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1-5 難波津へ向けて [アスカケ外伝 第1部]

いよいよ出発の日を迎えた。
平城の宮にある船着き場には、すでに一行が支度を整えていた。子どもらが従者として行く事を聞き、それぞれ郷からも見送りに来ていた。
「しっかり勤めて参れよ!」「しっかり励めよ!!」
見送りの者が口々に叫んでいる。
船はゆっくりと岸を離れ、ヤマトの湖を漕ぎ出していった。
季節は晩秋を迎えている。晴れ渡る空のもと、湖上を渡る風は冷たくなっていた。
船の中央には、ウマジとイヅチ、モリヒコが座り、その前にサスケが座った。タケルとヤスキとトキオが櫂を持ち、ヨシトが舵を握る。船の先にはチハヤが座り前方を見ている。ヤチヨは船縁から周囲に目を光らせている。
モリヒコたちは、今年のヤマトの米の出来映えやそれぞれの郷の様子、伊勢国や美濃国などの東国の様子などを互いに知ることを出し合いながら、年儀の会で何を告げるべきかを相談していた。
ヨシトは舵を握りながら、モリヒコたちの話をじっと聞いていた。タケルたちも櫂を握りながら聞き耳を立てていた。
「今年は、磯城の郷はコメが不作でした。水が足りなかったようで・・」
「おそらく、湖の水が少なく田への水遣りに苦労したとも聞いている・・」
「雨が少なかった。湧水で何とか凌いだが、注ぐ川の水量が少なく苦労した・・」
「平城の郷より北は如何か?雨が少なければ、獣もエサが不足し郷を襲うかもしれぬ。」
「秋口には熊の姿を幾度も観た。山猟師も例年になく郷近くで見ると申しておったぞ。」
「ならば、伊賀あたりでも難儀をしておるかもしれぬな。」
「近江の国や山背あたりも同様かも知れぬ。」
「この冬に雪が降れば良いのだが・・・。」
自分たちが知る限り、ヤマトの国は豊かで何の問題もないと思っていた。しかし、それぞれの郷で、米の出来に違いがある事や、北国の動きが変わってきている事、湖の水位が低くなり水に困る所が出ている事など、微細な変化を大連としてウマジやイヅチが気にかけている事を知り、大いに驚いていた。
「シシト様は如何されておる?」とイヅチが尋ねた。
シシトは、当麻の郷の長で、葛城王を守り、カケルやモリヒコと共に豪族たちの争いを鎮めた立役者であった。平定の後、葛城の連としてヤマト南部一帯を守っていた。しかし、高齢のため体調が優れないという噂が広がっていた。
「なにぶん、あのお歳だ。昔のようには動けぬ。跡を継ぐものを望まれておる。」とモリヒコが答えた。
ヤマトの国は、小さな郷が繋がり庄という括りで五つに分かれていた。
中央に広がるヤマトの湖、その北の頂点に平城の郷(宮)があり、その周囲の郷は摂政カケル自身がまとめていた。湖東は、二つに分かれており、北東部は石上と呼ばれていて、ウマジがまとめていた。南東部は、磯城と呼ばれ、イヅチが治めていた。南部は畝傍や甘樫、橿原等、かつての豪族が治めていた郷があり、住む人も多く、力のある長が多い事もあり、モリヒコが束ねていた。南西部は葛城と呼ばれ、ヤマトから難波に出る要衝の地であり、かつての当麻の郷の長シシトが束ねていた。北西部は、広瀬と呼ばれ平群一族の長ヒビキが治めていた。
「シシト様の跡目となると・・。」とウマジが頭をひねる。
「そうなのだ・・シシト様には子は居らぬ・・もちろん、子が継ぐべきとは思わないが、なかなか難しい・・。」とモリヒコが答えた。
その会話を聞きながら、ヤスキは気が気ではなかった。
ヤスキは当麻の郷の生まれ、シシトには随分と可愛がってもらった。猟にもついて行ったことがあった。いずれは郷に戻りシシトを助けたいとも思っていた。
「今しばらくは、頑張ってもらわねばならぬようだな。」とイヅチが言った。
「ああ、そのうち、子らも大きくなる。葛城をまとめることのできる者も現れよう。」
モリヒコは、意図してかどうかは判らないが、少し大きな声で答えた。
「ヒビキ様は安心のご様子だな。・・サスケ殿がこれほど立派になられたのだから。」
ウマジが目線をサスケに向けて言った。
「いや・・サスケ殿は幼き時から立派であったぞ。僅か十歳で父を救い出すために、戦支度の磯城宮へ入り、しっかり役目を果たしたのだからな。」
とイヅチが言う。
イヅチは、磯城宮からヒビキの脱出を助けた時から、サスケを知っていた。
「あの時は無我夢中でした。ですが、カケル様が幼き私を信じて下さった事は何よりありがたいことでした。平群の隠れ郷で息を殺して生きていた頃、カケル様と出逢えたことは暗闇の中の一筋の光でした。」
サスケは答えた。

船は、湖の南西からヤマト川に入りゆっくりと難波津へ向けて進む。
ヤマト川には、何カ所か急流や浅瀬があり、舵を握るヨシトは神経を使った。舳先に座るチハヤが先の流れを見て、右、左と指示を出し、漕ぎ手とも息を合わせて船を進めた。モリヒコ達は、子どもらが見事に船を操る姿を見てたいそう喜んでいた。
日が傾く頃には、難波津が見えるところまで到達し、草香の江に入った。
「ここが草香の江だ。その先に見えるのは堀江の庄。カケル様が、ここに住む者たちと力を合わせ、水路を開き、見事な郷とされたのだ。」
モリヒコが話した。
草香の江は、かつて大雨が降るたびに増水し、難波津一体で水害が起きているところだった。だが、カケルが摂津比古に仕えていた時、海までの水路を作り排水できるようになったことで、草香の江の周辺には水田ができ、港も広がり、まちとなり、堀江の庄と呼ばれていた。
難波津の都は、葛城王が暮らした宮殿があり、そこから、堀江の庄まで、大路がつながっていた。大路には、太い柱を持った屋敷や倉が立ち並び、さらに外側に、民の家が広がっている。難波津には南と北に二つの港があり大いに栄えていた。
4-34夕暮れの沼.jpg
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