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1-38 契りの鏡 [アスカケ外伝 第2部]

「タケル様、大丈夫ですか?」
ヤスキがタケルの体を心配して訊く。特別な力を使ったとは必ず、意識を失い倒れていたからだった。だが、今回はむしろ力が湧いてくるような清々しさをタケルは感じていた。
「ええ・・此度は、何ともありません。不思議です。」
タケルはそう言うと、ふっと、熱田の姫の姿を探した。
首飾りが光を発している時、意識の中にはいつも母の姿があった。だが、今回は、母の姿ではなく、なぜか、熱田の姫の姿が浮かんでいた。いや、浮かんでいたというより、姫と意識が繋がったような感覚だった。
熱田の姫は、鏡を握り締めて、タケルを見つめている。
その目を見た時、タケルははっと思い出した。もしや、あの姫は・・そう、まだ幼かった頃、春日の杜で・・。ぼんやりと記憶の奥底に眠っていた風景が浮かんできた。

宮殿にいたタケルの許に、父と立派な武将らしき人物が小さな女の子を連れてきた。その子は、武将の後ろに隠れるようにして立っていた。
「タケル、しばらく、この子の世話を頼みます。」
父カケルは笑顔でそう言うと、その子をタケルの許に置いて行った。
その日から、その子は、タケルと始終ともに居た。春日の杜で学ぶ時も傍にいて、タケルのすることを真似るようにして過ごした。野を駆ける時も、木に登る時も、片時も離れずにいた。それは、タケルにも、これまで感じた事の無い喜びでもあった。
ある日、馬に乗る訓練があった。
幼い子供にとって、見上げるほどの大きな馬は恐ろしい存在だった。だが、その子は怖がることなく、タケルの背につかまり馬に乗った。春日の山を駆け巡る時、その子はタケルの背に体を密着させ、一心同体となっていた。
タケルの脳裏に、あの頃の記憶が一気に蘇ってきた。
「ミヤ姫・・ミヤ姫なのか?」
タケルは心の中でそう思った。
すると、目の前にいる熱田の姫はにこりと笑い、「はい」と答える。その返事も声に出してはいない。互いに、心の中で会話をしているのである。
ミヤ姫はゆっくりとタケルの傍に来ると、握りしめていた鏡を見せる。
「覚えておいでですか?」
ミヤ姫に訊かれ、タケルは記憶を辿る。
その鏡は、タケルが皇アスカから十歳の祝いにと渡された物だった。それをミヤ姫が気に入り、欲しがったので、「いつか、嫁になるなら」と言って渡したものだった。
幼い頃の他愛無い約束だった。タケルはすっかり忘れていたが、ミヤ姫の問いは、鏡の記憶ではなく、その約束に他ならないとタケルは考えた。
タケルの返事を待たず、ミヤ姫は駆け寄り、タケルの胸に飛び込んだ。
「囚われた時、この鏡が、タケル様が必ず救いに来てくださると教えてくれました。」
ミヤ姫はそう言って、涙を溢した。
「こんなところで会えるとは・・。顔を良く見せてください。」
タケルは、ミヤ姫の肩に手を置き、顔をじっと見る。すっかり大人となっていたが、目元や口元にはあの頃の面影を感じた。
「なぜ、熱田に・・それに、姫とはどういうことですか?」
タケルは訊いた。
「我が父は、若い頃、葛城王のもとに居りました。ヤマト争乱の際にも、兵として働いたと聞きました。平定の後、父母ともに、宮殿でお仕えしておりました。生来、武術に長けた父と学問好きの母は、皇様や摂政様のお仕事をお手伝いしておりました。その後、父と母は、美濃国に招かれ、国作りの仕事をすることになりました。その間、まだ幼い私は、宮殿に残ることになりました。」
タケルは、父カケルとともに来た、武将らしき人物はミヤ姫の父だった。その時、父カケルは、その武将に「しっかり頼む」と話していたのを覚えている。
「その時、私とともに・・。」
「ええ、美濃国は山深いところ。幼子には危ういと考えたのでしょう。皇様の御計らいで、私は、タケル様の御傍に居ることになりました。」
父や母と離れ、一人宮殿に残される幼子がどれほど寂しく不安だったか、その頃のミヤ姫の様子からは微塵も感じられなかった。
「それで・・何故、熱田へ?」
「美濃国での父や母の働きを聞いた熱田の長が、是非にもと招請されたと聞いております。その頃、尾張国は小さな郷の集まりに過ぎず、国としてまとまっておりませんでした。そこで、熱田の長がカケル様に願い出て、父を尾張国の国造に任じていただき、熱田に移りました。私も、その時、都から熱田へ行きました。」
まだ幼かったタケルは、ミヤ姫がどういう素性でどのように生きてきたのかなど知る由もなく、また、楽しい日々の中で、そんなことはどうでも良かった。ただ、ミヤ姫がある日突然、タケルの前から姿を消したことに大いに悲しみ、それまでの楽しい思い出に封をしたのだった。
そんな二人の姿を見て、春日の杜で共に学んだヤスキも、ミヤ姫の事を思い出していた。そして、二人の傍に行くと、ミヤ姫をわざとじろじろ見るようなしぐさをしながら言った。
「ミヤなのか・・・へえ・・こんな美しき女人になるとはねえ・・。」
ミヤ姫はヤスキをキッと睨む。
「タケル様、あれは確かに、初恋・・でしたね。」
ヤスキは、今度は、タケルに絡む。ヤスキは、あの時、春日の杜での二人の様子を見て、子どもながらに恋というものを知ったのだった。
「そう言えば、タケル様は大きくなったら、ミヤ姫と夫婦になると言われてましたね。」
タケルが答えをはぐらかしたことをヤスキは言葉にした。
それを聞いて、タケルは顔を紅潮させる。ミヤ姫はにこりと笑った。

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