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2-1 ギター [命の樹]

1. ギター
12月の上旬の事だった。
加奈は、早くに仕事から戻ると、何だか嬉しそうに言った。
「ねえ、今日は少し早目に店を閉めましょうよ。で・・お買い物に行かない?」
加奈はテーブルを拭きながら言った。哲夫も、外の様子を少し見てから、
「ああ、そうだな。」
「じゃあ・・浜松のトコハモールに行かない?」
トコハモールとは郊外型の大型ショッピングセンターだった。100近くのブランド店が入っていて、関東方面の有名なレストランもあるらしい。
すぐに支度をして、加奈の運転で向かった。トコハモールに着いた時には、もう日暮れ近くになっていた。平日ながら、駐車場は混んでいた。地下駐車場に車を停めると、二人はエレベーターで3階へ向かった。広いモール内は、少し湾曲した通路が二つ、中央は3階まで吹き抜けになっていた。洋服店を何店か覗いて、哲夫はコートを、加奈はセーターを買った。
2階に降りて、雑貨店もいくつか覗いて、写真立てやキッチン用品、店で使うスプーンなどを買った。1階には、楽器店があった。学生時代、哲夫は仲間とバンドを組んでいたことがあった。今でも、古いギターが3台ほどあった。会社勤めになってからは、仕事に時間を取られたことを言い訳にして、ギターから遠ざかっていた。それでも、時折、思い出したように爪弾くことはあったが、演奏というにはほど遠いものだった。
楽器店の前を通り過ぎようとした時、若いカップルがギターを見ているのが目に留まった。二人ともまだ学生のようだった。男の子の方は、吊り下げられたギターを食い入るように見つめている。女の子は、そんな男の子を嬉しそうにみているのだった。
「なんだが、昔の私たちみたいね。」
加奈はふっと漏らすように言った。
「ねえ、最近、ギター弾いてないでしょう?」
「ああ、そうだね。もう古くなったし・・・弦だって錆びたままさ。」
そう言って通り過ぎようとした哲夫の横顔を見て、加奈が言った。
「ねえ、ちょっと見てみましょうよ。」
「ええ?・・でも、もう・・」
「良いじゃない、見るくらい。」
二人は店内に入った。
何か懐かしいにおいがする。奥の方からポロンと誰かが試し弾きしている音も聞こえている。ギターはガラスケースの中に大切そうに吊り下げられているものと、通路に置かれているものがあった。
「ええ?こんなにするの?」
加奈は、ショーケースの中のギターに値札を見て驚いていた。哲夫と同年代の店員が近くにやってきて、微笑みながら言った。
「それは僕らの世代には憧れのギターですよ。今でもなかなか手が出ませんけどね。」
それを聞いて、哲夫もショーケースの中を覗いた。
「あれは、Martin。まだ、安い方さ。ビンテージならゼロがもう一つ付くものだってあるんだよ・・・ああ、こっちにはGibsonもあるね。J-45なんか、一度弾いてみたいと思ってたんだけどね・・・みんな、個性があってねえ・・」
哲夫はそう言いながら、ショーケースの中を食い入るように見始めた。加奈は学生時代の哲夫の事を思い出していた。
「J-45なら、そのうち入荷すると思いますよ。ビンテージじゃありませんけど。」
「いや・・もう弾くこともないだろうから・・。」
哲夫はそう言ってショーケースから離れようとした。
「ねえ、いいじゃない。1台買いましょうよ。新しいギターを買えば、弾くかもよ。」
加奈は根拠のない事を平気で言う。もう10年近く、まともにギターに触っていない。指が動くとも思えなかった。今更新しいギターを買っても無駄になるだけだと哲夫は思っていた。
「ブランドの高いギターだけじゃなくて、最近は結構手ごろな価格で良い音を出すのも増えていますから・・ああ・・これなんか良いですよ。」
店員は、そういうとショーケースを開けて1台のギターを取り出した。
「これ、S-yairiです。Kじゃなきゃって言われる方も多いんですがね・・。確かに、そうかもしれませんが・・こいつはなかなか良いんです。」
店員はそう言うと、軽く構えて、音を出した。久しぶりに聞く生ギターの音だった。哲夫の心がざわついた。
「ね?どうです?・・良いでしょう?中音の伸びが良いんです。高音も結構キレのいい音ですよね。僕はこいつが気に入ってるんですよ。・・ほら、MartinやGibsonとかは超有名、いわば人生の成功者、セレブみたいな感じでしょ?・・K-yairiだって、社長や重役になりましたって感じ。でも、こいつは、報われないけど頑張ってる会社員ってところじゃないですか。」
店員は、哲夫にギターを渡した。
哲夫はそっと構えてみた。遥か昔に忘れていた感覚を思い出していた。ポロンとEmを鳴らした。初めてギターに触れて出した音。少し指先が痛かった。何か熱いものがこみ上げてくる。
「ええ・・確かに、良い音です。良いギターだ。でも・・僕には・・もったいない・・」
哲夫はそう言って、ギターを店員に返した。
「ねえ。これ、買いましょうよ。クリスマスも近いし、早目のプレゼントっていうのはどう?」
哲夫が躊躇している理由は加奈にもわかったが、あえて、加奈はそう言った。
「いや・・良いんだ。もったいないよ。」
「じゃあ、いいわ。私が弾くから・・ねえ、これ下さい。」
店員は、二人のやり取りに戸惑いながらも、じっと哲夫を見て、目線で強く勧めているのが判った。
「判りました。じゃあ、いただきます。」
哲夫は仕方なく承諾した。
商品購入のカードなどを記入しているうちに、ギターの調整も終わり、新品のケースに入ったギターを定員が運んできた。店員は満面の笑顔で、哲夫にギターを手渡しながら言った。
「是非、もう一度、始めてみてください。最近、増えているんです。若い頃を思い出してもう一回バンドを組んでみようっていう方がね。よろしかったら、一度、ご連絡ください。」
店員は小さなカードをくれた。カードには、≪OLD FRIEND CLUB 代表 泉谷拓郎≫と書かれていた。裏には、手書きの地図も添えられていた。
「ここの店員ですけど、趣味で、ライブ喫茶みたいなものもやってるんですよ。土日あたりに、50代の連中が集まって、70年代のフォークロックをうたって騒ぎます。気楽な集まりですから、よろしかったら、奥様と一緒にどうぞ。」
哲夫はカードを受け取ると、ポケットにしまいこんだ。

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