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1-1 赤間 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

第1章 1 赤間
「おさ様、ご無事で何よりです。・・大王を倒したという知らせが届き、おさ様がいつ帰還されるのやらと、皆、首を長くして待っておりました。」
カケルとアスカを伴い、ハクタヒコ一行が那の津へ到着すると、長老の一人が、挨拶をした。
「随分心配をかけたようだな。・・だが、もう大丈夫だ。邪馬台国が再興され、素晴らしき女王伊津姫様が、これからは九重をお守り下さる。何も心配などいらぬぞ。」
ハクタヒコは、にこやかな表情で里の者を見渡して言った。カケルとアスカモ歓迎された。ヒムカの国の賢者カケルの名は、那の津でも知られていた。そして、今回の活躍も、使者によってつぶさに伝えられていたのだった。そして、アスカの奇跡もよく知られていた。
「お疲れでしょう。しばらく、ここでゆっくりされると良い。」
ハクタヒコは、二人のために家を提供してくれた。二人の家には、里の者が、毎日のように食べ物を届けるついでに、筑紫野や遠いヒムカの国の話を聞きに来た。そうして、再び春を迎えた頃、カケルとアスカは、那の津を旅立つ事にした。
「船を使えばすぐにアナトの国、赤間の関へたどり着きます。海岸沿いに行かれると良いでしょう。アナトの国は乱れておると聞きます。くれぐれもご用心なされよ。」
ハクタヒコの言葉をしっかり胸に刻んで、二人は里を旅立った。那の津から、沿岸沿いに船を進めた。小さな集落を一つ過ぎると、潮の流れが強くなってきた。
「アスカ、大丈夫か?」
波と風に揺られる小舟を操りながら、カケルが声を掛ける。アスカは船縁にしっかり掴まって前方を見据えていた。
「カケル様、あれは?」
流れに乗った小舟の前方に、陸地の狭まった海峡が見えた。中ほどに島が一つ。その両脇に、まるで川のような潮の流れがあった。そして、その海峡の両岸に集落が広がっている。
「あれが赤間の関だろう。・・大きな里だ。」
カケルは、島の北側の流れに船を向けた。舟は一気に潮に乗り、海峡を進んでいく。一つ岬を回りこむと、潮の流れが無くなり、穏やかな海に戻った。行く手の左岸には、幾つもの家屋が見える。いずれも九重の家とは違い、高い屋根をもち、柱も朱や緑に塗られ、華やかな造りのものが多かった。山手のほうに、大きな建物が見える。海辺の家屋より更に大きい。カケルは、桟橋を見つけ、船を着けた。
「ここが、アナトの国か。」
陸に上がり、周囲を観察する。船着場の周りには、これまで見たこともないほど、多くの人々が、荷物を運んだり、魚をさばいたり、野菜を切ったりする光景があった。だが、どこか皆、何かに怯えているような表情を浮かべている。
カケルとアスカは、しばらく、その集落の様子を見て歩いた。
二人が通りに入ると、頭をそり上げ、残した髪を長く伸ばし一つに束ねた、見るからに、乱暴者だとわかる男たちの集団が前方からやってきた。
その男たちは、腰から大きな剣を下げ、民を威圧するように見回しながら、通りを我が物顔で歩いてくる。その中に一人が、カケルたちに気付いた。頭目らしき男に、なにやら耳打ちすると、数人の男が、カケルとアスカをじっと見つめた。頭目らしき男が、指で合図をすると、男たちが剣を抜いて、一気に、カケル達のところへ駆け出した。
「アスカ、逃げよう。」
カケルはアスカの手を握ると、路地へ走りこんだ。男達は、何か叫びながら、カケルたちを追いかけてくる。初めての村で、道も不案内である。カケルとアスカは必死に逃げたが、すぐに男たちに囲まれてしまった。
「お前たち、よそ者だな?何処から来た?」
頭目らしき男が、脅すような声で訊く。カケルは、アスカを背に隠し、ぐっと頭目を睨んだ。
「女を置いていけ、そうすれば、お前は助けてやろう。どうだ?」
厭らしい笑みを浮かべて、頭目らしき男が言う。カケルが、腰の剣に手を掛けた。
「おや?俺たちとやりあおうっていうのか?勝てるかな?」
別の男が、大剣を振り回して威嚇する。その時だった。
「何やってるんだ!邪魔だよ!そこをどきな。」
白髪の老婆が、大きな荷物を背負って、路地を入ってきた。そして、男たちを押しのけるように二人の前に出てきた。老婆は、アスカの脇を通り抜けながら、小声で言った。
「ついておいで。」
アスカははっとして、すぐに老婆とともに走り出した。
逃げ出した二人を見て、頭目らしき男が叫ぶ。
「逃がすな、捕まえろ!」
それと同時に、カケルは剣を抜いた。
数人の男が一斉にカケルに斬りかかる。カケルは、高く跳び上がり、男達の頭を超え、アスカが逃げたのとは反対に出た。そして、大剣を構えた男の背を取った。
「女は後だ!こいつをやっちまえ!」
男たちが再び、剣を構えて襲い掛かる。カケルは、次々に大剣を交わした。
男達は体に似合わぬ大きな剣を持っていて、動きが鈍い。カケルは、大剣を交わすと同時に、剣で、男達の服を切り裂いた。皆、裸同然になり、着られた服に手足を取られ転んだ。
その様子を見て、カケルは剣を仕舞うと、再び高く跳び上がり、屋根の上に登った。屋根の上から、辺りを眺めると、浜沿いに、老婆とアスカが走っていくのが見えた。カケルは、屋根伝いに、浜まで出ると、二人のあとを追った。

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1-2 海女 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

第1章 1-2 海女
アスカは、カケルを心配し、何度も何度も振り返っていた。
「大丈夫だよ、あいつらは見た目だけさ。剣なんてまともに使ったことなんか無いんだ。あんたのだんなは、ちゃんと逃げただろう。」
老婆は、アスカの手を引きながら、そう言った。アスカは『だんな』と言われ、少し照れた。
行く手に、石を積み上げ、屋根に藁を載せただけの、小さな小屋が見えた。
アスカと老婆が小屋に着く頃に、カケルもようやく追いついた。
「さあ、入んな。」
入口の藁の筵をたくし上げ、老婆が、カケルとアスカを中へ案内した。
「ここは、海女小屋さ。ここなら大丈夫。」
老婆はそう言うと、中に入った。小屋の中央辺りには、焚き火があった。その周りに、数人の女が裸同然の格好で横たわっている。
「お前たち、そこを空けな!ほら、みっともない格好してるんじゃないよ!」
その声に起き上がった女達は、入口に、見知らぬ男が、それもかなりの男前が立っているのを見つけ、ばたばたと衣服を直し、隠れるように、部屋の隅へ座り込んだ。
「皆、朝から浜に出ていたからね・・ここで、体を温めてるんだ。さあ、そこへお座り。」
老婆は、二人を囲炉裏端へ座らせ、自分も定位置のように囲炉裏端に座った。
「私はタキ。ここらの海女の頭だ。あんたら、九重から来たんだろ?」
老婆は、鋭い眼光でカケルを見て、そう言った。
「・・はい・・那の津から船で参りました。私はカケル、これがアスカです。」
カケルとアスカは改めて礼を言い、頭を下げた。
タキは、二人をしげしげと見た後で、急に柔らかな表情になった。
「二人連れで海峡を超えて・・・一体、何処へ行こうというんだ?・・許されぬ仲と言うわけでもなさそうだが・・。ここ、赤間の関は、今、物騒なんだ。・・いや、さっきの奴らはたいした事はない。・・大船が行き来していた頃は賑やかだったんだがね・・今は寂れてしまって。旅の者がうろつくと皆、警戒する。その内、何か起きそうでねえ。」
「我らは、悪さをする為に来たわけではありません。」
タキは、他の海女が運んできた湯を飲みながら、言った。
「そんな事、判ってるさ。だが、腰に剣、背に弓を持っていれば、誰だって不安さ。・・まあ、九重では、そういう身なりでもなんてことは無いのだろうがね。」
アスカは意を決したように話した。
「私は、生まれた里を知りません。赤子の時、船に乗せられ流れ着いたのが、ヒムカのモシオの里でした。・・我が里を探して旅をしております。」
「里探しかい?・・・だが、赤子ならそれほど遠くから来たわけでもないだろうに。」
「・・カケル様と九重の地は回りました。ですが、手がかりも無く。那の津のハクタヒコ様から、赤間に行けばよいのではと教えられたのです。」
「ここに手がかりがあると?」
アスカは、そっと首飾りを外して、タキに渡した。
「これが、赤子だった私とともにあったそうです。この紋様に何か手がかりがあるのではないかと・・ここに来れば、何か判るだろうと思って参りました。」
タキはしばらく首飾りを見ていたが、思い当たる事はないようだった。他の海女も、アスカの話に興味を抱き、その首飾りを回して見た。だが、特に思い当たる事はなさそうだった。
「力になれそうに無いね。」
そう言ってタキはアスカに首飾りを返した。

「婆さん、何か食い物は無いかい!」
ぶっきらぼうな声で、入口の筵簾を跳ね上げて、大男が入ってきた。
「なんだい、その言い草は。ろくに仕事もしない奴に食わせるものなんか無いよ!」
タキはたしなめる様に返事をし、囲炉裏端から立ち上がり、土間に置かれた竹籠を覘いた。
「ほら、これでも焼いて食べな!」
そう言って、拳ほどの大きさのサザエと鮑を、その男に投げて渡した。男はそれを受け取るのと同時に、囲炉裏端に座っている二人を見つけて叫んだ。
「お前ら、ここに居たか!さあ、観念しろ。」
そう言うと、腰の剣を抜こうとしたが、サザエを持っていたので妙な格好になった。それを見てタキが言った。
「本当に、お前は馬鹿だね。一体、この人たちをどうしようって言うんだい?大体、さっき、お前達は、この人に手玉に取られたばかりじゃないか!さあ、大人しく囲炉裏端に座んな。」
そう言って、男の頭を小突いて、座らせた。
「こいつは、タマソ。私の孫だ。・・まともに仕事もせずに、里をうろついてるのさ。」
「何言っている、婆さん。俺たちが居るから、里の皆は安心していられるんだ。」
「何が安心だよ。大体、その剣だってまともに使えもしないくせに。」
「さっきは、場所が悪かったんだ。あんな狭いところじゃ、上手く動けない。」
「ほう・・なら、どこなら上手く動けるんだ?浜か?それとも、海の中か?一度、お前たちを集めて、海の中に沈めてやろうか!」
それを聞いて、仲間の海女たちも、「それが良い」「すぐに連れておいでよ」と囃した。
タマソはふくれっ面になって、囲炉裏にサザエと鮑を放り込んだ。
「体ばっかり大人になってしまって。いい加減、まじめに働く事を考えておくれよ。」
タキは、タマソの隣に座り、火の中のサザエを木の棒で突いた。

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1-3 宮殿 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

第1章 1-3 宮殿
「タキ様、さきほど、物騒だと申されましたが、ここはアナトの国の都なのでしょう。王様はいかがされているのですか?」
カケルは、タキに尋ねた。それを聞いてタマソが横を向いたままはき捨てるように答えた。
「何が、都だ!王なんて何の役にも立ちやしない。」
「一体、何があったのですか?」
もう一度、カケルは訊いた。
「ここは確かに、都だった。大陸から海を越えて、大船もたくさん行き来していた。だけど・・。」
タマソはそこまで言って、何かこみ上げる悔しさを押し殺そうとするかのように、そのまま押し黙った。他の海女たちも、何か思い出したかのように皆俯いている。
「まあ、昔の事さ。・・・・さあ、あんたたちも、食べな。」
タキは、それ以上訊かれたくないとでも言うように、話を遮って、カケルたちにサザエを勧めた。カケルも、その様子を察して、それ以上尋ねなかった。

海女小屋を出て、二人は、集落のある海辺を見下ろす崖の上に、一際大きな建物があるのを見つけ、崖へ上ってみることにした。上までは、整備された石段が設えてあったが、両脇は雑踏が伸び放題で、石段もところどころ崩れているところもある。入口の両側には、太い石柱と小屋、まっすぐ建物まで続く石畳、その先には大屋根を持った荘厳な建物があった。九重には見られなかった見事な造りで、二人はしばらく、見とれてしまっていた。
「ここは・・アナトの国の王の住まいなのだろう・・・。」
「でも・・誰も住んでいないようですね。・・・。」
アスカの言うとおり、建物は荘厳だが、よく見ると、あちこち傷んでいる。
一回りしてみたが、人の気配は感じられなかった。二人は、入口まで戻ると、遥か足元に広がる海峡と里を見下ろしていた。
「ここなら、海を通る船が手に取るようにわかる。民の暮らしも・・。」
アスカも遠くに視線をやってぼんやりと景色を眺めていた。不意に、後ろから声がした。
「お前たち、何者じゃ?ここには何もない、盗人ならさっさと出て行くが良い。」
長い白髪を一つに結び、口髭と顎鬚を伸ばした翁が立っていた。錦糸で飾り付けのある衣服をまとっているところから見ると、王族だろうを思われた。カケルは咄嗟にその場に跪いた。それを見て、アスカも同様に跪く。
「これは、失礼いたしました。我ら、旅の者です。先ほど、この里へ着いたばかり。様子も判らず、入り込んでしまいました。お許し下さい。」
カケルがそう言うと、王族と思しき翁が訊く。
「旅をしているとな。・・どこから参った?」
「はい、九重より参りました。生まれは、高千穂の峰の奥深くの村でございます。私は、カケル。こちらはアスカでございます。」
その翁は、二人の周りを歩き、剣や弓、着衣をじっと観察した。
「ふむ、嘘ではなさそうだ。そなたたちは遥か昔の身なりをしておる。確かに九重の者。だが、旅をする等、聞いたこともない。・・まさか、筑紫野の密使ではあるまいな?・・確か、カブラヒコとかいう若い王が居ったはずじゃが・・・。」
カケルは包み隠さず、筑紫野で起きた事を話した。
「いずれ、王の座を追われるとは思っていたが・・まさか、邪馬台国が再び興きようとは・・。」
その翁は、あまり驚いた様子ではなく、この事を予見していたような口ぶりであった。
「一つ、お教え下さい。・・ここは、アナトの王様の住まいなのでしょうか?」
カケルの問いに、その翁は物憂げな表情を浮かべながら答えた。
「ああ・・確かにここはアナト国の宮殿じゃ。そして、わしは国王であった。」
「国王様?」アスカが、思わず呟いた。
「このような姿では信じられぬであろうな。・・だが、本当なのだ。かつて、我がアナト国は、この関を守り、大陸からやってくる大船を迎えることで栄華を極めた。一時は、九重さえも支配するほどだった。かの邪馬台国すら、卑弥呼亡き後、我らの軍が攻め入り、その将が王となったのだ。・・しかし、今やその面影すらない。」
「それほどまでに栄えた国がどうして?」
カケルが訊く。その問いに答えるため、王は宮殿の先にある見晴台へ二人を連れて行った。
「見ての通り、ここは赤間の関。かつては、大陸と東国との行き来が盛んで、多くの船がここを通っていた。ここから先、佐波の津までは潮の流れも風の動きも複雑なのだ。我ら、赤間の民の力無くして、ここを通ることは敵わぬ。」
カケルとアスカも、王の指差す先に、視線を動かした。
「だが、大陸で戦が起きたのじゃ。すると、しだいに船が来なくなった。もちろん、東国から出て行く船もなくなった。船が行き来せねば、ここに富をもたらすものもなくなる。次第に、民たちの暮らしも貧しくなり、やがて、皆、わしの元を離れたというわけじゃ。」
翁は、静かに眼を閉じ口を閉じ、寂しげな表情を浮かべたまま、足元に広がる海峡を眺めた。
「おや?」
王が、海峡の西に視線をやって呟いた。そして、じっと何かを追うように睨んでいる。カケルとアスカも王の視線の先を追った。
「・・王様、あれは・・大船でしょう。・・」
カケルが王に訊くと、王は険しい表情をしている。王は何も言わず、じっと睨みつけている。
次第に、船の大きさや紋様がはっきりと見え始めると、王の表情は一艘厳しくなった。

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1-4 悲鳴 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-4 悲鳴
大船はゆっくりと、関を越えて、赤間の港に近づいてきた。
「あれは、韓船。また里を襲うつもりであろう。」
険しい表情のまま、王は呟いた。
「ここには、里を守る兵など居らぬ。また、多くの民が命を奪われ、連れ去られる。もはや、抗う事も、里の者を守ることもできぬ王など、王ではないな・・。」
そう言うと、宮殿の中に入ってしまった。
「アスカ、里へ行くぞ!お前は、どうする?」
「海女小屋の方たちが心配です。私も参ります。」
二人は石段を駆け下り、里へ向かった。

港にいた里の者たちは、大船の接近を知って、我先にと、家へ戻ろうとした。狭い路地は、逃げ惑う人で混乱している。
大船が港に入ると、船縁からたくさんの男たちが顔を見せた。男達は、甲冑と冑を身につけ、手には弓を構えている。そして、一斉に、矢を放ち始めた。
逃げ惑う者が次々に射抜かれて、悲鳴とともに倒れていく。穏やかだった里が、一変して戦場になってしまった。抵抗する者など居ない。それでも、大船からは矢が放たれる。

カケルとアスカが里に入ったときには、大船は船着場に着けられ、船の中から兵たちが、列を成して降りてくるところだった。兵たちは、剣を手に、港に居る者を捕えたり、そこらに置かれた品物を次々に奪い、船へ運び始めた。女や子どもたちは、縄に繋がれ船に乗せられていく。抵抗する男達は、その場で切り捨てられていく。惨い光景が広がっていく。

「カケル様、カケル様!」
物陰から、カケルを呼ぶ声がした。海女小屋に居たタマソが、数人の仲間とともに、家の陰に隠れていた。カケルとアスカは、タマソの隠れているところへ身を潜めた。
「酷い事になった。あいつら、里の物をみんな奪っていくつもりだ。」
苦々しくタマソは言うと、様子を伺っている。
「タキ様たちはどうされました?」
アスカが訊くと、
「海女小屋に潜んでる。あそこにはやって来ない。じっとしてろと言って来たんだ。」
「タマソ様、これからどうされる?」
「どうするって・・俺たちにはどうにもできないさ。あれだけの兵に敵うわけ無いだろ!」
一緒に居た仲間たちも、皆、俯いている。
「里を守るのが、貴方達の仕事でしょう?・・何も出来ないの?」
アスカは、やや憤慨して聞いた。すると仲間のひとりが言った。
「俺たちだって何とかしたいさ。タマソの父様は、あいつらに殺されたんだ。母様だって、連れ去られたまま、行方知れずさ。出来るなら、あいつら全員、八つ裂きにしてやりたいさ!」
タマソは、剣の柄をぐっと握り締め、悔しさを堪えているようだった。
カケルが言った。
「里の者を守りましょう。そして、あいつらを追い払いましょう。」
「どうやって?俺たちの何倍もいるんだぞ?」
タマソはカケルをじっと見つめ答えを待った。
「まず、里の人たちを、崖の上の宮殿へ行かせましょう。里の人に知らせる事はできますか?」
仲間の一人が、答える。
「ああ・・家々の裏道は知ってる。そこを通って知らせよう。」
「宮殿に逃げた後どうする?」
タマソがカケルに訊く。
「そこで、あなたたちが里の人たちを守ってください。あそこは崖に囲まれています。攻め上ってくるには石段を使う他ありません。一方から攻めてくる敵を防ぐのは少人数でも可能です。」
それを聞いた他の者が不安げに言う。
「だが・・俺達は、武器が無い。こんな剣、ろくに使えないんだ!」
「ならば、山の木を切ってください。丸太を作り、登って来る兵達へ落とせばいい。石でも良い。投げ落とすのは誰でも出来るでしょう。里の者にも手伝ってもらえばよいでしょう。」
皆、お互いの意思を確認するように、顔を見合わせ頷いた。
「時はありません。急ぎましょう。」
「カケル様たちはどうされる?」
「私とアスカは海女小屋へ行ってみます。タキ様たちが心配です。」
皆、話し合ったとおり、動いた。タマソ達は、裏道を使って、家の中に潜んでいる人たちに、宮殿へ逃げ込むように伝えた。里の者たちは、兵達に見つからぬよう、山沿いに宮殿まで向かった。
タマソは一足先に宮殿に入った。宮殿から、先ほどの王が顔を見せたが、タマソの話を聞き、「好きにすればよい。」と言ったきり、また、宮殿に篭ってしまった。
逃げ込んできた里の者たちも手伝って、宮殿の裏の木々を切り倒し、丸太を何本も作り、石段の上に運んだ。
港に着けられた大船の前では、兵達が終結していた。里の者が、宮殿に逃げ込んだことを知り、大船の上から頭目らしき男が兵たちに檄を飛ばした。
「抗う者は皆殺しだ!」

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1-5 防御 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-5 防御
宮殿の石段を目指し、多くの兵たちが進軍を始めた。
「さあ、みんな。これから戦だ!里を守る為に戦おう。」
タマソは、仲間たちとともに里の者たちに呼びかけた。
命からがら逃げ込んできた里の者も、皆立ち上がり、タマソに従った。手分けして、丸太を石段の上に積み上げる。こうする事で、兵達の矢も防げる。
「まだまだだ。しっかり引き付けて落とさねば効果がない。」
タマソは、じっと前進してくる兵を睨んだ。兵たちが、中段辺りまで来て、弓を構えようとした時だった。
「よし、落とせ!」
積み上げた丸太を一斉に落とし始めた。狭い石段の上から、次々に降ってくる丸太が、兵達を襲う。最前列にいた兵は、驚き、石段から脇に避けようとして崖を転落する。後ろに控えていた兵は何がおきたのか判らぬまま、丸太に襲われ下敷きになり、動けなくなった。だが、残った兵たちは、逃げることなく、再び石段を登って来る。再び、丸太が投げ落とされ、同じように下敷きになっていく。こうして大半の兵たちは、傷つき倒れていった。
「もう、丸太が無いぞ。どうする?」
兵達はまだ残っている。しかし、用意した丸太は全て落としきってしまった。
タマソは、皆の顔を見た。仲間達は、腰に下げた剣を手にした。
「やるしかない。」
皆、自信は無かったが、もう後へは下がれない。覚悟を決めていた。
「これを使いなさい。そんな見てくれだけの剣、役には立たぬ。」
そう言って、宮殿に逃げ込んだはずの王が、箱を持って立っていた。
「これまで、王らしき事など何も出来なかった事、許しておくれ。そなたたちの働きぶりを見て、私も、深く反省した。これからは民と朋に生きる覚悟じゃ。さあ、これなら、使えるだろう。」
王が差し出した箱には、漁師が使う銛に似た道具がたくさん入っていた。
「これは、赤間に伝わる武器なのだ。そなたたちの父や、爺様も使っていたはずだ。」
それを見た年老いた男が言う。
「これは・・鯨を突く大銛・・まだ、有ったのか。」
「鯨?」
誰かが訊く。
「赤間の沖には鯨がいる。昔は、皆で船を出して捕まえたのさ。一つ取れれば、しばらくは、里の者が皆、食べ物には困らないほどの大物さ。・・」
タマソは、銛を手にしてじっと考えていた。
遠い記憶の中に、父と船で沖へ出た時、黒い大きな山のような魚を見たことがある。きっとあれが鯨だったのだろう。
「よし、動ける者は皆、銛を持て!下から登ってくるのは鯨だ!皆で鯨を捕らえよう!」
タマソはそう言うと、先駆けて石段の上に立ち、銛を構えて雄叫びを上げた。
石段の下では、丸太に押しつぶされた様子に、残った兵たちは怖気づいた。
「どうした!進め!行かぬか!」
朱の衣服を纏い、大きな甲冑を身につけた将らしき男が、剣を翳して兵を威嚇する。
そのうち、兵達が逃げ出そうとするのを見つけると、剣で一人の兵を串刺しした。
「さあ、行かねば、お前たちもこうなるぞ!」
兵たちは、もはや正気を失い、泣きっ面になりながら、再び、闇雲に石段を登ろうとし始めた。

「あいつが大将か?・・なんて奴だ。・嫌がる者を脅して・・。」
石段の上から下の様子を見ていたタマソは、唇を噛み締めて吐き捨てるように言った。
そして、手にした銛を強く握り締め、目を閉じた。
幼い頃、父と供に沖へ出て、父が銛を突く姿を思い出していた。父は、揺れる船の上で、両足を踏ん張り、真っ直ぐ海面を見据えて、右手で銛を構え、左手を投げ出すほうに真っ直ぐに伸ばして、「えい!」と掛け声を掛けて一気に銛を投げた。父の銛は真っ直ぐに獲物に突き刺さった。
タマソをゆっくりと目を開けると、石段の下に見える大将を睨みつけた。そして、父の姿を思い浮かべながら、両足を踏ん張り、右手で銛を構えた。深呼吸を一つして、「エイ!」と掛け声を掛けると、思い切り銛を投げた。銛は、緩やかな弧を描くと、そのまま、朱の服を着た大将目掛けて飛んだ。
「グエッ」かすかに声が聞こえたと同時に、朱の服の男が丸太の上に転がった。タマソの投げた銛は、男の胸を貫いていた。それを見て、兵たちは怖れ慄き、転がるように石段を降り始めた。そして、一人の兵の姿も見えなくなってしまった。宮殿の広間では、歓声が上がった。
「やったぞ!追い払ったぞ!」
タマソの仲間達が歓声を上げる。兵たちを恐れ身を隠していた里の者たちも広場に出てきて、歓声を上げた。
タマソは、初めて人を殺めた。攻めてきた敵の大将とはいえ、胸を貫かれて横たわる姿を見て、自分のやったことが怖ろしくなり、その場に立ち尽くしていた。
「タマソ!やったな。あいつらをやっつけたんだ!」
仲間の声も耳に届かない。タマソは石段を駆け下り、将の傍に行った。将と思しき男はすでに事切れていた。タマソは男の胸から銛を抜き取り、小さく「すまない。赦してくれ」と言った。その様子を、石段の上から、王が見ていた。
歓声に沸く宮殿では、誰かが「今日こそは、奴らを逃がしはせぬぞ!」と言った。それに呼応するように、里の男達が銛を手に、石段を降り始めた。

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1-6 岩場 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-6 岩場
カケルとアスカは、浜にある海女小屋へ急いだ。
海女小屋は、大船のいる港からは、松原が死角になっていて見つからない場所だが、妙に胸騒ぎがしていたのだった。海辺に出たところで、手に竹籠を抱えている兵たちが浜辺をこちらに戻ってくるのが見えた。二人は、兵達をやり過ごし、すぐに浜小屋に向かった。
「タキ様!タキ様!」
海女小屋は、入口の筵簾や板のあちこちが捲れていて、明らかに、先ほどの兵たちが襲ったのが判った。海女小屋の中に飛び込んだが、中には人影は無かったが、囲炉裏端にはおびただしい血が流れていた。
「アスカ!こっちだ!」
カケルの声に、アスカは、海女小屋を飛び出ると、カケルの姿を探した。
「ここだよ、アスカ。」
アスカは声のするほうへ必死で掛けた。砂浜の先に、大きな岩が幾つも並んだ岩場があった。カケルが岩の上からアスカを呼んだ。
タキは、その間に隠れるように座っていた。二人ほどの海女も傍にいた。
「タキ様、大丈夫ですか?」
そう訊いたアスカに、タキはゆっくりと身を起こし微笑んだ。だが、顔色は白く、息も絶え絶えになっている。
「あいつら、いきなり入ってきて、・・みんな、驚いて、皆、小屋から飛び出したんだよ。兵が出て行って、戻ってみたら、タキ様が切られていたんだ。・・どうしよう・・タキ様・・死んじまうよ。」
海女はそう言って泣き崩れた。
タキの横たわっている周囲には、真っ赤な血が流れて広がっている。先ほどまで目を開けていたタキが、「ううう・・」と唸り、ガクッと力が抜け、息をしなくなってしまった。
「タキ様、タキ様、しっかりして!」
二人の海女はすがるように、タキの名を呼び続けたが、タキは目を開けなかった。
アスカは、じっと眼を閉じた。そして、首飾りをぐっと握り締める。
すると、柔らかな光が広がり始めた。アスカはそっと手を伸ばし、タキの体に触れた。アスカを包んでいる黄色い光が、タキの体も包み始めた。脇にいた二人の海女は、その様子に驚いて目を見開いたままじっとしている。やがて、光はその海女たちも包み込む。
温かい空気、体の中から温かいものが溢れてくる感覚、まどろみの中にいるような時間が過ぎる。
しばらくすると、タキが大きく深呼吸をした。そして、アスカの手を握り返した。二人の海女もタキが息を吹き返したのをしっかり確認した。「タキ様!」という呼びかけに、タキは目を開いて、手を持ち上げた。
「もう、大丈夫です。・・さあ、タキ様の手当てをしましょう。」
カケルは、岩の上から、宮殿や里の様子を見ていた。すると、兵達が、大船を目掛けて逃げてくるのが見えた。
「どうやら、タマソ様たちは兵を蹴散らす事ができたようだ。」
しばらくすると、銛を手にした、里の者たちが姿を見せ始めた。兵たちを追ってやってきたようだった。
「いかん、まだ、兵は残っている。深追いしてはだめだ!・・・アスカ、ここを頼む。」
カケルはそう言うと、岩から跳ね、浜へ走り出た。
「ダメだ、追ってはならん!」
里の者が大船に近づくと、大船から、再び、矢が放たれ始めた。
宮殿を襲った兵は、大船の兵の半数ほどであった。まだ多数の兵が大船には残っていたのだった。
宮殿で、兵を追い払った勢いでやってきた里の者は、慌てて、家の影に身を潜めた。
「これでは、何にもならぬ。・・・やはり、大船を攻めるしかないのか!」
カケルは、浜を駆けながら考えた。タマソたちも里の者を追ってきた。
「カケル様!」
「何故、宮殿に潜んでいなかったのだ!」
浜の岩陰に身を潜め、カケルとタマソは大船の様子を探った。
「将らしき男は、仕留めました。・・」
タマソが小声でカケルに告げる。カケルは、タマソが持っている銛先に血糊が着いているのを見て、あらかた見当がついた。タマソの言葉は、悲しみと嫌悪感に満ちているのを感じ、カケルは何も言わず、タマソの肩を掴んで、労わった。
「韓の船ではなさそうだな?」
「ああ、将の様子も韓の者ではなかった。きっと、佐波の海辺りをうろつく海賊だろ。韓の船を奪い、このあたりの里を襲っているに違いない。」
「きっと、兵たちもそれらの里から連れてこられた者たちなのだろう。脅され、嫌々ながら、付き従っているに違いない。」
カケルはじっと大船の様子を見ている。タマソが海岸の様子を気にしながら訊いた。
「・・・婆様たちは無事か?・・」
「タキ様は、兵に襲われ怪我をされておる。あそこの大岩の影に居られる。アスカが手当てをしたから、もう大丈夫だ。」
「なんて事だ・・・あいつら、絶対許さない。」
タマソは大船を睨みつけた。

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1-7 化身 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-7 化身
大船からの矢が急に止んだ。その隙に、里の者たちは、タマソの仲間が再び宮殿に連れ戻った。
「一体、どうしたんだ?」
タマソが怪訝な顔で言う。カケルはじっと大船の様子を見ていた。不気味な時間が流れる。
そのうちに、船縁に人影が現れた。大船が着いた時、掴まった里の者たちが、縛られて船縁に立たされている。すると、大きな兜をつけた大柄の男が、剣を手に脇に立った。
「いかん。」
カケルがそう言うと同時に、大柄の男のすぐ脇にいた里の者を剣で切りつけた。
肩口から血が噴出しているのが遠くからもわかった。そして、大柄の男は、倒れ掛かった里の者を船縁から蹴り落としたのだった。
「くそっ!見せしめか!」
タマソは銛を強く握り締め悔しさを堪えている。カケルは、その光景に怒りが湧き起こってきた。
「許せぬ!罪も無い人を!」
そう言うと、剣の柄に手をかけた。すると、剣が光り始めた。カケルの頭髪が逆立つ。そして全身がぶるぶると震え始めた。腕や肩の筋肉がもこもこと盛り上がる。獣人へ変わり始めた。
「カケル様!大丈夫か?」
タマソはカケルの変化に驚いた。
「ううっ・・ぐるる・・・」
低い唸り声を発したかと思うと、カケルは高く跳び上がった。一気に、大船の畔まで跳ねたあと、さらに船縁へ跳び上がった。そして、「グオウー」と狼のような雄叫びを上げた。その声は、宮殿にまで届いた。何事かと、里の者たちも、見晴台へ身を乗り出して大船の様子を見た。
獣人に変わったカケルは、一気に、大柄の男の前に立った。
「お前は何者だ!」
「里の者を開放せよ!さもないと命を落とす事になるぞ!」
カケルは剣を突きつけた。
「・・お前一人で何が出来る!・・」
大柄の男は、そう言うと、弓を構える兵たちの後ろに身を隠した。
「さあ、射抜いてやれ!」
甲板にいた兵たちは、獣のようなカケルの姿に怖れながらも、弓を構える。
「さあ、放て!」
その声に、兵たちは弓を引いた。カケルはすばやく跳びあがると、反対の船縁へ移った。
「何をしている!放て!放て!」
兵たちは矢を放つ。しかし、再びカケルは高く舞い上がると、今度は船尾へ移った。兵たちは、飛び回るカケルに追いつけない。カケルは再び高く飛び上がると、男の背後についた。そして、剣を首に突きつけ、後ろ手を取り、羽交い絞めにした。
「無駄な抵抗はせぬほうが良い。さあ、里の者を解放するのだ!」
弓を手放して兵たちは、里の者の縄を解いた。
「早く、大船から降ろせ!」
カケルの言うとおり、里の者たちは船から下ろされた。船の下には、タマソが居て、皆を宮殿へ向かわせた。
「さあ、どうするつもりだ?俺を殺すか?」
羽交い絞めになったまま、男はカケルに訊いた。
「お前が将か?」
「・・将?・・俺はこの船の頭目に過ぎぬわ。・・俺を殺したところで、再び、我らの大船はここを襲う。我らは、屋代の水軍。この海は我らのもの。さあ、殺せ!」
「屋代の水軍?」
初めて聞く名にカケルはが少し気を取られた時だった。背後から、兵の一人が槍でカケルを突き刺した。その拍子に、握っていた男の手を緩めてしまった。
「一人で何が出来る!」
男はそう言うと、剣を抜いてカケルに切りかかった。カケルは、手にした剣で男の剣を受けた。槍が刺さった背に激痛が走り、思わず膝をついた。男は再び、剣を振り下ろした。カケルの剣に男の振り下ろした剣が激しい音を立ててぶつかる。カケルは横に跳ねた。
「まだ動けるか!こうしてくれる!」
男は剣を構えてカケルを襲う。そのたびに、カケルは甲板を転がり逃れた。終に、カケルは船の舳先に追い詰められた。その時だった。
「うぐ・・」
カケルの目の前で、男は倒れこんだ。
タマソが船縁に立っていた。そして、男の背にはタマソが投げた銛が突き立っていた。兵たちは、頭目が倒れる姿をじっと見た。タマソが、一段高い場所に立ち、威圧するような声で号令する。
「命が惜しくば、武器を捨て、その場に腹ばいになれ!従わぬものは銛の餌食だぞ!」
兵たちは弓や剣を一斉に放り出し、その場に腹ばいになった。
「カケル様!」
タマソが駆け寄ると、カケルは膝をつきその場に蹲った。背中から血が流れている。
「大丈夫だ。すぐに血は止まる。」
カケルは、そのまま、その場に倒れこんだ。獣人と化したカケルの体は、徐々に元に戻り始め、傷口も小さくなっていった。
静まって様子を確認し、タマソの仲間たちもすぐに船に上がってきた。

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1-8 タキの秘密 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-8 タキの秘密
大船の上には、タマソや仲間たちが、縛り上げた兵を見張るように立っていた。大船の輩をカケルやタマソが蹴散らした知らせは宮殿にも届き、里の者たちや王も船にやってきていた。
浜の岩場でタキの介抱をしていたアスカたちも、タキを支え、少し遅れて大船に来た。
怪我をしたカケルは、すでに元の姿に戻っていたが、傷からの出血が多く、気を失ってしまっていて、アスカが、傍らで手を握り回復の手当てを試みた。しかし、タキの回復のために力を使いきっていたために、すぐにはカケルは目を覚まさなかった。
「婆様!」
タマソは、タキの顔を見るとすぐに駆け寄り労わった。
「アスカ様のお陰じゃ・・もう大丈夫・・大丈夫。」
そう言ってタマソの頭を撫でた。大きな体をしていても、心の中はまだ子どもである。婆様の様子を見て、思わず泣き出してしまっていた。
「どうして、すぐに逃げなかった!」
タマソは、タキを問い詰めるように言った。タキは、謝るばかりだった。その様子を見て、海女の一人が言った。
「タキ様は、小屋に大事なものがある。盗られる訳にはいかないって小屋に残ったんだよ。」
「何だよ、大事なものって、あの小屋にそんな大事なものなんか無いだろう!」
タマソは、タキを再び問い詰める。タキは、懐から小さな袋を取り出した。
「これだよ。」そう言って、タマソに手渡した。タマソが袋を受け取ると、袋の中を覗いた。中には、象牙の小さな刀があった。取っ手には、朱や緑で細かい細工が施され、先には錦糸の房も着いていて、高貴な者が懐に持っておくようなものだとすぐに判った。
「これって何だ?婆様のものか?・・どこで手に入れた?」
船の様子を見るために集まっていた里の者の中に、王の姿もあった。王は、その小刀を見てはたと思い出していた。
「すまないが、それを見せておくれ。」
人垣を分けて、王がタマソの傍にやってきた。王は、タマソから小刀を受け取り、じっと見入っている。そして、ふいにタキに向かって訊いた。
「そなた、これを何処で手に入れた?誰から譲り受けたのじゃ?」
その言葉に、タキは目を伏せたまま答えなかった。
「これは、私が亡き姫に与えたもの。何故、ここにある?さあ、答えよ!」
「おい、婆様!ちゃんと答えろ!俺も知りたい。さあ、答えるんだ!」
タマソもタキに迫った。タキは観念したようにその場に座り込んだ。そして、右腕の袖をたくし上げてから、王の前に突き出した。
「王様、これを覚えておいででしょうか?」
タキが突き出した右手には、不思議な文様の刺青があった。王は、その腕をしげしげと見てから急に顔色を変えた。
「お前・・・まさか・・・タキノワ、タキノワなのか?」
「はい、王様。お久しぶりでございます。」
王は、その名を口にしてからがっくり肩を落とすように座り込んでしまった。タマソは一体何が起きたのかわからなかった。ただ、王とタキには何か特別な縁がある事だけは判った。
「婆様、ちゃんと判るように教えてくれ!」
タキは、タマソの目をじっと見て、ひとつため息をついてから話し始めた。
「私は、若い頃、陶(すえ)という村に居たのさ。王様も若かった。王がひととき、陶の村においでになった事があったんだ。その時、私がお傍でお世話をした。その縁で、私はここ赤間へきたんだ。しばらくは宮殿に暮らしたよ。そして、王の子を身篭った。だが、王にはすでに后様が居られたが子がなかった。身篭った私が目障りだと、身重な私は、宮殿を追い出されたんだ。」
「済まない、済まなかった、許してくれ、タキノワ!」
王はその場に頭をこすり付けて謝っている。
「私は、里に戻って、女の子を産んだ。タマと名付けた。親子二人、貧しかったが楽しく暮らしていたんだ。しばらくして、宮殿からの使いが来て、娘を連れて行くと言うんだ。王家を継ぐ者だと言ってね。もう力づくさ。泣く泣く、娘と別れたんだ。」
タキの言葉に、王は悲鳴のような声で再び詫びた。
「済まなかった・・許しておくれ・・王妃には子どもが出来なかった・・王家の血を守る為、已む無くそうしたのだ・・・」
ひたすら謝る王を軽蔑の目で見ながら、タキは続ける。
「・・娘を奪われ生き甲斐を失い、一時は死のうかとも思ったんだ。だけど・・どうしてもわが子を取り戻したくて、赤間にやって来たのさ。ここの海女たちは優しかった。私の境遇を聞いて、力を貸してくれたんだよ。宮殿にいた娘に、私がここに居る事を伝えてくれた者が居てね、それから、時々、ここで会えるようになったんだよ。」
タキが、娘と再会できたという話を聞き、里の者たちも喜んだ。
「だけど・・それがいけなかったんだ。ある日、娘はここの漁師と恋仲になってしまった。もちろん、男は娘が姫だなんて知らない。娘には男と別れるように言ったんだ。添い遂げる事等できないからとね。」
王は、ゆっくり顔を上げてタキの話しの続きを話し始めた。
「ああ・・確かに姫は、赤間の漁師と夫婦になりたいと言い出した。もちろん、反対した。あの娘には、すでに、韓の国から王子を迎える支度ができていたのだ。アナトの国を守る為にも、韓の国との縁がどうしても必要だった。だが・・あの娘は聞き入れなかった。そして、赤間崎から身を投げた。・・可哀想な事をしてしまった。すべて私が悪いのだ。・・本当に済まなかった・・」

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1-9 タマソ [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-9 タマソ
「いや、娘は身を投げたりしちゃいないんだ。」
タキが言う。王は驚いた顔でタキを見た。
「ある晩、娘は男と二人で海女小屋に現れた。お腹に赤子が居るというんだ。私はわが身を呪った。私が王の子を宿したように、娘も覚悟を決めていたようだった。私は、二人にすぐに赤間から逃げるように言った。王に見つからぬ場所へ隠れるようにとね。二人は、小舟ですぐに発った。そして、陶(すえ)の村へ戻ったんだよ。」
「ならば、まだ陶の村で生きているのか?」
王は、安堵の表情を浮かべて訊いた。タキはゆっくりと首を横に振った。
「陶の村に戻り、まもなく、男の子を産んだ。だが、産後の肥立ちが悪くて、娘は命を落とした。しばらくは、男が子どもを育てた。・・・その男も、鯨漁に出た日に、水軍の手にかかって、命を落とした。」
「男の子はどうしたのだ?」
王は縋り付くようにタキに尋ねる。タキは口を開かなかった。
ここまでの話をじっと聞いていたタマソが、強張った表情でタキに訊いた。
「なあ・・婆様、その男の名は?」
タキは、タマソの表情を見て観念したように言った。
「その男の名は、サダ。鯨取りの名人だった。大きな銛を自在に使い、大きな鯨を捕まえていたのさ。・・そうさ、お前の父様さ。」
「じゃあ、母様は、アナトの国の姫?」
「ああ、そうだよ。」
「では・・この・・タマソは、王家の血を受け継ぐ者ということか?」
王がタマソを見上げるように言った。船に集まっていた里のものは皆驚いた。
「お・・おれが・・王を継ぐ者?・・馬鹿馬鹿しい・・婆様・・嘘だろ?・・なあ、嘘だろ?」
タマソは混乱していた。そして、その場に座り込んでしまったのだった。
赤間の里が荒れ果ててしまったのは、偏に王が民の暮らしを顧みず、自らの栄華のために富を搾取してきたためだと考え、タマソは、幼い頃から、王を憎み嫌っていたのだ。今になって、王の血を継ぐ者と言われても、自らの存在を否定される思いしかなかった。
里の者たちも、何と声を掛けて良いものか判らず、沈黙が流れた。
ふいに、カケルが目を覚ました。少しぼんやりとした意識の中で、船の様子を感じていた。
「カケル様?・・気が付かれましたか?」
沈黙を破るように、アスカがそっとカケルに声を掛けた。
「ああ、もう大丈夫だ。皆、無事か?」
「ええ・・大丈夫です。船の兵達も皆、タマソ様達が縛りつけて大人しくしております。」
「そうか・・・タキ様は?」
「ええ、もうすっかり・・・。」
身を起こしたカケルの目に、座り込んで俯いているタマソの姿が見えた。その雰囲気に、ただならぬ事態が起きている事をカケルにも判り、アスカを見た。アスカは、どう話せばよいのか困惑した表情でカケルの視線を受け止めた。すると、タマソは急に立ち上がり、船から飛び降りた。そして、わあと叫びながら、砂浜を駆けていってしまった。タマソの仲間たちも、慌ててタマソの後を追って行った。
カケルは、タキから大方の事情を聞いた。だが、タマソにどう声を掛けるべきかやはり皆と同様に困惑してしまったのだった。
ひとまず、水軍を制圧した事で、里の平和は守られた。水軍の頭目の亡骸は、近くの浜に埋められ、残った兵達は縛られたまま、宮殿に連れて行かれ、宮殿の端にある牢獄へ放り込まれた。
里の者たちは、石段に摘みあがった丸太やその下敷きになっている兵達を運び、怪我人には手当てをして、捕まえた兵達とともに牢獄へ放り込んだ。
もう日暮れ近くになっていた。
タマソは、仲間たちと共に、浜の岩場の上に座り、遠く海を眺めていた。
「なあ、タマソ、これからどうするんだい?」
タマソと同い年のカズが、タマソに訊いた。タマソは何も言わずじっと海を見ている。
「王の血を継ぐ者なら、アナトの国はお前のもの、王になって治めればいいじゃないか!」
背の高いサカが、甲高い声で言う。タマソは、キッとサカを睨むと、
「王になんぞ、ならない!国を治めるなんてできっこない!」
強い口調で答えた。
「そうかなあ・・・おれは、タマソが王になるなら賛成だ!あの船で近くの村を回って、皆を従えるんだ!アナトの王タマソ様だぞってさ。」
カズが調子に乗って言うと、タマソは岩の上に立ち上がり、皆を睨みつけて言った。
「あの水軍に勝てると思うのか?・・きっと奴らはまた来るぞ。もっとたくさんやってくる。今度みたいに上手くは行かない。皆、殺されるんだ。・・・王になったからって、里の皆を守れるわけがない。・・いやだ、そんなのいやだろ。」
「大丈夫さ、カケル様が居てくれれば、また・・ウォーってやっつけてくれる。そうさ、カケル様をアナトの国の守り主にすればいい。王になれば、皆、お前に従うはずだ。」
カズもサカも調子のいいことばかり言っている。それをじっと聞いていた、少し年上のマサが、少し大人びた口調で皆を窘める様に言った。
「カケル様は、恐ろしき獣人だ。今は、皆を守る優しいお方かも知れぬが、いつ、獣人になるかわからぬ。見境なく、人を殺すかも知れぬ。信用してはならない。」
マサの言葉に、皆、真顔になって心配し始めた。確かに、頭目を襲った光景は、獣が容赦なく、獲物を襲う様子と何一つ違わなかった。

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1-10 使命と定め [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-10 使命と定め
そこへ、アスカがやって来た。
タマソたちは、アスカを見つけると、今までの話はなかったかのように、押し黙り、岩に座ったままで居た。アスカは、男たちの空々しい様子に気づきながらも、何食わぬ顔をして、タマソの隣に座り、独り言のように話し始める。
「私、生まれた里を知らないんです。」
アスカの言葉に、タマソたちは驚いた。アスカは構わず話し続けた。
「赤子の時に、小舟に乗せられ、ヒムカの国のモシオという浜に流れ着いたらしいんです。アスカと言う名も、そこでいただいたもの。父様や母様のお顔すら、知りません。」
アスカは、じっと海を見つめて話し続けた。
「物心ついた時には、塩焼き小屋で働いていました。朝から晩まで、火をおこし、塩を煮詰めて過ごししました。辛かったけれど、皆、優しくしてくださって・・でも、だんだん、知恵がついてくると・・・私は生まれて来なかったほうが良かったんだろう・・父様も母様も、私が要らないから捨てたのだろうとか・・・生きている事に何の意味があるのだろうと・・そんな事ばかり考えるようになっていました。」
長い黒髪、白い肌、美しい娘が目の前で身の上話を話し始め、男たちは皆一様に驚き、同情した。
「生まれて来ない方が良いなんて!」
アスカは、タマソの言葉ににっこりと微笑んだ。
「カケル様と出会ったのはそんな頃でした。自らの生きる意味を求めて、旅をしていると聞きました。そして、自分のできることを精一杯やる事だけを考えていらしたんです。」
「生きる意味を求める旅?」
「ええ・・アスカケと言うんです。九重の南、ナレの村の古い掟。男の子は十五になると、村を出て、旅をする。カケル様も、ヒムカ、阿蘇、葦野、行く先々で、自分にできる事を精一杯やって・・・時には、命を落とすほどの危険な目にも遭われました。それでもなお、自らの生きる意味を問い続けていらっしゃいます。」
「強きお方なのだな・・。」
「ええ・・・おかげで、九重には、多くの友ができました。隼人の長、不知火やイサの里、那の津のハクタヒコ様も立派なお方でした。・・でも、一番強きお方は、邪馬台国の女王、伊津姫様でしょう。」
「邪馬台国の女王?」
「ええ、今、九重の国々は、邪馬台国の女王伊津姫様を心の頼りに一つにつながりました。・・伊津姫様は、カケル様と同じ、ナレの村の生まれ。カケル様の妹同然にしておられました。」
タマソたちは、まるで御伽噺でも聞くように、アスカの話に耳を傾けた。
「伊津姫様は、カケル様より一つ年が若く、幼き頃に父も母も亡くされて・・カケル様の母様に育てられました。カケル様がアスカケに出る年、伊津姫様も自らの出生の秘密をお聞きになられました。・・そう、邪馬台国の王の血を継ぐ者であると・・・。」
「タマソとおんなじだ!」
カズが言う。タマソは、カズを遮るように、アスカの話の続きを聞いた。
「伊津姫様は、最初、戸惑われたそうです。それに、邪馬台国など遠い昔話の存在だと思っていらしたんですから。・・でも、カケル様とヒムカの国を旅され、先々で、邪馬台国の伝説を耳にし、人々の強き想いを受け止め、次第に、自分の為すべき事を定められたようです。」
「そのようなお方がいらっしゃるのか・・・。」
タマソは、自分の置かれた状況を省みて、深く考え込んだ。アスカは続ける。
「伊津姫様は、邪馬台国の王の血を継ぐものであるからこそ、たくさんの危険な目に遭われました。時には囚われの身となり、妖しげな薬を飲まされ、命すら危うい事もあったそうです。また、目の前で、多くの人々が戦で命を落とすのもご覧になられて・・自分が居るからこそ多くの命が奪われるのではないかと思い悩む日もあったとお話くださいました。」
「よく覚悟なされたなあ・・。」
「はい・・・。」
タマソは、アスカの話を聞き終えて、夕暮れが広がり始めた海をじっと見つめた。
「カケル様の事だが・・・。」
タマソは、アスカに遠慮がちに訊いた。
「・・・あの・・お姿は・・・。」
「恐ろしき獣人のお姿のことですか?」
「ああ・・・いつも、カケル様はあのお姿に?」
「私にもはっきりとは言えませんが・・・大事なものを守る時、腰の剣が力を与えてくれるのだそうです。でも、あのお姿の後には決まって、気を失なわれます。まるで、命を削っておられるようで・・・」
「正気なのか?」
「ええ・・体は恐ろしき獣のごとく変化していますが、正気です。・・・その証拠に、無闇に命を奪う事など滅多にありません。できるだけ傷つけぬようにしておいでなのです。皆、あの姿を見て、恐れ戦き、動けなくなってしまいます。命を奪わぬ為に、あのような恐ろしき姿になられるのだと思います。」
タマソは、納得したようだった。
「おい、みんな、宮殿へ行こう。俺は道を決めた。赤間のため、いや、アナトの国のために、命を捧げよう。王になるかどうかではない、自分のできることを精一杯やるのだ。」
タマソはそう言うと、立ち上がり、海に向かって拳を翳した。
カズもマサもサカも、タマソの言葉に同調した。

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1-11 タマソの決意 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-11 タマソの決意
宮殿の広間では、里のおもだった者たちが集まり、これからの事を相談していた。
「此度は、カケル様のご活躍もあり、水軍を蹴散らす事はできましたが・・再び、ここへ参るでしょう。その時は、防ぎきれるかどうか・・・。」
里の年長の男が話すと、王がくぐもった声で答える。
「・・昔のように、赤間の軍がいた頃ならば、何も恐れる事などないのだが・・今や、なす術もない・・・長年、何もせず過ごしてきた報いじゃ。許せよ。」
カケルは、皆に聞いた。
「あの頭目は、死に際に、屋代の水軍と名乗りました。屋代の水軍とはいかなるものなのです?」
広間にいた者は顔を見合わせた。詳しく知るものは無いようだった。王がわずかな記憶を頼りに話し始めた。
「ここ赤間は、昔、韓の国と東国とを繋ぐ要衝の地として栄えた。この赤間関を抜け、東国に向かうには、屋代の関を超えねばならなかった。大船が盛んに行き来していた頃は、屋代あたりの漁民が、水先案内を生業にしていたと聞く。・・おそらく、屋代の水軍とは、その漁民の集まりではなかろうか。」
「なぜに、水軍となり里を襲うのでしょう?」
カケルは訊いた。
「今では、韓と東国を行き来する船はない。生業がなくなり、食うに困り、里を襲うようになったに違いない。」
「では、赤間だけでなく、このあたりの里はみな同じようにあの水軍に襲われ、食べ物を奪われたり、命を奪われたりしているという事でしょうか?」
「きっと、そうであろう。・・・捕まえた兵たちに訊けばわかる事だ。」
話しの成り行きを聞いていた里の者がふと漏らすように言う。
「あいつらを退治せぬ限り、我らに安息は無い。・・どうにか、あの水軍を征伐できぬものか。」
その言葉に、里の者たちは、カケルの顔を見た。獣人に変化したカケルの姿を目の当たりにした者たちは、カケルの力に期待したのだった。
そこへ、タマソたちが戻ってきた。
「おお・・タマソ、よく戻った。さあ、お前からもカケル様にお願いしてくれ。カケル様のお力をもって、あの水軍を全て退治していただくのじゃ。」
里の長老らしき男が、タマソに近寄り、肩を叩き、そう言った。
タマソは、里の者たちの考えはとうに見当がついていた。タマソは、広間に集まる里の者たちをじっくりと見回し、改めて、王の前に進み出た。
タマソは一つ深呼吸をすると、王をきっと睨んで、強い口調で話し始めた。
「この里、いや、この国を守るのは王族の仕事です。民が平穏に過ごせるよう、持てる力を全て使い、命を懸けてでも守り抜く事が出来る者こそが、王になるべきなのです。」
先ほどまでのタマソとは別人のように、雄弁に語る様子に、王をはじめ里の者たちは驚いていた。
「私は決心しました。王の血を継ぐ者が自分しかいないのであれば、それを受け入れ、この国のために命を捧げます。再び、民が安心して暮らせる、素晴らしきアナトの国を作りたいのです。」
タマソの決意の言葉に、皆驚いた。
カケルは、アスカの顔を見た。アスカは、にこりと微笑み返した。
王は、突然のタマソの言葉に戸惑いながらも、自ら何もして来なかった事を悔い、タマソの言葉を受け入れた。
タマソは、自分の言葉を皆が受け入れてくれた事を確認するように、皆の顔を見た。カズやマサやサカが声を上げた。
「新しい王の誕生だ!」
里の者は、その声に同調して声を上げた。
「待ってくれ!」
タマソは、歓声を遮るように言った。
「私には、まだ何もできません。ただ、この赤間で毎日ぶらぶらと生きてきただけなのです。今のままでは、王になどなる資格などありません。今のままでは駄目なんです!」
タマソはカケルの前に跪いた。
「カケル様、私とともに、屋代の水軍と戦ってください。アナトの国の平和のためには、屋代の水軍を征伐せねばなりません。ともに戦ってください。」
カケルは戸惑った。タマソの言うとおり、屋代の水軍を討ち果たさねば、佐波の海の村々に平和は訪れないのは明らかだった。しかし、水軍との戦が如何なるものか、見当もつかないのだ。自分に何が出来るか、まったくわからなかった。しかし、カケルは、タマソの真剣な眼差しや、赤間の里の人々の思いは痛いほどに判っていた。
「自分に何が出来るかわかりませんが、できる事は精一杯やりましょう。」
カケルはそう答えた。宮殿には歓喜の声が響いた。

カケルは、タマソたちを伴い、牢獄へ足を運んだ。
「カケル様、ここで何をしようというのですか?」
カケルは、タマソたちに訊いた。
「そなた達、あの大船を操れるか?」
タマソをはじめ他の者も顔を見合わせた。漁をする小舟ならば、多少心得はあるものの、韓舟など操った事はなかった。韓舟には、大きな帆が張られ、風を使って波間を進む。手漕ぎの船とはわけが違うのだった。
カケルは、牢の前に立ち、縄に縛られた兵たちを見た。皆、命を奪われる覚悟をしているのか、すでに死んだような目をして牢の中に座り込んでいる。

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1-12 アナトの旗 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

アナトの旗
カケルは、牢の戸を開け、中に入った。
囚われた兵たちは、カケルの動きをじっと睨んで、壁際に張り付くように座り、息を殺している。
「皆に、相談があるのだ。聞いてくれ。」
カケルは、牢の真ん中に座り込むと、腰の剣を置いた。タマソたちは、牢の外からカケルの様子をはらはらしながら見ていた。縄で縛られているとはいえ、多数の兵がいるのだ。騒ぎ始めればただでは済まない。
「我らは、これから屋代の水軍と戦に臨む覚悟なのだ。」
兵たちの中にどよめきが起こった。
「・・勝てるわけなど無い。そう言いたいのだろう。・・ああ、おそらく今のままでは戦にもなりはしない。なんと言っても、あの大船を操れる者がいないのだからな。」
「頭がおかしいんじゃないか?」
縛られた兵の一人が不用意に言った。カケルはその声に振り返る。
「いや、私は正気だ。一つ、教えてもらいたい。そなたたちは、屋代の水軍の兵だな?」
兵たちは口ごもりながら、ああと答える。
「では、この先も、囚われの身となり、この牢獄で生きていくか?それとも、里を襲った償いにその命、差し出すか?」
兵たちはしばらく何も答えなかった。そのうちに、誰かがひくひくと泣き始めた。
「おら、里へ戻りたい。・・水軍なんぞ、なりたくなかったんだ。」
「ああ・・俺の里も襲われたんだ。捕まって、船に乗せられただけだ。戻りたい。」
皆、口々にそういい始めた。
「やはりそうか。」
カケルは、これまでの九重での戦でも、襲われ負けた者が捕われ、やむなく兵にさせられた事を見てきた。屋代の水軍も同様だろうと考えていたのだった。
カケルは立ち上がり、兵たちを前に言った。
「ならば、我らとともに、水軍を倒すために力を貸してくれぬか。」
「今度は、アナトの兵になれと言うのか?」
兵が訊いた。
その声を聞いて、タマソが牢の中に入ってきた。
「皆、もとはアナトの民であろう。皆の里を水軍から守るために戦うのだ。頼む、皆の力を貸してくれ!・・せめて、あの大船を操る術を教えてくれ、頼む。」
タマソは兵に頭を下げた。先に声を出した男が、立ち上がって言った。
「俺は、ギョク。船頭役だった。韓舟は、風を捕まえるのが難しい。教えろと言われたってすぐに覚えられるものじゃない。」
「いや、必死で覚える。なあ、教えてくれ、頼む。」
タマソは、ギョクという男にすがりつくように頼み込んだ。
「いや・・そんな必要は無いさ。大船は俺たちが動かす。屋代までの案内だってできる。そこいらの島々にも仲間はいる。俺たちは、アナトの民だ。わが里を守るのならば、命を投げ出しても構わない。なあ、みんな、そうだろ!」
ギョクの言葉に、牢の中の兵たちは生き返ったように声を上げる。
事情は、里の者たちにも伝えられた。最初は、里の者たちも警戒していたが、兵の一人ひとりの里を知り、皆、アナトの国の村々のものだとわかると、信用するようになった。

十日ほどして、大船が屋代へ向けて出航する事になった。
大船には、カケルとアスカ、タマソと仲間たちが乗り、ギョクを船頭にして赤間を攻めた兵たちも怪我をした者を残して、皆、乗り込んだ。
「タマソ、これを掲げてもらえまいか。」
見送りにきた王が、大きな布袋をタマソに手渡した。
「これは?」
「遥か昔、アナトの国がこの佐波の海を治めていた頃、我が軍が船に掲げた旗なのだ。」
手渡された布袋から、取り出したものは、錦糸で飾られ、鯨の文様が中央に縫いこまれた朱の旗であった。
「この旗を掲げて行けば、佐波の海一帯の村の長老であれば、だれもがアナトの軍だとわかるだろう。味方するものも増えるはずだ。・・いや、屋代の水軍を征伐するのは、アナトの軍でなければならぬのだ。」
タマソは、旗を広げ、帆柱に掲げた。
「それと・・これを持って行っておくれ。」
王は、腰の剣をはずし、タマソに渡した。
「お前こそ、正統なアナトの王であるという証だ。もはや、私が持っておく道理はない。すでにお前は、アナトの王なのだ。カケル様のお力を借り、何としても、アナトの国を守っておくれ。」
タマソは、返す言葉を失った。
王はタマソの手を握り、剣を持たせる。タキが、にっこりと微笑んでタマソを見つめた。カケルとアスカは、船尾でそっとその様子を見ていた。
「よし、良い風が来たぞ!さあ、帆を張れ!出航だ!」
ギョクが、皆に声をかける。帆柱に白い帆が張られ、風を掴んだ。
アナトの旗を掲げた大船がゆっくりと、赤間を離れていく。

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1-13 守役 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-13  守役
タマソやカケルを乗せた大船は、穏やかな佐波の海を、ゆっくりと東へ進んでいく。
船は、ギョクが船頭(ふねがしら)となり、皆を束ねた。鍛えられた男たちはきびきびと動いた。
タマソの供として船に乗ったカズ・サカ・マサは、ただ呆然とその様子を見ていた。
「そなた達は、タマソ王の守役としてしっかり働かねばな。」
そんな三人を見て、カケルが声を掛けた。
「守役って言ったって、何をすればいいんだ?」
カズがおずおずと訊いた。
「それぞれ、得意なことがあるのではないか?」
三人は、顔を見合わせ悩んだ。赤間の里では、タマソに付いて悪さはしていたが、仕事らしい事等した事は無かった。得意なことと言われても何も浮かんでこなかった。
その様子を見て、近くにいたギョクが助け舟を出した。
「王の守役となれば、まず、王をお守りする事が肝要。王の脅威となるものを見つけ、排除すること。これが出来ねばダメだな。」
「そんな事いわれても、判らない。どこに脅威がいるって言うんだ?」
カズが半ばヤケクソになって言った。それを聞いたマサが何か閃いたようだった。
「そうか!そうだ。おい、カズ、お前の仕事が見つかったぞ。お前、赤間の里でも、高いところに登って遠くを見ていただろ。俺たちの中で一番、眼が利くじゃないか。そうだよ、お前がその脅威とやらを見つける役をすればいいんだ。」
マサの言葉にぼんやりとカズは考えてから、手を打った。
「そうか、目の役か。それなら任せとけ。俺の目は遠くまで良く見える。目の役だ!」
それを聞いて、ギョクが言った。
「船を進める時、必ず、見張りを立てます。風を見るのも大事だが、船の進むべき道を見つけるのも大事な事。では、カズ様には見張り役をお願いしましょう。」
ギョクの言葉に、カズは有頂天だった。
「それなら、この帆柱の天辺に登ったほうが良いだろ、よし!」
カズはいきなり帆柱に登ろうとした。
「お待ち下さい。見張り役は一人では無理です。四方をしっかり見なければなりません。手下をお持ちなさい。おい、誰か、見張り役のカズ様をお助けしろ!」
甲板にいた男が数人、カズの回りに集まった。皆、カズほどの低い背丈であった。カズはそのお琴たちを連れて、すぐに帆柱に登り始めた。
「俺は、どうすれば良い?」
背の高いサカがカズを見あげながら不安げに言った。
「サカ様は、弓を引いた事はありますか?」
サカは首を横に振った。
「ならば、剣は?」
再び首を横に振った。カケルは、サカの背の高さ、腕の長さをじっくり観察した。
「銛を突く腕には自信があるのだが・・・。」
サカがぼそりと言った。
「それは良い。ならば、サカ様、船の男たちに、銛を教えてやってください。船では、魚を取る事は大事な事です。それに・・・戦になった時、銛で戦う事もあるでしょう。・・赤間からたくさんの銛を積んで来ました。皆に教えてやってください。」
「・・それで良いのか?・・」
「ええ、きっと、サカ様は将としてのお役目を果たされるはずです。」
サカの目が輝いた。
「よし、銛を覚えたい奴はいるか?俺と来い!」
サカはそう言うと、船底に納めた銛を取りに言った。
「最後は、マサ様ですね。」
マサは、二人の様子をじっと観察していた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「私は、やりたい事があります。」
カケルとギョクは、マサの言葉に聞き入った。
「私は、ギョク様に着いて、船を操る術を覚えたいのです。いつまでも一つの船では心もとない。王の水軍としてたくさんの船を従えるようにならねばなりません。その為にも、船を操る術を覚えなければなりません。」
「マサ様は思ったとおりのお方だ。思慮深く、知恵もある。きっと良き船頭になれるでしょう。良いでしょう。私が最初からお教えしましょう。」
ギョクは、マサの手を取り、頷き、船尾に導いていった。
船の上では、皆、それぞれに仕事を受け持ち、船は進んでいった。

「アスカ、済まぬな。」
船縁に腰掛け、静かに波を見つめるアスカに、カケルは言った。アスカは、ふっと顔を上げてカケルを見た。
「お前の里を探す約束・・また遅くなってしまうな。」
アスカはにっこりと微笑んで答える。
「良いんです。まだ、何の手がかりも無いんです。それより、今、為すべき事をしっかり果たしましょう。・・それに、この海の先を見ていると、何か、とても大切なものが待っているような気がするのです。・・きっと、私の里は、この海の向こうにあるはずです。そう信じています。」
カケルもアスカの視線の先を見た。

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1-14 陶(すえ)の里 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

陶(すえ)の里
「ギョク様、ギョク様!」
船の上で、タマソがギョクを探している。ギョクは、マサと供に、船尾で風の加減を見て進路を見定めていた。
「おお・・ここに居られたか・・ギョク様、ひとつ頼みがあるのです。」
タマソは、およそ王とは思えぬ言葉で、ギョクに話しかける。
「お止め下さい。王ともあろう方が、頼みがあるなどと・・それに、私は貴方の臣下です。ギョクと呼び捨てにされて良いのです。」
ギョクは、タマソの前に跪き、そう答えた。マサはタマソの戸惑う様子を見て、にやりとした。
「いや・・王と言われても・・・まあ、良い。・・ならば、ギョク・・よ。・・済まぬが、陶(すえ)の里へ立ち寄ってくれぬか?」
陶の里とは、タマソの故郷であった。物心ついたころに、かすかな記憶の中に居る父と過ごした地である。
「それは良いでしょう。ちょうど、潮目が変わり始めたところ。これ以上は東へ進めそうもありません。・・ならば、その先に見える田の島(たのしま)辺りに船を停めましょう。・・陶の浜は浅瀬が続き、大船を着けるのは無理ですから。・・小船を出し、陶に向かわれると良いでしょう。」
大船は、佐波の海の中ほどにある、田の島(たのしま)と女の島(めのしま)の間に停泊する事になった。いずれの島も、水が無いために、人は住んでいない。水軍も潜んでいないようだった。
夜明けを待って、小船が降ろされ、タマソは陶の里へ向かう事にした。カズとサカ、そしてカケルとアスカも供をする事になった。
陶(すえ)の浜は、美しい砂浜と赤松が広がる穏やかな海岸だった。小船を浜に引き上げると、タマソは僅かな記憶を辿って、幼い頃に過ごした里を目指した。カケルは、静かすぎる浜の様子に、違和感を覚え、アスカの手を取り、自分の後ろを歩かせるようにした。
松原を抜けたところに、板葺き屋根の家が並んでいた。
「確か・・この辺り・・・ああ・・あそこだ!」
タマソは、並ぶ小屋の一番端に向かった。入り口の戸板は外れ、中は埃が積もり、長い年月、誰も使っていないようだった。タマソは、壁に立てかけられた銛を見つけ、手に取った。
「ここで暮らしたんだ。父様と・・。」
タマソはじっと銛を見つめ、思わず涙を流した。その様子を見て、カケルとアスカは一旦その場を離れ、他の家の様子を見て回った。
「お前、何者だ!そこで何してる!」
タマソはその声に振り返ると、数人の男が、櫓や銛を手に家の入り口に立っていた。身なりから、この村の漁師たちと思われた。殺気立っているのがひしひしと感じられ、今にも襲い掛かりそうだった。
「赤間より参った者だ。怪しいものではない。」
咄嗟に、タマソは男達の前に跪いて答えた。
「信用できぬ。この家で物色していたようだが・・屋代の水軍であろう。」
取り囲んだ男たちが、そう言って、タマソににじり寄った。
「どうしたんだ?!」
少し離れたところに居たカズとサカが、異様な雰囲気に慌てて走ってきた。それに反応するかのように、男達は手にした銛や櫓を掲げ、カズたちに向かって行き、揉みあいになり、あっという間に、ねじ伏せられてしまった。
 三人は、荒縄で縛られ、男たちに囲まれた状態で、家並みのある里から山手に続く道を連れられていった。
 
しばらく歩くと、巨岩が積み上がる崖の下に着いた。男たちは辺りを見回した後、岩の窪みを掘り、縄を見つけ出し、引っ張る。すると、赤土の地面から戸板が持ち上がり、その下に階段が続いていた。三人は縄を引かれその中に入っていく。しばらく歩くと、巨岩の裏側に出た。そこには、先ほどの里と同じほどの家並みが作られ、人々が家の前で、仕事をしているのだった。
「戻りました。」
三人を連れてきた男の一人が、一軒の家の前でそう挨拶すると、引き戸が開き、中から、初老の男が顔を見せた。
「里を物色しておりましたので、捕まえて参りました。あと二人居りましたが、見失いました。」
その言葉に、初老の男は、三人をしげしげと眺めた。
「赤間から来たと申しておりますが・・・。」
「ほう、赤間からのう?」
初老の男は、三人を再び舐めるように見た。そして、一瞬驚いた表情を見せたが、思いとどまった様子で言った。
「・・信用できぬな・・まあ良いだろう。あとでじっくり話を聞こう。牢に入れておけ。」
タマソとカズ、サカは、縄で縛られたまま、巨岩のすぐ脇にある牢に入れられた。

カケルは、浜から上がった時からずっと誰かに見張られているのを感じていた。
一旦、タマソから離れた時、何か怪しげな雰囲気を察知して、アスカと供に身を隠していた。タマソたちが男たちに囚われた時、すぐに飛び出して止めようとも考えたが、争いで怪我を負わせるのを避けるため、しばらく様子を見る事にした。
そして、カケルはアスカを伴い、山手に向かう男たちを後を追い、隠れ里のある場所まで行き、巨岩の上から里の様子を探った。初老の男が、牢の近くであたりを見渡している。一瞬、気付かれたかと思ったが、その男は静かにその場を離れていった。
カケルは、タマソたちが牢に入れられたのを見届けると、すぐに里を後にした。

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1-15 牢の中 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-15 牢の中
「カケル様、あのままで宜しいのですか?」
アスカは、隠れ里を後にして浜に向かうカケルに訊いた。
「あの里の者たちは悪い人たちではない。きっと水軍を恐れ、あそこに隠れ住んでいるのだろう。浜から見知らぬ者が入ってきたのだ。捕らえるのは当然だろう。・・とにかく、すぐに大船に戻り、ギョク様たちと手を考えねばならぬ。」
カケルは、浜に戻るとすぐに小船を出し、田の島沖に停泊している大船に戻った。
陶の里で起きた事はすぐにギョクたちに知らされた。大船では、ギョクとマサがカケルの話を聞き、どうするか相談した。
「大船をなんとか陶の里の沖まで進めましょう。浅瀬を見極めれば何とか近づけるはず。そして、タマソ様たちをお救いするために兵を出しましょう。」
ギョクが言った。
「いやそれでは、陶の里者達が抗うやもしれぬ。そうなれば、タマソ様たちが危うい。」
マサが反対した。
「ではどうする?」
ギョクが問う。マサは答えに困った。
「この船には、アナトの国の旗が掲げられております。浜から旗が見える場所まで船を進めましょう。隠れ里に居らした初老のお方は、知恵者とみました。あのお方が、旗をご覧下されば、きっと・・争いなしに済むと思います。」
「上手く行くと良いが・・・。」
翌朝早く、大船を陶の浜の沖まで進める事になった。

夜の事だった。牢に入れられた三人の下に、初老の男が女を従えて姿を現した。初老の男は、牢の戸を開けて、中に入ってきた。そして、三人の前に座り、深々と頭を下げた。初老の男の様子に三人は驚いていると、その男が穏やかな口調で話を始めた。
「私は、この村の長、タモツでございます。そして、こっちは妻のヒナ。ご無礼をお赦し下さい。」
予想外の言葉に、三人は更に驚いていた。
「あなた方は、アナトの王族でいらっしゃいますね。・・いや、昼間、お会いした時、その服装と何より、腰の剣で、もしやとは思いましたが・・紛れもなく、アナトの王の剣でしょう。」
その言葉に、カズが少し偉ぶって応えた。
「そうさ。紛れも無くアナトの王、タマソ様である。」
「こら、カズ・・私はまだ王ではないぞ!。」
タマソはそう言ってカズを戒めた。
「やはり、そうでしたか。村の若衆は、水軍に怯え、見知らぬ者はすべて水軍だと決め付けております。・・これまでも度々村が襲われております故、仕方なき事。すぐにあの場で問えば良かったのでしょうが・・それでは、若衆の面目も立たない。それで、仕方なくこの仕打ちとなってしまったのです。お許し下さい。」
タマソは、陶の長、タモツに向かい話した。
「私は、タマソと申します。父はサダ、母はタマ。この陶の生まれです。」
「なに・・サダと申されたか・・鯨取りの名手・・あのサダの・・そうか、そうだったか。・・母様には申し訳無い事をしました。子を産んでのち、介抱の甲斐も無く・・命を・・我らの力が及ばず申し訳ないことをした。そしてサダも、あの水軍に・・・。それにしても、ご立派になられたものだ。」
長タモツの脳裏には、この村で起きた悲しい出来事がありありと浮かんできていた。傍にいたヒナも思い出し、涙した。
「タキ様はお元気か?・・そなたを連れ、赤間へ戻られたが・・。」
タマソは、この間の経緯を、タモツとヒナに聞かせた。

「それでは、強き国アナトを今一度興されると言われるのですか?」
「ええ、赤間で私は決意しました。今のまま、水軍に怯えて暮らすのはこれ以上耐えられない。赤間で水軍を討ち果たした時、決意しました。まだまだ、力不足でしょうが・・」
タマソの決意をタモツは嬉しそうに聞き入っていた。
「我らには、カケル様という強いお方は付いておられるのです。」
サカが口を挟んだ。
「カケル様?」
「ええ・・遥か九重の南より参られました。かの邪馬台国も再興されたお方です。何しろ、特別なチカラをお持ちなのです。何も怖いものなどありません。」
「特別なチカラとは?」
タモツの問いに答えようとカズが身を乗り出した時、タマソが止めた。
「いや、それは今はお話できません。それに、カケル様をお力を頼りにせず、我らの力で、水軍を倒し、佐波の海に平和を築かねばなりません。そうして、ようやく私は、アナトの王と名乗ることを許されると思っています。何卒、我らに合力いただけないでしょうか?」
「合力するのはやぶさかではありませぬが・・我らが何のお役に立てましょうか・・。」
タモツは少し戸惑い、答えた。タマソが言う。
「赤間で水軍を討ち果たした時、我らも最初は、ただ逃げ惑うばかりでした。ですが、カケル様の知恵をお借りし、皆で力を合わせて戦いました。きっと、勝機はあるはずです。」
「わかりました。明日の朝、皆と相談してみましょう。」

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1-16 襲来 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-16 襲来
「大船が現れたぞ!」
隠れ里の巨岩の上に居た見張り役が、悲鳴のような声を上げた。
「昨日の奴らが乗ってきた船に違いありません。奴らを引き出し、浜へ連れて行きましょう。」
知らせに来た若い男は躍起になって、タモツに進言した。
「皆を集めよ!そして、牢の中からあの方たちをお出しするのだ。」
タモツは、そう下知してから、隠れ里の真ん中にある広場に出た。
事情を知らぬ若衆達は、タマソたちを、広場まで引っ張り出し、槍を突きつけて睨んでいた。
「止めよ!すぐに縄を解くのだ。このお方達は、水軍ではない。アナト国の王族の方たちじゃ。」
タマソの声に、若衆達は信じられないという表情をしながら、しぶしぶと縄を解いた。
タモツは、若衆たちを前に、昨夜、タマソから聞いた事を全て伝えた。若衆達は、恐縮したような表情をしていた。
「では、あの船は、アナトの王様の船でしょうか?」
その問いに、カズが見張台まで走って、船を確認した。
「おい、あれは我らの船じゃない。」
カズが叫んだ。タマソとサカも急いで見張台に登り、カズが指差す方を見た。
三人の目に入ってきたのは、少し小ぶりで、真っ黒に塗られた船だった。屋代の水軍が陶の村を襲う為にやって来たのだった。隠れ里のいる誰もが顔を見合わせ、水軍を恐れ、沈黙した。
「ここに隠れておれば大丈夫じゃ。そのために、遥かこの地に隠れ住んで居るのだ。」
タモツは皆を安心させる為に言った。その時だった。村を隠している大岩の頂上に人影が見えた。
「誰だ!」
人影は、大岩からさっと飛び上がると、広場の真ん中に立った。カケルだった。
カケルは、大船が陶の浜に着くより一足先に、隠れ里のタマソたちに知らせる為に来たのだった。大岩の影でしばらく里の様子を探っていたが、タマソたちが陶の長達と話し合っている様子を見て、姿を現したのだった。突然、中央に飛び降りてきた見知らぬ男に、皆、腰を抜かして驚いた。
「驚かせて済みません。カケルと申します。」
タモツは、タマソ達から、すでに聞き及んでいた為、動じなかったが、若衆達は、驚き座り込んだまま、手に槍を構えている。
「あれは、屋代の水軍の船です。中には三十人ほどの兵がいるようです。」
カケルは、小舟で浜へ上がる前に、黒船の様子を探っていたのだった。
それを聞いてタマソが言った。
「ここで息を潜め、通り過ぎるのを待ちますか?それとも、我らと供に戦いますか?」
陶の里の若衆は、現実になった戦いに怖気づいて、声も出せない。そっとタモツを見ると、タモツも若衆の表情に戸惑い、首を横に振らざるを得なかった。そして、
「我らはこれまでずっとこの隠れ里で息を潜めてきた。奴らが行き過ぎれば其れで良いのだ。」と残念そうに呟いた。
「タマソ様、もう我らの船が姿を見せる頃でしょう。行きましょう。」
カケルがタマソに告げた。タマソたちは、タモツや里の若衆に頭を下げ、隠れ里を後にした。
木々に身を隠しながら、ゆっくり海岸の松原に入った。黒船は随分近くにまで寄せている。

田の島沖から、陶の浜を目指して大船も向かっていた。しかし、潮の流れが悪く、風を捉えても思うようには船は進まない。帆柱の上の見張り役は必死に目を凝らして行く手を見ていた。
「ギョク様!船が居ります。・・・真っ黒な船が浜へ近づいております。」
見張り役の叫ぶ声に、ギョクは驚いた。
「黒船に間違いないか!」
「ええ・・・ありゃあ、黒竜です。間違いない。」
ギョクたちは元はと言えば、屋代の水軍。仲間の船は良く知っている。ギョクは渋い顔をした。その様子に、マサが尋ねた。
「黒竜とは厄介な相手ですか?」
ギョクは、しかめっ面で答えた。
「屋代の水軍の中でも、取り立てて頭領が気に入っている船だ。誰よりも多くの里を襲っている。この船より小ぶりだが、作りが違う。潮に逆らっても進める上に、甲板の上に厚い板の屋根を持っているから、矢を放ってもびくともしない。そして、小さな窓から矢を放ち、船同士の戦なら負けることは無い。厄介な相手なのです。」
「黒竜」の名を聞いて、皆、俯いてしまった。完全に戦意を喪失している。
「どうしますか?」
マサが再びギョクに尋ねた。
「このまま戦っても、容易には勝てないだろう。・・・」
帆柱の上の見張り役が再び叫んだ。
「どうやら、浜に上がるようです。・・陶の村を襲うようです。」
陶の村に囚われているタマソたちの安否も心配である。ギョクが決心した。
「船を進めよう。・・奴らはまだこの船が屋代の水軍の船だと思っているだろう。ぎりぎりまで近づいて、奴らの様子を探る。隙があれば、船に乗り移って戦うのだ。アナトの旗を降ろせ!」
ギョクの言葉に、皆、顔を上げた。
「そうさ、きっと大丈夫さ。カケル様も浜にはおいでになる。タマソ様や陶の村の者たちにも合力を願いでているはずだ。そうさ、大丈夫さ。」
甲板にいた男が言うと、皆も勇気付けられたのか、再び、てきぱきと動き始めた。潮も戻り、ゆっくりと「黒竜」に大船は近づいていった。アスカは甲板で、近づく黒船を睨みつけていた。

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1-17 制圧 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-17 制圧
「黒竜」は浜の浅瀬に乗り上げるように着いた。船の脇の戸板が開いて、縄梯子が下ろされた。そこから、甲冑に身を包んだ兵が次々に降りてくる。剣や槍を構え、辺りを伺いながら、腰まで水に浸かりながら浜へ上がってきた。総勢二十名ほどの兵たちだった。そして、最後に、髪を大きく結い上げ、黒髭を湛えた屈強の男が、大剣を構えて浜に立った。
カケルやタマソたちは、気付かれぬよう、松原に伏せた格好で、その様子を見ていた。
兵たちの動きは機敏だった。赤間を襲った兵とは比べ物にならない。鍛えられ、命を奪うに心の咎めも感じないような冷たい表情をしている。兵たちは列を成すと、真っ直ぐ松原の向こうにある陶の村に向かった。もちろん、村人はいない廃墟なのだが、兵たちは、武器を構えて家々を壊すようにしながら次々に回って行った。
「どうします?」
タマソにもカケルにも問うように、ささやくような声で、カズが訊いた。
「立ち向かったところで勝ち目はないな。」
タマソが呟く。カケルが言う。
「いや、浜に上がってくれたのは好都合。船の上では手出しは出来ない。何とか、ここで・・。」
カケルはじっと兵たちの様子を伺っている。

「あの里に火をかけましょう。どうせ、あそこは捨てた村です。」
その声に振り向くと、タモツたちが居た。若衆も何人か連れていた。
「皆様が行かれてから、皆で話し合いました。怖気づいた者もおりましたが、息を殺して生きる毎日はもう嫌だと、誰とはなしに言い始め、隠れ里を守る者を数人残し、皆、ここへ参りました。」
タモツのすぐ脇にいた若衆が言った。
「反対側にも何人かおります。これで人数の上ではほぼ互角。ですが、我らには強い武器がありません。ですから、奴らが里に入っている間に、火をかけて、ばらばらにしましょう。」
その提案に、カケルは戸惑っていた。廃墟同然とはいえ、家を焼くのは忍びない。再び、ここで暮す事もままならぬだろうと考えたのだった。その様子を察してタモツが言う。
「我らが火をかけずとも、里に誰も居ないと判れば、怒りに任せてきっと奴らは火を放つでしょう。その前に、我らの手で火をかければ、きっと奴らは動揺して、逃げ惑うに違いない。そうすれば、我らにも勝機が訪れるでしょう。時はありません、さあ。」
カケルはタマソの顔を見た。
タマソの生まれ育った家もあり、今は亡き、父様・母様の思い出もあるはずだった。
タマソは決心したように言った。
「よし、ではタモツ様の進言どおり、火を放とう。カケル様、火矢を打てますか。」
カケルはタマソの心を確認し、弓を構える。
「里は、東西に一本、道があるだけです。両端と真ん中の三箇所に火を放てば、奴らも逃げ道を失い慌てるでしょう。」
タモツが言う。カケルは、こくりと頷いた。
矢頭に火がつけられた。カケルは、すっくと立ち上がり、松原を出た。大きく深呼吸をすると、弓を構える。一本目、高く構え力強く放った。きーんという甲高い音を発し、火矢が飛んでいく。東の口に立つ家の脇に置かれた稲藁に突き刺さり、火は燃え移った。二本目は、西之口、タマソの生家である。一気に弓を放ち、開いていた窓から家の中へ飛び込んだ。しばらくすると白い煙が漏れ始めた。そして、三本目。カケルは矢羽に甲高い音が出る細工をした。不思議そうにその様子を皆が見ていた。そして、弓を構えると、先ほどより更に天高く矢を放った。びゅんと音を立て、矢は飛んだ。そして遥か上空に打ち上がると、きーんと言う甲高い音をあたりに響かせて落ちてきた。里の中で物色していた兵たちは、甲高い音に驚き、家の中から出てきて、皆が空を見上げていた。そこへ、火矢が突き刺さった。運悪く、飛び出してきた兵の一人にその矢は突き刺さった。見る間に、その兵は火に包まれる。近くに居た兵たちは、何事が起きたのかと辺りを見回した。しかし、近くに敵の姿は見えない。それどころか、里の両端の家が火に包まれているではないか。火は次々に燃え移り、里の真ん中へ迫ってくる。先ほどまで、統制の取れた兵ではあったが、炎に囲まれ、動揺し、とにかく逃げ場を探して走り回る。兵を率いてきた頭目らしき男も、もはや、わが身を守る事に精一杯だった。大剣を振り回し、炎に包まれ、次々に倒れ掛かってくる家を払いながら、出口を探している。
ようやく、炎の海から逃げ出したところに、陶の若衆たちが待ち構えていた。手向かおうとする者は、若衆に殴り倒され、大人しく捕まる者は縄をうたれた。

「浜で火の手が上がっています。」
大船の見張り役が、ギョクとマサに告げる。アスカも船縁から様子を見た。確かに、浜の向こうから黒煙が上がっている。
「動いたようだな。では、我らも動くとするか。船を黒竜に寄せろ!」
帆を張り、一気に加速し、浜近くに止まっている「黒流」に大船は真っ直ぐに向かって行った。
黒船の見張りも里の異変に気付いたようだった。数人が船の屋根に上がって様子を伺っていた。
そこへ、大船が真っ直ぐに向かってきたのだ。最初は、味方の船かと油断をしていたが、異様な速さで突っ込んでくる様子に、黒竜に残っていた兵たちも敵襲だとわかった。しかし、その時には、大船は黒竜の一部を大破させ横付けされた。その衝撃に、何人かは船の外へ放り出された。
「さあ、乗り移れ!一気に片付けるのだ!」
黒竜の兵たちはあっけなく、ギョクたちに制圧された。

兵を率いてきた頭目は、すぐには見つからなかった。しかし、火が収まって程なく、焼け落ちた家の中で、火に捲かれて死んでいるのが見つかった。

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1-18 月夜の浜 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4-1-18  月夜の浜
カケルたちは、屋代の水軍の根城を目指した。大船は、タモツたちに引渡し、佐波の海一体を守れるようにしてきた。
タマソやカケルたちは「黒竜」に乗り込んだ。強い潮の流れを読み、島々の間を抜けて、屋代へ向かった。
「もう少し先へ進むと、島々が連なるところに入ります。おそらく、あちこちに水軍の船が潜んでいるでしょう。気を締めて臨まねばなりませぬ。」
ギョクが遠くに視線をやり、カケルたちに話した。
「手前に見えてきたのが、上の島、そしてその先の大きな島が水軍の根城となっている屋代ヶ島、その左手には畠ヶ島。この三つの島には里があります。他の小さな島には人は居りません。」
ギョクはゆっくりと指差して教えた。
「どれほどの船が潜んでいるのでしょう?」
カケルがギョクに尋ねると、ギョクは首を横に振った。
「水軍が一度に集まった事はありません。それぞれが、頭領から指図を受けているに過ぎません。一度、屋代で見た限りでは、十隻ほどは居たでしょうか。・・三つの島それぞれに船は戻りますから、少なくとも三十隻はいるでしょう。」
それを聞いたカズが、急に心配顔になって言った。
「それほどの敵を相手に戦など・・勝ち目はないぞ。」
それを聞いてサカが言った。
「一度に集まった事がないのだ・・ここら辺りにいるのはせいぜい数隻だろう。一つ一つ、やっつけてしまえば良いんだ。」
サカの言う事は正しかった。それぞれが頭領から指図を受けているのなら、数隻程度の集団に過ぎない。戦い方もあるだろう。しかし・・とカケルは考えていた。それほど多くの船を相手にどれほどの戦をせねばならないか、命を落とす者も多く出るに違いない。もっと別の方法で、屋代水軍を討つことを考えねばならないと思っていた。
「ギョク様、屋代の頭領とはどのような人物ですか?」
カケルが訊いた。ギョクはしばらく考えてから答えた。
「私は直接会った事はありません。限られた者しか、館へは入れず、兵達の前に姿を見せたこともありません。ただ、頭領は潮を操る神の力があると聞いております。その力で、海を行き交う船を操り、水軍を作ったのです。」
「何かの術を使うということですか?」
タマソが尋ねた。
「いや・・それもまた人伝に聞いた話ゆえ、真偽の程は判りませぬ。」
船は東へ進んでいく。先ほどギョクが話した上の島がはっきりと視界に入ってきた。南側に開けたあたりに、船着場と人家数軒並んでいるのが見える。
「これ以上舟を進めると、水軍に見つかります。潮も止まりましたゆえ、二つ島に着けましょう。」
ギョクはそう言うと船を二つ島に向けた。二つ島とは、小さな岩礁が少し顔を出した小島と寄り添うように一回り大きな島が並んでいるところだった。船は二つ島の砂浜近くで停められ、男たちは、船を降り島へ上がった。
水を確保し、夕餉を摂った。その後、皆、思い思いの場所で休息した。

穏やかな海、月が煌々と輝いている。タマソが一人、砂浜に立ち、夜の海を眺めている。
「眠れませんか。」
カケルが声を掛ける。
「カケル様・・・この先、どうなるのでしょう。」
タマソの声は沈んでいた。カケルはじっとタマソを見た。
「勇んで、赤間からここまでやって参りました。陶では、カケル様のお力を借り、何とか水軍を制圧できましたが・・この先、多くの水軍とどう戦えばよいのか・・サカの言うように、一隻ずつを相手にするとしても、どれほどの戦をせねばならぬのか・・・どうにも不安で堪りません。」
タマソはそう言うと、砂浜に座り込んでしまった。カケルは、隣に座り、低い声で答えた。
「私も同様です。ギョク様の話では、相当の敵がいるはずです。きっと、多くの者が命を落とす事になるでしょう。」
「しかし、水軍を成敗せねば、安寧な日々は参りません。どうすれば良いのでしょう。」
必死な形相で問うタマソの言葉に、カケルはまだ答えを持ち合わせていなかった。しばらく、沈黙のまま、遠く暗い海を見ていた。視線の先には、幾つかの小さな島や岩影が見えるが、水軍の本拠とされる屋代ヶ島がどのあたりか判らなかった。ふと、カケルの頭に考えが浮かんだ。
「タマソ様、水軍の島はどこなのでしょうか?」
カケルの問いに、タマソは視線を遠くに向け、睨みつけるように探ったが判らなかった。
「判りません。敵が何処に居て、どのようなものなのか・・」
「そうなのです。我らはまだ水軍の正体を知りません。ギョク様の話で、三十隻ほどではないかと考えているだけです。実際に、どれほどの兵がいるのか判らず、ただ不安を抱えても仕方ありません。まずは、敵の正体を知る事が肝要です。」
「しかし、そのためには船を進めねばならぬ。多くの敵が居れば、皆命を落とす事になる。」
「ええ・・それに我らは余りにも少なすぎます。援軍も増やさねばなりません。」
「援軍と言っても・・・このあたりは水軍だらけではないだろうか?」
「それとて、判らぬ事。この辺り一帯の様子を探りましょう。」

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1-19 徳の里 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

19.徳(とく)の里
「それならば、陸へ行きましょう。島々にはどこに水軍が潜んでいてもおかしくない。陸(おか)の里は、一度や二度は水軍に襲われたところばかり。我らが立ち上がった事を知り、援軍となってくれるものもいるに違いありません。」
カケルとタマソの考えを聞いて、ギョクも賛同した。
「一度、陶(すえ)に戻り、タモツ様たちの力も借りてはいかがでしょう。」
マサが切り出した。
「おそらく、この船で里へ近づけば、皆、水軍と思い警戒するでしょう。違うと判っても、水軍を成敗する等信じてはくれぬでしょう。ですが、タモツ様たちは我らとともに水軍を成敗した。そのことを皆に伝えれば、勇気付けられるに違いありません。」
マサの提案は、皆を説得するに充分だった。
船は、上の島の西へ抜けて、再び「陶の里」を目指した。
「黒竜」が浜辺に姿を見せたことに気付いた陶の里の見張りが鉦を叩き始める。大船の手入れをしていたタモツたちも船に気付いて出迎えた。
タマソは、タモツたちに策を話した。タモツたちも、里を守るだけでは何も変わらぬ、せっかく大船があるのだから水軍を成敗したいと申し出てくれた。
「大船と黒竜は、海岸沿いを東へ進めて下さい。我らは、陸から東へ向かい、一つ一つの里を周り、説得していきます。漁師たちを援軍につけられれば、きっと水軍と立ち向かうほどの力になるはずです。・・・そう、上の島の北に、岩村という里がございます。そこで落ち合いましょう。」
「私も、タモツ様とともに参りましょう。」
カケルが申し出た。
「オオ、それは心強い。」
すぐに、陶の里を出発する事にした。大船と黒竜には、タマソたちが分かれて乗り込み、東へ進めた。カケルとアスカは、タモツたちとともに、山陽道を東へ向かった。

陶の里から、佐波川を越え、幾つか峠を超えると、大きな入り江を持った里に着いた。
「あそこは、徳の里と呼んでおります。入り江も大きく、田畑も広がり、かつては豊かな里でした。ですが、我ら同様、水軍が度々襲い、里の者も半分ほどになっております。」
タモツは、峠から里を眺めて、カケルたちに説明した。徳の里へは、一足先に、陶の里の若者が伝令役として向かっていて、里に近づくと、数人の若者が、タモツたちを迎えてくれた。
徳の里には、高台の森の中に、深い濠と強固な柵を巡らせた砦が築かれていた。
「タモツ様、お久しぶりです。皆、無事に居られましたか?」
豊かな黒髭をたくわえた、里の頭領、ミツルが一行を迎えた。ミツルは、一行を館へ案内した。
「最近は、水軍も無闇にはここを襲うことはなくなりました。」
館は、砦の先端にあり、海を見下ろせる場所にあって、ミツルは海を眺めながらそう言った。
「これほどの砦、よく築かれたものじゃ。・・」
タモツが言うと、ミツルは少し悲しげな表情を浮かべて答えた。
「皆、必死でした。米や魚はいくら奪われても構わないが・・里の者の命だけは守らねば成りません。みな必死出、この砦を作りました。おかげで、水軍に襲われても大した事はありません。」
カケルは、その言葉の中には、おそらく、幾たびか襲われ命を落とした者たちへの、悼みの気持ちが溢れているように感じていた。
「そちらの若者はどなたでしょう?」
ミツルがタモツに訊いた。
「このお方は、カケル様。そして、アスカ様でございます。遠く、九重より参られました。」
「なんと・・九重からこの地まで参られたとは・・九重では、邪馬台国が再興されたと聞いたが・・」
カケルとアスカは、手を着いて深く挨拶をした。
「はい、葦野の里の王を倒し、邪馬台国の王族の血を継ぐ、伊津姫様が王となり、再び、安らかな国造りを進めております。我らも、阿蘇や隼人、不知火の一族とともに戦いました。皆の力を合わせ、新しい国を作ったのです。」
カケルが頭を下げたまま、話をした。
「それは頼もしい事じゃ・・・だが、そのお方が何故この地へ参られた?」
「わが里には、アスカケという掟があります。己の生きる意味を問う旅をするのです。その途中、赤間の関にて、水軍と戦うお方をお助けした事が縁にて、こうしてここに参りました。」
タモツは、カケルに続けて話をした。
「このお方たちは、先日、我らの里が水軍に襲われた時、アナトの王とともに、兵を倒し、お救い下さったお方なのです。」
「ほう・・それは頼もしいお方じゃ。・・じゃが、今、アナトの王と言われたようだが・・。」
ミツルは訝しげな表情でタモツに尋ねた。
「はい。大船にて陶の里にまいられました。」
「しかし、アナトの王は、我ら民を見捨てた者ですぞ。そんな者に何が出来ましょう。・・」
「いや、先代の王は、譲位され、今は我が里でお生まれになったタマソ様が王となり、大船を持ち、水軍成敗に出られているのです。」
「水軍成敗?それは無理でしょう。水軍の力を見くびってはならぬということは、タモツ様とて充分ご存知のはず。・・・だからこそ我らも、この狭い砦に潜むように暮らしているのです。」
「我ら陶の者たちも、水軍を退ける事などできぬと思っておりました。ですが、カケル様たちは見事にやってのけられた。だからこそ、こうしてここへ参ったのです。是非、我らに力をお貸しくだされ。」
タモツはミツルを説得するため、陶の里での戦いの様子を詳しく話して聞かせた。ミツルは、それを聞いても、まだ納得できない様子だった。
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1-20 赤龍 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

20.赤龍
徳の里に着いたのはもう日暮れ近く、その日は、砦で休む事になった。
「やはり、援軍を得るのは容易い事ではありませんね。」
囲炉裏端に座り、日の加減を見ながら、タモツはカケルに言う。
「ええ・・おそらく、どこの里も水軍に酷い目に遭っているのでしょう。だからこそ、水軍を倒し、平和な里を作らねばなりません。・・九重でも、強大な力を持つ王を皆の力を合わせて倒すことは出来ました。きっと、できます。」
「ええ・・」
翌朝、里の様子を見回るというミツルに付いて、カケルやタモツたちも里を回った。なだらかな丘から浜にかけて、田畑が広がり、豊かな川の流れもあった。浜辺には漁をする小舟もたくさん並んでいる。浜近くに来ると、若者が走ってきた。
「赤龍が現れました!」
若者が指差す沖に、朱塗りの船が見える。
「もう現れたのか・・・まだ、支度はできていないのだが・・」
ミツルは溜息をつくように言った。
「あれは、屋代の水軍の船ですね。」
カケルが問うと、悲しげな表情でミツルは首を縦に振った。
「戦支度を始めますか?」
タモツが問うと、ミツルは、浜に立つ小屋を指差しながら言った。
「いや、あの小屋に、米や魚を運び込むのです。奴らは、食糧を手に入れたいだけです。・・もちろん、以前は、我らも抗っておりましたが・・その結果、多くの命を奪われました。そして、いつからか、食糧を小屋に置き、奴らに奪わせる事にしました。それで、里の者は危害を受けずに済みますから。」
ミツルはそういうと、若者に指図して、砦から米や干物などを運ばせるよう指図した。
「精魂込めて作ったものをただ奪われる・・それで良いのですか?」
アスカが、運ばれる荷物を見て、改めてミツルに聞いた。
「命があれば、また作れます。」
その答えに、タモツが訊いた。
「なんと理不尽な事だ。ミツル様、我らとともに水軍を倒しましょう。そして、再び、強きアナトの国を作りましょう。」
「いや・・われらはこれで良いのです。それに、アナトの王が水軍を倒したとしても、同じ事です。昔、アナトの王は、我らの里から米や魚、人までも奪って行きました。水軍も王も我らにとっては同じものです。そうでしょう、タモツ様!」
ミツルは、悔しげな表情を浮かべながら、タモツに返した。タモツもそれ以上、何も言えなかった。カケルは徐々に近づいてくる朱塗りの船をじっと睨みつけていた。
ミツルたちとともに砦に引き揚げる途中、カケルはタモツに訊いた。
「我らの大船は今どのあたりでしょう?」
「それほど遠くではないはずです。潮の加減次第ですが、岬の西側辺りにいるはずです。」
「そうですか・・・ならば・・・アスカ、頼みがある。岬の先へ行き、狼煙を上げてくれ。」
カケルは、陶の里でタマソたちと別れる時、合図を決めていたのだ。訪れた先で、大船を呼びたければ狼煙を上げる。大船が近くに居ればすぐに駆けつける事にしていた。
アスカには、カケルが赤龍と戦うつもりなのだとわかった。
「カケル様、ここで事を起こすと、里の者にも危害が及ぶやも知れませぬ。」
タモツは心配顔で言った。カケルは、承知の上でこう言った。
「きっと、水軍は油断しています。それを利用して、船の中に忍び込みます。船内にはどこかの里から浚われてきて、奴隷になった者達がいるはず。その者達を味方につけます。」
「しかし・・・。」タモツは難色を示した。
「大丈夫です。奴らが荷物を運び込むのに乗じて忍び込みます。・・ミツル様には、しばらく、内緒にしておきましょう。アスカ、大船が見えたら狼煙を上げるのだ。私もその合図で動くことにする。タモツ様も、狼煙を合図に、ミツル様を今一度説得してください。」
「決して、無茶なさらぬようにしてくださいね。」
アスカは心配そうにカケルに言った。
砦の手前の森に入るところで、カケルとアスカはタモツたちと別れた。
アスカは、まっすぐ西のはずれにある岬を目指した。途中、畑から砦に引き揚げていこうとする里の若者に、岬までの道を尋ねた。
「岬まで行くのか?それなら・・あの松林の横を通って・・それから・・どうだっけ?」
若者は、指差しながら道を教えようとしたが上手く説明できず、岬まで先導すると言ってくれた。細い山道を登りながら、若者はアスカに尋ねる。
「昨日、陶の里の者と一緒に来たんだろ?名は?」
「アスカです。」
「俺は、トモヒコ。父様は、頭領だ。この里に、何の用事だ?」
アスカは、水軍を倒す為に援軍を求めている事をトモヒコに告げた。
「水軍を倒すのか・・・だが、頭領は合力しないだろうな。・・我らも何度も頭領に、戦う道を選ぶべきだと進言してきたが、拒まれたからな。・・爺様、いや先の頭領は、水軍と勇敢に戦い命を落とした。母様もその時殺されたのだ。他にも多くの命が奪われた。だから、頭領は抗う事を止めたのだ。」
タモツ達の説得にも関わらず、ミツルが頑なに拒否する意味が、アスカにもようやく理解できた。

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1-21 狼煙 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

21.戦いの狼煙
カケルは、タモツたちと別れた後、荷物を運び込む里の者の中に紛れ、浜にある小屋に向かった。腰の剣や弓は、筵に包み実を運ぶ不利をして、小屋の中に入り込み、米や肴が積み上げられた中に身を隠した。
沖に現れた船「赤龍」は、徳の浜辺に近づいてくる。浜には丸太を組んだ桟橋が設えられていて、「赤龍」はそこに横付けされた。しばらくすると、船から縄梯子が下ろされ、数人の男が桟橋に降りた。腰に剣、鎧を身に纏っており、一目で兵士だとわかった。男たちは、桟橋からしばらくあたりを見回し、里の様子を探った後、船に向かって叫んだ。
「頭(かしら)!やっぱり、ここは臆病者の里のようですぜ。」
蔑むような言い方で、船の頭を呼んだ。その声に応える様に、船胴の扉が開いて、大男が姿を現した。先ほどの兵より頭一つ分大きく、腕も足も太い。長い髪を一つに束ね、朱の服に身を包んでいる。腰には、人の背丈ほどある大剣を付けている。その男が桟橋を歩くと、ぎしぎしと歪む音が響く。
「ふん、ここはいつ来てもつまらぬ所だ!たまには我らにたてついて来ぬかのう。そろそろ、真っ赤な血の色を拝みたいものだが。」
そう言うと、腰の剣を抜き、高く掲げた。そして、
「おい、いつものように小屋へ行け!さっさと運べ。こんなところに長居は無用だ!」
そういうと、再び、船の中へ入って行った。
船の中から、ぼろぼろの衣服を纏い、やせ細った男達が十人ほど降りてきた。どこかの里で捕まり、奴隷として遣われているのだろう。誰もが俯き、空ろな目をしている。覗いた手足には、あちこちに痣や傷跡もある。その男たちは、先ほどの兵士に小突かれながら、浜にある小屋に入り、徳の里の者たちが運んだ米や魚などを次々に運び出しては、船に運び入れる。
見張りの兵士は、運び終わるまで、桟橋に座り、時々、奴隷達にちょっかいを出しながら、なにやら談笑を始めていた。
奴隷の若い男が、小屋の墨にある筵袋を持ち上げ、あっと驚いた。
そこにカケルが居た。カケルは飛び出し、その男の口を塞ぐ。そして、耳元でそっと言った。
「私はカケル。屋代の水軍を倒すために、潜んでいたのだ。何とか船に潜り込みたい。協力してくれぬか?」
カケルの言葉に、最初、男は驚いたままじっとカケルの顔を見た。水軍を倒すなど正気の沙汰ではないと思った。だが、カケルの真剣な表情をみて、頷いた。
男は、口を塞いだカケルの手を外すと、小さな声で言った。
「この筵袋に隠れてください。我らが船まで運び込みます。」
カケルは、男の目を見て頷くと、静かに袋に身を潜めた。
この若い男は、もう一人、男を呼び、カケルの潜む袋を持ち上げ、小屋から出ると、そのまま桟橋から船へ向かおうとした。
その時、桟橋に座っていた兵士の一人が、声を掛けた。
「やけに重そうに運ぶなあ、一体何だ?」
若い男はどきりとした。すると、もう一人の男が事情をわかっていて、さらりと答えた。
「鹿の肉のようです。余りの大物なので、二人で運んでます。」
「ほう、鹿肉か。ちょっと見せてみろ!」
そう言って、立ち上がり、筵袋に手をかけようとした。と同時に、他の奴隷が桟橋で躓いて、運んで来た魚の干物をぶちまけてしまった。
「こらっ!何をしてるんだ、のろま野郎!」
兵士は、ぶちまけた干物を蹴り散らして、転んだ奴隷をなじった。その隙に、カケルの潜む筵袋をさっさと船蔵へ運び込む事ができた。
船蔵に運ばれた荷物の隅で、若者は筵袋を開いた。中から、カケルが顔を出す。
「助かりました。」
カケルは辺りを見回した。
「大丈夫です。ここは船蔵。この上には供に捕まっている仲間達が居ります。兵が来ればすぐにわかります。」
「そうですか・・・すみません。危ない真似をさせてしまって・・。」
「いえ、良いんです。我らも機会を伺っておりましたから・・ああ、私は、タカヒコ。熊毛の里の者です。我が里は、長い間、水軍と戦っております。私は半年ほど前に、水軍との戦で捕まってしまって、仲間たちと供にこの船で奴隷として遣われているのです。」
若者は、真っ直ぐな視線でカケルを見つめた。
「やはり・・そうですか・・・熊毛の里とは?」
「ここより更に東。古くは、アナト国の東の守りの役目をしております。水軍が現れてからは、常に、戦の日々なのです。・・・水軍を倒す言われたが・・何か策が?」
カケルは、赤間や陶での出来事から、沖に居る大船と黒龍の事を話した。
熊毛の里、タカヒコはカケルの話を聞きながら、じっと考えていた。そして
「判りました。我らも機会を伺ってきました。兵士達など大したことはありません。武器さえ奪ってしまえば、我らのほうが数が多い。ただ・・頭目だけは・・身丈も大きく剛力で、何人か束にかかっても敵わぬほどの猛者です。頭目さえ抑えられれば、怖れる事は無いのです。」
「では、私が頭目の相手に鳴りましょう。頭目は何処に?」
「おそらく、船の帆柱に持たれて座っているはずです。」
「わかりました。岬の先から上がる、二度目の狼煙が合図です。」
「承知しました。」
タカヒコはそう言うと、階上へ上がって行った。
カケルは、船蔵を出て、一旦船尾へ向かった。幸い、兵士達は辺りには居なかった。

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1-22 反乱 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

22.反乱
アスカとトモヒコは、ようやく岬の先端に辿りついた。眼下には光る海が広がっている。アスカは、目を凝らして大船を探した。
「おい、あれは?」
トモヒコが指さした。遠くばかりを探していたアスカは、すぐ足元の海岸に停泊している大船と黒龍に気付かなかった。
「あれが、アナトの王の船なのか?」
「狼煙の支度を・・・。」
アスカは、木の葉や小枝を集め始めた。
「ここからじゃダメだ。下へ降りよう。この先に良い場所がある。」
トモヒコは藪の中を真っ直ぐに海のほうへ降りていく。アスカも着いていくと、石垣が組み合わさった場所に着いた。
「ここは、大昔、海の見張り台があったところだそうだ。ほら、その先。」
タカヒコが指さした先には、足元に名無が打ち寄せる突堤のような場所が作られていた。
「あそこからなら、船にも里にも良く見えるだろう。さあ、行こう。」
タカヒコの言うとおり、突堤のような場所に出ると、停泊している大船も、里の浜にいる「赤龍」も良く見えた。タカヒコは木の葉や小枝を集め、突堤の隅にある小さな釜戸のような物に入れ、火を起こした。白い煙りが立ち昇った。

大船の帆柱の天辺には、カズが居た。大船は、カケルやタモツたちが陸路で東へ向かった後、陶の浜を出たのだが、風が悪く、しばらく進めず、ようやくこの辺りまでやってこれたのだった。そして、この浦で風を待っていたのだった。
「おや?あれは・・・」
カズは岬の先端から立ち昇る白い煙に目を凝らした。さほど離れた場所ではなく、人影も判った。
「タマソ様、岬の先から煙があがっております。」
帆柱の上からそう叫ぶと、下に居たタマソやサカも目を凝らした。
「よし、少し船を進め、岬に近づけよう。」
船はゆっくりと岬へ向かう。後ろに居た黒龍は、大船に青旗が掲げられたのを見て、後を付いてきた。離れた船同士は、旗を掲げて意思を伝える事ができる。
大船がゆっくりとアスカたちの居る岬に近づいてきた。
「やってきたわ。・・・ならば、これ。」
アスカは懐から、布を一枚取り出した。そして、狼煙火の中に放り込んだ。布が燃え上がると、一気に赤い色の煙が立ち昇った。
「赤い狼煙、あれはアスカだ。カケルからの知らせだ。戦の支度をして、次の浜へ急ぐぞ!」
大船にいたタマソは、狼煙の煙で、カケルが何か起こそうとしている事が判った。大船が岬を回りこんだ時、帆柱の上のカズが再び叫んだ。
「浜に、赤い船が泊まっているぞ!」
すると、船の兵達が「赤龍だ!」と誰ともなく叫んだ。
「よし、戦支度だ。良いな、我らは水軍を倒し、この国に安寧をもたらすためにここに居る。命を懸けて、戦おうぞ!」
タマソが号令を掛けた。一気に大船は速度を上げた。後ろを走っていた黒龍のギョクも事態を理解した。そして、速度に勝る黒龍は、大船を抜き前に出た。
「ちゃんと伝わったようね。・・ならば、今一度、狼煙を。」
一度、煙を切った後、アスカは再び狼煙を上げた。
今度は、赤竜に潜んでいるカケルへの合図であった。
赤龍の中では、トモヒコが仲間たちに、反乱を起こす相談を纏めていた。空ろな目をしていた男たちは、トモヒコの話を聞き、一気に活気を取り戻した。そして、予てから隠し持ってきた小刀や先端に石を結んだだけの棒などをそっと手にして様子を伺った。

「よおし!荷物も積み込んだし、そろそろ出立じゃ。さあ、お前たち、漕ぎだせ!」
帆柱に持たれ胡坐をかいたまま、剛力の頭目が号令を掛けた。
兵が数人、奴隷の漕ぎ手がいる部屋へ入ってきて、鞭をたたき、号令を掛ける。
「ようし、漕ぎだせい!」
仕方なく男たちは櫂を手にして、ゆっくりと漕ぎ始めたが、息が揃わず、船はなかなか進みださない。
「何をやってるんだ!ほら、しっかり漕がねば、こうなるぞ!」
兵の一人が、奴隷に向け鞭を叩いた。男たちは、ぐっと俯いて櫂を握り締める。
「狼煙だ!」
小窓から外の様子を見ていたトモヒコが叫んだ。その声で男たちに火がついた。櫂を投げ出し、足元に忍ばせていた小刀や棒を手にした。そして、部屋に居た兵を一気に襲った。
「よし、いよいよだ。みんな、覚悟は良いな。この機に一気に奴らをやっつけよう!」
トモヒコは、男たちに声を掛けると、男たちは一気に漕ぎ手の部屋を飛び出した。
「おい、どうした?船が動かぬではないか?」
頭目が立ち上がった。すると、沖合いから近づいてくる、大船と黒流が目に入った。
「おや?あれは、白麗(大船の名)と黒龍。ここは奴らの縄張りではないはず。何故ここに?」
訝しげな表情で、沖合いを見つめる頭目に、部下の兵士が叫んだ。
「奴隷達が、反乱です。」
「なんと、愚かな。命が惜しくないのか・・・。」
頭目は、一つ、ため息をつくと着くと、脇にあった大剣を持ち上げた。

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1-23 対決 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

23.対決
「貴方の相手は、私だ。」
立ち上がり、大剣を手にした頭目の前には、カケルが立っていた。
「お前はだれだ?」
「私の名は、カケル。九重から来た。」
「九重の者が、なぜここに居る?」
「アナト国の王と供に、新しき国作りのために、貴方がたを討つ。」
「アナトの国?新しき国作り?ふん、我が水軍も舐められたものよ。まあ、良い。どのみち、ここで果てるのだ。そらっ!」
頭目は、大剣を振り上げ、カケルに打ち下ろした。カケルは飛びのいて剣をかわす。大剣は、バリバリという音を立て、船の天井を打ち破った。
「ほう、多少はやれるのか。面白い。どこまでやれるかな?」
頭目は、大剣を引き抜くと再びカケルに迫ってくる。
「どうした?腰の剣は見せ掛けか?ほら、抜いてみろ!」
カケルは剣を抜いた。振り下ろされる大剣を払いのけようと横に大きく振った。ガキンと鈍い音がした。すると、頭目の大剣は、中ほどあたりで真っ二つに割れてしまった。
「おや・・長く遣っていなかったからか?まあ良い。」
頭目は、そう言うと、大剣を海の中へ投げ捨てて、帆柱に手をかけた。
「俺の本当の武器は、こいつなのさ。」
そう言うと、帆柱に括り付けられていた太い棒を外し手に持った。頭目の身丈の二倍はありそうなほど長い矛(ほこ)である。矛先は二つに分かれ、鍵のような形をしている。
「さあ、ここからが本当の戦いだ。そら、どうだ!」
矛先は、まっすぐカケルに向かっている。
頭目は、「それ!それ!」という掛け声と供に、カケルに矛先を突き立てる。カケルは左右に飛びながら矛先をかわすが、徐々に船の先端に追い詰められていく。すると、階下から兵達が数人駆け上がって来て、弓を構え、矢を放ち始めた。
「さあ、どうする?もう、後が無いぞ!ほれ、ほれ!」
頭目は不敵な笑顔を浮かべて、まるで獅子が子鼠を弄ぶような感覚で矛をついて来る。
カケルは、迫る矛先と飛んでくる矢を避けながら、機会を待った。
カケルの場所からは、大船と黒龍が徐々に迫って来ているのが見えていた。
「ううっ!」
一本の矢がカケルの右腕を貫いた。その衝撃で、カケルは足を取られ、船縁から転落した。
「ふん、口ほどにも無い。」
頭目がそう言って、カケルが落ちた辺りの海面を覗き込んだときだった。
「ヒュンヒュン」という音と供に、雨のように矢が降り注いできた。赤龍の天井にいた兵たちは次々に矢に射抜かれ、倒れていく。
「どうした?」
頭目が顔を上げると、「黒流」から、矢が放たれている。
さらに、その後ろ、頭目が「白麗」と呼ぶ大船には、錦糸で鯨が刺繍された朱の旗-アナト国王の旗が大きく掲げられていた。
「なんと、アナトの王が船を奪い攻めてきたというのか!」
頭目は、初めてうろたえた表情を見せた。矢に射抜かれ転がる兵を足蹴にして、頭目は、階下の兵に命じた。
「船を回せ、船首を黒龍に向けよ!ほら、どうした!漕がぬか!」
掛け声にも船は反応しなかった。階下の漕ぎ手の部屋はすでに、奴隷とされた男達が兵士達を倒していた。そして、男たちは、倒した兵から剣や弓を奪い取り、頭目へ迫ろうとしていた。

トモヒコは、大船が浜に向かったのを確認すると、急いで、徳の里の砦へ向かった。徳の里へ行き、頭領へ、今一度、水軍と戦う事を進言するためだった。アスカは、トモヒコと分かれ、浜辺に向かった。カケルが心配だったのだ。
「頭領、頭領!」
トモヒコは、砦に入ると頭領を探した。頭領は、砦の端にある物見台から、じっと浜辺の様子を見ていた。カケルの姿が見えなくなった事で、密かに船に乗り込み、水軍と戦うつもりだとわかっていた。だが、もし敗れれば、兵達が一気にここへ迫るに違いない。その事を心配し、じっと成り行きを見ていたのだった。
「頭領、こちらでしたか。」
トモヒコは、そう言うと、物見台から浜を見た。戦いが始まった事は、物見台からもわかった。そして、沖から、アナト国の旗を掲げた大船が近づいているのも判った。
「頭領、われらも戦いましょう。このままじっと水軍の言いなりになって、息を殺して生きるのはもうやめましょう。アナトの王も来られています。今ならば、奴らを打ちのめす事ができるはずです。」
トモヒコの進言に、頭領ミツルはずっと目を閉じたままであった。ミツルの脳裏には、先の頭領が命を落とした戦いがありありと浮かんでいたのだった。再び、あのような悲しみを繰り返したくない、その強い思いがあるからこそ、水軍から里の者を守る砦を作り、ひもじい思いをしながらも米や魚を奴らに渡してきた。それが自らの使命だと思ってきたのだ。
「トモヒコよ、そういう時が参ったのかも知れぬな。だが、わしには出来ぬ。年老い過ぎた。これより、お前が里を率いて参れ。そして、長年の恨みを晴らしてくれ。」
頭領ミツルは、静かにそう言うと、部屋へ篭ったのだった。

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1-24 勝利 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

24.勝利
天板の上では、頭目が、弓を構え、「白麗」と「黒龍」に向けて、次々と矢を放っていた。
ただ一人の矢は届きはするが、大した威力など無い。もはや、頭目の敗北は明らかとなっていた。
天板に、タカヒコ達が現れた。階下にいた兵は、タカヒコたちによって制圧されていた。
頭目は、振り返り、睨みつけた。先ほどまでの余裕の表情など無い。弓を投げ捨てると、矛を持ち、構えた。
タカヒコが先頭に立ち、兵から奪った剣を構えて、ゆっくりと歩みを進めた。仲間たちも徐々に、間合いを詰めていく。
「もはや、敗北は明らか。矛を捨てられよ!」
頭目には、負けるなどという事は受け入れられぬ事であった。
「負けはせぬ、負けはせぬぞ!」
頭目はそう叫ぶと、矛を掲げ、タカヒコたちに迫った。さすがに大男の頭目が振り回す、矛の威力は凄まじく、タカヒコの持っていた剣は弾かれ、他の者も慌てて飛び退くのが精一杯だった。
「うおーっ」
次の瞬間、頭目は叫び声を上げ、船から飛び、桟橋へ下りた。
「逃さぬぞ!」
タカヒコたちは、すぐに頭目の後を追うため、階下に下りた。
桟橋に立った頭目は辺りを探った。なんと、浜に娘が一人いる。アスカだった。船の戦いを心配し、トモヒコと分かれて一人で浜にやってきていたのだ。頭目は、矛を抱えたまま、真っ直ぐアスカのところへ向かう。アスカも気付き、すぐに陸へ逃げようと走った。だが、頭目のほうが早く、浜小屋のところで、頭目はアスカを捕まえたのだった。
タカヒコたちが、桟橋へ出て浜へ降りた時にはすでにアスカは頭目に羽交い絞めにされていた。
迫るタカヒコたちに向かって頭目が言う。
「さあ、どうする?この娘を殺し、俺も殺すか?」
頭目は、浜小屋を背にして立ち、アスカの首筋に矛の先を当てて凄んだ。
「なんと、卑怯な真似を!」
「この娘、助けたくば、武器を捨てよ。さあ!」
ちょうど、その時、砦からようやく出てきた徳の里の者たちも姿を見せた。
「アスカ様!」
先頭にトモヒコが居た。里の者と船で奴隷として遣われた居た者が浜小屋を取り巻いた。
「逃げられはせぬぞ!」
トモヒコが叫ぶ。
「ほう・・徳の里の者もようやく出てきたか。・・長い間、我らに虐げられ、抗う事もできぬ腰抜けどもだったが・・・まあ、良い。この娘、助けたくば、小舟を用意せよ!さあ、急げ、急がぬと娘の命が尽きるぞ!」
アスカを人質にして、逃げ延びる算段だった。すぐに小舟が用意された。
「離れろ!ほら、どけ!道を空けろ!」
頭目は、アスカの首筋に矛の先を当てたまま、じりじりと小舟まで歩いていく。
鋭く砥がれた矛の先が、軽く飛鳥の首筋に当った。首筋から真っ赤な血が一筋流れ、首飾りに伝った。すると、徐々に首飾りが光り始める。首飾りの先に吊るされている土笛も低い音を立て始めた。
「なんだ、どうした?この光は?」
アスカを羽交い絞めにしていた頭目は、突然の光と音に驚いた。光と音は徐々に徐々に大きくなっていく。
頭目を取り巻いていた、タカヒコやトモヒコ達も驚き、様子を見守った。不意に、海岸にも光が生まれた。それは、カケルだった。頭目との戦いで、海へ落ちたカケルが、波打ち際に横たわっていたのだった。光は、カケルの腰の剣だった。剣の光は、カケルの全身を覆った。
「ぐるるるるる・・・。」
カケルが波打ち際で仁王立ちになっている。全身が震え、手も足も獣のように太くなっている。カッと目を見開くと、真っ直ぐ、頭目を睨みつけた。一歩、一歩、頭目に近づいていく。異様な光景だった。辺りの者はみな凍りついたように身じろぎもせず、じっとカケルと頭目を注視している。息の音すら聞こえない。波も風も止まったようだった。
「く・・来るな!化け物め!来るな!」
頭目は、迫るカケルの様相に恐れをなしている。カケルは、ゆっくりと腰の剣を抜いた。剣からは眩い光が発している。
「・・来るな・・・あああ・・。」
頭目は、その場に座り込んでしまった。
アスカは、その隙に、頭目の手を離れ、カケルに駆け寄り、背後に身を隠した。そして、カケルの背にそっと手を当てた。すると、カケルはゆっくりと息を吐き出し、もとの姿へ戻っていく。
「観念されよ。もう逃げ道もない。抗えば、命を落とすだけ。罪を償われよ。」
カケルが優しく囁いた。その言葉に、正気に戻った頭目は、辺りを見回した。数多くの民がじっと見ている。その目は全て、自分への恨みを持っているようだった。そして、その中に、哀れみに色さえ感じるのだった。
頭目は、地面に視線を落とし、今まで感じたことの無い悔しさと虚しさを噛み締めた。と同時に目の前に居るカケルへの憎しみが強く湧いてきた。
「うおーーっ。」
次の瞬間、頭目は矛を手にカケルに襲い掛かった。カケルは、身を返し、剣を振り下ろした。頭目の体は真っ赤な血潮を噴出し、その場に倒れた。

1-1-24狼の遠吠え1.jpg

1-25 決断 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

25..決断
砦には、カケル、タマソ、タカヒコ、トモヒコ、タモツ等、この度の戦いで集まった者たちが顔を揃えていた。
「水軍は、それぞれ襲う里が決まっているようです。」
タカヒコが切り出した。タカヒコは、隣の熊毛の里の闘いの様子や、里を襲ったときの様子などを話した。タモツも、陶の里での事も話し、それぞれの里を襲った船が決まっている事を改めて確認した。
「すると、陶や徳の里にはこれよりのちは、水軍が訪れる事はないということか。」
タマソが言う。すでに、タマソは皆からアナト国の王と認められ、座の真ん中に座っていた。
「御意。・・ここに、白麗、黒龍、赤龍、三艘の船を手中にしました。もう、ここからの戦は我らにも分が出てまいりました。すぐにも、我が里、熊毛へ向かい、水軍との大戦を構えてはいかがでしょう?」
タカヒコが提案した。トモヒコも同調した。
「徳の里も加勢いたします。・そうだ、赤龍を我らに下されば、活躍できましょう。」
「ならば、黒龍は陶の我々に下さりませ。白麗を主船(おもぶね)として船団となりましょう。積年の恨みを晴らしたく存じます。」
タモツも同調した。
「カケル様、いかがでしょう?」
タマソがカケルに訊く。
頭目を倒した後、カケルは、気を失い、アスカの手当てを受けながら、横になっていた。じっと皆の話を聞きながら、ずっと天井を見つめていた。
タマソの問いに、カケルはゆっくりと身を起こしながら言った。
「この戦は、アナトの国の民の為。理不尽な蛮行を繰り返す水軍を征伐せねばならぬのは当然でしょう。・・・しかし・・・。」
「しかし?・・・何かまだ・・。」
「いや・・力と力で戦えば、多くの命を落とすことになります。・・あの頭目とて・・まだ、生きて償うべきであったはず。追い詰められ自分を見失った為に・・あのような事に。私は、命を奪う力を持つ我が身が恐ろしいのです。今、我らも、徐々に力を持ってきました。だからこそ、より慎重に事を構えるべきではないかと思います。」
「では、どうしろと?」
「いや・・判りません。ただ、力だけを背に、進むべきではないと・・・。」
煮え切らないカケルの言葉に、いらいらした口調で、トモヒコが言った。
「これは、我がアナト国の戦いです。王であるタマソ様がお決め下さい。」
トモヒコは、徳の里でも父である頭領に幾度と無く水軍との戦を進言しては拒否されてきた経験がある。だからこそ、鬱積したものも多く抱えており、少し性急な言い方で、戦への決断を王であるタマソへ迫ったのだった。
タマソ王は、周囲の者たちの顔をひとしきり眺めた後、ゆっくりと口を開いた。
「我らは、屋代の水軍を征伐する為に、ここまで来た。新たなアナト国を築く為に避けて通れぬ道なのだ。皆、心一つにし、アナト国のために、命を奉げてくれるか。」
皆、無言のまま頷いた。
「皆の覚悟は判った。我らはこれより、熊毛の里へ向かい、水軍との戦に臨む。まだまだ我らの力は弱い。熊毛の里も援軍とし、死力を尽くし戦おうぞ。」
タマソ王の言葉に、皆、気勢を上げた。ギョクが続ける。
「船も3隻となった。この先は、船団を組み進みましょう。白麗にはタマソ王に、黒龍にはタモツ様に、そして赤龍にはトモヒコ様に乗っていただきましょう。・・・赤龍を先導役にするが良いでしょう。熊毛までの道、タカヒコ様、案内いただけますか?」
「良いでしょう。水軍に見つからぬよう、できるだけ海岸沿いに進みましょう。」
タカヒコは応えた。こうして、赤間、陶、徳、熊毛のそれぞれの里の者が分かれて乗船し、出発の準備を進める事になった。
「カケル様、いかがされます?」
タマソは、戦を決断した事の正否を確かめるように、カケルに訊いた。
「私は・・・陸路を進みましょう。この先、熊毛までも小さな里はあるのでしょう?そうしたところがどうなっているか、少し見ておきたいのです。熊毛に入るのが少し遅れるかもしれませんが、お許し下さい。」
そう言って、アスカの顔を見た。
「私も、カケル様とともに参ります。船の上では私は何のお役にも立てません。カケル様に従い、村々で出来る事をやります。」
「そうですか・・・わかりました。・・・我らも、熊毛に入りしっかりと戦支度を整えましょう。水軍と正面から戦うには、まだまだ力不足。カケル様がお越しになるまで、戦には入らぬようにいたします。」
こうして、アナト国の船団は、徳の浜を離れ、穏やかな佐波の海へ出て行った。
カケルとアスカは、徳の里の女御から、新しい衣服や旅支度を用意された。女御たちが用意したのは、熱い木綿布を藍で染め抜いたものだった。
「この先は山中ばかり。でも、この服なら、虫や蛇も寄せ付けません。カケル様、アスカ様、お体に気をつけてくださいね。お二人のご恩、決して忘れません。」
女御たちは別れを惜しんだ。道案内には、サンジという男が選ばれた。サンジは、熊毛の生まれで、山猟師であった。陸路なら誰よりも詳しくうってつけだった。
「この先、しばらく峠道が続きます。なあに、五日ほど歩けば、熊毛の里に着けますから。」
サンジはそう言って、狭い陸路を先導して行った。

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1-26 可良(から)の里 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

26.可良(から)の里
徳の里から、峠を越えた辺りには、小さな里が幾つかあった。しかし、どの里も、度重なる水軍の略奪に遭い、疲弊していた。カケルとアスカは、里を通る時、少しでも役立てばと、山中で狩りをし、幾ばくかの獲物を置いてきたり、家や水路の修復もした。おかげで、五日で着ける予定は随分と狂ってしまったのだった。
「あの峠を越えたところに室積の里があります。そこから、峠を越えれば、熊毛の里に入ります。」
サンジは、遠くに見える峠を指差して言った。
「もう大船は着いているだろうか?」
カケルが問う。
「さあ・・徳の里から、上手く進めば二日ほどですが・・・なにぶん、その流れが判りません。時にまったく進めぬ事さえあるようですから・・・特に、熊毛の里の前は渦潮となっていて、簡単には岸に着けないと聞きました。そのおかげで、水軍も滅多に襲えないところなのです。」

五日目に辿りついた可良(から)の里は、海岸まで迫った山と海に浮かぶ島との間に土砂が溜まり、地続きとなった平地にあった。10軒ほどの家がこじんまりと集まって集落を作っていたようだが、皆、黒く焼け落ち、家跡ばかりになっていた。
「水軍に火をかけられたのでしょう。」
サンジは、里に誰か残っていないか、焼け落ちた家屋の周りを探り歩いた。
「痛い!」
アスカが叫んだ。何処からか石礫が飛んできた。
「誰だ!誰か居るのか?」
カケルが石礫の飛んできた山の方へ叫んだ。だが、返答は無く、再び石礫が飛んでくる。どれもちいさな石ころで、怪我をするようなものではなかった。
「出ておいで、我らは水軍ではない!何もしないから!」
カケルは山裾にある草叢に向かって叫ぶ。アスカも立ち上がり、草むらに近づき優しく言った。
「怖がらなくても大丈夫。何もしないから。」
アスカの優しい声に反応したのか、草叢から、男の子が一人顔を出した。だが、警戒している。手には棒を持ち、じっとカケルとアスカを睨みつけている。衣服は、ところどころ破れ泥まみれ、全身はやせ細っている。十歳くらいなのか、何も言わずじっと立っている。そして、その子どもの後ろにも、子どもが顔を出した。はじめに出てきた子どもより少し小さい女の子のようだった。
「兄妹か?」
カケルの問いかけに、女の子はビクッとして男の子の背に隠れた。
「二人だけ?」
アスカが訊くと、その兄妹の後ろから、十人ほどの子どもが顔を見せた。皆、一様に汚れた服でやせ細っている。じっとカケルとアスカを睨んだまま、押し黙ったままであった。
「カケル様!カケル様!」
サンジが里を一回りして戻ってきた。その声に子ども達は、急いで草むらに隠れてしまった。
「誰も居ないようですね。水軍の奴らが皆殺しにしたか、連れて行ったか・・惨い事をする。」
「いや・・サンジ様、ここに子どもたちが隠れております。」
「何ですと?・・子どもたちが?・・・おい、俺は、熊毛の里のサンジ者だ。顔を見せろ。」
サンジは、草むらに声を掛ける。先ほどの子どもの中の一人が立ち上がり、顔を出した。
「サンジさん?!」
「おお・・・お前は・・テツ、テツじゃないか! 無事だったか・・良かった。」
顔を出した子どもは、サンジと顔馴染の子どもだった。サンジは山漁師で、熊や猪を獲物に、この周囲の山々を歩き渡り、この里にも何度か立ち寄った事があったのだ。
サンジは、テツから話を聞いた。
「カケル様、子どもらの話では、三日ほど前、ここに水軍がやって来たそうです。親御たちが、急ぎ、子どもたちを山に隠したようで、燃え盛る火を見て、戻った時には、誰も居なかったようです。おそらく、水軍が連れ去ったのでしょう。」
「子どもらだけが残されたのか?」
「そのようです。皆、ひもじい思いをしています。私は、猪でも獲って参りましょう。」
サンジが言うと、「私も行こう」とカケルも猟に同行することにした。
「アスカ、子どもらを頼む。・・身奇麗にしてやってくれ。それから・・里の中のどこかに米でもあれば良いのだが・・・」
カケルが言うと、アスカは、「承知しました。」と答えた。
アスカは、子どもらとともに、焼け落ちた家屋から使えそうなものを集め、かろうじて焼け残った家に入り、かまどに火を起こした。近くの湧き水から水を運び、湯を沸かした。沸いた湯を使い、子らの体を洗い、衣服も洗った。その頃には、子どもたちもようやくアスカに心を開くようになっていた。
水軍に襲われ、家々が焼け落ちる光景を目の当たりにした子どもたちは、心に深い傷を負っているようだった。体を洗っている最中にも、突然、涙す事もあり、アスカもつられて涙を流した。一番幼い子は、ずっとアスカの傍にくっついている。よほど辛かったのだろう。
夕暮れには、カケルとサンジが、大きな猪を抱えて戻ってきた。猪はすぐに開いて、火に翳し焼いた。子どもらは、競うように猪の肉を頬張った。満腹になった子どもらは、火の傍で横になり眠りに落ちた。
「子どもらをここに残していくわけにはいきません。熊毛の里まで連れて行きましょう。」
サンジは、眠る子らの顔を眺めながら言った。カケルもアスカも頷いた。
翌朝には、子どもらとともに、カケルたちは峠を越えて、熊毛の里の入口に入ったのだった。

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1-27 馬島(ましま) [アスカケ第4部瀬戸の大海]

27.馬島
徳の浜を出航した船は、途中、強い波と東風のために、思うように進めず、小さな島影に避難しながら、熊毛の里を目指して進んだ。三日もあれば到着するはず距離だが、五日掛かってようやく、熊毛の里の入口に当る梶取岬に到着できた。
「ここから先は、潮の流れが複雑で、途中、渦の捲いているところもあります。屋代の水軍も潜んでいるかもしれません。充分に用心して参りましょう。」
ギョクは、慎重に船を進める。潮は予想以上に複雑で、赤龍と黒龍は何とか突き進んだが、大船「白麗」は船体が大きく渦に取られると思うように進めず、タマソ達は難儀をした。
「こんな事では、水軍との戦など出来ぬぞ!」
タマソは揺れる船の船尾に立ち、漕ぎ手に声を掛ける。眼前に、高い山が見えてきた。
赤龍が先行していく。ゆっくりと慎重に船を進めていた時だった。船首で行く手を見張っていた者が叫ぶ。
「船が居ます。・・・大船です!」
「水軍が現れたか!」
赤龍の中は、水軍出現に色めき立った。
「そこの島影に隠れるぞ!」
後続の、黒龍や白麗にも旗で知らされた。三隻は潮に流されぬよう、それぞれを縄で縛り船体をくっつけた状態で「馬島」の影に停泊した。そして、やってくる大船の様子を探る。
大船は、船体を右や左に揺らし、時には後退している。その様子は、遠目で見ても、激しい潮の流れに揉まれ、舵が効かずにいる様だった。
「様子がおかしいな。」
ギョクが呟いた。タマソやタカヒコたちも船縁からじっと様子を見守っていた。
そのうちに、大船は、少しだけ頭を出していた岩礁を避けようとしたのか、大きく右に船体を振ったと思うと、馬島の浅瀬に乗り上げて、身動きできなくなったようだった。
しばらくすると、甲冑と剣をつけた兵士が数人、甲板から顔を出し、乗り上げた浅瀬の様子を見ているのが見えた。
「まるで、素人のような・・・水軍の船とは思えぬ在り様だな。」
ギョクが再び呟いた。
「なあ・・今なら、あいつらをやっつけられるんじゃないか?」
カズが誰にとも無く言った。サカやマサが顔を見合わせた。そして、タマソ王を見た。
タマソ王も、じっと成り行きを見守っていたが、身動きできぬ水軍の船を攻めるのは容易な事のように感じていた。
タカヒコが言った。
「王様、一気に攻めましょう。黒龍と赤龍とで挟み込んで矢を掛けましょう。大船といえども、両方から一気に攻められれば容易く落ちるでしょう。」
それを聞いて、タマソ王は決断した。
「よし、タカヒコの言うとおりに、両脇から一気に攻める。矢を掛け、水軍が反撃してきたら、白麗を押し出して更に攻める。良いか、矢を掛けるだけで良いぞ。三隻が現れれば、おそらく手向かいも止めるはずだ。良いな。」
タマソ王の決断で、一気に赤龍と黒龍は流れに乗って、水軍の船に向かった。徐々に間合いを詰めていったが、水軍からはまったく攻撃する気配がない。タカヒコは舳先を水軍の船に付けると、先陣を切って、水軍の船に乗り込んだ。しかし、そこには、兵士達の姿は無かった。
「どうしたというのだ?誰も居ないのか?」
甲板から船内に降りる階段から、一人の男が恐る恐る顔を出した。
「タカヒコ様?タカヒコ様ですね?」
その男は、水軍の甲冑を身につけていたため、周囲の者がすぐに取り押さえた。押さえつけた男の顔をタカヒコが見て言った。
「離してやってくれ。この者は、熊毛のシュウという者だ。シュウ、どうした?これは一体?」
シュウは、座り込むと涙ながらに、一部始終を話した。
「砦から、船がやってくるのが見えて、すぐに、下の可良(から)の里へ行ったんです。しかし、その時は、里は火の海で、里の者たちは捕らえられておりました。私は、兵士に紛れ、船に潜んで、機会を伺っておりました。」
タマソ王も、大船から、船を渡りやってきていた。シュウに訊いた。
「頭目も・・兵も居らぬようだが?」
シュウは絞り出すような声で言った。
「・・私が・・殺しました・・・。」
タカヒコには、おおよそ見当がついた。
「懐に忍ばせていたトリカブトの粉を、食事に混ぜました。・・・やってはならぬと厳しく禁じられていた事をやってしまいました・・・・」
シュウは、幼い頃から長老に仕込まれた、「薬草摘み」の名人であった。熊毛の里では、シュウが周囲の野山から様々な薬草を採ってきて、里の者の病を治す仕事をしていたのだった。
「里の者を救うため、已む無く、やった事なのだろう。長老も許してくださるはずだ。」
タカヒコは、シュウの肩に手を置き、慰めるように言った。
船底に押し込められていた里の者たちが解放された。三日間も押し込まれ、意識もないほど衰弱した者もいた。
「シュウ、皆を救ってやってくれ。さあ。」
シュウは、タカヒコの言葉に勇気付けられ、立ち上がった。そして、懐にある薬草袋を取り出し、すぐに薬を煎じ始めた。
「さあ、潮が満ちてくる。熊毛の里へ向かうぞ。」

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1-28 熊毛の里 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

28.熊毛の里
子ども達を連れ、峠道を越えたカケルたちは、眼下に豊かな里を見つけた。
「あれが、熊毛の里です。手前が麻(あさ)の郷、奥は平生の郷、北には田布施の郷、ここら全部を熊毛の里と呼んでおります。」
サンジは、視界を遮る草を払いながら言った。
「豊かなところだ。田畑があれほど広がっているとは・・それに、それぞれの郷にも多くの家が立ち並んでいる。・・屋代の水軍と戦をしているとは思えぬほど、穏やかだ。」
カケルは、遠くまで見渡して、そう言った。
「ええ・・里までは、屋代の水軍は来ませんから・・ほら。」
サンジはそう言うと、反対側を指さした。その先は、尾根伝いに細い道が続いていて、その先には、こんもりと茂る高台のようなものが見えた。
「あそこに、石の砦があるんですよ。さあ、行きましょう。きっと、頭領もそちらにいらっしゃるはずです。・・おい、みんなもついておいで。」
サンジはそう言うと、峠道の脇を降りていく。藪に隠されるように、砦に繋がる道がある。
「里からは、海岸沿いと山の中腹から砦に向かう道があるんですが、峠側からの道は万一に備えて隠してあるんです。気をつけてください。」
ゆっくりとサンジは進む。人一人通るのがやっとの細い道だが、丁寧に石が敷かれている。相当古い道のようだった。最後の細い谷を登ると、頑丈な石を組み上げた砦が見えた。
「先に行って、皆さんの到着を知らせましょう。・・ここからは一本道ですから。」
サンジはそう言うと、急いで石道を駆け上がって行った。カケルとアスカは子ども達を挟んでゆっくりと進んだ。石道は石段へと変わる。見あげるほど大きな砦だった。石段を登りきると、大きな門があり、広い庭があった。その庭の中央に、サンジと頭領らしき男が立っていた。
「よくおいでくださった。」
白い絹衣を纏い、腰に大剣を刺し、恰幅の良い男が両腕を広げて、カケルたちを歓迎した。アスカの周りには子ども達が辺りをきょろきょろ見回して不安げな表情になっている。
「私はこの里の頭領、サクヒコと申す。事情は全て聞きました。先の水軍との戦では、多くの者が囚われました。サンジやタカヒコも命を落としたと思っておりましたが・・こうやって無事に戻ってこれたとは・・・礼を言います。」
穏やかな表情を浮かべ、そう言った。
「下の里は焼かれたようです。この子らをお願いします。父や母も水軍に囚われたようです。」
カケルは、サクヒコに頼んだ。
「もとより・・熊毛の子は皆同じ。我らの里で守りましょう。・・お疲れでしょう、少し休まれるが良い。九重のお方とお聞きました。ここまでの道中のお話もお聞きしたい。」
サクヒコはそう言って、カケルとアスカを砦の端にある小屋へ案内した。カケルは、砦の中を歩きながら、不思議な感覚だった。
「この砦は、サクヒコ様がお造りになったのですか?」
「いや・・ここは遥か古(いにしえ)人が作ったものなのです。先の頭領が偶然見つけたのです。里の者が崩れたところを直し、里からの道も作り、今は水軍との戦のために使っているのです。」
それを聞いて、アスカが呟いた。
「ここは・・あそこ・・そう、ハツリヒコ様の居られた砦と似ています。・・」
「うむ・・そうだな・・良く似ている・・。」
ハツリヒコの砦は、カケルたちの祖先が大陸から邪馬台国を頼り、最初に落ち着いた場所であった。きっとこの砦は、同じ一族が、アナトの国を頼り東方へ逃げ、築いたものに違いなかった。
サクヒコが案内した小屋は砦の先端にあり、開いた戸口から、海が見渡せた。
砦は、海に突き出た山の中腹にあって、眼下には、島が見える。向かい側にも山が突き出していて、熊毛の里を両側から守るような形になっていた。向かい側の山の下には、さらに海に突き出る格好で、砂浜は続き、その先に小さな数本の松を生やした小島がある。外海から里へ入るには、この山の間の狭い水路のようなところを通って進む事になる。
「ご覧のように、我が里は、この山々が守ってくれています。水軍も容易くは入って来れぬようになっています。・・そう、あの小島にも小さな砦を作り、水軍への備えをしております。サンジやタカヒコも、そこに居りました。」
「戦を続けておられると聞きましたが・・さぞかし、ご苦労されているのでしょう?」
カケルの言葉に、頭領アラヒコは、虚しい表情を浮かべて言った。
「何の利もない戦です。できれば一刻も早く止めたいのですが・・・。」
それを聞いて、サンジが嬉々として言った。
「もうすぐ、アナト王の援軍が参ります。そうすれば、一気に水軍を征伐できる。長年の恨みを晴らせる時も近いでしょう。」
頭領サクヒコは、その言葉にも表情を崩さず、むしろ、厳しい表情になった。
「水軍を征伐するとは・・・皆殺しにでもしようというのか?」
その言葉にサンジは驚き、返す言葉を失った。カケルが口を開いた。
「屋代の水軍の蛮行は、いつから始まったのですか?・・どうにも判らぬのです。これだけ豊かな海と山に恵まれていて、皆が穏やかに暮らす道もあるはずです。里を襲わずとも良いはずです。・・・水軍の頭領はいかなる人物なのでしょう。」
頭領サクヒコは、カケルの問いに少し戸惑った様子を見せた。
「そのうちに判るでしょう。さあ、今日はゆっくりをお休み下さい。」
そう言って、カケルとアスカを砦の中央にある部屋に案内した。

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1-29 頭領 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

29.頭領
翌日には、子どもらを連れて里へ降りることにした。里の者が拵えた石段を降りていくと、丘陵地には、果樹の畑や水田が広がっていた。そして、その先には高い屋根を持った家屋が綺麗に並んで立っている一角があり、そして、その先には、浜辺が広がっている。
季節はもう初秋を迎えていて、高く晴れ渡った空をそよぐ風、きらめく海、時がゆっくりと流れていた。子どもらは、浜辺に向かって駆けて行く。波打ち際に並び、山に挟まれたあたりをじっと見つめていた。水軍に連れ去られた父や母を探しているかのようにじっと見つめていた。
カケルとアスカは、頭領に案内されて、それぞれの郷を回り、郷の長に挨拶をした。みな、穏やかな表情で、カケルとアスカを歓迎してくれた。子どもらは、ひとまず、麻の郷に預けられる事になった。麻の郷は、海にも近く、子どもらの里にも似ていて、すぐに馴染めるようだった。アスカはしばらく子どもたちと一緒に、麻の里に留まる事にした。
「まだ、大船は到着していないようですね。」
海を眺めながら、カケルは、頭領に訊いた。
「見張台からかなり遠くまで見えるゆえ、近くに来ればすぐに知らせるように言っておる。・・それより、カケル様。如何かな、この里は?」
「はい、素晴らしいところですね。戦をしているとは思えぬほど、穏やかで豊かだ。・・九重にも素晴らしいところはたくさんありましたが、ここには及びません。」
「だが、ここも以前は、どうしようもない荒地だった。・・先の頭領が、あの砦で、素晴らしい書き物を見つけてから、大きく変わったのだ。」
「書き物ですか?」
「ああ・・いにしえ人が残したものと聞いておる。その中に、米や野菜を作る方法、家や船を船を作る技、いろんな知恵が書かれていた。その知恵が、この里を支えてきたのだ。」
カケルは、岩で出来た砦に残された書物と聞き、確信した。
「その書物を見せていただけませんか?」
「構わぬが・・古き文字で書かれており、読める者もなく、僅かな図絵から知恵を得ただけだが。」
「私は、いにしえの文字を読めるのです。」
「なんと・・そんな事が・・・。書物は、あの大屋根に運んでいる。」
郷と郷との間を流れる川から一段上がったところに、周囲の家とは違う、太い柱を持つ高床の大きな館が築かれていた。あの、ヒムカの国で見た館に良く似ていた。
「さあ、これです。」
頭領は、そう言って桐の箱に収められた巻物を運んで来た。カケルは、その一つを手にとった。
ナレの村の祭壇下に隠されていたあの巻物と寸分たがわぬ作りだった。紐を解き、中を開く。懐かしい文字が並んでいる。九重で過ごした日々が急に脳裏に浮かんできて、カケルは涙を流した。
「どうされた?」
頭領が不思議な顔をしてカケルに訊いた。カケルは涙を拭いながら応える。
「すみません。・私が生まれたナレの村にもこれと同じものがあります。私は幼い頃、母からこの文字を教わりました。久しぶりにこの文字を見て、つい、母のことを思い出しておりました。」
「九重の村にもこれと同じものが?」
「ええ・・我が祖先は、遥か大陸から海を渡りやってきたのです。おそらく、赤間あたりで二手に分かれたのではないでしょうか・・一方は、邪馬台国を頼り九重の南の果てまで流れ、一方はアナトの国・・いや、もっと東へ強き国を頼って行ったのかもしれません。」
頭領はカケルの話をじっと聞いていた。そして尋ねた。
「では・・ハガネなるものをご存知か?」
そう訊かれて、カケルは腰の剣を抜いた。
「これは、私が幼き時、砂鉄を集め火に焼き、鋼から拵えたものです。」
頭領は、驚きの表情を浮かべ、カケルの剣をしげしげと観察した。
「これを拵えたと?」
「私一人が作ったのではありません。ナレの村の者たちで、力を合わせ、砂鉄を集め、火を起こし・・ようやく、これ一つを作りました。・・神に奉げる剣。私の旅立ちの時、守り神として、持たされたものです。」
「なるほど・・・。」
頭領はしばらく考えた後、何か決意したように言った。
「お見せしたいものがある。里の者には秘密にしているが・・あなたには是非知っておいていただきたい。付いて来てください。」
頭領はそういうと、館を出て、前を流れる川辺に降りた。そして、川に沿って上流へ上っていく。しばらく歩くと、崖に突き当たった。頭領は崖の上から垂れ下がっている太縄を手繰り、そこから崖を登っていく。カケルも後に続いた。
崖を登りきったところには、広く開けた場所があった。周囲は木々に覆われ、里からは見えない。その広場の中央には、カケルには見覚えのあるものがあった。
「これが何かご存知か?」
カケルは、周囲をゆっくり歩いて様子を観察してから言った。
「これは・・蹈鞴(たたら)ですね。それも随分と大きい。当たりに、赤くなった粗鉄も転がっているところを見ると、随分以前には、ハガネを作っていたようですね。」
「そのとおり。しかし・・使ったことはない。・・いや、使い方が判らぬのです。」
カケルはじっと頭領の話を聞いていた。
「頼みがある。ここで、ハガネを作ってもらえまいか?。」
頭領サクヒコの言葉に、カケルは躊躇した。ハガネ作りは大仕事だった。ナレの村では総がかりでようやく小さなハガネを作り出した程度だった。目の前にある蹈鞴は、ナレの村の倍以上の大きさがあった。

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1-30 兄弟 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

30.兄弟
「ハガネを作ってどうされるのです?」
カケルは、頭領に尋ねた。
「野良仕事や漁に使う道具を作るのだ。」
「戦に使う剣や槍を作られるわけではないのですね?」
カケルは、今一度、頭領の真意を尋ねた。頭領は、真っ直ぐカケルを見て言った。
「戦など止めたいのだ。・・・何も生まぬ、ただ命を奪う戦など一刻も早く止めたいのだ。私の願いは唯一つ、この里を守り、豊かにしていく事だけなのだ。・・しかし・・あいつは・・。」
頭領は、そこまで言うと、その場に座り込んだ。そして、しばらく押し黙ったままだった。
「水軍の頭領は、どういう人物なのです?」
カケルは、頭領の脇に座り込んでから訊いた。頭領は観念したような様子で口を開いた。
「水軍の頭領は、リュウキと名乗っている。恐ろしき龍が化身したものという意味らしい。だが、本当の名は、カワヒコというのだ。」
「カワヒコ様?」
「ああ、そうだ、カワヒコ・・我が弟なのだ。皆には秘密にしておる。」
「何故、水軍の頭領に?」
「話せば、長い事になるが・・・」
頭領は、そう言うと、これまでの経緯を話し始めた。

サクヒコとカワヒコは双子の兄弟で、熊毛の里の頭領の子に生まれた。
兄弟は、幼い頃から海に親しみ、青年になるとこのあたりでは一番の漁師となっていた。
弟のカワヒコは、風や潮を読むのが得意で、兄のサクヒコは舟を操る術に長けていた。
ある時、東国から韓へ向かう大船の船頭役を命じられ、厳島で、東国の船に乗り込んだ。
船には、韓へ輿入れする姫が乗っていた。輿入れといっても、東国から韓国への人質。その不憫さを知った、弟カワヒコは、夜陰に乗じて姫とともに行方を晦ましたのだった。
兄サクヒコは、東国の将に命じられ、弟の始末をつけるため、行方を捜した。
二年ほどの後、終に屋代島の先に浮かぶ名も無き島で、弟と姫を見つける。
居場所が知れると、東国からは多くの兵を乗せた大船が何隻も押し寄せ、島を包囲した。
サクヒコは、将に許しを得て、弟の説得に向かい、カワヒコと対峙する。
しかし、弟は聞き入れず、兄弟が剣を交える不幸な事態となってしまった。
これを嘆いた姫は、兄弟の目の前で、潮の渦巻く海へ身を投げ、命を落としたのだった。
カワヒコは、あまりの怒りと悲しみで、逆流する血で全身が真っ赤になり、頭も真っ白に変わってしまった。そして、天に向かって絶叫した。すると、低い地鳴りとともに、周囲の島々の木々が大きく揺れ、岩が崩れるほどの地揺れが起きた。
島を取り囲んでいた船も、天変地異が起きた事は容易にわかった。そして、しばらくすると、船を飲み込む大波が一帯を襲ったのだった。
気付くと、ほとんどの大船は沈み、小島にはサクヒコしか残っていなかった。

「私は、流れ着いた木板に乗って何とか里に辿りついた。カワヒコは死んでしまったのだと思っていたのだが・・しばらくして、赤鬼のような風体でリュウキと名乗る男が、屋代島のあたりの男たちを集め、往来する船を次々に襲うようになった。そしていつしか屋代の水軍と呼ばれるようになったのだ。」
「それが・・カワヒコ様だとどうして?」
「ああ、以前に、一度だけ姿を見た。あれは、間違いなく、カワヒコだった。・・あいつは、私を恨んでいるはずだ。あいつを追い詰め、姫が命を絶ったのは私のせいだからな。だが、ここは容易には落ちない。何度も何度も襲い、その度に犠牲がでる。私の命を奪えば、おそらく戦も終わるのだろうが・・・」
「しかし、それでは・・」
「ああ、判っている。たとえ、私が死んだとしても、水軍は里を襲うのは止めないだろう。」
昨日から感じていた、頭領の虚しい表情にはこうした訳が隠されていたのだった。
「サクヒコ様、ハガネを作るには、里の者の力を集めなくてはなりません。そして、この周囲の山々から木を大量に切り出すことが必要です。それに、ハガネの元になる砂鉄を探さねばなりません。多くの時と人手が必要です。決して、私一人の力では無理です。」
「それほどに難しき事なのか・・・だが、ここに蹈鞴があるのだから・・どこかに砂鉄はあるのだろう。まずは、そこからか。」
「一度、里へ戻りましょう。ここの周囲には、砂鉄はなさそうです。ハガネ作りを始めるなら、里の人々からも知恵を借りねばなりません。」
二人は、来た道を戻り、麻の郷に戻った。もう日暮れ近くになっている。
「頭領様!頭領様!船です。大船が入ってきます。」
砦の物見台から、慌ててサンジが駆けてきた。
「タマソ王やタカヒコ様の船です。・・でも・・1隻増えております。・・途中で水軍と戦われたのでしょう。さあ、出迎えの支度をいたしましょう。」
大船白麗は、赤龍・黒龍を従え、さらに後ろにもう1隻の大船を引いて、入ってきた。
「あっ!父様だ!」
麻の郷の浜にいた女の子が、大船を指差して叫んだ。他の子どもたちも、次々に、父母の名を呼んだ。船が桟橋に着くと、子ども達は一斉に走り出した。大船からも可良の里の者たちが駆け降りて来る。桟橋では、親子が無事の再会を喜び、抱き合う光景が広がっていった。

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