SSブログ
アスカケ第3部遥かなる邪馬台国 ブログトップ
前の30件 | 次の30件

3-2-14 沼 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

14. 沼
アスカの傷が癒えるまで、カケルは社(やしろ)で過ごす事になった。
その間、大主タツルは、カケルを連れ、阿蘇の里のあちこちを見て回った。阿蘇はもう秋も深まり始めていた。
大草原も深い緑の草原は徐々に枯れ草に変わり、背の高い草に隠れて見えなかったものも見えてきた。なだらかな丘に見えていたところも、実は、阿蘇の噴火で吐き出された岩石があちこちにあり、険しい火の山の様相を見せ始めていたのだった。
大主タツルとカケルは、馬にまたがり、立野へ行った。居を構えた場所は遠く、白川の流れる先まで見渡せる。
「まだ、ここから見えるところには着いていないようですね。」
「ああ、そのようだ。・・しかし、この山を越えてくるとなると、どう守れば良い?ここから大里まではすぐのところだ。ここから兵が一気に来れば、防ぎようが無い。」
大主タツルは、大里の方角に視線をやった。
「幸い、ここから大里は見えません。深い森が里を隠してくれています。すぐに見つけられはしないでしょう。」
「しかし・・いずれは見つかる。」
カケルは、大里から御山の方角に目をやると、御山の西、黒川と白川が合流し、西の谷の湖へ流れ込む辺りを見た。
「ここまで来た兵が、違う場所へ向かうようにできないでしょうか?・・そう、あの辺りへ。」
指さす先をタツルは見た。
「それは良いが・・どうやってそちらへ向かわせる?」
「とりあえず、あの辺りまで行ってみましょう。」

馬を走らせ、先ほどの当たりへ足を運んだ。日ごろは、毒気が蔓延しているからと近づかない場所だが、カケルたちやイノヒコが御成山を越えてきたことで、毒気が弱まっている事はわかった。
西の滝にある湖には、大里のほうから流れ込む黒川と、南の里のほうから流れ込む白川があった。黒川は、川幅も広くゆったりとした流れだが、白川は、深い谷を作る川であった。
「この辺りでしょうか?」
馬を降り、カケルは立野のほうを見返した。
「ああ・・この辺りだ。で、どうする?」
カケルは少し高台に上ってみた。すると、合流地点を少し山のほうへ上がった辺りに、いくつかの沼があるのを見つけた。
「あれは?」
「ああ、あれは、大月沼、小月沼という。・・不思議な沼なのだ。秋も深まって、今は随分小さくなっているが、冬になると全く水が無くなる。そして、春と共に水を湛えるのだ。大きくなったり小さくなったりするので、お月様のような沼という事だ。」
カケルは、ナレの村を思い出した。ナレにも、一年のうち、夏にだけ水を吐き出す泉があった。雪が解けるころになると水を噴出し、秋になると水が止まる不思議な泉だ。
「その沼の上辺りには、泉がありますか?」
「ああ、少し山に入った辺りにな。」
「行ってみましょう。」
カケルは、草原を横切り、大月沼に向かった。もう、底が見えるほどに水が減っていた。
「水が流れ込む場所は?」
「ああ、あの辺りだ。」
カケルの頭の中に、何か良い策が浮かび始めていた。
カケルは、水の流れ込む辺りをじっと見てから、目線を上げ周囲を観察した。そして、しばらく目を閉じ、何か考えているようだった。
「タツル様・・良い方法を思いつきました。・・この沼を使いましょう。・・ここなら、立野辺りからも良く見える。うむ、ここなら良い。・・」
「どういう事だ?」
カケルは、その場に座り込んだ。大主タツルも脇に座った。
カケルは、タツルの目をじっと見て、ようやく考えがまとまったように話し始めた。
「ここに、村を作りましょう。冬になれば、水が引く。それを待って、地面を均し、いくつか家を作りましょう。・・・そうだ、あの南の捨てられた里から、運んで来れば良い。・・見せ掛けの里ですが、新しいのはあやしまれる。あそこから出来るだけ、いろんなものを運び込んで、里を作りましょう。・・それから、立野からも見えるような大きな楼閣も・・・立派な作りでなくてもいいんです。高い高い物見櫓程度で良いのです。・・飾り付けだけは派手にして・・とにかく・・王が居ると見えるようにしましょう。」
「それは良いが・・春には水に浸かってしまうぞ。」
「ええ、ですから、水の流れ込む場所も作り変えるのです。堤を築きましょう。泉からの水を一旦、小さい沼のほうへ引き込みます。正し、すぐに切れるような工夫が必要です。時が来てすぐに水をこの沼に引き込めるようにするのです。」
「よく判らぬが・・それでどうしようというのだ?」
「敵をここへ誘い込むのです。・・兵をすべてこの中に引き入れたあと、水を一気に流し込む。・・溺れるほどでなくても良いのです、足を掬われる程度で・・兵の動きを止めれば、我らに勝機も生まれます。」
「そうか・・では、舟を増やそう。泉のあたりに隠し、水と共に一気に雪崩れ込めば勝てる。」
「ええ、それに・・・兵の多くは、嫌々、従っている八代の民です。命を奪う必要は無い。戦う気力を奪うのです。そして、ラシャ王を取り囲み、押さえつければよいのです。」
「しかし、それならわざわざ高い楼閣を作らなくとも良いのではないか?」
「いえ・・王が謁見すると言い、ラシャ王と伊津姫を上に招くのです。混乱した中では、何が起こるかわからない。楼閣の上なら、少人数の対決になる。姫を守る事もできるでしょう。」
「そうか。よし、明日からにも、南の主に言って村づくりと、堤作りを始めよう。」
そう言って立ち上がったタツルが、ふと呟いた。
「だが・・ここまで兵を引き入れる事が出来るだろうか?」
「・・ええ、それは・・立野からここまで、まっすぐに道を作らねばなりません。・・草を刈り、馬で何度か走り抜ければ、それらしく見えるでしょう。しかし、その後が厄介です。誰かが、立野辺りで里を案内する役にならねばなりません。余り、強そうではそこで戦になるかも知れません。しかし、余り頼りないと信じてもらえぬかも知れません。・・それと、楼閣で待つ王の役も大変です。いざとなれば、ラシャ王と渡り合わねばなりませんから・・・。」
「仕掛けを作っても、どうやって活かすか・・・まあ、それはゆっくり考えよう。まずは、兵を騙す仕掛け作りだ。明日から忙しくなるぞ。急がねば、雪に閉ざされてしまうからな。」

三日月湖.JPG

3-2-15 雪の峠 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

15. 雪の峠
 大里の者総出で、偽りの里作りは始まった。南の里からは、廃れた村の家をばらばらにして運び込んだ。西の谷のシュウは、丸木舟を作り始めた。大里では、楼閣のための大木の切り出しが始まった。並行して、いつもの冬支度もしなければならなかった。足の傷が癒えたアスカは、カケルとともに、立野に行き、峠から偽者の里への道作りを手伝った。皆、必死に仕事をしたが、この年は例年より早く雪が降り始め、外輪山には積雪が見えるようになった。里も、雪化粧となり、終には作業が出来ないほどになってしまった。辛うじて、泉の水の流れを変える堤は出来上がった。
 雪が積もる立野の家には、カケルとアスカが居た。二人は、道普請と同時に、西から姿を見せるはずのラシャ王の軍を見張っていた。
 その日の朝も、吐く息は白く、辺りは凍りついていた。薪を取りに表に出たアスカが、いつものように、西の方角を見ると、小さな煙が立ち上っているように見えた。アスカは、家に戻り、カケルを呼んだ。
「ねえ、あそこ。あれ、煙じゃないかしら・・。」
カケルはじっとその方角を見た。幼い頃から、カケルの視力は人並み外れて良かった。
「ああ・・確かに、煙だ。・・他にも数箇所、ある。・・いよいよ、やって来たようだ。・・」
「すぐにここへ来るでしょうか?」
「いや・・この雪だ。例え、登って来たとしても峠を越えるのは無理だろう。」
ついに、間近に敵が迫ってきた。春になれば、戦になるかもしれない。
「私、大主様にお知らせして参ります。」
「大丈夫か?」
「平気です。・・馬で行きますから・・。」
アスカは、道普請の頃に、乗馬を身につけ、カケルよりも上手く扱えるほどになっていた。
「雪道だ、ゆっくり行きなさい。急ぐ事はない。」
「はい・・」

冬場になると、それぞれの里の者は、全て、大里に引上げて、春を待つ。大里は、外輪山の裾野に広がる深い森の中を切り開いて作られていたが、この辺りには雪が積もらなかった。近くに、湯を噴き出す温泉が幾つかあり、川の水も凍らない。大里の中には、温泉の湯を引き入れてあるところがあり、冬でも暖かかった。子どもたちは、社の前にある広場で、元気良く遊んだ。女たちは、織物や竹細工など、次の春に備える仕事に精を出した。男たちは、大里の普請や薪作りに精を出した。大主をはじめ、主たちは、それぞれの里の様子を見て回った。

「大主様!大主様!・・敵が、瀬田の地までやってまいりました。」
社に飛び込んだアスカは、すぐに叫んだ。奥から、ゆっくりと姿を見せた大主は頷いた。
「今日、明日には来ない。おそらく雪解けを待ってやってくるだろう。・・皆に、心するよう伝えよう。」

数日後の事だった。その日は、北西風も止み、冬晴れの空が広がったのを見て、カケルは峠まで行ってみることにした。瀬田にまでやってきた兵が、雪の中を進んでこないとも限らない。そう心配して、様子を探る事にしたのだった。アスカも供をすると言うので、ゆっくりと様子を見ながら峠道を登った。
峠に着いて、見下ろした。一面雪景色が広がっている。
「これほど雪が深くては、登って来れないでしょう?」
アスカが言うと、カケルはじっと遠くを見てから、
「静かに・・」
そう言って、身を低く屈めた。アスカも慌てて屈んだ。
「・・・あそこに・・何か・・人か?・・・」
太い杉の木が重なり、雪を被っていない根元辺りに、人が蹲っているのが見えた。二人は静かに近づいていった。カケルは、アスカに止まるように手で制した。懐に潜めていた小刀を取り出し、音を立てずに近づいた。杉の木に隠れるように、背後に回り、一気に首元を掴んで小刀を構えた。
「何者だ!」
しかし、反応が無い。辺りを見ると、他にも数人、横たわっている。どれも冷たくなって、死んでいた。服装から、明らかに里の者ではないことは判った。
「カケル!こっち!」
アスカが指差したほうに、ひとり横たわっているが、わずかに息があるようだった。
カケルは、近寄り揺り起こしてみたが、微かに息をしている程度だった。
「立野へ運ぼう。」
カケルはその男を背負うと、雪道を戻っていった。

立野にある家に運び、囲炉裏の火を大きくし、男の体を温めてやった。夕方近くになって、男は意識を取り戻した。
「ここは?」
「気がついたか。・・峠で倒れていたので連れて来たのだ。・・どこから来た?」
その男は、家の中をゆっくりと見回して、自分が居る場所を確認しているようだった。
「大丈夫だ。ここは山の中の一軒家だ。訳あって、隠れ住んでいる。さあ、これを飲むと良い。」
アスカが、器に温かい湯を運んできた。男はゆっくりと飲み干した。
「お前は、ラシャ王の兵か?」
男は少し躊躇いながら答えた。
「俺は・・宇土の漁師・・タン。・・突然、大きな船が現れて、おらの村は皆やられた。捕まったものは、兵になるなら生かしてやると言われて・・王は知らないが・・大将はサンウ様だ。」
「あそこに倒れていたものたちも一緒か?」
「ああ、昨日、宇土の者が集められて、五人ほどいた。山越えをせよと命令された。峠を越える道を見つけてくれば、赦してやると言われたんだ。だが、雪が深いのと、寒いのとで、どうにも動けなくなった。皆で身を寄せて凌ごうとしたが・・・」
そう言うと、男は地面を叩き悔しそうに涙を流した。
「瀬田の地にはどれほどの兵が居るのだ?」
「・・・たくさん居た。だが、あそこに着くまでに逃げ出した者もいる。それに、おらたちのように、山越えを命じられて、そのまま戻らなかった者もいる。・・食うものも少なく、寒さに震え、死ぬ者も逃げ出す者もいる。・・・数はわからないが・・随分少なくなった。」
タンの話から、瀬田の地でラシャ王の軍はかなり厳しい状態にある事が判った。しかし、道を探るために、斥候を送っているところからも、いつ、人が入り込むか判らない事も判った。
「これから、どうする?」
「どうするって言われても・・ここを出たところでどうにもならない。どうか、しばらくここへ置いてください。何でもしますから・・どうか・・。」
カケルとアスカは、タンをしばらく置く事にした。

雪の阿蘇3.jpg

3-2-16 雪解け [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

16. 雪解け
タンを見つけた後は、峠を越えてくる者は無かった。立野から見下ろした辺りに見えていた焚き火の煙もほとんどなくなり、兵たちはもっと平地へ下ったようだった。
いよいよ春を迎えた。いよいよ、下から兵が登って来るだろうと、カケルは毎日、谷の先の様子を見ていた。しかし、足元の「トマキ」辺りには人影は無い。それどころか、瀬田よりもっと先に煙が立ち上るようになったのだ。兵達は、阿蘇を攻めることを止め、引き返すつもりなのかとカケルは考えるようになっていた。
この頃、タンは、西の谷でシュウを手伝い、魚を取るようになっていた。元々、宇土の漁師である。舟を操り魚を取る術は体に染み付いている。海と湖の違いはあるが、どうにか勘も取り戻した。その日も、シュウと二人で、朝から湖に舟を出していた。
「おや・・あれは?」
シュウは、急いで湖の奥へ舟を進めた。

「カケル様!カケル様!」
必死の形相で、タンが崖を上ってきた。
「どうしたのだ?」
「・・ええっと・・シュウ様が・・イ・・イノシシ様をお連れです。」
カケルは意味がわからなかった。
「シュウがイノシシに襲われたのか?」
「いえ、・・ええっと・。イノ・・イノヒコ?様が戻られた・・のです。」
カケルはそれを聞いて、転がるように勢いで崖を降りた。
少し遅れて、アスカとタンも西の谷の里へ降りてきた。
「カケル様。」
イノヒコは少し疲れた表情で、挨拶をした。
「すぐに、大主様のところへ行こう。・・瀬田の様子を話してくれ。」

その頃、大主タツルは、沼に作ったかりそめの里に居た。最近では里の者も、ここを沼里と呼び、南の里の者が、日中はそこで生活するようになっていた。
高楼は三層になっていた。一番上には物見台があり、南の里の者が交替で遠く、立野辺りを見張っている。二階には、広間が作られ、大主タツルはそこに居た。
「大主様、イノヒコ様が戻られました。」
カケルはそう言って広間に入った。
大主タツルは、じっと眼を閉じて何か考えているようだったが、目を開け、皆を座らせた。
「さあ、瀬田の様子を聞かせて貰おう。」
イノヒコは、敵の大将はサンウと言い、総勢千人近くの兵を率いていたが、今では半数近くに減っている事、そして、ラシャ王が宇土からやってきて、サンウに命じて、瀬田の地を開墾し始め、農地を作ろうとしている事を話した。
「不可思議な。ここを攻めるのを諦めたのか?」
不思議な思いで、大主タツルはイノヒコに尋ねた。
「いえ、そうではありません。周囲の村の者を味方に付けるのが狙いです。それに、田畑を広げると同時に、阿蘇へ向かう道の普請も、始めています。」
「なんと・・・では、必ず、ここへ来るということか。」
「ええ・・石を敷いた道を峠に向けて作っています。おそらく、夏を過ぎる頃には、峠までに達するでしょう。」
「伊津姫様はどうしておられる?」
大主タツルが、姫の事を案じる言葉を発するのは初めてだった。カケルは、意外に感じた。
「はい・・・エン様がお傍においでですから大丈夫でしょう。・・カケル様が阿蘇へおいでだと伝えましたので、安心されているはずです。」
それを聞いて、大主タツルは、カケルのほうを向いて言った。
「これまで、我らは一族の掟を守り、阿蘇の御山をお守りするため、この地から一歩も出ず生きてきた。だが、外の世界はどんどん変わっている。この地を守るためにも、外の事をきちんと知る事が大事だと・・カケル・・お前に教えられた。・・伊津姫様は、邪馬台国の王の血を継がれるお方、九重の国々、この阿蘇の地にとっても大事なお方である。我らは、古い掟に背いてでも、姫様をお守りしよう。敵がこの地へ入ったなら、手筈どおりに事が運ぶとは限らぬであろう。もし、戦となれば、命を懸けて姫をお守りする事をここで誓うぞ!」
大主タツルの言葉は、確かだった。
「ありがとうございます。」
カケルは、ようやく阿蘇一族が動いてくれる事を確信した。
「いや、礼を言うのは我らのほうだ。長くこの地で暮らし、穏やかに暮らしてきた。しかし、子らの未来を思う時、このままで良いのかと迷う事もあった。皆、この地で生まれ、この地で生き、死んでゆく。誰もが、何も疑わず、主の言葉を聞き従う。争いごとなど起きず、毎日がゆっくりと過ぎていく。」
「それは一番良い事ではありませんか。」
カケルは答えるように言った。
「ああ。確かに・・・それも良かろう。だが、何か起きた時、皆うろたえる。主が誤っても誰も疑わない。それではいかんのだ。・・それを、カケル、お前に教えられた。幼くして、村を出て、多くの苦難を乗り越え、多くを学んでおる。そうした若者がこの阿蘇にも欲しいのだ。」
「いえ、私は何も・・ただ、姫様をお救いする事だけを考えて・・・。」
カケルは、大主タツルの言葉に戸惑っていた。自らの生きる意味を問うために、アスカケにでたのだが、近頃は、姫を救うだけに明け暮れ、自らに課したものを忘れてしまっていたことに気付き、恥じた。
「いや、それなのだ。・・誰かのために、命を掛ける事ができるかどうか・・わしは、一族を守るためになら命を投げ出す事は覚悟できている。しかし、大里の者がどれほどそう思っているか・・・主達はそう決めているだろうが・・この先、一族を守る若い力が育つか心配なのだ。」
阿蘇へ来て、穏やかで豊かな暮らしを見てきたカケルには、意外な言葉だった。
「本当を言うと、アスカに教えられたのだ。・・カケルに寄り添い、わが身が傷つきながら、必死で尽くす姿。本当に心の中からカケルを想っておるのだろう。それに、イノヒコ様もだ。どれだけ歩いたか、途中、途轍もない苦労もあったろうに、カケルの顔を見るや否や、まずはカケルの身を案ずる等、到底理解できぬほどの心の深さではないか。」
広間に集まっていた主達も、大主タツルの言葉に深く頷いていた。中の一人、南の里の主、レンが立ち上がった。
「大主様、カケル様、我らはこれより、阿蘇一族としてではなく、九重に生きる者として、大いなる邪馬台国をお守りしますぞ。・・邪馬台国を穢す者は許しはしません。なあ、みんな!」
主達はみな立ち上がり、気勢を上げた。

ふきのとう2.jpg

3-2-17 対峙 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

17. サンウとの対峙
夏の終わり、夕立が通り過ぎた夕刻、それは突然訪れた。
峠を越え、物々しい様相の男達が、列を成してやってきたのだ。
先頭には、紺色の服を纏った屈強な男たち、その後ろに黄服の男が、背中に大量の荷物を背負って従っている。次に、緑、紺の服の男が続く。列の中ほどには、黄服の男が輿を運んでいる。脇には、朱の服に身を包んだサンウが歩いている。そして、青服、そして最後尾にはまた黄服の男が荷物を運んだ。誰一人もの言わず、前だけを見て歩いている。時折、サンウの罵声が飛ぶ。総勢200名ほどの軍隊だった。
峠を越えたところで、カケル達が暮す家の前に着いた。
「誰か、居らぬか!」
紺服の男がぶっきらぼうに声を掛けた。
「はい・・ただいま・・・」
家の中から出てきたのはカケルだった。カケルは、古びた毛皮を着て、髪も髭も伸ばし放題、顔には炭を塗っていた。背を丸め、足を引きずるように歩いた。
紺服の男は、偉そうな口ぶりで訊いた。
「おい!お前!阿蘇の王はどこに居るかわかるか?」
「はあ・・」
「どこだ?さっさと答えよ。さもないと、命を落とすぞ!」
紺服の男は、剣を抜いて、顔の前に突きつけた。
「は・・はい・・・あそこです。あの塔のあるところです。」
カケルは、震える素振りを見せて、沼里の方角を指差した。
「あそこか・・・よし、案内せよ!我らは邪馬台国の兵である。王に遭いたい。」
「・・私は足が悪いので・・あそこには行けませぬ・・娘に案内させましょう。おい、出ておいで。」
中から、黒髪を引き結び、カケルと同じような格好をして、アスカが出て来た。
「娘は、言葉が話せませんゆえ、皆様の前を行きまする。・・後について行かれるが良いでしょう。・・そう、里の周りは沼になっております。狭い丸太橋しかありませんゆえ、ゆっくりと行かれるように・・。」
「ふむ・・まあ良い。さあ、娘、行け!・・皆の者も続くのだ!」
アスカは、カケルを見てこくりと頷いた。そして、沼里まで作った道を進んでいった。
兵たちはカケルの前を通過する。カケルは、土下座をして兵たちが行き過ぎるのを待った。順番に、列が続く。目の前に、輿が通過した時、カケルは少し頭を上げ、輿を確認した。担いでいる男の中には、エンは居なかった。隣には、朱の服の男が厳しい表情で歩いていった。
兵が行き過ぎた後、カケルはそっと家の中に入り、着替えると、裏口から出て、山道を駆けた。兵たちには見つからぬように、丘陵の低いところを背の高い草に隠れながら、風のように駆け抜けた。兵たちは、アスカの後ろをゆっくりと歩いていた。里沼に到着するまでかなり時間が掛かる。
カケルは、沼里に着くと、すぐに、里に居る者たちに、兵の到着を知らせた。
大主タツルも、高楼の上から、兵たちの列を確認していた。
「来たか・・・よし、いよいよだな。」
里の主たちは、沼里の北の森の中に潜んでいた。カケルは、沼里に知らせた後、主たちの潜む森へ向かった。
「到着しました。・・朱の服を着た男が輿の横についております。」
それを聞いて、タンが答えた。
「そいつが、大将サンウです。輿には姫様を乗せているのでしょう。」
「しかし、エンの姿が無かった。エンは、伊津姫の傍を離れる事など無いはずだ。もしかしたら、輿の中は伊津姫ではなく、替え玉かも知れぬ。」
「どうする?」
シュウがカケルに尋ねた。
「予定通りに進めましょう。ここに来た兵をそのままにしておくわけにはいきません。」
皆、顔を見合わせ、計画を確認しあった。
サンウの軍が、沼里に到着した頃には、もう日暮れになっていた。
里沼の真ん中にある広場に、輿とサンウ、そしてそれを取り巻くように、紺服の男たちが立ち並んだ。緑や黄色の服を着た者たちは、沼里の中には入れてもらえず、柵の外の土手に思い思いに座り込んでいた。
サンウが、沼里に響き渡る声で言った。
「われらは、邪馬台国を興すための軍である。俺は、サンウ。大将である!阿蘇の王は居られぬか?!!」
その声を聞いて、大主タツルがゆっくりと高楼から降りてきた。
「この里の主、タツルである。・・なんと物々しいご様子。いかがされました。」
「そなたが、この国の王か?」
「王ではありませぬ。里の主でございます。王を名乗るほどの大きな国ではございません。」
「ふん、こちらにおわすのが邪馬台国の姫様である。我らは、九重の地に、再び、邪馬台国を興すために姫様をお守りしておるのだ。阿蘇一族も、われらに合力せよ。」
「なんと、・・まことなれば、恐れ多い事。お話は、館の中でさあ・・」
敵対心むき出しのサンウは、大主の態度に肩透かしを食らった感じになり、言われるまま、高楼に入る事にした。
「姫様もお入り下さい。」
大主タツルがそう言うと、サンウが返した。
「姫様は、滅多な事では我らに顔は見せられぬ。輿から降りるには、人払いが必要じゃ。」
サンウが言うと、タツルも周囲に言って、皆を遠ざけた。ゆっくりと姫が輿から出て来た。姫は、紅色の服を纏い、頭からすっぽりと白い布を被り、顔は見えなかった。紺服の男が数人、周りを囲み、階段を登っていった。
「さあ、兵の皆様も、館の中へ。」
南の里の主、レンが皆を促し、高楼の中へ入れた。
「お前たちは入らずとも良い!その辺りで休んでおれ。」
紺服の男が、緑と黄服の男たちにはき捨てるように指図した。柵の中から、里に入る事は赦されたものの、広場に座って休むことになった。
広場の周りには、あちこちに火が焚かれ、里を明るくした。
サンウと姫は、高楼の2階の広間に入った。質素な作りで、毛皮の敷物が二つ三つある程度であった。
「今、食事を運ばせます。・・まあ、ごゆるりとなされませ。」
大主タツルはできるだけ和やかに振舞った。
サンウは、表情を崩さず、睨みつけるような視線で、タツルを見た。
「・・食事など後でよい。さあ、先ほどの返事聞かせてもらおう。我らに降伏し従うか!」
タツルの表情が変わった。
「はて、何ゆえ、降伏せねばなりません。まだ、戦もしておりません。先ほどは、合力せよと言われたはずだが・・」

阿蘇7.jpg

3-2-18 沼の里 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

18. 沼里
「おお、これは言葉を誤った。我らに合力いただけるのであろうな、タツル殿。」
「いや・・それは・・姫様が本当に邪馬台国の王の地を継ぐものという証を見るまでは・・」
「何!偽者だと言うか!」
サンウはいきりたった。
「まあまあ、姫様がお持ちの邪馬台国の証をお見せ願えれば納得いたします。さあ。」
サンウは困った。姫の証と言われても何がそうなのか見当もつかない。
「さあ、いかがですかな?もしや、証をお持ちではないのでしょうな・・我らも見たことはございませんが・・確か・・か」
タツルがそこまで言うと、サンウが気付いたように、
「おお、そうだ。輿にあるはずだ。・・おい、あれを持って来い!」
見た事が無いという言葉を聞いてほっとしたような表情でサンウは紺服の男に命じて、小さな包みを持ってこさせた。
「さあ、これが、王の証の鏡である。さあ、ご覧あれ。」
サンウは得意そうだった。瀬田を出る時、ラシャ王から持たされていた宝物を出したのだった。
「これは?」
タツルが少し意味ありげに訊いた。
「これが・・これこそが・・邪馬台国の王家に伝わる鏡ではないか!これが証拠だ。」
大主タツルは、内心可笑しくて堪らなかった。王の証と言えば、双子勾玉である事は、九重の主であれば語り継がれている周知の事なのだ。それを知らぬとすれば、九重のものではない事は明白だった。
タツルは、大事そうに「鏡」を持ち上げ、恭しく拝み、じっくりと見てサンウの手に返した。
「承知しました。・・邪馬台国復興のために、我らも尽力いたしましょう。」
「そ・・そうか・・」
サンウは、何とか窮場を凌ぎ安堵した。
「さあ、夕餉をお持ちしろ!」
タツルの言葉に、階下から夕餉が運ばれてきた。
「夕餉にございます。」
里の娘が、食事を運んできた。
「さあ、どうぞ。お召し上がりください。山の中ゆえ、たいしたものはございませんが、腹の足しにはなるでしょう。・・さあ、姫様も・・そんな布をお取りになってください。」
サンウが慌てた。
「いや・・姫様は、人前では食はされぬ。このままで良いのだ。」
「では・・奥の部屋を用意いたしましょう。おい!」
タツルがそう言うと、娘がやって来た。綺麗な服に着替えたアスカだった。
サンウは躊躇したが、高楼の上では逃げ出す事もなかろうと考え、奥の部屋に入る事を許した。
アスカは、静かに奥の部屋に姫を案内した。

奥の部屋には、カケルが待っていた。
姫が部屋に入ると、アスカが姫の口を塞ぎ、静かにするように言った。
カケルは、そっと姫の傍に行き、耳元で話した。
「私はカケル。そなたは何者だ?」
姫の替え玉は、全て理解したようにこくりと頷いた。アスカが手を離すと、小さな声で言った。
「わたしは・・アマリ・・伊津姫様のお世話役でした。・・ここへ向かうのに、姫の身代わりにされました。」
アマリの事は、イノヒコから聞いていた。
「そうか・・アマリか、聞いている。姫はご無事か?」
「はい。姫様はラシャ王に囚われたままです。エン様もお傍に居られます。阿蘇の者は、伊津姫様の顔など知らぬ、誰でも良いのだと言い、身代わりにさせられたのです。」
「そうか・・やはり、そう簡単にはいかぬものだ。・・」
「そなたはここから逃がす。アスカと服を取り替えるのだ。・・アスカ、頼んだぞ!」
アスカはこくりと頷いた。カケルは、小窓から外に出て、アマリを待った。
着替えた二人は入れ替わり、アマリは部屋を出て、高楼から外に出た。

広間では、サンウが出された食事を平らげていた。
「阿蘇一族は、怖れるほどではないな。・・こんな粗末な高楼とは・・ラシャ王が懸念されるほどもない。これなら放っておいても良かっただろう。さて、これからどうしたものか。・・明日にも、瀬田へ戻り・・・」
満腹感と疲れからか、サンウは、独り言を呟きながら、うとうととし始めた。高楼の一階で食事をした紺服の男たちも同様だった。食事の中には、山で取れる眠気を誘うキノコが混ざっていたのだった。
外の広場で、集まって食事をしていた緑と黄服の兵たちには、普通の食事が出されていた。食事の最中、頬被りをして顔を隠していたタンが、顔見知りの兵たちのところへそっと近づいては、小声で話した。
「お前たち、俺がわかるか?」
「お・・お前・・タンじゃないか・・生きていたのか?」
「ああ。カケル様にお助けいただいた。なあ、お前たち、里へ戻りたいだろう?」
「ああ、当たり前だ。」
「なら、今からいう事をよおく聞け。もうすぐ、焚き火が消える。真っ暗になったら、目を閉じ、眠った振りをしているんだ。俺が合図するまで動くな。そして、俺が合図したら、皆、柵の上に登るんだ。良いな。」
「判った。・・他の連中は?皆、あちこちの村から連れてこられた奴らばかりだ。皆、里へ戻りたいはずだ。」
「それなら、お前が信じられる奴にだけ話せ。良いな。裏切る奴は許さない!」
「ああ・・判った。」
それからしばらくして、里が静かになった。焚き火が消され、真っ暗になった。
里の北の森に潜んでいた主たちが、火が消えたのを合図に、堤を壊し始めた。
沼に注ぐ泉を堰きとめた水は、沼里の上に広がる小月沼に今にも溢れるほど溜まっていて、堤が壊れると同時に、一気に、沼里へ向かって流れ込んだ。
タンは、小さく口笛を吹いて、仲間に知らせた。
黄色の服を着た男たちは一斉に起き上がり、必死に、里を取り囲む柵の上に登った。緑の服の男も数人、上に上がった。
見る見るうちに、沼里は水が溜まっていく。くるぶしから膝、ついに腰辺りまで水が溜まった。
眠り込んでいた男たちは、突然の水に慌てふためいた。逃げようにも暗闇の中、どこも様子がわからない。高楼の一階部分にも水が押し寄せる。気づいた紺服の男たちは慌てて、高楼から飛び出した。しかし、外はもう腰を超える深さまで水が押し寄せ、満足に動けない状態だった。

鏡.jpg

3-2-19 サンウの命 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

19. サンウの命
主たちは、用意していた丸木舟でゆっくりと近づいた。松明を手に、水面を照らすと、情けない顔をした男たちが明かりに近づいてきた。
「命が惜しくば、大人しくせよ!」
大主タツルが男たちに叫ぶ。
沼と化した中に身を置きながらも、紺服の男たちは、大人しくしようなどとは思っていなかった。剣を抜き、満足に動けない状態にありながらも、舟に向かってくる。そこに、緑服を着た男たちも加わった。船の上と水の中とで小競り合いとなった。
そのうち、主の持っていた松明を、紺服の男の剣が跳ねた。松明の先が、ふわりと宙を舞い、家の屋根に飛んだ。茅葺の屋根は、すぐに火が燃え広がる。まだ明けぬ夜空を焦がすように高く炎が舞い上がった。そして、次々に、火が燃え移る。あっという間に、沼里のほとんどの家の屋根が炎に包まれた。
水の中の男たちを置いて、主たちは一旦、丸木舟を柵のある土手に着け、土手に上がった。
紺服と緑服の男たちは、燃え上がる家々の間から必死に逃れようと、誰彼無く、押し合い、争うように土手に向かおうとした。
更に水嵩は増してくる。元々、沼だった場所である。大量の水が入って、地面もゆるんで歩く事さえままならない。足を掬われ、押し合ううちに、おぼれる者さえ出た。
主たちは、必死の形相で土手にたどり着いた男たちを、一人ひとり捕え、縄を掛けた。
外の騒ぎに、ようやくサンウが目を覚ました。高楼から下を見ると、轟々と音を立てて燃える家。その炎が照らすのは、暗い水面だった。
「謀られた!」
一旦、下へ逃れようと階段を降りかけたが、水が迫っていた。やむなく広間に戻った時、高楼にも火が燃え移った。
高楼は太いぶなの木を柱に、荒縄でまとめて縛った作りだった。火は、縛り付けている荒縄に燃え移った。次第に、高楼は、強度を失い、ぐらぐらと揺れ始めた。物見台にも火は燃え移り、上からも火の粉が降ってくるようになった。サンウは、もはやこれまでかと諦め、広間に座り込んだ。いや、腰が抜け動けなくなってしまったのだった。
火は、どんどん燃え広がっていた。
カケルは、主たちとともに、土手に這い上がってくる男たちを引上げていた。その時、頭の中で『死なせてはいけない』という声が聞こえた。そして、強い風がカケルに吹きつけた。
カケルは、燃え盛る高楼を見上げた。腰の剣が柔らかな光を発している。カケルが剣を抜くと、全身を痺れるような感覚が走った。
「うおーっ!」
雄叫びを上げると、カケルの体は急にぶるぶると震え、腕や足が太くなり、蓋周りほど大きくなった。獣のような鋭い目に変わった。
カケルは、土手から一飛びすると、高楼にしがみついた。常人では飛びつけるような距離ではない。更に、梁を一蹴りすると一気に、二階に上がり、燃え盛る炎の中へ飛び込んでいった。
「カケル様!カケル様!」
一部始終を見ていた主たちは、突然のカケルの行動に戸惑った。あれだけの劫火の中に飛び込んで、一体どうしようというのか、サンウを救い出すなど無駄な事ではないか。
カケルが飛び込んですぐに、物見台が焼け落ちてきた。黒く漕げた柱がばらばらと降ってくる。そのうち、高楼全体が傾き始めた。強い水の流れに、支柱も動き始めたのだ。
その時だった。二階から、大きな火の玉が飛び出し、水面に落ちた。と同時に、高楼が斜めに大きく傾き、轟音とともに倒れた。高く水柱が上がり、炎を消した。一瞬のうちに、辺りは、夜の闇に包まれてしまった。
「カケル様は?」
「カケル様はどこだ?」
主たちはそう叫びながら、皆、手にした松明を水面近くにかざした。
暗闇にわずかに見えるのは、積み重なった多数の柱だけだった。
主たちは叫び続けた。しかし、一向に返答が無い。
アスカは、震えながら、土手に立ち、じっと暗闇を見つめていた。カケルを呼ぶ声さえ出ない。心臓がどくどくと音を立てる。
突然、全身から淡い光を発し始めた。すっと体が宙に浮いて、水面を進んでいく。主たちは、一体何が起きたのかと驚いた。
アスカは、積み重なる柱の上まで行くと、静かに水面を指差した。
主たちが、その先をじっと見ると、黒い塊が浮いている。慌てて、丸木舟を出した。そこには、半分ほど焼けた朱色の服が見えた。サンウのようだった。主たちは必死に船の上に引き揚げた。そして、その下には、カケルの姿が見えた。水面にすっかり浸かっていた。引き揚げようとすると、足が柱に挟まれている。主たちは、全員、水の中に飛び込んで、柱を持ち上げようとした。
「おい、急げ!カケル様が危ない!」
それを見ていた、タンも水に飛び込んだ。それに習って、黄服の男たちも飛び込んだ。皆で力を合わせ、柱をどうにか動かし、カケルの足を引き抜き、土手まで運んだ。
先に引き揚げられていた、サンウは、多少の火傷はあるものの、息はしているようだった。
カケルを乗せた丸木舟が土手に着いた。
「おい、ゆっくり運べ。足をやられている、気をつけろ!」
主も黄服の男たちも、協力して土手に引き揚げた。
「駄目だ、息をしていない。・・どうしよう!」
「駄目だ、カケル様、死んじゃあ駄目だ!」
「大主様!カケル様をお救いください!」
大主タツルも如何すれば良いか途方にくれていた。主たちは落胆した表情で、横たわるカケルを見ている。
アスカが、再びゆっくりと土手に戻ってきた。そして、静かにカケルの脇に座った。まだ、全身から柔らかな光を出したままであった。
アスカの手が、カケルの胸元に伸びて、そっと触れた。柔らかな光が、カケルの全身を包み込んだ。どれほどの時間が過ぎたろう、一瞬の様でもあり、長い時間だった様でもあり、皆、息をするのも忘れるほど、その様子を見入っていた。
「ごほっ!」
突然、カケルが水を噴き出した。そして、大きく息を吸った。
「おおーっ!」
息を吹き返したカケルを見て、皆が歓声を上げ、抱き合った。
「もう・・大丈夫・・でしょう・・・」
アスカはそう言うと、その場に倒れこんでしまった。
空が次第に白くなり、阿蘇の御山の向こうから、朝日が差し込んできた。
夜明けが来たのだった。

炎2.jpg

3-2-20 目覚め [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

20. 目覚め
 朝日が差し、ようやく沼里の様子がわかるようになった頃、カケルとサンウ、そして
アスカの三人は、沼里の北の泉の畔まで運ばれていた。
 最初に、目を覚ましたのは、サンウだった。あれだけの劫火の中に居たはずだが、軽い火傷程度の軽症であった。うっすら目を開けたのを見つけたのは、タンだった。
「大主様、サンウが目を覚ましたようです。」
大主タツルをはじめ、主たちが取り囲んで様子を見た。
「ここは・・」
サンウは、火の中で気を失い、その後のことを全く覚えていないようだった。
「カケル様が、火の中からおぬしを助け出したのだ!」
うっすらと火の中で誰かが叫ぶような声を聞いたような気がしていた。
「何故、そんな・・私は、阿蘇を攻め落とそうとやってきたのだぞ。何故・・」
それを聞いてシュウが言った。
「そうさ、助ける事なんか無かったんだ。・・お陰であれだけの怪我を・・。」
「何?カケルは怪我をしているのか?」
「カケルと気安く呼ぶんじゃない!命の恩人だぞ!」
サンウはゆっくりと体を起こした。小さな火傷はあるがどこも痛くなかった。そして、辺りを見回すと、横たわるカケルを見つけた。
カケルは、髪があちこち焼け、顔にも火傷のあとがあった。そして、右足は紫色に大きく腫上がって変形していた。おそらく、体中、傷だらけになっているはずだった。
「生きているのか?」
「ああ・・息はしている。だが、足にあれだけの傷があるのだ、この先もどうなるか・・」
大主タツルが答えた。脇には、アスカが横たわっていた。
「あれは・・確か、峠から里まで我らを案内した娘ではないか、あの娘も怪我をしているのか?」
「いや・・・疲れているのだろう・・・アスカの力で、お前達を水の中から見つける事が出来たのだ。アスカもお前の命の恩人だ。」
サンウは不思議だった。これまで、不知火から八代、宇土を経て兵を率いてきた。幾多の人を殺めたか覚えても居ないほどだった。危うい時もあったが、容赦なく人を殺める事で生き延びてきたのだ。命を救われる事などありはしないと考えていた。おそらく、率いてきた兵の中でさえ、自らの命と引き換えに、わが身を救ってくれる者などありはしない。そう想ってきた。ましてや、敵なのだ。劫火の中に追い詰める事は、戦の定石でもある。そこで命を救うなどありえないことなのだった。
「判らない・・何故だ・・判らない・・。」
そう呟くサンウに、大主タツルは言った。
「カケル様はそういうお方なのだ。誰一人殺めてはならぬと言い、劫火の中へ躊躇無く飛び込んで行かれたのだ。・・・。」
「何というお方を敵にしたのだ・・・王の命令とはいえ・・情け無い・・わが身が憎らしい。」
サンウはそう言って泣いた。
「アスカ様が目覚めされましたぞ。」
様子を伺っていたシュウが言った。
「おおっ。」
主たちは一様に喜んだ。目の前で見た、淡い光に包まれたアスカの姿は、もはやこの世のものではなかった。天女を見るようだった。あの時の不思議な光、そして宙を浮く姿、今でも現実のものとは思えなかった。目の前に横たわる、アスカの姿もまた、天女か女神のように見えていた。
アスカは眼を開くと同時に、ぱっと起き上がり、
「カケル様、カケル様は?」
そう言って、周囲を見た。脇に傷だらけのカケルの姿を見つけると、すぐに手を取り、頬を擦り、労わった。その時、あの淡い光が水滴のように零れた。
「ううっ。」
小さく搾り出すように声を発して、カケルも目を開けた。そして、目の前のアスカの顔をじっと見た。
「カケル様!」
「アスカか・・大丈夫か・・。」
アスカは両目から大粒の涙をぽろぽろと零し、頷いた。
「・・また・・お前に救われたな・・ありがとう。・・」
アスカはカケルにすがり付いて泣いた。カケルはアスカの体を優しく抱いて、ゆっくりと起き上がろうとした。しかし、全身に痛みが走り、顔をしかめ、また横になった。
「どうやら・・随分とひどい怪我をしているようだな。」
アスカの顔を見て、まるで他人事のような言い方で少し笑った。
「もう・・無茶はしないで下さい。」
カケルの言い方にまたアスカは涙が零れた。
「カケル様、サンウは無事です。先ほど目を覚ましました。」
「そうか・・良かった。」
カケルは安堵したように目を閉じた。
「あんな奴、死んじまえば良かったんだ!」
タンは、恨めしそうな声で言った。
おおかたの主たちも同じ思いだった。
「いや・・違うのだ・・・上手く言えないが・・どんなに酷い奴でも、命を奪ってはいけないのだ。生きていれば、やり直せる。償える。また、誰かを救うことも出来る。命を軽んじてはいけないのだ。・・そう、母様が教えてくださった。」
カケルは、火に飛び込む直前に、頭の中に響いてきたあの声は、さっと拭きぬけた一陣の風は、きっと母様に違いないと思っていたのだった。
主たちの後ろで、カケルの言葉を聞いていたサンウは、声を上げて泣いた。大の大人が、空に向かって声を上げて泣いた。
『母』という言葉に、何か、遠く忘れてきた大事なものを思い出し、これまでの自分の所業を悔いた。遠く、故郷を思い出し泣いた。救われた事に泣いた。己の定めに泣いた。
水の中から引き上げられ縛り上げられている紺服の男たちも、同じように泣いている。主たちも、泣いていた。

阿蘇の朝日2.jpg

3-3-1 瀬田の地へ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

1. 瀬田の地へ
皆、大里へ引き揚げる事にした。カケルは、板に乗せられ、皆で交替で担いで運んだ。里に着くと、カケルは社の広間に寝かされた。アスカはじっと手を握り、カケルの看病をした。
広場には、サンウをはじめ、兵たちを座らせ、周りを主たちが取り囲んだ。抗う気持ちを無くした兵たちは、荒縄で縛られる事なく、静かに座っている。
「さあ、お前たち、これからどうする?」
大主は、社の段に座り、皆を見下ろして言った。黄服を着た男たちが最初に口を開いた。
「村に・・村に戻りたい・・もう、戦はこりごりだ。・・生まれた村に戻りたい!」
タンもそれを聞いて、跪き、大主タツルに懇願した。
「もともと、我らは、サンウに囚われ、兵になっただけです。村へ戻り、村のために働きたいのです。どうか、お許し下さい。」
「そうか・・・それも良かろう。では、村に戻りたい奴は立て、許してやろう。」
黄服の男たちは皆立ち上がった。緑服の男たちも大方が立ち上がった。
「これだけか?」
紺服の男たちは、顔を見合わせている。
「お前達はどうなのだ?」
紺服の男たちに問う。その様子を見ていたサンウが答えた。
「この者たちは、里ははるか遠く、海の先。それに、戻りたくても戻れはしません。・・ラシャ王が、里を負われた者を集めたのです。・・私も同様。生まれた村は、すべて、隣国に侵され、もはや我らの地ではないのです。やむなく、ラシャ王のもとに身を寄せ、生きてきたのですから・・。」
「そうか・・なら、どうする?」
サンウは答えを失った。
サンウの話を聞いていたタンが、不安げな声で言った。
「そ・・そうだ・・我らの里もラシャ王に・・・戻りたくても今は戻れない。ラシャ王を倒さねば、我らも、戻る場所がありません。」
そうだそうだと、黄服の男たちも、口を揃えていった。
「どうやら、ここに居る者全てが同じ定めのようだな。・・ならば、兵を挙げ、ラシャ王とやらを倒すしかなさそうだな。・・・」
大主タツルは、皆の顔を睨むようにゆっくりと言った。サンウをはじめ、広場に居た男たちは顔を見合わせる。皆、沈黙してしまった。
そこへ、カケルがアスカの肩を借りて、現れた。
「カケル様!」
真っ先に気づいたのは、サンウだった。
「皆様に・・お願いがあります・・・」
カケルはそう言うと、ゆっくりと社の段に腰下ろした。まだ、右足は動かせず、赤く腫れて痛々しかった。
「どうか・・皆様の力を私にお貸し下さい。・・・何としても、伊津姫をお救いせねばなりません。・・ラシャ王はきっと恐ろしき力を持っているでしょう。私一人では到底敵いません。多くの力を集め、ラシャ王をこの九重から追い出さねばなりません。どうか・・お願いします。」
カケルは、満足に動ける体ではないにも関わらず、段から降り、地面に座り頭を下げた。
サンウは、思わず立ち上がり、カケルに駆け寄った。
「カケル様・・カケル様・・サンウです。貴方に命を救われたサンウです。・・・一度捨てた命です。貴方のために使います。何でも言ってください。」
サンウは、泣きながらそう言った。
タンも続いた。
「私は、峠で救われてからずっと、カケル様のために生きると決めております。」
皆、カケルに駆け寄り、口々に同じ事を言った。
皆の様子を見て、大主タツルが口を開いた。
「よし、どうやら決まったようだな。」

主だったものが、広間に集まった。カケルは、アスカに支えられて話に加わった。
サンウが切り出した。
「阿蘇攻めを命令されてから、まだ数日です。それほど早く攻め落とせるとはラシャ王も考えてはいないでしょう。」
「まだ、時間はあるか・・」
タツルが答える。
「ここへ来たのは、瀬田に居る兵の半分ほどです。・・数では互角でしょうが、瀬田には一の身やニノ身の者たちが残っております。」
「一の身とは?」
「我らは、王の傍に仕える一の身(いちのみ)、剣や弓に長けたものはニノ身(にのみ)、力自慢や何かの技を持つものは三の身(さんのみ)、そして襲った先々で捕らえたものを四の身(しのみ)と呼んでおります。福の色でもわかります。朱・紺・緑・黄の順になっております。」
「ここへ来たのは、黄服が多かったようだが・・」
「・・・そうです。我らが先駆けとなって道を開き、ラシャ王の本隊が後に動く手筈でした。」
「阿蘇も舐められたものだな。」
タツルの反応に、サンウは恐縮した。
「では、このまま攻めても勝ち目はないな。・・無駄死にを増やすだけになる。」
「それに・・ラシャ王は、千里眼の力を持っています。遠く離れた場所を見通す力です。・・ここに、カケル様がいる事も知っておりました。おそらく、我らが負け、囚われた事もすでに知られているのではないでしょうか?」
「何?千里眼・・ああ・・それなら、からくりはわかっておる。先々へ密使を送り、内情を調べて王に知らせる。それを聞いて、皆の前で話すという事だ。我が里にも、潜んでおった。」
「密使?」
「ああ、黒服に身を包み、暗闇を動き、忍び込む。」
「黒服?そんなものは居りませぬ。」
「昨夜も、カケルが、黒服を捕まえたが、その場で命を絶った。・・サンウ、お前も見張られていたのだぞ。自分の手下にさえ隠している。きっと将すら、信用していないのだろう。」
サンウは、ラシャ王の本性を知って、これまで王のために生きてきた事を一層悔いた。王を倒す、それこそがこれまで自分がしてきた多くの罪を償う事だと改めて確信した。
命を救ってくれたカケルや、阿蘇一族、そして、これまで酷い目にあわせてきた人々のためにも、どんな手を使っても、ラシャ王を倒したい、倒さねばならないと決め、必死に考えた。

「私に策があります。」
サンウは、何かを思いついたように言った。

社.jpg

3-3-2 サンウの謀 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

2. サンウの謀
「阿蘇との戦で、ほぼ手中にしたが、まだ、残党がいるので、すべて始末して数日・・・そう、支度が整う・・十日ほどで瀬田へ戻ると使いを出しましょう。」
サンウは、そう言って皆の顔を見た。
「それで?」
とタツルが訊いた。
「来た時の様に、隊列を組み瀬田へ戻ります。そして、報告に王と謁見し・・そして・・」
「そこで王を殺すというのか?」
「はい。」
「そう、うまくいくだろうか?」
シュウが言った。
「私が人質になろう。阿蘇の主を捕えて戻れば、王も信用し、油断もする。」
大主タツルが言うと、皆が反対した。
「阿蘇の掟がございます。我らはこの地から外へ出ぬと・・それを大主様自らが破るとなれば、きっと御山が災いを起こすやもしれませぬ。」
「では、どうする。ただ勝ちましたと戻っても信用されぬかもしれんぞ。」
「私が人質になりましょう。」
カケルがゆっくりと身を起こして言った。
「十日もあれば、傷も癒えるでしょう。それに、囚われの身であれば、動けないよう縛られていてもおかしくない。・・ラシャ王が私のことを知っているなら、好都合です。」
「しかし・・それは余りに危険では・・。」
サンウはカケルを気遣った。
「いえ、伊津姫をお救いするのは私の願い。・・姫はラシャ王の傍に居られるはず。サンウ様が私をラシャ王の前に差し出すことで、私にも姫をお救いする機会が生まれるはずです。」
カケルの覚悟は皆にもわかった。だが、痛々しい姿を目の前に、すんなり賛成することなどできなかった。
「カケル様の体を癒すことが先決だ。・・まずは、瀬田に使者を送ろう。十日ほど時を稼げれば、また、何か策が出るだろう。」
瀬田への使者は、二の身の男からシオンという者が選ばれた。シオンは、サンウと同じ里の生まれで、最も信用できる男だった。
シオンは、すぐに瀬田へ向かった。

カケルは、社から別棟の小さな館へ移り、養生することにした。
サンウたちは、大里の者の力を借りて、ラシャ王との戦いに向けて、戦支度を始めた。
大主タツルは、大事な話があるからと言って、阿蘇の主たちを社(やしろ)に残した。
「私は、阿蘇を出てカケルとともに伊津姫をお救いしようと決めた。」
主たちも、タツルの考えはおおよそ見当がついていた。しかし、掟を破れば御山の怒りを買い、ここに災いがあるかも知れないと不安に思っていた。
「そこで、私は、大主を辞める。それならばきっと御山もそれほどお怒りにはならぬだろう。」
「では、この里、阿蘇の里を守るのはどうすればよいのですか?」
シュウがいっそう不安になり、訊いた。
「それがいかんのだ。カケル様は年若くして,故郷を離れ、外の世界を見てきた。自らを律し、自らを捨てても、大事なものを守る事を学んできた。我らは、掟を守り、長くこの地から出ずに生きてきた。・・豊かで穏やかで、皆、静かに生きてこれたのは事実だ。しかし、此度のような事があれば、皆、うろたえ、道を見失ったではないか。・・掟は確かに大事だが、これから、阿蘇の御山をお守りするには、外の世界を見ることも重要ではないか。」
シュウは、それを聞いて頷いた。
「それは・・私も考えました。ですが、大主様みずからで無くとも・・」
「ならば、里の若い者を、誰も知らない地へ放り出せというのか?・・・私にはできぬ。まず、私自身が、外に出て確かなものを見てきたいのだ。・・いずれまた、この地へ戻り、外の世界で見てきたこと、知り得たことを里の者に伝えたいのだ。」
「では、大主の役はどうするのです。」
「それは、主たちが考えよ!・・良いか、大主とて何時死ぬかも知れない。突然、居なくなる事もあるのだ。主たちが知恵を出し、どうすべきか考えるのだ。」
大主タツルの決心の固さに主たちも、主たちは同意した。しかし、タツル一人を行かせるわけにはいかないと言い、主たちの子どもも数人同行することになった。
カケルの体は、アスカの必死の看病で、日増しに回復した。足の腫れも引き、どうにか一人で動けるようになった。

使者として、瀬田へ向かったシオンは、わずか1日でラシャ王の待つ館へ到着した。
「王様!王様!サンウ様からの知らせです。」
シオンは、館で待つラシャ王に謁見した。
「王様、サンウ様は見事、阿蘇一族との戦に勝利されました。」
「ほう、サンウにしては上出来だ。」
「ただ・・残党が阿蘇のあちこちに潜み抵抗をしております。サンウ様は、すべて片付けてから帰還すると言われております。」
「そうか・・で、どれくらいかかると?」
「はい、十日ほどでしょう。」
シオンは、サンウと決めた通り、王に伝えた。
「わかった。・・サンウが戻ったら、褒美をやらねばならぬな。よし、下がって休め。」
シオンが、館から下がると、ラシャ王は、憮然とした表情で呟いた。
「・・ふん、サンウらしい浅はかな謀だ。・・わしを謀ろうなど無駄な事を・・・ここまで大事にしてやった事も忘れ、あっさり裏切ろうとは・・なあ、カゲよ。」
王が座る玉座の後ろには、黒服の男が控えていた。
「カケルもともにここへ来るでしょう。」
「そうか、それは好都合だ。やはり、お前たちしか信用できぬな・・・お前たちが調べてくれた通り、サンウは動いておるようだ。・・戻ってきたら、目に物を見せてやるとしよう。」

いよいよ出発の日が来た。
サンウは、隊列を整え、峠を越え、瀬田を目指した。カケルは、まだ長い道中を歩くことはできず、輿に乗せられた。捕虜に見えるよう、輿は竹籠で作られ、男たちが抱えた。アスカも捕虜として同様に竹籠の輿に乗せられた。
大主タツルの一行は、サンウ達より少し遅れて里を出た。峠に差し掛かり、阿蘇の地を踏み出す時、タツルも、従う者もやはり躊躇した。そして、振り返り、阿蘇の御山を見つめた。
「御山の神よ。どうか、我らと里の者たちをお守り下さい。」
タツルは祈った。
早朝に出発して、日暮れには瀬田に到着した。

原野2.jpg

3-3-3 玉座の前で [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

3.玉座の前で
サンウたちは、瀬田に到着すると、シオンが出迎え、まっすぐに館へ案内された。
館の前の広場に、すべての兵は入れられた。館を取り囲む塀には、幾つも篝火が焚かれ、煌々とした明かりの中で、何か、怪しい雰囲気を感じていた。
カケルとアスカは、竹籠から出され、シオンがやってきて、縄で縛った。
「緩やかに結んでおきます。」
耳元で、シオンが囁いた。
「シオン様、塀の外側には、王の兵たちが控えているようです。どうやら、我らの謀は王に知られたようです。」
「どうしますか?」
「サンウ様が館の中へ入ったら、一人でも多くの兵を外へ出すようにしてください。」
「わかりました。」

「サンウ、よく戻った。さあ、中へ入るが良い。」
館の中から、ラシャ王の声が響いた。サンウは、カケルを連れて、館の中へ入った。
ラシャ王は、玉座に座っていた。脇の椅子には、伊津姫が座っている。背後の暗闇に、人の気配がしている。伊津姫は、何か薬を飲まされているのか、視点が定まらぬ様子で、カケルの顔を見ても、表情が変わらなかった。

サンウは、玉座の前に跪いた。後ろには、縄に縛られたカケルが座らされた。
「王様、無事、阿蘇を落とし手中にいたしました。これで、恐れるものはありません。」
サンウはゆっくりと言葉を確かめるように言った。
「ふむ、よくやった。お前にしては上出来だ。」
「それから・・こやつが、ヒムカの国の勇者、カケルです。・・阿蘇より連れて参りました。」
「ほう・・勇者と聞いたが、まだ若造ではないか。・・とても勇者とは言えぬようだが・・」
「しかし、阿蘇の主は、この者に従い、我らに戦いを挑んで参りました。・・阿蘇一族を動かすほどの力を持っております。」
「そうか・・だが、サンウよ。その強き国をどう攻めたのだ?」
サンウは、そこまでの答えを用意していなかった。苦し紛れに、
「火を用いました。家々に火を掛け、襲い、女子どもと言わず、殺しました。」
「そうか・・火を用いたか・・さぞかし、熱かったことだろうな・・。」
王の言葉は少し意味深だった。そして、玉座から立ち上がり、脇に置いてあった剣に手を掛けた。そして、
「サンウよ、このたびの手柄には、褒美をやらねばならぬな。」
「いえ。私は、王様のために、王様の命令に従い、攻めたまでの事。褒美など要りません。」「まあ、そんなに遠慮することも無い。・・此度の働きは、我が王家の復活に大きな一歩をなったのだ。・・そうだ、この剣をやろう。我が王家の宝として伝わるものだ。さあ、前へ。」
ラシャ王はそう言って、剣を手にした。右手を柄に掛け、左手で鞘を握った。
一部始終を見ていたカケルは、ラシャ王が何をするのか直観した。
「サンウ様!いけない!」
その声が届くと同時に、ラシャ王が剣を抜き、目の前に傅くサンウめがけ、剣を振り下ろした。
サンウは、カケルの声に反応するように体を引いた。
剣は、サンウの右肩をわずかに触れたように見えた。
その瞬間、サンウの肩から真っ赤な血が噴き出し、サンウは床に転がった。
「サンウよ、このラシャ王を裏切るとはな。」
ラシャ王は、そう言って再び剣を振りかぶり、床に転がるサンウをめがけて振り下ろされる。
カケルは、立ち上がり、王に体当たりをした。剣を握ったまま、王が床に転がる。
「サンウ様、さあ、今のうちに、外へ!」
サンウは、肩から血を滴らせたまま、這うようにして、館から逃げた。
起き上がったラシャ王は、剣を握ったまま、じっとカケルを見た。
「・・やはり、お前は只者ではないようだな。・・だが、縛られたままでわしと戦えると思っているのか?」
ラシャ王をそういうとカケルににじり寄ってきて、カケルの顔に剣を当てた。
「・・サンウの始末は、あとでじっくりとな。その前に、お前はここで死ぬのだ。」
ラシャ王はそう言ってほくそ笑むと、剣を振りかぶった。カケルは、するすると縄を外し、後ろへ飛び跳ねた。
「何?縄を解くとは・・。まあ良い、素手でどこまで戦えるかな。おい、出て来い。」
その言葉に、玉座の背後に隠れていた人陰が、出て来た。紺服を身に纏った男たちが、剣を構えた。そして、じりじりとカケルを取り囲み始めた。
サンウが血を流し、館の中から出てきたのと同時に、外でも騒ぎが始まった。
広場に控えていた者たちは、篝火を塀の外に蹴り出した。外では火が広がり、隠れていた兵たちが騒ぎ始めたのだ。
カケルは、紺服の男たちを睨みつけたまま、ゆっくりと後ずさりし、館の外へ出ようとした。
「逃がさぬぞ!」
紺服の男ひとりが、背後に回ろうと前に出た。そこへ矢が飛んできた。矢は、男の体をつらぬき、男は倒れた。
「カケル!今だ!」
その声は、エンだった。エンが、塀の上に登り、弓を構えていた。
カケルはその声に反応して、館の前の広場に転がり出た。広場は、カケルとともにやって来た男たちが何人か残っていた。館に入る前に、シオンに告げたように、静かに大方の男たちは兵の外へ抜け出していた。残っているのは、紺服の男とアスカだった。
アスカは、カケルの姿を見つけ、叫んだ。
「カケル様、剣です。」
竹籠の中に隠していた、カケルの剣を掲げた。
カケルはアスカの傍へ駆けた。
「アスカ、何故、外へ出なかった。」
「私は、カケル様とともに居ります。」
塀の外では、ラシャ王の兵と男たちとの間で、戦いが始まっていた。
「サンウ様は?」
「はい、外に出られました。・・外には、タツル様たちも居られます。」
「アスカ、私から離れるなよ。良いな。」
館の中から、先ほどの紺服の男たちが飛び出してきた。エンは、男たちを狙って、次々に矢を放った。二人ほどが矢に倒れた。しかし、外からも兵がなだれ込んできた。館の前の広場も、剣のぶつかり合う音や、呻き声が響き、騒然となってしまった。

玉座.jpg

3-3-4 白川を下る [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

4. 白川を下る
切られた兵の一人が、アスカの足元に転がった。その兵は、アスカに助けを求めるように手を伸ばしたが、その手は肘のところが切れぶらぶらとし、真っ赤な血が噴出していた。アスカはあまりの恐怖でガタガタと震え、強くカケルの手を握った。
その力で、カケルの体には、瞬間的に痺れた感覚が走った。そして、カケルの体は、手足がぶるぶると震え、大きくなり、まるで野獣のように変わり始めた。
カケルは、低い唸り声を発し始めた。その声は、周りで争う兵たちにも聞こえた。不気味でおぞましい、狼か熊か、身の毛も弥立つ様な低い唸り声だ。皆の動きが止まった。
「カケル様?」
アスカの声はカケルには届いていないようだった。
カケルは、剣を高く翳すと、空に向かって響き渡るような雄叫びを上げた。
皆、その声に恐れをなして、その場に座り込んでしまった。
カケルは、高く飛び上がり、館の屋根に上がった。雲間から漏れる月明かりに浮かんだその姿は、人間とは思えないほどに大きく見えた。
「皆、剣を捨てよ!」
カケルの声は、館の隅々にまで響き渡った。そして、剣を大きく振り回した。剣の先からは怪しい光が広がり、その動きに呼ばれるように、強い突風が吹き始めた。館を取り囲むようにぐるぐると吹き荒れる風は、館を取り囲んでいた塀をなぎ倒した。
皆、驚いて、剣を投げ捨て、頭を地面こすり付けるようにして蹲った。

静まった様子を確認すると、カケルは再び、屋根から飛び降りると、まっすぐ、館の中に飛び込んだ。
「さあ、ラシャ王!出て来い。」
しかし、そこには、紺服の男が数人倒れているだけで、ラシャ王も伊津姫の姿もなかった。
「どこに行った?」
カケルは、玉座の後ろの隠し扉が開いているのを見つけると、飛び込んだ。そこには、細い水路が引かれていた。ラシャ王が作らせたものだろう。カケルは、必死に、その水路を辿った。いつしか、カケルの体は元に戻っていた。エンとアスカも松明を手に後を追った。暗闇の中、月の光に、わずかに光る水面を辿っていくと、白川に出た。数隻の小舟が残されていたが、誰の姿も無かった。カケルは、遠く川下まで探るように見つめたが、何も見つけれなかった。
「ラシャ王は?」
ようやく、エンとアスカが追いついて訊いた。
「どうやら、ここから船を出し、川下に下ったようだ。」
「ちくしょう、あと一歩だったのに。」
エンは悔しそうに、川面を見つめた。
「エン、済まなかった。もう少し、早く、ウスキに戻っていれば・・・。」
「いや、俺のほうこそ、伊津姫様の守人の役を全うできなかった。すぐ、お傍に居たのだが、どうにもできず・・・カケルが阿蘇に居ると聞き、機会を待っていたのだが・・・済まない。」
エンは、カケルに詫びた。

「カケル様、お体は?」
アスカが心配して言った。これまでは、獣のように変化した後、必ず疲れきって気を失っていたのを覚えていた。
「ああ、大丈夫のようだ。・・・アスカこそ、大丈夫か?」
「はい。私は大丈夫です。・・」
三人が、館に戻ると、皆、おとなしく座り込んでいた。戻った三人を見つけると、シオンがやってきた。
「ラシャ王は?」
「姿は無い。闇にまぎれて逃げてしまったようだ。・・サンウ様はどうだ?」
「ええ、傷は深いようですが、命に別状はないでしょう。」
「そうか、良かった。」
サンウは、館の広間に寝かされていた。タツルの姿もあった。

「ラシャ王は、我らの謀を知っていたようです。おそらく、阿蘇の大里に、密使が居たのでしょう。逃げられました。」
カケルは落胆した表情でタツルに言った。
「やはり、一筋縄ではいかないようだな。・・」
タツルが言うと、横になっていたサンウが続けた。
「申し訳ありません。・・浅はかでした。・・」
「いや、サンウ様のせいではありません。皆で相談して決めたことです。ラシャ王が一枚上手だったと言うことです。」
「これからどうする?」
タツルが、カケルに問う。
「まだ、伊津姫様は囚われたままです。夜明けを待って、後を追います。」
「そうだな・・ラシャ王は今わずかな兵で敗走している。何をするかわからぬ。一刻も早く追いつき、姫をお救いせねばなるまい。」
タツルも同意した。
「私もお供させてください。」
サンウが言った。
「いえ、貴方はまずその傷を治すことです。」
「しかし・・まだ私はカケル様の恩に報いておりません・・どうか・私もお連れください。」
サンウは傷ついた体を起こしながらカケルに懇願した。
カケルは、そういうサンウを諭すように言った。
「貴方には、この里を守っていただきたいのです。・・この先、我らがもしもラシャ王に敗れれば、また、この地や阿蘇へ兵を進めるかもしれません。そのためにも、サンウ様にはこの血に留まり、守りを固めていただきたいのです。」
タツルは、カケルの真意を理解し、続けた。
「それが良い。わしもそれなら安心だ。阿蘇の一族は、戦を知らない。ラシャ王に限らず、いつまた、阿蘇を侵そうと考えるものが出るかも知れぬ。わしからも頼む。そなたの知恵と力でこの地を強くしてもらいたい。そして、阿蘇と外の地を繋ぐ役を担っていただきたい。」
タツルは、サンウの手をとって話した。
サンウは、ラシャ王から離れ、初めて人の役に立つ生き方を与えられたようだった。
「何ということか・・・承知しました。どれほどのお役に立てるかわかりませんが・・この命続く限り、この地で阿蘇をお守りいたします。」
「頼みます。」
カケルもサンウの手を握った。

月.jpg

3-3-5 謀略 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

5. ラシャ王の謀略
「ラシャ王はきっとタクマまで戻ったに違いありません。」
翌朝、出発を前に、タンがカケルに言った。
「ここへは、サンウ様が兵を率いてやってきましたが、ラシャ王の本隊はタクマの地に残っています。おそらく、そこで勢力を立て直すつもりです。」
瀬田の地には、サンウをはじめ半数ほどの男たちは留まることになった。もともと、瀬田の周辺から集められた者はそれぞれの里に戻った。そして、ラシャ王の僕として働いてきた紺服の男たちもサンウに誓いを立て、この地に留まり、里の守りを強くする役を担うことになった。カケルたちに従ったのは、宇土や不知火から囚われてここへ連れてこられた者たちだった。
タンは、残されていた小舟を使い、一足先にタクマの様子を探るために出発した。
そして、カケル、エン、アスカ、タツルたちは、陸路でタクマを目指すことになった。

夜の闇を白川を下り、タクマを目指したラシャ王には、三十人ほどの紺服と黒服の男が従った。小舟は、翌日の昼ごろには、タクマへ入った。タクマには、ラシャ王の兵たちが新たな里を開いていた。有明海へ流れ込む緑川がタクマまで水路となり、大船が入れるようになっていた。湿地を掘り越し、大きな湖と呼べるほどの船着場も整備した。このあたりの村人は、すべて奴隷として使われていた。

ラシャ王は、大船に乗り込み、伊津姫は大船の船底近くにある牢へ閉じ込められてしまった。
「サンウの裏切りは予想外ではあったが、やはり、カケルという者、侮れぬな。」
ラシャ王は、船室の椅子に深々と腰掛けてため息をつくように言った。
「さあて、どうしてくれよう。わが手中に姫が居る限り、あ奴らも一気に攻めては来れぬだろうが・・・。何か策を打たねばならぬな。」
独り言のように呟く話を、壁際の暗闇で聞いていた者が居た。黒服に身を包み影の中に紛れていた。
「私に策がございます。」
「聞かせよ。」
「これより北に、筑紫野の国がございます。この国の力を拝借するのです。」
「援軍にするか?」
「いえ、我らは傍観者。筑紫野の国と火の国との戦を起こすのです。筑紫野が阿蘇一族やカケルを一掃すれば、火の国はラシャ王様のものとなりましょう。」
「そう容易くいくかな?」
「本来、阿蘇一族は彼の地より出ぬもの。それが出てきたということは、他国を侵すのだと考えても不思議はありません。」
「なるほど・・・阿蘇一族が火の国だけでなく、九重を我が物にしようとしていると・・噂を広げると言う事か。」
「ええ、さすれば、筑紫野の一族とて黙っておらぬはず。我らが誘導すればよいだけです。」
「筑紫野一族が負ければどうなる?」
「負けぬよう、力添えするのです。万一の場合は、海の向こう、アナトの国もあります。」
「よし・・さっそく取り掛かるのだ。・・何にしても、あのカケルと言う者は目障りだ。」

カケルたちは、タクマの手前まで到達した。供をして居る者たちの里もあちこちにあり、ラシャ王の残党を退治し、里を解放しながらの進軍となった。期せずして、カケルたちの率いる軍は、見たことも無いほど大きくなっていた。
「ラシャ王様・・カケルたちの軍が参りました。予想以上に大きくなっております。」
「烏合の衆であろう。・・兵を集め、支度をせよ。蹴散らすのだ!」
王の命令は、里にいた兵達にすぐに伝えられた。
紺服の男たちが、黄服や緑服の男たちに、戦支度をするように命令した。
ほとんどの者たちは、この周辺から囚われて来た者だばかりだった。戦支度といっても、弓や剣を持たされるわけではない。畑仕事に使う鋤や鍬、棍棒等を持つ程度で、それぞれに隊列を組まされるだけだった。
先行して、里に忍び込んでいたタンが、カケルたちが来る事を予め話しておいた為、みな、戦支度をする素振りだけで、のろのろと動いた。紺服の男が、いくら声を荒げても、のんびりと里の中を動き、集まる気配もなかった。

カケルたちは、徐々にタクマの里を包囲し始めた。
「皆さん、中に居る兵たちも、あなた達と同様、囚われてきた者ばかりです。決して、殺めてはなりません。・・殺しあうなど無駄な事です。」
カケルの言葉は、次々に、大勢の男たちに伝えられた。皆、頷き、手にした剣や弓を納め、中の様子を伺った。

里の中では、依然として、ゆっくり支度をしている黄服の者たちに業を煮やした紺服の男が罵声を浴びせる。
「死にたくなかったら、早くするのだ!この鈍間な野郎ども!」
一人の紺服の男が、剣の鞘で黄服の男を小突いた。その拍子に、集まっていた数人の男がぶつかりあい、「わあ」と声を上げた。
「何すんだよ!この野郎!」
その声と同時に、黄服の男が、紺服の男に食って掛かった。それをきっかけに、黄服の男たちは、鋤や鍬、棍棒を構えて、紺服や緑服の男たちを取り囲みはじめた。
「逆らおうってのか!こいつ!こうしてやる!」
紺服の男が、黄服の男に剣で切りつける。一気に、騒ぎが起きた。騒ぎの音は堀の外にも聞こえてきた。騒ぎに乗じて、閉ざされていた大門を、タンが開き、外に居た者も一気に里の中へ雪崩れ込んでいった。
「タツル様、皆を頼みます。」
「判った!」
カケルは、そう言うと、エンとともに里の奥深くに入り、ラシャ王の居場所を探した。
騒ぎは、すぐに収まった。タツルが号令し、抗う紺服や緑服の男たちは、ほどなく皆捕らえられ、縄を掛けられた。

ラシャ王は、甲板に出て、里の様子を見ていた。
「やはり、寄せ集めの兵は、脆いな。まあ良い。こちらには姫が居るのだからな。」
そう言うと、舟の奥に姿を消した。すぐに、数隻いた大船がゆっくりと水路から海へ向けて出て行った。

逃げるラシャ王.jpg

3-3-6 解放と逃走 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

6. 解放と逃走
「逃げ足の速い奴だな。」
エンは、水路の桟橋に座り、遠くを眺めてため息混じりに呟いた。
「ああ、これでは何時になっても姫をお救いすることはできない。」
カケルの言葉には焦りがあった。
「ここで海を眺めていても仕方ない・・戻って、どうするか相談しよう。」
エンとカケルは、タクマの里にある館に入った。
館には主だった者達が車座になって座り込んでいた。
「おお、カケル様、ラシャ王は?」
真ん中に座っていたタツルが訊いた。
「船で沖へ出たようだ。」
エンとカケルも輪に加わった。
「ラシャ王は、いったいどこへ行ったのでしょうか。」
カケルは皆に訊いた。
「一旦、沖へ出たあと、宇土か不知火のどこかの島か、いずれにしても、ラシャ王の軍はこの辺りにはたくさん潜んでいます。どこかで軍を立て直し、ここへ戻ってくるのではないでしょうか?」
タンは、阿蘇からずっとカケルに同行していたが、瀬田から先行して、この地へ入り内情を探っていた。タクマに居る兵たちは、近隣の村から集められた男たちだったことや、黒服や紺服の男達は少なかった事なども話した。
「やはり、真正面からラシャ王と戦わねば、姫は取り戻せないのではないでしょうか。」
タツルに同行してきた若い男が言った。この男は、シュウの弟だった。名はレンといった。
「無闇に戦えば犠牲も出る。姫様も危うくなるのではないか?」
タツルが諭すように言った。
「しかし、このままではどこまでも追い続けるだけで・・何も変わりません。」
それを聞いて、タンが言った。
「いや、それは違う。ここまでにどれだけ多くの里を解放できた。みな、穏やかな以前の暮らしを取り戻した。瀬田にも里ができ、ここにも新たな里もできた。火の国はしだいに以前のような豊かな国にもどっている。我らは、これから宇土へ向かいます。わが里を一刻も早くわが手に取り戻したい。」
「姫はどうする?カケル様もエン様も姫をお救いする事が一番の願いなのだぞ。」
タツルが、タンに訊く。タンは困った顔をして口を噤んだ。
カケルは、その様子を見ていて、決心したように言った。
「ここから先、それぞれに自らの目的を達するために、別れましょう。」
カケルの意外な言葉に、みな驚いた。
「阿蘇を出て、ここまで、それぞれの里を取り戻してきました。タクマの地に着いた今、ともに歩む者はかなりの数になっています。」
カケルはゆっくりと話す。
「ああ、この先、これだけの人数が居れば、ラシャ王の兵とて怖くない。」
タツルが応えた。
「確かにラシャ王の兵がどれほどの数になっても恐れることはないでしょう。しかし、これだけの兵が戦をすれば、怪我人や死者も多くなります。また、戦に巻き込まれてしまう里も大変な事になるでしょう。それに、ラシャ王に対抗するということは、他の国にも脅威となるはずです。道を誤れば、九重全体を巻き込んでしまうかもしれません。・・力を持ち過ぎるのは危険だと思うのです。」
「しかし、姫様をお救いするには・・」
タンが訊いた。
「ええ、姫をお救いする事は、私の願いです。ですが、それは戦をする事ではないのです。もっと他の方法を考えるべきなのです。」
「では、どうする?」
タツルが尋ねる。
「宇土や八代にはまだ、ラシャ王に奪われた里は多いでしょう。タツル様やタン様たちは、ここから南へ下り、そうした村を解放していただきたいのです。・・元々、火の国を守る事は、タツル様やタン様たちの為すべき事だと思うのです。姫をお救いするのは、私やエンの役目。」
カケルの決意を聞き、タツルは納得したように応えた。
「うむ、確かにカケル様の言われるとおりだろう。大軍を以てしても、ラシャ王に逃げられればかえって姫を辛い状況に追い込むことになるだろう。村々を解放し、ラシャ王の力を徐々に削いでいくことも良いだろう。」
「是非、そうしてください。」
「で、カケル様はどうされる?」
「私は、エンとアスカ、それとアマリも連れ、海沿いを北へ行ってみます。」
「何故、北へ?」
「ええ、火の国の北にある、筑紫野の国が気になるのです。不知火の辺りにラシャ王が居ればよいのですが、火の国が手中にできないと判れば、次は筑紫の国へ向かうのではないかと思うのです。そうなる前に、何としてもラシャ王を捕まえたいのです。」

ここからは北と南に別れて、ラシャ王を追うことになった。
タツルとレンは、しばらくタクマの地に残り、周囲に残るラシャ王の残党を降伏させ、この一帯を治めることにした。阿蘇から連れてきた若者たちも、タツルを手伝い、火の国を鎮める事に奔走する事になった。
タンは、仲間を率いて、宇土の地を目指し、それぞれに生まれた里を立て直すために奮闘した。
カケルたちは、水路に残っていた小舟を使い、川を下り、有明の海に出てから、北へ進んだ。
有明の海の対岸には、煙を吹く山が見えていた。
「あそこは?」
カケルが、遠くを見つめて言った。エンが答える。
「あれは、雲仙・・絶えず、雲が湧く御山ということらしい。あの麓は、島原だ。こっちと同じ様な小さな村があちこちにあるらしいが・・。ラシャ王が配下を遣って襲わせたようだ。あそこだけじゃない、この海全体が、ラシャ王の支配下になっているんだ。」
「では・・この海のどこもが、ラシャ王の隠れ家になるわけか・・」
「ああ、そうだ。・・ラシャ王を探し出すのは・・。」
エンは、諦め気味に言った。
「いや、ラシャ王は自らの国を得るため、必ず動くはずだ。それにあの大船だ。見つからぬはずはない。」
カケルは、じっと有明の海を見据えてそう言った。

普賢岳2.jpg

3-3-7 海を渡る [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

7.海を渡る
カケルたちは、有明の海沿いに点在する小さな漁村を一つ一つ廻り、ラシャ王の噂でもつかめないものかと聞いて回ったが、ラシャ王が立ち寄った形跡はなかった。
タクマの里を出て、二月ほどが過ぎた。もうすっかり冬が訪れ、強い北西風で、有明の海も荒れていた。
「いったいどこに消えたのだろう?」
エンは、海辺にある小さな小屋の中で、ひとり、囲炉裏の火に当たりながら呟いた。海沿いを少しずつ西へ進み、「荒尾」という小さな村で、漁師から小さな小屋を借りたのだった。小さな舟を足代わりにここまで来たが、冬の海はさすがに思うようには進めず、しばらくここで過ごすことにしたのだ。
「もう、この辺りには居ないのか。」
カケルは囲炉裏の火の加減を見ながら、答えるように呟いた。
「海の向こうに見える、島原のどこかに潜んでいるのかな?」
落胆したような声でエンが答える。
「島原か・・・」
カケルも、ぼんやりとした表情で答えた。
タクマの地を出てしばらくは、皆、ラシャ王の行方はすぐに判ると思っていた。しかし、日が経つに連れ、焦りから、カケルとエンは何度かぶつかるようになった。陸路で探した方が良いとか、島原へ行ってみようとか、知らぬ土地では何も確証がなく、どうしようもない焦燥感だけが四人に広がっていたのだった。
カケルは、時折、後悔するようになっていた。タクマの地で、タツルやタンたちと別れた事が本当に良かったのか、あのまま、皆の力を借りてともに動いたほうがよかったのではないかと、考えることが多くなっていた。。

「カケル様!カケル様!」
近くの村に、食べ物を分けてもらいに出かけていた、アスカとアマリが血相を変えて小屋に飛び込んだ来た。
「大船を見た人が居ました!」
アスカが息を弾ませながら、言った。カケルとエンは、驚いた表情で立ち上がった。
「本当か?」
「どこで見たのだ?近くか?」
二人の鬼気迫る表情に、アスカもアマリも少したじろいだ。アマリが詰まりながら言った。
「・・そこの・・漁師の・・方が・・・沖で見たらしいんです。」
「どこの沖だ?」
エンが強い口調で訊く。これには、アスカが答えた。
「随分、沖の方で見たらしいの。島原のほうへ走っていく大船が一隻いたらしいの。」
そこまで聞いてカケルが言った。
「一艘とは変だな?・・ラシャ王なら数隻、ともに動いていてもおかしくない。」
「だが・・大船など、ラシャ王以外にはないだろう。・・いや、ラシャ王でなくともその一味には間違いないはずだ。・・島原へ行こう。・・ここに居ても何も変わらないのだから。」

四人は、近くの漁師に、大船を見たときの事や島原の様子を詳しく聞いた。
「この海を渡るのは、俺たち漁師だってやらない。止めといたほうが良い。」
荒尾の漁師は、カケルたちが有明の海を渡ると聞いて強く止めた。
暖かい季節なら、波も穏やかで、小舟でも何とか渡りきれるところだった。しかし、今は冬。向い風の中、高い波を受けて進むのは無謀だと皆判っていた。
「なんとかならないのか!」
エンは、荒尾の浜で小舟を前にして苛立っていた。目の前には、島原が見えている。
「もう少し待とう。春が来れば、波もおさまる。東風が吹けば、うんと楽に行ける。それまで待とう、エン。」
「お前は、伊津姫が心配じゃないのか!今もきっと閉じ込められている。寂しい思いをしている。寒さも・・食べ物さえろくに貰っていないかもしれない・・・じっと、春まで待つなど、俺にはできない!すぐ、そこにいるかもしれないんだ!」
エンは焦りと苛立ちとをカケルにぶちまけた。
「・・無理して行って、波に飲まれたらどうする?・・伊津姫をお救いするなどできなくなるではないか。・・それに、大船を見たと言うのも随分以前のようだ。そこに居るとは限らない。落ち着いてよく考えよう。」
しかし、エンは聞かなかった。ウスキの村を出て、クンマの里を救おうと言い出し、姫を奪われたのは自らの責任だと、ずっと考えていた。姫を守るどころか、危険な目に遭わせ、何もできずに居た自分の不甲斐なさも骨身にしみていた。とにかく、今は一刻も早く姫の居場所を突き止めること、それだけがエンの望みだった。
エンは、小舟の中に座り、じっと海を見つめていた。カケルはこれ以上掛ける言葉を無くし、その場を離れた。

日が暮れ、夜になっても、エンは小屋に戻ってこなかった。
「アマリ、エンを呼びに行ってくれないか。小舟の中に居るはずだ。」
カケルに言われ、アマリは、浜へ様子を見に行って驚いた。
浜に置かれていた小舟がなくなっていたのだ。
「カケル様、エン様が・・・」
アマリの様子に、カケルは何が起きたのかすぐに判った。松明を翳して、浜のあちこちを手分けして探した。わずかな月明かりはあったが、遠く海の先までは見えない。
「エンの奴、海を渡るつもりか?」
「大丈夫でしょうか?」
アスカが訊いた。カケルは、遠く海の先に目線をやって、
「幸い、風も波も今は収まっている。だが、暗い海で行き先を見失わねば良いが・・。」

エンはひとり、小舟を漕ぎ出した。浜を出た時はまだ日があったものの、とっぷりと日も暮れ、わずかな月明かりに浮かぶ、遠くの山陰だけが目印だった。必死に舟を漕ぎ続けた。波こそ収まっているが、有明の海には、幾つもの潮流がある。前に進んでいるつもりでも、潮に流され思うように進めなかった。遠くの山陰も、ほとんど近づいているようには思えなかった。

どれくらい時間が経ったのだろうか、エンはもう疲れ果て漕ぐ力も無くなり、小舟は潮に流されていく。目の前に見えていた山陰を見失い、エンは、天を仰いだ。そして、ついに力尽き、小舟の中に横たわり眠ってしまった。

有明海2.jpg

3-3-8 片腕の男 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

8.片腕の男
「小舟が流れてます!」
甲板にいた見張り役が声を出した。
長と思しき者が、指差すほうを見ると、どうやら人が乗っているようだった。
「おい、舟を近づけろ!」
大船はゆっくりと、エンの乗った小舟に近づくと、縄を垂らした。大船から、男二人が降りてきて、小舟の中で横たわるエンの様子を見た。
「死んでるのか?」
「いえ、眠っているようです。この寒さの中で・・かなり弱っているようです。」
「よおし、引き揚げてやれ。」
大船は、静かに波間を進んだ。

エンが目を覚ましたのは、翌朝になってからだった。目を開けると、小窓の外に青空が見えた。自分のいる場所がどこなのか、辺りの様子を目だけで探った。どうやら大船の中に居るのだとわかった。起き上がろうとしたが、力が入らず、動けない。

「目が覚めたか?」
扉を開け、男が入ってきた。大柄で髭面、よく見ると片腕がない。
「あんな小舟で、この海を漂うなど、正気の沙汰ではないな。どこから来た?」
男は、横たわるエンを見下ろして言った。エンは、相手の正体がわからず答えようも無く黙っていた。
「おいおい、助けてやったのだぞ?正直に話せ。」
エンは仕方なく答えた。
「荒尾から来た。」
「どこへ向かうつもりだった?まさか、死ぬために舟を出したのではないだろう。」
「島原へ行くところだった。」
「島原へ?・・とんだ方角違いだ・・・お前を見つけたのは、天草の沖だった。・・潮に流されたのか・・いずれにしても、あの小舟でこの海を渡るのは無理だぞ。・・お前、漁師ではないな。何者だ?何故、島原へ行く?」
天草の沖で自分を拾い上げたと聞いて、エンは驚いた。自分はまっすぐに、島原を目指していたはずだった。
「お前、ラシャ王の手の者か?」
片腕の男は、そう言うと、腰の剣を抜いてエンの顔の前に突き出した。
「正直に答えろ!」
エンは、男が、ラシャ王の名を憎憎しく口にしたことで、敵ではないと直感した。そして、
「私は、エン。ある方の行方を捜しています。そのお方は、ラシャ王に囚われています。ラシャ王の大船が島原辺りに居たと聞き、舟を出したのです。」
男は、エンの言葉を聞いて、急に顔色が変わった。
「もしや・・そのお方は・・姫か?・・伊津姫様の事か?」
「はい。邪馬台国の王の血を継ぐ、伊津姫様です。」
そう聞いて男は、剣を落とし、エンの脇に座り込み、しばらく、俯いたまま動かなかった。
ようやく決心したように口を開いた。
「私の名はバン。伊津姫様を捕らえ、ラシャ王に引き渡した張本人だ。」
「何!・・お前か!・・」
エンは、動かぬ体を無理にでも動かし、床に転がった剣を取ろうともがいた。
「姫を・・姫を返せ!・・ラシャ王は何処だ!・・・・姫を返せ!」
エンは、動かぬ体に苛立ちながら、バンに罵声を浴びせた。
「済まぬ。許してくれ。本当に済まぬ。」
バンは深く頭を下げた。
「私は、姫をラシャ王に引き渡した後、手下のチョンソに斬られた。王は最初から俺を殺すつもりだった。だが、姫が止めてくれて、腕を失っただけで済んだのだ。・・元々、私は、ラシャ王の手下ではない。・・村が襲われ、村の者を助けるために仕方なくラシャ王に仕える事にした。姫を連れてくれば、村を解放してくれるという約束で・・・私は、姫を引き換えに村を守ろうとしたのだ。愚かな事だった。・・本当に済まない。許してくれ。」
エンは、バンの事情を知り、同情しつつも、しかし許せなかった。
「お前のせいで・・今も姫様は囚われたままなのだ。・・だから、ラシャ王の居場所を探すためにこうして・・。」
エンは動かぬ体が悔しくて、涙が零れた。
「私は今、こうして有明の海を回り、ラシャ王を探している。・・許してくれとはいわない。ただ、償いたい。この船も、ラシャ王の手下から奪ったのだ。こいつで、島原や天草の村を回り、ラシャ王の兵たちと戦い、村を解放している。われらの味方もたくさん出来た。・・・隼人の一族も、ともに戦ってくれている。・・エン様、我らとともに、姫をお救いしましょう。いや、手伝いをさせてください。」
バンは、土下座をしてエンに頼んだ。
バンが悔い改め、ラシャ王と戦っている事はエンにも充分理解できた。
「隼人の一族に、ムサシ様は居られなかったか?」
「はい・・ムサシ様が兵を率いて、不知火辺りはほぼ、ラシャ王の手から奪い返しておられた。大船もかなり奪い、今、有明を上って来られるはずです。」
隼人の一族も、おそらく、バンの心からの詫びを受け入れたのだろう。
「判った。・・ともに戦うと言われるなら・・・何より、命を救ってくれた恩人なのだから。・・・姫は我ら九重の者にとってはかけがえの無い存在です。一刻も早く、お救いしたい。」
エンの言葉に、バンは涙を流して喜んだ。
「それで・・島原で見たと言うのは?」
「荒尾の漁師から聞いた話です。随分以前のようだが・・ラシャ王は、阿蘇を我が手にしようとサンウという将を立てて攻めてきたが、カケルや阿蘇一族の反撃にあって、結局、瀬田、タクマへ下り、最後は、白川から有明に逃げた。その後の行方が掴めず、探しているのです。」
「カケルとは・・あの伝説の勇者、カケル様の事か?」
「知っているのですか?」
「隼人の一族からも聞きました。天草でも、勇者を皆待っておりました。」
「ああ、私と同じ、ナレの村から、伊津姫様をお守りしウスキに居た。その後、ヒムカのタロヒコを討ち果たし、村々を回り暮らしを立て直し、伊津姫をお救いするために阿蘇へ。今は、荒尾の浜に居るはずだ。」
「そうか・・カケル様がおいでなのですか。・カケル様が・・よし、荒尾の浜へ行きましょう。」

有明海.jpg

3-3-9 島原 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

9.島原
「カケル様、沖に大船が現れました。」
荒尾の漁師が、急いで知らせに来た。カケルとアスカ、アマリはエンが舟で出てから、どうすべきか考えて数日を荒尾の浜で過ごしていたのだった。
三人が急いで浜へ出てみると。沖に確かに大船の姿が見えた。そして、徐々に荒尾の浜へ近づいている。
「ラシャ王の舟でしょうか?」
アマリが訊く。
「いや、一隻だけというのは変だ。」
「どうします?」
アスカが訊いた。
「アスカとアマリは、浜の皆に隠れるように伝えてくれ。私は小舟で近くまで行ってみる。」
浜の漁師が船を出してくれ、近くまで行く事にした。
船縁に人影が見えるところまで近づくと、大船から声がした。
「カケル!俺だ、エンだ!無事だ!」
エンは、バンに支えられて船縁に立ち、手を振っている。

ほどなくして、大船は荒尾の浜近くに停泊した。大船から、エンとバンが小舟に乗り換え浜に上がった。
「エン、無事だったか。」
「ああ、漂流していたところを、あの船に助けられた。・・こちらが、バン様です。」
「バン様、よくエンをお救い下さった。ありがとうございました。」
カケルが深々と礼をしようとした時、バンは、砂浜に這いつくばった。
「止めてください。私は、カケル様に、頭を下げていただくような男ではありません。貴方様に殺されても文句の言えない身なのです。」
カケルは、バンの態度に驚いて、エンを見た。エンは、バンの事情を一通り説明し、「今は悔い改め、姫を救うためにともに戦う仲間である」と言った。
カケルは、じっと天を仰いだ。カケルの右手は強く握られ、少し震えている。何かをじっと耐えているように見えた。アスカがそっと傍に立ち、カケルの背を撫でた。カケルは大きく深呼吸をして、じっとバンを見つめて言った。
「貴方が、過去に犯した罪は容易く消える事はないでしょう。しかし、こうして生き長らえたのは、きっと、まだ貴方には為すべき事があるということでしょう。それを全うする事が貴方の償いになるはずです。その事を肝に銘じて、我らとともに生きましょう。伊津姫様も、きっとそう願っているはずです。」
カケルとアスカ、アマリも、バンの大船に乗り込み、ラシャ王を探す事にした。

「カケル様、この広い海で、ラシャ王の行方の追うのはかなり難儀な事です。」
大船の甲板で、バンは海原を眺めながら言った。
「しかし、ラシャ王は必ずこの海のどこかに居るのです。あの島原の地はどんなところなのでしょう。」
「ここから見える島原の地は、煙を吹く山が全てです。時折、恐ろしく火を噴き出し、熱い砂が降り注ぎ、水も乏しく、荒地ばかり。住む人もわずかと聞いています。海沿いに小さな漁村がところどころにありますが・・・。」
「あの山の向こう側は?」
「いえ、私もあの向こうには行った事もありません。ですが・・。」
「行ってみましょう。・・島原の沖に大船が居たのは間違いありません。ここより南は、バン様やムサシ様がラシャ王の手から奪い返したのであれば、ラシャ王はここより北に潜んでいるはずです。勢力を盛り返す前に、何とか手を打たないと・・。」
「判りました。」

バンの船は、島原半島の東岸沿いに、海岸線を見張りながら北上して行った。
バンの言うとおり、島原半島の海岸沿いには、小さな漁村が点在する程度で、入り江も小さく、大船が隠れるような場所はなさそうだった。
「おかしい・・何か変だ。」
海岸線をじっと見つめていたカケルが呟いた。カケルと同じように、海岸線を見つめていたエンがカケルのほうを振り返ってから、
「ああ、おかしい。静か過ぎる。」
アスカも言う。
「ええ・・いくら小さな村ばかりといっても、人影がまったくないなんて・・」
「煙ひとつ上がっていない。何かある。・・バン様、陸へ上がりましょう。どこか舟をつけられる場所を!」
カケルにそう言われ、バンは小さな入り江に船を向けた。砂が船底に触るほど近くまで船を寄せると、カケルとエンは海に飛び込んで陸へ向かった。入り江の上には、数軒の家も見えていた。砂浜を一目散に駆け上がり、松原の中を通り過ぎようとしたときだった。
「カケル!これは・・」
エンが急に立ち止まって、松の根元を指差した。そこには、黒く変色していたが、明らかに地溜りだとわかった。そして、草の影に、無残に切り捨てられた亡骸が横たわっていた。
「村へ行ってみよう。」
エンとカケルは、家のある辺りまで走った。茅葺の家が数軒あった。
「誰か!誰か居ないか!」
声を張り上げて呼んでみたが返答は無い。家を覗くと、中には、やはり先ほどと同じように切り捨てられた亡骸が横たわっていた。
「惨いことを・・」
カケルはそう呟くと、エンとともに、砂を掘り、亡骸を全て運んで、丁重に葬った。
「抵抗したために殺されたのだろう。それにしても数が少ないようだが・・」
掘った穴に砂を戻しながらエンが言う。
「奴隷にするために、ラシャ王に連れ去られたのだろう。」
カケルが答えた。エンは、砂を叩き、吐き出すように言った。
「くそ!なんて奴だ。どこまで非道なんだ!」
二人は、船に戻り村の様子を離した。アスカとアマリは、惨い様子を想像し泣いた。
バンが話を聞いて言う。
「おそらくここらは皆同じような仕打ちをされているのでしょう。・・村人をたくさん集めているのだとすれば、きっとこの近くのどこかで、砦を作ろうとしているにちがいありません。もう少し北へ向かってみましょう。」
バンの大船は、島原半島の海岸沿いを、さらに北へと向かって行った。

島原半島.jpg

3-3-10 ラシャ王の画策 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

10. ラシャ王の画策
ラシャ王は、タクマの地を船で逃れた後、島原へ渡っていた。
カケルたちが想像したとおり、手下を使って、小さな村を襲い、抵抗する者を見せしめに切り殺し、村人を黙らせ、島原の北、イサの地に、新たな砦を築き始めたのだった。
まじめに働かぬ者は、手足を切られ、海へ投げ入れたり、火焙りにしたり、穴を掘って生き埋めにする等、正気の沙汰とは思えなかった。
集められた者たちは、余りの恐ろしさに、抵抗する気力を奪われ、黙々と働いた。

イサの地は、雲仙の北、泉水と呼ばれる海の奥の平地だった。泉水は、名のごとく、山からの豊かな水が海に注ぎ、浅瀬が広がっていて、魚や貝が豊富に獲れた。太古の昔から、多くの人が暮らしていたが、山に囲まれていたために、隣の筑紫野の国や火の国には属さず、小さな村の集まりの、古代の国のままであった。戦も知らず、武器も持たない、おとなしい人々は、ラシャ王に抵抗する力などもっていなかった。

「王様!」
船着場においた大船の船べりに立ち、陸を見ながら満足気なラシャ王に、跪く黒服の男がいた。
「おお、影か。見よ、この眺めを。わしはここを都にするぞ。九重を従わせる強き都をここに築くのだ。・・それより、何だ?良い知らせか?」
「はい、筑紫野では、村々で戦の支度が始まりました。」
「ほう、噂が広がり、動き始めたか。それで、戦はいつ起きる?」
「それが・・筑紫野の長は、なかなか腰が重いようで・・未だ動こうとはしません。噂だけでは動かないようです。」
「・・待つしかないということか?・・あ奴らのほうはどうだ?」
「それが・・タクマの地に残る者と、八代へ向かう者とに別れたようです。このままでは、筑紫野へは動かないと・・・。」
「では、戦にならぬでは無いか!何とかせよ!」
「はい・・それと・・不知火辺りでは、隼人一族が我らの落とした村を取り返し始めております。天草辺りも、すでに奴らの手に・・。」
ラシャ王は、持っていた杯を影に向けて投げつけた。
「何をしておるのだ!たかが、漁師の集まりではないか!大船を使い、一ひねりにしてしまえばよいではないか!」
「それが・・隼人とは別に、大船を操る者がいるようです。天草や島原辺りにも現れたと聞きました。」
「いったい、何者なのだ!」
「判りませぬ。ただ、タクマの地からカケルの姿が消え、その後の足取りがわかりませぬ。もしや、カケルと何か関係が在るやも知れません。」
ラシャ王は、影の報告を聞きながら、次第に苛立ちを募らせていた。船の中をせかせかと右左と歩き回ったかと思うと、急に折立ち止まり、何かを考えているようだった。
「よし、わしが動くとしよう。」
ラシャ王は、そう言うと、影を足元に呼び、何か耳打ちした。影は、一瞬驚いた表情をしたが、こくりと頷き、船を降りて行った。

ラシャ王は、にやりとした表情のまま、船室へ入った。居室にしている部屋で、酒を杯に注ぎ、数杯あおってから、また、部屋を出て行った。そして、船底にある牢へと足を運んだ。
「伊津姫様、ご機嫌はいかがかな?」
蝋燭のわずかな明かりがあるだけの、薄暗い牢の中で、伊津姫は横たわっていた。ラシャ王の声は届いているはずだが、何の反応も示さなかった。ラシャ王は、見張りの男を下がらせて、燭台を手にして、牢の中に入った。
「眠っているのか?」
ラシャ王は燭台の明かりを、そっと伊津姫の顔辺りに近づけてみた。
「何だ、目覚めているようだな。」
ラシャ王はそう言うと、伊津姫の横に座った。
「ようやく、お前の使い道が見つかったぞ。」
ラシャ王はそう言うと、横たわる伊津姫の髪を撫で、頬をさすった。伊津姫は一瞬ビクッと動いたようだったが、抵抗する気配は無かった。
「ここの暮らしも辛かろう。もうすぐ、陽のあたる場所に出してやることにした。今まで、生かしておいた礼を言ってもらおうか。」
伊津姫は、長く牢に閉じ込められ、食べ物も充分に与えられず、体力を無くしていた。さらに、時折、ラシャ王が持ち込む怪しげな薬を飲まされていたのだった。
頬はこけ、体も痩せ細っていた。見開いた瞳が一層大きく浮きあがり、かろうじて生きている状態にあった。意識は朦朧としていて、視点は定まっていなかった。
「おお、そうだ。・・カケルとやらが、ワシらを追っているようだ。・・今のお前の姿を見たら、あいつ、どんな顔をするだろうな。まあ、生きて遭えるとは限らぬがな・・」
ラシャ王はそう言って立ち上がり、牢を出た。
「おい、姫様に食べ物を持って来い。少し、元気になってもらわねばならぬからな。それから、着替えだ。綺麗にしてやるのだ。・・だが、例の薬は飲ませるのだ。良いな!」
見張りの男を呼びつけると、そう言い残して、階段を上がって行った。
見張りの男は、「へい」と頭を下げ、王の命令どおり、食事を取りに行った。
混濁した意識の中にあった伊津姫だが、ラシャ王の口から「カケル」の名を聞いて、一瞬、意識が戻った。そして、見開いた瞳から、一筋の涙を流し、「ううっ」と嗚咽を漏らしたのだった。

甲板に出たラシャ王は、里作りに励む手下を船着場に呼び集めた。
「よいか、皆の者。わしはしばらくここを離れることにした。だが、都作りは続けるのだ。九重一の大きな都をここに作り上げるのだ。良いな。もうじき、春を迎える。春には、田畑を広げよ!大きな都には、多くの米、食い物が必要だ。都作りとともに進めよ。・・奴隷が足りなければ、山向こうからでも人を集めて来い!ここらの奴らは、戦う事などせぬ。逆らえば、切り捨てればよい。良いな、大きく強き都をここに作るのだ!」

翌朝には、ラシャ王の大船は船着場を離れ、有明の海へ出航して行った。

普賢岳4.jpg

3-3-11 シマノヒコ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

11. シマノヒコ
ラシャ王の大船は、有明の海を北上して行った。そして、筑後川を上り、筑紫野に入り込んだのだった。
筑後川の畔には、筑紫野の国の都、葦野(よしの)があった。
ラシャ王は、葦野の手前で船を停め、一旦、陸へ上がった。すでに影が待機していた。
「王様、手はず通り、供になるものを集めておきました。それから、衣服もこれにお着替え下さい。」
ラシャ王は、王衣を脱ぎ、影の誂えた布服に着替えた。
「おい、姫を連れてまいれ。」
船底の牢から、伊津姫は抱え出された。そして、影の用意した輿に乗せられた。
「よし、では出発しよう。」
「私が先導いたします。葦野は、すぐそこです。」
総勢20人ほどのラシャ王の一行は、川沿いの道から、葦野の都を目指した。

筑紫野の国の都 葦野は、かつて、邪馬台国の王が九重を治める拠点となる場所であった。卑弥呼が亡くなった後、戦乱が起きた際も、王の最後の砦として使われた場所だった。王の一族は、長く続く戦乱の中、隣国アナトの兵が攻め込み、やむなく、この地を去ったのだった。
今、筑紫野を治める王は、カブラヒコと言い、アナトから来た将の子孫であり、筑紫野を纏めた一族として、王族を名乗っていた。

ラシャ王の一行は、葦野の都の大門に着いた。
「待て!何者だ!」
大門の守りをしていた男たちが、一行を止めた。
「私は、タクマの長シマノヒコと申します。・・筑紫野の王とお会いしたくて参上しました。」
「何用だ!」
阿蘇一族が責めてくるという噂が広がっているからだろう、門番の男たちは警戒していた。
「・・里を・・阿蘇一族に奪われ、筑紫野の王を頼って参ったのです。」
「何?・そうか・・・判った、ここで待っておれ!」
門番の一人が、慌てて、都の中へ入って行った。
しばらくして、先の男が戻ってくると、
「判った。王もお会いくださるようだ。中に入れ!」
こうして、ラシャ王一行は、葦野の都に入り、王のいる館に案内された。

しばらく、大広間で待たされた後、太鼓と笛の音とともに、筑紫野の王カブラヒコが現れた。
ラシャ王に負けぬ、狡猾な面構えであった。
「タクマの長、シマノヒコと申すか?」
ラシャ王は深々と頭を下げて、力強く「はい」と返事をした。
「タクマとは初耳だ。火の国の里なのか?」
「はい、白川沿いの丘に、開いた里にございます。里ができた矢先、阿蘇一族が大挙して攻めてまいり、あっという間に奪われてしまいました。」
「ほう・・。それで、どうしたいのだ?」
ラシャ王、いやシマノヒコは、わざとおずおずとした態度で、言った。
「わが里を阿蘇の手から奪い返したいのです。・・そのために、お力をお貸し下さるようお願いに参ったのです。」
「なぜ、わしが手を貸さねばならぬ。」
「九重の中でも、筑紫野の王は、秀でて立派なお方と聞き及んでおります。きっとお助けくださるはずと信じてまいりました。」
そう言われ、カブラヒコはほくそ笑んだ。
「だが、手を貸したとしても我らには何の利もないではないか!」
カブラヒコは、わざと撥ね付けるような言い方をした。
「いえ・・わが里が戻れば、私は、貴方様の臣下になりましょう。タクマの地も、カブラヒコ様に治めていただければ安泰です。」
「ほう、吾が臣下となるか。悪くないな。」
「はい・・そうなれば、阿蘇やヒムカ、サツマさえも、靡くでしょう。」
「いずれ、九重の王となるか。・・うむ、悪くない。だが、その話、どこまで信じられる。」
カブラヒコは挑戦的な目で、シマノヒコ(ラシャ王)を睨んだ。
「その証は、この姫でございます。」
「ほう、その弱弱しい娘が証か。人質というなら要らぬぞ。」
「いえ、そうではありません。この娘は、邪馬台国の王の血を継ぐ、伊津姫にございます。」
カブラヒコの表情が強張った。邪馬台国の王は、自らの先祖がこの地から追い出したことを語り継がれ、その為に、筑紫野の民の中には、カブラヒコの一族を王とは認めず、あちこちで反乱を起こしているからだった。
「邪馬台国の姫?・・まさか、・・王の一族は、阿蘇の地を越え、死に絶えたはずだ。」
「いえ、確かです。阿蘇一族が、この姫を奉じて攻めてきたのですから・・」
シマノヒコ(ラシャ王)は、平然と偽りを語った。
「随分と、弱っておるようだが・・・。」
「はい、阿蘇一族から奪い、一度は命を奪ってしまおうと思いましたが、何か役に立つのではと生かしておきました。・・姫をお渡しいたします。吾が手にあるより、カブラヒコ様なら、九重を治めるためにも、伊津姫をお使いいただくのが良いかと・・。」
「面白い。わかった。姫はいただこう。」
そう言ってカブラヒコは玉座から立ち上がり、伊津姫の近くに寄った。
長い黒髪、透き通るほどの白い肌、痩せ細った手足をじっと見つめた。薬で、正気を失っている伊津姫は、ぼんやりとした目つきで、カブラヒコを見て、そっと微笑んだように見えた。
伊津姫は、薬で幻影を見ていた。近づく人影を、カケルだと思ったのだった。
その笑顔に、カブラヒコは、一瞬ときめいた。
「・・邪馬台国の姫か・・さすがに美しい、神々しさを持っているようだ。」
そう呟いた。そして、玉座に座りなおすと、
「・・まあ、今日は疲れておるだろう。これからのことは、明日また話すとしよう。・・さあ、姫は、こちらへ。・・おい、誰か、姫を奥の部屋へお連れせよ。お疲れのようだから、お休みいただくのだ。・・ほら、丁重にご案内せよ。」
カブラヒコはそう言うと、歩くのもままならぬ姫を従者に案内させて、館の奥の部屋へ連れて行った。シマノヒコ(ラシャ王)達にも、部屋は用意され、従者が案内した。

吉野ヶ里5.jpg

3-3-12 二代の王 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

12.二代の王
広間にひとり残ったカブラヒコは、目を閉じ考えていた。
「信用できるでしょうか?」
独り言のように呟くと、玉座の後ろから、白衣に身を包んだ老人が、杖を突いて現れた。
「ただ者ではなさそうだな。素性を調べさせよ。・・後ろ盾になるかどうか、少し返答を延ばし、様子を見たほうが良い。」
「はい。」
この老人は、先の王イツナヒコであった。
一時、目を患い、満足に動けなくなったのを機に、息子に王の座を渡した。だが、病が治ると、再び、大王として君臨し、カブラヒコを操っているのだった。
「きっとあやつは、九重の者ではない。」
「九重のものではないとは?」
「九重の者ならば、邪馬台国の名を軽々しく口にはしない。ましてや、その姫を殺そうなどとは決して口にはせぬ。いや、これほどの扱いはできぬはずだ。」
「姫は偽者ということは?」
「いや・・邪馬台国の姫かどうかは定かではないが、大事な者には間違いあるまい。何か、裏があるはずだ。・・阿蘇一族は決して彼の地より出ぬ掟、他国に戦を仕掛けることなどない。ましてや、姫を奉じて戦などありえぬ。」
「では、あいつらは何者でしょう。」
「調べればすぐに判るだろう。はっきりするまで、館に留めておけば良い。」
そう言うと、イツナヒコは奥へ入って行った。

カブラヒコは、伊津姫が居る奥の部屋に足を運んだ。部屋の中では、数人の女性が伊津姫の看護をしていた。王が部屋に入ってきたのを見て、女性達は部屋の外へ出ようとした。
「いや、そのままで良い。姫の具合はどうだ?」
一人の年配の女性が口を開いた。
「お体が随分衰弱しておられるようです。あまり満足に食事をされていなかったのでしょう。」
「そうか・・」
カブラヒコはそう言うと、横たわる伊津姫の傍に行き、顔を見つめた。
「それと・・意識がはっきりされていないようです。」
「何かの病か?」
「よく判りませぬが・・病ではなく、毒のようなものを口にされたのかも・・」
それを聞いて、カブラヒコは、そっと姫の手を取った。か細い手首、白い肌、カブラヒコは、姫に一目ぼれをしたのだった。
「そうか・・そなた達、何としても姫をお救いするのだ。死なせてはならぬ。お元気にするのだ。良いな。」
女性達は、王の言葉に深く頭を下げた。

館の外れに部屋を用意された、シマノヒコ(ラシャ王)達は、食事も済ませていた。
「あの、カブラヒコは我らの策に乗るかな?」
供に化けていた影が、ラシャ王の問いに答えた。
「・・先ごろ、王座に着いたばかりのものです。先の王は目を患い、息子に王を引き継いだところです。それほど利口とは聞いておりません。おそらく、すぐに我らの策に乗ってくるでしょう。」
「そうか・・。」
「ですが・・姫を渡したのは・・そこまでしなくても良かったのではないでしょうか。」
「良いのだ。邪馬台国の威光を借り、九重を手に入れようと考えたが、阿蘇や隼人はそれには乗らなかった。もはや、邪馬台国の威光など使えぬ。それより、この筑紫野を動かしさえすれば、形勢は変わる。それで良いのだ。」
「はあ・・。」
「どうした?何か気になることでもあるのか?」
「いえ・・この先、筑紫野がどう動くか。王の言われるとおり、阿蘇と戦を構え、お互い弱りきるところまで行けば良いのですが・・仮に、手を結べば、我らの立場はなくなります。・・それと、カケルの存在が・・。」
「カケル一人で何が出来る。・・いざとなれば、カブラヒコを殺して、この筑紫野を我が物にすれば良い。どうだ、この館は、随分と立派な作りで居心地も良いではないか。」
ラシャ王は、そう言って、寝床に入った。

翌朝、広間で、ラシャ王はカブラヒコと再び対面した。
「タクマの様子をもう少し聞かせてもらいたい。阿蘇一族はどれほどの兵力を持っている?」
「はい、近隣の里の者を捕え、兵にしており、かなりの数でした。。」
「どうやって攻めてくるのだ?」
「火矢を放ってきます。家々は焼かれ、村人は逃げ惑い、兵とて火の勢いに飲まれてしまい、満足に戦えません。」
「ふーむ、そうか。ならば、我らも同様に攻めねばならぬな。」
「では・・我らに合力いただけるのですか?」
「ああ・・奪われた地を取り戻すのは、理がある。不届きな阿蘇一族は、山の中へ推し戻さねばならぬ。」
「ありがとうございます。・・いつ、出発いただけますか。」
ラシャ王は内心ほくそ笑んでいた。我が策にまんまと乗ってきた、カブラヒコは間抜けな王だと侮った。
「いや、すぐには無理だ。春を迎え、田畑の仕事を終える頃だ。そなた達も、しばらくは我が臣下として、阿蘇との戦に具えて、働いてもらいたい。」
カブラヒコの意外な答えにラシャ王は驚いた。このままでは、無駄に時間を費やす事になる。ラシャ王は答えに困った。
「姫が元気になられれば、邪馬台国の威光を示せる。邪馬台国復興を唱えれば、阿蘇一族とて引き下がる。まあ、それまで時を待つ方が良いであろう。」
カブラヒコは、何食わぬ顔でそう付け加え、すぐに戦をするつもりの無いことを告げた。
「それでは・・我が地はいつになったら取り戻せるかわからぬではないか。筑紫野の王は、戦が出来ぬお人か!」
シマノヒコ(ラシャ王)は、険しい表情になり、つい、声を荒げて言った。
カブラヒコは、何かシマノヒコの奥底の闇を感じた。
「・・ならば、勝手にされるが良かろう。・・もともと我らに何の利もない話だ。」
カブラヒコは、そう言い残すと、玉座をたち、奥の部屋に入って行った。

吉野ヶ里7.jpg

3-3-13 探りあい [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

13.探り合い
館の奥の王の部屋に戻ったカブラヒコのところへ、先の王イツナヒコが現れた。
「・・ふん・・やはり、あの男、何かを企んで居るようだな。」
イツナヒコは、いつものように玉座の後ろで、二人のやり取りを聞いていたのだった。そこへ、王の密使が戻ってきた。
「あの男、どうやらタクマの長ではないようです。葦野の浜に、大船がおりました。あの者達が乗ってきたようです。船を見たところ、異国のもの。おそらくペクチュ辺りのものかと。船には、兵士も乗っておりました。」
「よく調べた。それで、あの者達の企みは何だ?」
先の王イツナヒコが訊いた。
「定かではありませんが、異国の武将が、不知火や八代、島原辺りの村を襲っているという噂は耳にしております。おそらく、その者達の仕業でしょう。今度は、この筑紫野を攻めようと考えているのかもしれません。」
「そのためにやってきたのか?いや、もっと他の理由があるだろう。もう少し、探って来い。」
イツナヒコはそう言って、密使を再度、走らせた。

イツナヒコは、カブラヒコに遠慮する事も無く、玉座に座り、考えながら呟いた。
「正体を偽り、貢物の姫まで差し出し、兵を送りたい理由が何かあるはずだ。・・阿蘇の反撃にでもあったか。・・いや、王に近づいたという事は、直接、王を襲い、この国をのっとるつもりかも知れぬな。・・・・」
それを聞いたカブラヒコが言った。
「兵を出さないと言った時の慌てようは尋常ではありませんでした。やはり、兵を送りたい理由があるのでしょうか?」
「ふむ、それもあるな・・。よし、良い方法がある。兵を出すのだ。・・少数でよい。そうだな、百人ほどの農夫を集め、兵に仕立てて、向かわせよう。できるだけゆっくり進軍させるのだ。・・あの者達に先導させればよい。」
カブラヒコは、イツナヒコの意図する事が今一つわからなかった。
「兵を出してどうするのです?」
イツナヒコは、カブラヒコの思慮の無さに落胆した表情をして言った。
「・・陸路なら、浜に居る大船を使うわけには行かぬだろう。船の兵とあの者達を切り離すのだ。さすれば、わずか二十人ほどの供しか居らぬ。裸同然だ。筑紫野を出た辺りで、あの者達を始末してしまえば良い。同時に、大船も我らが戴けば良い。浜には阿蘇のと戦に具えた兵がたくさん居るだろう。一気に襲ってしまうのだ。」
「それでは・・約束が・・」
「何が約束だ。名を偽り近づいた者との約束など・・何になる。あの者達は、我が筑紫野の国には害になるだけだ。良いな。明日にも、兵を仕立て、この地から追い出すのだ。おお、そうだ、ハツリヒコにやらせれば良い。」
「御意。」
ハツリヒコとは、カブラヒコの弟である。カブラヒコに比べ、体も大きく、武力に長けており、兵たちを纏める力があった。父イツナヒコとは反りが合わず、諍いが絶えなかった。先の王イツナヒコは、そんなハツリヒコを筑紫野のはずれ、火の国との境界にある、「女山(ぞやま)」へ行かせていた。古く、邪馬台国の城砦が築かれた地であった。

カブラヒコがすぐには兵を出さぬといって部屋に戻った後、シマノヒコ(ラシャ王)は苛立ちを隠せなかった。声を荒げた事でさらに心象を悪くした事をどう繕うか考えていた。
「影よ。この先、どうすべきか?」
「戦のきっかけを作りましょう。大船に居る将を動かし、東の村で騒ぎを起こしてはどうでしょう。」
「ふむ、その手があったな。すぐに動くよう命じるのだ。」
ラシャ王は、供の一人に命じて、大船に使いを出した。

「シマノヒコ様、カブラ王がお越しです。」
部屋に控えていたシマノヒコ(ラシャ王)のところへ、カブラ王がやってきた。
カブラヒコは部屋に入るとすぐに言った。
「そなたの希望、叶えよう。百人ほどと少ないが、強い兵を集めた。そなた達が先導し、火の国との境、女山(ぞやま)へ向かうと良い。」
カブラヒコの申し出に、シマノヒコ(ラシャ王)は戸惑ったが、当初の企みどおり、兵を出すと聞いて、シマノヒコ(ラシャ王)は答えた。
「判りました。カブラヒコ様の恩、忘れませぬ。」
「・・阿蘇の狼藉は赦せぬ。すぐに出立されるが良い。船は無いゆえ、陸路となるが、そう遠いところでもない。女山には、我が弟が砦を構えて居る。阿蘇との戦に備えて居る。合流し、タクマの地へ向かわれると良かろう。」
「カブラヒコ様は、如何されるのでしょう?」
「阿蘇との戦は、ハツリヒコのほうが良いのだ。元来、戦上手である。阿蘇がどれほどであろうと負けはせぬ。」
「判りました。すぐにも出発いたします。」

大門の外には、すでに百人ほどの兵が集まっていた。俄かに集められた者たちだが、将が数人ほど兵に紛れていた。三日の後、女山の地で、ラシャ王を亡き者とする命を受けていた。

ラシャ王を先頭に、兵は進軍した。葦野の里から丘陵地帯を進み、筑後川を越え、女山の地を目指した。

「大船は手筈どおり、動いているか?」
進軍の中、ラシャ王は影に訊いた。
「それが・・、使いは捕えられたようです。大船は、この先の荒尾へ向かっております。」
「我らの策が漏れているということか?」
「・・使いは直ぐに死にました。我らの策は漏れておりません。それより、女山の地に居られる、ハツリヒコですが・・」
「どうした?」
「どうやら、カブラヒコとは不仲のようです。先ほど、兵達が話しておりましたが・・兵達は、ハツリヒコを王としたかったようです。」
「そうか・・・ハツリヒコが合力すれば、阿蘇一族を蹴散らす事も容易ということか。」
「はい。ですが・・大人しく、カブラヒコの命令に従い、兵を動かすかどうか・・・。」
早春の筑後川は、水量が増えていた。予定よりもすいぶん遅れて、ラシャ王達は女山に到着した。

筑後川1.jpg

3-3-14 女山 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

14.女山(ぞやま)
「ハツリヒコ様、王からの使者が参りました。」
城砦の中の小さな館にいたハツリヒコの元へ、筑紫野の王カブラヒコからの使者が来た。
ハツリヒコは、戸を開け、表に出ると、使者が跪いて構えていた。
「王からの命令をお伝えいたします。過日、兵百人ほどがここへ到着いたします。その中に、シマノヒコという男がおり、タクマの地を阿蘇に奪われたと申し、我らに援軍を求めてきたとの事です。」
「それで?」
「王は、シマノヒコの素性が怪しく、筑紫野の害となると考えられております。」
「ならば、なぜ、丁重に扱う?」
使者は、辺りを見回し、少し声を抑えてから言った。
「王は、シマノヒコをここで殺害せよとの事。阿蘇との戦に見せて、亡き者にせよとの事にございます。」
「判った。下がって休め。」
ふうとため息をつき、ハツリヒコは館の中へ戻った。
「やはり、貴方の言われるとおりでした。」
ハツリヒコは椅子に座り、そう言った。対面には、阿蘇一族の主、タツルが座っていた。
タツルは、タクマの地が落ち着くのを待って、レンに里を任せ、阿蘇からの伴を連れて、北へ進んだ。タクマの里から逃れたラシャ王の残党が、北の地で狼藉を働いているという噂を耳にしたからだった。そして、女山の城砦へ到達士、ハツリヒコとの面会も得ていた。
タツルは、これまでいきさつを丁寧にハツリヒコに話していた。ハツリヒコは、筑紫野の先代の王の息子ではあるが、カブラヒコとは腹違いの弟である。母は、この女山に昔から暮らす一族の娘であり、先代の王が力ずくで娶った。ハツリヒコは、物心ついた時、そのことを聞かされ、先代の王を父とは思えず、絶えず反発し、ついには、この地に篭ってしまったのだった。
この女山には、古の時代、邪馬台国の城砦が築かれ、卑弥呼もしばらく居たところであった。したがって、多くの民は、邪馬台国に対して畏敬の念を持ち、神のごとく奉っていた。ハツリヒコの母も、ハツリヒコが幼い頃から、邪馬台国の話を聞かせており、九重の国々の穏やかな暮らしを望んでいた。
「その・・シマノヒコという男、おそらくラシャ王でしょう。火の国と筑紫野の国に戦をさせることが狙いに違いありません。」
「おそらく・・・そして、どちらかが弱ったところで手中にしようと考えているのでしょう。先代の王も見抜いたに違いありません。」
「いかがしますか?」
ハツリヒコは、タツルの問いにしばし沈黙した。
「城砦には入れません。悪しき者をこの地には入れるわけにはいきません。ここは、邪馬台国の神聖なる砦でありました。穢すことは許しません。」
タツルも、ハツリヒコの言葉に頷いた。
長く阿蘇の地を守ってきたタツルには、ハツリヒコの強き態度が、若き頃の自分と重なるように感じ、九重の将来を托せる人物だと心強く感じていた。

二日後には、ラシャ王たちの一行が、女山の城砦の入口あたりに到着した。
すでに、ハツリヒコの指示で、多くの兵が入口辺りを守っていた。
「王の兵の到着である。案内を願いたい。」
兵の中に紛れていた将の一人が声を上げた。それに答えるように、
「女山に入ること、まかりならぬ!早々に引き上げよ!」
その声とともに、控えていた兵が一斉に立ち上がり、弓を構えた。
「王の兵だぞ!何をする!」
「我らとて、無用な殺生はしたくない。王の命といえ、悪しき者を清き里の中に入れるわけにはいかぬ。戻られよ!」
百人ほどの王の兵たちは、俄かに集められた者たちである。もともと戦など不馴れであり、剣や弓もお飾りに過ぎない。女山の兵に恐れをなし、皆、慌てて武器を放り出し、散り散りになって逃げた。ラシャ王や供の者、そして将たちだけが取り残された格好になった。
「どういうことだ?王の命令に逆らうとは。」
ラシャ王は、辺りの様子に驚き、傍にいた将に突っかかった。
「こうなれば、やむを得ぬ。」
将は、腰の剣を抜いた。そして、いきなり、ラシャ王に切りかかった。間一髪、ラシャ王は身をかわした。そして、傍にいた黒服の男が、将に切りかかり、あっという間に切り捨てた。
周りにいた将たちも、ラシャ王や供の者たちに切りかかる。しかし、供の者たちも腕が立つものばかりで、将たちはあっけなく切り殺されてしまった。
その様子を、女山の城砦から、ハツリヒコとタツルが見ていた。
「かなりの手だれの者の様だな。」
「捕らえますか?」
「いや、あれほどの者だ、そう簡単にはいかぬでしょう。」
そう言って、砦の下で起きている状況をじっと見つめた。
「どうやら、姫は一緒ではないようですね。」
ハツリヒコが言った。
「ええ・・どこかに囚われたままでしょう。あいつ等を捕まえ、居場所を吐かせれば・・。」
「では、捕まえますか?」
「いえ・・姫の身がどうなのかわかりません。ここは見逃し、後を追いましょう。」
「判りました。」
ハツリヒコは、城砦の見張り台から、手をかざして、引けの合図を送った。

ラシャ王たちは、予想もしなかった事態を何とか切り抜け、皆、王の周りに集まった。
「・・カブラヒコめ。最初から、我らを信用していなかったと言うことだな。」
「王様、ここは撤退すべきかと・・あの砦から攻め込まれれば、我らとて防げませぬ。」
「仕方ない・・・」
「大船が、この先の荒尾に着いている頃です。そこまで行けば、イサの里へ戻れます。」
「よし・・行くぞ。」
ラシャ王たちは、女山の砦の様子を見ながら、一目散に、海を目指して逃れた。

城砦の中では、タツルが出発の準備に入った。
「ありがとうございました。奴らはきっと海に向かい、大船に乗り込むつもりでしょう。後を追って、姫を探します。」
「邪馬台国の姫の行方、一刻も早くつかめますようお祈りいたします。我らも、王に背いた以上無事では済まぬかもしれませんが、九重の為、力を尽くします。」
「また、いつかお会いしましょう。」
タツルたちは、ラシャ王を追って行った。

原野3.jpg

3-3-15 イサの里 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

15.イサの里
カケルの乗った船は、島原の海岸沿いを進んでいた。
「タヒラ」の岬を回って、「泉水海」へ船を進めると、島原を回ってきてはじめて目にする大きな集落を見つけた。その浜辺に、大船が2隻あった。バンは船をできるだけ海岸に寄せ、大きな岩の陰に隠した。
「あそこは?」
カケルがバンに尋ねた。
「確か・・イサの里だ。だが、随分と様子が違うようだ。あの大船はラシャ王の手下に間違いない。おそらく、ここがラシャ王の根城なのだろう。」
「では、ラシャ王はあそこに?」
エンが、躍起になって訊いた。
「いや、あの大船はラシャ王が使っているのとは違う。」
「では、ラシャ王はここには居ないのか。」
エンはがっかりした様子で船を見てから、言った。
「どうする、カケル?」
「王は居ないとしても、あの里をこのままにしておけない。きっと島原のあちこちから連れてこられた者たちが働かされているに違いない。」
「では、攻めますか?」
バンが訊いた。カケルは少し考えてから、
「いや・・相手がどれほどか判らぬ内には、無理はしないほうが良いでしょう。私とエンが、里に入り、様子を探ってみます。」
エンはカケルの言葉に頷いた。アスカとアマリが、ほぼ同時に言った。
「私もお連れ下さい。」
「いや、中に入ればどんな目に遭うか判らない。ここに居てください。」
「しかし・・」
アスカは不満そうな表情をした。
「いえ、必ず、そなたたちの力を必要とする事があります。それまでここで・・。」

 翌日、カケルとエンは、船を降り、山伝いにイサの里へ入った。
里の南側から、男たちは竹籠に土を盛り、列をなして里へ運んでいる。カケルとエンは、その列に紛れて里の中に無事入れた。
里の中では、一際大きな館が造営されていた。高い大屋根をもつ館はまさに宮殿のような造り。わずかな間に、これほどの里を作るラシャ王の力に驚いた。
夕暮れになり、男も女も皆、一所に集められ、椀に一掬いほども粥をもらった。そして、皆、館の北に設えられた、板で囲った場所に押し込められた。男も女も、皆無言で粥を食べ、次々と横になった。まるで、家畜のような扱いだった。
中年の女性の一人が、カケルとエンを見つけて、小声で言った。
「初めて見る顔だね・・どこから連れてこられた?」
二人は顔を見合わせた。
「私たちは、捕らえられたのではありません。」
「何だって?・・」
二人の話が信用できないような返答だった。
「私はカケル。ナレの村の生まれです。ヒムカ、阿蘇を越えて参りました。」
その話に、老婆が口を挟んだ。
「・・今・・カケルと言ったかい?」
「ええ、ナレの生まれ、ヒムカの国の・・」
と言い掛けた時、他の者も起き出して、二人を囲んだ。
「ヒムカの勇者、カケル様のことかい?」
「勇者ではありません。私はまだアスカケの身、生きる道を探しております。」
ざわめきが起こった。そして、ひそひそと耳打ちするように、皆の耳に言葉が伝わった。カケルの名は、島原にも届いていた。

「カケル様がおいでになった。」
「お救い下さるためにおいでになった。」
「勇者様がそこに居られる。」
皆、カケルの居場所を見つけようとしていた。
僅かな灯りの小屋の中で、カケルは立ち上がり、皆の中をゆっくりと進み、一人ひとりの顔を見ながら歩いた。皆、カケルの姿に手を合わせて拝んでいる。そして、皆の真ん中に立った。
「この中に、長は居られませんか?」
見張りに気づかれぬ様、小さな声で回りの者に尋ねた。先ほどのように、カケルの言葉は皆に伝えられた。
「この里の長様は、ハヤノヒコ様。奴らに捕らえられて、館の奥においでになる。」
「では、お救いせねば・・。」
「我らも、必ずお救いしようと準備はしておりました。・・しかし・・。」
「ラシャ王の手下はどれくらいいるのです。」
「確かな事は判りませんが、百人ほどでしょう。・・ですが、半分以上は、この里の者です。」
エンが、脇から話に加わった。
「どうして、この里の者が、ラシャ王の手先に?」
「ハヤノヒコ様が捕えられているからです。逆らえば、ハヤノヒコ様の命は無いと言われ、仕方なく従っています。」
「では、本当の敵は半数ほどなのですね?」
「はい。・・いや・・今、ラシャ王はここに居ませんから、もう少し少ないかもしれません。」
カケルはじっと考えていた。そして、
「まずは、ハヤノヒコ様をお救いしましょう。そうすれば、敵の手下となっている里の者たちも、我らの味方になるはずです。そうなれば、我らのほうが圧倒的に多くなる。畏れる事は無いでしょう。・・それに、沖には援軍も居ます。海からも攻めれば・・。」
「しかし・・ハヤノヒコ様は館の奥深くにいるのだろう?どうやってお救いする?正面から行くのは無理だろう?」
エンはカケルに訊いた。カケルは、答えに困った。
「それなら、大丈夫です。・・兵の中には我らの味方になってくれるものが居ります。以前にも、ハヤノヒコ様の様子を伺いに、裏手から入れてもらったことがあります。」
返事をしたのは、カンという男だった。
「ただ、そこまで行くのが・・・。」
「それなら大丈夫だ。俺の作った穴がある。」
小屋の隅のほうで蹲っていた男が言った。

島原海岸.jpg

3-3-16 解放 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

16. 解放
「俺の名は、ムウという。タヒラの村で穴掘りの仕事をしていた。ここに来てからも、穴掘りをさせられていた。・・いつだったか、館からの抜け穴を作るように命令されて、作ったんだ。」
ラシャ王は用意周到な男だった。もし館が攻められた時にも、身の安全を確保するために抜け穴を作らせていたのだった。
「よし、そいつを使おう。俺が行く!」
エンが立ち上がって言った。
「いや、私が行こう。仮に、館の中に入れたとしても、多くの兵が居るだろう。エンは弓の腕は立つが、剣ではまだまだだ。お前には、一度、バン様のところへ戻り、策を伝えてもらいたいんだ。」
カケルに言われ、エンは渋々引き受けた。
「明日の夜明けと供に始めよう。」
エンは、闇の中、静かに里を抜けて海岸に出た。

大船では、バンが落ち着かない様子で外を見ていた。夕暮れになり、里にぼんやりと明かりが浮かぶ。特に変わった動きはないようだった。アマリが甲板に姿を見せた。早春の風が心地よかった。遠くを見つめるバンの姿を見て、不思議な感覚を持っていた。
バンは、故郷を襲い、村の皆を殺めた張本人、最初、荒尾の浜で、再会した時、余りの変貌に驚いた。故郷を襲ったころのバンは、眼がぎらぎらとしていて、ずる賢い、蛇のような男に見えた。しかし、荒尾の浜で再開した時は、片腕を失い、何か憑き物が落ちたように穏やかな表情だったのだ。同じ人物とは思えなかった。だからこそ、こうして船に乗り今日まで何も考えずに居た。しかし、今、こうして春の風に当たっていると、穏やかだった故郷の暮らしを思い出し、突然全てを奪ってしまったこの男に憎しみが沸々と沸いてきたのだ。
アマリは、男に化けバンの兵に加わった時から、隙有らば仇を討つ覚悟をしていて、常に懐には小刀を隠していた。船縁で、遠くを眺めるバンを見て、思わず懐の小刀に手をやった。そして、静かにバンの背後に近づいたのだった。
少し遅れて、アスカも甲板に上がってきた。階段から、顔を出した時、アマリが晩の背後にたっているのを見つけた。その様子が尋常ではないとはすぐに判った。止めなければ,そう思ったときだった。
「俺を殺すか?」
バンは、振り返りもせず、そう言った。アマリはその声にびくっとして止まった。
「殺されても文句は言えない。それだけの事をしてきたのだからな・・・。」
「どうして?」
「お前のことは、クンマの里から知っている。いや、あの村で小屋に隠れていたのも知っていたのだ。・・ラシャ王の命令とはいえ、罪もない抗うすべもない人を殺めるのは、心が痛んだ。だが、その度に、吾が故郷を守るためだと自分をだましてきたのだ。小屋で震えるお前を見たとき、さすがに、俺もこれ以上の殺生はいかんと思いとどまったのだ。」
「知っていたのですか?」
「ああ、その後もお前は幾度か俺を狙おうとした。だが、できなかっただろう。」
そう言って振り返ったバンの頬には、涙が流れていた。
「もしや、伊津姫様の傍に行かせたのも?」
「ああそうだ。あのまま、兵の中に居たらお前はいつか俺を殺しただろう。だから、お前を伊津姫様に託した。あの姫なら、きっとお前と救って下さると思ったのだ。」
「なんて勝手な!姫様をさらって、ラシャ王に引き渡したのはお前でしょう。」
「そうだ・・だからこそ、今。こうして姫様をお救いするために命を懸けている。・・お前に殺されても仕方ない、いや、覚悟はできている。だが、今しばらく待ってくれないか。この里を取り戻し、ラシャ王を倒し、姫様を取り戻すまで、待ってくれ。頼む。この通りだ。」
バンは、その場に蹲り、泣いて詫びた。
アマリは、じっとその様子をただ立ちつくして見ていた。
そっと、アスカが近寄って、アマリの肩を抱いた。アマリは、懐の小刀から手を離し、アスカにすがって泣いた。

「おーい!おーい!」
海岸から、声が聞こえる。
「あの、間抜けな声は、エン様だわ。エン様が戻ってきたようだわ。」
アマリもバンも、舳先へ行き、声のする方を見た。ぼんやり、月明かりの中、岩の上に立って手を振るエンが見えた。すぐに、小舟を出してエンを迎えた。
エンは大船に上がると、里の様子を離し、翌朝には、カケルたちが動き出すことを伝えた。
「里から、カケルが合図を送るはずだ。夜明けには、里の近くへ船を進めてくれ。」

早朝、カケルは、ムウの案内で里のはずれにある穴に潜り込んだ。手探りで少しずつ、前へ進むと、ぽっかりと上に穴が開いていた。上っていくと、館の奥深くに入っていた。
出た所で、兵が一人待っていた。
「こっちです。」
小さな声で合図をした。カケルは穴から出て、まっすぐその兵の案内するほうへ走った。小さな木戸を開けると、館の広間の下辺りだろう、長い梯子が掛かった地下に、人ひとり入れる程の箱のような物があった。箱の上からは顔が覗いていて、体には荒縄が掛かっている。イサの長、ハヤノヒコであった。
梯子の脇には、見張り番の男が、転寝をしていた。カケルは静かに箱に近づいた。ハヤノヒコは、気付いたがじっと目を閉じていた。カケルは、耳元でささやいた。
「私は、カケルです。あなた様をお助けに参りました。」
ハヤノヒコは、目を閉じたまま、こくりと頷いた。
ここまで、案内してきたムウが、迂闊にも物音を立ててしまった。
それに見張りの兵が気付いた。
「おい、何をしている!」
言うと同時に、長槍を構えて襲ってきた。カケルは、剣を抜き、長槍を一気に切った。驚いた見張りは、梯子を上っていく。ムウは、切落ちた槍先を拾い上げ、投げつけると、見張りの背中に刺さり、梯子から転げ落ちた。カケルが剣をかざし、閉じ込めている箱を一気に割った。
ハヤノヒコは、そこから転がり出た。
「さあ、長さまを外へ案内してください。私は、ここから上に行きます。さあ、早く。」
 カケルは、ハヤノヒコが館を出たのを確かめてから、梯子を一気に上った。
上は館の広間だったが、まだ使われていない様子だった。
カケルは広間を一気に横切り、館の外へ出た。篝火から火を取り、まだ明けきらぬ空に向けて、高く高く矢を放った。

諫早海岸.jpg

3-3-17 合図 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

17. 合図
「合図だ!ヨシ!」
小屋で息を潜めていた男たちが応えた。
小屋に居た男たちが、一斉に小屋の板塀を壊し始めた。体当たりをする者、蹴りつける者、上によじ登り揺らす者、小屋全体が大きな音に包まれた。メリメリと音を立て、小屋が崩れ始めた。一気に、小屋の中の者たちが、外へ飛び出した。子どもたちや母親たちは、里のはずれの畑へ身を潜めた。
ラシャ王の子分たちは、明け方の突然の騒ぎにおどろいて、館から飛び出してくる。

カンが男たちを纏め、ラシャ王の手下へ向かっていった。
男たちは、壊れた小屋の板や柱を武器にして、兵に立ち向かおうとした。しかし、剣や弓で襲ってくる兵には叶うはずも無い。一人、またひとりと切られていく。徐々に、兵達のほうが勢力を増してきて、ついには、男たちは兵に取り囲まれてしまった。カケルは、何とか、男たちの基へ向かおうとした。しかし、館の上に、迫ってくる兵と剣を交え、なかなか前へ進む事ができなかった。

「ハヤノヒコ様をお救いしたぞ!」
ムウが、大声で叫ぶ。しかし、男たちの耳には届かない。カケルは焦っていた。このままでは、兵達に負けてしまう。
ムウは、再び大声で叫ぼうとした。その時、兵の一人がムウに切りつけてきた。肩口を切られ、ムウはその兵にすがり付いた。そして、耳元で、喘ぐような声で言った。
「ハヤノ・・ヒ・・コ 様を・・お救い・・し・・た。」
切りつけた兵はその言葉を確かに聞いた。血を流し倒れこむムウを抱え、
「長さまをお救いしたのか?おい!しっかりしろ!」
「・・ああ・・そうだ・・」
ムウはそう言った後、気を失い倒れこんだ。
兵士は、イサの里の者だった。長が捕らえられやむなく兵に加わった一人だった。
「うおーっ!」
兵士は、唸り声を上げた。そして、今まで、捕らえられた男たちに向けていた刃を、ラシャ王の兵に向け、向かって行った。周りに居た兵たちにも、その事は伝わった。イサの里の者達が一気に、ラシャ王の兵士へ向かい戦い始めたのだ。
剣と剣がぶつかりあい、更に激しい戦いとなっていく。イサの者たちの中にも、切られ怪我をする者が出始めた。
「このままでは多くの者が傷つき倒れる。何とかせねば!」

その時だった。手にした剣が、突然、眩しく輝き始めたのだ。ようやく朝日が顔を見せるくらいの時間である。薄暗い中で、カケルの剣の光は、里の全てを照らし出すほどの輝きを放った。戦っている者、皆、驚いて、光の在り処を見た。
「これ以上、無益な戦いは止めるのだ!」
カケルはそう叫ぶと、剣を高く掲げた。すると、体がぶるぶると震えだし、鼓動が強く打ち始め、手足が膨らみ、獣人に変化していく。大きな雄たけびを一つ発し、館の上から飛び上がり、戦いの間に割って入った。
余りの迫力に、ラシャ王の兵も、イサの里の者、捕らえられた者たち、皆、引き下がり怯えた。カケルは、キッとラシャ王の兵士を睨みつけ、剣を構えた。睨みつけられた兵士達は、獣人と化したカケルに恐れをなし、皆、武器を投げ捨てて、里から逃げ出し始めた。

沖に居たバンの船も、火矢を合図に、船着場を目指していた。
船着場には数人の見張り役が見えた。近づく大船を見て、王の船かとじっと見ているようだった。岸が近づいたところで、船縁に身を潜めていた男たちが、一斉に矢を放つ。空から降り注ぐ矢に、見張りの男たちは恐れをなし、逃げ出した。難なく、バンは船着場に大船を着け、停まっている船を手に入れた。
そこに、里から逃げ出したラシャ王の兵達が、船着場を目指してやってきた。皆、我先にと船に乗り込もうとした。しかし、停まっていた大船にはすでに、バンたちが乗り込み、船べりから弓を構えて、待ち構えていた。逃げてきた兵に、容赦なく、矢が放たれ、次々に倒れていく。僅かな時間で、ラシャ王の兵は全滅した。

「皆、無事か?」
カンが周りの男たちに訊いた。数人は、剣で切られ怪我はしているが、命には別状は無い。最少の犠牲で、里は無事に取り返すことが出来た。そこへ、ハヤノヒコが、脇を抱えられ、皆の前に姿を見せた。
「ハヤノヒコ様!」「長さま!」
村の者たちはみな駆け寄り、ハヤノヒコの様子を伺い、声を掛けた。
船着場から、エンやアスカ、アマリたちがやってきた。
「兵たちはバン様が全滅させた。もう大丈夫だ。」
エンがそう言うと、皆、歓声を上げた。畑に隠れていた子ども達も、次々に里に戻ってきた。
カケルは、戦いが終わった事が判り、獣人からもとの姿に戻っていた。アスカは、カケルの姿を見つけ、すぐに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
カケルは、随分体力を使った様子で、肩で息をしていた。カケルは、アスカの方を借りて皆のもとへ戻った。
「カケル様!・・ムウが・・ムウが・・」
カンが横たわったムウを抱き起こして叫んだ。ムウは、兵士に切られ、肩口から血を流し、息も絶え絶えになっている。辺りにいた者たちは皆ムウの容態を心配している。
「アスカ、頼む。」「はい、判りました。」
カケルは、その場に座り、アスカはまっすぐムウのもとへ行った。
アスカは、もう息も弱く意識も薄れ始めているムウの横に跪いた。
周りに居た者たちは、アスカの所作を見守った。アスカは、じっと目を閉じ、ムウの手を握った。そして、血が流れ出る肩口に、もう一方の手を当てる。すると、アスカの体から不思議な光が零れはじめ、アスカとムウ全体をぼんやりとした光が包み始めた。皆、固唾を呑んでその様子を見つめた。
しばらくすると、ムウが目を開き、辺りを見回してから言った。
「皆、無事か?」
「ムウ、ムウ。お前、大丈夫か?」
傷口はすっかり治っていて、ムウは元気に立ち上がった。
皆、アスカが起こした奇跡を目の当たりにし、驚いた。
しばらくの沈黙の後、お互いに肩をたたきあって歓声を上げた。

有明の朝.jpg

3-3-18 タカ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

18. タカ
「カケル!やはり、伊津姫様は、ここには居られぬようだ。」
姫の行方を捜していたエンが、館の中から飛び出してきた。
「やはり、そうか。ラシャ王は姫を連れて行ったのだな。」

館の入り口の段に横になり、介抱を受けていたハヤノヒコがその会話を聞いて言った。
「姫様?・・そう言えば、ラシャ王が姫様の話をしていました。」
カケルとエンは、ハヤノヒコに駆け寄った。
「ラシャ王は、何と言っていたのですか?」
カケルが尋ねる。
「館の下に閉じ込められていた時、上の広間から漏れ聞いた事なので・・・確かかどうか・・ただ、使い道が見つかったと・・・。」
「使い道?」
エンが驚いて更に訊いた。
「ええ・・・姫を連れて行けば、入り込めるだろうと・・おそらく、筑紫野の国へ向かったのでしょう。筑紫野の王に謁見する為に、姫様を貢物として使うつもりでは無いでしょうか?」
「人質の次は、貢物か・・なんて奴だ・・・・邪馬台国の姫を・・・。」
その言葉に、ハヤノヒコは驚いた。
「姫様とは・・・邪馬台国の姫なのですか?」
「ああ、伊津姫様だ。邪馬台国の王の血を受け継ぐ者。邪馬台国を再び興すため、遠く、高千穂の峰の麓から、ウスキへ戻られたのだ。俺は、姫の守人・・俺が不甲斐ないばかりに、姫にはこんな惨い目にあわせてしまった。一刻も早く、姫をお救いせねばならぬ!」
「邪馬台国の伊津姫様・・・何という事だ・・。」
ハヤノヒコは、周りに居る者に言って、館の段を上がり、皆を見下ろせる場所に立った。
「皆の者、聞いてくれ!」
ハヤノヒコは力の限りの声を張り言った。
館の前に居た者たちは皆ハヤノヒコを見た。
「我が里は、カケル様、エン様、バン様、アスカ様、アマリ様達のお力を借りて、無事取り戻す事ができた。この御恩、代々まで語り継ぎ、決して忘れるではないぞ!」
ハヤノヒコの言葉に、里に居た者たちは皆歓声を上げて応えた。
「そして、囚われてきた皆様は、それぞれの里に戻り、再び、穏やかな暮らしを取り戻すのだ。それが、御恩に報いる事だと心しよう。」
再び、歓声が上がった。囚われてきた者たちは皆、肩を叩きあい、復興を誓った。
「だが、一つ、我らはやらねばならぬことがある。我が里を襲ったラシャ王は、恐れ多くも邪馬台国の姫を捕らえた上に、筑紫野の国への貢物としようとしている。九重の守り主、邪馬台国の姫を何としてもお救いせねばならぬ。」
邪馬台国の名を聞いて、皆、驚きと畏れを抱いた。
「腕に覚えのある者は、力を貸してもらいたい。この方達と供に、ラシャ王を討ち、姫をお救いするのだ。どうだ!」
その言葉に、剣や弓を持った男達が、声を上げた。
「待ってください!」
カケルがハヤノヒコに言った。
「それでは・・筑紫野の国と・・いや、この九重で大きな戦になってしまいます。・・」
驚いたように、ハヤノヒコがカケルに尋ねる。
「しかし、伊津姫様をお救いするには、ラシャ王に討ち勝たねばならない・・我らとて、痛めつけられた恨みもある。このまま、放ってはおけぬ。・・もし、筑紫野の国が、ラシャ王に味方し、兵を持ってこの地に来るとも限らない。・・・」
「いえ、いけません。それでは、際限なく、戦を広げてしまいます。民が苦しむだけです。ラシャ王は、いずれ破滅します。今は、ラシャ王を討つ事ではなく、姫をお救いする事こそ、われらが願いなのです。」
「では、どうすればいいのでしょう?」
「イサの里の皆様は、まず、この里を以前のように穏やかな豊かな里にしてください。・・もちろん、ハヤノヒコ様がおっしゃるとおり、筑紫野の国が攻め込んでこないとも限りません。里を守る事は大切でしょう。・・だからこそ、腕に覚えのある方こそ、この里には必要です。・・いえ、島原の全ての里を守るためにご尽力いただきたいのです。」
「カケル様たちはどうされるのでしょう?」
「はい・・我らは、北へ向かいます。ラシャ王は筑紫野の国にいるはずです。行方を追い、とにかく、姫をお救いします。」
そこまで聞いてハヤノヒコは納得した。そして、
「判りました。あなた方の御恩に報いるためにも、我らはこの里を、島原を守ります。ただ、筑紫野の国まで、案内役を里の者にさせてください。」
「ええ、それはありがたい。」
「おい、タカは居ないか?」
ハヤノヒコの言葉に、館の前に集まっていた者達がタカを探した。
「タカ!お前、何してる!」
ひときわ甲高い声が、集まった者の外れのほうで響いた。里の中に立つ大楠の影から、男二人がタカを引っ張り出してきた。タカの手には剣が握られ、自らの首筋に付きたてた状態だった。
「死なせてくれ!俺は・・俺は・・・生きている価値は無い!」
半べその顔で、タカは喚いていて、男二人が何とか腕を掴んで押さえつけている様子だった。
「どうしたというのだ?」
「こいつ、さっきの戦いで、村の者を切ったのを悔いて、死のうとしていました。」
タカは、戦の最中、ムウを切りつけた兵であった。衣服にも返り血を浴びていた。
「タカ、ムウは無事だ。アスカ様のお力で、元気になったのだ。もう良いのだ。」
「しかし・・俺は・・・生きている資格はない。死なせてください。」
そう言って、また、抗おうとした。その様子を見ていたアスカが、そっと傍に行き、背中を擦った。不思議な事に、半狂乱になっているタカは、急に落ち着きを取り戻し、剣を落とし、座り込んでしまった。そこへ、カケルが近寄って言った。
「タカ様、自らの命を絶つのは最も罪深き事です。命ある者は、生きねばなりません。もし、あなたが罪を悔い、償うというのなら、今、あなたにできる事を、精一杯やってください。」
カケルはそう言ってタカの手を取った。ハヤノヒコが言う。
「タカは、筑紫野の国で生まれ、旅をして我が里に参った者です。筑紫野の知恵を我らにたくさん授けてくれた、里一番の働き者です。タカならば、筑紫野の国を案内できるはずです。」
それを聞いて、カケルはタカの前に跪いて言った。
「我らは、あなたの力をお借りしたい。是非、我らの先導をお願いします。」
タカは、周りの者たちを見た。皆、強く頷いていた。タカの目には大粒の涙が零れ、カケルの手をしっかりと握った。

千々石海岸2.jpg

3-3-19 大船発見 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

19. 大船発見
 カケル達一行は、イサの里の船着場から大船に乗り込んで、有明へ漕ぎ出した。
「一旦、東へ進み、海岸沿いを大浦の岬を回って進んだほうが良いでしょう。」
タカの案内で,船は少しずつ、筑紫野の国を目指して行った。途中、いくつかの小さな入り江に船を入れ、休みながら、三日ほどで、筑後川の河口に入った時だった。
「前方に、大船が居ます。」
見張りをしていたタカが大声で皆に伝えた。
カケルもエンも、バンも、船縁に出て、タカの指さす先にじっと目を凝らした。
「あれは・・きっと、ラシャ王の船だ。」
「ようやく、見つけたぞ!」
「今度こそ、掴まえてやる!」
皆、捜し求めていたラシャ王を見つけ、躍起になった。
先に見える大船は、南へ向け船を走らせていた。
「我らも、見失わぬよう後を追うぞ!」
バンが、漕ぎ手に声を掛けた。船は、大きく舵を切り、ラシャ王の船のあとを追った。
「どこへ向かっているのだろう?確か、この先には・・荒尾の浜がある。そこへ向かうのか?」
エンは、船縁にしがみついたまま、食い入るような視線を前方に送りながら呟いた。
「筑紫野では思うように事が運ばなかったのか?」
バンも同様に先を行く大船を凝視したままて言った。
「筑紫野の王も、ラシャ王の邪悪な考えを見抜いたのだろう。それで、きっとラシャ王をはねつけたに違いない。大体、姫を貢物など、恐れ多い事だからな。」
エンが、いい気味だといわんばかりに言った。しかし、タカが首をかしげながら言う。
「いえ、・・筑紫野の王カブラヒコはそれほどの器量の持ち主ではありません。ましてや、先代の王は、ラシャ王に負けぬほどの悪知恵の持ち主。九重を全て手に入れたいと常々言っておりました。ラシャ王の誘いに乗らぬはずはない。・・・私は、そんな筑紫野の王に仕えるのが嫌で飛び出したのです。・・・もしかしたら・・ハツリヒコ様が動かれたのかも・・、」
それを聞いて、カケルがタカに尋ねた。
「ハツリヒコ様は、聡明なお方なのですか?」
「はい・・ハツリヒコ様の母上は、女山一族の方で・・女山一族は、邪馬台国の王をお守りする一族の末裔でした。ですから、ハツリヒコ様は、先代の王から阻害されておられました。」

ラシャ王の大船は、荒尾の浜に入って行った。カケルたちは、すこしの手前で船を停めた。
「一気に、攻めてはどうだろうか?」
大船の上で、皆が集まって相談している。
「姫の命が危うくなるかも知れぬ。」
「では、何とか、大船に忍び込んで中の様子を探らねば・・。」
「しかし、船に忍び込むのは容易ではないぞ。」
「ああ・・狭い船の中では、すぐに見つかってしまうだろう。」
皆押し黙ったまま、頭を抱えていた。アマリがぼそっと呟いた。
「荒尾の浜の皆さんは、ご無事でしょうか?」
ラシャ王の兵たちであれば、行き着く浜で略奪をしているに違いなかった。姫を救うことばかりを考え、目の前で起きている事を皆、見逃していたのだった。
「そうか、荒尾の浜も今頃大変な騒ぎになっているはずだ。・・姫をお救いする事も大事だが、皆を救うことも大事なことだ。・・よし、行こう。すぐに、荒尾の浜に乗り入れて、兵たちを抑えなくては・・なあ、カケル!」
エンが言った。荒尾の浜では、カケルたちもタクマの里を出た後に、随分世話になっていたのだった。
「ああ、そうだな。だが、無闇に攻めてもどれほどの兵力かもわからない。先に、荒尾の浜へ行き、様子を探ったほうが良いだろう。」
「ならば、イサの里の時同様に、里の中に紛れるのが良いだろう。今度は、俺にやらせてくれ。」
エンが身を乗り出して行った。
「それならば、私も一緒に。」
アマリもエンと供に行くことになった。大船を近くの海岸に着け、夕暮れに紛れて荒尾の浜へ入った。荒尾の浜では、カケル達が想像したとおり、ラシャ王の兵達が、浜の家々を襲い、食料を略奪していた。松明を手に、家に火をかけると言って脅しては、僅かばかり蓄えてあった食料を次々に奪っていたのだった。
「あいつら、村人が抵抗しないことを良いことに、好き勝手しやがって!」
日が暮れてからも、兵たちは次々に略奪をしている。エンは、余りの惨状に耐え兼ねて、ついに弓を取り出した。
「エン様、大丈夫ですか?」
「ああ、暗闇から矢を放つ。奴らは松明を持っているから、狙いやすい。こっちは見つかりはしないさ。・・・アマリ、お前は、船に行き、様子を見てきてくれ。無理はするな!」
「はい。」
暗闇の中、静かにアマリは船着場へ向かった。エンは、松の木によじ登った。高い枝の上から、兵たちの動きが手に取るように判った。エンは静かに弓を構え、松明を持つ兵を狙った。
「ピュン」という音と供に、暗闇を割いて矢が放たれ、兵を射抜いた。呻き声をあげる間もなく、兵は倒れた。エンは、枝を移っては、別の兵を狙い、射抜いた。五人ほどの兵を次々に射抜いた頃、別の兵達がやってきて、射抜かれ死んでいる兵を見つけた。
「おい、殺られているぞ!」
「気をつけろ!どこかに兵が潜んでいる!」
「探せ!」
兵たちは、村の中を松明を持って走り回った。その兵たちを狙って、さらに矢を放ち、次々に兵を倒した。その内、兵たちの中には恐怖心が広がり、いきり立ち、家に火をかける者が出てきた。
「しまった!」
エンは、兵たちを煽った事を後悔した。大船で、エンたちの知らせを待っていたカケル達も、荒尾の浜に大きな火が立ち上るのを見つけた。明らかに家が燃えているのがわかった。
「バン様、仕方ありません。一気に攻めましょう。」
バンはすぐに船を進めた。船着場の大船は、篝火を焚いていて、カケル達には格好の目印になった。カケルは、弓を構え、船上に見える見張り役を狙い放ち、倒した。それに気付いて甲板に姿を現した者も次々にカケルの放つ矢に倒れた。バンは、静かにラシャ王の船に大船を横付けし、一気に、乗り移った。
船室に続く階段から、アマリが顔を出した。
「中には、王も姫も居ません。」
夜のうちに、一気にラシャ王の船はカケルたちの手に落ち、荒尾の浜も大きな被害も出ずに済んだのだった。

松原3.jpg

3-3-20 追い込む [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

20. 追い込む
「ラシャ王は何処に行った!」
バンは、捕らえた兵を小突きながら訊いた。
「・・判らぬ・・ここで待てと命令されたのだ。・・」
「姫はどうした?」
「・・・姫?・・ああ・・姫は、筑紫野の王への手土産したはずだ・・、」
「何だって!」
今度はエンが、兵を殴りつけた。
「ふん、もうじき、ラシャ王様が、大軍を率いてここにおいでなる。そうなれば、お前達など一ひねりだ。覚えてろ、そうなったら、お前達、ただでは済まさんぞ!」
縄を駆けられた兵の一人が吐き捨てるように言った。
「ここへ、ラシャ王が現れるのか・・・」
カケルは、荒尾の浜をこれ以上戦で荒らしたくなかった。しかし、この兵が言うとおりに、大軍を率いて現れるならば、戦は避けられない。更には、これだけの手勢では勝ち目もなかった。しかし、今から兵を集め備えるには時がない。
「バン様、隼人一族は今もまだ、八代か不知火にいるでしょうか?」
「ああ、おそらく、近くまで来ていると思いますが・・・。」
「この浜では、何としても戦は避けなければなりません。これ以上、犠牲を出したくない。大軍が来れば、おそらく勝ち目もない。ならば、海の上での戦いにしたいのです。」
「しかし・・海の上となると・・。」
「ええ、わかっています。だが、王の船は一隻のみ。大人数が乗れるわけではありません。一旦、大軍を王とを切り離し、海の上ならば、数の差はない。仮に、逃げたとしても、、南の海には隼人一族もいるでしょう。ですから、ここでは戦をせず、王を船に乗せて一旦、海へ漕ぎ出させてはどうかと・・・。」
その会話を聞いていたタカが口を挟んだ。
「海へ逃せば、また、イサの里へ向かうのではないでしょうか?」
「それも考えられますが・・船一隻の人数ならば、イサの里でも容易く落ちはしない。われらがすぐに、王の船を追いかけ、海の上で決着をつけましょう。」
「判りました。」

カケル達の策はすぐに荒尾の浜の者にも伝えられた。倒れた王の兵たちを、大船に運び、漕ぎ手のように座らせ、外から見ると、兵たちが待っているように見せかけた。
荒尾の浜の者たちは、生き残っている兵を、全て荒縄で縛り、浜のはずれの磯に運び、波打ち際に座らせた。潮が満ちれば、海に飲み込まれるようにした。
「悪事に加担した罰だ。運がよければ、明日まで命があるだろう。今までやってきたことを悔い、罪を償うのだ。」
兵たちは皆、泣き喚いて、助けを請うた。
そして、荒野の浜の者たちは、一旦、浜を離れて、山陰に身を潜めた。カケル達は、船に乗り込み、沖合いにある大岩の影で、王達が到着するのを待つことにした。

翌日の昼ごろだった。ラシャ王達が、わずかの手勢で、荒尾の浜へ現れたのだ。女山のハツリヒコが王命にそむき、ラシャ王達を追い払い、命からがら、逃げ延びてきたのだった。すぐ後には、タツル達の軍勢が、ラシャ王の行方を追ってきていた。

「おお、船が居る。すぐに乗り込み、海へ出るぞ!」
ラシャ王は、船着場の大船を見つけて、先を急いだ。手下たちも、急ぎ船に向かう。黒服の男「影」だけは、浜の様子がおかしいことに気づいた。
「王様、変です。村人が一人も居りません。何かの罠です。」
「何を言うか!とにかく船に乗り込めば良いのだ。さあ、急ぐぞ。」
一行は、村を抜け船着場へ出た。
「見ろ、皆、出講の支度を済ませて居るではないか!」
「お待ちください。きっと何かあります。船に敵が潜んでいるかもしれません。」
「何を言っておる。さあ、行くぞ。・・おい!梯子を下ろせ!」
王が命令したが、船からは返答がない。
「おい、王の到着だ、さっさと梯子を下ろさぬか!」
しかし、船から返答はない。それもそのはず、船の中には死んだ兵しか乗っていないのだ。
「おい、登っていって、梯子を下ろせ!」
兵に命令し船体をよじ登り、梯子を下ろさせた。
船に乗り込んだのは、ほんの十人ほどであった。
甲板に立ち、王は外を見た。すると、タツル達の軍勢が、荒尾の浜に入ってきたのが見えた。
「おい、船を出せ!」
王は、号令をかけた。しかし、船は動き出さない。
「王様!大変です、漕ぎ手が・・。」
「どうしたのだ!」
「漕ぎ手は皆死んでいます。」

沖の岩場で様子を見ていたカケル達も、王が、船に乗り込む姿は捉えていた。しかし、一向に動き出す気配がない。バンは、もう少し様子がわかる場所まで船を進めた。甲板には数人の人影が、右往左往している様子が見えた。
「人影が少ないようだが・・・。」
「バン様、船を近くの磯に着けてください。様子を見てきます。」
カケルとエンは、磯伝いに、船着場に近づいた。
「おい、カケル、どうやら、十人も居ない様子だな。」
「ああ、大軍ではなさそうだ。」
「これなら、一気に攻めたほうが早いんじゃないか?」
「うむ・・」
カケルはそう返事をして、村のほうを見た。カケルは、たくさんの男たちが忍び寄ってくる気配を感じた。じっと目を凝らして様子を伺った。
「あ・・あれは・・タツル様だ。タツル様たちがここへ来ているようだ。」
カケルの言葉に、エンも村のほうを見た。すると、数人の男が、松原を抜け、船着場へ駆けてきた。そのうち、たくさんの男たちが次々に姿を現した。現れた男たちは、弓を構え、矢を放ち始めた。甲板にいた人影は、船の中に身を隠したようだった。

磯1.jpg

3-3-21 最後のあがき [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

21. 最後のあがき
「タツル様!」
岩陰からカケルは飛び出して、男たちのほうヘ向かった。エンも後に続いた。
矢を放っていた男たちが、浜から飛び出していた人影に驚いて、思わず矢を放った。
カケルは剣で矢を交わした。そして、そのまままっすぐ男たちの中へ。タツルは、カケルたちに気づいていない。カケルは高く飛び上がると、男たちの頭上を跳び越して、タツルの前に立った。
「止めさせてください!」
突然現れたカケルに驚きながら、タツルは号令した。
「皆、止めよ!」
エンも、かろうじて放たれた矢を交わし、男たち数人を押さえつけていた。
「これは・・カケル様、ご無事でしたか。」
「ええ・・タツル様は、ラシャ王を追ってここへ?」
タツルは、タクマの地からラシャ王の残党を成敗するために北へ向かい、女山の地で、ハツリヒコと面会し、ラシャ王をここまで追い詰めた経緯をカケルに話した。
「ここ、荒尾には先日到着しました。ラシャ王の兵達が狼藉を働いていたので、エンたちと供に殲滅しました。大船の中は、兵の亡骸ばかりです。ラシャ王の手下も10名ほどしか居りません。あの船は、動かないでしょう。」
「では、ラシャ王もいよいよ最期の時となったわけですね。」
「ええ・・ですから、無用に矢を放つ事もありません。もはや、袋のネズミなのです。」
「しかし・・沖から援軍が来るようなことはありませんか?」
「いえ・・島原は、バン様達がすべて解放し、根城となっていたイサの里も取り戻しました。」
「不知火や天草からは?」
「不知火や天草は、隼人一族が、ほぼ制圧したそうです。八代は・・。」
「八代は大丈夫です。タン様たちの軍が下っていき、少しずつ取り戻しているようです。・・昨日、イノヒコ様がお知らせくださいました。」
「そうですか・・・では、もはやここに居る者だけがラシャ王の手勢。沖には、バン様の船も控えています。もはや、逃げ道などありません。」
二人はそう会話すると、船着場の先に停まる大船を眺めた。
「姫は?」
エンがタツルに訊いた。
「ラシャ王は、姫を連れていなかった。おそらく、筑紫野の王の元に居られるだろう。」
「良かった・・では、お救いできるのだな?」
「いや・・それが・・・。」
タツルは口篭った。
「何だよ、筑紫野の王のところへ、伊津姫様をお迎えに行くだけじゃないのか?」
「筑紫野の王は、それほど聡明な王ではありません。・・むしろ、ラシャ王より難しい事になるかもしれません。・・筑紫野の国には、九重を手に入れようという邪心に満ちています。」
タツルは、ハツリヒコから聞いた事を、カケルやエンに伝えた。
「なんて事だ!」
エンは憤り、土を蹴った。タツルがカケルに訊いた。
「・・ラシャ王はいかがしましょう?」
少し離れた磯にいたバンの船も、大船の様子を見て、徐々に近づいてきて、ラシャ王の船の近くの浜に停まった。
ラシャ王は、大船の中で黒服の男を呼びつけていた。
「船を出さぬか!このままでは、一気に攻められる。さあ、早く船を出せ!」
ラシャ王は、半狂乱になっていた。これまで、ここまで追い詰められた経験は無かった。ペクチュの国でも、大軍を率い、海を渡った時も、自ら国を出ると決意しただけで、追い詰められたわけではなかった。初めて、敵に追われる恐怖を味わっていたのだった。
「これだけの人数では、この船は動きませぬ。」
「では・・どうするのだ?・・天草やイサへ使いを送り、援軍を呼び寄せよ!八代にも居るであろう。とにかく、何でも良い、ここから脱出する方法を考えよ!」
ラシャ王は、怒りに任せて、剣を振り回し、兵の亡骸を次々に切りつけ、串刺しにした。
「王様、お止め下さい!」
止めに入った兵の一人が、王の剣で腕を切られた。それを見ていた他の兵たちは、もはや、ラシャ王に仕える意味などないと見限り、一人ひとり、船を下りようと甲板に出た。外には、たくさんの男たちが弓を構えて待っていた。兵たちは、剣と弓を船から放り投げ、両手を上げた。
「降伏して出てきたようです。」
「無抵抗の者を傷つけてはいけません。捕えるだけで良いでしょう。」
タツルはカケルの言葉を受け入れた。
「よおし、ゆっくり降りて来い!」次々に兵が梯子を降り、縄で縛られた。

大船の中には、ラシャ王と黒服の男の二人となってしまった。
「王様、もはやこれまでです。」
「いや、わしは殺されはせぬ。」
ラシャ王は、そう言うと、黒服の男に剣を突き立てた。
「な・・なにを・・・・。」
そう言うと、黒服の男は果てた。ラシャ王は、船に積まれていた「朱の王服」を取り出してきて、黒服の男に着せた。そして、自らは、紺服を着て、甲板に出た。
「ここで捕まるわけにはいかない。」
王はそう言うと、船の反対側へ降り、海へ飛び込んだ。

「もう居ないか?」
タツルの声に、男たちは縄梯子を上って、船の中に入って行った。
「王らしき男が死んでいます。」
その声に、タツルやカケル達も船の中に入った。男達が言う通り、朱の服に身を包んだ男が血の海の中に横たわっていた。
「自ら命を絶ったか。」
タツルは、横たわる遺体を見ながら言った。
「おかしい・・・服に切り傷はない・・本当に王なのか?」
カケルは首をかしげた。
エンとバンもやってきて男の顔を見た。
「こいつ、ラシャ王じゃない。」
「ああ、こいつは・・黒服の男だ。・・王は逃げたんだ。」
そう言って、すぐに甲板に出て、辺りを見回した。
「くそお!一体、どこに行った!」
エンは船縁を叩いて悔しがった。

磯2.jpg

3-3-22 ラシャ王の最期 [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

22. ラシャ王の最期
「まだ、それほど遠くには逃げていないはずだ。海の方を探してくれ!」
バンは、大船に乗っている仲間に声を掛けた。
船着場にいた船はゆっくりと動き、沖合いに出て行った。
「怪しい奴が居たらすぐに掴まえてくるんだ!」
陸にいた男たちも、タツルの号令で、辺りの浜を手分けして探し始めた。
しかし、見つからないまま、夕暮れを迎えていた。
皆、松明を手に、夜遅くまで浜を探したが、やはり見つからなかった。
「何処に行ったのだろう?」
エンは、大船の中でぼんやりと呟いた。
「海へ逃れたのなら・・なかなか見つからないだろうな。」
タツルも、甲板に座り込んで呟くように答えた。
バンは、船縁で夜の闇に広がる海を眺めていた。そして、
「カケル様は何処に?」
振り返りながら、皆に訊いた。
「そう言えば、夕方、皆で探している時から、見ていないな。アスカ、知らないか?あれ、アスカも居ない。一体、二人とも何処へ行ったんだ?」
アスカも、そこには居なかった。

その頃、カケルとアスカは、荒尾の浜の村に居た。戦騒ぎで、荒尾の浜の人々は、一度、村を離れ潜んでいた。ようやく、皆、家に戻っていたのだった。カケルとアスカは、家々を回っていた。戦騒ぎで心配をさせたことを詫びると供に、ラシャ王が、村の中に潜んでいる事も考えられ、念のために、見て回っていたのだった。
一人の漁師の家で、
「カケル様、船が一艘無くなっています。浜の外れに停めておいたのですが・・さっき、見に行ったら、無かったんです。流されたわけではないはずです。固く、結わえておいたんです。」
そう聞いたのだった。
「カケル様、ラシャ王でしょうか?」
アスカが尋ねた。
「おそらくそうだろう。大船から波間を泳ぎ、浜で船を奪ったのだろう。・・しかし、小船で有明の海に漕ぎ出したのなら、無事では済まないだろう。」

その頃、ラシャ王は、カケルの想像通り、浜で手に入れた小船に乗り、沖合いを漂っていた。
漕ぎ出したのではなく、潮の流れに飲まれ、荒尾の浜から随分と沖合いに流されていたのだった。辺りを見回しても、どの方向にも、陸は見えなかった。夕暮れを向かえ、終に、周囲は暗闇が広がっていった。春とはいえ、夜風は冷たい。海に浸かり濡れた体には真冬の寒さほどに感じられた。次第に、ラシャ王は意識がぼんやりとし始め、終に、意識を失い船の中に横たわってしまった。

翌朝から、タツルたちは、戦騒ぎの後始末を始めていた。松原の中に大きな穴を掘り、ラシャ王の兵の亡骸を集め、埋めた。縄で縛られ磯に置き去りにされていた兵たちも皆死んでいた。それら全てを集め、穴の中に入れ、懇ろに葬ってやった。
カケルとアスカは、漁師に聞いた話を皆に伝えた。
「ラシャ王は小船で漕ぎ出したようだ。・・漁師の話では、荒尾の沖は潮の流れが強く思うように船は操れなくなるそうだ。沖合いをぐるぐると回って、明け方からの寄せ潮で、浜の北辺りに打ち寄せられているかもしれないそうだ。」
「そうなら、ラシャ王はその辺りに船を着けて、また逃げて行ったというのか?」
エンは、むきになって訊いた。
「いや・・昨晩はかなり冷え込んだ。ひょっとしたら、凍え死んでいるかもしれない。」
「よし、探そう。」
そう言って、エンやバンは、浜の北へ走った。カケルの言ったとおり、浜の北側を流れる川のほとり、葦の原の中に小船が乗り上げていた。
「おい、あれ!」
エンが一番に見つけた。そして、ばしゃばしゃと水しぶきを上げて、船に近づいていった。
船の中を覗き込んだエンが、一瞬、睨みつけるような表情を見せてから、大きなため息をついた。そして、カケルたちのほうを見てから言った。
「ラシャ王だ。・・・死んでる・・・」
皆、小船の中を覗き込んだ。船の中には、ぼろぼろの服を着た男の姿があった。明け方には流れ着いていたのだろう。野犬に襲われた様子で、指先や足先にはいくつも齧られた跡が付いていた。顔には、水鳥にでも突かれたのか、目や鼻あたりには、いくつも穴が開いていた。暴力で人々を抑え付け、一時は九重の半分ほどにまで勢力を広げ、大きな里をいくつも作ってきた王の、哀れな末路である。

「これからどうする?」
ラシャ王の亡骸を、浜に埋めた後、皆、大船の甲板に車座に座って相談を始めた。
「とにかく、姫様はまだ囚われの身。何としても姫をお救いせねば。」
バンが言った。
「すぐに出かけよう。筑紫野へ行き、取り返すのだ。これだけの男たちが居れば、何とかなるだろう?」
エンが続けた。カケルは皆の顔を見ながら静かに言った。
「いや、筑紫野の王との戦いは、避けねばならない。」
「何故だ!」
エンが食って掛かった。
「エン、これまでの戦いとは違う。今度は国との戦。相手はどれほどの兵が居るのかわからぬ。行く先の村々、全てが敵となることもある。安易に戦いに望めば、ここに居る者たちも多くが命を落とす事になるかもしれないのだ。」
「命を懸けても姫をお救いするのが我らの役目だ!」
「ああ、そうだ。しかし、筑紫野の国を滅ぼす事が目的ではない。無闇に戦を構える事はないだろう。」
それを聞いていたタツルが口を開いた。
「女山のハツリヒコ様を頼りましょう。あの方なら、力になっていただけるはずです。」
「そうしましょう。きっと無益な戦は避けられるでしょう。」
カケルの一声で、皆の行く先が決した。その時だった。大船の縄梯子を上がってくる者があった。

葦の岸辺.jpg

3-3-23 予期せぬ知らせ [アスカケ第3部遥かなる邪馬台国]

23. 予期せぬ知らせ
「誰だ!」
エンは咄嗟に剣に手をかけた。
「やはり、ここでしたか。」
顔を見せたのは、イノヒコだった。
「イノヒコ様、よくここが判りましたね。」
カケルは立ち上がり、イノヒコを出迎えた。
「近くまで来た時、大軍が荒尾の浜へ向かったと聞き、もしやと思い来たのです。ここでお会いできて良かった。・・姫様はまだ・・」
「はい、・・ラシャ王は死にましたが・・今は、筑紫野の王に姫様は囚われておいでなのです。これから、女山のハツリヒコ様を頼って参るところです。」
カケルは答えた。イノヒコは、筑紫野と聞き驚いていた。
「何か、良からぬ知らせでもあるのですか?」
タツルが尋ねた。イノヒコは、皆を見回してから言った。
「私は、クンマの里から八代を抜けてここまで参りました。実は、途中、良からぬ噂を耳にしました。ラシャ王が筑紫野の国を手に入れ、九重全体を我が物にしようと、南へ大軍を送ったというのです。・・おそらく、ラシャ王が放った密使が流した噂でしょう。」
「しかし、そのような事は・・」
「ええ、しかし、皆、ラシャ王の悪行は知っています。噂は広がり、八代から大軍が北へ向かい始めているのです。そればかりではありません。海からも、隼人一族が船団を作り、有明海を北へ進んでいるようなのです。」
そう聞いて、タツルが訊いた。
「もしや、タクマの里からも兵が動いているのでは?」
「はい、おそらくもう動き始めているでしょう。・・クンマの里や阿蘇は動いていないようですが、八代からの大軍と隼人一族、タクマの兵が、少しずつ、筑紫野を目指しやってきているのは間違いありません。」
カケルは言った。
「このままでは、筑紫野の国と大きな戦になってしまう。何としても、止めねばなりません。」
「ラシャ王の奴、死んでもなお、民の命を奪おうとするのか!」
エンが悔しそうに言った。
「エン、悔やんでいても仕方ない。まずは、南からの兵を止めなければ・・・八代からの兵の大将は?」
カケルの問いに、イノヒコが答える。
「確か・・タン様と申されたと・・。」
「やはり、そうでしたか。」
バンが言う。
「隼人一族は、おそらくムサシ様が大将となられているはずです。隼人一族は、きっと島原沿いに北へ上ってくるはず。そうなれば、イサの里も巻き込むかもしれません。・・イサの里まで加われば、筑紫野の国を西と東から挟み込む形になります。」
「カケル、・・都合が良いんじゃないか?大軍で攻めれば、筑紫野の王もすぐに降参するはずだ。無益な戦が起きる前に、姫を取り戻せるかも知れない。どうだ?」
エンは、カケルに訊いた。カケルは、エンの言う事も一理あるとは考えたが、そう簡単にはいかないだろうと思った。タツルが言う。
「いや、無理だろう。ハツリヒコ様に聞いたのだが、筑紫野の国の北、海峡を挟んだところに、アナト国がある。昔から筑紫野の王とは懇意にしているようだ。こちらが大軍で攻めれば、アナト国に援軍を頼むかも知れぬ。・・アナト国は、以前より筑紫野の国を欲しているようだから、この機に、一気に攻め込もうとするかもしれない。」

アナトの国は、古より隆盛を極めてきた大国だった。朝鮮半島からの渡来人も多く、瀬戸の海と外海に繋がる海峡を抑えており、大きな船団も持っていた。卑弥呼の時代にも、邪馬台国とは友好関係を保ち、遠く大陸からの使者も向かえていた。卑弥呼亡き後、九重の国が乱れた時、兵を送った。その時の将は、邪馬台国の王族を追放し、自らが王と名乗たのだった。
今、筑紫野を治める王はその末裔である。その為に、九重の民からは、邪馬台国を滅ぼし、王を追放し、アナト国の手先と蔑まれていた。歴代の王たちは、そうした民を力で抑え、逆らう者たちは容赦なく命を奪われたり、追放されたりした。邪馬台国滅亡後、長い間、筑紫野の民は抑圧され、生きてきたのだった。

「何より、戦になれば、、田畑も踏まれ、村は焼かれ、多くの血が流れる。多くの民が泣くことになる。何も残らぬ。・・そんな事を、伊津姫様は願っておられない。今は、とにかく、戦を避けることだ。」
カケルの言葉に、皆、納得した。
「バン様は、タカ様とともに、島原へ向かってください。隼人一族に、ラシャ王が死んだ事を伝え、進軍を止めるよう説得してください。タツル様は、タクマの兵を止めてください。」
バンもタツルもタカも頷いた。
「八代の兵はどうする?」
エンが訊いた。
「エン、イノヒコ様とともに、八代の兵を止めてくれ。タン様ならお前も知っているだろう。」
「判った。そうしよう。だが、戦の備えは必要だろう。この荒尾浜の北あたりに留めておいたほうが良いだろう。」
「・・ああ・・・私は、すぐにハツリヒコ様に会いに行く。タツル様の話では、きっと我らの考えを判って下さるだろう。」

翌朝には、バン・タカは大船で島原へ、アマリもバンの船に乗った。エンとイノヒコは八代の兵のもとへ、そして、タツルはタクマの兵のもとへ、皆それぞれの役目を負って、荒尾浜を後にした。

カケルは、アスカを伴って、荒尾浜から北へ上った。
荒尾浜から、女山までは低い山の裾野に広がる森を抜ける道を行く。東には、阿蘇に続く山々、西には有明の海が広がっている。幾つかの川を越え、峠を越えた。

二日目の昼頃、前方になだらかな稜線を持つ飛形山が見えた。山裾には蛇行する矢部川の流れ、その畔には、大きな集落が広がっていた。集落の裏手の高台には、頑強な造りの城砦も見えた。
「あれが、女山の砦だろう。あそこに、ハツリヒコ様がいらっしゃる。さあ、行こう。」

飛形山.jpg
前の30件 | 次の30件 アスカケ第3部遥かなる邪馬台国 ブログトップ