子さんが犯人を目撃していてね。写真を見せたら、君だと証言したんだよ。」
山崎警部が抑え気味の声でそう言った。
これには、零士は驚くしかなかった。全くの冤罪だ。
「目撃証言はかなり重要なのは君にもわかるだろう?」
零士が驚く様子を見て、山崎はさらに落ち着いた口調で言った。
このままだと犯人にされてしまう。零士が直感した。
「人違いです。」
零士はそういうしかなかった。幸子が片岡優香を殺害し、自分の胸にもアイスピックを突き立てた。その一部始終を見たといっても、夢の中だ。奇跡的に自分が見た夢が現実に起きた事件と一致しただけで、その場にいたわけではない。
「だが、君にはアリバイがない。それに、君のアパートから現場までは遠くない。可能性は高い。・・それに、君は以前、片岡優香さんを追いかけていたらしいじゃないか。ゴシップ記事のネタにでもしようとしたのだろうが、その時、行き過ぎた取材で訴えられていたようだな。それを恨んで殺害した。そういう筋書になるんだが。」
確かに数年前、片岡優香の不倫疑惑を取材した。そして、その時、事務所から訴えられたのも事実だった。だが、そんなことで恨んで殺害するなどありえない。そんなことは日常茶飯事だったし、対して自分に実害があったわけでもない。恨むことなどありえない。だが、目撃証言と過去のいきさつで、警察は一気に犯人に仕立て上げてしまうこともやりかねない。
「そんな・・僕じゃありません。やっていません。」
否定するしかない。黙秘するという方法もあるが、それは心証を悪くするだけ。とにかく、否定し続けるしかないと心に決めた。

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1-9 釈放 [アストラルコントロール]

「否定するというんだな。」
山崎警部は、当然だろうなという表情を浮かべて、ちらりと五十嵐のほうを見た。五十嵐もわかっていた。
「では、本当のことを話してくれるまで、被疑者として勾留させてもらうことになりますが、良いですか?」
山崎警部は、なんの感情も見せず淡々と言った。
拘留の期限はおそらく3日ほどだろう。とにかく、その間は、とにかく耐えるしかない。
「目撃証言はかなり有力な証拠だから、拘留期間はかなり長くなりますよ。それまで耐えられますかね?」
山崎警部は、零士の心の中を見透かすように言ってから、取調室を出て行った。入れ替わりに警官が入ってきて、零士を留置場へ連れて行った。
次の日も次の日も、同じ尋問が繰り返された。
「彼女の証言以外に、何の証拠も出ていないんでしょう。」
零士は、冷静に言った。尋問する山崎警部のほうが疲弊していた。
結局1週間拘留されたものの、本田幸子の証言以外に何も物的証拠が出て来ず、周辺の聞き込みが繰り返し行われたが、何も出ず、大量に集められたコンビニなどの防犯カメラ映像からも、零士の姿は見つからなかった。
「さすがに、被害者の証言だけで彼を犯人にするには無理があります。」
聞き込み班に回っていた武藤が、山崎警部に進言した。
「確かな動機もありませんし、凶器も彼に結びつける根拠もありません。確か、片岡優香は一撃で殺されています。素人とは思えないと解剖医からの意見書もあります。釈放するしかないでしょう。」
五十嵐も、山崎警部に進言し、結果的に、零士は釈放された。
警察署の玄関まで、五十嵐が付き添ってきていた。
誤認逮捕という事実だけが残る結果に、五十嵐も戸惑いを隠しきれない。
「あの、一つ伺ってもいいですか?」
と、玄関を出たところで、零士は五十嵐に尋ねた。
「なにか?」
五十嵐は明らかに戸惑っていた。
「いえ、今回の事件、通り魔の犯行なんでしょうか?」
「どういうことですか?」
零士の口から出る言葉とは思えず、五十嵐は驚いて訊きなおした。
「いえ、犯人を見たと証言した本田幸子さんは、なぜ、私を見たと言ったんでしょう?冤罪だと分かるのは明らかなのに。本当に誰かに刺されたんでしょうか?」
五十嵐には、零士の話が全く理解できなかった。
「彼女と片岡優香さんの関係を調べてみたんでしょうか?
「どうしてそんなことを?」
「いえ、ゴシップ記事で食ってきた身にすれば、真実は途轍もなく意外なところにあるなんて日常茶飯事でしたから。見方をひっくり返してみると、意外に真実ってシンプルだったりするんですよ。」
警察署の玄関前にあるバス停の椅子に座り、零士は続けた。
「警察は、こういう事件が起こると、無差別に殺人をする凶悪な犯人がいると仮定して捜査を始めるところがあるでしょう?まるで、新聞報道の見出しに引っ張られるように、社会にアピールできそうな犯人像を作り上げてしまう。被害者は善人で、無慈悲に命を奪われた、なんて格好がつくから。」
五十嵐には、零士が言う通り、事件発生直後から、「女性二人が深夜に襲われた」という言葉が呪文のように捜査を縛っていたように思えた。
「でも、これが心中事件だったらどうですか?本田幸子が片岡優香を殺して自分も死ぬつもりだったなんてこともあるでしょう。あるいは、被害者である本田幸子自身が、片岡優香へ強い殺意を抱いていて、計画的に準備を進めてきたんだと見たら、捜査の方向は全く見当はずれということになりませんか?」
あまりにも唐突な展開に五十嵐は戸惑って、反応すらできないでいた。
「アイスピックで首筋を一突きで殺すなんて、何度も何度もシミュレーションしていたかもしれませんよ。そして、自分の胸に突き立てたアイスピックも、致命傷にならない場所を選んでいたとも考えられませんか?彼女の周辺を洗いなおしてみたらどうですか。きっと真実が見えてくると思いますよ。」
零士はそういうと、やってきたバスに乗り込んだ。

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1-10 気づき [アストラルコントロール]

「どういうこと?死にかけた彼女が犯人だっていうの?そんな・・。」
五十嵐はそう呟いたものの、確かに、病院での彼女の供述は不自然なところが多かったのを思い出した。始めは記憶があいまいだと言いながらも、途中から急に、射場零士を目撃したと確信をもって証言した。それに、その間、犯人に対しての怒りや、亡くなった片岡優香への悲しみといった感情はどこか欠落していたように思える。
射場零士が言うように、彼女が計画的に片岡優香を殺害したのだとすると、妙に納得できる。ただ、それを山崎警部に進言する勇気はなかった。
捜査本部に戻ってからも、五十嵐は、射場の言葉が気になって仕方なかった。
「ちょっと待って。射場はどうして片岡優香の殺害方法を知っていたの?それに、本田幸子が致命傷でなかったことも・・それって、やはり犯人しか知らないことよね。」
そこに気づくと、五十嵐は慌てて立ち上がり、捜査本部を出た。
署の玄関前で、武藤刑事に出くわした。
「おい!どこ行くんだ?新しい情報でも出たのか?」
武藤は五十嵐をそう言って呼び止めようとしたが、五十嵐は振り向くこともなく、署を走り出て、まっすぐに、射場のアパートへ向かった。
アパートの玄関で、五十嵐は急に迷った。
先ほど釈放されたばかりの相手を再び取り調べることなど常識的には考えられない。しかし、どうしてもはっきりさせたかった。
ノックをしようと手を伸ばした時、階段の下から声がした。
「どうしたんです?・ええっと・・五十嵐さん・・でしたよね?」
コンビニで買い物をしていたのか、怪訝そうな顔をした射場零士が階段の下にいた。
「どうしても訊きたいことがあって。いいかしら?」
五十嵐は少し強めの口調で零士に言った。
「まだ、容疑者扱いなんですか?もう勘弁してくださいよ。それでなくても、ここには居づらいんですから。」
零士は近くのコンビニで買い物をしてきたのだが、その店の店員は、零士の顔を異常者を見るような目で睨みつけた。周囲にいた客も距離を置いて、何か小声で話している。当然、あの事件の容疑者だと噂しているのは明白だった。
二人の話声を聞きつけたのか、階下の住人がドアを開けて出てきた。
「どうしても教えてもらいたいことがあるんです。」
五十嵐の口調は、取り調べた山崎とは正反対に、やさしく思えたと同時に、どこか必死さを感じた。
「わかりました。ただ、ここではどうも・・」
零士はそういうと、ちらりと住人のほうを見た。五十嵐もその様子に気づいた。
「部屋に入りますか?」
射場の言葉に、一瞬、五十嵐は躊躇した。
もし、彼が殺人鬼だとしたら自分もここで命を落とすことになるかもしれないという考えが頭を過ったのだ。
射場はそういう彼女の表情を気にも留めず、彼女の前を通り、部屋のドアを開けて中に入った。
話を訊くには入るしかない。五十嵐は決意して部屋に入る。
玄関を開けると3畳ほどのキッチンとダイニング。その奥に10畳ほどの部屋がある。窓際にはベッドが置かれていて、壁の両側には書棚とワードローブ。男の部屋とは思えないほどきれいに片付いている。ガラスの入っている書棚には、高そうなカメラがいくつも置かれている。中央の小さなテーブルの上にはPCとノート類が積みあがっているが、きちんと整理されていた。
「意外ですか?」
射場は、キッチンの脇にあるコーヒーメーカーのスイッチを入れた。部屋の中にコーヒーの香りが広がる。
五十嵐は、射場の取り調べの時に、だらしなく伸びた髪や、あまりきれいそうでない衣服を見ていたために、暮らしも荒んでいるのだろうと勝手に思い込んでいた。
「取材の時は、みすぼらしい恰好のほうが、それっぽいでしょう。なんだか下世話なネタに群がるハエみたいに思われるほうが都合がいいんですよ。」
射場は、五十嵐が感じたことを見透かしたように答えた。
それを聞いて、五十嵐は急に自分が恥ずかしくなった。
刑事は確かに人を疑う仕事ではあるが、だからと言って外見で判断するのは間違っていると何度も教え込まれたはずなのだが、まだまだ未熟だと痛感していた。

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1-11 夢の話 [アストラルコントロール]

「さて、ええと・・。」
「ああ、五十嵐です。」と警察バッジを見せて、改めて名乗った。
「聞きたいこととはいったい何でしょう?」
射場は、コーヒーカップを取り出しメーカーからサーバーを外してコーヒーを注ぎながら言った。
五十嵐は、どこから聞けばよいのか少し困った。
真正面からの質問にきちんと答えてくれるのか、いや、答えることで自分が犯人だと認めることにもなりかねない。それでも、五十嵐は疑問を解きたい。そう決意して口を開いた。
「聞きたいのは、どうして、詳しく知っていたのかということなんです。その場にいなければわからないようなことも・・やはり・・。」
五十嵐がそこまで言ったとき、零士は遮るように言った。
「それは犯人しか知らないこと。やっぱり犯人ではないかと・・。」
零士は少し不満げな顔をして、コーヒーを飲む。
「ええ・・。」
五十嵐は、小さくうなずく。
「ああ、コーヒー、どうぞ。」
五十嵐は小さく頭を下げてからコーヒーカップに手を伸ばして一口飲んだ。美味しかった。
「信じてもらえないとは思うのですが、あの事件を目撃・・いや、正確に言わなければ信じてもらえないかな・・。だが・・。」
零士はそう言って、もう一口コーヒーを飲み、考え込んだ。
「教えてください。」
五十嵐が真剣な表情で言った。もはや、捜査とは次元が違う言い方だった。
「では・・信じられないでしょうが・・あの夜、僕は仕事から戻り疲れてそこのベッドで横になりました。嘘じゃない。それからすぐに、夢を見たんです。いや・・夢だったかどうかよく判らないような、リアルな夢でした。」
零士は、そう切り出してから夢で見た光景を思い出せる限り細かく話して聞かせた。五十嵐ははじめのうちは疑念を抱いていたが、極めてリアルに続けられる話の内容にある確信を得ていた。
「やはり、犯人だと思うでしょうね。」
「いえ、そうじゃなくて、犯人なら、そこまで周囲の様子を細かくは覚えていないんじゃないかと思います。目的を達するため、女性の姿くらいは覚えているでしょうが、そんなに周囲の様子を覚えてはいないはずなんです。そして、目的を達したら一目散に逃げ去るはず。だが、あなたは、本田幸子が緊急通報し、胸を刺すところまで詳細に話してくれました。そんなことは犯人にはできるはずがないんです。」
「じゃあ、信じてもらえるんですか?」
「いえ、全面的にとは言えません。共犯者という可能性は残っていますから・・。ですが、あなたの話の裏付けがあれば・・そう、なぜ、本田幸子は、片岡優香を殺したのか・・動機です。あの殺し方は尋常じゃない。時間をかけて計画を立て、完全犯罪に仕立てようとしている。それほどのことはよほどの強い恨みがなければできないはずなんです。」
五十嵐は、そう零士に話しながら、自分がやるべきことを整理しているようだった。
「片岡優香と本田幸子の関係について何か知っていることはありませんか?」
五十嵐が唐突に零士に訊く。
零士はカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、すっと立ち上がって、きれいに積みあがっていた取材ノートをいくつか拾い上げて広げた。
「以前、片岡優香の不倫問題を取材したときの記録です。もう数年前になりますが、そのころから、本田幸子はマネージャーをやっていました。おそらく10年くらいです。問題を起こすたびに、マネージャーが処理してきた。そう言う点では、恨みを持っていてもおかしくはない。しかし、それなら、世の中のタレントのマネージャーは、みんな、殺人者になる可能性がある。もっと別の強い動機があるはずです。」
「そうですか・・。」
五十嵐も、カップのコーヒーを飲み干した。
「本田幸子を調べてみます。」
五十嵐は、そう言うとすっと立ち上がって、零士の部屋を出て行った。


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1-12 見立て [アストラルコントロール]

署に戻ると、刑事課の部屋には、山崎警部と武藤が、浮かぬ顔をして椅子に座っていた。現場周辺の聞き込みからは新たな情報は取れていないのは歴然だった。
零士の話を聞いた五十嵐は、思い切って、山崎に進言した。
「この事件の見立てなんですが、通り魔による殺人ではないとは考えられないでしょうか?」
山崎警部は怪訝そうな顔をして五十嵐を見た。
「通り魔ではないとすると、どういう見立てになるんだ?」
「本田幸子による犯行という可能性はないかということなんです。」
それを聞いて、武藤が立ち上がって強い口調で言った。
「まさか!彼女も瀕死の重傷だったんだぞ!」
「だから・・・可能性の話をしているんです。これだけ調べても確実な目撃情報は掴めていない。あの場所に、ほかの人間はいなかったと証明しているようなものでしょう?」
「だからってそんな・・。」
「だから、そう考えられるんじゃないかと言ってるのよ!」
二人がやりあう様子を見ていた山崎警部が口を開く。
「いや、その線も調べておく必要がありそうだ。」
「山崎さん!」と武藤が憮然とした表情を浮かべて言った。
「確かに、殺害方法が妙なんだ。片岡優香さんは首筋の一突きで命を落としているが、本田幸子さんは、胸元。なぜ、二人とも首筋を刺さなかったかは気になるところだ。」
「しかし、本田幸子さんも瀕死だったんですよ。どうしてそんなことをする必要が?」
まだ、武藤は納得していない。
「まあ、聞け。胸元を刺された本田幸子さんも、犯人を正面から見ているはずだが、あいまいなところが多い。本田幸子が片岡優香を殺害したという見立てもあながち外れていないかもしれない。」
山崎の言葉に武藤はようやく納得したようだった。
「二人の関係、最近の行動を、徹底的に調べてみろ。」
山崎の決断で、次の日から、手分けして、二人の交友関係や最近の状況について捜査が始まった。
三日ほどたったころ、再び、刑事課の部屋に、山崎警部や武藤、五十嵐が集まった。
「片岡優香は、ここ1年ほどほとんど仕事が入っていなかったようですね。過去のスキャンダルで、CMとかドラマとかからのオファーはなかったようで、所属している事務所も、近いうちに契約解除の予定だったようです。」
と武藤が報告した。
「他には?」と山崎。
「仕事がなかった割に、暮らしは派手だったようです。アイドル時代の習慣からか、毎週エステに行き、洋服も高級店で買いあさっていました。男性の噂も健在でした。ただ、以前のような大物タレントとかスポーツ選手とかじゃなく、ホストの類ですから、そうとう貢いでいたかもしれませんね。」
「仕事もしていなくてそれだけの浪費となると借金か?」と山崎。
「いえ、そんなこともなさそうで、どうも、お金は本田幸子が用立てていたようですね。」
武藤が答える。
「本田幸子のほうはどうだ?」と山崎。
「アイドル時代に片岡と本田は同じグループだったんですが、本田は早々に引退して、今の事務所で片岡のマネージャーになったようです。10年ほどになります。本田がマネジャーになった年、片岡に映画会社からのオファーが入って、数年はそれなりに活動できていたようですね。なんどか、タレントやスポーツ選手との交際の噂が出て週刊誌にも取り上げられていて、それなりに話題の人だったようですが・・3年ほど前にスポーツ選手との不倫疑惑でイメージダウンしてしまってからは、かなり苦労していたようです。」
五十嵐が報告する。
「わがままなタレントに振り回されたマネジャーが思い余って殺害か?それが動機なら、世の中のマネージャーはほとんど殺人を犯してもおかしくないな。もっと強い動機があるように思うが・。」
山崎が言うと、武藤も五十嵐も頷いた。
「もう少し調べてみる必要がありそうだな・・。」
山崎はそういうと、部屋を出て行った。
武藤と五十嵐は、互いに情報をすり合わせて、もう一度、二人の関係を調べることにした。

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1-13 三度目の夢 [アストラルコントロール]

零士は、その日の夜、何だか体が怠くて仕方がなかった。
昼間、五十嵐に夢の話をした後から、何かに抑え込まれるような妙な感覚が全身に広がっていて食欲もなくて、10時過ぎにはベッドに入った。
眼を閉じると、急に睡魔に襲われた。
気づくと、見知らぬ部屋の前に立っていた。
これは夢なのだと今回は冷静に判断できた。古びたアパート、表札も出ていない。零士はすーっとドアをすり抜けて室内に入った。部屋の主は留守のようだった。あまり物がない、シンプルな暮らしをしているようだ。クローゼットの中に顔を突っ込むと、女性もののスーツが何着か吊られていた。女性の部屋だとわかる。
「確か、このスーツ・・。」
見覚えのあるスーツだった。振り向いて、机の上に置かれたものを見る。『片岡優香』が表紙になっている古い写真週刊誌や映画のパンフレットなどがあった。
「ここは、本田幸子の部屋だな。」
零士は不意に、彼女がどういう人物なのか知りたくなった。
自分を犯人に仕立てる証言をしたことがどうにも納得できなかったからだ。引き出しに手をかけた。だが、びくともしない。ドアをすり抜けたり、クローゼットを開けずに中を覗いたりできるのだが、逆に、触ることはできないことに気づいた。
「出ているものを見るほかないのか。」
零士は、部屋の壁や机の上、冷蔵庫の中などとにかく見ることができるものはすべて見ようと考えた。何かを探しているわけではないので、行きつくものさえわからない。
「おや?これは・・。」
ソファの脇に、青い縞模様のネクタイが落ちていた。男性のものに間違いない。ちらりと見えるタグに高級そうなロゴが見える。
「男が出入りしていたのか。いったい誰なんだ。」
考え込んで目を閉じると、急に目が覚めた。
自分の部屋のベッドにいた。
「彼女には男がいた。どういう関係かは判らないが、きっと事件と関連があるはずだ。」
翌朝、零士は五十嵐に電話をして署の近くの公園に呼び出した。
「本田幸子のことはどこまで調べた?」
と零士が唐突に五十嵐に訊いた。
「捜査情報は話せないわ。」
「だろうな。」
と零士は予定通りの返答をした五十嵐を冷ややかな目で見て行った。
「まあいいか・・一つだけ知りたいことがある。彼女の男性関係は分かったか?」
「その情報はないわ。地味だし、マネジャーだったんで、自分のことは後回しだったんじゃない?」と五十嵐が少し憐れむようなニュアンスで言った。
「それって先入観で見ていないか?我儘なタレントに苦労しているマネジャーっていうバイアスがかかっていないか?女性の刑事っていうのも、おっかなくて、男性が寄り付きそうにない、もてない女性だって思われているみたいに。」
これには五十嵐はカチンときた。
正直、今まで男性とまともに付き合ったことはなかった。だが、それは女性刑事だからということではなく、あえて、そういうことに興味を持たなかった、いわば、主義のようなものだと思ってきた。だが、あからさまに言われるとなんだか気分が悪い。返答するのもムカついていた。
「昨夜、彼女の家にいる夢を見た。質素な部屋だった。およそ、女性の部屋とは思えないほどだったが、そこに男物のネクタイが落ちていた。もちろん、彼女の交際相手とは限らない。もしかしたら、片岡優香から渡されたものかもしれない。だが、ソファの脇にくしゃくしゃになって落ちていたところを見ると、そこで外したと考えたほうが妥当だろう。ネクタイの持ち主がこの事件に絡んでいるとは言えないか?」
零士が五十嵐に言った。
まだ、むかついてはいたが、零士の話は十分興味深い内容だった。
「調べてみる価値はありそうね。」
五十嵐はそう言うと、署に戻っていった。

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1-14 再捜査の結果 [アストラルコントロール]

二日ほどして、五十嵐から零士へ連絡があり、先日待ち合わせた公園に行った。
五十嵐はすでに来ていた。
「確証はないけど、どうやら、彼女、不倫をしているみたいよ。」
「おいおい、捜査情報をそんなにあっさり話して大丈夫なのか?」
零士の言葉にちょっと五十嵐は躊躇した。確かに捜査情報を漏らしていることになる。だが、五十嵐はどうしても確かめたかった。
「あなたが見たネクタイのことを知りたくて。もしかしたら、本田幸子の不倫相手が判るかもしれなくて。」
五十嵐はそういいながら、写真の束を取り出して零士に見せた。
「不倫の噂は、片岡優香や本田幸子が所属している事務所で聞いたのよ。もちろん、社員じゃなくて、出入りしていたフォトグラファーからね。」
そう言うと取り出した写真を零士の前に広げる。
「これは、そのフォトグラファーから預かった写真。事務所の創立10周年パーティで撮ったものなんだけど。」
モデルのような人物が笑顔で写っているものばかりだったが、零士は、そこに紛れていた集合写真を手に取った。
「ああ・・このネクタイ・・おそらく、本田幸子の部屋にあったネクタイはこれだ。」
零士の答えを予測していたかのように「そう・・。」と五十嵐が言う。
「誰なんだ?」と零士が訊くと「事務所の社長、山路修。」と五十嵐が答える。
もちろん、部屋にネクタイが落ちていたというだけで、不倫の証拠とは言えないだろう。
「本田幸子や片岡優香がいたアイドルグループは、社長の肝いりで作られ、人気が出たころ、突然、本田幸子は引退。同じころ、片岡もグループから脱退して、ソロ活動に入った。グループ内のトラブルが原因じゃないかと騒がれて、グループは解散、そんな騒動もすぐに忘れ去られていったの。ただ、今回の捜査で、この騒ぎの発端は社長のセクハラじゃないかという話も出てきたわけ。」
「まるで、三流週刊誌のゴシップネタそのものだな。」と零士。
「だから、射場さんの見解を聞きたいのよ。」
と五十嵐は真面目な顔で言った。
射場は特にゴシップネタ専門のフリーライターではないと自負していた。五十嵐の「だから」という言葉にはちょっとむっとしていた。
「今回の事件とこの話、関連があるんじゃないかと思うの、どう?」
五十嵐は零士の反応などどうでも良いといった風で質問を続けた。
零士は、五十嵐の中にすでに何らかのストーリーがあって、それが正しいということに共感してもらいたいと思っているのだと見抜いた。
「ああ、おそらく。」と零士は答える。
「例えば、どんなつながりがあると思う?」と五十嵐が試すような言い方をした。
零士は困った。彼女がくみ上げたストーリーが全く思いつかない。ここで、全く違うストーリーを提示すると、彼女としては納得できないに違いない。それ以前に、この事件にこれ以上関わることに何か不安を感じていたくらいだった。それでも、真剣な顔をして零士を見つめる五十嵐に「わからない」と答えるほど冷徹にはなれなかった。
「まあ、そうだな・・社長と・・本田幸子が共謀して・・。」
零士は言葉を選びながら、ゆっくりと言うと、
「そうよね、社長と本田の共謀ということは有力よね。」
ここまでの会話は何とか彼女の仕立てたストーリー上にあるようだ。
「ただ、動機だな。なぜ、共謀して片岡優香を殺さなければならなかったか・・。」
零士が言うと「やっぱり、そこなのよね。動機が分からない。」と五十嵐が落胆した表情で言ってから、「で?どう思う?」と続けた。
五十嵐は意外にしつこい性格だった。「そこは警察が調べるべきことじゃないのか?」と言い返したくなったが、止めた。
「金銭トラブルはなかったのかな?」と零士はあえて質問で返した。
「捜査中。だけど、事務所の経営は悪かったようね。銀行からの借入金の返済は厳しかったらしいわ。今回、片岡優香の死亡で保険金が入る予定だとも聞いたから・・。」
五十嵐の口調がだんだんため口になっていくのを零士は少し気にした。

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1-15 推理 [アストラルコントロール]

「まあ、タレント事務所がタレントに保険を掛けるのは通例だからな。万一の時、違約金とか補償で相当金がかかる。その時のために保険をかけておくのは変なことじゃない。」
零士が冷静に答えると、「そうなのよね・・。」と五十嵐も少し落胆気味に返答する。
保険金目的の殺害事件なら、筋が通るとでも考えていたようだった。
「社長と片岡優香、本田幸子の3人の関係のもつれっていうことも考えられるんだが。」
零士が助け舟を出すように言った。
「やっぱりそうなのよね。・・で、どうすればいいと思う?」
五十嵐はまるで、友人か何かに自分の人生相談をしているかのような態度になっている。それをすんなり受け入れられるほど、零士は人を信用していない。いや、そういう感覚を持つことで、過去に何度か痛い目にあってきたため、少し臆病になっていたのが正直なところだった。
「あの、さっきから気になっているんですが、貴方は僕に何を期待しているんですか?捜査方針は、警察内で話し合うことでしょう?素人の僕に何か相談するのは変じゃありませんか?」
零士は、あえて、「ですます調」で訊いた。
無論、零士も事件の経緯を知りたいのは正直なところなのだが、やはり、少しずれているのは間違いないと思っていた。
零士の言葉に五十嵐ははっと気づいて、ちょっと赤面した。
「そうよね・・いや、そうですよね。射場さんに相談することではありませんでした。」
五十嵐も自分の今までの態度を反省した。
「いや、そんな責めるつもりはありません。むしろ、貴方は僕が夢で見た話を信じてくれて、被疑者ではなく、むしろ目撃者として対応してくれたことには感謝しています。自分でもなぜあんな夢を見たのかわからなくて混乱していましたから・・。僕が協力できることはさせていただきます。」
零士は、五十嵐が予想外に深く反省している姿を見て、さらに続けて言った。
「本田幸子が引退したときの状況を調べてみたらどうでしょう。セクハラとか不倫とか、その手の話には、周囲の興味本位な噂が混ざって、増幅されている可能性がある。事実を並べてみないと本当のことは見つからないはずです。特に、男女の関係は本人たちにしかわからない、いや、本人たちもその時には冷静には見えていないものです。周囲の人間には、とても奇妙に見えて、さらに想像を広げてしまいがちですから。」
零士の言葉に、五十嵐は少し元気を取り戻したようだった。
「そうですね。射場さんのおっしゃる通り、直接事件につながるかどうかわかりませんが、一度経緯を調べてみます。」
五十嵐はそういうとぺこりとお辞儀をして、署へ戻って行った。
零士は、しばらく、その場に残っていた。
そして、五十嵐との会話を思い出していた。
内容ではない。彼女がタメグチであっけらかんと話す姿や表情の変化、彼女との距離感は、自分が考えていた以上に近かったことに少し「ときめき」のようなものを感じていたのだった。
彼女は、何歳なのだろう。
彼氏はいるのだろうか。
仕事が終わった後はどうしているのだろうか。
そんなことをぼんやり考えている自分がいた。
「いやいや、何を考えているんだ。」
零士はそう呟くと、ベンチから立ち上がり、公園を出た。目の前を、車が一台走り抜ける。運転しているのは、五十嵐だった。
零士は思わず、手を挙げたが、五十嵐は気づかず走り去っていった。
「目の前のことに集中していると、そんなもんかな。」
零士は上げた手をゆっくりとおろしながら、自嘲気味に言った。
その日から、数日、五十嵐から連絡はなかった。
こちらから連絡するのも変な話だと思い、あえて連絡はしなかった。だが、零士の中で、五十嵐の存在が徐々に大きくなっていて、悶々とした時間を過ごしていた。

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1-16 過去の事件 [アストラルコントロール]

ようやく、五十嵐から連絡があった。
零士は、いつもの公園のベンチに座って待っていた。悶々とした時間の中で、幾度も、心の中で何かが行ったり来たりしていた。今日、五十嵐と会った時、平静が保てるかという不安もあって、約束した時間よりもずいぶん早く着いていた。
通りの向こうに、警察署が見える。零士は玄関を睨みつけるような目線で見ていた。
「ごめんなさい。遅れてしまいました。」
不意に、後ろから声がした。振り返ると、五十嵐が立っている。いつものスーツ姿だった。予期せぬところから声を掛けられ、急に心臓がバクバクし始めた。
「あ・・いや・・ちょっと前に来たところ。」と零士が言い終わらぬうちに、
「少しでも早くお会いしたかったんですけど、ごめんなさい。連絡できなくて。」
五十嵐の言葉を、零士は、別の意味で受け止めそうになり、「僕も・・」と言いそうになり、すぐに口を閉ざした。
「あれから、本田幸子の過去を調べてみたんです。かなり興味深いことが判ってきたんですけど、ややこしくて、裏を取るまではと思っていたらずいぶん時間が過ぎてしまいました。上司にも報告して、本田幸子を殺害容疑で、社長の山路修を殺人教唆の罪で逮捕することになりそうです。」
五十嵐は、中抜きして、結論を先に述べた。
「じゃあ、事件解決ということですか・・良かったですね。」
「ええ。」
五十嵐の顔が晴れ晴れしている。
「あの、説明してもらっていいですか?一応、顛末を知りたいので。」
零士が言うと、五十嵐がはっとした顔をして、零士を見た。
「すみません。何も説明せず、自分ばかり満足してしまって・・あの日、射場さんに言われた通り、本田幸子が引退に至った経緯を調べてみたんです。」
五十嵐はそう前置きして、事件に至った経緯を説明した。
「本田幸子がいたアイドルグループは5人で構成されていました。全員、オーディションに合格したメンバーだったようです。はじめ、本田幸子はセンターだったようですが、なかなか人気が出ず、片岡優香に交代して人気上昇。1年くらいは順調だったようです。・・ああ、当時は、山路社長が彼女たちのマネジャーだったそうで、24時間と言っていいほど彼女たちと一緒にいたらしいです。」
まあ、そんなものだろうと、零士は五十嵐の話を聞いていた。
「センターを外れた本田幸子はすっかり自信を無くしてしまって、精神的に不安定になってしまい、体調がすぐれない日が多くなって引退する決意をしたそうです。ああ、これは、グループのメンバーから聞いた話で、みな同じように話していたので間違いないでしょう。」
これもありがちな話だった。
「引退を決めてから、山路は、何かと本田幸子を気遣うようになり、マネジャー職も他の人に代わったそうです。本田幸子も山路社長にすっかり依存するようになって、・・まあ、その・・男女の仲になったということです。これは、事務所の副社長・・山路修の妻が吐き出すように言った話です。ネクタイがあったのも、そういうことでしょう。ほとんど、本田幸子の部屋に入り浸っていたそうです。夫婦としては別居ということにもなっていて・・近々離婚するはずだったと・・。」
「離婚?それじゃあ、本田幸子が山路を略奪したということですか?」
「いや、そういうわけでもなさそうなんです。そこが今回の事件の動機なんですよ。」
五十嵐は、何か、勝ち誇ったような口調で言った。
「山路は片岡にも同じように関係を持っていたということですか?それを知った本田幸子が片岡を殺した。略奪したものをまた略奪されて、怒りに任せて殺してしまった・・。」
「やっぱり、そう考えますよね。」
「え、違うんですか?」
「ええ、全く違います。」
答えが分かっている出題者が、回答者をもてあそぶかのような口調で五十嵐が言う。
「射場さんが言ったんですよ?事実を積み上げなければいけないって。周りの人間は想像を膨らませて本当のことが見えなくなるって・・。」
五十嵐の言葉で、零士は考え込んだ。
そういえば、五十嵐の話の中には、事実とフェイクが混ざっていた。引退の経緯はほぼ事実だろう。では、山路修と本田幸子の男女の仲は?それは、山路の妻の話だ。ネクタイがあったので事実のように見えるが、違うのだろう。

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1-17 甘い見立て [アストラルコントロール]

「確か、さっき、山路修は殺人教唆の罪になるって言ってましたね。ということは、山路が本田幸子に片岡優香を殺すように指示したということですよね。・・じゃあ、山路は片岡を邪魔な存在と思っていた。面倒になって殺そうとして・・。」
「ええ・・そういう筋書きになります。片岡優香は、山路から遊ぶ金を貰っていた。ホスト遊びや洋服やカバンなどの買い物・・とにかく、浪費し続けていた。事務所の経営が厳しくなり、社長といえども金の工面には苦労するようになった。だから・・。」
と、五十嵐が説明したが、零士は納得できなかった。
「いや、それなら、山路が片岡との関係を清算すれば済む話でしょう。山路は片岡優香に弱みを握られて脅されていたんじゃないんですか?」
「弱み?」と五十嵐が唐突に言う。
「それと、副社長の奥さんの話も信じがたい。事務所のタレントやマネジャーと浮気していることを知りながら、なぜ、問い詰めたり、タレントを辞めさせたり、手段はいくらでもあったはず。それに、どうして離婚しなかったんでしょう?山路と本田幸子はそんなに深い仲なんでしょうか?彼女の部屋を見た限り、山路社長が入り浸っているにしては男の臭いはなかった。」
零士が続けて言うと、もはや五十嵐は反論しようのないところにいた。
「ちょっとずつ、何かが違うように感じます。このまま、二人を逮捕するのは止めたほうがいい。もっと真実をちゃんとつかまないと・・。」
零士は、自分の疑問を五十嵐に話した。
捜査本部での見立ての甘さが五十嵐にもはっきりと分かった。だが、どうやって疑問点を一つ一つ調べなおせるかが思いつかなかった。
「どうしよう・・・。」
五十嵐は思わず本音を吐き出した。
「当事者から話を聞くしかないでしょうね。」と零士が言う。
「本田幸子に話を?正直に言うとは思えない。彼女は、貴方に刺されたと証言しているんですよ。」
「でも、今の見立てでも、彼女が片岡優香を殺したと確信を持っているから逮捕するつもりなんでしょう?同じことじゃないですか?有力な物証でもあるんですか?」
零士の問いに、五十嵐が思い出したように言った。
「あの・・凶器になったアイスピックです。あれは、事件の数日前に、本田幸子の行きつけのバーから無くなったことが分かったんです。あのアイスピックは本田幸子が殺害目的で盗み出したということが根拠なんです。」
「本田幸子が盗んだという証拠は?」
「いえ、状況証拠の範囲です。」
「知らないと言われれば終わりじゃないですか。そんなあやふやな証拠で犯人になるなんてありえない。僕が犯人でも否定する。もっと、確実な証拠が重要でしょう?」
「じゃあ、どうすればいいの?彼女に話を聞くとして正直に話すはずないわ。零士さんならどうするの?」
五十嵐が切れた。
そして、射場零士を思わず「零士さん」と下の名前で呼び、以前のようなタメグチに戻っていた。
「彼女に会いに行こう。一度は僕を犯人だと証言した。僕が目の前に現れれば、彼女は取り乱すはず。自分のウソがばれたと観念するんじゃないかな?」
零士は自分から事件に深くかかわるのは止めておくべきだと考えていたのだが、五十嵐の様子を見て思わず口をついて出てしまった。
別に成功する確信があったわけではない。現状を打開するには、これまでとは全く違う発想が必要だと思っただけのことだった。
ただ、零士には別のシナリオが浮かんでいた。もしそのシナリオ通りなら、彼女を動揺させて真実を引き出す以外に方法はないだろうとも思っていた。
五十嵐は、一度、署に戻ることにした。
零士との会話で、今のままで逮捕状を請求してもおそらく却下されるのは明らかだと考えたからだった。何とか、山崎を背得できないかと考えながら署に戻ったが、捜査本部の雰囲気は、もはや犯人逮捕に向かっていて、とても口をはさむ余地はなかった。

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1-18 面会 [アストラルコントロール]

零士は、いったん、アパートへ戻った。
そして、机の上に積みあがっている取材ノートを広げた。過去に、片岡優香のゴシップを取材したとき、いろいろと集めてきた情報を今一度確認したかった。記憶の中にあることが果たして正解だったかを確かめた。
「やはりそうだ。間違いない。」
零士は自分の取材記録をじっくり読んで、改めて事件の本質を確認した。
そうしているうちに、アパートのドアがノックされた。
「さあ、行きましょう。」
ドアの前には五十嵐が立っていた。周囲にはほかの刑事はいない様子だった。
「君ひとりかい?」
「ええ、彼女にあなたを引き合わすなんて、上司には理解できない行為よ。承認するはずもないのは分かっていたから、あえて、何も言わず、とにかく面会の許可だけを取ってきたわ。」
二人はすぐに、本田幸子が入院している病院へ向かった。
本田幸子はずいぶん回復していて、ベッドを起こして座る形で外の景色を見ていた。
「失礼します。県警の五十嵐です。」
ドアを開く。本田幸子は五十嵐が入室しても姿勢を変えることなく外を眺めていた。射場零士も、五十嵐に続いて部屋に入った。
「五十嵐さん、事件のことでもう少しお話を聞きたいんですがよろしいでしょうか?」
五十嵐が切り出した。本田幸子はちらりと五十嵐のほうを見た。そして、その後ろに立っていた射場が視界に入った。その途端、急に、本田幸子の表情が強張った。
「あの・・その人は・・。」
少し声が震えている。
「ええ、あなたが犯人だと証言した射場零士さん、フリーライター。以前に、片岡優香さんの不倫騒動の取材で会ってますよね。」
「どうして・・。」
本田幸子は動揺を隠しきれない様子だった。
「犯人は彼ではありませんでした。その確認のために来ていただいたんです。」
もちろん、そんな必要などない。
「本田さん、あなたはなぜ彼を目撃したと証言したんですか?本当に彼を見たんですか?」
五十嵐が厳しい口調で問い質す。
「ごめんなさい!」
本田幸子は、そういうとベッドに突っ伏した。
「正直に話してください。あの日、何があったのか。そして、なぜそんなことをしたのか。洗いざらい話してください。」
五十嵐が、やさしい声で本田幸子に声をかける。
しかし、本田幸子は突っ伏したまま顔を上げようとはしない。
射場零士が口を開く。
「あの日、貴女は片岡優香と二人、取材を受け買い物を済ませてあの場所に来た。人通りのない暗い道路、貴方は前後を確認すると、手に白いハンカチを巻いて、カバンの中からアイスピックを取り出して、彼女の肩に手をやると、一気に彼女の首元にアイスピックを突き刺した。アイスピックは優香さんの首の奥深くまで達して、頸動脈と頸椎まで貫き、一瞬で彼女は絶命した。それを確認すると、貴方はスマホで緊急通報して、自分の胸にアスピックを突き立てた。」
零士は事件の様子を細かく描写し、まるで、その場にいたかのように話した。いや、確かにそこにいたのだ。
それを聞いて、本田幸子は、驚いた表情で顔を上げた。
「見ていたんですか?」
当然の質問だった。そして、それは、自白と同じことだった。
零士はそれには答えずさらに続けた。
「貴方は彼女と一緒に死のうとしたんですよね。でも死ねなかった。緊急通報したのは、助かるためではなく、すぐに救急隊が来れば、彼女の遺体を衆人に晒さずに済む。そう考えたんでしょう。」
本田幸子は、諦めたように、小さく頷いた。

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1-19 自白 [アストラルコントロール]

「心中しようとしたということ?」
五十嵐は、零士が考えていたことを聞き、驚いた。
「あの時、貴方はとても悲しい目をしていた。片岡優香を恨んだり、妬んだりしているような表情ではなかったし、優香さんが倒れたとき、貴方は彼女の体を支えてそっと地面に横たえた。そして、そのあとの行動も、自分が助かるためではないこともわかりました。」
「二人が心中するなんて、どういうことなの?」
五十嵐が訊く。
零士は五十嵐に説明するのではなく、本田幸子に向かって話をつづけた。
「二人は、アイドルグループに入る前からの友人、いや、恋人だったんですよね。貴女の部屋には、片岡優香さんが載っている雑誌や大きなポスター、小さな記事の切り抜き、アイドル時代だけじゃない、もっと古いものまでたくさんありました。単なるマネジャーの域を超えている。・・以前、野球選手との不倫記事の取材の時、貴女の態度は、私の取材への苛立ちではなく、彼女への苛立ちのほうが強かった。まあ、貴女が一方的に思いを寄せていたようですが・・。」
本田幸子は急に声を上げて泣き出した。
「アイドルグループのセンターを譲ったのも、そういう理由からですね。彼女が望んでいるからと。売れなかったからというのが対外的な理由になっているようですが、そうじゃない。事実、優香さんがセンターになってもさほど変わらなかったし、貴女が引退したのは別の理由があったからですよね。」
「どういうこと?」
五十嵐が、もはやついていけないという表情で零士に言う。
「貴女の想いを、社長に気づかれてしまった。秘密にする代わりに、体を要求されたんじゃないですか?・・・あの、山路という社長は、以前にも、事務所のタレントに手を出していたのは、業界では知られた話でした。タレントの秘密をネタに言いなりにする奴なんです。引退してマネジャーになったのも山路社長の差し金でしょう。」
本田幸子は、悔しそうな表情で頷いた。
「それを、片岡優香はあなたから告白され、山路社長を脅した。片岡優香が社長からお金をもらっていたのは、その口止め料なんでしょう。しかし、片岡優香は、その金でぜいたくな暮らしをし、さらに最近はホストに貢ぐようになった。どんどん、貴女から離れていく。それがどうにも我慢できず、ついに、無理心中ということになったんですか?」
零士の推察に、ようやく、本田幸子が口を開いた。
「いえ、ホストへ貢ぐのはたいしたことではありません。これまでも何度も同じようなことはありましたから・・。」
「ほう。じゃあ、どうして?」と零士が訊く。
「優香は・・・優香は社長の愛人に・・。」
絞り出すように、本田幸子は言った。
「優香さんから聞いたんですか?」
と零士が訊く。二人の関係は全く認識していなかった。
幸子は首を横に振った。
「ネクタイを持っていたんです。優香の部屋の片づけをしたとき見つけました。」
幸子の部屋を見たとき見つけたネクタイのことだった。
「優香さんには確認しなかったんですか?」
と零士がやや強い口調で訊いた。
「聞けませんでした。でも、行きつけのバーのバーテンダーが、二人が密会していると教えてくれました。副社長・・奥様もそれをご存知だと・・近々離婚する予定だとも・・それで、許せなくて・・。」
とぎれとぎれに呟くように言うと突っ伏して泣き出した。
「それで、無理心中しようとしたんですか・・。」
零士はそういって、五十嵐を見た。
この事件の顛末が明らかになってきていた。
「だからって、死ぬことはないでしょう?」
五十嵐は、そう聞くのが精いっぱいだった。
「彼女を・・優香を愛していました。報われないのは分かっていました。そばにいて、彼女が幸せに暮らしているのを見ているだけでよかった。なのに、どうして・・社長と・・どうしても許せなかったんです。」

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1-20 真意 [アストラルコントロール]

本田幸子は、アイドルになる以前から、片岡優香に恋していた。
だが、それは、決して口にすることができない思いだった。ただ、そばにいられればという願い。
それを、社長に知られてしまったのだ。それから、社長は、本田幸子に無理やり肉体関係を迫った。
それを、片岡優香が知り、社長を脅したのだった。それでも、本田幸子は社長の奴隷であった。
ただ、片岡優香の傍にいられる、それだけが彼女の救いだった。
「本田幸子さん、あなたを片岡優香さん殺害の罪で逮捕します。」
五十嵐が、本田幸子に手錠をかける。
すぐに、武藤と林田がやってきて、彼女を連行する。
手錠をかけられ部屋から出ようとしている本田幸子に五十嵐が声をかけた。
「ねえ、一つ教えて。無理心中しようとした貴女がどうして、致命傷を負わなかった・・いや、ぎりぎりのところで助かるようにしたの?」
本田幸子は驚いた顔で五十嵐を見た。
「・・違う・・死ぬはずだった。いや、確実に死ねると・・。でも・・」
そこまで言った時、武藤が「続きは署で聞かせてもらおう。」と遮るように言った
歯切れの悪い結末になったが、無事事件は解決した。
「これで事件解決ね。射場さん、すごい洞察力、いえ、探偵みたいだったわ。」
だが、零士は浮かぬ顔をしていた。
「どうしたの?」
五十嵐が訊く。
「本当にこれで終わったんだろうか?」
零士が答える。
まだ、自分がなぜ事件現場の夢を見たのか、全く解明できていなかった。そして、彼女、本田幸子が最後に言った言葉も気にかかっていた。
「どういうこと?」
五十嵐に問われたが、その場では、うまく説明できなかった。ただ、何か、まだやり残しているような感覚だけがあった。
次の日から、本田幸子への取り調べが始まった。現場検証や自宅の捜索などが続いていた。本田幸子は取り調べに素直に応じ、極めて短時間で事件の後始末が進んでいった。
そんなころ、零士へ五十嵐から連絡があった。いつもの公園で、零士は五十嵐を待っていた。
署の玄関から走り出てくる五十嵐が目に留まった。
五十嵐は、公園のいつもの場所に零士の姿を見つけると、まるで、恋人に会いに来たような笑顔を見せて、大きく手を振った。そんな五十嵐を見て、零士は胸の鼓動が高まるのを感じていた。
「いやいや・・何を感じてるんだ・・。」
零士は自嘲気味に呟いた。
「ごめんなさい、ちょっと手間取っちゃって・・。」
五十嵐の口調が少し違う。それに、以前よりも、丁寧に化粧しているように感じた。
「捜査は?」と零士が言うと「ええ、順調。彼女、態度はいいわ。まあ、殺人罪は免れないでしょうけどね。取り調べに素直に応じれば、量刑は少し減るかも・・。」と五十嵐が答えた。
「零士さん、今回は本当にありがとう。あなたがいなかったら、きっとまだ解決できなかったわ。それに・・」
五十嵐はそういった後、もう少し何か付け足そうとしたのだが、言葉が出なかった。
いきなり、下の名前で呼んだのはどういう意図なのか。
零士はそのことにとらわれてぼんやりしていた。
「零士さん?どうしたの?」
五十嵐の言葉ではっと我に返り、返答する。
「ああ・・まあ、お役に立てたのなら、よかった。」
「すんなり自供して、検察に送れば事件は終了。でも、なんだか、ちょっとね・・。」
五十嵐の顔が曇った。それは、本田幸子を逮捕した時に、零士の中にも残っていた感情だった。
「ああ・・そうだな。やっぱり、どこかすっきりしない。」
「ええ、そうなの。」
少し会話が途切れた。お互いにどこから切り出そうかと言葉を探しているのだった。

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1-21 後味 [アストラルコントロール]

五十嵐が先に口を開く。
「あの事務所、閉鎖したわ。タレントが皆辞めてしまったみたい。やっぱり、あんなことがあったんじゃ仕方ないとは思うけど・・。」
「社長夫婦は?」
「事務所を引き払ってしまったから、自宅にでもいるのかもね。」
「事件の経緯に彼らも責任があるんじゃないのか?」
「それはそうだけど、犯人が逮捕され一件落着ってところだから、彼らの刑事責任は問わないという結論。」
そこまで聞いて、零士がはっと思いついた。
「そうだ、そこなんだ。どうしてそこに気づかなかったんだろう。」
「どうしたの?」
「いや・・片岡優香を殺したのは本田幸子で間違いないんだが、どうして、彼女は殺人をした?」
「自分の思いが踏みにじられ、生きていても仕方ない。一緒に死のう・・ってとこかしら?」
「ああ、だが、本当にそうなのか?」
「本当にそうかって・・零士さんが彼女から自供を取ったんでしょ?」
「片岡優香は死んでいる。引き金になった、社長との愛人関係はほんとうだったのか?ネクタイと副社長の話、それを信じた本田幸子の自供。社長と片岡優香がそういう関係だったかどうか裏が取れていない。もし、本田幸子の思い込みとなると話は違ってくる。社長への聴取ではどうだったんだ?」
「その点は特に追及していないわ。」
「どうして?今回の事件に事務所の社長夫婦が関わっているのは間違いないはず。なのに、どうしてあの二人を追及しないんだ?」
「今回は、彼女の自供がすべて。無理心中ということで決着がついたのよ。その先は、検察ね。」
零士は、またかという表情を浮かべている。事件の大小に限らず、犯人さえ逮捕できればそれで終了という体質は依然として変わっていない。政治家の不正などはその典型だ。直接かかわった者だけが罪に問われる。
「事務所は閉めたといったけど、負債はなかったのか?」と、零士が五十嵐に訊く。
「確か、タレントがいないのが閉鎖の理由だったはず。負債があったとは聞いていないけど・・。」
五十嵐の答えに、零士は少し苛立っていた。
「芸能事務所はタレントが事故にあって違約金が発生するときに備えて、保険をかけているはず。売れてるタレントなら億単位の保険金が入るくらいだ。片岡優香にもきっと保険はかけていたはずだ。殺害されたとなれば、相当な金が下りたはずだが・・。」
「じゃあ、保険金目当てに、本田幸子を使って殺害させたっていうの?」
「いや、芸能ネタ、事件ネタなら、そういう疑念をもって取材をするだろう。まあ、それを立証するのも難しいだろうが・・。」
「社長夫婦を問い詰めて自白させるっていうのは?」
「自白させるには言い逃れできないだけの証拠がなければ無理だろうな。それともう一つ、おそらく、あの社長夫婦は直接的には本田幸子に殺人に向かわせるような言動はしていないだろう。」
これ以上この点を議論したところでもやもやは一層深まるばかりだった。
「それに、アイスピックはどうやって手に入れた?・・彼女の自供は正しいとは思うが、それがすべてじゃない。そう仕組まれていたとしたらどうだ?」
零士は、もう一つ別の視点で考えた。
「そういえば、彼女、どうして死ななかったのかと聞いた時、死ねるはずだったって・・きっと、あれは、誰かに教えてもらったということだわ。」
「そうさ。片岡礼子の首筋に一撃で致命傷を負わせることも、素人には難しい。無理心中しようなんて、精神状態でできることじゃない。誰かに教わったに違いない。徐々に彼女を殺人へ誘導した誰かがいたんじゃないか?第三者がきっと介在している。彼女が信頼しているか、あるいは、心の隙を見せるようなところにいる人物。」
「もしかしたら、行きつけのバーにいたバーテンダーかも・・。」
「まあ、そんなところだろう。だが、彼だって、そんなに簡単に口を割ることはないだろうな。本当の悪人は捕まらない。それは、警察の限界かもな。」
零士は立ち上がった。
これ以上、この事件について話していると互いに気分が悪くなる。ここらが潮時だと感じて、零士は立ち去った。

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1‐22 後悔 [アストラルコントロール]

一か月が過ぎたころ、五十嵐からまた、いつもの公園への呼び出しの電話が入った。
五十嵐の表情が暗い。いや、それだけではない。ずいぶん疲れた表情をしているのだ。
「どうしたんですか?」
零士は久しぶりに会ったので、少し、彼女との距離の取り方に戸惑い、丁寧な言葉遣いをした。事件を終えた後、あまりすっきりとした別れ方をしていない。いや、むしろ、警察を非難するような発言をしたのを覚えていて、あまり、親しく話すべきではないと思ったからだった。
彼女は公園のベンチに座るまで口を開かなかった。零士も仕方なく、黙って彼女の隣に座った。しばらく沈黙があった。
「あの事件、社長夫婦の事件への関与を調べるよう、進言したんです。」
その言葉には悔しさが感じられた。
「でも、取り合ってもらえなかった・・というところですか?」
零士が言うと、五十嵐はこくりとうなずいた。仕方ないことだと零士も諦めていた。
「でも、納得できず、一人で調べていたんです。」
「それで?」と零士。
「零士さんが言った通り、事務所を閉鎖する直前に3億円の保険金支払いがあったんです。保険金目当てという想像は間違いではありませんでした。でも、二人とも行方をくらましてしまって・・。過去を調べてみると、あの事務所は、10年ほど前にも、タレントが事故で亡くなっていた。その時も高額の保険金が支払われていたことがわかったんです。保険金目当ての計画的な犯行と推定するには十分な状況証拠はあるんです。」
「でも、取り合ってもらえない。社長夫婦の行方も分からない。為す術がないってとこですか。」
零士は、不用意に言ってしまった。
それを聞いて、五十嵐が急に泣き始めた。
刑事が泣いているという状況に初めて出くわし零士は戸惑った。
事件未解決のまま被疑者を逃してしまったことに、これほど悔いているとは思っていなかった。
「バーテンダーのほうは?」
泣いている五十嵐を慰める言葉のつもりで零士が言った。
さらに、五十嵐が突っ伏して、首を横に振り、泣いてしまった。
こんな時、どうすれば良い?零士は女性の扱いは不得手である。
泣いている女性を慰めるなど、想像もできない事態だった。やる統べなく、ただ、隣に座ったまま、泣き止むのを待った。
五十嵐が急に顔を上げ、零士を見た。そして、零士にすがって泣いた。
零士は戸惑いつつ、彼女の肩をやさしく抱き、しばらくそのままにしているしかなかった。
10分ほどそうしていた。公園には数人の人がいて、ベンチの前を通り過ぎる。
いい大人が昼間に抱き合っていて、女性がただ泣いている。こんな状態に興味を示さない人はいないだろう。零士の想像通り、前を通り過ぎる人は、じっと二人を見つめた。怪訝そうな顔をする人、ちょっと苛立ちを見せる人、それぞれだが、おおむねそれは零士が女性にひどい仕打ちをしたのだろうと想像しているのは間違いなかった。
「あの・・五十嵐さん、大丈夫ですか?」
零士が声をかけると、五十嵐は正気を取り戻し、ぱっと零士から離れた。
「ごめんなさい、私ったら・・みっともない姿をお見せしました。」
涙を拭いながら、五十嵐が言う。
「いえ、僕は構いませんが・・。でも悔しいですね。本当の悪人が判っていながら手が打てない。僕も、何度も同じような経験をしていますから・・あと一つ、証拠が揃えば、あと一つのピースが埋まれば・・何度悔しい思いをしたかわかりません。」
五十嵐は零士を見つめていた。
「もう良いじゃないですか。どうしようもないことを悔やんでも仕方ない。次の事件では確実に真相にたどり着けるよう努力するしかないでしょう。」
五十嵐は小さく頷いた。そして
「また、力を貸してくれる?」
その言葉は、刑事ではなく、一人の女性として零士に発せられたものだった。
「ええ、いつでも協力しますよ。」
「ありがとう。」

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2-1 赤い髪の女 [アストラルコントロール]

射場零士は、ライターの仕事を一度は辞めようと決意していたが、本田幸子の事件に関わった噂が広がり、大手出版社の週刊誌編集部から、声が掛かり、以前のようにゴシップネタや事件ネタを追う日々に戻っていた。
だが、「あの夢」の体験はいまだに頭の中を巡っていて、ふとした時に考えてしまっていた。それに、本田幸子の事件は後味の悪い終わり方をしたのも引っ掛かっていた。事件を仕組んだ人間の存在がどうにも気になって仕方がなかった。
あの事件から二か月ほどが経っていた。
五十嵐からは、時折、電話があり、何度か食事をした。だが、それ以上に進展することはなかった。
そんなある日の夜、いつもの喫茶店でコーヒーを飲んだ後、急に体が重く感じられ、早々家に戻ってベッドに入った。
日中、ある建設会社の収賄疑惑を追っていて、建築現場を歩き回ったせいだろうと思っていた。ベッドに横になると、深い睡魔に襲われた。
はっと気が付くと、見たことのない家の中にいた。
純和風の部屋、見事な床柱や透かし彫りの欄間等から、相当裕福な家だとわかった。
そこに、老年の男が入ってきた。今、収賄疑惑ネタで追っている『桧平建設』の会長、桧山平一郎だった。
少し酔っているのか顔が赤い。足取りも不安定な感じに見える。
そして、その後ろから、長身の女性が入ってきた。真っ赤に染めた髪、濃い化粧、着衣からどこかの店のホステスのように見えた。
桧山平一郎は急に振り返り、その女性の頬を平手打ちした。すると、赤い髪の女性は桧山平一郎を突き飛ばし、馬乗りになる。そして、両手で桧山の顔を強く抑える。酔っているせいなのか、それとも突き飛ばされた時の衝撃でなのか、桧山平一郎は、最初こそじたばたと抵抗したがすぐに静かになった。
赤い髪の女性はすっと立ち上がり、部屋を出て行った。そしてすぐに、戻ってきて、桧山の足を持ち、ずるずると引っ張っていく。零士はそのあとを追った。
桧山の家には、土間があり、高い棟木があった。見上げるとそこに太いロープが掛かっていた。零士はこれから起こることが分かった。だが、どうしようもない。
赤い髪の女性は、桧山の体を持ち上げ、棟木から下がったロープの輪に首をかけた。そして、そっと手を放す。全身の体重が首元にかかる。ギリギリという音とともに、絶命したのが分かった。
それを見て、赤い髪の女性は、足元の踏み台を蹴飛ばした。
それから、ゆっくりと土間を出ていった。
零士はスーッと桧山の傍に行き、桧山の顔を覗き込んだ。眼を見開いていて、息絶えているのが分かった。失禁してしまったのか、床が濡れていた。
零士は赤い髪の女性の行方が気になり、彼女が向かったほうへ行ってみた。玄関へ通じる廊下だった。人影はない。外に出て行ってしまったのだろうか。そう思って、零士は玄関をすり抜けて出てみたが、やはり、女性の姿はなかった。
そこで、夢から覚めた。
「また、殺人現場の夢か・・だが、今回は・・」
ベッドから起き上がり、小さくつぶやく。それでも、どうにも気になってしまい、カメラバッグを抱えてアパートを出た。
零士のアパートから桧山邸まではタクシーで20分ほどの距離だった。
桧山平一郎の自宅に、何日か前から、会長の動向を探るため、張り付いていた。
零士は、桧山邸に向かう道すがら、あの赤い髪の女に出会うかもしれないと思い、タクシーの窓から外を注意深く通りを歩いた。
もう、深夜になるため、通りを歩く人影はまばらだった。
コンビニの前には、何台も車が止まっていて、そこだけは賑わっているように見えた。店内をちらっと見たが、赤い髪の女性は見当たらない。
「夢・・だから・・真実とは言えないが・・。」
変な言葉をつぶやく。零士を乗せたタクシーは桧山邸に入る道路に繋がる交差点をでた。
「お客さん、この先はちょっと無理ですね。」
タクシー運転手がぼやくように言った。
桧山邸の前には、救急車が止まっていた。そして、タクシーの後ろからサイレンを鳴らしながら警察車両が来た。運転席には五十嵐の姿があった。

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2-2 現場検証 [アストラルコントロール]

「ここでいいよ。ありがとう。」
零士はそういうとタクシーを降りた。桧山邸の玄関口が見える向かいの家の植え込みの中で、そっとそこに身を潜めて中の様子を探る。
すぐに、救急隊員が抱えた白い布がかかった担架が出てくる。救急車に素早く乗せられ、けたたましいサイレンを響かせて走り去った。
「ここが現場です。」
鑑識官の一人が指差す。
土間の上にある太い棟木からロープが垂れ下がっている。つい先ほどまで、桧山の遺体がそこにあった。土間には踏み台が転がっている。周囲に物色された形跡はなく、争ったような痕跡もなかった。
「自殺か?」
五十嵐が小さくつぶやく。そこに、武藤が入ってきた。
「特に遺書らしきものはなさそうだ。状況から見る限り自殺と判断してもおかしくはないんだが、なんとも。」
武藤の後ろに、背の低い老女の姿があった。
女性警察官が二人、寄り添っている。
「奥様です。」と、女性警察官の一人が告げる。
「遺体を発見されたのは奥様です。」
もう一人の女性警察官が言うと、その老女が思い出したかのように急に蹲って泣き始めた。とても話を聞けそうになかった。
「友人と会食に出かけ、帰宅されたところで、ご主人の遺体を発見されたようです。」
女性警察官が、奥さんの代わりに答える。
「こんな遅い時間まで?」と五十嵐が訊いた。
「学生時代の同窓生の集まりだったそうです。」と、再び、女性警察官が答えた。
「ご主人には自殺をするような動機があったんでしょうか?」
五十嵐が訊く。
「先ほど同じ事を訊きましたが、思い当たる節はないようです。ただ、最近週刊誌の記者らしき人物が家の周囲にいるのを見かけて、ご主人に訊いたそうですが、お前は知らんでいいと一喝されたそうです。」
「週刊誌の記者?」
五十嵐が訊くと、もう一人の女性警察官が、五十嵐の耳元にきて小さな声で告げた。
「建設会社の収賄事件のようです。まだ噂の段階ですから、正式に事件として警察としては動いていないんですが、どうも、その贈賄側と目されているとのことです。自殺の動機はそのあたりかと。」
「ふーん、そうなの。事件が明るみに出る前に命を絶つ。決定的な状況ならそういうこともあるでしょうが、まだ、その段階じゃないように思うけど。」
五十嵐はそういいながら、屋敷の中を見て回った。
鑑識官が、室内に侵入者の痕跡がないか調べている。
「どう?」と五十嵐。
「今のところ、怪しい点はなさそうですが・・。」
鑑識官は、五十嵐のほうを見ることなく、短く答えた。
そこに、山崎警部が現れた。
「遅くなった。どうだ、何かわかったか?」
山崎は、それとなくみんなに訊いた。
「今のところ、外部から侵入した痕跡は見つかっていません。」
「現場の遺留品も特に・・。」
それを聞いて、武藤が山崎に言った。
「自殺ではないでしょうか?収賄事件の噂もありますし・・。」
「自殺か・・。家族はどう言っている?」
「自殺の動機は分からないと奥様が・・。」と五十嵐が言った。
「どうします?」と武藤が山崎に訊く。
「遺体の検分結果が出ていない段階だ。自殺と他殺の両面で情報収集だな。武藤は桧山氏の最近の行動を洗い出せ。自殺・他殺の両方の見立てで動け。五十嵐は・・。」
山崎がそこまで言ったところで、五十嵐が庭を見て、奥様に訊いた。
「あれは?」

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2-3 小屋 [アストラルコントロール]

指さした先には、広い庭の一角を占める小さな家屋があった。
奥さんは苦しそうな表情を浮かべて絞り出すように言った。
「離れです。」
指さした家屋には小さな窓があり、明かりが漏れていた。
「誰かいらっしゃるの?」と五十嵐。
奥さんは、さらに苦しそうに、唇をかみしめるような表情を見せた。
「御子息のようです。」と女性警官が代わりに答えた。
「息子さん?」
「ええ、もう20年近く引きこもった状態らしいですね。」
「引きこもり?」
そこまでの会話であきらめたのか、奥さんが口を開いた。
「息子は、大学時代に精神を病んでしまって・・あそこに、主人が閉じ込めたんです。」
「閉じ込めた?」と五十嵐。
「我が家の恥だと厳しく攻めた挙句、他人様に迷惑をかけるから出すなとか、とにかく、姿が見えないようにしろと言い出したんです。」
奥さんの言葉には、桧山への恨みとも思えるような印象があった。
「あそこは?」
再度、五十嵐が訊く。
「あそこは、もともと、使用人の家として使っていたところです。今は、そういう人もいないので、息子が暮らせるには十分でした。もちろん、食事はきちんと届けていました。必要なものがあれば私が・・。風呂もトイレもありますから不自由なことはなかったと思います。それに、主人がいない時は時々庭にも出てきていたんですが・・最近は、めっきりそういう姿も見なくなりました。」
五十嵐は話を聞きながら、その離れへ近づいていく。
ドアには大きな外鍵がついている。
「これは牢獄と一緒ね。時々庭に出ていたってどういうこと?」
「合図があると私が鍵を開けて、出られるようにしていました。鍵を開けてもすぐには出て来ないこともありましたが・・。」
「虐待よね。」
五十嵐は誰ともなく訊いた。
山崎が「ああ」とだけ答えた。
「じゃあ、ご主人が亡くなった時、彼はここにいたということかしら?」
「はい。でも、私は留守でしたから、外には出られないはずです。ですから、まだ、父親が死んだことは知らないでしょう。」
奥さんは悲しそうな表情でその離れを見た。
その離れは、窓らしきところには厚い板が打ち付けられ、小さな除き穴がついていた。そこから明かりが漏れている。中の様子は全くわからない。
「五十嵐、周辺捜査だ。他殺であれば、犯人が目撃されているかもしれない。」
山崎はそういうと、現場を離れた。
零士は、1時間ほど様子をうかがっていたが、鑑識官たちも、帰り支度を始めた。そろそろ撤収するのだろう。
しばらくすると、玄関から、武藤が飛びさしてきた。それから10分ほどして山崎が出てきたので、さっと身をかがめた。五十嵐はまだ中にいるのか、そう思って小巣をうかがっていると、五十嵐が出てきた。
その後ろを、初老の女性が出てくる。桧山の奥さんだった。二言三言会話をして、奥さんは警察車両に乗りこんだ。女性警官が運転してその場を離れた。
五十嵐は、どこか、納得できないという表情を浮かべたまま、走り去るパトカーを見送った。
五十嵐は、帰りの足がないことに気づいたが、通りまで出ればタクシーも捕まる。そう考えたのか、その場を離れ、通りへ向かった。
零士は、その一部始終を見た後、五十嵐の後を追った。
「さて、どう、声をかけたものかな・・。」
零士はそう呟きながら、徐々に、五十嵐と距離を縮めた。
五十嵐が急に、コンビニの前で立ち止まった。

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2-4 密着 [アストラルコントロール]

零士はまだ考えがまとまっていなかった。
コンビニのガラスに、零士の姿を見つけ、五十嵐が向きを変えた。
「やあ・・仕事かい?」
零士はそう声をかけることしかできなかった。
「零士さん?どうして?」
何度か食事もした仲で、いつしか、射場のことを零士と呼ぶようになっていた。零士も、五十嵐を佳乃と呼ぶようになっていた。だからと言って、恋人とか付き合っているという関係ではない。
「いや、サイレンを聞いて、事件かなと思ってきてみたんだ。」
零士が言うと、五十嵐は
「まさか・・夢を見たの?」
半ば驚いて訊いた。
「ああ・・今、ちょうど、週刊誌のネタで追っていた相手だったんで、そんな夢を見たのかと思ったんだが・・やはり、現実に起きてしまったんだな。」
「じゃあ、これは殺人事件なの?」
「ここじゃあ、ちょっと・・どこか、店に入ろう。」
もう深夜である。気の利いた店はなかったので、やむなく、ネットカフェに入った。
ネットカフェの部屋は狭い。周囲から遮断されるのはいいが、密着度も高くなる。
「ねえ、零士さん、あなたが見たものを話して。」
五十嵐の顔が、すぐ近くにある。左半身が五十嵐の右半身と密着した状態で、五十嵐が身をよじるようにして零士のほうを向いたため、胸元が大きく開いてしまっていた。
零士は、それほど節操のない人間ではない。いや、むしろ、女性には蛋白なほうだと言っていい。だが、この密着度はさすがに零士も気になってしまう。
「あの、佳乃さん・・場所を変えませんか。ここはちょっと狭い。それに、隣の声も聞こえてしまうくらい、壁が薄い。こんなところじゃ、捜査情報が誰かに聞かれてしまう。」
零士は、天井を見上げてそう言った。
五十嵐は、周囲を見て「そうね」と言って立ち上がった。
零士が立ち上がった拍子に五十嵐の胸辺りに、零士の肩が触れた。
「いやっ。」
五十嵐がかなり女の子っぽい声を出した。
零士は「ごめん」と言ったが、まともに五十嵐の顔を見れなくなって、慌てて外へ出た。
入ったばかりの男女がすぐに部屋を出てきたのを店員が見つけ、少し怪訝そうな顔をしている。
さっさと料金を支払って、二人はネットカフェを出た。
通りは、駅前から歓楽街へ続く通りで、あちこちに明かりもあり、人通りもあった。
「アパートへ行きましょうか。」
零士が、何の気なしに言った。
「零士さんのアパート?」
ちょっと意味深な言い方をする。
「いえ、まあ、適当なところがなさそうなので・・いやなら、別のところでもいいですよ。」
ちょっと五十嵐は考えた。
「じゃあ、私の部屋にしましょう。朝から働きづめで、汗もかいてしまって着替えたいの。いいかしら?」
零士は少しためらった。だが、ここで時間をかけて考え込むと、余計な想像をしているように思われてしまうかもと咄嗟に浮かんで、思わず答えた。
「良いですよ、佳乃さんが嫌じゃなければ。」
できるだけ平静に見られるように無表情で答えた。
すぐに、五十嵐のマンションへ向かった。もう深夜になっている。
先ほど五十嵐が、コンビニの前で立ち止まったのは、まだ、夕食を済ませていないことに気づいて、何か買おうと思ったからだった。
「ちょっといい?」
五十嵐はそういうと、マンション近くのコンビニへ立ち寄り、買い物を済ませてきた。
「さあ、行きましょうか。」
五十嵐が通りに出て手を挙げてタクシーをつかまえた。

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2-5 高級マンション [アストラルコントロール]

五十嵐のマンションは、待ちの北側の高台にある高層マンションだった。
零士は、マンションの玄関前に立ち、思わず見上げた。自分の安アパートとはずいぶん違う。これが、フリーライターと公務員の差なんだと思い知った。
「さあ、行きましょう。」
玄関のセキュリティは顔認証のようで、五十嵐が玄関ドアに立つとすぐに開いた。後ろについて、零士が通り抜けようとしたとき、オートロック装置から「警告!警告!」の声が響き渡った。
「いけない!」
五十嵐はそういって、すぐにオートロック装置の画面を開いて、「ゲストあり」というボタンを押した。
「ごめんなさい。ちょっとセキュリティが厳しすぎるのよ。こういう仕事だから、どうしてもこういう場所でないと困るのよ。」
そういうと、エレベーターホールへ向かう。
彼女の部屋は20階だった。
部屋のドアを開けて中に入ると、長い廊下の先に広いリビング、そして、大きなサッシ窓から夜景が見える。
零士は女性の部屋をじろじろ見るのは避けようとしてきたが、それ以上に、部屋の中に家具類がほとんどないことに驚いた。
広いリビングの中央に大きなソファが一つと小さなテーブル。キッチンもほとんど使っていないのがありありとわかるくらいに、生活臭のない部屋だった。
「これじゃ、彼もできないだろうな、と思ってるんでしょ?」
零士が思うと同時に五十嵐が言った。
「あ、いや・・そんな・・。」
零士は心を見透かされたように驚いて答えた。
「いいのよ。そういうことなの。仕事に明け暮れて、自分の暮らしさえまともにできない。ここは、ほとんど、眠るためだけにあるようなものだから。」
「それにしても・・。」
と零士は口を開きかけて、飲み込んだ。
彼女のプライベートに踏み込むことは本意ではない。彼女とは、事件に関連しただけの関係であり、それ以上ではないのだ。彼女がどう生きるかなんて関心を持つことではない。
「シャワーを浴びてきてもいい?冷蔵庫に飲み物ならあるからご自由に。」
五十嵐は、零士が承諾するでもなく、そのまま、バスルームへ向かった。
零士はとりあえず、冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出し、窓際に座った。
「ここから、町を監視している感じだな。」
零士はしばらくぼんやりと景色を眺めていた。
そのうちに、五十嵐がバスルームから出てきたようだった。
「すみません。またせしました。」
彼女は、青いジャージ姿だった。
「零士さんの夢の話を聞く前に、ちょっと、食事をしてもいい?」
零士の返事を待たず、彼女はコンビニで買ってきた袋から、弁当を取り出し食べ始めた。かなり空腹だったのか、零士の前で恥ずかしげもなく大きな口を開けて食べる。
「まるで、子どもだな。」と零士は心の中で呟いた。さっきまで、女性の家に入ることに葛藤があった自分がなんだか可笑しくなってきた。
「さあ、良いわ。腹が減っては戦にならぬっていうじゃない。」
空になった弁当を片付けながら、満足した様子で、五十嵐が言って、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを持ってきてごくりと飲んだ。
「それで、零士さんが見た夢って?」
五十嵐はそういいながらソファに腰を下ろした。窓際に立っていた零士は「ああ」と言いながら、ソファの横の床に座り込む。
「そこじゃ話しにくいわ。こっちへ来て。」
零士はドキッとした。さっきまで子供のように見えていたのに、言葉一つで急に大人の女性になった。五十嵐佳乃という女性には、理解しがたいところがある。
「ああ。」と、零士は再びあいまいに返事をして、五十嵐の横に座った。
「あの、桧山邸のことなんだが・・。」
零士はそういって、自分が夢で見た光景を細かく漏らさず五十嵐に話した。

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2-7 捜査開始 [アストラルコントロール]

翌朝、五十嵐は署へ着くと、真っ先に、山崎の姿を探した。山崎は自分のデスクにいて、新聞を広げていた。
「あの、山崎さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
五十嵐は、神妙な顔をして山崎に言った。
「五十嵐、ちょうど良かった。昨夜の事件のことでちょっと思うところがあってな。」
山崎は立ち上がると、刑事部屋の隣にある小さな会議室に五十嵐とともに入った。
山崎は窓から外を見ながら、言った。
「五十嵐はどう思う、昨日の事件。自殺だと思うか?」
いきなりだった。山崎も不審に感じているようだった。
「いえ、他殺だと思います。」
五十嵐は短く答えた。
「そうか・・。根拠は?」
山崎に訊かれてどう答えようか迷った。零士から聞いた話をそのまま伝えたところで到底信じるはずもなく、むしろ、逆効果ではないかと思った。そこで咄嗟に答えた。
「自殺の動機がはっきりしません。」
「そうだな。他殺の証拠は出ていないが、自殺の動機も掴めていない。結論を出すには早すぎるな。」
「できれば、他殺の見立てで捜査をさせていただけませんか?」
五十嵐は思い切って提案した。
「どこから調べる?」
「昨夜の桧山氏の行動から調べてみます。自宅に戻る前、どこにいたか、誰かと会っていたのか、一人で自宅に戻ったのか。そのあたりから調べてみたいと考えます。」
「良いだろう。だが、他の者には気づかれるな。報告は私だけにするんだ。」
「どういうことですか?」
「いや、例の贈収賄の件で、2課が動こうとした矢先、被疑者が死亡した。今、2課は捜査の立て直しを迫られている。そんな時、他殺で捜査していると知れば、きっと便乗してくるだろう。贈収賄の関係者による暗殺説なんぞ振り回してくるかもしれない。ミスリードになりかねない。」
2課はそれほど今回の事件に力を入れていたのだった。
五十嵐は、山崎の言葉の意味がよく分かった。前の事件の時、思い込みと証言だけで危うく射場を殺人犯に仕掛けたことを山崎も悔いているようすだった。
「こっちは、自殺の線で証拠固めをすると2課には報告した。良いな。決して気づかれるなよ。」
妙な雲行きになってきた。
やはり贈収賄事件は存在した。政治がらみの事件で、捜査2課が動いていた。全く気付かれずに動いていたところを見ると、市議程度の関与している事件ではなさそうだった。もっそ、大物が絡んでいるに違いないこともわかった。
知らないうちに、その渦中に入ってしまったことになる。
「お前ひとりで動いてる程度なら、2課の連中も気にはしないだろうが、慎重にな。ああ、そうだ、お前からも話があったようだが、どうした?」
山崎が訊いた。
「いえ、特に。ただ、これから他殺の方向で捜査するとしても私一人では・・。」
「そうか・・だがな・・。」
「あの、フリーライターをしている友人がいるんですが・・。」
といったところで、山崎が言った。
「射場だろう?前の事件で、確か、本田幸子を自白に追い込む鋭い推理をしたらしいな。」
山崎は知っていた。
「ええ、彼に手伝ってもらってもよろしいでしょうか?」
「正式に訊かれれば、だめだというほかないだろう。捜査にしろうを巻き込むことなどあってはならないことだ。」
「しかし・・。」と五十嵐が反論しようとしたところで山崎が言った。
「事件の聞き込みで、偶然、射場の協力を得ることになったというなら話は別だ。好きにしろ。まあ、お前の情報屋として使えばいいだろう。さあ、行け。みんなには、別の事件を追っていることにしておく。」
山崎の言葉を受けて、五十嵐は、署を飛び出していった。

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2-6 夢の話 [アストラルコントロール]

「ふーん。・・じゃあ、あれは自殺じゃないってこと?」
「ああ、そうだ。赤い髪の女性が、桧山の後ろから部屋に入り、馬乗りになって意識を失わせてから、土間に運んで、ロープに首をかけ殺した。」
「そう。その、赤い髪の女って誰なの?」
「さあ、初めて見た・・というより、顔ははっきりとわからなかった。長い赤い髪ばかりに目を奪われてしまったようだ。」
「ふーん。」
五十嵐はそういってからしばらく考え込んだ。
零士は、五十嵐がそれほど驚いていないのが不思議な感じがした。二度目とはいえ、やはり、夢の話だ。偶然ということかもしれないし、何の証拠にもならないことは分かり切っている。いや、すでに警察は殺人事件としても考えているということなのかとも考えた。
五十嵐の反応に戸惑って、零士が口を開いた
「警察はどう考えているんだ?」
五十嵐は、零士のほうをちらりと見てから言った。
「まあ、今のところは自殺の線が濃いってところかしら。物的証拠、他人がそこにいたという証拠は今のところ見つかっていないのよ。遺体発見時の状況からも、他殺を疑うようなものがなかった。おそらく、このままだと、単なる自殺として処理されるでしょうね。」
五十嵐は少し悔しそうな表情を浮かべている。そして、五十嵐自身が自殺ではないと最初から感じていた様子もわかった。
「赤い髪の女性が間違いなく殺したんだってと言っても、夢の話じゃどうしようもないな。」
零士も現状では何もできないのは明らかで、諦め気分で言った。
「ねえ、桧山建設を巡る汚職、贈収賄の噂は本当なの?」
零士は五十嵐の言葉にちょっと戸惑った。
それを訊くのは本来自分のほうだ。
「警察では何も動いていないってところか・・。」
「ええ。もちろん、贈収賄事件は別の課の管轄だから、知らされていないだけかもしれないけど・・少なくとも、公式にはまだ動いていないようなの。」
「今回の噂が本当かどうか、ちょうど取材していたところだった。ライターの勘としては、間違いなく贈収賄はあったと思う。ただ、大物政治家がらみではなくて、市議が絡んでいる程度だ。」
「ふーん。だったら、自らの罪を隠すために自殺というのはちょっと早い感じね。」
「ああ、だから、自殺というには無理がある。」
「ええ、そうなの。自殺の動機があいまいなのよ。状況は自殺、でも、その経緯が全くわからない。発作的にやったとしても、縄を準備しているところを見ると不合理だし。零士さんが言う通り、殺人事件だとしても、だれが何の目的で殺害したのかも今の時点では判らない。ただそこに遺体があったというところが正直なところでしょうね。」
五十嵐はミネラルウォーターをごくりと飲んだ。
口元から少しこぼれて、顎を伝って首筋へ入った。零士はその水の動きを無意識に眼で追った。青いジャージの上着の胸元、ファスナーが少し下がっていて、開いていた。
水は首筋から胸元へ流れ込んでいく。そこには、顔に似つかわしくないほどの、豊満なバストの谷間があった。
零士は、驚いて視線を上げた。
五十嵐の顔を見ると、少しぼんやりしている。どうやら眠気が襲ってきたようだった。
考え事をしていると、つい眠気に襲われることはよくある話だ。昼間ずいぶん疲れていたんだろう。五十嵐は、手に持ったペットボトルを器用にテーブルに置くと、ソファで眠ってしまった。
「疲れているんだな。・・・」
零士は立ち上がり、ダイニングテーブルにかかっていた上着を五十嵐にそっとかけてから、部屋を出た。
零士がドアを開け外に出るのとほぼ同時に、五十嵐が目を開けた。
「もう・・、零士さんは素っ気ないんだから・・。」
そう言って、ベッドルームへ向かった。


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2-8 相棒 [アストラルコントロール]

署を飛び出した五十嵐は、すぐに零士を呼び出した。零士も昨夜、話が途中になってしまっているように感じて、五十嵐の呼び出しに応じて、いつもの公園に向かった。
「桧山邸の事件、単独捜査になったの。例の贈収賄事件との絡みで、大っぴらに捜査はできないけど、他殺の見立てで調べることになったから。」
五十嵐の話は、零士を驚かせた。予想とは真逆の展開だった。
「それと、零士さんには捜査協力してもらいます。上司も認めてることだから安心して。」
五十嵐はどういうふうに報告し、このような結論を得たのか見当もつかなかったが、一方で、秘密裏に捜査するということは、警察全体が殺人事件と考えているということではないこともわかった。
「それで、どこから調べる?」
零士も、山崎と同じ言葉を発した。
「家に戻るまでの足取りね。赤い髪の女がどこで桧山氏と合流したか、それが判れば、正体に近づけるでしょう。」
五十嵐はそういってから、立ち上がった。
「さあ、行きましょう。」
二人は桧山邸へ向かった。桧山邸の門には未だ規制線が貼られていて、警察官がひとり立っていた。
「ご苦労様です。」
警官はそういうと敬礼しながら、零士を睨みつける。
「ちょっと現場を見せてね。・・ああ、この人は関係者だから。」
五十嵐と零士は家の中に入った。
「ここに遺体が・。」と五十嵐が説明しかけたが、途中でやめた。
零士は夢の中ですでにこの場所を知っている。
「ここ、ここだ。ここで、女が馬乗りになっていた。」
「ここなの?」
一応屋敷内は鑑識班がくまなく調べているはずだった。だが、事件の詳細が分からない中では、調べ方にはどうしても穴も生まれる。
「これって・・。」
もみ合っていたという場所の壁際には古いタンスが置かれていた。そのタンスの隙間に、赤い髪があった。
「きっと、あの女のものだ。もみ合っているうちに抜け落ちたんだろう。」
零士が言うと、五十嵐が慎重に髪を摘まみ上げてハンカチにしまおうとした。
「えっ?これって。」
赤い髪は、人毛ではなさそうだった。五十嵐はテーブルの上において、軽くこする。人毛であれば、キューティクルで滑らない方向があるはずだが、その髪はつるっとしていた。人工の毛髪だとすぐに分かった。
「かつらか。」と零士が言うと、五十嵐が頷いた。
「じゃあ、ここから犯人にたどり着くのは難しいかな。」と零士。
「ええ、人物の特定は難しいでしょうね。ただ、これがかつらだとしたら、変装して近づいたということになる。プロの殺し屋という線もあるわ。」
「やはり口封じに殺されたという線が濃くなったか・・。」
「まあ、そんなところでしょうね。」
二人は、ここに赤い髪の女性がいて桧山氏を殺したという確証を得た。零士の夢は真実であることを証明したことになる。
「殺害方法は、零士さんが見た通りでしょう。あとは、赤い髪の女がどこで桧山氏と合流したか。」
五十嵐と零士は、桧山邸を出た。
「殺した後、どこに言ったかまでは見ていなかったんでしょ?」
通りを見渡しながら、五十嵐が訊く。
「ああ、後をすぐに追ってみたが、見つけられなかった。玄関を出て、すぐに車に乗って逃げたか・・いや、それにしても早すぎるように思うが・・。」
「まあ、逃走経路はわからなくてもいいでしょ。それより、どうやってここに来たか。」
五十嵐は、通りを見ていた。
「バス?・・いや、そんなことはなさそうね。やはり、タクシーかしら。」
「ここらを走るタクシーなら、おそらく2社のどちらかだろう。駅で乗ったのならYT交通。駅以外なら、令和タクシーだろうな。」

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