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3-2 長距離バス [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

夕方近くになり、ようやく周囲が静まった。辺りにはもう警官の姿はなかった。
マリアはようやくコインロッカーのコーナーから出て、再び、バス乗り場に行ってみた。
まだ、一部に規制線は張られていたが、バスは無事に運行されているようだった。
ひっきりなしにバスが到着して、多くの客を飲み込み、出発する。幾つもあるバス停には列ができては消える、繰り返しだった。
マリアは、静岡駅行きのバス停が見える場所で、客を物色している。
若い男は論外。かといって、若い娘も、安い香水の匂いが鼻につき気持ち悪くなる。
親子連れは全員に思念波を送り、操るには苦労するだろう。出張帰りのビジネスマンか、老夫婦が良いと決めていた。
老夫婦は、アメリカでトンプソン夫妻には優しくしてもらった。
トンプソン夫妻は、マリアに何の疑念も抱かず、家に迎え入れ温かく接してくれた。思念波を使うまでもなく、本当の自分を取り戻したような幸せなひと時だった。マリアはふとその時のことを思い出していた。
そこに、老夫婦が大きなボストンバッグを引きながら現れた。白髪の紳士と婦人。どこかトンプソン夫妻と重なって見えた。
「静岡行きのバスに何とか間に合いそうですね。」
白髪交じりの奥さんらしい夫人が、優しく話した。
「ああ、良かったな。さて、チケット売り場はどこかな?」
今度は夫らしき紳士が周囲を見ている。
どうやら、この夫婦は今、ここへ着いたばかりのようで、待合室の騒ぎも知らない様子だった。
二人の会話を聞き、マリアはこの夫婦に決めた。
夫婦は暫く、時刻表やバス路線図を見比べていて、周囲に注意を払っていなかった。
マリアは、そっと、夫婦に近付いた。
「あら?あなたは誰?」
その言葉に、夫の方も立ち止まって夫人を見る。
「おや、誰かな?」
と、夫もマリアに近付く。
夕暮れが迫る名古屋駅。10歳ほどの女の子が一人で居るような場所ではない。
「マリア。」
小さく答えた。
「親御さんはどちらにいらっしゃるのかしら?」
夫人が優しい声で訊く。
マリアは小さく首を振る。
「迷子なの?」
10歳ほどの女の子が迷子というのは少し不自然だったが、その婦人にしてみれば、マリアは随分、幼く見えるのだろう
「迷子なのか?」
今度は紳士の方が、膝を折ってしゃがみ込み、マリアの目線に自分の目線を合わせるようにして確認するように、訊いた。マリアは答えなかった。
「まさか、この子、ちょっと・・。」
夫人がそこまで言葉にして言いあぐねた。
おそらく、知的障害、いわゆる知恵遅れだと思ったようだった。夫人は紳士の腕を突いた。それは、すぐに警察に連絡した方が良いという合図だった。
マリアは、二人のやり取りを見て、トンプソン夫妻とは違うと確信した。この老夫婦は、そこまで寛大ではないようだった。このままでは、警察に連絡されてしまう。
そう思うと同時に、マリアは、老夫婦の前に手を差し出す。
不思議な表情を浮かべて、老夫婦はマリアの手を握った。
その瞬間、マリアは、『静岡まで連れて行きなさい』と強い思念波を放つ。
老夫婦は、一瞬、体を硬直させた。
マリアの思念波が二人の思念波に絡みつき、完全に支配されてしまった。
急に表情を失う二人。
そして、紳士の方が、視線が定まらぬままにチケット売り場へ向かい、大人2枚、子ども1枚の静岡行きのチケットを購入して戻ってきた。
茫然とした状態で、老夫婦はバス停に立っている。
二人の手を握ったままのマリアは、周囲から見れば、きっと孫娘に見えるだろう。行き交う人は誰ひとり不審に思う事はなかった。
暫くすると、徐々に、バス停の前に人が集まってくる。
「静岡行きのバスのお客様、もうすぐバスが参ります。列に並んでお待ちください。」
バス停の前でバス会社の案内役の職員が声を出す。
バスが到着すると、案内人が一人一人チケットを確認し、バスの中へ案内する。
マリアは二人とともに、バスに乗り込んだ。
しばらくすると、バスが動き出した。満員だった。二人用の席だが、幅が広く老夫婦と三人で座るには十分だった。マリアは老夫婦に挟まれる形で座る。
乗客は、皆、疲れているのか、静かに座っている。
夕刻を過ぎ、すでに陽は沈み始めた。静かな車内で、誰かが駅で買った弁当を広げた。特別な匂いが車内に広がり、他の客の数人が、続いて食事を始めた。
マリアも、ここまでまともな食事をしていなかった。車内に充満する弁当の匂いで、一気の空腹を感じた。それが、老夫婦にも伝わり、無表情なまま、夫人が紙袋から、駅で買った弁当を出した。マリアは、それを受け取ると、封を開け、一気に食べた。ただ、1食分では満たされず、もう一つも開けて食べた。それから、ペットボトルの飲料を開け、弁当を流し込むように飲み干した。
無表情で座る老夫婦、間に座った孫娘だけが貪るように食事をしている風景は、奇妙に映ったはずだが、皆、疲れているのか周囲の様子に気を止めるものはなかった。
バスは、東名高速道路に入り、一気に東へ向かって進む。
満腹感と疲労感、そして、時折、リズムを打つように通り過ぎる高速道路のオレンジ色のライトで、マリアは眠くなってきた。このまま眠ってしまうと、二人の思念波の縛りを解いてしまうかもしれない。その時、老夫婦は大いに驚き、車内は騒ぎになるだろう。
マリアは、これまでになく強い思念波を発した。
『眠れ!』
触れている二人だけでなく、周囲の人達にも思念波が届く。老夫婦は、ガクッと首を垂れて眠りに落ちた。そして、周囲の客も徐々に眠ってしまった。
これでいい、暫くは静かになるに違いなかった。
マリアは暫く眠ることにして、夫人の膝に頭を乗せて横になった。
3時間ほどで、バスは静岡駅に到着する。
高速道路を降りた辺りで、マリアは目を覚ました。老夫婦はまだ眠っていた。
外は真っ暗で、目指す富士山は確認できない。マリアはこの先の事を考えながら、流れる夜景を見ていた。
静岡駅に着くのは深夜近くになる。そこからどうするか。
この夫婦についていき、自宅で体を休めるか、それとも、駅でまた別のターゲットを見つけるか。深夜となればそれほどの人はいないに違いない。だが、この夫婦を長時間マニピュレートしているのは、自分にも大きな負担になるのは間違いない。
そんな事を考えているうちに、バスは市街地に入り、もはや駅到着まで僅かな時間となっていた。
その頃、ようやく老夫婦が目を覚ました。まだ、意識は朦朧としていて、マリアに操られたままの状態だった。
駅が見えてきた。
その時、後ろの席から声を掛けられた。
「ねえ、真理亜ちゃんでしょ?」
ふいに名前を呼ばれて、マリアは息が止まるかと思うほど驚いた。
ここに、自分の事を知っている人などいるはずがない。
もしかしたら、施設から連れ戻しに来た人間なのかと思い、振り向きもせず、すぐには返事をしなかった。

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