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アスカケ第2部九重連山 ブログトップ
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‐ウスキへの道‐1.森の一夜 [アスカケ第2部九重連山]

1.森の一夜
高千穂の峰で、ふるさとに別れを告げた三人は、しばらく沈黙のまま山を下った。
故郷の父や母の顔が頭にちらついて、何か言葉を発しようものなら、同時に涙が溢れてくるような気持ちだった。
登った時と同様、しばらくは溶岩原が続いたが、次第に草が生え、緑が広がり、深い森に入った。初めての森は、西の谷から続く森とは違い、木もまばらで日の光が差し込み、先々の景色も見通せる。カケルは先頭に立ち、とにかく東へ東へと向かった。陽も傾いた頃、ようやくカケルが口を開いた。
「今日は、この辺りで休もう。」
森の中は日が沈むと一気に獣たちの支配する世界に変わる。陽のあるうちに安全な場所を見つけなければならない。
「カケル、ここにしよう。」
エンが言った場所は、高い崖の下で、壁がえぐれ、小さな洞穴のようになっていた。夜露を避け、三人で休むには格好の場所だった。

「エンは、薪を頼む。俺とイツキは食べ物を探してくる。」
イツキは、森の中に入り野草を捜した。
春の森で野草を摘む事は村に居た時から得意だった。すぐに、蕨やぜんまいなどの若芽を見つけて摘んだ。タラノ芽も見つけた。森の中を流れる沢には、せりもあった。
「カケルはどこ行ったのかしら?」
カケルは、竹の林を見つけて喜んでいた。
ちょうど筍が生える季節だ。カケルは器用に土を掘り返して、手のひらほどの大きさの筍を3本掘り出した。
エンは、周囲から薪を集め積み上げ、ケスキにもらった火打石を使ってみた。火起こし棒に比べ、数回打ち合わすだけで、簡単に火がついた。
イツキは、野草と干し肉と糒を使って、雑炊のようなものを作った。カケルの採った筍は、そのまま火の中に放り込まれた。一通り外皮が焼けた頃を見計らって、取り出して割ってみると香ばしく焼けていた。三人はハウハウ言いながら、筍を頬ばった。山で冷えた体を温めるには充分であった。

日が暮れると、辺りは真っ暗になり、遠く山犬の遠吠えが響き、暗闇のあちこちを動き回る獣の気配が感じられた。高千穂の峰に登って随分疲れたのだろう。イツキは、鹿皮を身に纏うと、すぐに眠ってしまった。

「なあ、カケル。この先の道はわかるのか?」
エンが、焚き火に薪を入れながら聞いた。
「ああ・・宴の席で、父様やアラヒコ様から、ヒムカへの道を教わったんだ。・・この先しばらく東へ進むと、ユイの村がある。まずはそこまで行こう。そこからは北へ道が繋がっているらしい。」
「ユイの村か・・ナギ様やナミ様も寄ったんだったな。」
「イツキはやっぱり女だ。俺たちとは違う。ユイの村に着いたら少し体を休めたい。まだまだ道のりは遠いんだ。ゆっくり行けばいいだろう。」
「ああ・・そうだな・・・よし、じゃあ交代で眠ろう。俺が先に休んでいいか?」
「ああ・・」
エンも鹿皮を身に纏い、座ったまま眠りに落ちた。

真夜中近く、焚き火の中で、何かが弾けてパチッと音がした。
その音に、イツキが目を覚ました。
「何だ、目が覚めたのか?」
「ええ・・夕餉の後、何だか眠くってすぐに寝ちゃったみたいね・・」
しばらくイツキもカケルも、焚き火を見つめたまま黙っていた。

「ねえ・・イツキも感じた?」
「何をだ?」
「私・・森の中で、母様を感じたの・・・」
イツキは迷いながらそっと口にした。カケルも、その事をどう切り出そうかと考えあぐねていたのだった。
「ああ・・俺もだ・・イツキが感じたのは、あの風のことだろう?」
「ええ・・あの風・・懐かしい気持ち・・ふっと優しい気持ちになれた・・あれは母様よね?」
カケルは、イツキの言葉を聞いて、思い出すように言った。
「母様は言ってたんだ。・・人は死んだらどうなるかって・・人は死ぬと、体と魂とが分かれてしまう。・・体は土に還り、また命を得て生まれ変わる。・・・魂は風になって、空高く登っていくんだって・・・。きっとあの風は母様に違いない・・・。」
カケルはそう言うと、不意に涙がこぼれてきて、顔を伏せた。

母の死を確かめるために村に戻る事などできない。だが、あの風は母に間違いないという確信はあった。
眼を閉じると、村を出てくる時、大門に持たれながら見送ってくれた母ナミの姿が浮かんでくる。もう一人で立つ事など出来ないほど弱っているはずなのに、「私は大丈夫」と教えるように凛とした表情で見送ってくれた。おそらく、最後の命の火を使い切ったのだ。イツキもカケルの言葉を聞いて、涙を流した。
「大丈夫よ、母様はいつも空高くから私たちの事を見守ってくださるわ。ねえ、そうでしょ。」
「ああ、そうだな。」
二人はじっと焚き火を見つめた。
「イツキ・・・夜が開けたら、すぐに出発するよ。・・父様と母様も行ったユイの村に行こうと思う。・・まだまだ随分歩かなくちゃいけない。さあ、もうお休み。」
「うん・・」
イツキは、カケルに寄り添うようにして横になった。静かに夜が過ぎていった。

翌朝、三人がいる場所に朝日が射し始めた頃には、出発の準備をしていた。昨日摘んだ野草の残りも麻袋の中に入れた。
「さあ、いくぞ。」
しばらく歩くと森を抜けた。その先には、広い草原が広がっていた。
たけのこ.jpg

‐ウスキへの道‐2.崖の道へ [アスカケ第2部九重連山]

2.崖の道へ
三人は広い草原を真っ直ぐ東へ向かって歩いた。天気もよく気持ちの良い風が吹き抜けていく。そのうち、イツキが歌い始めた。宴の関で必ず皆が歌った歌だった。古い大陸の言葉で、意味は知らなかった。ただ懐かしく歌い続けた。エンも一緒になって歌った。カケルは歌は苦手だった。小さい頃、みんなと歌った時に、変な声だと笑われて以来、歌うのをやめたのだ。
 広い草原はなだらかに下り続け、両側に切り立つようにあった岩場も無くなり、徐々に見通しが良くなってきた。
イツキは、突然歌うのを止めて、遠くを指差しながら言った。
「見て!あそこ。」
三人は、草原の端、見晴台のように目の前が開けた場所にいた。随分遠くまで見通せるところだった。指差す先を、カケルとエンも見た。
まだ、随分先だが、僅かに森の中に煌いて見える場所がある。湖のようだった。
「きっと、あれが御池だろう。」
「じゃあ、あそこまで行けばユイの村があるのね。」
イツキは安堵した表情で言った。
「ああ、きっとそうだな・・どんな村なんだろう?」
エンが、村の様子を確かめたいように目を凝らし、さらに付け加えた。
「夕方までに着けるかな?」
カケルは、三人がいる場所から、さらに前に進んで、この先の様子を確認してみた。
見晴台から下は急な崖になっている。真っ直ぐ降りるには危険だった。
「真っ直ぐ行けば夕方には着くだろうが・・この崖は無理だな。北側から回り込んで行こう。その方が安全だ。・・明日には着けるだろう。」
これを聞いてエンが提案した。
「俺が、ここを真っ直ぐ降りて一足先に村に行く。お前たちが村に着く頃に休める準備を整えておく。どうだい?」
「一人で行くつもりか?」
「・・もともと、アスカケは一人で行くものだろ?大丈夫だ、この距離なら日が暮れる前には村に着けるはずだ。」
イツキがそれを聞いて言った。
「私が居るから、回り道をするの?」
「いや、そうじゃないさ。急な崖を降りるのは大変だ。・・誰から足を滑らせれば皆
一緒に落ちてしまうかもしれない。一人ならまだ大丈夫だろうが・・。」
カケルの言葉にエンも、
「そうさ。俺一人ならゆっくり自分の具合で降りていけるからな。・・ということで、俺は先に行くよ。二人で後から来い。じゃあな!」
そう言って、麻袋の大荷物をカケルに渡し、崖を降りていった。降り口は、まだなだらかだったが、途中に見える岩場はかなり急であった。
カケルは、上からエンに声を掛けた。
「気をつけろよ。急がなくて良いからな。」

徐々に、エンの姿が見えなくなると、カケルとイツキも足を進めることにした。草原から北側に尾根伝いに進む。ぐっと回り込む様に広がった尾根から、エンが降りていく様子がなんとか確認できた。しかし、そのうち、尾根の道は森になり見えなくなった。
「エン、大丈夫かしら?」
「猟に行っていたんだ、崖を上ったり降りたりするのは慣れてる。大丈夫さ。それより、自分たちの心配をした方が良さそうだよ。」
カケルがそう言ったのには訳があった。
低地に下りてきたせいか、森は随分深く茂り、方角を見失うほどであった。昼間だというのに、随分暗い。足元も湿っていて、ところどころ泥濘もある。
「日が暮れぬうちに、この森を抜けたいな・・。」
カケルは、方角を誤らぬよう注意しながら進んだ。イツキも必死でカケルの後ろを歩いた。
夕方近くになった頃、湿った暗い森をようやく抜けた。カケルは一安心して、振り返るとイツキが苦しそうな表情をしていた。
「どうした、イツキ?」
「・・大丈夫・・・でも・・ちょっと疲れた・・休みたい・・」
イツキはそういうとその場に座り込んでしまった。
エンと別れてから、カケルは必死で森を抜ける事だけを考えて歩いていた。休憩も取らず歩き続けていたのだった。イツキも必死に後を追って歩いて、無理をしたのだろう。座り込んだイツキは、その場から動けなくなってしまった。
「ごめん、イツキ。気づかなかった・・・今日はここら辺りで休もう。」
そう言うと、イツキから小刀を借りて周囲の木の枝を切り、イツキの周りを覆った。
「休める場所を探してくる。しばらく、ここでじっと待っていてくれ。」
カケルは、森の中で体を休める場所を探しに行った。
一人きりになったイツキは、疲れのために急に体が重くなり、横になり眠ってしまった。
日暮れが近づいていた。一刻も早く、安全な場所を探さなくてはならない。森の中を走り回り、ようやく小さな洞穴を見つけた。イツキのところへ戻ると、イツキは眠りに落ちていた。カケルはイツキを抱え上げ、洞穴のところに運び、鹿皮を広げ横にした。それから、薪を集め、火を起こした。何とか日暮れまでには間に合った。気づくと、カケルもすっかり疲れていて、食事もせずに眠ってしまった。

朝日が顔を照らし、イツキは目を覚ました。見ると、カケルが座ったまま眠り込んでいた。イツキは、カケルが目を覚まさないように、そっと起き上がると、カケルが作った竹の水筒を手に、近くの沢を探した。洞穴からすぐのところに沢はあった。顔を洗い、水を汲み、ふっと顔を上げた時、遠くに白い煙が上がっているのが見えた。すぐに、洞穴に戻ってカケルと揺り起こした。
「カケル!起きて!・・・そこに・・煙が見える・・村は近いんじゃないかしら・・」
そう聞いて、カケルは飛び起きて沢まで走っていった。確かに、木々の向こうに一筋の煙が上がっていた。
「人が居るのは間違いないな\\だが・・村ではなさそうだな。」
朝の時間、ユイの村なら、煙が少なすぎる。それに、まだ村までの距離は随分あるはずだった。誰かが野宿して火を燃やしているのだと考えた。
「・・誰か・・エンかもしれない・・けど、急ぐ事はない・・・まずは腹ごしらえをしよう。夕べは疲れてしまって何も食べてないから腹が減ったよ。」
残り火を起こして、麻袋から野草と干し肉を取り出して、雑炊を作って食べた。
「さあ行くか。今日はゆっくり行こう。夕方には村につけるはずだからな。」
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‐ウスキへの道‐3.森の中の老人 [アスカケ第2部九重連山]

3.森の中の老人
沢に沿って歩き始めた。沢は徐々に広がり川となっていった。
昼を過ぎた頃だった。朝、沢で見つけた煙の場所と思われる焚き火跡を川原で見つけた。やはり、誰かがここに居たようだった。魚を焼いて食べた跡が残っていた。
「エンじゃなさそうだ・・誰かが森の中にいるんだ・・」
カケルは焚き火の跡を探りながらそう言った。
「まだ、村までは随分あるでしょ?猟に来ていたのかしらね?」
「いや・・一人で猟をすることは無いはずだが・・」
そう言ってしばらく川沿いを進むと、滝になっていてその先には進めなかった。やむなく、森の中をしばらく歩くと、森の中に小さな池があり、そのほとりに、老人が座っていた。

「煙の主はあの方かな?」
二人は、老人の様子を観察していた。
その老人は、腰掛け、足を水に浸けじっと目を閉じてまったく動かなかった。何かを待っているような、眠っているような、声を掛ける事が憚られる雰囲気であった。
イツキが近づいて恐る恐る声を掛けた。
「あの・・・すみません・・お尋ねしたい事が・・」
その声に、意外と優しくその老人は応えた。
「・・こんなところで人と会うとはな・・どこから来た?・・」
「はい・・私はイツキ。ナレの村からきました。このカケルとともに、アスカケに出て、これからユイの村へ行こうと思っています。」
「ほう・・珍しい、女子でアスカケとは・・ナレの村か・・セイは元気にしておるか?」
「ええ、お元気です。・・セイ様をご存知なのですか?」
「ああ・・若い頃、ナレの村で世話になった。わしの名はゲン。ユイの村の生まれじゃ。」
カケルはその会話を聞いてから、おもむろに尋ねた。
「ここで何をしていらっしゃいますか?」
「ほう・カケルとか言ったな。良い体をしておる。力もありそうじゃなあ。・・さて、何をしておるように見えるかな?」
「先ほどから見ておりましたが・・ただ座っておられる様で・・・。」
「そうか・・・おっと・・来た来た!」
老人は、急に叫んで足を上げた。水しぶきが上がる。見ると、その老人の足先には、紐が結ばれていて、その先の水面には、魚が飛び跳ねていた。老人は、ゆっくりと紐を引き、魚を引き上げた。
「魚を釣り上げておったのじゃ。この池には魚がたくさんおる。それを捕まえるためにここにいたのじゃ。」
「足で・・」
「ああ、不思議か?・・・それはホレこの通り。」
そう言って老人は、体に巻きつけた衣服を剥ぎ取り理由を教えた。老人は、左手が肩から無かった。右手も肘辺りに火傷のような跡があり、満足に動かないようであった。
「若い頃、森で獣に襲われたんじゃ。・・いや、獣が悪いのではない。猟に出ていて、山火事にあった。逃げる最中に、熊に出くわした。火に巻かれ正気を失っておった熊はわしを見るといきなり襲い掛かってきた。その時、腕をやられてのう。幸い、命は助かったが・・これではもう量にも出れず・・・。何とかならぬかと考えて、ようやくこの方法を会得したというわけじゃ。自分の食い扶持くらいなら何とかなる程度じゃがな。」
ナレの村にも、足の不自由なお婆や、目が見えないミコトも居たが、皆で世話をしあい生きていた。
「自分の食い扶持って・・村では食べ物を分けたりしないの?」
イツキが不思議に感じて尋ねた。
「・・ああ、村か。・・・」
「もしかして、一人で暮らしているのですか?」
「・・ああ・・そうじゃ。・・・怪我をしたばかりの頃は村に居た。皆、よくしてくれた。イツキの言うように食べ物等皆が分けてくれた。」
「なら、一人で暮らさなくても・・・」
「まあ、良いじゃないか・・・それより、わしの家に来ないか。人と会話するのも滅多にないことじゃ。大きな魚も連れたことだし、一人で食べるには大きすぎる。これを食わせてやろう。・・ナレの話も聞かせておくれ。さあ・・」
老人はそう言って、立ち上がると、魚を器用に肩に掛けて先を歩いた。
池から少し山道を登ったあたりに、洞穴を使った住まいがあった。住まいの前には、竹で獣よけの囲いがあったが、あちこち傷みが出ていた。
「さあ、ここじゃ。・・どうじゃ、意外に立派な家じゃろう。さあ入れ。」
老人は、家の前にある竈の脇に魚を放り投げ、家の中に案内した。
中には寝床と囲炉裏があるだけだった。

「ユイの村まで行くには、少し遅いようだな。おぬしらの足では、村に着く前に日が沈むだろう。今日はここで休んで、明日行けばよいだろう。まあ、ゆっくりしていくが良い。」
イツキとカケルは、先に村についているはずのエンが気がかりだった。二人の到着が遅れれば、エンがきっと心配するに違いない。どうしたものかと考えていると、老人が、
「何だ。気がかりな事があるようじゃな。」
「はい・・われらより先に、ユイの村に向かった男がいます。」
「エンという者じゃろう。」
「・・エンもここに?」
「ああ・・昨日の夕方、沢近くで会ったぞ。山を下り、崖を降り、ユイの村に行くと言った。だが、随分疲れておって、ふらふらになっておったわ。どこかで転んだか、落ちたか判らぬが、足を引きずるようにしていた。しかたなく、ここで休ませてやったんじゃが、今朝早くには、出て行ったぞ。」
「それなら・・われらの事も・・」
「ああ、カケルとイツキという二人もきっとここを通るだろうからと言っておった。大丈夫じゃ、ここで休ませてやるからゆっくり行けばよいと言っておいた。心配は要らぬぞ。」
二人は、崖を下ったエンが、無事、麓近くまで降りてきたことを聞き、安堵した。
「それより、なあ、たまには旨い料理を食ってみたいのじゃ。その魚を料理してくれぬか?」
「はい、早速支度をしましょう。・・カケルは、薪を集めて来て!さあ、日が暮れる前に。」

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‐ウスキへの道‐4.夜の帳 [アスカケ第2部九重連山]

4.夜の帳
イツキは、麻袋から野草をいくつか取り出して料理の支度を始めた。カケルは、薪集めに家の周りの森へ入った。日が落ちる頃には、すっかり準備も終わった。
魚は開いて半身は串を打ち、囲炉裏の火で焼いた。半身は、カケルが森で取ってきたホウノキの葉に、刻んだ野草とともに包んで蒸し焼きにした。
「おお、美味そうじゃないか・・いただくとしよう。・・おや、これは・・・」
老人は美味そうに一口頬張ってから不思議な顔をした。
「この味は?」
「はい、ナレを出る時、母から貰ったこれを使いました。」
イツキは懐から白い塊を取り出して見せた。
「ほう・・これは塩の塊か。そうか、ナレの村には塩があるのか?」
カケルが答えた。
「はい。長老様やミコト様達が、年に一度、南の村に行き、手に入れて来られます。」
「羨ましいものだ。・・塩があれば、食事も旨くなる。・・・。」
それを聞いて、イツキは、
「少し、お分けしましょう。今日、お世話になったお礼です。」
「そうか?すまないな。ありがたく戴く事にするよ。・・ところで、お前たち、何故、御山から降りてきた。ナレの村からなら、南の道を来ればほんの一日ほどで着くはずじゃ。」
老人は、イツキの料理を食べ満足そうな表情を浮かべて訊いた。
「・・それは・・実は・・御山に昇っていたんです。」
「ほう・・・御山になあ・・それでどうであった?」
「遠く、はるか遠くまで見えました。」
カケルは答えた。イツキが付け加える。
「頂上でニギ様の服と剣を見つけたんです。我が一族の祖、ニギ様は確かにいらしたのです。」
「方、それは凄い。ニギ様か・・・お前たち、ニギ様の話を知っておるのか。・・そうか、セイが聞かせたのだな。・・そう、ニギ様は我らの祖。ユイの村の一族の祖でもあるのだ。」
老人は、どこに隠していたのか濁酒を口にして、少し酔っていたようだった。
「え?ユイの村?」
「ああ・・昔、ユイの一族もナレの一族も一つだった。だが、二つに分かれたと聞いておる。随分と昔の話だがな。・・・・」
「どうして二つに?」
「さあ・・どうしてなのか・・・それより、お前たち、ユイの村に着いた後、どうする?」
「はい・・ヒムカの国へ行きます。」
「ヒムカの国か・・良い国だったが・・」
「あの・・ゲン様は、ヒムカの国へ行かれたことがあるのですか?」
「ああ・・ヒムカの国だけではない、その先の先まで行った。」
「ヒムカの国の向こうはどんなところなのですか?」
カケルは、身を乗り出して訊いた。
「ヒムカの国の北には、トヨという国がある。ヒムカとは違い、トヨの国は険しい山ばかりだ。高い山というのではなく、山のあちこちから煙が出ている。谷も深い。皆、険しい山の中で慎ましく暮らしておる。・・・ナレやユイの村より厳しい暮らしかも知れぬな。だが・・みな、争いも無く静かな国であることに満足しているようだった。・・そうだ、そのトヨの国には面白いところがあった。・・田の中に、湯が噴出している。それも一箇所だけではない、あちこちから湯が噴出しているところがあった。周りの村々から、病やキズを抱えた者が集まり、その湯に浸かって癒しておったな。・・お前たちも一度行ってみると良いぞ。」
「その先は、どうですか?」
「その先は、邪馬台国だ。・・・一度は入ってみたが・・随分、荒れていたな・・・戦が絶えないらしい。・・二つほど村を回ったが・・・余りの荒れ方に・・何も得るものは無いと思って、すぐに戻る事にしたのだ。・・もう邪馬台国は滅びていくだけだろう。」
老人の話に、二人は果たすべき目的の重さを改めて痛感していた。
「ヒムカの国へ行ってどうするのだ?」
カケルとイツキは少し答えに戸惑った。イツキが邪馬台国の王の末裔である事や、ヒムカの国の奥にあるウスキの話をすべきかどうか・・・。老人は、二人が答えに戸惑っている様子を見て、話を変えた。
「ヒムカの国より西、九重の御山を超えてみると良い。・・わしは話で聞いただけだが、火の国があるそうだ。大きな大きな山が火を噴いているそうだ。だが、その山の周りには、広い草原が広がっていて、馬や牛が静かに暮らしておるそうだ。田畑も広がり、人々はみな優しく、助け合って生きておるそうじゃ。ヒムカとは比べ物にならぬ良い国らしい。」
カケルは、幻の中で見た青い草原と火を噴く山、きっとその事だと思った。ウスキの村へ着いた後、火の国へ向かいたいと考えていたのだった。
「ただ・・気をつける事がある。そこは、大地の思いもよらぬところから、熱い風が吹き出すらしい。巻き込まれると大やけどをするそうだ。・・なんだか、面白そうだろ?」
イツキは、老人の話からなんだか不思議な所だと感じたが、草原のあちこちから暑い風が吹き出し、馬や牛が逃げ惑う様子を想像して可笑しくなった。
「ゲン様、これからもずっとお一人で、ここに住まわれるつもりですか?」
カケルは気になり訊ねた。
「・・ああ・・ここでの暮らしは楽ではないが、気ままに暮らせるからな・・」
「寂しくはありませんか?」
「・・ふむ・・まあ、寂しいといえば寂しいが・・まあ、時々、言葉を忘れる事はあるな・・」
「村に戻られたほうが良いのではないですか?」
その言葉にすこし老人は考えてから答えた。
「カケル、お前はアスカケとは何だと思っておる?」
「・・はい、自分の生きる意味を見つける事です。自分の役割、果たすべき事を見つける事。」
「そうだ・・わしも、ここで生きることが我がアスカケと思っておるのだ。」
「村から離れ、一人で生きることがアスカケですか?」
「よく見よ。この場所はどんなところじゃ?」
瞬く星と獣の声、それ以外にない静かな場所であった。カケルは答えに困っていた。
「よく見るのじゃ。・・ここは、獣と人の世界のちょうど真ん中なのだ。その柵の外は獣が支配する世界じゃ。ワシが片腕を失くしたのも、ここからそう遠くないところじゃ。そう、ここにワシが生きておる限り、ここより里へは獣は行かぬ。火を焚き、人の臭いを広げれば、獣も容易には近づかぬ。ワシは、何もできぬ身じゃが、ここに生きている限り、村を獣から守る事ができよう。・・それがワシのアスカケなのじゃ。」
深い森の中で生きる事で、村を守るという老人の思いは、命を削りながら笑って見送ってくれた母の思いと重なって、カケルは思わず涙を零してしまった。

阿蘇噴火2.jpg

-ウスキへの道‐5.ユイの村 [アスカケ第2部九重連山]

5.ユイの村
翌朝、カケルとイツキは老人に礼を言い、早々に出発した。昼過ぎには、ユイの村の入り口に到着した。先に到着していたエンが、村の大門の脇に座り、心配顔で二人の到着を待っていた。
「やっと来たか!」
「すまない。途中で日暮れにあってしまって、森の中でゲン様にお会いして、一晩やっかいになったのだ。」
「ああ・・俺もゲン様にあった。一晩厄介になったよ。・・だが、村の人には黙っておいて欲しいと言われたんだ。」
「ああ・・俺もそう頼まれた。・・だが・・」
「まあ、いいさ、とにかく村に入ろう。昨日のうちに話はつけてある。まずは長老様に挨拶だ。」
三人は村の中に入った。ユイの村は、ナレの村より人数が少なく小さかった。男手が少ないのか、村の家はあちこち傷みが目立ち、村を囲む柵もところどころ壊れていた。

「長老様、二人が到着いたしました。」
エンが、長老の館の前で声を掛けた。長老はゆっくりと顔を出した。随分高齢の様子で、目が良く見えないのか、声のするほうに向いたものの、視線はまったく別の方向を向いていた。
「よくおいでくださった。小さな村ゆえ、たいしたもてなしはできないが、ゆっくりしていきなされ。・・カケルとイツキと言ったな。・・ナギ様、ナミ様はお元気か?」
先についていたエンが、カケルたちのことをすっかり紹介しているようだった。
「はい、父や母からは、ここでしばらく養生させていただいたと聞いています。ありがとうございました。」
「ほう・・力強い声で・・どうやら、ナギによく似ておるようじゃ・・さぞかし、凛々しい青年なのじゃな。」
「・・イツキでございます。・・我が母セツも、この地に来たと聞いております。ありがとうございます。」
「・・セツ?・・なんと、お前はセツ様の娘か・・・ならば、ウスキの村・・いや・・邪馬台国の王の血を継ぐものなのか?・・・もっとこっちへおいで。」
長老はイツキを呼び寄せ、両手でイツキの顔を包みこむように優しく触った。
「美しい娘じゃ・・・セツ様とよく似ておる。・・そうか、ウスキへ行くのか?・・ウスキの村の者も喜ぶであろう・・。」

長老の口から、邪馬台国の王の話が出ようとは思いもしなかった事に、三人は驚いた。
「長老様は、邪馬台国の王の話をご存知なのですか?」
「ああ・・ナギ様がここへ立ち寄られた時に、もしもナレの村にもしもの事があれば、ユイの村でもセツ様をお守りするという約束を交わしたのだ。・・そして、時が来るのを待っておったのだ。生きているうちに、こうして、また王の血を受け継ぐものと会えるとは・・・」
見ると、長老は涙を流していた。イツキは、自らの運命の重さを改めて感じていた。
「まあ、ゆっくりされるが良い。ここ数年、厳しい暮らしが続いて、たいしたもてなしは出来ぬが、体を休める場所は設えておる。・・村のはずれの家を使ってくだされ。・・誰か、おらぬか、案内を頼む。」
長老がそういうと、脇に控えていた姉と弟と思しき二人がそっと近づいてきた。
「フミと申します。こちらは、弟のカズ。村にいらっしゃる間、私たちがお世話させていただく事になりました。さあ、ご案内しましょう。こちらです。」
フミは、カケルたちより、二つほど年上。弟のカズは二つほど年下であった。

三人は、フミたちの案内で、村の中を回った。村のものたちは、フミの顔を見ると皆お辞儀をした。中には、その姿を拝むものまでいた。不思議に感じて、イツキは訊ねた。
「あの・・フミ様?貴方たちはどういう・・」
そこまで言うと、弟のカズが振り向いて、
「姉様と私は、おさ様の孫です。父は、数年前にはやり病で亡くなりました。姉様は、爺様のお手伝いをして、今は、この村を治めています。」
凛としていながら、優しさと慈しみを感じさせる姿は、彼女の果たすべき役割をしっかりわかっている事を示していた。
「母様は?」
カズがフミの顔を見ながら、どう答えようかと思案していた。
「母は、病で臥せっております。」
フミがきっぱりと答えた。
「もう、長くお悪いのですか?」
「・・もう一年近く・・長様と同様、目を患っております。」
そう答えた後で、急に立ち止まりフミが言った。
「ここをお使い下さい。今は誰も使っておりませんので少々傷んでおりますが・・」
そう言って教えられた家は、何とか屋根はあるもののあちこち傷みが出ていた。その様子を見てカケルが訊いた。
「・・この村の家々を見ると、あちこち傷みがありますね。それに獣除けの柵にも・・・」
「はい・・流行り病でミコト様が減り、力仕事ができる者がおりません。・・」
「我らがここに留まる間に、できる限り、修理をいたしましょう。・・他にも何かお役に立てることがあるなら、申しつけ下さい。」
フミはその言葉を聞いて、思わず涙を零した。
「・・ありがとうございます。・・・是非にもお願いいたします。・カズにも手伝わせます。」
「・・そうですか・・それでは、カズ様にもお願いいたします。」
三人は、与えられた家に手荷物を置くと、すぐに、仕事を始めることにした。
カケルとエンは、カズに案内を頼み、家の材料となる木や葦を近くの森や川原で集め、村に運び込んだ。イツキは一つ一つの家を回り、屋根や壁を修理すべき箇所を聞いてきた。カケルとイツキが家の修理を受け持ち、エンとカズは獣除けの柵の修理をする事にした。
家の修理は、何とか日暮れまでにある程度片付いたが、柵の修理は手間が掛かっていた。長年手入れをしていなかったのか、柵の外堀が埋まってしまって役に立たない。エンとカズは、堀をもう一度掘り返すところから始めたのだった。
「カズ、これは厄介な仕事だぞ。村を一巡りする堀をもう一度掘らなければならない・・。」
カズはまだ13歳、体つきもまだまだ少年で体力があるとは思えなかった。しかし、カズも長の跡を継ぐものとしての自覚は人一倍持っていた。
「大丈夫です。少しずつでも掘り進めればいつか出来上がるでしょう。私一人ではやりきれないけれど、エン様やカケル様もご一緒ならきっとやり遂げる事ができると思います。」
カズはそう答えて、また掘り始めた。
「明日も、続きをやろう。・・しばらく、この村に留まることになるな。」
汗を拭きながらエンが言うと、カズは嬉しそうな顔をした。
ウスキの村は遠く何日掛かるかはわからない。ただ、先を急ぐだけがアスカケではないのだ。

堀.jpg

-ウスキへの道-6.相談 [アスカケ第2部九重連山]

6.相談
日暮れになり、三人は与えられた家に戻った。
さすがに疲れた三人は、家に入るとすぐに横になってしまった。空腹感は強かったが、何をする気力もなくなっていた。日も暮れ、家の中は真っ暗になった。ようやく、カケルが起き上がり、囲炉裏の火をつけた。エンやイツキも囲炉裏の傍に来てじっと火を見つめた。
「思ったよりもこの村には長く居ることになりそうだな。」
エンがポツリと呟いた。
「ああ・・まだ、まだやることはありそうだ。しかし、男手がないのは大変だ。ナレの村はたくさんのミコト様がいた。皆、それぞれにたくさんの仕事をこなしていたんだな。」
カケルが答えた。
「そうね・・村に居たときは気づかなかったわ。村はミコト様や母様たちが力を合わせていたから、あんなに穏やかで住みやすかったのね。」

ふいに、外で声がした。カケルが出てみると、フミとカズが両手に皿を持ち立っていた。
「お疲れでしょう。・・本来ならば歓迎の宴をすべきですが・・なにぶん、今は、村も苦しくて、もてなしをする事ができません。これでお許し下さい。」
そう言って、野草と雑穀を煮た雑炊を差し出した。
「少し、お尋ねしたい事があるのですが・・」
カケルがそういうと、フミとカズを家の中に招き入れた。

「しばらく、我らはここに居させていただきます。・・村のお役に立ちたいのです。」
「ありがとうございます。・・今日も随分あちこちを修理いただいたのに・・・。」
「先を急ぐ旅ではありませんから、気にしないで下さい。あの・・それで・・ひとつ、お伺いしたいですが。・・村の流行り病とはどんなものですか?」
フミは少し考えてから慎重に答えた。
「・・はい・・長様のように、目が見えなくなる病なのです。私たちのように子どもはなりませんでした。ミコト様のように力仕事をされる方から順番に悪くなって・・今では、村の大人のほとんどが同じような病になっているのです。」
「目の患いか・・・」
カケルは何かを思い出そうとしているようだった。
「いつごろから?」
イツキが問う。
「・・確か・・前の大水があった時だがら・・2年くらいになるでしょうか・・・その年は、夏に長雨があり、御池も溢れて、この村の家も畑も水に漬いてしまって・・・食べ物も無くて、ひもじい思いをしました。その年、長様が病になられて、順に広がってしまいました。」
「それで・・堀も埋まっていたんだ・・御池が溢れる事があるんだ。」
「ええ・・長様はおっしゃるには、御池から流れる川が埋まってしまったせいだと・・」
「川の流れを戻すのはかなり苦労するな・・。こりゃ随分長くいる事になりそうだ。」
エンが天井を見上げて言った。
カケルは、先ほどの会話からずっと考え込んでいた。その様子にイツキが気付いて訊いた。
「ねえ、どうしたの?」
「・・あ・・いや・・目の患いと聞いたんで・・治す方法を考えていたんだ・・確か、館で見た書物にあったはずなんだ・・・なあ、イツキ、覚えていないか?」
イツキも考え込んだ。二人の様子を見ていたエンが言った。
「なあ、俺の母様は、よく言ってたんだ。・・塩でキズを洗うとすぐに治るって・・でも、傷口に塩を入れると飛び上がるほど痛いんだぜ・・だから・・」
そこまで聞いていたカケルが声を上げた。
「そうだ!・・エン、凄いぞ。そうだ、そうだ。塩だ。確か書物に・・塩で目を洗い清め、その後に・・薬草を・・何だったか・・確か・・オオバコ草が効くはずだ。」
それを聞いて、フミが残念そうに答えた。
「・・塩は、今、ほんのわずかしかありません。・・」
イツキが驚いて言った。
「えっ?塩が無いって・・・」
「はい。以前は、ミコト様がカワセの村まで出かけて分けてもらっておりましたが、今はそれもかないません。残った塩を大切に使っているのです。」
「じゃあ、俺がそこまで行ってもらってくるよ。」
エンは、今日の作業に嫌気が差していたのか、隣村まで行くほうが気楽だと考えたのか、勇んで申し出た。
「しかし・・カワセの村までは丸一日掛かります。それに、ただもらえるわけではありません。代わりになるものを持っていかなくてはなりません。・・以前は、猟で得た猪や鹿を届けておりましたが・・今、村にはそれさえも・・・」
「じゃあ、俺が猟をして獲物を捕らえてそれを届けてくるさ。何、俺の弓の腕なら簡単な事だ。明日にでも出発する。・・そうだ、カズ、お前の一緒に行くぞ。二人で猟をして大物を捕らえて、たくさんの塩を運んでこよう。」
カケルがそれを聞いて、
「そうだな。それが良いだろう。道案内も必要だし・・カズ様、お願いします。」
カズは戸惑いながら、頷き了解した。
「それで・・イツキとフミ様には、薬草を探してもらいたい。まだ、春になったばかりだから、それほど大きくは育っていないだろうが・・できるだけたくさん手に入れて欲しい。」
「オオバコ草は、御池の畔にたくさんあります。そこに行ければ・・」
「確か、父ナギが村から御池に楽に行けるように橋を掛けたと聞いているんだが・・」
「はい、以前は橋がありました。しかし、大水の年に橋を掛けていた大楠が根から流されてしまって・・今は、御池には行けません。」
「そうか・・ならば、まず、明日、橋を掛けなおそう。いずれは必要になるのだ。家の修理もほぼ終わった。エンとカズ様が塩を運んでくる間に、橋を掛け、薬草を集めておこう。」
「堀や川はどうする?」
「病を治せば、ミコト様たちも手伝ってくれるはずだ。川を治すには大人数で無いと難しい。まずは、村の人の病を治す事にしよう。」
「よし・・それなら・・腹ごしらえだな。」
エンはそういうと、フミが運んできた食事に手をつけた。カケルもイツキも食べた。
わずかな塩味がつけられた雑炊を、三人はしっかり味わいながら食べた。

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-ウスキへの道-7.長老とイトロ [アスカケ第2部九重連山]

7.長老とイトロ
 フミとカズは、館に戻って、カケルたちの話を長老に伝えた。
「なんと・・この眼が治るというのか?」
「はい。」
「ありがたいことじゃ・・・。」
「はい・・本当にありがたいことです。・・」
「カケルの父様も、アスカケの帰りに、この村に留まり、家々を直し、むらを元気付けてくださった。ナミ様の体を癒すための礼と言われてのお。その時も、村は苦しい暮らしじゃった。じゃが、ナギ様は毎日ひたすら働かれた。・・ナレの村はそういうミコト達がたくさん居るのじゃな。しかし・・この村は・・・わしの力が足りぬばかりに・・」
長老は、見えぬ眼から一筋の涙を流している。

「きっと、病さえ無くなれば、ミコト様たちも以前のように動けるようになるでしょう。それまでの辛抱です。病を治す術をしっかり教わります。」
フミも泣いている。そしてこう言った。
「ですが・・・村の人たちは、素直に治療をうけてくれるでしょうか?」
塩で眼を洗い、薬草をつけるだけであるが、もともと傷んだ眼を塩で洗うなど、やはり相当の痛みもあるはずである。
「大丈夫じゃ・・わしが一番に受けよう。そうすれば、皆も受けるはずじゃ。」
「でも・・・」
「心配せずとも良い。・・どんな痛みにも耐えてみせよう。長とはそういう役目なのじゃ。」

「あの・・長老様・・・狩りをするにはどこへ向えばよいでしょう。」
カズが尋ねた。
「そうか・・お前は、エン様とともに、獲物を取り、塩を貰い受ける役目じゃったな。・大事な役目じゃ・・頼むぞ。・・狩りをするには・・本来ならば、山手の森が良いのだが・・それでは、遠くなる。」
長老は思案していた。そして、しばらくしてから思い出したように言った。
「おお・・そうじゃ・・・お前は、カワセの村までの道はわかるか?」
「はい・・一度、ミコト様たちに連れられ行ったことがあります。大川の畔にありました。」
「そうか・・頭の良い子じゃな・・その途中に、獣の潜む森がある。そこならきっと良いはずじゃ。途中、険しい道もあるが、お前なら大丈夫だろう。」
「行かれたことはあるのですか?」
「いや・・わしは行ったことは無い。・・イトロに尋ねるがよい。確か、何度か行っておる。峠から森へ入る道も教えてもらうが良い。」
「わかりました。きっと獲物を仕留め、塩を持って帰ります。」

フミとカズは長老の部屋を出た。
カズは、長老に言われたとおり、イトロの家を訪ねた。イトロは、村一番の弓の名手であり、狩りの腕も相当なものであった。元気だった頃には、大きな鹿や猪、熊までも仕留め、村人の胃袋を満たしてくれた。しかし、今は、眼の病になり、ほとんど視力を失っていたのだ。
「イトロ様・・夜遅くすみません。カズです。」
そう言って声をかけると家の中から返事がして、イトロの妻が出てきた。
眼の病になっているがまだ視力は残っていた。
事情を話して家の中に入ると、イトロは、座って弓を磨いていた。イトロは、いつか目が治る事を信じていたのだった。
「イトロ様、一つお教えください。・・カワセの村へ向う途中の峠で、獣の潜む森があるのはご存知でしょう。明日、そこに行きたいのです。」
カズがそう言うと、イトロはじっと考え込んでいた。
「お前一人で、狩りをするのか?」
カズは、カケルたちのやろうとしている事を話した。しばらくイトロは考え込んでいたが、ぼそりと言った。
「確かに、二つ目の峠を越えたところから、北へ入ったところに沼がある。入り口には、大杉がある。俺がつけた目印もあるはずだ。その沼は、山の獣が水を飲みにやってくる。・・鳥も多いし、ウサギや狐も居る。・・そうだ、鹿がよいだろう。沼に来た鹿は足元が悪いから、すばやく動けない。鹿を狙え。一つ取れば充分なはずだ。二人で運ぶにもちょうど良かろう。」
そう言うと、磨いていた弓をカズの前に差し出した。
「これは?」
「ああ、猟をするのならこれを使ってくれ。毎日磨いて、よく撓るようになっているはずだ。俺は使えないからな。・・お前が使ってくれるなら、俺も猟をした気持ちになれる。・・エン様を助け、大物をしとめるのだ。」
「判りました。ありがたくお預かりします。・・でも・・きっと眼は治ります。そしたら、イトロ様、弓をお教え下さい。」
「ああ、判った。きっとだ。」
カズはイトロの家を出て、自分たちの家に戻った。

家の中は暗くひんやりとしている。薪すら満足に無い村で、二人は長の一員として、他の家々に、自らの薪を分けていたのだ。
カズは冷たいだけの干草の寝床に入った。
「ねえ、姉様。もう寝ましたか?」
フミはそっと寝返り、カズのほうを向いた。
「どうしたの?」
「カケル様たちは、何故、あれほど熱心に我らを手助け下さるのでしょう?」
「昔、父様と母様がこの村で世話になったから、お礼をしたいとおっしゃっていたけれど・・・。」
「もし、村の病が治り、昔のような村に戻れたら、我らは、カケル様たちにどうやって恩返しをすれば良いのでしょう。」
フミは答えに困った。そして、
「今はまず、自分の役目をしっかり果たすことでしょう。お前は、エン様を助け、無事、獲物を仕留め、カワセの村にご案内するのです。そして、ちゃんと塩を運んでください。」
「はい。」
カズは、真剣なまなざしで答えた。
「私は、カケル様とイツキ様を助け、橋を掛け、御池でオオバコ草を取ります。そして、村の人たちにちゃんと病を治すようにします。今はまず、出来る事をしっかりやりましょう。」

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-ウスキへの道-8.鹿の命 [アスカケ第2部九重連山]

8、鹿の命
翌朝、エンとカズは、カワセの村に向うため出発した。
カケルとイツキ、フミは、橋を掛けるために御池に向った。

エンとカズは、村から東へ延びる野道を歩いた。ゆっくりとした上り坂を一つ越え、二つ目の峠に差し掛かった。
「エン様、この峠から入ったところに、沼があるそうです。鹿を仕留めるのが良いと聞きました。」
「そうか・・沼か。・・今日は空も少し曇り気味出し、風もほとんど無い。これならきっとうまくいくだろう。・・で、沼まではどうやって行く?」
カズは辺りの木を一つ一つ調べ始めた。
「・・狩りの名手、イトロ様が昔ここへ来た時、沼への入り口の印をつけたそうなのですが・・」
「いつの事だ?」
「随分前でしょう。」
「それなら、もっと上の方を探せ。長い年月で木も大きくなっている。」
そう言って、木々の上の方に視線をやると、一番下の枝に黒い縄のようなものがぶら下がっている杉の木があった。
「あれじゃないか?」
「きっとそうです。」
二人は、その杉の横に立ち、森の奥を見た。木々の間に、ぼんやりと道のようなものが続いているのが判った。その道に沿ってゆっくりと入って行った。少し入るだけで日差しが弱くなり、途中真っ暗な森になった。足元を確かめながら進むと、前方に青く光る沼のようなものが広がっていた。二人は、頭を下げて辺りを観察した。
エンが小さな声で言った。
「・・あれだな・・確かに、ここなら大物がいるかも知れないな・・。」
エンは、そっと弓を手にした。その様子を見て、カズも弓を取り出した。
「良い弓を持っているな。少し大きいようだが・・・」
「はい。昨夜、イトロ様から預かりました。自分の代わりに役立てて欲しいと言われて・・」
「そうか、ならば、大物が出てきたらしっかり狙うのだぞ。気持ちを落ち着けてゆっくり構え、力強く引くのだ。」
しばらく、二人は木の陰に潜んで、獲物が来るのを待ち構えた。
沼には、水鳥の群れが羽音を響かせて降りてきてはまた飛び去っていく。なかなか大物といえる獲物が現れなかった。風が吹き始めた。エンは風の方向を確認した。
「・・風上になってしまったな。・・ここに居ては駄目だ。風下へ移ろう。」
二人は腰を上げ、沼のほとりを出来るだけ音を立てないように対岸へ歩いた。沼を半分ほど来た時だった。がさがさっと音がした。エンがカズの頭を押し、腰をかがめるようにした。また、がさがさと音がする。エンは眼を閉じ、音のする方角を定めた。カズもエンの様子を見ながら視線をその方向に向けた。じっと目を凝らしていると、薄暗い森の中から、一頭の大鹿が現れた。見事に張った角を持ち、前足も後ろ足もパンと張っていて、立派な鹿であった。
「来たぞ。・・・」
そう小さく言って、カズに弓を構えるように指差した。
カズは、エンに言われたとおり、ゆっくりと弓を構えた。エンは脇で「まだまだ」というしぐさをしている。一歩一歩、鹿は近づいてくる。カズは弓を引いた。ギリギリという音がする。
「よし、今だ!」
その声とともに、カズが放った。ヒューっと風を切り裂いて矢が飛んでいく。ほとんど同時に、大鹿が跳ねた。放った矢は、大鹿の首元に突き刺さっている。だが、張った筋肉にわずかに刺さった程度で致命傷にはなっていない。鹿は、飛び跳ねながら森の中へ逃げ込もうとしていた。その様子を見て、すぐに、エンが追い矢を放つ。エンの矢は、大鹿の後ろ足に深く突き刺さった。鹿は、その場に倒れ込んだ。それでも鹿は何とか逃れようと必死にもがいている。エンとカズは、必死で追い、暴れる鹿のとどめを刺すために、首筋にあった矢を抜き、心臓めがけて差した。鹿は、キューンと一声啼いて果てた。

カズは本格的な狩りは初めてだった。弓を構えた後、どうやって仕留めたか、何も覚えていないほど興奮していた。落ち着いて弓を引けと言われていたが、獲物を見たときから、鼓動が高まり、構えた腕はぶるぶると震えた。仕留めた後も、カズは興奮していた。

「よくやった。見事に矢を放ったな。」
その声に、カズは我に返った。
見ると、エンは仕留めた大鹿の首筋にそっと手をあて、何か謝る様なしぐさをしている。
「エン様?」
「ああ・・命を奪ってしまったのだ。俺は、ミコト様たちと猟に出たことがあるが、ナレの村のミコト様たちは、必ず、こうやって命を奪った事を謝るんだ。自ら生きるためとは言え,殺生には変わりは無い。この鹿も、我らと会わなければまだ野山を駆けていたはずだ。弓を引くという事はそういうことなのだ。」
神妙な面持ちで、エンはそう言った。カズも鹿の横に座り、そっと首筋に手を置いた。まだ、鹿の体は生暖かく、ほんの少し前まで命があったことを教えている。カズは、その温もりを感じ、弓を引く事の重さを感じ、涙を流した。
「さあ、鹿の命を無駄にしないように、ミナカタへ運ぼう。」
木の枝に鹿の足を縛りつけ、二人で抱えて山道を運んだ。荒れた山道、一歩進むたびに、鹿を縛り付けた枝が肩に食い込み、激しい痛みがあった。しかし、村の人々の苦しみを救い、鹿の命を大切に使うために、歯を食いしばって痛みに耐えた。
日暮れ前に、何とか、カワセの村の入り口に着いた。

カワセの村は、川沿いの低い土地にあり、周りには広い葦原もあり、ナレの村やユイの村のような獣よけの策はなかった。家も、ナレやユイの村のような地面を掘り、太い柱に支えられた家屋ではなく、皆、館のような高床式の新しい作り方であった。はるかに豊かな暮らしをしている村のように思えた。

エンは、村の入り口で立ち止まり、一旦、鹿を降ろした。
「疲れただろう。」
カズは、へなへなとその場に座り込んでしまった。肩からは血が滲んでいた。
「よく辛抱したな。俺も、ほら。」
そう言うと、肩を見せた。盛り上がった筋肉が紫色になっていた。
「ちょっと村の様子を見てこよう。ここで待ってろ。」

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-ウスキへの道-9.カワセの村 [アスカケ第2部九重連山]

9.カワセの村
エンは、村の入り口から、緩やかな坂道を登り、村の大門に着いた。
大きな村だが、余り人が歩いていない、幼子が数人、一軒の家の下で蹲っている。
「もう日暮れだというのに、大人たちは、まだ仕事をしているのか?」
エンは蹲っている幼子に声をかけた。
「村のおさ様はどちらかな?」
声をかけられた幼子の一人が、ゆっくり指さした。エンはその子の頭を撫でながら、礼を言おうとして驚いた。その幼子の目がすっかり精気を失っているのだ。どこか宙を見て、定まらぬ視線のまま、よく見ると、頬は虚仮てしまっていた。
エンは、村の周囲をよく観察した。静か過ぎる。まるで村自体が死んでいるかのように、ひっそりとしているのだった。エンは、すぐに大門を出て、カズの待つ場所に戻った。
「カズ、ここが本当にカワセなのか?」
エンの驚愕した表情に、カズのほうが驚いた。
「はい、確かにここがカワセです。」
「それなら、この村では何か起きたんだ。・・静まり返って・・・とにかく、そいつを持って村に行くぞ。」
二人は、鹿を担いで村に入った。カズも村の様子を見て驚いた。
エンは先ほどの幼子に教わった館の前で声をかけた。
「おさ様はおいででしょうか?」
しばらくして、戸が開き、弱弱しい声で返事があった。さらにしばらくして、長老と思しき人物が現れた。
二人はひざまずき、エンが挨拶をした。
「私は、ナレの村のエンと申します。こちらはユイの村のカズでございます。」
「ナレの村とユイの村?・・二つの村の若者が何の用じゃな?」
「はい、・・私はアスカケの旅の途中です。立ち寄ったユイの村で、病で苦しむ村人を見て、何か助けになればと相談し、このカズと、塩を分けていただきたく参りました。」
「そうか・・ユイの村で病か・・困った事じゃな・・・じゃが、この村に、今、塩は無いのじゃ。いや、この村には何もないのじゃ。」
「いったい、どういうことですか。」
「・・昨年の秋、大雨に遭って、作物が何一つ取れなかった・・蓄えてきたもので冬を凌いだ来てが、いよいよ底を着いたのじゃ。」
エンとカズは顔を見合わせた。ユイの村も、病で大変な状態にあるが、カワセの村のほうが一層深刻であった。エンは、すぐさま言った。
「おさ様、我らは、先ほど峠で狩りをして、大鹿を取ってまいりました。・・塩を分けていただくためのものですが・・よろしければ、この鹿をお使いください。・・せめて、幼子たちに食わせてやっていただけませぬか?」
カズは驚いた。この鹿を渡すとなれば、ユイの村の塩を手に入れることが出来なくなる。
「エン様・・でも、この鹿は・・」
「いいのだ、カズ。・・この鹿はきっとカワセの村の様子を知っていたのだ。だから、われらの前に姿を現し、命を投げ出してくれたのだ。」
カズにエンはそう言って納得させようとした。
長老は、二人のやり取りを聞き、如何に大事なものかを理解した。そして、こう言った。
「・・・それは・・いただけません。・・見事な大鹿、これなら、きっとユイの村をすくうだけの塩は手に入るでしょう。これをもって、もう一つ隣のモシオの村へ行かれるが良い。」
「いえ、良いんです。この村に入ってすぐ、幼子たちを見ました。皆、死んだような眼をしておりました。このまま、通り過ぎるわけには行きません。なあに、大丈夫です。獲物はまた取ればいいんです。弓の腕には自信があります。是非、この鹿を、村の皆に食べさせてやってください。」
「いや・・しかし・・」
「それならば、道案内できる方をお貸しください。・・その・・モシオの村まで。途中、狩りをして獲物を獲ます。できれば、力自慢の男手が良いのですが・・・・。」
「判りました。まだ、ミコトではありませんが・・ちょうど良い若者がおります。」
「良かった。それなら,これを。」
長老は、エンと数に礼をいい、村人を呼び、鹿を運ばせた。
すぐに鹿は解体され、一部は干し肉に、一部は、すぐに焼いて、村人たちに分けられた。無心に鹿肉にむしゃぶりつく幼子たちの顔には、嬉しさが溢れていた。
エンとカズも、焼いた肉を分けてもらい、頬ばった。しばらくすると、長老に連れられて、青年がやってきた。
「エン様、この男が案内役をします。名は、リキと申します。モシオの村までは何度も行っておりますから、大丈夫です。」
リキと紹介された青年は、エンよりも遥かに大きく、腕もエンより一回り太かった。ひげ面で長い髪を頭の天辺でひとつにまとめているので、更に背が高く見えた。
「それから・・モシオに行く時、この荷車をお持ち下さい。」
「おお、これなら、たくさん運んで来れる。・・よし、カワセの分も一緒に運んでこよう。」
夜には、館に寝床を設えてもらい、早々に休む事にした。
翌朝早くに、エンはリキと出発の準備をしていた。
「カズ、お前はユイの村へ戻り、塩の到着は今しばらく掛かると伝えてくれ。・・」
「私もともにモシオに行きます。」
「いや、リキがいれば塩を運ぶ事はできる。それよりも、このカワセの様子をカケルに知らせて欲しい。あいつなら、カワセへも足を運び、何かの手立てをするはずだ。頼む。お前にしかできぬ仕事だ。さあ、行くんだ。」
エンはそう言って、カズをユイの村へ向わせた。
「よし、リキ、俺たちも行こう。」
カワセからモシオまでは、塩を運ぶためにしっかりとした道が出来ていた。途中までは長い山道を登っていく。峠をひとつ越えたら、海が見えた。
「ここからは、下りだ。後は川沿いに行けば、モシオまではすぐだ。」
荷車を引きながら、リキが言った。
「ここで、一休みしよう。塩を引き換えにする獲物を捕らえねばならないし・・。」
「そうだな・・それなら、猪がいい・・モシオの者は、猪が大好物だ。・・下ったところに良い猟場があるって聞いたんだ。」
リキの目が輝いた。
「前にも、そこで獲れたのか?」
「・・大物は取り逃がしたらしいけど・・そこそこの奴は、いつでも出てくるらしい。」
「猪か・・・少し厄介だな・・・。」
竹筒に入った水を飲みながら、エンは考えた。
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-ウスキへの道‐10.橋を掛ける [アスカケ第2部九重連山]

10.橋を掛ける
 エンとカズが出発した後、カケルとイツキ、フミの三人は、御池へ向かった。
 村を出てすぐを、一旦川沿いに進む。川幅は狭いが、切り立った川岸が続いていて、対岸に渡れない。対岸に渡れればすぐに御池なのだが、渡るべき橋が無い。昔、ナギがユイの村に滞在した折に掛けた縄橋も、大雨で流されたのだ。三人は、御池を対岸に眺めながら、川べりを進み続け、ようやく、川幅が狭まっているところにたどり着いた。そこは、大雨で川岸が崩れ、埋まってしまい、川の流れをせき止めているところだった。
「ここなら、何とか向こう岸へいけそうだな。」
カケルは、崩れた崖を少し下ってみた。その拍子に、崩れた土砂がばらばらと落ちてきた。カケルは、一旦、元の場所に上った。
「通れるには通れるが、下に下りるのは、危ないな。・またいつ崩れるか判らない・・」
「以前、ここに縄橋がありました。向こう側とこちら側に、大楠の木があって、両方に縄を張っていました。でも、大水の年、木ごと、流されてしまいました。」
そう言って、フミが川下を指差した。川底に、楠木が2本横たわっていた。そして、その木をつなぐ形で太い縄橋の残骸が見えた。
父ナギも、昔ここで橋を掛ける仕事をしたのを知り、カケルは納得した。しかし、周囲を見ると、大木も大岩もなく、あるのは竹林だけで、ここで橋を掛けるのは難しいように思えた。
「どうする?」 イツキがカケルに訊く。
「縄橋を掛けるには、基になる木か岩がないと・・・何か、別の方法を考えなければ・・。」
カケルは考えた。ここにあるのは竹ばかり、・・この竹を使うより他に方法はなさそうだった。
カケルは、太そうな竹を手で触りながら、じっと考えた。
「よし・・・この竹を使おう。・・・イツキ、小刀を貸してくれ。」
そう言うと、イツキの小刀を手にして、太くて長い竹をなんとか1本切った。
「これでは、時が掛かる。」
カケルは腰に差していた剣を抜いた。急に竹薮に風が吹き渡り、ざわざわと音を立てた。カケルは剣を振りかざし、竹めがけて振り下ろした。スパッと竹は切れた。それも、1本ではなく、数本一気に切れていた。
何かが、乗り移ったように、カケルは無心に竹を切り始め、どんどん竹薮の中に入っていった。竹の切れる音だけが響いていた。イツキとフミは、カケルが異様な様相でどんどん竹薮の中に入っていくのを見て、怖ろしくな利、その場に留まった。
竹は次々に根元から切れて倒れていく。カケルは竹薮の中を切り分け、ついに抜けてしまった。そこには、ユイの村があった。ふと我に返ったカケルは、後ろを振り返った。自ら切り倒した竹薮には、村からまっすぐ御池までの道が出来ていた。
カケルはその道をとおり元の場所に戻ると、イツキとフミが、座り込んでいた。
「どうしたんだ?」
カケルの声にイツキが
「どうしたって、訊きたいのは私のほうよ。・・いきなり竹を切り始めてどんどんいっちゃうんだもの。・・怖かったわ・・・。」
そう言って立ち上がった。フミもようやく立ち上がり、カケルが開いた竹薮を見た。
「あら・・すぐそこが村なのね・・・」
三人は開いた竹薮を見て気付いた。カケルが切り開いた場所の足元には、綺麗に敷き詰められた石畳があったのだ。
「どうやら、昔、ここに道があったみたいだな。・・多分、御池に行くために敷かれた物だろう。綺麗にすれば、便利になるはずだ。」
そう言ってから、切り倒した竹を拾い上げて、枝を切り落とし始めた。イツキも小刀を使って手伝い、フミはそれを川岸に運んだ。たくさんの竹棒が並んだ。
「これをどうするの?」
「川の中に立て、その上に何本かを繋いで橋にするんだ。・・さあ、竹と竹を繋ぐための蔦を集めてくれ・・俺は竹に少し細工をするから・・」
三人は手分けして作業を進めた。
できるだけ太くて長い竹を選び、2本を蔦で結んだ。それを、川岸に立てた。その結んだあたりに、2本の竹を掛け足場にした。次も同じように、太い竹を蔦で結んで橋桁にして、竹を2本足場に渡す。そうやって、何本も何本も竹を組んで繋げていった。川は、幅こそ広いが浅い。どんどん繋いで、向こう岸までようやくたどり着いた。
「少し、弱いな。・・よし、同じ要領でたくさんの竹を結んでいこう。そして、途中を荒縄で更に縛って強くしよう。・・・・父が掛けた縄橋を使うのが良いだろう。・・・」
カケルたちは、川底まで降りて、ナギが掛けた縄橋のところに行った。基になる木が抜けなければ、きっと今でもしっかり掛かっていたはずだった。カケルは、木に根元の縛られた縄を少しずつ解き始めた。掛けられてから長い年月が経っているはずだが少しも傷んでいない。1本1本解いては、岸辺に運び上げた。それからたくさんの竹を縛る縄に選り分けた。
しばらくすると、人の声が聞こえた。
「僕たちも何かできること、無い?」
村の子どもたちが、カケルの開いた竹薮の道を抜けて集まってきたのだった。
「手伝ってくれるのか?」
「うん、・・ねえ、できることない?」
カケルは辺りを見回してから言った。
「よし、それなら力のあるものは、縄を縛るのを手伝ってくれ。それから、小さい子や女の子には、残っている竹を割って、籠を編んでくれないか?・・それと、筍掘りもやってくれ。・・フミ様は竹籠を・・イツキは筍掘りを・・頼む。」
「判った。」「判りました。」
イツキとフミは、カケルに言われたとおり、幼子や女の子を連れて竹薮に向かった。
「よし、日が暮れるまでに、橋の元になるところまで仕上げよう。」
少年たちは、竹の枝をうち、縄で縛り、両側に掛けてさらに太い縄で縛り上げた。
「カケル様・・太い橋を掛けても、これじゃあ渡れません。」
一人の利口そうな少年が完成間近の橋を見ながら行った。
「手綱が無いと、揺れると落ちてしまいます。」
縄橋は、両側の太い縄をよりどころにできるが、カケル達が作っている橋は、ただ歩ける幅の板状のものだった。竹のしなりで揺れると確かに足元がおぼつかない。
「どうするかな?」
カケルはじっと考えていた。先ほどの少年が言った。
「桁になっている竹に縄を張りましょう。支えになる竹ももっと強くなるでしょう。揺れなくなるし、丈夫になる。」
「そうか・・・お前、名はなんと言う?」
「はい、ユウキです。」
「ユウキか・・お前は知恵者だな・・その力で、村をもっともっと良くしてくれ。・・よし、ユウキの言うように、支え柱と縄を張る棒を立てるぞ。」
日暮れ近くまで、みんなで手分けして仕事をした。
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-ウスキへの道‐11.子どもたちの笑顔 [アスカケ第2部九重連山]

11.子どもたちの笑顔
日が暮れた。カケルたちは子どもたちとともに、村に戻った。
イツキが、幼子たちと竹薮で掘り出した筍は、いくつもの竹籠いっぱいになっていた。
「やあ、たくさん取れたな。」
「ええ・・筍掘りは小さい子どもたちのほうが良いのよ。・・やわらかい土の上を歩くと、足の裏でたけのこの芽吹きを感じるの。くすぐったいのよ。・・私も小さいころ、母様から教えられたから。」
「それにしても沢山だな。」
フミが言った。
「焚き火で焼いて、村のみんなに配りましょう。きっと元気になるわ。残ったものは、皮をむいてゆでておきましょう。」

村の真ん中に、焚き火が作られた。焚き火の中に、筍を放り込み、焼けるのを待った。
そして、焼けた筍は、まずは、目を病んで家で臥せっている大人たちに届けられた。
たくさん取れた筍は、どんどん焼かれ、焼けるはしから、子どもたちは、先を競って手にして、皮をむき、新芽の柔らかいところを頬ばった。小さい子には年上のものが皮をむいて渡した。みな、無心になって食べた。
焚き火に照らされたせいなのか、久しぶりに腹いっぱい食べたのが嬉しかったのか、子どもたちの顔は、皆、輝いて見えた。
フミは、幼子たちの様子を見て、何か、勇気付けられるとともに、今までの苦しい暮らしに耐えてきた日々を思い返して、おもわず涙した。
「フミ様、どうしたのですか?」
脇にいた幼子が不思議そうな顔をして尋ねた。
「・・嬉しくてね・・皆、楽しそうで・・・」
「うん、カケル様たちのお陰だね。」
イツキが隣で聞いていて言った。
「私たちのお陰なんかじゃないわ。みんなで、力を合わせてやろうって思ったことが一番なのよ。・・これからも、みんな、自分のできることをやってね。・・そうすれば、フミ様も喜ばれるわよ。」
カケルの横にはユウキが座っていた。
「カケル様、明日は、何をしましょう?」
「そうだな・・橋は今日ほとんど出来上がった。・・次は、薬草を探さねば。それと、川を直すことかな。ユウキはどう思う?」
「薬草探しは、フミ様とイツキ様たちにお願いして、私たちは力仕事をしましょう。川を直すのは大変です。少しずつやらないと。」
「ああ、むやみにやればきっと怪我をする。少しずつ、上の岩をどけながらやろう。」
「それと・・やっぱり食べ物が足りません。しばらくは、野山から野草や木の実を集めなくてはいけませんが・・できれば、畑を・・。」
「そうか・・畑か・・・畑はどこにある?」
「御川の水を引き入れていましたから・・橋のある場所からは、もう少し下になります。」
「畑の仕事は、イツキならできる。そうだ、薬草や食べ物集めはフミ様にお願いして、イツキに畑の仕事をやってもらうことにしよう。」
「ならば・・私が年上の子どもたちとともに、川を直します。カケル様には、ひとつお願いがあります。」
「何だ?」
「・・ミコト様たちが病になられて、みな、少ない米や野草ばかり食べてきました。・・カケル様は、弓をお持ちでしょう。・・・狩をしていただけませんか?」
「狩りか・・・」
カケルは少し躊躇った。ナレの村にいたころ、一度だけ弓を引き、ミコトたちを驚かせて以来、まともに弓を引いたことはなかったからだ。
「村の皆に精のつくものを食べてもらいたいのです。お願いします。」
カケルは、ユウキの言葉に、改めて焚き火を囲む子どもたちの顔を見た。自信はなかった。だが、子どもたちの喜ぶ顔を見たいとも思った。ふと、森に潜むあの老人の顔が脳裏に浮かんだ。
「わかった。明日は、狩りをしよう。川の修理は大仕事だ。危険もある。小さな子どもたちだけでは無理だから、子どもたちは、イツキとフミ様の仕事を手伝ってもらおう。ユウキは私とともに、山へ向かおう。」
「はい。」

焚き火を囲む子どもたちの声は村の中に響いていた。
家にこもっていた大人たちも、久しぶりに村に響く子どもたちの元気な声に、誘われるようにぽつりぽつりと、広場に出てきた。子どもたちは、自分の親を見つけると、次々に駆け寄り、手を引いて焚き火の前に連れてきた。
大人たちは、皆、焚き火の前に座り、ぼんやりとしか見えない目で、カケルたちの姿を探し、手を合わせ涙した。
その様子を見ていた先ほどの小さな女の子が、フミにせがんだ。
「ねえ、フミ様、歌ってくださいな。」
その言葉を聞いて、周りにいた子どもたちも同様に言い始めた。すると、一人のミコトが傍にあった木を叩き、拍子をとった。みなが、手拍子を始めた。
フミは、立ち上がり、焚き火の周りに集まった人たちの顔を一回りじっと見た後で、大きく息を吸い、目を閉じ、歌い始めた。その歌は、子どもを寝かしつけるための子守唄だった。カケルもイツキも、初めて聞くはずなのだが、どこか懐かしい響きが心に沁みて、思わず涙がこぼれた。
次の日、相談したとおり、イツキは畑の仕事に、フミは薬草取りに、そしてカケルとユウキは山に行くことにした。
イツキは、荒れ果てた畑に着くと、まず、草取りから始めた。そして、大きな石を取り除き、鍬を使って耕した。子どもたちも交代で鍬を使った。一通り耕した後で、畝を作った。そして、長老から預かった大切な種を一つ一つ丁寧に蒔いた。
「皆、疲れたでしょう。田んぼは明日にしましょう。」
「ええっ!まだできるよ。」
「ほら、もうすぐ日が暮れる。・・今日は、もうここまでよ。」
同じ頃、御池でオオバコ草を積み集めてきたフミたちが戻ってきた。昨日作った竹籠をいくつも抱え、供をした子どもたちも随分満足げであった。
「カケル様たちが掛けた橋、すごいよ!ちっとも揺れないの。」
「御池は、綺麗だった。・・魚もたくさんいた。」
子どもたちは、皆、元気な声を響かせる。何も出来なかった子どもたちが元気に明日を考えるようになっていた。

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-ウスキへの道‐12.ゲン爺 [アスカケ第2部九重連山]

12.ゲン爺
カケルとユウキは、山へ向った。昨夜、ユウキの言葉を聞きながら、山に潜む老人の顔を思い出していたカケルは、何も言わず、老人の元へ向っていた。
「カケル様、狩りをするのなら、御池の周りでも良かったのではないですか?」
「ああ、きっと、御池の周りでも良いだろう。だが、ちょっと思い出したことがあってね。」
高千穂峰の北壁から流れ出る渓流沿いに、二人は歩いた。しばらくすると、森の中に一筋の煙が上がっている事に、ユウキが気づいた。
「カケル様、あそこ!煙が上がっています。・・山火事でしょうか?」
「いや・・」
カケルは、ちらと煙の方向を見ると、川岸から上がり、その方角を目指して進んだ。
茂った木々の間を抜けていくと、煙の場所までわずかなところまでたどり着いた。
「実はな・・お前に会わせたい人がいるのだ。」
カケルはそう言うと、藪を抜けた。そこには、老人の住まいがあった。老人は、焚き火の前に座っていた。その老人の顔を見て、ユウキははっとした。そして、一目散に老人に駆け寄った。
「ゲン爺?・・ゲン爺でしょ?・・」
幼い頃の記憶の片隅にあったその老人の顔、老けたといってもその眼差しから、確かに、優しい記憶の中にあるゲン爺だとわかったのだった。老人は、ユウキの顔をしげしげと見つめてから口を開いた。
「・・ユウキか・・・随分と大きくなったな・・・」
「ゲン爺、生きていたんだね・・良かった・・でも、どうして・・」
ユウキはそこまで言うとぽろぽろと涙を流し始めた。見ていた老人も同じように涙を流した。
「行方知れずでもう亡くなったと村の人から聞いていたのに・・どうして、こんなところに・・」
「・・まあ、良いではないか。それより、村の者は皆元気にしておるのか?」
ゲン爺のその問いに、ユウキは答えに困った。
「私がここにきたのは、その事をお伝えしたくて・・」
カケルが、村の状況を老人に話した。
「そうか・・流行り病か・・・近頃、山へ狩りに来なくなった事を気にしてはいたのだが・・」
「・・カケル様達が、今、村を救って下さっているのです。・・家々も直し、橋も掛け、畑も・・もうじき病も治せると・・ありがたい事です。」
ユウキは、カケル達の様子を、ゲン爺に話した。
「そうか・・そうか・・ありがたい事じゃな・・どうやって恩返ししようかのう。」
「いえ、私たちは今アスカケの途中です。自分たちのできることをしっかりやるのがアスカケの道なのです。・・それより、ぜひ、ゲン様にもお力になっていただきたいのです。そのためにユウキを連れてここに参ったのです。」
ゲンは怪訝な顔をしながら訊いた。
「こんなワシに何か役に立てる事があると言うのか?」
「はい。・・村には食べ物がほとんどありません。・・野草を摘んで食べ繋いでいるのです。・・昨日、御池までの橋を掛けました。御池にはたくさん魚がいるそうです。・・子どもだけでは、狩りは無理でしょう。ですが、池の魚を捕らえることが出来ればと・・・。」
「ほう・・そうか・・ワシの魚とりの技が役に立つと・・・」
「はい。幼子たちも皆、村の役に立てるならと、毎日元気に働いております。・・昨夜、ユウキが、村人に精のつくものを食べさせてやりたいと言い、狩りをする事にしました。ですが、狩りはミコト様達が元気になられれば出来ましょう。それまで、魚を取れればと・・。」
「じゃが・・この不自由な身じゃ・・役に立てるのかどうか・・・」
それを聞いて、ユウキが答えた。
「私が、ゲン爺の足になりましょう。」
「そうか・・そうか・・・」
ゲン爺は、村に戻る事に同意した。
「これを土産にしよう。少しは腹の足しになるはずだ。」
そう言うと、洞窟の奥にあった、干し魚の束をユウキに持たせた。
「そうだ、これをわすれてはいかん。」
ゲン爺は、イツキが置いていった「塩」の袋を懐に入れた。
村までの道のりは、カケルが老人を背負い、夕方には、村に戻ってきた。
村の広場には、イツキとフミが子どもたちとともに、カケル達の帰りを待っていた。
「あっ!カケル様たちが戻ってこられた!」
村の大門の脇で、帰りを待ちわびて様子を見に来ていた子どもが、叫びながら広場に戻ってきた。皆、その声を聞いて大門まで迎えに出た。
「ゲン様?・・ゲン様ではありませんか?」
フミは、カケルに背負われて村に戻ってきた老人を見て、すぐにゲンだと気づいて駆け寄った。
「おやおや・・これは・・フミ様ですな?・・いやあ、綺麗になられた・・もう立派な姫様ですね。・・お久しぶりです。・・長様はどうしておいでか・・」
すぐに、館にいる長老の下へ使いが走った。しばらくして、長老が手を引かれながら広場にやってきた。
「ゲン、ゲンか?・・達者でおったのか?・・生きておったのか・・」
見えぬ目を長老はゲンの姿を探した。ゲンは長老の手を取り答えた。
「ずっと・・山奥に潜んでおりましたが・・カケル様に村の様子を聞き、何かお役に立てるならと・・戻ってまいりました。」
お互いに手を強く握り、再会を喜び、涙を流していた。フミも涙した。
その夜は、ゲンが携えてきた干し魚を焼いて、夕餉に出された。
食事の後には、子どもたちは皆、ゲン爺を囲んでいた。そして、昔の話や、魚とりの話を目を輝かせて聞きいっていた。
その時、大門を叩く音がした。その音に気づいたユウキが、子どもたち何人かで大門に向った。
「カズ様が戻られたぞ!」
その声に皆、大門に迎えに出た。カズは、カワセの村の事情と塩の到着が遅れる事を知らせるため、休むことなく歩き続け、ようやく辿りついたのだった。フミは、カズに水を飲ませ、広場の焚き火の前に座らせた。
「カワセの村には首尾よく着けました。途中、鹿を獲りました。・・ですが、カワセの村はここよりも厳しい暮らしをしていました。食べ物も無く・・鹿はカワセの村で分けました。塩はカワセにも無く、今、エン様が村の若者とともに、モシオの村まで調達に向われました。」
「そうか・・では、今しばらく時が掛かるな・・」
「それで、エン様が言われるには、カワセの村の様子をカケル様に伝えて欲しいと。カケル様なら、カワセの村も救って下さるだろうと・・・。」
カケルはイツキやフミの顔を見た。イツキが笑顔で頷いた。
フミも頷いて同意した。長老も、
「カワセの村には随分世話になっておる。本来ならワシが行くべきだが、この身では叶わぬ。カケル様、どうか、わしたちの代わりに、カワセの村を救ってくだされ。」

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-ウスキへの道‐13.赤熊 [アスカケ第2部九重連山]

13.赤熊
翌朝、日が上る前に、カケルはカワセの村に向かった。道のりは、カズから教えてもらい、とにかく一刻も早くカワセに行かねばと、風のように走り続けた。
二つ目の峠を越えた時、川沿いに広がるカワセの村が見えた。「もう少しだ」カケルはさらに早く峠道を下った。昼前には、カワセの村に着いていた。
カケルは、村に入ると、カズに聞いた話以上に、村人の厳しい様子に心を痛めた。
長老のいる館を尋ね、すぐに挨拶に向った。
「長老様、ナレの村のカケルと申します。おいでですか?」
館の中から現れた長老は、動く事さえ辛そうにゆっくりと表に出てきた。
「・・カケル様・・よくおいでくださいました。・・エン様より話は伺っております。どうか、我等の村をお救い下さい。」
長老は、館の板の間に座り込むと、懇願するようにそう言った。
「やめてください。私はまだそれ程の力はもっておりません。どんなお役に立てるのか判りませんが、できることは何でもやりましょう。」
カケルはそう言って、長老に礼をして村の様子を見て回った。
流行り病こそ無いけれど、食料が尽きた村では、老人や大人たちは皆、細く痩せこけ、動く気力すらない様子だった。ミコト達の姿はほとんど見当たらない。
カケルは、一軒の家の前で三つくらいの幼子を抱いた母がじっと表に座っているのを見つけた。
「すみません・・教えていただきたいのですが?」
その母親は、ぼんやりとした表情で、カケルを見た。
「ナレの村のカケルと申します。アスカケの途中、この村に立ち寄りました。先ほど、長老様にもご挨拶し、何とか、この村のお力になれないかと思っております。」
突然現れた若者に、その女性は戸惑いながらも挨拶をした。
「お教え下さい。・・ミコト様たちの姿が見えませぬが、どうされたのですか?。」
その女性は少し答えるのを躊躇いながら、ポツリと言った。
「他の村へ行きました。」
「この村を捨てたというのですか?」
女性は、カケルの問いに、思い余ったかのように答えた。
「大雨の後、この村は洪水になりました。・・幾人も命を落とし、田畑もすっかり流されてしまいました。途方にくれていた頃でした。・・ヒムカの国から一人の男がやってきました。・・兵になれば食い物には困らない、皆、崇めてくれるし、この村より良い暮らしができると言い回ったのです。若い男たちは皆、その男について行きました。妻や子どものいるミコトの中にも、食い扶持を稼いでくると言ったきり、もどってきません。」
「何という事だ・・・・。」
「これまで、蓄えた米や野草で食いつないでまいりました。でも、それももう底を付いております。・・・この子だけでも何か食べさせてやりたい・・・そう、願うばかりです。」
カケルは、とにかく食べ物を調達する事が一番だと考えた。しかし、ユイの村も食べ物が豊富にあるわけでは無い。カワセの村の周りには、豊かな森があるわけでも無い。やはり、狩りをするか、魚を獲るしかなかった。

「狩りをするにはどこが良いでしょう。」
カケルは長老の館に戻り、長老に尋ねた。
「ここからなら、東の峠あたりが良いでしょう。昔は、皆でよく行ったものです。ですが、気をつけなされ。峠辺りには、赤熊が出ることがある。・・エン様たちもモシオに向われたが・・リキはそのことを知らぬはずじゃ。」
「判りました。すぐに向いましょう。」
カケルはすぐに、東の峠に向った。カケルは幼い頃から野山を駆け回って過ごしていた。そのためか、誰よりも大きな体になった今も、跳躍力や走る速さは人並みはずれていた。エンやリキが半日以上かかって辿り着いた峠まで、半分以上の短い時間で到達した。

エンとリキは、カワセの村を出発して、夕刻前には峠に達していたが、獲物が獲れず、その日はそこで野宿をした。次の日も、リキの案内で、川沿いを登ったり、細い谷を分け入ったりしたが、成果は無く、ついには、峠道あたりまで戻ってきていた。
「リキ、もっと良い場所はないのか?このままでは、モシオに行く事ができぬ。」
リキは、必死で狩りをする場所を探し、案内したが、結局のところ、満足に役に立てず、ほとんど泣き顔になって、荷車を引いていた。エンも落胆の様子を隠せないでいた。
エンとリキは、ついに峠道に座り込んだ。この先、どうすればよいのか途方にくれていた。
その時だった。森の中から、鳥が数羽、ばさばさと羽音を響かせ、何かから逃げるように飛び立った。その後、森の奥から、枝がバキバキと折れる音が響いてきた。
エンは、獣の気配を感じ、リキに目配せをして、頭を下げさせて、脇の草むらに隠れた。エンはじっと眼を閉じ、獣の気配を感じ取ろうとした。
<猪か?鹿か?・・・一体何だ?>
しばらく、音が止んだ。
<逃げられたか?>
エンは、そっと草むらから顔を出し、辺りの様子を探った。見える範囲には獣は居なかった。
「くそ、取り逃がしたか。」
エンの声に、リキも恐る恐る顔を出した。
「一体なんでしょう?」
「ふむ・・猪なら、すぐに気配が消える事は無いし、鹿ならば、枝を折るほどの力も無いはずだ。・・とにかく、今は気配を感じない。遠くに逃げてしまったようだ。」
二人は、草むらから立ち上がり、荷車の置いてきた峠道へ戻ろうとした時だった。
目の前に、見たことも無いほど大きな獣が立っていた。峠道を挟んで、反対側の森に、楠木にもたれかかるかかるように立ち上がっていた。
「く・・く・・熊だ!」
リキが思わず叫んだ。その声に、獣は二人に気付き、二人のほうを向いた。荒い息を吐き、二人の様子をじっと見ている。リキはその威容に腰を抜かしてしまった。エンも、初めて眼にする大熊に、驚き、その場から動けなくなっていた。
大熊は、楠木にかけた前足を地面に着いて、四足になり、まっすぐ二人のほうへ姿勢を変えた。二人の様子を探るように、その場にじっとしてぐるぐると喉の置くから威圧のある声を発した。
エンははっと我に還り、背負っていた弓矢を手にして、とっさに熊に向って構えた。エンは、大熊が、じりじりと近づいてくるように感じた。
エンは、身の危険を感じ、弓を引き絞り、大熊めがけて矢を放った。ヒュンと風を切って矢が飛んでいく。矢は、大熊の肩口あたりに突き刺さった。熊は肩に刺さった矢の激しい痛みに逆上し、立ち上がり、大声で吼え、まっすぐ、園たちの居るほうへ駆け寄ってきた。
エンとカケルは必死で逃げようとした。しかし、森は鬱蒼と茂り、行く手を阻む。熊はどんどんと二人に近づき、もう手の届くほど近くまで迫ってきた。

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-ウスキへの道-14,葦の原 [アスカケ第2部九重連山]

14.葦の原
カケルは、峠まで来ると、狩りをするために森へ分け入った。静まり返った森は、高い杉林が深くまで続いていた。木々の隙間から見える森の中には、獣の気配など感じられなかった。
誰かが叫ぶ声が森の中に響いた。悲鳴にも似た声から、誰かが命の危険に曝されているのをとっさに感じ取った。カケルは急いで声のする方角へ走った。目の前に、背中が赤い毛に覆われた大熊が、後ろ足で立ち、威嚇する様子が見えた。その向うに、腰を抜かし座り込んでいるエン達を見つけた。
「いかん・・・」
カケルは、剣の柄に手を掛けた。すると、剣から強い波動が発し、掴んだ腕を伝わって、カケルの心臓に伝わった。どくんどくんと心臓が打つ。すると、両腕がいきなりしびれたような感覚を覚え、見ると、普段より一回り太く逞しくなっていた。
カケルの腕は自分の意思とは関係なく、剣の柄を強く握り、鞘から抜いた。
そして、天に振りかざすと、高く高く跳躍し、大熊と二人の間に分け入った。
突然現れた人間に一瞬、大熊が怯んだ。カケルは、「許せ!」と叫ぶと、剣を振り下ろした。切っ先は、大熊の首を捉え、スパッと胴体から切り離した。大熊はその場に倒れた。
「エン、大丈夫か・・」
「カケル?カケルか?」
エンとリキは、余りの恐怖で、腰が抜け、その場に蹲ったままだった。
「無事で良かった。・・」
カケルは、倒れた大熊に近づき、息の根がとまっている事を確認した。
「すまない・・本当にすまない・・許してくれ。」
カケルは、その熊に向って呟くように言ってから、体を撫でてやった。
「長老から、峠道のあたりで狩りをするのが良いと聞いてやってきたんだ。・・」
「そうか・・助かった・・お前が来てくれなかったらとっくに命を落としていた。こいつはきっと人食い熊に違いないな・・」
カケルは、その言葉を聞いて、険しい表情でエンを睨んだ。そして、
「エン、お前は・・・試しの儀式の時の話を忘れたのか!」
エンは、カケルの表情に驚いた。
「エン、獣が目の前に現れたらどうするのだった?」
そう言われて、はたと気がついた。
そうだ、むやみに弓を引いてはならぬと教えられた。獣はむやみに人を襲う事は無い、傷つき、正気を失った時に獣は自らを守るために襲うのだと訊かされていた。
「そうか・・俺が弓を引かなければ・・逆上して、襲ってくることも無かったんだ・・・すまない事をした。忘れていた、すまない、カケル。・・だが・・獲物を獲らねば・・。」
「ああ、判っている。だからこそ、弓を引く時は、その命を奪う覚悟が必要なのだ。むやみに獣を傷つけず、安らかに逝かせてやれるようにしなくちゃいけない。」
エンは、カケルの言葉に頷いた。
カケルはエンの傍らに居る青年に視線をやった。
「ああ・・こいつがリキだ。・・力自慢だそうだ。・・こっちはカケル。」
リキはカケルに頭を下げた。
「エン様から、話は聞いています。剣を作られたとか、弓の腕はエン様のほうが上だとか・・。」
エンとカケルは顔を見合わせて笑った。
「これから、どうする?」
エンがカケルに訊いた。
「・・とにかく、今、カワセの村も食べ物が無い。・・可哀想だが、この熊はカワセに持って行こう。これで当分の間、困らないだろう。リキ、運んでくれるか?」
「はい・・良いですけど・・モシオへはどうします?」
「ここまでくれば、モシオまでの道のりは判るだろう。とにかく、今は、カワセの村のほうが大事だ。俺とエンとで、モシオに向う。途中でなにか獲物を獲っていこう。」
話が決まると、リキは引いていた荷車に熊を乗せ、峠道をカワセの村に向かって下っていった。カケルとエンは、反対側へ降りていく。
「カケル!この先、俺とリキとで獲物を獲ようとあちこち探したが、いい場所は無かった。別の方法を考えないと・・・」
「そうか・・しかし、殺生するのは・・・・何かよい方法は無いかな。」
二人は思案しながら、山道を下り、川幅のある緩やかな流れのあるところに出た。ナレの村では見たこともない大きな川だった。
「少し休もう。」
エンはそう言って河原に出て、水を飲んだ。
カケルは、清らかでゆったりと流れていく川面を見つめた。
「おや?」
川岸に生えている葦の原の中に、何か潜んでいるのに気づいた。カケルは、じっとその様子を探った。獣ではなさそうだったが、じっと息を殺して潜んでいるのは確かだった。カケルは、エンに手で静かにして置くように合図して、そっと、葦の原に近づいた。その行方をエンもじっと見つめていた。
葦の陰に、白い衣服と長い黒髪が見えた。
「どうしたのだ?」
そう声を掛けると、その人影は、びくっと体を縮め、さらに葦の原の奥へ隠れようとした。
「大丈夫だ・・何もしない・・怖がらなくていい・・俺はカケル、カワセの村の使いで来たのだ。さあ、出ておいで。」
その言葉に、人影は止まった。そして、ゆっくりと振り返った。若い娘のようだった。
葦の原から少し出かけた時、その娘は、カケルの腰に剣が結んであるのを見つけ、急に震えだした。その様子をカケルも気づき、剣を降ろしてから話しかけた。
「・・どうした?・・一体、何があったのだ?我らはこれからモシオに向うのだが・・」
娘は、顔を伏せたまま、か細い声で何か言った。よく聞き取れなかった。
「何だって・・よく聞き取れない・・」
そう言って、カケルが近づくと、娘は、その場に倒れこんでしまった。
おとなしくしていたエンもその様子を見て驚いて駆け寄ってきた。
「一体、どうしたんだ?」
「判らぬ・・何か呟いたのだが・・」
「とにかく、どこかで休ませよう。」
二人は、芦原を刈り、横になれるように敷き詰め、そっと娘を寝かせた。
「きっと、モシオの村の娘だろうな?」
エンは川岸で水を汲みながら言った。
「ああ・・たぶんそうだろう。・・だが、ここで何をしていたのか・・何かを恐れて、隠れていたようだったが・・。モシオの村で何か起きたのだろうか?」
エンが村の方角を見ると、煙が立ち上っているのが見えた。

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-ウスキへの道‐15.弓矢の力 [アスカケ第2部九重連山]

15.弓矢の力
煙は徐々に大きくなった。その様子から、焚き火の類ではなく、家か館かが燃えているのだと判った。
「おい!カケル、モシオで火事か?」
「ああ・・どうやらそうみたいだな。」
「行ってみよう。」
エンがそう言って一足早く走り始めた。カケルは、横たえた娘をどうしたものかと様子を見ると、ぼんやりと娘が目を覚ましたようだった。
「モシオの村に向うが・・どうする?」
「兵が・・ヒムカの兵が来て・・村の皆を脅しているんです。」
「何だって?・・火が出ているようだが・・」
カケルの言葉に、娘は驚いて立ち上がり、村のほうを見た。
「いけない・・爺様・・いや、おさ様が・・危ない・・」
その言葉から、カケルは、村で起きている事が凡そわかった。
「よし、皆を助けに行こう。」
カケルはそう言うと、娘を抱え上げ、風のように走り出した。そして、先を走る円を追い越し、村の大門に着いた。
モシオの村では、村人たちが、家々の隅に隠れるように座って、館の前の広場の様子を伺っていた。カケルとエンもその方角を見た。
草色の衣を纏い、頭には黒い頭巾を被り、眼だけを出した異様は雰囲気を持った5人ほどの屈強の男たちが、剣を手にして、広場の中をうろついている。その真ん中には、白髪の老人が跪いていた。どうやら、、後ろ手を縛られているようだった。頭と思しき男が、その老人に近づいて、怒鳴った。
「さあ、早く、塩を出せ!さもないと、この剣がお前の首をはねてしまうぞ!」
「好きにすればよい!お前たちに分けてやる塩など無い!」
「こいつ、われらをヒムカの王の使いと知ってるだろうが!俺たちに逆らう事はヒムカの王に逆らう事だぞ!判ってるのか!」
「ふん・・悪しき心を持つ王など、王ではないわ!」
「このやろう!」
男は剣を振りかざした。
「いかん!」
カケルは咄嗟に、背中の弓を取り、空に向かって引いた。甲高い笛のような風きり音が響いた。
「ん?」
その音に、剣を振り上げた男の手が止まり、空を見上げた。
ドスン!カケルの放った矢は空高く打ちあがり、ほとんど垂直に近い角度で、男と老人の間を分け入るように突き刺さった。
「わ・・わわあ・・」
剣を持ったまま、驚いて男はその場に座り込んだ。他の男たちも地面に響いた音に驚いて立ち止まった。
「ど・・どこから・・飛んできた?」

カケルは大門の前で、弓を放ったままの格好で仁王立ちしていた。カケルは、封印された力を久しぶりに使い、自分が思った以上の力で矢が放たれた事に、動揺していた。弓を引いた腕はぶるぶると震えたままだった。エンはカケルの異様な様子に気付き声をかけた。
「カケル?大丈夫か?」
その声でカケルははっと我に返った。そして、男たちに向って叫んだ。
「乱暴はやめるんだ!すぐにこの場から立ち去れ!」
「何だと!生意気な!体は大きいようだが・・その声、まだ子どもであろう!」
広場をうろついていた男の一人がそう言いながら、カケルのほうへやってきた。そして、剣を構えながら更に続けた。
「われらは、ヒムカの王の使いだ。・・邪魔をするなら、お前たちも命は無いぞ!」
そう言って、わざとカケルの顔辺りに剣を押し付けて見せた。
「おや・・後ろに隠れているのは、あの爺の孫娘だな?・・お前も、王が欲しておられる。塩とともに献上品で連れて行くぞ。さあ、来い!」
カケルは、両手を広げ、男を睨みつけ、止めた。
「こいつ、本気でわれらに逆らうつもりか?」
その様子を見ていたエンが、少し怖気づいた様子で言った。
「カ・・カケル!・・?」
「王は国を守るものではないのか?何故、村人を虐げるのだ。本当に王の使いなのか?」
「こいつ、まだ言うか!」
逆上した男はついに剣を振り上げた。カケルは、さっと身を翻してその刃を交わした。
「生意気な・・」
男はさらに剣を振る。
カケルの心臓がドクンと音を立て、両腕が急にぐんと膨らんだ。無意識にカケルは剣の柄に手を掛け、一気に剣を抜いた。男の振り下ろす剣とカケルの剣が、キンと激しい音を立ててぶつかる。次の瞬間、男の剣は根元からボキリと折れて、横の家の屋根まで飛んで行った。
その様子を見ていた別の男が慌てて剣を抜き、カケルに襲い掛かる。カケルは同じように剣で受けた。また、同じように男の剣は根元から折れて飛んで行った。今度は他の二人が同時にカケルに襲い掛かる。しかし、カケルは難なく交わし、剣を跳ね飛ばしてしまった。
その様子に、頭と思しき男が、叫んだ。
「それまでだ・・これ以上、歯向かうなら、この者の命は無いぞ!」
そう言うと、自らの剣を老人の首に当てた。
「卑怯な・・」
カケルの後ろにいたエンが、咄嗟に弓を引いた。
矢は、カケルの肩越しにピュンと音を立て、まっすぐに、剣を構える男の右手に突き刺さった。
「ぐわあっ・・・」
男は、もんどりうって倒れ込んだ.その隙に、カケルが老人に駆け寄った。
その様子を見て、村人たちが家の影から出てきて、男たちを取り囲んだ。小さな男の子が、石礫を投げつける。それをきっかけに、取り囲んだ村人が男たちに殴りかかった。
「止めなさい!止めなさい!」
分け入ったのは先ほどの娘だった。その声に村人は静まった。男たちは、抵抗する力を失い、すっかりのびてしまっていた。
「姫様・・・」
「もう良い。この者たちはもう我らを脅す事はない。それより・・皆、無事か?」
村人たちはそれぞれに顔を見合わせて様子を伺った。家が1軒焼けたが皆命に別状は無かった。
その娘は、カケルたちを見て、腰を落とし頭を下げた。村人たちもそれに習った。

村広場.jpg


-ウスキへの道‐16.塩の代物 [アスカケ第2部九重連山]

16.塩の代物
「本当にありがとうございました。・・あなた方のお陰で皆無事です。・・ええと・・」
「我らは、高千穂の峰の向うにあるナレの村の者です。アスカケの途中、ユイの村、カワセの村を経てここへ参りました。カケルと申します。」
「エンです。・・姫様ですか?」
「クレと申します。」
長老が、村人に支えられて、カケル達のところへやってきた。
「危ういところ、お助けいただき、ありがとうございました。して・・ナレの村の若者がこんなところまで・・何の用事じゃな。」
「我らは、カワセの村の使いで参りました。大水で作物が取れず、困窮しておりました。特に、塩が尽きてしまい、この村で分けていただこうとやってきたのです。・・それより、この男たちはいったい何者ですか?」
カケルの問いに長老は答える。
「この男たちは、ヒムカの兵。これまでも、何度か、塩や食糧の調達に来ておったのですが、今日は、あるもの全てを奪おうと乱暴を働いたのです。・・・ヒムカの国も相当逼迫しているようです。・・」
5人の男たちは、荒縄で縛られ、広場の真ん中に座らされていた。
「何ということだ・・・カワセの村では、ミコト達がヒムカの兵に行ったきり戻ってこず、食べる物もなくひもじい暮らしをしているというのに・・。」
縛られた兵の一人が、その言葉を聞いて、声を上げた。
「何だって!」
「おとなしくしてろ!」
村人に小突かれた。カケルがその男に訊いた。
「どういうことだ?」
「俺は、カワセの村のものです。・・大雨の後、作物が取れず困っている時に、ヒムカの使いが来て、兵になれば、カワセの村に食べ物を届けてくれるという約束だった。だから、こうやってヒムカの王の命令であちこち食料の調達に・・しかし・・カワセの村がそんな・・・」
「騙されたという事か・・・」
もう一人の男も、俯き泣きながら言った。
「俺の女房は赤子を抱えている・・無事でいるだろうか?・・・」
「貴方もカワセの村のミコト様ですか・・」
「お願いです。我らをカワセの村にお返し下さい。すぐにも、村に戻り、皆を助けたいのです。」
カケルは長老を見た。長老はそれを聞いて答えた。
「・・我らにしたことを悔いておるのならそれで良かろう。・・カワセに戻りたいのなら解放そう。・・」
そう聞いた、他の二人が声を出した。
「我らは・・ユイの村の者です。・・カワセの奥にある山里です。・・ユイの村は・・どうなっていますか?」
エンが答える。
「ユイの村も、カワセと同じさ。それに、流行り病で皆動けずにいた。・・我らは、ユイの村で塩が無くて、カワセに向かい、カワセにも無かったからここへ来たのだ。皆、村々は苦労している。」
「何てことだ!・・きっと、他の村も・・ヒムカの国に騙されてるんだ・・くそう!」
男たちは悔しそうに地面を蹴った。
それを見て、脇にいた、腕を射抜かれた兵の頭の男が、ふてぶてしい表情で言った。
「ヒムカの王は、戦支度の最中だ。お前たちがのうのうと生きて居れるのは、我らヒムカの兵がいるからだ!判っておるのか!」
カケルはその言葉を聞いて、男の前に行き詰め寄った。
「ヒムカの王は、誰と戦をしている?お前は、その敵を見たことがあるのか?」
男は返答できなかった。
「我が村のミコト様、アラヒコ様が旅から戻り話された。ヒムカの王は、居もしない敵を恐れているのだと。海を越えたイヨの国は豊かな国。ヒムカに攻め入る事など考えてもおらぬそうだ。北の山国、トヨの国は貧しく日々の暮らしさえままならぬと聞いた。お前たちヒムカの兵は誰と戦をするつもりなのだ?」
男は答えに窮して口を閉ざした。

長老は、4人の男の縄を解かせた。そして
「もう良いだろう。悔い改めておるようじゃ。そなたたちは、すぐに村に戻り、村を救うのだ。」
男たちは、長老の前で跪き、神妙な面持ちで話を聞いた。
「ユイの村も、カワセの村も、塩を欲しております。特に、ユイの村は流行り病を治す為に、塩が欠かせません。・・ですが・・われらは代物を持ってきておりません。・・」
カケルは、村の事情を話した。
「何を言われる。塩の代わりになる物など・・我が命、いや、我が村を救ってくれたのじゃ。これ以上の品物などあるはずも無い。・・塩は、必要なだけ持って行くが良い。そうじゃ、村に帰るお前たち、背負っていけるだけもって行きなさい。そして、これから先も、いつでも必要な時、取りにくればよい。・・代物など要らぬ。・・そうじゃ、その折れた剣が証じゃ。これは我が村を救った証拠、お前たちの罪の証拠である。これを持参すれば、塩を分けることにしよう。・・良いな、村の衆。」
まわりで様子を見ていた村人も納得した。

「長老様、この男はどうしますか?」
「腕をやられていては何もできまい。」
「ですが、俺は家を燃やされたんです。このまま解き放つなんて納得できない。」
幼子を二人連れた妻を脇に置いた男が、怒りが収まらない様子で言った。
「判った。それなら、この男は、門の外に解き放とう。もう日が沈む。器量があれば、国へ戻る事もできよう。だが、ここらは腹を空かせた野犬も多い・・明日まで命があるか、保障は出来ぬが・・。」
「それなら良いだろう。」
先ほどの村人も納得した。
兵の頭だった男は、荒縄で縛られたまま、大門まで引きずられていった。
「止めてくれ!止めてくれ!助けてくれ!・・・」
半泣きで叫ぶ声を聞きながらも、村人の怒りは収まらず、そのまま門の外へ放り出され、大門が閉められた。

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-ウスキへの道‐17.春の海 [アスカケ第2部九重連山]

17.春の海
もう日が暮れた。一旦、カケルとエンは館で休む事になった。兵としてやってきた男達のうち、カワセとユイのミコト達は、カケルたちとともに館に入った。
「エン、頼みがある。俺は、しばらくこの村に残る事にする。まだ、この後も、きっとヒムカから兵が来るだろう。しばらく留まり、この村を守る。お前は、ミコト様たちをつれて、カワセとユイの村に戻ってくれぬか?」
「ああ、良いだろう。だが・・イツキはどうする?」
「・・ユイの村の病を治すには、しばらく時が掛かるだろう。・・そうだ・・ひと月程で戻ると伝えてくれ。ウスキの村へはその後向おう。どうだ?」
「ああ、そうしよう。・・カケル、必ずだぞ。」
「ああ。約束だ。」
翌朝、エンとミコト達は、塩を背負い、山道をカワセとユイの村を目指して戻っていった。
カケルは、エン達を見送った後、長老と姫であるクレの案内で村の中を一回りした。
モシオの村は、海の傍にあり、塩だけでなく海産物が豊富に取れる。近隣の村からは、塩や海産物を求めて、多くの物が持ち込まれる。その交換で村は豊かだった。モシオの長は、この豊かな村にあっても、蓄財しようという考えなど無く、貧しい村には交換すべき物がなくても分け与えることにしていた。中には、人を出して、その働きと引き換えに塩や海産物を手に入れる近隣の村もあった。
カケルはクレの案内で、塩作りの小屋に来た。浜から海水を運び、火にかけて煮詰めたものを柄杓で汲み、浜辺で取ってきた海草に掛ける。そして、重くなった海草を浜辺に広げる。日の光で乾燥すると、表面に塩の結晶が出来る。それを運び入れ、樽の上で払い集める。むっとする様な熱気の小屋の中で、みな黙々と働いている。
「ここに集まる人は皆、自分の村のためにと、本当に熱心に働いています。塩作りは特に厳しい仕事ですが、文句ひとつ言わず、働いてくれます。ありがたい事です。」
「塩は、本当にここにいる人々の命と汗の結晶なのですね。」
働く人の中に、まだ10歳にもならぬ小さな女の子が働いているのに気がついた。
「あの子は?」
カケルは、指差してクレに尋ねた。
「ああ・・あの子は、まだもっと小さい頃、浜辺に流れ着いた舟に一人、乗っていたのです。」
「名は?」
「自分から、アスカと名乗りました。小さかったのですがしっかりしていて・・どうやら沖で舟が嵐にやられて沈んだのではないかと・・・」
「それからずっとここに?」
「最初は、館にいたのですが、食べるものくらいは自分で働いて手に入れたいと言って、この小屋でずっと働いているのです。」
その少女は、まっすぐにカケルを見た。突き刺さるような視線を感じて、カケルも眼を合わせたが、少女はぷいと横を向いて、籠一杯の海草を抱え、小屋の戸を開けて、出て行った。
カケルとクレも、後を追う様に小屋を出た。
目の前には、穏やかな春の海が広がっていた。カケルは、生まれて初めて、海を見た。
朝日を浴びてきらきらと輝く水面、遠くに海鳥が舞い、波の音だけが静かに響いていた。
「これが・・う・・み・・ですか?」
「カケル様は、海は初めてですか?」
「ええ・・ナレの村は高千穂の峰の懐、山深いところにあります。アスカケから戻ったミコト様たちから海の話は聞いていましたが・・・これほど美しいものだとは・・・。」
カケルは、砂浜を踏みしめながら、ゆっくりと水際まで進んだ。絶えることなく打ち寄せる波、穏やかな風は嗅いだことの無い香りがした。カケルは、遠く水平線を見つめるクレの様子が、どこと無く寂しそうで、誰かを待っているように感じられた。
遠くから、誰かが呼ぶ声がする。徐々にその声が近づいてくる。
「クレ様―――。クレ様―――。」
波間から、小さな船が一艘、近づいてきた。
「あれは、漁師のコジリ。村一番の漁師、きっと今日も大漁なのでしょう。」
波打ち際まで来ると、コジリは舟から飛び降りて、縄を掴んで浜辺に引き上げた。
「クレ様、今日もほれこんなに獲れました。皆、満足できるでしょう。」
真っ黒に日焼けした笑顔の先には、舟一杯に、色とりどりのたくさんの魚が入っていた。
「カケル様、昨日は本当にありがとうございました。しばらく、安心して漁に出れます。今日は、この魚を腹いっぱい食べてください。」
船が着いたのを村の子供たちが見つけて、駆け寄ってきた。そして、わいわい言いながら、舟から魚を掴み出しては、籠に入れ村に運んで行った。
「そうだ、クレ様の大好物も獲れましたよ!」
コジリはそう言って小さな壷を差し出した。カケルは不思議に思って、壷の中を覗こうとした。
「あ・・やめたほうが・・」
クレがそういうより早く、壷の中から真っ黒なものが飛び出して、カケルの顔に飛んだ。
「これは、蛸だよ。クレ様は、何だかこいつが好物らしくてね。」
壷の中から取り出した蛸というものは、ぬるぬるとして不気味な生き物だった。どこが頭なのかわからない、手も足もよく判らない。
「こいつを水洗いして、はらわたを取り出して、棒に刺して干しておくと、なかなかいい味になるんだよ。ですよね、クレ様?」
「もう・・知らない・・」
カケルの表情から、蛸を食べるクレを想像して、少し気味悪がっているのを感じたクレは、恥ずかしそうに返事をした。
「ここは食べるものも豊富で、穏やかで、良い村ですね・・・。」
「本当に、この海のおかげです。豊かな暮らしはこの海があるからこそ・・いつまでもこの村が豊かで穏やかであって欲しい・・そう思います。」
カケルは、昨日のヒムカの兵の話を思い出していた。これだけ豊かな村があるのだ。またいつかヒムカの兵がここへ来て、人を殺め、食料を奪い去る日が来るに違いない。しかし、いつまでもここに居るわけには行かない。イツキをウスキの村に送り届ける役目が残っているのだ。それに、大勢の兵士が来れば、自分ひとりではこの村を守れるはずも無い。何としても、この村の人々自身の手で、村を守る術を考えなければならなかった。
カケルはクレと別れ、ひとり、村の中や外を見て回る事にした。
村は、浜辺より一段高い丘の上にあった。よく見ると、河口に溜まった土砂の上に、人の手で土塁を作ってさらに盛り土をして高くしてあった。南側には、葦原の広がる大川が流れていた。
北には、ずっと草原が広がっている。おそらくヒムカの都に続く道が草原の中をまっすぐと伸びていた。カケルは、村の外れにあった黒松の大木に登った。天辺まで登ると、遥か遠くまで草原が広がっているのが見えた。カケルは何かを思いついたようだった。

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-ウスキへの道‐18.モシオの砦 [アスカケ第2部九重連山]

18。モシオの砦
「クレ様・・クレ様!お願いがあります。今宵、ミコト様たちを集めていただけませんか?」
「いいですが・・何を?」
「はい、この村を二度とヒムカの兵に攻めさせない為・いや・・この村を守る術を思いついたのです。・・そのために、ミコト様たちのお力をお借りしたいのです。」
「判りました。皆を館へ集めましょう。」
夜には村のミコト達が集まってきた。
「皆さんに、相談があります。・・ヒムカの国の兵はきっとまた現れるでしょう。その時の備えをしておきたいのです。」
ミコト達もまた同じように考えていた。だが、兵と戦う備えなど無理だとも思っていた。
「今度は、もっと大勢でやってくるでしょう。おそらく、この村のものを根こそぎ持っていくつもりで、村人の命さえも奪われるかもしれません。」
「戦うのか?」
一人のミコトが口に出した。ミコト達は皆顔を見合わせ、無理だろうと言い合った。その様子に長老が口を開いた。
「カケル様、皆の言うとおり、この村は戦う力など持っておりません。ヒムカの兵は屈強で、弓も剣も鍛えておる。我らがいくら鍛えたところで歯がたつわけがない。」
「はい。私もそう思います。・・少し抵抗できたとしても、いつかきっと滅ぼされるだけです。ですから、戦わずにこの村を守る術を考えるのです。」
「戦わないで、村を守る事などできるわけが無い。」
誰かが声を上げた。皆も同調した。
「ミコト様、皆様、お聞き下さい。・・私は今日、村をぐるっと見てきました。・・ここは、海辺にありながら、小高い丘の上に開けています。獣柵をよく見ると、強い土塁の上に立てられていました。おそらく、いにしえの人々が、水害から村を守るために、高く築きあげた場所なのでしょう。よくよく見ると、村の下にも一段積み上げられた場所がありました。海から見ると3段に積みあがった土塁と土盛りになっていました。これを使って村を守りたいのです。」
そこまで聞いて、長老が言った。
「確かに、我等の先祖は、海からこの地へ着き、もともと中洲だった場所に、山から土を削りだし、高く積み上げたと聞いておる。・・だが、それをどう使うのだ?」
「はい。一番高いところは、今、村の人々が住んでいます。ここの柵をもっと強固なものにしましょう。大門ももっと重く強いものにしましょう。締め切れば、簡単には開けないほどのものが良いでしょう。」
「だが・・そうすると、今のように人の行き来が出来なくなるのではないか?」
「ええ・・今回も、人の出入りが自由に出来るからこそ、兵も村の奥深くまで入り込みました。まずはそれを防ぐ事です。・・物のやり取りの場所は、大門の外。先ほど言った一段低い場所を使いましょう。太い道を作り、小屋を立てましょう。そこで、ほかの村の人たちが自由に物のやり取りが出来るようにするのです。」
「なるほど・・・」
他のミコト達も、カケルの話を徐々に熱心に聞き入るようになっていった。
「小さな蔵や、寝泊りできる場所もそこに作ればいい。きっと、もっと多くの村から人が集まるはずだ。そうなれば、俺の獲った魚も欲しいという奴が増えるはずだ!」
そう言ったのは、昼間、小船で魚を獲ってきたコジリであった。
「コジリ様でしたか?・・この村にはあなたが持っているような舟はどれくらいありますか?」
「舟?・・ああ、俺のも入れて5艘ばかりかな?・・舟をどうする?」
「はい、舟は、兵が攻めてきた時に逃げる手段として使うのです。・・今は漁のために浜辺に置かれていますが、この村の西側の大川に移すのです。村の裏口からすぐに乗り込むことが出来るようにするのです。・・それには、あと5艘は必要です。」
長老はここまで聞いて、カケルの考えが凡そわかってきた。
「兵が攻めてきた時、柵で村を守りながら、その間に村人は川を渡って逃げるという事か。」
「はい。・・塩や産物は、兵にくれてやればいいのです。村人さえ無事なら、またいつでも作る事もできましょう。・・無理に戦い、命を落とす事こそ愚かです。・・それに・・」
カケルは、次の言葉を言うのを躊躇った。
「それに、何じゃ?」
「はい。ヒムカの兵と言っても、あの者たちのように、きっと、貧しい村から集められたミコト様たちに違いありません。村に戻れば、皆様と同様に働くべき人たちなのです。皆、ヒムカの王に騙されているに違いない。だからこそ、戦うべきではないのです。」
「カケル様の言われる通りじゃ。・・我等の村は、海の幸に恵まれ豊かであるが故、兵に出る者などおらなかった。だが、いつ我らもそうなるかわからぬ。・・戦わず、逃げて命を守る事、そうじゃな。・・・皆、どうだ?」
皆、納得したようだった。
「ありがとうございます。早速、明日から仕事に入りましょう。・・それと、もうひとつ、お願いがあります。」
「他にも?」
「はい。村のはずれの松の木に登りました。遠くまで見通せました。・・あの松ほどに高い物見櫓を作りましょう。遥か遠くからやってくるヒムカの兵を見つける事ができれば、備えも一層生きましょう。」
「そいつは良い。兵だけじゃなく、海の様子が見れれば、きっと漁にも役に立つ。舟で村に戻る時の目印にもなる。」
次の日から、村総出で、作業を始めた。土塁を更に固める者、柵を高くするもの、村の下に道普請をし、小屋を作るもの、老若男女みなできることを分担してこなした。見る見るうちに仕事は進んだが、やはり、カケルが考えた砦を完成させるには随分と時がかかり、そろそろひと月が経とうとしていた。最後に、高い高い物見櫓を立てる事が出来た。カケルと長老は、完成した物見台に上がり、周囲を眺めた。
「これなら、遠くからの兵などすぐに見つける事ができますね。」
「ああ・・物見台の役は、このわしの仕事だ。・・村の長として、村の者たちを守る役じゃ。・・本当にカケル様には何と礼を申してよいやら・・」
「良いのです。アスカケの身、自分のできることを精一杯努めることで、自らの生きる意味を問うのがアスカケです。・・長老様、私は明日には、村を離れます。カワセとユイの村の様子が気がかりで・・それに、イツキをウスキの村に送り届けねばなりません。」
「・・引き止めるのはやめましょう。カケル様にはもっとやるべき事がたくさんあるのですな。・・また、いつか、この村へ来てください。きっと、今よりもっともっと良い村になっているでしょうから。」
物見櫓の下のほうから声が聞こえる。何か、叫ぶような悲鳴のような声だった。カケルと長老が、下を見ると、塩焼き小屋の中で見た少女が、村人が止めるのも聞かず、どんどん登ってくるのだった。

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-ウスキへの道‐19.貝の首飾り [アスカケ第2部九重連山]

19.貝の首飾り
「おい!アスカ!危ないからやめな!」
下からの声など気にもせず、どんどん登ってきた。アスカはなんの躊躇いも無く、物見台に立つと、遠くに広がる風景をじっと見た。何かを探しているように、じっと遠くを見ている。そして、一筋の涙を流した。
アスカは5歳の頃一人舟に乗りこの浜に流れ着いたのだと、クレから聞いていたカケルは、アスカが遠くにあるはずの生まれ故郷を探しているのだと直感した。
しかし、目の前に広がるのは静かな海だけ。島影一つ見えなかったのだ。
「長老様!」
カケルは、アスカの様子に驚いている長老に向って言った。
「長老様、物見台の見張りは、長老様だけでは無理でしょう。いつ兵が来るか判らず、四六時中ここにいる事になります。・・村の皆で交代に見張り役をやりましょう。」
長老はカケルの提案の意図を察した。
「おおそうだな。わしもそう若くない。この物見台に登るのも骨が折れる。・・そうだ、村の若い衆や子どもたちにも頼むとするかな・・」
突っ立ったまま遠くを見つめていたアスカが、長老の言葉を聞いて振り返った。
「なあ・・アスカ、早速、お前の当番にしよう。・・塩作りの仕事の合間にここへ来て見張り役をやってくれるか?」
アスカは、大きく首を縦に振った。そして、カケルの顔を見た。
「良かったな。」
カケルと長老は順番に物見台から降りた。アスカはそのまま一人遠くを見つめていた。

次の日の朝早く、カケルは長老とクレに別れを告げて、村を出ることにした。餞別にと、塩を一袋懐に入れてもらい、カワセの村を目指す事にした。
大門を抜け、新しく出来た小屋通りの様子を見てから、浜に出た。
美しい海岸、心地よい海風を感じながら、いつまでも穏やかであって欲しいと祈った。
「カケル様。またいつかこの村に来てくださいますね。」
声をかけたのはアスカだった。アスカは、包みを一つ持っていた。
「ああ・・アスカケの道を見つけたら必ずまたここへ来よう。」
「約束ですよ。」
そう言って、アスカはカケルに包みを渡した。開くと、巻貝を繋げた首飾りが入っていた。
「これを私の身代わりに、アスカケのお供をさせてください。」
「ああ・・そうしよう。アスカもしっかり生きるのだぞ。」
「はい。」
カケルは首飾りを掛けて、にっこりと笑ってから、アスカの頭を撫でてやった。そして、
「では、さらばだ。」
そう言って、カワセの村に続く川沿いの道を一気に走り出した。高台にある村の大門では、多くの村人が別れを惜しむように手を振り、カケルの名を呼んでいる。カケルは、一瞬立ち止まると深々と村に向って頭を下げ、そしてまた、風のように走り始めた。
峠を二つ越え、一気にカワセの村まで到着した。
カワセの村は、以前とは違い、人の声が明るく響いていた。
「お!カケルじゃないか!」
エンが、館の屋根の上からカケルを見つけ、飛び降りてきた。
「案外、早かったな。」
「ああ・・で、どうだ?」
「見ての通りさ。一緒に戻った男たちが、力を合わせて何とか村を立て直そうと必死でさあ。ここのところ、体がきつくて、ちょっと屋根の上で休んでたんだ。」
「ユイの村は?」
「俺も一度行ったんだが、イツキがフミ様と一緒に、眼の病の治療をやってる。・・すぐに眼が見えるようになったものも居たようだ。・・カケル、すぐにユイに戻るか?」
「そうだな。ここはもう大丈夫だろう。すぐに行こう。急げば、日暮れまでには戻れるだろう。」
「判った、すぐに支度をしてくる。」
そう言って、エンが館に入ると、長老が出てきた。
「カケル様・・・此度は、本当に何とお礼をすれば良いやら・・ミコトも二人戻り、なんとか元気も出てまいりました。・・すぐに出発なさるとか・・ゆっくりして行かれれば良いのだが・・」
「ありがとうございます。でも、ユイの村がどうにも気がかりで・・すみません。」
そう言っているうちに、エンが荷物をまとめて出てきた。
「さあ、行こうか。」
大門を出たところで、リキが待ち構えていた。
「カケル様、俺には挨拶なしですか?」
リキは、両手に麻袋を抱えている。
「これをお持ちください。・・山で集めた椎の実です。」
「判った、じゃあ、ユイの村への土産に、一つ分けてもらおう。リキ、これからも長老様やミコト様を助けてくれ。いつかまた会おう、お互い、立派なミコトになれるよう精進しよう。」
「ああ・・そうする・・・そうします。」

カケルとエンは競い合うように山道をユイの村、目指して走った。
「エン!随分、足が速くなったな!」
「そりゃあ、お前と一緒に旅してるんだ、鍛えられるさ。」
峠を越えたところで、二人は一休みした。
「おい、カケル、その首飾りは何だ?・・まさか、クレ様に?」
エンが少しうろたえた表情で聞いた。
「いや・・村の少女から餞別に貰ったのだ・・」
「何だ、子どもからか・・」
そう話しつつも、カケルは、アスカの別れ際の様子を思い出していた。
あの時のアスカは、幼い少女ではなかった。どこか、母を思い出させるような表情をしていたのだった。
「さあ、あと少しだ。きっとイツキは首を長くして待ってるに違いない。行こう。」
カケルは立ち上がった。
「そうだな、フミ様はきっと俺のことを待っていてくれるはずだ。」
「なんだ、エン。クレ様とかフミ様とか、おかしな奴だな!」
そう言いながら、二人は峠の下り道を一気に駆け下りて、ユイの村へ向った。

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-ウスキへの道‐20.ユイからウスキへ [アスカケ第2部九重連山]

20.ユイからウスキへ
魚取りから戻った少年が、カケルたちの姿を見つけ、慌てて村に駆けて行った。
「カケル様が戻られた!」
その声は村中に響き、子どもたちだけでなく、大人たちも大門に集まってきた。最後の石段を登りきったところで、大勢の村の人々が歓声を上げて迎えている様子に、カケルとエンは戸惑った。そしてそのまま、村の皆に取り囲まれ、揉みくちゃになりながら村の広場に入って行った。子どもたちは、カケルの前に、魚や野菜、木の芽等を見せて、口々に自らの手で取ったものだと自慢するように話しかける。皆、それぞれに話しかけ、カケルは一人ひとりの肩や頭や背中を撫でて褒めた。次から次へとカケルの周りに子どもが集まってくる。エンは、その輪の中から這い出してきた。
「何だか、カケルは凄い人気者だな・・・」
あきれた顔でその様子を見ていた。
「ほんと、今まで頑張ってきたのは、私立ちなのにね・・」
イツキはため息をつきながらも、子ども達に囲まれ、幸せそうなカケルの顔を、同じくらい幸せそうに見ていた。
「ほら、みんな、カケル様たちはお疲れでしょう。・・お話はまた後にして・・少しお休みいただいたほうがいいでしょう。」
皆を静めたのは、フミであった。
「フミ様、ただいま戻りました。長い間、留守にして申し訳ありませんでした。」
カケルは跪いて、帰還の挨拶をした。
「そんな・・やめてください。・・・カケル様の活躍は、エン様から伺っております。我が村だけでなく、カワセやモシオまでも救ってくださるとは・・彼方は尊いお方です。さあ。」
「それにしても、村の皆様、なんとお元気になられた事か・・子どもたちも元気一杯だ。これならもう大丈夫でしょう。」
「はい、イツキ様が熱心に、眼の病を治療してくださって、もうほとんどの者は、以前と同じように動けるようになりました。」
ミコトたちも母親たちも、皆、カケルの姿を一目見ようと広場に集まっている。そして皆、手を合わせ、崇めるように見つめていた。
カケルは、カワセの村のリキから分けてもらった椎の実の袋を一人の子どもに渡した。子供たちが集まり、中を覗いて喜んだ。
「みんなで分けよう。カワセの村の力自慢、リキが取ったんだ。さあ。」
子どもは袋を抱えて、大人たちに見せに行った。
広場が静かになった頃、カケルはようやくイツキと話をする事が出来た。
「イツキ、元気だったか。・・よく頑張ったな。」
カケルの言葉に、イツキはぽろぽろと涙を零した。
「・・・ほんと、・・・もう・・戻ってこないのかと・・心配したんだからね!」
「待たせてすまなかった。モシオの村で思った以上に時が掛かる大仕事になってしまった。」
そう言って、カケルはイツキの肩を抱いた。その様子に、フミもエンももらい泣きをしてしまっていた。
カケルたちは、長老に挨拶するために、フミとともに館に入った。長老は、横になっていた。
「おさ様、ただいま戻りました。」
長老はゆっくり体を起こそうとした。眼の病はすいぶん良くなっていたのだが、それ以上に体力が落ちていてほとんど動けないままであった。
「もう、年も年じゃな・・長くなかろう。・・じゃが、生きているうちに、昔のような村に戻るとは思っておらなかった。本当にありがとう、そなたたちのお陰じゃ。」
「いえ・・日ごろから強く村人を支えてきた長老様、フミ様のお力です。われらは、ほんの少しお手伝いをしただけです。」
挨拶を終え、館を出ると、広場に、篝火が焚かれ、カケルたちを迎える宴の支度が進んでいた。
「まだ、贅沢は出来ませんが、村の皆の感謝の気持ちです。今宵は楽しみましょう。」
御池で取れた魚や森で取ってきた野草、それに、椎の実。皆が持ち寄ったものを目の前にしながら、皆、カケルとエンの話を熱心に聞いた。その中に、モシオであった二人のミコトが居た。ミコトたちは、そっとカケルの傍に来て、頭を深々と下げ、詫びた。
「もう良いじゃないですか。・・あなた方は村へ戻り、やるべきことをやられている。それだけで良いじゃないですか。これからも、フミ様をお助けください。」
その言葉に二人のミコトは救われた想いだった。
「カケル!カケル!」
子どもたちに支えられながら現れたのは、ゲン爺だった。
「ゲン様!お元気でしたか。・・子どもたちはいかがですか?」
「ああ、皆、わしより魚取りは上手くなったようだ。もう教える事もなさそうだぞ。」
そう言いつつも、とても嬉しそうな笑顔を見せていた。
カケルたちは、夜明けとともにユイの村を後にした。
イツキが、「村の大勢に見送られると別れが辛くなるから」と言い、長老やフミ、ゲン、ユウキにだけ別れを告げた。
長老が、別れ際にウスキまでの道を教えてもらった。
「村を出てすぐ、左に折れると、山沿いに続く道がある。途中、3日ほど掛かるが、サイの村に着く。・・昔、ヒムカの国の王が開いた村だ。・・そこから、先は判らぬ。」
三人は、教えられた道をとりあえず、サイの村を目指して進んだ。
低い山々の間を流れる渓流沿いを歩きながら、それぞれに、ナレの村を出て今日までの事を思い出していた。
「フミ様は強くて美しかったが、クレ様も穏やかで美しかったな。」
エンが不意にそう呟いた。イツキはその言葉を聞き逃さなかった。
「クレ様って?」
「ああ、モシオの村の姫様だ。・・背が高く、手足も長かった。・・海で育ったからか、色黒だったが・・ああいう姉様が居たら良かったなあ。・・しかし、姫様というのは皆美しいな。西都にも姫様が居るかなあ。」
エンは近頃、色気づいてきたのか、しきりにこういう話をするようになった。
「なあ・カケル?お前は、フミ様とクレ様、どっちが綺麗だと思う?」
「何、訊いてるのよ!」
イツキが少し苛立って言った。
「何のことだ?」
カケルは、二人の話を聞いていなかった。カケルは、モシオで出会ったアスカの事を思い出していた。
三人は途中、野鳥やウサギを狩り、野宿をしながら、西都の村を目指した。
渓流.jpg

-九重の懐-1.サイトノハラの村(斎殿原) [アスカケ第2部九重連山]

1.サイトノハラの村(斎殿原)
三日の道程を経て、三人はようやくサイトノハラの村へ着いた。
小高い丘の上に築かれた村は、カケルたちがこれまで行った村の中で一番大きく、幾つもの高楼や大屋根の家があるのが見える。村に環濠が幾つも廻っており、防護柵も獣ではなく、戦に備えるほど強固な作りになっていた。ヒムカの王が開いたというユイの村の長老の話は納得できた。
カケルたちは、大門の入り口に立ち、驚いた。これだけ大きな村なのに、人影がまったく無かったからだ。村の中の家のいくつかは焼け落ちていたし、茅葺屋根には無数の矢が突き刺さっていた。三人は、不気味に思いながらゆっくりと村の中へ入った。
「おーい、誰か居ないか?」
そう叫びながら、高楼や大屋根、焼け残った家を見て回った。だが、村人の姿はなかった。村の広場を抜け、高床式の大きな館まで行くと、さらに怖ろしい光景が待っていた。
おそらく、王の住まいと思われるその館には、無数の矢羽が、戸板を貫き突き刺さっていた。そして、階段や外周りの床には、黒い血糊が広がっていたのだ。屍こそ無かったが、ここで凄惨な殺し合いがあったことは明らかだった。
「ねえ、あれ。」
館の裏側へ回ったとき、目にした光景に絶句した。目の前に、たくさんの土盛り、墓が並んでいたのだった。カケルはじっとその光景を見て何か考えているようだった。
「おい、あそこに誰か居るぞ。村人かもしれない、行ってみよう。」
三人は、館を出て裏手にある墓場へ向った。人影は、墓の前に蹲って何かしているようだった。
「草色のあの服、ヒムカの兵だよな。」
エンはそう言うと、そっと弓を手にした。危害を加えそうなら射抜く覚悟でそっと近づいていった。カケルも剣の柄に手を掛けたが、心臓の鼓動はしなかった。少しずつ近づき、エンがこをを掛けた。
「ここで何してる!」
その声に、男はビクッと驚いた様子で一瞬動きが止まった。
「ゆっくりこっちを向け!」
エンは、弓を構えたままで言った。カケルはその男の様子をじっと見ていたが、柔らかい声で話しかけた。
「我らは、アスカケの途中、この地へ立ち寄ったのです。ここで何をしているのですか?」
その男はゆっくりと立ち上がり、カケル達のほうを向いた。
「俺の名は、クスナヒコ。モシオの生まれだ。」
「モシオ?・・あの豊かな海の傍にあるモシオの村ですか?」
「何だ、知ってるのか?」
「知ってるかだって?・・こないだヒムカの兵に襲われたところをカケルが救ったんだ。」
エンはまだ弓を構えたままで言った。
「何?ヒムカの兵が襲った?そんな・・くそ・・やっぱり、あの王は嘘つきだったか・・」
「貴方は、ヒムカの兵ではないのですか?」
男は、その問いに、自分の服装に気づいてから答えた。
「ああ・・ついこの間までは確かにヒムカの兵だった。だが、嫌気が差して逃げてきたんだ。初めは、この国を守るためにと思ったのだが・・毎日、周りの村へ行き、食べ物や人手を集める仕事ばかりで・・中には、逆らう者を殺せと言われて・・・戦などありもしないし・・それで、ここに隠れていたんだ。・・なあ、もう良いだろう、弓を置いてくれないか。」
エンはようやく弓を置いた。しかし、まだ信用できない様子であった。イツキもカケルの後ろに隠れるようにして男の動静を見ていた。
「アスカケの途中だって?・・なら、この村で休むつもりか。・・だが、ここには人っ子一人居ないぞ。・・そうだ、お前たち、腹減ってるだろ。おれについて来い。いいものがあるんだ。」
クスナヒコはそう言うと、館のほうへ向った。カケルたちも仕方なくついていくことにした。
クスナヒコは、館に入り、大広間を抜けて祭壇の脇へ入っていった。祭壇の脇には、館の下に下りる階段があった。薄暗い階段を下りると、調理場らしきところがあった。
クスナヒコは、足元の板を持ち上げた。板の下には、たくさんの甕が並んでいて、米や麦、雑穀、干し肉、干し魚等がたくさん入っていた。
「どうだ?これだけ食い物があれば、ここで暮らすのも良いだろう?さあ、食事の支度だ。」
クスナヒコは、そう言って我が物のように甕の中から食材を取り出して、三人の前に並べた。仕方なしに、手分けして、竃に火を入れ、調理をし、夕餉となった。
「なあ、モシオの村はどうなってる?」
クスナヒコは、先ほどの甕のひとつにあった濁酒を口にしながら、カケルたちに尋ねた。
「はい、ヒムカの兵に備え、大きな砦を作りました。当分は大丈夫でしょう。」
「そうか・・皆、元気か?」
「はい、塩作りも皆熱心にやっています。近くの村からも人手が集まって賑やかでした。」
「あのさ・・その・・長老はまだ生きてるか?」
「はい、お元気でした。物見台を作り、毎日、周囲に目配せをするのを仕事にしようと・・。」
「何だ、まだ生きてるのか・・・ええ・と・・女たち・・・は・・どうだ?」
クスナヒコは何か本当に訊きたいことを言えない様子だった。
「はい、姫様とともに元気に、皆、働いています。」
「ほう・・姫様か・・クレも元気か・・。」
「クスナヒコ様、モシオに戻られたらいかがですか?」
カケルは思い切って切り出した。
「馬鹿言え!俺は長老と喧嘩して村を捨てたんだ!今更、帰るわけにはいかないんだ。」
「ですが、今、モシオには強いミコト様が必要なんです。砦は作りましたが、兵が攻めてきたら逃げるようにお願いしました。でも、貴方が戻れば、勇気付けられる。抵抗する事も出来るでしょう。・・それに、きっとクレ様もお待ちだと思います。」
「お前に何が判るんだよ。」
「クレ様と一度浜辺に出たことがあります。クレ様は、とても寂しそうで下。どなたかを待っておられるようでした。」
じっと話を聞いていたイツキが口を挟んだ。
「ねえ、クレ様って綺麗な方?」
エンがそれを聞いて答えた。
「ちょっと色黒だが、背も高くて綺麗だったぞ。いいなあ、あんな姫様が待ち焦がれるなんて、クスナヒコ様、すぐに帰ったほうがいいよ!」
「ふん・・そんな事あるか!・・もう寝るぞ。」
クスナヒコはそういうと、調理場の隣にる板の間にごろんと横になった。カケルたちも食べ終わると、順番に横になった。

その夜、遅く、館に入ってくる人影があった。それは一人や二人ではなく、十人以上の集団だった。皆、足音を忍ばせて、すばやく、広間から階段を抜けて調理場まで入っていった。

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-九重の懐‐2.囚われの身 [アスカケ第2部九重連山]

2.囚われの身
カケルは、手の痺れる痛みで目を覚ました。気がつくと、4人は、館の広間の床に、背中を合わせて座らされたうえに、きつく荒縄で縛られていた。
「おい、エン、イツキ、大丈夫か?クスナヒコ様、大丈夫ですか?」
皆、目が覚めた。
「何だ、これ?誰の仕業だ!」
その声を合図に、広間にたくさんの人が入ってきた。
「目が覚めたようだな。さあ、どうしてくれよう!」
そう言って、一人の老人が、四人の周りをぐるぐると回り、クスナヒコの前で立ち止まると、持っていた杖で、クスナヒコの肩を叩いた。
「この衣服は、ヒムカの兵のもの。一体、ここで何をしていた?」
「いや・・俺は・・ただ・・」
返答に困っていると、近くに居た子どもが言った。
「こいつ、墓荒らしだ!昨日、墓を掘り返してたんだ!」
「ふむ・・ヒムカの愚かな王はついに死人を取って食おうとでも言うのかな?」
蔑んだような目つきで、老人はクスナヒコを睨んだ。
「ふん・・何とでも言え!もう俺はヒムカの兵ではない!」
クスナヒコはそう言ってぷいとそっぽを向いた。

「お前たちは何者だ?兵では無さそうだが・・・」
「我らは、アスカケの途中、この村に立ち寄っただけです。」
「ほう・・アスカケとは・・懐かしい・・言葉だ。・・かつて我が一族にもそうした掟はあったが・・まだ、続けておる村があるとは・・・で、どこに行くつもりだ?」
「いや・・それは・・」
「おかしいのお。・・アスカケは男の掟ではなかったか?何故、若い娘もいるのだ?お前が、どこからか浚ってきたのか?」
そう聞いてイツキが声を上げた。
「私は、ナレの村のイツキ。このカケルとエンと三人で、アスカケに出たのです。」
その声を聞いた老婆が近づいてきて言った。
「今・・ナレの村と申したか?」
「はい、高千穂の峰の奥深く、我らの村、ナレがあります。」
「おお・・懐かしい・・ナレとな。・・ならば、ナギ様を知っておるか?」
カケルが答える。
「はい、ナギは我が父。昔、アスカケにて、この村も訪れたと聞いております。」
「そうか・・ナギ様の息子か・・・ナギ様は、すばらしき勇者だった。大王様にもいたく気に入られて・・・そうじゃ、さすれば、お前はナミ様の息子という事か。・・・ともに旅をしていたセツ様は如何なされた?」
「セツ様は、イツキの母でございます。」
そう聞いて、その老婆は腰が抜けたように、その場に座り込んだ。
「どうした、巫女様!」
先ほどから話をしていたのは、どうやら、この村の巫女のようだった。
「すぐに、この方たちの縄を解くのじゃ・・ほら急げ。」
巫女はそう言ってから、イツキの前で、床に這い蹲るほど深く頭を下げた。そして、ゆっくり顔を上げると、こう言った。
「イツキ様、貴女の定めは、存じておりまする。ここにおいでになったという事は、ついに時が来たという事。わが命あるうちににお会いできるとは・・・ありがたいことです。」
そして、ただぽろぽろと涙を流し始めたのだった。
「巫女様、どうされたのだ?一体、どういう事か話してくれぬか?」
先ほどから悪態をついていた老人が神妙な面持ちで問う。
「いや、それは、言葉にしてはならぬことなのじゃ。時が来れば判る。ただ、随分昔の事、ナギ様という勇者が大王を助け、豊かな村にしてくれた。そのご恩に報いる事がわれらのすべき事なのだ。」
「一体、どういうことか全く判らん!」
「そうか、・・まあ、良い。とにかく、巫女の言葉を信じ、この方たちを大事にするのじゃ、。良いな。」
とにかく、誤解は解けたようだった。
しかし、まだ、クスナヒコは縛られたままであった。
「我らの一族は、ヒムカの兵達に多くが殺された。・・さあ、どうしてくれよう。」
「俺は、もうヒムカの兵ではない。・・この村にも来たことは無い!」
「ならば、何故、ヒムカの兵の服を着て、ここに来た?・・いずれにせよ、我らのことを知ったからには生かしてここから出すわけにはいかん。」
「好きにしろ!どうせ、行く当ても無い身だ。」
クスナヒコは開き直って言った。村人たちは、今にも殴りかかりそうになっている。
カケルは何とか止めようと分け入った。
「私の話を聞いてください。・・私はここへ来る前、モシオの村に居りました。そこにヒムカの兵がやってきて、村に火をかけ、村人を脅し、塩や食料を奪おうとしておりました。何とか止めることは出来ましたが、その時、ヒムカの兵に聞いたのです。」
「兵から何を聞いたというんだ!」
「兵の多くは、周囲の村から集められたミコト様たちでした。兵になる事で村が救われるという約束だったそうです。しかし、実際は、みな王に騙されておりました。悪行をするために兵になった者などいないのです。・・この方も同様です。・・この方を殺めても意味がありません。それよりも、この方のやるべきことは、村に戻り、村を守る事なのです。・・どうか、お赦しいただけないでしょうか。」
それを聞いてイツキも続けた。
「私も、ユイの村に居ました。流行り病で苦しい暮らしをされておりました。兵から戻られたミコト様たちは一生懸命村のために働いておられます。どうか、お赦しください。」
エンも続いた。
「俺も、カワセの村で・・」
三人は村人の前に跪き、クスナヒコを解放してもらうために懇願した。巫女が言った。
「優しき若者じゃ。まっすぐに世の中を見ておられる。・・どうじゃ・・村の衆、この若者たちの心を受け止め、この男を赦してやっても良いかな?」

クスナヒコは開放された。そして、モシオの村に戻る事になった。
「カケル、エン、イツキ、ありがとう。一刻も早く、村に戻り、村のために働く事にする。・・長老やクレ様にもそなたたちの事は伝えよう。」
そう言って大門へ向かいかけた。カケルは、思い出したようにクスナヒコに駆け寄り、耳元で何かを伝えた。クスナヒコは一瞬驚いた顔をしたが、笑顔で何か答えた。そして、カケルの肩をぽんと叩いてから、足早に大門を出て行った。
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-九重の懐‐3.ヒムカの王 [アスカケ第2部九重連山]

3.ヒムカの王
カケルたちは、クスナヒコを見送った後、巫女たちに連れられ、館の裏に広がる墓場を抜け、森に入って行った。
森の中には、草むらに隠れるように小さな小屋が点在していた。それぞれ、一人か二人で一杯になるほど小さく、暮すというよりも潜んでいるというものであった。そして、更に進むと、小高い山があった。よく見るとそれは、山ではなく、盛り土を何重にも重ねたものだった。そして、その炭に小さな入り口があった。案内されて中に入ると、中は板状の岩を重ねた広い通路と突き当たりには大人数が入れる広間があった。天井からは、重ねた大岩の僅かな隙間から光も差し込んでいる。
「ここは何ですか?」
カケルは疑問を感じて尋ねた。
「亡くなった大王様が、我らのために、秘密に作られた場所なのだ。このお陰で、われらは生き延びる事ができたのだ。」
巫女は、これまでの顛末を話した。
先の大王は、この地に村を開き、周囲の小さな村とも助け合い、豊かな国を作ることを目指した。穏やかなヒムカの気候は、豊富な作物の実りをもたらし、森も獣たちを育てた。争いも無く、平穏に日々は過ぎて行った。
大王には二人の息子があった。兄君は気性が荒く粗暴であったが、弟君は大王に似て穏やかで寛大な心を持っていた。
ある日、大王は、兄君を呼び、北の村へ行くように命じられた。ここより北、トヨの国との境に、ノベというに村があった。そこで、新しい国づくりをお命じになられた。
兄君は、すぐにノベの村へ向われたが、なかなか思うように国づくりは進まなかった。
兄君には、タロヒコという従者が傍に居たのだが、この者が、「大王は弟君を次の王にするため、兄君を除け者にすべきこの地に向わせたのだ」と言いはじめた。
次第に、兄君は大王を恨むようになり、周囲の村から兵を集め始めた。そして、ある日突然,大挙してこの地に攻め込み、大王も弟君も手にかけたのだった。
「大王様は、兄君を嫌っておられたのですか?」
話を聞いていたイツキが巫女に尋ねた。
「いや、そうではない。・・大王様は、兄君の器量を信じ、北の地を豊かな土地にしたいと思われていたのだ。・・大王の願いは、九重の地の全てを豊かな地にしたかったのだ。北にあるトヨの国は深い山ばかりで厳しい暮らしが続いておる。・・その昔、邪馬台国がこの九重の地を治めていたころのように、穏やかで豊かな国を作りたいと願っておられたのだ。そのために、兄君を北の地へ向わせた。今のヒムカの王は、歪んだ心をお持ちじゃが・・それは、傍におるタロヒコに操られているだけの事。」
「なんて悲しい・・どうにかならないものですか?」
「われらも、王が正しき事に気付かれるのを待っておるのだが・・・大王様の求めた穏やかで豊かな・・九重の国を・・・・イツキ様、貴女とお会いできた事は、きっと定めです。」
「え・・それは・・どういう事ですか?」
「大王は、ウスキのお生まれでした。幼き事に邪馬台国再興のお話を長老からお聞きになっていたようです。ミコトになり、一人、旅される中で、このサイトノハルの地を新たな国づくりの地と定められたのも、きっと邪馬台国を夢見ての事でしょう。・・邪馬台国の正統なる王の証をもたれるイツキ様、大王様の果たせなかった夢をどうか叶えていただきたいのです。」
アスカケに出る前夜、ナミから聞いた、邪馬台国の王の血を受け継ぐものの定めをイツキは思い出していた。しかし、ウスキに着くまでは、実感を持って受け止めてはいなかった。いや、むしろ、遠く昔の話であり、きっともうそんな定めなど果たせないだろうと考えていたのだった。しかし、ここで改めて、その定めが自分ひとりの問題ではなく、ヒムカの国に関わる事と聞き、怖ろしくなっていた。
イツキの表情が強張っているのを見て、傍らに居たカケルが、そっとイツキの肩を抱いた。
エンも、じっと話を聞き入っていて、弓の腕を試したいとアスカケに出た我が身の軽さを思い返して、途轍もなく大きな定めを背負っているイツキに同情していた。
「なあ、そんな戦があったのに、よく、村のみんなは生き延びてこれたな?」
エンが、話題を変えようとした。
「はい、戦の時、この村には戦う備えはありませんでした。多くのミコト様は命を落とされましたが、子どもと女、老人は、兼ねてから不安を感じておられた、大王様が作らせた、この室へ逃げ込んだのです。何としても生き延び、いつか、豊かな国づくりを始めてほしいと願われておりました。われらは、戦が終わるまでじっとここに身を潜め、その後も、いつ兵が来るとも判らず、森に隠れ、夜にはあの館に集まり、ともに過ごしていたのです。」
「ふーん・・だから、陽のある時は、村に誰も居なかったということか・・・」
「気付かれないよう、じっと森におりました。ですが、カケル様は気付いておいででしたね・・・」
巫女の言葉に、皆、カケルを見た。
「はい・・戦で多くの命が奪われ、村が死んだのだと最初は思いましたが・・・村の中にはひとつとして屍がないことが不思議でした。捨てられたはずの家々も、焼け落ちたところ以外は、皆、綺麗に片付いており、いつでも使えるようになっておりました。それに、墓が綺麗に作られており、きっと誰かが近くに住み、丁寧に墓を作られているはずだとは思いました。」
「へえ?俺は気付かなかったが・・何故、それを黙って居たんだ?」
「・・確信はなかった。・・訳あって潜んでいるとすれば、わざわざ探すのもどうかと・・。」
「昨夜、調理場にわれらが入った時、カケル様は気付かれておいででした。皆様が、寝入るのを待って縄をかけたのですが、カケル様だけはどうやら眠っていらっしゃらないと感じました。違いますか?」
「ええ・・しかし、私だけじゃない・・クスナヒコ様も同様でした。横になった時、小さな声でクスナヒコ様が言われたのです。誰かが入ってきている、抵抗せず囚われよう、命を奪われる事はないからと・・。」
「なんと・・なのに、どうして、・・」
カケルは、巫女たちが驚く様子を見て、更に続けた。
「クスナヒコ様は、墓を荒らしていたと言われたが・・・」
小さな子どもがそれに答えた。
「ああ・・俺・・見たんだ。墓を掘り、剣や弓や・・他にも掘り返していた。」
「そう・・確かに墓を掘り返していたし、剣や弓を取り出していたそうです。・・でも、それはどこにやったとお思いですか?」
「村を出る時には何も持たれていなかったな?」
村人の一人が言った。
「あの調理場の棚を見てきてください。そこに、墓から取り出した剣や弓が収められているはずです。次に兵が襲ってくる時に備え、クスナヒコ様は少しずつ備えをされていたようです。いつか、ミコトたちを集め、タロヒコを除こうと考えていらしたのでしょう。」
村人たちは、クスナヒコの真意を知り、驚いていた。
「ヒムカの兵であった事を悔い、大勢の人を殺めた事実を知り、少しでも罪滅ぼしになればとお考えだったようです。」
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-九重の懐‐4.美郷へ [アスカケ第2部九重連山]

4.美郷(ミサト)への道
「我らはこれからどうすれば良いのであろう。」
巫女は、村人を前に尋ねた。村人たちは答えに困っていた。これまでじっと潜んで暮らし、いつの日か、平穏な暮らしを取り戻そうとは考えていたが、いつ兵が来るとも限らず、ただ耐えてきたのだ。
「何時来るとも判らぬ兵を怖れず、大王様の夢のためにも、元の暮らしを取り戻していきましょう。・・兵が来れば、また、あの隠れ家へ篭ればよいではないですか。・・私が知る限り、ヒムカの王の兵も真実に気付き、クスナヒコ様のように離れる者も多くなるでしょう。」
「そうじゃそうじゃ!・・この村だけではない、周りの村々にも声をかけ、ヒムカの王を怖れることなく、力を合わせていこうではないか。」
「そうじゃ、そうじゃ。」
「よし、家に戻ろう。すぐにも畑を耕そう。米も作るのだ!なあ、みんな。」
村人の中に徐々に元気な声が聞こえてきた。それに応えて巫女が言った。
「われらも、イツキ様やカケル様、エン様に負けず、この地で我らのアスカケを見つけることにしよう。・・厳しい道のりじゃが、きっとやり遂げてみせよう。」
村人たちは声をあげ、手を振りあげた。巫女はイツキを見て、静かに言った。
「イツキ様、もはや、貴女様の定めは始まっているようです。重い定めですが・・きっとやり遂げてください。・・カケル様と力を合わせて、九重の国を、豊かな国にしてください。」
イツキには、まだ、巫女の言葉が重かった。不安が胸を押しつぶしそうになっていた。
カケルは、イツキの手を強く握って、微笑んだ。
エンは、村人の声を聞きながら、じっと考え事をしていた。
二日ほど、三人はサイの村で過ごし、いよいよウスキを目指す事にした。
「ウスキに参られるなら、海岸沿いを、ノベまで行き、五ヶ瀬川を上るのが楽でしょうが、・・・ヒムカの兵に捕らえられるかも知れませぬ。・・少し、厳しい道ですが、ここを出て、しばらく海岸沿いに行き、ミミの浜から川沿いに山手に入り、ミサトの村、モロの村を抜けて行かれるほうが良いでしょう。ただし、モロの村を抜けた後は、猩猩の森が続きます。油断されぬように。」
最初、悪態をついていた老人は、かつては、ヒムカの村々を巡り、様子を聞き集め、大王に伝える仕事をしていたようで、ヒムカの国の道を知り尽くしていた。
斎殿原の村に別れを告げると、すぐに川があった。浅瀬を通って対岸に渡ると、しばらくは、海岸を進んだ。
「これが・・海?・・ねえ、ずっとずっと海?・・海の向こうには何があるの?」
イツキは初めて見る海であった。どこまでも続く白い砂、寄せては返す波、渡る風に乗り空を廻る海鳥、どれを見ても美しかった。
ナレの村で、アスカケから戻ったアラヒコが話してくれた海の向こうのイヨの国の話を思い出していた。
「九重の国々だけでなく、海の向こうにも人々が暮らしているのよね。・・広いわね・・。」
改めて、世の中の広さを実感した。そして、自らの定めの重さも感じていた。
「さあ、日の沈まぬうちに、ミミの浜まで行こう。」
しばらく行くと、松の茂る小高い丘が見えてきた。
「あそこがきっとミミの浜だろう。・・ヒムカの兵が居ないか、先に行って様子を見てこよう。ここらで少し休んでいてくれ。」
エンは、そういうと走り出した。ひょいひょいと小高い丘の上に上がり、周囲を見回しながら、反対側へ消えた。
カケルとイツキは、大きな松が生えている海岸に腰掛けて、海を眺めていた。
「モシオの村も、こんな所だったな・・」
カケルは、海を眺めながらそう呟いて、浜辺であったアスカの事を思い出していた。
「ねえ、あれが舟?」
イツキが指差した方向から、一艘の舟が、徐々に海岸に近づいてきた。
一人の男が、ひょいと船を下りると、綱を握って舟を海岸まで引き揚げた。そして、重そうな竹籠を抱えると、浜へ上がってきた。
「お前ら、何者だ?」
その男は、二人に近づいてきて無愛想に訊いた。
「旅のものです。」
カケルは伸長に答えた。その男は、更に無愛想に言った。
「何処へ行くつもりだ?」
「・・とりあえず、美郷の村まで・・・。」
「そりゃあ大変だ。美郷に、何の用で向うのだ?」
「・・いえ、もっと先まで行かねばならないのです。・・」
「ふーん・・気をつけろ。女連れでは、ヒムカの兵に狙われるぞ。最近、あいつら、ただの悪党と変わらない。何でもかんでも持っていく。逆らえば、命さえ取られる。困ったもんだ。」
そうしているうちに、エンが戻ってきた。
「駄目だ!・・ミミの浜にはヒムカの兵がたくさんうろついているぞ。このまま入れば、きっと捕らえられる。」
そう言って戻ると、見知らぬ男がいるのに気づいて、思わず、弓を構えた。
「止めろ、エン。悪い人ではない。」
「何だ、こいつ。いきなり、弓を向けやがって!血の気が多すぎるぞ。・・それは、クグリ。ただの漁師だ。ほれ。」
そう言って、竹籠の蓋を取ると、中には綺麗な魚がたくさん入っていた。
「我らは、アスカケの途中。ナレの村から来ました。私はカケル、そして、エン、イツキです。」
男は、カケルの言葉に、表情が変わった。
「アスカケ?ナレの村?・・おいおい、それなら、アラヒコ様を知っているか?」
思わぬ名前が出て、三人も驚いた。
「アラヒコ様をご存知なのですか?」
「・・ご存知って・・アラヒコ様と俺は、兄弟の契りを交わしたのだ。ともに、ここで漁を学んだ。アラヒコ様は、舟を作り、イヨの国へ渡っていかれた・・ナレの村には戻られたか?」
「はい・・それに、妻をめとられ、子どももお生まれになりました。」
「そうか・・無事に戻ったのか・・良かった・・もうすぐ日が暮れる。俺のところに来い。・・すぐそこの小屋だ。美味い魚を食わせてやる。アラヒコ様の話も聞かせてくれ。」
そう言って、すたすたと浜を上がっていった。
三人は顔を見合わせ、すぐにクグリの後をついて行った。
低い草と松の生い茂る林の中に、小さな小屋が立っていた。腰くらいまで砂を掘り下げたところに、低い屋根を葺いて、砂や風を避けているのだった。
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-九重の懐-5.漁師クグリ [アスカケ第2部九重連山]

5.漁師クグリ
「帰ったぞ!」
クグリはそう言って家の中に入った。中は意外と広く、心地よかった。
「お帰りなさい。漁はどうでしたか?・・」
小屋の中には、若い娘が居た。
「ああ、大漁さ。それと、今日は、お客が居るのだ。さあ、入れ!」
三人が小屋に入ると、その娘は少し物怖じした表情をした。
「大丈夫だ。ナレの村の若者だ。・・今日はここで泊まってもらう。良いだろ?・・・こいつは、ユキ。ミミの浜の生まれで・・親をヒムカの兵に殺され一人ぼっちになったんだ・・それで、とりあえず、ここに置いていたんだが・・もうじき俺の嫁になる・・。」
クグリは少し照れながら、紹介した。
三人は、挨拶をした。クグリより随分年下で、カケルたちと余り変わらないように思えた。
すぐに夕食の支度が始まった。イツキもユキを手伝い、魚を料理した。
夕餉が始まり、皆、囲炉裏を囲んでいた。
カケルたちは、アラヒコやナレの村の話をクグリに聞かせた。また、これまで通ってきた村々の様子も話した。クグリもユキも楽しそうに話を聞いていた。

「美郷を越えて何処まで行くつもりだ?・・あんな山奥に行っても何もないだろう?」
クグリが訊いた。
「母様の里、ウスキの村まで行きます。」
イツキが答えた。
「ウスキか・・遠いな。・・」
「クグリ様は、ずっとここに?」
「いや・・俺は・・美郷の生まれだ。一度、海というものを見てみたくて・・15の時、村を出た。もう10年以上、村には戻っていない。最初、ミミの浜に居たんだが、ヒムカの兵になれと言われ、逃げてきた。その時、アラヒコ様に出会ったのだ。」
「アラヒコ様も、ヒムカの王は間違っていると・・それで、兵を辞めたと言ってらしたわね。」
イツキが思い出したように言った。
「そうさ・・ミミの浜の者達も皆苦しんでいる。兵は好き放題に村の物を奪い、命も奪ってしまう。・・こいつの両親も・・それに、こいつだって・・・。」
傍にいたユキが思わず涙ぐんで、クグリにすがりついた。
「ヒムカの兵の中に、こいつの事を見初めた奴がいたんだ。・・それで、無理やり自分のものにしようとした。こいつの両親は、それを拒んで殺されたのだ。その時から、こいつをここに匿ってきたのだ。」
「もっと遠くに逃げたほうが良いのではないですか?」
カケルが訊いた。
「ああ、そのつもりでは居たのだが・・。」
「我らとともに、美郷へ行きませんか?」
「・・ありがとう・・でも、今は、無理なのだ。・・こいつは体が良くないのだ。前に一度、海へ出たことがあったが、すぐに具合が悪くなって引き換えしたのだ。・・だから、しばらく、ここに隠れていようと思う。・・まあ、兵に見つからなければ大丈夫。こんなところまで来やしない。・・それより、お前たちに頼みがある。美郷に行くなら、渡してもらいたいものがあるのだ。」
そう言って、クグリは、袋をひとつ取り出した。
「これは、俺が浜で取った貝の干物だ。・・これを美郷に居る母に渡してもらいたい。・・いや、もう俺の事など見捨てているとは思うが・・俺がここで元気にやっている事を伝えてもらいたいのだ。そして、いつかきっと美郷に戻るからと伝えてもらいたいのだ。」
カケルたちは、袋を受け取り、約束した。

次の日の朝早く、カケルたちは出かけることにした。ミミの浜で兵に見つからないよう、クグリの舟で、浜の港から耳川を遡ることにした。
「お世話になりました。」
カケルたちは、ユキに別れを告げ、舟に乗り込んだ。浜から笑顔でユキが見送ってくれた。
船は、小高い岬を回って、ミミの港に入りかけた時だった。ずっと、松原に視線をやっていたエンが叫んだ。
「クグリ様!・・煙が上がっている!・・あそこ!」
その声に、皆、松原のほうを見た。確かに、松原から煙が上がっている。
「すぐに、戻りましょう。ユキ様が心配です。」
クグリは返事をする間も惜しんで、舟の向きを変えた。
カケルたちも一生懸命に水をかいた。出発した浜に船が着くより先に、クグリは舟を飛び降りて、泳ぎ、一目散に煙の上がる方向に掛けた。カケルたちも、舟を浜に引き揚げ、後を追った。

クグリの小屋が燃えていた。もう辺り一面火の海で、近づく事もできなかった。
「なんて事だ!どうして?」
クグリは立ちすくんだ。すると、松原の奥から悲鳴が聞こえた。明らかに尋常ではない声だった。そして、時折、「静かにしろ!」と怒鳴る声も響いていた。
「ユキーーー!ユキーーー!」
クグリは、銛を持って、悲鳴の聞こえた方へ走ると、十人ほどの兵が、ユキを引っ張っていくところだった。
「クグリ様、いけない!」
そう叫んだカケルの声は届かず、クグリは、銛を構えて兵士たちの中へ走りこんだ。しかし、銛は容易く弾かれ、銅剣がクグリの体を貫いた。真っ赤な血を噴き出して、くぐりはその場に倒れた。
「ふん・・我ら、ヒムカの兵に逆らうとは・・いいざまだ。・・ついでに・・こいつも。」
一人の兵が、銅剣を振り上げて、ユキに切りつけようとした。
ビュンと音を立て、エンの矢が兵士の腕を貫いた。
「うわあ!」
射抜かれた兵士がその場に蹲った。
その隙に、ユキは兵士たちから逃れ、カケルたちのところへ駆け寄り、座り込んだ。
カケルは、倒れたクグリに駆け寄った。しかし、クグリはすでに息絶えていた。

「何だ!お前たち、俺たちに刃向かうつもりか!」
「やめろ!もうやめるんだ!」
カケルは、そっとクグリを寝かせ、立ち上がった。カケルの全身から、怒りが噴き出していた。ゆっくりと剣の柄に手を掛けると、今までに無く心臓が高鳴った。腕や足がぶるぶると震え、一回りほど大きくなったように見えた。

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-九重の懐‐6.人を殺める [アスカケ第2部九重連山]

6.人を殺める
「何故、命を奪う?・・それが王の命令なのか?・・ヒムカの王は人を殺せと命じているのか?」
カケルは、いつに無く低い声で言った。
「何を生意気な。・・見ればまだ子どもではないか・・我らに敵うとでも思っているのか?」
兵の中でも、一人、冑をつけた男が一歩前に出て言った。脇に居る男たちも、ニヤニヤとしながら前に出てきた。中には、剣を振り回し、威嚇しようとする者もいた。
「帰るべき故郷があるものは、すぐに剣を下ろせ!・・悪しき王のために死ぬのは無駄な事だ。村へ戻り、村のために働くのだ!さあ、剣を下ろせ!」
「まだ言うか!」
体の大きな兵士が剣を振りかぶって襲ってきた。カケルは、さっと身を返し、剣を避けた。兵士はもんどりうって転がった。
「俺は、ここより遥か南から来た。・・途中、多くの村が貧しさや病で喘いでいるのを見てきた。お前たち、ヒムカの兵が食糧を奪い、人を殺め、村々を焼いてきたのを見てきた。もう、やめるのだ。悪しき王はいずれ必ず滅ぶ。さあ、剣を捨てよ!」
今度は二人の兵士が剣をかざして襲い掛かる。
ついに、カケルは腰の剣を抜いた。妖しい光が辺りに広がった。
兵士が向けた2本の銅剣をカケルの剣が受ける。
ガキっと鈍い音がして、銅剣は根元から折れた。
先ほどの冑をつけた兵士が前に出てきた。
「お前、剣の腕はたいしたもののようだ。俺が相手だ。・・俺はヒムカの将、ユラだ。王とともにこの地へ来た。王に刃向かう者は、大罪人だ。息の根を止めてやる。」
そう言って、剣を抜いた。
そして、高く飛び上がると、カケル目掛けて、剣を振り下ろす。カケルは、剣を振り上げた。
「見るな!」
エンが、イツキとユキの体を地面に伏せさせた。
ピシっと音がしたと思うと、その兵士の首が胴体から離れ、飛んでいく。
首から下だけになったユラの体が、ドサリとその場に崩れた。
辺り一面、ユラの血が広がり、カケルも血しぶきを浴びた。
目だけが、カケルの目だけが爛々と輝いていた。
何か、獣が乗り移ったように凄まじい表情で、残りの兵を睨んだ。
クグリを刺し殺した男が、さらに切りかかると、同じように、カケルは剣を振り上げた。
両腕が根元からぱっくりと切れ、血が噴き出す。転げまわる男を足で押さえ、心臓あたりに剣を突き立てた。突きたてられた剣の根元から、血が噴き出し、男は絶命した。
その様子に兵は、みな、剣を放り投げ、その場にひれ伏した。
「許してくれ!許してくれ!」
仁王立ちになったカケルの体からは湯気が立っていた。
エンが、すぐに剣を集め、兵士たちを縄で縛り上げた。
「カケル、もう良いだろう。なあ・・」
エンがカケルに話しかけると、カケルは気を失ってその場に倒れ込んだ。
カケルが気を失っている間、イツキとエンは、兵士たちに穴を掘らせ、ユラの体を埋めさせた。そしてクグリの遺体を焼け落ちた家の前まで運ばせた。泣きじゃくるユキは、クグリから離れようとはしなかった。イツキは、体全体に血潮を浴びたカケルをきれいにしてやったが、カケルの手には血まみれの剣が握られたままで、離そうとしたが固く握られていて離れなかった。
陽は天中に達していた。
ようやく目覚めたカケルは、まだ体が熱いのを感じていた。そして、二人の男を殺めた事を思い出し、身震いをし始めた。生まれて初めて、人を殺めた。噴き出す血潮、絶命の瞬間の男たちの顔、脳裏に強く焼きつき、自らの業を悔いた。
「気がついた?」
イツキがカケルの様子を伺った。
「皆は無事か?」
「ええ・・でも・・ユキ様はずっとクグリ様の傍に・・・。」
カケルは起き上がると、ユキのところへ行った。焼け落ちた家の傍に、クグリの体は横たえてあり、すがりついてユキが泣いていた。
「すみません・・本当に済みませんでした。・・・もう少し早く・・・。」
カケルはそう言ってそっとユキの肩に触れた。ユキはそっと顔を上げて、
「家・・カケル様のせいではないんです。私がここに来なければ・・クグリ様は命を落とさずに済んだのです。全て、私のせいなのです。」
そう言ってまた泣き崩れた。
「自分を責めてはいけない。元は、ヒムカの王の悪行なのです。早く、断ち切らねば。」
「でも・・・」
尚も、自分を責めようとするユキに向ってカケルは言った。
「私の母様が言ってくれました。人は死ぬと、体は土に還り、魂は風になって、高い空から愛しい人を見守る事ができるのだと・・・きっとクグリ様も、貴方の傍にいてずっと見守って下さいます。・・自分を責めてはいけません。貴方を守る事が、クグリ様の望みだったはずです。」
ユキはその言葉に、また泣き崩れてしまった。

「おい、カケル。これからどうする?」
エンが、捕らえた兵を見張りながら、カケルに訊いた。
「・・美郷へ向わねばならないが・・・」
「こいつらの話では、ユラという男は、王の側近、タロヒコの息子らしい。他にも何人か息子たちが居て、それぞれ、兵を率いて、あちこちの村で悪さをしているんだ。・・きっと、ユラが死んだ事を知れば、追っ手をかけるだろう。」
サイトノハラで聞いたタロヒコの名。王を誑かしている悪の張本人だった。
「このままでは済まないだろうな・・・しかし・・」
その話を聞いていた、捕らえた兵の一人が口を開いた。
「あの・・ひとつ・・お伝えしたい事が・・」
「何だ?」
エンが、怪訝そうな顔で訊いた。
「俺たちは、元々、ミミの浜の漁師です。ユラに脅され、やむなく兵になったんです。ユラが死んだ今、俺たちも兵に戻る事もない。・貴方たちに協力します。・いや、俺たちも今まで散々痛い目に遭ってきた。もう我慢できません。これからは、戦うつもりです。・・信じてください。」
もう一人の男が、
「俺は、モロの村から来ました。俺も、村に戻りたい。モロにはたくさんのミコトが居る。もどって、ヒムカの言いなりにならず、戦うように皆を説得します。」
それを聞いてカケルは兵の縄を解いてやった。
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-九重の懐‐7.漁師の知恵 [アスカケ第2部九重連山]

7.漁師の知恵
「そうか・・だが、戦は駄目です。多くの命を失くす事になります。多くのミコトが命を落とせば、村の女、子どもも厳しい暮らしに耐えねばなりません。それでは、何も変わらない。それよりも、ヒムカの兵はほとんどが周囲の村から集められたミコト達。皆が、村に戻っていけば、戦わずして、ヒムカの王の力は弱まります。」
「しかし、今はまだ、兵が村々を襲う事は間違いない、戦わねば殺されるだけだ。」
エンは、カケルの話に納得しながらも、より現実的な見方をしていた。
「それに、俺たちだって、きっと追われる。美郷に着く前に捕えられれば終わりだ。」
「そうだな・・・」
カケルは考え込んだ。命を奪う事の重さを誰よりも判っているカケルは、戦いを避け、無事にウスキへ着く方法を考えていた。
「俺たちが、上手くやりますよ。俺たちは地元の漁師だ。誰よりも海を知ってる。・・そうだ、ユラを殺した男が舟で沖へ逃げたと噂話を流しましょう。きっと、ミミの浜に居る兵は、すぐに沖へ舟を向けるでしょう。・・舟を動かしているのは皆俺たちと同じ浜の漁師。しっかり話を伝えて、戻れぬほどの沖へ船を進めましょう。その間に、カケル様たちは、美郷へ向ってください。」
「しかし、村を通らず、ミミ川を登るのは厳しいぞ。」
「それなら、大丈夫です。道案内は俺たちがやります。なあ。」
先ほどのモロの村のミコトが、隣に居た男に確認するように言った。
「ああ・・ひとつ、山を越えることになるが、それほど険しい道では無い。」
「よし、話は決まった。なあ、カケル!」
エンがカケルに訊いた。
「・・いや・・だが・・」
カケルはまだ何かに迷っているようだった。イツキがカケルの考えている事に気がついた。
「ユキ様の事で迷っているのね?」
「ああ・・このまま、ここに置いてはいけないだろう。・・だが、ミミの浜に戻るのも・・」
ユキは、カケルの顔を見て答えた。
「私、美郷に参ります。・・クグリ様の代わりに、村のために働きたいのです。・・確か、クグリ様の母様がいらっしゃると聞きました。」
「そうか・・・それも良いでしょう。しかし、厳しい道程です。大丈夫ですか?」
ユキは決意したように、強く頷いた。
皆、旅立ちの支度をした。
ユキは、クグリの亡骸から、頭髪を切り取り、布に蒔いて懐に入れた。そして、焼け落ちた家の脇に穴を掘り、クグリの亡骸を手厚く埋葬した。
ミミの浜の漁師たちは、二手に分かれた。
一組は、クグリの舟を使って沖まで漕ぎ出し、ミミの浜の沖に浮かぶ「帰らずの島」まで行き、島に身を潜めることにした。
もう一組は、村に戻り、「ユラが殺され、大男が沖へ逃げた」と触れ回り、兵たちを海へ出させる手筈を取る役になった。同時に、ヒムカの王の悪行で、近隣の村人が苦しめられている事を仲間たちに広め、将から離れるように説得する事になっていた。

カケルとエン、イツキは、ユキを連れて、モロのミコト達の案内で、ミミの浜の西に広がる山を目指した。日暮れまでに、山を抜けて、ミミ川の畔に出る予定だった。

モロの村から来たミコトは、兄弟で、ユタとトシといった。
兄ユタは、細身で小柄で身のこなしがすばやく、道先案内を買って出た。
弟のトシは、大柄で力持ち、皆の荷物を抱えて、急な山道をものともせずに進んだ。
小さな山をひとつ超えようとした時、遠くに海が見えた。浜の漁師たちが言ったように、大型の舟が2艘、沖へ出て行くところだった。
「どうやら、うまくいったようだな。」
エンが言った。カケルたちも立ち止まり、遠くの沖を眺めた。その先には、小さな小島が二つ並んでいるのが見えた。
「あの島が帰らずの島らしい。潮の流れがきつくて、あそこは沖へ向けて舟が流され、戻ろうとしてもなかなか戻れない。たぶん、あそこまで行って、漁師たちは海に飛び込んで島へ逃げるんだろう。・・ヒムカの将だけでは、あの舟は操れない。そのまま随分沖まで行くだろうよ。」
ユタカが教えてくれた。そして、
「ほら、そこに、ミミ川が見える。もう少し行けば、楽な道になる。もう少しだ。日暮れ前までには、この山を下りなければ・・」
そう言ってから、さらに足を進めていった。
狭い山道を一列に並んで歩いていたが、徐々に、ユキの足が遅れてきた。随分、顔色が悪くなっている。すぐ後ろをトシが荷物を抱えて歩いていたが、ユキがふらふらと歩き始めた事に気づいた。
「兄者、ちょっと待ってくれ。ユキ様の様子がおかしいんだ。」
トシの声に皆が止まった。すると、ユキがその場にふらふらと座り込んだのだった。
「どうしたの?大丈夫?」
イツキが駆け寄った。
「すみません・・・数日前から、具合が悪くて・・・。すぐに気持ちが悪くなるんです。少し休めば、元気になりますから・・」
まだ、山の麓の道までは距離がある。ここでは身を隠せる場所も無く、暗くなれば道を見失う。先を歩いていたユタカが、トシに言った。
「ここで止まっているわけにはいかない。・・トシ、ユキ様を背負って来い!」
カケルたちは、荷物を手分けして持ち、トシは、ユキを背負った。
大きな熊のような巨体のトシには、ユキを背負うくらいたわいも無い事だった。
皆は何とか、日暮れ前に山の麓近くまで降りてきた。
「ここまで来れば、兵たちにも見つかることはないでしょう。今日は、ここで休みましょう。」
ミミ川は広くゆったりした流れだった。蛇行した川が削った岸に降りると、皆が休むのに丁度いいくらいの洞があった。
手分けして、落ち木を拾い集め、火を起こした。
トシに背負われてきたユキは、随分、具合が良くなっていた。
「明日一日歩けば、小さな村に着くはずです。・・そこに、モロの村から嫁いで来た娘がいます。きっと力になってくれるでしょう。」
ユタカが、薪を火に入れながら言った。その日は、皆、疲れてしまって早々に眠った。

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-九重の懐‐8.耳川 [アスカケ第2部九重連山]

8.耳川を上る
翌日は、朝から曇り空であった。そろそろ梅雨の季節に入る頃になっていた。
「振り出す前に、村に着きたい。」
道は蛇行する川に沿うように続いている。最初は平坦だったが徐々に急坂が続くようになった。ユキは、昨日と同じく徐々に歩みが遅くなる。終には、トシに背負われた。
「済みません、迷惑を掛けてしまって・・重いでしょう。」
トシはじっと口を閉ざしたまま、首を横にふり、一歩ずつ足を進めた。
「少し休もう。・・あと少しで着く。」
川幅は随分狭くなり、流れも速くなってきていた。目の前の流れを見ていたカケルが、急に立ち上がった。
「エン、魚をとろう。」
そう言うと、服を脱ぎはじめ、矢を銛代わりに持って、流れに飛び込んだ。
ナレの村に居たころは、毎日のように川に潜り魚を獲っていたのを思い出し、懐かしさが湧いてきたのだろう。エンも、同じように川に飛び込んだ。
川の中には、たくさんの川魚が泳いでいた。特にこの時期は、鮎が遡上をはじめ賑やかになっていた。久しぶりの川潜りでカケルは懐かしいナレの村の西の川を思い出していた。ただ無心に魚を追い回していたあの頃。父や母に喜んでもらいたくて、日暮れ近くまで、魚を取っていた頃が懐かしかった。アスカケに出て、多くの人と出会い、多くの事を知り、悲しみや苦しみを知った。そして、人を殺めてしまった。何か、黒い塊が胸の奥に溜まっていくようで怖かった。
いくつか魚を捕え、岸辺に上がってきたカケルには、昔のような笑顔は無く、虚しい表情を浮かべていたのだった。その様子を見て、イツキは、胸が詰まってぽろぽろと涙をこぼした。
「どうされたのですか?」
ユキが訊いた。
「いえ・・何でもないわ・・ちょっと、故郷が懐かしくなって・・・。」
獲れた魚は、川辺で焚き火を起こし、焼いて食べた。

「では、あと一息です、急ぎましょう。雨にならぬうちに・・」
ユタがそう言って立ち上がる。ユキは、「もう大丈夫だから」と言って歩き始めたが、すぐにまたふらふらし始め、トシに背負われた。日が傾き始めた頃、目指す村が見えた。
川に突き出すように、山の稜線の先が伸び、小高い山になっていた。ユタは、「この上に村はある」というのだが、切り立った崖が村に入るのを拒んでいて、高い木々しか見えず、村への入り口が見当たらなかった。
「こっちです。」
ユタは、崖を回りこみ、川岸を案内した。急な崖に張り付くように狭い階段を上っていった。そこは、小さな小さな村があった。何処かナレの村に似ていた。ユタが先導して村に入ったが、誰の姿もなかった。そのうちに、激しい雨が降り始めた。
「困ったな・・・」
どうしたものかと村の中で立ちすくんでいると、子どもを抱えた若い母親が、畑仕事を終えたところなのか急いで戻ってきた。そして、立ちすくんでいる一行を見て恐る恐る声を掛けた。
「兄様?・・・ユタ様ですか?」
その声に振り返ったユタカが、
「おお、センか?・・トシもいる。・・助かった。・・カケル様、こいつがモロの村からここに嫁いだ娘、センです。」

とりあえず、娘の家に入った。囲炉裏に火を入れ、皆、濡れた衣服を乾かした。
「こんなところまで・・兄様・・どうして?」
ユタは、これまでのいきさつを話して聞かせた。

「そうですか・・・でも、これから梅雨に入ります。ここから先は、雨が降り続くと通れない道ばかりです。ひと月ほどは動けないでしょう。それに・・ユキ様・・この具合では、とてもモロの村から先へ行くのは無理でしょう。しばらく、この村に居たらどうですか?」
センは、村に留まるように勧めてくれた。
カケルたちも、ユキの具合は気になっていた。
「しかし・・」
ユタが心配気に言った。
「大丈夫です。・・ここは、外から人が来る事など滅多にありません。・・ヒムカの兵も来ません。梅雨が明けるまで、ここに居てください。・・ねえ、いいでしょう、兄様?」
カケルもエンも、横になっているユキの様子を見て、センの提案を受ける事にした。
イツキは、センがユタの事を兄様と呼ぶのに疑問を持ち、尋ねてみた。
「ねえ、セン様?ユタ様とは・・」
「ええ、私が小さい頃から一緒に。・・・・父と母を早くに亡くし、ユタ様の母様に私は育てていただいたんです。」
「いつも俺の後には、トシとセンが居たなあ・・トシは少しのろまだが、センは頭も良くて、何でもすぐに覚えて・・。この村への嫁入りも、俺が見つけてきたんだ。なあ・・」
センは、その言葉に少し曇った顔をした。
「はい・・。私はずっと兄様の傍にいたかったんですけど・・兄様がどうしても言われたので・・・・私には、兄様は大事な人なんです。」
イツキは、自分の境遇と似ていると感じた。そして、センがユタを慕う気持ちも良く判った。
「ところで、婿様はどうした?」
ユタがセンに訊いた。
センは一瞬答えに困った表情をしたが、話さざるを得なかった。
「去年の夏・・・下の川で漁をしている時に、流されてそのまま行方知れずです。・・泳ぎは達者だったのに・・・・村の子どもが流されて、助けようと深みまで行ってしまって、子どもは何とか岸に帰ってきたのに・・あの人はそのまま・・・。」
その時の悲しみを思い出し、センは、涙した。
「そうか・そうだったのか・・・ならば、その後はお前一人、赤子を抱えて暮らしてきたのか。」
「ええ・・でも、村の人が優しくして下さって・・だから、大丈夫です。」
ユタは、じっとセンを見つめた。
その日から、村の仕事を手伝いながら、梅雨明けまで村に留まる事になった。
カケルとエンは、得意の魚とりをやった。増水した川では、潜り漁は難しかったが、竹を使って簗を作り、川魚を取った。イツキは、機織を手伝った。ユタとトシは、村の普請に精を出した。村人たちも、すっかり皆を信用し、心を開いてくれた。

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-九重の懐-9.ユキ [アスカケ第2部九重連山]

9. ユキ
 村に来てから、ずっと、トシはユキの様子を気にしていた。村に滞在して七日ほどして、ユキの体調が随分と良くなった。最初は、食事をするとすぐにもどしてしまうことが続いたが、徐々に治まってきていた。
 ある日、ユキが横になっているところに、赤子を抱いたセンとイツキが戻ってきた。
「ユキ様、お加減は如何ですか?」
イツキが、いつものように訊いた。
「ええ・・今日は随分楽です。・・・食事も取れましたし・・」
センは、ユタから松原での事を詳しく聞いたらしく、ユキに言った。
「ユキ様、・・・・クグリ様の事、お聞きしました。私も、夫を亡くした時、尋常ではいられず、しばらくは、何も出来ないほどでした。お辛かったでしょうね。」
ユキの脳裏には、あの時の光景が今でも鮮明に残っていた。
眼を閉じると、いつも、クグリの顔が浮かんできて、思わず涙が零れそうになり、我慢するのが辛かった。
「・・・今でもまだクグリ様が傍に居てくださるように感じる時があって・・・思い出すと・・・」
そう言いかけて、ユキは言葉を詰まらせた。
イツキが言う。
「・・カケルが、・・・人は死ぬと魂は風になるのだと言っていました。母様の言葉ですって。・・だから、私もきっと、クグリ様がいらっしゃるはずです。」
その言葉に、センが言った。
「そう・・魂は風になるの・・・そうね・・・・、そうよね。」
センは、ユキの手を取り、そっと涙を零していた。
「だから、私は、美郷の村へ・・クグリ様の故郷へ行こうと思います。・・私が行けば、クグリ様の魂も、一緒に故郷に戻れるのではないかと・・・」
「そうね・・きっと、そうね。」
「それに・・・」
ユキは、何か大事な事を言おうとして、迷っているようだった。
「ねえ、ユキ様・・あなた、ひょっとしてお腹に赤ちゃんが・・」
センは、ユキの様子を見ていて、もしやと考えていた。自分も身篭った頃、随分辛い時期があったのを思い出していたのだ。
「えっ?赤ちゃんが?」
イツキが驚いて、ユキの顔を見た。ユキは、小さく頷いた。
「まあ・・やっぱり・・・それなら、今は無理は出来ないわ。・・でも、・・そう、梅雨が明けるくらいには元気になるはず。・・・生まれてくる子のためにも、しっかりしなくちゃね。」
「はい。・・きっとクグリ様も喜んでくださるはず。・・いえ、生まれてくる子は、きっとクグリ様の生まれかわり。この命を守るために、クグリ様は・・」
そう言い掛けて、ユキは思わず涙が零れそうになった。

ちょうど、仕事を終えて、ユタとトシが戻ってきたところだった。
入り口で、ユタとトシは、話を聞いてしまった。トシが、いたたまれず戸口から家の中に入った。そして、頭を地面にこすり付けて言った。
「許してくれ・・俺はとんでもない事をした。・・・許してくれ!」
突然の事に、ユキもセンもイツキも驚いた。ユタも、トシの横に並んだ。そして、
「許してくれ・・・トシのせいじゃない。俺のせいなんだ・・・。」
「どういうこと?」
二人の様子に驚いたセンが尋ねた。
「ユキ様が、松原の家に隠れている事を、・・ヒムカの将モロに教えたのは・・俺なんだ。俺が教えなければ、クグリ様は命を落とす事は無かったんだ・・」
「いや、兄者のせいじゃない。俺が・・見つけたんだ。あの家に入っていくユキ様を・・それを兄者に話してしまったんだ。兄者に話さねば・・・・許してくれ・・ずっと、ここに来る前からずっと、その事をいつ話そうかと思っていたんだ・・・。」
トシは、耳の浜を出る時から、ずっと罪の意識に苛まれていたのだった。ユキを背負いながら、その重みを自らの罪の償いと受け止めていたに違いなかった。ユキが妊娠している事を知り、クグリの命を奪っただけでなく、生まれてくる命を育むはずの愛をも、奪ってしまった事に、さらに強い罪の意識を感じたのだった。
トシは、地面に突っ伏したまま、わあわあと声を上げて泣いた。ユタもトシの肩を抱いて、「済まない、済まない」と繰り返し,謝った。
ユキは、二人に、恨みは湧いて来なかった。それよりも、自分がクグリのところに匿われなければ良かったはずなのだと、自分を責めた。
「・・もう・・やめてください。・・私がクグリ様のところに行かなければ良かったのです。・・すべては私のせいなのです。・・お二人に罪はありません。・・」
そう言って、顔を伏せて泣いた。
ちょうどそこへ、カケルとエンが、魚を抱えて戻ってきた。ユタやトシ、そしてユキまでも泣いている様子に驚いて、イツキに事情を聞いた。
カケルが言った。
「・・もう過ぎた事を考えるのはやめましょう。・・・きっと全てが定めですから・・誰を責めてみても、もう戻れはしないでしょう。・・・我らは今、アスカケの途中です。アスカケとは、自分の生きる意味を問う旅。・・きっと、ユタ様たちにも生きる意味を問われているのではないでしょうか。・・・」
「生きる意味?」
「人はそれぞれに、為すべきことがあるのです。きっと、ユタ様にもトシ様にもユキ様にも、それぞれあるはずです。それを見つけるために、今、出来る事を一生懸命にやるのです。」
「そうです。きっと、ユキ様はその子を無事に産み育てる事でしょう。ユタ様やトシ様は、ユキ様を美郷まで無事お連れすることです。・・私はその旅立ちをお助けする事・・・ね、そうですよね。」
センは、強く頷きながらそう言った。

ユキが妊娠している話は、村の人たちにも伝えられた。その日から、村の人たちも時折、センの家に来るようになり、滋養のあるものを食べなさいといろんなものを届けてくれるようになった。カケルたちも、魚取りに一層励んだ。イツキは、機織に精を出し、生まれてくる赤子のために必要なものを作った。
そうやって、生まれてくる命を守るために、皆が協力しあった。

ひと月ほどが過ぎ、梅雨空に晴れ間が覗き始めた。
そろそろミサトの村へ出発する事を考え始めていた。ユキはすっかり体力も戻り、しっかり動けるようになり、皆とともに仕事をし始めた。トシは、そんなユキを気遣って、ユキが何かしようとするとすぐにやってきて手伝うようになっていた。
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-九重の懐‐10.ユタの決意 [アスカケ第2部九重連山]

10. ユタの決意
センは、晴れた空を見上げては、時折ため息をつくようになった。ユキやセンには、その理由が何か、わかっていた。ユタも、出発の支度をしながら、同じようにため息をつくようになっていた。

「明日、出発する。美郷までは二日もあれば着くだろう。」
ユタがぼそっと言った。センは、それを聞いて小さく「はい」と答え、すっと家を出て行った。
外には、蝉の声が聞こえ始めていた。センは、川を見下ろせるところにある大杉に隠れるようにして、声を殺して泣いた。
「セン様・・・」
イツキは、家から出てくるセンを見つけ、そっと近寄って声をかけた。
「セン様、良いのですか?」
センはただ首を横に振るだけだった。

朝を迎え、いよいよ出発となった。ユタが、妙に苛立っているのが、カケルにも判った。イツキは、センが泣いていた事をカケルに話していた。
「さあ、行こうか。」
ユタは、荷物を背負った。
「良いんですか、ユタ様。」
カケルが口を開いた。ユタは返事をしない。エンは何の事か判らず、少し間抜けな声で訊いた。
「何か忘れ物かい?・・夕べ、しっかり荷造りはしたはずだが・・・弓は持ったし、食い物も・・」
その言葉に、緊張が解けたのか、センが言った。
「ユタ様、私も・・連れて行ってください・・。」
「ダメだ!お前はここに居るべきだ。今まで村の人に世話になったんだ。これからも恩返しをするんだ。」
ユタが強い口調で言った。
「ユタ様の傍に居たいんです。」
センはもう泣き出していた。
「ダメだ!」
ユタも涙ぐんでいた。
ひと月もの間、ともに暮らしてきた事で、センは、子どもの頃ともに過ごしてきた日々を懐かしく思い出し、ユタへの強い想いを確信していた。ユタとともに生きていきたい、強く願っていた。ユタも、同じ想いだった。だが、カケルたちとともに、ユキを美郷まで送り届け、モロの村に戻る約束を果たすことが自らの罪の償いだと思っていた。
「ユタ様、あなたの生きる道は、どこにあるのでしょう。」
カケルが言う。
「モロの村に戻る事だけではないでしょう。今までの罪の償いをしようと思っているなら、ここに残ってください。・・セン様とともに生きるのもあなたの生きる道ではないですか?」
「しかし・・この先の案内や・・ユキ様を送り届けて・・」
「いえ、それは違います。もともと我らはアスカケの旅。自ら道を探り、問い。迷い、出来る事を一生懸命に行う事を選んでいるのです。・・ウスキまでの道は、自分たちで見つけ、行かねばなりません。ユタ様達に頼る事は間違っているのです。・・この地で、この村のために生きる事もあなたの役目だと思います。」
イツキも言った。
「これまでこの村には随分お世話になりました。このまま、旅立つのは何も恩返しできないことになります。それでは私たちも行けません。・・セン様はあなたが必要なのです。そして、この村も同じではありませんか?・・ユキ様は、私たちとトシ様でちゃんと送ります。さあ。」
トシもそのこと歯を聞いて、
「兄者、俺もそう思う。小さい時からずっとともに生きてきた、センをここに置いていくのは俺も辛い。だが、センを連れて行くことは、この村には申し訳ない。なら、兄者がここに残って、村のために、センのために働いてくれ。大丈夫、ユキ様はちゃんと俺が送る。ほら、背負子だってある。歩けなくなったら、これで担いででも行ける。なあ、兄者。」
ユキも言った。
「私は、クグリ様を亡くし、この先、生きる気力さえもありませんでした。でも、この村に来て、皆さんによくしていただいて、今は、美郷の村で強く生きるつもりです。もし、罪の意識をお持ちなら、この村でセン様とともに生きてください。」
皆に言われて、ユタはぽろぽろと涙を零した。そして、ゆっくりと荷物を降ろした。
「ユタ様!」
センがユタに駆け寄り、寄り添った。
「判った・・判りました。皆さんの気持ち、ありがたくお受けします。ここで、センとともに生きる事にします。」
皆、ほっとした表情で、顔を見合わせた。
「俺から、ユタ様に渡したいものがあるんだ。」
エンが、背中に背負ったものを渡した。
「・・いや、こうなるとは思っていなかったんだが・・・ちょうど良い。俺が作った弓だ。俺の父様は弓作りの名人なんだ。おれも小さい時から弓を作ってきた。・・ここに来た時、良い木を見つけたんで、作ったんだ。ユタ様は、俺と同じくらいの背格好だから、きっと調子は良いはずだ。猟に使ってくれ。」
「これは・・見事な弓。・・これなら、ヒムカの剣には負けません。ここに兵が着ても、これがあれば蹴散らしてやれます。」
「戦はダメですよ。・・」
カケルがちょっと渋い顔で言った。

「じゃあ、改めて出発とするか!」
エンは、ユタの下ろした荷物を背負って、大きな声で言った。
「美郷までの道中、しっかり案内するのだぞ。トシ!」
「ああ、大丈夫だ。一本道だから迷う事は無い。さあ、行きましょう。」
カケルたち一行は、トシを先頭にして、村を出た。階段を下り、川岸の道から見あげると、木々の間から、村人たちが手を振って見送ってくれた。

しばらく、川岸に沿って一本道が続いていた。
「なあ、セン様はあんなにユタ様のことを慕っていたのなら、どうして嫁に行ったんだ?」
エンが歩きながら、トシに尋ねた。
「・・さあ、俺もびっくりしたんだ。・・兄者が嫁入り先を決めてきた時、センは何も言わず従ったんだ。」
「わかんないなあ。」
梅雨の晴れ間.jpg
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