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3.二度目 [時間の迷子]

3.二度目の体験
2度目の体験は、高校生になってからだった。
その日は、日曜日であるにも拘らず、全国模試があって、大学受験を望む者は、朝早くから登校しなければならなかった。
実は、我が屋では、大学へ行くということはまだ認められていなかった。漁師の父は、学校なぞ行かなくて良いという頑固な考えの持ち主で、漁師になれないひ弱な僕をほとんど全否定だった。いくら、テストでよい点を取ろうとも、決して認めない。いや、僕の存在すら無視しているようでもあった。だから、将来の夢とか、大学受験とか、友達は皆、結構必死で考えている時期なのに、僕自身も何だかとりあえず今を過ごせればいいかなと言う調子で生きていた。
こうした甘い考えの持ち主は、他聞にもれず、世のフォークソングブーム等に乗っかって、下手なギターを手にして、落ち零れを集めてバンドを作ったり、ボーリング場に入り浸り、インベーダーゲーム等で時間をつぶしていた。僕自身もほとんど絵に描いたような落ち零れの自堕落な生活を送っていたのだが、母だけは何とか僕を大学に行かせたいと願っていた。
父も母も、終戦の混乱でまともに学校を出ていない。文字だって、自分の名前は書けるが、新聞など読もうとはしない。小学校の頃から、学校の通信とか提出物とか、必要な事は全て僕が読んで聞かせて、とりあえず、保護者欄に名前を書いてもらうくらいだった。そうだ、父が家を建てると決めたときも、結局、建築会社の営業マンや設計士との話し合いには必ず同席させられ、書類にも目を通し、父に代わって署名した。
結局、自分達は、学が無いからと社会との関係を極力持たないように、社会の隅っこのほうで生きている有様なのだ。
母はそんな境遇を恥じていた。だから、僕を大学へ行かせようとしていた。毎朝、夜明け前から働いているのも、大学にいかせるにはたくさんのお金が必要だと考えていたからだった。
僕は、そんな母の期待に、何となく応えて生きてきたような感じだった。とりあえず、中学校では常に成績はトップクラスだったし、特に、英語と数学が得意だったせいで、地元の進学校へ推薦で入学できた。だが、高校へ入ってみれば、すぐに自分と同じくらいの成績の奴なんか吐いて捨てるほどいる事に気付くのは、至極当たり前。その後は、さっき話したとおりで、それでも大学に行く事は母の希望だと考えていたのだ。

余計な話が入ってしまったが、とにかく、僕は大学受験のための模試に行かなくては行けなかった。
だが、前の晩、つい夜更かしをしてしまって、目が覚めたらもはや絶望的な時間だった。母は早朝からすでに仕事に出かけ、父は朝方、漁から戻っていびきをかいて寝ていた。僕は慌てて制服に着替え、食パンを口にくわえ、自転車で学校へ向かった。

高校は、家から自転車で30分ほどの街中にある。
今から、急いでいけば何とか間に合うだろう。とにかくひたすらペダルを漕いで、学校に向かった。途中、いくつかの信号を無視したし、通行禁止の道路もちょっと走った。なにより、町を分断するように横たわる、何とか醗酵とかいう工場の敷地の中も横切った。工場の裏手の門から入って、壁沿いを進んで、学校の裏手辺りに行くと、10分ほどは短縮できる。そして、学校に向かう最後の坂の途中、新しいマンションの建設現場を通り抜けるところまできた。
このマンションは、うちの町では珍しい高層マンション第一号だった。田舎町で、住宅地にする場所など困らないはずなのに、何故か高層マンションをつくるんだそうだ。そして、ここには、しばらく前から高いクレーンが備え付けられ、盛んに資材を運んでいた。
僕がちょうどの現場に差し掛かったときだった。

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