SSブログ

3-3 須藤夫妻 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「ねえ、覚えてない?須藤よ。須藤栄子。」
そう名乗る女性の声は優しかった。それでもマリアは返事をしない。
「憶えてないか・そうよね。あなたにあったのは、まだ、あなたが三才だったから・・。」
マリアはゆっくりと振り返り、その女性を見た。その瞬間、マリアの脳裏には、日本にいた頃の思い出が沸き上がってきた。
この女性は確か、施設の保母さんだった。いえ、お母さんの代わりだった人。
明るい笑顔でいつもマリアの傍に居て面倒を見てくれた。手作りのおやつが何より好きだった。十年ほどの短い人生ではあるが、この女性と過ごした時間は、なににも代えがたい幸せな時間だった。
「栄子ママ?」
マリアの口から思いがけない言葉が出た。自分でも驚いている。
「あら、覚えていてくれたの?良かった。人違いだったらどうしようって思っていたのよ。」
あの頃と同じ笑顔を見せて、須藤栄子は答えた。
須藤栄子は、両隣りに座る老夫婦を見て、訝し気な表情に変わった。
「その人たちは誰?」
マリアは何と答えてよいか判らず黙っていた。
「あなた、確か、アメリカの親戚に引き取られたはずだけど‥。その人たちじゃなさそうね。」
マリアは何も答えなかった。栄子は、マリアがアメリカに行き、幸せに暮らしているのだと思っているに違いない。マリアはそう考えた。
須藤栄子は、マリアの耳元で囁くように言った。
「もしよかったら、私と一緒に来ない?」
マリアは、この先どうすればよいか判らずにいた。
須藤栄子の許なら、暫くはゆっくり過ごせるかもしれない。いや、しかし、施設が自分の居場所を探しているとしたら、真っ先に、須藤の許に来るかもしれない。肯定と否定の両方が頭の中を這いまわる。
「どうする?」
須藤栄子は、もう一度訊いた。迷っている場合ではない。このまま、この老夫婦を操ることは出来ない。それなら、須藤について行った方が良いに違いない。
マリアは小さく頷いた。
バスが、静岡駅に到着した。前方の席から順に客が降りていく。老夫婦もゆっくりと立ち上がり、通路を進む。そのまま、バスを降りると、真っすぐ、コインロッカーに向かった。
入口辺りに着いた時、マリアは思念波を解除した。
老夫婦は、暫くぼんやりとしていた。自分たちが今どこにいるのかさえ判らない様子で、立ち尽くしている。
その様子を見ながら、マリアは老夫婦の許を離れる。直ぐ、後ろには須藤栄子が歩いてきた。マリアに近づくと、そっと、駅の前方を指さした。
「あそこに迎えが来ているから。」
マリアと須藤栄子は、タクシー乗り場を横切り、送迎用の駐車スペースに向かう。
送迎用の駐車スペースには、1台の古いセダンが止まっていた。栄子が近づくと、ヘッドライトを二度ほど光らせて合図した。
須藤栄子は、手を上げて答え、少し早歩きで車に向かう。運転席のドアが開いて、男性が降りてきた。そして、栄子から荷物を受け取り、トランクにしまい込む。
ふと振り返った時、マリアの姿を見た。
「おや?この子・・まさか・・。」
「そう、思い出した?真理亜ちゃんよ。」
「えっ?真理亜?・・でも、どうして?」
その男性は、驚きを隠せない。
「私もびっくりしたのよ。さっきのバスで偶然・・でも、初めは信じられず、ずっと迷っていたの。でも、やっぱり、真理亜ちゃんだと思って、声を掛けたのよ。」
須藤栄子は、嬉々として話す。
「いや・・奇跡だな・・まあ、いい。家までの道中、ゆっくり話しながら行こう。さあ、どうぞ。」
マリアは何も言わずに、ずっと二人のやり取りを聞いていた。
この男性は、須藤栄子の夫、須藤英治だった。
この二人にマリアは三歳から五歳までの三年間育てられた。
実の父や母の記憶は全くなかった。だから、この二人が自分の父母であると信じていた時期もある。三年間、彼らは優しく、何不自由なく暮らしていた。父役である英治は、手先が器用で、いろんなおもちゃを作ってくれた。母役の栄子は、料理が上手く、とにかく明るかった。この二人とともに過ごした時間は、マリアには、かけがえのないものだった。
栄子とマリアは、後部座席に座る。
小さくて古いセダン。シートに座るとどこからかギシギシという音が聞こえる。
「さあ、家に帰ろう。」
そう言って、須藤英治は車を走らせる。
「アメリカの暮らしはどうだった?」
須藤英治がルームミラーをちらちら見ながら、マリアに質問する。マリアは答えられない。その様子を見て、栄子が話題を変える。
「実はね、あなたがあそこを出て行ってから、あの家は閉鎖したの。次に来る子供も居なかったし、私たちも歳を取ったから、もう、子どもを預かるのは止めようって決めてね。今は、山の中の別荘地に住んでいるのよ。静かで良いところよ。」
「ああ、良い所だよ。真理亜もきっと気に入るよ。」
運転席の英治が応えるように言った。
車は、流通センター通りを北上し、新東名・新静岡インターに入る。そこから東へ向かう。深夜遅い時間で、前後を走るのは大型トラックばかりだった。須藤の古いセダンは、法定速度を大幅に下回るゆっくりした速度で走る。時折、大型トラックが「危ないぞ!」と言わんばかりに、パッシングやクラクションで警告して追い抜いていく。
「なあに、1時間ほどで着くから、心配いらんさ。」
須藤英治は、ハンドルを固く握り、前方を凝視しながら運転している。高速道路には慣れていないのが明らかに判る様子だった。
「真理亜ちゃんは、どこか行きたいところはある?」
栄子に訊ねられ、マリアは答えに困った。
アメリカの施設から逃げ出したかった。ただそれだけだったが、トンプソン夫妻の許にいた時、施設からの捜索の手が伸びてきた。咄嗟に、日本に行こうと決めた。そして、僅かに記憶に残っていた富士山が見える場所、そこに行きたいと思ってきた。目指していたところは、この須藤夫婦と過ごした施設なのだった。だが、それが閉鎖されたと知った今、どこか行きたいところと訊かれても、答えはない。唯一言える事は、この夫婦の許に居たい、そういうことに尽きる。
マリアは小さく首を振る。
「まあ、それはゆっくり考えればいいだろう?」
ハンドルを握っている英治がルームミラー越しに言う。
「そうね・・今日はもう遅いし、家に着いたらゆっくりと休むと良いわ。私も少し眠るわ。真理亜ちゃんも、少し眠るといいわ。英治さん、着いたら起こしてね。」
栄子はそう言うと、少し、体を傾け目を閉じた。マリアも栄子に少し体を預ける形で目を閉じた。
久しぶりに、周囲に神経をとがらせず、眠れた。
車は、新東名を降りて、山中の幹線道路を進み、十里木高原の別荘地に入る。
深夜で、周囲は漆黒の暗闇が広がっていて、須藤英治の運転する車のライトだけが、別荘地の中を進んでいく。
「着いたよ。」
英治は、優しく声をかける。
「あら・・早かったわね。」
すぐに、栄子は目を覚ますと、熟睡しているマリアを見た。
「疲れていたのね・・・。」
「そうだろう。たった一人、アメリカからの逃避行。僅か十歳の子どもにできることじゃない。」
「大丈夫でしょうか?」
「まあ、すぐに連絡をしておこう。それほど日数は掛からないだろう。それまでは昔のようにしていればいいだろう。」
二人はそんな会話をして、マリアを抱き上げて家の中に入った。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

3-4 十里木の館 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

マリアは、顔に当たる朝の光の眩さで目を覚ました。綺麗なパジャマに着替え、ふかふかのベッドにいることに気付いた。そして、ここが須藤夫妻の新しい家なのだと判った。
マリアはベッドを降り、ドアを開ける。階段の下から、美味しそうなにおいがする。階段を下りていくと、栄子がキッチンに立って朝食の準備をしていた。
「あら、目が覚めたの?もっと寝ていてもいいのよ。」
栄子は、マリアをちらりと見てそう言うと、手元のフライパンに視線を移す。
「英治パパは?」
マリアが訊くと、キッチンの出窓を指さして、
「庭にいるわ。小さな畑を作っているの。朝食用のトマトとレタスを取っているはずよ。」
と、栄子が言う。マリアは、キッチンの勝手口を開くと、そこには麦わら帽子をかぶった英治の姿があった。
「おはよう。よく眠れたかい?」
英治が、籠に摘んだレタスとトマトを抱えて、笑顔で言った。
その様子をじっと見ているマリアを見て、
「どうだ?真理亜も収獲してみるか?こっちへおいで。」
そう言って手招きする。勝手口にある大きめのサンダルを履き、マリアは庭に出た。
家の周囲には、大きな木々が立ち並んでいる。屋敷の南側は広い芝生広場になっていて、屋敷の建物に近い、南の一角が畑になっていた。
「さあ、これを。」
英治は、収獲用のはさみをマリアに渡す。
「やってごらん。」
英治が、レタスの株元を指さして「ここを切って」と言う。言われるままにマリアは鋏を使うと、まだ、朝露に濡れたレタスの葉を収穫した。
「トマトもやってみな。」
頑丈な支柱にツルが伸び、真っ赤に売れたトマトが幾つもついている。
「ここを切るんだ。」
英治はそう言うと、トマトのへたの付け根を指差す。先ほどと同様に、マリアがハサミを動かす。大きなトマトがマリアの手に乗った。
「じゃあ、これを栄子のところへ持って行っておくれ。」
竹籠にいっぱいのトマトとレタス、ほかにも名も知らぬ葉物が入っていた。キッチンに戻ると、栄子が籠を受け取り、さっと水洗いして、皿に盛る。
「トマトは、スライスした方が良いかしら?それとも、このままかじってみる?」
栄子が、悪戯っぽくマリアに訊く。
ようやく朝食の支度が整い、光が差し込む窓辺の席で朝食を摂った。マリアの脳裏には、アメリカの施設に連れて行かれる前の、穏やかな日々の想い出が蘇っていた。父と母を亡くしたことは、まだ三歳だったマリアにはほとんど記憶がない。須藤夫妻と過ごした日々からの記憶しかなく、とても穏やかで幸せだったことだけが残っていた。五歳から十歳の五年間の空白はあるものの、今、マリアはあの日々と今が確かにつながっているように思えていた。
朝食のパンを手に取りながら、須藤英治は、マリアを見てしみじみと言った。
「あんなに幼くて弱々しかったマリアが、僅か五年でこんなにも大きくなるなんて・・・。」
少し涙ぐんでいるようにも見えた。
「このまま、ここに居てもらっても構わないからね。」
英治はそう言うと、窓の外を見た。何故か、それを聞いた栄子の顔が曇っていた。
朝食のあと、マリアは少し庭に出てみた。屋敷の周囲には、数軒の別荘があるようだが、人影はなく、静かだった。
北の方角には、木立の間から富士山が見えた。以前に居た家から見えた富士山よりも大きく感じた。
「部屋にお戻り!」
ふいに栄子の声が響く。朝に比べて少し厳しい声だった。
「近頃、不審者が出るってニュースがあったばかりなのよ。ここは別荘地でしょ?普段から人影は少なくて、留守を狙った泥棒も出るのよ。万一、真理亜の姿を見て、どこかへ連れて行こうなんて考える悪人がいるかもしれないでしょ?」
あの特別な力があれば、誘拐犯など造作もない。内心、マリアはそう思ったが、栄子の心配は充分に理解できた。
二階からは、クラシックの交響曲が聞こえている。英治が聞いているようだった。
「真理亜も、英治さんのところに行って、音楽でもどう?」
栄子に言われて、二階へ上がる。階段を上がると左右に幾つもドアが並んでいる。マリアは、そっと音を頼りに部屋に向かう。ノックをすると、「どうぞ」と英治の声が響いた。
ドアを開ける。壁一面にはレコードが並んでいて、部屋の中央にある大きめのソファーに英治は座っていた。富士山が見える北側の窓の下に、古めかしいオーディオ機器が置かれ、大きなスピーカーが四隅にあった。
「真理亜も一緒に聞くかい?」
マリアが頷くと、英治がソファーに座るように手招きした。
マリアは、英治の横に座る。四方に置かれたスピーカーから、まるでコンサートホールのような音が響いている。全身が音に包まれているような感覚だった。
バイオリンの音色がひときわ美しい。
アメリカの施設でも、初めの頃は、大部屋で朝夕、粗末なスピーカーからクラシック音楽が流されていた。情緒の安定に効果的な音楽だそうで、強制的に聞かされていたために、終いには、その音を聞くとかえって情緒不安定になるようだった。だが、今、ここで訊く音楽はとても心地よい。隣に英治が居て、温もりを感じながら聴く音楽は格別なものなのだと知った。マリアは、英治の体に寄り添うように座ってじっと聞いているうちに、うとうととしてしまった。

「お昼に時間よ。」
そう言って、栄子が部屋に入るまでマリアは眠っていた。目を覚ますと、英治もマリアと同じように眠っていた。
「まあ、二人とも、寝てたの?」
栄子はそう言って笑った。
「昼食だから降りてきて。」
そう言って、栄子が部屋を出ると、マリアと英治も続いてダイニングルームに向かう。
昼食はオムライスだった。
「好物だったわよね?」
栄子が訊く。そう言えば、栄子が作るオムライスが好きだった。施設に移ってから、こんな食事をしたことがなかった。貪るように食べた。
「午後から、買い物に行くけど、何か欲しいものはない?」
栄子が、マリアと英治に訊く。
英治は「特にないな。」と答えた。
マリアが答えないでいると、
「遠慮はいらないわよ・・そうそう、着替えの洋服を買ってきましょう。ええっと・・サイズは・・そうね、判ったわ。二人は留守番をしていてね。余り、外に出歩かないようにね。」
栄子はそう言うと、例の古いセダンで出かけて行った。
午後は、英治の書斎にある本を見せてもらったり、英治が長年かけて集めたレコードを見たりして過ごした。
夕方には、栄子がたくさんの食料品や日用品を抱えて買い物から戻って来た。
「これ、真理亜ちゃんに・・どうかしら?」
大きな紙袋の中には、衣服が幾つも入っていた。
「下着類は、前の施設で使っていた物を少し残してあるから使えば良いけど、洋服はやっぱり、流行りの物を着なくちゃね。」
栄子は満面の笑みを浮かべて、マリアにその包みを渡した。マリアはその日、自分の部屋で栄子からもらった洋服をベッドに並べた。アメリカの施設では、白い洋服だけしかなかった。この世には、白い服しかないのかと思うほど、洋服に関して感覚が麻痺していた様に思う。
目のまえに広がる洋服は、マリアをこの上なく幸福感で満たしてくれるのだった。

そんなふうにして、数日、穏やかに過ごした。

nice!(19)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

3-5 怪しげな車 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

いつものように、朝食を終え、英治と音楽を楽しんでいた時、玄関チャイムが鳴った。
「私が出るわ。」
キッチンから栄子の声が響く。玄関ドアを開けて、栄子が外へ出て行く音が聞こえた。
ここに来て二日ほど、須藤夫妻としか顔を合わせていなかった。この世界に須藤夫妻とマリアだけが生きているのではないかとさえ感じていた。
不意の来客で、マリアは一気に現実に引き戻されたように感じた。自分を探しているアメリカの施設がここを突き止めたのではないか。そう思うと、マリアは急に怖くなった。この幸せな日々が無くなる。マリアは、来客が誰なのかを探ろうとした。
目を閉じ、能力を使おうとした時、英治がマリアの肩に手を置き、声を掛けた。
「真理亜、今日はこの曲にしよう。良いかね?」
ハッと気づいて目を開ける。能力を解放する前だった。
「宅配だったわ・・・英治さん、何を注文したの?」
玄関から、栄子の声が響いた。
「ああ、そうだった。・・いや、アンプの調子が悪くて、真空管を手配したんだよ。なかなか手に入らない代物だからね。探すのに苦労したんだ。今、取りに行くよ。」
英治は、そういうと、オーディオルームを出て行った。
マリアは大きく息を吸った。
もし、あの時、能力を解放していたら、きっと、英治を苦しめていたに違いない。
不用意に能力を使うのは止めよう。ここに居る間はきっと心配ない。マリアは心の中でそう誓った。
窓の外を見ると、庭に栄子と英治の姿があった。
宅配の箱を抱えた英治が、栄子から何かを告げられている。
そして、英治は困った表情を浮かべているのが見えた。貴重な品物だと言っていたのだから、恐らく高価なものなのだろう。それを栄子に咎められているのだろう。そんな風にマリアは想像していた。
ふと、視線を富士山の方向へ向けると、別荘地の道路にトラックが止まっているのを見つけた。運転席の男は、黒いスーツを着ている。とても宅配のドライバーとは言えない格好をしている。そして、その男は、じっとマリアたちのいる屋敷を見ていた。
マリアの姿を確認すると、トラックは急発進して、その場を去った。
ぼんやりと、マリアはトラックを見送った。

暫くすると、英治が宅配の箱を抱えて、オーディオルームに戻って来た。
「見てみるかい?」
英治はそう言って、箱を開く。見た事の無いような形をしたガラスの棒状のものが、大事そうに包まれていた。英治はそっと、その物体をつまみ上げた。
「これが真空管。もう作っているところは減っていてね。ようやく見つけたんだよ。このアンプには欠かせないものさ。」
英治は、そう言って、ラックに収まっているアンプをゆっくり取り出して、テーブルの上に移動すると、カバーを開く。幾つも似たような部品が並んでいる。その一つを慎重に外すと、手に入れたものと交換する。そして、また、先ほどとは逆の手順でアンプをラックに収めて電源を入れた。
「さあ、どうかな?」
ターンテーブルにレコードをセットして、針を落とす。柔らかな音が室内に広がっていく。
「ああ、やっぱり、良いな。この柔らかい音はあの真空管独特のものだなあ。」
マリアにはよく判らなかった。
だが、英治が満足げな表情でそういうのだからきっとそうなのだろうと思う事にした。
「真空管はね、とても繊細なんだ。人が作ったものなのに、一つ一つ個性があって、アンプとの相性もある。大事に扱わないとすぐに壊れてしまうんだよ。」
英治は、音楽を聴きながら、独り言のように優しく話した。
キッチンには、栄子が居た。栄子は、届いたばかりの宅配の箱を開ける。日用品をいくつか注文したようだった。そして、全ての商品を出し終えると、箱の下敷きの段ボールを開く。そこには、書類と小さな錠剤が入っていた。
栄子は少し神経質な表情を浮かべて、その書類を読んでいる。そして、錠剤をしげしげと見つめたあと、冷蔵庫の奥へしまい込んだ。
一通りの動作を終えると、栄子はダイニングの椅子に腰かけ、大きく溜息をついた。
それから、スマホを取り出して電話を掛けた。
「はい、須藤です。届きました。」
電話からは、くぐもった男の声が聞こえた。
「今のところ、予定通りです。」
栄子が告げると、また、ひとしきり、男が何かを話している。
栄子は、何度か頷きながら、男の話を聞いている。
「大丈夫です。気づかれてはいないはずです。」
そして、また、男が何かを話した。急に、栄子の顔が曇る。
「そんな事・・。」
栄子がそう答えると、電話口の御子との声が強く響いたようだった。
「判りました。でも、大切にして。」
栄子の話が終わらぬうちに、電話は切れたようだった。
それから、2階へ上がる階段の方を見つめて、再び、溜息をついた。
オーディオルームにいたマリアは、レコード1枚が終わると、リビングへ降りてきた。栄子の姿はなかった。
マリアは、なにか不穏な空気を感じた。思念波ではなく、直感的になにか良からぬものが近づいてきているような気がした。
「栄子ママ!栄子ママ!」
栄子のみに何か良からぬことが起きたのではないか、そんな感じがして、マリアは大きな声で栄子を呼んだ。しんと静まり返ったリビング。その声に驚いて、2階から英治が降りてきた。
「どうしたんだい、真理亜。」
慌てた様子のマリアを宥めようとして、英治はマリアの頭を撫でた。その瞬間、僅かだが、真理亜の思念波が英治の中に入ってしまった。英治は体を震わせて、その場に座り込んだ。
「英治パパ!」
叫び声を上げてマリアは英治に呼びかける。英治は意識を失っていた。
「どうしたの?」
庭から籠を抱え、慌てて栄子が入ってくる。
「パパが・・」
マリアは大粒の涙を溢して、英治の体に縋っている。栄子には何が起きたのかすぐに判った。マリアがまだ、英治たちの元で育てられていた時、似たようなことが何度かあった。そして、それが、マリアが持つ特殊能力であることも、栄子は知っていた。
「大丈夫よ。すぐに気が付くわ。・・時々、そうなるの。持病なのよ。」
栄子は、平然とした雰囲気で、マリアに言った。
いや、そうじゃない、自分が特別な力を使ってしまったからだと、マリアは告げたかった。だが、それを知れば、きっと、須藤夫妻の許に居られなくなるにちがいない。そう考えたマリアは、ただ泣くだけだった。
「しっかりしてよ。」
栄子はそう言いながら、倒れ込んでいる英治の体を何とか支えて、ソファに運んだ。
「大丈夫、大丈夫。1時間もすれば気が付くわ。ちょっと、彼を見ててね。薬を持ってくるから。」
栄子は、寝室に行き、栄養剤の錠剤を手に戻って来た。
「真理亜、お水をお願い。」
栄子は、マリアからコップの水を受け取り、英治の頭を少し持ち上げ口を開かせて、ビタミン剤を何とか飲ませた。別に効果があるわけではない。ただ、持病の薬だとマリアに思わせるためだった。
栄子の言った通り、1時間ほどで英治は目を覚ました。
「あら、気が付いた?・・疲れているのよ、寝室でお休みなさい。」
栄子は、英治にそう言い、寄り添うようにして、寝室へ向かった。

nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

4-1 十里木高原 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

十里木高原へ向かう途中、剣崎はずっと押し黙ったままだった。
一樹は、剣崎はいつもとは随分違って神経質に見え、何かに怯えているようにも感じられた。
「剣崎さん、何かあるんですか?」
一樹は思わず訊いてしまった。
そう訊かれて素直に打ち明けるタイプの人間でないことはとうにわかっていた。だが、どうにも我慢ならず、訊いてしまったのだった。
剣崎は、一樹をちらりと見たが、目を伏せ、やはり何も語らなかった。
十里木高原は、富士の裾野のある、愛鷹山の北の山間に位置しており、大型リゾート施設やゴルフ場などがあり、大きな観光地でもある。
その一角に、十里木高原の別荘地が開かれていた。別荘地は幾つかの区画に分かれていて、亜美が教えた住所地は、別荘地B区画のはずれに位置していた。
トレーラーでは動きづらいため、別荘地入り口にあるドライブインに停め、そこからは、カルロスの運転する車に乗り換えた。
閑静な別荘地と言えば聞こえは良いが、空地となっているところも多数ある。さらに、長年放置された建物もあり、辛うじて、道路だけは整備されていた。入口に管理会社の建物はあるが、無人になっていて、暫く使っていないように見えた。
道幅は比較的広い。私道の為か、舗装はあちこちで剥がれていて、応急処置したような跡が所々にある。外周道路と区画内に通じる道路が網の目のように繋がっていて、敷地内のあちこちに立っている看板で現在地を確認しないと迷子になりそうだった。外周道路の外側は、半ば原生林に近く、手入れも出来ていない為、倒木も見える。蔦が絡まり苦しそうな木々もあった。
外周道路からしばらく進み、A区画からB区画へ入る。A区画に比べ、どの家屋も大きく立派だった。
「ここのようですね。」
住所地には、コンクリートと石で造られた建物があった。
かなり古いようだが、頑丈そうな建物で、研修所にでもなりそうな巨大な別荘だった。外から見る限り、放置されたものとは思えない。玄関回りも庭も綺麗に手入れされている。垣間見える庭には、緑の芝生が広がっている。
入口の門も石作りで、「須藤」という名前が辛うじてわかる小さな表札があった。
「行きましょう。」
一樹が車を降りようとした時、剣崎が制止した。
「今は止めておきましょう。」
剣崎は、先ほどから何か苦しそうな表情を浮かべている。
「どうしてですか?ここまで来たんですよ!」
一樹は剣崎の言葉が信じられず、思わず大きな声を出した。
剣崎は、右手で頭を少し押さえながら、一息置いてから言った。
「もし、そこにマリアが居たとして・・・今の・・私たちに保護できると思う?」
少し息遣いも苦しそうだった。
「どういうことですか?」
「彼女にとって私たちは得体のしれない人間、警戒するはず。あの施設へ連れ戻される。そう思った時、彼女はどうするかしら?」
名古屋の事件を思い出せば、容易に想像できた。
自分で命を絶つか互いに殺し合うか、いずれにしても無事ではいられないだろう。命があったとして、山科夫婦の様に、一切の記憶を失ってしまうかもしれない。余りに無防備なのは明らかだった。
「しかし、彼女の所在を突き止めなければ・・。何か方法はないか・・。ここまで来て・・。」
一樹が悔しさを隠しきれずに言う。
「レイさんが居れば、きっと・・。」
と、剣崎もくやしさを隠さず言う。
「ワタシガイクヨ!」
運転席にいたカルロスが口を開いた。
「ダイジョウブ。ダイジョウブ。」
カルロスに特別な力があるわけではない。警戒され、命を奪われるようなことがあっても、それは自己責任。誰も悲しむ者はいない。何か起これば、そこにマリアがいることは明らかになると言いたげだった。
「ダメ!一旦、戻りましょう。」
剣崎は強い口調で言った。
車が動き出し、大通りに戻るため、一旦、山手の方へ向かった時、ちょうど須藤の別荘を正面から見る角度になった。芝生の広がる庭、そこに向かって大きく開いた窓があった。そこに、人影が確認できた。そこに、少女の姿があった。一樹は、その少女と目が合ったように感じた。
そのとたん、一樹は、頭の中に強い衝撃のようなものを感じ、「うっ」と声を上げて、のけぞった。
「いけない!」
剣崎が、急変した一樹に驚いて、肩を揺する。
「しっかりして!」
そういうマリアも随分つらそうな表情を浮かべている。
一樹の頭の中には、マリアの思念波が絡みついている。
一樹の意識は、今、幾つもの縄に縛られていた。そして、その縄は徐々に締まってくる。
息さえも出来ぬような感覚。
そして、繰り返し頭の中に響くのは、『あなたは誰?』という言葉だった。
抗おうとする一樹の意識は、さらに苦しく締め付けられる。
一樹は完全に意識を奪われている。

「カルロス!急いでここを離れて!」
別荘地から大通りへ出る道を急いで走り降りる。
何度かタイヤが鳴り、何とか別荘地を抜け、途轍もない勢いで通りへ飛び出してきた車は、そのまま、道路を横切り茂みに突っ込んだ。
ドライブインに停まっていたトレーラーから、アントニオが慌てて走り寄って来た。
「ボス!BOSS!」
アントニオがドアをこじ開け、剣崎を抱き上げ運び出す。一樹とカルロスが運び出された時、剣崎が目を覚ました。
「しっかりしなさい!」
剣崎は一樹の頬を打つ。
何度か頬を打たれて、一樹はその痛みで徐々に意識が戻ってきた。そして、大きく息をついた。
一樹がゆっくりと目を開ける。
目の前には剣崎の顔があった。
「やっと、気がついたようね。」
剣崎は、安堵の表情を浮かべた。だが、当の剣崎も、額や目から血を流している。
「カルロス、大丈夫?」
必死に運転していたカルロスは完全に意識を失ってしまっていた。
無意識のうちに運転をしたようだった。
「彼なら大丈夫!」
アントニオが介抱している。
「私は何とかバリアを作って意識を守れたけど、あなたたちまでは守れなかったわ。」
一樹はまだぼんやりとしていた。
頭の中に、小さな虫が入っているような、気持ちの悪い感覚が強く残っていて、自分が自分ではない様な、そんな感覚もあった。
「マリアはやはり力の制御ができないようね・・・。あそこにいるのは判ったけど・・。」
剣崎はそう言うと、マリアが潜む別荘の方角を見る。
アントニオが一樹とカルロスをトレーラーに連れて行き、休ませた。カルロスは比較的早く回復し、茂みに突っ込んだ車を動けるようにして、修理のため市街地へ戻った。
一樹は、まだ、マリアに操られているのか、ぼんやりとした表情で、ベッドに横たわっている。
剣崎は、暫く、ここで、マリアたちの動向を監視する事にした。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

4-2 生方からの情報 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

丸一日が過ぎた頃、亜美から、三島駅に着いたという連絡が入った。カルロスが、駅まで迎えに行き、夕刻にはトレーラーに戻って来た。
亜美は、石堂りさを伴っていた。石堂りさは、前の事件でMMという組織から追われ、新道レイの許に匿われていた。
トレーラーのベッドルームで、ぼんやりとした表情を浮かべて横たわっている一樹を見て、亜美は言葉を失った。
剣崎が一通りの経緯を簡潔に話したところで、亜美はようやく平静になれた。
「元に戻るんでしょうか?」
亜美は剣崎に訊いた。
「判らない・・今は、まだ、マリアの強い思念波が意識の中に絡みついているのだと思うわ。徐々に薄れていくとは思うけど・・。」
実のところ、剣崎は、三保の老夫婦の姿を思い出し、もしかしたら、これまでの事を全て忘れてしまっているかもしれないと心配していたのだが、亜美には告げなかった。
「おそらく、彼はマリアの姿を見たのでしょう。私やカルロスよりも影響を受けているのが証拠。彼女は、あの別荘にいる。」
剣崎はそう言うと、マリアが潜んでいる別荘の方へ視線を向けた。
「レイさんは?」
亜美は、レイが拉致されたことを、ここへきて初めて知った。石堂りさも、心配な表情を浮かべ、剣崎の答えを待った。
「レヴェナントと呼ばれる組織に拉致されたのは確か。ただ、今、どこにいるのか。彼らには特殊な能力がある。駅前の監視カメラやNシステムもきっと改ざんされているでしょう。厄介な相手が関わってきてしまったわ。」
剣崎が答えると、石堂りさが訊いた。
「無事なんでしょうか?」
りさは、レイの許に匿われ、新しい人生を送ることができている。レイは命の恩人である。自分の命と引き換えにしても守らねばならないと自分に誓っている。
「きっと大丈夫。おそらく、彼らは、マリアに接触する為にレイさんの能力を必要としたはず。目的を達するまでは無事よ。」
「でも、目的を達した後は・・。」
と、りさが呟くと、剣崎はりさの目を見て言った。
「そうはさせない。彼らより早く、マリアに接触し、保護するの。りささんも協力して。」
「はい。私にできることは何でもやります。」
りさは、MMという組織で短期間に高度な訓練を受けていた。一樹や亜美よりも高い戦闘能力を持っており、それは、カルロスに匹敵するものと言えるだろう。
「剣崎さん、これを見てください。」
亜美は気を取り直して、カバンからパソコンを取り出し、モニターに接続した。
モニターには、いくつかの鮮やかな色どりの絵画が映し出された。
「これは生方さんから送られた映像データです。」
絵画などの映像を使って暗号文を送る手法は以前にも見た事がある。だが、大抵は、単純な方法ですぐに解読することができる。そういう類のものを生方が送って来たのかと、剣崎は余り期待できない様子を見せた。
「そして、これをこのアプリで開くと・・。」
亜美はそう言うと、マウスをクリックした。
モニターに映っていた絵画が徐々に色を失っていく。そして、さらにもう一度クリックすると、絵画が、いくつかの表や文字へ変換されていく。
剣崎はじっとモニターを見つめている。初めて見る暗号手法だった。それ程まで細工された暗号で送る情報は、恐らく、極めて危険な情報に違いなかった。
「これは・・・。」
剣崎がモニターを見つめながら口を開く。
「判りますか?」
亜美が剣崎に訊く。
「ええ・・これは、あの施設で作成された文書ね。・・似たようなものを見たことがあるわ。」
「それはたぶん、剣崎さん自身のデータ文書でしょう?」
亜美が、いくつかの会がデータから浮かび上がった文書を並べながら剣崎に訊く。
「ええ、そう。私が施設からFBIへ行く時に渡された文書の束・・・施設での研究データや私の能力に関する記録だったはず。でも、どうしてこんなものが・・。」
剣崎は驚いた表情を浮かべて訊いた。
「生方さんは今、そういう仕事をしているそうです。」
剣崎は哀しげな表情を浮かべ、
「無事だと良いけど・・。」
と呟いた。
「一通り、この文書を読んでみました。剣崎さんが話された通り、マリアは途轍もなく恐ろしい能力をもっています。施設内でも何人も自殺する事件が起きているし、周囲にいる人間は無事では済まない。早く保護しないと大変なことになりますね。」
亜美の言葉に、剣崎は、なにをいまさら・・という表情で聞いていた。
「ただ、どうしても内容が判らない文書があるんです。」
亜美はそう言うと、手書き文字の文書の画像をモニターに拡大した。
それは、ノートをコピーしたようなものだった。数字やアルファベットがぎっしりと並んでいて、これを書いた人物はとてつもなく几帳面か、変質的な性格ではないかと思える代物だった。
「これは暗号文書ですね。」
横で見ていた石堂りさが口を開く。剣崎は小さく頷く。
「読めますか?」
更に、石堂りさが剣崎に訊く。
「いえ・・判らない。おそらく、あの施設で書かれたものではないわ。あの施設の情報は外には出ないことが前提だから、暗号化する必要がないから。他の文書は暗号化されていなかったでしょ?」
剣崎は石堂りさを見て、返答した。
「ええ・・。」
剣崎は再び、その暗号文書に目を向ける。
何かヒントになるものはないか、暗号文書はFBIでは幾つも目にしてきた。もしかしたら、そのどれかに近いものではないか、そう考えながら丹念に並んでいる数字を読み解こうとした。だが、皆目見当がつかない代物だった。
「おや、これは?」
剣崎はモニターに近付き、暗号文書の画像の隅の方を食い入るように見た。
そこには、数字とは違う、記号のようなものがあった。
「これは何かしら?ここをもっと大きくしてみて。」
亜美が言われた通りに画像の一部を拡大する。
余り画質が良くない為、拡大すると粗くなり、それ自体がどういう形かさえ判らなくなる。何度か拡大や縮小を繰り返しているうちに、何とか文字らしきものと判読できるものになった。
「これって・・勝という文字じゃないかしら?」
剣崎の言葉に、亜美と、りさも、モニターに近づいてじっと見つめる。
「ええ・・そう読めますね。」
りさが答える。
「文字からすると、日本で書かれた文書ね。あの施設やFBIの文書じゃない。富士学園かしら?」
剣崎が言う。
「えっ、富士学園ですか?。しかし、あそこはマリアを一時保護していた児童養護施設ですよね。そこが、こんな暗号のような文書を?」
亜美が反論するように言う。
「富士学園は普通の児童養護施設ではないはずよ。アメリカの特殊機関と繋がっているのは確か。もしかしたら、あの機関の日本支部という可能性だってあるわ。」
剣崎が言う。
「何のために、アメリカの特殊機関が・・。」
亜美の疑問はどんどん広がっていく。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

4-3 富士FF学園 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎は、十里木高原に来る前に、須藤夫妻の所在を探して、静岡市蒲原の住所を訪ね、富士FF学園に行きついたことを亜美に話した。そして、その学園がすでに閉鎖されていたこと、周囲の住民から迷惑な存在だったこと等を伝える。
「でも、それだけじゃ、怪しいと決めつけるのは早計だと思います。」
亜美は反論する。
「よく考えてみて。マリアが日本に来て、名古屋から長距離バスに乗った。そしてそこに、昔の施設の親代わりの女性が乗り合わせた。・・そんな偶然があるかしら?」
剣崎が言う。確かにその通りだった。あまりにも出来過ぎている。
「それに、私たちが静岡駅に着いた時、レヴェナントに監視されていて、レイさんが拉致された。私たちの動きは知られているのよ。須藤夫妻とアメリカの施設、あるいは、レヴェナントと関連があるのは明らかじゃないから?」
そうなると、マリアは、すでに、レヴェナントか、特殊施設の手中にあるということになる。
「あの暗号文、勝という文字を解明するには、富士FF学園の正体を突き止めることが必要のようね。」
剣崎は亜美に言う。
「しかし、一樹やレイさんは・・。」
と、亜美が不安そうに言うと、
「矢澤刑事はもうすぐ回復するでしょう。そして、レイさんはおそらくマリアと接触するために必要だと判断したから拉致したに違いないわ。それなら、恐らく、レイさんは無事。マリアの動きは私たちがここで監視しているから、あなたは富士FF学園の正体を突き止めるのよ。」
剣崎の言葉は、亜美への指示だった。
直ぐにカルロスの運転で、亜美とりさは、蒲原へ向かった。
一樹や剣崎が一度訪れ、周囲の聞き込みは終わっている。そこで掴めなかったものを探さなければならない。亜美とりさは、富士FF学園の跡地の前に立ち、考えていた。
「ここは富士FF学園の本体なんでしょうか?」
りさが呟く。
「ここは、余りにも狭くありませんか?どこかに本部があるんじゃないでしょうか?」
りさはMMという組織に居た。
MMは、全国にいろんな施設を持ち、一つ一つでは何をしているのか判らないよう偽装していた。そして、本部は、予想もできない様な所に置かれていて、組織の人間さえ知る者は少ないようになっていた。富士FF学園が、アメリカの特殊機関と繋がっているとしたら、当然そういうカモフラージュがされていたに違いない。りさの言いたいことは判る。だが、どこを探せばよいのか、見当もつかない。
「更地になっているという事はまだこの土地の持ち主は富士FF学園の関係者の可能性があります。」
二人はすぐに、法務局へいき、登記簿などを入手した。りさの言う通り、登記簿から、土地の持ち主は須藤夫妻ではなく、IFF研究所という会社のものだと判った。
亜美とりさ、カルロスの三人は、法務局前にある小さな喫茶店に入り、昼食を摂りながら、これからの事を相談することにした。店の一番奥の席に座り、サンドイッチとコーヒーを注文する。そして、法務局の書類をテーブルに広げた。
「富士FF学園は、この会社の一部門だったようね。」
亜美がグラスの水を飲んでから言った。
りさが、もう一つ書類を広げる。IFF研究所のものだった。登記簿には、IFF研究所という会社の役員名簿があった。理事の名前が並んでいる。
「理事なんて、おそらく、みんな、名義貸しでしょう?」
サンドイッチとコーヒーが運ばれてきて、それをつまみながら、亜美が言う。
「この理事長が組織のトップでしょうか?」
りさが訊く。
「そうとも限らないでしょうね。実際に会社を動かしていたのは、ナンバー2という事もあるから。順番に当たってみるしかなさそうね。」
亜美が、大きな口を開けて、厚めのハムサンドを一気に食べる。りさも大きく口を開けてサンドイッチを食べると、コーヒーで一気に流し込む。のんびり、食べていたカルロスは慌ててサンドイッチを頬張ると、亜美たちを追って店を出た。
「さあ、行きましょう。」
店を出て、まず、理事長宅へ向かった。
静岡市内の住所だったが、そこは、既に大きなマンションに建て替わっていた。
周辺で尋ねたところ、2年ほど前に、事故で亡くなったとのことだった。住民は余り口を開こうとはしなかった。どうやら、不可解な事故のようだった。
副理事長宅は、浜松市だった。
東名高速で2時間ほどで着く。だが、そこも、空き家になっていた。2年前、首をつって自殺したんだと、隣家の住人が、声を潜めて話してくれた。
「どういうことでしょう?」
りさが呟く。
「理事長が不慮の事故、副理事長が自殺。IFF研究所というところは、もう充分に怪しいわね。」
亜美が答えた。
「常務理事は、隣町のようですし、この人物が組織のトップかもしれません。行きましょう。」
常務理事は磯村という人物だった。街はずれの住宅街にひと際大きな敷地の総2階の大きな家、門柱に磯村の表札が出ていた。
インターホンを押すと、すぐに返答があった。インターホン越しに、IFF研究所と富士FF学園の事を伺いたいというと、すぐに玄関が開いて、40代くらいの男性が慌てた様子で現れた。
その男性は、家の中を少し気にしながら、門の外まで出てくると、二人に言った。
「ここでは充分にお話しできません。大通りに、ピアンというレストランがあります。そこで待っていて下さい。あなた方が知りたい情報をきっと持っていきますから。」
そう言うと、その男性は、また、慌てた様子で家の中へ戻って行った。
「彼が磯村常務かしら?」
二人は指定されたレストランに入り、待つことにした。
30分ほどすると、先ほどの男性が、カバンを抱えて店の中に入って来た。
周囲を気にしている。その男性は、レストランのキッチンに入り、オーナーシェフと何か話している。すると、オーナーシェフが静かに客席にやってきて、「どうぞ、あちらに」と言って、奥の部屋を示した。
話をするのに、目につかない場所の方が良いという事なのだろう。言われるままに奥の部屋に入る。
キッチンの脇にある通路を進むと、小部屋があった。大きな椅子が4脚と、どっしりとしたテーブル。特別な客のための部屋のようだった。
二人が椅子に座ると、その男は対面に座った。
「磯村健一と申します。」
男は、深々と頭を下げる。
何か、謝罪しているかのような振る舞いだった。
「磯村健一さん?いや、私たちは磯村勝さんに話を伺いたくて来たんです。勝さんは?」
予想外の人物の登場に、亜美が少し苛立ったように訊いた。
「すみません。父は病気なんです。数年前に、精神を病んでしまい、今は、とてもお相手できる状態ではないのです。それで私が代わりに参りました。」
「いつからです?」
「2年ほど前でしょうか。ある日突然でした。すぐに、幾つか、精神科や脳外科も受診したのですが、原因不明で、とにかく、意味の分からない言葉を一日中つぶやき続けていて、まともにお話しできる状態ではありません。富士FF学園という名を耳にすると、興奮でして、自傷行為を起こしてしまいますから、家ではお話しできなかったんです。」
偶然とは思えなかった。理事長も副理事長、そして常務理事まで2年前に亡くなったり、精神を病んでしまったりしていた。
「まさか、他の理事の皆さんも?」と、亜美が訊く。
「えっ?ええ。」
そう答えた磯村健一は、少し不思議な反応をしている。
「そのことで、刑事さんは我が家に来られたんじゃないんですか?てっきり、あのことを捜査されているのかと思いました。」
「いえ。」
と亜美が答えると、磯村健一は、抱えていたカバンの腕を緩め、何かほっとした表情を見せた。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

4-4 磯村健一 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「あのこととは?」と亜美が訊く。
「IFF研究所の事件のことかと・・」
「IFF研究所の事件って、一体、何かあったのでしょう?」
ここまでの捜査で、富士FF学園やIFF研究所に関わる事件は、全く浮かんでいない。大きな事件であれば新聞でも報道されているはずだが、亜美も、りさも、全く知らなかった。
「いったい何があったんですか?」
亜美が磯村健一に改めて訊ねた。
「いや、なにがあったというわけではないんですが・・。」
磯村健一は、どこから話せばよいのか迷っている様子だった。
「私は、当時、IFF研究所の一職員でした。父が常務理事だったので、いわゆるコネ入社です。前職は教員でしたが、いろいろあって退職したのを機に、父のコネで入社して、書類整理などの雑用をしていました。」
磯村健一は、落ち着いた口調で、柔らかな笑顔で、はっきりとした目鼻立ちをしていて、大手企業の管理職くらいにみえるのだが、実際はどうも違うようだった。
「IFF研究所というのは、どういう会社なんですか?一体何の研究をしていたんでしょう。」
りさが訊ねる。りさは、IFF研究所に、あのMMという組織と同じ匂いを感じていた。
「さあ、一体、何を研究していたんでしょうね。よく判らないんです。」 
磯村健一は、本当に知らないようだった。
「よく判らないって・・そんな。処理整理などをされていたのなら、ある程度、内容はご存じだったのではないですか?」
りさが重ねて訊く。
「書類整理はしていましたが、殆んど、経理関係の書類でした。収支は安定していました。研究所の収入は、大半が寄付金でした。」
「寄付金?」
今度は亜美が訊く。
「ええ、いろんな会社や財団。個人からもありましたが、ほとんどは、少額なところばかりでした。高額な寄付金は、確か、アメリカの財団からでした。たしか、F&F財団だったと思います。時々、その財団から研究所に視察に来ていました。」
「F&F財団?」と亜美。
「ええ、確か。そこも何か研究機関だったように思います。視察に来られた時、研究員が対応していましたから。」
亜美は、すぐに『F&F財団』を検索した。ネット情報では、F&F財団は、IFF研究所が閉鎖された同じ年に解散していた。
「研究員が居たのなら、研究資料とか残っているんじゃないんですか?」
りさが訊く。
「いえ・・それが・・。」
磯村健一はそう言うと、テーブルに置かれたコーヒーを一口飲んだ。
「実は、2年前、研究所で火災が起きたんです。研究員が焼身自殺を図り、それが引火して、研究所は全焼しました。」
「研究データはどこかに保存されていなかったんですか?」
りさが訊く。
「実は、研究員3人が全て、データを消去し、サーバーも破壊して、研究記録は全て失った状態で、焼身自殺を図ったんです。施設中にガソリンをまいて、爆発的な火災だったようです。」
それ程の火災事故であれば、当然、記録されているはずだと考え、亜美は警察のサーバーにアクセスして記録を調べてみた。確かに建物火災はあったようだが、磯村健一が話すような焼身自殺等の記載はなく、漏電による失火とされていた。
「本当ですか?警察の記録では、漏電による失火となっています。焼身自殺など記載されていませんよ。」
亜美が言うと、磯村健一は少し悩んだ顔を見せてから言った。
「おそらく、記録に残せない理由があったんだと思います。」
磯村健一の答えを聞き、りさは、さらにMMの組織に近い存在に違いないと確信を得た。
「火災のあと、すぐに、研究所は閉鎖されました。IFF研究所も登記を抹消するはずだったんですが・・理事長を始め、役員にも問題が発生してしまって・・・。」
磯村健一が言わんとする事はすぐに判った。
「理事長、副理事長が相次いで死亡、さらに、磯村常務も正気を失った状態では、役員会も開けず、手続きも進められなかったという事ですね。」
亜美が言うと、磯村健一は頷いた。
きな臭い話ではあるが、当事者のほとんどが居ない今、これ以上のことを調べるのは難しいのではないか、亜美はそう考えていた。
「それで、磯村さん、確か、あなたは私たちが伺った時、私たちが知りたい情報をもっていると話されていましたが・・。」
亜美は、目の前のコーヒーを一口飲むと、磯村健一に改めて訊ねた。
「ええ、これなんですが。」
磯村健一は大事そうに抱えてきた鞄の中から、分厚いファイルを取り出した。
「火災が起きる三日ほど前、父はカバンを私の車に置き忘れていたようで、火災事故のあとに、見つかったんです。」
亜美とりさは、健一が差し出したファイルを開いてみた。
ずいぶんたくさんの資料が綴じられていた。書類の半分ほどは手書きで、かなり古いものではないかと判断できた。1枚1枚開きながら、読み進める。IFF研究所設立に関わる書類のようだった。
資金調達の方法や予算書、建物選定の経緯などの計画書等であった。研究内容に関わるものはないかと亜美とりさは読んでいくが、肝心な部分は見つからなかった。
「あら、これは?」
ファイルの中ほどの書類に、小さな封筒が挟まっているのが見つかった。セピア色に変わっていて、所々にシミまでついていて、かなりの古さではないかと思われた。中から小さく折りたたまれた紙片が出てきた。開いてみて、亜美も、りさも驚いた。
その紙片には、生方が送った極秘情報に含まれていた解読不能な暗号文と全く同じものが記載されていたのだった。剣崎が指摘した「勝」の記号まではっきりと判ったからだ。
「これは?」
亜美が紙片を健一に見せて訊ねる。
「いや・・こんなものがあったとは・・判りません。初めて見るものです。」
「このファイル、お父様が車に置き忘れたものでまちがいありませんか?」と、亜美が訊く。
「ええ?どういうことです?」
磯村健一は、亜美に訊き返す。
「危険が迫っている事を察知して、重要な書類をあなたに託したのじゃないかしら?」
「危険が迫っている事を父は知っていたという事ですか?」
「おそらく、そうでしょう。もしかしたら、あなたをIFF研究所に入社させたのも、それが理由なのかもしれませんよ。」
「いや・・それは・・・父はそれほど私を信用していなかったと思いますから・・。」
「そういう関係だからこそとは言えませんか?」
「信用していなかったから?」と健一。
「あなた本人がそう思っているからこそ、重要な書類をあなたに託しているとは誰も考えない。研究所は全焼、研究資料は全て破壊されている。ここの存在を暴かれたくない誰かが仕組んだ事故と考えると、それを守るためにお父様は、重要な記録を隠しておきたいと思ったのではないでしょうか。」
亜美は推理した。少し、突飛な部分はあるが、りさも十分理解できた。
「この書類、預からせてもらってもいいでしょうか?IFF研究所が何をしていたところか、どうして事故が起きたのか、仕組んだのは誰か、しっかり捜査しますから。」
亜美が磯村健一へ言うと、
「私も、事故の真相を知りたいのです。IFF研究所はまともなところではないのは、薄々わかっています。父も何らかの悪事に加担していたのだと思います。それでも、今の父を見ていると、余りにも不憫で。真相が判れば、もう少し、父の事をが理解できるように思います。是非、お願いします。」亜美とりさは、磯村健一からファイルを預かると、カルロスの車で、十里木にいる剣崎の許へ一旦戻ることにした。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

4-5 秘められた事実 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

剣崎の元に戻ると、一樹はすっかり回復していて、アントニオと交代で、十里木の館を監視していた。亜美たちが留守の間、特に動きはなかった様だった。
「こんな書類、良く見つけましたね。」
戻った亜美とりさに、剣崎は労いの言葉を掛けた。
「剣崎さん、ここ、どう思います?生方さんの情報にあった解読不能な書類と同じ記号ですよね。」
例の『勝』という記号のことである。
「磯村勝さんの勝という文字だと思うんですが・・。」
剣崎は亜美が示す書類を食い入るように見つめ、小さく頷いた。
「しかし、当人は精神障害を起こしていて、内容を確認するのは難しいのです。」
りさが続けるように言う。
亜美は戻る前に大まかな情報を剣崎に報告していた。剣崎は、2年前におきたIFF研究所の火災事故について、FBIに情報照会を掛けていた。
「日本の警察には記録がなくても、アメリカにはあるものなのよ。・・これが日本の現実。」
剣崎は誰に言うわけでもなく、そう言って、FBIから取り寄せた情報をモニターに映した。
「磯村健一氏が言った通り、2年前、IFF研究所は研究員の焼身自殺と建物火災を起こしていたわ。そして、当時の役員全員、事故や自殺、精神障害等を起こしている事も判った。そして、その事実が日本の警察では隠蔽されている事から見ても、IFF研究所は国家権力が絡んだ闇の組織だったことは間違いないでしょうね。」
一樹と亜美は、割り切れない気持ちで剣崎の話を聞いた。警察という組織はいったいどれほどの力を持っているのか、正義とは何か、得体のしれない国家権力というものへの恐怖さえ湧いてくるようだった。
「誰かが仕組んだということは?」と、一樹が剣崎に訊く。
「FBIの情報には、・・そういう記述は見当たらないようね。」
剣崎は何か含みを持たせるような言い方をした。
「磯村健一さんは、誰かの陰謀ではないかと考えているようですが・・・。」
亜美がさらに追及する。
「もし、そうだとすると、FBI・・いや、アメリカ政府も関与しているかもしれないわね。でも、私の立場では、これ以上追及するのは難しいわ。いや、出来たとしても、それは、私自身の破滅を招くことになりかねない。私はFBIの依頼で、マリアを追跡しているのだから。」
剣崎には、事の成り行きが見えているようだった。
「でも、あなたたちが捜査をしているのは、FBIとは関係ないでしょ?あくまで、日本に密入国してきた少女を発見し保護する事。その過程で、得た情報は正当なもの。圧力は掛かるでしょうけど、どこまで真相に辿り着けるかは、あなたたち次第。」
剣崎は、一樹と亜美を試すような言い方をした。
剣崎は、さらに、亜美に告げる。
「紀藤さん、あなた、磯村健一さんと約束したんでしょ?必ず真相を突き止めるって・・。約束は果たさなきゃ。嘘つきは泥棒の始まり。警察官なら、きちんと約束を守りなさい。」
「しかし・・どこから手をつければいいのか・・。」
亜美が少し弱気な事を言った。
「このファイルをもっと読み込むのよ。あなたが磯村健一さんに言った通り、あのファイルはきっと、陰謀を企てた者から重要な情報を守るために託されたはず。きっと、これに全て詰まっているはずよ。」
剣崎はそう言うと、ファイルを亜美に手渡した。
「あなたが見つけた暗号文書にとらわれず、もっと見方を変えて考えるの。良いわね。」
剣崎はそう言うと、席を立ち、ベッドルームに消えた。
「剣崎さんは、暫く、眠っていないんだ。いや、眠れないようなんだ。」
一樹が囁くように言った。
「どうする?」
一樹が亜美に訊く。
「もちろん、調べるわ。約束したんだから。」
亜美は、そう言うと、ソファに座り、ファイルを広げる。りさも亜美の隣に座り、大量の書類を丁寧に読み始めた。
数年間の決算書や財務状況表、役員会の記録、新聞記事、数年分の磯村常務の手帳、それから、記号化された表が大量にあった。それを一つ一つ、読んでいく。決算書や財務諸表に不審な点は見つからなかった。唯一、収入の大半を寄付金に頼っていた事と、収支はほとんど赤字となっていたことだった。そして、一つの事業部門であった富士FF学園の経費が異常に大きかったことだった。
「富士FF学園は、収入もなく経営していたのね。どういうことかしら。」
亜美が言う。
「そうですね。児童養護施設なら、何らかの補助金があってもおかしくないですよね。国や行政から認可された施設ではなかったということでしょうか?」
りさが答える。
「親を亡くした3歳の幼子を、どうして富士FF学園に入れたのかしら。児童相談所が関与していれば、そんな無認可の児童養護施設を紹介するかしら?」
それを聞いて、一樹が言う。
「見方を変えて考えろって、剣崎さんが言ってたろ?・・富士FF学園に入る事が前提だったと考えたらどうだ?」
「富士FF学園に入ることが前提?」
と、亜美が訊き返す。
「ああ、ある組織がマリアの特殊な能力に目をつけた。それを手にするために、両親を殺して富士FF学園に入れ、5歳になった時、アメリカの施設へ連れて行った。」
一樹の話に、亜美も、りさも驚いた。
「そんなこと・・。」
と亜美が言うと、りさが続けた。
「どうやって、マリアの能力を見つけたんでしょう。」
「ああ、そこは判らない。偶然というには都合が良すぎる。もしかしたら、マリアの父母が、IFF研究所の誰かと繋がっていたということもあるんじゃないか?」
一樹が言うと、
「そんな・・例え、そういう能力を見つけたとしても、わが子を実験台にするなんて・・」
亜美はそこまで言って、不意に、ルイとレイの親子を思い出して、口を噤んだ。
「見方を変えれば、IFF研究所はそういう子供を見つけ出すための役割を担っていたということも考えられる。例えば、警視庁のデータベースから、不可解な事件、犯人が特定されない未解決の事件、そういう事件の関係者を調査し、特殊な能力を保持している可能性のある人間をピックアップしていた・・とか・・。」
一樹の言葉を聞きながら、りさは、MMの事を考えていた。MMが目をつけた人間を拉致するのは、それほど難しい事ではなかった。家出した少女は、同じような場所に集まるからだった。だが、普通の家庭の少女を拉致するのは容易な事ではない。一樹の仮説が事実だとしたら、IFF研究所は途轍もなく恐ろしい組織である。
「元締めがアメリカの施設だとして、世界各地にいる特殊な能力を持った子供たちを集めて育成し、剣崎さんのように特殊機関で働かせるというプランを持って動いていると考えれば、全て、筋が通るだろう?IFF研究所は、そういう子供を見つけ出すための日本の機関だったんだろう。だから、いろんな情報が隠蔽されていた。もしかしたら、日本政府も一翼を担っている可能性もあるだろうな。」
一樹が、妙に理論的に推察する。
亜美が知っている一樹とは別人のように感じていた。
「一樹、どうしたの?何か変よ。」
「そうかあ?・・・」
一樹は、曖昧な返事をした。その返事さえもどこか別人のように思えてならなかった。
「じゃあ、火災事故を起こし全てを消し去ったのも、F&F財団が仕組んだのかしら。」
亜美が、敢えて、一樹に訊く。
「いや、それはどうかな。役割が終わったということもないようだが・・。」
一樹の推理はそこで止まった。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

4-6 忌まわしき事件 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「亜美さん、これは?」
りさが、その経歴書を見ながら言った。
りさが示したのは、ファイルの中の役員の経歴を記したものだった。おそらく、登記の際に用意したもののようだった。
りさが、その書類をテーブルの上に並べた。
十人程の書類。大半は官僚の経験がある者ばかりだった。
「やはり、ここは霞が関とも繋がっているようね。」
亜美が、書類を見ながら言った。
「ええ・・ただ・・。」
りさは別のところに引っかかっているようだった。
「どうしたの?」
亜美が訊く。
「十人のうち、五人が、磯村常務と同じ大学の出身なんです。」
「まあ、先輩が後輩を誘って会社を作ったとか、ある種、学閥みたいなものなんじゃないの?」
「そうかもしれません。でも、この大学って・・。」と、りさが大学名を指さす。
「黎明大学・・。まさか・・」と亜美。
「ええ、そうなんです。黎明大学・・レイさんのお母様、ルイさん、そして、神林教授と同じ大学なんです。」
亜美と一樹の頭の中で、忌まわしい記憶と今回の事が強く結びついてしまった。そして、再び、そこにレイを巻き込んだ事に深い後悔の念を抱いた。
「まさか、IFF研究所が神林教授と繋がっていると言うの?」
亜美は、りさの余りに突飛な発想に驚いて訊いた。
りさは、MM事件のあと、レイとともに新道家に匿われていて、レイや母親のルイから、忌まわしき事件の経緯は知っていた。特に、家で過ごす時間が長いルイからは、神林との出会いやその後もしっかりと聞いていた。
「ルイさんの特殊な能力は、神林教授によって、増幅されてしまったものだと聞きました。もちろん、遺伝素因も大きいようですが、それを更に増幅するための薬品開発も進められていたのだとも聞きました。もしかしたら、IFF研究所はその研究もしていたのではないでしょうか?」
りさは真剣な表情で言う。
「あれは、神林教授によるものだった。全て終わったはずよ。」
亜美が言う。
「確かに、あの事件は神林氏の逮捕で幕引きとなった。だが、それは、橋川市で起きた事件の犯人が神林氏だったということ。確か、大学の研究室には、その研究を知る者は他にもいたんだろう。研究の成果を誰かが盗みだし、神林氏も知らないところで続けられていたとしたらどうかな。」
一樹が二人の話を聞きながら、一つの可能性を口にする。
「イプシロン研究所・・。」
不意に思い出したように、亜美が呟く。
「確か、アメリカのイプシロン研究所に、権田氏は赴任したはず。それに、ルイさんも・・そこでの研究は思うように進展しなかったと聞いていたけど・・誰かが引き継いでいたというの?。」
「ああ、そういう可能性はある。もしかすると、F&F財団も、関連のあるところかもしれないぞ。」
いきなり、いろんな可能性が広がり、三人の思考は少し混乱しているようだった。
だが、全ては仮定の話である。「黎明大学出身」というだけで繋がっている、極めて不確かな推測でしかなかった。
「もう一度、全ての役員の素性を洗いましょう。」
亜美はそう言って、パソコンを開き、ネット上に散らばっている情報を集め出した。
その時、ベッドルームから剣崎が姿を見せた。すぐにアントニオがコーヒーを淹れて、剣崎に差し出した。
剣崎は、テーブルに散らばっている書類をぼんやりと眺め、テーブルに貼り付く様にパソコン画面と格闘している亜美を見た。
「何か、進展があったみたいね。」
剣崎はそう言って、コーヒーを一口飲むと、ソファにゆっくりと腰かけた。
これまで、三人で話してきた仮説について、一樹が剣崎に説明した。
「ふうん・・なるほどね。」
剣崎はそう答えると、自分のモバイルパソコンを開き、データを検索し始めた。
「F&F財団について、FBIや政府まで関与しているとなると、正面からでは情報が取れないと思って、アメリカの友達に調査してもらったの。」
剣崎はそう言うと、モバイルパソコンの画面をモニターに転送した。
「あなたたちが言っている、イプシロン研究所って、F&F財団の一部門だったようね。随分、古い部門ね。20年近く前に廃止されている。」
その画面には、大きな組織図が映っていた。
「20年前って・・じゃあ、ルイさんが日本に戻ってから、数年後には廃止されたという事ですね。」
亜美が言うと、「そうなるわね。」と剣崎が答える。
「IFF研究所が設立されたのは、ほんの十年ほど前ですから、イプシロン研究所とは繋がらないと考えても良さそうですね。」
一樹が言うと、剣崎が言う。
「そうじゃないかも。イプシロン研究所が廃止されて、すぐ後に設立されたのが、マーキュリー研究所。さらに、その後、名前を変えて、マーキュリー学園になった。表向きは、身寄りのない子供たちのための学校よ。」
「まさか・・。」と一樹。
「ええ、そう。このマーキュリー学園に、マリアは収容されていた。そして、マーキュリー研究所には、私がいたのよ。」
剣崎の言葉に、三人は驚いた。
「これは、私見の範囲だけど・・一つの研究所で何らかの成果が生まれると、次の研究所へ引き継ぐというやり方を、F&F財団は持っているのではないかと思うの。イプシロン研究所は神林教授の研究結果をベースに仕組みの解明を進め、マーキュリー研究所が次のステップでその理論をもとに具体化するメソッドの確立、そしてマーキュリー学園が第3段階で実証。そんなふうにして来たように思うの。マーキュリー研究所では、いろんな実験が行われていた。私も実験台となっていたから。」
「実験台って・・。」と、りさが呟く。
「特殊能力が明確になると、訓練を受けて、特殊機関へ送られる。能力を活かした任務が与えられ、特殊工作に着くの。要人の殺害という任務もある。そして、その任務に失敗すると、消されるわ。成功しても、永遠に存在しない人間、レヴェナントとして生きるほかないのよ。」
剣崎は少し悲し気に言う。
「剣崎さんはレヴェナントにはならなかった・・どうしてですか?」
りさが訊く。
「私の能力は、サイコメトリー。特殊工作には不向きだっただけ。だから、FBIへ送られ、事件捜査のための要員とされたのよ。幸運だったのかもしれないわね。」
「幸運だった・・なんて。」
りさは、自らがMM組織で訓練を受けていた頃を思い出していた。突然、拉致され、家に戻ることを諦め、組織の中で生き残るために、感情など殺して生きていた。あの頃の自分と剣崎を重ね、悲しみやくやしさが湧き上がっていた。
「過去のことよ。」
剣崎が少し感傷的な言い方をした。
「やはり、神林教授と繋がっていたということでしょうか?」と、亜美が訊く。
「直接的なつながりはないでしょうね。ただ、神林教授の研究やルイさんの存在が、F&F財団の基になっているのは確かでしょう。ひょっとしたら、F&Fだけじゃなく、他にも同じような組織が存在しているかもしれない。・・でも、全て、神林教授やルイさんのせいじゃないわ。しっかり、切り離して考えましょう。」
剣崎が言うと、亜美とりさは頷いた。
「私は、りささんと一緒に、一度、橋川へ戻ります。ルイさんから話を聞き、神林教授の過去と、F&F財団に何らかのつながりがないか調べてきます。」
亜美はそう言って、橋川へ戻る準備を始めた。りさも同様に準備に入った。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

5-1 ケヴィンという男 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

レイは、見知らぬ部屋で目を覚ました。手足は結束バンドで縛られ、ソファに横たわっていた。
「ようやくお目覚めですか。」
椅子に座り、足を組み、じっとレイを見つめている男性が声を掛けた。拉致された時、ぼんやりとした意識の中に、この男の顔があったのを思い出した。周囲に人の姿はなかった。
「能力は使わないでください。あなたの方が苦しむことになりますから。」
男は、少しばかりの笑みを浮かべて言った。
駅の北口に出てきた時、レイは急に体が動かなくなり、意識が薄れていったのを思い出す。意識を奪われたという感覚だった。
「賢いあなたなら、どういうことか判るはずです。」
「マニピュレート?」
「ええ、マリアと同じマニピュレーターです。あなたを自殺に追い込むことなど簡単にできるのです。判りますね。」
男は立ち上がると、レイの結束バンドを切り、体を自由にした。縛られた跡が少し痛む。
「これ以上、手荒な真似はしたくないのです。いや、我々は、あなたを守るために来たというべきなのですから。」
男は、そう言って、レイの横に座る。
「私は、ケヴィン。」
男はそう名乗った。
「本当の名前はもう忘れました。幼い頃には、あなたと同じようにちゃんとした名前もあり、両親もいた。ごく普通の中流家庭でした。しかし、ある日突然、特別な能力を持っていることが判り、人生は一変しました。」
ケヴィンと名乗る男は、自分の過去を語り始めた。
彼の生まれた街では、十歳の夏になると、州主催のインディペンデント・キャンプに参加することが恒例行事となっていた。3週間、山奥のキャンプ地に行き、レンジャー部隊の指導を受けながらサバイバルのような体験を通して、自立心を養うものだった。子どもたちは、5人程のチームに分かれて、飲み水や食料調達、火起こし、寝床作り、野生動物からの防護術など、生きていくために必要なあらゆることを身につけることになっていた。指導するレンジャー隊員は、命の危険がない限り、手出しはしない。
十日ほど経った頃には、参加した子どもたちは、精神的にも肉体的にも随分追い詰められるほど過酷なものだった。
「そんな時、チームの中で諍いが起きました。原因は、はっきりしませんが、一番、体の大きい、ジェイソンという奴が、ひ弱なクリスという奴をいじめ始めたんです。」
ケヴィンは、忌々しそうな表情で言った。
「皆、疲れ果て苛立っていて、そういうことに関わりたくない雰囲気になっていました。私も、あまり強い方ではなかった。当時は、正義感という事はあまり考えていなかった。だからじっと見て見ぬふりをしていたのです。だが、それはどんどんエスカレートしました。二日ほど経った頃、弱虫だった奴はついに我慢しきれなくなって、自ら崖から飛び降りて死にました。」
まだ、この男が特別な能力を持っていることに気付くまでには至らない。幼い時の思い出話のようだった。
「キャンプで子供が死ぬなんてあってはならないことです。だから、指導役のレンジャー部隊の隊長は、不運な事故として処理しようとしました。隊長は、すぐに、私たちのチームのところへやってきて、恐ろしい表情で、あれは事故だったと念を押しました。真実を話せば、身の安全は保障されないということをその時感じました。それから、キャンプ場にいた50人程の子どもを集め、哀しい事故が起きたと話したのです。他の子どもたちは隊長の話を信じました。」
事故が起きたのでキャンプは中止となり、皆、帰り支度を始めた頃、彼の中に、悍ましく憎しみや恨み、怒りのような感情が湧いてきた。抑えようとしてもどうにもならないほどだったようだ。
「そこから先の記憶はありません。気が付くと、レンジャー部隊の隊員は、皆、血まみれで死んでいました。そして、レンジャー部隊の隊長も自らの喉を裂いて死んでいたのです。」
そこまで聞いて、レイはようやく、この男の特別な能力を理解した。
「あなたが、隊長を操り、隊員を殺し、自らの命を絶つようにしたんですね。」
「ええ、どうやら、そのようです。自分には記憶はありません。すぐに州警察のポリス達が多数やってきて、現場は大混乱になりました。ただ、目撃した子どもたちは、隊長が隊員を殺したことを証言し、私に嫌疑が掛かることはなかったのです。」
「あなたはその時に自分の能力を?」
レイが訊く。
「いえ、違います。キャンプから戻ると、父や母、近所の皆が、温かく迎えてくれました。誰ひとり、キャンプでの惨事は口にしませんでした。それから、暫くは、何事もなかったような日々が過ぎました。しかし、ある日、突然、FBIを名乗る男数人が家に来ました。そして、父や母と何か話し込んでいました。」
ケヴィンの表情が急に険しくなった。
「まさか、あなたの能力をFBIが気づいたというんですか?」
「判りません。ただ、その日から、父や母が、私を避けるようになったんです。」
「理由は聞かなかったんですか?」
レイが訊くと、ケヴィンは首を横に振った。
「理由を確かめたい気持ちは強くありました。でも、それがあの事件と関連しているのなら、チームの一員が自ら命を絶つまでに苦しんでいるのを見過ごしてきた、自分の罪を認めることになる。だらか、怖くて聞けませんでした。」
ケヴィンの言葉から深い後悔を感じられた。
「それから?」と、レイは訊く。
「ある日、我が家が火事になりました。原因は判りません。一気に燃え広がり、父と母は逃げ遅れて命を落としました。突然、孤児となった私は、ある施設に引き取られることになりました。」
レイは、マリアが施設から脱走したことを知っている。そして、その施設が特殊な能力を持つ子供たちを収容し、日々訓練しているところだということも聞いていた。
「まさか、マリアさんがいた施設ですか?」
「ええ、私がいた当時は、まだ、研究所でした。そうそう、そこには剣崎さんもいました。きっと、彼女は私の事を知っているはずです。」
剣崎とケヴィンが同じ研究所にいたというのは初めて聞いた。
「その施設で、特殊な能力があることを知らされたんですか?」
レイが、同情するように訊いた。
「ええ、そうです。思念波に入り込み、人を操ることができる、マニピュレートという能力でした。レイさんの思念波にも入り込み、あなたを動けなくしました。」
レイはあの時の感覚を思い出した。
自分の意識が全く別のところに追いやられ、抵抗する事も出来ず、体を全て乗っ取られたような感覚だった。
「ただ、レイさんの思念波に入り込んだ時、私は驚きました。あなたの中に入ると同時に、あなたは私の中に入ってきた。あなたを操っているはずなのに、自分の意思はどこにあるのか、戸惑うような感覚がありました。あんな感覚は初めてでした。」
レイの能力はシンクロである。思念波をキャッチし、それに寄り添う。相手を動かすことはできないが、相手の意識と統合して一つの存在になれる能力だった。
「シンクロの能力を私は侮っていました。思念波に入り込み、操ることができるマニピュレートに比べて、相手の思念波とシンクロするだけでは、大して、役に立たないのではないかと思っていたんです。でも・・。」
ケヴィンは、レイを拉致した時の感覚を思い出し、小さく身震いした。
レイも自らの能力について、深く考えた事はなかった。
初めは、人の感情が色のある光として見える程度だった。だが、徐々に、その人がどこにいてどうしているのか、シンクロする事で相手の視覚や聴覚を通じて状況を把握することができる事を知った。
そして、剣崎と出逢ったことで、それは双方向の感覚だという事を知った。自分が考えていることを相手に伝えることができる。
さらに、それは、たとえ相手がそこにいなくても、残された思念波の残骸にシンクロすることができ、そこで何が起きたかを知ることもできる。考えてみると、能力は徐々に可能性を広げているようだった。そして、ケヴィンから、相手と一体化する能力だと聞かされ、自分の能力に恐怖を感じていた。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

5-2 正体 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「さて、本題に入りましょう。」
そういうと、ケヴィンはゆっくりと立ち上がると、冷蔵庫から飲み物を取り出し、レイの前のテーブルに置いた。
「まず、我々の正体を知りたいでしょうから、お話しします。」
ケヴィンはそう言うと、目の前のドリンクを一口飲んだ。
「レヴェナント・・なのでしょう?」
レイは、剣崎とシンクロで会話した時、剣崎の思念波にあった『レヴェナント』という言葉が閃き、確か、存在しない者達という意味だと、何となく脳裏に浮かんでいた。
「おや、その言葉をご存じなのですか?」
ケヴィンは、意外だという表情をして答えた。
「存在してはならない存在・・そんな意味から、私たちをそう呼ぶ人たちがいます。だが、それは、彼らにとっての意味に過ぎません。私たちは、この世にちゃんと存在していますし、私たちを作った彼らこそ、社会に知られてはならない存在なのです。」
彼が言いたいことは大よそ理解できた。
「私たちは、本国では、サイキックと呼ばれています。日本では、超能力者と言われているようですが、ノーマルな人間には持っていない特別な能力を持った者。」
ケヴィンの言葉にレイは少し戸惑った。特別な力を持っているというのは事実だが、一樹や亜美は、超能力者と呼んだことはない。いつも、「特別な能力」と言っていた。サイキック、超能力者とか、それはおそらく、特別な力を持たないノーマルな人間が、差別的に使うのではないかと思った。
「サイキックは、彼らによって見つけ出され、訓練で能力を開花し、与えられた任務をこなすことで存在を許された者なのです。」
「与えられた任務とは?」
レイが訊くと、ケヴィンは顔を歪める。
「口にできないほど恐ろしい事です。おそらく、世界で起きている事件や紛争の大半に、サイキックが関わっています。」
ケヴィンはそう言って、しばらく沈黙した。自分が関わっていた事件を思い出したようだった。
「だが、任務が完了し、不要になれば、命を奪われる運命なのです。国家や世界を揺るがすような重大な事実を知っている者だからです。だが、中には、その運命に逆らい、身を隠す者が出て来た。それを、レヴェナントと呼び、存在しない者として扱うのです。」
「どれほどの人が?」とレイが訊く。
「自分の特別な能力を使って、逃げ延びた者は多数いました。ですが、奴らも、特別な能力を持つ者をチェイサーに仕立て、レヴェナントを探させて、追い詰めて、殺してしまうようになりました。今は随分少なくなりました。」
彼の話が本当なら、と、レイは考えた。
「もしかして、剣崎さんはチェイサーなのですか?」
レイの言葉を聞き、ケヴィンはうっすら笑みを浮かべた。
「いや、彼女には、それほどの能力はありません。彼女は、チェイサーが撒いた餌に過ぎません。彼女が、事件を捜査する時には、必ず、近くでチェイサーが監視しています。そして、事件に我々のような者が関与していることが判れば、すぐに行動を起こすようになっています。」
「ということは、あなたの動きはすでにチェイサーに知られているということではないんですか?」
「ええ、おそらくもう知っているはずです。彼女を監視しているチェイサーが私に辿り着くのも時間の問題でしょう。」
ケヴィンはそう言いながらも、何か、そうならない理由を持っているようだった。
「話を戻しましょう。私たちは、この哀しい運命に終止符を打つことが目的なのです。」
先ほどから、彼は、幾度と「私たち」という言葉を使った。
特殊な能力を持った人間は、彼以外にも多数いるのだと思わせているように感じ、むしろ、ごく少数なのではないかと考えていた。拉致された時の記憶には、他にもう一人男がいたようだったが・・。
「マリアは、このままでは、最も若いレヴェナントになってしまいます。」
ケヴィンの口から突然マリアの名が出た。やはり、彼らはマリアを追っている。
「マリアを救いたい。組織から解放し、普通の女性として生きていける道を開いてやりたい。そのために、あなたに協力していただきたいのです。」
彼は真剣な眼差しでレイを見つめた。
「ちょっと待ってください。」
レイは目の前のドリンクを飲んだ。
「私は、剣崎さんと一緒に、マリアさんの居場所を見つけ保護するのが目的です。あなた方と目的は同じだと思うんですが・・。」
レイが少し反論めいた口調で言った。
「同じ目的?」
ケヴィンが顔を曇らせた反応をした。
「何が同じなんですか?剣崎さんは、組織の依頼で彼女を発見し、元の施設へ送り届けることが目的でしょう?彼女をまたあの地獄のような場所へ連れ戻すことが彼女の目的です。全く違う。」
「じゃあ、あなた方は、彼女を保護した後、どうするのですか?」
レイが執拗に訊く。
「組織からは見つからない場所で暮らせるようにします。」
ケヴィンはやや答えに詰まりそうになりながら言った。
「本当にそんな場所があるのですか?」
レイは強い口調でケヴィンに訊く。
ケヴィンは、即答できないでいた。
「レヴェナントになった人達にはチェイサーの追跡があり、見つかれば殺されるとおっしゃいましたよね。マリアさんも、追われる身になるだけ。一生、怯えながら、隠れて暮らすことになるのではないんですか?」
レイは、そう言いながら、ふと、片淵亜里沙、いや、『りさ』のことを思い出していた。
彼女は今、新たな戸籍を手にして、名を変えて生きている。彼女を追っていたMMは壊滅し、すでに命を奪われるようなことはないのだが、MMに在籍していた時の犯罪は消すことはできない。彼女が片淵亜里沙と判れば、司法当局から、厳しい追跡を受けるのは必至だ。マリアもそういう生き方をする事になるのではないか。
「確かに、今のままでは、彼女は、我々同様、そういう人生を歩むことになるでしょう。だからこそ、終止符を打たなければならないのです。」
ケヴィンが言う。
「そんなこと、無理でしょう?」
レイが言うと、ケヴィンはようやく本題に入ったというような表情で言った。
「確かに、今のままでは無理です。そのためには、F&F財団やそれを支える組織全体を壊滅させなければならない。マリアの能力はそれを可能にするはずなのです。」
「マリアさんの能力で組織を?」
「ええ、そうです。」
「結局、マリアさんを利用するということですね。」
「利用するとは言葉が不適切です。」
「自分たちの能力ではF&F財団を壊滅できないから、マリアさんの力を借りる・・利用するという言葉以外にないでしょう?」
レイはわざと強い口調で非難するように言った。
「彼女自身、F&F財団やマーキュリー学園には深い恨みを持っているはずです。連れ戻されるくらいなら、全てを破壊したい、そう思うに違いない。その思いを遂げさせてあげたい。そして、それは、我々のようなレヴェナントを解放することにもなるのです。」
ケヴィンの目的は、マリアを救いだし解放することではなく、F&F財団を消し去ることだというのは判った。そして、それはレヴェナントを解放することなのだというのは確かな主張だとは理解できた。だが、どこか、レイは納得できなかった。
「でも、マリアさんはそんなことを望んでいるとは思えません。」
レイが否定する。
「だからこそ、レイさんの能力が必要なのです。」
ケヴィンの言葉の真意が判らなかった。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

5-3 怪しげな部屋 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「私は思念波をシンクロさせるだけの能力しかありません。そんなこと・・。」
レイの言葉を聞いて、ケヴィンが言う。
「まだ、あなたは自分の本当の能力に気付いていないだけです。生まれつき、そんな能力を持つ人間など、奇跡と呼ぶにふさわしい。無限の可能性を秘めている証拠なのです。」
ケヴィンはそう言った後、少し寂しい表情をした。
「あなたの能力は、生まれつきではないんですか?」
ケヴィンの言葉に少し疑問を感じたレイが訊ねる。
「元々、そんな能力はあったようです。十歳の時に起きた事件がその証拠です。しかし、それは、大人になるに従い、徐々に失われてしまうのです。」
能力が徐々に失われるというのは、初めて聞く話だった。勿論、レイの周囲で、特殊な能力を持っている人間は、母ルイ以外にはいない。ルイは、特殊な能力はあったが、それはレイほどはっきりしたものではなかった。だからこそ、ルイの父は、ルイの能力を強化する薬を手にしようと、忌まわしい事件を起こしたのだった。そう考えると、ケヴィンの能力は同じような薬による作用と言える。
「まさか・・。」とレイが口にした時、ケヴィンはレイの口を塞ぐようにして立ち上がった。
「話が過ぎたようですね。まあ、暫くゆっくり考えてください。マリアにとってどうするのが良いのか、賢明なあなたなら、判るはずです。」
ケヴィンは、それ以上の会話はせず、部屋から出て行った。

部屋を出たケヴィンは、エレベーターに乗りこんだ。
そして、数階上がったところで、エレベーターを降りると、別の部屋に入っていく。
ドアを開くと、広い部屋に、数人の男がソファーや椅子に座っていた。
「どうでしたか?」
男の一人がケヴィンに訊く。
「まだ、これからだ。それより、連絡は?」
ケヴィンが、ソファに座り、別の男に訊く。
「はい。無事、保護したそうです。まだ、怪しまれてはいないようです。」
「そうか・・だが、それほど時間はないだろう。マリアは、彼らの正体をすぐに見抜くだろう。その前に、何としても、レイと合わせる必要がある。」
ケヴィンは、そう言って、タバコに火をつけた。
「それと・・どうやら、刑事たちも、マリアの居場所を突き止めたようです。」
その言葉に、ケヴィンは反応する。持っていたタバコをもみ消すと、強い口調でその男に訊く。
「それで、何もなかったのか?」
「詳しくは判りません。接触はしていないようですが・・・。」
「そうか。」
ケヴィンはそう言って、窓の外を見た。窓からは富士FF山が間近に見えた。
「接触すれば、ただでは済まないだろうな。マリアはまだ自分の能力をコントロールできない。ただ、マリアが何かを察知したとすると、あまり、時間がない・・。」
ケヴィンは呟く。
「近々、マリアを連れて、町へ出るようです。その時がチャンスです。それまでにレイさんを説得できますか?」
ケヴィンはそれを聞いて、しばらく考えていた。
「モニターを。」
ケヴィンがそう言うと、テーブルに置かれたモニターのスイッチが入れられた。そこには、レイが映されている。

ケヴィンが部屋を出ると、レイは部屋の中を注意深く観察した。
何か、ここの所在地のヒントになるものがないか、外の様子を見たいと思った。だが、部屋には窓が一つもない。照明を落とせば、恐らく真っ暗になる。
ソファの置かれた部屋の隣には、大きめのベッドが置かれている寝室、そして、トイレとバスルーム。ソファのある部屋には、小さなキッチンと冷蔵庫がある。置かれている機器は、ありきたりのものばかりだった。
壁に耳を当ててみる。何か音や振動を感じれば、街中かどうかも判るかもしれない。だが、何も感じられなかった。
天井を見上げた。普通の部屋に比べて、少し天井が低く感じられる。照明機器は部屋に似つかわしくない大型のものだった。よく見ると、中央にレンズがある。おそらく、監視カメラだろう。
何か目的をもって特別に作られた、そんな部屋だった。
レイは、目を閉じ、周囲から、人の気配を感じ取ろうとした。ケヴィンが近くにいるかもしれない。危険な行為だと判っていたが、このまま、レヴェナント達の指示に従うことができない。何としても、剣崎に自分の居場所を伝えたい。そう決意して、レイは能力を使った。
「だめ・・・。」
ひとしきり周囲の思念波を捉えようとしたが、全く捉えられない。
近くに人が居ないのか、それとも、この部屋自体に何かあるのか。とにかく、ここではシンクロ能力が使えなかった。
レイは、天井に設置されたモニターカメラを睨む。赤い光が点灯していて、監視されていることはレイにも判った。そして、静かに目を閉じた。
レイは自分の思念波を、モニターカメラに集中した。経験はなかったが、以前、映像から思念波を感じる事ができた。もしかしたら、カメラを通じて、それを見ている人物の思念波を捉えられるかもしれない。暫く、レイはその状態で動かなかった。

「やはり、能力を使ったか・・。」
ケヴィンは残念そうな表情を浮かべた。
そして、部屋の隅に置かれていた黒いアタッシュケースを開き、中から銀色のケースを取り出す。その様子を、周囲にいた男たちが見守る。
「大丈夫ですか?」
男の一人がケヴィンに訊く。
「仕方ないだろう。彼女を説得しなければ、作戦は成功しない。」
そう言うと、ケヴィンは銀色のケースを開く。そこには、小さなアンプルが幾つか並んでいる。すでに2本は使ったようだった。
ケヴィンは、少し躊躇いがちに手を伸ばし、アンプルの中身を注射器に入れる。
そして、自分の首元に躊躇いもなく注射した。
顔が歪み、蹲った。両手で体を締め付け、震えを止めようとしている。だが、全身の震えは止まらない。目や鼻から血を流し始める。声を上げそうになるのを必死に耐えていた。
周囲にいた男たちは目を背ける。余りにも苦しそうな表情を見ていられなかった。
暫くすると、苦しみが治まったのか、ケヴィンはゆっくり立ち上がった。目や鼻からの出血を丁寧に拭きとり、大きく深呼吸をする。そして、服装を整え、周囲にいた男達を見た。
「行ってくる。」
そう言うと、その部屋を出てエレベーターに乗り込んだ。

レイの部屋のドアがノックされ、ケヴィンが姿を見せた。
「大人しくしていましたか?」
そう言って、ケヴィンは部屋に入り、ソファに座る。
レイは、先ほどのケヴィンとは、何か様子が違う事をすぐに察知した。
「協力する気になりましたか?」
ケヴィンの声は少し低くなり、脅しているようにも聞こえた。
レイは表情を変えず、じっとケヴィンを睨みつける。
「そうですか・・では、仕方がない。」
ケヴィンはそう言うと、レイにゆっくりと近づいていく。一歩ずつ、距離が縮まると、レイは思わず頭を抱えた。
ケヴィンが、マニピュレート能力を使ったのである。
レイの思念波に絡みつくように自らの思念波を送る。それは、レイの頭を強く締め付けるような感覚だった。徐々に強くなり、呼吸さえも辛いほどになる。ケヴィンの思念波を遮断しようと、レイも能力を使う。しかし、抵抗しようとすると、更にそれは強くなる。ケヴィンから離れようとしたが、体が思うように動かない。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

5-4 レイの能力 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

ケヴィンは、一歩下がり、能力を止めた。レイはその場に力なく座り込んでしまった。暫く、沈黙が続いた。暫くすると、ケヴィンが口を開いた
「やはり、あなたの能力は恐るべきものですね。」
レイの前に立つケヴィンは、目や鼻から出血している。そして、ゆっくりと座り込んだ。
初めに、ケヴィンは、能力を使うとレイが苦しむことになると言った。だが、明らかに、ケヴィンの方がダメージが大きかった。
どういうことなのか、レイには理解できなかった。
自分は、ケヴィンの思念波を遮断しようとしただけだった。だが、何の効果もなく座り込んでしまったからだった。
「レイさんは・・まだ・・自分の力を・・知らないだけなのです。」
ケヴィンは、床から何とか立ち上がり、ゆっくりとソファに移った。だが、姿勢を保っているのも辛そうに見えた。
「どういうことでしょう?」
レイはケヴィンに訊く。
「お話しします・・その前に、少し、水を・・。」
ケヴィンはなかなか回復しなかった。レイは、キッチンに置かれた冷蔵庫に行き、ペットボトルに入ったミネラルウォーターをケヴィンに渡す。
ケヴィンは、蓋を開け一気に水を飲む。そして、目や鼻から流れた血を拭き取ると、ようやく、平常な会話ができるほどに回復した。
「レイさんは、今まで事件捜査で、その力を使いましたよね。」
「ええ・・。」
「シンクロ能力と呼ばれていたようですが・・・。」
「はい。祖父や母から教えられたことです。私には生まれつき、特殊な能力があると・・。」
レイが答えると、ケヴィンは何故か、レイを憐れむような目つきになった。
「初めのうちは、他人の思念波を捉えることで、被害に遭っている女性の居場所を突き止めることができました。ですが、徐々に、それは、・・」
レイが話し始めたところで、ケヴィンが遮った。
「これまでのところは我々も調べて知っています。・・ただ、それは、全て、特殊な能力を持たない人が対象だったはずです。」
思い返してみると、確かに、そうだった。だが・・とレイは思った。
「剣崎さんは?」
「ああ、彼女は別です。・・彼女の能力は、我々とは違う、別のものです。物体から記憶を読み取るなんて、我々には理解できないものです。・・少し伺いますが、あなたが、シンクロした人はその後どうしているか知っていますか?」
ケヴィンに訊かれ、答えに困った。
犯罪被害者を救い出したり、犯人の行方を探したり、能力を使った後は、一樹や亜美の仕事だった。その後、どうなったかなどは考えることはなかった。
「まさか、何か影響が残っているというんですか?」
レイは、驚きを隠せず、ケヴィンに訊いた。
「いえ、心配するようなことはありません。ただ、紀藤刑事は少し影響を受けたようですね。」
ケヴィンはどこまで自分たちの事を知っているのだろう。随分、以前から自分たちの事を調べていたのだろうか。
「亜美さんが?」
レイが訊く。
「ええ・・彼女も少し特別な能力のDNAを持っているようです。あなたと何度か接触し、シンクロする場面に立ち会う中で、影響を受け、徐々に特別な能力が生まれ始めているようです。勿論、レイさんのような強い力ではありません。たぶん、・・そう、直観力が高くなったと感じる程度ではないでしょうか。」
「そんな・・。」
レイの表情を見て、ケヴィンが続ける。
「私の様子はご覧になりましたね。最初、私は、あなたをマニピュレートする事ができました。しかし、同時に、私自身も苦しむ結果となった。どういうことだか判りますか?」
レイは理解できなかった。
更にケヴィンは続ける。
「シンクロするということは、相手と同じ、思念波を持つということです。私とレイさんは、あの瞬間、一つの思念体になったんです。だから、あなたをマニピュレートして苦しめることは、自分自身も苦しむことになるのです。ここまでは、理解できますね。」
レイは、何となくその関係が理解できた。
「では、私を殺せば、あなたも死ぬということですか?」
レイが訊ねる。
「いえ、そんな単純なものではありません。ノーマルな人間であれば、命を落とすと、そこで思念波は消えます。確かに、僅かですが死を感じることになるかもしれませんが、自分が苦しむことはほぼありません。あくまで、サイキック同士の関係で成立することなのです。」
サイキック同士であればと聞き、レイは、以前、剣崎とシンクロした時のことを思い出していた。
「ただ、あなたの能力が凄いのは、そのダメージを相手に移す事ができることです。自分はさほど苦しまず、相手にその何倍かの苦しみを与える事ができるのです。その証拠に、あなたのダメージは、そこに座り込む程度だった。あと数秒、私がレイさんをマニピュレートし続けていたら、私はきっと死んでいたでしょう。」
ケヴィンの様子を目の当たりにしていたレイには、その意味がよく判った。同時に、どうして自分はそんな能力を持ってしまったのかと考えていた。
更にケヴィンは続けた。
「そのプロセスは判りません。ピッチャーが投げたボールを打ち返すと、その打球が投手のボールスピード以上で飛んでいくのに似ているような、そういうものかもしれません。」
ケヴィンの例えはよく判らなかった。
「あるいは、平面の鏡は自身の姿を映し出すだけですが、球面の鏡では実像と虚像が同じではなくなる。おそらく、そういうものだと思います。」
「それを知っていて私に能力を使ったというんですか?」
レイには、ケヴィンの行動が理解できなかった。
「いや、それが真実かどうかを確かめたかったんです。昔、マーキュリー研究所で、あなたに似た能力を持つ人物にあったことがある。その人も、自分の能力の全てを理解していたわけではありませんでした。ただ、訓練中に、事故が起きた。特殊能力を持つ研究員がいて、その人の訓練に同席していて、命を落としたのです。我々の様な能力を持つ者が、むやみに能力を使うと、相手を強く傷つけ、命を奪う事にもなる。あなたのシンクロ能力はその中でも最も危険と言えるでしょう。今まで、刑事たちの依頼で能力を使ってきたのでしょうが、それはかなり危険な行為だと理解した方が良い。」
ケヴィンは、レイに優しく忠告した。
「今、マリアは私たちの協力者の許に居ます。だが、それは時間の問題。マリアが何か不審に感じれば、彼らの意識の中に潜り込むでしょう。そして、その協力者から、私たちの存在を知ることになるはずです。そうなってしまえば、マリアは我々と対峙するに違いありません。」
「救い出そうとしていると伝えればいいのでは?」
と、レイがケヴィンに訊く。
「ええ、だが、それほど簡単ではありません。マリアはまだ十歳。社会から隔離され生きてきたのです。誰が味方か敵か、正しく判断することはできないでしょう。」
ケヴィンは哀しげな表情で答えた。
「じゃあ、どうすればいいのです?」
レイが訊ねると、ケヴィンはレイをまっすぐに見て答えた。
「レイさんのシンクロ能力が必要なのです。・・マリアに近づけば、きっとあなたをマニピュレートするために思念波を送ってくるはずです。その思念波にシンクロして、我々の真意を伝えてほしいのです。・・私は、彼女と同じマニピュレート能力を持っていますが・・おそらく、マリアの前では赤子の様なもの。どうしても、生まれつき・・」
そこまで口にして、急にケヴィンは黙った。

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

5-5 レイの決心 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「本当に、私の力で、彼女を救えるのでしょうか?」
レイはケヴィンに訊く。
「いや、むしろ、あなたでなければ救えない。少なくとも、私はそう考えています。」
「今のままでは駄目なのでしょうか?」
「先ほども言ったように、今、マリアと共に居る者は、われわれの協力者です。いずれは我々の手先だとマリアは思うはずです。その時、どんなことが起こるか想像できますか?」
信頼していた者に裏切られたのだと思えば、恐らく、命を奪うほどの報復をするに違いない。レイは想像した。
「それに、剣崎さんたちもこのままにはしておかないはずです。何としても、彼女に接触しようとするはずです。無理に接触すれば、剣崎さんたちの身も危険にさらされることになります。そのうえ、FBIからの要請で派遣されているわけですから、仮に、マリアを保護できないと判断されれば、次の手を打ってくるに違いない。」
「次の手・・とはなんですか?」
「危険なサイキックを野放しにはできないという理由で、容赦なく抹殺するはずです。彼女だけでなく、周囲も巻き込んだ大きな事故に見せかけることもやりかねない。」
「大きな事故?」
「火災事故、爆発事故、手段は選ばないでしょう。そうなれば、全く無関係な一般市民にも犠牲者が出るはずです。」
ケヴィンの答えは、どんどんエスカレートしていく。ただ、それがあながちオーバーではないだろうということも、レイは理解した。
「もうあまり時間がありません。レイさん、是非、協力してください。」
ケヴィンが深く頭を下げる。不思議な光景だった。所在不明な特別な部屋に監禁された状態にあるレイに対して、拉致した者が、頭を下げている。
「剣崎さんに、一度連絡させてください。」
レイがケヴィンに言う。
「いや、それは出来ません。剣崎さんは我々をレヴェナントと呼び、抹殺しようとするチェイサーの手先なのです。あなたが連絡をすれば、マリアを救い出すどころか、我々の身も危うくなる。それでは、例え、マリアを保護できても、全てが無に帰してしまう。マリアを保護し、安全な場所に身を隠す事ができるまでは、あなたの身は我々の手にある。それは譲れません。」
ケヴィンの顔が強張り、スーツの中から拳銃を取り出し、レイに突き付けた。
「手荒な真似はしたくありません。我々に従って下さい。」
所在不明の怪しげな部屋に監禁した状態で、手荒な真似はしたくないと言われても、説得力は無いが、レイは彼らに従うほか無いことは明白だった。
「わかりました。」
レイは仕方なく答えた。
「良いでしょう。近々、マリアに会える予定です。それまではここで過ごしてもらいます。必要なものがあれば言って下さい。そこの電話を使えば、我々の部屋に繋がりますから。」
ケヴィンはそう言うと、再び部屋に鍵をかけて出て行った。

「どうでしたか。」
ケヴィンが男たちのいる部屋に戻ると、スーツ姿の少し小柄な男が訊いた。
ケヴィンは、小さく頷いたあと、ソファに横になった。
「彼女の力は想像以上だった。まだ、本人は気付いていないようだが・・あれは、シンクロなどと呼べるものではない。マニピュレートそのものだ。」
「では、あの研究記録は正しかったということですね。」
「ああ、・・いや、記録とは異なる所がある。生まれつき能力を持っている者は、自らの能力の一部しか認識できていない。幼いころから、能力を使う事を厳しく咎められていたためだろう。自らの能力を過小評価し、成長するものだとは認識していない。」
ケヴィンの言葉には何やら、悔しさの様なものがにじみ出ていた。先ほどのスーツ姿の男は、ケヴィンの話をじっと聞いていた。
「私のように、訓練で能力を開花させた者は、その能力を高めるために必死だった。そうでなければ、存在価値がない。だから、時に、必要以上に自分を追い詰めたり、薬を使ったりしてきた。彼女やマリアはおそらく、全く別の次元にあるはずだ。・・もしかしたら、想像以上の強い力となってくるかもしれない。」
スーツ姿の男がようやく本題について訊いた。
「それで、我々に協力することは?」
「ああ、大丈夫だ。彼女にも、マリアを助けたい気持ちはある。それに、いざとなれば、命を、と脅しておいた。協力せざるを得ないだろう。」
「では、予定通り進めて宜しいのですね。」
スーツ姿の男が、再度、確認するように訊く。
「ああ、予定通りに進めよう。」
ケヴィンの言葉を聞き、スーツ姿の男はスマホを取り出し、電話を掛けた。
「ああ、私だ。予定通り進める。」
電話から、女性らしき声が洩れるように聞こえる。
「大丈夫だ。心配ない。・・そっちこそ、怪しまれないように連れ出せるか?」
再び、女性の声が何かを言う。
「心配ない。手荒な真似はしない。」
スーツ姿の男は、女性とのやり取りに少し苛立ったように返答して、電話を切った。それから、ケヴィンに向かって言った。
「では、明日の午後、港近くの公園で接触します。」
そう訊いて、ケヴィンは頷いた。
それから、ケヴィンは目を閉じる。
レイをマニピュレートした時に起きた事象を、今でも強く記憶している。その感覚はまだ少し残っているようだった。
「・・レイさんがマリアと接触すれば、恐らく、想像を超えることが起こるだろうな。・・」
ケヴィンは独り言のように呟き、目を閉じて休んだ。

ケヴィンが部屋を出てから、レイは、自分のなすべきことは何かを考えた。
このまま、彼らの指示に従っていくべきなのか、それとも、何らかの抵抗をすべきか。
指示に従い、マリアと接触したとして、彼らの事を信用させることができるのか。本当に彼らは、マリアを保護してくれるのか。何処にも保証はない。
抵抗するとして、どういう方法があるか。
シンクロするだけでは何も始まらない。マニピュレートする能力があれば、彼らにダメージを与えることもできるだろうが、そんな能力は持っていない。
それよりも、この部屋を抜け出すことができれば・・とレイは考えた。少なくとも、自分の居場所を剣崎たちに伝える事ができればとも考えた。だが、それが最も難しいことも判っていた。

部屋の電話が鳴った。
「食事を持っていく。」
感情というものが感じられない声が聞こえた。
暫くして、ドアが開き、男が二人、食事をもって部屋に入って来た。彼らも特殊な能力を持っているのか、確かめるために、レイは思念波を送る。何の抵抗もなく、彼らの思念波をキャッチし、シンクロできた。その時、彼らは体を強張らせて動けなくなった。レイは彼らの思念波にシンクロし、ここの場所を手掛かりをつかむため、彼らの記憶の中に潜り込む。突然、レイの中にケヴィンが現れた。そして、二人の思念波が遮断された。
「どういうこと?」
食事を運んできた二人は、何もなかったかのように、テーブルに食事を置き、何も言わず部屋を出て行った。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

6-1 新道家にて [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

亜美とリサは、神林教授とF&F財団のつながりを調べるため、橋川市へ戻り、新道家を訪れる前に、一度、署に戻ることにした。
今、レイは何者かに拉致されている。無事だと剣崎は言ったが、確証はない。そのことを、レイの母、ルイにどう話せば良いのか。神林教授とF&F財団のつながりを調べるには、母ルイに話を聞かなければならない。そのためには、洗いざらい話さなければならないだろう。だが、どう伝えればよいか悩んでいた。
「お父さん・・いや、署長は?」
署に戻ると、受付にいる警官に尋ねた。
「先ほど、帰られましたよ。」
警官はあっさりと答えた。亜美はリサとともに、仕方なく、新道家へ向かった。
玄関先で、レイの母、ルイが温かく迎えてくれた。
リビングに入ると、亜美の父、紀藤署長の姿があった。
父はここが我が家と言わんばかりに寛いでいた。あの事件以降、父がレイの母ルイと親しくしているのは知っていたが、目の当たりにすると余りいい気はしない。
「紀藤さんから聞いています。」
ルイはしっかりした口調で言った。
どういうこと?という表情を浮かべて、亜美は父を見る。
「ああ、さきほど、矢澤から連絡があった。レイさんが拉致されたこと、そして、矢澤も一時意識不明になったこと・・随分難儀をしているようだな。」
父の口調が余りに他人事のように聞こえて、更に亜美は苛立つ。
「レイは大丈夫よ。」
ルイが亜美に言う。しかし・・と亜美は心の中で思った。
「拉致したということは、今回の事件で、レイさんはかなり重要な役割を担うに違いない。邪魔な存在なら、その場で殺されていたはず。そして、きっと、相手はレイさんの特別な力を知っている。そう考えれば、ぞんざいに扱うことはないはずだ。」
紀藤は急に真面目な顔になり、亜美が納得するように話した。
「大よそのことは、聞きました。あなた方に見せたいものがあるの。ついてきて。」
ルイはそう言うとリビングを出て、長い廊下を進んで突き当たりまで来た。何処へ向かうのか判らぬまま、亜美とリサが続く。
壁の柱に小さな細工があり、そこを開くと、レバーがあった。ルイはそれをゆっくりと引く。儀いという音とともに、壁が徐々に下がり、その先に地下へ続く階段が現れた。
「さあ、行きましょう。」
一歩足を踏み入れると、壁のライトが自動で点灯した。地下に階段が伸びている。ルイが先に降りて、地下室の灯りをつける。
20畳ほどの広い地下室。四方の壁には、難しい書物が積み上がっている。中央に大きな机がある。
「最近、見つけたのよ。神林の研究室だったようなの。」
ルイはそう言うと、脇机の引き出しを開ける。そこにはノートがびっしりと入っていた。数冊取り出し、ルイが広げて見せた。
「すべて、神林の研究記録。私の能力の発見過程や、実験記録、レイの研究記録など、とにかく、五十年近くの記録があるのよ。」
これだけの記録があれば、恐らく、F&F財団とのつながりも書かれているかもしれない。
「あの・・ルイさん、F&F財団という名前をお聞きになったことはありませんか?」
「いえ・・知らないわ。でも、もしかしたら、この中に何かそういうことが書かれているかもしれないわね・・。」
だが、膨大な量のノートである。一つ一つ開いて読み込んでいく時間はない。
「そのF&F財団というのは、いつごろからあるのかしら?」
ルイが訊いた。
「いえ、それが・・。」
亜美が答える。
「私がアメリカにいた頃には、そういう名前を聞いたことはなかったわ。」
ルイも、特殊能力の研究者として、アメリカの研究所に居たのだった。
リサが、咄嗟に思いついた。
「あの・・この方たちをご存じありませんか?」
リサが、カバンからIFF研究所の理事名簿を取り出して、ルイに見せる。
「これは?」
「今回の捜査で、マリアさんが両親を失った後、保護した養護施設の本体、IFF研究所というところの役員名簿です。名前だけですが、思い当たる人はありませんか?」
ルイは名簿を順に見ていく。そして、一番下にあった名前を指さして言った。
「同一人物かどうか判らないけれど、この・・磯村という人、もしかしたら、父の研究の助手をしていた人かもしれません。・・ちょっと待ってください。」
ルイはそう言うと、机の大きな引き出しを開いて、何かを探している。
「ああ、ありました。父が昔、大学で研究をしていた頃の写真です。」
そこには、若々しい神林教授が映っていて、周囲には難しい顔をした学生の様な若者が何人も映っていた。誰も、何故か、険しい表情をしている。悲壮さすら感じられる。
写真を裏返すと、「夢半ば」という、神林教授が書いたと思しき文字があった。
「これは?」
と、亜美が訊ねる。
「おそらく研究室を閉じることになった日に記念に撮ったんじゃないでしょうか?父の研究は、大学でも非科学的だと評価されていましたし、娘を実験台にしているということも社会的に非難されてもいました。研究室が閉められるのも時間の問題だったようです。・・そのあたりのことは、このノートに書かれています。」
ルイは、まるで他人事のように言うと、1冊のノートを机の上に広げた。
そこには、そうなった経緯と大学当局への批判が綴られていて、最後に、研究室にいた助手たちの名前が書かれていた。
そこに、磯村の名もあった。
「ルイさん、ここにあるノートを全てお読みになったんですか?」
リサが驚いて訊いた。
「そうねえ・・この部屋を見つけてから、父が私を実験台にして行った研究をどう考えていたのか、知りたくて・・一通り、目を通しました。・・しかし、父は、娘である私への謝罪など、一切書いていませんでした。研究対象、あるいは、実験台としか見ていなかった。」
ルイの言葉には悔しさがにじみ出ていた。
「随分古い写真だから、磯村という名前だけで、同一人物というのは少し無理があるかもね。」
ルイは、少し気を取り直して、亜美たちに言った。
だが、亜美は、なんとなく、写真の人物があの磯村勝だと直感的に思った。
「ここに写っている皆さんは研究室が閉鎖された後、どうされたんでしょうか?」
亜美がルイに訊く。
「さあ、研究室が閉鎖された後、このノートには何も記録されていないから・・。ただ、父は、その後、ここに籠って研究を続けていたんじゃないかしら。」
「ルイさんは?」
「まだ、十代でしたから、実験台になる苦痛から逃れるために父の元を離れました。自分のこの能力は一種の病気ではないかと考え、大学へ進み、脳科学の研究者になり、、アメリカの研究機関へ行ったんです。・・おそらく、その頃、父は、異常な世界にまで足を踏み入れていたと思います。」
「どうして、そう思うんですか?」と、リサ。
「これを見てください。」
そういって、ルイは、積み上がった書籍の中に埋もれるように置かれていた、段ボール箱を引っ張り出してきた。そして、その中から1枚の書類を取り出した。
その書類には、意味不明な数字とアルファベットが細かい文字できれいに並んでいた。どう読み取ろうとしても、意味が判らなかった。
「異常としかおもえないでしょう?何かの暗号のような・・。」
ルイが呆れた顔でそう言って、亜美の顔を見る。亜美が驚いた表情で固まっていた。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

6-2 暗号の様な祖類 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「どうしたの?亜美さん。」
暫く、亜美が返答をしないでいるので、リサが代わりに答えた。
「実は・・これと同じ様な書類を見たんです。」
リサの答えに、今度は、ルイが驚いた表情を見せた。
リサは、そう言って、持ってきた鞄を開けて、磯村健一から預かった書類の束を机の上に出した。そして、件の書類を差し出した。
文字の大きさや形は違うが、それは紛れもなく、同種であると判断できた。
「これは、IFF研究所、常務理事だった磯村勝氏が持っていたものなんです。」
ルイは二つの書類を机に並べ、しげしげと見つめる。
「もし、これが、研究に関する何かの記録だとすると、やはり、父の研究を知っている人物・・磯村勝氏は、神林教授の助手だったと考えるのが妥当でしょう。」
リサが言うと、ルイも亜美も頷いた。
「どういう内容か判りませんか?」
と、ルイが訊く。
「いいえ。暗号だとしても、読み解くキーワードさえ判りません。」
リサの言葉に、ルイは、残念そうな表情を見せた。
リサが続けて言う。
「でも、一歩前進です。IFF研究所と神林研究所のつながりが判りました。やはり、磯村勝氏は超能力の研究のために、IFF研究所を開いたに違いありません。」
亜美がようやく口を開く。
「磯村勝氏は、今、どうされているの?」
と、ルイが訊く。
亜美は、IFF研究所で起きた火事や事故、役員の自殺といった経緯をルイに話した。
「磯村勝氏には、私たちも会っていません。息子という健一さんから伺った話なのですが。勝氏は、精神を病んでおられ手、正常な会話ができないということでした。」
「そう、それは御気の毒な事ですね。でも、どこか、仕組まれたような話なんですね・・。」
ルイはそう言いながら、机の上に広げられた磯村健一から預かった書類にふと視線をやった。
書類の中に、写真の様なものを見つけた。
「これは?」と、ルイが書類の束から、その写真を引っ張り出した。
「ああ、それは、IFF研究所の落成時に撮られた記念写真のようです。その中央に写っているのが、磯村勝氏だと思います。」
亜美が答える。
「ちょっと待って・・。」
ルイはそう言って、先ほどの神林研究所の写真を取り出して、並べた。
「この人が、磯村勝氏だと言ったわよね・・。」
ルイが再度確認するように亜美に言う。
「ええ、そうです。」
そう答えた亜美も、写真を見て違和感を感じた。
古い写真で随分年齢的な違いがあるとしても、神林研究室で助手をしていた磯村と、IFF研究所の磯村勝氏が同一人物とは思えなかった。背格好や顔立ち、ほくろ、髪の毛・・あまりに違い過ぎていたのだ。
「これは別人ね・・。」
ルイが口に出した。亜美もリサも小さく頷く。
「どういうことでしょうか?」
リサが、ルイや亜美に訊く。二人とも困惑した表情を浮かべていた。
しかし、すぐに、ルイは、地下室の隅にある扉の付いた書棚に向かった。
「どうしたんです?」とリサ。
ルイは何も言わず、書棚の前に立つと、首元にしていたネックレスを取り出し、鍵穴に入れてまわした。扉を開くと、そこには、様々なファイルがびっしりと並んでいた。ルイはその中から、色が変わったいかにも古そうなファイルを取り出した。それから、ファイルの中を調べ始めた。
「ああ、あったわ。」
暫くして、ようやくルイが振り向いて1枚の写真を掲げる。
「これを見て!」
その写真には、若き磯村勝とよく似た顔の男性が写っていた。だが、笑顔はない。それは、書類の右上に貼られた身分証明の様な写真だった。
「これは?」と亜美が訊く。
「これは、私がイプシロン研究所にいた頃の研究記録の一部です。」
「研究記録?」とリサが言う。
「これは、イプシロン研究所にあった被験者の記録なんです。本来なら持ち出し禁止の書類なんです。でも、彼についてはどうしても気になることがあって・・」
ルイが答える。
「被験者?」
今度は、リサが訊く。
「ええ、彼の名前は伊尾木哲。日本から連れてこられた被験者でした。」とルイが言う。
「研究者ではなく、被験者?そんな・・。」と亜美。
「当時、私たちの様な能力を持つ者は、大半が精神異常者とされて、精神病院や矯正施設へ強制的に入院させられていたんです。その中から、特殊能力があるとみなされた者は秘密裏に、イプシロン研究所へ移送され、研究対象とされていました。」
「そんなことが許されるのですか?」とリサ。
「勿論、今ではそれは赦されない事でしょう。しかし、あの頃は、精神障害による犯罪も多発していて、社会的にはそういう風潮がまかり通っていましたから・・。今でも、全くないと言えばうそになるでしょうね。・・」
ルイは哀しげに言い、さらに続けた。
「私は、自分の特殊能力を隠して通して、研究者となれましたが、移送された被験者には、人権も何もない、惨い実験に晒されていたのです。私自身も、その実験に立ち会う立場でしたから、父を恨む立場ではないことは承知しています。」
ルイは、昔の記憶を辿りながら、自戒の念を強くしていた。
亜美は、先ほどのIFF研究所の写真と、ルイが取り出した写真を並べてみた。
確かに、二つはよく似ている。ほくろの位置、目鼻立ち、同一人物と考えても無理はなかった。
「でも、どうして、被験者だった伊尾木哲が、磯村勝になれたのでしょう?」
と、リサがルイに訊く。
「伊尾木には、私と同様に特別な能力が認められました。私の場合、他人の思念波を捉え、所在や状況を知る事ができるものでしたが、彼の能力は実験の中で飛躍的に高められ、相手の意思を変えさせるまでの能力になっていました。・・その能力を使ったと思うのですが・・・。」
それ以上のことはルイにも判らないようだった。
「あの・・飛躍的に高めるというのはどうやって?」
亜美がルイに訊いた。
「いろんな方法が取られました。食事を摂らせず身体的にギリギリの状態にする方法や、睡眠を取らせず精神的に追い込む方法、麻薬や覚せい剤といった薬物の使用、拷問に近いこともあったはずです。生命の危機に陥る時、能力が研ぎ澄まされていくという理論です。その中でも効果があったのが、ある薬品の注射効果でした。」
薬品の注射と聞き、亜美はあの忌まわしい事件を思い出していた。
同時に、亜美はルイと目を合わせた。
「そう・・私が父から受けた・・あの状態こそ、能力を飛躍的に高める一つの方法だったのです。」
ルイは敢えてそう言うことで、亜美や、リサに、余計な気遣いをさせまいとした。
「あの・・伊尾木哲にも、その方法が?」
と、リサが訊く。
「そこまでは判りません。・・ただ、彼は、ある日忽然と姿を消したのです。その日、研究所内でボヤ騒ぎが起き、研究者が屋外に避難した隙に居なくなってしまったのです。その後、研究所でも彼の行方を捜したと思います。だが、見つからず、彼の存在は闇に葬られてしまった。彼の記録の一切は廃棄されました。でも、私は、彼のことが気になって、こっそり記録の一部を隠し持っていました。それからすぐに、イプシロン研究所は閉鎖されてしまいました。」

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

6-3 変貌 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「伊尾木氏が磯村氏になっていたとすると、彼は、自分と同じように、特別な能力を持つ者をマーキュリー研究所に送る役割を担っていたことになります。そんなことがあるのでしょうか?」
亜美が、ルイに訊く。
「あえて、その立場にいることで、追跡の眼をかわす。そうとは考えられませんか?」
今度は、ルイが亜美に訊いた。
「神林教授の助手だった磯村氏になりすまして、周囲からの疑念を抱かせないということですね?」
今度は、リサが言った。
「亜美さん、私を一度、磯村氏に会わせていただけませんか?」
ルイが、驚くべきことを申し出る。
「磯村氏に?」
と、亜美が驚いて訊く。
「ええ、私は、伊尾木氏であるかどうか、判ります。」
「でも、彼は、精神を病んでいてまともに話もできないようですが・。」
「その真偽も確かめられるはずです。彼は、高度な知的レベルにあります。仮に、IFF研究所を閉鎖する為、誰かが策略したのなら、彼はそれをいち早く察知し、保身のため、精神を病んだように見せているのかもしれません。」 
「しかし、健一氏が会わせてくれるかどうか・・。」
「大丈夫です。顔を見なくても、きっと判ります。」
「しかし・・。」
亜美は、レイが拉致された今、ルイまで今回の件に巻き込むことに躊躇していた。
「レイのためにも、一刻も早く、この謎を解く必要があります。大丈夫です。」
ルイの力強い言葉に押されるように、磯村氏に会いに行くことが決まった。
三人の話を聞き、紀藤署長も同行すると言い、紀藤署長の運転する車で、浜松の磯村氏を訪ねることにした。途中、磯村健一氏に連絡し、以前に会ったピアンで待ち合わせすることにした。
四人が到着した時、すでに健一氏は、ピアンの奥の部屋に来ていた。亜美とリサが奥の部屋に入り、紀藤署長とルイは、客を装ってテーブルに着いた。
「健一さん、幾つか判ったことがあります。ただ、これは、勝氏に関わる重要な事ですから、出来れば真偽を確認してからお話ししたいのですが・・。」
奥の部屋で、亜美は健一氏に切り出した。
「はあ・・父に関する重大な事・・ですか。」
健一氏の様子が先日とは随分違って見えた。初めて会った時、彼は小心者で絶えずどこか警戒するような態度で口調の少しヒステリックに感じられた。
だが、今回は、随分と落ち着いていて、口調もゆっくりで周囲を気にする様子もない。どちらかというと、二人の訪問を快く思っていない様な、どこか拒絶する空気を出していた。
「あの・・何かありましたか?」
気になって、リサが訊いた。
「いえ、特にこれといったことは。ここ数日、父は随分落ち着いていますし、譫言もしなくなりました。傍に居る者としては、安心しているところです。事件のことも今更どうにもならないわけですし、父さえ落ち着いて普段の暮らしができるなら、そっとしておいたほうがいいんじゃないかと思うところです。」
やはり、彼は別人のようだった。
「では・・IFF研究所の件はもう良いとおっしゃるんですか?」
亜美が確認するように訊いた。
「まあ、そんなところです。」
亜美もリサも拍子抜けした感じで、少し沈黙した。
店内にいたルイは、テーブル席でじっと目を閉じたまま、意識を奥の部屋へ向けていた。紀藤署長はその様子を心配気な表情で見ている。
ルイは、磯村健一氏の思念波とシンクロしようとした。
レイほどの能力ではないが、至近距離であれば、相手の思念波を掴むことは難しくない。ルイの脳裏にぼんやりと、磯村健一氏の思念波の形が浮かんできた。
「えっ!」
ルイは、小さく一言発すると、目を開いた。そして、目の前のコップの水を飲んだ。
「どうした、ルイ。」
紀藤署長が声をかける。
「彼は・・一体、何者なの?」
ルイは小さな声で言うと、じっと奥の部屋の方を見つめた。
奥の部屋では、亜美が沈黙を破るように健一氏に言った。
「勝さんが落ち着いていらっしゃるのなら、一度、会わせていただけませんか?」
「父に・・ですか?」
健一氏は明らかに拒否するような口ぶりだった。
「ええ・・実は、勝氏は、本当は別人ではないかという疑いが浮上してきたんです。」
「別人?・・何を言われるかと思えば・・間違いなく、私の父です。幼い頃からともに居るのですから間違いありません。」
確かに、健一氏の年齢からすると、おそらく、勝氏と伊尾木氏が入れ替わった後に、健一氏は生まれたはずだった。おそらく、それ以前の勝氏の事は何も知らないはず。それなら、彼がそういうのは無理もない事だった。
「あなたがお生まれになる前、勝氏はどこで何をされていたか、ご存知ですか?」
亜美は敢えて訊いてみた。
「いや・・聞いたことはありません。母も若いうちに他界しましたから・・それを知っているのは父本人だけでしょう。」
おそらくこれ以上話しても、勝氏に会わせてくれることはないのだろうと亜美は思った。二人の話を聞いていたリサが口を開く。
「もし、目の前にいる親しい人が、全くの別人で、過去に犯罪に手を染めていたとしたらどう思いますか?」
それは、リサ自身のことだった。
「他人になりすましているということですね。まあ、父ならそういうことは充分にあるでしょう。だいたい、IFF研究所も怪しいところでしたし、あんな事故が起きたり役員が死んだりしたんです。まともなところとは思えない。今の父も充分に罪深い人ですから、過去に何があっても驚いたりしません。それより、今、落ち着いて日常が過ぎていくなら、それで充分です。・・もうIFFの件は終わりにしてください。」
健一氏は、そう言って席を立った。
あれほど切羽詰まった様子で、IFFの事件の事を再捜査してほしいと言った健一氏だったのが信じられない変貌ぶりだった。
亜美とリサは、ただ、そのまま健一氏が立ち去るのを見送るしかなかった。
部屋を出てきた健一氏は、すっと、ルイの方を見た。そして、一瞬、睨み付けるような視線を送って、ゆっくりと店を出て行った。少し遅れて、亜美とリサが部屋を出て来た。そして、紀藤署長とルイが座っている席に来て、横に座った。
「なんだか不思議な感じ。まるで別人だったわ。勝氏に会うどころか、今回の件は一刻も早く忘れたいような感じだったわ。」
亜美が不満を口にした。そして、マスターにコーヒーを注文した。
「別人よ。」
亜美の言葉を聞き、ルイが小さな声で言う。
「えっ?どういうことですか。」
ルイの言葉を聞いたリサがルイに訊く。
「彼の思念波を捉えようとしたの。でも、彼の思念波は厚いベールに包まれた状態だった。」
「どういうことですか?」
今度は亜美が訊いた。
しかし、ルイの様子がおかしい。急に顔をしかめ、ふらふらとして椅子から落ちそうになり、隣にいたリサに何とか支えられた。
「随分疲れているようだ。一旦、橋川へ戻ろう。」

nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

6-4 殻に包まれた思念波 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

亜美たちは、ルイの自宅へ戻ると、寝室のベッド部屋で、ルイを休ませることにした。
「ルイさん、大丈夫かしら?」
亜美はルイを心配して言った。
「ああ、大丈夫だ。遠出をして疲れたんだろう。少し休めば・・。」
紀藤署長はそう言いながら、寝室の方を見て心配そうな表情を浮かべていた。
「健一氏は、別人だったわ。ルイさんもそう言っていたし・・。」
リサも紀藤署長も、ルイが言ったのを聞いていて、頷いた。
「どういうことなんだろう?」
紀藤署長が言うと、亜美が答えた。
「何か不都合なことを隠しているという感じでもなかった。本当に、以前に会った健一氏とは別人。もし同じ人間だとしたら、この数日の間に、途轍もない事が起きたんじゃないかしら?」
「確か、磯村勝氏は精神に異常をきたして、まともに会話できる状態じゃないと言っていたよな。まさか、勝氏が亡くなったとか・・。」
と、紀藤署長がぼんやりと話した。
「それでも、やはり、IFF研究所の件は気になるはず。真実を知りたいと言っていたのは間違いないんだから。今になって、どうでもいいなんて言う人とは思えない・・。」
リサは、夕食の準備をしながらキッチンで二人の会話を聞いていた。
「落ち着いて日常を過ごしていると健一氏は話していたけれど、そんなに回復することがあるんでしょうか?」
リサが、キッチンから、二人に訊く。
「実際、どれほどの状態だったか、私たちは見ていないし、そもそも、精神に異常をきたしていることも真実かどうか・・・。」
と、亜美が健一氏との会話を思い出しながら言った。
「しかし、重要な書類をお前たちに預けて、事件の真相を調べてほしいと言ったんだろ?」
と、紀藤署長が言うと、
「そうなのよね・・。」
と言って、亜美がソファに寝転んだ。
頭の中にいろんなことが溢れてしまって、収拾がつかなくなった様子だった。
「ちょっと、ルイの様子を見て来る。」
紀藤署長はそう言うと、寝室へ向かった。
紀藤署長がリビングを出た時、リサが夕食の支度を整えて運んできた。
「ありあわせのものしかありませんでしたので・・。」
リサはそう言って、ダイニングテーブルにいくつかの料理を並べた。
すぐに、紀藤署長は、ルイを連れて戻って来た。
「ごめんなさい。もう大丈夫よ。」
ルイはそう言いながら、テーブルに着いた。
「あら美味しそうね。」
倒れそうだったルイだったが、少し休んで回復したようだった。目の前の食事を皆で囲んで食べた。
それから、ソファに移り、コーヒーを飲みながら、ルイは、皆に、健一氏にシンクロした時の体験を話し始めた。
「あんな体験、初めてだったわ。一人の思念波が、分厚い殻の中に閉じ込められている。そして、その殻は、間違いなく別人の思念波が作り出したものだった。」
亜美たちは、ルイの話を理解できなかった。
ルイは、健一氏の体から発する思念波にシンクロした時の様子を映像で見ていたのだった。娘のレイは、思念波を光として認識していたが、ルイは、色の束の様なものとして認識していた。
「おそらく、健一氏の思念波・・人格はその殻の中で眠っている。そして、彼に代わって、伊尾木氏が健一氏になっている。帰り際に、真相を追及するなという警告を私に送ってきたのが証拠よ。」
ルイの言葉に、亜美も、リサも、署長も驚いて声も出なかった。
しばらくして、紀藤署長が口を開いた。
「たぶん、亜美たちが、健一氏に最初に会った時はまだ彼自身だっただろう。純粋に、父の様子を見てただ事ではないと感じ、あなたたちに捜査の協力を申し出た。伊尾木氏は、健一氏がそういう行動に出るとは予想していなかったんだろう。そのことを知って、健一氏の体を乗っ取った。・・よほど、調べられては困ることがあるんだろう。」
亜美やリサも同意する。さらに、紀藤署長が言った。
「ルイさんに警告したことから、かなり重要なところまで迫っているということに違いない。」
「磯村勝氏になりすましているのは、伊尾木氏で確定ですね。じゃあ、本物の磯村氏はどうしたのでしょう?まさか、伊尾木氏が殺したんでしょうか?」
リサが疑問を口にした。
「磯村氏は、神林教授の研究内容を知っていた。研究室が閉鎖された後、磯村氏は何処に行ったんだろう?磯村氏は、イプシロン研究所にはいなかったんですよね。」
今度は亜美が疑問を口にした。
「ええ・・おそらくいなかったはずです。」
ルイはその頃のことを思い出してみた。
イプシロン研究所には多数の研究者がいた。すべてを知っているわけではないが、当時、日本からの研究者は僅かだった。その中には、磯村という名の研究者は居なかった。年齢的に自分より年上であり、経歴を考えると、重要なポストに居てもおかしくなかった。
父・神林教授、その助手だった磯村勝。
ルイがいたイプシロン研究所の被験者だった伊尾木。
何処に接点があるのか。どうやって入れ替わったのか。最大の謎が全く解明できていなかった。
「父の研究記録を見直してみましょう。磯村氏と伊尾木氏の接点が見つかるかもしれません。」
ルイの申し出で、地下室の研究記録を見返してみることになった。
記録ノートを丹念に見返していくと、研究途中で、情報漏えい事件があったことが判った。
世間からあまり注目されていなかった神林氏の研究だったが、実の娘ルイを使った実験の様子が週刊誌で面白おかしく報道された。そこには、実験の詳細が書かれていて、紛れもなく、助手の誰かが、記録を持ち出したことを示していた。
「その時の記録に、磯村氏の名前が書いてあるわ。」
ルイが記録ノートを広げて言った。
「研究室が閉鎖されたのは、この報道から間もなくだったようね。」
今度は、亜美が別の記録を見つけて言った。
研究室では、週刊誌の報道で助手の中で不信感が広がり、磯村氏が情報漏えいの犯人と決めつけたようだった。
「ほとんどの助手は、別の研究室に移ることが決まっていたけど、磯村氏だけは行き先が決まらなかったみたいね。実家に戻ったのかしら?」
ルイが記録を見ながら呟いた。
記録の中にある磯村氏の経歴書を探す。
「彼の実家は・・滋賀県長浜市・・・ですね。」とリサ。
「ちょっと待って・・・確か、伊尾木氏の生家も確か、滋賀だったはず。」
ルイが、自分の記録ファイルから伊尾木氏の書類を広げて確認する。
「やっぱりそう、長浜市よ。」とルイ。
「二人は同郷だったということでしょうか・・。」と、リサ。
「それが偶然なのか、それとも、二人に以前から接点があったのか。確かめる必要がありそうね。」
と、亜美が言う。
「長浜へ行きましょう。」とリサが言う。
すぐに必要な書類をもって、リビングに戻った亜美は支度を始めた。
「おいおい、どうしたんだ?こんな時間に。」
リビングで、既に休む支度をしていた紀藤署長が驚いて訊く。
「磯村氏と伊尾木氏は、滋賀、長浜の生まれなんです。きっと、二人は以前からの知り合い。入れ替わった理由もきっと判ると思うの。これから、行きます。」
「明日にしなさい。今から行ったところで、話を訊く相手もいないだろう?しっかり休んで行った方が良い。」
紀藤署長は、躍起になっている亜美を鎮めるように言った。
既に、夜中12時を回っていた。

nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

6-5 長浜 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

翌朝、亜美とリサは、磯村氏の実家のある長浜市へ向かった。
東名から名神、そして北陸道を使って、木之本インターまで向かう道程で3時間ほどを要する。
「マリアを保護するためなのに、何だか随分遠回りをしているような感じね。」
ハンドルを握る亜美が呟く。
「ええ・・でも、マリアさんの件では、もっと何か、知らなければいけないことがあるように思います。MMの時のように、単純な事件じゃなくて・・。」
と、リサが答えた。
「そうね。・・剣崎さんたちはどうしてるのかしら?」と亜美。
思えば、十里木高原を出てから、数日が経過していた。その間、特に連絡をしていなかった。拉致されたレイの安否も判らないままだった。
養老サービスエリアで運転を代わり、亜美は剣崎に連絡をした。
「どうですか?何か動きはありましたか?」
「いえ何もないわ。」
十里木高原でマリアの動静を監視している剣崎も、少し、しびれを切らしている様子だった。亜美は、これまでに判ったことを纏めて報告した。
剣崎からは、レヴェナントの動きを気にしながら、同じ場所で監視を続けている事が伝えられた。
「レイさんの行方は?」
亜美が訊く。
「いえ、あれから、カルロスが駅前の防犯カメラや、レイさんが乗せられた車の行方を調べているけど、特に進展はないわ。」
「一樹は?」と、亜美。
「もう大丈夫。アントニオと交代で様子を見ているわ。」
「遠回りをしているようですが・・。」と、亜美が言うと、「いえ、きっと、今回の事件を解決するには、IFF研究所の正体も突き止めておかなければいけないはず。しっかり調べて。」
剣崎はそう言うと、電話を切った。
木之本インターを降りて、国道8号線をさらに北へ向かう。
「この辺りですね。」
ナビに居れた住所地、石室地区に到着した。
周囲には、山に沿うように小さな集落が幾つかある。過疎地となっているようだった。集落の一つにある住民センターに車を停めて、周囲を歩く。
山際に大きな屋根を持つ寺が見えた。住民センターからその寺まで一本の道が続いていて、大半の住宅はその道筋に立っていた。人影はない。
一軒ずつ、表札を見ながら一本道を進むと、『磯村』という表札を見つけた。門の中に建つ家は殆んど朽ちている状態で、長く人が住んでいないことを示していた。
「おそらく、ここが磯村氏の実家ね。」と亜美。
「寺へ行ってみませんか?昔のことが判るかもしれません。」
とリサが言い、二人は、寺へ向かった。
目指す寺は、道から一段高い所に建っていた。石段を上ると山門があり、それをくぐると石畳が本堂まで伸びている。左手には鐘楼があり、右手に庫裡と宿坊があった。その奥に、住職の家が建っているようだった。
門を入ると、住職らしき人物が本堂に座っていた。
「あの、済みません。お伺いしたいことがあるのですが・・。」
亜美は警察バッジを見せながら声を掛けた。
住職はゆっくり立ち上がり、振り返る。随分と、高齢のようだった。ゆっくり本堂から出てくると、
「済まんが・・近頃、体の自由が利かなくなってしまってなあ・・、座らせてもらうぞ。」
そう言って、回廊の端に座った。
「あの、この村の出身の、磯村勝さんという方をご存じでしょうか?」
亜美は少し、大きな声で住職に尋ねた。
「ああ・・・体は弱っているが、耳は達者だ。普通に話してもらって構わんよ。」
亜美は少しばつの悪そうな表情を見せ、改めて訊ねた。
「この村に磯村勝さんという方が住んでいたと思うのですが、御存じでしょうか?」
住職は少し考えてから、ゆっくりとした口調で答えた。
「ああ、確か、そういう名の者は居た。だが、若い頃に出て行った。まあ、この辺りの若い者は、村から出て行くのは当たり前になっているんだが・・。」
「身寄りの方は?」と亜美。
「いや・・もう居らんな。」
住職はそう言った後、ふと何かを思い出したようだった。
「あ、いや・・そうだった。勝は、一度、戻って来た。仕事を首にされたと言って・・。暫く、生家に住んでいたが、知らぬ間に姿を消した。また、都会に出て行ったんだろう。」
「それはいつ頃ですか?」とリサが尋ねた。
「そうだなあ・・あれは・・・ずいぶん昔だな。30年いやそれより前かも知れんな・・。」
住職の話の信ぴょう性は別にして、時間的には、神林教授の研究所が閉鎖されたころと合致する。
「どんな方だったんでしょう?」とリサ。
「まあ、神童と呼ばれるほど頭が良かった。母と二人暮らしだったから、家の手伝いも良くやっておったし、真面目だった。将来は大学の教授になるだろうと、母御も話して居ったのじゃが・・。」
「お母様はどうされていますか?」と亜美。
「勝が大学に行った春に重い病気が見つかった。勝が卒業すると同時に、亡くなった。」
天涯孤独の身になったということだった。彼の生死を心配する者は居ないということになる。
「おお、そうじゃそうじゃ。勝の母御には、もう一人息子が居った。」
住職は驚くべきことを口にした。勝には兄弟がいたということか。
「まあ、息子といっても、育てていたわけではないからな。」
そういうことか判らず、亜美が眉をひそめて、「どういうことです?」と訊く。
「勝の母御は、出戻りだった。嫁いだ先の、夫が遊び好きの男だったんで、夫婦喧嘩が絶えなかった。そのことを嘆いて、姑が、離縁を勧めたんじゃ。子どもを産んですぐのことだったはずだ。勝には、哲という双子の兄がいた。哲は、そのまま伊尾木の家に残り、勝と母は伊尾木の家を出た。まあ、双子といっても、二卵性とかいって、顔は全く似ておらんので、知る者は少なかったろうがな・・。」
住職の口から、伊尾木哲の名が出て来て、亜美もリサも驚いた。
「あの・・伊尾木哲は磯村勝の兄弟・・間違いないですか?」
亜美は、確認するように訊く。
「ああ、間違いない。母御が幾度か儂のところに相談に来た。子を置いて家を出たことがどれほど非道な事かと嘆いておった。幾度も、連れ戻しに行こうと考えたようだが、何しろ、女手一つで二人の赤子を育てるなど無理な事だと判っていたようだが・・・。」
住職はその頃のことを思い出したのか、少し涙目になっている。
「嫁ぎ先の伊尾木の家はこの村ではなかったのですか?」
亜美が訊く。
「ああ、山を越えたところの・・塩津という郷じゃ。そこには寺の檀家が何軒かあるんで、盆暮れで行った時、母御に代わり、伊尾木の家に行き、哲の様子を見に行ったことがある。」
住職はそう言いながら、少し顔色が曇った。
「哲は少し変わった子じゃった。・・いつも人の顔色を窺っては、相手の心を読もうとしておったような・・周囲からは不気味がられるような子どもだったようだ。伊尾木の家でも、そんな哲の様子に悩んで、確か、小学生の頃に、伝手を使って、京都の学校に行かせようとしたらしい。だが、相次いで、姑が亡くなり、父親が亡くなり、哲は、遠くの養護施設に入れられたと聞いておる。」
「それから姿を見ることは?」と亜美。
「いや、見た事はない。結局、伊尾木の家も、磯村の家も、皆、絶えてしまったというわけだ。まあ、この村にはそういう家は珍しくはないからな。・・儂のところも、儂の代で終わりじゃ・・。」
住職はそう言うと寂しげな表情を見せて立ち上がり、「もう宜しいかな?」と言って、本堂へ入って行った。
二人は寺を出た。磯村勝と伊尾木哲は双子だった。この村のものでさえ知る者は少なく、おそらく、大人になって何かのきっかけで、兄弟の存在を知ったのかもしれなかった。伊尾木は、研究所から姿を消した後、磯村勝を名乗ったに違いなかった。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

6-6 二つの命 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

「磯村勝氏と伊尾木哲氏の繋がりは判ったけど・・本物の、磯村勝氏はどうしたのかしら。」
亜美は、寺を出て、車に向かう道でふと考えた。
「亡くなったと考えるのが妥当でしょうね。」
横を歩いているリサが、応えるように言った。
車に戻る途中、もう一度、廃墟となっている磯村家を訪ねてみた。
向かいの畑に老婆がいた。
亜美が声をかけ、磯村家の事を尋ねる。少し怪訝な表情を浮かべた老婆はこう答えた。
「勝は病気だった。もう長くないと言っていたんだ。だが、突然、居なくなった。どこかの病院へ入院したんだと思っていたんだが・・。」
死を目前にした磯村勝氏、逃亡していた伊尾木がどこかで接触したという可能性が浮かぶ。
「姿を消す前に変わったことはありませんでしたか?」
亜美が訊くと
「ここらじゃ、見た事ない男がうろついていたよ。」
その老婆はやけに鮮明に覚えていた。理由を聞くと、
「その少し前に、村の娘に街の男がちょっかいを出した事件があったばかりで、村の者は皆、苛ついていた。青年団の若い衆は、自警団を作って見回りをするほどじゃった。そんな時に、不審な男がうろついていたわけだから・・当然、騒ぎになるだろう。」
「それで?」と亜美が訊く。
「いや・・その男は、勝の知り合いだと言っていたんで、一件落着。もちろん、勝も皆に説明して納得させたようだった。その直後に、勝もその男も姿を見なくなったんだ。」
二人はここで出会った。いや、伊尾木はそこに双子の勝がいることを知りやって来たに違いない。
老婆はそう言うと、少し離れた自宅へ帰って行った。
二人は老婆を見送ったあと、廃墟となっている磯村家に入ることにした。「急に姿を見なくなった」という老婆の言葉が気になり、もしかしたらという気持ちを確かめるためだった。
玄関に鍵は掛かっていなかった。建付けの悪い引き戸を何とか開いて、中に入る。長く出入りがなかったため、埃やクモの巣はあったが、意外と整然としていた。靴のまま、二人は、玄関を上がる。入ってすぐ左手には、二間続きの和室とその奥に仏壇があった。廊下の雨戸は締まっていたが、隙間から外光が差し込んでいて、様子はよく見えた。玄関から奥まで中廊下があり、右手に階段とその奥にはもう一部屋ある。ありきたりの住宅の間取りである。一番奥が台所と食堂。家具は少ない。床に血が飛び散ったような跡もなく、争ったような形跡もなかった。
亜美は、不意に、磯村、いや、伊尾木が特別な能力を持っていた事を思い出す。もし彼が能力を使って、磯村氏を死に追いやったとしたら、と思う。争うことなく、ナイフで刺し殺さずとも、磯村自身を自死に追いやることは容易にできたかもしれない。そして、それは、殺人という形では立証できないだろう。だが、もし、磯村氏が死んだとして、遺体はどうしたのだろうかと考えた。
リサは、2階の部屋を見て回った。特に異常は感じない。学習机とベッド、本棚には古い本や雑誌が入ったまま、埃だけが積もっている。ここはおそらく、磯村勝氏が子ども時代を過ごした部屋だろうと推測できた。
そんなに簡単に磯村氏の遺体を発見する事ができるはずはない。ここではなく、別の場所に運ばれて、埋められているかもしれない。
奥の台所に入った時、亜美は、そんなことを考えていた。
2階から、リサが降りて来る。
「特に変わったところはありませんね。」
リサが亜美に言った。
「ええ・・そうね。ここに二人がいたのは間違いないけれど、ここから二人で違う場所に行った可能性もあるし・・。」
亜美はそこまで言って、ふと、台所の窓から外を見た。裏庭は意外と広い。そこに、小さな物置小屋が立っている。そこに何か違和感を感じた。
「ねえ、あれ・・。」
と亜美が、リサに言う。
「物置小屋でしょうか?」
リサもそう言ってじっと見つめた。そして、ふと口にした。
「何か変ですね・・なんでしょう?」
二人は勝手口から裏庭に出た。ゆっくりと近づいていく。
「あっ!」と亜美が小さく言葉を発する。それに呼応するように、リサは口を開く。
「これ、変ですよね。」
そう言って、指さしたのは、物置小屋の取っ手に取り付けられた南京錠だった。裏庭に置かれた物置小屋には、不似合いなほど大きな南京錠が取り付けられていた。通りから全く目に付く場所ではなく、裏庭に入るには、家の脇の狭い場所を通るくらいしかなく、泥棒が狙うような場所ではない。明らかに、開けられたくないという気持ちから、必要以上に大きな南京錠をつけたということがはっきりわかるものだった。
「もしかしたら、この中に?」
と、リサが亜美に訊く。言いたいことは判っている。
「おそらく・・でも、これ以上は、ちゃんと手続きを取った方が良いわ。仮に、遺体を見つけても、恐らくミイラ化しているでしょうし、鑑定も必要になるわ。県警に連絡しましょう。」
亜美は冷静だった。
直ぐに、県警に事情を説明するために電話を掛けた。
だが、突然、他県から来た刑事が「死体があるかもしれないから調べてほしい」と言っても、そう簡単に動くものではなかった。
「仕方ないわ・・署長から連絡をしてもらうわ。」
亜美はそう言って、橋川にいる父、紀藤署長に連絡を取った。
暫く、返答はなく、半日ほど、二人は磯村家の前で待つことになった。
夕暮れが近づいたころ、ようやく、数台のパトカーとトラックがやって来た。
直ぐに、小屋の南京錠が切られ、扉が開く。
「なんだ、これは?!」
南京錠を切断する為に、扉の前にいた厳つい男の警官が叫ぶ。
そこには、座った状態で白骨化している遺体があった。すぐに規制線が張られ、鑑識班も加わって、夜を徹して現場検証が始まった。
県警の年配の刑事が、亜美のところへやって来た。
「まあ、磯村氏で間違いないでしょう。ただ、外傷はなく、出血した様子もない。あそこに閉じ込められたまま、餓死したんじゃないでしょうか?・・あの鍵がなければ自殺ということもあるでしょうが・・やはり、これは他殺でしょう。ただ、もう何十年も経っているようですから・・」
「あの、昼間に話した女性から、昔、磯村氏の・・いや、伊尾木という男がここに居たという情報がありました。その男が関わっているんじゃないでしょうか?」
亜美が昼間の話を伝えた。
「そうですか・・だが、今更、目撃証言や物証を探してもねえ・・。」
その刑事は、真剣に捜査するつもりはないようだった。その刑事はそう言うと、再び、遺体発見現場に行き、鑑識と何か会話をして、戻って来た。
「どうやら、亡くなったのはあそこではなさそうですね。誰かがあそこに遺体を運んだようです。遺体の手足の骨が折れているようなんです。死後、あのような格好にして、あそこへ置いたらしんです。・・どうして、そんなことをしたんだか・・・」
刑事は、厄介な事件が起きた者だと、うんざりした表情を浮かべている。
そう言えば、扉を開けた時、遺体は、不自然なほどに綺麗な座位を取っていた。
それを聞いて、リサが亜美の耳元で小さく話した。
「磯村氏は病気だとも言ってましたよね。もしかしたら、家の中で亡くなり、それを伊尾木氏が看取ったんじゃないでしょうか?ただ、そのままにしておけば、いずれ、磯村氏が亡くなったことが明らかになる。伊尾木氏は、磯村氏になる為、遺体が発見されにくいように、ここへ移した・・。」
亜美はリサの話を聞いて、ゆっくりと頷いた。
通報までの経緯を県警に報告した後、亜美とリサは、一旦、橋川へ戻ることにした。
伊尾木氏と磯村氏の入れ替わりの事実が明らかになった。ただ、その事実が明らかになっても、あまりに複雑すぎて、F&F財団と神林教授のつながりはぼんやりしたままだった。

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

御挨拶 [苦楽賢人のつぶやき]

2022年も、つたない文章をお読みいただき、誠にありがとうございました。
「シンクロ~マニピュレーターと呼ばれる少女~」はまだ続いておりますが、年内は28日で一旦お休みとさせていただきます。2023年、新年は1月4日から再開いたします。
何だか、仕事納め・仕事始めみたいな感じになりますね。

実は、今回、ちょっと苦戦しております。こんなに複雑な話にするつもりはなかったのですが、剣崎アンナが余りに魅力的なので、もう一度登場していただこうと思ったら、何だか、厄介な輩を連れてきてしまったようで・・。
これで、新道ルイとレイの母子の秘密や、特別な能力が生まれた理由、そして、それが意味するものを少し掘り下げ、尾張にしようと思ったのがいけなかったようです。
もう少し、終結まで回数を必要としますが、ぜひとも、最後までお付き合いください。

年明け4日にまたお立ち寄りください。
コロナの終焉、ウクライナ戦争の一刻も早い終結、分断の世界が融合できる日を願いつつ、2023年兎年を迎えたいと思います。
皆さま、ご自愛ください。良いお年をお迎えください。
nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー