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1-3 道案内人 [アスカケ外伝 第2部]

タケルたちの東国行きが決まった。
タケルとヤスキ、チハヤの三名と、チハヤの護衛としてシルベが名乗りを上げた。チハヤとの約束を果たすためだった。
そして、タケルの護衛役として、平群一族の長ヒビキの息子サスケが選ばれた。サスケは、大和争乱の折、幼い身でありながら、カケルを案内し、磯城宮で囚われていた父ヒビキを救出し、その後も、カケルの許で働いていた。大和国の中でも、弓や剣の腕は抜群で、さらに、誰よりも足が速く、大和国内を一日で駆け抜けるほどであった。
道案内には、伊勢国のミムラが務めることとなり、すぐに、出発することとなった。
「道中、充分に気を付けて。」
ヤチヨが見送りに来た。
ヤチヨは、東国には行かず、難波津へ行くことに決めていた。ヤチヨは、難波津で見た諸国の産物をもう一度しっかりと学び、もっと多くに国々で取引ができるようにしたいと考えていたのだった。それと、トキオやヨシトの事が気になっていて、難波津へ行けば、二人の消息も分かるかもしれない、そう考えていたからだった。
都から東への幹線道路は、大和から木津川を遡り、伊賀国を経て加太の峠を越え伊勢に入る道筋であった。
ミムラは、伊勢から大和へ来るにあたり十名程の兵士を連れてきており、一行の出発より、一足先に、街道沿いの安全を確かめるために出発させていた。そこには、サスケも、大和の衛士十名程も同行させた。何かあれば、すぐに大和へも使いが出せるように、一行の周囲には多くの供がいた。
一行は、二日ほど掛かって、伊賀・上野の郷へ到達した。
伊賀・上野の郷は、大和争乱の際、伊勢の大臣と名乗る、ホムラの叔父を攻略するため、ホムラたちが長く留まっていた郷だった。伊勢と大和を繋ぐ要衝にあり、周囲の山々が防御の役割を果たし、一つの国と言っても良いほどだった。
伊賀・上野の郷には、集落ごとの長たちが合議で国を治める仕組みを持っていた。山中の厳しい暮らしゆえに、皆が助け合う事が何より大事で、どこかの村で困りごとがあれば周囲が助けることを掟としていた。
「今宵はここで休みましょう。」
ミムラはそう言って、一軒の館へ案内する。そこは、上野の郷の入り口に当たり、幹線路を使って行き来する者が休む宿になっていた。郷の者が交代で管理をし、薪や食料が置かれていて、旅の者は自由に使える。このような場所を作ることで、郷の中に怪しげな者を入れない工夫でもあった。
「東国との戦が始まってから、都と伊勢を行き来する者は随分と少なくなりました。」
ミムラはそう言いながら、囲炉裏に火を入れ、夕餉の支度を始めるよう指示すると、随行する手下たちが手際よく支度を始める。
「彼らは、私の護衛役でもあるのです。兄ホムラは、今、戦の真っ最中。いつ命を落とすか判らぬため、万一の時、私が跡を継ぐことになっています。・・私は、兄ほどの器量はありませんが、民の役に立てるならと考えております。・・実は、伊勢にも、都に習い、学びの杜を作りました。ここにいる者達は、そこで修行をした者ばかり。これから、伊勢国のために尽くしてくれるはずです。」
ミムラはそう言いながら、機敏に動く彼らを、目を細めてみていた。タケルは、そんなミムラを見て、ふと、モリヒコを思い出していた。
一行は、そこで一泊した後、半数の護衛の者と、都からの衛士が南へ別れ、尼ケ岳を超える厳しい道を使って、伊勢国への近道を進むことにした。タケルたちが到着する前に、伊勢での支度を整えるためだった。
タケルたち一行は、伊賀から加太の峠を越えて、亀山、関の郷から安濃津へ出る道を進んだ。加太の峠に達したのは夕刻近くだった。山道が続き、予想以上に時間が掛かった。
加太の峠には、あばら家が建っていた。ここも、旅人が夜露を凌ぐために作られたものだった。そして、翌朝早くに出発し、山を下り、関の郷に着いた時、桑名からの知らせが届いていた。
「兄は、長島で東国の水軍を討ち果たし、帰途についているとの事です。東国の水軍は、対岸の大高辺りまで退いたようです。おそらく、安濃津に入るはず。急ぎましょう。」
ミムラは、当初、関の郷から、鈴鹿川を船で下り、桑名から伊勢へ向かう予定でいたが、知らせを受けて、関の郷から東の追分筋で南へ向かい、安濃川を船で下ることにした。川の先に、安濃津の港がある。安濃川は大きな川ではないが、穏やかで、小舟に乗り込むと、一行は体を休めることができた。
安濃津の港は大きな郷だった。難波津には及ばないものの、熱田や三河、美濃からの産物が集まる水運の要であった。安濃津の港では、すぐに、ミムラが、兄ホムラの居場所を確認したが、まだ到着していないようだった。
「風の具合が良くないのでしょう。ですが、明日には着くはずです。」
ミムラはそう言うと、一行を港近くにある館へ案内した。その館は、ミムラの館だった。
「御館さま、お帰りなさいませ。ご無事で何よりでした。」
 館に入ると、多くの人夫や侍女たちが出迎えた。そして、一行を大広間へと案内した。
「我ら伊勢一族の本拠は、ここよりさらに南にあります。そこは、海峡を挟んで、渥美や知多との行き来ができ、さらに南の志摩一族ともつながりがある所です。・・ですが、大和争乱の最中、我らの叔父が大和で悪行を行ったため、兄ホムラが大和へ向かいました。摂政タケル様の温情で、兄は正義を貫くことができました。それ以来、ヤマトを支える臣下として努めて参りました。」
ミムラは、当時まだ幼かったが、兄から大和の争乱の話を何度も聞かされていた。そして、カケルとアスカへの信頼と尊敬を摺りこまれているようだった。
「兄は、都と東国を繋ぐ要衝として、安濃津に港を開きました。いずれ、ヤマトと東国とが行き来する時代が来る。そのために、大きな港が必要だと考えたようです。そして、私は、それを引き継ぎました。」

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