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1-7 ふるさと [アスカケ外伝 第2部]

陽が高くなると、森の中は蒸し暑くなってきた。
「チハヤ様、随分と薬草が見つかりました。少し休みましょう。」
シルベが気遣いそう言った。チハヤは玉の汗をかいている。
「どこか、休める場所はありませんか?」
シルベが女人に問うと、少し下った場所を案内された。
森の中には、いくつか泉が湧いている場所があった。その畔で休むことにした。顔を覆う白い布は、暑さを一層強くする。
「この布はとっても宜しいでしょうか。息苦しいのです。」
チハヤが女人に訊く。
「はい。この泉は、杜の休息の地。神々もお許し下さるでしょう。」
白い布を取る。少し冷たい風を感じた。シルベが泉から水を掬い取り運んできた。女人たちも喉を潤した。鳥が鳴き、穏やかな時間が過ぎる。
突然、女人の一人、先ほどの白髪の女性が、か細い声で言った。
「チハヤ様、お母上の名は何と申されます?」
「母・・ですか?」
「ええ・・お母上の名は?」
「母は、ヒシノです。」
チハヤの答えに、その老女はいきなり涙を流し始めた。また、伴をしてきた女人たちもざわついている。
「どうされました?」
「それは・・何という巡り合わせ・・・有難い事じゃ・・。」
老女は涙を流しながら、チハヤの手を取る。別の女人が、傍により老女の肩を抱くようにして支え、静かに話し始めた。
「宮から案内してきた者が、チハヤ様を見て、もしやと申しておりました。この方は、チユキ様と申されまして、ヒシノ様の母御様なのです。・・そう、チハヤ様の御婆様。ヒシノ様は、若き頃、伊勢の頭領に付き従い、大和へ向かわれ、そのまま戻らず、行く末を案じておられました。」
「しかし・・どうして・・・・」
いきなり、御婆様と言われても、まだ、しっくりこないチハヤが訊いた。
「面影が・・いや、チハヤ様の顔立ちが、ヒシノに瓜二つなのじゃ・・。覆いを取った時、私は息が止まる思いがした。ヒシノとはもう会えぬものと諦めておった故・・こうして会えると・・。」
老女、いやチユキは再び喜びの涙を流した。
「我らは、奥の宮に務める巫女。チユキ様は巫女頭であり、この杜の守り主でもあるのです。実のところ、奥の宮は、巫女頭の許に、宮司が置かれております。そして、ヒシノ様は次の巫女頭になるはずの御方だったのです。」
チハヤは、ここへ来たのは母の導きだったのかもしれないと思った。
父を戦で失い、母を幼い頃、病で亡くした。その時の辛さが、今、チハヤが薬草を学ぶ力になっている。そして、その事で、この伊勢まで来ることにもなったからだった。
傍で、ひとしきり話を聞いていた、シルベはすっと立ち上がり、「もう少し、薬草を摘んでまいります。」と言って立ち去った。
シルベは、森へ戻り、周囲の草を観察しながら、ずっと考えていた。チハヤと夫婦にと思っていたが、チハヤの身の上を聞き、迷い始めていた。巫女頭の一族と判れば、この地で生きる事を望まれるに違いない。そして、その身分にふさわしい夫を持つ事を求められるだろう。自分が傍にいる事が障りになるかもしれない。シルベは考えが纏まらぬまま、先ほどの泉に戻った。
チハヤと巫女たちは、談笑している。
「そろそろ、戻りましょう。これだけの薬草があれば、しばらくは大丈夫でしょう。」
シルベは、チハヤにどんな話をしていたのかは聞かなかった。
チハヤ達は、そう促されて、森を出て、奥の宮へ戻った。摘み取った薬草は、ホムラの館へ運び、選別して干し、加工する。ホムラはその場所を提供してくれた。
チハヤは、しばらく、怪我人の様子を見ながら、薬草加工の作業に取り組んだ。シルベも共に作業をしたが、時折、考え込むようになっていた。
「シルベ様、どうされたのですか?近頃、何かぼんやりしておられるようですが・・。」
チハヤは、薬草の加工作業の合間に、ふいに訊いた。シルベの変化に気付いていた。
「いや・・。」
シルベは、仕事の手を止めることなく、下を向いたまま、小さく答えた。
「正直にお話し下さい。何か心配事でもあるのですか?」
チハヤはまっすぐにシルベを見て訊いた。
シルベは観念した。
「私は、あの森で、チハヤ様の身の上をお聞きしました。巫女頭の血筋であると・・。いずれは、あの古宮を守る大切な役割を担うべき御方でしょう。」
「そうかもしれません。でも。」
とチハヤが言い掛けた時、遮るようにシルベが言った。
「そのためには、私がお傍にいる事は障りになるのではないでしょうか?私は、皇に弓を引いた、いわば罪人。今の皇様から、お赦しはいただけましたが、やはり、チハヤ様の傍にいるべき者ではない・・・・そう思うのです。」
シルベの言葉を聞き、チハヤは大粒の涙を浮かべている。
「私が何者であろうと、心は既に定まっております。」
その意味は、シルベも十分に判っていた。
「しかし・・・・。」
「この先、私の傍でお守りくださるという約束は嘘だったのですか?」
チハヤは、シルベの胸に飛び込み、幼子のように泣きじゃくった。
シルベは何も言えず、強くチハヤを抱き締めた。


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