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2-18 御触れ [アスカケ外伝 第1部]

翌朝、宮殿から衛士十人程が大きな御触書を掲げて、大路を歩いた。
「明後日、宮殿にて、皇子の生まれ日の祝いを行う。皇様、摂政様も来られる故、皆、宴の支度をせよ。諸国の皆には、産物を献上品として納めるよう申し付ける!」
衛士は、声高らかに御触書の内容を知らせて回った。
諸国の館からは、館主が顔を出し、衛士の声を聞き、そそくさと館の中へ入っていく。
衛士の列がシンチュウの館の前に近づくと、シンチュウは平身低頭に衛士を迎え、詳細を聞こうとした。
「何事でございます?」
「お触書にある通りである。宮殿で宴がある。其方も、弁韓の特使として、宴に出られるが良かろう。もちろん、皇様や摂政様への貢ぎ物も用意されよ。」
衛士は、指示通りに話した。
「皇子の生まれ日とは・・して、皇子様はどちらにおられます?」
とシンチュウが訊くと、衛士はにやりとして答えた。
「ほう、皇子様を知らぬとは・・・以前より、難波津で多くの仕事をされておるではないか、そなたの館にも来られたはずだが?」
「はあ?・・そのような方がこちらに?」
シンチュウは納得できぬ顔をしている。
「まあ、良い。宴に来れば解かる。良いな、明後日、弁韓の特使として参られよ。」
衛士はそう言うと、大路を進んだ。

「皇子の生誕祝いだと?宴とは好都合。この機に一気に攻め入れば、皇も摂政も始末して、倭国を乗っ取る事も叶うに違いない。すぐに、将軍にお知らせせねば・・。」
シンチュウは、すぐに将軍へ使いを出した。
シンチュウの屋敷まわりには、たくさんの見張りがいて、その一部始終はすぐに宮殿に知らされた。
シンチュウの使いは、何食わぬ顔で堀江の港に現れ、港に着けてあるシンチュウの船に乗り込んだ。しばらくすると、船から数人の兵らしき男が現れ、周囲を伺いながら、別の船に乗り込んで港を出て行った。
その様子を、港に居たヤスキは確認して、その船の後を追った。
弁韓の兵が乗った船は、水路を抜けて海へ出ると南へ向かう。予想通り、シンチュウからの知らせは弁韓の将軍へ届いた。
「ほう、明後日が好機か。宴で浮かれている最中、一気に攻め入るのが良いか・・。シンチュウ、良い情報を持ってきたな。」
巨大軍船の一室で、シンチュウからの知らせを受け取った将軍は、ほくそ笑んだ。
「伴船も明日には集まる。倭国など、大したことはない。このまま、皇を倒し、倭国をわが物にしてやろう。どうせ、祖国へも戻れぬ身。ここで王になればよい。どうだ?」
傍にいた細身の男が、手もみをしながら答える。
「それは良いお考え。もはや、キスル大王の世は風前の灯火。おそらく、今頃は、キスル大王の弟君ヒョンシク様が、大王を倒し、新しき世とされているにちがいありません。我らは、今、戻っても敗軍の将、処刑されるだけ。ならば、サンポ様が倭国の王となるのがよろしいでしょう。このヒョンテは、常にサンポ将軍の御側におります。」
「ふん、お前に医術が無ければ、とっくにお払い箱だったのにな。まあ、良い。倭国の王となる姿、楽しみにしておれ。」
船室には二人の笑い声が響いていた。

ヤスキは、大船から使いの兵が出てくるのを確認して、港へ戻ると、すぐに宮殿に成り行きを知らせた。
宮殿では、シンチュウに怪しまれぬよう、御触れ通り、宴の支度が始まっていた。諸国の館主からは献上品が並び始めた。大広間と宮殿前広場には、机と椅子が並び。宮殿の大膳(厨房)には多くの食材が運び込まれている。大膳にはヤチヨの姿があった。
ヤチヨは、宮殿の大膳で、膳司の許で食について学んでいた。大きな宴の支度は初めての事で、大膳の至る所に並ぶ食材に目を輝かせていた。
戦になるかもしれないと知らされた薬事所では、様々な薬草が集められ始めていた。チハヤは、薬師の許で学んでいたが、春日の杜で学んだ古文字読解の力を見込まれ、薬草の差配をある程度任されるようになっていた。
「火傷の兵が増えるかもしれません。もう少しヨモギを集めましょう。」
チハヤは若い娘たちを集めて、草香江のほとりにある薬草園で作業を進めた。
一方で、戦支度も着々と進められていた。
集まっていた兵は、オオヨドヒコが率いて、水路の三本松がある岸辺の、葦の茂みに隠れる様な小屋を建てて、じっと潜んだ。
草香江の翁は、イワヒコ達とともに、水路に向かい、いつでも水門を締められるよう準備を進めた。三つある水路のうち、一つの水位を下げるには、大水門のほか、横堀の水門も締めなければならない。その段取りを確認し、時が来るのを待った。
石津、境津、住吉津の漁師たちも、漁のふりをして、沖合にいる将軍の軍船の動きを見張っていた。伴船が現れれば、すぐに宮殿に知らせることができるよう、港には伝令の馬を置いていた。
難波津が戦になるかもしれぬという事は、すぐに、西国に知らされた。このころ、西国への伝令には、「烽(とぶひ)狼煙」が使われていた。中津海に面した岬には、狼煙台が数多く作られていて、火急な要件がある時、狼煙で知らせることになっていた。これは、摂政カケルがアスカケの最中で学んだ知恵であった。難波津で上げた狼煙は、ほぼその日のうちに、西国のはずれアナト国まで伝わるほどであった。
知らせを受け取った明石のオオヒコは、軍船五隻をすぐに難波津へ向かわせた。次に知らせを受け取った、鞆の浦イノクマは、周辺の水軍に声を掛け、二十艘ほどが急ぎ難波津へ向かった。あとを追うように、アナト国や伊予国からも水軍が難波津へ向かった。
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