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アスカケ外伝 第1部 ブログトップ
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2-14 海上にて [アスカケ外伝 第1部]

その頃、ヤスキは、十人程の水夫が乗り込んだ船を手配し、港から水路を抜け、沖へ向けて船を進めていた。
水路の出口は、「江口」と呼ばれ、そこから先には播磨の海が広がっている。
真っすぐに西へ船を進めると、明石へ向かう。そこから、南側には大きな砂州が広がっていて、住吉津、境津、石津と小さな漁村が続く。その先も転々と漁村があり、その先は紀伊の国へと繋がっている。
水夫の一人が訊く。
「ヤスキ様、どちらへ向かいましょう?」
ぐるりと見回しても、それらしき船の姿は見えない。
返答に困っていると、別の水夫が言った。
「中津海を通り、明石を抜けてくるなら、西辺りにいるでしょうが、兵を乗せた大船が来たのなら、アナトや吉備からすぐに知らせが届きましょう。すんなりと入って来れるはずはありません。」
「では、外海(そとうみ)から来たというのですか?」
ヤスキは驚いて訊いた。外海を回るというのは、この時代、大きな危険が伴うものだった。韓からは対馬を経由し、赤間の関に入り、穏やかな中津海が最も安全な航路だった。赤間の関を通らずに難波まで来るには、、九重の南を回り、さらに土佐、阿波国から紀伊の水道へ入ることになる。外海は波も高く立ち寄る港も少ない。そこを越えて来るとすれば、かなり大きな船ということになる。
「おそらく、南、紀の外海を抜けて来たに違いありません。南へ向かいましょう。」
ヤスキは、すぐに船を南へ向けた。
十人程の男が漕ぐ船は、驚くほどの速さで水面を進む。
水夫たちは櫓を漕ぎながら、周囲に目を凝らしているが、日中の照り付ける太陽の光が、波に乱反射して、思うように遠くを見ることができない。
砂州が終わる辺り、住吉津の沖まで来た時だった。
「ヤスキ様、小舟がこちらに向かってきます。」
船の先端に居た水夫が、前方を指差した。
「弁韓の兵か?」
ヤスキや人夫達は身を屈め、向かってくる小舟に目を凝らす。
「いや・・あれは・・確か、シルベが使っていた船のようだが・・」
別の水夫が呟く。
男が一人、必死に櫓を漕いでいる。しばらくすると、向かってくる小舟の縁から、ヤスが顔を見せた。ゆっくりと小舟はヤスキたちの船に近づいてくる。
「ヤス様!無事か!」とヤスキが叫ぶ。
「ヤスキ様!」と、ヤスが叫ぶ。
「はい、・・一刻もはやく、タケル様にお知らせしたい事があります。」
小舟は、ヤスキたちの船に繋がれ、急いで港に向かった。
港に着いたあと、水夫たちに礼を言い、二人は宮殿へ向かった。

大路を足早に歩きながら、ヤスはヤスキに経緯を話した。
「シンチュウの館の裏手から、異国の男たちが出たのを見て、私は後を追いました。」
シンチュウの館は、堀江の庄から難波津の宮殿に続く大路沿いの、西側の筋にあり、大路から奥に、長い屋敷が続いていて、一番奥に蔵が立っていた。
蔵の間の庭を抜けると、裏道に出る。その先には松林が広がり、それを抜けると砂州に辿り着ける。
「海岸に出ると、小舟が置いてあり、男たちは乗り込んで沖へ出ていきました。」
足早に宮殿に向かいながら、ヤスは経緯を話す。
「これ以上、追うのは無理と諦めていたところに、シルベ様がいらっしゃいました。」
「シルベ様が?」
「ええ・・シルベ様は、吉備の館の仕事をしながら、裏路地に潜む怪しき者たちを調べておられたようです。」
「怪しき者達?・・盗賊の類か?」
「そういう者も居たようですが・・それだけではないようです。国々の館に忍び込んでは、何やら調べて回っていたような様子だったと・・。それに、異国の言葉遣いだとも聞かれたそうで・・」
「異国・・やはり、シンチュウの仕業か?」
「ええ・・シルベ様もそう考えられたようで、あの時も、シンチュウの館の傍に身を潜めて見張っておられたようです。」
「何という事だ・・。」
ヤスキは、ヤスの話に驚くほかなかった。
「気づかれぬよう船を進め、境津の沖辺りまで行きました。その先に大船を見つけたのです。難波津では見た事もないような大船でした。見上げるほどの大きさで・・船縁には甲冑を身につけた兵らしき人影がたくさん見えました。赤い服を着た男は、その大船に乗り込んでいきました。」
「やはり・・そうか・・。周囲に他の船は?」
「いえ、大船一つだけのようでした。」
「それで、シルベ様はどうされた?」
「シルベ様は、大船に忍び込み、もし、戦となれば、船の中に火を放つと伝えてほしいと言われ、海に飛び込んで大船に向かわれました。遠目からですが、シルベ様が大船に上っていく姿を見ました。きっと、無事忍び込まれたはずです。」
「そうか・・」
「シルベ様は、命をかけるおつもりかもしれぬな・・。」
ヤスキはそう呟きながら宮殿に向かった。もう日が傾き始めていた。

小舟.jpg

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2-15 戦の仕方 [アスカケ外伝 第1部]

タケルは、宮殿に着くとすぐに摂津比古に接見した。
「ちょうど良い所に来た。先ほど、大和から使者が着いた。どうやら、紀之國では、異国の者が大船で外海から入り込み、海辺の村を襲っているようだ。大和からの知らせでは、じきに、難波津へ入り込むのではないかとの事。摂政様も急ぎこちらに向かわれている。」
摂津比古は、やや動揺した表情で、タケルに言った。
「やはり・・そうでしたか・・。先ほど、シンチュウの館に将軍らしき人物が訪れたようなのです。シンチュウは、弁韓の王の代理と言って、難波津に入り込み、倭国攻めの準備をしていたに違いありません。」
「中津海は、アナトのタマソ王や吉備、明石など、悪しき者から大和を守る力は強い。外海は波も高く、潮の流れも強い。入ってくる事は容易くないため、それほどの守りはしていなかった。そのことを、シンチュウは弁韓に知らせていたに違いない・・。」
「今、ヤスキが港から船を出しています。きっと、どれほどの船や兵がいるかもわかるはずです。・・ただ、いつ戦を仕掛けられるか判りません。」
「ああ・・すぐに兵を集めよう。明石にも使いを送った。中津海にいる兵を援軍として迎えねばならぬ。・・タケル、大路の館主たちに、戦支度を始めよと、知らせてくるのだ。良いか、タケル。これは、これまで誰も経験した事の無い戦になるやもしれぬ。そして、万一、この難波津が落ちれば,ヤマトすべての国の安寧が消え去る。覚悟して掛かるのだ。」
摂津比古は、そう言うと、従者を集め、指示を出した。宮殿の中では、多くの者が慌ただしく動き始めた。
タケルは、急いで宮殿を出て、吉備の館に向かった。
吉備の館は、大路の中央部分にあり、周囲の館より一回り大きく、日ごろから館主たちが集まる場所になっていた。
吉備の館には、すでに、周囲の館主が集まり始めていた。港に向かったヤスキの話を聞いた港の長が、館主たちに知らせていたのだった。
タケルが、館主たちに摂津比古の言葉を伝えると、館主たちは急ぎ、自分たちの館へ戻って行った。
暫くすると、大路には、驚くほどの静寂が訪れた。まだ、昼を過ぎたばかり、いつもならば、人が行き交い、にぎわうはずの大路に人影がなくなった。
それとは裏腹に、大路の裏、岸辺の道には、戦支度をした男たちが列をなして宮殿に向って行く姿が見え始めた。どこにそれ程の男たちが居たのかと思うほどであった。
タケルが、ふたたび、宮殿の大広間に戻ると、摂津比古の前に、多くの者が居並んでいた。みな、緊張した面持ちであった。
摂津比古は立ち上がり、皆に言った。
「今、難波津に恐るべき事態に立ち向かおうとしている。カケル様の大和の平定以来の事態だ。皆、知恵を出し、この難局を乗り越えるのだ。」
摂津比古の太くて威圧感のある声が大広間に響く。
それを聞いて、一人、男が立ち上がった。筋骨隆々、上背もあり、見るからに兵と判るものだった。
「衛士長のオオヨドヒコでございます。すでに、宮殿広場には、数百の兵が集まっております。ヤマトを守るため、皆、命を捧げる覚悟でございます。海から来る弁韓の兵なぞ、恐るるにたりません。」
気炎を上げるように言った。
「そうか・・それは頼もしい。だが、それらの者は戦の覚えはあるのか?・・海から来る者とどのように戦うか判っておるのか?」
摂津比古が訊く。それには、オオヨドヒコは即座に答えられなかった。大和平定以来、大きな戦は無かった。皆、剣や弓の腕前は確かではあるが,実戦の経験などない。
「あの・・良いかな・・。」
と、翁が立ち上がる。
「おお、これは草香江の翁殿。何であろうか?」と摂津比古。
「前の戦から十数年。安寧な世の中になり、ここにいる者の中であの戦を知る者も少なくなりました。そこで、敢えて、この老体からの言葉を聞いて下され。」
「おお、良かろう。是非もない。」
摂津比古の言葉に、翁はかすかに微笑み、言葉を続けた。
「あの戦で、我らが勝利したのは、難波津の地を知り尽くしていた故。此度は、海から攻めて来る。ならば、海を知る者が勝者となりましょう。」
と、翁が言う。
「そうか・・海を知る者か、して、良く知る者は誰であろうか・・?」
と、摂津比古は翁に訊ねる。
「ここらで海を知るものと言えば、漁師。特に、石津のカツヒコは、若いながらも明石から紀伊の海まで、漁に出ておって、誰よりも詳しいはず。だれか、石津のカツヒコを呼んで来て下され!」
翁は、大広間の隅に控えていた衛士を見た。
戸惑う衛士に、翁が更に言った。
「きっと、外門辺りに控えておるはずじゃ。朝方、港に来て居ったからのお。」
それを聞いて、衛士は慌てて、大広間を出て行った。
まもなく、先ほどの衛士が、大男を連れてきた。
顔も体も日に焼け、真っ黒で、大きな体を揺すり乍ら、カツヒコは大広間に入り、翁の横に座った。

漁師.jpg

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2-16 海を知る者 [アスカケ外伝 第1部]

翁は、カツヒコにここまでの話を手短に話す。カツヒコは頭を左右に傾げ、腕を組み、目を閉じて何か考えていた。そして、ゆっくりと目を開けると、摂津比古に真っすぐに向かい口を開いた。
「おそらく、外洋を超えてきた船となればかなりの大船。二日ほど前、仲間の一人が沖合をゆっくり進む大船を見たと話しておりました。恐らく、それに違いありません。今頃は、境津を超えた辺りに留まっているでしょう。その先は、流れが複雑で岩礁もある。そう容易く難波津には入れますまい。それに、石津から難波津にかけての海岸は、どこも、浅瀬の広がる場所ゆえ、大船は接岸できぬはず。小舟に乗り換える以外、陸に上がる方法はありません。」。」
カツヒコの言葉に、摂津比古は少し安堵した。
「ですが、いったん、沖合を北へ向かい、迂回する形で堀江に入る事はできます。そうなれば、一気に、難波津に攻め込むに違いありません。」
「では、如何すれば良い?」
摂津比古が訊く。
「沖合を回る船を止めるには、明石の水軍でも、容易ではありますまい。ならば、そのまま、水路まで入れてしまえば良いのです。」
と、カツヒコが言う。
「それでは、一気に攻め込まれるではないか!」
と、オオヨドヒコが反発するように言った。
「いえ、水路に引き込んで、そこで船を止めるのです。」とカツヒコが言う。
「船を止める?」
今度は、オオヨドヒコが不思議な顔でカツヒコに訊く。
「水路の入り口・・そう、江口辺りは、川と海の境にあたり、ああ、そうだ。三本松の辺りに、見た目よりずっと浅い場所があります。砂の下に岩礁が隠れていて、我ら漁師も気を付けねばならぬ場所です。おそらく、堀江の第二の水路の流れで、砂溜まりの場所が変わったのだと思います。」
とカツヒコ。
堀江の水路は、カケルが開削した後も、改良が続いていた。
作られた当時は、たった一つだった水路は、北側に二つ作られ、三筋の流れができていた。さらに水路同士をつなぐ横堀も作られていた。そうすることで、草香江の水位の調整が容易にできるようになった。また、第2の水路はより深く作られたため、かなりの大船も入れるほどにもなっていた。
「水路の水は、水門によって調整できます。大船が水路に入った頃合いを見て、徐々に水門を閉じるのです。次第に水嵩が低くなり、船底が付いて身動き取れなくなりましょう。動けなくなれば、どれほどの兵が乗っていようと関係ありません。船べりから矢を放つくらいでしょう。その周囲を小舟で取り囲み、火矢を射て、炎上させるのが良い。ちょうど今は、大潮。時を選べば容易い事。それならば、我らの兵は無傷で済みましょう。」
カツヒコの答えに、オオヨドヒコも摂津比古も驚いていた。
「だが・・いつ、攻め入ってくるかは判らぬ。待っているのもいかがなものか。」
そう言ったのは、港を纏める主タツヒコだった。
タツヒコは、人夫達を束ねるだけあって、血気盛んで、すぐにも攻めてしまおうという思いがありありと判った。
「確かに、タツヒコ殿の言う通り、時が経てば、我らの策も、敵の知る所となるであろう。そうなれば、意味がない。」
摂津比古が訊く。
「こちらから仕掛けてみてはいかがでしょう?」
オオヨドヒコは、ここぞ名誉挽回という思いで言った。
「沖合にいるのなら、我らも軍船で向かい、戦を仕掛けましょう。そして、すぐに港へ引き返し、追わせるように仕向けるのです。まあ、多少の犠牲はやむを得ないでしょうが・・。」
それを聞いて、摂津比古は苦虫をつぶしたような表情を見せ、言った。
「多少の犠牲とは何だ!兵とて人。命を軽んじてならぬ!」
それを聞いていて、タケルはどうにも黙って入れなくなり、声を上げた。
「あの・・宜しいでしょうか?」
居並ぶ男たちは、一斉に、大広間の隅に控えていたタケルの方を見た。
「おお、タケルか。」
摂津比古はそう言うと、タケルと近くに呼び寄せた。
居並ぶ男たちは、概ね、タケルの素性は知っている。摂政カケルと重ねてみている者も少なくない。
「今、ヤスキ殿が船を出し、弁韓の将軍の後を追っております。戦には敵の姿を見定めなければなりません。どれほどの船がいて、どれほどの兵がいるのか、攻め入ってくる船が我らの思う通り大船であれば、水路に足止めする策も良いでしょうが、仮に、小舟で入ってくるとなれば意味がありません。」
「なるほど・・。」
一同は納得した。
「今、暫く、敵の出方を探る必要があります。兵力とて、陸に上がれば多人数である方に利はありますが、・・・堀江の庄に火を駆けられれば、我らの損失は甚大なものとなります。戦で命を落とす人も多く出ましょう。できれば、戦をせずに敵を退ける事が肝要。」
タケルの言葉に、摂政カケルとともに、大和平定に尽力した者達は懐かしささえ感じているようだった。

河口岩礁.jpg
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2-17 様子を知る事 [アスカケ外伝 第1部]

「摂政カケル様も、きっと同じお考えであろう。敵とて人。むやみに命を奪う事は避けたいものだ。・・それで、何か策はあるか?」
摂津比古が訊く。
タケルはすぐには考えが浮かばなかった。
そこへ、ヤスキとヤスが入ってきた。
「お知らせしたい事がございます。」
ヤスキは、大広間に入るなり、大きな声でそう言った。
「おお、ヤスキ殿、奴らの様子は判ったか?」
そう言って、摂津比古は、ヤスキを皆の前に呼んだ。
「大船が一艘、境津の沖あたりにおります。ここにおります、ヤスがその目で見て参りました。さあ、ヤス様、見てきた事をお話しください。」
ヤスキは、そういうとヤスを皆の前に引き出した。
ヤスは、居並ぶ男たちを前にして、大層緊張してしまい、声を詰まらせてしまう。
「大丈夫です。皆の命を守るため、大きな仕事をされたのです。自信をもってお話しください。」
タケルがヤスに声を掛けた。
ヤスは、深呼吸すると、ゆっくりとヤスキにした話を、順を追って話した。
一通り、ヤスの話を聞いて、大広間にいる者は皆、これまで予見していた通りの事が現実に迫っている事を再確認した。
「では、将軍の船にはシルベ様が忍んでいらっしゃるのですね。」
タケルは再度確認するようにヤスに訊いた。
「はい。でも、シルベ様は火を放つつもりだと・・それでは、シルベ様の御命も危ういはず、どうにか、ご無事に戻っていただきたい・・。」
ヤスは声を詰まらせた。
「大丈夫です。戦にならぬよう知恵を絞りましょう。」
そう言って、タケルは、ヤスキとヤスにこれまで大広間で話してきた事を伝えた。
「ヤス様、すまないが、もう少し詳しく聞かせてくれませんか。」
そう言ったのは、ウンファンだった。
ウンファンは訊く。
「その船には、大きな帆があったはずだが、どのような文様でしたか?」
「確か・・大きく赤い模様が・・異国の文字のようでもありました。」
ヤスは、その時の光景を思い出しながら答えた。
「そうですか・・。やはり、その船は弁韓の将軍の船に間違いないでしょう。」
ウンファンが言うと、摂津比古が尋ねる。
「なぜ、将軍の船だと?」
ウンファンは、少し考えてから答えた。
「私は以前、母国に居た時、一度だけ、水軍の襲来を受けました。弁韓の水軍は、大きな赤い文字・・韓国の文字で水軍の将の名を掲げております。そして、船の大きさからすると、ざっと二百人ほどの兵がいるのではないかと思います。」
「弁韓の水軍はどれほどのものか判るか?」
「弁韓の水軍は、大抵、将軍の船に伴船八艘で一つの軍となっております。兵の数はざっと五百から千と言ったところでしょう。将軍の船には、弓矢や剣で武装している兵だけでなく、大きな投石器もあり、陸にいる兵や家屋を狙って石礫を降らせます。ただ、沖に居たのが、将軍の船だけということは、伴船はまだ、こちらに向かっている途中なのでしょう。」
ウンファンがそう言うと、
「おそらく、伴船は紀之國の村を襲いながら、こちらに向かってきているのでしょう。おそらく、全てが揃うのを待って、戦を仕掛けるつもりなのでしょう。」
タケルが、続けた。
「摂津比古様、明石や吉備の援軍はいつ頃になりましょうか?」
と、タケルが問う。
摂津比古は、隣にいたオオヨドヒコを見る。
「おそらく、明石の水軍は、十隻・・いや二十隻ほどで、明日には難波津の沖には来るはずでしょう。吉備やアナトも向かっておられるはずですが、三日は掛かるでしょう。」
オオヨドヒコはやや緊張気味に答えた。
「では、三日あれば、難波津の沖合には、弁韓の倍の数の援軍の船が、並ぶことになりますね。」
「ああ、そういうことだな。」
と、摂津比古はオオヨドヒコに確認するように言った。
「弁韓の将は、シンチュウ殿に、難波津の実情を探らせていたと考えられます。これほどの兵がいるとは思っていないはず。ましてや、それほどの水軍が来ることも知らぬはず。ならば、シンチュウ殿を使って、こちらがまったく戦を予見していないように見せてはどうかと考えます。」
「敵を油断させ。攻め入る日を遅らせようという事か?だが、シンチュウは我らの言うことを聞かぬぞ。」
「良いのです。今、将軍が現れてこちらの様子をもっと詳しく知らせるよう指示したのではないかと思います。ですから、こちらの隙を見つけようと必死なはずです。私に一つ考えがあります。」
それから、タケルは、皆を前に次第を話した。
「良かろう。皆の者、判ったな。さあ、支度を始めよう。」
タケルの考えを聞いた摂津比古は、皆に号令した。.

大広間.jpg

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2-18 御触れ [アスカケ外伝 第1部]

翌朝、宮殿から衛士十人程が大きな御触書を掲げて、大路を歩いた。
「明後日、宮殿にて、皇子の生まれ日の祝いを行う。皇様、摂政様も来られる故、皆、宴の支度をせよ。諸国の皆には、産物を献上品として納めるよう申し付ける!」
衛士は、声高らかに御触書の内容を知らせて回った。
諸国の館からは、館主が顔を出し、衛士の声を聞き、そそくさと館の中へ入っていく。
衛士の列がシンチュウの館の前に近づくと、シンチュウは平身低頭に衛士を迎え、詳細を聞こうとした。
「何事でございます?」
「お触書にある通りである。宮殿で宴がある。其方も、弁韓の特使として、宴に出られるが良かろう。もちろん、皇様や摂政様への貢ぎ物も用意されよ。」
衛士は、指示通りに話した。
「皇子の生まれ日とは・・して、皇子様はどちらにおられます?」
とシンチュウが訊くと、衛士はにやりとして答えた。
「ほう、皇子様を知らぬとは・・・以前より、難波津で多くの仕事をされておるではないか、そなたの館にも来られたはずだが?」
「はあ?・・そのような方がこちらに?」
シンチュウは納得できぬ顔をしている。
「まあ、良い。宴に来れば解かる。良いな、明後日、弁韓の特使として参られよ。」
衛士はそう言うと、大路を進んだ。

「皇子の生誕祝いだと?宴とは好都合。この機に一気に攻め入れば、皇も摂政も始末して、倭国を乗っ取る事も叶うに違いない。すぐに、将軍にお知らせせねば・・。」
シンチュウは、すぐに将軍へ使いを出した。
シンチュウの屋敷まわりには、たくさんの見張りがいて、その一部始終はすぐに宮殿に知らされた。
シンチュウの使いは、何食わぬ顔で堀江の港に現れ、港に着けてあるシンチュウの船に乗り込んだ。しばらくすると、船から数人の兵らしき男が現れ、周囲を伺いながら、別の船に乗り込んで港を出て行った。
その様子を、港に居たヤスキは確認して、その船の後を追った。
弁韓の兵が乗った船は、水路を抜けて海へ出ると南へ向かう。予想通り、シンチュウからの知らせは弁韓の将軍へ届いた。
「ほう、明後日が好機か。宴で浮かれている最中、一気に攻め入るのが良いか・・。シンチュウ、良い情報を持ってきたな。」
巨大軍船の一室で、シンチュウからの知らせを受け取った将軍は、ほくそ笑んだ。
「伴船も明日には集まる。倭国など、大したことはない。このまま、皇を倒し、倭国をわが物にしてやろう。どうせ、祖国へも戻れぬ身。ここで王になればよい。どうだ?」
傍にいた細身の男が、手もみをしながら答える。
「それは良いお考え。もはや、キスル大王の世は風前の灯火。おそらく、今頃は、キスル大王の弟君ヒョンシク様が、大王を倒し、新しき世とされているにちがいありません。我らは、今、戻っても敗軍の将、処刑されるだけ。ならば、サンポ様が倭国の王となるのがよろしいでしょう。このヒョンテは、常にサンポ将軍の御側におります。」
「ふん、お前に医術が無ければ、とっくにお払い箱だったのにな。まあ、良い。倭国の王となる姿、楽しみにしておれ。」
船室には二人の笑い声が響いていた。

ヤスキは、大船から使いの兵が出てくるのを確認して、港へ戻ると、すぐに宮殿に成り行きを知らせた。
宮殿では、シンチュウに怪しまれぬよう、御触れ通り、宴の支度が始まっていた。諸国の館主からは献上品が並び始めた。大広間と宮殿前広場には、机と椅子が並び。宮殿の大膳(厨房)には多くの食材が運び込まれている。大膳にはヤチヨの姿があった。
ヤチヨは、宮殿の大膳で、膳司の許で食について学んでいた。大きな宴の支度は初めての事で、大膳の至る所に並ぶ食材に目を輝かせていた。
戦になるかもしれないと知らされた薬事所では、様々な薬草が集められ始めていた。チハヤは、薬師の許で学んでいたが、春日の杜で学んだ古文字読解の力を見込まれ、薬草の差配をある程度任されるようになっていた。
「火傷の兵が増えるかもしれません。もう少しヨモギを集めましょう。」
チハヤは若い娘たちを集めて、草香江のほとりにある薬草園で作業を進めた。
一方で、戦支度も着々と進められていた。
集まっていた兵は、オオヨドヒコが率いて、水路の三本松がある岸辺の、葦の茂みに隠れる様な小屋を建てて、じっと潜んだ。
草香江の翁は、イワヒコ達とともに、水路に向かい、いつでも水門を締められるよう準備を進めた。三つある水路のうち、一つの水位を下げるには、大水門のほか、横堀の水門も締めなければならない。その段取りを確認し、時が来るのを待った。
石津、境津、住吉津の漁師たちも、漁のふりをして、沖合にいる将軍の軍船の動きを見張っていた。伴船が現れれば、すぐに宮殿に知らせることができるよう、港には伝令の馬を置いていた。
難波津が戦になるかもしれぬという事は、すぐに、西国に知らされた。このころ、西国への伝令には、「烽(とぶひ)狼煙」が使われていた。中津海に面した岬には、狼煙台が数多く作られていて、火急な要件がある時、狼煙で知らせることになっていた。これは、摂政カケルがアスカケの最中で学んだ知恵であった。難波津で上げた狼煙は、ほぼその日のうちに、西国のはずれアナト国まで伝わるほどであった。
知らせを受け取った明石のオオヒコは、軍船五隻をすぐに難波津へ向かわせた。次に知らせを受け取った、鞆の浦イノクマは、周辺の水軍に声を掛け、二十艘ほどが急ぎ難波津へ向かった。あとを追うように、アナト国や伊予国からも水軍が難波津へ向かった。
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2-19 偽の宴 [アスカケ外伝 第1部]

いよいよ、「偽の宴」を開く日を迎えた。
前日には、大和から、摂政カケルの一行も到着し、今回の策の一部始終を聞き、了解していた。大和から摂政到着の知らせはすぐにシンチュウの耳にも入り、案の定、シンチュウはサンポ将軍に使いを出した。沖を見張っていた漁師からも、僚船7艘が軍船と合流したことが知らされた。
サンポ将軍の船がゆっくりと動き始め、一旦、北へ向かった後、水路を目指して進んでくるのを、三本松の先で見張りに立っていた兵が、宮殿にも知らせてきた。
時を同じくして、宮殿では、祝宴が始まろうとしていた。
弁韓国の特使という待遇に、シンチュウは得意げになり、十人程の従者に、山ほどの貢物を持たせ、意気揚々と館を出た。
宮殿前の大極門には、着飾った衛士が並んでいる。衛士たちはシンチュウの姿を見ると、深々と頭を下げ、そのうちの一人が、シンチュウを宮中に案内した。
宮殿前の広場には、机と椅子が整然と並んでいる。忙しそうに、侍従や侍女が支度に追われている。宮殿の奥からは香しい料理の薫りも漂っていた。
シンチュウは、衛士の案内で大広間に通された。すでに、諸国の館主が並んでいる。
「シンチュウ殿は、弁韓国の特使であるゆえ、賓客でありますぞ。」
摂津比古はそう言って、自分の隣りの席に案内した。中央の座は空いている。
一段高い所にある御簾の中には、摂政カケルが座ることになっているのが判る。
シンチュウは、大広間を一回り見渡したあと、深々と頭を下げ着座した。
しかし、目の前には、まだ、料理が並んでいない。盃と酒壺だけが並んでいる。
「では、皇子タケル様の生まれ日の祝いを始める事に致しましょう。」
摂津比古は号令すると、皆、立ち上がり、盃を掲げる。
「おめでとうございます。」
シンチュウは、この情景を、大いに不審がった。中央の席が空いたまま、そして、皇子も摂政も姿がない。料理も並んでいない。しかし、居並ぶ者達は誰ひとりそのことを不審に思わず、宴を始めようとしている。
「摂津比古様、皇子様はいずこに居られるのでしょう。それに・・宴ならば料理も並ぶはず・・これはいったい・・」
シンチュウは、つい、口をついて訊いてしまった。
「ほう・・やはり、不思議に思われますか・・。」
摂津比古はニヤリと笑った。そして、そっと手を上げる。
すると、大広間の脇の小部屋から、甲冑に身を包んだ衛士数人が、剣を構えて、一気にシンチュウを取り囲んだ。
「これは・・どういうことか!」
シンチュウは叫ぶ。その声に、衛士がシンチュウの腕を掴み、その場にねじ伏せた。
「弁韓国の特使にこの仕打ち・・いかなることか説明願いたい!」
床に這いつくばった状態で、シンチュウが叫ぶ。
「訳を知りたいと・・ならば、教えてやろう。其方は、弁韓国の王の使いとして、難波津に来た。弁韓国とヤマトとの友好のためと言っておったな。だが、そなたは、難波津の内情を探り、水軍を引き入れ、難波津に戦を仕掛けようとしておるではないか!」
摂津比古は、這いつくばるシンチュウに吐き捨てるように言った。
「何を根拠にそのような事を仰います。わたしは、ヤマトと弁韓の友好と発展のため、只々、真面目に、難波津で商売をしておりました。決して、そのような事は・・・。」
シンチュウは、事態を理解したのか、先ほどとは打って変わって、低姿勢で答える。
「そのような真似はしておらぬというのか?・・ならば、あの者をここへ!」
摂津比古が命じると、荒縄で縛られた男を引き連れて、ヤスキが入ってきた。
ヤスキは、宴に出かけるシンチュウを確認した後、兵士たちとともに、シンチュウの館に攻め入り、館に残っていた者達を捕らえていた。そして、その後、港に留めてあるシンチュウの船も一気に襲い、中に囚われていた辰韓の人たちを救出していた。ウンファンやジウは、救出された辰韓の人たちを、薬事所へ連れていったのだった。
シンチュウの館には、先日、軍船に向かった使いの男がいて、すぐに捕まえ、こうして、引き出してきたのだった。
「この者は、先日、お前の館を出て、沖に停泊している軍船に入っていった者。私がこの目で見ております。これが動かぬ証拠。」
ヤスキは、男をシンチュウの脇に這いつくばらせた。
「知らぬ・・その様な者は知らぬ!」
シンチュウは認めようとしない。
「ならば、お前の館の蔵にいた辰韓の人達はどうか!皆、戦の捕虜となった者だった。その者達が言うには、もうすぐ、弁韓の水軍が難波津を攻める。戦が始まったら、大路に火をつけて回れと命じられていたようだが・・。」
ヤスキは、シンチュウに強く訊いた。それを聞いて、シンチュウは開き直った。
床から体を話し、胡坐をかいて座った。
「ふん・・そこまで知られているなら、仕方ない。・・そうだ、もうすぐサンポ様の水軍が攻め入る。大軍ゆえ、難波津等ひとたまりもなかろう。まあ、良い。今、ここで捕まったとしても、いずれ、お前たちはサンポ様の前に跪くに違いない。・・・諍いの無い安寧の世で戦も忘れた者達など、恐れるものではない。兵など居らぬではないか!」
シンチュウは、厭らしい笑みを浮かべて言った。
「ほう・・そなたにはそう見えているのか・・。」
摂津比古は、シンチュウを見て笑みを浮かべた。
「一つ教えてやろう。すでに、江口には千を超える兵が構えて居る。また、播磨沖には、五十を超える水軍が集まっておる。ヤマトを甘く見ておるのはどちらかな?」
それを聞いて、シンチュウは青ざめた。
「さあ、こやつを地下牢に閉じ込めておけ!」

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2-20 水路に二人 [アスカケ外伝 第1部]

偽の宴が始まったころ、タケルは舟に乗っていた。
舟には、摂政であり父でもあるカケルも乗っている。そして、大和国からモリヒコも同行していて、一緒に乗っていた。
船はゆっくりと大水門を通り、開削水路に入る。タケルは考えた策通りに事が運ぶか、不安で落ち着かず、絶えず、周囲を見回していた。大水門の上には、草香江の翁やイワヒコ達が、船が行くのを見送る。水路には、大水門の他に横堀の水門が幾つもあって、それぞれの水門にはすでに数人の男たちが閉める手はずを整えていた。まだ、水位はそのままだった。
「此度は、良く働いたようですね。」
摂政カケルが、タケルに言った。不意に言われて、タケルは驚いてカケルの顔を見た。
「難波津宮、堀江の庄の方々にしっかりと話を聞き、小さなことにも目を配り、懸命に働いていたと摂津比古殿から聞きました。此度の事もより早くに察知したのも、大いなる手柄です。誇りに思います。」
父に褒められたのは久しぶりで、タケルは思わず涙を溢しそうになったのをなんとか止め、言葉に詰まりながら答える。
「ありがとうございます。」
「タケル、この戦、どう思う?」
船の中央に座っていた、摂政カケルが、真剣な眼差しで、前方を見据えながら訊いた。
タケルは少し考えてから答えた。
「我らの策通りに事が運ぶとは言えません。軍船のほかに、伴船もおります。伴船が先に入ってくれば、水位を下げても、水路の奥まで入り込まれてしまいます。そうなると、堀江の庄が危うくなるでしょう。」
「では、どうする?」
「伴船を沖に留める策が必要ですが・・。」
「そうだな。」
「明石からの援軍はまだでしょうか?」とタケル。
「播磨の沖にはすでに到達しているはずだが。それよりもあれを見るがいい。」
そう言って、摂政カケルは前方を指さした。目を凝らして視ると、横堀から数隻の軍船が沖へ向けて進んでいた。
「ここ、難波津には、この大水路とは別に北水路と中水路がある。実は、このような事態に備え、十隻ほどの軍船が置かれているのだ。昨日より支度をさせておいた。これより、沖の水軍に向けて進軍する。」
遥か前方を進む船は、いずれも小さく、兵も十人程にすぎないものだった。
摂政タケルは続ける。
「もちろん、そこで戦をするわけではない。あの軍船はそれほど大きくはない。まともにやり合えば、敗けるであろう。ただし、いずれの船も動きが早い。それで、伴船を引き付ける。敵の軍船がどれほどのものかは判らぬが、大船は動きが鈍い。懸命な武将であれば、小さな軍船は伴船に追わせるに違いない。」
タケルは、摂政カケルが今回の策の不足を補い、さらにその先を考えている事に驚いた。
タケルたちの乗った船がようやく水路の中ほどに着いた頃、向かいから小舟が一艘やってきた。
「敵の水軍の姿が見えました。」
小舟に乗った兵士は、声のかぎりに叫んだ。
「さあ、タケル様、いよいよ号令の時です。」
乗り合わせていたモリヒコが、タケルに促す。
タケルは弓を構え、強く空に放つ。甲高い音を立て矢が空に向けて飛んでいく。
甲高い音は、水面に反射し、堀江の庄に響き渡り、その音は、宮殿にも届いた。
「摂津比古様、号令の合図が聞こえました!」
大極門にいた衛士の一人が大広間に駆け込んできた。
「いよいよか・・。よし、こちらも始めるとするか。」
摂津比古はそう言うと、衣を脱ぐ。下には甲冑を身につけていた。そして、大広間を出ると、大極門に向かった。
大極門の前の広場には、一軍の兵士が並んでいる。
「皆の者、いよいよ決戦の時である。我らは、これより堀江の庄へ出て、守りを固める。よいな、むやみに動いてはならぬ。なあに、我らのところまで兵が来ることなどない。だが、万一のことがある。しっかり務めを果たすのだ!」
摂津比古は、そう号令し、進軍を始めた。大路には、摂津比古を先頭に、甲冑に身を包んだ男たちが進んでいく。そのなかに、ヤスキの姿もあった。
一方、江口の葦の中に身を潜めていた兵たちも、タケルの合図を聞き、色めきだった。
軍を指揮するのはオオヨドヒコである。
「さあ、支度を急げ。軍船が入ってきたら矢を射かけるのだ。届かなくても良い。軍船を、河之瀬辺りに誘い込むのだ。良いな!」
葦の中に身を潜めていた兵たちは、弓を持ち、水路の縁に整列した。目の前を小さな軍船が通り過ぎていく。それぞれに船に乗った兵たちが、岸辺に整列した兵たちに、手を振って合図を合図する。
時を同じくして、難波津宮から、狼煙が上がった。播磨の沖に控える西国から集結した水軍への合図だった。
「難波津から狼煙が上がっております!」
明石のオオヒコが乗っている軍船にも、合図が知らされた。
「よし、我らも船を進める。さあ、出航じゃ!」
数十隻の西国の軍船が、難波津の沖へ向けて動き始めた。

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2-21 開戦 [アスカケ外伝 第1部]

弁韓の水軍は、江口の先に姿を現した。待ち構えるように、難波津から出た小さな軍船が真っすぐに向って行く。
「何と、我らが来ることを知っておったのか!」
軍船の中で、サンポ将軍は驚きを隠せない様子だった。
「ふん!あんな小舟、すぐに沈めてやろうではないか!伴船に蹴散らせと命じよ!」
軍船の脇に居た伴船が徐々に軍船から離れていく。
敵からも船が向かってくるのが確認できたようで、船縁に兵が整列している。
「よし、回り込むぞ!」
難波津の軍船が、北と南の二手に分かれる。
それを追うように、弁韓の伴船も二手に分かれる。中央を軍船が真っすぐに江口に向かう格好となった。
「伴船との距離を保て!・・あまり、早く進まぬよう、ゆっくりで良い!」
難波津の船の中で、兵たちが漕ぎ手に号令する。弁韓の伴船は、思ったより速度が出ないようだった。何やら動きがぎこちない。左右に大きく揺れていて、船縁の兵たちも弓矢を構えるのも容易ではなさそうだった。
「あの船の漕ぎ手は、さほど、訓練されておらぬようだな。よし、浜の浅瀬に引き込んでやろう。」
難波津の船は、難波津の浜が見える辺りに向かった。三隻の伴船が後を追う。しばらく、浜へ向かって真っすぐに進む。浜の沖合には、千鳥岩と呼ばれる岩礁がある。そこより浜側は、ところどころ浅瀬になっていて、場所によっては、膝ほどの深さしかない。千鳥岩を回り込み、すぐに折り返し沖へ向かう。弁韓の伴船は旋回するのに手間取っている。そのうち、浜の浅瀬に座礁して身動き取れない状態となった。
「これから、さらに引き潮になる。あの辺りはすっかり砂浜だ。陸に上がるほかないが・・その先はまた深み。行き場を失うに違いない。」
千鳥岩の辺りに船を止め、しばらく様子を見ていると、予想通り、船から兵たちが下り始めた。だが、甲冑を付けた重い体では、まだ潮が引いたばかりの砂地に足が埋まる。そのうち、何人かが身動き取れなくなったようだった。
「よし、討ち獲れ!」
難波津の船は、弁韓の伴船を取り巻くように集まり、一気に矢を放ち、兵を捕らえた。
一方、北へ進路を取った船の後を追った弁韓の伴船は、難波津の船に追いつくほどの速度があった。
「これはまずい。このままでは追い付かれるぞ!もっと早く漕げ!」
兵は漕ぎ手に号令する。漕ぎ手も必死に漕いでいるが、徐々に距離が縮まってくる。そのうち、敵の矢が届くほどの距離になった。
「反撃せよ!」
小舟に乗っている十名ほどの兵が矢を射かける。ただ、いずれも致命傷には至らない。
必死に逃げる難波津の船は、さらに北へ向けて進む。
「よし、あと少しだ。船をつけて一気に片を付けるぞ!」
敵の伴船の兵長がそう号令した時、船の先端で前方を見ていた他の兵が叫ぶ。
「敵船です!かなりの数です。」
指さす先には、大きな軍船が数十隻、並んでいる。
弁韓の兵たちは、その姿を見て、一気に戦意を失った。
「無駄な抵抗はするな!」
オオヒコが軍船から叫ぶと、弁韓の伴船の兵たちは、弓矢や剣を海へ放り投げた。
大きな戦いもなく、ケリがついた。
サンポ将軍の軍船は、計略通り、ただ一隻で江口から水路に入ろうとしていた。だが、難波津の船団が姿を見せた事で、戦の構えがあるのでは察知したサンポ将軍は、江口の少し手前に船を止めた。
「先ほどの船・・どうも気になる。ここは少し様子を見ようではないか。」
軍船の船長室から、サンポ将軍は周囲に目を凝らした。
脇に居たヒョンテが、上目遣いに言う。
「それほど気になさらずとも・・あの船を見る限り、ヤマトの戦力など知れたもの。この軍船であれば、一気に難波津宮を落とす事も出来ましょうに・・。」
「それは無能な者の言い草。勝つためにはいかなる些細な事も逃してはならぬ。相手を見くびると、ろくなことにならぬぞ!」
サンポ将軍は、ヒョンテを叱りつけるように言う。
「だが・・これだけの水路であれば、例え、岸から矢を射ても、この船には届かぬな。よし、船を進めよ。水路の真ん中を行くのだ。良いな!」
ちょうど、三本松の辺りまで船が入った時、両岸から、一斉に矢が放たれた。
「やはり、待ち伏せされていたか!」
サンポ将軍は、予想していた通りだと考えたが、飛んでくる矢が全く軍船には届く気配がない事が判ると声を立てて笑った。
「なんだ、あの矢は!あれでは戦にならぬぞ!愚かな事を。よし、抛石を使え!あの兵たちの頭上に降らせてやるのだ!」
サンポ将軍は、余裕の笑みを浮かべて号令する。
軍船には、長い腕柱をもった抛石(投石器)が、前後に二基取り付けられていた。
船の舳先辺りにある投石器を、兵が引き出し、石を運び、号令と共に一気に打ち出した。大小様々な石が、空高く飛び出す。小さな石が岸辺にいる兵たちの頭上から降ってくる。中には、握りこぶしほどの石もあり、数人が肩や腕に当たり、悲鳴を上げる。
「皆、一時、葦の中に隠れよ!」
オオヨドヒコは、慌てて号令する。軍船からは両岸に向けて、幾度も石が浴びせられた。
弁韓の軍船は、ゆっくりと水路の中央を進んでいく。
「これでは奥深く入られてしまう。」
小舟で戦の様子を見ていたタケルはうろたえた。
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2-22 決戦前 [アスカケ外伝 第1部]

堀江の庄の岸辺から、戦況を見ていた摂津比古は、軍船の放つ投石の威力が予想以上だったため、このままでは、水路の水位が下がり切る前に、奥深く入られることを恐れた。
「急ぎ、蔵に行き、例の物を引き出してくるのだ!」
傍にいた兵士たちが、難波津宮の蔵へ急いだ。しばらくすると、大綱で繋がれた「弩」が大路から堀江の岸辺まで引き出された。
「これを三本松まで引いていくのだ!」
摂津比古が号令する。堀江の庄にいた兵たち全員で「弩」を引いていく。
「弩」とは、大弓の事である。昔、カケルが九重・筑紫野の戦で初めて目にした武器で、人が弾けぬほど大きな矢をはるか遠くまで飛ばせる威力を持っている。カケルの話を聞いた摂津比古が、大陸から来た者達を集め、細部まで調べ、万一の時のためにと作っておいたものだった。
摂津比古は、「弩」を、軍船からの石礫が届かぬ場所まで引き出した。その様子は、小舟にいる摂政カケルやタケルにも判った。
「弩を使う時が来たとは・・」
摂政カケルは不安げな表情で呟く。タケルは初めて目にする大型の武器に驚いていた。
引き出されてきた「弩」に、オオヨドヒコが数人の兵を連れて、駆けつけた。
「使い方は判るな!よいか、よく狙うのだ。船にある投石器のどこでも良い。大矢が突き刺されば使い物にはならぬはず。焦らなくてよい。」
「はい。」
オオヨドヒコはそう返事をすると、ゆっくりと「弩」の向きを動かす。その間に、兵たちが、弓縄を引き絞り始めた。弩が、ギリギリと音を立てる。
「よし、今だ!」
オオヨドヒコは、ここぞとばかり、弓縄と引き縄のつなぎ目を剣で切った。
ブーンという低く唸るような音が響き、大矢が飛んでいく。皆、矢の行方を固唾を飲んで見守る。ドンという鈍い音がした。同時に、軍船の中で騒ぎ声がする。暫くすると、投石器の腕柱がぶらりんと持ち上がり、自らの重みで船縁をドンと叩くと、海面に落ちて行った。
「おー!」
難波津の兵の中から歓声が上がった。
弩の大矢が命中したようだった。
「これで、石礫はもうふって来ぬぞ!」
オオヨドヒコは得意げに叫ぶ。それを聞いて、葦の中に隠れていた兵たちが一斉に岸辺に立ち、初めの時同様、船に向けて矢を射かける。
一方、軍船の中は大騒ぎだった。予想もしていなかった反撃を受けただけではない。大矢が打ち込まれ、攻撃の要の投石器は大きく壊れ、さらに、打ち込まれた矢は甲板を突き破り、大穴を開けた。さらに、その拍子に、何人もの兵が命を落としたのだった。
船長室から戦況を見ていたサンポ将軍も、血相を変えて甲板に現れた。
「なんだ!?何が起こったのだ!」
目の前には、大穴と大破した投石機、それに血を流す兵たち。たった一本の矢の威力に驚いていた。
「船を止めよ!」
サンポ将軍は、これ以上、水路に留まるのは危険だと察知した。だが、あの大矢さえ凌げば勝機はある。サンポ将軍は、船縁から岸辺に置かれた武器を睨み付ける。
「弩・・か?・・一基だけのようだな。・・ならば、あれさえ封じればよいな・・。」
サンポ将軍は、甲板を見渡し、船の後部にあるもう一基の投石器を見つけた。
「よし、船を反転させよ。後部をあの岸辺に向けるのだ!」
号令とともに、軍船はゆっくりと回り始める。とはいえ、大型の軍船が反転するのは容易ではない。漕ぎ手と操舵手が必死になって操るが、大きく回りこむ形になる。すると、軍船は対岸に近づいていく。ここぞとばかり、対岸に潜んでいた兵たちが矢を射かける。揺れ動く軍船からは、対岸に向けて矢を射かけようにもどうにもならない。結局、軍船の兵たちの数人が射抜かれ命を落とすことになった。
さらに、船が反転をする間に、弩の支度は進み、次の大矢が放てる段階となっていた。
次に射手についたのは、ヤスキだった
「此度は、とにかく、大矢を船のどこでも良い。貫ければ良いのだ。さあ、構えよ。」
摂津比古が、ヤスキに言う。
「はい。」
ヤスキは、ゆっくりと弩の向きを変える。自らも弓を引く技術はある。は立たれた矢がどんな放物線を描くか、しっかりと考えた。
「もっと引いてください!」
ヤスキはが兵たちに叫ぶ。引き縄が先ほどよりさらに絞られていく。ギリギリと大きな音が響く。
「よし!今だ!」
ヤスキは、剣で引き縄を一気に切り離す。ブンという音が響き、今度は先程より高く矢が放たれた。大きな放物線を描き、人の大きさほどもある大矢が飛んでいく。
それをじっと見つめる兵たち。
ドーンという音が響く。今度の大矢は、船の後部の甲板を突き刺し、その衝撃で、船長室は跡形もなく壊れた。同時に、投石器も船長室の残骸に埋もれ使い物にならない状態となっていた。
「何という事だ!」
サンポ将軍は、”弩”の凄まじい威力を目の当たりにし、甲板の上に立ち尽くしていた。
「将軍、このままでは負けます。いったん、沖へ逃げましょう。」
傍にいたチョンソは、将軍の陰に隠れるようにして、震えながら言った。
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2-23 反撃の一手 [アスカケ外伝 第1部]

サンポ将軍の船に忍び込んでいたシルベは、船底の蔵の中にじっと身を潜めて時が来るのを待っていた。
船が動き始め、船内で兵たちが忙しく動き回り始めたのを見て、こっそりと蔵から出た。
蔵の出口で兵に出くわしたが、一撃で気絶させ、その塀の甲冑を盗み、すっかり、弁韓の兵になりすました。そして、船内の様子を探りながら歩いた。甲板上には多くの兵が武器を構えてじっと陸地の方を見ている。甲板の下、2段ほど下の層には漕ぎ手がいる。
シルベは静かに漕ぎ手の部屋を除く。兵が二人、鞭をもって漕ぎ手に命令していた。漕ぎ手を見ると、皆、虚ろな表情をしている。来ている服を見ると、どうも倭国の者のようだった。シルベは柱の影から、漕ぎ手の一人に声を掛ける。
「お前たちは、どこから連れて来られた?」
柱の影から不意に声を掛けられ、漕ぎ手の一人は驚いて声を上げそうになった。ちょうどその時、操舵手から号令が掛けられ、兵が大きな声で、何かを叫ぶ。その声にかき消された形になった。
「そのまま、聞け。私は、難波津からこの船に忍び込んだ、シルベと申す者。お前は倭国のものだな。名は?」
シルベは、兵の目を盗み、漕ぎ手の耳元近くに移って、そう告げた。
「私は、紀の国、和歌の浦のニトリ。ここにいる者は皆、紀の国の者、村が襲われ、捕らえられたのです。」
「必ずここから救い出す。時が来るまでの辛抱だ。兵に知られぬよう、皆に伝えてくれ。」
シルベはそう言うと、一旦、ニトリの傍を離れ、兵に紛れて甲板にでる。遥か前方に、難波津宮が見え、徐々にその姿が近づいてきた。江の口辺りまで来ると、両岸に難波津の兵が弓を構えているのが見えた。
「うむ、備えは済んでいたようだな。」
軍船はゆっくりと向きを変えた。前方に水路が続いている。そして、横堀から船がこちらに向かってくるのが見える。軍船の前方で、北と南の二手に分かれると、伴船がその後を追っていった。次に、両岸の兵たちが軍船に向けて矢を射かける。だが、到底届く距離ではない。開戦と判ったシルベは再び、二層下の漕ぎ手の部屋へ向かう。操舵手からの号令で、漕ぎ手は必死に櫂を漕いでいる。少しでも怠けると、見張りの兵が容赦なく鞭をふるう。柱の影からシルベはじっと隙を伺っていた。
「船を止めろ!」
操舵手からの号令がかかり、漕ぎ手たちは手を止める。ドンと大きな音がした。
シルベが、櫂の差込口の隙間から外を見ると、難波津の兵が足の中へ隠れようとしているのが見えた。投石器が使われたのだった。
「これでは・・敗ける。」
暫くの間、投石器で石礫が降らされた。岸辺に並んでいた兵はほとんど姿が見えなくなっていた。シルベは、何かできることはないかと考える。船に火を放つ事で一気に形勢逆転できるが、そうすれば、ここに囚われている者達の命も危うい。だが、このまま船が進めば、堀江の庄の人々の命が危うい。シルベは迷っていた。
その時だった。ドーンという音とともに、甲板の方で騒ぎが起きていた。数人の兵が海に投げ出されたのも見えた。
「主舵一杯、反転するのだ!」
操舵手から号令がかかる。漕ぎ手を見張る兵が鞭を鳴らして、漕ぎ手に命令する。船はゆっくりと回り始めた。しかし、次の瞬間、船尾の方でまた、ドーンという音がして、漕ぎ手のいる層の天井が崩れた。ぎしぎしと音がした後、船尾の板が次々と割れ落ちて、外が見えるほどの大穴になった。
シルベが周囲を見ると、見張りの兵が割れた板に挟まれて絶命しているのが判った。もう一人いた兵は床に転がって気絶している。
シルベは、すぐに兵の腰から、漕ぎ手の足枷の鎖の鍵を取り、外して回った。
「さあ、逃げるのだ。そこから海へ飛び込め。心配はいらない。岸辺まで泳ぎ着けば、ヤマト国の兵がいる。必ず、助けてくれる。さあ、頑張れ!」
シルベがそう言うと、ニトリが先頭に立って、割れた穴から身を乗り出した。
「大丈夫だ。飛び込むぞ!」
水飛沫が上がる。それを見ていた他の者も、次々に海へ飛び込んでいった。シルベは、皆が、逃げ去ったのを確認すると、船底の蔵へ向かった。
二つの大矢を受けた軍船の甲板では、予想もしていない事態に、兵のほとんどが茫然としていた。サンポ将軍も立ち尽くしたままだった。チョンソが「沖へ逃げましょう」と促し、ようやく、サンポ将軍は我に返った。
「一旦退却じゃ!さあ、船を進めよ!」
操舵手に命令する。しかし、操舵手は下を向いたまま。
「どうした!船を進めぬか!」と、サンポ将軍が操舵手に問い詰める。
「漕ぎ手が・・漕ぎ手が居りませぬ・・みな、逃げました・・。」と操舵手が答える。
「兵に漕がせれば良かろう!さあ、皆、命が惜しくば櫂を持て!さあ!」
サンポ将軍は、周囲にいた兵たちを殴りつける。
「何をしておる!さあ、船を進めよ!」
サンポ将軍は剣を抜き叫ぶ。だが、兵たちは動こうとはしない。サンポ将軍が言う、沖とはどこなのか。すでに、江の口には、西国の水軍の数十隻の軍船が並んでいる。伴船が既に捕らえられていた。漕ぎ手を失った軍船は、徐々に潮に流されていく。すると、船底からガリガリと鈍い音がした。同時に船が大きく傾き始めた。
「浅瀬に座礁しました。」
操舵手は、諦め声で言った。茫然として兵たちも、甲板上に立っていられないほど傾き、転がり、海へ投げ出される。サンポ将軍自身も、帆柱に綱をかけ、何とか捕まっているほどだった。もはや、勝敗は決していた。
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2-24 戦の終わり [アスカケ外伝 第1部]

沖からは西国の水軍が更に近づき、恐れた兵たちは甲冑を脱ぎ捨てると、次々に海へ飛び込んでいく。軍船の上には、僅かな兵とサンポ将軍、チョンソらの僅かとなっている。
摂政カケルは船を軍船に近付けた。西国の水軍からも小舟が数隻近づいてきていた。
傾いた船の甲板が見える位置まで船を進めると、帆柱に身を括り付けた情けない恰好のサンポ将軍が見えた。
「私は、ヤマト国摂政カケルです。もはや、勝敗は決しました。降伏なされませ。」
その声に、サンポ将軍が答えた。
「何を言うか!我は弁韓の将軍サンポである。弁韓の王の代理として、友好を深めるために、難波津に来た。だが、いきなり矢を射かけられ、やむなく、戦となった次第。このままでは済まされぬぞ。」
敗戦の将でありながら、まだ悪あがきをしている。
「難波津を襲うために来たのではないと申されるか!」
カケルが問う。
「なぜ、戦を仕掛けねばならぬ。弁韓の特使、シンチュウに確かめられるが良かろう。」
水路に貼岸辺から摂津比古も船を出して軍船に近づいてきた。
「ほう、シンチュウ殿にか?先ほど、シンチュウはわが手に捕らえ、すでに牢獄の中。すべては、シンチュウから聞いておる。其方の申す友好とは、我が民を殺める事か!」
摂津比古は、怒りを込めて言った。
「シンチュウの戯言。いずれにせよ、このままでは済まされぬ。いずれ、我が大王が、弁韓から大軍をもってこのヤマトを攻めようぞ。さすれば、ひとたまりもあるまい。」
サンポ将軍は、自らの置かれた状況を知ろうともせず、嘯いている。
「弁韓の大王とはどなたのことだ?」
今度は、西国の水軍を率いてきたオオヒコが、やはり小舟に乗って近づいてきて、サンポ将軍に訊いた。
「それすら判らぬとは・・愚かな事。我が弁韓の王は、キスル大王である。辰韓や百済との戦に勝ち、今や、大陸の王と呼ばれておる御方じゃ。このヤマトなどすぐにも征伐してくれよう。」
帆柱に体を預けた不格好ななりのまま、サンポはまだ息がっていた。
「それは済まぬことをした。ただ、先日、アナト国からの使者が参って、弁韓国ではあまりの圧政に民が怒り内乱を起こし、大王が倒されたと伝えたところであったからな。確か、新しき王は、先の王の弟君ヒョンシク王と聞いたのだがな・・。」
オオヒコがすました顔で言った。
「何という戯言。キスル大王は良き王、圧政などとは・・。」
サンポ将軍はうろたえ始めた。
「戯言か・・まあ良いでしょう。宮殿にてじっくり話を聞きましょう。さあ、タケル、あの者を捕らえなさい。」
摂政カケルはそう言った後で、タケルの耳元で何かを囁いた。それを聞いて、タケルは驚き、父カケルの顔をしげしげと見つめる。カケルは、強く頷くと、タケルの背を軽く叩く。タケルは、剣を手にして目を閉じる。すると、幼い頃母に貰った勾玉の首飾りが光を放ち始め、タケルの体が一回り大きくなる。両腕は大人以上に太く毛深く、それはまさに獣のようであった。
タケルは深く体を屈めると、エイっと高く飛んだ。その身は、傾いた軍船の帆柱の先端に届き、そのまま、斜めになった帆柱の上を一気に駆け下る。そして、サンポ将軍の手前で剣を振り上げ、一気に振り下ろした。ガキンという鈍い音とともに、帆柱が根元から折れる。サンポが頼みとしていた帆柱に巻き付けた綱が千切れて、サンポは甲板に転がり、そのままの勢いで海へ投げ出された。その衝撃は、傍にいたヒョンテも同じだった。サンポ将軍より少し遅れて、甲板を転がり、海へ投げ出され、あろうことか、先に落ちたサンポ将軍の真上に落ちた。二人は海面でぶつかり、互いに気を失ったのだった。
一部始終を、江の口に居た皆が見ていた。
摂津比古も、オオヒコも、他のものも、若い頃のカケルとアスカを知る者達は、目の前で起きた事に、昔の出来事を重ねていた。
「あれは・・カケル様ではないのか?」「いや、あの光はアスカ様だ。」
皆、口々に言った。初めて目にする者は、神のごとき、恐れ多き事だと手を地面に着き、崇めた。
弩を放ったヤスキも、岸辺からその光景を見ていた。
ヤスキはその時、幼い頃の出来事を思い出していた。まだ、二人とも七つほどの幼子だった。野山で遊びまわる日々、山の急流を眺めていた時、目の前に大きな熊が現れた。ヤスキは腰を抜かし動けなくなってしまったが、タケルはじっと熊を睨んでいた。その熊は猟師に傷を負わされ強く興奮しているようだった。タケルに突進してくる。タケルは、身構えると体をぶるぶると震わせると背丈も体つきも倍以上に大きくなったように見えた。そして、熊を躱し、高く飛び上がると、熊の後ろに回り、熊の背を強く蹴った。熊はそのまま転がり急流へ落ちていった。あの時のタケルは別人だった。いや、人ではなく獣のように見えた。しかし、それは自分の思い違いだと思って来たが、先ほどの光景でタケルには常人にはない、特別な力がある事を思い知ったのだった。
「タケル、お前の力は知っていた。だが、これまでは封印してきたのだ。心ができる前に、特別な力を知れば、身を亡ぼすかもしれないからな。お前は充分に大きく育った。これからは、その力を良きことに使うのだ。」
軍船の上で、剣を構えたままのタケルに、カケルが声を掛ける。タケルは大きく息を吐き、いつもの姿に戻った。
海面で気を失っているサンポ将軍とヒョンテは、オオヒコの船に引き上げられ、荒縄を打たれたまま、宮殿に連れて行かれた。主を失った軍船は、荒縄で岸辺に繋がれた。逃げさした兵たちのほとんどが、捕らえられ、将軍と共に宮殿に連れて行かれた。

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2-25 後始末 [アスカケ外伝 第1部]

サンポ将軍たちを捕らえた後、逃げ出した兵や捕虜となっていた紀之國や辰韓の人達も、皆が手分けして探し出し、難波津宮へ集めた。そこには、西国の水軍の者達も顔を出し、宮殿前の広場は、多くの人々であふれ、大路にも勝利を喜ぶ人々が集った。
広場から宮殿に上がる石段の先にある、広い壇上には、摂政カケルと摂津比古、兵長のオオヨドヒコ、それにタケルとヤスキが並んだ。
そこに、荒縄で縛り上げられたサンポ将軍とヒョンテ、さらにシンチュウが、数人の衛士に引っ張られるように連れて来られた。三人は、摂政カケルの前に跪く格好にされた。
「さて、戦の始末をせねばなりません。いかがしましょう。」
摂政カケルは、三人をじっと見ながら言った。
「我は弁韓の大王の代理としてきたのだ。このような仕打ちは赦せぬ。」
サンポは、こんな状況でも、まだいきがっている。
「ならば、そなたたちの処遇は、弁韓の大王にお任せした方が良いようですね。ちょうど、こちらに、弁韓より大王の使者が参られているので、お連れしましょう。」
そう言うと、摂政カケルは、脇に控えていた明石のオオヒコに合図する。
オオヒコは、宮殿に入ると、金色の高貴な衣装を纏った若者を連れて来た。
その若者は、摂政カケルに深々と頭を下げると、キッとサンポを睨み付けた。
「サンポよ。私の事を知っておるな!」
顔を上げたサンポは、急に青ざめ震え出した。
「お前は・・。」
サンポはそこまで言うと、力なく下を向いてしまった。
この男は、新しい大王であるヒョンシクの第一皇子、ソヌであった。
キスル大王の時代、弟のヒョンシクは、兄から嫌われ都を追われ、辺境の地を彷徨った。ソヌも、父と共に辛い暮らしに耐えてきたのだった。
だが、キスル大王の悪政に耐え兼ねた民衆は、武力で蜂起し、ヒョンシクを次の大王に担ぎ上げ、各地で反乱を起こした。
そして、若き皇子ソヌは、その戦の先頭に立ち、民と伴に戦ったのであった。したがって、ヒョンシク大王の、次なる大王として民衆からの信望を集めていた。
サンポ将軍は、キスル大王の側近であり、ヒョンシク一族を追放した張本人だったのだ。
「そなたには、随分と痛い目に遭わされた。だが、先代の王が危うくなったとみるや、いち早く逃げ抜けたであろう。そして、海を越え、このヤマト国で悪行をはたらくとは、まったく、弁韓国の恥である。祖国でも多くの民を殺めたのは判っている。すぐにも、祖国へ連れ帰り、民の怒りを鎮めるためにも、厳重な罰を課さねばならぬ。」
ソヌ皇子の言葉に、サンポは返す言葉も無くうなだれている。横にいるヒョンテも顔を伏せたまま、縮み上がっていた。
「判りました。それでは、サンポ、ヒョンテの両名は、ソヌ皇子に引き渡しましょう。ですが、シンチュウはいかがいたしましょう。」
摂政カケルが問う。
「シンチュウは、商人。祖国で多少の悪さはしているでしょうが、それよりも、難波津宮での悪行の方が重い。そもそも、ヤマトへ戦を仕掛ける手引きをしたのもシンチュウ。あやつは、カケル様にお預けいたします。」
ソヌ皇子はシンチュウを睨み付けて答えた。
「判りました。では、難波津で相応の償いをさせましょう。摂津比古様、お願い申す。」
カケルが言うと、摂津比古は頷き、衛士に命じて、三人を地下牢に連れて行かせた。
「兵たちはどういたしましょう?」とカケル。
「彼らは、将軍に命令されただけの事。だが、紀之國での仕儀は盗賊と同じ。やはり、何らかの罰を与えねばならぬでしょう。」
それを聞いて、カケルが言った。
「あの中には、祖国に家族のある者もいるでしょう。もはや、祖国には戻れぬ者もいるかもしれません。兵たちに選ばせては如何でしょう。」
ソヌ皇子は少し考えてから答える。
「良いでしょう。人は国の宝。生きて尽くす事こそ尊いと父から教えられました。」
カケルはその言葉を聞き、衛士たちに、捕らえた兵たちに自らの道を選ばせるように、と下知した。広場の一角に集められていた捕虜兵たちは、涙を流しているのが判った。
「カケル様は、タマソ王からお聞きしていた通りの御方でした。そして、ヤマトの安寧の理由がよく解りました。」
ソヌ皇子が言うと、カケルは少し微笑んで答える。
「いえ・・私も昔は多くの命を奪う戦をしてきました。後悔ばかりです。今のヤマトの安寧は、戦で作ったものではなく、民の力の賜物なのです。私一人にできる事など僅かです。弁韓国も、そうではありませんか?」
ソヌ皇子は、カケルの答えを聞き、笑顔で返した。
「弁韓の未来は明るいですな。」
二人の会話を聞き、摂津比古は、満足して、そう言った。そして、広場に向かって響き渡る声で言った。
「よし、これから、弁韓国とヤマトの未来のために、祝いの宴を始めよう!」
その声を聞いて、厨房から大皿に盛られた料理や酒が運び込まれる。
厨房では、ヤチヨが活き活きと働いていた。
諸国が献上した、珍しい食材に囲まれ、思うように料理ができる。願いがかなった。
ヤチヨは、これまで学んできた知識と技を総動員して奮闘していた。
広場にひしめくほどの人が、料理を見て、歓声を上げる。
難波津の者だけではない。囚われていた辰韓の人間も、軍船の漕ぎ手にされていた紀之國の者も、男も女も、みな、喜びに満ちた表情で、目の前の料理や酒を食べ、飲んだ。中には、力比べをする者や、それぞれの国の言葉を教えあう者、歌い踊り、宴は過ぎていく。
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2-26 特別な力 [アスカケ外伝 第1部]

宴が佳境に入る中、一通り皆から挨拶を受けた摂政カケルが、タケルの傍に来た。
「驚いているか。」と、カケルがタケルに訊いた。
それは、あの「特別な力」の事に他ならない。
「お前が幼い頃、あの力を持つ事を知り、私は大いに驚いた。あの力は私限りのものだと思っていたのだ。」
そういう、カケルの表情は少し悲しげだった。
「私も幼き頃、大人を驚かすほどの力で弓を弾き、その力を村の巫女に封印された。まだ、心ができておらぬ者には、害を為すものだと思われたようだ。・・だから、私もお前の力を封印してきた。常に心穏やかにしていれば、力を使う事はない。だからこそ、日々の安寧を求めてきたのだ。」
そこまで聞いて、ようやく、タケルは口を開いた。
「しかし、この力があったからこそ、邪馬台国の復興や、ヤマト平定が成し得たのではないのですか?」
それを聞いて、カケルは厳しい目をしてタケルを見た。
「いや、そうではない。ただ一人、特別な力を持っていても、それは出来ぬこと。いや、その力で人々を、国を治めようというのは、弁韓のキスル大王と同じ道を辿る。そうではいけないのだ。」
納得できない表情のタケルを見て、カケルは少し穏やかな口調で続けた。
「此度の戦こそ、それを教えてくれたはず。多くの者が、難波津を・・ヤマトを守ろうと考え、自らにできる事に注力した。それは、互いが互いを思いやり、大切にしたいと思うからこその事ではないか?特別な力に頼ろうとする者などいなかったであろう。だからこそ、犠牲を出さず、相手の命を奪う事もなく、戦を終えることができた。これこそが、国の安寧を作り出しているのだ。特別な力など、必要ないのだ。」
「では、なぜ、此度、封印を解かれたのでしょうか?」とタケルが訊く。
「その力を使うべき時を教えたかったのだ。・・多くの命が奪われようとする時、大事なものが失われようとする時、そういう時にこそ使うべきなのだ。」
カケルが答える。
タケルは、父カケルが言わんとする事がまだはっきりとは解っていなかった。
「まあ、良い。今は判らずとも、いずれ、時が来れば解かる。多くの者が此度の戦で、お目の力を知ったはずだ。だからこそ、それを頼りにしてくる者もいるだろう。よく見極めるのだ。そういう者は危ういぞ。」
カケルはそう言うと、タケルの肩を叩き、また、宴の席へ戻って行った。
タケルは、父の話を思い返しながら、ヤスキの姿を探すため、宴の席を歩いた。行き違う者が皆、タケルの姿を見ると、深々と頭を下げる。皇子と判ったからではなく、あの力を見たためだと、人々がこわばった表情を浮かべている事ではっきり感じることができる。特別な力を持つ事は、人々に恐怖を与えるのだと初めて気づいた。
港の人夫達の集まりの中に、ヤスキの姿があった。大きな身振りで得意げに話している。おそらく、大弓・弩を引いた時の事を話しているのだろう。聞いている人夫達も我が事のように喜んでいる。ヤチヨは、出来上がった料理を運びながら、料理の説明をしたり、産物自慢の話を聞いたりして、皆の中で活き活きとしている。満面の笑顔が眩しい。チハヤの姿は見えないが、きっと、薬事所でけが人の手当てに汗を流しているに違いない。
大和から共に来た仲間は、それぞれ自分の道を見つけたように思えて、何か寂しさを感じていた。
「タケル様!」
不意に声を掛けられた。シルベだった。敵の軍船から、多くの囚われ人を救った立役者だった。おそらく、その者達に囲まれていたに違いなかった。
「此度は、見事な勝利、おめでとうございます。貴方様には二度も命を救われました。誠にありがとうございます。」
シルベは傅いて、丁寧に礼を述べた。
「止めてください・・。あなたこそ、多くの命を救われたではないですか。敵の軍船に潜むなど・・素晴らしきお働き、感謝いたします。」
タケルはそう言うと、シルベの手を取って立たせた。
「いえ・・実は、皆を逃がしたあと、私は、あの軍船に火をつけるつもりで船底にいきました。ですが、急に、船が傾き、身動きできずにいたのです。船底に穴が明き海水が入り込んできていて、あのまま、戦が長引けば、きっと私は命が危うかった。…皆に訊きましたが、タケル様が、最後のあがきを続ける将軍を、船から引き下ろし、決着をつけられたとか・・おかげで、命拾いをしたのです。」
タケルは知らなかった。あの時、父カケルに言われ、サンポ将軍を引き下ろしたのは、ただ、戦の決着をつけるためだけだと思っていた。偶然なのか、父カケルはそこまで考えていたのか、判然とはしないが、予想しなかった事に少し心が軽くなったように感じた。
「私は、岸に戻り、薬事所に運ばれました。そこで、チハヤ様に怒られました。命を粗末にしてはいけないと・・。タケル様はきっと命を落とす人が無いように、策を考えていたはずだから、無謀な事はしてはいけないと言われました。」
「いえ・・私は・・そんな・・」
タケルは返答に困った。本当にそこまで考えていたか、自分でもよく判らなかった。
「あの時、船から逃れた者達が、タケル様にお会いしたいと申しておりました。良ければ、会ってやって貰えませんか?」
シルベは半ば強引に、タケルの手を取り皆の者へ連れて行った。紀之國から連れて来られた者たちは、薬事所で、手当てを受けた後、広場に来ていた。皆、タケルの顔を見ると歓声を上げ、誰もが、タケルに礼を言った。一方で、広場の隅に集められていた弁韓の兵たちは恨めしそうにタケルを見ていた。タケルは、相対する二つの視線を見て、戦は惨いものだと改めて感じていた。
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2-27 ソヌ皇子 [アスカケ外伝 第1部]

翌朝、朝餉を終えたタケルたちのところへ、一人の若者が訪ねて来た。
館の門番が、けげんな顔をしながら取り次ぐ。
「タケル様、館の前に、ソヌとかいう者が参っておりますが、いかがしましょう?」
タケルは、その名を聞いて、驚いて戸口へ走った。
予想通り、ソヌ皇子であった。昨夜の装いとはうって変わって、粗末な麻服を纏っていた。そのため、館の門番は、皇子とは判らず、戸口で待たせてしまっていたのだった。
「どうされました?」
その質問は、身なりと朝早くの訪問の両方であった。
「いや・・昨夜は宴の席。思うように話も出来ずにいましたから。・・此度の戦、すべて、タケル様が導かれたと聞き、どのような人物かじっくり話がしたくて参りました。」
「ですが・・その衣服は・・」
「ああ、昨夜は国を代表するものとしてふさわしい服装をしただけ。日頃は、このように弁韓の民の服を着ております。この方が自分らしくいられるのです。」
ソヌの話に、タケルはどこか、父カケルと同じものを感じていた。
「タケル様、少し、難波津を案内してもらえませんか?・・弁韓国は、内乱は治まりましたが、至る所で戦の傷跡が残っており、これから新たな国づくりをしなければなりません。ヤマトでも最も栄えている難波津を知ることはきっと役立つと思うのです。」
ソヌの申し入れにタケルは快く応える事にした。
二人の会話を聞いていた、ヤスキとヤチヨ、チハヤも共に案内すると申し出た。もちろん、堀江の庄に詳しいヤスも同行することとなった。
「どこから参りましょうか?」
タケルが訊くと、ソヌが言った。
「薬事所というところがあると聞きました。様々な病気を治す素晴らしい所と聞き、是非、そちらを見てみたいのですが・・。」
それを聞いて、チハヤが飛び上がって喜んだ。
「是非、私に案内させてください。」
一行は、館を出て、薬事所に向かう。チハヤは一足先に薬事所に向かい、薬事所頭に話をし、中を案内する許可を得た。
薬事所への道すがら、タケルは尋ねる。
「ソヌ様、一つお聞きしたい。あなたは、大和言葉を流暢に話されるが、どこで覚えられたのですか?」
ソヌは笑顔で答える。
「実は、父に追討令が出た時、海を渡り、対馬国へ逃れました。対馬国は、倭国と韓とを繋ぐ要衝。私たちは、そこの国長ヒシト様に匿っていただきました。国長には、私と同い年のヒナモリという者がいて、ともに、大和言葉を学んだのです。」
ソヌは続けた。
「その時、九重の平定した勇者の話も聞きました。そして、その勇者は西国へ向かい、ヤマトを平定したと。私は、最初、作り話であろうと思っておりました。僅か十五の男に、それほどの大業が成せるはずはないと・・ですが、本当でした。カケル様は凄い御方だ・・。」
「そうでしたか・・。」
タケルは小さく答えた。その表情にソヌは何か考えていた。
薬事所に着くと、チハヤが出迎える、
「ここは、今の皇様・・アスカ様が開かれました。その後、ナツ様が引き継がれ、さらに大きくされました。今では、諸国から多くの者がここへ学びに来るようになりました。私も、今、ここで薬事を学んでおります。」
チハヤは、嬉しそうに薬事所の中を案内する。
ソヌ皇子は、様々な部屋で、薬草を仕分けたり、干したり、粉にしたり、様々な工程をつぶさに見て回った。だが、その視線は、出来上がった薬草よりも、そこで作業をしている人々に向いていた。
「皆さん、いきいきとされていますね。とても熱心で・・幸せそうだ。」
「次は、ぜひ、宮殿の中もご案内したいのですが・・」
そう言ったのは、ヤチヨだった。ソヌは少し不思議な顔をした。宮殿は、さっきまでいた場所、だいたいの様子は見ていた。
「皇子様は、ずっと表にいらしたでしょう?でも、あの宮殿を支えているのは、宮内所司なのです。食べ物や衣服、調度品、宮殿の暮らしすべてを支えている所なのです。是非、ご案内したいのです。」
ヤチヨには、自分が働いているところを知ってほしいわけではなく、ある考えがあった。
一行は、宮殿の東の通路を入り、摂政タケルや摂津比古などが政務を摂る大極殿の奥、内裏の更に奥に出た。そこには、大きな建物が一つ、そして屋外にはたくさんの釜戸が並んでいる。
「ここは、宮内所司の中の膳所です。昨夜の宴の料理はすべてここで作りました。」
タケルもヤスキも、こんな奥までは来たことがなかった。
「他にも調所、居所等、暮らしを支える全てがここに在るのです。」
ソヌはヤチヨの説明を聞きながら、所司の中を見て回った。先ほどの薬事所と同様に、そこで働く者の様子をじっと見つめている。
「ここには、男の方もいるのですね。」とソヌ。
すると、ヤチヨは笑顔で答える。
「ええ・・ヤマトでは、古来より、奥の仕事は女人のものとされていました。ですが、難波津では男も女も関係なく、自らの力を活かせる場所に就けるのです。薬事所にも所司にも、港にも、そういう区別はありません。」
「自らの力を活かせる場所・・ですか・・。それは良い事だ。」
ソヌは感心するように言った。それを聞いた、タケルが小さな溜息をついた。
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2-28 難波津を知る [アスカケ外伝 第1部]

「じゃあ、次は、大路を通って、堀江の庄へ行きましょう。ここからは、私が案内しましょう。」
そう言ったのは、同行してきたヤスだった。
一行は大路から真っすぐに港を目指した。両脇に建ち並ぶ諸国の館、高く積み上げられた産物、それを忙しそうに運ぶ人々、活気がみなぎっている。
「難波津は、昔、ヤマトの都でした。葛城王様が治められていた時代にも、たいそう、にぎやかだったそうですが、カケル様が水路の開削をされ、草香江が湿地から見事な農作地に変わり、多くの人が集まりました。同時に、堀江の庄も大きくなり、今、ここには、西国から、多くの人と物が集まるようになりました。」
ヤスは我が事のように嬉しそうに話した。
「ヤス様はここでお生まれになったのですか?」
ソヌが訊く。
「いえ・・私は吉備の国、鞆の浦の生まれです。父を亡くし暮らしに困っていた時、吉備の国王から、こちらで働くよう勧められ、母と弟と三人でここへ来ました。」
ソヌが頷く。それから、ヤスは、大路の館一軒ごとに、その国の産物や様子を順に話していく。ソヌ皇子はそれを楽しそうに聞いている。
「西国の方々の本当の役目は、故郷の国に必要なものを調達する事なのです。米が足りなければ、米を。布が足りなければ布を・・自国の産物と交換するのです。時には、交換する産物が無くても、互いに事情を理解し、融通しあう事もあります。皆が、そういう約束もしているのです。」
「それは素晴らしき事。奪い合うのではなく分け合うという事ですね。」とソヌ。
「ええ・・そうです。」とヤスが答える。
「このような仕組みを考えられるとは・・さすが、カケル様ですね。」
「ええ・・でも、それは、仕組みではないのです。摂政様がアスカケの旅で作られた絆があり、皆が自然に作り上げたものなのです。」
ヤスの答えに、ソヌはほとほと感心したようだった。
「ヤス様は、随分と詳しいようで、感心しました。よく勉強されましたね。」
そう聞いて、ヤスは驚いた顔をした。
「いえ・・私は、宿主様の御用事をしているうちに、覚えた事をお話しただけです。」
「それで良いのです。ヤス様は、ただ、用事を済ませるだけでなく、一つ一つが学びだという事が身についておられる。あなたはいずれ、ヤマトに欠かせぬ御方になる。」
ソヌの言葉に、ヤスは、これまでになく高く評価されたことで、驚き、嬉しくて、思わず涙を溢していた。
一行がようやく港に着くと、何か、人夫達が騒然としていた。異変を感じたヤスキは駆け出し、人夫達の中に入っていく。人夫達の真ん中には、港主のタツヒコが仁王立ちになって、もう一群の男たちを睨んでいる。辰韓の者のようでざっと百人程いる。
「どうしたのですか?」
ヤスキがタツヒコに訊いた。
「おお、ヤスキ様。ちょうど良い所に来られた。・・いや、この者達は、どうやら辰韓から来た者のようなのだが・・言葉が通じなくて、何が言いたいのかわからなくて困っていたんですよ。・・何だか、ここで働きたいようなのだが・・。」
タツヒコは、大層、困った顔で答えた。
「私が話を聞いてみましょう。辰韓のものであれば判るはずですから。」
ソヌ皇子はそう言うと、一群の男たちの前に立ち、異国の言葉で話しかける。何度か、男たちと会話を交わしたあと、タケルの方を振り返って言った。
「この人達は、弁韓の船で奴隷として連れて来られた方々です。難波津で働きたいと言っております。ここで、働き、財をもって国へ戻りたいのだと・・。」
「やはりそうだったか‥だが、ここでの掟を覚えてもらわねばならぬが・・。」
とタツヒコが言う。
「掟とは?」とソヌ。
「ここの人夫達は、運んだ荷の一部を荷主からいただき、運んだ者達で平等に分けることになっている。だが、荷の量が潤沢にあるわけじゃない。どんなに少なくても、皆で平等に分ける。人数が多くなれば、それだけ分け前が減る。・・これだけの者が急に増えると、人夫達も困る。」
事情は至極簡単な事だった。それを聞いて、タケルは、ヤスに、ウンファンの館にいるジウを呼んできてくれるように頼んだ。ほどなく、ジウがやってきた。事情は、すでにヤスが話していた。
「ウンファン様の館で、二十人程は引き受けられる、と言い遣ってきました。」
ジウは、ほんのわずかの間に大和言葉が随分上達したようで、丁寧に、タケルたちにそういった。それを聞いて、タツヒコが言った。
「そうか・・それなら、ここではざっと三十人程は受け入れよう。」
すると、ジウは、その話を異国の言葉で一群の男たちに話した。それを聞いて、辰韓の男たちは相談し始めた。そして、二十人程がウンファンの館に、三十人は港で働く事に決めたようだった。そして、ジウに何かを告げた。
「タケル様、残りの者はこのままヤマトで暮らしたい、だから、仕事が欲しいと言っています。」
目の前には、困窮した顔をした男たちがいる。タケルは目を閉じて考えた。そして、ふっとある考えが浮かんだ。
タケルは、それをヤスキに小声で話した。ヤスキは、目を丸くしてタケルを見る。そして、ヤチヨやチハヤ達にも話す。皆、一様に驚いていたが、やがて、強く頷き賛同した。
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2-29 再会の約束 [アスカケ外伝 第1部]

「こちらに居られるぞ!」
いきなり、数人の衛士がタケルたちを取り囲むように現れた。
「ソヌ皇子、そろそろ、出航の時です。お急ぎください。」
タケルたちが話し合っている港の先に、大船が留まっていて、船着き場の辺りには、摂政カケルや摂津比古、多くの人が、見送りのために集まっていた。衛士たちは、ソヌ皇子を探していたようだった。
「皆様、お別れの時です。楽しい時を過ごせました。私も、このヤマトに負けぬ良き国造りに励みます。いつかまた、お会いしましょう。」
「はい、必ず、お会いしましょう。」
タケルはソヌの手を取り、誓うように言った。
ソヌは、皆に笑顔を残して、衛士たちとともに大船に向かった。
暫くすると、大船の舳先に、黄金色の服を身に纏った、ソヌ皇子が現れ、皆に挨拶をした。ゆっくりと大船が岸から離れて行く。
徐々に遠ざかる船影を見ながら、タケルは、決意した。
タケルは、摂政カケルと摂津比古の前に走っていき、跪いて言った。
「一つお願いがあります。」
その様子に、カケルも摂津比古も、タケルが大きな決意をしたことはすぐに判った。
「ここ難波津で多くの事を学びました。まだまだやらねばならぬことがある事は承知しております。ですが、どうしてもやりたいことが見つかったのです。」
タケルは、跪いたまま、視線を上げ、摂政カケルを見た。
「ふむ・・やりたい事とは?」と、カケルが訊く。
「諸国を知りたいのです。その第一歩に、紀之國へ行かせていただきたいのです。弁韓の軍に捕らえられ、連れて来られた方々は、故郷へ戻りたいはず。そして、荒らされた故郷を立て直す大仕事が待っているはずです。その手伝いをしたいのです。」
「ふむ・・確かに、紀之國へ戻るために、近々、船を出す予定ですが・・・。タケル、お前ひとりで行くというのですか?」とカケル。
「いえ・・難波津に共に来たヤスキ様達も一緒に。そして、辰韓と弁韓の人たちにも手伝って貰うつもりです。ヤマトに残る決意をされた方々とともに行きたいのです。」
それを聞いていた、ヤスキたちは慌てて、タケルの隣りに並び、同じように跪いた。
タケルの決意を聞き、カケルは摂津比古を見た。
「まあ、難波津で学ぶべきことはおおかた終わっておる。そろそろ、もっと広い世界を見るのも良いだろう。」
摂津比古は、笑顔で言った。
「確かに、そろそろ、アスカケに出る歳ではあるのだが・・。」
カケルはまだ少し躊躇っているようだった。
目の前のタケルはまだ、あの「特別な力」を知ったばかりであり、どこまで上手く使えるか、まったくわからない。誤って人を殺める事もあるかもしれない。自らを振り返り、その危うさは充分に解っていた。だからこそ、もう少し、心を鍛えるべきではないか・・そう考えていた。
摂津比古は、カケルが躊躇う理由が十分に解った。そして、言った。
「タケル様の決意はよくわかった。此度は、儂の名代として、紀之國へ行ってもらおう。故郷へ送り届け、復興のために、力を注ぐが良かろう。ただし、一年ほどで必ず戻ってくるのだ。」
それを聞いていた、ヤスキ、ヤチヨ、チハヤもタケルと同じように、摂津比古の前に跪き、首を垂れた。
「いかがでしょう、カケル様。今度、ここへ戻ってきた時こそ、アスカケへ出すという事で。きっと、この者達であれば、大きく成長して戻ってくるに違いありません。」
摂津比古はそう言うと、カケルを見る。
「いいでしょう。それほどの人数となれば、大船が必要でしょう。・・弁韓の船を皆で修理し使うと良いでしょう。すぐに取り掛かりなさい。お前たちだけでは難しい事もあるはずです。よく相談し、皆に頼むのです。お前たちの思いを伝え、助けてくれる者を自分たちで見つけなさい。良いですね。」
カケルの言葉に、皆、大きく「はい」と返事をした。
「私は、明日、大和へ戻ります。お前たちの見送りはできませんが、無事、やり遂げるのですよ。」
カケルは、そう言うと、摂津比古たちとともに、難波津宮へ戻って行った。
大船が出港して、見送りに来ていた人たちも皆仕事に戻り、船着き場にはタケルたちだけが残っていた。
「やったな!」と、ヤスキは第一声を上げた。
「これから、忙しくなる。大船を使うのなら、誰か、手慣れた御方に頼まなくてはならない。漕ぎ手も必要だし、水先案内人も・・・・」
カケルが言うと、ヤスキが「大丈夫、俺に任せろ!」と言って、走り出した。
ヤチヨもチハヤも、顔を紅潮させている。
「どれだけお役に立てるか、試されているのよね。」とチハヤが言うと、ヤチヨがチハヤの手を握り、「頑張りましょう」と言った。
「あの・・私も、連れて行って下さい。」
そう言ったのは、ジウだった。
「辰韓の人、言葉が通じないと困る。私がいれば大丈夫。だから、私も。」
「是非、お願いします。ジウ様がいれば、私も安心です。」
カケルが笑顔で答えた。
その日から、二週間ほどかけて、船を修理し、必要な人材と物資を集め、ようやく出航の段取りが整った。
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2-30 いざ紀伊国へ [アスカケ外伝 第1部]

「先の皇、葛城皇が、大和の南を治めるため、巨勢一族を、国造として遣わしたのだが、大和争乱の際には援軍も出さぬままであった。此度、弁韓の水軍に攻められた際にも、手も足も出ないようでは、紀之國は大きく乱れているかもしれぬ。隣国、那智一族も伊勢一族も、紀の国の有り様に気を揉んでいるようだ。充分に、気を付けるのだぞ。」
出航の日の朝、摂津比古は、支度をしているタケルたちの許に来て、そう告げた。
「何か、争乱のもとになっていることがあるのでしょうか?」
と、タケルが訊く。
「いや、争乱ではない。もともと、紀の国には、水運の要衝地が多く、特に、和歌の浦は諸国の者が移り住むことも多く、それぞれに集落をつくり、住み分けているようなところなのだ。巨勢一族が遣わされた頃は、皇の力も弱く、国造としても手出しできない事が多かった。国としてのまとまりが弱いのだ。」
摂津比古が、さらに続けて答える。
「此度、其方たちには、荒らされた郷を助けるだけでなく、紀ノ國の有り様をじっくりと見てきてもらいたいのだ。」
「紀の国の在り様ですか・・」とタケル。
「紀の国には、外海に開いた良き港が多く、大川を遡れば、大和国の都までも近い。此度のように、外敵が入り込めば、忌々しき事となる。ヤマト国の安寧には紀の国は大事な場所なのだ。今後、どうすべきか考えねばならぬ。」
摂津比古の言葉に、今回の仕事が、タケルが思いついた以上に大きな役割だということを再確認した。
タケルたちは、堀江の庄の船着き場に向かい、すでに支度を整えた者達が待っていた。
タケルたちが船に乗り込むと、甲板に多くの者が並んだ。
「舵取りは、港主タツヒコ様からご紹介いただいた、イカネ様に勤めていただく。もともと、紀ノ國の生まれ。大船で明石やアナトまでも行かれたことがあるそうだ。」
ヤスキが紹介すると、大きな歓声が上がる。
「水先案内人は、ニトリ様にお願いする。弁韓の水軍に囚われておられたが、和歌の浦の漁師と聞いている。あの辺りの海にはお詳しいそうだ。」
再び、歓声が上がる。
「そして、皆の頭領は、シルベ様にお願いする。漕ぎ手や帆守り、荷運び、この船の中の仕事を仕切っていただく。先の戦では、シルベ様のお働きで命拾いした者も多いはず。シルベ様はもともと兵士である故、万一の時には将となっていただくつもりだ。」
紹介されたシルベは、ヤスキの脇に立ち、大きく拳を上げる。それを見て、大きな歓声が上がった。
「それから・・ヤチヨが厨長として、皆の食事や船での暮らしを守る役をしてもらう。そして、チハヤは医長である。この二人の機嫌を損ねると、生きていけぬぞ。」
甲板の男たちが笑う。ヤスキは、皆の歓声に、少し調子に乗ってしまったようで、ヤチヨとチハヤから睨まれてしまった。
「ええ・・・そして、この船の長は、私、ヤスキが務めさせてもらう。」
これには、どよめきと歓声が混じる。
当初、この任務は、タケルが発案し摂津比古に許しを得たものだった。
タケルたちは、支度を進める二週間の間に、それぞれの役割を相談していた。紀の国へ向かい、弁韓水軍に囚われていた者達を故郷へ戻し、荒らされた郷を復興させるだけではない。この仕事を通じて、弁韓・辰韓の人々の生きる術を作る事も大事な役目だと理解していた。だからこそ、全ての仕事を取りまとめるのは、タケルの役割と定め、船長はヤスキと分担したのだった。さらに、今朝の、摂津比古の言葉から、ヤマト国の安寧のために極めて重要な仕事なのだと改めて認識していた。だからこそ、それぞれの果たすべき役割を明確にすることが必要だと思っていた。
「・・それと、この船の掟として皆さんに守ってもらいたい事がある。ひとたび、海へ出れば、生きるも死ぬもともにある。この船には、ヤマト人、辰韓人、弁韓人が乗り合わせている。これまでの軋轢は忘れ、常に、伴に助け合う事。言葉が通じなければ、互いに教え合う事。良いですね。」
隣で聞いていたジウが、韓の言葉で、辰韓・弁韓の者達に伝えた。まだ、馴染んでいない辰韓と弁韓の者達は、互いに見合っていた。それを見て、ジウが何か言った。
しばらくすると、辰韓と弁韓の若者が、手を握りあい、肩をたたき合った。それを見て、他のものも互いに手を握り合い、肩を叩き合った。つられて、紀の国の者達も同じ仕草をした。船の中は、多くの者達が入りまじり、終には、肩を組んだ。
「おい、ジウ。皆に、なんて言ったんだ?」
ヤスキが、小声でジウに訊く。
「ここに、辰韓、弁韓はない。皆、同じ人間。大きな家族。と言ったんです。」
「そうか・・大きな家族か・・。」
ジウの言葉を聞いて、タケルは感心した。
「よし、タケル。皆に、挨拶するんだ。」
ヤスキが言う。タケルは甲板の一段高い所に上がった。
「皆も知っている通り、私は、ヤマト国皇子タケルです。此度、紀の国復興の任を任されました。ここに集う皆様の力無しでは、この大仕事は成し得ないでしょう。どうか、皆で助け合い、良き仕事をいたしましょう。」
これまでで、最も大きな歓声が上がった。
「よおし、さあ、出航だ。皆、配置に就け!」
ヤスキが号令を掛ける。男たちは、漕ぎ手、帆守りなど分かれていく。綱が外され、ゆっくりと船が岸を離れる。タケルとヤスキ、ヤチヨ、チハヤ達は、甲板から堀江の庄を振り返ると、多くの人が見送っているのが見える。水路から江ノ口へ向かう途中、両岸には小舟に乗った人たちが歓声を上げて見送っている。
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3-1 加太の瀬戸 [アスカケ外伝 第1部]

タケルたちを乗せた船は、難波津の港を出て、南へ下る。
左手には、和泉の山並みが続き、ところどころに小さな集落が見える。右手には、淡路の島影がぼんやりと見えている。途中、波の穏やかな小さな港に入り、休んだ後、二日目には島が連なる水道(瀬戸)に入る。
水先案内人を務める、ニトリが前方を指さす。
「あの岬を超えたところが、加太の瀬戸です。右手に連なる島伝いに行くと、淡路、阿波国へと向かいます。ここは岩礁も多く、流れも複雑ですから、ゆっくり潮目を見て進みましょう。」
穏やかな春の日差しが甲板に満ちていて、船は順調に進んでいく。
「あの辺りは、魚がたくさん取れるのです。潮の流れが強く、身が引き締まった鯛などは絶品です。たしか、住吉津辺りからも、漁師が来ると聞いています。ただ、潮の流れが複雑で、手慣れたものでないと難しい場所です。」
船はゆっくりと、瀬戸に入っていく。これまでとは違い、まるで川の中にいる様な強い流れが、甲板から見下ろした海面からも判るほどだった。
「ここを超えると、左手に、加太の郷があります。今日はここで船を止めましょう。」
潮の流れを超えるとすぐに穏やかになり、左手に船を向けると、小さな集落が見えた。岸に近づいていくと、壊れたり、焼けたりしている家屋が見えた。人影は見えない。
「ここの者が確かいたはずです。」
ニトリが言うと、すぐに、シルベに伝わった。漕ぎ手の中に数人、この郷の者がいた。船窓から郷の風景が見えたのだろう。数名の男は目を真っ赤にしている。
タケルは、岸へ向かうための小舟を降ろし、数人の男たちと乗り込んで郷へ向かった。
船着き場には、漁に出るための船が止められている。船着き場に着くと、男たちは飛び降りて、自分の家に向かっていった。
タケルも、陸へ上がり、港の様子や家屋の様子を見て回る。
「これは酷い。」
つい、口を突いて出た。
船着き場から郷へ繋がる道沿いの家は、戸口の板が壊れ、家の中が荒らされている。ところどころ、焼けている家もある。だが、亡骸も見えない。郷の者達はどこかに逃げ隠れているのではないかと思った。
しばらくすると、男たちが戻ってきた。その後ろに、女人や子どもの姿も見えた。
「タケル様、皆、無事でした。皆、氏神様の祠の奥に隠れておりました。大船を見て、慌ててまた隠れたようです。」
タケルたちが使っている船は、元は、弁韓の軍船。不安に思い、隠れるのは仕方ない事だった。
「ただ・・みな、腹が減っているようです。弁韓の兵たちに米や稗等を奪われ、漁に出る我らも囚われ、苦労していたようです。」
それを聞いて、タケルは頷き、言った。
「我らは、ヤマト国、難波津宮より、皆様をお助けせよとの命を受け、参ったものです。郷を荒らした弁韓の水軍は難波津にて打ち負かし、もう、襲われることはありません。安心してください。これより、郷を立て直しましょう。」
タケルは、すぐに小舟を帰し、船倉から米を運んできた。その船には、ヤチヨやチハヤの他、数人の侍女も乗ってきていた。大船にいた男たちも、大勢がやってきて、郷の者と共に、家々の片付けを始めた。チハヤは、怪我をしている者や体が弱っている者を診て、手当をした。
日が暮れる頃には、片付けもあらかた終わり、ヤチヨ達が作った料理も出来上がった。久しぶりの食事なのだろう。皆、黙々と食している。そして、安堵したのか、涙を流している者もいる。大船で郷へ戻れた男たちは家族とともに再会を喜んでいる。
ひとりの若い女性が、タケルの傍に来た。長い黒髪を一つに束ね、色白で、漁師の娘とは思えない美貌である。まだ、幼さを持ったタケルには、随分、年上の女人のように感じていた。
「私は、ツルと申します。」
そう言うと、悲しげな表情で、続けた。
「初めに、和歌の浦の塩屋の郷が襲われました。私は、西の浜に居り、他の郷へ一刻も早く知らせようと、名草や西の庄などへ向かいました。最後にこの加太の郷へ来ました。ここよりも、もっと酷い有り様の郷もあります。どうか、皆様の御力をお貸しください。」
「そのために参りました。一つ、伺いたいのですが、国造様はいかがされているのでしょう。」
タケルは、ツルに訊いた。ツルは暫く考えていた。
「国造様は、大川を上ったところ、直川の郷に館を構えて居られますが・・。海辺の事はご存じないでしょう。例え、ご存じだとしても、出て来られることはないでしょう。」
「それは?」
「ここは、昔から、淡島一族と紀一族で治めて参りました。海の事は淡島一族、山の事は紀一族。そう決め、互いに助け合い暮らしております。国造様が来られる遥か昔から、そうして来たのです。今、この地を治めているのは、紀一族のユミヒコ様と・・私の父、ヤシギです。…父は、兵を率いて水軍と闘いましたが、どうされているか・・・。」
「紀一族からの援軍は無かったのですか?」と、タケルが訊く。
「昨年、大川が溢れ、多くの郷が水に浸かり、男手も少なく、難しかったのでしょう。」
ツルは知る限りの事を話した。摂津比古から聞いた通り、紀の国は、大和や難波とは違い、国としてのまとまりができていないようだった。
「ツル様、これから私たちとともに働いていただけませんか?ここらの郷に詳しいようですし、長様にもお会いしたいのです。」
タケルの頼みに、ツルは、快く引き受けた。
タケルは、夜のうちに、大船に使いを出した。
「船長、タケル様からご伝言です。・・タケル様達は、陸から郷を回られるようです。大船から、本日のように、米や衣服などを順次運ぶようにとの事でした。足りないようであれば、一度難波津へ戻り荷を運んできてもらいたいとも言いつかりました。」
ヤスキは既に、心得ていて、シルベと相談していた。大船は当面、この場に留め置き、加太・西の庄・名草等の郷ごとに、その郷の男を長として、手伝いをする辰韓の者も分けていた。また、運搬役には弁韓の男たちが当てられていた。
次の日から、一気に、仕事が始まった。
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3-2 和歌の浦 [アスカケ外伝 第1部]

タケルは、ツルの案内で、加太の郷から西の郷、古屋の郷と一つずつ、様子を確認し必要な手当てをしていった。
一週間ほどすると、難波津から幾隻もの船が、山ほどの荷物を積んで、和歌の浦に着いた。
「紀の国で、必要なものは難波津で用意するから、心おきなく、復興に尽力せよと、摂津比古様から、言いつかりました。」
船を率いてきたのは、辰韓の館主ウンファンだった。脇には、罪人のシンチュウが神妙な顔をして立っていた。ウンファンが、シンチュウに何か指図すると、シンチュウは急ぎ、周囲の者を集めて何かを告げる。弁韓の兵らしき男達が、船を岸に着けると、すぐに荷物を運び始める。シンチュウも、一緒に荷を運んでいる。
「奴は、今、私の片腕としてしっかり働いております。あれだけの財を成せる知恵があるのですから、心を入れ替えれば、きっと役に立てましょう。」
ウンファンは、シンチュウを見ながら嬉しそうに言った。タケルはそれを聞き安心した。
「ところで・・ジウはお役に立てておりますでしょうか?」
ウンファンは、周囲にジウの姿がないか、視線を送りながら心配気に訊いた。
「ええ・・辰韓と弁韓の仲立ち、ヤマトの皆さんとも、心を通じていただき、助かっています。それに、辰韓の方も弁韓の方も、ジウ様を信頼されて、しっかり働いておられます。おかげで、随分と仕事が進みました。」
タケルは満足げに応えた。
「それは、良かった。タケル様たちの愛で纏いになっていないか、心配でしたが・・。」
ウンファンは、そう答えると、「他の郷へも荷を届ける」と言って去って行った。
加太の郷から、小高い峠を越え、西の郷、古屋の郷に入ると、長い砂浜が続いていた。
砂浜の東側には、紀の川が運んでくる土砂が堆積して、小高い丘ができていて、ちょうど堤防の役割を果たしていて、川はそこから大きく湾曲し、和歌の浦がある小山と名草山の間を抜けて、海へと流れこんでいた。
広瀬の郷は、その和歌の浦の小山の麓にある。小山が風よけになり、良い港となっていて、加太の郷より一回り大きな郷だった。
いくつか蔵も並んでいるが、いずれも、弁韓の兵たちに襲われたために、焼け落ちていたり、戸口が壊され、中にあった物は全て盗み出されたりしていた。
港に入った時、岸に着いた船を見て、ツルが「あっ!」と叫んで、両手で顔を覆い、その場にしゃがみこみ、突然、涙を流した。
桟橋にいた男が、ツルの様子に気づき、手にしていた荷物を放り投げると、ツルに駆け寄った。男は、ニトリだった。
「ツル様!ご無事でしたか・・・。良かった。」
ニトリもその場にしゃがみこみ、ツルの肩を抱いた。
荷物を運んでいた数人の男が、それを見て立ちすくみ、同じように涙を流している。
「ニトリは、ツル様の想い人。水軍が攻めてきた時、ツル様たち、この郷の皆を守るためにニトリは真っ先に船を出し、水軍に挑んだのです。我らも共に戦いましたが、こちらには剣も弓もなく、銛で闘う程度。とても敵うものじゃなかった。」
荷を運んでいた人夫の一人が、ぼそりとタケルに言った。
タケルたちは、応急で作られた小さな小屋の中で、経緯を今一度聞くことにした。
「ひと月ほど前です。沖に、大船が現れ、しばらくして、何隻かの船がたくさんの兵を乗せて、和歌の浦へ入ってきました。初めに、対岸にある名草の郷を襲いました。ほとんど逃げる事も戦う事もできず、多くの命が奪われました。」
ツルは、思い出すと今にも涙を溢しそうになる。それを、ニトリがそっと支える。
「それから、次々に、浜伝いの郷を襲いました。郷には、兵は居りません。戦うとしても、漁に使う道具くらいです。私の父も、一族の男たちとともに、戦いに向かいましたが、敵うはずもなく、大怪我をして命からがら戻りました。私は、父の命令で、水軍の兵より早く、浜伝いに郷を回り、逃れるように伝えました。」
「なんと・・ヤシギ様は大怪我をされておるのか・・」
ニトリは、弁韓に囚われたために、浜での戦いが、どんなものだったか知らなかった。まして、頭領ヤシギの命が危ういとは知らずにいたのだった。
「ニトリ様は、名草の郷が襲われた時、誰よりも先に兵に向かわれました。その後、戻ってきた者はなく、ニトリ様も御命は無いものと思っておりました。こうして再びお会いできるとは思っておりませんでした。」
ツルは、タケルたちに話しながら、涙を溢している。ニトリもツルの話を聞き、涙を溢した。
「ツル様、御父上の容態は如何なのでしょう?」
話を聞いていた、チハヤが訊いた。
「私は、加太の郷で隠れておりましたので・・その後の事は判りません・・。」
「すぐにお父様のところへ行きましょう。私には薬草の心得がございます。何かできることがあるかもしれません。」
チハヤはツルを気遣い言った。
「いえ・・もはや、生きてはおられぬものと諦めておりますから・・。」
ツルは、はっきりとした口調で答える。
「ツル様、ダメです。まだ、そうと決まったわけではない。私もこうして生きて戻りました。さあ、急ぎ、館へ向かいましょう。」
ニトリがツルを説得する。
「でも、父は・・・。」
「大丈夫です。ちゃんと話せばわかってもらえるはずです。」
二人は、何か二人だけしか知り得ぬ秘密を抱えているようだった。
「私も、紀の国がどうなっているのか、淡島の頭領からお話を伺いたいのです。国造様もどうされているのか、つぶさに知りたいのです。是非案内してください。」
タケルの言葉に、ツルもようやく納得して、淡島一族の館へ向かうことにした。一族の館は、和歌の浦の二つ並んだ山の谷間の、少し小高い場所を拓いて建てられていた。
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3-3 淡島一族のヤシギ [アスカケ外伝 第1部]

タケルたちが、館に着くと、数人の女性が、慌てた様子で、門のところに現れた。
「なんと・・これは・・姫様、よく御無事で・・」
皆、涙を流し、ツルの帰還を喜んでいる。
「父は?」
と、ツルが訊くと、その女性たちは顔を伏せる。
そこに、少し年配の身綺麗な女性が現れた。
「ツル?無事だったのね。さあ、急ぎなさい。頭領がお待ちです。」
その女性は、ツルの母親だった。名は、チドリといった。ツルは、館に入り父の横たわる部屋に行く途中で、端的にタケルたちの素性を話した。
館の一番奥の部屋に、頭領ヤシギが横たえられていて、数人の侍女たちが、傍でじっと見守っていた。
「頭領は、大怪我をして目を覚まさないのです。血止めをするのが精いっぱいで・・今にも、命の灯が消え入りそうなのです・・さあ、御側に急ぎなさい。」
ツルは、父ヤシギの床の傍に行き、そっと手を握った。
「お父様、戻りました。ツルです。判りますか?」
ツルの呼びかけに、ヤシギはまったく反応しない。体も冷たく、呼吸も弱々しく、今にも途切れそうだった。
チハヤは、持っていた袋から、気付けになる薬草を探し、傍にいた侍女に見せる。すぐに侍女は、薬草を受け取り、厨房へ向かい、煎じた薬を持ってきた。
「さあ、これを」と、チハヤが、ツルに差し出す。
匙を使って、僅かに開いた口元へ流しこむ。しかし、ヤシギは呑み込むことができず、口元からだらだらとこぼれるだけだった。
部屋の隅で、その様子を見ていたタケルの首元が突然光りはじめる。
母からもらった勾玉の首飾りが光を発し始めたのだった。それをみて、ヤチヨが言う。
「タケル、それは・・きっと、皇アスカ様の御導きよ。」
「ああ、きっとそうだ。」とヨシキも言う。
春日の杜で学ぶ子どもたちは、幼い頃から、カケルとアスカの「アスカケの旅」の話を幾度も聞いていて、アスカの奇跡の力は、特に、女の子たちには憧れの場面でもあった。
タケルは、そっと首飾りを引き出し、掌に載せてみた。ぼんやりとした光は徐々に大きくなっているように感じられた。だが、自分にそんな力があるとは思ってもいなかった。
タケルは、首飾りをぐっと握りしめる。そして、心の中で、母アスカを思い浮かべた。
ちょうどその時、大和の国、飛鳥宮にいたアスカの首飾りも光りはじめていた。
「タケルが助けを求めているのでしょうか?」
アスカは、隣にいたカケルに問いかける。
「ああ・・おそらく、そうだろう。」
カケルの答えに、アスカは目を閉じ、ぐっと首飾りを握り締め、タケルへ想いを馳せる。
同時に、和歌の浦にいるタケルの首飾りが更に光を増してきた。
「すみません。チドリ様、すこし、私に時間をいただけませんか。」
「どうしようというのです?」とチドリ。
「どこまでできるか判りませんが・・傷を癒すことができるかもしれません。」
タケルは遠慮がちに言う。それを聞いて、ヤチヨが、チドリとツルに言う。
「ヤマトの皇、アスカ様は、特別なお力で傷を癒し、命を救う事がお出来になります。タケル様にも、その御力があるはずなのです。首飾りが光っているのがその証拠。是非、おねがいいたします。」
チドリはそれを聞いて、半信半疑ながら受け入れた。
タケルは、ツルの隣りに座り、左手に首飾りを握り締める。そして、右手をそっと、ヤシギの傷の辺りに置いて、ゆっくりと目を閉じる。そして、再び、母アスカを思い浮かべた。
すると、首飾りが、一層強い、黄色い光を発し始めた。
その光は、部屋の中を満たしただけでなく、館中に広がり、やがて、郷をも覆いつくすほどになっていく。
郷を立て直す仕事で、浜にいた人達も、その光に気付き手を止める。その者達にも光は届いていて、皆、目を閉じその場に座り込んだ。皆、その光の中にいると、心の中から穏やかで解されるような、温かい力を感じられた。
しばらくすると、光は徐々に小さくなっていった。
最初に異変に気付いたのはツルだった。目の前の父ヤシギの、土色だった顔色が、ほんのり紅を指したように赤く見えた。そして、ヤシギがうっすらと瞳を開いたのだった。
「お父様!気づかれましたか!」
ツルの問いかけに、ヤシギは握っていた手を強く握り返して見せた。
そのころ、怪我をして、館の広い土間に横たわっていた男たちも、ふいに起き上がり、自ら声を上げた。
「タケル!凄いぞ!」
ヤシギが目を覚ましたのを見て、ヤスキが声を上げ、タケルの肩を叩く。
すると、タケルは、そのままドサッと倒れ込んでしまった。タケルの異変に、チハヤが反応した。すぐに傍に駆け寄り、タケルの顔を覗き込む。
「タケル!タケル!」
何度も何度も呼び掛けるが、タケルは反応しない。さらに、体がどんどん冷たくなっていくのが判った。手を取ると、力なく、だらりとしている。
「すぐに、床を用意してください!」
チハヤが叫ぶ。すぐに、タケルは隣りの部屋に移された。
「体を温めなければ・・・。」
チハヤが、持っていた袋を開き、いくつかの薬草を取り出し、侍女に頼んで熱い湯で煎じてもらった。それを、タケルに飲ませようとするが、意識のないタケルは、飲み込む事ができない。チハヤは、口移しで、なんとかタケルに飲み込ませる。
「部屋を暖めてください。それと湯を沸かしてください。」
チハヤは、その日からタケルの傍で、つきっきりで看病した。
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3-4 命の光 [アスカケ外伝 第1部]

タケルは、暗闇の中にいた。上も下も右も左も真っ暗。宙に浮いているのか、自分の体さえも感じられない不思議な感覚の中にいた。声を発しようにも、自分自身の存在自体が曖昧で、何か周囲の空気とまじりあう様な,いや、自分自身が存在しているのかもわからない様な状態だった。これは死ぬという事なのかと思い始めた時、遥か遠くに、小さな光を見つけた。曖昧な意識の中で、その光に近づこうとする。徐々に光は。母アスカの姿だと判別できた。母は、静かな微笑を浮かべている。
タケルは、手を伸ばし、「かか様!」と叫ぼうとした時、眩しい光を感じて、目が覚めた。
「うわっ!」
タケルが急に手を伸ばし、傍にいたチハヤの腕を強く握った。チハヤは驚いて、すぐには、声も出なかった。
「目が・・目が覚めた・・のね。」
チハヤは、少しして平静を取り戻し、タケルに訊いた。
ぼんやりとした光景、まだ、視線が定まらない状態だったが、声がチハヤだと判り、タケルは小さく「ああ・・。」と答えた。
「良かった・・本当に良かった・・・。」
チハヤはそう言いながら、横たわるタケルに覆い被さるような恰好で、タケルを強く抱きしめる。何か、全身の力が抜けていくように安堵した。タケルも、チハヤの体の温もりに、現世に戻れたような感覚を覚えていた。
その様子に気付いたのか、部屋の外にいたヤスキとヤチヨが入ってきた。
「気が付いたか?」
「大丈夫なの?」
ヤスキもヤチヨも涙を流している。皆、すっかり、疲れた様子だった。
「ごめんなさい・・。」
ヤチヨが、タケルの手を握り、涙を流しながら、タケルに言う。
「私が、あの・・特別な力の事を・・言ったせいで、こんなことに・・本当にごめんなさい。」
ヤスキも、神妙な顔をしている。
「もう・・無茶するんだから・・。」
とチハヤがタケルの手を握り、笑顔を見せる。
「ヤシギ様はいかがでしたか?」
と、カケルがチハヤに訊く。
「・・すぐに目を覚まされたわ。数日は重湯でしたけど、昨日には食事もできるようになり、あと、数日で普段通りに暮らせるようになられるはずです。」
それを聞き、タケルは少し戸惑っている。
「あの・・一体、どれくらい・・」
タケルが訊きたい事はすぐにヤチヨに判った。
「あなたは、三日三晩眠ったままだったのよ・・・そのあいだ、ずっと、チハヤが傍で看病していたんだから・・。」
ヤチヨの言葉に、タケルはチハヤを見る。チハヤは、目の周りの隈ができ、やつれた様子なのが明らかだった。
「すみません。心配を掛けてしまって・・。」
タケルが目を覚ましたことは、すぐにチドリとツルにも伝えられ、二人は急ぎ、タケルの部屋に見舞いに来た。
「良かった。お元気になられたのですね。・・本当に、良かった。」
ツルは、タケルの様子を見て、なぜか、チハヤに向かって言った。
チドリもツルも、ヤシギの命を救った不思議な力を今でも信じられない様子だった。だが、確かに、ヤシギは回復した。既に起き上がれるようになり、会話もできる。
「あの光は・・一体・・。」
ツルの隣りにいた、チドリがつい訊いてしまった。
タケルは、少し考えてから答えた。
「あれは、今の皇、アスカ様の御力によるものです。皇は私の母なのです。子の首飾りを通じて、力を送って下さったのです。」
それを聞いて、チドリもツルも驚いた。
「では・・あなたは、ヤマトの皇子なのですね。」
「はい。しかし、ここへは難波津の摂津比古様の命で参りました。今は、皇子ではなく、難波津の使いという事です。・・できれば、皇子であることは伏せていただきたいのです。」
タケルの答えに、チドリもツルも戸惑っている。
「そうしてください。私たちは、大和国の春日の杜で学ぶ者。今は、修行のため、こうした役目を言い遣っているのです。どうかお願いします。」
そう言ったのは、ヤチヨだった。
「明日にも、ヤシギ様にお会いし、伺いたいことがあるのですが・・。」
タケルは、今は休んでいる場合ではないと考えているようだった。
「駄目です。もう少しお元気になられてからです。」
厳しい声で、そう言ったのは、チハヤだった。
「大丈夫だ。郷の復興は、皆が手分けして順調に進んでいる。ヤシギ様もまだ十分ではない。もうしばらく、タケルは休んでいてくれ。」
そう言ったのは、ヤスキだった。
タケルは、少し不安げな表情を浮かべてヤスキを見た。
「信用しろって・・。シルベ様が頭になって、皆で、家や船の修理も始めている。米や稗などの食べ物も、順次、難波津から届いている。ひと月もあれば、元通りになるさ。」
「そうか・・。」
タケルはそう言うと、目を閉じた。

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3-5 ヤシギの葛藤 [アスカケ外伝 第1部]

翌日、タケルは、夜明けとともに目覚めた。部屋を出ると、館の廊下の格子越しに、海が見えた。小高い山に挟まれた高台に建つ館の足元には、集落が見えた。タケルは、皆に気付かれぬように、そっと館を出て、坂を降りて行く。小さな港になっている場所には、数軒の小屋があり、桟橋には小舟が留まっている。振り返ると、高台に続く道から脇にある道沿いに、何軒もの家が並んでいた。坂道から数人の男達がやってきた。朝の仕事にでも取り掛かるのだろうか、手振り身振りで話をしながら、楽し気に向かってきた。
「タケル様!お体はもう良いのですか?」
少し離れたところから、手を振りながら、大きな声で呼びかけたのは、シルベだった。
「ええ・・もう大丈夫です。」
シルベとタケルの会話を聞いていた男たちが、何か、シルベに訊いた。シルベがそれに答えると、男たちは驚いた表情で、一目散にタケルのもとへやってきた。そして、タケルの前に跪くと、「ありがとうございます。」と口々に礼を述べる。
「タケル様、・・この者達は、ここ広瀬の郷の者達で・・水軍に襲われた時、大怪我をしていた者なのです。・・先日、あの・・光の御力で、奇跡のように回復し、今は、郷の立て直しに頑張っております。・・個々の者達の多くは、あの御力で救われております。」
ヤシギの怪我を治すため使った力だったが、郷中に広がって、多くの奇跡を起こしていた。
「ここはもう大丈夫です。少しずつですが元の暮らしに近づいております。ですが・・」
シルベは、そう言うと、視線を対岸に向けた。
「対岸の郷が・・・・。」
タケルも対岸を見る。小高い山の麓まで、平地が広がっているが、荒涼としている。ただの荒地ではない。あちこちに、建物の一部と思われるような木柱が立っている。
「あそこは?」と、タケル。
「紀一族が治めている名草という村です。日前山の麓一帯に、幾つもの郷があって、大勢が暮らしていたようです。ですが、・・昨年、大川が氾濫して、周囲の田畑が水没し、家も多数流されたようです。そのために、苦労しているという事のようです。」
シルベが言う。
「それは・・では、すぐに様子を見て来てもらえますか?そして、必要なものをすぐに手配してください。」
「そうしましょう。数日すれば、ウンファン様がこちらに参られます。様子を伝え、必要なものを手配いたします。」
シルベが答えたのを聞いて、近くにいた男が声を上げる。
「なら・・俺に案内させてください。俺は、あの山の麓、黒田の郷の生まれです。漁師になりたくて、広瀬に参りました。名は、クマリと言います。」
「では、クマリ様、シルベ様を案内してください。」
タケルの言葉を聞いて、シルベとクマリは頷いた。そして、周囲にいた男たちと、これからの事を相談しはじめた。
そこへ、チハヤが血相を変えてやってきた。
「目が覚めたら、姿が見えなくて・・館の方々にお聞きしても判らないと言われて、ずいぶんあちこち探したのよ。そしたら、郷へ降りたんじゃないかという人がいて・・・・。まだ、目が覚めたばかりで・・・心配させないでよ。・・」
チハヤの言い方は、どこか聞きわけのない子供を諭すように聞こえた。タケルは、チハヤに詫び、急いで、館へ戻った。朝餉の支度が出来ていて、それを済ませると、頭領と対面することになった。
頭領の部屋に入ると、ヤシギは床から身を起こす程度ではあったが、血色も良くなり食欲も出てきているようだった。傷を負って長く臥せっていて食事を摂っていなかったせいで、随分と痩せており、体力は戻っていない様子だった。
「大和国のタケルと申します。」
タケルは、ヤシギの前に傅いて、挨拶をした。
「うむ。儂の命を救ってくれたと聞いた。礼を申す。」
ヤシギの答えは、少しぞんざいな感じがした。それを見て、妻チドリが言う。
「申しわけありません‥。命の恩人とは判っているのですが・・やはり、大和と聞くと・・」
チドリは言い掛けた事の重さに気付き、途中で話をやめた。
「郷は随分と元通りになってきました。あとひと月もあれば、元の暮らしができるようになるでしょう。」
同席していたヤスキが言う。
「そうか・・それにも、礼を言わねばならぬのであろうな・・。」
再び、ヤシギは何か含みを持った言い方で答える。
「ヤシギ様は、ヤマト国へ恨みの様なものをお持ちのようですね。お聞かせ下さいませんか。」
タケルが単刀直入に切り出した。ヤシギの表情が硬くなった。
「我らは、摂津比古様から、紀の国の窮状をお助けする命を受け参りました。もし、ヤマト国への不満や恨みをお持ちのようなら、解決しなければなりません。是非、御聞かせ下さい。」
タケルは、そう言うと、手をつき頭を下げる。その様子をみて、チドリが言った。
「あなた、今は、タケル様の御恩に報いるべきではありませんか。きちんとお話し下さい。」
それでも、ヤシギの表情は厳しいままだった。
「お父様・・加太も西の庄も、広瀬も、皆様のご尽力で、住まいも食べ物も手に入れることができ、みな安堵して暮らせるようになったのです。私たちの知るヤマトとは違うのです。きちんとこれまでの経緯をお話し下さい。・・・ニトリ様も、タケル様達に救われ、広瀬に戻って来られました。心をお開きになって下さい。」
傍で見ていた、ツルが父ヤシギに懇願する。
「そうか・・ニトリは、無事に戻れたか・・。」
ヤシギの表情が、少しだけ緩んだ。ヤシギは、目を閉じ少し考えを整理しているようだった。それから、ゆっくりと目を開け、タケルたちをぐるりと見渡し、一息ついてから口を開いた。
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3-6 大和への恨み [アスカケ外伝 第1部]

「わが父イタギは、ヤマトに殺された。」
ヤシギはそう言うと、天井を見上げる。短い言葉だが、その悔しさ、憎しみは充分に伝わった。だが、タケルには、その言葉の本意が理解できなかった。春日の杜の学び舎では、紀の国の話はほとんど出たことがなかった。大和のはるか南には、那智一族が治める国がある。大和とは友好を保ち、助け合える関係だと聞いていた。争いがあった等、初耳だった。
「ヤマト国と紀ノ國の戦があったのですか?」
タケルは、そう聞くほかなかった。
「そなたたちの様な若者に話して、どれほど理解されるか判らぬが・・・。」
ヤシギは、そう前置きして、話し始めた。
「紀ノ國は、名草山のほとりを本拠とする紀一族が治め、大川のほとりには、田畑が広がり、作物が良くとれる豊かな地で平穏な暮らしがあった。我ら、淡島一族は、もともと海に生きる者。加太の郷の先に並ぶ、大島が本拠だったが、いつからか、和歌の浦へ移り住み、紀一族と我ら淡島一族は助け合い、山と海の幸を分け合い暮らしてきた。それは、ヤマト国ができるずっと以前からそうだった。」
ヤシギの話に、タケルたちは少し驚いていた。いずれの国も大和のように王族が治めるものだと思い込んでいたからだった。
「今から、二十年ほど前になるかな・・先代の頭領、我が父イタギが治めていた頃、ヤマト国から巨勢一族のクヒコが、葛城王より国造を任じられたと言い、多くの兵を率いて、我らの地へ踏み込んできた。」
確かに、摂津比古から、巨勢一族が国造として紀の国へ来た事は聞いていた。だが、それは、父カケルが大和平定のために遣わされた事と同じように、乱れた地を治めるためであったのだと、タケルたちは考えていた。兵を率いて踏み込むというのは、考えてもいなかった事だった。
ヤシギは続ける。
「あれは、弁韓の水軍より酷いものだった。平穏な日々に突然乱入されたのだ。だから、我らは持てる力で対抗した。だが、兵力にかなうはずもなく、逆らうものを容赦なく殺され、家々を壊し、田畑にも火をつけられた。蓄えていた食料はすべて奪われ、多くの者の命も奪われた。わが父イタギも、紀一族の頭領ヒノクマも、捕らえられ、命を奪われた。」
ヤシギは当時の事を思い出し、怒りに身を震わせている。
「何てことを・・。」
ヤシギの話を聞き、ヤスキも怒りを隠せないでいた。
「我らはやむなく、巨勢一族に従った。奴らは、多くの兵をあちこちの郷に送り、民を見張った。作物や魚、貝・・我らが日々の暮らしに必要なものをヤマト国への貢ぎ物として無慈悲に奪い続けた。時には、巨勢一族の館の普請や、新しい郷を作る為として、男たちを集めこき使った。・・我らは、まるでヤマトの奴隷であった。」
「しかし、今は違うのでしょう?」
チハヤが訊く。
「ああ、巨勢一族の長、クヒコが倒れ、息子のシラキが国造の職を継いだ時だった。シラキは、我らの地ではこれ以上の富は得られないと考え、大川のさらに上流の・・熊野を手中にしようと動き出したのだ。」
「熊野は、那智一族が治めていた地ではないのですか・・?」
タケルは、訊いた。
「熊野とは、大川の上流、山深い土地。山には神々や精霊が住み、簡単に人を寄せ付けない神聖な場所なのだ。古くから、山の神や精霊を祀る穂積一族が暮らし、人が支配できるところではない。そなたの言う、那智一族は、我らと同じ海の者。大海に生きる民であり、熊野の一族を支える者なのだ。」
「それでどうなったのですか?」
ヤスキが身を乗り出して聞いた。
「巨勢のシラキは、大軍をもって熊野へ入った。だが、川に阻まれ、山に飲まれ、戻ってきた。シラキも病になり、今も臥せっておるようだ。以来、紀一族も我ら淡島一族も、昔のようにそれぞれの地を治める事ができるようになったのだが・・。」
ヤシギの声が曇っている。
「以前のように・・とはいかないのですね?」とタケル。
「ああ、そうだ。シラキの息子ハトリが成人し、今、巨勢一族の勢力を立て直そうと躍起になっておる。昨年は大川が氾濫し、紀一族の郷は大きな被害が出た。そして、此度は、我らの郷は水軍に襲われた。・・おそらく、早晩、ハトリが兵を率いて再び攻め入ってくるに違いない。」
「巨勢一族・・彼らがいる限り、安寧の日々は戻らない・・そういう事ですね。」
タケルが言うと、
「ヤマトは、ああいう者を国造に任じ、兵をもって民を従わせる・・恐ろしき国なのだ。」
ヤシギは、タケルたちを前に、問うように言う。
ヤシギの言葉は、タケルたちの心に突き刺さった。
今まで自分たちが見ていたヤマト国は、諸国が尊重し合い、助け合い、民の安寧を一番に考え、皆で努力しているはずだった。しかし、紀の国の現実は違った。支配する者、支配される者、奪う者、奪われる者、悲しい現実がそこにはあったのだ。アスカケの話は、あくまで勝者の話である。一方で、敗れた者達には憎しみが強く残っているに違いない。そう考えると、自分たちはこれからどの道に進むのか、いつ、敗者になるのか判らぬのではないかと思うのだった。初めに、ヤシギが「そなたたちに話しても判らぬであろうが・・」と前置きした意味が、ようやく分かった気がした。
「そなたたちを責めるつもりはない。我が命を救っていただき、郷も助けていただいておる。そなたたちには感謝の言葉の他はない。だが、我らの置かれている様をしっかり知ってもらいたいのだ。できるなら、これから皆が安息して暮らせるよう、力になってもらいたい。」
ヤシギは、穏やかな口調で言った。
熊野.jpg
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3-7 名草山 [アスカケ外伝 第1部]

「ヤシギ様、先ほど郷へ行ったところ、対岸の郷も厳しい有り様と聞きました。この先、我らとしては、対岸の郷もお助けしたいと考えているのですが・・・。」
タケルはヤシギに訊いた。
「それはきっと、紀一族も喜ぶに違いない。」とヤシギは答えた。
「実はすでに、シルベ様が、伴を連れて向かっております。どれほどの在り様か、しっかり調べ、必要なものを難波津から運ぶよう手配しております。」
と、タケルが言うと、ヤシギは困惑した表情を浮かべた。
「すでに向かったとは・・・それは危うい事じゃ。」
ヤシギの言葉に、タケルたちは驚いた。
「先程申した通り、今、紀一族は巨勢一族の侵攻を警戒しておる。見知らぬ者が郷に入れば、直ちに捕らえられるであろう。」
「黒田の郷のクマリという者に案内役をお頼みしましたが・・。」
「無事でおれば良いが・・。」
ヤシギは心配そうな表情で、そっと対岸の山を見た。
その頃、シルベは、対岸の名草へ船で向かい、川縁の氾濫の傷跡をつぶさに見て回った。
上流から流れ着いた大木があちこちに横たわり、田畑は激しい流れに削られ、抉られ、無残な状態だった。僅かに高い場所には集落があったのだろうが、僅かな柱を残して跡形もなく消えていた。シルベは陸に上がり、集落跡を見て回った。人影はなかった。
「黒田の郷はもうすっかりなくなってしまいました。」
供をしているクマリは悔しそうに言った。
「お前の家族は如何しておる?」とシルベが訊くと、クマリは、すうっと高い山の方を指さして言った。
「山裾辺りに、頭領様の館がございます。おそらく、そこにいるはずです。行ってみましょう。」
案内役のクマリは、シルベとともに急ぎ足で山裾へ向かった。いくつもの坂道をのぼると、館が見えてきた。
「やはり、この辺りは無事のようです。」
川筋からかなり上がった場所には、狭いながらも田畑が広がり、郷の民が作業をしている様子が判った。二人が坂道を上がってくるのを見つけた郷の民の一人が、大急ぎで館へ向かった。まもなく、甲冑に身を包み剣を携えた兵士らしき男が数人、館から駆け出し、二人の許へ向かった。
「なにやつだ!」
兵士は、剣を突き出し、二人を取り囲んだ。
「私は、黒田の郷のクマリです。こちらは、難波津から参られたシルベ様。摂津比古様の命により、我らをお助けに参られたのです。」
クマリは、跪いて兵士たちに言った。
「なに?では、ヤマトの者を連れて来たというのか!」
兵士が、クマリを取り押さえて浴びせるように言った。そして、もう一人の兵士が、剣の柄でシルベの足を突き、跪かせる。
「ヤマトの者とは・・我らの地を探りに来たのであろう。・・このままでは帰せぬぞ。成敗してやる!」
別の兵士が、シルベの首元を掴み、地面に顔を押し付けようとする。シルベは元兵士。腕には覚えがある。首を掴んでいる兵士の手首を右手で掴むと、強く捻じる。兵士は余りの痛みにその場に倒れ込んだ。そして、シルベはその塀の剣を奪い取った。
「なぜ、ヤマトの者は成敗されねばならぬのか!我らは水軍に襲われた紀ノ國の郷を助けるために参ったのだ!恩を仇で返される謂れはないぞ!」
シルベは叫ぶと、剣を大きく振る。目の前を掠めた兵士はその場に座り込んでしまった。
『この者達・・兵士ではないようだ・・見た目は兵士のようだが・・鍛錬されていない』
シルベはそう考え、剣を地面に突き立て、その場にドカッと胡坐をかいて座り込んだ。
「さあ、詳しく訊かせてもらおう」
兵士たちは、互いに顔を見合わせた後、シルベと同じように地面に座り込んだ。
「我らは紀一族に仕える伊部の郷の者です。先の水害で多くの田畑が流され、苦労している最中、対岸の巨勢一族が戦を仕掛けようとしておるのです。」
そう言ったのは、兵士の中でも最も若そうな、タケルたちと同じ年ほどの青年だった。
「巨勢一族?それと、ヤマトとどういう関係があるのだ?」
シルベが訊く。これには、少し年配の兵士が答えた。
「巨勢一族は、昔、ヤマトの大王から紀の国造に任じられたとかで、兵を引き連れここへ参り力でこの地を奪い、我らは、巨勢一族の奴隷のごとく働かされてきたのです。」
「今でも続いているのか?」
シルベが訊くと、別の男が答える。
「さきごろ、先代の国造が亡くなり、跡を継いだシラキが熊野を手中にしようとしましたが、失敗し、力を失ったので、我らもこの地を奪い返すことができました。ですが、その息子ハトリは、兵力を強め、再び、この地を狙っております。そんな時に、水害が起きた始末で・・今、巨勢一族が戦を仕掛けてくれば・・抵抗する事もできず、再び、苦しい暮らしになるでしょう。」
別の男が続ける。
「つい、先ごろ、兵らしきものたちが川を渡り、黒田の郷辺りをうろついていたのです。シルベ様もその一味かと思ったのです。」
「何とした事か!」
シルベは、声を荒げた。大和争乱の際、ヤマト王に敵対する豪族の兵として、難波津へ攻め入った経験がある。その後、摂政カケルによって大和平定が成って、須らく穏やかに収まっていると考えていた。だが、ヤマトからわずかの地で、まだ、争いがあり苦しむ民がいる事に愕然としていた。
名草山.jpg
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3-8 頭領ユミヒコ [アスカケ外伝 第1部]

「頭領様に会わせていただけまいか。」
シルベは兵たちに頼んだ。
「頭領に会って、どうされるおつもりですか。」
若い兵士にそう聞かれて、シルベは言葉に詰まった。確かに、今、紀一族の頭領に会って何を話せるというのか、戦支度を勧めるのか、それは火に油を注ぐことになる。
「シルベ様、我らの目的は、名草の郷がどのような様子なのか調べて、タケル様たちにお知らせする事です。もう少し、この辺りの様子を見て回りましょう。それから、一旦広瀬に戻り、これからの事を相談しましょう。」
そう言ったのは、伴をしてきたクマリだった。
すぐにシルベとクマリは、名草山と大川の間に点在する集落を一つ一つ見て回る事にした。念のためと言って、若い兵士も同行した。
「私は、マトリと申します。我が郷は、名草山の裏側の和田というところです。そこは、山と山に囲まれた窪地で、此度の水害では、一帯が沼となってしまいました。郷の者は皆高台に逃れ無事でしたが、田畑は見る影もなく・・・今頃は、泥濘の中で田畑の復旧をしているはずです。」
マトリはそう話して、自分の郷を案内した。マトリの言葉通り、和田の郷では、道は泥濘み、油断すると足を取られて動けなくなるような場所さえあった。そんな中、郷の者達は懸命に土を運び、修復作業をしていた。
そのあと、三人は、山裾沿いに北へ向かい、井辺、鳴神、岩橋と回ったあと、最後に、黒田の郷に戻った。
「これは大仕事だ・・。今いる者だけでは到底足りぬ。難波津からさらに人手をよこしてもらわねばなるまい。」
シルベは、クマリとマトリを伴い、一旦広瀬に戻る事にした。
広瀬の郷に戻ると、すぐに頭領の館へ向かった。タケルたちは館の一室に集まっていて、シルベの話を聞き、これからの事を相談した。
「私たちもヤシギ様から紀ノ國の様子を聞いたところです、このままでは争乱が起きるでしょう。無益な戦だけは避けねばなりません。」
タケルたちはヤシギから話を聞き、策を考えていたのだった。
「ですが、その前に、名草の復興に尽力しなければなりません。水害は、我らが思う以上に深刻です。名草一帯、かなり酷い状態でした。すぐにも、難波津に使いを出し、さらに人手をよこしてもらいましょう。」
シルベが言う。
「明日には、ウンファン様が大船で到着されるはずです。すぐに伝えましょう。我らも、人手を集めて、名草へ向かいましょう。」
次の日、大船でやってきたウンファンに、名草の様子を伝えた。同時に、紀の国造巨勢一族の所業についても摂津比古に伝えてもらうよう頼んだ。それから、タケルたちは、できる限りの人出を集めて、名草へ向かった。
タケルたちは、マトリの案内で、紀一族の頭領ユミヒコに謁見することができた。頭領に会うのならと、淡島の頭領ヤシギの配慮で、ツルとニトリも同行していた。
紀一族の頭領ユミヒコがいる館は、日前山の尾根沿いの高台にあり、ぐるりと郷を見渡せる。そこは、シルベが、兵たちに出くわした場所から、さらに山手を上ったところだった。
タケルたちは、館の大広間に通された。暫くすると、奥から頭領ユミヒコが姿を見せた。白髪で白い髭を蓄え一見かなりの高齢に見えた。
「ユミヒコ様・・その御髪と髭・・どうされたのですか?」
久しぶりに会うツルが驚いて尋ねる。ユミヒコは少し笑顔を見せ、小さく頷き、
「・・・気苦労のせいであろう・・一晩でこのように白くなったのだ・・」
そう言って、淋しげな表情を浮かべながら笑った。すでに、クマリからタケルたちが来た目的は伝えられていた。
「此度は、遥か難波津より、淡島の郷や我らの郷のために、お越し下されたとは・・民に代わり、深く礼を申します。見てのとおりの有り様、藁ら郷の者だけでは到底元通りにはできますまい。ご尽力、痛み入ります。」
頭領ユミヒコは深々と頭を下げた。ユミヒコは、実に物腰が柔らかく、表情の柔和で、とても臨戦態勢の中で警戒しているようには見えなかった。
「我らは、紀の国の窮状を救うよう命を受けております。存分にお使いください。」
タケルが言うと、ユミヒコは、クマリを呼んで、今の郷の様子を改めて聞いた。そして、ひとしきり思案して口を開いた。
「では、和田の庄から手を付けて下さらぬか・・。かの地は、我らにとってはどうしても守らねばならぬ場所。何としても元に戻したいのです。」
名草の郷を一回りしてみてきたシルベも、頷いて言った。
「泥濘が酷く、動くこともままならぬ地でした。ですが、その分、水に恵まれ周囲の山々の恵みも大きい。土を運び入れ、水路を整備すれば、見違えるほど良い土地になりましょう。」
すぐに、伴に来た人夫たちに知らされ、クマリが先導して、和田の庄へ向かって行った。
「ところで・・。」
と、タケルは、巨勢一族との事を切り出した。とたんに、頭領ユミヒコの顔が曇る。
「我らは、戦など望んではおらぬのです。ただ、先祖から受け継いできたこの郷を守りたいだけ。・・・だが、巨勢一族は、虎視眈々とこの地を狙っておる。今、我らは戦を構えるほどの力などない。民も日々不安の中で暮らして居るのです。」
「それほど、油断ならぬ者なのですか?」と、タケル。
「国造と名乗り、三代にわたり、この地を荒らし、多くの郷と民の命を奪いました。ハトリが頭領となって、さらに無軌道になっておる。・・ヤマトは、なぜ、あのような者を放置しておるのか・・。」
頭領ユミヒコの言葉は、これまでになく、強く、ヤマト国への憤りをあからさまにした。
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3-9 ニトリの秘密 [アスカケ外伝 第1部]

「申しわけありません。」
ユミヒコの憤りに、タケルは、つい謝罪の言葉を出してしまった。
「そなたが、なぜ、謝る?」
ユミヒコは不思議そうな表情を浮かべ、タケルに問う。
「私は・・・実は、ヤマト国の皇子なのです。」
思わぬ言葉に、皆が大広間にいた皆が驚いた
「母は、皇アスカ、父は摂政カケル。先代の皇、葛城王が任じたとはいえ、それを放置しているのは、ヤマト国の失策です。皆さんの苦難はヤマトの不始末に他なりません。お詫びするほかありません。」
タケルはそう言うと、皆に向かって、深々と頭を下げた。
タケルが皇子だということを、知っていたのは、シルベとクマリだけで、ツルやニトリも知らなかった事だった。皆は、戸惑いを隠せない。
「此度は、難波津の摂津比古様の命により、一人の使者として参りました。この地へ来るまで、このようなことになっているとは知りませんでした。難波津でも、都でも知る者はいないでしょう。・・巨勢一族は、先の皇、葛城王が任命した者。その皇もすでに亡くなりました。摂政様は、紀の国の様子はおそらくご存じないはずです。巨勢一族も、自らの悪行は隠しているに違いありません。」
タケルの話を聞き、頭領ユミヒコは天井を見上げ、大きな溜息をついた。
「我らの苦難は誰も知る事の無いものだったとは・・・。」
「この償いはせねばなりません。何としても、巨勢一族の悪行を止めなければなりません。ですが、今の私に何ができるのか・・。」
タケルは正直に今の心情を話した。
「ただ・・争乱だけは避けねばなりません。兵だけでなく、民も田畑も傷つき、暮らしはおぼつかなくなります。」
タケルが言う。
「それは、私とて同じ。ただ、長い間、巨勢一族に虐げられ、土地を奪われた者、命を奪われた者が多くいる。その恨みは簡単には消えぬ。巨勢一族をこの地から追い出す事・・いや、奴らの滅亡こそが、多くの民の悲願。」
「しかし・・」とタケル。
「では、如何する?」とユミヒコ。
タケルは、沈黙した。
ユミヒコの言うことは、充分に理解できた。
淡島一族の頭領ヤシギも、おそらく、同じ思いに違いない。名草の郷を元通りにしても、おそらく、今のままでは早晩、争乱が起きる。紀一族や淡島一族の頭領が戦を避けようと考えたとしても、民の怒りを消す事はできず、何かをきっかけに争乱が起きるに違いない。ヤマト国の皇子として、巨勢一族に命令したとしても、大人しく従う事ははずもないのは充分に解っている。都の摂政の御力に頼るほかないのかとも考えた。だが、それは別の火種となり、次は大和の大きな争乱につながるかもしれない。
一体どうすれば良いのか。タケルは考えが纏まらない。
「今、この地には、難波津から多くの者が来ております。その中には、弁韓の兵士だった者もおります。私も元兵士。数を集めれば、巨勢一族とて、恐れおののき、降伏するに違いありません。」
そう言ったのは、シルベだった。
「いや・・それは無理であろう。・・・巨勢一族の男どもはほとんどが兵士なのだ。幾度も戦をした強者揃い。そうやすやすと降伏などしない。」
ユミヒコが否定する。
「では、ヤマトの摂政様に、この地の実情、巨勢一族の悪行をお知らせし、成敗いただくというのはいかがでしょう?」
シルベはさらに言う。
「成敗となれば、ヤマトから大軍を送り、巨勢一族と戦を起こすという事になりましょう。そうなれば、名草の郷も巻き込まれるに違いありません。」
と、タケルが言う。
「では、どうすれば・・」
と、シルベは諦め顔で言った。
「巨勢の頭領、ハトリに会いに行きましょう。」
沈黙を破ったのは、ニトリだった。突然の発言に、皆、驚いた。
ニトリの顔が少し強張っている。隣に座っていたツルの表情も硬い。ニトリは、一度、ツルの方を向き、何か確認するような仕草を見せたあと、立ち上がり、ぐるりと見渡したあと、さらに話を続けた。
「私は・・巨勢一族の頭領ハトリの弟なのです。」
皆がどよめき、表情が厳しくなる。
「これまでの巨勢一族の悪行、皆様の怒りや恨みはよく判ります。私は、それを知り、一族とは縁を切り、広瀬の郷に隠れておりました。」
隣にいるツルは、俯き、涙を流している。
「しかし・・このままでは駄目だと・・心を決めました。今一度、兄に会い、説得します。もし、聞き入れなければ、兄の命を奪い、巨勢一族を終わりにします。」
皆、ニトリの言葉をどう受け止めてよいか判らず、声が出ない。真意は判るが、兄弟で殺し合いとは穏やかではない。それがきっかけで戦が起きるかもしれない。
「ニトリ様、御覚悟はよく判りました。しかし、兄の命を奪うというのはいけません。」
タケルは、ニトリに言った。
「兄は、簡単に、話が通じる相手ではありません。我が欲のためなら、命を奪うなど造作もない事だと考えるような非道な者なのです。」
「それなら、一層、ニトリ様と共にはいけません。」
タケルは厳しい声で言った。
アスカの兵士.jpg
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3-10 園部のクニヒコ [アスカケ外伝 第1部]

「ニトリよ。そなたに話しておかねばならぬことがある。」
頭領ユミヒコは、ゆっくり立ち上がると、ニトリの傍らに行き、そっと肩に手を置いた。
「そなたが、巨勢一族ハトリの弟だという事は、遠の昔に知っておったぞ。ヤシギ様もご存じの事だ。」
ニトリは驚いて、ユミヒコを見た。
「そなた、園部のオノヒコを知っておるであろう?」
「はい、幼き頃、園部に預けられ、父、母のように慕っておりました。」
「オノヒコはわしの弟、そして妻のシギリはヤシギ様の妹なのだ。巨勢一族の拠点である田屋から、我らの地へ向かうには、一旦、園部に出てくる他ない。彼らは、我らや淡島の者達を巨勢一族から守るため、園部に行った。自らが、楯となると言って、周囲の反対を押し切って行ったのだ。」
そういうユミヒコの表情は悲しげだった。さらに続ける。
「園部で、オノヒコとシギリは、巨勢のシラキに、紀一族と淡島一族を裏切り、園部に来たと嘘を言い、巨勢一族に取り入り、味方というふりをした。・・もちろん、我らとて、彼らが疑われぬよう、極力、連絡をしなかった。時には、小さな戦を構えるふりもした。」
居合わせた皆も知らぬ事のようで、ざわついている。
「だが、シラキはその嘘を見抜いていたようだ。その後、熊野攻めを画策した時、背後から我らに襲われぬよう、シラキは、幼いそなたを園部に預けた。それは、暗黙のうちに、人質としたものだ。」
ニトリは幼い日の事を思い出していた。
人質などとは考えたことはなかった。父シラキは、息子ニトリのひ弱さを憂い、兄を可愛がっていた。自分は疎まれ、園部に出されたのだと思っていた。
「わしもヤシギも秘密裏に園部に行った時、幼きそなたに会っておる。覚えてはおらぬようだがな。・・そなたは、幼き頃から、紀の国を安寧のために生きる事を運命づけられた者に違いない。・・それに、ヤシギ様は、其方が成人し、広瀬に来た時、たいそう喜んでおった。いずれ、そこにいるツルと夫婦となり、淡島のみならず、我らや巨勢の一族、すべてを纏めてくれるだろうとも話しておったのだ・・・。」
ユミヒコは、ニトリの眼をまっすぐに見て、力強く話した。
「ニトリ様、園部に行きましょう。」
タケルは、ユミヒコの話を聞き、唐突に言った。
「兄の命を奪うのではなく、皆が一つになれる方策があるはずです。そして、それは、きっと園部にあると思います。」
ニトリが、タケルの言葉を聞き、ユミヒコを見ると、笑顔で頷いていた。
「そうじゃ、案内役にはクニヒコが良かろう。あやつは、園部の郷の生まれで、今は花山砦を守る衛士。あの辺りには詳しい故、無事、園部まで行けるであろう。」
クニヒコはすぐに広間に呼ばれた。ニトリよりも若く、タケルよりは年上のように見える。衛士として立派な体格をしていて、腰には大きな剣をつけていた。
すぐに、タケルとニトリ、クニヒコの三人は園部に向け出発した。
頭領の館を出て、山裾を進むと、小さな谷を挟んで小高い山がある。花山砦はその山頂に設えられている小さな館で、周囲に巨大な柱を立てた、いわば出城の様なものだった。館の脇にある物見台に上がると、大川の対岸が見える。
クニヒコが対岸を指さして言った。
「右手に見える集落が田屋の郷。今は、国衙と呼び、巨勢一族の本拠地です。あそこは、高台で、水に漬くことはありません。そして、少し左側の山裾に園部の郷が見えます。」
ニトリは、園部の方角を見て、昔の事を思い出していた。
タケルは、田屋の郷の方角を見ながら、その北に広がる山裾の様子を気にしていた。
「さあ、参りましょう。」
三人は砦を出て、大川のほとりへ向かった。
タケルたちが、ユミヒコの館を出て園部へ向かった頃、ヤスキはチハヤやヤチヨと共に、ユミヒコの館に着いた。広瀬での仕事がひと段落着き、名草の郷へ皆は集まってきていた。
タケルが園部へ向かったと聞き、ヤスキは、すぐに船を仕立てて、川を上り、花山砦近くに川岸へ向かった。
タケルたちが川岸に出てきた時、ちょうど、ヤスキの船も着いていた。
こうして、ヤスキも合流して、対岸の園部の郷へ向かった。
川を渡る時、タケルがクニヒコに訊いた。
「大川は、いつもこのように泥の濁った流れなのですか?」
「いえ・・大水の時は濁っておりましたがすぐに清らかに戻りました。・・そういえば、濁っていますね。」
ヤスキは一旦、船を岸辺の葦の間に隠した。そして、クニヒコが、先に、園部のオノヒコがいる館へ向かった。
「タケル様・・・皇子とは、次の皇。いずれ、ヤマトを背負うという事になりますが・・・怖くありませんか?」
ニトリが、濁った水面を見つめながら、唐突に訊いた。
おそらく、それは、ユミヒコの「紀之國を一つにまとめ安寧をもたらす運命なのだ」という言葉の意味を重く受け止めているからに違いなかった。・・それは途轍もなく難しく、険しい道のりのように思えた。自分より年下のタケルは、さらに大きなヤマト国を率いる皇となる身。自分とは比べ物にならぬ重圧があるのではないかと思ったのだった。
「怖いですよ。いや・・恐れというよりも、余りにも大きすぎて、自分の力では無理だと何度も思います。・・難波津に行き、広い世界を知るほどに、己の小ささ、無力さを強く感じます。」
弱気な言葉を聞き、ニトリは、タケルを見た。不思議にタケルは笑顔を浮かべている。
「しかし、ここに来て判ったことがあります。ヤマト国の安寧は、皇が作るものではない。ユミヒコ様やヤシギ様、ニトリ様のように、善悪を心得た方々が、それぞれの国で御力を発揮され、民とともに働き、時には、命を賭けてでも民を守ろうとされる。そういう方々がたくさん居られる国を共に作ればよいのではないか。そんなふうに考えられるようになりました。」
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3-11 オノヒコの願い [アスカケ外伝 第1部]

しばらくして、クニヒコが戻ってきて、タケルたちを近くの小屋へ案内した。小屋の中に入ると、ユミヒコに似た御仁が奥に座っている。
「さあ、こちらに。」
それは、オノヒコに間違いなかった。
「クニヒコより、大筋の事は聞いております。・・だが、実のところ、先日から巨勢一族の様子が変なのです。」
オノヒコはそう切り出してから、タケルをじっと見つめた。
「そちらが、皇子タケル様かな?」
どうやら、クニヒコはタケルの素性を話してしまったようだった。タケルは、素性は隠しておきたかった。
「私は、昔、一度大和へ行ったことがあるのです。そう、巨勢一族の非道を皇に訴え出て、成敗していただこうと・・若気の至りです。・・当時、大和争乱が終結したばかりで、摂政カケル様もお忙しく働かれておられました。謁見するのは容易ではなく、御姿を一度見ただけでした。・・・その時の御顔とタケル様は瓜二つ。聡明でありながら謙虚で・・何か、湧き水のごとき清らかさを感じます。」
父カケルに似ていると言われたのは、初めてだった。父は、強い意志を持ち、体格も立派で、人々の真ん中にいるのが似合う。自分は、体も小さく、ひ弱で、昔から母に似ていると言われていた。
「そうですか・・私は父ほど立派な人間ではありません。」
タケルはそう答えるのが精いっぱいだった。
「おや?そうでしょうか。」とオノヒコがニトリに振った。
「いやいや、多くの者を率いて、難波津から来られ、淡島の郷や名草の郷の修復を進めて居られ、みな、タケル様の人望です。それに、タケル様、その太い腕、厚い胸板、上背も立派なミコトではありませんか。」
確かに、ヤマトを出た時と比べ、タケルは大きく成長していた。ヤスキも同様に、大人の男、ミコトとして十分な体格になっている。本人たちは気付いていなかった。
「それよりも、巨勢一族の異変とはどういうことでしょうか?」
タケルがオノヒコに訊ねた。
「大水の後、しばらくは、巨勢一族の兵士の集団が、園部あたりにまで出てきておりました。中には、川を渡り、黒田の郷や浜山砦の麓辺りまでも行っているのが判りました。しかし、十日ほど前からは、兵の姿を全く見なくなったのです。」
オノヒコが言う。
「本格的に戦支度を始めたという事でしょうか?」と、タケル。
「いや・・兵士だけではない。昨日、田屋の郷のはずれまで、様子を見に行かせたのですが、何か静まり返っているようなのです。人影が見えないのです。」
「それは不思議な事だな・・・。」と、ヤスキ。
「戦支度となれば、何かと騒がしく動き回るはず。静かになっているというのは・・別の・・」
と、ニトリが呟く。
「此度の大水で、園部や田屋の郷は無事だったのですか?」とタケルが訊いた。
「はい。こちらは、山裾の高台ばかり。川縁は多少水が溢れましたが、もともと高い崖が水を押しとどめてくれて、ほとんど害はありませんでした。田屋も同様だと思います。」
ユミヒコが答える。
「山はどうでしたか?」とタケル。
「山?」とニトリが訊き返す。
「春日の杜の学び舎で、昔、山の民シシト様から教えられたことがあるのです。山は人が手を入れるからこそ役に立つ。下草を刈ったり、細い木々を切り出したり、様々な形で、山を守ることが郷を守ることになると・・。手入れが行き届かない山は、大水になると一気に崩れる・・山津波が起きるのだと・・そう言うことはなかったのでしょうか?」
タケルの説明を聞き、オノヒコは少し考えている。
「来る途中、大川の流れが泥のように濁っておりました。大水の後、一旦澄んだそうですから、その後、どこかで山津波が起きたのではと思うのです。」
タケルは続けた。
「田屋の郷の北、山裾の木々が倒れているようにも見えました。もしや、巨勢一族の異変と何か関係があるのではないでしょうか?」
そこまで聞いて、オノヒコが口を開いた。
「そういえば、大水の後、晴天が続いておりましたが・・確か、十日ほど前に、また、大雨がありました。・・その時に、山津波が起きたかもしれません。・・巨勢一族は兵ばかりで、山の始末はあまり熱心ではなかった。・・・。」
「それでは・・田屋の郷が酷いことになっているかも知れぬのですか?」
ニトリが慌てて訊いた。
「判りません。・・すぐにも、田屋の郷の様子を見に行くべきでしょう。」
タケルが答える。
「だが・・・むやみに郷に立ち入れば・・どうなるか。もし、戦支度をしていたなら、囚われ命を奪われるかもしれません。」
オノヒコが心配して言った。
「私一人なら大丈夫でしょう。ハトリの弟なのです。兄に会いたいと申せば、むやみに、危害は加えられぬでしょう。」
「しかし・・」とオノヒコが言う。
「気づかれぬように、田屋の北、山手に入る事はできませんか?山津波が起きたかどうかでも判れば良いのです。何もなければ、戦支度をしていると考えられます。まず、北の山裾を見てから・・。」
タケルの提案に、クニヒコが答える。
「良い場所があります・・少々、骨の折れる道ですが・・案内できます。」
すぐに、ニトリとタケル、ヤスキは、クニヒコの案内で出発する事にした。
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3-12 山津波 [アスカケ外伝 第1部]

クニヒコは、小屋を出て、小さな川に沿って山へ向かう。緩やかな斜面、田畑が広がり、一段高い場所に集落があった。そこが園部の郷のようだった。郷の皆は、もくもくと仕事をしている。横目に見ながら、クニヒコはさらに山に分け入る。豊かな森が広がっている。幾つか、沢を渡り、大きな谷を越え、尾根に辿り着く。
「この先の森を抜けると、田屋の郷が見える場所に着きます。」
クニヒコがそう言って、小さな坂を上り、開けた場所に着いたとたん、声を上げた。
「これは・・・。」
タケルたちも、続いて開けた場所に出て、絶句した。
そこは、大きな岩があちこちに転がり、土が剥き出しになっていた。大木がへし折られ横倒しになっていたり、岩に挟まって逆さまに立っていたり・・尋常な風景ではなかった。時折、その削り取られたような場所の上から、ガラガラと岩が落ちて来る。遥か向こう側の尾根辺りまで、同様に風景が広がっている。
山裾に目を遣ると、削り取られた・・いや、崩れ落ちた山の土砂が、真っすぐ、大川に向かって流れているのが判る。
「確か・・あの辺りに田屋の郷があるはずだが・・・。」
クニヒコが呟く。明らかに、田屋の郷はその土砂に飲み込まれているようだった。ニトリは全身を震わせている。
「兄者!!」
そう声を発すると、郷に向かって、削り取られたような崖沿いを降りて行く。
タケルたちも後を追う。途中、何度も足を取られ、転びながらも、何とか森を抜けた。
山の上から見た時よりも、さらに惨い風景が広がっている。どこに郷があったのか判らぬほど、土砂が容赦なく押し寄せ呑み込んでしまっている。
「何者!」
泥に塗れた格好の二人の兵が、ニトリたちの前に立ちふさがる。疲れ果てた表情、構える剣も泥まみれで、ぶるぶると震えている。
「私は、ニトリ。頭領ハトリの弟である。」
ニトリは、力強く答える。それを聞いて、一人の翁が現れた。
「おお・・これは・・なんと・・ニトリ様ではないか・・。」
その翁は、足を傷めたのか、杖を突き、立っているのもおぼつかない様子だった。
「ヨシ爺・・ヨシ爺か・・生きて居ったか。」
久しぶりの再会なのだろう。ニトリはすぐに駆け寄り、その翁を抱えるように支える。
ニトリやタケルたちは、すぐに、ヨシ爺の案内で、郷から少し離れた高台の広場に連れて行かれた。そこには、多くの者の亡骸が並んでいる。
「あっという間だった・・。何やらゴオーという音がしたと思ったら、大きな黒い塊・いや・・土砂の波が郷を飲み込んだ。館も見る影もなく・・・。あれから、我らは、少しずつ土砂を取り除き・・・郷の者を探した。・・・恐ろしきことだ。」
ヨシ爺は思い出すのも苦しい表情でそう言った。
「兄者や、一族の者は?」
ニトリが訊く。
「まだ・・見つかりませぬ。館さえ、掘り出せぬほど・・・もしや、大川の方まで流されていまいかと探しましたが・・・何一つ見つからぬまま・・・もはや、田屋の郷は消えてしまいました。巨勢一族の皆さまも・・。」
「何という事だ・・・。」
ニトリはヨシ爺の話を聞き、大粒の涙を流し、その場に伏してしまった。
「もしやとは思いましたが・・まさか、本当に山津波が起きていたとは・・。」
何とか、難を逃れた者達も、その後、郷の者を探すために、苦労したのだろう、皆、疲れ切っている。
「皆さん、食事はどうされているのですか?」
タケルが訊く。
「しばらく・・何も口にしておりません・・。蓄えておいた米や稗、粟・・すべて、山津波に飲み込まれましたゆえ。」
山津波が起きて、1週間は経っている。このままでは、助かった者さえも、飢えて死んでしまうに違いなかった。
「私は、タケルと申します。」
そう挨拶すると、ヨシ爺は一瞬、怪訝そうな顔を見せた。
「此度、難波津の摂津比古様から、韓の水軍に襲われた紀の国をお助けせよと命を受けて、和歌の浦に参りました。」
「難波津から?・・では・・ヤマト国の遣いと申されるか・・。」
ヨシ爺は恐縮した表情で訊く。
「ヨシ爺・・遣いではありません。この方は・・」
と、ニトリが言い掛けた時、タケルが遮った。
「はい。和歌の浦では、ほぼ復興の目途が付きました。そんな時、大川の水害を知り、名草のヤシギ様にもお会いし、今、名草辺りの郷をお助けしております。もしやと思い、足を延ばしたところ、こんな山津波が起きていようとは・・・。今、多くの男達が、難波津から参っております。すぐに、こちらに向かわせましょう。それと、まず、食べ物を運びましょう。生き残られた皆さまがこれ以上命を落とさぬよう、我らがお助けいたします。」
それを聞いて、ヨシ爺は涙を流して喜び、タケルの手を取った。それを聞いていた周囲の者達も、タケルを崇めるように手を合わせた。
タケルは、このことをすぐに、園部のオノヒコや名草のユミヒコ、そして和歌の浦にいるヤシギに知らせてくれるよう、ヤスキに頼んだ。ヤスキはすぐに、クニヒコと共に戻って行った。
名草では、シルベが指揮を執って、和田の庄の修復に取り掛かっていた。難波津から、さらに多くの男達が来ており、和歌の浦の港には、大船が何隻も着いていた。ヤスキの知らせは、和歌の浦まで届き、大量の食糧を何隻もの小舟に積み、川を上り、田屋の郷近くまで運ばれた。
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3-13 跡を継ぐ者 [アスカケ外伝 第1部]

霞提.jpgタケルは、ヤスキやシルベたちとこれからの進め方を相談した。
まず、田屋の郷に多くの男達を投入し、土砂を取り除き、館と共に埋まっている巨勢一族の者や民を見つけることに専念した。その後は、難波津から来た男たちを二手に分け、一方は、クマリを顔役として和田の庄へ向かわせた。もう一方は、ニトリを顔役として田屋の郷の復興に当たらせることにした。
田屋の郷では、一週間ほどかけて、多くの土砂が取り除かれ、バラバラになった館は見つかった。そして、多くの民の亡骸を見つけた。しかし、頭領ハトリは見つからなかった。
「もう良いでしょう。・・兄は、この大地に戻ったのです。」
皆、疲れも忘れ、懸命に探していたが、ニトリは、皆を止めた。兄ハトリは、決して良い頭領ではなかったはずだった。田屋の民は、それでも、亡骸であっても見つけようと必死に汗を流し働いている。その様子に、ニトリは民を慈しみ労わる事こそ重要だと決断したのだった。
そして、屋敷のあった場所に、土を高く盛り、土器を並べ、大きな墳墓を作った。
「これからは、郷をもとに戻す事が大事です。山津波が起きない場所に郷を移しましょう。」
ニトリたちは、山の斜面を見て回り、小高い丘に郷を作り直すことを決め、樹を切り出し、一つずつ家や道、田畑を作って行った。
一方、和田の庄では、郷の者の提案で、まず泥濘を取り除くため、排水路づくりから始められていた。何カ所かに、水を溜める池も作り、大川まで排水できるようにした。これは、排水だけでなく、田畑へ水を運ぶ重要な役割を果たす事になり、和田の庄は以前の倍以上の田畑が作れるようになっていった。
シルベは、その二つの集団のまとめ役となり、時には、両方で人を融通して大きな仕事ができるようにした。ヤスキは、聞き役として、日々の中で生じる問題を、シルベ、ニトリ、クマリを合議して解決する役に徹した。不足する物があれば、定期的に来るウンファンに依頼し、難波津から取り寄せる役も担っていた。
タケルは、淡島の頭領ヤシギ、紀一族の頭領ユミヒコ、園部のオノヒコとともに、郷の復興の様子を確認しながら、作業する男たちと郷の者が力を合わせて取り組めるように差配することとなった。
ひと月ほどすると、順調に作業は進み始めた。
大きかったのは、ジウの存在だった。ここにいる男たちの中には、弁韓や辰韓の男達がいた。最初は言葉が通じず、作業も滞りがちだった。特に、和歌の浦の郷では、水軍に襲われた恨みが根強く、弁韓の男には冷たかった。そんな様子を見て、ジウは、男たちに丁寧に大和言葉を教えることで、次第に、和歌の浦や名草の民と少しでも心が通じるようにと腐心した。そして、次第に一緒に働けるようになったのだった。
ある日、ジウがタケルたちの許へやってきた。数人の男も同行している。
「タケル様、お願いがございます。」
ジウは、タケルたちの前に跪いて、頭を下げる。同行した男たちも同様に頭を下げる。
タケルは、頭領たちと一緒に黒田の郷のあった場所にいた。
「何でしょう?それほど畏まって・・。」
タケルが訊くと、ジウが顔を上げ、真剣な眼差しで言った。
「韓から来られた方々が、紀の国の民として生きていきたいと申されています。・・できれば、皆が暮らすために、新しい郷を作りたいと・・。」
ジウの言葉に、同席していたヤシギやユミヒコは驚いて、タケルを見る。
「確かに、故郷へ戻れない者、ヤマト国で生きたいと考える者を集め、連れてきましたが・・・。それは、私が決められる事ではありません。・・ここに居られる、ヤシギ様やユミヒコ様、そしてニトリ様にもお聞きしない事には・・。」
タケルはそう言って、ヤシギとユミヒコを見る。二人は顔を見わせ、思案している。
「新しい郷を・・と言っても・・・なあ。」
ユミヒコが言うと、ヤシギが続けた。
「淡島一族は、もともと、海を渡ってきた。何もなかった浜に少しずつ郷を作り暮らしてきた。難波津や那智から来た者もいる。和歌の浦であれば、そうしてもらっても構わないが・・。」
それを聞いて、ジウが、「では・・宜しいのでしょうか?」と嬉しそうに答える。
「ただ、郷を作るのは容易な事ではない。今ある郷で共に暮らすというのはどうかな?」
と、ヤシギが訊いた。
「それも考えました。ですが・・韓人の中には、水軍の兵士として、和歌の浦の郷を荒らした者もおります。今は、懸命に働いていますから、郷の皆さまは恨む心を抑えて居られます。ですが、元に戻った時、そのままで居られるでしょうか?」
ジウが答えた。
「だから、自分たちの郷を作る方が良いのではないかと・・。」とタケル。
「はい。韓人もそうして、時間をかけて、皆さんとともに助け合える関係になれればと願っております。」
ジウが答える。
「そうか・・」とタケルは、空を見上げた。そして、何か思いついたようにジウと同行してきた男たちを見て言った。
「それなら、この地に郷を作ってはどうでしょう。ここは、水害を防ぐ要の土地。今よりももっと高く土を盛り、その先の中ノ島までを繋ぎ、流れを大きく変えたいのです。」
それを聞いて、同行していた男たちは、ジウの顔を見た。
タケルの言葉はまだ、彼らには半分ほどしか判らないようだった。ジウが、彼らにタケルの提案を伝えると、男たちは強く頷き、たどたどしい大和言葉でこう言った。
「堤は大事。それと・・水路も作って・・・水を逃すこともしたい。」
それを聞いたジウが、改めて男たちに訊いている。そして、タケルたちに言った。
「彼らは、韓で治水の仕事をしていたようです。彼らに任せれば大丈夫でしょう。」
それを聞いて、タケルは訊いた。
「ヤシギ様、ユミヒコ様、いかがでしょう。」
「うむ。そうなれば、彼らは民を守る役割を担うこととなり、恨みなど考える事もなかろう。」
話はまとまり、ジウは、男たちと喜んで戻って行った。

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