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11日目⑧白髭神社 [琵琶湖てくてく物語]

鵜川を超えると、ついに、白髭神社だ。
琵琶湖を紹介するサイトやパンフレットには、必ずと言ってよいほど、湖中に建つ鳥居が写っているので知っている人も多いに違いない。
白髭神社の創建は、垂仁天皇25年(およそ2000年前)とされ、近江最古の神社らしい。
こうした縁起を見る時、不思議なのは、まだ、日本に大和政権が成立していなかった、文字すらなかったのではないかと思える時代に創建されたという神社がかなりあることだ。
全くのでたらめだとは思っていないが、大体、神武天皇から8代までは存在すら危ういとされていて、そもそも、我が国の始まりというのがどうなのかは大いに謎なのだ。
先日、奈良県橿原市にある「考古学研究所付属博物館」へ行ってきた。
縄文時代から近世までの歴史展示がされている素敵なところだった。遺跡から発掘された様々な遺物からその時代の暮らしを想像して描かれたイラストの類も優れたものだった。なにより、わずかな遺物を基に、その時代の人々の衣服や髪形など、考古学の先生方の想像力は素晴らしいものだと感服した。もう少し若ければ、そういう勉強をしてみたかった。
話を戻すが、そういう想像力というのは、おそらく、神社の創建(縁起)にも生きているのではないかと思う。
社を守る住民たちが、その価値を高めるため、故事にのっとり、縁起を作り上げたのは容易に想像できる。ただ、そこにはごまかしとかいうのではなく、敬いだけが存在しているからこそ、皆、納得し非難するようなことはなかったのだと思う。
あるいは、大和政権が生まれる以前、もしかしたら、大和を凌ぐほどの高い文化をもった倭国があり、全国の社はそういう時代に大いに栄えていたのではないか。民を治めるため、始まりを「天孫降臨」と描き、神が治める国として民を従えたとも考えられる。とすれば、大和の始まりは、大陸から現れた異民族集団だったのかもしれない。邪馬台国こそが日本の起源であり、いまだにその存在が謎に包まれているのは、大和政権が異民族国家であったことを隠すためなのかもしれない。倭国には、八百万の神を崇める民の国があり、その象徴が邪馬台国・卑弥呼なのではないか。どんどん想像が膨らんでいく。まあ、こんな話をしたところで面白くもなんともないので、また別の機会にしよう。
いずれにしても、もはや、白髭神社に到着している。
国道161号線沿い、多くの車両が行き交い、騒音がすごい。サイトやパンフレットの写真を見てやってきた観光客は、その交通量と騒音に驚くに違いない。
自宅まであと少しとなって琵琶湖1周が完了する。
大きな事故もなく歩けたことに感謝して、白髭神社にお参りすることにした。
入口すぐに社殿があり、そこでお賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。
そこから、階段を上がるといくつかの小さな社があるので、順番にお参りする。
ふと見下ろすと、琵琶湖が美しい。対岸が意外と近くに見え、沖に浮かぶ船もよく見える。本社殿の上を歩いていると、周囲に頑強な石垣があるのが見えた。
山の斜面に建つ神社であり、周囲とは隔絶された場所。これほど頑強な石垣が必要だとは思えない場所だった。ただ、この石垣はそれほど新しくない。だいたい、石垣が築かれるようになったのは、安土時代のはず。そう考えると、この石垣は単に神社のためとは思えない。白髭神社の北には、大溝城があり、一時は織田信長の甥が入城していたころがある。そう考えると、ここは、安土時代には、出城になっていた場所なのではないか。ちょうど、対岸には長浜城や彦根城、安土城などがあり、航行する船もよく見える。西岸の守りの要であった時期もあったのではないか。戦国時代と言わず、明治維新のころにも、寺社仏閣は軍事的要塞として使われてきている。おそらく、白髭神社もそういう使われ方をした時代があったに違いない。
そういう想像力を膨らませつつ、白髭神社を出る。

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