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1-8 国々の動き [アスカケ外伝 第1部]

「他はどうか?」と摂津比古が皆に訊く。
「米作りと関連する事かどうか定かではありませんが・・」
と前置きして話し始めたのは、山背の国からムロヤであった。
「わが山背の国は、出雲の神々を敬い、ヤマトとは別に古くから出雲国を支えて参りました。出雲国は、遥か西方の日御碕に都を置き、北国にある越の国辺りまで、外海(そとうみ)伝いに繋がった国でございます。近頃、都の意向に背くような動きが出て居る様なのです。」
「背くとは・・争いが起きているのですか?」
とカケルが訊く。
「いえ・・出雲の都から東方には湖が広がっております。その先に、伯耆の庄があります。そこは豊かなところで、いわば出雲の都を支えている所なのです。実は、それから南側の山中に鋼を用いた一族がおります。その頭領が、伯耆の庄を武力で治めようとしているようなのです。」
ムロヤの話を聞いていたモリヒコが少し驚いて言った。
「まさか・・我が一族では・・。」
「いや、忍海部の皆さまとは、今も盛んに往来をしておりますが、そのような邪な事はされることはありません。カケル様もご存じでしょう。昔、忍海部から神剣を盗もうとした不届きな者たちがおりました。もしかしたら、その者たちと関係があるかもしれません。」
そう言ったのは、イノヒコだった。
「出雲の力が弱まっているという事でしょうか?」
モリヒコが訊く。
「神々を敬う心が出雲を支えております。ですが、神をも恐れぬ者となれば、出雲の国を乱す事は何とも思わないに違いありません。やはり、いずれ、争乱につながると考えた方がよろしいかと・・。」
とムロヤは答える。
「倭国の安寧には出雲国の安寧は欠かせぬもの。不穏な動きがあれば何か手を打たねばならぬが・・・。」と摂津比古が少し困惑した顔で言う。
「ですが、出雲国の争乱を、我らが諫めるというのはどうでしょうか・・・ヤマトの皇の威光をもって、出雲国を犯すようなことになるのではないでしょうか・・。」
と言ったのは、伊勢国のホムラであった。
「わたくしもそれはどうかと思います。出雲の事は出雲で解決するが肝要。とはいっても、争乱が広がれば、吉備や播磨、安芸、アナトも巻き込まれるかもしれません。備えておくに越したことはない。」
そう言ったのは、明石の長、オオヒコであった。
その後も、様々な意見が飛び交った。
「東国も、安心してはおれぬかもしれません。」
少し大きめの声で発言したのは、尾張の国から来たヤシロだった。
「不躾に申し訳ありません。私は、尾張の国、熱田の郷より参ったヤシロと申します。ホムラ殿からお声がけいただき、この場に入らせていただきました。」
「よう参られた・・して、東国も安心しておれぬとはどういうことか?」
と摂津比古が尋ねる。
「我が、尾張の国は、伊勢の国から海を渡った東方にあります。度重なる水害で思うように田畑が出来ず、皆、小さな郷ばかりでございます。大海に浮かぶ、中島の宮を拠り所にしております。」
この頃、まだ、尾張一帯は美濃や木曽からの大河の河口にあたり、浅瀬の海が広がり、今の伊勢湾よりも広かった。幾つもの小島や丘陵には、郷ができていたが、湿地を開墾した農地に頼っており、水害に悩まされていた。
「我が国の東のはずれに、鳴海という郷があります。そこの者の話では、それより先、東国は力のある者がおらず、尾張よりもさらに郷ごとで厳しい暮らしをしておるとの事です。」
熱田のヤシロから、初めて聞く東国の話に、皆、興味深く聞き入っていた。
「ですが、近ごろ、登呂(とろ)という郷で、駿河の王を名乗るものが現れたとの事です。」
「駿河の王?」と摂津比古が訊きなおした。
「はい。今は、駿河、遠江一体を支配する事に奔走しているようですが、今後、我らの郷にも参るかもしれぬと考えております。いずれは、伊勢やヤマトにも攻め入るとも・・・。」
とヤシロは答えた。
「どのような人物なのでしょう?」とカケルが訊く。
「いえ・・そこは定かではありませんが、登呂の郷は豊富に米がとれ、民も多いと聞いており、その長となればかなりの力を持っているのではないでしょうか。」
とヤシロは答えた。
「ただ・・それはまだ先の事でしょう。駿河、遠江には平地は少なく、幾つもの大河が流れており、西に向かうにはかなり手間が掛かります。東の海は波も荒く、よほどの大船ではければ動けないはずです。」
そう言ったのは、伊勢のホムラだった。
「出雲、東国とも、安寧ではないという事か・・・。」
摂津比古は、腕組みしながら呟いた。
「いましばらく様子を見ましょう。ムロヤ様は、引き続き、出雲国の様子をお教えください。そして、ヤシロ様は東国の動きを。皆様には、いかようになろうとも争乱に加わる事の無いようにしていただきたい。」
最後に纏めたのは、カケルであった。
一部始終を、タケルたちはモリヒコの後ろで聞いていた。ヨシトは、記役であったため、全てを書き留めていた。
午後の早い時間に、年儀の会の初日は終わった。
4-20大広間.jpg
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