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アスカケ第3部遥かなる邪馬台国 ブログトップ
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3-1-1 火の国からの使者 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

1.火の国からの使者
カケルが、ウスキの村を出てから、ひと月が経った頃、タロヒコの兵を破り、ヒムカの国に平和が訪れたという知らせが、キハチの弟、キイリによってウスキにも伝えられた。同時に、カケルは、ヒムカの村々を回って、しばらくウスキには戻らない事も伝えられた。
伊津姫は、カケルの無事を聞き、安心したと同時に、すぐには戻らないという知らせが、そのまま、再びカケルの顔を見ることがないのではないかと、考えるようになり、気持ちが沈んでしまっていた。エンは、そんな伊津姫の様子を敏感に感じ、何かにつけ、明るい話題を提供しようと努力していた。

次の春を迎えた頃、猩猩の森に住む、ウルが、モロの村からカケルの話を聞いて戻ってきた。
「カケル様は、あちこちの村を回られているようです。家を修理したり、橋を掛けたり、病を治したり・・皆、カケル様を賢者様と呼び始めているようです。」
伊津姫は、カケルが無事で熱心にアスカケに励んでいる事を聞き、安心した。
「ただ・・不思議な事が・・」
ウルは少し躊躇してから言った。
「どうやら、カケル様はお一人ではないようなのです。・・アスカという名の少女を伴っているとのこと。・・どういう関係なのかはわかりませぬが・・力を合わせ、熱心に働いていると聞きました。」
初めて聞く名前だった。
伊津姫は、今まで感じた事の無い、ざわざわとした気持ちが心の中に湧き上がってくるのを覚えた。
「エン、アスカという名の娘を知っていますか?」
伊津姫は、エンに尋ねた。
「さあ・・聞いたこと無い名だな。・・・カケルの事だから、どこかの村で独りぼっちなった娘の面倒をみるために、連れているんじゃないかな?」
「まだ、幼子なのでしょうか?」
伊津姫は、ウルに尋ねた。
「さあ・・ただ、皆、その娘を女神様と言っているようですから・・そんなに小さな娘でもなさそうです。」
ウルの言葉は、伊津姫を、一層不安な気持ちにさせただけだった。
「カケルの奴は、きっとここへ戻ってくるさ。噂が届いたって事は、案外、近くまで戻ってきているんじゃないか?戻ってきたら、娘の素性もわかるだろ?」
エンは、わざと気楽な言い方をして、伊津姫の不安を和らげようとした。
しかし、エンの言葉は、伊津姫の耳には入らず、伊津姫の表情はこわばったままだった。

それから1年ほどが過ぎた頃、巫女がキハチの弟、キイリを呼んだ。
キハチの弟、キイリは、ミミの浜から戻った後、伊津姫から、村の若者を取りまとめ、村の守る、守人の役に任命されていた。キイリは、キハチに比べ、性格も穏やかで辛抱強く、思慮深かった。キイリには、下に双子の弟たちも居て、三人で力を合わせて働いていた。
巫女は、キイリを前にして、言った。
「西の谷を越えて・・誰かが来る・・守りを固めてください。」
「兵ですか?」
「わかりませぬ。ただ、我が村に、何か・・良からぬものを届けるために来たようです。」
「それならば、すぐに、追い返しましょう。」
「いえ・・それは無理でしょう。・・丁重に迎え、ここへ案内してください。」
キイリは、弟たちとともに、すぐに西の門へ向かった。
ウスキの村は、深い五ヶ瀬川の淵が天然の要崖となって守られていたが、西側には、五ヶ瀬川の淵に沿って、唯一の山道が続いている。西へ向かえば、隣の村五ヶ瀬の里に行き着く。その先から南には、更にいくつかの村があり、斎殿原の都までつける。途中、峠の分岐から、西へ続く道があり、その先は火の国クンマの里へも繋がっていた。
西の門の脇には、小さな小屋がある。キイリが守人となってから、村を守るために控えている場所を作ったのだった。小屋の前には、キイリの双子の弟たち、キムリとキトリが弓の手入れをしながら西の山道の様子を探っていた。
館から戻ったキイリの姿を見つけて、キムリが訊いた。
「兄者、巫女様は何と?」
キイリは、キムリとキトリの居る小屋に着いて言った。
「西から使者が来るようだ。」
「兵なのか?」
「いや・・使者だと聞いた。ただ、村には良からぬものを持ち込むようだ。」
「追い返せばいい!」
「いや・・巫女様は丁重にお迎えしろと言われた。」
そう話していると、キトリが立ち上がり、西のほうを指差した。
キイリとキトリもその方に視線を遣った。急な斜面に張り付くように続く山道、木々の間から、何か白い影が見える。徐々にこちらに向かっているのが判った。「使者」が来たようだった。
キムリとキトリは門を出て、山道に走った。そして、道の上の樹の陰に隠れ、弓を構える。
「使者」は二人連れであった。
二人とも、白い衣服を纏い、笠を被っていた。一人は初老の男、もう一人は女のようだった。朱の布包みを背に結わっていた。よく見ると、女は、初老の男を労わるようにして歩いている。
二人は門の見える場所まで来た。キイリは、門の前に立ちはだかり、厳しい目つきで二人を迎えた。
「何者だ!これより先は、ウスキの村。用のないものは立ち去るが良い!」
初老の男がゆっくりと進み出て、膝をついてから言った。
「我らは、クンマの里の者です。・・ウスキの姫様にお会いしたく、ここへ参りました。」
「姫様・・と・・?」
「はい・・・・邪馬台国の姫がお戻りになったと聞き、ご挨拶に参りました。」
伊津姫がここに居る事はウスキの秘密のはずだった。
「姫様の話、どこで聞いた?」
「はい・・ヒムカの村々を廻っていた、我が里のミコトが、モロの村で耳にしたと話しておりました。」
確かに、カケルとイツキ・エンは、モロの村を通り猩猩の森を抜けてきた。モロの村で話を聞いたのは間違いないだろうとキイリは考えた。巫女からも丁重に迎え、館につれてくるよう命じられている。
「判った。我らについてくるが良い。・・・キトリ、キムリ、弓を下ろせ。もう良い。」
そう言うと、二人は樹の陰から身を表した。キイリは二人を館に案内した。

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3-1-2 クンマの長(おさ)シン [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

2. クンマの長 シン
二人の使者は、館の広間に案内された。しばらくして、奥の部屋から巫女が現れ、二人に対面した。そして、伊津姫も御簾の部屋にそっと入り座った。御簾の間の脇には、姫様の護衛役として、エンも座った。
二人の使者は、深く頭を下げ、ゆっくりと顔を上げた。
「我は、ウスキの巫女である。姫様も御簾の中にいらっしゃる。ご挨拶に来られたようだが・・」
「はい、我らは、クンマの里より参りました。私は、ムサ。こちらにいるのは・・・マコと申します。」
「それで、姫にご挨拶とは・・何か、大事な用件があるのでしょう?」
初老の男、シンはちらっと娘の顔を見て、何か確認を取るような目線を送っていた。娘がこくりと頷くと、シンは姫の控える御簾の間に向かって話しはじめた。
「ヒムカの悪しき王とその臣下タロヒコの兵が滅びたとの知らせが我が里にも届きました。何でも、この村の勇者様のご活躍だと・・そして、その勇者様は今ヒムカの村々を回っておいでだというお話もお聞きしております。」
「ええ・・確かに、その勇者様は、カケル様です。・・それで?」
「・・我が里は、長年、ヒムカの悪しき王とタロヒコの悪事に備え、戦支度をしておりました。今となっては無用のものとなりましたが・・実は、・・・我が村の長が・・誤った道へ進もうとしております。」
「誤った道?」
「はい・・・蓄えた戦支度を・・阿蘇一族に向けようとしているのです。・・もともと、我らの火の国は、球磨(クンマ)一族と阿蘇(アソ)一族で力を合わせ、ヒムカをはじめ隣国から我が地を守るために働いておりました。今、ヒムカからの脅威が無くなったのを機に、クンマ一族が火の国を治めようと・・阿蘇一族へ戦を仕掛けているのです。」
そこまで聞いて、御簾の脇に控えていたエンが口を開いた。
「ようやく、皆が安らかに暮らせるようになったというのに。・・戦をするなど、悪しき考えだと何故気づかない!お前たちも何故、長を諌めないんだ!」
エンは、腹立たしい想いでそう言い放った。
「我らとて、ただ手をこまねいていたわけではありません。何度も思いとどまるようお諌めいたしました。しかし・・・」
ムサは、悔し涙を零し、床を叩いた。
脇に居た娘マコが、ムサの背を摩りながら同じように涙を零した。そして、一歩進み出てひれ伏すように頭を下げてから、まっすぐ顔を上げた。
「クンマの長、シンは、我が兄です。・・ここにいるムサは、父シンの守人でした。兄は幼い頃から我がままで、何につけても自分の思い通りにならないと許さない性格なのです。この度の事も、このムサが、何度も思いとどまるよう説得してくれました。しかし、兄は少しも耳を貸そうともせず、ついには、長年、世話をしてくれたムサを、村から追放したのです。」
ずっと沈黙を守っていたマコの口から、思いがけない言葉が発せられ、皆、驚いた。
「それでは、貴女は、クンマの姫様なのですか?」
マコは、こくりと頷いたが、
「それは・・どうでも良い事なのです。兄を、シンを、どうか止めていただきたいのです。」
マコは懇願するように、御簾の中に居る伊津姫に訴えた。伊津姫はその言葉に、席を立ち、御簾の中から顔を出した。
「おお・・伊津姫様・・」
ムサとマコは頭を下げた。
「話はわかりました。しかし、ムサ様がお止めになっても聞き入れぬ方を、どうやって止めることが出来るのでしょう。」
伊津姫は優しく問う。
「・・はい・・・邪馬台国の姫、伊津姫様ならきっと・・・。」
マコが答える。
「判らないなあ?・・どうして、イツキ・・否・・伊津姫様になら止められるんだ?」
エンは、頭をかきながら尋ねた。
「マコ様・・事の始めからお話せねばなりますまい・・」
ムサがそう言って、改めて、クンマの長シンが、阿蘇一族へ戦を仕掛けるまでの事を話した。
「ヒムカの悪しき王と側近タロヒコが倒れた話が伝わって、まもなくの事でした。我がクンマの里の南方より、阿多の隼人一族の兵がやってまいりました。」
「戦を仕掛けに来たのですか?」
「我らも最初はそう警戒しておりました。しかし、阿多の隼人の将で、バンと名乗るものが、単身、我が村に参り、戦のために来たのではない、長に会いたいと申しまして・・不審には思いながらも、シン様に引き合わせたのです。」
そこまで聞いたエンが口を挟んだ。
「隼人一族って言えば、ナレの村から僅か先に居たはずだぞ。・・屈強な男どもで、大きな船を操り、南の海を治める一族だったはずだ。皆良く働き、村も豊かで、戦などしない、心優しき一族だと、父様から、昔、聞いたぞ。」
「はい・・我らも長年、ヒムカの王の脅威に怯えておりましたが、隼人一族とは、行き来もあり、戦などとは考えもしませんでした。・・兵が居る事さえ知りませんでしたから・・」
「それが、どういうことだい?」
エンは一層熱心に、ムサの話を聞いた。
「バンという将は屈強な大男でした。・・シン様は、警戒はしながらも、外の地から来た将にたいそう興味をもたれたようでした。次第に、打ち解けられ、バンからはるか南の海の話を興味深げに聞いておられたのです。」
そこまで聞いて、マコが付け加えた。
「兄は、長の息子として大事に育てられ、ほとんど、村の外へ出た事がなかったのです。ですから、バンの話がとても新鮮で楽しかったのでしょう。隼人の兵たちも、すぐに、里に引き入れ、館に住まわせ、毎日のようにバンと語り合っておりました。」
「そこまでならば、特に、謝った道へ足を踏み入れる事もないようだが?」
エンが首をかしげる。
マコはきっとエンを睨んでから言った。
「兄に気に入られることこそが、バンの策略だったのです。ある日、兄は里の者を集めて言ったのです。・・阿蘇の一族を攻め、火の国を・・九重の国を纏めるのだと。皆、驚きました。これまで、ヒムカの兵を恐れ、戦支度はしていましたが、本当に戦をするなどとは考えても居ませんでしたから。・・私は、兄に理由を聞きました。・・」
「兄様は何と?」
伊津姫が尋ねる。
「ヒムカの王が倒れた今、九重を纏めるのが自分の仕事なのだと。そして・・邪馬台国を再興するのだと言ったのです。」
「邪馬台国の再興・・・。」
伊津姫は、ウスキに来てから、しばらくはその言葉に縛られ、為すべき事が判らず憂鬱な日々を過ごしていたのを思い出し、呟いた。

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3-1-3 クンマからの知らせ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

3.クンマからの知らせ
「きっと、隼人の将の入れ知恵に違いありません。きっとそうです。」
マコはそう言うと泣き崩れた。ムサがマコをなだめながら、
「・・我らクンマの里は、山間の小さな村です。長い間、静かに暮らしてきました。そしてこれからも里を守る事で充分なのです。それなのに・・・あの、バンという将が村に入ってからというもの、長様は人が変わられたように・・・・」
ムサは悔しそうに言った。続けて、マコが言う。
「・・ですから・・邪馬台国の姫にお願いに参ったのです。邪馬台国の再興には、姫の意思が必要なはずです。・・・姫様から、無用な戦いをやめる様お話いただきたいのです。」
二人の話を聞きながら、大体のことを理解したものの、果たして、それほどの力が自分にあるとは思えない伊津姫は悩んだ。その様子を見て、巫女が言った。
「おおよそのことは判りました。・しかし、もし邪心をもって戦をしようと考えているのであれば、伊津姫様の身が危うくなります。」
「どういうことですか?」
巫女の意外な答えに、ムサもマコも改めて訊いた。
それには、エンが答えた。
「俺が仮に,この国を我が物にしたいと思うなら、邪馬台国の正当な後継者が居ては困る。すぐにも亡き者にするか、自分の言いなりにするか、いずれにしても都合が悪い。命を狙われるはずだ。」
「そんな・・・。」
ムサとマコは落胆した様子だった。
「何か策はないでしょうか?」
伊津姫は皆に訊いた。巫女もエンも、キイリも、よい知恵が浮かばない。
「ああ・・こんなときに、カケルが居てくれればなあ・・」
エンが呟いた。皆も同じ気持ちだった。
「すぐにも動き始めるのでしょうか?」
伊津姫がムサに尋ねた。
「・・さあ、ただ、今は穫り入れに忙しい時です。そしてすぐに冬になる。きっと動くなら、春を迎えてからになるでしょう。・・・それと、里には、わが息子たちがおります。何か動きがあれば、すぐにここへ知らせるよう命じて参りました。」
それを聞いて、伊津姫が言った。
「それならば、まだ時はあります。何かよい策はないか、皆で考えましょう。いずれにしても戦にならぬようにしなければ・・。・・」
姫の言葉に皆同意した。ムサとマコはしばらく、ウスキの村に留まる事になった。

キイリは、西の門の守りをこれまで以上に強固なものにすべく、弟たちと力を合わせて、門より、さらに外側に、二つほど、小さな砦を作った。深い谷を作る五ヶ瀬川は、山を回りこんで流れている。先を見通す高台に砦を作った。狼煙を使って外敵を知らせるようにした。
一番、西のはずれの砦にはキトリとキイリがいた。キトリはキイリに尋ねた。
「兄様、これで大丈夫でしょうか?」
「ここを使わずに済ませたいものだがな・・。兵の一軍が攻め込んでくれば、この砦などそう耐えられしないだろう。・・しかし、時を稼ぐことはできる。姫が居ることが知れた以上、いつ、隼人の軍がここへ来るとも限らない。気を抜かず、しっかりお守りするのだ。」
「はい。」
キイリ兄弟だけでなく、村の若者も交代でこの砦を守ることになった。
カケルがウスキを出て、3回目の春を迎える頃、西の道から男が一人やってきた。
随分と疲れているのか、怪我をしているのか、たどたどしい足取りながら、必死の形相をしている。二つ目の砦で、見張りについていたキムリが、慌てて弓を構えた。徐々に近づく男の様子をみて、兵では無いことはすぐに判った。キムリは砦を出て、男に駆け寄った。
「私は・・サビと申します。・・父に・・いや、姫様にお伝えしたい事があって・・」
男は、そう名乗ると、安堵したのかその場に座り込んでしまった。キムリは、男を背負うと、村に向かった。途中、キトリが様子を理解して、すぐに館に知らせに走った。

その男は、「サビ」。ムサの息子であった。サビは館の広間に寝かされていて、周りに、ムサやマコ、エンが見守っていた。
「おそらく、クンマの里で何か起きたのでしょう。・・何か起きたら。すぐにここへ知らせるように、私が、これに申し付けていたのです。」
横になっているサビは、足の裏や膝、腕にもたくさんの傷があった。おそらく、一刻も早く知らせようと、夜道も厭わず、走り続けたのだろう。しばらくすると、目を覚ましたサビは、飛び起きようとした。
「・・いいから・・横になっておれ!よく来た。」
ムサは労わるように言った。
「父様・・姫様・・大変です。・・シン様がいよいよ挙兵されました。・・・バンの兵とクンマの若者を集めて、動かれました。早く、お止めしないと・・大変な事になります。」
サビがウスキに訪れた事で、知らせの中身は大方想像はついていた。
「そうか・・ついに・・それで、総勢は何人くらいだ?」
ムサは、苦々しい思いで知らせを聞いた。
「バンの兵は、10人ほどがクンマに居座ったままですから・・30人ほどでしょうか・・。」
「何?・・兵が半分居座っていると?」
「はい。何故かは判りません。シン様は10人ほどのクンマの若者を連れて行かれました。」
「バンは?」
「シン様とともに立たれましたが・・・。」
「それじゃあ・・クンマの里は、バンの兵隊ばかりなんじゃないか?」
そこまで聞いて、エンがふと漏らした言葉に、皆、驚いた。
それを聞いた伊津姫も口を開いた。
「クンマの里には、誰か村をまとめるお役の方は居られるのですか?」
ムサとマコは、顔を見合わせた。そして、首を振った。
「おいおい、大丈夫なのか?・・バンの兵が村を好き放題にしているんじゃないのか?」
それを聞いていたサビが言った。
「我が弟が、残っております。・・私も里を出る時、それが一番怖かったので、弟に命じて、村の者がいつでも隠れられる場所を教えておきました。兵が狼藉を働いたら、すぐに逃げるように言っておきました。」
そこまで聞いて、エンが言った。
「すぐに、クンマに向かおう。キイリ、キトリ、キムリ、俺と一緒に来てくれ。まず、クンマの里を救わねば。」

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3-1-4 イツキの決断 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

4.イツキの決断
サビによると、シンとバンの軍は、一旦、不知火の海を目指し、西へ向かったようだった。
それを聞いて、キイリが首をかしげた。
「・・それは変だな?・・阿蘇の里を攻めるなら、クンマの里から、九重の山を越えるほうが早いはずだ。・・何故、そんな遠回りをするんだろう?」
「・・きっとバンには別の思惑があるに違いない・・まさか・・」
エンが、難しい顔をして押し黙った。伊津姫は、エンが何時になく考え込んでいる様子が気になった。
「エン、何があるのですか?」
エンは、言いにくそうに、躊躇いがちに言った。
「隼人一族は、船を操り、海で生きる一族。・・兵など居なかったはずだ。・・なあ、バンという将は、本当に、隼人の将なのかい?」
これには、ムサが答えた。
「はい、それは確かです。・・ただ・・私も隼人の一族とは随分前に会った事はあるのですが、兵が居たとは知りませんでした。」
「どうやら、何かいわくありという奴みたいだな。・・里から追い出された奴らなのかもしれない。・・もし、そうなら、やはり、クンマの里を我が物にするために、長であるシン様を里から引っ張り出して・・・どこかで亡き者にする・・そして、里に戻って・・・」
エンは、頭の中に浮かんだ事を順に話した。その中身が、ムサやマコがどう受け止めるか考えもしていなかった。マコは、エンの話を聞きながら、ワッと泣き出してしまった。
「エン!やめなさい。・・まだ、そうと決まったわけではありません。・・ただいずれにしても、クンマの里に危険が迫っているのは間違いないでしょう。・・判りました。兵が西へ向かったのならば、我らは一刻も早く、クンマの里へ向かいましょう。皆の力を合わせれば、きっと、里を取り戻せるはずです。」
伊津姫はそう言って立ち上がった。
「姫様もともにいかれるおつもりですか?」
巫女が慌てて訊いた。
「ええ、私もここで待っているなんて出来ません。」
「ああ、伊津姫様が一緒なら、きっとクンマの里の者も勇気付けられるに違いない、行こう。」
エンも言った。
「ダメです!・・伊津姫様にもしもの事があったら、どうするのですか?」
巫女は厳しい目でエンに迫った。
「大丈夫だ。俺は、伊津姫様の守人なんだぞ。命に代えても、姫様をお守りするさ。」
「せめて・・カケル様がお戻りになるまで・・姫様はここにいらして下さい。」
巫女は、伊津姫に懇願した。
「いいえ、カケルはいつ戻るか判りません。いや、ここには戻ってこないかもしれません。・・それに、こうしている間にも、クンマの里やシン様の身に危険が迫っているのです。行かせて下さい。・・いえ・・私は行きます。」
伊津姫はそういうと奥の部屋に入っていった。旅立ちの支度を始めるためだった。
「俺たちもすぐに出立できる支度をしよう。・・弓は丈夫なものを持っていこう。」
エンも、キイリたちにそう言って、館を出て行った。

「巫女様・・申し訳ありませぬ。巫女様がご心配される事は重々承知しております。私も、命に代えて、伊津姫様をお守りいたします。」
ムサはそう言うと巫女に深く頭を下げた。マコも、巫女に深く頭を下げた。

翌日、日の出とともに、伊津姫、エン、キイリ、キムリ、キトリ、そしてムサ、サビとマコは、クンマの里へ向けて出発した。
途中、五ヶ瀬の村に着いた時、巫女から話を聞いた、ウルが、猩猩の森に潜んでいたミコトたちを連れて、同行することになり、10人を越える一行が、クンマの里へ向かう事になった。

「姫様、われらが先行して、クンマの里の様子を探ってまいります。危険があるようなら、姫様はクンマの里には入られないようお願いします。」
ウルは、「巫女からくれぐれも姫様をお守りするように」と頼まれていた。そのために、脚の強いミコトを同行させ、深い山を抜ける道を抜け、伊津姫たちより先にクンマの里に入る事にしたのだった。
伊津姫たちは、五ヶ瀬の村を抜け、椎葉の村を経由して、多良木の里まで一週間かけて到達した。伊津姫は、途中で、カケルと出逢う事があるかもしれないと密かに考えていたのだが、カケルが訪れたという村は無かった。
伊津姫たちが、九重の山中を南下していたころ、カケルとアスカは、まだ、海辺の村を廻っているところだった。クンマで起きている事は、まだカケルの耳には入る由も無かった。

伊津姫一行が多良木の村に到着した頃には、ウルたちがすでにクンマの里が見える高台に達していた。そこから見えるクンマの里は、静かで、畑にも人影は無く、バンの手下らしい男たちが、大門の辺りをうろついているのが判った。
「どうやら、村の皆は隠れ場所に逃れたようです。」
ウルたちに同行していたサビが、村の様子を見て言った。
「しかし、奴らは一体、何のためにここに留まっているのだ?」
里を見下ろせる高台から、様子を伺いながらウルが言った。
「エン様が言われたように、やはり、我が里を手に入れるためでしょうか?」
「ああ、そうだとすれば、やはり、シン様の身が危ないだろう。さあ、どうする?」
ウルの指示で、ミコトの一人がクンマの里近くまで行き、兵たちの様子を探る事になった。
サビは、弟に命じた隠れ場所に向かった。
隠れ場所は、クンマの里から球磨川を少し下ったところで、切り立つ崖にぽっかりと開いた場所で、古くからクンマ一族の、祈りの場所として使っていた鍾乳洞であった。
「おお、サビ様!」
鍾乳洞の中に潜んでいた村人が、サビの姿を見て、ほっとしたような表情で叫んだ。
「みんな、無事か?」
サビの弟サトルによって、村人たちはほとんどここに逃れることが出来たようだった。
「サトルはどこだ?」
サビは、辺りを見回した。一人の村人が、悲しい表情を浮かべて言った。
「我らをここへ逃れる時を作るために、兵たちと戦われて・・・多勢に無勢・・・切り殺されてしまいました。亡骸だけでもと何度か里へ行こうとしましたが・・・。」
「そうか・・命を落としたか・・・奴はちゃんと役目を果たしたのだな・・。」
「サビ様・・」

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3-1-5 里を救う [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

5. 里を救う
伊津姫たちは、ウル達からの知らせを受けて、里の人たちが隠れている鍾乳洞に向うことになった。クンマの里を回避するため、一行は、多良木の村の協力を得て、球磨川を舟で下る事になった。春を迎えて、雪解け水が流れ込む川は、あちこちで濁流となり、危険ではあったが、なんとか辿りつくことが出来た。

「マコ様、ご無事でしたか?」
一行が鍾乳洞に現れると、里の者たちは皆喜んだ。
「皆さん、兄のせいでこんな事になってしまって・・本当に、申し訳ありません。」
マコは、みなの前で頭を下げ謝罪した。
「いえ・・我らこそ、男たちに里を奪われ・・隠れるしかできず・・申し訳ありません。」
皆、マコを労わるように集まり、涙した。
ムサは、その様子を見ながら、言った。
「みんな、聞いてくれ!・・こちらは、ウスキより参られた方々だ。我らとともに、里を取り返すためにおいでいただいた。・・そして・・こちらは・・邪馬台国の姫、伊津姫様じゃ。」
その言葉に、里の者たちはみな驚いた。はるか昔、伝説となっている邪馬台国の名とともに、その姫が現れた事に心から驚いていた。
伊津姫は、皆の前に出て、ゆっくりとお辞儀をした後で、胸元から双子勾玉を取り出した。そして、それを皆に見せるように掲げた。ここへ来る前、ムサから、里の者を励ますために、邪馬台国と伊津姫の権威を一層高めるよう、より神々しく名乗ってもらいたいと頼まれていたのだった。
「われは、邪馬台国の伊津姫である。・・九重の国々の穏やかな時を取り戻すため、ここへ参った。さあ、悲しみにくれることなく、今一度、クンマの一族の力で、里を取り戻そうではないか。」
やや芝居がかった言い方ではあったが、里の者はみなその言葉に勇気付けられ、気勢を上げた。
ムサはその様子を見て、サビに目配せをした。サビは、岩の上に上がり、皆の顔を見ながら大きな声で叫んだ。
「里は高々数人の男たちがいるだけだ。我らの力を合わせれば、負けるものではない。さあ、男たちは弓を取り、里へ向かうぞ。女たちは、子どもや爺様、婆様を連れ、里へ向かうのだ!」

里を見下ろせる高台には、ウルたちが里の様子を探るために、集まっていた。
「ウル様、バンという男は、どうやら隼人から追い出された厄介者だったようです。」
ウルの命で、隼人の一族と接触をしていたミコトが報告した。
「やはりそうか。では、あの兵たちは?」
「聞いたところでは、バンがあちこちを放浪している最中に、一人ひとりと集めたようです。いずれもあちこちの村から追い出されたもののようです。」
この時代、村の掟を守らず、勝手な事ばかり繰りかえすような輩は、村から追い出され、たいていは野垂れ死にするのだった。それをバンが集め、隼人の兵を名乗り、このクンマにやってきたのだった。

「どうです?里の様子は?」
サビが、エンたちとともに、里の者たちを引き連れて、高台に姿を見せた。
「大門辺りに、何人かいるようだが・・」
エンが、
「そう大人数ではないのだろう?一気に攻めて片付けてしまおう!」
そう言ったが、ムサが止めた。
「攻めるのは容易いでしょう。しかし、一人でも取り逃がすと、里の事がバンに知れ、シン様の命が危うくなるでしょう。」
「では、どうする?」
「これだけの人手があります。・・里へ入る三つの門ごとに分かれていきましょう。・・できるだけ静かに近づき、片付けましょう。騒ぎが大きくなると、男たちが里に火を掛けるかもしれません。」

男たちは、南と北、そして西から里へ入る道に分かれた。男たちに気づかれぬよう、一人ずつ草叢に隠れるように里へ入っていった。
南の大門には、男が三人、様子を見張っているようだった。南からは、ムサとキイリ兄弟が近づいていた。
「よし、一気にやるぞ!」
キイリたち3兄弟が弓を構え、男たちを狙った。ヒュンという音ともに、大門の前の男たちは呻き声を立てる間もなく、どさりとその場に倒れた。すぐに、男たちの遺体は草叢に隠された。そして、静かに、里へ入って行った。
西からは、サビとウル、そしてウルがつれてきたミコトたちが向かっていた。川沿いから高い土手をいくつも越えねばならず、予想以上に村に近づくのに手間取っていた。
北には、エンが里の者とともに向かった。こちら側は、男たちも警戒しているようで、弓を構えて何人かの男が大門の上に座って様子を見ていた。
「こちらから攻めるのは厳しいな。」
葦の中に姿を隠して村に近づいてきたエンたちは、これ以上前進できない状態になった。
「どうするかな?」
エンは、草の中に身を隠しながら考えた。そして、何か思いついたように大門を見つめた。
「使えるかもしれない・・」
エンは、矢筒を取り出し、羽の大きな矢を選んで、何か羽に細工をし始めた。
「どうするんです?」
エンの隣で様子を伺っていた里の若い男が訊いた。
「前に、モシオの村で、カケルがやった技なんだが・・俺にもできるかどうか・・・」
そう言いながら、弓を取り出し、矢を当て強く引き、空に向かって放った。
放たれた矢は、ピーと大きな音を上げながら、空を舞う。そして、はるか上空から、あたかも空から降ってくるように、更に大きな風切音を上げて、大門を超えて突き刺さった。
大門で弓を構えた男たちも、突然の音に驚き、どこから飛んできたのかも判らず、空を見上げたり、辺りを見回したり、うろたえた表情を見せた。
エンは、今一度、弓を放った。今度は、さらに上空高く放ち、先ほどよりも更に高い音を響かせた。その矢は、門の上で海を構えた男の胸を貫通した。
それを見ていた里の者も、同じように、空高く矢を放った。どこから飛んでくるのか判らない矢を防ぐことは容易ではない。里の奥深くへ逃げ込んでしまった。
それを見て、三方向から一気に里へ攻め入った。意外にも、男たちは大して強くなく、あっさりと捕らえることができた。
エンやキイリ、ムサたちは、里の真ん中にある広場に集まった。そして、無事、里を取り戻した事を知らせるため、狼煙を上げた。

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3-1-6 バンの思惑 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

6. バンの思惑
鍾乳洞で合図を待っていたマコや伊津姫は、里から狼煙が上がるのを確認した。
「エンたちは、無事に里を取り戻したみたいね。」
「さあ、みなさん、里へ戻りましょう。」
その声で、順番に鍾乳洞から出て、里へ向かおうとした。
球磨川の浅瀬を渡りかけた時だった。対岸に、大勢の男たちが現れた。手には剣を構え、恐ろしい形相で、反対側から渡ってくる。おどろいた者たちが、浅瀬に足を取られ転倒したり、流されたり、逃げ惑い、悲鳴を上げた。
「何?どうしたの?」
悲鳴を聞いて、伊津姫とマコは急いで、球磨川のほとりにやってきた。すでに、大勢の男が、里の者を取り囲んでいた。

「やっと、おでましかい?」
男たちの真ん中、河原の大岩にどっかり腰を下ろし、不敵な笑みを浮かべた男がいた。
伸び放題の髪を一つに縛り、太い眉、来い髭、両腕にも剛毛を生やし、いかにも、悪事を働くに十分な様相をしている。
「バン!」
マコはその男を見て叫んだ。
「お久しぶりです、マコ様。・・おや、そちらは、・・ほう・・邪馬台国の姫様ですか?」
「何故?いったい、どうしたの?」
マコは、バンがそこにいたことだけでなく、伊津姫の事を口にしたことにも大いに戸惑った。
その言葉に、バンは立ち上がり、マコの前までずかずかと歩いてきて、睨みつけるように見てから言った。
「いやあ・・マコ様は、本当に素直な人だ。・・貴方が、ムサとともに里を抜け、ウスキへ行かれたのは知っていたさ。・・そう、邪馬台国の姫様を頼ったこともな。・・・だから、我らは、一旦西へ兵を挙げた。その間に、きっと姫様を連れ、ここへ戻ってくると踏んでね。・・いやあ、これほど思惑通りに行くとは思わなかったんだがねえ。」
「どうするつもり?」
「さあて、どうするかな?・・ここで、皆殺しにしてもいいんだが・・・。」
そう聞いて、伊津姫が口を開いた。
「貴方の望みは何です?」
「これはこれは・・邪馬台国の正当な後継者、伊津姫様。お初にお目にかかります。・・さすが、姫様は強きお人のようだ。まったく畏れておられない。・・まあ、いいでしょう。俺の望みは、この国を我が物にする事。・・・貴女なら、どういうことかお分かりになるでしょう?」
「・邪馬台国の王となるという事ですか?」
「・・いや、王などと面倒な事は考えていない。王は、正当な後継者である貴女以外にないでしょう。・・・貴女が、俺の言うことを聞いてくれれば、それでいいんですよ。・・」
「何という事を・・天は、そのような事をお許しにはなりません。」
それを聞いて、バンは、
「別に、相談してるわけじゃない!・・おい、お前たち!」
バンの掛け声に、男たちが一斉に里の者たちに剣で襲い掛かろうとした。
「やめて!」
「やめなさい!」
マコと伊津姫は、悲鳴のような声を上げた。
「おい、やめろ!」
男たちは剣を下ろした。
「判ったか!なら、言う事を聞いてもらおう。」
そういうと、里の者たちを鍾乳洞に追いたて、中に入れて、手足を縛りあげた。
「さあ、マコ様も同様に。伊津姫様、縛ってください。きつく縛ってもらおうかな?」
薄ら笑いを浮かべて、バンはマコに縄を手渡した。
「それじゃあ、伊津姫様は我らとともに行きましょう。・・大丈夫ですよ、貴女は生かしておかなけりゃ、使い道が無い。大事にしますよ。・・おい、お前ら、姫様をお連れしろ。」
どこに隠してあったのか、球磨川を下るために舟が何艘も用意された。
バンが、鍾乳洞を出ようとした時、マコが訊いた。
「一つ、教えてください。・・兄様、シン様は?」
再び、バンはマコの前までやってきて、耳打ちするように言った。
「シンは、八代の浜で戦の最中に、俺に逆らったんだ。だから、そのまま、置いてきた。きっと、八代の浜の奴らになぶり殺しにでもなってるんじゃないか?・・俺にたてついた報いだ。」
「まあ・・なんと・・・惨い・・」
マコは、兄の最後を思い、泣いた。
「よおし、一気に川を下るぞ。・・ムサの奴らが追いついてこないうちにな!」
そういうと、バンの一軍は、一気に球磨川を下って行った。

「里の者たち、遅いな。何かあったか?」
ようやく、クンマの里を取り戻したエンたちは、大門から外の様子を伺っていた。ムサやサビは、里に居座っていた男たちを縛り上げ、周りを歩きながら不思議に感じていた。男たちの様子が、どこかおかしいのだ。
「おい、お前たち、バンとはどこで一緒になったのだ!」
サビが、縛り上げた男をひとり小突きながら訊いた。
「バン?それは誰だ?・・俺たちは、ここがもぬけの殻の里になるからと隣村の男に教えられて、居座っただけだ。」
「何だって?」
それを聞いて、サビとムサは、エンに伝えた。
「何か、おかしいとは思ったんだが・・・まさか、・・里の者が隠れているところへ行ってみよう。」
すぐさま、エンやムサ、キムリたちは隠れているはずの鍾乳洞に向かった。

鍾乳洞に着いたエンたちは、目を疑った。里のものは、皆、縛り上げられ、蹲って泣いている。
「何があったのです!」
マコから事情を聞いたエンは、怒り、動揺した。
命に代えても伊津姫を守ると言い切って、ウスキからここへ来たのに、一番大事な役目を果たせなかった。悔しさと怒りで狂いそうだった。
「では、我らが伊津姫様とともにここへ来る事を見越していたということか!」
ムサも大いに悔しがった。ようやく、縄を解かれたマコが、すっかり気落ちした様子で話した。
「バンは、兄も殺めたのです。・・怖ろしい男です・・。」

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3-1-7 先の相談 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

7. 先の相談
「すぐに、奴らの後を追うぞ。」
怒りと悔しさで我を見失ったエンが、弓を持ち立ち上がった。
「奴らは舟で行ったのです。とても追いつけるものではありません。」
サビが止めようとした。
「いいんだ!ここに居てもどうにもならないんだ、すぐに川を下る。」
「エン様、少し落ち着いてください。・・ただ追いかけても仕方ないでしょう。我らがここに姫様をお連れする事を見越していたほど、悪知恵の働く奴なのです。闇雲に追いかければ、姫様のお命が危うくなるかもしれません。ここは、皆で知恵を出し合い、これからの事を考えましょう。」
ムサがゆっくりとした口調で、エンに諭すように話した。
ウルも、続けて
「マコ様のお話では、バンは邪馬台国の権威を使って、国を手中にするつもりのようです。すぐに、姫様のお命が危ういわけではないでしょう。ここは、ムサ様と言われるとおり、一度、里へ戻って、この後のことを考えましょう。」
エンはようやく落ち着き、里へ戻る事にした。

館では、マコをはじめ、ムサ、サビ、キムリ、キトリ、キイリ、ウルなどがエンを囲んで座っていた。ムサが口火を切った。
「球磨川を舟で下ったとすれば、行きつく先は八代だ。だが、前に戦を仕掛け敗れている。そこまで行くかどうか・・・。」
キイリが言った。
「伊津姫様を奉じて、八代を従わせる方法もあるのでは?」
それをきいて、ムサが続けた。
「確かに、それも一つだ。むやみに戦を仕掛けても兵力が違うのだからな・・では、仮にそうなった後はどうする?」
サビが言う。
「私なら、そのまま不知火の海を渡り、宇土の地へ向かう。八代と宇土を手に入れれば、強大な力になる。」
それを聞いて、再び、ムサが言う。
「そうだな・・阿蘇一族と戦を構えるなら、八代、宇土、そしてその周辺の村を全て我が物とし、兵力を増やさねばならぬ。それでも、阿蘇一族に勝てるかどうか・・。」
エンは、ムサに訊いた。
「阿蘇一族とは、それほどの強大な力を持っているのか?」
「火の山を治め、古くから豊かな大地の恵みで、富を作り、見た事も無いほどの見事な館も持っていると聞く。それに、草原を駆ける馬を操り、牛さえも自在に使う一族なのだ。」
「それ程の一族がいるのか・・・」
「しかし、阿蘇一族は、火の山から一歩も出る事はしないのが掟なのだ。火の山の懐を守る事が一族の使命と決め、他の村を脅かす事等しない。おそらく、そのことはバンも知っているだろう。・・よほどの兵を持つまでは、やはり、しばらくの間は、八代辺りで、力をつけていくに違いない。」
「では、伊津姫様もしばらくは、無事と考えても良いだろう。」
ウルが言った。マコが訊く。
「この里はもう安心なのでしょうか?」
ムサはその事葉を聞いて考えた。
「バンは、あれだけの悪知恵を働かせる男だ。仮に、八代で兵を増やせなければ、またここへ戻ってくる事もあるでしょう。・・九重を手に入れるなどと大きな事を言っているが、実のところは、自ら支配できるところを手に入れようと考えているかも知れません。・・もし、そうらなれば、この地を一番先に狙うでしょう。」
それを聞いて、サビが言う。
「伊津姫様を楯にして、ここを攻められれば、我らとて刃向かう事はできません。」
マコも、それを聞いて心配顔になった。エンは、言う。
「もしも、伊津姫様を人質にしてここを攻める事があれば、遠慮なく戦って貰いたい。」
「しかし・・」
「いや、姫様は、何も抵抗せずにバンに捕えられただろう?・・里の者が傷つかぬようにな。・・それが、伊津姫様のお考えなのだ。もし、バンが伊津姫様を人質にここを攻めようとすれば、おそらく、自ら命を絶つだろう。・・」
「そんな事が・・」
「いや間違いない。・・姫様は、昔、カケルが持たせた短剣を肌身離さず隠し持っている。ナレの村の者はみな、大事なものを守るためには命など投げ出す覚悟をもっているんだ。伊津姫様は、邪馬台国の姫だが、俺やカケルと幼い頃からともに育ってきたナレの者だ。ためらいなく、自らの命を絶つに違いない。だから、皆、クンマの里の守りを固めて欲しい。」
そこまで聞いて、マコは頷き答える。
「判りました。・・兄無き今、私も長の妹として、この里を守る使命があります。ムサにも手伝ってもらって、今まで以上に強き里にしましょう。」
一通り相談し終え、それぞれ役割を決めた。
エンは、伊津姫を追うこととなった。キムリとサビが同行し、球磨川を下り、バンを探す事にした。何か動きがあれば、すぐに、クンマの里へ知らせをする事にした。
ムサは、マコを助け、クンマの里の守りを固める手筈となった。ウルとキイリも手助けすることにした。
キトリは、ウスキへ戻り、ここで起きた事とこれからの事を村に伝える役を負った。
エンたちは、里の広場で、旅支度を整えていた。
「ウル様、一つ、お教え下さい。いつも、ウル様に従うミコト様たちの事ですが・・」
「ああ・・」
「ウスキの村のミコト様とは違い、いつも、静かに、ウル様に従っておられるようで少し不思議な感じがするのです。どういう方たちなのです?」
「・・あ奴らは、幼き頃に、猩猩の森に捨てられた者なのだ。・・どこの村かはわからぬが、おそらく食い物に困り、捨てるしかなったのかもしれぬが・・それをワシがあの森で育てた。人を嫌い、村を嫌う、物言わぬのも、人との関わりを持ちたくないためだ。」
「しかし、ウル様には素直に従っておられますね。」
「生きるために必要な事を教えたのがワシだからだろう。・・森深くで育った事で、比類な力を持っておる。ワシは、奴らを信じておるよ。」
「一つ、お願いが。あのミコト様たちに、バンの素性を調べてもらえないでしょうか?」
「ああ、ワシもそう思っていたところだ。隼人の者と名乗るからには、何かつながりがあるのだろう。もう、隼人に向け、走らせておいた。何か判れば、知らせよう。」
エンとキムリ、サビは、球磨川を下って旅立った。

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3-1-8 人質 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

8.人質
バンの兵に取り囲まれ、里の者を救うために、やむなく、バンの元へ下った伊津姫は、球磨川の急流に翻弄される舟のごとく、明日さえもわからぬ自分の運命を考えていた。バンは、伊津姫を捕えた事で、何か安堵したような表情を見せているが、鍾乳洞の前で威勢よく九重の国を手中にすると言った、恐れ多い野望を持った男には見えなかった。
夕暮れ近くまで、球磨川の急流を下り、いくつかの淵も過ぎ、緩やかな流れとなったあたりで、舟は岸につけられた。
「よおし、今日は、ここで休むとするか!」
バンは手下に命じて、岸の芦原に舟を隠すと、球磨川に流れ込む支流の川沿いにある、小さな集落を目指した。
「さあ、姫様、ここからは歩いていただきますよ。」
屈強な男が周りを取り囲み、じろじろと無遠慮な視線を投げつけ、姫を監視しながら、村への道を進んだ。ふと見ると、ひときわ体の小さな、まだ子どもではないかと思える少年が、幾つかの荷物を重そうに抱えながら、歩いている。悪事に加担するような風体ではない。伊津姫は、その少年が気になっていた。
しばらく行くと、支流沿いに開けた土地に、小さな集落があった。男たちは、閉ざされた門を壊すような勢いで叩き、村人を脅すようにして明けさせて、村に入った。そして、村の長老を捕えると、乱暴しようとした。
伊津姫は、長老と男の間に入って、きっと睨みつけてから言った。
「やめなさい。・・狼藉を働くなら、私はこの場で命を絶ちます!」
それを見て、バンが仕方ないような表情を浮かべて、
「おい、やめろ。・・姫様、良いでしょう。・・その代わり、村人を説得してもらいましょうか。我らは、邪馬台国を作るために兵を挙げたのだ。・・九重の村は、我らに加勢するのが道理だとね・・どうです?」
「わかりました。」
伊津姫は、そう答えると、長老と館に入り、ここまでのいきさつを話すことにした。
「これをご存知ですか?」
伊津姫は、胸元から双子勾玉を取り出した。村の長老は、それが邪馬台国の王の証であることは承知していた。
「私の名は、イツキと言います。ここよりはるか南、ナレの村から自分のさだめを果たすために、ウスキへ参り、訳あって、クンマの里と皆さんとともに、バンの悪事を止めようと・・しかし、囚われの身になりました。・・・バンは、この先の八代へ向かうつもりです。抵抗せず、一晩、兵たちをここへおいてください。そうすれば、村に危害は加えないよう約束します。」
伊津姫の話をじっと聞いていた長老は、伊津姫の覚悟も汲み取って、受け入れた。
兵たちは、村の中心にある館に、無遠慮に入り込み、そこここに横たわり、体を休めた。
「姫様、逃げようなどとしない事です。ちゃんと見張ってますよ。さあ、こちらへ。」
バンはニヤニヤしながら、伊津姫を見て、傍に来るように言った。
「私は、邪馬台国の姫です。無礼は許しません。」
「おや、随分強気ですな。・・」
「私の見張りは、そこの者にお願いします。」
伊津姫の視線の先には、舟を降りたときにいた、ひときわ体の小さな少年だった。
「・・へえ・・こいつねえ・・まあ、いいでしょう。おい、お前、こっちへ来い。」
そう言われ、少年はおそるおそる傍に来た。
「お前、名はなんと言う。」
少年は、小さな声でもごもごと言った。
「聞こえないぞ、大きな声で言え!」
「・・アマリ・・です。」
「見かけない顔だが、どこから一緒に居た?・・まあ、良い。お前が今日から姫様の見張り役だ。いいか、逃がすんじゃないぞ。もし、居なくなったら、お前の命を貰うからな・・さあ、しっかり働け!」
バンは、アマリの背を押して、伊津姫のほうへ遣った。
伊津姫は、その少年を伴って、長老の案内で、館の奥の部屋に入った。
「ごめんなさいね・・貴方に大変な役をさせてしまって・・・アマリと言ったわね。年は幾つになるの?」
伊津姫は、優しい笑顔でその少年に尋ねた。
「もう15になります。」
その声は、とても15歳の少年の声ではなかった。
「貴方・・まさか・・女の子?」
アマリは辺りに聞こえたのではないかと不安な面持ちをしながら、じっと伊津姫の目を見た。
「大丈夫、あいつらには話さないから・・・でも、どうして、一緒に居るの?」
アマリは、観念したような表情をして、小さな声で話し始めた。
「私は、ここより南、野坂の海に浮かぶ、女島の生まれです。・・数年前、たくさんの舟がやって来て、私の村を襲ったのです。父も母も・・島の者は皆殺されました。」
そこまで話すと、急に蹲って泣き始めた。
「なんて惨い事・・貴女は無事だったのね。でも、どうしてそれなのに・・。」
「父が私を浜のはずれの洞穴に隠してくれたのです。・・でも、いつまでもあいつらは島に留まっていて・・私は、どうにか逃げなければと思いましたが・・でも、見つかれば殺されると思って、ならば、あいつらの中に入り込めないかって・・」
「生きるために、仲間に加わったというの?」
「・・はい・・でも、本当は・・・あの、バンを・・いつか・・この手で・・」
「仇を討つつもりなのね。」
アマリは頷いた。
「そう・・判ったわ。・・私も、こんな悪行を止めるために人質になったんだから・・・良いわ、これからずっと私と一緒に居るのよ。貴女の事も秘密にしておきましょう。」
「姫様・・」
「きっといつか、バンには天罰が下るはず。それまで、じっと我慢しましょう。・・・それに、クンマの里からも、きっとエンたちも追いかけてきているはずだから。」
「あの・・一つ、お聞きしたい事が・・・勇者カケル様とはどんな方なのですか?」
「カケル?・・どうしてその名を?」
「はい、以前、シン様が居られた頃、バンとシン様が話していたのです。ヒムカには勇者カケルが居る。その者の力を得れば、九重の国をまとめるのも容易い事だと・・」
「そう、カケルの事は、バンも知っているのね。・・勇者かどうかは別にして、とても賢く勇気があって、知恵もある。きっとカケルが来れば、すぐにバンなど退治してしまうでしょう。」
「今はどこに?」
「判らない。・・ヒムカの村々を回っていると聞いたけれど・・どこに居るのか・・・でも、きっといつか、カケルも来てくれる、私はそう信じています。」
伊津姫は、アマリに話すというよりも、自分に言い聞かせるように言った。
バンや男たちは、村人に酒と夕餉の支度をさせ、たらふく食べた後、すぐに眠ってしまった。
翌朝、早く、バンたちは、舟でさらに球磨川を下って行った。

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3-1-9 伊津姫を追う [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

9.エン、伊津姫を追う
球磨川は、クンマの里から山間を蛇行を繰り返し、八代まで流れている。水量は多く、ところどころ大きな淵があり、また、轟音を立てる瀬もある。切り立った崖が続くため、クンマの里からしばらくは集落など無かった。
エンたちは、崖に作られた細い道を、慎重に進んでいった。
恐ろしいほどの流れの瀬を過ぎた辺りで、サビが遠くを指差して言った。
「エン様、あそこ。舟があります。」
指差す先には、淵があり、高い崖に張り付くように、小さな船が見えた。三人は淵に降りて、辺りを見回した。
「誰もいないようですね。・・」
キムリは、上流も下流も見回していった。
「おそらく、バンの兵が激しい流れに舟を上手く操れず、落ちたのでしょう。この流れに巻き込まれれば、ひとたまりも無い。・・好都合だ、あの舟を使いましょう。」
サビは、川に飛び込み、舟まで泳ぎ着くと、ひょいと舟に飛び乗って、岸辺まで漕いできた。
「エン様、舟は操れますか?」
サビが訊いた。
「いや・・俺は無理だが、キムリは得意だ。ミミの浜まで五ヶ瀬川を下り米を運んだ。」
「それなら良かった。この先、急流が多く、私一人ではとても・・では、キムリ様、参りましょう。」
キムリが舳先、サビが舵側で、操ることになった。エンは、川を下りながら、バンの兵が潜んでいないか、陸に上がった形跡はないか、両岸に目を配った。
次第に、両岸の崖が低くなり、川の流れも徐々にゆるく、川幅も広がり始めた。
「エン様、そろそろ山あいを抜けます。この先、どこからでも丘に上がれます。ご注意下さい。」
「ああ、判った。」
川を下り始めて日暮れ近くになっていた。
「まだ、舟を降りた形跡はないようだな・・・。」
エンは、時々、立ち上がり遠くを見渡そうとした。
「この先に、村があります。今日はそこで休むようにしましょう。」
岸に舟を着け、三人は岸辺に降りた。
「おい、これ。」
岸から土手に向かって、無数の足跡がついていた。河原にも舟を引き揚げた跡が残っていた。
「奴ら、ここで休んだようだ。・・この先の村は大丈夫か?」
三人は急いで土手を上がり、村へ向った。大門に居た老婆に事情を話し、すぐに長老にあう事ができた。
クンマの里のサビが長老に話しをした。
「我は、クンマの里のサビと申します。・・バンという男の兵達を追って球磨川を下ってまいりました。この村に、遣ってきましたね?」
「はい・・おっしゃるとおり、邪馬台国を再興する兵だと名乗る集団が、ここに逗留しました。」
「それで・・村は無事だったのですか?」
「ええ・・最初は、乱暴を働こうとしましたが、伊津姫様が我らをお守り下さいました。・・奴らは、邪馬台国を再興する兵たちではないのでしょう?」
それを聞いてエンが言った。
「ああ、当たり前だ。姫様は人質だ。・・それで、どうした?」
「はい、昨日、朝早くに川を下って行きましたから、今頃は八代に着いているでしょう。」
先を急ぎたい気持ちはあったが、夜の闇ではとても敵わない。エンたちも一晩、この村で過ごす事にした。
「済みませんが、一晩、ここで休ませてもらえますか。・・夜露が凌げれば良いのです、どこか・・。」
その言葉に、長老は、
「何をおっしゃいます。・・どうぞ、館をお使い下さい。・・それと、姫様からエン様に言付けがございます。」
「伊津姫が?」
「はい。この先、八代へ向かうが、バンが大将ではないようだと。バンを操る者がいる、その正体を掴むことが大事だと。それと、アマリという者が世話役に付いているが、訳あって、今は我らの味方になってくれていると・・。」
「伊津姫は・・元気そうだったか?」
「はい。気丈なお方ですね。・・邪馬台国の王の血を受け継ぐにふさわしいお方でした。」

翌朝、三人は村を後にした。川岸に来ると、舟に誰か横たわっているのが見えた。
「あれは・・ウル様の下僕のミコト様ではないか。」
近づく足音に、目を覚まし、舟から飛び降りて、葦の草むらへ身を隠した。
「大丈夫、俺たちだ。」
その声に、草叢からそのミコトは顔を見せた。
「私の名は、イノヒコ。バンの素性を調べておりました。」
「何か判ったのですか?」
「はい、これより南の野坂の浜で聞いたことですが・・どこか、遠くの海から遣って来たもののようです。隼人ではありませんでした。・・渡来人なのかもしれません。たくさんの大船が来て、野坂の浜一帯を襲い、海沿いに北へ向かった一軍があったようです。バンは、その一部を率いて、山中の里を回り、時には襲い、男たちを集めながら、クンマに遣って来たようです。」
「バンの後ろに、もっと大きな敵が居るというわけか・・・。」
エンが腕組みをして言った。そして更に訊いた。
「あの辺りは隼人の一族が治めていたのではないのか?」
「どうやら、もっと南の方へ下ったようです。」
「何者なのでしょう?」
「まあ、いいさ。まずは、バン達に追いつくことだ。どうせ、八代に着けば会えるだろう。すまないが、イノヒコ様、もう少し、調べてみてくれないか?大軍から離れたのには、何か訳がありそうだ。それがあいつの弱点かもしれない。」
イノヒコは一つ返事をすると、すぐに土手に上がり、南を目指して走り出した。
エンたちは舟を進めた。蛇行する球磨川の穏やかな流れに乗る。
「おや、あれは?」
エンが岸辺に何か見つけて、舟を寄せるように言った。対岸の河原に広がる脚の原が何ヶ所かなぎ倒されていた。ゆっくり進むと、脚の原の中に、小舟が5艘隠すように置かれていた。円は直感した。
「ここで、舟を降りたようだ。」
「しかし、数が少ないように思うが・・・」
キムリがそう言うと、サビが、
「まさか、ここで二手に分かれて・・・」
「クンマの里が危ない!」

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3-1-10 里の危機 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

10. 里の危機
乗り捨てられた舟の数から見て、10人か15人程がここで船を下りたのは間違いないようだった。
「八代に向かう途中で、奴らは二手に分かれたようだ。きっとクンマの里へ戻ったんだろう。」
「ああ、おそらく、伊津姫に気付かれないように途中で別れただろう。」
サビは、落ち着かなかった。里を出る時、父ムサやマコは備えをするとは言ったものの、シンが兵を挙げた時、多くのミコトはシンに従い、村を去った。今、残っている手勢で、あの兵達を抑え切れるのか心配だった。エンは、そんなサビの様子をすぐに感じ取った。
「サビ様、里へ戻ったほうが良い。・・ここまで来れば、八代まではすぐだ。この先は何とかなる。おそらく、村にはまだウル様達も残っているだろうが、一人でも多く加勢したほうが良いだろう。」
「しかし、今から間に合うだろうか?」
「考えている暇は無い、すぐに戻るべきだ。・・何なら、キムリも供に里へ向かうか?」
「しかし、姫様の事も心配です。」
キムリも迷っていた。
「じゃあ、こうしよう。いずれ、バンたちは、阿蘇の里を攻める時が来るだろう。・・それまでに、クンマの里を立て直し、万全にしてから、シイバや五ヶ瀬、ウスキへも助けを得て、阿蘇の里で合流しよう。俺は、それまで何とか姫様の傍に近づき、機会をうかがう事にする。今は、とにかく、クンマの里を守る事だ。さあ、急いで戻るのだ。」
「エン様!」
「大丈夫だ、この緩やかな流れなら、俺にも舟は操れる。さあ、行け!」
サビとキムリは、頭を下げ、すぐに土手を登って、山道を駆け戻って行った。

球磨川沿いの山道を二人は、ただひたすら、駆け続けた。サビも、キムリも、一言もしゃべらずとにかく駆けた。日暮れになってからも、松明をかかげ、夜道を駆けた。途中、何度か、僅かな休憩は取ったものの、とにかく、里が心配で仕方なかった。

明け方近くだった。いくつかの峠を越えたところで、河原に数人の男が身を横たえ、眠っているのが見えた。
「追いついたようだ・・・やはり、クンマの里を狙うつもりだ。・・」
岩陰から、様子を伺いながら、サビが言った。夜掛けの最中には気付かなかったが、二人とも、膝や腕にいくつも疵をこさえていた。随分、疲れもでていた。
「奴らの先に行くか?」
「このまま、後を追い、後ろからやるか?」
二人は考えた。そして、サビが気付かれぬように先に里へ入り、戦支度を急ぐ役をする事にした。キムリは、男達の後を追うことにした。
クンマの里までは、急げば、日暮れ前には着ける距離だった。
夕刻近く、サビはクンマの里に着いた。もう体はふらふらだった。
大門の上から様子を見ていたウルが、サビの姿を見つけ、すぐに迎えの者が出た。疲れきった体を両脇で抱えられるようにして、サビは館に運ばれた。
「どうしたのだ?エン様は?キムリ様は?」
ムサが、お椀に水を汲み、サビに飲ませてやりながら訊いた。
「バンの兵の一部がここへやってきます。・・はるか下で気付いて、私とキムリ様は戻ってきたのです。」
「何?兵がここへ向かっているのか!・・よし、すぐに戦の支度じゃ!それで、キムリ様は?」
「兵達の後ろを付いておられます。・・ここを攻め始めたところで、後ろから仕掛ける約束になっています。」
「そうか・・で、あとどれくらいでここへ来る?」
「もう、すぐ近くまで来ているはずです。・・・早く、支度を!」
話し終わらぬうちに、大門の上で見張りをしていたウルが、里に向かって叫んだ。
「兵が来るぞ!弓を持て!」
ウルの声に、里の男達は、弓を構えて大門の上に立った。
里に残る男たちは10人にも満たなかった。それに、若いミコトはすべて、シンとともに里を去っており、残っているのは老齢のものばかりだった。一気に攻められれば、とても勝ち目は無かった。
兵達は、南の門から少し離れた場所に止まった。こちらから弓を引いたが、とても届く位置ではなかった。
兵の中に一際大柄な男が居た。その男は立ち上がると、身の丈よりも大きな弓を取り出した。そして、矢を番い、先に火をつけて放った。
大きな放物線を描いて、矢は大門を越え、里の中へ飛び込み、屋根に突き刺さり、あっという間に火が燃え広がった。
里の者は慌てて火を消しに走ったが、なかなか、火の勢いはおさまらなかった。
子どもたちは、火の勢いに驚き、大声で泣きわめき、女たちは逃げ回った。
里の中は混乱した。
「皆、静まりなさい。大丈夫です、皆で力を合わせれば、きっと里を守れます!さあ、火を消すのです!」
マコは、慌てる里の者を鎮めた。
「くそ!なんて力だ!」
ウルは様子を見て悔しがった。そして、脇に控えていたミコトを呼び寄せた。
ウルの下僕のミコトは4人。イノヒコ、ニノヒコ、ミノヒコ、ヨノヒコと呼ばれていた。イノヒコは、バンの正体を探るために野坂の浜に居た。残った三人がウルの命令で、東と西の門から、男達に気づかれぬようにそっと里の外に出た。
両脇から挟みこんで、攻めるのが狙いだった。
南の門の先にいる男達は、火が燃え上がった様子を見て、おおっと声を上げた。
「おい!もっと射ろ!お前だけで里を取れるぞ!」
「よし!」
そう言って、再び弓を構え、矢を放った。同じように放物線を描いて矢は里の家に火を放った。
「良いぞ、良いぞ!もっと射ろ!」
遊びのような様相で、男達は囃し立て、大男はにんまりしながら、弓を構えた時だった。
「うぐうっ!」
そう言って、いきなり男が倒れてしまった。背中に矢が刺さっていた。ずっと男たちの後を付いてきたキムリが、木陰に身を隠し、隙を狙っていたのだった。
その様子を見て、両脇から機会を伺っていた、ニノ、ミノ、ヨノが、剣を抜いて一気に攻めかかった。油断していた男達は、剣さえももてない状態で、うろたえ、逃げ回ったが、あっと言う間に倒れた。こうして、クンマの里は守られたのだった。

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3-1-11 八代の海 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

11. 八代の海
二人を見送った後、エンはまた舟に乗り込み、なれない手つきで舟を進めた。
周囲の山々が徐々に低くなり、流れも更にゆっくり、川幅も広くなってきた。遠くに、行く筋も煙が上がるのが見え始めた。八代の里へ近づいたようだった。風に中に、磯の香りを感じた。

八代は、低い山が遠くまで続いていて、僅かに浜が広がる静かな土地だった。そして、いくつかの島が点在する穏やかな海があった。エンは乗っている小舟を浜に着けた。
浜には、漁村と思われる集落が、何箇所かあった。エンは、船を降りて、松原が広がる砂浜を抜けて、集落を目指した。最初に立ち寄った集落は、ほんの十軒ほどの家が集まった小さなところだった。漁を終えて戻ってきた漁師やその家族が、獲れた魚を籠に入れて運んでいるところだった。
「すみません、ちょっと伺いたいのですが・・・」
その家族は、エンの姿を見ると、そそくさと家の中に入ってしまった。もう一家族も居たので、同じように声を掛けようとしたが、やはり、家の中に入ってしまった。見慣れぬ男を警戒しているのだろう。エンは仕方なく、その集落を抜けて、次の集落を目指した。しかし、そこでも同様だった。いや、中には、エンの姿を見て悲鳴を上げて逃げ込む女性もいたのだった。
「どうやら・・ここら一帯で、バンの一味が悪事を働いたようだな・・・。」
エンは、一旦、浜に出た。もう夕暮れになり、あたりが徐々に暗くなり始めていた。
エンは、浜に座り込んで、これからどうすべき考えながら、遠くに浮かぶ島影を見ていた。すると、黒い島影の中から、灯りが見えた。いや、島からの明かりではなく、それは、海に浮かんでいる船の灯りだった。それも1艘ではなく、何艘も連なって海を横切っていくのだった。はじめてみる大きな船、前後が大きく反り返り、波に揺られながら確実に横切っていった。エンは、浜を走り出した。見た事もない大きな舟、海を越えてきたのだと直感し、それがきっと伊津姫が連れ去られて事と関係していると確信した。
舟は、どんどん進んでいく。進む方角に視線をやると、さっきの漁村よりも、少し大きい集落が見えた。明かりがぽつぽつと見えている。小さいが桟橋のようなものもあるようだった。
「あそこに入るつもりか?」
エンは、船の行方を追いながら、砂浜を走った。
その集落は、住居の集まったものではなかった。桟橋の周囲には、大きな柱を組んだ物見櫓や、長屋のような造りの掘立小屋、蔵などが立ち並んでいた。この時代には似つかわしくない集落だった。エンが、桟橋近くについた頃、舟は桟橋に着いていて、荷物を下ろしはじめたところだった。周囲の漁村から集められただろう、男たちが、剣を腰につけた男に指図されながら、荷物を舟から下ろし、奥の蔵へ運んでいた。
「誰だ!」
身を潜めていたはずだったが、不意に後ろから怒鳴られた。
「見かけない顔だな、漁師でもなさそうだ。ここで何をしている?」
数人の男に、エンは取り囲まれていた。男たちは、腰の剣を抜き、エンの顔の前に突きつけた。
「旅の者です・・日暮れで道に迷って・・明かりが見えたので・・ここへ。」
「旅の者だと?・・・どこから来た?」
エンは答えに窮した。クンマの里と告げるわけにはいかない。
「まさか、阿蘇から来たのではあるまいな?」
「いえ・・ここより南から・・」
「南といえば、隼人のものか?」
隼人だとなれば、バンの一味と会えるかも知れないと咄嗟に思った。
「はい・・隼人から来ました。」
「何?・隼人から来たのだと?・・ならば、お前、ここを調べにきたというのか?・・」
先ほどから、エンに質問をしている男の顔色が変わった。そして、周囲に居た男たちに目配せをした。すると、男たちは、急に、エンを隠すようにして立った。
男たちの真ん中で、エンは何が起きたのかわからなかった。すると、先ほどの男が、ささやくような声で、
「隼人を名乗るとは・・お前、一体何者だ?・・大丈夫だ、何もしない。正直に答えてくれ。」
そう言って、エンの顔をじっと見た。その男に言葉に嘘はないと感じた。
「私の名は、エン。生まれは、隼人の向こう、高千穂の峰の麓、ナレの村。邪馬台国の姫を守る役を負って、ウスキからクンマを経て、ここへ来たのだ。」
その答えに、男は驚いた。
「邪馬台国の姫・・やはり、姫は居らしたのか・・・それで、姫は?」
「バンという男に囚われて・・おそらく、ここに連れてこられたはずだ。」
「そうか・・そうであったか・・」
男はしばらく、考えていた。そして、
「我らは、隼人の者だ。・・我らの名をかたり、クンマの里を荒らした男がいる。我らの誇りにかけて、その者を捕えるために、北へ進んで、ついに、ここへ来たのだ。今は、あの船にいる、王の兵に紛れて、正体を探っているのだ。」
「おそらく、その男は、バンです。クンマの里やその周辺の村も襲われ、球磨川一帯も奴らがすき放題にしてきたはずです。・・いや、その前に、もっと南でも悪事を働いたはずです。」
「ああ、そのようだ。俺は、隼人の将、ムサシという。ここに居るものも皆隼人のものだ。」
「しかし・・隼人には兵は居ないと聞いていましたが・・・」
「ああ、我らは、海を渡る船人だった。だが、はるか海を越えて、大船が現われてからは、我らの船が襲われる事が増えたのだ。・・次第に、我らのような兵を作らざるを得なかったのだ。」
「それが、あの大船ですか?」
「ああ、海賊なのだ。・・おそらくあの荷物も、我らか、島原の一族のものか・・いずれにしても、小舟を襲い、荷物を奪う奴らなのだ。」
「・・その兵に紛れるなどと・・」
「我らとて、すぐに戦うべきだとは思ったが、敵は尋常な数ではない。あそこに居るのはほんの一部なのだ。あちこちの島に、同じような港を作り隠れている。・・だから、我らは、この兵に紛れ、機会があれば王の首をと考えているのだ。」
隼人の将、ムサシの覚悟のほどは、理解できた。
「私も、あなた方の仲間に入れてください。・・邪馬台国の姫、伊津姫を何としても助け出さねばなりません。・・・」
「うむ、邪馬台国の姫をお救いするのは是非もない。判った。・・だが、しばらくはおとなしくせねばならない。嫌でも、王の命令には従わねばならない。できるか?」
「はい。命に代えても姫をお守りすると誓いを立てております。そのためならば・・」
「よし・・しかし、その服装ではいかん。・・我らの宿へ行こう。」
エンは、ムサシたちに加わる事になった。ムサシたちは、今は、この港の警護の役だった。周囲を見回り、怪しいやつ、漁師を捕え、奴隷にするのが仕事だった。日中は、黄色に染められた衣服と顔を覆うような網笠を被り、剣をかざして港の中をうろつくのが日課となった。

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3-1-12 バンの事情 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

12. バンの事情
球磨川を下り、不知火の海へ達したバンの一行は、河口辺りでしばらく様子を伺っていた。
伊津姫は、バンたちの動きを不思議に感じた。何かを待っているようだった。もう日暮れ近くになり、西日が波にきらきらと反射して、眩しかった。遠くに、黒い島影が見える。しばらくすると、その島影から抜け出てきたように、大きな黒い船体が現れた。伊津姫は、初めて見る大きな船に驚いた。徐々にその船は近づいてきた。バンたちは、すぐにその船に近づいた。大きな船体の中ほどにある扉が開き、船員が顔を出して、縄を投げた。バンたちは受け取った縄で小船を結わえ付けた。
「さあ、姫様、どうぞ。」
バンは、神妙な表情になって、申し訳なさそうに、伊津姫にその船に乗り込むように言った。
「大事な姫様だ、丁重にお連れするんだ!」
そう言ったのは、バンの手下だった。紺色の服を着ていて、どうやら、他の者よりも偉いのだろう。周囲に居た男たちも、深々と頭を下げ、その男を迎えた。
伊津姫がアマリを伴って大船に移ろうとすると、
「お前は乗らなくて良いんだ!」
と別の男に制止された。
「この者は、私の世話役です。駄目だと言われるなら、私も乗りませぬ。」
伊津姫はそう言ってキッと男をにらんだ。紺服の男が、その様子を見て言った。
「まあ、良いでしょう。・・どうやら、姫様はこの者がお気に入りのようですな。」
にやりと笑って、アマリの顔を覗きこんだ。
「アマリ、行きましょう。」
伊津姫は、そう言って船に乗り込んだ。
すると、紺服の男は、小船に残っているバンたちに向かってこう言った。
「バン、ご苦労だった。・・もう、ここまでで結構だ。」
「待て!伊津姫様をお連れしたのは俺だ。王に約束を果たしてもらわねば。」
そう言って、制止する者を押しのけて、船に乗り込んだ。甲板で、男たちが睨みあいになる。
紺服の男が、剣を抜いて言った。
「お前は、わかっていないようだな。・・・お前の島を襲った時、お前が人質になるからと皆殺しにだけはしなかったが、・・・邪馬台国の姫を連れてくるのは、そもそもお前が言い出したことだろう。・・だからと言って、何があるのだ?」
「王は、姫を連れてくれば、解放してくれると約束した。」
「ああ・・だから、あの小舟でどこへでも行けばよいだろう。」
「島を・・村を・・解放すると約束したはずだ。」
「さあな、お前を解放するとは言ったが、島はもはや我らの支配にある。今更、どうにもならないだろう。」
「くそ!」
バンは、腰の剣を抜いて、紺服の男に切りかかった。剣は、紺服の男の右足辺りをかすめた。
「こいつ!」
紺服の男も剣を振り下ろした。バンの右腕をざっくりと切り裂いた。
「やめなさい!もう、やめなさい。」
伊津姫は、咄嗟に、バンと紺服の男の間に分け入って制止した。
「ほう・・何と、寛大な姫様だ。・・騙してここまで連れて来た男を庇うなどとは・・」
紺服の男は剣を仕舞った。
「まあ、良いでしょう。どうせ、あの傷では長くない。ほら、その小舟に乗せてやれ。」
バンと行動をともにしていた男たちが、バンを抱えるようにして、小舟に乗った。
小舟を繋いでいた縄が切られ、船縁の扉が閉められた。
夕暮れが近づく海に、小舟は放り出された。
伊津姫とアマリは、船べりへ行き、バンたちの行方を追った。
バンたちの乗った小船は、しばらく、漂っていたが、球磨川のほとりを目指して進みはじめたようだった。
時折、バンらしき男が大船の方を見ているように思ったが、徐々に、夕闇の中で見えなくなってしまった。

大船の甲板には、漕ぎ手の男たちが、横になって体を休めていた。皆,疲れきった表情で、着衣もぼろぼろで、人間らしい扱いを受けていないようだった。おそらく不知火の海に浮かぶ島々から、奴隷として捕えられた者なのだろう。皆、恨めしそうな目で伊津姫を見た。
その脇を抜けて、先ほどの紺服の男に誘導され、伊津姫は、船室へ入れられた。
船尾にある小部屋から階段を下りると、そこには居室と思える空間があった。中は、いくつかの扉もあり、小部屋に分かれているようだった。
「ここでお待ちください。」
紺服の男は急に柔らかな態度になり、一番奥の部屋に向かって行った。
「王様、邪馬台国の姫をお連れしました。」
紺服の男が扉の前でそう告げると、扉が少し開いて、誰かが顔を見せた。
「王様は、もうお休みになられています。・・明日、朝でよいでしょう。」
顔を覗かせたのは若い女のようだった。
薄い絹衣で素肌さえ見えないが、王の夜伽の役をしているのだろうか、とても外に出られるような身なりではない。紺服の男は、そう言われて渋々引き下がった。
「・・まったく・・」
紺服の男は、ぶつぶつ言いながら戻ってきた。
「今日はもう王は休んでおられるようだ。・・・姫は、そこの部屋にお入り下さい。供の者は・・」
「この者も、同じ部屋で構いません。」
「まあ、良いでしょう。・・・食事は部屋にあるはずです。・・明日は、置いてある服に着替えて下さい。」
紺服の男は、そう言うと、右足を少し引きずるようにしながら、船室から出て行った。
部屋に入って驚いた。食台や椅子、それに寝る場所も豪華であったからだ。見たこともないような装飾があり、錦に染められた寝具、食事も美しい皿に盛られていた。ナレの村やヒムカの国とは、まったく別の世界に来てしまったようだった。
「姫様、大丈夫ですか?」
部屋に入ってその様子に驚いて立ちすくんでいた伊津姫に、アマリは声を掛けた。
「ええ・・・ここまで来たのです。これから出来る事を考えましょう。」
伊津姫とアマリは、衣服を着替え、食事を取り、その日は早々に眠る事にした。
「バンはどうしたでしょうか?」
アマリがふと口にした。
「バンも、人質になっていたのですね。・・あれだけの傷だと、命に関わるかもしれません。」
二人は、バンの背負っていた悲しい運命を知り、憎しみを消せないまま、複雑な思いにかられていた。

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3-1-13 ラシャ王 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

13. ラシャ王
翌朝、伊津姫は、船が大きく揺れるので、目覚めた。部屋にある小窓を開いてみると、船が動いているのだった。
伊津姫は、アマリを起こし、着替えると部屋を出た。昨日の、紺服の男は居なかった。階段を上がり、甲板に出ると、王と思しき男が、前方を見据えて椅子に座っていた。周囲を見回すと、同じような大船が2艘、脇を進んでいた。大船はどこかを目指して進み始めたのだった。
「お目覚めのようだな。」
王と思しき男は立ち上がり、伊津姫の前にやって来た。
「私が、ラシャだ。新しき国の王である。邪馬台国の王の血を受け継ぐ姫には、力を貸していただきたい。」
恭しく跪き、手を取ろうとした。伊津姫は、異様な態度に驚き、手を跳ね除けた。
「おやおや、この姫は、躾ができていないようだ。」
そう言いながら立ち上がり、力づくで姫の腕を掴むと、顔を近づけてきた。
「自分の置かれた立場をわかっておられぬようだな。・・・姫とは言え、そこにいる奴隷たちと変わらぬのだぞ。私の考え次第で、命を奪うこともできるのだ。・・おとなしく従うしかないのだ。」
そう言って、腕を強く握った。初老に見えるにも関わらず、恐ろしい力だった。
「さあ、おとなしく部屋に戻るのだ。・・おい、お前達、姫を部屋に連れて行け!」
その言葉に数人の男が姫を取り囲み、部屋に引き戻そうとした。
「この船はどこへ向かっているのです。」
伊津姫は、声を上げた。
「・・ほう・・気丈な姫様だ・・まあ、いいだろう。・・これより、八代に戻るのだ。・・さあ、もう良いだろう。連れて行け。」
伊津姫は、アマリとともに部屋に戻された。そして、部屋の扉には、外からつっかえ棒で出られぬようにされた。

「王様、サンウ様の船もまもなく合流されるようです。」
「うむ、万事、計画通り進んでいるようだな。・・・おお、そうだ、チョンソはどうしている?」
王の問いに、知らせに来た男は、返答に困っていた。
「よくならぬのか?」
「はい・・どうやら、バンの剣には毒が仕込んであったようです。傷は大したことはなかったのですが、毒の回りが速く、昨夜からずっと苦しんでおられます。おそらく、このままでは、明日までは持たないでしょう。」
「そうか・・・仕方ないのう。・・余りに苦しむようなら、楽にさせてやるが良かろう。」
チョンソとは、昨夜の今服の男の事であった。バンと争った時、右足にかすり傷を負ったのだったが、傷から毒が入り、もはや虫の息になっていた。
船は、不知火の海を北上して行った。

船室に閉じ込められた伊津姫とアマリは、小窓から外の様子を伺っていたが、時折、壁から漏れ聞こえる呻き声を聞いて、不気味に感じていた。昼時になり、扉が開き、食事が運ばれてきた。給仕に来た男に、呻き声の事を尋ねると、給仕の男は小さな声で「チョンソ様が苦しんでおられるのです。昨日の怪我でどうやら毒をいれてしまったようです。もう長くはないでしょう。」とだけ答えて部屋から出て行った。
二人は、その答えから、凡その事を理解した。
その後、呻き声は聞こえなくなり、数人の足音が船室の前を通りすぎた。何かを運び出しているような声も聞こえた。扉から聞き耳を立てていたアマリが、外から聞こえる話し声から、チョンソが死に、遺体を海へ流すのだと聞こえた事を伊津姫に話した。
あと少しで、陸に着くところで、船は停まったようだった。
船室の天井から、たくさんの足音が響いて聞こえた。どうやら、脇を走っていた船から、何人もが乗り込んできたようだった。甲板で、王と男たちが何かを相談しているのだろう。しばらくすると、再び、足音が響き、船が離れていくのが小窓からも見えた。

「ご機嫌はどうかな?」
夕暮れ近くになり、王が部屋にやってきた。
「明日には、八代の港に上がるぞ。・・・姫を迎える盛大な宴を開くのだ。・・多くの民が、姫を待っておるようだ。・・やはり、邪馬台国の名は侮れぬな。・・・邪馬台国の姫が我らと供にあると言うだけで、不知火の島々は、我らに従うのだからな。・・まあ、この先も、役に立ってもらわねばならぬのう。」
不敵な笑みを浮かべて、王は伊津姫の傍に来て、腕を掴んだ。
「何をしようと言うのです。」
伊津姫は、キッと睨みつけながら訊いた。
「まだ判らぬのか?・・邪馬台国の復活じゃ。お前を奉じて、邪馬台国を再びこの地に築くのだ。・・お前にとっても、それは大いなる望みであろう。」
「邪馬台国の復活?」
「ああ、そうだ。もはや、不知火にはわしにたてつく奴など居らぬ。わしは、この強大な力をもって、新しき国作りはあと一歩まで来て居る。お前を奉じ、邪馬台国とすれば、また、海の向こうの国々とも対等に付き合えるというものだ。」
「それは、邪馬台国ではありません。」
「では、どういう国なのだ?・・はるか昔、この九重の国々をまとめ、我が故郷ペクチュや、大国である魏にさえ、多くの使者を送り、この地の覇権を握った強大な国ではないか。」
「力で、人民を押さえつけるような国ではありません。」
「何を言う。民は王の物なのだ。皆、王のために働けばよいのだ。」
「違います。人々が穏やかに暮らせるようにするのが、王の役割です。支配するものではありません。」
ラシャ王は、伊津姫の言葉を苦々しい表情で聞いていた。
「ふん!・・まあ、いいだろう。いずれにしても、お前が我が手にあれば、九重の国々は、我に従うのだ。・・お前が何を言おうと関係ない。そこに居れば良いのだ。大人しくして居れ!」
王は、そう言うと不機嫌な表情のまま、部屋を出て行った。
しばらくすると、奴隷と思われる男が数人部屋に入ってきた。手には、金属の輪と鎖のついたものを持っていた。
「姫様、王の命令です。これをお付け下さい。」
そう言うと、男達は、姫とアマリを押さえつけ、足首に、その金具を取り付けた。そして、鎖の一方を船室の柱に取り付けた。伊津姫は足枷をつけられてしまったのだった。
邪馬台国の欧の血を受け継ぐものとして、邪馬台国の復活を彼岸としていたウスキの人々の顔を、伊津姫は思い出していた。そして、邪馬台国の王の血を受け継ぐものの重さを一層強く感じていたのだった。

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3-1-14 八代の港 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

14. 八代の港
 ムサシの兵に加わり、港の中をうろつく日々が続き、エンも焦り始めていた。ここへ来てから、伊津姫の消息やバンの行方はまったく耳に入って来なくなっていたからだった。
 仲間の力を借りて、周辺の小さな村まで、姫と繋がる情報は無いか調べてもらったが、それらしい一行が入ってきたという話は掴めなかった。
「球磨川を下り、もっと北か、あるいは南へ行ってしまったのだろうか・・。」
 港の桟橋から遠くを眺めていて、ふと気づいた。はるか沖合いに、港に着く舟よりもさらに大きく、見たこともない形の船が浮かんでいたのだ。すぐにエンは、ムサシを探した。
港のはずれの浜辺で、仲間たちと居た武蔵を見つけた。
「ムサシ様、あの船は?」
エンは、はるか沖合いに浮かぶ船を指差して尋ねた。
「ああ、あれは、ラシャ王の船だ。はるか海を越えてやってきた悪の張本人があそこに居る。」
ムサシは、エンが指差した船を恨みの眼差しで見ていた。
「あそこに、姫もいるのでしょうか?」
「我らがここへ来て、あの船にそうした者が乗り込んだとは聞いていないが・・・。」
「では、どこに居るのでしょう。」
「あれから、我らも探ってみたが、バンやその一味の姿はないようだ。姫様が居るならすぐに判るはずだが・・。」
「王の船はずっとあそこに?」
「いや、数日前に姿を見せた。おそらく、もっと南の、そう、球磨川の下辺りにいたのではないか?」
そう聞いて、エンは気づいた。
バンたちの小舟は、あの浜には無かった。浜で船を下りず、そのまま沖合いにいた王の船に向かったに違いない。だから、この港にバン一味の姿はないはずだ。伊津姫は、今、王の船に囚われているはずだという考えに行き着いた。
「ムサシ様、きっと、あの船に伊津姫様は囚われています。」
エンは、自分の考えを話した。
「・・おそらく、そうだろう。それなら、ここにバンの姿が無いのもつじつまが合う。」
「あの船に何とかして乗り込む事は出来ませんか?」
「・・いや・・それは無理だ。・・・小舟で近づくだけで気づかれてしまう。」
「何とか、ならないものでしょうか?」
「うーむ・・」
「この港に着く事はないのですか?」
「あの大きさでは、この浅瀬には入って来れない。行き来する小舟がある程度だ。ほら、今、戻ってきたようだ。」
その小舟には、異国のものと思える青い服を着た男が二人乗っていて、地元の漁師を船頭にしているようだった。
「あれは?」
「王の側近・・と言っても、側近はたくさん居るし、あの青服のやつらは下っ端さ。みな、似たような身なりをしていて、区別がつかないが、色で身分が決まっているようだ。白い服が一番下、俺たちの着ている黄色い服がその上、そして、青、紺、緑、朱、と定められているようだ。王は真紅の布に金色の飾り物ですぐに判る。」
船の男たちは、舟を降り、港の広場に建つ、館へ向かって行った.
しばらくすると、急に騒がしくなった。館の中から、緑や朱の服を着た男たちが飛び出してきては、どこかへ消えていく。そして、白や黄色の服を着た者を引き連れて、館へ戻ってきては、また飛び出していく。
「何か、始まるのでしょうか?」
様子を見ていた、ムサシやエンたちのところにも、朱の服を着た男がやって来た。
「おい、お前たち、近くの村から、女たちを集めて来い!」
「はい、ご主人様。しかし、何が起きたのですか?」
ムサシたちは跪き、手を胸の前で組んで尋ねた。どうやら、こうして話をするのが習慣になっているようだった。エンも慌てて同じ格好をした。
「王が、港へ上がられるそうだ。・・そう、邪馬台国の姫も伴われているようだぞ。・・宴が開かれるから、その準備をするのだ・・さあ、急いで、行くんだ。良いか、若い娘をさらってくるんだ。」
朱の服を着た男はそういうと、どこかへ消えていった。
「どうします?」
「・・ほっといてもいいだろう。・・それより、姫様の所在がわかって良かったな。」
しばらくすると、桟橋の周囲には、紺色の服を着た男たちが集まり、人壁を作った。
エンたちも、王が到着すると聞き、桟橋へやってきたものの、紺色の服の男たちの人壁に阻まれて近づく事はできなかった。
沖から、やや大きめの船がやってきて、ゆっくりと接岸すると、船の周りには大きな白布が張り巡らされた。おそらく白布の中では、王や伊津姫が船から下りてきているはずだった。白布は、そのまま広場を抜け、館まで移動した。

翌日になると、港の広場には、数百という男達が集まっていた。どこから連れて来られたのか、多くの娘たちも、給仕や酌婦、歌や踊りで、宴の場を盛り上げるためにあちこちにいた。
皆、王の登場を今か今かと待っていた。大きな銅鑼が響いた。すると、館の中から、紫の衣を纏う男が現れた。大柄で、筋骨逞しく、もみ上げから顎にかけて黒々とした髭を蓄え、ぎらぎらとした目つきで、広場に集まった人々を見下ろすようにして、立った。
「あれが、ラシャ王ですか?」
エンがムサシに尋ねると、傍にいた紺服の男が、
「馬鹿、あれは、サンウ様だろうが!・・我ら、兵の大将だ。」
男のいうとおり、大将としての凛々しさを全身で表現しているようだった。
再び、銅鑼が鳴ると、紫の錦織りの布に金色の文様が浮かび上がった服を着た、やや小柄で白く長い口髭を生やした白髪の男が現れた。両脇に若い女性に従え、ゆっくりと姿を見せた。
「あれが?」
「ああ、ラシャ王様だ。遠く、海を越え、この地に新たな国を作るためにおいでになったのだ。」
「新たな国?」
「そうだ。海の向こうにペクチュという国があって、皆、豊かに暮らしているそうだ。その国の王族の一人が、あのラシャ王様なのだ。貧しき九重の国を豊かにしてくれるのだ。」
先ほどから、エンの隣で説明している男は、すっかりラシャ王を崇めているようだった。エンには、不思議で仕方なかった。
「大いなる力をお持ちなのだ。我らには見えぬ、はるか遠くの様子が手に取るように見えるそうだ。・・そのお力で、倭国のこの地を新しき国造りの礎にする事を決められたのだ。王に従えば、豊かな暮らしができるのだ。」
男はそういうと、歓声を上げた。広場に集う男たちは皆、剣を高く掲げ、歓声を上げて王を迎えた。

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3-1-15 ラシャ王 北へ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

15. ラシャ王、北へ動く
男たちの歓声に応えるように、ラシャ王が両手を挙げた。一段と大きな歓声が沸きあがった。しばらくして、歓声が静まると、王が一歩前に進み出て、集まった男達を見下ろして言った。
「わしがラシャ王である。・・この地の新たなる国作りをいよいよ始める時が来た。皆のもの、これを見よ!」
ラシャ王の言葉に、今一度大きな銅鑼が鳴らされた。そして、両脇に男達を従えた格好で、赤く染め抜いた衣に金銀の冠で着飾った女性が現れた。
「邪馬台国の王の血を受け継ぐもの、伊津姫であーる!」
王の脇にいたサンウが太い声で叫んだ。ひときわ大きな歓声が上がった。エンは、サンウの声に驚いて、館の上を見上げた。そして、歓声を上げている男たちの間を掻き分けるように、前に進んで行った。着飾った女性は、確かに伊津姫だった。エンは、伊津姫の視線に入るように、更に前へ前へと進んで行った。エンは、じっと伊津姫の様子を伺った。
「おかしい、伊津姫の様子がおかしい。」
エンが気付いたのは、伊津姫の視線だった。何か遠くを見ているような、視線が定まらないような不安定な様子なのだ。それに、自ら立っているのではなく、大衆には気付かれないように、後ろや脇から、男たちが抱えるようにしているのだ。よく見ると、時折ふらついている。
「何か、おかしな薬でも飲まされたのではないのか?」
エンは、尋常では無い伊津姫の様子に、いてもたってもいられず、壇上へ上がろうとした。
「エン様、今は堪えてください!」
動こうとしたエンの腕を後ろから掴み、耳元で小さく言った男がいた。
その声に驚いて、エンは振り返った。
「イノ様!」
イノはそのままエンの腕を掴んで、男たちをかき分けて、薄暗い港の外れまでつれてきた。
「エン様、お久しぶりです。」
「イノ様、どうしたのです。・・早く、伊津姫を救い出さなければ・・・」
「今は、無理です。私も、数日前にここへ来ました。そして、ここの男達からいろいろと話を聞いてまいりました。・・どうやら、ラシャ王は、姫の力を利用して、九重に自らの国を作ろうとしているようです。」
「ええ、そんな事はわかっています。だからこそ、伊津姫を救い出さねば・・」
「見ての通り、伊津姫の周りには、見張り役がたくさん居ます。それに、今、姫様は薬を飲まされ朦朧としておいでです。・・もう少し、様子を見ましょう。」
「しかし・・・」
「これから、ラシャ王は、おそらく、兵を率いて北へ上る筈です。今、無理をすれば、姫様のお命にも関わるでしょう。もう少し、時を待ちましょう。いずれ、お救いできる機会はあるはずです。」
王が館の奥へ下がると、宴は盛り上がり、あちこちで歓声や唄や踊りが始まった。
エンは、イノやムサシたちと、港の外れの小さな家に戻った。
囲炉裏に火を入れた後、宴の席から取ってきた食べ物や酒を分けながら、話し合った。
「イノ様、貴方が知っている事を教えてください。」
エンが訊いた。
「はい・・私は、野坂辺りで、バンの正体を探っておりました。どうやら、バンは、不知火の小さな島の長をしていたようです。」
「それがどうして、ラシャ王の手先に?」
「ラシャ王は巨大な船をいくつも持っていて、大海を越えてきて、島々を襲っては、逆らうものを容赦なく、皆殺しにして、従えて来たようです。今では、不知火一帯はほとんどラシャ王の支配下にあります。・・バンの島も、同じように襲われたのですが・・バンが人質になることを条件に、村人を救ってくれと申し出たようです。」
「・・それで・・」
そこまで聞いていたムサシが口を開いた。
「しかし・・我ら隼人の名を語って、山の村々を襲ってのは赦せません・・。」
「隼人の名を騙ったのは、ラシャ王の臣下たちらしいです。バンは、見た目には将として率いていたようですが、その実、半分以上は、ラシャ王の臣下です。見張られていたわけです。・・それに、隼人の名を騙ったのには理由があったのです。」
「どういう事ですか?」
「クンマ一族に、隼人の悪事だと判らせて、戦にさせようとしたのです。隼人一族は、ラシャ王にとっても脅威だったようです。不知火より南の海を治める隼人一族が、クンマと戦をしていずれも弱ってくれるのがラシャ王の狙いなのです。」
「しかし、隼人もクンマも戦にならなかった・・・」
「ええ、その後、ラシャ王が、邪馬台国の姫を捕らえてくるようにとバンに命令したのです。」
「姫の存在をラシャ王は知っていたのか?」
エンが驚いて訊いた。
「ええ、そのようです。・・なんでも、千里眼とかいう力があり、遠くのものが見えるらしいのです。その力で、王になったそうですから・・・。」
「なんと・・怖ろしき男なのだ・・・・」
ムサシは、これから立ち向かうべきラシャ王の力に驚愕した。
「ラシャ王は、さっき、新しき国を作るために兵を挙げると言っていたが・・・。」
エンが訊いた。
「伊津姫様の存在を使うのです。姫を奉じて、邪馬台国を復活させると号令すれば、多くの村、国は従うと考えたのでしょう。・・戦をせずとも従う国を増やせると考えているはずです。」
「そういう事か・・・だが、そう上手く行くだろうか?」
「おそらく、無理でしょう。邪馬台国はそういう形の国ではありませんから・・・それに、この九重をまとめるには、まずは阿蘇一族を従わせねばなりません。しかし、阿蘇一族は、御山を守る民としての使命が何よりも大事です。何人たりとも、あの御山を穢す事になるなら、一族みな死ぬ事になることさえ厭わぬ者たちですから・・。」
「では・・いずれ、阿蘇一族と戦になるということだな。」
エンは、この先の定めを考えた。ムサシもじっと目を閉じて何かを考えているようだった。
「エン様、イノ様、我ら隼人一族の敵はラシャ王だと定まりました。我らは、これより、国へ戻ります。」
「国へ?」
「はい、これまでの事を、隼人一族の長に報告いたします。そして、我らは不知火の海をラシャ王の手から奪い戻します。・・ますは、それが我らの・・海を治める者の使命ですから・・。」
イノヒコも言った。
「エン様、私は、これより、クンマを抜け、ウスキへ戻ります。」
「ああ、それが良い。ウル様にもお伝えし、何か良い手はないかも聞いてきて貰いたい。」
翌朝、それぞれ八代を後にした。それと同時に、ラシャ王の使いが、港辺りを周り、港に屯する男たちに、兵になるよう触れて回った。ついに、ラシャ王の大軍が組織され、北へ向けて進軍を始めたのだった。

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3-1-16 タクマの地 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

16. タクマの地
ラシャ王の大軍は、八代から陸路を通って、宇土へ向かった。現代と違い、まだこの一帯は山際まで海が迫り、平地はほとんどが湿地や干潟になっていた。
大軍を率いるのは、大将サンウだった。サンウは、ラシャ王とともに、海を越えてやってきたが、もともと、陸兵の大将であり、船を操るより陸兵を率いるほうが得意であった。サンウの軍は、行く先々の村で、収奪と破壊を繰り返していった。

エンは、八代を出てから、サンウの軍に紛れていた。大軍の中に、ラシャ王や伊津姫の姿が無いことに気付いた時には、すでにラシャ王の船は港を出て行った後だった。いずれは、ラシャ王とサンウの軍は落ち合うはずだと信じて、兵の中でじっと息を潜めて機会を伺っていた。

一方、ラシャ王は、船団を率いて、島原を抜け、白川の河口を目指した。陸兵が到着する前に、河口辺りの村を攻め、大半を降伏させた後、八代と同様に、拠点となる港を確保していた。

サンウの軍が、宇土の地に達する事には、兵の数は八代を出た時の倍に膨れ上がっていた。抵抗し皆殺しになる事を恐れ、渋々、軍に加わった者達も多かった。兵の半数くらいは、サンウへの恨みを抱いており、夜の闇の中で、サンウを襲う相談もあちこちでされていた。しかし、何故か、そうした企みはすぐに露見し、みなの前で処刑されるのだった。もはや、抵抗する気力さえも失った者達がただ盲目的にサンウの号令に従っているのだった。

ラシャ王とサンウの軍が、白川の河口近くのタクマという地で合流したのは、もう冬になりかけた時だった。
タクマは、なだらかな丘陵地帯で、周囲の沼地とともに開墾し、農地にした事で大きな集落が広がっていた。白川からさらに支流があり、湧水群もあった。海にも通じていて、豊かな暮らしがされていた。
しかし、ある日突然、ラシャ王の大船の集団に襲われ、一夜のうちに、ほとんどの男たちは殺され、残った女、子どもが奴隷として働かされていた。
館は、ラシャ王の住居となり、伊津姫もそこに囲われたのだった。
「王様、ただいま到着いたしました。」
館の広間には、サンウが跪いて王に挨拶をした。
「予想以上に時が掛かったようだが・・・。」
「申し訳ありません。一つ一つ、村を従えるのに手間取りました。しかし、お陰で、兵は倍に増えております。」
「そうか・・・まあよい。・・さてこれからだが・・・」
「はい、王様。この地を拠点に、さらに、北、筑紫野を目指すがよいかと思いますが・・。」
「ああ・・だが、その前に、阿蘇一族を何としても従わせねばなるまい。」
「阿蘇一族は、火の山より外へは出てまいりません。筑紫野を手中にした後でもよろしいのではないですか?」
「いや・・・千里眼の力で見る限り、あの一族は新しき国作りには、障りになるのだ。・・今は大人しいが、いずれ、脅威となる。・・・何か、新しき力、強き力を得て、我らを滅ぼしに来ると見えたのだ。一刻も早く、あの一族を滅ぼすべきなのだ。」
「強き力を得る前に、一気に攻め滅ぼせという事ですか。」
「ああ、そうだ。・・・今こそ、邪馬台国の姫の威光を使うのだ。邪馬台国の姫の使者と称して、阿蘇一族の奥深くに入り込み、中から一気に滅ぼせば良かろう。戦に慣れた一族ではない。お前の力を持ってすれば、容易かろう。」
「はい。」
サンウは、深く頭を下げ、館を後にした。

到着した兵達は、村の中の家々に分かれて休んでいた。村の女達は、兵の世話のためにこき使われていた。子ども達も容赦なく、荷物を運ばされたり、体を洗わされたりした。村のあちこちで悲鳴や泣き声が響いていた。
エンは、八代を出て、サンウの兵に紛れ、ここまで来たが、途中幾度と無く、無抵抗の村人が殺められる光景を目にしてきた。何度、止めようと考えたか、しかし、姫を救うまではと悔しさと憤りを押し殺していたのだった。そして、また、ここでも同様の悲劇を目の当たりにして、もう我慢も限界になっていた。
数人の男が、若い娘をからかい、弄ぶ光景を見て、ついに我慢の糸が切れた。
「もう、止めろ!」
「何だと!」
「何だ、お前。黄服ではないか!我ら、紺服にたてつくつもりか!」
男たちは、少し酒が入っているのか、剣を大振りしながらエンに迫った。さほど強くない、エンは軽く剣をかわし、男たちの首筋を殴りつけた。難無く、男たちを倒す事ができた。
「さあ、もう大丈夫だ、早く、逃げるのだ!」
その娘は、その光景を見て、小声で言った。
「もしや、エン様では?」
名を呼ばれたエンのほうが驚いた。
「ああ、そうだが・・・」
「こちらへおいで下さい。」
その娘は、家並みの裏手にエンを案内した。通りでは、ようやく気がついた男たちが、エンの姿を探して走り回っているような様子が聞こえていた。

「私は、アマリと申します。姫様のお世話役をしております。ずっと貴方様をお探ししておりました。」
「そなたが、アマリか。若い男だと聞いていたが・・・。」
アマリは事情を説明した。そして、
「姫様は、今、館の奥に囚われておいでです。先ほど、サンウが来て、北へ向けて進軍すると言っておりました。姫様を連れ、阿蘇一族の元へ行くとの事です。」
「そうか・・やはり、阿蘇へ行くか。姫様はご無事か?」
「はい・・時が来るまでは辛抱とおっしゃって・・時々、妖しげな薬を飲ませられ、苦しんでおいでですが・・・」
「それで、これからどうすればよい?」
「姫様は、輿に乗って北へ行かれるようです。エン様、輿を担ぐ人夫に紛れて、姫様のお傍においで下さい。・・大丈夫です。・・その為の手筈は整えてあります。」
「そうか・・・しかし、どうして、俺がここに居ると知ったのだ?」
「はい、ウスキのイノヒコ様が、昨夜、館に忍び込んで参られました。」
「何?イノヒコ様が・・そうか・・それでイノヒコ様は?」
「さあ、わかりませぬ。阿蘇に向かわれたのかもしれません。」

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3-1-17 瀬田へ進軍 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

17. 瀬田へ進軍
三日ほど過ぎた日、サンウの大号令によって、大軍は阿蘇を目指し進軍を始めた。白川沿いを黄服の兵を先頭に、ゆっくりと上っていく。
早朝に先頭が出発してから、荷車に大量に剣や矢、食糧も積み込んでそれに続き、半日ほどして、ようやく、サンウの本隊が宇土を出るくらい、大軍の進行には時間を要した。この国ではかつてないほどの大軍であった。

エンは、アマリの手引きどおり、伊津姫の輿を担ぐ人夫に紛れたが、伊津姫と話し機会はなかなか訪れなかった。ただ、アマリを介して、エンが傍に居る事は伊津姫に伝えられており、この先の阿蘇に、カケルがきっと待っている事も知らされていた。

阿蘇までの道は狭く、蛇行する川を幾度も渡らねばならず、その度に大軍は手間取り、混乱を極めた。
目指す阿蘇は遥か遠く、大軍は一ヶ月かかってようやく外輪山の裾野辺りまでに到達した。もうすっかり、冬に入っていた。九重は、海岸近くは冬も温暖であるが、阿蘇まで行くと相当冷え込む。外輪山には雪も積もる事も珍しくなかった。
兵たちの多くは、不知火の海辺の生まれで、阿蘇の冬の寒さなど知る由も無く、大将サンウも承知していなかった。兵の中には、薄衣しか持たないものも多く、寒さに震えた。中には、寒さで動けなくなる者も出てくるようになった。
サンウの大軍は、阿蘇の外輪山の麓あたり、「トマキ」と呼ばれる白川の谷あいまで一度は進軍したが、冬の寒さと立ちはだかる岸壁に絶句し、立ち往生した。
さらに、兵たちの中には死者さえ出す有様となり、一旦、川を下り、白川の丘陵地「瀬田」の地に陣取った。
大きな集落もない地で、サンウの兵たちは、寒さに震えながら、周囲の森から木を切り出し、簡易の住居を設えた。
食糧も底を尽きかけており、結局、瀬田を拠点に、周囲の村から収奪を繰り返した。それでも間に合わない状態にもなり、ついには、兵は宇土を出た時の半分以下まで減っていた。残った者たちも、もはや、サンウへの忠誠心等無くなっていた。兵の中で、食糧の奪い合いさえ起きる始末で、とても戦など仕掛けられる状態にはなかった。
この状態は、すぐにも、宇土の地にいるラシャ王の知るところとなった。
「サンウともあろう者が、何たる事だ!」
王は、大将の不甲斐ない状態に激怒し、ついには、舟を降り、残った兵を引き連れて、白川を上った。

王の進軍の知らせを聞き、その日から、サンウは落ち着かなかった。
王の逆鱗に触れ、命さえ奪われるかもしれないと覚悟を決めていたのだ。
少しでも王の機嫌を取ろうと、王が滞在できるよう、立派な館を作ろうとした。しかし、忠誠心を欠いた兵たちはいっこうに動こうとしない。サンウは、逆らう者を見せしめに処刑し、力ずくで兵を動かし、どうにか館と呼べる程度のものを完成させた。

ようやく、暖かな陽射しが降り注ぐ頃に、王は到着した。
サンウの用意した館に王は入り、すぐにサンウを呼びつけた。
「サンウよ、お前には落胆させられたぞ!」
王は、これまでに無く不機嫌であった。
「申し訳ございません。しかし・・ここの寒さは予想以上で、兵たちの士気はすっかり落ちてしまいました。」
「それを食い止めるのが大将の仕事であろう。」
「はい・・・。」
「まあ、良い。大軍なくとも、阿蘇の地を落とす方法はいくらでもある。良いか、サンウ。我らがこの地へ居る事は、おそらく阿蘇一族の耳に入っているはずだ。戦支度を始めているかも知れぬ。すぐに動けば、阿蘇一族も、一層態度を硬くするにちがいない。」
「はい・・しかし・・」
「まあ、聞け。・・・今は春だ。すぐに、畑を広げ、この地で村を築くのだ。どうせ、食糧も少ない。戦に備えるためにも、まずは、この地を拠点にするのだ。そして、阿蘇の地へ踏みいる事の出来る道も造るのだ。・・阿蘇一族とて、外と通じる隠れ道を持っておるはずだ。時をかけても良い。道を見つけ、進軍する手はずを整えよ。」
「しかし、阿蘇一族が新たなる力を手に入れる前にと、仰せになりましたが・・・。」
「もはや、遅い。さきほどこの地に来て、千里眼で阿蘇一族の様子を探ってみた。すでに、新たなる力は阿蘇一族におるようだ。なかなか手ごわいようだ。恐ろしき力を持った男が、阿蘇一族についておる。まともに戦をして勝てる相手ではない。」
「それほどの力を持つ男とは・・いかほどの者なのでしょうか?」
「・・ヒムカの国を救った勇者、賢者と呼ばれておる。まだ、若いながらすばらしき知恵を持ち、時に、獣を越えた力を出す。・・名は・・・カケルと呼ばれておるようじゃ。侮ってはならん。じっくり策を考え、時をかけて攻めるしかないぞ。」

館の床下に潜み、王とサンウの会話に聞き耳を立てていたエンは、驚いた。
ラシャ王の千里眼は、まだ訪れた事のない阿蘇の様子をしっかりと掴んでいた。恐ろしき力だと改めて感じた。
ゆっくりと、その場を離れ、館の裏手から出ようとした時だった。
「何者だ!」
黒服に身を包んだ小男が、剣を構えて、そこに居た。
「怪しい奴、何をしていた!」
ここで騒ぎを起こし、素性を知られるわけにはいかない。とはいえ、このまま捕まることも出来ない。エンは、懐に忍ばせた小刀に手を掛けて身構えた。相手も、エンの腕のほどを見極めようと、ゆっくりと構え、にらみ合いとなった。
その時だった。
「うぐっ」
突然、黒服の小男の口を塞ぎ、背後から羽交い絞めする者が居た。
そして、そのまま地面に倒し、馬乗りになって、静かに胸に短剣を突き刺した。それは驚くべき素早さだった。その小男は、すぐに果てた。
「エン様、大丈夫ですか?」
小男を倒したのは、イノヒコだった。
「イノヒコ様!」
「エン様、お手伝い願いませんか・・すぐに、この男をどこかに隠さねばなりません。」
すぐに二人で男を近く似合った白布に包み、集落を出て、白川まで運んだ。遺体を川の流れに投げた。

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3-1-18 イノヒコの知らせ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

18. イノヒコの知らせ
エンとイノヒコは、白川の畔の葦の中に身を潜めた。
「あの男は何者でしょう?」
エンは、イノヒコに訊いた。
「あれは、ラシャ王の密使でしょう。」
「密使?」
「ええ、阿蘇に居た時、あの黒服の男が村の中をうろついておりまして、なにやら怪しげな動きをしておりましたので、後を追っていたら、ここへ参りました。あちこちを調べ、王に知らせる役をしているようです。ラシャ王の千里眼は、あの者達が得た話をまとめただけのことです。・・畏れる事はありません。」
「なるほど・・・」
「クンマの里を襲った男たちの中にも、同じような格好をした男がおりました。ラシャ王が放った密使でしょう。」
エンは、ラシャ王の千里眼のからくりを知り、安堵した。
「静かに!」
イノヒコが、エンに言って頭を低くした。河原に数人の足音が響いた。
葦の茂る隙間から、様子をじっと見ていると、先ほどの黒服の男と同じ格好をしている男が二人、周囲を探るような目つきでやって来た。
「さっきの男の仲間でしょう。」
「どうする?」
イノヒコはじっと男たちの動きを見ていた。そして、忍ばせていた短剣を手にした。エンも剣を構えた。しかし、二人の男は、川を下り、次第に見えなくなってしまった。
「ああいう奴らが、他にも居るのか・・・。」
「はい、きっと、瀬田の地にも、黒服ではないものの中にも、紛れているでしょう。」
「気をつけねばならないな。」
エンは、敵の真ん中に一人で居る事を改めて思い知った。

「イノヒコ様は、阿蘇から来られたと・・・」
「はい、カケル様も阿蘇に入られました。今、阿蘇一族とともに、ラシャ王の軍に備えるよう動かれています。」
「そうか・・カケルが来たのか・・・。」
エンはカケルの名を聞いて、途轍もなく安心した。姫を救い出す事も、ラシャ王を倒すことも、きっとカケルなら遣ってくれるだろう。そう思うとともに、自分の不甲斐なさを感じた。
「エン様、カケル様は今、苦労されているようです。」
「どういうことです?」
「阿蘇一族は、御山を守るのが使命。何人たりとも、阿蘇の里に入れることは無いでしょう。しかし、阿蘇より外へは決して出ません。ここに居る限り、戦は起きませんが、同時に、姫様をお救いすることもできません。」
「カケルはどうしようとしているのです?」
「阿蘇の長様と、毎日のように相談をされているようですが・・やはり、一族の掟を破るわけにはいかないようです。」
「しばらく、睨みあいが続くという事か・・・。」
「私は、もう少し、この周囲の様子を調べて参ります。・・何か、次の手を考える事ができればと・・」
「ウスキの皆はどうしています?」
「はい、エン様がおっしゃったように、万一に備えております。五ヶ瀬やシイバ、クンマの里も同様です。・・弟たちも、それぞれ別れて、様子を探っております。」
「姫様の事を心配しているのだろうな・・」
「・・ウル様と巫女様が、毎日、祈りを奉げられております。・・何か起これば、すぐに駆けつける事もあるでしょう。」
「そうか・・・私も、何か手は無いか、考えてみよう。・・カケルには、姫様はお元気だと伝えてください。」
「はい、判りました。・・それでは、参ります。」
「イノヒコ様も、ご無事で。」
エンはイノヒコを見送り、集落へ戻った。

集落に戻ったエンは、人夫の寝泊りしている宿へ戻ると、アマリを探した。
伊津姫は、相変わらず、館の奥の部屋で、足枷をつけられ囚われの身であったが、アマリは、姫の世話役として、ある程度、動き回れるようになっていた。館から出るときは、いつも白い服装をして、村の娘に紛れているのだった。
「アマリ、話がある。・・」
物陰からアマリに近づき、小声で声を掛けた。
「・・館の裏手でお待ち下さい。・・・すぐに、参ります。」
アマリは、伊津姫に頼まれたものを届けた後、すぐに、約束の場所へ向かった。
エンは、館の裏手にある小さな小屋の中で待った。しばらくして、アマリが来るとすぐに、イノヒコから聞いた話を伝えた。
「すぐに、姫に伝えてくれ。カケルが阿蘇に来ているから安心するようにと。」

アマリは、姫の部屋に入ると、エンから聞いた事を耳打ちした。
「えっ、カケルが阿蘇に?」
「ええ、そのようです。ウスキのミコト様達が、あちこちの村を回り、様子を聞き集めておられるようです。・・確かに、阿蘇にカケル様はいらっしゃるようです。」
「そう・・・それならば、この先、もう少しの辛抱ですね。カケルが居るならきっと大丈夫。」
「私も、カケル様にお会いしたいです。エン様も、伊津姫様も、カケル様のお名を聞いただけで、随分お元気になられました。・・やはり、それほど凄いお方なのですね。」
「ええ・・・幼い時から、ずっと私はカケルの背中を追いかけてきました。・・いつも守ってくれました。本当に、兄のような、父のような、とても大きな存在なのです。」

伊津姫は、囚われている部屋にわずかに空いている小窓から見える、青空に視線を遣りながら、遠く阿蘇の地にいるカケルに想いを馳せていた。

ラシャ王と阿蘇一族、カケルの対決の日が次第に近づいていた。

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3-2-1 カケル ウスキへ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

1. カケル、ウスキへ戻る
五ヶ瀬の里を抜け、カケルとアスカがウスキに到着したのは、伊津姫たちがクンマの里へ向かってから、一年近く経ってからだった。
五ヶ瀬川の谷あいの道を、ウスキを目指していくと、ウスキの西側に、砦が出来ている事に気づいた。中に数人の若い男がいるのも判った。
カケルとアスカが、砦に近づくと、中から弓を持って、男たちが飛び出してきた。
「どこへ行くつもりだ!」
「ここから先はウスキの里だ、用のない者は入れぬ!」
カケルに比べれば、背丈も小さくひ弱な体つき、構えた弓もぶるぶると震えているようだった。
カケルが、村を出てから3年近くが経っている。カケルがいた頃には、まだ幼子だったに違いない。必死で村を守ろうとしているのが健気で切ない。
「私の名は、カケルと言う。こっちは、アスカ。・・すまないが、伊津姫様に合わせていただきたい。」
「何?伊津姫様に?・・駄目だ!会わせられぬ。」
事情が飲み込めず、仕方なく、カケルは言った。
「それならば、巫女様か・・エン・・いや、エン様でも良い。呼んで来てくれぬか?」
「駄目だ、帰れ!帰らぬと命を落とす事になるぞ!」
脅す声も震えている。
「・・困ったな・・・どうしても駄目か?」
「駄目だ、ここからは、誰も入れるなと、キイリ様に言われているのだ!」
「・・誰でも良い・・・とにかく、カケルが戻ったと村に伝えてきてくれぬか?」
そう言って、カケルは、その場に座り込んだ。そして、土下座をして頼んだ。
その様子に、男たちは顔をお集めてひそひそと話し始めた。そして、
「判った・・とりあえず、そう言って来よう。だが、ここから一歩も動くんじゃないぞ!」
そう言った若い男が、村に向かって走っていった。
カケルは、顔を上げて剣や弓を下ろし、大の字になって寝転がった。アスカは、そんなカケルの仕草が可笑しくて、笑い出してしまった。
「こら、女、何が可笑しい!静かにそこに座っておれ!」
そう言われ、アスカもカケルの脇に座り込んだ。
「アスカ、こうして寝転がってみろ!気持ちいいぞ!」
アスカもそう言われて横になった。目の前に、雲ひとつ無い青空が広がっていた。

しばらくすると、西の砦に向かって、たくさんの足音が響いてきた。わあわあと何か叫ぶ声も聞こえてきた。西の砦で、カケルたちを見張っていた若い男たちも、その様子が尋常出ないことに気づいた。
たくさんの人が走ってくる。その先頭を、水守のマナが走っている。着物の裾がめくれるのも気にせず、一目散に駆けてきたのだ。
カケルは、その様子に気づいて、むくりと起き上がった。
「ああ・・大騒ぎになったな・・・さあ、どうする?」
そう言って、頭を掻いた。
「カケル様ーーー!」
里中に響き渡るような大きな声を出して、マナは駆けてきた。そして、カケルの姿を見つけるとそのまま突進して、カケルに抱きついた。その光景は、カケルがモシオの村へ到着した際の、アスカとそっくりだった。
「おい、おい、マナ、もう良いだろう。」
カケルは、首に巻きついていたマナの手を優しく解くと、マナの肩に手を置いて、じっと顔を覗きこんだ。そして、ニコリと笑ってから言った。
「マナ、随分大きくなったな。何だか、綺麗になって・・もう、立派な娘だな。」
その言葉に、マナは急に恥ずかしくなり、真っ赤な顔になった。
カケルの脇では、アスカがそっと微笑んでいた。
「カケル様、、カケル様、本当に、カケル様だ!」
「ご無事でよかった。」
「お帰りなさいませ。」
マナの後を追うように駆けてきた村人たちも、次々に、カケルと取り巻いて帰還を喜んだ。
西の砦で、カケル達を足止めさせた若者たちは、一体何がおきているのか判らず、ぽかんとした表情で見ていた。
「さあ、館へ。お疲れでしょう、さあさあ。」
皆に囲まれるようにしながら、カケルとアスカは、館へ向かった。
「あの方は一体?」
その様子を見送っていた若者の一人が呟くと、マナがキツイ口調で言った。
「あの方は、カケル様。この村を救ってくださった大事なお方なの!貴方たちも、小さい頃にお会いしているはずよ?覚えていないの!」
若者たちは、その言葉を聞いて、記憶を辿り、一人の若者が「あっ」と声を上げた。
「あ・・そうか・・あの弓比べで・・鳥を打ち抜いて・・」
そこまで言うと、もう一人の若者も、
「ああ。思い出した・・・そうだ、マナの泉を見つけてくれた人だ!」
「もう、何。今になって思い出すなんて!」
マナは呆れ顔でそう言った。
「でもさ。あの女の人は誰だ?」
カケルの横にぴたりとくっついて、歩いていく後姿。マナも、カケルに抱きついた後、脇で優しく微笑む女性を気にしていた。
「・・ウル様が話していた、女神様か?」
「ああ、きっとそうだ。あんなに美しい女の人を初めて見たよな。」
「きっと、カケル様のお嫁様なんだろうなあ。」
そうはしゃぐ若者たちの横で、マナはキッと若者たちを睨んだ。
「そんなわけない!」
マナはそういうと、村人とともに館へ駆けていった。

館に着いたカケルとアスカは、巫女の出迎えを受けた。
「遅くなりましたが・・戻りました。皆さん、お元気そうで・・」
カケルとアスカは、巫女の前に跪き挨拶をした。
「良くご無事でお戻りくださいました。・・ええ、貴方のおかげで、村は豊かになり皆元気に暮らしております。」
3年ぶりの帰還、前にもまして逞しくなったカケルの姿を目の当たりにして、巫女は涙ぐみながら迎えた。
「さあ、館の中でお休みください。」
カケルは、村の周囲を見渡し、誰かを探しているようだった。館の広間には、カケルの帰還を祝うための食べ物や酒が並んだ。主だった村人も、広間に入った。

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3-2-2 伊津姫 不在 3-2-3 アスカとマナ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

2. 伊津姫不在
「伊津姫様は?」
館の広間に集まった皆を見て、カケルは訊いた。皆、どう答えようかと顔を見合わせた。
「エンも見えないが、どうしたのです?」
再び、カケルが訊いた。巫女が答えた。
「申し訳ありません。・・伊津姫様は、エン様とともに、クンマの里へ向かわれました。・・お止めしたのですが・・クンマの里を救わねばとおっしゃられて・・」
巫女は、クンマから姫とムサが訪れ、伊津姫に助けを求めた事の次第を話した。
じっと聞いていた、カケルは頷いた。
「・・そうですか。・・五ヶ瀬で、火の国に何か異変が起きたとは耳にしたのですが・・やはり、そうでしたか。・・・エンもともに居るのですね?」
「はい、姫を守るのが自分の役目だとおっしゃって。」
「それなら、大丈夫でしょう。きっと無事にお守りしているでしょう。・・それで、いつごろ、ここを発たれたのでしょう。」
「ちょうど、ひと月ほどになります。そろそろ、何か知らせがあっても良いころなのですが・・・」
村の者たちは、言葉に出さないが、伊津姫がウスキを出てから、毎日、無事の知らせを待っていたのだった。皆が沈んだ表情になったのに気づいたカケルが言った。
「きっと大丈夫です。エンが傍にいるのです。私も、すぐにでも伊津姫の後を追います。皆が心配している事は判りました。きっと大丈夫です。」
その言葉に、村の者たちも、巫女も、心強く感じ、表情も明るくなった。
「さあ、せっかく、こんなに用意していただいたのです。私も、長い道中、腹も減っています。食べましょう。」
カケルは、目の前の鶏肉を掴むと、大きな口を開けて噛み付いた。しかし、一度に口に入れすぎたのか、咽てしまった。
「まあ、これは大変!」
広間に笑い声が響いた。
「ところで・・・隣にいらっしゃるのは・・・?」」
巫女が今更とは思いつつも訊いた。
「ああ・・紹介していなかったですね。・・」
そう言って、チラリとアスカの顔を見た。すると、アスカが立ち上がり、皆を見回してから、
「アスカです。・・モシオに居たのですが、カケル様とともにあちこち回っておりました。どうぞ、よろしくお願いします。」
アスカは、ペコリと頭を下げた。
「ウル様が以前にどこかでお聞きになった、女神様と呼ばれる方がいると・・貴女でしたか。」
「女神などと・・私はそういうものでは在りません。」
村の男たちがそれを聞いて、
「いや・・女神様だ。・・伊津姫様に負けぬくらい、いや、伊津姫様よりも美しいかも知れぬ。」
「いや・・伊津姫様のほうがお綺麗だぞ!」
「まあ、いいじゃないですか。」
カケルは、アスカが真っ赤になって照れている様子を察して、止めた。

しばらくは、カケルは、モシオでのタロヒコとの戦いの様子や、ヒムカの国の村々の様子などを皆に話して聞かせた。皆、身を乗り出して、カケルの話に聞き入った。
「タロヒコは恐ろしき力を持っていました。モシオの皆も力を尽くして戦いましたが、手ごわかった。・・命の無い者を相手にする事は、得体の知れぬ恐ろしさがありました。」
「それでも・・カケル様はお倒しになった・・」
「私の力だけではありません。アスカが傍に居てくれたおかげなのです。私一人では、おそらく、タロヒコに殺されていたでしょう。」
「その後、ヒムカの村々を回られていたのでしょう?」
「ええ、随分、いろんなところに行きました。タロヒコのせいで、痛めつけられた人々があちこちにいらっしゃいましたから・・・。」
「それほど酷い事が・・」
「ええ、海岸に近い村は酷い有様でした。・・怪我や病に喘いでいる人も多くて・・・アスカは、病気を治す力があるようなのです。アスカが看病すると、たちまち元気になると・・皆、驚いておりました。」
「我らにも出来る事があるならば、また、いつでも協力いたしましょう。」
「そうですね。米をまた、海岸の村へ運んでくださると嬉しいですね。そうそう、キイリ様、キムリ様、キトリ様も随分ご活躍されました。皆、感謝しておりました。」
「米を運んで、喜ばれるのなら、いつでも。」
「アスカも、畑仕事が上手いんですよ。種まきは誰よりも早くて、綺麗にできる。最初は、教えておりましたが、次第に教わるようになりました。」
カケルは、アスカが居てくれた事でどれだけ助かったかと、話の端々に散りばめた。ヒムカの村を回りながら、驚くほど次々に教える事を覚え、今では、カケル以上に薬草の事、病気の事、山々の事を知っている事を話した。

「カケル様からは、幾度もウスキのお話をお聞きしました。山間に在りながら、皆さんが寄り添って穏やかに暮らしておられると・・ここへ来て、もっともっと素晴らしいところだと感じました。」
その言葉を聞いて、カケルも続けた。
「ウスキは、随分、豊かになったようですね。・・あの砦にいた若者たちも、熱心だった。・・力を合わせて村を守り、暮らしを守っているのが良く判りました。ここはもう大丈夫ですね。」
カケルは巫女に言った。
「ええ、田畑の水が枯れることなく、毎年豊かな実りをもたらしてくれます。皆、この村を大事に思っているのです。・・そうそう、マナが毎日、水守の仕事を熱心にやってくれるからです。本当に一生懸命にやってます。カケル様、マナを褒めてやってください。」
巫女がそう答えて、マナを見た。カケルが、マナに、
「マナ、よく頑張ったな。これからもしっかり頼むぞ。」
そう言ったが、何だか、マナは不機嫌だった。
「どうした?マナ。」
マナは、じっと下を向いたまま、絞り出すような声で言った。
「・・カケル様・・その・・アスカ様は・・」
「どうした?よく聞こえないが・・」
「アスカ様は、カケル様のお嫁様になられるのですか!」
マナの顔は真っ赤になっていた。怒っているのか、恥ずかしいのか、よくわからない表情で言った。そう言ってから、マナは涙が零れた。
「おい、マナ!」
カケルは、マナの表情に困惑し、何を答えてよいのかわからず、黙っていた。マナは、立ち上がり、外へ飛び出していった。

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3.アスカとマナ
館を飛び出していったマナの後を追って、アスカも館を出た。
マナは、神川の畔を走って、泉へ向かった。いつも、ここでカケルの帰りを待っていた。
マナは、膝を抱えた格好で顔を伏せて、座っていた。アスカは、マナを見つけると静かに近寄って、同じように腰を下ろした。
「綺麗な泉ね。」
アスカは一言そう言って、しばらく、黙ったまま、泉から湧き出す水を眺めていた。
「この泉、マナさんがカケル様と一緒に見つけたのでしょう?カケル様が話してくださったのよ。とても利口で、勇気があって、一生懸命生きてる女の子が、ウスキに居るんだって。」
マナは、顔を膝に埋めたまま、アスカの言葉を聞いていた。
「思ったとおりの可愛い女の子だった。」
さらさらと静かな音を立てて流れている神川の畔は、時折、鳥の鳴き声が響いていた。
しばらくしてから、アスカが口を開いた。
「ねえ、マナさん。貴方がカケル様に会ったのは幾つの時だったの?」
マナは顔を伏せたまま、答えようとしなかった。
「私は、まだ九つだったかしら。・・モシオの村を救って下さった時だったわ。村人が皆、怖い思いをしていた時、突然現れて、悪い奴らを退治してくださった・・・命の恩人だった。」
マナは、少し顔を上げて、アスカのほうを見た。
「幼かった私は、とてもカケル様に、近づく事などできなかった。神様みたいだったもの。」
マナも、カケルとの出会いを思い出して、顔を向け、アスカの話を聞き始めた。
「私は、塩焼き小屋に居たの。朝、目覚めると、火を起こし、塩釜に海の水を運んで、煮詰め、海草に浸し塩を作る仕事・・・日暮れまで、ずっと、そこに居た。一緒に働いているのは、お婆様達でね。ほとんど、話をすることも無かった。でも、それで良かったのよ。そういうものだと思っていた。」
マナは、アスカの生い立ちはまったく知らなかった。
透き通るような白い肌、円らな瞳、まっすぐ伸びた手足、長い黒髪を一つに束ねた姿は、自分とは正反対で、どこかの村の姫様なのだろうとマナは思っていた。しかし、アスカの話はまったく違っていた。
「・・毎日、塩を作って、いずれ歳をとって、死んでいく。そんなものだと思っていた。」
「そんな・・・」
マナは、アスカの話を聞いてようやく声をだした。
「そんな・・カケル様や伊津姫様は、いつもおっしゃてた。誰も、生きる役目があるって・・私だって、水守の仕事をやって、村の皆のお役に立てると思ってるわ。アスカ様だって、塩を作って、みんなの役に立っていたのでしょう?」
「そうね・・でもね・私は・・そうじゃないって、その頃思っていたの。私ね、モシオで生まれたのではないのよ。まだ、赤子の時、ひとり船に乗って、モシオに流れ着いたの。父様や母様を知らない、自分がどこの国の人間かもわからない。・・きっと、この世に生まれるべきではなかったのだって、思っていたのよ。」
アスカの生い立ちを聞いて、マナは言った。
「私も、生きていたくないって思ってた。父様が水守の仕事をしくじって、どこかに居なくなった後、村の人は皆私や母様に厳しかった。母様は、必死で父様を探したし、水守の仕事も引き継いでやっていたけど・・・ちゃんと水が田畑に届かず、皆からいつも厳しく見られていた・だから、もうこんな村に居たくないって思っていたの。でも、カケル様が、泉を見つけてくれて・・今、こんなに豊かな村になったし、私も村の役に立っている・・生きていても良いんだって思えるようになったわ。だから、カケル様は私の命の恩人。」
「そう・・カケル様は、私にも声を掛けてくれた。仕事の大変さを労ってくれてね。その日から、私はカケル様にくっついてた。・・・モシオの村に砦を築き、高い高い物見櫓を建てたの。私、一番に櫓に登ったわ。遠く遠く、海の向こうまで見えそうだった。私の生まれたところは何処だろうって・・そしたら、カケル様、物見の仕事を私にやらせてくれるように長様に頼んでくださったわ。私、ようやく、村の役に立てるような気がしたのよ。」
マナは、改めてカケルの優しさの深さを感じていた。
アスカが、くすっと笑ってから言った。
「私ね、カケル様が村を離れる時、迎えに来てってお願いしたの。」
マナはおどろいた。飛鳥はそんなマナの表情を見て、
「びっくりでしょう?今から思うと何てことお願いしたんだろうって・・」
「それで?」
「カケル様は、あっさり迎えに来るって約束してくださったの。・・でも、村の皆は、そんな約束など叶わない事だって馬鹿にしてたわ。私も、そんな約束、幼い私の気持ちを汲んで、言ってくれただけだって思っていたけど・・でも・・ひょっとしたらって毎日毎日、モシオの村で待っていたのよ。そしたら、あの日、タロヒコから村を守るために、またおいでになった。私、嬉しくって・・今日の貴女のように、飛びついて・・・」
マナは、西の砦に欠けるを迎えに行った時のことを思い出して、恥ずかしくなった。
「今日、マナさんを見て、私とおんなじだって思った。貴女も、カケル様のことが大好きなんでしょう。きっと、私以上にカケル様を想っているかもしれないわね。」
そう言って、アスカはマナの顔を見た。マナは、そんなアスカを見て、やはりカケル様のお嫁さんになるのかと嫉妬心が湧いてきた。
「マナさん、安心して。私はカケル様が大好きだけど・・・カケル様は別の方を想っていらっしゃるの。ずっと傍に居たからわかるのよ。」
アスカが、急に寂しそうな表情になった。マナもその言葉の意味が判った。
「・・伊津姫様?・・」
アスカはこくりと頷いた。今にも涙が零れそうな表情になっていた。
「お傍に居て、こんなにもカケル様のことを想っているのに・・カケル様の心の中には、いつもいつも・・伊津姫様がいらっしゃる。・・」
その言葉はもう堪えきれない悲しみに満ちていた。
「・・お辛いでしょうね・・・。」
マナは、じっとアスカを見ていた。アスカは、涙を堪え、顔を上げて言った。
「ごめんなさいね・・マナさん。・・・きっと伊津姫様には叶わない・・・」
「わかったわ。・・もう、変な事は言わない。でも、お傍に居られる貴女が羨ましい・・」
「いつまで、お傍に居られるか、わからないけどね・・・」
再び、アスカは不安な表情になった。
「・・決めた、たった今から、私は貴女の味方になるわ。」
「ほんと?」
二人は顔を見合わせ、手を繋いで、お互いの気持ちを確かめ合った。
「じゃあ、館へ戻りましょう。私、お腹ペコペコだもの・・」
「私も・・」

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3-2-4 峠越え [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

4. 峠越え
夜になり、カケルは、以前に使っていた家を再び使うことにした。巫女たちは、館を使えばよいと言ってくれたのだが、落ち着かないのでと断って、アスカをつれて家に入った。留守中も、時々掃除をしていてくれたようで、すぐに使えた。
カケルは、囲炉裏に火を入れてから、藁積みの寝床に横たわった。アスカは、囲炉裏端に座って火の加減を見ていた。
「どうだ?アスカ、この村は?」
「ええ・・とても素敵なところ。皆、温かい人ばかりで・・・少し、モシオと似ている。」
「ここは、長い間、邪馬台国の王族がずっと息を潜めて生きてきた村。私がここへ来た時には、みな押し黙ったように外の世界と縁を切って生きていたんだ。・・随分、変わった。みな、明るくなって、幸せそうだ。」
「伊津姫様が居らしてから、変わったんでしょう?」
「ああ、そうだ。伊津姫様は、この村の太陽みたいなものだった。」
「どうするの?伊津姫様をお救いに行くんでしょう?」
「ああ、だが、エンもお傍にいるはずだ。無事に戻ってこられるのを待つしかないか・・それとも、一度、クンマの里へ向かってみるか・・・どうしたものか。・・・」
カケルは、ここまでの疲れが一気に出てしまった様で、そう言いながら眠ってしまった。アスカは、カケルの寝顔を見つめた。

翌朝、カケルとアスカは、マナに案内を頼んで、村の中を見て回った。皆、熱心に畑仕事をしていた。若者たちは、猩猩の森で狩りをしているようだった。
昼を回った頃だった。西の砦から、館へ知らせが届いた。伊津姫たちとともに、クンマの里へ向かったキトリが戻ってきたのだった。カケルたちは急いで、館へ向かった。

キトリは、夜どおし、山道を駆けてきたのだろう。疲れ果てて館の広間に寝かされていた。カケル達が館に着くと、キトリは驚いた様子で、起き上がってカケルを迎えた。
「カケル様・・・申し訳ありません・・本当に・・申し訳ありません・・・」
キトリはそう言い、泣き続けた。何があったのかと巫女に訊くと、巫女も悲しげな表情で口を開けなかった。
「一体、どうしたのだ?伊津姫様に何かあったのか?」
キトリはようやく落ち着き、クンマの里で起きた事の一部始終をカケルに話した。

「そうか・・伊津姫様らしいな・・・しかし、バンという男、どういう素性なのだ?」
「さあ・・今、イノヒコ様達が、方々へ歩いて調べていらっしゃいますが・・。」
「球磨川を下り、八代へ向かったのは間違いないのだろうな?」
「はい。しかし、その先は判りません。ただ、九重を支配するというのですから・・相当の兵力を持っているのかもしれません。クンマの里も備えをしています。」
「九重を支配する等とは・・・その為に、邪馬台国の姫を奉じるというのか!」
そこまで聞いていた巫女が口を開いた。
「九重を支配するには、まず、火の国を手中にしなければなりません。きっと、阿蘇一族とぶつかるはずです。・・火の国は、クンマ一族と阿蘇一族とで協力して治めていたのです。国が乱れることを阿蘇一族は許さないはずです。」
「阿蘇一族?」
「ええ、祖母山を越えた先に、阿蘇の御山があります。御山を守る民が阿蘇一族です。気高き一族です。神代の頃から、その地を治め、他から侵される事を嫌います。我らの祖先が、筑紫野より、逃れた時、一度、阿蘇へ入りましたが、そこで暮らす事は許されませんでした。例え、邪馬台国の王と言えども、他の者を入れることは許されぬ事なのです。・・バンとかいう男が、伊津姫様を立てて、阿蘇へ向かうとしても、おそらく阿蘇一族は命を掛けた戦を選ぶでしょう。そうなれば、伊津姫様にも危険が及ぶことになります。」
巫女は知りうる事をみな話した。
「どうします?」
館に集まっていた村人は、不安な面持ちで、カケルの判断を待った。
カケルはじっと眼を閉じて考えた。そして、目を開け、村人の顔を見回して言った。
「まずは、この村の備えをしっかりしましょう。・・何が起こるかわからない。しっかり蓄えることと、川下の村とできるだけ連絡を取りましょう。」
「戦支度は?」
「いえ、必要ないでしょう。私は、阿蘇へ行きます。そして、戦にならぬよう阿蘇一族と話をします。戦をせず、バンたちの動きを封じる方法があるはずです。そして、伊津姫様を救い出します。・・エンも傍にいるのです。大丈夫です。」
村人たちは、カケルの言葉をしっかり受け止めたようだった。
「巫女様、巫女様のお力で何か見えませぬか?」
カケルは巫女に尋ねた。巫女は首を振った。
「この村に起きる事ならば、見えるのでしょうが・・遠い地の事は・・・ですが、カケル様が言われるとおり、この地に災いが及ぶことはありません。今は、しっかり日々の仕事に精を出すことです。」
巫女の言葉は、村人を一層落ち着けることになった。
「ならば、私は、明日にでも阿蘇へ向かいましょう。」
マナはその言葉を聞いて、反射的に言った。
「アスカ様もご一緒に?」
カケルは、マナの真意が良く判らなかったが、その問いに答えた。
「アスカもつれてまいります。・・皆さんにはまだお話していませんでしたが・・・」
そう言って、傍にいたアスカのほうを見てから、確認するような目線を送ってから言った。
「私がタロヒコを倒したのは、アスカの力があったからなのです。・・皆さんも知っているように、私は時に獣のような力を持つ事があります。」
村人たちは、洞窟での一件を思い出していた。
「あの力を使う時、私は命を削るほどの辛い思いをします。・・その時、アスカが私の体を特別な力で癒してくれたのです。きっと、アスカと私は特別な縁で繋がっているのだと思っています。・・阿蘇一族もそう容易く協力してくれるとは限りません。もしも、またあの力を使わざるを得ない時、アスカが居てくれないと困るのです。」
アスカは、カケルが自分を必要としてくれている事を皆の前で話したのは初めて聞いた。
長くともに居るが、モシオの村を出ようと決めた時以来、そんな話をするカケルを見たのは初めてだった。アスカは涙が零れた。
「キトリ様、途中までの道案内をお願いします。」
カケルとアスカは、翌朝には旅支度をして、キトリの道案内で、五ヶ瀬川の支流沿いに山深く進み、阿蘇へ向かった。

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3-2-5 タツルとの出会い [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

5.タツルとの出会い
幾つかの峠を越え、二日目の昼には、御成山の麓に到着できた。
「この先の峠を越えると、阿蘇一族の地です。」
「キトリ様、ここまでありがとうございました。ここからは二人で参ります。」
「私もまだ足を踏み入れた事のないところです。ウル様のお話では、峠を折りたところに、一つ集落があるそうです。ですが、阿蘇一族は、御山の北に住んでいるそうです。南側から回り込むか、東の山あいを抜けていくか、いずれにしても、まだまだ先です。どうか、お気をつけて。」
「ウスキの皆様によろしくお伝え下さい。」
カケルとアスカは、キトリと別れて、峠に向かった。
「アスカ、大丈夫か?まだまだ遠いぞ。」
「大丈夫です。今までも、長い長い山道をこうやって歩いてきましたから。」
御成山の峠に着いた時には、もう日が傾いていた。山あいは日暮れには獣も襲ってくる。二人は、木々の中にある小さな穴に身を寄せて朝を迎えた。峠を一気に下り始めると、眼前に、阿蘇の御山が見えた。
「御山が煙を吐いてる。」
アスカは、木々の間から時折見える御山に、感動した。御山の周りには、緑の草原が広がり、、行く筋もの川の流れが見えた。最後の急斜面を下ったところに、小さな集落があった。
しかし、人影がまったく無く、家の中を覗いてみると、埃が積もり、しばらく誰も住んでいない様子だった。水飲み場だったあたりには、土砂が崩れた跡もあった。
「大雨か何かでここには住めなくなったようだな。」
「これからどうしましょう。」
「もう日暮れになる。今日はここで休んでいこう。」
カケルは、誰も居ない集落の中の一軒に入り、体を休める場所を設えた。その日は、そこで過ごす事にした。
翌朝目覚めた二人は、これからの行き先を相談した。
「キトリ様の話では、南側から回っていくか、山あいを抜けていくかと言っていたが・・。」
「きっとどこか近くに村があるはずよね?」
「ああ、きっとあるはずだ。よし、南側を回っていこう。御山の周りの様子を知っておく事も良いだろう。・・バンたちがやってくるのも、西からだ。そちらをみて行こう。」
二人は、なだらかな草原が続く中を歩いていく事にした。しばらく歩いていくと、低い木立の森が見えた。森からは細い川が行く筋も流れ出ていた。それらが合流したやや大きな川に沿って、歩いていった。
すぐに集落が見えてきた。だが、そこも誰一人住んで居なかった。さらに西へ進んだ。次の集落も、同じようにひと一人いない。
「何だか、変だな。これだけの集落で、誰一人居ないなんて。」
「何か、あったのかしら?」
遠くには、阿蘇の御山が、煙を噴き続けていた。昨日よりも、少し噴煙は黒く、高くまで上がっているようだった。
「いつも、御山は煙を噴いているのかしら?」
二人はさらに歩いて、阿蘇の御山がちょうど東に見える辺りまで辿り着いていた。
「少し、疲れたか?」
カケルがアスカを気遣った。
「大丈夫。それよりも、これだけの大地で誰にも会わないなんて、一体、どうしたのでしょう。」
「うむ、少し変だな。・・巫女様の話では、阿蘇一族は随分大きな村を作っているようなのだが・・」
そう話していた二人の目の前に、茶色の大きなものが立ちはだかった。
「お前達は何者だ!」
声は、頭の上から聞こえてくる。見あげると、大きな馬にまたがった男が二人を睨みつけていた。馬上の男は、全身に獣の皮を纏い、髪は黒くもじゃもじゃで、顔も髭で覆われていた。目だけが輝いて、まるで、野人のようだった。
カケルは咄嗟に腰の剣に手をかけた。男は、ひょいっと馬から降りて、二人の前に立った。
「何処から来た?」
男は、カケルが剣に手をかけている事など気にもしていない様子で、尋ねた。
「御山が煙を吐いている時は、風下に居てはならない。そんな事も知らないようだから、この辺りのものでは無いだろう?・・何処から来た?」
カケルを制して、アスカが答えた。
「私達は、ヒムカの国ウスキの村より参りました。」
「ほう・・まだ幼い娘のようだがきちんと話が出来るようだな。・・ウスキから来たとな?」
「はい、御成山を越えて参りました。阿蘇一族の方にお会いしたくて来たのです。」
「御成山を越えてきたというのか?正気ではないな。この時期、御山の南は、怖ろしき毒気が漂い、ほんの僅かにそれに触れると死んでしまうのだぞ。・・よく、無事でここまで来れたものだ。・・名はなんと言う。」
「私は、アスカ。そして、こちらはカケル様です。」
「・・カケル?・・まさか、あのタロヒコを倒したという賢者、カケルか?」
そう言われて、カケルは剣から手を離し、男に一礼をした。そして改めて名乗った。
「私は、ナレの生まれ、カケルと申します。タロヒコを倒したのは確かですが・・賢者などではありません。未だ、アスカケの身、己の生きる意味を探しております。・・貴方様は?」
「ああ、済まぬ、俺は、タツルというのだ。今日は、御山がいつもよりお怒りの様子で、辺りを見回っていたのだ。・・やはり、お前達が居たのだな。御山はよそ者が足を踏み入れると、機嫌が悪くなる。・・そうそうに、阿蘇から出てもらいたい。・・ここから川に沿い進めば、立野という村に出る。そこまで行けばだいじょうぶだろう。さあ、早く立ち去れ!」
「いえ・・我らは、阿蘇一族の長にどうしてもお会いしたいのです。いや、お会いせねばなりません。ここで立ち去るわけには行きません。・・どうか、一族の皆さんの下へお連れ下さい。」
タツルは、腕組みをしたまま、カケルとアスカをじっと見て、少し考えていた。そして、
「長に会いたいというのか?・・一体、どういう用件だ?」
「いえ、それは長様にお会いした時にお話いたします。」
カケルはきっぱりと答えた。用件を伝えるには少し込み入った話になる。取り違えられれば、さらに困った事態になるだろうと考えたのだった。
「困ったな。・・大体、我ら一族の事をお前はどれくらい知っているのだ?」
そう言われて、カケルも答えに困った。
「・・御山をお守りする気高き一族であると聞いております。・・それ以上は・・」
「長がどういう人物かも知らぬのか?」
「はい、ですが、気高き一族の長なれば、会いたいと申す者をむべもなく反したりはしないと信じております。」
「そうか。わかった、ならば、一つ試してみよう。」
そう言って、タツルが大きく指笛を鳴らした。

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3-2-6 馬を駆る [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

6.馬を駆る
タツルの指笛は、谷に木魂した。やがて、どこからか5,6頭の馬が駆けてきた。黒く光ったものや、白い毛並みの馬も混ざっていた。1頭の茶色の毛並みの馬は、タツルに近づいてきて、鼻をタツルに摺り寄せてきた。
「よし、よくやった。」
タツルは馬の鼻を撫でてやりながら、カケルに向かって言った。
「今、こいつが谷に居る仲間を連れてきた。我ら一族と会うためには、こいつに乗れなければならぬ。お前が、こいつらのどれでも良い、ちゃんと乗りこなせれば、村へ案内しよう。お前は、賢者としてわが一族でも名前は知られて居る。本物のカケル様であれば、これくらい造作も無いだろう。さあ、やってみろ!」
タツルはそう言うと、茶色の馬にひらりと飛び乗って、カケルの様子を見ている。
カケルは戸惑いを隠しきれない。馬に乗るなど、見たこともやったこともない。いや、そればかりか、馬を間近で見るのさえ、初めてであった。
「さあ、どうだ?」
タツルは、いっそう挑戦的な目でカケルを見た。アスカも、心配そうにカケルを見守った。
カケルは決意して、馬を捕らえようと馬に駆け寄った。しかし、馬達は、一斉に走り出し、少し離れた場所に行き止った。再びかけるが走り寄るとまた逃げた。しばらくそうやって追いかけっこが続いた。
「どうした!馬を捕らえねば、乗る事など出来ぬぞ!」
タツルは、カケルを馬鹿にしたように言う。その時だった。カケルの腰に挿した剣がきらりと光った。カケルはそれに気付いた。そして、タツルを見ると、アスカに言った。
「アスカ、しばらくこれを預かってくれ!」
そう言うと、剣を外し、アスカに放り投げた。アスカはそれを拾い上げ、大事に抱きかかえた。それからカケルはその場に立ち、両手を広げた。
「どうした?もう諦めるか?」
タツルがそう言うのと同じくらいに、一頭の白い馬が、そっとカケルに近づいてきて、静かにカケルの脇に立った。カケルは、そっと手を上げて、馬の胴体に触れた。白馬は、ぶるっと一度身を震わせたが、その場で静かに立ったままだった。カケルが小声で何かを呟いた。すると、白馬は、鼻面をカケルに向けた。カケルは、先ほどタツルがやったと同じように、鼻を擦る。すると、白馬がゆっくりと頭を下げた。どうぞ、お乗り下さいと言っているように見えた。カケルは「うん」と頷くと、馬の首に手をかけて、するりと乗った。少しおぼつかない様子ではあったが、タツルのように背を伸ばし、まっすぐに馬にまたがって見せた。
「ほう、さすが、カケル様だ。あっという間に、馬を扱う術を見抜かれたな。・・良かろう、村へ案内しよう。・・・ええっと、アスカ様は私の馬へ乗られるが良かろう。さあ。」
タツルがそう言うと、アスカは、
「いえ、大丈夫です。私は、カケル様とともに行きます。」
「いや。それは無理だろう。その馬は、人を乗せる事など初めてなのだ。暴れるに違いない。落ちると怪我をしますぞ。」
そういうタツルを断って、アスカはカケルの馬のほうへ歩いた。カケルも自信は無かったが、アスカに手を伸ばし、馬の背に引き上げた。白馬は、微動だにせず、じっとアスカを背に乗せたのだった。
「これは、驚いた。その馬は、私でさえ手を焼く馬なのだ。・・やはり、カケル様は本物のようだ。・・・では、参りますか?」
タツルはそう言うと、馬を進めた。アスカは、カケルの前に横座りの状態で、手には剣を抱えたままであった。
カケルはアスカの体を強く抱き、馬の首に手を伸ばし、タツルと同じように馬を操った。最初はゆっくり歩き始め、次第に足を速めた。
馬の背で、アスカはカケルに強く抱かれた状態だった。太い腕がアスカの腰辺りを強く抱いている。今まで感じた事の無い幸福感を感じていた。どこか体の芯が熱くなる感覚であった。

御山の北にも同じように草原が広がっていた。ところどころに細い川が流れていた。草原を馬はひた走る。しばらく良くと、高い山が前方に見えてきた。そして、その山裾の森の中に、道が続いていた。森の中に入ってからは、ゆっくりと進んだ。そして、集落らしきものが見えたところで、タツルが馬を止めた。
「カケル様、その馬はここで野に帰してやりましょう。ここからは、村まですぐです。ここからは歩いて行ってください。」
「タツル様は?」
「私は、まだ見回りの仕事があります。・・ああ、村の入り口には門番は居ます。タツルの案内で来たと言ってください。後は、村の者の言うとおりにしてください。夜には、きっと長も会ってくれるでしょう。」
タツルはそれだけ言うと、草原へ向かって駆けて行った。
「よし、行こうか。」
カケルは、アスカを抱いたまま、馬から降りた。アスカは、長い時間、カケルに抱かれていて、身も心もうっとりした状態で、何だか力が入らず、その場に座り込んでしまった。
「アスカ、大丈夫か?馬の背で揺られて気分が悪くなったのか?」
アスカは、今の自分の状態に、とても恥ずかしくなってしまっていた。
「・・だいじょうぶです。・・少し、こうしていれば戻ります。」
そう答えるのが精一杯だった。
森の中の道が少し開いたところから、村が見えた。
「行きましょう。」
ようやくアスカは立ち上がる事ができた。まだ少しふわふわしていたが、何とか歩けた。
ほんの少し、進むと、大きな村の大門に着いた。タツルの言ったとおり、門番らしき躯体の良い男が二人、長い棒を持って立っていた。二人が近づくと、すぐに気付き、棒を突き出して二人を止めた。
「何処から来た!ここに何の用だ!」
繭を吊り上げ、威嚇するような表情で二人に迫る。
カケルはその場に跪いた。アスカもカケル同様に跪いた。
「我らは、ウスキの村より参りました。ここへは、タツル様の案内で辿り着きました。」
そう言うと、急に門番の二人は、顔を付き合わせた後、二人に背を向けて、ひそひそと何か話している。
「本当かな?」「嘘だろう?」「しかし、・・」
何度か、そういうやり取りをしたようだった。そして何か決まったのか、二人のほうを振り返ってから言った。
「タツル様とはどこで会った?」
「西の谷でお会いしました。」
「わかった、お前達を信じて、中に入れてやる。」
大門が開かれ、二人は村の中へ入った。

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3-2-7 阿蘇一族 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

7. 阿蘇一族
大門を潜り、村の中へ入った二人は、驚いた。大勢の人が行き来していた。今朝から見てきた誰一人居ない集落とは打って変わって、ここは人が溢れているように見えた。それに、途轍もなく大きな館が、整然と立ち並んでいる。ヒムカの国の村の多くは、柱を立て萱を吹いた小さな家ばかりが集まった集落で、長の住む館でさえそれほど大きくない。しかし。ここは、人々の住居が、四つの太い柱を汲み上げ、床も地面からかなり高い位置に設えられ、木を薄く削った板が嵌められた作りをしているのだ。家の床下には、牛や鶏、犬も飼われていた。自分達が見てきた村とは全く違うものだった。
門番が知らせたのか、村の奥のほうから、袖口が赤く染められた白い着物を着た女性数人が慌ててやってきた。
「タツル様のお客様ですね?」
少し年配の女性は、そう言いながら駆け寄ってきた。
「はい。」
「どうぞ、こちらへ。さあどうぞ。」
名も聞かず、強引に二人は村の奥へ連れて行かれた。村の一番奥には、更に大きな建物が会った。大きいだけではなく、奇妙な形をしている。床には大きな岩が綺麗に並べられ、その上に太い柱が建っていて、さらに丸太が隙間無く並んで壁のようになっている。その上に、三層になった建物が建てられている。屋根も大きな柱が斜交いに組まれ、先端は細く削られ、まるで剣のような形に細工されていた。さらに、建物全体を包むように、太い荒縄が周囲に巻かれているのだった。
「ここは?」
「御山をお守りする社です。」
「やしろ?」
「ええ、我ら一族の神聖なる場所です。さあ、どうぞ。」
先ほどの女性が、さらに促し手、二人を社の中へ案内した。
岩に設えられた階段を登ると、そこには大きな広間があった。振り返ると、御山がまっすぐに見えた。この社は、御山の様子をここからじっと見るために作られたようだった。
「夕刻まで、ここでお待ち下さい。」
先ほどの女性達は、そういうと、社の奥に向かって深々と頭を下げてから、下がって行った。
しばらくすると、足音が聞こえてきた。先ほどと同じ格好をした女性達が、大皿を抱えて広間に入ってくると、二人の前に大皿を置いた。
「お腹が空いておられるでしょう。もう昼時を当に過ぎておりますもの。・・さあ、この辺りで撮れたものです。どうぞ、お召し上がり下さい。」
そう言われて、二人は顔を見合わせた。考えてみると、ウスキを出てから、満足に食事をしていなかったのだ。戸惑いはあるものの、やはり空腹には勝てない。目の前に並んだご馳走を二人は遠慮せず平らげたのだった。
阿蘇へ無事到着できた安堵感と、満腹感で、二人ともすっかり眠ってしまっていた。
夕焼けで辺りが赤く染まる頃まで、二人は寝入ってしまっていた。

足音がして、カケルが目を覚ました。横に居たアスカを揺り起こした。
すると、白服の女性が、パタパタと駆けて来て、「主(ぬし)様がお戻りになられました」と伝えた。二人は、姿勢を正した。
「お待たせしたね。」
そう言って、入ってきた男は、タツルだった。タツルは、用意された敷物の上にどっかと座り、二人をじっと見てから、にやりと笑った。
「私が、阿蘇一族の主、タツルです。・・あれから、まだ野に残っているものは居ないか、見回ってきたので、遅くなりました。」
予想していなかった事態に、カケルもアスカもどうしたものかと困った。
「もう、お二人の事はわかっています。・・まあ、そんなに固くならず、お話下さい。私に用向きがあったのでしょう?」
ようやくカケルが口を開いた。
「先ほどは、失礼いたしました。主様とは知らず・・」
「まあ、いいじゃないか。」
「実は、ここへ来た一番の目的は、我らの姫をお救いいただきたいとお願いに参ったのです。」「姫を救う?」
「はい、今、火の国の南、クンマの里からバンという男が兵を率いて八代から北を進んでいるのです。」
「それは本当か。・・しかし、クンマにはシンがいる。シンはどうしただ?」
「ウスキのミコト、キトリの話では、バンに討たれたそうです。・・バンは、この九重を支配すると言って兵を集め、あちこちの村を襲い、北へ北へと進んでいるようです。いずれ、この阿蘇にも現れるはずです。・・そのバンに、伊津姫様が囚われているのです。」
「伊津姫様とは?」
カケルは少し考えてから、
「古の国、邪馬台国の王の血を継ぐ姫です。はるか南、高千穂の峰の懐、ナレの村で私と供に育ち、15の時、アスカケに出て、王一族の隠れ住むウスキへ戻りました。」
「その姫が何故、バンに囚われた?」
「クンマの里の窮を知り、エンをはじめ数名の供を連れて行ったのですが、バンの策に係り、囚われてしまったのです。」
タツルは、じっとカケルの話を聞き、腕組みをして天井を見上げた。そして視線をカケルに移してから、
「そうか、バンは、伊津姫の威光、邪馬台国の威光を使って、九重の国々を従わせようと考えたという事か・・浅はかな考えだ。」
「では、私の願い、お聞き届けいただけますか?」
タツルは、今一度眼を閉じ、返答を躊躇っている様だった。そして、目を開けてゆっくりと話した。
「我ら阿蘇一族は、御山をお守りするのが使命。この地を侵す者があれば、容赦なく討つ。それが例え、邪馬台国の王とて同じ事。・・しかし、カケル様もわかるであろうが、この地は高い山に囲まれている。そう容易くこの地へ足を踏み入れることなどできぬ。・・バンがいかに大軍を作ろうとも畏れる事はない。」
「では、この地へ入らぬ限り、戦はせぬという事ですか。」
「ああ、そういうことだ。我らはこの地より外へは出ない、いや、出れぬ。姫を救う事には手を貸せぬということになるな。」
「いや、それでは・・。」
「カケル様。そう焦らずとも良いのではないかな。しばらく、この地へ留まり、学ばれたほうが良い。」
タツルはそう言うと席を立ち、さっさと奥へ入ってしまった。

神宮.jpg

3-2-8 外敵を知る [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

8.外敵を知る
「どうします?」
アスカは、カケルに訊いた。
「タツル様の言われる事ももっともなことだ。この地を奪うなど容易くできるものではない。しかし、伊津姫を救うには、阿蘇一族の力を借りないことには無理だ。・・・ここは、タツル様に従い、しばらく、この地に留まろう。・・そのうち、何か策が見つかるだろう。」

二人は、村のはずれにある館の一室を用意され、そこで暮らす事になった。
板張りの室内の中央には、囲炉裏があり、南側には大きな開き窓もあった。窓のすぐ下には、鹿の皮を伸ばした敷物があり、そこが寝床のようだった。食事は、別の棟にある炊事場で、皆が協力して作り、それぞれ必要な量を持ち帰るようになっていた。しばらくは、例の白い服を着た女性が二人、一通りの村の決め事を教えるようについてくれた。
二人は、その女性に従った。周囲の村人たちにも紹介してもらい、数日過ごした。
一週間ほど経った時だった。
タツルが呼んでいるからと、女性に促され、二人は社に入った。

社の大広間には、タツルは正面に座り、両側に、屈強な男が多数並んで座っていた。カケル達が部屋に入ると、男たちは一斉に頭を下げた。
「まあ、そこへ座りなさい。」
タツルは、少し厳しい表情で言った。言われるままに座ると、男たちは頭を上げた。
「どうだ?村には慣れたか?」
「はい、皆様にはいろいろと教わり、恙無く暮らしております。」
「そうか・・・今日、来てもらったのは、カケルが話した外敵の事だ。」
「何か、判ったのですか?」
「さあ、話してくれ。」
タツルがそう言うと、一人の男が立ち上がって話し始めた。
「俺は、西の村の主、シュウだ。先日、八代から塩を届けにきた男が言うには、不知火の海に、大きな船が現れて、海沿いの村を襲い始めたそうだ。八代もいずれやられるだろうと、村人たちは逃げ出す者のいるようだと。・・ただ、バンという者ではないようだ。・・大海を越えて異国からやって来た・・ラシャ王という者だそうだ。」
そう言うと、どっかと座った。
「カケル!どうやら、事はもっと大きくなっているようだな。」
タツルは、カケルに言った。
「はい・・・きっと、バンという者は、その船の一団の手先だったのでしょう。・・」
「ああ、そうだろう。」
「やはり、戦になるのでしょうか?」
「・・ここへ入れば我らは戦うしかないだろうな。・・」
その言葉に、並んで座っていた男たちが突然笑い出した。カケルは男たちが何故笑っているのか判らなかった。タツルは、男たちを静めてから言った。
「・・海でいくら戦上手であっても、この地へは入れぬだろう。・・だから、戦にはならぬ。・・遥か古から、この地を侵そうとする者は後を絶たないが、これまで、この地へ入れたものは居ないのだ。」
タツルの大きな自信の意味がカケルにはわからなかった。
「どうやら、カケル様は、その意味がわかっておられぬようだな。・・よし、俺が西の谷を案内して差し上げよう。あそこを見れば、すぐに判るだろう。」
「ああ、それが良いだろう。」
タツルもそう付け加えた。カケルが訊いた。
「ひとつ、お教えいただきたいことがあるのです。・・私は、ウスキから御成り山を越えて参りました。降りた辺りに、小さい集落が幾つかありましたが、誰ひとり居られませんでした。何があったのでしょう。」
それには、別の男が反応した。
「カケル様は御成り山を越えて来られたか?・・よくご無事だったものだ。・・あそこの村は、数年前に捨てたのです。・・ああ、申し遅れました、私は南の里の主、イオウと申します。・・御山の怒りにふれ、辺り一帯に毒気が漂い、多くの者が命を落としたのです。以来、あの地には近寄らぬようになりました。我が里は、あの地より西の山の中へ移りました。」
それを聞いていた別の男が呟くように言った。
「あの、白川の恵は捨てがたいものがあったのだが・・毒気が去れば、また阿蘇も潤うだろうに・・残念な事だ。」
他の者も、頷いた。
「カケル、ここに集まった者は皆、阿蘇の御山を囲むように暮らす一族の主たちだ。ここほど大きな里ではないが、それぞれに畑を持ち、穏やかに暮らしておる。この者たちがしっかり治めている証なのだ。・・ここでは、皆が主なのだ。誰が支配するというものではない。何かあれば皆で集まり相談し、対処する。阿蘇一族は、そういう者たちの集まりなのだ。ワシはただ、主たちの話を聞き、皆に伝える役をしておるだけだ。」
そこまで聞いて、カケルは、
「・・以前、ヒムカの国の大王が目指した強き国ですね。・・邪馬台国もそうした国だったと聞いております。」
「ほう、ヒムカの大王か・・ワシも昔、爺様に聞いたことがある。・・」
「タツル様、主の皆様、今一度、我が願いをお聞きください。邪馬台国の姫が、今、悪しき者に囚われております。何としても、姫をお救いせねばなりません。どうか、皆様のお力をお貸し下さい。」
カケルは、床に頭をつけて懇願した。アスカも同様にした。
「カケル様、それは・・・」
男たちは皆、答えに窮していた。
「カケルよ。・・その願いは、聞き入れられぬ。我が一族の掟を破る事になる。可哀想だが、今の我らにはどうにも出来ぬことなのだ。」
「これほどお願いしても無理なのですか!」
「ああ、出来ぬ事はできぬ。」
タツルは、席を立ち、奥へ入ってしまった。座っていた主たちも、ちらりとカケルとアスカを見るが、そのまま、社を出て行った。
「カケル?」
アスカが、そっとカケルの肩に手を置いた。カケルは、悔しさで震えていた。

しばらくして、社を出ると、さきほどの西の谷の主、シュウがカケルたちを待っていた。

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3-2-9 西の谷 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

9.西の谷
「さあ、西の谷へ行こうか。」
カケルは、シュウにそう言われたものの、気が進まなかった。
阿蘇一族の協力を得て、何とか、伊津姫を救い出すことを一番に考えていたのだが、今は、次の方策も見つからない。西の谷を見て、何かが見つかるとも思えなかった。
「カケル様の気持ちはわかります。・・だが、我が一族の掟は絶対です。・・いや、阿蘇を出て戦う事などできぬのです。西の谷へ行けば、判ります。さあ、行きましょう。・・さっき、大主様が、カケル様のためにと、馬も用意してくださいました。・・カケル様は、あの暴れ馬を手懐けたそうではないですか。」
そこには、あの白馬が、手綱を付け、静かに立っていた。
「カケル様、行ってみましょう。私、馬に乗りたい。」
アスカがカケルの手を引いて促した。
「アスカ様は、馬がお好きなようですね。・・我等の村では、女たちはなかなか近寄ろうともしないのだが・・強いお方だ。では、参りましょう。」

大門を出て、森の細道を抜けたところで、カケルとアスカは白馬に乗った。
前にはシュウの乗った黒馬が駆けていく。アスカは、前と同じようにカケルの腕に抱かれていた。頬に感じる風が心地よかった。幾つかのなだらかな丘を駆け抜け、川を越えた。
「これは、黒川。・・御山の南側には、白川があって、西の谷で合流しているのだ。」
馬はまっすぐ西へ駆けていく。目の前には、阿蘇の外輪山の山並みが迫ってくる。徐々に、大岩がごろごろとして荒れた土地に入った。
シュウは、馬を下りた。
「ここは、立野と呼ばれる地。ここに立つと、遠く原野が広がっているのが見えます。」
遠く、白川に沿った辺りに広い原野があった。眼下には、湖が広がっていた。シュウは、遠くまで見通せる場所で、カケルたちに話した。
「あの先は、海へ続くと聞いています。ここから東、そう、あの大きな森の中に、大里は隠れています。御山の真北の辺りでしょう。私の里は、この真下。あの湖は、白川と黒川が合流して作ったもので・・・・ここからは、しばらく、岩場をつたいながら降ります。」
そう言うと、大きな岩の隙間から少しずつ下を目指して降り始めた。途中、わずかな岩の窪みに身を貼り付けるように降りるところがあったり、細い隙間を身を縮めて通り抜けた。
ようやく、少しなだらかな場所へ出た。そこは、先ほど見た湖の畔だった。そこから少し上がったあたりに、小さな集落があった。
「あそこが、西の谷の里です。さあ、行きましょう。」
シュウの足音に気づいてか、里から子どもたちが走ってきた。
「シュウ様、お帰りなさい。」
「良い子にしていたか?・・そうか・・なら、これをやろう。大主様から戴いたものだ。」
シュウは小さな包みを渡した。子どもたちは、大事に受け取ると、そっと開けた。中には椎の実がたくさん入っていた。子どもたちには何よりのご馳走だった。
「皆で、わけるのだぞ!」
子どもたちは、嬉しそうな笑顔を振りまいて、家のあるほうへ向かって走っていった。
「元気な子どもたちですね。」
「ええ・・この湖が遊び場で、幼い頃から、魚取りをして過ごしています。」
「社のある村へ、子どもたちは行かないのですか?」
「いえ、春から秋まではここに居ますが、冬場はここでは暮らせません。・・阿蘇の一族は見な、どこの里も冬になると、大里へ戻り暮らします。春が来れば、それぞれの里へ行き、冬のくらしに備えて、獲物を取ったり、収穫したりして大里へ運ぶのです。・・それに、突然、御山から毒気がやってくることもあるので、大主様はそれをいつも見張って居られるのです。」
カケルとアスカは、少しずつ阿蘇一族の暮らしを知り、一見穏やかに見えるこの地が、実は過酷な状態にある事を感じていたのだった。
「まだ、日暮れまでには時間がある。どうです、湖に出てみますか?」
シュウはそういうと、湖畔にある丸木舟に乗り込んだ。カケルもアスカも乗り、湖上へ出て行った。岸からしばらくは岩が水面から顔を覗かせる浅瀬だったが、すぐに、深みとなり、真っ暗な湖底へと変わった。
「ここは、大昔、深い谷があったところだそうです。谷があった頃には、下の立野あたりからなだらかな坂道で阿蘇の地へも入りやすかったのでしょうが・・。」
「今はちがうのですか?」
シュウは櫂を力強く漕ぎながら、遥か前方を見つめながら答えた。
「ええ、この先を御覧なさい。切り立った崖が一面を取り巻いているでしょう?阿蘇の御山が火を吹いて、この辺りの山が大崩を起こしてしまいました。それで白川を堰きとめて、湖が出来たのです。」
カケルも、シュウの視線の先を追い、訊いた。
「あの崖の向うは?」
「ええ、同じように切り立った崖が続いています。あちら側から越えてくるには、人一人通るのが精一杯の道を、崖に張り付くように登って来て、またあの崖を下り、深い湖をも渡らねばなりません。ですから、どんな大軍がこの地を襲ってきても、この崖がある限り、容易には踏み込めないというわけです。」
カケルは、社で男たちが「戦にはならない」と笑った意味がようやくわかった。天然の要崖に守られている事を言っていたのだった。
「例えば、あの崖を登らず、もっと南側から入る事はできるのでは?」
「ええ、もっと南・・そう、益城辺りから山越えで入る道もあります。ですが、深い谷が幾つもある上に、南側から来れば、御山の毒気に当てられる事もありますから・・・。」
「では、もっと北から入る事は?」
「・・それは・・確かに、北の瀬田から的石の峠越えで入る事もできましょう。・・ですが、瀬田の地は泥地、冬場には深い雪に閉ざされ、春から秋は、膝までぬかるむほどの泥の中を歩く事になります。我らとて、あそこを下る事は考えません。」
「そうですか・・だから、外から攻めてきても戦にならぬというのですね。」
丸木舟は、湖のほぼ中央辺りにまでやってきた。
「どうです。静かでしょう。阿蘇の地は、誰も侵すことなど出来ない神聖なところなのです。」
カケルとアスカは、岸に戻り、シュウの家で一晩を過ごしてから、翌朝には岩場を登り、大里へ戻る事にした。
岩場を登りきったところからは、遠く、阿蘇の西側の谷が望めた。
「カケル様、やはり、阿蘇一族の力を借りるのは、無理みたいですね。」
アスカは、カケルに訊いた。カケルは、遠くに見える西の谷の先に視線をやって、考えていた。阿蘇一族を頼りにせず、ここから西の谷を降り、伊津姫が囚われていると思われるバンの兵の中に入り込み、エンと協力して救い出す事しかないのか、それとも、阿蘇一族の地に留まるべきなのか迷っていた。

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3-2-10 居を構える [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

10. 居を構える
「ここでしばらく考えよう。」
カケルの答えは、意外なものだった。
「ここでって?阿蘇の大里で?」
「いや・・ここからは、遠くまで良く見える。きっと、バンたちはこの地を目指してくるはずだ。その時を待とう。・・ここ、立野に居を構えるんだ。」
カケルは、辺りを見渡した。幸いにも、周辺は森林が広がっている。
「ナレの村もこういうところだった。大丈夫さ、夜露を凌げればよい程度の家などすぐに作れる。・・・ただ、大里に戻り、大主様には許しを得たほうが良いだろうが・・・・」
カケルは辺りを見回した。そして、タツルがやったように指笛を鳴らしてみた。
しばらくすると、馬の蹄の音といななきが響いて、あの白馬が駆けて来た。
「お前は利口だなあ・・・俺達が居ると知っていたのか?」
カケルはそう言うと、馬の鼻面を撫でてやった。二人は白馬にまたがり、大里へ戻った。

「何?立野に居を構えたい?」
大主タツルは怪訝そうな顔で尋ねた。
「何故、大里ではダメなのだ?・・西から来るという敵など、この地へ入って来れぬ。あそこに居ても何も始まらないと思うが・・・まあ、良い。好きにしろ。」
タツルの許しを得て、カケルとアスカはすぐに立野に向かい、森から気を切り出し、小さな家を作った。ヒムカの村村を回っていた頃に、アスカも家作りは心得ていた。土を掘り、太いぶなの木を切り出し、柱として、周りを細い木と荒縄で縛り、最後に、萱を吹いて完成させた。カケルたちが立野に居を構えるという話を聞いた大里の者たちは、心配そうな面持ちで様子を見に来ては、食べ物や皿など暮らしに必要なものを届けてくれたのだった。
西の谷の里からも、子供たちが岩山を登って、湖で取れた魚の干物を届けてくれた。

ほぼ暮らしの用意が整った頃、大主タツルがやってきた。
「ほう、意外と良い暮らしになりそうだな。」
そう言って、カケルを見ると、にやりと笑って、アスカに小さな包みを渡してから、家の中に入った。タツルがくれた包みには、椎の実がたくさん入っていた。
囲炉裏を囲んで座ると、タツルが話を切り出した。
「・・昔、この地の北には、砦があったそうだ。・・随分、昔の話になる。私も、先の大主から聞かされたのだが・・その頃は、邪馬台国はまだ無かった。八代からやって来る兵を防ぐために作られたそうだ。だが、瀬田の地から、その砦には誰も辿りつかなかった。瀬田からここまでは、深い森と沼地はある。その上、深い泥道に足を取られるのだ。・・・八代からここへ来る軍がどれほどでもこの山を越える事はできぬだろう。」
「今も変わっていないのでしょうか?」
カケルは、タツルの顔をじっと見て尋ねた。
「・・どうだろう。我らはこの山を越える事は許されぬからな。・・・」
カケルは、その言葉を聞いてじっと考えていた。
「瀬田の地まではどれくらいなのでしょう。」
「下るだけなら、一日ほどのところだろう。まあ、まともに行けたとしてだが・・」
「私が、山を超え様子を探る事は許していただけますか?」
タツルはしばらく考えてから言った。
「カケル様は、阿蘇一族ではない。ゆえに、この地から出るのは構わぬ。だが、ここへ戻ってこれるかどうか・・もし、戻ってこれるとすれば、兵もやはりここへ辿りつくということだから、我らも備えをせねばなるまいな。だが・・道など無いぞ?深い森で迷えば命を落とす事もある。それでも行くのか?」
「はい。」
「それならば、もうしばらく後のほうが良かろう。・・秋になれば、泥濘も少なくなる。途中、木の実や獲物も取れるだろう。迷ったとしても、生き延びる事もできよう。」
「はい、そうします。」

カケルは、大主タケルの許しを得て、瀬田の地へ向かう時を待った。
それまでの間、カケルはアスカとともに、立野で暮らすことになった。
周囲の森で狩りをしたり、夏の木の実を集めたり、時には、湖面まで降りて、シュウたちとともに魚取りも手伝った。
アスカは、モシオの地を出てからずっとカケルとともに行動していたが、常に、どこかの村の普請や手伝いに励んできたこともあって、カケルと二人で過ごしたという想い出は無かった。この立野での暮らしは、自分たちの思うように自分たちのために時を過ごしているようで、今までカケルと居た時間の中で、最も幸せを感じられるのだった。

「アスカ、今日は湖に行こう。湖のずっと向こうに行ってみよう。」
朝餉を終えて、カケルはアスカに言った。
崖を降り、湖畔に着くと、シュウが丸木舟を引き出していた。
「カケル様、この舟なら大丈夫でしょう。」
シュウはそう言って、舟を見た。
「どうだい?シュウ様に教わって舟を作ったのだ。随分、手間は掛かったが、何とか形になったんだ。さあ、乗って!」
アスカを前方に座らせると、カケルは舟を湖へ押し出した。
「カケル様!無理はなさらないように!」
シュウが、そう言って見送った。
二人の乗った舟は、静かな湖面を滑るように進んでいく。湖を横切り、反対側の崖面までたどり着くのにそれほど時間が掛からなかった。
「確かに、ここから里へ入るのは無理だな。」
カケルは、崖を見上げて言った。アスカは、カケルが気晴らしに舟を出したとばかり思っていたのだが、周囲の様子を探るのを見て、寂しい気持ちになった。アスカの胸の中には、伊津姫を救うことなど忘れ、この地で穏やかに暮らしたいという気持ちが生まれ始めていたのだった。
カケルは、舟の向きを変え、東のほうへ進めた。湖へ流れ込む、白川と黒川の合流地点へ向かったのだった。このあたりは高い崖はなく、比較的平地も見える。しかし、その南には更に高い山が聳えている。
「あの山を越えては来ないだろうな・・・」
そう言って、今度は、西の谷のほうへ舟を向けた。
「やはり、立野あたりが一番入りやすいようだ。・・・」
じっと立野の峠辺りを見ているカケルに向かって、アスカは言った。
「やはり、伊津姫様が心配なのですね・・・。」
カケルは、アスカの言葉の本当の意味に気づくことなく答えた。
「ああ、悪人どもに囚われているんだ。きっと心細いに違いない。一日も早くお救いしたい。」
その言葉に、アスカは思わず涙が零れた。

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3-2-11 瀬田へ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

11. 瀬田へ
阿蘇の外輪山の山頂あたりから、木々の色が変わり始めた。時折、強い西風が吹くようになり、夏も終わり、秋に入り始めた事を知らせた。
「アスカ、瀬田へ向かうぞ。」
「私もお供します。」
「厳しい道かもしれぬが・・・」
「大丈夫です。これまでも、ずっとそうしてきました。」

二人は、大主タツルとシュウに見送られ、早朝には、峠を目指して出発した。峠辺りまでは、狩りのためにつけられた山道があったが、峠から下る道は無かった。低い木々の枝を払いながら、少しずつ道をつけて進んだ。できるだけ、平坦なところを探しながらゆっくりゆっくりと進んだ。岩場がしばらく続いたが、途中から深い森になり、上ったり下ったりして進む。
予想より、山道は泥濘もなく、むしろ乾いていて、木々を切り倒せばすぐに道が出来るくらいだった。
半日ほど進んだ頃、足元に川の流れが見えた。
深い谷に、轟々と音を立てて流れる濁流。川沿いを登ってくることは不可能だった。
「やはり、ここを上ってくるのは無理かな?」
どこまでも、深い森が続いている。木を切り、少しずつ前進するが、かなりの疲労だった。夕暮れを迎える前に、カケルもアスカも、へとへとになった。
タツルは、一日で着くだろうと言っていたが、とても無理だった。日暮れになり、二人は木の上に体を縛り眠った。
「アスカ、苦しいだろうが我慢してくれ。」
「ええ、大丈夫です。」
深い森の中で、どんな獣が襲ってくるか判らない。かといって、秋を迎え、木々の落ち葉が溜まった場所で、火を焚くのは危険だった。
アスカは、疲れ切った体を木の枝股にねじ込んで眠った。疲れているはずなのに、なかなか眠れなかった。
朝を迎えた。
昨日は気づかなかったが、二人が眠っていた樹の上から、すぐ目の前に平原が広がっていた。瀬田の一歩手前まで来ていたのだった。
二人は慌てて、樹を降り、森を抜けて平原に出た。昨日見た白川の濁流も、ここでは穏やかに広い川となってゆったりと流れている。集落はなさそうだった。見える限り、萱の野原が続いている。
「手を掛ければ、道はできる。・・もし、大軍がここへ来て、手勢を使って道を作り始めたらどうなるだろう。やはり、注意したほうが良さそうだ。」
カケルはそう言うと、白川の流れに沿って、遠くを見つめた。その眼差しは、囚われの身となっている伊津姫を探しているようだった。
「これからどうします?もっと、先まで行けば、ラシャ王の軍に出会うかもしれません。・・阿蘇へ戻るより、このまま、姫様をお救いに向かいますか?」
「いや、阿蘇へ戻ろう。タツル様に、今一度、協力を願う。・・いずれにしても、阿蘇とラシャ王の戦になるにちがいない。その時に備えるのだ。」

カケルとアスカは、立野に戻る事にした。
下ってきた時は順調だったが、登り道は大変だった。目指すべき先が見えず、何度も同じ場所に戻る事もあった。カケルはやむなく、白川の流れ近くまで下って、川沿いを登ることにした。轟々と音を立てて流れる白川のほとりは、ほとんど歩ける場所が無く、岩にしがみつき流れの中に身を沈めて進混ざるを得ない場所もあった。
結局、対岸に渡り、切り立った崖の道を選んだ。アスカは、カケルの足手まといにならぬよう、どれだけ苦しくても弱音を吐かず、じっとカケルの後を付いて歩いた。
「うっ・・」
アスカは川を渡る際、流れてきた木切れが足首辺りに当たった。冷たい流れの中で、強い痛みは感じなかったが、痺れた感覚がずっと続いた。
激しい流れで、アスカの呻き声はカケルの耳には届かなかった。カケルは必死に前へ前へと進んでいく。アスカは、遅れまいと必死に歩いた。
高い崖を前に、もうアスカの足は赤く腫上がっていた。それでも、大丈夫と言い聞かせ、カケルの後を付いて、岩場を必死に登った。
三日目の夕刻に、ようやく崖の上まで辿り着いた。狭い岩場に僅かに体を横たえることのできる場所を見つけて、一夜を過ごした。
次の日の朝、崖を下り始めたところで、湖の中に舟が見えた。舟はゆっくりとカケルたちの方へ近づいてきた。
「カケル様!」
シュウの声が静かな湖にこだました。シュウは、西の谷の守りの役、崖を超えてくる者を絶えず警戒していたのだ。小さな物音や人影を捉える事は長けていた。早朝、崖を降りてくる人影に気づき、舟を出していたのだった。
二人はシュウの舟に乗りこんだ。
「カケル様、よくご無事で・・・勢田まで辿り着けましたか?」
「はい、深い森でしたが、足元はそれほどぬかるんでおらず、瀬田から道を作り、攻め込む事はできるでしょう。まだ、ラシャ王の軍はおりませんでしたが、いずれは・・・」
「そうですか・・すぐに、大里へ向かいましょう。・・カケル様が居られぬ間に、里でも困った事がおきました。カケル様の帰りを、大主様もお待ちです。」
「何が、起きたのです?」
「それは、里へ着いてから・・それより、アスカ様、顔色があまりよくないようですが・」
カケルは、シュウの言葉に初めて、アスカの様子がおかしい事に気づいた。
確かに、シュウの言うとおり、アスカの顔は青白く、目の辺りにも疲れの色がはっきりと見て取れるほどだった。
「アスカ、無理をさせたか?」
カケルが訊くと、アスカは無理にも笑顔を作り返事をしようとしたが、そのまま舟の中に倒れこんでしまった。
「アスカ!アスカ!」
アスカは気を失い返事をしない。
「カケル様、一刻も早く、大里へ戻りましょう。・・この舟で川を上りましょう。」

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3-2-12 侵入者 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

12. 侵入者
湖を東へ上り、黒川を遡った。黒川の畔から、さらに、水路が繋がっていて、大里に入れた。
大里に着くと、アスカは里の者の手によって、社に運ばれた。カケルは何度も声を掛けたが、アスカは目を覚まさなかった。女達が集まって、相談し、社の奥の部屋に寝かされ、看病する事になった。
「足の傷がひどく腫上がっております。まずは、傷の熱を取ります。」
里の巫女が、カケルに話した。
「目を覚ますでしょうか?」
カケルは、心配そうな顔で訊いた。
「足の傷は、じきに癒えるでしょうが・・・随分、疲れていらしたようですね。体力が戻るのにはかなり時が掛かるでしょう。・・私達が、一生懸命お世話いたします。」
巫女らしき女性はそう言うと、奥の部屋へ入って行った。

社の広間には、大主タツルのほか、里の主達も数名集まっていた。カケルが広間に入ると、タツルが手招きをして、隣に座らせた。
「カケルが無事に戻った。・・喜ばしい事だが、我が一族には困った事態だ。・・立野の峠を越え、敵が入り込む事が出来るという事なのだからな。カケル、様子を聞かせてくれ。」
カケルは、立野から瀬田まで下るのは容易いが、登って来るにはかなり難しい事、しかし、道を作る事は大人数を使えば容易い事、瀬田の平原にはまだ敵は現れていないこと等を話した。
皆、カケルの話を食い入るような目つきで聞いていた。
「さて、どうするか。」
大主タツルは、ため息を吐きながら言った。
「備えをして下さい。・・どれほどの敵かは判りませぬが、備えるに越した事は無い。」
カケルの呼び掛けにも、主達は沈黙したままだった。
「急ぐ事もなかろう。・・たとえ、今、瀬田に軍がいたとしても、ここへ到達するのはまだ先のことだ。」
「そんな悠長な事では・・・。」
「いや、もうすぐ冬になる。雪がちらつき始めれば、とても立野まで来れるものではない。我らとて、あそこには近づけぬのだ。・・阿蘇の冬は厳しい。大里辺りはまだ良いが、少し山手に入れば深い雪に閉ざされてしまうのだ。」
カケルは落胆した。やはり、阿蘇一族は動こうとはしない。この先、冬を向かえ、峠が越えられないとすれば、伊津姫を救えるのは、さらに先のことになってしまう。
「それよりも、カケルが留守の間に、男が一人、里に紛れ込んできたのだ。歯向かうことは無かったので、捕らえて牢に閉じ込めてある。ウスキの者だと言うが、信用できぬ。カケルが検分すれば良かろうと置いてある。」
「ウスキの者?名は?」
「いや、それが・・何も喋らずにいるのだ。おい、連れて来い。」
主の一人が、荒縄で縛ったその男を連れてきた。
「あなたは・・イノヒコ様?」
「カケル様、ご無事で・・・。」
捕らえられていたのは、イノヒコであった。
「やはり、知り合いだったか・・・手荒な真似をして済まなかった。おい、縄を解け。」
イノヒコは、カケルの前に跪いた。
「お体、大丈夫ですか?」
カケルは心配そうに訊いた。
「私のことより、伊津姫様の事をお知らせに参りました。・・・姫様は、ラシャ王の将、サンウの率いる軍の中に居られます。輿に乗せられ、白川をこちらへ向かっておられます。」
「お元気か?」
「ええ・・エン様もお傍に。兵に紛れておいでです。どうにか助け出す機会を伺っておられますが・・さすがに大軍の中では、どうにも動けませぬ。」
「そうか・・・どれほどの大軍なのだ?」
「ざっと千人ほど。行く先々で、集落を襲い、捕らえた男たちを兵にして、数を増やしながら進んで居るようです。・・・統率は取れているとは言えませんが・・何せ、数が多く、おかしな動きをするとすぐに見つかり殺されるようです。」
千人と聞いて、大主タツルも、他の主達も、驚き、言葉を失った。
「それから・・・怪しい黒服の男が、阿蘇の中をうろついているのを見ました。・・宵闇に紛れて、里へ入り込んでいるようです。」
大主達は更に驚いた。
「主達が、それぞれの里を守っておる。そのような事が・・・。」
「相当に鍛えられた者のようでした。今も、里の中にいるはずです。・・夜になれば、里を抜けるはずです。・・おそらく、ラシャ王と関係のある者だと思います。」
「一人か?」
「さあ・・判りませぬ。ここの様子を探るためであれば、ただ一人とは限りません。・・」
「どこから来たのだ?」
「北から入るのは無理でしょうから、おそらく南からでしょう。クンマから五ヶ瀬を抜けてきたのではないでしょうか。・・私も、ウスキから御成山を抜けて参りました。・・南は、高い山はありますが、道も多く、何処からでも入れます。」
南には、阿蘇の御山が噴出す毒気があり、長い間、阿蘇一族は近づかなかった。入り込む道など無いものと信じていた。しかし、イノヒコの話から、外敵が押し寄せてくるという事が、実感として判り始め、主達も動揺した。
「里に紛れている男は、私が追います。おそらく、ラシャ王の元へ案内してくれるでしょうから。・・・他にも里に紛れている者が居るかもしれません。警戒してください。」
「大主様、いかがしましょう?」
主たちは、これまでにない不安で、大主に訊いた。
「うろたえる事は無い。冬が訪れるまでに、それぞれの里の守りを固めるのだ。里の者を動揺させぬよう注意せよ。見張りを強め、見慣れぬ者は捕え、すぐにここへ連れて来るのだ。よいな。・・それから、シュウよ、西の谷の守りは重要だ。カケル様の手も借りるのだ。」
カケルは、シュウの顔を見て、強く頷いた。
「カケル様、よろしくお願いいたします。我らは、長い間、この地に居て、本当の戦を知りませぬ。いざとなれば、命を投げ出す覚悟はありますが。無駄に命を落とす事は避けねばなりません。どうか、力をお貸し下さい。」
大主タツルは、カケルに頭を下げた。そして、ゆっくりと顔を上げてから加えた。
「その前に、カケル様はアスカ様のご心配をされるが良いでしょう。・・・随分と無理をされたようですから・・・か弱きおなごの身、もっと労わっておやりなさい。」
里の主たちは、それぞれの里へ戻っていった。シュウも、カケルよりも一足先に西の谷に戻り、冬支度と並行して、守りを固めた。

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3-2-13 アスカの涙 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

13. アスカの涙
カケルは、広間を立ち、アスカが寝かされている、社の奥の部屋へ行った。
アスカは、里の女たちの手厚い看護を受けていた。カケルが部屋に入ると、女たちはそっと部屋を出た。怪我をした足首には、薬草が貼られていた。アスカは静かに眠っている。
「アスカ、済まなかった・・・気づかずに無理をさせた。済まない。」
カケルはそう言うと、アスカの傍らに座り込み、すっと手を握った。よく見ると、足首の怪我だけではない、腕にも無数の小さな切り傷や打ち身で黒くなった跡もあちこちにあった。白く細い腕が、今は、黒く晴れている様でもあった。ずっと傍に居ながら、いや、傍に居るのが当たり前になっていて、アスカの事を気にかけることがなかった自分を戒めた。泣き言の一つも言わず、じっと傍にいたアスカを愛おしいと思う気持ちが沸々と湧いてきて、涙が溢れてきた。
「済まなかった・・アスカ・・・許してくれ・・」
カケルはそう言うと、ぐっと力を込めてアスカの手を握った。
「カ・・ケ・・ル・・様・・・」
か細い声がアスカの口から漏れたようだった。カケルは驚いて、アスカの顔を覗きこんだ。
アスカはまだ目を開けていなかった。どうやら、夢でも見ているのだろう。
カケルはしばらくアスカの傍にいたが、女たちが「目を覚ましたらお呼びしますから」と言うので、静かに部屋を出た。
広間に戻ると、大主タツルとイノヒコが待っていた。
「カケル様、アスカ様はいかがですか?」
イノヒコは心配そうな顔でカケルに訊いた。
「ああ、まだ目を覚まさない。随分と無理をさせてしまったようだ・・。」
「まあ、しばらくは目を覚まさないだろう・・女たちにしっかり看病させよう。大丈夫だよ、きっと。・・それより、これからどうすればよいか、カケル様の考えをお聞かせいただこう。」
「・・・そうですね・・・まずは、守りを強めておく事でしょう。どれほどの敵か、未だわからないことが多すぎます。出来れば、敵の近くで様子を探る事が出来れば良いのですが・・」
「それは、私のお役としましょう。夜にも、里から抜け出る者がいるはずです。私は、その者を追って行きます。そうすれば、敵の本隊に着くでしょう。・・エン様ともお会い出来るかもしれません。阿蘇にカケル様が居られる事もお伝えします。さすれば、エン様、伊津姫様も心強く思われるはずです。」
イノヒコの言葉に、カケルは頷いた。カケルは、大主タツルに向かって、
「敵が千を越える大軍となると、真正面からぶつかっても太刀打ちできぬでしょう。・・地の利を活かして、戦いに備える事が第一です。・・それに・・」
カケルはそこまで言いかけて、言葉に詰まった。大主タツルはそれが何か判った。
「戦は避けたいのであろう。・・伊津姫様を敵から取り戻すまでは、大きな戦を避けたい・・そういうことだな。」
「はい・・・しかし、その為に何が出来るか・・今は何も思い浮かびません。」
「そうか・・・まあ、今日明日の事ではない。おそらく早くても、春を迎える頃になるだろう。・・そなたの目で、阿蘇をもっとよく見てもらいたい。ここは、ウスキや八代とは違う。御山もある。・・そうだ・・毒気のある南の里へ引き込むという事もあるだろう。まあ、じっくり、考えてみようじゃないか。」
「はい。」
イノヒコは、夕刻には、社を離れ、怪しき男の姿を探しに出かけた。
カケルは、広間に残り、敵に備える手立てを思案しながら、アスカが目覚めるのを待った。
翌日の昼ごろだった。奥の部屋から女が出てきた。
「アスカ様が目を覚まされました!」
その声に、カケルは飛び上がり、一目散に奥の部屋に入った。
アスカは、ぼんやりした視線で天井を見ていた。自分がどこに居るのかわからずと惑っているようだった。
「アスカ、目が覚めたか?」
カケルは駆け寄り、手を握った。その声にアスカは顔を動かし、カケルを見た。ようやく自分が怪我をし、気を失ってここへ運び込まれた事を理解した。そして、カケルに心配をかけてしまったことを悔いた。
「ごめんなさい・・カケル様・・こんな無様な事になってしまって・・本当にごめんなさい。」
アスカは、そういうと大粒の涙を零した。
「何を言うのだ・・私こそ、お前の怪我に・・いや、お前の事をもっと気遣っていれば、これほど辛い目に遭わせずに済んだのだ。すべて私のせいなのだ。許してくれ、アスカ。」
二人は涙を流し、抱き合い、労わりあった。
「もう、大丈夫でしょう。足の怪我が癒えるのには、もう少し時がかかるでしょうが、お体はもう大丈夫でしょう。」
巫女らしき女がそう言うと、周りに居た女たちに、部屋を出るように指図した。

奥の部屋にはカケルとアスカ、二人になった。
二人は、しばらく言葉が無かった。目を覚まし回復したアスカに安堵したカケルと、この事態でカケルの足手まといとなったアスカは、それぞれの思いを持ったまま、沈黙していた。開き窓から、外で遊ぶ子どもの声が響いていた。
「子どもたちは無邪気に遊んでいるな・・・」
カケルが沈黙を破るように言った。
「ええ・・・私がカケル様にお会いしたのも、あれくらい無邪気な子どもの頃でしたね。」
「ああ・・だが、お前は無邪気に笑うような娘ではなかった。塩焼小屋で、私はお前に睨みつけられたんだ。覚えているかい?」
「・・えっ?睨みつけてなんかいません。突然、勇者様が現れ、どうしてよいか判らず、恥ずかしくて、呆然としていたのですよ。」
「いや、どう見ても私を睨んだ。お前は嫌いだから、ここへは来るなと言いたげだった。」
「そんな事ありません。お会いできただけで天にも昇る気持ちでした。・・さっき、目覚める前に、夢を見ていました。・・モシオの里で、カケル様が私を迎えにきてくださった頃の夢を・・・高い物見櫓に居る私に、遠くから手を振り、大声で名を呼んで・・私、嬉しくて嬉しくて・・カケル様って叫ぼうとしたら目が覚めたんです。」
「そうか・・」
カケルは、そう話すアスカの顔をじっと見つめ、先ほどの気持ちが沸々と湧き上がってくるのが判った。そして、カケルは胸の中からは、秘めてきたものを吐き出すように言った。
「アスカ、今、私はそなたが愛しい。愛しくてたまらぬのだ。ずっと傍に居るのが当然のようになっていたが・・・これからは、決して、無理はさせぬ。お前を守る。だから、これからも私とともに居てほしい。」
アスカの目からはまた大粒の涙がぽろぽろと零れ始めた。そして、アスカはカケルに強く抱きついた。

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