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4-14 獣人への祈り [アスカケ外伝 第3部]

稲佐の浜から様子を見ていたトキヒコノミコトたちのところへ、軍船がやって来た。船には、ヨシトがいて手を振っている。
ヨシトは、日に焼け真っ黒の顔で笑みを浮かべている。体は一回り大きくなり、筋骨隆々の立派な将となっていた。隣には、サキがいた。
稲佐の浜に船を着けると、多くの衛士に守られるようにして船を降りて来た。
「長門の将、ヨシトと申します。」
ヨシトは、そう言って、ヤガミ姫の前に跪いた。
「隠岐にて、大蛇の将を捕らえましたので連れて参りました。御検分下さい。」
ジュンシュンは荒縄にきつく縛られている。捕まった時に抵抗したのか、顔が腫れていて唇から血を流していた。
「確かに、この者は大蛇の将、ジュンシュンです。」
すぐに、スミヒトが検分する。
「一族の長を見捨て、自分一人逃れるとは、何処まで性根の腐った奴だ!」
ワカヒコが罵声を浴びせる。
当のジュンシュンは、悪びれる事もなく、ただ目を閉じている。
「刺客を送り込んだのはお前だな。」
クニヒコが訊く。ジュンシュンは口を閉ざしている。
「ヤガミ姫様、この者、我らにお任せいただけませんか?」
スミヒトが言う。
「こやつは、出雲の民の命を危険にさらした張本人です。恨みを持つ者も多いはず。一太刀で命を奪ってしまったのでは、民の恨みはおさまらないでしょう。このまま、荒縄に縛って、国中を引き回し、民に恨みを晴らさせたいのです。」
「良いでしょう。お任せいたしましょう。」
ヤガミ姫はそう言って、ジュンシュンをスミヒトに引き渡した。
「ヨシト様、ここまでよく来てくれました。」
トキヒコノミコトは、ヨシトと対面した。
「ああ、いつかまた会えるとは信じていましたが、このようなところで再会できるとは。トキオ様の活躍は、長門国にいても耳に入ってきておりました。」
「ああ、ヨシト殿も、長門の大将になられたと聞き、驚いています。」
二人はそう言葉を交わすと、互いに拳を握って再会を喜んだのだった。
脇には、笑顔でその様子を見守るタキの姿があった。
「タケル様はどちらに?」
ヨシトがトキヒコノミコトに訊く。
「御力を使われ、気を失っておられる。今、館で介抱している。」
トキオもヨシトも、タケルが獣人に変化することは知っていた。そしてそのあと暫くは動けなくなることも承知していた。
「トキオ、ずいぶん立派になったな。」
「お前こそ、凛凛しくなったな。」
二人は、しばらく互いの変貌ぶりを見比べ、そして強く手を握り再会を喜んだ。
「ここで会えるとは・・だが、何故、トキヒコノミコトと呼ばれておるのだ?」
ヨシトが訊く。
「まあ、その話は、タケル様が目覚めてから、ゆっくりと話そうではないか。」
「ああ、それが良い。」

大蛇一族は全て消え去った。
集まっていた兵や民は、戦いの後始末を始めた。
大蛇軍の兵だった者達の亡骸は、一カ所に集められ埋葬され、塚が作られた。浜山に作られていた柵は全て外されていく。また、大蛇の軍に荒らされた郷の修復も始まって行った。
その最中、兵や民の中で、獣人の事が密やかに話されるようになっていた。
命を救われた者は、神の化身だと崇める者もいたが、多くの者が、悍ましき姿を目の当たりにして、怖れを抱く者が少なくなかった。そして、それが、皇子タケルの化身だと知ると、伯耆の者たちやヤマト国そのものへの怖れにもなりつつあった。
その様子は、トキヒコノミコトの耳にも入ってきた。
「このままでは、いけませんね。」
トキヒコノミコトは思案した。不信感が広がるのを止めなくてならない。あらかた片付けが終わった頃に、トキヒコノミコトはヤガミ姫に民を集めてもらうよう頼んだ。すぐに、皆が神殿の前に集まってきた。
トキヒコノミコトは、神殿の階段に登って、皆を前に言った。
「我らを救って下さった、あの獣人について、正直にお話いたします。」
集まった者達はじっと聞いている。
「あれは、ヤマトの皇子タケル様の化身です。」
集まった者はざわつく。
「ですが、恐れる事はありません。神に選ばし者が持つ力であり、民を救うためだけに使われる。大事なものを守る時にしか化身できぬのです。そして、それは、タケル様の命を削るもの。今もまだ、タケル様は目を覚ましておられません。此度の化身は、ここに居る皆を守るため、かつてないほどの御力を使われたです。」
話を聞いていた、幼子がついと前に出て、心配そうな表情を浮かべて言った。
「タケル様は死んじゃうの?」
それを聞いたトキヒコノミコトは、階段を降りて来て、優しく答える。
「いや、大丈夫だ。きっと目を覚まされる。」
「私、お元気になられるよう、お祈りします。」
幼子はそう答えて、跪き、両手を握り締め、天を仰ぐようにして目を閉じた。
それを見ていた幼子の母が駆け寄ってくる。
「この子は、柱に縛り付けられ泣いておりました。あの獣人様が来られ、静かに柱を降ろされ救われたのです。その時、獣人様の瞳は、とても優しかったと言っていたのです。獣人様は命の恩人です。私もお祈りいたします。」
そういうと、幼子の横に跪き、目を閉じ祈った。それを見ていた者が次々に神殿の広場で跪き、祈りを捧げ始めた。
「皆、ありがとう。きっと、タケル様は目を覚まされる。」
タケルが目を覚ましたのは、二日後の夕暮れだった。
トキヒコノミコトから一部始終を聞いたタケルは、すぐに民のいるところへ姿を見せた。
元気な姿を見た者達は、涙を流し喜び、次々に、タケルの傍にやってくる。タケルは一人一人の手を握り、祈りを捧げてくれたことへの礼と、これから国作りに力を貸してくれるよう話した。

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4-15 竹馬の友 [アスカケ外伝 第3部]

ようやく、タケル、ヨシト、トキオが再会した。
その日は、タケルは、ヨシトの軍船に乗り込んで、ゆっくり時を過ごすことにした。トキオとヤガミ姫も同席した。
ヨシトは、難波津を出てからタマソ王とともにどんなことをしたのかを話した。
「難波津を出て、中津海の多くの港を回った。それぞれの国の様子を聞き、暮らしぶりや産物なども学んだ。特に、伊予の国には、美味い果実が数多くあって、驚いた。アスカケで聞いた話し以上だったぞ。」
もはや、皇子と臣下という関係ではなく、春日の杜で共に学んだ友の関係に戻っていた。
「九重にも行った。イツ姫様にも謁見できた。穏やかで、凛とされていて、皇アスカ様と同じほど素敵な御方であった。」
「九重の国は安寧なのか?」
つい、タケルが気になって訊いた。
「ああ、国々は力を合わせていた。諍いごとは少なからずあるようだが、話し合い、助け合う事を大事にする素晴らしいところだった。」
「そうか・・一度は行ってみたいものだな。」
「俺は、さらに、海を渡り対馬まで出かけた。そこで聞いたのだが、大陸には倭国や韓とは比べ物にならぬほど、大きな国があり、素晴らしい知恵や技術があるようだ。いずれ、大陸にも渡ってみたいとも思ったんだ。」
ヨシトの話はいずれも、タケルやトキオには『アスカケ』の話に負けぬほど、興味深いものだった。
「韓国はまだ戦が絶えぬのか?」と、トキオが訊く。
「ああ、その様だ。王と名乗る者が沢山いるようだ。時折、負けた一族が、此度の様に、船で倭国へ逃れて来る。善きものばかりではない。此度の大蛇一族の様に、倭国を乱す者もいる。長門の国は、そうした者を見極めなければならぬ。タマソ様は常に注意深く周囲の話を聞き、正しく見る御力を磨いておられる。見習いたいものだ。」
ヨシトは、タマソに同行した事で、高い志を身につけたようだった。
「ヤマトの国が安寧なのは、ヨシトが大いに働いているからなのだな!」
トキオは少し濁酒に酔ったのか、幼い頃の口調に戻っていた。
「いや、まったくそうだ。ヨシトが居らねば、中津海の安全はないのだ!」
タケルも少し酔っているようだった。
トキオ(トキヒコノミコト)は、難波津から山背、丹波、因幡、伯耆など北海の国々を回った時の話をした。
春日の杜や難波津で得た知識や技術が、大いに役立ったことを感慨深く語った。そして、大蛇一族との闘いで、多くの勇者と出逢い、成し遂げられたことを喜んで話した。タケルの援軍が必ず来てくれると信じていたことも口にした。そして、トキオは、ヤガミ姫とともに生きていくことを決意した事も告白した。
「俺は、ヤガミ姫とともに、この出雲で善き国を作るために生きていくことに決めた。これが俺のアスカケだ。きっとヤマトに負けぬほど良い国にしてみせる。」
やはり、トキオは少し酔っている。
それを横で聞いていたヤガミ姫が涙を流している。
「おやおや、女神さまを泣かせてはならぬぞ!」
今度はヨシトが酔って、トキオを茶化している。
タケルは、遠く、東国での話をした。伊勢の巫女長となったチハヤの事、知多国に留まったヤスキの事、淡海の国に居るヤチヨの事、そして、大高で救い出したミヤ姫の事、そして夫婦となったことなど、詳細に話した。
「ミヤ姫って、あの、やんちゃだったミヤの事か?」
ヨシトも春日の杜で幼いミヤ姫とともに過ごしていた。
「覚えているか?いつも、タケルの後を追っていた、あのミヤだぞ!俺も、先日、福部で逢って驚いた。素敵な女性になっていた。どこか、皇アスカ様に似ているような気がしたなあ。」
「ほう・・。それで、御子はいつごろ?」と、ヨシトが訊く。
「新しき年になればすぐと聞いている。実のところ、まだ、実感がない。」
タケルが少し戸惑いながら言う。
「まあ、そんなものだろうな。」と、ヨシトが言う。
それからしばらくは、幼かった頃の思い出話が続いた。
ひとしきり話が深まったところで、ヨシトが言った。
「もう少しゆっくりしていたいのだが、明日には長門へ戻らねばならない。対馬あたりで怪しげな輩が増えていて、目を光らせておかねばならぬのだ。」
ヨシトは、残念そうに言った。
「タケル様には、もうすぐ御子がお出来になる。その時に、また、顔を出せばよかろう。なあに、船なら、三日もあれば来れるだろう。なあ、ヨシト。」
トキオがヨシトに言う。
「ああ、そうしよう。」とヨシトが答える。
タケルは、ヨシトがそう答えた時、ふと、タキが目に入った。
タキとヨシトが並んでいる姿を見て、不意に思いついた事があり聞いてみた。
「ヨシト、タキ様は一体どういう御方なんだ?」
タケルの問いに、ヨシトは急に狼狽えた。
「・・タキ様は・・。」
ヨシトが少し答えに迷っているようだった。
それを見て、隣にいたタキが笑顔を見せて答えた。
「タケル様、私は、ヨシト様の許婚なのです。私は、タマソ王の末娘。父は、私とヨシト様の婚儀を承諾しております。」
それを聞いてトキオが言う。
「なんと!それはめでたい。婚儀には、祝いの品をお送りいたしましょう。」
タケルもそれに続けて行った
「是非、一度、難波津、いや、ヤマトの都へもおいでください。きっと、皇様も摂政様も、ヨシト殿に会いたいとお思いのはず。ヨシトが、妻を娶るとお知りになれば、きっと大喜びされる。」
タケルがそう言うと、ヨシトは顔を真っ赤にしていた。
翌朝、ヨシトは、タキとともに、稲佐の浜を後にした。

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4-16 出雲行幸 [アスカケ外伝 第3部]

大蛇アギムによって、牢獄に閉じ込められたまま、命を落とした先代の王の弔いが始まった。
墳墓は、王が即位した年から作られ始め、すでに完成していた。
神殿が見える古志の郷の山を拓き、四角い土盛をして、表面に石積みを施した大きなものだった。頂上には、石室が作られ、中には石棺が置かれている。そのなあkに、様々な王の持ち物とともに亡骸を安置した。隣には、古志の長の墳墓も作られ、命を落とした者達も近くに埋葬された。
墳墓の頂上には舞台のような平地があり、そのうえで、ヤガミ姫や若い巫女たちが一昼夜踊り続け、王の魂を黄泉の国へ送る儀式が営まれた。
それが終わると、スミヒトが中心になって、ヤガミ姫の女王への即位の支度が着々と進められた。
古のしきたりに捉われることなく、新しい出雲国を民に示すためにどうすればよいか、スミヒトは、トキヒコノミコトやタケル達に相談した。
そして、女王即位之儀が執り行われる日を、冬を迎える前、十一月二十日と定め、国中に遣いを出した。
タケルは、ともに戦った吉備や安芸、長門の兵たちを通じ、諸国へ出雲の女王即位之儀を知らせる事にした。もちろん、都にも遣いを頼んだ。
日が近づくと、諸国からの船が、神門や能代の港に次々と到着した。
船にはそれぞれの国の王や国主が乗っていて、祝いの品も大量に届いた。船が着く度に、港の民は大いに喜び、祝いの品を神殿に運んだ。また、祝いの品とは別に、戦禍で苦しむ民のために、各地から米や稗・粟、海産物なども大量に届き、国内の郷へ振り分けた。
最後に、ヤマトの都から、皇アスカと摂政カケルも、長門の国ヨシトの船とともに神門の港へ着いた。皇の行幸である。
「ヤマトの皇様がご到着なさいました。」
港からの報せに、タケルは真っ先に出迎えた。
皇アスカと摂政カケルは、伴の者とともにゆっくりと船を降りて来る。そして、港で、出迎えたタケルの姿を見つけると、小さく手を振った。
港に降り立つと、タケルは二人の前に跪く。
「ご苦労でした。よくやり遂げましたね。」
皇アスカが微笑みながら、労いの言葉をかける。
「皇様、摂政様、ここに居る皆の尽力のおかげです。私一人の力ではありません。それに、皇様、摂政様が、遠く都から御力を下さったからでございます。」
タケルは、しっかりとした口調で答えた。
「また一つ大きな仕事を成し遂げたな。だが、それは、其方ひとりが成したのではない。ここに集い、正しき世を求める者の心こそが成し遂げたのだ。そのこと、心に刻んでおきなさい。」
摂政カケルも、タケルに労いに言葉をかけた。後を追うようにして、ヤガミ姫とトキヒコノミコトも姿を見せ、タケルに並んだ。
「このような地までの御行幸いただき、まことに畏れ多い事でございます。」
ヤガミ姫が深々と頭を下げて礼を言う。
「あら、女王とお聞きしていたのに、何とも、愛らしい御方なのですね。」
思わず皇アスカが言うと、ヤガミ姫は顔を赤らめた。
「おひさしゅうございます。トキオでございます。」
トキオは晴れ晴れとした顔で、挨拶する。
「うむ。ご苦労でした。山背のムロヤ殿から、大よその事を聞きました。難波津を離れ、たった一人、よく辛抱して、大仕事をやり遂げました。トキオ殿は、ヤマトの誉れ。後世まで語り継がれるでしょう。」
摂政カケルが、労う。
「いえ、私一人が成したわけではありません。都や難波津で多くの事をお教えいただいたからこその事。それに、タケル様の御尽力があったからこそ、ここまでやり遂げる事が出来ました。」
「まあ。タケルもトキオも、良きミコトとなりましたね。」
皇アスカも褒める。
「いえ、ヨシトも良きミコトとなりました。長門の国には、なくてはならぬ者となっております。」
ヨシトが言い添えた。
それから、皇アスカたちは、神殿の脇に作られた館へ入った。
皇と摂政到着を知った諸国の王や国主達は、入れ替わりに挨拶に訪れる。懐かしい顔も居れば、前国主の後を継いだ新顔もいた。
皇アスカと摂政カケルは、一人一人と丁寧に話をし、引き続き、国の安寧に努力するように告げる。
長門の国主タマソが、ヨシトを連れてあいさつに来た。
「出雲でお会いできるとは考えてもおりませんでした。」
タマソは変わらず元気であった。以前と変わらず、真っ黒に日焼けした姿を見る限り、今も、中津の海を船を走らせているに違いなかった。
「お久しぶりでございます。」
タマソの後ろから、ヨシトが挨拶する。
「あら、ヨシト殿ですか?見違えました。まるで、タマソ様そっくりになられて、海が似合う男になられましたね。」
アスカが少し悪戯っぽく言った。
「はい。ヨシトはもはや我が息子同然です。皇様が返せと言われても、御断り申します。・・いや、私より、娘のサキが許しません。」
「ほう、サキ様が・・。」
今度は摂政カケルが、ヨシトの顔を見ながら言う。
「夫婦になります。どうか、我らをお許しください。皇様と摂政様のような夫婦になります。」
ヨシトが、余りにも真面目な顔で言うので、皆、噴き出してしまった。
すでに、ヨシトとサキの婚儀の事は、アスカもカケルも、タケルからの報せで、承知していたのだった。
その日は、皇と摂政に、極近しい者だけで、小さな宴が開かれ、タケルとトキオ、ヨシトがこれまでの日々を、アスカとカケルに話した。
「私は、出雲で生きようと思います。これが私のアスカケです。」
トキオがアスカとカケルに宣言した。
「うむ、私も、長門の国で善き国作りに励みます。これが私のアスカケです。」
続く様に、ヨシトが言う。
タケルは少し迷っている。まだ、ヤマトを率いるような身ではない。自らのアスカケは、まだまだ先にあるような気がしていた。

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4-17 女王即位 [アスカケ外伝 第3部]

いよいよ、即位之儀を迎えた。
その日は、朝から多くの者が神殿の前に集まっていた。
諸国の王や国主は、神殿へ続く長い階段に並んでいる。煌びやかな衣装に身を包んで、居並ぶ姿は、神々しく荘厳であった。
「あれこそ、神々ではないか。」
「おお、八百万の神がここへ集まられた姿じゃ。」
広場に集まった民の誰かが口にした。それを聞いた者も強く頷き、神に祈るような仕草をし始めた。
大きな銅鑼が辺りに響き渡った。
檜造りの神殿の扉が、ゆっくりと開く。
中から、トキヒコノミコトに導かれるようにして、ヤガミ姫が姿を見せた。
ヤガミ姫は、真白な巫女の衣服に身を包み、頭には琥珀の勾玉で作られた髪飾りをつけ、右手に榊の枝を持ち、神殿の最上部にある台に立った。まだ、十五歳の幼い娘のはずだが、立ち姿は神々しく、周囲を照らすような気を発していた。
そして、その後に、皇アスカと摂政カケルも姿を見せる。
広場を見下ろす舞台の中央に、ヤガミ姫が立つと、再び、銅鑼が響く。
「我は、出雲の王、ヤガミである。」
広場に、女王ヤガミの言葉が響き渡ると、集まった民が歓声を上げた。
居並ぶ王や国主も跪き、礼を尽くす。
「悪しき者に穢され、傷ついたこの国を命を賭けて豊かで安寧な国に致します。皆も力を尽くし働いて下さい。」
再び、民の歓声が響く。
女王ヤガミの宣誓に続き、ヤマトの皇アスカが女王ヤガミの隣に立つ。
「安寧な国こそ、民の願い。ヤマトもともに出雲の国作りを支えましょう。」
皇アスカはそういうと、首飾りを高く翳して祈る。
首飾りから眩い光が発すると、女王ヤガミの勾玉の首飾りが呼応するように光を発した。そして、二つの光は、神殿を包み込むほど大きくなっていく。
摂政カケルも剣を抜き叩く翳す。タケルも、カケルの隣に立ち、剣を掲げる。光は、やがて、大きくなり、民も包んでいく。全ての憎しみや悲しみが薄らいでいくようだった。
民の後ろの方に控えていた、琥珀勾玉の使者たちも、懐に忍ばせていた勾玉から光が漏れ始めた。
「それは?」
近くにいた民が、琥珀勾玉の光を見つけて言った。
「これは、女王様より賜った琥珀勾玉・・このようなことが・・・。」
男たち自身が、いちばん驚き、勾玉を手にして震えている。
周囲に居た者たちはそれを見て、男たちの周りに集まり、跪き、手を合わせ崇める仕草をし始めた。
「止めてください。我らはそのような者ではない。罪人なのです。」
男の一人が周囲に向かって言う。
「いや、すでに罪は赦されているのです。その光こそ、証です。」
そう言ったのは、ともに戦ったクジであった。クジも、女王ヤガミから勾玉を賜っていて、同じように光を放っていた。
「さあ、共に前に参りましょう。」
クジはそういうと、集まった民を押し開きながら、男たちを神殿の階段の下へ連れて行く。
光が徐々に収まると、銅鑼が鳴り響く。
皇アスカが、手にしていた首飾りをそっと女王ヤガミの前に差し出す。
女王ヤガミは、皇アスカの前に跪くと、皇アスカがその首飾りをゆっくりと女王ヤガミに首にかけた。
「ヤガミ女王が、無事、即位為されました!」
スミヒトが宣言すると、集まった多くの民が歓声を上げた。
やがて歓声が静まると、女王ヤガミが一歩前に出て言った。
「此度、出雲国から悪しき輩を排除し、再び、安寧な国へ向かう事ができたのは、ヤマトの御力の賜物です。これより、出雲は、ヤマトを支える国となります。」
民衆は再び歓声を上げる。
それに応えるように、皇アスカが言う。
「ヤマトは諸国が力を合わせ、助け合い慈しむ心を大事にし、何よりも安寧を求めております。出雲国は、北海の諸国を繋ぐ大きな役割を担うべき国。これからも、諸国と手を取り善き国となるよう励んでください。」
再び、歓声が上がる。
続いて、女王ヤガミが言う。
「私は、トキヒコノミコト様と夫婦の契りを結びました。二人で、力を合わせ、出雲のために生きると誓ったのです。これより後、国の政は、トキヒコノミコト様にお任せいたします。摂政として励んでください。」
「はい。命を賭して励みます。」
トキヒコノミコトは、女王ヤガミの前で傅いて答えた。そして、ゆっくりと立ち上がり、集まった民に向かって言う。
「今はまだ、郷は戦で荒れております。郷長の皆様には、郷をしっかりと治めていただきたい。しかし、郷だけではどうにもならぬこともあるでしょう。琥珀勾玉の使者八人を郡司として遣わします。郷長の皆様は、郡司へ何でも相談されると良い。彼らは、すぐに、私の許へ知らせてくれます。そして、国を挙げて尽力できるように致します。」
琥珀勾玉の使者となった男達は、初めて聞く話に驚いて、トキヒコノミコトを見た。トキヒコノミコトは柔らかな笑みを浮かべ、大きく頷く。それを見て、琥珀勾玉の使者たちは、その場に跪き、深く首を垂れた。
最後の銅鑼が大きく鳴り響くと、神殿の扉が開き、ヤガミ姫、トキヒコノミコト、皇アスカ、摂政カケルが続いて、神殿の中へ入って行った。
諸国の王や国主たちは、ゆっくりと階段を降りて、隣接する館へ静々と戻って行った。そして、集まった民も徐々に引き上げて行った。
皆が去った後の神殿に、タケルがひとり残っていた。
皆の心が一つになるというのは、これほどまで美しいことなのかと震えていた。この国はそうした美しい心が作り上げているのだと強く感じていた。これまで、皇子として、父、母の跡を継ぎ、皇となった時、どう国を率いていけば良いか、そういう力があるのかと思い悩んでいたが、思い上がりだったとも感じていた。ヤマトは、皇が率いるのではない、こうした民の美しく尊き心が作り上げていくものではないのか。それを阻もうとすることを排除するのが、皇の役割なのだと思うようになっていた。

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4-18 帰還 [アスカケ外伝 第3部]

即位之儀からひと月ほどかけて、皇アスカと摂政カケルは、女王ヤガミとともに、出雲国を巡った。女王の即位と出雲がヤマトを支える一国となったことを知らせるためであった。
長く大蛇一族の悪政に苦しめられていた民は、女王ヤガミの姿を見て、地面に伏して、涙を流し喜んでいる。
女王ヤガミは、民のその姿を見るたびに、自らへの期待の大きさを痛感し、震えていた。女王といえども、ヤガミ姫はまだ十五歳の娘である。覚悟はしていたが、余りに経験が少なく、何につけても自信はない。王であった父の傍に居た事も少なく、王とはどのようなものか、確信はないのだ。
その度に、隣に立つ皇アスカが、手を強く握り、支えた。
女王ヤガミと皇アスカ、摂政カケルが国を巡っている間、トキヒコノミコトは、主だった者を集めて、これからの国の政について相談した。タケルも同席した。
「出雲を八つの郡に分けたい。そこには、即位之儀で言った通り、郡司を置く。郡司は、郡を治める者ではない。都と郡とを繋ぐ役である。」
トキヒコノミコトは、まずは郡制を敷くことを決めた。
これは、都や難波津辺りで、すでに始まった仕組みである。郷には長を置き、それが郷を治め、郡司のところへ皆が集まり、何事も相談で決めることも決めた。郡司は月に一度は、都に戻り、月之儀を開き、それぞれの郡の様子を教えあうことも決めた。
「出雲の都は、以前の郷へ戻したいと思うがどうか。」
トキヒコノミコトが言う。
「それでは、女王ヤガミ様とトキヒコノミコト様が離れることになります。夫婦となられるのですから、共に居られる方がよろしいのでは?」
と、心配したスミヒトが言う。
「ああ、私は、ここで暮らす事とする。」
「それでは、都は?」と、スミヒトが訊く。
「都は政を行うところ。そこは、スミヒト様に入ってもらいたい。月之儀は、女王ヤガミ様と私も出て、皆の話を聞き差配するつもりだが、常は、スミヒト様に差配していただきたい。」
「何を仰せになられます。国の大事な政を私が差配するなど・・。」
と、スミヒトは拒んだ。
「私は、出雲の生まれではありません。ほとんど出雲の事は知らない。その様な者が政を行う事は危ういと思われませんか?スミヒト様は、誰よりも、出雲の事を知っておられ、誰よりも出雲の国の事を考えておられる。そういう御方なら、間違う事はないでしょう。」
「しかし、みなが納得しない。」
と、スミヒトが言うが、集まった者は皆、トキヒコノミコトの言葉に賛同した。
「スミヒト様には、大臣(おおおみ)として国を纏めていただきたい。」
他の者も、スミヒトを推挙する。
皆の声に推されて、スミヒトは大臣になることを決意した。
それから、スミヒトを中心に、様々な掟を決めていった。答えに迷った時は、トキヒコノミコトやタケルが都や難波津、諸国の様子を伝えながら、より良い仕組みを皆で考えた。
話しの最中に、タケルが口を開く。
「一つだけ私からお願いがあります。古志の郷のことです。その昔、かの地は、古志国と呼ばれる素晴らしい国があったと聞きました。大陸から多くの者を迎え、素晴らしい技術や知恵を取り入れた国だったと。かの地は、都に次ぐ郷として、皆で大事にしてもらいたいのです。神門の港を通じ、大陸とも通じる場所、北海の国々や長門や九重にも通じ、出雲国が他国と繋がる大事な場所になるはずです。」
皆、タケルの話をじっと聞き、賛同した。
「古志には先の大王の墳墓もあります。出雲国にとって大切な郷であることは皆承知しております。」
女王や皇アスカたちの巡行が終わり、神殿へ戻ってきた頃には、すでに、年を越していた。
いよいよ、帰還の時が近づいたころ、福部の郷から遣いがやって来た。
「ミヤ姫様、臨月にてタケル様の帰還を強くお望みでございます。」
それを聞いて、一番に喜んだのは皇アスカであった。
「タケル、すぐに参りましょう。」
クジが船を出し、福部へ向かう。ほんの一日ほどで、福部へ着く。タケルは船が港の桟橋に着くのが待ちきれず、船縁から桟橋に飛び降り、そのまま、ミヤ姫が居る館へ飛び込んだ。
「ミヤ!ミヤ!戻ったぞ!」
タケルの声が館に響き渡るとすぐに、サガが顔を見せる。
「おお、サガ!ミヤは・・ミヤは元気か?!」
これまで見た事もない紅潮したタケルを見て、サガは思わず吹き出してしまう。
「何が可笑しい?・・ミヤ!どこだ!」
タケルはサガの言葉を待たずに、館に入り、奥の部屋へ向かう。
途中、カズが立っていた。カズは両手を広げてタケルを阻止する。
「とおせ!」
タケルは少し常軌を逸しているようだった。
「タケル様、落ち着いて下さい。今、ミヤ姫様はお休みになっておられます。」
「何?どこか具合が悪いのか?薬師やどうした?」
「お静かに!」
「今朝方から、陣痛が始まり、ミヤ姫様にはお疲れも出ております。痛みのない時には静かにお休みいただかないといけません。お静かに!」
あとからついてきたサガもタケルを制止する。
「おやおや、タケル。そんなに狼狽えてどうしたのです。」
少し遅れて館に着いた皇アスカが、タケルの背に手を置いて優しく言う。
奥の部屋の戸が開き、ミヤ姫がトモに支えられるようにして姿を見せた。
ミヤ姫は大きくなったお腹に手を置き、笑顔を見せた。
「変わりないか?」
タケルが駆け寄り、気遣うように訊く。
「ええ、順調です。毎日、お腹を蹴って今にも出たがっております。」
「おお・・そうか・・。」
タケルが、愛しそうに、そっと、ミヤ姫のお腹に手を置く。
「すべて終わった。安心しろ。これからは傍に居る。」

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4-19 御子誕生 [アスカケ外伝 第3部]

タケルたちが福部についてから、まもなく、ミヤ姫は産気づいた。サガ、トモ、カズの三人は、福部の女達に声をかけ、出産の準備に入る。皇アスカも、女たちとともに、産室に入った。
タケルと摂政カケルは、館の別室で待つことになった。タケルは、ミヤ姫が気がかりで落ち着かず、部屋の中をうろうろとしている。それを見かねて、父カケルがタケルを外廊下に誘い、椅子に座らせた。
「落ち着くのです。ミヤは強い女性です。アスカも傍に居る、大丈夫です。」
父カケルはそう言って、タケルを落ち着かせた。
男二人、海を眺めながら、その時を待っている。
「お前が生まれた時は、大和争乱の戦の最中でした。」
摂政カケルがぼそりと呟く。タケルは、父の話に耳を傾けた。
「アスカは、難波津でお前を産みました。大戦の最中、大和の地では、あちこちで戦が起きていて、いつ命を落としてもおかしくはない状況でした。アスカも、きっとさぞかし心細かったに違いありません。それでも、私は大和の争乱を収めるため、命を賭けて走り回りました。アスカもそれは判ってくれていたはずです。」
「母の事は心配ではなかったのですか?」
「心配はしておりました。戦の最中でも、難波津から幾度も遣いが参り、様子を知らせてくれました。難波津には多くの方々が居られて、アスカを守って下さっていたのです。ミヤ姫にも、この福部の地の皆様がお守りくださったはずです。」
父カケルはそう言うと、傍に置いてあった水甕から水を掬い、一口飲んだ。
「ミヤ姫も此度の事は理解してくれていたはずです。」
父カケルは、器に水を汲み、タケルに手渡しながら言った。
タケルはその器を受け取ると、一息に飲み干してから、言った。
「そうでしょうか?やはり、傍に居て欲しいと願っていたはずです。」
「ええ、きっとそうでしょう。しかし、それ以上に、お前の仕事の大切さを理解していたのでしょう。・・そう、お前が生まれた後、アスカが話してくれたことがあります。」
父カケルは話を続けた。
「戦で命を落としたり、傷ついたりするのは兵だけではない。その多くは弱き民であると。・・子どもや老人、そして身重な女達は、ひとたび戦が起きれば、逃げ惑う事になる。安全な場所にいたとしても、頼りになる男達はいつ命を落とすか判らず、不安な日々を過ごすことになる。だから、戦は起こしてはならぬもの。例え起きたとしても、一刻も早く収めなければならぬ。・・アスカは、お前を身籠っている間中、ひたすらその事を祈っていたと話していました。」
「母が、そんなことを・・。」
「皇だから祈ったわけではない。ひとりの人、ひとりの母として、お腹の子どもとともに、毎日毎日、戦の無い世を願ったと話してくれました。だから、お前の奥底には戦を嫌い、安寧を求める強い心があるはずだとも話してくれました。」
タケルは、父カケルの話を聞きながら、ミヤ姫の姿と重ねていた。
「お前は、東国の戦も、そして、この出雲の争乱も、少しでも早く収めようと尽力した。大きな戦にならぬよう、働いたのでしょう。その事は、ミヤ姫が一番理解しているはずです。」
タケルは、父の言葉を聞き、ぽろぽろと大粒の涙を溢した。
「もちろん、アスカも私も、お前の活躍を信じておりました。本当に、よく頑張りましたね。」
父カケルは、タケルの肩に手を置き労った。
産室がにわかに騒がしくなった。そして、大きな産声が館中に響いた。
続いて、カズがタケルと父カケルが居る部屋に駆け込んできた。
「おめでとうございます。美しき雛様、お誕生でございます!」
カズは、涙を流しながら叫ぶ様に言った。
「おお・・そうか!でかした!」
先に反応したのは、父カケルだった。
「タケル様!女の御子様でございます!御父上になられたのですよ」
カズが、念を押すように言うが、タケルはぼんやりとして実感が湧かなかった。
「まもなく、御対面いただけましょう。今、暫くお待ちください。」
カズは、そういうと再び産室に戻って行った。
「女子とは・・良き姫となるであろうな・・。」
父カケルが安堵したように言った。まだ、タケルは言葉が出て来ない。自分でも不思議なのだが、現実のものとは思えない気持ちだった。
しばらくして、再びカズが二人の許へやってきて、二人を産室に案内した。
タケルが部屋に入ると、周囲に居た侍女たちの方が疲れて蹲ったり座り込んだりしている。その真ん中で疲れ切った様子のミヤ姫が床に横になっていたが、とても晴れがましい笑顔を見せている。
タケルはそっと傍により、ミヤ姫の手を握る。
「ご苦労でした・・大事ないか?・・ありがとう・・」
タケルは、そう声をかけることが精いっぱいだった。汗まみれになった顔を見ると、お産が如何に大変だったのかが判り、それは決して男には判らないものだという事もわかった。
「さあ・・。」
そう言って、アスカが赤子を抱いて、タケルの傍に来た。白い布に包まれた赤子は、その名の通り、真っ赤な顔で泣いている。
アスカがゆっくりとタケルの腕に赤子を渡す。タケルはどうやって抱えたらよいのか戸惑いながら静かに腕の中へ抱える。まじまじと見ると、どこか、母アスカの顔立ちに似ているような気がした。小さな体、自分の親指よりも小さい手、時折、ぴくんと動く。今、腕の中にあるのは紛れもない命である。誰しもようやって、はかない命をもって生まれてくる。それは、善人も悪人も等しく、同じであるはず。これまで、タケルも、戦の中で、命を奪った者達も、うまれた時はきっとこのようにはかなく美しかったに違いない。王であろうと、兵であろうと、生きとし生ける者は同じであるべきなのだ。改めて、戦の無意味さを痛感し、この先、同じ禍が起きぬよう力を尽くさねばならないと誓った。
そして、ゆっくりと、ミヤ姫の隣に下ろした。ミヤ姫が、そっと手を伸ばすと、赤子がその指先を掴む。勿論反射的にそうしたに違いないが、それは、まさに命を得た事への感謝と、この先、生きていこうとする意志の様なものを感じた。
もう、言葉は出なかった。
今はただ、目の前の儚い命の営みにそっと寄り添う事だけで至福の時を得た喜びに包まれていた。

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4-20 大和へ(エピローグ) [アスカケ外伝 第3部]

「名をつけねばならぬぞ。」
二日ほどが経った時、父カケルが、タケルに言った。タケルも、その事はずっと頭の中にあったが、どのような名が相応しいのか悩んでいた。
「姫の名というのはどうしたものでしょう?」
素直にタケルは、父カケルに訊く。
「そうだな・・私は戦で不在であったため、お前の名は、アスカの父である、葛城王に付けていただいたのだが・・。」
「ならば、父上に名をつけていただきたい。如何です?」
「いや・・それは・・それなら、アスカに頼んでみてはどうか?皇はヤマトの母。全ての民の母であるわけだからな。」
男二人は、こうした時、意外と情けないものである。二人は、御子を守りするための部屋にいた、ミヤ姫とアスカの許へ行き、名づけの話をした。
皇アスカは、二人の話を聞き、あっさりと引き受けた。
「フク姫といたしましょう。」
「フク姫?」と、カケルが訊きなおす。
「ええ、この地は、福部の郷というのでしょう。福とは、幸せを授かるという事。この地で生まれたのはこの子の定め。そして、戦が収まり、ようやく皆にも幸せが訪れる時となりました。きっと、フク姫は、幸せを呼ぶ存在となるはずです。」
皇アスカは、随分前から名を決めていたようだった。
「ミヤ姫も、きっと気に入ってくれるでしょう。」
ミヤ姫は、アスカを見て微笑んだ。
「フク姫か・・良い名です。・・おお、フク姫、フク姫!」
摂政カケルは、はじけるような笑顔を浮かべて、フク姫を抱き上げ、喜んでいる。

出産からふた月ほどは、アスカとカケルも、福部の地に留まり、御子をあやす我が子の姿を見ながら幸せな時を過ごした。
そして、雪解けが始まり、春の兆しを感じるころ、皇アスカと摂政タケルは都に戻ることにした。
「せっかくここまで来たのです。是非、淡海の国へも立ち寄りたい。たしか、淡海にはヤチヨがいるのでしょう。」
皇アスカの希望で、一行は、福部から角鹿を経由して、淡海へ入り、琵琶湖を船で渡ってから都へ入る道を行くことにした。
すぐに、皇と摂政がお通りになるという話しが伝わり、北海沿岸の郷は、俄かに活気づいた。船が立ち寄る先では、大勢の民が出迎え、その地の産物でもてなした。そして、琵琶湖には大船が用意され、ゆっくりと大津へ向かった。そこから、瀬田川を下り、巨椋池、難波津へと向かった。
一方、タケルとミヤ姫は、福部から再び出雲へ向かい、女王ヤガミとトキヒコノミコトとの対面を済ませ、長門国から中津海を経由して、難波津へ一旦戻った。
難波津では、多くの民が盛大に迎えた。
難波津で、皇アスカと摂政カケルと合流し、大和川を上り都を目指した。
初夏を感じる頃に、ようやく、タケルとミヤ姫は大和の都に帰還したのだった。

都に戻ると、皇アスカは譲位を宣言した。
周囲に反対する声はあったが、皇アスカは、タケルが東国へ向かった頃から、時折体調を悪くすることがあり、今回、出雲までの行幸にも、実のところ、摂政タケルは二の足を踏んでいた。そういう経緯を知っている者は、譲位について強くは反対せず、それよりも、東国や出雲との縁を結んだ皇子タケルが、皇になる事で、ヤマトを支える諸国がさらに強い結束を持つ事になると歓迎する声が徐々に大きくなっていった。
それからすぐに、皇タケルが誕生することになる。

皇位を退いたアスカのために、カケルは、畝傍の砦を改修して、飛鳥宮とした。
二人は、平城の宮を出て、飛鳥宮へ入ると、しばらく静かに暮らした。
カケルが還暦を迎えた年の始め、アスカが切り出した。
「カケル様・・・九重へ行ってみませんか。」
「九重か・・・遥か遠くなったが・・・もはや、戻ることもなかろうと思っていたのだが。」
「ヤマトは安泰。タケルもしっかり皇君の勤めを果たしております。懐かしき御方にもお会いになられたら如何でしょう。・・邪馬台国もきっと素晴らしき国となっておりましょう。」
「そうだな・・・この先、これまでお世話になった方々へお礼をせねばなるまい。行ってみるとするか。」
「ええ・・是非にも・・・。」
冬の夜空に、煌々と月明かりが降り注いでいる。
カケルは、遠く西の空を見上げ呟いた。
「まだまだアスカケの道は続くようだな・・・。」

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アスカケ外伝 終了です!感謝!感謝! [苦楽賢人のつぶやき]

思いのほか、長い話になってしまいました。お付き合いいただきありがとうございました。
「アスカケ」では、九重の山深い里の少年が、自らの生きる道を見つけるため、邪馬台国や中津海(瀬戸内海)を旅しながら、強い絆を作り、それを力に成長し、最後には「ヤマト」を治めるまでに至る、サクセスストーリーでした。
「アスカケ外伝」は、「ヤマト」の皇子という地位に生まれた青年が、苦悩しながら、成長し、東国や北海(日本海)に国々、そしてついには,出雲にまで到達し、更に強大なヤマト国を作り上げる話でした。ただ、彼は、常に悩み迷い、己は何者かを問いながら生きていました。父とは違う自らの存在価値を求めていると言ったところでしょうか。
もちろん、作り話ですから、どうにでもなるはずですが、今回もやはり、「タケル」という青年が、勝手に旅をしてくれました。不思議な感覚に何だかウキウキしながら、書き続けてしまいました。
つじつまの合わないところも多かったかもしれません。素人の作り話ですので、そのあたりはご容赦ください。
次の話はまだ構想中ですので、少し、お休みをいただきます。
毎日、朝8時にアップしてきたのは、お仕事前のひと時にさっと読んでもらえないかと考えたからです。どうだったでしょうか?
次は、仕事帰りに呼んでいただけるようなものはどうかな、などと考えております。
本当に、今日まで、ありがとうございました。
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クマのぬいぐるみ [LOVE&PEACE]

国境の、青い空が広がる麦畑に囲まれた小さな町。
少女は、茶色のクマのぬいぐるみを、両手に大事そうに抱きかかえていた。それは、父からもらった誕生日のプレゼント。
父は、仕事で国内外を飛び回り、家に居ることは少なかった。だが、休みが取れると、一日中、彼女の傍に居て、世界の様々な街や人々、食べ物や景色の話をしてくれる。少女は、父の話に目を輝かせて聞き入っていた。

だが、父は今、ここには居ない。

朝早く、突然、轟音と地響きで目を覚ました。
彼女の母親が、引き攣った顔で、カバンに荷物を詰めている。
すぐに逃げないと命がない。少女は、クマのぬいぐるみを抱え、母親とともに、地下シェルターに逃げ込んだ。
地下シェルターには、すでに、大勢の人が逃げ込んできていた。皆、じっと座り込んで不安げな表情を浮かべている。まるで、葬儀の最中の様に、口を噤んで、じっと耐えている。
少女は、母親の胸に抱かれる格好で、大人たちと同じように息を殺して動かずにいた。
爆音が響き、天井が揺れる。
少女は、ここで、何が起きているのか判らなかった。
外の光が差し込まない地下シェルターには、ところどころに、ランプが灯されている。
今、何時なのだろう。
朝早く、ここへ逃げ込んで、どれほど時が経ったのだろう。
ふっと母親の両腕の力が抜けた。疲れ切っているのか、母親は眠ってしまったようだった。
少女は、母親の腕から抜け出し、クマのぬいぐるみを抱えたまま、地下シェルターの中を歩いてみた。
地下シェルターには、随分、大勢の人が居た。皆、壁にもたれかかるようにして蹲っている。多くの人は、母親と同じように、ようやく訪れた静けさの中で眠っているようだった。
少女は、ところどころにあるランプの灯りを頼りに、シェルターの中を歩き回った。
少女と同じくらいの小さな男の子もいる。
母親の腕に抱かれた赤ちゃんもいる。
壁際には、疲れてしまって、毛布に横たわるおばあちゃんの姿もあった。
少女は、クマのぬいぐるみを抱えたまま、防空壕の中を歩いていく。
ふと、振り返ってみた。
母親はどこにいるのか、少し不安になり、振り返った。じっと動かない人々の中で、彼女は母親の姿を見失ってしまった。
歩いてきたとおりに戻れば、きっと母親の許へ帰ることができる。そう信じて、彼女は踵を返した。皆、俯き、沈黙している。
もう、母親の許へ着くはずだった。だが、母親の姿が見つけられない。このまま、会えなくなるのではないか。ふと、そんな考えが浮かぶ。同時に、大粒の涙が零れた。
恐ろしい沈黙の中、彼女は、声を出す事ができず、歯を食いしばり、母親の姿を探す。ここに居たはず。そう、あの赤い鞄は母が持ってきたもの。しかし、そこには母の姿はない。
彼女は、クマのぬいぐるみをぎゅっと強く抱きしめる。僅かだが、父の匂いを感じた。
少女は、母親が持ってきたはずの鞄の傍に立ち、クマのぬいぐるみを強く抱きしめ、母親が戻るのを待った。
暫くすると、母親が少女の歩いた方向とは反対側から慌てて戻ってきた。そして、少女を強く抱きしめた。母親も、目を覚まして少女の姿が見えないことに不安を感じ、探しに行っていたのだった。
再び、少女は母親の胸に抱かれ、安心して目を閉じる。少し、うとうととした時、大きなサイレンが地下シェルターの中に響く。
母親は、少女を強く抱きしめる。
ドーンという音が響き、天井の欠片が、ぱらぱらと落ちて来た。
誰かが、ここに居たら危ない、と叫ぶ。
シェルターに居た人々は、僅かな手荷物を抱え、出口へ走った。
少女と母親は、慌てて逃げる人々に圧されて、しばらく、身動きが取れなかった。
再び、轟音が響く。
地下シェルターのどこかが崩れたようだった。少女と母親のところを、砂埃の混ざった強い風が一気に吹き抜けていく。
砂埃がおさまると、何故か、陽の光が見えた。シェルターが壊れ、穴が開いたのだろう。その方角には、多くの人が逃げていた。きっと多くの人が命を落としたに違いないと、母親は思っていた。だが、このまま、ここに居てもおそらく助からないにちがいない。
母親は、少女を抱いて、光がさしている穴から外に出ることを決心した。鞄を抱え、少女の手を引いて、母親は光の射す方へ向かう。壊れた壁だろうか、大きなコンクリートの塊の下敷きになっている人影があった。辛うじて命を取り留めた人が立ち上がり、母親と少女のように、外に出ようと動く人もいる。
コンクリートの塊を幾つか乗り越え、何とか外に出る。
午後の日差しが照っている。
今朝まで、穏やかだった町が、ほんのわずかな間に、無残な姿に変わっている。
白い壁と赤茶色の屋根の家が、綺麗に並んでいた通りは、瓦礫の山となっていた。あちこちから煙が上がっている。近くにあった劇場も、大屋根が落ち、元の姿が判らぬほど破壊されていた。
母親は、とにかく、町から離れることを選んだ。
そして、郊外へ続く道を少女の手を引いて歩いた。同じように、街を逃れてきた人の列ができていた。
見上げると、青い空が広がっている。
少女は、母親の手を強く握り、ただ黙って歩いた。
しばらく行くと、隣町へ繋がる広い道路に出た。ここから、隣町までは広い広い畑が広がっていた。
青い空と金色に輝く麦畑。時折通り抜ける風に、麦の穂が揺れる。
穏やかな風景がどこまでも続いている。
少女はこの風景が好きだった。
あの轟音と地響き、無残に壊された家や劇場、あれはいったい何だったのだろう。
幼い少女には、なにが起きたのか理解できなかった。
不意に、母親の足が止まる。
まっすぐに延びた道路の先を見ると、大きな戦車が列をなして向かってきている。カーキ色の軍服に身を包み、手に自動小銃を持つ兵士の姿も見えた。
逃げて来た人々は、咄嗟に、麦畑に身を隠した。
少女も母親に手を引かれ、すぐに、身を隠した。
通り過ぎる戦車の上には、見覚えのある3色の旗が掲げてあった。
少女はふと、抱きかかえていたクマのぬいぐるみを見た。ぬいぐるみの右足にある、小さなタグにも、同じ色の3色のマークがついている。
父が誕生日にくれたクマのぬいぐるみと、戦車の上の旗がどうして同じ色なのか、少女には理解できなかった。
少女は、母親の手を引き寄せる。振り返る母親に、クマのぬいぐるみのタグを見せた。
母親は、何も答えず、少女を強く抱きしめ、声を殺して泣いた。

戦車の列は続いている。少女の父は、今、向こう側にいる。

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或る兵士の話 [LOVE&PEACE]

その兵士は、明日から休暇のために、家族の許へ戻る支度をしていた。
彼の妻は、娘を出産したあと、一時、体調を崩し、娘とともに実家のある国境の町へ戻っていた。もう、娘は5歳になる。兵士は、毎年、娘の誕生日には、休暇を取り、家族とともに過ごしていた。
今年も、その時が来た。
去年の誕生日には、街で見つけたクマのぬいぐるみをプレゼントした。今年は、小さな人形を見つけた。きっと気に入ってくれるに違いない。兵士は、娘の喜ぶ顔を思い浮かべながら、カバンに詰めた。カバンの中には、妻へのプレゼントも入っている。
明日朝、国境を越えるバスに乗って、ようやく、家族の許へ帰ることができる。

彼が兵士になったのには、理由があった。
彼の生家は、農場を営んでいる。その農場は、父が一代で拓いたものだった。
彼は、3人兄弟の末っ子だった。農場は父一人でも、充分にやっていける規模だったし、農場の収入は厳しかった。長男は、小さい頃から父を手伝い、既に父の仕事を引き継ぐことになっていた。次男は、頭がよく政府の奨学金を受け大学に進み、役場で働いている。三男の彼は、体だけは丈夫だったので、建設業に就くつもりだった。だが、不景気でなかなか仕事がなかった。そこで、確実に収入が得られる軍隊に入ったのだった。
軍隊に入ってすぐに、遥か東方の辺境地に配属された。その後、幾つかの町を回り、国境の基地に配属されたのが6年ほど前。そこで、妻と知り合い結婚し、娘が生まれた。その頃は、隣国との関係は良好で、行き来するのに何の支障もなかった。だから、妻が妻が体調を崩した時、すぐに、妻の実家へ娘とともに戻ることを勧めたのだった。
基地から、国境の町までは車でほんの1時間。休暇の度にすぐに戻れる場所だった。

ようやく支度が整い、横になろうとした時、緊急召集が掛かった。
その兵士は、すぐに軍服に着替え、会議室に向かった。彼の所属する部隊にはざっと50人程の兵士が居る。夜遅く召集されるのは初めてだった。
会議室の椅子に座ると、部隊長のほか、大隊長達が、厳しい顔つきで座っている。
部隊長が、招集の理由を手短に説明する。
隣国の軍隊が、50km先に迫ってきている。かつては友好国であったが、政権が代わり、反目する事が増え、ついに、昨日、北部の国境を越えて、攻撃を仕掛けてきたというのだった。さらに、敵軍は、この国境の町にまで進軍をし始め、このままでは、我が国の安全が脅かされるというのだった。
その兵士は、すぐに、妻と娘の顔が、脳裏に浮かぶ。
二人は無事なのだろうか。
作戦はシンプルだった。早朝、戦車部隊が国境まで進行し、敵軍を攻撃する。同時に、空軍が爆撃を行うという。
その兵士と同様に、国境の町に家族がいる兵士は他にも居た。会場がざわつく。
部隊長は、兵士の動揺を抑えるために、国境の町の住民の様子を説明する。
敵軍は、住民を地下シェルターに押し込み、そこを包囲し、前線基地としている。地上の戦闘であれば、住民の命は守られる。この地上部隊が成果を上げることこそ、住民を守る事になるという。
その兵士は、以前、地下シェルターを見た事があった。工場跡地を利用していて、分厚い壁に守られている。小さな町であり、住民全てが非難する事は出来る規模だったはず。その兵士は、不安を少しでも小さくしようと、理由を見つけて、自分を納得させた。
会議の後、すぐに作戦が始まる。深夜のうちに、出撃のための準備が進められる。
戦車部隊が次々に基地の広い道路に現れ、整列していく。彼の所属は、歩兵部隊である。そして、彼は、部隊の中でも斥候の任務を持っていた。彼は、自動小銃を手に、トラックの荷台に乗り込んだ。

午前4時、ついに作戦が始まった。
基地を出て、国境の町へ進行していく。周囲はまだ暗い。ほんの10分ほど進んだところで、部隊が止まった。国境ぎりぎりの場所である。すぐそこに国境の町が見える。
地平線から、太陽が顔を見せると同時に、戦車隊の砲撃が始まったのと同時に、空軍機が爆撃を始めた。数機の空軍機は、国境の町の上空から、爆弾を落とす。大きな爆発音が聞こえると同時に、黒煙が上がる。戦車隊の砲撃は、町には届かず、手前の農地辺りに大きな土埃を上げる程度だった。
斥候である彼は、他の兵士たちとともに、小高い丘の上から、国境の町の様子を双眼鏡で見る。空軍機の爆撃によって、あちこちで黒煙が昇っている。反撃の気配はない。双眼鏡の倍率を最大にして、敵軍の様子を探る。だが、敵軍の姿を見ることができない。

兵士の部隊は前進を始め、ついに国境を越えた。
部隊長から指令が入る。
敵軍が反撃の準備をしている。さらに、攻撃を続け、このまま町へ入るという。
空を見上げると、空軍機が再び現れ、爆撃を始めた。町の至る所で黒煙が上がっている。
地下シェルターは持ちこたえているだろうか。
斥候役の彼は、双眼鏡を覗き込む。大きな建物はことごとく破壊されているように見え、黒煙に包まれている。
部隊長の指令では、敵軍が反撃の準備をしているというが、視界には敵軍の姿は全く入って来ない。本当に、敵軍が居るのだろうか。だが、彼は、その事を口にできない。軍の中では、上官の指示への反論や疑問は、軍の規律違反であり重罪に値する事を十分知っていた。
部隊は暫くその場にとどまり、空軍の爆撃が終わるのを待った。
部隊長から再び指令が来た。
空軍の爆撃で大きな損失を受け、西へ撤退した。我々の部隊は、敵軍を追い、さらに西へ進行するというものだった。
妻と娘は無事だろうか、その兵士は、軍用トラックの荷台で揺られながら考えていた。
国境の町までは、あと少し。周囲は、丘陵に広がる麦畑。太陽は登り、青い空が広がっている。

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母の祈り [LOVE&PEACE]

幼い少女の母親は、南に住む友人からの電話に震えていた。
友人は、南の海に近い、鉄鋼の町に住んでいる。数日前、突然、空襲を受け、町が破壊された。今は、製鉄所の地下に広がるシェルターに逃げ込んでいるという。余りに突然のことで、何故、空襲を受けたのか、理由が全くわからない。
ただ、人々は、隣国の軍隊が街を取り囲んでいる。外に出ると殺される。このまま、地下のシェルターで耐えるほかないという。友人の夫は、製鉄工場で働いていて、空襲があった時も工場にいた。今、どこにいるか判らないと泣いていた。
電話を切って、その母親は考えた。
ここも国境近くの町。本当に隣国の軍隊が攻めてくるのなら、一刻も早く逃げなければならない。ただ、彼女の夫は、隣国の兵士。明日は休暇でこの街へ戻ってくる予定だった。夫からは何も連絡はない。おそらく、予定通り戻れるに違いない。戻って来れるなら、友人の町を攻撃しているのは、隣国の軍隊ではないだろう。もっと、南の国、海を越えた先にある国かもしれない。そう、夫がこの街を攻撃するなどあり得ない。
少女の母親は、少女を寝かしつけてから、隣に横たわり目を閉じる。いつもなら、昼間、畑の仕事で疲れ切っていて、すっと眠りに落ちるはず。だが、今日は、友人の電話が気掛かりで眠れなかった。体は疲れ切っているはずなのに、うとうとするばかり。徐々に空が白み始めていた。
突然、ドーンという轟音が響き、ガラガラと何かが崩れる音が響いた。
母親は飛び起きて、窓の外を見た。自宅から数百メートル離れた場所にある立派な劇場辺りから、大きな黒煙が上がっていた。
母親は何が起きたのかすぐに判った。
轟音に目覚めたばかりの少女の様子を見て、すぐに、大きなカバンに身の回りのものを詰め始めた。何を詰めていけばよいのか、混乱していた。とにかく、少女の着替えと、家族の写真、それからわずかばかりのお金をカバンに詰める。それから、冷蔵庫からすぐに食べられそうなものを詰めた。
その様子を少女は見ていた。
少女は、父親から誕生日プレゼントに貰ったクマのぬいぐるみを大事そうに抱えている。
母親は、少女の手を強く握り、家を出た。
外の風景は、惨いものだった。幾つかの家屋が破壊され、黒煙を上げている。遠くの劇場は見る影もなかった。
隣人が出ていた。隣人は、隣国の軍隊が攻めてきた。近くの地下シェルターに逃げようと叫ぶ。母親は、少女の手を引き、地下シェルターへ向かった。

怖れていたことが起こった。
夫とは、隣国の町で知り合い、暫くはそこで暮らしていた。娘が生まれ、暫く穏やかな暮らしが続いたが、母親は、体調を崩したのを機に、故郷の実家へ娘とともに戻った。夫は、やむなく兵士になった身だった。だが、軍隊では訓練の後に少し長い休暇がとれる。夫はその度に、妻と娘の住む国境の町へ戻り、時間の限り、家族で過ごすことを楽しみにしていた。
だが、時折、テレビで紛争のニュースを見ると、顔をしかめていた。
多くの人の命が奪われる紛争や戦争を強く嫌っていた。国境近くの町だからこそ、そうした時、引き裂かれてしまうのは明らかだったからだ。
今、夫はどうしているのか。この街に砲弾を撃ち込むことがあるのだろうか。夫の事を考えると心が捩れる。
自分が体を壊していなければ、きっと、隣国のあの町で暮らしていた。そこで暮らしていたら、戦禍から逃れていたのかもしれない。そう思うと、わが身が憎らしかった。

シェルターには、既に、大勢の人が避難していた。
母親は、少女を連れシェルターの中を進むと、ようやく壁に寄りかかって座れる場所を見つけ、カバンを置いて座り込んだ。そして、少女を両腕で抱き締めた。
時々、遠くで爆発音が響き、壁伝いに振動を感じる。
母親はじっと娘を抱き、天に祈る。
やはり、友人の話は本当だった。そして、夫はどうしているのか、そればかりが頭を巡る。少し静かになると、母親は睡魔に襲われた。夕べ、ほとんど眠れなかった。もう体も限界になっていた。少女を抱きかかえていた両腕の力が抜けた。
どれくらい時が経っただろうか。
目が覚めると、少女の姿がなかった。立ち上がり、周囲を見回してみても、少女の姿を見つけられない。母親は、シェルターの中を歩き、少女を探した。どっちに行ったのかもわからない。だが、ただそこで待っている事が出来なかった。シェルターの一番奥まで行ってみたが少女の姿はなかった。
母親は、踵を返して、元居た場所に戻ることにした。遥か前方に、少女の姿を見つけた。母親は慌てて、少女の許へ向かう。そして、少女を強く強く抱きしめた。
不思議に涙が零れなかった。心の中には、ようやく見つけた安堵感で、涙を流すほどの思いがあるのに、体が反応しない。突然の恐怖に、感情を表す事ができなかった。
それから、暫く、母親は少女を抱いたまま、動けなかった。

しかし、そんな時間も長くは続かない。
直ぐ近くで大きな爆発音がして、シェルターが揺れた。ここは危ないと誰かが叫ぶ。皆、驚いて出口へ向かった。そして、人々が出口近くに達した時、もう一度、大きな爆発音がしてガラガラと天井が崩れた。シェルターに大きな穴が開いた。出口辺りのようだった。多くの人が巻き込まれ、命を落としたに違いない。
母親は少女の手を強く握り、ぽっかりと開いた穴から外に出た。それから、町から出ることを決めた。町の周囲には農地が広がっている。

真っすぐ隣町へ向かう道。難を逃れた人の列ができていた。母親と少女は列の中。
正面から土埃を巻き上げて、大きな戦車が列をなして向かってくるのが見えた。人々は、週の麦畑に逃げ込んだ。母親と少女も、麦畑に身を潜める。

母親と少女が身を潜めた傍を、戦車が進む。それに続く様に、トラックも進んできた。
今、逃げて来た町へ向かうのだろう。
母親は、横を通り過ぎるトラックの車体を見た。そこには、夫が所属する部隊の番号が大きく書かれていた。
不意に、トラックが脇に停まり、荷台から自動小銃を手にした兵士がバラバラと降りて来た。兵士たちは、周囲を注意深く探っている。おそらく、敵兵が潜んでいないかを確認しているのだろう。
身を潜めていた男がひとり、不意に立ち上がり、大声で言葉にならない言葉を叫びながら、兵士たちへ向かっていった。不意を突かれた兵士は驚いて、銃を乱射する。立ち上がった男は、何発もの銃弾を浴び、息絶えた。
その様子を見て、兵士たちが麦畑の中に入ってくる。先ほどとは様子が違う。真っ直ぐに自動小銃を構え、いつでも、引き金が引ける姿勢だ。
徐々に、兵士が母親と少女のところに近付いてくる。母親は、娘を強く抱きしめ、死を覚悟した。
少女の手から、クマのぬいぐるみが落ちて転がった。
近づいてくる兵士の足元に、ぬいぐるみが転がる。兵士がそれを拾い上げた。暫く、兵士はぬいぐるみを見つめ、汚れたところを払ったうえで、母親と少女の方へそっと投げ返し、踵を返してトラックへ戻って行った。

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シンクロ(同調)デジタルクライシス 序1 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

「さあ、始めなさい。」
感情のない女性の声が響く。
廃工場の地下室には、巨大なモニターが置かれ、助手と思しき男が、ゆっくりとスイッチを入れると、画面には女性の幼気な姿が映し出された。
ショートカットの髪は黄色く、おそらく脱色しているのだろう。スリムというよりも栄養不足に近いのかもしれないと思えるほど、痩せ細っていて、目の周りにはくっきりとクマができている。左腕には痛々しい注射の跡が見える。覚せい剤でも使っているのだろうか。肩口に小さなタトゥーが見えるが、細部までは判別できない。年は、20代半ばあるいは30代前半というところだろう。一見して、随分、危ない世界を生きてきた、そんなところだった。
その女性は、全裸で、後ろ手に縛られ、足首にも太いロープが巻かれていて、身動きが取れない状態で椅子に座らされている。それだけで十分に恐怖を感じる状態にあるはずだが、その女性の目はカメラを睨み付けたままで微動さえしない。
画面には、彼女以外の周囲の様子はうつっていない。ただ、画面の端には、温度計の数字が浮かんでいる。やがて、水が流れる音が聞こえ、女性の足元に広がってきた。
「ヒャッ!」
女性は小さく声を上げる。水音は次第に大きくなり、すぐに、女性の膝辺りにまで達した。水の冷たさに耐えきれなくなったのか、しきりに体を動かそうとする。画面の隅の温度計は10℃を示していた。
しばらくすると、今度は、熱湯が入り始めた。画面からも、それが熱湯だと判るほど、白い湯気が立ち上がる。それまで冷水だったところが徐々にお湯に変わる。女性の胸辺りまで湯は達した。そこで一旦、熱湯が止まったようだった。温度は40℃を示している。女性の表情が少し緩んだように見えた。
暫くすると、胸辺りまであった湯が徐々に減り、へその辺りが見えるほどになった。そして、再び、熱湯が注ぎ込まれてきた。
「熱い!熱い!止めて!」
女性は金切り声を上げて訴える。だが、モニター画面を見つめる男も、それを指示した女性も無表情のままだった。
縛られた女性の顔が熱さで歪む。顔面が真っ赤になり、視点も定まらない様子が見て取れる。明らかに高温の湯で意識を失いかけている。温度は60℃に達している。
しかし、さらに熱湯は注ぎ込まれる。
女性の胸元や肩口の皮膚は火ぶくれになり、一部は捲れ始めている。女性は、口元や耳から血を吹き出し、ぐったりしている。既に死亡しているのではないかと思えた。しかし、さらに熱湯が注ぎ込まれ、頭部まで熱湯に沈み、完全に水没した。
「もう良い。」
先ほどの女性の声が響くと、画面が消された。
部屋の灯りは消え、数人の足音が響き、やがて、静かになった。

新道レイは、遅い夕食を終えたところだった。突然、頭が痛くなり、その場に蹲った。頭の中にこれまで感じた事のないほどの尖った思念波が頭を貫く。
「また・・だわ・・。」
レイは姿勢を正すと、今度は自分からその思念波を捉えようと、じっと目を閉じ神経を集中させる。
『女の子?・・苦しんでる・・熱い?・・』
頭の中に、女性の姿がぼんやりと浮かんだが、かなり歪んでいる。
『もう少し・・』
彼女の姿を捉えようと精神を集中しようとしたところで、突然、キャッチしていた思念波が消えた。
『何だったのかしら?・・今までとは違う・・・』
レイのシンクロの能力は、母を救出した事件以降、一旦消失したと思っていたが、病院内の自殺事件をきっかけに、再び覚醒していた。以前は、母の能力の中で、否、母の能力に操られた状態でシンクロをしていたのだが、今では、自らの意思で思念波へのシンクロができるようになっている。しかし、ここ半年は特にその能力を使うことはなかった。だから、レイは、今回の思念波をすぐには信じる事は出来ずにいた。しかし、今回、この思念波は3日連続でキャッチした。だが、それ自体、何かこれまで感じた思念波とは違うように感じていた。

「お母さん。良い?」
レイは、母の寝室のドアの前に立っていた。ドアをゆっくりと開いて部屋の中に入る。母ルイはベッドから起き上がっていた。母の顔は少し困惑しているように見えた。
「やっぱり・・お母さんも感じた?」
レイはそっと母に寄り添い、訊いてみた。
「ええ・・女性のようね・・・でも何か・・・」
母ルイは少し戸惑っているようだった。
「ええ・・私も・・今までとは違うような感覚なの。」
レイも戸惑っている。
「本当に思念波なのかしら。・・・私たちの能力(ちから)は本来のものではなくなっているはずだし・・。」
母ルイは、自分の能力に自信はなかった。だが、同じ時刻に娘レイも感じたということは、思念波でなくとも、何かの知らせなのかもしれないとは考えていた。
「・でも、これで3日・・同じ時間・・・やはり何か犯罪が起きているという事かしら?」
レイは母に確認するように訊く。
「わからないわ・・でも・・このままにしておけない・・紀藤さんに相談した方が良いわ。」
紀藤というのは、橋川署の署長である。若い頃、ルイと恋仲であったのだが、「シンクロ能力」のせいで共に生きることはできなかった。ルイが父に実験台として監禁された忌まわしい事件から解放されて以降、何かと頼りにしている相手だった。
「明日、橋川署へ行ってみます。」
「そうね・・そうした方が良いわ。事件かどうかは判らないけれど・・。」
短い会話を交わし、レイは母の寝室を後にした。

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序2 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

翌朝、レイは橋川署に居た。一樹は署長に呼ばれ、亜美とともに署長室に行った。
「レイさん、どうしたんだ?」
「まあ、座れ。」
紀藤署長はソファに二人を座らせた。
「じゃあ、レイさん、話してください。」
紀藤署長はそう言うと、署長の席に座った。
「女性の思念波を捉えたんです。」
レイの言葉を聞いて、亜美は嫌な予感がした。レイはようやく、平穏な日々を送れるようになったところだった。それに、経営している病院もようやく信用を回復したところだった。このまま、シンクロの能力を使わずに済むことが、レイにとって幸せだということは亜美が一番わかっていた。
「どんな・・いや・・何か事件が・・起きているという事か?」
一樹が訊いた。
「いえ・・それが・・はっきりとしないんです。」
レイが答える。
「これまでの思念波とはどこか違うんです。・・色が・・思念波に色がないんです。悲しみや苦しみ、恨みなど、感情を色で感じるのが思念波のはずなんです。でも、今回感じた思念波には色がないの。それに、単調・・いえ・・どこか抑制されたような大きく揺れる波のようなものではなくて・・信号の様なものなんです。」
レイの話を一樹は理解できない様な顔をしている。
「じゃあ・・勘違いということもあるんじゃ・・。」
一樹が改めて訊いた。
「最初はそう思ったのだけど・・母も同じように感じたの。・・信号のような違和感はあるのだけど・・でも、女性が苦しんでいるのは間違いない・・・だから、こうして相談に来たんです。」
「うーん。」
一樹は天井を見上げた。レイの力は充分すぎるほど知っている。だが、どこか、事件でない事を願っている自分が居て、レイの言葉を素直に受け入れたくなかった。
「今日も感じるのかしら?」
話を聞いていた亜美が訊いた。
「わからないけど・・」
レイが答える。
「じゃあ・・今夜、レイさんと一緒に居て、確かめましょう。」
亜美の言葉を聞いて、一樹は紀藤署長を見た。署長も「仕方ないだろう」という表情を浮かべている。
「わかった。じゃあ、今夜、確認しよう。」

夜、夕食を摂った後、一樹と亜美はレイの自宅に行った。9時30分を過ぎている。1階のリビングのソファには、レイと母ルイ、そして、一樹と亜美、紀藤署長も同席した。レイはルイと向かい合い、手を繋いだ。こうする事で、思念波をキャッチする力を少しでも高めようと考えたのだった。10時になった。レイとルイは目を閉じる。それを一樹、亜美、紀藤署長が見守る。
「ああ・・」
小さく呻いたのは、レイだった。ルイも「うう・・」と呻くような声を出す。
「苦しそうに・・・熱い・・熱い・・・。」
レイが声を上げる。ルイはもう耐えられないという表情を浮かべている。
「矢澤!亜美!二人を止めるんだ!」
紀藤署長が叫ぶ。一樹と亜美が二人の手を掴んで、引き離そうとした。その瞬間、一樹も亜美も、二人がキャッチした思念波にシンクロし、熱湯に浸かった女性の姿が見えた。
「うわあ!」
一樹が驚き、力任せにレイとルイを引き離すと、レイもルイもその場に倒れ込んでしまった。一樹はソファに座り込んで、しばらく、茫然としている。横に居た亜美も同じ体験をしたのだろう。一樹同様、ぼんやりとしたままだった。
「なに?あれ・・。」
暫くして、ようやく、亜美が口を開いた。
「ああ・・きっと、思念波を発している女性だろうな・・。」
それを見ていた紀藤署長が一樹に訊いた。
「何を感じた?」
「女性が拷問にあっているようです・・熱湯に浸けられて・・息絶えている様な・・惨い光景でした。」
一樹が答えると、レイとルイが目を覚ましたようだった。
「間違いない。どこかで女性が事件に巻き込まれているようだ。」
紀藤署長は、ルイの様子を気にかけながら言った。
「思念波の出所・・女性の監禁されている場所を見つけなければ・・。」
一樹は眉間に皺を寄せて行った。
「女性の居場所がわかるもの・・何か、感じたことはなかったか?」
一樹が亜美に訊いた。
「暗い・・地下室みたいなところかしら・・。」と亜美が答える。
それを聞いて、レイも続けた。
「それほど遠くはないようです。・・大きな建物の地下、古くて、少し油臭い・・工場でしょう。」
「方角は判らないか?」
一樹が訊くとレイは目を閉じて、思念波の残像を追った。レイは目を閉じたまま、手を伸ばし、思念波を最も強く感じた方向を探る。母ルイも同じような動作をした。そして、二人が同じ方向を示した。
「ここから、南西の方角か・・・港地区・・工場や倉庫が密集しているところあたりか?」
だがそれだけの情報ではとても探り当てられるものではないのは、レイも判っていた。
「もっと近くに行けば判るんじゃないかと思います。」


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水槽の女性-1 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

翌日の夜、一樹と亜美はレイとともに、港地区に向かい、午後10時を待った。
車の後部席で、レイは時間前から神経を集中し、思念波をすぐにキャッチできるようにした。しかし、それは途轍もなくエネルギーが必要だった。
じっと神経を研ぎ澄ませ、時間を待つ。10時を回った時だった。
「感じる!思念波を捉えたわ!」
レイは目を閉じたまま、じっと思念波が発せられる方向を探っている。
レイが指でその方向を指し示すと、一樹がゆっくりと車を動かす。
稼働している工場の灯りを抜けて、中央部の工場群から抜け出し、港地区の一番はずれ、周囲は開発後に放置されたような荒地が広がる一角に辿り着いた。目の前には、数年前に倒産した自動車部品の工場があった。すでに閉鎖されているはずだが、工場の入場門が開いている。静かに一樹は工場内に車を走らせる。
暗い工場の一角に、黒塗りの大型のバンが3台止まっている。ナンバープレートにはカバーが掛けられ、一見して怪しいと判別できた。
「ここ・・この地下に・・間違い・・ない・・わ・・。」
レイはそう言うと朦朧とした表情を浮かべて、後部座席で横になった。能力を使いすぎたのだった。
「おい!大丈夫か?」
一樹は外の様子を気にしながらも、声を掛ける。
「レイさん!しっかりして!」
亜美が強く手を握る。弱々しい力だが、レイも握り返し、消え入るような声で「大丈夫・・少し休むわ」と答えた。
「ここで待ってろ。見てくる。」
一樹はそう言うと、静かにドアを開け、車外に出た。薄暗い工場の中、できるだけ音を立てないように、入口を探す。黒いバンが停まっている近くのドアから、灯りが漏れているのが判った。一樹は静かに近づき、ドアの隙間から中の様子を探る。音は聞こえない。ゆっくりとドアを開くと、いくつかの機械が残された作業室のようだった。その先に、階段がある。地下室へ続く階段らしい。明かりが漏れている。一樹は、足音を立てないように近づき、階段を覗き込む。すると、急に工場内の灯りが一斉に点いた。気づくと、一樹は数人の男に取り囲まれていた。
「お待ちしていました。」
階段の下から、女性の声が聞こえた。一樹は訝しげな表情で取り巻く男たちを見る。男たちは特に乱暴するような表情はしていない。いや、むしろ、自分と同様の匂いすら感じた。
「さあ、どうぞ。」
取り巻く男の一人が、一樹を地下室へ向かうように促した。
その男が、腕を伸ばし階下を示した時、背広の脇に拳銃のホルダーをつけているのが見えた。それも、警察官が所持する拳銃だと一見してわかった。
一樹は促されるまま、階下に降りて行く。そこには、大型モニターや工場周辺に配置されたと思われる小さなモニターが整然と置かれていた。
「これは・・。」
一樹が呟くと同時に、画面の脇の暗闇から、女性が現れた。
背が高く、スリムな体型で、黒いスーツとタイトスカート、ロングヘア。そして、顔つきから、ハーフだろうと推察できた。
「やはり、特別な能力は存在したようね。」
その女性は一樹を見て、納得した様子で言った。
「いったいどういう事だ?」
一樹はその女性に訊く。
「外には、新道レイさんと紀藤刑事もいらっしゃるのでしょう?すぐにお連れして。」
女性はそう言うと、階段の方を見る。
数人の男たちが機敏に動き、ほどなくして、亜美とレイも地下室に入ってきた。
黒いスーツの男たちに取り囲まれ、一樹たちは抗う事を諦めた。いや、取り囲む男たちは、いわゆる「反社会勢力」ではなく、むしろ、こちら側の人間だと一樹は直感し、抵抗することは無意味だと判っていた。
「私は、警視庁特殊犯罪捜査課の、剣崎アンナ。一応、身分は警視。」
女性は、身分証を見せながら言った。
「橋川署刑事課の矢澤警部補。そして、紀藤警部補と新道ルイさんですね。」
女性の言葉は端的で無駄がなく、必要以上の事は話さない。
目の前の女性は、一樹たちがここへ来ることを予見していた。だが、ここで警視庁の警視が女性を拷問しているとは考えられなかった。
「どうして、警視庁がこんなことを。あの女性はいったい誰なんです?」
一樹が訊く。
「矢沢刑事の疑問は当然です。実は、あの女性は、映像だけの存在。ですが、フェイクではありません。実際、あの女性は監禁され、拷問の末、おそらく既に殺されています。」
剣崎の返答は少しわかりにくかった。それは、当の本人も判っているようだった。
「順を追って、ゆっくりとお話ししなければなりません。場所を変えましょう。さあ、こちらに。」
剣崎は三人を外に案内する。
外に留まっていた大型のバンの1台に乗り込んだ。
アメリカ製の黒塗りの大型バンの中には、剣崎と一樹、亜美、ルイの4人だけだった。先ほどの男たちは、剣崎の部下で、現場の撤収作業を行っているようだった。
バンの中には、PCやモニター、通信機器類が整然と配置された指令室のようになっていた。そして、その隣には、ソファーと机がある。
一樹たちはソファーに座る。剣崎は、指令室の様な場所にある椅子に腰かけた。
「では、経緯をお話ししましょう。」
剣崎は、机に置かれたモバイルPCを開く。
「ルイさんが思念波を感じたのは、この映像です。」
剣崎は、画面に女性が拷問される惨い映像を、大型モニターに映し出した。
「これは、半年ほど前、警視庁のサイバーテロ対策本部の一人が、ウェブの監視中に、偶然発見した映像です。いわゆる、闇サイトにアップされていたものです。」
「酷い!」
映像を目の当たりにした亜美が叫ぶ。

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水槽の女性-2 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

「ええ・・これほど残忍な殺し方はありません。そして、その一部始終を映像に残して、ネットにアップしている。極度の猟奇性をもった犯罪者なのでしょう。」
剣崎は表情を変えずにさらりと言った。
「犯人は?」と一樹。
「映像だけではとても。・・特殊犯罪課も、サイバーテロ対策本部と協力し、闇サイトを追跡しましたが、予想通り、世界各地のサーバーを経由していて、最終的には中国のサーバーに辿り着きましたが、具体的なところは判りませんでした。」
剣崎は、またも、表情を変えずに説明する。
「その被害者の特定は?」と一樹。
「不明です。顔認証システムでも照合しましたし、行方不明者リストとも照合しましたが、一致する人物はありませんでした。」
と、剣崎が答える。
「日本人なのでしょうか?」と亜美。
「いえ・・それすら判らないのです。ただ、目の前に、女性が殺される映像があったという事です。」
「作り物だということも考えられるのではないのですか?」
と、一樹が訊いた。
それを聞いて、剣崎が少し微笑んだように見えた。
剣崎は一樹の問いには答えず、いきなり、レイに向かって話しかける。
「シンクロと呼んでいるのですよね?他人の精神と同調し、考えや気持ち、場所を特定できる能力があるのだとか・。」
剣崎の言葉には少し疑念が感じられた。レイは小さく頷く。
「以前、橋川市と豊城市で発生した連続殺人・・いえ、結果的に自殺だったという事件と、北海道十勝一家惨殺事件とを関連づけ、解決した一件を知りました。特殊犯罪対策課でも、あの事件の経緯に注視していたのです。公安部も絡んだかなり大掛かりな捜査でもあったわけですが、私が気になったのは、捜査経過でした。」
剣崎アンナの話の真意がつかめないまま、一樹たちは剣崎の話を聞いている。
「捜査途中、通常の手法では知り得ない情報が突然入ってくる。特に、北海道では、真犯人への接触まで実に早く、被害者の救出も見事でした。大量の捜査員を投入しても成し得ない事だと思いました。・・そこで、ここには何か重要な人物がいるのではないかと考えたわけです。」
剣崎は、一樹が抱える疑問に答えるように、一樹を見ながら続ける。
「公安部の富田刑事をご存知ですね?・・彼とは一時、ともに仕事をしていたことがあるんです。もちろん、彼は大先輩ですが、緻密さと大胆さは今でも健在のようでした。彼から、事件の経緯をお聞きしたのです。」
そこまで話すと、今度はレイの方を見て言った。
「事件の鍵は、レイさん、あなただと聞きました。シンクロという特殊能力を使って、事件の闇に辿り着く重要な情報を入手できたのだと・・・もちろん、俄かには信じられませんでした。富田刑事も直接的にその様子を見たわけではなかったようでしたから・・。」
そこまで聞いて、一樹は嫌な予感がした。
「そこで、あなたの能力が本物なのか、実験する事にしました。毎日、同じ時間に映像を映し、あなたがこの映像から思念波というのを捉えることができるのか・・結果、あなたは5日目にここに辿り着いた。あなたの能力は間違いない、本物だと判りました。」
「剣崎さん、回りくどい言い方ですね。」と、一樹が口を挟んだ。
剣崎は、少し不機嫌な表情を浮かべて一樹を見る。
「あなた方、特殊捜査課では、この映像は入手したものの、捜査の糸口さえ掴めていない。藁をもすがる思いで、こんな大掛かりな事をしたのでしょう?そして、レイさんの能力がなければこれ以上進展はない、そうわかっているのでしょう?」
一樹は少し強い口調で剣崎に迫った。
「矢沢刑事が言われる通りです。この映像から、あなたが、思念波というのを感じここに来たという事は、この映像は本物だという事でしょう。それなら、猟奇殺人が現実のものと言えます。しかし、私たちはこれ以上の捜査が進められない。あなたなら何か別の情報を見つけてくれるのではないかと考えたのです。ご協力いただけませんか?」
それを聞いて、亜美が口を開く。
「そんな・・・レイさんはこれまでこの能力のせいでどれだけつらい思いをしたのか・・事件に巻き込まれ、経営している病院も大変な状態だったんですよ。・・彼女は警察官ではない、一般人です。捜査に巻き込むなんて・・。」
「わかっています。しかし、あなた方も同じことをされていたのでしょう?」
剣崎は亜美をたしなめるような言い方をする。
「それは・・。」と亜美が言葉に詰まった。
「この映像を見る限り、犯人は異常者でしょう。それに、単独犯とは考えにくい。だいたい、闇サイトでこんな映像をアップしているというのは、何か、そういう殺人の請負のようなものなのではないのですか?それなら、この捜査はかなり危険なものになる。そんなことに一般人を拘わらせるなど、言語道断です。警視庁としてもこのような捜査手法は認められないでしょう。」
一樹は、剣崎に返すように、強い口調で反対する。これを聞いて、剣崎は、険しい表情を浮かべて毅然と言い放った。
「特殊捜査課は、通常の操作方法では解決できない犯罪に対して、特別に作られた部署なのです。どのような捜査を行うかは、全て私に任されています。時には、それが法律に違反する行為であっても、結果的に事件を解明し、被害を最小限に留める事が出来ればそれでいい。それが我々の使命なのです。」
一樹は驚いて言葉がなかった。
「それからもう一つ、矢沢刑事と紀藤刑事は、本日付けで、特殊捜査課への出向となりました。おそらく、今頃、橋川署長あてに、警視庁から通知が届いているはずです。この瞬間、あなた方は私の部下ということです。」
「そんな無茶な・・。」
一樹は言葉がなかった。


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水槽の女性-3 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

「さて、新道レイさん。ここからはあなたとの相談です。この映像を頼りに、この被害者にシンクロし、何か新たな情報を提供していただくことはできるでしょうか?もちろん、あなたは一般人ですし、病院長もされているわけですから、捜査に協力できないと言われても仕方ないと考えています。ですが、この被害者は、このままではおそらく誰にも発見されず闇に消えてしまうでしょう。また、同じような被害者が出るのは否めない。これ以上、被害者を生まないために、あなたの能力をかしていただけないでしょうか?」
剣崎は、レイの手を握り、真剣なまなざしでレイに話しかける。
その時、レイの頭の中に、何か突き刺さるような感覚があった。そして、それは、剣崎本人から向けられているものだと判った。これは、レイ自身がキャッチした思念波ではない。おそらく、剣崎が発している特殊な思念波だった。
『け・・剣崎さん・・これは・・。』
レイは、剣崎の思念波にシンクロして、強く呼びかける。予想通り、剣崎から反応があった。
『わたしには、自分の意志で、思念波を発する能力があるの。・・至近距離なら、相手の中に入り込める。』
『この力を使って捜査を?』
『いえ・・この力は誰も知らない。あなたの様に思念波をキャッチできるからこそ、こうして話す事もできる。私もこの力のせいで、随分つらい目に遭ってきたわ。憎しみや蔑み、嘘、裏切り、知らなくても良い事がすべて判ってしまう。あなたなら分かるでしょう?』
剣崎がレイの手を離すと、突き刺すような思念波も消えた。
剣崎の特殊能力は、触れた相手の心の中が読めるというものらしかった。この間の、二人のやり取りは一樹や亜美には判らない。
「少し、考えさせてください。」
レイは小さく答えた。
「レイさん!」
レイの答えに亜美は驚いた。
「止めた方が良い。また、辛い思いをすることになる。」
一樹も反対する。
「そうね・・突然の事ですし、病院長の仕事も大変でしょうから、考える時間も必要でしょう。」
剣崎は何か急にあっさりとした態度に変わった。
「矢澤さん、紀藤さん、あなた方はすでに特殊捜査課の一員ですから、明日朝、この場所へ来てください。この間の事件の経緯をもう一度説明します。」
剣崎はそう言うと、一樹と亜美、レイを解放した。
車外に出ると、大柄で屈強そうな男が一人立っていて、一樹たちと、入れ替わりにトレーラーに乗り込んだ。そして、ゆっくりと動き始め、港を出て行った。
港の道路には、一樹たちの車が置かれていた。
一樹と亜美、レイは自分たちの車に戻ると、誰ともなしに大きな溜息をついた。
一樹は、予想していたものとは随分違い、この廃工場で忌まわしい事件が起きていなかったことに安堵しつつ、剣崎が話した闇サイトの犯罪に関しては、何か底知れぬ恐怖を感じていた。亜美は、レイが再び、事件の渦中に巻き込まれる事に対して、刑事である自分たちのせいだと後悔していた。
レイは、剣崎とのやり取りで感じた、独特な感覚を思い出していた。これまでは、突然生まれる「悲鳴のような思念波」をキャッチしていたのだが、剣崎とは何か、自らも癒されるような不思議な感覚であった。そして、それが、昔、母に感じていたものと似ているとも思っていた。
「レイさん、どうするの?」
亜美が不意に訊いた。それを聞いて、一樹がやや怒り気味に言った。
「駄目だ!いくら特殊な力があるからって、巻き込まれる筋合いはない!今回の相手は得体のしれない奴なんだ。見ただろう?あれは常軌を逸した奴の犯行だ。それの捜査にレイさんを巻き込むなんてありえない!」
「矢澤さん、亜美さん、心配してくれてありがとう。・・でも・・私、協力します。この能力が被害者を救うことになるなら・・・。」
「だが、もう、あの女性は死んでいるに違いない。今更、救えやしないさ。」
一樹は不承知とばかりに言い放つ。
「ええ、あの女性はもう亡くなっているでしょう。私は医者です。彼女の状態がどれほどのものかは判ります。ただ、被害者は彼女だけなのかどうか・・・もっと、多くの被害者が生まれるかもしれません。一刻も早く犯人を突き止めることが大切でしょう?」
レイの言い分は正当だった。そして、それは、一樹や亜美こそが考える事でもあった。
「しかし・・・」と一樹は黙った。
「レイさん、今までの事件とは全く違うのよ。どんな相手かさえ判らない。レイさんに危害が及ばないとも限らない。いえ・・きっと、犯人を追い詰めれば追い詰めるほど、レイさんに危険が迫る様な気がするの。」と亜美が言う。
レイは、一樹や亜美が自分の安全を気遣っている事は充分すぎるほど判っていた。だが、剣崎アンナの傍にいる事で何か救われるのではないかという感覚が強くなっていて、そのために捜査協力する事はレイにとって十分すぎる理由になるのだった。
「でも・・やっぱり、私、協力します。あの映像に、もっとシンクロすれば、何か手掛かりが掴めると思うんです。」
レイの意志は固まっているようだった。
「わかった。・・明日、剣崎さんにそう伝えよう。だが、レイさんの安全が第一だ。僕と亜美がレイさんの護衛になるのが条件だ。良いね?」
一樹は、そう言うと車を病院へ走らせた。レイを病院裏の自宅に送り届けた後、一樹と亜美は紀藤署長のところへ向かった。もう深夜近くになっている。
「きっと、まだ、署にいるはずよ。」
亜美は助手席でぼんやりと外を眺めながら言った。

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水槽の女性-4 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

署に着くと、まっすぐに署長室に向かった。深夜12時を回っていて、署内は静かだった。最上階にある署長室は、灯りがついていた。
「戻りました。」
一樹がドアをノックしながら言った。
「ああ・・入りなさい。」
紀藤署長は、一通の書類を見ながら答えた。
「あの署長・・」と一樹が言い掛けた時、紀藤署長が制止した。
「警視庁から至急のファックスが来ている。矢沢刑事と紀藤刑事、本日付で、警視庁特殊捜査課へ出向となった。」
そう言って、一樹と亜美を見るが、二人とも動じていないようだった。
「もう、剣崎警視とは会ったようだな。」
「はい・・例の思念波の正体は、特殊捜査課の剣崎警視の企てでした。・・闇サイトの殺人事件の捜査に加わるように指示を受けました。」
一樹は少し腹立たしい表情を浮かべて報告した。
「そうか・・闇サイトの殺人事件・・・どうやら難解な事件のようだな。・・レイにも捜査協力の依頼があったのか?」
紀藤署長は、これまでの経過から事態を了解したようだった。
「ええ・・レイさんのシンクロ能力が必要なの。でも、私たちは反対したの。でも、レイさんは協力するって・・どうしよう。」
亜美は、刑事というより、紀藤署長の娘の立場で発言しているようだった。
「そうか・・。」
紀藤署長はそう言うと、署長の椅子にどっかりと座り込んだ。そして、目を閉じ腕組みをし、考え込んでしまった。
「どうやら、我々の責任のようだな・・・。」
「ええ・・」と亜美。
「一樹、亜美、二人で必ずレイさんの身の安全を確保するんだ。万一、危害が及ぶようなことがあれば、一樹、お前の命に代えて守るんだ。良いな!このことをルイさんが知れば、心配するに違いない。ルイさんには私から説明しておく。良いな。」
紀藤署長は厳しい表情を浮かべていた。

翌朝、一樹と亜美は、昨夜の廃工場にやってきた。もちろん、レイも一緒だった。昨夜乗り込んだ「黒い大型のバン」が3台、そして、もう1台、全て黒塗りの「大型トレーラー」が停まっていた。
「これが私たちの仕事場よ。」
トレーラーの助手席が開いて、剣崎アンナが姿を見せた。昨夜と同様、黒スーツ姿にタイトなスカートを身につけている。
「さあ、話は中で。」
剣崎はそう言うと、トレーラー後方のコンテナのドアが開き、ステップが降りてきた。中に入ると、昨夜見たバンの中にあった機材とは比べ物にならないほどのPCやモニター、通信機器が設置され、男二人が椅子に座って作業をしていた。
「さあ、こちらへ。」
作業スペースを抜けると、円卓があり、小さな会議室になっていた。壁には大型モニターがいくつも設置されている。
「よくこれだけのものが・・。」と一樹が感心して言った。
「私、昨年までFBIに居たの。警視庁から特殊犯罪捜査のオファーがあり、就任する条件として、FBIの装備一式を購入する事を要求したの。そんなもの、すんなり受け入れられるとは思っていなかったけれど・・日本の警察は随分と裕福みたいね。最高レベルの機器がすぐに調達されたわ。それに、優秀な捜査員もたくさん。今はここに10名ほどだけど、全国各地の警察に数名単位で配属されている。それほど、現在の犯罪が高度化し、これまでの捜査では追い付かなくなったという危機感を上層部も持っているのでしょう。」
剣崎は饒舌に話を続ける。
「さて、ここにレイさんがいらしたという事は、ご協力いただけるという事で良いかしら?」
剣崎はレイの手を取る。レイは小さく頷いた。
『ありがとう・・あなたの力がどうしても必要だったの・・』
『いえ・・私こそ・・少しでも剣崎さんの力になれれば』
二人は思念波で意思疎通を図っていた。
「では、これまでの経緯を説明します。・・始めて!」
剣崎はそう言うと、部下の一人に命じた。
「特殊捜査課の生方(うぶかた)です。主に、情報分析を担当しています。」
生方は、他の捜査員と比べて、猫背で青白い顔をしていて、とても捜査員とは思えない風貌だった。
「始まりは、サイバーテロ犯罪対策課で発見したこの画像でした。」
モニター画面に昨夜見た映像が、静止画の状態で写される。
「もとは、闇サイト・・EXECUTIONERというところにアップされていました。」
「エクスキューショナー?」と聞きなれない横文字に亜美が訊いた。
「ああ・・それは、死刑執行人という意味です。単なる快楽的目的や猟奇的満足を得るための殺人ではなく、罪を裁き処刑するという事なのでしょう。そして、処刑の様子を動画でアップして見せている。特に、正当性を主張することもない。とにかく、残忍な方法で、処刑しているというのが・・何か、おぞましくて。」
生方は、少し感情が高ぶっているように見えた。
「今でもアップされたままなのか?」と一樹が訊くと、生方は「いえ・・今は、何もアップされていません。というより、サイバーテロ犯罪対策課がキャッチした翌日には映像は削除されました。」と答えた。
「一般の人はそのサイトには入れるのか?」と一樹。
「いえ・・特殊なパスワードが設定されているようです。サイバーテロ犯罪対策課では、そういうパスワードを簡単に突破できる専門家はごろごろしていますから…僕も、もともとそこにいたんですが・・。」
生方は少し得意げだった。
「という事は、そのサイトは特定の人間しか見られない。いわば、処刑の結果を誰かに知らせているという事が考えられうるが・・。」
「ええ、そこで、サイトへのアクセスログを手に入れようとしたんですが・・そこでシャットダウンされてしまいました。サイト管理人もかなり高度なスキルを持っているようです。」

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水槽の女性-5 [デジタルクライシス(シンクロ:同調)]

「猟奇的な殺人方法、高度なコンピュータ知識・・・この犯人は手強いな。」
一樹が言うと、剣崎が言った。
「そちらの方は、サイバーテロ犯罪対策課と特殊犯罪対策課のネット分野の専門家、それに犯罪心理学プロファイラーのチームが、捜査を継続しているわ。まだ、これといった手掛かりは出ていないけれどいずれ犯人を特定できるでしょう。」
「では、私たちは?」と亜美が訊く。
「あなた方には、被害者の特定をやって貰いたいのよ。あの画像から被害者を特定し、所在を突き止めるの。なぜ彼女が無残に殺されてしまったのか。きっと、そこには、犯人につながる何らかの証拠があるはずだから。」
「それで、レイさんの能力が必要という事か・・。」と、一樹。
「ええ・そうよ。レイさんの能力で被害者につながる情報を見つけ、矢澤さんにはその情報から、現場を特定してもらいます。矢澤さんには、今日から彼とバディになってもらいます。入って!」
剣崎の言葉に応えるように、作業室から大柄な男が入ってきた。
「カルロス・佐藤です。」
一樹も背は高い方だが、その男はトレーラーの天井に着きそうなほどの背丈があり、腕は亜美の胴体よりも太く、普通の人間とは思えないほどだった。名前から日系人だという事も判った。
「彼は、元、海兵隊員。それも特殊部隊に居たの。FBIにはそういう盾になる人材も豊富なのよ。」
「盾になるって!」と亜美が驚いた。
「日本の警察にだって、VIP警護のために、盾になる部隊があるじゃない。おかしなことじゃないわ。広く言えば、我々警察官だって、国民を守るための盾みたいなもんじゃない。あなたにはその覚悟は無いの?」
剣崎は亜美の甘い考えを見透かしたように言った。
亜美は、刑事課に配属された当初に比べ、明らかに度胸も座ってきたし、今回だってレイを守るために命をかける覚悟はあると思っていた。しかし、改めて、「国民の盾になる覚悟」と問われて、自分の甘さを痛感し、反論できなかった。
「被害者を特定すると言っても、過去の映像から、彼女の思念波をキャッチするなんて・・・・これまでとはあまりに違いすぎる。」
一樹は、レイが捜査に参加することに抵抗があった。
「大丈夫よ。昨夜、あなたたちはこの場所を特定したでしょう。あの映像からここの情報を得たという事は何よりの証拠。もっと、直接的に映像を見れば、さらに被害者の置かれている状況が判るはず。」
剣崎は、レイの能力を全面的に信じているようだった。
「しかし・・・。」
一樹は呟くが、剣崎は取り合わない。
「さあ、レイさん、始めて。何でもいいから、彼女から感じることを教えて。」
「判りました。やってみます。」
レイはそう言うと、目を閉じ、両手を胸の前に組んだ。その様子を見て、剣崎は部下に合図を送る。目の間の大型モニターに映像が映る。両手、両足を縛られ全裸の状態で椅子に座る女性。レイは、映像に向かい神経を集中する。歪な形だがその女性の思念波らしきものをキャッチできた。徐々に集中力を高め、思念波にシンクロしていく。レイの表情が歪む。おそらく、画面の女性にシンクロできたのだろう。
「暗闇・・目の前には、カメラと照明・・・周りは何も見えない・・・。」
レイは完全に女性とシンクロした。
「冷たい・・・いや・・冷たい・・止めて・・」
彼女が体験している状況がリアルに伝わる。その様子を見て、剣崎はレイの横に座ると、レイの手にそっと触れた。レイがピクッと体を動かす。レイの心の中に、温かな感覚が広がる。
『アンナさん・・アンナさんね?』
『ええ・・・お手伝いするわ・・・』
思念波を通じて二人は会話する。剣崎がレイの手に触れてから、レイは少し落ち着いた様子だった。
『もっと周囲を見て・・何か、その場所のヒントはない?』
剣崎が思念波でレイに問いかける。
『・・・駄目・・彼女が恐怖で心を閉ざしている・・・』
これまでのシンクロでは、相手は生きている人間だった。思念波をシンクロする事でレイは相手に語り掛け、状況を相手の目や耳の間隔から知ることができた。だが、今シンクロしているのは、映像である。こちらの呼びかけに反応するわけはない。
『とにかく、何でもいい。レイさんが感じる事を教えて!』
レイはさらにシンクロを強めていく。それは同時に、拷問にかけられている感覚も共有することになる。レイの顔がさらに歪む。全身を冷たい水が覆い、ぶるぶると震えている。
「レイさん、大丈夫?」
画面と同じように震えはじめたレイを見て、亜美が思わず声を掛けた。
「亜美さん、邪魔しないで!」
剣崎が厳しく咎める。画面は、熱湯が注ぎ込まれるシーンに移っている。レイの顔が再び歪む。
「熱い!止めて!熱い・・苦しい・・いやあ!」
そこでレイは意識を失った。レイの手を通じて思念波で語り掛けていた剣崎も、レイを通してその苦痛を共有した。剣崎の顔も青ざめてしまっていた。
「止めろ!止めるんだ!」
一樹が叫ぶ。作業スペースに居た生方が慌てて映像を止めた。
「尋常じゃない!」
一樹は机を叩く。亜美は気絶したレイをそっと抱き起す。剣崎も全身の力が抜けたようにぐったりしている。すぐに、気絶したレイを、会議スペースの隣室の簡易ベッドに、亜美が付き添った。会議スペースには、一樹と剣崎が残った。
「こんな事、止めるべきだ。レイさんをこれ以上危険な目に遭わせたくない。」
一樹は剣崎に言った。
「しかし・・事件を調べるにはこの方法しかないのよ。」
「だからって、強くシンクロすると、レイさんも命を落としかねない!無茶だ!」
剣崎は初めて、レイを通じてシンクロという体験をした。確かに、一樹の言う通り、尋常な感覚ではなかった。自分も命を落とすかもしれないと感じていた。

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