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2-1 来客 [スパイラル第2部遺言]

2-1 来客
一ヶ月ほど、穏やかで幸せな日々が過ぎた。
もう年の瀬が近づいていた。配送の仕事も随分と増えてきた。ミホが事務仕事をやるようになって、手が空いた奥さんも配送の仕事に出るようになっていた。
昼間は事務所にミホ一人になる事が増えていた。

事務所の外で車が停まる音がした。
「失礼します。」
事務所のドアを開けて、一人の男がが訪ねてきた。
洒落たスーツに身を包み、髪型も短く切りそろえられていて、黒いアタッシュケースを持っている。
襟元に金色のバッジが付いている。

ミホ一人だった。
男は、しばらく事務所の中をぐるりと見渡して、何か様子を伺っている。
ミホは何か変な感情が湧いていた。怖れのような、威圧感のような、その男の顔をまともに見れない嫌な感覚だった。

ミホは、男と視線を合わさないようにして立ち上がり、小さな声で訊いた。
「何か御用でしょうか?」
その男は暫くミホの様子を伺っていたが、おもむろにスーツのポケットから金色の名刺入れを取り出して、1枚名刺を差し出した。
「私は、こういう者です。・・確か、こちらに、小林純一さんが働いておられると思いますが・・いらっしゃいますか?」
ミホは、名刺を見た。名刺には、上総CS 顧問弁護士という肩書きがあった。
「今、配送に出ております。夕方までは戻りません。」
「そうですか・・・。」
男は、腕時計をチラリと見た。まだ夕刻までには時間がある。
ミホは、弁護士という肩書きを見て、もしかして自分の身元に関することなのではないかと考えた。
「あの・・どういったご用件でしょうか?」
その男は少し考えてから答える。
「・・いえ・・要件はお話できません。・・・また、夕刻に伺います。」
そう言うと、男は足早に事務所を出て行った。
ミホは気になって、すぐに男の後を追って事務所を出た。事務所の前には黒い大きな車が停まっていて、男は後部座席のドアを開けて、するりと滑り込んだ。そして、車は静かに走り去っていった。
「あの車・・確か・・・。」

ミホは、純一が戻るまでいろいろな事を考えた。
間違いなく、あの車は、以前にアパートの前に停まっていたものだ。スーパーマーケットでも待ち伏せしている様だった。それに、別荘で襲われそうになった時も同じような車だった。
きっと、あの弁護士は、自分と関係のあるものに違いない。要件を言わなかったのは、私が髪を切って様子が変わったからに違いない。
ここへ来て何を話そうというのか、自分を連れ戻しに来たに違いない。もう純一との幸せな暮らしが終わるという事なのか。
いろいろと頭に巡り、悶々とした気持ちのまま、仕事が手に着かなかった。

夕刻になり、純一は配送を終えて事務所に戻ってきた。
ミホはすぐに純一に来客があった事を知らせた。純一は名刺を受け取りしばらく見ていた。
「もしかして・・。」
「ああ・・おそらく・・・・。」
ミホの言葉に純一が反応した。
そこへ黒い車が入ってきた。ドアを開けて、件の弁護士と名乗る男が入ってくる。
「先ほど伺った、如月と申します。・・・小林さんは戻られましたか?」
「ああ、私ですが・・。」
純一が名乗り出ると、如月は暫く純一を再確認するようにじっと見た。
「どういったご用件ですか?」
純一は、ミホの件で来たのに違いないと考え、少し強い口調で訊いた。
「小林さんにお願いがありまして・・・我が社に関わる重大なことなのです。」
如月は、低い声で答えると、周囲の様子を伺う素振りを見せた。
「会社に関わる事?・・・あの・・ミホ・・いや・・そこにいる彼女の事では?」
純一の問い返しに、如月は何を問われているのか判らない顔をした。
「いや・・いいんです。」
純一は、先ほどの問いを打ち消すように言った。
「何だか、込み入った話のようですね。どうぞ、そこの会議室を使ってください。」
その様子を見ていた、奥さんが事務所の隣にある会議室を案内した。

会議室には、如月と純一、そして、社長と奥さん、ミホが続いて入った。

「申し訳ありませんが・・これは、小林さん個人のお話なので・・。」
と如月が、社長や奥さん、そしてミホの同席を拒もうとした。三人は顔を見合わせた。
「いえ・・社長も奥さんも親同然ですし・・ミホも妹のようなものですから、同席させていただきます。」
純一が言うと、しばらく、如月は考えた後で答えた。
「良いでしょう。・・・しかし、口外しない事をお約束下さい。」
了解を得て、社長と奥さん、ミホは、純一の後ろに椅子を置いて座った。
「お忙しいのに申し訳ありません。・・実は、私は、上総CSの顧問弁護士をしております。顧問弁護士ですが・・役員もしておりまして。今回伺ったのは、我が社の社長の遺言状に基づくものなのです。」


2-2 遺言状 [スパイラル第2部遺言]

2-2 遺言状
「遺言状?」
純一が訊きなおすと、如月が答える。
「4ヶ月ほど前、社長の上総氏が事故で亡くなりました。」
そこまで言うと、社長がポンと手を打って言った。
「そういえば、ニュースでやってたな。確か、ボート事故だとか・・しかし、自殺だったとも聞いたが・・。」
「ええ、そうです。社長は伊勢湾沖でボート火災で亡くなりました。病気を苦にした自殺だったと警察は結論を出しました。」
純一も、トラックのラジオニュースで聞いたのを思い出していた。
「それが私と何の関係があるのでしょう?」
「ええ・・それが、社長が亡くなった後、社長の私設弁護士が社に現れまして・・・遺言状を提示したのです。そこには、全ての経営権、財産を小林純一氏に相続させるとあったのです。」
「何かの間違いでしょう?・・私は、上総氏なんて一度もあった事も無い。どこか、違う人物の事でしょう。」
純一は余りに突飛な話しに信じられない表情を浮かべて言った。
「ええ・・私どものどういう関係なのかわからず苦慮しました。・・何しろ、我が社の総資産は一千億円以上です。ほとんどが社長名義ですから、遺言状があると言っても簡単に認めるわけにはいきません。」
「そりゃあ、そうだ。」
社長が変なところで突っ込みを入れた。
如月は少し不快な表情を浮かべて続ける。
「・・当初は、その遺言状の真偽のほどを調べました。何しろ、突然、私設弁護士と名乗る者が持ってきたものですから。しかし、確かに社長が残されたものに間違いありませんでした。」
如月は、上総CSの顧問弁護士である。通常なら、如月がすべき仕事なのだ。社長からの信用がなかった事を証明されたようなものだった。プライドが傷ついた事は、その口ぶりからも伺えた。

「でも、同姓同名の小林純一なんて、探せばいくらでもいるでしょう。きっと何かの間違いです。」
「いえ。遺言状には、あなたの名前だけではなく、住所や勤務先が細かく書かれていました。ここの会社の社長の名前も正しかった。それだけでは在りません。あ・・いや・・・。」
如月はそこまで言いかけて話を止めた。
「どうしたんです?」
「いや・・いずれにしても、あなたに間違いないんです。私どもとしても、財産目当てに、社長に取り入った輩ではないかとも考え、その後、あなたを調べさせていただきました。」
「調べた?」
「ええ」
それを聞いてミホが呟くように言った。
「アパートの前に居た車・・ひょっとして・・・。」
「お気付きでしたか・・・探偵社に依頼して身辺調査をしておりました。・・小林さんのバックに怪しい者は潜んでいないかとも思いまして・・念には念を入れて調べさせていただいたのです。しかし、気付かれるなんて・・・。」
「そんな・・・。ひょっとして、八ヶ岳の別荘でも?」
「八ヶ岳の別荘?いえ・・そのような報告は受けていませんが・・。」
「そうですか。」
「八ヶ岳で何かあったのですか?」
「いえ・・関係ないなら良いんです。」
純一は、自分が調査されていると聞き、不快感を露にしていた。

「申し訳ありませんでした。しかし、我が社の存続に係る重大な事なのです。ご容赦下さい。」
如月は頭を下げた。そして、
「調査の結果、あなたは清廉潔白な方だと判りました。社長と特別な関係で無い事も良く判りました。それで本日こうして伺った次第です。」

如月の話を聞きながら、純一は、ほっとしていたが、突然の話に至極困惑していた。
「それで・・・その遺言状に基づいて、私は・・その・・上総CSを引き継ぐ事になるというんですか?」
純一の問いに、如月は少し間を置いて答えた。
「ええ・・遺言状に基づき、全てを相続していただく事になります。」
「そんな馬鹿な・・何も知らない赤の他人がどうしてそんな事になるんです。」
「遺言状にそう書かれているのです。・・法的にも有効なのです。」
如月弁護士は少し事務的に答える。
「・・そうだ、相続権を放棄します。そうすれば良いでしょう?」
「確かに、法的にはそういう選択肢もあります。相続権放棄の書類を作成していただければ有効でしょう。」
「じゃあ、そうします。その為に来られたんですね?」
「いえ・・違います。・・私どもとしては、あなたに相続していただき、我が社の経営をお願いしたいのです。」
「そんな無理ですよ。・・私はトラック運転手です。会社の経営なんて出来るわけが無い。それにそうする恩義も無い。どうして自分の生き方を勝手に作られた遺言状一枚で狂わされなきゃいけないんです。・・もう帰ってください。・・相続権放棄の書類だけいただければ、すぐに署名します。それで終わりです。さあ、帰ってください。」
純一は立ち上がり、如月にぶちまけるように言った。
「いえ・・是非ともあなたには我が社においでいただきます。そうしないと、我が社の社員も路頭に迷う事になる。今のままでは立ち行かなくなるんです。どうかお願いします。」
如月も引かなかった。
二人は睨みあったままとなった。
後ろで聞いていた奥さん、ミホもどうしてよいか判らずにいた。


2-3 上総会長 [スパイラル第2部遺言]

2-3 上総会長
社長がふと如月が机の上に広げた、上総CSのパンフレットを手に取った。そして、暫くじっと見入ってから口を開いた。
「弁護士さん・・・このパンフレットにある上総敬一郎ってのが・・会長さんかい?」
「何、こんなときに。」
奥さんが社長の顔を見て、咎めるような視線を送った。
「ほら、お前、これを見ろよ。」
社長は奥さんに開いたパンフレットの1箇所を指さした。そこには、「故 上総敬一郎 会長」の名が写真入りで掲載されていた。奥さんはそれを見て「あら・・敬一郎さん?」とだけ言った。
「ええ、上総敬一郎氏は会長でした。上総CSの前身である、上総総業を起こした方です。・・社長の父です。それが何か?」
社長はそれを聞いて頷いた。
「そうか・・・そういうことか・・・・純一、お前は弁護士さんの言うとおり、上総CSへ行くべきだ。いや・・いかなきゃならん。」
社長の言葉に、奥さんも続けた。
「ええ。純一さん、これはきっと運命なのよ。」
奥さんはうっすらと涙を浮かべている。

純一も如月も要領を得ない表情を浮かべている。
その様子を見て、社長が少し頭を整理するようにして話し始めた。
「純一、お前がここへ来たのは、この敬一郎さんの紹介なんだよ。」
そう切り出してから敬一郎と純一との関係を説明し始めた。

純一は幼くして母を亡くし、児童養護施設に入れられた。中学を卒業すると、皆、就職しなければならなかった。不景気で、中学卒業ではなかなか働き口など無かった。その時、その口を聞いてくれたのが、上総敬一郎だったのだ。
上総敬一郎はこの臨海地区で「上総総業」という商社を起こし、時代に乗って会社は大きくなったが、妻が病気がちで子宝に恵まれなかった。そこで上総敬一郎は、児童養護施設から養子を迎えることにして、何度か足を運んでは、養子を迎える事が出来た。
その縁で、以降、その養護施設を旅立つ子どもの就職先を世話していたのだ。
その中の一人が、純一であった。

奥さんが言う。
「それだけじゃないのよ。・・・純一さんの高校と大学の学費も、敬一郎さんが出してくださったのよ。」
「いや、それだけじゃない。・・この会社も一時傾き掛けた時があった。そんな時、上総総業から何度か仕事も回してもらったんだよ。随分、世話になったんだ。」
社長も思い出すように言った。
「しかし・・どうしてそこまで?」
純一が不思議に思った。同じような境遇に居たのは自分だけじゃない。
「それは判らないわ。だが、敬一郎さんは、何かあなたに思い入れはあったみたい。ここへ顔を出されるたびに、あなたの様子を気にしておられたから・・・。」
奥さんが答えた。
「では、我が社へお越しいただけますね?」
間髪居れず、如月が純一に迫った。純一はまだ躊躇っている。
「いや・・・恩返ししなくちゃとは思いますが・・・。」
その様子に、如月が切り出した。
「ミホさんの事ですね?」
純一は驚いた。
「ミホさんの抱えておられる事情は承知しています。・・探偵から報告を受けました。私も、病院に行き確かめてきました。・・一緒においでいただいて構いません。」
「しかし・・・。」
純一は、ミホの身元が判らない事が問題なのではなく、自分さえも不安な場所にミホを連れて行くことを躊躇っていたのだった。
「では、こういう条件では如何ですか?・・ミホさんは今現在、身元が判明していません。もちろん、戸籍も住民票もありませんよね。・・それを私が用意しましょう。」
「そんな・・無茶な事を。」
純一が反応した。如月が続ける。
「私は会社の顧問弁護士です。単に法を守る番人ではありません。企業の利益の為に、如何に法の抜け道を探すかも求められるのです。戸籍を手に入れる事等、容易い事です。如何ですか?」
「・・そんな違法な事で・・戸籍を作るなんて・・・。」
純一が言うと、
「では、このまま、ミホさんに戸籍が無いままです。もちろん、ある程度時間が経てば、仮戸籍の申請も出来るでしょう。しかし、あくまで仮戸籍です。様々な制約もある。・・大丈夫です。違法なものじゃ在りません。堂々と生きていけるものです。私にお任せ下さい。」
「一体どうやって?」
ミホが訊いた。
「いや・・方法は知らないほうが良いでしょう。・・それより、新しい人生を送れるチャンスなのです。小林さんにとっても、ミホさんと夫婦になれるわけです。如何でしょう?」
純一もミホも、如月の発した「夫婦」という言葉に、鼓動が高まり、顔を見合わせた。
それは、二人の願いでもあったが叶わぬ事だと諦めていた事でもあったからだ。
交わす視線で、純一とミホは覚悟を決めた。
「判りました。・・・行きましょう。」
ミホもこくりと頷いた。
「では・・1週間後にお迎えに参ります。・・社長の邸宅を使っていただければ結構ですから、荷物も対して必要ないでしょう。・・その間に、戸籍を手配しましょう。・・ああ、そうだ。ミホさんの件は、秘密にしておきましょう。他の役員に変に勘ぐられると厄介ですから。」
如月はそう言うと用件は済んだとばかり、さっさと引き上げていった。

2-4 上総CS [スパイラル第2部遺言]

2-4 上総CS
純一は、1週間の間に、仕事の引継ぎとか、卸団地の会社へも挨拶して、事情を説明して回った。
「また、すぐに戻ってきますから。」
そういう挨拶をどれほどしただろうか。しかし、この先、どうなるのか見当もつかなかった。
荷造りなどほとんどしなかった。
「社長、必ず戻ってきますから、アパートはそのままにしてもらっていいですか?」
「ああ、構わんよ。お前は息子同様だ。息子が実家に戻ってくるのに遠慮などしないだろ。あの部屋はそのまま残しておくさ。」

1週間後、約束どおり如月はやって来た。
「では、参りましょうか?」
純一もミホもボストンバッグを一つずつ持っている。中身は、着替えや身の回り物の必要な物だけだった。社長と奥さんに挨拶すると、如月の黒い車に乗り込む。
静かに車は走り出した。会社を出ると、高速道路のインターチェンジ方向には向かわず、港へ向かった。
「一体、どこへ?」
純一が訊くと、助手席に座っていた如月は、振り向いて言った。
「マリーナへ行きます。社長の邸宅は、沖の島にあるのです。周囲4キロほどの小島ですが、すべてのものが揃っています。マリーナからクルーザーで向かいます。」

マリーナに着くと、一際大きな白いクルーザーが停泊していた。
「さあ、どうぞ。」
如月が二人を船に案内した。車の運転手が先に船に向かって桟橋の準備をした。
「社長が使われていたものです。いずれは、この船も小林さんの物になります。」
二人は案内されるままに船に乗り込んだ。船室1階のラウンジは豪華なソファーが置かれていた。窓の外に海原が見える他は、豪邸のリビングルームにいるような感覚だった。
冬の海は少し波立っていたが、さすがにこれほどのクルーザーは安定して海原を走っていく。
操縦席には先ほどの運転手が座っているようだった。
船が走り出すと、純一とミホは暫くぼんやりと外を眺めていた。
「まるで、何か、人質にでもなったようね・・。」
ミホは自分たちが置かれている状況をこんなふうに揶揄した。
「本当だな。・・・逃げたくても逃げられない。・・この先どうなるのか、どんなところに連れて行かれるのやら・・・。なんだか、ミホを厄介な事に巻き込んでしまって・・・。」
「そんな・・・元々、私だって、純一さんには厄介なことだったでしょ?でも、どうなるのかしら?」
「まあ、命を取られるような事はないだろうから・・・。」
二人は豪華なソファーに身を委ね、船の揺れに次第にウトウトとし始めていた。

1時間ほど経った頃だったろうか、如月がラウンジに入ってきた。
「お寛ぎのところ申し訳ありません。島へ着いたらすぐに、重役連中にあっていただくことになりますから、少し打ち合わせをさせていただきたいのですが・・。」
二人ははっと目覚めた。

如月は、役員名簿を広げて、会社のおおよその様子を説明した。
上総CSの総資産は1000億円を超えていた。主要な事業は、コンピューティング部門とマリン事業部門だった。
「コンピューティング部門は、社長自らが手がけて育てられたもので、我社の利益はほとんどこの部門でした。マリン事業部は、赤字部門です。先代の社長・・会長が趣味的に起こされた事業でした。もともとは、海外との取引仲介の商社部門でしたが、今はありません。」
「コンピューティング部門とは?」
純一は少し興味を持って訊いた。
「ええ・・・ハード部門は大したことはありませんでした。大手企業には勝てません。むしろ、独自のシステム開発とか、特殊な技術開発による特許取得が大きい収益を上げていました。開発はほとんど社長自らやっておられました。・・島は、その研究所として作られたものなのです。セキュリティも万全ですからね。会社自体は、名古屋にあります。社長はほとんど島におられて、ネットで名古屋と繋がっていました。」
「研究所?」
「ええ、邸宅と研究所、それに、役員が集まるための宿泊施設・・まあ、小さなコテージのようなものが何軒かあります。」
如月はそう言いながら、島の写真を何枚か広げた。
島の中央あたりに、森を切り拓いたような場所があり、中央に家が1軒、そして、それを取り囲むように広い芝生が広がり、周囲に4軒ほどのログハウス風のコテージがあった。
島の周囲は高い崖に囲まれているようだった。船着場は北側に設えられていたが、小型の船が付ける程度のものだった。
「電力とかは?」
「自家発電装置があります。太陽光や風力、潮力発電が主要なものです。水は地下水。食料などは、このクルーザーで運んだり、ヘリでの輸送もしていました。」
「随分、お金の掛かる仕掛けですね。」
純一は、想像もつかない贅沢な暮らしを想像して呆れるような表情で言った。
「いえ・・・それだけ、社長の研究技術は先進的であり革新的だったのです。ほとんどの業界他社が注目していましたし、盗んででも手に入れようと画策する輩も多かったのです。セキュリティのためのコストであり、研究に専念できる環境のためですから、必要なコストだと考えていました。」
「では、社長が亡くなったのは最大の損失・・・上総CSの存続さえ危ういのではないですか?」
純一の問いに、如月は深刻な表情を浮かべた。
「全くその通りです。今や、我社の未来は閉ざされたと同然。なんとか、社の存続のために東奔西走していたところでした。その最中に、遺言状が現れました。・・・役員の中には、救世主かもしれないと期待している者もおりました。」
「救世主?」
「ええ・・何か、社長から託されているのではないかと期待しているのです。」
「そんな・・僕は何も・・・。」
「判っております。・・・ですが、ひとつだけ期待していることがあるのです。」
「それは?」
「詳しくは島でお話します。・・・それよりも、役員の中には頭からあなたの存在を否定している者もいます。社長とは関係ない、相続を放棄するなどと口走れば、その役員の思う壺。あなたを追い出し、社を我がものとするために動き始めます。」

2-5 役員一同 [スパイラル第2部遺言]

2-5 役員一同
純一は、遺産相続では必ずそうした金に絡む厄介な人間関係が待っているとは覚悟していたが、如月の話を聞き、うんざりした気持ちになっていた。そして、再び、なぜ自分がこんな目に遭うのかと嘆いた。しかし、今更逃げ出すわけにも行かない。
「誰がその役員なのですか?」
純一が問う。如月は少し悩んだ表情を浮かべた。
「いえ・・私の口からお話することはできません。・・私も役員の一人なのです。それは、あなたご自身で見極めていただく必要があります。」
「あなたも信用できないということでしょうか?」
純一が訊くと、如月は真顔になって言った。
「それもあなたご自身で判断してください。・・私はあくまで顧問弁護士の役割から、あなたを島へ連れて行くことをほかの役員から託されたのです。ただ・・私は、上総CSの存続を願っております。それだけは信用していただけるはずですが・・・。」
純一は、如月という人間が味方なのか敵なのか、よく判らなくなっていた。

「ああ、そうだ。これがミホさんの戸籍です。どうぞ。」
如月は封筒を一つ取り出して、渡した。
中を取り出すと、1通の戸籍抄本が入っていた。
「これは・・・」
そこに、小林純一の戸籍に、妻ミホと記載されていたのだった。入籍日は、純一がミホを海岸で見つけた日付だった。
「どうやったのかは訊かない約束ですよね。・・・役員に紹介するとしても、妻の方が問題がないと判断しました。それと、一応、ミホさんの経歴も作成しておきました。」
如月はもう1通の封筒を手渡した。そこには、出生地や生年月日、高校・大学の卒業記録も記載されていた。それによれば、ミホは30歳となっている。
「ミホの経歴なんて・・・これは・・・。」
「いえ、大丈夫です。私の調査記録から、きっと間違いないはずです。ミホさんが失った記憶に間違いありません。」
「そんな・・警察さえも手を拱いているのに・・。」
純一は、あまりに如月が自信満々に言った言葉を拒絶するように言い返した。
「警察の力など信用しないほうが良い。だいたい、あの・・・古畑とかいう刑事一人が片手間に調べている範囲です。結局、真剣に捜査するつもりなどないのですから・・。私どもの・・いえ、社長の開発したシステムの一部を使えば、世の中のことは大抵把握できるのですよ。」
「そんな・・・。」
じっと話を聞いていたミホが漏らすように言った。
「ミホさんは、かなりの才女でした。乗馬だけでなく、あらゆるスポーツができ、五カ国語を操り、世界中を飛び回るようなお仕事をされていたようです。」
如月が言うと、純一が言った。
「そんな女性が、しがないトラック運転手の妻になった・・って変でしょう?」
「ええ・・・ですが、それは良いじゃないですか。色恋の世界は想像もつかない事がありますよ。・・瀕死の重傷を負ったところを助けたことが縁となったとでもしておきましょう。」
如月が言うと、純一はあながち嘘ではないことでもあり、少し納得してしまった。
「ミホさん、役員連中に何か尋ねられても良いように、経歴を頭に入れておいてください。大丈夫です。役員たちは、それほどあなたには近づかないでしょうから・・。」
如月は何かそれが当然だと言わんばかりの自信のある言い方をした。
「もうすぐ到着します。」
操縦席からラウンジにマイクの声が飛び込んできた。

島の北側は、周囲が高い断崖に囲まれていて、その真ん中辺りに船着場が見えた。
桟橋に着くと、すぐに如月は二人を案内した。桟橋から断崖に向かって舗道が伸びている。その先に、小さなドアがあり、その中に小さなケーブルカーがあった。
純一とミホ、如月が乗り込むと静かにケーブルカーは登っていく。着いた先は、林の中だった。石畳の道を進むと林が開け、見事な芝生が広がった。その先に、ログハウスが建っている。
「あれが、社長の邸宅です。」
如月は先を急ぐ。芝生の広がった庭園のはずれに、一回り小さなログハウスが4軒ほど点在するように建っていた。クルーザーの中で如月が説明していた、ゲストハウスなのだろう。
社長の邸宅というログハウスの玄関を開けて、中に入る。大きな吹き抜けの玄関だった。
「さあ、どうぞ。」
如月に案内され、内ドアを開くと、広いリビングルームだった。ソファーが何客か置かれていて、南の窓際に二人、暖炉の傍に二人、それぞれ夫婦らしい人物が座っていた。そして、キッチンの近くのテーブルにはかなり年配の男性が書類を広げて座っていた。
純一とミホがリビングに入ると、一斉に厳しい視線が飛んできた。
「小林さんをお連れしました。」
如月の言葉に、それぞれが中央の大きなテーブルに集まってきた。歓迎されているとは思えない空気を純一もミホも感じていた。誰も挨拶しようとはせず、じっと二人の動静を注視している様子だった。
「さあ、どうぞ。」
大きなテーブルの片面の中央に、純一が座り、左側にミホ、右側に如月が座った。対面側に、二組の夫婦、そして、その間に年配の男が座った。
「では、遺言状に基づき、相続の協議をさせていただきます。」
年配の男は、亡き社長の私設弁護士だった。
弁護士は静かに小さな箱を開け、中から、封筒に入った遺言状を取り出した。
「読み上げましょうか?」
弁護士が周囲を見ながら言うと、太った初老の男が言った。
「もう良い。何度も聞いた中身だ。・・それより、その男が本当に小林純一か確認しろ。」
ぶっきらぼうな物言いだった。如月はポケットから書類を取り出した。
「間違いありません。これが戸籍抄本と運転免許証のコピーです。」
書類を弁護士に手渡した。弁護士は、じっくりと記載事項を確認した。
「まちがいありません。この方が、遺言状にある、遺産相続人と認めます。」
弁護士の言葉に、皆は落胆したような溜息を漏らした。

2-6 遺言状の内容 [スパイラル第2部遺言]

2-6 遺言状の内容
「すみません。・・皆さんをご紹介いただけませんか?」
純一は、如月に言った。
「そうですね。正式に相続人に認められたのですから・・・ええと、では。」
そう言って如月は立ち上がり、紹介した。
「こちらが、上総敬一郎会長の弟の、上総敬二郎様です。取締役です。」
先ほどぶっきらぼうな口調を発した男だった。太っていて禿げ上がっている。やたら眉毛が濃いのが印象的だった。
「そして、奥様の里美様。文化事業部の部長兼務の取締役です。」
髪を結い上げ、つり上がった目でちらりと純一を睨む。
「それから、こちらが伊藤守彦様。マリン事業部長で取締役です。」
紹介されると、年のころは40歳半ばか、細身で少し顎がしゃくれた顔に満面の笑みをたたえて、男は立ち上がり、右手を差し出した。
「よろしくお願いします。・・・これで我が社も安泰です。」
どうやら、営業マンだったようだった。顧客に見せる作り笑顔だと純一はすぐに判った。あまり成績は良くないだろう。
それを見ていた女性が立ち上がって、握手しようとした男の右手を叩いた。
「もう・・・なんであなたはそうなの?」
何か咎めるような視線で男を見た。
「ああ、こちらは、伊藤様の奥様で、敬子様です。・・敬二郎様のお嬢様で、一応、取締役をされておられます。」
「一応とは何よ、失礼しちゃうわ。・・・それより、その女、何者?」
全く礼儀をわきまえない言い方で、ミホへ視線を向けた。
「ああ、こちらは、小林さんの奥様で、ミホ様です。」
それまで、少し俯きがちに座っていたミホは、如月に紹介されて立ち上がり頭を下げた。
「ミホです。よろしくお願いします。」
そして、ゆっくりと顔を上げて皆を見た。その瞬間、4人とも凍りついたような表情を見せた。如月は一瞬、にやりとしたような表情を見せた。その様子に、純一は不審を抱き、訊いた。
「あの・・ミホが何か?」
純一の問いに、皆、顔を見合わせ、何か首を小さく横に振ったと思うと、敬子が口を開いた。
「いえ・・なんでもないわ。・・まあ・・・思ったより美人なんで、ちょっと驚いたのよ。」
何か空々しい言い方をして、椅子に座って横を向いた。

「おい、如月、このあと、どうするんだ?」
敬二郎が再びぶっきらぼうな口調で聞いた。如月と呼び捨てにするのは、以前、如月が部下であった事を示していた。
「はい。正式な手続きは明日と言う事にしましょう。小林さんもこちらに来られたばかりでお疲れでしょうから。」
「あの・・上総CSの役員はここにいらっしゃる5人だけでしょうか?」
皆、少し困ったような顔をした。如月が咄嗟に答える。
「もう一人、本社に副社長がいらっしゃいます。今日は、業務の都合でこちらには来られませんでした。」
それを聞いて、敬二郎がふんぞり返ったままで言い放った。
「ふん・・あんな奴、居ても居なくても一緒だろ。どうせ、社長の機嫌をとって副社長になっただけなんだ。ほとんど社長のスピーカーの態だったじゃないか。」
「ほんとに・・。」
呼応するように、妻の里美も言った。すると、伊藤部長が取り繕うように言った。
「そんな・・・本社を纏められるのは副社長の人望でしょう。」
それを聞いて、妻の敬子がたしなめるように言う。
「あなた、いつまでそうなのよ。・・もう部下じゃないんだから。」
どうやら、上総CSの中でもここに居る役員とは違う立場のようだった。
「副社長は、山下修一氏です。コンピューター部門を立ち上げる時から社長の下で働いておられました。実は、今日は資金繰りのために奔走されているのです。真面目な方です。」
それを聞いて、反応したのは敬二郎だった。
「何だ、如月!ここに居るのは不真面目だっていうのか?・・だいたい、お前が召集したんだろうが!」
敬二郎の言葉に如月は一瞬、イラついたような表情を浮かべたが、聞き流した。
「では、社長を入れて7人の役員なのですね?」
「ええ、そうです。大抵は、ここで役員会を開いておりました。ほとんど、重要な事は社長からの提案でしたが・・・。」
亡き上総英一のワンマン会社であることは明らかだった。そして、親族である事だけで役員待遇を受けている者が集まっているだけで、如月と副社長とが実務上の切り盛りをしているのだろうと純一は理解した。叔父一家が上総CSを食い物にしているのかもしれないとも感じていた。

「正式な手続きは明日にって言ってもさ・・・。」
不意に、敬子が口を開いた。
「どうせ、書類を作成するだけなんでしょ?・・それより、小林さん、本当に遺言書の通り、相続する覚悟はあるの?」
少し意味深な訊き方をした。
純一は少し返答に困った。如月からは相続放棄など口にしないようにと言われていたが、未だに割り切れない気持ちだったのだ。何も判らない男が大きな会社の経営権を引き継ぐ等、到底考えられない事なのだ。
「そうだ・・相続権を放棄すれば楽になるぞ!」
敬二郎も言った。如月がその会話を制止するように言った。
「それは困ります。皆さんもご存知でしょう?・・・今は小林さんに期待するしかないんです。」
それを聞いて、敬二郎達は溜息をついた。
一体、何の事なのか、純一には全く理解できなかった。自分に何が出来ると考えているのだろうか。

「そうね。・・じゃあ、明日、正式な手続きの前に、例の事を済ませておきましょうよ。」
敬子が立ち上がった。如月は、少し躊躇いがちに立ち上がった。
「判りました。では・・小林さん、こちらへお願いします。」
如月はリビングの隣にある一対の白いドアに、純一とミホを案内した。

2-7 上総社長の家 [スパイラル第2部遺言]

2-7 上総社長の家
20畳以上あろうと思われるリビングの玄関とは反対側の壁に、白いドアのようなものがあった。というのも、ドアの形状だがドアノブがない。エレベーターのドアのようにも見える。
「さあ、こちらへ。」
如月に促されるまま、純一はドアの前に立った。ミホも隣で様子を伺った。
ドアの右側の壁がぼんやりとオレンジ色に光った。その光は手形のように見えた。
「ここはラボへの入口なのです。さあ、手を翳してください。」
如月の言うまま、純一がその光に手を翳すと、オレンジの光が徐々にブルーに変化する。その様子を固唾を飲んで見ていた敬二郎たちが、「おお」と声を上げた。同時に、白いドアが音もなく開いた。
やはり、エレバーターの入口だった。
「やはり・・・。」
如月が小さく呟いた。そして、敬二郎たちの方に体を向けると、「どうですか?」と訊いた。
「判った。認めよう。・・小林さん、あんたは正式な後継者だ。我社をどうか救ってくれ。」
敬二郎が立ち上がって皆の気持ちを代弁するように言った。純一は、急に、親族一同の態度が変わったように感じていた。
「どういうことです?」
如月に尋ねると、如月は要点をまとめるように答えた。
「社長は亡くなる直前に、新たなコンピューターシステム開発に成功されたのです。その技術があれば、我社には莫大な利益がもたらされるはずです。しかし、ラボへの出入り口は厳重なセキュリティが入っていて、ここにいる者は誰も入れなかったのです。・・小林さんが相続人と指名されていたので、おそらくラボへも出入りできるのではないかと考えていたのです。見事、期待に応えてくれました。」
「それで、この後どうすれば?・・ドアが開けば用はないとでも・・・。」
「いえ・・おそらく、ラボに入るにはいくつかのセキュリティがあるはずです。とにかく、ラボへ行って、社長が開発したはずのシステムを見つけていただきたいのです。それさえあれば、上総CSは安泰です。」
純一にはようやくすべてが飲み込めた。
「では、行きましょう。」
純一はミホの手を握ってエレベーターに乗り込んだ。
続いて、如月も乗り込もうとしたところ、けたたましい警告音が響き、威嚇のための白いガスが如月めがけて噴射した。驚いて、如月がドアの外へ出ると、ドアは閉じてしまった。

エレベーターの中には、ボタン類はなかった。
ドアが閉じると、静かに下っていき、ほんの10秒ほどで停止した。
ゆっくりとドアが開くと、その先には長い通路があった。二人がいる周囲だけ、ライトが点いているが、その先は暗闇だった。純一はミホの手を握り、通路を進む。順番にライトが足元を照らしてくれる。
どれくらい歩いたか判らないが、しばらくするとまた白いドアがあった。先ほどと同様に、ドアの脇のオレンジの光に手を翳すと、ドアが開いた。
二人は息を飲んだ。
ドアの前には海が見えた。外に出たのではない。大きなガラス状のドームで覆われた空間だった。目の前に砂浜が広がり、穏やかな海、しかし、その前方は高い崖がぐるりと取り囲み、わずか一箇所だけが外海と通じている。外界から隔離された内湾のプライベートビーチといったところだろう。
「ここが社長のラボなのか?」
あまりの想像を超えた空間に、純一には、これが現実のものとは思えなかった。
しばらく、ドームの中央に立ち竦んでぼんやりと様子を眺めていた。

ミホは、この島に来てから随分静かだった。役員を前にして挨拶をした程度で、ずっと純一の傍を離れず、何かに怯えているようでもあった。
純一は、ようやく周囲の状況にも慣れたようで、傍にいたミホに声をかけた。
「何だか・・随分、別世界に来たようだな。」
そう言って、ミホを見ると様子がおかしい。
「どうした?体の調子が悪いのか?」
「ええ・・・何だか、頭がぼんやりとしていて・・・。」
「疲れたんだろう。」
純一がそう言って、どこか休めるところはないかと部屋の中を見渡していると、静かに床が開いて、真っ赤なソファーがゆっくりとせり上がってきた。
「ソファーに座ろう。」
大きめのゆったりしたソファーに、ミホは体を横たえるように座った。
「何か飲み物はないかな?」
純一の言葉に呼応するかのように、今度は部屋の奥の仕切りのような壁がゆっくり開き、キッチンが現れる。純一は冷蔵庫を見つけ、飲み物を持ってきた。
最初は、何一つなかったドームの中に、いくつもの仕掛けが現れ、次第に一つの大きなリビングルームのようになっていく。純一もミホもその仕掛けに驚きながら、徐々に慣れていった。

「上総社長は、ここでどんな研究をしていたんだろう・・。」
純一は美穂が少し落ち着いた様子を確認して、部屋の中を物色し始めた。しかし、それらしきものが見当たらない。広いドームの中をひと回りして、諦めるように再びソファーに座った。
すると、ソファーの前の床が開いて、ゆっくりと大型の液晶モニターが目の前に現れる。同時に、ソファーの前の小さなテーブルからも、10インチほどのパームトップPCが現れた。画面がオレンジ色に光った。純一がそっと手を触れると、画面がブルーに変わり、目の前の大型液晶も反応するように起動して、いくつもの映像を映し出した。どうやら、手元の小さなPCがコントローラーになっているようだった。そして、大型液晶画面に映し出されているのは、邸宅のリビングだった。他にも、どこかの部屋の中が映っている。
「これは、監視カメラの映像だ・・・。」
リビングの映像には、先ほどの面々が思い思いに座っている様子が鮮明に見える。その映像にタッチすると、スピーカーから話し声も聞こえてきた。
「こんなふうに、人を監視していたのか・・・・。」
純一は手元のコントローラーを操作しながら、映像を見ていた。そして、亡くなった上総社長は、周囲の人間に対して異常なほどの猜疑心を抱いていたに違いないと考えていた。何か虚しさを感じながら、純一は映像をアップにしたり、角度を変えたりしながら、リビングの様子を見つめた。

2-8 秘密の部屋 [スパイラル第2部遺言]

2-8 秘密の部屋
「如月!大丈夫なんだろうな!」
敬二郎が強い口調で問いただす様子が見えた。如月は、片手を上げて軽く受け流すように何か言ったが聞き取れなかった。すると、敬二郎が妻の里見と顔を近づけてひそひそ話をし始めた。そこへ、娘もやってきて話に加わったようだった。夫である伊藤守彦はそこへは加わらず、一人、窓の外を眺めている。如月は、年配の弁護士と何か小声で話をしている。時々、年配の弁護士が謝罪するように頭を下げている。
映像は、先ほど乗り込んだエレベーターのあたりから撮られているようだった。皆、時々、カメラの方へ視線を向けるので、そう想像できた。
「社長の開発した新システムを待っているんだな。・・・しかし、一体どういうものだろう・・・。」
純一がそう呟くと、手元のコントローラーの画面が切り替わった。
画面には「メビウス」の文字がオレンジ色に浮かんでいる。横にいるミホに見せようと、ミホを見ると、いつの間にか眠っている。
純一はそっと画面に触れてみた。数秒間は何も起きなかった。「なんだ・・単なる表示か・・」と思ったところで、座っていたソファーの後ろに球状の物体が現れた。
球体の上部カバーがゆっくりと開いた。中には、シートがあった。ミホをソファーに残して、純一はそのしーとに移った。ゆっくりとカバーが閉まり暗闇となった。少しの間、暗闇の中にいたが、すぐに灯が点いた。そこには、ぐるりと囲む形で大型のスクリーンがあり、前方に、ぼんやりと赤く光る球形の物体が置かれている。その球形の物体の光は、人間は呼吸するように明るさを変える。
「よく来てくれた。」
どこから聞こえるのかわからない、狭い空間の中で男の低い声がした。
「君がここに来たということは、私はすでに死んでいるということになる。」
声の主は、亡くなった上総英一だった。
「君は多くの疑問を抱えているだろう。なぜ、自分が上総CSの相続人に指名されたのか。これからどうすれば良いのか。そして、私の開発した新システムとは何か。如月やほかの役員は信用できるのか。・・・すべてに答えるべきなのだろうが、それでは、君にここへ来てもらった意味がない。」
純一は、録音されたものが再生されたのだと思っていた。だからこそ、何も答えなかった。
すると、スクリーンの前面に男の顔が現れた。
「私が上総英一だ。・・・どうした?・・ああ、これは録画だと思っているのだな。違うのだ。これは録画ではない。その証拠に・・ソファーで眠っている女性。確か、彼女の名はミホと言ったようだな。・・・浜辺で見つけたのだろう?」
純一は驚いた。
「録画でないなら一体なんなのですか?」
その問に、スクリーンの英一がニヤリと笑ってみせた。
「これこそが、私の開発したメビウスなのだ。人工知能とでも言おうか・・いや、それをも超えている、
新たな命というべきものだ。」
「人工知能?・・・命?」
純一は想像できなかった。
「君の目の前にある球形の物体のことだ。・・これまでのコンピューターとは全く違う次元の代物だ。人間の脳に近い。ありとあらゆる情報を吸収していく。そして、意志を持っている。私は、10年もの歳月をかけてメビウスを作り出し、私の情報を全てインプットした。今、メビウスは私そのものとなっているのだ。」
「そんなモノができるのですか?」
「ああ、現実にここにある。これがあれば、肉体が滅んでも精神を残すことができる。私は生きていた時と同様に、考えることができる。永遠の命を得たのと同じだ。」
まさにSFの世界だった。しかし、純一はきちんと受け止めた。いや、それ以上に強く興味を見せたのだった。自らもコンピューターを組立て、プログラムを作り、動かすことが秘密にしてきた生きがいでもあった。目の前にはそれを超える素晴らしい発明がある。原理を知りたかった。
「一体どうゆう構造なのですか?」
「いや・・それはまだ教えられない。・・君が私の願いを叶えてくれれば教える。」
「あなたの願いとは?」
スクリーンの英一は少し考えている表情になった。
「私はすでに死んでいるんだな。」
「ええ、ボート事故で亡くなったと如月さんに聞きました。病気を苦にした自殺だったとも。」
「馬鹿な!これほどの発明をしているのだ。資産だって到底使い切れぬほどある。なぜ自殺せねばならないのだ。・・・殺されたのだ、きっと。」
「殺された?」
「ああ、きっと上にいる奴らに殺されたはずだ。私の願いの一つ目は、私の死の真相を解明してもらいたいということだ。」
「判りました。・・・・私から一つ訊いても良いですか?」
「なんだ?」
「どうして、私が相続人に選ばれたのでしょう?」
「純一こそが、上総CSを全て受け継ぐべき人物だったからだ。」
「しかし・・・私はあなたを知らない。上総CSとは無関係です。なぜ受け継ぐべき人物なのですか?」
そこまで言うと、急にアラーム音が鳴り始めた。
「何が起きたんですか?」
「これがメビウスの欠陥なのだ。大量の電力を必要とする。そして、大量の熱を発する。・・君にはこの欠陥を修正してもらいたい。それが二つ目の願いだ。・・。」
スクリーンの英一はそう言うとふっと消えた。
「再起動まで12時間が必要です。」
無機質なアナウンスが流れ、上部のカバーが開いた。純一はシートから立ち上がり、メビウスの構造を知りたくて、周囲をぐるりと回ってみた。硬質な素材、床との設置面から下にエナジボックスが置かれているようだった。しばらくするとメビウスの上部が閉まり、再び床下へ隠れてしまった。
「ふう・・」
純一は溜息をついてソファーに座った。今、見たこと、聞いたことは現実のものなのか、しばらくぼんやりしていると、ミホが目覚めた。
「ごめんなさい・・眠ってしまったみたいね。」
「ああ・・どうだ?少しは良くなったか。」
「ええ・・もうすっかり。」
「そうか・・・なら、上に戻ろう。」
そう言って、純一はソファーから立ち上がった。ミホも純一に続いて、リビングへ戻るエレベーターに乗った。

2-9 英一の遺産 [スパイラル第2部遺言]

2-9英一の遺産
リビングに戻ると、一同が待ち構えていた。
「社長の開発したものは見つかりましたか?」
如月が問う。純一は少し躊躇いがちに言った。
「ええ・・・それらしきものは・・・・・しかし、まだ未完成でした。」
純一の答えに皆は落胆した様子だった。
「どうするんだ!如月!」
敬二郎が如月に食ってかかる。如月も戸惑いを隠せなかった。
「使い物にならないんなら、意味がない。これで上総CSも終わりだぞ。」
さらに敬二郎が如月に迫る。
「もう少しお時間をいただけませんか。きっと皆さんが期待しているものを提示できると思います。」
純一は冷静に言った。その言葉に、娘の敬子が立ち上がって言った。
「本当なの?」
純一に訊いているようだった。
「ひと月ほど時間があれば・・・。」
「パパ、大丈夫よ。だから、社長はこの人に相続させたんだって・・。自分で出来ないまま、死んじゃったから悔いが残ってたんだわ・・・。きっとそうよ。」
敬子はなんだか訳のわからない理屈を並べ、自分で勝手に納得している。
「そうよ、きっと自分ではどうにも完成させられないから、この人に頼んだのよ。そして、自分の才能のなさに気付いて自殺したのよ。・・昔から、陰気な性格だったし・・変人だったからね。」
妻の里美も、娘の言った言葉に乗っかるように言った。
どうやら、この3人は、英一は自殺したものだと思い込んでいるようだった。とすると、英一の死には関係していないということになる。
「どれくらいで発表できる?」
敬二郎が純一に訊く。
「それは何とも・・・さっき初めて見たわけですから・・・。」
純一のはっきりしない答えに、今度は如月が訊いた。
「一体、どういうものなのです。・・概要だけでも判れば・・・そう、あなたも相続して新社長になるわけですから、我社の経営に責任がある。・・今、新技術の開発を発表すれば、当面は我が社は安泰なのです。概要だけでも発表しましょう。」
それを聞いていた、敬子の夫、伊藤守彦も口を開いた。
「新社長就任と新技術開発のニュースを発表しましょう。段取りは、私がやりましょう。ハーバーの大型クルーザーを使って盛大なパーティを開きましょう。我がマリン事業部の宣伝にもなる。そうしましょう。」
そこまで聞いて純一が言った。
「いや・・・新技術の発表はまだできません。もう少し確信を得てからにします。それと、新社長就任もやめてください。私が相続し、経営権を持つことになるのでしたら、役員体制も見直したい。本社の・・山下副社長ともお話したい。1週間ほど待ってください。」
純一の言葉に、皆、驚いた。「役員体制の見直し」とは、ここにいる者の最大の問題であるからだった。皆、顔を見合わせ言葉を失っている。
「今日は疲れました。皆さんはゲストハウスに戻ってください。明日、正式な手続きをした後で、ひとりひとり、お話しましょう。」
皆、すごすごと引き上げていった。
如月が最後に残って、何か言いたげな様子で純一に近づいてきた。
「如月さんも、どうぞゲストハウスにお戻りください。あなたの役割は私をここへ連れてくることでしょう?もうその役目は終わりました。ほかの役員の方と同様、今後の上総CSに必要かどうか、私が決めます。」
純一はわざと高圧的な口調で言った。
地下のラボで見た映像から、如月の動きはどうにも信用できないと感じったからだった。
如月は苛立った表情を浮かべたまま、出て行った。

皆が部屋を出ていってから、純一はミホとともに、リビングのソファーに座った。
「大丈夫?」
ミホが純一に身を委ねるようにして訊いた。
純一は、ミホの肩に腕を回し、強く抱きしめて言った。
「ああ・・大丈夫さ。・・・なんだかよく判らないが、もう逃れられないようだからね。・・・」
「何か作りましょうか・・・。」
「ああ。」

ミホはキッチンに行き、冷蔵庫を開いて、定期等な材料を取り出して、夕食を作り始めた。その様子をぼんやり眺めながら、純一は少し違和感を感じていた。
初めてここに来るはずなのに、ミホは何かここの全てを知っているように見えた。キッチン用品のありかや、調味料の置き場所、何の迷いもなく、手早く料理を作っていく。ここに来たことがあるのではないか、そんな疑問が湧いてきたが、「そんな馬鹿な・・」と純一は取り消したのだった。ぼんやり眺めているあいだに少し眠気が襲ってきて、知らぬ間にソファーで眠ってしまっていた。

「純一さん、出来ましたよ。」
そういうミホの声で目が覚めた。大きなテーブルの上に、料理がいくつも並んでいた。
「さあ、いただきましょう。・・・冷蔵庫の中、すごいのよ。なんだか高級そうな食材ばかり。料理の腕も振るい甲斐があるわ。」
ミホは嬉しそうだった。純一も、ミホの手料理を美味しく食べた。
夕食のあと、ソファーで寛いだ。
島にぽつんとある邸宅。雑音など何も聞こえない。
ふと、地下のラボを思い出した。
あそこはガラスのドームでできている。きっと夜空が見えるだろう。
「なあ、ミホ、地下のラボへ行こう。ここよりきっと気持ちいい。」
純一は、ミホの手を取り、ラボへ行った。
予想通り、ガラスドームの上には星空が広がっていた。周囲に明かりが無いせいか、星座も分からぬ程の星の海が広がっていた。
この星空を眺めながら、亡くなった英一社長は何を考えていたのだろうか、ここにたった一人で居たのだろうか、如月を始め取り巻く役員への猜疑心を抱え、孤独の中で黙々と研究を続けてきたのだろうか、これだけの財力を得ているにも拘らず、途轍もなく深い悲しみの中にいたのではないだろうか。純一は星空を眺めながら、上総英一の人生について想いを巡らせていた。

2-10 副社長 [スパイラル第2部遺言]

2-10副社長
翌朝、年配の弁護士が進行役となって、正式な相続の手続きが進められた。上総英一が所有していた財産目録が一つ一つ読み上げられ、署名と捺印が繰り返された。
それを、敬二郎たちは、苛立ちながらも見守るしかなかった。すべてが終了した頃には、もう昼を回っていた。
「これで正式に僕が、上総CSの代表取締役社長となったのですね。」
年配の弁護士が頷いた。
「では、1週間後に役員会を開くことにしましょう。それまでに、現役員の皆さんは、それぞれに、上総CS発展のためのプランをまとめてください。そして、役員会で提案してください。その結果で、新体制を確定します。」
純一の提案に、敬二郎や里美、敬子たちは戸惑いを隠せなかった。如月と伊藤は、これを予想でもしていたかのように頷いた。
「では、みなさん、1週間後にお会いしましょう。」
純一はそう言って、ミホとともに、ラボへのエレベーターに乗り込んだ。

純一は、ラボに戻ると直ぐに大型モニターを起動した。まだ、上のリビングには、皆、残っていた。
皆、思い思いにソファーや椅子に座っている。
「ここに居たってしょうがない。家に戻るぞ!如月、船を出してくれ!」
敬二郎が立ち上がって、如月に命令した。
そうして、皆、リビングを出ていった。庭の映像に切り替えると、船着場に向かう通路を、列をなして歩いている姿が捉えられていた。そして、映像から消えた。

ミホが熱いコーヒーを煎れて運んできた。
「なんだか・・悪趣味よね・・・。」
ミホが呟いた。確かに、カメラで島中の様子を全て見ているというのは、いい趣味ではない。しかし、そこまでしないと安心できない状況にあった英一の心情を思うと素直に頷けなかった。
「ねえ・・そこにある緑色の画像は何?」
手元のコントローラーの右下には、ミホが言うとおり、緑色のコマがあった。軽く触れると、オレンジに変わった。もう一度触れると、大型モニターには、誰かのデスクが映し出された。席には誰も座っていない。何か、点滅する光が見える。呼び出しているのかもしれない。すると、ガタガタと音がして、ボサボサ頭で黒縁のメガネをかけた、見るからに卯建の上がらない男が慌てて覗き込んだ。そして、周囲を何度も何度も確認して、小さなヘッドセットをつけると、再び、覗き込むと、小さな声で言った。
「あなたは・・・小林純一さん・・ですね?」
どうやら、こちらの映像は届いていないようだった。
「ええ・・・小林です。あなたは?」
「本社の・・山下です。」
「では、副社長の山下さんですね。」
「ええ・・一応、そうなっていますが・・・しかし、名前ばかりで・・たいした仕事はしていません。・・・。」
「マリン事業部の伊藤さんは、あなたの人望で本社が纏まっているんだど言ってましたが。」」
「いえ・・それは間違いです。僕は、これで社長と絶えず連絡を取っていました。何かあれば、社長の代わりに社員に指示を出すだけです。・・・まあ、社員はこれを知りませんから・・・。」
「ほかの役員も?」
「ええ、おそらく、誰も知らないでしょう。社長が開発された最初の代物です。・・まあ、僕のアイディアも多分に入っていますが・・・。」
「単なる通信システムではないんですか?」
「一見、そう見えるでしょう?・・でも少し違います。・・・よく、見てください。私、口を開いていないでしょう?」
そう言えば、先程からなにか不自然さを感じていたのは、山下がただ、カメラを見ているだけの表情だったからだった。
「このヘッドセットをつけると、脳波を感じて、音声信号に変える・・というか、ええっと・・・考えていることを言葉にするシステムなのです。・・・ラボには、もう一回り小さいものがあるはずです。これをつけていれば、・・そう・・テレパシーみたいに会話ができるんです。良いでしょう!」
画面に映る山下の表情が、にやりとした。
「社長の手がけてこられたメビウスというシステムはご存知ですか?」
「ええ・・イメージは聞きました完成間近だとも・・・しかし、残念です。社長がご存命なら、きっと世界を驚かせる事が出来たはずです。何か、人造人間みたいなものを作っていると・・え?・・・もしかして、小林さんは人造人間・・てことは無さそうですね。・・・いや・・・こちらには映像が届かないものですから・・・。スミマセン・・電話です。一旦切ります。」
画像が再び緑色に変わった。
画像が切れてから、純一は、英一社長と山下の関係を測りかねていた。嘆いている様子もなかったし、淡々と社長の死を受け入れている様子だった。それよりも研究が途絶えたことのほうを残念がっている。信頼関係ということでもなさそうだし、お互い、変人なのかもしれない、純一はそう考えた。ただ、役員の中では、最も、信頼するに足るだろう。何しろ、財産とか権力とかとは無縁な価値観を持っている様子だったからだ。
画像が再び緑色からオレンジに変わった。これが通信の合図に違いない。軽く画面を触れると、再び山下が現れた。
「スミマセンでした。如月からでした。宿題が出たようですね。僕も、次の役員会に行かなくちゃだめですか?」
「ええ・・そのつもりですが・・・。」
しばらく、表情が固まっている。
「来れない事情でも?」
「いえ・・ただ・・役員会には出席したことがないものですから・・・。」
「君には、宿題よりも大事な頼みがあるんです。・・亡くなった社長の事を教えてもらいたいのです。ここでの暮らしとか、亡くなるまでの様子とか・・・自殺とされていますが・・本当なのでしょうか?」
しばらく、山下の言葉が途絶えた。
「それならば・・僕より適任がいますよ。秘書です。社長には三人の秘書がいました。そこでの暮らしの一切をやっていましたから・・社長もかなり信頼していたようです。」
「今は、居ないようですが・・・。」
「ええ、社長が亡くなってすぐに解雇されました。・・二人の居場所はわかりますから、そこへ行かせましょう。すぐに連絡を取ります。」
山下はそう言って通信を切った。

2-11 秘書 [スパイラル第2部遺言]

2-11秘書
翌朝、船着場にクルーザーが着いた。中から、女性が二人降りて来た。二人はすぐにエレベーターで、邸宅へ現れた。二人とも、黒いスーツを身に纏っていて、年の頃は30歳前後と思われた。
純一がドアを開けると、二人は深々と頭を下げている。背が高く、一人は長い髪を一つに束ねている。もう一人は少し背が低く、ショートカットだった。
「よく来てくれました。さあ。」
純一が促して中に入れようと声を掛けると、背の高い方が口を開いた。
「あの・・・私達はどのようなお役目でこちらへ呼ばれたのでしょうか?」
「山下君からは何も?」
「いえ・・前社長の様子をお話しするようにとはお聞きしましたが・・一旦、解雇されていますから・・・。」
「ああ、そうですね。では、改めて、私があなた達を秘書として雇います。前社長と同条件でいかがですか?」
その言葉に二人はチラッと視線を合わせ、合意した様子だった。そして二人とも真っ直ぐに身を起こした。背の高い方がはじめに口を開いた。
「私は、橘ミカともうします。主に、社長のスケジュールや財産管理、外との調整をしておりました。」
続いて、背の低い方が口を開いた。
「私は、橘ミサと申します。家事一切をさせていただいておりました。ゲストハウスの管理もしておりました。」
「二人は姉妹なのですか?」
同じ苗字と知って純一が尋ねた。
「いえ・・・名前は前会長の敬一郎様にいただきました。」
「ここでの名前ということですか?」
「いえ・・私達は、施設で育ちました。自分の名前は施設で付けられていましたが、苗字は施設の名前でした。ですから、会長が橘という姓を下さって・・・。」
純一も同様だった。純一は、どうやら、前会長が全てに関与しているのではないかと考えていた。
「まあ、中へ入ってください。」

純一はソファーに座った。二人は、その脇に直立している。座るように促したが、秘書として主人と同席する事はできないと断ったのだった。
二人の容姿を見ながら、妙な感覚を覚えていた。初めて会ったとは思えなかったのだ。
「山下君からは秘書は三人いたと聞いたんですが・・・もう一人は?」
ミカが答えた。
「社長がお亡くなりになった日に居なくなりました。きっと、あの事故で一緒に命を落としたのだと思います。」
「え?ボート事故で一緒に?そんな報道は無かったけど・・。」
「いえ・・確かな事は判りません。しかし、きっとそうです。彼女は常に社長とともに居りましたから。」
「探していないんですか?」
「ええ・・如月さんに止められていましたから・・・。」
今度は、ミサが答えた。
「あの、何かお飲みになりますか?」
ミサが訊いた。どうやら、彼女は直立しているよりも、給仕の仕事をしたいようだった。
「じゃあ。コーヒーを・・ああ、4つ用意してください。」
純一はそう言うと立ち上がり、寝室に行き、一通り説明して、ミホを連れて来た。
「妻のミホです。よろしくお願いします。」
ミホは、純一の横に立って二人に挨拶した。
コーヒーを運んできたミサが、驚いた表情で立ちすくんだ。ミカも同様の表情だった。
二人はじっとミホの顔を見つめている。
「どうしました?」
「いえ・・なんでもありません。・・・初めまして、橘ミカです。」
「橘ミサです。」
コーヒーをテーブルに置きながらも、ミサはミホの顔をしげしげと見ていた。

純一は、話を聞きづらいからと、二人をソファーに座らせた。
「英一社長は自殺だったと聞きましたが・・・・どうやら、そうではないようなのです。何か知っていませんか?」
「警察の捜査でも、尋ねられましたが・・・。」
二人とも応えに困っている様子だった。
「遺書はあったんですか?」
ミカが答える。
「ええ・・・リビングの上にあったそうです。ただ・・・サインだけは直筆でしたが、文面はパソコンで作成されていたと聞きました。」
「内容は?」
「研究に行き詰った事と病気が思わしくないことが書かれていたようです。」
「見つけたのは、あなた方ではないんですか?」
これにはミサが答えた。
「ええ・・・事故の前日、社長から用事を言いつけられまして、不在でした。事故の知らせを受けてここへ戻った時には、すでに警察の方も居られて・・・多分、如月さんが発見されたと思います。」
「自殺するほど追い詰められていたのでしょうか?」
「いえ・・・前日、もうすぐ研究しているものが完成するとお聞きしておりましたから・・信じられませんでした。」
ミカが静かに答えた。ミサが続いて口を開いた。
「それに・・社長が、あんな小さなプレジャーボートに乗られる事自体、不自然です。大きなクルーザーでのんびり出かけられることはありましたが・・・。」
「やはり、誰かに殺されたという事でしょうか?」
「判りません・・しかし、用心深いお方でしたから・・・。」
ミサがミカの様子を伺うようにして答えた。
「ええ・・・亡くなる前にはほとんど外に出られることもありませんでしたし、ラボへは私達さえ入れられませんでした。極力、外部とは接触しないようにされていました。」
「では・・もう一人の秘書の方が一緒だったとすれば、彼女が社長を殺したとも考えられませんか?」
二人は顔を見合わせた。

2-12 三人目の秘書 [スパイラル第2部遺言]

2-12 三人目の女性
純一の言葉に、二人ともどう答えてよいか判らぬ表情を浮かべ、隣にいたミホの顔を見ている。ミホもその視線をはっきり感じていた。
ミホが二人に訊いた。
「ねえ・・もう一人の秘書の方は一体どんな人なんです?名前は?」
二人とも更に答えに窮した表情を浮かべた。そして、ミカが苦しそうに答えた。
「もう一人の秘書は、ミホと申します。」
「ミホ?」
純一が驚いて訊いた。
「ええ・・・ですから、私達も驚いたのです。それに、よく似ていらっしゃるものですから・・ミホが・・済みません・・・秘書のミホが戻ってきたのかと驚いていたのです。・・しかし、小林様の奥様とお聞きし、他人の空似なのだと・・しかし、偶然というか・・奇跡のような・・・。」
純一はそこまで聞いて、同一人物かもしれないと考え始めていた。
偶然ではなく、誰かが自分の許へミホを連れて来たのではないか、そしてその人物こそが英一を殺害した犯人だろうと考えていた。
ミホ自身も、ひょっとしたら、同一人物なのかもしれないと考えていた。如月がミホの戸籍を難なく手配できたのも、きっと計画の一部だったのではないか、とすれば、自分が純一の傍にいる事は純一を危険な目にあわせることになるのではないか、ミホの頭の中でどんどん悲観的な考えが広がっていった。

「全くの他人ですよ。ミホという名前だって、僕がつけたのですから・・。」
純一は思い出したのだった。容姿が似ているとしても、名前は、あの病室で咄嗟に思いついたものだった。偶然、同じ名前をつける事なんて万に一つも無い。
ミホは純一の言葉を聞いて、頭の中に広がっていた考えを払拭した。
「名前をお付けになった?」
今度は、ミサが不思議に感じて純一に聞いた。ミホの記憶喪失は秘密にしておく事になっていた。しかし、この二人ならば大丈夫だと判断して、ミホが記憶喪失である事、身元保証人になった経緯などを純一は二人に話した。
「いいですか。このことは秘密にして下さい。・・他の役員が知れば、へんな憶測が広がり、ミホの立場がなくなります。良いですね?」
「秘書は、社長の秘密を漏らす事はありません。ご安心下さい。」
ミカの言葉に、ミサも頷いた。
「もう一つ、秘密を打ち明けましょう。」
純一はそう言うと、地下のラボで、英一が開発していたメビウスの話をした。そして、
「英一社長は、自分を殺した人物を調べて欲しいと言っています。協力してくれますか?」
「はい。」
ミカもミサも強く頷いた。
「もう一つお聞きしたいんですが・・・山下君や如月さんは信用できる人間でしょうか?」
ミカが少し考えて答える。
「個人的な感情ではお答えしかねますが・・・」
そう前置きしてから、少し小さな声で言った。
「如月さんは怖ろしいお方です。法律の隙間を縫うようにして、ぎりぎりの事をこれまでもたくさんやってこられました。勿論、社を守るためですが・・・・しかし、とても冷たいお方です。信用とか信頼とかとは無縁のお方と思います。利害に絡む事であれば、とことん固執して必ず得になるように動かれるお方です。」
続いて、ミサが言った。
「山下副社長は、前社長とは一心同体と思われていましたが・・・かなり、難しいお方です。直接お会いしたことはないのですが・・・私たちのプライベートな事もご存知で・・というか、調べておられて、驚く事もありました。少し、怖いお方です。・・今回も、どうやって私達の居場所がわかったのか・・・解雇されたので、上総CSへは居場所を教えていなかったんです。でも、携帯に連絡があって・・驚いたんです。」
どうやら、二人とも信用すべきではない人物だと純一は判断した。
「他の役員は?」
「まあ、敬二郎様も奥様もお嬢様も、お金が最大の目的でしょう。役員である限りは暮らしは安泰ですから・・こちらにいらっしゃる前は、そうとう借金もおありになったようです。」
ミカが答えた。
「伊藤部長も、ギャンブル好きのようで・・仕事より、遊ぶ事がお好きなようです。私達にも、何かと近寄ってきてはいやらしい目つきをされるし・・・ただ、如月さんや副社長よりも正直なお方です。敬子お嬢様とご結婚されたので、部長になれただけだともっぱらの評判です。」
昨日の様子からも、ミサの言葉は正しい事は判った。

純一には少しずつ、上総CSの役員達の様子が判り始めた。
「お二人にお願いがあります。」
「社長なのですから、ご命令で結構です。・・・一体、何でしょうか?」
ミカが姿勢を正して言った。
「ミカさんは、役員全員の財務状況、経歴、暮らしぶりがわかるデータを纏めてください。ミサさんは、社長が亡くなるまでの1ヶ月の行動を纏めてください。・・わかる範囲で結構ですから・・。」
「はい。・・・ですが・・・いつまでにご提出すれば宜しいのでしょうか?」
「1週間後に役員会を開きます。それまでに纏めてください。」
二人は立ち上がった。
「ところで、君たちは何処で寝泊りするんですか?」
「小林社長はご存じないようですね。・・あの、キッチンの隣に秘書室があります。プライベートの部屋もあるんです。私達はそこで・・仕事をしています。・・・何か御用がありましたら、名前を呼んでください。この家にはあちこちにマイクがあって、私達の名前が呼ばれると、すぐに判るようになっているんです。」
秘書の言葉に純一は驚いた。これでは迂闊に悪口も言えない。
二人はにこりと笑顔を見せると、深々と頭を下げ、キッチンの奥の部屋へ入って行った。

「あの・・純一さん。私にも手伝わせてください・・・。」
ミホが遠慮がちに言った。
「ああ、ミホは、居なくなった秘書の事を調べてもらいたい。きっと、君も気になってるだろう?」
「はい。」
こうして、英一社長が亡くなった真実を調べる仕事が始まった。


2-13 人間模様 [スパイラル第2部遺言]

2-13 人間模様
島から戻った、上総敬二郎、里美夫婦は、自分の屋敷へ戻っていた。
「一体どうするつもり?」
敬二郎の妻、里美が服を着替えながら、敬二郎に強い口調で言った。
敬二郎は、リビングの自分専用のチェアに座って、タバコを吸っていた。
「・・・さあ・・どうするかな?・・・」
「このままじゃあ。追い出されてしまうわよ。」
敬二郎は、じっと天井を見上げた。
「それより・・・あの女だが・・・。」
敬二郎がぼそっと言うと、里美が言い継ぐ形で言った。
「驚いたわ・・本当に別人なのかしら・・・復讐に来たって・・・。」
「そんな事あるか!あいつは死んだはずだろ?」
「でも・・他人の空似って・・・いえ、じゃあ・・双子の妹とか・・・・。」
「いや・・違うだろう・・・そんなふうには・・・偶然にしても少し気味悪いな。・・」
敬二郎は立ち上がって、窓近くに立って外を見ながら言った。
「ねえ、如月に問い質してみてよ!・・・二人を連れて来たのは如月なのよ。ひょっとしたら、何か企んでいるのかも・・・。」
「しかし・・・。」
曖昧な態度をとる敬二郎に業を煮やしたのか、里美は着替えを済ませて、リビングにやってくると、敬二郎の携帯電話を掴むと、敬二郎の前に突き出した。
「さあ、電話して!例の宿題の事もあるし・・・如月に妙案を考えてもらいましょう。さあ早く!」
観念した表情で、敬二郎は携帯電話を受け取ると如月に電話を掛けた。

如月は、島から戻ってから、一旦、本社へ寄って幾つか仕事を済ませた後、本社近くのマンションに戻っていた。如月の部屋は、高層マンションの最上階にあった。シャワーを浴びて、ガウンに着替え、ゆっくりと過ごしていたところだった。
「はい、如月です。」
「ああ・・私だが・・・君に訊きたいことがあるのだが・・・。」
如月は、敬二郎が、嫌々ながら電話をしてきた事をすぐに感じていた。
如月と敬二郎は、滅多に会話さえもしない間柄であった。それには訳がある。如月が、上総CSへ入社したばかりのころ、敬二郎は営業部長という役職だった。会長の弟というだけで管理職に就き、ろくに仕事ができない敬二郎を、聡明な如月はいつも見下していた。敬二郎も、上司ではあったが如月が自分のことを見下しているのを知っていて、常に、罵声を浴びせるような態度を取っていたのだ。そうやって虚勢を張る事でしか、上司という立ち位置を確認できない情け無い状態だったのだ。
如月が、英一社長に見込まれ、法務担当になり、役員になってからは、敬二郎は皆のいる前では以前と同様に虚勢を張るように、如月と呼び捨てにしていたが、実際は、頭の上がらぬ存在となっていたのだった。
「何でしょう?」
「あの・・新社長の奥方の事だが・・・彼女は、元秘書だったミホとかいう女じゃないだろうな?」
「いえ・・全くの別人でした。」
如月はにやりと笑みを浮かべながら、平然と答えた。
「そうか・・・それにしても気味が悪いほど似ているが・・・もしや・・姉妹とか双子とかその類じゃないのか?」
「いえ、身元もはっきりしていますし・・他人の空似でしょう。気にする事はありませんよ。」
「そうか・・・・。それと、例の晋社長からの宿題の事だが・・・君に何か良い案はないか?」
それが本題なのだろうと如月は嘲るような笑みを浮かべて返答する。
「良い案といっても・・・。」
「このままでは・・追い出されてしまうかも知れぬ。君だってそうだろう。」
「ええ・・。」
「何か良い案を考えてくれないか。」
敬二郎達が、保身の為の依頼をしてきたのが、如月には妙に心地良かった。ここで動けば敬二郎達を後々自分の駒のごとく遣うことができるだろう。
「判りました。何か良い案を作りましょう。・・・新社長は、会社経営は素人同然です。どうにかなるでしょう。それより、ミホさんの事は、これ以上突かないほうが良いですよ。万一、あの事故の件に、社長が興味を持つようなことになれば、あとあと面倒です。良いですね。」
如月はそういうと携帯電話を切った。
「さて・・どうしたものかな・・・。」
如月は立ち上がると、リビングの一角に設えたバーに行き、気に入りのスコッチを取り出してグラスに注いだ。バスルームから聞こえていたシャワーの音が止まって、女性がバスタオルを身体に捲きつけてリビングに現れた。
「電話だった?」
「ああ・・・敬二郎さんからだった。」
「へえ・・珍しいわね・・・。」
その女性は、如月に近づくと、手からグラスを取り上げ、一気に飲み干し、そのまま如月にもたれかかるようにした。如月は少し憂鬱な表情を浮かべたが、すぐに抱えあげ、ベッドルームに行った。

伊藤守彦は、島から戻ると、マリン事業部のあるマリーナへ向かった。妻、敬子は友人との約束があると言って、クルーザーから降りるとすぐに自分の車でどこかへ行ってしまったので、とりあえず、仕事に戻ることにしたのだった。事業部の事務所には、留守番の事務員が一人残っていた。
「お帰りなさいませ。」
出迎えた事務員は佐橋玲子といい、30歳くらいで、事務職というより、水商売が似合いそうな派手な化粧をした女性だった。
「皆は?」
「ええ・・営業に出ています。今日は部長はお戻りにならないと聞いていましたので、皆、直帰すると言ってました。」
「そうか・・・・。君、仕事は?」
「特に・・必要な事は終わりました。」
「そうか・・・じゃあ、今日はもう事務所を閉めよう。」
その言葉を聞いて、玲子は、束ねていた長い髪を解き、守彦に身体を密着させて、先ほどとは違う甘い声を出していった。
「じゃあ・・・いつものところへ行きましょう。」
守彦は、玲子の背に腕を回すと、そのまま強く抱きしめた。そして、そのまま、事務所の外へ出て、車の助手席に玲子を乗せると、さっさとマリーナを後にした。

2-14 ラボの秘密 [スパイラル第2部遺言]

2-14 ラボの秘密
「ラボに行こう。」
純一は、昼食の後、ミホを連れてラボに向かった。
メビウスはもう起動できるだろう。これまでの報告をし、新たな情報を入手したかった。

「センサーがあるって言ってたな。・・よし・・・・ソファーを出してくれ!」
純一が言うと、床が開いてソファーが現れる。
「データを調べたい。」
すると、大型モニターが床から現れ、コントローラーやキーボードがテーブルに現れた。
「ミホ、これを使って、・・秘書の経歴を調べてみてくれないか。」
「はい。」
ミホはキーボードに触れると、テーブルが小さなモニターに変わった。すぐにミホはラボのデータにアクセスし始めた。
純一は、「メビウス」を起動する前に、メビウスの欠陥を修復する為に必要なラボの電源などの設備を調べ始めた。壁のあちこちに小さなマイクが仕込んであった。その配置の様子を見ながら、電源室の所在を調べていた。白い壁をこつこつと叩いていくと、エレベーターに向かう通路に隠し扉があるのがわかった。ドアの継ぎ目をあちこち触っているうちに、ドアが開いた。中に入ると、地中を走る電力ケーブルがあり、その一角に電源操作盤があった。複雑な構造だが、純一はありったけに知識を動員して、電源操作盤から電力の状態を把握する事ができた。ほとんどは、風力と太陽光と潮力発電で得た電力をラボの地下にある大きな蓄電池に蓄えているようだった。
「これだけの容量の電力でも足りないという事か・・・。これはかなり梃子摺りそうだぞ・・・。」
一通り、様子を把握した後、メビウスの使う電力が異常なことに愕然とした。
純一は一旦電力室から出て、ラボに戻った。ミホはずっとキーボードを抱えていた。
「どうだい?」
純一が訊くと、ミホは難しい顔をして純一に答えた。
「変なのよ。・・・ここにあるコンピューターには、全く何もデータが残されていないの。会社のデータさえないのよ。別のサーバーにあると思って、ネットワークを調べたら、Mというサーバーが全てを持っていたわ。でも、そのサーバーはアクセス拒否するの。」
「監視カメラの映像データも同じかい?」
そう聞いて、ミホはコントローラーから映像へアクセスして、過去の記録を見ようとした。だが、24時間程度までは遡れるのだが、それ以上は拒否された。
「アクセスパスワードがあるのかな?」
「いえ・・そういうセキュリティでは、なさそうなんです。・・何か意志のような感じなの。・・例えば、会社の経営データは、アクセスできるんだけど、人に関わるデータは拒否される感じなのよ。」
「そうか・・・。」
「ごめんなさい・・・もう少し方法が無いか考えてみるわ。」
「少し休もう。」
純一の言葉を聞いていたかのように、チャイムが鳴り、秘書のミサの声がラボに響いた。
「お食事はどうされますか?」
どうやらすでに用意は済んでいるような口ぶりだった。もう夕食の時間になっていた。
「今、上がるから。」
純一とミホはリビングルームへ上がった。
テーブルにはサンドイッチとパスタ、それに幾つかの飲み物が並べられていた。
「どんなものがお好みなのか判りませんでしたので・・差しさわりのないものをご用意いたしました。」
ミサがコーヒーを配りながら笑顔で言った。
「君たちも一緒に食べよう。」
純一が言うと、ミサとミカは顔を見合わせた。社長と同席するなど以前は考えられない事だった。
戸惑う二人にミホも付け加えるように言った。
「たくさんで食べた方がきっと楽しいわ。」
二人は、テーブルに着いた。
「社長、この島はもう一回りされましたか?」
ミカが口を開いた。
「いや・・そう言えば、ここに来てから一歩も出ていなかったな。」
「では、明日、ご案内させていただきます。」

翌日、朝食を終えて、ミカの案内で島の中を一回りする事になった。
玄関の前に立つと、広い庭が広がり、その先にゲストハウスが建っているのが見える。島の上は驚くほど平であった。
「ここは人工の島なんです。」
ミカが歩を進めながら言う。
「人工の島?」
「ええ・・・確かではありませんが、戦時中に軍が作った要塞だったようです。今でも地図には載っていないと聞きました。もともと小さな島はあったようですが・・・。そこを前社長が購入してかなり手を入れられたようです。」
ミカの説明に、純一は納得した。ラボで見つけた電源室の様子からかなり古いものではないかと思っていたのだが、軍事要塞だったと聞けば納得がいく。島の周囲が切り立っているのも、ラボの前に隠れるように入り江が作られているのも、外からの侵入を拒む為のものなのだろう。そして、目の前に広がる広場は、おそらく、戦闘機の発着も可能だったに違いない。
「これだけの島の管理はどうなっているのですか?」
ミホがミカに訊ねた。
「邸宅やゲストハウス、庭は私達がやっていました。・・それ以外は、洋一さんが・・ああ、クルーザーの操縦をしていた男が居たでしょう。彼が、設備のほとんどを管理しています。食料や燃料などの調達もしています。・・私たちも、困った時は何かと洋一さんを頼りにしていました。」
そんな会話をしながら、ミカは、二人をゲストハウスへ連れて行った。
「ゲストハウスは4棟あります。役員の方々はそれぞれ決めて使われていますから・・1棟だけは誰も使われていません。・・ああ、中はみな一緒です。ベッドルームが二つとリビングとキッチン、バス、トイレ・・・4人程度がちょうどいい大きさです。」
チラリと中を覗くと、どのゲストハウスも高級そうな調度品で埋まっていた。
ゲストハウスをぐるりと一回りした後で、ミカは、二人を船着場へ案内した。小さなケーブルカーがあるところまで林を抜ける。途中、幾つか脇道があった。
「この先は?」
「幾つか散策路が作られています。季節にあった草木も植えてあります。行かれますか?」
「いや・・またにしよう。」
純一が答えると、ミカは二人をケーブルカーの乗り口へ案内した。

2-15 洋一 [スパイラル第2部遺言]

2-15 洋一
小さなケーブルカーで船着場まで下りていくと、先ほど聞いた洋一が出迎えに待っていた。純一より少し若いだろうか、日に焼けて真っ黒な顔、筋骨逞しい身体、そして、ウェーブのかかった髪を天頂あたりで縛り上げている。
「新社長の小林純一様と奥様のミホ様です。」
ミカがそう紹介すると、洋一は跪いて挨拶した。それはまるで、中世の武士が主人にみせるような仕草であった。なんだか古めかしい挨拶の仕方に、純一達は戸惑いを隠せなかった。純一は、右手を差し出し、「よろしく」と握手を求めた。
「今・・手が汚れておりますので・・・。」
洋一は握手を拒んだ。みると、手袋をつけている。手袋を取れば支障もないはずなのだが、汚れていることを言い訳にしてどうも手を差し出したくないようだった。
仕方なく差し出した手を引っ込めてから純一が言った。
「君は、ここの設備を管理していると聞いたんだが・・・電力の事は判りますか?」
「はい・・・ああ、ですが、ラボの中は判りません。社長・・いえ、英一社長がご自分で管理されていましたから。ただ、島全体の設備や修理なら判ります。どこか不具合でもありましたか?」
「いや・・そうじゃないんだが・・・ラボの電力を増やせないかと思っていてね。」
「少しお時間をいただけませんか・・・調べてからお返事いたします。」
「ああ・・・お願いするよ。・・ところで、君はどこで寝泊りしているんだ?」
「このクルーザーです。船室の下に小さな部屋があります。ほとんどはそこに居ります。御用があれば、名をお呼び下さい。すぐに駆けつけます。」
洋一の言葉の意味がよくわからず、ミカを見た。
ミカは、耳元を指し示しながら答えた。
「私達はいつもイヤホンをつけています。社長が名を呼ばれると自動的に知らせてくれるシステムがあります。島の中なら、どこに居られるかもすぐに判ります。」
何かいつも監視されているようで、純一もミホも良い心地がしなかった。
「ご安心下さい。名前を呼ばれない限りは、一切判りませんから・・。」
純一とミホの様子を察して、すぐに、ミカが取り繕うように言った。
純一は、ミカの言葉を聞いて急に思いついた。
「英一社長が事故でなくなられた日の事だが・・・。」
そう言うと、洋一が答えた。
「あの日は、急に社長が、本社に行くと言われまして、クルーザーで港までお送りしました。」
「一人だったのかい?」
「ええ・・何か思いつめた表情をされていました。おそらく、副社長に会いに行かれたのだと思います。」
「一人?・・・秘書のミホさんは同行していなかったのか?」
「ええ・・警察の方にもお話しましたが・・あの前日、ミホさんは社長の指示で、マリン事業部へ行かれました。私が送っていきましたから覚えています。」
「それで・・英一社長は、一人で本社へ?」
そこまで聞いていたミカが口を挟む。
「前社長は、本社へは行かれなかったようです。警察でも社長の行動を調べていたようですが、本社には立ち寄った形跡はありませんでした。・・それと、事故を起したボートは、マリン事業部で新造したばかりのものでしたから、社長は本社へ向かわず、マリン事業部へ行かれたと思います。」
「マリン事業部には誰もいなかったのかい?」
「ええ・・あの日は休日で・・誰もいませんでした。社長はマリン事業部の鍵もお持ちですから・・出入りは自由に出来ます。そこで新造船に乗られたと思います。・・ただ・・残念ながら、監視カメラが二日ほど前から故障していまして記録は残っていませんでした。」
「じゃあ・・社長はやはり自殺という結論になったわけだね。」
「ええ・・遺書も見つかりましたし・・・マリン事業部に入り、新造船を自由に使えるのは社長以外にありませんし・・・。」
「そうか・・。」
そこまで聞いていた洋一がぼそりと言った。
「しかし、社長が自殺されるなんて・・・。」
「君は違うと思っているのかい?」
純一の問いに、洋一は少し躊躇いながら答えた。
「社長は・・いえ、前社長は、ご自身でボートを操縦される事はないんです。このクルーザーも、本社との行き来に必要だからと置かれていました。一応、船舶免許はお持ちでしたが・・船はお嫌いの様子でした。それに、本社へ行くと言われていたのも、何か差し迫った問題を解決したいという様子でしたから。・・私にもすぐに戻るから港で待機して置くように言われました。」
「しかし、本社へ行かず、ボートに乗り事故に遭って命を落とした・・・。やはり、不自然すぎるな。」
純一は顎に手を当てて、ここで聞いた話を整理しながら呟いた。
「ボートの事故の原因は?」
ミホが洋一に訊いた。
「警察の調べでは火災事故のようです。ただ・・・ボートはほとんど燃えてしまって海中に沈んでしまったので確定したわけではありません。ただ、周囲にいた船から、社長の船から大きな火柱が上がっていたという目撃情報があったのでそういう結論に至りました。私も、事故を聞いてすぐにクルーザーで現場へ向かいました。周辺ではボートの破片もありましたし・・社長のご遺体にもかなりの火傷がありました。」
「新造船だったんでしょう?そんな欠陥でもあったの?」
ミホがさらに訊いた。
「いえ・・その点は警察がマリン事業部の伊藤部長にもかなり厳しく追求されていました。欠陥はなかったという結論で・・結局、前社長が大量にガソリンを撒いて火をつけたのではないかと・・だから自殺という事に落ち着いたのです。」
「どれも状況証拠ばかりなんだね。」
「ええ・・・」
ミカも洋一も落胆したような表情を浮かべて頷いた。
「秘書のミホさんの行方もその後は判らないんだったね?」
「ええ・・本社にも居なかったようですし・・・所在は不明のままです。・・ボート事故で社長と一緒に居たとすると、ひょっとしたらボートとともに海中に・・とも考えたんですが・・・不確かな事は口にするなとと如月さんからも釘を刺されていましたから・・そのままになっています。」
ミカの返答に純一はミホを見た。
「やはり、秘書のミホさんの事を調べる必要が在りそうだな。」
ミホはこくりと頷いた。

2-16 メビウス [スパイラル第2部遺言]

2-16 メビウス
ミカの案内で島を一回りし、昼食を終えた後で、純一とミホは再びラボへ戻った。
ミカとミサは、純一の指示に従って、役員の経歴や英一社長の行動をまとめる仕事をした。

純一は、メビウスを起動する事にした。コントローラーを手に、メビウスの起動画面にしてボタンを押した。ソファーの後ろに球状のメビウスがゆっくりと現れた。
「何ですか、これは?」
ミホが驚いて訊いた。
「これが、英一社長の開発していたシステムさ。メビウスという名らしい。」
純一はそう言うと、静かに上部のカバーを開いて、中に入った。静かにカバーは閉じていく。
いきなり、目の前に英一社長が現れ、太い声が響く。
「何か収穫はあったのか?」
「あなたの事故には不可解な事ばかりでした。状況証拠から自殺と判断されたようですね。」
「殺された証拠は見つかっていないということか・・・」
「ええ、しかし幾つか不自然な事もありますからもう少し調べてみます。それで・・一つ伺いたいのですが・・・ミホという名の秘書の事を教えてください。」
メビウスの英一は、一瞬押し黙り、眼を閉じ、じっと、何かを考えているようだった。
「ミホは・・・ミホは秘書ではない。・・・パートナーだ。研究のパートナーであり、人生のパートナーでもあった。私達はお互いを理解し、尊敬し、愛し合った。」
その言葉は、深い悲しみを持っているように聞こえた。
「・・・ミホさんは、事故以来行方不明になっています。」
「そうか・・・おそらく、私とともに殺されたのだろう・・・可哀想な事をした。」
「ミホさんは、事故の前の日、あなたの指示で本社へ行き、その後行方がわからないんです。事故のボートに乗っていたとも考えられますが、遺体は見つかっていません。・・ミホさんがこの事故の・・いえ、英一社長が亡くなった真相を知っているのではないかと思うのですが・・・。」
「まさか・・ミホが私を殺したとでも?」
「いえ・・そうとは・・ただ、事故の原因も不明ですし・・・何か関係しているはずです。・・ミホさんのパーソナルデータはありませんか?」
再び、メビウスの英一は押し黙った。そして10秒ほどして答えた。
「探してみたが・・意図的に削除されてしまったようだ。」
「サーバーにMというファイルがあるんですが・・アクセスできません。ここにあるとは・・・。」
メビウスの英一は純一の言ったファイルMへアクセスしようとしているようだった。
「確かに・・このファイルにはアクセスできないようだな。・・・パスワードとは違う何か、別の方法でロックされている。ただ・・・中のデータ量は極めて小さい。短い映像の類だろう・・・。ミホのデータは完全に削除された記録が残っていた。」
「そうですか・・・。あなたの中に、ミホさんの記憶があるのなら・・それをみせてもらえませんか?」
「それは無理だ。・・・私の記憶は人の記憶と同じなのだ。・・思い出話をしろというならできるが・・データにする等できぬ。君だって、自分の記憶を全てデータにしろといわれても拒否するだろう。」
「ええ・・・しかし、ミホさんがもし生きているなら、あなたの死の真相を知っている可能性が高いんです。遺体が見つかっていない以上、どこかで生きている可能性がある。・・その手がかりが掴めればと思ったんですが・・。」
「それならば、如月に訊ねてみるといいだろう。・・ミホを私に紹介したのは、如月だった。私が優秀な助手が欲しいというと、どこからか連れて来たのだ。電子工学の知識だけではなく、あらゆる分野の知識を持っていた。それだけではなく、料理も一流コック顔負けの腕前だった。・・どこから見つけてきたのか判らないが、私はすぐに彼女を採用し、傍に置いた。お陰で、このメビウスも完成した。彼女なくして、メビウスは出来なかったはずだ。」
「如月さんは、ミホさんの事を知っているんですね?」
「ああ・・・。」
如月は純一のところに現れてから、そのようなことを一言も話さなかった。いや、それどころか、英一社長の事もほとんど話していない。純一はもう一度じっくり如月の話を聞くべきだと考えていた。
「ミホの事を調べるより、他の役員をもっと調べるのだ!」
メビウスの英一は少し苛立った声を出した。
「しかし・・」
「奴らが私を殺したはずだ・・いや、全員が関わっているかも知れぬ。私の知恵と財産目当てに集まってきた奴らだ。誰も信用できない。・・事故の真相を突き止め、奴らに罰を与えるのだ!」
「わかりました。」
「ところで、私の欠陥の修復はどうなっている?」
メビウスの英一が尋ねた。
「・・・電力の問題と、排熱・冷却システムの構築が必要でしょう。・・今、洋一さんに電力の問題を調べるように指示しました。・・そうです・・・このメビウスの設計図はありませんか?構造がわからなければ、修復も叶いません。」
メビウスの洋一が暫く黙った。
さきほどからのこの「沈黙」が純一には妙に気になっていた。
「では、設計図をサーバーに開示しておく。ただし、これは極めて重要な情報だ。万一にも外に漏れれば全て失いかねない。・・モニターで見えるレベルにしておくからな。」
「わかりました。」
純一が返答すると、アラームが鳴り始めた。
「時間のようだ。」
シャットダウンされると同時に、カバーが開いた。
「ふう・・・。」
純一は大きな溜息をついた。

「英一社長と秘書のミホさんは、互いに愛し合う深い仲だったようだ。」
メビウスに乗り込んだ純一を心配しながら待っていたミホの顔をみて、純一が言った。
「ミホさんのパーソナルデータは残っていないようだった。だが、一つ収穫だ。秘書のミホさんを英一社長に引き合わせたのは、如月さんだった。彼に話を聞けば、わかる事もあるだろう。」
「そうなの・・・。」
純一の言葉に、ミホは何か不安そうな表情で答えた。
「どうした?」
「いえ・・少し具合が悪いの・・・さっきから頭痛がして・・・少し横になっていいですか?」
「ああ・・なら、上に行って薬を貰って休むと良い。」
純一は、ミホを連れて、リビングへ戻ることにした。

2-17 ミカと洋一 [スパイラル第2部遺言]

2-17 ミカと洋一
エレベーターでリビングに上がると、ミサがエレベーター前で待機していた。
「どうされました?」
「ミホの具合が良くない。・・鎮痛薬かなにかないかな・・・。」
ミサはすぐに秘書室に戻り、薬と水を運んできた。
「これは良く効くお薬だそうです。ミホさん・あ・・秘書のミホさんから引き継いだものです。」
そう言って、ミホに手渡した。ミホはそのままベッドルームに行き、休んだ。

「社長は何かお飲みになりますか?」
「ああ・・コーヒーをくれないか・・少し温めでいい。ところで、ミカさんは?」
コーヒーを煎れながら、ミサが答える。
「先ほど、洋一さんから連絡があって、船着場へ行きました。」
純一は、ミサが運んできたコーヒーを飲みながら、ぼんやりと窓の外を眺め、メビウスの事を思い出していた。
メビウスの中で会う英一社長しか知らないが、野太い声で時々高圧的な言葉を使うのがどうにも好きになれなかった。メビウスの英一が本人と同じだとすれば、他の役員たちはかなり萎縮した態度を取っていたに違いない。いや、もっと早くに追い出していてもおかしくなかった。

「英一社長はどんな人だったんだろう・・・。」
ぼそっと呟いた。
それを聞きミサが笑顔で答えた。
「とても素敵な方でした。多少神経質なところはおありでしたが・・・皆に優しく接していただけ、気遣いもされる方でした。・・特に、ミホさんがここへ来られてから一層、柔和になられたようでした。」
意外な返答だった。
「しかし、あれだけの監視カメラを見ると、周囲への不審感というか・・皆を服従させるようなそういう面があったんじゃないのかい?」
「あれは、ミホさんの勧めで付けられたようです。研究成果を誰かに盗まれないように、万一を考えてつけたほうが良いと強く勧められました。・・あまり、社長は使われなかったようですが・・・ああ、それと、マイクは私たちがお願いしたのです。これだけ広いお屋敷、島全体を考えると、どこでも社長のご指示をいただけるようにするにはこれが一番いいでしょうとお願いしたのです。」
ミサの答えに、純一はますます違和感を感じた。
「役員とは余り折り合いが良くなかったんじゃ・・。」
「ええ・・それは仕方ないでしょう。実際、社長の財産や会社の利益は莫大なものです。そこに擦り寄ってくる人は、役員だけでなく、数多居るはずです。」
ミサの言葉はもっともだった。
「信用したくてもできないのも当然か・・・。」
純一は、ふと鮫島運送の事を思い出していた。皆が助け合い必死に生きている、それがどれだけ幸せな事なのかを感じていた。
ミサが続けて答える。
「でも、社長は決して独断で全てやられるような方ではありませんでした。如月さんや山下副社長とは、よく相談をされていたと思います。あのお二人は信頼されていたんじゃないでしょうか?」
「そうなのか・・・。」
メビウスの英一の答えとは随分違う。
多重人格だったか、それとも、秘書さえも信用していなかったか、話を聞けば聞くほどに、メビウスの英一と亡くなった英一とが別人格ではないかと思えてきた。

「あ・・ミカさんが戻りました。」
ミカが、芝生の広場を小走りにやってきた。手には何か抱えているようだった。
「社長、こちらにいらしたんですね。良かったです。これを洋一さんから預って参りました。」
ミカが持ってきたのは、モバイルパソコンだった。
「この中に、島全体の設計図や配電図など全て詰まっています。ネットワークに入ろうとしてもセキュリティがあって無理だったようで、以前にダウンロードしたものに洋一さんの知っている情報を全て加えています。これで、島の電力を検証できるでしょう。」
純一は、モバイルパソコンを受け取った。
「これは君が?」
「ええ・・洋一さんはパソコンには、弱いんで、クルーザーに行って手伝っていました。」
何だかミカはとても楽しそうだった。
横にいたミサが、「一緒に仕事が出来て良かったわね。」とわざとらしく言って、純一に向かってちょっとウインクをしてみせた。すぐに純一は、ミカと洋一との関係に気付いた。
島の中に閉じ込められているような生活である。こういうこともあっていいはずだと純一は思った。
「少し説明してもらおうか。」
ミカは、得意げにモバイルパソコンの画面を開き、洋一から聞いたであろう話を手振りを交えながら純一に説明した。
一通り説明を聞いた純一は、
「よく判りました。・・・これなら、電力をラボに集中すれば今より遥かに大きな電力が得られそうだ。」
そう言って、じっと画面を睨んだ。
「おや?」
画面を見ているとラボの地下深くに全く黒塗りされている部分がある事に気付いた。
「これは?」
「さあ・・・洋一さんもラボの地下の事は判らないって言ってました。昔の要塞だった頃の遺物でもあるんじゃないでしょうか?」
純一は図面をじっと見つめた。黒塗り部分は、ちょうどメビウスの真下あたりだった。かなりの大きさである。メビウスの本体が格納されているのかもしれない。しかし、通路のようなものは見当たらなかった。いずれ調べてみる必要はありそうだと考えた。
「あとは・・排熱と冷却システムだな。・・・しかし、この島の設備全体を把握しているはずの英一社長がどうして、あそこまでメビウスを完成させていながら、対策を取っていなかったのだろう?」
純一はモバイルパソコンから顔を上げて呟いた。
「メビウス?」
ミサがきょとんとした顔をして言った。
「ああ・・何か聞いているかい?」
「いえ・・直接お聞きしたわけではないんですが・・・社長が独り言で確かそう言う名を・・・。何だか、困った様子でしたが。」

2-18 悪夢 [スパイラル第2部遺言]

2-18 悪夢
「困った様子?」
純一が訊き返した。
「ええ・・・大きな溜息をついていらしたんで・・・どうされたのかなと・・。」
「何か言ってなかったかい?」
「いえ、詳しいことは・・ただ、その日以来、英一社長は深く考え事をされるようになられて・・・そうです。あの事故の十日ほど前だったと思います。」
純一は、メビウス完成で何かトラブルが発生したのだろうと考えた。
それを明らかにする為に、本社へ行こうとした。とすると、本社にいる副社長か如月か、いずれかがトラブルの原因となっていた可能性がある。
しかし、メビウス自身はそんな事を教えてはくれなかった。おそらく、記憶された情報が欠落しているのだろう。どれほどの期間かはわからないが、英一社長の記憶をインプットしていない期間があるに違いない、純一はそう考えた。
「ミサさん、英一社長の行動をできるだけ遡って調べてください。特に、亡くなった十日前くらいが知りたい。ひょっとしたら、社長はやはり誰かに殺されたのかもしれませんから。」
「はい。」
ミサは神妙な顔で返事をした。
「私も、役員の情報収集を早く終えて、ミサを手伝います。洋一からもいろいろと訊いてみます。」

純一がリビングで、秘書たちと話している間、ミホはベッドルームで眠っていた。

ミホは夢を見ていた。
広い海原に一人、浮いている。周囲を見回してみても何も見えない。
時折、波が顔にかかり呼吸が出来なくなる。このまま、たった一人、誰にも見つからず死んでしまうのだろうか・・底知れぬ恐怖を感じていた。
突然、ミホを呼ぶ声がする。どこからか判らない。ミホは手足をばたつかせて、身体を向きを変えようともがいた。しかし、声の主は見えない。しかし、確かにすぐ近くで声がする。
純一の声ではない。だが、何か懐かしい声だった。
「どこ?どこ?私はここにいるわ!」
声を出そうともがいてみたが、波が口の中に入ってうまく行かない。
そのうち、急に海底に引きずり込まれそうになった。慌てて手を伸ばすと、誰かが、ミホの手を掴んだ。そして、海中から顔を出すと、そこには「如月」が笑顔で待っていた。
ミホは驚き、そして、底知れぬ恐怖が襲ってきて、「わあ!」と声を上げた。

「ミホ、大丈夫か?」
ミホが夢から覚めると、ベッドの脇には純一が居て、ミホの手を握っていた。
「何だか、うなされている様だったけど、夢でも見ていたのかい。」
純一の顔を見て、ミホは安堵した。
しかし、何故、夢の中にあの「如月」の顔が浮かんできたのだろう。確かに、底知れぬ恐怖心を感じたことはあったが、これまで深いかかわりなど無かったはずだ。
「何か・・怖い気持ちは・・・・でも、・・・・どんな夢だったか・・・思い出せません・・」
「熱もあったんだろう。・・ここへ来て、疲れも出たんだよ。もう少し休むかい?」
「いえ・・・もう大丈夫です。」
ミホは身を起こすと、純一を安心させるように言った。
「そうかい・・・だが、随分、寝汗をかいたようだね・・・着替えるといい。ミサさんに着替えが無いか聞いてみよう。」
純一は立ち上がると、リビングに戻った。すぐに、ミサがベッドルームに入ってきた。
「着替えはワードローブにあるものでいかがでしょう。」
ミサはそういうと、ワードローブを開いた。色とりどりの洋服がぎっしりと入っている。
「英一社長が、秘書のミホさんのためにお揃えになったものが入っています。」
「いえ・・私も着替えは持ってきていますから・・。」
ミホが答えると、ミサが言った。
「ここにあるものは、一度も袖を通されていないものばかりなんです。英一社長がデザイナーを招いて作らせたものばかりなのに・・・。」
それを聞いて、純一がミサに訊いた。
「すべてオーダーメイドなのかい?」
「ええ・・これだけじゃありません。隣のクローゼットの中にもあります。でも、ミホさんは、いつも地味なお洋服ばかりでした。」
「ふーん。」
純一は、ワードローブの洋服を見ながら、ミホに言った。
「良いじゃないか・・・せっかくこれだけあるんだ。気に入ったものだけ着ればいいだろう。」
「でも・・・。」
「まあ、いいさ。とにかく、着替えた方がいい。さあ、ミサさん、手伝ってください。」
純一はそういうとベッドルームを出た。
ミサは、隣のクローゼットへ行き、下着なども持ってきた。その間に、ミホは吊り下げられた洋服を選んだ。

リビングに戻った純一は、先ほどのミサの言葉を思い出していた。
「特別に作った洋服・・・まさか・・・。」
ミホを海岸で見つけた時、着用していた水着が特注品だったことを思い出していたのだった。
ミホと秘書のミホが同一人物ではないかと考えたのだった。容姿も似ている、名前も、・・どんどん共通項が増えていた。
「しかし・・その秘書が記憶を失くして僕のところへ?・・何のために?」
ミホ自身はそのことをどう思っているのか、先ほどの洋服の件でも何か秘書のミホとの共通項を打ち消したい気持ちを感じていた。
きっと、偶然に、共通項を見つけただけなのだ、純一はそう考える事にした。

着替えたミホがベッドルームから出てきた。シンプルな白いワンピースを着ていた。
「横になって居なくてもいいのかい?」
「ええ・・もう大丈夫です。ごめんなさい。」
ミホは、純一が座っているソファーの横に座った。
「奥様、何かお飲みなりますか?」
ベッドルームから一緒に出てきたミサが訊いた。
「ええ・・・冷たいものが欲しいわ。」

2-19 役員の素性 [スパイラル第2部遺言]

2-19 役員の素性
役員会開催の前日になって、秘書のミサとミカから、これまでに集めた情報について報告を受けることになった。リビングには、洋一も顔を見せていた。純一とミホが座る、大きなソファーの前には大型のモニターが置かれた。
「さあ、利かせてもらおう。」
先に、ミカが役員のパーソナルデータをモニターに表示して説明した。
「上総敬二郎常務からご説明いたします。」
写真や経歴、家族構成、資産状況など次々に表示される。
敬二郎は、名目上、常務取締役となっていたが、実際には何の役割も担っていなかった。兄の敬一郎の事故をきっかけに役員となった。その前は、マリン事業部の部長をやっていたのだった。
「会長の弟というだけで、特に仕事もせず役員と言うわけか・・・。」
呆れた表情で呟いた。
「次は、奥様の里美様です。・・・肩書きは、取締役部長。文化事業部を統括されています。」
画面は切り替わり、敬二郎のときと同様に、写真や経歴、資産状況が映し出される。
「文化事業部ってどんな事をやっているんですか?」
「以前は、我が社で開発したシステムの研修が中心でしたが、里美様が統括されるようになってからは、語学講座とか、趣味の講座も取り入れられました。最近は、投資や取引に関する講演会も始められました。・・何か、お気に入りの講師の方がおられるようです。」
「投資?」
「はい。海外への投資話をしておられるようです。講演会というよりも出資者を募るような事も・・少し危険な噂もお聞きしていますが・・・。」
「敬二郎さんは?」
「・・里美様よりも常務の方が積極的に動かれているようですね。海外視察にも何度も行かれていますから・・・東南アジアへの投資が中心のようです。借入金がかなり大きくなっていますから、それほど上手くはいっていないのでしょう。」
メビウスの英一が「財産目当て」と言ったのは間違っていなかった。おそらく、無断で会社の金を流用しているかもしれないとも思った。
「次は、お嬢様の敬子様です。・・・今は、アミューズメント事業部の取締役の肩書きをもっていらっしゃいます。」
「今は?」
「ええ・・もともと、お嬢様は我が社には関わり無かった方なのですが、2年ほど前に役員に入られました。常務のごり押しと言う噂もありましたが、何故か、如月さんは了承して、社長を説得されたんです。・・あ、それとアミューズメント事業といっても、乗馬クラブとゴルフ場の経営だけです。いずれも、敬子様がお好きだったので、近くにあったものを買収しました。・・その時も如月さんがかなり熱心に働かれました。」
純一は少し意外な感じがした。
「アミューズメント事業は上手くいっているのかい?」
「ええ・・・乗馬クラブもゴルフ場も、しっかりした支配人がおりますから、それぞれ独立してもやっていける状態です。・・ほとんど、敬子様はご自分の愉しみのために行かれる程度ですし・・・ほとんど関わりをもたれていないと思います。」
「それでも役員か・・・。」
純一は何だか虚しくなってきた。
「続いて、伊藤部長ですが・・・宜しいでしょうか?」
少しうんざりした表情の純一に、ミカが気遣うように訊いた。
「ああ、続けてください。」
「では・・。」
モニターには伊藤部長の経歴や実績、資産状況などが映し出された。
「マリン事業部は赤字状態です。今回の英一社長の事故で、ほとんど信用をなくしています。社員は少ないのですが、マリーナの維持や管理費用が膨大で、累積赤字も膨らんでいます。それと・・・」
ミカはそこまで言ってから、手元の資料を見ながら、報告すべきかどうか悩んだ表情を浮かべた。
「何か他にも問題が?」
純一の問いに、ミカは隣に居たミサをチラリと見た。ミサは続ける事を促すように頷いた。
「まだ、確証を得た話ではありませんが・・・マリン事業部に不正経理の疑いが出ています。」
「横領の類かい?」
「ええ・・・経理操作で売上げの水増しと、資金の流用の疑いが出ています。副社長も、今、調査をされているようですが・・・。」
それを聞いて、ミサが付け加えた。
「マリン事業部の経理担当・・・佐橋玲子と部長は不倫関係にあるようです。何度か、抱き合っている姿を社員が現場も目撃していますし・・・どちらかというと、佐橋玲子に言い寄られて手を出したというところのようですが・・・その女がギャンブル好きのようで、会社の金に手をつけたという構図のようです。」
「確かなのか?」
純一がミサに改めて尋ねた。
「はい。マリン事業部の営業担当から、直接メールをいただきました。今、証拠集めをしてもらっています。」
純一はミサの答えに眼を丸くして驚いた。
「ミサは、会社のあちこちに情報源を持っているんです。特に男性社員とのつながりが強くて・・。」
ミカが少し呆れたように説明した。
「おいおい・・君は信用して良いのかい?・・そんな男性社員を誑かしてるんじゃないだろうな?」
ミサはニコリと微笑んで答えた。
「私、男性には興味は無いんです。どちらかといえば、女性のほうが・・・。」
ミサはそう言うと、ミホの顔を艶な目つきで見つめた。ミホが、ミサの視線を受けて、何かどぎまぎした表情を見せたので、ミサはペロッと舌を出して微笑んだ。
「いいかげんにしなさい。会社の男性たちとおかしな関係にならないよう注意してくださいよ。」
純一がたしなめるように言うと、ミサは真面目な顔になった。
「はい、心得ています。皆も知ってますから。」
「赤字と不正経理か・・・伊藤部長を更迭する理由は明確のようですね。・・いや、それよりマリン事業部そのものを廃止する事のほうが良さそうですね。」
純一がそういうと、洋一が急に立ち上がった。
「社長、お願いがあります。」

2-20 洋一の決意 [スパイラル第2部遺言]

2-20 洋一の決意
「マリン事業部は、上総CSの基礎事業です。廃止は思いとどまってください。亡くなった会長もお嘆きになります。」
純一には、洋一の言葉の意味が判らなかった。
「会長?」
「はい、会長はマリン事業こそ、上総CSの骨格をなすべき事業だと常々おっしゃっていました。バブル時代には大きな収益を上げました。大型クルーザーの受注もあり、上総CSの社員の大半は、マリン事業の復活をきっと待っているはずなのです。」
洋一は強い口調で純一に迫った。
「しかし・・・今のままでは・・・。」
世の中は不景気である。レジャー産業自体もかなり縮小傾向にある。その上、社長がボート事故で亡くなったのだ。社会の信用は失墜している。どう考えてみても、復活できるとは思えなかった。
「いえ、きっとまた復活できるはずです。」
洋一はさらに強く迫った。
「まあ落ち着いて下さい。・・洋一さんには何か思いがあるようですね。話してみてください。」
純一の言葉に、傍にいたミカも洋一の背をさするようにしながら言った。
「洋一さん、会長の事故からお話したほうが良さそうよ。落ち着いて話しましょう。」
ミホも洋一の様子を見て言った。
「さあ、洋一さん、座ってください。」
洋一は、ソファの脇に置かれた椅子に座った。
「私が順序だててお話しましょう。」
ミカがこういう場面を想定していたかのように、画面に古い写真を映し出した。
「これは、10年前の新造船進水式の写真です。」
ミカはゆっくりと説明し始めた。

上総CSは前身の上総総業の時代に、造船業を始めた。時代に乗って、小型のプレジャーボートの受注を受け徐々に成長した。そして、ついに大型クルーザーの受注を受けたのだった。
受注先は、取引先の銀行頭取からだった。当時、経理部課長だった、山下副社長を気に入っての受注とあって、会長は山下を一気に経理部長に抜擢した。同時に、社運をかけるほどの大きな受注であったために、英一社長をリーダーにプロジェクトを組むことになり、社内の若手が集められたのだった。
「プロジェクトには、如月さんや山下副社長も居ますね。」
「ええ・・・会長や社長が社内で面接を行なって選抜されたようです。残念ながら、当時、マリン事業部長だった、常務や伊藤部長はプロジェクトには入れませんでした。」

プロジェクトでは、当時の最新の機器・コンピューター制御技術、あらゆるものが採用された。そして、当時としては画期的な大型クルーザーが完成したのだった。
「しかし・・この船は進水式を終えて、マリーナを離れて5分もしないうちに爆発事故を起しました。・・エンジン部の燃料装置の不具合で、船体後部が大きく壊れたのです。不幸な事に、爆発箇所のすぐ上のデッキに、会長夫妻は居られました。マリーナから皆が見送っている最中の事故でした。」
その様子を洋一は思い出したのか、下を向き、涙を拭っている。
「警察の調べでは、設計ミスという結論となりました。・・・結局、それ以降、大型クルーザーの受注はなくなりました。・・いや、我が社のマリン事業の信用は地に落ちました。」
「設計の問題だったのか?」
純一の質問に、洋一は立ち上がって、顔を紅潮させて、強く言った。
「いえ、設計ミス等ありません。前日までの点検でも全く不具合等なかった。あれは誰かが仕組んだ事故に違いないんです!」
その様子を見てミカが言った。
「洋一さんは、プロジェクトの設計部門のメンバーだったのです。・・事故で、設計部は全員、責任を取る形で解雇されました。洋一さんは、その後、英一社長の個人所有ボートのメンテナンス技師として雇用されました。」
「そうですか・・・。」
洋一がマリン事業部存続を願う意味がようやく理解できた。しかし、マリン事業部が復活するのは容易なことではないだろうと思っていた。
「社長のクルーザーをどう思われます?」
「いや・・・どうって言われても・・良い船だと思うけど・・余り船には興味が無いんだが。」
「あの船は、会長が亡くなられた事故を起こした船です。事故のあと、ここへ運び修理をしました。事故の原因をこれまで何度も何度も調べました。部品がいくつかありませんでしたが、なんとか復元しました。・・・その結果、燃料タンクの一部に亀裂があったことが判りました。」
「それは?」
「何かで傷つけられたものでした。船の機材を調べたところ、ドックにあった特殊なスパナと一致したんです。あの事故は、作為的に起こされたものです。」
「そのことを警察には?」
「証拠を持ち込みましたが・・・すでに事故と処理されたものですし・・・私は部外者でもあるので・・。」
そこまで聞いて純一は言った。
「なんだかややこしそうな話だな。・・誰か社内の人間が作為的に事故を起こしたということか。・・」
そこまで聞いてミカが言った。
「おおよその目星はついているんです。」
「いったい誰が?」
「おそらく、常務か伊藤部長が関係しているのではないかと・・・プロジェクトを外されて恨みもあったでしょうし、会長が亡くなられてから、常務と部長に昇格されました。結局、プロジェクトが失敗したことで得をしたのはあの方たちですから。」
「それだけじゃ・・・それに、会社の信用を失墜させ、マリン事業部だって大幅に赤字を生んだのだろう?いくら昇進したところで、大きく見れば損をしたんじゃないか?」
純一は、ミカの話に何の根拠もないことを見透かすように言った。
「いえ、きっとそうなのです。」
「如月さんや・・そうだ、副社長は疑いはないのかい?」
それを聞いて、ミサが言った。
「あの事故には何人かけが人が出ました。副社長もそのお一人でした。いえ、一時は命の危険さえある状態でした。意識がもどるまで2年ほど掛かりました。今でも、その時の後遺症で・・・半身不随ですし、酸素吸入機がなければ生きていけない体になられました。ですから、事故を起こすなど考えられません。・・・如月さんも乗船されてました。爆風で飛ばされた副社長を海中から引き上げ、救命処置をされたと聞いています。ご自身も怪我をされていました。」

2-21 如月の正体 [スパイラル第2部遺言]


2-21 如月の正体
どうやら、会長の事故は、単純な話ではなさそうだった。しかし、確証はない。いや、10年もの時が経っている以上、今更罪を問うことさえ無理だろう。
「わかりました。その件は、もう少し成り行きを見ていきましょう。」
純一が一旦話を終えようとしたところで、洋一が言った。
「前社長・・英一社長の事故ももっと調べるべきです。きっと、会長の事故となにかつながっているはずです。」
純一もそのことは気になっていた。それに、メビウスからも、死の真相を調べるよう指示されている。
「洋一さん、あなたの熱意はよくわかりました。では、会長の事故と英一社長の事故、だれかの策謀によるものか徹底的に調べてください。社内の人間だけでなく、関わりのあった人も含めて調べてみてください。・・・それと、マリン事業部の存続も再検討してみましょう。あなたなら再建できるかもしれない。どうか、力を貸してください。」
純一は決意を込めて洋一に言った。
「あ・・・ありがとうございます。」
洋一は涙ぐみながら純一に頭を下げた。

「さて、あとは、如月さんと副社長ですね?ミカさん、続けてください。」
純一は、ミカの報告を待った。ミカは、洋一の涙ぐむ様子にもらい泣きしているのだった。
「スミマセン・・続けます。」
ミカは再び、説明を始めた。
「副社長は先ほど説明差し上げたとおりです。今は、会社の最上階に副社長室兼自宅を持たれてほとんどそこからは出られることはありません。・・資産はほとんどお持ちではありませんし・・。」
「そうですか・・・。」
「如月さんは、法務担当取締役で、英一社長が開発された特許やシステムのパテント管理、訴訟など一手に引き受けていらっしゃいます。そうとう頭の切れる方です。資産運用についても造詣が深く、我社の資産・経営管理は如月さんがされているといっても過言ではありません。」
ミカはこれまでの役員紹介とは違って、妙に褒め称えるように言った。
「欠点はない。我が社には欠かせぬ存在ですか。」
「はい。」
ミホは違和感を覚えていた。
かつて鮫島運送にやってきた時、小さな事務所をのぞきこみ、見下すような視線を送っていた。相続人の身辺調査と称して、妖しげな男を雇い、調査もさせた。お金に物言わせて何でもやってしまう、戸籍さえも捏造できる男だと思っていたからだった。
純一も同じ思いだった。第一印象は悪かった。こちらの都合などお構いなしという態度が気に入らなかった。
「住まいは?」
「本社のとなりの高層マンションの最上階に一人で住んでいらっしゃいます。」
「資産関係は?」
「現金預金はかなりお持ちのようですが・・・投資などはされていないようですね。堅実な暮らしといったところでしょうか?」
「英一社長が亡くなって、ほぼ実権を握っているんじゃないのかい?なのに堅実な暮らしというのも腑に落ちないけどね。」
そういう純一にミカが答えた。
「如月さんは子供の頃から随分ご苦労されたようです。両親を早くに亡くされ、施設にも預けられていたとか・・・苦学生だったようです。遊ぶこともなく、ひたすらに勉学に励んでこられて、今の暮らしを手に入れたということでしょう。」
なんだか純一は自分の人生を語られているように感じた。しかし、如月が時折見せる冷たい表情が気になった。
「どこか屈折している・・ということはないですか?」
それはまさに自分のことだった。
「そうですね・・・確かに、ご自身のことはあまり話されませんし、嬉しそうな表情を見たことはありません。でも、面倒見は良いお方です。私たちも、如月さんに声をかけて頂いて・・会長に引き合わせていただいたのですから。」
「君たちもかい?確か、ミホ・・いや、秘書のミホさんも如月さんの紹介で社長が採用したと・・。」
「ええ・・・上総CSの社員には、同じように、子供の頃には恵まれなかった者が多くいます。会長自身が、そうした子供たちへの援助もされていましたし・・・。」
「何か理由でもあるのかい?」
「さあ、そこまではお聞きしたことはありませんが・・・ただ、罪滅ぼしだと冗談交じりに話されたことはあります。如月さんは、その会長への恩返しのつもりもあるんじゃ無いでしょうか?」
「恩返しねえ・・・。」
自分と似た境遇、会長への恩返し、まるで自分がそうあるべきだと言われているように純一は受け止めていた。
「わかりました。どうやら、如月さんと副社長は、我が社には欠かせぬ人という感じですね。以上ですか?」
ミカは「はい」と頷いた。

ミカからの報告を聞いたあと、一通り資料をもらってから、純一はミホと供に、ラボへ向かった。

ラボの真ん中にあるソファに座り、純一はため息をついた。
「何か釈然としないんだよな・・・。」
呟く純一に、ミホも言った。
「ええ・・・私も・・・。」
「ミカさんの話を信じないわけじゃないけど・・・上総一族は皆悪人で、如月と副社長が善人というのもどこかありきたりだし・・確かに、会長の事故と英一社長の事故の関連も疑えばそうだろうが・・・何だか都合のいい話だし・・・第一、あの如月があまりに欠点が無いというのもね・・・。」
「ええ・・私も・・・最初に如月さんに会った時の印象はあまりいいものじゃなかったわ。どちらかというと私達を見下してるような・・・蛇みたいな印象だったし・・・。」
「君もそう思うんだね・・・。」
「ええ。」
純一とミホは、ソファで身を寄せた格好で、外の風景をぼんやり眺めた。


2-22 役員会 [スパイラル第2部遺言]

2-22 役員会
役員会当日を迎えた。海が荒れていて、少し、出迎えに手間取った事もあって、開始は午後になってからだった。如月と伊藤は、自前の船でやってきていた。
如月、敬二郎、里美、敬子、伊藤守彦の5人は、邸宅のリビングに置かれた大きな丸テーブルに腰掛けて、純一たちが現れるのを待っていた。
秘書と洋一は秘書室で成り行きを見守っていた。
ラボから二人が現れると、敬二郎が立ち上がって言った。
「さあ・・とっとと始めましょう。」
何か、少し投げやりな言い方で役員会の開催を催促した。
明るい日差しの差し込む窓を背に、純一とミホは座った。
「では、役員会を始めましょう。私が出した宿題は準備されていますか?」
純一は少し勿体つけるような言い方で皆を見た。敬二郎や里美は、如月にサインを送った。如月が大きく息を吐き出してから徐に立ち上がり、資料を取り出した。
「私から提案させていただきます。・・・一応、常務に依頼された事も先にお伝えしておきます。」
敬二郎は、チッと口を鳴らして苦虫を潰したような表情を浮かべた。
「社長はこれまで会社経営のご経験はないと伺っております。それでは、我が上総CS全体の経営を背負われるのは多大な負担になると考えました。そこで、各事業部を独立させてはどうかという提案です。」
大型モニターに会社の分割モデルと現況の経営と将来損益などが表示された。
「私の案は、コンピューティング部門と資産管理部門などを本社機能に残し、他の部門を切り分ける者です。マリン事業部を上総マリーンへ、そして、文化事業部を上総アカデミーへ切り離します。アミューズメント事業部は資産価値が大きいので現状のまま、独立採算制を取り入れます。」
非常に判りやすいデータ表示で、上総CSの事業損益も大幅に改善する事になっている。
「それで?」
純一が促した。
「その上で、小林社長は上総グループの総帥会長に就任いただき、それぞれの会社に社長を置きます。上総マリーンは伊藤部長が社長に、そして上総アカデミーは常務と奥様に社長と副社長をお願いします。本社は山下副社長が社長に、私は資産管理や知的財産権保全のための新会社を設立して社長となります。小林社長は総帥会長として、各社の社長へ指示を出すという仕組みでいかがでしょうか?」
「なるほど・・それぞれが自由にやれるようにという事ですか・・・。」
純一は少し皮肉った言い方をした。
「いえ・・小林社長のご負担を減らすためですし、今まで以上に役員の責任は重くなります。これなら、赤字になればそれぞれが責任を負う事になりますから、、上総CS本体への影響を最小限に留める事が出来ます。」
敬二郎や里美は今ひとつ理解できないような表情を浮かべていた。
純一は、耳に小さなイヤホンを入れていた。秘書室からミカやミサの意見も聞けるようにしていたのだった。
秘書室のミカがマイクに向かって一言言った。純一は小さく頷いた。
「しかし、分割するといっても経営権まで譲渡するということになるのですか?」
如月は、すでに織り込み済みという表情を浮かべて答えた。
「いえ・・・これだけの事業を譲渡するというのは無理です。資産価値も大きいですから。」
「では、結局、今のままと同じではありませんか?」
「いえ、ここからが本提案です。さきほどの分社においては、経営権の譲渡は出来ません。ですから、それぞれの事業への増資を社長に就任されるからに行なっていただき、共同経営者となっていただきます。」
それを聞いて、敬二郎が慌てた。
「増資?」
「ええ・・・そうですね。文化事業部の場合、一昨年建設したホールも資産価値に入りますから、ざっと3億円程度が相場でしょう。」
「3億円?そんな無茶な・・・何処にそれだけの金があるんだ!話にならん!」
顔を真っ赤にして怒って言った。
「そうですか?・・・今お住まいの邸宅はざっと3億円ほどの資産価値があります。あれを抵当に入れて金融機関から借り入れされれば都合つくでしょう。・・・もともと、あの邸宅は会長の所有だったんです。いつの間にか登記移転され、常務が所有されているようですが・・・。」
如月は、冷たい表情で言った。
「何だ!その言い方は!まるで俺があの屋敷を盗んだみたいな言い方をしよって!」
「違いますか?」
如月の表情は全く変わらなかった。
「ふん、話にならん。」
怒ったまま、敬二郎は椅子に座った。

「あの・・・マリン事業部はいかほどになるんでしょうか?」
伊東守彦が弱弱しい声で訊いた。
「マリン事業部は、販売のみの事業に集約し、マリーナや整備場などはそのまま上総CS所有にします。販売事業のみですから・・そうですね・・・3千万円程度の出資で賄えるでしょう。まあ、貴方の年棒3年分程度を納めてもらえれば結構です。」
「三千万円?!ですか・・。」
「しかし、その前に、貴方はやるべきことがあります。」
如月の目が再び蛇の目のように詰めたい表情に変わった。
「やるべき事?」
すぐにわからないような表情を浮かべている伊藤部長に、如月は、モニター画面に、伊東と佐橋麗子とのツーショットを大写しにした。
「彼女の名は佐玲子。マリン事業部の経理担当ですね。」
伊藤部長の顔から血の気が引いていくのが傍目にも判った。
「彼女はマリン事業部に入ってから、不正経理を繰り返しています。・・私の調査では総額で5千万程度が着服されていると見ています。・・・そして、貴方は彼女と深い関係にある。貴方はまず、彼女を始末して着服金を戻してもらう事になります。その上で、マリン事業部を手に入れるということです。」
如月の報告に、妻である敬子は表情を崩さなかった。すでに如月から聞いていたのだろう。夫の浮気と横領の二つの罪を聞き、すでに敬子は夫守彦に愛想をつかせていたのだ。
「離婚届は用意してきましたから。あとで判子を押してちょうだい!もう貴方とは縁を切るわ。私の財産なんてあてにしないでね・」
ほくそ笑んで、敬子は守彦の前に離婚届を投げつけた。

2-23 常務と伊藤 [スパイラル第2部遺言]

2-23 常務と伊藤
純一は目の前で鮮やかに仕切っている如月に恐怖を抱いた。そして、やはり、昨日感じた如月の情報には大きな誤りがあると確信していた。
全てを暴かれた格好となった伊藤部長は、憔悴しきった表情で、敬二郎を見た。その目は敬二郎に助けを求めているようだった。しかし、敬二郎は視線を合わそうとしなかった。娘を裏切った事への怒りではなかった。何しろ、佐橋玲子は敬二郎自身が先に手をつけた女だったからだ。伊藤を庇う事は、自分へも飛び火する事を承知していた。だからこそ、伊藤がどれほど痛めつけられても手を出す事など出来なかったのだった。
その様子を悟ったかのように、伊藤部長は立ち上がって、敬二郎を睨んだ。そして顔を紅潮させて言った。
「常務!私を見捨てるつもりですね!」
「何を言い出すんだ・・・身から出た錆だろうが・・・こればかりは・・。」
敬二郎はうろたえながら答えた。その曖昧な態度が伊藤に火をつけた。
「わかりました!良いです。貴方がそのつもりなら・・・あの秘密をここで打ち明けましょう。すべてを白日の下に晒せばいいんだ!」
「何?何を言い出すんだ?・・秘密?何のことだ!」
「とぼけても無駄です。どうせ、私にはもう何も無いんだ。」
伊藤はそう言うと、如月を睨みつけたあと、純一の脇へ膝を付いて見上げながら言った。
「社長!社長は、上総会長の事故の事はご存知でしょうか?」
「ああ・・大方聞いています。進水式の直後に爆発事故を起こしたんでしょう。」
「そうです。不幸にも会長ご夫妻は命を落とされた・・・。あれは事故なんかじゃないんです!あれは・・常務が仕組んだものなんです。」
伊藤の突然の告白に、一同は大いに驚いた。秘書室に居るミサやミカ、洋一は事故の核心が暴かれるとあってじっと固唾を呑んで見守っている。
「馬鹿な・・何の証拠があって・・・あれは事故だ、設計上のミスだったと警察でも結論が出てる。」
敬二郎は額の汗を拭いながら否定した。
「私はあの事故の前日、常務が新造船のドックから何かをもって出てこられたのを見たんです。常務は私に気づいて、口止めをされました。悪いようにはしない、いずれ役員にしてやるから見たことは黙っておけと言われた。あれは、船に細工をした後だったんです。事故の細工を常務がしたのを見たんです。」
「俺がどんな細工をしたというんだ!・・世迷言だ、何の証拠がある!馬鹿馬鹿しい。」
敬二郎はそう言うと椅子にふんぞり返って座った。
「私も上総会長の事故には関心があります。英一社長の事故とも何か関係があるのじゃないかと考えています。常務、正直に答えてください。さもないと、警察に引き渡して事の詳細を今一度調べてもらうことにもなりますよ。」
純一の言葉に常務は観念した表情を浮かべた。しかし、敬二郎には一つの計算があった。拒否すれば、伊藤がまた別のこと、そう佐橋玲子のことを蒸し返すのではないかと考えたのだった。
「判った。全て話そう。」
そう言って、敬二郎は椅子に座りなおした。
「事故の前の日、俺は兄に呼び出されたんだ。ドックの中では、兄が完成したクルーザーを自慢げに説明した。俺はあのプロジェクトには参加していなかったから、船の中に入るのは初めてだった。エンジンルームまで説明して如何にこの船が時代に先駆けているかを饒舌に話したよ。しかし、兄の目的はそんな事じゃなかった。ひとしきり説明したあと、兄は俺に向かって怒った。社運をかけて皆が一致団結して、資金繰りをしている時、お前は何をしていたんだってね。そうさ、おれは、マリン事業部の部長だった。だが、あの船が完成することはちっとも嬉しくなかった。だから、・・・。」
そこまで言って、常務の顔色が変わった。
「だから・・俺は、事業部の金をちょっと使った。いや、投資話に流用させてもらったんだ。バブルの最盛期だぞ!一晩で金が倍に増える話なんてごろごろあった。プロジェクトで皆が大騒ぎしている間、それに加われずにいる俺の気持ちがわかるか!資金を増やす事も何か役に立てるんじゃ無いかって・・しかし、いい話ばかりじゃなかった。結局、いくらか損金を出した。それを兄は怒った。」
「それで・・船に細工を?」
如月が一言言った。
「馬鹿な!俺にもマリン事業部長の誇りはある。あの船は良くできた船だ。そんな細工しない。兄は転がっていたスパナを拾い上げて、俺を殴ろうとした。あんなに逆上した兄を見たのは初めてだった。だが、兄は俺を殴れなかった。そのまま、落胆した表情で帰っていったよ。俺は、スパナを拾い、工具室に戻しに行ったところで、伊藤に見られた。伊藤は俺が会社の金を流用した事を聞いていたんだと思った。だから口止めしただけだ。」
「本当ですか?」
純一が訊いた。
「何一つ嘘は無い。俺だって船は好きだ。あれだけの船を壊そうなど思いもしない。・・それに、兄を殺すなどできるはずも無い。兄のお陰で、こうして暮らしていられるんだ。これは本当の事だ!」
敬二郎の目には曇りは無かった。長年秘密していた事を吐露したことは真実だと純一は直感した。
「いや・・違うでしょう。貴方が細工をしたんだ。そうに決まっている。貴方が、燃料タンクに貴方が傷をつけたんでしょう!」
如月が妙に興奮して口走った。
「馬鹿な、俺は真実を言った。嘘など無い!」
敬二郎は如月の言葉に声を荒げて答えた。

「良いでしょう。わかりました。この件はまた後日お伺いしましょう。」
純一は急に話を終えるように切りだした。
「さて・・・如月さんの提案はどうしましょうか。伊藤部長はもはや退任いただく以外になさそうですが、常務はどうしますか?奥様と相談し資金を作りますか?」
敬二郎は答えに窮した。
邸宅を抵当に入れて3億円を工面するなどできるはずは無かった。すでに邸宅は海外への投資の資金のために抵当に入れていたのだった。
「まあ、急ぐ事も無いでしょう。じっくり検討して下さい。・・何か別の提案があれば伺いますから。」
敬二郎と里美は、少し猶予されたとしても事態が好転する考えなどなく、苦虫をつぶした様な顔をして溜息をついた。
「そう言えば、如月さん。貴方の提案では、アミューズメント事業のところがよくわからなかったのですが・・・独立採算制とするなら、事業部自体は不要となりますが?」
「資産価値が大きすぎて、切り離しは無理です。本来なら現状維持が望ましいところです。」
「アミューズメント事業部長は解任すべきではないのですか?」

2-24 役員の処遇 [スパイラル第2部遺言]

2-24 役員の処遇
「私は辞めないわよ!」
敬子は怒りを露にして言い放った。
「では、今のままで?」
「ええ・・・私は何もしていないわ。ちゃんと取締役のお仕事をしているもの。」
「如月さん、どうですか?」
純一は如月に改めて訊いた。如月はどう答えたものかと悩んでいる風だった。
すると、モニター画面にスケジュール表が映し出された。秘書室に居るミサがやったことだった。
「これは誰のスケジュールかわかりますか?」
ほぼ一か月分、週に二度のペースで乗馬クラブとゴルフ場と記載されていた。敬子のスケジュールだった。
「ほぼ毎日のように、乗馬クラブとゴルフ場に顔を出されていますね、敬子さん。」
「・・え・・ええ・・・それは、取締役ですから、行かないといけませんから・・。」
「ええ、しかしこれは、乗馬とゴルフを愉しまれている時間なのですよ。役員としてでもなく、客としてでもなく・・ただ、自分が愉しむために行っている。・・・無銭飲食と同じではありませんか?」
そう言われて、敬子は顔を真っ赤にして怒った。
「良いじゃない!役員なんだから、それぐらい許されるでしょう!」
「まあ、お金の問題は置いておきましょう。ただ、この時間帯に、他の客を入れるなという指示をされていますね。支配人は苦慮しているそうです。他のお得意様から苦情も出ているとか・・・。これでは営業妨害も甚だしいとは思いませんか?」
敬子は、純一がこれほど調べていたとは予想もしていなかった。そして、返す言葉を失い、如月を見た。如月は敬子を視線を感じて、何とか助け舟を出そうとした。
「まあ・・・確かに、営業妨害になっているようですね。今後は、通常の客と同様にきちんと料金も払っていくように改めればいいじゃないですか。」
純一は如月の言葉を意外に受け止めた。
「おや、如月さんは敬子さんには寛大なんですね。・・・これだって充分、役員としては背任行為に当たると思うんですが・・。」
純一は、耳のイヤホンから適宜発せられるミサの言葉を口にした。
「ええ・・確かに背任行為と指摘されれば、認めざるを得ませんね。」
「では、敬子さんは事業部長取締役を解任するという事で異存はありませんか?」
如月は法律家でもある。役員の背任行為を認めた以上、解任される事に異議を唱える理屈を持ち合わせていなかった。
「仕方ないでしょうね。」
その言葉に、敬子は如月の胸座をつかんで泣き喚いた。
「酷い人!あれだけ約束したじゃない、私だけは守ってくれるって!どうして!どうして!」
その所業は、役員解任を嘆いているのではない事くらい、皆の目には明らかだった。
「敬子!お前、如月とできてたってのか!」
部屋の隅で憔悴しきっていたと思われた伊藤部長が、立ち上がって大声を出した。
「如月!てめえ!自分のことを棚に上げて、皆の罪をあぶりだして、どういう了見なんだ!」
今度は、敬二郎が食って掛かった。伊藤と敬二郎、そして、如月がもつれ合うように床に転がる。もはや、ここには正義とか道徳とかそういう言葉は無かった。
「役員会はこれにて終了ですね。」
純一とミホは、罵声を浴びせあう役員達をリビングに残し、ラボへ消えて言った。
秘書たちも、もはや見ていられないほどの修羅場となったリビングのマイクを切り、照明を落とし、自分の部屋へ戻って行った。

「あ~あ・・がっかりね。」
秘書室の隣のプライベートルームには、ミカとミサ、そして洋一がいた。ミサは如月の失態を見て落胆していた。ミカも同様だった。
「これだから、男は信用できないのよね。」
ミカはちらりと洋一を見て言った。
「・・男と一括りにして欲しくないなあ・・・。」
「まあ、洋一さんは別よ。」
ミカの少し甘えた声に、ミサが苛立つような言い方で言った。
「ねえ、いちゃいちゃしたいなら、船へ行けば!」

ラボに戻った純一はモニターを立ち上げ、リビングの様子を見ることにした。
ミホは先ほどの修羅場に呆れてしまって、天井を見上げてぼんやりしていた。
モニター画面には、ようやく鎮まった様子が見えた。皆、別々の方向を向いて椅子に座っている。
「さあ・・どうするつもりだろうか・・・。」
「何だか悪趣味ね・・・。」

リビングを映し出した画面から、敬二郎がゆっくりと立ち上がる様子が見えた。続いて、里美も立ち上がり、玄関のほうへ出て行った。画面を切り替えると、ゲストハウスに向かうようだった。続いて、如月がすっくと立ち上がり、乱れた洋服を直すと、敬子のほうを見ることも無く、足早に部屋を出て自分のゲストハウスに向かったようだった。
敬子と守彦が部屋に残った。
守彦は、床に落ちていた離婚届を拾い上げるとアタッシュケースを開け、中からペンと印鑑を取り出し、無言のまま、さっさと署名をした。そして、敬子の顔に投げつけ、ふらりとリビングを出た。ゲストハウスには向わず、船着場へ向っているようだった。
敬子は、目の前に投げつけられた離婚届をくしゃくしゃと丸めるとぽろぽろと泣き崩れたのだった。

「これで一件落着?」
ミホは少し心配げな表情で純一に訊いた。
「いや・・何も終わっていないさ。・・・ほんの少し、判っただけ。」
「何がわかったの?」
「会長の事故はやはり仕組まれたものだったってことさ。」
「でも・・常務さんは否定してたでしょ?」
「ああ、でも会長は殺されたんだ。それも最も信頼を寄せていた人物に・・・今日、わかったのはこれだけさ。しかし、動機がわからないんだ。何故、会長を殺さなければならなかったんだろう・・・。」
「え?一体誰が?」
純一はミホの耳元で小さく一人の名を挙げた。
ミホは驚いて純一の顔を見た。

2-25 メビウスの不調 [スパイラル第2部遺言]

2-25 メビウスの不調
「洋一さん、まだそこに居ますか?」
純一はラボで言った。洋一はミカのプライベートルームに居たが、イヤホンに純一の声が飛び込んできて慌てて、秘書室に行き、返事をした。
「はい。何でしょうか?」
「訊きたい事があるんだけど・・・リビングにはまだ敬子さんは居るかい?」
「いえ・・・先ほど出て行かれました。」

純一はミホとともに、再びリビングに戻り、洋一やミカ、ミサを集めた。
「君たちも先ほどの顛末は見ていたでしょう?・・・一つバランスが崩れると、あんな結末になるんですね・・・いや、そんな事より、洋一さん、会長の事故を調べた結果を誰かに話しましたか?」
洋一は驚いた表情で、純一の質問を聞いた。そして少し考えてから答えた。
「はい、調べた結果は警察へ行き、何度か説明しました。」
「役員の誰かに話しましたか?」
「いえ・・どなたにも話していません。」
「そうですか・・・では、会長の事故を仕組んだ犯人は、如月さんで決まりでしょう。」
純一の確信を持った言葉に、洋一、ミカ、ミサが驚いた。
「どうしてですか?あれだけ会長を慕っておられた如月さんが・・・・?」
ミカが言うと、純一は、ミサに先ほどのリビングの映像を開くように指示した。

大型モニターに早送りで映像が流れる。
「ここです。」
純一が映像を止めたところは、敬二郎が事故前日の話を始めたところだった。
「いいですか、このあとです。」
皆が画面に見入った。
『いや・・違うでしょう。貴方が細工をしたんだ。そうに決まっている。貴方が、燃料タンクに貴方が傷をつけたんでしょう!』
興奮した如月が発した言葉だった。
洋一はすぐに純一の言っていることがわかった。
「これは・・・。」
「そうです。如月さんは燃料タンクと口走っています。事故の原因が設計ミスとされているのに、彼ははっきりと燃料タンクに傷をつけたと言いました。これは、やった本人しか判らない事です。」
ミホが改めて純一に聞いた。
「でも、何故、如月さんが?プロジェクトのメンバーで、英一社長と苦労をともにしてきたんでしょう?会長を慕う気持ちも人一倍強かったって・・・。」
「ああ・・それが判らない・・・彼には動機が無いようなんだが・・・。」
「本人に問い詰めたらどうでしょうか?」
洋一が言うと、ミカも同調した。しかし、純一は首を横に振った。
「いや・・彼は頭が良い。・・いろんな理由をつけて言い逃れをするだろう。もっと証拠を集めなければ駄目だろう。・・・事故の前の日、如月の行動を調べる事と、動機は何かを掴まなければ・・・。」
「調べてみます。
ミカが言うと、ミサも洋一も同意した。
純一はミホとともにラボに戻ると、メビウスを起動した。
「役員会を開き、如月さんや常務、里美さん、敬子さん、そして伊藤部長は全て解任することになりそうです。」
「そうか・・・上総CSに巣食うダニが排除されたというわけか・・・よくやった。」
「しかし、まだ、あなたを死に追いやった人物は判っていません。それどころか、会長の事故が作為的に起されたのだと判りました。そちらのほうは犯人をほぼ特定できましたが・・・。」
「もう良い。そんな事は大したことではない。」
メビウスの意外な答えに純一は違和感を覚えた。
「しかし・・・あなたの最初の望みだったはずです。・・いや、私も、英一社長の死には疑問がある。それを解明しない限り、ここへ呼ばれた意味がわからなくなる。」
「いや・・良いのだ。・・それより、早く、私の欠陥の修復を急いでくれ。私が常に起動される状態になれば、全てうまくいく。それからでも、犯人探しは遅くない。」
メビウスは焦っているような口調だった。
「急ぐ理由があるのですか?」
メビウスは突然画面を落として沈黙した。そして暫くすると再び画面が光り現れた。
「今のは一体?」
「不具合が生じてきている。短時間の起動を繰り返したために・・少しずつ・・・エラー・・が・・増えて・・・きて・・いるようだ。」
「電源や排熱システムだけじゃなさそうですね。・・一体、あなたの本体はどこにあるんです。先日の設計図は、この丸い部分だけのものです。・・画像処理や音声システムはありましたが、記憶中枢本体が見当たらないんです。」
「それは・・・この真下にある。・・・」
メビウスはそういうと、画面の左側に映像を映し出した。
そこは、四角い部屋のようだった。真ん中に1メートルほどの透明の水槽のような容器が置かれていて、その真ん中に、30センチほどのオレンジ色にぼんやりと光る球体があった。球体の下からはたくさんの繊維が伸びていて。水槽のような容器の底に繋がっていた。
「これがメビウスの本体なのですか・・・。」
「そうだ。これこそ、私が開発したメビウス。人間の脳の構造を特殊なグラスファイバーと電解物質で作り出したのだ。ここに私の全てがある。」
画面を見ているうちに、オレンジの球体が徐々に赤い光を強め始めた。そして、小さく振動し始めた。画面の端には温度を示した数値が見える。徐々にその数値は高くなっている。
「そろそろ限界のようだ・・・。」
「一つ聞かせてください。如月さんは会長に恨みを抱いていた事はありませんか?」
「いや・・あいつは会長を父のように慕っていた・・・むしろ、私には敵対心のようなものを見せたこととはあるが・・・。」
そういうと、メビウスの中に警告音が響いて、シャットダウンした。徐々に起動できる時間が短くなっているようだった。

2-26 メビウス本体 [スパイラル第2部遺言]

2-26 メビウス本体

メビウスのカバーを開いて、中から純一が出てきた。
「だめだ・・・メビウスの修理をしなければ・・・。」
純一は、メビウスの本体が収めされている地下室の入口を探した。球体の周囲には、それらしきところは無かった。
「どうしたんですか?」
ミホが純一に訊いた。
「いや・・・このラボの地下にメビウスの本体が格納されているんだ。・・・全ての核心はメビウスの中にあるようなんだ。・・しかし、欠陥がある。修理しないといけないんだ。だが・・入口がわからない。」
「お手伝いします。」
純一とミホはラボの床を丹念に見て回った。しかし、それらしき場所はない。
「何かヒントでもあれば・・・。」
ミホが呟いた。純一ははっと思いついた。
「今、メビウス本体は熱を持っている・・・きっと、通路があれば床も暖かくなっているはずだ・・。」
それを聞いて、ミホはすぐに履物を脱ぎ、裸足で床を歩いた。純一もミホに倣って歩いた。
「ここ・・少し温かい・・きっとこのあたり・・・。」
ミホは床に這いつくばった。綺麗にフローリングされた床の一部が確かに温かい。手のひらで、段差や隙間が無いかを探った。すると、1メートル四方の形で僅かに板の切れ目のある場所を探り当てることができた。純一は、床を剥がす道具を探したが、隙間がほとんどない。
「何か開けるためのスイッチがあるはずだが・・・。」
「コントローラーは?」
ミホがソファに転がっていたコントローラーを純一に手渡す。コントローラーの画面にはそれらしき表示はなく、メビウスのマークを押してみても変化は起きない。純一はメビウスが提示した設計図を開いてみた。球体の後部、一箇所だけ黒く塗られた場所があった。
「きっとここだ。」
すぐに球体の後ろに回って、その辺りを探ると、四角い窪みがあった。
「ミホ、コントローラーを持ってきてくれ!」
純一はコントローラーをその窪みに当てた。ぴったりと収まり、コントローラーの画面がブルーに変化した。そして、画面にそっと手を当てる。すると、先ほどの床がゆっくりと沈み込んだ。
1メートルほどの穴が開き、地下に降りられる階段が現れた。
二人はゆっくりと階段を下りていった。階段を30段ほど下りただろうか、目の前にぽっかりと大きな部屋が広がっていた。そしてその中央に、水槽のようなガラスケースが置かれ、その中に淡いオレンジの光を放ったメビウス本体があった。本体の下部からは太いグラスファイバーが伸びていた。
部屋の中は、メビウス本体が発した熱のせいでかなり蒸し暑かった。換気もされていないのか、アンモニアのような臭気も立ち込めている。
純一に続いて、部屋に降り立ったミホは、臭気と熱気で気分が悪くなり、「ううっ」と呻いてその場に座り込んだ。
その瞬間、ミホの脳裏に何か閃光の様なものが走り、幻惑のような景色が目に映った。

『いかん、すぐに停止だ!』
白衣を着た男が目の前で叫んでいる。周囲には、蒸気が立ちこめている。
『ミホ、スイッチを切ってくれ』
そう言って振り返った男の顔は、英一社長だった。

「ミホ、大丈夫か?」
ミホが座り込んだのに気付いた純一が近づき声を掛けた。
「済みません・・・大丈夫です・・・。」
「上に上がって待っていた方がいい。・・僕は暫く、ここで装置の構造を調べるから・・こいつを冷却することができれば・・・。」
ミホは先ほど目の前に浮かんだ幻影が気掛かりではあったが、純一の言うとおり、部屋から出る事にした。
「気をつけてね・・・。」

純一は、水槽のような容器の周囲をじっくりと見て回った。
「きっとこの中に冷却水を入れる設計なんだろうな・・・。」
天井を見上げると、幾つかのパイプが伸びている。パイプを辿っていくと、部屋の隅にバルブがあった。
「これを回せば、冷却水が流れ込むという仕掛けのようだな・・・。」
純一はバルブに手を掛けた。パイプの中を何かが流れる音がし始め、水槽の中には徐々にブルーの液体が溜まり始めた。その様子を見つめながら純一の心の中に疑問が湧き始めた。
「・・変だぞ・・・ここまで冷却する為の装置が出来ているのに、何故、冷却されていないんだ?・・上手く作動しなかったという事か?それとも別の理由でもあるのか・・・。」
純一は、徐々に冷却液が満たされていく様子を見ながら、考えた。
電力の問題もすぐに解決できた。更に冷却する装置も完成している。ならば、メビウス本体も正常に作動できる条件は揃っている。ここまで開発できた英一社長が、敢えてそうしなかった理由はなにか、どうにも純一には理解できなかった。それに、メビウスの中に本当に英一の記憶が埋め込まれているのならば、すぐにその事を伝えてくれてもおかしくない。

メビウスが映し出す英一は本当に英一社長なのか。これまで抱いてきた疑問が更に大きくなった。
「もう少し・・英一社長が亡くなった真相を調べた方が良さそうだ・・・。」
純一は、半分ほど冷却液が溜まった状態で、バルブを締めた。そして、階段を上ってラボへ戻った。

ラボに戻ると、ミホがソファーで横になっていた。
地下室の臭気と熱気で随分気分を悪くしたのだろう。純一がそっとミホに近づくと、ミホがゆっくりと目を開けた。
「気分はどうだい?暫く休んでいた方がいい。リビングに戻ろうか?」
「・・ええ・・でも・・・地下室の作業は良いんですか?」
「ああ・・・。だが、その前にやはり、英一社長の死の真相を突き止めるべきだと思ったんだ。何か、メビウスには重大な事が隠されているように感じたんだ。」
二人は、リビングに戻ることにした。

2-27 推理 [スパイラル第2部遺言]

2-27 推理
純一はリビングに戻ると、ミカに役員をもう一度集めるように指示した。
「伊藤部長と如月さんは、もう島を出られた様ですが、他の方は今、夕食を取られています。」
「そうか・・それなら都合がいい。夕食後に集まってもらうように伝えてください。」
伊藤部長と如月は、それぞれ自前の船を持っていた。伊藤部長は、社有の船を使っているのだが、如月は自己所有だった。英一社長からの呼び出しですぐにかけつける事ができるようにと数年前に購入したものらしかった。

敬二郎、里美、敬子は、夕食を終え、ゲストハウスからリビングにやって来た。皆、憮然とした表情で、思い思いに部屋のソファーや椅子に座った。
役員から罷免され、何を今更という表情をして、敬二郎が誰に訊くとも無く、言った。
「一体、何が始まるんだ?・・・・」
純一は立ち上がって皆に言った。
「如月さんの提案はありましたが、当の如月さんにも問題があり、一旦保留する事にします。・・・すべてを明らかにした後で、皆さんの処遇を決めようと思います。」
それを聞いて、里美が訊いた。
「全てを明らかにするって・・一体、何を調べようと・・・。」
「先ほど、会長の事故が作為的に起されたもの・・いや、殺人事件の疑いも出ています。それに、英一社長も、自殺とは考えにくい。この二つの事件を解明しないと、上総CSの未来もないと思うのです。・・・そこで、皆さんから知っていることを話していただきたいのです。」
「会長も社長も、役員の誰かに殺されたっていうの?」
里美はヒステリックな声を出した。
「ええ・・それをはっきりさせたいんです。」
「まさか、私たちを疑っているの?」
更にヒステリックに言うと、純一が少し低い声で答えた。
「いや・・ここに居られる三人は関係ないと考えています。・・先ほどの話からも、皆さんには、会長や社長を殺す動機がない。いや、二人がいるからこそ、上総CSに居られると考えておられるはず。・・仮に、上総CSの財産を狙っていると考えてみても、社長を殺すまでのリスクを犯す必要はない。それより、役員として自由気ままに上総の利益を使えるほうが気楽ですから・・・。」
純一はちらりと敬子を見た。敬子は罰の悪そうな顔をしていた。
「となると・・・如月、伊藤、山下副社長と言う事になるが?」
敬二郎は純一の考えに納得したのか、冷静に純一に尋ねた。
「ええ・・その三人ですが・・・伊藤さんも除外されるでしょう。・・・マリン事業部の経理不正など、そんな事をしてもっと大きな秘密が暴かれる事のほうが怖いはず。おそらく無関係でしょう。」
「となると・・・如月か山下か・・・だが・・・山下には無理だな。あの身体じゃ、社長を殺す事など出来ない。それに、会長の事故では自分も命の危険があったんだ。自ら仕掛けたなら身を守る術ももっていたはずだし・・・となると、如月しかいないが・・・。」
「ええ、如月さんはきっと重要な役周りを演じておられるはずです。」
純一の答えに、敬二郎は少し疑問を持った。
「奴だけじゃないということか?」
「ええ・・・山下副社長と如月さんの共犯と言う事も考えられませんか?」
そこまで聞いていた敬子が小さな声で口を挟んだ。
「それは・・どうでしょう・・・・。山下副社長と如月さんは、いつも対立していました。・・・乗馬クラブの買収の時も、如月さんが積極的に動くのを山下さんは妨害するようなことばかりされましたし・・・そう、以前に、裁判の和解交渉で・・違約金の支払があった時も、山下さんが最後まで抵抗されて・・。」
それを聞いていた里美も言った。
「あの二人は事あるごとにぶつかっていたわね・・・。ほとんど意地の張り合いみたいな事もあったし・・・同じような境遇で上総会長に拾われたのに・・・確か、あの二人は同期入社だったんでしょ?」
里美の言葉に、秘書のミカが手元の資料を見ながら付け加えた。
「ええ・・・わかっている範囲ですが・・・同期入社のようです。それに、どちらも幼少のころに良心をなくされていたようですね。」
前に報告した時には個人データにアクセスできなかったのを、別の方法でミカが調べたものだった。
「では・・共犯ではなく、如月さんの単独の犯行ということでしょうか?」
純一が言うと、敬二郎が言った。
「いや・・如月には、そもそも動機がないだろう。あいつだって、会長には可愛がられていたし、社長からも信頼されていた。社長を殺しても何のメリットもない。相続権さえもないんだからな。・・仮に、あんたが・・・いや、小林社長が見つからなかった場合、私が相続することになる訳だからな・・俺が相続したなら、あいつを真っ先に追い出している!」
「じゃあ、一体誰なの?」
里美が敬二郎に訊いた。
「そんな簡単にわかるわけないだろうが!・・・・外部の者ということも・・・そうか・・山下が誰かに頼んでという線もあるか・・・。」
推理小説の犯人探しの議論の様相を呈していた。

「会長の事故は、確かに誰かに仕組まれたのは間違いありません。それは、洋一さんが突き止めました。燃料タンクに傷を入れた人物がいるんです。」
純一が言うと、傍で聞いていた洋一が強く頷く。すると、敬二郎がピンと来たようだった。
「そう言えば・・如月がさっき口走っていたな。・・やっぱり、あいつが会長の事故を仕組んだのか?」
「たぶん、そうでしょう。犯人しか知らないことでしょうから・・・。」
純一は少し残念そうな表情を浮かべて答えた。
「だが・・あいつもプロジェクトのメンバーだったんだぞ。・・・何故、そんな事故を起す必要があるんだ?」
「ええ・・そこが判らないんです。・・何か思い当たることはありませんか?・・・そのプロジェクトの中で何かトラブルがあったとか・・・船を完成させたくない理由があるとか・・・。」
「いや・・それはどうかな・・・当時、若手ばかりで徹夜も辞さない覚悟で、皆熱心だった。羨ましかったよ。英一社長を中心に、いきいきと開発を進めている連中を見るたびに、メンバーに入れなかった事を恨んだくらいだ。如月は、特に生き生きしていた。・・設計とか資金面でのトラブルはあっただろうが・・・船を壊してしまうような事故を仕組む理由など無かったはずだぞ。」
敬二郎は妙に熱心に推理をした。
「そこが判らないと・・如月さんを追及する術もないんです。」
「ああ・・あいつは利口だからな・・・何とでも言い訳をするだろう・・困ったな・・・。」

2‐28 究明 [スパイラル第2部遺言]

2-28 究明
「事故当時の様子をもう少し思い出してください。きっと何かヒントになる事があるはずです。」
純一がリビングにいる皆に問いかける。
「大事なのは・・・事故の前日よね・・・。あの日は、進水式パーティの会場にいたわ・・。」
里美が、少しずつ思い出しながら、当日の様子を話し出した。


10年前、事故前日のマリーナでは、社運をかけた大型クルーザーのお披露目も兼ねた盛大なパーティの準備が始まっていた。里美は、知り合いのフラワーアレンジメントの先生に依頼して、会場内の飾りつけに熱心に動いていた。
「準備は進んでいるか?」
午後一番に、上総会長が会場に現れた。会場準備は、当時マリン事業部長だった敬二郎に任されていた。
「招待客の名簿は?」
会長が敬二郎に言うと、脇にいた伊藤が差し出した。会長がざっと目を通してから
「如月、お前がチェックしろ。抜かりがあってはならん。」
会長の後ろを秘書のごとくくっついている如月に名簿が渡された。
「料理は?・・・手土産は?・・・案内役のコンパニオンは?」
会長から矢継ぎ早に浴びせられる質問に、敬二郎と伊藤が慌てて答える。ひとしきり、会長のチェックが入ったところで、如月が、小さな声で会長に言った。
「招待客と手土産の数が合いません。すぐに不足を手配しないと・・・。」
それを聞いて、会長は、敬二郎と伊藤に怒鳴りつけるように言った。
「数勘定も出来ないのか!・・まったく、すぐに手配しろ!如月、お前が残って他にも抜けが無いか調べてくれ。頼んだぞ。」
会長はそう言うと、クルーザーが格納されているドックへ向かった。
如月はパーティ会場に残って、会長の質問を一つ一つ思い出しながら、準備状況のチェックを始めていた。

受付で、飾り付けの様子を見ていた里美のところへ、総務課の女性社員が慌てた様子でやって来た。
「あの・・山下さんの姿を見られませんでしたか?」
なんか女性社員は困惑した表情で里美に尋ねた。
「どうしたの?」
「・・・あの・・・三河銀行の八木頭取がお見えになったんです。山下さんに用事があるそうで・・・。」
「八木頭取って・・クルーザーの発注をされたんでしょ?・・何か問題かしら?」
「いえ・・クルーザーの件では無いそうなんです。とにかく、山下さんを探さなくちゃ・・・。」
きょろきょろと会場内を探していると、会場の下にあるドックから山下が現れた。
「ああ・・・山下さん、八木頭取が面会にいらしてるんですが・・・。」
女性社員が告げると、一瞬、山下の顔が曇った。
「判りました。・・今どちらに?」
と女性社員に聞くと同時に、自動ドアが開いて、八木頭取が現れた。
「おお・・ここに居たのか。・・・山下君、少しいいかな。」
八木頭取はそういうと、山下を外に連れ出した。八木頭取の後ろを歩く山下は何か憂鬱な表情だった。それを、ちょうど受付に現れた如月が見つけた。
「あれは・・八木頭取ですね・・・。」

八木頭取と山下は、会場の外階段の影で何か話しているようだった。ガラス張りになっている建物で、話し声は聞こえないが二人の様子は見えた。
八木頭取は、にこやかな表情で何度か山下の肩を叩き話している。山下は背を丸め、何度も何度も頭を下げている。時々、首を横に振っている様子にも見えた。
「何か・・トラブルかな?」
如月は独り言を呟いた。
そのうちに、八木頭取は、山下の耳元で何かを囁いたようだった。そして、くるりと背を向けてその場を立ち去った。山下はがっくりと肩を落としてしばらく動かなかった。
如月は山下の様子が気になって、すぐに、山下の下へ行った。
「どうした?さっきのは八木頭取だろう?・・クルーザーの件で何か問題でもあるのか?」
如月の問いかけに、山下は、
「いや・・・何でもない。大丈夫だ。・・クルーザーの件とは関係ない。」
そう言うと、ドックの方へ逃げるように走り去った。
「なんだい、変な奴だな・・・。」
如月は、すぐに会場に戻ってきた。
そこへ伊藤が血相を変えてやってきた。
「如月さん、手土産のグラスセットはまだ在庫はあるようです。でも、明日納品は無理だというんです。・・配送の手配が出来ないらしくて・・・。」
「じゃあ、取りに行けばいいでしょう。」
「しかし・・・今から出ても、明日朝までに戻れるかどうか・・・それに私はまだ会場の準備もありますし・・他の者も手が空いているのは居ないんです。」
伊藤はもはやパニックになっているようだった。
「判りました。じゃあ、僕が取りに行きましょう。・・・進水式までには間に合うでしょう。」
如月は決断が早い。すぐに、業者の住所を聞き、出発した。



「じゃあ・・・事故の前日には、如月さんは居なかったんですね。」
純一は、里美に確認するように聞いた。
「ええ、午後2時ごろだったかしら・・・。見送りましたから・・・。」
「戻ってきたのは?」
「翌日、進水式が始まる直前でした。新潟のメーカーだったから、ほとんど一睡もしていないくらいじゃないでしょうか?」
里美が言うと、敬二郎ががっかりしたように言った。
「おいおい・・じゃあ、あいつの姿が見えなかったのは、俺達の落ち度をカバーする為だったのか・・知らなかったなあ。・・・如月は事故の細工を出発前にやっていた・・・と言う事はなさそうだな・・・。」

2-29 強盗事件 [スパイラル第2部遺言]

2-29 強盗事件
「さっきの話し・・・八木頭取と山下さんの間には何かトラブルがあったんでしょうか?」
純一が訊くと、秘書のミカが答えた。
「もともと、クルーザーの話は、山下副社長が経理担当だった時に、八木頭取から持ち込まれたものでした。・・八木頭取が山下副社長の経理の仕事ぶりを感心されて、随分、気に入っておられたようです。山下副社長は会長からも評価をされて、受注後すぐに経理部長に昇進されました。・・トラブルがあったという記録は見当たりませんね。」
「しかし・・里美さんの話だと、何か深刻なことがあったようなんだけどな・・・。」
純一の言葉に続いて、里美も言った。
「あれは、どう見ても、八木頭取に山下さんが何か要求されたみたいだったわ。それが何かは判らないけど・・・。」
「八木頭取に娘さんとか居ないの?娘の幸せを考えて、将来有望な男に嫁がせようと・・・よくある話しじゃない。・・」
敬子が少し皮肉をこめて言った。
「いえ・・八木頭取はご長男が居られますが、すでに三河銀行の役員でした。・・それに、頭取の娘がいらっしゃるなら、山下さんこそ逆玉でしょうから、断る理由はないでしょう。」
ミカは冷静な声で妙に下世話な評価をしてみせた。
「副社長に訊けばいいじゃない・・。」
敬子が気楽な調子で言った。
「しかし・・・何らかのトラブルがあったとしても、それが事故と関係があるのかも判りませんし・・・それよりも、如月さんが何故、事故の原因を知っていたのかのほうが重要でしょう。誰かに聞いたのか、それともやはり事故に関係しているのか・・やはり、鍵を握っているのは如月さんのようです。」
純一は、やはり如月が何らかの形に会長の事故に関わっているのだと考えていた。
「では、明日にも如月さんを呼びましょうか?」
ミカが言うと、純一は少し考えてから、
「こちらから出向きましょう。本社の副社長にも会ってみたいですし・・・ずっとここに居てあれこれ考えているより、少し、会社の様子も見ておきたいんです。」
「では、明日、朝食後に船を出しましょう。」
洋一が答えた。
その夜のことだった。ラボから何か低い振動音のようなものがしばらくの間響いていた。

翌朝、食事を終え、一同がクルーザーに乗り込んだ。出航して暫くすると、島に留守番で残ったミサからミカの携帯に連絡が入った。
「マリン事業部で事件のようです。・・・強盗に入られて・・・伊藤部長が重傷との事です。」
ミカの報告に、一同がどよめいた。
「いい気味よ・・きっと・・私を裏切った罰だわ。」
敬子はそう言いながらも、表情は青ざめていた。
マリーナにクルーザーが着くと、すでにマリン事業部には数台のパトカーが止まって、建物の周囲に立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。
「すぐに様子を見てまいります。」
ミカはクルーザーが接岸すると、飛び降りて事業部へ向かった。そして、程なくして戻って来た。
「今朝方、強盗に入られたようです。金庫にあった百万円ほどの現金が盗られたようです。伊藤部長は、昨夜は事務所に泊まっておられた様で、おそらく物音に気付いて、強盗に襲われたのではないかとの事です。全身の打撲と刺し傷で意識不明のようです。」
ミカの報告に、敬子がワッと言って泣き崩れた。
敬二郎が一歩前に進み出て、純一に言った。
「ここは私の出番でしょう。新聞社がいろいろと調べ始め、横領の件や、英一社長の自殺の件、いろいろとおかしな話をでっち上げ誹謗中傷も出るはずです。会長の事故も改めて問いただす事もあるかもしれない。このままでは、上総CSは破綻する。何としても、そういうことにならないよう、丁寧に対応しなければなりせん。・・・任せてください。伊達に歳を重ねてきたわけではありません。地元の新聞社にも知り合いは多い。事を荒立てないよう始末をつけます。」
「わかりました。よろしくお願いします。・・・・里美さん、敬子さんをすぐに病院へ。さあ、すぐに。」
里美は敬子の肩を抱くようにして、港においていた自分の車に乗せ、すぐに病院へ向かった。
敬二郎は、すぐにマリン事業部へ向かった。社員の一人が敬二郎を見つけ、駆け寄ってきた。敬二郎は、その社員の方を叩き、任せておけというような態度を見せ、捜査員たちの下へ向かった。
純一とミホは一旦クルーザーへ戻った。
クルーザーに備え付けられていたテレビをつけると、地元のテレビ局が強盗事件の報道映像を流していた。事務所の周りには、カメラマンや記者が集まり、中の様子を伺っているようだった。テレビのアナウンサーは、映像を見ながら、強盗事件の顛末を端的に説明していた。
「こちらのモニターをご覧下さい。」
ミカががキャビンに居る純一にもう一つのモニターを見るように勧めた。事務所の中の映像だった。
「これは?」
「事務所の中の防犯カメラの映像をこちらに転送しました。強盗の入った時間には切られていたみたいですが・・・」
純一とミホは事務所内の映像を見た。たくさんの捜査員があちこちの写真を撮ったり、指紋採取や遺留品の捜索をしているようだった。
「金庫は部長の机の後ろ・・ああ・・これです。・・・・こじ開けた様子はありませんから・・伊藤部長が脅されて開けたのでしょう。・・・今日の支払い用に100万円程の現金はあったようですが・・・。」
防犯カメラは、手元の操作で動かせる。ゆっくりと事務所の様子を映し出していく。
「・・強盗にしては・・少し・・事務所の中が荒らされ過ぎているみたいですね・・・。」
ミホがポツリと言った。
「ああ・・・現金を盗るためだけなら、ここまで荒らす必要はなさそうだが・・・・」
画面には、書棚が一つ倒れているのが見える。そのために、収まっていた書類がそこら中に散らばっていた。そう言われて、ミカは防犯カメラの倍率を上げ、じっと画面を睨んだ。そして、携帯を取り出して誰かに電話をした。
「ああ・・私、ミカです。・・あなた、今どこ?・・・ああそう・・・・ねえ、事務所の中の倒れている書棚には何がはいっていたか判る?・・・・・ああ・・そう・・・そうなの・・・・ありがとう。」
電話を切るとミカが言った。
「今、マリン事業部の社員に聞きました。・・倒れていた棚には古い経理の記録が入っていたそうです。」
「古い経理記録?」純一が聞き返した。
「ええ・・ただ・・散らばっていて良く判らないそうです。ここ数年は、例の佐橋玲子が経理担当でしたから、管理は彼女に任されていたようです。」

2-30 如月の行方 [スパイラル第2部遺言]

2-30 如月の行方
「現金を奪うのが目的ではなく、その古い記録が目的だったってことはないでしょうか?」
ミホが純一に言った。
「古い記録が目的?一体何のために・・・。」
「ミカさん、クルーザーの建造で多額の融資を受けた事はありませんでしたか?」
ミホは妙に落ち着いた口調でミカに訊いた。
「ええ・・・確かに・・・当時、我が社の資産はそれほど大きくなく、資金繰りも厳しかったものですから、クルーザー建造資金には多額の融資を必要としていました。オーナーが八木頭取と言う事もあり、三河銀行から多額の融資を受け、完成すれば八木頭取から代金をいただくことで相殺できる予定でした。銀行側も抵抗無く融資してくださいました。」
「その時、経理は山下副社長ですよね。」
「ええ・・担当から部長へ昇進されたばかりで、この件では会長から全権委任されておられましたから・・・。」
ミカが答えると、ミホが、更に訊いた。
「事故が起きて引き渡せなくなった後、代金や融資はどうなったの?」
「もちろん、船をお渡しできない以上代金を受け取るわけには行きません。融資の返済も出来ない状態で、会長は亡くなり経理の山下さんも瀕死の重傷でした。英一社長をはじめ、社員全員が倒産を覚悟しました。・・しかし・・・八木頭取は、銀行の役員を説得くださって、融資の返済を猶予してくださったんです。・・・山下副社長が瀕死の状態にもありましたから・・・情を掛けていただいたというか・・・。お陰で我が社は何とか倒産を免れることができました。我が社には大恩人です。」
そこまでの話を聞いて純一が言った。
「まさか・・ミホ・・・それが・・・。」
「ええ・・・全て、それが仕組まれたものだとしたらどうでしょう。必要以上に多額の融資があったんじゃないかって、その一部は八木頭取が着服・・あるいは流用しているとしたら・・。」
「そんな・・あの方に限って・・そのような・・・。」
ミカは否定的だった。
「上総CSが受けた融資額や使途を全て調べてみる必要があるんじゃないでしょうか?」
ミホは確信に満ちた口調で言った。
純一がミカに尋ねた。
「八木頭取は、今はどこに?」
「あの事故から半年ほどで体調を崩されて亡くなったとお聞きしました。」
ミカが答えた。
「では、全てを知っているのは山下副社長だけなんですね。」
「ひょっとしたら・・如月さんも何かご存知なのかもしれません。・・・如月さんは、山下副社長が復帰されるまでの2年間、融資に関して担当をされていましたから・・・・。」
「どうやら・・・融資と事故に何らかの関連があるようですね・・・。」
純一はそういうと、天井を見上げた。
「仮説ばかり立てていても仕方ありません・・・如月さんに会いに行きましょう。如月さんはどちらに?」
純一が言うと、操縦席にいた洋一が答えた。
「ここには如月さんのボートがありませんから・・きっと、マンションか本社でしょう。すぐクルーザーを本社の近くの港に回します。」
クルーザーはゆっくりとマリーナを離れた。如月の住むマンションと本社の近くには、小さな漁港があった。通常、プレジャーボートの類は、マリーナに停泊させるのだが、本社の近くとあって、漁港の許可も取って、船着場を作っていた。すぐにクルーザーは船道を通って、港に入った。
「あれが如月さんのボートです。」
操縦席から洋一が告げる。ゆっくりとボートに近づいて様子を伺ったが、人影は見えなかった。ミホもキャビンからそのボートを見た。急に動悸が激しくなって気分が悪くなった。
「うう・・。」
思わずソファに蹲った。純一はミホの異変に気づいた。
「どうした_気分が悪いのか?」
「ええ・・・船酔いかしら・・・・。」
「島にずっといたからな・・・ミホはここで休んでいればいい・・・。」
クルーザーが接岸すると、ミカの案内で、純一は、如月のマンションへ向かった。
港から歩いて僅かのところに、如月の高層マンションはあった。
玄関エントランスで、如月の部屋番号を押して呼び出してみたものの、返答はない。
「やはり戻っていないのか・・・。」
ミカが、携帯で連絡を取ろうとした。しかし、電源が入っていない様子で繋がらない。すぐにミカは島にいるミサに連絡した。
「如月さんの居場所を探して!」
すぐにミサから返答があった。
「携帯電話はマンションにあるみたいよ。・・・でも、全く動いていないようだから部屋においてあるのかも。電源が切れているみたい。」
「マンションの様子を探って?」
二人は妙な会話をしているようだった。純一は不思議に感じてミカに尋ねた。
「何をしているんだい?」
ミカは少し迷った顔をしたが、社長になら説明しても構わないと決断した。
「・・・これは・・・英一社長にもお話していなかったんですけれど・・・実は、如月さんが社長の身辺警護のために、私達を雇われていたんです。私達は、情報収集のための・・・・特殊な訓練を受けています。・・・秘書室にはそのための機材もあります。もちろん、社長のため以外には使いません。」
そんなSFめいた世界が存在しているのかと純一は驚いたが、すでにあの島での体験は充分に常識を超えていた。余りに平然と過ごしてきたが、こうやって外の世界に出てみるとやはり異様な世界にいたのだと気づかされる。
「部屋の中には誰も居ない様子だわ。・・・・いや・・・何か・・え?・・・何これ?」
ミサの声が携帯電話越しにも聞こえる。
「どうしたの!」
ミカがミサに問いかけると同時に、頭上でドカンと大きな音がした。同時に、ジリリとけたたましい警報が鳴り響いた。慌てて、マンションのエントランスを出て外を見た。マンションの最上階の窓から黒煙が立ち昇っている。
「如月さんの部屋?・・・ミサ、どう?」
ミカの問いかけにミサが答えた。
「ええ・・・どうもそうみたい。・・ガス漏れかしら・・・でも、部屋は無人だったはず。どうして?」
すぐに遠くから消防車のサイレンが響くのが聞こえた。

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