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-九重の懐‐11.美郷の村 [アスカケ第2部九重連山]

11. 美郷の村
蛇行する川沿いを歩き、一晩、野宿して翌日の昼頃には、村が見えてきた。村は、ミミ川から二段ほど高いところの広い台地にあった。広い農地があり、豊かな村のように思えた。
村に近づくと、田んぼの中で草取りをしている村人が居た。見慣れぬ若者に警戒心を持って、じっと5人の動きを見張っているように、じっと見ている。ゆるい坂道を上がったところで、男が声をかけた。
「お前たち、何者だ!ここに何の用だ。」
男は鍬を片手に威嚇するような仕草を見せた。カケルがすぐに応えた。
「私たちは、ミミの浜から・・クグリ様の母様を訪ねてまいりました。」
「何?クグリ?・・・クグリの知り合いなのか?クグリはどうした?・・まあ良い、すぐに来い。」
クグリの名を聞き、その男は態度を変えた。そして、駆ける様に村の中に入って行った。
カケルたちも男の後を追った。村の奥に、小さな家があり、村人たちが数人集まっていた。
先ほどの男が、家の中から慌てて出てきて、「さあ、早く来い、こっちだ。」と手招きした。カケルたちは訳もわからず家の中に入った。
家の中には、女たちが床に伏した老婆を取り囲んでいた。
「ちょっと開けてくれ。」
先ほどの男はそう言って女たちを分けて、カケルたちを座らせた。
「おい、判るか?クグリの知り合いだ。・・・・おい、クグリの知り合いだろ。クグリはどうしたんだ。母様がこんなになってるんだ・・・さあ、クグリの事を教えてくれ!」
カケルたちは困った。目の前の女性は、クグリの母だが、すでに命の火が消えようとしている。そんな時に、クグリの死を伝える事は出来なかった。
「おい、どうしたんだ。・・クグリの知り合いじゃないのか?」
ユキが応えた。
「私はユキ。クグリ様の妻です。お腹にクグリ様の赤ちゃんがいます。」
その声が聞こえたのか、老婆の手が、すっと伸びてきて、ユキの手を捜しているようだった。ユキは、その手を強く握り締めた。すると、老婆は、涙を一筋流した。
「これ、クグリ様から預かりました。元気になってくれと・・クグリ様がミミの浜で取った貝の干物です。母様が喜んでくれるだろうと・・・」
ユキの隣にいたトシが、荷物の中から包みを取り出して、クグリの母の手に握らせた。
クグリの母は、ほとんど声にならない声で、
「あ・・り・・が・・と・・う・・」
そう言ったように聞こえた。そして、一つ大きく息をして、ゆっくりと吐き出して静かになった。
「おい!おい!しっかりしろ!」
その老婆は静かに息を引き取った。周りを囲んでいた女たちがわあわあと泣き出した。
ユキは、その場でじっと手を握ったまま、涙を零した。
カケルとエン、そしてトシは、そっと席を立って外に出た。先ほどの男が後を追って出てきた。

「俺は、タツ。この村の守人だ。・・さっきの話は本当か?」
カケルたちは、ミミの浜でクグリと出会い、ヒムカの兵に殺された事、そして、妻になるはずだったユキの願いでこの村まで連れてきた事を説明した。
「そうか・・・クグリはミミの浜に居たのか・・・・ふた月ほど前だったか、婆様がクグリの夢を見たと言っていたんだ。クグリは、最後に母様に会いに来たのだな。」
「クグリ様の母様は・・・・」
「いや、クグリの夢を見たといった後から、時々、体の調子が悪いと寝込んでしまって・・ここ数日は、ほとんど食事も取れなくなって・・・昨日は、返事もできないほどに弱っていたんだ。」
それを聞いて、トシが、「もう少し・・早く来ていれば・・・」と嘆いた。
「いや・・間に合って良かったんだ。婆様はクグリが死んだ事を判っていたようだったからな。」
タツはそう言って涙ぐんだ。
「今頃、空の上で、クグリ様と母様は会われているはずさ。きっと。」
カケルは空を見上げ、悲しみを堪えるように言った。

翌日には、村の皆が集まって、クグリの母の弔いが行われた。クグリの母の亡骸は甕に入れられ、村の墓地へ葬られた。ユキは、墓に小さな花を供え、浜を離れる時に懐に忍ばせてきたクグリの髪を一緒に甕の中に入れた。
「お腹の子はちゃんと産んで育てます。見守ってください。」
ユキは、強い決意を込めてそう言った。

弔いが終わり、エンはカケルに訊いた。
「これからどうする?ここに、ユキ様を置いていくのか?」
「・・・それは・・ユキ様自身で決める事だろう。・・」
「そうだな・・この村に来ると決めたのもユキ様だからな。」
トシは悩んでいた。ここにユキを置いていくのには抵抗があった。村人の助けはあるだろうが、誰一人身内のものはおらず、心細い思いをするだろう。クグリの命を奪った罪を償うためにも、ユキを守る事が自分の役目だと決めていた。しかし、兄との約束もあり、モロの村へ戻らねばならない。
旅支度を始めたカケルたちを見ながら、なかなか動けないでいた。
その様子を見て、イツキがトシの気持ちに気付いた。そして、ユキのところに行き、訊いた。
「ユキ様、これからどうします?・・私たちは、そろそろウスキへ向います。この地へ残りますか?」
ユキも迷っているようだった。自分で美郷へ来る事を決めたのだが、クグリの母も亡くなり、この地で生きるにはあまりにも心細かった。ユキはすぐには答えられなかった。
「・・モロの村に行きませんか?・・どんな村かは知らないけど、そこならトシ様も居る。一人でここに居るより、心強いのではないですか?」
イツキの言葉に、トシが立ち上がった。
「そうだ、それが良い。モロの村は、ここよりももっと大きいし、俺の母様が居る。力になってくれるはずだ。そして・・子が生まれたら、また、この地へ来れば良い。・・ほんの二日、歩けば来れる。そんな遠くない。・・俺がきっとまた連れてきます。・・そうしましょう。ユキ様。」
胸の中にずっと迷っていた事を吐き出すかのように、トシはまくし立てるように言った。
カケルもエンもその勢いに驚いた。そして同時に、トシの気持ちに気付いたのだった。
「でも・・」
ユキは躊躇いがちに答えた。
「それが良い。ここに居るより、トシ様の傍に居たほうが何かと便利だよ。重いものは運んでくれるし、優しいし、きっと困ったことがあったら、何でもしてくれるし・・それに、トシ様もそのほうが嬉しいだろ。」
エンが、ちょっとわけのわからない理屈でユキに言った。イツキが怒った調子で言った。
「エン!何、訳わかんない事言ってるの!あなたは口を挟まないで!」
ユキは、エンの言葉で迷いが消えたように感じて、
「私・・トシ様とともにモロの村に行きます。私もそのほうが安心です。良いですか、トシ様。」
トシは、喜んだ。そして、背負子を差し出して言った。
「よし、じゃあ、行きましょう。さあ、乗ってください。」
「いえ、大丈夫です。ちゃんと自分で歩きますから。」

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タグ:耳川 美郷

-九重の懐‐12.トシの母 [アスカケ第2部九重連山]

12. トシの母
美郷の村に別れを告げ、カケルたちはトシを先頭に山道を進んだ。
川幅は徐々に狭くなって、両岸の山も切り立つほどになってきていた。蝉の声が谷に響いている。
モロの村は、美郷から二日ほどで着けるところにあった。
村が近づくにつれて、何故かトシの顔が曇り始めてきた。そして、川岸から離れ、しばらく山道を登った後、小さな峠道を越えた時、トシが口を開いた。
「あそこがモロの村だ。」
峠から見えるモロの村は、これまで見た村の中で最も大きいものだった。幾重にも柵が張り巡らせてあり、小さな家がいくつかに分かれて固まるように建っていた。見える範囲には、いくつもの田んぼと畑があった。しかし、大きな館は見当たらない。小さな村がいくつも集まって共同体を作っているようだった。
峠道をくだり、田んぼの広がる川岸から、長い石段を登って行った。多くの村人が、田んぼや畑で仕事をしていた。村人は、石段を上がってくる一行に目をやっては、巨漢のトシに気付いて、声をかけた。
「トシ、戻ってきたのか。母様は上じゃ。」
「トシじゃないか。もう戻ってきたのかい。母様は機嫌が悪いぞ。」
「トシ、母様に怒られに来たのか?」
村人は、皆、トシを知っていた。
「なあ、お前、随分人気者なんだな。」
エンがからかう様に言った。
トシは、返事もせず、ぐっと何かを堪えるように石段を登って行った。
一番高いところの集落に到着した。ここが村の中心のようだった。
何だかトシは落ち着かない様子で、辺りをきょろきょろしていた。
「どうしたんだ、トシ?」
「いや・・母様は・・」
トシがそう言い終わらない内に、集落の外れから、響き渡り様な声がした。
「おーい、トシ!トシじゃないか!・・こんなに早く戻ってきて、どうしたんだい?」
声のするほうを、皆が見ると、トシに負けないほど大きな体の女性が立っていた。どうやって積み上げたのか判らぬほどの薪を背負って、手を振りながら近づいてきた。
「母様、ただいま戻りました。」
「おや、ユタはどうした?一緒じゃなかったのかい?」
「兄者は・・途中で別れました。センの居る村に残って、そこで生きると・・」
トシは、何かいつもにもまして小さな声で答えた。
「センのところに居るのかい?・・まあいいか・・それで、この方たちは?」
「・・ああ、ええと・・カケル様、エン様、イツキ様・・そして、ユキ様です。ミミの浜で・・会って・・一緒にこの村に・・・しばらく、ここに居てもらっても良いでしょう。」
「そうかい・・ああ、ずっと居てもらっても構わないさ。さあ、家に帰ろう。」
トシの受け答えから、トシが母様をとても怖いと思っている事がよくわかった。
後ろを歩きながら、エンが小声で、トシに訊いた。
「トシ様は、母様が怖いのか?」
トシは真っ赤な顔になって、首を横に振った。
トシの母は集落の中を歩きながら言った。
「ちょっと、みんな、手伝っておくれ。」
そう言うと、背負った薪を、通り過ぎる家の前で少しずつ降ろした。カケルたちは不思議に思いながら、家々の前に積んでいった。自分の家に着くころには、背負った薪はほとんど無くなっていた。
こじんまりした家の前で、背負子を降ろすと、トシの母は、どっかりと座り、皆を見回して言った。
「私はモリ。ユタとトシの母だ。・・・まずは、みんなの名前を覚えなくちゃあね。」
カケルから順に、名のり、挨拶した。
「みんな、ちゃんとした挨拶が出来るじゃないか。それに、高千穂の峰の南なんて、随分、大変だったろう。まあ、しばらくゆっくり休んでいくがいい。じゃあ、まず、トシからだ。お前は、ユタとともに、ノベの村へ行ったんだろ?」
トシは、これまでのいきさつをゆっくりと話した。
それを訊いたモリは、ため息をついて言った。
「だから、ヒムカの兵にはなるなと言っただろ。・・人を殺めるために、そこまで大きくしたんじゃないんだよ。・・・ユキ様、すまなかったね。いや、謝っても許してはもらえないだろうが・・せめて、ここに居る間は、精一杯お世話させてもらうからね。」
モリは、そう詫びて、涙を零した。
ユキがおそるおそる口を開いた。
「私のお腹には、クグリ様の子がいます。・・クグリ様の里で産み育てるつもりでしたが、もうクグリ様の母様も亡くなってしまって・・・一人で暮らすには心細くて、トシ様とともに参りました。・・ここで暮らせないかと・・・。」
モリは全てわかったという表情を浮かべて、笑顔で言った。
「なんだい、そうなのかい。・・ああ、ここで暮らせばいいよ。トシは、体は大きいが心根は優しいんだ。ユキ様の事をずっとお守りさせてもらうよ。ユキ様さえ、良ければ、トシを婿にしてやってくださいな。」
「・・いえ・・そんな・・私は・・」
トシは、隣で真っ赤な顔をしていた。
「あらあら・・そんな・・まあ、そのうちで良いんだよ。まずは、ユキは、元気な子を産むことさ。私が力になるよ・・いや、村の者も大歓迎だよ。・・辛かっただろうが、良くここまで来た。ここに居れば何も不安はないさ。次は、カケル達だね。・・これからどうする?」
カケルはじっとモリを見て、慎重に答えた。
「私たちは、この先に進まなくてはいけません。・・このイツキを送り届ける役目があるのです。」
「この先と言うと・・ウスキの村かい?」
「はい。ウスキは、イツキの母、私の母の里です。そこが最初のアスカケの目指す場所なのです。」
イツキも答えた。
「はい・・私は、そこで果たすべき使命があるのです。」
イツキはそういうと、かけていた首飾りを出した。モリはそれを見て驚いた。
「何てことだ・・・これは・・お前・・いや、貴女は・・邪馬台国の王の血を受け継ぐお方。・・すると、使命と言うのは、今一度強き邪馬台国を作る事・・。」
モリはそこまで言うと、天井を見上げ、深くため息をついた。イツキは、それを見て言った。
「まだ・・そんな先は判りません。・・まずは、ウスキへ向います。そこで自らの使命を考えようと思います。今の自分には、何も出来ません。もっともっと知るべきことがあります。」
「そう・・そうさね。・・だが、定めは動き始めている。・・これから先も逃げることなく、立ち向かって下さい。・・私は、いや、この村は、いつでも力になりますから・・。」
「ありがとうございます。・・」
「よし、わかった。みんな引き受けようじゃないか、さあ、家の中に入っておくれ。」

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-九重の懐-13.モロの村 [アスカケ第2部九重連山]

13. モロの村
皆を招きいれようとする家は、小さな茅葺の屋根で、入り口も巨体のモリには窮屈そうだった。
「おい、みんな、入れんのか?」
その様子を見て、エンが小声で言った。
狭い入り口を入って、皆びっくりした。
外観とは裏腹に、中は広く、屋根のある部分は出入口のためのもので、中は、地面を深く掘り下げて、いくつもの小さな洞窟のような部屋があった。そして、その穴は深く伸びて、隣の家と繋がっているようだった。
「ここは・・・」
「どうだい、驚いたろ。ここらは、穴が掘りやすいんだ。夏の暑さも、冬の寒さも過ごしやすいんだ。いいだろ?」
カケルはそれを聞いて、尋ねた。
「それだけではないようですね。・・これなら、敵から身を守るには都合が良い。」
「ほう・・よく判ったねえ。」
「はい・・サイトノハラの村でも、同じように地面を掘った部屋がありました。そこに食料を蓄えたり、煮炊きする場所もあって・・サイトノハラの方も、そこで生き延びておいででした。」
「やっぱりねえ・・それはきっと大王様が作らせたのだろう。」
「ここも大王様とつながりが?」
「まあ、お座んなさい。最初から、話してあげよう。」
そう言って、この村と大王の関係を話し始めた。

「ヒムカの大王は、この村の生まれなのさ。15になった時、旅に出られたんだよ。」
「どこに行かれたのですか?」
「さあ、詳しくは知らないが、3年ほどで村に戻られたようだ。」
「その後どうされたのですか?」
「国造りをするのだと言われて、ミコトを数人連れて、南へ旅に出られたそうだ。」
「南?」
「ああ、川を舟で下り、ミミの浜まで出て行かれたそうだ。少しずつ、国づくりは進んで、サイトノハラに、国の都を作る事になったそうだ。」
「あの・・大王様はどんなお方だったんでしょう。」
カケルが尋ねた。
「・・私は、お会いした事はないが・・・婆様の話では、旅から戻られた時、強く豊かな国を作りたいとそればかり話しておられたそうだ。」
「強く豊かな国造り?」
「村を出て、猩猩の森を抜け、もっともっと北へ行かれたそうだ。」
「北とは、邪馬台国の事ですか?」
モリは、ちょっと首をかしげた。そして、こう言った。
「カケル、邪馬台国とはどんなところなのか、聞いたことはあるのかい?」
「はい・・昔、卑弥呼という女王が治めていた豊かで強い国だったと。そして、それは、ここより北にあったと・・・」
「ふむ・・やはり、そうかい。・・イツキ様が、邪馬台国の王の血を引く者だと言っていたから、もう少し、詳しい事を知っているのかと思っていたんだけどね・・・」
「違うのですか?」
モリは少し躊躇うように言った。
「いいかい、よくお聞き。・・もともと、邪馬台国という国なんて無いんだ。・・いや、あったんだが、ヒムカの国のような国じゃない。・・ヒムカの国の北には、トヨの国。西にはヒの国。海を越えたところにイヨの国がある。」
「はい、知っています。アラヒコ様やゲン爺にも聞きました。トヨの国は山深く、厳しい暮らしをしていると。トヨの国は、豊かで木の実がたくさん取れ穏やかな国だと・・」
「そうさ・・しかし、その国も小さな村がたくさんつながって出来ている。ヒムカの国も、それぞれに村があり、助け合って成り立っている。その村同士のつながりが国なんだよ。」
「村のつながりが国・・・」
カケルは考え込んだ。イツキは、興味深く聞いていた。
「カケル、お前は、多くの村を廻ってここに来たのだろう。・・村々を見てどう思った?」
モリがカケルに尋ねた。
「はい・・どこも厳しい暮らしでした。特に、サイトノハラは戦の後、みな潜むように暮らしていました。・・それでも・・モシオの村のように,、食べ物もあり人々も集い、くらしやすい村もありました。しかし、ヒムカの兵に怯えて暮らす日々。何とかしないとこの国は・・・」
「ここにも何度かヒムカの兵が来た。しかし、すぐに引き上げて行ったんだがね。・・今、ヒムカの国は、村々はつながっていないだろ?・・兵に怯え、人の行き来さえ無くなっている。これじゃあ、ひとつの国とは言えないだろ。」
「はい・・」
「いいかい、みんな。・・・邪馬台国は、国と国がつながって生まれたものなんだ。この九重の地だけじゃない、海の向こうのイヨの国や・・そう、アナトの国、ホウの国、アキの国・・それらがみなひとつにつながって出来た国だったのさ。」
モリの話は、どんどん大きな世界に広がっていった。カケルはふとナレの村で読んだ書物を思い出していた。確か、その中に、海を越えた地には、邪馬台国よりももっと大きな国があり、ナレの一族はそこから海を越えて、この地へやって来たのだと書いてあった。
「では、トヨの国の向うに、邪馬台国があるわけではないのですか?」
カケルがモリに訊いた。
「ああ、昔、卑弥呼様は、ツクシの国の海に浮かぶ小さな島に、館を作り、暮らしておられたらしい。遠く、海を越えた、魏という国とつながるためにね。だが、卑弥呼様が亡くなると、それぞれの国が、争いを起こし始め、バラバラになった。その時に、邪馬台国は無くなってしまったのさ。」
カケルは、ウスキにイツキを無事送り届けた後、トヨの国を越えて、邪馬台国へ行きたいと願っていたのだが、モリの話を聞いて目標を無くしたように感じていた。
イツキは、モリの話を聞き、自分が考えてきた「定め」は、途轍もなく大きい事を知り、今までに無い不安を感じていた。その様子に、モリは気づいていた。
「邪馬台国は、いつでも生まれ、いつでも消える幻のような国。多くの国々が豊かになり、ひとつにつながれば、邪馬台国の王の現われを待つ事になる。邪馬台国の王とはそういうものなんだよ。」
モリは、イツキに教えるように言った。
「・・だから・・ヒムカの大王様は、この国を豊かで強い国にしようと思われた。そして、争いをやめ、再び、邪馬台国が生まれる事を願われたんですね。」
「ああ、そうさ。ヒムカの大王が、息子をノベの村に遣わしたのも、ヒムカの北を豊かにし、トヨの国やイヨの国とつながる事を目指しておられたんだ。・・それを、あの・・タロヒコのせいで・・。」
モリは悔しそうに言った。そして、
「まあ、少しここに居て、他の者からも話を聞くといい。きっと、この先、役に立つ事を学べるだろう。・・腹が減ったろ、すぐに夕餉にしよう。」

家の中.jpg

-九重の懐‐14.カケルの嘆き [アスカケ第2部九重連山]

14. カケルの嘆き
翌日、まだ朝が開けきらぬうちから、モリは起き出していた。
その音に、カケルが目を覚ました。
「なんだい、起きたのか。」
モリは、朝餉の支度をとうに終えていた。
「食べるかい?・・顔、洗っておいで。」
外に出ると、山間いには朝霧が立ち込めていた。
あたりの家々からも、朝餉の支度をしている煙が見えた。
食事の後、モリが森へ行くと言ったので、カケルもついていくことにした。ちょうど、エンやイツキも起き出してきたが、随分疲れていたのだろう、森へは行かないと言った。
「朝餉の支度はしてあるから、トシやユキも起こして、済ませなさい。・・昼には戻るからね。今日は、トシに案内させて、村の中を見てきなさい。」
そう言って、モリとカケルは山へ出かけて行った。

村を出るとすぐに深い森が広がっていた。
「ここの森は、豊かだ。」
カケルは、森を歩きながら呟いた
「ナレの村も、山の中にあったんだろ?」
「はい、高千穂の峰の奥深くに。・・清らかな川、深い森、獣も多く住んでいました。」
「モロの村も、この森があってこそなんだ。元々、我らは、山の民だ。獣を追い、木の実を拾い、
どこでも自在に生きていた。」
モリの言葉を聞きながら、カケルは、故郷の事を思い出していた。
モリは、薪を集めはじめた。
「昨日も、たくさんの薪を背負っていらしたが・・まだ、必要なんですか?」
「ああ、村中で必要な量を集めるのが、私の仕事なんだよ。薪集めは、年寄りにはきつい仕事だろ?力のある者が薪を集めて家々に配るんだ。それぞれ、できることをやるんだよ。」
「私も、手伝いましょう。」
カケルも、薪集めを手伝う事にした。毎日、森に入り、落ち木を拾い集めているためか、森の中はきれいだった。下草も少なく、木々たちは生き生きとしている。鳥の声も森中に響いていた。

薪を集めている時、カケルは大きな洞窟を見つけた。
その洞窟の入り口は、背丈の何倍もの高さがあり、ずっと奥まで続いていた。
入り口の脇に、小さな石積みがあった。自然の洞穴ではなく、遥か昔に人の手で細工されたのがわかった。
洞窟の入り口で佇むカケルを見て、モリは言った。
「ここは、我等の村の秘密の場所だよ。中に入ってみなさい。」
薄暗い中を、ゆっくりと進んだ。
徐々に目が慣れてきて、洞窟の中が見えてきた。
広い穴は奥に行くほど広くなっていた。さらに進むと、明るい場所に出た。そこには、館があった。
「ここは、大王様が国造りに出られる前に作られたんだ。・・何かあったら、ここに逃げ込んで、暮らすのさ。どうだい、いいだろう。」
静寂に包まれた空間は、懐かしいナレの村を思い出させた。

「何故、争いは起きるのでしょう。一人ひとりは皆一生懸命生きているだけなのに・・」
「そうだね。きっと・・始まりはつまらない事なんだろうけどね・・。」
カケルはあの日のことを思い出していた。
「・・私は、ミミの浜で、ヒムカの将と兵を殺してしまいました。今でも悔いています。きっと、あの人たちにも待っている人がいたはずなのに・・。その人たちに取り返しのつかない事をしてしまった。」
「仕方なかったんだろ?」
「はい。悪行を絶たねば、また悲しむ人を生む、その時はその思いでいっぱいでした。でも、やはり、命を奪う事は重いことです。今でもあの光景が脳裏に浮かびます。ただ、ただ、自らの罪を考えています。」
「そうなんだね。」
モリはそう言いながら、カケルの背を擦った。
カケルは、急にぽろぽろと涙が零れてきた。
あの日、剣でユラを切った時から、じっと心の中に黒い塊が溜まっていて、ずっと重かった。
黒い塊が心の中に徐々に大きくなっていくようで怖くて堪らなかった。
イツキやエンにさえ、自分の心の黒い塊を気付かれたくなくて、じっと耐えてきたのだった。それが、何故か、この静かな穴の中で解れてきたように、カケルはとめどなく涙を零したのだった。
「辛かったんだろうね・・・どうしようもなく辛かったんだろう。・・・良いんだよ、思いっきり泣くと良い。それで、心を軽くするんだ。」
モリはそう言って、そっと傍を離れた。
カケルは、その場に蹲って泣いた。
悲しいのか、苦しいのか、よく判らない感情がどんどんと生まれてきて、泣き続けた。
モリは洞窟の外で薪集めをしていた。しばらくすると、洞窟からカケルが出てきた。
「ありがとうございました。」
カケルがそう言うと、モリは、
「まあ、いいよ。まだまだお前は若い。これからゆっくり考えれば良いんだよ。・・さあ、村へ戻るよ。日暮れまでにもう一回薪集めをしなくちゃならないからね。」

トシは、イツキ、ユキ、エンを連れて、村の中を案内した。それぞれ5つくらいの家がかたまって建っていて、どこも同じように洞穴で繋がっていた。一回りした後、トシとエンは、田んぼの仕事を手伝う事にした。ユキとイツキは、隣の家の婆様から、機織の手伝いを頼まれた。

しばらく、カケルたちはモロの村で過ごすことになった。
薪集めや田んぼの手伝い、川での魚取り、機織、竹籠作り。ひと夏があっと言う間に過ぎていった。
秋の気配を感じ始めた頃、カケルたちは、目的地、ウスキへ旅立つ事を決めた。
「ウスキに向うなら、道は二つ。ひとつは、飯干峠を越えて、五ヶ瀬の里からいく道。歩きやすいだろうが、かなり長い道だ。もうひとつは、モロの御山の東、七つ山を麓を抜けていく道。三日ほどでウスキに着ける。ただ、途中、猩猩の森を抜けなければならないからね。」
モリがそう教えてくれた。

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-九重の懐-15.モロの御山 [アスカケ第2部九重連山]

15. モロの御山
 三人は、ウスキへの道を歩み始めた。モリに教わったとおり、飯干峠を目指した。山は高く、谷は深い。幾つもの峠を越えて進んだ。小さな渓流沿いに進む道だが、意外に歩きよい道だった。
「あれが飯干峠だろう、カケル。」
「ああ、たぶん、そうだろう。」
「よし、俺が一番乗りだ。」
エンがそう言って、上り坂を走っていき、木々に隠れて姿が見えなくなった。
「イツキ、大丈夫か?」
「ええ・・大丈夫・・」
しばらくして、エンが駆け下りてきた。
「どうしたんだ?」
「駄目だ、カケル。この先は行き止まりだ。・・・大岩が道を塞いで峠は越えられない。しばらく、この道は誰も歩いていないんだろう。とてもじゃないが、これ以上先にはいけない。」
「どこか、抜け道は無いの?」
イツキが随分と疲れた表情でエンに訊いた。
「・・いや、なさそうだ。大岩を回ってみたが、険しい崖になっていて、その先が見えないんだ。・・カケル、ウスキに行くもうひとつの道に行くしかないぞ。」
「猩猩の住む森を抜けるんでしょ?・・大丈夫?」
イツキが心配すそうに訊いた。
<猩猩というのは、人でも獣でもない化け物だという言い伝えがあるんだ。だが、木を植え、森を守る獣だという人もいる。人を取って食べる獣だと言う人も居る。ただ、誰も会った事はないんだから、本当の事はわからないんだ。>
カケルは、モリの言葉を思い出していた。
「・・ここが通れない以上、ウスキに行くにはその道しかない。・・」
「ああ・・大丈夫さ、カケルと俺がイツキを守ってやる。」
エンは妙に嬉しそうだった。
三人は、来た道を戻り、モロの御山の東から七つ山の麓の谷を行く道に入ることにした。二つほど峠を越えたところで、夕暮れになり、その日は、小さな湧き水の畔で休んだ。
「綺麗な泉だなあ・・よし、俺、水を浴びよう。カケルも来いよ。」
エンはそう言って、服を脱ぎ裸になって、泉に入った。カケルも泉に入った。初秋に入ったとはいえ、昼間はまだ暑い。汗をかいた体を綺麗に洗うと気持ちよかった。
「ほんと、気持ち良いわ。」
イツキも、カケルたちと同様に、服を脱いで、泉に入っていた。
エンが、真っ赤な顔をして、反対を向いて叫んだ。
「イッ、イツキッ!お前、何してんだよ!」
カケルは、ぽかんとしていた。小さい頃から兄弟のように過ごしてきたため、イツキの裸を見てもなんとも思っていなかったのだ。エンは、何だか胸がドキドキして落ち着かなかった。
「へんなの?いつも一緒だったでしょ。ねえ、カケル。」
イツキは全く構う素振りを見せず、平気な様子だった。しかし、もうイツキは、立派な女性の体つきになっていたのだった。エンは、泉から飛び出して服を着た。そして、そのまま、焚き火の前で俯いたまま動かなかった。眠りに着くまでエンは口を開こうとしなかった。
翌日、夜明けには泉を出発した。
「どこからが、猩猩の森なんだろう?」
エンは、心細げに言った。昨日は、イツキを守ってやる等と威勢の良い事を言っていたのだが、いざ、深い森の中に入ると一気に元気を無くしていた。
「猩猩に会った人は居ないんだ。・・本当に居るかどうかもわからないんだ。心配しても無駄さ。」
カケルは、エンやイツキを勇気付けるように言った。
目の前には高い山並みが行く手を塞ぐようにそそりたっていた。
三人は、ここから先、どう進めば良いのかわからなくなってしまった。
「どうする?カケル。」
「・・ウスキは、北にある村だ。この山を越えるしかなさそうだ。」
ぶなの木立の中を、ゆっくりと進んだ。静寂だけが三人を取り巻いていた。
イツキが、急に、立ちすくんだ。
「どうした?イツキ。」
「・・今、そこで、何か動いたような・・・」
指差す先を見たが、何も居なかった。
「何もないぞ。脅かすなよ、イツキ。」
エンは、胸を押さえながら、そう言った。カケルは、じっと森の中を探っている。幼い頃から誰よりも目が良く、遠くのものを見分ける力があった。カケルは、しばらくじっとその場に留まり、周囲に目を凝らした。そして、木立の間に、黒い塊が動くのを見つけた。
<熊か?鹿か?・・まさか・・猩猩なのか?>
カケルは、自分に問いながら、その動く塊を目で追った。やがて、その塊は遠ざかっていく。カケルは、小声でエンとイツキに、「行ってみよう」と伝え、静かに、その黒い塊の後をついて行った。
その塊は、急な坂を上っていく。
木々が切れたところに出た時、カケルたちはその黒い塊を見失った。
「何処に消えたんだろう?」
エンは、小さく呟いて、そっと辺りを探してみたが見つからなかった。
「あれが、猩猩?」
イツキがカケルに訊いた。
「いや・・ちがうだろう。・・だが・・」
はっきりとは見えなかったが、髪は黒く、腰辺りまで伸びていて、獣の毛皮をまとっているように見えた。獣ではなく、明らかに人だと思った。
エンが、カケルの肩を突いて、小さな声で言った。
「おい・・あれは・・野人だろ・・爺様に聞いたことがあるぞ。」
「野人って?」
イツキも聞いた。
「遥か太古、まだ、言葉も持たず、洞穴で暮らし、獣を殺し、食べていた頃の人の事さ。しかし・・・」
カケルはそう答えたが、何か違うように感じていた。
「おい、あそこ。洞窟だ。やっぱり、あれは野人だぞ。・・野人は生きるものを何でも食べるって聞いたぞ。おい、カケル、見つからないうちに戻ろう。」
エンは、随分、畏れていた。その時、雨が降り始めた。森の中に居た時には空の様子に全く気付かなかったが、いつしか空には厚い雨雲が広がっていたのだ。
三人はやむなく、その洞窟に逃げ込む事にした。
洞窟にあった枯れ木や葉っぱを集めて、すぐに火を起こし、濡れた体を乾かした。それほど疲れているわけでもなかったが、三人は急に眠気に襲われ、そのまま深い眠りに着いた。

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-九重の懐‐16.猩猩の森 [アスカケ第2部九重連山]

16. 猩猩の森
翌朝、目が覚めたのは随分陽が昇ってからだった。いつもなら、陽が登る前に目覚めるはずなのだが、今日は体が重く、なかなか動けないでいた。ぼんやりとした意識の中で辺りを伺った。
エンも目覚めたようで、同じように頭を動かしながら、動けない様子だった。
しばらくして、何とか身を起こしたエンが、隣にいたはずのイツキの姿がなくなっているのに気付いた。
「お・・おい・・カケル、イツキがいないぞ。」
エンは、洞窟から飛び出して、イツキの名を呼んで辺りを探した。
「イツキー!イツキー!」
しかし、イツキの姿は見当たらない。斜面を転がるように走り降りて、イツキの名を呼びながらあたりを走り回った。
どうやら、眠っている間に、イツキは誰かに連れ去られたようだった。
カケルは、洞窟の様子をじっと探ってみた。持ってきた荷物も剣も弓もそのままだった。だが、洞窟の中に、何人かの足跡がついているのが判った。
カケルが外に出ると、エンが、慌てた様子でカケルの元に戻ってきた。
「ここらには、イツキが居ない。誰かがさらって行ったんだ。」
「どうやらそうみたいだな。」
カケルは辺りの気配を探りながら言った。
「一体、誰が?・・・まさか・・昨日の・・あの・・野人か?」
「・・野人かどうかわからないが・・・・」
「どうする、カケル?」
カケルは洞窟の前で地面をじっと見て、何かを探しているようだった。
「何してるんだ?」
「夕べ、雨が降ったろ。・・きっと、地面に足跡が残ってるはずだ。それを見つけて後を付けていけば、何かわかるかもしれないだろう。」
エンも慌てて、足元辺りを探った。
「・・ほら・・ここに・・」
カケルとエンは、足跡を探りながら、歩いた。
洞窟から、山の斜面を登るように、数人の足跡がついていた。あたりに注意しながら、その足跡を辿って、歩いた。
「なあ、カケル、イツキは無事だろうか?もし、野人なら、殺して食べたりしないのか?」
「・・いや、あれは、野人では無い。・・俺たちが眠ってしまったのは、あの洞窟の中にあった枯れ木と枯葉のせいだ。枯葉の中に、香りの強い見慣れぬ草が混ざっていた。その草を燃やしたせいで眠くなったんだ。きっと、わざとあそこにおいていたんだろう。」
「だが・・それは偶然かも・・」
「いや、俺たちは怪しい人影を追ってあの場所に着いた。日暮れも近かったし、雨も降りそうだったから、あそこで休むしかない。いや、あの人影に誘われるように、あの洞窟に辿り着いたんだ。そこで、休むと見込んで、あそこに枯れ木を用意したんだろう。」
「何のために?」
「さあ・・それは判らないが・・」
「俺たちを殺して食べるためじゃないのか?」
「いや、もし、命を奪うつもりなら、寝入ったところで一思いにやれるはずさ。なのに、生かしている。それに、剣や弓も盗らずにおいてあった。イツキだけを連れ去ったのは、何か別の訳があるはずだ。」
「だが、ここは、猩猩がいる山なんだぞ。・・ここに、人が住んでいるというのか?」
「おそらく、猩猩がいるというのも、ここに潜む人がわざと広めたのだろう。」
「何のために?」
「さあ・・それは・・だが、モロの村では、怪しい噂で広がっていたろ。だが、誰も見たものは居ない。モリ様も、半ば信じていはいなかった。だが、何か訳を知っているようだった。」
「そうか、だが、イツキを連れ去ったんだ。・・野人でなくても、俺たちを警戒しているはずだな。」
「ああ・・」
カケルは、人が歩いた後が小さな道になっているのに気付いた。
「さあ、急ごう。ここに小さな道が出来ている。ここを何度か行き来している。」
そう言いながら、二人は先を急いだ。
深い森の中で、確かに、僅かについている道を慎重に進んで行った。

しばらくすると、ぶなの森を抜け、少し開け、遠くが見通せるところに出た。
遠くに小さな煙が上っているのが見えて、二人は足を速めた。その先には、背丈のある草原が続いていて、その草を分けるように細く通路のように道が付いていた。その中をしばらく進むと、大きな岩があった。
大きな岩影から、そっと様子を探ると、草叢に隠れるように、小さな小屋のようなものが見えた。そして、獣の服を身につけた男が二人、小屋の前に座り込んでいるのが見えた。
「あそこに人がいる。昨日見たあの野人と同じ格好をしているぞ。一人じゃなかったんだ。やはり、この山で何かをしているのだな。」
カケルは、小屋の様子を見ながら、辺りに人の気配が近づいているのを感じていた。
「きっと、あの小屋にイツキは居るんだ。」
エンが小さな声でカケルに伝えた。カケルは、周囲に注意を向けていた。
先ほどから、数人の男が徐々に近づいてきているのを察していた。
カケルは、静かに剣の柄に手をかけた。しかし、心臓の高鳴りも無く、手も震えない。危険が近づいているのとは違うように感じ、剣の柄から手を離した。
「よし、ここから射抜いてやろう。」
エンが弓を構えて立ち上がった。
「やめろ、エン。」
そういうよりも早く、数人の男がカケルとエンを取り囲んでいた。
「何だ、お前たち!」
エンが、弓を向けながら言うと、男たちは、一斉に、銅剣を目の前に突き出した。
「やめろ、エン!やめるんだ!」
カケルは、エンの腕を掴んで止めた。
「何するんだ、カケル!こいつらが、イツキをさらったんだろ!・・イツキはどこだ!」
エンは、カケルの腕を振り払い、矢先を向けた。
「ダメだ、エン!弓を下ろせ!」
そう言うと同時に、一人の男が、エンの後頭部を殴りつけた。カケルも同じように殴られた。
二人とも気を失い、その場に倒れこんだ。
「血の気の多い奴だな。」「ああ・・まったくだ。」
男たちは、倒れたエンとカケルを軽々と担ぎ上げて、小屋のほうへ向って歩いていった。

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-九重の懐‐17.伊津姫 [アスカケ第2部九重連山]

17. 伊津姫(いつひめ)
気が付くと、二人は小屋の前に横にさせられていた。弓と剣は、二人の横に置かれていた。
「手荒な事をして済まなかったな。大丈夫か?」
小屋の中から、一人の老人が現れた。殴られた頭はまだ痛むが、二人は身を起こした。
その老人に続いて、イツキも顔を見せた。
「イツキ、無事だったか?」
「ええ・・大丈夫・・・」
老人は、二人の前に腰を降ろした。髪は一つに束ねており、長く伸びた白い髭、麻の衣服をまとい、腰には銅剣をつけていた。カケルは一見して、どこかの村の長だろうとわかった。
「さて・・何から訊こうか。この娘は、何も話してくれぬからの。お前たちは、この森に何の用で入ってきたのだ?」
イツキは、突然、洞窟から連れ去られ、この小屋で目覚めた。余りの不安から、詰問されても口を開けなかったようだった。カケルが老人の目をまっすぐに見つめて答えた。
「私は、カケルと申します。アスカケの途中。この先にあるウスキの村に用があって参りました。」
「アスカケとは・・・懐かしい。」
老人が少し微笑んだように見えた。エンも続いて答えた。
「俺は、エン。ナレの村一番の弓の使い手だ。カケルとイツキと三人で、これからウスキに行く。」
「ほう、この娘はイツキというのか。・・ここに来てから、何一つ話そうとせぬので困っておったのだ。・・ナレの村から来たのか。・・・」
老人は、しばらくじっと考え込んでいた。そして、
「それなら・・お前たち、ナギ様を知っておるのか?」
「はい、私の父です。」
カケルが答えた。
「お前、ナギ様の息子なのか?・・ナギ様はお元気か?ナミ様は、セツ様は?」
ようやく、イツキが口を開いた。
「セツは、私の母です。幼い頃に亡くなり、私は、ナギ様、ナミ様に育てていただきました。」
「何という事だ・・それで、ウスキへ・・・いや・・待て。ならば、首飾りを見せておくれ。」
老人に言われて、イツキは双子勾玉の首飾りを取り出した。
「おお・・本当に・・お前・・いや、貴女様は・・伊津姫(いつひめ)様!邪馬台国の伊津姫様!」
その老人は、その場に蹲り、深々と頭を下げた。
カケルもエンも呆気に盗られたように、その様子を見ていた。
老人は、草叢に向かって声をかけた。
「おい、急ぎ村に戻り、伝えよ。伊津姫様が来られたと・・さあ、急ぐのじゃ!」
草叢に潜んでいた男たちが、飛び出してきて、斜面を下って行った。
「こんなに早く、伊津姫様がお見えになるとは・・・」
その老人は、涙を流し喜んでいた。
カケルもエンも、イツキが邪馬台国の王の血を継ぐものだと知っていたが、サイトノハラの村と同様に、イツキの訪れに涙を流し喜ぶ姿を見ると、とても不思議な気がしていた。
「伊津姫(いつひめ)様とは、どういう事ですか?」
カケルが訊いた。
「おお、そうか・・教えられておらぬのか・・・我がウスキの村は、邪馬台国の王をお守りする一族の村なのじゃ。」
「はい、それは、聞いております。」
「セツ様は、本当の名を畝戸姫(せとひめ)と言われ、卑弥呼様の血筋にあるお方なのじゃ。そして、次の姫の名は、生まれる前に決められておって、伊津姫(いつひめ)と言うのじゃ。・・じゃが、本当の名は使えない。邪馬台国の王は、時が欲する時、突如現れ、世を治める定めじゃからな。」
「伊津姫(いつひめ)?・・・そうなの?」
名の由来を教えられていなかったイツキは、驚いていた。
「われらが、ナギ様に、セツ様、ナミ様を託したのは間違っておらんかった。これほど見事な姫にお育ていただけた。そして、姫を守るために、勇敢な若者を遣わされ、この地まで導いて来られるとは・・ナギ様はさすがに立派なミコト様じゃ。」
老人は感慨深くそう言った。
「すぐにも、ウスキの村にいきたいのですが・・・。」
カケルが老人に訊いた。
「・・いや・・ここからでは、日暮れまでに付くには無理がある。・・明日朝早くに、この先を下り、五ヶ瀬川沿いを上がったほうが良い。そうすれば、明日の夕暮れ前に着ける。今日は、この粗末な小屋で休んで、明日、ウスキへ行きましょう。」
小屋に入って驚いた。モロの村の小屋と同様に、地面を掘り下げ中は広々としていたのだ。
囲炉裏を囲んで座った。
「この森を抜けてウスキへ向う道は、モロの村で聞いたのか?」
老人は、薪を火に入れながら訊いた。
「はい、モリ様に聞きました。本当は、シイバの村を抜けていく道を教えられたのですが、途中、峠道が崩れていて通れませんでした。」
「そうか・・猩猩の森の話は聞いたであろうに?」
「ええ・・ですが、モリ様は行くなとは言われませんでした。猩猩の正体についても、誰も見た事が無いと・・・ですから、きっとこの森を抜けることは出来ると考えておりました。」
「そうか・・」
「われらがこの森に入ってすぐに、すっと見ておられましたね?」
カケルは老人に訊いた。
「泉で一晩過ごした頃から、辺りに気配を感じておりました。その後もずっと、ある程度の距離をとって、五人ほどのミコト様がわれらを見張っていらしたでしょう。」
「なんだい、カケル!お前、何にも言ってなかったじゃないか!」
「ああ、エンに話すと、弓を構えて騒ぐかもしれないからな。」
エンは少しがっかりしたような顔をしていた。
「危害を加えられるとは考えなかったのか?」老人が訊いた。
「はい。殺気のようなものは感じませんでした。それより、見守られているようで。・・あの洞窟を案内してくれたのも、あなた方でしたね。」
「それを判っていて、あえて、そこで休んだのか。薪に混ぜた眠り草もわかっていたというのか?」
「いえ・・そこまでは。ですが、命を取るつもりなら、もっと早くに討たれていたはずです。」
「怖ろしき若者じゃな・・。」
老人は、半ば呆れたような顔をして応えた。
「猩猩の森という話も、ウル様達がされた事でしょう。」
「いや、それはモリの作り話だ。・・・そう言えば、モロの村人はむやみには立ち入らない。」
「どうして、モリ様が?」
「ああ、モリの母がウスキの生まれで、ヒムカの大王がウスキに来られた時、大王に仕えてモロに行ったのだ。いや、ウスキを守るために行ったのだ。そして、モリも、ウスキを守る役を引き継いだのだ。」
カケルもエンもイツキも、人の縁の不思議を感じながら、夕餉が食べた。
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-九重の懐-18.五ヶ瀬川 [アスカケ第2部九重連山]

翌朝早く、ウルの案内で、山を下った。目の前に三角にそそり立った山がある。
「あれは、烏帽子山。・・ウスキの村を守ってくれておる。あの山を越えるのは、獣も相当骨が折れるようだ。道があるにはあるが、どこも急だからな。それに、あの山にはところどころに底なしの穴がある。道に迷えば、その穴が口を開けて待っておる。」

間近に、五ヶ瀬川が見えてきた。
五ヶ瀬川は、高い山を深く削った谷間を、右左へ蛇行しながら、ノベの村まで流れている。
カケルたちがいる場所は、五ヶ瀬川の上流域で、両岸は切り立った崖になっている。右手に流れを見ながら、上流を目指した。
対岸を見ると、いくらか平坦な土地もあり、小さな集落もあるようだった。カケルたちが歩いている岸側は、深い森ときつい斜面が続いていた。対岸に渡るには、急な崖を川底まで降りていく事になる。
カケルは、深い谷を見下ろしながら、ナレの村を思い出していた。ナレの村も山深い地にあったが、ここは、それよりももっと深く、おそらく冬の寒さは比べ物にならないほどなのだろう。これほどの地に、隠れ住まざるを得なかった邪馬台国の王族の悲哀をカケルは想像していた。
「あそこは、七つ折という。五ヶ瀬川を上ってきても、あの地で皆引き返してしまう。」
「どうしてですか?」
イツキが不思議に思って訊いた。
「・・我らがウスキに住むずっと以前に、あの地には、大きな集落があったようだが、ことごとく村人が死に、廃墟だけになってしまった。髑髏があちこちにあって、それは怖ろしい光景で・・皆、引き返してしまうのじゃ。」
「それも・・ウスキの村を守るためですか?」
カケルが訊いた。老人は、小さく頷いた。
しばらく歩くと、川が二手から流れ込んでいるところにたどり着いた。
「川を渡り、右手に行くと我らが最初に隠れ住んだ村、岩戸の村。そこを越えると、すぐにトヨの国に入る。ここから左手に入ると、ウスキの村はもうすぐじゃ。」
「あそこに見える高い山は?」
カケルが訊いた。
「ああ・・あの山は・・姥山(うばやま)。・・我が一族は、遥かツクシの国から、あの山を目指してきた。そして、山を越え、生き延びる場所を探したのじゃ。」
天を突くように尖った山頂が雲間から見えていた。
烏帽子山を回りこむように、崖に張り付く道を歩いていくと、村が見えてきた。
「あれが、ウスキ・・」
イツキがため息まじりに言った。
少し高くなった土地に、いくつか家が見えた。獣返しの柵は無いようだった。カケルは、父ナギの言葉を思い出していた。
「父から、ウスキの村は深くて青い淵に守られていると聞きました。」
そう言うと、老人は答えた。
「そう・・ほら、そこを御覧なされ。」
指さした先には、まるで大地が裂けたように、深い淵が南北に続いている。水面は深い緑色をしていて、底が見えない。所々から、細い滝が落ちていた。
「この淵の向こうに、ウスキはあるのじゃ。」
集落の周りには、獣避けの策と堀を巡らしているのが普通だが、ウスキは、淵が堀の役目をしているのだった。
「しかし、どうやって向こうへ渡るのですか?」
淵は、飛び越えることができるほど狭いものでは無い。
「もう少し、先に行きましょう。」
老人の案内で更に進むと、深い藪があった。
老人は、藪の中を分け入っていく。木々に見せかけた扉状のものがあり、それを引き揚げると、崖を降りる石段があった。慎重にその石段を降りていくと、淵へ流れ込む川岸に辿り着いた。川岸には小さな船が繋がれ、男が一人舟の脇に座っていた。
「あれで対岸に渡るのだ。」

男はウルの声に反応して立ち上がった。
「これは、ウル様、お久しぶりです。昨日、使いのミコトから知らせを受けて、待っておりました。」
深々と頭を下げた。
「よう来てくれた。・・達者だったか。・・こちらが、伊津姫様じゃ。・・」
「おお・・何と、美しい姫様じゃ・・遠くからよくおいでくだされた。さあ、さあ、舟にお乗りください。」
舟は、波一つ無い淵の中を、滑るように進んでいく。
「ひさしぶりと言われたが、ウル様は、猩猩の森にずっといらしたのですか?」
イツキが尋ねた。
「はい・・猩猩の森の守役は、あそこで何年も過ごします。わたしは、十年ほど、あそこに居りました。我が父も守役でした。」
「十年・・そんなに長く・・」
「我が父も守役で、私が跡を継ぐまで、二度ほど父に会っただけでした。」
「なんと過酷な・・」
舟は淵の真ん中辺りで止まった。
「どうしたんだ?」
周りの高い崖に見入っていたエンが、驚いて訊いた。
船頭の男が立ち上がった。そして、何か木の葉のようなものを淵に巻いて、祈っている。
「われらの村を守る淵、その主に礼を言う儀式なのです。」
「ふーん。」
船頭の男が言った。
「淵の主も、姫様が戻られたのを、喜んでおられるようですな。」
対岸に到着した。ここにも、切り立った崖に、石段があり、ゆっくりと登って行った。
石段を登りきると、長閑な村があった。
「ようやく着いたな、イツキ!」
エンが言う。
「ええ・・ここがウスキなのね。・・」
「ああ・・ここが、ウスキだ。」
カケルは、ナレの村を出た日から、多くの村の人と出会い、過ごしてきた道を思い出していた。
モシオの村のあの少女は元気だろうか、ふとカケルの頭にあの少女の笑顔がよぎった。

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-ウスキの村-1.ウスキの人々 [アスカケ第2部九重連山]

1. ウスキの人々
舟を降り、長い長い石段を登ったところから、さらに一段高い場所に村はあった。
姫がお戻りになったという話を聞きつけた、村人が、ひとり、またひとりとイツキたちの周りに集まってくる。みな、口々に「姫様じゃ・・」「美しいのお・・」「あの若者は誰じゃ・・」等とひそひそと話をし始めた。村の入り口に着くころには、村のものがほとんどで迎えている様子だった。
カケルもイツキもエンも、これだけの出迎えを受けて戸惑いを隠せなかった。
「ええーい、うるさいぞ!静かにせんかあ!」
ウルが、三人の前を歩き、道を開ける様にした。前に開いた道は、次々にカケル達の後ろに続く。ウルは、そのまま、村の真ん中にある広場まで進んだ。そして、三人に高楼へ上がるように勧めた。
三人は言われるままに高楼に上がった。
高楼の上からは村が一望でき、渡ってきた淵やその先にある烏帽子山も目に入ってきた。
「良いところだな・・・」
カケルはそう言うと、イツキの顔を見た。
イツキは、たくさんの人が自分に注目しているのが判って、極度に緊張しており、体が震え、顔が引きつっていた。カケルは、そっとイツキの手を握った。
「たくさん集まってるなあ・・人気者だぞ!・・こりゃいい。」
エンは、見たことも無いほどの人波にはしゃいでいた。
高楼の梯子をゆっくりと誰かが上ってくる。
ウルは、手を添えてその人を高楼の物見台に案内した。
「この村の巫女様じゃ。」
ウルは、そう言って三人に紹介した。カケルの背丈の半分ほどの小さな小さな巫女であった。頭からすっぽりと朱の布を被り、表情が見えない。わずかに見える手からは、巫女はまだそれほどの高齢でない事がわかった。
「長い間、お待ちいたしました。我が命、あるうちにお会いできるとは嬉しい限りでございます。」
巫女はそういうと、イツキの手を取り深く頭を下げた。
イツキは、もう一方の手も握り、深く頭を下げた。そして、双子勾玉の首飾りを巫女に差し出した。
「オオ・・これこそ、邪馬台国の王の証。伊津姫様・・重き定めですが・・我ら一族の願い、是非とも叶えて下さい。」
巫女はそう言って、強くイツキの手を握り返した。そして、物見台の下にいる村人に向かい言った。
「伊津姫様である。我らが王、伊津姫様じゃ!」
集まった村人たちが一斉に歓声を上げた。中には、泣いている者もあった。
「さあ、伊津姫様、皆にご挨拶を。」
脇に居たウルがそう促した。イツキは、戸惑った表情でカケルを見た。
カケルは、「大丈夫」というふうに強く頷いた。
イツキは、一歩前に出て、皆の顔が見えるところに立った。そして、深く深呼吸をした。
「我が名はイツキ。遥か南、ナレの村で生まれ育ち、ようやく、この地へ戻りました。我が定めを果たすため、これからこの地で生きてまいります。」
人々は、その声を聞き、また歓声を上げた。そして、広場に積み上げられた松明に火がつけられ、誰かが、銅鐸を打ち鳴らした。次いで鼓が打ち鳴り、笛の音が響いた。次第に、村人たちが踊り始めた。広場では、伊津姫が戻った事を祝う宴が始まった。
イツキもカケルもエンも、しばらくその様子に見入っていた。
「姫様、お疲れになってでしょう。・・さあ、館へ行きましょう。」
巫女が、三人を館へ案内した。
館は、高床式の大きな作りで、サイトノハラの村で見た王の館に匹敵するほどの大きさであった。
イツキは、巫女に従い、広間に入っていった。
エンとカケルも、その後に続いて入ろうとしたら、ウルに止められた。
「ここより先は、男は入れぬ。そなたたちは、こちらじゃ。」
そう言われ、脇にある扉から、館と渡し廊下で繋がった、小さな館へ連れて行かれた。
「ここが、そなたたちの休む場所だ。いずれ、家を用意するが、それまでは、ここで過ごされよ。」
そう言って、ウルは二人を部屋にいれてから、立ち去った。
エンは、床にごろんと横になり、天井を見上げながら呟いた。
「何だか・・居心地が悪いな・・俺たちがイツキをここまで送り届けたんだぜ、もう少し・・」
カケルは、胡坐を書いて座り、荷物を解いていた。ふと見ると、ようやく到着できた安堵感からか、エンは、話の途中で、ぐっすりと眠っていた。
しばらくすると、部屋の外で声がした。
「夕餉の支度ができました。」
戸を開けると、二人分の膳が置かれ、傍らに若い女性が一人傅いていた。
「ハツと申します。しばらく、お二人のお世話をするよう巫女様より命じられました。」
女性は、そう言うと、部屋に御膳を運びいれて、並べた。
「こんな山奥です。大したものはご用意できませんが、どうぞお召し上がり下さい。」
並べられたものは、いずれも、この地で取れる山菜や川魚等であったが、精を込めて料理されたものらしく、空腹の二人には嬉しかった。カケルとエンは席についた。エンが言った。
「美味そうじゃないか・・・ところで、イツキはどうした?一緒に食べないのか?」
「はい、姫様は、奥の御部屋で、巫女様とともに・・・。」
「ちぇっ、なんだい・・・・きっとイツキはもっと良い物を食べてるんだぞ。」
エンが減らず口を叩いた。カケルは、苦笑しながら、ハツに尋ねた。
「この村は、静かで良い村ですね。皆、元気そうだ。きっとすばらしい長老様が治めていらっしゃるのでしょう。長老様にはお会いできませんか?」
ハツは、答えに困った様子だった。
「長老様は、いらっしゃらないのですか?」
カケルが重ねて訊いた。
「・・はい・・長老様は、数年前の戦で命を落とされました。それ以来、村は、巫女様が治めていらっしゃいます。」
ナレの村を出ると決めた時、母ナミから、爺様はこの村の長老だと教えられていた。カケルは、まだ見ぬ爺様に会えると思うと胸がワクワクしたのだった。しかし、それは叶わぬものであった。
「私の母は、この村の長老の娘だと教えられました。ここに来れば爺様にあえると・・・・。」
カケルの言葉に、ハツが思わず目頭を押さえた。
「長老様は、ヒムカの兵が来たと知らせを受けた時、村に危害が及ばぬよう、吊橋を全て切り落とされて、数人のミコト様とともに、七つ折へ向かわれました。そこで兵との戦に望まれたのです。出かけて行ったミコト様は誰一人お戻りになりませんでした。」
ウルが話した七つ折にある廃れた集落に転がる髑髏は、はるか昔のものではなく、ヒムカとの戦で倒れた長老やミコトたちのものだったのだ。
「せめて、亡骸を村に戻す事はしなかったのですか?」
「我が身が滅びようとも、村を守り続ける故、誰も七つ折に近づかぬようにと、長老様の言いつけなのです。・・以来、ヒムカの兵たちは一度もこの地へはやってまいりません。」
「なんというお覚悟なのだ・・・。」
村を治めるという事が如何に重い事かとカケルは感じていた。食事を終えると、ハツはお膳を抱えて出て行った。

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-ウスキの村‐2.水の郷ウスキ [アスカケ第2部九重連山]

2. 水の郷ウスキ
「なあ、カケル、これからどうする?」
エンは膨れた腹を抱え、横になりながらカケルに訊いた。
「どうするって?」
「ここにイツキを送り届ける事がアスカケに出る時の約束だ。そして、その後は、それぞれのアスカケを進めといわれたろ?」
エンの言うとおりだった。これまでの旅は、イツキを送り届けるための道程に過ぎなかった。これからが本当の自分自身のアスカケなのだ。だが、カケルはこの先が定まっていなかった。
「俺は・・村を出る時に言ったように、やはり、弓の腕を試してみたいんだ。己が何処までの力を持っているのか・・まあ、カケルには敵わないが、もっと腕を磨いてみたい。だから、ヒムカの兵の居るところに行ってみようと思うんだ。」
「しかし・・ヒムカの兵は・・・」
「ああ、判ってるさ。これまで聞いたり見たりしたヒムカの兵の悪行は赦せないが・・だがなあ、この先、どうすると言われると、やはり、もっと強いものの中に行き、学ぶ事も必要なんじゃないかな。・・そうさ、悪行も、中に入れば止める事も出来るかもしれない。いや、中に入って、・・その・・タロヒコをやっつけるってのはどうだ?・・そうだ、俺がヒムカの兵に入って、憎きタロヒコをやっつけてヒムカの王の目を覚まさせてやるんだ。そうだ、それが良い。」
エンは勝手に物語を作って納得していた。
「そう上手くいくだろうか?」
カケルが言うと、
「良いんだよ。いざとなれば、逃げ出せば良いんだ。そして、アラヒコ様のように、海の向こうにも行ってみても良いな。・・まあ、いずれにしても、ここに居ても仕方ないじゃないか。」
エンの言葉に、ふとカケルが言った。
「イツキのことはどうする?」
「イ・・イツキの事って・・何の事だ?」
エンは少しドギマギした表情で答えた。カケルは、エンが変な表情をしているのがよく判らないまま言った。
「いや、イツキをここに一人にしていいのかなと思ったんだ。・・もちろん、姫様になるのを覚悟の上でここに来たんだが、この村に慣れるまではやはり傍に居てやったほうが良いんじゃないかって思うんだが・・。」
カケルは、ただイツキが独りぼっちで心細い思いをするのではないかと心配したのだが、エンにはそう聞き取れなかった。
「あっ・・そう、そうか・・そういうことか・・そりゃあ、近くに居てやったほうがいいだろうが・・そうだな・・じゃあこうしよう。これから冬になる。寒いのは嫌だからさ、春までここに居てやろう。そのうちにイツキもこの村に馴染むだろ。そうしたら、俺はノベの村へ行くよ。」
「そうか・・そうだな。春までここにいよう。・・私はまだこの先の事も決めかねている。もう少しこの地で考えたい。冬の間、この村に居てよく考える事にしよう。」
「よし、決まった。」
何か、もやもやが消し飛んだようで、二人はその夜ぐっすりと眠った。

翌朝、ハツが二人を起こしに来た。昨夜と同様に、朝餉が運ばれて来た。
「我らはしばらくこの村に留まります。ここにいる間、何か仕事をしたいのですが・・・。」
カケルがハツに言った。
「・・まだ、お着きになったばかりでしょうに・・」
「いえ、良いんです。客人としてここにきたわけではありません。せめて、自分たちの食い扶持程度のお役に立てることをさせてください。」
「そうですか・・ならば、今、ちょうど、田の収穫をしています。お手伝いいただけますか?」
「他の仕事なら、子どもの時からやっています。是非ともお手伝いさせてください。」
カケルは、快く引き受けた。エンは、田畑の仕事が苦手だった。
「俺は、猟の仕事がしたいんだが・・、この弓を使って獲物を・・」
「それならば、兄様に相談してみましょう。兄様は、村一番の狩りの名手ですから・・おそらく、もう出ていると思いますが・・そのうち、戻ってくるでしょう。」
二人は、ハツの案内で村の中を一回りしたあとで、それぞれの仕事をする事にした。

五ヶ瀬川が削った深い淵に隔てられた、ウスキの村は、三段の大地になっていた。館があるところが最も高くなっていて、多くの村人の家もそこにあった。朝から村人たちは仕事に精を出していた。カケルたちが通るとみな平伏し、口々に「勇者様じゃ」と言った。カケルたちは最初何か嬉しい気持ちもあったのだが、村人が余りにも崇める姿が重くなってきた。
「ハツ様、皆に言ってもらえませんか。我らは神でも勇者でもないのだと。普段どおりにしていただけないかと。」
ハツは微笑みながら「じきに収まりますよ」と言った。
高台の端まで来ると、高い崖があり、下には田畑が広がっている。その先に、細い川が流れていた。
「あれは、神代川(かみしろがわ)です。この上流にある岩戸川から水を引いていたのですが・・数年前の大水で崩れてしまって・・・以前は、この村の全ての畑に水が引けたのですが・・今は、一番下の畑にしか水が引けなくなりました。」
崖を回りこんで一段下に下りた。ハツの言うとおり、小さな水路の跡はあったが、水は無く、周囲の田畑も干乾びて、雑草だけが生えていた。
更に進むと、また崖の端に着いた。その先に、昨日渡ってきた淵があるはずだった。
高い崖をゆっくり降りて行った。下には小さな池があった。
「ここは、おのころ池です。ほら、あそこ。」
指さした先には一筋の細い流れの滝があった。
「あのわずかな水が今は頼りなのです。あの水を池に溜めて、池の周りにあるわずかな田畑を潤しています。」
池のほとりを歩きながら、カケルは呟いた。
「水がもっとあれば・・」
「ええ・・ミコト様や巫女様も、何とかこの地に水が引けないかと腐心されていましたが・・ここは、高台。淵にはあれほどの流れがあるのですが、ここへはもって来れず、岩戸川も今は流れを変えてしまって、とても水路に水を引く事など出来ません。以前のような水の溢れる村に戻る事を皆願っております。」
カケルは、ハツの言葉がどれほど切実なものか良く判っていた。ナレの村でも、水足の御川が無ければ、成り立たない事を小さいころから教え込まれていたのだ。
そこに、一人のミコトが現れた。
「おお、勇者様だ!」
そのミコトは、少し茶化すような言い方で二人を見た。
太い腕と厚い胸板、そして剛毛の髭、見るからにミコトの中でも、一番の剛者であろうと思われた。手には、狩りで得た水鳥を数羽持っていた。

玉垂の滝2.jpg

-ウスキの村‐3.弓比べ [アスカケ第2部九重連山]

3. 弓比べ
「わしの名は、キハチ。姫様の御守役、ご苦労でした。これからはわしらがお守りいたします。」
その言い方や態度に、少しエンは苛立ったように反応した。
「朝から、殺生ですか?」
「ああ、これは、今朝、射止めたのだ。そろそろ水鳥が増えるからな。殺生とは厳しいなあ。我等の命を繋ぐためだ。仕方なかろう。・・これが俺の役なのだからな。」
そう言いながら、獲物を持ち上げて見せた。
「兄様、たくさん獲れましたね。皆も喜ぶでしょう。」
案内をしていたハツが言った。
「兄様?・・この方が、さっき話していたハツ様の兄者なのか?」
「ええ、兄様の弓の腕は村一番です。飛ぶ鳥さえも射抜ける腕です。」
弓の名手と聞いて、エンは俄然興味を持った。
「俺も、弓を使います。・・是非、キハチ様の腕を見せていただきたい。」
エンの言い方は、挑戦的だった。
「ほう、よし、ならば、村へ戻って腕比べとするか?久しぶりで弓比べじゃ!わっはっは!」
キハチは豪快に笑い飛ばすと、村へ戻っていった。カケルたちも村へ戻った。
村へ戻ったキハチは、何人かの若者に声を掛けて「弓比べ」を始める準備をさせ始めた。
村の真ん中にある広場を挟んで、館の前から高楼に向けて射ることになった。
二百歩ほどの距離だが、上に向けて矢を放つ事になる。高楼には、先ほどキハチが獲ってきた水鳥が吊るされた。
「あれを飛ぶ鳥に見立てて、射抜こう。」
吊るされた水鳥は、遥か見上げるような位置にあり、風に揺れる。
弓比べの話を聞きつけて、我も、とばかり、村の若者たちが集まってきた。そして、女や子どもたちも見物に出てきた。
「よし、始めるか。・・・なんだ、お前たちもやるつもりか?」
幼子たちも、自分の弓を持ち出してきたので、幼い順に射抜くことになった。十人ほどが弓を引いたが、的にあたるどころか、高楼に届きもしなかった。
「おい、大丈夫か?遠すぎるんじゃないか?」「やめとけ、やめとけ!」
そのうちに、村人たちから、囃し立てる声が聞こえてきた。カケルたちと同じくらいの歳の若者も出てきて、弓を引いたが、高楼に届きはするがとても的にはかすりもしない状態だった。
いよいよ、エンの番になった。
「オオ、勇者様じゃ。」
誰かが言った言葉に、村人たちが歓声を上げた。村人の期待は高まっていた。エンの持つ弓は、皆が持つ弓よりも一回り大きく、強く撓るようになっていた。キハチは弓を見ただけで、エンの腕前がわかったようだった。
「いい弓を持ってるんだな。しかし、いくら弓が立派でも、引く手がどれほどかな?」
キハチは、より挑発的な言い方をして、不敵な笑みを浮かべてエンを見た。
「見てろ!」
エンは、見物している村人に自慢するかのように、弓をゆっくりと皆の前に出した。そして、まっすぐに弓を構えた.矢を番い、渾身の力を込めて引き、放った。
矢は、わずかに放物線を描いて、すーっと的に飛んでいく。そして、的となっている水鳥の広がった翼に当たり、ぽとりと落ちた。
「ほう、なんと、よく当てたな。」
キハチが言った。エンは大層悔しそうだった。
「よし、次は、俺の番だ。」
キハチは、弓を構えた。
「キハチ様、当ててください!」
村の若い娘から声が掛かった。どうやら、キハチは村の娘たちには人気があるようだった。
キハチの弓は、エンのものと比べると、少し短いが太く引くには強い力が必要だった。
ギリギリと弓が音を立てて撓る。キハチが指を離すと、矢がまっすぐに的に向っていった。
矢は、水鳥の翼に当たり、同じようにぽとりと床に落ちた。村の皆が拍手、喝采した。
「うーん、少し外したか。」
キハチは少し悔しそうな表情でエンに視線をやった。
「引き分けってところかな?」
エンは、少し安堵した表情をしていた。
「さあ、カケル、お前もやれ。お前の腕前を見せてやれ。」
カケルは嫌がった。幼い頃、初めて弓を引いた時の光景と似ている。力を示す事で、良い結果に繋がった事はない。むしろ、辛い気持ちになるのがわかっていたからだった。
「もう一人の勇者様もやられるぞ!」
エンは、わざと村人たちにそう言ってけしかけた。村人たちも歓声を上げた。それでもカケルは弓を持とうとしなかった。エンは、ハツに頼んで、部屋の置いてある弓を持ってこさせた。
「さあ、カケル、やれよ!」
エンは、カケルの弓を目の前に突きつけて迫る。エンの心の中には、カケルの弓の腕が自分より勝っている事に嫉妬を覚えつつも、勇者として見られている自分たちの面目を保つために、カケルが獲物を射抜くところを村人に見せつけたかった。
「おや、これは馬鹿に小さな弓だな。そんなので大丈夫か?俺のを貸そうか?」
キハチは、エンの時と同じように挑発的な言い方をしてみせた。もはや、これ以上拒む事は無理だと決心し、カケルは何も言わず、弓を持ち、ひとつ深呼吸をして構えた。心臓が高鳴り、腕が熱くなった。矢を番えて構えると、周りの音が聞こえなくなった。静寂の中でじっと目を瞑る。そして、かっと目を見開くと的に向って矢を放った。
放たれた矢は、高い笛音のような響きを残して、目で追うことも敵わぬほどの速さで、まっすぐに、いや、少し上昇するように的に向っていく。そして、吊るされた水鳥の胴体に突き刺さった瞬間、水鳥の体が一気に弾け飛んだ。後には、吊るすために使われた荒縄だけが残っていた。そして、放たれた矢は、高楼の梁に突き刺さった。予想もしなかった状態に、村人たちは、皆、声を出せなかった。カケルの矢の威力に、凄いというよりも怖ろしさを感じてしまったのだった。
キハチもエンも、その場に立ち尽くし、声も出なかった。
「なんと怖ろしき力じゃ。」
館から出てきた巫女が、静寂を破るように、声を発した。ようやく、みな正気に戻ったように、口々に「今のはなんだ?」「矢を放っただけなのか?」等と言い合った。明らかに畏れている様子だった。起きた事に一番驚いているのはカケル本人だった。
キハチは、矢を放ったままの格好で動かないカケルを見て、そっと、腕を触ると、異様に熱を帯びていることに驚いた。カケルは我に返り、そのまま、館の中へ駆け込んでいった。
「おい、これを見ろ!」
高楼で的の後始末をしようとした若者がキハチやエンに言った。急いで、高楼に駆け上がってきたキハチとエンは若者の指差すほうを見て驚いた。高楼の梁に突き刺さった矢の先には、一匹の毒蛇が頭を射抜かれて死んでいるのだった。キハチもエンも、カケルの弓の力に改めて驚いていた。

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-ウスキの村‐4.巫女の啓示 [アスカケ第2部九重連山]

4. 巫女の啓示
カケルは、自分の為す事が思いもよらぬ結果を招くたびに、己の力に恐怖していた。
ナレの村を出て、幾つかの村でやってきたことが果たして良かったのか、迷うようになっていた。アスカケの最中では、それも当然なのだが、この先、どうすれば良いのかまったくわからなかった。
部屋の外から声がした。
「カケル様、巫女様が話があると申されております。広間へおいで下さい。」
ハツが呼びに来たのだった。
カケルが広間に入ると、エンもそこにいた。カケルがエンの隣に座ると、奥の御簾の掛かった部屋の扉が開いて、巫女が入ってきた。
昨日は、朱の衣を纏い、顔がほとんど隠れていたため、巫女がどんな人物か判らなかったが、出てきた巫女はまだうら若き女性だった。
「貴女が巫女様ですか?」
エンが、思わず訊いてしまった。
「そうです。・・何か変ですか?」
「いえ、巫女様はどこの村でも、みな、婆様・・いや、お年を召した方ばかりだったので・・。」
「先代の巫女様は、一昨年亡くなりました。・・長老様のあとを追うように逝かれました。」
巫女は、まったくの無表情でそう言うと、そっと扉のほうを向いて頭を垂れた。
錦の衣を纏い、頭には冠を着けたイツキが静かに入ってきた。
久しぶりに見るイツキは、ともに旅していたころとは随分と雰囲気が変わっていた。イツキは、御簾の部屋の椅子に座った。巫女が御簾の部屋から出てきて、二人の前に座った。
「お二人には、改めて礼を言わせていただきましょう。ここまで、姫様を守り、無事にお連れいただけ、まことにありがとうございました。」
巫女は、二人に頭を下げた。それを見て、カケルは言った。
「いえ、それが我らに与えられた役目なのです。ここから、我らのアスカケが始まるのです。」
それを聞いて、巫女は二人をじっと見て言った。
「アスカケとは己を知る事、生きる意味を見つける事ですね。・・・ナギ様もそう言ってこの村で修行をされていた。・・お二人は、この先どうされるおつもりでしょう。」
二人は顔を見合わせた。そして、カケルが言った。
「これから冬が来ます。冬の間はこの村に居させてください。春には、それぞれ自らの道を進むつもりです。」
「はい、それは・・いつまでもここにおいでいただいても良いのですが・・で、それぞれどこへ?」
エンが口を開いた。
「私は、・・ノベの村へ行こうと思います。・・弓の腕を磨くために、ヒムカの兵の村へ行こうと思っています。」
「で、カケル様は?」
「まだ、決めかねております。ナレの村を出る時には、ウスキを抜け、邪馬台国へと考えておりましたが・・モロの村で邪馬台国は、この先にあるものでないことを聞きました。・・行き先が今はありません。」
「そうですか・・・まあ、春までゆっくり考えられると良いでしょう。」
エンが、御簾の様子を見ながら訊いた。
「ところで、巫女様。・・あの、イツキ・・いや、伊津姫様はこれからどうされるのでしょう。」
巫女は、そっと御簾のほうへ目を遣ってから言った。
「・・それは・・姫様がお決めになる事。・・まだ、こちらに戻られたばかりです。今はまず姫様として知るべきことをお教えしております。邪馬台国が生まれるまでに、姫様はたくさんの事を身につけねばなりませんから・・」
わずかに御簾の間から見えるイツキは、身動きもせず、その言葉を聞いていた。
「邪馬台国が生まれる時とは何時なのでしょう?」
カケルが訊いた。巫女は少し考えてから応えた。
「それは判りませぬ。モロの村で何を聞かれたかは判りませんが、邪馬台国は、ヒムカの国や火の国とは違います。九重の国々の人々が心ひとつに願う時、生まれるのが邪馬台国なのです。今は、まだまだ遠い事でしょう。・・ですが、こうやって、姫様がここへ戻られた事がひとつの始まりです。」
「我らにも・・その・・何かの役割があるのでしょうか?」
その言葉に巫女は、立ち上がり、祭壇に向かって祈りの言葉を上げ始めた。
その様子に戸惑っていると、脇からハツが小さく耳打ちした。
「巫女様は、今、時を上っておられます。巫女様には未来が見えるのです。」
「そんな・・」
「いえ、確かです。ここへ姫様がお戻りになられる事も言い当てられました。ですから、猩猩の森にいるウル様にその事をお告げになりました。」

巫女は突然唸るような声を上げ始め、静かに突っ伏してしまった。
しばらくすると、すっと立ち上がり、二人のほうを向いた。
「・・良いでしょう。・・お話しましょう。・・姫様もお聞き下さい。」
御簾の中に居たイツキも、広間へ姿を現し、二人の横に座った。イツキからは、芳しい香りがしていた。エンは、まるで別人のように美しい姫になったイツキに見とれてしまった。
「姫様には、昨夜も王の定めはお話いたしましたが、時は少しずつ近づいております。しかし、邪馬台国がまた生まれるには、姫様だけの力では無理なのです。あの、卑弥呼様にも強き勇者が傍に仕えておりました。」
そう言うと、巫女は、エンをじっと見つめた。
「エン様、貴方が・・姫様をお守りする勇者様なのです。」
「えっ?!俺が勇者?・・ちょっとそれは何かの間違いだろ・・。カケルの間違いだろ?」
「いえ・・貴方こそ、生涯、姫様のお傍にいて、姫様をお守りになる勇者様です。ただ・・今すぐではありません。いくつかの長い道のりの後です。・・そういう定めなのです。」
巫女は、目を閉じ少し考えてから、ゆっくりと続けた。
「カケル様。貴方には、恐るべき力を感じます。貴方は姫様のお傍に居られるお方ではありません。おそらく、貴方は、その力に悩み始めておいででしょう。しかし、その力は正しき心を持つ事が無ければ身を滅ぼす事になりましょう。今はまだ、小さき力ですが、おそらく、九重を・・いやこの倭国を変えるほどのお力になるでしょう。ですから、姫様のお傍に居てはならぬ定めなのです。」
巫女の言葉に、イツキやエンは驚いた。しかし、カケルは驚かなかった。自らの中に蠢く怖ろしい力をこれまで何度か感じてきていた。そしてそれは日に日に強くなっているように思っていたからだった。
そう言うと、巫女は、祭壇の棚の上から一つの書物を取り出してきた。そして、恭しくそれを持ち上げ、祈りを奉げた後、カケル達の前に差し出した。
「これは、邪馬台国より伝わる書物です。」
その書物は、ナレの村に隠されていた書物とよく似ていた。
「読めますか?」
巫女の問いに、カケルとイツキは頷いた。

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-ウスキの村‐5.書物の力 [アスカケ第2部九重連山]

5.書物の力
巫女は、そっと書物を開いた。そこに並んでいる文字は、ナレの村で幼い頃から母に教わったものと同じだった。カケルとイツキは、目を凝らして文字を読んだ。ところどころ、知らない文字があったが、その書物には、邪馬台国が生まれてから、隆盛を極め、滅び行くまでの歴史が書かれているようだった。
「なあ、なんて書いてあるんだい?」
「邪馬台国の歩みが書かれています。・・・最後のところをご覧下さい。」
巫女が、指し示したところを二人は読んだ。そこには、再び邪馬台国が生まれる事が記されていた。
エンにも判るように、巫女は声に出して読み上げた。
『美しき姫、南の地より勇者を伴い現れる。勇者は大きな弓を携え、優しき心で姫を包み、命をかけて姫を守る。姫は、勇者とともに、火を越え、水を渡り、草を泳ぎ、大海へと向う。多くの民を愛し、多くの民から愛され、多くの諍いを収め、次々に国を従え、大海を結び、邪馬台国を興す』
意味は良く判らなかったが、途轍もなく大きな事が書かれていたのだった。
「だが・・弓はカケルも持ってる。俺だとは限らないだろ!」
巫女は、エンの言葉を聞いて、さらに書物の続きを読み上げた。
『強き力を持つ怪しき剣を姫から遠ざけよ。傍に置けば、災いとなり、姫を悩まし、いずれ、邪馬台国を再び滅ぼす力となる。妖しき剣を遠ざけよ。』
「なんだい!これ。妖しき力、妖しき剣がカケルだと言ってるのか?カケルはイツキを悩ましたりしない。ずっと兄妹のように過ごしてきたんだ。」
エンが興奮気味に言った。カケルはそんなエンを見て言った。
「いいんだ、エン。きっと、ここに書かれている事は正しいだろう。」
そう言って、カケルは腰の剣をそっと膝に置いた。
「これは、私が作った剣です。・・何かが乗り移った様に無心で作り上げてしまいました。今でも、この剣を持つと、自分ではどうしようもない感情が湧き出し、別人になるような気がします。」
そう言って、そっと剣を鞘から抜いた。
巫女は、剣から零れる、怪しげな力に静止できなくなり目を覆った。
あたりに光が溢れた。そして、イツキの双子勾玉の首飾りが、その光を拒絶するかのように、低い音を立て始めた。
「今まで、こんなことはなかったのに・・・」
イツキは首飾りを両手でそっと包んだ。
「おそらく、伊津姫様を王の資格を持つものとして、勾玉が認めたのでしょう。これからは、きっとその勾玉が大事を知らせてくれるはずです。」
カケルは、そっと剣を鞘に収めた。
「おそらく、巫女様の言われる通りなのでしょう。・・巫女様は、その書物をもうじっくりお読みになられたのでしょうか?」
「いえ、先の巫女様に、修行のために途中までお教えいただいたのですが・・急に亡くなってしまい、まだ充分には読めないのです。」
「ならば、私に一度じっくり読ませていただけませんか。・・私はまだこの先を定めていません。その書物を読めば、何か道が見えるかもしれません。是非にもお願いいたします。」
「良いでしょう・・ここにいらっしゃる間は、ご自由に。・・それと、他にも書物はございます。祭壇の棚に置かれております。そちらも是非お読み下さい。」

その日から、カケルは、昼には畑の仕事を手伝い、夜には書物を読むようになった。書物は、ナレの村にあったものよりも多かった。邪馬台国の歩みが記されたもの以外にも、村が出来るころの様子が書かれたものや、遠い大陸の暮らしを記したものもあって、カケルは没頭して読み続けた。
ウスキは山深い郷である。冬になり、姥山や烏帽子山は頂上辺りに雪を載せるようになった。冷たい北西の風が容赦なく吹き、人々はほとんど家の中で過ごす日々になっていた。

「巫女様、巫女様!・・ハツ様、巫女様をお呼びいただけまいか!」
カケルが、朝からハツを呼んでいる。
「はい、ただいま。」
すぐに、巫女は広間に現れた。続いて、伊津姫も御簾の部屋に現れた。
「巫女様、是非、お聞きいただきたい事がございます。」
「何でしょう、珍しくカケル様が大きな声を出されて・・」
「はい、この書物を読んでおりましたら、驚くべき事を見つけました。」
「一体何なのでしょう。」
「はい、・・・ああ、そうだ、ハツ様、この村にある神代川は今はほとんど水が流れていないのでしたね。・・確か、岩戸川からの水が途絶えたと・・」
「はい、大水で流れが変わり、それ以来どうにも水が引けなくなっております。」
「そうなのです。・・この書物によると、神代川はもともと岩戸川から水を引いていたのではないようなのです。」
「どういう事ですか?」
巫女が怪訝そうな顔で聞いた。
「神代川の上流に、泉があったようです。元々、その泉の水が神代川を作り、淵まで滔滔と流れていたようなのです。しかし、突然、枯れてしまい、やむなく岩戸川からの水路を作られたようなのです。」
「・・・どちらにせよ、水が途絶えたのなら、仕方の無いことでしょう。」
イツキが御簾の向こう側で言った。
「いや・・そうではないんです。・・ナレの村にも、水足の御川の水は、春から秋にしか湧いてきません。泉はきっと何かの拍子に湧いてくるかもしれません。・・私は、泉を探します。そして、この村を水が溢れる豊かな村にしたいのです。・・いや、きっと出来るはずです。」
イツキは、ナレの村でハガネを作った時のカケルの事を思い出していた。できるかどうかではなく、やるのだと決めた時のカケルには、想いもつかないほどの力を発揮する。きっとやり遂げるだろうと、イツキも確信していた。
「カケル様、お願いがございます。」
巫女が、カケルをまっすぐに見て言った。
「カケル様は、ここにある書物を見事に読み解かれました。おそらく、私が知りえた以上の事をもうご存知でしょう。・・これまで、伊津姫様に、私の知る限りの事をお教えしてまいりましたが、まだまだ足りぬように思います。・・カケル様がその書物で知り得たことを伊津姫様に・・いや、私にもお教えいただけませんか?」
「・・それは・・私のお役に立てることであれば何でもさせていただきます。・・」
それを聞いて、伊津姫も、
「カケル、お願いします。・・出来れば、私だけでなく、村人にも、より多くの事を分かち合い,この村をより豊かにできるように力を貸してください。」
次の日から、大広間で、カケルが、村に伝わる書物に書かれていることを村人に話して聞かせる日々が始まった。

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-ウスキの村‐6.マナの泉 [アスカケ第2部九重連山]

6.マナの泉
「カケル様、泉は本当にあるの?」
一人の幼子が、大広間の話の最中に立ち上がって訊いた。
「ええ、必ずあるはずです。この村の命の泉があるはずなのです。」
聞いていた人たちもどよめいた。その声を静めてから、カケルが言った。
「おおよその場所はわかっています。」
「なら、明日にでも探しに行きましょう!」
声を上げたのは、先ほどの幼子であった。まだ10歳にも満たない女の子、マナだった。
翌朝、数人のミコトが、カケルが見当をつけた場所へ向う事になった。マナもカケルの脇について歩いた。
カケルは、最初に、岩戸川から引いていたという水路に向った。水路の口辺りの斜面が大きく崩れていて、とても修復できる状態ではなく、岩戸川も大水のために深く抉られて、流れを変えてしまっていたのだった。
「やはり、ここから水を引くのは無理ですね。」
カケルは、そう言って、水路の跡を下っていく。
「そんな下のほうに泉があるのですか?」
「ええ、あの書物には、はるか昔に、岩の割れ目から噴き出した泉があったと記されていました。その水が神代川を作り、ウスキの村を潤していたのです。きっと、神代川のどこかにあるはずです。」
皆、目を凝らして水路の跡や川のような場所を探して歩いた。
冬の北風が容赦なく皆の体を冷やしていく。もう、村が見える辺りまで下ってきていた。
「何か、目印のようなものがあればいいのに・・カケル様、泉の様子は書かれていないのですか?」
マナがカケルに問う。
「大きな岩を割り泉の水が噴き出したとあったんだが・・・」
そう言うと、別のミコトが言った。
「大岩と言えば、ほら、あそこにあるじゃないか。」
指差す方を見ると、神代川から少し上がった高台に、岩山があった。大きな楠木が何本か生えていたので、すぐには岩山とは判らなかったが、確かに、岩山であった。
「行ってみましょう。」
カケルはその岩山に登った。岩山の周囲には、ほとんど草も生えていないほど乾燥しているのだが、ここの楠木は冬にもかかわらず、青々と茂っている。
カケルはそっと岩に耳をつけてみた。他のミコト達も同じように岩に取り付いて、耳をつけた。北風の吹く音でなかなか判別できなかったが、何か、岩を伝って水音のようなものが聞こえた。
皆、顔を見合わせた。
「き・・聞こえるよな?なあ?」
「ああ・・微かだが・・聞こえる。」
「水音がしているでしょう。」
そうと判ると、ミコトたちは、岩の割れ目を探し始めた。楠木の太い根が、がっちりと岩を巻き込んでいて、なかなか隙間さえ見つからない。数人で押してみても大岩はびくともしない。
「くそお、この下に確かに水があるんだが・・・」
皆、恨めしそうに大岩を見ていた。カケルは言った。
「長く太い木の棒はありませんか?それを使って岩を少し動かしましょう。」
そう言われたミコトが数人立ち上がって、
「村に行けば、梁にするために置いてある木がある。すぐに持って来よう。」
そう言って、村に戻っていった。待つ間に、動かす石を定め、あたりに巻いている木の根を切り払った。しばらくすると、木が持ってこられた。カケルは、木の一方を石に差しこみ、小さな石を挟んで、梃子の要領で岩を動かし始めた。供としてきていた男たち全員で力を合わせて木の棒を押さえた。何度か掛け声を掛け、押し続ける。徐々に、岩が動き始めた。
「よーっし、ほうれ!」
最後の一声で、大岩がギリギリと音を立て、ついに、重なり合った大岩の一つが取れた。
皆、歓声を上げて喜んだ。そして、岩の取れたところを覗き込んだ。大きな穴が開いていた。中は真っ暗だが、はっきりと水が湧いている音が聞こえる。
「泉だ!泉がある!」
再び、男たちは歓声を上げた。しかし、次の瞬間、男たちは気づいた。
「泉があっても、外に流れ出して来ないんじゃ・・仕方がない。」
男たちは、岩にもたれかかり、落胆した。
そのうち、一人、また一人とその場を離れ、仕事に戻っていった。
残ったのは、カケルとマナだけになった。二人は、大岩の下に寝転がって空を見上げていた。
ナレの村の水足の御川は、はるか地中深くから水が噴き出してくる。その水は、森の中の地下深くに広がる洞穴を伝ってどこからかやってくるのだった。幼い時、穴に落ちたケンを救い出そうと穴にもぐり込み、水とともに、水足の御川に飛び出した事が思い出された。カケルは、起き上がった。
「そうだ、ここに水が湧き出しているのなら、どこかに流れ出ているはずだ。・・・マナ、ウスキの村の周りで、水があるところはどこだ?」
「村の中なら、おのころ池だけ。他は、淵にはたくさん水が落ちているところはあるよ。」
「そうか・・きっと、地中深く、大きな洞穴があって、そこを水は流れているんだ。・・・その穴の途中に穴を開けて、水を出させれば良いんだ。手伝ってくれるか?」
「はい。」
カケルは急いで村に戻り、長い荒縄を編んだ。次の日、カケルとマナは、泉に行った。
「少し暗いが、大丈夫か?」「平気です。」
カケルはマナの体に荒縄を結び、片方を楠木に結び、岩の穴から、マナを入れた。カケルはしっかりと縄を握り、ゆっくりゆっくりマナを下ろしていく。手にした松明の明かりで、周囲の壁をじっくり観察しながら降りていくと、マナの体が半分ほど水の中に入った辺りで、マナが叫んだ。
「カケル様!横穴がありました。」
「やっぱりそうか。・・どちらにある。」
カケルが穴を覗き込むと、マナが指で穴のある方向を示した。その先には、おのころ池があった。
カケルはマナを引き揚げてから、示した方向をじっくり探る事にした。岩山を少し下ったところに、窪みがあり、その脇の岩壁が何か少し湿っているようだった。
「きっと、ここだ。」
村から持ってきていた鍬を使って、その辺りを掘り始めた。マナも手伝った。少しすると、白い岩が顔を覗かせた。岩の周りを掘ると、徐々に水分を含んだ状態になってきた。二人は必死になって掘った。そのうち、通りかかった村人が、手伝い始めた。岩がほとんど掘り出されると、前の日にやったように、皆で力を合わせて岩を退けた。ゴロンと岩が落ちたとたんに、空高く、水柱が噴きあがった。しばらくすると、穏やかな湧き水に変わった。掘り出した岩の周りには小さな池ができ、溢れた水が窪地を通って、枯れていた神代川に流れ込んで行った。
村人たちはその光景に湧いた。一緒に掘っていた誰もが抱き合って喜んだ。
マナも、岩の周りに出来た小さな池に入って、水を掬っては体にかけた。真冬の寒さなど全く気にならなかった。しかし、そのうちに、マナは膝を付いて泣き始めた。わあわあと泣き始めた。

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-ウスキの村‐7.水守 [アスカケ第2部九重連山]

7.水守
「どうしたんだ、マナ?」
余りに大声で泣き続けるマナを見て、カケルは心配して駆け寄った。マナは、カケルの胸にすがって、更に泣き続けた。
それを見ていた村人の一人が、カケルの耳元で言った。
「マナの父親は、この村の水守だったんだ。大水が出た時、一番に岩戸川の取水口に行ったんだが、崖崩れでどうにもならなかった。水が来なくなって、皆、困っているのを見て、随分、自分を責めていたんだ。水守なのに、役に立たなかったと言って。マナもそんな父親を見ていて、心が痛んだんだろう。」
「父様は今は?」
「それが、しばらくは水路を何とか直せないかと躍起になっていたんだが、突然、姿を消した。村人は誰一人、あいつを責めたりしなかったんだが・・・。だから、こうやって水が湧いた事が、マナにはきっと父親が戻ってきたように嬉しかったんじゃないかな。」
カケルは、そこまで聞くと、マナの健気な想いが愛おしく感じ、思わずマナを抱きしめてやった。
泉が見つかった事を聞いて、巫女と伊津姫もやってきた。
「姫様、泉が見つかりました。」
カケルはイツキに跪いてそう告げた。伊津姫は、
「貴方なら、きっと見つけるだろうと信じておりました。ありがとう。」
そう返した。カケルは、
「いえ、私ではありません。マナが見つけたのです。」
そう言うと、マナの身の上も伊津姫に話して聞かせた。伊津姫は、じっとマナを見てから、
「マナ、ありがとう。よく頑張りましたね。・・・皆様、私から一つお願いがあります。」
そう言うと、巫女が岩の上に上がるように勧め、みなの顔が良く見える場所に立った。
「今日から、この泉を、マナの泉と呼びましょう。そして、この村の水守の役をマナにお願いしたいのです。如何でしょう。」
皆、顔を見合わせたが、誰かが、「そりゃあ良いぞ」と言ったのをきっかけに拍手が沸き起こった。
「さあ、皆さんも了解してくださったようです。マナ、大変な役だけど努めてくれるわね?」
マナは、間を輝かせて「はい」と元気よく答えた。
水がどんどん湧いてくる。岩の周りに出来た小さな水溜りが徐々に大きくなり、池のようになった。そして、そのうち溢れて、神代川に注ぎ込んだ。村人はみな、水の流れにつられて歩いた。枯れ切っていた神代川に水が流れている。夢に見た光景が目の前にあり、村人は誰しも黙ってその流れを追っていく。そのうち、一人が声を上げた。
「おい、見てみろよ。」
皆がその声に反応した。神代川の土手に、畑に通じる水路があるのだが、水を引き込む口には板がきれいに嵌っていたのだ。それを引き上げると、勢いよく水が畑の畦の水路を流れて行った。
「もう数年使っていなかったはずなのに、きれいにしてある。一体、誰が?」
そういうと、マナは笑顔を見せた。
「お前がやったのか?」
「うん、母様と二人で・・・。いつも父様が、こうやって手入れをしていたから。いつでも水が流れるようにしていたの。」
「ほう・・もう立派に水守をしてるじゃないか。」
マナは、父が姿を消した後も、父を待つのと同じように、父の真似をして水路を綺麗にしたのだった。ウスキの村は3段の棚状になっている。一番上の「上の地」「中の畑」の水路に徐々に水が入っていった。そして、中の畑の中ほどまで、神代川を下ってきたところで、川の様子が変わった。
徐々に、川は浅くなり、ついに小さな森の手前まで来ると、淀みとなって、川が止まっている。
「この先は一体どうなっているんだろう。」
かけるがそう言って川の浅瀬に入ろうとすると、
「ダメ、はいちゃダメ。」
マナが必死に止めた。
「その先には、眼に見えないけど、あちこちに穴が開いていて、危ないの。」
「どうして、それを?」
「前に、水路を直しながら、ここに来た時、母様がその辺りで足を取られて大怪我をしたんです。見ると、砂地の中に大きな穴があちこちにあって・・・」
それを聞いた村人が、
「そうか、お前の母様、それで怪我をしたのか。何も言わないからさあ。・・マナの母親は、その怪我がもとで、今はもう歩けなくなったんだ。」
「そうだったのか・・・。」
カケルは、何か思いついたようだった。そして、持っていた長縄を腰に強く巻きつけた。
「すみません。端を持っていてくれませんか。この先を少し調べたいんです。」
「一体、何を?」
「いえ、よく判りませんが、この先に何か大事なものがあるような気がするんです。穴に落ちても、縄があれば底までは落ちないでしょう。さあ、お願いします。」
村人が何人かで縄の端を握り、腰に巻きつけて待機した。カケルはゆっくりと川のよどみに足を進めた。よどみの中ほどまで進むと、振り返って言った。
「ここに、大きな穴があります。草で隠れていて見えませんでしたが、ここから水が土の中に入っているようです。中に潜ってみます。縄を引く合図がしたら、引っ張り上げてください。」
そう言うと、大きく息を吸い込んで、穴の中に潜った。
水が流れ込む穴の中は、僅かな光が差し込んでいるくらいで、視界はほとんど無かった。カケルは、穴の底に着くとあたりを見た。きらりと光るものが見えた。近づくと、それは屍であった。きらりと光ったのは、首飾りだった。カケルは、そっと首飾りを外し、縄を引いた。
「おい、合図だ。引っ張り上げよう。」
カケルは、腰の縄が引かれる力でようやく流れに逆らいながら川面に顔を出した。
川の土手には、焚き火が作られていた。すぐにカケルは、水で濡れ冷え切った体を温めた。
「何かありましたか?」
村人が尋ねる。カケルはそっと、手の平を開くと、そこには白く光る石をつけた首飾りがあった。マナはそれを見て、泣き崩れた。
「それは・・父様の・・私が見つけた綺麗な石で父様に作ってあげた首飾り・・。」
カケルは、そっとマナの頭を撫で、首飾りをつけてやりながら言った。
「マナ、お前の父様は、逃げ出したんじゃなかったよ。きっと水守の役で、不覚にも、あの穴に落ちたんだ。きっと動けなくなったんだろう。父様は、あそこでちゃんとマナを見守ってる。きっともう水が枯れる事は無い。大丈夫さ。」
村人も皆、話を聞いて涙ぐんでいる。
少し離れたところにいた村人が、呼んでいる。呼ばれるとおり、足を向けると、下の段という下の棚にいた村人が叫んでいた。皆、崖を降りて、おのころ池のほとりに降りた。見あげると、おのころ池の北に聳えるような崖から、幾筋もの水の流れが見えた。徐々に流れは太くなり、しまいには轟々と音を立て、滝となった。小さかったおのころ池も、水かさが増した。そして、徐々に溢れ、淵に向かって流れこんで、更に大きな滝となった。ウスキの村は、水溢れる村となっていた。

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-ウスキの村‐8.巫女からの相談 [アスカケ第2部九重連山]

8.巫女からの相談
ウスキの村に、春が訪れた。
姥山の雪も溶け始め、マナの泉からは雪解け水が溢れ、水路にも滔滔と流れている。
これまで、下の段にしか農地がなかった村に、再び広い農地が作れるようになっても、人手が足りず、上の地も中の畑も、ほとんど手付かずだった。カケルは、マナの泉を開いた後、上の地や中の畑を耕す毎日を過ごしていた。時々、マナが水守の仕事の合間に、カケルを手伝っていたが、長く使われていなかった農地を耕すのは、随分骨が折れた。エンも最初は手伝っていたのだが、狩りをするほうが良いと言って、キハチとともに猩猩の森へ入る事が多かった。
 今朝も早くから、上の地で、水路の補修と耕作をしていたカケルのもとに、エンがやってきた。
「カケル!もう春になったぞ!」
エンが言いたい事はわかっていた。この村に着いた時、春にはそれぞれのアスカケに旅立つ約束をしていたのだ。
「俺、そろそろ旅に出ようと思うんだが・・カケル、お前、どうする?」
カケルは、まだ決めかねていた。エンは、弓の腕を極めるために、ノベの村へ向うのだろうが、自分はまだぼんやりとしか次の行き先が見えていない。それに、この村の行く末も見てみたい、いろんな思いが交錯して、ただひたすら、農地を耕す事で、答えを出さずに過ごしてきたのだった。
エンに問われて、カケルは鍬の手を休めてから、ゆっくり言った。
「俺は、もう少し、この村に居るよ。この畑や田んぼに、ちゃんと、実りがあるのを見極めてから旅立つ事にする。・・それに、まだ、行く先が決まらないから・・」
「そうか・・わかった。まあ、二人とも一度にいなくなったら、イツキ・・いや、伊津姫も寂しいだろうし・・・俺は、明日、行くよ。五ヶ瀬川を下って、ノベの村まで行ってみる。」
「そうか・・わかった。くれぐれも気をつけるんだぞ。お前は、考えるより先に体が動いてしまうから・・弓を引く時を見定めないと・・」
「判ってるさ。・・それと、キハチ様も一緒に行く。あの方も、弓の腕を試してみたいと言われていて、ともにノベの村に行く事になったんだ。」
「そうか。・・それなら安心だ。」
「じゃあな、俺は支度をしなくちゃならない。」
エンはそこまで話をすると、村に戻っていった。カケルは再び、畑の仕事に精を出した。

昼を過ぎた頃だった。
「カケル様、ご相談がございます。あとで、館へお越しいただけませんか?」
畑の仕事をしていたカケルのもとに、巫女が尋ねてきた。巫女の言葉には、何か重い心配事があるように感じられた。
「わかりました。・・ここの仕事が一区切りついたらお伺いしましょう。」

館に入ると、巫女は、辺りを気にしながら、カケルを祭壇の脇の小部屋に案内した。
小さな明かり取りの窓が一つだけあり、薄暗い部屋で、巫女はここで寝起きをしているようだった。
「ご相談とはなんでしょうか?」
カケルは正座をして巫女に訊いた。巫女は、カケルに向かい合って正座をして口を開いた。
「カケル様は、書物で村のこれまでを読まれましたな?」
「はい。もうほとんど読み終えたと思います。」
「その中に、岩戸の渡りというのがありませんでしたか?」
カケルは、記憶を辿ってから答えた。
「はい・・確か、10年に一度、春に岩戸の祠へお参りするという儀式ですね。」
「はい、先の姫様が居らしたとき、一度だけ行われたと先の巫女から言い伝えられております。それからあと、姫様が居られなかったので、渡りはやっていなかったのです。・・それで、姫様がお戻りになったので、この春に執り行おうかと・・・」
「・・それはいいでしょう。・・確か、あの書物には、ウスキの村を開く前、姥山を越えてきた一族に定められた儀式だとありました。」

「岩戸の渡り」とは、戦乱の筑紫野から逃れ、王一族が姥山を超えてきて始めて住んだ岩戸から、ウスキに移る時、岩戸の地神に誓いを立てたのが起こりだった。
岩戸を一度は安住の地と決めていたのだが、度重なる岩戸川の氾濫や冷涼な気候で作物ができない事から、岩戸を捨てる事になった時、神の怒りを抑えるために、10年に一度供物を持ってお参りするという誓いを立てたのだった。

「ですが・・・実は、困っているのです。」
「何か、儀式を執り行うのに足りないものでもあるのですか?」
「いえ・・儀式自体は問題ありません。・・実は、昨夜、祈祷の最中に、神の啓示がありました。」
「神の啓示?」
「はい。私は儀式に先立って、無事を祈願しておりました。その最中、突然に啓示があったのです。目の前に、岩戸の祠があり、姫様が祈りを奉げている時、突然、目の前が真っ暗になり、泣き叫ぶ声が当たりに広がったのです。」
巫女には、未来を予知する力があった。
これまでも、幾つかの事を予見した。カケルも巫女の見た光景が、決して喜ぶべき事態ではないことは判った。
「姫の身に大事が起きるというのですか?」
「はっきりとは判りませんが・・泣き叫ぶ声がはっきりと聞こえました。」
予見した事態はおそらく言葉にする事でより確信に変わることを巫女は恐れているようだった。
「では、儀式をやめたらいかがですか?」
「それは無理です。私が見たものは必ず起こります。必ず、儀式をやることになるのです。」
「じゃあ・・」
「ええ、必ず、起こります。ですから、どのような事が起きても、姫様をお守りしなければなりません。そのために、カケル様のお力をお借りしたいのです。」
「しかし・・一体、何が起こるのでしょう?」
「・・あたり一面真っ暗で、何も見えませんでした。・・ただ、泣き叫ぶ声が聞こえていました。」
「天変地異の類でしょうか?」
「さあ・・ただ、このことを姫様にお話して良いかどうかも迷っております。」
カケルは、イツキならどうするだろうと考えた。気丈ではあるが、予想もつかない事態をどれほど受け止める事ができるか、わからなかった。
「わかりました。・・その話は、伊津姫様には内緒にしておきましょう。・・一度、私が、儀式を行う場所へ行ってみます。・・巫女様のお話から、何が起こるのかわかりませんが、その場所に行けば、もう少しはっきりした事が判るかもしれません。」
カケルは、畑の仕事が一段落ついたところで、「岩戸の渡り」が行われる場所に向う事にした。

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-ウスキの村‐9.天岩戸 [アスカケ第2部九重連山]

9.天の岩戸
巫女の相談を受けた翌日、エンとキハチは、ウスキの村を旅立つ支度をして、館へ赴いた。
伊津姫が、巫女に伴われて、奥の部屋から顔を見せ、二人に餞の言葉を述べ、二人は恭しく頭を下げ、颯爽と村を後にした。
そして、村の下に広がる淵から、小船で五ヶ瀬川を下って行くことになった。
ちょうど、猩猩の森から、ウルが戻ってきていて、二人を見送った。
「くれぐれも、この村の事は秘密にしておくのだ。また、災いが起きぬようにな。」
二人は、ウルの言葉を肝に銘じ、小船に乗り込んだ。ノベの村までは舟で下れば、日暮れまでには到着する。二人は、交代で船を操り、流れを下って行った。

二人を見送った後、カケルは、岩戸の渡りが行われる場所に行く事にした。マナの泉まで来ると、マナが泉の畔で水の番をしていた。
「カケル様、どちらへ行かれるのですか?」
「岩戸川を上って、洞窟のあるところまで行って来るんだ。」
「私もついて行って良いですか?・・道案内もできますから・・」
カケルは、マナに道案内を頼んで、洞窟を目指した。岩戸川は、轟々と音を立て流れている。途中、大雨で崩れた場所を超えると、一層山深い地に入っていった。岩戸川には周囲の谷から細い川が幾筋も流れ込んでいた。
「もうすぐ着きます。ほら、あそこです。」
先を歩いていたマナが岩の上に登って指差した。岩戸川の対岸の崖に、目指す洞窟が見えた。
「マナはここへ来た事があるのか?」
「はい、父様が水路を直せないかと、岩戸川を上ってきたときに、一緒にここへ来ました。でも、カケル様、ここにどんな御用があるのですか?」
「マナは、岩戸の渡りと言うのを聞いたことがあるかい?」
「いいえ」
カケルは、岩戸の渡りの謂れを教えた。マナは興味深そうに話を聞いた。
浅瀬を渡って対岸にたどり着くと、洞窟の入り口の前に立った。
「ここか・・岩戸の洞。確か、この奥に小さな祠があるはずだが・・・。」
洞窟の入り口は、ちょうど背丈ほど穴になっていた。ところどころ、岩から染み出した水が滴り落ち、中は真っ暗だった。カケルは、松明を作って明かりにして中に入っていった。マナも、カケルの腰あたりに手を添えてついていく。
更に奥深く入っていくと、徐々に天井が低くなり、幅も狭くなってきた。一番奥と思われる場所にたどり着くと、さらに小さな穴が開いていた。中を照らすと、小さな祭壇があった。
「ここだ。・・ここで、渡りの儀式を行うのだ。」
マナは、カケルの後ろからそっと覗き込んだが、何か怪しげな雰囲気に恐れて、目を伏せた。
「よし、もどろうか。」
カケルは、松明で壁を照らした。すると、入って来た時には気づかなかったが、洞窟の中の壁には、あちこちに絵が書かれていた。良くみると、それは、邪馬台国の王の座を追われ、この地に落ち延びてきた一族が辿ってきた足取りが幾つかの記号交じりの絵で、記されているのだった。
「この地まで苦労して逃げてきた事をここに記し、一族の願いを忘れぬようにしたのだろうか・・」
マナもじっと絵を見つめていた。
「カケル様、・・ところどころ、無いのはどうして?」
マナが言うとおり、壁に描かれた絵はところどころ無いところがあった。カケルは、その前後や天井や足元を見た。
「おそらく、長い時の中で書かれた壁が崩れたんだろう。」
そう言って、壁を触ると、風化して脆くなったところがぽろぽろと剥がれて落ちた。カケルは、もう一度、祭壇があるところに戻り、天井辺りを見ていた。
「そうか・・・きっと、そういうことだな・・・だが、どうやって・・」
そう呟いてから、周囲の壁の状況をさらにじっくりと見た。
「カケル様、もう出ましょう。」
マナは、不気味な暗闇が広がる洞窟にこれ以上居たくなくて、カケルに言った。
「ああ、そうしよう。」

カケルとマナは、洞窟の入り口まで戻ってきた。春の陽射しに川面がきらきらと輝き美しかった。
「少し、この辺りも見ておこう。マナは村へ戻るか?」
「いえ、私も行きます。」
カケルは、岩戸川をさらに上っていった。昔、田んぼを作っていたと思われる場所も見つかった。振り返って、ウスキの村のほうを見ても、高い崖があるだけで、とてもウスキの村が存在しているようには見えなかった。
しばらく、岩戸川に沿って歩いていくと、流れは更に細くなり、渓流になっていた。
「あそこ!」
マナが指差した先には、ぽっかりと崖が口開いている場所があった。
随分と奥まで続く大きな洞窟があった。中に入ると、壁に近い場所あたりに、割れた土器や竃にしていたと思われる石組みがあちこちにあった。随分古いもののようだった。一番奥まで進むと、朽ちた祭壇があり、この洞窟ではるか昔に人が暮らしていた事が判った。
「ねえ、これは何?」
マナが拾い上げたものは、錆付いた銅剣だった。
「きっとここは、邪馬台国の王の座を追われ、姥山を越えて、この地へ逃れてきた人たちが住んでいたのだろう。・・ここでしばらく暮らして、今のウスキの地へ移ったのだろう。」
辺りに散乱しているものを見て、カケルは不思議に感じたことがあった。事情があってこの地を離れたとしても、何か、あわただしく追われるように逃げたという感じがしたのだ。途轍もない異変でも起きたように、日常品の類だけでなく、銅剣まで残していったのはやはり不思議だった。
カケルは、岩戸の洞窟から村に戻ると、巫女のいる館を訪れた。
「巫女様、行って参りました。」
そういうと、巫女は、御簾の部屋の奥から出てきた。伊津姫も、カケルの声を聞き、出ようとしたようだったが、巫女に制止されたようだった。
巫女は、すぐに、カケルを件の部屋に案内した。
「どうでした?何かわかりましたか?」
「はい、渡りの儀式を行う場所は小さな洞窟ですが・・壁一面、脆くなっていて、おそらく儀式の最中に崩れてしまうということではないでしょうか?」
「そうですか・・・しかし、古からの約束通り、姫様に洞の中で祈りを奉げていただかねばなりません。・・どうにか、救い出せるよう手立てをせねばなりませんね。」
「はい。・・・それで・・渡りの儀式は、いつ行うのですか?」
「言い伝えでは、・・天の神の手のひらが姫様に届く朝・・・館の東の小窓より朝日が射しこみ、姫様の寝室に入る時です。・・・おそらく、もうひと月ほどでしょう。」
「そうですか・・それなら、もう少し手立てを考えてみましょう。」

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-ウスキの村‐10.姫の資格 [アスカケ第2部九重連山]

10.姫の資格
マナはいつものように水守の仕事で泉から水路を丁寧に見て回っていた。上の地にはカケルがいて、ようやく耕し終えた畑に、畝を作らず、平らに均し、水を引き始めていた。マナは不思議そうにその様子を見ていた。
「カケル様、畑に水を引き入れてどうするのですか?」
「・・おや・・、水田を知らないのか?」
「水田?」
「ああ、米を作るには水を張って、籾を撒くのだ。」
この地では、これまで水が充分には無かったために、米は陸稲(おかぼ)であり、畑では麦を植える程度だった。生産量はぐんと少なく、天候に左右されやすかった。
そこに、巫女がやってきた。
「巫女様、どうかなさいましたか?」
「はい・・姫様の事で少しご相談が・・」
「姫様に何かありましたか?」
「このごろ、食事も少なく、何か考え事をされる時が多くなっていて、お元気がないのです。」
この村に来て、伊津姫はほとんど館の中で過ごしていた。姫になるために学ぶべき事がたくさんあり、巫女から教わる日々を過ごしていて、ほとんどカケルたちと会う事は無かった。カケルには、イツキが悩んでいるのだとすぐに判った。
「姫様に少し、村の中を見ていただいたら如何でしょう。」
巫女はカケルに言われたとおり、伊津姫を案内して、村の畑を見て回わることにした。
伊津姫は、マナの泉ができた時以来、久しぶりに館の外へ出た。
館からほど近いところに、カケルが広げた水田があった。巫女はその様子を見て驚いた。
「カケル様、せっかく耕した畑に水を張って、どうされるのですか?」
「水稲を作ります。」
「水稲とは何ですか?」
「水を張った田に米を作るのです。これまで以上にたくさんのお米が取れるはずです。」
カケルが答えた。
「そのような方法は聞いたこともありませんでした。」
巫女は少し困惑した様子だった。
それを聞いて、伊津姫ははっと思いついたような顔をして、館に戻って行った。そして、錦の衣を脱ぎ捨て、村にやってきた時に着ていた野良着を取り出し、それに着替えた。
しばらくすると、野良着姿の伊津姫が、カケルの田んぼにやってきた。
「姫様、その格好・・やめてください。そのような格好ではいったい何をなさるおつもりですか?」
巫女は慌てて姫を制止した。伊津姫は、じっと巫女を見つめた後、溜まったものを吐き出すように言った。
「ごめんなさい・・・私は・・私は、これまでずっと、邪馬台国の姫になるために・・いや、姫の資格を身につけようと考えて参りました。しかし・・どうしても・・自分には・・・・」
「伊津姫様は、私たちの姫様として立派におつとめされています。」
「いえダメなんです。このままでは・・私は、ここにこうして座っているだけ・・何の役にも立っていないのです。私が私ではなくなるようで・・・・これじゃあダメなんです。」
伊津姫は、ぽろぽろと涙を零して、まっすぐに巫女を見つめた。
カケルは、伊津姫の気持ちがよくわかった。ナレの村で野山を駆け回り、畑の仕事に精を出し、忙しなく、動き回っていたイツキにとって、じっと館の中に篭り過ごす日々は辛かったのだろう。それ以上に、イツキはこれまで、誰かのために自分のできる事を精一杯やってきた。姫となった今、求められる事が余りにも自分自身と懸け離れている事に苛立ちさえ覚えるようになっていたのだ。
巫女は戸惑っていた。姫として生きることを選んだイツキに求めてきた事が、いつしかイツキの中で大きな負担となっていた事に気付いたが、どうしてよいのか判らなかった。
「伊津姫様、さあ、籾撒きをしましょう。すでに、水は張ってあります。いつでもできます。」
カケルは、伊津姫を田んぼへ誘った。伊津姫は、そっと水を張った田んぼに入った。そして、素足で泥の中をかき回し、深さや柔らかさを確かめてから言った。
「まあ・・これなら良いでしょう。さあ、村の人を集めてください。」
村人たちが集まると、伊津姫は、手に乗せた籾を皆に見せた。
「これからやるのは、ナレの村でやっている米作りです。こうやって、深く耕した田に一杯に水を張って、柔らかくなった泥の中に、こうやって籾を撒くのです。」
伊津姫は、カケルから籾の入った籠を受け取ると、籾を救い、田んぼの中に撒き始めた。
「七日ほどで、小さな芽が出てきます。それを大きく大きく育てるのです。」
カケルも、同じように水田の中に入り、籠を抱え籾を撒いた。
村人たちは、驚いた様子で二人の様を見ていた。水守をしているマナが、「面白そう」と言って、同じように籠を持って真似た。
「なんと、伊津姫様は、変わった姫様じゃ!」
村人たちは目を丸くした。しかし、伊津姫が実に楽しそうに、籾を撒く姿を見ているうちに、村人も徐々に同じように作業に加わるようになっていった。
「これで良いんですよ。伊津姫様は、ナレの村でもいつも笑顔で畑仕事に精を出していました。皆、あの笑顔に救われていました。きっと、伊津姫様は、新しい邪馬台国の立派な姫様になるでしょう。」
カケルは、心配顔の巫女に言った。
「ええ・・・そうですね・・・きっと・・・私もそう願っています。・・・」

次の日から中の畑も下の段にも、同じように水田が作られ、直播で米が作られるようになった。
伊津姫は、その日から、ほとんど野良着で、村の中を見回るようになった。
「姫様、これでいいのですか?」
「水加減はこれでよろしいですか?」
伊津姫の姿を見かけるたびに、村人は皆、伊津姫に田んぼの具合を聞いた。伊津姫はそのたびに田んぼに入り、一緒に雑草を抜いたり、畔を直したりして、笑顔で答えた。
ナレの村を出て、ユイの村やモシオの村で出逢った姫たちも、今のイツキのように、村の中にいて、村人とともに語り、働き、支えあって生きていた。これで良いのだとカケルは思った。

下の段まで広がった水田を見下ろせる高台に、カケルは居た。脇には水守のマナも居た。
「マナ、これからが大変だぞ。」
マナはきょとんとした顔でカケルを見た。
「これから、夏の終わり、穂が出て小さな米の花が咲く。それまで、すべての田んぼに水をしっかり張り続けなくてはいけない。泉からは滔滔と水が溢れているが、その水を無駄にすることなく、しっかり水が届くよう気をつけなければならない。大変だが、出来るな?」
マナは少し不安な顔をした。
「大丈夫だ、私も手伝う。きっとマナなら遣り遂げる、大丈夫だ。」
マナは笑顔で答えた。
「うん、父様もきっと守ってくださる。」

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-ウスキの村‐11.地鳴り [アスカケ第2部九重連山]

11.地鳴り
いよいよ、「岩戸の渡り」が執り行われる事になった。
朝から、巫女は儀式の支度をしながら、自分が予見した「不幸な出来事」が頭に浮かんできて、どうしたものかと考え込んでしまっていた。伊津姫は、そんな巫女の物憂げな様子に気付いていた。
「何か不安な事があるのでしょう?」
「いえ・・そのような・・」
「隠し事はやめましょう。」
巫女は、観念して、「不幸な出来事」について説明した。伊津姫は目を閉じじっと考えた上でこう言った。
「カケルも知っているのならば、きっと大丈夫です。」

巫女を先頭に、伊津姫が続き、村人たちの多くもその後に続いた。一行は、岩戸川に沿って、儀式を行う岩戸の洞を目指した。そこにカケルの姿は無かった。
マヤの泉辺りまで来ると、空には雨雲が広がり始めていた。もう梅雨の季節を迎えていた。
儀式を執り行う洞は、岩戸川の畔にある。浅い沢を渡り、わずかに広がる河原に村人たちは並んだ。
洞の前に祭壇を作り、村人の数人が、供物を具えた。次に、巫女が榊を手にして祈りを奉げた。
いよいよ、伊津姫が、洞の中に入り、祈りを奉げることになった。
伊津姫は、周囲を見回した。伊津姫はカケルを探していたのだ。しかし、そこにカケルの姿は無い。
巫女はその様子を見て、小さな声で伊津姫に「さあ、お進み下さい」と呟いた。
伊津姫は、巫女や村人にゆっくりと一礼をすると、おがたまの木を一枝持ち、ゆっくりと洞の中に入っていった。洞の中は、入り口から差し込む光でぼんやりと様子がわかる程度であった。
巫女に教えられたとおり、伊津姫は、洞の一番深くに安置された祠の前で跪き、厳かに祈りの言葉を奉げ始めた。
静かに洞の中から伊津姫の祈りの言葉が聞こえていた。
村人たちも巫女もその言葉を聞きながら、無事に姫様が戻ってこられるよう目を閉じ祈っていた。

ようやく、祈りの言葉が終わりかけた時だった。
最初、小さく地響きのようなものを感じた。皆が目を開け、顔を見合わせた。次の瞬間、どんと突き上げられるような強い衝撃を感じた。
周囲の岩壁からぱらぱらと小石が落ちてきた。そして徐々に揺れが大きくなり、もう一度更に強い衝撃が走って、皆、その場に立っていられなくなり、地に手足を付け、中には這いつくばってしまっているものさえいた。
「きゃあー!!助けて!!」
誰とも無く、泣き喚いた。
どーんという音がして、大きな一枚の岩が崖から崩れ落ち、周りの木々をなぎ倒し、終には、洞の前に立ち塞がる形で落ちてきた。しばらく、周囲には砂煙が立ち上がり視界が悪くなっていた。揺れも収まり、周囲が静かになった時、村人が見たものは、洞を塞ぐ大きな岩だった。

「姫様―!姫様―!伊津姫様―!!」
村人が、皆、声の限りに叫んだ。しかし、分厚く大きな岩が塞ぎ、洞の中の姫に声が届いているようには思えなかった。そうしている間も、岩壁からは小石がぱらぱらと落ちてくる。

真っ暗になった洞の中では、伊津姫は祠にすがりつき座り込んでいた。事態はだいたい判っていたもの、暗闇が一層不安を掻き立てる。微かに、洞の外から村人が叫ぶ声が聞こえた。
「大丈夫か?」
ふいに、カケルの声が洞の中に響いた。暗闇の中で、その声は確かに聞こえた。
「カケル?・・どこ?」
伊津姫の問いかけと同時に、そっと伊津姫の腕を掴む手があった。
「大丈夫だ。心配ない。そのまま動かないで。」
カケルは、一旦、伊津姫の手を離すと、暗闇の中で何かもぞもぞと動いていた。しばらくすると灯りがついた。カケルが火を起こしたのだった。ようやく、視野が広がって、カケルの顔を見た伊津姫は、ぽろぽろと涙をこぼし、カケルに縋りついた。
「巫女様の予見の話を聞いて、どうにか防ぐ手立てはないかと思案したのだが・・とにかく、イツキが無事で良かった。」
「いつからここへ?」
「儀式の最中はここへは入れない。だから、昨日からここに居た。崩れそうな壁は少し手直しをしておいた。万一を考えて、祠を手前に動かしておいたんだ。」
その時だった。再び、ごごごっという音とともに、地揺れが始まり、どーんという轟音が地中を響いてきた。洞窟の中の二人には、何が起きているのか見当もつかなかった。

崩れ落ちた洞の入り口の周りで、叫び続ける村人も、再び起きた地揺れと轟音に驚き、その場に座り込んでしまった。そうしているうちに、崖からはさらに大量の土砂が崩れ落ちてくる。
「ここにいては危ない!」
巫女は、村人に呼びかけて、沢を渡り、何とか反対側の岸に皆を引き揚げた。
洞の入り口はすっかり土砂に埋まってしまっていた。朝から曇っていた空から、大粒の雨が降り始める。村人はずぶ濡れになりながらも、対岸の土砂に埋もれた洞を見つめた。どうにかして、あの土砂を取り除き、姫を救い出さねばならない。皆、そう思っているのだが、手が出せなかった。
そのうちに、目の前の岩戸川の流れが、茶褐色の濁流に変わり始めた。もはや、対岸に渡る事もままなら無い状態になっていた。

「巫女様・・巫女様・・姫様はご無事でしょうか・・」
悲痛な村人の声が響く。
巫女は皆を見て、
「落ち着いてください。姫様はきっとご無事です。」
「どうして・・そのような・・」
「洞の中には、カケル様がいらっしゃいます。」
村人がどよめいた。
「今日のこの出来事を私は予見していました。そして、カケル様にご相談いたしました。カケル様は、昨夜から洞の中に入り、このために策を練っていらしたはずです。」
そう聞いて少し村人は落ち着きを取り戻したようだった。
「しかし・・あれだけの土砂が被ってしまっては・・どうにも・・」
「カケル様は、昨夜、私におっしゃいました。この上にある洞窟で待っておいて欲しいと。」
それを聞いたマナが言った。
「・・前に、カケル様と一緒に行きました。少し川上に大きな洞窟がありました。こっちです。」
そう言って、マナは皆を先導した。

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-ウスキの村‐12.天安河原 [アスカケ第2部九重連山]

12.天安河原
マナに先導され到着した洞窟は、村人が皆入っても充分すぎるほど広かった。
「ここは、大昔、私たちの先祖が暮らしていた場所だとカケル様がおっしゃってました。」
村人たちは、壁近くに残る竃の跡や、皿などの道具を拾いながら、洞窟の様子を探っていた。
こうしている間にも、姫の命が危うくなっているのではないかと誰もが心配していたが、どうにもならない状態も承知していて皆落ち着かなかった。
「火を起こしましょう。冷えた体を温めねばなりません。姫様のご無事を祈祷するためにも火を。」
巫女はそう言って、洞窟内に散らばる薪を集め、洞窟の真ん中に焚き火を起こさせた。
皆、じっと焚き火の周りに集まり、冷えた体を温めながら、巫女の祈祷の声にあわせ、ひたすら祈り続けた。

洞の中に閉じ込められたカケルと伊津姫も、ようやく事態を飲み込んでいた。伊津姫は、カケルが傍にいてくれるだけで心強かった。暗闇の中で掴まれた手の温もりは、幼い頃、カケルの後を追い走り回った懐かしく温かい日々を思い出させてくれていた。
カケルは、一旦、洞の出口に足を向けたが、途轍もなく大きな岩が塞いでいる事を確認すると、すぐに洞の奥へ伊津姫を誘導した。
「奥に行ってどうするの?」
伊津姫は、もう昔のイツキに戻っているようだった。
「・・前に、ここに入ったとき、妙な感じがしたんだ。行き止まりのはずなのに・・何か、奥から風が吹いているように感じたんだ。ひょっとして、抜け穴があるんじゃないかって・・」
「それで?」
「その後、何度かここに来て、この中を探ってみた。・・そしたら、祠の後ろに石蓋があったんだ。」
カケルはそう言うと、祠を抱え、脇に置くと、辺りの土を掘り始めた。
「ほら、これだ。」
きれいに磨かれた石蓋が現れた。
「ちょっとこれを持ってて。」
カケルは、松明を伊津姫に渡し、石蓋を動かし始めた。少しずらすと、冷たい風が吹き出してきた。
「やはりそうだ。風が通ってくるのは、通路があるからだ。」
そう言って更に石蓋を動かし、人が入れるほどの隙間を空けた。
ゆっくりと中に入ってみると、大きな洞窟があった。
「やはりそうだ。・・・前に、泉を見つけたときも、森の中に大きな空洞が空いていただろ。ここらには、こうした空洞があちこちにあるんだ。きっとここから外に出られるはずさ。」

この辺り一帯は、火山活動の中で、溶岩が流れ出たり、火山風が通り抜けた跡がこうした穴を幾つも開けている地質のようだった。
二人は最初、その穴を下るように進んだ。しかし、しばらく行くと、水が溜まっていて、どうやらそれ以上先へは進めないようだった。
イツキが足元に何かを見つけた。
「これは何?」
拾い上げてみると、錆付いた銅剣のようだった。さらに、朽ち果てた衣服らしきものも見つけた。
「ねえ、カケル!これ、何だと思う?」
カケルは、イツキが拾い上げたものを受け取ると、脇の岩に腰掛けた。
「イツキ、これは、昔ここへ閉じ込められた人のものだよ。」
「この穴に閉じ込められた人がいたの?」
「いいかい、これからする話は、伊津姫として胸の中にしまっておいてほしい事なんだ。村の書物を読んでいたときに見つけた・・悲しい話だ。・・岩戸の渡りをやるようになった理由でもある。おそらく、村の人もほとんど知らない話さ。」
カケルはそう前置きして、語り始めた。

邪馬台国が乱れ、王の一族はわずかな護衛とともに、姥山を越え、この地に辿りついた。岩戸川の畔にある大きな洞窟にしばらくは隠れるように暮らしていた。山で狩りをし、食うにも困る毎日の中で、皆疲れきっていた頃の事だった。
護衛役の若者五人が、皆の反対を押し切って、一族の窮状を救うため、洞窟を出て、岩戸川を下り、近くの村に行った。カケルたちが猩猩の森を抜け五ヶ瀬川の対岸に見た「七つ折」というところにあった村だった。そこも裕福な暮らしとは言えない山村であったが、若者たちの目には、洞窟の暮らしに比べれば豊な村に見えたのだった。
五人は、村に入り、食べ物を分けてくれないかと長老に頼んだ。しかし、長老は拒否した。山間の洞窟に数年前から、妖しげな人間が住み着いている事を快く思っていなかったのだ。それでも、五人は、引き下がらず、何度も頼み込んだ。それを聞いた七つ折の村人が、長老を守ろうと、五人を取り囲み、石礫を投げつけ、追い返そうとしたのだ。
余りの仕打ちに、一人の若者が思わず、剣を抜いてしまった。剣は運悪く近くにいた子どもを切りつける形となり、目の前で息絶えた。五人は、慌てて洞窟へ逃げ帰ってしまった。
洞窟に戻った五人は事の次第を皆に話し、護衛役の長老は、村へ謝罪に向うことにした。
同じ頃、七つ折の村のミコトたちは、剣や槍、弓を携え、洞窟へ向かった。もはや、戦いは避けられない状態であった。
長老と七つ折のミコトたちは、岩戸の洞のある辺りで睨みあう事になった。もともと、戦から避けるために山を越え逃げ延びてきたのだ。護衛役の長老は、すぐに、村のミコトたちの前にひれ伏して謝罪した。しかし、それでは収まらなかった。長老はついに自らの命と引き換えに許してもらいたいと言い、剣で喉を掻き切り果てた。それでも、ミコトたちは納まらず、そこに居た若者たち全てを切り殺し、洞の穴に遺体を投げ捨てたのだった。
その後、七つ折の村を不幸が襲った。ひと月も長雨が続き、田畑がすべて流された。さらに、雷雲が何度も村を覆い、稲妻で村が焼かれた。村人は全て死に絶えてしまったのだった。
洞窟に潜んでいた王の一族にも、病が広がり、食糧も不足し死に行く者が出始めたのだった。
時の姫が、洞窟を出て、今のウスキの地へ移り住む事を決めた。そして、天地の神に許しを得るため、洞には祠を築き、ウスキに移り住んだ後も、お参りする事を誓ったのだった。

「争い、諍いを戒め、ともに労わり生きる事を誓うために、岩戸の渡りはあるんだ。・・そして、死に絶えた七つ折の村の人々の魂も、護衛役の長老や若者たちの魂も、この地で安らかにあってほしいと願うのが、儀式の本当の意味なんだよ。」
「ただ、静かに、ウスキの地に隠れ住んでいたわけではなかったのね・・。」
悲しい一族の過去を知り、イツキは涙した。そして、拾い上げた銅剣や衣服を土に埋め、祈った。

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-ウスキの村‐13.差し込む光 [アスカケ第2部九重連山]

13.差し込む光
カケルとイツキは、一旦、入ったところまで戻り、今度は登り道になるほうを進んだ。
穴には、あちこちに更に小さな穴が開いていて、風が吹き込んでくる。カケルはイツキの手を強く握り、一歩ずつ慎重に前へ前へ進んでいく。どれくらい歩いたのだろう。暗い穴の中では時間も距離もわからなくなる。
「少し休もうか。」
カケルは、少し広い場所を見つけて、休む事にした。
「ねえ、カケル。こうやって歩いていると・・薬草取りに森に入った時の事思い出すわね。」
イツキは、少し笑顔になってそう言った。母様の病を治そうと、二人で深い森に入り、戻り道を失って、滝の傍で一晩過ごしたあの時の事を思い出していた。
「私、あの時、少しも不安じゃなかった。カケルは道に迷ったみたいだったけど・・きっとカケルなら、私を守ってくれるって信じてたから。」

二人が閉じ込められてから、随分時間が経っていた。大きな洞窟の中で村人たちは祈祷を続けていたが、外はすっかり夜の闇に包まれていた。一心不乱に祈祷を続ける巫女も疲れきっていた。
「巫女様、お疲れではありませんか」
村人が心配して声を掛けても、巫女は休むことなく、祈祷を続けた。
「おい、火を絶やすな!」
洞窟の壁には、火が作り出す人影がゆらゆらと蠢いていた。

「さあ、もう少し行ってみよう。」
少し休んだ後、カケルはそう言って立ち上がった。微かな風しかなかった空洞に、一瞬強い風が吹き抜けた。風は、二人の周りにまとわりつくような旋風になり、すぐに、先のほうへ抜けて行った。
「カケル!・・今のは・・」
「ああ、きっと、母様の風だ。・・・きっとこの先に出口がある。」
高千穂の峰に登った時、感じた懐かしく優しい風だった。
二人は、しっかりした足取りで、穴の中を風邪が抜けた方向へ歩いていく。イツキはの着ている、錦の衣は裾が長く、歩きづらかった。それでも、カケルに遅れまいと必死に歩いた。しばらく歩くと、穴は地中深く落ち込んでいた。カケルが穴を覗き込んで、
「何とか、行けそうだ。」
そう言って振り返ると、イツキの衣服が気になった。足元が見えづらいと足を踏み外して落下するかもしれない。カケルの不安をイツキはすぐに感じ取った。そして、
「これは、ここでは邪魔ね。」
そう言うと、錦の衣服を脱ぎ去った。下には薄い衣一枚しか着けていなかった。カケルは、慌てて、自分の服を脱ぐとイツキに着せた。カケルは、上半身、裸になった。もう17歳になり、カケルも立派な男の体格になっていた。
「さあ、ここを降りるよ。ゆっくりで良い。足を踏み外したら大怪我をする。」
カケルが先に下りた。イツキもゆっくりとついていく。底に着くとまた横に伸びる穴が続いている。ところどころ、天井から水が滴り落ちてくる。しばらく進むと、今度は垂直に登る穴になった。
カケルは、イツキが着ていた錦の衣から帯だけを取って、持っていた。イツキの体に帯を結び、反対の端を自分の体に結んだ。
「先に上るから、ついておいで。大丈夫、俺が引っ張りあげるから。」
そういうと、壁の窪みに手をかけて上り始めた。イツキも必死で登る。ようやく、また広い空間が広がっていた。二人とも疲れきってしまい、座り込んだしまった。その時、壁伝いに何か音が聞こえたように感じた。
「何か聞こえた。」
イツキがカケルの背を突いた。二人は耳を壁につけてみた。微かに何か人の声のような音が聞こえる。カケルは石を拾って、壁を叩いてみた。
「巫女様、巫女様!何か、音がします。」
その声に巫女は祈祷を止めた。コツコツコツと響く音が確かに聞こえた。それに答えるように、村人も石を拾って壁を叩いた。
穴の中の二人もその音を確認した。
「この近くに皆がいるようだ。」
カケルは、もう一度、今度は更にはっきりとわかるように、コツコツ、コッ、コツコツと拍子を打って叩いた。村人もその音に反応した。間違いなかった。ただ、岩壁を伝って聞こえる音では、一体どの方向に村人たちがいるのか判らなかった。村人たちも、洞窟の中に響く音には、どのあたりにカケルたちがいるのか判らない。村人は、焚き火の周りに集まり思案した。
「きっとどこかに、通じる穴があるはずだ、手分けして探そう!」
「いや、どこか、脆いところを探して掘ってみたらどうだ!」
皆、いろいろと意見を出すが、これと言って有効なものに行き着かない。巫女が言った。
「暗闇では、カケル様にも、出口が見つからないでしょう。火を大きくして洞窟の中を明るくしましょう。岩壁の隙間から、その明かりが見えれば・・きっと・・・。」
男たちが、薪を集めて、炎が天井に届くほどに焚き火を大きくした。
「私たちも、壁を丁寧に調べましょう。割れ目があれば、洞に通じているかもしれないから・・」
女たちは、焚き火の明かりを頼りに、洞窟の岩壁を探り始めた。マナも女たちと一緒に壁を探った。
大きな洞窟の一番奥に、周囲の壁とは違う色をした場所があった。
「ねえ、ここ、きっとここよ。」
マナが、皆に叫んだ。村人は、松明を掲げて洞窟の奥に集まった。確かに、壁とは違い、まるで扉のような岩があった。

洞穴の中のカケルとイツキは、壁から聞こえた音を頼りに、壁を探りながらゆっくりと進んだ。ついに洞穴は行き止まりになった。
「ここより先にはいけそうに無いな。」
カケルは、先ほどのように石で壁を叩いた。その向うから同じように音が響いた。
「ここが出口だ!」
カケルは、その壁を力の限りに押した。少しだけ動いたようだった。隙間から、細い光が差し込むと同時に、「姫様!」と叫ぶ声も届いた。イツキも一緒に壁を押す。また少しだけ動いた。確かに外に村人が待っている。
カケルの腰の剣が妖しげな光を放った。すると、カケルの体に変化が起きた。心臓が強く打ち、肩から腕がぶるぶると震えると、倍くらいに大きくなり、背中から湯気が上がるほどに熱くなった。
「カケル?大丈夫?」
カケルの変貌にイツキは戸惑った。眼光は鋭く、髪は逆立ち、上気した表情。まるで獣のような形相をしていたのだった。
カケルは、さっと剣を抜くと、大きく振りかぶり、扉の岩、めがけて一気に振り下ろした。ドーンという音とともに、岩は崩れ去り、目の前がぱっと開いた。
「姫様!カケル様!」
松明の明かりに照らされた二人の姿が見えると、村人は歓声を上げ、抱き合い喜んだ。

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‐ウスキの村‐14.エンの帰還 [アスカケ第2部九重連山]

14. エンの帰還
暗い洞穴から何とか抜け出した二人は、疲れきっていた。
特に、カケルは、剣の妖しげな力で変貌し、すべての力を使い切ったのだろう。穴から出てきてからすぐに倒れ、村に運ばれた後も三日三晩眠り続けていた。その間、ずっと、マナが傍にいて看病していた。
ようやく目覚めたカケルを待っていたのは、畏怖の念に囚われた村人たちだった。
岩を割り、洞穴から出てきた時のカケルは、まるで野獣であり、荒神が憑依したように見えたのだ。
誰として言わなかったが、田んぼの作業をしているカケルを見ても、皆、深々と頭を下げるだけで、会話を交わそうとはしなかった。巫女も、カケルの変貌に恐れ、伊津姫には、カケルの傍に近づかぬようきつく言い、姫様の守役にも絶えず、動きを監視させるようにしたのだった。

梅雨が明け、真夏を迎えた頃、米の花が開いた。カケルは、水を落とし田を乾かすよう、マナに伝えた。秋も深まると、いよいよ収穫の時を迎えた。
泉を発見し、水路を水で湛え、上の地にも中の畑にも、水田を広げた結果、ウスキの村には、これまでに無いほどの大量の米が収穫できた。
「もう、蔵にも収まりませんよ。」
伊津姫のもとには、嬉しい悲鳴が村人から寄せられ、村の蔵を新たに一つ造ることになった。
村人がみな協力し、大きな蔵を作り上げるころ、カケルは一つの決意をしていた。

「マナ、もう、水守の仕事は覚えたね?」
「はい、大丈夫。それに、村の人も協力してくださるから・・」
二人は、きれいに刈り取られた田んぼの畔に座り、夕日を眺めていた。
「冬が来る前に、アスカケに出ようと思う。・・もう伊津姫様が立派に村を治めていけるようになったし・・私の役目も終えたようだ。」
「居なくなっちゃうの?」
「ああ、いずれは旅立つ約束で、ここに来たんだ。伊津姫様はそれを知ってるはずだし。」
「どこに行くの?」
カケルは答えに困った。ここに居てももう自分のやるべきことはないと決めたものの、この後、何を求めていくべきかは見定まっていなかったのだ。
西日が、山陰に落ちていこうとしていた。

村の入り口あたりが騒がしかった。
「エン様・・エン様がお戻りになったぞ!」
誰かが、そう叫びながら、館に走ってきた。
カケルとマナは顔を見合わせ、立ち上がると急いで館に向かった。

二人が館に入ったとき、すでに伊津姫は館の階段に姿を現していた。中の畑を抜け、上の地へ、エンを囲んで、多くの村人が歩いてくる。エンは、カケルを見つけると手を上げて合図した。そして、そのまま、伊津姫が待つ館の前に歩いていった。エンは、伊津姫の前で傅いて挨拶をした。
「姫様、ただいま戻りました。」
「ご苦労様でした。無事に戻られて何よりです。」
「急ぎ、お伝えしたい事があります。・・・ヒムカの王が・・ヒムカの王が討たれました。」
村人がどよめいた。
「これで、ヒムカの国も安泰だ!」
エンは、立ち上がり、村の皆のほうに向かって言った。
「いや、そうではない。ますます危うい事になったのだ!」
カケルは、エンの言葉の意味がわかった。
「エン!・・良く戻ったな。・・・王を討ったのは、タロヒコか?」
「ああ、そうだ。タロヒコが、王を討ち自らヒムカの王となると宣言した。」
「なんと・・非道な事を。・・それで?」
「ああ、タロヒコには五人の側近がいる。そいつらはめっぽう強くて、ほとんどの兵は逆らえずそのまま軍となり、周囲の村村を襲い始めているのだ。」
村人に一人が尋ねる。
「ここへも来るのか?」
「いや・・今は、海沿いを南へ下っているところだ。・・キハチ様が、兵に紛れ、奴らの動きを探っている。北へ向かうとなれば、すぐにここへ戻ってくる約束だ。」
村の者は少し安堵した様子だった。
「・・いつ、こちらへ向かってくるかも知れぬ。・・村の守りを固めて置いたほうが良い。・・だれか、ウル様に使いを・・一度、ここへ戻ってきてもらえるように伝えてもらえぬか。」
すぐに、若いミコトが、猩猩の森へ走った。
「詳しい話は、館の中で・・さあ。」
巫女がそう促し、エンは館へ上がりかけ、「おい、カケル、お前も来い!」と言った。
巫女は少し困った表情を見せたが、この先の相談には必要だと考え、許した。

館の広間には、伊津姫、巫女、エン、カケルが真ん中に座った。周りを囲むように村人が座った。
エンは、ノベの村で見たことを皆に聞かせる。
「ノベについて、すぐに、変な噂を耳にしたんだ。・・タロヒコが、どこからか見知らぬ男たちを向かえ、夜な夜な、祈祷をしているというんだ。・・・その男たちは、真っ黒な衣服に身を包み、見上げるような背丈で、大剣や槍を手にしていたらしい。・・俺とキハチ様は、すぐに兵に紛れたんだが、兵たちは皆、タロヒコが連れてきた男たちを恐れていた。・・近寄ると、死臭がするとか、目が異様に光っているとか・・とても人ではないような事を言っていたんだ。」
「エンは、そいつらに会ったのか?」
「いや・・・近寄る事はできず、遠めに見た限りだが・・・やはり変だった。5人とも皆、同じ背格好だし・・目以外は全身真っ黒な布で覆われていて・・」
「王はどうやって討たれたのだ?」
「・・いや。詳しくは判らないが・・タロヒコが兵を前に、王は病に倒れ、次の王に自分を指名したと宣言したのだ。・・おかしい事に、王が死んだのにも関わらず、弔いもせず、墓も作らない。王の遺骸すらないのだ。その事に不審を抱いた兵たちもいたが、次の日には居なくなっていた。・・・逆らうと殺されるという噂も広がって・・みなタロヒコに従わざるを得ないといったところさ。」
「南へ向かったのは本当か?」
「ああ、海沿いに村を襲って・・・」
カケルは、モシオの村の事が気がかりだった。強固な砦を備えているだけに、抵抗して無用に命を落とすのではないかと心配になった。
「伊津姫様!私は、南へ向かいます。」
カケルはそう言って立ち上がり、館を出て行った。慌てて、マナが後を追った。

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-ウスキの村‐15.川を下る [アスカケ第2部九重連山]

15.川を下る
カケルは、村のはずれに用意された家に戻り、旅支度を始めた。荷物といってもほとんどないが、一刻も早く、モシオの村を救いに行かねばという考えが頭の中を廻っていた。
「カケル!入るぞ!」
カケルを追って、マナとエンが家に入ってきた。落ち着かぬ様子のカケルを見て、エンが言った。
「なあ、カケル、落ち着け。・・奴らは、モシオの村にはそんなに早くに着かない。・・あいつらは、先々の村を襲っては、服従させていくはずだから・・。」
そう言って、囲炉裏に火を入れて座った。カケルも、マナに促されて座った。
「カケル、南へ向かうなら、ひとつ頼みがある。・・ミミの浜へ寄って欲しいのだ。・・恩返しをせねばならない。」
「どういうことだ?」
「ああ・・ここを出て、ノベの村でヒムカの兵に加わった後、タロヒコの悪行を知り、兵を抜け出そうとしたんだが・・見張られていてなかなか抜けられなかったんだ。その時、ミミの浜の漁師が手助けをしてくれた。・・お前も覚えているだろう、クグリ様が殺された時に居たミコトたちだ。」
ミミの浜の出来事は、カケルの脳裏に焼きついて離れない。
「・・きっと、兵に全てを奪われ、食い物にも困っているはずだ。・・・さっき、伊津姫様にも話したんだが・・今年は、たくさん米が穫れたそうだな。そいつを少し分けてもらいたいんだ。もう、姫様には許しを戴いている。」
「わかった・・だが、どうやって運ぶのだ?」
「それなら大丈夫さ。舟で運べるようにする。兵を抜ける時、キハチ様からも、弟たちを使ってくれと言われている。」

まだ、夜が明けきらぬ中、蔵から米袋が運び出され、小舟三艘に積み込まれた。キハチの弟たちが、船頭となり、五ヶ瀬川を下る事になった。支度が終わった頃、カケルは深い淵へ降りる石段の前に居た。伊津姫が、巫女と供に見送りに来ていた。
伊津姫は、カケルとはもうこれきり会えないような気がしていた。
思い出してみると、物心ついてからずっとカケルの後を追っていた。傍にカケルが居るのが当たり前に感じ、いつも自分を守ってくれる、そう思い込んでいた。今、こうして、別れを迎え、寂しさや心細さだけでなく、何か自分の一部がなくなるような不思議な感覚を覚えていた。
「エン、姫様を頼むぞ!」
「ああ、しっかりお守りする。これが俺のアスカケだからな!」
カケルはあえて、伊津姫とは目を合わさなかった。
「それでは、行って参ります。皆さん、お元気で。」
マナが、駆け寄ってきて、手を握って言った。
「カケル様、ご無事で・・きっとここへ戻ってきてください。ずーっと待ってますから。」
その言葉は、伊津姫の想いと重なり、思わず涙を零しそうになった。
カケルは、じっとマナの目を見てから、
「お前も、村のためにしっかり仕事をするんだよ。いつかまた会えるだろう。」
カケルの言葉は、マナだけでなく、伊津姫に向けての言葉でもあった。
猩猩の森から慌てて戻ってきたウルも顔を見せた。
「五ヶ瀬川を下れば日暮れにはノベに着ける。そこから、海を進めば、ミミの浜まではわずかだ。」
ウルの言葉に、カケルは強く頷き、礼を言った。
朝靄の中、五ヶ瀬川の流れに乗って小舟を進めた。

途中、何箇所も急流や瀬が行く手を阻んだが、キハチの弟たちは、ものの見事に舟を操り、夕方近くにはノベの村に着いた。ノベの村には人影も無く、随分荒れていた。その様子から、タロヒコの兵たちの悪行はすぐに判った。
そこから一旦海へ出て、岬を回るとミミの浜が見えた。
「私が様子を見てこよう。」
ミミの浜の船着場に着いて、すぐにカケルは集落へ向かった。
ヒムカの兵たちは随分、村を荒らしたようで、所々の家は焼け落ちていた。カケルは、エンに聞いた漁師の名を呼んだ。
「コゼ様!コゼ様は居られぬか?」
夕闇の中、カケルの声が村に響く。村の中ほどまで来た時、数人の人影が見えた。
「コゼ様!・・カケルです。エンに頼まれて参りました。」
「カケル?・・・エン様の使いか!」
そう言って、一人の男が右足を引きずりながら、ゆっくりと近づいてきた。
「おお、貴方様は、ミミの浜でお会いした・・・おひさしぶりです。」
「エンが、あなた方にお世話になったと聞きました。」
「いえ、私は、あなた方に命を救われた恩返しをしただけです。」
「エンの頼みで、ウスキの村から米を運んで参りました。・・ヒムカの・・いや、タロヒコの兵に襲われ、この村には食べ物も不足しているだろうと、エンが言っておりました。」
「まことですか・・確かに、全てを奪われ、皆、腹をすかせておる。そうか・・そうか・・おい、皆、出て来い。エン様からの贈り物だそうだ。」
静寂に閉ざされていた村の中に、響くコゼの言葉に、家々から人々が顔を見せた。
「船着場にあります。運んでください。」
その言葉で、村の者はみな、船着場に向かった。
「これだけあれば、皆も元気になるでしょう。動けるようになれば、漁にも出られる。・・もう大丈夫です。本当に、ありがたい。神の様じゃ・・。」
コゼの言葉に、村のものも、皆、涙を流し喜んだ。
「コゼ様・・・」
脇に居た娘が、小さな声で何か言おうとしていた。
「どうした?」
「・・コゼ様・・こんなにたくさんのお米があるなら、少し、ノベにも分ける事はできませんか・・」
「おお、そうであったな。お前の姉様が確か、ノベに嫁いだのであったな。・・そうか・・」
コゼは少し考えてから、米を運び始めた村人を制するように言った。
「皆の衆、聞いてくれ。・・我が村ではこれほど無くとも良いだろう。・・どうだろう、ノベにも分けてやれぬか・・あそこも、随分困っているはずだ。どうだ。」
村人は顔を見合わせ、ごそごそと相談していた。しばらくすると、
「そうだ、それが良い、ノベだけでなく、他の村にも分けてやろう!」
コゼは、村人の声を聞いてから、カケルに告げた。
「皆の思いは一緒です。・・我らは、ひと舟ほどあれば足ります。他にも困っている村があるはずです。残りをぜひ分けてやってください。」

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-ウスキの村‐16.コゼとズク [アスカケ第2部九重連山]

16.コゼとズク
カケルたちは、コゼの家に招かれ、囲炉裏を囲んだ。
「貴方には、二度も命を救われました。本当にありがとうございます。」
コゼは、囲炉裏の火を起こし、湯を沸かしながらそう言った。カケルは、供に来たキハチの弟たちにも、ミミの浜での出来事を話した。
「私は、しばらくここに留まり、お手伝いをいたします。壊れた家や舟の修理もできますから」
キハチのすぐ下の弟、キイリが言った。するとその下の双子の弟の、キムリとキトリは、
「私たちは、舟を引いてウスキへ戻ります。きっとエン様は、ここの様子を心配しておられるでしょう。すぐに、お教えいたします。」
「それに、きっとこの辺りのほかの村も困っているでしょう。村の米をほかへも運びましょう。」
「ああ、それがいいだろう。」
聞いていたコゼは、驚いて言った。
「ウスキの村の人たちは、みな、このように優しいお方ばかりなのですか。良い村なのでしょうな。」
それを聞いたキイリが答える。
「いえ・・我らも、カケル様やエン様、そして伊津姫様に救われたのです。山深い地で、わずかな田畑で細々と暮らしておりましたが・・カケル様たちがいらして、村は元気になりました。ですから、同じように困っている村があれば、お助けしたい、それだけの事です。」
「この村のものにも、話し伝えましょう。村々がそうやって助け合えばよいのだと・。」
「ええ、・・ヒムカの大王も、そうした国が作りたかったそうです。」
「カケル様は、これからどうされるのですか?」
「タロヒコの兵を追って行きます。」
それを聞いて、コゼは少し躊躇いがちに言った。
「タロヒコは・・魔物に取り付かれています。・・いや、もはや魔物です。」
「どういうことですか?」
「タロヒコは、妙な術を使って、死んだはずのユラを生き返らせました。どうやったかは知りませんが、確かに、あれは死んだはずのユラでした。・・次は、モシオの近くで死んだというクジを蘇らせるはずです。・タロヒコは死人に命を与え兵にしています。・・弓や剣では勝てない相手です。」
「・・しかし、このままでは・・・とにかく、私は、タロヒコの兵を追います。」
カケルの覚悟が確かな事がわかったコゼは、深くため息をついてから、
「おい!誰か、ズクを呼んで来てくれ!」
まもなくして、背の低いずんぐりとした格好で、ぎょろっとした目つきの男が現れた。周囲のミコト達と比べて、どこか様子が落ち着かない。すぐにでも、その場から帰りたい様子で、入り口に立っている。
「ズク、来たか。・・お前に頼みがある。お前にしか出来ないことだ。」
ズクは、周りを見回した後、慌てて頷いた。
「これから、カケル様を船でモシオまで送ってもらいたいのだ。これくらいの月明かりがあれば、お前には充分だろう?」
その言葉に周囲に居た男たちは驚いた。
「コゼ様、いくら夜目が利くといっても、舟は無理だ。」
「大体、ズクに家に閉じこもっていて、舟など操れないんですよ。」
「大事なお方をそんな無茶だ・・止めたほうが良い。」
皆、口々にコゼの考えに反対した。
コゼは、改めて、ズクに訊いた。
「どうだ?無理か?」
「いえ・・大丈夫です。これだけの月明かりがあれば、大丈夫です。」
ズクの意外な答えに、反対した男たちは驚いた。
「大丈夫って?お前、舟を操れるのか?」
それを聞いて、コゼが言った。
「ズクの母様から、聞いたんだが、毎晩、ズクは、皆が寝静まってから、何処かに出かけ、いくつかの魚を抱えてもどってくるんだそうだ。」
「そうなのか、ズク?」
傍にいたミコトが、今一度、確認するように聞いた。
「おれも気になって、一度、夜中に出て行くズクの後を追ったんだ。こいつは、船着場に向かって、だれも使わない、古い舟を曳き出して、沖へ出て行ったんだ。・・その時は、大きな鯛を抱えて戻ってきたよな?」
小さく、ズクは頷いた。
「まさか・・ズク、お前、あの・・帰らずの島まで行ったのか?」
「あそこは、潮の流れも速く、昼間でも潮が読みきれないところだ・・本当か?」
ズクは、また、頷いた。それを見て、コザはにやりとして、皆に言った。
「どうだ、こいつなら、大丈夫だろ?」
居合わせたミコトたちは、皆、納得した様子だった。

「カケル様、こいつは、ズク。こいつが案内しますよ。すぐに、出発できます。」
カケルも一連の話を聞いていて、すべて承知した。
「ズク、お前が使っている舟は、小さくて遅い。俺の舟を使ってくれ。」
コゼがそう言うと、ズクは驚いた。
コゼの使っている舟は、村でも一番立派で長く、早く走る舟で、浜の漁師たちは、コゼの舟は憧れだったからだ。
「もう、俺はこの体だ・・舟にも満足には乗れない。お前が使ってくれるなら嬉しいんだが。」
ミコトたちは、羨ましがった。
「こんな、役立たずの俺が、使って良いんですか?」
ズクの返事に、コゼはため息をついてから言った。
「なあ・・お前は、ちっとも役立たずなんかじゃない。確かに、昼間は動けないかもしれないが・・夜は誰よりも動ける。これからは、夜の暗闇でもお前が居てくれれば心強い。だから、お前は役立たずなんかじゃないんだ。・・それと、舟はお前にやる。お前のものすれば良い。・・だが、いいか、カケル様を一刻も早く、モシオの村にお連れするんだ。」

現れたときにはおじおじとしていたズクも、皆に認められたようで、もうすっかり表情も自信に満ちていた。そして、力強く言った。
「さあ、カケル様、行きましょう。・・今日は、月も出ていて、波も穏やかです。きっと夜明け前にはモシオに着きます。」
そう言って、ズクは家を出て、船着場で支度を始めた。
「カケル様は、その筵を被ってください。夜風は冷えます。着くまで、眠っていてください。」
ミミの浜の漁師たちは、カケルとズクの乗った舟を見送った。
夜空には、半月が浮かび、わずかに海面に反射していた。風も無く穏やかな海、静かに舟は進んだ。
月明かりの海.jpg

-ウスキの村‐17.朝日のモシオ浜 [アスカケ第2部九重連山]

17.朝日のモシオ浜
岩陰を右手に見ながら、舟は順調に南へ下っていく。カケルは、ズクの言うとおり、筵を被り、眠った。舟のゆれが心地よかった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、カケルが目覚めた時には、東の海面と空の間が、少し白んできている。
「カケル様、もうすぐ着きます。ほら・・・見えませんか?」
ズクが指差すほうに視線を遣ると、低い山並の中に、ぼんやりと砦が見えていた。
「そろそろ、朝日が昇ります。・・陽が昇る前に舟を着けなくては・・どこに着けましょう?」
「ええ、河口から回り込むと、砦の裏手に船着場があります。そこに回ってもらえませんか?」
ズクは、モシオの浜の前を通り過ぎ、河口に舟を走らせた。カケルは、じっと砦の様子を見ていた。
どうやら、まだ、タロヒコの軍は着いていないようだった。

砦には高い物見櫓が建っている。そこには、アスカが居た。アスカは、物見櫓ができてから、塩作りの仕事の合間には、ほとんど物見櫓に上がって、外の様子をみるのが習慣になっていた。
この日も、朝日と供に、起き上がり、物見櫓の上から遠くを見ていた。アスカは、すぐに、モシオの浜を横切る小舟を見つけた。こんな早朝に漕ぎ出る舟などないはずだと考え、じっと目を凝らし、横切る船の様子を見入っていた。そして、舟の人影を見つけると、すぐに、カケルだと確信した。
アスカは、あの日からずっとカケルを待っていた。別れ際に、必ずここへ戻るとカケルは約束をした。しかし、村人たちには、決してそんな事は無いと否定されていた。それでも、アスカは毎日物見櫓に昇り、カケルの姿を探していたのだった。
「カケル様が!カケル様が戻られた!」
アスカはそう叫びながら、村中を走り回った。その声に、村人たちは起き出して来た。アスカは、小舟が船着場に着くと考え、村の裏手に回った。村人も、半信半疑ながら、アスカのあとを追った。

ちょうど、カケルを乗せた小船が船着場に入ってきたところだった。アスカは、船着場の階段を転げ落ちそうな勢いで走り降りた。そして、カケルの姿をしっかりと確認すると、舟の上に居るカケルに、飛びつき抱きついた。
「カケル様・・カケル様・・会いたかった・・ずっと・・ずっと会いたかった・・」
抱きついたまま、アスカは泣きじゃくった。
モシオを離れてすでに3年の歳月が流れていた。幼かったアスカも、すでに13歳になっていて、体も随分大人びていた。
「おい、アスカ、危ない!・・ああっ!」
カケルは、揺れる小舟に足元をすくわれ、アスカを抱いたまま、水の中へ落ちた。
ちょうど、村人たちが船着場に着いた時に、ざぶんという音とともに水柱が上がった。何が起きたのか、ズクも驚いて、水の中の様子を見た。すぐに、二人は、水の中から顔を出した。
「こら!アスカ、危ないじゃないか!」
「ごめんなさい・・」
久しぶりの再会に、アスカもカケルも心が躍った。村人たちも、カケルの帰還を喜んだ。

水から上がると、モシオの姫クレが待っていた。隣には、クスナヒコが立っていた。
ずぶ濡れになりながら、カケルは、クレとクスナヒコの前に跪き、頭を下げた。
「お久しぶりです。・・皆さん、お元気そうですね。」
その言葉に、クレが答えた。
「よく戻られました。貴方のお陰で、この村はますます豊かになれました。それに、この人も戻ってきてくれました。本当に、何とお礼を言えばいいのか・・・。」
そして、クスナヒコも続けた。
「サイトノハラ以来だな。・・たしか、ウスキへ向かったのではなかったか?他の皆さんはどうされている?」
「ええ。エンとイツキは、ウスキに留まり、村のために働いております。・・実は、ヒムカの王に異変があり、急ぎ、ここへ参ったのです。」
「そうか・・まあ、詳しい話は、館で聞こう。疲れただろう、少し休むと良い。」
「はい、ありがとうございます。・・それから・・この者は、ミミの浜の漁師、ズク様です。・・夜目が利くすごい方です。夜通し、舟を漕ぎ、私をここまで送ってくださいました。できればお礼をしたいのですが・・私にできる事もなくて・・すみませんが、どこか、良い場所でお休みいただくわけにはいきませんか。・・それと、日の光が体に障るようなので・・暗いお部屋をお願いしたいのですが・・・」
「判りました。カケル様の恩人ならば、我らにとっては、大恩人。すぐに、良いお部屋を用意しましょう。・・さあ、ズク様、こちらへ。」
ズクは、モシオの村人が、カケルの帰還を予想以上に喜んでいる事や、自分を大層丁重に迎えてくれることに少し戸惑いつつ、人の役に立つという事がこれほどに生きる喜びを感じさせてくれるという事実を初めて体験していた。今まで生きてきて、これほど感謝される事に心が震え、思わず涙が零れそうになっていた。
「ちょっと・・待っておくれ。」
一人の老婆が、ズクの傍にやってきた。
「お前さん、夜目が利くと言ったが、・・昼間は、日の光が眩しくて外を歩けないんだろう?」
「はい・・幼い時から・・・」
「ちょっと、目を見せておくれ。」
その老婆は、じっとズクの目を見ていた。そして、
「やっぱりねえ・・私の息子と同じだ。・・小さい時に死んでしまったが・・・そうかい・・それなら、うちへ来ると良い。・・うちなら、昼間でも真っ暗になってる。・・少し休みたいんだろう。」
それを聞いて、クスナヒコが言った。
「それが良いだろう。・・この婆様はハル様だ。一人息子のタズヒコ様は、ズク様と同じように夜目が利いたんだ。もう随分昔に亡くなったんだが・・・生きておられた頃は、この村の守り神みたいなもんだったんだ。」
「守り神?」
いつもミミの浜では役立たずと思い、家に引きこもっていた自分とは正反対のようだった。
「そうさ、タズヒコ様は、夜、獣が村を襲わないよう、火の番をされていた。それに、日が落ちるまでに戻らぬ村人を探してくれたんだ。タズヒコ様が居らした時、我らは夜の闇は怖くなかった。」
「そんな・・。」
信じられないという表情をしているズクに、クレは言った。
「人は皆、生きる役目があるはずなのです。役立たず等という人は誰も居ないはずです。」
カケルも、頷き、ズクの肩を叩いた。
「良かったら、これを使っておくれ。」
老婆ハルは、両端に紐が付いた薄い板切れをズクに手渡した。
「ほら、目の前に当てて縛るんだ。目を守ってくれるものさ。息子が使っていたんだ。どうだい?」
板には細い切れ込みが入っていて、目に届く光を減らしてくれた。
「これはいい、これなら多少お日様が出ていても、大丈夫です。ありがとうございます。」

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-ウスキの村‐18.備え [アスカケ第2部九重連山]

18.備え
カケルは、クレとクスナヒコの住む館に招かれ、主だった村人も集まっていた。
「カケル様、お戻りになられたのは、何か理由があるようですね。」
クレ姫が尋ねた。クスナヒコも、同様にカケルに訊いた。
「良いですか、これからお話しする事を良く聞いてください。」
村人たちも身を乗り出して聞き入った。
「ヒムカの王が倒れました。」
その言葉に、村人は安堵の声を上げた。
「いや、そうではありません。以前よりも事態は悪くなっているのです。」
「どういう事ですか?」
「ヒムカの王は、側近のタロヒコに殺されたのです。そして、今は、タロヒコが自らをヒムカの王だと言い、村々を襲い、村人を殺し、全てを奪おうとしています。」
「まさか、そいつらがここへ?」
クスナヒコが尋ねる。
「はい、南へ向かったとエンから聞き、急いでやってきたのです。」
話を聞いていた村人の一人が言った。
「だが、カケル様が来られたんだ。村は大丈夫だ。また、追い返してやればいいんだ!」
「そうだ、大丈夫だ。なあ?」
不安を払拭しようと、皆、顔を見合わせ確認しあった。しかし、カケルは首を横に振った。
「タロヒコは妖力を持っているそうです。ミミの浜で聞いた話では、呪文を唱え、死人を蘇らせて兵士にしていると・・・自分の息子たちもそうやって蘇らせたのだそうです。」
「そ・・そんなことが・・出来るのか?」
村人の一人が恐々訊いた。
「確かな事は判りません。」
「いや・・昔、ヒムカの兵だった頃、聞いた事がある。」
クスナヒコが記憶を辿るように言った。
「タロヒコは、方々の村から巫女を連れてきて、祈祷を学んでいたんだ。そして、夜な夜な、自分の部屋に篭り、怪しげな呪術を唱えるようになっていた。それと、連れてこられた巫女は、誰一人と生きて戻ったものは無かったと聞いた。巫女の亡骸さえも無かったそうだから・・ひょっとして巫女を殺し、巫女の力を我が物にするために、その肉を食べたのではないだろうか・・。」
村人はそれを聞いて身震いした。
「誰も見ていないから、ただの噂かも知れないが・・・」
「いえ、例え、噂だとしても、それだけの恐さを持っているのは事実でしょう。たタロヒコに、戦うのは無駄に死者をだすだけではないでしょうか。」
クレもクスナヒコも、村人も黙り込んでしまった。
皆の様子を見て、カケルは提案した。
「この村の砦を作る時、皆さんと話し合いましたね。・・この砦は戦うために作るのではないと・・村人の命を守るために作るのだと・・・」
「ええ・・実際、この砦ができてから、村人はもちろん、周囲の村も安心して暮らせるようになりましたから。」
クレは答えた。
「だが、待っていても仕方ない。向かってくれば戦うしかないだろう。」
クスナヒコが投げやりに言った。
「クレ様・・川向こうには集落を広げていますか?」
カケルはクレに訊いた。
「はい、村人が全員住めるほどの集落は出来ています。近頃は、回りの村から、そこへ来て、棲みたいというものさえ居ります。」
「良かった。それならば、すぐに、村の人をそこへ案内してください。きっと、それ程、時はありません。子どもたちやご老人を先に、そして、ミコト様達は、私とともにここへ残りましょう。皆が、逃げ切る事ができるまでは、耐えねばなりません。・・舟はたくさんありましたね。」
「はい。・・近頃は、舟であちこちへ塩を運んでおりますから・・」
クスナヒコは立ち上がり、皆に号令した。
「よし、みんな、川向こうへ逃げるのだ。慌てずとも良い。女、子ども、爺様、婆様、皆、クレについて行くが良い。・・ミコト様達、われらにお力を。ともに、ここで食い止めるのです。」
皆、立ち上がり、動き始めた。慌てず、しかし、速やかに、船着場から川向こうへ舟を出した。

「さあ、カケル様、タロヒコ達とはどう戦う?」
物見櫓の上に上がり、周囲に目を凝らしながら、カケルもどう立ち向かうべきか悩んでいた。
「まずは、出来るだけ遠くに足止めをせねばなりません。」
「ならば、矢を射るのがいいでしょう。これだけのミコトが居れば、雨のごとく矢を射る事もできるでしょう。」
クスナヒコが、控えているミコトたちの様子を見ながら言った。カケルも、
「ええ、それが良いでしょう。魔物からはできるだけ遠くに居たほうがいいでしょう。」
それを聞き、ミコトたちは弓矢を用意し始めた。
「これっぽっちで、足りるだろうか?」
矢の束を手にして、ミコトが言った。
「もっともっと必要だが・・これから木を切りにいく間は無いぞ!」
「どうする?」
不安な空気が流れた。
カケルは、砦の下を見て、はたと気付いた。
「皆さん、あの葦を使いましょう。あれなら、すぐに刈り取れる。先を尖らせば、充分に矢として使えるでしょう。」
ミコトたちはすぐに砦の外に出て、葦を刈り取れるだけ取って、櫓に運んだ。そして、出来るだけ太くて思い物を選び、先を削り尖らせて矢を作った.。
そこへ、村の巫女が現れた。
「巫女様、どうされたのですか?早くお逃げ下さい。」
クスナヒコは驚いて、言った。
「いや、私の役目を果たしに来たのじゃ。・・その矢を此処へ並べておくれ。魔物に放つなら、呪いを解く力を矢に吹き込まねばならぬからのお。」
巫女はそう言って、櫓の床に矢を積み上げさせた。巫女は、矢の前に跪き、ユズリハを携え、祈りを奉げた。ミコトたちもその様子を見て、巫女と同じように、矢の前に跪き、祈りを奉げた。

「カケル様!誰か来ます!」
物見櫓の一番高いところに、アスカが座り、様子を見ていた。そう言って、北東の方角を指さした。カケルは、その事よりも、アスカが一人物見櫓にいる事を心配した。
「アスカ、何故、ここに居るのだ!早く、逃げなさい!」
「いやです!私は此処にいます。ずっとカケル様のお傍に居ます。」
アスカは、物見櫓の柱を抱きかかえ、動かない素振りを見せた。カケルは、半ば諦め、アスカの居る高みへ上った。そして、指さすほうを見た。

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-ウスキの村‐19.キハチとの再会 [アスカケ第2部九重連山]

19.キハチとの再会
アスカの指差す先、葦の原が揺れている。まっすぐ、こちらに何かが近づいているのが判った。
「タロヒコの兵達か?」
櫓の下から、クスナヒコが問いかける。
「いや・・人の様だが・・・」
カケルが目を凝らして、その動きをじっと探った。背の高い葦の先が揺れている。葦が切れたところで、ようやく、人影が確認できた。手を振ってこちらに向かってくる。
「キハチ様?・・キハチ様だ。・・門を開けてください。」
カケルは、櫓から飛び降りると、草原に走った。
「キハチ様、よくご無事で・・」
「おい、なんだ、カケルじゃないか。どうしてここに?」
「エンの知らせを受けて、すぐにウスキを出て、ミミの浜から舟で昨夜のうちにきたのです。」
「夜の海を?・・そうか・・・・それより、早くここを離れたほうが良い。もうすぐ、タロヒコの軍がここへ来る。村人を早く逃がすんだ。」
「ええ・・おおよそはわかっていたんです。今、準備をしています。さあ、キハチ様も中へ。」
カケルはキハチを砦の中へ案内した。

村人の多くは、対岸の避難場所に大方移っていた。砦の中では、クスナヒコが中心となって、ミコト達はすでに守りの支度を整えていた。キハチは、その様子を見て、ため息をついた。
「抗わない方が良い。ここを明け渡して逃げるべきだ。」
その言葉に、クスナヒコが訊いた。
「これだけ備えれば、そう易々とは破られはしないだろう?」
キハチは首を降った。
「俺は、ノベの村からずっとタロヒコの軍の様子を伺っていた。あいつらは・・人間ではないのだ。・・アラヒコが使う術は、死人に死霊を吹き込み、蘇らせて兵にして操るものだ。これまで、幾つもの村が抵抗したが、ことごとく破れた。」
「兵を倒しても無駄だというのか?」
「ああ、兵たちは、いくら倒してもまた蘇る。・・前の村でも三日ほど抵抗していたが、倒しても倒しても、また襲ってくる相手に疲れ果て、ついには、自らも死人となり、兵に加わるのだ。」
それを聞いて、別のミコトが口を挟んだ。
「この葦の矢は、魔を退治する力を込めてある。これを使えば、きっと勝てるはずだ!」
「魔を退治する力?」
「ああ、これがあれば、怖くなどないぞ!なあ、みんな!」
キハチはじっとその矢を見つめていた。
「さあ、どうだ?」
クスナヒコが、一本の矢をキハチの前に差し出した。キハチは、少し避けるようにしてから、
「こんなもの、アラヒコには効かない。戦わず、降参するほうが良い。」
そう言って、背を向けた。カケルは、キハチの態度に違和感を覚えていた。キハチは、弓矢の名手である。それに、ウスキの村で出会った時のキハチは、恐れを知らない、むしろ、無鉄砲なくらい負けん気の強い男であった。戦う前から、降参するなど考えるような性格ではなかったはずだ。それほどまで、タロヒコの力が大きいという事なのかと考えていた。
「まあ、いいさ。攻めてくる敵に何もせず降参するのは納得できない。まず、この矢を使って、少しでも時間を稼ぐ事にしよう。・・それより、キハチ様、あいつらと供にいたのなら、何か弱点はないのか?知ってる事を教えてくれないか?」
クスナヒコは、あくまで戦う事に拘って、キハチに訊いた。
「知っている限り、弱点など無い。」
「兵を蘇らせる力を持っているのは、タロヒコだけなのだろう?タロヒコさえ倒せばどうにかなるんじゃないのか?」
矢の自慢をしたミコトが続けて訊いた。
「確かに、すべてはタロヒコの力だが、タロヒコの周りには四人の大男が守りを固めている。絶えず、四人はタロヒコの傍に居るのだ。」
「その大男は強いのか?」
「・・・ああ・・強い。・・大鉈や槍、大剣を持ち、倒せるものではない。・・」
「人間なのか?」
「いや、・・・鬼だ。・・地の底から這い上がってきた鬼なのだ。・・・」
キハチの説明に、皆、黙り込んでしまった。
「だから・・早々に降参したほうが良いんだ。・・タロヒコに味方すれば、命は救われる。この村も無傷に済む。無用にしに急ぐことはない・・なあ・・そうだろう?」
カケルは、ますますキハチの態度に違和感を持ってきた。もしや・・キハチ様はタロヒコの妖力に遣られたのではないかと疑念を持つようになっていた。

朝日が昇り、本来なら、日差しが降り注いでいるはずの、草原に一際黒い塊が見えた。
そして、それは徐々にこちらへ向かってくる。空も徐々に曇ってきた。黒い塊に見えたのは、カラスだった。漆黒の羽根を広げ、空を旋回している。おびただしい数のカラスだった。
カケルはじっと目を凝らして、その黒い塊の中を見つめた。黒いカラスが旋回するすぐ下に、黒装束を身に纏った兵士らしき集団が、ゆっくりとこちらへ向かってくるのがわかった。葦の原を、ゆっくり滑るように向かってくる。そして、その少し後ろに、黒く塗られた輿がやってきた。大男四人が抱え、その座に一人の男が座っていた。
 異様な集団だった。歩く足音がしない。そして、彼らが通った後の草木は、黒く枯れてしまっている。まるで、大蛇が獲物に向かって音も無く忍び寄るかのようだった。
 タロヒコも、砦の存在に気付いたようだった。集団の動きが止まった。まだ昼間だというのに、厚い雲に覆われ、夕方のように薄暗くなってきた。そして、ぽつぽつと雨も降り始めた。
砦の柵の傍で、ミコトたちは弓を構えた。魔除けの力を得た葦の矢を握り、息を凝らしてじっと待っている。
そのうち、一番先頭にいた黒装束の兵が動き始めた。ゆっくりと砦を囲むように進んでくる。
物見やぐらの上から、クスナヒコがじっと様子を見ていた。
「まだ、まだ・・・矢が届くところまでひきつけるのだ。・・」
徐々に間合いは詰まってくる。
「よし、放て!」
クスナヒコの合図で、一斉に矢が放たれた。放物線を描いて、葦の矢が兵士たちへ降り注ぐ。魔除けの力を持った矢が、兵士に刺さる。二つ三つ、矢が刺さると、黒い兵士は固まったように動かなくなり、口から黒い霧のようなものを吐き出して、倒れた。
「放て!放て!」
クスナヒコも号令をかけながら、弓を引いた。雨のごとく降り注ぐ矢は、兵士たちを留め、倒していく。大量に用意した矢が付きかけた時、黒い兵士たちの姿は全て消えた。
「やったぞ!見たか!我らの力を!」
クスナヒコが大声で叫ぶ。

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-ウスキの村‐20.タロヒコとの戦い [アスカケ第2部九重連山]

20. タロヒコとの戦い
静かになった葦の原を見ると、半ば腐りかけた屍が至るところに転がっている。中には、頭さえ無いようなものさえあった。カケルはそれを見て言った。
「やはり、、行き倒れたもの、命を奪われたものに、悪霊を呼び操っていたのか!」
しばらくすると、タロヒコが動いた。
「輿を下ろせ!」
タロヒコは、黒装束に身を包み、さらに、首には拳ほどもある大きな黒水晶を真ん中にした、首飾りをしていて、頭にはカラスの羽根を冠にして被っている。
「ふん、魔よけの矢を放つとは・・・だが・・これならどうだ?」
地面に降り立つと、タロヒコは、首飾りを取り、両手に持つと、なにやら怪しげな呪文を唱え始めた。そして、「はあっ!!!」と叫んだかと思うと、首飾りを地面にたたきつける。
辺りにドンという音が響いた。すると、地中から何か黒い霧のようなものが立ち上り、倒れた屍の中に入っていく。同時に、屍はまた起き上がり、動き始めたではないか。
「地に眠る怨霊さえも引き出して、操るのか!」
カケルは、タロヒコの妖術に怒りが湧いてきた。そして、腰に刺した剣に触れた。
すると、剣が怪しげな光を放ち始めたでは無いか。そして、カケルの心臓がドクンと一回大きくなったかと思うと、腕や肩、背中の肉がもりもりと膨らみ始めた。そう、変貌を遂げ始めたのだった。髪も逆立ち、獣のような顔つきに変わる。
カケルは、剣を抜いた。剣からは、青白い光が迸り、辺りを照らす。一振りすると、その光が遠くまで届き、迫り来る黒装束の兵士をなぎ倒し、消し去った。
カケルは、物見櫓の上から、葦の原に大きく跳ねた。そして、着地すると同時に、剣を横一文字に降りぬいた。剣から発せられる光が、さらに迫り来る兵士を容赦なく消し去っていく。屍さえも、灰になり、風とともに空高く上っていくのだった。カケルの剣は、全ての魂を空に返す力を秘めていたのだった。
「何としたことか!・・、あやつは何者じゃ!・・お前たち、やってしまえ!」
タロヒコは、輿を担いでいた大男にそう命じた。
大男は、大太刀や槍を持ち、カケルに襲い掛かった。カケルは剣を反して、受け止める。火花が飛び散る。次々に襲い掛かる大男たちは、簡単にはやられない。五月雨のごとく、太刀や槍を容赦なくカケルに討ちかかる。
「カケル様!」
ミコトたちも固唾を呑んで見守っている。カケルは、転がりながら、大男の足を切りつけた。
「うっ!」大男は、葦の原を転がった。
「カケル様!やれるぞ!」
砦から歓声が上がる。
「こしゃくなやつめ!・・これならどうだ!」
タロヒコは、そうはき捨てると、黒水晶を天に掲げた。それと同時に、砦から、悲鳴が上がった。
悲鳴は、アスカだった。砦の中にいたキハチが、アスカを羽交い絞めにして、喉に剣を突き立てていたのだ。キハチは、真っ赤な目でゼイゼイと息をしている。もはや常軌を逸した表情となっているのだった。
「やはり・・・キハチ様は、タロヒコの術に掛かっていたか!」
カケルは、剣を構えたまま動けなくなった。

「どうだ?あの娘の命を救いたいであろう。ならば、剣を捨てよ!皆も降参させるのだ。」
タロヒコはほくそ笑むように言った。
その時だった。
今度は、アスカの身にも変化が起きはじめた。首から下げた飾りの土笛が、突然、唸り始めたのだ。この土笛は、舟でモシオに流れ着いた時から、アスカの首にかけられていたものだった。その笛の音を聞くと、アスカの体は熱くなった。そして、突然、金色の光に包まれた。まだ幼さを遺していたアスカの体は徐々に大きくなり、見事な女性の体つきになった。そして、麻の服がちぎれ、薄くて白い絹の衣を纏った。あたかも女神のごとく、変貌した。
羽交い絞めにしていたキハチは、その光りにたじろぎ、全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。そして、「あうっ」と呻いたかと思うと、開いた口から黒い霧のようなものを吐き出した。
吐き出したものは、タロヒコの妖術でキハチの体に入れられた邪気だった。そして、そのまま、キハチは、その場にぱたりと倒れ込んだ。
「なんだ?あの娘は・・あやつも力を持って居るのか?」
タロヒコも、驚いた様子だった。

アスカの体は、空中に浮かんだ。そして、大男たちとカケルの間に割って入った。
そして、土笛を吹く。その音色は、笛から聞こえるものではない。空高くから響いてくるようだった。その音色に大男たちは頭を抱え、のた打ち回る。やがて、全身から湯気を発し、ついには、頭から熔けはじめたのだった。
「さあ、カケル様。」
アスカが手を差し伸べる。カケルがその手を握ると、二人を暖かな光が包んだ。そして徐々に大きくなって、辺り一面、金色の光の世界へと変わっていく。
「タロヒコ、観念せよ!お前はもはや人ではない!魔物だ。魔物は成敗する。」
カケルが剣を振り上げた。
「何を、お前たちこそ、魔物ではないか!我と何処が違うというのか!」
そう言って、黒水晶を目の前にかざす。
すると、二人を覆う金色の光を黒水晶が吸い取っていく。
「さあ、息子たちよ、お前たちの命を奪ったこいつらに復讐するのだ!」
タロヒコは、そう言って、脇に構えていた息子たちに命じた。
脇に居たのは、モシオの砦を襲ったあの男だった。そして、もう一人は、ミミの葉まで殺めた男だった。しかし、二人ともすでに、眼を失い、腕もなくした、ただの屍である。タロヒコの妖術で動いているに過ぎなかった。
「王を殺すだけでなく、自ら王を名乗り、この国をどうしようというのだ!魔物となってまで、何が手に入れたかったのだ!」
カケルには、タロヒコが魔物に命を渡してしまうまでに落ちてしまった事を憂いた。

アスカが、今一度、土笛を吹いた。今度は、全て悪を赦してしまうような優しい音色が響いた。
「な・・なんだ、これは・・俺の体が・・やめろ・・やめろ・・や・・め・・て・・」
目の前のタロヒコが叫んだかと思と、息子たちとともに、急に、動かなくなった。
「さあ、カケル様、とどめを!」
カケルは剣を、振りかぶり一気に振り下ろした。
タロヒコの体は真っ二つに割れた。そして、先からさらさらと砂になって消えていく。そして、一陣の強い風とともに天高く登って行った。

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-ウスキの村‐21.ヒムカの未来 [アスカケ第2部九重連山]

21.ヒムカの未来
砦からは歓声が上がった。そして、ミコト達が駆け寄り、カケルとアスカを取り囲んだ。すると、二人の周りに溢れていた柔らかな光が徐々に小さくなり、カケルもアスカも、元の姿に戻っていく。そして、その場に、バタリと倒れてしまった。

二人が目覚めたのは翌日の夕刻だった。
館の外には、多くの村人が集まり、二人の様子を伺っていた。
傍らで、一人のミコトが、村人たちに、タロヒコとの闘いの様子を、話して聞かせていた。
目覚めたカケルは、隣に横たわっているアスカの顔を見た。あどけない表情で静かに眠っていた。
カケルは起き上がり、館の外へ出てきた。村人は、カケルの顔を見ると一斉に歓声を上げた。その声に、アスカも目を覚ました。そして、カケルと同様に館から顔を見せた。再び、歓声が上がった。
「これで、我らは安心して暮らせる。カケル様とアスカのお陰だ。」
皆、口々にそう言って二人を称えた。
「目覚めましたか?」
クスナヒコとクレがやってきて言った。
「はい。もう大丈夫です。」
「タロヒコの兵たちも皆消え去りました。これで、安心して暮らせます。」
クレが言うと、カケルが、
「回りの村にも、知らせを。これまでヒムカの兵に怯えて暮らしていました。もう怯えることなく暮らせる事が判れば、明日への希望も湧いてくるはずです。」
「はい、すでに村のミコト様たちが、辺りの村へ走り知らせているはずです。・・そう、ズク様も昨夜のうちに、ミミの浜へ戻られました。きっと今頃は、ノベやウスキにも知らせが届くでしょう。」
「それは良かった。ありがとうございます。・・・キハチ様は?」
「・・・まだ、目を覚ましておりません。・・・随分、苦しんでおられるようです。」
クレが心配な口ぶりで答えた。
「キハチ様は、タロヒコの動きを探るために、傍を離れずにいたために、あのような事になってしまったのです。どうか、許していただきたい。そして、どうか・・元気になるまでこの村で介抱していただけませんか。」
カケルは、事情を話し、許しを乞うた。
「わかっています。しっかり養生いただくようにしますから、ご安心を。」
クレの言葉に、カケルは安心した。
「カケル様、これからどうされます?」
クレは、アスカの顔をちらりと見てそう言った。少しカケルは考えてから言った。
「私は、まだ、アスカケの途中なのです。まだやるべきことがたくさんあるのです。」
アスカは隣でカケルの言葉をじっと聞いていた。
「王とタロヒコの悪行によって、貧しい暮らしに喘いでいた人々の力になりたいのです。しばらく、ヒムカの村を回って、自分にできる事をやろうと思います。そして、ウスキへ戻ってみようと思います。」
「そうですか・・ここでともに暮らしていただく事も考えておりましたが・・・」
クレは少し残念そうに言った。
「クレ様、一つお願いがあります。」
「何でしょう?我らにできる事ならば、何なりと・・」
「ここの塩を、多くの村へ分けてやって欲しいのです。いや、ただ分けるだけではなく、そう・・村と村が自由に行き来して、それぞれの村の産物を分け合えるようにして欲しいのです。・・昔、モロの村で聞いたのですが・・ヒムカの大王は、この国を豊かで穏やかな、そして強い国にしたいと願われていたそうなのです。そして、そのためには、それぞれの村に住む人がそれぞれのできる事を精一杯やり、支えあって生きていく事が大事なのだと。・・王が居なくなったこの国は、またタロヒコのような悪しき者が支配しようとするかもしれません。しかし、一つひとつの村が豊かで、お互いの村が助け合っていれば、そうした悪しき者がのさばる事も無いでしょう。このモシオの村がその要になっていただきたいのです。」
「そうしましょう。・・我らとて、それは望むべきことです。・・人々が行き交い、分け合い、助け合い、強く豊かな国となるよう精一杯働きましょう。」
クレもクスナヒコも、カケルへ誓った。
「一つ、私からもカケル様にお願いがございます。」
クレは、再び、アスカの顔を見て、にこりとした顔を見せて言った。
「カケル様のアスカケに、アスカを連れて行ってもらえませんか?」
カケルは、アスカの顔をじっと見た。アスカは真っ赤な顔をしていた。
「・・・それは・・私も考えておりました。・・少し、アスカと相談させてください。私の旅は、楽なものではありません。ここに居たほうが、アスカには幸せかもしれません。・・旅立つかどうか、じっくりと相談して決めさせてください。」

カケルとアスカは、夕暮れの浜辺に居た。
目の前の海は、もう宵闇が広がりつつあった。カケルは、どう切り出そうかと迷っていた。
「アスカ・・・もう体は大丈夫か?」
タロヒコの戦いの最中、アスカの体は突然の変貌を起こしたのだ。カケルも同様、しばらく動けなくなるほど負担がかかるのだ。まだ少女のアスカには、もっと大きな負担になっているに違いなかった。
「もう、大丈夫です・・」
「以前にもあんなことが?」
「いえ、初めてです。体が熱くなり自分じゃないようで怖かったけれど、カケル様をお助けできて嬉しかったです。」
「そうだな。お前の助けが無ければどうなっていたか・・・どうやら、アスカも私も、何か特別な因縁を持っているようだな。・・・これから、どうする、アスカ?」
「カケル様がお許しくださるなら、私はカケル様とともに行きたい。」
「そうか・・そうだな・・・きっと二人でいたほうが良いだろう。ともに行くか!」
カケルの言葉に、アスカは飛び上がって喜んだ。そして、再開した時同様、カケルに抱きついたのだった。
「カケル様、私は生まれた国を知りません。・・遠く、海ばかりみて暮らしておりました。もし、アスカケの旅の途中、故郷を知る術があるなら、ともに探していただきたいのです。」
「そうか・・なら、それがお前のアスカケになるのだな。」
「はい。」

それから、数日後には、カケルとアスカはモシオの村を旅立った。大勢の村の人が砦から見送った。
「さあ、厳しい旅になるかも知れぬが、助け合い進もう。」
カケルは、そう言ってアスカとともに、葦の原から北へ続く道を進んだ。

夕暮れの海3.jpg

-ウスキの村‐22.ふたたびウスキへ [アスカケ第2部九重連山]

22.再びウスキへ
カケルとアスカは、海岸沿いを北へ進んだ。タロヒコが南下する際に、破壊しつくした村を廻り、家を修理し、田畑を作り、病があれば薬草を探し、自らできることは全てやった。
時には、一つの村に半年近く逗留する事もあった。

タロヒコを討ち果たした事は、行く先々の村は皆知っていた。そして、カケルが村を訪れると、皆、涙を流して歓迎した。周囲の村からも、使いがやってきては、次には我が村へと請われるようになった。そうやって、ヒムカの国の多くの村を少しでも元気になるよう働く日々が続いた。アスカは、四六時中、カケルとともに凄し、カケルから様々な事を学んだ。

村を回る旅は、カケルの予想よりも伸びてしまい、三年近くの歳月が流れていた。
まだ幼かったアスカも、すでに17歳となっていた。
カケルは、15歳でナレの村を出て、22歳を迎えた。

二人は、山深い村を回っていた。
「さあ、この峠を越えると、五ヶ瀬の里に着く。その先はウスキの村だ。」
九重の山深い地を回るようになってから、カケルはアスカに「ウスキへ行こう」と何度か聞いていた。ウスキには、イツキが居る。その事を考えると、アスカはどこか心がざわついた。
「ウスキの村には伊津姫様がいらっしゃるんですよね。」
「ああ、いつか戻ると約束したからな。しかし、随分、時が掛かった。もう立派な姫様になられただろうな。」
「お綺麗な方なんでしょうね?」
アスカの言葉の意味が、カケルにはよくわからなかった。
「幼い頃からずっと一緒にいたからなあ・・兄妹のようなものだ。・・」
峠道を登りながら、カケルはそう呟いた。
「何だか、悔しい。・・私は、こんなにずっとカケル様といるのに、知らない事ばかり。・・」
「そうか?・・・」

ちょうど、峠の頂上に差し掛かった。開いた場所から、はるか眼下に。五ヶ瀬の里が見えていた。
カケルとアスカは、峠を越え、五ヶ瀬の村に入った。
二人を見つけると、村人たちはすぐに、カケル達だと判り、村人が次々に集まってきた。どの村でも、ほぼ同じように、こうしてカケルたちは歓迎された。タロヒコを倒し、国に平和を取り戻した勇者、そして、村を救う賢者として、ヒムカの国中に、カケルの名は知れ渡ってしまっていた。人々の期待の大きさに、精神的にも辛い時もあったが、アスカの存在が、カケルを支えていた。

モシオを出て、しばらくは、疲弊した村を立て直すために、多くの仕事があったのだが、1年過ぎた頃には、行く先々の村も随分豊かになり始めており、次第に、カケルの仕事は、人々にヒムカのほかの村の様子を語り伝える事に変わってきていた。

ここ、五ヶ瀬の村は、山深く、ヒムカの兵に襲われることなく、平和に過ごしてきたようだった。さらに、隣国の火の国との行き来もあり、暮らし向きも良かった。
カケルたちは、村人に、村の長の下へ案内された。
「これは、カケル様、よくおいでくださいました。様々な奇跡を起こされこの国を救われた勇者のお話は、この地にも届いております。我が村でも、是非にも、村々のお話をお聞かせくだされ。」
白い髭を伸ばした村の長は、笑顔でそう言って歓迎してくれた。
「そちらが、アスカ様ですか?」
アスカはそっと頭を下げる。
「・・なんと美しい方だ・・カケル様もお傍には女神様が居られるとお聞きしていてはいたが、これほど美しいとは・・・」
村の長はそう言って、アスカに手を合わせて、神を拝むようにしてみせた。アスカは照れた。

「ここは、無事だったようですね。」
「はい・・こんな山深いところまでは、ヒムカの兵は来ません。それに、隣国からいろんなものが届きますので、それほど不自由な暮らしでもありません。それより、隣国に怪しげな動きがありまして・・・。」
「怪しげな動き?」
「はい、ヒムカの王が倒れた話は、すぐに火の国にも伝わっております。山を超え、火の国の使者がこの村を抜け、ウスキへ向かいました。」
「ウスキへ?何の使者なのですか?」
「クンマの里より来たのだと申しました。火の国には、王は居らず、火の山に里を持つアソ一族と、球磨川の畔に里を持つクンマ一族とが、お互いに助け合い、行き来しておりました。ヒムカの大王が健在の頃には、我が村を通り、大いに行き来もありましたが・・・。」
「クンマの里の者は何の用でウスキへ?」
「さあ、詳しくはお教えいただけませんでしたが・・倒れたヒムカの王やタロヒコの存在は、火の国にも脅威となっておりました。それが無くなったことで、何か動き始めたのかもしれません・・。」
「戦のような事が起こるのでしょうか?」
「さあ・・これ以上は・・」

村の長との話を終え、カケルは、胸騒ぎがしていた。ウスキの村へ隣国からの使者が行った事で、イツキやエンの身に良からぬ事が起きていないか心配になっていた。

翌朝、カケルは、アスカとともにすぐにウスキへ向かうことにした。
「カケル!そんなに急いでどうしたの?」
アスカはカケルが黙々と峠道を進んでいく後姿を追うのが精一杯だった。
「何か、胸騒ぎがして・・皆に災いが無ければよいが・・」

深い谷に貼りつくように伸びる山道は、右左へ折れ曲がり、なかなかウスキの村は見えなかった。峠を二つばかり越えたところで、ようやく、深い淵に守られたウスキの村が見えてきた。
村の中には、一筋の煙があがり、穏やかな様子が感じられた。

-第3部へ続く-



高千穂渓谷4.jpg
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