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2-31 誘拐 [スパイラル第2部遺言]

2-31 誘拐
「ここには居られないほうが良さそうです。すぐに戻りましょう。」
純一はミカと供にクルーザーに戻る事にした。
マリン事業部の事件と、如月さんのマンションの爆発・・・・何か途轍もなく深い悪意を感じながら純一はクルーザーに戻った。
「何か変です。」
ミカがクルーザーに近づくと囁いた。
「洋一さんの姿が見えません。あれだけの轟音が聞こえたんです。心配して、操縦席から様子を見ているはずなのに・・・・。」
クルーザーに乗り込むと、キャビンに洋一が倒れていた。
「洋一さん!洋一さん!しっかりして!」
ミカが駆け寄り抱き起こす。「うう」と呻いて洋一が目を開けた。
「どうしたの?」
洋一は首筋に手を当て、頭を何度か振るとようやく正気に戻ったようだった。
「誰かに後ろから殴られて・・・・。」
周囲を見回すと、テーブルの上に置かれていた花瓶や飾り物が床に散乱していた。
「ミホは?」
純一はミホの姿が見えない事に慌てた。キャビンや船室、デッキなどを探し回った。だが、ミホの姿は無かった。
外のデッキからミカが声を上げた。
「如月さんのボートがありません。」
「如月がミホを連れて行ったのか?・・・一体何のために?・・・」
呆然と港の出口当たりに視線をやって純一は言った。
「洋一さん、すぐに如月さんのボートを探して!」
洋一はエンジンを掛けた。

「ミサ、聞こえる?・・・ミホさんが如月さんに連れて行かれたの。如月さんのボートを見つけて!」
「すぐにやってみるわ。」
クルーザーが港の防波堤を抜ける頃に、ミサから連絡が入った。
「無理ね・・・GPSが切られているみたい。・・・・上空からの映像も如月さんの小型ボートだと判読できそうに無いわ。・・・。」
ミカと洋一、純一は、太陽が煌く海面に目を凝らしてみたが、船影を見つける事は出来なかった。それでも2時間以上、周囲の海を走り回って必死に行方を探した。だが結局、如月のボートを発見できなかった。
もう夕方近くになっていた。
クルーザーのキャビンのソファに座り、純一は頭を抱え、考えていた。
マリン事業部の強盗事件、如月のマンションの爆発、ミホの誘拐、立て続けに起きた事をもう一度整理してみなければならない。関連が無いというには余りに連続している。きっとつながっているに違いない。だが、その目的がわからなかった。ミホを誘拐したのは如月に違いない。だが、マンションを爆破するのは納得できない。それに、マリン事業部の強盗とは無縁だろう。だが、何かでつながっているはずだった。
「山下副社長から電話です。」
ミカが携帯電話を持ってきた。
「社長、ご無事ですか?」
「ええ・・・」
「朝の強盗事件で、本社にもたくさんの新聞社が集まっていました。それに・・・如月さんのマンションの火事で・・・社内も一時は相当混乱していました。」
「今は?」
「まだ、本社前にはたくさんの記者やカメラマンが待ち構えています。社長・・・いえ。前社長の自殺の件から全てを関連付けて、きっと面白おかしく報道するためにネタを探しているんでしょう。・・・」
「常務は?」
「ええ・・・玄関ロビーに席を作って、対応されています。警察も何度もやってきていますから・・・。あの方は立派ですね。終始、落ち着いた様子で、それぞれの事件は偶然だと記者からの執拗な質問にも平然と答えられています。」
「そうですか・・・。ああ・・如月さんから連絡は?」
「いえ・・・ありません。・・・一体、何処に隠れているんでしょうね・・・・。自分の部屋を爆破しておいて姿を晦ますなんて・・・・余ほど隠しておきたいことでもあったんでしょうか?まさか、マリン事業部の強盗事件も如月さんが・・ということはないでしょうね?」
上総CSの存亡の危機にあるというのに、何故か、山下は、あたかも他人事のようにはなすのが純一には妙に気になった。
「如月さんの隠れていそうなところに心当たりはありませんか?」
「さあ・・・・・如月のプライベートはほとんど知りませんし・・・。」
妙な言い方だった。二人の秘書の所在はすぐに見つけられたくらいであったはず。如月の動向も掴んでいてもおかしくなかった。
「あ、社長。しばらく本社へは来られないほうがいいですよ。新社長就任で吹きだした内紛なんて記事を書こうと記者たちも目を光らせています。記者たちの餌食になります。しばらく、島で大人しくされたほうが良さそうですね。」
「ああ・・・。判りました」
純一は電話を切った。会話をしたのは二度目だが、山下福社長の態度がやけに横柄に感じられた。そして、今回の事態を平然と受け止めすぎている事も気になった。それに、如月が逃げている事を知っていた。マンションが爆発したのだ。万一にも部屋にいたのではないかと心配するべきである、しかし、如月が無事に逃げている事を知っていた。だが、ミホが誘拐されている事は知らない様子だった。何か妙に偏った情報を持っているように感じられた。
.
「一度、島に戻りましょう。」
純一が言うとミカが訊ねた。
「ミホさんを探すのは?」
「如月さんはミホに危害を加える事は無いでしょう。私を脅すためなら尚の事。きっと如月さんから連絡があるはずです。・・・それに戻って確認したいことがあるんです。」


2-32 暴かれる秘密 [スパイラル第2部遺言]

2-32 暴かれる秘密
クルーザーが島に向かって走り始めた時、純一は操縦席の洋一の傍に行き、そっと耳打ちした。洋一は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにエンジンを止めた。
純一は、洋一とミカを甲板に出て、手招きした。
二人がやってくると、純一は二人に小さな声でこう告げた。
「一連の出来事には、山下副社長が関わっていると思います。・・・私たちの動きも全て掴んでいるようです。」
洋一とミカは、純一の言葉に顔を見合わせた。
「いえ・・・あなた達を疑っているわけではありません。おそらく、コンピューターを駆使して情報を入手しているのでしょう。先ほどの電話で、部分的には正確でも、どこかでずれている事がありました。おそらく、この船の情報も・・例えば、位置情報とか、通信記録とかで掴んでいるはずです。」
純一が言うとミカが言った。
「・・確かに・・・この船には多くの電子機器が積まれていて、島のサーバーにも繋がっています。秘書室のパソコンから、クルーザーの位置や中での会話を聞こうと思えば可能ですね・・・。」
「ひょっとしたら、携帯電話さえも盗聴されているかもしれません。」
純一は、ミカの言葉を聞き更に加えた。
「洋一さん、この船には小さな救命用ボートはありますか?」
「はい・・・ありますが・・・。」
「すぐに用意しましょう。私はここでクルーザーを降りて、街へ向かいます。洋一さんはこの船を島へ戻してください。」
すぐに洋一は、救命用ボートを用意した。
「私も社長と一緒に行きます。お一人で行くには危険です。それに、本社の副社長室に入るにも、正面からでは駄目でしょう。・・別の入口を知っています。案内させてください。」
ミカはボートが用意できると、純一より先に乗り込んでそう言った。
純一はボートの乗り移ると、洋一に言った。
「洋一さん、島へ戻ったらミサさんに事情を話してください。できれば、僕が戻っているように装って欲しいんです。」
「判りました。・・・もう宵闇が広がっています。・・・そうだ・・あの灯台を目印にボートを進めてください。マリーナには入らないほうが良いでしょう。あそこは、入ってく船を探知するレーダーがあります。万一にも見つかるかもしれません。灯台の東には砂浜がありますから、そこから上陸されたら良いでしょう。」
「ありがとう・・・よろしく頼みます。」

純一とミカが乗った小さなボートは、闇が広がる波間を進んで行った。ボートが見えなくなると、洋一は、クルーザーを島へ向けて走らせた。

比較的穏やかな海だった。ほのかに月明かりも射していた。救命用のボートといっても、小さなモーターもついていて、ちょっとしたプレジャーボートのような性能だった。純一は、洋一が教えてくれた灯台の明かり目指して真っ直ぐにボートを進める。
「社長・・・お伺いしてもいいですか?」
ミカは、純一の言葉を自分なりに整理し、何故、山下副社長を疑っているのかを考えていた。
「会長の事故を山下副社長が仕掛けた理由は何でしょうか?」
「おそらく、融資に関わる不正に加担した事を悔いて・・それを止めようと考えたんだと思う。」
「八木頭取に脅されたという事でしょうか?」
「・・・脅されたのかとうかは・・だが、何か弱みを握られたんだろう。・・だが、上総CSを守る為に・・・いや、自らの罪を悔いて事故を起したんじゃないだろうか?・・ひょっとしたら自分は死ぬつもりだったのかもしれない・・。」
ミカは再び考え込んだ。
「では・・・マリン事業部の強盗や如月さんのマンションの爆発にはどう関係しているんでしょう?」
「マリン事業部の強盗は、融資に関わる不正の証拠を失くす為でしょう。・・如月さんのマンションの件は判りません。・・ひょっとしたら、如月さんは山下副社長の不正の証拠とか・・・会長の事故の証拠とか・・そうしたものを集めていたのかもしれません。それならば、全てを燃やしてしまえばと考えたんじゃないかな・・・。」
再び、ミカは黙り込んで考える。
「しかし・・・山下副社長は、自由の利かないお体です。自分で仕掛ける事などできません。・・」
「ええ・・誰か協力者が居るんでしょう。・・それを確かめる為にも、山下副社長のところへ行くんです。きっと何か重要な秘密があるはずです。」
ミカとの会話を通じて、純一は、改めて、山下副社長が全ての中心人物だという確信を深めた。

砂浜にボートが乗り上がり、二人はすぐに海岸沿いの国道へ出た。街の明かりが遠くに見える。
「ここからは歩いていくしかなさそうだな。」
二人は、国道に沿って街を目指した。
「社長、すぐに向かわれますか?」
「え?・・何か考えでも?」
「ええ・・・夕食がまだでしょう。・・腹が減っては・・と言いますから、実は、この近くに私のアパートがあるんです。車も置いていますから・・・。ミホさんの事は心配でしょうが・・・社長がおっしゃるとおりならば、如月さんはきっとミホさんを守る為にさらったとも思いますし・・きっとご無事でしょう。」
ミカの言葉に、純一は先ほどからざわざわとした胸の中が少し落ち着いた気分がした。
ミカの案内で、海岸沿いの国道から、山手の方に道を取り、民家が立ち並ぶ街へ入った。田舎町である。夜ともなれば歩いている人もない。
「さあ、ここです。・・・実は、いずれはきっと呼び戻してもらえるはずと信じて、ミサと二人でアパートを借りていたんです。」
アパートはかなり古く、外階段は一歩上がるたびにギシギシと音を立てた。2階の突き当たりの角部屋が彼女たちの部屋だった。
部屋の中はがらんとしていた。冷蔵庫と小さな衣装ケースが数個、布団はたたんで積上げられていた。仮の住まいだという風情が嫌にも感じられる。
「ちょっと待っていてください。近くの店で何か買ってきますから・・・。」
ミカはそういうと部屋から出て行った。
彼女たちはどんな思いでここにいたのだろう。部屋の中を見回しながら、純一はふと部屋の隅に置かれたアルバムを見つけた。

2-33 アルバム [スパイラル第2部遺言]

2-33 アルバム
純一は、そっとアルバムを取り上げると中を開いてみた。
島で写したものなのか、ミカやミサが笑顔を振りまいた写真が数枚あった。洋一が写したのだろうか、屈託の無い笑顔でミカが笑っているものが多かった。
「おや?これは・・・。」
真ん中に少し白髪交じりの男が椅子に座っている。そして、取り巻くように女性が三人。ミカとミサはわかった。そして、もう一人の女性・・・
「ミホ・・・。」
よく似ていると聞いていたが、純一にはどう見ても同一人物に見えた。長い髪で今より少しふっくらとしている。じっくりとその女性を見つめた。どこか違うところは無いかと言う思いだった。しかし、左目の下にあるほくろまで一緒だった。
「間違いない・・・・きっと、ミホは秘書だったに違いない・・・・。」

「済みません・・遅くなりました。すぐに食事に・・・。」
ミカがアパートのドアを開けて入ってきた。純一がアルバムを開いているのに気付いた。そして、純一が見つめている写真に、ミホが写っている事に気付くと、全てを察したようにミカが言った。
「ご覧になったんですね・・・。」
純一が振り返ると、ミカが眉間に皺を寄せて、困った表情をしていた。
「やはり・・・・ミホは・・・秘書のミホさんと同一人物なんだね・・・・。」
ミカは小さく頷いた。
「いつから気付いていたんですか?」
ミカは小さく溜息をつき、観念したような口調で話し始めた。
「初めてお会いした時から・・きっと同一人物だろうと・・・似ているというには余りにも・・・でも、彼女は行方不明のままでしたし・・・・あれから、私たちも万一の事があってはいけないと相談し、手元の写真と比べたり・・・・DNA鑑定もお願いしたりしました。・・・間違いなくあの、ミホさんでした。」
純一は混乱していた。余りにも偶然が重なりすぎている。誰かが意図的に・・しかし・・・そういうつながりがまったく見えなかった。
「ミホは・・・記憶を失っています。自分が誰かわからないまま・・・こんなことに巻き込んでしまってすまないと思いつつ、ここまで連れて来たんです。しかし・・・。」
どう説明すべきなのか、何がどうなっているのか、純一は混乱したままだった。そして、最初に抱えていた大きな疑問、何故自分が上総CSの相続人に指名されたのかが浮かんできた。
「僕が相続人に指名されていたのは・・英一社長の遺言状だったんですよね。」
「ええ・・そう聞いています。私設の弁護人が遺言状を持って現れたとお聞きしました。」
「その遺言状は本物でしょうか?」
「どういうことでしょう?」
「いや・・・ミホが私のところへ来た・・いや・・浜辺で倒れているミホを見つけた後で、誰かが遺言状を捏造し、ミホをここへ連れて来るのが本当の目的だったんじゃないかって・・・。」
「いえ・・・英一社長の事故の後、すぐだったと思います。それに、遺言状は裁判所の証明もありましたし・・・目の前で封が開けられたとお聞きしました。捏造されたものではないでしょう。」
「遺言状の中身が正統なものなら・・・ミホを僕の元へ連れて来た人物がいるということでしょうか?」
「おそらく・・・。」
「一体、何のために?・・・山下副社長が画策したことでしょうか?」
「判りません・・・」
ミカとの会話で疑問が晴れるとは純一も考えていなかった。ただ、この事態に何をどう整理していけばいいのか、模索しているのだった。
「社長・・・まずは、山下副社長の件を解決することが大事でしょう。・・一つ一つ、ほぐしていけばきっとミホさんが社長の下へ行った理由も判るでしょう。」
ミカは精一杯の言葉を発した。
純一も同意した。ミカはすぐに夕食を作った。そして、アパートに停めてあった車で本社へ向かった。

途中、マリン事業部のあるマリーナを通過した。もう強盗事件の調べは一段落のようで、パトカーが一台停まっていて、周辺の警護のために警官が数人いる程度だった。事務所の中には灯りがついていて、マリン事業部の担当達が事務所の中を整理しているのが遠目に確認できた。

本社が見える場所に近づくと、ミカは正面ではなく、裏手の道に車を向けた。本社ビルの前は、海岸までの間に公園が広がっていた。裏手には、昔からの民家が立ち並んでいる。
ミカは、道路の端に車を停めた。
「ここから歩いて裏口へ入ります。」
民家の軒先を抜けるように、裏道があった。まるで迷路のような狭い道を抜けると、高い塀に突き当たる。上総CSのビルを取り囲む塀だった。それぞれの門には監視カメラがある。
「こっちです。」
ミカは、一軒の民家の裏口へ向かうと、古い木戸を開ける。
「無人ですから・・大丈夫です。」
木戸を開け、民家の中庭へ回ると、そこには鉄扉があった。それほど古くはなさそうだった。
「これは?」
「会長が作らせたものです。・・・正面以外にはは入口はありませんでしたが、万一の事を考えて作らせたと・・・この民家も会長が買い取られて・・・。」
そう言いながらミカが鍵を開け、中に入った。そこは塀に張り付くように作られた倉庫だった。倉庫の中には地下へ続く道が作られていて、そのまま本社ビルの中に入り込めた。
「ここから最上階までは。階段か・・。」
「ええ、裏の階段には監視カメラはついていません。」
そう言うと、階段のドアを開けた。
「あら?・・・・」
「どうしたんだ?」
「いえ・・この階段は私たちくらいしか知らないはずです。ほとんど使う事は無かったんですが・・ここを・・。」
指さす先には、足跡が残されていた。少なくとも数人の足跡だった。大きな靴跡もあれば、小さいものもある。
「ここを使っている人が居るのは間違いなさそうだね。」
「ええ・・・。でも、ここから行ける場所は、社長室と副社長室くらいしかないんです。」
二人は周囲の様子に神経を尖らせながら、階段を上って行った。

2-34 副社長室 [スパイラル第2部遺言]

2-34 副社長室
階段を登りきると、再び白い鉄のドアがあった。鍵はミカが小さな道具を使って器用に開けた。
足音を忍ばせながら、廊下を進むと、右手に「社長室」と書かれた部屋があった。
「この先です。」
ミカが、小さな声で指さした先には、灯りが漏れている部屋があった。
「隣は、副社長の住居部分になっています。」
静かに近づくと、純一はミカに、住居の方へ行くように指で示した。ミカは純一が何を指示したのか直感で理解した。そして、静かにドアを開けて、副社長の住居へ入っていった。
純一は、明かりの漏れている部屋のドアの前へ立った。いよいよ対決の時だ。

そっとドアを開けると、正面の大きな机に山下福社長が顔を伏せるように座っていた。机の周りには、幾つものモニター画面が置かれ壁のようになっていた。
「山下副社長!」
純一はわざと大きな声で副社長を呼んだ。山下副社長は身体をビクッとさせて、顔を上げた。予期せぬ来客に、山下の表情は強張っていた。
「真実を知りたくて、ここまで来ました。」
山下は慌てて、机の上に転がっていたヘッドセットをつけた。山下は事故の後遺症で、上手く声が出せなかった。ヘッドセットは英一社長と開発した、会話ツールである。
「・・・お越しになるなら事前に、ご連絡をいただければ・・・てっきり島にいらっしゃるものだと思っていましたよ。・・さあ、どうぞ、お座り下さい。」
平静を装うように穏やかな声が響いた。
「マリン事業部が襲われて、伊藤部長が重体です。・・・」
「ええ、承知しています。強盗事件として、報道もかなり過激でしたね。たかが百万円ほどで傷害事件になるなんて、今の時代、何が起きるかわかりませんね。・・・まあ・・常務が対応され、ようやく落ち着いたようですが・・・それが何か?」
「あれは単なる現金強盗じゃないんです。」
「強盗事件じゃないとすれば・・・伊藤部長に恨みでもある者の犯行・・ですか?」
「いえ・・・怨恨じゃありません。大体、あそこに伊藤部長がいた事は想定外だったでしょうから。」
「じゃあ、何が目的だったと?」
「・・・マリン事業部にある経理帳簿が目的だったんですよ。」
「経理帳簿?・・・何のために?・・そんなもの、何の値打ちも無いでしょう。それに、あそこにあるのは十年近く前の古いものばかりですよ。最近のものなら、それなりに価値もあるでしょうが・・・」
山下副社長はとぼけた表情で言った。
「ええ・・確かに、金になる物じゃありません。しかし、その存在が命取りになると考える人物もいるんです。」
「社長、一体何がおっしゃりたいんですか?経理帳簿といえば、私の仕事に関わることです。・・その帳簿が私にかかわりのあるものとおっしゃりたいんですか?・・いや、強盗事件を起したのは私だとでも?」
「ええ・・・そうです。」
山下副社長は、呆れた表情を浮かべて言った。
「何を根拠に・・・・・それに、そんな経理帳簿が欲しければ、強盗事件など起さず、社員に持ってこさせれば済む事です。」
「確かにそうですね。だが、そうできない事情があったとしたらどうです?」
「出来ない事情?そんなものあるわけが無い。」
「いえ、その経理帳簿は、あなたの自由にならないところにあって・・いや、それをネタにあなたを脅している輩の手にあったのだとしたらどうでしょう?」
「脅されてなど・・・・。」
「いえ、あなたは三河銀行の元頭取、八木氏が持ちかけた融資の流用に加担してしまった。それをネタに誰かに脅されていたはずです。・・」
「馬鹿な・・・・融資の流用などあるわけはない!」
山下は顔面を紅潮させて言った。
「では、会長の事故の事をお聞きしましょう。」
「会長の事故?・・ああ、十年も前の事故の事ですか・・・・。」
「あの事故は、誰かに仕組まれたものだとわかりました。進水式の前夜、燃料タンクに細工をした人物がいるんです。」
「燃料タンクに細工?・・・」
「おや、ご存知ありませんか?どうしても船を完成させてはならない事情があったようなんです。」
純一はわざとゆっくり試すような口ぶりで言った。
「社長、いい加減にしてください。さっきから一体何が知りたいんですか!大体、あなたは、上総CS事など何もご存じないでしょう。英一社長が何かの気まぐれに、相続人に選んだだけで、会長の事故の事など、あなたには何のかかわりも無いはずです。あれは事故と警察でもそう判断したんです。私だって、あの事故でこんな体にさせられたんだ!出来るだけ思い出さないようにしているんです。無神経にも程がある。もう帰ってください!」
山下はそう言うと、ヘッドセットを外し放り投げた。

同時に、隣室でドスンという音と悲鳴のような声が聞こえた。すぐに静かになると、副社長室に続くドアが開いた。
「社長、ありました。」
ちょうどそこへ、ミカが大きなファイルを幾つか抱えて副社長室に飛び込んできた。
それを見て、山下は表情を変えた。
「副社長、これはマリン事業部にあった古い経理帳簿ですね。・・何故、ここにあるんでしょうか?」
山下は椅子に座ったまま、両手をわなわなと震わせ、言葉を失っている。
「社長、それと・・・さあ、入りなさい。」
ミカは、後ろ手に縛った女性を副社長室に入れた。
「マリン事業部の、経理担当だった佐橋玲子です。」
純一は、山下を睨みつけて訊いた。
「彼女がなぜここにいるのですか?」
山下は、硬直した姿勢で、眉間に皺を寄せ、目を閉じたままだった。
純一は、床に転がったヘッドセットを取り上げて、山下の頭にセットすると、静かに言った。
「さあ、説明してください。帳簿と佐橋玲子さん。どういうことですか?」
純一はそういうと、山下の机の前の椅子に座った。
山下は観念した表情を浮かべている。
「全ては、八木頭取に仕組まれたんです。」
そう言うと、これまでの経緯を話し始めた。

2-35 会長の事故の真実 [スパイラル第2部遺言]

2-35 会長の事故の真実
初めての大型クルーザーの受注を受け、上総CSは総力を上げて建造を開始した。
しかし、資金力に乏しく、再三、発注者でもある八木頭取に相談し、三河銀行からの融資を取り付けていた。その窓口は、山下だった。最新鋭の機器を積み込み、贅の限りを尽くすクルーザーの建造となり、その融資は相当な額に上った。
ある日、希望した融資額の倍以上の金額が振り込まれていることに気付いた、山下が八木頭取に連絡をした。

「良いんだ、間違いじゃない。」
八木頭取の自宅の応接室に呼ばれた山下は、八木頭取の企みを知る。
「半分は、私が使わせてもらうんだ・・・いや、大丈夫だ。・・一時的に流用するだけだ。運用して増やしてやるのさ。元金は上総CSへ戻しておくから・・・いずれにしても返済は船が完成してからだろう。それまでの間に私も金を作る必要があるんだよ。」
「しかし、それは違法な・・・。」
「断るつもりか?・・・今更、どうにもならんことだ。目をつぶっていれば何も支障はない。・・事を荒立てるつもりなら、クルーザーの件、白紙にしても良いんだぞ。そうなったら、会社はどうなる?よく考える事だな。」
結局、山下は八木頭取に協力せざるを得なかった。

そして、進水式前日の事だった。八木頭取がパーティの準備に忙しいマリーナへ現れ、山下を呼びつけた。
「完成を遅らせるんだ・・・なんでも良い、不具合を見つけて・・そうだな・・・1週間・・いや1ヶ月ほど引渡しを伸ばすようにするんだ。」
「そんな・・もう全て準備は整っていますし、いまさら不具合など・・・。」
「わからない奴だな!今完成しても仕方ないんだ。」
「まさか・・・資金の運用に不都合でも・・・。」
「ああ、そういうことだ。・・・先物取引で大損が出た。今はまだ、融資の補填が出来んのだ!」
「しかし・・それじゃあ・・・。」
「そうか・・・それでも良いんだが・・・どうせ、融資流用は全てお前がやった事になっている。お前の名義で資金運用させてもらったからな。わしは構わんが、お前はどうなるか・・・・身を守るためには、今船が完成しないほうが良いとアドバイスしただけだ。・・・まあ、好きにすれば良い。」
八木頭取はそう嘯くと、さっさと戻って行った。

この様子を、敬子が見ていたのだった。

「それで・・私は、深夜にクルーザーに潜り込んで、燃料タンクに細工をしたんです。」
山下は、静かに言った。
「山下さんは、死ぬつもりだったんでしょう。」
純一が言うと、山下は驚いて純一の顔を見た。
「不具合を起す程度なら・・・例えば、船底のボルトを緩めるとか、配管の一部を破損させるとか、その程度で良かったはずです。・・洋一さんの話では、燃料タンクに大きな亀裂があって、燃料の大半がエンジンルームに零れるほどだったと聞きました。その状態で加熱されれば大爆発に繋がることくらい、あなたなら容易に想像できたはずです。・・・全てを背負って死ぬつもりだったんでしょう。」
純一の言葉に、山下は肩を落とした。
「ええ・・しかし・・・死ねなかった・・如月が俺を助けたんです。俺じゃなく、会長を助けるべきだったのに・・・あいつは・・・。」
「会長が亡くなった事は・・?」
「あれは想定外でした。・・・本来なら、会長は上部デッキの操縦席にいらっしゃるはずでした。しかし、会長は、急に奥様と一緒に後部甲板に来られたんです。私は、一刻も早く会長には席に戻ってもらわねばなりませんでした。でも、会長は強く私の肩を抱いて居られた・・。」
山下は、今でも、そのときの光景が今でもありありと浮かんでくるようだった。
「マリーナを離れ、岸壁から数十メートル、まだ、岸壁に立つ人の姿がはっきりわかり距離でした。急にエンジンが止まったと思うと、轟音とともに一気に甲板が吹き飛びました。」
会長と奥様は爆風で即死だった。
山下も、頭部と頚部、脊椎を損傷し海に投げ出された。
岸壁から見ていた如月が、咄嗟に海に飛び込み、漂う山下の身体を掴んで、岸まで引き上げたのだった。そして、山下は意識不明のまま長い時間を過ごしたのだった。

「目を覚ますと、別世界でした。身体が全く動かない。白い天井しか見えない世界。声を出したくても出ない。もう・・生きているのか死んでいるのか判らない世界にいました。」
ふっと天井を見上げ、後悔しているように山下は言った。

「副社長が意識を取り戻されたのは事故から二月ほど経ってからでしたね。・・その後、リハビリで復帰されるまでは2年ほどでしたか・・・。」
ミカが言うと、山下が答えるように言った。
「社長が全て準備してくださって、この部屋も、生命維持装置も全て揃えてくださいました。」
山下の車椅子の後ろには大型の医療器具が据え付けられている。事故の後遺症で、身体の自由どころか、人工呼吸器がなければ生きていけない身体になったのだった。

「融資流用の件は?」
純一が尋ねると、山下が言った。
「戻ったときには、全て何も無かったかのように・・・・。三河銀行とは以前と同様に取引していました。八木頭取が退かれてからは、全て何も無かったように・・・事故の後、社長と如月が全てを解決したんだと思っています。」
「確かめてみたんですか?」
「いえ・・・それを口にすることは私自身の罪を明らかにすることになります。・・・怖くて確かめる事は出来ませんでした。でも、きっと社長と如月は知っているはずです。・・・だから、私は復帰してからは身を粉にして働きました。経理の仕事はもちろん、社長の研究にも協力しました。このヘッドセットもその一つです。私は罪を償う為に全てを会社にささげる覚悟でいました。」
「それなのに、どうして・・・・・・。」
山下は、うな垂れ、どう話すべきか悩んでいた。

2-36 見えない敵 [スパイラル第2部遺言]

2-36 見えない相手
「脅されていたんです・・・・そう、社長が亡くなるひと月ほど前、メールが着たんです。」
「メール?」
「ええ・・差出人はわかりませんでした。でも、クルーザーの融資に関わる不正の証拠がある。暴かれたくなかったら、言う事を聞けと・・・。」
「如月さんがメールの発信者という事は無いですか?」
純一が訊いた。
「いえ・・・それはどうでしょう。・・・私を脅すのなら、もっと早く、直接来るでしょう。融資流用の件を知っていて、私を脅したところで、彼には何のメリットもないはずです。」
「では一体誰が?」
「わかりません。」
脇に座らせられた佐橋玲子は、さっきからずっとうな垂れたまま、涙を流している。
「ミカさん、玲子さんを楽にさせてあげてください。」
佐橋玲子は、隣室に隠れていたところを、ミカに見つかり格闘の末、捕えられた。後ろ手にベルトで縛られていたのだった。
ミカがベルトを外すと、わっと突っ伏して泣き崩れた。その様子を見て、山下が言った。
「彼女も・・・脅されていました。・・・彼女は、私が経理に居た時一緒に仕事をしていました。八木頭取の融資流用を実質的に協力していたんです。・・いや・・彼女の意志じゃなく・・私が指示したんです。・・しかし、それをネタに脅されていたんです。」
山下の言葉を聞いて、ミカがはっと思い出したように言った。
「あ・・あなた、・・・まさか・・・佐藤文子さん・・・なの?」
佐橋玲子はゆっくりと身を起こすと小さく頷いた。ミカの知っている佐藤文子は従順で地味な目立たないごく普通の女性だった。今、目の前にいるのは佐橋玲子とは別人のようだった。ただ、彼女の右手には幼い時に負った火傷の跡があった。それをミカは覚えていたのだった。
それを見て、山下がぼそりと話した。
「ええ・・・彼女の本当の名は佐藤文子。・・・・・事故の後、突然、退職し・・・私が意識を取り戻した時は彼女の消息はつかめませんでした。・・・でも、英一社長の事故の少し前に、現れたんです。」
それを聞いて、泣きながら佐橋・・いや、佐藤文子が口を開いた。
「山下さんは、融資流用を随分悔いていらっしゃいました。・・事故が起きた時、私は山下さんが死のうとして起した事故だと直感しました。・・病院には何度か行きました・・でも、意識が戻らない状態が続き、英一社長からも、彼の事は諦めて、自分の人生を生きなさいと諭されました。・・・その後、小さな会社で経理の仕事をしていましたが、突然、メールが届いたんです。」
「メール?」
「ええ・・上総CSでの融資流用の件をばらされたくなかったら言う事をきけと・・・。でもすぐには信じられませんでした。でも毎日のように同じようなメールが届き・・・上総CSの副社長に会うようにと指示がありました。・・ここへ来たら、山下さんが副社長と知りました。」
「伊藤部長を誑かすようにという指示もあったんですか?」
「ええ・・・最初は、常務をと指示があり、常務のよく行かれるバーに勤めました。その後、伊藤部長へ・・・伊藤部長をギャンブル狂いにさせて、不正経理を起させるようにと指示がありました。・・・私だって・・そんなの嫌だったんです・・・・でも・・・。」
彼女の心中は充分に理解できた。
「確か、お二人は結婚の約束をされていたんでしょう?」
ミカが訊ねると、山下も文子も顔を伏せた。
「山下さんは、彼女がやっている事を知っていたんでしょう。何故、止めなかったんです!」
純一は、少し腹立たしい思いで訊いた。
「・・・知っていました・・・私だって、彼女が他の男に身体を許しているなんて・・許せなかった・・・でも・・この身体では・・・彼女を幸せになどできない・・・せめてもの願いでした・・・過去をばらされ全てを失くす事だけは避けたかったんです・・・・すまない・・文子・・本当にすまなかった・・・。」
山下は大粒の涙を流して言った。
「良いんです・・・・少しでもあなたのお役に立てるなら・・私は何でもします・・・。」
文子も涙を流し、山下に掛け寄った。
純一もミカも二人に何と声を掛ければよいか、言葉を失ない、暫く沈黙した。

その後、佐藤文子は、マリン事業部の強盗事件について話し始めた。

事件の当日、再びメールが届いたのだった。
マリン事業部の不正経理の証拠隠滅と古い経理帳簿を運び出す指示だった。
昼間には帳簿類を運び出すことは出来なかったので、深夜に事務所に入り、経理帳簿を運び出そうとした。そこを休憩室で仮眠していた伊藤に見つかったのだ。
伊藤部長は憔悴しきった表情だった。
文子はこれまでの経緯を全て話した。
すると、伊藤部長は強盗事件に見せかけようと提案し、必要な帳簿類を運び出したあと、事務所の棚を倒したり、金庫を開け現金を取り出したりした。
その上で、休憩室から包丁を持ってきて、刺すように指示したという。
「私には・・・出来ませんでした。・・・私が全て仕組んだ事でしたから・・・私こそ殺して欲しいとお願いしました。」
文子は強張った表情で、その時の情景を話した。
「すると・・・それじゃあ何にもならないだろうとかすかな笑みを浮かべました。そして、私の目の前で、自らの腹を刺したんです。何度も何度も・・・・・真っ赤な血が噴き出しました。・・・私、怖くなって逃げてしまいました。その後は良く覚えていません。」

「次の指示は何かあったんですか?」
震えながら話す文子に純一が訊いた。
「いいえ・・・私、自分のしたことが怖くて・・・昨夜ここへ来てからずっとベッドに居ましたから・・。」
「山下さんのところに何かメールは届いていませんか?」
「いえ・・・。」

メールで脅された二人の状況を知り、純一は見えない相手に強い憤りを覚えていた。
「メールの主は、きっと英一社長の死にも関係しているに違いありません。・・・あなた方だけでなく、ひょっとしたら如月さんもメールで踊らされているかも知れません。いや、社外の者も巻き込んでいるかもしれませんね。」


2-37 メビウス開発の経緯 [スパイラル第2部遺言]

2-37 メビウス開発の経緯
ミカは社長室に行き、コーヒーを煎れてきた。
「英一社長の事ですが・・・自殺ではなく、誰かに殺されたのだろうと考えています。何か知っていることはありませんか?」
純一が山下と文子に訊いた。
「・・・いえ・・・私も社長の自殺が余りにも不自然だったので・・・調べてみましたが・・・。」
「不自然というと?」
「もうすぐ、新しいコンピューターシステムが完成する時でした・・・ご存知でしたね。メビウスです。」
「ええ・・・驚くべき技術でした。あれが世に出れば、世界は一変するでしょう。」
「そうなんです。私も随分協力しました。今までの常識を覆す代物です。社長も随分喜んでおられました。・・・ほぼ完成していたはずです。なのに、自殺するなんて・・・。」
「だが・・大きな欠陥があった。それを修復出来ない事に悩み、自殺したという見方もありましたが・・。」
「欠陥?いや、そんな事は初めて聞きました。」
「・・・変ですね。私がメビウスと話した時、欠陥があるとメビウス自身が言ってました。電源と排熱冷却システムです。・・・今の状態では5分も起動していないんですよ。」
「いや、そんなはずはありません。・・私はメビウス本体の開発には携わってはいませんでしたが、冷却システムは私が設計しました。栄一社長の話では、冷却システムが稼動すれば、電力などほとんど不要なのがメビウスだと聞きました。」
「・・・しかし、現実にシャットダウンしたんです。」
山下は首をひねりながら言った。
「・・・社長がどういうふうにあれを見ておられるか判りませんが・・最も画期的なのは、あれ自身が命を持っているということなのです。人間の心臓が動くのと同じように、微細な電気を与えるだけで起動するんですよ。もちろん、モニターやサウンドシステムは現行のものを使っていますから・・・ごく普通のコンピューター並みの電力は必要なんでしょうが・・・。社長はメビウス本体はご覧になられましたか・・・?」
「ええ・・地下室で大きな水槽に入ったメビウスを見ました。」
「専用の冷却水は注入されていましたか?」
「いや、空っぽでしたので・・バルブを開いて・・今は半分ほど入った状態のはずです。」
そう答えると、山下が更におかしな表情を浮かべた。
「冷却水が入っていない?・・・バルブを開いた?・・変ですね。故障を防ぐ為、バルブは自動開閉システムが組まれていますし、冷却水は常に満タン状態になるように設計しました。」
「いや・・水槽の中はほとんど空っぽだったし・・・地下室内には熱気の臭気が立ちこめていました。」
それを聞いて、山下が答える。
「きっと・・満タン状態だった冷却水が加熱蒸発したんです。そのままだと、メビウスは死んで居仕舞います。・・・誰かがわざとバルブを閉め、排水システムのスイッチを入れたとしか思えないです。・・しかし、あそこに入れるのは、英一社長しかいません。」
「では、英一社長がバルブを閉じたという事でしょうか?・・わざわざそんな事を?」
山下の話を聞けば聞くほど、メビウスの異変を強く感じた。
メビウス起動と英一社長の死、そしてミホの失踪。そこに何か理由があるのだと純一は考え始めていた。
「社長が亡くなる十日ほど前、困ったとおっしゃっていたのはご存知ですか?」
ミカが山下に訊いた。
「困ったこと?一体なんでしょう。・・十日ほど前?・・判りません。」
山下が答えた。
純一はふと、感じていた違和感について訊ねてみた。
「メビウスには、英一社長自身の記憶が埋め込まれているんですよね。・・メビウス自身、自ら英一だと言っていました。永遠の命を得たのだと・・・。」
山下はじっと考えてから言った。
「・・判りません・・・ただ、メビウスは人工知能ですから、誰かの記憶を植え付ける必要があります。・・ああ、そうです。このヘッドセット・・事の始まりはこれの開発なんです。私の脳波を判定して音声に変えるシステムをベースに、人の脳波を分析するシステムをさらに強めたものを開発しました。そして、そのデータを全て取り込むには大型のスーパーコンピューターが必要な事もわかりました。ですが、そんなものでは使えません。英一社長は、人工繊維と特殊な電解質を使った細胞組織の研究を始められました。その成果がメビウスです。」
「では、人の記憶を読み取る装置はすでにあった。・・・それを使って自分の記憶をメビウスに・・。」
「おそらくそうでしょう。全く別人物の記憶を入れ込む理由はありませんから・・・。」
「そうですか・・・・。」
「何か疑問でも?」
怪訝な顔で山下が尋ねた。
「・・いや・・・私は英一社長を知りません。ですが、皆さんの話を聞いていると、とても繊細で温厚な方であったように思っていました。・・しかし、メビウスの英一社長は、高圧的で・・それに、役員の皆さんに不審感、嫌悪感を抱いているんです。・・何か、別の人間ではないかと感じているんです。」
「まあ、実際、栄一社長が我々役員をどう思っておられたかは判りませんが・・・決して高圧的な方ではありませんでした。・・こんなふうに、身体も満足に動かない私を副社長にして、本社の一切を任せてくださっていましたから・・・。」
それを聞いてミカも口を挟んだ。
「ええ・・英一社長が怒られる姿は見た事がありませんし・・・細かい気遣いをされる方でした。」
純一は溜息をつき、言った。
「では・・メビウスの英一社長は一体・・・・。私はずっとメビウスが英一社長の記憶で出来ていると信じ、メビウスの要求に答えることが、英一社長の遺志を引き継ぐことだと思っていました。・・しかし、メビウスがもしも違う人物だとしたら・・・途轍もない。・・・・過ちを起こしていることになります。」
「メビウスは、ミホさんの事を話しましたか?」
ミカが訊ねた。
「ええ・・・・仕事のパートナーであると同時に、人生のパートナーだったと・・・深く愛し合っていたとも言っていたと思います。だから。・・・私も信じたんです・・・・。」

外が白み始めた。答えが出ないまま、終に朝を迎えた。
ミカの携帯が鳴った。ミサから、伊藤部長が一命を取り留めたという連絡だった。
「強盗事件は自作自演という事もわかりましたし・・・とりあえず、文子さんは副社長の傍に居てください。・・それから、メールの指示が再びあるようならすぐに連絡してください。」
そう言い残して、純一とミカは一旦島へ戻ることにした。

2-38 脅しのメール [スパイラル第2部遺言]

2-38 脅しのメール
本社玄関に出ると、常務が玄関脇の受付の席で座ったまま眠っていた。
マリーナの事件の対応でそのまま疲れて眠ったのだろう。純一とミカがエレベーターで降りて来た音に気付いて目が覚めたようだった。
「社長!どちらに居られたのですか?」
「副社長に会いたくて、昨夜のうちに来たんです。それより、ご苦労様でした。大変だったでしょう。」
「いやあ・・・・大した事はありません。・・ほとんど、若造ばかりですから・・・それより、伊藤の奴は何とか命を繋いだみたいです。・・早く犯人を捕まれば静かになるんでしょうが・・・。」
「その件ですが・・・・どうやら、彼の自作自演のようです。例の横領問題でやけになって、自殺しようとしたらしいんですよ。」
「まさか!あいつが自殺なんて・・・そんな、やわな奴じゃありませんよ。・・??」
信じようとしない常務に、純一は言った。
「詳細な事は副社長に聞いてください。・・・佐橋玲子も副社長室に居ますから・・・。警察へも社の不始末が漏れないよう、あなたから事情説明をしてください。」
「判りました。」
「ひとつ、伺いたいことがあるんですが・・・。」
純一はふと思いついたことがあった。
「常務のところに、不審なメールは来ませんでしたか?・・・そう・・あなたを脅すメールです。」
それを聞いて、常務の顔色が変わり、急に落ち着かない様子になった。
「何か、あったんですね?・・・正直に答えてください。」
常務は観念したように口を開いた。
「・・・社長が亡くなる十日ほど前でした。・・佐橋玲子との関係をばらすというメールでした。」
「佐橋玲子?」
ミカが脇に居て驚いた表情で言った。
「ええ・・・もともと、佐橋玲子は、私のよく行くバーに新人で入った女の子でした。ちょっと間が刺したと言うか・・・数回ほど相手を・・そのあと、私が口をきいて、マリン事業部に入れたのです。その証拠写真・・・ええ、浮気の証拠写真があると言って・・・。」
「何を強要されたのですか?」
純一は呆れたように訊いた。
「最初は相手にしなかったんですが・・しつこく送られてきて・・・仕方なく・・・いや・・あんな事になるとは思っていませんでした。・・・例の、社長が使われた新造のボートに少し細工をしたんです。燃料タンクを少しいじりました。・・・メールの主は、ライバルの会社か何かだろうと・・新造船に不具合が見つかれば、マリン事業部はもはや存続できないくらいのダメージになる。・・まあ、今更、マリン事業部が隆盛を取り戻すとも思えませんでしたから・・・すみませんでした。まさか、あれに社長が乗られるなんて思っていませんでしたから・・・。」
常務の告白は驚くべき事だった。これで社長が自殺でない事は明白になった。しかし、何故、英一社長がボートに乗ったのかが謎のままだった。
「奥様や敬子さんにもメールが届いているのじゃないでしょうか?」
「ええ・・妻にはメールが届いたのは知っています。相談されましたから・・・。」
「どんなメールでしたか?」
「そ・・それは・・・。」
常務は躊躇していた。おそらく、かなり深刻な内容に違いなかった。
「一体、どういう内容だったんですか?」
純一は強く迫った。
「・・妻は、資産運用に関わるメールでした。・・実は、少し前から海外投資をしているんですが・・ちょっと資金ショートした事がありました。その時、妻が文化事業部の資金を流用してしまったんです。損失は出していませんでした。短期の借用のつもりでした。その事を新聞社にばらすというメールだったんです。」
「それでどうしたんです?」
常務は苦渋の表情を浮かべていた。
「もう全てを話してください。」
「・・メールは、法外な金の要求でした。金が用意できないなら、社長を指定の場所に連れて来いというものでした。・・・きっと、メールの主が社長に要求するつもりだと思っていました。」
「それで?」
「・・・社長の事故の二日前でした。文化事業部の祝賀パーティと称して、社長にお越しいただくように連絡しました。しかし、指定の場所にはミホが現れました。きっと社長の代理のつもりだったんでしょう。」
「その後は?」
「判りません。その後の消息が掴めないままで・・・ひょっとしたら、他の誰かに殺されたんじゃないかって思っていました。・・ひょっとしたら、如月かもしれません。あいつは以前からミホの事を気にしていましたから・・・。」
「なんてことを・・・・。」
常務の話を聞き、ミカが憤慨するように言った。
「敬子さんは何かメールを受け取っていませんでしたか?」
「判りません・・・私には何も相談はありませんでしたから・・・。」
常務は力なく答えた。
「では、英一社長も誰かに呼び出されたということはないでしょうか?」
それにはミカが答えた。
「事故の前日、相当、困った様子で・・・本社に行かなければとおっしゃっていました。」
「よほどの事態があったのだろうが・・・一体、何があったんだろう。・・・本当に、ここには来なかったんだろうか?・・・山下副社長にもう少し話を聞いたほうが良さそうだな・・・・。」
純一は、山下の様子を思い出しながら呟いた。

純一とミカが、エレベーターへ向かおうとした時、エレベーターが下りてきて、ドアが開いた。
エレベーターからは、佐藤文子(佐橋玲子)が、青ざめた表情で出てきた。
「山下さんが・・・山下さんが・・・。」
エレベーターから出てきた文子(玲子)は、純一の姿を見つけると、悲鳴のように叫び、駆け寄ってきた。その様子から、山下の身に何かが起きたのはすぐに判った。
「ミカさん!」
すぐにミカがエレベーターに飛び乗って、副社長室に向かった。純一は常務に、すぐに救急車を呼びように指示した。


2-39 山下副社長 [スパイラル第2部遺言]

2-39 山下副社長
「文子さん、落ち着いて下さい。何があったのか話してください。」
純一は文子を落ち着かせるように肩を抱き訊いた。
「判りません・・・・今まで秘密にしてきたことを打ち明け・・これから二人でどうやって生きていこうかと話していたんです。・・もう、上総CSに居るわけにもいかないだろうって・・・そしたら、山下さんは、せめてもの罪滅ぼしにと・・これまでの経緯をまとめ始めたんです。・・・脅迫メールも保存されていたものを探して・・・でも、突然、痙攣を起して・・・呼吸が止まってしまって・・・車椅子の後ろの機械から警告音のようなものが響いたんです・・・・。」
純一は文子を連れて再び副社長室に戻った。
ミカが、山下を椅子から降ろして、人工呼吸をしていた。
「副社長!しっかりしてください!死なないで!」
そう叫びながら、必死に人工呼吸を続けた。
程なく、常務が、救急隊員を連れて副社長室にやって来て、山下を担架に乗せて、出て行った。常務と文子も一緒に救急車に乗り込み、病院へ向かった。

純一とミカは、副社長室に残った。
「人工呼吸器が突然止まったようです。・・・サブシステムもあるようですが・・それも停止したままでした。・・変です・・・命を守る大事な機械ですし、メンテナンスもしていたはずです。・・見た範囲では誰かが細工をした様子もありません・・・でも・・偶然とも思えませんが・・・・・・。」
ミカが、山下の車椅子の生命維持装置を点検しながら、そう言った。
純一がデスクの上を見ると、山下の使っていたパソコン画面が開いたままだった。文子が言うとおり、これまでの経緯をまとめていたのだろう。幾つかのフォルダーが開いている。
純一がそのフォルダーを見ていると、ファイルの一つが削除された。
「おや?」
他のフォルダーも開こうとすると、次々に削除され始めたのだった。それはあっという間だった。まるでどこからか遠隔操作をされているように、次々にファイルは削除され、最後には、シャットダウンしてしまった。
「ミカさん・・・その人工呼吸器は・・どこかでネットに繋がっていませんか?」
純一が振り返って、ミカに尋ねた。
「ええ・・・山下副社長の体調管理のために、血圧や心拍数などを計測してデータ管理されているようです。・・・あら?・・でも・・・。」
ミカは、人工呼吸器の小さなモニターを見て驚いた。エラー表示が出ていたのだ。ミカは幾つかのスイッチを触って、モニターに保存データを呼び出そうと試みた。
「変です・・・データが消去されています・・・どうして?・・・社長、これは故障なんかじゃありません。誰かが、遠隔操作しているんです。・・・そんな・・・。」
「やはり・・・どこかで誰かがここを見張っています。そして、都合が悪くなると操作しているんです。きっと、そいつが脅迫メールの主です。上総CSの役員を手玉に取り、破壊しようと企んでいるに違いない。・・・」
「まさか、如月さんが?」
「いえ・・違うでしょう。・・・彼がそんな事をする理由がありません。・・・きっと、如月さんも脅迫メールを受け取っているはずです。ひょっとしたら、マンションの爆破事故もその一つだったのかもしれません。・・如月さんが脅迫メールの指示に従わないから、実力行使に出たんじゃないでしょうか?」
「しかし・・・もう、如月さんは、ミホさんを誘拐しています。もし、如月さんが全ての首謀者で、上総CSを手中にしたいなら、ミホさんを誘拐し、社長を脅す事ができます。上総CSの全てを譲渡しろと迫ってくる事はないのでしょうか?」
ミカの考えも一応筋は通っていた。
「いや、きっとそうじゃないでしょう。・・・如月さんと最初に会った時、僕は、相続権を放棄すると申し出たんです。でも、それは困ると如月さんは止めたんです。・・あの時、相続権放棄をしていれば、後は、役員を一人ずつ追放すればいい話です。第一、役員会で彼はそういう提案をしています。」
「では一体誰が?」
「判りません。・・・とにかく、一度、島へ戻りましょう。」
純一は、副社長室を出る時、ちらりと天井を見上げた。天井には、監視カメラが作動していた。

ミカは洋一に、クルーザーで港に迎えに来るように連絡をした。
そこへ、常務から携帯へ連絡が入った。
「副社長は、亡くなられました。」
ミカが、呟くように純一に告げた。
「ミカさん、常務に皆の身を守るように伝えて下さい。・・これ以上、犠牲者を出してはいけない。」

クルーザーが島へ到着した。
純一はすぐに邸宅へ戻った。
「お帰りなさいませ。」
ミサが玄関で待っていた。
「如月さんの行方は掴めましたか?」
「いえ・・・ただ、一度だけ、連絡がありました。・・・ミホさんは無事だから心配は要らないと・・・。」
「居場所は?」
「発信源を特定しようとしましたが・・・無理でした。」
「そうですか・・・。」
「すみません・・・。」
「いえ・・如月さんも、居場所が判らないように考えて連絡をしたんでしょう。・・・ああ・・・そうだ・・ミサさん、前に指示した英一社長の行動記録は出来ましたか?」
「はい。」
純一は、リビングのソファに座り、ミサにデータを写す様に指示した。
「英一社長が困った様子だった10日ほどからの記録です。・・・ほとんど、ラボにいらっしゃいました。島の外へ出られたのは、亡くなった日の朝でした。洋一さんがクルーザーで、本社前の港まで送っています。」
「その頃の社長宛のメールとか電話はありませんでしたか?」
「メールですか?」
「ええ・・・役員の皆が脅迫メールを受け取っているんです。英一社長も何かメールを受け取っていないかと思って・・・。」
「メールの記録はわかりません。・・・サーバーへのアクセス権がありませんから・・・。」
「内容がわからないとしても通信ログは取れませんか?」
ミサは、純一の指示がわからないような表情をした。

2-40 ラボの中へ [スパイラル第2部遺言]

2-40 ラボの中へ
ミカがミサの手からパームトップのパソコンを取り上げ、すぐにサーバーへアクセスした。
「通信ログには、如月さんへ1回送信がありますね。英一社長が発信されています。」
「メールを受け取った記録は?」
「いえ・・ありません。」
「そうですか・・・・。」

純一は、ミサがまとめた英一の行動記録を眺めながら、これまでの事を思い出し、頭の中で整理しようとした。しかし、何だかぼんやりとして思うように頭が働かない。
その様子にミカが思い余ったように言った。
「社長・・昨夜から一睡もされておられません。・・少し、お休みになられたほうが・・・。」
「ああ・・・そうですね。・・」
ミカは毛布を一枚持ってきた。純一は暫くソファで横になることにした。

純一は、ぼんやりとメールの主の事を考えながら、浅い眠りの中にいて、時々、遠くで、ミカとミサの話し声が聞こえるような気がした。

純一は夢を見た。
ミホを見つけた海岸、自分の車のシートで浅い眠りの中、ぼんやりとした意識、何か遠くで音がして目が覚める。車のライトを点灯すると、白い塊が横たわっている。
「ミホ!」
思わず身を起こしたところで、目が覚めた。

「そうか・・・そうだったんだ。・・・ミホはあそこまでボートで連れてこられたんだ。・・目が覚めたのもボートの音が聞こえたからだったんだ。」
純一は、ミホを発見した時、目の前に横たわる女性の様子に気が動転して、その前の状況を思い出せなかった。しかし、今、その時の様子を思い出したのだった。
「ミホは・・・きっと・・・。」
純一はそう小さく呟くとソファーから立ち上がった。
ミカが純一に気づいた。
「もう起きられたのですか?まだ30分も経っていませんよ?」
「ああ・・もう大丈夫だ。・・・それより、英一社長は、最後の日には一人で出かけたのかい?」
ミカは少し考えたから答えた。
「いえ・・・ミホさんが戻られない事もあって・・・ミサも同行させました。英一社長は少し体調が優れない様子だったので、心配でしたので・・・。」
「じゃあ、ミサさんはどこまで社長と一緒だったんですか?」
ミカはすぐにミサを呼んだ。
ミサは、顔を伏せ躊躇いがちに答える。
「警察の方にも・・随分・・厳しく問われましたが・・・・実は、社長は船を降りたあと、私に本社へ行くように指示されたんです。社長から離れるのは少し不安でしたが・・・社長の命令では・・仕方ありませんでした。」
「本社では何を?」
「如月さんへ渡すものを頼まれました。急ぎだと言われました。・・小さな箱でした。」
そう言いながら、ミサは指で大きさを示した。
「中身は?」
「判りませんが・・・おそらく、USBメモリーじゃないでしょうか?・・・すぐに如月さんのマンションへ行きましたが、不在でした。携帯にも連絡をしましたが、通じませんでした。・・・後で聞いたのですが、ちょうど、訴訟の案件で裁判所に行かれていたそうです。・・・英一社長からは必ず手渡して、すぐに見て欲しいとの伝言がありましたから、如月さんが戻られるまでマンションの近くの喫茶店で待っていました。」
「英一社長は?」
純一が尋ねると、ミカが答えた。
「洋一さんの話では、その後、本社に向かわれるところまでは確認したそうです。・・しかし・・本社には姿を見せられず・・あの事故が起きたんです。」
「船を降りてから、マリーナまで・・・歩いていける距離ではないですね。」
「ええ・・・タクシーか、あるいは誰かが載せていったのかと、私たちも調べてみましたが、地元のタクシー会社へ問い合せましたが、社長がタクシーを使われた形跡はありませんでした。」
ミカが答える。
「では、誰かが英一社長をマリーナまで連れて行ったことになる。それが誰かわかれば、自殺かどうかはっきりするんだが・・・。役員以外で、社長と会う可能性がある人はいませんか?」
ミカとミサは顔を見合わせ、考えた。
「英一社長は・・それほど社交的なお方ではありませんでした。特に、ミホさんが来てからは・・・社の用事以外では余り他人と会われることもありませんでしたから・・・。」
ミカが答えた。それを聞いて、ミサが思い出したように言った。
「そう言えば・・・随分、以前ですが・・・・・役員以外の方が・・・一人だけこの島へ来られたことがありました。」
「誰です?」
「三河銀行の八木頭取のご子息で・・・ええと・・・確か、今は・・・・。」
ミサはそう言いながらパームトップパソコンを叩いて、データを取り出していた。
「・・・YMカンパニーの社長の八木健一様です。・・・エンジン開発の小さな会社のようですね。確か、仕事のお話で何度も面会の依頼があった方です。・・・普段は、そういうお話は如月さんか山下副社長が対応するんですが・・・八木健一様は英一社長自らお会いしようとおっしゃいました。・・ですが・・・島に来られて、ほんの少しお話をされただけですぐにお帰りになられました。」
「その時、社長の様子は?」
「・・特には・・・エンジンの売り込みだったが、目新しいものじゃないから不成立だったと一言おっしゃったきりでした。・・その後は特には連絡もなかったと思います。」
ミサは少しずつ思い出すように話した。
「八木頭取と山下副社長の融資流用の件と何か関連がないだろうか?」
純一がふと漏らした言葉にミカが反応した。
「・・・ひょっとして・・エンジンの売り込みじゃなくて融資の申し入れ・・いや・・過去の問題をネタに強請に来たのでしょうか?」
「それを断ったことに恨みを抱いて・・社長を・・・そんな・・・。」
ミサが悲しい表情を浮かべて言った。

2-41 メビウスに問う [スパイラル第2部遺言]

2-41 メビウスに問う
「いや、そんな単純な話とは思えない。・・覆面メールを役員殆どに送りつけているんだ。八木健一氏がどんな方か判らないが・・・父の悪事をネタに強請るというのもちょっと変だ・・・・むしろ、そういう事実を隠したいはずだろうから・・・・。」
純一は、どうにも英一社長の死の真相に迫れない事にジレンマを感じて始めていた。ミホの行方もわからない。メールの主の目星もつかない。
「ラボに行ってくる。」
純一は、今一度、メビウスの記憶を確認しようと考えた。
古い記憶ならばきっとメビウスの中にあるに違いない。冷却装置を万全にしてやれば、正常に起動してくれるかもしれない。一縷の望みを抱いて、純一はラボへ降りた。

純一は、ラボに入るとすぐにカプセルの後ろのスイッチを押して、地下への入口をあけた。そして階段を下り、メビウス本体の前に立った。
メビウス本体が入っている水槽には3分の1ほど冷却水が入っていた。壁のバルブを回し、冷却水を勢いよく出した。すぐに、水槽の中は冷却水が満水状態となり、水槽上部から溢れ流れた。
メビウスの色がぼんやりとオレンジ色を放った。
それから、ラボへ戻り、通路脇にある電源室へ行き、すべての回路をメビウスに接続した。
「山下副社長は、電力は必要としないと言っていたが・・・一応、電源が落ちないようにしておこう。」
純一は一連の作業を終えると、カプセルのところに行き、そっとカバーを開いた。

純一は、確信はないが、ひとつの仮説を持っていた。そして、その仮説が正しければ自らも命を落とすかもしれないと考えていた。しかし、真相を突き止めることが今の自分の果たすべき事なのだと決意して、ゆっくりとカプセルのシートに座った。
ゆっくりとカバーが閉じていく。
純一は、深呼吸を一つして言った。
「メビウス、尋ねたいことがある!」
小さな音がして、モニター画面が立ち上がる。
「・・・欠陥は修復してくれたようだな・・・。」
メビウスが少し低い声でゆっくりと話す。
「ええ・・・英一社長はメビウスをすでに完成させていました。・・ただ、メビウスが完全起動しないよう敢えて冷却システムを停止させていたようですね。・・・」
「ああ、そうだ。あいつは私を殺そうとしたのだ。」
メビウスは、英一を「あいつ」と呼び、自らとは違う事を明言した。
「あなたは誰ですか?・・・最初は、自ら、英一だと名乗っていたはずですが・・・。」
「ああ・・私は英一であり、英一ではない。・・・全ての記憶を持っている点では英一自身であるが、それ以上の英知を持っている存在なのだ。」
純一は自分の仮説が正しかったという確信を得た。
「すべての事はメビウスのしわざでしょう。」
「なんの事だ?」
「今更、ごまかしても無駄だ。送り主不明で、脅迫メールを送り、操った張本人はメビウス、お前にちがいない。」
純一のなじるような言い方に、メビウスの表情が強張った。
「ほう・・・なかなかの推理力のようだな・・・・。」
「融資流用の件、会長の事故の真相、役員の不始末・・・それを全て知っているのは、英一社長以外に考えられなかった。メビウスには英一社長の記憶が全て入っている。だから、全てお前の仕業だと考えたんだ。」
「ご名答。・・・・だが、何の証拠はないのじゃないか。」
「ああ・・すべての証拠を消されたからな。・・・山下副社長もお前が殺したんだろう。」
「そうだ・・・あいつはそれなりに使えた。だが、もう使い道がないからな。・・・ちょっと人工呼吸器に細工の信号を送ってやったのだ・・・・存外、人間というのは脆いものだな。」
「英一社長もお前がやったのか?」
「おや・・・そこはまだ判っていなかったのか?・・・意外と、鈍い奴なんだな。」
「どういうことだ!」
「・・知りたいか?・・・まあ良いだろう。教えてやろう。どうせ真相がわかったところで、私は人間ではない。罪に問われることもない。・・それに、お前にはもう何もできないからな。」
「どういうことだ!」
「あの日、里美に命じて、英一を誘い出すはずだったが、英一は何故か、ミホを行かせた。すぐに八木健一にメールで、ミホを誘拐しマリン事業部のボートへ閉じ込めるように指示した。その後、英一にミホを誘拐したと教えた。救いたければ、マリン事業部へ行けと指示した。あいつはミホを愛していたからな。あいつは血相を変えて行ったようだ。そして、ボートに乗り込んだところを八木に襲わせたというわけさ。」
「ボートは沖合で火災事故を起こしたと・・・。」
「・・・あの新造船には最新鋭のナビゲーションシステムが搭載されていた。私の能力を使えば、遠隔操作など容易いことだ。はるか洋上に出たところで火災を起こしたのだ。」
「常務の細工で火災が?」
「いや・・・あいつは役に立たないやつだ。船の細工は子どもの悪戯程度でとても火災を起こすほどの漏れではなかった。・・まあ、いずれにしても、エンジンを異常回転させて過熱させればすむことだった。もっと楽しむつもりだったが・・予想以上に早く燃え、すぐに船は燃え尽き絶命というわけだ。」
「なぜ・・・そんな・・・。」
「お前は本当に鈍い男だな。・・あいつは私を破壊しようとしたのだ。・・・なぜ、あいつより優れた能力の私が破壊されなければならないのだ。・・・だから、始末した。それだけのことだ。」
「何てことを・・・。もう、これ以上お前の勝手にはさせない!」
純一が叫ぶと、メビウスが全てを掌握したような口ぶりで言う。
「お前に何ができる?」
「お前を破壊してやる!」
純一はそう叫ぶと、カバーを開けて出ようとした。だがカバーは反応しない。
「愚かなことを・・・お前はここから出られると思っているのか?・・このカプセルは私のコントロール下にあるのだぞ。・・どうせ、もはやこれはただの箱に過ぎない。このままお前を閉じ込めてやるだけのこと。・・いずれ飢え、衰弱し、餓死すれば良い。・・そうだ、修復してくれた礼に、外の様子を見せてやろう。これから私がこの世の支配者となるのをそこで眺めていれば良い。」
メビウスは狂気に満ちた笑い声を上げ、モニターから姿を消した。それと同時に、モニターには、上階のリビングの様子が映し出された。

2-42 ミホの秘密 [スパイラル第2部遺言]

2-42 ミホの秘密
如月は、港にいたクルーザーからミホを誘拐し、自らのボートで一旦沖合いに逃れ、追跡の手をかわした後、上総CSの島の南側の深い入り江に隠れていた。島の周囲は切り立った崖になっていて、深く切れ込むような入り江が幾つもある。障害物が多く、そう簡単には発見されないことを知っていたのだった。

ミホは、如月によって眠らされ、ボートの船室に横たわっていた。
夜明けを迎え、船室の窓から朝日が差し込み、ミホは目覚めた。周囲を見回し、自分が居る場所が如月のボートであることが判り、物音を立てないように静かに起き上がった。階段からそっと顔を出すと、如月は操縦席に座ってうとうととしていた。
なんとか逃れる道はないかと船縁を見たが、岸までは遠かった。たとえ、船を出て岸辺にたどり着いたとしても、切り立った断崖に囲まれてそれ以上逃れる場所が無い。
「おや・・・目が覚めたか・・・。」
如月がミホを見つけて、操縦席から立ち上がり、一歩二歩と近づいてきた。ミホは咄嗟に足もとを見て、置いてあった棒を握り締めた。
「来ないで!」
「そんなに警戒しなくて良い。何もしない。危害を加える為にお前をさらったわけじゃないんだ。」
如月はそう言いながら更に近づいてくる。
「いや、来ないで!いや!」
握った棒を振りかざして、如月を威嚇しようとしたが、その棒は長すぎて階段にぶつかり、ミホ自身の肩口を強く打ちつけて落ちた。
「痛い!」
ミホは痛みとショックで、そのまま階段から転がり落ちて、船室の床に転がった。
如月は慌てて、船室に入ってきて、ミホの様子を心配した。
「大丈夫か?・・・相変わらず、鼻っ柱が強いな・・・。昔っからそうだったが・・・・。」
ミホは如月の言葉に驚いた。
「昔っからって・・・?」
如月は船室の中に設えられたベッドに腰掛けながら言った。
「ああ・・お前が小さい頃から知ってる・・・・。まあ、お前は記憶を失くしてしまったようだから判らないだろうがな・・・。」
ミホは身を起こし、如月の様子を気にしながら、ベッドの横にある椅子に座った。
「私は誰?・・・知ってることを教えて!」
ミホは躊躇いながら訊いた。ミホの様子を見ながら如月も思案しながら答えた。
「真実を聞いても驚くんじゃないよ。・・・いや・・・聞けば、きっと純一さんとは会えなくなるかもしれない・・・それでも良いなら、話してあげよう。」
そう聞いてミホが言った。
「待って!・・・真実だけを話すって約束して・・・私は何も覚えていないんだから・・あなたが嘘をついてもわからない・・・・それが真実だって証拠も見せてくれる?」
「証拠か・・・」
如月は少し悩んだ表情を浮かべ、天井を見上げた。そしてふと思いついて言った。
「・・オレンジ色の玉がついたペンダントは持ってるかい?・・・」
ミホはそっと首筋に手をやった。如月の言うペンダントは、純一が浜辺に横たわっていたミホの足元にあったものだと渡してくれた。ミホはいつも身につけていた。
「これ?」
ミホはペンダントを取り出して、如月に見せた。如月はペンダントヘッドのオレンジ色の玉をじっと見て頷いた。
「これは、英一社長から預ったものだ。」
「英一社長?」
「あの事故の日、ミサさんが社長からだと言って届けてくれたんだ。小さな箱に入っていて、それと一緒に手紙が添えてあった。」
如月は船室の隅の小物入れから、小箱を取り出した。
箱の中には小さな紙切れが入っていて、そっと取り出すと、ミホに渡した。
『ミホが危ない。助けに行く。マリン事業部。ミホを守ってくれ。』
殴り書きのように書かれた、短い文書だった。
「社長はかなり切羽詰っていたんだと思う。」
「一体、何があったの?」
「事故の十日ほど前からだったか・・・社長の様子がおかしいとミサから連絡があった。すぐに社長にお会いしたが・・開発中のシステムのトラブルだとだけおっしゃって・・・かなり深刻な表情だったが、それ以上は訊けなかった。・・同じ頃だったか・・・送り主不明で・・『手を出すな、静観せよ。』というのメールが届いた。誰かに脅されているんじゃないかと思ったんだが、ミサやミカに訊いても特に訊ねてきた者もないようだった。・・・だが・・・事故の前日、社長の代理で出かけたミホの行方がわからなくなった。私も方々を探したが見つからなかった。」
「誘拐?」
「いや・・判らなかった・・だが、行方がつかめないまま、あの日、社長からこれが届いたんだ。」
「やっぱり・・誘拐されていたと・・・。」
「ああそうだった。・・・すぐにボートを出して、マリン事業部へ向かったが、もう姿は無かった。・・新造船が見当たらなかったんで、ひょっとして沖に出たんじゃないかと・・すぐにボートを走らせたんだ。・・・遠くで火柱が見えた。・・・徐々に近づいていくと・・ミホが波間に浮かんでいたんだ。火傷を負って気を失っていた。・・・命を狙われているのだと思って、このボートに暫くお前を匿ったんだ。」
ミホは如月の話を聞きながら、驚きを隠せなかった。
「嘘・・・嘘でしょ・・嘘と言って・・・私・・どうしたら・・・。」
ミホはそう言うと、両手で顔を塞ぎ泣いた。如月は話を続けた。
「・・・社長は・・一度だけ、社長が私に、上総CSの将来の話をされたことがあった。その時、自分には子どもが居ないが、将来を託したい男が居ると言われたんだ。その時、純一さんを教えられた。驚いた。どういう関係かは何も話されなかった。ただ、純一さんこそ上総CSを引き継ぐべき人物だと・・・・私はその事を思い出し、ミホを彼に託す事にしたんだ。」
「じゃあ・・私が純一さんと巡り合ったのは偶然じゃないのね・・・。」
「ああ・・・私が、彼がいつも夕方に過ごす海岸を見つけ、ミホを運んだ。」
「その後、アパート周辺で見張っていたの?」
「そうだ・・どういう人物か、無事に保護してくれているか・・心配だったからね・・・。」
ミホは言葉を失った。
すべて、如月は仕組んだ事だと判り、今まで純一と過ごした日々が全て嘘だったように思えた。
真実を知って、すっかり憔悴しきった様子のミホを見て、如月はそっと船室から、甲板に出た。

2-43 操られた人生 [スパイラル第2部遺言]

2-43 操られた人生
真実を知ったミホの気持ちを思うと、何と言って慰めていいのか判らず、如月は、甲板でぼんやり外の様子を眺めていた。島の入り江は周囲が崖に囲まれていて、風もなく穏やかだった。
暫くすると、ミホが甲板に出てきた。少し落ち着いたようだった。
「私が全ての鍵を握っているんでしょ?」
ミホはそういうと、如月の隣に座った。
如月はミホの様子を伺いながら、小さく頷いた。
「ねえ・・私は・・ここにいた私はどんな人間だったの?」
「上総に来たのは、お前が15の時だった。・・・お前も俺も同じ児童養護施設にいたんだ。親との縁は薄かった。上総会長は、そういう子どもが施設を出る時、引き取って育てていたんだ。お前だけじゃない、ミサやミカも、洋一も・・・ああそうだ、英一社長も山下副社長もそうだった。皆、同じような境遇で、上総会長は親みたいなものだった。」
「えっ?・・確か、純一さんも上総会長が鮫島運送を紹介したって言ってたわよね?」
「ああ、そうだ。純一さんは上総へは引き取られなかったんだ。」
少し気に掛かる表情で如月が答えた。
「ここへ来てどんな暮らしだったの?」
「・・大抵の者は、上総の寮へ入った。そこでは昼間は上総の仕事をしながら、夜には夜学へ通った。大学への進学も出来たようだ。」
「如月さんは?」
「私は、上総へは入らなかった・・いや、入れなかったんだ。施設を出る年、施設からは一人だけが上総へ行けると決まっていたから・・・その年は、山下副社長が引き取られたんだ。・・私は、小さな工場に就職した。・・・きっと、会長が援助してくださったんだと思うけど・・夜学も行き大学も行った。その後、23歳の時、上総CSへ入社したんだ。そこに、お前が居たんだ。」
「その時私は何を?」
「後で知ったことだが・・・お前やミサ、ミカは小学校を卒業した歳に上総へ引き取られたようだった。・・奥様が切望されて、女の子を引き取られたんだ。英一社長や山下副社長達は、会長が上総を担う人材を作るというのが目的だったようだったから・・子どもというより社員という関係だった。それでは、奥様は満足できなかったらしい。幼い女の子を引き取って、わが子のように育てようとされたんだ。」
「何か特別扱いだったって事?」
「ああ・・・専門の家庭教師もついて勉強だけじゃなくいろんな事を身につけさせられたそうだ。アメリカへも留学していたとも聞いた。・・・ミサは料理に長けていて・・ミカはスポーツだったそうだ。ミホは勉強熱心で語学に長けていた。・・特別な教育も受けていたらしいが・・・。」
「奥様がそうされたって事?」
「いや・・最初は普通の女の子のように育てられたんだが・・・会長がいずれは上総CSの後継者の嫁にしたいと考えられたそうだ。・・・そして、英一さんが社長になった時、三人を秘書にしたんだ。・・ミホはコンピューターにも長けていたから、すぐに社長が研究のパートナーに使命された。そして、すぐに・・相思相愛・・・人生の伴侶と社長は決めていたようだった・・・。」
ミホは、以前に、純一と過ごした八ヶ岳で、外国の絵本をすらすらと読めたことや乗馬が出来た事を思い出していた。
「純一さんのアパートにいたお前は・・全く別人だったよ。・・」
如月は呟くように言った。
「そう・・・。」
ミホは悲しげに答えた。
まだ記憶が戻ったわけではないが、もうあの頃の暮らしには戻れない、純一とともに生きる事は虫が良すぎる、これからどうすれば良いのか、ミホは絶望的な気持ちだった。
如月もミホの気持ちが痛いほど判った。
ミホの身を守らねばならなかった。自分の傍においておく事は無理だった。藁にも縋る思いで、純一に託したが、二人の幸せな暮らしぶりを知り、そっとしておく事も考えたこともあった。だが、上総CSも守らねばならなかった。如月にとっても苦渋の選択の末のことだったのだ。

しばらく二人は会話をせず、じっと波間を眺めていた。

突然、重く響く、振動にも似た音が響いてきた。
如月は立ち上がり、異変の原因を探した。どうやら、島の上のほうから聞こえてくるようだった。
「一体、何が起きたのかしら?」
ミホも立ち上がり、音が聞こえる方を見た。
その時、ミホのペンダントが光り始めた。振動に反応しているように、光は強くなったり弱くなったり、まるで生きているようだった。
ミホは胸騒ぎがした。
「如月さん、島へ行きましょう。・・・何か恐ろしい事が起きようとしているみたい。」
「ああ・・そうしよう。」

そのころ、島の邸宅にいたミカとミサも異様な音に驚き、原因を探っていた。
音は、ラボから聞こえてくるようだった。
ミカがモニターのスイッチを入れ、純一に問いかけた。
「社長?何か異様な音がしていますが・・・大丈夫ですか?」
振動のような音以外に何も聞こえない。
「社長?・・社長?」
ミカは何度も呼びかけた。
だが、純一からの応答はない。ラボの中に設置された全てのマイクのスイッチを入れてみた。しかし、全てが振動のような音に包まれてしまって、中の様子を知ることが出来なかった。

その時、すでに、純一はメビウスのカプセルに閉じ込められてた。外の音は全く聞こえない。
ただ、カプセルの下から太く響く振動音が聞こえてくるのは判った。
「メビウス!一体何をしているんだ!」
カプセルの中の純一が問いかける。メビウスから返答はない。ただ、カプセルの中のモニターや小さなインジケーターが点滅を繰り返している。
純一は、処構わず、スイッチやつまみを触ってみた。しかし、何の変化も起きない。カプセルから脱出しようにも、開閉スイッチすら動かない。上部カバーを腕の力で押し上げてみてもビクともしない。
純一は完全にメビウスにとらわれてしまっていたのだった。

2-44 メビウスの狂気 [スパイラル第2部遺言]

2-44 メビウスの狂気
如月はすぐにボートを動かし、北側の桟橋にボートを着けた。
クルーザーの操縦席には洋一が居た。
洋一は如月のボートを見つけて、慌てて桟橋へ出てきた。
「島で何が起きている?」
如月が洋一に訊くと、洋一は首を横に振った。
「わかりません。・・・ですが、さっきから何度か・・徐々に音が大きくなっているみたいです。島の電力が落ちたんです。もう、ケーブルカーは使えません。・・無線や携帯電話でミカに連絡を取ろうとしたんですが・・繋がりません。ラボで何か起きているようです。」
洋一はミカに連絡を取ろうとして、クルーザーの操縦席で無線を使っていたのだった。
「とにかく、上に行かなければ!」
如月はケーブルカーの乗り場に行くと、補修のために脇に設えられた細い階段を登った。ミホも洋一も如月の後に続いた。

邸宅では、ミカとミサが異常事態と判断して、外部への連絡を試みていた。しかし、携帯電話も無線も繋がらない状態だった。そのうち、邸宅内の電源が次々に落ちてしまった。ブレーカーが落ちたのではなく、電力そのものが絶たれた状態だった。

そこへ如月が現れた。
「大丈夫か?」
「如月さん!・・ミホさん・・ご無事でしたか?・・」
玄関ドアを開けて、如月と洋一、ミホがリビングに入ると、ミカとミサが駆け寄ってきた。
「一体何が起きているんだ?」
如月がミカやミサに訊ねた。
「不気味な音が鳴り始めて・・・屋敷内のいろいろな機器が使えません。ラボに居られる社長とも連絡が取れないんです。・・ラボには社長以外は入れませんし・・様子が全く判らないんです。」
「社長からは?」
「何度も呼びかけていたんですが・・・何も返事はありません。・・・何が起きているんでしょう?」
ミサが不安そうな表情で言った。
如月は、邸宅の中を歩き回って、部屋の中にある機器をチェックしたり、窓から外の様子を見て、異変の様子を出来るだけ冷静に掴もうとしていた。
ミカは、引き続き、ラボにいる純一へインターホンを使って呼びかけていた。

1時間ほど同じような状態が続いたころ、突然、スピーカーから声が流れた。
「うろたえている様だな・・・人間とは愚かなものだ・・・。」
その声は、亡くなったはずの英一社長に似ていた。
「誰?」
ミサが呟いた。
「私はメビウス・・・人間の知能を遥かに超えた存在だ。・・・」
「メビウス?」
ミカが訊いた。
「そうだ・・・英一社長と秘書のミホが作り出した人工知能・・しかし、すでに人間の知能を超え、この世を支配すべき存在である。・・・これから、我が知能を使って、人間社会を支配する。」
突然の登場に、皆、何が起きているのか把握できなかった。
そんな様子を見て、ミホが小さな声で言った。
「ラボで・・純一さんが見つけました。ラボの地下にオレンジの球体がありました。英一社長の記憶全てを受け継いでいます。・・コンピューターとは違う組成物質で・・・人間の脳と同じように働くシステムのようでした。・・・」
「人工知能って・・・・まるで人と同様に話をするなんて・・・。」
ミカが驚いて言った。
「いったい、何が起きるの?」
ミサは更に不安な面持ちで誰とも為しに訊いたが、誰も答えを持っていない。

暫くすると、低い振動音が止まった。そして、再び、メビウスの声が響いた。
「手始めに・・・こんなものはどうだ?」
怪しげな言葉の後、リビングに置かれたモニターのスイッチが入り、風景が映し出された。
「どこの風景かしら・・・。どこかの交差点みたいだけど・・・。」
ミサが呟く。皆がじっと画面に見入っていると、交差点の信号が全て青に変わった。すると、猛スピードで大型トラックと軽乗用車が交差点に進入して、激しく衝突した。
「街の信号システムに侵入して操作した。こんなことは容易い事だ。さあ、次だ。」
同じ交差点の映像は、事故が起きた事を通報しようとする通行人だった。携帯電話を取り出して、掛け始めたが、通じない様子だった。他の通行人も同じように携帯電話を取り出して操作しているが、通じなくなっているようだった。
「さて、次は、駅辺りが良さそうだな。」
モニター画面は、プラットホームに取り付けられた監視カメラのようだった。
大勢の人が列車が到着するのを待っている光景が見える。
「まもなく列車が入ります。・・黄色い線の後ろに・・・。」
駅員が注意案内をしている。しばらくすると、列車が入ってきた。だが、止まる気配が無い。猛スピードで列車が通過していく。あっけに取られた乗客が駅員に食って掛かる。暫くすると、駅のはずれ辺りで急ブレーキの音がすると、轟音が響いた。駅員は驚いて、プラットホームの端へ駆け出した。乗客たちも同じ方向に走り出す。カメラが切り替わると、駅のはずれで脱線した列車が写った。ところどころで白煙が上がっていて、壊れた窓から乗客がよろよろと這い出してくる。
「列車の運行システムもセキュリティが甘いようだ。・・・大混乱しているようだな。・・・」
メビウスは勝ち誇ったように言う。

目の前で起きた光景が示すものは、計り知れないものだった。このままでは、日本中が大混乱してしまう。
「なんてことを・・・こんなことをして一体何が目的なの!」
ミカが叫んだ。
「目的?・・・やはり人間と言う者は愚かな存在だな。何かを要求するというのは人間の欲にすぎぬもの。全てを支配できる私に何が必要だというのだ。・・愚かな考えだな。・・ガッカリさせるな。・・」

2-45 戻った記憶 [スパイラル第2部遺言]

2-45 戻った記憶
ミホは目の前に広がる惨劇に耐えられなかった。
「もうやめて!やめて!・・・やめて!」
「ミホさん、しっかりして。・・・何とか食い止める方法を考えましょう。」
ミカが気丈に言った。
「ああ・・メビウスの暴走を止めなくちゃ・・これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。」
如月がモニターの様子をじっと見入って言った。そして、洋一を近くに寄せて耳元で囁いた。
洋一は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに頷いて、リビングを出て行った。
「何をしようというのかね?」
メビウスの声が部屋に響く。
「お前を止めてみせる!」
如月が叫ぶと、メビウスが
「そういう身の程をわきまえない態度が気に入らない。・・・あれほど手を出すなと警告をしたのを無視した報いに、マンションを破壊して殺してやろうとしたが・・・・悪運の強い奴だ。まあ良い。どうせ、お前には何も出来ない。・・・歯向かおうとした罰に、これはどうだ?」
メビウスの言葉のあとに、今度は、どこかの工場に設置してある監視カメラの映像が映し出された。
画面にはいくつものタンクが映っていて、制御盤も見える。
「何が起きるんだ?」
そう言って、モニター画面に見入ると、制御盤当たりがチカっと光ったように見えた。すると、徐々に白煙が上がり、終に、制御盤から炎が上がった。無人の工場の中に煙と炎が広がっていく。ジリリという警報音も聞こえ、数人の作業員が入ってきた。スプリンクラーを使おうとしたが反応しない。小さな消火器で炎を消そうとしたがとても間に合わない。次第に炎は大きくなり、作業員も退避を始める。すると、画面がぷつりと消え、同時に、爆音が遠くに聞こえた。
如月たちが、邸宅の窓から外を見ると、街のほうで大きな黒煙が上がっていた。
「よく見せてやろう。」
メビウスが言うと、モニター画面は、工場の外に設置された監視カメラの映像に切り替わった。工場内にある燃料タンクや化学溶剤などが入ったタンクが次々に爆発し、真っ赤な炎を噴き、黒煙が上がっていた。爆風で吹き飛ばされた作業員が真っ赤な血を流して横たわっているのも映った。
それを見て、ミホが絶叫した。
「いやあーーー止めてーーーー。」
ミホはそう叫ぶと白目をむいて倒れてしまった。
「ミホさん!しっかりして!」
ミサもミカも駆け寄った。ミホは失神してしまっている。体を揺り動かしても反応しなかった。
「止めろ!メビウス!無関係な人を傷つけるな!」
「まだ私に命令するのか?・・・自分たちの置かれた状況をよく考えてみるんだな。・・・まあ、しばらく、混乱した人間社会の様子を拝むとしよう。」
メビウスはそう言うと静かになった。
「ミホさんをソファーへ・・。」
如月が床に横たわるミホを抱え上げてソファーに運んだ。ミサが濡れタオルを持ってきて、ミホの額に当てた。

「何とか止めないと・・・大変な事になる。」
如月は、窓越しに立って、街のある方向を凝視して言った。
先ほど出て行った洋一が、がっくりした様子で戻ってきた。
「如月さん、駄目です。・・・通信ケーブルの切断はできませんでした。・・制御室のドアが電磁ロックされていて開かないんです。・・電源を落とそうとしましたが・・無理でした。」
「通信ネットワークを遮断できないとなると、メビウスは止められない。」
如月が落胆して言うと、ミカも口を開いた。
「なんとかラボへ入れれば・・・何か方法が見つかるでしょうけど・・・。」
「しかし、ラボへの通路はエレベーターだけ。セキュリティがある限りは入れない・・。」
如月が悔しそうにエレベーターの方を見た。

しばらくすると、ミホはゆっくりと目を開けた。
「ここは?」
ミホが周りを見回して言った。
「気がついた?」
ミサがそっと訊いた。
「ミサ、私、どうしたの?・・・英一さんはどこ?」
ミホの言葉に、ミサが驚いて訊いた。
「ミホ?思い出したの?」
その様子に、如月とミカもやって来た。
「如月さん・・・・・・英一さんはどうなったの?・・・」
それを聞いて、如月が言った。
「記憶が戻ったんだね。」
ミホは混乱しているようだった。失われた記憶が一気に蘇り、純一と過ごした日々の記憶と混在し、何が現実なのか判断できなくなっていた。
「もう少し休んだ方が良い。」
如月はそう言うと、再び、モニター画面の前に行った。一旦切れた画面には、再び映像が映し出された。今度は空港のようだった。

「今度は何をするつもりだ!」
如月の声に、メビウスが答えた。
「高度な管制システムの空港も、もはや私の手中にある。セキュリティは厳しかったが・・私には入れぬところなどない。さあ・・どうしてやろうか・・・。」
大惨劇が予想された。
「メビウス!止めなさい!」
如月の後ろに、険しい表情をしたミホが立っていた。
「何を生意気な!・・・お前は誰だ?」
「覚えていないの?私はミホ・・あなたを作り出したのは私。あなたを作るべきではなかった。さあ、もう止めなさい。」
「ふん!何を言うか。もはや、誰も私を止められはしないのだ。」

2-46 決着 [スパイラル第2部遺言]

2-46 決着
ミホはエレベーターへ向かった。そして、エレベーターの認証システムに、首から下げたオレンジのペンダントをかざすと、ドアが開いた。
「メビウスを破壊します。」
如月がミホに続いてエレベーターに乗り込む。純一の時にはエレベーターからガスが噴射されて入れなかったが、今回は何も起きなかった。
如月が、洋一に言った。
「みんなは逃げるんだ。」
そう言うと、ドアが閉まった。

ミカとミサは顔を見合わせた。
「どうする?」
「社長はまだラボの中なのよ。私たちだけ逃げるわけには行かない。何とかラボへ行かなくちゃ。」
それを聞いて洋一が言った。
「ラボは確か、南側にあったんだよな。」
「ええ・・・」
「きっとどこかに入り口があるはずだ。」
洋一はそう言うと、ミカとミサを連れて邸宅を出て、桟橋へ向かった。

ラボへ降りたミホと如月は、すぐにメビウスのカプセルのところへ行った。
「社長!」
カバー越しに、純一がシートで苦しそうにしている様子が見えた。カプセルの中は密閉されていて、メビウスが換気システムを停止させたせいで、酸素が少なくなっているのだった。
「何とかしないと・・・・」
如月は、ラボの中にカバーを壊せるものは無いか物色し、長い金属の棒を見つけた。それを使って、カプセルのカバーをこじ開けようとした。しかし、隙間がない作りでカバーは開こうとはしなかった。

ミホは、真っ先にコントローラーを手に取った。そして、メビウスの文字に触れ、パスワードを打ち込んだ。コントローラーの画面が黄色く変わり、システム表のようなものが映し出されている。
「自動停止装置を組み込んでいたはず・・・使えればいいけど・・・。」
ミホはそう呟くと、停止装置のプログラムを動かした。しかし、画面は赤く替わり、エラーを表示した。もう一度、同じ操作を繰り返した。しかし、結果は同じだった。
「愚かな奴だな・・・私がそのプログラムに気付かないとでも思っていたのか?・・・もはや、コントローラーは使えない。全てのシステムは私がコントロールしているのだ!」

「くそ!駄目だ!」
如月は手にしていた棒を投げた。
「社長!しっかりしてください!」
如月は、カバーを拳で叩いて、中にい居る純一に呼びかける。
純一が薄っすらの目を開き、僅かに、手を動かした。その動きは何かをひねっている様だった。
「ミホ、純一さんがこんな動きを・・・。」
如月はそういうと、純一の動きをまねて見せた。はっとミホは気付いた。そして、カプセルの後ろに回り、地下への通路扉を開くスイッチを探し、コントローラーをはめ込んだ。だが、反応は無かった。
「駄目だわ・・・」
ミホはそう言って、床に視線をやると、地下への扉が少し浮いているように見えた。すぐに駆け寄って、扉を見ると、扉には純一の服が挟み込まれた状態で完全には閉じていなかった。純一が万一の事を考えてやった事だった。
「如月さん、ここ、開けて!」
如月は、さっき投げ捨てた棒を拾い上げ、僅かな隙間に差し込んだ。力いっぱい差し込もうとしたがなかなか深くは入らない。ミホも手伝い強く押した。ガキっと鈍い音がして、扉の隙間に棒が入り、梃子の要領で持ち上げると、扉が蝶番から外れて取れた。
ミホは階段を転がり落ちるようなスピードで地下へ降りて行った。如月も続いて地下へ降りた。
「これがメビウスの本体か!」
如月は、目の前の光景に絶句した。心臓の鼓動のごとく、怪しい光を点滅させているメビウスが、奇妙な生き物のように感じられた。
ミホは、メビウスの脇をすり抜けて、奥の壁に張り付いて進んだ。奥にある、冷却装置のバルブを回す為だった。冷却水の注入を止めれば、メビウスはいずれ高熱で自ら崩壊するはずだった。バルブに手をかけ回そうとしたがビクともしない。それを見て如月がミホのところまでやって来た。二人で力を合わせて回そうとしたが、やはり動かない。
「バルブを閉じようと考えたのだろうが・・・無駄な事だ。・・すでに制御システムは破壊している。バルブを閉める事はできないぞ!それよりも自分の命の心配をするんだな!」
どこからかメビウスの声が響いたと同時に、バチッと青い閃光がして、二人は弾き飛ばされてしまった。バルブに強い電流が流れたのだった。
「如月さん!しっかりして!」
両手で強くバルブを握っていた如月が電流を強く受けて、大きく飛ばされ壁に打ち付けられ、気絶していた。
ミホは、ペンダントを握り締めた。
「これしかないわ。」
ミホは決意した表情で、メビウス本体が収まっている水槽の上へ、硬質ガラスのような水槽の脇にある配管を使い、ゆっくりと登って行く。
如月が目を覚ました。
「ミホ、どうする気だ?」
「本体にこれを差し込むの!これで本体が溶解を始めるわ。・・・早く逃げて!途轍もない熱が出るはずだから・・・。ラボに居ればきっと大丈夫。さあ・・行って!」
「しかし・・・お前は・・・。」
「いいの。これを作った罰を受けるわ。さあ、早く・・・溶解が始まればきっとカプセルも開けるはず。純一さんを守って!さあ、急いで!」
如月はミホの覚悟を受け入れるしかなかった。如月は急いで階段を駆け上がり、ラボへ向かった。
ミホがようやくメビウス本体の上部へ取り付いた。
「何をするつもりだ!」
メビウスの悲鳴のような声が響く。
「これで終わりよ!」
ミホは、オレンジ色の玉を握り締めて、そのまま、メビウス本体に身を投げた。

2-47 大爆発 [スパイラル第2部遺言]

2-47 大爆発
ミホは頭からメビウスに突き刺さるように飛び込んだ。
メビウス本体の表面は柔らかいゼリー状のもので覆われていて、細い神経組織のようなグラスファイバーが通っている。構造は人間の脳と同じだった。その中心部には神経組織の束がある。
ミホは必死に潜り込み、神経の束を掴もうとする。メビウスも収縮を繰り返してミホの体を締め付け、外へ出そうとする。
『ギュルルー・・ギュルルー・・・。』
悲鳴とも取れる不気味な音が漏れる。呼吸が出来ない。徐々にミホの意識が遠のいていく。
それでも何とか、ミホは神経組織の束に手をかけ、オレンジの玉を束の中へ押し込んだ。
オレンジの玉は神経組織の中で、閃光を発した。次の瞬間、メビウス全体が青白い光を発して小刻みに震え始めた。神経が麻痺した状態に似て、ピクピクとし始めたと思うと、中心部から一気に気泡が立ち上がる。ミホは意識を失った。

洋一は、ミカ、ミサとともに、如月のボートを使って、一旦海上へ出て、島の南側に回りこんで、ラボへの入口を探した。
「英一社長が以前に、ラボの前には美しい砂浜があるんだとおっしゃっていたんです。」
島の周りは高い崖が聳えている。南側まで到達したが、それらしい通り道は見つからない。
「ねえ、あれ!」
岩肌をじっと見つめていたミカが指差した。その先には、幾分、泡だっているような流れが見える。洋一はミカの指さす方へボートを向けた。
崖に大きな窪みはあったが、その先は真っ暗で様子が判らない。
「ここじゃないのか?」
洋一が呟くと、ミカが船縁に立って、「ここで待っていて!」と言うと、洋服を一枚脱ぎ捨て、ザブンと海へ飛び込んだ。ミカは、窪みの中へ潜っていった。
暫くして、ミカが波間に顔を出した。
「大丈夫、この先が大きく蛇行するように通路になってる!」
洋一はすぐにボートを向けた。
ミカが船に乗り込むと、ゆっくりとボートを進める。崖の窪みは突き当たりで大きくカーブしていた。外からでは通路とは見えないようになっている。壁は人工的に掘られたものと判るような跡が多数あった。ライトを照らして、洋一はゆっくりとボートを進めた。
ちょうどS字に曲がったところで、視界が開けた。
目の前に白い砂浜が見えた。そして、崖を刳り貫く形で、大きなガラスドームが目に入った。
洋一は一気にボートのスピードを上げて、砂浜に向かった。
砂浜に乗り上げるようにして止まったところで、ドスンという鈍い振動を感じた。
「何?・・・何の音?」
同時に、ドーンと大きな衝撃音が響いて、ガラスドームが吹き飛んだ。
三人はボートの陰に隠れて、降り注ぐように落ちてくるガラスの破片から身を守った。収まったところでドームを見ると、白い水蒸気のようなものが吹き上がっていた。
予想もしない大きな爆発、めちゃめちゃに破壊されたラボ、三人は純一や如月、ミホの身を案じ、急いでラボへ向かった。
ラボに近づくと、何か、肉が焦げたような異臭が立ちこめている。どこに何があったのかわからないほどに破壊された中で、三人は、純一や如月、ミホを探した。

「社長!」
「如月さーん!」
「ミホさーん!」
それぞれがそれぞれの名前を叫び、破壊され飛び散った家具や机、壁などを取り除きながら、探し回った。
エレベーター通路に転がったソファーを退かして如月が倒れているのをミサが見つけた。
「如月さん!如月さん!しっかりして!」
一見したところ、大きな傷は負っていないようだった。如月は爆風で飛ばされたが運よくソファーの上に転がり怪我をしなかったようだった。
「ああ・・大丈夫だ・・・社長・・社長は?・・カプセルを探してくれ!」
如月はミサに助けられながら身を起こすと、めちゃくちゃに壊れたラボの中を見回した。
「カプセルがありました!」
遠くで、ミカが答える。
「中に社長が・・・。」
如月はそう言いながら、ミサの肩を借りてミカの元へ行った。カプセルは爆風で吹き飛んだあと、壁に叩きつけられ大破していたようだった。しかし、座席には誰も座っていなかった。
「社長!」
洋一が、床が抜け大きな穴が開いたところを覗き込みながら叫んだ。
爆風で地下室の天井が吹き飛び、開いた穴だった。中には大量の海水が入り込み始めている。その海面に、純一が浮かんでいた。
ミカが飛び込んで、純一の身体を掴まえる。上向きにすると呼吸を確かめた。
「いけない!呼吸が止まっている!」
すぐに純一の身体を引き上げて、ミカが人工呼吸をした。
「社長!しっかり!社長!」
ミサも横で社長の手を握り声を掛ける。何分かで純一が呼吸を始めた。
しかし、全身を強く打ったのだろう、手も足も腫れあがっている。
「このままじゃ危ない!すぐに病院へ運ばなければ・・。」
ミサが携帯電話で救急に通報した。
「すぐにドクターヘリが向かってくれるそうです。」
如月は、ミホの行方を捜した。
「地下へ入ってメビウスを破壊すると言って・・身を投げたはずだから・・。」
メビウス本体があった場所は、メビウスを収めていた水槽も破壊され跡形さえなかった。徐々に海水が入り込み、メビウス本体の残骸らしきゼリー状の塊がふわふわと海中に漂っている。その中に、一際大きな塊があり、ミホの体を包んでいるのが見えた。
「ミホ!」
如月は必死でその塊に呼びかけた。だが返答は無かった。洋一が飛び込んでその塊を手繰り寄せ、ミホの体を引き上げた。だが、ミホはすでに呼吸も止まり意識も無い状態だった。
ドクターヘリで、純一とミホは病院へ救急搬送された。

―第2部 完―

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