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アスカケ外伝 第1部 ブログトップ
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3-14 アユ漁 [アスカケ外伝 第1部]

難波津からともに来たヤチヨは、数か月の間に随分と逞しくなっていた。
難波津を出た時は、船の房長として、食事の差配をしていたが、加太に着いた時から、難波津から届く食糧をできるだけ無駄にせず、多くの者が満足するよう、日々、料理を工夫してきた。時には、和歌の浦の漁師が採る魚や貝を、上流の田屋の郷でもたべられるようにと、干物にしたり、焼いたりして、保存する形も研究した。
山からの恵みも学び、野草や木の実、鳥なども上手く使った。少しずつ、田畑の姿が戻ると、耕し、野菜を植え育てる作業も熱心に取り組んだ。郷の女たちも、そんなヤチヨの姿に動かされ、ともに汗を流すようになった。
「ヤチヨ様、もうすぐ鮎が上ってきますよ。」
畑仕事の最中に、名草・井辺の郷の娘ユキが嬉しそうに話した。
鮎は、大和・春日の杜でも食べた事はある。だが、まだ幼かったヤチヨには、あの独特の苦みがどうも好きになれなかった。
ヤチヨの反応が今一つ良くないことに気付いたユキは、すぐに理由が判った。
「ヤチヨ様、ここの鮎は大きいんだ。きっとびっくりするよ。・・明日、みんなで獲りに行こうって話してたんだよ。ヤチヨ様も一緒に行きましょう。」
ヤチヨは、翌日、早朝、ユキたちに連れられ、大川のほとりに行った。そこには、タケルの姿もあった。
「タケル様!」
ヤチヨが声を掛けると、タケルは随分と驚いた表情を見せた。
「やあ・・昨日、ユミヒコ様に鮎取りをしてはどうかと言われて・・そう言えば、父も子どもの頃、魚とりの名人だったと聞いていたので・・・自分もできるかと思ってきたのです。」
「それで成果のほどは?」
ヤチヨは少し意地悪に訊いてみた。
「ほら、この通り。」
タケルが腰に付けた竹かごを開くと、手のひらを広げるよりも大きい鮎が何匹も入っている。
「えっ?そんなに・・・」
ヤチヨは驚いた。春日の杜に居た頃、タケルはお世辞にも器用だとは言えないほどだった。剣や弓の腕前は良かったが、目の前の鶏さえ捕まえられないところがあった。それなのに、それほどまでの鮎が取れるなど信じられなかった。
そこに、童が数人やってきた。手には大きな鮎を掴んでいる。
「ほら・・これもやるよ。タケル様は、まったく不器用なんだから・・。」
童たちは、半ばタケルをバカにして面白がっている。タケルの籠の中の鮎は、みな、童たちがくれたものだとばれてしまい、タケルは、ばつの悪い表情をして、そっと籠を隠した。
朝日も随分高くなり、アユ漁も終えた。幾つもの籠に沢山の鮎が入っていて、それぞれの郷に分け、皆が持ち帰って行った。
ヤチヨは、井辺の郷へ戻り、娘たちとともに、アユ料理を作ることにした。
料理と言ってもこの時代は、調味料は豊富ではない。塩焼きと燻製くらいなのだが、それでも、皆、季節の便りを愉しむため、賑やかに集まってきていた。火を起こし、鮎に串を打ち、塩をまぶして焼く。焼きあがったものから順に皆に配られていく。一部は、燻製になる。こうしておけば暫く日持ちするし、また、違った味わいを楽しむことができる。その風景を見ていて、ふと、ヤチヨは考えた。
「鮎はまだ、これからも捕れるのでしょうか?」
ヤチヨは、アユ漁に誘ってくれたユキに訊いてみた。
「まだ、しばらくは捕れるけど、もう充分じゃない?・・」
ユキは不思議そうな顔でヤチヨを見て言った。ヤチヨは少し考えてからユキに言った。
「この鮎を干物や燻製にして、他国に持って行ってみたらどうかな?」
「他国へ?」
「ええ・・今なら、難波津から大船が来るでしょう。それに乗せてもらって、難波津へ持って行くのよ。難波津なら、それを布や米、黍に替えられる。他にも、欲しいものと替えれば、皆もきっと喜ぶはず。」
「大丈夫かな?・・難波津なんて行った事もないし・・人がたくさん居て・・」
ユキは、この郷の他を知らない。難波津から大船が来るたび、大量の荷を運んでくるのを見て、想像もできないほど大きな郷だとは感じている。
「他にも、海や山で獲れるものを持って行くと良いかも。そうそう、大船で来るウンファン様は、そういう事を仕事にされているから、尋ねてみると良いでしょう。・・ユキ様、郷の皆様に相談してもらえないかしら?」
ヤチヨは、ユキに郷の人達と相談する場所を拓いてもらえるよう頼んだ。ユキはまず、母に相談した。すると、ユキの母を通じて、郷の女たちが集まってきた。ヤチヨは先程ユキにした話をもう一度みんなに話した。
話を聞いた女たちは皆戸惑っていた。日々の暮らしを立て直す事に追われていて、そんな事にまで取り掛かるのは大変だと正直なところ受け入れる事が難しい雰囲気だった。
「いっちょう、やってやろうじゃないか!」
ヤチヨを取り巻く女たちの中で、ひときわ大柄な女性がそう言って、前へ出た。
「私らも、いつまでも施されるばかりじゃ情けない。難波津へ荷を届けて、紀の国の郷は元気だぞって知らせてやろうよ。」
彼女は、黒田の郷のトメという女性だった。大水で郷は跡形もなく消え去ったが、彼女が大水を予見して、皆を先導して、名草の館まで逃れることができた。皆の信頼も厚い女性だった。
「そうかい?・・トメさんが言うなら一緒にやるかい?」
「そうと決まれば、明日朝、アユ漁だ。もっとたくさん捕まえて、干物と燻製づくり・・もちろん、郷の仕事もしっかりやろう。二手に分かれればいいだろう。」
話はまとまり、次の日から、産物作りが始まった。
「ヤチヨ様、一つお願いがある。このことを、タケル様や頭領様にも話して了解を取っておいてもらえないかね。女どもが勝手にやると、男どもは時々、悋気を起こして邪魔するからね。」
トメの言葉には、ちょっとした皮肉が込められていた。
鮎.jpg
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3-15 荷を送る [アスカケ外伝 第1部]

鮎の産物作りは、ヤチヨが思っていたより随分と手際よく作業が進んだ。
荷物に纏めて送るために、難波津から来た荷物の箱をそのまま使い、中には、檜の葉を敷き、鮎が重ならないよう、さらに檜の葉を敷いていく。見る見るうちに、鮎の詰まった箱が出来上がった。箱は、広瀬の港まで運ばれ、ウンファンの大船に乗せて、難波津へ送ることになった。
「皆様、ご苦労様でした。これほどたくさんできるとは思っていませんでした。これから、難波津へ届けて参ります。」
ヤチヨは、広瀬の港に集まった女達を前にして言った。
「それで・・私と一緒に難波津へ行ってもらいたいのですが・・。」
ヤチヨが皆に問う。女たちは皆、顔を見合わせる。
「ここは・・ユキ達、若い娘に行って貰ったらどうだろうか。私ら、子育てや家の事もある。郷の仕事もたくさん残っている。若い娘たちなら、少しくらい居なくたって困りはしない。それに、これから、紀の国は若い娘たちが作って行かなくちゃならない。一度、難波津を見てくると良いんじゃないか。」
そう言ったのは、トメだった。ユキは、皆を見る。同じ年くらいの若い娘が数人、前に出た。皆、ヤチヨと同じくらいの歳だった。そして、いつもヤチヨの傍にいて、難波津や大和の話を聞くのを楽しみにしていた。トメの提案は、娘たちを喜ばせた。
「だが、一つだけ約束だ。何でも、難波津には衛士とかいう着飾った兵士がいるらしい。そういう輩に惚れるんじゃないぞ。・・いや、惚れてもいいが・・そん時は、紀の国へ連れて来るんだ。良いね。」
留めは半分冗談で娘たちを激励した。
「皆さま、では、難波津へ行ってまいります。ここの鮎が、難波津の皆さまにどんなふうに思われるか、しっかりと見て参ります。」
ヤチヨと娘たちは、ウンファンの船に乗り込んだ。
大船は、風を受けて驚くべき速さで難波津へ向かう。娘たちは、船縁で初めて見る難波の灘の風景に興奮している。出発した翌日の昼近くに、難波津へ到着した。
「ここは、堀江の庄。西国や九重からたくさんの船が来て荷を下ろすのよ。」
ヤチヨは、船を降り、娘たちをスミレの宿まで案内した。
「よくいらっしゃいました。」
宿主スミレは、明るい笑顔でヤチヨや娘たちを迎えた。
「ヤチヨ様、しばらく見ない間に随分と女らしくなられましたねえ。服もそろそろ大人物に替えなければいけません。すぐに用意いたしましょう。娘さんたちも、御着替えください。」
スミレはそう言って、宿の侍女たちにすぐに服を用意させた。
「これから、摂津比古様に御挨拶に行きましょう。」
ヤチヨは娘たちに言った。
「摂津比古様に謁見するのですか?私たちがお会いできるのですか?」
ユキが驚いて、ヤチヨに訊く。
「当然でしょう。今日から、難波津で鮎を取引するのだから。きちんとご挨拶しておかなくちゃ。大丈夫。素敵なお方だから。」
ヤチヨはそう言って、直ぐに宿を出て、都大路を上っていく。娘たちは、見た事もないような大きな館が建ち並ぶ大路の真ん中を、肩寄せ合うように歩いていく。娘たちの集団が歩いていく様に、通りの男達が色めきだった。
難波津宮の大門に着くと、ヤチヨは衛士に何かを告げる。すると、衛士は驚いた様子で、中に駆け込んでいった。暫くすると、紫色の服を纏った男がヤチヨを迎えに来た。
「これは、ヤチヨ様・・お久しぶりです。紀之國では大変なお仕事をされたようで・・ウンファン様からいろいろとお話は聞いておりました。さあ、中へどうぞ。摂津比古様も喜ばれるでしょう。」
出迎えたのは、衛士長のオオヨドヒコだった。今は、摂津比古の片腕として、宮司長となっていた。
 白い服を纏った侍女たちが、先を歩いて大広間へ案内する。大広間の玉座には、摂津比古が座っていた。
「摂津比古様、紀の国より一時戻って参りました。」
ヤチヨはそう言って傅いた。娘たちもヤチヨと同じように傅いた。
「無事で何より。荷は足りておるか。皆、息災にしておるのか?」
「はい。難波津の皆さまのご支援で、何とか紀の国の郷も元通りになりつつあります。」
ヤチヨは神妙な態度で答える。
「それは善き事。して、此度は何用で戻られた。」
「はい、紀の国の大川では、見事な鮎が取れます。それを難波津で広めたくて参りました。」
「ほう・・鮎か・・この地でも捕れるが・・」
「いえ、大川の鮎はこの地の者は比べ物にならぬほど大きく美しく美味しいのです。」
チハヤはそう言うと、木箱に入れた鮎を取り出した。
「さあ、これを摂津比古様へお見せして。」
ヤチヨはそう言うと、ユキに差し出した。ユキは恐れ多い事だと一度は首を横に振ったが、ヤチヨが強く勧めるので、おずおずと摂津比古の前に進み出て、箱を開けた。摂津比古は、そっとのぞき込んで言った。
「確かに・・これほどの鮎は見たことがない。早く食してみたいものだ。よし、これならきっと皆喜んで取引するであろう。・・そうだ、例の館はまだ空いておるか?」
脇にいたオオヨドヒコが頷く。
「よし。では、案内せよ。・・しっかり取引し、紀の国の民を助けるのだぞ。」
すぐに、オオヨドヒコは、ヤチヨたちを案内し、大路から一つ入った通りの館に連れて行った。
「ここは・・・。」とヤチヨが言う。
「ああ、かつて、シンチュウが使っていた館だ。これからは、ここを紀の国の館として使えば良い。案外、広く、裏手には蔵もあるから、荷を運び保管しておくにも困らぬだろう。」
オオヨドヒコはそう言い残して、宮へ戻って行った。
鮎の燻製.jpg
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3-16 人気者 [アスカケ外伝 第1部]

ヤチヨとともに来た娘たちは、名草の頭領の館ほどもある大きな館に驚いている。それと同時に、ヤチヨが摂津比古に物おじすることもなく堂々と話している事にも驚き、はしゃいでいた。そのうちに、荷揚げした箱が、港の人夫達によって館に運ばれた。例のごとく、その一部は人夫達に分けられた。
娘たちは一休みした後、ヤチヨと共に、難波津の街を歩いた。堂々と歩くヤチヨを見習い、娘たちは、着いた時とは違い、胸を張って歩く。時折、他国の館を除いては、見た事もないような宝飾品や衣服、山のように積まれた穀物、諸国から集まってきている様々なものを見ては喜んだ。そして、その様子はすぐに、大路の男達の噂の種になった。
日が傾き、ヤチヨたちは一旦館へ戻った。
「さあ、明日から、働きましょう。持ってきた鮎をまず館の前に並べるの。そして、行き交う人に声を掛ける。鮎を気に入った人を見つけたら、その方の持って来られた産物を聞いて、交換するの。これが取引。でも、自分たちが必要でないものは取引しなくていいのよ。そう、金の塊と引き換えればいいから。」
ヤチヨは、難波津での取引のやり方を娘たちに教えた。
次の日から、それぞれ交替で館の前に立ち、声を掛けた。半分の者は、鮎を籠に入れ、ヤチヨと共に、他の館を回った。
ヤチヨは、最初に吉備国の館に向かった。
「おや・・ヤチヨ様・・お元気でしたか?」
そう声を掛けたのは、ヤチヨ達が、タケルたちと初めて大路を歩いた時、蒸し饅頭をくれた老女だった。この老女は、名をイトと言い、吉備国の国主の伯母であった。ヤチヨはイトから諸国の事情を聴き、産物を高くとってくれそうな国の館を聞いた。そして、その館を順番に訪れて、どのよう産物と取引できるのかを調べて回った。
数日もしないうちに、館の前にはひとだかりができるようになった。娘たちの顔を拝みに来る男達も多かったが、それ以上に、人夫達の姿が目立った。荷を運んだ後に分けてもらった鮎の味が忘れられないようで、毎日のように、一匹ずつ求めに来る者も出る始末だった。
「随分と人が多いですね。」
ヤチヨ達が館に鮎を広げてから数日経った頃、オオヨドヒコが顔を見せた。衛士長となり、摂津比古の片腕として、忙しい日々を送っている合間を見て、やってきた。
「摂津比古様が、先日、皆様から頂いた鮎を食され、随分と気に入られたご様子で、宮の中でも話題になっておりまして・・もう少し求めようかと参りました。」
オオヨドヒコはそう言うと、伴に持たせていた箱を差し出す。
「これは、私から皆様へ。播磨から取り寄せた木綿を使った衣です。これを鮎と引き換えていただきたい。」
ちょうど、館の前で取引をしていたユキがオオヨドヒコに対応した。
ユキは受け取った箱を開ける。中には、朱や茜色に染められた衣が何着も入っている。
「まあ・・綺麗・・。」
「いや・・皆様に似合う色をと・・・ユキ殿は、色白故、きっと、その茜色が似合うはず。それを着て館の前に立てば、さらに、皆が鮎を求めに来るでしょう。私も、足繁く通うことになるやもしれぬ。」
オオヨドヒコはそう言いながら、顔を赤らめている。ユキも顔を赤らめていた。
「おや、どうしたの?」
奥から出てきたヤチヨが後ろから声を掛ける。
「いえ・・」
ユキもオオヨドヒコも、その声に驚いて顔を伏せる。
「あら、ステキな衣。・・茜色はユキ様かな…。私は、若草色でしょうね。」
ユキとオオヨドヒコの様子にヤチヨは何か気づき、箱を抱えて再び奥へ入って行った。
「それでは、また・・。」
オオヨドヒコはそう言うとそそくさと帰って行った。
持ってきた鮎は、十日もしないうちにすぐに底をついた。それと引き換えに、米や雑穀、布や宝飾品、それと金塊が蔵の中に納まっていった。
「ヤチヨ様、もう鮎がありません。一度戻らねば・・。」
夕方、館の前で、片付けをしていたヤチヨに、ユキが蔵から掛けて来て言った。
「そのようね。でも・・もう、鮎は捕れないでしょう?」
鮎は初夏の一時期だけ、大川を遡上するのだと、ヤチヨはトメに聞いていた。
「ええ・・ただ、私たちが出てからも、きっとトメ様たちが作っておられるでしょうから・・それに、鮎が終わっても、貝や魚もきっと喜ばれるでしょうから・・。」
ユキが言うと、ヤチヨも少し考えてから言った。
「そうね。せっかく、館を戴けたのだから、紀の国の産物を運び取引しましょう。」
ヤチヨ達は、難波津へ来て二週間ほど滞在したのち、再び、紀の国へ戻る事にした。ウンファンがすぐに大船を出してくれることになり、蔵の荷物を運び出し、いよいよ出港となる。
朝早く、港に向かい、船に乗り込むと、大勢の人が見送りに集まった。その中に、オオヨドヒコの姿もあった。ユキは船縁で手を振りながら、じっとオオヨドヒコを見つめている。オオヨドヒコもじっと行きを見つめているようだった。
数日で紀の国へ着いた。出迎えた者達は、皆喜んでいる。自分たちの作った産物が高く評価され、多くの者と取引された事で大いに自信を持ったようだった。
ユキが思っていた通り、トメたちは、ヤチヨ達が出発した後も、鮎を捕り干物や燻製にして箱詰めしていた。他にも、海で獲れるサザエやアワビなども干物にして箱詰めしていた。
難波津での様子は、頭領たちにも報告された。
十日ほどで、再び、難波津へ向けて出発することになった。
難波津から戻った娘たちは、難波津の美しい街並み、あふれるほどの諸国産物、どれも郷の皆を羨ましがらせるには十分だった。さらに、オオヨドヒコに貰った色とりどりに染め抜いた衣は、他の若い娘たちには、羨望の的になった。次の難波津へは自分をと、皆が競い合うほどになってしまっていた。
娘たちの服.jpg
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3-17 ユキの憂鬱 [アスカケ外伝 第1部]

出発が近づく中、我こそは活気づく中、ユキは少し元気がなかった。その様子に気付いたのは、ヤチヨだった。
「ユキ様、こちらに戻ってから少し気持ちが沈んでおいでのようですね。」
魚を箱詰めする仕事の合間に、ヤチヨはユキの傍に行き、そう言った。そう問われて、ユキはちょっと顔をこわばらせた。
「ユキ様、実はお願いがあるのです。次に難波津へ行く時、ユキ様に顔役をやっていただけないかと・・。」
「顔役・・私が?」
ユキは驚いて、ヤチヨを見る。顔役とは皆を纏める重要な役であり、難波津に着けば、摂津比古にも挨拶に行かねばならない。それほどの大役を自分ができるわけはない。それに、ヤチヨがいるのだから、その役は必要ない。そう思っていた。
「実は・・此度、鮎を届けたら、次に何を産物にするのか、まだ決まっていません。私は、広瀬の港で、皆さんと相談して産物作りをやりたいのです。だから、すぐに難波津に行くわけにはいかないのです。・・ユキ様なら、摂津比古様やオオヨドヒコ様とも面識がある。なにより、あの館の事は誰よりもご存じでしょう?私の代わりを務めていただけないかしら。」
ヤチヨの口から、オオヨドヒコの名前が出て、ユキは顔を真っ赤にしている。
「いえ・・私は・・」
そう言ってから、ヤチヨの頼みとは違う答えをしそうになって口を閉ざした。
「それと、今度は、娘だけでなく、男の方達にも行ってもらいたいのです。ほら、荷を運んだり、蔵にしまったり、力仕事も多いでしょう。ユキ様なら、みな、安心して働けるのではないかと思うのです。」
ヤチヨにそこまで言われて、ユキは断ることはできなかった。
「連れて行く方々は、ユキ様が選んでください。」
承知したユキは、次の日から、次の船で難波津へ向かう人達を選び始めた。これから、紀の国を支えるべき若い人を中心に、二十人程が選ばれた。
 出発の前日、ウンファンの船が広瀬の港に着いた。
「タケル様は居られぬか?」
ウンファンはたいそう困った表情を浮かべて、タケルを探した。名草の館にいたタケルは、すぐに広瀬に来た。
ウンファンの話では、難波津に戻るつもりでいたが、阿波の国へ急ぎ届けなければならないものがあり、このまま、紀の国の荷を積んで難波津には戻れないという事だった。
その話を聞いて、一番、落ち込んだのはユキだった。人選を進め、いよいよ難波津へ行けると思っていた。だが、今しばらくは行けそうにない。心の中にもやもやしたものが広がっていく。
「タケル様、どうしましょう?」
広瀬の港前で、ヤチヨはタケルに訊いた。
「船が無ければどうしようもないな。・・何か策は無いものか・・。」
タケルはじっと海を見つめる。視線の先には、自分たちが乗ってきた大船があった。
「そうか・・そうだ。・・私はすぐに頭領に会いに行きます。ヤチヨ様は、主だったものを・・それと、韓人も、ジウ様も、広瀬の港へ来られるようにしてください。」
すぐに手分けして、人々が広瀬の港に集められた。一番遅れて、ニトリも顔を見せた。
「皆さま、聞いてください。」
タケルはやや声を張り、集まった人々に響く様に言った。ざわついていた港前の広場が静まった。
「これまで、ウンファン様の大船を頼りにしてまいりました。ですが、もう、随分と復興も進みました。郷には新たに家も出来、田畑も綺麗になってきました。浜での漁はもうすっかり元通りになっています。どうでしょう。そろそろ、自分たちの力で動く時ではないですか?」
この問いかけに、皆、顔を見合わせ、頷く者、首を横に振る者、様々な反応が見えた。
「自分たちの力で・・とは、・・タケル様たちは引き上げるということですか?」
そう訊ねたのは、ニトリだった。
「いえ・・そうではありません。私たちは、摂津比古様から一年間、紀の国にいる事を明示られています。まだまだ、やらねばならぬこともたくさんあります。」
「では、どういう事でしょう?」
「紀の国の皆さまの力で、自らの国づくりができるようにしようという事です。此度、難波津に鮎を送り取引をして大きな成果がありました。ですが、荷を運ぶのはウンファン様の大船が頼り。これでは、思い通りにはなりません。そこで、私たちが乗ってきた、あの大船を使っていただき、自分たちの考えで難波津や西国と取引をしてみてはどうでしょうか?・・・幸い、ここには、あの船の、操舵手も、漕ぎ手も揃っています。水先案内をされたニトリ様もいらっしゃる。紀之國の大船として、これから、難波津へ・・いや、あの船ならば、難波津だけではなく、明石や吉備、西国までも行けるでしょう。いかがでしょう。」
タケルは、これこそが摂津比古が自分に課した仕事ではなかったのかと思っていた。
「あの船は、摂津比古様から預かった船。そんなこと、許されましょうか?」
訊いたのは、淡島の頭領ヤシギだった。
「摂津比古様は、私が必ず説得し、お許しを戴きます。いずれにせよ、まだ、私たちはこちらに居ります。それまでの間だけでも、お使いいただくのは構わないでしょう。」
ジウの周りにいる韓人たちのところで、声が上がる。すぐにジウが立ち上がり言った。
「あの船は、外洋を渡ってきた強き船です。漕ぎ手には、韓人の皆さんが名乗りを上げております。償いになるならいくらでも力を貸しましょうと言っておられます。」
その場から、オオっと声が上がった。
「それは願ってもない事じゃ。・・いずれは、我らの力で大船をこしらえてもみたいもの。せっかくのお話、受けようではないか。」
そう言ったのは、名草の頭領ユミヒコだった。集まった皆が歓声を上げる。そしてすぐに、船乗りの男達の人選が始まり、出発の支度が始まった。
古代船C.jpg
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3-18 難波津の再会 [アスカケ外伝 第1部]

「良かったわね・・ユキ様。これで、すぐに難波津へ行けますよ。」
ヤチヨがそう言うと、ユキは笑顔になった。
予定より三日の程遅れて、紀の国の大船が難波津に向けて出港した。タケルたちは、広瀬の港から船を見送った。ヤチヨは、すぐに次の産物作りに入った。
紀ノ國の船は、三日ほどで難波津の港に着いた。堀江の庄には出迎えの者がたくさん集まってきた。前回の取引で、紀の国の鮎の味が忘れられない者達が首を長くして待っていた。その中に、オオヨドヒコの姿があった。
「ユキ様、お帰りなさい。」
船縁に立つユキに聞こえるよう、オオヨドヒコの声が響いた。
オオヨドヒコの言葉に、ユキは、心の中が熱くなり、ふいに涙が流れた。自分でもよく判らない。今一度お会いしたい、そう願ってはいたものの、再び難波津へ来られるとは思ってもいなかった。だが、難波津を離れている間中、ユキの心の中にはオオヨドヒコがいた。悶々とした日々の中で、自分の気持ちを打ち消そうとした。だが、こうして再び会えた。
すぐにも、オオヨドヒコの許へ走り、縋り付きたい気持ちが溢れている。だが、オオヨドヒコの周囲には、衛士たちが並んでいる。何より、此度は、顔役として皆を導かねばならない。ユキは袖で涙を拭い、笑顔で手を振った。
すぐに、荷が降ろされ、館へ運ばれる。ともに来た男達は、港の人夫達と先を競うように汗を流す。娘たちは、すぐに館へ向かい、掃除をした。
次の日には、館の前に多くの荷を広げ、多くの人が、目当ての鮎を求めて集まった。
「私は、摂津比古様に御挨拶に参ります。」
ユキはそう言うと、オオヨドヒコに貰った茜色の衣を身に纏う。
摂津比古への謁見の席には、名草の郷からともに来た、イカネが同席することとなった。
イカネは、もともの、加太の郷の漁師だったが、若い頃に難波津に出て、港主タツヒコのもとで働いていた。タケルが紀の国へ行く際、舵取り役として同行していた。
難波津宮の広間では、摂津比古とオオヨドヒコが待っていた。
「お久しぶりでございます。」
ユキとイカネが、摂津比古の前に跪いた。
「おお、良く戻った。・・鮎は持ってきたであろうな?」
摂津比古は上機嫌でユキ達を迎える。
「はい。これに。」
イカネが木箱を差し出す。
「おや、その方、イカネではないか。・・そうか、そちは紀ノ國も生まれであったな。タケル様たちは息災であろうな。」
イカネは驚いた。堀江の庄の港の隅で多くの人夫の一人だった、自分の名を摂津比古が知っていた。そして、素性までも判っている。
「はい。皆さま、息災でございます。」
イカネは震えながら答えた。
「どうした?そんなに緊張せずとも良いのだぞ、なあ、オオヨドヒコよ。」
摂津比古は、笑いながらそう言うと、イカネの肩をポンと叩いた。
「紀ノ國での、タケル様たちの様子を、ゆっくりと聞かせてくれぬか・・。」
イカネにそう言うと、摂津比古は、宮中に設えられた庭が見える回廊にイカネを誘った。イカネは摂津比古の後覆うように大広間を出て行った。
大広間には、オオヨドヒコとユキが残された。
二人きりになり、ユキはオオヨドヒコに何を話してよいか判らず、俯いていた。オオヨドヒコはそんなユキの様子を察知して口を開く。
「元気そうで何よりであった。」
「はい。」
しばらくの沈黙のあと、再びオオヨドヒコが言う。
「此度は、どれほど、こちらに居られるのか?」
「いえ・・それは・・判りませぬ。」
「そうか・・」
オオヨドヒコは少し寂しそうな顔をしている。再び、沈黙になる。
「その衣・・よく似あって居るぞ。」
オオヨドヒコが何とか言葉をひねり出すように言った。ユキは顔を赤らめる。
二人の会話はなかなか進まない。そんな様子を察したのか、大広間に摂津比古が戻ってきた。イカネの姿はない。
「イカネ殿は先に帰した。タケル殿たちは頑張っておる様じゃ・・。そうじゃ、オオヨドヒコ、お前に一つ役を命じておく。」
オオヨドヒコは姿勢を正して聞いた。
「紀ノ國の者達が、明日からまた館を開く。しばらくぶりの事ゆえ、困りごともあろう。以前、ユキ殿たちが参った時、男どもは舞い上がっておった。中には不埒な真似をする者も出るやもしれぬ。良いか、オオヨドヒコ。お前は衛士長である。この難波津でそういう輩を取り締まる役。しばらくの間、紀の国の館へ行き、困りごとや揉め事がないかじっくり聞き、解決する事を命じておく。よいな、ユキ殿の話をじっくり聞き、小さな事でも聞き逃さず、手助けしてやるのだ。」
難波津では、タケルが街を治めるために通り毎に顔役を置いたことで、すっかりと怪しい輩は姿を潜めている。オオヨドヒコには、摂津比古の命令はどこか空振りの様な気がしていた。
摂津比古は、そういうと広間から回廊に出た。そして、その場で今一度振り返って、
「良いな、ユキ殿からしっかり話を聞くのだぞ。」
そう言って、意味深な笑みを浮かべて去っていった。オオヨドヒコは、その笑みを見逃さなかった。摂津比古は全てお見通しのようだった。そして、急に、立ち上がってから言った。
「では・・そう言うことだ。そろそろ、仕事に戻らねばならぬ。また、明日・・。」
そう言って、足早に大広間を出て行った。
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3-19 朝な夕なに [アスカケ外伝 第1部]

次の日、朝早く、オオヨドヒコは命じられた通り、数人の衛士を伴って、紀の国の館へ顔を見せた。館では、多くの男衆が荷を運んでいる。娘たちも、忙しそうに、館の前に荷を出している。その中に、ユキの姿があった。
オオヨドヒコは暫く、遠目にユキを見ていた。あまりに忙しそうにしている様子なので、声を掛けづらい。そのうち、ユキがオオヨドヒコに気付き、近くにいた娘に何かを告げると、足早にオオヨドヒコのところにやってきた。
その様子を見て、急に、オオヨドヒコの胸が高まる。
「これは、オオヨドヒコ様。こんな朝早くからおいでいただくなんて・・。」
ユキは、一番の笑顔を見せる。
オオヨドヒコは、顔を真っ赤にして、ユキの顔を見る事もできず、どぎまぎしながら言った。
「いや・・これは・・・どうだ、何か・その、・・困ったことはないか?」
そう言うのがやっとだった。普段は落ち着いているオオヨドヒコの変貌ぶりに、隣にいた衛士が思わず吹き出してしまう。
「な・・何が可笑しい!」
オオヨドヒコは、噴き出した衛士を小突いた。
「はい。今のところは何もありませぬ。今日が初日ですから・・前のように順調にできれば良いのですが・・。」
ユキの方が落ち着いて答えている。
「そうか・・小さなことでも良いぞ。・・荷を運ぶのに手が足らぬとか・・。」
「いえ・・此度は郷より男衆も大勢参っておりますので、足りております。」
「そうか・・ならよいが・・。また来る。」
オオヨドヒコはそう言うと、急いで、館を離れようとした。だが、急に振り返り、ユキに近づき、衛士から包みを受け取って渡した。
「これは・・景気づけだ。宮の厨所よりいただいたものだ。皆で食べるが良い。」
包みの中には、白い団子が木箱に納められていた。前日、オオヨドヒコが厨所に命じて作らせたものだった。
その日から、オオヨドヒコは、朝と夕の二度ほど、館を訪れ、ユキと話をした。
初めは、館の前で立ち話程度だったが、次第に、長時間話す事も多くなった。そのうち、オオヨドヒコは、紀の国の館へ行く際、必ず、何かしらの産物を携えるようになる。吉備の蒸かし饅頭、大和の葛饅頭、また、ある時は九重の珍しい柑橘などもあった。いずれも、紀の国の娘たちには珍しく、美味であったため、オオヨドヒコが訪れるのを心待ちにしているのはユキだけではなくなっていた。
「オオヨドヒコ様は、今日は何を持って来られるのでしょうね?」
「でも、ステキね。あのような高貴なお方に慕われるなんて・・」
「ユキ様は、気づいていらっしゃるのかしら?」
「あら、ユキ様もオオヨドヒコ様をお慕いされているはずよ。」
そんな噂話が、館の内外でされるようになり、周囲の館にも伝わり、オオヨドヒコとユキの事は、難波津や堀江の庄では、噂になって広がっていた。
「オオヨドヒコ様がユキ様を見初められたようだ。」
「妻として迎えるおつもりなのか?」
「だが・・身分が違うだろう?」
二人の行く末について、街の者達は大いに関心を持ち、オオヨドヒコが通りを歩いていると、誰彼なく、じっとオオヨドヒコを見つめるようになり、紀の国の館の前では、物陰から様子を伺う者も出てくる始末だった。
七日ほどが経った頃、ユキと共に紀の国から来たエミという娘が館の前の支度をしながら、何気なく訊いた。
「ユキ様、オオヨドヒコ様と、夫婦になられるのですか?」
エミは、ユキより少し年上で、紀の国には、親が決めた許婚もある身だった。
エミは、実のところ、親が決めた相手が余り気に入っていなかった。夫婦になるという事を常々考え悩んでいた。ユキとオオヨドヒコが互いに慕い、その思いで夫婦になるという道を羨ましく感じていたのだった。
だからこそ、唐突に、ユキに質問したのだった。
「夫婦?」
不躾な質問に、ユキは戸惑った。自分の想いは秘めているつもりだった。
「どうして、私がオオヨドヒコ様と夫婦になるの?」
ユキは、そう訊き返すのがやっとだった。
「皆が、噂しています。互いに思いを通じ、きっと夫婦になられるだろうと・・・想いを重ねる事が出来るなんてステキな事ですね。」
エミは事も無げに答えた。
「そんな‥・・想いを重ねるなんて・・第一、オオヨドヒコ様は、難波津の衛士長なのです。いずれは、摂津比古様の跡を継ぎ、この難波津を率いていかれる御身分。私の様な者では、釣り合いません。夫婦になるなど・・ありえません。」
ユキは、そう口にしたことで改めて自らの身の上が判ったのか、思わず涙が零れた。
「ごめんなさい・・・てっきり、お二人はそのつもりなのだと・・」
エミが詫びる。
ユキは、涙を見られまいと、顔を伏せ、館の奥へ入って行った。
そこへ、オオヨドヒコが現れた。
「ユキ殿は居られぬのか?」
間が悪い。
「申しわけございません。」
オオヨドヒコが現れたことに驚き、エミも館の中へ入ってしまった。
「いったい、どうしたというのだ?」
狐につままれたような表情を浮かべるオオヨドヒコは、仕方なく、館を後にした。
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3-20 雷鳴 [アスカケ外伝 第1部]

時は少し遡る。
ヤチヨ達が難波津へ発った頃、タケルは、頭領たちと郷の復興の進捗具合を確認しながら、合間をみては、民と共に復興作業に加わって汗を流していた。
水害にあった名草の郷の家屋や田畑はかなり修復が進み、今は、専ら、道普請が大きな仕事になっていた。郷と郷、頭領の館、そして、大川を渡るための橋掛け、とにかく、人々が行き来しやすい郷造りに邁進していた。
その日も、土砂崩れにあった田屋の郷と、隣の園田の郷を繋ぐ道の普請に、大勢の男達とともに働いていた。流出した土砂の中には、人の背丈をはるかに超える大岩や大木が折り重なっていて、なかなか進まないところもあった。
「おい、危ないぞ!!」
誰かが声を上げた。どどっという音と共に、岩が転がる。数人の男が、寸でのところで難を逃れた。そんな苦労を繰り返しながら、作業が進む。
「おい、こっちに回ってくれ!」
誰かが叫ぶ。大岩を動かそうとしている。
数人の男が太い木を抱え、梃子の要領で、崖下へ落とそうとしていた。タケルも男たちに交じって、太い木を肩に当て何とか大岩を動かそうとする。ここへ来て半年近く、タケルは合間を見てはともに作業をする日々を過ごしていた。本人も気づかぬ間に、体は一回り大きくなっていて、力自慢の男達に負けぬほど筋骨隆々となっていた。
朝から空模様は良くなかった。遠くで雷鳴が聞こえている。
「急がないと・・また、水が出る・・」
皆、必死に作業している。
「タケル様!タケル様!どちらにおいでですか?」
ツルが、タケルを探している。男たちが指差し、タケルを見つけた。
「先程、田屋の郷に、大和からの遣いと申されるお方がいらして、タケル様にお会いしたいと申されております。」
「大和から?・・」
タケルが一旦、太い木を肩から外し、隣にいた男に渡すと、高みへ上がった。
「こちらに向かわれております。如何しましょう?」とツル。
「判りました。すぐに支度をします。」
タケルはそう言うと、普請をしている場所近くに建てられた小屋に向かう。大和からの遣いなら、きちんとお迎えせねばならない。衣服を着替えようと考えたのだ。
タケルが小屋に入ると、衣服と共に置いていた剣が、鈍い音を立て、何か妖しい光を発している。何か異変が起きるのではないか・・そう感じたタケルは、急いで、剣を腰につけ、小屋の外に出た。そして、じっと周囲を見回す。
大岩を動かそうとしている場所の上の方で、カラカラという小石が転がるような音と水音が響いたように感じた。その音の方をじっと見つめる。ゆらりと木々が揺れたように見えた。次の瞬間、ゴオーっと音が響き、土砂が落ちて来る。
「危ない!みんな、逃げろ!」
慌てて、皆、高みへ逃れる。
だが、数人が取り残された。そこへ、土砂が向かって来る。何とか上がれた者もいたが、一人、岩に足を挟まれて動けない。
タケルの体が急に熱くなり、ふっと意識が遠のいた。
すると、腕や足、背中、体中の筋肉が盛り上がり、背も伸び、二倍ほどの大男に変わる。全身が黒光りしていて、野獣の様相だった。
タケルは、その場から大きく跳ねると、逃げ遅れた男の傍まで飛びつく。太い腕で、男を抱きかかえると、再び大きく跳ね、他の男達のいる高みに下ろした。
だが、まだ危険が去ったわけではなかった。大きな倒木が土砂とともに流れ落ちてきていた。
タケルは、再び跳ね、さらに山手の方へ向う。このままでは、高みへ逃げている男達に直撃するのは間違いない。
危険に気付いた男たちも、とにかく、さらに高みへ逃げようとするが、そんな場所がない。
タケルは、二度三度跳ねると、流れ落ちて来る巨大な倒木に飛び移った。少しでも落下する速度を落とそうともがいてみるが、どうにもならない。
すると、腰につけている剣が更に輝きを放つようになる。タケルは、剣を抜く。剣はタケルを操るように、空高くに刃を向ける。
見上げた空には、分厚い黒雲が覆っていて、ゴロゴロと雷鳴があちこちに響く。次の瞬間、眩光が走り、ドーンという音とともに、雷がタケルの剣に落ちた。
周囲にいた男達は、高く跳ね飛ばされた。
辺りが静まる。気が付くと、土砂とともに落ちてきた巨大な倒木は粉々になっていて、動かそうとしていた大岩も崖の下へ落ちていた。
雷が落ちた場所、つまり、タケルが立っていた場所には、大きな穴が開いていて、その真ん中に、剣を握り締めたままのタケルが横たわっていた。
「タケル様!タケル様!」
穴の底に横たわるタケルを見つけた男たちが声を掛け、穴からタケルと運び出す。
「タケル様!しっかりしてください!」
「死んじゃ駄目だ!」
「目を開けてください!」
皆、口々に呼びかける。
そこに、大和からの遣いという男が、数人の伴を連れて現れた。
「すぐに、小屋へ運んでください。そして、チハヤ殿を呼んできてください。大丈夫です。」
伴の男達はタケルを小屋へ運ぶ。郷の者が急いで、チハヤを呼びに行った。
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3-21 都からの遣い [アスカケ外伝 第1部]

タケルは、夕刻になってようやく目を覚ました。
「おや、目が覚めたようですね。」
そう言ったのは、大和の遣い・・モリヒコだった。
タケルはぼんやりした意識の中で、モリヒコの声を聞き、遠い春日の杜を思い出していた。
そこに、チハヤが入ってきた。手にした器には、何か湯気を立てたものが入っている。
「もう・・心配かけないでよ。・・はい、薬よ。飲める?」
チハヤは、タケルの姉のような口調で、少し不満そうな表情で言った。
チハヤは、手にした器をタケルの鼻先に持って行く。薬草独特の青臭い香りで、タケルは一気に意識がはっきりした。
「皆は・・無事でしたか?」
タケルは、モリヒコに訊く。
「はい。皆、無事です。皆、家に戻りました。」
モリヒコは笑みを浮かべて、そう答えた。
「どこか痛みますか?」
モリヒコが訊く。そう聞かれて、タケルは腕や足を見る。遠のく意識の中、自分の体が何か別の者になったように感じていたからだった。
「いえ・・どこも痛くありません。」
「そうでしょう。これで二度目でしたね。」
弁韓との戦の最中で、父カケルに言われるまま、特別な力を使って以来の事だった。
「まだ、力の制御が十分にできないのでしょう。私も、初めはそうでした。」
モリヒコも、忍海部の若者で、同じ力を持っていた。幾度か、父カケルのアスカケの旅の中で、その力を使ったことがあった。
タケルはその事を父カケルから聞かされていた。
「それにしても、しばらく見ぬ間に、二人ともすっかり大人になられたようだ。タケル様は、もう父上以上に背丈も伸び立派な体格で・・」
「そうでしょうか?」
「はい。春日の杜に居られた頃とは別人のようです。次の皇として申し分ない。」
モリヒコの言葉は、タケルには少し重すぎる。
それを察したのか、モリヒコは、話題を代える。
「チハヤ殿も、美しい女人となられた。春日の杜では幼き娘であったのだが・・私がもう少し若ければ、其方を嫁に貰いたいほどだ。」
「あら・・モリヒコ様、そんなことを言われたと、いつか、大和へ戻った時、奥様にお話しいたしますよ。」
「おや・・答え方も、すっかり女人であるな・・これは、驚いた。」
小屋の中に笑い声が響く。
「すみません・・宜しいでしょうか。」
そう言って、ツルが小屋に入ってきた。ツルが元気そうにしているタケルを見て安堵した様子を見せた後、タケルに告げる。
「オノヒコ様が、タケル様がお元気になられたなら、館へご案内せよと申されておられるのですが・・。」
三人は、小屋を出る。そこには、伴の男が控えていた。春日の杜の友であり、ヤチヨの弟、タツルとイタルだった。二人とも、大男だが、まだ顔つきは幼いままだった。
一行は、ツルの案内でオノヒコの館へ行った。すでに、館では広間に夕餉の支度が出来ていて、そこには、ヤシギ、ユミヒコ、ニトリ、ヤスキの姿があった。
「私は、モリヒコと申します。此度、大和の摂政カケル様の名代として参りました。」
そう言って深々と頭を下げる。頭領たちは少し戸惑っている。大和の使者と知り、権力をかざし威張り散らすのではないかと思っていたからだった。
「モリヒコ様は、我らの舎人・・先達として我らに多くの事をお教え下さったのです。大和平定の折には、摂政カケル様と共に活躍されたのです。・・昔は、忍海部一族の弓の名手だったともお聞きしています。」
ヤスキが、尊敬を込めてそう続ける。
「ほう・・弓の名手ですか。」とヤシギが言う。
「いや、お恥ずかしい限り。摂政カケル様には叶いません。あの御方の弓には神が宿り、悪しき者を遠ざけ、弱き者を活かす力があります。私は、カケル様にお会いして、弓の名手であることを口にできなくなりました。」
モリヒコの答えに、頭領たちは、「ほう」と感心したような声を出した。
「さあ、まだ、復興の最中、大したものはありませんが、大川と和歌の浦の幸をご用意しました。召しがって下さい。」
オノヒコがそう言って、使者を迎える宴となった。タケルやヤスキ、チハヤは、モリヒコにここでの事を代わる代わる話した。そして、モリヒコは嬉しそうに聞いている。
暫くして、ニトリが口を開いた。
「タケル様!誰も口にせぬので・・あえて、お訊きします。」
一同が静まり返る。
「あの・・獣の様な御姿は・一体・・・何なのでしょう。・・どうにも・・。」
それを聞いて、タケルは答えに困っていた。
「あれは、獣人です。摂政カケル様より受け継がれた特別な力。守るべき者が危うい時にしか、あの力は使えません。忌まわしき者とは思わないでいただきたい。」
モリヒコが頭を下げながら答えると、オノヒコが言った。
「いや・・忌まわしき者など・・我らは、ただただ、神の化身だと話しておりました。タケル様に救い出された男が言うには、抱えられた時、母の腕の様な優しさを感じたのだと・・・。それほどの御力をお持ちの方が、いや、偉大なる皇子が、我らとともに、日々、汗を流されている事に、心より感服しておる次第なのです。」
その後、モリヒコは、大和の様子やアスカケの話などをし、皆、興味深く聴きながら、宴は夜遅くまで続いた。
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3-22 モリヒコとの別れ [アスカケ外伝 第1部]

翌日から数日、モリヒコは紀の国へ留まり、和歌の浦では弁韓の水軍に襲われた様子やその後タケルたちによって復興に向けて取り組んだことを、頭領ヤシギや民から丁寧に聞いた。
また、名草の郷では、頭領ユミヒコや民から、水害発生の様子を聞き、皆で協力して館まで避難した事や、その後、田畑や家屋をいかに復旧したかを聞いて回った。そして、現在、和田の庄で進めている水路作りも検分した。韓人たちが取り組んでいる、霞提と新たな郷づくりには、モリヒコも大いに関心した。
最後の日、オノヒコの案内で、田屋の郷を訪れた。山津波によって、館やほとんどの家屋が飲み込まれ、多くの命が奪われた場所である。いまだに行方知れずになった者がいる。山の様子を見ながら、巨勢一族の館のあった場所に立つと、モリヒコは深々と頭を下げ、亡くなった者達に追悼の意を表した。
「まだまだ、仕事は山のようにありますね。」
モリヒコは、静かにそう言うとタケルを見た。
「はい。ですが、きっと、元通りになります。」
「そうですね。きっと、タケル様ならやり遂げられるでしょう。」
「いえ・・私の力ではありません。皆の力でやり遂げるのです。」
田屋の高台から、悠々と流れる大川を見つめながら二人は語った。
「一つ、ご相談がございます。今、ヤチヨ殿が難波津へ鮎を届け、取引で米や衣類などを調達してきます。ただ、鮎は短い間しか取れません。引き続き、産物を難波津へ届け、国を豊かにせねばなりません。ですが・・なかなか、これと言った産物が見つからず、困っております。」
タケルはモリヒコに教えを乞う。
「それは難しい事ですね・・。私もまだ、ここへ訪れてほんのわずかしか紀の国の事を知りません。・・どのような産物を作れるのか・・・。」
「鮎の次は、海の幸・・貝や魚をとは思っております。しかし、その類は、難波津の近くでも十分に手に入るもの。わざわざ、紀の国から届けても、喜ばれないでしょう。もっと、他の国にはないものを見つけたいのです。」
「そうですね・・。だが、それは、私よりも郷の者達の方が詳しいのではありませんか?」
「もちろん、皆も頭をひねっております。・・だが、皆、難波津や西国の事を知らない。どのようなものが望まれるのか、それは、きっと外から来た者にこそわかるのかもしれません。」
「確かに・・・ここでは当たり前の物でも、他国では重宝がられる。・此度、タツルとイタルを共にしたのも、実のところ、他国を見聞させたいと思ったからなのです。大和は豊かな国ですが、他国が判らねば、その価値も判らぬ。それでは、大和のために自らの役割を見つける事が出来ぬでしょう。」
モリヒコの言葉を聞き、改めて、難波津での経験や、紀の国での事が、貴重なものであることを感じていた。
「・・まあ、ゆっくり、探されるのが良いでしょう。・・ここは、海も川も山も豊かです。きっと、素晴らしき産物があるはずです。」
それからしばらくして、モリヒコが大和へ向けて戻ることになり、皆、広瀬のヤシギの館へ集まっていた。
「お世話になりました。ここで見たこと聞いたことを、しっかりと皇様、摂政様へお伝えいたします。皆で力を合わせ、素晴らしき国になるはずだとお伝えいたします。」
モリヒコは、皆に礼を言った。
別れを前に、ニトリが訊く。
「一つ、お教えいただきたいことがございます。・・我ら、紀の国の者は、此度、難波津より多くの支援をいただきました。この恩にどのように報いればよいのでしょう。」
モリヒコは少し考えてから答えた。
「恩を返すなどとは不要でしょう。元は、ヤマトの先代の皇、葛城王が巨勢氏を紀の国造に任じ、その後、何もできなかった事から始まっております。国造が、皆の力を集め、善き国づくりに邁進しておれば、このような災いには至らなかったはず。ですから、此度の支援は、ヤマトからの償いなのです。」
「しかし・・難波津の皆様には大いに世話になっております。何か・・」
「それはすでにされておるでしょう。難波津からは、紀の国より素晴らしき鮎が届いたと聞いております。それほどまでに復興できている事を難波津の皆も喜んでいるのです。」
「それは・・我らのためのもの。恩返しにはなっておりません。」
ニトリはどうにも納得しない様子だった。
「では、こうしてください。ヤマトの皇様も摂政様も、日ごろ、海の幸を口にされる事はありません。なにせ、大和の都には海がありませぬ。ここから、吉野を越えれば、都までは僅か。難波津に鮎を届けたように、都にもぜひ和歌の浦の海の幸を届けてください。」
「その様な事で宜しいのでしょうか?」
ニトリが訊く。
「それと・・紀の国を一つにまとめ、強固な国作りをしてください。此度、弁韓の水軍が参ったように、ここは、都の守りの要。強き国でなければなりません。その証として、皆で話し合い、紀の国の王をなる者を定めていただきたい。そして、その者が、いずれは、ここの産物を都まで届け、皇に謁見されるようお願いいたします。」
モリヒコは、じっとニトリの眼を見て話している。
宴の席で、モリヒコは、ヤシギやユミヒコ、オノヒコから、紀の国の未来について相談を受けていた。そして、いずれの者も、次なる頭領にはニトリを立てたいと言っていたのだった。
タケルも、その事をモリヒコに相談していた。だからこそ、モリヒコは、ニトリを皆が盛り立て、王と呼ばれるにふさわしい人物になれる事を望んだのだった。
「ああ・・それと・・」
モリヒコは、ちょっと間をおいて、ニトリに言った。
「王というのは、必ず、后を持って居る。そして、次なる王・・皇子があるのが望ましい。良いか、良き妻、后を持つ事こそ大事。そのことを肝に銘じておくのだ。」
そう言って、モリヒコはニトリの肩を叩き、笑った。
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3-23 離宮造営 [アスカケ外伝 第1部]

難波津に話は戻る。

ユキがオオヨドヒコとの事で、気まずくなった日から、二日ほど経った頃、一人の男が紀の国の館を訪れた。宮からの遣いだといった。館の者達は、宮からの遣いと聞いて、いよいよ、オオヨドヒコがユキを娶りたいと申しこんできたのではないかとどよめいた。しかし、その男の身なりを見て、違う要件だとすぐに気付いたようだった。まだ若いが、かなり疲れた表情をしている。役人というより職人のようだった。
「私は、宮からの使いで、普請役のキヨヒコというものでございます。」
男は丁重に頭を下げ、顔役のユキに願いがあると言った。
ユキは、キヨヒコを奥の座敷に通し、話を聞くことにした。イカネも同席している。
「普請役とは・・いかなる用向きでございましょう。」
ユキが尋ねる。
「はい・・此度、摂津比古様が新しき館を普請したいと申されまして。」
「新しき館?」
「はい。堀江の庄と難波津宮には人が増え、手狭になって参りました。そこで、大路を伸ばして、新しき郷を開く事になりました。そこに、離宮を建てるとの事なのです。」
「離宮を・・。」とユキ。
「元来、普請は、泉州の職人達が一手に引き受けてまいりました。ですが、此度の話、急すぎて、材の調達がままならぬというのです。泉州の者たちに訊くと、山向こうの、紀の国には、立派な材があるのではないかと申すのです。」
隣で聞いていたイカネが首をひねる。
「材?・・おそらく、それは山手の郷の者でないと判らぬ事だな・・。」
ヤチヨもイカネも、海辺の育ち。遠くに見える山々は知っているが、これまで一度も行ったことはなかった。
「ユキ様、確か、田屋の郷の者がいたはずです。ええっと、確か、ムソヤという者。ここへ来るように言ってください。」
奥の部屋の外にいた娘が、蔵に行き、すぐにムソヤを連れて来た。
ムソヤはまだ、若いながらもひときわ大きい男だった。見るからに山の男の様相で、盛り上がった肩の筋肉がすべてを物語っていた。ムソヤに一通り、離宮造営の話をすると、
「離宮の造営とあらば、ヒノキが良いんでしょう?」
ムソヤがキヨヒコに訊く。
「はい。ヒノキが・・それもとびきり大きいものが数多く必要です。」
それを聞いてムソヤが答える。
「俺はあまり詳しくはないが・・爺様に聞いた話だと、直川の上流あたりには、両腕を広げても届かず、大人三人くらいが手を繋ぎようやく一回りできるほどの、檜がたくさんあるはずだ。ただ、近ごろは、山に入る事も少なく、手入れも出来ていないかもしれないがな・。」
「そうだ・・田屋の郷はそのせいで山津波に襲われた・・。ムソヤよ、爺様は達者でおられるか?」
イカネが心配顔で訊く。
「ああ・・無事だった。」
「それなら、何とかなるかもしれぬな。」
イカネがそう言って、キヨヒコを見た。
「次は、いつ、紀の国へ戻られましょうか?」
キヨヒコが訊く。
「いや・・そろそろとは考えておりますが・・・。」
とイカネは答え、ユキの顔を見た。
ユキも、そろそろ産物も少なくなっている事には気づいていた。だが、次の産物作りがどうなっているのか、判らなかった。
「では、戻られる時、ともに紀の国へ行かせてはもらえませんか?・・この仕事、しくじるわけには参りません。泉州の者達にとっても大きな仕事、何とかやり遂げたい。力を貸してください。」
キヨヒコは頭を下げる。
「それは構いませんが・・でも、お急ぎになられているのでしょう?・・それならば、数日中に戻れるように致しましょう。私も、次の産物を検分しなければなりませんから・・。」
ユキは、そう言いながらも、まだ、この地へ残っていたい気持ちが湧いていた。
「それはありがたい。・・確か、紀の国には皇子が居られるはず。・・摂津比古様から、紀の国へ行くなら、皇子を頼るようにと仰せつかっております。」
摂津比古も承知の事となれば、急ぐほかない。
ユキはすぐに戻る支度を始めた。イカネは男衆を集めて、紀の国へ戻る算段を始めた。紀の国へ戻るのは二日後と決まり、留守役を数名残すことになった。普請役キヨヒコが来た日の翌日、例のごとく、オオヨドヒコが館を訪れる。
「紀ノ國へ戻られると聞きましたが・・。」
オオヨドヒコの声は少し沈んでいるようだった。
「はい。離宮造営のお話を伺い、お役に立てるならば・・・・次の産物も調達せねばなりませんから・・・すぐに戻って参ります。ですから・・」
ユキはそこまで言って急に言葉に詰まった。その後、自分は何を言おうとしていたのか・・待っていてください?それは余りにも思い上がっているように思った。
「はい・・ユキ様の御帰りを心待ちにしております。」
オオヨドヒコは、ユキが、「ですから」の次に続けたいと思った言葉で返した。ユキは、オオヨドヒコと心が通じ合ったような気になって、思わず、涙を流してしまった。
「すぐに戻られるのでしょう?・・・その時には、是非、お話ししたいことがあります。」
オオヨドヒコは、しっかりとユキの眼を見て言った。
大船は出港する日を迎え、港には多くの者が見送りに来ていた。オオヨドヒコも、その中にいて、じっと、ユキを見つめていた。
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3-24 ヒノキの手配 [アスカケ外伝 第1部]

ユキやイカネとともに、キヨヒコは大船で紀の国へ向かった。泉州の職人も数人同行していた。広瀬の港に着くと、一行は、すぐに、頭領の許へ向かった。
もう夏も終わろうとする頃、黄色く色づいた田が広がり、短い期間ですっかり元通りになっているように見える。半年近くで、郷にも活気が戻ってきていた。
タケルは頭領たちとともに、名草の館にいた。ヤチヨも、産物作りの手を止めて、館に来ていた。ユキが予想よりも早くに戻った事で、何か問題でも起きたのではないかと心配していたのだった。
大広間で、難波津から戻ったユキやイカネ、そしてキヨヒコ、泉州の職人たちは、頭領たちと対面し、『離宮造営』の話をした。
「そうか・・離宮造営のためのヒノキか・・・。」
一通り話を聞いた、頭領ユミヒコが口を開く。そして、脇にいるオノヒコを見る。
「確かに、ムソヤが話した通り、直川の上流にはヒノキの大木はある。我ら、園部の民が日々山に入り大切にしてきた。昔は、田屋の郷の奥にはもっと素晴らしいヒノキがあったが・・手入れができず、おそらく使える木は少なかろう。」
それを聞いてキヨヒコや泉州の職人たちは少し安堵した。
「何とか、離宮造営のため、拠出いただけませぬか?」とキヨヒコ。
「それは構わぬが・・。」とオノヒコ。
話を聞いていたタケルが、率直にキヨヒコに訊く。
「離宮造営・・私には、少し腑に落ちないことがあるのですが・・。摂津比古様は、もともと、先の皇葛城王のために、難波津を造営され、大和争乱の際には、一時、ヤマトの都とまでにした場所です。手狭というのも腑に落ちない。・・離宮は何のために作られるのでしょうか?」
タケルの質問に、キヨヒコは戸惑っている。
「詳しくは存じませぬ。・・私は普請役。命じられたものを作るのが役目。」
「そうですか・・・。」
タケルもそれ以上は問い詰める事はしなかった。
「いずれにせよ、この紀の国に、離宮を作るほどの材があるかが重要。明日にでも、山へ行き、検分されるのが良いでしょう。オノヒコ、案内を頼む。」
ユミヒコがそう言って場を締めた。
キヨヒコ一行は、オノヒコの案内で一旦、園部の郷を拠点とすることになり、タケルとニトリも同行することとして、その夜は、オノヒコの館で休むことになった。
夕餉を終えた時、キヨヒコがそっとタケルの許へやってきた。
「タケル様、お話がございます。」
タケルはキヨヒコを部屋に入れた。
「先程の事、皆の前ではお話しするのは如何かと思い、口を噤んでおりました。申し訳ございません。」
キヨヒコはそう言って、深く頭を下げる。
「どういうことですか?」
「実は、大和のモリヒコ様が先日難波津へお越しになりました。」
「確か、ここから戻られる時、難波津に寄っていくと仰っていました。」
「その時、摂津比古様に、紀の国の産物作りにタケル様が頭を悩まされておるとお話されました。その次の日には、離宮造営の話が持ち上がり、紀の国のヒノキを使うようにと命じられた次第なのです。」
「何と・・そういう事でしたか・・。しかし、離宮造営とはそれほど簡単なものではないでしょう。皇様や摂政様にも了解を得る事も必要だと思うのですが・・。」
「はい。ただ、どうやら、その話はすでに皇様や摂政様もご承知との事。・・いずれ、皇位をタケル様に譲られた際には、離宮に移られる願いをお持ちのようで、難波津へ離宮をというのは前々から決まっていたようなのです。」
「そうですか・・・」
「あの場で全てをお話するのは・・如何かと・・摂津比古様やモリヒコ様からも、今、タケル様は、紀の国で思い通りに国作りに邁進している。その邪魔にならぬよう、配慮せよとも聞いておりましたゆえ、差し控えました。」
タケルは言葉がなかった。
キヨヒコがあの場で答えに窮したのは、そういう事情があり、そのことを皆が知れば、タケルは皇子としてさらに崇められ、きっと思うように仕事ができないかもしれないと気遣ってくれていたのだった。
「判りました。そうですか・・父や母が住む離宮の造営。それならば、一層、力が入ります。すばらしき宮を作りましょう。力を貸してください。」
タケルは改めて、キヨヒコと手を握り、誓った。
次の日から、山に分け入り、大木探しが始まった。
切り出した大木を運び出す事も考慮して、直川沿いの谷筋に近い森を重点的に調べた。泉州から来た職人たちは、オノヒコたちの案内する木を一つ一つ検分し、使えそうなものに布を巻く。そして、その木を直川まで運び出す道の普請も始まった。
園部のムソヤは、その先頭に立っていた。
「爺様、あの木はどうだろう?」
「まだ、若い。それより、あの木だ。真っすぐに伸びておる。心柱にはちょうど良い。」
そんな遣り取りをしながら、その木を泉州の職人が更に検分していく。
「切り出しは、もう少し寒くなってからが良かろう。下草も枯れ、出しやすくなる。」
切り出し作業が始まれば、難波津や泉州から多くの職人が必要になる。そして、それは、長期にわたる大事業である。韓人たちにも、腕に覚えのある者が多くいて、事業に加わることになるにちがいなかった。
ムソヤやキヨヒコ、そして泉州から職人たちは、切り出す作業だけでなく、運び出しから、難波津までの運搬方法など、一つ一つ相談して決めていく。タケルたちも、相談の中に入り、詳細を確認しながら、人の手配や作業小屋の場所なども決めていった。
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3-25 チハヤとクニヒコ [アスカケ外伝 第1部]

一方、チハヤは、医長として、郷に着いた当初は、災害で怪我をした者や病になった者を診て、持ってきた薬草を使って治療に専念していた。ある程度、落ち着いてからは、郷の古老を訪ねて回り、古くから伝わる薬草の知識を集め、名草山や園部の山、和歌の浦の磯、様々なところから、薬となるものを見つけ試すようになっていた。
タケルが頭領ヤシギを治した時、意識を失ったタケル心配して暫く付き添って看病していたが、その様子を見ていた広瀬の郷の者達が、郷のはずれに小さな建物を立て、そこを治療院にすることになった。そこには、郷の子どもたちが集まるようになり、子どもたち相手に、字や病気、薬草の知識も教えるようになっていた。
郷の復興作業では、時折、怪我人が出る。岩を動かす際に挟まれたり、泥濘に足を取られ転んで傷を負ったり、特に、怪我の時には血止めの薬草が大量に必要になる時がある。
難波津からも、そういう事を想定してある程度の血止めの薬草は持ってきていたが、すぐに底をついた。
チハヤは、古老から聞いた「血止め草」をどうにか手に入れようと考えていた。長雨の前に黄色い花をつけ、夏前には赤い実が着く草だ。古老の話では、花山砦の北側に群生しているとも聞いた。
「クニヒコ様はどちらにおいででしょうか?」
チハヤは、名草の館に行き、クニヒコの居場所を尋ねて回った。なかなか居場所が掴めなかったが、館の侍女から、花山砦に朝夕いるはずだと聞いて、花山砦へ行くことにした。
名草の館から山沿いの道を歩く。ここらは水害からは逃れていた場所で、豊かに稲が育っていた。山裾から石畳の道を上ると、太い柱が列となって囲いを作っている砦に着く。かなり、日が傾いてきて、砦から外を見ると、赤く染まった空とそれを映した大川の流れが見え、素晴らしい景色だった。
「おや、チハヤ殿ではないか・・どうされた?」
クニヒコは、侍女の言った通り、花山砦にいた。
毎日、朝夕に訪れるのは訳がある。砦は、今はほとんど無人になっていて、放っておくと獣たちに荒らされてしまうからだった。
クニヒコは、額から汗を流し、衣服にも汗のシミが広がっている。おそらく、どこか壊れた箇所を修理していたのだろう。
「血止め草を探しております。花山砦辺りにあると聞き、ここらに詳しいクニヒコ様をお探ししておりました。」
「血止め草・・ですか・・。」
「この時期には、黄色い花を咲かせていて・・そろそろ小さな実もついているのです。」
「黄色い花なら・・確か、砦の北の辺りで見かけました。それかどうかは判りませんが・・」
「きっとそうです。郷の古老からもそうお聞きしました。」
「ですが・・もう、日暮れになります。今からだと、足元が危うい。明日にされたら、如何ですか?」
外を見るとすでに日が暮れ、夕闇が広がっている。これから、名草の郷へ戻るのも不安になってきた。
「今宵は、ここにお泊りになられたら良い。幸い、私もそのつもりで、食べ物は少し用意しております。」
クニヒコはそう言うと、砦の中の小さな建物に入っていく。チハヤも後に続く。クニヒコは、手早く、竈に火を入れ、布袋から米を取り出し、いくつかの薬草を入れて、粥を作る。手慣れたものだった。それから、囲炉裏にも火を起こし、竹籠から、川魚を取り出して串を打ち、火に当てる。
「頭領の言いつけで、日夜、一人で、この砦を守っておりましたので、こうした事には慣れております。力仕事がほとんどで、とにかく、腹を満たす事だけですので、味の方は保証できませんが。」
クニヒコは、そう笑いながら言って、椀に粥を掬い、チハヤに差し出した。チハヤはそっと粥に口をつける。独特の薫りが口の中に広がる。
「これは・・・・シソ・・他にもなにか・・。」
チハヤが呟く。
「おや・・判りますか・・。ハコベです。いろいろ試して、これなら食べられそうだと思ったものなんです。ただの粥よりは美味そうかなと・・入れすぎると不味くて・・加減が難しいんですがね。・・あとは、塩の使い方でしょうか。・・さあ、こちらも・・。」
クニヒコは、上機嫌で、川魚を差し出す。
「さっき捕れたばかりですから、旨いはずです。」
チハヤは一口食べてみる。これも塩で味付けされ旨い。チハヤが美味しそうに食べるのを見て、クニヒコはさらに上機嫌になった。
「この砦に一人でずっといらしたのですか?」
チハヤは食べるのをやめて訊いた。
「いえ・・始めは、私の父がこの砦の守り役でした。その頃は、巨勢一族がいつ攻めて来るか判らぬ中、絶えず、兵たちも詰めておりました。父が亡くなってから、私が引き継ぎましたが、巨勢一族もしばらくは攻めてくる様子もなく、徐々に、ここへ兵を置く事もなくなったのです。三年ほどは、ほとんど一人でした。ですが、ここも、必要なくなるでしょう。」
クニヒコは、少し寂しげな顔をした。確かに、巨勢一族がなくなった今、戦が起こる事もない、砦として使う必要は無くなる。親子二代で守ってきたこの砦が廃れるというのは辛いものに違いなかった。チハヤは、どう答えてよいか判らずにいた。
「戦が無いのは良い事です。皆、毎日、田畑の仕事や漁の仕事に邁進できる。郷が豊かになる。良い事なのです。」
クニヒコは自分に言い聞かせるように言った。
「奥に、床があります。そちらでお休みください。私は、少し、見回りをしてきます。夜になると、獣たちが遊びまわるので・・あちこち壊されてしまうのです。」
 クニヒコは、そう言うと、囲炉裏から火のついた棒を松明にして出て行った。
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3-26 薬草探し [アスカケ外伝 第1部]

翌朝、目が覚めると、すでに朝餉の支度はできていた。
 「目が覚めましたか?」
 チハヤが顔を見せると、クニヒコが声を掛けた。見ると、手に布を巻いている。
「その手、どうされたのですか?」
「いや・・ちょっと、獣に・・。」
「診せてください!」
 チハヤは、クニヒコの手から布を外す。爪の様なものの引っ掻き傷だと判る。血は止まっているようだが、少し、赤く腫れている。
「獣の毒が入っているかもしれません。ちゃんと治療しないと・・。」
ふと見上げたクニヒコの顔が、何か赤く見える。額に手を当てると、熱がある。やはり、毒が回っているに違いない。
「そこに横になって下さい。」
チハヤは、クニヒコを床に横にすると、すぐに湯を沸かし始めた。それから、小屋の中にある布切れを集め、湯の中に入れる。いわゆる殺菌の作業だった。綺麗にした布で傷口を拭う。
「うう・・」
クニヒコが呻く。
「やはり、見た目より傷が深いようだわ。」
チハヤは持ってきた布袋を広げる。チハヤは、どこでも治療ができるように、いつも薬草袋を持ち歩いている。その中から、いくつかの薬草を取り出して、合わせ、つぶして湯につける。煎じた汁を布につけ、傷口に塗る。同時に、他の薬草を煎じて、飲み薬を作った。そして、それを椀に入れ、クニヒコに飲ませる。
「これでしばらく安静にしていてください。熱が引けば大丈夫です。でも、油断はしないように。傷口は見た目より深いようなので、時々、こうして綺麗な布で拭いてください。膿がでるようなら別の薬草を使いますから。」
「チハヤ様は・・凄いですね・・。」
横になったままのクニヒコは、チハヤを見てそう言った。
「傷を見ただけで・・そんなふうに薬草を使えるなど・・」
「いえ・・私などまだまだです。都においでのハルヒ様に比べれば、私の知識などまだまだなのです。ハルヒ様は、皇様と共に、難波津で薬事所を開かれ、多くの病を治されたのです。そのことが、難波津に多くの人を集める力にもなった。私もいずれは、そういうふうに、ヤマト国のお役に立てる仕事がしたいと思っているのです。」
「大きな望みをお持ちなのですね・・。」
クニヒコはそう言うと静かに目を閉じる。
「お薬が効いてきたようね・・。これで、痛みも薄らぐでしょう・・。」
チハヤは煎じ薬の中に、少しだけ眠くなる薬草を混ぜていた。傷口の痛みから少しでも解放できればと考えての事だった。
チハヤは、クニヒコが用意してくれた朝餉を食べると、一人で砦の外へ出た。古老に聞いた砦の北側に降りて行く。途中、石畳が敷かれている所もあるが、水害もあったために道がはっきりしないところもある。一人で来たことを少し後悔していた。
少しずつ、下へ降りて行く。すると、古老の言った通り、砦の一番下のあたりに、黄色い花を咲かせる草があった。
花を見て、気持ちが焦ったのか、つい、身を乗り出した。足元の石がぐらぐらとして、ふわりと体が浮いた。そのまま、崖下へ転がり落ちていく。
その頃、花山砦に、シルベが訪ねて来た。昨日、チハヤが出かけたまま戻っていない事を心配してやってきたのだった。
シルベは、砦に上がり小屋の中を見た。そこには眠っているクニヒコがいる。小屋の中を見回すと、薬づくりをした後がある。確かにここにチハヤは来ていた。どこに行ったのか、すぐに戻ってくるのか、シルベは小屋の中を出たり入ったりしながら考える。そのうち、クニヒコが目を覚ました。
「シルベ様、どうされました?」
床から身を起こしながらクニヒコが訊く。
「いや・・昨日から・・チハヤが戻らぬと聞いて様子を見に来たのだが・・」
「居られませぬか?」
「姿はない・・。」
「では、薬草を探しに行かれたのかも・・・北側の辺りに血止め草を探しに行きたいと申されておられました。・・案内する約束でしたが、怪我をしてしまい・・・。」
クニヒコの言葉をそこまで聞き、シルベは小屋を飛び出していった。
今朝、小屋を出たとしたら、まだ、歩いた跡は残っているに違いない。シルベは、じっと周囲の草や土を観察し、チハヤの跡を追う。北側の石畳の階段に、草を摘んだ後を見つけた。そこからさらに降りて行ったのだろうとゆっくりと周囲を見ながら進む。その先に、黄色い花が見えた。あれがそうなのか?シルベはそう心の中で思いながら、近づく。チハヤの姿はない。
数歩進むと、石畳の石がぐらぐらしているところがあった。危ないと思って立ち止まる。もしやここから落ちたのでは・・そう思って、慎重に下を覗き込む。崖下に草がなぎ倒されているところがある。いやな予感がする。
「チハヤ!チハヤ!」
この限りに叫ぶ。耳を澄ますと、僅かに何か聞こえた。草が動く。チハヤが居場所を教えようとしているに違いない。シルベは、周囲の木々にまとわりつくように伸びているツタの弦を何本も何本も集め、太い縄のように仕立てた。そして、それをもって、ゆっくりと下へ降りて行く。深い草を分け進むと、そこにチハヤの姿があった。
「大丈夫か!」
シルベは周囲の草を刈り捕る。チハヤは、草の中に横たわっていて、どうやら、足を痛めたようだった。
「すぐに手当てをせねば。」
シルベは、葛の弦で作った縄をチハヤの体に巻き、自分の体と離れないようきつく縛って背負うと、降りて来た崖を上っていった。
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3-27 花山砦の三人 [アスカケ外伝 第1部]

砦の小屋へ辿り着いたシルベは、静かにチハヤを降ろす。背負ってくる最中、チハヤはシルベに小屋に戻ったらどうすれば良いかを話していた。
シルベは、急いで湯を沸かし、布を殺菌する。そして、チハヤの言った薬草を何種類か混ぜ合わせ、綺麗にした布に来るんで、足に当てた。
「他に痛いところはないか?」
「肩が・・少し・・」
チハヤが言う。シルベは少し戸惑ったが、痛みがあるというのなら仕方がない。
「済まぬ、脱がすぞ!」
シルベは、そういうと、チハヤの服を脱がした。出会った頃はまだ、幼子のようであったが、あれから1年近く経ち、チハヤは既に大人の体つきになっていた。
「ああ・・肩を打ったようだな。腫れておる。ここもあの薬を当てておくか?」
シルベに訊かれ、チハヤは急に恥ずかしさを覚え、目を見る事が出来ない。
「ええ・・そうしてください・・すみません。」
小さな声で答えるのがやっとだった。
シルベは手早く薬を当て、再び、服を着せ、横にした。
花山砦に、二人の怪我人が横たわり、シルベは、囲炉裏で火の番をしている格好になった。
しばらくして、痛みが落ち着いたのか、チハヤが口を開いた。
「シルベ様・・何故、ここに?」
「いや・・昨夜から、花山砦に行ったまま戻らぬと聞いて・・少し、胸騒ぎがしたので。」
「おかげで救われました。ありがとうございます。」
「礼などいらぬ。其方は、私の命の恩人。これで少し恩返しになったかな・・。」
その会話を聞いていたクニヒコが訊く。
「命の恩人とはどういうことですか?」
シルベが答える。
「私は、大和争乱の折、兵として難波津を攻める側にいた。だが、あっけなく敗け、離散し、難波津に息を殺すようにして暮らしていた。もはや命も尽きると思った時、チハヤ殿に見つけてもらい、救われた。その時、チハヤ殿に遭わなければ、今の私はない。」
「そんな‥大袈裟な・・・都から難波津へ、タケル様たちと参った時、町中で小さな騒ぎが起きたのです。私たちは、逃げ回っている最中に、シルベ様が隠れておられたあばら家に行きついたという事なのです。・・私が、シルベ様をお救いしたわけではありません。」
「いや・・あの時いただいた、蒸し饅頭は一生忘れられぬものです。」
「蒸し饅頭?」とクニヒコ。
「ああ・・吉備の蒸し饅頭だ。これ以上に、美味しい食い物はないぞ。」
そう言ってシルベは笑った。
チハヤとクニヒコの傷が癒えるまでの数日、シルベは、名草の郷と花山砦を行き来しながら、二人の世話をした。
それから、チハヤから「血止め薬」になる薬草の特徴を聞き出し、シルベが一人で草を刈り捕ってきた。傷が癒え動けるようになったクニヒコも、シルベを手伝い、薬草づくりを進めた。
一週間ほどで、チハヤも動けるようになった。まだ、足は引き摺るほどだったため、シルベがチハヤを背負い、砦の周りを歩くことになった。
チハヤはシルベに背負われている時、なぜか、心が安らぐのを感じていた。
「ここには、数多くの薬草があります。薬草園として使えるようにしましょう。」
チハヤの願いは、すぐに頭領にも伝えられ、郷から古老たちもやってきて、花山砦一帯にある薬草を探しだし、板に書き出していった。
「これで、きっと、紀の国の方々は、病に苦しむことが減るでしょう。いえ、ここの薬草はきっと、ヤマト国にとっても大事になります。紀之國の産物として、難波津へ運ぶのも良いでしょう。ぜひ、ここを、クニヒコ様の御力でお守りくださいませんか。」
チハヤに言われ、クニヒコには断る理由などない。すでに無用のものとなったはずの砦が、再び皆の役に立つ。これほどの喜びはなかった。
それから、しばらくは、クニヒコに薬草園の手入れの仕方をチハヤが手ほどきすることになり、シルベも力仕事を手伝った。
そんなある日、クニヒコがシルベと共に、薬草園を広げるために土運びをしている時だった。
「シルベ様、チハヤ様は素晴らしき御方ですね。」
突然、クニヒコが口を開く。そんなことはとうに承知している。何を改まって訊くのかと訝し気にクニヒコを見る。
「私にも、あのような御方が傍にいれば、何よりの幸せだと思います。」
シルベはどう答えてよいか判らず、クニヒコの話を聞いていた。
「いつか、私にもチハヤ様の様な方が現れるでしょうか?」
クニヒコはチハヤを想い人の様に考えているのか、長くともに居ればそういう思いを抱いてもおかしくはない。だが、どう答えればよいのか、シルベは判らずにいた。
「私はシルベ様が羨ましい。」
「いや・・それは誤解だ。私とチハヤ様とはそういう仲ではない。年も親子ほども違う。もっとふさわしい・・そう、クニヒコ殿こそ、チハヤ様にふさわしいと思うが・・。」
シルベはそう言ったものの、その心の中ではそう思ってはいなかった。確かに、自分にとってチハヤは命より大切な存在であることを花山砦で感じていた。
「チハヤ様はどう思っておられるのでしょうね。」
「いや・・きっと私の事など・・父の代わりのように思っているはずだ・・。」
「そうでしょうか?」
クニヒコはそう言ったきり、土運びの仕事を続けた。
しばらくして、チハヤがやってきた。もうすっかり足は治っているようだった。
「そろそろ日が暮れます。夕餉の支度をしましょう。」
二人は手を止め、砦の小屋へ戻って行った。
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3-28 夕餉のあとで [アスカケ外伝 第1部]

「シルベ様、クニヒコ様は夕餉の支度が手早いのですよ。初めてここへ来た時、粥と魚をいただきました。とても美味しうございました。」
チハヤが屈託のない笑顔を見せて言う。
「ほう・・其方らが怪我をしていた時、わしの夕餉は口に合わなかったか。」
シルベや少し不満そうに返す。
「いえ・・シルベ様の夕餉も見事でしたよ。」
クニヒコが言うと、チハヤが、
「ちょっと、塩が効きすぎていましたわ。もっと、野草をうまく使って下さい。これから徐々に寒くなりますから、体を温める野草を使う料理を覚えると良いですよ。」
「いや・・野草はあまり好まない。できれば、鶏やイノシシの肉を食べたいのだがな・・。」
「・・もう、兵士ではないんですよ。そんな、戦さ場の料理では体を壊します。」
「力仕事をしているのだ。肉を食わねば、力が出ぬ。」
「その腕、その足、充分に力はあるでしょう。」
二人のやり取りを聞いて、クニヒコは入る隙も無いと感じていた。
「お二人は本当にお似合いだ。まるで、夫婦のようだ。」
クニヒコが口にすると、急に二人は顔を見合わせ、真っ赤になってしまった。
それから、しばらくは二人とも黙ったまま、夕餉の支度をし、さっと夕餉を済ませて、床に入った。
シルベはなかなか寝付けなかった。クニヒコの言葉が耳についていた。チハヤの事を想っているのは確かだった。だが、それは、妻を娶ることとは遠いような思いだと自分では決めていた。だが、改めて、クニヒコに言われ、つい考えてしまうと眠れなかった。
小屋の窓から、月が見えている。シルベはそっとき出して、小屋の外に出た。ほのかな月明かりの中、遠くに大川の水面が光っている。砦の石に座り、ぼんやりとしていた。
「シルベ様・・眠れないのですか?」
後ろから、ふいに、チハヤが声を掛けた。チハヤは、シルベが答えるのも待たず、シルベの隣に座った。
「随分と時が過ぎましたね。」
チハヤがぽつりと言った。初め、シルベは何のことかはっきりわからずにいた。
「あの、あばら家のシルベ様はとてもみすぼらしく、まるで生ける屍でした。」
チハヤはシルベとの出会いの時を思い出していた。シルベは、あの頃、この世から消える事しか考えていなかった。あの時の出逢いが無ければ・・とシルベは思う。
「チハヤ様は立派になられた。あの頃は、まだ、小さな子どものようであったな。・・あれから、難波津でも、紀の国でも、しっかりと学ばれ、お役目を果たされた。この花山砦の薬草園など、難波津の薬草園に負けぬほどのものだ。」
月明かりに浮かぶ砦の周囲には、幾種類もの薬草の畑が広がり、さらに大きくするための工事も進んでいる。
「これから、どうされるのですか?」
シルベが何気なく訊いた。
「紀ノ國には一年という約束で参っております。春には、難波津へ戻ることになります。・・シルベ様も共に帰られるでしょう?」
「もともと、タケル様やチハヤ様達をお手伝いする為に、参りましたゆえ、ともに帰ることになりましょう。」
「難波津へ戻られたら、どうされますか?」
チハヤに問われて、ふいに答えに詰まってしまった。
チハヤ達に救われた後、吉備の国の下働きをすることで何とか自分の居場所を作っていたが、また、あの場所に戻れるとは限らない。
「チハヤ様はどうされますか?」
チハヤは少し考えてから、口を開いた。
「大和には、アスカケのしきたりがあります。」
アスカケ・・幾度か、タケルや摂津比古から耳にしたことはあった。
「アスカケとは、自らの生きる意味を探す旅と聞いております。・・チハヤ様もアスカケに行かれるおつもりですか?」
「難波津を出る時、その決意でおりました。自らの力・・薬草を広め人々の役に立てるのではないか、そのための多くの国を回り、さらに見聞を広げたい・・そう思っておりました。」
チハヤは何か、躊躇いを感じさせる言い方をした。
「しかし・・女人のひとり旅は何としても、危うい・・。タケル様たちとともに行かれるのですか?」
「判りません。タケル様たちが、私の様な者を連れて、アスカケに行かれるのは望まれていないかもしれません。」
「では、どうされるのですか?」
「判りません・・・。」
チハヤはそう言うと、突然、顔を伏せ、涙を流し始めた。シルベはどう声を掛けてよいか判らない。しばらく沈黙が続く。
「私で良ければ・・お傍におります。」
シルベは、そう言うのがやっとだった。
チハヤは、ふいに顔を上げ、シルベを見る。シルベの言葉の真意を確かめる様な表情で、じっとシルベを見る。だが、チハヤは、その言葉をどう受け止めてよいのか、まだ、判らないような表情だった。
「救って貰った命。チハヤ様のお役に立つなら、本望です。私がお守りいたします。」
シルベの言葉は嬉しかった。だが、それは、チハヤが命の恩人であるからという風に聞こえてしまい、淋しさも感じていた。
チハヤは、ふいに立ち上がると、「ありがとう。もう休みます」と言って、小屋に戻って行った。
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3-29 山の儀式 [アスカケ外伝 第1部]

冬になると、いよいよ、ヒノキの切り出しが本格的に始まった。
最初のヒノキを切り倒す前、古くから山の民に伝わる儀式が執り行われることになった。
園部の郷から、直川を上り、峠道の入り口には、大きな銅鐸が幾つも吊り下げられる。その先には大きな祭壇が作られた。
園部の古老が一人、白い衣を纏い、顔や首、腕には赤と青と白の文様を描き、瞳には板に小さな溝を施したメガネの様な仮面をつけている。両手には、小さな銅鐸と杖を持ち、ゆっくりと祭壇へ上る。
一斉に銅鐸が打ち鳴らされる。その音は、まるで郷から山へ向けて駆け上る龍が放つ様で、ひとしきり山を木霊した後、静寂が訪れる。
すると、祭壇に上がった古老が、古の言葉で、山の神・木の神に詔を捧げる。郷の者たちは、静かに首を垂れ、聞いている。最後に、古老は、両足を広げ、深く腰を落とし、両腕を左右に大きく伸ばす。そして、力いっぱいに胸の前で柏手を打った。
「パアーン」。
その音が木々の間を走り抜け、しばらくすると、キーンという音になって戻ってきた。
「山の神、木の神も、お許し下されたようだ。」
古老はそう言うと、その場にばたりと倒れてしまった。
すぐに郷の者が抱きかかえ、祭壇から降ろすと、次に、郷の娘たちがしずしずと現れた。肌が透けるほどの薄い衣を纏い、全身に赤、青、白の文様を描いている。
甕を抱え、ヒノキの枝で中の水を掬いながら、祭壇の周りにいる郷の者達に振りかける。作業の無事を祈る儀式だった。
厳かに儀式が終わると、最初に切り出すヒノキの周りに郷の者が集まる。
「さあ、タケル様、最初の一太刀をお願いいたします。」
ニトリが、タケルに身の丈ほどもある大鉈を差し出す。一人で抱えるには重すぎるほどの大鉈である。
言い伝えでは、昔、紀の国の山には、身の丈が人の倍ほどの山男が住み、木々を切る仕事をしていた。そして、その男が精魂込めて作った大鉈という事だった。だから、これは儀式のために引き出されたものであって、実用的なものではない。通常なら、二人がかりで抱え、木にコツンと傷をつける程度のもののはずだった。
だが、タケルは、その事を知らなかった。いや、知っていたとしても結果は同じだったかもしれない。
タケルが、大鉈を掴むと、突然、その大鉈が光りはじめた。そして、タケルは体をぶるぶると震わせると、身の丈が倍以上の大男になった。
タケルは、大きく大鉈を振り上げる。そして、一気に、ヒノキを打ち付けた。ギギーという音が響く。なんと、大鉈はヒノキの半分以上にまで食い込み、見ているうちに、ヒノキは倒れたのだった。辺りは倒木の勢いで巻き上げられた砂煙や枯葉が舞い見通しが利かなくなるほどだった。
「何とした事か!・・山の神が乗り移られた様じゃ!・・神の御導きに違いない。」
古老が叫ぶ。見守る郷の者達は、ただただ手を合わせる。
暫くすると、辺りが静寂を取り戻し、清とした風景に戻る。そこには、大鉈を握ったまま、立ち尽くしているタケルの姿があった。再びの奇跡を目の当たりにし、皆、湧いた。
切り出し場所に近い、園部の郷では、多くの職人たちを寝泊まりさせることは難しく、切り出し場所近くの山裾や、切り出した樹を運ぶ直川の岸辺、大川の岸辺、それに広瀬の港近くにも、多くの小屋が建てられた。紀之國の民も、秋の田畑の作業を終えた者から順に、切り出し作業にも加わった。
タケルやヤスキ、シルベたちは、連日、切り出し作業に汗を流した。春日の杜にいた頃に、小さな小屋を建てるため、木々を切り出し、加工する作業はやってはいたものの、離宮作りに使うヒノキは格段に大きく、不慣れな事も多く、泉州から来た職人に手ほどきを受けながら、作業に掛かった。
山の中に、カンカンという音が響き渡る。
「さあ、倒すぞ!」と声が響く。
ギギーっという音と共に、大木が倒れていく。すると、すぐに大勢の男が鉈を手にして、小枝を切り落とし、丸太にしていく。
丸太が仕上がると、幾本もの荒縄を大木に巻き付け、引き出していく。
「さあ、引け!」「やれ、引け!」
山の斜面に作られた道をゆっくりと引きだしていく。
引き出された木は、直川に浮かべられ、流れを使って下流へ運ぶ。途中何度も、岩場に当たり、その度に男たちは気にしがみつき、向きを変え、苦労しながら流れを下る。
そうして、大川と直川が合流する辺りには、何本もの丸太が集まってくる。それらを纏めて木筏にして、大川からさらに河口へと運ばれ、広瀬の港には、そうした筏が集まっていた。
ヤチヨは、郷の女たちと分担して、こうした作業をしている場所近くで、炊き出しを行って、朝餉と夕餉の支度に忙しい日々を送っていた。
ユキも、ヤチヨとともに働いた。難波津へ戻れるのは、しばらく先になると覚悟して、できるだけ、オオヨドヒコの事は考えないように努めていた。だが、仕事の合間、ふと、一人になると、つい、海を眺めてはオオヨドヒコの事を思い浮かべてしまう。
ヤチヨは、難波津へ行った娘たちから、ユキとオオヨドヒコの話を一通り聞いていた。だから、ユキが時折ぼんやりしている姿を見るたび、次の産物作りを進めなければと腐心していた。
「ユキさん、きっと、春には難波津へ行きましょうね。」
「ええ・・」
「魚や貝の干物をもっていきましょう。」
何度もこうした会話をして、ユキを励ます日々が続いた。
チハヤは、医長として、作業場を回って、怪我をした者や病気の者がいないか看て回り、花山砦の薬草園の様子も見ながら、忙しい日々を過ごしていた。
切り出し作業の男達の中に、シルベの姿を見つけると、小さく手を振る。それに気づいたシルベが手を振り返す。今は、こうして互いの存在を確認するのが精いっぱいだった。
こうして、あっという間に、冬も終わり、春の気配が近づいてきていた。
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3-30 大和からの使者 [アスカケ外伝 第1部]

いよいよ、筏にした木を、初めて、難波津へ運ぶ時が近づいて来た。その日に合わせるように、ウンファンの大船が難波津から広瀬の港に入ってきた。船縁には、多くの人影が見える。
「大船が着きましたぞ。」
広瀬の館にいた、頭領ヤシギが、港にいるタケルたちに知らせに来た。港には、筏が並んでいるため、大船は沖に停泊し、小舟で迎えに行くことになる。
最初に、港に着いたのは、ウンファンと摂津比古、そして、オオヨドヒコだった。
「順調に進んでいるようだな。」
陸に上がった摂津比古が、タケルに声を掛ける。
「はい・・皆様が力を合わせ、ようやく、ここまでできました。離宮造営の件、誠にありがとうございます。」
タケルはそう言って深々と頭を下げる。
「儂に礼などいらぬ事だ。礼を言うなら、ほら、あの御方に・・。」
摂津比古がそう言って視線を送った先には、小舟に揺られてようやく桟橋に着いた、皇アスカと摂政カケルだった。
「父上!母上!」
タケルは、周囲の眼も憚らず、二人の許へかけて行った。難波津を出て一年、久しぶりの再会に、タケルの眼にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「うむ・・よく頑張りました。」
「大きくなりましたね。」
「はい・・・。」
タケルはそれ以上の返答が出来ず、父と母の手を握る。父カケルがそっとタケルの肩に手を置いた。それを包み込むようにアスカが二人を抱きしめる。そこには、皇や摂政ではなく、ただの親子のほほえましい姿があった。
大船で到着した一行は、港前に設えられた建屋に入り、「出迎えの式」が執り行われた。
そこは、港の広場に開くような形で、まるで舞台のような作りになっていた。ひな壇のようになった高い座敷に、アスカとカケルが座り、脇には、摂津比古やオオヨドヒコ、そしてウンファンが座る。そして、右側に、ヤシギやユミヒコ、オノヒコ、ニトリが座り、左側には、タケル、ヤスキ、ヤチヨ、チハヤ、シルベ等が並んで座った。そして、それを広場にいる郷の者達が見守る格好となっていた。
摂津比古が立ち上がり、口を開く。
「此度、離宮造営のため、ヒノキ拠出を受け入れて下さり、皆様に、深く礼を申します。」
皆、神妙な顔で摂津比古の言葉を聞いている。次に、頭領ヤシギが立ち上がり、
「この地の木々が役に立つことを嬉しく思います。何より、此度は、災難に際し、過分のご支援を賜り、深く御礼申しあげます。」
ヤシギの言葉に、集まった皆も深く首を垂れる。
すると、奥に座っていた皇アスカが立ち上がり、広場から姿がはっきりと判る場所まで進み出た。皇アスカは、皇にふさわしい金糸に彩られた朱の衣を纏い、首には透けるほど薄い絹の羽衣を掛けていた。その神々しさに、集まった者たちは息を止めるほどであった。
「皆さま、大変、ご苦労されましたね。しかし、見事にここまで復興され、此度は離宮のためにお力を貸していただけるとは・・皆様に深く礼を申し上げます。」
思いもよらぬ皇の言葉に、集まった郷の者達は、声を殺し、涙した。
「有難きお言葉・・皆の励みになります。」
ユミヒコも目に涙を浮かべて、応えた。
次に、摂政カケルが立ち上がり、皇アスカの横に立った。カケルは、紺の衣に金の刺繍が施された衣を纏っている。強きヤマトの象徴であるが故の衣装であった。
「私から皆様に、今一度、深くお詫びせねばなりません。ヤマト国が任じた国造により、長年、皆様に苦難を強いてきた事、そして、それを摂政である私もまったく知らぬままであった事、全ては、私の不徳の致すところです。どうか、お許しください。」
カケルはそう言うと、床に伏し、頭を下げた。これには、集まった民が、列席した全ての者が驚いた。ヤマト国を実質的に治める摂政が、民の前に伏している。
これを見た、頭領ヤシギは自らの心の中にあったヤマトへの不信は一気に吹き飛んだ気持ちになった。そして、ユミヒコやオノヒコ、ニトリが、カケルの許に駆け寄り、床に伏したカケルを抱き起した。
「止めて下され・・。ヤマトへの恨みなど、当の昔に消えております。皇子タケル様たちの御導きにより、紀の国はここまで復興することができました。感謝こそあれ、恨みなどございません。」
ヤシギは涙を流している。そして、壇上で、皆が手を取り合った。集まった者達から拍手と喝采が浴びせられた。ひとしきり、静けさが戻ると、ユミヒコが口を開いた。
「摂政カケル様に、お願いがございます。」
「私にできる事ならばお聞きいたしましょう。」とカケル。
「紀ノ國の新たな国造を任じてもらえませぬか?」
「新たな国造?」
「はい・・長く、この地は、分裂しておりましたが、ようやく、一つにまとまりました。これから先、紀の国を纏め、さらに豊かな国づくりをしてくれる国造を求めております。」
ヤシギがそう話すと、摂政カケルはすぐに答えた。
「それならば、皆様からご推挙いただきたい。かつての過ちは、ヤマトが勝手に国造を任じたために生じました。此度は、是非とも、皆様のご推挙で任じたいと思います。どなたか、良き御方は居られますか?」
「ならば、ニトリ殿を新たな国造に任じていただきたい。」
そう言ったのは、ユミヒコだった。
摂政カケルが、ニトリの前に進み、じっとニトリを見つめた。ニトリは、以前、ユミヒコに言われた「紀ノ國の安寧をもたらす事を運命づけられた者」という言葉を思い出していた。
「いかがですか?国造を受けていただけますか?」
摂政カケルの言葉に、ニトリは即答できなかった。
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3-31 新しき紀の国 [アスカケ外伝 第1部]

「私は・・」
ニトリは次の言葉が出ない。
「ニトリよ、皆の希望なのだ。是非、受けてくれ。」とヤシギが言う。
ニトリは大きく深呼吸をして、摂政カケルの眼を見て答える。
「私は・・巨勢一族の末裔。紀の国に災いをもたらした一族の血が流れております。そういう者が・・その様な生まれの者が国造に任じられるなど・・・・。」
それを聞いて、摂政カケルは笑みを浮かべて言った。
「生まれ・・ですか・・。ならば、我らも同様。」
そう言うと、摂政カケルは皇アスカを見て頷いてから言った。
「私は、九重の先の隠れ里、ナレの村の生まれ。祖先は遠く大陸から逃れてきた一族です。外界から切り離されたような森の奥深く、魚や木の実を取り、暮らしておりました。そして、皇アスカも、生まれてすぐ、親を亡くし、日向の海辺の郷で、藻塩焼きの仕事をしていた娘なのです。生まれを問われれば、我らとて、ふさわしくない者となりましょう。」
カケルの話を聞き、ニトリは驚いた顔で、カケルとアスカを見た。
皇アスカは静かに微笑んでいる。
「遠い故郷、ナレの村にはアスカケという掟があります。十五になった年、郷を出て、自らの生きる道を探すのです。私は、アスカケの中で、皇アスカにも出逢い、多くの友ができました。九重や西国などの多くの国との繋がりもその時に生まれました。そして、今のヤマト国を支えているのは、そういう友との絆なのです。・・ニトリ殿、あなたにはすでに紀の国の頭領の皆さま、郷の多くの皆さまが共に生きていこうと思って下さっています。難波津の皆も、ニトリ様との絆を持っております。・・生まれではなく、今日までどう生きて来たか・・それこそが大事なのではないですか?」
カケルは、ニトリに優しく諭すと、広場に集まった郷の皆を見るように促す。
ニトリは一人一人の顔を見る。その中に、見知らぬ者などいない。今日まで、様々な場所で助け合い、ともに汗を流してきた者ばかりだった。そして、それはどれも笑顔に溢れている。
「生まれを気にされるのならば、一つ、私から提案があります。」
皇アスカが、そっと前に進み出て、ニトリに言う。
「ニトリ様は・・確か・・ツル様と夫婦になりたいと願っておられましたね。」
以前、紀の国に来たモリヒコから、ニトリとツルの関係は知らされていた。
ツルの名を聞いて、ニトリは鼓動が早くなる。
これまで、誰にも打ち明けた事などなかったはずだった。
「どうして・・それを・・。」
ニトリが慌てて訊く。
「おや・・ツル様と夫婦になるというのは・・ここにいる皆も承知の事と聞いておりましたが・・違いましたか?」
皇アスカはにっこりとほほ笑んで訊き返す。
「いえ・・いずれは・・夫婦になりたいと・・。」
そう、ニトリが答える。
「ツル様はいかがでしょうか?」とアスカ。
いつの間にか、壇上にはツルが来ていた。
ツルは真っ赤になった顔を伏せている。
「ニトリ様、ツル様を娶りなさい。そして、紀氏(きうじ)を名乗られるというのは如何ですか。紀の国は古より紀氏が治めていた国、その紀氏の頭領となり、ヤマトから国造に任じられれば、誰も、疑う余地はありません。いかがですか?」
皇アスカは、そう言うと、ヤシギを見た。
「ツルを嫁に出すのは予てから決めていた事。私に異論はございません。」
次に、ユミヒコを見た。
「なによりのご提案。我が一族も、我が代にて絶えるものと覚悟しておりましたが・・ニトリが我が一族を継ぎ、頭領となってくれれば、何よりでございます。」
「いかがですか?ツル様を娶り、紀氏を継ぎ、紀ノ国造として生きてもらえませんか?」
そう言ったのは、摂政カケルだった。
もはや、ニトリには固辞する理由などない。ニトリはもう一度、広場の皆の顔を見る。そして、ヤシギやユミヒコ、オノヒコを見る。皆、強く、頷いている。
「承知いたしました。この国を、豊かで安寧な国とするよう、全身全霊を掛け、邁進いたします。謹んで、国造の任をお受けいたします。」
その言葉に、皆が拍手を送り祝福した。
「万事良好。これでよろしいでしょうか?」
摂政カケルは、ヤシギに問う。
「なによりの事。これ以上の事はありません。」
ヤシギは涙を流し喜んでいる。並んでいるものすべてが同様だった。
摂政カケルは懐から、紫の小さな包みを取り出した。
「これは、ヤマトと紀ノ國の絆を示すもの。お授けいたします。」
そして、ニトリの手のひらにそっと乗せる。包みを開くと、小さな桐箱が入っていて、ふたを開けると、黒水晶の玉があった。
ニトリは恭しく包みを受け取り、大事そうに懐にしまった。何か、不思議と涙が溢れてくる。
不意に、カケルが皆に言った。
「ちょうど、良い機会です。今宵、ヒノキ出立の前祝いの席で、ニトリ様とツル様の婚儀を行いましょう。我らが仲立ち人となりましょう。皇様、良いでしょう?」
「ええ・・私もそう思っていたところです。」
皆が湧く。ヤマトの皇と摂政の仲立ちで、これから紀の国を背負うべき二人の婚儀が執り行われるとは、思いもしない事だった。
「では、そういうことで、今宵は、ヒノキ出立の前祝と婚儀の祝宴をいたしましょう。難波津からも多くの産物が届いております。これから支度を始めますゆえ、日暮れには、またここにお集まりください。」
そう言ったのは、ウンファンだった。
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3-32 オオヨドヒコとの再会 [アスカケ外伝 第1部]

この「出迎えの席」で、最初から最後まで、落ち着かない男がいた。オオヨドヒコだ。
衛士長として、摂津比古を守る大役で、難波津から同行したのだが、彼の一番の目的は、ユキに会う事だった。そして、そのことは難波津から来た者は皆知っていた。だからこそ、広瀬の港に着いた時、オオヨドヒコが逸る気持ちを抑えて一行に付き従っている事を不憫に思っていた。しかし、それを聞くというのも無粋な事だと誰もその事には触れなかった。
出迎えの席が終わり、一度、皆が広場から立ち去ろうとする中、オオヨドヒコは、壇上から飛び降りて、人混みの中に飛び込んだ。そして、若い娘を見ると、誰彼なく、顔を確認していく。そんな様子に気付いたヤチヨが、壇上からオオヨドヒコに声を掛ける。
「ユキ様なら、館に居られますよ!」
その声は、広場にいたもの皆に聞こえた。そして、人混みの中でうろうろしているオオヨドヒコを皆が見る。
「な・・何を・・申される!・・ユキ様など・・探しては・・。」
オオヨドヒコはそこまで言って、急に恥ずかしくなったのか、顔を伏せるようにして、館の方へ駆け出して行った。
「ヤチヨ、人が悪いぞ!」とヤスキが悪戯っぽく言った。
オオヨドヒコは、広場から真っすぐに館へ向かう。途中、館に上がる石段に何度か躓きながら、気持ちばかりが先に行く。
館の大門の前で、オオヨドヒコは立ちどまり、大きく深呼吸をした。狼狽えた姿を悟られてはならない。自分にそう言い聞かせて、少し、偉そうにして大門を入る。まだ、広場辺りに大半の者がいるのだろう。館の中は静かだった。さほど広くない館だが、勝手が判らない場所では、何処に行って良いものか思案し、大門を入ったところで立ち尽くしていた。
「オオヨドヒコ様!」
不意に後ろから抱き着かれた。その声は、ユキに間違いなかった。
ユキは、出迎えの式が終わり、夜の祝宴の支度のため、一足先に館へ向かったのだが、オオヨドヒコとは違う通路から戻ったため、後から館に着いたのだった。
オオヨドヒコは向き直って、改めて、ユキの顔を見る。
そして、何も言わず、強くユキを抱きしめた。どれほど時が経ったか、そのうち、石段の下の方から話し声と足音が響いてきた。
二人は我に返り、身を離した。そして、二人は館のはずれの森の中へ隠れるようにして行った。しばらく進むと、急に視界が開けた。広瀬の港を眼下にした岬のはずれだった。海を見下ろせる場所にある石に、二人は静かに座った。
「其方が、なかなか戻って来ぬ故、こうして私が参った。」
「はい・・わたくしも・・お会いしとうございました。」
だが、次の言葉が出て来ない。
ぼんやりと海を眺めている。
「ここは静かで、良い所だな・・。」
「ええ・・でも・・難波津も良いところでした。様々な人が行き交い、毎日が楽しく、元気をもらえました。また・・行きたいと願っておりました。」
「そうか・・ならば、難波津に住まぬか?」
オオヨドヒコが言ったのは、どういうことなのか、ユキは戸惑い、何と返答すべきなのか判らなかった。
ユキからの返事がないので、オオヨドヒコも困った。そして、意を決して言った。
「どうだ。私とともに、難波津で、生きてくれぬか。」
「それは・・夫婦になるという事でしょうか?」
「ああ・・そうだ。私の妻となり、ともに生きて欲しい。如何か?」
オオヨドヒコの言葉はやや固い。
「駄目です。」
ユキが言った。
「私では不服か?」
「そんな・・」
「ならば、この郷に思いを寄せる者でもあるのか?」
「いえ・・・そんな人はおりません。私はずっとオオヨドヒコ様をお慕い申しております。」
ユキは自分の口から出た言葉に驚いていた。
「では、なぜ・・駄目なのだ?・・ともに想い人ならば良いではないか・・。」
「私は、こんな田舎の生まれです。つい、先ごろまで、浜で貝を取ったり、山で樹の実を拾ったりして暮らしておりました。難波津とは全く違う・・暮らしをしておりました。・ですから、・・難波津の衛士長であるあなた様の妻になど・。ふさわしくありません。もっと、相応しき御方が居られるはずです。」
「何を言う。・・・私の想い人は其方ひとり。其方を妻に娶れるならば、衛士長の役など放り出しても良い。ああ・・そうだ。この郷で漁師をするのも良い。それならば、どうだ?」
「駄目です・・あなたは、摂津比古様からも信頼も厚く、難波津の皆さまも頼りにされているではありませんか。お役を捨てるなど・・駄目です。」
ユキは、瞳に涙を浮かべている。自分の本当の想いと口から出る言葉が、余りにも違いすぎて、心が張り裂けそうになっていた。
互いの心はすっかりと判っている。
「私が、摂津比古様にお許しを貰う。それならば良かろう。」
「お認めいただけるでしょうか?」
「大丈夫だ。・・必ず、お認めいただくようお話する・・。」
「オオヨドヒコ様・・・。」
二人は固く抱き合い、互いの気持ちを確かめ合った。
二人が森へ入っていくのを見かけたので、後を追った者がいた。黒田の郷のトメだった。彼女は、女たちの纏め役、言わば、女たちにとっての頭領とでもいう存在だった。トメは二人の会話を草叢でじっと聞いていた。そして、二人の想いを確認した後、そっと立ち去った。

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3-33 宴の始まり [アスカケ外伝 第1部]

 夕刻になり、宴の支度がほぼ出来上がっていた。三々五々、郷の者達も集まり始めていた。
「さあさあ、皆様、今宵は、この祝宴を愉しんでください。」
 広場の入り口では、ウンファンとジウが皆を出迎えていた。広場には、幾つも食台が並び、珍しい食べ物が山のように積まれている。ヤチヨは先頭になって、料理を作り、女たちが運んでいる。集まってくる郷の者達も、女たちを手伝い、あちこちで、賑やかになってきていた。
 広場の上座に当たる座敷には、誰もいない。
「皇様や摂政様はどちらにおいでなのじゃ?」
「摂津比古様やタケル様たちの御姿も見えないようだが・・。」
 口々に呟きながらも、目の前の食べ物や酒のほうが気になるようで、さほど騒ぎにはならなかった。広場におおかたの人が集まり、賑わしさが高まったところで、ヤスキが、座敷に、おおきな銅鑼が引き出してきた。そして、大きく打ち鳴らした。「ゴーン」という特有の音色が広場中に響き渡る。
「さて、皆様、今宵は初荷の祝いの席ではございまするが、紀の国造様の御婚儀とあいなりました。これより、主役のお出ましとなります。」
芝居がかった声でヤスキが口上を述べる。
「ちょっと、待っとくれ!」
広場の端の方から声が響く。トメの声だ。トメはそう言うと、人並みを掻き分けるようにして、座敷の上に出る。突然のトメの登場に、ヤスキはどぎまぎしている。段取りと違う。どうする?という視線をウンファンに向ける。ウンファンも困った表情をしている。
「昼間、摂政様からありがたいお話を聞いたね。・・そう、人は、生まれではなく、どう生きるかだって。」
「おお、聞いたぞ!」と誰かが合の手を入れる。
「だがね・・まだ、生まれを恥じて自分の気持ちに素直になれない者がいるんだよ!」
広場がざわつく。韓人たちが顔を見合わせ、首を横に振る。
「ユキ!ユキ!ちょっと出ておいで!」
トメが叫ぶ。ユキは、座敷の脇の暗がりにいた。戸惑いながら、座敷に上がった。
「それから・・・ええと・・オオヨドヒコ様は、どちらに居られる?」
トメの口からオオヨドヒコの名が出て、トメが何を企んでいるのか、ユキはおおかた見当がついた。オオヨドヒコも、座敷の脇の暗がりにいた。オオヨドヒコも仕方なく座敷に上がった。
「すまないねえ・・さっき、聞いちゃったんだよ。あんたら二人が思いを寄せているのをね。」
広場から歓声が上がる。そして、座敷の二人は、真っ赤になった。トメは一同を静かにさせてから、改めて二人に訊いた。
「あんたら、夫婦になりたいと願ってるんだろう?」
二人は、小さく頷く。
「昼間の、摂政様の話は聞いていただろう?」
また、二人は小さく頷く。
「どうだい、みんな!この二人が夫婦になるというのはいけない事かい?」
トメの威勢のいい声が広場に響く。
「ユキは、紀の国の・・田舎の生まれだからって、夫婦になるのを躊躇ってるんだよ!」
広場にいた者達は、「なんだよ!」「そんなことないぞ!」と口々に叫ぶ。
その騒ぎを座敷の奥で聞いていた、摂津比古が、半ば怒っている様子で座敷に現れた。
「オオヨドヒコ!そなた、何を考えて居るのだ!」
その言葉はどういう意味なのか、判りにくかった。
「お前は、難波津を出た頃から、心ここに在らずであったではないか!お前の眼にはユキ殿しか見えぬのであろう。それほど恋しいのであれば、力ずくでも妻にするのが難波津の男というもの。」
少し、支離滅裂ながらも、終わりの方では、笑顔を抑えているようだった。
「ユキ、何を躊躇って居るのだ?・・生まれといえば、オオヨドヒコは、草香の江の沼で拾ってきたようなものなのだ。だが、こいつは、真面目だった。命令されたことは馬鹿正直にやり遂げようとする。もう少し融通が聞くような性格ならば、もっと女子から好かれたのだろうが・・・そのオオヨドヒコが、恋しくて仕事もろくにできぬほどになった。これは尋常ではない。何としても会わせてやろうと・・此度、ここへ連れてきたのだ。」
摂津比古は全てを知っていて、それでもなお、オオヨドヒコとユキの心が通じる時を待っていたようだった。
「どうだ?オオヨドヒコの妻になってはくれぬか?わしからも頼む。」
摂津比古にここまで言わせて、ユキは恐れ多い事とひれ伏した。そして、
「妻としてともに生きて参りたいと思います。」
地位な声だったが、誰もが聞き取れるはっきりした口調で答えた。
「そうか・・そうか・・それなら、すぐに支度をせよ!」
摂津比古がそう言うと、侍女たちが現れて、ユキとオオヨドヒコを座敷の奥へ連れて行った。
「トメ殿、面倒を掛けましたね。かたじけない。」
摂津比古は、トメにねぎらいの言葉を掛けると、座敷の奥へ入って行った。
広場に集まった皆は、一部始終を見ながら、ポカンとした顔をしている。
「しばし、待たれよ。・・今一度仕切り直しじゃ。」
ウンファンもそう言って奥へ入って行った。座敷の上には、銅鑼を鳴らしたヤスキが取り残される格好となった。
「ヤスキ様!どうする?」
誰かが叫ぶ。
「あ・・いや・・そうだな・・・・おお、誰か・・歌を歌ってくれませんか?・・いや、踊りでも良い・・・目出度い席です・・だれか・・。」
すると、ジウが韓人の何人かと座敷に上がり、歌と踊りを始めた。遠い祖国、韓の舞踊のようだった。異国の響きに、しばらく、皆、見惚れていた。
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3-34 婚儀 [アスカケ外伝 第1部]

 ひとしきり、歌と踊りが終わると、再び、ウンファンが顔を見せた。
「さて、宴もたけなわ・・そろそろ、本日の主役にご登場願います。・・さあ、ヤスキ様、銅鑼を鳴らしてください。」
ヤスキは再び、銅鑼を鳴らす。銅鑼の音が広場に響き渡る。
すると、座敷の奥の扉がゆっくり開き、皇アスカがゆっくりと座敷に姿を見せる。続いて、摂政カケル、皇子タケル、摂津比古、と続いて座敷に現れた。皇アスカと摂政カケルが一段上の間に並び、座る。その脇に、皇子タケルと摂津比古が座る。
「今宵、二組の夫婦が生まれます。一組は、紀の国造、紀ニトリ様とツル様。もう一組は、難波津のオオヨドヒコ様とユキ様。さあ、お出ましください。」
ヤスキが口上のごとく言い放つと、ニトリとツルが着飾って登場した。続いて、オオヨドヒコとユキも姿を見せる。二人も着飾っている。ユキは、茜色の衣を纏い、透けるほどの羽衣に身を包んでいる。広場にいる皆が、息を止めるほど美しかった。
二組の夫婦は、皇アスカと摂政カケルの前に傅く。ゆっくりと、皇アスカが立ち上がる。まず、ニトリとツルの前に立ち、手を伸ばす。
「良き夫婦となり、紀の国の父、母として真っすぐに生きられよ。」
皇アスカはそう言うと、掌をゆっくりと開く。そこには、琥珀で拵えた二つの勾玉があった。
「勾玉は、太陽と月を表し、命を象徴するもの。全てを包み込む力を持つものです。これを身につけ、精進してください。」
そう言うと、ニトリとツルに手渡した。
続いて、摂政カケルが立ち上がり、ニトリに向かって言う。
「此度、改めて、ニトリ様を国造に任じます。民のために尽くしてください。」
カケルはそう言うと、桐箱を取り出した。中には、黒水晶の玉が収められていた。
「これは、ヤマト国から紀ノ國への贈り物です。皇アスカが、安寧の祈りを込めております。受け取って下さい。」
ニトリは恭しく受け取り、言った。
「命を賭けて、紀の国の民のため、働きます。」
次に、皇アスカが、オオヨドヒコとユキの前に立った。
「まるで、幼き頃の私たちのようですね。・・難波津と紀ノ國を繋ぐ二人の縁(えにし)は、永遠に語り継がれましょう。幸せになって下さい。」
そう言って、同じように勾玉を手渡した。ユキは肩を震わせて泣いている。
カケルがオオヨドヒコの前に立った。
「さて、オオヨドヒコ様には、婚儀の祝いの品を用意しておりませんでした。」
カケルの言葉に、オオヨドヒコは驚いて顔を上げる。
「ですが・・一つ、大役をお願いしたい。」
オオヨドヒコは不思議な顔でカケルを見る。
「本日より、オオヨドヒコ様には摂津比古様の跡を継ぎ、難波津の頭領、難波比古と名乗っていただきます。これは、摂津比古様からの願いでもあるのです。」
突然の話にオオヨドヒコは驚いている。
「いや・・しかし・・。」
戸惑うオオヨドヒコを見て、摂津比古が口を開いた。
「私は、先の皇葛城王の頃より、難波津を守ってきた。今日のヤマトとなるまで、苦難続きではあったが、若さゆえ、なんとかやって来られた。すでにわしも歳を取った。この先、いつ倒れるやもしれぬ。その前に、若き者に継いでもらいたいと考えておったのだ。・・其方も、妻を娶り、守る者ができた。そして、いずれ子も出来よう。命を守るという思いが今以上に強くなる。それこそが、国の、民の、上に立つものに求められるものなのだ。・・今宵、多くの者に見守られ、婚儀となった。良い機会ではないか。是非とも、お役を受けてくれ。」
摂津比古はそう言うと、深々と頭を下げる。普段、衛士長であるオオヨドヒコには何かと厳しく当たってきた摂津比古が、頭を下げているのだ。途轍もなく、有難い事だとオオヨドヒコは感じて、涙を溢した。
「判りました。ありがたくお受けいたします。」
摂政カケルも強く頷き、オオヨドヒコの肩に手を置いた。そして、自らの首にかけていた首飾りをオオヨドヒコに架けた。
「これは・・・」
「私からの贈り物です。大事にしてください。」
オオヨドヒコは、首飾りを握り締め、再び、意を決したように言った。
「難波津は、ヤマトの要。西国や九重、遠く韓よりも人が集まる所。皆が安寧に暮らせるよう、誠心誠意努めてまいります。」
広場から一斉に拍手が起こった。やがて、拍手が収まると、皇アスカが座敷の前にまで進み、広場を見渡しながら言った。
「此度、二組の若き男女が夫婦となり、紀の国、摂津国を導く大役を担うこととなりました。豊かで安寧な暮らしを、皆様と共に作り上げようと奮闘してくれることでしょう。ヤマト国の皇として、皆様に、幸あらんことを願います。」
広場に集まった人々は、再び、拍手と喝采で二組の夫婦の門出を祝った。
「それでは、祝いの宴を続けましょう!」
ウンファンの掛け声で、再び、宴が始まる。先ほどの韓人たちの歌と踊りに負けぬようにと、紀の国の若衆や娘たちが、広場の真ん中で、踊り歌った。皆もそれに合わせて、歌い踊り、楽しく過ごした。二組の夫婦も、広場に降りて、皆から祝杯を受ける。摂津比古たちも、郷の者に交じり楽しく会話をしている。
皇アスカと摂政カケル、そして皇子タケルは、座敷の上からその様子を見ていた。
「タケルよ。これが、其方たちの仕事の成果だ。戦や災害で傷つき、明日をも知れぬ苦しさの中から、立ち直り、今、紀の国は一つにまとまった。そして、難波津との縁も深め、ヤマト国はさらに良き国となった。大きな働きをしましたね。だが、これらは、皆の力が合わさって成し得た事。それこそが、国を導く者にとって、最も大事な事だと心しておくように。」
摂政カケルがタケルに言った。
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3-35 別れの日 [アスカケ外伝 第1部]

 翌日には、ウンファンの大船が、皇アスカや摂政カケルなどの一行を乗せて、難波津へ帰って行く。離宮造営のためのヒノキの大木を難波津に届けるために、何隻もの船が、大船に続いた。それらを見送った後、タケルたちも、紀の国を離れる支度を始めた。
 「約束の時が参りました。我らは都へ戻らねばなりません。」
広瀬の館には、タケル、ヤスキ、ヤチヨ、チハヤ、そしてシルベが帰り支度を済ませてから、集まっていた。ニトリやツル、ヤシギ、ユミヒコ、オノヒコたちも集まっていた。
「この一年、我ら紀ノ國の者にとっては何物にも代えがたい一年でありました。この御恩、決して忘れません。」
ニトリが言うと、タケルが答えた。
「それは、我らとて同じです。皆さまの御力があったからこそ、成し得たのです。誠にありがとうございました。」
その後、それぞれ、ひとしきり、感謝の思いを口にしていよいよ旅立つこととなった。
難波津からともに来たジウは、紀の国の民と韓人を継ぐ事が自分の生きる道だと定め、紀の国へ残ることになった。ウンファンも承知し、紀の国と難波津との橋渡し役も務めるように言った。ジウにも想い人ができたようだった。
タケルたちは、陸路で都へ戻る事にした。ニトリが、紀の国と大和の境まで案内すると言って、同行した。大川(紀の川)の北岸を東へ進む。進むにつれ、人家は無くなっていく。徐々に、両側の山が迫るようになり、峠道に着いた。
「ここは真土峠。大川の河原を通る道もありますが、かなり大回りになります。昔、父と兄が、熊野攻めに取り掛かった時、この峠で難儀したと聞いております。」
ニトリはそう言って、木々を払いながら峠を上る。
「いずれ、都に通じる大路を作ります。ここの土はさほど固くない。皆で、切通しを作り、都にも紀の国の産物をお届けできるようにします。」
大粒の汗を流しながら、ニトリは進む。峠道は意外に深く、長い。何度か休みながら進むと、目の前が開けた。
「ここから、さらに東へ向かうと、宇智という郷があります。大川と宇智川が合流するところです。そこを北へ向かい幾つか峠を越えると、都が見えてくるはずです。」
ニトリは、見晴らしの良い場所に立ち、指さしながら説明する。
「宇智の郷をさらに東にいくとどこへ通じているのですか?」
タケルが訊く。
「大川に沿ってさらに進むと、吉野に着きます。それとは別に、川を越え、南の深い山を抜けると、熊野へ入ります。熊野の山は神々が住むと言われ、熊野衆は神々を守る民。余所者を安易には受け入れません。足を踏み入れぬに限ります。」
「吉野の先は?」とタケルが訊く。
「その先は、高見の郷・・そして峠を越えると、伊勢国となります。櫛田川沿いに降りて行くと、伊勢の郷へ着くはずですが・・なにぶん、遠く、山深い。おそらく、伊勢を知る者はほとんどおらぬでしょう。」
伊勢という地名に、チハヤが反応した。
「伊勢は・・私の母の郷と聞いています。・・いつか、行ってみたい・・。」
「いつか、参りましょう。その時は御伴致します。」とシルベが答えた。
タケルやヤチヨ、ヤスキは、チハヤとシルベが互いに思いあっている事を既に察していた。
「この先は、大和国。私はここでお別れです。すでに、宇智の郷には使いを出しておりますゆえ、郷に着いたら、ソマという者をお尋ねください。都までの案内をしてくれる手はずとなっております。・・・ああ、ソマというのは、幼き頃に、オノヒコ様の許でともに育った友です。信用できます。」
タケルたち一行は、峠道を下り、日暮れには、宇智の郷へ到着した。ニトリが言った通り、宇智の郷の入り口には、何人か出迎えの者がいた。
「皇子タケル様でございましょうか?」
松明をかざし、近づいてきた男が言った。
「ソマでございます。ニトリより使いを貰っておりました。さあ、こちらへ。」
ソマは、筋骨隆々、おそらく、宇智の郷の兵を務めているようだった。共に居た者達もいずれも筋骨隆々な大男だった。案内されるまま、郷に入ると、郷の真ん中に大きな館があった。
館では、皆、丁重なもてなしを受けた。
「ソマ様は、ニトリ様の友とお聞きしましたが・・・。」
夕餉の最中、タケルはソマに訊ねてみた。
「はい。まだ幼き頃、巨勢一族が熊野攻めを仕掛けた折、我が郷が巨勢一族に刃向かわぬ事を誓う証に、私は、人質となりました。初めは、巨勢の館に居りましたが、しばらくすると、園部の郷のオノヒコ様の許へ連れて行かれ、そこで、ニトリと共に過ごしたのです。」
「宇智の郷を守るための人質という事ですね。」
「ええ。おかげで、良き友を得て寂しさもなく過ごすことができました。」
「それは、きっとニトリ様も同様でしょう。ソマ様が居られたのは心強かったはず。」
タケルがそう言うと、ソマは笑顔を返した。
「此度、ニトリが紀国造に任じられたのは、途轍もなく大きな喜びです。これで、きっと、我らの郷も安寧に暮らせます。」
ソマの言葉を聞き、タケルは、国の安寧の大事さを胸に刻んだ。
翌朝、ソマは、タケルたち一行を、案内して、宇智川ぞいの道を北上した。
山深く、集落の一つもなく、道も険しかった。
「大和のはずれはまだまだこのような道ばかりなのです。本来、ここは、紀の国と大和の都を繋ぐ大事な道です。時は掛かるでしょうが、ニトリと力を合わせ、取り組みます。」
最後の峠に差し掛かる。開けた先には、葛城の郷へ続く道が見えた。都までもう少し、タケルたちは、足元に見える景色に見惚れ、ふいに、郷愁の感情が湧きあがり、涙を浮かべていた。
宇智川.jpg

  第1部―完―

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