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1-6.昭(あきら) [峠◇第1部]

 バスの回転場にはだれもおらず、彼はバスの回転場の脇にある長椅子に腰を下ろして、買ったパンをほおばりながら峠の方をみていた。
 ここから見ると、先ほど歩いてきた東方のミカン畑の中に、ひときわ大きな屋敷が建っているのがわかった。急斜面に張り付くように立っているその屋敷は、高い石垣を持っていて、周囲には白壁もあり、小さな城の様にも見える。
 「さっき通った時には気づかなかったなあ。ミカン御殿っていうとこかな。」
 そんなことをつぶやきながら、目を左手に移すと、西の地にも同様に大きな屋敷が見えた。こちらは水田を前にして低い生け垣に囲まれていて、奥の方に母屋と屋敷、そして倉を持っていて、いわゆる庄家だろうと思われた。

 しばらくすると回転場に、1台の乗用車がものすごい勢いで入ってきた。真っ赤な車体、底が衝きそうなほど車高が下げられ、ボディからはみ出した太いタイヤ、元の車名がわからないくらいに改造している。
 回転場で2、3回回ってタイヤを鳴らして止まった。ドアが開いて降りてきた青年は、おもむろにボンネットを開けて中を覗き込んだ。エンジンの調子でも悪いのだろうか、あちこちをいじっている様子だった。
 「あの、ちょっと訊きたいことがあるんだけど。」
 彼は声を掛けてみた。青年はちょっと振り向いたが、すぐにエンジンに眼をやって、面倒臭そうに応えた。
 「なんだよ。」
 「あそこの、城の様に見える家は誰のお屋敷ですか。」
 青年は彼の指さす方をちょっと見て応えた。
 「ああ、あれは、祐介んちだ。ミカン成金ってやつだな。」
 「じゃあ、あちらのお屋敷は?」
 青年は同じ様にちらっと見て
 「百姓の親玉、いわゆる庄屋ってとこかな。色気ばばあとバカ息子が住んでるよ。玉穂の屋敷。そして、そのバカ息子というのが俺ってわけ。他には?」
 「ああ、ありがとう。」
 彼は少し呆気にとられて青年の言葉を聞いた。
 一見暴走族のなれの果てかと思うような雰囲気だが、目つきや態度は比較的常識的であって、少し悪ぶっているだけの様な青年だった。

 「あんた、誰?初めて見る顔だけど。」
 「すいませんでした。僕は福谷。フリーのライターで、今回は、この村のことを記事にしようかと思って、昨日ここに来たんです。」
 「こんな村に何か面白いことでもあるのかね。」
 「祭りの事と神社の悲恋伝説を訊いたんですよ。」
 「ふーん。そんな話、誰が読むの?まあいいや。」
 青年は、また視線を車のボンネットに移した。
 幸一も、缶コーヒーを飲みながら、山手のほうへ視線を移した。

 
 青年は、急に何か思いついたように、振り向いて
 「なあ、あんた。フリーって事は、時間はあるんだよな。少し俺につきあわないか。さあ、乗れよ。」
 やや強引に彼を車に乗せると急発進した。
 「どこに行くんですか。」
 「あ、俺の名は昭。この村を記事にするんだろ。それならこの村のことを良く知っている人に会わなきゃだめだ。適任の人がいるから、今からそこに連れていってやるんだよ。」

 この村の中なら、歩いても行けそうな距離なのに、昭は狭い道をすごいスピードで走りぬけていく。改造しているせいで、乗り心地は最悪だった。

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