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61 いのちのパン [命の樹]

61 命のパン
土曜日になって、源治は、奈美と裕を連れて朝早くに店にやってきた。
すでに、哲夫と加奈は店用のパンを焼き始めていた。
「いらっしゃい。」
加奈は、三人を笑顔で迎えた。すでに、店の中の一番大きなテーブルには、パン生地といろんな材料が並べられていた。
「お母さんはどんなパンが好きだったかしら?」
加奈が尋ねると、奈美は元気よく答えた。
「メロンパン!」
「そう。他には?」
今度は裕が答えた。
「チョコパン!」
「そうなの。じゃあ、メロンパンとチョコパンを作りましょう。」
加奈が言うと、奈美が少し遠慮がちに言った。
「ねえ、加奈ちゃん・・やきいものパンは作れる?」
「ええ・・良いわよ。そういうと思ってちゃんと材料はそろってるから。じゃあ、始めましょう。・・さあ、源治さんもやりましょう。」
「ええ?俺もか?」
「大丈夫。できるわ。」
「大丈夫よ、おじいちゃん。」
奈美に言われ、源治は、最初はぎこちなかったが、次第に慣れてきて、ごつい指先を機用に使ってパンを作った。
成型を終えたパンは、哲夫が窯に入れて焼いた。焼き上がる様子を、源治も奈美も裕も、窯の覗き穴から交代で覗き込んでは、次第に膨らみ焼き色がつく様子を楽しんでいた。

哲夫が焼き上がったパンをトレイに乗せて店の中に運んでくると、みんなが取り囲んた。
「ずいぶんたくさんできたな。」
「ええ・・どれも、とっても美味しそうですね。」
源治も哲夫も満足そうだった。
「さあ、お母さんのところへ焼き上がったばかりのいいにおいのパンを届けなくちゃね。」
加奈が言うと、奈美も裕も嬉しそうだった。
すぐに袋に詰めて、源治たちは母の待つ病院へ向かった。
加奈と哲夫は、奇跡を信じて三人を見送った。

源治は軽トラックを飛ばして、病院へ向かった。車の中は香ばしいパンの香りが漂っている。
すぐに、病室に向かう。廊下じゅうに、パンの香りが広がり、入院患者も見舞いの客も、三人の行く方を興味深そうに見ていた。

病室の中には、看護師がいて、意識の回復のための治療が行われていた。
最初に反応があってから、徐々に反応は強くなっていて、時々、目を開けるようになっていた。
「お母さん、大好きなパンを持ってきたよ。」
加奈が母の枕元にパンの袋を置いた。
偶然なのか、それともパンの香りがきっかけになったのか、わからないが、奈美の母親ははっきりと目を開いた。それは、奈美にも裕にも、源治にもはっきりと判る反応だった。
「お母さん、パンだよ。」
幼い、裕が袋の中からパンを取り出して母の口元へ近づけると、わずかに口が開いたように見えた。
「ほら、食べて!」
裕はパンを母の口へ入れようとした。
「うう・・うう・・」
今度は、呻くような声が漏れる。
「裕、奈美、やっぱり母さんは食いしん坊だ・・食べたいってさ・・。」
源治は、目の前の奇跡のような光景に涙を流しながら言うと、二人を抱きしめた。
看護師がすぐに医師を呼びに行った。
廊下には、パンの香りに誘われたのか、患者や見舞い客が何事かと集まっていた。
「道を開けて!」
医師は、慌てて病室に入っていく。その様子を集まった人たちも見守っていた。
医師は、慎重に診察を終えると、落ち着いた声で言った。
「もう意識は随分はっきりしてきました。この様子なら、大丈夫。1週間もすれば、ある程度、話もできるようになるでしょう。奇跡が起きたとしか言えません。」
「ありがとうございます。」
源治は医師の手を取って涙をこぼして言った。
医師は、枕元にあるパンの袋を覗いた。
「おや、美味しそうなパンだ。これがきっとお母さんの命を呼び戻したんだ。お母さんの命のパンだね。一つ戴いていいかな?」
医師がそう言うと、裕がこくりと頷いた。
医師は、ひょいとメロンパンを摘まんだ。そして、奈美と裕の頭を撫でた。
「命のパンだってさ。」
廊下にいた誰かが呟いた。すると、口々に、『命のパン』と言いはじめ、拍手が起こった。外の騒ぎに気付いて、源治が奈美と裕に言った。
「お母さんはまだ食べられそうにないから・・外にいる人たちにあげよう。」
奈美と裕はパンの袋を持って廊下に出ると、見守ってくれていた人たちに配り始めた。
「ありがとう。きっと病気も治るよ。」
「私にもちょうだい。入院してるお父さんにあげるから。」
人々は大事そうにパンを受け取った。あっという間にパンは無くなってしまった。
「ねえ、おじいちゃん、てっちゃん、また焼いてくれるかな?」
「ああ、頼んでおくさ。だが、ちゃんとお礼を言わなきゃな。」
「うん。」
その翌日から、《命の樹》には朝から多くの客が押し寄せた。
「命のパン、ください。」
事の顛末を知らない哲夫と加奈は、一体、何の事かわからず、皆、嬉しそうに買って行ってくれるのに、只々、驚くばかりだった。

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