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御挨拶 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

2ヶ月お休みいただき、次のストーリーに着手しました。
今回は、新道レイや矢澤一樹が新たな脅威と戦うストーリー。同調(シンクロ)の新章です。

10歳の少女、マリアがアメリカのとある施設から抜け出し、日本に来る。
彼女は特殊な能力「マニピュレート(人を思いのままに操る力)」を持っている。
剣崎は、アメリカ政府の要請を受けて、彼女を追って日本へ来る。再び、一樹と亜美を巻き込んだ事件へと展開していく。
何故10歳の少女が日本へ来たのか、目的は何なのか、彼女の能力の恐ろしさは。
さらに、アメリカから身元不明の男が現れる。彼の目的は?
レイのもつシンクロ能力や剣崎のサイコメトリー能力は、いったいどう立ち向かうのか。
マリアの素性と行動を追いながら、レイと剣崎は自らの能力の根源に迫ることになる。


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 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎が去って、2年ほどが経った。
置き土産となった大型トレーラーは、港湾地区に土地を借り、置かれていて、アントニオが持ち前のコックの腕で、オープンカフェを始めていた。陽気な性格が功を奏して、ちょっとした若者たちのたまり場になっていた。一樹は、毎日のようにそこで、寝泊まりするようになっていた。剣崎が言った通り、一樹の住まいと言っても過言ではなくなっていた。今朝も、奥の寝室から起き出してリビングにやってきたところで、一樹はフリーズした。
「good morning!」
声の主は、剣崎アンナだった。
剣崎は、アントニオが作った朝食を美味しそうに食べている。一樹は、暫く言葉を失い、ぽかんとした表情を浮かべていた。
「あら、美味しい朝食が覚めるわよ!」と、剣崎が口を開く。
「どうして?いつ?」
一樹は、混乱して、そう言うのがやっとだった。
「詳しい話は後でね。それより、レディの前でそんな恰好は失礼よ!」
剣崎に言われ、我が身を見る。昨夜、かなり酒を飲んで寝てしまったようで、一樹はパンツ一丁だった。慌てて寝室に戻り、着替えて出てきた。
剣崎は悠々とコーヒーを飲んでいる。
「さっさと朝食を済ませて!すぐに署へ行くわよ。」
剣崎はそう言うと席を立ち、アントニオに礼を言ってトレーラーから出て行った。一樹は、慌てて朝食をかき込んで、外に出た。黒塗りのベンツが止まっている。一樹が出てくると、カルロスがドアを開いた。乗り込むと、すぐに署へ向かった。橋川署に着くと、剣崎とカルロスは躊躇いもなく署内に入り、署長室へ向かう。玄関で亜美に逢った。
「えっ?!剣崎さん??」
亜美が思わずそう言うと、剣崎は亜美の前を通り過ぎながら、小さく手を振った。
「ねえ、どういうこと?」
亜美が、遅れて玄関から入ってきた一樹の腕を引っ張り、きつい口調で訊く。
「いや、俺もまだ聞いてないんだ。」
一樹はそう言うと、急いで階段へ向かう。亜美も一樹に続く。すでに、剣崎とカルロスは署長室の中に入ったようだった。
「失礼します。」
一樹がそう言って署長室のドアを開けると、そこには、新道レイの姿があった。
「来たな。」
紀藤署長はそう言うと、署長室のソファに座る。
剣崎、カルロス、一樹、亜美、レイもソファに座る。
「剣崎さん、ちゃんと説明してください。」
一樹が少し不満めいた口調で切り出した。
剣崎は少し笑みを浮かべて一樹を見る。以前よりも剣崎の表情が優しく見える。衣服もカジュアル担っているし、なにより柔らかいドレープのスカートを履いているためなのかと一樹は思った。
「相変わらず、せっかちね。久しぶりに帰って来たのに、お帰りなさいの一言もないのね。それじゃあ、女の子にもてないわよ。」
剣崎は少し茶化すように言う。それを聞いて、紀藤署長や亜美が笑う。
「いや・・しかし・・ええっと・・剣崎さんは探偵業を始めたんでしょう?いまさら、日本に戻ってきて何をするんです?それとも、何か事件ですか?」
一樹の言葉を受けて、剣崎は姿勢を正し、少し厳しい表情を浮かべた。
「人探しです。」
想定と少し違う返答に一樹は肩すかしにあったように感じていた。それを剣崎も感じたようだった。
「アメリカ政府の或る機関からの要請なの。ここからは、トップシークレットだから、聞いた以上は、必ず協力してもらいます。拒否すれば、命は保証されません。」
剣崎は冗談をいう様な人物ではない。最後の言葉には少し凄みを感じるほどだった。
「ちょっと待ってくれ。私は席を外そう。このまま話を聞けば、日本の警察全体の問題になる。アメリカ政府から正式な要請であればいくらでも協力するが、どうやら、そうではないようだ。」
紀藤署長が席を立とうとしたが、カルロスが立ち上がり、署長の方を掴んで座らせる。
「もう遅いですよ。私は常に監視されています。ここへ入ったこともすでに察知されています。」
剣崎はやや暗い表情を浮かべて言った。
「監視?」
一樹が剣崎を睨みつけて訊いた。
「最初、この人探しの依頼を受けた時は、穏やかな紳士が来たんです。写真を出して、この少女を探してほしいと。アメリカでは、拉致されたり誘拐されたりする子どもは、日本とは比べ物にならないほど多いの。だから、人探しの依頼は日常的にあって、すぐに見つかる場合もあれば、悲しい結果という事も・・・私の許へ訪れた紳士も、その少女の父親だろうと思って、気楽に引き受けたの。」
剣崎はそこまで話すと、目の前のお茶を一口飲んだ。
「その紳士は、詳しい情報は後日届けると言って帰ったの。数日後、再び、紳士がやって来た。手には紙袋を持っていた。そこに詳しい情報が入っているのだと思って、事務所へ入ってもらった直後、私は意識を失った。気が付くと、窓一つない部屋で手錠が掛けられた状態で椅子に座っていた。」
剣崎の話を、皆、無言で聞いている。
「そこは、かつて私が居た施設だとすぐに判ったわ。」
剣崎はサイコメトリー能力のため、幼い時、アメリカ政府の特殊機関に収容され、特殊な訓練を受けて育った。成人すると、FBIの秘密組織に入れられたのだった。
「部屋のスピーカーから、聞き覚えのある声が聞こえた。その組織のトップで、皆はトンプソンと呼んでいたけど、顔は知らない。常に、スピーカーで収容者に指示をしている人物。彼から、マリアという少女を探せと命じられたの。歳は10歳。」
「マリア?」
話をじっと聞いていたレイが口を開いた。
剣崎は小さなバッグの中から、写真を取り出した。アジア系の黒髪の少女、幼い顔立ちをしている。
「彼女にも何か特殊な能力が?」
と、一樹が訊く。剣崎は小さく頷く。
「通称、マニュピレーター。人を自在に操る能力を持っています。おそらく、レイさんの能力に近いものだと思います。相手の思念波にシンクロして、中に入り込み、自在に動かすようです。」
話を聞いていたレイが驚いた表情を見せた。確かに、思念波をシンクロさせて、会話をする事は可能だったが、相手を自在に操ることなど不可能だった。
「本当にそんな能力が?」
亜美が確かめるように訊く。
「その結果、彼女は施設を抜け出し、日本に入国しています。・・施設は厳重なセキュリティがあり、簡単には出ることはできません。だが、施設の職員を使い、外に出て、空港に向かい、飛行機に乗り、日本に到着している。何一つ持たない彼女がそこまでできたのは、全てこの能力があるからこそです。」
剣崎の話を聞きながら、マリアという少女はいったい何人を操ってこの日本まで来れたのかを、皆が想像していた。
「だが、なぜ、日本に?」
紀藤署長が訊く。
「彼女は、3歳まで日本に居ました。だが、両親を不幸な事故で失い、養護施設に入りました。その後、アメリカの特殊機関の施設へ移されています。」
「では、彼女の目的は、故郷へ帰るということ?」
今度は亜美が訊いた。
「それが、判らないの。すでに身寄りは居ないはずだし、3歳までの記憶で故郷へ帰りたいと思うのも不自然でしょう?もっと何か別の目的があるのかも。」
剣崎が慎重に答えた。
「彼女が日本に来たのは確かなのか?」
一樹が確認する。
「ええ、出国したと思われる空港の映像に姿が写っていました。その後、中部セントレア空港に向かった自家用ジェットに乗ったのだというところまでは判っています。」

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1-1 収容施設 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

広大な敷地、周囲には深い森が広がっていて、外周道路には高いフェンスが張られ、監視カメラが設置されている。
 頑丈な門をくぐると、森の抜ける道が続き、幾つもの建物が建っている。外見は寄宿舎のようで、敷地内にはグラウンドや体育館のようなものまで作られている。
 中央の建物は、3階建てで、大きな学校のような造りになっていて、時計台も設けられていた。
 そこから回廊のように2階建ての建物が延び、スクエアになった中庭を作り出していた。
 中庭には芝生が広がり、幼児から成人に近い年代の子どもたちがいた。走り回る者、座りこんで何かをじっと見ている者、本を読む者、昼寝をする者、皆、思い思いに過ごしている。チャイムが響くと、皆、静かに建物の中に入っていく。
 中庭には、白衣を着た研究者たちが残り、皆が過ごしていた場所を丹念に調べている。そのうち、先ほど、幼子の一人が座り込んでいた場所に皆が集まった。子どもが座り込んでいた場所の周囲1メートルほどの範囲で、芝が枯れている。掘り返すと地面がコンクリートの様に固くなっていた。芝生の上を這っていた蟻も、まるで石ころの様に固くなっていた。研究者は、それを写真に撮り、固くなった土壌を掘り返し採取していった。おそらく、あの幼児は、無意識に周囲の物質をコンクリートの様に固めてしまう力を持っているに違いなかった。

 中央棟から左右に伸びる2階建ての建物は、子どもたちが暮らしている場所。いわゆる生活棟である。一人に一つの部屋が割り当てられ、生活に必要なものはおおむねそこに揃っている。だが、全ての部屋が同じではなかった。ある部屋は、壁の中を鉛で埋められていた。電磁波を自在に操る特殊能力を持つ者のための部屋だった。床や天井、壁の全ての面が耐火性が高いセラミックで出来ている部屋もある。発火能力を持つ者のための部屋だ。
 また、水族館の水槽に使うような極厚のプラスチックに囲まれた部屋もある。金属性のものを自在に操れる能力のある者の安全のためだった。皆、それぞれ、そこに収容されている子どもたちの特殊能力を想定した造りになっていた。
 全ての部屋は、24時間、モニター監視されていて、朝食から昼食までの間は、一般の子ども同様に学校の教育プログラムをこなし、昼食後には特殊能力を強化する訓練プログラムをこなすことが義務となっている。

 マリアは、ここへ来た当初は、中央棟に続く生活棟に居たのだが、特殊能力の為、ほかの入所者と触れ合う事は危険だと判断され、7歳になった時、中央棟から離れた森の中にある、孤立した建物に移された。
 彼女の能力は、人を自在に操ることができる”マニュピレーター”だった。
 幼いマリアは、自分の能力を認識していなかった。だが、いや、だからこそ、極めて危険だった。彼女を担当する研究者が何人も彼女の能力によって、命を落としていた。
 幼いマリアの機嫌を損ね、嫌われると、彼女はその研究者の意識に入り込んで、自殺へ追い込む。罪の意識はない。「自らがやったのだ」という認識がなかったからだった。
 彼女が能力を使う方法は至ってシンプル。
 対象者の手を握り、対象者の意識の中へ入り込み、自分の意識と同化する。そして、嫌っているという気持ちを強くぶつけるだけである。対象者は、自分自身の存在を呪い、自ら命を絶つ。
 そういう事が数度続いた時、マリアは、孤立した建物に収容されたのだった。
 以降は、モニター画面越しで、教育プログラムが提供される日々が続いていた。マリアは、成長とともに、強い孤独感を抱え、この収容所から一刻も早く抜け出したいと願うようになっていった。徐々に体調を崩したために、教育プログラムも一時的に中止され、外部との接触はさらに減ってしまった。

 ある日、マリアは、ベッドに座り、窓越しに外を眺めていた。すると、森の中を歩く若い研究者の姿を見つけた。
 男女二人の研究者のようだった。二人は森の中を散策し、楽し気に会話をしていた。周囲から隔絶する目的で作られた森は、通常は立ち入り禁止になっている。だが、二人はその規則を破り、森へ入った。そして、マリアの建物近くまで来ると、壁にもたれて座り、会話を楽しんでいた。話し声は、壁伝いにマリアの部屋にも届く。禁断の恋なのかもしれない。
 もう10歳になっていたマリアには、二人がどういう関係かぼんやりと理解できた。暫く、マリアは二人の会話に聞き耳を立てていたが、時折、声が小さくなり聞こえにくくなる。耳を研ぎ澄まして聞こうとした時、ふっと女性研究者の思念波を感じた。一瞬だが、彼女を通じて、一緒にいる男性研究者の顔や声を強く感じることができた。
 マリアは、この時、初めて自分の特殊能力を認識したのだった。自分は他人の意識の中に入り込むことができる。そして、他人を通して自分の体験を作ることができる。無意識にやっていた事を始めて確信し、それは最初、心が躍るほどの快感であった。閉じ込められている自分にとって、近くにいる他人の意識に入り込むことで、あたかも自分が体験しているように感じられる。
 マリアは、もう一度意識を彼女に集中した。直ぐに、彼女の意識にシンクロできた。
 その時、偶然にも、目の前には、男性研究者が居て、彼女にキスをしようとしていたところだった。マリアは驚いて、男性研究者を突き飛ばしてしまった。
 そして、立ち上がり周囲を見回す。
『これが外の世界なのね。』
 マリアは暫くそこに佇み、森の様子を眺め、鳥たちの声を聞いた。
『ここから出たい。自由になりたい!』
 マリアは強く願った。
「ここで、何をしている!」
 突然、声が響いた。
 施設の警備員が、森を巡回中に、男女の研究者を見つけたのだった。
 突き飛ばされ倒れていた男性研究者は、気が付いて、彼女を置き去りにして逃げて行った。女性研究者は、警備員に捕らえられた。
マリアは、彼女の意識から抜けだし、元の部屋に戻っていた。
 窓の外を見ると、女性研究者はその場に倒れ込んでいた。警備員がすぐに救急隊に連絡し、担架で運ばれていった。
 一時的に女性研究員の意識に入り、外の世界を垣間見たマリアは、以前にもまして、収容所から逃げ出したいという願いを強めていた。だが、一方で、そういうチャンスが来ることはないのだという事も判っていた。

 だが、その日の夜、驚くべきことが起きた。
 昼間、マリアが意識に入り込んだ女性研究者が、警備の目を盗んでマリアの部屋に来た。そして、何も言わず、マリアの部屋の鍵を開け、マリアを解放したのだ。
 女性研究員は、まるで、マインドコントロールされているかのような表情で、小さく「ここから出たい。自由になりたい。」と繰り返し呟いている。
 そして、マリアが部屋を出ると、マリアを連れて、森へ向かった。深い森を抜けると、高いフェンスがある。フェンスに沿って歩き、ゲートが見えるところまで来たとき、女性研究員は、不意に意識を失い、泡を噴いて倒れた。
『目の前のゲートをくぐれば、外に出られる。』
 マリアは、女性研究員にしたように、ゲートに居る警備員の意識に入れば、外に出られるのではないかと考えた。
 身を潜め、じっと様子を探った。
 警備員は4人居た。全ての人の意識に入るのは無理だった。だが一人になる時がチャンスだと考え、その時を待つことにした。
 マリアが部屋を抜け出したことはまだ気づかれていないようだった。夕方には、収容施設の研究員たちが帰宅のためゲートを通る。一定の時間が過ぎるとゲートが閉められ、警備員も一人を残すだけになった。マリアは、警備員が一人になったことを確認すると、不意に、警備員の前に姿を見せた。
「君は?」と、警備員が言い掛けた時、マリアはさっと警備員の手を取り、すぐに意識の中へ入り込んだ。そして、女性研究者の時と同様に「ここを出たい、自由になりたい」という意識を植え付ける。警備員は、容易くコントロールされ、マリアをゲートの外へ連れて行く。
こうして、マリアは収容所を抜け出す事に成功した。

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1-2 自由 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

収容所のゲートを出た後のことを、マリアは考えていなかった。
あの忌まわしき収容所から脱出した事で目的は達したからだった。だが、早晩、自分が居なくなったことに気付いた収容所は、追いかけて来るに違いない。今度、捕まればもっと厳しい生活になるはずだ。何としても、逃げなければならない。だが、どこへ行けばいい?幼い時ここへ連れて来られ、ここがどこなのかも判らない。
陽が落ち周囲は暗闇が広がり始めた。
マリアは暫く、施設のゲート前に接続している道路を歩いた。遠くに明かりが見える。その道はあの明かりに続いているように思えた。
10歳の少女が、暗闇の道をとぼとぼと歩いている。
ゲートのあった方角から車が来ると、追手ではないかと茂みに身を隠す。そうやって、マリアは明かりの灯る街まで辿り着いた。
街の入り口には、大きなガソリンスタンドがあり、煌煌と明りを灯していた。マリアは柱の陰に隠れてしばらく様子を見ている。
施設からの追手ではなさそうな人物が居ないか、用心深く様子を探る。暫くすると、古いセダンに乗った老夫婦がやってきて、ガソリンを入れた。あの二人は施設の人間ではない。そう確信したマリアは、身を隠しながら、古いセダンに近付き、目を盗んで後部座席に入り込んだ。
やがて、老紳士がガソリンを入れ終えて戻って来た。そして、何も言わず、ゆっくりと発車させた。白髪の老紳士、助手席には奥さんらしい老婦人。二人の間にこれといった会話もなく、夜の道を走っていく。
街の灯りを抜けて、1時間ほど走ると、郊外の農場に着いた。
老紳士がゆっくりと車をガレージに入れる。何も言わず、老婦人はドアを開けて車を降り、家に入っていった。
老紳士は、トランクを開け、何個かの紙袋を抱える。そして、後部のドアを開けた。
「おや?君は誰かな?」
老紳士は穏やかな口調だった。
驚いているはずだが、全くそうは聞こえない。
ただ、目の前にいる少女の正体を知りたいという感情しかないように感じた。マリアはどう答えてよいか判らず、身構えたまま黙っている。
老紳士は、マリアの全身を隈なく見て言った。
「お嬢ちゃん、裸足で歩いてきたのかい?痛くはなかったか。さあ、おいで。」
老紳士はそう言うと、マリアに手を伸ばした。老紳士の手がマリアの肩に触れる。その瞬間、マリアは、老紳士の意識の中へ入り込んだ。
マリアは、悪意を全く感じない意識空間に居た。温かい空間だった。施設に居た時、そういう意識空間を持った人間には遭遇したことはなかった。皆、どこか冷たく、何か意図をもってマリアを見つめている。まるで、実験のために集められた動物を見るような、そんな意識ばかりに触れて来た。中には、蔑むような、忌み嫌うような感情さえ感じていた。だが、この老紳士からはそんな感情は微塵も感じられない。
「あなた?何してるの?」
不意に声が聞こえた。老婦人が、家の窓から老紳士に声を掛けたのだった。
マリアは、老紳士の意識から抜け出した。
「ああ、今行く。」
意識が戻った老紳士は、そう返事をすると、荷物を持って、マリアを連れて家に入った。
リビングに入ると、老婦人がマリアを見て少し驚いた表情を見せた。
「あら、その子は?」と聞かれ、老紳士は「マリアだ。遊びに来たようだ。」と答えた。
マリアは、老紳士の意識に入った時、マリアという名前と、近所に住んでいる子どもだという事を植え付けていた。
「え?マリア?」
老婦人は初めて聞く名前に少し戸惑っている。
マリアは、ゆっくりと老婦人の前に行く。
「マリアです。」
マリアはそう言うと、老婦人の手をそっと握った。
そして、老婦人の意識の中に入り込む。
老紳士と同様に、悪意を全く感じない意識空間。老紳士と同じだった。ただ、何か深い”悲しみ”のようなものを抱えているように感じた。その理由までは判らなかった。マリアは、老紳士と同じように、近所に住んでいる子どもだという事を植え付けた。
マリアは手を放す。
「あら、そう・・もう遅いから、今日は泊っていきなさい。お腹空いていない?」
老婦人はそう言うとキッチンに向かった。
暫くすると、大きな皿を抱えてダイニングに現れた。
おそらく、老夫婦が夕食に食べたものの残りだろう。大きな皿にラザニアが半分ほど残っていて、テーブルについたマリアの前に、老婦人が取り分けて並べた。
「お口に合うかしら?」
初めて見る料理だった。だが、温かくいい香りがする。マリアは無心で食べた。その様子を、老夫婦は見守っていた。
その日は、食事のあと、シャワーを浴びて、老夫婦の家の2階の部屋にある小さなベッドでゆっくり休んだ。
翌朝、リビングに行くと、ソファの上に何着かの洋服と何足かの靴が並んでいた。
「孫娘のために買ってあったんだけど、もう要らなくなったの。マリアちゃんにちょうどいいんじゃないかって引っ張り出してきたんだけど・・どう?」
マリアは、施設に居た時、収容所の囚人が来ているような白い衣服しか身につけた事がなかった。施設の職員たちはほぼ白衣であったため、目の前にある色とりどりの衣服は初めて見た。マリアは、今まで感じた事の無い感情を感じていた。それは、子どもとして当然感じるべき”喜び”の感情だった。
「さあ、朝ご飯にしましょう。その後でね。」
老夫婦は、温かい眼差しでマリアを見ている。
朝食をとっている時、壁にかかっている写真に目が留まった。
「あの写真は?」
マリアが、老夫婦に訊く。
二人は、少しだけ目を合わせ小さく頷いた。そして、老婦人が少し寂しげな表情を浮かべて答えた。
「娘夫婦と孫のジェニファーよ。」
リビングに並んでいた洋服はおそらく、ジェニファーのために用意されたのだということは明らかだった。
「事故でね・・。」
夫人はそれ以上は口にしなかった。
老婦人が言葉に詰まったのを見て、老紳士が口を開いた。
「運が悪かったんだよ。二月ほど前、ここへ遊びに来る途中、フリーウェイで事故に巻き込まれたんだ。三人とも亡くなった。ジェニファーはちょうどマリアと同じくらいの歳だった。あの服や靴は、ジェニファーへのプレゼントで用意したものだ。目にするのが辛くてしまっておいたんだが、マリアちゃんが着てくれれば、嬉しんだが・・。」
人の死がそれほど悲しいものだという事をマリアは初めて知った。いや、そうではない。まだ物心ついたばかりの頃、自分の中にも同じような悲しみの感情があったことを思い出した。あの”悲しみ”は何だったのか。記憶はぼんやりとしていてはっきり思い出せない。だが、強烈な”悲しみ”の感情を持ったのは間違いなかった。
ふいに、老婦人がマリアの手を握った。マリアは意図せず、老婦人の意識の中へ入ってしまった。
そこは悲しみで満ちていた。そして、ジェニファーの笑顔があちこちに浮かんでいた。封じ込めていた想い出が溢れているようだった。
老婦人が涙を流している。それを見て、老紳士がマリアの手を握っていた夫人の手を握った。マリアは一気に二人の意識と繋がってしまった。二人は同じ”悲しみ”を抱いている。そして、二人は、マリアに救いを求めていた。ジェニファーを亡くした後、ようやく、封じ込めていた”悲しみ”がマリアによって開かれてしまった。
「マリア、しばらく家にいてくれないか?」
老紳士が穏やかな口調で言う。だが、意識の中では、それは紛れもなく叫びの感情だった。


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1-3 温かい暮らし [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

 マリアは暫くこの老夫婦と過ごす事に決めた。施設が自分を捜索している事は判っていたが、ここでの日々がマリアを引き留めていた。
その老夫婦は、トンプソンと言い、夫はフレッド、妻はサラと言った。郊外で小さな農場を開いていたが、高齢になり、現在は他人に任せ年金生活を送っていた。倹しい暮らしを続けてきた事で、現在は経済的な不安はなかった。孫のジェニファーが生まれ、いずれは、息子夫婦と同居する事を夢見て、広い芝生の庭にはいくつかの遊具も置かれていた。
 マリアはそこで、これまで子どもとして体験するはずだった「遊び」を満喫し、祖父と祖母と毎日、静かに暮らす事に満足していた。特殊能力を使う事もなく、静かに暮らしていた。
 二週間が過ぎた頃、スーツ姿の男女が現れた。
「ご近所の方から、問い合わせがありました。お宅には幼い子供がいて、学校に通っていないのではないかと・・確か、お宅のお孫さんは・・。」
現れたのは、市の教育局の職員だった。男性職員は、そこまで言葉を発したものの、その先の言葉に困った表情を浮かべた。一緒に来た女性職員は、ちらりと家の中に視線を送って、話を切り替えた。
「どちらか、お知り合いの方のお子さんかしら?」
二人とのやり取りを、マリアはソファの陰に隠れて聞いていた。
「ああ、ちょっと訳ありでね。暫く預かることになったんです。」
フレッドは、動揺する様子も見せずに答えた。
「訳ありとは?」
女性職員が訊く。
「甥夫婦の娘です。大きな街に住んでいるんだが、心の病で学校へ行けなくなったようで、ここなら静かに過ごせるからと、に頼まれたんだ。心が癒えれば、また、親許へ戻る約束なんだ。」
フレッドは落ち着いた表情で職員を諭すように答えた。
「なるほど・・そういう事ですか。ただ、我藁もこのまま帰るわけにはいきません。名前を教えておいてください。何かあったら困るのはトンプソンさんですから。」
男性職員が言う。
「ああ、名はマリア。マリア・トンプソン。」
「判りました。どんな子なのか、姿を見せてもらえませんか?」
女性の職員が粘る。
フレッドは、心配そうな表情を浮かべて、ちらりとリビングの方を見た。フレッドの困った様子に気付き、マリアがゆっくりとソファの陰から顔を見せる。
「マリアさんね。」
女性の職員が、わざとらしい笑顔を浮かべて言った。マリアはじっと女性の職員を見つめる。彼女から強い悪意は感じないが、少しばかり疑念を抱いているのが感じ取れた。少し後ろに立っている男性の職員からは、フレッドに向けた悪意を感じた。彼は、フレッドに対してマリアを誘拐したのではないかと考えているようだった。
マリアは意を決して、二人の前に進み出た。
ふいに、男性の職員が言った。
「フレッドさん、甥御さんはアジア系ですか?」
男性職員から強い感情が湧き上がるのが感じ取れる。
マリアは、完全に日本人である。フレッドもサラも白人種。血縁関係にあるとすれば、マリアはクオーターであり、これほどの黒髪、肌の色は不釣り合いと考えても不思議ではない。
「いや、それは・・。」
初めてフレッドが答えに困った。
「彼女のご両親のことを詳しく訊かせてもらえませんか?」
今度は女性の職員がやや強い口調で言った。マリアには、彼女の中に強い悪意を感じ始めた。このままでは、トンプソン夫妻に迷惑が掛かる。
マリアは咄嗟に、職員二人の手を握った。そして、二人の意識にシンクロする。二人ともトンプソン夫妻に対して強い疑念を抱き、マリアが誘拐され監禁されていると決めつけていた。そして、ここからマリアを連れ出す事に強い正義感を持っている事も判った。このままでは、連れ戻される。マリアは直感的にそう思った。
マリアは、二人の意識にシンクロしたまま、強く念じた。
『ここには何もない。』
職員二人は、ビクッと一度震えた後、顔を見合わせる。
「私たち、ここで何をしていたのかしら?」
「ああ、なにをしていたんだ?」
二人の職員はそう言って、急に背を向けて、乗ってきた車に戻って行った。
フレッドは、突然の出来事に意味も解らず、ただ、遠ざかる車を見送った。
「いったい、どうしたんだ?」
フレッドはそう呟くと、マリアの顔を見た。
マリアは、フレッドを見てにっこりとほほ笑んだ。
「さあ、おいで。部屋に戻ろう。」
フレッドはそう言うと、玄関を閉め、マリアとリビングに戻った。
「もう大丈夫だ。」
フレッドは心配そうに見つめるサラに向かって言ってから、マリアの頭を撫でて、自分の部屋に入って行った。
マリアはリビングにあるソファに座り、独り、考えていた。
施設に居た時も同じようなことが何度もあった。
相手の意識に入り込み、自分が強く願うとその通りになる。これが特別な力なのだと確信した。そのために、自分は施設に閉じ込められていたのだ。
先ほどのような事がこの先いつ起こるとも限らない。このまま、ここに居るというのは難しいかもしれない。いずれ、施設にも居場所が判ってしまうだろう。私の存在を知っているトンプソン夫妻にも危害が及ぶかもしれない。だが、どこへ行けば良いのか。こんなに居心地の良い場所が他にはない様に思っていた。
ふと、リビングにあるマガジンラックに目が留まった。
そこに、雑誌があった。表紙には、「JAPAN」の文字。どうやら、日本を特集した記事が掲載されているようだった。
マリアは、その雑誌をそっと開いてみた。
そこには、自分とよく似た黒髪の少女が写っていて、広い公園で遊んでいる風景があった。写真の遠景には、富士山が写っていた。
それを見て、マリアの中の遠い記憶が蘇る。
施設へ来る前、何かよく似た風景を見たような気がした。
あれはどこだったのか。私の父や母はどうしたのか。何故、私はここに来たのか。しかし、正確には何も思い出せなかった。ただ、写真で笑顔を振りまく少女を見ると、まるで自分と同じだった。私は日本人なのだろうと確信した。
日本に行けば、自分が何者なのかきっと解るのではないか。もしかすると、自分を待っている父や母がいるかもしれない。父や母が居なくても、私を知る人物はいるはずだ。そうだ、日本へ行こう。ここはアメリカ、日本まで、施設も追っては来ないだろう。
ただ、日本に行くには、国際線の航空機に乗らなければならない、確か、パスポートが必要だろう。
マリアは、施設の教育プログラムを通じて、大人以上に、社会の仕組みについて学んでいた。いずれは、剣崎のように、特殊能力を活かし、秘密工作員として生きていくはずだったからである。心と体はまだ十歳の子どもに違いないが、知識だけは大人以上に持っていたのだった。
トンプソン夫妻に、日本へ行くために協力を得るのは難しいだろう。そこまで、巻き込むことは赦されない。一人で何とかしなければと考えていた。
その日から数日、マリアは、自分のいる場所や日本までの道程を少しずつ調べた。同時に、自分の意識深くにある幼いころの記憶を引き出そうとした。
自分の記憶の深いところに意識を集中する。雑誌で見た風景とやはり重なる。そして、周囲の様子。畑が広がっているようだった。その風景が何処なのか、雑誌を広げて似たような場所を探る。インターネットを使って日本の地図を開き、記憶の中に埋もれているものを掘り起こす。
マリアは、その場所をついに突き止めた。
その頃になると、施設でも周辺の町へマリア捜索の動きが強くなり始めていた。


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1-4 逃避行 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

マリアは、ある日、トンプソン夫妻と一緒に、食料品調達のため、大型ショッピングセンターに出かけた。広いパーキングエリアに入ると、フレッドは出来るだけ入口に近い場所を探した。妻サラは最近、足を痛めていた。フレッドは、それを気遣っていた。ようやく、空きスペースを見つけると、ゆっくりと車を停めた。
車から降りた時、マリアは、何かが迫ってくるような感覚を憶えた。それが何かははっきりとは判らなかったが、嫌な感覚を持ったまま、ショッピングセンターの中へ入る。平日で、客はそれほど多くなかった。広い通路をショッピングカートを押しながら進み、目当ての商品を放り込んでいく。フレッドもサラもすっかり買い物に夢中だった。マリアは二人と並んで歩きながら、やはり、不穏な空気を感じていた。そして、それは徐々に近づいているようだった。
一通り、買うものを選んだあと、レジに並んだ。マリアは、レジの向こうに、さっき感じた不穏な空気を発する人物が数人集まってきているのを見つけた。見た事のある人物はいないが、明らかに、その人物たちはマリアへ意識を向けているのが判った。
『連れ戻しに来た。』
マリアがそう感じると同時に、レジの向こうだけでなく、背後からも近づいてくる人物を感じた。
このままでは捕まってしまう。周囲を見回すと、巨体の黒人の男達が連れだって歩いているのを見つけた。マリアは、フレッドとサラに気付かれないよう、巨体の黒人の男達に向かって走り出した。マリアの動きに気付いたのか、レジの向こうに集まっていた人物達が俄かに動き始めた。
マリアは、巨体の男の一人の手を握る。
『助けて!』
その男は急に立ち止まる。男が周囲にぐるりと睨みを利かす。
「おい!どうした?」
一緒に歩いていた男が声をかける。マリアはその男の手も握り、同じように『助けて!』と念じた。
もう一人の男も急に怖い形相に変わり、周囲を睨みつける。二人の巨体の男は、背を合わせるようにして立ち、その間に、マリアを隠した。
マリアを連れ戻そうとする人物たちが徐々に近づくが、巨体の男が仁王立ちして、マリアを守るようにしているのを見て、一旦、引いた。
巨体の男達はそのままマリアを連れて、ショッピングセンターを出ると、施設の職員と思われる人達が遠巻きに動きを注視している。
二人の巨体の男は、パーキングスペースに停めていた大型のピックアップトラックのドアを開き、マリアをひょいと摘まみ上げるようにして、シートに座らせる。そして、そのあと、二人も乗り込み、勢いよくフリーウェイに飛び出して行った。
『このまま、空港へ行って!』
ピックアップトラックを追って、数台の車がフリーウェイに乗る。
1時間ほど走ると、空港が見えてきた。空港の玄関に横付けすると、マリアは、シートにあった帽子を手にして、急いで降りる。巨体の男二人は、その場で意識を失った。
タイミング良く、玄関には、大型バスが到着し、大勢の子どもたちが降りてきた。空港の見学の一団のようだった。マリアと背格好も近く、直ぐに、マリアは、帽子を目深にかぶり、その集団に紛れ込んだ。
ピックアップトラックを追ってきた車から、バラバラと男たちが降りて来る。そして、ピックアップトラックに静かに近づき、中を確認する。
「いません。」
中を確認した男が、インカムで皆に伝える。周囲に散らばった男達は、空港を出入する人間を注意深く確認していく。そのころすでにマリアは空港のロビーにいた。
近くの学校の生徒たちが、野外学習の一つとして、空港見学に来たようだった。マリアの周囲にいる子どもたちの一人が、見慣れぬ者が紛れ込んでいる事に気付き、隣の子どもの腕を掴んで、何か伝えようとした。マリアはその動きに気付き、その子の手を握る。
『ここに居るのはあなた達の友達。』
その思念波は周囲の子どもたちにも伝わった。皆、マリアがそこに紛れている事をあっさりと受け入れる。
「さあ、皆さん、これからは、普段見れない、空港の奥へ入りますよ。」
先導しているのは担任の女性教師だった。隣にいる、イケメンのグランドスタッフがにこやかに対応しているので、少し顔を紅潮させている。子どもたちの集団にマリアが紛れ込んでいる事など気にも留めていない。
子どもたちの集団は、グランドスタッフに誘導されて、手荷物預かり所の奥にある扉から、荷物の運ぶエスカレーターの内部の部屋に入る。多くの人が働いている。タグを確認しながら、コンテナへ荷物が放り込まれていく。
通常の方法では飛行機に乗ってアメリカから出国することは難しい事は、マリアも十分理解していた。何とか、紛れ込む方法はないか。じっと周囲の様子を探る。
荷物を仕分けしている部屋のはずれに大きなドアがあった。見ていると、そのドアが大きく開いた。そして、大量の荷物を積んだカートが入ってきた。
「これは、自家用ジェットで海外へ行く人の荷物です。自家用ジェットに積み込む前に検査をしていたようです。」
案内のグランドスタッフが皆に説明した。
マリアはそれを聞いて閃いた。自家用ジェットなら乗り込めるかもしれない。目の前を通過していく荷物、ほんの少し隙間があった。マリアはそこにするりと入り込んだ。うまい具合に、荷物と荷物の間に体が収まると、上に乗せられていた布がマリアを隠した。
自家用ジェットに積み込む荷物は、その部屋を通り過ぎ、出発棟の一番端までやって来た。そこから、一旦、外に出ると、自家用ジェットの駐機場へ入った。
自家用ジェットの主は、ロックミュージシャンのようだった。幸運なことに行き先は日本のようだった。ジェット機の後部の荷室が開いている。そこまでカートは進むだろう。翼に近付いた時、マリアは荷物から出て、車輪の陰に身を潜めた。
暫く待っていると、ジェットの主らしき人物が、黒塗りのリムジンで登場する。その人物ガジェットのタラップのところに来た時、マリアは飛び出して、ロックミュージシャンの手を握った。
『私を日本に連れて行って!』
その思念波は、ミュージシャンの意識に入り込み、一度だけ、身震いした後、マリアを抱え上げ、ジェットに乗り込もうとした。
周囲には何人かの護衛やマネージャーが居て、彼のその行動を制止した。だが、その瞬間、マリアは強い思念波を発して、周囲の全ての人間の意識を掌握した。
マリアの能力は、機会を経るたびに徐々に強くなっていった。そして、それにマリア自身が気づき始めていた。
自家用ジェットは、無事、セントレア中部空港に到着した。格納庫に入る前に、乗客であるミュージシャンたちは降りた。マリアは一人、機内に残っている。
ジェットが格納庫に入ると、整備士たちが入ってくる。機内にも点検のため整備士が入ってきた。マリアは、操縦室に入り点検している整備士の背後から、そっと手を伸ばし、肩に触れる。
『私を空港の外へ連れて行って』
整備士は、手を止めた。そしてゆっくり立ち上がる。タラップを降り大きなコンテナを運んできた。タラップの下にコンテナを置くと、マリアを中に入れた。そして、そのまま、格納庫から外へ運び出し、専用の通路の前でコンテナの蓋を開く。マリアは周囲を警戒しながら、外に出る。そこからすぐのところに、タクシー乗り場があった。幸いな事に、タクシーを待つ乗客の姿は無かった。急いで、タクシーに乗り込む。
当のタクシー運転手は、後部座席に10歳の女の子が飛び込んできた事に驚き、不審に思って、周囲を見た。だが、大人の影はない。
「お嬢ちゃん、パパやママは?迷子かい?」
10歳の少女に訊く質問ではない。それほど、タクシー運転手はこういうシチュエーションに慣れていなかった。
マリアは、振り返ったタクシー運転手の肩に手を置いた。
『名古屋駅へ行って』
マリアの発した思念波で、タクシー運転手の表情が変わる。運転手は何も言わず、ゆっくりと前を向き、行先を名古屋駅にセットすると、発車した。
後部座席に座るマリアは、空港を出ると、うとうととしてしまい、少し眠った。ハッと気づくと、道路の上部に青色の看板が見える。そこには「Nagoya.st(名古屋駅)」という文字が見えた。

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2-1 捜査開始 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「中部セントレアに着いてから後のことは?」
一樹が剣崎に訊く。
「わからない。空港の監視カメラには姿は捉えられていない。しかし、彼女は確実に日本にいる。」
剣崎の言葉から焦りの心が透けて見える。
「アメリカに比べ、日本は狭いと言ったって、10歳の少女を見つけるのは不可能だろう。」
一樹は判り切ったことを言う。
「だから、ここへ来たの。」
剣崎はそう言うと、レイを見た。
「まさか、レイさんの力を使って彼女を見つけようというの?」
剣崎の様子から亜美が驚いて訊いた。
その時、レイは剣崎と思念波で会話をしていた。
『あなたの力が必要なの。判るでしょ?』
『ええ・・マリアの思念波を捉えるのでしょう?』
『彼女の思念波は特別。あなたならきっと捉えられるはず。』
亜美は、二人が思念波で会話をしている事に気付いた。
「二人で話を進めないで!」
亜美が強く拒むように言った。
剣崎とレイは驚いた。二人が思念波で会話している事に何故亜美が気付いたのか。
「どうしてわかったの?」
剣崎が訊く。
「判らない。でも、何か二人の間に波動のようなものを感じたの・・。」
亜美も自分自身の感覚が信じられないように答えた。
「矢澤さん、感じた?」
剣崎は一樹に確認した。
「いや・・何も・・所長は?」
「いや、判らなかったが・・・。」
「レイさんと剣崎さんが強い思念波で会話しているという事でしょうか?」
亜美は自分自身のことながら判らず訊く。
「いえ・・もしかしたら、亜美さんにも何か能力があるのかも・・。」
剣崎が言うと、紀藤署長が一瞬戸惑った表情を見せた。
「そんな・・たぶん、レイさんと一緒にいる時間が長いからかも。」
一樹がフォローするように言った。
「まあ、良いわ。レイさんは既に承諾してくれたわ。後は御二人の協力をお願いしたいわ。」
剣崎はそう言うと、紀藤署長を見る。その時、署長室の内線電話が鳴った。
「すまない。」
紀藤署長は、電話を取ると「判った。まわしてくれ。」と答え、椅子をくるりと回して、皆に背を向ける形で電話を続けた。何度か、「はい」という返事をしている。電話を終えると、小さな溜息をついてから、こちらに向き直った。
「今、警視庁外事課から、剣崎さんを護衛し、捜査協力するようにと指示があった。矢澤、亜美、暫く剣崎さんと一緒に行動するんだ。目的が達成されるまで、二人は外事課へ出向となった。」
「どういうことですか?」
一樹が少し苛ついて訊く。
「言った通りだ。米国と日本の安全のため、FBIからの要請があったようだ。詳細はシークレット。あくまで、剣崎さんが外国要人という扱いで、護衛が主目的という指示だった。おそらく、背後にはCIAも絡んでいる。剣崎さんはCIAの監視対象になっているようだな。まあ、MM事件で大きく世間を騒がせた人物だからな。おそらく、今回の件は米国としては国家機密に当たる事案なんだろう。外国要人であると同時に危険人物とされているはずだ。」
紀藤署長が説明する。
「何だか、ややこしい事になりそうですね。」
一樹が呆れ顔で言う。
「だが、マリアは一刻も早く見つけ出さないと・・どんな目的があるとしても、良からぬ輩が彼女の力を利用して大きな事件を起こすかもしれないからな。」
紀藤署長が、一樹を宥めるように言う。
一樹は、レイの顔を見た。レイは既に覚悟した表情を浮かべている。
「また、レイさんを危うい目に遭わせることになりますよ、署長。」
一樹は再確認するように署長に訊く。
「そのために、お前や亜美が護衛に就く。剣崎さんに協力して一刻も早く、彼女の居場所を突き止めるんだ。レイ、頼んだぞ。」
紀藤署長は厳しい表情を浮かべて言った。
一樹、亜美、剣崎、レイ、カルロスは、直ぐに、アントニオが待つトレーラーへ戻った。
「お帰りなさい!」
アントニオが陽気に出迎える。五人がトレーラーに入ると、アントニオが周囲を見ながら、中に入ってカーテンを閉めた。
「四方から見張られています。」
一樹が、そっとカーテンの隙間から外を見る。はるか離れたところに、黒い車が止まっている。反対側の窓から見ると、同じような車が止まっている。
「奴らは?」
一樹が剣崎に訊く。
「おそらく、CIAでしょうね。日本の警察は信用されていないから。勿論、私もね。マリアと同じ施設で育ち、私は自分の運命を受け入れ、訓練を受け、特殊任務を遂行した。でも、今回、マリアが施設を抜け出したことは私だって十分理解できる。まだ、十歳なのよ。ようやく、自分が何者なのかを考え始める歳。周囲の大人たちとの関係を見極めようとする歳なのよ。彼女の能力は私とは比べ物にならないほど危険だから、きっと、完全に隔離されていたはず。そんな状態を受け入れられるわけはないわ。私だって、脱走したいと思っていたし・・・。」
剣崎の告白を聞いて、CIAが剣崎を監視対象にしている理由も理解できた。マリアを見つけた後、剣崎はすんなりと政府機関に引き渡すとは考えていないのは明確だった。
剣崎の言葉を聞いて、暫く沈黙が続いた。
「剣崎さん、とにかく今はマリアの居場所を見つけることに集中しましょう。」
亜美が沈黙を破るように言った。
「ああ、そうだな。」
一樹も口を開く。
「とにかく、彼女が着いたはずのセントレア空港に行きましょう。まだ、彼女の思念波が残っているかもしれない。それをキャッチできれば、何か、糸口がつかめるかもしれません。」
レイがいつもとは違って強い発言をした。
「OK!」
アントニオが立ち上がり、トレーラーの運転席へ座り、発車させた。
そのトレーラーを追って黒塗りの車が少し離れて追ってくる。
トレーラーハウスのソファー席に座り、一樹は、セントレア空港の敷地図を見ている。
亜美は、剣崎の持ってきたマリアの資料に目を通している。
「まだ随分幼く見えるわ。」と呟く。
「ああ、その写真は3年前のもの。彼女の能力で何人もの研究者が命を落としたから、完全隔離の部屋に幽閉されていたようなの。最近の写真はないわ。」
「それじゃあ、もし、彼女と出会っても判らないじゃないですか。」
亜美は少し腹立たしそうに言う。
「ここを見て。」
剣崎が写真の一カ所を指さす。
「彼女の右耳。3歳の時に事故が起きて、彼女は耳を怪我したらしいの。だから、右耳の上に切り込みのような傷があるの。この傷が彼女を特定できる手掛かり。よく覚えておいて。」
剣崎が説明すると、亜美が訊く。
「3歳の時の事故って?」

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2-2 空港へ [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「両親を失った事故。詳しい事は判らない。自宅で起きた大きな爆発事故で、奇跡的に彼女だけが助かった。両親の遺体はほとんど原形をとどめていなかったらしいわ。」
「7年前の大きな爆発事故・・・。そんな事故があったかな?」
隣で地図を広げていた一樹が呟く。
亜美はすぐにネットで調べ始めた。だが、それに該当するような事故は見つからなかった。
「彼女が物心ついたら両親のことが気になるはず。その時のために作られた話じゃないか?」
一樹は亜美に言う。亜美は剣崎の顔を見た。
「確かに、事故の写真や記録は見た事はないわ。FBIから提供された資料にそう書かれていただけ。」
剣崎が答える。
「彼女の特殊な能力に気付いた誰かが仕組んだのかもしれないですね。」
話を聞いていたレイが言う。
二人の会話を聞いていた亜美は、ふいにある考えが浮かんだ。だが、自分一人でできるか確信が持てなかった。
トレーラーは空港に向かうため、知多道路に入った。低い山並みの向こうに伊勢湾が見える。常滑の町に入った時、亜美は決断した。
「駅へ向かってください。」
「どうした、亜美?」
一樹が亜美に訊く。
「マリアが両親を失った事故について少し調べてみたいんです。」
亜美の答えに剣崎が少し戸惑って訊く。
「それを調べてどうするの?」
「判りません。でも、マリアが日本に来た目的と関係があるはずです。マリアの日本名はなんて言うんですか?」
亜美が剣崎に訊く。剣崎は、FBIから渡された資料を開く。
「カツマタ マリア・・ね。」
「事故が起きたという場所は?」
「それは記されてないわ。両親の名も伏せられたままになってる。」
剣崎が答えると、
「何だか、怪しい匂いがするな。」と一樹が言う。
剣崎も、「調べてみる価値はありそうね。」と答える。
「このトレーラーでも、調べられるんじゃない?」
と剣崎が言うと、
「FBIの資料で伏せられているということは、そんなに簡単には判らないと思うんです。一度、署に戻って、父・・いえ、署長にも相談してみようと思います。」
不意に、紀藤署長が出てきて、一樹は驚く。これまでの捜査で、そんなことを亜美が行った事はなかった。むしろ、署長の意見を敢えて聞かないようにしていたくらいだった。
「亜美?どうした?」
一樹が訊くが、亜美は答えず、剣崎の顔を見つめる。何か考えがあるようだと剣崎は判断して、亜美を常滑駅で降ろすことにした。
「レイさん、無理しないでね。一樹、レイさんを守ってね。」
亜美はそう言うと、常滑駅の改札に入って行った。

トレーラーは空港に入った。
国際便も就航している空港は24時間動いている。剣崎たちが到着したのは、昼前だった。国内線ターミナルは混雑していた。
「自家用ジェットは、一番はずれの格納庫前を使うはず。そっちに着けて。」
剣崎が言うと、アントニオはトレーラーを空港のはずれに向って走らせる。一番近いパーキングエリアに入ると、剣崎たちはすぐに現場に向かう。
部外者立ち入り禁止の看板のあるゲートに立つと、警備員が制止した。
「警視庁から捜査のために来ました。ご協力ください。」
一樹が警察バッジを見せて警備員に言うと、警備員は慌てて本部に連絡を取り、承諾を得てから皆を中に入れた。
マリアが乗ってきたと思われる自家用ジェットが、格納庫の中にあった。
「あれね。」
自家用ジェットに近付くと、慌てて整備士がそれを止める。
「なんですか!部外者立ち入り禁止です!」
一樹が慌てて警察バッジを見せて説明する。
「私有物ですから、警察と言えども、正当な理由がなければ、捜査はお断りします。」
一樹の説明にも耳を貸さず拒否した。
一樹も、「まさか、この整備士にマリアという女の子がこのジェットに乗って密入国したと説明したところで納得しないだろう」と思い、細かい説明は思いとどまった。
後ろで、レイが剣崎に思念波を送った。
『どうしたの?』
剣崎が思念波で返すと、レイは、その整備士をじっと見つめている。
『彼に何か?』
更に剣崎が訊くと、レイは
『彼から特別な思念波を感じる。彼の思念波じゃない、誰か違う人の思念波・・。』
『まさか・・。』
剣崎が整備士を見る。
外見上は、特に異様なところはない。表情も至って普通だった。
『きっとそう。特別な思念波のエネルギーがまだ少し残っている。』
『捉えられる?』
『やってみます。』
二人は、思念波をシンクロさせて会話をしている。
一樹には判らない。
レイは、剣崎の後ろに身を隠したまま、両方の手のひらを合わせて、ゆっくり目を閉じる。
整備士の中にまだ残っているマリアの思念波を捉えようとする。
独特な思念波だった。
ほんの少し残存している程度のはずだが、整備士の思念波の中に、網目の様に入り込んでいる。それ自体はもう何の力も持っていないが、確かに存在は感じることができた。
レイはいろんな人間の思念波を捉えてきたが、こんな思念波は初めてだった。その人の持つ思念波が経糸だとすれば横糸の様に絡みながら、形を変えていく。そんなものの様に感じた。
レイは、整備士の思念波にシンクロした時、自分の意識が彼の中に引きずり込まれるように感じて、驚いて、意識を遮断した。
『間違いありません。この人はマリアに接触しています。』
『そう、判ったわ。』
剣崎はレイにそう答えると、その整備士に近付いた。
「ご迷惑をおかけしました。So,Sorry!」
剣崎はそう言うと、すっと右手を差し出し、整備士と握手をした。
手を握った瞬間、剣崎の頭の中に、強い映像が広がった。
自家用ジェットの中、マリアと思しき少女がシートに隠れている。それを整備士が見つける。その後、映像は様々な光が飛び交い、カオスのような状態になったが、再び、映像が戻ると、大きなコンテナのドアが開き、少女が走り去っていく。その向こうには、タクシー乗り場が見えていた。
剣崎は整備士から手を放す。そして、一樹に言った。
「タクシー乗り場に行きましょう。」
剣崎と一樹、レイは、空港玄関の前にあるタクシー乗り場へ向かう。
「間違いなかったわ。あの整備士がマリアを連れ出し、タクシー乗り場の前で別れていた。」
一樹は、レイと剣崎の思念波の会話を知らない。だが、剣崎の言葉で、二人が整備士からマリアの情報を引き出したことは理解できた。
マリアの痕跡を掴んだことは大きな一歩となった。

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2-3 喫煙所 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

タクシー乗り場には、乗客を待つタクシーが何台も並んでいる。暫くすると、到着口から大勢の客が出てきて、タクシー乗り場へ向かった。
乗り場には、老練な誘導員が居て、列をなす乗客に向かって笑顔を振りまきながら、次々に捌いている。剣崎たちはひとしきり客が乗り切るのを待って、その誘導員に声を掛けた。
「10歳の女の子が一人でタクシーに乗るなんてことは・・これまで記憶にありませんね。」
レイは少し離れた位置から、その誘導員にシンクロした。誘導員の言葉通り、彼からマリアの思念波の残存は感じられなかった。レイは剣崎に首を振って合図を送った。
一樹と剣崎は、レイとともに一旦その場を離れた。
「タクシーじゃないのかな?」
一樹が言う。
「しかしバスや電車となるとチケットが必要になるはず。運転手だけでなく乗客や、改札口の職員みんなを操るなんて難しいでしょう。やはり、タクシーを使ったはず。」
剣崎が答える。
タクシー乗り場には、幾つかのタクシー会社の車両が止まっている。よく見ると、中でもセントラルタクシーという会社の車が多いように見えた。
「事務所に行きましょう。」
剣崎が言い、一樹が先ほどの誘導員に警察バッジを見せて、タクシー会社の事務所に連絡を取ってもらう事にした。
「事務所は、そこの階段を上がったところにあります。今、営業部長がいるようですから、話が聞けるでしょう。」
誘導員の言葉の通り、階段を上がったところにタクシー会社の事務所があった。事務所の一番奥に、生え際が怪しい男性が迷惑そうな顔つきで座っていた。
「どうぞ。」
ぶっきらぼうに言うと、安い作りのソファに座るように勧めた。
「10歳の女の子の乗客なんて、記録にはないようですよ。」
営業部長を名乗る男が、ここ2週間ほどの運行台帳を開きながら言った。
「変な動きをしたタクシーはありませんか?例えば、乗客もいないのに空港から出て行ったタクシーとか・・。」
一樹が訊く。
「いや、最近は、スマホでお呼びがかかる時代です。空港で待っている最中に、急な呼び出しで向かう車は、ざらに居ます。そういう客ほど、時間にうるさくて大変なんですが、チップも良いから皆飛んでいきますよ。外国人客がほとんどですがね。」
営業部長が開いている運行台帳から、マリアの足取りを探るのは難しいだろうと一樹は感じ、それ以上の質問はやめた。
「では、噂でも良いんです。気づいたら空港とは別の場所にいたとか、最近体調を崩しているとか、そういう通常とは違う様子の運転手さんはいらっしゃいませんか?」
剣崎が訊いた。
「なんだ、それ?・・体調が悪い運転手は勤務停止にするし、記憶をなくすなんて運転手が居たら即刻解雇する。そんないい加減な管理はしていない。さあ、忙しいんだ、帰ってくれ!」
営業部長は、分厚い運行台帳を乱暴に閉じるとさっさと席を立ち、自分のデスクへ戻って行った。
一樹たちは仕方なく事務所を出た。階段を下りている最中、脇に喫煙所があるのを一樹が見つけた。
「ちょっと待っていてください。」
一樹はそう言うと、喫煙所へ入って行った。中には数人のタクシー運転手が椅子に座り、タバコを吸っていた。一樹も一番隅に座り、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。一樹は普段はタバコを吸わない。だが、捜査の際、こういう場所で情報を得ることが多く、怪しまれないようにタバコを持ち歩いていた。一樹は、ドアのガラスから外を見るようにして、出来るだけ運転手たちに怪しまれないように静かにしていた。
「おい、聞いたか?高橋のやつ、名古屋まで空走りしたんだってさ。気づいたら名古屋駅に居たって言うんだから、危ないよな。」
「そんな事、あるのか?」
運転手たちが興味深い話を始めた。一樹は聞いていないふりをしながら耳をそばだてていた。
「まったく記憶がないそうなんだ。」
「ふうん。じゃあ、会社からずいぶんどやされたんだろうな。」
「ああ、あれから奴の顔、見てないんだ。」
「気をつけないとな。お互い。」
運転手たちは、タバコを吸い終わって立ち上がった。その時、一樹は運転手たちの前に立ちはだかるようにして、警察バッジを見せて言った。
「今の話、もう少し詳しく訊かせてもらえませんか?」
運転手たちは驚いた表情で顔を見合わせ、しどろもどろになりながら詳しく話した。
「高橋さんの居場所は判りませんか?」
「確か、自宅は常滑だったはず。・・」
運転手の一人が、手帳を開いて調べてくれた。
「ありがとう。」
一樹はそう言うと、喫煙所を後にして、剣崎たちのところへ戻った。
「剣崎さん、有力な情報を得ました。高橋という運転手が不思議な体験をしているようなんです。意識もないまま、名古屋まで走ったというんです。自宅は近くなんで行ってみましょう。」
一樹は得意げに話を伝え、剣崎たちとともに、高橋という運転手の自宅の住所へ向かう。
「このアパートのようですね。」
運転手に訊いた住所には古いアパートが在った。
「201号室・・は・・」
一樹はそう呟きながら、鉄製の古い階段を登る。階段を上がったところが201号室だった。古びた玄関ドアの前にはごみの袋が幾つか積み上がっている。どうやら、一人暮らしのようだった。
剣崎とレイも一樹に続いて階段を上がっていく。レイが「感じるわ」と小さく呟いた。
ドアの前に立ち、一樹がノックする。中から足音が聞こえる。不用意にドアが開く。ぼさぼさ頭でパジャマ姿の中年の男が顔を見せる。
「高橋さんですね。」
一樹が警察バッジを見せながら言うと、怪訝そうな表情を浮かべて男が頷く。
「意識もなく、名古屋までタクシーを空走りしたと仲間のタクシー運転手から聞いたんですが・・その事でちょっと詳しく伺いたくて。」
一樹が訊くと、高橋は戸惑った表情を浮かべて訊いた。
「事故か何か起こしていましたか?」
「いえ、そういう事じゃなくて、気づいたらどこに居ましたか?」
「名古屋駅の西口でした。今でも信じられないんです。何処をどう走ったのか、その前は確かにセントレアに居たはずなんです。」
「何か、覚えている事はありませんか?」
一樹は質問を続ける。もちろん、証言できることは予想していない。こうして時間をかけ、記憶を遡るように促すと、マリアの思念波の残骸が見えるかもしれないと考えたからだった。
レイは、一樹のすぐ後ろに立って、高橋の思念波を捉えようとしていた。剣崎は、レイの手を握り、彼女が感じるマリアの思念波の残骸を自分も感じようとしていた。
レイがシンクロする。
目の前の高橋の思念波には、先ほどの整備士と同様に、絡みつく様な、異常な思念波の残骸を感じることができた。そして剣崎もその思念波の中から、最後の映像を見つけた。
『マリアだわ。』
マリアがタクシーを降りる映像が見える。そして、徐々に薄れていく。その先には、バスターミナルが見えた。
「もういいわ。」
剣崎が、一樹に言う。
それを受けて、一樹も高橋との会話を止めた。
「ご協力ありがとうございました。」
一樹はそう言うと、剣崎たちとアパートを出て、名古屋駅に向かう事にした。

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2-4 名古屋ステーション [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎が、サイコメトリーで見た映像をもとに、一行は名古屋駅のバスターミナルに向かった。
「ここからどこかへ向かったはず。」
剣崎は、そう言って、バス乗り場を一つ一つ見て回り、バス停のベンチや乗り場の案内表示板などに触れて、マリアにつながるような物的思念波を掴もうとした。レイも、マリアの思念波の残骸がないか力を尽くして調べた。だが、マリアに繋がるものは何も感じられなかった。
一樹は二人の動きを注意深く見ていたが、一通り回った後、二人の残念そうな表情を見て、自分の無力さを痛感していた。
ふと、階段を上っている人影に目がいった。
「あれは・・ちょっと、待っていてください。」
一樹はそう言うと、階段を駆け上る。
「おい、遠藤!遠藤じゃないか!」
一樹は大きな声で呼ぶ。階段を登っていた男が立ち止まり、振り返った。
「ああ、矢澤さん。どうしたんです、こんなところで。」
「いや、ちょっと行方不明者の捜査で・・それより、お前こそどうしたんだ?」
遠藤は、以前、橋川署に配属されていた事のある刑事だった。今は、愛知県警の本庁へ戻って、暴力団対策課にいるはずだった。
遠藤は、階段を下りて一樹の傍までやってきて、小さな声で耳打ちした。
「ちょっと不可解な事件を調べてるんですよ。」
そう言ってから、担当している事件をかいつまんで話した。
1週間程前に、バスターミナルの待合室で、男が突然ナイフを取り出して自分の喉を裂いて自殺したというものだった。
「そいつ、西口辺りの半グレ集団の一人で、最近、急に頭角を現していた男だったんです。とても自殺するような奴じゃない。目撃者の話だと、急に何かつぶやきながら、持っていたナイフを自分の首に突き立てたっていうんです。」
「薬か何かか?」
「いや、遺体解剖の結果、薬物は出ず、酒も飲んでいませんでした。」
「じゃあ、精神を病んでいた・・という事もなさそうだな・・。」
「ええ、そうなんです。だから、もっとほかの理由・・例えば、待合室に自殺をせざるを得ない様な脅威、命を狙っているような人物がいたんじゃないかというのが捜査チームの見立てなんです。」
「殺されるなら、いっそ自分でということか?・・なんだか、それも怪しいな。」
「そうなんですよ。喉を切り裂く前に何かつぶやいていたというのが気になって・・聞き込みをしていたんですが・・どうも、死んじゃえ!死んじゃえ!って言っていたらしいんです。操られているような感じもしたという証言もあるんです。」
「操られていた?催眠術か?」
「そこが謎なんです。・・ただ、その少し前に、子ども・・小学生くらいの女の子と何か話していたようなんです。今、その子を探してるんですが・・何しろ、ここはバスターミナル。ここから、静岡や大阪、名古屋、金沢、あらゆる場所にバス路線があるわけですから、どっちへ向かったか。その女の子と関わりがあるのかもしれないと捜査しているんです。」
一樹は黙って、遠藤の話を聞いていた。
「すみません。捜査情報を話し過ぎました。くれぐれも内密にお願いします。じゃあ。」
遠藤刑事はそう言うと、階段を駆け上って行った。
一樹は遠藤を見送りながら、おそらく、その女の子はマリアだろうと考えていた。それから、階段を下りて、剣崎のところへ行くと、遠藤刑事から聞いた内容を伝えた。
「おそらく、マリアね。その男が何かちょっかいを出したんでしょう。恐怖心が高まって、彼に死ぬように仕向ける思念波を送ったんでしょうね。現場は?」
剣崎が言う。
「待合室です。」
一樹が剣崎とレイを待合室に案内する。1週間前の事件のためか、すでに非常線は除去され、平常の様子となっていた。
剣崎とレイは待合室に入る。独り、バスを待つ乗客らしき人物がいたが、ちらりと剣崎たちを見たが、気に留めず、スマホに目を移した様子だった。
剣崎は、待合室にある椅子に座り、両手で座面に触れて目を閉じる。
「無理だわ。」
様々な乗客が座った椅子には、雑多な思念波が残っていて、1週間も前のものは捉えることはできなかった。
レイが待合室全体を見渡した後、目を閉じる。どこかにマリアの思念波の残骸があるはずだ。そう信じて、神経を集中する。だが、マリアの思念波を見つけることはできなかった。
三人は、待合室を出た。
「ここから、マリアはどこへ向かったんでしょう。」
大型の長距離バスが次々に入ってくる。
ふいに、レイが蹲った。
「大丈夫?」
剣崎がレイの異変に気付いて駆け寄って支えた。
「大丈夫です。少し疲れただけです。」
「一度、トレーラーへ戻りましょう。」
剣崎はそう言うと、カルロスに連絡する。
近くで待機していたカルロスが、すぐに、黒塗りのワゴン車で迎えに来た。
アントニオが運転するトレーラーは港湾部の広い駐車場に止めてあった。
トレーラーハウスに戻ると、レイは少し横になると言って、奥のベッドルームで休んだ。
剣崎と一樹はソファに座った。
「待合室で起きた事は、間違いなくマリアによるものでしょう。確かに、あそこに彼女は居た。」
「あそこからどこへ向かったのか・・長距離バスに乗るとなると、チケットを買わねばならないし、10歳ほどの女の子が一人で乗れば、運転手も不審に思うだろう。」
一樹は、アントニオが用意したドリンクを口に運びながら言った。
「不審に思われない方法・・きっと誰かと一緒に・・娘のふりをして乗り込んだんでしょうね。」
「だが、そんなに都合よく行くだろうか?」
剣崎はパソコンを開いて、メールをチェックし始めた。
「あったわ・・彼女が施設を出て、暫く、近くの町に居たらしいわ。老夫婦の家にいたようね。」
「老夫婦か・・。」
「きっと、孫娘にでもなっていたんでしょう。」
「じゃあ、名古屋駅でもどこかの老夫婦と一緒に・・という可能性もあるか。」
そこまで話して、一樹は立ち上がり、スマホを取り出した。そして、遠藤刑事に電話を掛けた。
「待合室にはカメラはなかったらしいが、バス乗り場はどうなんだ?」
「なんです、いきなり。あると思いますが、レイの事件が起きたのは待合室。バス乗り場なんかチェックしていませんよ。」
「映像はあるのか?」
「恐らく、捜査本部にはあると思いますが、・・ちょっと、矢澤さん、何を調べているんですか?」
電話の相手、遠藤刑事は少し不機嫌になっていた。
「前にも言ったろう、人探しさ。ありがとう。」
一樹はそう言って電話を切った。
「捜査本部へ行ってきます。おそらく、監視カメラにマリアの姿が写っているはずです。」
一樹がそう言ってトレーラーハウスのドアに向かった時、剣崎が言った。
「おそらく映っているでしょう。でも、それがマリアだって判るの?顔さえ判らないのよ。」
まだ幼い頃の写真があるだけで、最近の写真はなかった。服装さえも判らない。老夫婦と一緒にいる10歳の女の子というだけでは、特定するのは無理だと一樹も悟った。
「じゃあ、どうすれば・・。」
そこに、レイが起き上がって姿を見せた。
「きっと、私なら判ります。映像から思念波を捉えるのは、以前の事件でもやりました。今回、マリアさんの思念波は、特別なものだから、きっと見つけられるはずです。」
「大丈夫なのか?」
「ええ。もう大丈夫です。行きましょう。」

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2-5 県警捜査本部 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

一樹とレイは県警の捜査本部へ向かった。
途中、橋川署の紀藤署長に連絡をして、捜査本部にある映像を閲覧できるように手配してもらった。県警に着くと、遠藤刑事が表玄関で待っていた。どうやら、橋川署からの依頼を聞いて、遠藤が対応するよう指示されたようだった。
「矢澤さん、こちらです。・・おや、彼女は?」
一樹はちょっと答えに困ったが、すぐに言った。
「今探している人の身内の方だ。暫く時間が経っているので、容姿が変わっているかもしれないので、来てもらったんだ。一緒に見てもいいだろ?」
「そうですか・・ええ、構いません。こちらです。」
遠藤の案内で、県警の建物の3階の小さな部屋に通された。幾つかモニターが並んでいる。
「あの、いつ頃の映像が必要ですか?」
「ああ、自殺騒ぎのあった日の映像が良い。」
一樹が答えると、遠藤刑事は少し怪訝そうな表情を浮かべた。
「矢澤さん、やはり、あの自殺事件と、捜索している人は何か関係があるんですか?」
「いや・・そうじゃないんだが・・。」
一樹は答えに困った。正直に話すことはできないし、話したところで信じてはもらえないだろう。
「彼女が居なくなった日が、お聞きした事件の日なんです。偶然だと思いますが、刑事さんが駅を捜査されていると聞いたので、何とかお願いできないかと・・。」
レイが、機転を利かせて、少し弱々しい声を出して答えた。
遠藤刑事は、レイの言葉を信じたようだった。
手元にあるパソコンを何回か操作して、指定の映像を映し出した。
「これが事件の1時間前からの映像です。ゆっくり見てください。僕は、捜査記録を書きに行ってますから。終わったら声をかけてください。」
遠藤はそう言うと部屋から出て行った。
一樹は、カバンの中から小さなUSBメモリーを取り出し、パソコンに繋いで映像データをコピーし始めた。そして、映像を見つめた。
「おそらく事件が起きた後のはずだ。」
一樹はそう言うと、映像を操作して、事件のあとまで進めた。バス乗り場には、各地へ向かう乗客が列をなしていた。親子連れも何組か居て、その部分をスローで再生し、レイを見る。レイは、その家族を注視するが、首を横に振るばかりだった。
30分ほど過ぎた辺りで、レイに異変が起きた。急に頭を抱えたのだ。
「どうした、レイさん?」
「強い思念波を感じる・・普通の人とは違う・・かなり強い・・。」
何とか意識を保ち、映像を見る。そこには、10歳ほどの女の子が映っていた。白いブラウスにチェックのワンピース、長い黒髪。彼女は、じっと周囲の様子を観察している。
「おそらく、協力者を探しているようです。だから、強い思念波を出して、周囲の皆の精神に入り込もうとしている・・・。」
苦しげな表情を浮かべながらレイが話す。
映像だけでもこれだけの影響を受けるのは予想もしていなかった事態だった。
映像を止め、少女をクローズアップして、スマホに納めた。それから、また、映像を再生する。
マリアは、一組の老夫婦に近付いていく。土産物の袋を抱えているところを見ると、名古屋あたりに観光でやってきた様子だった。
マリアは、その夫婦の横に立ち、そっと、老婆の手を握る。一瞬、老婆の表情がこわばった。それを見て、夫らしき老紳士がマリアを見る。何か聞こうとしているところを、マリアは、老婆と同じように手を握る。老紳士も一瞬表情がこわばると、マリアの横に立った。
マリアを挟んで老夫婦は歩きだし、バスのチケット売り場へ向かった。
「マリアのチケットを買うようだ。」
一樹は映像に釘付けになっている。
「どこへ行くんだ?」
チケットを受け取った老夫婦は、静岡行きのバスの列に並んだ。マリアにコントロールされているのだろう。表情は固く、二人とも押し黙ったまま、視線は遠くを見つめている。
「レイさん、もう良いだろう。」
一樹は映像を止め、レイを見た。レイは、机に突っ伏し、鼻血をだして意識を失っていた。
「レイさん!レイさん!」
何度か声をかけると、意識を取り戻した。
そこへ、遠藤刑事が戻って来た。
「どうでしたか?何か手掛かりになるものはありましたか?」
遠藤は、コーヒーをトレイに乗せて運んできた。二人の様子が少しおかしい事に気付く。
「なにか、ありましたか?」
「いや、探している人は映っていなかった。おそらく、バスじゃなく、新幹線だろう。」
一樹が事も無げに答えた。
「そうですか?」
遠藤は二人のおかしな様子を気にしている。
「ちょっと、疲れたようだから。今日はもう帰ります。ご協力いただきありがとうございました。」
遠藤が質問をしたげなのに気付き、一樹はその隙を作らぬよう、レイの肩を抱き、席を立ち部屋を出て行った。
一樹とレイは、県警本庁舎を出るとすぐに剣崎に連絡した。そして、先ほど撮影した写真をメールで剣崎に送った。
「静岡方面へ向かったのね。判ったわ、すぐに迎えに行くわ。」
剣崎はそう言うとアントニオに指示した。トレーラーが動き出す。
「レイさん、大丈夫ですか?」
一樹は、本庁舎の前にある公園のベンチに座り、意識を失っていたレイを気遣い、訊いた。
「ええ、もう大丈夫です。あまりに強い思念波だったので、意識が途切れたんです。」
映像を見ただけである。それで、これ程までに、影響を受けるとなると、レイがマリアと対峙したら命を落とすことになるかもしれない。一樹はぼんやりとそう考えていた。
「マリアさんは、力のコントロールができないようです。かなり強い思念波を使っています。」
一緒に映像を見ていた一樹は全く感じなかった。
レイのシンクロ能力だからこそのことなのだ。
「じゃあ、やはり、自殺した男も・・。」
「ええ、彼女が、強い思念波で彼の中に、『死んじゃえ』という意識を植え付けたんでしょう。映像にあった、あの老夫婦にも、きっと、強い影響を残してしまうに違いありません。良くないことが起きなければいいんですが・・」
レイは、悲しげな表情を浮かべて言った。
「レイさん、あまりマリアに近付かない方が良い。」
一樹はそう言うのが精いっぱいだった。一樹の言いたいことはレイにも判っていた。しかし、マリアの居場所を突き止めるには、彼女の思念波を捉えるほかない。
「ありがとう。」
レイは少し微笑んで一樹に言った。暫くすると、トレーラーが姿を見せた。二人が乗り込むと、トレーラーは名古屋ジャンクションを目指した。
一樹は剣崎に、本庁舎で起きた事を報告した。それを聞いた剣崎はレイを気遣うように見た。
「大丈夫です。早く、マリアさんの居場所を見つけましょう。」
剣崎の気持ちを察して、レイが応えるように言った。
名古屋ジャンクションから東名高速道路に入ると、一路、静岡を目指した。
「どうして、静岡なのかしら?」
流れる景色を眺めながら、剣崎が呟く。
それを聞いた、レイが言った。
「彼女の思念波を捉えた時、僅かですが、富士山の風景が浮かんでいました。彼女の記憶のどこかにあった映像なのだと思います。彼女の中に、静岡という地名よりも、富士山を目指しているという感じがします。」
「またか・・。」
レイの話を聞いて、一樹が言う。前回の事件も富士山の麓だった。どうして、あの場所なんだと少し恨めしく感じていた。

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2-6 亜美の気掛かり [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

常滑駅から橋川へ戻った亜美は、真っ直ぐに橋川署へ向かった。
亜美は、「7年前の事故」という言葉が、何か、心に引っかかっていて、それを調べるために戻ったのだった。
「お父さん・・いや・・署長!」
署に戻ると真っ先に署長室へ向かった。
「どうした?」
デスクに積み上がった報告書を読んでいた紀藤署長は、血相を変えて部屋に飛び込んできた亜美を見て驚いたように訊いた。
「マリアさんの両親が亡くなった7年前の事故の事を調べたいの。ネットで検索してもそれらしい記録は残っていなかった。何か理由があって記録から抹殺されているんじゃないかって思うの。どうにかして調べられないかしら。」
常滑駅から橋川へ戻る電車の中で、亜美はずっとその事ばかりを考えていた。
自分の手で調べてみたが、それなりの情報は出て来なかった。新聞記事にも週刊誌にも掲載されないというのは不自然すぎる。そこには何か、陰謀めいたものを感じざるを得なかった。
「7年前・・・の事故か・・。」
紀藤署長には何か思い当たるものがあるような口ぶりだった。
「何か知ってるの?」
「いや・・警察のデータベースで探してみても良いが、捏造された可能性はあるな。だが、こんな田舎の警察では、警察の奥深くに隠された情報を入手するのは無理だろう。警視庁に伝手があれば何とかなるかもしれないが・・だが、それを調べて、マリアさんの居場所が判るのか?」
「いえ、判らない。でも、マリアさんが日本に来た理由は、やはり、自分のルーツを知りたいと思ったからじゃないかと思ったの。その近道は、7年前の事故じゃないかって思うの。」
「ああ、確かにそうだな・・。だが、署長の権限くらいじゃ・・。」
紀藤署長は、残念そうに溜息をついて言った。
「そうだ!」
亜美は突然思いついたように立ち上がった。
それから、慌てて署長室を出て、自分のデスクに戻り、パソコンを開いた。メーリングリストを調べ、ある人物のアドレスを見つけた。
「連絡がつくかしら。」
亜美はそう言うと、短い文章を打ち、メールを送信した。無事に届いたようだった。
「早く見て!」
亜美はデスクで祈るような気持ちで返信を待った。
1時間ほどが過ぎた頃、返信があった。
そこには、知らないアドレスからのメールで、さらに、別のメールアドレスが記載されていた。
亜美は、再び、そのアドレスへメールを送る。すると、いきなり、画面に懐かしい顔が映った。
「亜美さん、お久しぶりです。」
それは、生方だった。
剣崎のチームの一員として、トレーラーの一室で、データ解析をしていた、あの「生方」だった。今は、警視庁の情報犯罪特別室に配属されている。
「メール、読みました。こちらでも少し、剣崎さんが関わっている事案について調べてみました。今回も、かなり厄介な事案のようですね。肝心なところで情報がクローズされてしまうんです。」
「協力してもらえますか?」
亜美が訊く。
「だからこうして、足のつかない方法で返信したんです。情報犯罪対策特別室というのは、いわゆる国内のスパイ活動を取り締まる部署なんですが、実のところ、自らスパイ活動をしている部署なんです。私も常に監視された状態で仕事をしています。」
「ありがとう。」
「いえ、剣崎さんには大きな恩があります。あの事件の後、今の職場を手配してもらいましたから。しかし、少し時間が掛かるかもしれません。」
「できるだけ早くお願いします。」
「頑張ります。」
生方はそう言って通信を終えた。
亜美も、警察のデータベースで、7年前に発生した事件や事故について調べてみた。
3歳の幼子だけが残された事件、誘拐事件、行方不明、とにかく、条件を広げて関連するようなものがないかを丹念に調べた。だが条件に合いそうな事件や事故は見つからない。
苛ついて、つい、検索画面で「超能力」という文字を入力してみた。すると、『新道』という名が記された事件がヒットした。詳細画面にしてみた。
それは、30年以上前に起きた事件だった。
まだ、亜美もレイも生まれていない頃の話。レイの母、ルイが父親の実験台になっていた事件が解決したことで、古い情報も開示されるようになったのだろうと思った。
亜美は、今でもあの事件の事を思い出すことがある。
父が若い頃の事、レイの母親ルイとの関係、親子であることの意味、いろんな点で自分の存在を問われたような事件だったからだ。
マリアの件とは無関係だと思いながら、亜美は、その事件の詳細を読んでみた。
レイの祖父は当時、医学部研究室で脳の構造について研究をしていた。
「あの事件の発端となった頃の事件のようね。」
その事件は、大学の研究室から研究データが盗まれたというものだった。
当時、教授だったレイの祖父の許には、数人の研究員がいた。その研究員の一人が、脳の特殊な能力に関するデータを盗み出したと書かれている。
「研究員は捕まったのかしら?」
亜美はそう呟きながら記録を読み進める。
「被疑者は・・え?名前の欄が消されてる。」
亜美は、事件のあとの記録を見ようとした。だが、研究員の名前や所在、裁判の記録といったものが存在していない状態だった。
「どういうことかしら?もう開示されても良いはずなのに。」
そう思っていたところに、メールが届いた。
表題は、「遅くなりましたが、ご依頼の品を発送しました。」となっている。
送り主は「U」とだけ書かれていた。
このメールが生方だと亜美はすぐに判り、開いてみた。
そこには、風景の画像データが貼り付いていた。画像をクリックすると、ダウンロードが始まった。そのファイルを開くと、何か、複雑な文字の列が並んでいた。
「何なの、これ?」
直ぐに、生方から電話が入る。
「5時間後に、もう1通メールを送ります。それをダウンロードすると、ファイルの中身を見ることができるアプリが開きます。ちょっと、厄介な情報なので、ダウンロードしたら、メールはすぐに削除してください。」
生方の声は、かなり切羽詰まった感じがした。
「生方さん、大丈夫?」
「ええ、今のところは。剣崎さんに、レヴェナントが現れると、伝えてください。そう言って貰えれば判るはずです。それから、もう、私には連絡はしないように。」
生方はそう言って電話を切った。
尋常ではない。関わっている事件はかなり危険なものだという事は亜美も理解した。
それからすぐ、一樹から連絡が入った。
「これから静岡へ向かう。一緒に来るか?」
「いえ、私はもう少し調べてから向かうわ。それから、剣崎さんに、生方さんから伝言を頼まれたの。レヴェナントが現れるって。」
「レヴェナント?何だ、それ。」
「判らないわ。でも、剣崎さんに伝えればわかるって。頼んだわよ。」
亜美はそう言うと、電話を切った。
生方との会話で、今回の事件は、単なる人探しでは終わらない、きっと予想を超えた危険が迫ってきているのだと、亜美は感じていた。

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2-7 監視 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

一樹は、亜美からの伝言を剣崎に伝えた。それを聞いて、剣崎の顔色が変わる。
「急がなければ・・・。」
剣崎はそう言ったきり、押し黙った。
トレーラーは、静岡駅に着いた。長距離バスを降りたのは確かである。
剣崎とレイは、バスターミナルへ向かう。
レイは周囲の思念波を探った。
通りには沢山の人がいたが、そこからはマリアの思念波は感じられなかった。少し場所を移動した。バスターミナル近くにあるコインロッカーの前で、かすかにマリアの思念波の欠片を感じた。
「ここに来たようです。」
「荷物を預けたのかしら?」
レイは幾つか並んでいるロッカーを丁寧に調べていく。だが、それ以上、マリアの思念波は感じられなかった。
一樹は、名古屋を出たバスの時刻から、静岡駅に到着した時刻を割り出し、その時間のバスターミナルの監視カメラ映像を見るために、事務所へ向かった。
バス運行会社の事務所は、突然刑事が訪ねて来て、監視カメラの映像を求めたため、騒然となった。
「事件ですか?殺人犯が逃亡したとか、誘拐事件とか物騒な事じゃないですよね。お客様に御迷惑が掛からないように事情を説明してください。」
事務所長は少し神経質な男のようで、捲し立てるように一樹に言う。
「いや、家出した少女を探しているだけです。厄介な仕事です。嫌になりますよ。」
一樹は敢えてのんびりとした口調で、やる気無さそうに答えた。
それを聞いて事務所長は妙に納得したようで、「それじゃあ」と言って事務所の奥にある所長室に一樹を案内した。そこには小さなモニターが置かれていて、一応、ターミナルを監視できるようになっていた。
一樹は所長に、該当のバスが到着した時間を指定して、映像を準備してもらい、じっくりと見始めた。事務所長も、何か興味本位で映像を見ている。
「あの・・ちょっと気が散るので、一人にさせてもらっていいですか?」
一樹が少し強めの口調で言うと、所長は、ばつの悪そうな顔をして部屋を出て行った。
一樹は映像を早送りにした。
赤いチェックのワンピースを着た少女。バスを降りて来る客の姿を凝視する。暫くすると、老夫婦とともに、赤いチェックのワンピース姿の少女が居た。
「いた!」
三人はカメラの前を通り過ぎ、その後、姿が確認できなくなった。
一樹は、監視カメラの映像をコピーした。
そして、所長室を飛び出し、剣崎のところへ向かった。
「剣崎さん、居ました。間違いない。静岡駅でバスを降りています。」
「三人はどっちへ向かったの?」
剣崎が訊く。
一樹は監視カメラの位置を確認し、映像を思い浮かべながら、方向を探る。
「ええっと・・・たぶん、あっちの方向です。」
一樹が指差した先は、駅ビルの入り口の方向だった。
「やはりコインロッカーに向かったようね。」
剣崎が言う。だが、その先のことは判らない。
「何か、他に手掛かりはないかしら・・。」
剣崎もレイも一樹も、マリアたちが向かった方向をぼんやりと見ていた。
「バスを降りて、コインロッカーへ向かった・・荷物を預けるか、取り出すか。マリアの思念波が感じられないというなら、そこに荷物はないんだろうな。預けてあった荷物を取り出したという事じゃないかな?」
一樹が呟く。
「名古屋に旅行に行く前に預けた荷物を取り出したという事は、自宅に戻ったということかしら?」
剣崎が言うと、一樹が応えるように言った。
「そう考えるのが妥当でしょうね。」
静岡近辺に自宅があるという事だと推論されたが決定的な事は何もわからないままだった。
その時、レイが、一瞬、身震いした。
全身に電気が走ったように、ほんの一瞬だが、異様な思念波が体を通過したように感じた。
「どうした?」
一樹が、レイの異変に気付いて訊いた。
「何か・・異様な・・思念波が・・。」
レイはそう言って、通りの向こうに視線をやった。
通りの向こうに黒塗りの車が止まっていた。
剣崎が、じっと目を凝らす。
男が二人乗っているのが見えた。一人は、日本人ではなさそうだった。もう一人は、大きなデジタルカメラを手にしている。
明らかに、剣崎たちの動きを見張っているようだった。日本の警察ではなさそうだった。CIAに監視されているのは知っていたが、それとも違うようだった。
剣崎は、レイの手を握り、思念波で話しかけた。
『レイさん、すぐに、ここから離れましょう。私たちは監視されている。』
『判りました。』
『おそらく、彼らはアメリカから来た人間。きっと私を監視しているはず。一緒にいない方が良いようだわ。』
『それなら、皆、バラバラに動きましょう。私は、駅ビルの中へ向かいます。剣崎さんは、右手にあるホテルの方向へ。一樹さんには私がそっと伝えます』
レイは思念波で答えてから、一樹の手を握り、一樹の思念波に入り込んだ。
一樹は、初めての感覚だった。まるで、体の中にレイが入り込んでいるようで妙な気分になった。
『剣崎さんから、誰かに監視されているからここから離れようと・・私は、駅ビルへ。剣崎さんは右手のホテルへ行きます。一樹さんは、地下へ入って下さい。落ち合う場所は後で連絡します。』
一樹が了解すると、三人は、パッと離れた。
剣崎は、ホテルに入ると、ロビーから、通りの向こうの車の動きを確認した。
暫くすると、車が急発進した。そして、大通りから交差点を曲がっていく。その先は、駅の南口。車の男達は、レイを追っているのだと剣崎は確信した。自分の推察が間違っていた。だが、何故、レイを追っているのか。その時、剣崎は、生方からの伝言、『レヴェナントが現れる』という言葉を思い出した。
「まさか・・。」
剣崎はそう呟くと、すぐに、レイに電話をした。
「レイさん、どうやら、あの男たちはあなたを追っているわ。戻って!」
と告げたところで、レイとの通話が切れた。
剣崎は、すぐに一樹に連絡をし、駅ビル内で合流した。人通りは少なく、南口まで見通せた。レイの姿はない。
『レイさん!』
剣崎は、思念波でレイに呼びかけるが、反応はない。そのまま、南口までゆっくり周囲の様子を探りながら進む。一樹は、トイレやコインロッカー、改札口、あらゆるところを走り回ってレイの姿を探した。しかし、レイを発見できない。
そのまま、南口に出た。タクシー乗り場や一般客送迎の駐車スペースがあり、脇に小さなベンチがあった。一樹が、何か痕跡はないかと必死で探し回っていると、ベンチの後ろにハンカチが落ちていた。確か、これはレイが使っていたものと似ている。
「剣崎さん、これがあそこに。」
一樹はハンカチを剣崎に見せる。
「貸して!」
剣崎は、一樹からハンカチを受け取り、目を閉じ精神を集中し、サイコメトリーでレイのハンカチから残像を見ようとした。
剣崎は神経を集中させる。次第に、映像が浮かんできた。

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2-8 拉致 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎は神経を集中させる。次第に、映像が浮かんできた。

レイは、駅ビルを抜けて、南口に出て来た。
周囲に注意しながら、ベンチに座った。スマホを取り出し、話をしている。
剣崎との会話の時の様子だった。その途中、急に苦しそうな表情を浮かべ、スマホを落とした。
既に危険が近づいているのは明らかだった。
目の前に、男が二人向かってくる。
二人ともサングラスをかけスーツを着ている。ベンチに座っているレイを挟むように、男達が座る。レイの顔が苦痛で歪む。背の高い方の男が、レイの耳元で何かを囁くと、静かにレイとともに立ち上がった。
レイは抵抗する事が出来ない様子で、男達とともに、歩き始め、そのまま車に乗り込んだ。

そこで、サイコメトリーの映像は消えた。

「レイさんは、さっきの男達に連れ去られたわ。」
サイコメトリーを終えて、剣崎は、力なく答えた。
「何てことだ!」
一樹は紀藤署長からレイの身を守ることを条件に、捜査同行を許された。レイが拉致されることは最も起きてはいけない事だった。
「どこへ行ったんだ。何か、手掛かりはないんですか!男達は誰なんです!」
一樹は、疲れた表情を浮かべている剣崎に問い詰める。
「一度、トレーラーへ戻りましょう。」
剣崎はそれだけ言って、カルロスを呼んだ。
すぐに、カルロスが車で乗り付け、剣崎と一樹は、トレーラーへ戻ることにした。
カルロスの運転する車の中で、剣崎は目を閉じたまま、無口だった。
もしかしたら、あの車を発見できるかもしれない。僅かな望みを抱きながら、一樹は、車の中でも周囲の様子に目を凝らしている。
トレーラーに戻ると、アントニオが出迎えた。
レイの姿がない事に気付き、剣崎を見る。
剣崎がアントニオに小さく何かを呟いた。アントニオは小さく頷き、運転席へ入った。
一樹はトレーラーに戻ると、すぐに亜美へ連絡を入れた。
「亜美、この後すぐ、映像データを送る。そこに映っている老夫婦の身元を照会してほしい。」
「判ったわ。・・それから、生方さんからの情報、もう少し時間が掛かりそうなの。それも判ったら知らせるわ。」
亜美は、生方からの情報を手にするまでの間、気になっている事を調べているようだった。
「レイさんを連れ去った奴らは誰なんですか?」
一樹は、ソファに座り目を閉じたまま何も話さない剣崎に向かって、強い口調で訊いた。
「レヴェナントっていう、生方さんからの言葉と関係があるんでしょう?ちゃんと話してください。レイさんの身に何かあったらどうするんですか!」
一樹が捲し立てる。
剣崎は小さく溜息をついて、座り直し、一樹を見て、ようやく口を開いた。
「全てを知っているわけじゃない。ただ、アメリカの機関にいた時、レヴェナントと呼ばれる集団があると教えられたわ。」
「レヴェナント?・・確か、生方さんの伝言にあった・・。」
「そう、その名の通り、存在しないはずの人間。特殊能力を持つ者は、収容所に集められ教育を受ける。そして、訓練を終えた者はCIAの秘密機関に入れられ、スパイ活動や破壊活動を行うことになるの。しかし、その中には、失敗して殺されてしまったり、そのまま行方不明になる者もいる。」
「まさか・・。」と一樹。
「ええ、そうよ。存在しないはずの人間が死んだり行方不明になってしまえば、そこから先は追えなくなる。そうした者が秘密結社を作って暗躍しているという情報があったわ。それを、CIAでは、レヴェナントと呼んでいた。」
「レイさんはその・・レヴェナントに連れ去られたっていうんですか?」
「おそらく、そう。」
「何のために?マリアと関係があるんですか?」
剣崎は答えに困っている。
そこに、アントニオが現れた。
剣崎にサインを送ると、剣崎はモニターの電源を入れた。
画面にはたくさんの顔写真が並んでいる。
「これは?」と一樹。
「昔、私が居た機関のエージェントたち。皆、行方不明や死亡リストにあった人物。アメリカに戻った時、データを抜き取ったの。」
剣崎は、そう言いながらモニター画面を凝視している。先ほど、サイコメトリーした映像の中にいた男を探している。
「いた。この男。」
剣崎が指差すと、アントニオがすぐに、その男のプロフィールを開く。
「ナンバー051・・・。彼は、レイさんと似た能力を持っている。レヴェナントね。」
更に、画面を戻して、もう一人の男を探した。
だが、剣崎の脳裏に浮かんだもう一人の男の顔はなかった。
「レイさんを連れ去ってどうしようというんでしょう。」
一樹が訊く。
「おそらく、マリアの居場所を突き止めるためでしょうね。」
「しかし、その男も同じ能力を持っているなら、レイさんを拉致しなくてもいいんじゃ・・。」
一樹の言葉を遮るように剣崎が言う。
「いえ、彼の能力は、訓練で身につけたもの。レイさんに比べれば、幼子のようなものだわ。マリアに近付くには力不足よ。だから、レイさんを連れ去ったのよ。」
剣崎は、確信をもって答えた。
一樹は、剣崎がもっと重要な事を隠していると直感した。だが、今、問い質しても、剣崎は明らかにはしないだろう。そう考え、それ以上追及するのを止めた。
一樹は一呼吸おいて、剣崎に言った。
「レイさんが居ない中、どうやって、マリアの足取りを追えばいいんでしょう?」
剣崎は、一樹を見て、少し窘めるように言う。
「犯人を追うのは刑事の仕事でしょ?行方不明の少女を探すのに、レイさんの力を借りることはないでしょう?」
剣崎に言われて一樹はハッとした。
知らぬうちに、レイに頼っていた。いつも通り、犯人を追う時と同じやり方で追えばいい事を思い出した。
一樹は、亜美に電話をした。
「何か、判ったか?」
亜美は、橋川署で生方からの第2のメールを待ちながら、一樹から送られてきた映像を調べていた。
「あの老夫婦は、顔認証システムで、身元が判ったわ。住所を送るから。」
亜美はそう言って電話を切った。一樹はレイが拉致されたことを話さなかった。
メールが届く。
「静岡市清水区三保本町・・行ってみましょう。」
アントニオがトレーラーを発車する。ほんの30分の距離だった。高松海岸まで出て、そこから海岸沿いを東へ向かう。近くまで来ると、トレーラーを止め、そこからはカルロスの車で向かった。
いつの間にか、日暮れが近づいている。
夕暮れの町、向かった先は閑静な住宅街だった。大きな屋敷が並んでいた。静岡は温暖な気候、さらにここ、美保は太平洋に突き出した砂州にできた街で、昔は別荘地にもなっていたところだった。
「この家ですね。」
一樹は、亜美から送られたメールの住所を頼りに、老夫婦の家を突き止めた。

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2-9 山科夫妻 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

道路から二段ほど上がった所にある、立派な門の脇についている黒いインターホンを押すと、すぐに上品な女性の声で返事がした。
「警察です。少しお話を伺いたいのですが。」
一樹はすぐに警察バッジを見せる。
すぐに大きな玄関引き戸が開き、白髪の女性が立っていた。女性は少し驚いた表情を見せながらも、剣崎と一樹を家の中に招き入れた。
純和風の作りの家、広い和室の中央に大きな座卓が置かれている。
女性は、二人にここで待つように言い、すぐに奥へ入って行った。暫くすると、大柄な男性が現れ、二人の前に座った。
「山科史郎さんですね?」
一樹が訊く。
「ああ、そうだが・・要件は何かな?」
穏やかだが威厳のある声で、その男性は訊いた。
「名古屋から長距離バスで静岡まで戻られましたね。その時、少女と一緒だったと思うのですが、いかがですか?」
一樹の問いに、山科史郎は一度目を閉じ、何かを思い出そうとする様子だった。
そこに、先ほどの白髪の女性が、お盆にお茶を載せて入ってきた。そして、何も言わず、二人の前に差し出してから、山科史郎の横に座った。
「実は・・その事なんだが・・。」
山科史郎は先ほどとは違い、弱々しい声になって答える。
「よく覚えておらんのだ。」
それを聞いて、隣に座る女性も頷く。
「老後の楽しみで、オーストラリアに旅行に行き、セントレアから名古屋駅に戻ったことは覚えている。だが、そこから静岡駅までの記憶がさっぱりないのだ。妻も同じなのだ。家に着いてからも、何か、妙な気分で・・・」
山科史郎はそう言うと目の前のお茶を飲んだ。隣にいた妻が続けた。
「気づいた時は、静岡駅のコインロッカーの前にいたんです。名古屋駅でバスを待っていたのは憶えているんですが・・。」
どうやら、二人とも、マリアの思念波に操られていたことに間違い無いようだった。
「警察が来られたという事は、その間に、私たちは何か事件にでもかかわっていたんでしょうか?」
妻が心配そうな表情で訊いた。
「いえ・・そういう事では・・。」
一樹はどう答えてよいか判らなかった。正直にマリアの事を聞いても良いものか迷っていると、剣崎が口を開いた。
「すみません。・・あの、スーツケースは旅行に持っていかれたものでしょうか?」
「ええ・・そうですが・・まさか、・・やはり何か、麻薬の密輸とかそういう事に関係したんでしょうか。私たちは何も覚えていないんです。誰かにやらされたに違いないんです。」
妻は、かなり狼狽えて言った。
「ええ、そんな事だと思いますが、念のため、見させていただいても宜しいですか?」
剣崎はさも密輸事件に関与している雰囲気を醸し出して言う。
「ああ、構わんよ。私たちは無実だ。気の住むまで調べてくれ!」
山科史郎は何か開き直ったように言った。
剣崎はすっと立ち上がり、和室の隅に置かれていたスーツケースに近付くと、中身を調べるようなしぐさを見せる。一樹も仕方なくそれに付き合う。
剣崎が一樹に耳打ちする。
「サイコメトリーするから、二人の注意を逸らして!」
一樹は、山科夫妻の前に戻り、手帳を広げて、二人の旅行の経緯を訊き始めた。
その間に、剣崎はスーツケースに両手を当てて、神経を集中させる。
徐々に、剣崎の脳裏に映像が浮かんできた。

夫婦がバスから降りる光景だった。
後ろから、赤いチェックのワンピースを着たマリアが歩いて降りてきた。
降り立つと、すぐに、三人は、駅ビルへ向かっていく。
他の客も前後を歩いていた。もう深夜近くの時間帯で、バスを降りた客たちはそのままタクシー乗り場へ向かっていく。
コインロッカーの前に来た時、三人は急に立ち止まった。マリアの顔を見る老夫婦。マリアは小さく手を振り、その場所から離れていく。
そこで映像は終わった。

あまりに短い映像だったが、コインロッカーの前で、マリアが夫婦と別れたのは明らかだった。
剣崎は、夫婦と話をしている一樹の背を突いた。
「もう良いわ。」
剣崎は小さく呟き、立ち上がった。
「ご協力ありがとうございました。ご心配なく、重大な事件ではありません。駅で不審な人物が目撃され、長距離バスに同乗されていた皆さんの様子を伺っただけですから。」
一樹は言い訳にもならない様な事を話し、とにかく、山科夫婦に不審に思われないようにして、家を出た。
「コインロッカーまでマリアはあの夫婦と一緒だった。そこからどうしたのか判らなかったわ。」
剣崎は残念そうに言う。手掛かりが全くなくなってしまった。
「振出しに戻るしかなさそうだな。」
一樹はそう答えた。見上げると、東の方角に、富士山が見えた。夕日に照らされ赤く染まっている。
トレーラーに戻ると、亜美から連絡が入っていた。
「どうした?何か判ったか?」
すぐに一樹が亜美に連絡をした。
「生方さんからはまだ・・ただ、一樹に送ってもらった映像を何度も見ていてちょっと気づいたことがあったの。」
亜美はそう言うと、駅の監視カメラの映像を見るように言った。すぐに、アントニオが準備をした。
「バスから降りたところで一度停めてみて!」
亜美が電話口で言う。アントニオが画面を停止する。マリアの姿が僅かに判る程度だった。
「気になったのは、その後ろから降りてくる女性なの。」
映像を進めていく。マリアが降りた後、地味なスーツ姿の女性が降りて来る。大きなつばの帽子を被っていて顔までは判らない。一樹と剣崎もその女性を確認した。
「そこから、山科夫婦とマリアがカメラを横切るように駅ビルへ向かっているでしょう?そこにも、あの女性が映っているんです。」
「バスを降りて行く先はタクシー乗り場だから、偶然、一緒の方向だったんじゃないのか?」
一樹が言う。
「ちょっと待って!」
今度は剣崎が口を開いた。
確かに一樹が言う通り、殆んどの客は同じ方向を目指している。だが、その女性はどこか動きが違う。山科夫婦とマリアの少し後ろをついていくように歩いている。
そして、その後の映像に、一樹と剣崎は驚いた。
「どうして?」
そう言ったのは一樹だった。マリアが山科夫婦とともに静岡駅に降り立ったことを見つけたところで、すぐに剣崎たちに知らせるため、その後の映像を見ていなかった。
そこには、コインロッカーの前で、山科夫婦と別れたマリアが、その女性と一緒に、駐車場の方へ向かっていくところが映っていたのだ。
その上、女性とマリアは何か会話をしている。マニピュレーターの能力を使ったわけではなく、マリアとその女性は以前からの知り合いの様に見えた。
「この女性は何者なの?」
剣崎が亜美に訊く。
「判りません。顔認証できる映像がないんです。」

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2-10 謎の女性 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

一樹はすぐに、駅ビルの駐車場管理事務所へ向かった。
駐車場の入り口には、必ず、監視カメラがついている。あの女性が自分の車に乗ったのなら、ナンバーだけでも判るはずだ。そう思って、事務所へ飛び込んだ。警察バッジを見せて、カメラ映像を見せるように話す。
「その時間に出て行った車はありませんよ。」
管理事務所の警備員はやや冷めた表情で言う。
「いや、きっとあるはずだ。」
一樹が語気を強めて言う。
「この駐車場は23時で閉鎖し、翌朝6時までは開かない。だから、出て行った車はないんです。」
警備員はあっさりと言った。
一樹は事務所を飛び出し、バスの降車場、監視カメラ、そして二人が歩いて行った方角、それを再確認する。そこには送迎用の停車スペースがあった。
「迎えの車があったという事か?」
駅ビルの管理室へ向かう。
先ほどと同じように監視カメラ映像を見せるよう要請すると、すぐに用意された。そこには、小さなセダンに乗り込むマリアと女性の姿が確認できた。車のナンバーも確認できた。先ほどの失敗を繰り返さない為に、少し後の映像も見た。
「亜美、車両ナンバーの紹介を頼む。静岡501 あ・・・。」
一樹は管理室からすぐに亜美へ連絡した。そして、映像コピーを入手して、剣崎のところへ戻った。
戻ったところで亜美から連絡があった。
「その車両の持ち主は、須藤英治。住所は、静岡市清水区蒲原・・。」
剣崎は、すぐにトレーラーをその場所に向かわせた。
「いったい、何者なんでしょう?」
亜美から聞いた住所地へ向かう途中、一樹が訊く。
「判らない。ただ、マリアが能力を使わず、会話をしているところから、知り合いと考えるべきでしょうね。でも、日本に知り合いがいるなんてことがあるかしら?」
「あの服装。中年の女性のようでしたが、マリアの身内ということは?」
「両親は事故で3歳の時に亡くし、その後、養護施設に入れられ、そこからアメリカの・・。」
と、剣崎が口にしたところで、一樹が言った。
「その・・養護施設の人間・・例えば、保母さんとか・・。」
「まさか、3歳から2年ほどしか居なかったはず。そんな頃の記憶があるかしら?」
剣崎はそう言うと、運転しているアントニオを見た。
それとなく聞いていたアントニオが首を振る。
「普通の子どもなら、ぼんやりと覚えている程度でしょうが、マリアには特殊な能力がある。記憶能力も特別という事はありませんか?」
剣崎は一樹の話を黙って聞いている。
「その記憶に残っていた女性だったという事は考えられませんか?だから、彼女は能力を使わず、彼女と会話をした。危害を加えられることはないと感じた。」
それを聞いて、剣崎は、
「確かに、そう考えると、一緒に行った説明はつくわね。」
それから、二人は暫く沈黙した。
トレーラーは国道1号線を東へ進み、高い防波堤でどうにか守られている道路を進み、由比の漁港を通過すると、ようやく蒲原へ入った。そこから、住所地へ向かうには狭い道路を進まなくてはならず、後ろにいたカルロスの車に乗り換える。亜美から届いた住所の場所へ向かう。
「ここね。」
車を停め、降りたとたん、一樹が驚いて言った。
「何かの間違いじゃないか?」
目の前には、更地が広がっていた。
「ここじゃなさそうね。」
剣崎も車を降りた。
一樹は、亜美に電話をして、もう一度、住所地を確認し、電子マップで照合する。
「間違いないようですね。」
近くの民家で、話を聞くと、2年前までそこには、何かの施設があったようだが、突然、撤去され更地になったのだと判った。
「持ち主だった、須藤さんはどうされているかご存じありませんか?」
更地から数軒離れた家にいた方からは、「自治会長に、聞いてみてください」という返事が返ってきて、住宅地の入り口にある自治会長宅へ向かった。
「えっ、あの更地の持ち主?須藤さん?」
出てきた頭髪の薄い老人が自治会長だった。老眼鏡で、住民の記録を開いて、覗き込むように見てから、首を傾げた。
「あそこは、須藤さんじゃないよ。富士FF学園という学校が所有していた施設だったはず。子どもの声がしていたから、多分、寄宿舎みたいなものだったんじゃないかな。・・ただ、町内との関係は良くなかったから、よく判らない。」
「関係が良くなかったとはどういうことです?」
一樹が訊く。
「訳ありの子どものようで。先生たちも不愛想だったし、とにかく、不気味な感じがしたんだ。夜中に変な声が聞こえたり、脱走してしまう子どももいて、警察もしょっちゅう来ていたんだ。」
「警察が?」
一樹はそう聞いて、地元警察に情報があるのではと期待した。
「ああ、だが、地元の駐在じゃないようだったな。地元の駐在なら、自治会長の私のところへ事情を説明に来るのが筋だが、一切、そういうことはなかった。」
「警察だとなぜわかったんです?」
「ああ、一度だけ、聞き込みっていうのかい?あんたみたいに突然やってきて、バッジを見せて、変わったことはないかと聞きに来たから。とにかく、不気味な施設だったよ。自治会長としては、撤去されて良かったというのが本音だね。」
「富士FF学園の連絡先は判りませんか?」
「実は、撤去される少し前に、近所の方から苦情があって、文句を言いに行ったんだが、取り合ってくれず、富士FF学園に連絡をしたんだが、電話は通じなかったんだ。一応、これが電話番号だよ。」
そう言って、自治長は、小さな紙切れを渡してくれた。
自治会長の目の前で電話番号を押してみたが、確かに繋がらなかった。
「須藤英治さんという名前に心当たりはありませんか?」
「いや・・ここらでは聞いたことはないな。」
「そうですか・・。」
一樹は、自治会長から聞いた内容を剣崎に伝え、同時に、亜美に『須藤英治』の素性を調べるように頼んだ。
「ここに在った施設に、マリアは一時居たんでしょうか?」
一樹が剣崎に訊く。
「おそらく、そうでしょう。」
「両親を亡くした子どもは、身寄りの者が引き取るか、最寄りの児童養護施設へ入るはずですが・・ここもそういう施設だったんでしょうか?・・・それにしては、怪しい感じがしますね。」
剣崎は一樹の問いには応えなかった。
暫くすると、亜美が連絡をしてきた。
「須藤英治というのは、富士FF学園の理事長でした。ただ、富士FF学園というのは実態がよく判らないんです。学校法人ではなく、社団法人で登記されていました。登記簿では、子どもの福利厚生の事業を行っている事になっていますが、所有する施設は、一つでした。昨年末に解散していました。」
「じゃあ、須藤英治の所在も判らないのか?」
一樹が亜美に訊く。
「いえ、同一人物かどうかは定かではないけど、十里木高原の別荘地内に住所登録している人物はヒットしたわ。もしかしたら、その人じゃないかしら。」
剣崎は亜美からの報告を聞いて、すぐに、十里木高原へ向かう事を決めた。剣崎は何か思い当たることがあるような様子だった。 

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3-1 待合室・・マリア [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

名古屋駅まで到着したマリアは、まず、駅ビルにある書店に行き、旅行雑誌を探して、記憶の中にある、富士山への行き方を調べていた。
何冊かの旅行雑誌を棚から引き出し、探していく。
中ほどにある雑誌を引き出した時、富士山が表紙を飾る雑誌に行き当たった。マリアは、それを開き、地図や交通アクセスのページを憶えた。
新幹線で行くのが最も早いと判り、改札口へ向かった。大勢の人が足早に行き交う。マリアは暫く、目の前を通り過ぎる人達を観察した。富士山へ向かうには、東京方面へ向かう客を捕らえなければならない。だが、静岡に停車する新幹線に乗るかどうかを見極めるのは難しかった。しばらく時間を費やしたが、諦めた。
そして、次に、バスターミナルへ向かった。
駅のはずれにあるバスターミナルには、幾つもの路線が入っている。静岡行きのバスに乗れば確実だった。あとは、そこへ向かう客を捕まえる事だった。
待合室に入り、静岡方面へ向かう客を探す。大きなバッグを抱えた女性、親子連れ、老夫婦、若い男女、様々な人が待合室にいた。ゆっくりと、待合室の中を歩き回り、会話から静岡方面に向かうと思われる人を探した。僅か十歳の子どもが、何かを物色しているように見えた。
その光景は、少し妙に見えたに違いない。スマホを触りながら、待合室の椅子にふんぞり返るように座った若い男が、マリアに目をつけた。
「なんだ?迷子か?」
その男は暫く、マリアの動きをそれとなく見ていた。
待合室の中を、ゆっくりと、何かを探すように一人一人の客の様子を探っている少女は、迷子とは思えなかった。
「あの子、小学生だよな・・こんな時間にどうして?」
その男はますます興味が湧いた。手荷物の一つも持っていない。
「小学生が家出か?面白いじゃないか・・。」
男はすっと立ち上がり、周囲の客の様子を探っているマリアの背後にそっと近づいた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだ?何か探してるのか?」
男は警戒されないよう、優しい口調で声を掛けた。
マリアは、急に背後から声を掛けられて、ビクッとして立ち止まった。
男は、マリアの前に回り込むと、膝を折ってしゃがみこみ、マリアと視線を合わせた。
マリアは、その男から何かしらの悪意を感じ取った。
「一緒に探してあげようか?」
男は妙にゆっくりとした口調で言う。そして、その後に、目線を逸らして、にやけた顔を見せる。明らかに、マリアを小馬鹿にしている。
何も答えないマリアに向かってさらに男は、小さな声で言った。
「おいおい、親切に声をかけてやったんだぞ。何か返事をしろよ。」
そう言ってちょっと怖い顔を見せた。
「日本語が通じないのか?」
更に怖い顔になる。
「家出か?行くところがないんなら、、俺が良いところへ連れて行ってやるよ。」
そこには、明らかに疚しい意思が感じられた。
そして、男は、急にマリアの肩を抱きかかえるようにした。マリアの中に恐怖心が一気に沸き上がる。
「やめて!」
小さな叫びのような声を出すと、男が口をふさぐ。
「おい、声を出すんじゃない!」
もう、男は脅すような声になった。
マリアは、恐怖心から、強く念じた。
『お前なんか、死んじゃえ!』
その思念波は、男の脳を貫く。男は急に力を抜き、その場に座り込んだ。
マリアはすぐにその場を離れ、バス乗り場へ出た。
しばらくすると、倒れ込んでいた男は起き上がる。目は虚ろで、ふらふらとしている。そして、ジーンズのポケットから、折り畳みナイフを取り出した。
そこでようやく周囲の人たちが異変に気付いた。
すぐ傍に居た、若い男女が、怪しい様子に気付き立ち上がり離れた。
男は、ナイフの刃を広げた。
「きゃあ!」
誰かが叫ぶ。
男は、虚ろな目のまま、周囲を見る。そして、何かつぶやいていた。
「死んじゃえ・・死んじゃえ・・。」
それは、マリアが強い思念波で男の脳に植え付けた意思だった。
周囲の人たちが徐々に距離を取る。誰かが待合室から出て行くと、他の人たちも続いた。待合室の中にはほんの数人残っただけになった。
「止めなさい!」
出張帰り風の男が、その男に強い口調で制止した。だが、男の耳には届いていないようだった。
「死んじゃえ・・死んじゃえ・・死んじゃえ・。」
男はそう呟きながら、取り出したナイフを自分の喉に突き立てた。
真っ赤な鮮血が、待合室の中に飛び散る。待合室に残っていた数人も驚いて飛び出す。
「救急車!救急車を!」
誰かが叫ぶ。
男はその場に倒れた。救急隊がついた頃にはもう絶命していた。
ひとしきりの騒ぎに紛れて、マリアは一旦、コインロッカーのコーナーに身を潜めた。
近くから警官もやって来た。その間、マリアはじっと身を潜めていた。
警官は、その場に居合わせた人達に、様子を聞く。
「いや・・あの男が突然、ナイフを取り出して喉を・・。」
一番最後まで、待合室にいた出張帰り風の紳士が警官の聞き取りに答えている。
「その前に何か変な事は?」
警官が訊く。
「いや・・よく覚えていないんですよ・・」
紳士は答えた。
他の人たちにも警官は聞き取りをした。
だが、誰ひとり、マリアに絡んでいた事を思い出せなかった。
そこに、愛知県警の遠藤刑事が現れ、先に聞き取りをしていた警官からひとしきり報告を受けた。
「自殺のようですね。」
警官は決めつけるように、遠藤に言う。
それを聞いた遠藤刑事は首を傾げた。
「自殺?こんなところで、何で自殺を?」
「さあ・・今、身元を調べていますが・・こいつは、最近、この辺りをうろついていた男です。職務質問はしていませんが、怪しい動きをしていたという報告は上がっています。薬でもやってるんじゃないでしょうか?」
駅の駐在所の警官はその男の風体から、ろくな人間じゃないと決め付けている。
「これだけ目撃者がいて、自分で喉を切って死んだという状況から見ても、自殺なんだろう。・・だが、何か理由があるはずだ・・。だいたい、彼はどこへ行くためにここに来た?・・街中なら判らなくないが、普段立ち寄るような場所でもない。自殺というなら、そこまでの経緯を調べてからにした方が良い。」
遠藤刑事は、駐在所の警官にそう言って、もう少し聞き取りを続けてくれるように頼んだ。そして、天井に取り付けられた監視カメラを見つけ、すぐに、駅ビル管理会社へ向かった。
その間、マリアは、コインロッカーの置かれているコーナーの一番奥にじっと身を潜めていた。何度か、コインロッカーに警官も入ってきたが、マリアには気づかなかった。
そしてそのまま、警官たちが立ち去るのを待った。

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3-2 長距離バス [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

夕方近くになり、ようやく周囲が静まった。辺りにはもう警官の姿はなかった。
マリアはようやくコインロッカーのコーナーから出て、再び、バス乗り場に行ってみた。
まだ、一部に規制線は張られていたが、バスは無事に運行されているようだった。
ひっきりなしにバスが到着して、多くの客を飲み込み、出発する。幾つもあるバス停には列ができては消える、繰り返しだった。
マリアは、静岡駅行きのバス停が見える場所で、客を物色している。
若い男は論外。かといって、若い娘も、安い香水の匂いが鼻につき気持ち悪くなる。
親子連れは全員に思念波を送り、操るには苦労するだろう。出張帰りのビジネスマンか、老夫婦が良いと決めていた。
老夫婦は、アメリカでトンプソン夫妻には優しくしてもらった。
トンプソン夫妻は、マリアに何の疑念も抱かず、家に迎え入れ温かく接してくれた。思念波を使うまでもなく、本当の自分を取り戻したような幸せなひと時だった。マリアはふとその時のことを思い出していた。
そこに、老夫婦が大きなボストンバッグを引きながら現れた。白髪の紳士と婦人。どこかトンプソン夫妻と重なって見えた。
「静岡行きのバスに何とか間に合いそうですね。」
白髪交じりの奥さんらしい夫人が、優しく話した。
「ああ、良かったな。さて、チケット売り場はどこかな?」
今度は夫らしき紳士が周囲を見ている。
どうやら、この夫婦は今、ここへ着いたばかりのようで、待合室の騒ぎも知らない様子だった。
二人の会話を聞き、マリアはこの夫婦に決めた。
夫婦は暫く、時刻表やバス路線図を見比べていて、周囲に注意を払っていなかった。
マリアは、そっと、夫婦に近付いた。
「あら?あなたは誰?」
その言葉に、夫の方も立ち止まって夫人を見る。
「おや、誰かな?」
と、夫もマリアに近付く。
夕暮れが迫る名古屋駅。10歳ほどの女の子が一人で居るような場所ではない。
「マリア。」
小さく答えた。
「親御さんはどちらにいらっしゃるのかしら?」
夫人が優しい声で訊く。
マリアは小さく首を振る。
「迷子なの?」
10歳ほどの女の子が迷子というのは少し不自然だったが、その婦人にしてみれば、マリアは随分、幼く見えるのだろう
「迷子なのか?」
今度は紳士の方が、膝を折ってしゃがみ込み、マリアの目線に自分の目線を合わせるようにして確認するように、訊いた。マリアは答えなかった。
「まさか、この子、ちょっと・・。」
夫人がそこまで言葉にして言いあぐねた。
おそらく、知的障害、いわゆる知恵遅れだと思ったようだった。夫人は紳士の腕を突いた。それは、すぐに警察に連絡した方が良いという合図だった。
マリアは、二人のやり取りを見て、トンプソン夫妻とは違うと確信した。この老夫婦は、そこまで寛大ではないようだった。このままでは、警察に連絡されてしまう。
そう思うと同時に、マリアは、老夫婦の前に手を差し出す。
不思議な表情を浮かべて、老夫婦はマリアの手を握った。
その瞬間、マリアは、『静岡まで連れて行きなさい』と強い思念波を放つ。
老夫婦は、一瞬、体を硬直させた。
マリアの思念波が二人の思念波に絡みつき、完全に支配されてしまった。
急に表情を失う二人。
そして、紳士の方が、視線が定まらぬままにチケット売り場へ向かい、大人2枚、子ども1枚の静岡行きのチケットを購入して戻ってきた。
茫然とした状態で、老夫婦はバス停に立っている。
二人の手を握ったままのマリアは、周囲から見れば、きっと孫娘に見えるだろう。行き交う人は誰ひとり不審に思う事はなかった。
暫くすると、徐々に、バス停の前に人が集まってくる。
「静岡行きのバスのお客様、もうすぐバスが参ります。列に並んでお待ちください。」
バス停の前でバス会社の案内役の職員が声を出す。
バスが到着すると、案内人が一人一人チケットを確認し、バスの中へ案内する。
マリアは二人とともに、バスに乗り込んだ。
しばらくすると、バスが動き出した。満員だった。二人用の席だが、幅が広く老夫婦と三人で座るには十分だった。マリアは老夫婦に挟まれる形で座る。
乗客は、皆、疲れているのか、静かに座っている。
夕刻を過ぎ、すでに陽は沈み始めた。静かな車内で、誰かが駅で買った弁当を広げた。特別な匂いが車内に広がり、他の客の数人が、続いて食事を始めた。
マリアも、ここまでまともな食事をしていなかった。車内に充満する弁当の匂いで、一気の空腹を感じた。それが、老夫婦にも伝わり、無表情なまま、夫人が紙袋から、駅で買った弁当を出した。マリアは、それを受け取ると、封を開け、一気に食べた。ただ、1食分では満たされず、もう一つも開けて食べた。それから、ペットボトルの飲料を開け、弁当を流し込むように飲み干した。
無表情で座る老夫婦、間に座った孫娘だけが貪るように食事をしている風景は、奇妙に映ったはずだが、皆、疲れているのか周囲の様子に気を止めるものはなかった。
バスは、東名高速道路に入り、一気に東へ向かって進む。
満腹感と疲労感、そして、時折、リズムを打つように通り過ぎる高速道路のオレンジ色のライトで、マリアは眠くなってきた。このまま眠ってしまうと、二人の思念波の縛りを解いてしまうかもしれない。その時、老夫婦は大いに驚き、車内は騒ぎになるだろう。
マリアは、これまでになく強い思念波を発した。
『眠れ!』
触れている二人だけでなく、周囲の人達にも思念波が届く。老夫婦は、ガクッと首を垂れて眠りに落ちた。そして、周囲の客も徐々に眠ってしまった。
これでいい、暫くは静かになるに違いなかった。
マリアは暫く眠ることにして、夫人の膝に頭を乗せて横になった。
3時間ほどで、バスは静岡駅に到着する。
高速道路を降りた辺りで、マリアは目を覚ました。老夫婦はまだ眠っていた。
外は真っ暗で、目指す富士山は確認できない。マリアはこの先の事を考えながら、流れる夜景を見ていた。
静岡駅に着くのは深夜近くになる。そこからどうするか。
この夫婦についていき、自宅で体を休めるか、それとも、駅でまた別のターゲットを見つけるか。深夜となればそれほどの人はいないに違いない。だが、この夫婦を長時間マニピュレートしているのは、自分にも大きな負担になるのは間違いない。
そんな事を考えているうちに、バスは市街地に入り、もはや駅到着まで僅かな時間となっていた。
その頃、ようやく老夫婦が目を覚ました。まだ、意識は朦朧としていて、マリアに操られたままの状態だった。
駅が見えてきた。
その時、後ろの席から声を掛けられた。
「ねえ、真理亜ちゃんでしょ?」
ふいに名前を呼ばれて、マリアは息が止まるかと思うほど驚いた。
ここに、自分の事を知っている人などいるはずがない。
もしかしたら、施設から連れ戻しに来た人間なのかと思い、振り向きもせず、すぐには返事をしなかった。

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3-3 須藤夫妻 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「ねえ、覚えてない?須藤よ。須藤栄子。」
そう名乗る女性の声は優しかった。それでもマリアは返事をしない。
「憶えてないか・そうよね。あなたにあったのは、まだ、あなたが三才だったから・・。」
マリアはゆっくりと振り返り、その女性を見た。その瞬間、マリアの脳裏には、日本にいた頃の思い出が沸き上がってきた。
この女性は確か、施設の保母さんだった。いえ、お母さんの代わりだった人。
明るい笑顔でいつもマリアの傍に居て面倒を見てくれた。手作りのおやつが何より好きだった。十年ほどの短い人生ではあるが、この女性と過ごした時間は、なににも代えがたい幸せな時間だった。
「栄子ママ?」
マリアの口から思いがけない言葉が出た。自分でも驚いている。
「あら、覚えていてくれたの?良かった。人違いだったらどうしようって思っていたのよ。」
あの頃と同じ笑顔を見せて、須藤栄子は答えた。
須藤栄子は、両隣りに座る老夫婦を見て、訝し気な表情に変わった。
「その人たちは誰?」
マリアは何と答えてよいか判らず黙っていた。
「あなた、確か、アメリカの親戚に引き取られたはずだけど‥。その人たちじゃなさそうね。」
マリアは何も答えなかった。栄子は、マリアがアメリカに行き、幸せに暮らしているのだと思っているに違いない。マリアはそう考えた。
須藤栄子は、マリアの耳元で囁くように言った。
「もしよかったら、私と一緒に来ない?」
マリアは、この先どうすればよいか判らずにいた。
須藤栄子の許なら、暫くはゆっくり過ごせるかもしれない。いや、しかし、施設が自分の居場所を探しているとしたら、真っ先に、須藤の許に来るかもしれない。肯定と否定の両方が頭の中を這いまわる。
「どうする?」
須藤栄子は、もう一度訊いた。迷っている場合ではない。このまま、この老夫婦を操ることは出来ない。それなら、須藤について行った方が良いに違いない。
マリアは小さく頷いた。
バスが、静岡駅に到着した。前方の席から順に客が降りていく。老夫婦もゆっくりと立ち上がり、通路を進む。そのまま、バスを降りると、真っすぐ、コインロッカーに向かった。
入口辺りに着いた時、マリアは思念波を解除した。
老夫婦は、暫くぼんやりとしていた。自分たちが今どこにいるのかさえ判らない様子で、立ち尽くしている。
その様子を見ながら、マリアは老夫婦の許を離れる。直ぐ、後ろには須藤栄子が歩いてきた。マリアに近づくと、そっと、駅の前方を指さした。
「あそこに迎えが来ているから。」
マリアと須藤栄子は、タクシー乗り場を横切り、送迎用の駐車スペースに向かう。
送迎用の駐車スペースには、1台の古いセダンが止まっていた。栄子が近づくと、ヘッドライトを二度ほど光らせて合図した。
須藤栄子は、手を上げて答え、少し早歩きで車に向かう。運転席のドアが開いて、男性が降りてきた。そして、栄子から荷物を受け取り、トランクにしまい込む。
ふと振り返った時、マリアの姿を見た。
「おや?この子・・まさか・・。」
「そう、思い出した?真理亜ちゃんよ。」
「えっ?真理亜?・・でも、どうして?」
その男性は、驚きを隠せない。
「私もびっくりしたのよ。さっきのバスで偶然・・でも、初めは信じられず、ずっと迷っていたの。でも、やっぱり、真理亜ちゃんだと思って、声を掛けたのよ。」
須藤栄子は、嬉々として話す。
「いや・・奇跡だな・・まあ、いい。家までの道中、ゆっくり話しながら行こう。さあ、どうぞ。」
マリアは何も言わずに、ずっと二人のやり取りを聞いていた。
この男性は、須藤栄子の夫、須藤英治だった。
この二人にマリアは三歳から五歳までの三年間育てられた。
実の父や母の記憶は全くなかった。だから、この二人が自分の父母であると信じていた時期もある。三年間、彼らは優しく、何不自由なく暮らしていた。父役である英治は、手先が器用で、いろんなおもちゃを作ってくれた。母役の栄子は、料理が上手く、とにかく明るかった。この二人とともに過ごした時間は、マリアには、かけがえのないものだった。
栄子とマリアは、後部座席に座る。
小さくて古いセダン。シートに座るとどこからかギシギシという音が聞こえる。
「さあ、家に帰ろう。」
そう言って、須藤英治は車を走らせる。
「アメリカの暮らしはどうだった?」
須藤英治がルームミラーをちらちら見ながら、マリアに質問する。マリアは答えられない。その様子を見て、栄子が話題を変える。
「実はね、あなたがあそこを出て行ってから、あの家は閉鎖したの。次に来る子供も居なかったし、私たちも歳を取ったから、もう、子どもを預かるのは止めようって決めてね。今は、山の中の別荘地に住んでいるのよ。静かで良いところよ。」
「ああ、良い所だよ。真理亜もきっと気に入るよ。」
運転席の英治が応えるように言った。
車は、流通センター通りを北上し、新東名・新静岡インターに入る。そこから東へ向かう。深夜遅い時間で、前後を走るのは大型トラックばかりだった。須藤の古いセダンは、法定速度を大幅に下回るゆっくりした速度で走る。時折、大型トラックが「危ないぞ!」と言わんばかりに、パッシングやクラクションで警告して追い抜いていく。
「なあに、1時間ほどで着くから、心配いらんさ。」
須藤英治は、ハンドルを固く握り、前方を凝視しながら運転している。高速道路には慣れていないのが明らかに判る様子だった。
「真理亜ちゃんは、どこか行きたいところはある?」
栄子に訊ねられ、マリアは答えに困った。
アメリカの施設から逃げ出したかった。ただそれだけだったが、トンプソン夫妻の許にいた時、施設からの捜索の手が伸びてきた。咄嗟に、日本に行こうと決めた。そして、僅かに記憶に残っていた富士山が見える場所、そこに行きたいと思ってきた。目指していたところは、この須藤夫婦と過ごした施設なのだった。だが、それが閉鎖されたと知った今、どこか行きたいところと訊かれても、答えはない。唯一言える事は、この夫婦の許に居たい、そういうことに尽きる。
マリアは小さく首を振る。
「まあ、それはゆっくり考えればいいだろう?」
ハンドルを握っている英治がルームミラー越しに言う。
「そうね・・今日はもう遅いし、家に着いたらゆっくりと休むと良いわ。私も少し眠るわ。真理亜ちゃんも、少し眠るといいわ。英治さん、着いたら起こしてね。」
栄子はそう言うと、少し、体を傾け目を閉じた。マリアも栄子に少し体を預ける形で目を閉じた。
久しぶりに、周囲に神経をとがらせず、眠れた。
車は、新東名を降りて、山中の幹線道路を進み、十里木高原の別荘地に入る。
深夜で、周囲は漆黒の暗闇が広がっていて、須藤英治の運転する車のライトだけが、別荘地の中を進んでいく。
「着いたよ。」
英治は、優しく声をかける。
「あら・・早かったわね。」
すぐに、栄子は目を覚ますと、熟睡しているマリアを見た。
「疲れていたのね・・・。」
「そうだろう。たった一人、アメリカからの逃避行。僅か十歳の子どもにできることじゃない。」
「大丈夫でしょうか?」
「まあ、すぐに連絡をしておこう。それほど日数は掛からないだろう。それまでは昔のようにしていればいいだろう。」
二人はそんな会話をして、マリアを抱き上げて家の中に入った。

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3-4 十里木の館 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

マリアは、顔に当たる朝の光の眩さで目を覚ました。綺麗なパジャマに着替え、ふかふかのベッドにいることに気付いた。そして、ここが須藤夫妻の新しい家なのだと判った。
マリアはベッドを降り、ドアを開ける。階段の下から、美味しそうなにおいがする。階段を下りていくと、栄子がキッチンに立って朝食の準備をしていた。
「あら、目が覚めたの?もっと寝ていてもいいのよ。」
栄子は、マリアをちらりと見てそう言うと、手元のフライパンに視線を移す。
「英治パパは?」
マリアが訊くと、キッチンの出窓を指さして、
「庭にいるわ。小さな畑を作っているの。朝食用のトマトとレタスを取っているはずよ。」
と、栄子が言う。マリアは、キッチンの勝手口を開くと、そこには麦わら帽子をかぶった英治の姿があった。
「おはよう。よく眠れたかい?」
英治が、籠に摘んだレタスとトマトを抱えて、笑顔で言った。
その様子をじっと見ているマリアを見て、
「どうだ?真理亜も収獲してみるか?こっちへおいで。」
そう言って手招きする。勝手口にある大きめのサンダルを履き、マリアは庭に出た。
家の周囲には、大きな木々が立ち並んでいる。屋敷の南側は広い芝生広場になっていて、屋敷の建物に近い、南の一角が畑になっていた。
「さあ、これを。」
英治は、収獲用のはさみをマリアに渡す。
「やってごらん。」
英治が、レタスの株元を指さして「ここを切って」と言う。言われるままにマリアは鋏を使うと、まだ、朝露に濡れたレタスの葉を収穫した。
「トマトもやってみな。」
頑丈な支柱にツルが伸び、真っ赤に売れたトマトが幾つもついている。
「ここを切るんだ。」
英治はそう言うと、トマトのへたの付け根を指差す。先ほどと同様に、マリアがハサミを動かす。大きなトマトがマリアの手に乗った。
「じゃあ、これを栄子のところへ持って行っておくれ。」
竹籠にいっぱいのトマトとレタス、ほかにも名も知らぬ葉物が入っていた。キッチンに戻ると、栄子が籠を受け取り、さっと水洗いして、皿に盛る。
「トマトは、スライスした方が良いかしら?それとも、このままかじってみる?」
栄子が、悪戯っぽくマリアに訊く。
ようやく朝食の支度が整い、光が差し込む窓辺の席で朝食を摂った。マリアの脳裏には、アメリカの施設に連れて行かれる前の、穏やかな日々の想い出が蘇っていた。父と母を亡くしたことは、まだ三歳だったマリアにはほとんど記憶がない。須藤夫妻と過ごした日々からの記憶しかなく、とても穏やかで幸せだったことだけが残っていた。五歳から十歳の五年間の空白はあるものの、今、マリアはあの日々と今が確かにつながっているように思えていた。
朝食のパンを手に取りながら、須藤英治は、マリアを見てしみじみと言った。
「あんなに幼くて弱々しかったマリアが、僅か五年でこんなにも大きくなるなんて・・・。」
少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「このまま、ここに居てもらっても構わないからね。」
英治はそう言うと、窓の外を見た。何故か、それを聞いた栄子の顔が曇っていた。
朝食のあと、マリアは少し庭に出てみた。屋敷の周囲には、数軒の別荘があるようだが、人影はなく、静かだった。
北の方角には、木立の間から富士山が見えた。以前に居た家から見えた富士山よりも大きく感じた。
「部屋にお戻り!」
ふいに栄子の声が響く。朝に比べて少し厳しい声だった。
「近頃、不審者が出るってニュースがあったばかりなのよ。ここは別荘地でしょ?普段から人影は少なくて、留守を狙った泥棒も出るのよ。万一、真理亜の姿を見て、どこかへ連れて行こうなんて考える悪人がいるかもしれないでしょ?」
あの特別な力があれば、誘拐犯など造作もない。内心、マリアはそう思ったが、栄子の心配は充分に理解できた。
二階からは、クラシックの交響曲が聞こえている。英治が聞いているようだった。
「真理亜も、英治さんのところに行って、音楽でもどう?」
栄子に言われて、二階へ上がる。階段を上がると左右に幾つもドアが並んでいる。マリアは、そっと音を頼りに部屋に向かう。ノックをすると、「どうぞ」と英治の声が響いた。
ドアを開ける。壁一面にはレコードが並んでいて、部屋の中央にある大きめのソファーに英治は座っていた。富士山が見える北側の窓の下に、古めかしいオーディオ機器が置かれ、大きなスピーカーが四隅にあった。
「真理亜も一緒に聞くかい?」
マリアが頷くと、英治がソファーに座るように手招きした。
マリアは、英治の横に座る。四方に置かれたスピーカーから、まるでコンサートホールのような音が響いている。全身が音に包まれているような感覚だった。
バイオリンの音色がひときわ美しい。
アメリカの施設でも、初めの頃は、大部屋で朝夕、粗末なスピーカーからクラシック音楽が流されていた。情緒の安定に効果的な音楽だそうで、強制的に聞かされていたために、終いには、その音を聞くとかえって情緒不安定になるようだった。だが、今、ここで訊く音楽はとても心地よい。隣に英治が居て、温もりを感じながら聴く音楽は格別なものなのだと知った。マリアは、英治の体に寄り添うように座ってじっと聞いているうちに、うとうととしてしまった。

「お昼に時間よ。」
そう言って、栄子が部屋に入るまでマリアは眠っていた。目を覚ますと、英治もマリアと同じように眠っていた。
「まあ、二人とも、寝てたの?」
栄子はそう言って笑った。
「昼食だから降りてきて。」
そう言って、栄子が部屋を出ると、マリアと英治も続いてダイニングルームに向かう。
昼食はオムライスだった。
「好物だったわよね?」
栄子が訊く。そう言えば、栄子が作るオムライスが好きだった。施設に移ってから、こんな食事をしたことがなかった。貪るように食べた。
「午後から、買い物に行くけど、何か欲しいものはない?」
栄子が、マリアと英治に訊く。
英治は「特にないな。」と答えた。
マリアが答えないでいると、
「遠慮はいらないわよ・・そうそう、着替えの洋服を買ってきましょう。ええっと・・サイズは・・そうね、判ったわ。二人は留守番をしていてね。余り、外に出歩かないようにね。」
栄子はそう言うと、例の古いセダンで出かけて行った。
午後は、英治の書斎にある本を見せてもらったり、英治が長年かけて集めたレコードを見たりして過ごした。
夕方には、栄子がたくさんの食料品や日用品を抱えて買い物から戻って来た。
「これ、真理亜ちゃんに・・どうかしら?」
大きな紙袋の中には、衣服が幾つも入っていた。
「下着類は、前の施設で使っていた物を少し残してあるから使えば良いけど、洋服はやっぱり、流行りの物を着なくちゃね。」
栄子は満面の笑みを浮かべて、マリアにその包みを渡した。マリアはその日、自分の部屋で栄子からもらった洋服をベッドに並べた。アメリカの施設では、白い洋服だけしかなかった。この世には、白い服しかないのかと思うほど、洋服に関して感覚が麻痺していた様に思う。
目のまえに広がる洋服は、マリアをこの上なく幸福感で満たしてくれるのだった。

そんなふうにして、数日、穏やかに過ごした。

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3-5 怪しげな車 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

いつものように、朝食を終え、英治と音楽を楽しんでいた時、玄関チャイムが鳴った。
「私が出るわ。」
キッチンから栄子の声が響く。玄関ドアを開けて、栄子が外へ出て行く音が聞こえた。
ここに来て二日ほど、須藤夫妻としか顔を合わせていなかった。この世界に須藤夫妻とマリアだけが生きているのではないかとさえ感じていた。
不意の来客で、マリアは一気に現実に引き戻されたように感じた。自分を探しているアメリカの施設がここを突き止めたのではないか。そう思うと、マリアは急に怖くなった。この幸せな日々が無くなる。マリアは、来客が誰なのかを探ろうとした。
目を閉じ、能力を使おうとした時、英治がマリアの肩に手を置き、声を掛けた。
「真理亜、今日はこの曲にしよう。良いかね?」
ハッと気づいて目を開ける。能力を解放する前だった。
「宅配だったわ・・・英治さん、何を注文したの?」
玄関から、栄子の声が響いた。
「ああ、そうだった。・・いや、アンプの調子が悪くて、真空管を手配したんだよ。なかなか手に入らない代物だからね。探すのに苦労したんだ。今、取りに行くよ。」
英治は、そういうと、オーディオルームを出て行った。
マリアは大きく息を吸った。
もし、あの時、能力を解放していたら、きっと、英治を苦しめていたに違いない。
不用意に能力を使うのは止めよう。ここに居る間はきっと心配ない。マリアは心の中でそう誓った。
窓の外を見ると、庭に栄子と英治の姿があった。
宅配の箱を抱えた英治が、栄子から何かを告げられている。
そして、英治は困った表情を浮かべているのが見えた。貴重な品物だと言っていたのだから、恐らく高価なものなのだろう。それを栄子に咎められているのだろう。そんな風にマリアは想像していた。
ふと、視線を富士山の方向へ向けると、別荘地の道路にトラックが止まっているのを見つけた。運転席の男は、黒いスーツを着ている。とても宅配のドライバーとは言えない格好をしている。そして、その男は、じっとマリアたちのいる屋敷を見ていた。
マリアの姿を確認すると、トラックは急発進して、その場を去った。
ぼんやりと、マリアはトラックを見送った。

暫くすると、英治が宅配の箱を抱えて、オーディオルームに戻って来た。
「見てみるかい?」
英治はそう言って、箱を開く。見た事の無いような形をしたガラスの棒状のものが、大事そうに包まれていた。英治はそっと、その物体をつまみ上げた。
「これが真空管。もう作っているところは減っていてね。ようやく見つけたんだよ。このアンプには欠かせないものさ。」
英治は、そう言って、ラックに収まっているアンプをゆっくり取り出して、テーブルの上に移動すると、カバーを開く。幾つも似たような部品が並んでいる。その一つを慎重に外すと、手に入れたものと交換する。そして、また、先ほどとは逆の手順でアンプをラックに収めて電源を入れた。
「さあ、どうかな?」
ターンテーブルにレコードをセットして、針を落とす。柔らかな音が室内に広がっていく。
「ああ、やっぱり、良いな。この柔らかい音はあの真空管独特のものだなあ。」
マリアにはよく判らなかった。
だが、英治が満足げな表情でそういうのだからきっとそうなのだろうと思う事にした。
「真空管はね、とても繊細なんだ。人が作ったものなのに、一つ一つ個性があって、アンプとの相性もある。大事に扱わないとすぐに壊れてしまうんだよ。」
英治は、音楽を聴きながら、独り言のように優しく話した。
キッチンには、栄子が居た。栄子は、届いたばかりの宅配の箱を開ける。日用品をいくつか注文したようだった。そして、全ての商品を出し終えると、箱の下敷きの段ボールを開く。そこには、書類と小さな錠剤が入っていた。
栄子は少し神経質な表情を浮かべて、その書類を読んでいる。そして、錠剤をしげしげと見つめたあと、冷蔵庫の奥へしまい込んだ。
一通りの動作を終えると、栄子はダイニングの椅子に腰かけ、大きく溜息をついた。
それから、スマホを取り出して電話を掛けた。
「はい、須藤です。届きました。」
電話からは、くぐもった男の声が聞こえた。
「今のところ、予定通りです。」
栄子が告げると、また、ひとしきり、男が何かを話している。
栄子は、何度か頷きながら、男の話を聞いている。
「大丈夫です。気づかれてはいないはずです。」
そして、また、男が何かを話した。急に、栄子の顔が曇る。
「そんな事・・。」
栄子がそう答えると、電話口の御子との声が強く響いたようだった。
「判りました。でも、大切にして。」
栄子の話が終わらぬうちに、電話は切れたようだった。
それから、2階へ上がる階段の方を見つめて、再び、溜息をついた。
オーディオルームにいたマリアは、レコード1枚が終わると、リビングへ降りてきた。栄子の姿はなかった。
マリアは、なにか不穏な空気を感じた。思念波ではなく、直感的になにか良からぬものが近づいてきているような気がした。
「栄子ママ!栄子ママ!」
栄子のみに何か良からぬことが起きたのではないか、そんな感じがして、マリアは大きな声で栄子を呼んだ。しんと静まり返ったリビング。その声に驚いて、2階から英治が降りてきた。
「どうしたんだい、真理亜。」
慌てた様子のマリアを宥めようとして、英治はマリアの頭を撫でた。その瞬間、僅かだが、真理亜の思念波が英治の中に入ってしまった。英治は体を震わせて、その場に座り込んだ。
「英治パパ!」
叫び声を上げてマリアは英治に呼びかける。英治は意識を失っていた。
「どうしたの?」
庭から籠を抱え、慌てて栄子が入ってくる。
「パパが・・」
マリアは大粒の涙を溢して、英治の体に縋っている。栄子には何が起きたのかすぐに判った。マリアがまだ、英治たちの元で育てられていた時、似たようなことが何度かあった。そして、それが、マリアが持つ特殊能力であることも、栄子は知っていた。
「大丈夫よ。すぐに気が付くわ。・・時々、そうなるの。持病なのよ。」
栄子は、平然とした雰囲気で、マリアに言った。
いや、そうじゃない、自分が特別な力を使ってしまったからだと、マリアは告げたかった。だが、それを知れば、きっと、須藤夫妻の許に居られなくなるにちがいない。そう考えたマリアは、ただ泣くだけだった。
「しっかりしてよ。」
栄子はそう言いながら、倒れ込んでいる英治の体を何とか支えて、ソファに運んだ。
「大丈夫、大丈夫。1時間もすれば気が付くわ。ちょっと、彼を見ててね。薬を持ってくるから。」
栄子は、寝室に行き、栄養剤の錠剤を手に戻って来た。
「真理亜、お水をお願い。」
栄子は、マリアからコップの水を受け取り、英治の頭を少し持ち上げ口を開かせて、ビタミン剤を何とか飲ませた。別に効果があるわけではない。ただ、持病の薬だとマリアに思わせるためだった。
栄子の言った通り、1時間ほどで英治は目を覚ました。
「あら、気が付いた?・・疲れているのよ、寝室でお休みなさい。」
栄子は、英治にそう言い、寄り添うようにして、寝室へ向かった。

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4-1 十里木高原 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

十里木高原へ向かう途中、剣崎はずっと押し黙ったままだった。
一樹は、剣崎はいつもとは随分違って神経質に見え、何かに怯えているようにも感じられた。
「剣崎さん、何かあるんですか?」
一樹は思わず訊いてしまった。
そう訊かれて素直に打ち明けるタイプの人間でないことはとうにわかっていた。だが、どうにも我慢ならず、訊いてしまったのだった。
剣崎は、一樹をちらりと見たが、目を伏せ、やはり何も語らなかった。
十里木高原は、富士の裾野のある、愛鷹山の北の山間に位置しており、大型リゾート施設やゴルフ場などがあり、大きな観光地でもある。
その一角に、十里木高原の別荘地が開かれていた。別荘地は幾つかの区画に分かれていて、亜美が教えた住所地は、別荘地B区画のはずれに位置していた。
トレーラーでは動きづらいため、別荘地入り口にあるドライブインに停め、そこからは、カルロスの運転する車に乗り換えた。
閑静な別荘地と言えば聞こえは良いが、空地となっているところも多数ある。さらに、長年放置された建物もあり、辛うじて、道路だけは整備されていた。入口に管理会社の建物はあるが、無人になっていて、暫く使っていないように見えた。
道幅は比較的広い。私道の為か、舗装はあちこちで剥がれていて、応急処置したような跡が所々にある。外周道路と区画内に通じる道路が網の目のように繋がっていて、敷地内のあちこちに立っている看板で現在地を確認しないと迷子になりそうだった。外周道路の外側は、半ば原生林に近く、手入れも出来ていない為、倒木も見える。蔦が絡まり苦しそうな木々もあった。
外周道路からしばらく進み、A区画からB区画へ入る。A区画に比べ、どの家屋も大きく立派だった。
「ここのようですね。」
住所地には、コンクリートと石で造られた建物があった。
かなり古いようだが、頑丈そうな建物で、研修所にでもなりそうな巨大な別荘だった。外から見る限り、放置されたものとは思えない。玄関回りも庭も綺麗に手入れされている。垣間見える庭には、緑の芝生が広がっている。
入口の門も石作りで、「須藤」という名前が辛うじてわかる小さな表札があった。
「行きましょう。」
一樹が車を降りようとした時、剣崎が制止した。
「今は止めておきましょう。」
剣崎は、先ほどから何か苦しそうな表情を浮かべている。
「どうしてですか?ここまで来たんですよ!」
一樹は剣崎の言葉が信じられず、思わず大きな声を出した。
剣崎は、右手で頭を少し押さえながら、一息置いてから言った。
「もし、そこにマリアが居たとして・・・今の・・私たちに保護できると思う?」
少し息遣いも苦しそうだった。
「どういうことですか?」
「彼女にとって私たちは得体のしれない人間、警戒するはず。あの施設へ連れ戻される。そう思った時、彼女はどうするかしら?」
名古屋の事件を思い出せば、容易に想像できた。
自分で命を絶つか互いに殺し合うか、いずれにしても無事ではいられないだろう。命があったとして、山科夫婦の様に、一切の記憶を失ってしまうかもしれない。余りに無防備なのは明らかだった。
「しかし、彼女の所在を突き止めなければ・・。何か方法はないか・・。ここまで来て・・。」
一樹が悔しさを隠しきれずに言う。
「レイさんが居れば、きっと・・。」
と、剣崎もくやしさを隠さず言う。
「ワタシガイクヨ!」
運転席にいたカルロスが口を開いた。
「ダイジョウブ。ダイジョウブ。」
カルロスに特別な力があるわけではない。警戒され、命を奪われるようなことがあっても、それは自己責任。誰も悲しむ者はいない。何か起これば、そこにマリアがいることは明らかになると言いたげだった。
「ダメ!一旦、戻りましょう。」
剣崎は強い口調で言った。
車が動き出し、大通りに戻るため、一旦、山手の方へ向かった時、ちょうど須藤の別荘を正面から見る角度になった。芝生の広がる庭、そこに向かって大きく開いた窓があった。そこに、人影が確認できた。そこに、少女の姿があった。一樹は、その少女と目が合ったように感じた。
そのとたん、一樹は、頭の中に強い衝撃のようなものを感じ、「うっ」と声を上げて、のけぞった。
「いけない!」
剣崎が、急変した一樹に驚いて、肩を揺する。
「しっかりして!」
そういうマリアも随分つらそうな表情を浮かべている。
一樹の頭の中には、マリアの思念波が絡みついている。
一樹の意識は、今、幾つもの縄に縛られていた。そして、その縄は徐々に締まってくる。
息さえも出来ぬような感覚。
そして、繰り返し頭の中に響くのは、『あなたは誰?』という言葉だった。
抗おうとする一樹の意識は、さらに苦しく締め付けられる。
一樹は完全に意識を奪われている。

「カルロス!急いでここを離れて!」
別荘地から大通りへ出る道を急いで走り降りる。
何度かタイヤが鳴り、何とか別荘地を抜け、途轍もない勢いで通りへ飛び出してきた車は、そのまま、道路を横切り茂みに突っ込んだ。
ドライブインに停まっていたトレーラーから、アントニオが慌てて走り寄って来た。
「ボス!BOSS!」
アントニオがドアをこじ開け、剣崎を抱き上げ運び出す。一樹とカルロスが運び出された時、剣崎が目を覚ました。
「しっかりしなさい!」
剣崎は一樹の頬を打つ。
何度か頬を打たれて、一樹はその痛みで徐々に意識が戻ってきた。そして、大きく息をついた。
一樹がゆっくりと目を開ける。
目の前には剣崎の顔があった。
「やっと、気がついたようね。」
剣崎は、安堵の表情を浮かべた。だが、当の剣崎も、額や目から血を流している。
「カルロス、大丈夫?」
必死に運転していたカルロスは完全に意識を失ってしまっていた。
無意識のうちに運転をしたようだった。
「彼なら大丈夫!」
アントニオが介抱している。
「私は何とかバリアを作って意識を守れたけど、あなたたちまでは守れなかったわ。」
一樹はまだぼんやりとしていた。
頭の中に、小さな虫が入っているような、気持ちの悪い感覚が強く残っていて、自分が自分ではない様な、そんな感覚もあった。
「マリアはやはり力の制御ができないようね・・・。あそこにいるのは判ったけど・・。」
剣崎はそう言うと、マリアが潜む別荘の方角を見る。
アントニオが一樹とカルロスをトレーラーに連れて行き、休ませた。カルロスは比較的早く回復し、茂みに突っ込んだ車を動けるようにして、修理のため市街地へ戻った。
一樹は、まだ、マリアに操られているのか、ぼんやりとした表情で、ベッドに横たわっている。
剣崎は、暫く、ここで、マリアたちの動向を監視する事にした。

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4-2 生方からの情報 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

丸一日が過ぎた頃、亜美から、三島駅に着いたという連絡が入った。カルロスが、駅まで迎えに行き、夕刻にはトレーラーに戻って来た。
亜美は、石堂りさを伴っていた。石堂りさは、前の事件でMMという組織から追われ、新道レイの許に匿われていた。
トレーラーのベッドルームで、ぼんやりとした表情を浮かべて横たわっている一樹を見て、亜美は言葉を失った。
剣崎が一通りの経緯を簡潔に話したところで、亜美はようやく平静になれた。
「元に戻るんでしょうか?」
亜美は剣崎に訊いた。
「判らない・・今は、まだ、マリアの強い思念波が意識の中に絡みついているのだと思うわ。徐々に薄れていくとは思うけど・・。」
実のところ、剣崎は、三保の老夫婦の姿を思い出し、もしかしたら、これまでの事を全て忘れてしまっているかもしれないと心配していたのだが、亜美には告げなかった。
「おそらく、彼はマリアの姿を見たのでしょう。私やカルロスよりも影響を受けているのが証拠。彼女は、あの別荘にいる。」
剣崎はそう言うと、マリアが潜んでいる別荘の方へ視線を向けた。
「レイさんは?」
亜美は、レイが拉致されたことを、ここへきて初めて知った。石堂りさも、心配な表情を浮かべ、剣崎の答えを待った。
「レヴェナントと呼ばれる組織に拉致されたのは確か。ただ、今、どこにいるのか。彼らには特殊な能力がある。駅前の監視カメラやNシステムもきっと改ざんされているでしょう。厄介な相手が関わってきてしまったわ。」
剣崎が答えると、石堂りさが訊いた。
「無事なんでしょうか?」
りさは、レイの許に匿われ、新しい人生を送ることができている。レイは命の恩人である。自分の命と引き換えにしても守らねばならないと自分に誓っている。
「きっと大丈夫。おそらく、彼らは、マリアに接触する為にレイさんの能力を必要としたはず。目的を達するまでは無事よ。」
「でも、目的を達した後は・・。」
と、りさが呟くと、剣崎はりさの目を見て言った。
「そうはさせない。彼らより早く、マリアに接触し、保護するの。りささんも協力して。」
「はい。私にできることは何でもやります。」
りさは、MMという組織で短期間に高度な訓練を受けていた。一樹や亜美よりも高い戦闘能力を持っており、それは、カルロスに匹敵するものと言えるだろう。
「剣崎さん、これを見てください。」
亜美は気を取り直して、カバンからパソコンを取り出し、モニターに接続した。
モニターには、いくつかの鮮やかな色どりの絵画が映し出された。
「これは生方さんから送られた映像データです。」
絵画などの映像を使って暗号文を送る手法は以前にも見た事がある。だが、大抵は、単純な方法ですぐに解読することができる。そういう類のものを生方が送って来たのかと、剣崎は余り期待できない様子を見せた。
「そして、これをこのアプリで開くと・・。」
亜美はそう言うと、マウスをクリックした。
モニターに映っていた絵画が徐々に色を失っていく。そして、さらにもう一度クリックすると、絵画が、いくつかの表や文字へ変換されていく。
剣崎はじっとモニターを見つめている。初めて見る暗号手法だった。それ程まで細工された暗号で送る情報は、恐らく、極めて危険な情報に違いなかった。
「これは・・・。」
剣崎がモニターを見つめながら口を開く。
「判りますか?」
亜美が剣崎に訊く。
「ええ・・これは、あの施設で作成された文書ね。・・似たようなものを見たことがあるわ。」
「それはたぶん、剣崎さん自身のデータ文書でしょう?」
亜美が、いくつかの会がデータから浮かび上がった文書を並べながら剣崎に訊く。
「ええ、そう。私が施設からFBIへ行く時に渡された文書の束・・・施設での研究データや私の能力に関する記録だったはず。でも、どうしてこんなものが・・。」
剣崎は驚いた表情を浮かべて訊いた。
「生方さんは今、そういう仕事をしているそうです。」
剣崎は哀しげな表情を浮かべ、
「無事だと良いけど・・。」
と呟いた。
「一通り、この文書を読んでみました。剣崎さんが話された通り、マリアは途轍もなく恐ろしい能力をもっています。施設内でも何人も自殺する事件が起きているし、周囲にいる人間は無事では済まない。早く保護しないと大変なことになりますね。」
亜美の言葉に、剣崎は、なにをいまさら・・という表情で聞いていた。
「ただ、どうしても内容が判らない文書があるんです。」
亜美はそう言うと、手書き文字の文書の画像をモニターに拡大した。
それは、ノートをコピーしたようなものだった。数字やアルファベットがぎっしりと並んでいて、これを書いた人物はとてつもなく几帳面か、変質的な性格ではないかと思える代物だった。
「これは暗号文書ですね。」
横で見ていた石堂りさが口を開く。剣崎は小さく頷く。
「読めますか?」
更に、石堂りさが剣崎に訊く。
「いえ・・判らない。おそらく、あの施設で書かれたものではないわ。あの施設の情報は外には出ないことが前提だから、暗号化する必要がないから。他の文書は暗号化されていなかったでしょ?」
剣崎は石堂りさを見て、返答した。
「ええ・・。」
剣崎は再び、その暗号文書に目を向ける。
何かヒントになるものはないか、暗号文書はFBIでは幾つも目にしてきた。もしかしたら、そのどれかに近いものではないか、そう考えながら丹念に並んでいる数字を読み解こうとした。だが、皆目見当がつかない代物だった。
「おや、これは?」
剣崎はモニターに近付き、暗号文書の画像の隅の方を食い入るように見た。
そこには、数字とは違う、記号のようなものがあった。
「これは何かしら?ここをもっと大きくしてみて。」
亜美が言われた通りに画像の一部を拡大する。
余り画質が良くない為、拡大すると粗くなり、それ自体がどういう形かさえ判らなくなる。何度か拡大や縮小を繰り返しているうちに、何とか文字らしきものと判読できるものになった。
「これって・・勝という文字じゃないかしら?」
剣崎の言葉に、亜美と、りさも、モニターに近づいてじっと見つめる。
「ええ・・そう読めますね。」
りさが答える。
「文字からすると、日本で書かれた文書ね。あの施設やFBIの文書じゃない。富士学園かしら?」
剣崎が言う。
「えっ、富士学園ですか?。しかし、あそこはマリアを一時保護していた児童養護施設ですよね。そこが、こんな暗号のような文書を?」
亜美が反論するように言う。
「富士学園は普通の児童養護施設ではないはずよ。アメリカの特殊機関と繋がっているのは確か。もしかしたら、あの機関の日本支部という可能性だってあるわ。」
剣崎が言う。
「何のために、アメリカの特殊機関が・・。」
亜美の疑問はどんどん広がっていく。

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4-3 富士FF学園 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎は、十里木高原に来る前に、須藤夫妻の所在を探して、静岡市蒲原の住所を訪ね、富士FF学園に行きついたことを亜美に話した。そして、その学園がすでに閉鎖されていたこと、周囲の住民から迷惑な存在だったこと等を伝える。
「でも、それだけじゃ、怪しいと決めつけるのは早計だと思います。」
亜美は反論する。
「よく考えてみて。マリアが日本に来て、名古屋から長距離バスに乗った。そしてそこに、昔の施設の親代わりの女性が乗り合わせた。・・そんな偶然があるかしら?」
剣崎が言う。確かにその通りだった。あまりにも出来過ぎている。
「それに、私たちが静岡駅に着いた時、レヴェナントに監視されていて、レイさんが拉致された。私たちの動きは知られているのよ。須藤夫妻とアメリカの施設、あるいは、レヴェナントと関連があるのは明らかじゃないから?」
そうなると、マリアは、すでに、レヴェナントか、特殊施設の手中にあるということになる。
「あの暗号文、勝という文字を解明するには、富士FF学園の正体を突き止めることが必要のようね。」
剣崎は亜美に言う。
「しかし、一樹やレイさんは・・。」
と、亜美が不安そうに言うと、
「矢澤刑事はもうすぐ回復するでしょう。そして、レイさんはおそらくマリアと接触するために必要だと判断したから拉致したに違いないわ。それなら、恐らく、レイさんは無事。マリアの動きは私たちがここで監視しているから、あなたは富士FF学園の正体を突き止めるのよ。」
剣崎の言葉は、亜美への指示だった。
直ぐにカルロスの運転で、亜美とりさは、蒲原へ向かった。
一樹や剣崎が一度訪れ、周囲の聞き込みは終わっている。そこで掴めなかったものを探さなければならない。亜美とりさは、富士FF学園の跡地の前に立ち、考えていた。
「ここは富士FF学園の本体なんでしょうか?」
りさが呟く。
「ここは、余りにも狭くありませんか?どこかに本部があるんじゃないでしょうか?」
りさはMMという組織に居た。
MMは、全国にいろんな施設を持ち、一つ一つでは何をしているのか判らないよう偽装していた。そして、本部は、予想もできない様な所に置かれていて、組織の人間さえ知る者は少ないようになっていた。富士FF学園が、アメリカの特殊機関と繋がっているとしたら、当然そういうカモフラージュがされていたに違いない。りさの言いたいことは判る。だが、どこを探せばよいのか、見当もつかない。
「更地になっているという事はまだこの土地の持ち主は富士FF学園の関係者の可能性があります。」
二人はすぐに、法務局へいき、登記簿などを入手した。りさの言う通り、登記簿から、土地の持ち主は須藤夫妻ではなく、IFF研究所という会社のものだと判った。
亜美とりさ、カルロスの三人は、法務局前にある小さな喫茶店に入り、昼食を摂りながら、これからの事を相談することにした。店の一番奥の席に座り、サンドイッチとコーヒーを注文する。そして、法務局の書類をテーブルに広げた。
「富士FF学園は、この会社の一部門だったようね。」
亜美がグラスの水を飲んでから言った。
りさが、もう一つ書類を広げる。IFF研究所のものだった。登記簿には、IFF研究所という会社の役員名簿があった。理事の名前が並んでいる。
「理事なんて、おそらく、みんな、名義貸しでしょう?」
サンドイッチとコーヒーが運ばれてきて、それをつまみながら、亜美が言う。
「この理事長が組織のトップでしょうか?」
りさが訊く。
「そうとも限らないでしょうね。実際に会社を動かしていたのは、ナンバー2という事もあるから。順番に当たってみるしかなさそうね。」
亜美が、大きな口を開けて、厚めのハムサンドを一気に食べる。りさも大きく口を開けてサンドイッチを食べると、コーヒーで一気に流し込む。のんびり、食べていたカルロスは慌ててサンドイッチを頬張ると、亜美たちを追って店を出た。
「さあ、行きましょう。」
店を出て、まず、理事長宅へ向かった。
静岡市内の住所だったが、そこは、既に大きなマンションに建て替わっていた。
周辺で尋ねたところ、2年ほど前に、事故で亡くなったとのことだった。住民は余り口を開こうとはしなかった。どうやら、不可解な事故のようだった。
副理事長宅は、浜松市だった。
東名高速で2時間ほどで着く。だが、そこも、空き家になっていた。2年前、首をつって自殺したんだと、隣家の住人が、声を潜めて話してくれた。
「どういうことでしょう?」
りさが呟く。
「理事長が不慮の事故、副理事長が自殺。IFF研究所というところは、もう充分に怪しいわね。」
亜美が答えた。
「常務理事は、隣町のようですし、この人物が組織のトップかもしれません。行きましょう。」
常務理事は磯村という人物だった。街はずれの住宅街にひと際大きな敷地の総2階の大きな家、門柱に磯村の表札が出ていた。
インターホンを押すと、すぐに返答があった。インターホン越しに、IFF研究所と富士FF学園の事を伺いたいというと、すぐに玄関が開いて、40代くらいの男性が慌てた様子で現れた。
その男性は、家の中を少し気にしながら、門の外まで出てくると、二人に言った。
「ここでは充分にお話しできません。大通りに、ピアンというレストランがあります。そこで待っていて下さい。あなた方が知りたい情報をきっと持っていきますから。」
そう言うと、その男性は、また、慌てた様子で家の中へ戻って行った。
「彼が磯村常務かしら?」
二人は指定されたレストランに入り、待つことにした。
30分ほどすると、先ほどの男性が、カバンを抱えて店の中に入って来た。
周囲を気にしている。その男性は、レストランのキッチンに入り、オーナーシェフと何か話している。すると、オーナーシェフが静かに客席にやってきて、「どうぞ、あちらに」と言って、奥の部屋を示した。
話をするのに、目につかない場所の方が良いという事なのだろう。言われるままに奥の部屋に入る。
キッチンの脇にある通路を進むと、小部屋があった。大きな椅子が4脚と、どっしりとしたテーブル。特別な客のための部屋のようだった。
二人が椅子に座ると、その男は対面に座った。
「磯村健一と申します。」
男は、深々と頭を下げる。
何か、謝罪しているかのような振る舞いだった。
「磯村健一さん?いや、私たちは磯村勝さんに話を伺いたくて来たんです。勝さんは?」
予想外の人物の登場に、亜美が少し苛立ったように訊いた。
「すみません。父は病気なんです。数年前に、精神を病んでしまい、今は、とてもお相手できる状態ではないのです。それで私が代わりに参りました。」
「いつからです?」
「2年ほど前でしょうか。ある日突然でした。すぐに、幾つか、精神科や脳外科も受診したのですが、原因不明で、とにかく、意味の分からない言葉を一日中つぶやき続けていて、まともにお話しできる状態ではありません。富士FF学園という名を耳にすると、興奮でして、自傷行為を起こしてしまいますから、家ではお話しできなかったんです。」
偶然とは思えなかった。理事長も副理事長、そして常務理事まで2年前に亡くなったり、精神を病んでしまったりしていた。
「まさか、他の理事の皆さんも?」と、亜美が訊く。
「えっ?ええ。」
そう答えた磯村健一は、少し不思議な反応をしている。
「そのことで、刑事さんは我が家に来られたんじゃないんですか?てっきり、あのことを捜査されているのかと思いました。」
「いえ。」
と亜美が答えると、磯村健一は、抱えていたカバンの腕を緩め、何かほっとした表情を見せた。

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4-4 磯村健一 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「あのこととは?」と亜美が訊く。
「IFF研究所の事件のことかと・・」
「IFF研究所の事件って、一体、何かあったのでしょう?」
ここまでの捜査で、富士FF学園やIFF研究所に関わる事件は、全く浮かんでいない。大きな事件であれば新聞でも報道されているはずだが、亜美も、りさも、全く知らなかった。
「いったい何があったんですか?」
亜美が磯村健一に改めて訊ねた。
「いや、なにがあったというわけではないんですが・・。」
磯村健一は、どこから話せばよいのか迷っている様子だった。
「私は、当時、IFF研究所の一職員でした。父が常務理事だったので、いわゆるコネ入社です。前職は教員でしたが、いろいろあって退職したのを機に、父のコネで入社して、書類整理などの雑用をしていました。」
磯村健一は、落ち着いた口調で、柔らかな笑顔で、はっきりとした目鼻立ちをしていて、大手企業の管理職くらいにみえるのだが、実際はどうも違うようだった。
「IFF研究所というのは、どういう会社なんですか?一体何の研究をしていたんでしょう。」
りさが訊ねる。りさは、IFF研究所に、あのMMという組織と同じ匂いを感じていた。
「さあ、一体、何を研究していたんでしょうね。よく判らないんです。」 
磯村健一は、本当に知らないようだった。
「よく判らないって・・そんな。処理整理などをされていたのなら、ある程度、内容はご存じだったのではないですか?」
りさが重ねて訊く。
「書類整理はしていましたが、殆んど、経理関係の書類でした。収支は安定していました。研究所の収入は、大半が寄付金でした。」
「寄付金?」
今度は亜美が訊く。
「ええ、いろんな会社や財団。個人からもありましたが、ほとんどは、少額なところばかりでした。高額な寄付金は、確か、アメリカの財団からでした。たしか、F&F財団だったと思います。時々、その財団から研究所に視察に来ていました。」
「F&F財団?」と亜美。
「ええ、確か。そこも何か研究機関だったように思います。視察に来られた時、研究員が対応していましたから。」
亜美は、すぐに『F&F財団』を検索した。ネット情報では、F&F財団は、IFF研究所が閉鎖された同じ年に解散していた。
「研究員が居たのなら、研究資料とか残っているんじゃないんですか?」
りさが訊く。
「いえ・・それが・・。」
磯村健一はそう言うと、テーブルに置かれたコーヒーを一口飲んだ。
「実は、2年前、研究所で火災が起きたんです。研究員が焼身自殺を図り、それが引火して、研究所は全焼しました。」
「研究データはどこかに保存されていなかったんですか?」
りさが訊く。
「実は、研究員3人が全て、データを消去し、サーバーも破壊して、研究記録は全て失った状態で、焼身自殺を図ったんです。施設中にガソリンをまいて、爆発的な火災だったようです。」
それ程の火災事故であれば、当然、記録されているはずだと考え、亜美は警察のサーバーにアクセスして記録を調べてみた。確かに建物火災はあったようだが、磯村健一が話すような焼身自殺等の記載はなく、漏電による失火とされていた。
「本当ですか?警察の記録では、漏電による失火となっています。焼身自殺など記載されていませんよ。」
亜美が言うと、磯村健一は少し悩んだ顔を見せてから言った。
「おそらく、記録に残せない理由があったんだと思います。」
磯村健一の答えを聞き、りさは、さらにMMの組織に近い存在に違いないと確信を得た。
「火災のあと、すぐに、研究所は閉鎖されました。IFF研究所も登記を抹消するはずだったんですが・・理事長を始め、役員にも問題が発生してしまって・・・。」
磯村健一が言わんとする事はすぐに判った。
「理事長、副理事長が相次いで死亡、さらに、磯村常務も正気を失った状態では、役員会も開けず、手続きも進められなかったという事ですね。」
亜美が言うと、磯村健一は頷いた。
きな臭い話ではあるが、当事者のほとんどが居ない今、これ以上のことを調べるのは難しいのではないか、亜美はそう考えていた。
「それで、磯村さん、確か、あなたは私たちが伺った時、私たちが知りたい情報をもっていると話されていましたが・・。」
亜美は、目の前のコーヒーを一口飲むと、磯村健一に改めて訊ねた。
「ええ、これなんですが。」
磯村健一は大事そうに抱えてきた鞄の中から、分厚いファイルを取り出した。
「火災が起きる三日ほど前、父はカバンを私の車に置き忘れていたようで、火災事故のあとに、見つかったんです。」
亜美とりさは、健一が差し出したファイルを開いてみた。
ずいぶんたくさんの資料が綴じられていた。書類の半分ほどは手書きで、かなり古いものではないかと判断できた。1枚1枚開きながら、読み進める。IFF研究所設立に関わる書類のようだった。
資金調達の方法や予算書、建物選定の経緯などの計画書等であった。研究内容に関わるものはないかと亜美とりさは読んでいくが、肝心な部分は見つからなかった。
「あら、これは?」
ファイルの中ほどの書類に、小さな封筒が挟まっているのが見つかった。セピア色に変わっていて、所々にシミまでついていて、かなりの古さではないかと思われた。中から小さく折りたたまれた紙片が出てきた。開いてみて、亜美も、りさも驚いた。
その紙片には、生方が送った極秘情報に含まれていた解読不能な暗号文と全く同じものが記載されていたのだった。剣崎が指摘した「勝」の記号まではっきりと判ったからだ。
「これは?」
亜美が紙片を健一に見せて訊ねる。
「いや・・こんなものがあったとは・・判りません。初めて見るものです。」
「このファイル、お父様が車に置き忘れたものでまちがいありませんか?」と、亜美が訊く。
「ええ?どういうことです?」
磯村健一は、亜美に訊き返す。
「危険が迫っている事を察知して、重要な書類をあなたに託したのじゃないかしら?」
「危険が迫っている事を父は知っていたという事ですか?」
「おそらく、そうでしょう。もしかしたら、あなたをIFF研究所に入社させたのも、それが理由なのかもしれませんよ。」
「いや・・それは・・・父はそれほど私を信用していなかったと思いますから・・。」
「そういう関係だからこそとは言えませんか?」
「信用していなかったから?」と健一。
「あなた本人がそう思っているからこそ、重要な書類をあなたに託しているとは誰も考えない。研究所は全焼、研究資料は全て破壊されている。ここの存在を暴かれたくない誰かが仕組んだ事故と考えると、それを守るためにお父様は、重要な記録を隠しておきたいと思ったのではないでしょうか。」
亜美は推理した。少し、突飛な部分はあるが、りさも十分理解できた。
「この書類、預からせてもらってもいいでしょうか?IFF研究所が何をしていたところか、どうして事故が起きたのか、仕組んだのは誰か、しっかり捜査しますから。」
亜美が磯村健一へ言うと、
「私も、事故の真相を知りたいのです。IFF研究所はまともなところではないのは、薄々わかっています。父も何らかの悪事に加担していたのだと思います。それでも、今の父を見ていると、余りにも不憫で。真相が判れば、もう少し、父の事をが理解できるように思います。是非、お願いします。」亜美とりさは、磯村健一からファイルを預かると、カルロスの車で、十里木にいる剣崎の許へ一旦戻ることにした。

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4-5 秘められた事実 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎の元に戻ると、一樹はすっかり回復していて、アントニオと交代で、十里木の館を監視していた。亜美たちが留守の間、特に動きはなかった様だった。
「こんな書類、良く見つけましたね。」
戻った亜美とりさに、剣崎は労いの言葉を掛けた。
「剣崎さん、ここ、どう思います?生方さんの情報にあった解読不能な書類と同じ記号ですよね。」
例の『勝』という記号のことである。
「磯村勝さんの勝という文字だと思うんですが・・。」
剣崎は亜美が示す書類を食い入るように見つめ、小さく頷いた。
「しかし、当人は精神障害を起こしていて、内容を確認するのは難しいのです。」
りさが続けるように言う。
亜美は戻る前に大まかな情報を剣崎に報告していた。剣崎は、2年前におきたIFF研究所の火災事故について、FBIに情報照会を掛けていた。
「日本の警察には記録がなくても、アメリカにはあるものなのよ。・・これが日本の現実。」
剣崎は誰に言うわけでもなく、そう言って、FBIから取り寄せた情報をモニターに映した。
「磯村健一氏が言った通り、2年前、IFF研究所は研究員の焼身自殺と建物火災を起こしていたわ。そして、当時の役員全員、事故や自殺、精神障害等を起こしている事も判った。そして、その事実が日本の警察では隠蔽されている事から見ても、IFF研究所は国家権力が絡んだ闇の組織だったことは間違いないでしょうね。」
一樹と亜美は、割り切れない気持ちで剣崎の話を聞いた。警察という組織はいったいどれほどの力を持っているのか、正義とは何か、得体のしれない国家権力というものへの恐怖さえ湧いてくるようだった。
「誰かが仕組んだということは?」と、一樹が剣崎に訊く。
「FBIの情報には、・・そういう記述は見当たらないようね。」
剣崎は何か含みを持たせるような言い方をした。
「磯村健一さんは、誰かの陰謀ではないかと考えているようですが・・・。」
亜美がさらに追及する。
「もし、そうだとすると、FBI・・いや、アメリカ政府も関与しているかもしれないわね。でも、私の立場では、これ以上追及するのは難しいわ。いや、出来たとしても、それは、私自身の破滅を招くことになりかねない。私はFBIの依頼で、マリアを追跡しているのだから。」
剣崎には、事の成り行きが見えているようだった。
「でも、あなたたちが捜査をしているのは、FBIとは関係ないでしょ?あくまで、日本に密入国してきた少女を発見し保護する事。その過程で、得た情報は正当なもの。圧力は掛かるでしょうけど、どこまで真相に辿り着けるかは、あなたたち次第。」
剣崎は、一樹と亜美を試すような言い方をした。
剣崎は、さらに、亜美に告げる。
「紀藤さん、あなた、磯村健一さんと約束したんでしょ?必ず真相を突き止めるって・・。約束は果たさなきゃ。嘘つきは泥棒の始まり。警察官なら、きちんと約束を守りなさい。」
「しかし・・どこから手をつければいいのか・・。」
亜美が少し弱気な事を言った。
「このファイルをもっと読み込むのよ。あなたが磯村健一さんに言った通り、あのファイルはきっと、陰謀を企てた者から重要な情報を守るために託されたはず。きっと、これに全て詰まっているはずよ。」
剣崎はそう言うと、ファイルを亜美に手渡した。
「あなたが見つけた暗号文書にとらわれず、もっと見方を変えて考えるの。良いわね。」
剣崎はそう言うと、席を立ち、ベッドルームに消えた。
「剣崎さんは、暫く、眠っていないんだ。いや、眠れないようなんだ。」
一樹が囁くように言った。
「どうする?」
一樹が亜美に訊く。
「もちろん、調べるわ。約束したんだから。」
亜美は、そう言うと、ソファに座り、ファイルを広げる。りさも亜美の隣に座り、大量の書類を丁寧に読み始めた。
数年間の決算書や財務状況表、役員会の記録、新聞記事、数年分の磯村常務の手帳、それから、記号化された表が大量にあった。それを一つ一つ、読んでいく。決算書や財務諸表に不審な点は見つからなかった。唯一、収入の大半を寄付金に頼っていた事と、収支はほとんど赤字となっていたことだった。そして、一つの事業部門であった富士FF学園の経費が異常に大きかったことだった。
「富士FF学園は、収入もなく経営していたのね。どういうことかしら。」
亜美が言う。
「そうですね。児童養護施設なら、何らかの補助金があってもおかしくないですよね。国や行政から認可された施設ではなかったということでしょうか?」
りさが答える。
「親を亡くした3歳の幼子を、どうして富士FF学園に入れたのかしら。児童相談所が関与していれば、そんな無認可の児童養護施設を紹介するかしら?」
それを聞いて、一樹が言う。
「見方を変えて考えろって、剣崎さんが言ってたろ?・・富士FF学園に入る事が前提だったと考えたらどうだ?」
「富士FF学園に入ることが前提?」
と、亜美が訊き返す。
「ああ、ある組織がマリアの特殊な能力に目をつけた。それを手にするために、両親を殺して富士FF学園に入れ、5歳になった時、アメリカの施設へ連れて行った。」
一樹の話に、亜美も、りさも驚いた。
「そんなこと・・。」
と亜美が言うと、りさが続けた。
「どうやって、マリアの能力を見つけたんでしょう。」
「ああ、そこは判らない。偶然というには都合が良すぎる。もしかしたら、マリアの父母が、IFF研究所の誰かと繋がっていたということもあるんじゃないか?」
一樹が言うと、
「そんな・・例え、そういう能力を見つけたとしても、わが子を実験台にするなんて・・」
亜美はそこまで言って、不意に、ルイとレイの親子を思い出して、口を噤んだ。
「見方を変えれば、IFF研究所はそういう子供を見つけ出すための役割を担っていたということも考えられる。例えば、警視庁のデータベースから、不可解な事件、犯人が特定されない未解決の事件、そういう事件の関係者を調査し、特殊な能力を保持している可能性のある人間をピックアップしていた・・とか・・。」
一樹の言葉を聞きながら、りさは、MMの事を考えていた。MMが目をつけた人間を拉致するのは、それほど難しい事ではなかった。家出した少女は、同じような場所に集まるからだった。だが、普通の家庭の少女を拉致するのは容易な事ではない。一樹の仮説が事実だとしたら、IFF研究所は途轍もなく恐ろしい組織である。
「元締めがアメリカの施設だとして、世界各地にいる特殊な能力を持った子供たちを集めて育成し、剣崎さんのように特殊機関で働かせるというプランを持って動いていると考えれば、全て、筋が通るだろう?IFF研究所は、そういう子供を見つけ出すための日本の機関だったんだろう。だから、いろんな情報が隠蔽されていた。もしかしたら、日本政府も一翼を担っている可能性もあるだろうな。」
一樹が、妙に理論的に推察する。
亜美が知っている一樹とは別人のように感じていた。
「一樹、どうしたの?何か変よ。」
「そうかあ?・・・」
一樹は、曖昧な返事をした。その返事さえもどこか別人のように思えてならなかった。
「じゃあ、火災事故を起こし全てを消し去ったのも、F&F財団が仕組んだのかしら。」
亜美が、敢えて、一樹に訊く。
「いや、それはどうかな。役割が終わったということもないようだが・・。」
一樹の推理はそこで止まった。

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4-6 忌まわしき事件 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「亜美さん、これは?」
りさが、その経歴書を見ながら言った。
りさが示したのは、ファイルの中の役員の経歴を記したものだった。おそらく、登記の際に用意したもののようだった。
りさが、その書類をテーブルの上に並べた。
十人程の書類。大半は官僚の経験がある者ばかりだった。
「やはり、ここは霞が関とも繋がっているようね。」
亜美が、書類を見ながら言った。
「ええ・・ただ・・。」
りさは別のところに引っかかっているようだった。
「どうしたの?」
亜美が訊く。
「十人のうち、五人が、磯村常務と同じ大学の出身なんです。」
「まあ、先輩が後輩を誘って会社を作ったとか、ある種、学閥みたいなものなんじゃないの?」
「そうかもしれません。でも、この大学って・・。」と、りさが大学名を指さす。
「黎明大学・・。まさか・・」と亜美。
「ええ、そうなんです。黎明大学・・レイさんのお母様、ルイさん、そして、神林教授と同じ大学なんです。」
亜美と一樹の頭の中で、忌まわしい記憶と今回の事が強く結びついてしまった。そして、再び、そこにレイを巻き込んだ事に深い後悔の念を抱いた。
「まさか、IFF研究所が神林教授と繋がっていると言うの?」
亜美は、りさの余りに突飛な発想に驚いて訊いた。
りさは、MM事件のあと、レイとともに新道家に匿われていて、レイや母親のルイから、忌まわしき事件の経緯は知っていた。特に、家で過ごす時間が長いルイからは、神林との出会いやその後もしっかりと聞いていた。
「ルイさんの特殊な能力は、神林教授によって、増幅されてしまったものだと聞きました。もちろん、遺伝素因も大きいようですが、それを更に増幅するための薬品開発も進められていたのだとも聞きました。もしかしたら、IFF研究所はその研究もしていたのではないでしょうか?」
りさは真剣な表情で言う。
「あれは、神林教授によるものだった。全て終わったはずよ。」
亜美が言う。
「確かに、あの事件は神林氏の逮捕で幕引きとなった。だが、それは、橋川市で起きた事件の犯人が神林氏だったということ。確か、大学の研究室には、その研究を知る者は他にもいたんだろう。研究の成果を誰かが盗みだし、神林氏も知らないところで続けられていたとしたらどうかな。」
一樹が二人の話を聞きながら、一つの可能性を口にする。
「イプシロン研究所・・。」
不意に思い出したように、亜美が呟く。
「確か、アメリカのイプシロン研究所に、権田氏は赴任したはず。それに、ルイさんも・・そこでの研究は思うように進展しなかったと聞いていたけど・・誰かが引き継いでいたというの?。」
「ああ、そういう可能性はある。もしかすると、F&F財団も、関連のあるところかもしれないぞ。」
いきなり、いろんな可能性が広がり、三人の思考は少し混乱しているようだった。
だが、全ては仮定の話である。「黎明大学出身」というだけで繋がっている、極めて不確かな推測でしかなかった。
「もう一度、全ての役員の素性を洗いましょう。」
亜美はそう言って、パソコンを開き、ネット上に散らばっている情報を集め出した。
その時、ベッドルームから剣崎が姿を見せた。すぐにアントニオがコーヒーを淹れて、剣崎に差し出した。
剣崎は、テーブルに散らばっている書類をぼんやりと眺め、テーブルに貼り付く様にパソコン画面と格闘している亜美を見た。
「何か、進展があったみたいね。」
剣崎はそう言って、コーヒーを一口飲むと、ソファにゆっくりと腰かけた。
これまで、三人で話してきた仮説について、一樹が剣崎に説明した。
「ふうん・・なるほどね。」
剣崎はそう答えると、自分のモバイルパソコンを開き、データを検索し始めた。
「F&F財団について、FBIや政府まで関与しているとなると、正面からでは情報が取れないと思って、アメリカの友達に調査してもらったの。」
剣崎はそう言うと、モバイルパソコンの画面をモニターに転送した。
「あなたたちが言っている、イプシロン研究所って、F&F財団の一部門だったようね。随分、古い部門ね。20年近く前に廃止されている。」
その画面には、大きな組織図が映っていた。
「20年前って・・じゃあ、ルイさんが日本に戻ってから、数年後には廃止されたという事ですね。」
亜美が言うと、「そうなるわね。」と剣崎が答える。
「IFF研究所が設立されたのは、ほんの十年ほど前ですから、イプシロン研究所とは繋がらないと考えても良さそうですね。」
一樹が言うと、剣崎が言う。
「そうじゃないかも。イプシロン研究所が廃止されて、すぐ後に設立されたのが、マーキュリー研究所。さらに、その後、名前を変えて、マーキュリー学園になった。表向きは、身寄りのない子供たちのための学校よ。」
「まさか・・。」と一樹。
「ええ、そう。このマーキュリー学園に、マリアは収容されていた。そして、マーキュリー研究所には、私がいたのよ。」
剣崎の言葉に、三人は驚いた。
「これは、私見の範囲だけど・・一つの研究所で何らかの成果が生まれると、次の研究所へ引き継ぐというやり方を、F&F財団は持っているのではないかと思うの。イプシロン研究所は神林教授の研究結果をベースに仕組みの解明を進め、マーキュリー研究所が次のステップでその理論をもとに具体化するメソッドの確立、そしてマーキュリー学園が第3段階で実証。そんなふうにして来たように思うの。マーキュリー研究所では、いろんな実験が行われていた。私も実験台となっていたから。」
「実験台って・・。」と、りさが呟く。
「特殊能力が明確になると、訓練を受けて、特殊機関へ送られる。能力を活かした任務が与えられ、特殊工作に着くの。要人の殺害という任務もある。そして、その任務に失敗すると、消されるわ。成功しても、永遠に存在しない人間、レヴェナントとして生きるほかないのよ。」
剣崎は少し悲し気に言う。
「剣崎さんはレヴェナントにはならなかった・・どうしてですか?」
りさが訊く。
「私の能力は、サイコメトリー。特殊工作には不向きだっただけ。だから、FBIへ送られ、事件捜査のための要員とされたのよ。幸運だったのかもしれないわね。」
「幸運だった・・なんて。」
りさは、自らがMM組織で訓練を受けていた頃を思い出していた。突然、拉致され、家に戻ることを諦め、組織の中で生き残るために、感情など殺して生きていた。あの頃の自分と剣崎を重ね、悲しみやくやしさが湧き上がっていた。
「過去のことよ。」
剣崎が少し感傷的な言い方をした。
「やはり、神林教授と繋がっていたということでしょうか?」と、亜美が訊く。
「直接的なつながりはないでしょうね。ただ、神林教授の研究やルイさんの存在が、F&F財団の基になっているのは確かでしょう。ひょっとしたら、F&Fだけじゃなく、他にも同じような組織が存在しているかもしれない。・・でも、全て、神林教授やルイさんのせいじゃないわ。しっかり、切り離して考えましょう。」
剣崎が言うと、亜美とりさは頷いた。
「私は、りささんと一緒に、一度、橋川へ戻ります。ルイさんから話を聞き、神林教授の過去と、F&F財団に何らかのつながりがないか調べてきます。」
亜美はそう言って、橋川へ戻る準備を始めた。りさも同様に準備に入った。

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5-1 ケヴィンという男 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

レイは、見知らぬ部屋で目を覚ました。手足は結束バンドで縛られ、ソファに横たわっていた。
「ようやくお目覚めですか。」
椅子に座り、足を組み、じっとレイを見つめている男性が声を掛けた。拉致された時、ぼんやりとした意識の中に、この男の顔があったのを思い出した。周囲に人の姿はなかった。
「能力は使わないでください。あなたの方が苦しむことになりますから。」
男は、少しばかりの笑みを浮かべて言った。
駅の北口に出てきた時、レイは急に体が動かなくなり、意識が薄れていったのを思い出す。意識を奪われたという感覚だった。
「賢いあなたなら、どういうことか判るはずです。」
「マニピュレート?」
「ええ、マリアと同じマニピュレーターです。あなたを自殺に追い込むことなど簡単にできるのです。判りますね。」
男は立ち上がると、レイの結束バンドを切り、体を自由にした。縛られた跡が少し痛む。
「これ以上、手荒な真似はしたくないのです。いや、我々は、あなたを守るために来たというべきなのですから。」
男は、そう言って、レイの横に座る。
「私は、ケヴィン。」
男はそう名乗った。
「本当の名前はもう忘れました。幼い頃には、あなたと同じようにちゃんとした名前もあり、両親もいた。ごく普通の中流家庭でした。しかし、ある日突然、特別な能力を持っていることが判り、人生は一変しました。」
ケヴィンと名乗る男は、自分の過去を語り始めた。
彼の生まれた街では、十歳の夏になると、州主催のインディペンデント・キャンプに参加することが恒例行事となっていた。3週間、山奥のキャンプ地に行き、レンジャー部隊の指導を受けながらサバイバルのような体験を通して、自立心を養うものだった。子どもたちは、5人程のチームに分かれて、飲み水や食料調達、火起こし、寝床作り、野生動物からの防護術など、生きていくために必要なあらゆることを身につけることになっていた。指導するレンジャー隊員は、命の危険がない限り、手出しはしない。
十日ほど経った頃には、参加した子どもたちは、精神的にも肉体的にも随分追い詰められるほど過酷なものだった。
「そんな時、チームの中で諍いが起きました。原因は、はっきりしませんが、一番、体の大きい、ジェイソンという奴が、ひ弱なクリスという奴をいじめ始めたんです。」
ケヴィンは、忌々しそうな表情で言った。
「皆、疲れ果て苛立っていて、そういうことに関わりたくない雰囲気になっていました。私も、あまり強い方ではなかった。当時は、正義感という事はあまり考えていなかった。だからじっと見て見ぬふりをしていたのです。だが、それはどんどんエスカレートしました。二日ほど経った頃、弱虫だった奴はついに我慢しきれなくなって、自ら崖から飛び降りて死にました。」
まだ、この男が特別な能力を持っていることに気付くまでには至らない。幼い時の思い出話のようだった。
「キャンプで子供が死ぬなんてあってはならないことです。だから、指導役のレンジャー部隊の隊長は、不運な事故として処理しようとしました。隊長は、すぐに、私たちのチームのところへやってきて、恐ろしい表情で、あれは事故だったと念を押しました。真実を話せば、身の安全は保障されないということをその時感じました。それから、キャンプ場にいた50人程の子どもを集め、哀しい事故が起きたと話したのです。他の子どもたちは隊長の話を信じました。」
事故が起きたのでキャンプは中止となり、皆、帰り支度を始めた頃、彼の中に、悍ましく憎しみや恨み、怒りのような感情が湧いてきた。抑えようとしてもどうにもならないほどだったようだ。
「そこから先の記憶はありません。気が付くと、レンジャー部隊の隊員は、皆、血まみれで死んでいました。そして、レンジャー部隊の隊長も自らの喉を裂いて死んでいたのです。」
そこまで聞いて、レイはようやく、この男の特別な能力を理解した。
「あなたが、隊長を操り、隊員を殺し、自らの命を絶つようにしたんですね。」
「ええ、どうやら、そのようです。自分には記憶はありません。すぐに州警察のポリス達が多数やってきて、現場は大混乱になりました。ただ、目撃した子どもたちは、隊長が隊員を殺したことを証言し、私に嫌疑が掛かることはなかったのです。」
「あなたはその時に自分の能力を?」
レイが訊く。
「いえ、違います。キャンプから戻ると、父や母、近所の皆が、温かく迎えてくれました。誰ひとり、キャンプでの惨事は口にしませんでした。それから、暫くは、何事もなかったような日々が過ぎました。しかし、ある日、突然、FBIを名乗る男数人が家に来ました。そして、父や母と何か話し込んでいました。」
ケヴィンの表情が急に険しくなった。
「まさか、あなたの能力をFBIが気づいたというんですか?」
「判りません。ただ、その日から、父や母が、私を避けるようになったんです。」
「理由は聞かなかったんですか?」
レイが訊くと、ケヴィンは首を横に振った。
「理由を確かめたい気持ちは強くありました。でも、それがあの事件と関連しているのなら、チームの一員が自ら命を絶つまでに苦しんでいるのを見過ごしてきた、自分の罪を認めることになる。だらか、怖くて聞けませんでした。」
ケヴィンの言葉から深い後悔を感じられた。
「それから?」と、レイは訊く。
「ある日、我が家が火事になりました。原因は判りません。一気に燃え広がり、父と母は逃げ遅れて命を落としました。突然、孤児となった私は、ある施設に引き取られることになりました。」
レイは、マリアが施設から脱走したことを知っている。そして、その施設が特殊な能力を持つ子供たちを収容し、日々訓練しているところだということも聞いていた。
「まさか、マリアさんがいた施設ですか?」
「ええ、私がいた当時は、まだ、研究所でした。そうそう、そこには剣崎さんもいました。きっと、彼女は私の事を知っているはずです。」
剣崎とケヴィンが同じ研究所にいたというのは初めて聞いた。
「その施設で、特殊な能力があることを知らされたんですか?」
レイが、同情するように訊いた。
「ええ、そうです。思念波に入り込み、人を操ることができる、マニピュレートという能力でした。レイさんの思念波にも入り込み、あなたを動けなくしました。」
レイはあの時の感覚を思い出した。
自分の意識が全く別のところに追いやられ、抵抗する事も出来ず、体を全て乗っ取られたような感覚だった。
「ただ、レイさんの思念波に入り込んだ時、私は驚きました。あなたの中に入ると同時に、あなたは私の中に入ってきた。あなたを操っているはずなのに、自分の意思はどこにあるのか、戸惑うような感覚がありました。あんな感覚は初めてでした。」
レイの能力はシンクロである。思念波をキャッチし、それに寄り添う。相手を動かすことはできないが、相手の意識と統合して一つの存在になれる能力だった。
「シンクロの能力を私は侮っていました。思念波に入り込み、操ることができるマニピュレートに比べて、相手の思念波とシンクロするだけでは、大して、役に立たないのではないかと思っていたんです。でも・・。」
ケヴィンは、レイを拉致した時の感覚を思い出し、小さく身震いした。
レイも自らの能力について、深く考えた事はなかった。
初めは、人の感情が色のある光として見える程度だった。だが、徐々に、その人がどこにいてどうしているのか、シンクロする事で相手の視覚や聴覚を通じて状況を把握することができる事を知った。
そして、剣崎と出逢ったことで、それは双方向の感覚だという事を知った。自分が考えていることを相手に伝えることができる。
さらに、それは、たとえ相手がそこにいなくても、残された思念波の残骸にシンクロすることができ、そこで何が起きたかを知ることもできる。考えてみると、能力は徐々に可能性を広げているようだった。そして、ケヴィンから、相手と一体化する能力だと聞かされ、自分の能力に恐怖を感じていた。

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5-2 正体 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「さて、本題に入りましょう。」
そういうと、ケヴィンはゆっくりと立ち上がると、冷蔵庫から飲み物を取り出し、レイの前のテーブルに置いた。
「まず、我々の正体を知りたいでしょうから、お話しします。」
ケヴィンはそう言うと、目の前のドリンクを一口飲んだ。
「レヴェナント・・なのでしょう?」
レイは、剣崎とシンクロで会話した時、剣崎の思念波にあった『レヴェナント』という言葉が閃き、確か、存在しない者達という意味だと、何となく脳裏に浮かんでいた。
「おや、その言葉をご存じなのですか?」
ケヴィンは、意外だという表情をして答えた。
「存在してはならない存在・・そんな意味から、私たちをそう呼ぶ人たちがいます。だが、それは、彼らにとっての意味に過ぎません。私たちは、この世にちゃんと存在していますし、私たちを作った彼らこそ、社会に知られてはならない存在なのです。」
彼が言いたいことは大よそ理解できた。
「私たちは、本国では、サイキックと呼ばれています。日本では、超能力者と言われているようですが、ノーマルな人間には持っていない特別な能力を持った者。」
ケヴィンの言葉にレイは少し戸惑った。特別な力を持っているというのは事実だが、一樹や亜美は、超能力者と呼んだことはない。いつも、「特別な能力」と言っていた。サイキック、超能力者とか、それはおそらく、特別な力を持たないノーマルな人間が、差別的に使うのではないかと思った。
「サイキックは、彼らによって見つけ出され、訓練で能力を開花し、与えられた任務をこなすことで存在を許された者なのです。」
「与えられた任務とは?」
レイが訊くと、ケヴィンは顔を歪める。
「口にできないほど恐ろしい事です。おそらく、世界で起きている事件や紛争の大半に、サイキックが関わっています。」
ケヴィンはそう言って、しばらく沈黙した。自分が関わっていた事件を思い出したようだった。
「だが、任務が完了し、不要になれば、命を奪われる運命なのです。国家や世界を揺るがすような重大な事実を知っている者だからです。だが、中には、その運命に逆らい、身を隠す者が出て来た。それを、レヴェナントと呼び、存在しない者として扱うのです。」
「どれほどの人が?」とレイが訊く。
「自分の特別な能力を使って、逃げ延びた者は多数いました。ですが、奴らも、特別な能力を持つ者をチェイサーに仕立て、レヴェナントを探させて、追い詰めて、殺してしまうようになりました。今は随分少なくなりました。」
彼の話が本当なら、と、レイは考えた。
「もしかして、剣崎さんはチェイサーなのですか?」
レイの言葉を聞き、ケヴィンはうっすら笑みを浮かべた。
「いや、彼女には、それほどの能力はありません。彼女は、チェイサーが撒いた餌に過ぎません。彼女が、事件を捜査する時には、必ず、近くでチェイサーが監視しています。そして、事件に我々のような者が関与していることが判れば、すぐに行動を起こすようになっています。」
「ということは、あなたの動きはすでにチェイサーに知られているということではないんですか?」
「ええ、おそらくもう知っているはずです。彼女を監視しているチェイサーが私に辿り着くのも時間の問題でしょう。」
ケヴィンはそう言いながらも、何か、そうならない理由を持っているようだった。
「話を戻しましょう。私たちは、この哀しい運命に終止符を打つことが目的なのです。」
先ほどから、彼は、幾度と「私たち」という言葉を使った。
特殊な能力を持った人間は、彼以外にも多数いるのだと思わせているように感じ、むしろ、ごく少数なのではないかと考えていた。拉致された時の記憶には、他にもう一人男がいたようだったが・・。
「マリアは、このままでは、最も若いレヴェナントになってしまいます。」
ケヴィンの口から突然マリアの名が出た。やはり、彼らはマリアを追っている。
「マリアを救いたい。組織から解放し、普通の女性として生きていける道を開いてやりたい。そのために、あなたに協力していただきたいのです。」
彼は真剣な眼差しでレイを見つめた。
「ちょっと待ってください。」
レイは目の前のドリンクを飲んだ。
「私は、剣崎さんと一緒に、マリアさんの居場所を見つけ保護するのが目的です。あなた方と目的は同じだと思うんですが・・。」
レイが少し反論めいた口調で言った。
「同じ目的?」
ケヴィンが顔を曇らせた反応をした。
「何が同じなんですか?剣崎さんは、組織の依頼で彼女を発見し、元の施設へ送り届けることが目的でしょう?彼女をまたあの地獄のような場所へ連れ戻すことが彼女の目的です。全く違う。」
「じゃあ、あなた方は、彼女を保護した後、どうするのですか?」
レイが執拗に訊く。
「組織からは見つからない場所で暮らせるようにします。」
ケヴィンはやや答えに詰まりそうになりながら言った。
「本当にそんな場所があるのですか?」
レイは強い口調でケヴィンに訊く。
ケヴィンは、即答できないでいた。
「レヴェナントになった人達にはチェイサーの追跡があり、見つかれば殺されるとおっしゃいましたよね。マリアさんも、追われる身になるだけ。一生、怯えながら、隠れて暮らすことになるのではないんですか?」
レイは、そう言いながら、ふと、片淵亜里沙、いや、『りさ』のことを思い出していた。
彼女は今、新たな戸籍を手にして、名を変えて生きている。彼女を追っていたMMは壊滅し、すでに命を奪われるようなことはないのだが、MMに在籍していた時の犯罪は消すことはできない。彼女が片淵亜里沙と判れば、司法当局から、厳しい追跡を受けるのは必至だ。マリアもそういう生き方をする事になるのではないか。
「確かに、今のままでは、彼女は、我々同様、そういう人生を歩むことになるでしょう。だからこそ、終止符を打たなければならないのです。」
ケヴィンが言う。
「そんなこと、無理でしょう?」
レイが言うと、ケヴィンはようやく本題に入ったというような表情で言った。
「確かに、今のままでは無理です。そのためには、F&F財団やそれを支える組織全体を壊滅させなければならない。マリアの能力はそれを可能にするはずなのです。」
「マリアさんの能力で組織を?」
「ええ、そうです。」
「結局、マリアさんを利用するということですね。」
「利用するとは言葉が不適切です。」
「自分たちの能力ではF&F財団を壊滅できないから、マリアさんの力を借りる・・利用するという言葉以外にないでしょう?」
レイはわざと強い口調で非難するように言った。
「彼女自身、F&F財団やマーキュリー学園には深い恨みを持っているはずです。連れ戻されるくらいなら、全てを破壊したい、そう思うに違いない。その思いを遂げさせてあげたい。そして、それは、我々のようなレヴェナントを解放することにもなるのです。」
ケヴィンの目的は、マリアを救いだし解放することではなく、F&F財団を消し去ることだというのは判った。そして、それはレヴェナントを解放することなのだというのは確かな主張だとは理解できた。だが、どこか、レイは納得できなかった。
「でも、マリアさんはそんなことを望んでいるとは思えません。」
レイが否定する。
「だからこそ、レイさんの能力が必要なのです。」
ケヴィンの言葉の真意が判らなかった。

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5-3 怪しげな部屋 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「私は思念波をシンクロさせるだけの能力しかありません。そんなこと・・。」
レイの言葉を聞いて、ケヴィンが言う。
「まだ、あなたは自分の本当の能力に気付いていないだけです。生まれつき、そんな能力を持つ人間など、奇跡と呼ぶにふさわしい。無限の可能性を秘めている証拠なのです。」
ケヴィンはそう言った後、少し寂しい表情をした。
「あなたの能力は、生まれつきではないんですか?」
ケヴィンの言葉に少し疑問を感じたレイが訊ねる。
「元々、そんな能力はあったようです。十歳の時に起きた事件がその証拠です。しかし、それは、大人になるに従い、徐々に失われてしまうのです。」
能力が徐々に失われるというのは、初めて聞く話だった。勿論、レイの周囲で、特殊な能力を持っている人間は、母ルイ以外にはいない。ルイは、特殊な能力はあったが、それはレイほどはっきりしたものではなかった。だからこそ、ルイの父は、ルイの能力を強化する薬を手にしようと、忌まわしい事件を起こしたのだった。そう考えると、ケヴィンの能力は同じような薬による作用と言える。
「まさか・・。」とレイが口にした時、ケヴィンはレイの口を塞ぐようにして立ち上がった。
「話が過ぎたようですね。まあ、暫くゆっくり考えてください。マリアにとってどうするのが良いのか、賢明なあなたなら、判るはずです。」
ケヴィンは、それ以上の会話はせず、部屋から出て行った。

部屋を出たケヴィンは、エレベーターに乗りこんだ。
そして、数階上がったところで、エレベーターを降りると、別の部屋に入っていく。
ドアを開くと、広い部屋に、数人の男がソファーや椅子に座っていた。
「どうでしたか?」
男の一人がケヴィンに訊く。
「まだ、これからだ。それより、連絡は?」
ケヴィンが、ソファに座り、別の男に訊く。
「はい。無事、保護したそうです。まだ、怪しまれてはいないようです。」
「そうか・・だが、それほど時間はないだろう。マリアは、彼らの正体をすぐに見抜くだろう。その前に、何としても、レイと合わせる必要がある。」
ケヴィンは、そう言って、タバコに火をつけた。
「それと・・どうやら、刑事たちも、マリアの居場所を突き止めたようです。」
その言葉に、ケヴィンは反応する。持っていたタバコをもみ消すと、強い口調でその男に訊く。
「それで、何もなかったのか?」
「詳しくは判りません。接触はしていないようですが・・・。」
「そうか。」
ケヴィンはそう言って、窓の外を見た。窓からは富士FF山が間近に見えた。
「接触すれば、ただでは済まないだろうな。マリアはまだ自分の能力をコントロールできない。ただ、マリアが何かを察知したとすると、あまり、時間がない・・。」
ケヴィンは呟く。
「近々、マリアを連れて、町へ出るようです。その時がチャンスです。それまでにレイさんを説得できますか?」
ケヴィンはそれを聞いて、しばらく考えていた。
「モニターを。」
ケヴィンがそう言うと、テーブルに置かれたモニターのスイッチが入れられた。そこには、レイが映されている。

ケヴィンが部屋を出ると、レイは部屋の中を注意深く観察した。
何か、ここの所在地のヒントになるものがないか、外の様子を見たいと思った。だが、部屋には窓が一つもない。照明を落とせば、恐らく真っ暗になる。
ソファの置かれた部屋の隣には、大きめのベッドが置かれている寝室、そして、トイレとバスルーム。ソファのある部屋には、小さなキッチンと冷蔵庫がある。置かれている機器は、ありきたりのものばかりだった。
壁に耳を当ててみる。何か音や振動を感じれば、街中かどうかも判るかもしれない。だが、何も感じられなかった。
天井を見上げた。普通の部屋に比べて、少し天井が低く感じられる。照明機器は部屋に似つかわしくない大型のものだった。よく見ると、中央にレンズがある。おそらく、監視カメラだろう。
何か目的をもって特別に作られた、そんな部屋だった。
レイは、目を閉じ、周囲から、人の気配を感じ取ろうとした。ケヴィンが近くにいるかもしれない。危険な行為だと判っていたが、このまま、レヴェナント達の指示に従うことができない。何としても、剣崎に自分の居場所を伝えたい。そう決意して、レイは能力を使った。
「だめ・・・。」
ひとしきり周囲の思念波を捉えようとしたが、全く捉えられない。
近くに人が居ないのか、それとも、この部屋自体に何かあるのか。とにかく、ここではシンクロ能力が使えなかった。
レイは、天井に設置されたモニターカメラを睨む。赤い光が点灯していて、監視されていることはレイにも判った。そして、静かに目を閉じた。
レイは自分の思念波を、モニターカメラに集中した。経験はなかったが、以前、映像から思念波を感じる事ができた。もしかしたら、カメラを通じて、それを見ている人物の思念波を捉えられるかもしれない。暫く、レイはその状態で動かなかった。

「やはり、能力を使ったか・・。」
ケヴィンは残念そうな表情を浮かべた。
そして、部屋の隅に置かれていた黒いアタッシュケースを開き、中から銀色のケースを取り出す。その様子を、周囲にいた男たちが見守る。
「大丈夫ですか?」
男の一人がケヴィンに訊く。
「仕方ないだろう。彼女を説得しなければ、作戦は成功しない。」
そう言うと、ケヴィンは銀色のケースを開く。そこには、小さなアンプルが幾つか並んでいる。すでに2本は使ったようだった。
ケヴィンは、少し躊躇いがちに手を伸ばし、アンプルの中身を注射器に入れる。
そして、自分の首元に躊躇いもなく注射した。
顔が歪み、蹲った。両手で体を締め付け、震えを止めようとしている。だが、全身の震えは止まらない。目や鼻から血を流し始める。声を上げそうになるのを必死に耐えていた。
周囲にいた男たちは目を背ける。余りにも苦しそうな表情を見ていられなかった。
暫くすると、苦しみが治まったのか、ケヴィンはゆっくり立ち上がった。目や鼻からの出血を丁寧に拭きとり、大きく深呼吸をする。そして、服装を整え、周囲にいた男達を見た。
「行ってくる。」
そう言うと、その部屋を出てエレベーターに乗り込んだ。

レイの部屋のドアがノックされ、ケヴィンが姿を見せた。
「大人しくしていましたか?」
そう言って、ケヴィンは部屋に入り、ソファに座る。
レイは、先ほどのケヴィンとは、何か様子が違う事をすぐに察知した。
「協力する気になりましたか?」
ケヴィンの声は少し低くなり、脅しているようにも聞こえた。
レイは表情を変えず、じっとケヴィンを睨みつける。
「そうですか・・では、仕方がない。」
ケヴィンはそう言うと、レイにゆっくりと近づいていく。一歩ずつ、距離が縮まると、レイは思わず頭を抱えた。
ケヴィンが、マニピュレート能力を使ったのである。
レイの思念波に絡みつくように自らの思念波を送る。それは、レイの頭を強く締め付けるような感覚だった。徐々に強くなり、呼吸さえも辛いほどになる。ケヴィンの思念波を遮断しようと、レイも能力を使う。しかし、抵抗しようとすると、更にそれは強くなる。ケヴィンから離れようとしたが、体が思うように動かない。

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