SSブログ

琵琶湖を歩く?! [琵琶湖てくてく物語]

新しいお話が浮かんでこないので、実体験を綴っていこうと思います。

57歳で早期退職して、いろんなシガラミから抜け出すように、滋賀県に「移住」。
琵琶湖の畔の中古住宅を購入し、暫くは、悠々自適、晴耕雨読の暮らしを満喫していたのだが、何か、このままでは、いけない様な気がして、まだ、体が動くうちに、やっておくことはないか、そんな事を思っていると、妻が「ビワイチって知ってる?」と言ってきた。

ビワイチ、自転車で琵琶湖一周するってのは知っていた。
それも面白そうだと思って少し調べてみたが、それなりのスポーツサイクルと装備が必要だと判り、そこまでして・・という思いが湧いてしまって、どうにも、前向きに考えられなくなった。
我が家にある自転車は、買い物用に購入したママチャリ2台。春から秋にかけて、市内をサイクリングする程度なら大丈夫だろうが、さすがに、琵琶湖一周は厳しい。
だいたい、琵琶湖って一周するとどれくらいなのかも判っていない。
調べてみるとざっと250km。高低差は少ないものの、やはり体力に自信はない。
躊躇している私を見て、妻が「琵琶湖一周、歩けないかな?」と言い出した。
彼女は時々、突飛な事を思いつく。

250kmを歩くとなると、1時間4km程度として、62,5時間。
歩き通して三日間は掛かることになる。だが、歩くことは嫌いじゃない。昔から、散歩は好きだし、観光旅行でも街中をぶらぶら一日歩き回ることもある。まあ、無理をしない範囲で、何日かに分けて歩くのは可能だろうと判断した。ただ、それがどれほど興味深い、あるいは感動するようなことがあるかは未知数だった。とりあえず、やってみることに決めた。

こういう時、私は悪い癖が出る。
計画をしっかり立ててからでないと始められないのだ。

旅行の時も、かなり緻密にスケジュールを立て、移動手段や時間、どこの名物が美味いとか、どこのスポットが眺望が良いとか、とにかく、計画を作るのが好きなのだ。
思い起こせば、学生時代に、今の妻と交際していた時、信州旅行をすることになった。レンタカー(当時流行していたホンダ・シティで)で八ヶ岳まで1泊旅行。途中での観光地をガイドブックで選びながら、自分たちで行先を話し合うのが楽しかった。それから、旅行の度にプランを作るようになり、究極は、結婚前(今から40年近く前)、結婚式と新婚旅行の準備をしていた時だった。
当時は、結婚式・披露宴・新婚旅行はパッケージを使うのが主流だった。私たちも、「高砂殿」という結婚式場に申込み、新婚旅行もセットのプランで準備を始めた。新婚旅行の行き先は、北海道。そうなると、旅行部門の営業が打合せに現れて、いくつかのプランを提示する。だが、どうにも、納得できない。

やはり、計画好きの虫が動き始めて、ガイドブック片手に自分でプランを作ることにした。
当時はまだインターネットなどは普及していない。スマホだってない時代。ガイドブックと地図を頼りに、自分で旅行プランを立てた。特にこだわったのは、泊まる所。ありきたりの観光ホテルや旅館じゃ物足りない。ガイドブックの巻末にあるリストから、変わり種のペンション・民宿を探し、直接電話して様子を聞いたり、予約もして、ほとんどすべてを自分の手で組み立てた。老夫婦がセカンドライフで始めたペンションとか、ユースホステル転用のペンションとか、新婚旅行には似つかわしくない場所を選んでみたり、途中の食事の場所とメニューまで調べてみたり、終いには、かなり細かい旅の栞に仕上げる始末だった。若かったからか、妻はその栞を見ながら随分楽しんでくれたように思っているのだが・・。後悔しているのは、そのために、結婚式や披露宴の準備がかなり厳しかった事だ。

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

琵琶湖を一周する計画は・・・。 [琵琶湖てくてく物語]

話を戻そう。
今回、琵琶湖一周歩くことに決めた時も、やはり、計画にはこだわった。
まず、250kmを何日で歩き切るか。1時間4kmを目安にすると、1日6時間で24km程度。そうすると10日間で1周出来ると決めた。
次に、歩くルートを24kmを目安に、区切って見る。そこで役に立つのが、GoogleMapだった。昔はこんなものはなかった。地図から自分で距離を読み取るしかなかったから、かなり大雑把だったに違いない。今は、出発地と目的地を入力すれば、ルートと距離が瞬時にわかる。便利になったものだ。
そんな形で、まずルートを選択した。

ここではっと気づいた。
歩くとしても・・だ。自宅の出発は良いとしても、その日の到着地点からどうやって戻ればいい?そして、次の出発地までどうやって行けばいい?
少し悩んだ挙句、鉄道と自家用車を駆使することにした。
初日は自宅を出発し、到着地点最寄りの駅から鉄道を使って戻る。次は、その駅まで自家用車で行き、前日の到着店まで行き、再開する。幸い、琵琶湖の両岸にはJRが走っている。何とかうまく組み合わせて行程表を作り上げた。
1日目、自宅からマキノまで25km。
2日目、マキノから近江塩津まで17km。
3日目、塩津から長浜まで27km。
4日目は長浜から彦根(滋賀県立大学)までの17km。
5日目は彦根から近江八幡までで20km。
6日目は近江八幡から草津で25km。
7日目は草津から大津・唐橋で25km。
8日目は、大津・唐橋から堅田までの25km、
9日目は、堅田から近江舞子までで20km。
そして最終日は、近江舞子から自宅までの20km。
そんな形で10日間で歩き切るルートはほぼ完成した。

次に、いつから始めるか。
まず、真夏は無理。炎天下、日蔭もない湖岸の道路を6時間歩けば、熱中症で命が危うい。何より、夏はカヌーに勤しみたい。春はどうか?春は行楽シーズン。できれば、花を愛でるような旅行もしたいし、庭の手入れもしなくちゃいけない。秋も同様。
やはり、歩くのは冬に限る。
私たち夫婦は比較的寒さには強い。寒さ対策さえしっかりすれば大丈夫。そう決めて、初日は11月下旬と決めた。そして、体に無理が掛からないよう、月1行程にして、11月から3月までの5回。2シーズンで完了する計画になった。

計画書にまとめ、妻に見せた。
琵琶湖西岸は、生活圏でもあり、かなり良かったはずだった。だが、東岸はあまりなじみのない所で、一抹の不安もあった。だが、いつまでも始まらないより、まず動いてみることが大事だと言い聞かせた。
妻はすんなり(ざっくり見て)、なんとなく賛同してくれて、いよいよ2019年11月10日(日)にスタートとなった。
いや、この計画、ちょっとしたミス、いやいや大きなミスが見つかったのは行程の半ばになってからだった。その話は、その時に書くことにする。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目①自宅からマキノを目指す [琵琶湖てくてく物語]

2019年11月10日(日)
さあ、良い天気。
少し寒いくらいだった。いよいよ出発。
本日の行程は、自宅からマキノ・海津を湖岸道路沿いに歩く約24km。
朝はゆっくり9時30分に出発。自宅から湖岸道路まで出ると、ずっと、湖岸沿いを歩くことになる。
湖岸の道は、見慣れた風景。通勤でも使っているため、新鮮味はあまりない。しかし、歩いてみて判ることもたくさんある。時速60kmの自家用車では、絶対に判らない光景に出会い、それこそが今回の楽しみだと信じたい。
歩き始めて直ぐ、鴨川の橋の手前には、淡竹の群生。春になればタケノコがとれるはず。川沿いに隠れるように建っている小さな喫茶店の看板。

鴨川の橋を超えたところで、すぐに右の湖岸沿いに入っていく。
障がい者福祉施設(生活介護)の「大地」の作業場があった。
大きなビニールハウスの中には、障がい者の皆さんが育てている苗が並んでいる。ここが作る「ふれん土」という培養土(?)は意外に安くて使い勝手がいい。毎年、購入して、猫の額ほどの畑に入れている。
そこからしばらく進むと、墓地の向こうに公園。バーベキューをするにはとても良いところに見える。周囲の住民は迷惑しているかもしれないが・・。以前、ここの公園の浜から、カヌーを出したことを思い出した。
その時は、琵琶湖をただ漕いでいくのでは味気ないと思い、水路の中に入った。私の持っているカヌーは空気を入れるボートタイプなので、多少浅くても進む。
水路の水は澄んでいて、水草が活き活きと育っている。水路は生活の一部だ。水路沿いの民家からは水路に降りる階段があり、洗い場の様なものもある。水辺で暮らすことはやはりゆたかだと思う。
その水路を出て、松の木内湖にも入ってみた。
ここは冬になると「コハクチョウ」のねぐらになる。カヌーで入った時は、夏だったので、シラサギが佇んでいるくらいだった。少し排水が悪いので、水は濁っているし、岸辺には、ゴミの様なものも多かった。やはり、人間が水を汚すんだなと思い知った。

歩きながら、そんな思い出話をしながら進んでいく。
歩くというのは、やはり、自転車とは違う。
不意に立ち止まって、足元の草木を眺めたり、思い出話をしたり、時間が途轍もなくゆっくりと流れていくように感じられる。とても人間的。

四津川の集落に入る。ここは、古くは漁業が盛んだったようで、道路沿いの家は、どこも大きく立派だ。蔵のある家もたくさん残っていて、そういう古き良き時代を感じられるのも良い。今でも、漁港はちゃんとある。

おや?あれはなんだ!
道路沿いに幾つも並ぶ男の子の看板。
滋賀県発祥の「飛び出し坊や」がたくさん並んでいてなかなかユーモラス。ここは子どもが多かったんだろうか。事故にならぬようにという親心を感じる。何度も色が剥げて書き直した跡も残っていて、最初の飛び出し坊やとは違う表情のものばかり。個性があって宜しい。
妻がそれを見て、「うちにも一つ欲しいわ」という。家の前は殆んど車の通りはないし、必要ないのだが、まあ、一つくらいあってもいいかもしれない。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目②安曇川から新旭へ [琵琶湖てくてく物語]

四津川を抜け、再び、湖岸道路に戻った。
この先は、船木地区。かつては安曇川を通じて、朽木からの材木が運ばれ、河口近くには今も、大きな材木店がある。以前、古民家再生の会社で「古材磨き」のアルバイトをした時、ここにある大きな材木店にいった。材木を扱うには広い土地が必要になる。とても都市部では成り立たない事業に違いない。高島だからこそ、生き残っている、そう感じられる。
安曇川南流の橋を渡る。
信号を右に行くと「琵琶湖子どもの国」がある。
休みとなると、かなりの親子連れがやってくる。高島市民ではなく、大津・京都・大阪・福井、近隣府県のファミリーが楽しく遊んでいる。夏には湖水浴も楽しめる。駐車場は有料なのだが、入園料は不要なので、経済的。
そう言えば、子どもが幼かった頃、愛知子どもの国(西尾市)にもかなりの頻度で行ったのを思い出した。あそことは比較にならないほど小さいが、それでも結構楽しめる。
安曇川は南流と北流があり、船木地区はその間に挟まれた低い土地にあり、水害にも悩まされてきたと聞いたことがある。水害から家屋を守るため、石垣が築かれている家をたくさん見る事ができる。今も、この地域の防災意識は高いようだ。
北船木は特に古い町並みを残していて、大通りから脇道が幾つも伸びていて、その中には広場のような場所もある。また、ゆっくりこの辺りを散策してみたい。

本道に戻る。
この先少し進むと、新旭町へ入ることになる。
湖岸道路も、この辺りは「風車街道」というらしい。道路の西側の舗道沿いに800本を超える桜並木が続いている。その全てが、新旭町の皆さん(桜を守る会?)が大切に手入れをされているのだ。
美しい桜は人の情熱によって守られていると思うと、また、感慨深い。
そう言えば・・(このフレーズはこれからもかなり頻繁に出て来る予定なのでご容赦)
森山直太朗さんの「さくら」を聞いた時、ちょっと不思議な感覚になった。メロディーはさすがに素晴らしいし、声も母親譲りの美声。
違和感を抱いたのは、歌詞。
あの歌は、卒業ソングだ。だが、卒業式はほとんどの場合、3月中旬から下旬。大学となると3月上旬のところもあるはず。いやいや、そんな時期に「さくら」は咲いていないよね。今年(2023年)は例年より1週間から10日ほど開花が早いと聞いているが、それでも、東京で3月23日くらいが満開でしょ?何とか卒業式に間に合うかもしれないけれど・・。
私が大学に入学した年、1979年4月。大学の校門脇の桜が満開を迎えて、時折風に舞い散る桜の花びらが綺麗だったのをよく覚えている。ソメイヨシノの満開はやはり、入学式じゃないのだろうか。
とすれば、森山氏が歌う「さくら」は、ソメイヨシノではないということになる。ソメイヨシノより先に咲く「桜」となると、寒緋桜、河津桜なんてところか。ただ、河津桜は、それほど普及しているとは言い難く、さらに、花と葉がほぼ同時に出て来て、花もちも良く、余りひらひらとは舞わない。『さくら さくら 今咲き誇る・・』のフレーズを思い起こすたびに、何の種類だったのか気になっていた。まあ、そんなこと深く考えず、音楽は愉しむべきだと思うが・・。
横道にそれすぎたので、本道に戻ります。
ここまで、ほぼ2時間ほど歩いてきた。ちょっと休憩。桜並木の湖岸道路には、あちこちに小さな公園がある。
そのひとつ、源氏浜公園で一休み。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目③新旭の風車街道 [琵琶湖てくてく物語]

ここまで歩きながら、妻と思いつくまま、いろんな会話をしていた。
もともと、家でも話をする方だが、こうして歩きながら、見るもの感じるものを材料に、他愛もない会話をするのも楽しいものだ。
 思い返せば、一緒に暮らし始めて40年以上になる。大学の同級生だったせいか、互いに歳を重ねているはずだが、時折、あの頃に戻ることがある。そんなことを言うと、妻は鼻で笑うのだが・・。
 桜並木を歩いていくと、左手には流行りの「グランピング施設・STAGIX高島」が見えてきた。私たちが転居してきた時は「道の駅・風車村」だったんだが、さすがに、交通量が少なく立ち寄る人も少ないため、閉鎖され、グランピング施設に変わった。
 正直、グランピングの良さは今一つ理解しがたいものがあるので、立ち寄らずに進む。

その先には、六ツ矢崎キャンプ場。
湖畔の芝生にテントを立ててゆっくり楽しめる場所。グランピングより、こっちの方が、良いなあと思うのは、世代だろうか?
さすがに、冬場はキャンパーは居ないかなと覗いてみると、いえいえ、ちゃんといらっしゃいますね。冬空のキャンプ。強者とお見受けした。まあ、真夏のキャンプよりは、過ごしやすいかもしれない。
そう言えば、まだ、子どもが幼かった頃、1990年代。バブル景気のあと、子育て世代は、完全に「オートキャンプブーム」。田舎育ちの私は、幼いころはほぼ野生生活に近かったので、キャンプにそれ程楽しみは感じなかったんだが、妻は町の子。キャンプに行くのは、非日常の極みだったんだろう。子どもたちと一緒に、随分楽しんでいたようだった。だが、ほとんど支度をするのは、私の仕事だ。真夏のキャンプは地獄だ。カンカン照りの中、大量の荷物を自家用車へ運び込み、現地に着いてから、またまた、カンカン照りの中、テントとタープを立てる。高原のキャンプ場と言えども、やはり真夏は暑い。あの頃はまだ若かったので何とか出来たが、きっと、今なら音を上げる。そんな地獄のようなキャンプに、毎年、岐阜や長野、三重辺りにしょっちゅう出かけていたのを思い出した。
そんなことを話していると、妻は今でも、キャンプはやってみたいと言う。せっかくだから、広い庭にテントを張ってみようか・・というと、それじゃつまらないと言い出した。まあ、確かに、日常と非日常の境目みたいな感じになるので、醍醐味は薄れるにちがいない。
左手には、針江の別荘地が見えてきた。
何でも温泉付き別荘地で売り出されたようだが、なかなかここは曲者。詳しくは言わないが、私も移住の時、ここらの物件も見たが、いろいろ問題があって、止めておいた。市役所の定住促進課の方からも「あそこは止めた方が良いでしょう」とアドバイスをいただく始末。住んでおられる方のためにも、これくらいにしておきましょう。
一つだけ。これから移住を考えておられる方にアドバイス。「水」は大きな要件だということ。生きていくうえで、都市部に住んでいると「上下水道」や「都市ガス」「電気」といったインフラは整備されていて当たり前だと思っている。だが、それが地方都市、さらに過疎化が進んでいる地域では当たり前ではない。「電気」はほぼ全国どこでも整備されている。これは電力会社の努力のたまもの。ガスも、ガス会社(都市ガスやプロパンガスなどの燃料会社)の競争でほぼ困ることはない状態。だが、上下水道は「公共事業」。いわゆる、市町の運営管理で占有事業である。その場合、競争相手がないので、必要最低限のインフラとして整備されがちである。ここ高島では、いわゆる市街地には上下水道がほぼ完備している。だが、市街地でないところは、私的水道が優先されてしまう。別荘地などはほとんどが私的水道。管理会社や住民の共同管理のため、価格とか水質など、公共水道と比べると厳しい側面は否めない。移住先を選定する時、出来れば、公共の上下水道が引ける場所を選ぶのが得策だと思う。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目④新旭から今津へ [琵琶湖てくてく物語]

さて、いよいよ、新旭町から今津町へ入る。
桜並木が終わる辺りは、「饗庭」という地域。
愛知県にも饗庭という地名があり、担当になったものの、何と読むのか判らなかった苦い想い出があった。
饗庭(あいば)とは、昔、宴を開く際に食材を確保する場所だったという事を聞いたことがある。愛知県西尾市吉良町饗庭では、信長や家康が狩りをした場所だったとか、それ以前からも猟場だったとも聞いた。ただ、ググってみると、「饗宴を開いた場所」という説明になっていて少し違いがある。
吉良町饗庭はとてもそういう場所ではないし、ここ、高島市新旭町饗庭もそんな場所とは思えない。まあ、今は、自衛隊の饗庭野演習場があるのですから、或る意味、「軍隊の饗宴の場所?」であるのかもしれないが・・。
地名というのはその意味を知るととても面白いことが見えてくる。
ここ、新旭町も、「新しい旭」ではなく、新儀村と饗庭村が合併して、新旭町という町名になった。饗庭村は、饗庭村・熊野本村・旭村・針江村・深溝村が合併してできたので、新儀村と旭村の名前の一部が残っているということになる。
何故、旭村の旭が残ったのかはよく判らないが、たぶん、その時の有力者のパワーバランスだったんだろう。
などという薀蓄を妻に披露し、途轍もなく、つまらない顔をされてしまった。

湖岸道路(風車街道)とバイパスが並んでいるところを過ぎると、湖岸に、少し大きめのログ風の建物が見えて来る。「水鳥観察センター」だ。
琵琶湖岸にはいくつかこうした観察センターがあるが、ここは、おそらく最も小さい。建物周辺の水辺には、木道の散策路が整備されているのだが、少々朽ち果てたところもあるので、外観だけでは、寂れているように見える。立ち寄る人がどれくらい居るのかと心配するほどだ。
でも、是非立ち寄ってもらいたい。それだけの魅力はある。
高島へ転居した年の冬、妻と二人で訪れた。水鳥に興味があるわけではなく、ただ、何となく立ち寄った。入口を入ると、右手は喫茶店(カフェ?)。左手が観察スペースだった。
窓際には、三脚に取り付けた双眼鏡が幾つも並んでいる。
気弱そうな職員が迎えてくれて、とにかく、窓際に置かれた双眼鏡を覗く。冬場は渡り鳥が多く種類も豊富だそうな。
先ほどの気弱そうな職員が、丁寧に優しく解説をしてくれる。バン、オオバン、カモ、シラサギ、ゴイサギ、鵜、等々、とにかく、双眼鏡で見つける水鳥を説明してくれて、意外と楽しい。
特に、琵琶湖の名物とも言える「カイツブリ」は面白い。小型の鳥で、さして綺麗な鳥でもないが、集団で湖を泳ぐ。そして、先頭の一羽が水に潜ると、つられる様に一斉に潜る。そして、予想もしないところで集団で現れる。しばし、その動きに見惚れてしまった。
「もうすぐ、ここにもコハクチョウが来ますよ。」と教えてくれた。コハクチョウは本格的な冬の訪れを教えてくれる鳥だ。コハクチョウというが、実際かなり大きい。
昨年冬にも、安曇川の田んぼで餌をあさるコハクチョウを見て来たが、とにかく、鳴き声が騒がしい。それに、飛び上がる時のジタバタ感も半端ない。ただ空を優雅に飛び回る姿は美しい。そして、滑空しながら降りて来るところは、さながら、航空機の着陸のように見える。
いやはや、随分、横道にそれてしまった。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目⑤今津と古津 [琵琶湖てくてく物語]

さあ、ようやく、今津町が見えてきた。
おっと、その前に一つ。饗庭には「木津浜」(こつはま)というところがある。
地元ではあまり知られていないようだった。今は、数軒の家が並ぶ程度。
もともと、小浜藩から大津・京都へ年貢米を運ぶ際、琵琶湖の畔に多くの蔵を設置した。今でも「木津浜」には「御蔵屋敷跡」があり、小浜市の重要文化財の類になっているようだ。時々、古銭が見つかると聞いたことがある。その頃の賑わいを見てみたいとも思う。
さらに、奈良時代までさかのぼってみると、「木津郷」の名が記されているそうだ。
「古津(こうつ)」とも書くようで、「今津」と並ぶとその意味がよく判る。
「津」は、港・渡し場という意味があるから、古い港と新しい港ということだろう。
街道も、小浜から上中、熊川を経て、保坂、藺生(ゆう)、弘川、弘川口で、今津港と木津浜に分岐している。旧道は木津へ向かうようになっている。
往年の賑わいを感じながら、こうした史跡を巡るのは元来好きだ。
特に、地名にはその時々の人々の思いや願いが込められているから興味深い。さらに、その謂れとそれをわずかに感じる事ができる痕跡を見つけるのは意外に面白い。こんな田舎町だからこそ、人知れず、興味深い逸話を見つけることもできる。
そういえば、愛知県新城市から旧鳳来町の豊川(とよがわ)に沿って、「貝津」という地名が点在している。数か所どころではない。川が蛇行し、少し平地がある辺りには、この地名が並んでいる。上貝津・中貝津・下貝津・北貝津・西貝津等々。何か大いに意味のある地名に違いない。「貝の取引場所」というには、余りにも不自然。
一説には「垣内」を「貝津」としたともあるが、豊川沿いの地名はいずれも人家の少ないところ。水害との関係の方が大きいのではないかと推察する。
そろそろ、お昼近くになってきた。
今津町に入る手前に、近江ちゃんぽんのお店がある。
ちょうどお昼時で、駐車場は満車だった。何度か食べに行ったが、なかなかのものだった。ボリュームと味、価格、いずれも十分満足した記憶がある。(実は、小生、いささか味音痴。何を食べてもおいしいと思うし、美味しいと言われて行った店がさほどということもあったりして、グルメとは程遠いので真に受けないように)
チャンポンというと、長崎ちゃんぽんを思い浮かべてしまうが、近江ちゃんぽんは別物。くせになる味。ちゃんぽん通には物足りないかもしれないが・・。
私たちも、昼をどうするか考えながら歩いていく。
庄界川(小さな水路)を超えると今津町に入る。
分岐を右に、湖岸沿いを歩いていく。竹生島クルーズの今津港まで来た。
少し寒いけれど、天気が良いので、何か買って湖畔で食するのも一興と思い、今津駅前にあるコンビニ(セブンイレブン)に入ってみたものの、今ひとつピンとこないので、何も買わず、通りへ出て、少し歩いてみる。
平和堂今津店が見える。
そう言えば、高島の人たちは、ここを「いまへい」と呼ぶようだ。
最初、何の事か判らなかった。安曇川にある平和堂を、「あどへい」とは聞いたことがない。きっと、安曇川の平和堂と区別するための呼び名かと推察する。
高島市に来て、スーパーが少ないことに驚いた。人口5万人弱ならやむを得ないのかもしれないが、初めのうちは戸惑った。だが、5年も暮らすと、慣れて来るものだ。平和堂・バロー・コスモスでだいたい必要なものは手に入るし、大津方面へ30分も走れば、ユニクロもある。セカンドライフの私たちには十分だと思う。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目⑥今津の湖畔道路 [琵琶湖てくてく物語]

「いまへい」の向かいにある店を見て、妻が「あそこにしましょう」と言った。
彼女が、そういうふうに店を決めるのは少ないので尊重する。
そう、「マクドナルド」だ。
関西では「マクド」と呼ぶらしい。
関東では「マック」が主流。確か、愛知県でも「マック」だったように思う。トイレにも行きたいので、「マクド」に決めた。全国チェーンの店舗は、余所者にはありがたい。コンビニも同様。大抵どの店舗も同じようなつくりですぐに判る。「マック」は、入る前からメニューも想像できるし価格も判る。安心感というのは大きい。
こういう時、たいてい、頼むのはビッグマックセットとチーズバーガーセット。店内に入ると、外を歩いてきたせいか、随分温かく(いや暑い)感じたので、ドリンクはゼロコーラにした。
コーラとゼロコーラは別物だと思う。カロリーを気にして、つい、ゼロコーラを頼みがちだが、あの甘味料「アセスルファムリウム(アセスルファムK)」の味が気になる。
昔、生協に勤めていた頃、「アセスルファムリウム(アセスルファムK)」や同類の「アスパルテーム」等のもとになっている「L=フェニルアラニン化合物」は体に悪いと宣伝していたことを思い出す。フェニルケトン尿症の患者には摂取制限があり、過剰摂取で「知的障がい」に繋がる可能性があると言っていた。
勿論、正論ではあるが、「一事が万事」というような過剰宣伝ではなかったのかと思うことがある。今なら、かなりの社会問題になるに違いない。そんなことを思い出すせいか、ゼロコーラ独特の甘みに体が過剰反応しているに違いない。
食べ終えて、「マクド」を出て、再び、歩き始める。
湖岸の旧道は趣があって良い。
竹生島へ向かう観光船の乗り場周辺は、観光化していてそれはそれで面白いのだが、それ以上に、その先の通りが良い。
通りから湖側に面した土地に建つ家の中には、昔の建物が残っていて、改修したところが多い。丁子屋という旅館は、おそらく江戸時代からの作りではないかと推察する。
少し進むと、「住吉宮」がある。その隣には、「九里半街道起点」の看板がある。今津から若狭(小浜)までを結ぶ街道が九里半だったことにちなむらしい。さきほどの「木津浜(古津)」が奈良時代から室町時代に栄え、安土・桃山時代以降はこちらが栄えたのだろう。その間に、なにがあったのか。例えば、物資の量が増えた事で、以前の港だけでは足りず、新たに港が整備されそちらに主流が移ったとか、災害によって何か不都合が生じたとか、琵琶湖の水位変化があったとか・・いろいろと想像を膨らませるのも面白い。
民家の間の所々に、浜へ降りる道がある。
ちょっと寄り道して浜へ出る。
浜に出ると、今津の地形がよく判る。琵琶湖に向かって、右手は安曇川まで大きく湾曲していて、左手も石田川まで湾曲している。砂浜は少なく、小石の浜だ。
再び、通りに戻る。平和堂の裏手を通り、石田川を超える。
この先は、「湖西の松林」と呼ばれる美しい浜が続く。今津町浜分からマキノ町高木ビーチまで5kmほどらしい。防風林と魚付き林の役割をもって明治期に植林された。おそらく当時はまだ小さな松だっただろうが、今でははるかに見上げるほど大きく、根が道路を浮き上がらせるほどに成長している。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目⑦マキノへ入る [琵琶湖てくてく物語]

ここからしばらく、湖岸道路(風車街道)を歩くことになる。今津浜水泳場、浜分沼を過ぎて、再び、湖畔の道路を歩く。暫くすると、桂浜園地に着く。ここで小休止。
桂浜園地は、秋の彼岸には、曼珠沙華(彼岸花)が咲き乱れる美しい所だ。ほぼ毎年、見に行くことにしている。いつの頃からか、真っ赤な彼岸花が好きになり、愛知県に居た頃も、あちこちの彼岸花を見て回った。突然のように咲く花がこの上なく好きだ。
子供の頃、祖母に「彼岸花の下には人の死体が埋まっているから近付くな」と脅されたことがある。おそらく、祖母は、彼岸花が持つ毒のことを教えるために行ったのだろうが、子どもだった私は、そんなはずはないと敢えて、彼岸花を見にいっては摘んできたものだった。田畑の畦に彼岸花が咲いているのは、偶然じゃなく、農作物を守るためだと聞いたことがある。彼岸花の根が持つ毒(アルカロイド)の成分で、モグラとかネズミとかから農作物を守っているらしい。
人の死体とは全く無縁なのは明らかだが、時々、山間部の何でもない斜面で彼岸花を見つけると、祖母の言葉を思い出す。ただ、殺人事件とかじゃなくて、昔の合戦で命を落とした武者がそこに埋まっているのではと思ってみるのだが・・
一休みをした後、いよいよラストスパート。残り、5km程度のはず。
11月は日暮れが早い。特に、この辺りは西に聳える箱館山が夕日を遮るので、急がなければいけない。
桂浜園地を出るとすぐに、貫川内湖(北湖・南湖)がある。バス釣りやヘラブナ釣りが良いらしい。冬になると、少し物寂しい。
さらに進む。
実は、高島に移住先を決めた時、初めは、この辺りで住居を探していた。妻も、この辺りの風景を気に入っていたのだが、なかなか物件が見つからなかった。
通り沿いにある「グリーンライフ」という不動産屋に飛び込んで、相談したのだが、湖岸沿いの物件はなかなか出ないとの事。
店主のT氏も、大津在住で、カヌーやSUPの趣味が高じて、琵琶湖畔に移住した方だった。器用な方で、実は、移住後の住宅の改修はこの方にお願いし丁寧に仕上げてもらった。
「1年とか2年とかのスパンなら見つかるかもしれません。それまで待てるなら探します。」と言われた。その時、出来れば、年内中に移住先を決めたかったので、その提案は飲めなかった。
「いっそ、土地を買って家を建てるというのはどうですか。」と再提案された。それも一つの方法かもと考えてみたものの、土地は安いが湖岸の土地は建築制限があることが判った。建ぺい率は30%だと聞き、30坪の家なら土地は100坪が必要になる。さらに隣地との境界の距離制限もあり、100坪程度だとかなり窮屈になると言わざるを得ない。さらに、土地と建物を計算すると、手持ち資金が厳しい。ちょっと無理かと諦めた。
「少し山手に入れば物件はありますよ」とも云われたが、やはり、琵琶湖の畔が良い。せっかく、琵琶湖の近くに来るのだから、山手にあるような別荘地なら、ここじゃなくてもいい。むしろ、長野や山梨の方が、中央アルプスや南アルプス、富士山などを眺めて暮らせるのでよほどいいと思ってしまう。せめて道一本くらい入っても、歩いてすぐに湖岸に出られるところが良い。
そう思い、別の不動産屋に行く。名誉のため、どこの不動産屋かは書かないが、マキノ駅近くの店に入るなり、ちょっと不愛想な人が出てきて、「住民票はありますか?ない人にはここらの土地は売れません。お帰り下さい。」とかなり高圧的な対応をされた。人口減少に陥っている高島市に、転入者を迎えることは意義あるはず。けんもほろろな対応は、高島市の印象を悪くするだけではないのか?それ程儲かっているような店には見えなかったが・・
転居した後で聞いたのだが、その店は、外から来る人に対して強い偏見を持っているとの事で、不動産屋の仲間内でも困った存在らしい。どこの業界にもそういう人はいる。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

1日目⑧マキノ・知内浜 [琵琶湖てくてく物語]

いよいよゴールが見えてきた。
松並木沿いを歩いていく。この辺りは「中庄浜」と呼ぶらしい。ここからの竹生島の景色が私は一番好きだ。
その先、百瀬川の手前から、知内という地区の街並みが続く。湖岸側に家はないので、庭先から湖が見えるロケーションが羨ましい。
百瀬川を越えると今日のゴールとした「マキノサニービーチ」だ。
カタカナの町名は珍しい。
随分前のことになるが、この「マキノサニービーチ」という名称にちょっと驚いたことがある。どこか、明るい「湘南」のイメージを感じて、調べてみると琵琶湖だった。
その頃は、ネットは無くて、観光ガイドブックを本屋で立ち読みするような形で見た記憶があるが、白い砂と松林、そこで愉しむ観光客の姿の写真があった。
キャンプ場併設というので、子供ができたら連れて行こうとその時は思っていたのだが、すっかり忘れていた。
キャンプ場を過ぎると、グランドパークホテル奥琵琶湖マキノ、その先に数軒の店があり、「マキノサニービーチ高木浜」に到着した。
ここには「マキノサニービーチ湖のテラス」がある。
ネットでもいくつか写真がアップされているのでご覧になっている方もいるだろうが、なかなか良いところ。青い湖、その先に対岸の山々も見え、琵琶湖の大きさがよく判る。マキノ駅から「アクアパレス通り」の一本道の突き当たり。これからの季節、のんびりするには良いところではないだろうか。
とりあえず、今回のゴールはここと決めた。
時間は15時30分。朝、9時30分に家を出て、6時間。
記念写真を撮って、アクアパレス通りを通って、マキノ駅に向かう。カフェが数軒並んでいる。
マキノ駅からJR湖西線で近江高島まで戻って、近江高島駅から自宅まで再び歩いて、帰宅は17時。
歩いた距離は29km。43,032歩。消費カロリーは1620Kcal。
初日としてはかなりの距離だった。
妻はさほど疲れていない様子だった。彼女は細身で小さく一見か弱く見えるのだが、実は、かなりのバイタリティの持ち主。歳を重ね、時々疲れた顔を見せることはあるが、大病を患う事もなく、過ごしてきた。
彼女のモットーは「いつも笑顔で健康に。」年賀状には必ず書き添えるくらいだ。
一方、私はというと、大きな失敗をしていた。歩くには足元は軽い方が良いだろうと、軽量のランニングシューズを選んでしまった。ソールは薄く、歩き始めは快適だったが、途中から何か、足首や足の甲に痛みが出るようになった。家に帰ると、膝まで痛みが出ていた。長時間、長距離を歩くためには、しっかりとしたウォーキングシューズが良いらしい。さっそく、次の休みに、「平和堂」に行ってみようと思った。
ただ、大きな事故もなく、無事に家に戻れたことには安堵した。さて、次は来月12月の予定だ。今回よりも短い距離なので大丈夫だろうと思って休むことにした。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

2日目、①マキノから塩津を目指す! [琵琶湖てくてく物語]

さて、いよいよ、2日目。初日からほぼ1ヶ月あいた12月8日。
今回は、マキノから近江塩津までの、ざっと15kmの予定。
山中を歩くルートになるので体への負担を考え、短めに設定した。
琵琶湖を徒歩で一巡りしようと決めてから、計画を練っている時、幾つか困ったことがあった。それは、湖岸沿いに歩くルートがない所があることだった。
その一つが、このルート。
マキノから、海津大崎を経由して大浦までは湖岸沿いの道路がある。
春になると花見観光で混雑する「海津大崎の桜」ルートだ。そこから湖岸沿いには、「菅浦」地区までは行ける。だが、その先はどうか。
GoogleMapで見ると、それらしき道はないようだった。だが、もしかしたら、歩道くらいはあるかもしれない。事前に、菅浦へ行ってみた。
菅浦は、時間の流れが止まったような場所だった。
村の出入口には、茅葺の棟門があり、これが菅浦の四方にあったそうだ。今は西と東が見学できる。棟門では、明治維新まで、村への出入の検察が行われていたそうだ。中世から、「惣」と呼ばれる住民自治の組織が発展していたようで、厳しい環境の中で村を守る力が重要だったそうだ。その茅葺の棟門の一つ「東の四足門」の先に行ってみた。私有地かもしれないところを更に入っていくと、湖岸に降りる。その先には、やはり、道はなかった。(菅浦の事はまた別の機会に書き記そうと思う)
ということで、結果として、山中を歩くルートとなった。

朝、8時30分、車で家を出て、マキノ駅へ向かう。マキノ駅前には無料の駐車場があり、そこに車を停めた。そこから、前回のゴール地点となった「マキノサニービーチ湖のテラス」へ向かう。今回のルート上には、コンビニがほとんどないので、マキノ町高木浜交差点にあるファミリーマートで昼食を買い、リュックに入れる。
さて、いよいよ、出発。
湖岸沿いの道を歩き始める。
湖のテラスを出て直ぐ、湖岸へ降りる道を見つけて湖岸に出る。
散策路が続いていた。人の家の裏(?)を歩くような感じだが、快適。湖岸に建つ家に住んでいる人には、湖岸はほぼプライベートビーチみたいなものだろう。花を植えている人や机や椅子を置いている人もいる。羨ましい。
しばらく行くと、再び、通りに戻る。
その先には、「海津の石積み」がある。調べてみると、全長1.2kmで江戸期には完成していたらしい。家屋を守るためという解説があるが、琵琶湖は土地を侵食するような高い波は起きない。更に言えば、中世の琵琶湖は今より水位が低かったと言われている。土地を侵食するというより、流れ込む土砂の堆積の方が問題だったはずだ。
遠くから眺めてみると、この石積みは、どこか「城壁」を思わせるところがある。
もしかしたら、外敵からの防御なのではないだろうか。
海津は湖上交通の要衝として栄えてきた。あれだけの石積みを作れるとすればかなりの財力を持った人達がいたにちがいない。中世は、瀬戸内でもいわゆる「海賊」が力で治めていた時代である。琵琶湖も同様だったのではないだろうか。そうした輩から、町を守るための「石積み」だと思うと、納得がいく。今も、石積みの残る辺りには、たくさんの民家が建ち並んでいて、人々が普通に暮らしている。私の知り合いも住んでいて、一度、家に入ったことがある。湖に面したところに、離れの家屋があり、窓を開けると、南面に琵琶湖が広がるロケーション。贅沢の極みなのかもしれない。
その街並みを過ぎ、突き当たりを右に曲がると、「海津大崎の桜並木」に入る。

nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

2日目、②海津大崎を歩く [琵琶湖てくてく物語]

「海津大崎の桜並木」は、驚くほど有名だ。もちろん、この時期に桜の姿はない。転居してきたばかりの頃、春真っ盛りの平日に立ち寄った。交通規制がなかったので、車で入って行ったが、失敗した。ここから先、道路幅はかなり狭い。なおかつ、無遠慮な駐車車両もあって、かなり渋滞していた。だからと言って、反転して戻ることもできない。桜の花を見るには良いが、運転する身には辛い想い出しかない。
冬場のここは、ほとんど車も通らず、人影はない。のんびり歩くにはちょうどいい。
歩き始めて直ぐのところに、「義経の隠れ岩」なるものがある。
文治3年、都落ちした義経が北陸へ向かう途中、身を隠していたとの表記があった。さほど大きくない岩なのだが、身を隠すほどのところは想像しにくい。ただ、そうした伝説が残っているということは、何らかのエピソードがあったに違いない。
再び歩き始めると、その先に「海津大崎港」と「大崎寺」に着く。今回は、素通りする。
高島へ移住したばかりの頃、ここへ来た。
その時、「西近江七福神巡り」を知った。市内にある寺社7カ所に七福神が割り当てられていて、台紙を購入して、まず、ここ大崎寺で御朱印を貰った。それから、唐崎神社(マキノ)・西行寺(今津)・行過天満宮(今津)・正傳寺(新旭)・玉泉寺(安曇川)・白髭神社(高島鵜川)を回り、あっけなくコンプリート。
一番印象に残っているのは、安曇川町田中にある玉泉寺。
立派な山門をくぐると、右手に「五智如来石仏」が鎮座している。鵜川にある48体阿弥陀仏と同じ造りで2m弱の大きさ。歴史を感じる。ただ、それよりも強いインパクトは、この寺の御住職。ふらりと参拝に訪れた私たちを温かく迎えて下さり、仏教の教えを講釈いただき、最後には「忘己利他」の書までいただいた。FBでも発信されていて、活動的。室町時代に再建された寺と聴く。寺巡りは好きだが、なかなか御住職とお話する機会は少なく、今でも鮮明に覚えている。
ちなみにいただいた「忘己利他」の書は、リビングの壁に貼ってある。「もうこりた」と読む。「我を忘れ、他を利するは慈悲の極みなり」という天台宗・最澄の教えとのこと。自我が強い私にはなかなか難しい。いらいらした時やむしゃくしゃした時、その書を見て反省している。元来、神仏を信じるほうではない。生家は「浄土真宗」だったが、葬式や法事以外にはあまり考える事もない。最近は、怪しげな新興宗教などに関連して事件も多く、そういうことを考えない様な風潮も強い。ただ、今回、玉泉寺の御住職から話を伺ってみて、日本の仏教は、まさに「教えの道」なのではないかと思うようになった。遠く、ヤマトが成立し、日本民族というかたまりが生まれてから、人々が日々の暮らしの中で得た叡智が詰め込まれているような気がした。

また、話が脇道にそれた。

さて、海津大崎を過ぎると、トンネルを5つ抜けることになる。短いトンネルでさっさと歩く。その先には、二本松キャンプ・水泳場。そこから先は、長浜市となる。
ここまで余り書かなかったが、歩いていて困ることの一つに「トイレ」がある。街中であれば、公園やコンビニで済ますこともできるが、見つからない時もある。実は、この行程で、この辺りで大変困った。二本松キャンプ場を見つけた時、ほっとしたのだが、冬場は閉鎖されていて結局我慢することになった。
奥琵琶湖の景観が素晴らしい。入り組んだ湖岸、澄んだ水、何より民家がほとんどなく、自然そのものの中にいると感じられる。
しばらく行くと、「ロテル・デュ・ラク」。かなり高級そうなホテルだ。その先は別荘地、奥琵琶湖老人ホームを過ぎ、いよいよ、大浦地区に入る。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー