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2.救出 [時間の迷子]

2.救出
「きゃあ!」とか「痛い!」という声が聞こえると思ったのだが、意外に静かだった。いや、誰も声を出せるような状態ではなかったのだった。
バスの中には、僕だけが立っていた。何がおきたのかは判ったが、何故自分だけ無傷なのかはその時は判らなかった。ただ、すぐに、僕は、近くの同級生たちに声を掛け、座席や荷物をどかした。バスの中にいるのは危険だと感じたからだ。
とにかく必死でひとりでも多く、救い出さなければと思った。何とか動ける者も居た。一人ずつ、挟まれている物をどかしながら、バスの外へ出した。小学2年生が出来るようなことではなかった。しかし、火事場の馬鹿力なのか、とにかく全員をバスの外へ出した。
そのうちに、前後を走っていたバスが知らせたのか、消防隊や自衛隊がやってきて、川底から同級生を引上げ、病院へ運んだのだった。
僕も、みんなを助け出そうと必死に動いたせいか、腕や膝に切り傷があり、救急車に乗せられて病院へ行った。病院には、すでに何人かの同級生の両親が現れていて、あちこちで無事を確認して抱き合い涙を流している光景が見られた。
僕は、ひとり、腕と膝の切り傷の手当を受けただけで、病院の長椅子に座っていた。新聞記者みたいな男が、一人、腕章をつけて、病院の中をうろうろしている。同級生たちに何かを訊いてはメモをしている姿が見えた。きっと、バス転落事故の記事を書くのだろう。僕は、ぼんやりとその光景を眺めていた。

僕の両親は、すぐには迎えに来れない事は知っていた。
父は漁師で夕べから船に乗っていて明日まで戻らない。母は惣菜屋で早朝から働き、配達に出ているはずだった。祖父や祖母も居たが、自家用車が無いからここへは来ないだろう。
迎えが来ない者は、僕だけだった。大きな事故、死者こそ出なかったが、クラスの半分ほどが骨折などで入院となったし、入院しないまでの怪我も多かった。病院の中は、怪我の治療や診察でごった返していた。誰が何処にいるかも判らない。学校の先生たちも、ただうろうろしているようだった。何だか、その様子が滑稽に感じられた。

「君の家の人は迎えに来ないのかい?」
先ほどの新聞記者が声を掛けてきた。僕は、答える気にもなれず、ただ遠くを見ていた。
「バスの中から必死でみんなを助け出した子がいたらしいんだけど・・君かい?」
記者の質問に答えるつもりは無く、無表情に、ただ口を噤んでいた。その様子に記者もそれ以上質問する気にもならなかったのか、その場を離れていった。

大した怪我もしていないので、僕は、ここにいる必要もないと勝手に考え、病院を出た。家まではかなり遠かったが、バスに乗る気にはなれなかった。一人、歩いて家に帰ることにした。見慣れぬ町だったが、幸い、僕の家は町外れにある大煙突の近くで、かなり遠くからも大煙突は見えた。そこを目指して歩けば、いつかは着く。そう考えて歩き始めた。
歩きながら、僕は、バスの中で起きた事を思い出していた。目の前にゆっくりと動く光景、スローモーションというものを初めて体験した。あれは、何だったのだろう。どうして自分だけ、ゆっくりと動くように見えたのだろう。そう考えながら歩いていたが、小学2年生の子どもの思考回路では、「不思議な事が起きた」とした結論を得られなかった。

しばらくは、近所でも学校でも、バス転落事故の話題で煩かった。だが、進級する時分になるとすっかり忘れられていた。
その時の体験は、錯覚だろうという事に落ち着いて、しばらくは自分の記憶からも消えてしまっていた。だが、それが自分のもっている特別な力なのだと改めて知る機会が訪れてしまったのだ。

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