SSブログ

1-25 ヒナ姫 [アスカケ外伝 第2部]

ヤスキは、イカヅチの話を聞き、憤慨しながらも、どうしてもそばに座っている、娘の事が気になって仕方なかった。粗末な麻衣を身に着けてはいるが、長い黒髪に、透き通るような白い肌、大きな瞳、ただの娘とは思えなかった。ヤスキの心の中がざわざわしていた。
「イカヅチ様・・一つ、お伺いしたいのですが・・。あの・・娘御はどなたでしょう?」
ヤスキは思い切って、イカヅチに訊いた。イカヅチは、そう聞かれ、一度その娘の方へ視線を遣ってから溜息をついた。そして、少し辛そうな顔を浮かべて言った。
「頭領の娘御・・ヒナ姫様です。・・今年で十九になられます。・・」
歳を聞いて、ヤスキは驚いた。一段高い座敷に座っている娘は、ぼんやりとしていて、まるで夢でも見ているかのような顔つきで、幼子のように見えたからだった。
「どこか・・お悪いのでしょうか?」
と、ヤスキがヒナ姫の様子を見ながら言う。
「酷い事です・・。」
イカヅチは、うっすらと涙を浮かべている。
「先ほどお話したように、キリト様の奥方も我らと共に、イソカの言葉に乗せられているキリト様をお諫めいたしました。しかし、聞き入れてもらえぬどころか、怒りにふれ、館の中でキリト様の手で切り殺されてしまわれたのです。」
「奥方を自らの手で?」
サトルは驚いて訊いた。
「はい。キリト様はもはや正気を失っておられるようでした。・・そして、その場に、ヒナ姫も居られた。ヒナ姫は、血に塗れて横たわる、母の遺骸に縋りつき、泣きじゃくっておられました。私はその場から、姫を救い出し、ここへ匿ったのですが・・。」
「何と・・。」と、ヤスキは言葉を失った。
イカヅチは、また、ヒナ姫の顔を見る。
あどけない幼子のような表情が痛ましい。
「姫は、あの日以来、あのように心を失くされたようになられました。何を聞いても答えられず、私の声も聞こえていないのではないかと思うほどなのです。」
「心に途轍もない、大きな傷を負われて、無理もない事でしょう・・。酷い事です。」
タケルはそう言ってヒナを見る。
ヒナの視線が一瞬だが、タケルの方に向いているのに気付き、タケルは、すっと立ち上がり、ヒナ姫の座る座敷へ行った。そして、ヒナ姫の傍に座ると、左手をそっと握る。
ヒナ姫は、一瞬びくっとして、手を引っ込めようとしたが、タケルが強く握ると、じっとタケルを見た。その視線は、タケルの首飾りにむいていた。そして、ヒナ姫は、右手をゆっくりと伸ばすと、首飾りに触れた。
首飾りから、小さく光が漏れた。すると、急にヒナ姫は、タケルの腕にしがみつき、声を上げて泣き始めた。まるで、赤子が泣く様にわんわんと泣いた。
「なんとしたことか・・あの日以来、笑う事も泣くこともなく、只々ぼんやりとされていたのだが・・。これこそ奇跡・・。」
イカヅチは、目の前の光景に驚きを隠せなかった。そのうち、ヒナ姫は泣き疲れて、そのまま眠ってしまった。イカヅチは、タケルの腕からヒナ姫をそっと離して、座敷の寝床に横たえた。イカヅチに顔に安堵の表情が少し見えた。
「さあ、皆様もお休みください。これからの事は明日にでもお話いたしましょう。」
イカヅチに勧められるまま、その日の夜、三人はイカヅチの館で休んだ。
静かな夜だった。
郷からは遠く離れ、隠れ住むには都合の良い丘陵地が広がっている。
前夜は、草叢に潜んでいて、疲れていたのか、三人とも朝までぐっすりと眠った。
翌朝、三人が目を覚ますと、イカヅチはすでに起きていて、朝餉の支度をしていた。
「これからの事ですが・・。」
翌朝、朝餉を食べている時、イカヅチが切り出した。それに応えて、タケルが言う。
「私たちは、ヤマトからこの戦を収める事を命じられて参りました。そのためには、まず、イソカを征伐せねばならぬと考えております。」
「しかし、相手は大軍の将、たった数人では何ともならぬでしょう。・・それに、イソカを倒すのは、われら知多の郷の者の使命。これまでも、亀崎や師崎、河和や野間などと共に、水軍に抵抗している者が居ります。こうした者達を纏め、イソカを討ち果たす事が、私の本望です。・・ヤマトの皇子の御力があれば、皆も、勢いづきます。我らの旗頭となっていただきたい。」
イカヅチは頭を下げる。
「それでは・・知多の郷一帯が、戦となり、多くの民が傷つき、命を落としかねない。それだけは避けたいのです。」と、タケルが言う。
「すでに、イソカに多くの命を奪われております。恨みを抱く者も多い。・・いや、ヤマトの皇子が知多に来られていると知れば、そういう者達がきっと無謀に動き出します。それならば、しっかりまとめ統制の取れた軍として、対抗すべきではないですか?」
イカヅチの言葉にも理はあった。
タケルはすぐに決断できなかった。
朝上げを終え、少し周辺の様子を見る事にした。タケルとサトルは、館から少し山を下ることにした。イカヅチによると、二つほど尾根を越えると、大高の郷が見えるという。サトルの案内で、すぐに出かけた。
ヤスキは、イカヅチを手伝い、食料の調達のため、猟に出かけることにしていたが、ヒナ姫を一人にはできないと思い、留守番をする事にした。
ヤスキは、座敷に座っているヒナ姫の様子を見ながら、剣や弓の手入れをする事にした。土間に座り、剣を抜くと、急にヒナ姫が震え出した。おそらく、剣を見て、母が切り殺された光景を思い出したのだろう。ヤスキは慌てて、剣を収め、弓を取り出し手入れを始めた。しばらく、静かな時間が過ぎた。相変わらず、ヒナ姫はぼんやりとした顔つきで、座敷に座っている。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント