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3-7 名草山 [アスカケ外伝 第1部]

「ヤシギ様、先ほど郷へ行ったところ、対岸の郷も厳しい有り様と聞きました。この先、我らとしては、対岸の郷もお助けしたいと考えているのですが・・・。」
タケルはヤシギに訊いた。
「それはきっと、紀一族も喜ぶに違いない。」とヤシギは答えた。
「実はすでに、シルベ様が、伴を連れて向かっております。どれほどの在り様か、しっかり調べ、必要なものを難波津から運ぶよう手配しております。」
と、タケルが言うと、ヤシギは困惑した表情を浮かべた。
「すでに向かったとは・・・それは危うい事じゃ。」
ヤシギの言葉に、タケルたちは驚いた。
「先程申した通り、今、紀一族は巨勢一族の侵攻を警戒しておる。見知らぬ者が郷に入れば、直ちに捕らえられるであろう。」
「黒田の郷のクマリという者に案内役をお頼みしましたが・・。」
「無事でおれば良いが・・。」
ヤシギは心配そうな表情で、そっと対岸の山を見た。
その頃、シルベは、対岸の名草へ船で向かい、川縁の氾濫の傷跡をつぶさに見て回った。
上流から流れ着いた大木があちこちに横たわり、田畑は激しい流れに削られ、抉られ、無残な状態だった。僅かに高い場所には集落があったのだろうが、僅かな柱を残して跡形もなく消えていた。シルベは陸に上がり、集落跡を見て回った。人影はなかった。
「黒田の郷はもうすっかりなくなってしまいました。」
供をしているクマリは悔しそうに言った。
「お前の家族は如何しておる?」とシルベが訊くと、クマリは、すうっと高い山の方を指さして言った。
「山裾辺りに、頭領様の館がございます。おそらく、そこにいるはずです。行ってみましょう。」
案内役のクマリは、シルベとともに急ぎ足で山裾へ向かった。いくつもの坂道をのぼると、館が見えてきた。
「やはり、この辺りは無事のようです。」
川筋からかなり上がった場所には、狭いながらも田畑が広がり、郷の民が作業をしている様子が判った。二人が坂道を上がってくるのを見つけた郷の民の一人が、大急ぎで館へ向かった。まもなく、甲冑に身を包み剣を携えた兵士らしき男が数人、館から駆け出し、二人の許へ向かった。
「なにやつだ!」
兵士は、剣を突き出し、二人を取り囲んだ。
「私は、黒田の郷のクマリです。こちらは、難波津から参られたシルベ様。摂津比古様の命により、我らをお助けに参られたのです。」
クマリは、跪いて兵士たちに言った。
「なに?では、ヤマトの者を連れて来たというのか!」
兵士が、クマリを取り押さえて浴びせるように言った。そして、もう一人の兵士が、剣の柄でシルベの足を突き、跪かせる。
「ヤマトの者とは・・我らの地を探りに来たのであろう。・・このままでは帰せぬぞ。成敗してやる!」
別の兵士が、シルベの首元を掴み、地面に顔を押し付けようとする。シルベは元兵士。腕には覚えがある。首を掴んでいる兵士の手首を右手で掴むと、強く捻じる。兵士は余りの痛みにその場に倒れ込んだ。そして、シルベはその塀の剣を奪い取った。
「なぜ、ヤマトの者は成敗されねばならぬのか!我らは水軍に襲われた紀ノ國の郷を助けるために参ったのだ!恩を仇で返される謂れはないぞ!」
シルベは叫ぶと、剣を大きく振る。目の前を掠めた兵士はその場に座り込んでしまった。
『この者達・・兵士ではないようだ・・見た目は兵士のようだが・・鍛錬されていない』
シルベはそう考え、剣を地面に突き立て、その場にドカッと胡坐をかいて座り込んだ。
「さあ、詳しく訊かせてもらおう」
兵士たちは、互いに顔を見合わせた後、シルベと同じように地面に座り込んだ。
「我らは紀一族に仕える伊部の郷の者です。先の水害で多くの田畑が流され、苦労している最中、対岸の巨勢一族が戦を仕掛けようとしておるのです。」
そう言ったのは、兵士の中でも最も若そうな、タケルたちと同じ年ほどの青年だった。
「巨勢一族?それと、ヤマトとどういう関係があるのだ?」
シルベが訊く。これには、少し年配の兵士が答えた。
「巨勢一族は、昔、ヤマトの大王から紀の国造に任じられたとかで、兵を引き連れここへ参り力でこの地を奪い、我らは、巨勢一族の奴隷のごとく働かされてきたのです。」
「今でも続いているのか?」
シルベが訊くと、別の男が答える。
「さきごろ、先代の国造が亡くなり、跡を継いだシラキが熊野を手中にしようとしましたが、失敗し、力を失ったので、我らもこの地を奪い返すことができました。ですが、その息子ハトリは、兵力を強め、再び、この地を狙っております。そんな時に、水害が起きた始末で・・今、巨勢一族が戦を仕掛けてくれば・・抵抗する事もできず、再び、苦しい暮らしになるでしょう。」
別の男が続ける。
「つい、先ごろ、兵らしきものたちが川を渡り、黒田の郷辺りをうろついていたのです。シルベ様もその一味かと思ったのです。」
「何とした事か!」
シルベは、声を荒げた。大和争乱の際、ヤマト王に敵対する豪族の兵として、難波津へ攻め入った経験がある。その後、摂政カケルによって大和平定が成って、須らく穏やかに収まっていると考えていた。だが、ヤマトからわずかの地で、まだ、争いがあり苦しむ民がいる事に愕然としていた。
名草山.jpg
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