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1-4 伴の者たち [アスカケ(空白の世紀)第6部 望郷]

いよいよ、アスカとカケルは、飛鳥宮から船で大和川を下って難波津へ向かう日が訪れた。
供を最小限にというタケルの意に沿って、四人の従者が選ばれた。
皆、十五歳まで、春日の杜で学び、春には平城宮に入って、皇タケルの傍に仕えるはずの者ばかりだった。

一人は、カナメといい、十歳の時、近江の国、勝野の郷から来た者だった。
近江国は、ヤチヨが暮らしていた。
タケルが東国を回り、北国、出雲へと遠征した際、近江の地に残った。それから、毎年のように、ヤチヨの推薦で、近江の国から春日の杜で学び人となる子どもらが来ていた。カナメはその一人だった。
カナメは、体格は小さいが、剣や弓の腕前は確かで、皇タケルの近衛兵になる予定であった。

もう一人は、ユキヒコと言い、大和国の春日の郷の生まれだった。
父は田畑を耕す農夫で、物心ついたころから父を手伝っていた。春日の杜には十二歳で来たが、すでに、誰よりも、米や野菜を作る知恵をもっていた。
また、幼いころから、アスカとカケルの奇跡を郷の長から聞いて育った。大和入りし、国造として大和国のために奔走し、春日の郷の窮状を知り里を助けたことは幾度聞いたか判らぬほどだった。春日の長は、ゲンペイ、そして妻はイヨだった。憧れはひとしおだった。従者に選ばれた時、ユキヒコはすぐに郷に知らせた。
二人は女性だった。
一人は、アヤといい、難波宮から来ていた。
アヤは、難波宮の治療院で育った。三歳で両親を病で亡くしたため、治療院の長となっていたナツが引き取り、わが子同然に育てたのだった。春日の杜では、薬草の知識が高かったため、学び人ではなく、舎人の補助をしていたほどだった。アヤは、先皇アスカに一目会いたくて春日の杜へ来た。義母ナツが、難波宮の治療院で、アスカに出会い、自らの生きる道を得たように、アヤもアスカに会うことで自らの生きる道を見出したいと願っていたのだ。

もう一人の女性は、ミンジュといった。
ミンジュは難波津で生まれた。異国の言葉に長けていて、九重行きにはきっと役に立つとミヤ妃が推挙した。
難波宮は、ヤマト国の表玄関である。そして、難波津の港には、様々な国の人々が出入りしていた。ミンジュの一家も大陸の騒乱を逃れ、難波津で居場所を得た。難波津はウンファンが長く商売人たちの長を務めてきたが、高齢のため、代替わりし隠居となっていた。
ミンジュ一家は、その隠居所近くに住んでおり、幼いころにウンファンから、難波津の成り立ちや皇タケルたちの活躍の話を聞いていた。それとともに、ヤマト国が大陸の国々と交易を盛んにすることの大切さも聞いていた。ミンジュは、いずれ、大陸の国々との懸け橋になりたいと願っていたのだった。

大和の大池の岸辺には、多くの民が並び、カケルとアスカの出発を見送った。
「長旅になると思いますが、よろしくお願いします。」
先皇アスカは一人一人に声をかけた。アスカの微笑みと優しい眼差しに、皆、魅了された。
ユキヒコが進み出て、口を開く。
「この旅は、私たちにとってはアスカケなのです。御遠慮なさらず、何でも御言いつけください。」
「アスカケ・・か・・。懐かしい響きだ。」
カケルがふと口にする。
十五歳で、遠き九重の端にあるナレの村を出て、かの地は今どうなっているのだろう。自分を知る村人はもはやいないだろう。”アスカケ”という言葉を聞いて、一気に時間が戻ったように感じていた。
船は大池から大和川に入り、難波宮を目指した。
斑鳩辺りでは、人々が岸辺に立ち、咲いたばかりの花々を川に千切り投げいれる。そのために、アスカたちが乗った船の周りは、色とりどりの花に囲まれた。
「なんという旅立ちでしょう。」
アスカは歓喜の涙を流している。

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