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4-3.祐介の兄 [峠◇第1部]

怜子は、一旦家に戻る事にした。着替えもしたいし、何より、剛一郎が心配してこれ以上騒ぎを大きくするのも困ると考えて、ケンに送ってもらった。
港近くでケンの車を降りて、自宅まで駆けていった。幸い、剛一郎は家にいなかった。

リビングにはいつものように史郎がソファで横になっていたが、あいさつもせず、駆け足で階段を上がった。
部屋に入ると気が抜けてベッドに倒れこむように横になった。
怜子は、昨夜の事を思い出していた。幸一に後から抱きかかえられ、耳元で幸一の声を聞き、まどろむような時間を過ごしたこと。外は闇と豪雨と強風で、2人きりしかこの世にいない、そんな中で過ごした時間。いままで感じた事の無い温かな溶けてしまいそうな柔らかい時間。
怜子は、同じように自分の腕で自分を抱きしめてみた。やはり幸一の太い腕とは違う。大きな水瓶になみなみと満たされるワインのように、心が満たされる想いをもう一度味わいたい。思い出すと、体の芯の深いところが熱くなるような気がした。

しばらくして、下から父の声がした。
「どこ行っとったんじゃ!」
ドカドカと階段を上がってくる足音。夢のような時間が途切れた。
怜子はベッドから飛び上がり、ドアの前に立った。そして、ドアも開けずに、
「明君の葬式のあと、友達の家に行ったの。そしたら台風で帰れなくなって。停電もしたから、電話もできなく、ごめんなさい。疲れてるから。」
そうまくし立てた。剛一郎は階段の中ほどで、その声を聞き、何も言わず、階段を下りていった。

怜子は、祐介の事故の後、玉城家の事を奥様に頼まれていたことを思い出し、着替えて出かけることにした。

玉城家には、怜子は殆ど毎日通っていた。祐介に会うためではなかった。
実は、玉城家には、祐介の兄がいた。
祐介の兄は、玉城家の先妻の子どもであった。先妻は病弱で、祐介の兄を出産した時に亡くなっていた。そして、生まれた時の事故が原因で、脳性小児麻痺の障害をもっていた。年は、祐介より一回り以上、上だった。
怜子は小さい時に祐介とよく遊んでいた。物心ついた時、祐介の兄の存在を知った。
玉城家の人々は、祐介の兄の存在を余り表にしたくないようで、家から一歩も出した事がなかった。後妻に入った婦人も、可愛がってはいたが、どこか距離を置いていた。その事を怜子は感じ、中学生の頃から、食事の手伝いや話し相手になる為に、毎日のように通っていたのだった。

怜子は、二日ぶりに玉城家を訪れた。
祐介の父は在宅だった。
「祐介さんのお加減はいかがですか?」
「怜子さん、ありがとう。まだ、意識は戻っていないんだよ。幸い、処置が早かったので、身体の方は随分回復しているんだが、意識が戻らない事には・・・」
「あの、奥様は?」
「あれからずっと付き添っているよ。私も今着替えとかを取りに帰ったところだ。」
「じゃあ、お兄さんは?」
「そうなんじゃ、気がかりでのう。昨日は、となりのばあさんに食事と用足しはお願いしたんじゃが・・」
「すみません。昨日はちょっと用事ができてしまったので・・今日はこれからお世話させていただきますので。」
「すまないね。アイツは怜子さんを何より頼りにしているから。」

そこまで話をすると、祐介の兄の部屋で物音がした。
怜子は、殆ど反射に近い反応で部屋に入っていった。

「ごめんなさいね。昨日はいろいろあったものだから。」
そう詫びると、祐介の兄の身の回りを整え、食事を作り、隣に座って、食事の介助をしながら、昨日までの出来事を独り言のように話していた。
祐介の兄、祐一の体の障害はかなり重かった。話す言葉もゆっくりゆっくり一言ずつ。それでも、慣れない者には聞き分けられないような発声であった。ただ、意識はしっかりしていて、こちらの話は全て理解していたし、記憶力も凄かった。何より、表情が豊かで、悲しい時は大きな声を出して泣いた。可笑しい時も口から泡を飛ばして大笑いする。そんな何の思惑のない表情を見ているだけで怜子は癒される思いだったのだ。
この日も同じように祐介の兄は反応した。事故の話には眉を顰め、幸一との事には嬉しい表情を返してくれた。そして、一言、こんな言葉を怜子にくれた。
「お兄(にい)は殺された。お姉(ねえ)も死んだ。赤子は何処じゃ。」
今まで聞いた事のないような言葉を、ゆっくりと、しかも、確かに口にした事に怜子は驚いた。そして、
「それ、どういうことなの?」と聞き返したが、祐介の兄は、それ以上は何も言わず、ただ涙を流しているだけだった。その涙は、悲しみというよりも、苦しみ・悔しさという類に感じられた。

怜子は、玉城家を出てからも、呪文のような言葉を繰り返していた。
「お兄は殺された。お姉も死んだ。赤子は何処じゃ。」

昭や祐介の事故だけじゃなく、他にも何か、祐介の兄を苦しめている事があるのは明白であった。
怜子は推理した。お兄さんとは誰?お姉さんとは誰?そして赤ちゃんとは?

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