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アスカケ第4部瀬戸の大海 ブログトップ
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1-31 戦支度 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

31.戦支度
予定より大幅に遅れて、熊毛の里に到着したタマソ王の一行は、頭領の案内で、麻の郷にある「大屋根」と呼ばれる一番大きな館に入り、その日は休む事にした。
翌朝には、熊毛の里の長も呼ばれ、「大屋根」に皆が集まった。「大屋根」にはいくつもの太い柱が真っ直ぐに立っていて、広い板張りの部屋があった。中央には、タマソ王が座り、隣に頭領サクヒコ、それぞれの郷の長が並んだ。カケルとアスカは、広間の一番の下手に控えていた。
昨夜のうちに、頭領やタマソ、タカヒコ、タモツたちは、これまでのいきさつを話し合っていた。タマソをはじめ、大船でやってきたものは皆、すぐにも水軍を攻める事を求めた。しかし、頭領やカケルは、何の備えもなく、攻める事に躊躇いがあった。結局、大船で来た者達に押し切られる形で、この場を迎えていたのだった。

「我らは長年、屋代の水軍に脅かされてきた。今こそ、水軍を滅ぼし、安寧な日々を取り戻そうではないか!」
タカヒコガ立ち上がり、静寂を破るように叫んだ。
血の気が多い男達は、床を叩き、「うおーっ!」という声を挙げる。
その声を鎮めるように、頭領は立ち上がると、タマソ王へ深々と頭を下げた。そして、タマソ王へ皆に挨拶をするように促した。タマソはゆっくりと立ち上がった。
「我は、アナト国の王、タマソである。長く民の暮らしを省みず、自らの浴に溺れた先代の王の罪を償い、再び、穏やかで豊かなアナト国を作るために命を奉げる覚悟でここに来た。皆、力を貸してくれ!」
再び、集まった男たちは、床を叩き、野太い声を上げた。
頭領サクヒコや郷の長達は、さすがに戸惑いを隠せなかった。これまで水軍との戦を構えてきてはいたが、対抗できるだけの武力を持たず、ただ里を守るためだけに戦ってきただけであり、水軍を滅ぼす事は考えもしなかった。
しかし、今、アナト国の王が立ち上がり、四隻もの船を持って水軍を滅ぼすと宣言している。
これまで長年苦しめられてきた、陶や徳の里の民を止める事など出来ない。熊毛の里の頭領サクヒコの息子、タカヒコも里の若者達を纏め、同調している。もはや、決戦を決断するほか無い状態だった。
サクヒコは、両脇に座る郷の長たちに、了解することを目で確認した。長達は、承諾せざるを得ない事を覚悟し、深く頷いた。そして、立ち上がり、皆を前に口を開いた。
「ありがたくも、アナトの大王が水軍討伐に立ち上がられた。瀬戸の大海の安寧のため、我ら一同、心を一つにして、戦いましょう。そのためにはしっかりと支度をせねばなるまい。」

すぐに、水軍討伐のための支度が始まった。どれほどの敵を相手にするのか全くわからない中、手探りで支度が始まる。剣や弓矢は、手分けして作った。しかし、水軍がどれほどのものなのかわからないままでは、どれだけ作っても足りないのではないかという不安が付きまとう。三日ほどしないうちに、男たちの間で小さなイザコザが起き始めた。ふと弱音を漏らす者に、すぐに戦に出れない苛立ちを抱えた者が、突っかかり、殴り合いの喧嘩も起きるようになった。
「みんなを集めてもらえませんか?」
カケルは、タマソと頭領に頼んだ。再び、男たちは「大屋根」に集められた。
カケルは、皆を輪になって座るように言った。そして、その中央に立って皆を見回した。大半の者は、カケルが化身する姿を目の当たりにしていて、カケルに対して畏怖の念を抱いていた。
「屋代の水軍を倒すのは、きっと長い長い戦いになるでしょう。・・いや、それよりも、水軍がいかほどのモノなのか、誰も知らぬ事がよほど怖いのです。たとえ、目の前の軍を倒しても、また次の兵が現れる。そしてその次を倒してもまた次が・・・。」
カケルは、男達が抱えている不安を言葉にした。
「私は、ここまでに、いくつもの戦をしました。時には、多くの命を失い、自らも何度か死の淵を彷徨いました。戦は、多くの悲しみと恨みを生み出します。例え、その場では勝てたとしても、多くの命を失えば、その悲しみや恨みが次の戦を招く。里の者たちは、そんな事を望んではいないでしょう。」
取り囲んだ男たちは、じっとカケルを見つめる。タカヒコが立ち上がって、カケルに問う。
「では、どうすれば良いと言うのです?」
カケルは、タカヒコの傍にゆっくりと歩み寄った。そして、肩に手を置いて言った。
「タカヒコ様の父、サクヒコ様は長年、あの砦で何を考えていらしたのでしょう。」
タカヒコは、サクヒコの顔を見た。頭領は、石砦で海を見つめ大船の到来を監視してきた。里を守るために戦ってきたのを間近で見てきた。大船の攻撃を退けた後も、サクヒコは決して誇る事無く、怪我をして海岸に流れ着いた水軍の兵をも手当てしていたのを思い出していた。
その様子を見ていたタマソ王が立ち上がり、カケルに問う。
「カケル様はどうせよと考えているのです?」
「王様、貴方の望みは何ですか?」
「安寧なアナトの国を取り戻す事。その為に、水軍を滅ぼす、それだけ。」
「水軍を滅ぼすほかに安寧な国作りは出来ぬのでしょうか?水軍のこれまでの所業を許し、手を繋ぐ事は出来ぬのでしょうか?」
カケルの答えに皆が戸惑った。カケルは続けた。
「罪は罪、簡単に許せるものではない。しかし、水軍を全滅させても、恨みは残り、いずれ、アナト王を倒そうと立ち上がるものが出てくるでしょう。安寧な日々など訪れはしません。」
皆の戸惑う様子は、カケルにも充分判っていた。矢継ぎ早にカケルは言った。
「一つ、お願いがあります。私を屋代島へ行かせてください。水軍の頭領との和解が出来ぬか手を尽くしてみたいのです。」
カケルは、頭領サクヒコをじっと見つめて言った。水軍の悪行は自分への復讐だと考えている頭領サクヒコへの、カケルの答えでもあった。

1-31瀬戸内海島.jpg

2-1 屋代島へ [アスカケ第4部瀬戸の大海]

1.屋代島
カケルの考えを受け入れたタマソ王と頭領は、万一、和解することが出来ない事態を考えて、兵を率いて大船白麗・赤龍・黒龍の三隻で、熊毛の里を出航した。馬島で手に入れた船は、随分と傷んでいて、修復に手間が掛かるため、熊毛の里に残してきた。
熊毛の里からは、可良ヶ浦に浮かぶ島々に沿って、東へ進み、上之関の激流を抜ける。ギョクは手際よく赤龍を進め、黒龍と大船がその後に続いた。
そこからは、横島(よこしま)、平群島(へぐりじま)、荷内島(にないしま)を伝い、屋代島の海女ヶ浦まで進む事になる。平群島と荷内島には、水軍が襲い手中にした里がある。
「ここからはいつ水軍が現れるか判らぬぞ。」
ギョクは丁寧に船を操る。大船の帆柱の上ではカズが目を光らせていた。
平群島は、大きな島だったが、里は南側に築かれていて、水軍からは見つからぬように通り抜ける事ができた。しかし、荷内島は小さな島である。双子島で大小二つからなり、小さな島は無人島だった。大きい島には、わずかだか人家がある。ここを見つからずに通過するのは難しい。
「見つかるのを覚悟せよ。戦になるやも知れぬ、支度せよ!」
タマソ王が号令を掛ける。男たちは、甲冑を身に付け緊張した。
「島には船はない・・・。人影も見えないな。」
カズが帆柱の上から告げる。突然、黒龍が荷内島に針路を変えた。
「どうしたんだ?」
突然の動きに皆が不審に思った。黒龍に乗っていた者の中には、この島を里とした男達が数人いたのだ。トモヒコが男たちの希望を聞いて、里に立ち寄る事にしたのだった。
「水軍の船は居らぬようだし、立ち寄り、様子を見てみよう。」
白麗、赤龍も後に続き、荷内島の小さな港に船を入れ、水軍に備えて船首を外に向けた。
先に入っていた黒龍からは、数人の男が降りて、それぞれの家に向かった。しばらくすると、その男達が、何か喚くようにしながら駆け戻ってきた。
「里の者が・・・里の者が・・・。」
大の男が皆涙を流し、船縁で蹲ってしまった。
「一体、どうしたのだ?」
トモヒコは男達の様子を見て、ほかの者を里へ走らせた。しばらくして戻ってくると、
「家々の中で、年寄りも、女も、子どもも・・皆、切り殺されておりました。」
と報告した。船縁で蹲っていた里の男達がそれを聞いて、堪えきれず号泣した。
「一体、誰がこのようなことを!」
荷内島の惨状は、すぐに、白麗や赤龍にも伝えられ、桟橋に船を着けた。
タマソ王や頭領、タモツ、タカヒコ等主だった者が、桟橋に集まった。
「一体、どうしたことなのか?」
水軍の里となっているところでこのような事態は想像もできないことだった。
「水軍がやった事でしょうか?」
トモヒコは訊いた。誰も返答できなかった。そして、頭領が言う。
「可良の里を焼き払い、里の者全てを捕えていたのも腑に落ちない事だった。これまでは、物は奪っても焼き払う等したことはない。」
タマソ王も思い出したように言った。
「赤間でも、里の者を男だけでなく女も子どもも連れて行こうとしていた。確かに、変だ。」
「水軍の中で、何かが起きているようですね。」
カケルが言うと、タマソが訊いた。
「一体何が起きているのだ?」
その日は、皆、船から降りて、里の者の亡骸を懇ろに葬り、ここで休む事になった。
翌朝には、荷内島を出て、いよいよ屋代島に近づく事になった。
屋代島は、東西に長く、瓢箪のような形をした島である。西側が大きく丸い形で大島と呼ばれ、中央に高い山が聳えている。東側は細く延びた半島状となっていた。水軍は、そのちょうど中央の低い土地、南に開けた湾を持った場所に里を築いているという事を、ギョクが話して聞かせた。
三隻は、海女ヶ浦から更に進み、アシタ崎という小さな岬に身を隠すことにした。
岬に、船をつけると早速、岬の上から水軍の里を望む場所に渡った。
「ここからは私一人で参ります。」
するとアスカが、「私も参ります。」と立ち上がった。
「危険だ、ここで待っていなさい。」
タマソや頭領が引きとめようとした。
「いえ・・これまでの戦場にもずっとお傍に居りました。大丈夫です。」
「それなら、私も行きましょう。」
タカヒコが供をすると言い出し、マサも同行すると言った。
カケルは黙って頷いた。夕暮れが迫る中、四人は海岸に沿って里へ向かった。
大船は、岬の先端の、里を望める場所へ移った。大船の帆柱の上では、カズがじっと里の方角を睨んでいる。
「船が四隻ほど留まっている。・・さほど大きな船ではないな。」
「すぐには、動きもなかろう。明日朝、すぐに動けるよう皆は休ませたほうが良いな。」
それぞれの船は、見張りを残して静かに休む事になった。
屋代島に渡った四人は、海岸沿いをゆっくりと里へ向かった。そして、里を見下ろせる高台に辿り着くと、里の様子を探った。

2-1荷内島2.jpg

2-2 潜入 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

2.潜入
水軍の里は静かだった。桟橋に留めた船の周囲には人影は確認できない。見張りに立っている者さえも居なかった。
「不思議だ・・・これほど静かとは・・・。」
四人は、物陰に隠れながら里に近づき様子を伺うことにした。里は、小さな家が、港あたりに十軒ほど建っている。そして、そこから少し小高い丘の上にも、同じ様に小さな集落がある。小さな畑はあるが、熊毛の里の様な規模ではない。作物が植えられている様子もなかった。そして、その集落をつなぐ道に、高楼が築かれていて、里の者たちが集まれるような広場があった。高楼の脇には,大屋根をもつ館がひとつ、そして蔵も建っている。おそらく、周囲の里から奪った食料を保管しているのだろう。見張りがどこにも見当たらないのは、この里が他からの危害を受けることなどないと考えているためだろう。
昼近くなると、家々から男たちが姿を見せた。港近くの家からも丘の家からも、筋骨隆々の男が、剣や弓、槍を持ち、高楼の周囲に続々と集まってきたのだ。
カケルたちは、高楼が見える林の中に身を潜めて、様子を伺っていた。
男たちは、高楼の周りに座り込むと、じっと何かを待っているようだった。大きな鉦が鳴り響いた。しばらくすると、丘の家の更に上から、輿が下ってきた。朱の服を身にまとい、大きな冠を頭に載せた男が輿に乗っている。
「あれが、リュウキか?」
マサが呟くと、タカヒコが答えた。
「いや、あれは、ギンポウだ。水軍の大頭目だ。」
「ギンポウ?」
マサが呟くと、さらにタカヒコが答える。
「あいつは、この辺りの者じゃない。確か、安芸の国からの流れ者だと聞いたことがある。大船を奪い、隣の厳島あたりで暴れていたとも聞いた。あいつが現れてから、熊毛の里へも度々攻めてくるようになったんだ。・・あいつには和解など、頭からないだろう。」
四人が様子を伺っていると、ギンポウが輿を降り、高楼へ上がった。高楼の中段にある広間から、ギンポウは、男たちに見せ付けるように、腰の大剣を抜いて、高く翳した。地鳴りのような男達の声が響く。やがて、その声が静まると、ギンポウが口を開いた。
「荷内の島が襲われた!皆殺しだ!・・我らに楯突く熊毛の仕業に違いない!」
集まった男たちは、驚きを隠せない状態だった。林に身を潜めていた四人も驚いた。
「これまで、韓や東国の兵から、守ってきてやった恩を忘れ、愚かな奴らだ。今こそ、熊毛の里の隅々まで、我が水軍の恐ろしさを思い知らせてやろうぞ!」
ギンポウの言葉に、答えるように、男達は、剣や槍を突き上げて応えた。
「戦の前の祝いだ、それ、つれて来い!」
ギンポウの言葉に、高楼の下から、縄で縛られた男が引き揚げられた。口には猿轡を嵌められ、目隠しをされている。すでに、随分殴られたようで、目の辺りが大きく晴れ上がっていた。
「こやつは、荷内の島で捕らえた熊毛の男だ!見よ、こうしてくれる!」
ギンポウは、手にしていた大剣を振り上げると、一気に男に振り下ろした。高楼の上から、真っ赤な血が飛び散り、縛られた男の脚から下が高楼の下へ落ちた。再び、大剣を振りかざし、振り下ろす。今度は、胸から下が落ちた。
「さあ、皆の者、熊毛の奴らに目に物、くれてやろうぞ!」
真っ赤な血が滴る大剣を天に翳してギンポウが吼える。男たちもつる付議や槍を翳して応えた。

「これは大変だ。すぐに、タマソ様に知らせねば。」
マサが呟いた。カケルは、頷き、すぐにマサを船に戻した。タカヒコは、
「私にひとつ考えがあります。・・・奴らを出航できぬようにしましょう。船に火をつけて回ります。大丈夫です。まさか、ここに我らが居るなど思っておりません。すぐに、船に潜み、日暮れを待って、火を放ちましょう。」
「判った、では、タマソ王には、その火を合図に、船を動かし、明日、日の出を待って一気に攻め入るように伝えましょう。」
マサはそう言うと、すばやく海岸へ向かって走り出した。タカヒコも、同時に。桟橋へ向けて走り出した。
カケルは、和解する道を探る為、ここへ来たはずだった。しかし、ここまで事態が深刻になっていたのではもはや仕方ない事かと諦めるほかなく、二人を止める事ができなかった。
「何故このようなことに・・・。」
カケルは土を叩き嘆いていた。アスカがそっと背に手を置いた。
「カケル様、さきほど殺された男の人は、どこから連れて来られたのでしょう。熊毛の里の御方ではないでしょう?」
「そうか・・・そうだ。きっとあの者は荷内の島の御方であろう。・・と言う事は、この仕儀には何か裏がありそうだ。・・・アスカ、もう少し深く入り込まねばならぬようだな。」
里の広場に集まっていた男達は、ギンポウの輿を見送り、それぞれ戦に備えて一旦広場から退散した。ギンポウの輿は、わずかな伴を連れて、ゆっくり丘を登っていく。
「輿の後を追うぞ。アスカは、船に戻るか?」
「いえ、私もお供します。」
「私から離れるなよ。」
カケルはアスカの手を握り、林の中を抜け、土手に隠れながら、輿の上っていく先を目指して行った。

2-2周防大島海岸.jpg

2-3 異様な集団 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

3.異様な集団
ギンポウの乗った輿は、丘の上まで来ると、一旦止まり、伴の者が周囲に目配せをしてから、人目を避けるように、小さな森の中へ消えた。カケルとアスカもそっと森の中へ入った。
鬱蒼と茂る木々の間から、館らしきものが見えていた。館の周りには小さな篝火が焚かれている。
ギンポウは輿から降りると、何故かそこに跪いた。すると、館の中から、顔をすっぽりと布で覆い、金色の衣服を纏った男が、黒服の男を数人従えて出てきた。
「予てからの策通りか?」
「はい。」
金服の男が尋ね、ギンポウは深く頭を下げた。
「これで、水軍と熊毛の決戦となるか。ほっほっほ・・。」
金服の男は、妙に甲高い声で笑った。それを見て、ギンポウが更に深く頭を下げて、
「御意。熊毛の里を落とせば、一気に赤間へ攻め入り、アナト国を手中に収められましょう。」
「ふむ・・良かろう。・・お前を水軍に送り込んでから、随分と待ったが、ようやく時が来たか。・・すぐに、安芸の使いを送り、大軍を率いて一気に攻め入るとするか。」
金服の男はそう言うと、再び館の中へ姿を消した。ギンポウは、男の後について館の中へ消えた。
カケルとアスカは、その会話をしっかりと耳にした。この企みが、隣国の者たちの策略によるものだと理解した。
「何としても、この無益な戦いを止めさせなくては・・このままでは、皆が危ない。」
「あれが、水軍の頭領ですか?」
「いや・・サクヒコ様から聞いた水軍の頭領とは違うようだ。」
「では、どうされたのでしょう?」
「何者かが、水軍を裏から操るため、すでに命を奪われたか、どこかに囚われているか。・・それよりも、あの男の使いを止めねばならぬ・・・。」
しばらく様子を伺っていると、黒服の男が二人、先ほどと同じように周囲を気にしながら、館から出てくると、館の裏手へ消えた。カケルとアスカも、男たちの後を追った。
館の裏側には、林が広がっていて、わずかに道があった。男たちに気付かれぬよう、二人は着いていく。林を抜けると、海岸に降りるための縄梯子が掛かっていた。用事深く、下を見下ろすと、海岸には小船が繋がれていた。まさに今、男達が岸を離れる支度をしている。梯子を降りていたのでは間に合わない。
カケルは咄嗟に、海岸から飛び降り、動き出そうとしていた小船の上にどかっと降り立った。小船にいた男たちは、突然現れたカケルに驚き、一人はその拍子に海に落ちてしまった。
残った一人が、「何者だ!」と叫んで、いきなり剣を抜いてカケルに切りかかった。カケルはひらりと身をかわし、男の背を強く蹴りつけると、男は船に転がった。
興奮した男は、立ち上がると、再び、剣でカケルを突く。カケルは剣を抜き受ける。先ほど、船から落ちた男が、船に泳ぎ着いて、船縁から這い上がってきた。前後にカケルは挟まれる格好となった。
「使いには行かせぬ。邪な謀など許せぬ。・・・歯向かえば命を落とすぞ。」
カケルは、男たちに言った。
「生意気な、お前一人で止められようか!」
そう言って、船尾側から男が切り付けると同時に、船首側からも迫る。
「やむを得ぬ。赦せ!」
カケルは、低く身構え、剣を横一文字に払った。
すると、船尾の男の剣が飛び、船主側の男の喉下に突き刺さった。男は絶命した。
剣を振るった男も、手首から先が切り落ちていて、その場にのた打ち回った。
カケルは、男の喉下に、剣を立て、脅すような声で訊いた。
「リュウキ様は何処だ!」
男は、息も絶え絶えになりながら、か弱い声で言う。
「うう・・うう・・山の・・洞窟に・・。」
それを聞いたアスカが山を見上げた。するとそこにはほのかに光が見えた。
「カケル様、あそこに明かりがあります。もしや・・あそこに・・。」
アスカが指差した先は、島を形作っている山の中腹、切り立った崖に口を開いたような穴らしきものが見えた。カケルは、梯子を上ると、急いで山へ向かった。
目指す場所までは、道らしき道もなかった。二人はわずかな月明かりを頼りに進む。ようやく、切り立った崖の下まで達した時、見下ろした里の先、船から火の手が上がっているのが見えた。
「タカヒコ様が、動かれたようですね。」
アスカは、夜空を焦がすように燃え上がる炎を見て言った。
「ああ・・無事にお逃げになっただろうか?・・・」
カケルも燃え上がる炎と、それを見つけて桟橋に集まる人影を見て言った。
「夜が明けると、戦が始まる。・・・何としても無益な戦いを止めねばならぬ。さあ、急ごう。」
カケルとアスカは、水軍の頭領が囚われている洞窟を目指して、崖を登って行った。

桟橋の船は、四隻あった。うち、二つは大船で,タカヒコの放った火で大きく燃え上がっている。残り二つも、帆が燃え上がり、手が付けられない状態だった。
桟橋に集まった男たちは、必死に、海の水を掬いかけるが、火の勢いは収まらない。見る間に船は炎に包まれていった。

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2-4 対面 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

4.対面
崖に開いた洞窟の入口に辿り着いた、カケルとアスカはそっと中を覗き込んだ。
洞窟の中は、木で設えた牢になっていた。通路に灯籠が一つ、見張り役なのか、男が一人座り込んでいる。どうやら、うとうとと眠っているようだった。
カケルは、通路にあった縄を使って、眠っている男を縛り上げてから、アスカを呼び入れた。
ぼんやり薄暗い牢の中に、枷をはめられた男が座っているのが見えた。
「リュウキ様ですね。」
カケルが声をかけると、ギロっと睨む目が光る。サクヒコの話どおり、頭髪は真っ白だった。
「何をしにきたのだ?」
その問いにカケルは戸惑った。囚われの身といえど、水軍の頭領である。いわば敵の大将。救い出す理由はなかった。
「確かめたいのです。」
「何を確かめようというのだ?」
リュウキの声は、牢の中に響いた。
「大頭目のギンポウが、熊毛の里を攻撃せよと号令しました。・・だが、その後ろに何やら蠢いているものがあるようなのです。」
「そうか・・麓の館を見たか・・・あやつは、ギンポウが、厳島で捕らえた将だと連れてきた者だ。名は知らぬ。褒美をやると言って、館に呼んだ時、ギンポウがわしに刃を向けた。わしをここに閉じ込め、大頭目と名乗り、水軍を掌握したのだ。」
「熊毛の里と水軍との戦を起こし、それに乗じて安芸の大軍を持って、アナトの国を手中にする謀を進めております。」
「熊毛に攻め入るか・・・だが、そう簡単には落ちぬぞ。サクヒコがおる限り、容易くは落ちぬ。だが、今のわしにはどうにもできぬことじゃ。」
カケルの言葉に、リュウキはそう言って目を閉じた。
「まだ・・サクヒコ様を恨んでおいでなのですか?」
リュウキは再び目を見開いて言った。
「サクヒコを恨む?・・・何の事だ!」
「ならば、なぜ、里を襲われたのか?」
「里を襲った?」
リュウキは、足枷を地面にたたきつけたのか、大きな音を出した。そして、
「お主は何者だ、熊毛の者ではあるまい。」
「はい・・九重より参ったカケルと申します。赤間からアナトの新しき王タマソ様とともに、水軍征伐でここまで参りました。」
「九重の者か・・・ならば、お前が・・あの・・賢者カケルか?・・・以前、豊の国から来た者から聞いたことがある。・・賢者たるもの、それだけの浅知恵しかないのか?・・」
リュウキの言葉にカケルは戸惑った。
「まあよい。中に入り、まずは、この枷を外してくれぬか?」
カケルはアスカを呼び、一緒に牢の中へ入った。薄暗い牢の中へ、灯篭を持ち込み、リュウキの姿を見て、二人は驚いた。
暗闇に響いた声は凛としたものだったが、牢の中にいるリュウキは、腰まで伸びた白髪も、ところどころ抜け落ち、手足はもはや骨と皮ばかりになっていて、身を起こすことも叶わぬほど弱っていたのだ。
「ここに閉じ込められた随分長い時が経ったようだな・・・水軍が里を襲うなどとは・・・。」
リュウキは体を横たえたまま言った。
「わしが水軍を作ったのは、海賊を退治するため。・・・あの頃、この海には、韓や東国の船が行き来しておった。・・時折、海賊が現れ、船を襲った。・・わしは、・・・仲間を集め、そうした海賊を退治していた・・。」
「では、里を襲ったのは?」
アスカが訊いた。リュウキは、アスカの顔を見て、一瞬驚いた。それから、我に返ったように、
「ああ、・・・おそらく、ギンポウを頭目としてからだろう。」
「では、サクヒコ様を恨んでの仕儀ではないのですね。」
カケルが訊いた。
「何故、・・兄者を恨む?。・・わしこそ、兄者を裏切った。恨まれるのはわしのほうだ。・・・せめてもの罪滅ぼしにと、海賊達を退治していたのだ・・・。」
搾り出すような声の、リュウキの話は本当のようだった。
「済まぬが・・娘、・・・名は・・?」
リュウキが、じっとアスカを見つめて、遠慮がちに尋ねる。
「はい、アスカと申します。九重からお供をしております。」
「・・そうか・・・九重の・・生まれか?」
「いえ・・赤子の時、船でヒムカのモシオの浜に流れ着き、そこで育てられました。」
「なんと不憫な・・では、父母の顔も・・判らぬのか・・。」
アスカは頷いた。カケルが言う。
「アスカの里を探すため、九重を越え、アナトまで参りました。」
「何か、手掛かりでもあるのか?」
リュウキの問いに、アスカが答える。
「私を拾い上げたモシオの御方が・・これを・・。」
そう言って、アスカは、首飾りを取り出して見せた。
「私の首に掛けられていたのです。唯一、これだけが里の手掛かりなのです。」
「見せておくれ。」

2-4岳山.jpg

2-5 須佐那姫 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

5.須佐那姫
手渡された首飾りを見つめていたリュウキが、急に震えだした。
そして、大粒の涙を零しながら、その首飾りを強く握り締めた。
「どうされました?」
カケルが不思議に思い訊いた。
リュウキは流れる涙を拭くこともなく、じっとアスカの顔を見つめる。
「これは、須佐那姫が身につけられていたものだ。」
「須佐那姫?」
アスカが訊く。
「ああ・・わしが命を掛けてもお守りすると約束した御方だ。・・だが、お守りできなかった。・・」
カケルは、サクヒコに聞いた話を思い出した。
「では・・リュウキ様はアスカの父様・・ですか?」
その問いに、リュウキは答える。
「いや、そうではない。須佐名姫は、韓へ行かれる時、すでに身篭っておられた。・・添い遂げると約束された御方があったのだ。」
「では、父様はその御方?」
「ああ・・そうだ・・・それを知り、わしは姫を船から連れ出し、隠れ住んだ。そう、この洞窟こそ、隠れ住んでいたところなのだ。・・・ここで、御子をお産みになられたのだ。」
「ここで生まれた?」
「そうだ。ここで姫はそなたを産んだのだ。・・・だが・・すぐに兄者に見つかった。追われた姫は命を落とした。・・生まれた赤子とともに海へ身を投げたと思っておったが・・生きておられたとは・・・そして、こうしてお会いできるとは・・!」
リュウキは、再び大粒の涙を零した。
思ってもいなかった、アスカの出生の秘密が今明かされたのだった。アスカは突然の事に、今の会話が現実のものとは思えず、言葉も無く、ただ、リュウキを見つめていた。
「良く、顔を見せておくれ。・・・ああ・・姫様に良く似ておられる。目元など瓜二つじゃ。きりっとした眉、背丈も・・色白なところも・・・須佐那姫様そのものじゃ・・・。」
リュウキはそう言うと、首飾りをアスカに返そうと手を伸ばしたが、その手は、力を失い、ぱたりと地面に落ちた。
「リュウキ様?」
カケルが、慌ててリュウキの口元に顔を近づける。息をしていない。わずかに残っていた体力を使いきったのだ。
「アスカ!リュウキ様を!」
アスカは、リュウキを手を握った。アスカの手とリュウキの手の間に、首飾りがあった。アスカは必死に念を起こす。すると、首飾りが黄色く温かい光を発し始めて、リュウキとアスカを包み込んでいく。しばらくすると、リュウキがゆっくりと目を開け、息を吸い込んだ。そして、
「須佐那姫様・・・再びお会いできようとは・・。」
光の中で、リュウキは須佐那姫を見ていた。光は強くなる。抜け落ちたはずの白髪が次第に元気だった頃に戻り、体も徐々に肉が戻ってきた。
「どうしたというのだ・・これは一体・・・!」
リュウキは我が身に起こる変化に驚いていた。徐々に光が弱まり、元の薄暗い世界が戻ってきた。
リュウキは立ち上がった。
「これは・・お前の力なのか?」
アスカはこくりと頷き、そのまま、リュウキの腕の中に倒れこんでしまった。
「どうした?・・大丈夫か?」
カケルがそっと言った。
「アスカには傷や病を癒す不思議な力があるのです。リュウキ様を助けたい一心で、これまで以上に力を使い切ったのでしょう。・・そのまま、寝かせてやってください。朝には回復するでしょう。」
リュウキは、腕の中で死んだように眠るアスカを愛おしく抱きしめた。そこには、守る事ができなかった須佐那姫への思いと重なっているに違いなかった。
牢の中の藁をかき集め、アスカを寝かした。
「リュウキ様、東国にはアスカの父がおいでなのでしょうか?」
リュウキは、アスカの寝顔を見つめながら答えた。
「はるか昔の事だが・・須佐那姫から聞いたのだが・・東国には、多くの王を従える大王がいるようだ。姫と契りを交わしたのは、大王の御子のようだ。」
「名は?」
「・・・確か・・・葛城の御子と言うておった。」
「葛城の御子・・・。」
「ここから、海伝いに東へ行くと、安芸、吉備を経て、播磨、難波と続く。その先に、大きな大きな、都というものがあるという。その奥深くに、大王がおいでなのだそうだ。そこまで行けば、何かわかるやも知れぬが・・・。」
カケルはじっと考えていた。
「東国へ行きます。」
「長い道のりだぞ?」
カケルは、眠っているアスカの顔をじっと見て、きっぱりと言った。
「アスカとの約束です。戻るべき里を探し出すと。」


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2-6 真実 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

6. 真実
「なにやら外が騒がしいようだな。」
リュウキが立ち上がり、牢の戸を開き、洞窟の入口に立った。遠く、桟橋の船が燃えているのが見えた。そして、火の回りには、男達のうろたえる様子も見えた。
「何が起きているのだ?」
「水軍が熊毛への総攻撃を決めたのを知り、熊毛の里タカヒコ様が、食い止めようと火を放ったのです。」
「何?・・・では、もうすぐそこまでアナトの軍は来ておるのか?」
「はい。明日朝には、大船で、この里を攻める手はずになっております。」
「愚かな事よ。この海に暮らす者同士が戦など・・・。」
「ひとつお聞きしたいことがあります。・・先ほど、浅知恵と申されましたが・・まだ何か足りぬ事があるのですか?」
リュウキはカケルの顔をしげしげと見て、ため息を一つついて言った。
「ギンポウだけの策略で、ここまで出来ると考えて居るのか?」
「・・あの金服の者が裏で糸を引いていたのでしょう。・・」
「確かにそうだが・・・カケルよ。我が水軍がどれほどか知って居るか?」
そう問われて、カケルは咄嗟にギョクの事を思い出していた。
「・・確か、三十ほどの船があると聞いております。・・・。」
「やはりな・・それは誰に聞いた?」
「ギョクという名の・・白麗と呼ばれる大船の船頭から聞きましたが・・。」
「ギョク?・・初めて聞く名だな。・・・我が水軍は、あそこに燃えておる四隻に過ぎぬのだぞ。三十ほどの船を持つなど、ありえぬ事だ。それを操る者たちだけでも、相当の数になる。この小さな島にそれほどの者が居ると思うか?」
リュウキの言葉に、カケルは戸惑った。確かに、これまで水軍の様子はギョクからしか聞いていない。だが、赤間関では奴隷の中に居た。水軍を恨み、王を支えると誓い、陶や徳の里でも大いに力を発揮してきた。
「良いか・・我らは、この海で生まれ、この海を守るために水軍となったのだ。暗躍する海賊どもを蹴散らすため、どれほど苦労をしてきたか・・・白麗とかいう大船は、韓船のような物ではなかったか?」
「はい・・赤間関ではみな韓船だと言っておりました。」
「そうだろう。他に、赤龍や黒龍などの船も居たのではないか?・・それらは皆、海賊を働く奴らなのだぞ。・・・そして、奴らは、隣国、厳島を根城としているのだ。」
「では本当の敵はその海賊どもという事でしょうか?」
「判らぬが・・タマソ王の居られる大船も危ういと考えねばならぬな。」
真実をすぐにも大船に知らせねばならない。戦いを止め、力を合わせて海賊、いや隣国の策略を跳ね返さねばならない。カケルは必死に考えた。夜明けには戦いが起きる。何としても、戦いを止めねば・・。必死に考えた。
「リュウキ様、お力をお貸し下さい。」
「この老いぼれに出来る事があるのかのう。」
カケルは、じっと里を見つめ、戦いを止め、隣国の謀を暴く術を考えていた。

桟橋では、燃え上がる船を前に、男たちは必死で消そうとしていた。しかし、火の勢いは収まる事無く、終に二隻の大船は骨組みだけを残して、焼け落ちた。小さな船は帆柱を燃やした程度で何とか消し止める事ができた。
騒ぎを知り、ギンポウが桟橋に現れた。ギンポウは、慌てふためく男たちを押しのけ、焼け残った船を苦々しい顔で睨みつける。
「何者の仕業だ!」
傍に居た男が言う
「判りません。・・火の始末はしておいたはずです。・・・」
「では、何者か忍び込んだのだな?・・探せ、まだ島に居るはずだ!」
ギンポウの号令で、男たちは、松明を手に里の中を探し回った。
カケルたちの居る洞窟からも、水軍の男達が里の中を走り回る様子が、松明の明かりの動きでわかるほどだった。
ようやく、朝日が昇る頃になって、水軍の男が桟橋に走ってきた。
「ギンポウ様!怪しい奴が潜んでおりました。」
少し遅れて、別の男が、縄で縛り上げた男を連れて、桟橋に戻ってきた。
「何者だ?」
「さあ・・・森の中に潜んでおりました。・・。」
ギンポウは、縛り上げられた男のあごを掴み、ぐっと持ち上げ、拳で叩く。
「何者だ!吐け!」
男は、強い視線でギンポウを睨みつけるが、何も言わない。また、ギンポウは拳で殴りつける。
しかし、男は何も言わず、ギンポウを睨みつけた。
「まあ良い、どうせ、熊毛の里の者だろう。切り殺してくれる!」
吐き捨てるように言ってから、剣を抜いた。
その時だった。
「ギンポウ様!大変です!船が来ます!」

2-6周防大島の岬.jpg

2-7 対峙 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

7. 対峙
赤龍と黒龍が先導し、タマソ王の乗る大船白麗が続く。ゆっくりと桟橋に近づいていく。
ギンポウは不思議そうに大船を見ている。
「何故、ここに白麗が・・まだ、使いは着いていないはずだが・・・。」
元々、これらの船は海賊のものだった。
ギンポウはまだ、この船にタマソ王が乗っているとは知らない。
徐々に大船が桟橋に近づく。
昨夜のうちに、船に戻ったマサからの話を聞き、タマソ王らは如何に攻めるか相談していた。
岸からも船の様子がわかるようになった頃、赤龍と黒龍から、一斉に矢が放たれ始めた。岸に居た男たちは驚き、慌てて逃げ回った。
「何故、ここを襲うのだ!」
大船は、アナト国の旗を帆柱に掲げた。
「あ・・あれはアナト国の旗!王の軍だ!」
誰かが叫んだ。水軍の男たちは、徐々に矢の届かぬところまで下がり、盾を並べて守りを固める。
赤龍と黒龍は、さらに岸に近づき、水軍に向けて火矢を放ち始めた。矢は、男たちには届かなかったが、手前の草原に落ち、火が広がり始めた。火は風の勢いを得て、一気に広がり、海辺にあった家にも燃え移ると、家の中から、子どもや母親らしき女性が飛び出してくる。水軍の男たちは、女や子どもを庇いながら、徐々に、丘のほうへ逃げ出していく。
「放つのを止めよ!」
タマソ王が、大船の舳先に立って号令を掛けた。大船や赤龍・黒龍の船縁には、男達がずらりと並んで、水軍の里を見下ろした。里を襲い、略奪を繰り返してきたはずの水軍の里は、どうみても貧しく小さな里に過ぎなかった。そして、水軍の男たちは反撃してくるどころか、里の者を守って後退していくではないか。これでは、里を襲った水軍と同じだとタマソ王は思った。
「これはどうした事だ?・・水軍とはこの程度の者なのか?」
その問いに、熊毛の頭領サクヒコも、陶の里タモツも、そして、徳の里のトモヒコも、不思議に感じていた。そして、ギョクを見た。水軍の様子を知るのは、ここにいるギョクだけだった。
「いや、油断してはなりません。さあ、一気に攻め込みましょう。」
再び、水軍を見ると、矢を避ける盾の間を割って、大きな男が顔を見せた。その男を取り巻く屈強の男たちの中に一人、縄をうたれた男が引き出されてくる。
「これを見よ!」
大船に届く大声で叫んだのは、ギンポウであった。
「この男!貴様らの手の者であろう!」
縄をうたれている男の顔を掴んで、大船の方向に向けた。
「あっ!あれは・・・タカヒコ様!」
大船に戻っていたカズが叫んだ。
「この男の命、救いたくば、船から下りて来い!」
タマソたちは、皆顔を見合わせた。頭領サクヒコは、掴まったタカヒコの様子にうろたえた。
「タカヒコ様をお救いせねばならぬ。陸へ上がろう。」
大船と赤龍・黒龍はゆっくりと桟橋に着いた。そして、船から、タマソ王をはじめ、サクヒコやタマソ、トモヒコらも降りた。船に乗ってきた者のほとんどが桟橋に並んだ。
「さあ・・皆の衆、剣や弓を捨てよ!」
ギンポウが、タカヒコの顔に剣を向けて脅すように叫ぶ。
タマソ王をはじめ、居並ぶ者たちは、じっとギンポウを睨んでいる。じりじりと王の軍と水軍とが近づいていく。何かをきっかけに戦いが始まる、その時だった。
「皆、退け!退くのだ!」
水軍の後方にある、高楼から強い声が響いた。
水軍の男達が振り返る。そこには、リュウキの姿があった。隣には、金服を着た男が縄に縛られて立っている。
「リュウキ様じゃ!リュウキ様じゃ!リュウキ様が戻られたのじゃ!」
水軍の男たちは、口々に叫んだ。
「皆よ、よく聞くのじゃ。わしは長い間、牢へ閉じ込められておった。全て、この男と、ギンポウの企てた謀略だ。熊毛の里と水軍とを戦わせようとしているだけだ。目を覚ませ!」
凛とした声に、水軍の男たちは驚きを隠せなかった。
その光景にギンポウが呟いた。
「うぬぬ・・あの老いぼれめ・・ひと思いに殺しておけば良かったわっ!」
水軍の男たちもようやく事態が飲み込め、ギンポウを取り囲み、じりじりと近づいていく。
「こうなれば仕方ない。やい!ものども、やれ!」
その声に、水軍の端にいた数人の男が、剣を抜き、近くにいた女と子どもを羽交い絞めにして、ギンポウの周りに集まった。水軍の男達の中にも、ギンポウと通じていたものが潜んでいたのだった。羽交い絞めにされた子どもや女が、泣き叫んでいる。
「さあ、道をあけろ!」
女や子どもを人質にとられては、水軍の男たちも手出しできない。ギンポウたちは、取り囲んだ水軍の男たちを睨みつけたまま、桟橋ヘ向かう。
リュウキも、高楼から降り、金服の男を連れ、桟橋ヘ向かった。桟橋には、タマソ達が居並び、ギンポウたちの行く手を阻もうとした。
「逃げられはせぬぞ!」
タマソ王が叫ぶ。ギンポウは、タマソ王を睨みつけ、不敵な笑みを浮かべた。
「お前が、アナトの王か?・・若いな。・・・苦労を知らぬような顔をしておる。」
ギンポウは余裕を見せた。

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2-8 大嵐 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

8. 大嵐
「おい、ギンポウ!この男は捨てていくつもりか?」
リュウキがようやく桟橋までやってきて、金服の男の首に剣を突き立てたままで訊いた。
ギンポウは、リュウキの呼びかけに振り向き、はき捨てるように言った。
「そいつは、我が来島水軍とは関わりなきもの。・・我らを脅し、かような悪事を働かせた東国の使いだ!八つ裂きにしてくれて構わぬ。我らは、来島を守る為、手先になっただけの事。」
ギンポウの話は意外なものだった。
「下がれ、下がらぬとこの男の命は無いぞ!」
ギンポウは、タカヒコの縄を強く引き、桟橋に向かう。桟橋には、赤龍が着いている。
屋代の水軍とタマソ王の軍とが、ともにギンポウの後をじりじりと迫りながら進む。
「逃げられはせぬぞ!」
再び、タマソ王が叫ぶ。再び、ギンポウはにやりとしてタマソ王を見た。そして
「おい!戸板を下ろせ!」
その声に応えるように、赤龍から渡り板が下ろされた。
そして、ギョクがゆっくりと顔を見せ、ギンポウを迎えたのだった。
「ギョク様?・・一体、これは?」
ギョクを師と仰ぎ、ここまで船を操る術を教わったマサが驚いた様子で問う。
ギョクは、船縁からマサを見つめて言った。
「済まぬな・・俺は、ギンポウの弟。来島の水軍なのだ。アナト王が兵を挙げると知り、ここまで連れて来た。熊毛の里と水軍とが戦い、殺し合い、力を失わせるのが、我らの仕事なのだ。」
ギンポウは、ゆっくりと赤龍に乗り込んだ。ともにいた男たちも、船に乗り込んだ。
赤龍はゆっくりと桟橋を離れ始めた。
「逃げるぞ!・・追いかけねば!」
その声と同時に、黒い影が隣にあった焼け落ちた船から大きく跳躍すると、赤龍の甲板に立った。そして、腰の剣を抜くと、眩いほどの青い光が辺りに満ち始めた。
「すぐに船を止めよ!」
その声は、地響きにも似た太い声、船に立つ男は、獣のような体格をしている。獣人に化身したカケルが現れたのだった。桟橋の端には、アスカも立っている。
それでも船は岸を離れようとする。
カケルは、剣を天に翳した。晴れわたっていた空に、黒雲が湧き始め、辺りは徐々に薄暗くなってきた。そのうちに、轟々と風が強まり、岸に寄せる波も強くなり、あっという間に、嵐の様相となってきた。赤龍の中から、ギンポウが数人の兵を連れて現れた。
「貴様、何者だ!」
ギンポウは初めて見る異形な男に半ば怯えながら叫んだ。
「カケル様・・・」
ギョクは、赤間の関で、頭目を倒した場面を思い出していた。
「兄者、歯向かわぬほうが良い。恐ろしき力を持っている御人なのだ!」
ギョクの言葉は、ギンポウの耳には入らない。
「野獣のごとき化け物め!こうしてくれるわ!」
ギンポウは、カケルに向けて大槍を突く。カケルはひらりと身をかわした。
強く吹き付ける風の中、ギンポウと取り巻く男は、必死にカケルを追う。何度も何度も、槍を突く。その度にカケルは身をかわす。
空を覆った黒雲から、次第にゴロゴロと雷鳴が響き始めた。
「槍を捨て、大人しくせよ!さもなくば命を落とすぞ!」
「こしゃくな物言い!こいつめ!」
ギンポウは、より激しく槍を突く。強い波で赤龍の船体が大きく揺れ始める。
「兄者、止めてくれ!もう止めてくれ!」
ギョクが、ギンポウを止めようと必死に呼びかける。しかし、ギンポウには届かない。
「ええい!」
掛け声とともに、ギンポウの突く槍がカケルの左腕を捉えた。しかし、カケルは剣で槍を叩き落とす。すぐに拾い上げ、大きく振りかぶった時だった。
ドーンという轟音と激しい光。
稲妻が翳した槍に直撃した。辺りにいた者も、その衝撃で吹き飛んでしまった。
桟橋から、赤龍の様子を伺っていた者の多くも、その衝撃に吹き飛んでいた。
しばらくの間、誰一人動かない。次第に、黒雲が消え、雲の切れ間から日が差し込み始める。
赤龍の船上には、カケル一人立ち、剣を翳している。その剣に太陽の光が当ると、辺り一面に神々しい光が溢れ、吹き飛ばされた者達も気がついて、一人、またひとりと起きはじめた。
赤龍の甲板には、黒く焦げた槍を手にしたギンポウが倒れている。
「兄者!兄者!」
ギョクが縋り付き、ギンポウの容態を心配する。カケルは化身から解けていた。
「アスカ!アスカ!」
カケルはアスカを呼んだ。アスカは桟橋に居て、ずっとカケルを見守っていた。
カケルの呼ぶ声の意味が、アスカにはすぐに判った。
再び、岸に戻った赤龍に、アスカはすぐに乗り込んで、ギンポウの手を取り、祈った。
温かな金色の光が甲板の上に広がっていくのを、皆、見守っている。しばらくすると、ギンポウが薄っすらと目を開けた。
「俺は一体・・・。」
傍で手を握り、祈るアスカの姿に、ギンポウは女神を見ていた。

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2-9 和解 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

9. 和解
高楼の周りに、男たちは集まっていた。剣も弓も持っていない。中心には、カケルが座っている。それを挟むように熊毛の頭領サクヒコと水軍の頭領リュウキが向かい合って座った。ギンポウとギョク、そして金服の男が、縄に縛られてカケルの後ろに座らされていた。
これまでの経緯は、カケルの口から語られた。一通り聞いた後、サクヒコが口を開いた。
「リュウキ、いや、カワヒコよ。赦してくれ。わしへの恨みを晴らす為に、海賊となり、次々に里を襲っておったと思っていた。」
「兄者、何を恨みを持つことがあろう。わしこそ、兄者の事も考えず、勝手な事をしたのだ。償いにと水軍を作ったが・・それが利用されようとは・・・浅はかであった。赦してくれ。」
二人は手を取り、お互いに涙を零し、和解した。居合わせた男たち、水軍も熊毛の里の者も手を取り長年の思い違いを確認し和解した。

「さて、この先、ギンポウとギョクの始末、いかがすべきでしょう。」
カケルは、サクヒコ、カワヒコに尋ねる。サクヒコが口が開く。
「・・始末をつける前に、言い分を聞くべきであろう。」
「それが良かろう。」
カワヒコも同意した。カケルは、その脇に座るタマソ王にも視線を送った。タマソ王もこくりと頷いた。ギンポウが、カケルの横に引き出された。
「わしら、来島の水軍は、吉備や安芸、そして伊予の国とを繋ぐ水運が仕事でした。しかし、東国からの大軍が吉備へ攻め込み、わしらの来島も奪われてしまいました。わしらは、東国に捕らえられ、手先にされ、そして、安芸の国、アナト国を手中にする為の道具とされたのです。」
そこまで聞いて、ギョクも前に出てきて話を続けた。
「兄者は、屋代の水軍を操り、熊毛の里との戦を仕掛け、双方が傷つけば、東国から一気に攻め入る算段でした。私は、それだけでは戦にならぬのではと考えておりました。そんな時、赤間の関でアナト王の軍が水軍を征伐すると知り、ここまで案内をしたのです。しかし、タマソ王やカケル様は、いや、アナトの国の皆様は、真っ直ぐな御方ばかり。謀ろうとするわが身にいつも問いただして参りました。・・申し訳ありません。」
「ギョクは、ただただ、我が一族のために、あの島を取り戻したいがために働いただけです。弟はお許し下さい。全ては一族の長である、わしの力不足の為。どうか責めはわし一人に。」
ギンポウが、弟ギョクを庇うように、訴える。
「東国とはどのような国なのですか?」
カケルの隣に座っていたアスカが訊いた。ギンポウは少し考えてから言った。
「詳しくは知らぬ。ただ・・東国から来た船は我等のものより大きく、皆、強き鎧や冑を身に着け、勇ましい。おそらく、大きな大きな里があるに違いない。」
それを聞いて、リュウキが口を開いた。
「都というものがあるそうだ。色とりどりに塗られた館や・・人も多く、物で溢れていると・・伊佐那姫が申されておった。・・韓とも交易をしており・・たくさんの韓人(からびと)もいるそうじゃ。」
「それほど豊かなところが、何故、国々を侵しているのでしょう。」
カケルが訊いた。リュウキもギンポウも考え込んだ。
「それは・・・私が・・・。」
縄を打たれ、ギンポウの後ろに座らされていた金服の男が恐る恐る口を開く。
皆、振り返った。
「私は、ここよりはるか東、摂津の国の生まれ・・難波のアリトと申すものです。都には、国々の王を束ねる皇君(おおきみ)がおわします。今、皇君は韓に負けぬ国を作ろうとされておられます。そのために、西の国々を配下にすべく兵を遣わされたのです。」
「だからと言って、里を襲い、民を殺すのが赦されるとでも言うのか!」
話を聞いていたタカヒコが立ち上がり、食って掛かった。
辺りにいた者達も声を上げた。
サクヒコが「静かにせよ」と皆を宥め、難波のアリトに向かって訊いた。
「その・・皇君は、この地で起きている事をご存知なのか?」
アリトは、「いえ」と言ったまま、俯いた。そして、再び顔を上げると、
「東国では、この中津海に住む民は、粗野な者たちだと蔑む風潮があります。そのような者たちには、剣を突きつけ力でねじ伏せよと言っております。それに、昔、韓へ向かう船から姫をさらい、その命を喰らい、また恐ろしき力を使い、多くの船を飲み込むほどの、物の怪すら居ると聞かされました。」
その話に、サクヒコは驚き、リュウキの顔を見た。リュウキは、自らが起こした事がこのような事態に繋がっている事に心を痛めていた。
カケルは立ち上がり、皆を見て、言った。
「さあ、如何いたしましょう。」
その場に居る者は、顔を見合わせ、思い思いに思いつくことを言い始める。
タマソ王も悩んでいた。熊毛の里や屋代の水軍を謀り、アナトの国を荒らした者たちを処罰する事は容易なことだろう。しかし、それで何が残るのか。赤間の関で決意した「新しきアナトの国造り」のため、王になる道を選んだが、ここまで何を為し得たのか。罪人を処罰しても何も始まらない・・タマソはそう思い始めていた。
サクヒコやリュウキも、迷っていた。血の気の多い者達は、おそらく、アリトやギンポウたちの命を奪えと求めるだろう。だが、それで納得できるのだろうか。
徐々に、話し声が静まり、皆、考え込んでしまっていた。

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2-10 総意 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

10. 総意
静かになった男たちの輪の中、周囲の様子をじっと見ていたカケルは立ち上がった。
そして、ゆっくりと皆の顔を見渡した。
「これまでの謀の罰として、ここに居る者の命を奪うのは容易いことでしょう。」
カケルの声が響き渡った。男たちは皆、じっとカケルを見つめた。
「だが、それで全て終わるのでしょうか?」
カケルの問いに、誰も答えを持ち合わせていなかった。
「サクヒコ様!貴方の望みは何ですか?」
サクヒコは、タカヒコの顔を見て、静かに頷くと、答えた。
「熊毛の民を守ること、それだけだ。」
「リュウキ様は、いかがですか?」
「この海で狼藉を働くものを退治する事、それが我らの為すべき事。それこそが皆を守る術。」
リュウキは、サクヒコを見て答える。カケルは、今一度、皆の顔を見渡した。そして、
「では、この者たちの命を奪っても仕方の無い事ですね。」
その言葉に、タモツが言った。
「では、カケル様は、この者たちを赦せと申されるのか!それは出来ぬ。我が一族は長年辛い思いをして来たのだ。そのものたちへの恨みは深い。」
カズも言った。
「赤間でも、命を落とした者が居る。・・タマソ王の父様もそうだ!赦すわけにはいかぬ。」
他の者たちも口々に不満を言い始めた。カケルは皆を鎮めてから、一層声高に言った。
「皆さん、お聞き下さい。・・私も、ここまでに何人もの命を奪って参りました。時には、身を守る為仕方なく、ある時は民を守る為・・しかし、いかなる理由があろうとも、命を奪った事は赦されぬことだと思っております。どれほどの罪人にも、親や子、一族の者がおるはずです。それらの者は、命を奪った者を恨み続けるでしょう。それゆえ、私は、我が罪を背負い、その償いをする為に、為すべきことに命を懸けております。」
それを聞いて、男達は自らの身を考えた。我が里を守る為、戦い、奪った命がある。手にした剣には、いずれかで血を吸ってもいた。
「では、この者達にも、罪を背負わせ、その償いをさせよと申されるか?」
サカヒコが言った。
「はい。命ある限り、犯した罪を悔い、己のできる事、為すべきことをさせるのです。」
そこまで聞いていたタマソ王が立ち上がり、カケルの前に出て皆を見渡して言った。
「どうだろう。この者たちの事はカケル様にお任せしようではないか。これ以上、恨みや悲しみを産むのは止めにしよう。」
王の言葉は重かった。みな、頷き同意した。タマソ王はゆっくりと振り返り、カケルを見た。
カケルは深々と頭を下げた。タマソ王は今一度、居並ぶ男たちを前に言った。
「私は、民を守る強く豊かなアナト国を作る為に、王の座を継いだ。そのためには、屋代の水軍を倒すことが先決だと信じ、ここまで来た。だが、水軍は敵ではなく、アナトを守る民であった。私は、王として間違っていたのだ。王は民を信じ、民を守る為に命を掛ける者であるはずだった。しかし、疑い、相手を打ち負かすことだけを考えていた。もう過ちは赦されぬ。今、ここには、熊毛の里、徳の里、陶の里、赤間の者、そして、屋代の水軍が集まっている。我らが互いを信じ、心を合わせて国造り、里作りに励めば、きっと素晴らしき国が出来るはずだ。どうだ、みんな、私に力を貸してもらえぬだろうか。」
王の言葉は、男達の心に届いた。皆、歓声を上げ、抱き合ってよろこんだ。そして、サクヒコ、リュウキ、タモツらはお互いに手を取り、信じあうことを誓った。
「して、その者たちをどうされるおつもりですか?」
サクヒコが訊ねる。
「それぞれ、己の罪を知り、為すべき事は自分で決めねばなりません。」
カケルはそう言うと、ギンポウたちを見た。すでに縄を解かれている。
ギンポウは、佐波の海を荒らした者たちを集め、悔い改めさせたのち、ギョクとともに、来島へ戻り、東国の兵と戦い、必ず故郷を取り戻したいと言った。
難波のアリトは、まだ答えを出せなかった。東国の将の手先となり、この地まで来たが故郷は遠く、戻ったところで為すべき事が見つからないと思っていたのだった。
「では、私とアスカを案内し、東国へ連れて行ってくれませんか?」
「東国へ?」
カケルは、アスカが亡き須佐那姫の娘である事、そして、父は東国に居る事を皆に話した。アスカの里を探すという約束を果たしたいのだと皆に告げた。
「それと・・・東国の皇君がどのような御方か知りたい。韓に負けぬ国を作りたいというお考えが、このような悲劇を招いている事を知らせなければならぬとおもうのです。」
皆には、カケルの考えは途方も無い事だと思われた。だが、カケルならば、やり遂げるのではないかとも感じていた。アリトは驚きつつも、自分にしか出来ぬことだと確信し、承諾した。
「サクヒコ様、一つお詫びをせねばなりません。ハガネ作りの約束を果たせそうにありません。」
カケルが言う。それを聞いて、リュウキが言った。
「それなら、こやつを使ってくだされ。韓船に乗っていたヒョンテです。韓ではハガネ作りをして居ったそうです。船では役に立ちませんでしたが、ハガネ作りは得意だと言っております。」
背の低い色白で細い目をした男がピョコッと頭を下げた。

リュウキは、里の者たちに指図して、食べ物を運ばせた。高楼の周りには、里の女や子どもたちも集まり、互いに詫び、これからのアナトの国について語り合った。日暮れになり、高楼の前には篝火が焚かれ、誰ともなしに歌い踊り宴が始まった。

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2-11 それぞれの道 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

11. それぞれの道
宴の脇の暗がりに、アリト、ギンポウ、ギョクらは座らされていた。すでに縄は解かれたものの、小さな檻のような中に入れられたままだった。皆を謀り、頭領を牢獄に入れ、里を襲い、荷内島では民を皆殺しにした。一つ一つの罪を、檻の中で悔いていた。
そこへ、カケルが来た。カケルは檻の前に座り込むと、手にしていた食べ物をギンポウたちに手渡した。
「腹が空いているでしょう。さあ。罪は罪、償うためには命を繋がなくてはいけません。」
檻の中で男たちは涙を流しながら、カケルが渡した肉や魚を無心に頬ばった。
そこへ、リュウキが少し酔った風情で現れた。檻の前にどかっと腰を下ろすと、中をじっと睨みつける。そして、
「ギンポウ!ギンポウは居るか!」
ギンポウは慌てて前に出た。
「おお、そこに居ったか。・・・ふん・・わしはお前を赦さぬぞ。長年、牢に閉じ込め、あと僅かで死んでおるところだったのだ。・・アスカ様が居られなければとうに死んでおる。・・おお、そうか、お前もであったな。稲妻に打たれながら生きながらえるなどとはな・・。」
リュウキはぐっと手を突き出し、ギンポウの顔あたりにもっていった。
「この手で、お前を八つ裂きにしてやりたいが・・・アスカ様に免じて堪えてやろう。・・だが、良いか。心せよ。わしら、屋代の水軍は・・未来永劫・・・来島の水軍とは・・・決して・・決して戦わぬ。この中津海を守るために力を合わせることを誓うのだ!・・例え、わしとお前の命が果てようとも、子々孫々語り継ぐのだ。それが、わしへの償いと心せよ!」
ギンポウは大粒の涙を零しながら、目の前に突き出された拳を握り締めた。
「我が命、屋代と来島・・いや、中津海の全ての民に奉げます。」
「よおし、それでよい、それでよいのだ。」
リュウキも涙を流していた。

しばらくすると、マサが魚を隠し持って檻の前に現れた。カケルが座っているのを見て、一旦戻ろうとしたところで、檻の中から、ギョクが声を発した。
「マサ!」
声に呼び止められ、マサは檻の前に来て座り、懐から、干物を取り出して檻の中に入れた。
「マサ、済まぬ。どれほど詫びても赦されぬだろうが、済まぬ。本当に済まなかった。」
マサは、まっすぐにギョクの顔を見る事ができなかった。そして俯いたまま言う。
「ギョク様は、私に生きる道を授けてくださった。何も出来なかった私に、船を操る術、潮を読む知恵、そして、深く考える事を教えてくださった。なのに、なぜ・・・今でも信じられません。」
そう言うと涙を零した。信じていたものに裏切られた悔しさだけではない、師と仰ぐ人が罪人として捕われた無念さで胸が張り裂けそうだった。
「一つ、お教えください。ギョク様は本当に我らを謀ることだけを考えていらしたのですか?」
マサの問いを聞いて、傍にいたカケルも驚いた。
「我らを謀るなら、なぜ、これほど多くの事を私に授けられたのですか?ただ、我らをここまで連れてくれば済むでしょう。・・まるで、本当に強きアナト国の水軍を作りたいと思っていらしたとしか思えないのです。」
カケルもマサと同じ事を感じていた。屋代の水軍と戦う事よりも、東国の兵を追い払う事を望んでいたのではないかと思っていたのだった。
ギョクは何も語らず、押し黙ったまま、じっと頭を垂れていた。

翌朝、それぞれがそれぞれの役割をもって動き始めた。
焼け落ちた船は、カケルが先導して、水軍の男たちやギンポウらとともに修理を始める。
カケルとアスカは、修理した船の中から、一番小さい船をリュウキから貰い受け、ギンポウ・ギョク・アリトらとともに、まずは来島を目指すことにした。
サクヒコたちは、タマソ王達とともに、熊毛の里へ戻る事になった。タモツは、赤龍で陶の里へ,トモヒコたちは黒龍で徳の里へ戻る事になった。
別れの桟橋で、それぞれが、新しきアナト国を作る事を再度約束した。
「カケル様、東国への旅のご無事、お祈りいたします。くれぐれも無茶なさらぬように。私は、皆と心をあわせ、豊かで強きアナト国を作ります。」
カケルたちの乗った船を、タマソ、サクヒコ、リュウキらが居並び、手を振って見送った。

「これから寒い季節になると、西風が強まります。波は高くなりますが、風を捉えれば、来島まではほんの二日もあれば着けるでしょう。」
ギンポウが舵を取りながら説明した。
「来島には、東国の兵がいるのでは?」
アスカが揺れる船の縁にしがみついて訊いた。ギョクが説明する。
「来島は、大小いくつもの島が、吉備から伊予まで連なった場所なのです。島数が多すぎて、我らとて全て知り尽くしては居ません。兵が居るのは、吉備に近い因島(いんのしま)だけ。我らの仲間は、伊予に近い大島あたりに潜んで居ります。そこなら大丈夫です。」
「それなら、吉備に向かわず、伊予から讃の国を経て、摂津へ向かう方が良いでしょう。」
アリトが言った。
「伊予か・・・昔、ナレの村でアスカケから戻られたばかりのアラヒコ様から聞いたことがあります。たくさんの果樹があり、豊かな国だと・・確か、乙姫(おつき)様が治めておられると・・・。」
アスカは、遠く船の先を見つめていた。

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2-12 来島へ [アスカケ第4部瀬戸の大海]

12.来島へ
 西風に乗った船は、屋代島からいくつかの小さな島を伝いながら、荒波を超え、予定よりも早く来島海峡の入り口に到着した。目の前には、いくつもの島が連なっていて、海の上からは低い山が連なる陸のように見えた。
「ここからは潮の流れが速いのです。上り潮に乗らねば進めません。今日は、あの岬の手前で船を止めましょう。」
カケル達が着いたのは、伊予の国の「しめの浦」という浜辺だった。周囲には集落は見当たらず、流木を集め火を起こし、野宿することになった。季節はもう冬に入っている。浜辺近くの竹林から竹を切り出し、簡易の風除けも作り、そこで眠ることにした。暖を取る為、火を焚き続ける為、交代で火の番をした。
「カケル様とアスカ様は、お休み下さい。我らが交代で火の番をします。」
ギンポウが申し出たが、カケルは、聞き入れなかった。
「あなた方は私の手下ではありません。皆、命をともにする仲間です。私も交代で番をします。」

「カケル様、九重のお話をお聞かせ下さい。」
流木を火に投げ入れながらギンポウが訊いた。カケルは少し考えてから言った。
「九重は、高き山が連なり、平地が少なく、狭い谷筋にわずかな田畑を作り貧しき暮らしのところが多いのです。だからこそ、皆が助け合って生きております。」
そう切り出して、ナレの里や、高千穂の峰、ヒムカの国、阿蘇、葦野の里・・カケルとアスカが旅をした様子を話して聞かせた。そして、邪馬台国復興に多くの者が集まり、邪な心を持つ王を倒した事も話した。時折、アスカも、カケルの活躍を加えた。
「アスカ様は、カケル様を心からお慕い申されているのですね。」
ギョクが何気なく呟いた。アスカは驚き、顔を赤らめた。
「カケル様は、アスカ様と夫婦の契りは交わされたのですか?」
ギンポウが訊ねる。今度は、カケルが戸惑った表情を浮かべた。それを察して、アリトが言う。
「東国の地に着かれたら、夫婦の契りを交わされると良い。そして、御子を持たれれば、さぞかし、強く美しき御子になるに違いない。まあ、それまでは、私がお守りいたします。」
アスカはカケルの顔を見た。これまですいぶんと長い間、伴に居たが、カケルの想いは訊いた事が無かった。ただ自分との約束を果たすのだと言う事だけを頼りにここまで一緒にいた。時折、不安にもなったが、あえてそのことは考えないようにしてきたのだった。
カケルは、アスカを真っ直ぐに見た。決意をしたようだった。
「アスカ、時が来れば、契りを結ぼう。その為に、こうしてアスカの里を探してきたのだから。東国の都へ着いたなら、父様を探し、許しを得る。そして、住まいを持とう。」
カケルが初めて、「契り」を口にした。ずっとずっと聞きたかった言葉であった。予期せぬ時に聞かされ、アスカは驚いた。そして、暗闇の広がる浜へ掛け出た。嬉し涙がとめどなく溢れてくる。
翌朝、潮を読み、一気に海峡を越える事になった。
風も弱く、船は順調に進む。遠くに、来島水軍の仲間が潜んでいるという大島が見えてきた。海峡を過ぎ、島の南側へ回り込むと、浜辺が見えて来た。
「もうすぐです。あの浜に仲間がいるはずです。」
ギンポウは舳先に立ち、様子を伺っている。徐々に浜に近づくと、ギンポウが声を上げた。
「おかしい、何か変だ!」
船が砂浜に乗り上げるより早く、ギンポウは船か飛び降り、腰まで浸かりながら、浜辺へ駆け上がっていく。ギョクも後を追って走り出す。
砂浜から少し上がったあたりに草原が広がり、その先が少し低くなっていた。ギンポウとギョクは必死に走る。カケルたちも船を着けると、二人の後を追った。
そこは、確かに小さな集落があったようだった。
だが、全ての家が焼け落ち、黒い焼け焦げた柱だけが転がっている。そして、その脇に、折れた剣や槍が纏められ、弔いを行なった跡が残っていた。
ギンポウとギョクが、不在の間に、東国の兵がここを探し出し、襲ったに違いなかった。
「何てことだ!」
ギンポウとギョクは、座り込んで、この有様に嘆いた。
「皆、殺されてしまったのでしょうか。」
アリトが小さく呟いた。カケルは、焼けた家の跡を見て回った。
「いえ・・きっと、どこかにいるはずです。この弔いの跡は、残った者が作ったもの。この近くに居るに違いない。探しましょう。」
カケルは、ギンポウやギョクを励まし、手分けして、周囲の山を探すことにした。そして、夕暮れ近くまで、周囲を探し回ったが見つからない。ギンポウもギョクも憔悴しきっていた。カケルは、焼け落ちた場所でも、夜露を凌げそうな場所を探し、火を起こした。
「猪でも獲ってまいりましょう。」
カケルはアスカと伴に、弓を手に再び山へ入った。小さな川筋に沿って上っていくと、すぐに獲物は見つかった。
「静かに。今仕留めるからな。」
カケルはそう言って弓を構える。辺りは風の音しか聞こえない。じっと狙いを定めていた時だった。かすかに、前方でパキッという木を踏む音が響いた。カケルは弓を下ろし、聞き入った。再び音がした。
「アスカ、この先に誰かいるようだ。・・ギンポウ様を呼んできてくれ。」
すぐに、アスカは浜へ走り、ギンポウを呼んだ。

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2-13 来島一族 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

13.来島一族
カケルの知らせに、ギンポウもギョクもアリトもやって来た。カケルは、音がした、高い崖のほうを指差した。ギンポウがゆっくりと前へ出る。崖下に茂る藪の中に、動く影がある。じっとギンポウはその影を睨んで、不意に言った。
「お婆様(おばばさま)!」
その声に、藪の中から小さく背を丸めた老婆が顔を見せた。
「お婆様、ご無事で。・・・ギンポウです。お忘れですか?」
「おお、おお、ギンポウ、ギンポウか!」
ギョクも慌てて駆け寄る。
「皆はどうしたのですか?」
ギョクが、恐る恐る訊いた。
「ああ・・皆、無事じゃ。・・この奥に隠れておる。さあ、付いて参れ。」
老婆は、最初に見つけた時とは別人のように、元気に歩き始めた。カケルたちは老婆の変貌振りに驚きながら、後をついていった。
谷筋をしばらく行くと、少し開けた場所があった。両岸は高い崖に取り囲まれて、ぽっかり穴が開いたような場所だった。大きな岩が入り口にあって、外からはそれとはわからない。脇を抜けて入ると、三十人ほどが、食事の支度や縄作り等の仕事をしている。子ども達も遊んでいた。
老婆に案内されて、広場の中ほどに行くと、この集団の長らしき男が顔を見せた。白く伸びた髭と頭髪は老いを感じさせたが、強い眼と刻まれた皺が一族を束ねる苦労を物語っていた。
長は、ギンポウとギョクの帰還を喜んだ。先ほどの老婆は、この長の妻だったのだ。
「こちらが、カケル様とアスカ様、九重からおいでなのです。そして、こちらは・・。」
ギンポウはそこまで言って、どう説明すれば良いか悩んだ。様子を察してアリトが言った。
「私は、難波のアリトと申します。・・東国の差配役をしておりました。」
東国と聞き、周囲に居た者がどよめいた。
「どういう事か説明してもらおうか?」
長は言った。ギンポウとギョクは、これまでの経緯を一通り説明した。
「では、お前たちは、このカケル様に救われたという事か!」
「はい。屋代で命を奪われていても仕方ない事をしました。いくら、我らの土地を取り戻すためとはいえ、非道な事をしておりました。」
ギョクが長に頭を下げて詫びた。それを見てアリトが言った。
「いえ、本当に悪いのは、私なのです。東国の皇君の命とは言え、弱みに付け込み、人として誤った事をさせてしまいました。カケル様に救われ、改心しております。」
一通り話を聞いた長は、カケルの顔をじっと見て言った。
「そなたが、どれほどの御方なのか、よく判りました。ギンポウもギョクも、我が一族の将来を担う者、お救い下さったという事は、我が一族をお守りくださったと同然。礼を申します。私は、一族の長、ヤマツミヒコと申します。」
「浜で見た焼跡はどうしたのですか?」
アスカが長に尋ねると、長は笑みを浮かべ聞き返した。
「あれを見て、どう思われたかな?」
「はい、里が襲われたのだと思っておりました。弔いの跡もありましたし・・。」
長は頷いて言った。
「近頃になって、東国の兵の船を見かけるようになりましてな。我らがこの島に居ると判れば襲ってくるでしょう。その為に、すでに襲われたのだと見せているのです。」
「一族の皆様はここにいらっしゃるだけですか?」
「いや、いくつか谷あいに分かれて暮らしております。日毎、行き来する役の者がおり、それぞれの無事を伝え合っております。・・さきほど、婆様も隣の谷から戻ったところだったのです。」
「そうか・・皆、無事なのか・・良かった。」
ギンポウとギョクは、顔を見合わせ安堵した。
「東国の兵は、安芸やアナトが従わぬ事に苛立ち、伊予攻めを始めた様子なのです。」
ヤマヅミヒコが言った。
「何?伊予攻め?皇君は、讃や伊予は攻めてはならぬと仰せであったはず。何ゆえだ?」
アリトが言うには、皇君の母方は、四国、石鎚山の麓を治める一族であり、讃の国と伊予の国とは近しい関係にあり、従える事など無用であると仰せになられ、西国のみを攻めよと下知されたということだった。
「私は来島水軍の力を使い、安芸とアナトを落とすために動いておった。伊予や讃は侵してはならぬ。何かの間違いだろう。」
「いや、数日前も、何隻もの大船が島の北の海を、西へ向けて行くのを見ました。」
来島の長、ヤマヅミヒコは、その様子を話して聞かせた。
「伊予へ参りましょう。戦を止めねばなりません。」
カケルが言うと、アリトも頷いた。
「我ら来島の水軍も参りましょう。」とギンポウやギョクも申し出た。
「いえ、我らだけで参ります。大きな戦にせぬためにいくのです。」
カケルが答えた。ヤマヅミヒコは頷き、ギョクの肩を叩いた。
「案内役が居らねばなりますまい。ギョクをお連れ下さい。伊予の都までの船で行かれると良い。ギンポウよ、これからは、我らも潜んでばかりとは行かぬ。島に居る一族を集め、この地を守るのじゃ。お前には、その役目がある。我が一族を率いて、東国の兵の退路を断つのじゃ。」
ギンポウはギョクの顔を見て、「頼むぞ」と言い、ギョクも「兄者も」と答えた。
「アスカ、東国へ行くには回り道になるが、許せよ。」
カケルの言葉に、アスカは頷いた。

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2-14 東国の将 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

14.東国の将
 翌朝、潮の加減を見て、ギョクが船を操り、海峡を渡り、動鼻、大角鼻、舵取ノ鼻を回り、一夜を星の浦で過ごし、翌日には、風速岬まで達した。もうすぐが、伊予の都「熱田津」だった。
 東国の大船は、岬からは見えず、ギョクは更に船を進めた。立岩川の河口まで達した時、沖に浮かぶ鹿島の東の入り江に、大船が泊まっているのを見つけた。
「大船が居ます。風を避けているようです。いかがしますか?」
まだ戦を仕掛けている様子は感じられなかった。
「私は、東国の差配を任されている者。大船に行き、伊予攻めを止める様説得してまいります。」
アリトがカケルに言った。
「聞き入れるでしょうか?」
「判りませぬ。どのような者が軍を率いているか判りませぬゆえ、まずは遭ってみてからでしょう。場合によっては、刺し違えてでも止めまする。元はといえば、私の罪。ここまで生きながらえた理由は、このためかもしれませぬ。」
アリトは覚悟を決めているようだった。それを聞いてアスカが言った。
「このまま、大船の近くに参りましょう。・・これほどの小船です。東国の兵たちも矢羽を放つような事もないでしょう。近くまで行けば、様子も判りましょう。」
アスカの言葉で、小船は、鹿島の入り江に停泊している大船近くに進める事になった。
「なんだあ、あの船は?」
大船の見張り役が近づく小船に気付いた。
「小船がやってきます。」
見張りの報告に、大船の中でも最も大きな船の将が船縁から顔を出し、様子を見ていた。
「難波のアリトと申す!東国の船とお見受けした。大将は居られぬか!」
小船を大船の近くまで寄せて、アリトが叫ぶ。
「難波のアリトか・・・厄介な奴が現れたな・・・。まあ良い、遭ってやるか!」
そう言って、船縁に立ち、大柄な男が呼びかけた。
「おお、アリト様!・・このようなところまで、何用です。我は、明石のオオツチヒコと申す。軍の大将でございます。・・・まあ、船を寄せ、こちらへ参られよ!」
大船から綱が下ろされた。
「万一のことがあるやも知れませぬ。カケル様、アスカ様、この船でお待ち下さい。私一人で参ります。」
アリトはそう言うと、綱を握り船を上がって行った。ギョクは用心のため、小船を大船から少し離した。

「難波のアリト様、このような場所に何用です。確か、アナト国を攻略するために、屋代島へ行かれたとお聞きしたが・・・。」
オオツチヒコは、甲板に並べた椅子にふんぞり返るように座って、アリトを迎えていた。明らかに、アリトへの敬服の念など微塵も無いという風情であった。
「率直に聞こう。何故、伊予攻めをしておるのだ!我らの使命は、西国の平定。伊予攻めは命じられては居らぬはずだが・・。」
オオツチヒコはにやりと笑ってから、わざと神妙な顔つきになって言った。
「我らとて、伊予攻めは本望ではありませぬ。しかし、安芸、アナトの平定には思いのほか手が掛かっておる様子と聞き、それならば、伊予を平定し、支配下に置けば、一気にアナトへ蝉入れるのではないかと考えた次第です。」
「伊予は、皇君の母方の国。平定など不要と申されておったはず、そなたが知らぬわけはないはずだが。正直に申されよ、何故、伊予攻めをして居るのだ!」
アリトの詰問に、オオツチヒコは苛立った様子で椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「そのような事を考えて居るから、安芸もアナトも攻め落とせぬのだ!皇君は、いずれ四国、九重さえも平定される。我らはその先に動いているまでの事!そなたこそ、アナト国を落とせず、何故ここに居る。・・供をしてきた者は、誰だ?・・もしや、伊予の者ではあるまいな。いや、あの風情は来島の水軍かアナトの者か・・・・そなたこそ、アナトの者に取り込まれ、寝返ったのではないのか!」
そう言って、腰の剣を抜き、アリトの顔の前に突き出した。
「皇君の願いは、韓に負けぬ、強く大きな国を作る事。弱き国を従える事ではない。西国に住む多くの者の命を奪い、力で従わせるのは間違っていると気付いたのだ。話し合い、手を結べば良いだけなのだ。・・・伊予攻めなど無用な事。すぐに手を引かれよ!」
アリトは真っ直ぐにオオツチヒコの目を見て、訴えた。
「此度の西国征伐の差配役ともあろうお方が、力で従わせるのは間違っていると言われるか!なんと、腑抜けた事を。・・・西国の民など野人同然。知恵もなく、貧しき暮らしをして居るではありませんか。我が皇君の国なれば、あのような者達は不要でしょう。」
「なんと愚かな。将にあるまじき考えじゃ!すぐに兵を引き、明石へ戻られるが良かろう!」
「退かねばどうする?手勢を集めて我らと戦うとでも?・・それこそ愚か。もはや、そなたに従う者などありませぬぞ。」
「どういう事だ?」
「お教えしましょう。吉備まで来ておった東国の軍は、統率が乱れ、それぞれの将が勝手に動き始めました。大半は、国許へ戻りましたが、我らは元々、皇君の軍に国を奪われ、軍に加わった者。帰る場所など無い。いっそ、伊予を攻め落とし、われらの国にするのが良かろうと考えたのです。皇君の願いなどどうでも良い事なのです。」
オオツチヒコは、そう言うと、剣を振り上げ、アリトに切りかかった。アリトの右肩から血が噴出した。同時に、大船から、カケルたちの小船に矢が射掛けられる。ギョクは慌てて船を漕ぎ、矢羽の届かぬところまで、船を離した。

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2-15 新城山 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

15. 新城山
しばらくすると、大船では、何人かの男が、アリトを担いで船縁まで運ぶと、両手・両足を持ち何度か揺らしたあと、海へ投げ捨てた。すぐに救わねばと思ったが、近寄れば矢羽が飛んでくる。アリトの体はゆっくりと潮に飲まれていく。
「アリト様!」
ギョクは必死に呼んだが、反応しない、そしてアリトの体は、波間に消えていった。
「何という事だ!」
カケルは悔しくて拳で船縁を叩く。アスカはカケルに縋り付き泣いた。
ギョクは止む無く船を陸へ向けて漕ぎ出した。アリトが切り殺された事は、東国の兵がすでに統率を失い、伊予に攻め入る事を示していた。カケルは、陸へ付く間、この後の事を考えていた。
「ギョク様、我らを伊予に下ろしたら、すぐに島へお戻りください。そして、東国の兵はすでに皇に従う者ではなく、単に里を襲う海賊であるとお知らせ下さい。・・それと、屋代へも使いを出し、備えるようお伝え下さい。」
カケルが言うと、ギョクは、
「カケル様はどうされるのですか?」
「私は、伊予の王にお会いし、戦に備えます。此度は、戦うほかありません。」
ギョクは、立岩川が斎灘に注ぐ河口あたりの浜に船を着けると、カケルたちを降ろしてすぐに島へ戻って行った。
「アスカ、東国への道は遠のいてしまったようだ。許せよ。だが、このまま東国へは向かえぬ。この伊予を守り、あの無頼な輩を退治せねばならぬ。判ってくれ。」
アスカは、カケルの眼差しにこれまでに無い厳しい決意を感じ取って、強く頷いた。
海辺には、里らしきものはなく、カケルとアスカは、立岩川の岸辺を上ることにした。しばらく行くと、数人の男たちに取り囲まれた。
「何者だ!」
取り囲んだ男の一人が、威圧するような声で訊いた。
「この辺りでは見かけぬ顔だな。衣服も見慣れぬ・・怪しい奴。吟味する、ついて来い。」
男たちは、カケルとアスカに槍を突きつけて取り囲むと、川岸から離れ、北東に見える山へ向かった。山の麓には、大池があり、回り込むように山道を登ると、石組みの砦が作られていた。杉の丸太で作られた頑丈な扉が開くと、中には、槍や剣を構えた男達が並んでいた。見るからに戦支度をしているとわかった。
砦の中ほどまで連れて行かれると、館の前に腰掛けている男の前にひざまつく様に命じられた。
男は、甲冑に身を固め、剣を足の間に逆さにして突き立てて、目を閉じている。
「怪しい奴が、川沿いを歩いておりましたので捕まえてまいりました。」
部下の声にゆっくりと目を開けて、異様な眼力で、カケルとアスカを睨みつけた。
「青い衣服とは珍しい。そなた達は、アナトの国の者か?」
男の声はその風貌とは逆に妙に優しかった。カケルとアスカは徳の里を出る時、女達の設えてくれた衣服を着ていたのだった。
「いえ・・これはアナトの国でいただいたもの。私は、九重より参りました、カケルと申します。そしてこちらはアスカでございます。」
男は、カケルの答えを聞き、じっと目を閉じ何かを考えているようだった。
「九重からアナトを経て我が地へ来たと申すか。・・だが、誰に案内されたのだ?海を越えるのは苦労だったろう。」
「はい・・アナトのタマソ王とともに屋代島まで参り、その後は来島水軍の者が、伊予まで案内してくれました。」
「来島の水軍とは珍しい。もはや東国の僕(しもべ)となったと聞いておるが・・・まあ良かろう。それで、我が地に何の用で参ったのだ?」
「東国の兵がこの地を襲うと知り・・戦を止めねばと考えてまいりました。」
「ほう、そこまで知っておるのか。・・だが、お前一人の力で何が出来ようか。・・そもそも、九重の者が何故に戦に関わるのか・・・」
そこまで言って、はっと思い出していた。
「お前、名をカケルと申したな。・・九重・・カケル・・もしや、ヒムカのタロヒコを滅ぼし、九重の国々を救い、偉大なる邪馬台国を復興させたという・・賢者カケルなのか?」
その問いにアスカが少し自慢げに答えた。
「はい・・私はお傍でその奇跡を見てまいりました。・・アナトの国にても、タマソ王とともに屋代島で起きた東国の謀を潰し、強きアナト国の礎のために働かれました。」
「アスカ、止めなさい。私はそれほどの者ではない。」
それを聞いて、得心したように男は言った。
「そうか・・・判った。・・・わしは、伊予の国の衛将、クニヒコと申す。カケル殿の申されるように、今、東国の兵が、鹿島に姿を見せたゆえ、ここで戦に備えておるのだ。戦など無益なものだが、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。」
「乙姫(おつき)様はご健在なのでしょうか?昔、我が里の者がこちらに参り、多くの事を学び戻りました。乙姫様のお話を良く聞きました。是非、お会いしたいと思っております。」
クニヒコは、少し暗い顔で答えた。
「乙姫様は、先年、崩御された。ご病気だったのだ。今は、弟君が王位を継がれているのだが・・幼き頃よりご病弱ゆえ、ここより西南にある、勝山の地で養生されておられる。それゆえ、この戦は、何としても、この地で留めねばならぬのだ。」
カケルは、伊予国の事情を聞き、改めて、東国の謀を阻止せねばと決心した。

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2-16 水濠 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

16.水壕
山の砦からは、鹿島の様子が手に取るように見えた。大船は五隻、じっとしている。北西風が強く吹き、海岸には白波も立っている。東国の将は時を待っているようだった。山の麓から、浜にかけて、幾つかの土塁が築かれ、砦のある新城山の木々が切り出されて、高い柵も作られ始めていた。その様子は、東国の大船からも確認できるはずであった。
「これほどまでに守りを固めれば、そう容易く攻めては来れぬだろう。」
砦から海を見下ろしながら、クニヒコがカケルに言った。
「ええ・・ですが・・王がいらっしゃるのは、西方でしょう。これでは、西への守りが弱いのではないですか?」
「・・いや・・勝山へ向かうには、その先の粟井(あわい)の坂を越えねばならぬ。・・すでにそこには、兵を置いておるのだ。あの坂へ向かえばこちらの兵で挟み討ちにでき、好都合なのだ。」
クニヒコは、東国との戦に備えた策を充分に用意してきていることをうかがわせた。
「いつごろ攻めてくるのでしょうか?」
「船があそこに停まってからすでに十日ほど経っておる。食糧も底をつくはず。あと十日以内ではないかと思うが・・。」
カケルは、クニヒコの読み通りだとすると、まだ時があると考えた。そこで、
「あの土塁の後ろに、大きな濠を作りましょう。川の水が引き込めるようにして、東国の兵があの土塁を越えた時に一気に水を流し込めるようにしてはどうでしょう。」
カケルの言葉を聞き、クニヒコは土塁と立岩川とを見比べながら、考えた。
「それは良い。・・ここの兵もそれほど多くはない。土塁にはわずかな兵を置き、囮にして置けばよい。兵が攻めてきた時、一気に退き、濠の中へ兵を落とせば楽に勝てる。すぐに掛かるとしよう。」
カケルの進言どおり、水壕と堤作りが始まった。
「クニヒコ様!浜辺に人が倒れておりました。」
浜の見回りに行っていた者達が、男を運んできた。
「こ・・これは・・・アリト様!お救いできず・・・申し訳ない・・許してください。」
アリトは、海に投げ込まれ、潮の流れで浜辺まで打ち上げられたらしい。すでにこと切れていた。カケルは、大いに悲しんだ。アスカも話を聞き、すぐに駆けつけた。
「何と言う事でしょう。」
アスカも悲しみ、すでに冷たくなっているアリトの手を握った。その瞬間、アリトの体から紫の光が発し、アスカの体に電撃のようなものが走った。その衝撃で、周りに居たものも跳ね飛ばされるほどだった。アスカはしばらく意識を失った。
「アスカ、大丈夫か?しっかりしろ!何が起きたのだ?」
カケルがアスカの体を抱き、揺り起こした。目覚めたアスカは、カケルに言った。
「・アリト様に触れた時、まだ体から離れぬアリト様の念を感じました。」
「アリト様の念?」
「はい、アリト様は、海に落ちる直前にどうしてもカケル様に伝えたい事があったようです。」
「どんな事だ?」
「はい・・・沖にいるのは、オオツチヒコと申す将。もはや、東国の皇君の御意向とは無関係。自らの領地を得んがために攻めて参っただけ。ただの無法者に過ぎぬ東国の兵達も統率を失っており、容赦など無用であると・・・」
「なんと・・・死してもそのことを伝えるため、浜に上がってきたのか・・。」
カケルは改めてアリトの亡骸を見た。アリトの命を掛けた報告をカケルはしっかりと受け止めた。
「だが・・アスカ、何故そのような事が・・。」
カケルは、アスカに備わった新たなる力に驚きを隠せなかった。

濠作りは進んでいた。浜から二つほど奥の土塁の後ろに、人の背丈の倍はある深さの濠を作った。掘り上げた土は立岩川に運び込み、濠へ水を引くための堤も作られた。
ようやく完成した頃、鹿島にいた大船が動き始めた。
「来たぞ!皆、策は判っておるな!抜かりなく戦おうぞ!」
浜に一番近い土塁には、カケルが居た。敵を引き付け、濠まで誘い込むための囮は、ともすれば自らも命を落とす危険な仕事だった。濠が完成した時、カケルがクニヒコに申し出たのだった。

大船は砂浜に乗り上げると、一気に甲冑を着けた兵たちが浜から上がってきた。クニヒコの読みどおり、兵たちは、土塁を目掛けてやってくる。一番土塁にいるのは、十人ほど。矢を放ちながら、応戦するが、敵が近づくとすぐに後ろの土塁に退いた。
兵たちは、土塁に上がるとまた次の土塁を目指してやってくる。土塁の周りには、小さな濠も作った為、東国の兵たちは足を取られ、苦労しながら次の土塁を目指してくる。
次の土塁からも、数本の矢を射掛けては、また次の土塁へ退いた。そうやって、徐々に兵達は、カケルたちを追いながら、最後の濠に近づいてくる。
砦から、下の様子を見守っていたクニヒコは、堤を切る機会を伺っていた。
「さあ、いよいよだ。皆、砦へ向かうぞ!」
カケルの声で、伊予の兵は最後の土塁に置かれた枯れ草に火を放った。
煙が立ち上ると、堤に控えていた男たちが一気に堰を切る。立岩川に築かれた堤には、溢れんばかりの水が湛えられていた。東国の兵たちが、濠の中に入り込んだ時、上流から轟音を上げて、一気に大量の水が流れ込んだ。
重い甲冑を身につけた兵たちは、足を取られ流される。逃げようにも、土塁には火が放たれ、這い上がる事さえもできない。大半の兵は、その濠に沈んでいった。

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2-17 御霊 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

17.御霊(みたま)
浜の大船の上からは、東国の将オオツチヒコが、戦の次第を見ていた。
「一体、何が起きているのだ!兵たちはどうした?」
土塁から、命からがら戻ってきた兵の一人が、戦の次第を報告した。
「なんということだ。わずかの間に大半の者が命を落としたと申すか!」
まともに戦うことなく、大半の兵を失ない、オオツチヒコは、愕然とした。残った兵は、四分の一程に減っていた。
「このままでは、全滅じゃ。すぐに船を出せ!退け、退くのじゃ!」
東国の兵たちは我先にと船に乗り、慌てて、船を沖に漕ぎ出した。遠く、砦では歓声が上がった。「上手くいった様だな。」
クニヒコが、浜から戻ったカケルに訊いた。カケルは答えた。
「しかし、次は同じ手は使えないでしょう。まだ兵は残っています。油断はできません。」
「だが、あれだけの兵であれば、まともにやり合っても勝てる。一気に、駆逐する事もできよう。」
「いえ・・東国の兵は統率を失ったようですから、加勢する船が現れるかもしれません。」
「では、この戦、終わりは見えぬな。」
クニヒコは、砦の上から、沖へ逃げ行く大船を、やりきれない表情で見ていた。

東国の兵との戦を僅かな時で勝利した、伊予の兵たちは砦に集まり、祝杯を挙げていた。
「やはり、九重の賢者、カケル様は凄いのお!」
「おお、我ら、誰一人命を落とさず、勝利したのだ!これほどの事があろうか!」
「だが、あの東国の輩の姿を見たか?憐れよのう!」
「重い甲冑が災いしたのじゃ!身の丈に合わぬ物をつけて居るからじゃ!」
口々にカケルへの賞賛と東国の兵達の無残さを語り合っている。再び、攻めてくることなど微塵も考えていない様子だった。

カケルが、砦の宴に呆れて、一人与えられた部屋に戻ると、アスカの様子が変だった。
アスカは、部屋の隅で、壁に向かい、頭を膝に埋めるように丸まった姿勢でじっと座っていた。何かに怯えているような、途轍もない恐怖と戦っているような雰囲気を感じさせた。
「アスカ!どうした?」
カケルは、そっと背後からアスカの様子を伺った。アスカはカケルの事場に反応せず、じっとしままであった。ぼんやりと紫色の光がアスカを包んでいるように見えた。カケルはそっとアスカの肩に手を乗せた。突然、カケルの体に電撃が走り、弾き飛ばされてしまった。
「カ・ケ・・ル・・・様・・・。」
アスカが搾り出すように声を発した。
「どうしたのだ!」
「死んだ者達の御霊(みたま)が・・集まってきております。・・・苦しい・・。」
アスカは時折首を絞められるようにもがいて苦しんでいる。
「あの・・・死んだ者たちを・・・弔ってやらねば・・・ううう・・。」
「判った。すぐに。」
カケルはそう言い遺すと、クニヒコにアスカの言葉を伝えた。邦彦は血相を変えてアスカの元に来た。
「これはいかん。すぐに、亡骸を弔わねば!」
宴の美酒に酔いしれる男たちに号令した。
男たちは杯を投げ捨て、松明を持ってすぐに壕へ向かった。
夜も更けて、漆黒の闇が広がっている。壕には泥水が溜まり、松明の灯りがぼんやりと反射している。堀の周りに男たちは集まった。
「堰を閉じよ!」
川からの水が止まると、徐々に壕の水が引いてゆき、壕の底からは泥に塗れた東国の兵達の亡骸が現れる。皆、溺れ苦しみ死んだのだ。目を見開き鬼のような形相で、積み重なるように横たわっていた。カケルは自らが立てた策で多くの命を奪った事を今更ながら後悔し、真っ先に堀の中へ入り、折り重なる亡骸を一つ背負い、壕の上に上げた。砦の男たちは、不気味に思いながらもカケルに続いて、一体ずつ壕の上に抱え上げ、甲冑を脱がし、川の水で体を洗い、綺麗に拭いてやってから、用意した墓穴に寝かせる。そのうちに、誰とはなく、「済まぬ、許せよ」「苦しかったろうな、済まぬ」と口にし始めた。勝った事がこれほどまでに空しいものと男たちも初めて感じ、心の中に重い石を抱えたような気持ちだった。
全ての亡骸が墓穴に横たえられ、土を被せた。そこへ、クニヒコに抱きかかえられるようにして、アスカが姿を見せた。アスカの上には、紫色の光が渦を巻いているように見えた。
死んだ者たちの御霊がアスカに呼び寄せられているのだった。
アスカは、どうにか立てるほどだった。
「カケル様、剣をお貸し下さい。」
アスカはそう言って、カケルから剣を受け取ると、足元の地面に突き刺した。そして、首飾りを外すと、高く掲げ、空に向かって叫んだ。
「地の神、天の神、どうか彷徨える御霊をお導き下さりませ!」
東の新城山の向こうから、朝日が差し込んできて、首飾りに当たった。首飾りは、辺りに七色の光を放つ。その一つがカケルの剣に当たり、剣からも黄色い光が発した。その光が空高く伸びていく。光に導かれるように、アスカの周りに渦巻いていた紫の光も、空高く昇っていった。

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2-18 粟井の坂 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

18. 粟井の坂
夜を徹して亡骸を弔った後、男たちは皆砦に引き揚げて休んだ。
カケルは、整然と並ぶ東国の兵の墓を前に、座り込んでぼんやりとしている。アスカは、カケルの膝に頭を乗せ、横になっていた。
「惨い事をしてしまった。」
カケルは呟く。伊予を守る為とはいえ、多くの命を奪った事を今更ながらに悔いていた。何か別の手立ては無かったのか、命を奪わずとも済む策はなかったか、墓を前に自問自答している。
「もう・・戦は・・・嫌だ・・何故、戦わねばならぬのだ!」
カケルは唇を噛み涙を流した。アスカはカケルの言葉を聞きながら、伴に泣いた。

数日は、東国の船は辺りに姿を見せなかった。
カケルとアスカは、砦を出て、里を歩いた。昔、ナレの村でアラヒコが話したとおり、この里にはたくさんの果樹の畑が広がっている。里の冬は、そうした果樹の手入れが主な仕事だった。
戦の様子は、砦の男たちから、里の者へも伝わっていたようで、カケルとアスカの姿を見つけると、里の者は、駆け寄ってきて、手を握り、礼を言った。その度に、カケルの顔は曇った。礼を言われると同じほどに、奪った命の重みが胸の中に圧し掛かってくる。カケルは、里の者と遭う事が次第に嫌になっていた。
「アスカ、粟井の坂へ行ってみようか?」
砦で朝餉をいただいていた時、カケルがアスカに言った。
粟井の坂は、里の西はずれ、勝山へ向かう道にある。クニヒコから、王の居る勝山を守る為に兵を置いていると聞いていた。
「ええ・・高い坂を登れば、もしかしたら熊毛の里・・いえ、九重まで見えるかもしれませんね。」
アスカの笑顔は、ほんの少しカケルの重い気持ちを救ってくれた。
浜筋の道を西へ進むと、眼前に山が見える。近づいていくと、海岸側が絶壁になっていて、浜からは崖に張り付くような道が伸びているのが判った。
坂を上るには、両手を着いて這いつくばっていかねばならぬほどだった。
「大丈夫か、アスカ?」
カケルは、アスカの手を握って急坂を登っていく。
登り切ると、やや広い平地があって、坂を下る道と、海側へも一つ小道が伸びていた。
カケルとアスカは、その道をとって海が望める場所に来た。
青い海の向こうに、ぼんやりと島が見えた。
「あれは、なんていう島でしょう。」
「さあ・・訊かなかったな・・本当に、ここは、穏やかで美しい。なのに・・何故、殺しあわねばならぬのだ・・・。」
カケルの中に、再び、あの感情がこみ上げてきた。
あの戦い以来、ずっと同じ事を考えている。しかし答えなど出ようも無かった。

「おお・・カケル様!・・ここにいらしたか!」
クニヒコが数人の里の男と、随分慌てた様子で、粟井の坂を登ってきた。
手には、剣や弓をもっている。
「もしや・・東国の船が現れたのですか?」
「ああ、この先の浜に現れて、ここの守りをして居たわずかな者たちが、先に向かっておりますが・・・持ちこたえられるかどうか。・・さあ、カケル様も、御加勢願います。」
クニヒコたちは、そう言うと、坂を下る道に戻って、足早に下りて行った。
カケルは立ち上がったものの、動こうとしない。アスカはそんなカケルを見て言った。
「さあ、カケル様、行きましょう。」
アスカはカケルの手を取って、坂道を降りた。
見下ろした先、小さな浜辺に、東国の大船が着いている。すでに兵たちは船から降りて、粟井の坂を守っていた里の男たちと、剣を交えている。
粟井の坂を守っていたものは僅か十人ほどしかいない。東国の兵が圧倒的に多かった。坂の途中から、クニヒコたちは矢を射掛けるが、とても届かない。そういう間に、何人かが斬られて倒れている。
「カケル様!急ぎましょう!皆、斬られてしまいます!」
アスカは必死にカケルに呼びかける。
カケルは、坂の途中から、浜で斬り合う男たちを見た。愚かな戦い、何故に殺しあわねばならぬ、再び、カケルは思い、心の底から怒りが湧いてきた。
カケルは、弓を手にした。そして、渾身の力を込めて矢を放った。
ビューウンという、独特の風切り音を残して、矢は凄まじい速さで飛んでいく。
そして、今まさに斬りかかろうとしていた東国の兵の腕を射抜いた。
「うわあ!」
東国の兵は、剣を投げ落とし、その場に蹲った。
さらにカケルは矢を放つ。同じように、強い風切り音が響き、また一人、東国の兵の固い甲冑を射抜いた。
「どこから放っているのだ!」
辺りには、弓を引くものの姿など無かった。そして、三本目の矢が、東国の兵達を掠めて、大船の船体に、轟音と供に突き刺さり、大穴を開けたのだった。
剣を交えていた男たちは、その威力に驚き、矢を恐れて岩陰に逃げ込んでいった。

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2-19 戦いの後 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

19. 戦いの後
ようやく、クニヒコたちが浜に降り立ち、粟井の坂の男たちと合流した。
目の前に、矢に射抜かれた兵が倒れている。
「あれほどの距離で、射抜くとは・・なんと恐ろしき力であろうか!」
クニヒコは驚いた表情で、カケルが居る坂の途中を見た。
カケルは仁王立ちになって、浜を見下ろしている。その表情は、髪が逆立ち、鬼のようであった。
カケルは、剣に手を掛けた。剣から光が漏れ、あたりを包み込み。
「グルルル・・」
低い唸り声を上げて、蹲ると、背中や足の肉がモコモコと盛り上がり始め、一回り大きくなる。頭髪は、狼のごとく金色に変わる。
カケルは、地面を一蹴りして、高く飛び上がり、一気に浜へ降り立った。
獣人に化身したカケルは、東国の兵が隠れている岩場に向かう。
「うわあ・・・く・・来るなあ!」
恐ろしき獣人になったカケルを初めて見た、東国の兵も、里の男たちも、余りの恐怖に、その場に座り込み、ただ剣を振り回し、動けなくなっている。
「何だ?・・・あの物の怪は?・・・こうしてくれるわ!」
大船に居た東国の将、オオツチヒコが弓を引いた。放たれた矢は真っ直ぐカケルの背を射抜く。
「うぐっ・・・。」
カケルは、痛みに小さく声を漏らしたが、すぐに、背に刺さった矢を引き抜いた。
そして、振り返り、大船を睨んだ。
舳先にはオオツチヒコが立っている。カケルは剣を収め、真っ直ぐ大船に歩いた。
「化け物め!」
再び、オオツチヒコが弓を引く。
飛んできた矢を、カケルはあっさりと手で掴んだ。そして、自らの弓に構えた。そしてそのまま一歩ずつ大船に近づいていく。
「この戦を止め、すぐに東国へ帰れ!さもなくば、矢を放つ!」
「黙れ!化け物。お前の指図など受けぬ。」
オオツチヒコは、聞き入れず、再び弓を放った。矢はカケルの髪を掠めただけだった。
「命が惜しくば、すぐに弓を捨てよ!」
カケルは再び忠告した。しかし、オオツチヒコは聞き入れようとせず、再び弓を構える。
「やむを得ぬ。赦せ!」
カケルは、力を絞り、矢を放った。次の瞬間、オオツチヒコの眉間を矢が貫いた。そしてそのまま、オオツチヒコの首は、胴体から離れ、大船の帆柱に突き刺さった。
「ひええええ・・。」
大船に残っていた兵は、剣や弓を放り投げ、船から海へ飛び込んだ。同じように、岩陰に居た者たちも、粟井の坂を守っていた者たちも、一斉に剣や弓を投げ捨て、その場に蹲り土下座した。
「なんという怖ろしき力・・・狼の化身か・・それとも鬼か・・・」
クニヒコも怖れ、その場に座り込んだ。
全て終わった。カケルは、急に力が抜けて、手にしていた弓を落とした。そしてそのまま、仰向けで倒れてしまった。
「カケル様!」
アスカがようやく坂を下り、倒れたカケルの元へ走る。
オオツチヒコが放った矢は、確実にカケルの背を射抜いていた。獣人に化身していた時はわずかな痛み程度だが、元に戻れば、命に関わるほどに大きな傷なのだ。
アスカはカケルの体を抱きかかえると、手は真っ赤な血で濡れた。どくどくとカケルの背から血が流れているのだ。
「カケル様!しっかりしてください!」
その声に、クニヒコたちも集まってきた。
「これはいかん。血を止めねば死んでしまうぞ。」
クニヒコは、着ていた服の袖を引き裂き、カケルの傷口に強く押し当てた。見る間に真っ赤に染まっていく。徐々にカケルの体温が下がっていくのが判る。
アスカは、首飾りを右手で強く握り締め、強く祈った。すると、首飾りが暖かな光を発し始めた。徐々に、光は強くなり、カケルの体を包み込んでいく。
「アスカ様のお力か?」
皆、光に魅せられたように、アスカを見つめた。
「ううっ・・。」
カケルが何か声を発したが、意識は取り戻さない。徐々に光は弱くなる。
「アスカ様!」
光が消えると同時に、アスカも意識を失い、カケルの体を抱いたままその場に倒れこんだ。カケルの出血は止まっている。しかし、意識は戻らないままだった。
日が傾き始めている。冷たい北西風が強くなってきた。これから、あの坂を二人を運んで戻るのは無理だった。
「大船に運んでください。船の中なら寒さも凌げるでしょう。」
東国の兵の一人が恐る恐る進言する。先ほどまで剣を交えていた者たちが、カケルとアスカを救うために力を合わせたのだった。

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2-20 暖を取る [アスカケ第4部瀬戸の大海]

20. 暖を取る
カケルとアスカを大船の中に運び込んだクニヒコ達は、船の様子を見て愕然とした。
長く海上で過ごすにしては、余りにも粗末な状態であったからだ。
兵たちが眠る場所も僅かな布が敷かれている程度であったし、隅のほうには横たわっている男の姿も合った。病か飢えか、動けないほどに体を壊しているようだった。
カケルとアスカは、船の中に唯一ある囲炉裏鉢の傍に運ばれた。
すぐに火を起こそうとしたが、薪はすでに底をついていた。
クニヒコは、里の男たちに命じて、浜から薪になる物を集めさせた。そして、水と食糧も手配した。冬空の下に比べれば、何とか寒さは凌げる状態になったものの、このままと言うわけにはいかない。しかし、あの坂を運び上げるのは難儀な事だった。
とりあえず、一晩、東国の兵も里の男たちも、伴に大船の中で過ごす事になった。

カケルとアスカの様子を看ながら、クニヒコは東国の兵達に言った。
「これほど困窮しているのなら、何故、助けを求めなかったのだ。」
東国の兵の一人が、ぼそりと答えた。
「我らも何度と無く、オオツチヒコ様に進言いたしました。ですが・・聞き入れられず・・我らの使命は西国を従わせること。助けを請うなどありえぬと突っぱねられ・・・ここまで幾人かは・・病や飢えで命を落としました。・・我らとて戦いたくなど無かったのです。しかし・・・。」
そこまで答えると、悔し涙を流したのだった。クニヒコは言う。
「もはや、その将も居らぬ。これからは我が里で伴に暮らせばよい。我らも、東国の兵を多く殺してしまった。その償いはせねばならぬ。」
そこまで言うと、クニヒコは、カケルを見た。そして、カケルが背に矢を受けたのは、多くの命を奪った事への罰を受ける為ではなかったかと思ったのだった。

朝になり、アスカが先に目を開けた。
辺りには、クニヒコ達や東国の兵たちが寒さを凌ぐ為に寄り添うようにして眠っていた。囲炉裏鉢の火は消えかかっていた。アスカは起き上がると、薪を取り、鉢に入れて火を強くした。その物音で、クニヒコも目を覚ました。
「おお・・起きられたか。もう大丈夫か?」
「はい。ご心配をおかけしました。私は大丈夫です。皆様は?」
「ああ、大船の中で何とか寒さを凌げたようだ。」
クニヒコはそういうと、昨夜、東国の兵から聞いた話をアスカに伝えた。
「そうですか・・それは、きっとカケル様も喜ぶでしょう。あの戦以来、カケル様は、多くの兵の命を奪った事を随分悔いておられました。伴に手を携え、生きる事が出来るなら何よりです。」
アスカは、笑顔でクニヒコに答えた。
「アスカ様、一つお聞きしたい事が・・。あの・・カケル様のあのお姿ですが・・。」
クニヒコは、獣人に化身したカケルを見て以来、カケルの力を怖れていたのだ。アスカは、クニヒコの思いを察して答えた。
「怖れる事はありません。命を懸けて守ろうとするものがある時、剣が大いなる力をカケル様にもたらすのです。」
「心も獣のように?」
「いえ。体は獣のように変化しますが、心は決して魔物になるわけではありません。命を奪わぬ為に、恐ろしき姿になり、抗う事を止めるように、人々を戒めるのでしょう。」
アスカの答えに、クニヒコは安堵した。
そのうちに、大船の中の者たちが次々に目を覚ました。しかし、カケルはまだ眠ったままだった。アスカは、カケルの顔をじっと見つめていた。これまでなら、自分に秘められた力でたちどころに傷を癒すことが出来た。しかし今回はそれを拒むような感覚があったのだった。カケル自身が、傷を癒される事を拒否したようだった。
「ここに居ても何もできません。里へ戻りましょう。」
クニヒコが言い、船を動かす事にした。
東国の兵と里の男たちが力を合わせ、浜から船を引き出し、沖へ出した。粟井の岬を回り込み、すぐに里へ到着できた。
大船の到着に、里の者たちが浜に集まってきた。すでに、昨日の戦いの様子は里に知らされ、カケルが深手を負った事も皆知っていた。
浜から近いところにある家を空けて、カケルを養生させる段取りになっていた。
カケルは、そこに運ばれた後、三日ほどは意識が戻らなかった。その間中、ずっとアスカは傍にいて、時折、首飾りの力を試そうとした。だが、カケルは無意識にそれを拒否していた。
カケルが眠っている間に、カケルのいる家を取り巻くように、東国の兵が暮らすための、小さな家を幾つか作った。東国の兵たちは、甲冑を叩き壊し、田畑を耕す鍬や鋤に変えた。そして畑仕事を手伝ったり、漁にも出た。時折、大船の手入れをしながら、里の男たちにも大船の扱い方を教えた。
カケルは意識を取り戻し、ようやく食事も出来るようになった。
だが、以前のような溌剌としたカケルではなかった。何か、じっと考え込んだり、ぼんやり海を眺めたり、口を開くこともほとんどなくなってしまった。弓や剣も、手に取ることは無く、抜け殻のようになっていた。それでもアスカは、毎日、里で見たり聞いたりした事を楽しそうにカケルに話した。時には、里に伝わる童歌を歌ったこともある。体は癒えても、心の傷が癒えないのだとアスカはわかっていたのだ。いつかきっと、カケルは元気になる、そう信じて必死に尽くした。

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2-21 勝山 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

21.勝山
春が来た。
里には、桃の木がたくさん植えられていた。陽気と伴に、桃の花が咲き始め、里は甘い香りで包まれた。この頃には、東国の兵も里の男も区別がつかぬほどになっていた。
カケルは、昼間、周囲の畑の仕事を手伝うようになっていた。しかし、剣や弓は布に包み、部屋の奥深くにしまいこんでいて、以前のような笑顔は無かった。
クニヒコは、毎日のように、カケルの家に立ち寄り、里で起きた様々な出来事を、可笑しく話した。カケルが、あの戦以来心に傷を負った事を、アスカから教えられ、少しでも癒せないかと考えた挙句の事だった。クニヒコの話に、カケルは時折笑顔を見せるようにはなったが、覇気はない。ナレの村を旅立ち、長く自らの生きる意味を問い続けてきた。目の前にある「自分の為すべき事」に精一杯取り組んできたことが、余りにも惨い結果を招いた事の傷はそう簡単には回復しそうに無かった。アスカは、そんなカケルの傍でひたすら献身していた。その様子は、里の誰からも痛々しく見えていた。
そんなある日の事、クニヒコガ血相を変えて、カケルの家にやってきた。いつものような余裕が無い表情だった。
「カケル様!アスカ様!」
土間で縄を編んでいたカケルは驚いて顔を上げた。
「如何されました?」
アスカも、家の裏で服を洗っていたが放り出して顔を見せた。
「王が!・・王が、危篤だとの使いが参りました。すぐに我らと供に、勝山へ行って下され!」
クニヒコは、カケルに縋り付くように言った。
「我らが供に行って何ができましょう?」
「・・アスカ様、アスカ様のお力で、王に再び命を呼び戻して下され!お願いじゃ!」
カケルはアスカの顔を見た。
「行きましょう、カケル様。どれほどお役に立てるか判りませんが、何かできることがあるかもしれません。」
すぐに旅支度をした。クニヒコのほか、若い男と女が供として、里の外れの道に居た。
「こいつは、息子のイクナヒコと申します。そして、その娘はイクナヒコと契りを交わしたアヤと申します。」
二人は、ぺこりと頭を下げた。まだ二十歳前であろう。イクナヒコにはまだ少年の凛としたまっすぐさが感じられた。背はさほど高くないが、足も腕も筋肉が張り、日頃から鍛錬しているのがすぐに判った。そしてアヤにはまだ少女の雰囲気が残っていて、カケルやアスカを真っ直ぐ見る事ができぬほど照れていた。
「さあ、参りましょう。二日もあれば着けます。」
クニヒコガ先導し、カケルとアスカ、そしてイクナヒコがアヤの手を引いて歩いた。二人の初々しさが、アスカには眩しく感じられた。峠を二つほど越えたところで、小さな里に付き、里の者が泊まりの部屋を提供してくれた。翌朝、日が昇ると供に歩き始め、昼過ぎには、勝山の丘陵地にある王の館に着いた。
王の館は、丘陵地ひとつ大きな柵で囲い、木々の緑に覆われた静かな場所にある。一つの大屋根と回りに回廊で繋がる家屋が建っていた。入口には、太い楠木を柱にした門が構えてある。
アスカは館のあるあたりの空を見上げて呟いた。
「何かしら・・・苦しんでいる何かを感じる・・・。」
カケルはアスカの言葉にふっと空を見上げたが、よく判らなかった。
館の門番は、クニヒコの姿を見つけると慌てて駆け寄ってきて、中まで案内した。
すぐに侍女が顔を見せた。
「王様は如何か?」
クニヒコは、侍女に尋ねた。侍女は悲しげな表情をし、クニヒコの耳元で何か囁いたようたった。
「カケル様、アスカ様、急ぎましょう。」
クニヒコは、侍女に案内させて、王の寝所へ向かった。
アスカは、王の寝所に近づくにつれ、眉間に皺を寄せる仕草をした。
「どうした?アスカ。」
カケルが訊く。アスカはカケルの腕を掴んで、袖に顔を埋めるようにして言った。
「何か、怪しげな・・気を・・それと、この臭い・・・。」
「確かに、なにやら、おかしな臭いがしている。」
王の寝所の前まで来ると、白紫の煙が天井に立ち上り、溜まっているのが見えた。
「王様!クニヒコです。・・お気を確かに!」
クニヒコは、王の床に跪くと王の手を握った。微かに王の表情が緩んだように見えた。
「それにしても、この怪しげな煙は何なのだ!」
クニヒコは、脇に控えていた侍女に尋ねた。
「はい・・巫女様が王様の体に宿る邪気を払うためと申されて・・。」
「巫女か。」
「はい、巫女様はお部屋にて、祈祷を続けておられます。」
クニヒコにも、この怪しげな煙が王の体に良いとは思えなかった。しかし、巫女は災いや病を払う絶対的な力を持っている。クニヒコもそれ以上は口出しは出来なかった。
「アスカ様、王の具合を診て下され。」
アスカは、王の傍に座り、じっと王の顔を覗いた。王は、痩せ細り、肌は乾き。黒ずんで見える。口の周りには白く粉のようなものが吹いている。時折、大きく息を吸い込むが、とても苦しそうだった。

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2-22 憑依 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

22. 憑依
アスカは、王の手を握り、眼を閉じた。
しばらくすると、アスカの首飾りから淡い光が漏れ始めたが、すぐに消えた。アスカは目を開き、王の顔を覗きこんだ。そして、戸惑った表情を見せながら、カケルを見た。
「どうした、アスカ?」
「何か、大きな力が王様を取り込んでおります。地中深くから、黒き手が王様の御命を掴んで、引きずり込もうとしているように感じます。私の力も、役に立ちません。」
それを聞いて、クニヒコが立ち上がった。
「何と言う事か。・・・どうすればよいのだ!」
アスカは、天井を見上げた。そして再び、眼を閉じた。首飾りから光が漏れ始めると、天井に溜まっていた白紫の煙がふわりと揺れ、次第に渦を捲きはじめた。そして、その煙の渦がアスカを取り巻き始めた。
「何だ、この煙は。生きて居るようだ!」
「戸板を・・開け放ってください。」
アスカが叫ぶ。すぐに、クニヒコやカケル、そしてイクナヒコが王の部屋の戸板を外した。日の光が部屋に差し込むと、アスカを取り巻く白紫の煙が乱れ始め、暗闇を目指して部屋の隅へ動き始めたが、次第に消えていった。
「何だ、あれは?」
アスカは、目を開くとそっと言った。
「地中深くに眠る魑魅魍魎の類です。・・地の神が押さえつけているはずのものが呼び起こされたのです。・・それが、王の体を縛りつけていたようです。」
「何と・・ならば、巫女の仕業と言う事なのか?」
「判りません。巫女様の身に何か起きていると思われます。」
アスカの答えに、クニヒコは王の寝所を出て、侍女を呼び叫んだ。
「巫女は何処だ!案内せよ!さあ、出て来い!巫女、何ゆえ、王に危害を加えるのだ!」
「お待ち下さい、クニヒコ様。巫女様は・・そのような事は・・!お待ち下さい!」
侍女が次々に集まり、クニヒコの前に立ちはだかり、止めようとした。
「ええい!お前たちも、邪魔立てするか!」
クニヒコは怒りに任せて、腰の剣を抜いた。
「きゃあ!」
侍女達は、クニヒコの剣に驚き、身を引いた。が、すぐに様子が変わった。一人立ち上がり、懐から小刀を取り出して構えた。
「何だ、歯向かうのか?お前たち、どうしたのだ?」
次々に、侍女たちが懐から小刀を取り出し、クニヒコの前に立つ。侍女の目は、怪しい光を放っている。
「何と!物の怪に取り憑かれておったか!」
クニヒコは剣を構えた。じりじりと侍女達はクニヒコを取り囲む。
「殺めてはなりませぬ!取り憑かれているだけです。私にお任せ下さい!」
アスカが王の部屋から飛び出してきた。
そして、首飾りを侍女たちの前に掲げ、一心に祈り始めた。徐々に、首飾りから光が発し始める。侍女の体に光が触れると、侍女の体から何か黒い影が飛び出し、侍女はその場に倒れてしまった。一歩ずつ、アスカは前進する。侍女達は、ひとりひとり、光に触れその場に倒れていく。アスカは、首飾りを翳したまま、巫女の居る部屋へ向かう。その後ろを、クニヒコ、カケル、イクナヒコが続いた。
巫女の部屋の戸を開けると、中は、白紫の煙が立ち込めている。部屋の真ん中には、火が燃え、巫女は一心不乱に祈祷をし、火に板切れを放り込んでいる。
アスカが部屋に入ると、煙が一気にアスカを取り巻いた。アスカは必死に念じた。首飾りの光は一層大きくなり、部屋中に光の筋が飛ぶ。煙が徐々に色を変え、出口から外へ出て行く。それでもなお、巫女は必死の形相で祈祷を続けている。
「イクナヒコ様、私と伴に!」
カケルはそう叫ぶと、一気に部屋に押し入って、壁を剣で切りつける。戸板が割れ、外からの陽射しが射し込む。イクナヒコもカケルに倣って、戸板を割る。徐々に、部屋の中に日の光が射し込んでくると、巫女の灯した火が小さくなっていく。
「ううううっ!」
巫女はそう叫ぶとその場に突っ伏してしまった。火が消え、煙も収まった。
「これは一体どうしたことか?」
クニヒコが、部屋の様子を眺めて言った。部屋の中には、たくさんの壷が並べられている。その一つを覘くと、中には、黒く干乾びた蛇が入っている。壁には、干乾びた蜥蜴も打ち付けられたように並んでいる。
「何かの物の怪に取り憑かれた様ですね。」
カケルが言った。イクナヒコも、気味の悪い部屋の様子を見て眉をひそめている。
アスカはまだ首飾りを翳したままだった。
クニヒコが、巫女に近寄り、肩を揺すり起こそうとした。
「いけません!」
アスカが叫ぶと同時に、巫女が飛び上がり、クニヒコの首筋に噛みついた。
「やめなさい!すぐに退散しなさい!」
アスカが念じると、強い光が巫女の眉間に当った。
「ぎゃあ!」
悲鳴と伴に、巫女の体から黒い塊が抜け出て、空へ消えていった。巫女は絶命していた。

2-22煙.jpg

2-23 回復 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

23.回復
「クニヒコ様、イクナヒコ様!王様が!」
悲鳴ににも似たアヤの声が、館の中に響いた。皆、慌てて王の寝所へ向かう。
「どうした、アヤ!」
真っ先に駆けつけたイクナヒコは、アヤに訊ねた。
「王様が、先ほど・・目を開けられました。ほら・・。」
横たわる王の枕元には、暖かな春の陽射しが降り注ぎ、王はゆっくりと目を開け、声のするほうへ顔を向けた。
「おお、気が付かれたようだ。」
クニヒコがすぐに王の枕元へ行き、手を取った。
「王様、クニヒコでございます。お加減が悪いとお聞きし、飛んで参りました。・・ご気分はいかがですか?」
王は、ニコリと微笑んだ。まだ、言葉を発するほどの体力がないのだろう。だが、確実に顔色が良くなっている。
物の怪に取り憑かれていた侍女たちが目を覚ました。王が目覚めたと聞き、皆、喜んだ。そして、すぐに、湯や食事の支度がされた。
「どうやら、この館全てが物の怪に取り憑かれていたようだな。」
ようやく落ち着いた館の中で、クニヒコとカケル、イクナヒコは、巫女の部屋を片付けながら話している。
「ここにあるものからすると、おそらく仙狸(せんり)の類ではないかと・・・。」
カケルが言う。
「仙狸とは?」
イクナヒコが訊ねると、クニヒコが答えた。
「深い山に住む大猫の事だと聞いたことがある。だが・・この里でそのような・・。もしや、宇和一族の仕業ではあるまいな。」
「いえ、物の怪は、われらの思い通りにはならぬものです。宇和一族の仕業ではないでしょう。おそらく、この地には、昔から、山猫が居たのでしょう。住む場所を奪われ、もしかすると、無残にも殺されたのかも知れません。その恨みが、地に残り、仙狸を作り出し、巫女様の体に取り憑いて、このようなことを起こしたに違いありません。」
「我ら、人が作り出した物の怪・・・と言う事か・・・丁重に供養せねばならぬな。」
アスカとアヤは、王の傍に居た。
「王の様子はいかがか?」
クニヒコが戻ってきて訊いた。
「はい、随分楽になられたようです。」
「それは良いことじゃ。ならば、アスカ様、お力で元の強き王に戻して下され。」
クニヒコが笑顔で話した。アスカは少し戸惑った表情をしている。
「クニヒコ様・・お話がございます。こちらへ・・。」
アスカはそう言って、クニヒコを王の寝所から外へ連れて行った。カケルも同行した。
館の前には、水路を設えた庭が作られていて、アスカ、クニヒコ、カケルは、水路の畔にある石に腰掛けた。
「王様は、長くあの煙の中に居られたようですね。」
「ああ、だが、もう大丈夫なのだろう?」
クニヒコは少し不安げに訊いた。
「先ほど、王様の手を取り、念じてみたのです。・・ですが、どうしても、元に戻る御命の糸が見つからぬのです。このような事は初めてです。もはや、自らのお気持ちだけで生きておられるのだと感じました。」
クニヒコは、愕然とし、もう少し早く駆けつけて居ればと悔し涙が零れた。
「判った。」
クニヒコは、涙を拭うと王の寝所へ戻った。そして、ここでの一部始終を王に話した。
「そうか・・そなたに命を救われたのか・・礼を申すぞ。」
王は、アスカの手を取り、涙を零した。そして、
「・・これほど体が弱ってしまっては、王として為すべき事ができぬ。王位を譲るべきではないかと思うのだが、どうか?」
王はクニヒコに言った。
「王位を譲るなどと・・今はまだお体が優れませぬゆえ気弱になられているのでしょう。元気になられれば以前のように、伊予を治めていただけるはず。」
クニヒコは答えた。
「九重の賢者と申したが・・・そなたはどう思う?」
王はカケルに尋ねた。カケルは、クニヒコやイクナヒコの顔を見た。そして言った。
「私は賢者と申すような者ではありません。・・ですが、私はここに参るまで、様々な王にお会いしました。臣下に操られ国を乱す王、我が身だけを考え民を苦しめる王も居りました。アナトでは、強き国造りをまだ若き王子に託して、王位を譲られた王も居られます。おそらく、国や民の為に為すべき事は王にしか判らぬ事でしょう。」
王は、目を閉じ、しばらく考えてから、カケルの言葉に応えるように言った。
「そうか・・・ならば、クニヒコ、そなたが、王となりこの国を治めてくれぬか。そなたになら、安心してまかせられる。」

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2-24 親子 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

24. 親子
「おやめください。王はその血筋で担うべきもの。私には出来ませぬ。・・おそらく、宇和一族も許さぬでしょう。それでは、国は大きく乱れます。」
「ならば、私が死ねばどうなる。王が居らぬとなれば更に乱れようというもの。」
王が自らの命の限りを悟ったかのように告げると、クニヒコは決意したように言った。
「王様、ここに控えて居るイクナヒコを覚えておいででしょうか?」
王は、顔を向け、イクナヒコを見た。一瞬、王の表情が強張った。そして、
「もしや・・」
王の言葉に、クニヒコは頷き、答えた。
「イクナヒコは、我が息子として育てて参りました。しかし、イクナヒコの母は、我が妹ハナでございます。」
「なんと・・確かに、目元辺り面影がある。・・そうか、ハナの息子か・・。」
「はい。ハナは、王様と我が里にて一度は契りを交わし、夫婦として添い遂げようと決めておりました。しかし・・乙姫様崩御の際、王の座を継がれる故に別れました。」
「私は、ハナを裏切ってしまった。そのことは今でも悔いておる。」
「いえ・・ハナも承知しておりました。この伊予を戦乱から守るには、宇和との縁を繋ぐ為、宇和の姫を迎えるのは止むを得なかったことでございます。」
「しかし・・結局、このような事に・・一体、私は何故、王になってしまったのか・・今でも後悔することばかりだ。」
王は、幼い頃から病弱であった為、気候の良い熱田津の長の許へ預けられて育った。そして、幼馴染であったクニヒコの妹ハナと夫婦の契りまで交わした。しかし、乙姫の突然の死去で、王位を継ぐ為、ハナと別れ、勝山へ来たのだった。王は、その頃の事を思い出し、涙した。
「ハナは、幸せなのか?」
王はクニヒコに訊いた。
「ハナは、五年ほど前、流行り病で命を落としました。しかし、イクナヒコを産み、育て、毎日幸せに過ごしておりました。」
「そうか・・・そうか・・・。」
「王様、イクナヒコは、王様の御子でございます。王様が勝山へ行かれる時、すでにハナは身篭っておりました。」
「そ・・そんな・・私は何も知らされてはおらぬぞ?・・どうして?」
「はい。私が禁じました。敢えてお知らせしませんでした。・・・宇和の姫との間に、御子が出来れば、イクナヒコの存在は障りになると考えました。・・イクナヒコも、知らずに育ちました。ハナが亡くなった時、初めて教えたのです。」
「では、イクナヒコは我が子・・王子なのだな?・・我が息子なのだな。」
「はい。王の御子でございます。」
王は、イクナヒコをじっと見つめ、手を取り強く握った。
「イクナヒコよ。この伊予を守る為、王位を継いでくれぬか?」
王の脇に跪くイクナヒコは、真っ直ぐに王を見つめて答えた。
「それが私のさだめであれば・・王の御意志に従いましょう。しかし、一つお願いがございます。」
「なんじゃ?」
「父クニヒコ様は、王位とは血筋で担うものと申しました。私は、これまで熱田津で育ち、王の何たるかも知らずにおります。このまま、王になってはならぬと思っております。一つ、仕事を果たしてから、王の資格を担える力があるか、ご判断いただきたいのです。いや、そうでなくては、民もきっと私には従いません。」
イクナヒコは、クニヒコの傍で育ち、自分自身に厳しいクニヒコの姿を見てきた。だからこそ、更なる試練を求める、厳しい生き方を望んだのだった。
「そうか・・・判った。だが、どんな仕事を命ずればよいのか・・。」
王は、クニヒコの顔を見た。クニヒコはじっとイクナヒコを見て言った。
「イクナヒコよ。お前は、どう考えるのじゃ?」
イクナヒコは、王とクニヒコを真っ直ぐに見て言った。
「今、伊予の一番の憂いは、宇和一族。私が王になるとしても、宇和一族との縁を作る事が大事。私に、宇和一族との和解を取り付ける仕事をさせてください。」
王もクニヒコも驚いた。先々代の王から常に心を砕き、力を注いできたが、なかなか運ばぬ事である。最も困難な仕事であった。
「それは・・王位を継ぎ、その威光をもって臨むべき事ではないのか?」
クニヒコはイクナヒコに考え直すように言った。
「いえ、それでは戦になりかねません。私が王の使者として宇和へ参り、和解を取り付ける事こそ大事であると思っています。勝山に参る道中、カケル様から九重やアナトの国での話をお聞きしました。戦は何も産まぬ事、愚かな争いより心をあわせ伴に生きる道を探す事こそ、民を守る王の仕事であると確信しました。どうか、お願いいたします。私を使者として宇和へ行かせて下さい。」
王は、真っ直ぐなイクナヒコの思いを受け止めた。
「よかろう。我が伊予の王の使者として、宇和へ行き、和平を取り付けるのだ。」
王命が下った。
「だが、イクナヒコよ。お前一人ではそれだけの仕事は成し遂げるのは難しいぞ。」
「はい。重々承知しております。そこで、カケル様、是非私に、貴方の力をお貸し下さい。お願いいたします。」
イクナヒコがカケルに向かって頭を下げる。王もクニヒコもカケルの顔を見た。

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2-25 喜多の里 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

25. 喜多の里
カケルは迷った。今までとは違う、大きな仕事である。
伊予の国の未来を決めてしまうだろう。失敗すれば、次の王となるイクナヒコはどうなるのか、戦火が広がりはしまいか、それに、アスカとの約束を果たす時がさらに遠のくことにもなる。そのうえ、先の戦いで、カケルはすっかり道を見失ってしまっていた。九重にいた頃と比べ、あらゆるものへの不安が先に立つようになっていた。
しかし、目の前のイクナヒコは、凛とした強さで真っ直ぐに生きようと心に決めている。どれほどの手助けができるのか、カケルには不安の方が大きく、即答できずにいた。
王の傍らで一通りの話を聞いていたアスカが口を開いた。
「王様、そのお役目、私も同行させてください。きっとお役に立てるはずです。」
「アスカ!軽々しく口にすべき事ではない。」
カケルはアスカに言った。
「いえ、イクナヒコ様の志を何とか遂げていただきたいのです。それこそが、真の王のお役目でしょう。ねえ、カケル様、是非、お力添えをいたしましょう。」
九重からここまでの道程で、これほどはっきりとアスカが自らの意思を告げたのは初めてだった。常に、カケルに寄り沿いカケルを援けていた立場であった。だが、今、カケルは道を見失いかけている。このまま東国へ向かうことよりも、カケル自身が生きる道を見出す事こそが大事なのだとアスカは考えていたのだった。
「アスカ様が行かれるなら、私もイクナヒコ様とご一緒いたします。」
アスカの横に座っていたアヤも口を開いた。カケルはもはや断る理由が無かった。
「判りました。イクナヒコ様にご尽力させていただきます。」
イクナヒコの宇和入りが決まった。

「宇和までの道案内には、この娘を連れてゆくが良い。さあ、入れ。」
出発の準備を始めていたイクナヒコやカケルたちを寝所に呼び、王が言った。
「トキコです。・・宇和で生まれ、兄様とともにこの地へ参りました。」
アスカと同じくらいの歳の娘だった。先の王、乙姫の夫として宇和から婿が来た時、付随してきたのだった。伊予に来た時は幼子であったが、今の王の侍女として身の回りの世話を務めていた娘であった。
「兄が亡くなった時、一度、里に戻りましたが、ここでの暮らしが恋しくて戻って参りました。」
長い黒髪を一つに縛り、化粧っ毛はない。強き眼から、自らの生き方は自分で選ぶのだという強い意志を感じられた。
「イクナヒコ様、一つお願いがあります。里へ戻るのに伴にしたい者が居ります。」
そう言って、一人の男を呼び寄せた。館の門番をしていた大男だった。男は無愛想だったが、イクナヒコやカケルに深々と頭を下げた。
「私は、この者と夫婦の契りを交わしております。里へ連れて行き、皆に引き合わせたいのです。見てのとおり、体は丈夫です。大荷物も軽々と運べましょう。お役に立てるはずです。」
すっかり、尻に敷かれている様子だった。
「名は何と申す?」
イクナヒコが訊く。無愛想な大男がようやく口を開いた。
「ツチヒコと言います。勝山から南へ二日ほど歩いた山間にある、喜多の里の生まれです。」

こうして、宇和へ向かう一行は三組の男女となったのである。
勝山から、喜多の里までは、荷車も通れる道が開かれていて、喜多までは数人の従者も付き、米や木の実、魚の干物等を荷車いっぱいに載せて運んだ。アスカとアヤ、そしてトキコは、気があったようで、道中は楽しげに生い立ちの話や、九重での体験、イクナヒコの幼い頃の様子等、尽きることなく話していた。カケルとイクナヒコはそれをただじっと聞きながら、宇和での事をぼんやりと考えていた。大男のツチヒコは軽々と荷車を引き一心不乱に進んだ。
一行は、低い山を幾つか越え、三日ほどで喜多の里に到着した。
運んできた荷物は一旦喜多の里に預けられた。
喜多の里では、ツチヒコの父母が居り、一行を泊める家も提供してくれた。

六人は、囲炉裏を囲んで座っていた。もう初夏を迎えていたが、ここは深い谷あいで、夜は冷えた。囲炉裏に火を起こし、夕餉を取りながら、これからの事を相談した。
「ここからは、高い山を幾つか越えねばなりません。途中、道も崩れているところがあるでしょう。荷は必要なものだけにしていきましょう。」
トキコが言う。
「途中に里はあるのか?」
イクナヒコが訊ねると、トキコは少し考えてから言った。
「昔は小さな里がありましたが・・今、どうなっているかわかりません。」
「幾日かかる?」
今度はツチヒコが訊ねた。
「おそらく三日ほどで、宇和の里へ着けるはず。でもすんなり入れるかどうか・・・。」
「それほどまでに伊予の者を嫌っているのですか?」
今度はアヤが訊いた。
トキコは、残念そうな表情で答える。
「伊予だけではありません。宇和から西へ山を下ると、海があります。その浜の者とも諍いを起こしていると聞きます。厳しい暮らしをしていますゆえ、余所者を嫌うのでしょう。」
トキコの話を聞けば聞くほど、宇和との和解を取り付けることが難しく思え、皆、溜息を吐くしかなった。

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2-26 手負いの熊 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

26. 手負いの熊
一行は喜多の里を出て、しばらくは渓流沿いの道を緩やかに登っていく。川は左右に曲がり、登るに連れて細く、険しくなっていく。
宇和一族への手土産にと、カケルとイクナヒコ、ツチヒコは、勝山から運んで来た米や干物等、背負子で背負えるだけ背負い、山道を登っていく。
初夏の陽射しは、容赦なく降り注ぎ、三人とも玉の汗をかきながら歩いていく。
トキコの言ったとおり、山道は草が生い茂り、ところどころで、落石もあり通り抜けるのも躊躇うほど荒れていた。トキコが先導し、道を開き、アヤとアスカも手伝った。
一日目は、渓流沿いで休む事になった。汗をかいた体を清流で洗い、鳥を獲り食した。
二日目には、いよいよ、渓流から離れ、尾根伝いの道を行く。先には、見あげるような山が四方を取り巻いているように見えた。何処を抜けても、高い峠越えになるのは明らかだった。道は時に山肌に張り付くようなところもあり、背負子を一旦降ろして、小分けにして運ぶ場面もあった。
その日の夕刻には、最後の峠近くまで達していた。夜空の星が近くに見える。一行は、杉の大木の根元の陰に、身を寄り添うようにして眠った。
翌日には、鳥坂の峠を越えた。ここからは下る事になる。しかし、まともな道が見つからない。
「里はあと少しなのに・・・ここから先の道が・・。」
トキコは、峠から少し下ったあたりで道を失い、立ち往生してしまった。カケルが杉の大木にするすると登り、周囲の様子を探る。はるか前方で、細くたなびく煙が見えた。
「里は近い。・・山肌に沿ってゆっくり進めば良い。」
カケルは剣を手に、草や木を切り払い、道を作りながら進む。しばらく進むと、細い川が見えた。
「よし、ここからは川に沿って下れば良いだろう。」
徐々に里に近づいているのが判った。少し開けた平地が見えた。その先、山裾に集落が見えた。
「あそこが、宇和の里。我ら宇和一族は、卯の郷と呼んでおります。」
山の獣が多いのだろう。里の周りには、杉の大木を切り出し杭にした大きな獣避けの柵が設えているのも見えた。
「よおし、もうすぐだ。」
ツチヒコが掛け声を掛けた時だった。
「しっ、静かに。」
カケルが小さく発すると身を屈めた。
「アスカ?」
「ええ・・・気配を感じました。何か、おぞましきものが近づいております。」
アスカも答え、じっと周囲の気配を探っている。
「皆、草陰に身を潜めていてくれ!」
カケルはそう言うと、傍にあった高い楠木に登る。枝に身を隠しながら、周囲をじっと見た。
カケルは人一倍視力がいい。ナレの村でも、深い森の中で迷った友を見つけた事がある。
川の対岸、深い茂みの向こうをじっとカケルが見ている。アスカも、カケルと同じ方向を見た。
ガサガサっと音がする。次いで、バキバキと木の枝が折れる音、野鳥が飛び出してくる。
「グルルルル・・」
低い唸り声が深い茂みの中から聞こえた。カケルは、さっと木から下りた。
「手負いの熊だ。・・背に何本か矢が刺さっている。腹からも血を流している。・・狩りでやられたようだ。・・・人を見れば襲ってくるに違いない。」
カケルの言葉に皆息を飲んだ。逃げるとしてもたくさんの荷物がある。草陰にじっとして行き過ぎるのを待つしかなかった。
そのうち、熊は、足を踏み外したか、傷の傷みに堪えきれなかったか、ごろごろと転がり山陰から川岸へ落ちてきた。
「死んだのか?」
動かなくなった熊を見て、ツチヒコが言った。しかし、熊はすぐに起き上がり、辺りを見回した。カケルの言ったとおり、背中には折れた矢が数本突き刺さり、腹の辺りは赤い血が迸っている。荒い息を吐き、目はすでに正気を失った様子だった。熊は、ずしずしと音を立て、川を下り始めた。川の先には、卯の郷がある。このまま進めば、卯の郷で暴れるに違いない。
「どうする?」
イクナヒコが言う。カケルは迷った。その時、腰の剣から光が漏れた。
「退治せよというのか。」
カケルはアスカの顔を見た。アスカはこくりと頷く。
カケルは、弓を手に一気に川筋に走り出た。そして、卯の郷へ向かう熊へ向けて、弓を引いた。
矢は一直線に飛び、熊の背に突き刺さる。痛みで熊が振り返り、カケルを捉えた。
「ブシュ・・フウウウ」
異様な叫び声を上げながら、カケルに向かって一目散に川筋を上がってくる。
カケルは、剣を抜いた。剣は、淡い光を放っている。
熊はカケルの目の前で仁王立ちになり、その太い腕を伸ばし、鋭い爪を広げ襲い掛かる。
「赦せよ!」
カケルは高く高く飛び上がると、くるりと宙を舞い、熊の首筋に剣を突き立てた。剣は熊の首を貫き、真っ赤な血飛沫が舞った。熊は、どさりとその場に倒れた。熊の周りには、黒い靄(もや)のようなものが立ち上っている。
「もはや、祟り神になっていたようです。放置すれば大きな災いとなったでしょう。」
アスカは、熊の傍に来ると、首飾りを翳し念じた。熊の体に纏わりつく怪しげな靄はゆっくりと渦を捲き、空高く上っていった。

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2-27 卯の郷 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

27. 卯の郷
卯の郷から、数人の男が走り出てくるのが見えた。おそらく、郷からも熊の様子が見えていたのだろう。男達は、剣や弓を携えている。
「何者!」
一人の男が剣を構えて、カケルににじり寄る。すぐに、トキコがやって来た。
「私の伴の者です。」
男は、トキコの顔を見ると驚いた様子でその場に跪いた。
「これは、トキコ様ではありませんか。いつ、伊予から戻られたのですか?」
「さきほどここへ着きました。しかし、森から荒ぶる熊から現れ、身を潜めておりました。あの熊はかなりの傷を負って居りました。宇和の者が狩りをしたのですか?」
男は、頭を垂れたまま答えた。
「ここ数日、田畑が荒らされておりました。おそらく、熊の仕業であろうと思い、山に入り仕留めようとしておりました。」
「祟り神になっておりました。カケル様が成敗せねば、郷にも災いが及ぶところでした。」
トキコの言葉を聞き、男はカケルをチラリと見たが、何も言わなかった。
「郷へ案内してください。・・伊予の王からの使者です。長様にご挨拶に参られたのです。」
「トキコ様、それどころではありません。長様が、熊にやられ大怪我をなさっております。使者などと会う事も叶いませぬ。・・すぐに郷へお入り下さい。」
トキコは、男の言葉に驚きを隠せなかった。
「すぐに行かれるが良い。」
イクナヒコがトキコに促した。男たちと伴に、トキコは急いで郷へ戻って行った。

カケルたちは、熊の亡骸を弔った後、荷物を背負い、遅れて、卯の郷の入口に向かった。
卯の郷は、行く筋かの川を天然の濠にして、獣除けの柵に囲まれていた。
カケルたちは、柵に凭れるようにして座り、トキコを待つ事にした。
目の前には、畑が広がっている。初夏のこの季節ならば、米や野菜が大きく育っているはずだが、ここには僅かしかなかった。
「トキコは、長の妹だと話しておりました。」
無口なツチヒコがぼそりと言った。
「長様の傷はどれほどなのでしょう・・。」
アヤがまたぼそりと言った。
アスカも、アヤの言葉にちらりと柵の方を見たが、何の動きもないようだった。
イクナヒコは、考えていた。このまま、長に万一の事があれば、和解を取り付けることなど当分叶わぬ事になる。
門が開き、トキコが飛び出してきた。
「アスカ様!・・兄を救ってください。」
トキコはアスカの手を取り懇願した。すぐにアスカはトキコと伴に郷の中へ入った。
郷にはたくさんの家が立ち並んでいた。その一番奥、大屋根を持った館が長の居所であった。アスカはトキコに引かれ、館の奥の部屋に招かれる。真ん中に横たわり、苦しそうな声を上げているのが長だった。右腕が肘から無く、布できつく捲かれているが、その布は真っ赤に染まっている。両足やわき腹辺りにも血に染まった布が捲かれていた。
「熊に襲われました。昨夜から寝ずの看病を続けておりますが・・さすがにこれだけの傷・・手の施しようもありません。」
脇にいた男が悔しそうに言う。長が横たわる部屋の奥では、巫女が必死に祈祷をしていた。
「アスカ様、貴女のお力で、兄をお救いください。」
アスカは、トキコに促され、長の傍らに座り、左手を差し伸べ、右手で首飾りを握り締める。
じっと眼を閉じ念じようとするが、心が乱れて上手くいかない。
「巫女様の祈祷を止めさせてください。祈祷では傷は癒せません。」
アスカの言葉に、男達は驚き、すぐに祈祷をやめさせた。
再び、アスカは念じた。徐々に、首飾りから温かな光が漏れ始める。光は、アスカの体を包み込み、差し出した左手の先から、ゆっくりと長の体へ伝わっていく。そして、徐々に長の体も光に包まれた。周りに居た男達は、目の前の光景にあっけに取られ、声も出なかった。光は更に大きく強くなっていく。

柵の外に居たカケルの剣も呼応するように光り始めた。
《カケル様、力をお貸し下さい》
カケルの頭の中に、突然、アスカの声が響いた。
カケルは剣を握り締め、アスカと同じように念じた。カケルの剣の光が強くなり、柵を越え、郷全体を包み込むほどになる。郷にいる者すべてが、その光に癒されていく。

横たわる長が、ゆっくりと目を開いた。
光が徐々に消えていく。まるで、泡が弾けるように、金色の光が目の前からパッと消えていく。郷の子どもが、その光を追いかけようと走り回る。そして次第に元の風景に戻った。
「どうしたことか・・傷みが消えている。」
長が、ようやく口を開いた。長の居所に詰めていた男たちが、歓声を上げて喜んだ。
「アスカ様!ありがとうございます!」
トキコがアスカの背に縋りつき、喜び嬉し涙を流した。アスカはニコリと笑ったが、そのままその場に倒れこんでしまった。柵の外にいたカケルも剣を握ったまま、気を失い、その場に倒れ込んだ。

2-27土塁.jpg

2-28 誤解 [アスカケ第4部瀬戸の大海]

28.誤解
アスカの起こした奇跡は、すぐに宇和一族の住むほかの郷にも伝わり、たくさんの者が卯の郷に集まってきた。だが、アスカはカケルと供に意識を失ったまま目を覚まさなかった。人々は、二人が目覚めるのを待ちわびていた。

トキコは、二人が目覚めるのを待ちながら、イクナヒコに託された仕事をどうにか叶えようと、宇和の者の仲立ちに奔走した。
宇和一族は、カケルの生まれたナレの村と同様に、一人前になった男を、尊(みこと)と呼んだ。そして、尊たちは、それぞれの郷の中の小さな集落を纏めていた。郷には、尊の中から選ばれた「兄役」が居り、長を援けていた。宇和には、ここ卯の郷のほか、西には子の郷(ねのさと)、東には巳の里(みのさと)があり、従って「兄役」は三人いた。トキコは、三人の「兄役」と、長が居所にしている館の部屋で、イクナヒコと対面させた。
「兄役様、お久しぶりでございます。」
「おお、よく戻った。長様の大事に、神の力を持つお方を連れてくるとはな、礼を申す。」
卯の郷の兄役、ツキヒコが口を開く。続いて、子の郷の兄役ワタリヒコが訊いた。
「あのお方は、どういうお方じゃ。」
「アスカ様と申されます。もうお一人は、カケル様。いずれも九重から旅をされておるそうです。」
「九重から?・・では、賢者カケル様と女神と呼ばれるアスカ様なのか?」
「はい、クニヒコ様はそう申されておりました。」
「だが、そのお二人が何故このようなところまでおいでなのじゃ?」
ツキコは、伊予での出来事を一通り話して聞かせた。
「東国の兵を退け、その御霊を天に昇らせ、さらに王の命までも救ったとは・・何というお方なのじゃ。」
一同は驚きを隠せなかった。
「実は、此度、王の使者を宇和まで案内するお役目を果たすために戻って参ったのです。」
「王の使者?」
ツキヒコが訝しげに尋ねる。
「こちらが伊予の国王の使者として参られたイクナヒコ様です。」
イクナヒコは緊張した面持ちで、深くお辞儀をした。隣に居たツチヒコも深々とお辞儀をした。
兄役たちは、三人の様子を注意深く見ている。
「王の使者とは・・どのような用向きであろう。」
ツキヒコの問いにイクナヒコが顔を上げて答えた。
「伊予の王は、宇和一族との和平を望んで居られます。・・たびたび縁を結ぼうとして参りましたが、思うようにはいかず、此度こそ、皆様と伊予との和解を得たいと参った次第です。」
「伊予との和平?・・・何か話しが見えぬな。・・・先々代の王は度々我らのところへ使者を立て、我らに服従をせよと脅してきたのだ。それゆえ、乙姫様へ婿を、そして今の王へ姫を差し出した。・・・力で従えようと我らを脅してきたのは伊予ではないか!」
ワタリヒコが強い口調で答えた。
今度はイクナヒコが混乱した。これまで、クニヒコからは、宇和一族が、山を越えて、伊予の里へ戦を仕掛け、脅かしてきた怖ろしき一族と聞かされていたのだった。
「本当に和平を望むなら、王自ら足を運び、これまでの非礼を詫びるべきだろう。」
ワタリヒコは更につい口調でイクナヒコに迫った。
「お待ちください。お互いに何やら誤解をしているようです。」
ツキコが間に入った。
ツキヒコが、これまで何度か来た、伊予の使者の話を聞かせた。どうやら、使者は王の真意を正しく捉えず、貧しき暮らしをしていた宇和一族を見下し、横柄な態度で脅すように従える事をしていたようだった。その為に、宇和一族は態度を硬化させ、伊予への使者も敵意を持って接していたようだった。
「我が郷は、南に土佐、西に八ヶ浜という小国があり、双方から、兵によって脅かされてきたのです。唯一、伊予国だけを頼りにしておったのですが、先々代の王の時、従うよう命じられ、もはや為すすべなく、長く耐えておったのです。」
「何という事。伊予国では、宇和一族こそが脅威と思っております。」
「何を筋違いな・・・我らが伊予国を攻め入るとしても、わずかこれだけの男しか居らぬ里、それにあの高き峠を越えてまで、何故に攻め入る事ができましょう。」
ツキヒコの話は尤もだった。三日を掛けて通ってきた道は、長く人が通わぬほど廃れていた。何より、伊予と比べれば力の差は歴然としていた。
お互いを疑心暗鬼に捉えたことが全ての誤りであったと双方で理解できたようだった。
ツキコが言った。
「使者として来られたイクナヒコ様は、次の王となるべく、此度のお役を果たされる事になったのです。」
「イクナヒコ様が、次なる伊予国の王?」
兄役たちは驚いた。
「王となるお方、自らが、我が地へ来られたのか?・・・判りました。今後、我らは伊予国と供に生きる事を誓いましょう。」
ツキヒコが言う。イクナヒコは、その言葉に喜び、兄役たちの手を取って言った。
「私は、カケル様から戦の愚かさと、供に生きる事こそが大事であると教わり、此度、宇和一族との和平を望み参ったのです。何と礼を申せば良いか。伊予の者たちも喜びましょう。供に助け合い、生きてゆきましょう。」

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2-29 勝山へ [アスカケ第4部瀬戸の大海]

29.勝山へ
「カケル様とアスカ様がお目覚めになりました。」
隣の部屋で、二人の様子を見ていたアヤが部屋に飛び込んできた。
兄役もイクナヒコも皆立ち上がり、二人の居る部屋に行った。ちょうど、カケルがアスカを抱き起こし、様子を確認していたところだった。
「気が付かれたか?」
ツキヒコがカケルの脇へ行き声をかける。
「長様はいかがですか?」
目覚めたばかりのアスカが、訊いた。
「そなたのお力で、お元気になられました。礼を申します。」
ツキヒコがアスカへ深々と頭を下げる。他の兄役も同じように頭を下げた。
「もう大丈夫なのですか?」
ツキコが尋ねる。
「ええ・・大丈夫です。カケル様は如何ですか?」
「少し力を出しすぎたようだ。だが、もう大丈夫です。ご心配おかけしました。」
二人は正座すると、皆に頭を下げた。ちょうどその頃、二人が目覚めたという知らせが郷にもめぐり、館の外では歓声が聞こえていた。
「郷の皆も喜んでおります。アスカ様、カケル様は我ら一族をお救い下された。本当に、何と礼を言って良いのやら・・。」
ツキヒコは再び頭を下げた。
「もうおやめください。・・・それより、イクナヒコ様、和平のお話は如何なりましたか?」
カケルの問いに、ツキヒコとイクナヒコは顔を見合わせ、お互いにカケルに笑顔で答えた。

翌日には、アスカも歩けるほどに体力が戻った。
カケルとアスカは、隣の部屋に居る、宇和一族の長の様子を伺いに行った。
長は、起き上がれるほどに回復していた。熊が千切った腕は戻らぬものの、他の傷は随分と癒えて、痛みも無い様子だった。
「そなたがアスカか?・・・命の恩人だ。礼を申す。・・それと、カケル様は、祟り神になった熊を討ち、供養してくれたそうな。・・重ねて、礼を申すぞ。」
長は、侍女に体を支えられながら、笑顔で言った。

一行は、半月ほど卯の郷で過ごした。

「俺は、大したとりえは無いが・・・道普請は得意なんだ。・・これから、ここと喜多の里とを繋ぐ道の普請をしようと思う。道が出来れば。行き来も出来る。そうなれば、ここも潤うだろう。」
ツチヒコは、ツキコにそう告げると、郷の若衆と協力して、鳥坂への道普請を始めた。結局、ツキコは、兄役とも相談し、ツチヒコ共々、卯の郷に残る事になった。
一族の長は、足と腕を痛め満足に動けないからと、兄役のツキヒコに長の座を譲った。
イクナヒコは、ツキヒコと改めて和平の契りを交わし、その証として、お互いの剣を交換し、さらに、普請ができた暁には、喜多の里で年に一度会う約束もした。

アスカとカケルが起こした「奇跡」の話が広がり、二人のお顔を一目見たいという者が、毎日のようにやってきて、二人の居る部屋の前には、神を崇めるような火と列ができていた。中には、病を治して欲しいと多くからやってくる者もいた。しかし、アスカは、長を救った時、力を使い果たしたのか、なかなか体力が戻らず、部屋の中で横になる日が多かった。
カケルは、郷のまわりから薬草を集め、少しでも皆の願いが叶うよう働いた。

いよいよ、勝山に戻る日が来た。
鳥坂までの山道は、ツチヒコの普請で、来た時とは違い、随分と整備されていた。宇和一族のミコト達も、喜多の里まで同行した。
「アスカ、体は良いか?」
カケルはアスカの手を引きながら、労わりの言葉を掛けた。アスカはニコリと藁って答えた。
喜多の里に着くと、イクナヒコは、ミコト達を勝山から運んできた米や干物の蔵に案内し、「必要になれば、いつでも、ここへ取りに来れば良い」と話した。ミコト達は喜び、背負子に山ほど積んで戻って行った。
勝山までは、なだらかな丘を越える道が続く。先に、喜多の里からの使いが勝山に着いていて、すぐに、王は迎えの者を差し向けた。勝山の入口で、一行は熱い出迎えを受けた。
「王様、今、戻りました。」
王の館の庭に、イクナヒコ、アヤ、カケル、アスカが跪き、挨拶をした。
「万事、上手く運んだようだな。」
王は、侍女に支えられながら、表に出て一行を迎えた。
「はい。アスカ様とカケル様のお力で、宇和の長の命を救えましたゆえ、和平もなりました。」
イクナヒコが答える。
「そうか・・・アスカ。カケル、礼を申します。これで、イクナヒコは新しき王として伊予のために尽くしてくれるな?」
王は嬉し涙を流しながら、イクナヒコを見つめていた。
「はい。宇和一族とも誓いを立てました。王の名を汚さぬように致します。」
「よし・・今宵は宴じゃ。さあ、支度をせよ!」

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